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戸叶武君 これは浅沼
発言のときも選挙の前で、社会党の、私も河上門下として一緒に執行
委員の席に連なっておりましたが、浅沼にあの
発言を取り消さしたらどうかという
意見と、浅沼にもっとあれを消すような
発言をさせたらどうかというような
意見が出ましたが、私は
政治家というものには一貫性がなくちゃいけない。こだわるんじゃないけれども、われわれはまだ
政府をとってないんだし、いま
中国が
ソ連に突き放されて、兄弟党として一枚岩の上で手を結んでいた国から突き放されて途方に暮れているときに、恐らくは近代化を遂げなくちゃならない段階に、西ドイツか
日本に頼らなけりゃならないが西ドイツは遠い、隣の
日本に頼ろうという、頼るという
言葉は表現しないけれども、やはり
中国の窮状がわかってくれるだろうなという悲願を込めて浅沼君のような熱血児を説いたもんだから、浅沼君は素朴な大
アジア主義的な
考え方もあったんで、やはり
日本と
中国というものがしっかりしていかなけりゃ
アジアはなかなか救えないと思って、恐らくは浅沼君は、当時アメリカ帝国主義は日中共同の敵だという表現も使うようになったんだと思いますが、あの後に使いして私が主張したのは、
日本がアメリカとの軍事同盟をつくるという想定のもとに朝鮮事変の前に
中国は
ソ連との軍事同盟を事実上つくっているじゃないか、われわれは安保
条約廃棄の闘いをやっていることをほめてもらうために来たんじゃないんだと、まだならないが、安保
条約廃棄というときには、それと同時に自動的に
中国が
ソ連との軍事同盟を解消するということを明記しなけりゃわれわれは
日中共同声明にはしないといって、十三団体のカンパニアンの中で私が一番がんばった。一つの団体だけは、それではわが党の意思に反するからというのでおりたけれども、私はこれが入れられなけりゃ、対等の
立場で使いができないようでは与野党を問わず
外交使節としての役割りはできないと思って悲願を込めました。そのときに
中国の周恩来と四回私は、周恩来は二時間ずつ以上とって、若き日のことから考えて当面の窮状打開の問題も親しく、さっきあなたが言ったように、
日本と
中国との相互不信の深さを何とか打開しなけりゃならない。それにはブリッジが必要だと、そのブリッジのような役割りを戦後において村田省蔵さんが完全にした。村田省蔵さんのどういうところがよかったのかといったら、あの人はがんこなナショナリストだ。事
日本の利害の問題で
日本に不利と思うことにはがんとして応じない。しかし、どんなむずかしい問題でもお互いに話し合ったときには体を張って信義を守ってくれた。ぼくは
中国はマルクス・レーニン主義の国で、イデオロギー的に武装されていると思ったら、四千年の文化道統のモラルの
中心が、お互いの
立場を
理解し合って信義によって結ばれることが、人間的な信用というものがいかに大切かということを
感じて、その後で、向こうではとにかく満州重工業の引き揚げるときのりっぱさ、バンドン
会議における
会議の代表としての高碕さんのりっぱさを高くたたえて、高碕さんをして友好商社
貿易なんという形じゃなくて、国と国との対等の
貿易を開くためにひとつ高碕さんにでもブリッジの役割りをしてもらえないかという
考え方を周恩来と廖承志氏から説かれ、特に私はそれだけでは、あなたの国はいま北鮮との問題もあるが、社会主義
国家というものは資本の蓄積が足りない。結局、財力なり何かあっても信用というものの上に立って、あなたたちの社会主義的な
国家計画
経済の上に立って
貿易もやらなくちゃならないだろうから、結局は延べ払い方式でやらざるを得ないが、それには金融のエキスパートというものが入らないとうまくいきませんよ。あなたたちが戦争の中で上海にあって華興銀行にいても、岡崎嘉平太だけは
日本人の中で最も信用のおける人間だというのは確認しているじゃないか。ああいう人と結びつけて日中の間を開かなければ日中の間は開けませんよといって、私は後まで、高碕さん来るまで待っていてくれというけれども、私は商人じゃない、私は野党の
