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1976-06-10 第77回国会 衆議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 第7号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十一年六月十日(木曜日)     午前十時五分開議  出席委員    委員長 田中伊三次君    理事 大橋 武夫君 理事 亀岡 高夫君    理事 谷垣 專一君 理事 中村 弘海君    理事 松永  光君 理事 田中 武夫君    理事 横路 孝弘君 理事 松本 善明君    理事 坂井 弘一君       宇都宮徳馬君    上村千一郎君       内海 英男君    小山 長規君       佐藤 文生君    瀬戸山三男君       古屋  亨君    箕輪  登君       渡部 恒三君    大出  俊君       斉藤 正男君    楢崎弥之助君       松浦 利尚君    中島 武敏君       三浦  久君    鈴切 康雄君       河村  勝君    永末 英一君  出席国務大臣         運 輸 大 臣 木村 睦男君  委員外出席者         運輸事務次官  中村 大造君         運輸省航空局長 高橋 寿夫君         運輸省航空局次         長       松本  操君         運輸省航空局監         理部長     山元伊佐久君         運輸省航空局監         理部監督課長  小林 哲一君         ロッキード問題         に関する調査特         別委員会調査室         長       中里  煥君     ————————————— 委員の異動 六月十日  辞任         補欠選任   庄司 幸助君     中島 武敏君 同日  辞任         補欠選任   中島 武敏君     庄司 幸助君     ————————————— 本日の会議に付した案件  証人出頭要求に関する件  ロッキード問題に関する件      ————◇—————
  2. 田中伊三次

    田中委員長 これより会議を開きます。  ロッキード問題に関する件について調査を進めます。  質疑の申し出があります。順次これを許します。まず、大橋武夫君。
  3. 大橋武夫

    大橋(武)委員 民間機に対しまする問題は、エアバス導入延期という点にあるのでございますが、このうち運輸省に関する部分は、このことについての行政指導に関するものであります。そこで、本日特にこの部分に集中して質疑を行いたいと存じます。  まず伺いたい点は、エアバス導入ということにつきまして、運輸省最初にこの問題について指導を行われるようになりましたそれはどういう措置であったか、またそれはいかなる時期に行われたものであるか、お答えをいただきたいと存じます。
  4. 松本操

    松本説明員 お答えいたします。  一般エアバス行政指導というふうに申されておりますものは、まず行政指導というものの理解の仕方でございますけれども運輸省設置法に基づきましていろいろ仕事をしておりますその一連といたしまして、その業務にかかわります問題につきまして、業界に対しこのようにしたらどうだろうか、あるいはこういうふうな考え方はいかがかというふうなことをいろいろ申すこともあり得るわけでございまして、そういうふうなことが行われたというふうに考えられますのは、昭和四十六年の二月に、まず全日空及び日本航空の両社に対しまして、エアバス導入の時期というものを四十九年ごろに延ばすというふうにしたならばどのようなことになるだろうかというふうなことを十分に検討してみてほしい、こういうふうな形で事務的なベース、たとえば運輸省日本航空との問で申しますならば、運輸省航空局監督課というのがございますが、この監督課から、日本航空の方に経営管理室というのがございますが、この経営管理室というところに、事務的なベースでまずそういうふうな点について検討をしてみたらどうだ、こういうふうなことを申したのが先生のおっしゃいますいわゆる行政指導と呼ばれるものの最初であろうかと思います。
  5. 大橋武夫

    大橋(武)委員 それに関連してお伺いいたしたい点は、昨日三井物産が当委員会証人として石黒君を派遣いたしました。その際、石黒君の証言の中に出てまいったのでございますが、昭和四十四年の七月の末ごろに、ダグラス社社長ダグラス機売り込みのためにしばらく本邦に滞在しておられた。そしてその主たる目的は、日航に対してDC10を予約してもらいたいということであったのだそうでございまするが、七月の二十五日になりまして、日航が従来から続けてまいっておりました機種選定作業を突然に中止することを決定いたしまして、そのためにダグラス社DC10の売り込みは失敗をした。そしてその後これが三井物産によって全日空のためにオプションされるに至ったということを申しておるのでございますが、この四十四年の七月二十五日ごろに日本航空エアバス機種選定作業を中止するに至ったということにつきましては、運輸省としては何らの行政指導が行われていなかったのでございましょうか。
  6. 松本操

    松本説明員 お答えいたします。  四十四年ごろの日本航空の中におきます大型ジェット機機種選定作業そのものにつきまして、私どもは特段の承知を当時もしておりませんし、したがいまして、先生いまおっしゃいましたような四十四年の七月ごろに日本航空がどのような措置をとったかというふうなことにつきまして、私どもの方から直接的にああしろ、こうしろというふうなことを申したことはございません。
  7. 大橋武夫

    大橋(武)委員 次に、昭和四十五年の十一月に、日本航空が747のLR四機の発注をすることになりましたが、これに対しましては、航空局において認可をしておられるようでございます。この当時のいきさつ並びに事情について御説明をいただきたいと存じます。
  8. 松本操

    松本説明員 日本航空は大体五年刻み五年刻みでころがしの長期計画をつくっておるようでございますが、四十五年の九月に、四十六年から五十年にかけましてのいわゆる日航としての長期計画というものを策定をしたわけでございます。その機材計画によりますと、四十七年度の末にB747LR、つまり当時日本航空がすでに国際線に投入をいたしておりましたいわゆるジャンボでございますが、この747LRを十六機にする、そのうちの一号機から三号機、つまりごく初期に購入いたしましたものにつきましては、これを国内線用におろしてくる、転用する、こういうふうな考え方計画を持っておったわけでございます。これに基づきまして、日本航空は747LR国際線型機の一三号機から一六号機までを購入することにいたしたい、この四機を新たに取得いたしたいということで申請をしてまいった事実がございます。この時点におきましては、これら四機は国際線輸送力増強に充てる、こういうことであったわけでございますが、この際の説明におきまして、同時に、いま私が申し上げましたような一号機から三号機までを国内線転用するというふうなことも兼ねておったわけでございます。したがいまして、国内線に三機おろすということを前提に四機を増強する、こういうふうな考えであったわけでございますが、その時点におきまして運輸省といたしましては、このような日本航空計画というものを前提といたしまして、大蔵省とも十分協議をいたしました結果、そのような計画はあり得るものではないかというような観点から、これを認可したという経緯でございます。
  9. 大橋武夫

    大橋(武)委員 そう伺いますると、四十五年の十一月、LR四機発注認可の際においては、すでにその含みとして三機が国内線導入されることを当然予想しておられたと考えてよろしゅうございますか。
  10. 松本操

    松本説明員 ただいま私、申し上げましたように、その時点におきます手続と申しますものは、日本航空株式会社におきます重要な財産の取得にかかわる手続でございます。でございますから、新たに四機を取得するということについての可否の認可をしたわけでございますが、その前提として、ただいま御説明いたしましたように、三機のLR国内線転用するという計画はあり得ることではないか、こういうふうに私ども理解をしておる。ただし、現実にこれを国内線に投入いたします場合には、当然のことながら、別途、航空法に基づきます事業計画変更認可手続というものが要るわけでございまして、具体的にこれを認めるか認めないか、どこの線にどのように入れていくかということについては、別途その点においてしさい検討すればよろしい。四十五年十一月の時点において行われました検討は、どちらかと申しますとマクロ的な検討である、こういうふうに御理解いただいてよろしいかと思います。
  11. 大橋武夫

    大橋(武)委員 そのときの三機の国内線転用予想時期はいつごろでございました。
  12. 松本操

    松本説明員 その時点において日航予想しておりました転用の時期は、四十七年の七月ということでございます。
  13. 大橋武夫

    大橋(武)委員 そうしますると、四十七年の七月に国内線転用運輸省としても大体認めるという考えが固まっていなければ、その追加発注認可する必要はなかったろうと思われますので、当然、多少の時期のずれは別として、原則的に国内線に三機が転用されることはあり得るものとお考えになっておられたと受け取ってよろしゅうございますね。
  14. 松本操

    松本説明員 先ほどお答え申し上げましたように、大筋の流れとしてはそういうふうな考え方としてはあり得ることである、そういう考え方としてはあり得ることだ、こういうふうにその時点理解をしておった、こういうことだと思います。
  15. 大橋武夫

    大橋(武)委員 しかるに、翌昭和四十六年の二月になりまするというと、運輸省国内線大型機導入延期について行政指導を開始することに至りました。このことは、昨日、日航社長朝田君も証人として、前年の十一月の大型機四機の発注認可があったのに、たちまちこれに反するような感じのする指導が行われるようになったことは、当時まことに不審に思っておった、かように言われておるのでございますが、何ゆえに急にこのような変更が行われたのでございましょうか。
  16. 松本操

