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1976-03-02 第77回国会 衆議院 内閣委員会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十一年三月二日(火曜日)     午前十時三十分開議  出席委員    委員長代理 理事 竹中 修一君    理事 阿部 喜元君 理事 木野 晴夫君    理事 藤尾 正行君 理事 松本 十郎君    理事 上原 康助君 理事 大出  俊君    理事 中路 雅弘君       有田 喜一君    大石 千八君      小宮山重四郎君    旗野 進一君       林  大幹君    三塚  博君       箕輪  登君    山本 政弘君       和田 貞夫君    鈴切 康雄君       受田 新吉君  出席国務大臣         外 務 大 臣 宮澤 喜一君         文 部 大 臣 永井 道雄君         国 務 大 臣         (総理府総務長         官)      植木 光教君         国 務 大 臣         (防衛庁長官) 坂田 道太君  出席政府委員         国防会議事務局         長       内海  倫君         人事院総裁   藤井 貞夫君         人事院事務総局         給与局長    茨木  廣君         人事院事務総局         職員局長    中村  博君         総理府総務副長         官       森  喜朗君         総理府人事局長 秋富 公正君         総理府恩給局長 菅野 弘夫君         防衛庁参事官  岡太  直君         防衛庁長官官房         長       玉木 清司君         防衛庁防衛局長 丸山  昂君         防衛庁人事教育         局長      竹岡 勝美君         防衛庁経理局長 亘理  彰君         防衛庁装備局長 江口 裕通君         防衛施設庁施設         部長      銅崎 富司君         防衛施設庁労務         部長      松崎鎮一郎君         沖繩開発庁総務         局長      山田  滋君         沖繩開発庁振興         局長      井上 幸夫君         外務大臣官房長 松永 信雄君         外務省アジア局         長       中江 要介君         外務省アメリカ         局長      山崎 敏夫君         外務省欧亜局長 橘  正忠君         大蔵省主計局次         長       田中  敬君         文部省初等中等         教育局長    諸沢 正道君         労働省労働基準         局安全衛生部長 中西 正雄君  委員外出席者         厚生省社会局保         護課長     山本 純男君         通商産業省機械         情報産業局次長 井川  博君         郵政省人事局審         議官      魚津 茂晴君         建設省都市局公         園緑地課長   三好 勝彦君         沖繩振興開発金         融公庫理事長  佐竹  浩君         内閣委員会調査         室長      長倉 司郎君     ――――――――――――― 委員の異動 二月十三日  辞任         補欠選任   大石 千八君     谷川 和穗君   受田 新吉君     安里積千代君 同日  辞任         補欠選任   谷川 和穗君     大石 千八君   安里積千代君     受田 新吉君 同月二十八日  辞任         補欠選任   鈴切 康雄君     矢野 絢也君 同日  辞任         補欠選任   矢野 絢也君     鈴切 康雄君     ――――――――――――― 二月十六日  恩給法等の一部を改正する法律案内閣提出第  二二号) 同月十九日  中小企業省設置法案峯山昭範君外一名提出、  参法第七号)(予) 同月十八日  石川県山中町等の寒冷地手当引上げ等に関する  請願嶋崎譲紹介)(第三五二号) 同月二十三日  金鵄勲章制度の復活に関する請願八田貞義君  紹介)(第五〇三号)  天皇陛下御在位満五十年奉祝国民大会開催に関  する請願外十九件(奥田敬和紹介)(第六二  一号)  旧軍人恩給改善に関する請願外六件(浦野幸  男君紹介)(第六二二号)  同外二十二件(久野忠治紹介)(第六二三  号)  同外八件(中垣國男紹介)(第六二四号) は本委員会に付託された。     ――――――――――――― 二月十九日  恩給共済年金改善に関する陳情書外一件  (第一号)  軍人恩給等改善に関する陳情書外三件  (第二号)  金鵄勲章に関する陳情書  (第三号)  同和対策強化促進に関する陳情書外十五件  (第四号) 同月二十六日  国家公務員法第二十三条の規定に基づく国家公  務員災害補償法等改正に関する意見 は本委員会に参考送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  在外公館名称及び位置並びに在外公館に勤務  する外務公務員給与に関する法律の一部を改  正する法律案内閣提出第七号)  恩給法等の一部を改正する法律案内閣提出第  二二号)      ――――◇―――――
  2. 竹中修一

    竹中委員長代理 これより会議を開きます。  本日は、委員長が所用のため出席できませんので、私が委員長の指名により、委員長の職務を行います。  在外公館名称及び位置並びに在外公館に勤務する外務公務員給与に関する法律の一部を改正する法律案議題といたします。  趣旨説明を求めます。宮澤外務大臣
  3. 宮澤喜一

    宮澤国務大臣 ただいま議題となりました在外公館名称及び位置並びに在外公館に勤務する外務公務員給与に関する法律の一部を改正する法律案について提案理由及び内容概要を御説明申し上げます。  この法律案におきましては、まず、スリナム、カーボ・ヴェルデ、サントメ・プリンシペ及びモザンビークの諸国にそれぞれ兼轄の大使館を設置するほか在ウジュン・パンダン及びホラムシャハルの各日本国総領事館実館として設置することとしております。  次に、これら新設の在外公館につきまして、これらの公館に勤務する在外職員在勤手当の額を定め、あわせて既設の公館につきましても物価上昇為替相場変動等を勘案し、在勤基本手当基準額及び研修員手当の額を改定いたしますとともに、戦争、内乱等特別事態が発生した地に所在する特定の在外公館に勤務する在外職員支給する在勤基本手当の額を定めることといたしております。  以上が、この法律案提案理由及びその内容概要でございます。  何とぞ、慎重御審議の上、速やかに御賛同あらんことをお願いいたします。      ――――◇―――――
  4. 竹中修一

    竹中委員長代理 次に、恩給法等の一部を改正する法律案議題といたします。  趣旨説明を求めます。植木総理府総務長官
  5. 植木光教

    植木国務大臣 ただいま議題となりました恩給法等の一部を改正する法律案について、その提案理由及び内容概要を御説明申し上げます。  この法律案による措置の第一点は、恩給年額増額であります。  これは、昭和五十年度における公務員給与改善傾向分析結果に基づき、従来の平均改善率による一律増額方式にかえて、上位号俸の約七%から下位号俸の一一・五%に至る上薄下厚的な増額を行うこととするものであります。なお、傷病恩給基本額及び公務関係扶助料最低保障額については、一一・五%引き上げることとしております。  その第二点は、普通恩給等最低保障改善であります。  これは、長期在職老齢者普通恩給最低保障額を四十二万円から五十五万円に引き上げる等、普通恩給及び普通扶助料最低保障額を大幅に引き上げようとするものであります。  その第三点は、扶助料改善であります。  これは、妻に給する普通扶助料については、その者の年齢または有する子の数に応じ、また、公務関係扶助料については、扶養遺族の数に応じ、その年額に二万四千円、三万六千円または六万円を加算する制度を新設しようとするものであります。この措置によりまして、公務扶助料については最低六十万二百円が給されることになっております。  その第四点は、扶養加給額引き上げであります。  これは、傷病恩給及び公務関係扶助料に係る扶養加給額を、現職公務員扶養手当相当額引き上げようとするものであります。  その第五点は、長期在職老齢者等恩給算出率特例であります。  これは、七十歳以上八十歳未満の者並びに七十歳未満の妻子及び傷病者に給する普通恩給または扶助料年額を計算する場合には、普通恩給最短資格年限を超える実在職年の年数が五年に達するまでの一年につき、さらに基礎俸給の三百分の一に相当する額を普通恩給年額に加えることによって、その処遇の改善を図ろうとするものであります。  その第六点は、六十歳以上の旧軍人等加算減算率緩和であります。  これは、六十歳以上六十五歳未満の者に給する加算による普通恩給または普通扶助料年額を計算する場合には、減算率を百五十分の二・五から百五十分の二に緩和しようとするものであります。  その第七点は、普通恩給と併給される傷病年金減算額緩和であります。  これは、普通恩給と併給される傷病年金及び第二款症以下特例傷病恩給減額率一五%を一〇%に緩和するとともに、普通恩給と併給される第七項症の増加恩給及び第一款症特例傷病恩給年額について、所要の調整を図ろうとするものであります。  その第八点は、扶助料支給されていない傷病年金等受給者遺族に対する年金支給であります。  これは、傷病年金または特別項症から第一款症までの特例傷病恩給を受ける者が、当該恩給給与事由である傷病以外の傷病により昭和二十九年四月一日以降に死亡した場合において、その者の遺族扶助料等支給されないときは、これに対し十万円の年金支給しようとするものであります。  以上のほか、昭和十六年十二月八日前の傷病者に対する傷病年金支給条件緩和女子公務員の夫に対する扶助料支給条件緩和、旧満州農産物検査所職員期間通算等所要改善を行うこととしております。  なお、以上の措置は、実施時期を昨年より一カ月繰り上げて、昭和五十一年七月から実施することとしております。  以上が、この法律案提案理由及びその内容概要であります。何とぞ、慎重御審議の上、速やかに御賛同あらんことをお願いいたします。
  6. 竹中修一

    竹中委員長代理 これにて趣旨説明は終わりました。     ―――――――――――――
  7. 竹中修一

    竹中委員長代理 これより質疑に入ります。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。上原康助君。
  8. 上原康助

    上原委員 いま恩給法等の一部を改正する法案趣旨説明されたのですが、これとの関連でこれから若干お尋ねをしていきたいと思いますが、御承知のように、現在、ロッキード問題で国会予算委員会初め各委員会とも非常に緊迫した面がございます。同時にまた、このロッキードの問題をめぐる、いわゆる対日政治工作資金等の問題あるいはわが国防衛にかかわる面等について多くの疑惑が持たれておりますし、国民大衆もその真相究明解明を早急にやるべきであるという強い関心と注目を持たれているものと私たちは判断をいたします。  そこで、本来ですと、特に本委員会防衛問題を担当する委員会でもございますし、これらの諸問題を究明をしていくことを優先して取り扱うべきだと私たちは思うのですが、いろいろこれまでの経緯もございますし、また日程の都合もございますので、きょうから先ほど申し上げた恩給法審査に入るのですが、まず長官に、長官自身はこのロッキード問題というのを一体どうお感じになっておられるのか。すでに総理を初め各関係閣僚どもわが国民主主義根幹にかかわるものだ、あるいは日米関係からいっても真相究明はあくまでなさるべきだという御発言もあったのですが、しかし、すでに御案内のように、二月十六、十七日、あるいは昨日の証人喚問等を見ても、なかなか疑惑解明されないままに深まる、広まる傾向にさえあります。そういう意味で、私たちは今後とも継続してこの問題の真相究明に当たっていきたいと思うのですが、冒頭、国務大臣としてこのロッキード問題についてどう受けとめ、どうその真相究明解明のために御努力をしていかれようとするのか、そういった政治姿勢についてお尋ねをしてから問題の質問に入りたいと思います。
  9. 植木光教

    植木国務大臣 今回のロッキード関係の問題につきましては、ただいま御指摘がありましたとおり、わが国民主主義根幹にかかわる問題であり、同時に国際的な問題でもございまして、日米関係の今後の展望に当たりましてきわめて重大な位置を占めている問題であるという認識を深く持っております。したがいまして、私といたしましてもこの問題についての真相解明せられるべきであるという強い信念を持っているのでございまして、いやしくも国民が一片の疑惑を持つというようなことがありましては、政治に対する不信は増幅するばかりなのでございます。いわんや、今日のようにきわめて大きな疑惑が持たれているという事態に対処するに当たりましては、政府責任をもってその解明に当たるべきであると考えております。私自身ロッキード問題の閣僚協議会一員でございます。したがいまして、ただいま申し上げましたような信念に基づきましてこの問題に取り組んでまいりたいと考えているところでございます。
  10. 上原康助

    上原委員 いま長官のこの件についての政治姿勢といいますか考え方が述べられたわけですが、閣僚協一員であるという立場で――私はこのロッキード問題を聞いておって感ずることは、国会権威というものが地に落ちたとは言いませんが、非常に軽んじられている感を深くしているものの一人なんですね。証人喚問をして、宣誓をして証言をなさる方々も、どうも真実を述べておられないような感じを受ける。また、せっかく核心に触れていこうという段階では知らぬ存ぜぬ、記憶がないというようなことを相変わらず述べている。なぜそういう風潮が国会においてできたかというと、私の短い体験からすると、国会での与野党に対し、特に野党の議員の質問に対しての政府閣僚やあるいは政府委員という方々の答弁というのが、その場限りに何とか糊塗していこうとした姿勢が今日までいろいろあったと思うのですね。外交、防衛の問題については特にそうなのです。あるいは資料要求してもなかなか提出をしない。そういうふうに官僚機構化したところに今日の議会民主主義形骸化というものがあり、国民政治不信というものを一層深めている大きな原因があるのじゃなかろうかという感を私は持つわけですね。そのことが、せっかく証人を呼んでも、証言をする段階においては何か一、二時間をしんぼうすれば何とかなるという逃げの証言にしてしまっているのじゃなかろうか。そういう意味では、私は各大臣長官などは特にそうなんですが、政府委員もやはり国会議論に対しては誠意をもって答えて、国民要求あるいは関心事に答えていくという新たな議会制民主主義のあり方というものをいまこそ確立すべきだと思うのですね。そういう基本というものを与野党が本当にそのそれぞれの責任の場において解明をしていかない限り、いまの問題もなかなか十分な審査ができないのじゃないかという感じを持つわけです。そういう意味でも、このロッキード問題については決してうやむやにするようなことがないように、私はもうこの段階まで来ると、やはり総理大臣初め政府アメリカ側にどう資料の公開を要求していくかにかかっていると思うのですね。もちろん国内におけるいろんな捜査、捜索の問題も含めてですが、改めてこの問題については、ロッキード問題関係閣僚一員としてうやむやにしないということをここで国民の前に明らかにしておいていただきたいと思うのです。
  11. 植木光教

    植木国務大臣 ただいま証人喚問関連をいたしまして国会権威についてのお話があり、またそれに関連をいたしまして政府国会に対する姿勢についての御指摘がございました。私といたしましては、当然政府は行政の責任にあるものといたしまして国会に対しましては誠意をもって臨むべきであると存じますし、私自身国務大臣といたしましては各種の幅広い問題を抱えておりますが、誠意をもって対処してまいったつもりでございます。今後ともそのための努力をいたしてまいりたいと存じます。  なお、ロッキード問題につきましては、すでに私自身も、総理を初めといたしまして政府関係閣僚に対しましても、この問題についてはあくまでも真相解明して民主主義根幹を確立し、同時にまたそれによって国民政治に対する信頼を取り戻すべきであるということを強く進言しているところでございまして、今後私自身国民の声を声とし、心を心といたしまして、この問題に対処してまいらなければならないと考えているところでございます。
  12. 上原康助

    上原委員 これは委員長にも一言御要望申し上げておきたいのですが、先ほどちょっと理事会でも話題になりましたように、特に防衛につきましてはプロパー委員会でもありますので、ぜひロッキード問題の集中審議が本委員会でもできるように特段の御配慮をしていただきたいと思いますし、この点も記録にも残しておきたいと思いますので、委員長のこれに対する御見解を受けておきたいと思うのです。
  13. 竹中修一

    竹中委員長代理 上原君の御発言、後刻理事会において協議の上決定いたします。
  14. 上原康助

    上原委員 そこで、恩給法改正について一、二点だけお尋ねをしながら、まあ余りロッキード問題からすぐ次元の低い話になるのも気が引けるのですが、せっかく総務長官がおいででありますので、そのほかいろいろお尋ねをさしていただきたいと思うのです。  で、恩給法改正につきましては本委員会でたびたび議論がなされてきましたし、また昨年は特に恩給小委員会ども設置をして、予算成立前にいろいろ小委員会で検討した事項をさらに本委員会に提起をして、附帯決議なりいろいろな意見書等もまとめて、その改正を求めてきたわけですが、非常に技術的な面とか専門的な面が多いので詳しくはわかりませんが、大方附帯決議趣旨なりあるいは小委員会等で取り上げられた問題についてこたえようとしていく改正案になっているのではないかという感を持ちます。  そこで、先ほど趣旨説明があったのですが、今回の改正案で特に重点として取り上げられたのはどういう点であるのか、また附帯決議関係で取り残された面は一体どういう面だとお考えになっているのか、その関連について明確にしておいていただきたいと思います。
  15. 植木光教

    植木国務大臣 恩給問題は、老齢者あるいは遺族あるいは傷病者に対するものでございますので、次元の低い問題ではなくて、大変国民生活にとりましては重要な問題であるということをあえて申し上げさしていただきたいと存じます。上原先生もこれは御同感いただけると思うのでございます。  さて、いま御指摘のように、この改正に当たりまして本委員会におきまして改善方附帯決議がございまして、私どもはこれを最大限尊重すべく努力を払ってまいったのでございます。その結果、恩給改定時期につきましては、これはもう早ければ早いほどいいことは十分承知いたしておるのでございますが、今日の経済情勢の中におきまして、財政事情が大変困難なところでございましたが、さらに一カ月を繰り上げをいたしまして七月実施ということにいたしました。  次に、一律アップ方式を改めて恩給増額を行うべきであるという御決議に対しましては、五十年度の公務員給与改善傾向分析結果に基づきまして、これに即応した形で上薄下厚方式を取り入れることにいたしたのでございます。  また、最低保障額引き上げにつきましては、共済年金最低保障額改善を考慮いたしまして、六十五歳以上の長期在職者普通恩給最低保障額を四十二万円から五十五万円に増額するとともに、これを基準として短期在職者等最低保障額も大幅に増額することといたしました。また、軍人等加算恩給につきましては、六十歳以上の者の加算減算率緩和いたしました。  扶助料給付水準改善は、補助率を変えろという御指摘でございまして、いろいろ努力をいたしましたが、今回は受給者家族構成等に応じました加算を行うということにいたしたのでございます。  このように、私どもといたしましてはできる限り御決議趣旨を反映するために努力をいたしたのでございます。  その他、給与スライド法制化退職年次による恩給格差是正及び旧軍人一般文官との間の仮定俸給年額格差是正については今後の課題でございまして、これについては真剣に検討をしてまいりたいと考えております。
  16. 上原康助

    上原委員 そこで、具体的な点としてこの実施時期の問題ですが、当初十月一日が九月になり、八月になり、今度また七月にということにだんだん改善はされてきているわけですが、まず関係者の強い御要望は、もう申し上げるまでもなく、給与改定時期にせめて持っていっていただきたい、実施時期を四月一日にしてもらいたいという強い要望が出ているわけですね。いまのように年々一カ月ずつ繰り上げる方向でいくと、あと五、六年かかるということになるわけなんですが、これの見通しとしてはどうなのか。また、確かに予算の面、いろいろ問題はあろうかと思うのですが、方向としては毎年一カ月ずつ繰り上げていくというお考えなのか、五十二年度あたりでは四月一日あたりに持っていこうというお考えなのか、この点もう少し明確にしておいていただきたいと思います。
  17. 植木光教

    植木国務大臣 ただいま御指摘のように、過去二十年来実施時期は十月でございましたのを、四十九年から一カ月ずつ繰り上げておりまして、今回も七月実施ということで一カ月繰り上げということにいたしたのでございます。これは、先ほども申し上げましたように、強い御要請としてできるだけ早期に四月実施というふうにすべきであるという声がありますことは十分認識をいたしておりまして、私どももそうしたいという気持ちは人後に落ちないのでございますが、この一カ月繰り上げて七月にいたしますことにつきましても、実は今回の予算折衝におきまして最後まで非常に困難な問題として努力を続けたのでございまして、その結果、他の公的年金、たとえば厚生年金は八月実施というのが一昨年来でございますけれども恩給につきましては七月実施というのを五十一年度からやるということになったのでございます。  それでは、いつごろになったならばどうなるのかということでございますけれども財政負担の問題及び公的年金との均衡の問題等もございます。私どもといたしましては、いま直ちに五十二年度にはこうなるということを申し上げられないというような情勢でございますが、今後できるだけ、財政負担においていろいろ問題があるにいたしましても、実施時期の繰り上げについては受給者要求にこたえてまいりたい、そのために最大限の努力をしてまいりたいという考えでございますので、御理解をいただきたいと存ずるのであります。
  18. 上原康助

    上原委員 そうしますと、実施時期の問題については、今後とも総理府としては四月一日実施に近づけていくように最大の努力を払う、過去二十年、十月であったから、まあここいらで七月にまたくぎづけをしておくというお考えでないという点だけは明らかですか。
  19. 植木光教

    植木国務大臣 そのとおりでございます。
  20. 上原康助

    上原委員 これは関係者の強い要望でございますので、ぜひ御努力を賜りたいと思います。  それと、いま一点は最低保障の問題ですが、私も少しばかり恩給問題を取り上げてきて、絶えずこの最低保障問題等、いわゆる上厚下薄の是正を主張してまいった一人なんですが、いろいろ恩給表を見てみますと、やはり中間の中だるみ是正の問題、あるいは今回のように上薄下厚でずっとスライドしていくと、また中間より少し上の方ですか、下のそのあたりが逆転をする可能性もあるんじゃないかという懸念も一部にあるようなんですが、しかし、基本姿勢としてはやはり最低保障を大幅にアップしていく、それを基準是正をしていくということが、端的に言うとそういう姿勢でなければいかないと私は思うのですね。その最低保障問題については今後どうお考えなのか、この点もお伺いをしておきたいと思います。
  21. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 最低保障と申されましたが、全般的に低額恩給の問題を先生がお取り上げになっているように拝察いたしますので、両方から申し上げたいと思います。  私は、恩給の問題にはいろいろな問題があると思いますが、今後の恩給問題の最大のものの一つは、何と言っても低額恩給是正であるというふうに信じております。そこで、従来総理府といたしましても、最低保障をつくったり、あるいは低位号俸を切り上げたり、その最低保障の額を上げたり、いろいろなことをしてまいったわけでございますが、今回は、これは先生からも逐年いろいろな御示唆をいただいたところでございますけれども、一律アップ方式ではなくて、公務員給与上薄下厚傾向をとっている以上は、その改善傾向というものを取り入れるべきではないかという本委員会の御決議もございますし、また、われわれもその技術的な問題についてかねて検討していたところでございますけれども、今回は法案に盛られておりますように、昨年の公務員給与傾向というものを、すなわち、下の方は大体一一・五%、上の方は七%前後のそういう改善傾向というものによって上薄下厚的な改善を今回、案として持っているわけでございます。そういうことによりまして、先ほど申しました低額恩給というものを幾分でも是正できるというふうに信じております。  それからもう一つ、最低保障でございますけれども、これは四十一年に恩給に初めて取り入れて以来逐年改正をいたしておりますけれども、今回の最低保障は、先ほど提案理由説明のところで例示をいたしましたように、六十五歳以上の者に給する普通恩給で、最低恩給年限以上の者につきましては四十二万というものを五十五万ということにいたしております。これは今回の恩給改善が、先ほど申しましたように一律ではございませんけれども、約一一%近くの改善でございますが、それに比べましても最低保障そのものは四十二万から五十五万ということで約三〇%というふうな大幅な改善になっているわけでございます。これも先ほど申しました趣旨の一つで、低額恩給最低保障制度の面でも支えていきたいということの念願の一つでございます。  以上、今回の先生の御指摘の点に関する改正趣旨あるいは内容を申し上げました。
  22. 上原康助

    上原委員 最低保障の件と低額恩給額の引き上げ、この点は継続してやっていきたいというお考えのようですから、ぜひその点も今後御努力をいただきたいと思うのです。  そこで、あと一点、扶助料給付水準引き上げ普通恩給の件ですが、これは現行の五割を遺族の生活実態等にかんがみても七割まで引き上げることを目途にしてもらいたいという附帯決議をつけたわけですね。もちろん、先ほど趣旨説明がございましたように、遺族の家族構成、そういう面で加算額を今回新設といいますか加算額をつけているのですが、五割を七割程度に引き上げるということについては没にされているわけですね。これはいろいろ説明をお聞きしてみますと対象人員が非常に多い、したがって、お金がかかるというようなことで、特にまあ大蔵が渋ったんじゃないかということなんですが、きょうちょっと大蔵、お呼びしませんでしたが、やはりこの点も附帯決議にありますように継続して、まあ一応芽は出てきたわけですが、要望に沿う方向での改定というものをやらなければいかないのじゃないかと思うのですが、これができなかった理由と、今後の見通し等についてお尋ねをしておきたいと思います。
  23. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 扶助料改善でございますけれども、これはいま先生がお話しになりましたような率の改善要望もかなり強いわけでございまして、私たちもそういう線も検討材料の一つとしてこれまでも検討してきたわけでございます。大正十二年に現在の恩給法に統一されまして以来、実は五割でございまして、あるいは各年金につきましても、その後にできました年金についても、扶助料はまあ遺族年金は五割という線が大勢でございます。そこで、この五割というのを率として改善できるかどうかという検討もわれわれも続けたわけでございますが、最終的にはいま先生お示しのような結果になったわけでございます。  そこで、率の改善がいいのか額の改善がいいのかというのは、これはその立場立場においていろいろあるわけでございまして、私は率だけがすべてであるというふうには考えないわけでございます。今回の改善におきましては、それぞれの家族実態に応じて、たとえば老齢の寡婦であるとかあるいは小さいお子さん等を持っておられる寡婦であるとか、そういう方々に着目をいたしましたし、それから特に公務扶助料につきましては、そういう寡婦という制限がございませんで、結婚もしないで亡くなった、戦死された方々もたくさんあるわけでございまして、そういう方々につきましては残された老齢の父母であるとか、そういう者も全部対象にしたそういう改善をしたわけでございます。金額がかかるということも確かでございますけれども、額の改正ということは、これは一律アップの問題と直接関係するわけではございませんが、額の改善をするということは、低額の扶助料受給者についてはそれだけ厚みを増すわけでございますので、こういう点の長所もあるのではないかというふうに思っておるわけでございます。
  24. 上原康助

    上原委員 それはいろいろプラス・マイナスといいますか、メリット・デメリットあると思うのですが、仮に、では附帯決議でなされたようにこれを率でアップしていくという場合には幾らぐらいの予算になるのか、対象人員はどれくらいなのか、その点は今後のこともありますので、ひとつお示しをしておいていただきたいと思うのです。
  25. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 扶助料につきましては、普通扶助料とそれから公務扶助料とございます。普通扶助料につきましては、恩給でございますと二十数万が対象でございますし、それから公務扶助料でございますと約八十万ぐらいが対象になっております。したがいまして、この率を五割を六割にするということになりますとこれは相当の数でございますし、七割にするというのはまたまた大変な額でございまして、いまちょっとここに詳細な数字を持っておりませんけれども、何百億という数字になるわけでございます。
  26. 上原康助

    上原委員 そうしますと、その点については、いま局長おっしゃいましたように必ずしも率を改定することが、該当者といいますか関係者にプラスになるものではないんだ、家族構成なりそういう面も含めて改定した方がいいのじゃないかという御答弁だったと思うのですが、これが率のアップという面でできなかったのは、予算当局、まあ大蔵あたり考えじゃなくして、恩給当局も今回の改正の仕方がいいとお考えになってそうなさったのか、その点まだつまびらかではありませんので、お答えをいただきたいと思います。
  27. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 これは最終的に予算折衝の過程でこういうふうになったわけでございますが、率の改善の御要望も確かに非常に強くあるわけでございまして、この率がまた金科玉条で、全く動かないものであるというふうには私も思いませんので、率の改善も額の改善も、それぞれ長短があると思っておりますので、将来の問題としては両方の面からさらに検討が深められていかなければいけないというふうに信じております。
  28. 上原康助

    上原委員 大体わかりましたが、その点も私たちももう少し勉強したいと思うのですが、継続してひとつ御検討を賜りたいと思います。  さらに、これも各先生方がお尋ねになってこられた点なんですが、恩給受給者に対する老齢福祉年金等の支給制限の撤廃等の問題があるわけですね。これは恩給当局のあれじゃなくして、厚生省あるいは公的年金関係の面でのことになると思うのですが、ここいらもぜひ関係省庁と協議の上で要望に沿うべきじゃなかろうかという感じがいたします。  そこで、これだけにかかわっておるわけにもいきませんので、恩給問題についてはこの程度にとどめておきたいと思うのですが、要するに生活につながることなんですね、長官。先ほど私、次元の低い――これはちょっとコメントしようかと思ったのですが、誤解されると私も困りますので、上原恩給なんてどんなでもいいのだというふうにばらまかれたのじゃ困りますので、決してそういう意味じゃなくして、現在のいろんな関心事からすると、ロッキード問題が優先をしていることを強調したかったまでですから、その点は誤解のないようにしておきたいと思います。  そこで、今後もやはり軍人恩給が中心なんで、私たち若い世代は、いつかも申し上げたのですが、どうも恩給なんというのは、私なんかすぐ天皇制を頭に――また怒られるかもしらぬが、そういう感じしか持たないわけですね。本来なら公的社会保障という面で、老後の生活あるいは社会保障的性格に持っていくというのが私は本来の政策でなければいかないと思うのですね、こういう面は。したがって、今後とも併給問題など、あるいは最低額の改定というものは、ぜひ社会保障政策という立場で抜本的にやっていかなければいかないと思いますので、いろいろいま各年金の統一化の問題等議論をされていることですから、そこいらの総合政策という面も含めて、ぜひ恩給当局としてもやっていただきたい。この件についての御判断、御見解を最後に承って、恩給問題については一応終えたいと思うのです。
  29. 植木光教

    植木国務大臣 上原議員が恩給問題について非常に御熱心な御意向を持っておられますことは、私も十分承知いたしております。今後とも御支援いただきますようにお願いをいたします。  恩給の意義等につきましては別段規定はございませんけれども、公務員が相当年限忠実に勤務いたしまして退職した場合、あるいは公務のために負傷しまた疾病にかかって退職した場合、または公務のために死亡した場合において、その功労に報いるために、法律に基づいて国がその公務員または遺族支給する給付でございまして、これらの方々の生活の支えとなるものでございます。したがいまして、一定の拠出金に応じまして保険数理の原則によって支払れます社会保険でありますとか、あるいは生活困窮国民に対し最低生活を保障する公的扶助とは、その考え方において相違があると存じます。恩給の性格がこれらの社会保障とは異なるということは、私はこの際申し上げておきたいのでございますけれども、個々の問題の取り払いに当たりましては、恩給の性格からくる基本的な枠はあるにいたしましても、社会保障的な考え方も随時取り入れていくべきである、こういうふうに考えているのでございまして、その点十分留意をいたしまして、努力を続けてまいりたいと存じます。
  30. 上原康助

    上原委員 性格は違うと思うのですが、若干コメントいたしますと、要するに老後の生活保障というような面からすると、共通性も持っていると思いますので、そこいらを含めて、今後とも関係者の御要望に沿えるように御努力を賜りたいと思います。  そこで、先ほど冒頭申し上げましたように、せっかく総務長官のお時間があるわけで、余り機会もありませんので、私は沖繩関係についても若干お尋ねをしておきたいと思うのです。特に海洋博後の沖繩経済の落ち込みというのが、これはその当時からいろいろ指摘されてきたことなんですが、不況等も相まって、極度に悪化をしている現状でございます。恐らくいろいろな点ですでにお考えになっておられると思うのですが、つい最近も観光連盟の方々、協会の方々も上京なさって、関係要路の方々にいろいろ御要望もしておられるのですが、国家的行事ということ、あるいは復帰記念という面で大々的に宣伝をされて約半年間開催されて一応日程は消化できたわけですが、もうその過程でいろいろな問題が起きたことは改めて申し上げませんが、今後どうするかということについて、もう少し真剣にお考えになっていただかなければいかない面が多々あるのじゃないかと思うのです。そういう面で一体今後の海洋博の跡地利用の問題と、あわせて、落ち込んだ観光なり経済というものをどう立て直していくのか。これはもちろん地元の私たちを含め、県当局の努力というのも大事でございますし、ある面ではそこでもっとやらなければいかないという御指摘もまたあろうかと思うのですが、しかし復帰前後のいろいろな問題を考えた場合に、政府が、国の方でどういう方針を持つかによって非常に左右される面が大きいこともまた否定できない事実でございます。そういうことを含めて、沖繩担当長官として、開発庁長官として、いま私が申し上げたようなことについて、どういうお考えでどういう対策を立てておられるのか、その基本をまずお聞かせをいただいて、それから具体的な問題についてお尋ねをしてみたいと思うのです。
  31. 植木光教

    植木国務大臣 海洋博は無事終了をいたしましたが、ポスト海洋博につきましては、沖繩県民の方々のみならず、私どもも早くから、いろいろな問題が出てまいりますことは十分な認識を持って対処してまいらなければならないということで努力をしてきたところでございます。海洋博が終了いたしまして経済が落ち込む、これに伴う失業者の増加というようなことが一番大きな憂慮すべき点でございます。  そこで、すでに御承知のとおり、五十年度の補正予算におきましてもいろいろな措置をいたしたわけでございますが、立ちおくれております社会資本の整備は、海洋博関連のもののみで終わるわけではございませんで、昭和五十一年度におきましても各分野におきまして整備すべき事業が山積いたしておりますので、財政金融の面を通じまして万全の対策を期してまいろうということで五十一年度予算を組み、また金融措置につきましても御審議をいただいているところでございます。すでに御承知のとおり、沖繩振興開発事業費は拡充させましたし、また沖繩振興開発金融公庫融資の充実を図るということについても留意をいたしております。また、その事業内容につきましても、公共事業の推進と中小企業や住宅に対する融資の拡大を図るというように、即効性のある予算あるいは金融というものを考えているわけでございます。私どもといたしましては、海洋博の関連工事が行われまして、その関連工事による諸事業費の沖繩県への歩どまりが低かったというような点も十分に教訓といたしまして、農業基盤の整備でありますとか、あるいは教育施設の充実でありますとか、あるいは先ほど申し上げました住宅あるいは生活環境の整備というような点は、いわば県そのものに歩どまりの多い事業であると思いますので、そういう点について重点的な施策を講じてまいっているのでございます。  なお、今後の沖繩経済の運営の基本は、過大化いたしました第三次産業依存型の産業構造を適正化いたしまして、第一次、第二次産業の一層の振興を図るという経済体質の改善を推進することが必要であると考えております。復帰後五年目を迎えようといたしておりまして、百四万人の県民の方々の県民所得も本土水準に迫りつつありますけれども、御承知のように経済の体質は自立性に乏しい状況でございます。したがいまして、私どもといたしましては基礎的な条件の改善をいたしながら各産業の振興を図ってまいりたいと考えておるのでございます。  なお、海洋博の跡利用計画につきましては、すでに博覧会が始まります前に閣議決定を見まして、記念公園とすることにいたしたのでございますが、県とも十分な連絡をとりまして、現在学識経験者から成る基本計画策定調査委員会においてどのような公園をつくるべきかということについて検討を急いでいるところでございますが、大筋の合意といたしましては、海洋博の記念行事としてふさわしく、かつ、沖繩の気候、風土を生かした緑の多い公園とし、また同時に、その中に残します諸施設につきましては、十分に沖繩の特性を生かすとともに、日本国民全体が、また国際的な海洋博覧会の跡地でございますから、国際性を持ったものにいたしたいというふうに考えているのでございます。そして、この公園を中心といたしまして、いままで開発が立ちおくれております北部の開発をぜひ進めてまいりたいというふうに配慮をいたしているのでございます。  観光関連につきましていろいろな問題が起こっておりますことは十分承知いたしておりまして、すでに博覧会中からいろいろな措置をとってきたところでございますが、沖繩総合事務局が中心となりまして県や開発金融公庫あるいは関係金融機関と協議の上で、いろいろな債務を抱えておられる方がある、あるいはまた転業をしようとしておられる方々もある、これらの点についてはケース・バイ・ケースで融資をきめ細かく行うように指導をいたし、また努力をしているところでございまして、沖繩県民百万の方々が今後経済的な落ち込みによって、せっかく復帰せられましたにもかかわらず、海洋博によって得られました成果というものを十分に生かすことができなくて、県民生活というものが大きな破綻を来すというようなことがありませんように十分に努力をしてまいっているところでございます。
  32. 上原康助

    上原委員 いま長々とお考えを述べられたのですが、そのことは一面大事なことでもありますし、ぜひやっていただきたいのですが、しかし、また反面、そんなに気長なことを言っているわけにはいかない点があるわけですね。そこで、いみじくも即効性のある対策と言ったんですが、まさにいま即効性のある対策をやらないとゴーストタウンになってしまうんです。  具体的にお尋ねしていきますが、まずはホテルとか旅館業、民宿を含めて大手から中小零細に至るまでの宿泊施設の問題ですが、海洋博準備過程において、要するに、四百五十万ないし五百万の観客が行くんで宿泊施設が極度に少ないから、足りないからホテルをつくれつくれということで金融機関も融資をする、それに飛びついた業者の問題もあろうかと思うのですが、しかし、海洋博開催ということによってあれだけの施設ができたわけですね。これは単に自然淘汰なり個人淘汰だけで今後ならしていくというわけにはまいらぬと私は思うのです。  そこで、一体現在の宿泊施設はどのくらいあって、どういう利用がされているのか、本来なら沖繩県での人口なりあるいは観光、これまでの実績があるわけですから、それからするとどの程度でなければいかないと政府は見ておられるのか、ここらの点を具体的にお答えいただきたいと思うのです。
  33. 山田滋