政治家で、
外交に全責任を負うものじゃない、思ったことを言ってお互いの心通ずるものを、地下三千尺の心、惻隠の情をくみ取ることのできるような使節に来たんだから言うことは必要ないといって別れたんでしたが、ちょうどきょうでしたでしょう、周恩来さんとパーティーが終わって最後の送別会があって、そうしてわれわれのために通訳の労をとってくれた東大や京大や外語を出た青年たち十幾人を北海道公園に私は船遊びに誘って、酒を食らって詩を吟じてやりました。大橋訥菴の離騒の詩を吟じて今様にやりました。そのときに
中国の青年が、
戸叶先生、戦争が終わって北京に来て、
日本人て北京に来てけつをまくったのは——けつという
言葉を使いました、余り上品な
言葉じゃないようですが——あなたたけでした。私は感激でした。よそのうちの座敷に来て、国賓待遇で呼ばれてけつをまくるというのはまさに雲助のやるようなことだけれども、けつでもまくらなければいられないような必情に打たれて、私は率直に
日本国民と
中国国民とが心と心の通ずるものができ、
日本が
中国のベースに全部はまらなくても、議論をし、お互いに反省し、今後の毛沢東、周恩来の生きている間に日中平和友好
条約を結びたいと思ったが、亡くなったときにかの
人たちの心が那辺にあったかということは、私は伝統の中にあると思うんです。どうぞそういう
意味において、文字なんかにこだわらず心をかち取るような、お互いにやはり腕取り合って泣くことができるような、憂いも悲しみもともにすることができるような、国境とイデオロギーが違ってもできるだけの腹を持たなければ、このグローバルな時代に、世界に右か左か、あっちかこっちか、人足じゃあるまいし、方々の戦争の火消しの役割りのようなことをやってうろちょろしていたら、
日本の国というものは空中分解してしまうのです。
どうぞそういう
意味において、三木さんや小坂さんは人柄がいいから殺されるようなことはないかもしれないが、三木さんに私はあの拡散防止
条約の代表質問を五月十日にやったとき、若き日に、一九二三年、大正十二年五月十日に反軍国主義運動をやって浅沼と一緒に半殺しの目に遭ったときと同じような気持ちで、三木さん、あなたは死んでもいいという覚悟が顔ににじみ出ていると言いましたよ。あなたはそういう激を用いる必要はないが。一国の運命を、一国じゃなく世界の運命を、
アジアの運命を
日本と
中国が今後、胸ぐらとってけんかし合ってもいいから、世界の波動がなくなるような抽象的な文字でなく、当たりさわりは少しあってもいいか知らないけれども、なるたけ滑らかでわかるんならこれにこしたことはないから、あなたが仕上げればきっと滑らかになるのに相違ないから、少なくともその根本は、憂いは全世界の人が持っているんです。その憂いが
ソ連でも
中国の良識者でもわからないはずはないんです。
日本あたりが本当にアメリカと仲よく、
ソ連とも仲よく今後もすべきです。
ミグのやり方なんか下手です。両方が下手です。やっぱり
ソ連にも本当の謙虚な
政治家がいないということを暴露し、
日本においてもお粗末の限りです。日露戦争に負けたときのウィッチの
外交を見てごらんなさい。どれだけ李鴻章の人となりや
外交を彼が研究したかわからないです。そうして小村寿太郎をポーツマス
条約において事実上手玉にとっていったじゃないですか。負けた国の、フランスのタレーランの
外交でも、日露戦争に負けたウィッチの
外交でも、もっとつらい目に遭ってもみごとに民衆を把握したがゆえに、
外交の相手に世界の心を持ったがゆえに窮地から脱出することができたじゃないですか。私は、とにかく顔を見ただけでも小坂さんは悪相じゃないし、変な悪相が出てきて舞台回しをすると、成るものでも壊れてしまう。やっぱりいまの自民党の悲劇はそれです。あるときには人がよ過ぎる、坊ちゃん過ぎると言われるか知れないけれども、これだけの年輪を経てもなお人のいいと言われるほどのお方はやはり天然記念物的な存在です。やはり悪いやつよりはいいやつがいいのに決まっているんですから、そういう見識と気力を持って私は今度の日中、