    松本説明員 昭和四十五年という時点におきましては、すでに広く知られておりますように、運輸政策審議会の答申あるいはこれに基づく閣議決定、こういうふうなことでその基調となります輸送需要というものは非常な勢いで伸びるというふうなことが考えられておったわけでございますし、したがって、それに対応するための機材手当てというふうなことも考えられておったわけでございますし、現に四十五年の九月までは万国博覧会が開かれておったというふうなこともございまして、各社ロードファクター利用率というものは相当高い水準を維持しておったということも事実でございました。  しかしながら、四十六年になりまして、現実日本航空及び全日空がこれらの機材計画を推し進め、現実にどういう姿になっていくのかということをしさいに点検をするという段階になってまいりますと、実は四十二年ころから、急速な伸びを示しておりました伸びというものがだんだんと頭を打ってきておるということが、その時点でもすでに明確な徴候を示しておったわけでございます。  たとえて申しますならば、それを前提にして立てました各社需要予測というもの、それからいま申し上げましたような日本航空は四十五年の九月、全日空は四十五年の十二月にこういうものをつくったわけでございますが、その需要予測でいきますと、日本航空は四十七年度に千百十万、あるいは全日空は約千百万、こういうふうなものを立てまして、そして全線についての予想というものも相当の数字になっておりました。しかもそれに対して現実には伸び率が下がってきておる。四十五年の対前年の伸び率は平均して一三七%でございましたけれども、十月の時点だけをとりますとすでに一二〇、十一月が一二二、十二月が一二一というふうに、四十六年になりました時点伸び率がダウンをしている、伸びていることは事実でございますが、伸び率が下がってきたということがはっきりしたわけでございます。それに対しまして、大幅に伸びるだろうということを前提に立てました需要予測、その中で各社がそれぞれにシェアをとろうということを強く考えたわけでございます。したがいまして、四十七年の予測を見ますと、ANAJALシェアを両方足しますと一一二%、つまり全体の需要予測がやや過剰ぎみであるにもかかわらず、さらにそれを上回るような数になってしまうというシェア競争前提になっておったわけでございます。したがいまして、これに対しての機材前提にいろいろ議論をしておったわけでございます。そのために、JALとしましては四十六年から四十七年にかけて二三%の提供座席数伸びを、同じく全日空におきましては四六%にも及ぶ提供座席数伸び考え機材計画をつくっておったということも逐一明らかになってまいったわけでございます。  ところが、幹線のロードファクターは、冒頭にもちょっと触れましたように、四十六年八月、JALが九一、ANAが八三というのが最高でございます。これはなかなか乗れないという状況でございますが、十二月にはすでにJALが六五%、ANAは四四%というような極端に低い率を示すに至っております。さらに越えて四十六年の一月になりましても、JALが七二%、ANAも六〇%を切るというふうなロードファクターの低下というのがはっきりと数字の上に出てきたということでございます。したがいまして、このようなやや過大な需要予測、その中における自社のシェアをことさらに大きくとろうとし、したがって、それを両方足すと過大な需要予測をさらに上回るようなことになる、にもかかわらず現実ロードファクターは顕著に下がってきておるというふうな状態を放置いたしますならば、これは非常な問題が出てくるのではないかということが当然に考えられたわけでございます。また、四十五年三月から、御案内のように、パンアメリカンジャンボLRを東京に入れてまいりました。また、同じく四十五年夏からJAL国際線ジャンボを入れ始めたわけでございますが、ジャンボにつきましては一応最初段階でございますので、いわゆるディスパッチリライアブリーと申しますか、定時出発率と申しますか、こういったようなものも必ずしも十分に高い数字であるというわけではない、もう少し様子を見たらどうだという技術上、安全上の問題点についても具体的に考えねばならないというような事実であったと思うわけでございます。  また、空港事情の方も、ランウエーの長さだけで申しますならば、約二千五百メートル以上ありますればエアバス級のものの出発、着陸が可能でございますけれどもランウエーの強度という点を考えますと、なお補強を要する空港も少なからずあったのも事実でございます。また、これらの航空機は、御案内のように、一機六十億とか七十億とかいう高額でございますので、これを何機も投入してくるということになりますと、各社資金手当てという面につきましても相当な配慮をしなければならないだろう。  こういうふうなことをいろいろ考えてまいりますと、やはりJALANAが協調して国内輸送に寄与するという基本的な航空局政策に立って考えました場合に、四十七年からこれを投入する、そのために諸般機材をさらにふやしていくということは、客観的に見てどうしてもつじつまが合わない。機材過剰という現象を起こし、場合によってはアンバランスな状態機材が投入される。つまり、どちらかの社が先に大型機を投入し、有利な条件を設定し、それをもってシェアを拡張する、あるいは機材競争に突入する。かつてございましたような、ANAJALとの間の機材競争ということの再現すら懸念されるというふうな考え方に立ちまして、そういうふうなものを未然に防止しなければならない、そして公正な競争の原理が作用するようにしていかなければならないし、また極端に低下したロードファクターを適正な数字に近いところに維持させなければならないというふうなことが主として客観的に論ぜられておったわけでございます。  さらに、そのほか一般の世論といたしましても、たとえば国会論議等を振り返ってみましても、やはりそう急いで入れる必要はないではないか、まだよくわからぬ航空機であるという面もあるわけだから、十分に安全性を確認した上で入れるべきではないかというふうな御議論もあったわけでございまして、これらを総合的に判断いたしました結果、冒頭先生の御質問にお答え申し上げましたように、四十六年の二月ごろから、これを延ばす、もう少しペースを落とすというふうにしたらどうだという研究を始めさせるに至ったわけでございます。
  17. 大橋武夫

    大橋(武)委員 ちょうど四十六年二月ごろから、運輸省大型機導入延期行政指導が開始されたのですが、そのころちょうどロッキードのわが国に対する売り込みも開始されまして、しかもロッキード社の当時の日本における営業方針というものが、できるだけ日本民間機導入時期を延期するようにということに的をしぼっておったと伝えられております点から見まして、この行政指導の始まったこととロッキードの働きかけとの間に何らか関係があるのじゃないかという疑惑を招いているわけなのでございます。  そこで、重ねてお尋ねしたい点なのでございますが、前年の十一月には日本航空大型機国内線に三機導入することを決めておき、そして二月になって急にこれに反する指導が行われた、これは事実でございましょう。そうすると、明らかに方針が動いているという感じを持たざるを得ないのでございますが、この方針が矛盾しているということになりますと、どっちが正しくてどっちかが間違っておったのではないかというふうにも考えられますが、いま運輸省とされましては、この延期指導は当時の事情から見て、正しい指導であったということが言い得るのでございましょうか。
  18. 木村睦男

    木村国務大臣 いま航空局次長から当時の延期の具体的な事情は申し上げたわけでございますが、いま大橋委員からの御質問の点でございます。私も当時の実情をいろいろ調べてみたわけでございます。国内線大型機を将来は入れるべきであるという傾向は、すでに四十五年以前からございました。そして四十五年の閣議了解段階におきましても、将来は国内線航空機ジェット化大型化を推進をしていくという方針も出ておったわけでございます。  同時に、そういうふうな客観的な世界的な航空情勢のもとにあったわけでございますが、国会におきましては、すでに四十五年ごろから、大型化に関してはかなり心配をされた議論がいろいろ出てきておるわけでございます。たとえば四十五年の四月には、公明党の鳥居議員からの質問で、こういう問題については調査団をつくって、急がないでゆっくり考えたらどうかという趣旨の御質問もございました。それに対して当時の橋本運輸大臣が、お説のとおりで、こういう大型機の問題は非常に危険を伴うので、安全性等を十分考えていくというふうな答弁をいたしておりますし、また、四十六年の二月になりまして、御出席しておられたかと思いますが、田中委員からの御質問の中にも、当時航空三社の販売合戦が非常に激しい、この中で大臣はどういうふうに考えておるかというふうな御質問に対して、当時の需要動向考えて慎重に考えるべきであるというふうなことで政府答弁をいたしておるようなわけでございまして、反面において安全性問題需給の問題から、非常に冷静にまた十分ゆとりを持って考えなければいかぬという考え方は、国会におきましても、政府も持っておったわけでございます。  そういうことでございますので、いま航空局次長が申し上げたような具体的な当時の需給状況等あるいは公正な競争というふうな観点から見まして、日本航空が四十七年を目途といたしましたこの計画を二年ずらして四十九年にずらしたということは、私は、いま考えてみましてやはり適切な行政であった、かように考えております。
  19. 大橋武夫

    大橋(武)委員 そこで、これは運輸省内の当時の細かい事情についてお聞きいたしたいのでございますが、この延期必要性について最初にこれを認識されたのはいつごろで、そしてまた航空局の中のどういう人たちでございましたのか。
  20. 松本操

    松本説明員 四十六年になりましてから、恐らくそういったような検討が具体的に進められておったかと思いますが、そういうふうな検討には多少の時日を要しますので、二月の初めごろ、こういうふうな問題について主として関与いたしますのが航空局の中の監理部監督課というところでございます。この監督課中心にいたしまして諸般議論がなされたわけでございます。そしてその議論の過程におきまして、だんだんと先ほど私が御説明いたしましたような事実がはっきりしてきた。そしてこれは何らかの措置をとらなければならないではないか、こういうふうな形に意見がまとまっていった、こういうふうに理解をいたしております。
  21. 大橋武夫

    大橋(武)委員 そこで、行政指導の実際行動に踏み切った時期が大体二月ごろということに聞いておりますが、大体この監督課中心にして生まれてきたこういう考え方が、二月のその時期には局内のどの程度のところまで固まっておったのでしょうか。
  22. 松本操

    松本説明員 通常役所の中のこういった仕事流れといたしましては、監督課という単位で話が始まるわけでございますが、監督課の上に監理部あるいは監理部長というのがおるわけでございます。したがって、当初の段階におきましては監督課のかなり固まった意見、それが監理部長とも相談をされる、そういう形でキャリアの方に対しましてこういうふうな考え方の転換を行ったらどうなのか、その利害得失について検討してみてくれないか。ですから、当初の段階は、行政指導という範疇にあるいは入るかとも思いますけれども、強いか弱いか、軽いか重いかというふうな考え方で申しますならば、最初はこういう考え方があるではないか、従来の考え方とは違うと思うが、これについて一体どうなんだ、こういうふうな形でスタートをしておる、こういうふうに御理解いただいてよろしいと思います。
  23. 大橋武夫

    大橋(武)委員 そうすると、二月ごろ、この話が民間会社に伝えられた当初の時期には、監督課から監理部程度までに通った意見で、まだ局長あるいは次官、大臣というところまで通った話ではなかったのでございますね。
  24. 松本操

    松本説明員 大体において、すでに御承知と思いますが、行政指導と申しますものは強制的に何何するということではございませんので、したがいまして、最初段階ではそういうふうなことで意見を問うてみる、たたいてみる。それに対して私どもの方ももちろんさらに突っ込んだ勉強をしてまいります。当然先生ただいまおっしゃいましたように、その議論はさらに私どもの内部においても練り上げられ、局長意見も十分に了解をとっていく、こういうふうな形でまとまってまいりますし、またその話を受けましたキャリアサイドの方も恐らく、たとえば経営管理室とかそういったような部門から関連部門へも広がる、事務的に広がっていくというふうなことで十分に議論が行われたであろうと思います。  したがいまして、ここではっきりと、いつの時点ではどこからどこへ、それから何日たちましたらどこからどこへ、こういうふうに申し上げることができないのでございますけれども議論が展開されていくに従いまして、当然のことながら、私どもの方は航空局長了承の形まできちっと中身が整ってまいりますし、またそれを受けました会社の方も、企業の方も、単に経営管理室のみの意見ということではなくて、さらに関係部局等と打ち合わせながらの議論というふうな形に議論がすり合わされながら発展をしていっている、こういうふうな形であったと考えるわけでございます。
  25. 大橋武夫

    大橋(武)委員 そうすると、この種の行政指導におきましては、大臣の通達とかそういうような固まったものになる前にまず監督課あるいは監理部あたりで話してみて、なるほどそれも確かにそういう考えがあり得るのだが、それじゃ、ひとつ日航なり全日空なりに話してみないかというようなことにでもなって、そしてどちらかというと、命令的というよりは相手の意向を打診的な意味に近いような形で伝えられるのが最初の形だ、そのうちにだんだん固まっていくということになるようにいまの御答弁は拝聴いたしておりましたが、それでよろしゅうございますね。
  26. 松本操

    松本説明員 すべての行政指導と申しますか、業界に対する指導がただいま先生が集約して仰せられましたような形を必ずとるということはございませんが、この場合につきまして申し上げますならば、先生集約的におっしゃいましたように、当初の段階は、こういう考え方に立って物を見るべきではないか、そういう考え方に立って物を見たらばどうなるのかということを検討してみたらどうだという段階から、だんだんと固まった、きちっとした議論に発展していった、こういうふうに御理解いただいてよろしいと思います。
  27. 大橋武夫

    大橋(武)委員 そうしますと、昨日の朝田社長の話では、二月になってこういう行政指導が伝えられてきた、朝田君としては、一体何を言うのだというような気持ちで批判的であったというのですが、だんだん話し合って、最後には、結局日航自身が延期措置に協力するというようなところへ引きずり込まれているように聞いているのですが、大体の趣旨はわかりました。  この問題につきましては、橋本運輸大臣が、いま大臣の仰せられたように、国会での答弁において延期の趣旨を述べておられますが、あれはやはり事務当局の提出した答弁資料に基づいて発言されたものなんですか、それとも臨機応変に大臣の裁量で答弁されたものでございましょうか。
  28. 松本操

    松本説明員 通常大臣国会においてお答えをいたします場合に、非常に政策的な高度の政治論というふうなものにつきましては事務方がよくするところではございませんけれども、当時の橋本大臣がお答えしました趣旨というものは、当然のことながら事務方において、このようにお答えいただいてよろしいかと存ずるという形で、骨子を私どもはきちっと書くわけでございまして、それをどのように表現するかという、その大臣にとりましての、それぞれの大臣の持ち味というふうなものはございますけれども、いまおっしゃいましたように、事務方の方で整理、用意をいたしましたものに基づいて当時大臣がお答えを申し上げた、こういう次第でございます。
  29. 大橋武夫

