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1977-03-04 第80回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十二年三月四日(金曜日)    午前十時十七分開議  出席委員    委員長 稲富 稜人君    理事 阿部 文男君 理事 西銘 順治君    理事 本名  武君 理事 山田 久就君    理事 上原 康助君 理事 安井 吉典君    理事 斎藤  実君       川田 正則君    竹中 修一君       村上 茂利君    池端 清一君       加藤 万吉君    市川 雄一君       玉城 栄一君    瀬長亀次郎君       甘利  正君  出席国務大臣         国 務 大 臣         (沖繩開発庁長         官)      藤田 正明君  出席政府委員         防衛施設庁施設         部長      高島 正一君         沖繩開発政務次         官       國場 幸昌君         沖繩開発庁総務         局長      亀谷 礼次君         沖繩開発庁振興         局長      井上 幸夫君  委員外出席者         運輸省港湾局参         事官      石月 昭二君         労働大臣官房参         事官      石井 辰治君         特別委員会調査         室長      綿貫 敏行君     ――――――――――――― 三月一日  沖繩振興開発金融公庫貸付金利の据え置きに関  する陳情書(第八  八号)  沖繩県在住被爆者医療費負担に対する救済措  置等に関する陳情書  (第八  九号)  沖繩基地における米軍人等による人権侵犯防止  措置確立等に関する陳情書  (  第九〇号)  北方領土返還に関する陳情書外七件  (第九  一号) は本委員会に参考送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  沖繩復帰に伴う特別措置に関する法律の一部  を改正する法律案内閣提出第二一号)  沖繩問題に関する件      ――――◇―――――
  2. 稲富稜人

    稲富委員長 これより会議を開きます。  最初に、内閣提出に係る沖繩復帰に伴う特別措置に関する法律の一部を改正する法律案議題といたします。  政府から提案理由説明を聴取いたします。藤田沖繩開発庁長官。     —————————————  沖繩復帰に伴う特別措置に関する法律の一部を改正する法律案     〔本号末尾に掲載〕     —————————————
  3. 藤田正明

    藤田国務大臣 ただいま議題となりました沖繩復帰に伴う特別措置に関する法律の一部を改正する法律案について、その提案理由及び概要を御説明いたします。  沖繩復帰に際しましては、沖繩県の区域において本邦の諸制度の円滑な実施を図るため、沖繩復帰に伴う特別措置に関する法律により、各般特別措置が設けられたのでありますが、政府は、その後の沖繩県を取り巻く社会経済情勢変化等に顧み、内国消費税及び関税に関する特例について、その期限延長等を行うこととし、ここにこの法律案を提出した次第であります。  以下、この法律案につきまして、その概要を申し上げます。  まず第一点といたしまして、内国消費税については、沖繩県産酒類に対する酒税軽減措置揮発油税及び地方道路税軽減措置並びに料飲店用輸入ウイスキー類に対する酒税軽減措置期限を五年延長するとともに、砂糖消費税免除措置及び沖繩県産品に対する物品税免除措置免除または軽減措置に改めた上、その期限を五年延長することといたしております。  次に第二点としまして、関税につきましては、製造用原料品及び消費生活物資にかかわる減免措置期限を五年以内において所要の延長等を行うとともに、発電用燃料油にかかわる免除措置及びいわゆる観光戻し税の制度について、その適用期限を五年延長することといたしております。  以上が、この法律案提案理由及び概要であります。  何とぞ、慎重御審議の上、速やかに御賛同くださいますようお願いを申し上げます。
  4. 稲富稜人

    稲富委員長 以上で提案理由説明は終わりました。  本案に対する質疑は後日に譲ることといたします。      ————◇—————
  5. 稲富稜人

    稲富委員長 次に、沖繩及び北方問題に関する件について調査を進めます。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。上原康助君。
  6. 上原康助

    上原委員 せんだって開発庁長官が本委員会で行いました所信表明につきまして、きょうはいろいろ時間の範囲内でお尋ねをしてみたいと思うのです。  所信表明ですから、いろいろと政治的な発言なり、まあちょっと表現を強めて言いますと、美辞麗句を並べなければならないということもわからぬわけではありませんが、私も沖繩国会から本委員会なりあるいはほかの委員会でも歴代の総理なり総務長官開発庁長官所信表明などをずっと聞かされてきたのですが、一貫してお述べになっておられることは、沖繩県民の多年の御苦労に報いるために、本土との格差を一日も早く是正をして、平和で豊かな沖繩県づくり努力をするのだ、表現はそのままでないにしても、趣旨は大体そういうことをずっとお述べになっているわけですね。それはそれなり目標としてわからぬわけでもないですが、しかし復帰五年になった今日、振り返ってみて、余りにも政府が掲げてこられたそういった所信なり方針ということと現実沖繩実態というものが乖離をしている、非常に隔たりがあるということに、失礼な言い方をしますと、非常にむなしさを感じないでもないわけですね。  そこで、具体的な問題に入る前に、今度開発庁長官になられて、いろいろ五十二年度予算の面でも大変御努力をいただいた点も私たちも評価もいたしますし、またそれなり長官の意欲というものもうかがえないわけでもありません。そのことはそのこととして理解をするにしましても、先ほど申し上げましたように、今日の沖繩実態というもの、特に海洋博の後始末などもあって非常な混迷状態をいま余儀なくされている。なかんずく県民生活とかかわりのある経済雇用等々の問題においては、そこいらのことをどう把握をしておられて、今後、これまで五ヵ年間の政府が進めてこられた政策のいわゆる成果ということと、いま一つはこれから克服をしていかなければいけない点、これなどを十分に現実にマッチした形で分析をして政治の面に具体化をさせていくということがいま一番大事なことだと私は思うのですが、そういう点については、長官はどのようにお考えになっておられるのか。この所信表明で恐らく言い尽くせなかった面もたくさんあると思いますので、そこいらをまず明らかにしていただきたいと思います。
  7. 藤田正明

    藤田国務大臣 上原先生の御指摘のとおり、私、所信表明の中でも、沖繩経済、それを取り巻く環境にはなお厳しいものがあるということを申し上げたわけでございます。  いまの御質問に対しまして、この前期の五ヵ年において評価されていいものあるいは今後問題点として克服しなければならぬもの、これらをどう考えているか、こういう御質問であろうかと思いますが、第一に、道路港湾、上下水道とか、それからまた文教施設などの公共的な施設整備は、これはもう一応順調に進んできておる、このように思います。それから第二に、県民所得他府県と比べまして向上したということも言えると思います。また、住宅建設が進み、居住水準向上した、あるいは耐久消費財他府県以上に普及してきたということも言えると思うのであります。  全体的に生活が豊かになってきたということは言えると思いますが、ただ今後の克服さるべき問題点といたしましては、県民所得向上が、県内生産力の上昇とか県内雇用拡大あるいは県内経済体質の改善というふうなものにつながってきてないという点に問題があると思うのです。それから、このような急速な変化の中において、また海洋博の後ということもあり、ひずみが産業の間に生じてきておるということも言えるかと思うのです。これも一つの大きな問題点であろう、かように思います。  そこで、あと五ヵ年でいろいろなことを考えていかなければならぬと思いますが、重点といたしましては、保健医療であるとか福祉等、このような人的サービスを要する部門整備が必要でありますとともに、第一次産業、農業を引き続き重点的にやっていかなければならぬ。しかし、これもやはり土地という限度がございますので、期待する限度というものは考えながら、引き続きこれはやっていかなければならぬ、土地の広さというものがございますから。それから、第二次産業ですが、これはやはり県内資源というふうなものを活用できる第二次産業地場産業発展を、これも急激に伸長ということはなかなかむずかしいかと思いますが、じみちな努力を傾けていかなければならぬ、かように思っております。
  8. 上原康助

    上原委員 おおよそのことになりますと、大体いま長官がお述べになったことが言えるかと思うのですが、そこで御承知のように、振興開発計画は四十七年の十二月でしたかに決定をされて今日に至って、いま御指摘のようにすでに五ヵ年の折り返し地点に達しておるわけですね。  そこで、私もかねがね指摘をしてまいりましたが、この振興開発計画ができた段階というのは、ちょうど沖繩復帰した直後で、しかも日本高度成長政策が最絶頂にあって急激に下るという時期なんですね。それだけにこの基本を流れているのは、何はともあれ本土との格差を埋めていくために大型のプロジェクトをするとか、公共投資を集中的にやっていくとか、そういう面が非常に前面に出て、いわゆる高度経済成長路線の延長線上にこの計画が位置づけられた。これも今日五ヵ年になって、五十六年の目標年次に達するまでの指標としてはほとんど半分にも達していない。あるいは政府がせんだって中期展望として開発庁でおまとめになったものによりましても、人口だけは目標達成できるけれども、すでに達成されているわけですね、しかし雇用にしても、いま言われた二次産業にしましても三次産業にしても、いわゆる質の面を含めてほとんど絶望的と言ってもいいくらい不可能に近いわけですね。したがって、そういう面をもう一度きめ細かく今日の時点で見直してこの計画というものを練り直していかないと、いまおっしゃったように、第一次産業をやっていくとか、あるいは二次産業にも今後力を入れていくといっても、どだい発想そのものが非常に沖繩現実立地条件にマッチしなかったがゆえに、今日のいろいろな障害、これは外的要因もありますよね、ドルショック、オイルショックあるいは不況という日本経済全体、世界経済がいわゆる安定成長下に位置づけられていくという過程ですから、必ずしも沖繩振興開発計画だけに限るわけではありませんが、そういった外的、内的、そして沖繩実態ということをもう一度再点検をした形での振興開発計画というものを練り直していかなければいかぬのじゃないか。そのことを私たちはこれまで非常に強調してきたわけですが、なかなか根本的な洗い直しというものはおやりにならないという方針をとってきておられるのですが、そこいらはもう一度御検討をする必要があるんじゃないかという気がいたします。特に雇用面においては、もう失業問題など指摘をするまでもなく、現在でも、本土と比較しますと三倍以上の失業者というのがいる。いま仮にいまの人口の伸びでいきますと、昭和五十六年では、いわゆる十五歳以上の稼働人口というのは七十五万を超えるんじゃなかろうかということで、そのうちの大体五三%ないし五〇%前後しか就職のめどは立たないんじゃないかという指標が出ているわけですね。現在でもこういう状態に加えて新規卒とかいろいろな問題が出た場合、一体沖繩の将来展望というもの、生活環境というものがどうなっていくのか、経済面ではそういうものがあるし、また後ほど少し触れますが、それと不離一体の形で広大な基地を抱えているという不利な条件もある。ここいらは、私は県の方ももっといろいろな面で検討をしていかなければいけないということは理解はいたしますが、やはり政府政策として、もう一度洗い直してみる必要があると思うのですね。ここいらは、今度沖繩振興開発計画に対する中期展望を一応の検討材料として中間報告をまとめたようですが、いま私が申し上げたようなことを含めて、基本的にはどうなさっていくのか、この点もいま少し明らかにしていただきたいと思うのです。
  9. 亀谷礼次