    ○山田政府委員 ちょっといま資料を持っておりせんけれども、海洋博によって御指摘のようにホテルあるいは民宿等が非常にふえまして、しかも施設の増加のみならず利用の仕方につきましても、従来二人部屋であったものを三人部屋にするとか、そういうふうな大きな収容力増大を図りまして、その結果、確かに御指摘のように予期に反しまして利用が十分でなかったという面がありまして、そのために現在いろいろ問題が起きているわけです。大体現在宿泊施設としては、一日当たり四万数千の収容能力があると思っておりますが、これにつきましては、現在私どもといたしましても、県の観光行政当局と十分連絡をとりながら、今後のあり方につきまして検討を進めている最中でございます。実は県当局におきましても、この点につきまして非常に心配いたしまして、今後のあり方につきまして具体的に計画を立てておりまして、若干その数字も聞いたように思いますけれども、実は私どもといたしまして、振興開発の関係におきます審議会の総合部会を設けまして、その下部機構としての専門的な委員会におきまして、観光につきましての分析もいたしておる最中でございます。ただいま四万数千が果たして三万でいいのか、二万でいいのかという点につきまして私から御返事を申し上げるのは適当ではないと思いますので、あえて申し上げませんが、少なくともやや過剰な設備があるということは否めないと思います。
  34. 上原康助

    上原委員 まさにいまおっしゃるとおりで、県内のホテル、旅館、民宿等々で約七百七十から八百軒ぐらいになっているわけですね。これは軒並み海洋博に向けて増設された、あるいは新設された面があって、おっしゃるように四万数千の収容能力がある。しかし半面、海洋博が済んで後の観光というのは、もうほとんど行っていない状況でしょう。そうしますと、これは、つくった人が悪いんだ、自由業だからしようがないということでは政治的に許されないと私は思うのですね、長官。そういう即効性のあることをやるにはどうすべきかということが、いま県民が要求していることなんです。特に、ちょっと数字を私の調査でいろいろ挙げてみますと、那覇市内の大手のホテルだって、二月ごろからは二〇%を落ち込むという状況のようなんですね。中小、民宿等になるともうほとんどがらあきにしかなっていない、本部半島、北部を含めて。これでは、先ほど長官が述べられた、跡地の利用をしながら北部開発をやる、あるいは沖繩の振興開発につなげていくその過程の手当てをできないでいると、私は、それこそ過疎になり、その公園はススキが生えるかっこうにならないとも限らぬと思うのですね。ですから、当面何をやっていくかということに力点を置いていただきたいと思うのです。  そこで、具体的にお尋ねしますが、一体このホテルや旅館業、そういった宿泊施設にはどの程度の資金が融資されたのか、投資額はどう見ておられるのか。開発金融公庫が来ていらっしゃると思うので、その点明確にしておいたいただきたいと思います。
  35. 佐竹浩

    ○佐竹説明員 お答え申し上げます。  ただいまの上原委員の御質問、沖繩県内におけるホテル、旅館等々宿泊施設に対する総投資額はいかほどであるか、それに対する総融資額がいかほどであろうかというお尋ねのようでございますが、総投資額ないし総融資額につきましては、これは、私どもは実は公庫の融資をお預かりいたしております。したがいまして、公庫から幾ら融資をいたしたかということは明確にお答え申し上げられますが、県内における総投資額ないしは総融資額につきましては別途お尋ねをいただきたいと思います。私の方には、実はその正確な資料はございません。  それで、わが沖繩公庫におきまして海洋博関連で融資をいたしました金額は、総額二百六十五億円でございます。その対象件数は、ホテル、旅館あるいは簡易宿泊、ペンション等々に至りまして、全部で三百六十九件でございます。
  36. 上原康助

    上原委員 開発金融公庫から二百六十五億、ほかの沖繩の地元銀行、金融機関を含めて大体六百億ないし六百五十億と言われているわけですね。その点は、開発庁、そう見ておられるのですか、どうなんですか。
  37. 山田滋

    ○山田政府委員 実は、私どもも正確に資料の報告を受けておりませんけれども、いま御指摘のような数字であると伺っております。
  38. 上原康助

    上原委員 六百億と仮定をしてみましょう。そのうちどの程度が投資者の自己資金と見ておられるのか。これは開発金融公庫の理事長さんならすぐおわかりと思うのです。
  39. 佐竹浩

    ○佐竹説明員 これは上原先生もよく御存じだと思いますが、同じホテル、旅館、宿泊施設と申しましても、大小さまざまでございますので、一律に自己資金同割という正確な数字は出しにくいのでございますが、私どもが取り扱いましたところの融資先で見ますと、中小関係ではおおむね二割程度でございましょうか。大のところになりますと、三割もしくは四割のところもございましょう。おしなべてごく常識的に見まして、まあまあ自己資金は二割、八割は借入金。その八割のうち私どもの方にいらした分はまずまず四割ないし五割。地元の、ことにリゾート開発公社というのがございますが、あそこらあたりは特別な機関でございますので、私どもの融資比率も高めまして、かの会場に隣接してございますところのロイヤル・ビュー・ホテルと称するものに対しましては、たしか七割近い融資をいたしております。しかしながら一般的には、ことに本土進出の大手筋に対しては厳重に査定をいたしました。これは本土の資本力を持っておりますから、したがってわが沖繩公庫の資金はできるだけ節約をしていきたいということで、大手ホテルに対しては四割程度しか貸しておりませんが、それらは自己資金ないしは市中金融の調達力が大きいので、それでできておるのだと思います。これは要するに自己資金はほぼ二割見当。これは推定でございます。
  40. 上原康助

    上原委員 二割程度と見ても、あとの八割は融資に依存しているということですから、六百億としても四百八十億あるいは五百億はいわゆる金融機関からお金を借りて関連施設をつくったわけですね。こうなりますと、大手の方は生き延びると言ったら少し言い過ぎかもしれませんが、経営合理化その他の面で何とか持ちこたえてこの危機を突破できるかもしれませんが、中小の方になりますと、私はそう簡単にはいかないと思うのですね。そこで、これだけのお金を借りてこの不況の中でやってきた中小零細の宿泊施設、いわゆるホテル、旅館業に対して、何らかの金融措置をこの際お考えになっていただかないと、どうにもならないわけですね。いま県を含めて、転廃業の問題とかいろいろあるのですが、ホテルを改善してほかの保育所とかあるいは病院その他にやろうとしたって、それだけまたお金がかかるわけですね。ただでさえもうどうにもならない借金を抱えておって、そういう転廃業に新たな資金の融資を受けようとしても受けられない、こういう状態が続いているわけです。  そこで、具体的な面としては、こういう状況というのは個人的な責任というものももちろん逃れられない面もあろうかと思うのですが、要するに金融措置政治的な措置をやっていただかないとどうにもならないわけですね。返済期を延長するとか、あるいは利子の面を補給していくとか、いろいろな点を具体的にいま考えていただかなければいけないと思うのですが、この点についてどうお考えなのか、どのような方策を持っておられるのか。これは長官の方なりあるいは理事長の方から、ぜひ明確にしておいていただきたいと思うのです。
  41. 佐竹浩

    ○佐竹説明員 この問題につきましては、実は私どもは、博覧会の始まるかなり前から、今日のような事態になってはなるまいという危惧を抱きまして、無計画に宿泊施設等に対する投資が乱発されることに非常に危惧の念を抱きながらまいりました。したがって、そのような背景を持っておりますものですから、私どもといたしまして貸付決定をいたします際は、十分に将来の経営にたえ得る、海洋博後においてもやっていけるであろうという体質を備え、かつ経営手腕を持った者、人的、物的の要素を丹念に検討をいたしました。きわめて慎重な融資態度をもって臨んだわけでございます。したがいまして、少なくともわが公庫の取引先に関して申しますならば、先ほど申しましたように件数において三百六十九件、このうち中小企業もしくは環境衛生資金が出ておりますのは、件数で環境衛生では大体三百件ぐらいでございますが、中小関係で五十数件。金額にしますと、先ほど二百五十六億と申しました、これは総額でございますが、中小資金では約二十四億でございます。それから環境衛生関係では約二十億弱、合わせて、つまり中小系統を足しますと大体四十五億円ぐらいが中小関係でございます。あとは大手でございます。  そこで、先生一番御指摘の点は、その中小が非常に経営が苦しいではないか、これに対していかなる措置を講じておるかということかと思いますが、これにつきましては、実はこの点、私どもの危惧が的中したと申しますとはなはだ不幸なことでございますけれども、ポスト海洋博どころではなく、博覧会開会中においてすでに経営が苦しくなりまして延滞を生ずるというところが出てまいりました。これに対しましては、こういうものは長い目で見なくてはいかぬということで、経営者諸公を大いに鼓舞激励をいたしまして、私どもとしましても、できるだけ償還のしやすいような、つまり無理のない償還ができるような形に逐次、ケース・バイ・ケースで案件を整理いたしました。  たとえば、先ほど先生も御指摘になりましたが、償還期限の延長をいたす。大体、中小は七年ぐらいで貸しておりますけれども、相手先によりましては十年程度に延ばしていく。そうしますと、月々の返済額が御承知のように、たとえば月に三万円払わなければならなかったものが十分の七に落ちるわけでございますね。そういうふうに約三割。そうすると二万円で済むとか、そうすると返しやすいということで、非常に無理のない償還のできるような形に条件変更という、実務語でございますけれども、そういった言葉で言っておりますが、条件を逐次変更いたします。できるだけ返しやすいようなそういうことで御相談をしてまいって、それは実は博覧会の開会中からすでにそういうことが行われているわけです。ポスト海洋博になりましてそういう事例がまた一段とふえてまいったことは事実でございます。私どもとしては、かねてから行っておりますところのそういう実情に即した弾力的な措置を償還、元利回収の面でとってまいっておりますが、これを今日でも実は一段ときめ細かくやっております。ですから、私どものところのお取引先は一件一件十分御相談しながらやっておりますので、この点はお取引先の方も、何とかひとつ立て直しで一生懸命やろうという熱意に燃えられておやりになっていただいておるのでございます。  ただ、先ほど先生おっしゃった貸出金利の引き下げができないかというお話ですが、これは実を申しますと、市中金利に比べますと、わが沖繩公庫の金利は大変安いわけでございます。ですから私は、むしろ逆に、今日地元の地方銀行がなぜもっと貸出金利を下げないのか。見ておりますと、一向下がらない。大体一割とか九分何厘、もってのほかだと思うのでございます。今日、本土では銀行はどんどん金利を下げております。地元銀行の金利が一向に下がっておらぬ。ところが決算を見ると、かなり利益が出ておるじゃないか、おかしいじゃないかというような感想を実は持ちまして、先般も参議院沖特委員長に御就任になりました、かの稲嶺先生のところへごあいさつに伺いました際、先生にも申し上げたのです。これは地元の貸出金利を下げるのが先決じゃございませんか、沖繩公庫並みにまで下げろとは申しませんけれども、せめてその中間ぐらいまではいかがでございましょう、これなどは稲嶺先生あたりから、たとえば崎浜さんであるとか瀬長さんあたりに一声おかけになれば、すぐ下がるんじゃございませんかと申し上げたのです。そうしたら、稲嶺さんは、いや、わしも実はそう話しておるんだ。で、何と言いましたと聞いたら、いやいや、検討中ということであった。そんな手ぬるいことでどうなりますかというのはまさに先生のおっしゃるとおりで、いまは検討の段階じゃないと思うのです。実行の段階であると思います。われわれはケース・バイ・ケースでどんどん条件を緩めて、ただし貸出金利は下げられないけれども、償還期限の延長をいたしまして、できるだけ無理のない返済ができるように実は御相談をいたしております。それに対して、市中銀行のこのやり方はわれわれにとってはなはだ不満でございますので、ひとつ沖繩開発庁におかれても、もっともっと監督を強化していただきたいということを、実はかねがね希望をいたしておるところでございます。
  42. 上原康助

    上原委員 何か証人でも呼んで聞かないとわからないようなことをおっしゃっているのですが、私は開発金融公庫のそういう――これは公的機関、もちろん銀行はみんな公的機関になるかもしれませんが、金融行政ですから、それだけ手がたいことをやるというのは当然のことである。しかし、にこにこしておっしゃっていると、何にもないみたいなことになるが、実際問題はそうじゃないのです。  これは一々金利の問題等をやっていると時間がありませんので、要するに融資期間の延長はそういうケース・バイ・ケースというようなことでなくして、制度化というか、そういう特別措置としてやらなければいけないということなんです。同時に、金融機関からの借り入れ返済の問題についても、据え置きをするとかあるいはいろいろな条件等を見て緩和をしていくということ、また当面の運営資金についても新たな融資というものを低利で手当てをしていく、こういう具体的な手当ての措置というものを、一つの行政措置あるいは制度的にやっていかないと、どうにもならぬということですよ。いま市中銀行に対しても、開発庁はもっと厳しい行政指導をやってもらいたいと佐竹さんがおっしゃっていることは、この点は正しいんだ。こういうことを含めてやるのが、開発庁の仕事じゃないですか。ここについて総合的に金融措置というものをやらないと、ばたばた倒れていって、後でどうにもならないということになると、これまた新たな問題として政治問題化してくる。  いま私が申し上げたこういう具体的な措置は、開発庁長官として早急におやりになりますね。
  43. 植木光教

    植木国務大臣 観光関連産業に対する金融面の対策につきましては、いま開発金融公庫関係につきましては理事長から御説明をいたしましたが、総合事務局が中心となりまして、沖繩県、そして開発公庫及びいま公庫の理事長から指摘のありました関係市中金融機関、これらと協議の上、債務者の実態に応じまして、債務返済期間の延長、据え置き、また貸付条件の変更、運転資金の貸し付け、転廃業資金の融資等を行うように、ケース・バィ・ケースで対処し得る体制をつくるというように作業を進めているのでございまして、近く、ただいま申し上げましたような点につきましての合意をいたしたものが私どものところへ来ることになっております。さらに督励をいたしまして、早期に対処し得るようにいたしたいと存じます。
  44. 上原康助

    上原委員 それはいつごろまでに来る予定ですか。
  45. 植木光教

    植木国務大臣 今月いっぱいにはそれをやりたいと思います。
  46. 上原康助

    上原委員 それでは、それを督促していただいて、いま申し上げた金融措置をやっていただいて、転廃業の面を含めて対策が講ぜられるようにお願いをしておきたいと思います。  それと、先ほど公庫の理事長の方から御指摘がありました、いわゆる市中銀行の貸付利息の問題とあわせて日銀関係等の指導行政もあると思うのですが、大蔵大臣とも御相談の上でやっていただきたいと思います。  そこで、時間も少ないし、ほかの問題もありますので、ちょっと話は前後するのですが、海洋博の跡利用計画の問題、これは所管は一体どこなんですか、計画、プランを立てていくところは。
  47. 井上幸夫

    ○井上(幸)政府委員 跡利用計画で都市計画公園として仕事をすることになっておりますので、事実上の、制度上の所管は、その意味では建設省になります。ただし、関係する予算は沖繩開発庁計上でございます。その限りにおいて、計画面は沖繩開発庁長官、こういうことになります。
  48. 上原康助

    上原委員 どうもややこしいのですが、建設省はいらしてますか。――そうしますと、建設省でいま跡利用計画の計画案はつくっていらっしゃるのですか。つくっていらっしゃるとすると、どういうふうに、どの程度まで進んでいるのか、見通しはどうなのかという点。さらに、跡地の一部を利用して早急に観光客を、せめて海洋博開催前の七二年、七三年ごろの年間八十万前後の観光客が行かなければいけないわけですよ。いまほとんど冷え切って、飛行機に乗ったってがらあきなんですよ。要するに、跡利用をもう少し早めなければどうにもならないという問題がありますので、一部の施設を早急に観光客に再開園するというのですか、リオープンするという方針も県から具体的に出ていると思うのですが、この見通しはどうなっているのか。ここいらの点、あわせて両方からお答えをいただきたいと思うのです。
  49. 三好勝彦

    ○三好説明員 公園の具体的な整備方針につきましては、先ほど開発庁長官からお答えいたしましたように、現在基本計画策定調査委員会におきまして、この記念すべき公園の基本方針、基本構想、さらに基本計画につきまして議論をいただいているところでございます。この委員会は、現在まで数回開催されてまして、来たる三月十五日に基本構想並びに基本計画について考え方が示されることとなっております。これを受けまして、五十一年度におきまして、建設省といたしましては七月いっぱい撤去工事等にかかるわけでございまして、八月一日以降建設省がこの土地の公園化、つまり建設なり整備という仕事に入っていくこととしております。  なお、それまでの間につきましては、沖繩開発庁からお答えいたします。
  50. 井上幸夫

    ○井上(幸)政府委員 ただいま建設省からお答えがございましたが、当初からの取り決めで、海洋博閉会後六カ月は当該施設は海洋博協会が管理をする、こういうことになっております。この六カ月が現在の出展物、建物の撤去期間に相当いたします。それで、ただいまのところ当該施設地域一帯は海洋博協会の管理でございますので、私どもといたしましては、その管理内容について、現在のところ担当外ということに相なっておるわけでございますけれども、現地から早期リオープンの話が非常に強く、これはある意味では施設ごとのケース・バイ・ケースの考え方が当てはまると思います。たとえば、沖繩県の施設でございまして沖繩県が管理しておられるエキスポランドの施設などは、これは撤去工事等は関係がございませんので、比較的早期にやれる体制が整えば、オープンが可能であるというふうに思います。  その他の施設につきましては、これはただいま建設省から後答弁のございましたように、六カ月以内に撤去するものは撤去いたしまして、その間は安全上の問題がございますので撤去期間中は一般的な立入りは無理であるというふうに思いますけれども、ただいまのところ、海洋博協会、通産省、それから沖繩県で、どの程度局部的にリオープン可能かという詰めをおやりのようでございますから、それはしばらく管理者である海洋博協会にお任せを申し上げることになろうかと思いますが、私どもといたしましては、観光シーズンでございます八月というのをリオープンの一つの努力目標、こういうことにいたしております。
  51. 上原康助

    上原委員 建設省、私がいろいろ聞いているところによりますと、この公園計画というのは、皆さんの案というのは、五カ年計画でやるということでしょう。完全なものにするにはそれだけかかるということなんですが、これも非常に気長な構想なんですよ。しかし、もちろん次年度の予算にも十六億でしたか十九億でしたか入ってはいるのですが、それはそれとして進めながらも、先ごろから言いますように、長官、当面のこの一部施設を利用することをさせねばどうにもならないわけですよ、即効性のあることというのは。これは県側から言いますと、県の要望は、できれば三月の十四、五日ごろから一部施設についてはリオープンしてもらいたい、こういう強い要望が通産大臣、開発庁長官にもちろん出されているわけでしょう。これに対して協会も建設省も、もちろん開発庁が中心になってどう県側と詰めていくのか、この作業が全然なされていないような感じなんですよ、いまの説明からすると。これを具体的にやっていただかないと、先ほど言った、あれだけ四万四、五千もいたホテルも、火の気のないような形でずっとそのままになってしまうわけです。せっかくある施設を利用できる対策を早急に立ててもらいたいというのが県側なり関係者の強い要望なんですよ。これにどう具体的におこたえしていただけるのか、この面は余り気長な話ではなくして、具体的にこうする、少なくとも三月までには何ができる、八月までは何をするということを、これは長官の方から明らかにしていただきたいと思うのです。そうせぬとこれはどうにもなりませんよ。
  52. 植木光教

    植木国務大臣 先ほど来お答えをいたしておりますように、この跡地につきましては民間等の撤去工事がございます。また残しました物につきましてもいろいろな整備を行う、公園も整備をしていくというような作業が五年間続いていくわけでございますけれども、現地から、また関係の団体から、御指摘のような早期に一部分でもいいから開園をしてほしいという要望があることは十分承知いたしております。この点につきましては、ただいま具体的に沖繩海洋博協会、それを所管をいたします通産省と県との間で詰めが行われている、その作業が行われていると私は承知いたしているのでございます。したがいまして、いま具体的に何日にどういうふうになるかということについての結論を得るまでにはいっていないようでございますけれども、その努力は通産省、協会及び県が行っているというふうに伺っているのでございまして、その点については、私どもも推進をしていくように努力をいたしてまいりたいと存じます。
  53. 上原康助

    上原委員 どうもそのやり方が、行政のいろいろな職務分限の件についてはわからぬわけでもありませんが、予算は開発庁で組む、計画は建設省でやる、それから跡利用の当面のものについては通産省と海洋博協会だという、ばらばらではどうにもならないような感じなんですね。そこで、担当大臣ですから、そこいらは総合的に掌握をしていただいてやってもらいたいと思います。  それと同時に、これは復帰特別措置の問題もあるので、私きょうは特に大蔵とか通産は呼んでないわけですが、観光戻し税制度の延長問題ですね、これと航空運賃の問題、これなどもぜひ具体的に御検討いただかないと、結局、沖繩は観光産業云々といったってどうにもならない面があるわけですよ。もちろん税の問題は、未来永劫にそういうことをやれというわけじゃありません。しかし、航空運賃の問題についてはきょうは時間がありませんから触れられませんが、私は、この点はいずれかの機会に、少し資料もありますので、復帰前との比較等において具体的に議論をしてみたいと思うのです。こういう政策、政治の判断においてしか復帰後の沖繩の問題――本当に皆さんが海洋博を沖繩振興の一つのてこにしたいという御意思があるならば、私はいますぐやるべきだと思うのですね。したがって、これらの問題等を含めて、長官の方で総合的に関係者と話し合ってやっていかれるという決意をぜひ明らかにしておいていただきたいと思います。
  54. 植木光教

    植木国務大臣 ただいま具体的な問題として、観光戻し税の延長の問題がございましたが、この点につきましては、開発庁といたしましては、今後の観光振興という観点から、制度延長というものはまだ当分必要であるという考え方でございますので、そのための努力をしているところでございます。  それから、航空運賃の軽減につきましては、海洋博覧会開催前及び開催中も運輸省に対しまして強く要請をしたという経緯もございます。いま一つの大きな沖繩の観光問題の中心的な困難な問題がこの運賃の問題であるというふうに認識をいたしておりますので、さらに運輸省と協議をいたしてまいります。
  55. 上原康助

    上原委員 経済の落ち込みを回復していくためには、いま申し上げたようなことがなされないとでき得ない問題でございますので、ひとつ特段の御配慮をいただきたいと思います。  それじゃ、時間も詰まってまいりますので、あと一、二点お尋ねしたいのですが、こういうふうに経済は冷え込んだが、軍事基地だけは依然として華やかなんですよね。基地公害は相変わらず起きる。爆音公害、騒音公害、いろいろもう最近はひどくなっているのですが、具体的にお尋ねしておきたいのですが、きょうは要点だけを賜っておきたいのですが、まず岩国の第一海兵航空団、これが今度沖繩に移転をするということなんですが、どういうわけで移転をするのか、そういう面については政府としてはどう見ておられるのか、また連絡があったのかという点を、後日のいろいろな議論関連しますので明らかにしておいていただきたいと思います。  それと、承るところによりますと、伊江島射爆場での連日連夜の射撃訓練を第一八戦術戦闘航空団のF4Eファントムでやっておるわけですね。これは本委員会でも問題になりましたように、核模擬爆弾そのものの投下訓練を含めて、海洋博期間中は少し遠慮しておったような面もあるようですが、何と長官、午前七時から午後の十一時ごろまで、もうこれじゃ、私は一体何でこういうことをアメリカが自由勝手にできるのかと思うのですね。これをどうするかということ。幾ら安保条約といったって、こんなにまでアメリカの自由は日本が認めていないと思うのですね。嘉手納の軍事基地だってそうなんで、私はいま毎週帰っているのですが、本当にひどくなっている。ファントムのタッチ・アンド・ゴーの訓練とか、余りにもひど過ぎますよ。これをなぜこんな手放しに認めているのか。これは私は、外務大臣がいらっしゃるときに本当に議論をしてみたいのですが、きょうも要点だけ取り上げておきます。  それと伊江島の射爆訓練場は、日米合同委員会で何か取り上げて、近々移転をするというある程度の合意がなされたやに聞いているのですが、これは事実なのかどうか、アメリカ側はその移転に代替地があれば応ずる考えというか意思表示をしたのかどうか、こういった面についてもこの際明らかにしておいていただきたいと思います。
  56. 山崎敏夫

    ○山崎政府委員 まず、第一海兵航空団の司令部の沖繩への移転でございますが、これにつきましては、ことしの二月十二日に米軍が発表を行っております。それによりますと、岩国におります第一海兵航空団の司令部は近く沖繩のキャンプ瑞慶覧に移転する。その移転は、第一海兵航空団と沖繩にあります第三海兵団との間の連絡調整を一層密にして、そうして第三海兵水陸両用戦部隊の管理運営上の効率及び即応能力を増進することにあるというふうに申しております。それで、この移転に伴いまして、この航空団の司令部の要員が約千名移ります。また機材としましては、T39一機及びC117八機が沖繩に移動いたします。しかしながら、この航空団の所属の作戦部隊及びその機材は引き続き岩国に残留するということでございます。  次に、ただいまお話のございました伊江島におきます米軍の射爆撃の演習の騒音問題でございますけれども、この問題に関しましては、たしか二月二十四日の閣議で植木長官からも御発言がございまして、われわれとしてもこの問題については深い関心を持っております。したがいまして、その後の二月二十六日の日米合同委員会におきまして、わが方から、この伊江島におきます米軍の射爆訓練に伴う騒音問題その他伊江島に関する諸問題に関して対策を検討するため、ひとつこの合同委員会の場で話し合おうじゃないかということを提案いたしまして、アメリカ側もこれに同意しております。したがいまして、この騒音問題を含め、伊江島にかかわるいろいろな問題について今後アメリカ側と話し合ってまいりたいというふうに考えております。  それから、伊江島のこの射爆場そのものの移転問題に関しましては、これは確かに周辺の住民の方々にいろいろと御迷惑もかけております。ただ、こういう射爆訓練そのものは米軍として必要であるということは認めざるを得ませんので、その移設という問題についてもわれわれとしては真剣に検討いたしておるわけでございますが、非常に技術的にいろいろな問題もございますので、まだ日本側としても結論を得ておりませんし、まだアメリカ側と本格的な話し合いに入っておるわけでもございません。ただ、この点は真剣に検討しておることは事実でございます。
  57. 上原康助

    上原委員 第一海兵航空団の作戦部隊は当分は岩国に在留する。当分はということは、将来は沖繩に移転する可能性も示唆しているのかどうかをもう少し明らかにしておいていただきたいと思います。  それと、そうしますと、新聞報道等によりますと、伊江島の射爆訓練場については、二月二十六日の日米合同委員会で、代替地があれば移転をすることに米側は同意をしたという報道があるわけですが、これは事実と違うわけですか。また日本側は米側に対して射爆訓練場を移転してもらいたいという提案を合同委員会の場でやったことがあるのかどうか、今後やる意思があるのかどうか。この三点、明確にしておいていただきたいと思うのです。
  58. 山崎敏夫

    ○山崎政府委員 私、先ほどの御説明が十分でなかったかと思いますが、この第一海兵航空団の作戦部隊は引き続き岩国にとどまるということでございまして、この作戦部隊が沖繩に移駐するという計画は何ら承知しておりません。  それから、伊江島の射爆場の移転問題に関しましては、政府側としてはできれば移設したいということは考えておりますし、非公式にアメリカにもそういうことは申しております。しかしながら、これはかなり金がかかる問題であり、また技術的にもいろいろな問題がありますので、まだ正式に提案するには至っておりません。ただ、わが方のそういう希望はアメリカ側も十分承知しておりまして、向こう側においても技術的な検討を加えておるというふうに承知いたしております。
  59. 上原康助

    上原委員 防衛施設庁、おいでいただいていると思うのですが、技術的にむずかしい面もあるという外務省のお答えですが、防衛施設庁として、伊江島射爆訓練場の出砂島への移設等も議論されている、あるいは計画があるというようなことなども断片的に耳に入ってくるのですが、それは可能なのかどうか、また施設庁としてこの問題を具体的に検討しておるのかどうか、その点明らかにしておいていただきたいと思うのです。
  60. 銅崎富司

    銅崎政府委員 ただいまアメリカ局長から答弁がありましたように、正式に米側に話し、協議している段階ではございませんが、事務的なレベルにおきましていろいろな移設先の問題、それから技術的な問題と申しますのは、一応射撃あるいは爆撃する場合にそれを観測し、航空機と連絡をとりながら着弾あるいはその他のコントロールをするわけでございますが、そういう施設を仮に、出砂島と現在決めているわけじゃございませんが、離島に持っていく場合に、どれくらいの土地の面積があればいいのか、仮に埋め立てを必要とした場合にどういうような工法で埋め立て、またそこにどれくらいたてばそういう観測等の施設ができるかというような技術的な問題につきまして検討はいたしております。  米側の方の意見も非公式には聞いておるわけでございますが、ただいま申し上げましたように、これなら技術的に解決ができるというところまで話が煮詰まっておらないわけでございますけれども、移設して現在の伊江島飛行場を返すということは地元の方々の強い御要望でございますので、そういう方向で実現に積極的に取り組んでおるということは申し上げられるかと思います。
  61. 上原康助

    上原委員 そうしますと、これは明確にしておいていただきたいと思うのですが、日米間でこの伊江島の射爆訓練場の移転について合同委員会議題として話し合ったことは現段階ではないということですね。
  62. 山崎敏夫

    ○山崎政府委員 先ほど申し上げましたように、前から非公式にこの問題は合同委員会の場を利用して話し合っておるわけでございますが、先ほどお話のありました騒音問題もございますので、こういう移設の問題、騒音問題あるいは周辺の住民の方々とのいろいろな問題も含めまして、ひとつこの伊江島の問題を総合的に話し合ってみようじゃないかということで今度合同委員会でも持ち出したわけでございまして、アメリカ側もそれは結構であるということで、これから協議の場を設けまして具体的に検討してまいりたいというふうに考えております。
  63. 上原康助

    上原委員 そうしますと、今後合同委員会の場でこの問題について日米間で話し合うということは合意したわけですね。
  64. 山崎敏夫

    ○山崎政府委員 移設問題だけではなく、そういう騒音の問題、それから伊江島の方々が利用しておられます民間飛行場の問題その他も含めまして総合的に話し合おうということにはなっております。
  65. 上原康助

    上原委員 そうしますと、これはあれだけの移設の問題ですから、もちろんそのことにも私はいろいろ疑問がありますが、当面のこととして、長官、これは夜の十一時まで、しかも夜間に、戦場でもあるまいし、やるということは、これはどう考えたって人道上の問題ですよね。外務省を含めて改めて爆音、騒音の問題については、これは伊江島だけじゃありませんがね、嘉手納それから最近は普天間、ハンビー飛行場、那覇の自衛隊基地、全くやりたいほうだいのことをやっているのですよ。これで何が平和ですか。何が安全ですか。そういう面で、改めて長官の方でこの爆音、騒音対策について外務大臣なり防衛庁長官とお話し合いをして早急に、百歩譲って、最低限夜間の爆音問題については絶対にさしちゃいかない。これは民間空港を考えたってそうでしょう。大阪だって横田だって羽田だって、そういう公害訴訟の問題が出ている。これをおやりになりますね。ここでぜひ、この点は国民の前にもう一度決意を述べるだけじゃなくして、きょうの委員会が済んで後に早急にこの件についてお話し合いをいただきたいと思います。
  66. 植木光教

    植木国務大臣 二月二十四日の閣議の前に、外務大臣及び防衛庁長官に対しまして、私から詳細にわたりまして騒音問題等について強い要請をいたしました。これはただいまお話がございました伊江島についてみましても、七時から午後十一時まで行われているというような状況でございまして、これは大変住民生活に対して圧迫を加えているわけでございます。この夜間訓練午後十一時という点につきましては、外務大臣防衛庁長官もともに常識的ではない、非常識であるということを言っておられるわけでございまして、しかるがゆえに二十六日の日米合同委員会において正式にこの問題を取り上げようというところまでこぎつけることができるわけでございます。  しかし、長期的にどうするかということについては、合同委員会で十分協議をしていただいて、速やかに解決を図っていただくめどをつけていただかなければならないのでございますが、夜間の十一時まで行っているという訓練につきましては、やはり何といっても、本土の航空機騒音問題にかんがみましても常識外のことでございます。したがいまして、外務省、防衛施設庁はそれぞれのチャンネルによって米側と話し合いをしていただいていると存じますけれども、この機会に改めてもう一度少なくとも夜間訓練の問題につきましては両大臣とともに協議をいたしますし、また両省庁が御努力をくださるように期待をするものでございます。
  67. 中路雅弘

    ○中路委員 一問だけ関連でちょっと述べたいのです。  私は去年の十二月下旬に伊江島へ行きまして、四日間沖縄の基地を回って最後の日ですが、伊江島に行って、その際に嘉手納の司令官にヘリコプターで伊江島に来ていただきまして、現地で一時間余り会談をしたのです。その際に、いま上原議員が取り上げられております特に夜間の飛行、それから土曜、日曜日の訓練の問題について少し時間をとって話しまして、その際に私たちは六時以降ということを要求したのですが、七時以降の訓練、それから射爆はやめる、土曜、日曜はやらないという二つのことについて現地の司令官は私に約束したわけなんです。それを伊江島の村長にもお話をし、その後伊江島村長から、そのことを文書で取り交わしたいので司令官と話をすることについて話を取り持ってくれないかという話もありまして手紙を出してあるのですけれども、現地の司令官とはいまお話しの夜間の少なくとも七時以降の訓練と土曜、日曜はやらないということを約束した問題でもありますし、これは現地の新聞にもすでに報道されていることなんです。その点でいま上原議員からも強い要求がありますけれども、そういう現場の担当者がわざわざそのときに伊江島に私も行くということで、現地のただ事務官だけではだめですから、嘉手納の司令官が直接ヘリコプターで来て、向こうの事務所で会談をしたわけです。施設庁の方もそのとき同席をしておられますから御存じだと思いますが、そのことについて私も強く要求しまして、大臣からもいま現地でそういうことはできるし、また夜間の訓練はやらないということを約束しているわけですから、これを守らせるということについてはひとつ強く要求していただきたいし、直ちにそのことの処置をとっていただきたいということをもう一度強く要求したいと私は思います。
  68. 植木光教

    植木国務大臣 ただいまの御指摘の点につきましては、先ほど上原議員にお答えをいたしましたとおりでございまして、さらに両省庁並びに関係閣僚に対しましてアメリカ側との強い折衝を要請いたします。
  69. 上原康助

    上原委員 いま同僚議員の方からもありましたように、嘉手納の場合も午前九時以前は爆音は、エンジンテストとか飛行はしないという取り決めが、復帰前に村長と現地の司令官とたしか取り交わされているのだが、絶対守らぬですね。P3が来てから、いま午前二時ごろ――私なんかここで半分生活していますから、本当に気が狂いそうになるときがあるのですね。ベトナム戦争が終わるまではというしんぼうもあったのだが、復帰してこの方ますますひどくなっているのですね。これについてはもう少し真剣にお考えになっていただきたいということを改めて念を押しておきたいと思うのです。  そこで、時間が来ましたので、あと一点だけちょっとはしょってお尋ねするのですが、こういうふうにアメリカはやりたいほうだいなことを勝手にやっておきながら、一方駐留軍労務者の賃金問題については、何と昨年のことがまだ決まっていないのですね。藤尾前委員長にもいろいろ御苦労いただいたのだが、まだできていないのです。外務省は一体この駐留軍労務者問題についてアメリカ側と話し合ったことがあるのかどうか、まずお答えいただきたい。
  70. 山崎敏夫

    ○山崎政府委員 駐留軍労務者の給与問題に関しましては防衛施設庁が雇用主でもございますので、米軍と種々折衝をされております。この状況につきましてはわれわれは随時話を承っておりまして、またむずかしい問題が非常にある。しかも時間的に非常に切迫しておるというときにはわれわれも実は一緒になりまして米軍とこの問題を話し合っております。過去におきましても一、二の事例につきましては、そういう意味で外務省としても防衛施設庁と一体になって問題の解決に当たってまいった次第でございます。
  71. 上原康助

    上原委員 今度の五十年の賃金改定について、外務省はこれまで何回アメリカ側と話したのですか。
  72. 山崎敏夫

    ○山崎政府委員 これは防衛施設庁の方にもお尋ね願いたいと思いますが、現在防衛施設庁が米軍と鋭意折衝しておられますので、われわれとしては毎日のように御連絡をいただいております。そして、われわれが必要であればこの点については直接お手伝いをいたしたいと考えておる次第であります。
  73. 上原康助

    上原委員 あなたはいつか国会証人として喚問せにゃいかぬよ、このアメリカ局長は。ということは何もやってないということでしょう、いままで外務省としては。  そこで、きょう時間がありませんが、こういう状態なんですよ。これは私は去年の九月から年内解決をやれということでやったんだが、いまだやってない。しかもこの段階に来て、昨年持ち出した賃金改悪の問題を新たにまた米側は提示してきている。松崎部長、五十年の賃金を一体いつになったら解決できると見ているのですか。なぜ日本政府はここまでアメリカになめられて、労働者にだけ犠牲を負わさなければいかぬのですか。われわれが国会で取り上げてきたことに対して皆さん本当に忠実にやろうという誠意があるのかどうか。こういういいかげんな答弁をやるから国会権威もすたれて、国民もいろいろ疑惑を持つのです。いつまでに解決できるめどがあるのか、現在どのくらい話し合っているのか、明らかにしておいていただきたいと思うのです。
  74. 松崎鎮一郎