    大橋(武)委員 それから、この延期行政指導が始まった当時、つまり二月ごろに具体的に運輸省のどういう人たちから会社側のどういう人たちに伝えられる、そして先方会社社長まで伝わっていったか、その窓口は一体どういうところだったでしょうか。
  30. 松本操

    松本説明員 先ほど御答弁申し上げましたように、こういう話の窓口というところは、私どもの方といたしましては航空局監理部監督課でございます。監督課といっても困るではないかと、こういう仰せがあるかと思いますが、通常監督課と言いますと課長以下でございますので、その段階で相手方は、たとえば日航に例をとりますと、経営管理室というのがございまして、室長あるいはその中の課長、課長補佐と、こういうふうな組織が動いておる。そのだれからだれに、いつ話をしたのかという点につきましては、大変遺憾なことでございますけれども、明確な記録等も残っておりませんので、いつの時点でだれからだれにということははっきりいたしておりません。しかし、だんだんとこの議論が発展をしてまいりまして、先ほど申し上げましたように、航空局全体としてこれを受けとめて動くという段階になりました時点におきましては、わが方といたしましても、これは航空局長の了承をとった考えであるという形で、窓口としてはいま申し上げましたように、監督課と管理室、あるいはその中に監理部長というふうなものが入ることもあろうと思いますけれども、だれがだれにという点については、大変申しわけないのでございますが、明確な記録がございません。
  31. 大橋武夫

    大橋(武)委員 そうしますと、四十六年度の日航の事業計画、資金計画収支予算等においてはこの導入延期前提として計画ができておりますが、これも恐らく行政指導によってこうなったろうと思うのですが、その時期においては、もう監督課長から管理室長というような系統で運輸省の趣旨が相手方に伝えられているのですか。
  32. 松本操

    松本説明員 いまおっしゃいました四十六年の事業計画、資金計画、こういつたようなものについての措置をいたします時点におきましては、これは行政指導というものではございませんので、これは行政措置でございます。処分でございます。したがいまして、もちろんこの中には先生仰せのように、そういったものが基調になった議論というのが当然組み込まれてきておるわけでございます。  その時点におきます話というものは、当然監督課あるいは経営管理室という間で事務的なすり合わせをしつつ、さらに必要によりその上の段階での議論というものもあるいはあったかとも思いますけれども、     〔委員長退席、谷垣委員長代理着席〕 通常こういった業務というものは窓口同士で書類を交換し、あるいは意見を述べ、それを持ち帰って上まで上げる、また窓口は窓口として議論をする、こういう形になりますので、したがいまして、その時点におきます処置の、先生いま御指摘になりました四十六年三月のこの認可の扱いにつきましては、それ自身につきましてはそれぞれの段階において十分に上まで上がって議論をされておりますし、また運輸省単独ということにもまいりませんので、関係の省庁との連絡もしかるべきレベルできちっと行われている、こういうことでございます。
  33. 大橋武夫

    大橋(武)委員 それでは松永君と交代いたします。
  34. 谷垣專一

    ○谷垣委員長代理 松永委員
  35. 松永光

    ○松永委員 先ほど昭和四十六年の二月になってからの行政指導の経過について説明を受けたのですが、その中で、最初のうちは監理部監督課あたりでいろいろ論議がなされて、そしてだんだんだんだん上に上っていって局長了解というふうな段階があると、こういうふうに述べられたのですが、航空局長が了承したというふうな時点はいつごろでしょう。
  36. 松本操

    松本説明員 いま問題になっております行政指導という面からだけについて申し上げますならば、四十六年の六月一日だったと記憶しておりますが、大型機導入をしないで、たとえばDC8を導入していく、こういうふうなことで十分に需要が賄えるのではないかと、こういうふうなことをメモをもって日本航空の方に申しております。この段階におきましては、もうすでに航空局長も十分にこの議論承知した上で、航空局長が了承した考え方である、これについて日本航空としてのしっかりした考え方検討してほしい、こういう形になっておるわけでございます。
  37. 松永光

    ○松永委員 そうすると、文書のようなものを行政指導を受ける側に出して、そして行政指導をしたのは、エアバス導入延期に関しては四十六年の六月一日ごろであったというふうに理解をしてよろしいのですか。その前は口頭による、まあ最初のうちは何と言いますか、意思の伝達程度で、それからだんだんだんだん行政指導の形になっていくが、局長からのメモによる行政指導がなされるまでの間は口頭による意向の伝達、そして行政指導であった、こういうふうに理解してよろしいのですか。
  38. 松本操

    松本説明員 行政指導、いわゆる行政指導と言われます面について申し上げますならば、いま先生の仰せられたとおりでございますが、日本航空におきましては、先ほど大橋先生から御指摘ございましたように、四十六年の三月の時点で一つの行政処分が行われておりまして、これはちゃんと局長大臣までの決済をとって行っておる行為でございますので、これはまた別の意味において一つの区切りはそこでついておると、こう御理解いただいてよろしいかと思います。
  39. 松永光

    ○松永委員 ところで、航空局監督課日本航空及び全日空に対してなしたその行政指導の中身でございますが、この中身については運輸省の方にその当時の資料がないということであります。しかし、この行政指導を受けた側の日本航空及び全日空の方には、まあ明確な資料と言えるかどうかわかりませんが、それぞれの内部の資料としては、行政指導を受けたという痕跡が明らかに文書として残っております。その中の、これは運輸省の方からちょうだいした資料ですが、全日空経営システム開発本部からの抜粋として、全日空の副社長講話の中で、こういうふうにメモが残っていますね。「本年の三月、運輸省から、運輸省の見解としては四十九年度ぐらいに入れるのが一番のぞましい。最近の需要の動向を考えると、大型機をそれ程早く入れる必要はない。無理して入れると供給過剰になり両社とも経営に相当圧迫をうけるおそれがあるということで、両者とも導入時期を検討して運輸省に返事をしてもらいたいということでありました。」という文言が残ってますね。  この中で私が尋ねたいのは、まあ四十六年の二月かまたは三月ごろ運輸省から全日空の方に対して、四十九年度ぐらいにエアバスを入れるのが一番望ましい、エアバス導入するのに望ましい時点を四十九年度というふうに特定した行政指導をしたというふうにこれはこの資料からなるのですが、そういう行政指導があったことに間違いありませんか。
  40. 松本操

    松本説明員 おっしゃいますように、四十九年度ごろというふうなことで、その時期を定めて考え方を述べたということでございます。
  41. 松永光

    ○松永委員 いまのは全日空関係でございますが、日本航空に対しても、それと同じような趣旨の運輸省の見解ないしは希望、それを日本航空の方にも、全日空に対してなしたと同じような時期に、望ましい時期をほぼ特定して日本航空に対しても行政指導をされたんですか。
  42. 松本操

    松本説明員 結論的に申し上げますと、ほぼ同様のことでございますが、ただ、ここで御注意いただきたいと存じますのは、全日空の場合にはその時点、B727−200というのが一番大きい飛行機でございますから、したがってエアバスなりジャンボなりを入れるということは全くの新型機を入れるというとらえ方をしなければならない。日航の場合には、先ほど来たびたび御返事申し上げましたように、ジャンボLRが動いておりますので、これの国内転用という一つの全然別のパターンがぶら下がっておりますが、それを除きまして、新型機を入れるということにしぼって考えます限りにおいては四十九年ごろということを言うたわけでございますし、また国内線への導入につきましても、四十七年にいきなり入れてしまうということについては、私どもは強い疑問を呈したわけでございます。
  43. 松永光

    ○松永委員 私は、ここで一つ運輸省に尋ねたいのです。それは先ほどのお話に出ておりましたように、四十五年の十一月に閣議了解として、大型機導入を推進するという言葉がありますね。それは四十五年十一月の時点ではそういう閣議了解がなされたんであるが、その後の需要動向、それからJALANA、双方の運航計画が過大な需要予測をしておった、ところが需要の動向は芳しくない、そういったことの事情があって、閣議了解は大型バス導入推進だったけれども、二月ごろの時点で、これは推進じゃいかぬなということになってきたというふうになるわけですがね。  そこで、私がお尋ねしたいのは、前の年の十一月のエアバス導入推進というやつですね、これは閣議了解ですよ、この閣議了解がそのまま残っておるのに、局長了解で、局長の名義で行政指導がなされたのは六月といたしましても、二月または三月の時点監督課あるいは監理部程度の論議のままで閣議了解と違うような行政指導をすることが行政の姿としてどうなんでしょう。片方は閣議了解、非常に重いといいますか、政府の最高方針の決定が閣議了解の形でなされておる。それに反するような行政指導がその二、三カ月後に今度は監督課人たちが論議をしただけで航空会社になされるという、そういう行政のあり方が果たして妥当なんでしょうか。その点についての見解を……。
  44. 木村睦男

    木村国務大臣 四十五年の十一月の閣議了解には、いまお話しになりましたように、航空機ジェット化大型化の推進を図るという線が出ております。その前提といたしまして、同じくこの閣議了解の中に、航空企業の内容の充実強化を図り、航空安全性の基礎の上に航空機ジェット化大型化の推進を図るというふうになっておるわけでございます。この精神を受けましてその後行政を進めてまいりましたので、申すまでもございませんが、直ちにジェット化しろとか大型化しろとかいうことではございませんので、いまの前提条件も十分踏まえながら運輸行政を進めてきた。したがって、決して閣議了解の線に反した措置はしていない、かように考えております。
  45. 松永光

    ○松永委員 その点が、何と言いますか、疑問点としていろいろ言われた点だろうと思うのです。四十五年十一月の閣議了解、まあ閣議了解部分だけとればエアバス導入推進だけれども、しかしそれにはいろいろ前提条件がある。安全性の確保とかいろんな条件をにらみ合わせて推進する。したがって翌年の二月、三月にエアバス導入延期という行政指導をしても、それは閣議了解の趣旨を全体的にとらえれば矛盾はしないというふうな大臣の御見解のようでしたが、さて、それで通るかという問題なんですね。ここなんです。ここのところをもうちょっと明確に御答弁願えぬというと、これはちょっと疑問点だと思うのです。もうちょっと明快にひとつ答弁していただけませんか。次官、どうですか。
  46. 中村大造

    中村説明員 確かに結果論として四十五年と四十六年、このつながりというものを見ますと、そこに政府方針に変化が見られるということが不自然ではないかという御指摘は、私もごもっともだと思います。ただ、四十五年の暮れまでの基調というものは、やはり高度成長の基調というものがずっと続いておった状態でございまして、その中で閣議了解が行われたということでございます。したがいまして、四十六年になってそういうふうな、いわゆる万博が終わって基調が変わってきた、こういう状態で、その時点であのような判断をしたということは、これは私は非常に正しい判断を四十六年にしたというふうに、いまもって信じております。そうなると、四十五年の十一月ごろの判断が正しかったのかどうかということは、またいろいろそれは議論はございます。議論はございますけれども、当時のそのときそのときとしては、やはりその客観情勢の中で正しいと思う判断をしたわけでございまして、それをいまから見れば非常に不自然ではないかというふうにお思いでございましょうけれども、私は、四十五年の暮れの判断というものと四十六年の二月の判断、どちらに重点を置いて考えるべきかということになれば、当然私は四十六年の二月にああいう判断をしたということが、いまから見て非常に正しかったというふうに思います。
  47. 松永光