    亀谷政府委員 ただいま上原先生から、開発庁が昨年十一月に審議会お願いをして答申をいただきました中期展望に関連をいたしまして、復帰五年を振り返りました現在の沖繩振興開発計画につきまして計画の見直しということ、それから将来展望基本的にどういうふうに考えていくのか、こういう御趣旨の御質問であったかと理解をしておりますけれども、先生も御案内のように、昭和四十七年に沖繩振興開発計画沖繩県からの原案に基づいて開発庁で策定をいたしましたときの当初の目標が、率直に申し上げまして、当時の基準県民所得を三倍に引き上げるというかなり思い切った計画であることは御案内のとおりでございます。  現状におきまして、ただいまも数々の御指摘がありましたように、人口の面におきましては、当初の予想を上回る速度で当初計画人口水準に達しましたけれども、海洋博前後の本土の厳しい経済情勢環境の中で、特に沖繩の置かれております環境が、経済の底の浅いということもありますが、非常に厳しいということも率直にわれわれも認めておるところでございます。  こういった中で、しからばこの計画を五年の折り返し点で改定すべきではないかということになるわけでございますけれども、先生も御案内のように、冒頭申し上げましたこの計画は、二十七年間沖繩本土から隔離しておりました間の種々にわたります格差本土復帰後早急に是正をするという、いわば県民大多数の悲願が込められておりまして、その中身は、御案内のような急速に本土との格差是正し、かつ県民所得本土水準に達することを基本政策にした沖繩県願望に基づく県計画であったわけでございます。したがいまして、その計画中身としては、やはり県民所得を上げるためには、第三次産業に過大にシェアが傾いております経済構造を直すためにも、第一次産業に合わせて第二次産業を必然的に大幅にレベルアップをせざるを得ない、こういういわば願望にも近いものが県の計画にあったわけでございまして、中身としては、当然地場企業をレベルアップすることによる生産所得向上に合わせて、本土からの新規企業立地も相当大幅に見込んだことは事実でございます。この点が、先生指摘のように、現在県の中でも、本土高度経済成長というものに影響された工業偏重主義だとか高度経済成長至上主義という御批判があることも承知しておりますけれども、当時のそういった問題を振り返ってみますと、必ずしも、その情勢からこの計画の立案の過程を見た場合に、計画自身が不自然である、あるいは曲がっておるというふうにはわれわれも考えたくない、こういうふうに考えておるわけでございます。  そればさておきまして、御指摘のように、今後の問題でございますけれども、やはり中期展望に言われておりますように、人口はやや今後とも微増をする、しかもまた経済情勢として新規企業立地がなかなか厳しい、こういう状況も御指摘のとおりでございますが、とにかく現在の十年計画基本構想であります本土との格差をなるべく早い時期に是正をし、いわゆる自立的な経済発展をもくろむという基本構想を改定するということにはならないわけでございまして、審議会答申にございますように、引き続き後期五年におきましてこれらの目標達成のための努力各般施策にわたって政府も傾けていく、こういうことを御答申いただいているところでございます。具体的には、御案内のように、五十二年度の予算におきましても、振興開発事業を初め財政投融資等他府県以上の拡大を図っておるところでございますし、今回御審議をいただくことになっております復帰特別措置法等沖繩経済実態に即した各般措置を今後とも進めていく、こういうことで考えておるわけでございます。
  10. 上原康助

    上原委員 私のとらえ方とはかなり差があるのですが、その点は立場の違いといいますか、現実の厳しさのとらえ方の違いかもしれませんので、これ以上くどくは申し上げませんが、私はきわめて悲観的な見方をしているわけです。  いま基本方針は変えないで努力をしていくということのようですが、それじゃ端的にお伺いをしておきますが、昭和五十六年の目標年次までに、この十年計画で出されたものが、現時点でどのくらい達成できるとお考えなのか。もう半分は越そうとしているわけですから、少なくともこれまでの進みぐあいなり現在の経済環境沖繩実態というものをとらえておられるならば、あと五年先のことについてはおおよそのめどは立てられると思うのですね。それをどうとらえているかということを明らかにしていただきたいということが一つ。  いま一つは、これが目標達成ができないで、場合によっては五、六〇%もいかない部門も出てくるかと思うのですね。その段階では、この基本計画というものはどのように進めようとしておられるのか、この二点はぜひ明らかにしておいていただきたいと思うのです。
  11. 亀谷礼次

    亀谷政府委員 後期五ヵ年におきます振興計画目標がどの程度達成できると考えておるか、こういう御質問でございますけれども、先ほども御答弁の中で触れましたように、政府といたしまして、この後期五ヵ年におきます目標達成の成否と申しますものは、一にかかって、後期五ヵ年間にどの程度政府並びに県の施策努力が結果として目標に影響できる面があるか、こういうことでございますので、現時点で正確にこの後期五ヵ年の成果見通しを予測することは困難でございますけれども、経済の諸情勢その他がおおむね現在と変わらないということで見通しを立てるといたしますならば、大体おおむね次のようなことになろうかと思います。  先ほど大臣も御答弁ございましたように、公共施設整備につきましては、おおむね順調に進捗をしておるわけでございますので、今後引き続き各般施策努力をすることによりまして、ほぼ目標を達成することは可能であろうと考えております。  なお、医療保健サービスなどの充足につきましても、引き続き本土との格差が縮まる、こういうふうに期待をしております。  また、県民所得の面でございますけれども、前期五年で、先生案内のように、本土の倍以上のスピードで経済成長を遂げてきたわけでございますけれども、これは一面、政府の支出に依存して伸びてきた面が強いわけでございまして、沖繩県経済体質の強化、県内雇用拡大を図るためには、なお相当程度努力をしなければなりませんけれども、これは一にかかって、地元におきますところのこれに呼応する努力も必要であろう、そういうことを含めまして、やはり新規労働需給ギャップを埋めるための雇用の造成というものはかなり厳しい面がある、こういうふうに率直に考えております。  非常に抽象的になりましたけれども、主要の目標点について言えば、そういうことになろうと思っております。
  12. 上原康助

    上原委員 そうしますと、いまの御答弁によりますと、いわゆる公共部門、もちろん当面の雇用対策なりあるいは基盤整備という面では、財政投資による景気浮揚策というのは絶対必要ですよね、特にこういう不況下におきましては。しかし、私が申し上げているのは、それだけでは、沖繩自立経済と言わないでも、現在の雇用問題、生活環境整備ということにはつながらないという感じを持つわけですよ、正直申し上げて。ここをどうするかということなんです。  いま一つは、二次産業というものを非常に重点としてこの振興開発計画では打ち出しているわけです。基準年次において大体一八%のものを一〇%上げて二八%まで持っていくという目標を立てているわけでしょう。しかし、この五年間で見るべき産業開発というものはなされていないわけですよね。二万五千名以上の、三万名の失業者、加えて新卒ということになりますと、どうしてもあと五、六万ぐらいは県内で需要を満たす職場というものを開拓しなければいけないということになっているわけですね。これは残念ながら、現在の公共部門中心財政投資だけでは不可能なんですよ、正直申し上げて。もちろんその面で私もずっと一次産業振興というものを強調してまいりましたが、それも並行してやるにしても限界があるというのも大体見え透いているわけですね。これも限度があります。だから、この議論になると、すぐ公害云々の問題で拒否反応があったから企業誘致ができなかったというふうにすりかえられる向きもありますが、しかし沖繩の置かれている立地条件ということと今日的経済環境においては、沖繩にはなかなか企業が出ていきにくい状況というのがあるわけでしょう、離島であるということあるいは水資源がないということとか。こういう面を本当に克服していくというのが、私は本来の基本計画でなければいけないと思うのですね。残念ながらこういうものに対する指標というものが十分出されていない欠陥をこれは持っている。  したがって、私が申し上げたいのは、きょう時間が余りありませんので深い議論はできませんが、せめてこの五ヵ年の折り返し地点に来た段階においては、そういうところまで十分配慮をした計画というものを、県とも御相談になってやっていただかないと、いま総務局長が御答弁あったようなことでは、確かに学校とか病院とか医療施設とか、あるいは道路とか港湾とか、こういうものは当然やるべきことなんですよ。本来やるべきことであって、これを整備をしたからといって、沖繩産業基盤なり産業開発が全体的な調和のとれた、いわゆる本土との格差というものが埋まったということにはならないと思うのですね。ここいらをどうなさろうとしておられるのかを私はお尋ねしておるわけですよ。
  13. 藤田正明