    ○松崎政府委員 お答えいたします。  五十年度の駐留軍従業員の給与改定問題につきましては、昨年の九月、防衛施設庁としまして公務員の給与改定に準じた給与改定の提案をいたしております。ところが昭和四十九年、その前の年でありますが、昨年度の給与改定のときに三二%というようなこともあったのですが、米軍の予算が年々制約されていることと、わが国の人件費の上がり方が非常に急角度であるということとのはさみ状の問題があるので、定年の改定の問題とかあるいは諸機関の従業員の一部の職種の取り扱いについての調査というようなことを宿題と申しますか、そういうことで両方で検討しようということになったものがございました。それが大変難航いたしまして、ようやくことしの一月になりまして、その定年の問題について、まあ両者ともいろいろ不満がございますけれども……
  75. 上原康助

    上原委員 経過はいいですから、今後の見通し。
  76. 松崎鎮一郎

    ○松崎政府委員 一応終わりましたので、五十年の給与改定が、その前の宿題が終わらないうちはできないというようなことを米軍が非常に強硬に司令官以下言っておくれておりましたものを強くプッシュいたしまして、二月の二十四日でございますが、とにかくもう一つの宿題は残っているにしても、もう一年近くおくれることになりますので、これは早く給与改定の交渉を始めるということにようやくなりまして、翌二十五日から、昨日もやっておりますが、五十年度給与改定問題について米軍と協議いたしております。  ところが、この米軍との協議は、まだ内容が非常に熟しておりませんといいますか、私どもの所望とは大変食い違っておりまして、こういうことではどうにもならぬということを昨日朝から午後三時ごろまでいろいろ話しまして、アメリカ側としてはもう一遍それでは考える、日本側の言うようなことについて考えてみるということできのうは別れておりますが、考え直してもらった結果がなお大変常識的でないというふうに私ども考えました場合は、逐次、先ほどアメリカ局長にお答えいただきましたように、外務省を初め関係省庁には経過を全部御報告いたしておりますので、政府としましてどういう態度をとるかを御検討いただくようになるかと思います。
  77. 上原康助

    上原委員 ですから、五十年の賃金で具体的な折衝に入ったのは二月二十四日でしょう。二月二十四日というと、きょうは三月二日ですから、わずか七、八日前じゃないですか。そういうスローテンポでやっているところに実際は問題があるんだ。合同委員会の下部機関として労働委員会どもあるのですから、それをうまく活用しないところに問題があるということを私はかねがね指摘をしてきたのです。  そこで長官、こういう問題はもう事務レベルの問題じゃないのですよ。今年の賃金を言っているんじゃない。去年の四月一日にさかのぼってやるべきことをやっていない。こういうふうに、爆音騒害、首切りはやるわ、アメリカは責任を果たさないで、義務を果たさないでおきながら、大体あんた、ブラウン統合参謀議長なんかに、PXLのこういう中で勲一等の旭日章なんかをやる感覚がいかぬ。姿勢の問題です。だからアメリカになめられる。きょうは本当にこの件については、賃金問題に対して私は実際がまんできない。一方ではまた基地労働者の労働災害も出ているわけでしょう。したがって、もう事務レベルではどうにもならない段階に来ておりますので、長官、これは私は予算委員会でも一点取り上げておきたいと思うのですが、防衛施設庁には当事者能力がないのです。したがって、これは政治的に判断をしていただいて解決をすべき問題だと思いますので、これも早急に防衛庁長官と外務大臣とお話しになっていただいて、ある面では給与の問題ですよ、本土を含めて駐留軍にいる二万八千名の給与、これをぜひひとつ早急に解決をするということを、この点は直ちにきょう労働大臣長官の方でやっていただきたいのですが、おやりになりますね。
  78. 植木光教

    植木国務大臣 要請いたします。
  79. 上原康助

    上原委員 要請するんじゃなくして、この点でお話し合いをいたしますね。
  80. 植木光教

    植木国務大臣 そのとおりでございます。
  81. 上原康助

    上原委員 中路先生の分に少し食い込みましたのでこれで終えますが、あと牧港の補給基地で起きた喜納さんの労務災害の問題について医師を派遣してありますか。これも対策は早急におやりになりますね。ちょっとだけお答えいただいておきたいと思います。
  82. 松崎鎮一郎

    ○松崎政府委員 現地の県庁初め要請が二十五日にございましたので、翌二十六日から労働省の協力を得まして、こういう特別な事故でございますので、専門のお医者さんがどういう方か、いろいろ御援助をいただきまして、二十九日、日曜日に現地に到着いたしまして、三人のお医者さんでございますが、それにわが庁の者も同行させておりますが、昨三月一日から診断とか検査とか、そういったことに当たっておられます。施設庁長官以下私どもとしましても、全力を尽くしてこの問題について善処をいたしたいと思います。米側にも強くいろいろなことを申しております。
  83. 上原康助

    上原委員 それでは終えたいと思います。
  84. 竹中修一

    竹中委員長代理 午後一時十五分より委員会を再開することとし、この際、暫時休憩いたします。     午後零時三十五分休憩      ――――◇―――――     午後一時十九分開会
  85. 竹中修一

    竹中委員長代理 休憩前に引き続き会議を開きます。  恩給法等の一部を改正する法律案議題とし、質疑を続行いたします。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。中路雅弘君。
  86. 中路雅弘

    ○中路委員 法案関連して幾つか質問もあるわけですが、私は、最初にちょっと時間をとりまして、前回この委員会で取り上げまして、またその後小委員会でも論議になり、前回の国会附帯決議の中に入れられております従軍看護婦の問題について、幾つかお尋ねしたいと思うのです。  前回この委員会で取り上げまして以降、関係の同僚の委員の皆さんのところにも、この問題についてはいろいろ陳情あるいは要請がたくさん来ていると思いますが、私のところにもそれ以後、昨年暮れからことしにかけて、関係者の皆さんからたくさんの要請や手紙をいただいています。またきょう持ってきましたけれども、従軍看護婦さんの問題を四年間にわたって全国を歩いて実情を聞き調査をされた作家の千田夏光さんという方が「従軍看護婦」という名前で一冊の本をまとめられて昨年の十二月の下旬に出しておるわけですが、これも私読ましていただきまして、ぜひとも前回の附帯決議を実現できるように一日も早く図らなければいけないのではないかということを痛感するわけですが、この問題は、一つは、現実にこの従軍看護婦の皆さんが戦時中あるいはその後の抑留生活の中でどういう現状であったのかという実際の状況と、もう一つは、これに関連して当時の従軍看護婦の皆さんがどういう身分であったのかという問題も解明をしなければいけないと私は思うわけです。  その点で最初に幾つかお聞きしたいのですが、この従軍看護婦の皆さんが恩給支給の対象にならないのは主として雇傭人であったという、軍属でも恩給は判任官以上なわけですから、雇傭人は判任官にはならない、いわゆる傭人であったということが、この前の御答弁ですと主要な障害というかむずかしい問題になっていたのじゃないかというふうに私は思うのですが、いままで戦後ずっと何回か訴えられてきたが、この問題を取り上げることができなかった大きな要因というのはいま私がお話ししたところにあったわけですか、まずそこからお話しください。
  87. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 一番大きな問題は、いま先生は雇傭人の問題をお取り上げになりましたけれども、その前の基本的な問題ではないかと思います。要するに公務員というものの年金制度恩給でございますので、雇員、傭人という問題以前に、公務員でないということが最も大きな障害であるというように私は思います。
  88. 中路雅弘

    ○中路委員 公務員でもないし、それから恩給の対象にならない雇傭人であった、そういうことが原因だったというふうに理解していいですか。
  89. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 申し上げましたように、順序としては、公務員でない、要するに公務員でない者に、恩給法という百年の歴史を持つものの性格によるわけでございますけれども、公務員でない者に恩給がいくということはないわけでございまして、第一段階は公務員でないということが基本であるというふうに思います。
  90. 中路雅弘

    ○中路委員 幾つか関連して聞いていきますが、昭和十三年に日本赤十字社の社令が、これは勅令第六百三十五号というようになっていますが、社令が変わっているわけですが、この当時の社令の内容については御存じですか。
  91. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 存じております。
  92. 中路雅弘

    ○中路委員 幾つかの条文を私の方で読んでみますけれども、この十三年九月九日の日本赤十字社令によりますと、たとえば第五条では「陸軍大臣、海軍大臣ハ日本赤十字社救護員ノ服制ヲ認可シ之ニ帯剣セシムルコトヲ得」ということで、従軍看護婦の皆さんが帯剣をするということもここで出ていますし、第八条を見ますと「日本赤十字社救護員ハ陸海軍ノ紀律ヲ守り命令ニ服スルノ義務ヲ負フ」ということで、第十条を見ますと「看護婦及看護人ノ待遇ハ兵ニ準ス」ということになっています。それから十一条では、給与は「之ヲ官給スルコトヲ得」ということも明記をされているわけです。この日本赤十字社令を見ましても、第十条では「待遇ハ兵ニ準ス」というふうになっていますし、また給与は「官給スルコトヲ得」とされているわけですが、当時この日赤の救護看護婦の皆さんが戦地、中国大陸あるいは南方の地域、この地域へ動員をされる場合、直接は日本赤十字社が動員を命ずるわけですけれども、どういう形で動員をされたのか御存じだと思いますが、簡潔にお話し願いたいと思います。
  93. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 私もきわめて詳細には存じ上げませんけれども、日赤に戦時の救護員という制度がございまして、それに志願をし、あるいは宣誓をするということになりますと召集の義務が生じてくるわけでございまして、その召集についてもいろいろの分類があるようでございますが、その召集に応じなければならないという義務が生じ、そして召集されたのだと思います。
  94. 中路雅弘

    ○中路委員 日本赤十字社の召集ですが、実際は陸軍省ですね。直接は医務局長、陸軍省が日赤に命じて召集する。だから発令者は、召集令状は日赤でありますけれども、しかし事実上は軍の動員に応じて召集をされるという形をとっているわけですね。だから、前回の小委員会で私どもの同僚の木下議員が取り上げまして、私もきょう持ってきたのですが、召集状自身はごらんのように「戦時召集状」ということで、軍のいわゆる赤紙なんですね。発令者は確かに日本赤十字社ということになっていますが、事実上軍の方が日赤に命じて動員をする。それで、兵隊と同じ赤紙の召集状で召集をされるという形をとっているわけです。この召集状は赤紙と全く同じなんですね。  もう一つこれと関連して、この身分、戦地の衛生勤務に働いている日本赤十字社救護員の身分や取り扱い方をはっきりさせるために、当時、私が持っているのは昭和十四年のものですが、陸軍大臣名の通達が出ていますが、これは御存じですか。
  95. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 通達はいろいろ出ておりますのでちょっとどれかわかりませんが、こちらもいろいろ調べておりますが……。
  96. 中路雅弘

    ○中路委員 はっきりしている通達の一つで取り上げたいと思うのですが、これは昭和十四年の七月十七日に当時の陸軍大臣板垣征四郎の名前で出されている通達です。「戦地の衛生勤務に働いている日本赤十字社救護員の取扱い方や身分をはっきりさせるため、つぎのような陸軍大臣名の通達が発せられた。」ということで、陸軍大臣の通達第四四三八号というのが出ていますが、これを見ますと、第二条で「救護員ノ始メテ陸軍部隊ノ指揮下ニ入リタルトキ当該部隊長ハ之ヲシテ宣誓セシムモノトス」ということで、宣誓をして軍属になるわけですね。第三条で「前条ノ規定ニ依リ宣誓シタル救護員ハ其ノ時ヨリ陸軍ノ指揮下ヲ離ルル時迄」病気その他で離れるときまで「之ヲ軍属トス」ということで、この第二条、第三条の関連を見ますと、宣誓をして軍属になる。それから、第六条で「救護員ノ給与ヲ官給スル場合ニ於ケル支給ノ標準左ノ如シ」ということで決められているわけですが、その際に、先ほども日赤の社令で出ていますが、救護看護婦、これは「兵ニ準ス」ということになっております。その看護婦さんの後に「使丁」というのがありまして、この使丁は「傭人ニ準ス」というのが出てきます。だから、傭人だからということでもし使われたとすれば、この陸軍大臣通達を見ますと、看護婦は兵に準ず、婦長は下士官に準ずということになっておりまして、さらにその後に、「使丁」として「傭人ニ準ス」ということが、この中では明記されているわけですから、この点も明らかに宣誓をして軍属になり、そして兵に準じて、そういう身分として扱われる。準ずということになっていたということは、これから見ると明白ですし、同じ軍属でも事務とかタイピストとか、いろいろあると思うのですが、明らかにそれと性格が違う。戦争が終わって、おまえたちは兵隊と違うんだということで対象から外されていますが、この日本赤十字社の社令や陸軍大臣の通達、一、二例を挙げましたが、これを見ても明らかにこれは志願で一般的に軍属で入ったというのではなくて、初めからそういうことが義務づけられて、そして陸軍省の動員の指示によって日赤が発令をして、戦地に動員をされたという経過になっているのじゃないかというふうに私は考えるのです。そしていま出ていますように、出処進退は配属された部隊長の手中にあるわけですから、徴兵義務の兵隊とその点では事実上全く同じような状態ですね。いわば、準軍人的なものとして身分が扱われていたと考えるのですが、この点はいかがですか。
  97. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 いま先生が言われた通達と同じものはちょっと見当たりませんのであれでございますけれども、いま言われましたようなことを読んだこともございます。  そこで、その日赤の戦時の救護員の方々軍人並みではないか、あるいは普通の文官とは違うんじゃないかということにつきましては、確かにその職務内容なり、いま言われました召集等々のことにおいて、そういう面があろうかと存じますけれども、事は恩給という問題になりますとなかなかむずかしい問題がございまして、兵に準ずと申しましても、すべての者が兵に準じた待遇がされたわけではありませんし、それから、たとえば身分が軍属と書いてありますけれども、その軍属というのは広い意味の軍属でございまして、軍属が全部恩給法の適用になるかと申しますと、決してそうではないわけでございまして、やはりそういう点を総合的に考えますと、非常にむずかしい問題をはらんでいるというふうに思っております。
  98. 中路雅弘

    ○中路委員 だから、私も言っていますのは、いま言いましたように、軍属の中で事実上兵隊と同じ扱いを身分の上でも受けている従軍看護婦、そういう現状にあったのじゃないか。その点では、傭人であるとかあるいはその前に公務員でなかったからということではなくて、実際、当時恐らく今日のような事態考えていろいろ規定が決められていたということはないと思うのですね。従軍看護婦の方が動員される場合に、その後の問題ですね、あなたたちの身分はどういう身分なんだということについて、その後の恩給関連だとかそういうことについての規定も、そういう事態を予想してされていなかった。また動員される看護婦さんも、もっぱら国のためだということで行って、自分たちの身分がどういう身分だったのかということもはっきり確認をしないまま、恐らく戦地に動員されていったというのが私は現状だと思うのですね。だから、当時そういう規定がなかったとか、まだはっきりしないとか、あいまいな面があるということだけで、この問題を取り上げないというごとは実情に合わない。どういう現状のもとで当時動員をされ、また兵隊と同じ、ある場合には兵隊以上の困難な仕事も戦地でやってきたという実態をよく見て、どう救済するかということを考えなければいけないところにいま来ているのじゃないかと思うのです。  いま日赤の社令や陸軍大臣通達を取り上げましたけれども、先ほど取り上げました、最近出ました「従軍看護婦」ですね、この本を見ますと、動員された従軍看護婦の皆さんが戦地でどういう現状だったのか。これは四年間にわたって――千田夏光さんというのは非常にまじめな作家だと思いますね、会ったことはありませんけれども。ずっと全国を歩いて当時の状態を収録されている。全部紹介できませんけれども、それを読んでみますと、こういうこともこの中にずっと書かれています。特に戦争の末期になりますと、死に方ももう皆兵隊と同じですね。この本の終わりには戦死をした、事実上戦地で病死をした従軍看護婦のわかっている名簿が全部収録されていますね。二百十九ページから二百八十一ページにわたって名前が全部収録されていますけれども、その人たちの現状がこの本に出ています。  それを見ますと全く兵隊と変わらないですね。たとえばフィリピンの話が出ていますが、栄養失調症になって餓死で半数が死亡しているという班もありますし、ビルマでは機銃の掃射を浴びて半数以上が戦闘死しているという班もあります。あるいはもう九割までが戦後栄養失調になって、大体二年から四年ぐらいいろいろ後遺症にかかっているということも出ていますし、それから満州、いまの中国東北地方では、御存じのように戦後抑留をされて、これは全く抑留された軍隊と同じ状態。その中で、たとえば徹底抗戦派の関東軍の部隊の中にいた看護婦さんは、二十三人が一緒に集団射殺されているという仲間の報告もこの中に出ています。  こういうことを見ますと、兵隊と同じ、時としては女性であるというために兵隊以上の苦労をなめ尽くしてきたというのが実際の状態じゃないかということを思うわけです。  まあその点で、私のところに、去年この問題を取り上げましてから、全国の関係の看護婦さんがいま連絡をとり合って、国会にも要請したいと運動をされていますが、その皆さんからたくさん手紙をいただいています。みんな紹介するわけにはいかないのですが、いまの現状を知っていただく意味で、きょう二、三持ってきたのをちょっと紹介させていただきたいのですが、これが実際どうだったのかということを私はよく示していると思うのですね。  これは全国から来ていますけれども、北海道の苫小牧の西野さんという方の手紙ですが、それぞれ一部分だけちょっと、紹介してもいいいところだけ、私信ですから、読ましていただきますと、これはさっきの陸軍大臣通達や日赤の社令の関係で理解していただきたいのですが、この西野さんの手紙の一部ですが、  昭和十九年戦時召集令を受け、陸軍病院に配属になり、野戦病院勤務中終戦となり、軍人とともに俘虜収容所に収容されて長期に抑留され、昭和三十三年に日本に帰り、召集解除になりました。聞くところによると、日赤救護看護婦は、召集令を受けても自分の意思で拒否することができたはずだから、戦地に行ったのは自由意思であるから軍属でもなく恩給の対象にはならないとのことを言われているように伺いましたが、私たちは召集を受ければ自由意思で拒否することはできませんでした。日赤卒業者には、十二年間はいかなることがあっても召集に応じる義務が定められていました。ある人は乳幼児を残して戦地に赴いたと聞いております。日赤の看護婦に来た召集令状は軍人のものと何ら変わることはないと思います。 これは私がきょう持ってきているこの赤紙ですね。全く何ら変わらない、そのとおりだ。ただ召集者が日赤になっているというだけですね。  自由意思で任地を決めることもできませんでしたし、召集後は一切軍人と同じく軍の命令によって動かされました。 これも、さっきの陸軍大臣通達でここのところは明確にされているわけですね。  終戦後は従軍看護婦は軍人と同じく、俘虜収容所に強制的に収容されました。 ということで、その後俘虜収容所でどんな困難があったかということを書いています。  同じ条件のもとで働いてきた日赤の婦長、書記、陸軍看護婦は恩給の対象とされ、また軍人も外国の戦地に行っていた人は一年が三年に加算され恩給支給されておりますが、私たち救護看護婦のみが恩給の対象から除外されていることには納得できません。十五年間外地に抑留され、現在五十歳を過ぎようとしており、老後の不安でいっぱいです。どうか私たち従軍看護婦にも恩給支給していただけるようお願いいたします。 という趣旨の手紙が来ていますが、この手紙とさっきの私が読みました日赤社令あるいは陸軍大臣通達というのは全くこの現状そのとおりだと思うのです。  また、これは高知の上野さんという方の手紙、これも一部だけちょっといまの現状を知っていただく上で読ましていただきますと「敗戦を知るよしもなく、牡丹江を出発以来ハルビン到着まで幾日もやけに降り続いた雨」とともに飢えを忍んで行ってきた、この人はこういうことを書いているのです。もう一緒に連れていっている傷病兵を看護する救護の医薬品も何もなくなった、自分が持っているガーゼ一枚を当てて上げるのがやっとだったということですね。そして歯を食いしばって看護をしていた、そこへハルビンの駅で出合った貨車が入ってきた。「くすんだ赤の十字のマーク入りの荷物」、貨車が入ってきたのでこれは赤十字の薬品が入っている、手当てができるということで力を振りしぼって運んで、あけて見たらどうか、それは敗走する日本の軍隊の上官の家族の私物が入っていたというので、私一人ではありません、じだんだ踏んでまたも歯を食いしばって、裏切られたと大きな叫びとともに全身がナメクジのように崩れてしまったということで、その後抑留生活でどんな苦労をしたかということを書いていますけれども、これは軍隊の全部じゃないけれども、本当の、一部にあったことだと私は思いますよ。しかし、このように自分の家族の敗走するときに私物を赤十字のマークをつけて運んでいる軍人、その上官に、いまここで私はわかっているけれども、誓っているけれども、多額の恩給支給されている、しかし、自分たちは全く恩給の対象にされないということ、こういうことが本当に正義として許されるだろうかということを後に書いておるわけですね。こういう問題も私はよく考えてみなければならないのじゃないかというふうに思うわけです。抑留生活の苦労というのは、この後手紙で詳しく書いてありますけれども、やはり婦人だからということによる非常な苦労が人一倍あったというような現状も書かれております。  時間もありませんからもう一通だけ御紹介しますけれども、これは香川県の木村さんという方ですが、  救護看護婦として召集を受けることは、女子としてお国のためになることと信じて疑わなかった当時の世相と教育でございましたことは、三十数年前の軍国一色に塗りつぶされた日本を思い出していただければ容易に御理解していただけると思います。軍の必要に応じて召集され、それを断るということは、妊娠中あるいは分娩間もないとか、子供が小さくて身動きできないとか、病弱のため任務に耐えられないという者を除いて絶対に許されないことであったし、そのようなことは考えることもしなかったものです。  また、召集されていく先の病院の名前も聞かされず、自分で選ぶこともできず、軍の必要に応じて配属され、陸海空軍病院の軍属として軍規に従って傷ついた病人や将兵の看護の任に当たったのでございます。いやだからとて病院をかわることもやめることも許されないことでございました。  終戦と同時に捕虜となり、看護婦なるがゆえに長期抑留の身となりました。私たちはいつも帰りたいと夢にまで見る故国でありましたが、帰してくださいと言う自由もなかったのです。召集するとき、日本赤十字社は、また政府は、このようになることを予想されていたのでしょうか。私たちはわからなかったことでございました。あくまで国のためと信じていたのでございます。  召集は二年間という約束でございましたし、長期に帰れないということは想像もしていなかったと思うのです。そのために恩給等ということは考えられなかったことかと思います。私も、捕虜として帰れなかった期間を通算して十五年という歳月を異国で過ごしてきたのですが、帰ってみると就職も思うに任せず、国立、公立の病院にも全員に窓が開かれていたわけでもありませんでしたが、戦前の日本しか知らない者が全く一変した日本に帰ってきて、不案内の私たちにだれが就職の手も差し伸べてくれたというのでしょうか。 ということで、公務員としても年限が十七年必要ですね。公務員の年数の足りない分はこの期間が加算されている。軍人恩給をもらっている人たち加算されておりますが、それもない。俘虜の期間についてもないということで、この方も老後の不安でいっぱいだということをやはり書いておるわけですが、ほとんどが五十歳、六十歳になる皆さんですね。全国で恐らく三万余りだろうと言われております。  私はいま一、二の手紙を紹介しましたけれども、この手紙の中身、それから千田さんが非常に詳しく書いておりますが、この本を読ましていただいても、先ほど私が取り上げました日赤の社令や陸軍大臣通達に基づいて動員をされ、それで戦地でそういう兵隊と同じような勤務をしてきたということは全く事実だと思うのですね。そういう点で、この問題が委員会附帯決議にもなっているわけですから、私はぜひともこの救済の問題、恩給支給の問題についてもっとひとつ前向きの検討をやっていただいて、早急にこの問題が解決できる、救済できる処置をとるべきじゃないかと思うのですが、長官のひとつ――幾つか私実例でお話ししましたけれども、御意見を伺いたいと思います。
  99. 植木光教

    植木国務大臣 戦地勤務に服されました日本赤十字社の救護看護婦の処遇の問題につきましては、昨年の参議院の内閣委員会におきまして当事者から御陳情がありましたのを私も拝聴いたしました。また、引き続きまして参議院の内閣委員会において、御指摘のとおり救済措置を図るように検討せよという決議が行われたのでございます。  ただいまお話がいろいろございましたように、救護看護婦の皆さん方が戦地において、あるいはまた戦後もいろいろな御苦労をしておられるということについては私ども認識をしているのでございまして、附帯決議もあったことでございますので、恩給局においてもいろいろ研究をさせてきたところでございますけれども、現時点におきましては、恩給は公務員を対象とした年金制度でございますから、陸海軍の戦時衛生勤務に服した者であるとはいえ、公務員の経歴を全く持っていない日本赤十字社の看護婦等に対して恩給法を適用することは、制度のたてまえ上きわめて困難であるということが現在での見解でございます。いまお話がございましたようなことは十分に認識もしておるわけでございまするし、いろいろな御要請があり、また附帯決議もなされたことでございますので、ひとつもうしばらく研究の期間をお与えいただきたいと存ずるのでございます。
  100. 中路雅弘

    ○中路委員 いま、もうしばらく研究さしてほしいという長官の答弁ですから、私は拒否されているとは考えないわけですね。特にやはり国会での附帯決議、これは各党一致の附帯決議でありますから、やはり国権の最高機関としての国会の意思というものを十分尊重していただいて、訴えがあったというだけではなくて、また衆参の国会での各党一致した意思として附帯決議がなされているわけですから、ひとつこの問題の前向きの解決をぜひとも急いでいただきたいというふうに思うわけです。  軍人ですと、たしか三年一カ月以上ですと、戦闘行動のあった大陸や南方地域にいますと恩給支給されるわけですね。そして、先ほども私も取り上げましたが、傭人という、公務員でないということが前提だというお話ですけれども、いままで軍属でも恩給の対象にならない傭人だ――しかし、先ほど言いましたように、陸軍大臣の通達でも傭人というのでないですね、兵に準ずというところに看護婦は入っているわけです。だから、準軍人的な扱いとしてこの問題は解決できるのではないかと私は思うわけです。  また、戦後公務員になって、その期間を通算する場合でも、軍人の場合は、戦時勤務一年で戦地加算が三年ついて、合計四年とみなされるわけですし、抑留された場合、一年で一年抑留加算がついて二年とみなされる。こういう処置もいまないわけですね、公務員になった場合でも。実際には公務員になっても、共済組合法の適用は二十年が必要なので、非常に受給者が少ないわけです。だから、いまの処置ではほとんど救済されないという現状なわけです。  私はもう一言、ではここでお聞きをしておきたいのですが、あの救護看護婦さんがマークでつけていた印はキリの花ですね、これはどういうことを意味しているのか御存じですか。
  101. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 十分存じません。
  102. 中路雅弘

    ○中路委員 これは千田さんも書いていますし、そうだと思うのですが、日赤の従軍看護婦がみんなキリの花をえり章としてつけている。キリの花というのは、明治天皇の皇后だった昭憲皇太后が愛用したくしの飾りということで、これは皇后の股肱だという意味でキリの花をつけておるんですね。男の兵隊が天皇の股肱だと言われた、従軍看護婦は皇后の股肱だというのでキリの花をつけていたということです。そして戦地で兵隊と同じように戦闘行動に参加している。ここにも、全く準軍人的な、兵に準ずということがそのえり章からも明らかにされているのじゃないか。一般的な軍属とまた違う性格がここにあるというふうにも思うのです。先ほど長官の答弁もありますけれども、この問題は国会附帯決議でもありますし、ぜひとも実現の方法を研究もしていただきたいと思うのです。  だからこの従軍看護婦の本にも書いておりますし、きょう持ってこなかったのですが、私の方に来た手紙の中に、そのキリの花でこういう手紙がありました。キリの花の意味というものは何だったのか、自分たちが本当に青春をささげて、いま五十歳、六十歳、独身の方も多いですね。その意味は、自分の生涯というものはむだだったのかということも取り上げて、いま恩給の額の問題だとかそういうことを言っているのじゃない、たとえ百円玉一個でもいい、国がこの者について御苦労だったといって渡されたときに、私たち戦前派の女の気持ちは済むのだということを書いている手紙もあります。私はこれは共通したみんなの一つの気持ちじゃないかと思うのですね。その点で戦前、規定がなかった。それはこの手紙にありましたように、規定がなかったのは、そういうことを皆予想していなかったんですね。予想してなかったから、その身分についても明確な恩給法上の規定をしてなかったのが実際の状態だと思うのです。だから、当時そういう規定があいまいだったからということによっていま救済がむずかしいのだということは、これはとうてい私たちはそれだけで押し切るわけにいかない問題だ。だからいま振り返ってみて、実際彼女たちがこの二十年、三十年どういう状態に置かれてきたのかということを見ていただいて、恩給局がそういう実態をよく見ていただいて、当時の規定がこうだったから、まだはっきりしないからとかいうことでこの問題を処理されてきているということについては、それはそういう立場でこの問題を扱ったら解決できないのじゃないか。きょう私が強調しているのは、幾つかの手紙も御紹介したのは、こういう実態を踏まえて解決をしてもらうという立場でひとつ検討してほしい。それでないと、いままでのようにこの規定があったとか、これはまだあいまいだとか、その角度からだけでこの問題を解決しようとしても、問題は進まないのではないかということを痛感したわけですよ。長官からもお話がありましたが、ひとつ恩給局もそういう点で、もう一度できるだけ早くこの問題を附帯決議趣旨に沿うように検討していただきたいということを強く要請したいのですが、もう一言恩給局からも……。
  103. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 私も日赤の看護婦さんたちが戦地で大変御苦労されたということに御同情申し上げるのにやぶさかではございません。いま先生からるるいろいろお話がございまして、恩給制度としてみますと、先ほど申しましたようになかなかむずかしい点はございますけれども、さらに十分勉強させていただきたいと思います。
  104. 中路雅弘

    ○中路委員 時間が限られていますので、この問題はまた小委員会等の機会にもう少し詳しくいろいろお話もしたいと思うのですが、あとこの法案とも少し関連して幾つか御質問したいと思います。  一つは、恩給支給が七月一日に改正になるわけですが、これに伴って恩給局で働いている職員の皆さんに関連する問題で一言お聞きしておきたいのです。  これが七月一日に改正されて、仕事の体制ですね、人員だとかそういう体制は整って十分なんですか。
  105. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 現在恩給局の職員は六百名余ございますけれども支給事務については万遺漏なきようにいろいろ計画をし、配置をいたしております。
  106. 中路雅弘

    ○中路委員 事務改善調査費というので百五十万ほど組まれておりますが、これは主として何に使われますか。
  107. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 これは、先生御存じのように、前々から恩給は全部手書きでやっておりまして、毎年最近は改定がございますものですから、二百六十万枚を全部手書きでやっているわけでございますけれども、こういうふうに実施時期の問題等も、従来十月でございましたが、次第に上がってくるという問題も絡みまして、もう一つは、手書きでやりますと、何といいましてもやはり間々聞違いがあるわけでございますので、そういう両面を考えまして、いつの日かはやはり機械化をしなければいけないのじゃないかということをかねがね考えているわけでございます。そういう機械化の問題等につきましても勉強してみたいということで今年調査費をお願いし、ついているわけでございます。
  108. 中路雅弘

    ○中路委員 そうしますと、コンピューターなんかの導入の計画は、今後あるんですか。
  109. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 そういうものも含めまして調査を広くいたしてみたいというふうに思っております。
  110. 中路雅弘

    ○中路委員 もう少し、コンピューターを導入する場合のメリットといいますか、そういったものもお聞きしたいと思うのですが、それとあわせて、これに伴ってたとえば機械化、コンピューター導入に基づいた人員削減、こういった問題というのは起きてきますか。問題になりますか。あるいは労働密度その他の点は……。
  111. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 これはまだ全然そういうところまで入っていませんで、調査費もいまの予算案の中に組まれておるわけでございますので、そういう調査をしながらいろいろ研究をしてみたいと思っておりますけれども、もちろん人員削減というようなむずかしい問題になりますと、これは非常に慎重に検討しなければならないというふうに思っておりまして、現在そういうつもりはございません。
  112. 中路雅弘

    ○中路委員 現在はそういうつもりはないというお話ですが、コンピューター導入に基づいて人員削減とかあるいは労働条件の変化が起きるということになりますと、これは非常に重要な問題になってきますから、この点はひとつ――先日来、私も統計局の職業病問題ですね、まだ解決していませんけれども、ずっと取り上げてきていますけれども、この経過を見ても、やはり機械導入や人員削減と関連して起きているように私は思うのです。今度の場合にこの機械導入ということが考えられるとすれば、これに伴ってそこで働いている職員の皆さんにそういう新しい労働条件の上での負担がかからないように、過重にならないように、その点はよく職員組合とも話をされていく必要があるのじゃないか、慎重に進めていただきたいということを、強くこの点では要請しておきたいと思います。  それから次の問題ですが、これは一つの例で、総理府の広報活動の問題ですが、去年成立した恩給法改正ですね。一例を挙げますが、旧軍人及び遺族への一時恩給改正というのがありましたね。三年以上七年以内の勤務年数を持つ兵及び下士官についての改正がありましたが、たとえばこの例でありますが、この恩給法改正について、これは対象者はどのくらいの見込みなんですか。それから、これについての予算というのはどれぐらいついていますか。
  113. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 これは、対象者は非常に大ざっぱに申しますと数十万だと思いますが、初年度の予算計上におきましては、約一万八千名ということでお願いをしております。
  114. 中路雅弘

    ○中路委員 一月末までに何件ぐらい申請がありましたか。
  115. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 一月末でございますと、法律が通りましたのが昨年はああいう事態で遅くなりました関係もあったと思いますが、法律が通りましたのは十一月でございますので、一月末では約千件でございます。この一月末と申しましても、一月の初めではなくて、おしまいの方にどんどん出ておりまして、二月末、これも正確な数字ではございませんけれども、現在三千数百ということになっておりますので、急激にふえておるということは事実でございますが、先ほど申しました実施時期等の関係もございましてそういう数字でとどまっております。
  116. 中路雅弘

    ○中路委員 せっかく皆さんが委員会でも検討をされて、いろいろ改善措置がとられるといっても、その対象者に――これは七年ですか、時効があるわけですね。だから、対象者にみんなそれがよく知らされなければいけない。そうしなければ、せっかく国会でいろいろ改正改善措置がとられても、対象者がそれを知らないで時効になってしまうというようなことになると大変不幸なことですから、その点で私は一例でお聞きしておるのですが、この見通しですね。たとえば、いま挙げました旧軍人及び遺族への一時恩給改正のこれからの見通しや、あるいはこの問題をどのようにして、たとえば広報活動、知らせるための活動をされているのか、一つの例で挙げましたけれども、たとえばこの場合はどういう一つの計画なんですか。
  117. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 一時恩給に限りませんで、すべてのことでございますけれども法律が通りますと、私たち恩給局の者としましては各省――各省が本属長と申しまして、そういうところを通じて出てくるわけでございますので、各省、それから軍人さんでございますともちろん厚生省でございますが、その下には都道府県がございますので、都道府県、厚生省を通して申請が来るわけでございます。そこで、そういうふうな本属長でございます各省庁の皆さん方に法律改正趣旨を徹底するような会議を開いたり、都道府県につきましても、各ブロックごとに改正法の説明会をいたしているところでございます。そこで、恩給自身としては、さらに政府刊行物等について始終PRをいたしておりますが、都道府県あるいは市町村にお願いをいたしまして、いろいろな面で、恩給法がこういうふうに変わったんだ、資格のある人はいつまでにこういうふうに申し出なさいということをPRをしていただいております。
  118. 中路雅弘

    ○中路委員 私は少し調べてみたのです。たとえば、去年の一時恩給改正について都道府県がどういうPRをしておるのかということで、各都道府県からそれに関連する新聞あるいはたより、県の広報、そういうものを全部届けていただいて調べてみたのですが、東京都、それから私の地元の神奈川県、愛知県、いろいろありますけれども、愛知県の場合を見ますと、これはどう扱ったかと聞きましたら、愛知県で五紙――愛知県は県のたよりというのじゃなくて、五つの新聞、中日新聞と朝日、毎日、中部経済と名古屋タイムズ、この紙面を買い取って県の広報を行っておるという形で、ここに、非常に小さいすみですが「お知らせ」というので、旧軍人軍属などの恩給法が一部改正されましたと若干解説が出ているわけです。これを一回出すと五百万から六百万ぐらいだというんですね。こういう形の愛知県では、広報活動は、新聞の広告費からして、これは年間二十回やっているというのです。国から広報委託費として幾ら来るのだと言ったら、年間百五十万来るんだ。だから、実際にはほとんど府県に任した状態ですね。この金の面から見れば、百五十万委託費を渡すだけですけれども、しかし愛知県をとってみても、一回出すと五百万から六百万かかるのを年間二十回やっているわけですから。それでもこういう片すみにちょっと出るような状態。  神奈川県を見ますと、これもちょっと気がつかないすみっこに、県のたよりにほんの六行ほど出ているのです、いまの一部改正が。  東京のは、東京都の「都のお知らせ」というのを私の秘書さんが持ってきて、東京は載せてませんよ、と言うわけだ。それでよく見たら、終わりの方に恩給欄があって、ほんの二、三行、ちょっと出ている。これは、よく見た人でも載せてないと言うぐらいわからないのです。  それから指定都市ですけれども、私の住んでいる川崎市の広報を見ましたら、これには全く出てません。恩給の欄がありますけれども、一時恩給改正については「川崎市政だより」には出てないんですね、その時期に。だから、都道府県に任せているといっても、まだほとんど対象の人にはわからない状態ですね。それ以上に国の方の――これは国の法律改正ですから、このPRについては、いまいろいろ政府の刊行物でやっていると言われているのですが、たとえばこの期間の総理府の広報活動、テレビ、ラジオ、雑誌、そういうのをできるだけ皆さんから資料をもらって、私、見てみましたけれども、たとえばいまの一時恩給改正について、テレビ、ラジオ、新聞、いろいろ予算が使われていますが、どれぐらいやられておりますか。私のこれを見る限りでは、ないですよ。去年の十一月、十二月以降、皆さんの方でいまの一時恩給改正についてどういうPRをされましたか。
  119. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 いまお尋ねのところでは、やっておりません。
  120. 中路雅弘