    ○松永委員 先ほど大臣が御答弁されたような意味に四十五年十一月の閣議了解を解釈する、私はそういう解釈は必ずしも不自然な解釈とは思いません。     〔谷垣委員長代理退席、委員長着席〕 思いませんが、しかし、四十六年の二、三月の行政指導大臣了解のもとになされた行政指導ならまだしも、先ほどのお話によると、局長はもちろん大臣、政務次官、事務次官等も御存じないで、監理部長了解程度であの行政指導最初になされたわけですね、軽いやつでありますけれども、二月、三月ごろ。しかし、監督課の論議程度で、見ようによっては四十五年十一月の閣議了解と相反するような行政指導でございますから、その行政指導のやり方たるや閣議了解を軽視した行政指導であったという非難、これは容易に免れることはできないのではなかろうか、私はそういうふうに考えておるのです。答弁がありますならば、ひとつおっしゃっていただきたい。
  48. 中村大造

    中村説明員 先ほど大臣が申し上げましたように、四十五年の閣議了解、これは企業の経営基盤の充実と安全性の確保、こういう前提ジェット化大型化を推進する、この基調は四十六年、四十七年、ずっと私は続いておると思います。そういういろいろな条件のもとで、やはり趨勢としてはジェット化大型化を推進していくのだというふうに考えます。四十六年の二月に国会において御答弁を申し上げましたその当時の基調としても、やはりその趨勢としてはジェット化大型化というものは推進していくのです。しかし具体的にいつから入れるかという時期についてはこれは慎重に考えなければいかぬ、こういうことでございまして、やはりジェット化大型化というものを推進していくということについては何ら変更をいたしておるわけではございませんし、また四十五年の閣議了解時点に、四十七年から入れるのだということは政府としては一回も決めたことはない。業界は挙げて四十七年から入れるのだということで張り切っておりました。しかし、役所としては四十七年ということを決めたわけではない、方向として推進するんだ、こういうことでございまして、その方向は決してそれを曲げたということではございません。
  49. 松永光

    ○松永委員 先ほど四十六年二月、三月あるいは四月ごろの行政指導で、運輸省としてはエアバス導入の望ましい時期は四十九年ごろであるというふうな意思を固めて、そういう趣旨のことを全日空あるいは日本航空にも伝達をして、行政指導したということでございますが、実際エアバス導入の時期として決めたのも四十九年度でしたね。そうすると、四十六年三、四月ごろ運輸省で決められた意思というものがずっと続いていって、その流れの中で四十六年三、四月ごろ決めた意思のとおり現実導入時期も最終的に決まった、こういうふうに理解してよろしいですか。
  50. 中村大造

    中村説明員 御指摘のように、四十六年の二月から六月にかけまして航空局運輸省考えました四十九年ごろが適当ではないか、こういう考え方は、その後いろいろ客観情勢、たとえば雫石の事故とか「ばんだい号」の事故とかそういう事故もございまして、結果的に会社としても四十九年ということに自主的に決めてきた、こういうことでございます。
  51. 松永光

    ○松永委員 次に、昭和四十七年七月一日付の航空再編成の問題に関する大臣通達のことに論議が行くわけなんですが、お話を承りたいのですが、もう時間がありませんので、端的に二点だけお尋ねしたい。  一つは、四十七年七月一日の運輸大臣通達「航空企業の運営体制について」この運輸大臣通達はエアバス導入延期という問題と何らかのかかわり合いがあるんですかないんですか、その点をひとつ端的にお答え願いたい。
  52. 中村大造

    中村説明員 七月一日の通達にエアバス導入の時期というものを一応明記いたしておりますから、エアバス導入時期と無関係であるということは言えないと思います。ただ、エアバス導入というのは、新型機の導入と在来型の転用と二つの問題がございます。で、いやしくも新型機の導入という点については、四十七年の七月一日の通達は全く関連性はございません。ただ、いわゆる在来機の国内線への転用、特に沖繩への転用という問題が当時未解決でございまして、その点を含めまして通達の中に明記したということが真相でございます。
  53. 松永光

    ○松永委員 今度は、昭和四十五年十一月の閣議了解と四十七年七月一日の大臣通達の関連性、これは閣議了解の趣旨を踏まえて具体的な方針といいますか、これを打ち出したものである。四十五年十一月の閣議了解は、言うなれば航空行政に関する基本的な事項、言うなれば総論を四十五年十一月の閣議了解で決定をし、その総論に基づく各論、具体的な施策、これを四十七年七月一日の大臣通達で明確にした、こういうふうに理解をしてよろしいんでしょうか。
  54. 木村睦男

    木村国務大臣 四十五年の閣議了解がお話しのように基本方針でございまして、それを受けての実施事項でございますか、そういうものをここで決めたというように、お話しのように理解していただいてよろしいかと思います。
  55. 松永光

    ○松永委員 時間がありませんので、これで終わります。
  56. 田中伊三次

    田中委員長 佐藤文生君。
  57. 佐藤文生

    ○佐藤(文)委員 この前大臣質問しましたが、時間がございませんので、後日私はこの点を明確にして運輸省の立場を、ひとつはっきりした御答弁を求めますから、これを差し上げます。——これはチャーチ委員会でトライスター導入に関してのコーチャン証言を抜粋した七項目であります。その七項目が運輸行政関係をしているかもしれない、こういう疑惑でございますから、その七項目について後日の委員会において再質問を私、したいと思いますので、検討をお願いいたします。
  58. 田中伊三次

    田中委員長 それじゃ、それを御検討願います。  佐藤君、もうそれでよろしゅうございますか。
  59. 佐藤文生

    ○佐藤(文)委員 結構です。
  60. 田中伊三次

    田中委員長 横路孝弘君。
  61. 横路孝弘

    ○横路委員 いま議論のありました四十六年二月のエアバス四十七年導入延期行政指導についてお尋ねをしていきたいと思いますが、初めにちょっと確認をお願いしたいと思うのであります。  最初に、昭和四十五年九月の運輸省航空局航空輸送需要予測、前の年の八月、航空輸送の現状というのが出ていますが、この航空輸送の予測について、昭和五十年度の予測国際線は一千万人、それから国内線四千万人、伸び率二四%、二三%、こういう予測でございますね。事実違いございませんね。
  62. 山元伊佐久

    ○山元説明員 お答え申し上げます。  四十四年の秋ごろから運輸大臣の非公式の諮問機関でございます運輸政策懇談会を中心にいたしまして検討がされておりますが、その当時に予測されました数字は、先生御指摘のとおりだと思います。
  63. 横路孝弘

    ○横路委員 次に、昭和四十六年二月五日、空港整備五カ年計画についての閣議了解昭和四十六年二月五日ですよ、このときのこの五カ年計画の基本になった昭和五十年度の需要予測は幾らになっていますか。
  64. 山元伊佐久

    ○山元説明員 私の記憶によりますと、その閣議了解を行いました時点におきますデータは、先ほど申し上げました数字を基礎にいたしております。
  65. 横路孝弘

    ○横路委員 つまり、四十五年九月のときの航空輸送需要予測数字と四十六年二月五日の閣議了解数字は、同じ数字を基盤にしているものでしょう。そうかどうかだけちょっとお答えください
  66. 山元伊佐久

    ○山元説明員 第二次の空港整備五カ年計画におきまして取り上げました数字は、先ほど申し上げました数字を織り込んでいるわけでございます。
  67. 横路孝弘

    ○横路委員 その次、昭和四十七年三月十七日閣議決定空港整備五カ年計画、このもとになっている数字はどうですか。
  68. 山元伊佐久

    ○山元説明員 ちょっといま手元にその数字を持ち合わせておりませんが、記憶によりますれば、閣議了解のときと同じベースであったかと思います。
  69. 横路孝弘

    ○横路委員 いままでの議論は、あなた方全部でたらめじゃないですか。四十五年九月のときの見通しを四十六年二月になって変えた。それが延期の理由だという答弁でしょう、いままで一時間議論した結果は。四十五年のときの見通しの数字も四十六年二月五日の閣議了解数字も四十七年三月のときの閣議決定数字も、同じ需要見通しの上に乗っかった数字になっているじゃありませんか。違いますか。大臣、どうですか、でたらめを言っちゃだめですよ。
  70. 中村大造

    中村説明員 確かに長期見通し、昭和六十年、昭和五十年という時点をとらえての長期見通しというものは、特にその当時変更いたしておりません。われわれが判断をいたしましたのは、四十六年の二月時点で一体四十七年がどうなるかということでございまして、四十七年に大型機を入れていいかどうかという判断をしたときに、もう少し先でいいではないかという判断をしたわけで、それが五十年、六十年においてもいわゆる需要の見通しがダウンするのだというところまで考えたわけではございません。
  71. 横路孝弘

    ○横路委員 全日空昭和四十五年の十二月に経営五カ年計画というのを決定していますね。これは昭和四十七年の七月からいわゆるエアバス大型機を三機導入するという機材計画になっております。この基本になった航空需要見通しも運輸省と全く一緒じゃありませんか。昭和五十年度は三千九百万人の需要という見通しの上にこの大型機導入計画を立てていると思いますが、違うでしょうか。
  72. 山元伊佐久

    ○山元説明員 閣議了解で織り込みました数字とほぼ同じものを全日空側も当時は採用していたかと記憶いたしております。
  73. 横路孝弘

    ○横路委員 そして昭和四十五年のこの航空需要予測、それから同時に、航空輸送の現状ということの中で、皆さんの方で路線別のエアバス化及びジェット化の適用年度というのを、幹線以外のいわゆるローカル線についても適用年度は何年かというのをその需要予測に基づいて立てているでしょう。
  74. 山元伊佐久

    ○山元説明員 先生御指摘のとおり、その当時における資料検討段階におきましては、一応の予測はいたしていたかと思います。
  75. 横路孝弘

    ○横路委員 これを見ると、幹線は当然のこととして、ローカル線についても、たとえば大阪−鹿児島間四十六年度エアバス化適用年度、高知の間も四十六年。四十七年、四十八年についてローカル線もほとんどエアバス化適用年度として一応計算しているでしょう。私が指摘したいのは、このとき導入するかどうかじゃなくて、その基盤になった需要見通しの数字そのものが一貫して変わっていないということですよ。これはもう運輸大臣、認められるでしょう。どうですか。
  76. 中村大造

    中村説明員 先ほど申し上げましたように、長期的な需要見通しというものについては変わっていなかったと思います。ただ、それにどのような輸送力をつけるかということについては、これは便数との関係もございます。それから特に大阪空港については特殊な事情もございます。したがって、輸送需要の動向というものと具体的にどのような機材でどのような輸送力をつけるかということは、これはやはり一概には申し上げられないと思いますし、それから長期的な見通しと短期的な見通しというものには若干の食い違いがあるということは否めなかったと思います。
  77. 横路孝弘

    ○横路委員 ただしかし、次官、いま私、お話ししたように、四十五年九月のときにはこの路線はエアバス適合路線ですという形で出されているわけですよ。そのエアバス適合路線の中には、需要見通しでもってこれだけのお客さんがあれば、それはエアバス導入可能だという数字なんですけれども、四十六年、四十七年とずっとこう出ているわけです。だから、それは確かに四十六年、四十七年、年間の違いはあるでしょうけれども、大まかに数字が全然違っているわけじゃないのですから、最初から四十五年、一貫しているんですよ。  だから、先ほど来の皆さんの議論の中では、日本航空の例の747の転用の問題についていろいろ議論がありましたけれども、つまり、あのときの考え方で一貫して行われているということなんですね。ただ、突然四十六年の二月になって、どういうわけかわからないけれども延期方針だけは出てきた、こういうことじゃないでしょうか。
  78. 中村大造