    藤田国務大臣 確かにおっしゃるようなところが大きなポイントだと思うのです。ですから、他府県からというか本土から大きな企業が進出するとか、まあ立地上きわめてむずかしかったというふうなことがいままでもあったわけでございますが、今後は大きな期待をこれらにかけることはなかなかむずかしい。しかし、その努力県内企業誘致する努力は続けていかなければならぬと思うのです。それとともに、より大切なことは、沖繩県産品県資源、これを活用するような企業地場で育成していくこと、これがまた雇用の機会の増大にもなっていく、これが一番大切なことであろうと思うのです。そういう意味におきまして、金融公庫の機能も拡大していきたい、そして予算もふやしたい、かように考えております。  確かにおっしゃる点が一番の問題でございますので、折り返し地点の今日、それらも加えて県当局検討をともにいたしたい、かように考えます。
  14. 上原康助

    上原委員 ですから、この五ヵ年を振り返っての問題認識ということと、今後どうしなければいけないかということについては、私は余り意見の不一致はないと思うのですよ。ただ、政府とて、これは計画を立ててここまでやってこられたから、自分たちがおやりになってきたことがやはり最初から誤っておったというのはなかなか言いにくいものですから、そこいらは私も理解しないわけじゃありませんが、少なくとも従来のような、海洋博みたいな一時にどかっと水爆級のものを持っていけば振興開発につながるという発想ではだめだということは、もう政府も重々おわかりだと思うのですね。だから、いま長官がおっしゃるように、バランスのとれた、一次産業もある、伝統工業もある、そういうことを、規模は小さいながらもいわゆる沖繩現状にマッチした産業振興開発というものを促進すべきだというのが私の持論だった。少なくともそういう方向で今後おやりになりますね。  それが一つと、そのために五十年度あるいは五十一年度、五十二年度はかなり予算的にも裏づけはされてきておりますが、まだまだ不十分な点もあると思うのですね。農業基盤にしましても、あるいは特に二百海里問題との関係で、沿岸漁業、いわゆる沖繩の四面海の条件を生かすという面での水産業振興というものなども、もっと積極的に進めていくべきだ。ぜひそういう配慮は今後もとっていただきたいということ。  それといま一点、具体的に、これは要望も兼ねて見解をお伺いしておきたいのですが、一つ海洋博において相当の民間投資もなされて、いろいろ施設ができたわけですね。これは公共部門だけでなくして民間関係もそうなんです。特にホテル関係、旅館業というのは、御承知のように、いま大変な目に遭っている。最近の調査でも、県の旅館環境衛生組合が調査をしたところによると、二百七十軒を対象に調査をしてみると、那覇市を中心に、もう売却をしたいとか、あるいはどうしても営業が成り立たぬ、そういう面で、約四十軒近くがもう売りに出すか廃業をするというところに追い込まれているわけですね。もっとほかにも中小のはたくさんあるかもしれません。  長官、ここで問題になるのは、私きょうまだちょっと調べてありませんが、これは開発金融公庫に関係いたしますが、やはりこの不況下においてそういう業者を保護していく、あるいは何らかの転業をやっていくという場合には、従来銀行融資をほとんど受けてやっているわけですが、せめて三年ないし五年はその利子補給の分だけでも何らかの形でのめんどうを国なりいろいろな形で見ていただかないと、中小零細企業の場合はもう自殺行為にしかならぬというのが多いのですね。私は、そういう手だての方法はあるのじゃないかと思うのです。これは県の方にも、あるいは政府の方にも具体的に関係者から要望が出ていると思いますので、ぜひ積極的に御検討をいただいて、こういう本当にもうこの不況下でどうにもならないという企業をどう立て直していくのか、何らかの手だてをやってあげなければいかぬと思うのですね。こういう面の金融対策というものをぜひ政府で御検討いただいて、この関係者の要望が入れられるように前向きに御配慮を賜りたいと思うのですが、この点は御検討いただけますね。
  15. 藤田正明

    藤田国務大臣 最初、地元産業の育成について、あるいは、県内への本土からの企業誘致について、バランスをとってやれということをおっしゃいました。これはもう当然のことでございますから、その点は十分気をつけて、バランスをとりながらやってまいりたい、かように思います。  それから、いまの海洋博後の、これはまたダブルショックを受けたわけでございます。日本経済全体がこういう混乱に陥り、そしてまた不況に陥った。そして、沖繩におきましては、特に海洋博後そういう一年間の大きな空白期間と言いますか、経済の落ち込みがあった、景気の落ち込みがあった、大変ダブルショックを受けられた沖繩県だと思うのです。  そういう意味合いでは、特に勘案をいたしまして、開発金融公庫から融資のあるものは償還期限を延ばすとか、いまもいろいろやっております。やっておりますが、特に沖繩県内で、県内特有の事情によってそうなった、これはもう日本全国的に不況、倒産というのは全部あるわけです。しかし、県内の特有な事情でそうなったというものにつきましては、また別途にこれは研究し、対策を練りたい、かように思っております。
  16. 上原康助

    上原委員 ぜひこの点は十分な御配慮をお願いしておきます。私も具体的にまた御要望、問題提起もいたしたいと思います。  そこであと一点、具体的な面でお伺いしますが、例の軍港湾の問題です。これも、労働省も来ていただいたのですが、時間がありませんので、広域職業紹介問題などはいまのやり方では全く功を奏していませんので、この軍港湾問題とも関連しますから、ぜひお聞きになっていただきたいのですが、御承知のように、昨年の十一月三十日に軍側と港湾荷役を取り扱っている請負業者との契約が切れて、更新ができずに二百五十二名ですか三名ですかの方々が全員解雇になったのですね。これは復帰のときにもいろいろ問題があって、私も関係をしてきた経緯もあるのですが、今回は、なおこういう失業問題が非常に深刻化している中で起きているということ、しかも今年の一月六日から約二百人の米軍の荷役を扱う兵隊、米軍を投入して実際に荷役業をやっているわけですね。     〔委員長退席、山田(久)委員長代理着席〕 米軍を投入してやりながら、実際の仕事はありながら日本人労働者は全部解雇をする、これも余りに矛盾した話なんですね。そこで、このことは早急に解決をすべきだと思うのです。  どのくらい軍側と折衝なり、あるいは政府でどういう行政指導をやってきて、どういう解決策があるのか明らかにしていただきたいし、昨年の十二月からもうすでに二ヵ月余にわたって二百名余りの方々が失業状態に追いやられているわけですから、ぜひ早急な解決をすべきだと思うし、この件について政府がとってきた措置を明らかにすると同時に、これからの見通しをひとつお聞かせいただきたいと思います。
  17. 石月昭二

    石月説明員 那覇軍港における港湾運送事業の問題につきましては、ただいま先生がお話しなされたとおりの事態が起こっております。私どもといたしましては、この契約が切れます前からこのような事態が起きないように現地の沖繩総合事務局に対しても十分配慮するように注意を喚起しておったわけでございますが、不幸にしてこういう事態になったわけでございます。その後、琉球港運という会社に雇用されておった二百四十三名が解雇された後につきましても、現地の沖繩総合事務局を通じまして絶えず米軍当局と折衝をとり、また本省の方でも外務省のアメリカ局の安全保障課でございますか、そこを通じまして、雇用の安定という観点からもできるだけ米軍のそれは避けていただきたい、また早く契約が締結できるように配慮してほしいということを要請し続けてきたわけでございます。  最近現地からの情報によりますと、この問題もようやく大詰めの局面を迎えているというように聞いておりますが、今後とも雇用の安定というような面から、私どもといたしましては、契約のスムーズな締結という問題につきまして、今年だけの問題でもございませんので、一層の配慮をしていきたいというぐあいに考えております。
  18. 上原康助

    上原委員 長官、時間が来ましたので、ほかの方々に御迷惑をかけてもいけませんからこれで閉じますが、いまの軍港湾の問題にしてもしかり、あるいは失業問題にしても、せんだって予算委員会で少しばかり触れましたVOAの職員の問題にしてもしかりです。そのほかいろいろあるわけですね。  私が聞き及んでいるところによりますと、この軍港湾問題は、現在の米軍が提示をしている契約高と業者が提示をしている契約をしようとする額に約五千万ぐらいの差が出て、まだネゴが十分煮詰まらない、あと一歩というところらしいですね。五千万ぐらいというと、われわれから言うと大きな金ですが、何億かのうちの五千万ですから、ネゴにおいては、私は相当煮詰まっていると見ているのです。これは今週いっぱいが山だと聞かされているのです。  そこで、絶えず申し上げるように、この種の問題は、単に事務レベルだけに任せてはいけないと思うのです。運輸省へ行くと、いや、これは開発庁だ、開発庁へ行くと、いや、これは労働省だというようなことではいけませんので、長官の方で事務当局からよくこういう事情をお聞きになって、運輸大臣とも御相談をなさり、場合によっては、外務大臣なりアメリカ局長にも指示していただいて、この問題を早急に、ようやく煮詰まろうとしているということ、中身はいろいろ差しさわりがあって私触れられませんが、そういう措置をやっていただきたいということで、行動を起こしていただきたいし、さらに、念を押しておきますが、せんだって申し上げましたVOA職員の五月十五日以降の問題等についても、ぜひいま少し政治的な配慮で解決を図る措置を早急にとっていただきたい。  これは開発庁長官であると同時に、国務大臣として、各省にまたがる問題は政治的にイニシアチブをとってやっていただくという積極的な姿勢が私は必要だと思いますので、そのことをぜひ御努力いただくということで、長官の御回答をいただきたいと思います。
  19. 藤田正明

