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杉山善太郎君 私はどうも、あなたの今日ただいまの
労使関係に対する
現状認識はそれなりに
理解はできますが、この
スト権を与えるとか与えないかという問題については、ともかくも労組法が、マッカーサーの占領政策の中で、新しい憲法の中で
労働組合法ができて、さらに二・一の
ストライキというものがあって、そのゼネ
ストをマッカーサーの権力の、権限の範囲で中止されたと。そういう中から、今度はマッカーサー書簡に
関連をして政令二百一号というものを盾にしながら——労組法時代には消防署の
関係と警察官だけが
労働基本権というものはなかったわけですが、あとは全部あったんですよ。それから起算してみるともう二十七年、ことしは二十八年目になっておるわけですよ。絶えず
国鉄の四十数万の
労働者、これは
国鉄労働者に限らず
公共企業体関係の
労働組合は、その表現の方法、手段は違っても、
スト権を返してもらいたいと、そういう点については変わりないのでありますから、結局与えるとか与えないかという問題でなくて、生活や
労働基本権の原点である
スト権を、
ストライキそのものはこれは目的ですよ、手段ですよ。正当な要求を話し合ってもどうしてもというふうなその権利、
基本権が必要なんですから、そのある
基本権は、原点においては保障されたものであるからそれを返してくれと、そういう点に対する
認識上の問題がやはりぼくは、これはいまここでは言いませんけれ
ども、やがて延長線上に、たとえば衆議院の段階では運賃法であるとか、あるいは
国鉄法の改正という問題が出ておりますけれ
ども、それが仮にレールを敷かれたような、すんなりといってみても
国鉄再建のための抜本的な改正にはならないんだと、私はそういう次元のとらえ方をいたしておりますので、そういう限りにおいては、一番大事なのは、どうしてもこの
スト権を、あったものを復権をしてもらいたいと、そういう要求の噴き出しが、結果から見て好ましい好ましくないという評価の仕方は多様でありますけれ
ども、ともあれ十一月の二十六日から、結果して思わざる——あれはやはり
スト権復権のいわゆる政治的な要求を
内閣にぶっつけておったことは間違いないでしょう。
それが第一ボタンのかけ違いからして——第一ボタンのかけ違いはだれがやったかといいますと、ずばり言いますけれ
ども、
行政の最高権威である、つまり
内閣総理
大臣である三木さんがボタンのかけ違いをやってしまったから、どの側から見ても好ましくない、結果して記録の百九十二時間ですか、そういう八日間にわたる長期な、好まざる政治
ストへ入ってしまったと、こういうかっこうになるわけでありますよ。
国民の
立場、
国鉄労働者の
立場でもこれは与えるという方向で、ただし公労法を改正するとか、諮問
機関をつくったり、あるいは
閣僚会議をつくったりして若干の
期間をかけてほしいと、しかし与えるという方向で、
スト権を復権させるという方向で、ただし時間が必要だということに、三木総理が第一ボタンをそういうふうにしっかりとかけ直せば、ぼくはあのときには、
スト権を復権してくれという政治的な復権要求であって、他の要求はなかったはずなんでありますから起きようないわけです。それが
ポイントの切りかえによってずうっと入っていってしまったというふうに考えるわけです。
このやりとりについて時間を費やすというと時間に限りがありまするけれ
ども、いま私は
大臣の
所信表明の中にも
関連をして、どうしても
国鉄は
国民の
国鉄として、
国民の足として、苦悩の中から抜本的なやはり
再建が必要であると。その原点は何といっても、労組法上あった、そういうような
経過があるんだからそれを復権してもらいたいと。その過程においては、そのことがやはり
一つの
考え方で
労使の間はうまくいってなかったでしう。たとえば
ストライキをやる、処分する、そして
ストをやるという悪循環が延々として続いておるわけじゃないですか。今後それがこんりんざい打ち切られるという保証は今日の時点においてないから、こういう好ましくないことはこの辺で打ち切るための原点は、