    中村説明員 各エアラインが将来の予測についてやはりそれぞれ相当な強気の予測を立て、また機材計画を立てておったという、そういう事実がございます。それから、各社はそれぞれその全体の需要予測の中で、自分の会社がどれだけ受け持つかという、いわゆる占有率というものについても相当自社に有利な計画を持って、それによって機材計画をはじいている。そういうものを四十六年の二月段階航空局として冷静に見た場合に、やはり四十七年度に各社が従来から考えておるようなテンポでエアバス国内線に同時に入れさせるということは供給過剰になるのではないか、短期的には供給過剰になるのではないか、したがって、四十七年というものはやはり四十九年ごろに入れることでちょうどいいんではないか、こういう判断をしたことは決して不自然ではなかったと思います。
  79. 横路孝弘

    ○横路委員 ただ、航空会社も皆さんと全然違う需要予測を立てておったわけじゃないんですよ。さっきお話ししたように、全日空の四十五年の十二月の五カ年計画の中では三千九百万人ですよ。皆さんの方は四千万人でしょう。それよりちょっと少な目の需要予測に基づいてなおかつ三機四十七年度導入という計画になっているわけですね。  そこでもう一つお尋ねしたいのは、ともかく四十六年になっても、四十六年二月五日の閣議了解空港整備五箇年計画について」の需要予測というのは、四十五年のときと全く同じなんですよ。そこで、さっき大臣答弁がありましたけれども国会でといいますか、正式に表にいわゆるエアバス導入延期という表明がなされたのは、ここにもおられますが、四十六年の二月二十日、田中武夫議員が衆議院の予算委員会の分科会で質問して、それに対する答えとして導入延期という方針が出てきたんですね。  そこで、大臣、お手元のそのときの想定問答集をちょっと手に取ってもらいたいのでありますが、いいですか、質問は、予算の分科会のとき、社会党の場合はみんな紙に書いて出すんですね。田中議員が紙に書いて出した質問項目は、「エアバス導入について政府の見解いかん」こういう質問なんであります。これを輸運省の方で分析をして、「エアバス導入について政府の見解いかん」というその田中議員の質問を皆さんの方は「エアバス導入の時期、機種についてはどう考えているか」というように質問をより具体的になさって答弁を想定されているわけであります。いいですか、大臣、その想定の答弁の中に、実は国会答弁には出てきていないのですが、ちょっと気になる点があるわけですね。そのときの答え、この想定問答集の答えですよ。「わが国国内航空需要の増大および空港混雑の激化に対処するため、国内線大型ジェット機導入する必要があるが、導入時期については大型ジェット機の開発状況空港の整備状況航空需要の動向、航空企業経営へのインパクト等を勘案して慎重に検討して参りたい。」こういう想定の答弁になっているわけですね。  そこで、ここに表の答弁には出てこないんだけれども、いわば裏の答弁として想定されていた中に「導入時期については大型ジェット機の開発状況」という答えがあるんですね。これは大臣、何ですか、この「大型ジェット機の開発状況」というのは。
  80. 中村大造

    中村説明員 この答弁を書きました当時は、まだ世界じゅうどこにも開発されつつあるいわゆる新型エアバスというものがまだ実際にエアラインに就航していない。したがっていわゆる開発途上にあったわけでございますから、そういうものが現実に飛んでどのような状況になるかという、そういうふうな状況も見きわめる必要があるということを心の中に描いて、あのような答弁資料を書いたわけだと存じます。
  81. 横路孝弘

    ○横路委員 あなた、飛行機がエアラインに就航してからでないと、日本航空会社というのは新機種導入しないのですか。全然違うでしょう。
  82. 中村大造

    中村説明員 いろいろ現在の時点で御解釈あると思いますけれども、当時書いた意思は、あるいは当時航空局で持っておった意思というものは、そういう開発途上にある航空機日本がいち早く入れるということについては、やはりもう少し就航状況というものを見た方がいいという考え方があったのは、これはもう当時としては当然のことだと思います。
  83. 横路孝弘

    ○横路委員 それじゃ、ダグラスDC10とロッキードの一〇一一が初飛行したのはいつですか。もう飛行機はでき上がって飛んでいるんですよ、エアラインには就航していないけれども。それはいつですか。
  84. 松本操

    松本説明員 DC10が初めてロールアウトいたしましたのが四十五年の七月、初めて飛びましたのが八月二十九日でございますが、FAAの型式証明をとりましたのは四十六年の七月、航空会社に入りましたのが四十六年の八月でございます。L一〇一一につきましては、ロールアウトいたしましたのが四十五年の九月、初飛行が同じく十一月、こういうことでございます。
  85. 横路孝弘

    ○横路委員 開発状況を見なければならなかった飛行機というのは一つだけだったのではないですか。四十六年二月四日にロールスロイスが倒産をしてからおかしくなっているのですね、大体。これはもうアメリカの証言とぴったり合うわけですよ。だって、DC10にしてもトライスターにしても、一応組み立てが終わって飛行機が飛んでいるわけでしょう。もうこの直後には、DC10については、少なくともアメリカンエアライン、ユナイテッドエアラインに就航するわけですね。四十六年にはもう就航しているわけですよ。このとき開発状況がおかしくなったのはトライスターだけじゃないですか。違いますか。
  86. 松本操

    松本説明員 航空機というものは、初飛行をしたからすぐ使えるというわけのものでもございませんし、また、飛んでからしばらくの間はいろいろ問題があることも御承知のとおりかと存じます。したがいまして、「開発状況をよく見て」というふうに申しておりますのは、二月の時点におきましては、とにもかくにも四十五年にDC10とL一〇一一が両方とも夏から秋にかけて初飛行をしたという、そこでとまっておるわけでございますので、耐空証明等も取得しておりませんし、もちろんエアラインにも入っていないわけでございます。そういうふうな判断をしたのは適当であったと存ずるわけです。
  87. 横路孝弘

    ○横路委員 あなた方が答弁したこの四十六年二月二十日の時点日本航空会社エアバスを決めるとしたら、ロッキードの一〇一一というのは入っていますか。
  88. 松本操

    松本説明員 私ども航空機を決めるわけでもございませんので、仮定のことでもございますし、ちょっと私にはお答えいたしかねます。
  89. 横路孝弘

    ○横路委員 つまり、四十六年二月四日にロールスロイスが倒産をする、二月五日の閣議了解では航空需要予測は全く変わっていない、それが突然二月二十日の日に「大型ジェット機の開発状況」と。だから、ここにポイントがあるわけですよ。あとは何も変わっていないわけです。四十五年以来。変わったのは何かというと、ロールスロイスが倒産をしたという状況だけが変わって、延期行政指導が行われているわけですよ。だから、私は、二月五日から二月二十日までの間にロッキードからの何らかの働きかけがあったのではないかと疑わざるを得ないわけです。  そこで、だれからだれへ行政指導したかわからないといっても、関係者というのはわずかしかいないわけでしょう。航空局長か監理部長監督課長か、あとはそれに関連する何人かの人でしょう。補佐の人を含めて五、六人。お互いにかばい合っていてわからないのではないですか、皆さんの内部の調査では。五、六人のことが、だれが日本航空を呼び出してそういう延期行政指導をしたのかということが、どうしてわからないのですか。
  90. 中村大造

    中村説明員 これはもう、私は関係者一人一人から、しかも何回も詳しく聞いたわけでございます。これは決してかばわなければならない事情はございませんのでして、行政指導をしたことは確かなことで、行政指導をしてよかったと思っておるわけでございます。ただ、残念ながら、だれが行政指導をしたかということは、当時の関係者、この関係者は本当に数人でございますけれども、その記憶に現在ないということでございますから、この点は私は非常に残念でございますけれども、これは事実として申し上げざるを得ない、こういうことでございます。
  91. 横路孝弘

    ○横路委員 それに関与し得る人間というのは何人ですか。
  92. 中村大造

    中村説明員 航空局の中で議論が行われて行政指導ということに移行していくわけでございまして、当然これはいかようにも広くなり得るわけでございますけれども、やはり監理部長監督課長、それから監督課の補佐官と係長、こういうふうなところだと思います。  したがって、そういう者のだれかがやはり意思表示をしたというふうに考えるのがもう当然でございますけれども、その当人が、いつ意思表示をしたかということについて記憶がございませんし、また、それを裏づける資料が残念ながら航空局の中に残っていない、こういうことでございますので、私がたびたび御答弁申し上げているように、日時またはだれがやったかということはわからない、しかし行政指導をしたという事実はもう確かであろう、こういうふうに申し上げておるわけでございます。
  93. 横路孝弘

    ○横路委員 運輸大臣、要するに、運輸省の内部の調査ではもうわからないということですね。本当はきょうまでに、この間の理事会以来皆さんの方で調べてもらうことになっておったわけですけれども、運輸大臣として、もう運輸省の内部では調査できない、それでよろしいですね。
  94. 木村睦男

    木村国務大臣 これは前にも航空局の次長がお答えしておりますように、こういう延期をしたらどうか、そういうことで研究をしてみてくれぬかというふうなところから始まっておるわけでございますので、しょっぱなからこういう行政指導をするぞということでいったわけじゃないわけなんで、したがって、当時としては、航空局全体として大型化導入ということは慎重にやるべきであるというふうな考えを持っておったことは事実でございますから、そういう方面の担当をしております監督課で、そういう空気によって恐らく航空会社に対して四十九年に延ばすとどういうことになるかというふうなことから出始めてきた。それを受けて航空会社の方では、運輸省からこういう話があったということから始まっておりますので、私は、現次官が航空局長時代にいろいろ当時の人について調べたけれども、そういう人たちがはっきりわからなかった、こう言ったのは、やはり実情だろうと思いますし、何らそこに隠すとか後ろめたいとかいうことなしに、率直にそういうふうに当時の人たち考えておった、かように考えております。
  95. 横路孝弘

    ○横路委員 運輸大臣の方でも、もうちょっと中では調べがつかぬというわけでありますから、あと調べるのはこの特別委員会仕事になるだろうと思うのです。  そこでもう一つ。この行政指導に対して、日本航空は反対したけれども全日空が賛成したのはどういうことなんですか。
  96. 松本操

    松本説明員 全日空が賛成した、日本航空が反対したと、こういうふうに申しますと少し言葉が簡単になり過ぎるわけでございますが、日本航空の場合にはLRを持っておった、したがいまして、LRの国内に対する転用ということを考えていた、これがいつでもできる状態に技術的にもその他の条件も整っていた、こういうまず素地がごいます。全日空の場合には、大型機、いわゆるエアバスにしましてもジャンボにいたしましても、これを導入するためには新規に機材を購入し、所要のパイロット、整備員その他を整備して手当てをする、それだけの体制をとらなければならない、こういう問題がございます。新型機の導入につきましては、日航の場合にもほぼ同様ではございますけれども、それにいたしましても、全日空に比べれば多少有利性があるということが客観的に言えるわけでございます。したがいまして、全日空といたしましては、諸般状況から自分のところの能力というものはよく承知しておるはずでございますから、そういったようなことを勘案いたしまして、急いで入れるということについて慎重たらざるを得なかったのであろう、本来的にそういう状態にあった、こう考えられますが、しかしながら、日航の方がLRをいつでも転用できる、こういう状態にあることを考慮すれば、全日空としてはのんびり構えているわけにはいかない、これが当時の客観情勢であった、こういうふうに私は考えます。したがって、そこに、いま先生おっしゃいますようなニュアンスの差が出てきておるというふうな理解が適当であろうかと思います。
  97. 横路孝弘

