○山原
委員 国立学校設置法の
質問に当たりまして、
最初に
大学と障害者の
入学問題について簡単に
質問をいたしたいと思います。
御承知のように、本年の明治学院
大学に対する身体障害者である小田君の
入学試験の問題が出てまいりまして、私も
文部省の方にお尋ねをしたことがありますが、この場合には残念ながら明治学院
大学の
受け入れるところとならず、
入学試験が拒否されたかっこうになっています。
それで、これから
昭和五十四年度には障害者の全員
入学という問題も出ております。したがって、養護
学校等の高等部を卒業しまして、そして
大学へ
進学したいという
学生が出てくるのはいままでよりももっと多くなるのではないか。これに対して当然適切な処理がいまからなされておる必要があると思います。そういう
意味で、いま私は実例を挙げて文部
大臣に御
質問を申し上げたいわけであります。
これは、たまたま私の県の県立短期
大学に木村俊光君という十九歳の
学生がおるのでございます。彼は県立若草養護
学校の高等部の卒業でございまして、その卒業に当たりましてそれぞれの
学生が進路をどうするかということでかなり悩んだわけでございます。その中でこの養護
学校の
先生方を
中心としまして、特に木村君は
大学に
進学したいという決意を表明されまして、それをどうするかということでずいぶん論議がなされてまいりました。ところが木村君は脳性麻痺でございまして、手も足も動きません。車いすに乗ったままでございまして、私も一昨日、この木村君にお目にかかったのでございますけれども、口しか動かない、こういう状態ですね。そして
言葉にもかなり言語障害が出ておる。こういういわば重度の障害者が果たして
大学へ行けるのかという疑問もあったわけです。そしてまたその志望をしましたところの
大学はたまたま県立高知短期
大学でございました。
大学側にこの
入学の問題を申し出ますと、
大学の方も実は大変困惑したような状態であったわけですね。いきなり拒否するというようなことではもちろんありませんけれども、この施設のない中で、しかも車いすに乗った重度の障害者を一体
教育できるのかということで、しばしば教授会が開かれておるわけであります。
私は、その教授会あるいは木村君を育てました養護
学校の高等部の
先生方のやりとりというものを、
大臣にも昨日
会議を通じてお渡ししたわけでございますが、本当にこの木村君を
入学させるために、たとえば
入学試験はどうなるのか、あるいは
学校へ入ってから試験をどういうふうに受けるのかというような点につきまして、この養護
学校では全国の調査もしたりいろいろ
研究をしまして、
入学試験のときにはたとえば木村君を別室に置きまして、そして一人の試験官がつきまして木村君の言うことを一人の
先生が筆記する、それをテープコーダーを置いて、さらに正確を期すというような、そういう具体的な提案がなされておるわけでございます。そうしてついに県議会その他におきましても、もう超党派でこの
入学に対して大きな関心を持っておったわけであります。ついに高知短期
大学におきましては教授会の決定として
入学試験を受けることを認めました。そして
入学試験の結果は、彼は相当な成績をもって
入学を許可されたわけであります。これが各新聞にも載りまして、そうしてこの木村君という重度の障害者の
大学入学ということが全国の障害者、特に希望に燃えておる若い身障者にとりまして一つの大きな希望となったわけでございます。
さて、この
大学入学を許可されまして、それから先のことでありますけれども、何しろ木村君のうちはこの
大学から、私の目測でありますけれども、約八キロ近く離れています。お母さんはこの木村君を車に積みまして夜間の短期
大学でございますので、毎日午後四時半に家を出発して、五時にはこの短期
大学へ着くわけです。そうしますと、この木村君を待っておる学友たちが、もうそこにおる者みんなが援助しまして、木村君の体と車いすを入れますと約百キロでございますけれども、これを四人がかりで抱えて、彼の教室へ二階、三階と運び、そうして移動させていくという。それがいまお手元にお見せしましたところの写真でございます。実は私はそれをやっていただいたわけですが、そういう状態でございます。