現状の
労使関係に対するあり方の
現状認識と、ある
スト権を、いろいろ時間はかかってもいいが、与えるという方向において
スト権の回復の問題について
現状認識を、私の主観じゃないんですよ、これは物の条理を言っているわけでありまするけれ
ども、しかし
行政の長である
大臣は、
認識と食い違ってもこれはやむを得ませんから、これを一致するまではどうこうするということじゃありませんが、そこで具体的な例を私は
一つ申し上げます。
大臣はこの
閣僚会議の主要メンバーでもあると同時に、第一次
専門懇についても相当に重大な関心を持っておられたと思います。で、具体的には、昨年の十一月二十六日に結局
ストに突入したというのが現実であります。その前の段階で、やはり
スト権の回復をしてもらいたいという点について政労——たとえば総評であるとか、あるいは社会党というパイプを通して、それから
政府側は官房長官なり海部副長官が窓口になって、相当なこの問題に対して時間があったということでありますが、具体的にはやはり、私はここに持ってきておりまするけれ
ども、われわれ
国会に議席を持つ者の側には、これは一九七五年十一月の十九日ということになっておりますから昨年の十一月十九日ですよね、
スト権回復についての要請書というものが——いわゆる三公社五現業の名前をつけて、
国会議員の各位ということで要請書が来ておりまするから、したがって、当然これは
政府に対して、その前もやはり総評なり、あるいは政党次元でこれらの復権の問題があったと思いまするが、しかし、現象面で決裂をするという状態で結局具体的に
ストに入ったというのは十一月の二十六日でありますが、その
関係についてどういう
認識を持っておられますか。
時間もありませんからさらに申し上げまするが、とにかくこれは昨年の十一月の十九日に
国会議員に向かって
スト権回復についての要請書というものが出ておるのでありまするから、さらに
国鉄関係の
労働者の中で、具体的には
国鉄労働組合だとか、動力車労組等においては、この復権問題について要求という形で出て言葉のやりとりがあったと思いまするが、その辺の事情はどうですか。
さらに申し添えておきまするが、その十一月の十九日の当時マスコミは、たとえばこれは、私がここに持ってきておりますのは五十年十一月二十四日の朝日の社説なんですが、こういう表題で書いております。「「
スト権」で政治的決断を望む」。これは社説は民意を吸い上げて、具体的には係争の焦点にある一方の当事者である
政府に向かって「「
スト権」で政治的決断を望む」ということを言っているわけでありまするが、これは具体的には要請書が
労働組合から
国会議員の前にまかれておると、それ以前の段階において、
政府に向かっては政労のパイプを通してそれぞれ時間をかけた
論議があったと思いまするが、しかし、これは二十六日以前の問題で、二十六日に
ストに突入してしまっただでしょう。でありまするから問題は、私が先ほど第一のボタンのかけ違いができておるんだというふうに言ったので、したがって、責任をどうこうするわけじゃないんですが、これは五十年の十一月二十四日の朝日の社説でありますが、こう書いてありますよ。
これ急所でありますからちょっと簡単に抜き書きをしておりますが、「いま想起するのは十一年前の「池田−太田会談」である。当時と今では社会、政治情勢は違う。政治的決断があった事実は変わりようがない。三木首相はランブイエから帰国後の記者会見で、時期は明示しなかったものの「
結論を出す」「決断する」という言葉を繰り返した。
ストが延期、または中止されるためには、首相がその条件をつくらねばならない。
国民多数が望む
スト−処分−
ストの悪循環を断つという方向で、短く
期間を区切り、首相としての責任において処理するという態度を表明してもらいたい。それは、首相の持論である「対話と協調」を身をもって示すことでもある。」というふうに。当然これはいま申し上げたように、われわれ
国会議員の中に、これ恐らく全
国会議員にこの要請書が出てきたのだと思います。しかし具体的にはいま申し上げたとおり、