    ○中路委員 私、全部を調べてみましたけれども、全くないのです。それで、任しているという都道府県もいまの状態。しかし、これは都道府県に任すだけの問題じゃないと思うのですね。総理府の広報室の予算を見ますと、時間の関係もありますから私の方で話しますが、きのうも予算をいただいたのです。八十億ちょっと欠ける補正後の予算、五十年度予算七十一億六千九百万。これだけの予算が使われているのですが、たとえば新聞広告を去年の十一月、十二月、ずっと内容を見ますと、沖繩海洋博、公選法、酒、たばこ、国債、スト権スト、ずいぶん広報活動があります。中身を見ると、どっちかというと政府の都合のいい内容の一方的宣伝に類するものが非常に目立つのですね。この中には、いまおっしゃったように国会で決めた法の改正、それは非常に対象者にとっては必要なもので、それを早く知らせなければいけないのに、これがまだ全然やられていない。たとえば五十年の六月二十九日に、ラジオの法令の解説の中で、年金制度の解説を十五分間やっております。これは幾らかかったのかと私聞きましたら、電波費、制作費含めて、三十二ネット、大体全国全部に行き渡るそうですが、百八十万だと言うのですね。これぐらいの金額はやはり法改正の大事なときは使って、総理府の方もラジオやテレビ等で国民に知らせるというぐらいの番組は入れてもいいのじゃないかというふうにも私は思うのですが、長官、これはどうですか。
  121. 植木光教

    植木国務大臣 恩給法は毎年いろいろな面で改善を見ているわけでございますが、いまお話しのように、従来対象者でなかった者が対象になるというような場合には、当然きめ細かい広報を行いまして周知徹底方を図らなければならないと存じます。従来の広報のやり方につきましては、いろいろ御指摘もあり、また部内的にも検討、研究をしているところでございますけれども、確かにお説のような点については不十分である。また、確かに私が知っております限りでも、いまの兵に対する一時恩給について総理府広報が扱ったという事実を私も知っておりません。この機会に、ただいま御指摘がありましたようなものにつきましては、積極的にラジオやテレビ、新聞その他の媒体を通じまして周知徹底方を図ってまいるように努力をいたします。
  122. 中路雅弘

    ○中路委員 長官から積極的な御答弁もありましたので、この問題はこれ以上余りやりませんが、私がこのことを特に痛感したのは、ちょっとだけしゃべらせてもらいますけれども、最近こういうことがあったのですね。なぜ必要かということを特に私、痛感したのですが、これは後でどうなっているか調べておいていただきたいのですが、最近、東京の板橋区の南町五十四の六番地に住んでおられる中岡秀雄さんという方が私の部屋に来られての話なんですが、この方は、昭和二十七年の一月二十一日付で恩給申請をしたのですが、このときは却下されたのです。この方は、昭和十九年に伊豆沖で海軍の哨戒及び電波探信儀操をしていた。電探室の四十度の蒸しぶろのような暑い中でパンツー枚で仕事をしていて、最後に栄養失調になって、結核になって職場を離れて、昭和二十九年八月まで入院していた。まあ病院で退職をしたわけですね。それで恩給を却下されてあきらめていたわけですが、たまたま私のところに来られて、私に手紙をよこされたのをきっかけに私の方でお話ししまして、四十六年の法改正で、戦争中の職務関連の疾病者への恩給適用が可能になったということを本人は知らないのですね、だから私の方でそれを話したために、いままで忘れていた当時の職務関連で結核になったという証明書があるので、それを添えて東京都にいま再申請をしたわけです。東京都では、できるだけ早くやりたい、ただ恩給は一年から二年かかるので、何にも連絡がなければ厚生省とか恩給局、上の方へ無事に流れると思ってくださいといま言われているということなんですが、この場合も本人はそういう法改正があったということを知らなかったのですね。一遍却下されたからもうあきらめていた。しかし法改正があったのを知らないからそのままになっていて、たまたま私のところへ手紙があったために、こちらが知らせたから再申請をすることができた。これは五十三年が時効ですから、きちっと手続をやっていただければ間に合うと私は思うのです。これは一例ですけれども、知らなければ無効になってしまうという事態ですね。だから、いま時効になっているこういう問題が多いわけですし、先ほど長官に要請しましたように、恩給についての改正になった場合の解説だとかあるいはPRを、やはり政府の方、総理府がもっと責任をもってやっていくということを強く――先ほど長官から答弁がありましたからいいのですが、私はこういう実例を自分でも体験しておりますので特に痛感したので、この機会にあわせて要請をしておいたわけです。ただ先ほど再申請された問題がありますので、これはひとつ期日に間に合うように、調べていただいて申請が解決できるように処理をお願いしておきたい。この機会にあわせて要請しておきたいと思うのです。  それから終わりに、まだちょっと時間があるので、もう一つだけお尋ねしておきたいのですが、これも私のところへ来た手紙の問題ですが、これは横須賀市の古西貞雄さんという方から手紙をいただいたのです。生活保護費と恩給との併給に関連した問題です。  要点だけ話しますと、この方は軍人恩給が二十一万七千七百円あるのです。しかし、いま持病の坐骨神経痛で働くことができなくて、他に収入がない、子供も身寄りもなくて、夫婦二人の生活という方です。それで生活保護をもらっている。しかし生活保護費の支給ごとに恩給は月割りで全部差し引かれてしまうということです。これは大変矛盾するのじゃないかということの意見なんですね。  それで、これを見ますと、生活保護費を支給されている者でも、これは事実上行政の方がそういう配慮をしているのだと思いますが、五千円程度の収入は横須賀でも収入認定より差し引かないように実際には配慮をしてもらっている。それで、自分の現状を書いて、旧軍人恩給は老齢福祉年金または厚生年金等とは意味が違うと私は思います、国家のために身命を捨てての務めでありました、その恩給を生活保護費より収入認定されるということになっている、これは矛盾だと思うが、恩給受給者で生保費を支給されている者の共通の考えかと思います、恩給を全額収入認定として生保費より差し引かれるということは、恩恵に浴すべき恩給という意味がなくなってしまうと私は思います、恩給の全額あるいは幾らかは収入認定から除外されるようにぜひ計らってほしいという趣旨の手紙が来ているのです。これは、恩給の性格をめぐって論議がありますが、皆さんがふだん言っておられる主張、恩給は功労に対するあれだという趣旨から言いますと、この訴えがあったのと同じように、生活保護費と恩給が併給になった場合、恩給がみんな引かれてしまうということは確かに一つの矛盾だと私は思うわけですが、厚生省の方もきょうお見えだと思いますが、両方からこの問題について――私はやはりここで訴えられているように、一定の部分は考えるべきじゃないかという意見です。特に七十歳あるいは七十歳以上の老人になってくると、なおさら生活の問題とも関連をしてきますので、この点の検討が必要じゃないかと思うのですが、ひとつ御意見をお伺いしたいと思はます。
  123. 山本純男

    山本説明員 御指摘のとおりでございまして、生活保護法では、御本人の資産、能力その他を全部最低生活の維持のために活用していただくことを前提に保護を適用することになっておるものでございますから、いろいろな制度がございまして、趣旨その他いろいろあろうかと存ずるのでございますが、やはりそういう金銭収入というものは一応最低生活費に充てていただくべきものだと考えてやっておるわけでございます。  いま、たまたま七十歳というようなお話がちょっと出ましたのですが、七十歳になりますと、お年寄りには普通の若い方々とは違って、いろいろ生活上の入り用というものがございますので、現在でいいますと、月に八千円の加算を上乗せするということをいたしておりますが、それ以外は、あとは母子状態にある方とかあるいは身体障害のある程度以上重い方、そういう方々以外は、そういう収入は全部収入としまして生活扶助の給付金から差し引くということをいたしておるのでございます。
  124. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 これは生活保護制度の問題であろうかと存じます。したがいまして、恩給局なり総理府から云々するような問題ではないというふうに考えております。
  125. 中路雅弘

    ○中路委員 ふだん恩給局の皆さんは、恩給というのは全部生活費というふうに割り切ってはいないわけでしょう。恩給の性格ということについて、どうなんですか。
  126. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 恩給の性格はいろいろございますけれども、いま生活保護ということを私が説明するのは筋違いでございますけれども、収入がある者はまずそれで生活をしろ、それで足りない者は最低生活を保障するという制度だと存じますので、これは恩給の額の問題等とはやはり違う次元の問題ではなかろうかと存じております。
  127. 中路雅弘

    ○中路委員 いまの関連の前に私がお聞きしているのは、恩給の性格ということについて、ふだん皆さんがおっしゃっておるわけでしょう、恩給は生活費だというふうに割り切っておられるわけではないわけですよね。もう一度その点はお聞きしたいと思います。
  128. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 恩給の性格論でございますけれども、それは先生いま言われましたように、国に長い間勤めたとか、あるいはそのためにけがをしたとか、病気になったとか、亡くなったとかいうことを原因とします、そういう国に対する功労に報いるためのものであるというふうに存じております。
  129. 中路雅弘

    ○中路委員 だから、訴えがありますこの中身は、これは一つの矛盾じゃないかということで、私はひとつ検討しなければいけない問題点じゃないかと思うのですね。  それで、そういう性格としてもらっている。しかし片方では生活保護をもらえば、それは収入だからということで全部引かれてしまって、この人の場合、事実上恩給の額というものはないわけですね、もらうものはなくなっている。これは一つの矛盾じゃないかということでお話があるわけですが、この問題は小委員会なり何かのところででも、改めて少し皆さんの意見も聞かしていただいて論議したいと思うのです。これはほかでも同じような共通の問題点が私はあるのじゃないかと思うので、生活保護になりますと厚生省ですけれども関係のところと一度検討していただきたいというふうに私はお願いしたいと思うのですが、いかがですか。
  130. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 これは生活保護の方の面からの問題でございますので、恩給局が検討するというわけにもまいりませんけれども、広い関連の問題としてはいろいろ勉強さしていただきたいと思います。
  131. 山本純男

    山本説明員 最低限度の生活に満たない部分を補足的に給付をするというのが生活保護法が立脚しております一番基本的な原則でございまして、これを変えるかどうかというのは大変大きな問題だと存じております。現在の法律のもとでは、私どもとしてはいまの取り扱いを変更することは非常にむずかしい問題だというふうに考えております。
  132. 中路雅弘

    ○中路委員 改めてまたこの関連の小委員会等でもひとつ意見も出していきたいと思うのです。限られた時間ですから、一応……。
  133. 竹中修一

    竹中委員長代理 ちょっと速記をとめて。     〔速記中止〕
  134. 竹中修一

    竹中委員長代理 速記を始めて。木野君。
  135. 木野晴夫

    ○木野委員 恩給関係で私から二、三お聞きしたいと思います。  一つは軍人の一時恩給、引き続き三年以上勤務をしておった者について一時恩給を出されました。初めは下士官に対してなされたわけでありますが、兵であっても一時恩給支給するとなったわけであります。  軍属についてお聞きしたいのでありますが、軍属で引き続き三年以上軍に勤めておった。軍属でありますから、もちろん陸軍なり海軍なりにおったときには軍属宣誓をいたしまして、軍機法その他機密関係すべてにつきまして軍属としてそういった制約を受けておったわけでありますが、軍属として引き続き三年勤務しておった、そういった場合に一時恩給支給はどうなっておりますか。
  136. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 これは先ほど来の問答にも関係がございますけれども恩給というものは公務員という身分を持った者に対する年金でございますので、軍属という方々につきましては、引き続き三年以上ありましても恩給は出てまいりません。もちろん援護法上の軍属でございますれば、その方がおけがをなさったとか亡くなられたときにはそれなりの処遇があるわけでございますけれども、先生がいま御指摘のようなことにつきましては、それもないわけでございます。
  137. 木野晴夫

    ○木野委員 軍属で文官、任官している場合はどうなりますか。
  138. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 文官で任官している場合、もちろん三年以上でございますと一時恩給が、引き続いていればあるわけでございます。
  139. 木野晴夫

    ○木野委員 身分は軍属であるが任官はしておらない、雇いの場合どうなりますか。
  140. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 少なくとも恩給に関しましては、任官しておられませんから出ないわけでございますが、一時金は共済組合法の規定に従って、出るものは出ていると思います。
  141. 木野晴夫

    ○木野委員 私も恩給関係の変遷その他をずっと見てみるわけでありますが、たとえば一時恩給は、三年間勤務しておったという場合、当初下士官以上だ、こう聞いておったのですが、それが兵にも広げられた、こういうように理解しておりますが、それはどうですか。
  142. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 これはいろいろ変遷がございまして、戦前は下士官以上というふうに決まっていたわけでございますが、軍人恩給が復活しました昭和二十八年におきましては、その引き続く期間が七年以上という条件がございましたが、その場合に、下士官と兵と両方をその時点において適用者とするように、一時恩給の場合になったわけでございます。それが四十六年の改正におきまして、戦前のとおりに下士官以上の者ならば三年以上――兵の者は先ほど申しましたように七年以上の場合がついているわけでございますが、下士官以上の者は三年以上ということで四十六年の改正がなされました。要するに三年以上七年未満というのが新しく対象になったわけでございます。それから兵につきましては、先生御存じのように、三年以上七年未満の者も昨年の改正によりまして適用者になったわけでございます。
  143. 木野晴夫

    ○木野委員 私は、階級をどう比べていいか、その辺のところはわからないのですが、一つの考え方としまして、下士官と兵、文官の場合には判任官と雇い、こういうふうな対比ができるのじゃないか、こう思ったりするわけであります。それで、一時恩給が兵に対しても適用される、広げられたという考え方を推し進めていって、軍属の場合にも、雇いについても三年間引き続き勤めておった場合には一時恩給をやっていいのではないか、こう思うのですが、その点はどうでしょうか。
  144. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 下士官が大体判任官待遇、あるいは兵は雇傭人待遇というのは、大ざっぱな考え方においてはそのとおりだというふうに思います。ただ、一時恩給のことにつきましては、先ほど変遷を申し上げましたようなことで、兵についても、やはり同じように戦地で御苦労なさった、そういう特殊なことを勘案した上に漸次改正がなされたわけでございます。一方、共済組合法等におきます雇いにつきましては、同じような一時金の制度もあるわけでございますので、恩給でそれを見ていくということはいかがかというふうに現在存じております。
  145. 木野晴夫

    ○木野委員 軍人の場合に、恩給といったときには、兵は本来は入らないのですか。身分としての兵については、本来は軍人恩給は適用にならないのだ、本来は下士官以上について適用になるものだ、こういうことですか。
  146. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 軍人は大変特殊でございますので、兵につきましても当初から軍人恩給の対象になっています。ただ、一時恩給というものの対象ではなかったわけでございます。
  147. 木野晴夫

    ○木野委員 こういった解釈につきましては、雇いである軍属、それも軍属という網をかぶせられることでは同じであって、軍属と軍人とは変わりないわけであります。私はそういった意味で、一時恩給を、三年以上引き続き勤務をした者は、下士官であろうと兵であろうと支給された、これは結構だと思うのです。軍属につきましては、判任官以上である者については、三年以上引き続きおった人には支給する、これも結構だと思うのですが、雇いである軍属について、三年以上引き続き勤務しておったときには何か助けてやる方法はないか、この点を強くやってやりたい、こういうことで希望しておるものです。この点については引き続きあなた方の方で研究していただきたい、こう思うわけであります。  恩給というのは、いや下士官しかやらないのだ、兵はだめなのだという体系なのか、それとも、いや特殊な事情で兵まで広げたというならば、いまの軍属である場合に、判任官はいいのだ、雇いはだめなのだと言わずに、軍属という身分から見て、雇いにつきましても何か救済の方法を考えていただきたい。恩給関係は、一つのなにを是正しますと、それに関連して、それと同じように助けてやらなければいかぬのが出てまいりますが、私はその一つであると思うのであります。この点については引き続き検討してもらいたいと思いますが、いかがですか。
  148. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 雇傭人問題全体が大変むずかしい問題でございますが、その中の軍属で雇傭人相当の者をどういうふうに処遇するかということになりますと、また観点ももう一つ違う面もあるかもしれません。ただ何分、そういういきさつもございまして大変むずかしい問題でございますけれども、最近雇傭人全体の問題がいろいろ起こっておりますので、その広い一環として、いま先生御指摘の問題についても勉強させていただきたいと思います。
  149. 木野晴夫

    ○木野委員 それから、もう一点お伺いしたいのですが、戦死者の奥さんが結婚した場合には、遺族年金といいますか、それは支給になりますか。
  150. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 これは支給を打ち切られます。
  151. 木野晴夫

    ○木野委員 その方が、結婚したのだが不縁で別れた、そういった場合には支給されますか。
  152. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 現在の法体系のもとにおきましては、一度結婚して失権をいたしますと、回復することはございません。
  153. 木野晴夫

    ○木野委員 昭和二十七年ころまでに離婚しておったという人には支給される、こういうふうに聞いておりますが、その点はどうなんですか。
  154. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 恩給ではそういう制度がございませんで、先生がいま言われましたのは、あるいは援護法の関係ではないかと存じます。
  155. 木野晴夫

    ○木野委員 援護法の関係説明願います。
  156. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 援護法は厚生省の援護局所管でございますので十分に存じておりませんが、援護法の関係では、援護というまた別の観点から再婚解消妻等についていろいろな措置をとっているように伺っております。
  157. 木野晴夫

    ○木野委員 きょうは厚生省が来ておりませんので、日を改めて聞こうと思うのでありますが、これもたしか年月を区切って、それまでに離婚しておる方はいい、それから後離婚した方は適用にならないということを聞いておるのですが、そんなことは御存じございませんか。
  158. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 厚生省でございませんので的確なお答えができませんけれども、そういう日の区切りがございまして、たしか今度の法改正でも、その区切りの日の改正等が載っておるようにお伺いいたしております。
  159. 木野晴夫

    ○木野委員 この援護法の関係につきましても、一定の時期を限って、それまでの場合には助ける、それから後の人は助けてない、こういうふうにしているわけでありますが、事情を見てまいりますと、助ける者はやはり助けてやらなければいかぬと思うわけでありまして、戦争未亡人になった、再婚した、しかしながら縁がなくて別れる、こういった場合でありますから、できるだけその人たちに有利になるようにしてやりたい、こう思っておるわけであります。  これはまた厚生省の場合に呼びまして聞きたいと思いますが、恩給関係ではそういった事例が多いわけであります。先ほど申しました軍属の場合、雇いであるために救済されておらない。同じく皆軍属として軍の砲兵工廠なり勤めておった。片方の人はもらったが、片方の人はもらってない。爆撃をくらったり、ないしは生命を危険にさらしたのも同じである、職務も同じである、そうしていろいろ制約も同じである、軍人と軍属と変わりない。こういうのでありますから、兵に延ばされたように、同じように雇いの場合にも研究していただきたい。また、援護法の場合でも同じでありますが、いま一定の年月を切ってありますが、それから後につきましても、研究していただきたい。このことを重ねてお願いいたしまして、私の質問を終わります。
  160. 竹中修一

    竹中委員長代理 ちょっと速記をとめて。     〔速記中止〕
  161. 竹中修一

    竹中委員長代理 速記を起こして。  大出俊君。
  162. 大出俊

    ○大出委員 恩給法にかかわるたくさんの問題を抱えているわけでありますけれども、当委員会の所管である給与法に絡みまして、やがて勧告も出てくる予定だと思うのでありますが、せっかく文部大臣お見えをいただきましたので、主任制度をめぐって、給与法と絡みましていわば当委員会のお荷物になりそうでございまして、この委員会では給与法をぶっつぶさなければいかぬわけですから、そういうことになりそうでございますから、そこをまた、人事院規則なんていって、くだらぬ話で、人事院もどこかで逃げようなんて考えているけしからぬ根性がございますから、これまた見過ごすわけにはまいらぬという気がいたします。そういう意味で、先にこちらの方を聞かしていただきたいのであります。  ところで、文部省の皆さんが、この学校教育法の施行規則、文部省令と申しましょうか、これをお出しになって実施をなさるというのは一体いつからでありますか。
  163. 永井道雄

    ○永井国務大臣 三月初めでございます。
  164. 大出俊

    ○大出委員 一日実施ということになるのだと思うのでありますけれども、ところで、現状はどんなことになっておりますですか。
  165. 永井道雄

    ○永井国務大臣 現状は、十県規則を変え、そのほかに四県、従来からの規則ができているところがありますので、十四のところが準備を整えておる、そういう状況であります。
  166. 大出俊

    ○大出委員 これは学校管理規則の改正が要るわけでございますね。それを現在すでに改正をいたしておるところはどのくらいございましょうか。
  167. 永井道雄

    ○永井国務大臣 十県でございます。
  168. 大出俊

    ○大出委員 恐縮ですけれども、学校管理規則を改正をした県を挙げていただきたいのです。
  169. 永井道雄

    ○永井国務大臣 初中局長から答弁させます。
  170. 諸沢正道

    ○諸沢政府委員 県及び市町村の学校管理規則を、市町村につきましては全部の市町村でないところもございますが、改正したところを県ごとに申し上げますと、岩手、宮城、秋田、群馬、山梨、鳥取、徳島、香川、愛媛、鹿児島、以上でございます。
  171. 大出俊

    ○大出委員 恐縮ですが、それもう一遍言っていただけませんか。全部で十になるのですか。
  172. 諸沢正道

    ○諸沢政府委員 そうでございます。岩手、宮城、秋田、群馬、山梨、鳥取、徳島、香川、愛媛、鹿児島、そのほかに四県、既存の規則で主任が設置できるところがございます。
  173. 大出俊

    ○大出委員 それは、福島とか富山とか愛知とか岡山とかいうところですか。
  174. 諸沢正道

    ○諸沢政府委員 そうです。その四県です。
  175. 大出俊

    ○大出委員 これは既存の規則――規則改正をしておるわけですか。
  176. 諸沢正道

    ○諸沢政府委員 しておりません。
  177. 大出俊

    ○大出委員 既存の規則でやれるように規則がなっておるわけですか。
  178. 諸沢正道

    ○諸沢政府委員 たとえば、学校には、法令で定める職員のほか、次の職員を置かなければならないというふうな書き方をしております。
  179. 大出俊

    ○大出委員 これらのところを含めて十四県、つまり今回規則改正をしたところが十県、こういうことになりますか。そうですな。  そこで、私はかつて苦い経験がございまして、例の勤評問題のときに、私、神奈川でございますから、さんざんもめにもめてもめ抜きまして、神奈川方式なんというものを、私ども苦労して中に入ってまとめた時代がございまして、私は総評本部の副議長時代でございましたから、出身県でございますから、神奈川には往生した時代がございまして、一つ間違うと、これからはそれに類するようなところが県によりましては出てきそうな気もするわけであります。この十四県以外のところ、今日までは比較的無難なところがやっておるわけでありますから、香川などのように管理規則の附則などで従来の主任を追認をするという形でまとめておるところなどもあるわけでありますから、したがって、これからのところが実は問題の焦点だろうというふうに思っておるわけでありますけれども、三月中に何とかして四月から、なんというところもあるようでありますし、それから文部省への回答の中で、できるだけ速やかにというような趣旨のところもあるようであります。そこまでもいっていないところもあるようでありますけれども、そこらを色分けをしていきますと、残りの県はどういうことになりますか。
  180. 永井道雄

    ○永井国務大臣 その点も初中局長から御答弁申し上げます。
  181. 諸沢正道

    ○諸沢政府委員 あと残りの県につきましては、三月中に管理規則を改正して四月に実施をしたいという決定をした県が四県ございます。それから、実施するという方針のもとで、時期についてはさらに検討してやりたいとしておる県が二十三県ございます。それから、実施そのものも含めてもう少し検討したいと言っておる県が六県、そういう色分けになっております。
  182. 大出俊

    ○大出委員 そうなりますと、これは三月中に何も無理にやらぬでもいいことになりますね、こういうばらつきでは大変公平を欠くわけでございますから。これは予算上は三月の予算があるわけでございますね。三月はどのくらいの予算を組んでいるわけですか。
  183. 諸沢正道

    ○諸沢政府委員 第三次給与改善に要する経費として、五十年の三月一カ月分に計上してありますのは三十七億でございますが、文部省としましては、その三十七億をめどとして人事院にその改善の具体的中身として勧告してほしいと要望しております事項は、主任手当を含めて四つの事項になっております。
  184. 大出俊

    ○大出委員 つまり、この主任手当をめぐる問題、あるいは義務教育の特別手当だとか、あるいは永年勤続の方々を一等級にだとか、クラブ活動の部長ですか。これは一遍正式に文部省の方からその四点を少し詳しくお答えをいただきたいのですが。
  185. 諸沢正道

    ○諸沢政府委員 第一点の全教員の処遇の改善という点につきましては、全教員についての本俸の引き上げ、あるいは義務教育等教員特別手当の率の引き上げ、これをお願いしておるわけであります。  第二点としましては、教育経験の長い優秀な先生について一等級昇格の道を開くようにしてもらいたいという点であります。  第三点は、今般の学校教育法施行規則の改正に伴って新たに省令化されました主任について、何らかの形で手当を出す道を開いてほしい、こういうことであります。  第四点は、現在、学校における教師の部活動の指導につきましては、たとえば生徒を引率して校外に出て対抗試合をするというような場合、泊を伴う場合、あるいは日曜日一日をつぶすというような場合には、特殊勤務手当の形で手当が出ておりますが、このような部活動指導というものの範囲を、さらに学校内における生徒の練習試合の指導というようなものが長時間にわたった場合、その際にも手当が出せるようにしてほしい、大体以上のような内容でございます。
  186. 大出俊

    ○大出委員 これは予算的には、これらのことを文部省のお考えどおり実施するとして幾らかかりますか。
  187. 諸沢正道

    ○諸沢政府委員 五十年三月の予算のめどは三十七億でございますけれども、現実に今回の待遇改善を平年度化した場合の五十一年度における義務教育関係の国庫負担金は二百二十四億というふうになっておりますので、それに合わせますれば、三月一カ月についての経費はほぼ三十七億の半分になるわけでございますが、そのうち全体の待遇改善を幾らにするかとか、あるいは主任の手当についてどのぐらい振り向けるかというようなことは、文部省としては具体的に要望をしていないわけでありまして、人事院に対し、その四つの事項が満たされるよう検討してほしい、こういうふうな要望をしているわけであります。
  188. 大出俊

    ○大出委員 本来これは、二百二十四億というのは半分でしょう。
  189. 諸沢正道

    ○諸沢政府委員 そういうことでございます。
  190. 大出俊

    ○大出委員 あとこのままでやるとすれば、都道府県が半分負担をする、こういうふうになりますな。
  191. 諸沢正道

    ○諸沢政府委員 そういうことでございます。
  192. 大出俊

    ○大出委員 これは自治体財政、まことに苦しいわけでありますが、相当これは骨の折れることになると思いますね。これは主任手当云々だけでなくて、こんなにたくさんこの際各種手当を出そうというのは、これはどういう意味なんですか。私が大臣室にお伺いをして大臣といろいろお話をしたときに、主任手当の問題だけであって、全体の先生方に一%だとかいう話は全くなかったわけであります。あのときの話は主任手当制度をつくって、主任手当制度をつくる限りは主任手当を出したいというお話で、それらをめぐる時期には、いまお話が出ました、全体の先生方に一%つけるとかいうようなことは当時話に出てなかったわけでありますが、主任手当に合わせてたくさん出てきたのはどういうわけですかと、こう聞いているわけです。
  193. 永井道雄

    ○永井国務大臣 私どもは、人材確保法に基づきまして第一次、第二次の改善を進めてまいりました。そして第三次の改善というものの中に、ただいま初中局長から申し上げました四つの種類のものを含め、その四つのうちの一つとして主任に対する手当、これを初めから考えていた次第でございます。
  194. 大出俊

    ○大出委員 私のところへは、全体の先生方に一%ずつ乗るのだから、これをつぶされるというと全体の先生がお困りになるので何とかまとめていただけませんかという話が大分ございまして、どうも大分これは政治的に、永井さんが頭がいいのか、後ろの方においでの方が頭がいいのかわかりませんが、わずかずつ全体に配っておいて――これは前に四%出したわけですから、このときに人事院様の方は、何でこんな四%を出すんですかと言ったら、現実に主任なんというものがございましてというので、実際には主任のことも考えて四%をつけた勘定になっていたわけです。  ところが、今度また大分大臣は苦労されたようでございますから、別な方から主任手当をやれと、こう言う。妙なところで局長さんがやめましたりいろいろございましたが、だんだん問題が詰まってまいりますと幅が広がりまして、一%全部に乗っけると、給与法をぶっつぶすなんて言ったって、ほかの方の先生が少しふえるんだからということでつぶしにくいというようなことを政治的に考えた、こういう気に食わぬやり方に見えるわけですよ、私ども見ていると。意図的な、主任手当というものを通したい、つまり学校の管理体制を強化したいという意図があって、それを何とか通すために作戦的に少し横にばらばらっと広げて、けしからぬからこれをつぶしてしまえということにならぬように配慮なさったという意図歴然たるものがあると思っているのですが、いかがですか。
  195. 永井道雄

    ○永井国務大臣 私ども考えてまいりましたことは、もちろん人材確保法というものの最大の標目というのは、学校教育を充実していきますために人材をそこに集めるということであるわけでございます。そこで、それを一次、二次、達成してまいりまして、しかしそのことは同時にもちろんすべての先生の給与を上げていくことではありますが、学校というものが調和のある姿で運営されていく、そして魅力ある職場であるということでなければならない、それともつながっているというふうに私は考えたわけでございます。  ただいま先生のお言葉の中に、主任制を入れて管理体制でも強くするかというようなところじゃないですかという御質疑のあれもございましたが、事実上この主任というものを管理の方からとらえていた考え方の人も相当おったと思います。私はそこで去年春からいろいろ実情を調べ、いろいろ考えますと、学校というのはこれは工場とか役所ではないわけでございますから、管理というふうな仕事に主として当たっていただく方はすでに校長、教頭というのがある。しかし、むしろ学校というのは当然教育の場でございますから、しかもサイズが大きくなっていたりして、校長、教頭だけではなかなか教育の革新が起こってこない。  さて、そういう角度からどう主任をとらえていくべきかというと、実態もそうであるし、またその実態に即して今後何を強化していく、そして調和のとれたものにするかということになると、主任は管理的なものとしてはとらえない。むしろ教育の指導、助言あるいは連絡、調整、そうしたことをやる人ではないか、こういう考え方をとるべきであるということで、その考えを明確にいたしまして、そして省令を出したということでございます。  そういうふうにいたしますと、当然これは主任以外にも、いま初中局長が申し上げましたように、これからいよいよクラブ活動というものも大事になっていきます。そういうクラブ活動の担当の先生というものに対してやはり待遇をよくしていくということも考える、そういうふうな、やはり一番の下敷きは全体の先生の給与を上げるということだと思いますが、同時にいまのようなことも勘案して、そうしてこの二百億を超える予算でございますけれども、これをひとつそういう姿で学校の先生方の給与としてお考え願えないものか、こういうわけでございますから、セットにして管理体制をつくろうということではなく、むしろセットにして魅力のある学校をつくろうということでございます。
  196. 大出俊

    ○大出委員 これは大臣と直接この委員会の場所でなくてやりとりをしたことがあるわけであります。私はあきれたのですが、大臣が話を始めたら、二、三十分というお目にかかる時間だったわけですけれども大臣がいつの間にかその二、三十分しゃべってしまったようなかっこうになりまして、だからあの長い大臣の結論がどこに行くのかなと思って聞いていた話を耳にしていますから、大臣が言わんとすることがわからぬわけではない。だがしかし、それに反対だというだけであって、現実にそうならないという見方をするから私ども反対なわけですけれども。  そこで、それは意見の対立でございますからそれはそれでいたし方ございませんが、そこで二、三承っておきたいのは、当時からの大臣のおっしゃる中に、幾つかの主任の方々に主任手当制度をつくって手当を出す、だがしかしそのことは管理体制へということではないのだという、教育現場だから教育というものが先になければならぬ、その後ろの方に、かといって組織だから管理が要る、校長がおり、あるいは教頭がおるということになっておる。そうなると中間管理者という言葉が出てくるのは、そこに主任制度をつくろうということから出てくるわけですけれども、しかしそれは管理ではないんだというのが大臣の言い分なんですけれども、そこに先生方と管理者側の大きな見解の相違が出てきているわけですね。それに立ってあなたの方の言い分は、だから主任になるべき人は、属人的に言えば一定期間そこにいても、今度はほかの先生とまたかわるローテーションというものもあるんだという、いまでもそういうお考えをお持ちなのかどうか。やめれば主任手当はなくなるという筋合いですね、ほかの人が主任になれば。そううまく学校の教員室の内部というのは――それは長らく教育問題を手がけてこられた永井さんですけれども、そう簡単にいくようなぐあいにできているか、現実に立った場合に。だから、いまでもその考えでそういうことが行い得るという考えをお持ちなのかどうか、念のために聞いておきたいと思います。
  197. 永井道雄

    ○永井国務大臣 ローテーションといいますと自動的な輪番制みたいに考えやすいのでございますが、私はローテーションというふうな言葉は使ったことはないので、どういうふうに言っているかと言いますと、専門的な適格者をでき得る限り多くその場に活用していくようにすべきである、こういうふうに言っているわけでございます。それを申しまして、そして一月に入りましてからの次官通達にもその趣旨を明確に盛り込んでございます。いまでも私はそういうふうな姿で運営していくことが望ましいと思います。そのことは可能であろうかというふうに考えております。
  198. 大出俊

    ○大出委員 ここでその議論に入りますと時間がなくなりますから、またお忙しいところお出かけいただきましたからかえって恐縮でございますので、承るだけにいたしておきます。  そこでもう一つ承っておきますが、この間お出しになった省令で制度化された主任は何と何と何になりますか、ここで述べておいていただきたいと思います。
  199. 諸沢正道

    ○諸沢政府委員 小中高の学校段階で若干異なりますけれども、小中高を通じまして制度化いたしましたのは教務主任と学年主任でございます。それから中高につきましては生徒指導主事というものを制度化いたしました。なお中高につきましては、従来、進路指導主事というものが制度上はございましたが、それを規定の整備をいたしました。さらに高等学校につきましては、学科を置く高等学校について学科主任それから農場長、さらに特殊教育諸学校につきましては僚務主任を置くことといたしました。  以上でございます。
  200. 大出俊

    ○大出委員 そこで総括的にひとつ承りたいのですが、冒頭に承りましたように四十七都道府県の足並みが大変にばらついているわけですね。日教組なんという組織が全くないところなどは、これはきわめてスムーズに簡単にいっておりますが、あるいはまたいわゆる世の中が言う革新自治体というものがございまして、ここはここなりのまとまりを持っておりますから、それなりの意思決定、意思方向ども進めておりますので、そこでこれを客観的に言いますと、幾つかのところはやるんだからそこに先に手当が出ていくが、やらなかったところには手当が出ていかないという、このばらつきになるわけですね。いままだほとんど意思表示もしていないところも幾つもあるわけでありますけれども、研究中とかあるいは自治体財政窮迫の折そう簡単にまいらぬとか、いろんな言い方になっているわけであります。真ん中の二十二というできるだけ早くというところも、果たしてどれだけができるだけ早く実施するかということにも疑問があるわけですね。発足に当たってまあどうやら足並みがというところは五つかそこらしかないわけでありますから、そういうばらつき方であってもなおかつやっておいでになるということになると、そこらは一体どう見ればいいわけですかね。自治体の内部のことですから、そこに自主性があっていろいろ議論されておるのでしょうから、私どもそれはいいとかいけないとかなかなか言いかねるわけであります、自治法に基づく自主性もございますので。そういたしますと、また地方議会もありますので、たとえば議会がこれは認めないということになった場合に、これは議会の意思に反して、そこの長が公選首長でございますから、独断専行はできがたい。そういうことになったら、文部省側から見てこれはどういうことになりますか。自治体の議員が議会で認めない、いろいろな理由がございましょうけれども、認めないというまとまりについては客観的に見てそれなりの正当な理由があるはずでありますから、そこで議会が認めない、こういう結果になったらどういうことになるか。たとえば革新自治体の中なんかでも、与野党のバランスからいって、私はここへ来て大臣相手にしゃべっていますと野党なんですけれども、自分のところへ帰りますと与党でございまして、横浜市も私の兄弟みたいな男が社会党の横浜市議会議長をやっておりまして、そこへきて、神奈川県の方も今度は与党になってしまいましたから、私はうちへ帰ると全部与党でございます。そういう意味で与党のバランスからいきますと、議会の中も野党の方が多いわけです。ですから議会で認めない、こういうことになったら、文部省の方はどういうふうにお考えになりますか。
  201. 永井道雄

