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1976-07-08 第77回国会 参議院 災害対策特別委員会 閉会後第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十一年七月八日(木曜日)    午前十時十二分開会     —————————————    委員異動  五月二十一日     辞任         補欠選任      柄谷 道一君     三治 重信君  五月二十二日     辞任         補欠選任      鈴木  力君    茜ケ久保重光君      三治 重信君     柄谷 道一君  五月二十五日     辞任         補欠選任     茜ケ久保重光君     松本 英一君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         工藤 良平君     理 事                 上條 勝久君                 古賀雷四郎君                 宮之原貞光君                 藤原 房雄君                 神谷信之助君     委 員                 佐藤  隆君                 園田 清充君                 辻  一彦君                 原田  立君                 柄谷 道一君    事務局側       常任委員会専門       員         森  一衞君    参考人        京都大学教授   加茂 幸介君        九州産業大学教        授        表 俊一郎君        和光大学教授   生越  忠君        防災都市計画研        究所長      村上 處直君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○参考人出席要求に関する件 ○災害対策樹立に関する調査  (派遣委員報告)  (火山及び地震対策に関する件)     —————————————
  2. 工藤良平

    委員長工藤良平君) ただいまから災害対策特別委員会を開会いたします。  委員異動について御報告いたします。  五月二十二日鈴木力君が委員辞任され、その補欠として茜ケ久保重光君が選任されました。  また、五月二十五日茜ケ久保重光君が委員辞任され、その補欠として松本英一君が選任されました。     —————————————
  3. 工藤良平

    委員長工藤良平君) 参考人出席要求に関する件についてお諮りいたします。  火山及び地震対策に関する調査のため、本日午前十時から参考人として京都大学教授加茂幸介君、九州産業大学教授表俊一郎君、和光大学教授生越忠君及び防災都市計画研究所長村上處直君出席を求め、その意見聴取いたしたいと存じますが、これに御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 工藤良平

    委員長工藤良平君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     —————————————
  5. 工藤良平

    委員長工藤良平君) 災害対策樹立に関する調査を議題といたします。  まず、先般当委員会が行いました桜島噴火による被害状況大分震災復旧状況並びに火山地震観測施設等実情調査のため、委員派遣について、派遣委員報告聴取をいたします。上條君。   〔委員長退席理事古賀雷四郎着席
  6. 上條勝久

    上條勝久君 工藤委員長宮之原理事神谷理事原田委員柄谷委員及び私は、去る六月十四日から三日間にわたり、桜島噴火被害対策大分震災復旧対策等について、鹿児島県、宮崎県及び大分県の実情調査いたしました。  以下、その概要と若干の問題点等について簡単に御報告を申し上げます。  その第一は、桜島噴火による降灰被害及びその対策についてであります。  桜島はここ数年来活発な火山活動を続けておりますが、去る五月十三日、十七日、十九日には近来にない大爆発発生し、噴石降灰等により周辺地域に多大の被害をもたらしたのであります。特に十三日の爆発は、大音響とともに噴煙高度は三千メートルに達し、桜島有村地区垂水牛根麓地区ではこぶし大噴石が降り、数十台の自動車と学校ホテルのガラスが破れ、また収穫中のビワ等果樹直撃を受け、甚大な災害となったのであります。  気象庁等説明によれば、桜島は新火口出現等地殻変動が活発で、今回の大爆発火山活動期の中の一進一退を示すものであり、今後も大爆発が起こる可能性があると示唆しており、地元民は恐怖と不安に襲われております。  こうした地域に対する防災対策は、鹿児島県の地域防災計画等で定められておりますが、具体的な事業なかずく避難施設整備防災営農業対策は、活動火山周辺地域における避難施設等整備等に関する法律に基づいて進められておるのであります。  まず、避難施設緊急整備事業昭和四十八年度から実施され、本年度を含めた事業費は二十三億余円に達しており、すでに退避ごう二十九カ所、避難港十四カ所、学校改築五校、避難広場十三カ所、ヘリコプター離着陸広場一カ所等の整備完了し、概して順調な進捗を示しております。  しかし、緊急整備基本方針が、島内における一時避難島外への脱出避難とされておりますことから、整備事業の内容と対象地域の決め方は、そのための最小範囲に限定されているきらいがあり、これらに関連して幾つかの問題点が指摘されました。  すなわち、一つには、避難港、退避舎は二部落、三部落単位で配置されているため、緊急の場合老人や子供の誘導避難が困難であり、部落ごとの設置が必要であること。  二つには、一たん緩急の場合災害対策本部となる鹿児島東桜島支所桜島町役場は木造老朽施設のままであり、緊急整備計画に盛り込んだ上で不燃堅牢化を実現すべきことであること。  三つには、国道二百二十四号バイパスを初め、県道、市道の避難道整備はいずれも短区間にとどまっているため、未計画部分も含めた幅員の拡幅、落石防止等早期改修を図る必要があること。   〔理事古賀雷四郎退席委員長着席〕 四番目に、垂水牛根麓地区は、学童が噴石事故に遭遇したにもかかわらず避難施設緊急整備地域から除外されているので、これらの地域の早急な追加指定を実現すべきこと等であります。  なお、避難施設整備緊急事業は、本年度までがその第一次計画実施期間とされておりますが、最近における桜島活動活発化不穏状況再燃化の中で、同事業拡大整備こそ民心安定を期す上で緊要であり、地元要請を十分にくみ入れた第二次計画必要性を痛感した次第であります。  次に、防災営農対策事業は、桜島降灰による農業被害軽減を図ろうとするもので、本年度事業費六億円をもって、桑、茶等降灰除去施設整備野菜等被覆栽培土壌酸度矯正事業が実施されております。しかし、数年にわたる降灰被害の累積により、被災農家営農意欲を喪失するほどに、苦しさを増しており、国の立場からの抜本的な施策対応を待たざるを得ないのが実状とのことであります。  鹿児島市高免町では、市の施行に係る果樹洗浄畑地灌漑施設を見てまいりました。総事業費四千余万円をもって百メートルのボーリングと揚水機散水機等整備するものでありますが、当該事業採択基準受益面積二十ヘクタール以上になっているということから、事業個所は極端に限定されるとのことであります。降灰激甚地域水源枯渇地域におきましては、これらの事業こそ要請されており、採択基準改定により事業拡大を図る必要を痛感いたした次第であります。  垂水牛根麓果樹園では、、噴石直撃に見舞われたビワ畑の惨状を視察し、被害は百五十トン、七千五百万円に達するとの説明を受けたのであります。ビワ被害の場合果樹共済対象となっておらず、被災農家は特に生活にあえいでいるとのことでありますが、農災補償制度の拡充を図るため、ビワ等果樹共済対象に加えるとともに、共済掛金農家負担軽減基準収穫量算定方法緩和等について検討すべきであると思われます。  国分市須川原では養蚕事業農場団地経営状況聴取、総事業費三千九百万円のうち三分の一の受益者負担で創設した当該団地は、その後の降灰の増大に伴って生産実績は大幅に低下し、多額の借入金の返済にも事欠く状態とのことであります。農業近代化資金等貸し付け要件緩和とともに、蚕繭共済における降灰激甚地域特別措置等は、関係地元民の真撃な要望であります。  さらに、桜島噴煙は西風に運ばれて宮崎南部にもしばしば降灰をもたらしておりますが、今回もまた、養蚕葉たばこ等特産地である串間市、都城市を中心に大量の降灰があり、三千万円に達する被害がもたらされたのであります。串間市大束では、降灰除去施設等整備農業経営前提要件であると強く訴えられましたが、このためにもこれらの地域桜島活動火山周辺地域における防災営農施設整備計画対象地域指定されることが必要であることを痛感いたします。  第二は、桜島治山治水事業並びにシラス地帯防災対策についてであります。  まず、桜島治山治水でありますが、火山鳴動活発化に伴って桜島山腹荒廃は著しく、各渓流、河川はわずかな降雨土砂流がはんらんし、地元民に二重の不安をもたらしております。崩壊土砂量は年間百二十万トンと言われ、洪水時の轟音とともに秒速十ないし十三メートルで海岸に流出しており、これらを防止するため七億円の治山事業、八億円の砂防事業がすでに実施されておりますが、さらに防災施策拡大が待たれているところであります。  特異な要因に基づく山腹荒廃であるだけに、この地域での治山砂防は高度な技術と膨大な資金が要請されており、本年度から採択された直轄事業大幅拡大等、国の立場での事業の強力な推進こそ緊要と痛感されます。  次に、シラス地帯防災対策でありますが、九州南部はその大半が過去の火山活動噴出物で覆われた特殊土壌地帯と言われており、特に宮崎南西部に分布するシラス層降雨に対し脆弱で、連年梅雨期崩壊流失災害が頻発しておるのであります。  これらの地域では特殊土壌地帯災害防除及び振興臨時措置法に基づいて各種防災対策が進められておりますが、事業費逼迫等もあって危険地計画的解消が十分に果たされていないのが実情であり、今後の対策が望まれるところであります。  シラス地帯代表的地域である都城市では、県施行の急傾斜地崩壊防止事業市施行林地崩壊防止事業とを視察してまいりました。  前者は、十三戸の人家を保全するため、事業費四百万円で排水工、擁壁工等施行したものでありますが、国庫補助は一〇%にとどまり、また一〇ないし二〇%の受益者負担が課せられておるとのことで、これらが事業拡大を阻んでいる要因ではないかと思われるのであります。  後者は、四十九年災以降人家四戸の裏山林地亀裂拡大したため、事業費二百万円で水路工、土どめ等施行したもので、国庫補助は六〇%、県、市の負担はそれぞれ二〇%とのことであります。  両事業は、完成後の形態を見る限りでは全く類似しておりますが、事業採択の条件は、前者緩和されたとはいえ保全人家十戸以上、後者の場合保全人家二戸以上と区々であり、また個人費用負担も異なっているのであります。  建設省、農林省と所管官庁の違いはありますが、両事業の調整を図り相互に補完し合うことにより、人家保全山地保全の実効を上げることが必要ではないかと思われます。  そのためには、時限立法である臨時措置法期限延長はもちろんのこと、予防治山事業等に対する一般公共事業債の適用を制度化し、事業費拡大を実現することが前提要件だと思うのであります。  第三に、大分中部地震復旧状況について申し上げます。  昭和五十年四月二十一日午前二時三十五分、大分中部庄内付近において、震源の深さ約二十キロ、マグニチュード六・四の九州地方では戦後最強の地震発生したのであります。震度は大分市で四、福岡、延岡、日田の各市で三を記録しておりますが、震源に近い地域では激甚被害状況から五ないし六と推定されており、これらの地域震源地中心に西北から東南に二十五キロ、幅十キロの範囲に及んでいるのであります。  地震当時の一般被害は、負傷者二十二名、建物全壊七十七棟、半壊百十五棟、罹災人員七百七十一名を数え、また施設関係被害は、道路、橋梁の破損二百六十三カ所、河川砂防の決壊十九カ所、文教施設損壊三十九カ所、その他農地、林野、鉄道等を含め総額十三億円に達したのであります。  大分中部地震特徴としては、一、震源地の浅い、いわゆる直下型地震であったため、その規模に比べ被害が甚大であり、特に近代建築のレークサレドホテル崩壊したのを初め建物被害が多かったこと、二つには、震源地山間地域であったため、山腹崩壊落石等による道路の埋没と路面盛り土部分亀裂現象が頻発し、多くの部落孤立状態となったこと、三つ目は、生活活動のない時間帯であったため、死者を含む人的被害が少なく、また、火災等の二次災害がなかったこと等が指摘されておるのであります。  被害が集中した庄内町、湯布院町、九重町、直入町に対しては災害救助法が発動されたのを初め、自衛隊、警察、消防団等延べ二千名に上る災害出動の協力を得て、孤立部落への物資輸送交通途絶個所復旧作業等は適時即応的に進められたとのことであります。  被災世帯に対する救援措置としては、庄内町、九重町で応急仮設住宅三十二戸を設置するとともに、災害援護資金は、住宅全壊の場合七十万円を五十一世帯に、半壊の場合四十万円を六十世帯貸し付けられ、また、世帯厚生資金貸し付けは百十三件、市中銀行借入金に対する利子補給は、六十件に上っております。  それから一年たった今日、各省庁の災害調査を経て、年度末には農地農業施設について激甚災指定もあり、災害復旧は各分野ともほぼ順調に進められておりますが、主な事業についての復旧状況を見ると次のとおりであります。  すなわち、急傾斜地崩壊地区危険住宅の移転及び建設六戸、林道破壊十カ所はいずれも完了農地農業用施設損壊五百五十二カ所中二百三十カ所完了で四〇%、地方道破損二百三十六カ所中百三十一カ所が完了で五六%、これらは本年度中にはいずれも八〇ないし九〇%の進捗が見込まれておりますが、治山事業のみは崩壊二百三十八カ所に対し、緊急治山採択が五十年度十カ所、本年度十二カ所にすぎず、大部分残事業とされております。  事実、ジープに分乗して震源地付近を視察いたしました際、山腹の随所に崩壊現場が認められ、赤茶けた土はだが露出したままで放置されており、梅雨期から台風期にかけて再度災害危険性が強く懸念されているのであります。  地元民からは、こうした未施工部分について一日も早く復旧事業完了してほしいとの強い要望がありましたが、同時に共通して訴えられましたことは、災害援護資金貸付金の増額についてであります。数少ない個人災害救済措置だけに、被災世帯にとって期待は大きいものがありますが、現実の貸し付け基準では住居全壊の場合七十万円、半壊の場合四十万円にすぎず、住居等復旧費を充足することは全く困難と言われており、再度貸し付け額等改定を図る必要性を痛感する次第であります。  なお、大分中部地震が残した教訓といたしましては、一つには、近代ホテル崩壊したことにより、建物の揺れに対する粘り度等設計基準の再検討と、既存都市防災対策の見直しが提起されたこと、二つには、山間地域における孤立部落発生に対処して、自動電話充実等情報網整備を図り、救援救出の万全を期する必要があること、三つ目は、震災対策都市のみならず農山漁村を含めて広く確立する必要があること等に集約されております。  最後に、火山地震観測体制災害予知の問題について触れたいと思います。  鹿児島地方気象台は、昭和三十年以来精密火山観測施設整備されておりますが、最近では地殻変動観測のための傾斜計等を新設し、無人観測システムの中で火山現象の解明に取り組みが重ねられており、そのもとで周辺地域に対する火山情報の提供も行われております。また、阿蘇山観測所は、火山観測のほか地震観測等でも成果を上げており、昭和五十年一月の熊本県北東部地震に先立って七十七回もの小地震観測しており、火山活動との関連が注目されております。その他、京都大学桜島火山観測所では、火山噴火予知計画観測業務体制について説明聴取するとともに、九州電力大岳発電所では、地熱エネルギーの活用を通じて火山活動に関する理解を深めたのであります。  しかし、こうした政府関係観測体制は、いずれも資金的、人的に大きな制約があり、各観測所既存施設の維持及び若干の施設更新経常経費大半が費やされており、人員増研究費の捻出は困難とのことであります。災害予知手がわりをこうした観測研究から発展させていくためには、まずもって十分な観測研究体制整備が必要であり、その上でそれらの施設の官民一体的な組織化が不可欠であろうかと思います。  三木総理は、第七十七回国会の施政演説災害行政に触れ、「科学技術を総動員して」「事前予防に最善を尽くす」との決意を披瀝されておりますが、要は政府防災行政位置づけいかん災害予知の実践を早くもし、遅くもすると言わざるを得ないのであります。  以上、簡単でありますが、報告を終わります。     —————————————
  7. 工藤良平

    委員長工藤良平君) 次に、火山及び地震対策に関する件について調査を行います。  本日は、先ほど決定いたしました参考人方々をあらかじめ御出席願っておりますので、早速御意見を承ることといたします。  参考人方々を御紹介申し上げます。  京都大学教授加茂幸介君、九州産業大学教授表俊一郎君、和光大学教授生越忠君及び防災都市計画研究所長村上處直君。  以上でございます。  この際、参考人方々に一言ごあいさつを申し上げたいと存じます。  本日は、大変御多忙中のところ当委員会に御出席を賜りまして、まことにありがとうございました。本日は、火山及び地震対策に関する諸問題につきまして、それぞれ御専門立場からの忌憚のない御意見をお伺いをいたしたいと存じます。今後の当委員会調査参考にさしていただきまして、私どももより一層勉強を深めてまいりたいと考えるわけであります。  それでは、これより御意見をお述べいただきますが、あらかじめ議事の順序について申し上げますと、御意見をお述べ願う時間は議事の都合上お一人二十五分程度としていただきまして、参考人方々の御意見の開陳が一応済みました後で委員からの御質問を承ってまいりたい、このように存じます。  それでは、まず加茂参考人からお願いをいたします。
  8. 加茂幸介

    参考人加茂幸介君) 京都大学加茂でございます。また桜島火山観測所所長を兼ねております。  桜島火山活動についてお話しする前に、簡単に火山噴火予知一般についてまず述べさしていただきたいと思います。  火山噴火マグマ発生上昇、地上への出現という火山活動のいわば最終段階現象であります。したがって、火山噴火予知においてはマグマ発生上昇に伴う現象、すなわち前兆現象を見出すことが最も基本となるわけでございます。一口に火山と申しますが、皆同じ形態活動をするわけではなくて、マグマ物理化学的性質により多様な活動様式を示しております。すなわち、マグマ性質により噴火形式が大体決まってくるということでございます。しかし、その前兆現象につきましてはもう少し複雑であるように見られます。たとえば、安山岩質桜島や浅間山では粘性のやや高いマグマ上昇するために地震をよく発生いたしております。あるいは、山体隆起も見られます。しかし、地震の起こり方や隆起の仕方は両火山では必ずしも同一の形態を示すわけではありません。一方、玄武岩質の三宅島や伊豆の大島では、マグマ粘性が低く流動的なために、上昇の過程で地震発生することはほとんどないかわりに、山頂隆起や地磁気の変化が前兆現象としての特徴となっております。このように火山には個性がありますために、個々火山で丹念な気の長い各種観測を続けて、噴火とその前兆現象の比較から経験法則を見出す方法がとられているのが現状でございます。現在の噴火予知は、これらの経験則が主要な火山では観測の強化により定性的には少しずつはっきりしてきている段階にあると言えるかと思います。  火山噴火予知では四つの要素について解明されなければならないもの、あるいはその四つがはっきりしないと役に立たないものであろうと思います。  第一に、噴火発生をする場所でございます。既成火山の場合には山頂噴火するのか、あるいは山腹なのか、山腹の場合どの面の山腹から噴火するのか、あるいは全く新しい火山が誕生する場合もあるわけでございます。すなわち、昭和新山などがその例でございます。火山噴火が局所的であるだけに、防災面から場所については非常に精度のよい予測が要求されるわけでございます。  第二に、噴火発生時期に関する問題であります。社会的要請となっています噴火予知において、私どもが当面目標としていますのは、少なくとも人命だけは失わない余裕を持って噴火予測をするという、そういうことだけは最も重要な項目になるわけでございます。一般には短期的な個々噴火なり爆発予測することと、長期的に火山活動が今後どういうふうな活動に向かっていくかという二つに分けられるのではないかと思います。  第三に、噴火形式とその規模であります。このことは、受けるべき災害の種類と被災範囲を規定するものであります。  第四の問題点は、一たん噴火発生した場合、その活動の経過を予測することであります。すなわち、防災対策上その噴火の終息を見きわめることが肝要になってくるわけでございます。  以上、一般的なことを申し上げましたが、本日要請されております桜島火山活動噴火予知について、具体的に述べてまいりたいと存じます。  桜島火山は、最近火山噴出物の層序学的な研究から、いまから約一万三千年ないし一万四千年前に生成された火山であると推定されております。文学的表現の多い古文書の記録を参照しましても、たかだか過去約千三百年の活動史をうかがえるだけでございます。その活動史から桜島噴火様式特徴を見てみますと、溶岩流出を伴います山腹噴火と、噴石あるいは降灰を伴う山頂噴火あるいは山頂爆発繰り返しと言えるんではないかと思います。しかも、大活動と言われる山腹噴火では、現在の活動火口のあります南岳山頂を通る弱線に沿って桜島二つに割れる形をとっております。これは桜島が比較的粘性の大きい溶岩を噴出することから示される性質であろうかと思います。溶岩流出を伴う大噴火記録に残っているだけでも過去四回ございます。桜島二つに割れるような形をとった大噴火は三百年あるいは百四十年といった間隔で三回見られます。人間の寿命とそのサイクルが異なっていて、自然のこわさを忘れる要因ともなっているんではないかと思われます。危険の度合いでは、わが国では浅間山とともに桜島は最右翼に位置づけられておるわけでございますが、カルデラ内に海水が浸入して内湾を形成しているという理由その他もろもろの事情で、その危険区域内に生活の場を控えている火山でもあるわけでございます。私どもの常識では、火口より少なくとも四キロメートルほどは危険な区域であり、資材あるいは財産のことを考え溶岩流出あるいは火山特有自然浸食の問題を考慮いたしますと、全島が危険区域と言っても過言ではないのではないかと思います。一般論としまして、火山山頂噴火繰り返しは、距離さえ保っておれば比較的安全度が高いわけですが、長期的降灰が続くので、火山災害立場から見ますと溶岩流出もさることながら、降灰による災害は積算されるだけに無視できないものではないかと思います。  桜島火山活動の激しい火山でありながら、科学的観測体制が整え始められたのは昭和三十年の活動が契機でございました。たかだか十数年の継続観測の歴史があるわけでして、比較して申し上げますと、浅間、阿蘇では昭和初期にこういう科学的な観測が始まっておるのに比べ、大層桜島についてはおくれていると言えるんではないかと思います。桜島火山研究に従事していまして致命的に思いますことは、大正、昭和溶岩流出を伴うような活動を経験しながら、噴火後の調査は詳しくなされてはおるわけでございますが、若干の成果を除いては噴火活動の前後を比較し得る科学的な観測資料に乏しいことであります。経験的な手法で噴火予測を行う現在、推測がまじる原因ともなっておるわけでございます。  さきに桜島火山活動特徴として山腹噴火山頂噴火に分類いたしましたが、それぞれの場合について、過去の前兆現象とそれを教訓とした現在の対応手段について述べます。  大正噴火すなわち山腹噴火の場合、桜島周辺に地盤変動のあったことと地震活動のあったことが知られております。  鹿児島市と桜島を結ぶ線より北側の錦江湾一帯をわれわれは姶良カルデラと称しております。この姶良カルデラの中心部を中心とする同心円上に、カルデラ及びその周辺の地盤が大正の噴火の前に隆起していたらしく、噴火後は沈降したことがはっきりと示されております。中心部の沈降は三ないし四メートルと推定されるほどでございます。地盤の水平変動については、噴火時に桜島の南北両側が相反した外側に移動し、つまり東西の線を境にして割れたような動きを示しております。で、昭和二十一年の片山腹、この場合は両山腹ではなくて片山腹噴火であったわけですが、この場合の地盤変動については、ちょうど終戦直後ということもありまして十分な科学資料がないわけですが、活動前の測量が昭和七年で、直前の状態がよくわかっておりませんが、各種の事情から推定しまして、それまでの姶良カルデラの隆起速度から見て、溶岩流出により若干沈降したと見る方が妥当であろうというようなことがわかっております。これらの事実に基づきまして、桜島内では昭和三十二年から一年ごと、あるいは場所によりましては数年ごとにこの変動を見出しやすいような測量基線を設けまして水準測量を繰り返しております。また水平変動につきましては、昭和四十九年度を初年度とする噴火予知計画に従いまして、気象庁と観測所で分担してレーザー光を用いた辺長測量あるいは傾斜計、検潮儀による連続観測を実施しております。  次に、この山腹噴火の場合の地震活動については、大正の場合も昭和の場合も十倍程度の地震計が鹿児島市内の測候所に設置されていただけで、発生した地震の大きさと回数についてのみがわかっていて、震源がどういうふうに移動していったかというようなことはよくわからないわけでございます。しかし、前駆現象として地震活動がはっきり起こっていたということだけは確認されております。現在、桜島島内には数千倍の地震計が気象庁四カ所、大学七カ所に設置されて、すべてテレメーター化されて集中記録で監視されておる状態でございます。  山頂噴火前兆現象についての過去の教訓はございません。昭和三十年後半に地震観測が、精密観測桜島で始まりまして、他の火山の成果を参考にしまして、桜島火山山頂噴火の場合、やや深い地震がまず発生して、火口直下で浅い地震が群発して、さらに火山性微動の発生が見られ、山頂爆発をするという一つのサイクルがあるらしいことがわかってきました。そして、このことが、昭和四十七年を始まりとします桜島の再活動といいますか、活動が激化した時期に計測学的にはっきりと確認されて成果となっております。一方、地盤変動につきましては、大正噴火以後、姶良カルデラは隆起状態を続けておりますが、高頻度で水準測量が繰り返され、地震観測が充実されてきましてから次のようなことが山頂噴火活動と対応して特徴となっているんではないかということがわかってまいりました。  桜島山頂噴火活動は、昭和三十年を端緒としまして、昭和三十五年には年間約四百回の爆発、平均しますと一日一回爆発しているというような高まりを見せたわけでございます。また、昭和四十七年に再び激化してから、昭和四十九年には年間やはり四百回爆発するというようなピーク時を迎えておるわけでございます。カルデラの隆起は大体一定の速度で起こっておりまして、この年間四百回程度の山頂爆発をするピーク時を迎えますと、この隆起が一たんとまってしまう、あるいは若干沈降するような傾向を示すわけでございます。このことから、私どもは、隆起という現象は、カルデラの下にマグマをため込む過程だろうというふうな考え方をとるに至ったわけでございます。いま姶良カルデラが一定の速度で隆起する場合、カルデラ全体でどの程度の容積膨張になっているかということを算定してみますと、年間約百万立米ぐらいの数字を示します。一方、昭和四十七年から四十九年に放出した火山灰あるいは噴石の量を推定しますと約一千万立米と見積もられますから、年間百万立米の隆起速度で十年間ぐらいたちますと放出した量に見合うような数字になるわけでございます。  このような解釈を拡張して山腹噴火の場合を考えますと、大正噴火では放出物が約数億立米と見積もられておりますので、隆起はカルデラ外にも及んでおり、膨張容積は年間百万立米より大きい数字を示すものと思われますので、数百年から千年ぐらいカルデラが膨張することによってため込んでは山腹噴火を起こすのではないかと推測されるわけでございます。すなわち、このことは、カルデラの膨張が一定速度で続く限り、こういう前提のもとでは、オーダーとしては十年に一回は山頂噴火を起こし、数百年から千年ぐらいのオーダーでは山腹噴火予測されるわけでございます。最近の山頂近傍の傾斜観測すなわち傾斜計の連続観測では、個々噴火に対応しましての局所的山頂隆起が見出されるようになってまいりました。  で、桜島火山活動の現状について述べますと、長期的見地から見る限り、地盤変動は、山頂噴火に対応してカルデラの隆起が一時停滞という現象が見られますが、隆起が続く限りは山腹噴火に向かっているというふうな解釈をする方がよかろうと思います。それから時期につきましては、このデータだけからでは何とも申し上げられませんが、その時期が近づいた場合には他の要素の、すなわち期待されるものは地震活動でありますが、予知計画に基づいて整備がなされていくことによって、こういう他の要素からそういうときの問題が多少は見当がつくのではないかと思います。一方、短期的予測としまして個々山頂爆発を的確に予報することは残念ながらいまのところできないのが現状かと思います。先ほど述べましたように、地震の群発、あるいは微動の発生一つのパターンとして定性的にはわかってきたのですが、ここに二つの問題がはだかっているわけでございます。そのパターンがはっきりしていますのは、暫時休止期間があった後の活動の始まりの爆発の場合については明瞭にあらわれるわけでございますが、一たん山頂噴火が連続的に始まりますと、マグマ上昇通路が完成するらしく必ずしも公式どおりに事が運ばないケースが非常に多くなるわけでございます。また、活動の始まりに当たっても、爆発する臨界状態予測されていたとしましても、爆発を起こさせる引き金作用の要素が何かあるわけでございまして、この引き金作用が何であるかということについてはいまのところ見当すらついてないというのが現状であります。  これらのことは火山学の分野の問題でありまして、今後の研究成果にまつわけでありますが、予知の経験則をもっと豊富にする目的も含めまして、火山噴火予知計画に従って次のようなことが進められております。  すなわち、地盤変動の観測地震観測のほか、地上あるいは空中よりの火山体の赤外映像、これは温度の異常域の調査研究、あるいは重力測定及び連続観測、地磁気の測定及び連続観測、また今後噴火予知計画に従いまして地震観測データの自動処理化、地殻変動連続観測の強化、地下水、温泉の観測等が計画されております。一方、昭和四十九年度には、全国の各分野にわたる火山研究者による特定火山の集中総合観測が実施されておりまして、桜島の場合、第一回目を昭和四十九年度、第二回目を本年度実施する予定でありまして、本年度からは臨時事業化されておるわけでございます。このようなじみちな気の長い観測研究が予知への道を開くものと確信するものであります。  最後に、桜島における火山災害形態について述べておきます。  山腹噴火の場合、あらゆる災害が複合して発生するものと見なければなりません。個々に挙げると切りがありませんので、特殊なものとして御注意申し上げておかねばならないのは、海中噴火に及んだ場合、これは実際安永の噴火の場合に見られたわけですが、小規模でしょうが津波の発生が考えられます。それから、大量の溶岩を流し出した場合、噴火後一年以上にわたるカルデラ周辺の地盤沈下、例で言いますと、大正の場合、磯街道の大崎の鼻や桜島の北部では約一メートル前後沈下する、こういうことをあらかじめ考えておかなければならないかと思います。そのほか火山ガス、火砕流——火砕流と申しますのは、溶岩が高温のために発泡状となり斜面を駆け下ってくるものでありまして、他の火山の例でありますが、秒速三十ないし四十メートルというような大きな一つの流れが発生するわけでございます。こういったものに対する対策も考えておく必要があるかと思います。  山頂噴火の場合、ごくまれに火砕流の発生することがありますが、降灰噴石による災害のほかに二次災害として自然浸食があります。桜島のように若い火山溶岩噴出物山体を形成し、浸食によりすそ野を広げて陸地を形成していくというのは自然の輪廻でありましょうが、噴火の直接災害ではありませんが、長期間火山ガスや降灰山頂付近の植生を枯らし、さらに火山灰の堆積層が不透水層を形成して集中豪雨による山体の自然崩壊がはなはだしい勢いで進行しておるのが現状でございます。南岳周辺の土石流もさることながら、北岳の浸食はすでに横浸食の過程に入っており、随所で人家が危険にさらされているのが実情かと思います。この崩壊が続く中で、有感地震を伴うような山腹噴火がもし起こるようなことがあるとしますと、これは山津波にもつながるおそれがあるのではないかと思います。特に、この山腹崩壊については、現地に常時おりましてそのような実感を持って見ているわけでございます。  以上でございます。
  9. 工藤良平

