○
若狭証人 お答え申し上げます。
新
機種選定準備
委員会は、各候補
機種の具体的なデータについて技術的な検討を行うということが主目的でございまして、その準備
委員会で直ちにどの
機種がいいというような総体的な評価、いわゆるそういう
委員会ではございません。あらゆる技術的な検討の結果をまとめまして、それを
社長に報告し、そして
社長が担当の役員と
相談しながら決定するという仕組みになっておったわけでございます。
当時、先ほど申しました三
機種についていろいろ検討したわけでございますが、まず第一に、
昭和四十五年、先ほど申しました準備
委員会のできました年は、
日本におきまして万博があった年でございます。そうしてその夏までは万博のために非常に旅客の需要がふえてまいったわけでございますけれ
ども、万博終了後、旅客が急激に減少いたしました。当時、
アメリカにおきましてもやはり経済の、不況の到来というものがございまして、
アメリカの航空旅客も減少しておったということがございました。またもう一つは、当時大型
機種として
最初に就航いたしました747、ボーイング社のジャンボは、初期故障が非常に多いためになかなか就航成績が上がらないという状態でございました。そういういろいろな状態から考えまして、この
選定時期をいつにするかという問題について、これも準備
委員会で十分いろいろ検討されたわけですけれ
ども、できるだけおくらしてもらいたいというような
意見がございました。
それからもう一つは、
昭和四十六年の七月三十日に雫石の大事故が起こりまして、そのために世界航空史上かつてないような大量の死傷者が出たわけでございます。百六十二名の方がお亡くなりになったわけでございます。私たちは当時この事故について、その原因がどこにあったかというような問題についていろいろ検討を追られていたことも事実でございますし、また航空の安全についてもう一度根本的に考え直すという事態に迫られたことも事実でございます。そういうことで、そういう
関係からいたしまして、どうしてもどの
機種導入というものをもう一度延ばして、その間にやはり安全運航の体制について思い切った措置を講じて立て直していこうということを考えまして、これを延ばしてきたような状態でございます。
その間に三
機種とも運航を開始するという状態になったわけでございますけれ
ども、
ロッキード・
トライスターが採用された第一番の
理由は、やはり安全性の問題であったと私は記憶いたしております。と申しますのは、ちょうど最終的な選考過程に入ったときに、ちょうど競争相手でありましたダグラス社の
飛行機に三回連続して事故が起こるというような問題がございまして、そういう点が非常に大きく作用したかと思います。
それから第二番目は、騒音の問題でございます。ジャンボ、それからDC10、それから
ロッキード一〇一一というものを比べてみますと、
ロッキードの
トライスターの騒音が最も低いということが、
アメリカの航空当局によって証明されておったわけでございます。そういう
意味で、騒音の最も低い
飛行機を採用するということが、われわれ航空事業としては環境問題というものを十分考えるという
意味でどうしても必要であったというふうに考えておるわけでございます。
さらにもう一つは、DC10のエンジンが、
ロッキード・
トライスターのエンジンよりも三メートル高いところについております。このために、たとえば大阪空港へこの大型機が入った場合に、
ロッキード一〇一一あるいはジャンボの場合には、ブラストフェンスといいまして後流の排気ガスをとめる壁がございますが、それが現状のままで間に合うわけでございますけれ
ども、DC10の場合には非常にそのエンジンが高いところにございますので、この後流が直ちに部落の中まで入ってしまうというような致命的な問題があったわけでございます。そういうようないろいろな点を総合して、結局
ロッキード・
トライスターに決定せざるを得なかったというのが実情でございます。