ストへ二十六日から突入されたわけでありまするから、その前の段階で社説はそれを非常に憂えている。これが本当に政治的
ストというようなかっこうで入らない前に十分これに対処するべきであるというかっこうでこういうことを言ってるわけでありますから、私はこれは当時民意と
状況を吸い上げるというマスコミは、中央紙は大体こういう表現をしているわけであります。
でありまするから、これはボタンのかけ違い、だれが責任だ、かれが責任だ——現象面は不幸な現象なんですよ。さらに
関連をして大量の処分というものが出されたでしょう。さらに従来の一般の処分というものにアルファがついて損害賠償というものをやはり
国鉄は、当時藤井
総裁の時代であったけれ
ども、損害賠償の原告として
国鉄、それから被告は
国鉄労働組合なり動力車労組、こういうかっこうになっておりまするから、このネックはどうしても
スト権を復権をしないというと、
労使協調だとか協調主義と言っても土俵の、原点の
ポイントというものが食い違っておるなれば、私はボタンのかけ違いは
最初の出発点にあったんだ。だからこれは復権をしてもらいたいと。しかし、あったものをもとへ戻すということはできない。あったことの事実を思い返してはならないんだと、そういう原点はどうしても
スト権を回復してもらう、回復させるべきだということについて、これは私は実際を言うわけでありますが、こういう
関係の事情について
政府関係とも、政労の
関係というものが相当に交渉があったでしょう。あるいは
関係の
閣僚会議のメインとして
大臣は参与しておられたでしょう。
だから、私は私なりに、あの時点ではこれは総理が、時間をかけてもいいから与えるという方向で、しか時間はかしてくれと、
閣僚懇で煮詰めるし、あるいは
専門懇で慎重
審議して案を出す、しかし
ポイントは、ある
ストライき権が奪われておるわけですから、ないんですから、それを復権してほしいと。いろいろ
法律的な手続があると思いまするけれ
ども、きょうは
内閣の方から
審議官も来ておられまするから、そのいきさつの
法律的なものについては
説明を受けます。私は、たとえばいま私のはだで感じた——私は大体戦前派の労働運動者でありまするから、二・一
ストがどういうものであったか、あるいはどういう
関係であったということは、はだでずっと知っておりますけれ
ども、結局記録的にはやはり
内閣官房の方ではそれなりに知っておられると思いまするけれ
ども、その
ポイントについては、これボタンのかけ違いであるということは間違いないんですよ。
そして、マスコミも社会的責任を感じて、この
ストの「政治的決断を望む」ということは、
内閣や
政府に言っているわけですよ。
国鉄の
総裁は
当事者能力がありませんからね。この段階になればどうしても
政府の次元で決断をする、簡単ですよ。与えるという方向で、ただ時間が欲しい——時間というものは一年たとうと時間は時間ですよ。でありまするけれ
ども、それがないから具体的には、客観的には二十六日に
ストへ入ってしまってから、いわゆるNHK会長の小野吉郎さんがキャップの
専門懇の
意見書というものが出て、そして声明を出されたのは
ストに入ってしまっての十二月一日ですよ。でありますから、これは先行すべきものを先行させず、後追いの中で、
政府の権力でこういう声明を出して、
違法ストであるから処分する、であるから警告するということでありまするけれ
ども、それは物理的な賃上げであるとか、何々をしてくれという要求じゃない、ある基本人権で憲法の原点では保障された要求であるから、とにかくこれはどうもしようがないというかっこうで
ストに入っちゃったわけなんだ。あなたの方で声明を出されたのは十二月一日なんですよ。
こうして見れば、こういう事象はいつまでもこれは
スト−処分、あるいは幾ら言葉のあやで
労使一体だとか
労使慣行をやっていくといってもそれはなかなか納得できないということになりますから、これは大体その当時の時限にそういう要請書が出たということは、
国会議員であってもわれわれそれによって初めてこういうふうにこれは進んでおるなと、読んでもっともだと思ったんですが、政労のパイプの中ではどういう話があったんですか、
大臣ひとつこの点で……。