    委員長工藤良平君) どうもありがとうございました。  次に、表参考人にお願いをいたします。
  10. 表俊一郎

    参考人(表俊一郎君) 表でございます。私、大分地震被害につきまして調査いたしました結果を御報告させていただきます。  大分地震は、九州では地震の起こります地域というのは、一番よく起こりますのは例の日向灘沖でございます。それからその次にわりあいに地震活動の盛んな地域としましては、いわゆる大分・熊本ラインと言われる地域でございまして、これは古来何回か地震を経験しております。それから、そのほかに阿蘇、霧島、えびのを含めまして桜島、沖繩の方へつながっていきますこの地帯に地震発生が見られるわけであります。今回の地震はその第二の地帯に起こった地震であるかと思います。  このような地震が今度起こりましたけれども、九州ではいまのところ非常に地震観測の体制がいわば弱体でございまして、地震予知のための特別の観測というのは全然なされておりません。したがいまして、今度の地震につきましては、ほとんどそれについてのデータが乏しいというところは、やはり地震国日本におきましては将来改善されるべき問題を含んでおると思っております。このようなわけで地震が起こりましたけれども、まずどこに起こったかということを決めなくてはならないわけでございますが、これはもっぱら気象庁の専管事項でございまして、気象庁がやってくださるわけでございます。ところが御承知のとおり、気象庁の観測所というのは九州にもそうたくさんはございません。今度の地震で一番近かったところは大分でございまして、約三十キロ離れております。その次が阿蘇でございまして、これも四十キロぐらい離れておるかと思います。そのほか熊本、福岡となりまして、わりあいにみな遠いところでございまして、現在の地震学の知識をもってしましては、それだけ遠いところから決めますとなかなか正確な位置が決まらないという問題がございます。ところが、幸いにも今度の場合には九州電力が別な目的のために非常にいい観測を大岳そのほかの三カ所、合計四カ所でしておられまして、それが、これは大変幸せだったと思いますけれども、よい記録を書きまして、それを参照することによりまして今回の地震は非常に正確な震央の位置を決めることができました。で、その位置は大体湯布院町の田伏という部落のすぐそばに当たるかと思います。気象庁が決めましたところとは少し離れております。深さも大体九・三キロとなっておりまして、まず大体余り間違いは少ないだろうというところと私は思っております。  で、このような震央を決めました後、やはりこの地震のメカニズム、さらにこの地震を起こした力の場所などを知ろうと思いますと、どうしても余震の起こる場所というのをきちんと決めなくてはならないことになります。で、これの余震がどこに起こったかということも大変大切な問題でございますが、これもいまの気象庁の観測では遠過ぎまして、非常に困難であるはずであったわけでございますが、幸いにも九電の観測所がございましたので、これも非常にはっきり決まりまして、その位置は地図の上にかくことができたわけでございます。で、これを見ますというと、地震が起こりましてすぐ、約一昼夜以内に起こりました余震の分布した位置というのは、先ほど現地調査団で行かれました調査委員長の御報告の中にございました例の災害の多く発生した地域、すなわち震央を通って北西——南東の線に長さ約二十キロぐらい、幅約数キロの線の中に、楕円と申しますか、矩形と申しますか、その中にほとんど落ちておりまして、その地下に何らかのそのような、まあ簡単に申しますと断層の存在を思わせるものがございます。  それからさらに、この地震の波がどう出たかという一番最初の波の観測というものは、これはいまの観測所並びに気象庁の観測所、さらに世界じゅうの規模観測が行われております。そのいろいろな記録を全部集めまして、利用できるものを全部利用してそのメカニズムを決めるという地震学的方法がございますが、それから地震のときのそのメカニズムを決めました結果によりますと、これも大体北五十度西の震央を通りましたところから南西に向かう線に沿ってその断層が起こったであろう、さらにその断層の向きは、南へ約五十度のディップで、わりあいに深い傾きで、この南西から北西——南東へ向かってこんな断層面ができたんだろうということはかなりちゃんと言えると思います。  もう一つ、今度は地理院が幸いにも非常によい測定を前にしておられまして、地震後すぐ再測をなさいまして、その結果あの辺の地殻変動というのはかなりよくわかっております。で、これはいまなおいろいろ調査の整理が続行中でございますけれども、いままでにわかった結果として御発表になったところによりますと、これでもやはり北東——南西の線に沿ってさらにディップが少し地震の方が決めたのよりはもっとたって七十度といっておられますが、こんなふうな、横の長さが大体十キロで深さが二十キロぐらいの、まあこんなふうなプレートがいわゆる正断層で、こうずって、さらに少しばかり左ずれの断層でこう動いたというふうなメカニズムまで大体はっきりすることができまして、その点では今度の大分地震の地球物理学的な問題はかなり明確になったと思います。ただ、これに関連しまして、今度は幸いそういう観測点があったからよかったんでございますが、やはり地震の問題は災害を論じますに当たりましては、現象そのものの解明ということがどうしても先にならなくてはなりませんので、この地震観測施設がさらに増強されることを私も願っております。  で、このような地震被害の問題でございますけれども、先ほども現地の調査委員長報告にございましたように、一番大きなのは、鉄筋コンクリートでつくられておりました近代建築であった九重レークサイドホテルというのが、落階と申しますか、圧階と申しますか、そういう非常に特殊のこわれ方をしたわけでございます。この鉄筋コンクリートの建物の、これは本当は非常に安全な建物であるということが考えられておったわけでございますが、これが御承知の一九六八年の十勝沖地震のときに函館大学それから八戸高専その他で思いがけない被害を伴いまして、それ以来日本の建築学会など、それから建設省もいろいろ御指示ございまして、一生懸命その原因解明に努めてきたわけでございます。今度またその鉄筋コンクリートの建物がやられたということは非常な問題でございまして、私ども、その建築学会が主となりまして、文部省の自然災害の費用もいただきまして、この原因究明には何とか真険に取り組んで、十分にこれを解明したいと思いまして、これにつきましては、幸い九州の建築関係のものの総力を挙げることができまして、これはつい十日ばかり前でございますけれども、きょうここに持ってまいりましたが、この報告書がいままとまったところでございます。後ほど先生方に見ていただきたいと思いますけれども、これがいままとまったところでございます。これによりましてこんな建物につきまして非常に詳しい調査をいたしました。  で、今度は鉄筋コンクリートの建物災害地に非常に少なかったという問題がございます。けれども、鉄筋コンクリートは全部倒れたかというと、決してそうではなくて、その中の一棟だけが非常に被害を受けている。その近所には鉄筋コンクリートはあったけれども被害は非常に軽微であったというのもあるわけでございまして、なぜ向こうは軽微でこちらはあったかということは確かに問題であるというわけで、これについては非常に詳細な研究をいたしました。けれども、きょうここでその詳しいお話を申すつもりはございませんけれども、そのごく簡単な最後のまとめを考えてみますというと、どうもこれはやはり一つだけの原因でこうなるんではない、やはりいろいろな原因が競合してこういうことになったんだということが非常にはっきりいたしました。で、この建物も幸い今度の場合にはその施工上の手抜きとかそういう問題はございませんで、その非常にフェアな調査ができたということは特筆されるべき問題であると思います。  それで、いろいろな原因が競合してと申しましたけれども、それは、簡単にその点を申さしていただきますというと、まず地震荷重という問題がございます。どのくらいの力が働いたかという問題でございまして、これは後にもう一遍申しますけれども、直下地震、陸上に起こりました今度の地震の場合には、震央近くでは相当大きい加速度が働いたと考えられておりまして、約四百ガルと申しますか、重力の約四割ぐらいの加速度が働いたと考えております。それで、そのような大きな加速度に対しては、やはり建物というものは十分余裕を持って設計され施工されなくてはならないという問題を提起したと思います。  さらに、まず構造計画の上から建物の問題を考えてみますというと、壁量の問題がございます。壁が適当に入ってなければ建物というものは強さを保つことはできないわけでございますが、その壁量の問題でいろいろ調べてみますというと、この建物は——御調査になりました先生方御存じと思いますけれども、地階がございまして、それはべた基礎の上に地階をつくって、その一階が大体ロビーと食堂などがある、大きい部屋がある一階でございまして、それから二階、三階、四階、それは全部客室でございます。その二階から上の客室は壁量が非常に多かったと。それから地階も、ボイラー室とかいろいろございまして、そこも非常に壁の量が多かった。ところが、どうしても一階は、大きな部屋をつくらざるを得ませんので、壁量が足りなかった。  で、少し細かい話で恐縮でございますけれども、あの建物は長い建物でございますけれども、それが三つ部分にこう区切られておりまして、一番正面の部分、それが一階の柱が壊れてぺしゃんと一階分がつぶれてしまって、その上に二階、三階がこうつらなりまして、次の、Bブロックと申しておりますが、それと、それからもう一つ一番後ろのブロックと、この三つはどうにか崩壊を免れております。この中で正面のブロックは一階がつぶれて見かけ上三階になったわけで、残りBブロックとその後ろのブロック、これはつぶれずに残ったわけでございますが、Bブロックというのは非常に狭いところで、ところが両方のつなぎのところでわりあいに壁量が非常に多かったので、これは余りひどい損害を受けなかったと。一番奥のブロックというのはこれはかなり、前のつぶれたブロックと匹敵するぐらい大きいブロックでございますが、これはほとんど崩壊寸前のところでございまして、ことによりますと地震動がもうしばらく続いていったならばあるいはこれも崩壊したかもしれないというところまでいったわけでございます。それで、壁量を見ますというと、明らかに真ん中のブロックは非常に壁量が多かった。一番壁量の少ない前のブロックがつぶれて、それからちょうど中間ぐらいだったのがまさに崩壊寸前であったということになっております。  これは量だけの問題でございませんで、壁配置の問題がございます。どのような壁をただ規定の数量だけ入れればよいというわけではございませんで、適当な配置でうまく配置をするということが非常に大事であるということが、建物のひび割れの状態亀裂の入り方その他から非常にはっきりしてきております。  さらに、これはことにホテルのような近代建築の場合にはいろいろやむを得ない問題がありますけれども、ある程度の大きさのホールが必要でございます。したがって、柱をどこかは抜いて部屋の大きさを確保するということは当然起こるわけでございまして、柱を抜いたために非常な荷重がかかって、抜かれた柱のためにほかの柱に力がかかってくるわけでございます。その問題が今度の場合には非常に大きくきいてきておる。したがって、設計上これはよほど考えなくてはならない問題であるということがはっきりしてまいりました。さらに、柱の中には、窓の配置とかいろんな都合で、下が壁になっておりまして上だけ短い柱がこう入るところがございます。この短い柱が入りますところが、どうしてもその柱によけいな力がかかってまいりますので崩壊を起こしやすいという問題がございまして、このことは、すでに先ほど申しました十勝沖地震のときから問題になっておりましたことがまさに今度の場合にも同じ問題として提起されまして、今後われわれとしては設計をいたします場合に大いに注意しなくてはならぬということになるかと思います。  で、これは、使いました部材の面から考えてみますというと、鉄筋コンクリートの柱がどうしてももろい前月断破壊をするということがこれは十勝沖地震の教えた最大の教訓だったわけでございます。したがいまして、十勝沖地震の後、勇断補強に関する改定がそれから後の一九七一年に行われておりまして、建設省が御指導でそのことはなさっておりまして、それから後の建物についてはそれがかなり十分にやられておるはずでございます。ところが、今度の建物は一九七一年より前につくりました建物で、これはやむを得なかったと思いますが、後から考えますと、確かに、われわれが予想したようなもろい前月断破壊を柱がしたということが今度の地震の場合にも証明されたということになったと思います。それから、壁につきましても、耐震壁はいかにあるべきかという問題でございますけれども、今度の壁を見ましても、耐震壁をつくっておりますが、これが大きなひびが一遍にばさっと入りまして、それは、地震の入ってきますその震動の大きな力を、本当は小さい割れを壁いっぱいにつくってそれでもって地震の力を吸収して建物地震に耐えさせるということをすべきでありますけれども、その耐震壁が、十分そのことが考えてありませんと、大きなひびが一遍に入ってそれでおしまいというわけで、耐震壁が本来われわれが期待しておるような形で働かなかったものがかなり出ておるということもはっきりいたしております。さらに、開口部とかダクトの穴とかいうのが、ひびをつなげて破壊をさせるということに非常に大きな、悪い意味で貢献をしておりまして、このことを今後の問題として私どもは十分考慮しなくてはいかぬと思っております。  さらに、施工管理の上からも、鉄筋の柱を丈夫にしますために、例のフープと申しまして帯筋を巻くわけでございますが、規定どおりちゃんと巻かれておりました。けれども、よくよく調べますというと、巻く位置が柱頭の部分にはもっと細かくしてその粗さを考えろとかいろいろ詳しい問題がございまして、これらの点についてもたくさんの問題点を提起しまして、今度の場合、これを十分生かしていけば鉄筋コンクリートの建物に対する相当の補強は可能であると考えております。そういうわけで、今度の地震の場合には、ここで、ほかの建物はいま言ったようなことが大体及第点をやれるような建物であったわけでございまして、不幸にしてちょうど境目からちょっと弱かったやつだけがみごとにやられたという試験の結果になったわけでございます。  以上、鉄筋コンクリートの被害につきましてはそのようなことでございます。  さらに、今度の地震についてもう一点ここで申し述べさせていただきたいことは、今度の地震は、先ほど申しましたように、九州にわりあいに観測点も少ない、したがって、どうやっていろんなデータを集めるかということが問題になったわけでございます。で、これにはいわゆるアンケートを配りまして、これによって実際に地震を感じられた方の体感、御経験を文書でもっていただいて、それをコンピューターで処理しまして結果を出すということしかないわけでございます。このことにつきましても、今度の場合には、ちょうど一万五千枚のアンケート用紙を配りまして、これは県庁その他、御関係の方が大変各県御協力いただきました。で、配りました範囲は、九州全域と、それから四国の西半分、それから中国地方の西半分、相当広い範囲で各県の方々の大変な御協力を得てこれをやりまして、私どもはかなりのことがわかったと思っております。この結果の一部は先生方のお手元に別刷りとしてお配りしてございますが、もしよろしかったら、これの二十八ページと書いてあります四、五ページ目のところをあけていただきますと、この結果が、震度がどうであったかということが書いてございます。二十八ページのところに大分県全体の地図がございまして、それに太い線でコントアがかいてございます。これを見ますというと、震源地と申しますか、震央のごく近所で大体震度が五・五まであったというわけでございます。で、これは、もっと震央に近いところはもっと大きな震度を感じた方もあります。けれども、いろんな、大きいの小さいのいろいろ平均した結果がここにかいてございます。で、さらに右のページには、九州全域から四国、中国にわたる震度分布がはっきりわかりまして、これらの問題は、将来九州の地震の揺れ方の問題を決める大切な、非常に有力な指標になるかと思います。  で、これに関連しまして、恐れ入りますが、三十三ページというところをあけていただきますと、おかしなカーブがかいてございます。似たようなカーブがあと二つほどございますが、これはたとえば地震のときに、大体人間はどの程度のことを感じるかということを調べたものでございます。で、これは、三十三ページの図は、地震のときに皆さんはどの程度こわいとお思いになりましたかという質問をしたわけでございます。これに対して、いや、何とも思わなかったというお返事をいただいた方もあります。それから、少々こわいと思ったというお返事をいただいた方もあります。それから、かなりこわいと思ったというお返事をいただいた方もあります。非常にこわいと思ったという方、さらに、絶望的になったという御返事をいただいた方もございます。これは、質問事項で丸をつけていただくようなかっこうで返事をいただいたわけでございますが、これを、一枚の紙についてはちゃんと一枚の紙ごとに震度がコンピューターで決まりますので、決まったものについていまのお返事ごとにそのパーセンテージをとってかいた図でございます。これを見ますというと、大体、震度一ぐらいのときには何とも思わなかった。ですから、恐らく四国におられた方、それから山口県ぐらいの方は、夜中にがたがたと揺られたけれども、大したことない、これは寝ておってもよろしいとお思いになったという方だと思います。ところが、それが震度三ぐらいになりますと、何とも思わなかったという方は非常に少なくなります。それから、少々こわいと思ったという方が、大体震度三・一か二ぐらいでピークになります。それから、かなりこわいというのが、大体震度四・三ぐらいだと思います。非常にこわいと思ったというのが、大体五・五ぐらいがピークであります。ところが、絶望的なこわさを感じたとお思いになった方は、これが震度六ぐらいまでは、ちょうど震度六のときは大体二〇%ぐらいの方がそう思う。ところが、震度六・三から四ぐらいになりますと、これが俄然ふえまして、途端に一〇〇%になっております。一〇〇%ということは、皆さんがそうお感じになったということでございます。同じようなことは、次の、地震だと、それで、この程度のがたがたなら大したことはない、何もしなくてよろしいと思ったか、または、これはいかぬ、逃げなくてはいけないとか、ちゃんと自分を守らなくちゃいかぬと思ったか、または気がついてみたらはだしで飛び出していたんでそのときどうしたか覚えていない、または無意識にしたんで何をしたかわかんなかったという三通りの御返事をいただいたものを分けてみますというと、これも大体同じでございまして、震度一ぐらいのときには何ともする必要はないと思った、ところが、その大部分の方はまあちゃんと意識的に逃げたと、または準備をしたと、身支度をしたという御返事をいただいておりますが、無意識に行動したとおっしゃった方が、やはり震度六を超えますとその方が非常に急激にふえる。だんだんふえるんでなくて非常に急激にふえるという点が問題であると思います。  全く同じようなことが、次の火の取り扱いをどうしたかというわけでございますが、これも消さなくてもいいと思ったとか、それからいや消そうと思ったけれども消えなかったと、もう消す暇がなかったとか消さなかったという御返事をいただいた方が、これもどうにも消火不能であったとお答えになった方が、やはり震度六をちょっと超えますと一〇〇%の方からその御返事をいただいておりまして、このことは今度の調査が単に大分地震の問題ではございませんで、これは地震災害を考える上からは人間心理というものを考えることなしに災害対策は立たないんだということを示したと思っております。この点を先生方においてお考えいただきたい。私どもも、これをどうにかして対策に生かすように、いまから考えていきたいと存じております。  簡単でございますけれども、終わります。
  11. 工藤良平

