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宇野国務大臣 事業団のPRの件に関しましては、過去の経緯もございますから、
局長から
説明をさせたいと思います。
その次に、中島
委員の賃金カットの問題でございますが、いろいろ経緯はございました。しかしながら、私といたしましては、これはあくまで原研の労使間の問題ですから、両者の間で円満に解決をしてくれないか、そのことを望む。現に中島氏が知事の諮問機関である
研究委員会のメンバーである。たとえ、その人の思想が今日のこの
原子力船「むつ」に対して反対であろうが賛成であろうが、それをもって賃金カットしたとかしないと言われるようなことは、
科学技術庁長官としても、はなはだ好ましいことではないと思う。さりとて私が直接介入するということは、これまたいささか問題もあろうから、十二分に労使間で話し合ってくれないかというのが、ずっとこの問題に関する私の希望でございました。
先般も、衆参両院の科技特で
中村委員と同じ御質問を受けました際にも、もう一度その辺を君としても十二分に考慮してはどうかというふうなアドバイスもございました。私といたしましても、いま申し上げましたようなことで、よきにつけ悪しきにつけ、内政干渉したと言われるのは困りますが、しかし、
科学技術庁長官としては、慎重にこの問題を考えなければならないと思っておりましたときに、たまたま長崎県知事から
原子力委員長あてといたしまして、この問題はひとつ冷静に考えていただいたらどうであろうかというふうな申し入れがございましたので、率直に申しまして、これは本当に渡りに船である、さように存じましたので、実は私といたしましては、
原子力委員長がまた乗り出すということになりますと、またまたよきにつけ悪しきにつけての
話題にもなりましょうから、幸いにも井上五郎さんという私の
委員長代理がおられますから、ひとつこの
委員長代理に原研との間でいろいろ話をしてもらってはどうであろうか、こういうふうに思った次第でございます。そしてやはりこれは円満に解決をするようにいたしたいと思います。肝心の中島さんがずっとおられなかったものでございます。実は土曜日に私はその
決意をして、そして
委員長代理にお願いしたのですが、きょう幸いにも中島さんがおられましたから、したがいまして中島さんとの間におきましても、この問題は円満裏に解決するように話し合いをしていただける、私はかように存じております。この点に関しましてはいろいろ御迷惑をおかけいたしたかもしれませんが、ひとつそういうような立場で善処いたしていきたい、かように存じております。
三番目の、
核燃料体を抜くという
お話でございます。これはもう私もこの間の
研究委員会の
状態を十二分に知悉いたしております。しかしながら、あした、いよいよその結論が正式に出まして、その結論に基づいて知事さんが御決断をなさるということでございます。そして、その知事さんの御決断を私は尊重するということを、先般
予算委員会におきましても
中村委員に
お答えをいたしておりますので、その心境は今日少しも変わりはございません。私が、あした出るであろうそういう結論をあらかじめ予測して、そしてこの公の場でそれについてのコメントをすることは、やはりいかがであろうかと思いますので、ひとつ御勘弁を賜りたいと存じます。私は
科学技術庁長官といたしまして、今日ただいまの
原子力船「むつ」、事故がございましたけれども、
放射線漏れということがございましたが、しかし二年半たちまして、かなりの水準に達しておる
原子力船であって、そして遮蔽改修をし、総点検をし、修繕をするならば、これはりっぱな船になるという大山
委員会の結論も伺っておりますから、その線に沿いまして、ぜひとも修理はしてほしいものである、かように今日も思っております。
したがいまして、
科学技術庁長官といたしましては、純粋の
科学技術面では今日ただいま、あの燃料体を積んだまま佐世保にお邪魔いたしましても、決して不安な
状態ではないというふうに私は言いたいわけでございます。しかし今日、そういうふうな純粋な
科学技術論プラス社会問題も加わりましたでございましょうし、あるいは被爆県としての長崎の県民の
方々の感情問題もございましょうし、いろいろな問題もございますから、そうしたことを判断して、知事並びに市長が最終的な決断をなさる、こういうふうに私も期待をいたしておりまするから、やはり御両方のそうした決断に対しましては、私ははっきりとこれを尊重していきたい。この心には今日も全く変わりはございません。
その次に、石渡参事官の件でございますが、先ほども同じような質問を受けたところでございます。われわれが、いやしくも知事さんの諮問機関である