    ○永井国務大臣 この教育委員会規則を決めますのは、申し上げるまでもなく教育委員会でございます。教育委員会関係さらにまた教育庁のいままで文部省へいただきました御報告では、この主任制度というのは、制度それ自体は結構であるということです。ただ先ほどから初中局長が申し上げましたように、いま検討している段階そしてなるべく早くやりたいというのと、さらにもう少し検討したい、そのもう少し検討したいというので一番おくれている姿になっておりますのが六つあるわけでございます。ただいま先生が御指摘になりましたように革新自治体等がございますが、それは革新自治体に限らず給与の条例の問題は確かに議会の問題でございますから、一応その二つのことは分けて考えなければいけない問題ではなかろうかと私は考えているわけでございます。
  202. 大出俊

    ○大出委員 しかし、これは妙なことに市議会なら市議会、県議会なら県議会がこの種制度は導入すべきでない、こういう意思表示をしたときに、分けて考えるからといって、その自治体の立場というのはあなたが考えているように簡単ではない。たとえば自治体の首長は市長であり県知事でございますから。そうなりますと、その議会に対して責任を負わなければならぬわけです。そこの議会がこれは導入すべきでないというふうに決めた場合に、市長の方あるいは県知事の方からすると、これは大変にむずかしい問題が出てくるわけですね。一つ間違うと教育委員会の任命の問題にまで発展をする。かつての勤評もそうです。したがいましてそう分けて考えられる状況にはない。ただ江戸のかたきを長崎で討たれたんじゃかなわぬということもありますから、だから物を言うことについてはなかなかやわらかく考えて応答いたします。シグ・片山さんという方に予算委員会証人にと言ったら、物理的に一日に間に合いませんのでと言う。御本人の腹の中は出る意思がないのでしょうけれども。つまり断り方はいろいろあるわけでありますから。だから私の申し上げているのは、そういうところがたくさん出てきた場合に、たくさんでなくても相当の部分出てきて実施しないという場合に、これこれのところがやるのだからいいじゃないかと進めていく、こういうことが当面皆さんのお考えでございましょうか。
  203. 永井道雄

    ○永井国務大臣 これまで進み方が必ずしも速やかでなかったというのには幾つか理由があるかと思うのでございますが、一つは、県段階におきまして、いま先生御指摘になりましたように各市町村のそれぞれの状況というものがやはり違っている、そういうふうなものを踏まえて決めていかなければいけないという問題があるかと思います。これは県が革新であって、場合によってその県の中のある市が保守であるということもある、その逆のこともございます。それからもう一つは、地方財政上の問題があろうかと思います。さらにもう一つは、組合に反対があるという場合もあろうかと思います。  そこで、私は革新市長会の代表である方にお目にかかりました際にも申し上げたのですけれども、さような事情は十分私としてもわかりますが、まず教育行政に関しましてはでき得る限り教育委員会というものがこれに当たっていくわけでございますから、これは中央におきましては文部省でございましょうが、それぞれ自治体においてはそうなんですので、いろいろな政治的立場の違いというものがございましょうが、しかし委員会中心に事を運ぶように御協力願いたいというふうに実はお話し申し上げましたし、いまもさように考えているわけでございます。  財政に関しましては、これは実は第二次改善のときにも相当むずかしいということでおくれているところもございまして、そこでは主任のようなものを含まない場合にそういうことがあったわけですので、そこで本年度は第三次改善になるわけですが、私ども考えまして、本年度の分は二年に分ける。しかし何といいましても先生方の給与をよくし待遇をよくしていくということは、法律に基づいて約束をして運んでいくべき事柄でございますから三次に取り組んだわけです。取り組みましたけれども財政事情がかような状況にあるということは国、地方を問わず実情でございますから、二年に分けてやっていくというようなことで、私ども財政事情を踏まえながら検討してまいりましたので、そういう意味合いからもいろいろ各自治体の御事情がございましょうけれども、われわれもその点を勘案して進めておりますので、いま先生がおっしゃったような方向にならないようにやはり教育委員会中心で進め得るのではなかろうか、だから財政についてはいまのようなおくれも出てくるであろう、こういう考え方で進めているわけでございます。
  204. 大出俊

    ○大出委員 念のために承りたいのですが、教育委員の任命手続というのはどうなっておりますか。
  205. 諸沢正道

    ○諸沢政府委員 教育委員は知事が議会の承認を得て任命いたします。
  206. 大出俊

    ○大出委員 極端なことを言いますが、たとえば防衛庁の対潜哨戒機PXLじゃありませんが、これを決めるために四十七年の十月九日の四次防を決める国防会議で、機種選定委員会が機種選定のための専門家会議をつくる、大変にこの専門家会議のつくり方はむずかしいですね。専門家を決めて専門家会議を構成するまでに決まってしまう。これをこしらえて、できたときには一年ばかりわざわざ延ばして、まず専門家会議をつくるのを一年ぐらい延ばしていく、決めてまた一年。一年期間はありますけれども、専門家会議を決めたときに中の色分けを見ますと、これは輸入だな、P3Cを買おうということになるなとわかるような任命ですよね。そうすると、極端なことと申し上げたように、ある自治体で、これはちょっとおもしろくない、この際教育委員も全部かえようじゃないか、知事が任命して議会で承認を得ればいいんだから、いまこれに賛成の教育委員はやめてもらおうじゃないかということになって全部総入れかえをして、教育委員会はこういうものは一切反対である、なぜならば教育の基本にかかわるから。皆さんが法律云々おっしゃるけれども、自治体は自治体の自主性があってやっているんだから、教育の基本にかかわるんだから導入できないということになると、これは決定的にやれないわけですよね。分けてとおっしゃるけれども、これやってできない芸当じゃない極端な例を実は申し上げたわけでありますが、大臣、私はここでその論争をしようと思っているんじゃない。論争をしようと思っているんじゃないのですが、勤務評定をめぐる長年の紛争のように何年もかかっておるわけですね、これは。人事院の法律的な基礎というものがある、あるがしかし、大変な規模の反対だという層ができてきて認めないという、何年もかかったわけですよね。最終的に私どもも総評のてっぺんで、太田、岩井の真ん中で副議長なんかやってのんきなことを言っているわけにはいかない、わが県神奈川のことだから。苦心して、そこで神奈川方式ができてまとめたわけですけれども、そういうまた二の舞は私もいささか迷惑なわけですよ。だから、そこらで皆さんの方がどういうふうにこれから――省令改正をなさったんだからそれに沿って押していこうかというのか、相当な無理をあえてしてもやろうというのが、自治体のそれぞれの自主性というものは尊重しながら進めていこうというのか。時あたかも学校の先生方の団体はストライキをやろう、人事院が勧告をしたら勧回撤回闘争をやろうと、こういうわけですね。そうなると、これは一つ間違うと父兄、児童を巻き込んだ大変なことが実はでき上がりかねないわけでありまして、そこのことも気になりますので、文部省の――わずか五県しか発足に当たって同調していない、今日は。その後それらを含めて十四県ばかりですね、何とか制度改正に踏み切るところがある。あとは二十二の県はできるだけ早くということの意思表示しかしていないという、そういう状況の中ですから、地域地域にいろんなトラブルが起こりかねない。つまり、その気になって学校の先生方初めそれを取り巻く集団が行動を起こし始めますと、いまはできるだけ早くと言っている県でも、父兄を含めたトラブルを起こしたくはないし、自治体の首長も公選首長であるとすれば、保守、革新に限らず無理はできないという気持ちになる。そうなると、いまはこうだが、ここから後の方は相当なずれだって考えられるわけでありまして、組織の消長をかけてまでやろうなんという組織もございますから、そういうことになりますと、皆さんがこれをどういうふうに考えて進めておいでになるのかということを、ひとつここで大臣に承っておきませんと、私どもの方もこれは対応に困るわけでございます。いかがでございましょう。
  207. 永井道雄

    ○永井国務大臣 確かに主任の制度の省令化は文部省が昨年の暮れやりましたわけでございますが、別に文部省だけが考えてやったというのではなくて、これもかなり早い時期におきまして、教育委員長会議からの御要望というものもあったわけでございます。そして教育委員長の御要望というのは、やはり主任に手当を出したらよろしい、こういうことなんですね。その場合に、幸いなことに、革新自治体の教育委員会からもそういう御要望がありましたので、これは保守、革新という政治的なことを問わない御要望と理解いたしまして、私どももこの作業に取りかかったわけでございますが、しかし念には念を入れなければいけませんから、さらにこの制度をつくっていく上で、本当に学校教育という意味合いから申しまして、いわば管理強化とか管理反対という幾分かでも政治につながるようなそうした形の制度をつくり上げていくという方向ではなく、教育の中身に即して考えていこうではないかということでございますので、いま先生が御心配の点はよくわかります。私も、決してのんきに安心をいたしているわけではございませんが、しかし先生もそういうふうに御心配をいただけるわけでございますから、ひとつそういう意味合いにおきまして全く政治の問題を離れまして、でき得る限りいろいろ御理解をいただいて、事柄をいわば静かでないような方向に持っていくことがなく、そして事柄を理解を得た上で進めていくようにしたい。事柄の発端においては、教育委員長さん方のさような御意見もあったということをやはりひとつ重要な地盤としまして進めていけば私は道が開かれると、かように考えているわけでございます。
  208. 大出俊

    ○大出委員 大臣、途中からおなりになりましたからですが、これは本来政治絡みなんですよ、出発が。そしてさきの人事院の総裁佐藤さんでも、最初文部省側から文書で意見を求められたとき、きちっとこれは断っておるわけですね。給与制度というたてまえを前に出されて断っておられる。だが法律が押し通されてしまえば、従わざるを得ぬという姿勢だったわけですね、結論は。ですから、当初は明確に、私はこれも質問いたしましたが、賛成できがたいと言っておるわけですね、さきの人事院総裁の答弁は。その後はっきり断られた。ところが法律ができるということになって、そこでこれはもういたし方がない、こうなっていったわけですね。したがいまして、本来政治絡みだから、政治的な対応をしようということにならざるを得ぬわけでして、だから実は心配なんです。したがって、無理はなさらぬといういま大臣のお気持ちに受け取りましたから、そこらはひとつお互いが踏まえおきませんとこの教育現場をこわしちゃいますから、そこのところを父兄絡み、学童絡みでとんでもないことになっていっては困るわけでありまして、そういう意味でひとつ承ったわけでありまして、無理でない方向というお話でございますから、その限りわかります。  そこで承っておきたいのですが、人事院の方のお立場からして、二次改善なんかのときもそうでございますけれども、ぎりぎりに来て皆さんのところでお出しになるものですから、この前のときも大変夜の十時過ぎまでかかって、茨木さんにも大変御迷惑をかけましたが、物をまとめるのにも苦心惨たんした実は経験を持っております。年内に債務を発生さしておかぬ限りは、三月期の予算というのは使えませんからね。だから、そういう意味で非常に迷惑をしたわけですよ、率直のところ、この委員会は。したがってこの勧告というのは、もうここまで来たんだから、三月に入ってしまったわけですから、いまお出しになったからといってそう簡単に対応できませんけれども、いつごろ一体お出しになるおつもりなのか。聞くところによると、閣議の今国会法律の限度は十三日とかなんとかということのようでございますけれども、したがって勧告は一体いつごろお出しになって、法律になって出てくるのは一体いつごろになるという段取りでお進めなのか、承っておきたい。また大変な苦労をされてはかないませんから。
  209. 藤井貞夫

    ○藤井(貞)政府委員 いまお話しのように、昨年はいろいろな事情もございましたが、人事院の勧告自体が実際問題として大変おくれまして、確か三月の十七日だったと思います。これをもとにして、法律案になって国会提出されて御審議をいただいたということで、大変内閣委員会の諸先生方にも御迷惑をかけたということにつきましては恐縮をいたしたような次第でございまして、その点は委員会でも申し上げておる次第でございますが、そういうようなこともございまして、われわれといたしましては、第三次の勧告等につきましてはできるだけ早く勧告を申し上げて、十分内閣委員会その他で、国会で御審議をいただくという時間的な余裕をとりたいという気持ちは持っております。その方向でいままで進んでまいったのであります。ただ、これは文部省の方に向かって文句を言うわけではございません。いろいろ向こうは向こうで御事情があると思いますけれども、学校教育法の管理規則が昨年の実は暮れになってから出ました。われわれ人事院の直接関係いたしますのは、御承知のように国立学校でございます。国立学校の管理規則は、二月に入って、二月の十日に実は出ておるというような状況でございます。無論事務的にはいろいろなことで連絡は事実上もあったようでございますから、われわれといたしましては寝耳に水だなどという、そういう通り一遍のことは申し上げるつもりはございません。しかし、正式に出てきた段階においてわれわれとしてはやはり正式に取り組む姿勢を示さなければならぬということは申すまでもないことでございまして、それ以来鋭意取り組んで検討を進め、大変集中的に現在やっております。  そこで、できるだけ速やかにということでやっておりますが、この点、勧告の性質から申しまして、これは大出委員御承知のように、勧告でございますので、この段階でいついつということは申し上げることにもまいりません。また、事務的にもまだそこまでほのめかす程度にまで至っておりませんので、この席上では、いついつごろということを申し上げることは差し控えさせていただきたいと思います。しかし、昨年のこともにらみ合わせつつひとつ精力的にやって、できるだけ速やかに勧告をお出しをしたいというふうに考えております。これを受けての法律案提出その他につきましては、これは総理府の方からお答えを願いたいと思います。
  210. 大出俊

    ○大出委員 大体勧告がいつ出るかわからぬのに総理府がしゃべりようがない。そうでしょう。そうじゃないですか。
  211. 藤井貞夫

    ○藤井(貞)政府委員 いや、法律が出てからです。出てからどのぐらいで……。
  212. 大出俊

    ○大出委員 出てからと言ったって、今月末にでも出れば間に合わないじゃないですか。法律というのは、その出てきた順番がありますから、特段大変なそのやつは――これは与野党の合議の理事会ですから理事会で採決はできないのですからね。ですから、いま出てきたって通るはずはないと私は実は思っております。防衛二法なんというものもございまして、これをやっているというと――解散はどうもちょっと、ロッキード解散というわけにもいかぬようでございますから、先に行くのでしょうけれども、年度内三月の三十七億というのは、これは使いものにならぬと、そういうかっこうになりそうに思っていますから、おっしゃらぬのならおっしゃらぬでいいんだけれども、何か聞くところによると、法律をこの国会にはいつまでなんということを政府部内でお決めのようでございまして、そうすると十二日の閣議ぐらいに間に合わぬというと、これはどだい法律にすること自体に問題があるのじゃないかという気が私はしているのですよ。そんなことで出てきた法律は実は受けつけないでもらいたいと思っているわけです。去年のような苦労をさせられちゃかなわぬですからね。去年が十七日なんですが、また十七日ごろなんというばかなことがあるのですか。そこのところ、いかがですか。
  213. 藤井貞夫

    ○藤井(貞)政府委員 そこまでおくれないように、もう少し努力をして早目にというふうに、努力目標としてはそこに置いております。
  214. 大出俊

    ○大出委員 これは十七日までずれちゃぐあい悪いから早めると言うなら、その前の週になるわけでしょう、閣議の予定だってあるわけですから。だから、そうなるとこれはやはり十二日ぐらいのところで出さなければ間に合わぬでしょう。十七日までおくれないと言うなら、前の週ということになると十二日ぐらい、そんな見当ですか、見当は。
  215. 藤井貞夫

    ○藤井(貞)政府委員 まだそこまで申し上げる段階ではございません。
  216. 大出俊

    ○大出委員 それじゃ法律の方は、植木総務長官お見えでございますけれども、通常、勧告を受けてどのくらいかかりますか。
  217. 植木光教

    植木国務大臣 人事院勧告の取り扱いにつきましては、これは出てまいりましてから判断するというのが私どものたてまえでございまして、したがっていまの段階では何とも申し上げられないのでございますが、いま予定されております教員給与の第三次改善等についての勧告がございましたときには、これはやはり尊重して対処をするということになります。その際には、大出議員はもう十分御承知のとおり、これは数日間で閣僚協を通し、そして閣議にかけましたならば、法案として提案ができる予定でございます。
  218. 大出俊

    ○大出委員 十七日までおくれることはないといまおっしゃるのですけれども、昨年は十七日に出たために苦労した話をしたのですから、そうすると前の週ということにならざるを得ぬわけです。  ところで、別にこれはことしの場合は事情が違いまして、おくれるならおくれたっていいんですよ。何しろ勧告撤回闘争をやろうというわけですから、大闘争をやろうというのですから、四月でも五月でも六月でも、何なら七月ぐらいでも結構なんで、ことしは事情が違いますからいいんですけれども、にもかかわらず総裁おっしゃらぬものだから、ただ一つだけ十七日になんというおくれ方をしないようにするとおっしゃっているわけですから、だからごゆっくりひとつやっていただこうと思います。  ところで、そのゆっくりの中身なんですけれども、一体主任手当というのは、給与法上制度化する方法と、それから人事院規則か何かでこっそり片づけようという方法とあるのです。悪知恵の働いている連中が規則でやれなんて。それで、何かこの委員会でどうのこうのということにならぬようになんというようなことを言っている人もあるのですけれども、そこらは一体、私は技術的に聞きたいのですが、主任手当というものを、さっき坂田文部大臣おっしゃっているように、文部省令の改正でおやりになった。それを出すためにはいかなる方法がございますか。
  219. 茨木廣

    ○茨木政府委員 お答え申し上げます。  昨年以来いろいろ検討しておりました現行法の体系で処理をするということになりますと、主任の制度化といたしまして、文部大臣の方でこれは管理職ではないとこういうふうに言っていらっしゃるものですから、特別調整額をすぐ使うというわけにもまいりますまいというふうに考えております。そういたしますと、どうもいろいろお聞きしておりますと、その管理職の機能の相当部分も持ってないというようなものでございますので、それよりもごりっぱなものというふうにもまいらぬではないかという感じがいたします。  そういたしますとあと残りますのは特殊勤務手当、特勤と称しますのが、十三条に根拠条文がございます。この体系が一つ既存の体系としてあるのではなかろうかという気がいたします。  あとはちょっと現存のもので処理をするということになりますとなかなか困難ではなかろうか、こんなふうに考えております。
  220. 大出俊

    ○大出委員 その場合には法律改正は要りませんですが、特勤の場合に。
  221. 茨木廣

    ○茨木政府委員 これはいませっかく検討をいただいておる最中でございますが、いまのままでいけないこともないというふうに考えております。
  222. 大出俊

    ○大出委員 逆から言わせるようなことを言ったってだめじゃないですか。だって、特勤ならいまのままでやれるじゃないですか。規則でできるじゃないですか。それならそれで、規則でできると答えてくださいよ。茨木さんどうですか。やってできないこともないとかなんとか、あなたごまかしちゃいけませんよ。
  223. 茨木廣

    ○茨木政府委員 現行の十三条の体系の中で読めると思っております。
  224. 大出俊

    ○大出委員 そうでしょう。だから申し上げている、規則でできるじゃないか。悪知恵の働く人がと言ったのだが、何も茨木さんが悪知恵と言うのじゃなくて、後ろの方にいる方々が規則でやれ規則でやれと言っておられるのが耳に入るものだから、それなら十三条の特勤を使う以外には手がないのじゃないか。それならば規則でできる。それだけじゃないか。これは論理的にそうなるのだから仕方がないので、皆さんが決めている前に物を言わせようと思っているのじゃないけれども、論理的にそうならざるを得ないわけで、だからいまはっきりお答えいただいたので、いいですけれども……。  ところでもう一つの問題は、先ほどお話しをいただきましたが、大臣がお話しになっている――永井大臣にはさっき失礼しましたが、例の大学紛争のさなかに坂田大臣と大分やりとりをしましたので、またそんな闘争になりそうな気がするものだから目移りがしました。  ところでこの二番目の、簡単に言えば義務教育特別手当と言ったらいいのでしょうか、これは十九条の四項でしたか、五項でしたか、どっちかでしたが、さっき大臣がおっしゃっていた二つ目の問題は、これを使って一%、こういうことにしようというわけですか。
  225. 茨木廣

    ○茨木政府委員 第一番目の全員に対する配慮というものは、去年からの経緯もございますし、やはり義務教育等職員の特別手当を使ってやることが一番適切ではないかというふうにいま検討していただいております。
  226. 大出俊

    ○大出委員 そうしますと、三番目の永年勤続の方々というのは、かつ優秀だということでしょうけれども、大体何年ぐらいを考えて――これは一等級へという意味でございましょうか、定数との関係もございますけれども、どういうふうな方法でお考えになるか。どういうことでございましょうか。
  227. 茨木廣

    ○茨木政府委員 この問題は、昨年附帯決議をお決めいただきます際にもこちらの方の意見も申し上げまして、年限だけではないということで「資格と」にそれらをいろいろ含めてやったという御了解をいただいておるわけでございます。  そこで、いまいろいろ検討いたしておりますが、この問題を処理する前に前提といたしまして、昨年漸進的に校長、教頭等の処遇をするのだということを申し上げまして、去年大変御議論いただきましたけれども、二分の一とか四分の三程度のものをやるような表現をとっていただいたわけでございますが、まずそれをことしの段階で本来の等級のところへそれぞれ位置づけるということをしなければいけません。それからいま御議論になっておりますりっぱな先生というものを、これは私どもも各方面、文部省さんにはもちろんでございますけれども、県の人事委員会や教育委員会等にも御意見を伺っておりますけれども、なかなか基準のいいところが見つからないという問題が一つございます。それから、大出先生におしかりを受けるのかもしれませんけれども、地方の団体の特殊事情もございます。その他の問題もございまして、そういうようないろいろの問題で関係のところとも御意見を聞いておるわけでございます。  そういう問題がございますので、まだ結論を出しかねている状態でございます。しかし、付帯決議も昨年ございましたことでもあり、文部省さんの御要望もございますので、前向きの姿勢をとりながらこれを考えていくというようなことができないかということで、いませっかくの御検討をいただいておる、こういう段階でございます。
  228. 大出俊

    ○大出委員 何かの基準を決めるというわけですな。その基準を決めかねている、しかし決めなければならぬ、こういうわけですね。そういうことですな。
  229. 茨木廣

    ○茨木政府委員 率直に申してそういうことでございます。これはよくおわかりのことだと思いますが、特に当委員会は所管でございますから、各俸給表、各等級の運営にも、これは直接国家公務員についても微妙な影響を及ぼすことでもございますので、格づけをし得る何らかのメルクマールがないと困るということで、職員側にも組合側にもいい案があったら持ってきなさいという話まで実はやっておるわけでございます。
  230. 大出俊

    ○大出委員 これは三次改善のやつは撤回闘争だそうですから別ですけれども、いままで上げてきたものは、何も人材確保は先生だけじゃないので、ほかにも人材確保の必要があるわけでございまして、そんなことないと言ったほかの職種の方が怒ります。だから片一方で人材確保で上げましたで済む筋合いでないから、それに見合うように一般の方々も追っかけて上げてもらおうと思っているのです。ですから、私はいままで先生方が上がることに反対しているのじゃないので、先生を上げるなら上げて結構だから、それに見合うようにあとこっちを上げてくれたらいいのだからと言っているわけですから、そうすればみんな上がっちゃうのだから、それは一向差し支えない。ただ今回だけはこれは例外である、こういうわけなんですが、そこで、クラブ活動の方々の、つまり校外試合だとかあるいはそれが長時間に及ぶとか、そういう方々に対するもの、今度はそれが枠が拡大されるというわけですね。練習試合を校内でやるという場合も、それが時間が長くなれば何がしかのことを考えるということにしたい。そうすると、これはどういう形で人事院の方はおやりになるつもりですか。
  231. 茨木廣

    ○茨木政府委員 これはいま特勤の中に教員特殊教務手当というのがございます。これは約八時間程度を押えてありますので千二百円出ておりますが、これよりもやはり程度が軽いものになってまいるというふうに考えておりますので、時間もより短いもので、また年間の回数も多いものと思われますので、したがって金額ももっと少ないもので、このグループを一つつくって処理するということにしたらどうかというふうに考えております。  ただ基本的には、先ほど冒頭に出ました特別手当の問題との関連でございますが、一応本俸及び特別手当及び教職調整、この三つでおよそ先生の所管される仕事全般には網をかけておるというのが人事院の態度でございます。したがって、部活動についてもやはりそういうことで一応網はかけておるのだというたてまえをとっております。しかし、特にそういう意味で今度また特別手当の形でそれらの三つの網をかけておりますものをふやしていくということも踏まえておるのだということを組合にも話しておるところでございます。そういうことでございますので、たとえば突き出ましたものについてさらに少し濃厚に処理していくのだという考え方で先ほど申し上げましたようなことを考えていったらどうか、こういうふうに考えております。
  232. 大出俊

    ○大出委員 念のために一つ承りたいのですが、そうすると、給与法が通らぬでも主任手当というものは実施できる、こういう御見解ですね。
  233. 茨木廣

    ○茨木政府委員 そういうふうに申し上げますと、かえって大変いかぬのでございまして、給与法の中身は、全員に及びますもの、一番基礎になりますものが盛られておるものでありますので、勧告いたしまして法律案が出ました暁にはそれはやはり通していただいて、一緒に処理さしていただくということが適切じゃないかというふうに考えております。
  234. 大出俊

    ○大出委員 それは技術論でしょう。論理的には今日の給与法に基づく特殊勤務手当の十三条ということでおやりになるというなら、別に給与法が通らなかろうと何であろうと、予算があればおやりになれる、筋としてはこういうことになるんじゃないですか。いかがでございますか。
  235. 茨木廣

    ○茨木政府委員 ぎりぎりした技術論のお話だと思いますけれども、それは大出先生が一番よく御存じのことでございますが、私ども気持ちとしましては、やはりいま言ったような、精神的には本体で、まずいろいろ校務を、去年から申し上げておりますように、担当していらっしゃいます、それから従来とも省令化されました主任のほかにもいろいろなものを分担されておるという姿が学校にはございます、それから部活動の顧問の姿もございます、そういうものにまず基礎的に全員になお手厚く処遇をしていくという姿が出て、それとの絡み合いで、より突出したものにもう少しずつ出していただくという姿を踏まえてやることが正しいのじゃないかというふうに考えております。
  236. 大出俊

    ○大出委員 それが基本だとすれば、給与法がもし仮に――いつ出すかおわかりにならぬというわけですから、去年も往生しましたが、あの二の舞をやりたくないから申し上げているのですけれども、どうもこれだけの問題を抱えている給与法の改正が出てくるというのに、いまだにどうも勧告も出てない、今日ただいま二日でございますが。そういう状態で出てきた法律、そんなに簡単に通せるかと言うと通らぬじゃないか。これは通らなかったらどうしますか、規則でやる分は。通らなかったら一緒に規則は出さないで先まで持っていく、こういうことになりますか。
  237. 茨木廣

    ○茨木政府委員 いま、せっかくできるだけ早く勧告を出していただきますように努力いたしておりますので、そういうことで御理解をいただきたいと思います。
  238. 大出俊

    ○大出委員 大変微妙なところでございまして、つまり堂々と主任手当ということで法律制度化をする、これが実は筋だと思っているのですけれども、これだけたくさんの問題を抱えているのですから。それを規則でおやりになるというのが本心だというのが明らかになったわけであります。それだけに私は、給与法は通らぬ、一般の先生方に一%というものは乗らない、だが皆さん方の執念で、政治的執念が後ろの方にあって――これはここにおいでになる方じゃないのですけれども後ろの方にあって、永井文部大臣やむなくここまで進んできたわけでありますから、規則でやるものはやってしまえということにすべきではないと思っているのですけれども人事院総裁、ひとつこれはおたくが法律改正で主任手当というものを法律制度化するという道をおとりにならぬのならば、規則でおやりになるのだというなら、これはいま私が申し上げましたように法律がどっち向いても大丈夫なように規則で制定をしようとなさるわけですから、これは大変に政治的であることになる。そこのところ、いかがでございますか。
  239. 藤井貞夫

    ○藤井(貞)政府委員 主任問題というのは、これほど大変政治的な重要な事項になっておりますことは、われわれもよく承知いたしております。したがいまして、ある立場あるいはたてまえ論から申しますれば、変なこそくな手段ではなくて、それこそいわゆる堂々たる給与上の措置としてやったらどうかというような議論も、これはあり得ると思うのです。あり得ると思いますが、しかし、これは先刻お話がありましたように、特殊勤務手当ということでなじまない性質のものではないということと、それから大出先生、給与の専門家ですから申し上げるのですが、実は給与体系というものは、やむを得ずいろいろな事情でいろいろな体系がだんだんできて複雑になってまいりましたけれども、本来はそう複雑化すべきものじゃなくて、むしろ単純明快であるべきではないかというふうに考えております。  そういうことで、なるほど事柄の比重としては主任というものは大問題である、それにどうして給与的な評価をするかということも大問題でございます。しかし、これは給与制度として見ました場合に、主任に対してどういう措置を講ずるというようなことが、果たしていまの給与体系に堂々と、給与法上の別の体系としてやるべきことなのかどうかということは、これは給与法上のわれわれの立場としても問題はございます。そういうような点もにらみ合わせながら実はいま、せっかく議論を詰めて検討いたしておるような段階であることを御承知おき願いたいと思います。  それからもう一つ、今度の一連の第三次勧告に盛られます内容は、現在詰めておりますけれども、これはやはり一貫として、全体として一つの全き姿になるというふうにわれわれとしては考えております。そして、やはりあくまで第一次的には教員全体にかぶっていくというものを主体にすべきであるという考え方をとっておりまして、それが本来のあるべき姿ではないかというふうに考えております。したがいまして、これを御審議をいただきます過程においていろいろな問題が起きてまいります際には、その段階において特殊勤務その他の取り扱い等については、その時期その他については、あわせてひとつ検討を加えなければならぬ事態が起きるのではないかと思います。
  240. 大出俊

    ○大出委員 これはそのときに議論をしなければなりませんが、実は主任手当というものを法律制度化するということは論理的にしかく簡単にできない。どこの官庁にも主任がおりますが、それじゃ世の中の主任諸君に主任手当という制度があるか、そんなものはない。そうなりますと、主任手当というのを法律的に制度化するとなれば、これはさっきお話が出た管理職なら管理職というものの考え方で主任に手当を出すということにならざるを得ないのです。そうなれば二〇%からおろしてきて、係長は一八にするとか主任は一五にするとか、あるいは一二にするとか一〇にするとか、そういう物の考え方をとらなければこれはできない。文部省がよしんば主任は管理職だ、こう言った場合に、それじゃ管理職手当だ、こうなって、じゃ、その上の方の世の中の職階の体系の中で、主任と課長の間にいるのはどうするのだということにこれはなる。文部省に係長をつくるんじゃないんだから、学校に係長をつくっているんじゃないんだから。そうでしょう、教頭だ、何だの次に主任が出てくるわけですから。そうすると、これは制度上、法律的になどということになるとすれば大変なことだ。もし管理職手当と言ったのじゃ、今度は大臣が困ってしまう。永井大臣は、管理職じゃない、こう一生懸命言っているんだから。ところが、手当の方は管理職手当だったなんというのじゃ、大臣、何ということを言うのだ、手当は管理職手当じゃないか、こうなってしまうわけですから、これは実際にはできない。そうでしょう。だからそういういいかげんなことをやりなさんなということ、給与制度上からいけば妙なことができ上がるということを私は大臣に申し上げたのです。だから、そういうウィークポイントもあるから、結果的に規則でやろう、こういうわけですから、やはり給与法とセットでなければならぬだろうと言うたら、せっかくお通しをいただきたいと思っているのですから、こうお逃げになったが、これはここまでの議論にしておきます。どうせこれは勧告撤回闘争なんということになるのだそうですから。総裁のところに撤回しろと言って皆さんが行くのだというのですから、そこからの話にしたいと思う。  そこで、最後に承っておきたいのでありますけれども、自治体の側にある――これは文部大臣に承りたいのですが、たとえば東京の例を見ましても、自治体の税収入の大体六〇%近いものが法人二税ですよね。法人事業税と法人住民税です。ところが東京都のを調べてみましたら、この三年間で、三年前は三七%前年対比でふえているわけです。二年前は二一・五%前年対比で法人事業税がふえている。ところがことしは七%切っているわけですね。そうなると、これはどこの自治体だって――何もこれは自治体の責任じゃない、国の政策によって総需要抑制なんというのを二年やったのですから。だから法人事業税は決定的に落ちている。前年対比で七%を割るなんといったら、消費者物価の上昇を考えてみればにっちもさっちもいきはしない。  そういう時期に、半分は自治体で持てと言うのだから、これはなかなかそう簡単じゃない。そういう理由で、やらない、やれないというところだってたくさん出てくる。その場合にくれぐれも申し上げておきたいのは、御無理をなさると、これはかつての勤評闘争みたいな、自殺するのちょうちんのという騒ぎまで起こりかねない問題まで地域によりましては出てまいります。そこのところはくどいようですけれども、これは文部省が再度のお考えなんで、できる限りそういう方向に持ち込まないという御努力をくれぐれも願いたいと思うのですけれども、最後に重ねてひとつ大臣から承っておきたい。
  241. 永井道雄

    ○永井国務大臣 当然学校が静かな場であることは望ましい、これはもう申すまでもないことですが、ただいま先生が御指摘になりました財政事情の問題がある、実はそのことを勘案いたしました。これは主任は一部でございますから、むしろ主任ということよりも第三次給与改善全体についてどう考えるべきかというところにかかってくると思います。それを勘案いたしましたから、したがいまして、これを今回は一挙にやるのではなくて、二年に分けて行っていこうということでございますので、私どもも当初から財政事情というものを十分に配慮しつつ進めていくべきという考え方に立っているということでございます。
  242. 大出俊

    ○大出委員 大きく言ってあと二つ。  文部省の皆さん、大変お忙しいところお出かけいただきまして、どうもありがとうございました。人事院の皆さんがいつ勧告なさるのかわかりませんけれども、いま十七日のようなおくれ方はしないというお話でございましたから、政府予算日程からいけば、法案日程からいけば十三日とかなんとか言っておられますからその前あたりに出なければおかしいと思っておるのですけれども、そのときに改めて、当委員会と文教委員会の合同審査なんという場面も当然出てまいりますから、議論をさしていただきたいと思います。きょうは文部省の皆さんありがとうございました。大臣、大変どうも恐縮でございました。  それで、あと二つ、大筋を申し上げて御質問いたしたいのでありますが、一つは恩給関係、一つは例の週休二日制にかかわる問題。  郵政省の方にお見えいただいて、所管の委員会でございませんのにお待ちいただきましたので、恩給関係の要点を二つ、三つ承っておきたいと思います。  この間の、恩給法を通します際のこの委員会で、いまここにおいでになります藤尾先生の御努力で、当時内閣委員長でございましたから、小委員会をおつくりいただきまして、いま竹中さんが小委員長をおやりいただいておるのでありますけれども、この中で、今日まで、恩給審議会答申以来の数々の問題を整理をして、ある意味の戦後処理を含む軍人恩給等もあるわけでありますから、それなりの決着をつけたい。あと週休二日のことございますが、こういうふうに考えて進めているのでありますが、その中でももう少し議論をさしていただこうと思っております。  郵政省にかかわる、これは洗っていきますと郵政省だけではありませんけれども、郵政省には旧来特定郵便局などというのもございまして、これが公経理に移る云々という問題などもございまして、歴史がございます。これは前に申し上げましたから申し上げませんが、私は何遍でも同じ質問を繰り返すつもりでいるのですけれども、昔逓信手であるとか通信手であるとかいっておられた方々、大体十七、八年でやめておる方が多いのでありますけれども、そこの局長さんの方は期間通算が全部できるようになったわけでありますけれども、そこで同じように働いていた方々が、共済などでやってまいりまして、共済の長期と恩給と対比をして計算してみましたら、前回これまた申し上げましたから繰り返しませんが、選択権を与えていただくことにした場合に、果たしてどういう結果になるだろうか。これ、郵政省にお願いをいたしまして、サンプリング調査みたいなことをちょっとやっていただいた結果が、郵政の共済関係受給者が八万一千人おいでになる。八万一千人のうちで、逓信手、通信手の履歴を持っておる者が約一万七千人おいでになる。この中で、逓信手、通信手の履歴を持っている方の期間の一部または全部を恩給公務員期間に算入して計算をしてみた場合、現在より年金額の高くなる人が一万四千人おいでになるというわけですね。一万七千人の方々のうちで一万四千人がよくなるというわけです。  そうしますと、制度上出てきているこの種の職種でございますから、局長さんも期間通算をしているのでありますから、当然、その当時一生懸命働いていた方々、末端で一番苦労されていた方々、われわれにとっては先輩でございますが、こういう方々についてここで改善考えてしかるべきであろう、こう思いまして前回この点を指摘をしたわけでありますけれども、この件について、当時御検討いただくことが、議事録にございますようにお約束をいただいている中心なんでありますが、その後御検討をいただいたかどうかということをまずもって郵政省並びに恩給法方々に承りたいのでありますが、いかがでございますか。
  243. 魚津茂晴