    藤田国務大臣 できるだけの努力をいたします。
  20. 上原康助

    上原委員 これで終わります。
  21. 山田久就

    ○山田(久)委員長代理 玉城栄一君。
  22. 玉城栄一

    ○玉城委員 ただいま上原先生からも沖繩振興開発計画につきましては種々御指摘があったわけでございますが、私も、これまで政府が進めてまいりました沖繩振興開発計画前期五ヵ年計画について率直に申し上げさせていただきますならば、大きな失敗ではなかったか、むしろ大きな破綻を示している。  と言いますのは、現実沖繩実態をごらんになりますれば、長官もよく御存じのとおりであろうと思うわけでございます。基地の問題にしましても、在韓米軍の撤退等に伴いましてむしろ強化の方向にある、あるいは失業の問題にしましても全国平均の三倍以上、あるいはまた経済構造にしましても、相変わらず第三次産業偏重といういびつな経済構造になっておる等々の実態を見ましたときに、これまで長い間取り残された沖繩の問題を本土並みに引き上げるのだ、格差是正をするのだという趣旨のもとに政府計画をし、実行を進めてこられた振興開発計画は、まさにこの前期五ヵ年計画で大きな失敗であったと率直に言わせていただきたいわけであります。  要は、あと後期振興開発五ヵ年計画をどういう形で進めていくか。これにつきましては、先ほどもいろいろとお答えがあったわけでございますけれども、私が最初申し上げました失敗であったということの政府の責任というものはきわめて重大である。したがいまして、残された五年をどれほどの決意で、どのような具体的な考え方で、現在の沖繩の深刻な実態を解決し、どういう県づくりをなされようとするのか、その点につきまして、改めて長官のお考えをお伺いいたしたいと思うのであります。
  23. 藤田正明

    藤田国務大臣 玉城先生前期五ヵ年計画が失敗であった、こうきめつけられるわけですが、日本全体の置かれた経済環境あるいは景気というものが、石油ショック以降非常に悪くなってきておるわけでございますから、沖繩振興開発そのものが全面的に失敗であったということよりも、日本全体がおかしくなってきたということが一つ大きく底にあろうかと思うのであります。  それからまた、振興開発計画の中におきましても、先ほど御答弁申し上げましたように、公共施設あるいは県民の所得、そういうものについては、順調に伸びてきておると思います。失敗であったとおっしゃいます点は、雇用の問題であるとか、あるいは先ほども話がございましたが、第二次産業が依然として地元の景気浮揚、雇用につながらない、特に落ち込んでおるというふうな点、それからまた海洋博の後の一年の空白、こういうものに対応した措置がすぐに打てなかった、そういう点において失敗であるというふうなことであろうと思いまして、振興計画の前半五ヵ年が全面的に失敗であったとは、私は思っておりません。  今後五ヵ年間のことでございますが、先ほど来申し上げましたように、バランスのとれた沖繩県経済状態をつくっていかなければならぬ、かように思いますとともに、そして雇用拡大を図っていくためにも、第二次産業、第一次産業振興に引き続きじみちに努力をしていくということが重要なことではないか、かように考えておりますが、特に第二次産業におきましては、資源沖繩県にあるもの、たとえば漁業においても漁業加工品の振興を図るとか、あるいは天然ガスを利用して諸産業を興していくとか、そういうことにつきましては、金融公庫拡大によりましてやっていきたい、かように考えておる次第でございます。
  24. 玉城栄一

    ○玉城委員 私は、これまでの五年間の政府の御努力を全面的に失敗と申し上げているわけでは決してありませんが、現実に現在の沖繩実態からしましたときに、そういう評価を指摘されても決して返す言葉がないのじゃないか、このように思うわけであります。と同時に、残された後期振興五ヵ年計画、これに対する期待がきわめて大きいだけに、この五年間でおっしゃるところの振興開発計画の目的の達成、これはきわめて重大な問題であるという意味からであるわけであります。特に海洋博の問題につきましては、これは長官もよく御存じのとおりでありまして、沖繩経済開発の起爆剤にするのだということで本当に鳴り物入りでなされたわけでありますけれども、現地の実情に即していなかった。そのために、現在多くの後遺症で、ホテル業者、旅館あるいは中小零細業者の方々、きわめて深刻な状態に追い込まれているわけであります。その一つをとりましても、問題点は数多く指摘ができるわけであります。  この五年間におきまして、これからの沖繩のあるべき姿につきまして私申し上げてみたいのでありますけれども、もちろん第一次産業振興と同時に地場産業、特に加工産業振興、農産物の加工産業、畜産物の加工産業、水産物の加工産業、あるいは政府でも現在お考えになっていらっしゃいます中城湾の流通港の建設、あるいはその背後地のいわゆる加工団地の建設、あるいは現在糸満の方で大型の漁港が建設中でありますけれども、その背後地におけるそういう関連産業の張りつけ、あるいは二百海里時代に備えての沖繩の沿岸漁業の振興等々、いわゆる現地に即した地場産業という面に大きくポイントを置いて、強力な政府のあるいは資金手当てあるいは技術指導等々、これはもちろん長官の方が御専門であろうと思うのでありますけれども、大いに沖繩県民はこの残された五年間に期待をかけておるわけでありますので、ひとつよろしくお願いを申し上げたいと思う次第であります。  次に、今回の長官所信表明の中で、いわゆる基地の問題について一言もお触れになっていらっしゃらないわけであります。これはもうすでに御存じのとおり、沖繩振興開発計画の中できわめて大きな障害となっているのはいわゆる沖繩の基地の存在であることは、また政府のその振興開発計画の中でみずからいわゆる基地の存在というものが大きな障害になっていることはすでに述べておられるところであります。今回、前期を終わりまして後期に入る段階において、長官所信表明の中でなぜこの基地の問題に触れておられないのか、これは決して沖繩振興開発の中で避けて通ることのできないきわめて大きな問題であるから、あえて私はその点をお伺いをしたいのでございます。
  25. 藤田正明

    藤田国務大臣 基地の問題につきましては、もう御承知のように、百四十平方キロメートルの中の大部分、百二十平方キロメートルというものが米軍の基地でございますし、これは防衛施設庁が担当いたしております。地籍の明確化ということになりますと、いまのあとに残る二十平方キロメートルの方を沖繩開発庁の方で県と御相談の上でいろいろ進めておるという現状でございますので、いまの基地の問題は防衛施設庁の担当でございますから、そういうことで一応触れなかった、こういうことで御了解願いたいと思います。
  26. 玉城栄一

    ○玉城委員 これは、この間のこの委員会におきまして、外務大臣は、いわゆる基地の問題につきまして、全くわれわれ予想もしなかったのでありますけれども、わざわざ例の基地確保法の制定促進というような面で触れておられるわけであります。振興開発計画の中で沖繩の基地の存在というものは、これは決してそのまま避けるわけにいかない重要な問題であるわけでありまして、この点をわざわざ——わざわざと申しますか、これは施設庁の管轄であるので触れられなかったというだけでは、この沖繩自立経済の確保、沖繩振興開発の責任の立場にいらっしゃる長官とされましては、ちょっと意外な感じがするわけであります。  話を変えますけれども、沖繩でもそうですけれども、いま大きな問題になっております。いわゆる俗に言われます基地確保新法案というのが防衛庁から出されておるわけでございます。そういうことも関連をいたしまして、従来、開発庁とされまして沖繩の地籍の調査をこれまでなされてこられまして、またそれなり成果が出ておることも評価をいたしておるわけでございます。沖繩のいわゆるあの戦争、そしてまた、それに続く米軍軍事支配という特殊な中で混乱に混乱をし尽くされた沖繩のいわゆる境界不明地の地籍の確定を開発庁復帰後なされて、この五年間してこられたわけでありますけれども、その中で一番むずかしかった点、どういう点がその解決のために非常にネックとなっておったか、その点を、この五年間の経験を通してお聞かせを願いたいのであります。
  27. 亀谷礼次

    亀谷政府委員 先ほど大臣から御答弁ございましたように、沖繩におきます所有者不明土地、いわゆる地籍の明確化の問題につきましては、復帰の時点におきまして県当局、それから関係省庁、防衛施設庁等と十分協議をいたしました結果、防衛施設、区域につきましては防衛施設庁、民地につきましては私どもが、県に協力をお願いしまして、これの明確化を図るということで、今日までやってまいったわけでございます。  先生も御承知かと思いますけれども、四十七年以降全体の概況調査及び問題地点の資料整理をやりまして、この数年来、その中でも特に要望の強い西原等々数市町村について、これの明確化作業に入っておるわけでございます。ごく近いうちに、私どもが当初やりましたこの西原地区の相当部分につきまして、いわゆる関係者間の合意が成立をいたしまして、私どもの手元にこの合意調書が届くことになっております。したがいまして、ごく近い将来、これを国土調査法に基づきますところのいわゆる地籍の認定とみなしまして、内閣総理大臣の認定に持ち込めるものと私どもは喜んでおる次第でございます。  ただいま御指摘のように、そうは申しましても、やはり二十七年間の戦後の空白時代にいろいろな問題が山積をしておりまして、いやしくもやはり個人個人の方にとりましては、土地という重要なる所有権の争いの問題でございますので、必ずしもこれが円満かつ速やかに合意に達するというケースばかりではございません。御指摘のような点をお答えするといたしますと、現在われわれが把握しておりますいろいろな困難な事案としては、代表的に申しまして、まず一つの事案としましては、お互いの間で紛争になっております面積につきまして、やはり甲乙それぞれに御意見が分かれますと、結果的にはやはり一方の方の面積が十分確保できない、いわば戦後の混乱の中で登記簿に記載した面積が過大であった、こういうことのケースもあるようでございます。あるいはまた、その境界確定作業に伴いまして、割当と申しますか、返還になります土地の中にいわゆる河川敷でありますとか、部落の里道でありますとか、そういういわゆる公共的な施設が入ってくる。一般的に言いますと、いわゆるつぶれ地補償的な関連の事案になるかと思いますが、そういった問題が中に入って解決を困難にしている。あるいはまた、御本人同士いろいろなお話をいたしましても、どうしても御本人が、やはり具体的なこれということではございませんけれども、なかなか御納得をいただかない、こういうケースも多少あるようでございます。  しかし、冒頭申し上げましたように、第一次着手をいたしました西原について申し上げますと、面積にいたしまして約六割程度、筆数にしまして九割を超える部分がいま和解調書を私どもの方に関係資料とともに提出いただくという時期になっておるというふうに聞いております。
  28. 玉城栄一