    ○横路委員 ともかく全日空の方は、四十五年の十二月に四十七年導入ということを前提とした——四十七年の七月ですけれども、夏以降導入ということを前提とした五カ年計画を立てている。ところが、すんなりと皆さんの方の延期行政指導に乗っているわけですね、全日空の方は。日本航空は、きのうの証言にもありましたけれども、非常に不可思議な行政指導変更である、こういうぐあいに日航の朝田社長は言っているわけであります。  そこで、だれに対してだれだかわからないということで、四十六年の六月までそのわからないというのが飛んでしまうわけですね。四十六年の六月に、日本航空に記録があるから初めて、航空局長から何か話があったらしい、こういうことでしょう。
  98. 松本操

    松本説明員 先ほどもお答えいたしましたが、いわゆる行政指導という考え方の方の流れについて言いますならば、四十六年の六月という時点においてメモが渡された、それは航空局長の意向である、こういう注釈つきであった、これは事実でございます。ただし、日本航空について言いますならば、四十六年三月の認可予算という一つの区切りが別の流れとしてあった、こういうことでございます。
  99. 横路孝弘

    ○横路委員 この点は後で田中議員の方からも関連してあるようでございますが、要するに、だれに対してだれが行ったのかわからないということでございますので、これはやはり当委員会として証人喚問して調べていかなければいけないのじゃないかと思います。  そこでひとつ、四十七年の七月一日の通達ですけれども委員会の方に四つほど提起されているわけでありますが、委員会の方に提出をされたそれぞれの資料について、これはどういう経過になっているのか、この四つのそれぞれの文書を、つまり、これは七月一日大臣通達に至る経過になるわけでありますが、佐藤試案、町田試案、それから航空対策特別委員長から運輸大臣あての文書、この関連についてひとつ皆さんの方で説明をいただくことになっておったわけでありますけれども、その解説はこの資料についていないのですね。ひとつそれぞれの資料についてどういう経過でこういう文書が存在するようになったのか、皆さんの方でわかるところはわかる、わからぬところはわからぬという形で明確にしてもらいたいと思うのです。
  100. 中村大造

    中村説明員 まず三月二十二日の自民党航空対策特別委員会に対して運輸省から提出した資料でございますけれども、いわゆる閣議了解の内容を具体化するということについて、運輸省としていろいろ検討をいたしまして、一つの検討のための試案というものをつくりまして、これを委員会に御提出して御説明した。したがって、これがいわゆる検討のまず第一歩であった、こういうふうにお考えいただいていいと思います。これは当日特別委員会においてこの内容を御説明し、またこれは当時プレスにも発表をされておるものでございます。  それから第二番目の、昭和四十七年当時新聞紙上におきまして政務次官案と称されたもののもとになったと推定される文書ということで、非常にややこしい言い方をしておりますが、要するに、これは五月の下旬でございますけれども、いわゆる新聞で佐藤試案という名前で出ておったもののことで、それに相当するものが、内容的に同一のものが役所に資料としてやはりございますので、それを御提出したということでございます。これは私の知る限りにおきましては、三月二十二日の委員会後引き続いて当時の政務次官がいろいろ御検討をされまして、この中身はいろいろ各社エアラインからの要望というものをいわば生のかっこうで取り込んで、それを集大成したようなかっこうで取りまとめたものではないかと思います。これは当時の佐藤政務次官がおまとめになったものでございます。したがって、役所としてこれを外部に発表するとかなんとかいうことは一回もございません。  それから三番目の四十七年当時、これも新聞紙上で当時の町田事務次官の町田試案というかっこうで言われたもののもとになったと推定される文書でございます。これが実はいつごろつくられたかということは判明いたしません。恐らく三月二十二日から五月までの間において運輸省の事務当局の考え方をもとにしてまとめられたものでございまして、この内容は当然佐藤政務次官にも御報告してあった。こういうことで、これも決して運輸省として外部に発表した、こういうものではございません。  それから四番目の自民党航空対策特別委員長から運輸大臣あての表書のある文書でございます。お手元に差し上げてあるもの、これはコピーでございますけれども、これが運輸省の中に存在したということでございまして、これがどういう経過で作成され、どういう経路で運輸省の中に入って保存されてあったかという点については、現在までの調査の結果はまだわからない、こういうことでございます。  いずれにいたしましても、このようないわゆる検討のための資料というものが当時いろいろ省内に存在しておったということで、これは七月一日の通達案というものが決定される過程で、省内でいろいろな検討のための作業が行われておったということを示す一つの資料だ、こういうふうに考えます。
  101. 田中伊三次

    田中委員長 運輸大臣、先ほどから論議になっておる行政指導ですね、四十九年以降が大型エアバスの採用はよくはなかろうかという行政指導をした、だれからだれに指導をしたのかということがくどく尋ねられてもわからぬとおっしゃる。これはお調べになればわかるんじゃないですか。部長か、課長か、課長補佐か、わずか数名のものです。この特別委員会ロッキード問題の真相を究明するために苦心をしておるわけですから、これに御協力をいただいて、当時の担当者はいまどこにおるのか、何でもないことですね。もう一度入念に調べて当委員会で御報告を願いたい。大臣、いかがでしょう。
  102. 木村睦男

    木村国務大臣 先ほど来事務次官が申し上げておるようなことが実態でございますけれども委員長のお言葉でございますから、さらに一層調査はいたします。  ただ、先ほども私ちょっと申し上げたのですが、最初は研究してみたらどうかという程度から始まっておりますので、いわゆる行政指導といえば、先ほど航空局次長が申し上げたように、メモの形で出した、これがいわば行政指導であって、それ以前のことは、私のいまの考えでは、その前提行為で、行政指導とまでいかないものではないかと思いますけれども、そのこと自体についてもよく調べてみたいと思います。
  103. 田中伊三次

    田中委員長 大臣のいまの御答弁を聞いて思うのですが、行政指導というほどのものでなかったということは言えないのじゃないでしょうか。  それはどういうことかというと、四十九年以降に就航さしてはいかがなものかという行政指導をやられた。結果はどうなったのかというと、四十九年の五月からJALANAも両方ともに大型が就航しておるでしょう。言葉をかえると、行政指導をやったとおりが実現しているじゃないか。これはだれがだれにやったかということはわからぬはずはないでしょう。慎重に調べて、ぜひこの真相究明に御協力を願います。わかりましたね。
  104. 木村睦男

    木村国務大臣 承知いたしました。  ただ、ちょっと私、舌足らずの点があったと思いますが、行政指導ではないと言いましたのは、行政指導一つの内容をつくります前に、行政指導といっても一方的にお仕着せというわけにもいまの世の中、できませんので、一応研究してみてくれというふうなことをやったのではないか、こういう意味でございます。
  105. 田中伊三次

    田中委員長 当時の担当者は姓名が明らかにわかっておるのだから、現在それがどこにおるかを調べて、一人一人呼んで調べれば、これはわかります。これはわからぬはずはない。十分調べて回答してくださいよ。
  106. 木村睦男

    木村国務大臣 承知いたしました。
  107. 田中武夫

    田中(武)委員 ここで議事進行で委員長にお願いいたします。  実は、町田君と内村君は、すでにわれわれは証人として理事会へ提出いたしております。しかし、先ほど来問題になりました四十六年二月二十日の答弁というのは、実は私が質問したのであって、そのときの議事録等から見て、ぜひ当時の航空局長の内村信行君を証人として来ていただかない限り、真相ははっきりしないと思います。したがって、この点特に委員長に提案いたしておきます。
  108. 田中伊三次

    田中委員長 御発言ごもっともですから、理事会で慎重に検討いたします。
  109. 横路孝弘

    ○横路委員 もうあと一、二点で松浦代議士の方にかわりたいと思いますが、いわゆる佐藤試案と言われるものですね、いまの御答弁では民間航空会社とそれぞれ調整をされて出てきたようだということでしたが、この内容がこういう形で出てくるということは運輸省は御存じだったのですか。運輸省は全然関知していないことですか。
  110. 中村大造

    中村説明員 当時、佐藤運輸政務次官でございますから、政務次官としていろいろお仕事をされたわけでございますから、当時の運輸省の中で全くそれを関知しなかったということは申し上げられないと思います。
  111. 横路孝弘

    ○横路委員 そういう一般論じゃなくて、具体的に、あなた先ほど航空三社の間をいろいろ調整されたようだというお話だったけれども、その調整に、運輸省でだれか一緒に同行して、そういう調整に当たった人はいるのですか。
  112. 中村大造

    中村説明員 具体的に佐藤政務次官が、先ほど御説明いたしましたようないわゆる佐藤試案というものを作成されるにつきまして、運輸省の事務当局がいろいろと業界の意見のいわゆる集約とかいうことについてお手伝いをしたということはございません。
  113. 横路孝弘

    ○横路委員 そうすると、この経過を知っているのは御本人しかいないということになりますな。運輸省、知らないわけでしょう。
  114. 中村大造

    中村説明員 運輸省の当時の関係者が知っておる範囲というものは、きわめて限られた範囲だと思います。
  115. 横路孝弘

    ○横路委員 そうして、この政務次官案が出るに至った経過について、このロッキード事件が起きて以来、運輸省の方で佐藤孝行政務次官に皆さんの方で事情を聞かれたことはありますか。
  116. 中村大造

    中村説明員 特にこちらからお伺いしたことはございません。
  117. 横路孝弘

    ○横路委員 そうすると、これもやはり本人を呼んできて聞かないと何にもわからぬということになるわけですね。  それから、三番目の町田事務次官案と言われるものもいつできたかわからない、事務当局がまとめたものだろうけれども、三月二十二日から七月一日までの間にできたものである、これはもうあたりまえの話なんで、これも皆さんの方のいままでの調査では全然わからない、こういうように理解してよろしいですね。
  118. 中村大造

    中村説明員 いつ作成されたかということはわかりません。
  119. 横路孝弘

    ○横路委員 終わります。かわります。
  120. 田中伊三次

    田中委員長 松浦利尚君。
  121. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 まず、いまの質問に関連をしてお尋ねをするのですが、きのう朝田日航社長にも質問したのでありますが、当時航空業界に変なうわさが立っておる。それは、いま事務次官から御説明がありましたように、いろいろな怪文書が乱れ飛んでおった。そのことはもう完全に、日航にしても全日空にしても東亜国内にしても、これはおかしい、混乱をしておるということは言われておったのであります。  そこで、具体的にお尋ねをするのでありますが、実は最も摩訶不可思議なのが、この四十七年五月二十六日に全日空が要望書を出しておるわけであります。もちろん日航も東亜国内航空もそれぞれ要望書を出しておるのでありますが、この全日空なり日航の要望書が航空局にファイルされておりますでしょう。その資料がこれでございましょう。きょういただいたこの資料でございましょう。間違いありませんか。
  122. 中村大造