    委員長工藤良平君) どうもありがとうございました。  次に、生越参考人にお願いをいたします。
  12. 生越忠

    参考人生越忠君) ただいま御紹介いただきました生越でございます。  最初にちょっとお断りしておきたいと思いますが、地質学者としての私の本来の専門は、化石を用いて地層の年代を決めるとか、あるいは地層の新旧前後関係を決める、そういう古生物層位学という分野がございますが、そちらの方の専門としてずっとやってまいりました。ということで、地震学の専門でもなければ、それから火山学の専門でもなければ、防災学の専門でもございません。しかし、近年、学問研究の進歩発達とともに、従来の縦割りの専門領域の境界がだんだん不分明になってまいりました。それに従いまして、本日集中審議されますところの災害対策につきましても、従来とは違った別の方面からの対策も必要になってきたように思います。  また、いわゆる専門家とそれから専門でない人間、まあプロとアマといいますか、そのプロとアマの区別もだんだんなくなってきたというか、はっきりしなくなってきた。そういうこともございますし、それから私の地質学の分野について見ましても、たとえばある一つの地質学の問題を解明するに当たりまして、そのものずばりの専門家よりは、その専門から多少離れているところに位置する人間が、非常に鋭い創造的な新しい感覚を持った問題提起をいたしまして、そういう問題提起に対して専門家と称する人たちがなかなか答えられないということも、しばしば最近ございます。そういうこともございますので、本日せっかくお招きいただきました機会に、先ほど表先生がいろいろお話しになられました大分中部地震のことに若干関連する調査を私いたしましたので、そのことについてお話申し上げたいと思います。  実は、これからお話しいたしますことは、先ほど表先生がお話しになられました大岳の地熱発電所、それからそのすぐ南の方に八丁原というところで新しい地熱発電所を建設中でございますが、ひょんなことからその二つの地熱発電所をことしの一月に見学するチャンスがございました。実は、九州の大分へ参りましたのは、私はあるところからの委託調査を受けまして、これは全然地熱調査とは別のことでございます。全然別の目的の委託調査を受けて、たまたまそちらの方面に足を運びまして、ついでに地熱発電をちょっと見てきたという、そういうことだったのでございますが、そういたしましたところが、ちょっとやはり大分中部地震がなぜ起きたかということにつきまして、地熱発電所の問題を一応視野に入れてみる必要があるだろうということになりましたので、この地熱開発については私は全く素人でございますけれども、それから地震の問題につきましても、先ほど申しましたように、素人でございますけれども、あえて大胆に問題提起をこの機会にさしていただきたいと思います。  それで、地熱発電は最初は無公害と言われておりました。あるいはクリーンエネルギーなんていうふうにも言われておりました。しかし、決してそういうおめでたいものではなくて、地熱発電をいたしますと大規模な自然破壊が避けられないばかりか、さまざまな公害が多発することが近年明らかになってまいりました。私、この数年間の新聞に出ました地熱発電関係の新聞のスクラップを持っておりますけれども、たとえば昭和四十七年十月二十六日の朝日新聞には、「無公害でタダの原料——「地熱発電」へ静かなブーム」という題で若干の解説記事がございます。それから七三年の三月二十八日には、「エネルギー危機21」、これは讀賣新聞の三月二十八日でございますが、「開発進む地熱発電 無公害・安い・無尽蔵 じれったい日本の無策」、これは主としてアメリカで大々的な地熱発電の開発が行われていることが説明されておりまして、それに比べると何と日本のやり方はじれったいことよというような解説でございます。それから続きまして、四十八年六月十五日の朝日新聞には、「開発進む地熱発電 岩手県雫石町の地熱調査所をみる 無公害を見直す 地下千メートルから蒸気噴出」、こういうことで、地熱発電というのは無公害だということで書いてござりました。ところがその年の十二月七日の朝日新聞になりますと、四十八年十二月七日の朝日新聞でございますが、「石油がだめなら何がいい?」エネルギー探し妙案なし、制約が多い太陽、地熱、本命は核融合炉だが……と、こういうふうに書いてございまして、地熱発電はそろそろこれはいろいろ制約があるものだというような考え方が新聞記事にも出るようになりました。次いで七四年になりますと、「自然を脅し始めた地熱発電 ガス放出や森林伐採で環境破壊の傷口広げる」という見出しで、七四年の十二月四日の毎日新聞にそういう記事がございます。それから七五年になりますと、昨年のことでございますけれども、地熱発電促進法案めぐり熱い攻防、推進派低公害で安い、反対派温泉がかれる、この段階ではすでにもう無公害という言葉はなくなりました。無公害ではないけれども、低公害だ、だからやろうというのが推進派の論理でございまして、それに対して反対の方は、温泉が枯れるからだめだとか、硫化水素の公害が出るとか、それから砒素の公害をどうするんだとかいろいろ理由がございまして、地熱発電はまかりならぬという反対派の論拠がかなり強く出るようになりました。こういうことでございまして、ついこの間までは無公害と言われておりました地熱発電も、さまざまな公害が出るものだということがもうこの一、二年来、大体これは世論に、多くの人たちの共通の認識になったかというふうに思います。地熱開発の第一人者と言われております東海大学の早川正巳教授も、御自身がお書きになりましたNHKブックスの「地熱」という著書では、地熱公害についてはほとんど述べておられませんが、先ほど御紹介いたしました朝日新聞の四十八年十二月七日の記事では、早川教授は次のような談話を発表しておられます。「長い間には汚染物がたまる。」、それに「蒸気をくみ上げすぎると、地盤沈下を起こし、急に水をもとへもどすと地震の原因になる恐れもある」、こういうふうにすでに地下から取り出しました熱水を還元井を掘りまして地下へまた戻しますと、これは地震の原因になる可能性もあるということで、地熱発電と地震との関係を四十八年の暮れの段階でございますが、この早川先生はもうすでに指摘されておるわけでございます。  先ほど申しましたように、私は地震学者でも地熱学者でもございませんので、この辺の詳しい問題については私はわかりません。わかりませんけれども、しかし現に大分県で、すでに営業運転中の大岳地熱発電所、これは四十二年から運転しております。それから目下建設中の八丁原地熱発電所、この二つの地熱発電所で地下からくみ上げられました熱水の中に、国が定めました環境基準をはるかに上回る多量の砒素が含まれていることがわかりまして、その砒素を含んでおります熱水を還元井によって地下の安山岩の割れ目の中に入れ戻すということをいましているわけでございます。この還元井によりまして地下に水を戻すということが、ひょっとすると大分中部地震の原因の、全部じゃないにしても、引き金の一部になっていやしないかという問題提起を私はこれからいたしたいと思います。そういうことでございますので、この二つの発電所を見て回りました機会に、九州電力株式会社には多大の御迷惑をおかけすることになったわけでございますけれども、あえてこの機会に予測的な見解を表明さしていただきたいと思います。  地熱発電所の生産井からは蒸気とともに熱水が取り出されますけれども、地下に蓄えられております蒸気や熱水は、降った雨、つまり降水によって無限に補充されるものではございませんので、これらはいわば有限の地下資源と言うべきものでございます。この地熱資源は有限の地下資源と言うべきものであるというふうに思います。ゆえに地熱発電所の生産井から大量の蒸気及び熱水が取り出されますと、蒸気及び熱水の量は年月の経過とともに次第に減少いたしまして、生産井はいつかは枯れてしまうことになります。地熱発電所のことを、枯れることのない天然のやかんと言う人がおりますけれども、こういう言い方は明らかに誤りでございまして、枯れることがないのは地熱の熱源だけであって、地熱で温められるやかんの中の水はこれは有限の地下資源である、いずれは枯れてしまうものであるというふうに考えなくてはならないと思います。現に大岳地熱発電所の生産井では、上がってくる蒸気の量が年率平均五%、まあ三%ないし六%と言われておりますが、年平均五%の割合で減少しているということでございます。そうしてその蒸気の量が減少しております理由の一つに、蒸気が含まれております岩石、この場合は安山岩でございますが、安山岩の割れ目が次第に詰まっていくということも考えられているようでございますけれども、やはり主因は蒸気の量がだんだん枯渇しつつあることではないかというふうに思います。つまり取り上げる蒸気の量よりも補給される水の量の方が少なければ、これは年月の経過とともに、地熱で温められました地下水、それは蒸気あるいは熱水になっているわけでございますが、それが減っていくのは当然至極なことでございます。以上のようなわけで、地熱発電所の生産井から大量の蒸気及び熱水が取り出されますと、蒸気や熱水で満たされておりました地下の岩石の割れ目あるいはすき間、そういうところは次第にすいてまいります。そしてそのことが原因になりまして、早川教授が御指摘になりましたような地盤沈下あるいは土地の陥没などが発生する可能性場所によっては出てくるだろうというふうに思います。  ところで、生産井から取り出された熱水の中には、先ほど申しましたように、国の環境基準をはるかに上回る砒素が含まれておることがわかりました。大岳では二・四PPmそれから八丁原では三・六PPmと言われております。そういう有毒物質が含まれておりましたために、この砒素を含んだ熱水を地下に戻すということで還元井が掘られております。それで、目下建設中の八丁原発電所も、還元井を掘って砒素を含んでいる熱水を地下に戻すということを条件に建設が許可されたといういきさつのあるものでございます。そこで、大岳発電所、これは先ほど申しましたように四十二年から稼働いたしておりますけれども、還元井がすでに掘られ、しかもその還元井が目詰まり現象を起こしまして、もう大体、何といいますか、いかれてしまったというか、大体使えなくなったということで、補助の還元井がすでに二つ掘られているというような状態でございます。しかし、還元井を掘りまして熱水を地下に注入いたしますと、いままでは乾いておりました岩石の割れ目やすき間に水が満たされたり、あるいは乾いておりました岩石がぬれたりいたします。そういうふうになりますために、ちょうどダムに水をためますと時として地震が起きる場合があるというのと同じような理由で、やはり地震が起きる可能性があるのではなかろうかというふうに思います。  ところで、蒸気及び熱水は、日本で最初に建設されました地熱発電所でございますところの岩手県の松川発電所では、地表を構成する安山岩の、新しい年代の安山岩のすぐ下の方にある凝灰岩層、これはその下限は深さ五百メートル余りになっておりますが、その凝灰岩層、及びもう一つさらに深い、深さが千メートルないし千二百メートルのところにございます山津田層と名づけられております岩石の割れ目やすき間に含まれております。しかし大岳及び八丁原の二つの発電所では安山岩の割れ目に蒸気あるいは熱水が含まれております。それで、またこの二つの発電所における砒素を含みました熱水の還元は、安山岩の割れ目を利用して行われておりますので、したがって、この二つの発電所では、安山岩の割れ目から上がってきた熱水を、安山岩の別の割れ目に還元していることになるわけでございます。いろいろ聞くところによりますと、二つの発電所による熱水の還元量は毎時大岳で三百五十トン、八丁原で二百五十トン、合計六百トンということだそうでございますが、八丁原の発電所が営業運転を開始いたしまして、いわゆるフル稼働いたすことになりますと、フル運転することになりますと、両発電所における熱水の還元量の合計は現在の約二倍の毎時千二百トンになると言われております。  しかし、還元井に注水を、つまり水を注ぐということをずうっと続けておりますと、時間の経過とともに井戸の壁、孔壁、穴の壁と申しますが、孔壁にシリカが付着いたします。それからまた岩石の割れ目にもシリカが付着いたしまして、いわゆる目詰まり現象を起こし、地表から地下に水を入れても、その井戸はすでにもう水を受け付けなくなるということになります。還元量は、年間——そこで当地におきます還元井の還元量は、年間十数%の減少率を示しているそうでございますが、そういうことでだんだんだんだん還元井が役に立たなくなって、やがて幾ら水を入れても水を吸い込まなくなり、還元量はゼロになる、つまり還元井が使用にたえなくなるわけでございます。そこで、先ほど申しましたように、次から次へと還元井が新しく掘り直され、別の岩石の割れ目に水が注がれることになるわけでございますけれども、先ほど申しましたように、大岳ではすでに二本の補充井が掘られているという状況でございます。  ここで問題になりますことは、熱水を注入すべき岩石の割れ目のあり方、すなわち割れ目がどのような方向に、どのくらい延長しておるか、あるいはその割れ目の幅はどのくらいであるかといったことや、それから還元井が掘られております場所の地下の岩石の重なり方、あるいは地質構造、そういうものが二つの発電所の場合、果たしてどの程度明確に把握されているのかということでございます。こういうことがある程度はっきりわかっておりますと、このぐらいの熱水を地下に戻すのであれば地震を引き起こさない程度で、引き起こさずに済む程度の、いわゆる安全注入量あるいは適正注入量というものが理論的に解明され得るわけでございますが、そういうことが果たして明確にわかっているのかどうか、私は残念ながら浅学非才でございますので、そういう点については存じておりませんが、ともかく、安全注入量ないしは適正注入量といった概念が、ほとんど、あるいは全く考慮に入れられることなく、熱水の地下注入が続けられていたとすれば、このことはやはり地下水のあり方を大きく人工的に変えていることになります。それはとりもなおさず、場合によっては地震の原因にもなり得るのではないかというふうに考えるわけでございます。  さて、これは、ダムに水をためますと地震が起きるということは、最近、比較的ごく多くの例によってわかることになりました。それで同じように次から次へと還元井が掘られ、熱水の地下注入が際限なく続けられていきますと、地熱発電所の所在地及びその周辺の地域の地下の岩石の割れ目あるいはすき間は次第に高圧の、高い圧力を持った水で満たされるようになり、また乾いておりました岩石がぬれるようになりますので、それはとりもなおさず、ダムに水をためると地震が起きるという例と同じように、地震が頻発するおそれもまたあるのではないかというふうに思うわけでございます。  以上に述べましたように、地熱発電所を運転するということは、地下水のあり方に変状を来たす、変化を与えるという結果になることはこれはきわめて明白でございます。しかし、ただこれが直ちに地震の引き金になるかどうか、これはまた全く別問題でございますので、その辺のところを、私の問題提起を受けてひとつ地震学あるいは地下水学、そちらの方面の御専門の方が詳細にお調べいただきになれば非常に幸いだというふうに思います。  それで、ここの場合は、先ほど早川教授の御指摘もございましたけれども、むやみやたらと地下から熱水を取り出すと地盤沈下のおそれもあるというような早川教授の御指摘もすでにございますが、この場合には二つの発電所の基礎岩盤がきわめてかたい安山岩からなっております。この安山岩が地下数百メートルないし千メートル内外の深いところまで厚く発達しておりますために、生産井を掘りまして地下から蒸気や熱水を大量に取り出すことが原因となっての地盤沈下あるいは土地の陥没ということは、この場合には私は心配は余りないのではないかと思います。何となれば、先ほど申しましたように、ここの基礎岩盤はきわめてかたい安山岩からできている。しかし、還元井を掘って熱水を地下に際限なく戻していくということについては、やはり若干の、あるいはかなり多くの、大きな危惧を抱かざるを得ないというのが私の考え方でございます。  ここで考えられますことは、たとえばアメリカ合衆国コロラド州のデンバーというところに、これはロッキー山脈のふもとに抱かれた高原都市でございまして、物の本によりますと、従来は有感地震が年に一回あるかないかという土地であったということでございますけれども、一九六二年の四月ごろから微小地震が頻発し始めまして、その年の末には人体に感じるようなものまで起こるようになったというふうに言われております。そこで、その地震の原因をいろいろな角度から調べてみたところ、このデンバー市の郊外に兵器工場がございまして、その兵器工場で大量の廃液を捨て場がなくて、圧力をかけて地下にポンプでもって入れておった。そのことが原因で地震が起きたということが明らかになったというふうに言われております。すなわち、注入いたしました廃液の量と地震発生回数との間にはみごとな相関関係がございまして、廃液の注入を一時中断したときには地震発生回数も減少いたしましたけれども、この廃液の注入を再開いたしますと地震発生回数がまたふえてきた。それから、注入した廃液の量を増加すると地震発生回数はさらに増加したということが判明したと言われております。  それからもう一つは、これは廃液を入れたということではございませんけれども、ダムに水をためると地震が起こるという例といたしまして、これは黒四ダムでもそういうことがあったということでございますが、インド西部のコイナダムに被害を与えた地震がございます。このコイナダムに被害を与えた地震の原因は、とりもなおさずダムを建設したこと自体であるというふうに言われております。この地方は有史以来、地震発生した記録をほとんど持っていなかったというところだそうでございますが、コイナダムが完成いたしまして貯水が開始された年の翌年から、しきりに地震発生するようになった。つまり、水がたまっておりますダムの底の岩盤の割れ目を通して貯水された水が地下に浸透したということがどうやら地震の原因のようでございます。  これはどういうことかということにつきましては、大体いま言われておりますことは、岩盤の割れ目を満たして地下に浸透いたしました水の圧力は岩盤に浮力を与えるわけでございますが、岩盤の割れ目を水が満たしている状態というものは、水中に岩盤が浮いている状態でもあるわけでございます。それで、水の浮力の分だけ岩盤の目方が軽くなるわけでございますけれども、重い岩盤の下で身動きできないような形でたまっておりましたひずみエネルギーが、軽くなった岩盤を突き破って地震発生させる、地震のエネルギーが出てくるというふうに言われております。そしてダムの水位が上がりますと、水圧も高くなり、それから地下に浸透する水の量もふえますので、ダムの直下部あるいは周辺部では地震発生回数がふえるというふうに言われております。それから、岩石が水にぬれますと強度が低下するということは、これは一応常識になっております。水にぬれている岩石は、水にぬれていない岩石の六〇%、七〇%の圧力で破壊されるというふうにも言われております。あるいは岩石の摩擦抵抗のために、断層面で滑り動くはずの岩盤が滑れないでいたところに、ちょうどその断層面に水が入ってきて、その断層面が水でぬれますと、摩擦抵抗が減少してその断層に沿って岩盤が滑り動きやすくなるということで、やはり水が地下に入りますと地震が非常に起きやすいと、こういうことが従来から言われてまいりました。こういう地下水のあり方の人工的な変化、これが地熱発電所で地下から取り出された砒素を含んだ熱水を還元井によって地下に戻すという営みを通しましてそういう地下水のあり方の変化が確実に行われております。このことが果たして地震の原因になったかどうか、これは私、全くしろうとでわかりませんけれども、しかし、なってないということがもし言えるのでしたら、その証明がなければやはりいかぬのじゃないかというふうに思います。この場合、二つの地熱発電所の還元井による地下への水の還元、これが地震の原因になっているかどうか、なってないというのであれば、なってないということを、地下水についての細かい観測をすることによって、そういう問題の解決を図る必要があろうかと思います。  それから、この岩石の割れ目についてでございますが、先ほど申しましたように、熱水を割れ目から取り出す。それから、その取り出した熱水を地下に戻すのも、これはまた別の岩石の割れ目に戻すということでございますが、聞くところによりますと、大岳では還元井の割れ目とそれから生産井の割れ目とが続いているかどうかを調べるために還元井の中に塩を入れたということを聞いております。それを入れまして、もしその入れた結果が還元井の割れ目と生産井の割れ目とが地下でもって続いておりましたら、生産井から出てくる蒸気、あるいは熱水の中に当然塩分がふえてくるわけでございますが、そういうことはなかったというふうに私は伺っております。そういたしますと、還元井と生産井との二つの井戸の割れ目は、これは地下では続いていないということになるわけでございますが、そういうことから還元井の割れ目、これは案外下の方にはずいぶん続いている可能性もあると思います。あそこら辺の地表調査をいたしましただけでも、安山岩の割れ目というのは非常に大規模に発達しておりまして、まさに割れ目だらけの安山岩から成る岩盤という感じでございますが、必ずしも、地下深くには続いておりましても、横にそれが続いているという可能性は、どうも必ずしもないということになりますと、そういう割れ目の水平、つまり奥の方、あるいは横の方への広がり、そういうものをはっきり調べることがこの際一番大事であろう。そういうものがはっきりわかれば、どのくらいの程度まで還元井による熱水の還元ができるのか、それからまた、還元井がどのくらいでもってくたびれて一応だめになるのかということ、それから先ほど申しましたような安全注入量、あるいは適正注入量、そういったものの理論的な解明もできるのではないかということでございます。  あれやこれやと申しましたけれども、私にとりましては、まだこの問題については、単に大胆に問題提起をいたしましただけで、わからないことだらけでございます。とは申しましても、水が地震を引き起こすいわば引き金の役割りを果たすということは、ほかではかなり多くの例についてすでに言われていることでございますので、この大分地域におきましても、やはりそのことを真剣に考えてみる必要があるだろうということを私は強調いたしたいと思います。もう時間がなくなりましたので、これで私の公述をひとまず終わらしていただきたいと思います。
  13. 工藤良平