    ○玉城委員 この沖繩の境界不明地域の地籍の確定、これは現在、御答弁がありましたとおり、いわゆる集団和解方式、いわゆる地主間の話し合いによって解決をするという方式で進めてこられておるわけであります。しかし、その集団和解方式、話し合いだけではどうしても解決のできない部分が出てきているということは、いまお話もあったとおりであります。したがいまして、その集団和解方式で解決のできない境界不明地の地籍確定をどういう方法で解決をするのかというのがこれからの非常に大事な問題であるわけであります。  先ほど御答弁のありましたいわゆる西原村の例にいたしましても、確かに私たちもこの間現地調査をいたしまして調べてまいったわけでありますけれども、一つの具体的な例を申し上げますと、たとえば、この西原の場合七十五のブロックに分けて、地籍の調査確定作業を始めるわけです、三地区に分けて。その七十五のブロック、これは全体で筆数は千七百四十九筆、その七十五のうちの一つのブロック、この一つのブロックに五十六筆あるわけです。地主が四十六名、その一つのブロック五十六筆の中で一人の地主、四十六名の地主のうちの一人の地主が合意しなかったために、このブロックは最終的な地籍の確定ができない。したがって、この西原の七十五のブロックの中で合意に達したブロックは五十二、合意に達しないブロックは二十三ブロックあるわけです。ですから、実質的には合意に達した西原の旧飛行場の中で四八%、半分にも足りない。したがって、その合意に達しないものをどう解決するか、その解決方法がないために半分以上が現在そのままの状態である。これは私たちが調べた時点での状態でありますけれども、それほど沖繩の境界不明地の地籍の確定というものはきわめてむずかしい。沖繩復帰以前に琉球政府のころもいろいろやってきたわけでありますけれども、これはなかなか解決を見ない。また、復帰後五年間、開発庁とされましても、一生懸命に御努力をされておられましても、なおまた解決をしない、そういう大きな問題が起きておりまして、したがいまして、今回沖繩の県知事の方は、そういう集団和解方式ともう一歩、沖繩の地籍の確定をするためにはどうしてもこの方法をぜひいわゆる戦後処理の大きな問題として国の責任の立場で、開発庁長官の行政裁定でやってもらわない限り、これはどうにもこうにもならないということで、この間、県知事は、政府並びに国会に、沖繩の地籍確定のための要綱案も出しておるわけであります。したがいまして、すでに作業を進められておられる開発庁段階からいたしましても、集団和解方式ではこれは無理だ。それは解決できるものもありますけれども、解決できないもう一歩をどう解決するか。いわゆる行政裁定権、開発庁長官にぜひそれを与えて、最終的にはそういう形で解決をしてもらいたいという県から出されている案に対しての長官のお考えをぜひお伺いしたいと思います。
  29. 亀谷礼次

    亀谷政府委員 お答え申し上げます。  ただいま先生からお話のございました沖繩県当局の立案にかかりますところの、いわゆる沖繩県におきますところの地籍不明確な土地の地籍の明確化にかかる法律案要綱なるものを、昨年の秋、私どもの手元に知事から御提案がございまして、そのとき以来、県ともいろいろ意見も交換をいたしますし、関係省庁とも公式、非公式に議論をしたわけでございますが、現時点におきまして、沖繩県の案について、私ども開発庁の見解をということでございますので、その一端を申し述べさせていただきますと、いわゆる沖繩県案の地籍確定の法案の主な内容でございますが、いろいろございますけれども、やはり最大の問題点が三点あると思います。  ただいま先生の御指摘にもありましたように、この法案の要綱では、基本的な考え方といたしまして、基地の内外を問わず関係省庁が実施の主体となって調査を実施する、こういうことが第一点であります。関係省庁といいますのは、この場合開発庁でございます。  それから第二点は、ただいま御指摘がございましたようないわゆる所有者同士でこの協議が成立をしない場合、開発庁長官が行政処分によってこれを決定するということができるという特例法をこれによってつくろうということでございます。  それから第三点は、このような開発庁長官の行政裁定を前提にして、これによるところの地籍明確化に伴う一般的な損失について、広範な対象でございますが、国に補償をさせるという、いわば補償規定が設けてある。こういう点が大きなこの法案の要綱の骨子であろうと理解をしております。  ただいまの御質問は、この中の特に行政裁定という点についてを中心の御質問であろうかと思いますが、私どもが現在まで理解をしているところでは、先生も御案内のように、なるほど二十七年間、戦争直後から三十年以上たちましたこの複雑困難な地籍の問題は、沖繩の特有の困難きわまる背後のいろいろな問題を含めた問題であるということは十分私ども理解をしておるわけでございますけれども、最終的には、何と申しましても個人間のいわゆる所有権の確認の争いであることは、これは否定できない事実であろうと思います。この場合、この当事者にまたがる個人間のいわゆる私権としての所有権の確認の紛争につきまして、行政特別立法によりまして開発庁長官が行政処分によってこれを決定できるということが、単純といいますか、明確になし得るか、法的にそういうふうな法律というものの規制ができるものかどうか。御案内のように、当然私有財産権の問題につきましては、憲法上も重要な問題でございますので、私どもは、その点についてはやはり問題があるのではなかろうか、こういうふうに考えております。  残余の問題には御質問が特にお触れいただいておりませんので、避けますけれども、やはりこの点が何と言いましても他の問題にも関連をしてきまして、一番大きな点であろう、こういうふうに考えております。
  30. 玉城栄一

    ○玉城委員 そのことについてでありますけれども、いわゆる沖繩の境界不明地の地籍の確定の責任の主体、これはただいまのお話では、あくまでも個人間の地主間で最終的には話し合わなくてはならない、こういうふうなお話でありますが、ここにやはり基本的な考え方の相違があるわけであります。御存じのとおり、沖繩の地籍の混乱した原因というものは個人の地主間の争い、あるいはそういうトラブルによって境界が不明になったということでは決してないわけでありまして、よく御認識のとおり、戦争、それに続く米軍のいわゆる軍事基地構築と、その陰に多くの問題がありまして、いわゆる個人の地主の意思ではどうにもこうにもならない、いわゆる大きな公の力と申しますか、そういうものが地籍の混乱の原因であったことは御存じのとおりであるわけであります。全く地形は変貌し、どこに自分の土地があるのかわからないというものを、それを地主の個人間で話し合いをして解決しなくてはならないという形になりますと、これは沖繩の地籍の問題というのは一向に解決しないわけであります。沖繩考え方、またこれは当然であると思いますけれども、沖繩の地籍の混乱の原因というものは、あくまでもあの戦争が原因であり、それに続く米軍支配下の中における基地構築、そういうことが原因である。したがって、その解決の責任の主体は、あくまでも戦後処理の一環として当然国の責任で解決をしなくてはならない。したがって、集団和解方式ではどうにもならないので、最終的には、あらゆる方法を講じてもどうにもならぬときには、開発庁長官のいわゆる行政処分と申しますか、裁定と申しますかによって何とか解決をしてもらいたいというのが沖繩側の考え方であるわけでございまして、それを個人間の地主間で解決をし、国にはそういう解決をする責任はないかのごとき考え方でありますならば、沖繩の地籍の問題というものは一向に私は解決をしないと思います。  時間がございませんので、もう一点最後にお伺いをしたいのでありますけれども、最初に申し上げました沖繩振興開発計画のいよいよ後期に入るわけでありまして、そういう意味におきましても、沖繩は多くの基地の問題、いろいろな深刻な問題を抱えて、ともすると県民自体が非常に何といいますか、暗い感じを受ける面が現実におきましても多いわけであります。こういう問題は、当然粘り強く解決をしなくてはならないと思うわけでありますけれども、やはりこれからの、あすの沖繩づくりという振興開発の立場から考えまして、明るい面、長官も御存じのとおり、沖繩はきわめてすばらしい独特な民俗芸能を持つ特異な県であるわけでありまして、その貴重な伝統文化を保存、育成し、大いに振興せしめるということは、これからの新しい明るい沖繩県づくりのためにきわめて大事な問題であると思うわけであります。そういう考え方に立ちまして、これからの後期沖繩振興開発計画の中でどのように沖繩の文化の振興についてお考えになっておられるか、長官のお考えをお伺いをいたします。
  31. 亀谷礼次

    亀谷政府委員 お答えいたします。  先生も御案内のように、沖繩振興開発計画の内容におきましても、沖繩の長い間の歴史と風土に培われました伝統文化につきましては高い評価をいたしておるところでございまして、沖繩の全般的な振興計画の中でも、この文化的な面についての振興、レベルアップということは大きな柱にいたしておるつもりでございます。  先生がいま御指摘になりました点は、私ども考えますのに、最近県の中でも議論をされておりますいわゆる文化センターという構想があるように伺っております。この文化センターの問題につきましては、先生も御承知のように、主管といたしましてはやはり文部省であるわけでございますが、現在の時点では、私ども伺っておりますところ、この文化センターの基本的な性格なり内容なり、また、これをどういう場所にどのようにおつくりになるのか、これらにつきましてなお詰める余地があるように聞いております。したがいまして、だんだんとそういう問題が具体化をいたしてきました段階におきましては、そういった関係につきましての県当局の御意向も十分お聞きいたしまして、大臣とも御相談の上、また当然所管の文部省とも十分協議をいたしまして、そういった面についても、開発庁としてできるだけの御協力ができる分野は当然推し進めてまいりたいと、かように考えておるわけでございます。
  32. 玉城栄一