    中村説明員 全日空の要望書というものは全日空から航空対策特別委員会の方に提出されたものであって、これは運輸省に提出されたものではございません。
  123. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 そうじゃないのです。この要望書が自民党の航空対策特別委員会に出されておることは知っておるのです。しかし、それがおたくの方にも、運輸省の方にもファイルされておるでしょう、航空局の方に。あるでしょう、これは航空局に。
  124. 中村大造

    中村説明員 全日空委員会に提出した全日空の要望書というものは、資料として運輸省の中にも存在いたしております。
  125. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 そのファイルされておるそのファイルと、それから今度は、自民党の航空対策特別委員会委員長名で福永一臣さんが当時の運輸大臣に「航空企業の運営体制に関する件」として六月二十六日——例の四十七年七月一日の大臣通達の裏づけになったと世間で言われておる四十七年六月二十六日の文書、これと比較されたことはありますか。
  126. 中村大造

    中村説明員 当時比較したかどうかということはちょっとわかりませんのですけれども、私は、今回このような問題が起こってから比較してみた次第でございます。当時の航空局においてそういうものを比較して検討したかどうかということはちょっとわかりません。
  127. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 この全日空の要望書とこの福永さんの出された大臣への文書とを比較されたはずなんですよ。それで航空局内部では、どうもこれはおかしいぞという意見が出たはずなんですよ。それは間違いないんです。いま、だれが私にそういうことを言ったかということを私はここで言うつもりはありませんけれども。実際にこれが出されてきたときに比較してみられて、これはおかしいぞというふうに航空局内部でも議論なさったはずなんです。そういうことは絶対ないですか。     〔委員長退席、谷垣委員長代理着席〕
  128. 中村大造

    中村説明員 六月二十六日の文書というものがどのようにして運輸省の中に入ってきて監督課に存在しておったかという、そのいわゆる入手経路というものがよくわからないわけでございまして、当時、ただいま申し上げましたように、全日空の要望書との関連ということでいろいろ議論をしたかどうかということは、これはわれわれ現在の調査能力では、それに疑問を持ったというような徴候は全くないわけでございまして、最近になってわれわれとしてはそういうものを読み返してみた、こういうことでございます。
  129. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 事務次官、読み返してみられまして、この前文と全日空の要望書の前文の中では、てにをはが違うだけでございましょう。「行った」というのが「行ってまいりました。」とか「である。」が「であります。」とか、そういう表現の違いでしょう。いま考えておかしいと思われますか。なぜこんなことになったのか、おかしいといまは思っておられますか。
  130. 中村大造

    中村説明員 六月二十六日の文書がどういうふうにして作成され、どういうふうにして入ってきたか、そもそもからが運輸省としてはよくわかりません。したがって、とにかく全日空の要望書の前文と全く酷似して文章がそこに書いてある、そういう事実を事実として認める以外にないと思います。
  131. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 大臣、四十七年七月一日の通達文書ですね、行政文書、その文書をつくられた立案はどこで一番最初にされておると御報告を受けておられますか。七月一日の文書を一番最初に立案した人は、起案者はだれですか、原案者ですね。
  132. 中村大造

    中村説明員 これは監理部監督課でございます。
  133. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 監理部監督課のどなたですか。
  134. 中村大造

    中村説明員 企画係の担当者が起案をいたしております。
  135. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 運輸省もやはり起案者からずっと印鑑を押していって、最後に大臣のサインをもって文書成立でしょう。その起案のあれをこの委員会に出していただけますか。各担当者が署名して、その上の係長、課長、部長、局長大臣、こういうふうにして書類の作成ができ上がるはずですが、その起案をした文書ですね、この上の文書、それをこの委員会に出していただけますか、原案、かがみを。
  136. 木村睦男

    木村国務大臣 決裁文書のかがみでございますから、出せます。
  137. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 それでは本委員会にそのかがみが出されたときに議論をさせていただきたいと思います。
  138. 木村睦男

    木村国務大臣 いま開きますと、そういう書類一切、検察庁に行っているそうでございますので、ちょっとお待ちいただきたい。
  139. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 委員長に要望いたしますが、かつて予算委員会議論をしましたときに、検察と委員長とで話をしていただいて、委員会に出せるものについては検察側は協力する意味で、丸紅のレポートとかいろいろな書類を予算委員会に出された経過を持っているわけですが、いまの起案、文書のかがみはそういった意味で非常に重要なんです。だれがこの問題にタッチしたかという意味で、われわれが知る上で非常に重要ですから、いま検察の手に渡っているそうですが、ぜひ委員長から話をしていただいて、本委員会に提出できる運びをしていただきたい。よろしいですか。
  140. 谷垣專一

    ○谷垣委員長代理 検察当局に入っているという状況になっておるようでありますから、理事会でひとつ御相談をいたしまして、そしてやっていきたいと思います。
  141. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 それからさらにもう一点、横路委員に補足して質問いたしますが、四十五年の例の日航に対してボーイング747LRの三機国内線転用について大蔵省と打ち合わせをなさいました。そのときに大蔵省の方から具体的に返答がなされて、最終的に十一月三十日に許可がおりておるわけであります。文書発送は十二月二日でありますけれども、その大蔵省からの返答文書ですね、大蔵省と運輸省との合議文書といいますか、その文書は本委員会に提出できますか。
  142. 中村大造

    中村説明員 そのような関係の資料もすべて検察庁の方に提出済みでございますから、どのような御処理にされますか、委員会の方で御検討いただきたいと思います。
  143. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 それでは事務次官、それは事務当局の方でも結構ですが、大蔵省からついた三項目というのは、どういう項目でしたか。
  144. 山元伊佐久

    ○山元説明員 お答え申し上げます。  大蔵省の方からの申し入れは、私の記憶によりますれば四点あったかと思います。  一つの点は、当時四十六年度の予算編成作業の過程にございましたので、今回の航空機の取得を認めたからといって、四十六年度の予算に要求いたしておりました出資あるいは政府保証債の発行をいまの段階でその必要のために認めるというものではないですよというのが第一点でございます。  それから第二点は、航空機の購入につきましては、当時代金の八〇%は米国の借款によっていたわけでございますけれども、そのうち米国輸出入銀行からの借款につきましては、当時の状況としましては米国側でドルが減りつつある状況でございましたので、米国の借款が必ずしも従来どおりやれるかどうか、やや不安定な状況にあったわけでございます。その点につきまして大蔵省の方は、米国輸出入銀行から借款が得られないというようなことになった場合でも、財政当局に対しましてしりを見てほしいというようなことについて、この段階でそれは十分心得ているというわけにはいきませんよという点であったかと思います。  それから第三点は、仮にジャンボを将来国内線転用するというようなことがあった場合に、東京−大阪につきましてはそれは避けてほしいということでございました。その理由といたしましては、国鉄新幹線の輸送力の問題もあり、財政当局としてはその航空機の輸送力がふえることによって国鉄に何らかの影響が出るということは、財政上影響を及ぼすかもしれないという配慮があったかと思います。  それから第四点は、東京−大阪の航空機の便数については、当時の飛んでいる便数で凍結をしてほしい、こういうような趣旨の要望であったかと記憶いたしております。
  145. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 これはきのうも指摘をいたしましたが、四十六年六月十日の全日空の開発本部長であった渡辺さんの第六回経営システム講座の要約をしたものでありますが、この中に非常に重要なことを発言しておられるわけです。いまの大蔵省の関係を裏づけておるのですが、「最近日本の手持ドルが増えてきたということで、大蔵省が中心になり外国から物を買うときに、わざわざ外国から借金することはない、日本にドルがあるのだから、そのドルを使えと真剣にいい出し、日航が先ず矢面に立たされています。わが社としても四七年度の機材計画政府に出せば、当然そういうことを言われるだろう。政府がもっているドルを開発銀行を通して貸し出すというような方法をとるとか、他にいろいろな方法があろうが、日本で借りると手続も面倒になり、金利も高くなるおそれがあります。」     〔谷垣委員長代理退席、委員長着席〕 こういったことを言っておられるのですね。このことが突然例の輸銀法の改正というものに結びついていくわけですよ。輸銀法が改正をされる、航空機というものが入っていくわけですね。  ですから、この際、本委員会にいま言った大蔵省と運輸省との合議文書、いま検察の手に渡っておるそうですが、これも私は検察側が許せば、委員長が検察側と相談をしていただいて、ぜひ本委員会にこの資料も委員長の手でお出しをいただくように考えていただけないだろうか、こういう点を委員長にお願いしたいと思うのです。
  146. 田中伊三次

    田中委員長 重要なお申し入れでございますから、理事会で慎重に検討いたします。
  147. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 いまの二点の文書が提出されましてから、また後刻質問させていただきます。  これは事務次官で結構ですが、きのう例の日航のオプションの問題でいろいろと議論をしたのでありますが、四十四年当時航空機業界は売り手市場だったのか買い手市場だったのか。当時の状況航空機メーカーの売り手市場であったというふうに私たちは航空局の皆さんや航空会社から聞いておるわけでありますが、当時の状況としては売り手市場だったという点について、運輸省としてはどういうふうに判断しておられましたか。
  148. 中村大造

    中村説明員 売り手市場であったか買い手市場であったかということは一概に申し上げられませんけれども、四十四年、四十五年当時は非常に新機材開発中で、それに対する引き合い、いわゆる注文が多かった。したがって、それの現実の引き渡しまでの時期というものは相当長期間を要する、こういうふうな状況であったわけでございますから、そういう意味ではいわゆる売り手市場というか、要するに、非常に注文が多かった、こういうことは言えると思います。
  149. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 当時日航全日空も四十七年度に大型機導入するということについては運輸省は御承知だったわけでしょう。
  150. 松本操

    松本説明員 四十四年の時点におきましては、先生いまおっしゃったようなことを運輸省承知していたとは思いません。
  151. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 四十五年になっては承知しておられますか。
  152. 松本操

    松本説明員 四十五年の九月になりますと日航長期計画ができ、四十五年の十二月には全日空長期計画ができ、四十五年の一月には全日空機種選定委員会ができておるわけでございますから、そういうふうな意味で四十七年というものが事業者の間では一つの目標になっておったろうというふうには承知していたと思います。
  153. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 運輸省の方も御承知だったはずなんです。  そこで、これは事務次官にお尋ねをいたしますが、売り手市場であったということは、機材導入を四十七年度に設定するということになりますと、売り手側の納入時期というものに合わせざるを得ない。買い手側の方がこういうふうにしてくれと言っても、売り手の方でそれなら何月何日に納入契約をしてくれなければ困るというふうに言ってくるわけです。売り手の市場ですから。だから、そういう場合に四十七年度に導入するということになれば、四十四年の一月から五月にかけてどこの機種が該当するというふうに思われますか。
  154. 松本操

    松本説明員 四十五年の一月当時の時点におきましては、まだDC10もL一〇一一もロールアウトと申しまして工場から出てきておりませんので、いろいろな計画は持っておったと思います。
  155. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 四十四年当時DC10は世界でどれくらいオファーされましたか、何機。ぼくは運輸省で聞いたんだ。あなた首ひねるけれども運輸省航空局でぼくは教えてもらったんですよ。
  156. 松本操