    委員長工藤良平君) どうもありがとうございました。  それでは次に、村上参考人にお願いいたします。
  14. 村上處直

    参考人村上處直君) ただいま御紹介にあずかりました村上でございます。  私のテーマは、都市計画サイドから見た地震対策と申しますか、いままでの諸先生方のお話とかなり種類が違った話ではないかと思います。特に大都市地震問題を中心に考えていきたいと思います。私の事務所の名前でございますけれども、防災都市計画という名前を使っておりますけれども、これの一つの意味と申しますのは、やはり災害現象を鏡にしながら都市計画を考えていこう、そういうことを一つ考えております。  災害というのは、人間社会が人間のそれぞれの約束事でいろいろなことを決めておりますけれども、一たん災害が起こりますとそういう約束事というのはほとんど関係なくある空間を占有してしまいます。そういう意味の中の最も最大の災害地震ではなかろうかと考える。日本における地震対策のきっかけといいますか、初期のころの動きと申しますものは、明治二十四年の濃尾地震の後、震災予防調査会というのがつくられて、そのときに、濃尾地震というのは、はっきり申しまして、今日言います都市災害的な様相というのをかなり示して、その当時の記事によりますと、とにかく文明開花がかなり進んでくるとどうも人間社会というのは地震に対して弱くなって、思わぬ災害が起こってくるじゃないか、そういうことを考えているわけです。そのことから、災害から学ぶために震災予防調査会というのがつくられたわけです。幸か不幸か、その後関東大震災まで大きな地震というのが余りございませんのでまあ都市災害と申しますか、そういう災害起こっておりませんけれども、関東大震災はきわめつきの災害が起こったわけです。で、はっきり申しまして、私がいまこういう地震問題についてこういう形で述べておりますけれども、大正十年ごろのいろんな雑誌とか何かを見ますと、やはりその当時でもそろそろ地震が来るんじゃないかと、まあ来るとしたらどんなことがあるんだと、対策としてはどうしなければいけないんだと、そういうことは先達がほとんど正確に述べております。で、それと同じような状況か、それともまだ地震の危険というのは先にあるのか知りませんけれども、一番最初に、都市地震問題を考えるときに一番重要なことは、都市にとって地震は何かということじゃないかと思うのです。それは、いままで世の中で地震といいますと、非常に地震を自然科学的に研究する、そういう研究の部門というのは相当に進んでおりますけれども、はっきり申しまして、都市地震と申しますものは、原因が都市の側にあって被害が大きくなるわけです。さっき言いました、生越先生が説明されたような引き金説がございますけれども地震一つの引き金でしがなくて、その後やっぱり都市災害と言えるような災害が展開してまいるわけです。そうしますと、やはり現実に起こってくるその地震災害というのを都市としてとらえたときには、単に物的な被害というようなことで被害を見ることはできないわけです。  最近、中南米とか、大分あちらこちらで地震ございますけれども、そういう地方の地震が起こりましたときに日本の社会の大抵の考え方というのは、ああいう地方は、何と申しますか建物が耐震的でない。少なくとも日本に比べてはずっと耐震的でないし、ああいうどろを積み重ねてつくったような家はつぶれるんだと、だから壊れるのはあたりまえであると、そのために学ぶことは余りないのだから行ってもしようがないというような感じがございますけれども、もし都市社会といいますか、人間社会が地震というものによってあるひずみを受けて、その中で死んだり、生きたり、助かったり、けがしたり、いろいろしますけれども、その後どういうふうな形で都市の社会、人間社会が回復していくかというプロセスは大いに学ぶべきことがあると思います。そういう意味で、今日たとえば日本で地震対策とか、そういう災害対策をお立てになる側の方は、やはり社会災害と申しますか、人間の世界がそういう地震によってひずみを受けて、そういうひずみからどういうふうに回復していくか、そういうことをやはり根本的に学ばない限り、都市震災対策というものは本来的にできないと思います。で、やっぱりそういう人間の社会を支えるものというものは、はっきり申しまして構造物でございますから、やはり構造物が地震に対して安全であるべきだというのは非常に基本問題でございますけれども、今日たとえば日本で一番恐れられております地震による災害はやはり火災でございまして、火災はたとえ地震による被害がそれほど大きくなくても、やはり大きな被害をわれわれの社会に与えてしまいます。そのことは、関東大震災のときにもやはりいろんな雑誌が後から出たり、いろんな先達がいろんなことを書かれたりしているのを読んでおりますと、地震は大したことはなかった。本当に大したことなかった。特に東京なんかでありますと、百軒のうち一軒か二軒ぐらいしか壊れてないわけですから、そんな大したことないわけです。その後に発生いたしました火災、これは地震を引き金にして起こりましたけれども、その火災によってあれだけ十万近い死者を出すような被害に発展していくわけです。今日の社会を見ますと、大正十二年のときの関東大震災当時と比べまして明らかにいろんな意味で危険な要因をわれわれは抱えているわけです。  それで地震対策が非常にむずかしい問題でございますのは、はっきり申しまして、都市が成長してまいります。関東大震災の東京というのはどれだけの広さであったか、皆さん御存じだと思いますけれども、とにかく錦糸町あたりから向こうはまだたんぼの中に工場がぽつぽつできていて、ほとんどまだ家はそろってない。それからこちらに参りますと四谷三丁目からこっちは畑の中に屋敷があったりして、まあ宿場町もございますけれども、それほど市街化してない。そういう状況の中で地震がまいりまして火事が起こって、それでもなおかつあれだけの死者が出ておるわけです。ということは、当時は少なくとも二キロぐらい歩けばたんぼに出るとか畑に出るとか、そういう地震の火災から安全な空地というのをわれわれの社会は持っておったわけですけれども、それでもそれだけの被害が出ておるわけです。ところが、今日そういうような空地を都市の中に探そうと思いますと、ほとんど探せない。都市地震対策をやるためにはどうしてもそういうものが必要である。今日の地震対策の流れというのは、そういう都市大火があってもどうも逃げる場所がないじゃないか、だから避難地をつくらなきゃいけない、避難場所を決めなきゃいけない、そういう形になっております。これははっきり申しまして、どちらかと言えば負け戦の地震対策でございまして、関東大震災のときにその程度の市街地の広がりであったにかかわらず、あれだけの方が亡くなっている。今日、対震的でかなり不燃化されたと道路なんかを走っておりますと思いますけれども、一たんヘリコプターなんかで空からごらんになればおわかりのように、都市のどんどん薪の山というのが拡大しております。そうすると、もはや十数キロ逃げない限り本当の意味で安全なところに行けない、そんなことになってきました。  それで、日本の都市が危険じゃないかというような話が出てまいりまして、問題が提起されたのは昭和三十五年ごろだったと思います。それは、日本というのは、関東大震災、それから戦災という二つで関東地方——東京、横浜、みんなまる焼けになってしまったわけですけれども、気がついてみますとまた木造の密集市街地が広がってまいりまして、どうするんだ、そういうことから地震に対する問題提起がなされました。そのとき地震によって起こる火事がどれだけの被害を与えるかというようなことで提案がなされたわけですけれども、その後はっきり申しまして地震対策の本来の筋は一向に進まず、避難地を決めるとかそういう、何といいますか、設備的と申しますか、応急対策と申しますか、そういうことについての知恵はある程度できてまいりましたけれども、それから十何年たって、十八年ぐらいたって今日見ますと、その当時少なくとも危険ではなかった、まだ安全であったところがすでに今日では危険になっているわけです。地震対策を考えるときに一番むずかしいのは、そういう都市が成長していくプロセスの中に危険化の要因があるということだと思います。このことは、先ほどどなたかが、やはりそういう桜島噴火と人間社会、人間の生命の寿命のサイクルの合わないことが対策をむずかしくされているというようなことがございましたけれども、やっぱりはっきり申して地震というのは、人間のそういう寿命と、大きな地震に人間が遭遇するチャンスというのはやはりある意味では合っていないわけで、そういう意味で非常に対策が立てにくいわけです。公害対策などでありますと、日々騒音に悩まされるとか悪臭に悩まされるとか、いろんな日常的に起こってまいりますので、そういう現象に対してはわりあい人間というのは対策を立てやすいわけでございますけれども、思わぬとき、まあ六十年に一遍とか百年に一遍、そういう形のときに起こるような災害に対してはわれわれ非常に弱いわけです。  そういういわゆるきっかけだけを見る限り、百年に一遍起こるんだからこんな町づくりでもいいやということもあるかもわかりませんけれども、はっきり申しまして今日の都市社会は危険を日々ふやしていっているわけです。さっき生越先生の話の中にありましたけれども、適正注入量というのが出てまいりましたけれども、やっぱり都市においても適正人口とか、適正何とかとか、いろいろあるはずでございます。そういうことの閾を越えて都市がどんどんどんどん広がっていったり、いろんな危険物を抱えたり、そういう中で地震対策を考えるわけでありますから、これは非常にむずかしい問題だと思います。  私がきょう与えられました問題は、都市計画のサイドからということで地震対策考えてみろということでございますけれども都市計画ということになりますと、どちらかといえば、地震対策のうち予防対策的なことが一つの柱ではなかろうかと思います。私はこういう仕事をやり始めましたきっかけというのは新潟地震でございまして、その新潟地震によって近代都市が大きな災害を受けてしまった。その後やっぱり地震都市社会の関係ということについて深く考えなきゃいけない。そのときの河野建設大臣が軟弱地盤の上に都市がずいぶんあるみたいだから、その都市のことを考えようということで考え始めたわけですけれども、そのために皆さんも御存じなように、たとえば東京では江東地区の防災拠点構想とか、そういうことをやっております。ところが、よくよく考えてまいりますと、これは最近、前から考えていたんですけれども、よく考えてまいりますと、地盤が悪いことと人間社会がその悪い地盤の上に乗ることの本質的な議論というのがいつの間にかなくなってしまって、地盤の悪いところにできている都市対策ということになっているわけです。そのことは非常に重要な問題で、先ほど九州の大分のお話が出て、四百ガルぐらいの力、加速度が加わったというお話がございましたけれども、やっぱり東京のような広大な都市の中で地盤の性状というのはいろいろ起伏がございます。いいところ、悪いところたくさんございます。そういう中に基盤面に同じような地震が入りましても、上の方で受ける地震動といいますか、そういう地盤の揺れる大きさというのは相当変わってまいります。そうすると、やっぱり悪いところは、はっきり申しまして相当にきつい加速度を受けなければならない状況が起こると思います。そういう地盤のよしあしと上の構造物の関係というのは本当は新潟地震は提起していたのではなかろうかと考えるわけですけれども、それを東京の地震対策に持ち込んだときに、地盤の問題でいうのはそれほどその当時十分な検討がなされてなくて、学者、研究者の間では相当議論はされていたようでございますけれども、まだ社会的にそれの問題を取り上げるほどじゃなくて、東京の地震、火災の対策というようなことで江東防災なんかが進んでいったんじゃなかろうかと考えております。これは一つには大切なことで、そういう形の一つの建設行為というのが起こったことも大事なことでございますけれども、よくよく考えますと、その後気づいてみると、そこにせっかく避難地としてそういうものをつくろうというような努力をしながら、一方では都市がどんどんどんどんまた危険化を増している。その辺の都市の成長と申しますか、時間軸で考えた中でどういうふうに考えるかということをやっぱり都市計画サイドははっきり考えなきゃいけない。さっきの大正十年ごろの雑誌にも書いてございますけれども、はっきり申しまして都市でこれだけ過密に住んで地震に対して安全にするためには少なくとも不燃化の道を歩まなければならないはずでございます。ところが、日本はその不燃化のチャンスというのをいつも逃しているわけです。それは現実にはある程度不燃化ができて相当できておりますけれども、はっきり申しまして都市大火から見て役に立つような形での不燃化の路線というのは今日でもまずないと思います。  これから先必要なことはやはり都市を、そういう地震災害ということをすなおに学んで、それからどうあるべきかということを考えたら、どことどこをどういうふうに不燃化しなきゃいけない。そうすると、それをどうやって不燃化すればいいかということを真剣に考えない限り、やはりこれから先起こる関東地方の地震、日本のどこででも都市がある程度過密化したところで大きな地震が起これば、そういう問題が起こると思いますけれども、そういう問題の解決にならないと思います。はっきり申しまして都市の住まいと申しますか、都市に住むための住まいというのをわれわれは持ってないんじゃないか、そんな気がいたします。  それでもう一つ、そういう都市が成長するということも一つ大事でございますけれども、もう一つ大切なことは、いままでの地震対策というのは都市大火にこだわっていたと言えばおかしいんですけれども、さっき一番最初に申しましたように、人間社会が地震によってひずみを受けて流れていく、生活していくわけですけど、そういう地震が起こった後のいろんな時間軸の流れというのも非常に重要な問題ではなかろうかと思います。そういう時間軸の中で問題をいろいろ考えておりますと、やはり平常時に使っていますわれわれの都市施設というものがいろんな意味で破壊されたり、いろんなことになって、そういうひずんでしまった都市空間を異常時に活用して、われわれはまた都市社会、人間社会を回復していかなければならないわけですけれども、その辺の問題というのは火災問題だけにこだわっておりますとなかなか解決がつかない。どちらかと言えば人間社会のあり方と申しますか、そういうことをかなり考えていかなきゃいけない。震災対策都市計画サイドから見ての一番の大切な点と申しますのは、災害問題というのは、最初に言いましたように、いろんな空間領域、施設領域を崩落して起こってくるような現象でございますので、いろんな施設間が、やはりお互いが助け合うような形というのが必要であるわけです。そうしますと、実際に地震時に、あるものが有効になるためには相当平常時からお互いが協力するような体制の中で協調性を持った総合体制を持たない限り地震対策はできない。そういう意味で、はっきり申しまして、予防的な意味での災害対策を立てようといたしますと、相当にそういう意味の基本的な問題あらゆる政策の基礎として地震対策というものが必要ではないか。災害対策というのは基本的にそういうあらゆる政策の基礎に置かれて、そういういろんな政策の総合性を上げるために、それは国レベル、自治体レベル、個人レベル、すべて含めてですけれども、やはり提案すべき問題を持っていると思います。やっぱり人間社会にとって安全というのは基本問題でございまして、先ほど桜島のときに人命だけはというお話がございましたけれども、これは非常に重要なことで、私は中南米で地震が起こったときに現地に飛びますけれども、はっきり申しまして人間が死んでしまう、死んでしまうという死んだ側の人というのは、どちらかといえばもうボデーになってしまって余り関係ございませんけれども、ある人が死んだときに、その人が社会的な影響力が大きければ大きいほどやはり社会の悲しみは大きいわけです。そういう意味で、やっぱりいろんな現地で地震が起こったときに、その社会が持っている世界とのかかわりと申しますか、もうちょっと広い意味での社会とのかかわりと申しますか、そういうことが大きければ大きいほど人間社会というのは非常に大変な被害というか、悲惨な状況に陥っていくわけです。やはり都市社会で一番重要なことは、そういう何といいますか、残された人間の回復する気力をどういうふうにしてあと持つかというようなことを考えますと、やはり人命だけ失わないということは非常に大事で、物が壊れたという場合に対しては人間はかなりあきらめがつくと申しますか、これだけ大変なことになったのに自分たちだけは助かったというようなことで非常にあきらめを持っています。  で、つい最近、ことしの二月四日にございましたグアテマラの地震の現地に行ったときも、現地の人たちとお話しいたしましたけれども、家族がとにかくけがぐらいで済んだ、だれも亡くなっていない家族の方と、やはり奥さんも子供もみんな亡くなったような家族の方とお話ししているときに感じるんですけれども、やはり残された人間がいかに大変かということを考えるわけです。結局残された人間が、地震の後どれだけの形で、どういう生活をして回復するかというのは、その地震の程度、被害の程度に大きく関係するわけでございますけれども、はっきり申しまして、今日、地震被害に対する予測ということは科学的なデータではできませんけれども、少なくともわれわれは小さく小さく考える癖を持っております。それはなぜかと申しますと、はっきり言って、地震災害を社会災害的にとらえようとか災害から学ぶというようなことじゃなくて、われわれがいままで災害をどういうふうに生かしてきたかというと、やはりその災害から物をつくるためのいろんな情報が欲しいというようなことで災害から学んでおります。そういう観点から災害に学んでおりますので、何かいろいろ人間がやっておりますことを、それが悪く展開していくような場合の想定というのは非常にむずかしいわけです。日本の社会は特にその辺がむずかしいようでございまして、幸運にも、ある災害が一次災害、二次災害というような展開があるとしたときに、次々と展開していかなくてうまくおさまったような場合は、その先の災害のことを基本的に考えないわけです。はっきり言って、日本で災害とか事故が起こったときに調査がなされますけれども災害調査がなされたことは一遍もないと言っていいと思います。事故原因調査とか、そういうことはやられておりますけれども災害調査とは何かと申しますと、やはりこれは一大実験でございますから、その一大実験を人間社会に生かそうとすると、とことんまで現実に起こりました災害を学んでいく必要というのがあるわけです。そういうための動きというのは非常に弱いんじゃないか。はっきり申しまして、いろんな実験を繰り返すよりも現場から学び取ることというのは非常にたくさんございます。そういう意味で、私がいままでやってまいりましたことは、都市計画の中で災害問題を生かそうということでございますけれども、そういう災害調査がないということで、現実の災害を見ると災害から学ぶということをかなりやってまいったわけでございます。  で、災害調査必要性で、とにかく一番私が元気づけられたと申しますか、ショックを受けたと申しますのは、一九七一年のロサンゼルス地震のときに、現地に亡くなった河角先生にお供しまして行ったときに、現地には、一九三三年のロングビーチ地震のときに、たとえば学校建築の安全性に関する委員会といいますか、そういうコミッティーがつくられて、その下に技術集団が張りついていたわけですけれども、それがいまでも継続しているわけです。日本の場合だと、災害原因を調査して、終わってしまうと終わるわけでございますけれども、その災害をいかに社会に生かすかということを考えますと、やはり非常に粘り強いそういう研究と申しますか、調査と申しますか、それからその後の、自後の手当てというものが必要でございます。今日でもそういう学校安全のためのグループというのがあって、そこでいろんな設計が上がってきたのをかなりチェックしていろんなアドバイスをしている。これは三十何年たってもまだやっておるわけですから、そういう意味で非常にショックを受けたわけです。そういうことが日本にはないということ。ぜひこれから先、やっぱり起こってくる災害を人間社会——社会に還元するためにはそういう災害調査のための研究機関とか研究体制の充実というのはどうしても必要で、それは相当しつこく恒常的に研究していかない限り、なかなかむずかしい問題を持っているんじゃなかろうかと思っております。  それからもう一つ、イギリスの例でございますけれども、イギリスではパブリック・インクワイアリーというような制度が十数年前からできて、それはある程度大きな規模災害が起こったときには、とにかく国を挙げてその災害調査をやろうというような動きでございます。で、その中で、はっきり申しまして、その起こっている災害現象からどれだけ人間社会が学び取るかというようなことを非常に真剣に考えていっているわけです。  日本の場合、どちらかと申しますと、何かやってしまって終わってしまうわけですけれども、本来大切なことは、継続的にそういうことを続けることと、それに張りつく研究者がやはり長くそれをやっていてもやりがいがあるような形の形態を整えない限り、その日暮らしと言ってはおかしいですけれども、やはりどうしても起こったとき起こったときにしか問題を提起できないような感じになってくるんじゃないかと思います。やっぱりそういう意味で、日本の社会が地震災害をいかに社会化するかというのが一番大切な問題で、関東大震災のときに東大の地震研究所というのがつくられて、初期のころはその震災予防調査会の一つの動きというのをかなり踏んでいたわけですけれども、なかなかそういう動きがうまく構築されていかない。それは人間社会が一つはだんだん災害を忘れていくという特性を持っているわけで、その辺が非常にむずかしい問題でございますけれども、これから先、日本の震災対策とか災害対策を考えるときにぜひ必要ではなかろうかと思うわけです。  それから地震対策には都市計画サイドから——都市計画というのをどういうふうに定義したらいいかというのは非常にむずかしいと思うんですけれども、非常にソフトなこと、ハードなこと、すべて含まれておりまして、やっぱりただ物的に何かを用意いたしましても、それを使える人間がいるかいないか、いろんな意味でむずかしい問題がある。たとえば今日の都市なんかを見ますと、河川なんかはだんだん、ちょっととした小さな河川はどぶ川みたいになってしまって、それが暗渠化されていくような形で下水道みたいになりますけれども、関東大震災のときに助かった神田の和泉町とか何かを見ますと、やはり裏にちょっとした川が流れていて、その川の水をちゃんとだれでも利用できるような形の水がそろっていたということとか、それから、たまたま風向がうまく変わってくれたとか、いろんな条件が重なってそういうことが成り立っているわけですけれども地震対策を考えるときに一番大事なのは、やはり最後は、人間が手を尽くして地震災害と戦えるような都市社会をつくらない限り本当はだめだと思うんです。で、いまの地震対策が一番欠陥を持っておりますのは、やっぱり避難対策と申しますか、逃げの対策と申しますか、完全に追われて逃げる話だけに終わっております。その逃げる話を全ういたしますためにも、やはり地震災害に対して戦うような、攻め側に回るような装置というのを都市が十分に自然の状況も生かして持ち込まなきゃいけないという感じがいたします。  これから先、やはり地震対策として非常に重要なことは、一つ一つ施設として見ると、都市耐火というようなことから考えると、余り強くないかもしれないけれども、まあそれが、人間がうまく活動できるようなことと一緒に考えると、非常にうまくいくというようなものをやっぱり都市の中にそろえていって攻め側の地震対策をやる必要があると思うわけです。はっきり申しまして、私、江東の再開発を担当したり、その後防災遮断帯と申しますか、ああいう危険なコンビナートとの間にああいう空地を設けなきゃいけないというような仕事に携わったり、いろいろやってまいりましたけれども、はっきり申しまして、都市が成長するということの中に危険ということの要因があるとすると、そういう危険に成長していく都市をそのままにして何か設備的な物をほうり込んでいくことのむずかしさというのをつくづく感じるわけです。ですから、そういうどうしても危険だから何かそういう設備的な物を入れなきゃいけない地区一つはございますけれども、もう一つは、やっぱり日常的な都市開発の中でやはり都市が安全になっていくような仕組みというのを持ち込んでいきたい。それから、今日はまだ空地がたくさんあって危険じゃないんだけれども、地盤が悪くて、ほっておくとだんだん建て売りとかなんかで埋まっていってしまって危険になるようなところをどういうふうに考えるか、そんなことも非常に重要じゃないかと思うわけです。それで、ですから、地震対策を考えますと、町の中にございます道路とか、それからいろんな橋とか、それから建物とか、あらゆる物が総がらみでやはり地震対策を支えていく一つ一つの財産であるというふうに考えなければならない、そういう都市構築全体の問題として都市地震対策を考えていく必要があると思うのです。とはいっても、はっきり申しまして、これだけ危険になってしまった中で何ができるかということがございますけれども、過去の不燃化のいろんな流れを見ておりますと、どうも運用とか何かがまずかったために、せっかくいい制度が途中で立ち消えになっていくようなことがございますけれども、過去にやはり本当にそういう地震災害とか火災とかを考えて先達が考えられたような法制度をもう一遍今日の社会に適合するように考え直して生かしていくようなことというのがどうも必要じゃないか、そんな気がいたします。  それから、いろんな施設が絡む問題の中で一番問題となりますのは、たとえば避難地をつくって、避難路をつくろうと、そういうことを考えた場合に、その避難路をつくろうとしているところが、現実には木造の建物で狭い道路であるような場合に、たまたまそこが都市計画決定なんか道路の設定がされておりますと、不燃化するということと道路ということが二つ絡まりまして、なかなか不燃化の筋に乗らないわけです。で、そうこうすると、その地元の方の人たちの考えですと、われわれがいろんな地震の危険について申しますと、とにかく不燃化したいのだ、だけど道路がここへ決まっているのでどうしようもないと、そういう問題が出てまいります。そうするとはっきり申しまして、道路都市社会とはどういう関係にあるのだというようなこともやはり根源から考えていかなきゃいけないし、そういう意味で地震対策から見ると、既存のいろいろ行われております都市計画のいろんな財産と申しますか、われわれがいままで構築してきたいろんなそれぞれの物を地域の住民のいろんな動きと考え方と重ね合わせていろいろ評価するようなことというのをやっていかない限りむずかしいのじゃないか。まあ道路は決まっているけどなかなか道路はできない、だけど建て直したいのだけれども道路があるために道路の方がうまくいかないとこっちもうまくできない、その辺が非常にむずかしい問題だ。これは大正八年に都市計画法ができたときの担当者だった芳川さんという方が、都市計画を考える中で一番大事なのは、やっぱり家屋の不燃化というのが家屋の規制の問題だということがあるけれども、それに対してかなり意見を述べていらっしゃる方がいるけれども、とにかく今回は道路とか河川、橋梁にとどまってしまった、それは非常に残念なことだけれども、おのずとそういうふうな都市の基幹的な施設ができ上がれば、まあ家屋もちゃんとした都市の家屋になるんだろうというような何とも言えないような文章がございますけれども、その辺の感覚とその後の日本の都市計画の歩みというのは非常に一致しておりまして、やっぱり都市地震対策というのを考えますと、やっぱりもう一度、その辺で議論された問題をもう一遍繰り返して、都市の中の日々の開発行為の中に、やっぱり地震対策防災対策をどういうふうに盛り込んでいくかという議論を含めていく必要があると思うわけです。  ですから、道路の問題とか家屋、特に大切なのは個人個人の家屋が不燃化しない限りむずかしいわけですけれども、今日われわれが持っております都市を不燃化する財産というのは、いわゆる家屋を不燃化するということについてはそれほど十分ではなくて、どちらかと取えば駅前の再開発とか、それから限られたところ、経済的な力のあるところだけの不燃化にとどまって、先ほど申しましたように、空から見ますと、一枚裏はもう木造の薪の住宅である、そんな状況になっておるわけです。木造が——まあ確かに不燃建築物もふえておりますけれども、はっきり申しまして東京でも毎年どんどん木造建築も建てられております。特に外周部、練馬とか杉並とかあのあたりの木造建築のスピードは大変なものでございまして、そういう意味で昨年ですか東京消防庁のレポートでも見られましたように、ドーナツ的に危険だというようなことが出てまいりました。で、そういうふうな形で都市が形成されていく一つの動きに対して、都市基本的な問題から、やはり震災対策をベースに置いてこれから先どう考えるか。そうすると、すでに危険になっているところ、それからだんだんほうって置くと危険になってしまうかもしれない、目詰まりになってだんだん危険になっていくようなところと、それからまだほとんどいまは人間は立地していないけれど、これから先もしそういう悪いところに立地したとしたら、いろいろな問題を持ってくる問題などはどういうふうに考えるかということが非常に重要だと思うのです。  いま、ある地域の地盤と人間の集落の関係とか、それから建物の関係の調査をちょっとしていますけれども、はっきり申しまして、たとえばある一つ道路がすっとできる、それからある一つの鉄道がすっとできる。そうすると地盤のよしあしと関係なくやっぱり人間の住まいが張りついてまいります。公共投資サイドから、やはりいろいろな問題をやるときに、どちらの方に戦略的に都市を広げていくかというときに、やはり地盤の問題というのは根源的に大事な問題だということをもう一度見直していく必要もあるのではなかろうかと考えます。それから、都市計画サイドから、これはロサンゼルスの地震のときも指摘されましたけれども、いざというときに非常に重要な施設地震で壊されてしまって、たとえばロサンゼルスのオリーブビュー病院の救急自動車の車庫がつぶれてしまって救急自動車が出られないとか、そんなことが起こるわけですけれども、やはり地震問題を考えますと、都市の中の施設というのは、地盤条件と建物ということもございますけれども施設の使われ方とか、異常時にその施設をどういうふうに活用するかということを含めて考えますと、やはり大切な建物には、重要な建物にはある強さを持って十分に、いざというときに活躍してもらわなければいけない、そういう状況があると思います。その辺の問題をどういうふうに考えていくかというのが非常に大事な問題だと思います。  私は、きょうは提案というようなことは余り持っておりませんけれども、とにかくできるだけ都市の中にあいた空間をつくりたいというのが私の望みでございます。ところが、今日いろいろ、たとえば空地があいてまいりますとどうしてもある目的的な利用計画がない限り、その施設をなかなか公共サイドで保有することは困難でございますけれども、はっきり申しまして、都市地震対策を考えますと、無目的でもいいから空地を買えるような何か起債と申しますか、そういうものが地元にできてくるようなことというのは非常に大事じゃないか、それが結果的には都市のいろんな再開発の、いわゆる転がし方式とか何かそういうものを含めて、都市が不燃化の一歩を歩む一つの大事な起点ではなかろうかと考えておるわけです。  それから、これは関東大震災の後に実際の地震の体験を持たれた東京市の技術者の方が、とにかく都市の全面不燃化はできない、とにかく学校だけは不燃化して耐震的にしようということで、東京の古い小学校なんかはかなり丈夫に耐震化されて、学校を耐震化するだけでなくて、そばに公園を持ってくるとか、それからよく調べますとそばに病院があるとか、いろんな意味でそういう施設がお互いに寄り添って競合的に存在しているわけです。これは、今日の日常的な行政のいろんな縦割りの中から見ますと、まあ学校と公園と病院とかいうのは全然別の行政でございますので、何ゆえに一緒になっているかということがわからないために、ある病院が手狭になって郊外に出ていくとその後が駐車場になると、そういうふうに変わってまいります。だけれども、はっきり申しまして、都市地震対策防災対策とか大規模地震被害に対して都市を強くしようというようなことを考えますと、やはり都市の中にあるいろんな施設がやっぱりそういうふうにお互いに協力して、ある強さを発揮できるようにしなければならない。はっきり申しますと、たとえば学校をどういうふうにいざというときの地震対策の核にできるんだ。まあそういうテーマがもしあったとしたら、学校だけで足りないときにはどうするんだと、いろんな問題があるわけです。そういうあたりで地震というような災害を鏡にしてまいりますと、日常の、ふだんの行政ではそれほどお互いに話し合いをすることが必要でない問題もやっぱり一遍俎上に上げて考えていかなきゃいけないという問題が起こると思います。やっぱり地震対策というと設備的に何か都市大火に対して強いものをつくるんだということだけじゃなくて、やはりそういう意味でいろいろお互いに考え合っていこうということとか、それから現実にそういう困難な問題を解決する中で、新しい都市のあり方に対する一つのいい提案が出てくる、そういう意味でいろいろな事業というのはやっていくべきじゃないか。で、いま大変に……。まあ時間が参りましたので、あと少しでやめますけれども、とにかく大切なことはいますぐに的確な地震対策というのができるかできないか、むずかしい問題でございますけれども、現実に普通の行政から考えると、まあ絡まった問題という非常にむずかしい問題を含んでおりますけれども、その絡まったむずかしい問題を一遍地震という場にのっけてみんなで議論して、その中から一つでも二つでも何か解決の道を見つけようというような動きをやはり都市計画の中でもつくっていっていただきたいというのが一番大切な問題ではなかろうかと思います。  時間が参りましたので……。
  15. 工藤良平