    ○魚津説明員 お答えいたします。  昨年先生から、ただいまの問題につきまして本委員会の十月二十八日におきまして御指摘があったわけでございます。その際にも申し上げたとおりでございますけれども、心情的には先生の御指摘になる点が非常に理解できる点がございます。しかしながら、この逓信手、通信手を恩給公務員として扱うかどうか、そういった点につきましては制度的な、総合的な整合性というものも非常にございます、またあり方というものもございますので、私たちといたしましては、主務官庁としての恩給局に、先生から御提起のある論点でございますとか、それから、実は通信手あるいは逓信手の経験をなさっている方がその後退職などをなさいまして、日ごろ私たち要望としてお話しされる点があるわけでございます。そういった点につきまして恩給局の方にもお話を申し上げまして、そういう心情と、それから制度全体としてのあり方という点をいかにして調和させるかということを恩給局に御検討と申しますか考究をお願いしている次第でございまして、そういった意味で今日まで接触を続けてきた次第でございます。
  244. 大出俊

    ○大出委員 魚津さん、ちょっと待ってください。大変お忙しいところをおいでいただいて、お待たせをして恐縮なんでありますが、前回調査は、ここにも書いてありますけれども、抽出一%という形の調査をおやりいただいたわけでございますね。これをもう少し、これはお願いでありますけれども、幾つか拾ってみて、私がこの間申し上げましたのは、在職年数で二十年、二十五年、三十年、三十五年、四十年とこう当たったのですけれども、実情は、もっとすれすれでやめている方もたくさんあるわけですね。ここらの方々の、つまり、この間伊豆の長岡で、つい先日だと思いますが、長岡の福祉会館でこれらの方々お集まりになっていろいろ議論されたようであります。そういうこともありますので、一%の抽出調査を、もう少し具体的に中身を出していただけないかという気がするのです。たとえば、ケースケースで、何年の方でこういうケースになるということなどをもう少し当たってみていただけないかという気がしているのですけれども、これはお願いしておきたい。  それで、いまお話があったように、恩給局の方々の方にそういう点を、心情と制度的なものを含めていろいろお話をしてあるというお話ですから、この間、長官の時間がございますから一緒に申し上げますが、「いろいろ沿革的に問題があるというふうにも思いますが、私もいま承っておりまして、心情的に理解できます。したがいまして、この点につきましては、ひとつ研究をさしていただきたいと思います。」というのが総務長官最後の御答弁なんです。したがって、恩給局もなかなかお忙しいですからそう簡単にこの仕事が進むわけではないのは知っておりますけれども、以後今日までここらの点を何か御検討いただいておりますのか、それとも、そうでなければないで早急な御検討をいただきたいということを申し上げたいのですが、そういう角度でお答えいただきたい。
  245. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 いまお話しのような経過で前国会委員会議論があったところでございます。そこで恩給局といたしましては、郵政省の方からいろいろな資料をいただきましたりしておりますし、それからもう一つは制度の非常に基本にかかわる重大な問題でございますので、そう急には議論が進みませんけれども恩給局の中にグループを設けまして議論を闘わしているというところでございます。
  246. 大出俊

    ○大出委員 総務長官の時間がございませんから、あと二問ばかり承りたい。  この件、長くお待ちいただきましたけれども、私は実は当時逓信手、通信手の諸君と一緒に昭和十四年に郵便局に入ったわけですから、一緒にやってきた仲間でございますから、実情を知っておりますだけに、何とかこれは前に進めたいものだという気がしているわけでございまして、さっきちょっと触れましたようなサンプリングならサンプリングでいいのでありますけれども、大体一%、どのくらいのことになっているかという資料がございましたらぜひいただきたいと思いまして、この席で要求させていただきたいと思います。  それから、恩給局の皆さんの方でもこの議論をなさっておられるそうでありますけれども、そこらの問題点がございましたら、一遍ぜひ聞かせていただきますようにお願いをいたしまして、この件はこれで終わらせていただきます。魚津さんどうもありがとうございました。心配になりますので、お出かけいただきました。  それから次に、中路さんもかつて取り上げておられましたけれども、日赤の看護婦さんの件、私も前に一遍質問したことがございますけれども、今回の恩給改正に当たって、この問題はどういうふうに御検討いただき、どういうお考えになっているのかという点、これは共済で処理するという方法もなくはない、あるいは恩給の方でということもやってできないことはないという気がするのでございますが、ここで議論はいたしません。約三万三千という方々、正確に言えば三万三千五百名ぐらいの方々が該当者としておいでになるということでございますが、議論はこの委員会ですでにしておりますから多く申し上げませんが、考え方だけひとつ承っておきたいと思うのでございます。
  247. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 いま逓信手、郵便手のお話がございましたけれども、その問題と関係はないのですけれども、身分の問題としては非常に関係があるわけでございますが、いま言われました日赤救護員の問題はさらにもう一つ問題があると思います。それは、日赤救護員そのものは、やはり非常に広い意味の公務員でないという基本的な問題がまずあるわけでございまして、御存じのように恩給法上公務員というのは、また狭い範囲のものがございます。  そこで、より基本的な問題があるわけでございますけれども、ただ業務そのものを見ますれば、確かに戦場で兵に近いような御苦労をされたこともあるわけでございまして、これが果たして恩給の問題なのか、あるいはその周辺の問題なのか、あるいは、いま言われました身分の――さらに公務員というふうにいたしましたところでまた身分上の問題がございまして、お話のございました共済の問題にもかかわってくる問題でございます。  そこで、非常に基本的な問題とそれから多方面にわたる問題ということでございまして、恩給局としてもいままでもいろいろ資料を集めたりして検討いたしておりますけれども、当委員会の種々の議論をさらに拝聴いたしまして、どういう点で解決方法があるのかということを含めまして、これからも勉強させていただきたいというふうに思っております。
  248. 大出俊

    ○大出委員 竹中さんを中心にお願いしている小委員会の方もございますので、ぜひひとつそこらとも関連をして検討させていただきたいと私どもの方も思っておりますので、ぜひひとつ前に進めていただきたいと存じます。  もう一点、時間がございませんので簡単に申し上げておきますが、この老齢福祉年金などとの併給問題が、今度の法改正の中で取り上げられておりますね。     〔竹中委員長代理退席、藤尾委員長代理着席〕 この問題でかつて裁判などもございまして、ここに当時野呂さんが質問した議事録がございますけれども、結局裁判所の方向というのも、国の政策的な次元の問題だということになっているわけでありますから、そういう意味で、この今回の、併給引き上げと一口に言ったらいいと思うのでありますけれども、この問題についてもう少し抜本的に考えられないかという気がするのです。これは枠を外してしまって、完全に併給するということで制限を取っ払ってしまってなぜいけないかという気がする。生活保護基準を調べてみましても、この間承ってみましたら、加算額等がございますから、七十歳の単身の男子で月額四万一千十二円から五万三千九百十二円ぐらいまでなんですね、老齢加算が入りますから。そうなりますと、これは制限を外してしまってもいいのではないかという気が私はするのでありますが、総務長官の時間もございますから、ここでこれを議論している時間がない。したがって、そこのところを、これは後ほどまた議論をいたしますけれども、総括的に承っておきたいのでありますが、ここらはどうお考えでございますか。
  249. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 老齢福祉年金は、先生御存じのように国民年金法に基づくものでございまして、いま対象になっているような方々恩給を併給されているような方々、併給といいますか、恩給が出ている方でそういうお年になっているような方々の併給問題だと思いますが、その問題に関しましては、恩給では別にそれを減らすとかふやすとかいうことを全くやってないわけでございますので、老齢福祉年金というものの性格から議論がなされるのではないかというふうに思います。総理府といたしましてはちょっとお答えしにくい問題でございます。
  250. 大出俊

    ○大出委員 これは前から議論のあるところでございまして、老齢福祉年金をこしらえたときに、この制限をお年寄りの方々が非常に激しく反対をなさった歴史があります。     〔藤尾委員長代理退席、竹中委員長代理着席〕 いまお話しのように恩給の方では制限を付してないが、向こうが付しているからこういう結果になるのだという、私はやはり恩給の方がせっかく制限を付してないのに、向こうが付しているからこういう結果になるという場合は、それこそ総理府にある公的年金制度調整連絡会議という大変長い名前の会議総理府にそういうものがあるでしょう。私は一遍その責任者はだれだといって出てきてもらってやったら、やれ三本立てで考えているとか四本立てで考えているとか、考えてばかりいてこれは何にも調整しない。カンガエルというのは土の中って決まっているんで、これは何にもやってない。ずいぶんひどいものだと思ってびっくりしたのですが、それで総理府の傘下の恩給局の方々が、これは向こう方のことだからと、こうおっしゃる。そうではなくて、だから取り上げたんだが、総務長官、本来総理府にそういうものがあるのだから、総理府の中でいまのやつは、恩給は制限を付してないが向こうが制限してくるというやつは、後ろを振り返ってみていただいて、おたくの中の調整会議にかけてくださいよ。何でそれをやってくれないのですか。いかがですか。
  251. 植木光教

    植木国務大臣 公的年金の歴史的な沿革や実態のそれぞれの調整をやらなければならないということは十分承知しておりまして、この点については各省庁と全然連絡をしていないわけではございません。たとえば障害者の問題でありますとか遺族問題等につきましては、できるだけこれをそろえるようにという努力などをしていることは御承知のとおりでございます。ただいま御指摘がありましたような問題につきましても、あわせ協議を進めてまいりたいと存じます。
  252. 竹中修一

    竹中委員長代理 総務長官は時間ですから……。
  253. 大出俊

    ○大出委員 総務長官どうも恐縮でした。  そこで恩給局長に一つだけ承っておきたいのですが、今回の恩給改善で、皆さんの御努力をいただいてようやく昨年基準をつくった三段階と、今回ようやく上薄下厚の公務員比率によるような形にお直しになった。だがこれをながめて痛切に感じるのは、いままでずいぶん気の毒なことになっていたのだということですね。そうお思いになりませんですか。つまり、現職の時代に長年勤めていても、給料の安かった方等はずいぶんこれは今回のある意味の傾斜配分で救われるわけなんですけれども、時間がありませんから結論を申し上げておきますと、どのくらいいままでに、二万円ベース以来ずっとでございますが、こういう配分をしないで一律配分をしたために――たとえば課長さんから下の方と言ったらいいのでしょうか、今度のこれでいきますと、どこかに資料がございましたがね、たとえば通し号俸二十一号俸というと、これは一一・五%上がっていますが、七等級でしょう。二十五号俸というのもこれは七等級でしょう。そして四十七号俸、これが一〇・七%になっているわけですね。これがいわば平均です。これが四等級の三から四等級の六ぐらい、四十七号という通し号俸は現職の公務員で言えば。その間に三十号ぐらいのところをとってみると、これは係長クラスで六等級、そうですな五等級というところですかね。だから、ここから下の方ですね、要するに。これ一遍計算をしてみていただけないかと思うのです。というのは、実は将来に向かって何がしかの是正をすべきではないかという意見があるから。そういうことでひとつお考えだけ聞いておきたい、時間がありませんから。
  254. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 資料の作成につきましては、先生の御要望の筋がはっきりわかりますれば、いろいろ前提があるかもしれませんけれども資料を作成したいと思います。  それから、今回初めてこういうふうに、公務員給与改善の平均をとるのではなくて、改善傾向そのものもできるだけ取り入れていくという改善をいたしたわけでございますけれども、これは今回そういうことができたわけでございますけれども、従来のやり方にもそれはそれなりに、一律アップの方式にも歴史がございますし、考え方もあったわけでございます。そういうことでございますので、いますぐにいまお話しのようなことがございますかどうか、要望をお聞きしたわけでございますけれども、そういう点についていま思い当たりませんけれども、しかしながら上薄下厚のやり方というものが今後、たとえば来年の勧告なりその次の勧告なりにそういうものがどういうふうに出てくるか、今度初めてやりましたことについても技術的にもいろいろ苦労いたしましたけれども、それがどういうふうに安定的になっていくかどうかということを見きわめながら、いろんな方面から検討したいというふうに思っております。
  255. 大出俊

    ○大出委員 こういうことなんですよ。たとえば四十六年からなら四十六年からという計算で前に一遍計算していただいたことがございます。そういう形で当時の配分比率を今回の配分のような形に、つまり一律配分でなくてやっていたらどのくらい違ったかという計算はできるはずなんですね。それが相当な額になるんだとすれば、それはずいぶん物価の上昇度合いの激しい中で一律配分一律配分でこの仮定俸給を上げてきましたから、ずいぶんお気の毒なことになっている方が多いわけですから、現職の公務員ならば上薄下厚できているものを、三公社五現業の公労協なら団体交渉で、これだけは一律だと、あとこれだけは俸給比だという配分をしてきているわけですね。そこらを見ると、やめた方々はずいぶん気の毒だったという気がする、その下の方の方は。だから、そこらを何か考える方法はないかということの資料にしたい。だから、いますぐどうしてくれと言うのではない。この上薄下厚の配分だってずいぶん、私が言い始めてからまる四年以上たつのですね。だから、すぐできるとは思わぬけれども、ぼつぼつそこを考えたいと思っているものですから、一遍その辺を当たっていただきたい。二万円ベースからなんですが、四十六年からというので一遍計算していただいてありますけれども、そんなふうに思っているわけです。いかがでございますか。
  256. 菅野弘夫

    ○菅野政府委員 資料をつくりまして提出をいたしたいと思います。
  257. 大出俊

    ○大出委員 それじゃあと一問、簡単にいたしておきます。これは時間がなくなりましたから改めていたしますが、週休二日制にかかわりまして、皆さんの方で試行基準をお出しになって、これはもう読み上げませんが、大変に少ない中身なんですけれども、これは結果的にはどうなんですか。閣議で、あるいは関係閣僚懇談会ですか、たな上げということになりますと、現実に施行との関係はどういうことになるわけでございますか。
  258. 藤井貞夫

    ○藤井(貞)政府委員 私たちはいろいろな状況を踏まえながら、こういう試行基準をお出しをいたしましたような次第でございますので、これに基づいて各省庁においてテストが行われますことを切に期待をいたしておるわけでございます。
  259. 大出俊

    ○大出委員 人事局長お見えになっていたら承りたいのですけれども秋富さんおいでになりますが、何でこれはたな上げちゃったのですか。
  260. 秋富公正

    秋富政府委員 一月の二十日に人事院から基準が示されまして、二十九日に関係閣僚懇談会を開いたわけでございますが、その席上、現在の経済社会情勢と、もう一つは現業窓口部門についての問題点ということがあって、さらに慎重に検討をいしたいが、関係連絡会議において実施上の問題点を早急に詰めて、改めて関係閣僚懇談会にかけたいということでございまして、三回にわたりまして局長、官房長クラスの関係連絡会議を開きました。また全省庁の人事管理官会議も開きまして、現在実施上の問題点あるいは実施方法につきまして早急に各省庁において詰めて、これを提出していただくということになっておりまして、これは各省庁からの問題点ができ次第、さらに改めて連絡会議を開きたいかように考えております。
  261. 大出俊

    ○大出委員 これはずいぶん筋の通らぬことを閣僚懇で言っているわけでありますね。不況だからと言ったって、だから週休二日だ何だというのがどんどんふえているわけで、七十何%になっている、一カ月に一日以上なんというところは。人事院はみずからもそういう調査をしているわけですから。それをどうも筋の通らぬことでたなに上げられたんじゃ、まことに迷惑なんです。だがきょうは、総務長官予算においでになりましたしいたしますから、この点は改めて、その閣僚懇に参画をした閣僚方々を端からつかまえて、ここに出てきてくれなければ、そこの省の法案を通さないくらいにして責め上げたいと思っているのです、これは。逆ねじを食わそうと思っているのです。まず秋富さんから始めて逆さにしてやろうと思って実は出てきたんですが、残念ながら時間がございません。藤尾さんがきょうは政府を逆さにするというので御質問なさるそうですから、以上で終わらせていただきます。      ――――◇―――――
  262. 竹中修一

    竹中委員長代理 次に、在外公館名称及び位置並びに在外公館に勤務する外務公務員給与に関する法律の一部を改正する法律案議題といたします。  これより質疑に入ります。  質疑の申し出がありますので、これを許します。藤尾正行君。
  263. 藤尾正行

    ○藤尾委員 この在外公館名称及び位置並びに在外公館に勤務する外務公務員給与に関する法律の一部を改正する法律案、これを御提案願ったわけでございますから、これに関する話をいろいろとお聞きをするわけでございますけれども、しかしながら、ただいま、何といいましても国の内外を通じまして非常に大きな問題が私ども政治を中心にして問題を投げかけ、その問題が尾を引いておる、こういう現状でございます。  そこで、こういった問題についての日本とアメリカ等々を中心にいたします対外関係、こういつた問題についてもお伺いをいたしたいと存じますし、また今度のロッキード社の売り込みに関する非常に不徳義な問題、こういった問題が、本来私どものこの内閣委員会の主管をいたしております防衛正面に関しますいろいろな問題、これとの関連が非常に多い、こういうことになっておりますから、この二つの観点を合わせまして、いろいろと後ほどお伺いをいたしたいと存じます。しかしながら、せっかくこういう法律案が出ておりますので、これと関連する問題を二、三お伺いをしておいて問題に入りたいと思います。  ただいま、在外公館位置あるいは給与、これに関する法律をお出しになられまして、新たに南米に一つ、それからアフリカに三つ、それから中東に一つ、東南アジアに一つの総領事館、これの改正について御提案になられておるわけであります。  そこで、こういったことを最近ずっと痛感をして見ておりますと、何といいましても、先進諸国の間でいろいろの大きな変化があるということは、これから在外公館については余りない。主としてアフリカでありますとかあるいは中南米、東南アジア等々の移動について在外公館を設ける必要がある、こういうことで本提案もなされておられるわけでありますけれども、国連の構成等々を見ましても、たとえばアフリカならアフリカという地域を見てみますと、百四十数カ国のうち四十七カ国を占めておる、こういうことのようでございます。そこで、私どもの対外関係、こういった外交上のいろいろな措置、当然必要なところに必要な機関を設ける、あたりまえのことでございますけれども、そういうものの判断、その重さの評価、そういったものから考えてみまして、中東であるとかあるいはアフリカであるとか南米であるとかいうような地域の特別な、たとえば国語なら国語というものがある。そういうものに通暁しない方々をたくさん在外公館に出すということに大方なるのだろうと思いますけれども、そういった点で、外務当局のこういったいろいろな外交上の進め方について大きな欠損がありはせぬか、私はこう思っておりますけれども、この点は大臣でも官房長でもいかがお考えになっておられますか。
  264. 宮澤喜一

    宮澤国務大臣 御指摘のように、最近独立をする国々がただいま御指摘のような地方に非常にふえてまいりました。わが国はどこの国とも親善関係を結びたいと考えておりますが、ことさらまた、それらの国から申しますと、今日、いわば屈指の経済大国になりましたわが国が、大使館を開く等のことをするかしないかということは先方としては非常に関心を持ち、あたかも、わが国はそういたしませんと、何か軽視をしておるのではないかとすら思われるような状況がございます。したがいまして、そのような誤解を招きませんためにも、できるだけお許しを得て大使館を開き、人員を十二分に置きたいと考えておるものでございますが、御指摘のように、新しく独立いたしました国々の中には、言語の関係で、従来外務省がそれに適した人材を十分には持っておらないという場合が少なからずございます。ことにアラビア語等はその一つでございますが、そのような極端な例になりませんにいたしましても、仮にフランス語にいたしましてもソ連語にいたしましても、このような国がふえました現状に、上は大使から下は若い人々まで十分対処できるというような体制に今日なっておるとは申しがとうございます。したがいまして、私どもといたしましては、やや遅まきではございますけれども、そのような人々の養成にかかっておるわけでございまして、突然大使にそのような要員を得るということも困難でございますけれども、時間をかけまして養成をしていくということにただいま努めておるわけでございます。
  265. 藤尾正行

    ○藤尾委員 ただいま御指摘になられました政府の、あるいは外務省の姿勢、こういったものを見ましても非常に受け身の姿勢でございまして、積極的にそこに溶け込んで、そこに大きな日本に対する友好と支援を得ていくという積極姿勢がきわめて乏しい。これは宮澤外務大臣でございますから、慎重にそういうお運びをいただいておるのはありがたいことでございますけれども、そこに在外公館をつくらないと、相手が非常にいやな気がするだろうというようなことではいけないのでございまして、私ども日本の国は軍事力を持たぬが、対外的に大きな力を持っていく、これは道義と私どもの主張を評価して賛同してもらう、そういうものが力になっていくわけですから、やはりそういった努力を積極的に進めていくという姿勢がなければ、日本の外交は外交として伸ばしていくわけにはいかぬ、私はそう思うのです。そういう点から言いますと、ただいま遅まきながらなどと言っておられるのは、きわめて私は先見性に欠けておる、まことにいままで三十年間、戦後だけ考えてみましても、何をしておったのかといって指弾を受けても仕方がない、そういった大きな欠陥がそこにあらわれておる。いま大臣はアラビア語という一つの代表的なことを言われたわけでございますけれども、アラビア語なんというものは、これは何といいましても最近出てきたようなものではなくて、古い言葉であって、古くから地球上の大きな地域を占めておる代表的な民族と言語でございます。そういったものに通暁していないような、あるいはそういったものに通暁しておる人が非常に不足をしておる、たまたま油の問題とかなんとかというような非常にバイタルな問題が私どもに起こってきておる、そこであわててということでは、これは話にならぬということだと思うのですね。現実に、これはそんなことをお聞きをして恥をかかしても悪いわけでございますけれども、中東あるいはアラビア語諸国、これは全部国を合わせますと相当な数になる。そこらにたくさんの在外公館がある。その中でアラビア語の本当によくできる、堪能な、外交的見識を持った方がどれだけおられるか。数えるぐらいしかいないでしょう。一国に一人もいない。そういう状況なんですね。  そこで、いま外務大臣が御指摘になられたような努力をこれからいたしますということになろうと思いますけれども、いまどんどんアフリカがそうやって国を増してまいりまして、国連の中で四十四カ国も占めているというような状態の中で、それでは私どもにいままでまるっきり縁のなかったブラックアフリカンというものの――これは共通語が必ずしもあるわけではありませんけれども、わりあいにそれに共通しておる言葉を探せばスワヒリ語ですね。そんなもの、話せる外交官は一人だっておりますか。そういった方々が非常に努力をせられましても、言語的なそういった親近性もなければ何もないような外交官が非常にたくさんお出かけになられて、非常に大きな仕事をされていく。私は非常にむずかしいと思うのですよ。その効果は上がらぬと思うのです。そうじゃありませんか。いかがです。
  266. 宮澤喜一

    宮澤国務大臣 まことにどうも、御指摘のとおりだと申し上げざるを得ないのでして、アラビア語の専門家にいたしましてもきわめて限られておりますし、また民間にそのような人たちは非常に需要が多うございますから、にわかに採用するということも困難である。スワヒリ語はもっと少ないのであろうと思います。アフリカでございますと、いわゆる旧植民地の関係で、フランス語あるいは英語などがかなり使えるのではありますけれども、それにいたしましても、英語の場合はともかく、その他の言葉になりますと、いま大使に出ますのがちょうど戦後外務省に入りました人々が何人か出ておるといった程度で、戦前の人も相当おりますから、なかなか大使といったようなところになりますと、それらの語学を駆使できる者が十分にはおらないというような現状でありまして、私ども苦慮しておりますことは、残念ながら御指摘のとおりであります。
  267. 藤尾正行

    ○藤尾委員 そういうことになりますと、そういった欠陥をカバーする方策が考えられなければならぬ。そこで、余りいいことじゃございませんけれども、民間団体の協力を得るということで、予算の中にも、これは非常に額が少なくて私は話にならぬと思いますけれども、いろいろな協会とかなんとかというようなものに若干の補助金を出していろいろなことをやっておられる。そういったことも全く九牛の一毛なんですな。実は私の友人で長い間フランスにおりました新聞記者が、これでもう十五、六年になりますか、アフリカ協会というものをつくって、その事務局長をやってずいぶんまじめな努力を続けておられる。そして毎年毎年私どものところへ、予算の時期になると、何百万円かの予算を、ことしはどうだろうかというようなことを言ってこられる。そのアフリカ協会の場合には、今度はスワヒリ語の専門家を養成するために在外留学生というようなものをとにかく十人つくって出そうということですね。こういった大変りっぱな事業をやっておられる。これに対して、いままでいろいろな努力をしてこられたそういった事業全体に対する補助金が年間五百万円ですな。そうでしょう。しかもあなた、ことしは削っている。そうでしょう。そういう姿勢では、とてもじゃありませんけれども、あなた方の考えておられるような事業が軌道に乗って展開をしていくというわけにはなかなかまいるまい、そう思っておりますので、これは返答をいただくにしたって、相済みませんということだけでございましょうから返答はいただかぬことにいたしますが、十二分にお気をつけていただきたい、そう思います。  そこで、本論にいよいよ近づいてまいるわけでございますけれども、これはけさの新聞でございまして、各紙一斉にそういうことが出ておるわけでございますが、「ソ連に注意を喚起」ということで、外務省が代理大使を呼んで北方領土の書記長報告について注意を喚起された。非常に大きく取り上げられておるのですね。これは非常に大事な問題でございまして、日本国といたしましてはこの種のことを忘れてもらっては困る。私は外務省の外交政策、これは後で防衛庁も同じことでございますけれども、日本の生存あるいは日本の今後の対外政策、そういったものの中で、非常に長期的な、しかも絶対にどんなことをしても私どもはこれを貫くまでは譲れぬというような根幹的な問題がある。と同時に、これと並行いたしまして、場合によれば、相手の出方が変わればまた変わるというような中期的な問題もある。また、何か起こったらすぐそこで手を打たなければならぬという短期的な対処の仕方という、こう薬張りですわな、そういった政策もないことはない、必要である、こういうことだろうと思いますけれども、少なくともソビエトとかあるいは中国とか、あるいは東南アジアとかアメリカとか、ヨーロッパでも同じでございますけれども、国連とかいうものに対する私どもの外交姿勢、これはいろいろなことがありますね、その中でもいろいろなことがある。そういう中で、たとえばここに出てきておる北方領土の問題、この問題を一体どう考えるかというようなことは、これは私どもとして一歩も、半歩でも譲るわけにいかない。絶対的な要請です。中には、余り事情に明るくない方が、思いつきか何か知りませんけれども、中間的に北方領土のうちのわれわれの要求しておる四島の中の二島はすぐ返してもらえそうだから、これは返してもらう、あと二島についてはこれはペンディングに上へほうり上げて、これは後々の問題として、懸案として考えていこうではないかというふうなことを言われた人も中にはおりますけれども、そんな者は一億分の幾つかでございまして、これは、私は日本国民一億の立場から考えてみまして、一億が一億譲ってはいかぬ、こういう基本的な問題だと思うのです。  同時に、今度は私どもは立場を変えてみて、そこでしゃべっておるソビエトのブレジネフ書記長、この人の立場も戦後ずっと一貫して彼らはそういうことを言ってきているのです、あるいはこれは変わるかもしれませんけれども。そして、これが言っておる場所、これは何といいましても党大会ですから、晴れのひのき舞台みたいな場所ですね。そこでそういうことを言っておる。勝手に日本の国で根拠のないことを言っておるようなやつがいる、そういうことを言っても両国関係の上にプラスすることはありませんというようなことを言っているんですね。こういった問題、そのたびごとに注意を喚起するというようなことになるんですけれども、注意の喚起ぐらいのことでこれはいいんでしょうかね。いかがです、これは。
  268. 宮澤喜一

    宮澤国務大臣 いわゆる北方領土の問題につきましては、わが国はポツダム宣言を受諾して第二次大戦が終了いたしましたけれども、この北方四島というものは、過去のいかなる時代においても、わが国が他国からいわゆる略取をしたと言われるような領土ではないわけでありまして、そのことは一八五五年の日露条約がきわめて友好裏に、ウルップ島と捉択島との間に国境を定めたということでも明らかであります。  この点については、ソ連側も、かつて私どもとの交渉でその点に異存を申したことはございません。かつて、近くのことだけをとって申しましても、当時の田中首相がモスクワを訪問いたしまして、以来この問題についての交渉が再び毎年行われるようになりました。今年の一月にもグロムイコ外務大臣と私との間で交渉が行われました。不幸にして妥結をいたしておりませんが、わが国の立場は、藤尾委員の言われますごとく、これは世界どこで主張いたしましても筋道の間違っていない立場であります。したがいまして、この点はわれわれとしては忍耐強く主張していかなければならない。過般、ソ連のブレジネフ書記長が党大会において、この問題に言及したかに見える発言をしておりますので、この点について先般、ソ連大使がちょうど党大会出席のため不在でございますので、代理大使を招致いたしまして、わが国の立場を再び強く申し述べたという経緯がございます。  わが国として、われわれのどこに出しましても誤っていないと思われる主張を力で貫くということは、これは御承知のようにできない立場でありますけれども、しかし、われわれの主張が間違っていないということが明らかでありますので、これは忍耐強くわれわれの主張を主張としてしていく。それによって、ソ連がこの主張を認めるということが恐らく自国にとっても有利であるというふうに判断をするような状況というものが私は生まれないとは限らない。そのような状況をいかにしてつくり出していくかということに私どもはやはり最大の努力をいたさなければならないというふうに考えております。
  269. 藤尾正行

    ○藤尾委員 いまの大臣のお考えの中によくあらわれておると思いますけれども、私は、外交というものはそのためにある。あなたはいま、力によって相手をフォースするということはできないということを言われましたけれども、力にもいろいろありまして、軍事的な力もあれば政治的な力もある、経済的な力もあれば文化的な力もある、そのために外交というものがあって対外活動というものがあるのですから、やはり世界で、たとえば百四十四の国のうち――百四十幾つあるのか知りませんけれども、ほとんど、共産圏二、三カ国を除いては全部賛成だというぐらいの国際的世論をつくり上げることに成功すれば、それは非常に大きな力なんですね。そうですね。ですから、私どもはそういった意味では、やはりそういった力をつくれるような活動を現に進めていって、そういった私どもの主張をやはり力にしていかなければならぬ、そういった努力が必要ですよ。それで、私どもが力がないからということでなくて、やはり世界の大勢を動かしても、力づくでもやる、あなた方を考え直させてみせるというぐらいの積極的な意向を、これまたお持ちをいただきたい。これも返答は要りません。  そこで、お次は中国でございますが、ただいま御案内のとおり、周恩来前首相が亡くなられまして非常に――私どもよくわかりませんけれども、新聞等々にあらわれてくるいろいろな報道を通じてみますと、ちょうどおもしが何かひょいとなくなりまして、後、収拾がつきがたいような情勢が何か起こりかけておる、そういった感じが私どもにはひしひしとしてするわけでございます。その中で、昨年からも、その前からも同じでございますけれども政府あるいは外務当局は中国との間の平和友好条約というものを結んでいかなければならぬ、そこに覇権という主張が出てまいって非常に困惑をしておる、それを何とか調整しなければならぬということで非常な努力を続けてこられた、いまだにその基本的な解決のめどというものは立っておるのか立っていないのか私は知りませんけれども、こういう情勢になりますと、これはいやでもおうでも私どもの態度、私ども考え方、相手方の考え方、そういったものの中にこれは微妙な影響が出てくると私は思っておる。あるいは大臣のお考えはそうでないかもしれません。この点は大臣も注意深く毎日毎日をごらんになっておられて、そうしていろいろな情報を収集をせられていろいろな御判断を願っておると思いますけれども、いまのこの大陸の、いまいろいろな新聞に報道をせられておるような情勢、そういった情勢と、その覇権という問題に対する相手側の物の考え方、それがどういう方向に動いていっておるのか、もし、大臣大臣として、この際言った方がいいと思われれば御紹介を願いたいし、それはいまこの際に余り言わぬ方がいいということであればそれでも結構でございます。お答えをいただきましょう。
  270. 宮澤喜一

    宮澤国務大臣 ただいまのお尋ねに対しまして、批判にわたることは差し控えますけれども、私の見ておりますところを申し上げます。  この条約締結につきましてのわが国考え方は、中国側にかなり明瞭にそれとして受け取られておるということは、私はすでに昨年の秋過ぎの段階からさように信じてよろしいと思っておるわけでございます。そうして、そのようなわが国の物の考え方は、中国において真剣に検討せられつつあったというふうに考えております。  しかるところ、今年に入りまして周恩来首相が一月に亡くなられて、そして鄧小平氏がその跡を継ぐであろうというのが大方の予想であったわけでございますけれども、現在のところ華国鋒氏が首相代理ということになっております。  他方で、昨年の十一月ごろから、北京の大学におきましていわゆる教育、学習についての論争が行われるに至りまして、それが今日では発展をしていわゆる毛主席の教えをどのように解釈すべきかという論争が相当表面化しておるように存じております。で、このような論争がいかに決着をするかということにつきましては、残念ながら判断の十分な材料を持っておりません。しかしながら、半ば公式の政府機関と思われる中国の新聞等が、これはきわめて重大な事態であるというふうに言っておりますことから判断をいたしますと、ただいま中国としてはこの問題の処理を最優先にするというような事情にありますことは想像できるところでございます。そのように私は事実関係を見ておるわけでございます。  他方で、外交の責任者である喬冠華氏はなおその地位にあるというふうに存じておりますので、その限りにおきましては私ども従来の、たとえば私が喬冠華氏といたしました昨年の会談等というものは、なお中国の首脳部にそれを熟知する者が外務大臣として、外交の責任者としてとどまっておるということは力づけられることであると存じますが、ただいまのところ、現在の中国の事態を、中国自身の半公式の新聞自身が重大な事態であると述べておりますところから考えましても、そのことに中国の政治の最も優先した度合いが与えられる、最優先の事態として中国の政治がただいまの国内の問題を考えておるということは、恐らく否定できない事実であろうと思います。
  271. 藤尾正行

    ○藤尾委員 この問題は非常に大きな問題で、しかも相手方にいたしましても、これはあるいは非常に不遜な言葉になるかもしれませんけれども、毛沢東主席にいたされましても八十二歳でいらっしゃるわけでございますから、これは健康上いろいろな支障も出てまいっても仕方がない、そういう予測は十二分にしておかなければならない。そういうときに、そういうおもしがまだあってもいろいろな波動が起こっておる、まあ起こりつつある、あるいは起こるかもしれない、そういうような情勢でございますから、今後の推移はよほど慎重にごらんをいただかないと、ここであわてて――どうも私どもの中国に対する態度を変えられないということは、これは一つのりっぱな考え方でございますから、これはこれなりに筋は通っておりますから結構でございますけれども、私は、ここでやたらに押していくというようなことは、やはり諸般の情勢、大勢というものをよくごらんになってあそばさないと、後であのときちょっと早まったわいということではこれはなかなか済まぬということになりがちでございますから、十二分に御注意を願いたいと思います。  そこで、その次は東南アジアでございますが、この間、御案内のとおり、インドネシア、フィリピン、シンガポール、マレーシア、タイの東南アジア五カ国がバリ島でバリ宣言というものを出された。何か伝え聞くところによりますと、本当かうそか知りませんけれどもわが国総理大臣もその会議に呼んでもらいたいといったようなことを意思表示をされたのかされなかったのか知りませんけれども、結局はそれが実現いたしませんでした。東南アジア各国では、あの人たちからすれば、よその国の影響を受けずに自分たちだけで話したい、そうして自分たちだけで話を進めて一つの宣言をおつくりになった、こういうようなことだろうと思いますけれども、そういう状況の中で、やはりこの東南アジアに対しましても、田中前総理がタイやインドネシアにおいでになられて非常に不愉快な目にお遭いになったというような前例もあることでございますから、そういった状況を十二分に御把握になってお進めになるものをお進めになりませんと、また大きな間違いができてしまって、そのこと自体がまた大きな亀裂になって、後で修復するのに数年を要するというようなことになっても余りいい結果ではない、私はそう思いますが、こういったことについては外務大臣はどうお思いでございますか。
  272. 宮澤喜一

    宮澤国務大臣 先般、いわゆるASEANの諸国の首脳会議が開かれました。それはASEAN史上初めてのことであったわけでございますが、やはり各国が関心を持っております最近における最も大きな事態の変化は、インドシナ半島の国々がいわゆる社会主義政権化しつつあるという事態であったと思います。これについての関心の度合いあるいは関心方向は、いわゆるこれに隣接するASEANの国々とそうでない国々とでニュアンスがあったように存じます。しかし、いずれの国々もこれらの国々とどういう形でか共存をしてまいりたい、そしてその基本になるのは、やはり自分自身の国が民生を安定し、向上させることによっていわゆるレジリエンスを高めていくことであるという点では、共通の認識がASEAN首脳の間にあったような存ぜられます。そして、そのために、さらにはASEANの国々の間でまず経済というところから始めて、何か少しずつASEANとしての共同意識というものをつくり上げていきたい、政治の面でもだんだんにそうしていきたいという、そのようなほぼ共通の意思があったと思われます。そのために条約あるいは取り決め等が、あるいは署名せられあるいは今後検討せられることになりました。  そういう状況におきまして、わが国は、これらの国々がいわゆる自分の国の政治をよくする、自分の国の民生を向上させるということが基本であると認識した点において共鳴をいたします。したがって、わが国としては、それらの各国の努力というものをわが国のでき得る限り助けていく、相対の二国間の関係、あるいは場合によりましては将来多国間の関係になり得るであろうと思いますが、そのような努力をこの際さらに強めていくということが、当面わが国として心がけるべき外交政策の基本ではないかと考えております。
  273. 藤尾正行