    ○玉城委員 終わります。
  33. 山田久就

    ○山田(久)委員長代理 瀬長亀次郎君。
  34. 瀬長亀次郎

    ○瀬長委員 長官、まだ沖繩に行かれたことはないと思いますが、ありますか。
  35. 藤田正明

    藤田国務大臣 あります。
  36. 瀬長亀次郎

    ○瀬長委員 それで、最初にお伺いしたいのは、失業の問題なのです。失業率が全国平均の三倍、御承知のとおりです。ところで、沖繩の失業、中小企業の倒産、これまた全国一位ということになっておりますが、その典型的なものについて一言長官にお聞きしたいのは、さっきの質問にもありました例の軍港湾労働者の失業問題なのです。これを解決できれば、実際上、沖繩の失業問題の解決の糸口が見出せるのではないか。飛行場へ行く前に向こうを通りますからね、あのゲートにはやはりもう四ヵ月間スト続行中というのがあるのです。労働者に聞きましたら、われわれは一体だれを頼りにしたらいいかというところまで来ています。というのは、施設庁が基地労働者の労務を提供しますね。ところが、この軍港湾労働者は施設庁関係でもないのですよ。で、労働省に行ったら、おれは余り知らぬと言う。請負関係だから、米軍から請負がこれじゃだめだと言われたら、請負師もまた労働者の首を切るということになる。そうなりますと、この労働者のいわゆる団交の相手が宙に浮かんでしまうのです。それで、だれを一体私たちは頼りにすればいいかという悲痛な叫びがそこから出ているのですよ。  そこで長官に、沖繩開発庁長官ですから、長官がやはり中心になられて関係省庁と連絡をとりまして、この首切り解雇の問題を、ただ努力しますというんじゃなしに、具体的にどうするかという問題——あれは実に大変なんだ。もうお正月を間近に控えて、正月を迎える金さえないというふうな状態に追い込まれたんです。それでずっと続行中なんですがね、これは実に深刻なんです。私行って調べましたら、もう実際労働者が五百人、六百人、われわれは一体だれを頼りにしたらいいのかということになると一体どうなるか。頼るものは日本政府だけしかない。県で解決するには余りにも大きい問題なんですね。その点は、長官知っておられると思うのです。だから、どういうふうに努力されるのか、一言、せっかく閣僚の一員として開発庁長官おられるから、われわれが頼りになるんだというような明確な線をきょうここではっきり打ち出してもらいたいと思います。
  37. 藤田正明

    藤田国務大臣 大変な問題であることは承知いたしておりますけれども、軍港湾、基地ということになりますと、これはやはり運輸省、それから防衛施設庁、こういう省が担当するわけでございますので、われわれとしましてはその辺の調整と申しますか、話し合いを促進するという調整を、外務省、運輸省、防衛施設庁、それらと協議をして進めていきたい、直接の担当ではありませんので、調整、前進を図ってまいりたい、かように思います。
  38. 瀬長亀次郎

    ○瀬長委員 まだ長官理解されておらないと思いますが、直接の省がないんですよ。だから、われわれは一体だれを頼りにしたらいいかと……。施設庁に行っても、いや、もう労務の提供で、直接の関係ないのですよ、事実は。運輸省でもそのとおりなんです。ですから、あの労働者の悲痛な叫びが出てくる。ただ仲介の労をとるということでは、この問題は解決しないような性格のものなんですよ。これは沖繩の那覇だけじゃないんです。佐世保にもあります。横須賀にもそれがあります。それが非常に性格が、全駐労がありますね、沖繩に全軍労があるが、そういったような労働運動の範囲を超えた、対象がまるっきり違っているということなんです。したがって、そういう性格のものですから、もう一言、やはり開発庁長官がむしろ中心となって進めていかれるということを、私はいまの時点では沖繩の失業問題を解決する突破口という観点に立って奮闘してもらいたいというふうに考えるのですが、どうですか。
  39. 藤田正明

    藤田国務大臣 いまおっしゃいますのは、直接の軍の雇用とかそういうことではなくて、雇用契約を結んでいる人ではなくて、その請け負った、一括請負といいますか、その請け負ったもとになる会社なりそういう企業があって、その傘下の労働者の方々、そういう意味でございますね。
  40. 瀬長亀次郎

    ○瀬長委員 そうなんです。
  41. 藤田正明

    藤田国務大臣 これは民間会社の契約の問題でございますから、一応別途に、いまのような、私が申し上げましたのは、直接に軍当局の雇用した関係のことを申し上げておりましたから、ですからこれはちょっと角度を変えて検討をすべき問題だと、それは思います。その問題は、対象がどこかと言いますと、これは労働省になるわけでございます。しかし、沖繩県の問題におきましては、労働省であるから、これは労働省に任すというわけにはまいりませんので、われわれ開発庁といたしましては、労働省と話し合いの上で、その事態解決のためにやっていきたい、かように思います。
  42. 瀬長亀次郎

    ○瀬長委員 ぜひその点を促進して、早目に解決してくださるよう要請して地籍問題に移ります。     〔山田(久)委員長代理退席、西銘委員長代理着席〕  実は、前西村長官沖繩視察後の記者会見で、地籍問題でこういうふうなことを言っておられますね。「地籍の明確化がどうしても必要で五十六年までに完了していきたい。これは全力をあげてやらなければならない緊急な課題である。防衛施設庁に対しても軍用地内での明確化を要求していく。」と、明確に言っておられます。これは、第一次産業基盤整備が急務である問題などと関連して、とりわけ「地籍の明確化がどうしても必要で」、五十六年というとあと四年なんです。「五十六年までに完了していきたい。これは全力をあげてやらなければならない緊急な課題である。防衛施設庁に対しても軍用地内での明確化を要求していく。」ということを言われておりますが、長官も大体その方針を踏襲されるのか、また別の角度を持っておられるのか、最初にその面からお伺いしたいと思います。
  43. 藤田正明

    藤田国務大臣 前長官の西村さんから引き継いでおりますのは、五十六年までに基地外の地籍明確化についてははっきりさせたい、極力それを進めていきたい、かように聞いておりまして、基地内ということは聞いておりません。
  44. 瀬長亀次郎

    ○瀬長委員 これは「防衛施設庁に対しても軍用地内での明確化を要求していく。」というふうな言い方なんです。  さて、開発庁の開係しておる、非常に成功しているという西原の問題です。これがいかに立法が必要か、法律をつくらなければできないかという問題は、現在復帰前のは開発庁、県がやっておりますね。復帰後の解放されたのは施設庁関係でやっております。その典型的なのが西原なんです。これは御承知かもしれませんが、委員長、これを長官に——長官、これを見てください。これは西原のいまあなた方の指導で進めているものです。この赤ですね、この赤い個所、これがまだいわゆる地元の合意を得ていない。これは九〇%ぐらいずっと調査を進めておるが、このために全体が関連してできないという、これをぜひ頭に入れておいていただきたいと思います。  もう一つは読谷のボロー・ポイントで、これは施設庁関係なんです。これは読谷村ですね、この黄色、これが解放されているところで、あなた方が村長さんにお任せして、これは成功した例だと言っております。これは御承知でしょう。  それで、地籍問題につきましては立法が必要であるということは、沖繩県でいまの西原その他の解放された土地調査した結果からも、現在のままではどうにもできないという結論に達して、すでに長官のところに県から地籍確定のための要綱案が出ていると思うのです。  そこで伺いたいのは、これはいわゆる沖繩国会と言われました四十七年三月二十四日の内閣委員会における当時の山中長官、あのときは木村企画庁長官も出ておられましたが、こういう答弁です。地籍問題について「もし国会を法律が通過いたしますと、沖縄開発庁が総理府に置かれること  になりますから、一義的には私のほうがやはりお世話申し上げる形で、経企庁、法務省等と新規立法も含めて検討すべき事柄かと思います。」明確に法律が必要であるということを言われ、後で、裁判ではこういった問題はなじまない、どうしても特別立法が必要であるということを言っております。さらに同席しておられました木村国務大臣、企画庁長官は、これは国土調査法の限界を越える問題であるということを前提にして、「これは国の責任で特別立法をつくるとか、あるいは第一義的に行政に裁量をやれるような第三者機関をつくって、ある程度の公告期間を設けて異議申し立てを許し、それに対する民事訴訟の提起は、これは別にそれを妨げないというような何らかの特別立法、それでもなければどうもしようがないような気がします。」そこで、木村長官は、最後に「総務長官の先ほど発言されましたとおりでございまして、総理府と私のところと法務省、この三者でまず話を詰めてみたいと思います。」これが四十七年の内閣委員会での関係大臣の明確な答弁、すなわち、地籍問題というのは、そういうふうな基地外であれ基地内であれ、地主の集団和解方式などではどうにもならない、やはり特別立法が必要である、さらに国土調査法でもこの問題を解決できない、特別立法が必要であるというのは、山中長官だけじゃなしに、木村長官も意見一致して、もう五年前に答弁されております。これに対して長官、そういう方向で進めていかれるかどうか、伺いたいと思います。
  45. 藤田正明

    藤田国務大臣 当時の発言につきまして、その前提がございまして、この地籍明確化につきましてはなかなかむずかしい問題である、いろいろと検討はするけれども、こういうことも必要ではなかろうかというふうな発言があったように聞いております。ですから、前提に、非常にむずかしい問題だ、そういうふうなことをやること自身も含めてむずかしい問題ではあるけれども、検討の要あり、こういう発言があったやに聞いております。  現在では、われわれといたしましては、県当局から御提示いただきました立法はいろいろと研究はいたしておりますが、先ほど総務局長が申し上げましたように、三つの柱から組み立てられておりますので、その辺がどうもなかなかのみ込みにくいなというのが現在の解釈でございます。
  46. 瀬長亀次郎