    委員長工藤良平君) どうもありがとうございました。  それでは、参考人方々に対する質疑は午後に譲ることといたしまして、午後一時十分まで休憩をいたします。    午後零時三十二分休憩      —————・—————    午後一時二十三分開会
  16. 工藤良平

    委員長工藤良平君) ただいまから災害対策特別委員会を再開いたします。  休憩前に引き続き災害対策樹立に関する調査を議題とし、火山及び地震対策に関する件について調査を行います。  それでは、参考人方々に対して質疑を行いたいと思います。  質疑のある方は順次御発言をお願いをいたします。  きょうは、目標は大体三時ごろまでに置きたいと思いますので、後、発言につきましては順序その他不同で、フリーで討論をいたしたいと思いますので、あらかじめ委員長に発言を求めて御発言をいただきますれば自由に発言をしてもらいたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。  それでは、どなたからでも結構でございます。が……。
  17. 柄谷道一

    柄谷道一君 最初に、村上先生に二つほどお伺いをしたいと思いますが、先生は、今日までの防災対策はいわば負け戦の対策である。私も現状においてはさいの河原で石を積むような防災対策ではないかということを感じているわけですが、先生は御指摘の中で、都市全体の耐震化ということは、これはまず不可能な問題である、学校、病院、空地、公園、こういうものをセットをした一つの防災地帯のブロック化というような発想の御示唆があったわけでございます。まことに示唆に富むことだと思うんでございますが、現在そういうブロックの定めもなければ、この中に含まれる学校、病院等についてその建築基準等についても別段の配慮はされておりません。さらに土地につきましても、農地の宅地並み課税という問題が話題になり、むしろ空地は宅地化、細分化されていく、また逆に、相続税等によりまして相当の空地を持っている住宅が、これも細分化の方向に向いていく、むしろ都市防災という立場からするならば、ひとつ逆行するような方向にいま向いているのではないかと、こう思われるわけでございますが、その点に対する先生の御所見を伺いたいことと、もう一つは、本日の毎日新聞の社説にも書かれているわけでございますけれども地震予知と関連して、それをいかに予告をしていくかと、現状のままでは地震の予報というものが出ますと都市はパニック状態に陥るのではないか、そういうことで、社会科学的なやはり防災対策、社会科学的な視点に立った防災対策というものが必要ではないかということが言われているわけですが、この点に対する御所見をお伺いしたい。  立ったついでに、次は生越先生にお伺いするわけでございますが、わが国において発電量を確保しなければならぬということは、これはもう宿命でございます。石炭、石油による発電は、亜硫酸ガスや窒素酸化物などの排せつ物を出すと、まあこういう公害を伴うわけでございます。また、原子力の場合は放射性物質の処理ということをめぐって問題になっております。今日まで言われておるところによりますと、地熱発電というものにつきましては還流技術が相当進んできたので、かつて言われていたような砒素や硫化水素の問題というものは相当軽減されたのではないか、いわゆるクリーンなエネルギーとしていま注目を集めているわけでございます。政府の方でもその調査によりますと、現在の技術で開発可能なものは約二千万キロワット、技術進歩を考慮すると、昭和七十五年までには四千八百万キロワットの利用が可能であるというような調査も発表いたしております。これはわが国の現在の発電規模が約一億キロワットという発電総量からいたしますと、この政府の持っております発電計画というのは決して少ないものではないと、こう思われるわけでございます。先生は、この地熱発電というものが地震に影響するという断定はできないとしても、関係しないという証明がなされない以上やはりその危険があるんだというのがお話の中心であったと思うわけでございますが、この問題についていろんな学者がいろんなことを言っておられるわけでございます。この点に対して、わが国でそういう諸意見を総合して、この地熱発電と地震との関連、これを総合的に検討するようなプロジェクトなり討議というものが現在行われているのかどうか、このことについてお伺いをいたしたい。  それから加茂先生に一つお伺いいたしますのは、過般、桜島観測所を訪れましたときに、時間が非常になかったわけでございますが、現在の観測設備は必ずしも万全とは言えない、あと三億円程度の経費を投ずるならば、より完璧な火山観測ができるというようなことを漏れ聞いたわけでございますが、現在の観測設備の現状と、これをより充実させるためにどのような施策が必要であるのか、お伺いをいたします。  最後に、表先生には、大分地震に関連いたしまして、大分地方と申しますか、官庁、学者、気象庁等を網羅した機構がなかったので地震の予知ができなかったと。結果的にはこの大分地震というものが実質的なプロジェクトを組むに至ったということでございますが、これらはやがて課題の検討が終わればまたもとに戻ってしまうというのが話の筋道ではないかと、こう思うわけでございますが、引き続きまして大分地震の経験を踏まえて九州一帯のあらゆる知能を結集したプロジェクトの継続そして研究という問題について、いまどのような進展が見られているのか。  以上お伺いをいたします。
  18. 工藤良平

    委員長工藤良平君) それじゃ最初に村上参考人からお願いいたします。  それからなお、参考人の皆さんの間でもし御意見があれば、ひとつ発言を求めて御自由に発言をして結構でございます。  じゃ最初に村上参考人から。
  19. 村上處直

    参考人村上處直君) では、いまの二つの質問に対して、お答えになるかどうかわかりませんけれどもお答えいたします。  負け戦の対策というのは少し言葉が過ぎたかもしれませんけれども、現実にはかなりそういうことになるかもしれない。で、私がやっております江東の再開発の中で、これは防災拠点ということで、たまたま一つの敷地の中にいろんなものが競合して入ってくるわけです。それは地震対策ということが一つの柱になっておりますので、ただ平常時の学校管理とか住宅管理とか公園管理ということだけでは解決できない問題を持っておるわけです。ですから、そういう具体的な事業の中で、みんなでいかにしたらいいかというのを考えようと。それが江東再開発の一つの大事な柱ではなかろうか。その中でいろんな問題をお互いに検討する場所というのはできておりますけれども、いまのところ、あそこでやろうとしているのは、かなり、常に特例だということで許されているような問題がございます。たとえば学校の耐震強化の問題とか、住棟の——住棟といいますか、住宅団地の耐震強化の問題とか、それもすべて特例というようなことで許されて少しずつ前向きに検討しているわけですけれども都市の中に、基本的にはそういうブロック化された耐震的な施設群と申しますか、そういうことを構築していこうと考えますと、江東の白鬚拠点を特例とするんじゃなくて、もうちょっとそれを一般化したような形で都市の中に、あれほど大きくなくても結構ですけれども、そういう基地的なものを配置していく方がいいんじゃないか。それが逆に、都市耐火ということから、単純に科学的な計算をするとまずいかもしれないけれども、それをてこにして、——人間というのは退避する場所を持っておりますとかなり戦うことができますけれども、退路を断たれますともう一目散に逃げるしかなくなるような性質を持っております。そういう人間の持っておる戦う能力というのを生かせるようなものを、町の中にできるだけそういう施設群を競合させてうまく強化することによってつくったらどうだろうということが一つございます。江東再開発は、現実の事業としてはああいう団地開発みたいなことをやっておりますけれども、その中からそういう考え方とか何かをできるだけ実態的に学んでいきたいというようなことで進めておりますので、皆さん方の御援助をいただいてよりその方向に持っていければ望ましいのじゃないかと考えておるわけです。  それから、相続税の話とかいろいろ出てまいりました。先ほど言いましたのは、物理的物的いろんな施設の絡みの問題だけでございますけれども地震対策ということから見ると、税法とかそういういろんなことがすべて、逆に都市耐火とかいろんなことから見るとマイナスにきいてくるようなことがございます。それも、個々の自治体がそれぞれある程度の検討は始めておりますけれども、そういうことに対してもうちょっと総合的な議論ができる場所があって、そこで議論されてそれが具体的な中に持ち込まれるような場所がつくられることが、第一歩としてどうしても必要じゃないかと考えておるわけです。  それから、地震予知の問題で、予知ができたときにどういうふうに予報するかと。そういうときに都市という非常に怪物的な存在がどういうふうに対応するんだろうかということがあって、いまの時点でございますと、はっきり申しまして、その対応する手段というのをわれわれは持っていないと思います。それは、地域的な社会構造がいまの都市構造というのは非常にばらばらになっておりまして、隣は何をする人ぞじゃございませんけれども、ほとんど知らないようにだんだんなってきておる。都市化が進めば進むほど人間の社会というのはそういう性質を持ってまいります。それでは、予知がもしされて予報するというようなときに、非常に先ほどの指摘のように混乱が起こると思いますので、地域地域がそういう意味で平素から人間関係も含めて地震に対して強くなるような方向、それが即地域の環境整備とかいろんなこと、コミュニティー整備とかそういうことを含めてよりよい道を見つけるような方向へと、非常に総合的なお話でなかなか解決の道見つからないかもしれませんけれども、そういう方向にできるだけ誘導していかないと、先ほど御指摘になったようなことがある。そのためには、私も最初に述べましたように、社会科学的な視点に立っていろんな地震対策の検討を行う必要があると考えております。
  20. 工藤良平

    委員長工藤良平君) それでは、次に生越参考人
  21. 生越忠

    参考人生越忠君) お答えいたします。  大変むつかしい御質問でございますが、先生おっしゃいましたように、これから公害防止技術を発達させれば解決できる面は確かに出てくると思います、御指摘のように硫化水素の問題とか砒素の問題とか。しかし地震の問題については私もちろん断定しているわけじゃございませんで、一つ可能性があるのでひとつ専門家に検討してほしいと、私は地震学者でないのでというふうにお話しいたしましたが、安全だという証明がない場合には一応危険と思った方が安全というふうに、私前からすべてのことについて思っております。ところが、日本の場合は、どうしても経済の論理がいままで高度成長のプロセスの中で安全の論理に優先させていろんなものをつくりましたですね。コンビナートとか原発だとか。ということで、そういうことがやはり非常に危険なのではなかったのかと。たとえば倉敷の水島整油所の重油流出事故がございましたときなんかも、関係者はこういうことを言いましたですね。予期しない事故であったと。しかし、予期しない事故であったということは、まあ責任逃れでそういうことを言う場合もあるかもしれませんが、現在の科学や技術が十分災害を予知できるほど発達していなかったということの何よりの証拠なんであって、日本の科学や技術というのはそんなにいまの段階ではおめでたいものではないと思いますね。そういうことで、科学や技術を過信するということを私たちは非常に戒めなければいかぬと思います。それで私は、いままでのやり方をいろいろ見ておりますと、危険だという証明がないものは安全だというふうに思い込んでいろいろなものをつくっていったと、それで予期しない事故が起きたということがしばしばあったと思いますので、私は逆に、これだけ災害の問題が叫ばれるようになりました当今、当節は、一〇〇%あるいはそれに近い率をもって安全だという証明がない限りは、ひょっとすると危険かもしらぬということで、本当に安全なのかどうかということについての研究をもっともっと進めていくべきだということで、地震の問題につきましては確かに私もよくわかりませんけれども、先ほど村上先生がアメリカのロングビーチのお話をされましたが、あのロングビーチというところには海岸油田がございまして、それで、海岸油田でもって石油をくんでおったところが、地盤沈下したので、地表から地下に水を圧入いたしまして地盤沈下をとめたということがございますね。これが原因となって地震が起きたかどうか私存じませんが、しかし少なくとも、いろいろ文献を読みますと、地表から地下に水を圧入して地盤沈下を食いとめたところが、地盤沈下が防げただけじゃなくて、逆に地盤が若干隆起したというようなこともございます。それで、川崎の場合なんかは、もう地下水が上がっただけで地盤がかなり急速に隆起いたしまして、これは川崎直下地震の前ぶれじゃないかということで一年ほど前に大騒ぎしたことございましたね。そういうことからもわかりますように、地下水の移動ということが非常に地盤の問題に関係してきまして、それは地震の引き金になるということは十分あり得ますので、この問題については、十分まだわかっていないだけに、これから慎重な検討が必要であろうと。  それから、地熱発電が安全かどうかということについて総合討議が行われたのかどうか、これは非常にむずかしい問題で、はっきり申しまして私はよく存じません。これはたとえば東大理学部地質学科の主任教授、いま平教授でございますが、東大理学部地質学科に教授が四人おりまして、その四人の教授のうちの一人の有力な教授が日本地質学会に属していないというような事情ございまして、もうみんなばらばらの学会に入ってばらばらなことをやっておって、有力な地質学の教授が明治二十六年以来続いております地質学会を抜けて、別の会に横滑りしちゃったというようなことがございまして、こういう問題についての総合討議というのは、私の知る限りでは十分やってないようでございます。  私、ある仕事をやりますために、かつて昭和三十五年から八年まででございますが、通産省の地質調査所に、当時私、東大の助手やっておりまして、併任という形で通産省に属しておったことがございました。それで、地質調査所には私の友人、先輩、後輩、たくさんございますが、若干人脈をたどって地熱の問題なんかについてのいろいろ情報などを集えてみたんでございますが、砒素公害などに対しては要するに地下還元すれば防げるんだからということで、それが地震の原因になるというような問題提起が通産省の方からはしてないようでございます。それから環境庁の方は通産省と違いまして、砒素の公害、それから硫化水素、それから騒音公害ですね。地熱発電というのが大分消音装置をつくりまして静かにはなりましたけれども、しかし、小型ジェット機ぐらいの騒がしさがあるわけでございますね、消音装置つけないと。そういうことで騒音公害もございます。それから木は枯れるしということで、さまざまな自然破壊、あるいは公害が出ますことから、四十六年十二月七日、自然公園審議会総会——環境庁におきまして開かれましたその総会で、地熱発電所は岩手県の滝ノ上を最後に今後十年以内は建設を許可しないことを決めております。で、その理由として、技術的に未完成、それから二番目、発電量が少ない、三番目、火山地形に立脚するため、自然美を壊すおそれが強い、こういう考え方で、前から懸案でございました八丁原の地熱発電所については、四十九年三月二十七日に環境保全審議会が了承しておりますけれども、しかし、いま七カ所ございますですね、建設済み及び建設中を含めまして。それ以外は環境庁としては認めないということになっておりまして、環境庁筋ではこれはもう地熱発電というのはこれは実用化できないんんだというような御意向のようでございます。やはり自然保護の観点から考えますと、大筋では環境庁のお考えが私は正しいと思っております。そういうことでお役所の中にいわゆる内ゲバというと語弊がございますが、通産とそれから環境庁の間で意見対立ございますが、学者の間でもいろいろそういう意見の食い違いがございまして、まだこの点については合意を得るには遠いということだと思いますですね。  それからもう一つ、先ほど申しませんでしたけれども、地熱発電をやりますと、これは温泉がかれます。これは宮城県の鬼首の発電所が二・五万キロワットのうちの一万キロぐらいがたしか動いているはずでございますが、ボーリングをやりました段階で、たしか試掘のボーリングをやりました段階で、そのボーリングのために地下水が下がって温泉がかれかかったというようなこともございます。それから私が先般参りました大岳の発電所におきましては、あのそばに国鉄の周遊指定地になっております筋湯という温泉がございますが、地元の人に聞きましたら、温泉関係の人に聞きましたら、やはり大岳の地熱発電所が運転を始めたころと大体期を一にして泉源の幾つかがかれ始めたということで、地熱発電をやりますと温泉はかれるということはやはりあり得ると思います。ですから、これを防ぐことができなければ、これは未来のバラ色のエネルギーたり得るかどうかということになりますと、これはやはり若干疑問じゃないかと。  それで、先ほど御紹介いたしました早川先生のNHKブックスの「地熱」という本には、温泉はあらかた地表近くの浅層地下水が地熱であっためられたものであるのに対して、地熱発電に使う蒸気は地下深所から取り出すんだから、これはもう関係ないんだと、地熱発電は地下深所、それから温泉はあらかた地下浅所の地下水があっためられたものである、お互い関係ないんだから、地熱発電やっても温泉かれることはないという考え方でございましたけれども、これはいま都市の地下水の問題を扱っている人にはもう全く常識的になっておりますですけれども、深井戸から水をくみ上げれば浅井戸の水がたちまちかれてしまう。つまり深井戸の水を過剰揚水いたしますと、くみ過ぎますと、その水圧及び水量が減りますので、それを補うために浅いところから深いところに地下水の大量移動がかなり急速に始まって、浅井戸の水をくまなくてもたちまちかれてしまうということは各所でわかっております。  これ、いい例は富士の田子ノ浦でございますが、あそこは富士山の雪解けの水が三島の溶岩類の下を流れて、それでどこを掘ってもとにかく非常に質のいい地下水がこんこんとわき出るというようなことがございまして、それであそこに日本最大の製紙工業地帯が発達したわけでございますが、その後、製紙工業が発達するのに伴って深井戸をたくさん掘りました。そしたら、たちまち富士市の地下水は海水が地下にしみ込んで塩水化し、それからまた、水量もかれてしまったということで、東駿河湾の工業水道をつくりまして深井戸の水をくむのを多少手控えたところが、たちまち今度は泉が復活したと、ですから、深井戸の水をくみ上げるのを少し手控えますと浅井戸の水はたちまち復活するというようなことがございまして、深井戸と浅井戸とはこれは密接にバランスとりながら関連しているわけでございますね。ですから、やはりそういう状況が各所でわかっておりますので、やはりこの地熱発電のために地下深所から熱水や蒸気を取り出しますと、地下浅所の地下水が地熱にあっためられてそれは温泉水になっておったとしても、その浅いところの地下水はこれはやはり地熱発電のためにかれるということで、先般来、地熱開発促進法案が一部の議員の先生方によっていろいろ考えておったようでございますが、それに対して温泉業者が反対したといういきさつは、地質学的に見ますと非常に理由のあることでございまして、温泉はやはりかれるということですね。そのことを防ぐことができない限りは、やはりどうも地熱発電については、私は余り十分な知識を持っておりませんけれども、未来のエネルギーとしてはどうも余りそう期待できないのではないかというふうに思います。  じゃあ、エネルギーが必要なんだから何したらいいかということになりますと、これは私どうもそういう経済的な知識はございませんけれども、やはり地球の資源がこれっきり、それから環境もこれだけ。で、その環境容量のワクを超える生産活動をやると結局地球が破壊されるということが大体見えてまいりましたので、やはり適量思想と申しますか、ほどほどに生きる一あるいはゆっくり生きるという考えに基づいて、昭和六十年にはいまの何倍エネルギーは必要だ、電力は何倍必要だという考え方はそろそろやめないと、これだけ必要なんだからということでもって、じゃあ何をやりましょうかということになりますと、太陽熱が開発されるまでは何にもないということにやっぱりなってしまいますので、やはり適量思想に基づいてほどほどに生きるという考え方をいまとる必要があるのではないかということで、昭和何年にはいまの何倍のエネルギーが必要だからという前提を動かしがたいものとして、それに間に合わせるために原子力は幾ら、地熱は幾らという考え方は、もうそろそろやめた方がいいんではないかというのが私の現在の考え方でございます。  それ以上のことはちょっと私、知識がないために申し上げられませんが、お許しください。
  22. 工藤良平

