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伊藤証人 いま
奥野先生の御指摘の点につきましては、御指摘どおり非常に誤解を受けておりますものでございますから、少し説明をさせていただきたいと思うのであります。
おっしゃいましたように、このニュースが入ってまいりましたのは五日の早朝でございました。私は全く驚愕をいたしたわけでありますが、そのときの断片的に入ってまいりましたいろいろなニュースに、確かにイトー・ヒロシという
名前が出ました。それはIDコーポレーションの人である、あるいはまた、その受け取った
領収証というものの
金額も、一億円が正しいんだけれ
ども、その前に十万ドルであるとかいろいろなニュースが入りまして、そしていずれにいたしましても、それらはイトーなる男を通じて
日本のガバメントオフィシャルズとそれから
関係先のエアラインのリプレゼンタティブに流れている、こういう
証言であったのであります。いま申し上げましたような
証言が全部まとまってまいりましたのはしばらく時間がたってでございますけれ
ども、その過程過程におきまして、私は全くそういうことに関知いたしておりませんものですから、全くそれは関知いたしませんということを、私の方の広報室を通じて私の見解を申し述べておりましたわけであります。
ところで、お昼過ぎでございましたか、先ほどの御指摘のヒロシ・イトーとサインいたしました
書類のコピーが電信で送られてまいりました。それを見ますと、確かにこれは私
自身のサインでありました。そしてそれを確認をいたしまして、それから私が午後の記者会見に臨みまして、実は思い出してみればたしか
大久保専務だったか、あるいは松井君だったか——松井君と私は断定はいたしておりません、だったか、そういう
書類を頼まれてサインをしたことがあります、しかし、その意味する
内容等々については全く関知しておりませんし、サインは私のサインでございますけれ
ども、そういう金品のルート等々については、これは午前中に申し上げましたように、全く関知するところではございません、かように申し上げたわけでございます。
それから、いま御
発言がございました松井君につきましては、確かに御指摘のとおりでありまして、私もよく確かめてから
発言をすればよかったのであります。実は私は、あの一九七三年の八月九日という日付があります、あの日にサインをしたかどうかということも、私は明確にいまなお記憶がございません。したがいまして、
大久保さんか松井君だというふうに申したのでありますが、松井君は確かに、調べてみますと、その年の四月に退社いたしておりまして、それからまことに不幸にも、一年後でございましたか出先で心筋梗塞で急死をされたわけであります。私は松井君という、これは非常に有能な男でございまして、退社をいたしますときにも私
自身で慰留をいたしたことが一度ならずある男でございます。
航空機部ができましてから生え抜きの中心人物でございましたものでありますから、私の頭にはとっさに、
大久保さんでなければ松井君かなというひらめきがございまして、さように申し上げたわけであります。したがいまして、これはまことに御遺族にも御迷惑をおかけいたしました。後ほど取り消しましたような次第でございます。