    ○瀬長委員 いま私が申し上げましたのは、これは内閣委員会の記録なんですよ。もちろん、長官がおっしゃったようにいろいろ困難な問題があるが、結論としては、いわゆる戦争中、戦争前には牛島中将を司令官とする第三十二軍がおりまして、このときから土地の接収が始まって、未解決のまま占領に入るのです。あの時点でも、御承知のように、ほとんど日本軍の軍事占領下に置かれていて、知事はいました、島田さんがね。しかし、知事も軍の命令のもとに動いていたという、ほとんど軍事占領下なんです。そして、土地の接収が始まっている。いまでも三百万、四百万坪近いものが国有地みたいなかっこうになっておりますが、これは後でいろいろ問題になると思いますが、そういった中で、混乱に混乱を重ねてきた。境界が不明確になる。物証のあるところもあり、ないところもある。さらに、セメントを敷かれてどうにもならぬところもある。そういったような復元補償の問題にしても、請求権は、日本政府はアメリカに対して放棄しましたからね。そういったような意味でも、復元補償の問題を含めてこれは特別立法をしなければいかないということを、県は各市町村の実態と県民世論を結集してつくった。実際あれは五ヵ年になりますからね、四十七年答弁ですから。そういう三者が協議して特別立法をつくらなくちゃならぬ。ですから、当然のことながら、五ヵ年になりますから、もう政府自体が特別立法を用意しておる段階だと私は思うのですよ。そうでしょう。少なくとも大臣二人、木村さんも山中さんも意見が一致して、特別立法が必要である、国土調査法ではこれはなじまぬということを明確に言っている。これが五ヵ年になる今日まで、特別立法どころか、後でちょっと説明しますが、開発庁のやっているものも、西原を取り上げても一歩も進まぬ、もう寸前にまで至っておると言いながらどうにもならぬ。     〔西銘委員長代理退席、委員長着席〕 さらに、施設庁関係などは大変なことです、後で申し上げますがね。そういったものを含めて、やはり地籍確定をするような法案が必要であるということを、政府がやってくれないから、県が本当に知恵をしぼって、各関係市町村長の意見も聞きながら、法律家も一緒に集まって、これだけはぜひやってもらいたい、だから要綱なんです。この要綱に不備があれば、政府政府として足したり削ったりしてもいいから——法案じゃないのだ、あくまでも要綱です。私は、これは国にかわってむしろ県がやっている、だから国は率先してこれを受けとめて検討して、国として特別立法をするというふうになるのじゃないかと思うのですが、長官どうなんですか、そこら辺。二人の大臣の意見もそういうことなんです。
  47. 藤田正明

    藤田国務大臣 そのような委員会における発言があったということも聞いておりますが、先ほど申し上げましたように、非常にむずかしいことだけれども、こういう解決の方法もあるという言い方の発言であった、特別立法をいたしますという確約を委員会でなされたものではない、こういうぐあいに聞いております。  それで、当方といたしまして、集団和解のことにつきましていろいろ御批判も御意見もあるようでございますが、しかし、それなりに五十年度から進めておりますし、なおこの方法を進めさせていただきたい、極力この方法でもってやってまいりたい、かようにいま現在は考えておる次第でございます。
  48. 瀬長亀次郎

    ○瀬長委員 そうしますと、開発庁長官としては、特別立法をしないでもこの地籍問題は解決するのだというふうな意見をお持ちなんですか。
  49. 藤田正明

    藤田国務大臣 この地籍の問題におきましては、基地外の問題について開発庁の方が担当いたしておるわけでございますから、前長官の西村さんが五十六年までにこれを解決いたしたい、こう言っておりますが、それは引き継いでおります。
  50. 瀬長亀次郎

    ○瀬長委員 そうすると、五十六年というとあと四年ですね。四年間で残された、いまの返還前に解放されたところは全部解決できるという何か具体的な案があるのですか。
  51. 亀谷礼次

    亀谷政府委員 お答え申し上げます。  先ほど来御質問にお答えしております西原村でございますけれども、先刻御答弁申し上げたかと思いますが、この西原村につきましては、すでに筆数にしまして千七百四十八筆のうち合意筆数が千六百三筆ということで九一%合意をいただいております。ただブロック数でいきますと七二%になるわけでございますが、そのほか近々さらに詰めることにいたしておりまして、総体的にごく近い日に県の方からこの境界設定の調査ができることとなっておりまして……(瀬長委員「時間がありませんのでそれはいいですよ。それは前に言ったことでしょう。できないところをどうするかという問題なんです」と呼ぶ)なお、その他の関係市町村につきましても、ただいま大臣から御答弁いただきましたように、おおむね昭和五十六年までに完成をするつもりでございますが、先生がおっしゃいましたできないところという意味は、要するに当事者同士でどうしても和解ができないかどうか、こういう問題であろうと思います。冒頭私が御答弁いたしましたように、それを開発庁長官が行政裁定をするという法律をつくればできるじゃないかというのが県の御意見でございますけれども、その御意思はよくわかりますけれども、行政法的に、果たして私有権の調整をいわゆる行政法で一方的に決定をするという法案自身が法制的に成り立つかということについて問題がある、こういうふうに私は申し上げているつもりでございます。
  52. 瀬長亀次郎

    ○瀬長委員 私権の制限とかということを言っておられますが、もちろんこれは私有財産を尊重する立場からですが、こういった混乱した境界、地籍というのは、ほかの県にないのですね。ないような特別の条件下に置かれたというのが沖縄である。だから、いま申し上げましたように、山中長官もあるいは木村大臣も、その点、やっぱり特別立法でなくちゃいけないのでさらに検討していきたい、しかも三者で。それが三者で果たして検討をされていったのかどうか非常に疑わしいのですよ。検討していったとなれば、いまごろ何かそれに関する特別なものが出てくるはずなんだが、それが出てこない。それでいいかげんな答弁だったということになるのですね。そう理解していいのですか、長官
  53. 藤田正明

    藤田国務大臣 決して山中元総務長官がいいかげんな答弁をされたとは思いません。ですから、たびたび申し上げますように、この問題は非常に困難な問題である。だから、そういうふうな特別立法をする考え方もあるというふうに答弁をなさったと私は聞いております。決していいかげんな答弁ではなかったというふうに思います。
  54. 瀬長亀次郎

    ○瀬長委員 いいかげんな答弁でなければ、そういう特別立法をする必要もある、検討する。ですから、検討した上で、五ヵ年間かかっておりますから、何らかの方法が——立法する、立法せずとか、これは国土庁あたりでやるとか、あるいは国土調査法がどうしても適用できなければ、またできないということを木村さんも言っておるわけなんです。だから、特別立法をつくろうということを自発的に国の方から提起さるべきであるということは、理論的に言えるのですよ、言われておるのだから。いや検討した結果、これは特別立法はだめだよとか、やはり特別立法をこういうふうにしようとかあるはずなのに、それがないのですね、いままで。長官もお聞きになったことないと思います。だからこそ県は、自発的にああいった地籍確定に関する法案の要綱、これだけはぜひそういった特別立法に入れてほしいと要綱を出しているわけですよ。これもようおわかりでしょう。だから、これに対してどうして報いるかという問題、これはやはり真剣に考えていかなければいけないのじゃないかと思うのですが、長官どうですか。
  55. 藤田正明

    藤田国務大臣 県の方のそういう御努力によって、昨年末に要綱が出されたこともよく存じております。先ほど来申し上げますように、大変御苦労は多とするところでございますが、われわれとしてはちょっとのみ込みがたい点がある、その辺は県ともお話し合いを申し上げておるわけでございまして、いま現在では、集団和解方式の限界があるとはおっしゃっておりますし、御批判もいただいておりますが、われわれとしてはそれを進めておる最中でございますので、なおもう少しこの方法を続けさしていただきたいと考えておる次第でございます。
  56. 瀬長亀次郎

    ○瀬長委員 最後に、防衛施設庁が進めておる問題で、この前ボロー・ポイントに行ったのですよ、読谷村長、地主さんも一緒に。そうしましたら、あのB29が使った、B52ではなしに、当時爆撃したB29の飛行場なんですが、それがコーラルが敷き詰めてある。掘ったら二メーター以上あった。いまの復元補償費とかいうのですか、あなた方やっているのは、六十センチだそうですね。なぜ六十センチにするのか。二メーターあれば二メーター分やるのか、そこら辺もちょっと説明してください。
  57. 高島正一

    ○高島政府委員 お答え申し上げます。  ただいま復元補償の問題につきまして先生の御指摘は、施設庁のやっておる補償の内容と、地元の村長さん以下がお考えになっている内容とは相違しておるというふうな御指摘であろうかと思いますが、私どもは、この復元補償を行うに当たりましては、地区地主会の皆様方、それから村長さん等とも数回にわたって協議を行った上で補償額を決めておるところでございます。したがいまして、そのようなことはないというふうな確信を持つわけでございますが、あくまで私どもの方針は、実態に即して地元の皆様方から御不満のないようにということに全力を挙げておるつもりでありますので、もし御指摘のような点があれば、調査の上是正していきたいと思います。ただいまのところでは、そのようなことはないというふうに私どもは確信しておる次第でございます。
  58. 瀬長亀次郎

    ○瀬長委員 時間が参りましたので終わりますが、一言、長官に要請したいことがあるのです。  いま県が出した地籍確定に関する要綱は非常に理解に苦しむような点もあるといったようなことですが、もしそれがあれば、十分理解できるように、これはこういうふうに政府考えておるが、こうしたらどうかといった煮詰め、これをやってほしいと思うのですね。本当にせっかくつくり上げた要綱でしょう。基地内であれ、基地外であれ、いわゆる境界を明確にする、地籍を確定するという問題は、これは本当に県民挙げての問題である。だから、こういったような要綱を知恵をしぼってつくり上げたのですよ。一応これは確かに条理に合っているとか、これはどうもという——それは法律用語の問題もあるでしょう、いろいろな問題が。そういった点があれば、直接平良知事に対して長官自身が、これはこうだ、ああだというふうにお聞きになり、そしてその特別立法が必要であるというふうな国への要望を真剣に検討して、そしてお聞きになるべき点はお聞きになり、本当に地籍が国の責任で明確にできるように私は努力してほしいと思いますが、いかがでしょうか。
  59. 藤田正明