    委員長工藤良平君) それでは加茂参考人
  23. 加茂幸介

    参考人加茂幸介君) お答えいたします。  まずお断りしておきたいのは、私ども観測所というのは大学の付属の観測所でありまして、元来は地球そのものの研究の興味から出発していて、そのための研究資料を得るための観測所が元来の姿であったわけでございます。それが危険区域にどんどん人が入り込んでくるというような事態が起こり出しましてから、社会的な要請として噴火予知研究というのが課せられるようになってきたわけでございまして、そういう意味ではわれわれは噴火予知研究に取り組んでおりますが、これは一種の業務、成功した暁には業務的なことになりますので、それまでの研究を完成して、将来は気象庁なりに引き継いでいただくとか、そういう覚悟で進めておるわけでございます。  それで、桜島噴火活動昭和四十七年から非常に盛んになりまして、それを契機に真剣に噴火予知問題に取り組まなくてはいけないということで、測地審議会の建議等もございまして、昭和四十九年度を初年度として第一次噴火予知五カ年計画というものが発足したわけでございます。その中でわれわれが考えましたのは、現在われわれの観測所に、これは幸い四十九年増員になりまして、十名のスタッフがおりますが、その自分たちのマンパワーのもとでこの五年に観測施設整備しまして、従来わかりかけている噴火活動前兆現象の関係を明確にしていきたいという基本方針のもとに、桜島観測設備の強化ということを考えたわけでございます。で、現在、それで、桜島火山に限らず、日本の火山の場合、地震観測というのが一番噴火予知に有力な手段であろうと考えられておりまして、実際にどこの火山でも地震観測装置の強化ということが進められているわけでございますが、桜島も全くそのとおりでございまして、まず、地震発生する位置を正確に決めていけるようなシステムを取り入れていかなければならないという観点に立ちまして、中域火山観測用データ収録解析装置というものを導入し始めているわけでございます。で、本来なら、解析装置と観測システムといいますか、そういうものを両方同時に設置していくようにすればいいわけですが、これも悲しいことにマンパワーの問題がありまして、一応は解析装置を後回しにしまして、四十九年度、五十年度、五十一年度桜島の中に火口を取り巻きますように六カ所地震計を設置しまして、そういうものを観測所へ全部テレメーター化して一カ所で集中記録する、こういうことを実施してきたわけでございます。しかも、これでデータが集まるわけですから、解析の方法というのは、従来われわれが持っているマンパワーでもって解析を進めてきたわけでございます。で、先ほど三億円というような数字が挙がってまいりましたのは、この中域火山観測用データ収録解析装置というものの継続で解析装置をさらに入れると——これは電算機を主体にしておりますが、さらにもう二点、桜島の中へ、これは南部と東部でありまして、昭和あるいは大正の噴火のあった付近でございますが、今後もその付近が弱点と思われていますので、その辺に地震観測点を増加していきたい。それからさらに、先ほど午前中お話しした中に、地殻変動のいわゆる姶良カルデラが膨張していくというお話をしたわけですが、これは現在、測量という手段をとっておりまして、測量というのはかなり期間がかかるわけでございます。たとえば、桜島一周を水準測量をして回りますと、スタッフ七名を編成しまして、約一カ月ぐらい結果が出るまでにかかります。で、これではなかなか時々刻々の変化を追っていくことができないわけでして、こういう地殻変動の観測を何とか連続観測で監視していけるような方法、そういうものをさらに五十三年度には設置したい、そういうものをひっくるめて約三億ぐらいかかると申しておるわけでございます。  で、地震予知計画というのは、さらに各火山のこういう観測設備を強化していくというものが一つの柱でありまして、その二つ目の柱というのは、火山活動移動観測班というものが、これも昭和四十九年度に設置されたわけでございます。これは、桜島火山は南九州にありますいわゆる霧島火山帯に属する一つ火山でありまして、過去大正の噴火の場合を見ましても、単に桜島だけが噴火しているのでなくて、当時は桜島被害が大きかったために陰に隠れていたわけですが、口永良部島あるいは諏訪瀬島といったような火山が同時に噴火しているわけでして、霧島火山帯の活動全体の中での桜島の動きというものを見ていかなければいけないということで、まあ桜島を根拠地にしまして、南九州で火山活動発生した場合には直ちに駆けつけてそういう火山活動を科学的に見守っていくというようなことができるような態勢をとっております。  それから、三番目の柱が集中観測でございまして、これは午前中にもお話ししましたけれども、われわれ桜島におるスタッフだけではとてもマンパワーが足りませんので、あるいは分野の欠如がございますので、日本じゅうの火山研究者が桜島に集まって、比較的短期間、たとえば一月とか一月半ぐらいの間に、地殻変動、地震、重力、磁気、それから熱、それから火山ガス、温泉、地下水、火山噴出物といったような約六、七項目にわたる観測を総合的に行っていく。これは今後一年置きに桜島で実施される予定になっております。  それからさらに、噴火予知計画の中では中央に噴火予知連絡会という各省連絡機関ができておりまして、各省機関と大学のスタッフでもって日本の火山活動状況を常時情報交換して日本全体の火山活動の動きを見ていくと、あるいは桜島について私のところだけで判断が下せない場合には相互に討議を加えていただくと、そういうような態勢をとっておるわけでございます。  以上でございます。
  24. 古賀雷四郎

    古賀雷四郎君 先ほどは大変貴重な御意見を聞かしていただきまして、まことにありがとうございました。御意見の中で若干御質問をさしていただきたいと思いますけれども、まず生越先生にお願い申し上げたいと思います。  まあ地下水の問題と地震の関係、あるいはたとえばダムにためる水の、水をためれば地震と関係があるというお話、まあそういったことをすればある程度、どの程度の荷重になるか知りませんが荷重も起こるだろうし、あるいは水圧も起こる。それが本当に地震につながるほどの影響があるのかどうかという問題を、私はもう少しこれ突き詰めてみないとなかなかむつかしい問題であろうと思います。特に、先ほどエネルギーの問題と関連して地熱発電の問題がございました。私はいま東京都でも大変な水問題で困っておる状況です。その現在の生活を無視してまでもダムをつくっちゃいけないという理屈になるのか。その辺のお考えを、大局的な立場からひとつ御判断を伺いたいと思っております。  地下水の問題は、私もある程度ただいま勉強しておりますけれども、なかなかわからない点が多くて非常に困っておるわけでございまして、もしも地下水が地震に関係があるとするならば、いまの地下水くみ上げの問題も、あるいは地下水を養成するための注入の方法も、いずれも再検討を要するわけでございまして、この問題をどう取り上げていいのか非常にむずかしい問題でありますのでお教えいただけたらありがたいと思っております。  それからもう一つ村上先生にお願いしたいんですが、地震が起こりますと、火災が起こるとか、あるいは江東三角地帯では防潮壁が壊れて二階建ての家がつかるとか、あるいは家屋の倒壊が起きて死亡者が出るとか、いろんな災害が起きてくるだろうと思うんです。その中で、やはり最終的な結論がございませんけれども、たとえば江東地域内に都市防災施設としてどう考えたらいいのか。その江東防災地区都市防災施設をつくりましても、たとえば逃げ道が全然なければ恐らく次の段階には私は非常に困る段階がくる。これは道路の問題に関係するのかもしれません、あるいは橋の問題にも関係するのかもしれません。そういったいろんな複合的な要素で人命の救助を図っていかなければならない。そうしますと、この問題はやはりそこだけで地震対策ができるのかどうか、江東だけで地震対策をいたしましても、本当に真剣な地震対策ができるのかどうか、ちょっと私もこの点はわからないんです。この前、私も江東三角の、防災拠点都市のところを見せていただきました。ところが、実際これらを進めるということになって、さてあそこだけで一時的には助かっても、その次の段階にどうなるかということを考えると非常に心配でたまらない。その辺をひとつ教えていただきたいと思います。  それから、先生は先ほど適正な考え方を、適正なたとえば人口の考え方、こういうのを入れなくちゃいかぬというお話、私はまことに適切な御意見だと思うんです。そこで、たとえば地震対策ばかりじゃなくて、たとえば東京の水問題を考える場合だけでも、あるいは交通問題考えるだけでも、適正な人口というのはここでは多過ぎるんじゃないかというような感じをしょっちゅう受けておるわけです。したがいまして、適正人口の考え方、あるいは今後どうすればいいのかという問題について御意見があれば伺っておきたい。私も田舎から東京へ出てきまして非常に住みにくく感じているわけでございますが、そういう意味ではやはり人口の再配置の問題もありましょうし、そういったものを強力に進める必要もあるだろうと思いますが、そういったお考えをひとつお願いしたい。  それから、災害調査の問題は、確かに御指摘のとおり、対象物の調査とその対策に非常に集中されておる。総合的な災害の起こったときのいろんな情勢を、まあその辺の社会環境あるいは経済環境すべてを全体として考えていかなきゃいかぬ問題があることは当然のことだと思いますが、こういった問題をどういうぐあいに進めていったらいいのかという問題について御意見がございましたらひとつお伺いしたいと思っております。  表先生にちょっとお伺いしたいんですが、先ほど大分地震の問題でいろいろ貴重な御意見を賜りました。特に私もレークサイドホテルの壊れた状況を見て、最近非常にはやっておるピラーシステムの家がいかに弱いかということを本当に見させていただきました。まあはやりだからなかなかとめることは困難でありましょうが、そういった問題も地震があるとやはりとめなきゃいかぬということになろうかと思いますので、やはりこれらの問題については表先生の強力な御指導を今後ぜひお願いしたいと思いますが、その被害が——先ほど生越先生からお話がありました直下地震の、その地震震源の深さですね、それとたとえば蒸気をくみ出しているところの高さと深さと、その関係がどういうぐあいになっているか、その辺をちょっと、先ほど聞き漏らしたかもしれませんので教えていただきたいと思っております。  加茂先生にちょっとお伺いしたいのですが、桜島爆発とか噴火で大変住民が困っているわけでございますが、先ほどのたとえばカルデラ地帯を調査することによって噴火の予知的な問題もある程度可能性があるようなお話を承っておりますが、そういうぐあいに理解してもよろしいでしょうか、その点だけ伺っておきます。
  25. 工藤良平

    委員長工藤良平君) それでは、最初に生越参考人から。
  26. 生越忠

    参考人生越忠君) お答えいたします。  先生の御質問は、私に対する御質問は非常に私の能力の限界を超えるようなむずかしい御質問でございますが、先ほどあらかじめお断りいたしましたように、私の本来の専門は古生物層位学と申しまして、こういうものとは違うわけなんでございます。しかし、私も若干いろいろ存じておることもございますので、私の知見の範囲内でなるべくきちんとお答えさせていただきたいと思います。  まず、地下水と地震の問題でございますが、これはあれでございますね、あるいはダムと地震、先ほど私が申しましたようなことがすべての例について適用できるということはこれはないと思います。ダムをつくれば必ず地震が起きるというものでもないし、それから方々に地熱発電所がこれからたくさん仮にできたとしまして、そこで大岳、八丁原と同じように、砒素などの有毒物質が熱水の中に含まれておったので、また同じように還元井で地下に戻したという場合も、必ずしもそれが地震の原因になるともやはり限らぬと思いますね。還元井でもって水を地下に戻したことによって地下水がどのように変化し、そういう変化が地震発生の引き金になるかならないかということは、やはり個々のケースごとに非常に違うと思いますので一概には言えないと思います。しかし、少なくともインド西部のコイナダムでございますとか、それから日本の黒四ダムもそうだったというんですが、やはりダムをつくって水をたたえたらその後で間もなく地震が起きた。特にインドのコイナダムのごときは、その付近はいままで地震がほとんど起きなかった場所なのに、ダムをつくった途端に、それで水をためた途端に地震が起き始めたということから、この場合については少なくともダムに水をたたえたことが、そのダムにたまっている水がダムの底の岩石の割れ目から地下に浸透し、その量が多くなるに従ってたくさんの水量の、しかも高い水圧の水が地下にずっと広がっていったために、それが地震の引き金になったということはやはり考えられると思いますね。  それから先ほど申しましたデンバーの兵器廠の廃水を地下に戻した問題でございますが、これもやはり先ほど柄谷先生が御紹介になりましたけさほどの毎日新聞の社説にも出ておりましたけれども、デンバーのあの地震というのは、やはり兵器廠が廃水を地下に戻したということから起きたということは、大体いまのレベルでは常識になっていると思います。ということで、地下水と地震との関係は、これはもう非常に密接な形でやはりあると思います。そういうことがあるからこそ、中国では人民大衆が地下水の一斉観測をやって、それによって地震発生をあらかじめ予知できたということもあるぐらいでございまして、やはり地震が起きる前には地下水の移動があるということはこれはまあ大体常識になっております。ということで、すべての例について当てはまるかどうかにつきましてはさておきまして、そういう例がやはりかなりたくさんあるだろうということは、これはまず間違いないと思います。それで、一昨年あたりからショルツの理論なんというのも出てまいりましたし、やはり水と地震との関係というのは非常に密接なものである、少なくとも地下水の移動ということが地震の引き金になるということは——実はこれ、ちょっと手違いがございまして、毎日新聞が、私がきょうお話しいたしますことの中身を、実は六月二十七日の朝刊ですっぱ抜いてしまったんですが、それに末広気象庁地震課長のコメントが載っておりますが、「地震は地殻が大きな力を受け、」それが「崩れたときに起きるが、熱水の還元が」地震の「引金作用をすることは十分考えられる。しかし、大分地震の場合は、深さ数キロ」のところ「で起きていること、前兆がなかったことなどから、直接因果関係があるかどうかは疑問だ。ただ地熱発電が安全かといえば、やはり自然はできるだけいじらないに越したことはない。」、こういうことで、私の考え方を一部疑いながらも、熱水の還元が地震の引き金作用をするということは十分考えられるということを末広地震課長は申し述べておられます。ということで、その筋の専門家の方も、地下水と地震との関係ですね、これについてはやはり一定程度肯定しておられると思います。  それからダムの問題でございますが、やはりこれはダムは一定程度はどうしても必要だと思いますが、ただ、やたらにダムをつくり過ぎますと、やはりそのデメリットもずいぶんあるんじゃないかと思います。これはひところ異常気象があったからかもしれませんけれども、利根川の上流にいまでもかなりたくさんのダムができておりますですね。ところが、あの程度ダムをつくったことによりまして、江戸川のちょうど東京湾の湾岸から十数キロ上流になりますが、松戸の辺で、いままで毎秒七十トンぐらいの流量があったのが、上流にダムをたくさんつくったために、ふだんは、ダムから水を放流するなんというときを除きますと、ダムを上流につくったために、大体七割の五十トン近くになってしまったということで、下流の川の水の流量が減りました。そこへもってまいりまして、江戸川の川床が地下水のくみ過ぎで地盤沈下いたしまして、ということで、その二つの作用が競合いたしまして、松戸あたりまで満潮時には東京湾の海水がずうっと十数キロもさかのぼって、結局江戸川の水が使えなくなった。その水を冷却用になんか使っておりました船橋のある工場で、結局ボイラーが腐った、機械がさびたということで、結局だめになってしまった。それからどっかそこら辺の、千葉県の船橋かなんかだったと思いますが、つくだ煮やさんがいままで江戸川の水を使ってつくだ煮を煮ておったんだけれども、つくだ煮、塩っ辛くなり過ぎちゃって、もう使えなくなった、要するに塩水になりましたんでね。それからもちろん飲料水としてはある限度を超してしまった、まあ二〇〇PPmを超しますと飲料水としてはだめになりますので。ということで、上流にダムをつくったということが一因になって、下流の川の水の流量が減って、そのことが——そのことも一つの原因となって、川の水の塩水化が始まって、結局利用できなくなっちゃったということになりますと、まああちら立てればこちら立たずというような関係になりまして、二ついいことはないというようなことがございます。  それから最近建材資源としての砂利などがずいぶん枯渇してまいりましたが、それで富士川とか大井川とか天竜川なんかでは、下流ではもう砂利取りは禁止されておりますですね、それで天竜川なんかでは上流の方で砂利取っておりますが、そうしますと、ちょっとした天候の荒れたとき、たとえば台風のときなんかに川床が荒れますので、大量の砂利が川床を削りながら流されていって、それでその下流にあるダムを次々につぶしていって、美和ダムは大体ほとんどつぶれたとか、佐久間ダムも、一昨々年のことでございますが、もう大体七分の一つぶれてしまったとかということで、ダムがつぶれる原因になる。それで、ダムへ上流の砂利が流れますから、結局下流にはもう砂利が流れてきませんですね。そうしますと、今度は下流に粗い堆積物、砂利だとか砂、そういうものが川によって運ばれてこなくなるために、今度は海岸の浸食力の方が河川が運ぶ土砂の運搬量よりも多くなってしまって、今度は海岸がどんどんどんどん浸食される、それで遠州灘なんかいま非常な勢いで浸食されておりますが、これなんかも天竜川の途中にダムをつくったことが一因だなんという説もございます。これは建設省の河川局あたりがそれなりにいろいろお調べかと思いますけれども河川局の調べなんかによりましても、天竜川のダムというのはずいぶん埋まっている、それは単にダムが埋まっただけでなくて、途中にそのダムがあるということが、下流の方に運ばれてくる土砂の量を減らしてしまって、それが海岸浸食に通じるなんということがございますと、ダムをつくるということは、非常に大きな何か自然のバランスを崩すことにもなってくるわけでございますね。ですから水をためる、あるいは防災その他いろいろな目的でダムを一定程度つくることは確かに必要で、それを避けることはできないわけでございますけれども、コイナダムの例のように、それをつくったばっかりに、地震が起きるとか、あるいは先ほどの江戸川の例のように、下流の流量がかえって減るとか、それから天竜川筋のダムの建造が天竜川の下流の付近の遠州灘の海岸浸食の原因にもなるというようなこともございまして、あれやこれやと、そういうデメリットもたくさんあるのではないかということですね。ですから基本的にやはり東京みたいな過密都市、千百万を超えるような過密都市を抱えまして、その周りにまた千万人の人口を抱えて、結局二千万以上の首都圏なんというのがあって、その首都圏が必要とする水を利根川の上流から引いてくる、群馬県の人間、ひとつがまんしてくれというような形では、結局ダムをつくられる地元の方はたまったものじゃなくなるので、そういう形で、やはり先ほど都市には適正人口があるということを村上先生おっしゃいましたけれども、やはり勝手に大きな都市をつくってしまって、その都市に必要な水をどっかから持ってくるという発想は、やはりどっかで破算せざるを得ないので、やはり水が欲しければ、水のあるところに引っ越していく、東京を少なくして、たとえば群馬県の人間を多くするとかいうような形の過密過疎をなくす形のやはり国土改造、これをやるのでないと、必要なところへ必要な量だけのエネルギーを持ってくる、水を持ってくるということは、どだいこれは自然の枠のことを考えますと、不可能なことだというふうに思います。そういう観点から申しまして、先生の御質問にお答えするのは私の能力を超えた問題なんでございますけれども、ダムの問題につきましては、これもやはりほどほどにつくるべきであるという考えでございます。十分お答えになってないかと思いますが、以上をもちましてお答えにかえさしていただきます。
  27. 工藤良平

    委員長工藤良平君) 次に村上参考人
  28. 村上處直

    参考人村上處直君) 江東地区の問題ですけれども、いま防災拠点という建設をやっておりますけれども、やはり一つああいう島状の拠点だけをつくっても、先ほど御指摘がございましたように、やはり道路とか橋とかそういうものがちゃんと総合的に機能しなければ、いざというときだめではないかというのが実際はございます。ただ、たとえば橋とか道路がたとえうまくいったとしても、よりどころがなければだめだというような論理であれば、やっぱり拠点は必要だということになります。で、そういう意味では、都市全体がやっぱり拠点そのものと、その周辺の不燃化とか耐火化とか耐震化でございますか、そういうことを含めて総合的にならない限り、本来の意味の地震対策はできないのではないかと考えております。いま防災拠点としてつくっておりますのは、一応ある基準をつくりまして、たとえば逃げ込んできた人に少なくとも七日間はいろいろな意味での最低限のサービスはできる程度にしようとか、ある程度の基準をつくってやっておりますので、やっぱり災害がその閾を越えなければ、その範囲内でおさまりますし、それを越えるような現象が起こりますれば、それでも破綻を来します。そういう意味では物というのは常に一つの限界を持っておりますので、それをいかに運用するかというのは、今度は、後は人間の知恵の側の問題で、それはこれから実際にそれを管理運営していく場合にどうすればいいかというようなことを検討していくという段階に入っていくと思います。  それから適正な人口の張りつけの問題でございますけれども、ただいま生越参考人からも御意見ございましたけれども、やはり私は防災側からだけ考えますと、やはり都市の中に必要な緑地とか、空地というのがございます。それはやっぱり都市大火をシャットダウンする程度の意味で、ある程度都市の中に空地とか緑地、それから耐火帯とか、いろんなものが必要だと思いますけれども、やっぱりそういうものをある程度配置していったときに埋まる、ある地域に何といいますか、入る容量というのはかなり決まってくるんじゃなかろうかと思います。  それから、いまの日本の都市の一番形態的にまずいのは、とにかく木造密集市街地というのが、非常に均一にだらだらと広がっていることでございまして、これはやはり何かの形で切らなければ、もし都市大火が起こって、多発的に起こりますと、どうしようもなくなってしまう。そういう意味でやはりいまの木造市街地を前提としたときに、どれだけの緑地が必要かとか、空地をどういうふうに設けるかとか、そんなことは耐火的な、科学的といいますか、都市大火を一つの前提にした検討として、ある程度なされておりますけれども、それが都市としてどういう意味を持つか、もっと総合的に、それが全般的に住みよくなるような意味で、じゃどういうふうにすれば、そういう町が本当に住みやすい町だし、地震に対しても安全な町になるのかという、まあそこの辺まではまだ詰まっておりませんけれども、単純な問題の検討はやっております。  それから三番目に災害調査の問題で、社会環境とか経済環境の問題を含めてどうするのかという御質問ございましたけれども、この件については世界各国でも最近やっと目覚めてまいりまして、一九七二年のクリスマスの前の日にニカラグアのマナグアで起こりました地震調査は、ちょうど一年後にサンフランシスコで、その総括会議のような調査がございましたが、そのときに、それまでの地震調査になかった、そういう社会環境とか、経済環境とか、いろんな問題がかなり豊富に入ってまいりました。これは何かと申しますと、地震災害をどういう目でわれわれが見ようとしているかということだと思います。  いままで、はっきり申しまして、地震災害起こったときに、地震の現地に飛ばれる先生というのは、どちらかといえば、地震学の先生と耐震工学の先生に限られていたわけですけれども、一九七一年のロスアンゼルスの郊外のサンフェルナンド地震のときにもうお亡くなりになった河角博士が、ちょうど私に電話をかけてこられて、きょう国会でちょっと呼ばれるんだけれども、君、意見があるかとおっしゃったので、とにかく広い目と広い頭脳で現地に飛び込めば、何か得ることがあるんではなかろうかということを御進言申し上げましたところ、そのときに各省一人という感じで、国の側からいろんな方が来ていただきました。そのとき私、現地で東京都と国の間に入ったような形でお手伝いさしていただいたわけですけれども、つくづく感じましたのは、専門を持たないで現地に行くということはいかにすばらしいことかということをつくづく感じたわけです。はっきり申しまして、地震のいろいろな被災地に飛び込みますと、ある専門を持っておりますとどうしてもその専門にこだわって、専門の側から見ますとどうしてもよだれが出そうな現象というのはたくさんころがっておりますので、どうしてもそれにとらわれてしまいます。ところが逆に、そういう専門を持っておりませんと、もうちょっと広い目で見ることができる。そういう意味では、これから先いろんな地震が起こりましたときに、いろんな専門分野の方をやはり地震の現地に送り込んで、その人なりに物を見させる、その辺から始めてみるしかないんじゃないか。まあそれの多少具体的な動きが出たというのが先ほどのニカラグアのマナグアの一年後のレポートではないかと考えております。  以上です。
  29. 工藤良平

