○
石田国務大臣 労働
大臣としての「メイ」はしんにゅうのついた「迷」だと思うのでありますが、私は、今日の
国鉄の労使
関係というものが満足すべき
状態にあるとは思っておりません。それに至った経緯もある程度
承知しておりますけれ
ども、
総裁ではございませんのでこれに対する批評は差し控えたいと思いますが、少なくとも私は
運輸大臣といたしまして、組合の人たちとお会いする機会をできるだけ持ちたいと
考え、まだ就任わずかでございますが、国労、動労、それから鉄労、同盟等に
運輸大臣として会う機会を持ちたいと思いまして、しばしばお目にかかりました。そして
一つは仲裁裁定
実施の問題と、
一つはストを中止してもらいたいという問題を話し合ったことは事実でございます。
仲裁裁定
実施についての私の基本的な
考え方は、たびたび申し上げましたとおり、いまから十九年前ですか、
昭和三十二年に、当時私は労働
大臣をいたしておりまして、当時の国労に対し——当時は動労がございませんでしたし、鉄労もなかった時代でありますので、当時の国労に対しまして、
政府も公労法の精神を貫く、すなわち、ストを禁止する代償として
政府も仲裁裁定を完全に
実施するという精神を貫く、したがって国労もそれを守ってくれという約束を、これは当然大蔵省と協議の上でしなければならぬことではありましたけれ
ども、実は独断でいたしました。
政府は以来ずっと今日までこれを守ってきたのであります。ところが、国労側は
昭和三十五年までは守っていただきましたが、六年以後はまたもとに返った。これが実情でございます。
そこで、今回もむろんその精神を貫きたいと私は思いますし、貫くことに非常に強い執着を持っているのでありますが、五%は
予算化されておりますけれ
ども、残りをひねり出すことが非常に困難な
状態でありますために議決案件として出しました。しかし、議決案件として出したことも唐突なことではないのでありまして、
昭和四十八年までは皆議決案件として出したのであります。そして、
政府が
予算的
措置がつきましたときにこれを引っ込めたという経緯にありまして、議決案件として出したことそれ自体はそれほど大きな問題だとは私は思いませんが、やりくりのしようがないという現実は何ともいたし方がない、そのことと、
国鉄の
再建のために御審議を願っている法律を早く
成立させていただきたいとわれわれが願望することとを特別に結びつけた話をしているわけではありません。
法律の
成立を一日も早くしていただきたいと
考えるのはわれわれとしては当然のことだと
考えて、その趣旨を申し述べ、私の意図と執着について御
説明を申し上げたのでありまして、その結果としてストか中止されたとするならば、私としては、その間に脈絡をつけた話し合いというものを
理由とされるならば、そういうことをいたした覚えはございません。