○山原
委員 文部大臣はこの問題について一言も触れませんけれども、ほとんど御発言なさっていないのですけれども、
文部省のこれはまさに新しいファシズムですよ。まさに学校の中で何でもできるんだという
思想があなた方の中にあるじゃないですか。いままで、戦後学校の……(「共産党は違法行為をしないのか」と呼ぶ者あり)違法行為の問題だけじゃないのですよ、この
調査というのは。不
規則発言だからこれ以上言わないけれども。
戦後はどうだったかと言うと、学校の運営については、「学校の経営において、校長や二、三の職員のひとり決めで事を運ばないこと、すべての職員がこれに参加して、自由に十分に意見を述べ協議した上で事を決めること、そして全職員がこの共同の決定に従い、おのおのが受け持つべき責任を進んで果たすこと、これが民主的なやり方である。」これは
文部省が出した新
教育指導方針です。これが変わってくるわけですよ。いま
諸沢さんが代表して発言をしておるこの
文部省の姿勢というのは、まさに
文部省が出している特別権力関係、何でも権力でやれるんだ、この
思想が貫いている。だから私はこれ言いたくなかったけれども、二、三の例を申し上げてみます。
これはこの間のNHKの国会討論会の中で出ましてしり切れトンボになっていますが、
文部省の管理運営の問題点ですね。これは
教育委員会月報の
昭和三十九年四月号に出ておりますけれども、これは
文部省地方課が出している。この中に、たとえば今村武俊君はこう書いていますよ。「学校の運動会が終わった。職員を慰労しなければいけない、というので、校長
先生が、事務職員に酒一升買ってこいと言った。この場合、酒一升買ってこいというのは、職務命令であるかどうか。このごろは、アンケートをとっても正解が多く出るようになりました。笑いごとではない、これは明らかに、職務命令であります。学校運営上必要なことについて、上司が下僚に命令をする。これは、職務命令なのです。かりに、酒一升買ってきてくれと、くれと言ったにしても、同じく職務命令であります。「くれ」というのは、人間関係を円滑にするための必要な修飾の言葉であります。」こういう校長の言うことはすべて命令、それに従わなければ職務違反として処罰をすることができるという
考え方ですね。「この場合、事務職員が、いやですと言って酒一升買ってこなければ、これは、上司の職務上の命令に服従しなかったという理由でもって、
市町村の
教育委員会は、
都道府県の
教育委員会に内申書を出して、懲戒処分にしてもらってもよろしい」、ここまでエスカレートするわけです。
もう
一つ例を挙げましょう。これは現に
文部省が使っている「
教育行政の基礎知識と法律問題」。これは校長、教頭の試験の際に参考書として使われているわけでございますが、その中にもこれと似た言葉が出てくるわけです。こういう
考え方がいま
文部省の中にあるわけです。たとえばこれではこう言っています。「校長は、職務命令を発して
教職員に校務を分業させ、
教職員の職務遂行を監督する権限を有し、反面
教職員はいやおうなしにそれに従う義務がある。」「このように、校長は日常の校務処理では優越的な
立場でかなりいい気持ちで
仕事を運んでよいのである。また、このような秩序が学校で確立していなければ校長として落第である。」
こういうすべて職務命令、しかも
教職員はこれに対していやおうなしに従わなければならぬという
思想が、いま
文部省の中に貫かれている。これを全く改善をしようとしないで
主任制度というものの省令化を図っていく。一方では勤務評定がある。こういう体制の中でこの
主任制度というものが大変暗い役割りを果たしていく。せっかく
文部大臣が助け合い
教育といってお互いが援助し合っていくと言う。この言葉に私どもは
反対しているのではありません。しかしそれと全く逆な形で文部行政が進行していく。
鹿児島県の中にあらわれておるのがその強権主義です。命令によって職員
組合の
会議の中身を知らせ、あるいは行動も知らせ、あるいは話し合いの中身も知らせ、校長がいなければそれにかわる者をつくって、そして情報を提供せよ。まさにスパイ、暗黒の行政を
教育の中に持ち込もうとする
思想がこの中にあらわれている。
私はそのことを指摘し、
日本の
教育の本当の
意味での援助し合うという前進のために大変憂慮いたしておるわけでございます。完全な秘密を守るべきであるというこのような通達が、少なくとも
教育行政の
指導、助言の
立場からするならば正しいのかどうか、この点だけははっきりと最後に
文部大臣の見解を伺っておきたいのであります。