○正森
委員 そこで、私どもがいろいろ
調査をいたしましたが、このお金は
選挙に関して使われておるという疑いも非常に濃いわけであります。たとえば四回にわたってお金が受領されておりますが、そのうちの
一つ、昭和四十八年の十月十二日、これはまさに一億五千万円が受領された日であります。この日に
田中角榮は一体だれと会っておるか。当時の記録及びわれわれの
調査によりますと、午後は橋本
幹事長と参議院対策で密談をしております。その後、砂防会館内の
田中事務所で後藤田官房副長官とウイスキーを飲みながら重要な雑談を行っております。つまり、まさに一億五千万円を受け取った日に
選挙対策で橋本
幹事長と会い、そして後藤田正晴氏と重要な雑談を行っておるということになるわけであります。
後藤田正晴氏について言いますならば、同じく十月二十四日の午後五時二十分ごろ
田中角榮氏と
田中事務所で会談をしており、このときにはプライベートなことで訪ねた、別の
新聞の報道によると
選挙のことで
相談をした、訪ねたということが言われております。そして後藤田正晴氏が十一月二十五日に退官をいたしましたが、退官後の十二月二十七日にも
田中角榮氏を訪ねまして何事か話をしております。後藤田正晴氏が昭和四十九年七月七日に行われました、あの参議院
選挙で徳島地方区から立候補して、それまで自民党の参議院
議員であった久次米健太郎氏にかわって公認をかち取り、当時、非常にやかましい問題になりました買収
選挙と言われるものをやったということは非常に有名な話であります。
そこで、ここに三睦同志会と読むのでしょうか、
三木総理大臣の地元における後援会が「昭和四十九年参議院
選挙をふりかえって」ということで出しておられる出版物があります。これは
三木総理大臣の後援会
関係の書物であります。この中には、私は
うそは書いておらないと思います。わが党の
調査団が現地へ参りまして、この点について伺いましたら、その
関係者は、ここに書いてあることは全部本当である、こういうことを言っておられます。それを見ますと、後藤田正晴氏が政界入りを決意して県内で動きを見せたのは昭和四十七年六月ごろである。そして、年の瀬も押し迫った十二月三十一日に徳島で記者会見をして「
衆議院選挙は準備不足で見送りました。つぎの参議院選には必ず出ます。私は絶対に公認になりますよ。」こういうことを言い、そして昭和四十八年の十月一日、第二次公認で後藤田正晴氏の正式の党公認が決定されております。十月一日に決定された、まさに二週間もたたない十月十二日に、しかも
ロッキードの金が渡ったその日に、首相官邸ではなしに、砂防会館の
田中事務所で
田中角榮氏とウイスキーを飲みながら何事か話をしておられる。そして、それから以後後藤田氏が非常にたくさんのお金をお使いになったというのは事実であります。この
三木総理大臣の地元の後援会の書物の記載するところによれば、後藤田正晴連絡所の大きな立て看板を立てられましたが、それは立て看板の製作費が一本一万円であり、看板の置き賃が一万円から二万円払った。それを五千本立てた。これだけでも一億円をはるかに突破しておるわけであります。こういうような金が一体どこから出てきたかということについて疑問を持つのは当然のことであると言わなければなりません。これ以外に、
選挙の押し迫ったときに当時の
三木国務
大臣が徳島に乗り込んで演説をされた
内容も、ここには事細かに書いてあります。時間がありませんから、その点は省略するとして、こういうような点があるとすれば、重大な疑惑があるということでPXLの十月九日前後の問題についても
検察当局は当然、重大な関心をお持ちのはずである。そして、このお金が
選挙に関し渡されたものであるということであれば、政治資金規正法違反の問題も当然起こってくるというように思いますが、いかがでしょう。