    藤田国務大臣 事務当局におきましては、県の方と、県提案法律要綱につきましては連絡はやっておりますが、おっしゃいました県知事さんとは私、まだやっておりませんので、これに関しましては、事務当局の煮詰まりぐあいを見まして、時期を見まして話し合いもしてみたい、かように思います。
  60. 瀬長亀次郎

    ○瀬長委員 終わります。
  61. 稲富稜人

    稲富委員長 甘利正君。
  62. 甘利正

    ○甘利委員 沖縄の振興開発事業につきまして、問題を二点にしぼって御質問をいたします。  国土法による国土利用全国計画に基づいて県計画が策定され、その策定に基づいて現在県の土地利用基本計画が見直しされる。これはよく承知しておるものでございますが、恐らくいまあります暫定計画とさほど変わるものではない、このように私は理解するものでございます。  もう一つ、公簿公図が失われている、地籍が不明確である、地形が変革されている、そのことが沖縄の農家の方々の生産意欲を大変阻害するものであるということは、同じ農民の血の流れの中に私は十分理解できるものでありますが、そこで私、お尋ねいたすわけでございますが、現在の沖縄県の農業地域全般について、その部分、部分の地域にいかなる作目が適作であるか、そしてその地域はいかなる作目を伸ばせばよろしいか、こういうような点について綿密な調査が行われておりますか、どうですか、こういう点をまずお聞きしたいわけでございます。  次には、これらの地域において当然耕作の用に供されなければならないというものでありながら耕作放棄がなされておる、こういう土地に対しては、面積は結構でございますが、いかなる方法をとったらよろしいのか、こういう点、まずこの二つをお尋ねして、次の質問に移るわけでございます。それを覚えていただいて、私の質問を少しはしょってまいりましょう。  私は、国がこれらの地域のあらゆる基盤整備、水利対策等について非常な努力をしておられることはよく承知しておるものでございますが、ひとつさらに一層の御努力を願いたい。そうして、もし適地適作主義がよろしいということになるならば、それをどうして振興させるかという問題が基本でございまして、これにはやや広い立場においては農業協同組合の力を大きくしていかなければいけない。そして、その地域におけるところの生産集団が意欲に燃えるように指導していかなければいけない。この二つがないと魂が入らぬ。私はこのように考えるわけでございますが、どのように受けとめられるかということでございます。  また、耕作放棄につきましては、私見として申し上げますならば、農業の機械化が進んでいる今日、機械力によってこの問題を解決する——それは農地法等いろいろ問題があります。それを乗り越えてやって、しかも、もし畜産業等が沖縄に成長のめどがあるとするならば、自給飼料を中心とした畜産業に変えていったらどうなんだ。そして、関税処置がとられるものはなくても沖縄で十分足りているというようにしたらどうだということを私自身としては考えておるわけでございます。  これらについて、御答弁を願いたいわけでございます。
  63. 井上幸夫

    ○井上政府委員 お答え申し上げます。  沖縄の農業の基本的な問題は、一つは土質、一つは水でございます。  それで、現在のところ、沖縄本島が最も典型的でございますけれども、農業用水に回す水の余裕はほとんどございません。現在の水事情を前提にして考えます限り、何が適作目であるかという判断は非常にしにくいのでございますけれども、基本的には、やはり農民が長くなれているキビというのは一つどうしても基幹作目としては続いていくであろう。ただし、われわれの方といたしましては、単作目の連作ということをやらないで、もっと多作目を結びつけて作物の多様化を図っていただく、それによる農業所得の向上考えていきたい、農業経営の安定も考えていきたい、こういうふうに考えております。  それからもう一つ、前後いたすかもしれませんけれども、地力の問題がございまして、これを強めてまいりますためには、やはりどうしても農業プラス畜産という形がございませんと成り立たぬであろう、そういうことから、われわれといたしましては今後畜産を大いに伸ばしていきたい、こういう前提に立ってただいま沖縄の農業問題を考えておる。  これらを考えてまいります段階で、まず国のやるべきことはいわゆる農業基盤整備でございまして、土地改良、相なるべくはそれに水源措置の伴った土地改良を大いに進めていきたい、こういうふうに考えておるわけでございますけれども、水の問題がございますので、現在やや片車輪だけが動いておりまして、われわれの現在やっております農業基盤整備というのは、いわゆる圃場整備と農道の整備、こういうことに重点が置かれております。  それから、耕作放棄地の問題でございますけれども、これは主として離島部分にかなり大きな耕作放棄地があるわけであります。この問題については、いろいろな対策が考え得ると思いますけれども、ただいま私どもが一番主力として考えておりますのは、こういう地域に農業基盤整備、特に農道の整備などをやりまして、やはり農業の機械化を考えていくということを重点にして考えてまいりたいと思いますけれども、現在、御案内のとおり、沖縄の農業機械保有率は全国最低状態でございまして、まだそういう意味では機械化の余地が大いにあろうかと思います。  それからもう一つ沖縄の農業で大きな問題は、流通機構をうまく整備するという問題、ことに本土マーケットとのつながりでマーケットリサーチをやるということでありまして、この点が非常に欠けております。そういう意味では、先ほど御指摘の農業協同組合系統の組織の利用ということは、大いに活用されていいことであろうかと思っておりますが、ただいまのところ、かなりその点については微弱でございます。  以上でございます。
  64. 甘利正

    ○甘利委員 沖縄の農家の方は、私、戦争中同じ訓練を受けまして、お世話する立場もとったわけでございますが、大変たくましい方々ですから、問題がむずかしければむずかしいほどそのたくましさでぶつかっていくように、ひとつせっかくの御努力お願いしたいわけでございます。  次の質問に移らしていただきますが、都市地域の利用促進の問題でございます。工業立地、この問題については、いまの経済状態、設備投資の状態でございまするから、せっかくひとつこれは格段のお骨折りを願う、これ以外にないわけでございますから、格段のお骨折りを願いたい。  ところで、沖縄には伝統工芸がございまして、これは織物、陶器、漆器等でございます。これらの沖縄の特産を振興させるということは何としても必要な問題であるわけでございます。これに対しまして工業指導所をつくる、共同作業場をつくる、検査場をつくる、こういうようなことはいますぐ間に合うことで、これは当然おやりにならなければならないわけです。これはおやりになっている。それはよろしいです。しかし、それから先のことについて、私の意見を申し上げながらまたひとつ御答弁を願いたい。それだけのことでは、沖縄の三つの地場産業日本全国を風廃するというわけには私はまいらぬと思うわけでございます。したがって、その上に何を進めるかということになりますと、嗜好の動向を見きわめる、これが必要でございます。嗜好の動向を見きわめる、そこに開発の方向が決定される、これがなくてはだめだと私は思うのでございますが、これに対する御答弁お願いしたいと思います。  さらに、これら産業の中から芸大等に学ばれる方も多いのじゃないかと思います。そして、これらの方は、伝統工芸の技術そのものを伝統の精神に従って把握すると同時に、嗜好の動向等についても新しい知識を持っておられ、開発の方向等についても知識はすばらしいと思うわけでございますが、これらの方は、東京で、あるいはその他のところで学ばれて地場に帰って、それらの新しい方向、今日的な問題のほかに長期展望に立った方向ということについて大きな働きをしておられるという現状なのか、それともそうでないのかということについてお尋ねし、そうでないとしたならばそうしていただくならば、沖縄の三つの地場産業独特の工芸というものは伸びていくのじゃないか、ただ行ってみやげに買う程度じゃなくて、ああこれかということになるのではないかと私は思うわけでございますが、この点について、ひとつ御見解を示していただきたいと思うわけでございます。
  65. 藤田正明

    藤田国務大臣 伝統工芸の保護、育成、振興ということにつきましては、開発庁といたしましても大変関心のあるところでございます。そこで、本年の九月になろうかと思いますが、沖縄の伝統工芸美術展覧会、これはサントリーの協力を得まして、美術展覧会というのを約二ヵ月弱にわたって開きたい、かように考え、国内におきましても、この伝統工芸の展覧といいますか、広告というのはおかしいのですが、PRに努めていきたい、かように考えております。  なお、もう少し詳しいことは、事務当局から説明をいたさせます。
  66. 亀谷礼次

    亀谷政府委員 お答えいたします。  先生が御指摘の伝統工芸の共同利用施設は、すでに復帰しまして五年にわたりますが、各離島の振興も含めまして、いま数ヵ所に着々と開発庁の助成費で建設中でございます。ただ、御案内のような後継者の育成の問題、それから沖縄におきます伝統工芸産業は、先生案内のように、織物、染色、陶器、非常に多方面にわたっておりますが、そういった地場における原材料の確保、あるいはまた公害の問題、あるいはまさしく御指摘本土との間の流通機構、あるいはニードに合ったそういう様式のデザインの近代化の問題、いろいろな問題があることは先生の御指摘のとおりでございます。ただ、私ども思いますのに、沖縄のこれだけ多種多様の伝統工芸がありながら、私の推定が間違いなければ、現在の県年間の生産で三、四十億、五十億に足らないと思っておりますが、お隣の奄美の大島つむぎが、先生御承知のように、鹿児島本土を含めてかと思いますが、もう三百億を超えておる。こういった実態からいきましてまだ非常に伸ばす余地もございますし、当然これを伸ばさなければならない。そういったことで、せっかく県も伝統工芸産業課というものを昨今つくっていただいておりますので、そういったところと、先生指摘のような文化庁あるいは通産省と共同いたしまして、今後さらに後継者の養成、あるいは中小零細企業でございますから、こういうものの協同組合化、あるいはいま申し上げたような各般にわたって並行的にレベルをアップしていくということで、今後とも協力をしていく所存でございます。
  67. 甘利正

    ○甘利委員 せっかくの御努力お願いいたします。  質問を終わります。
  68. 稲富稜人

    稲富委員長 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午後零時二十三分散会      ————◇—————