    委員長工藤良平君) それでは表参考人、先ほどの分もあわせてひとつよろしくお願いいたします。
  30. 表俊一郎

    参考人(表俊一郎君) 先ほど柄谷先生からお質問いただいておりますので、そのことをまず先にお話しさせていただきたいと思います。  確かに、変な言葉を使いますと、どうも九州は地震に関しては日本の過疎地帯のようなことになっておりまして、いままで地震予知に関する特別の調査というものはなされていない地域でございました。こういう意味からも、ぜひ、いろいろ経費の問題もあると思いますけれども地震観測網、地震予知に関するそういうふうな調査というのも、九州でも強力に進めていただきたいと私どもはお願いしたいと思います。  で、この大分地震の場合には、幸い九州は、むしろこういう関係の者が少なかったせいかもしれませんけれども、ことに火山関係では加茂先生、それから阿蘇の研究所、京都の研究所その他が非常に強力な活動をしていらっしゃいますけれども地震関係というのはわりあいにいままで人も少なかったんでございますが、少なかったおかげで関係者が非常に協力をいたしまして、できる限りの調査をしたつもりでおります。それから建築関係でも土木関係でもそうでございましたけれども、非常に有機的な協力体制ができまして、わずか一年後に先ほど申しましたような報告書をまとめることができたというのは、地震規模もマグニチュード六・四という規模であったということもございますけれども研究者の間の研究体制が非常によかったということになると思います。私どもは何らかの形でこの協力体制というのを続ける。これはやっぱり人の協力が得られませんとほんとによい仕事はできませんので、そのことは大分地震を通していまできておりますので、何らかの形でこれを続けていきたいと思っております。  次は、古賀先生の御質問でございますが、これは、一つは例のピロティ関係のああいうふうな美しい建築物というのは、やっぱりどうしても地震に弱いということは確かでございますけれども、これは現在の建築技術の持っております、十分にそれを生かしていきますと、私は、まず可能であると思っておりますし、ただ、それについてはやっぱり細心な注意と十分な計画がなされなくてはならないという点を決して忘れてはいけないという問題を今度の地震は教えてくれたと思っております。  次の、直下地震の今度の地震の深さとそれから還元水の問題、深さの問題などについてどう考えるかという御質問でございますけれども、これは確かに私どもも今度の地震がどういうわけと申しますか、どういう原因で起こったかということを突きとめるために非常に努力をしたわけでございまして、そのことをけさお話ししたつもりでおります。これは、地震のメカニズム、発震機構、それから地殻変動、それで現在及ぶ限りの地球物理学的な考えからいたしますと、明らかに構造地震でございまして、やはりまあ力のもとははっきりわかりませんけれども、いわゆるフィリピン海プレートが大陸を押しておる、一般的な形の地震のメカニズムであることに間違いはないと思っております。  ただ、生越参考人が言われましたように、水を返したことがトリガーになったんではないかという問題を提起なさいましたけれども、このことは、そうではないと言うことは大変むずかしいことだと思っております。けれども、今度の場合には、私どもは還元する水が自然流下でございまして、圧力を加えてないという問題が一つございます。したがって、デンバーの例をお引きになりましたけれども、デンバーの場合とは全くケースが違う。デンバーの場合には、あれは還元しております井戸の深さが二千メートルでございます。非常な深さ、それに非常な圧力をかけて無理やりに水を押し込んでおるという例でございまして、それで地震が起こったんでございます。今度、いま大岳でやっておりますのは自然流下でございまして、圧力は少しもかけていない、それから深さも非常に浅いという問題が決定的な違いがあると思います。  それから、したがいまして、下の地質構造はいまのところまだはっきりわかっていないそうでございますが、大岳とそれから今度の地震が起こりました地域とのまん中には例の地表的には水分峠もございまして、恐らく自然流下の関係では圧力が及ぶことはないだろうと思います。したがって、トリガーの問題も恐らくきわめて相関関係を求めることは困難な状態にあると私は考えております。きょうは学問的な問題をこれは余り詳しくやるつもりは少しもございませんが、私どもの考えました限りでは、そういうわけで直接の関係を導き出すことはないといってもよいんではないかと思っております。それから、ただ水の問題は圧力の問題がありまして、水そのものが動く問題、きょうもお話に出ましたようなそれがすべり面を動かしやすくするとかいう問題は私はないと思いますけれども、圧力の問題はかなりどう響くかわからない問題でございます。これは軽々には申すことはできないと思っております。ただ、こういうことがございますので、還元水を、還元を行う場合には必ずかなり綿密な調査がなされてしかるべきである、将来を見越してこれがどういう影響を及ぼすであろうか、また及ぼす可能性があるであろうかという点についてやはり相当学問的なレベルの高い、よい観測をして将来に悔いを残さないようなことをする、これは私はぜひ必要でありまして、その点からはいま九電が自力で少しやっておりますけれども、どういう形にするか、私は存じませんけれども、やはり何らかの形でもう少しよい観測をして影響があるならば、どっかでとめるとか、問題が起こりそうならばこうすると、科学的な対策が私はやればできると思いますので、それはさぼらずに怠らずに十分な調査をしていただきたいと思っております。  それから、もう一つダムと地震の問題でございますけれども、これは本当にむずかしい問題だと私は思っております。私もダムと地震については専門家ではございませんので、余り詳しい研究をしたことはございません。けれども、実はことしの二月にユネスコが地震災害の評価とこれの軽減に関する政府間会議というのを開催いたしました。そして世界から四十数カ国の政府代表をパリに集めまして、一週間会議をいたしました。そのとき私も政府代表団の一人としてこの会議に参加したわけでございますが、その中でダムと地震の問題というのが一つの大切なトピックスとして取り上げられております。そのときにもただいま何遍か例に出ましたインドのコイナダムの話が出ておりました。そのときには——きょうは時間がありませんから、そう長い話をするつもりはございませんが、簡単に申しますと、これについては大体半々、四分六ぐらいのところで議論が分かれておりまして、フランスのストラスブルグの地球物理研究所におりますピエール・ロテー博士は、これは確かに地震によって、ダムの湛水によって地震が起こったと、こう申しておりました。それからソ連のグービンその他のかなりの連中はあれは関係はないんであるということを断言しておりまして、これは私はまだ五分五分の問題であると思っております。日本でもこれは土木の埼玉大学の岡本舜三先生が御専門でございまして、いろいろ御研究になっているようでございますが、まだ確実な結論は出ていないと聞いております。大体お答えになっておりますかどうかわかりませんけれども、知っております限り、こういうことでございます。
  31. 工藤良平

    委員長工藤良平君) じゃ次に加茂参考人
  32. 加茂幸介

    参考人加茂幸介君) お答えいたします。  一口に桜島噴火の予知が可能かという質問をよく受けるわけですけれども、一口にちょっと答えるのが非常にむずかしい問題でございます。午前中にもお話しましたように桜島噴火、特に災害を伴うような噴火について考える場合は分けて考えるのが賢明ではないかと考えております。一つ溶岩を噴き出したような大正三年の例のような噴火でございます。いわゆる山腹噴火と先ほど申し上げたものでございます。それから同じ山腹噴火でも昭和二十一年型の噴火、いわゆる山の両サイドでなくて片サイドだけで起こっておる。それから現在活動しておりますような山頂爆発を繰り返す噴火と、この三つに分けてお答えしたいと思いますが、で一番最初の大正の噴火型というのは、これは先ほどの御質問でもお答えしましたように、気象庁並びに私ども観測所桜島の中にいろいろな観測施設を展開していて、現在では恐らく計器の配付されておる密度でいけば、世界で一番高超密度の要塞のような火山かと思うのですが、こういう状態にある限り、大正クラスの噴火の前には、多分——多分というよりもうほとんど一〇〇%といっていいんではないかと思いますが、人命を失わない余裕を持ってという意味での予知は可能であろうと思います。  それから昭和二十一年型の片山腹噴火というのは、これははっきりした科学的なデータがないお話は午前中いたしたわけでございますが、少なくとも地震活動が数時間前から起っていて、しかも昭和二十一年型の噴火というのは、大正の山腹噴火のように、山腹噴火で、しかも爆発を繰り返すというような噴火をしてなくて、ある朝突然山を見上げたら口があいて、だらだらと溶岩が流れて出てたというような形の噴火でございますから、これはまず心配ないであろう、それから山頂噴火につきましては、これも午前中お話ししましたように、科学的な観測を始めまして初めての体験、昭和三十年以降初めての体験で、幾つかの、幾つかというより二回のピークを迎えたような次第でございますけれども、これにつきましては、実は山腹噴火の大きい小さいの評価というものに、いつもわれわれ火山学者と、社会的な評価にずれがあるわけでございます。社会的には、われわれが見る噴火のエネルギーというのが小さくても、どっかでガラスが一枚でも割れればこれは大きい噴火というふうに、いつもずれを生じるわけなんですが、そういう意味では、山頂噴火の細かいものを一つ一つ事前に予告するというような予測は、いまのところちょっとむずかしい状態でございます。理由は午前中に少し申し上げたかと思います。で一番最近の例で申し上げますと、気象庁が大体必ず月に一回、火山情報鹿児島地方気象台が出しております。それには過去一カ月間に火山活動状況がどういう状態であったかというのを、地震発生回数、あるいは噴火の回数、あるいは微動の発生状態というようなことを細かいデータをつけて発表しておるわけでございます。それから緊急にどうしても注意を喚起しなければならない、すなわち山頂噴火をするような臨界状態に近いらしいという判断ができるようなデータが出た場合には、適宜臨時火山情報というのを出して一般市民に注意を呼びかけておるのが現状でございます。で最近の例で申しますと、五月の十三日と十七日にそれぞれ牛根あるいは垂水被害が出るような噴火があったわけですけれども、十三日の場合というのは前兆の地震活動は確かにあったわけでございます。しかし、そのあった程度といいますのは、桜島でしょっちゅう、そう、どう言いましょうか、一日にたとえば数十回起こるような地震があったわけですけれども、そういう程度の地震というのは間々あるわけでございます。噴火に結びつかない場合も非常に多いわけでございます。そういうケースの場合に、市民に、一般に呼びかけてあたら混乱を起こすのは考えものでございまして、その次の五月十七日の噴火の場合には、数百回という、時間当たり数百回というような地震が群発しまして、これは非常に異常現象であって、やはり気象台から情報が出たわけです。これは後から言えば当たったわけでございます。その程度のばらつきがございますけれども山頂噴火については、残念ながら的確なことはまだ実現化していない状態でございます。
  33. 原田立

    原田立君 余りよくわからないんでありますけれども、二、三お伺いしたいと思うのであります。  加茂先生には桜島で大変御苦労さまでございます。前回もおうかがいしていろいろな模様を拝見してきたわけでありますが、ただいまのお話の中に、山腹噴火山頂噴火というお話があり、隆起が続いている限りにおいては噴火はあると見なければならないというようなお話があり、山頂噴火は十年に一回ぐらいはあるんじゃないかというようなお話でございました。それで、それからまた、山腹噴火というのは数百年に一回だというようなことですから、これはまあまあとして、十年に一回というと、よっぽど防災対策をしっかりしておかなければいけないわけでございますけれども、ただいま古賀委員の質問に対して、山頂噴火については火山発生の予告はむずかしいというようなお話なんで、そこいら辺大変心配をするわけなんでありますけれども、まあ何とかならないのかというのが一つです。  それから表先生の先ほどの、午前中のお話では、九州においては観測点が少ないと、もっとふやせと。また、ただいまの質問に対しては、観測点の少ないという面においては、九州は過疎地帯だというような、そういう御発言であっただろうと思うのでありますが、違っていたらまた御訂正願いたいと思うんであります。要するに、観測点が少ないということが午前中にあったのでありますけれども、しかればどのぐらいの量のものがあればいいのかどうか。先ほどもお話ありましたように、大分、熊本地方の火山帯、あるいは阿蘇、霧島、桜島火山帯、それからあともう一カ所何かありましたね。三つ大きなのがあると。そういう面から見て、観測点が少ないというのはわれわれ素人から見てもちょっとこわい話で、心配な点がするわけなんです。どのぐらいあればいいのかどうか、率直な御意見をお伺いしたい。  それから生越先生の、先ほど別府の、大分の大岳の地熱のあれが始まったときに泉源がかれたと、筋湯というところがかれたというようなお話でしたけれども、筋湯というのはどのぐらいの大きな泉源なのかどうかよく知りませんけれども、たまたま小さいのがぷつっと切れちゃったのか、それとも非常に大きな泉源がもろにごそっとだめになっちゃったのか、その点はどうなのか。もしこれもそういう大きな泉源がかれるだなんというようなことだとすると、あそこに二カ所、大岳と八丁原ですか、二つできていますけれども、二カ所のうち一カ所しか実は見てまいりませんでしたけれども、これは九州にとって重大な問題だと思うのですがね、そこいら辺の御意見をお伺いしたいと思うんであります。  それから直下型地震でありますけれども、これは生越先生も、先ほど大分地震研究なさっておられるというお話もありましたが、生越先生にもお伺いしたいのでありますが、あすこのレークサイドホテルですか、あすこに行ってきました。そうしたらば、あすこのずっと並びがやられていて、ほんのわずかの隣の、何か男子寮とか女子寮とか、そっちのほうは何にもなっていないということですね。地震が走ると言うのでしょうか、どう言うのでしょうか、まあ私もよくわからないのでありますけれども、がたんとなる直下型地震ですね、そのおそれがあるような地名じゃなしに、こういうようなところはこういう直下型地震のおそれがあるという、何か参考になるような御意見を、あればお伺いしたいと思います。
  34. 工藤良平

    委員長工藤良平君) それじゃ、最初に加茂参考人
  35. 加茂幸介

    参考人加茂幸介君) お答えいたします。  まず、十年に一回とか、数百年に一回とかという根拠を先ほど数字を挙げて示したわけですけれども、従来は統計的に処理して爆発あるいは活動に周期があるないというようなことを言うわけですけれども、これだけでは本質的な解明になりませんので、たとえば地震予知で、ある震源のエリアがありまして、そこへたまったエネルギーが微小地震発生で放出されてしまったかとか、しないとか、こういった議論がございます。で、それは地殻にため得るひずみのエネルギー量がどれくらいかというような計算から行われておるわけですけれども、それに類似して、火山でもし物を出すとしたら、どれくらいの物をため込んで、どのくらいの物を出すかという、ため込みと放出の関係からそういう数字を挙げて、それが実際に出てくる物と、隆起する量とがよく合うというお話を申し上げたわけでございます。  それで、山頂噴火について何とかならないかということでございますが、現在私ども山頂噴火について前兆現象としてとらえておりますのは、地震活動と、微動の発生という面からだけで判断しておるわけでございます。で、最近、これも昨年度の予算でやっと年度末に機械が輸入されまして、南岳の山頂から約二キロぐらい離れた山頂近くへそういう傾斜計というものを据えて見ておりますと、山頂噴火が起こる一週間ぐらい前からやはり南岳の本当に噴火口の周りだけが持ち上がるような現象がやはり見つかるようなデータがとれてきたわけでございます。で、そういうものと、先ほどから言っていますような地震活動との両方のファクターからもう少し様子を見ていけばあるいは山頂噴火についてももう少し的確な情報を提供できるようになるんではないかと現在考えております。
  36. 工藤良平

  37. 生越忠

    参考人生越忠君) お答えいたします。  温泉の枯渇の問題でございますが、これはまあ私、温泉よりもむしろ都市の地下水の問題についてはかなりいろいろデータ集めて知っているつもりでございますが、こういう例ございました。成田市であるときに台風がございまして、それで電気がとまりました。それで成田市営水道はこれは地下水を水源としてモーターでくみ上げているわけでございますが、当然水をくみ上げるモーターがとまりましたので水道とまりました。これがちょっと時間が長くかかりました、直るまで。そうしたらいままでかれれておった浅井戸の水が少しわき出てきたということがございまして、ここでもやはり深層地下水、成田市営水道の水源は大体百メートルあるいはそれより深いところにございますが、浅いところの水と深いところの水とはやはりお互いに関係あることわかりまして、深井戸の水のくみ上げをやめると浅いところの井戸の水はかれずに済むというようなことが、やはりそういうたまたま台風でもって電気が停電して、深井戸の水をくみ上げるモーターがとまったなんというときにそういうことがあったわけですね。それから先ほど申しましたように田子の浦の例もございますし、深井戸の水のくみ上げ量を減らしましたら、たちまち泉がわき返ったということもございました。それで従来は浅いところの井戸水、浅いところの地下水はたとえば粘土層のように水をなかなか通しにくい地層、つまり不透水層と申しておりますが、不透水層がありまして、それがお盆の底みたいの役割りを果たしまして、浅いところの地下水は粘土層より下には通過していかないんだと、浸透していかないんだという考え方がよくございましたね。したがって深層地下水と浅層地下水とはあんまり関係しないんだという考え方があったようなんですが、これがそういうことではございませんでしてね、深井戸をたくさん掘りますと粘土層のようになかなか水を通しにくい地層すらも浅いところから深いところへどんどん水がやはりしみ出していく、しみ通って漏斗状に吸い込まれていくというようなことがわかってまいりました。そういうこと考えると当然これは地下深いところ、先ほど申したかと思いますが、大岳の場合は大体数百メートルのところから蒸気を取っておりますが、蒸気と熱水。それから八丁原になりますとちょっと深くなりまして千メートルになりますけれども、そういういずれにしても深いところから熱水及び蒸気を取っているわけでございますね。蒸気をタービンで回して熱水はいままで捨てて、その捨てるのがいかぬということで環元井で戻したわけでございます。いずれにしても深いところから取っております、蒸気あるいは熱水を。ただ、その深いところからくみ上げるということがやはり深層地下水の水圧及び水量を減らすことになって、それが浅いところから深いとこへ地下水をかなり急速に移動させることになるということになりますと、浅いところにあります地下水がかれてそれが地熱にあっためられて温泉水になっている場合には、地熱発電をやれば温泉はかれるというのは理の当然で、私まだ例はよく知りませんが、先ほど申しましたように鬼首ではそういう例がすでにございました。それから大岳の場合ですね、これは土地の温泉街の有力者と言われる人からの談話でございますけれども、大岳の地熱発電所が営業運転を始めたあたりからやはり泉源のうちの一部がかれ始めた。それから筋湯温泉の泉源の一部がかれ始めた。それから筋湯温泉のそばに疥癬湯というお湯が、やはり温泉がございます、疥癬湯。この温泉も最近ではほとんどかれているということだそうでございまして、これはひょっとしますと温泉宿の乱造によって、結局お湯をたくさん取り過ぎたためにかれたということも考えられましたので、そのことも質問してみたんでございますけれども、いやそういうことではないんだということを言っておりました。これは私自身まだそういう詳しい調査をしたわけではございませんので、やはりその筋の専門家の方がそういう事実がもしあるとすれば、その理由は何かということについてやはりお調べになられたらというふうに思いますが、まあ私は少なくともそういう問題提起はしたわけでございます。これは先ほど申しましたように、繰り返しになりますが、都市あたりでは深層地下水と浅層地下水との関係、これは実に最近は明確になっておりまして、その理論を温泉と地熱発電の関係に当てはめますならば、地熱発電の開発は温泉をからすことにまずなると考えるのが理の当然であり、もし温泉がかれることにならない場合には、それなりの特殊な説明がむしろ必要なんじゃないかというふうに思います。ということで、地熱開発の促進の動きが国会の一部でございましたときに、やはり全国の温泉業者が温泉がかれるからということで地熱開発に反対ののろしを上げたということについては、私は地質学あるいは地層学、地下水学の方から申しますとこれは一理があるというふうに思います。  それからちょっと先ほどの表先生の私の考えに対する御批判にちょっとコメントさせていただきたいと思いますが、確かにデンバーの場合は圧入で地上から地下へ廃水を圧力をかけて入れているわけでございますが、大岳の場合は自然に吸い込ませるということでございますので、環元井に入れるときの入れ方は確かに違います。このことは六月二十七日に出ました毎日新聞の記事で安武秀雄大岳地熱発電所の所長がすでにそのことを言っておられます。確かに環元井に入れるときの入れ方は違いますけれども、狭い空間の岩石の割れ目に一たん入ってしまいますと、水量が増せばやはり水圧も増すだろう。川崎の場合は圧入したどころかそれから自然にしみ込ませたどころか、そういうものじゃ全然なくて、ただ地下水のくみ上げを規制しただけで地下水位がぐんぐん上がって、陸地を持ち上げるまでの力になったということで、地下水位が上がりますと、地盤さえもあそこの場合は洪積層、沖積層でずっとやわらかい地層ではございますけれども、地盤を持ち上げるぐらいの力がございますので、何も環元井に入れるときに圧力かけたかどうかということは違うと言えば違いますけれども、狭い岩石の割れ目の空間の中にやはり次から次へどんどん、先ほどお話ししましたように、大岳の場合は時間当たり三百五十トンでございますね。八丁原の場合はいまのところまだ建設中でございますので、一本の環元井だけで将来四本できるようでございますが、二百五十トンという量の水を入れておりますので、こういうことで次から次へ地表から地下へ水を環元井によって熱水を入れていけば、やはり地下の深いところの狭い割れ目の空間の中ではその水はやはりかなりの水圧を持つことになるだろうということで、環元井に入れるときの入れ方、圧入するかあるいは自然に吸い込ませるかということは私としては余り決定的なファクターにはならぬような気がするんですが、これは私素人でわかりませんので、もし間違っておりましたら表先生から再度御批判をいただきたいと思います。  それはともかくといたしまして、先ほどの温泉の問題につきましては、これは私もよくわかりませんが、これについてはもっともっとそういう目でもってもう少し広く見てみたら、やはり一般的な傾向というものは出るんじゃないかというふうに思います。
  38. 工藤良平

    委員長工藤良平君) 表参考人
  39. 表俊一郎

    参考人(表俊一郎君) お答えいたします。  先ほど御質問いただきました九州は地震観測が少ないではないかというのは、私はたとえば気象庁の観測所というのは大体日本じゅう適当なバランスで配置されておりまして、特に少ないということは、九州だから少ないということは私はないと思います。けれども地震の予知の問題に関連しまして、地震の予知の問題というのはいまは業務として行うところまではいっておりませんで、これはまだ研究段階にあるわけでございます。これに対していま建設省の地理院にございます予知連、それから各大学、それからまた気象庁の別働班、そのようなかっこうで非常にたくさんの協力を得て皆さん活発な研究をしていらっしゃいまして、それぞれの大学で、かなり日本じゅう方々のところに観測点——ブランチステーション、それからそれぞれサテライトステーションを置いていろいろ観測をなさっていらっしゃいますが、それが九州には一つもないということを申し上げたつもりでおりました。なぜないかと申しますと、やはりこれから先は私は非常に努力をしていらっしゃる方がたくさんございまして、かなりの成果が上がっておると伺っておりますので、私が無責任なことを申し上げては大変失礼になると思いますけれども、やはり九州大学の中に地球物理の教室がないわけでございます。このことのために、やはり火山関係では加茂先生初めたくさんいろいろいい研究——のところか、主にこれは京都でお持ちでございますが、ありますけれども地震関係では九州大学にその教室がございませんので、どうしても手薄になるんだと伺っております。このことはいま、かなり近い将来そうでなくなるように私も伺っておりまして大変結構なことだと思っておりますので、ぜひそういうふうにさせていただきたいと思っておりますが、そういうようなかっこうでやっぱり、ことに九州も地震が少ないと、こういままで言われておりましたけれども、福岡も百万都市になりましたし、それから地下街の建設、地下鉄の建設、これ大都市並みのことをやっておられますので、災害が起こって、いや地震は起こらぬと思ったとおっしゃっていただいてはこれは大変問題がありますので、やっぱりいまのうちからぜひひとつ地震観測をやって、微小地震もつかまえて、将来に悔いを残さないようにやっていただきたいと、そういう意味で私も地震観測が過疎にならないようにお願いしたいと申したつもりでございます。  それからもう一つ九重レークサイドホテルが壊れて、こちらの男子寮、女子寮は何ともなかったので、それに対してはという御質問ございましたが、あれは確かに、直下型地震というのは私どもは、専門家と申しましては恐縮でございますけれども、そういう地震はないと思っておりまして、これは恐らくマスコミさん用語だろうと思っております。で、たとえばレークサイドにとっては大分中部地震は直下地震であったと、こういうふうに申します。ちょうど真下にあったから直下地震だと、別に直下型という特別の型の地震があるのではないので、上に建ってる建物について下に起これば直下地震、こういうふうに了解しておるわけで、ですからそういう特別な型の地震がどこに起こるかという、そういうものはないと思っております。ただ、男子寮とか女子寮とかあの辺の壊れなかった鉄筋コンクリートの建物は、あれは壁が非常に多くて、建築学的に非常に丈夫な建物でございまして、それでちょうどぎりぎりのところにあったレークサイドが壊れたということになったと思います。特に地震の道がどうであったかという問題とはちょっと違うと、そうじゃなかったというふうに考えております。よろしゅうございましょうか。
  40. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 時間も大分たっておりますから、二、三点御質問申し上げたいと思いますが、先ほど加茂先生の方から、桜島の場合に溶岩を噴出するような山腹地震というのは当分の間と申しますか、われわれが生きておる間はなさそうだと、やっぱり山頂噴火の問題が問題点だと、こういうお話があったわけでございますが、この山頂噴火でも現地の方から見ますとやっぱり爆弾と一緒に同居してるみたいな非常な心配があるわけなんですがね。  そこで私がお尋ねいたしたいのは、この山頂噴火の問題にしても、あれだけ激しくなったのも昭和四十七年前後からここ五、六年ぐらいのものなんですよね。そういう点から見ますと、これまたずうっと続くのか、あるいはよく周期説が言われているように、山頂噴火の場合もある年限がくるとしばらく休むという形にいくのか、そこらあたりの見通しと申しますかね、いままでのいろんなデータを、いろんなものを中心にしてそこのところをお聞かせ願いたいと思うんです。これはなるほど相手は地下のものでございますから、的確にどうだという予言ができないにしても、ある程度この問題の見通しというものを得たいという気持ちがするものですから、その点お聞かせ願いたいと思います。  それといま一つは、先ほどお話にあったところのいわゆる鹿児島湾のいま海水汚染の問題と関連をして水銀の含有量がふえたと、これは桜島噴火の問題と火山活動の問題と非常に密接な関係があるという説があるんですよね。このことと先ほど先生のお話いただいた姶良カルデラのいわゆる底部の中で相当隆起現象が出てきておる云々と、こういうものとかかわりがあるのかないのか、そこらあたりもひとつお聞かせを願いたいと思います。  それからこれは村上先生にですけれども、防災都市計画の中でいろいろ問題提起されて、まあしかしながら逃げの防災計画だと、少なくとも攻めの防災計画というものが必要だというふうなお話があったんですがね。   〔委員長退席理事古賀雷四郎着席〕 具体的に言うと、この攻めの防災計画というものはその中で一番重要なのはどういうことだとお考えになっておられるのか、もう少し具体的に構想お持ちならお聞かせを願いたいと思います。  以上三点です。
  41. 神谷信之助