日ソの打開をやってもらいたい。
きょうは時間がオーバーしちゃいけないから、さっき
玉置君にも注意したぐらいだからみずからも注意しないと、また
玉置君にしっぺ返しされるとこわい人だからこの辺で私はおさめたいと思いますけれども、いまアメリカの様子、
ソ連の様子、
中国の様子をよくつかまえることは必要ですが、一番大切なのは自分です。自分の姿勢がなくて人を口説くなんていうのは不良少年のやることです。ラブレターじゃ人は説けないんです。おさすりさんでは説けないんです。やはり真心が相手に通じてのみ心通ずるものがあるんです。そういう
意味において、
日本がいま
外交の一番むずかしいターニングポイントに立って、私は予言者、私の郷里の
田中正造が、私の生まれた翌日に牢獄から出てきて、明治三十六年二月の十二日に叫んだ最初の叫びが、戦争は反対、全世界の軍備を撤廃しなければ野獣が滅びるがごとく人類は滅びるであろうと、予言者ヨハネのように野に叫んだんです。そうして、いまから六十三年前の九月四日に渡良瀬河畔で瞑目するときに、あるがままを救い、現在を救い、問題は具体的な回答を持って問題を処理しなければならないんで、抽象的な観念的なイデオロギーや権謀術策なんかというのはへのようなものです。そんなもので国会がいざこざやっているやつは雲散霧消して消えてうせろと、必ず地震がくるに決まっております。地震を避けるのは民族みずからが自信を持つことです。そして世界を揺り動かすことです。危による者は危うからず、一番むずかしいところにあなたは置かれている。余り本当のことを言うと当たりさわりもできるが、しかし、心の中ではあなたは信念は曲げないと思う。
ついでに、三木さんにも言ってもらいたいのは、
対話というものを自民党の中からもっとやって、頑迷不霊のやつもいると思うけれども——他党に言っちゃいけないけれども、わが党にでもおります。どこでもいいから、あたり構わずやっぱり話せばわかるんです。
玉置君なんかは、私は非常にいい親友です。ざっくばらんに物を言うから少し荒削りで困るけれども、こういうやはり草莽の志士と語りあっていくだけのものがなければ、草莽の志士というのはしかばねを原野にさらすんです。この
言葉を聞いて、
伊藤博文は、あの小梅の寮でびっくり仰天して隅田川の土手からすべり落ちたそうだ。関東の野に叫ぶ志士は原野にしかばねをさらすんだ、公爵なんかもらおうとしているんではないんだ、そんなこしゃくなまねをしちゃ困る。だから
日本において天皇も迷惑したんだ。天皇をかさに着て統帥権なんか入れて、カイゼルに誘惑されて、そうしてばかげた世界にない
憲法をつくったから動きのとれないような立ち往生して、しかしながら、天皇みずから人間となり、戦争は再びしまいというふうに誓い、再軍備はしないと誓った以上は、民族象徴としての天皇も、うっかり世界に誓った
言葉をほごにしたら信義は土台から崩れる。
日本憲法の基礎は、敗戦でもなけりゃ頭に穴をあけてもわからないやつに近代的な民主
国家はつくり上げられないんです。天は災いしたけれども、この災いを転じてわれわれは福となしたので、この平和
憲法、非核三原則、核拡散防止
条約の批准、この上に立って、いま三木さん、小坂さん、これは
日本の民族を代表して世界に一つの平和共存の道を説くんです。成る、成らない場合があります。成らなくても、
日本民族があったがゆえに世界の危機が救えたという、感謝されなくてもいいじゃないですか。勲章なんかもらわなくてもいい。あっちこっち行って、変な者が台湾や
韓国をうろちょろして変なうわさを説いて回っていちゃ
日本の恥です。
タイだってそうです。鎮静を待ちなさい。あわてる必要はないです。ベトナムをごらんなさい。アメリカも単純だからおだてられて力んだ結果が朝鮮でもベトナムでも失敗したじゃないですか。殷鑑遠からず。
韓国、
タイまたしかりと司馬遷が生きていたならば史記に書くでしょう。
どうぞこういうことを速記にも残して、これをもって私の質問を結びます。
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