    ○藤尾委員 そこで、いよいよアメリカでございます。アメリカは御案内のとおり十一月には大統領選挙が行われて、それまでに予備選挙と称せられるもので、いまこれからハチの巣をつついたような騒ぎになってくる。ほとんど、アメリカの国内の関心の恐らく七、八割までがこの大統領選挙に集中されていくということであろうと思います。そういったときに、日本との関係というようなこともその大統領選挙の政策の一環として非常に影響を持ってくることだろうと思うのですね。  そういった時期にロッキード事件というものが表に出された。そうしてアメリカの多国籍企業、必ずしもロッキードが多国籍企業であるかどうかという概念規定は別でございますけれども、そういった多国籍企業の中のあるものが非常にお行儀が悪いということが表に出た。まあ私どもの場合にもこれは大変なことです。日本国民一億のほとんど私は八割以上の関心がいまここに集まっているという感じがいたします。そうしてその裁量いかんでは――たとえば政府は、このロッキード問題については私どもの国に関しまする限りの詳しい資料提供をしてくれということを言っておられますし、また最高首脳である総理大臣は親書をもってフォード大統領にこの問題についての協力方をお求めになっておられる。やがてその返書が来ると言われておりますけれども、そういうことになっている。  これでその返書がどういうものになるか私はわかりませんけれども、実際問題としてそういう一連のことを政府としてあるいは外務省としてもおやりになられて、さてその結果出てくるものが、一体この忙しい大統領選挙を迎えるアメリカというものに対して非常にいい印象を与えるのか、あるいは私ども八割以上の国民がこれはこれはと言って注視をして息をのんで見ておられるようなときに、何がやってくるか知りませんけれども、返事なら返事が返ってくる。そうして、そういったものの結果が両国関係の上により固い結果を示してくれるなら結構でございますけれども、必ずしもそうでないということになっていったならば、これはまた私は相当な責任政府としてはお感じを願わなくちゃならぬ、そういうことではないか。そう思うのですね。  極端なことで、私ども余りいまの当面の問題を、まだ来ないやつをあれこれ言ってみるのは非常に不謹慎でございますから、これを他国に例をとれば、たとえばオランダの場合、本当かうそか知りませんけれども、現実のオランダの女王様の御夫君であるベルンハルト殿下という方のところに多額の金が行ったとか行かぬとかということになって、オランダの場合には三人委員会というようなものができて、さてそれをどうのこうのといまいろいろ事を進めておられる最中でございましょう。しかしながらその際に、もしアメリカが何らかの形で不用意なこれに対するタッチの仕方といいますか触れ方をされますと、あるいは場合によれば――それは私はわかりませんよ、そんな事情はわかりませんから全然無責任な話でございますけれども、私はオランダの政体自体の中に、政治体制の中に大きなひびを入れるかもしれぬ、そういう責任をアメリカはしゃべり方いかんでは負わなければならぬかもしれぬ、というようなことになるかもしれない。そのことはオランダとドイツとスウェーデンとスペインと、あるいはイタリアとトルコとギリシャと日本と、場合が全部これは違いますというわけでは私はないだろうと思うんですね。  そういうことも考え合わしてみて、これらの運び、そうしてわれわれがいままでとってまいったステップ、そういったことが本当に適切なものであるかどうか、国民は私は、それは好ききらいは別です、しかしこれに非常に注目しておられる、そう思うのですが、そういった一連の措置は一体あなたは外務大臣として、あるいは閣僚として、これはなさねばならなかった非常に正しい手であったと思われますか。いかがです。
  274. 宮澤喜一

    宮澤国務大臣 いわゆるロッキード会社についての調査あるいは公聴会等々はアメリカ自身の事情によって行われたものであったわけでございますが、その結果といたしまして、わが国関係のある情報等々が、わが国の立場から見れば完結しない、必ずしも十分に裏づけされた事実を伴った形でない形で流され、あるいは公にされ、報道されたということによって、わが国に非常に大きな問題を引き起こしておるのが現状でございます。したがって、わが国としてはわが国独自の立場からこの事態解明しなければならないというふうに政府考えておりまして、すでにそのための調査、捜査等が行われ始めております。また国会におきましても証人の喚問をしておられるわけでございます。と同時に、わが国といたしまして、この事態解明のためにはアメリカ側から利用し得るすべての資料わが国が提供される必要がある。それによってわれわれの解明に資する必要があると政府としては考えまして、事件の当初からそのような要請を米国政府にいたしております。  たまたま本院におかれても同様な種類の御決議をなされ、そしてそれと同時に、それを伝達いたしますとともに首相の書簡を大統領に発出をいたしたということでございます。政府考えはこの首相の書簡に盛られておりますが、仮にどのような情報であれ、真実の情報であれば、その結果わが国政治というものはあるいは何がしかの傷を受けるかもしれない、しかしわが国の民主政治はこれに十分耐え得るだけのものを持っているし、また日米関係そのものも、真実の情報の提供を受けるということがひいては将来に向かってさらに伸展させるゆえんである、そのような首相の所信を述べた書簡を大統領に発出をいたしたわけでございます。この点は政府といたしましての最終的なしかも正式の考え方でございますので、それが首相によって表明をせられたわけでございます。  この首相の書簡あるいは国会の御決議についての正式の反応は今日までのところまだ参っておりませんが、私の存じております限り、米国政府におかれても、この書簡に述べられました首相の考え方は基本的に同意である、したがって、米国としてなし得る限りの協力をすると、首相と同じような考え方、同じような哲学に立って協力をしようということが米国政府基本的な態度であるというふうに私は了解をいたしております。  と申しますことは、確かにこの事件はわが国にとって不幸であるのみならず、日米間にいっとき、決して本来好ましくない影を投入したものではありますけれども事態が真実によって解明をされていく、そのために日米間の十分の協力があったということによって、日米間の基本はさらにこれによって信頼、友好関係を強めるであろう、そのような首相の信念政府全体の考え方でございます。
  275. 藤尾正行

    ○藤尾委員 ただいま、これも内閣の公式なお考えでございますから、外務大臣だけが違ったお考えになるはずがないので、それはそれなりとしていただいておきますが、私が非常に心配しておりますのは、たとえば国務長官であるキッシンジャーさんが、新聞報道ですからわかりませんよ、私は知りませんけれども、ともかくも非常に肝心かなめのキーポイントを握っておる方々の名前にコミットをしていくということになるとこれはえらいことになりかねないというようなこともありまして、司法長官、連邦裁判所を通じて、そういったものの公表あるいはその他に当たってはきわめて慎重にやってほしいというようなたぐいの報道が私どもの新聞紙上にも出てきたことは事実でございます。私は、その間にいかなるものがどうなっているのか、そんなことは知りませんから、そのことについてとやかく言う資格は持っておりませんけれども、私の常識で考えてみて、非常にそのキーポイントをなしておる人たち、もしそういう人たちがいるとしての話、そのキーポイントにおられる人たちが、あるいはそういったロッキードからの工作資金と申しますか運動資金と申しますか、そういったものを仮に受けたというような話、伝聞、そういうものがいろいろこうたくさんあったとしましても、それを証拠づける本当のファクトというものはきわめて少ないかあるいはないという方がより正確ではないかという気が私はしているのです。そういう場合に、そういう不確かな、裏づけのない伝聞のごときもの、うわさのようなものをアメリカ政府の名において、公式な日本政府からの依頼にこたえて、それではかようでございますというようなことで、あなたが言っておられるような、本当に一つしかない真実を真実として伝えて、一時的にいろいろな日本政府に痛手があってもそれにこたえられると言ってきているんだから、とにかく言ってやりましょうというような、責任のとりょうがきわめて不明確なような事象を言ってくるわけはない、私はそう思っているのです。しかしながら、そういった本当の――いままでいろいろなことを、たとえばアメリカの上院の外交委員会多国籍企業小委員会等々の証言なんかでいろいろ出てきたものだけでもこんなにたくさんある。そういった同じものであれば、これは何も政府が特別に、総理大臣が親書を出して、そうして協力をしてくれ、それに協力をいたしましょうというようなことで、出てくるものは全く同じものだということになれば、これは一体何をしておるんだということになります。そうですね。そうかといって、それじゃ、それからぐっと進んで、これだというものが出てくる可能性というものはきわめて少ない。ということになれば、その親書を出され、あるいは外務当局からたびたびにわたって要請をされておられるそういった政治的なステップ、それは相手が相手だから仕方がないと言ってしまえばそれっきりの話ですけれども、そういった御努力の値打ちですな、評価、そういったものががたっと落ちてしまうという可能性はありませんか。心配でございますけれども、いかがですか。
  276. 宮澤喜一

    宮澤国務大臣 わが国としては、本件に関係のあるすべての資料を米国側が提供されることを総理大臣の名において要請をいたしておるわけでございます。  そこで、先ほど、キッシンジャー国務長官のとられた態度についてのお話がございましたが、いわゆる国務長官の名によりまして出されました国務省の考え方、これは文書になっておりますが、二つの点を含んでおったと記憶をいたします。  一つは、ただいま藤尾委員の言われましたようないわゆる伝聞でございますとか、根拠のないと申しますか、平たい言葉でございますが、そのような完結しない、いわゆる資料としての真実の値打ちのないようなものが無責任な形で漏れたりすること、及び、真実であっても、それがプリマチュアな、つまり未熟な段階において資料が出るといったような、そのような二つの場合には、これは米国と他国との間、これはわが国のみを言っておるわけではございません。御指摘のようにたくさんの国についての話のようでございますが、米国と他国との友好関係を傷つけることによってアメリカの国益を損なう、このように考えるというのが、国務長官が裁判所に出しました意見概要でございます。したがいまして、ここに述べられておりますことは、アメリカ自身の調査が完結しない段階において早期に情報が漏れること、及び、いかなる段階であれ、十分な裏づけを持たない片々たる伝聞のごときものが真実のごとく伝えられること、この二つのことはアメリカ自身の国益に沿うものでない、こういう判断を示しておるわけでございます。  したがいまして私は、一般的にこのような判断がアメリカ政府の判断の基本になっておるであろうということは、この書面から想像ができると思います。しかしながら、今回アメリカ政府がどのような方針のもとにどのような協力体制を出されますか、したがってどのような資料わが国に提供されるかということは、今後のことでございますので私は予断をいたしませんが、裁判所に対して正式に、昨年の暮れに申しました米国国務省の考え方は、ただいま申し上げたようなものであったということを申し上げておきたいと思います。
  277. 藤尾正行

    ○藤尾委員 この問題につきましては、これは予算委員会等々でも非常な御勉強になっておられますし、あるいはその結果どうなったのか知りませんけれども国会の中に特別委員会等々をつくってさらに進めていこうという計画もおありのようでございますから、そういったものが出てきた段階でさらに厳しい、この問題の核心に迫っていくような努力が引き続いて行われるだろうと私は思いますから、これ以上外務大臣防衛庁長官を前にしましてお話を私が進めていったところで大した益にもならぬ、そう思いますからこの程度でやめておきます。  そこで、いよいよその中身に入っていきたいと思います。  私は、これはロッキードだけの話ではないように思いますけれども、今度のロッキード事件といいますものが示しております日本に関する事件といいますものは、その発端が昭和三十三年のF86にかわるべき戦闘機の機種選定をめぐっていろいろ巷間うわさをせられ、こんなに大きな――資料がいっぱいありますけれども、要するにグラマンかロッキードかと言われるような大騒動を起こした当時の戦闘機の選定事件、これが一つ。  それからその後、これは大して問題になりませんでしたけれども昭和四十四年に、それではその104と並行をして、104にかわって主力戦闘機にどれをすべきかということで起こりましたF4ファントムといいまするものを決めた当時、そのときにあったフリクション、これが第二。  第三番目に、いろいろいま取りざたをされておりますような昭和四十七年当時の、いままだ地下に潜行をしておりますからわかりませんけれども、表に立ってきております問題は、ロッキードの全日空に供与いたしました民間航空機のトライスターという事件、あるいはこれと関連しておるであろうと思われます対潜哨戒機PXLというものの選定事件、いままでの問題といたしましては、大きく分ければこういった三つの山があったのじゃないかという気が私はいたしておるわけであります。  そこで、逐次それについて考えていかなければ、同じような問題が――これから私どもがF4ファントムの後にあるいは怠ることのできない次期戦闘機種の決定、これは大出先生がこの前当委員会で非常に詳しく御質問になられましたけれども、14にするのか15にするのか16にするのかというようなこと、これも避けることのできない、通っていかなければならない道でございます。そういった問題にこれは必ず波及をしていく。そういう意味で、私どもは過去のことについてとやかく言うということが主眼でなくて、そういう疑いの目をもって将来とも再び見られることのないように、こういう意味合いで過去三回の山場を振り返ってみたい、そう思うのでございます。  そこで、第一の昭和三十三年、岸内閣当時行われましたグラマン・ロッキード事件、これは防衛庁でも、この問題に関して、あるいは予算委員会等々のいろいろな関連でこれが問題になるということを十二分に御承知の上に当時の関係者をお集めになって御勉強になったと伺っておりますけれども、その当時の話をもう一遍簡単で結構でございますから再現をしていただきたい、これは防衛庁長官にお願いをします。
  278. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 今度のロッキード問題に関連いたしまして、わが防衛庁で三つの機種選定につきましての山があるという御指摘でございますが、そのとおりであろうかと思います。この点につきましては、詳しくはいま防衛局長からお答え申し上げたいと思いますが、まず第一番目のロッキード・グラマンという問題につきましては、御承知のとおりに赤城防衛庁長官、そして源田……(藤尾委員「赤城官房長官です。その当時の防衛庁長官は左藤義詮さんと伊能さんでございます。」と呼ぶ)いや、私が申し上げましたのは、その後になりまして104を決定されたことを実は申し上げておるわけでございまして、ロッキード・グラマンのことにつきましては防衛局長からお答え申し上げたいと思いますが、104の問題につきましては、ただいま私が申し上げますように赤城防衛庁長官、それからまた源田さんが調査団の団長として米国に参られまして、種々厳密な専門的、技術的調査を行い、そして源田報告を出され、そしてまた自分も104に試乗されて帰って来られたわけでありますが、源田団長からお聞きをいたしましたところ、自分の機種選定についてはいささかも疑われるようなことはないという確言を得ておるわけでございます。一つの御証言でございますが、その後ほかの国々においても104というものが採用され、そして今日まで来ておるという事例から考えても、これはいま考えてみても誤りではなかったということでございます。  それからF4の問題につきましては、これは防衛局長からお答えを申し上げたいと思いますが、一番問題になっております今回のロッキード問題との関連につきまして、私事実調査をやりまして、当時の防衛庁長官であります増原長官、島田次官、田代官房長、当時の久保防衛局長にもよく事情を聞きました。また、当時の国防会議事務局長である海原さんにもお会いいたしまして、また時の官房副長官でありました後藤田氏にもお会いいたしまして、また時の主計局長でございました相沢さんにもお会いいたしまして、その他いろいろのわれわれのできる限りの調査をいたしました結果まとめましたのが、実は二月の二十一日に発表いたしました「次期対潜機問題の経緯について」でございますし、それにあわせまして私の防衛庁長官談話というものを発表いたしておるわけでございます。  ただ、世の中に誤解を生みました点は、一つには、いかにも次期対潜哨戒機PXLというものの国産が、国防会議でもあるいは政府全体としても決まっておった、決定をしておった、こういうふうに言われておるわけでございますが、これは私の事実調査の結果から考えますと、四十七年の二月に行われました四次防大綱におきましてそのことは決まっておらないということが発見されたわけでございます。しかもまた、四十五年、四十六年、これは三次防でございますが、これにつきまして研究調査の費用は確かに出ておりますけれども、これもその当時、大蔵省の強い要望によりまして、国産化を目指さないということが明らかに指摘されておりますし、当時の防衛庁も、それをちゃんと承諾をしておるわけであります。四十七年の予算におきましてもやはり研究調査でございまして、この国防会議の四十七年十月九日の了解事項におきまして、あのような白紙にするというこのくだりが言われたわけでございますが、その当時といたしましても、白紙の意味は、大蔵省とそれから防衛庁、この間におけるいろいろの議論、これが対立をいたしておってなかなか決まらなかった、こういうような技術的、専門的問題は白紙にしたらどうか、したがって専門家会議に諮ったらどうか、輸入を含めてやったらどうか、こういう決定がいわば了解事項となったという経緯でございます。  で、これをずっとフォローいたしてまいりますと、結局、大蔵対防衛庁の関係におきましては、四十八年度の予算において一体これを、基本設計を入れるか、のむか、のまないか、そこがいわば国産化に決定するか否かの実は分かれ目であった、こういうふうに承知しておるわけでございまして、これはいろいろの文書、あるいは当時の防衛局長であります久保次官あるいは小田村経理局長等の国会におきます議事録等を読みましても、四十七年までは研究調査であったということ、国産化ではなかったということ、こういうことが実は明らかになった次第でございます。
  279. 藤尾正行

    ○藤尾委員 ただいま防衛庁長官からPXLの問題について、早手回しにいろいろな御意見がございましたけれども、それはまだこれから後でございまして、まず概括的にその兵器を輸入をしてくる、そういうことにまつわる日本の政治の体質、そして相手方のいろいろな売り込み、そういったものの性格からこれはやっていきませんと一貫性が出てこない。  そこで、PLXを突如として持ち出してどうのこうのということはまだこれから後の問題でございますから、それはここでしばらくおかしていただいて、昭和三十三年当時に話を戻していただきますけれどもロッキードとグラマンでいろいろ話が錯綜をした。これは当時の新聞、こんなに山ほどありますからこれはわかります。それを見回してみましても、一番初め、グラマンという方向に決まりかかった。この点は非常に重要なんですよ、いまの話とよく似ていますから。決まりかかった。それが後発のロッキード社の104というものの売り込みによって変わるわけですね。変わっちゃって、そうして結局一回白紙――あなた白紙という言葉を使われましたから、その言葉をちょうだいしてそのまま使わしていただけば、白紙還元をして、それから再調査をして、結局またそれが暗転をいたしましてロッキードに落ちてしまう、こういう経過をたどっておるわけなんです、三十三年のときも。そこで、そこに児玉譽士夫なる人物が登場をしてくる余地があるわけですね。それは本当に純技術的に選択せられ、それについて何らの政治的なあるいは社会悪的な働きかけがないということであれば、これはすっすっとそのままいくので、何も問題なんか起こりはしない。三十三年当時におきましても一回グラマンに決まりかかった。決まったという報道は山ほど出ている。ところがそれがいつの間にか待ったがかかる、そして白紙還元、調査団、またもう一遍出直すというようなことでロッキード104というものが登場してくる、こういうことなんですね。その体質、それをいま振り返ってみて、ちょっともおかしいことはないんだというように思われますか。いかがです。
  280. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 いや、やはり私ども防衛庁に関しましては、あくまでもユーザーの立場で、国防上これがどうしても必要であるという見地で、技術的、専門的にユーザーの立場で主張し続けてきたと私は思います。しかし、これは御承知のように、単に私たち防衛庁のみによって決まるのでなくて、国防会議等を経まして決まる仕組みに実はなっておるわけでございます。それから、長いレンジを見ていまから考えてみれば、やはり藤尾先生御指摘のとおりに、いろいろな問題があったということは言えると思うのでございます。そのようなことにどうやってチェックされずに、そしてわれわれの所期するところの、国防上必要な機種の選定をするかということが私どもに課せられた非常に大きい責任であろうかというふうに考えるわけでございます。  しかし、これまたロッキード・グラマン問題は国会の激しい追及が実は行われ、その結果といたしまして、今日から見るならば104というものが決められたわけでございますが、その104が決められたことに対しまして当時の赤城防衛庁長官、あの方のお人柄、それからまた源田調査団、この方の今日までの御経歴等々を見ますと、またお話を承りますと、この104の選定そのものには狂いはなかったというふうに私どもは調査の結果、確信をいたしておる、こういうことでございまして、外のいろいろの働きかけが全然なかったかと言うならば、やはりそういうようなことが当時としていろいろ体質的にあったというふうに言わざるを得ないというふうに思います。
  281. 藤尾正行

    ○藤尾委員 私もそれは防衛庁長官、あなたと同じ考えなんです。いまにして考えて、私はグラマンがどういうものであったか知りませんけれども、104に決まってよかった、性能はきわめてその当時といたしましては私は悪くなかった、そう思いますよ。ですから、それはその限りおいて私はあなたの御意見に賛同でございます。しかし、その過程において正しくそれが移ってきたかということになりますと、必ずしもそこはすっきりしない。  たとえばここで、細かい話でございますからあなたでなくてよろしゅうございます、防衛局長で結構でございます。防衛局長にお伺いをいたしたいと思いますけれども、当時一回グラマンに決まった。決まるまでに、これは専門家がみんな集まって両方の性能を比べて、技術的かつ公正にユーザーとしての立場からグラマンがよろしいということに決めたのでしょう。決めましたね。
  282. 丸山昂

    ○丸山政府委員 御指摘のように、当初永盛調査団を派遣をいたしまして、その結果、当時のグラマン社の実験機でございますが、F11F-1Fという航空機が最も適当であるという一応の防衛庁としての見解をまとめまして、そして三十三年の四月十二日に国防会議で、防衛庁の説明に従って一応F11F-1Fを採用するということを内定をいたしております。
  283. 藤尾正行

    ○藤尾委員 その内定をしたのがよかったか悪かったか、私はよかったと思うのですけれども、とにかく後でひっくり返ってロッキードの104になった。国防会議でお決めになられたわけですね、最終的には。一回決めたものを白紙還元されて、また調査団をお出しになって、そして源田調査団の結果、坂田防衛庁長官の言われたように104ということになったわけですな。その間に防衛庁が一回決めた、専門委員会にかけて、専門家がみんな集まって、純専門的に技術的に公正におやりになられてグラマンF11Fというのに決めた、そうですね。それがどうしてすり変わっていったのか。それはどういう理由だったのですか。これは国防会議の事務局長、あなたは国防会議の事務局長でいらっしゃるからかつてのそういう問題をお調べになっておられると思う。どういう状況でそれは変わりましたか。
  284. 内海倫

    ○内海政府委員 いろいろ私どもも勉強いたしておりますけれども、結局先ほど防衛局長が御説明になりましたように、グラマンの製造しておる航空機に対するいろいろな観点の調査の結果、再びこれが適当でない、さらに調査団を出して再検討するということが、ロッキードの方に移り変わった理由だろう、この辺につきましては、実を申しますと私どもも国防会議としてのそういうことに関する資料はございませんので明確に至らず、防衛庁の方にいろんな資料が残っておりますので、防衛庁の方にさらにお尋ねしていただきたいと存じます。
  285. 藤尾正行

    ○藤尾委員 あなたはかなり大べらぼうのことを言われますな。国防会議で一回決まったものを変えたんでしょう。そうでしょう。そのときの記録が国防会議にないですか。
  286. 内海倫

    ○内海政府委員 この間に関するいわゆる国防会議の議事録というものはとっておりませんので、それらを説明できる材料がございません。
  287. 藤尾正行

    ○藤尾委員 国民はとにかくこのことを非常に重要に考えるわけです。そうすると、国防会議におけるいろんな決定、それについての議事録といいまするものは今後も一切とどめないですか。
  288. 内海倫

    ○内海政府委員 これにつきましては過去の経緯を申し上げなければいけないと思いますが、第一回の国防会議が開かれました際に、国防会議の議事内容については閣議の議事に準じて議事は録取しない、いわゆるだれがどういうふうな発言をしたかというふうな問題につきましてはこれを記録しないという前提がとられておりますので、そういう内容につきましては何ら記録が残っておらないわけでございます。私どももいま、当時の国会の議事録あるいは当時のいろいろ述べられております他のいろいろな新聞あるいはその他の資料によってそれを承知しておるところでございます。
  289. 藤尾正行

    ○藤尾委員 そうすると、その方針は今後とも一貫するわけですね。
  290. 内海倫

    ○内海政府委員 特に国防会議において特別の決定が行われれば、私はそれに従いたいと存じます。
  291. 藤尾正行

    ○藤尾委員 そうすると、これは歴史というものが非常にあいまいになる、隠されてしまうわけですね。
  292. 内海倫

    ○内海政府委員 いま申しましたのは、だれがどういうふうなことを言ったかという意味の議事録がないということでございまして、何月何日にどういうふうな会議が行われて、どういう方が御出席になって、そしてどういう決定が行われたということにつきましては明確な資料はもちろん存在しておることは事実でございますし、存在いたしております。
  293. 藤尾正行

    ○藤尾委員 そうすると、そういう問題をめぐっていろいろな憶測が行われるということになりますと、これから先つづっていかれるその種の歴史というものは、憶測によってつづられるということになりますが、そういうことですか。
  294. 内海倫

    ○内海政府委員 国防会議におきましては、先ほども申しましたように、要するに決定あるいは国防会議の議員懇談会の了解というものによって判断する、これが在来ずっととられておるたてまえになっております。
  295. 藤尾正行

    ○藤尾委員 私は余りべたべたと同じことを言うのはいやでございますけれども、この際一応防衛庁がグラマンのF11Fというものに決めた、それを国防会議で白紙還元したということは書いてある、どうしてそうなったかということはわからぬ、そういうことですか。
  296. 内海倫

    ○内海政府委員 私、いまここで申し上げる資料を持っておりませんが、さらに詳細国防会議に存在します諸資料によりまして明らかにして申し上げたいと存じます。
  297. 藤尾正行

    ○藤尾委員 私はあえてその問題をさらに追及したところで意味がありませんから言いませんけれども、そんなことでは日本の歴史というものがゆがめられる可能性がある。この点は申し上げておきますから十二分に頭に置いて、この次に国防会議の何かがあったら、そういうことを言ったやつがいるということを諮っていただきたい。あなたもよく性根にしみてそういうことをお考えになっていただかなければ困る。よろしゅうございますね。  では、それはそれといたしましてやめますけれども、とにかくそのグラマンがいつの間にか白紙還元されて、そしてロッキードに移り変わっていく、その間に調査団が出たり入ったりするということになっておる、そうですね。そのときに、なぜ変わったんだという主たる大きな理由、それは防衛局長、御存じでございますか。
  298. 丸山昂

    ○丸山政府委員 これは一応私ども調査いたしまして、当時の閣議決定その他の資料に基づいての見解でございますので、細かい点について多少問題があるかもしれませんが、一応そういう前提で申し上げたいと思います。  先ほど申し上げましたように、三十三年の四月十二日にF11F-1Fというグラマン社の生産にかかわります要撃戦闘機を採用することを内定をいたしまして、四月十五日の閣議に報告をいたしております。このときの国防会議の決定並びに閣議報告、この文章を読みますと「次期戦闘機の整備について」ということで「航空自衛隊の次期戦闘機については、今後の計画を進行せしむる諸条件を整備するため一応F-11F-1Fを採用することに内定する。」ということが決められております。それから、御案内のとおり、機種内定後、国会におきまして衆参両議院の決算委員会、内閣委員会等におきまして証人喚問がございました。で、この機種内定の経緯についての審議が詳しく行われたわけでございます。  その後、三十四年の六月の十五日、このさきの内定を白紙に還元をいたしまして、さらに調査団を派遣するという趣旨の閣議了解がなされております。その文章を読みますと「次期戦闘機の整備について」これは三十四年六月十五日の国防会議決定、三十四年六月十六日の閣議了解でございます。「航空自衛隊の次期戦闘機の整備については、昭和三三年四月一二日の国防会議において一応F-11F-1F(98J-11)」これが新しい名称に変わっておりますが「を採用することに内定したが、乙の後F-104は開発せられ、西独においてこれを採用した状況などにかんがみ、この際前記内定はこれを白紙に還元し、更に調査団を派遣するなど慎重検討のうえ次期戦闘機を決定する。」これが閣議了解の文句でございます。  防衛庁はこの決定に基づきまして、三十四年の八月に改めて源田空将を団長といたします調査団をアメリカに派遣をいたしました。この調査団は、アメリカにおいて同年の十月まで八十日間、F102A、これはコンベア社の米空軍の飛行機でございます。それからF106B、これはF102Aの改良型でございまして、同じくコンベア社、それからN156F、これは米空軍の試作中のものでございまして、ノースロップ社、それからF11F-1F、別名98J11ということでございまして、これは米海軍の実験機でグラマン社、これが前の内定の候補機であったわけでございます。それからF104C、これは米空軍でロッキード社。この各機種を対象として、次期戦闘機としての運用上及び性能上の見地からの適否を比較検討するため、米軍の協力を得て、調査団みずから操縦するなどして実機について調査をいたしたわけでございます。この調査団は、十一月六日調査結果を防衛庁長官に報告をいたしましたので、防衛庁は庁議を開いてこの報告を検討した結果、調査団の意見を尊重してF104Cを採用することが適当であると認めて、このことを同日の国防会議説明をいたしております。国防会議防衛庁の説明を聴取した結果、次のような決定をいたしております。  三十四年の十一月六日国防会議決定、同じく十一月十日の閣議了解でございますが「次期戦闘機の整備については、さきに米国に派遣した源田調査団の報告にもとずき防衛庁において慎重検討の結果、決定した米軍の現用するF-104Cを日本向けに改造する型を採用することを承認し、機数一八〇機外に訓練機二〇機を昭和四〇年度末までを目途とし国産する。」こういう決定をいたしております。
  299. 藤尾正行

    ○藤尾委員 あなたのいまお読み上げになられましたのは、その当時の公式な記録のつづり合わせなんですな。したがいまして、それはどこまでもその中身の真相を知らしておるものではございません。私は知りませんよ、本当言うと。本当は知りませんけれども、私の推察しあるいは伝聞するところを総合してみますと、そうでなくて、グラマンのF11Fというやつを一番初めに決められた。その前に出された資料、専門家会議で検討された資料、それに幸か不幸か間違いがあった、あるいは作為があったということが、これがひっくり返る原因なんですね。そしてそこに専門家が登場をし、そしてその専門家を通じて児玉譽士夫も登場してくるわけですよ。そして児玉譽士夫が、当時の内閣あるいは党あるいは防衛庁というものとの間にいろいろないきさつがあって、そうしてこれが白紙還元、翌年の調査団再派遣、源田調査団というものに変わっていくわけです。私の問題にしたいのはそこなんですよ。いやしくも防衛庁という国民の税金を預って国の防衛の最大責任を負うという、その防衛庁が依頼をした専門家の機種選定委員会で、出てきた資料自体が非常に改ざんされておるというようなことでは、これは話にならぬということになりはしませんか。あるいはそういったことが表ざたになってくる、そこ自体に非常に大きな問題がありはしませんか。それが今日ずっと続いてきておる日本のこういった機種選定にまつわる体質であるとか、あるいは日本人のメンタリティーの非常に大きな欠陥と言うべきか、そういったものと関連してきておる、そこにつけ込む余地が出てきておる、そういうことだと思うのです。そういった事実はなかったのですか、あったのですか。
  300. 丸山昂

    ○丸山政府委員 ただいま先生の御指摘の点は、防衛庁としての決定が行われる以前においてそういう調査の段階での問題があったかどうかということでございますが、この当時私ども、いわゆる専門家会議というものに対して防衛庁が諮問しておったというような点は、ただいま私どものいままでの調査では出てまいっておりません。この点について、最初のF11F-1Fというグラマンの要撃戦闘機が候補機として決まる過程においての決まる理屈でございますが、これについて左藤防衛庁長官国会で選定の理由を述べておられます。特に問題になりましたのは104との関係でございまして、その分をちょっと読み上げさしていただきますと「この機会に特にF11F-1FとF104について比較検討いたしました点を申し上げますと、速度、上昇力に関する限りF104がF11F-1Fにまさることは明らかでありますが、機体の安全性、操縦性、離着陸性能、所要滑走路の点におきましてF104はF11F-1Fに比べてかなりの難点を持っておるのであります。特にエンジンがとまりましたときにおける沈下率、着陸時における着速等においては、安全性と操縦性においてF11F-1Fに数段劣ると考えられるのであります。」こういう点を指摘されておりますので、この時点において、やはり104が問題になりましたのは、104の安全性という点が一番問題であったように思われるわけでございます。
  301. 藤尾正行

    ○藤尾委員 私も実はそのくだりは研究しておるのです。しかしながら、そのときのテーマになりましたF104というのは、F104Cでなかったということなんです。それは104Aであったということなんです。そこで、ロッキード側からそういった問題、ロッキードというのはいつでもそこのところが奇妙な会社だと私は思いますけれども、そういった時期になりますといつでも後から出てくるんですね。ほかのところより後から出てきて、必ずそれに匹敵するかあるいはそれより優秀な性能のものを持ってくる。変な会社なんですね。そうして防衛庁が決められるときのF104というのはF104Aなんですよ。そうしてCができます、だからグラマンのF11Fというものと比べるには、改良型のCでもって並べてもらわなければ困る、こういうことでこれは変わっていくわけですよ、本当は。そういったことがあって、そのことによって国防会議の内定がひっくり返っちゃうんだから、頼りない国防会議だ。そういった経緯があったということを今日われわれはよく頭の中へたたき込んでおきませんと、また同じようなことをこれから先もやったのじゃいかぬという意味合いで私は申し上げている。そういうことなんです。本当のことをいうとそんなことはどうだっていい。  そうして、そこに児玉譽士夫なる者が登場してきて、そのときは児玉譽士夫の言い分は正しいのです。ですから、これの言い分によってみんなひっくり返っていくわけですよ。なるほどそうかということになっていくわけです。それで初めて児玉譽士夫とロッキードというものは結びついていくわけです。  そうして、それが第二の山の昭和四十四年になって、そのときもう皆様方は、アメリカ自体がベトナムで非常に大きな経験を持っておるF4ファントムというものを採用された。当時の防衛庁長官は有田さんですね。それに対して今度は児玉が文句を言うのですね。おかしいじゃないか、この公開質問状に答えろというようなことを言う。そのときには、児玉譽士夫なる者はロッキードの販売人になってしまっているわけです。そしてそのこと自体が、防衛庁の決定に対する公開質問状という形の、要するに異議申し立てになっているわけです。幸いにいたしまして、その異議申し立ては何らの効果を及ぼすことなく、防衛庁はりっぱな態度をとり続けられまして、国防会議またこれに対して正しい判断をせられて、そのときは問題がなかった、そういうことになっているわけですね。  そうして第三段階の今日になってきておる。四十七年にいよいよなった、こういうことなんですね。ただいままで予算委員会その他においていろいろ行われました問題は、主としてこれは田中内閣の出現、日米会談、そうして大型機の買い付け、それから全日空のトライスター導入ということがばっぱっといくものですから、そこで児玉譽士夫、小佐野賢治、何々ということになって、不正があるとかないとか、疑惑があるとかないとかということになっていくわけですね。しかしながら、これは民間機でございますから、全日空がどんな飛行機を入れようが、性能が悪かろうがよかろうが、その責任においてこれは入れられるわけですから、本当を言うとそういうことは構わぬのです。ただ、その経路において何か非常に大きな政治的な圧力があったとかなかったとかということになりますと、職務上にいろいろな越権行為があったかなかったかということにつながっていくから、これはいま大きな疑惑の対象になって問題化しておる、こういうことなんですね。しかし、それはそれとして、いま現に予算委員会におかれましても、あるいはこれからの特別委員会におかれましても、どんどんとこれは御追及になられましょうから、私はその問題に触れません。  しかしながら、それと関連をしてPXLということになってまいりますと、これは国民の税金で買う、日本の防衛の最先端の、重要な防衛の成否を決めていく問題と関連してまいりますから、しかも私どもこの内閣委員会が所管でございますから、これはほっておくわけにいかない、こういうことで、先ほどあらかじめ防衛庁長官がお述べになってPXLの選定問題にならざるを得ない。そこで問題になっていくわけです。そうですね。  そこで、御案内のとおり、この間あなたの方の次官、久保さんがあの最中にあの種の発言をせられて、それが大問題になって、それに対して間違いがあったということで、長官非常に御苦労になられたということでございますね。その経緯において国産化というものの決定があったかなかったか。決定があったと見る久保さんの意見に対して、いやそれはそうでなかったという防衛庁の正式発表になって出てきておる、そういうことなんですね。そうでございましょう。
  302. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 藤尾先生がおっしゃるとおりでございますが、久保次官が国産化を決めておったということを事実誤認したということではございませんで、その点、私が先ほど事実調査に基づいて言ったところは、よく久保次官は承知をいたしておったわけでございます。ただ前の日、決まりましたのが九日でございますから八日の日に、大蔵省からもう一つの支援戦闘機を国産にするかそれとも輸入にするかということで、当時の防衛庁といたしましてその問題が一番大きい問題で、大蔵側はその輸入を主張し、わが方は支援戦闘機をぜひ国産でということでございました。それが八日の日になって、大蔵側からわが方に対しまして、それじゃ国産化は大蔵側としては認めよう、輸入はやめよう、しかしPXLとそれからAEWの問題については取り下げてもらいたい、こういう意向が伝えられて、当時はもう支援戦闘機を国産にするか輸入にするか、それが一番主要な防衛庁としての課題でございましたので、増原長官以下首脳が相談されまして、それもまたやむを得ないかなというふうにお考えになった、そこのところが実は久保次官の記憶が薄れておりまして欠落をしておったということでございます。
  303. 藤尾正行