    神谷信之助君 もう時間大変おくれていますから、関連をしてお伺いしたいと思います。  地震なり火山活動について予知するためには長期的な観測がどうしても必要だというお説ですが、これは私そのとおりだと思うのですがね。そこで桜島の場合は昭和三十年からですか、観測が始まった。浅間、阿蘇の方は早くからやっておる、そういう状況をお話になりましたが、全国の火山活動について現在そういうまだ観測体制のないところというのは相当残っているのかどうか。これはやっぱり早くつくらないと、おっしゃるように間尺に合わぬということになっていきますから、この辺の事情一体どうなのかという点。   〔理事古賀雷四郎退席委員長着席〕  それからいま先生のお話で傾斜計が昨年の予算で入って、それとの関連で山頂噴火の予知の可能性が出てきたというお話ですね。こういった計器類は観測体制をつくる場合にはやっぱり早くつくらなきゃならぬと思うのですがね。こういう点の事情なんかについてもひとつ御意見があればお聞かせ願いたい。同様のことがやっぱり地震の予知の場合もそういう点で起こるんじゃないかと思いますので、この辺は表先生の方からもひとつ九州だけじゃなしに、全国的に見て一体十分なのかどうか、もし不十分だとすればどういう規模あるいは体制をつくる必要があるんだろうか、この辺のひとつ御意見を伺って、私ども国会の中でもその実現を一日も早くやらにゃいかぬと、こういうふうに思いますから、そういう点の率直なひとつ御意見を聞きたいと思います。  それから村上先生にお伺いしますが、五十年三月に大都市震災対策に関する調査の先生の方の研究所、建設省の方の委託でやられていますね。これを拝見をしていろいろ得るところがあるんですが、実際問題として、これしかしやるというと、膨大な予算を投下をして、そうして相当な地域住民の人たちのコンセンサスが必要だと思うんです。こういった問題、実際に進めて、いま江東地域、関係をされてやっておられますが、そういう面での隘路といいますかね、問題点、この辺ひとつお聞かせ願いたいというように思います。  以上です。
  42. 藤原房雄

    ○藤原房雄君 時間もございませんので、大分問題点提起されまして、お話がありましたこととやや関連あることだろうと思いますので、一括してひとつお答えいただきたいと思いますが、表先生のお話から、やっぱり建造物の強度というものは非常にないがしろにできないことはこれは当然のことだと思いますが、経済性とその建造物の強度というのはどうもいつも問題になるわけでありますが、たまたまここで大分でこういう型の地震が起きたということですが、こういう可能性のあるところがあらかじめこれが予知されてなかったろうと思うんですけれども、こういうような形のものが起きる可能性地域というのはやっぱりお考えになることができるのかどうかですね。もしこの地域についてはこういう型のものが、やはりこういう地震の形のものがあるんだということであれば、やはり強度というものについてある程度十分に考えを持たなければならぬだろうと思いますし、経済性だけでどうしても構造物がきゃしゃに流れるといいますか、そういうことのためにこういう形のものの災害が起きるということであれば、今後やはり検討の対象になるんじゃないか、こう思うわけであります。相当丈夫につくっていながらということのようでありますが、ピロティ方式のような形のものについてはやっぱりある程度今後検討しなければならない課題としてお考えになっているのかどうか、その点ひとつ先生のお考えをお聞きしたいのであります。  それから、大分県の中部地震アンケート方式による震度調査解析というのがございますが、先ほどもちょっとお話がございましたが、これはアンケート方式によって通信調査なさるわけで、こういう形式のものはいままでも何度か行われ、また外国でもやっておるようでありますが、確かに人間心理に与える調査としては非常に貴重なものだと思うんでありますが、先ほど来もお話ございましたように、観測データ、これは長い歴史の中での観測のデータ、そしてまた広範囲にわたる観測のデータ、こういうものも必要だと思います。人間に感ずる、心理的に人間に与える、心理面については十分に——十分と言いますか、こういう調査である程度のことは把握できるだろうと思いますが、やっぱり機器による正確な震度、こういうものも大事だろうと思います。まあ中身について僕らけさいただいたわけですから、詳しく拝見はいたしてないわけでありますが、やはり観測データにつきましては、地理院とか、また気象庁とか、大学とか、それぞれに分かれておりまして、なかなかデータそのものも機器によって正確のものが得られるということはむずかしいことじゃないかと思うのでありますが、このアンケート調査というものが非常に確度の高いと言いますか、人間の感ずるものというものも機械で測定するものと比すべきものなのかどうか、その辺の関係についてひとつお考えをお伺いしたいと思います。  それから村上参考人について、地震予知ということがわれわれの最大の関心事でありまして、しかし先生おっしゃるとおり、現在どんどん過密都市が進行しておる。こういうことで、そういう中での対策はどうしても後追い的になる。こういう現象が関係者によって憂慮されているわけでありますが、江東地区等につきましては非常な御努力によってある程度のことはできたといたしましても、これから現状の中でなし得られるのは一体何かというこういうことについてもお話ございましたが、われわれはやっぱり現在過密化がどんどんどんどん進行しておるんだと、どういうふうに嘆いてみても一たび災害が起きたときには、それに対して最小限度人命を救助するということから、人命を守るということから最小限の被害にとどめなければならぬということでありますから、現在先生のお考えの中で特に強烈と言いますか、強力に進めなければならないとしてお考えになっていらっしゃる対策、これはもう都市災害ということになりますと、最近のプロパンの使用量の増大や、また地下鉄のことから、地下街のことからもいろいろなことが問題になっておるわけでありますが、それらの余りにも大きな範囲についてお伺いするつもりもございませんけれども、大筋として現状の中でなし得られることについて率直に御意見等ございましたらお伺いしたいと、このように思います。
  43. 工藤良平

    委員長工藤良平君) それでは、まず加茂参考人から。
  44. 加茂幸介

    参考人加茂幸介君) 溶岩流出山頂噴火繰り返しの問題でございますが、過去、文明、安永、大正という両山腹から噴火した大きい大噴火と言われるものは過去にあるわけでございます。大正の場合は、先ほど申し上げましたようなカルデラの隆起、沈降という動きがあったわけでございます。それから古文書の調査からわかっておりますのは、安永の噴火のときにも、現在の鹿児島市の小川町が満潮時に噴火後二年にわたって浸水し続けたと、三年目になってやっと浸水がとまったというような記録がございます。ということは、やはり噴火で沈降してまた隆起していったというようなことがわかっているわけでございます。したがって、グラフで書くと書きやすいんですが、まず、文明のときにやはり隆起していっていて溶岩を出して沈降しまして、それからたしか約三百年経過しまして、その間にやはり古文書でも山頂噴火して降灰で非常に困った状態があるわけです。その間に徐々に隆起していっていて、それで安永の噴火を迎えてさらにまた沈下しまして、その後、安永の後は二十年ぐらい降灰期が続いております。そういうものがあって、約百六十年たって大正の噴火にまた結びついて沈下して、現在隆起の傾向をたどっておるわけです。ただその隆起する途中でこういう昭和三十年だとか昭和四十七年のような山頂噴火の激しいときがございますと、その隆起状態が一たん休止状態に入っている、こういう状態繰り返しているわけでして、やはりこういう隆起が続く限りは山腹噴火が再び訪れるということは免れないだろう、そういう方向に向かっているんだという覚悟は決めておかなければならないだろうと思います。  それで、大正のときにどのくらいじゃ膨張したかという数字が大体つかめているわけでございますが、じゃそれが隆起の最高点であってそこまでいったら溶岩を出すのかどうかという点は確められてないわけでございます。まして文明、安永のときにどのくらいまで隆起していたものかというデータもないわけです。ただ言えることは、隆起状態が長く続けば続くほど次に来たるべき山腹噴火はそれに相応して大きいだろうと、こういうことが言えるんではないかと思います。そういう意味で、先生の御質問の今後の見通しというのは、やはり隆起を監視していて隆起が続く限りは、山腹噴火を残念ながら期待せざるを得ないと、こういう状況かと思います。  それから海水汚染、水銀汚染とカルデラの問題でございますが、これは昨年度文部省の科学研究費でもってやはり火山に関係するいろんな学者が集まりまして調査いたしたわけでございますが、姶良カルデラの中には大きな火口三つぐらい海底地形として確認されております。そのうちの幾つかの火口の中からは気泡、ガス泡といいますか、気泡が上がっておりまして、それが海面にあらわれていて、一部ではたぎりというような通称で呼ばれている場所があるわけでございますが、で、そのガス泡なりに水銀の高濃度のものがあるかというのは確認できておりません。というのは、下の出口でガスをつかまえてないといけない。ところが出口というのが七十メートルだとか八十メートルという水深のところから出ているものですから、その生のガスがつかめないということで確認されておりません。それからそういうガス泡を発生するところが現在の南岳の活動とシンクロナイズといいますか、同調して活動が激しくなったり低調になったりしている形跡は見当たりませんでした。それから海水は相当採水して、これは東京工業大学の先生が分析をなさったんですが、かつて見つかったような高濃度の水銀を含む海水のかたまりといいますか、そういったものは見つかっておりません。何とも結論としてはよくわからないという結論になっておるわけでございますが、私見でございますが、水銀の問題になりますと化学になりますんで、ちょっと専門を外れるんですが、恐らく火山が放出する、水銀を放出しているとしましても有機水銀を生で放出していることはあり得ないだろうと思います。無機水銀で出しているんだろうと思います。そういったものが回り回って有機水銀化する過程というものが解明されないと、火山そのものが出している、たとえば南岳の山頂から出す噴煙とか火山ガスに含まれる水銀の量はそんなに多い量ではありません。したがって、もしこの火山活動桜島の海水汚染とが関係あるとしたら、無機から有機になる過程を解明する必要があるのと、それに、もし時間がかかるものとすれば、現在の活動と果たして直接結びついているか過去の活動で出たものがいまあらわれていると、そういう解釈する方が妥当なのではないかと思います。  それから次に、長期的な観測必要性から日本にどこか抜けたところがないかという御質問かと思いますが、これにつきましては、現在九州では観測所というのが阿蘇、桜島、霧島、雲仙と四カ所ございます。それから関東へ参りまして、伊豆の大島それから浅間山、その二つだったと思います。それから、それ以外の火山には大学の観測所というのはございません。最寄りの地方気象台があった場合には地震計を設置して観測しているところはございます。大体、日本の火山というのをブロックに分けて考えてみますと、九州地区、それから関東甲信越ですね、それから東北地区、北海道地区とあるわけですが、現在のところそういう観測所がないというのは北海道地区、それから東北地区がないわけでございます。その中でも、われわれの考えでは北海道地区が数が非常に火山が多いにもかかわらず一つもないという状態で、実は噴火予知計画でも来年度ぜひ北海道に、これは有珠山——昭和新山のできましたところですが、有珠山に観測所をつくるようにというようなことを希望している次第でございます。  それから、設備の御質問が若干あったかと思いますが、実は先ほどからいろんな先生方の質問にお答えしてていろんな観測項目をたくさんずらずら申し上げたんですが、それらをどれもやりたいわけですね。ところが、人間の問題がありまして全部に一遍に手をつけるわけにいかない。それから、たとえば先ほど言いました傾斜計のようなものにしても、発注しまして、日本にないものですから、輸入品になるものですからどうしても予算がついて発注して入ってくるのを待っていると一年かかってしまう、そういうような状況でございます。  それで、ここでもう一つ、それに関連しましてぜひお願いしておきたいことは日本の大学の中に火山学を専攻している大学の講座というのが実は北海道大学に半講座あるだけでして、旧帝国大学の中にもどこにもないわけです。火山学というのは、一種の地震学の応用だとか、地救化学の応用だとか、地質学の応用という面が強いということで、そういうところを出てから勉強し始めるのが実情なんですが、ぜひこの際、このように噴火予知に関連しまして火山学の発展が望まれるような時期には大学の教室の中に、地球物理学教室の中に火山学の講座をぜひつくって、火山学者の後継者を養成することにまず着手しておかないと、いつまでたっても人が足りない、お金だけもらってもどうにもなりませんというような繰り返しになるのではないかと思います。  以上でございます。
  45. 工藤良平

    委員長工藤良平君) ありがとうございました。  それでは村上参考人
  46. 村上處直

    参考人村上處直君) 逃げという言葉と攻めという言葉を使ってしまいましたのであれでございますけれども、私の感じでは都市大火になってしまいますと、本当に勝ち目はないといいますか、終わりだと考えているわけです。ですから、大火にしないために何かをしなければならないわけです。大火を防ぐためには、やはり先ほどちょっと申しましたようによりどころになるようなものがあって、そこへ行けば確かになる、そういうかなりオープンスペースが身近にあるとか、そういうことも含めて手近な水が用意できるとか、そんなことが必要じゃないかと思います。たとえばいまの地震対策避難地を指定いたしますけれども指定をするプロセスなんかも非常に問題だと思うのです。はっきり申しまして、避難地を指定するときには、やっぱりそれを本当にそこへ逃げ込む人とか、それをお守りになる消防の担当の方とか、そういう人が本当にどう考えているかということで、あんたは責任とれるかというようなことで、やっぱり物は決めていけば、自分が責任とるということでやったんだからやはり責任とるというような関係が出てくると思うんです。やっぱり都市の社会というのは、やはりそういう人間関係を含めていろんなことを仕組んだ方が利口じゃないかと考えて、私は横浜市でそういう避難対策を考えたときに、これは一つの防災アセスメントの方法なんですけれども、学問的にはこういうふうな大火の計算でこういうふうになりますけれども、その担当の署長さん方が自分でお守りになれると思ったら判を押してください、必ず現場に行ってみて自分で考えてくださいと、そういうことを言いました。これは余り評価されていないかもしれませんけれども、そういういろんな技術と、それから災害対策の根本問題は、やはり最終的には人間が責任とらなきゃいけない。先ほどから安全問題について社会的評価と科学的評価が異なるというようなことが大分出てまいりましたけれども、はっきり申しまして常に異なるはずでございます。その異なるのを克服するのは、やはり新しい意味でのそういう防災アセスメントと申しますか、一つの評価方法というのが確立されて、やっぱりわれわれ住民でみんなで決めたんだから、やっぱり何とかしなくちゃと、それだったら、あそこ避難地になっているんだったらもっとこんなものが欲しいじゃないかという、そういう要求が出て始めて避難地は避難地になるわけです。ところが、いまのところ、ただ決められていて、住民はほとんどそういうことについて考えていない。そういうところが、実際に同じ避難地をつくったとして決めたとしても強さ弱さがずいぶん出てくる。やっぱり攻め側に使うためには、最終的には人間が使わなきゃいけないわけですから、そういう使う側の人間にその気にならすような形で決めていく、それが必要じゃないか。それでうまくやれば火災が防げるかもしれない。ですから、都市火災論で簡単に割り切って、ここ避難地なんだということでうまくいくかというと、私はいくとは思えていないわけです。そういう意味で攻めの側に回ってほしい。そういう施策がいろいろ必要だと考えております。ですから、物的な対策だけじゃなくて、わりあいそういうソフトな面でもかなりやっていただきたいということが大事だと思います。  それから江東再開発の、やっていて隘路の問題、これは非常に大変な事業で、はっきり言って膨大な予算も必要ですし、ああいうことは、まああれは十年前の高度成長期の初期のころに、やはり十年以内にできるんならばという一つの前提条件をわれわれは考えながら、ある投資効果の最も安全に対する効率が早い、立ち上がりが早い方法として選んだわけで、非常にむずかしい問題をたくさん抱えておりますけれども、やはり一番大事なのは予算の一元化と申しますか、それから事業とか管理体制とか、そういうものについてのやっぱりちゃんとした議論ができることと、それが実体化できるような動きがないと、いまはそれぞればらばらの局で何とかみんなで話し合ってということをやっておりますけれども基本的には非常に大きな問題を背後に抱えております。その問題は、事業段階だけじゃなくて計画段階からやっぱりそういうことをやらなきゃいけないし、それから、さっき住民のコンセンサスの問題が出ておりましたけれども、やはりはっきり申しまして、計画を始める段階から先ほどの避難地の話じゃないんですけれども、やっぱり住民に考えさせて、やっぱりわれわれのためにやるんだというような方向に持っていかないと、大きな事業をやると大ぜいの住民が絡まってまいりますので、それだけで事業は挫折いたします。ですから、いままでのいろんな方法ですと、ある程度計画を決めて、絵をつくって住民に持ち込むというような形があるかもしれませんけれども、これからは必ずしもそうじゃなくて、やっぱり住民に考えさせながら、住民に絵をかかせて何か形をつくっていく、その結果としてやっぱり町が安全になる、そういう、何といいますか、いろんな都市空間と申します、そういうことと住民の意識のかかわり合いもやっぱり含めていかないと非常にむずかしいんじゃないかと考えております。  それからもう一つの問題は、先ほどの地震予知ということか——都市の過密化か進行するんだけれどもどうしたらいいかというようなことでございますけれども、現在の現状でできることについてということなんですけれども、私が考えておりますのは、やはり過去にございました不燃化、たとえば一つの不燃化の問題を取り上げますと、不燃化のためには法律的な規制とか、補助とか、事業とかございますけれども、やっぱり本質的には規制と事業が一体化するというような必要がございます。ところが、たとえば防火地区指定いたしましても、そういう防火地区に積極的に事業をするというような形にはなかなかならないで、ばらばらでございますので、防火地区だとそれぞれ建てる人が建てかえのときに勝手に不燃建築物にしてくださいというようなことでございますけれども都市耐火とか、もうちょっと都市の防災なんかを考えますと、戦略的にある程度路線を決めて、そこを防火指定して、そこの防火指定はかなり補助をする、そういうことがぜひ必要だと思うんです。そのためには現在都市の中にある安全の財産というのをどういうふうに評価したらいいかわかりませんけれども、安全の側になるような財産を、現在ある財産とか将来なり得る財産、たとえば工場がぽかっと抜けていったときにその工場の跡地をどう利用するかと、うまく利用すれば安全側から言えば安全になりますけれども、へたに利用すれば危険になるわけです。そういうことをすべて含めて、とにかくその安全の財産をシステマティックに都市の中にかなり生かしていくような方法とそういう路線、防火帯ですか、ある程度路線的に防火帯にするところ、危険地危険地区の指定なりをして、そこには積極的に補助それから事業を興す、そういうことをやっていく、それが非常に大事じゃないかと思います。  それから、都市が成長する過程で危険がふえるということで一番いま私が憂慮しておりますのは、地盤が本質的に悪いところに悪いところにと逆に都市が広がっていく。それは地価が安いということも含めて広がっておりますけれども、やはりその辺は何とかしていただきたい。  それから、私、ちょっと三多摩地方の都市とつき合っておりますけれども、そういうところの町で学校建築がどういうところへ立地するかというのをちょっと調査いたしますと、なぜだか知らないけれども地盤的な条件の悪いところに立地してまいります。で、学校一つ立地させるのも、それは地震対策上から見ると、やはり地盤のいいところ、それから先ほど言いましたいろんな施設がブロック化してお互いに助け合えるような条件になるところとか、そういう意味で学校の敷地も本当は決めていただきたいわけで、現在のところそういう形のことというのはほとんど起こりませんけれども地震対策ということから少しそれぞれの行政の側の方がそういうことについて思いをはせていただいて、そういうことについての可能性を見つけてほしいと、そんなふうに考えております。  以上であります。
  47. 工藤良平

    委員長工藤良平君) どうもありがとうございました。  それでは、最後に表参考人
  48. 表俊一郎

    参考人(表俊一郎君) お答えさせていただきます。  まず最初に、長期的な見地からも見て地震の方の予知をという御質問をいただいたと思いますが、これは地震——火山地震の違いますことは、火山はここに起こるということはわかっておるわけでございます。地震はいまのところどこに起こるかわからないという大変もうむずかしい問題を抱えておりまして、これについては建設省の地理院の中にございまする地震予知連と言っておりますが、萩原先生が会長をしておられますが、これで全国的ないわば日本の知能を集めてやっておられまして、私どもあたりがおか目八目的なことを申すべきではないと思っておりますが、私はこれに相当な国家予算がいま出ておりますので、私どもは大いに信頼してこの進展を願っておるものでございます。ただ、いま中国からも日本の地震学会に対しまして、中国の地震予知を見に来いという招待をいただいておりますので、私どもはそういうふうな機会をつかまえて、世界的なレベルでこの問題を考えまして、やはり何とかしてこの問題は日本でももう一歩前進させたいと願っておることでございます。  で、その次に建物の強度、経済性を考えてその建物の強度を考えろ、それからその地震の起こる地域はどういうふうなことになっておるかという御質問をいただきましたが、残念ながら日本は地震国であると言われておりまして、大分地震程度、または非常に地震の少ないと言われております地域でも、あれよりももう少し小さいいわゆるマグニチュード六の地震は日本じゅうどこでも起こると一応考えなくてはならないし、考えるべきであると思っております。それで、現在私ども建築屋が責任を持っておると自負しております問題は、そういう建物は経済性をかなり十分考慮してつくることはできるはずであると、ただ壊れない建物はつくれない、地震のときに壊れてもよろしい、けれども人命の損傷はないという程度の壊れ方まで、それが経済問題とひっくるめていま日本でできる範囲だと思っております。で、不幸にしてこの間の大分地震のときには、一階が落階しまして、もしあれが昼間で、大ぜいの方がおられたらば大変なことになりまして、これは大変幸いだったと思っておりますが、あれがあってはいかぬわけでございまして、あれを防ぐために私ども一応目標をまとめまして、これでいけば大体できるというところでございます。そういうわけで、相当な損傷を受けてもとにかく持ちこたえるだけのものはいまの法規の中で十分余力を考えてつくっていただけばできるはずだと思っておりまして、そのことをぜひ次の地震の場合には一遍実証することを期待しておるわけでございます。  それから次の人間心理を考えることも大事だけれども、機械観測も大事ではないかというお話がございまして、全くお説のとおりだと思います。機械観測につきましては、たとえばいまの建物をいかに経済的に、しかも耐震的につくるかというためには、地震記録をとらなければ、これは人の感じを聞いただけでは、直下地震で上下動が大きかった、小さかったと、こう聞いただけではどうにもなりません。そのためにはいま強震計設置委員会というのがございまして、各関係者が強力に進めておりまして、すでに日本では千台以上の強震計が日本じゅうにばらまかれております。これは大地震のときに記録をとって、将来の耐震設計に非常に有効なデータを得るべく努力しておりまして、まだこれは十分であるとは申しませんけれども、一生懸命やっております。それと同時に、やはりその地震のときにどういうふうに人間が行動するものであるかということも、これもやはり相手は人間でございますので、そのことを知らなくては、科学だけでは地震災害軽減の問題は役に立ちません。で、震度六以上のものでアンケートをとったのは実は今度が初めてでございまして、これは私ども十分な、これ一発でよいとは思っておりませんで、次のときにもまたとりたいと思っておりますけれども、そういう意味でデータを積み重ねて、そうしていままでは主にわれわれ技術屋はサイエンスの面から地震災害を防止をするということを考えておりましたけれども、きょうここで村上先生もしばしばおっしゃいましたように、やはり社会科学と、それから純粋科学と両方合体した形でいまから進めていかなければ、ことに日本のような火災を伴う災害はとても防止できる問題ではございませんので、私どもいまはこのことは日本でも非常に新しい気運として盛り上がってきておりますことを大変幸せであると思っておりますが、これについても先生方の御指導もいただいて、何とかして地震災害を日本からできれば追い払うまで努力していきたいと思っております。  以上でございます。
  49. 工藤良平

    委員長工藤良平君) どうもありがとうございました。  以上をもちまして参考人方々に対する質疑は終わります。  参考人方々に一言お礼を申し上げたいと思います。本日は非常に御多忙のところ、こうして長時間にわたりまして貴重な御意見の開陳をいただきまして、私どもといたしましても心からお礼を申し上げたいと思います。お話にもありましたように、この種の仕事は非常に人命に関する仕事でございますけれども、皆さん方の御努力に必ずしも十分に報いていない、こういうようなきらいもいたすわけでございまして、きょうは非常に貴重な御意見をいただきましたので、私どもこれからもなお回を重ねて本問題に対する検討を進めてまいりたいと思いますし、行政官庁に対しましても最大の努力をいたしまして、皆さん方の御努力に報いていくように最大限の努力をしてまいりたいと思います。  本日は早朝から本当にありがとうございます。皆様にかわりまして厚くお礼を申し上げたいと思います。どうもありがとうございました。  それでは、本日はこれにて散会いたします。    午後三時四十分散会