そして木村君はこの一年間一日も一時間も休みをとっておりません。これが全学に与えた影響というのはどうかということで教授会の皆さんにも一昨日お目にかかったのでありますけれども、木村君の出現だけではもちろんないけれども、木村君に励まされてこの
大学そのものが、
学生諸君がもうきわめて時間をまじめにサボらなくなった、こういう結果が出ているわけでございます。同時に木村君を援助する全学の気持ちが一つになっておりまして、私はこの
大学の空気に触れることができまして、大変な感激を受けたわけでございます。お母さんは、ここへ送り届けますと、じっと夜の九時半まで待つわけにはまいりませんので、この
大学の食堂へ行きまして、みずから食堂の手伝いをいたしまして、そうして
学生諸君にライスカレーとか、うどんとかいうものを差し出す仕事をしているわけであります。親も子も本当に全身を込めた努力で
大学をあと一年間卒業してみせる、そういう気魄に燃えておるわけでございます。そして木村君はみずからハムの国家試験に合格をいたしました。これは松山の電波監理局からわざわざ参りまして国家試験を受けておりますが、それもみごとに合格いたしまして、口でキーをたたきながらハムの通信をやっておる姿も見せていただいたのでございます。
そしてこの一年間が終わりましてその成績でございますけれども、私は本人とお母さんの了解を得ましていま発表したいと思うのです。それは、取り残した単位がないわけです。受けた試験は全部合格しておりまして、たとえば法学は九十五点の優で四単位取っております。
社会科学概論が九十三点、二単位、化学が九十点の二単位、
社会思想史が八十点の四単位、
社会政策が八十五点の四単位、景気変動論が八十点の四単位、法学がただいま申し上げました九十五点、優、四単位、行政法が七十三点、四単位、統計学八十点の二単位、法学特講が九十点の二単位、哲学が九十点の四単位、経済学特講が九十五点の四単位、法思想史が八十点の二単位、保健体育が七十五点の二単位、憲法が八十一点の四単位、
日本経済論が八十九点の四単位、金融論が九十点の四単位。これが彼がこの一年間に取った単位でございまして、私はこの成績に驚愕したわけです。だから、重度の身障者であるから手心を加えたのじゃありませんか、こういって教授の皆さんに尋ねますと、私の
大学では絶対にそういうことはいたしません、こう言っておられるのでございます。
そういう
意味で、この
教育の成果といいますか、
教育のある
意味でのとうとさといいますか、こういう重度の身障者、
最初は不安を持ったでしょう。
大学側としても困惑したでしょう。しかし、懸命になってやればこれだけの成果を挙げることができるということを見まして、これはどうしても全文教
委員の皆さん、また文部
大臣を初め
文部省の皆さんにお知らせしたいと思って、きょうは資料を持ってまいったわけでございます。
いまこの
大学で一番問題になりますのは、車いすの問題であります。あとのことはそれぞれ障害はありますけれどもとにかく一定の成果を挙げる効果的なことをやることはできますが、車いすに乗っておる場合、四階へ行くとかいうことはやはりこれは一つの重荷になっているのではないかと思うのであります。県はこれに対してことし七百万円の予算を木村君に対する対策として組んだわけであります。私はこれは県もりっぱだと思っているわけでありますが、この県の組んだ七百万円は木村君の教室を一階に移すという
考え方であります。ところが、木村君が授業を受ける教室を一階に移すということになりますと、これは全学の変動が行われるわけでございまして、これは
教育的ではありません。したがっていま全学が求めておりますのは、何とかこの七百万円を基礎にしてエレベーターをつけたい、こういうわけです。四階にある
研究室にも彼がいつでも行けるような体制をつくりたい、そして全国
最初の重度の障害者をみごとに
大学をよい成績で卒業させたい、こういうことで全学が一致しておるわけでございます。
私のこの経過
報告に対しまして、文部
大臣はどのようにお考えになるか。また、これら重度障害者の
大学進学について、またそれを
受け入れた
大学に対して、たとえ公立であっても
文部省として何らかの措置をとってこれを援助していく必要があるのではないかと思いますが、
大臣の見解を伺いたいのであります。