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高橋(寿)政府
委員 お答え申し上げます。
昭和四十五年の閣議了解におきまして、この件につきましては最終的に政府の承認を受けることになっておりますところまでは、いま先生の御
指摘のとおりでございます。その後の経過について御報告申し上げます。
昭和四十六年の三月三十一日、日本航空株式会社は日本国内航空株式会社に対しまして、合併を前提とした両者の諸契約は、その前提がなくなったのでありますから無効である。したがって、これまでの関係を清算をいたしたい。そして、その理由によりまして約二十二億円の日本航空の受け取りとなる金額を提示いたしまして、日本国内航空と
協議の申し入れを行いました。これに対しまして日本国内航空の側は、清算を行うべき法令または契約上の根拠はなく、もとの契約に従うべきことを主張していたわけでございます。
次に、日本国内航空と東亜航空が合併いたしまして、
昭和四十六年五月十五日に合併会社の東亜国内航空ができまして、この会社に、この問題が引き継がれたわけでございます。そして日本航空との間に
協議が続けられました結果——この間ずいぶん時間がかかったわけでございます。そして、その間におきましては、国会におきましても
運輸省は両者を督励して、早く決着をつけるようにせよというふうに御決議をいただきまして、私どもも両者を督励してまいりました。なかなか思うように進みませんでしたけれども、昨年の春先に一応両者の調印ができまして、私どもの方に承認を求める話が参りまして、それについて
協議を続けてまいりまして、五十二年三月三十一日に承認をしたわけでございます。
この五十一年の春に両者が合意に達しましたことの考え方は、かつて日本航空と日本国内航空とが合併をするということを前提といたしまして、運営の一体化を図ったわけでございます。日本国内航空のジェット機を三機日本航空が借りる、そして必要な要員もつけてもらうというふうな種類のことによりまして、運営の一体化を図ったわけでございますけれども、そのことによりまして、日本航空と日本国内航空とが、それぞれが受けました利益がありますし、それぞれが受けました損失がございます。その因果関係がどうなっていくのかという点を中心といたしまして検討をいたし、その結果、両者は五十一年四月一日付で合意をしたわけでございます。
合意の中身を簡単に申し上げますと、争点が大きく二つございます。
一つは、航空機の賃借料でございます。日本航空としては、日本国内航空と合併をするということを前提に、かなり高い賃借料を払ってきた。したがって、合併がなくなった以上、それを全部もとに戻して、白紙に戻しての検討だ、払い過ぎ分を全部返せということでございましたけれども、この点についての両者の合意に達しました内容は、こういうことでございます。
この両者の
業務提携が行われました
昭和四十一
年度から四十三
年度まで約三年間は、
運輸省が当時の国内航空輸送需要の動向から、国内幹線のジェット機の数に制限を加えていたわけでございます。これは行政指導でございますけれども、供給過剰になることを恐れまして、制限を加えておりました。したがいまして、日本航空といたしましては、当時日本国内航空からジェット機を借りてくるという以外に、日本航空として国内幹線のジェット機をふやして増収を図るチャンスがなかった。したがいまして、市場価格プラスプレミアムというものが入りました、いわゆる原契約に基づきますところの
割り高な賃借料を払っていることを、日本航空はそれを認めるというふうにいたしました。
ところが、四十四
年度以降につきましては、そういう国内幹線のジェット機の機数の制限という縛りがなくなりましたので、通常の市場価格—合併がなければ通常借りられたであろうもっと安い価格で
計算をいたしました。そういうことで
計算をいたしました結果、日本航空が払い過ぎであると言っていた分と、日本国内航空が当然もらうべきであった分というふうなものの関係を清算をいたしまして、日本航空は東亜国内航空から十三億九千八百万円を受け取る、そういうことで合意をしたわけでございます。
関連いたしまして、
昭和四十五年の閣議了解以後、この航空機を実際に日本航空が返還をいたしましたときまでの航空機賃借料は払ってなかったわけでございます。このことを、この際清算いたしまして、日本航空は当然これは払うべき点でありまして、このことについては、もともと争点がなかったところでございますが、四十六年七月十日に二機を返す、同じ九月一日に一機を返す、
合計三機分の四十五年十月から、この時点までの未払いの航空機賃借料といたしまして、日本航空が東亜国内航空に九億一千百万円を支払う、この点が、まず航空機賃借料に関する合意の
概要でございます。
第二の争点は、航空機を借りたことに伴いまして、日本国内航空から、それを操縦する。パイロットが日本航空の方に移っていったわけでございます。その後、合併がなくなりましたために、再び東亜国内航空の方の側に帰ってまいった人もたくさんございますけれども、最終的には、十八人のパイロットが日本航空に残りました。これはもともと日本国内航空時代にパイロットとして一人前の仕事ができるように養成をして、仕上がった人間を日本航空がもらった形になる。それだけ日本航空は養成費が節約されたのである。逆に東亜国内航空の方の側としては、この穴を埋めるために、操縦士に仕立てるために新人を採用いたしまして、十八人のパイロットを養成する必要がある。そういたしますと、この訓練費を
積算いたしますと、五億九千七百万円になります。この分は日本航空が東亜国内航空に支払おう、こういうことになったわけでございます。
これらに関連いたしまして、利息とか、あるいは航空機の整備費の分担金、あるいは立てかえ
保険料等を整理いたしまして、日本航空の受け取り分が一億四千九百万円、このような数字を全部
差し引き計算いたしますと、最終的に日本航空が三千九百万円を受け取るということで両者は合意をいたしたわけでございます。そして、私どもはその内容を精査いたしまして、ことしの三月三十一日に承認をいたしたわけでございます。