研究委員会の方向づけを何か示唆したとか、あるいは何かむしろこうした方がいいというふうな、いわば内政干渉をしたとか、そういうようなことがあっては大変でございます。私も九州の新聞を即日見まして、これは大変なことだなと思いましたので、本人を呼びまして、
局長も呼びましてその辺はただしましたが、決してさようなことはいたしておらない、そのことに関しては地元においても、もうすでに了解を賜っておるということでございました。
なお、詳細にわたりましては、直接上司の
原子力局長が十二分にその辺の事情を知っておりますから、
局長からも
説明をさせたいと思っております。
その次に、今回の
原子力船「むつ」の問題は、出口、入り口と申しますと、いささか語弊があるかもしれませんが、率直にそういうふうな表現を用いさせていただくのが一番わかりやすいと存じます。だから私といたしましては、出るときも入るときも「せいせい粛々」である。「せいせい」の「せい」はどういう字だというふうにお尋ねの向きもございましたが、これはいろいろございましょう。私といたしましては、静粛の「静」の静かであるという
意味もあろうし、あるいは整えるという字の「整々」もあろうし、あるいは正しいという字の「正々」もあろうが、いずれにいたしましても、
政府が強権を発動して無理強いをしてまで出ていく、入っていくというふうなことであっては、これは決して政治ではない。そういう
意味で、いま申し上げました幾つかの字義がございましょうけれども、どれをとっていただきましても、この場合にふさわしい言葉ではないかと私は存じまして、「せいせい粛々」という言葉を使わせていただいておるような次第でございます。
なおかつ、十五日の記者会見におきまして母港複数化の問題を私が
お答え申し上げましたが、これも実はやがて
原子力船時代が来る、また来なければ
わが国の将来が案ぜられる、私はそういうふうに確信いたしております。したがいまして、いままでに定係港を決めなければならなかったわけであります。四者協定によりますと、半年後に決めろ、こういうふうに決まっておったのであります。これがまず第一点の違反
事項であります。私は率直に青森の
方々に、違反でございますので、申しわけありませんということをおわびをいたしておる次第でございます。これにはいろいろと背景があることは
中村委員も十二分に御承知であろうと私は存じております。
しかしながら、やはり
原子力船時代ということを考えますと、この三年間ほど修繕に日時が必要でございますから、その三年の間に、ぜひとも母港は決めたいものである。しかしながら、それは単数ではなくして複数で決めたい。同時に決める場合もございましょうし、あるいはこれが一番目の着手だ、二番目の着手だというふうな場面もございましょうが、いずれにいたしましても、やはり
原子力船時代というものを考えました場合には、私は母港を複数で決めたい、かように存じておる次第でございまして、今日ただいまその
一つが佐世保であるということは全く考えておりません。同時にまた、ではそのほかにどこか考えておるかということに対しましても、はなはだ無責任なようでございますが、いまこの問題が出ますと、出口、入り口の問題にさらにいろいろとかえってめんどうな問題を引き起こす、連鎖反応を起こすおそれもございますので、われわれといたしましては「むつ」が静かに佐世保に入りまして、いよいよ修繕を受けるという時点から三カ年の間に新しい母港を決定したいものである、かように考えておる次第でございまして、具体的な場所と折衝もいたしておりませんし、無責任なようでありますが、じゃ
調査をしたか、
調査もまだいたしておらないという次第でございます。
ただ、全国からは、今回いろいろ「むつ」の問題に関しまして、うちの方に来てくれ、ぜひとも私の方を使ってほしいと言うところは幾つかございますが、これもまた新聞が報道したり、あるいは
同僚議員がそういうふうな発言をなさったりといった程度で、正式に私の手元に、ぜひともこの三年の間にひとつ母港にお願いしたいという書類は出ておりませんし、またそうしたことで、じゃ、さようにお願いできますかと申し上げましても、果たしてそれがうまくいくかいかないか、大変問題でございます。したがいまして、今後三年間とは言いながらも、またまた母港問題で大変な問題を惹起いたしましては、ますます
原子力行政そのものに対する
国民の
方々の信頼というものを失墜するばかりでございますから、私といたしましては、
原子力船は、全国津々浦々、六十日前に入港届を出せば、どこでも受け入れていただけるような安全性を
行政面においても確保しながら、
国民の
方々にもなお一層その安全を御認識賜りたい。やはりこれを同時にやっていかなければならない。そうした中において複数の母港を決めたい、こういう
気持ちでございますので、その辺もひとつ御了解をお願いいたしたいと存じます。