    ○藤尾委員 私は、ここで久保さんがどうだこうだとか、増原さんがどうだったとか、そんなことはどうだっていいのです。問題は、要するにその内容と、防衛という任務との間の関連なんです、一番肝心かなめなことは。たとえば支援戦闘機を国産化する、国産化して、それが十二分に任にたえるということであれば結構。PXLまた同じでございまして、PXLというものがどうしても対潜哨戒の上で必要だ、そうしてそれをどのように整備していくか、何年何月までにやらなければならぬ、そういった方法をめぐって、いま現実にあるP3Cというものを買ってくるのがいいのか、あるいはそれをある程度国産化していくのがいいのかということが、これは財政上あるいは性能上あるいは能力上どうだこうだということでなければならぬし、それが防衛庁で考えられる以上は、どこまでもこれは日本の防衛にとって最善であるということによってこれが決まっていくのでなければこれは話の筋が立たぬ、そういうことなんです。  そこで、それは話としては、そのときはT2改というものは国産いたしましょうということが大蔵省の宮下主計官を通じて、あなた方、日曜日に集まっていたそこへもたらされた。それで増原さん、明くる日総理大臣のところへ行って、やむを得ませんということになって、それはそういうことになった。しかしPXLはということでそのときはそれに言及したとか言及してないとかいうことが、その久保君の話について、三人であったとか言われるものだから、後藤田君だとか相沢君だとかいう者が、そういう事実はない、もう一遍調べ直してくれと言って、あなた方がお調べ直しになられて、それはなるほど後藤田、相沢君が言うように、そのときの主たる話はT2改の話であって、PXLの話は出ていないということになったわけです。しかし実際は、これは田中総理と後藤田官房副長官と、当時の相沢主計局長の三人で話したのですから、これはあなた方が知っているわけがない。それは三人しかわからない。そうでしょう。記録が残っているわけじゃないのですから、これこそ。そこで決定したとか決定してない、そんなことあなた久保君が知っているわけはないし、だれだってわかりはしません。そうでしょう、現実の問題として。しかしながら、それは国産化ということについては、T2改の方を国産にしましたからPXLの方はまだ将来の問題でもありますし、そこで何も国産化するということに決めなくてもいいんだということで話したというのが恐らく実相でしょう。そうでしょう。そうですね、そこは。
  304. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 そこのところはそのとおりでございます。
  305. 藤尾正行

    ○藤尾委員 それが事実ということでございますから、私どもはさようでございますかということよりしようがないんで、そういうことにいたしましょう。  そこで問題は、私どもこのPXLというものを国産化するか、それともP3Cを導入するかという、いま現実に私どもが潜水艦に対してパトロールをする、その必要度をどうしても解決をしなければならないもうぎりぎりのところに来ておるわけですね。このPXLというものの検討はその後ずっと行われてその間専門家会議も開かれております。途中でぽかんと一年くらい空洞のように穴があいたときもありますけれども、この問題は突っ込んでいけばまた延々として長くなりますからそこのところははしょって、ともかくもこのPXLというものはこの八月に大体内定するということに方針は決まっておった。そうして十二月にはこれは発注するということになっていたわけですね、現実には。その事実に誤認がありますか。
  306. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 実はまだPXLの問題については、外国機で選ぶとするならばP3Cであるということでございますけれども、国産にするのかP3Cにするのかということは、まだ決められていないわけでございます。そこの点がちょっと違うわけでございます。  それから、それはやはり八月――国防会議によってまた決められるわけでございます。その前に実は、御承知のように、新たなポスト四次防の防衛構想を長官指示をいま出しまして作業をさせておるわけでございます。その作業が終わりまして、われわれの方でどういうような装備をするかということ、そしてどういうような編成をするかというようなこと等を考え合わせました上においてやはり次期対潜哨戒機というものを決めなければならない、こういうような立場にあるわけでございます。
  307. 藤尾正行

    ○藤尾委員 私はその点、あなたの御見解でございますから、そのとおり信じたいわけでございますけれども、私の聞いている話は少し違う。あるいは一般に言われていることの方が違っているのかもしれない。ということは、あなたのおっしゃるようなことであれば、白紙還元もへったくれもない。いままでどおりでちっともおかしくはない。何にもこのことについて三木さんが滑ったの転んだの、やれ、疑惑の対象になるからどうのこうの、そんなことを言う必要はない、そういうことになりますね、いままでどおりのあなたのおっしゃったとおりなら。この八月決めるということになって、その決めるということは、どっちの方向に決まるかわからぬ。その間にロッキードという忌まわしい事件が起こってきた。これじゃ、とてもじゃない、これまで疑われてはかなわぬということにいまなっておる。だからもう一遍検討し直すんだとか、白紙に還元するのだとかいうことが巷間伝えられておる。白紙に還元するということは、前に決定があったから白紙に還元するのでしょう。グラマンのときに、その内定を取り消してF104に変えなければならない、だからこれは白紙に還元して、もう一遍調べ直す、こういうことになるわけです。論理的にそれが通っている。PXLの輸入か国産か、そんなことは何も決まってない。全然その徴候もございませんということならば、何も問題をいまさらどうこうほじくって言う筋合いのものではないということになりますが、いかがですか。
  308. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 私が申し上げましたとおりでございまして、まだ決まっておるわけではございません。  ただ、ここでちょっと申し上げておきたいのは、これは本委員会でも私申したと思いますし、あるいは防衛局長からも申し上げたと思うのでございますが、このいまの段階でたとえば国産とかあるいは外国機導入とかいうことでございますが、いずれにしましても、このような主要装備について完全輸入ということではなく、わが国の技術能力等から見て完全に国産というようなことも適当ではないというふうにわれわれは考えておる。これからどのようにその組み合わせをするのが最も効果的であるのかという観点から、この多数の選択案につきまして検討をする必要がありますし、導入か国産かといった二者択一の問題ではないというふうにわれわれは理解をしておる。これは本委員会におきましてもすでに申し述べた点でございまして、その考え方はいまも実は変わっておらないわけでございます。
  309. 内海倫

    ○内海政府委員 お許しを得まして防衛庁長官の御答弁の補足をいたしますが、ここでよくお聞きおき願いたいと存じますのは、四次防におきましては、いわゆる次期対潜機を装備するという決定は全く行われてないのでございまして、これは四次防以降の問題になるわけでございます。したがいまして、いまいろいろ問題になっておりますのは、国産というものを前提にする研究開発を行っていいかどうかということが問題でございまして、しかしながら国産開発を進めることがいいことかどうかということを検討するには、あわせて、それと同等または以上の外国機があるかどうかということを比較対照しながら検討して、国産開発のための研究開発をやることが是か非かということをこの四次防の中においては決めるのが目的でございます。  で、よく機種選定をこの四次防において行うというふうに理解されますけれども、これはそういう意味ではなくて、先ほど申しましたように問題として提起されておりますことは、研究開発の是非の問題なんでございます。そして、研究開発の是非を論ずるために、あの了解事項は、将来輸入を含めて比較検討するということを了解として示しておるわけでございますから、決して次期対潜機を、特に外国機において、もうどれを選定するかというふうな問題になりましては、これは装備を決定した以降の問題でなければならない。それは、現在もしなし得るとするならば、いろいろな調査というふうなもの、諸準備というふうなものをするのが限界であろうかと存じます。
  310. 藤尾正行

    ○藤尾委員 あなた、そういう話になってくるとひっかかってきますよ。これから研究開発をすることもまだ決まってない段階で、どうしてあなた調査団が二回も三回も行くのですか。ばかなことを言ってはいけない。
  311. 内海倫

    ○内海政府委員 先ほども申しましたように、専門家会議で検討いたしましたときの調査団は、国内開発をすることと比較対照するための外国機の状況、あるいはそれは性能はどうであるとかという比較検討のための調査でございまして、何を輸入するかということを目標にして調査を行ったものではない、こういうふうに申し上げております。
  312. 藤尾正行

    ○藤尾委員 ただいまは三月二日でございます。あなた方が決定をするということを決めておられる目標の、ターゲットの時点は八月でございます。その間あと五カ月しかない。こういう事件が起こらなかったら、それではいまからその研究開発を進めていくというようなことをやっていて、八月の時点で物事を決めていく、それだけのデータがみんなそろっておりますか。
  313. 内海倫

    ○内海政府委員 私先ほど申し上げましたのは装備の決定の問題を申し上げましたので、四次防期間中においてなし得ることは、研究開発を、しかも国産化を目標にする、国産開発を行うかどうかということについての問題が専門家会議に課されておる問題である、こういうことを申し上げたのであります。
  314. 藤尾正行

    ○藤尾委員 私は実は本当を言うとこんなものはどうだっていいのです、方法はどうであろうとこうであろうと。そういうことを言っているのじゃなくて、われわれが本当に言いたいのは、日本の防衛にとって最善の措置をとるためにはどういうものが要るかということについて本当は詳しく突っ込みたかった。あなたがつまらぬことを言うものだから、結局そういう話にひっかかっていかなくちゃならなくなってしまう。あなたは四次防期間中に決めるとか決めぬとか、ばかなことを言いなさんな。いまから研究開発やって、いつできるのですか。そのときに四次防が切れているのですか、切れてないのですか。頭がよっぽどおかしくなければそんなことを言いませんよ、あなた。そうでしょう。  それじゃほかのことを聞きますが、この間この問題が起こる前、アメリカの統合参謀本部議長がアメリカの上院軍事委員会においてどのような証言をされて、そうしてその証言と符節を合わせたように、シュレジンジャーが日本に来たときに防衛庁長官とどういう話し合いをなすったか。そのときに、対潜哨戒機の整備についてこういう話が出なかったかどうか伺います。
  315. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 シュレジンジャー長官と八月二十九日にお会いいたしましたときには、私の方から、四海海である、それから資源の多くを外国に依存しておる、こういうわが国といたしまして、国防の非常に大きい柱はやはり対潜能力を持つということ、これが日本の防衛上欠くことのできないことである、したがってわれわれといたしましては、この対潜能力を向上させるということについて努力をしていきたいということを申し上げました。このことに対しましてシュレジンジャー長官は、われわれもそれについて同意をするというようなお言葉であったというのが、シュレジンジャーと私との会見の内容でございます。
  316. 藤尾正行

    ○藤尾委員 それじゃ別個のことをお尋ねをいたしますが、いま日本海で、私どもが安全保障条約を結んでおるアメリカの艦艇は一年間にどれぐらい出入をして、そうしてどれだけの制海的要素を持っておるか。あるいはそこにソビエトの潜水艦がどれぐらい通航しておって、そのうちのどれぐらいが原子力潜水艦で、大体その様相はどれぐらいの比率になって、一体日本海の対潜安全度といいますか、そういったものの防衛の必要性、そのアメリカの持っております力の限界、そうして日米防衛分担という問題についてアメリカ側がどのような意向を持ち決定をされ、あるいは日本側にどういう要望をしてきておられるか。それはどういうことなんです。
  317. 丸山昂

    ○丸山政府委員 全部の御質問にお答えできますかどうですか、とりあえず申し上げたいと思いますが、まず日本海にアメリカの艦隊がどう出入しておるかということでございますが、日本海の対馬海峡を通じて韓国の沿岸に参ります出入はわりあいにあるようでございます。昨年一回、当時キティーホークであったと思いますが、第七艦隊の空母を中心といたしまして、津軽海峡を通りまして日本海を通って対馬海峡に抜けたということが一回ございます。その程度でございまして、最近アメリカの第七艦隊の出入りというものは、私どもの記憶しておる限りにおいてはそれほど回数がないというふうに思います。  それから、ソ連の潜水艦の状況でございますが、現在約百二十五隻潜水艦がございます。このうち原子力推進は四十隻でございます。  これがどのような増強ぶりであるかということを申し上げますために十年前を申し上げますと、八十五隻でございまして、このうち原子力潜水艦が十二隻でございます。これがその後五年たちますと潜水艦全体は百隻でございまして、このうち二十七隻が原子力潜水艦と言われております。したがいまして、潜水艦全体の増強と申しますよりは、むしろ原子力潜水艦の数が大変にふえている、その内訳において大変にふえているというふうに申し上げてよろしいかと思います。  それから通峡の状況でございますが、この点につきましては、私どもの知り得る範囲が限定されておりますので、正確に申し上げられるかどうかと思いますが、大体水上艦艇が主でございまして、潜水艦はただいままでのところ浮上して通っておりますものがごくわずかでございますので、潜水をして通っておりますものを含めるとどのくらいになるかということははっきりつかめない状況でございます。大体年間を通じまして対馬、津軽、宗谷、この三つの海峡で約三百隻でございます。これは民間の、いわゆる軍用を除いたものでございまして約三百隻、そのうちの約半分が対馬海峡でございまして、残りのうちの約三分の二が宗谷海峡、それから三分の一が津軽海峡、大体そういった割合で通っておるかと思います。
  318. 藤尾正行

    ○藤尾委員 日本海というのは大体名に示すごとくもともとはこれは日本の海でございます。それがいま日本の海でなくなっている。そこに問題があるわけでございまして、アメリカの第七艦隊の力をもってしても、やはり太平洋あるいはインド洋まで非常に大きな任務を背負わされている、とてもじゃありませんけれども日本海の中まで構っちゃいられない。ですからせめて日本の近海、日本の周り、それぐらいのところは日本の力で、対潜能力を高めて、警戒を強め、防衛力をさらに上昇さしてくれ、これがアメリカの言い分でしょう。そうじゃありませんか。防衛庁長官どうです。
  319. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 アメリカといたしましてわが国に期待いたしますのは、日本の周辺及びある程度の出入をいたします商船等の護衛ということにつきましてアメリカ側が期待をしておるということはおっしゃるとおりでございます。
  320. 藤尾正行

    ○藤尾委員 そこで、現実にいま自衛隊が持っておられる対潜能力を持っておる対潜哨戒機P2J、これと、いま現実にもうアメリカが日本に持ってきている、その現物がすでにあるP3Cというものの能力の違い、これはどんなものですか。
  321. 丸山昂

    ○丸山政府委員 厳密な比較はORをいたしますインプットデータの関係もございまして、非常に大まかな形で申し上げるよりむずかしいかと思うわけでございますが、対潜哨戒機の潜水艦を見つけ出す探知率を中心として考えました場合に、原子力潜水艦を対象といたしますと、P3Cが現在のP2Jの約十倍の能力を持っておる。それから通常型の潜水艦を対象にいたしました場合には約二倍であるというふうに申し上げてよろしいかと思います。
  322. 藤尾正行

    ○藤尾委員 原子力潜水艦を相手にするときに片一方は十倍の能力を持っているのです。そして日本海には、われわれが考えられるところによりましても大体四十隻ぐらいの原子力潜水艦が自由に航行する。それに対して片や十倍の力を持っている、片や一であるということで、私どもの対潜パトロール能力といいますか、あるいは防衛能力といいますか、対処能力といいますか、そういったものがアメリカの期待にこたえ、また日本国民の期待にこたえられる、そういうことだと思われますか。片一方は十倍、片一方は一倍ですよ。われわれの先輩は、これは非常に忌まわしいことでございますけれども、かって太平洋戦争が始まったときに真珠湾を攻撃して圧倒的に優勢を誇った。その直後数年にしてミッドウエーで日本の潜水艦はみんな撃沈せられた。これは何のおかげです。レーダーの違いです。そういった武器能力の違いが戦争を左右する――そこまでは行かぬかもしれませんけれども、決定的とも言うべき大きな力を持ってわれわれのところへ返ってきた。歴史上われわれはそういう経験をしておる。そういう教訓をわれわれは持っていかなければならぬ。そうしていまわれわれは、ソビエトの潜水艦等々に対して日本近海の防衛能力あるいは商船護衛能力というものを高めていかなければならぬ、こういう任務を期待されておる。またわれわれはそれを自主的にも志向していかなければならぬ。そういうときに、P2Jというものの限界が来ている。もう十倍のやつができている。かえなければならぬのはあたりまえのことじゃないですか。だからこれは八月に決めなければならない。そうでしょう。そういうぎりぎりのところへ来ている。そしてあなた方は、これから国産化についても研究開発をしたい、こう言っておられる、いまのあなたの言い分を聞けば。その方法についてこれから研究するのだというようなのんきなことを言っている。それでは、われわれがこれから研究開発をしていって、十倍の能力に高められるような対潜哨戒機をいつになったら整備できるとお思いですか。能力の問題、どうです。
  323. 内海倫

    ○内海政府委員 先ほどの私の答弁、少し不十分な点がございましたので訂正――つい私先ほどの白紙にする経緯の問題にややかかわったためにああいう答弁を申し上げたのでございますが、現在防衛庁が作業をやっておりますのは、ポスト四次防に対してどう対処するかということを、この八月に目標を置いていま検討いたしておるところでございます。先生のお話のように、国産開発で、脱落していく状態に対応できないということであれば、当然これにかわる対策を考えてポスト四次防に対処していかなければならない、これは当然のことでございます。
  324. 藤尾正行

    ○藤尾委員 そこで、飛行機の性能は性能として、今度は価格の問題、これに思いを変えていきたいと思いますけれども、日本でその種の飛行機をつくっていったときに、その需要と供給、どれくらいの量で、ロット、どれくらいの生産能力をカバーできますか。いまのアメリカのP3Cのように、全世界的に売り込みをやっている。カナダもこれから買おうと言う、あるいはヨーロッパでもこれからどんどん買っていくでしょう。アメリカ自体も買っておる。きょうのこの新聞によれば、カナダはもう決めたと言い、ブラウンさんは、アメリカの海軍はこれからもP3Cをどんどん買い付けていくと言う。そういった開発能力のあるP3Cというものと、ロットで考えてみて、一体これはペイしますか。常識で考えてごらんなさい。
  325. 内海倫

    ○内海政府委員 私も御意見のほどはよく拝承いたしております。この前の国防会議の議員懇談会の了解で、早急に専門家会議の答申に基づいて、それを参考にして政府でいま検討しておるところでございますから、当然それによって明確な答えが出てまいると思いますが、国産というものと現に存するものとの比較対照をいたしました場合は、価格においていろいろ問題があろう、これは私どもも想像いたしますが、これにつきましては、さらに現時点における諸般の資料によって判断する以外にはないと思います。
  326. 藤尾正行

    ○藤尾委員 そういう価格的な差があっても仕方がない、しかしながら、将来の日本の防衛というものは日本の手でやっていかなければならないのだ、いつまでもいつまでも人のものばかりでやっているわけにいかない、だから高くてもいいからそれでやる、これは一つの方針ですよ。りっぱな見識です。それならば、その負い目というものをだんだん漸減してやるような施策というものがこれに伴っていかなければ、これは産業になって育っていかない。そうでしょう。私の言い分に間違いありますか。
  327. 内海倫

    ○内海政府委員 十分御意見は拝聴させていただきます。
  328. 藤尾正行

    ○藤尾委員 そこで、これは通産省にもお聞きしたいと思いますけれども、通産省の方々は、この際対潜哨戒機も含めて、軍用機自体の国産ということを進めていかなければならぬ、このようなお考えがあると私は承っております。事実に相違しておりますか、事実ですか、どっちです。
  329. 井川博

    ○井川説明員 航空機産業を預かる通産省といたしましては、技術開発あるいは設備能力、その能力の許される限り防衛庁需要を受けてやっていく、他面、防衛庁需要だけでなくて、相バランスのとれたかっこうで民間機もやっていく、こういうことによって航空機産業の基盤が形成される、こういうふうに考えておるわけでございます。
  330. 藤尾正行

    ○藤尾委員 そういう抽象的な話じゃなくて、問題は何機つくれば合うか合わぬか、こういうことでしょう。それが足りなければ、あなた、よっぽど補助金や何か出してやらなければ……。そうでしょう。  それで、一方において武器三原則というもので網をかけてあって、外へ売ることはできません。注文とれない。防衛庁のものだけで賄っていかなければならぬ。あなた、いつまでもいつまでもそんなことやっておられますか。あなたの言っておられることとやっておることと、全くこういうふうに背反しておることにお気づきになりませんか。どうです。
  331. 井川博

    ○井川説明員 値段の問題になってまいりますと、何機かというその機数によってこれまた大変違ってくると思うわけでございます。したがって、わが国の場合にそうした武器の輸出ができないということになりますと、防衛庁需要だけの問題ということになってくるわけでございまして、既存の輸入機に比べて高くなるということはわかるわけでございますが、しかし、それは防衛庁の方で幾ら需要が出てくるかということによって違ってくる問題かと思います。
  332. 藤尾正行

    ○藤尾委員 実際問題として、防衛庁の需要だけで、あなたが考えておられるような生産基礎が十二分に安定するようなところまでいきますか。そして、自動車工業がどんどん伸びてきて、いまやアメリカに迫らんとしておる。イタリアもけ飛ばしてしまった。フランスもけ飛ばしてしまった。イギリスもけ飛ばしてしまった。ドイツと競って、いまやこれもけ飛ばそうとしておる。そういうところまで来た。これとはちょっとわけが違うのです。これは製品がよければ幾らでも輸出ができる。ところが、対潜哨戒機の場合にはそうはいかぬじゃないですか。そうでしょう。幾らやったって限界があるじゃないですか。片や武器三原則で出せません。出すのは困難。それじゃ、防衛庁だけの需要で航空機産業の基礎が固まる程度までいけますか。それじゃ、それだけの財政能力が大蔵省に十二分にありますか。その辺のところを十二分にお詰めを願わないと、これは話にならない。言葉の上だけではだめ、そういうことになりますよ。  そして、現実にわれわれはP3Cに劣らないような対潜哨戒能力というものを持たなければならぬ。それは遠い将来の話ではない。もうあすの問題である。こういうときに、さっきあなたが言われた抽象的な話は別として、現実問題として、それじゃどうだ。幾らロッキードが臭くても何であっても、防衛上必要であるということで断々固としてやります、これは一つの見識です。あるいは幾ら金がかかっても日本の力で、将来の日本の防衛は自分の手で守る、そういう意味でこれをどんどん開発していきます、これも一つの見識です。  いまさっき防衛庁長官は、その間にいろいろな方法があるとおっしゃった。なるほどあるに違いない。いま新聞に出ている、ブラウン議長にあなた方が言われたP3Cの装備だけを分離輸入するとかなんとか、それだって一つの方法でしょう。現実に、たとえばP3Cが積んでおるコンピューター、これはユニバック、これは独走です。これの販売権、製造権、全部アメリカ海軍が握っておる。これはつくろうったってつくれはせぬのですから、これにまさるコンピューターというものが日本で開発できますか。開発能力がありますか。あるならこれは別。とてもじゃない、間に合わないでしょう。いまのP2Jの十倍の能力というものが要求されている、あるいはそれ以上のものが要求されている、その解析力あるいはその連動力、そういったソフトウエアが簡単に開発されるものじゃない。そうでしょう。ただ、できるかなと思えるのは、ここに言っておられるように機体だけでしょう。P3Cの場合にはこれはロッキードですから、ロッキードの機体ですから、その機体と違った機体にかえればいい。中身が同じだったらいい。そういう方法がないことはないでしょう。しかし、それにしても量産という問題があって、ロットの問題、必ずここに出てくる。そう簡単にはいきません。そうでしょう。そうして八月に決めなければならぬ。十二月に契約をしなければならぬ。それから開発を進めていかなければならぬ。これから数年先にはそれを就航させなければならぬ。それでなければ日本の防衛に合わぬわけです、これは。そんなことは国民が許さない。そうしてあなた方は、防衛庁というものの立場、国民に対してこういう状況でこうだからこれが絶対に必要なんだということを言うところにある。そこに勇気が必要なんだ。そうじゃないでしょうか。ロッキード事件が起こったから、これは怪しいぞ、臭い臭い、ふたをしてしまえ、そういうわけにはいきません。日本の防衛は絶対そこに妥協の余地はない、そう思われませんか。防衛庁長官国防会議事務局長。
  333. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 お話を承っておりまして、まことに同感するところが多いわけでございまして、まさに何といいますか、決断をしなければならないところに来ておるというふうに思います。いずれにいたしましても、八月、遅くとも十二月には決めなければならぬ。その場合にどういうようなオプションをするか、そしてまた同時に、ロッキード問題がこれだけ世間の疑惑を持たれておるわけでございますから、これに対しまして国民に納得のいくような決め方をしなければならぬというふうには私は考えております。しかし、その前提となるものは、あくまでも日本の防衛にとって何が一番最善であるかということ、先生御指摘のとおりに私は考えて今後臨みたいというふうに思っております。
  334. 内海倫

    ○内海政府委員 ただいまの防衛庁長官の御答弁と全く同意見でございます。
  335. 藤尾正行

    ○藤尾委員 それで、私はやや安心をしたわけでございますけれども、あなた方だけの力じゃそうはいかない。先ほどもお話がありましたように、この問題、防衛庁で決めるわけにいかぬ。さらに上に国防会議というものがある。それの主宰者は、これは総理大臣である。これがきれいごとばかり言っていて、ほこりばかり払っていて、身ぎれいにいたしたい、ちょっとこの際は、なんて言っているようじゃ困っちゃう。その辺のところを、あなた総理大臣にどう言われます。
  336. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 この点は、ただいま私がお答えをいたしましたとおりに総理大臣にも申し上げたいと思っておりますし、この前もそういうふうに私の決意は申し上げておるわけであります。
  337. 藤尾正行

    ○藤尾委員 国防会議事務局長。
  338. 内海倫

    ○内海政府委員 私は事務局長でございまして、そういう点に関する意見を申し述べる立場でございませんので、ここでいろいろ申し上げることは遠慮させていただきたいと思います。
  339. 藤尾正行

    ○藤尾委員 これからいろいろまだまだやっていかなければならぬ。切りがありませんけれども、もう七時を過ぎましたから、あとの問題はあとの問題といたしまして、本日はこれでやめにします。
  340. 竹中修一

    竹中委員長代理 関連質問がありますので、旗野進一君。
  341. 旗野進一

    ○旗野委員 長官、私の申し上げたいことは、実は私、所管の委員会で御質問を申し上げ、予算審議のときに御質問を申し上げようと思ったのですけれども、せっかくの時間を与えられましたので、この機会に二、三点について御質問申し上げたいと思います。  防衛庁長官を初め防衛庁の方々は非常に御苦心をなさっておること、よく私は承知しております。従来までしばしば委員会におけるそれぞれのやはり不毛の議論も続けられておったわけでありますから、そういう点を考えます場合に、非常に御同情申し上げておるわけでありますが、なかんずく防衛二法が二回にわたって廃案になっておる。そういう状況下にあって非常に苦心をなさっておる。  たまたま今回ロッキード問題が起きまして、あなたが久保発言に対して処分をなさった。その処分の内容については、第三者に迷惑をかけたというようなことが内容のようであります。私は、久保発言防衛庁にそういういかがわしい行為がないのだということを余りにも鮮明にしたいということからああいうような発言になったものと理解をしておる。しかし、逆を考えますと、むしろ私から言わしめれば、防衛庁は何にも機種選定やそういうものに対しては関知されない、何も相談にあずかっておらないということを裏づけるような結論になっておるのではないか、逆を言いますと。そういうふうにお考えになりませんか。
  342. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 実は、先ほども藤尾先生の御質問に対しましてお答えいたしたわけでございますが、「次期対潜機問題の経緯について」というのを二月の二十一日に発表いたしました。これは先ほど申しましたような事情で綿密に、私のでき得る限りの調査をいたしましたわけでございますが、これに基づきまして久保発言というものを見ますと、やはり人間の記憶というものは案外頼りにならないものだということを感じたわけでございまして、本人みずからも事実誤認を認めておるわけでございます。また、訂正をしなければならないような発言をいたしたということは、やはり国防という非常に大事な問題を扱っておる次官といたしましては、この懲戒処分にいたしました適当な措置である、いまも私はそのように考えておるわけでございます。
  343. 旗野進一

    ○旗野委員 私は、この問題を通して非常に防衛庁のいわゆる発言力というものが弱体化しているのじゃないかという印象を国民の側に与えたと思う。これはむしろ第三者に迷惑を与えた以上の深刻なものがあるのではないか、私はそういうふうに理解をしておる。その点についてはいかがです。
  344. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 私はやはり、こういうような国民に対する不信といいますか、あるいは国民から防衛庁に対して疑惑を持つとかあるいは不信があるとかいうようなことがあっては、防衛というものは成り立たないというふうに思います。  私は就任以来、いかにして防衛の問題あるいは安全保障の問題が国民一人一人の生存と自由にかかわっておる問題であるかということをわかっていただきたいと思いますし、また同時に、われわれ自衛隊に対しましていろいろの批判がございますけれども、しかし、自衛隊は国民の理解と支持と協力というものがなかったならば、いかにりっぱな装備を持ち、また士気旺盛な自衛隊でございましても、それは力が力になり得ない、したがってその使命を遂行することができない、こういうように思っておりまするので、やはり何と申しましても国民の信頼をかち得るということが大事だというふうに私は思うわけでございまして、その意味合いにおいて、事実に基づく調査を行い、そしてそれを積み重ねていくことによって御理解を賜りたい。私たちがこれからやります行動、それを積み重ねることによって、もし不信があるとするならばその不信を解消していきたいというのが私の信念でございます。
  345. 旗野進一

    ○旗野委員 先ほど機種選定の問題並びに国防会議の問題が出ておりましたので省略いたしますけれども防衛庁長官閣僚でいらっしゃるのだし、しかもまた国防会議の議員の一員でいらっしゃる。しかも三十万近い兵員が後ろに控えておる。しかも国民防衛庁に対してはやはり力強い期待を持っておるわけですね。そういう面から考えた場合に、いろいろと長官が、防衛考える会とか、幅広いそうした防衛に対するところの国民的な世論の喚起のために努力をされておる。また中共のごときはすでに日米安保条約が極東の平和にきわめて大きな貢献をしておるというように、ずいぶん変わってきた状況の中にあるわけです。その中にこういう問題が起きまして、どうも防衛庁がつんぼさじきにされて、政治の幕の中にすべての機材というものが決められておるんではないか、機種の選定がそういうことになっておるんじゃないかということに非常に大きな疑惑があるわけですね。それらに対して先ほどお話もございましたけれども、これを決定する場合に主導権は一体だれが持つのか、どこに決めがあるのか、国防会議でしょう。その場合に防衛庁の果たすべき役割りというのはどういうことになっておるのか聞きたいと思います。
  346. 内海倫

    ○内海政府委員 たとえば、先ほど例に挙がりました機種の決定の問題につきましては、防衛庁長官から詳細な調査に基づく資料提出され、あわせてその希望見解を明確にされて、その上でそれが国防会議で論議をされて、そして決定される。したがって、最も有力な発言、有力な材料の提供というものは、ユーザーであり、かつまたそれをみずから最も大事な使用武器とするその防衛庁自体が最も有力な発言者であり、材料の提供者でございます。
  347. 旗野進一

    ○旗野委員 きょうのサンケイ新聞の三ページに、白川統幕議長と来日中のブラウン米参謀本部議長が会談をされておる、その内容を拝見しますと、ロッキードの導入はむずかしいんじゃないかということを言うとるのですね。むずかしい、むずかしくないということが、そういうところにもはや議論をされておるということは、これは防衛庁長官は御承知でありますか。
  348. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 白川統幕議長から一応お話は伺いました。
  349. 旗野進一

    ○旗野委員 そこで、私はさらにお聞きをしたいと思いますことは、現場で一線で生命をかけて働いてその飛行機に乗っておる人、こういう諸君の考え方というものは一応統一されたものにして、そして皆さんの方で国防会議にこれをお出しになるのですか。
  350. 内海倫

    ○内海政府委員 先ほども申しましたように、そういう問題に関しましてすべて防衛庁が最も有力に資料を整え、意見を付し、そしてそれを国防会議において発言される、そしてそれが最終的に国防会議で論議、決定する場合には決定する、こういうことでございます。
  351. 旗野進一

    ○旗野委員 ところが今回はやはり政治が優先しまして、シビリアンが優先して、防衛のいわゆる本当の衝に当たっている人たちが全然つんぼさじきにあったというあの久保発言こそ偽らない状況ではなかったか、私はこう思うのですが、この点はどうです。改めて再確認しておきたいと思うのでありますが……。
  352. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 防衛局長といたしましてはやはり陸海空の意見を徴し、そしていろいろ検討しました結果として国防会議にも臨むわけでございます。あるいはそういう会議にもシビリアンたる防衛局長が臨むわけでございますが、先ほどもお答えいたしましたように、あれが決まりましたのが九日でございますが、その前日八日に、当時の防衛庁長官でありました増原長官並びに次官、局長、官房長等がおって、そして自分もその中におって、そしてそのときの防衛庁としては一番大事な問題でありまする支援戦闘機を国産にすると主張を続けてきておったわけでございますが、それに対しまして大蔵側から、それはわれわれの方では異存がない、いままで自分たちは輸入ということを言っておってきたけれども、それは防衛庁の言う国産でよろしい、しかし次期対潜哨戒機の問題については、それからもう一つAEWの問題については、これは断念をしてほしいということを言ってきておるわけでございますが、これは非常に大事な問題なんです、翌日の国防会議を開く、またそれに臨むにつきましては。そうしてそれは増原長官以下、そこでお話し合いがございまして、それも万やむを得ないかなというふうにお考えになっておる。しかしその点を実は久保次官は覚えないでといいますか欠落をいたしまして、そして記者会見に臨んでいる、そういう状況でございまして、この点はやはりまさに事実を十分に把握をしていないということでございまして、そういうふうに報道があった。そして世間の人は防衛庁はつんぼさじきにされておったのだ、こういう感を抱いたであろうと思うのでございますけれども、そのことはそうじゃなくて、事実の結果といたしましてはちゃんと知っておったということでございます。ただ了解事項そのものの文言がああいう形になるとか、あるいは新たに専門家会議にこれがゆだねられて決定をするというそういうやり方は自分は承知をしてなかった、そういうことはそのとおりだというわけでございますけれども、前日のそういうような大事なことを欠落をしておったということは、今日から考えるならば、憶測に基づいて記者会見をしたということはやはり問題があろうというふうに私は判断をいたした次第でございます。
  353. 旗野進一

    ○旗野委員 そこで、仮定の問題にはお答えできないとおっしゃるかもしれませんが、一線の生命を捨ててまで働く担当官が、安全性あるいは防衛ロッキードが一番いいのだという声が、一線の関係者の諸君からそういう強い線が出た場合には、防衛庁はどういうお考えで対処なさるか、これをお聞きしておきたいと思います。グラマンでもどちらでも結構です。乗員がそういう考え方を持ってきた場合に、それに対して一体どう御処置なさるかということ。
  354. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 どういう意味かよくわかりませんけれども、とにかく現在保有しておりますP2Jよりもより以上のものを持ちたいというのは、これは第一線に働いております、任務についております者といたしましては当然そういう要求があろうかと思います。それはわれわれもよくわかっておるわけでございますし、また日本の防衛上当然いまのP2Jだけでは対処できないというふうに考えておりますから、それ以上のものを次の対潜哨戒機に選ばなければならないというふうに思うわけでございまして、それは陸海空のユニホームの人たち意見を十分に踏まえまして、その上でわれわれはやはり国防会議に臨むということになろうかと思います。
  355. 旗野進一

    ○旗野委員 いずれの時代でも、いずれの場合でも、こういう汚職というような問題があろうとは思いますけれども、この機会にやはり私は防衛庁がこういう火の粉をかぶるのを恐るるの余りに、われわれは相談にあずからなかったんだというような久保発言のような発言をなさらぬで、堂々と立ち向かって、そしていかに政治の場でこうであろうともわれわれはこうなんだ、こう行かなければ日本の防衛はできないんだというはっきりした線を打ち出されて、そして一歩も引かない、しかも主導権を持って、イニシアチブをとりながら国防会議に臨まるるのが防衛庁に課せられている使命ではないかと私は思うのですが、その辺がどうも運用の面において何かぎこちない面があるのではないかという、まだ私はそこまで勉強しておりませんけれども、皆さんにそういう点についていま少しく検討願って、かりそめにもこういうふうな問題が起こらないようにするためには、やはり防衛責任を担当している皆さんが本当に真剣になっておやりになることによって、私はこういう問題が起きない大きな原動力になろうかと思うのです。その点についてひとつ……。
  356. 坂田道太

    ○坂田国務大臣 いま先生がおっしゃいましたことは私も全く同じように考えておりまして、私がその職にある以上は、やはりユニホームの意見も十分に聞きますし、そうしてまたその主張を踏まえましてよく検討いたしましてこの機種選定に当たりたい、また国防会議に臨みたい。これはあくまでも国防的見地から私はそういうふうに申し上げたいというふうに思っております。
  357. 旗野進一

    ○旗野委員 一線の将兵の志気に影響するようなことがあっては、これはもう断じて許すわけにはいかないのでありますから、この点につきましては十分に御配慮をいただくと同時に、また国民もこれを非常に注目をしておる。一体日本というのはこんなことで守れるんだろうかということを非常に心配しておるわけでありますから、どうか政治が優先して、そうして防衛の直接の衝に当たっている人たちが常に弱体化しているような印象をかりそめにも国民に与えてもらっては困る。そういう意味において、この際長官を中心として大いにひとつ結束をかとうして日本の防衛の任に当たってもらうことを切望いたしまして、私の質問を終わります。
  358. 竹中修一

    竹中委員長代理 次回は明後四日木曜日午前十時理事会、十時三十分より委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後七時二十五分散会