    松本説明員 ちょっと詳細な資料を持っておりませんので、私、お答えいたしかねます。
  157. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 当時、四十四年の初めに百四十機オファーされておったんですよ。それはおたくからぼくは教えてもらったんです。なぜそういうふうに急にまた貝のようになるのですかね。教えてくれたんだから、あなた、それくらい言っていいんじゃないですか、何ということないんだから。  ですから、当時ダグラスという、DC10というのは非常に人気のいい機種で、要するに次代を担う大型機として、エアバスとしてはDC10に殺到しておった。ですから、そういうことを考えると、日航が四十四年一月から四月にかけて機種選定をするときに、DC10というものについて日航が気持ちが動いておったことは事実なんですよ。  四十四年一月から七月にかけて日航大型機導入について検討を加えておるということは運輸省は知っておりましたか、全く知らなかったですか。
  158. 松本操

    松本説明員 四十四年の初期の段階では運輸省承知はしていなかったと思います。
  159. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 承知しておられなかったと思いますでしょう。大体航空機業界がどういうことをしておるかということについては、監理部あたりあるいは監督課あたりは十分連絡し合っておるのですか。連絡し合っておるのじゃないですか。そういうことは全く抜きにして、勝手におまえらやれ、おれの方は知らぬ、決まったら出てこい、こういうことじゃないでしょう。少なくとも四十六年二月以降のきわめて密接な接触の過程を見ますと、四十四年についてもそういう接触はあったと思う。どういう機種を採用せよとかなんとかということは干渉になるけれども、少なくともどういうことをしておるかということはお互いに連絡があったというふうに思うのですよ。それを私は知りませんということ自体は、全くそれは運輸省というのは何をしておるのですか、航空局というのは。
  160. 松本操

    松本説明員 四十四年の初期の時点においては、もちろん次の航空機を何にしようかというふうなことについて日航日航なりに研究をしておるというふうな程度のことはあるいは承知をしておったろうと思います。しかし、具体的に何をどういうふうにしてどういう議論を進めているかというふうな、詳細についてまで当時承知しておったというふうには考えていないわけでございます。
  161. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 次長さん、余り先々を考えなくていいのですよ。そういう動きをしておったことを知っておったかというだけで、どんな機種をいつ入れるとかなんとかということまで私は質問しておらないですよ。動きを知っておったかということだけ聞いておるわけだから、そういうことを知らずに私は航空行政というのは成り立たないと思うのです。  四十四年の七月二十五日、松尾前日航会長がもう白紙にしたということについて、そのことは知っておられましたか、そのことも知らなかったですか。
  162. 松本操

    松本説明員 当時それが新聞等で報道されたかどうかまでは私よく存じておりませんけれども、今回の調査でそういうことがはっきりしたわけでございまして、その当時の時点でどれほどまでのことがわかっていたかということになりますと、ちょっとこれは私、明確にはお答えいたしかねます。
  163. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 これは大臣、私はもっと運輸省の方も調べていただきたいと思うのです。当初、四十七年に新型の大型機導入するとすればDC10しかなかったのです。ですから、日航としてはDC10については三機についてもうオプションの直前ぐらいまでいっておった、あるいはオプションしておったかもしれない。しかし、いろいろクレームがついたために、日航は現在手持ちの国際ジャンボ747LR国内線転用する。しかし、全日空日航は競合しておる路線ですから、新しい機材導入しなければならない全日空について、四十七年導入ということになればDC10を大庭さんに採用したらどうか、そうすると、日航は四十七年度からジャンボ全日空DC10で同じところで発車できるじゃないかという動きがあったと私は思う。  もう時間がありませんから、最後に一点だけお尋ねしますが、運輸省が同一機材、同一機種でなければならぬということをぜひ希望として業界を指導したのは、いつをもって初めとするのですか。
  164. 松本操

    松本説明員 エアバスにつきましては、同一機種、同一機材でならねばならないというふうな強い指導というふうなことをしたことはございません。ボーイング727の導入の前の時点、ですからいまからもう十何年か前になりますが、その時点においては、両者が十分協議をして同じ機材を使うようにしたらどうかということについて相当の行政指導をし、その結果727という共通機材が使われるようになった、こういういきさつでございます。
  165. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 それでは、渡辺さんが、四十五年全日空日航運輸省から話があり、大型機を競り合って入れるというのはまずいから、入れる時期については両者で十分に相談をし合い、できれば同じ時期に入れるのが望ましい、機種については運輸省は干渉しないができれば同一機種がベターである、四十五年にこういう指導を受けた、これは渡辺さんがうそを言っておるのですか。
  166. 松本操

    松本説明員 いままさに先生おっしゃったとおりでございまして、できれば同じ機種がベターである、こういう趣旨であったわけでございますし、それに基づいて両者の間で何回か議論が行われたことも私ども承知はしております。
  167. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 やはり指導しておるじゃないですか。ベターであるという指導をしておるでしょう。同一機種、同一機材が望ましい、そういうことを言っておるじゃないですか。あなたさっき、そんなことは十年前ボーイング社のときだと言っているじゃないですか。  委員長運輸省質問を正確に聞いて的確に答えてもらわないと、時間だけたってしまいますよ。資疑終了の文書が来ておるから私はこれで質疑をやめなければならぬ。こういう審議なら幾ら時間をかけたって同じですよ。やっぱりもっとまともに正確に答えてもらわないと、何か歯に衣を着せれば着せるほど、運輸省はおかしい、怪しい、灰色だ、こういうことをみずから実証することをわれわれに印象づけるだけですよ。私はその点を委員長に強く希望して、もう時間だそうですから、何か反論があったら反論してください。終わります。
  168. 田中伊三次

    田中委員長 それでは、中村事務次官からお答えを願います。
  169. 中村大造

    中村説明員 できれば同一機種が望ましいという運輸省方針というものは、たしか昭和三十七年だったと思いますけれども、それ以来変わっておりません。同一機種が望ましいということは変わっていないわけでございます。ただ、これは事業者同士でよく話し合い、同一機種になればそれがいいし、いろいろな事情でできなければそれはやむを得ないわけでございまして、したがって、同一機種が望ましいという運輸省方針がずっとあったということは、私はそれがなくなったというふうには言ってないわけでございます。
  170. 松浦利尚

    ○松浦(利)委員 これは渡辺さんの全日空から出た資料ですよ。四十五年に運輸省からそういう話があった、だから全日空日航と話し合った、こう言っておるのです。  それじゃ、だれがこういうふうにしたのか。恐らく運輸省はわからないと言うだろうと思うのです。行政指導を受ける側はわかっておるのですよね。わかっておる。あなた方がわからぬとこう言うのだから、この際、こういう問題も含めて、ぜひ今後の証人の中にこういった不明確な点の人たち証人として呼んでいただきたい。特に渡辺全日空社長ですね、こういった人たちを呼んでいただきたいということを希望として申し上げます。
  171. 田中伊三次

    田中委員長 それでは、午後一時まで休憩をいたします。     午後零時十五分休憩      ————◇—————     午後一時二十分開議
  172. 田中伊三次

    田中委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  この際、御報告をいたします。  去る六月二日本委員会証人として出頭を求めました福田太郎君は、病気のため不出頭の届け出があり、その取り扱いについて理事会において協議中のところ、本日午前六時死亡されましたので、御報告を申し上げます。  ロッキード問題に関する件について資疑を続行いたします。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。まず、中島武敏君。
  173. 中島武敏

    中島委員 まず、大臣にお伺いしますが、昭和四十五年の初めごろエアバスの四十七年度導入を決めたとすれば、機種は何になったと思われますか。
  174. 松本操

    松本説明員 四十五年の当初に決めたとすればという仮定の御質問でございますが、その当時だれがどういう趣旨で決めるかよくわかりませんので、お答えいたしかねるようなことではないかと存じます。
  175. 中島武敏

    中島委員 当時どういうふうに決めたかということよりも、いま振り返ってみて、当時の状況のもとで四十五年の初めごろに導入を決めたとすれば、一体機種は何になったかということについてのお伺いなんです。
  176. 松本操

    松本説明員 あくまで仮定のことでございますので、何とも御返事がむずかしいのでございますが、四十五年の初めの状況ということでございますと、まだ飛んでおりましたのはいわゆる747のLRだけでございまして、あとはDC10もL一〇一一も生産中でございまして、いわゆるロールアウトという状況にもなっていない状況でございますので、どれを決めたかというのは、恐らくカタログなどを議論しながら決めざるを得なかったということじゃないかと思います。
  177. 中島武敏

    中島委員 きのう三井物産石黒氏にこの場で証言をしてもらいました。これはすでに御存じと思いますが、そのときの発言によりますと、全日空におきましては大庭社長が四十四年の七月、ここでDC10を三機確定発注し、四機オプションをされた、それから四十四年の九月には確定発注が四機、それからオプションが六機、さらに四十五年の十月、ここでは社長はかわっておりましたが、確定発注六機、それからオプション四機ということをアメリカ三井物産の方でやられた、こういうことをきのう証言されておるわけですね。ですから、これはもうすでに当時であれば、全日空DC10を発注しているという状況を非常にはっきり示しておると思うのですね。それからしばらく前に、全日空の前社長である大庭氏にこの場に来ていただいて証言を求めた。このときの大庭証言によりますと、「日本航空としましては、もしも使うとすればDC10だということになっていたと思いますし、私もDC10でございます」、こういうふうに言っておられるわけで、これはすでにもう皆さん御存じのところだと思うのです。  そうだとすると、このときはもし機種を決めるということになればDC10であったのじゃないか、それ以外には考えはなかったのじゃないかと思うのですが、いかがですか。
  178. 松本操

    松本説明員 DC10についていま先生おっしゃいましたような証言がいろいろあったことは承知をいたしておりますが、DC10の中にも、御案内のように、DC10−10型、30型、40型、いろいろございます。10型の方は足が短い、40型のいまJALが使おうとしておるものは足が長い、こういろいろ違いがございます。しかもJALの場合と全日空の場合は路線構成も異なっておりますので、その間の事情などを考えますと、当然DC10であっただろうという先生の推論でございますけれども、私としては、そうでございましたでしょうとお答え申し上げるほどの自信は持てない次第でございます。
  179. 中島武敏

    中島委員 昨日わが党の三浦議員が同じくこの場で発言をしまして、わが党の調査によれば、日本航空も四十四年の七月以前に三機確定発注をしている、三機オプションをしているということです。朝田日航社長はこれを肯定しませんでしたけれども、しかし、これは動かしがたい事実だと思うのです。すでに全日空では当時機種選定準備委員会がもう発足をいたしておりまして、これは一月に発足しています。それで二月にはアメリカに調査団を送っている。そのときにはもう記者会見をして、三月末までに決めたいということを当時の若狭副社長は発言をしておるわけです。運輸省は当時機種はばらばらでよいという考えであったかどうか。統一する方がよろしい、望ましいという考えだったのではありませんか。
  180. 松本操

    松本説明員 四十五年ごろにおきまして、運輸省としてできることなら機種を統一する方が望ましいという考え方を持っておったことは事実であると思います。
  181. 中島武敏

    中島委員 お聞きのように、運輸大臣、やはり当時、これは四十五年初めごろ、もしエアバスの四十七年度導入を決めるということであれば、DC10にならざるを得なかった、これ以外にはないと思うのですね。いろいろいま次長の方から御発言ありましたけれども、しかし、こうならざるを得なかった、現実もそういうふうに動いていたということは動かしがたい事実だと思うのですが、大臣はどうですか、そうお考えになりませんか。     〔委員長退席、大橋(武)委員長代理着席〕
  182. 木村睦男

    木村国務大臣 当時のああいった大型航空機の生産状況は午前中の御質問で次長がお答えしたような状況下でありますので、実際問題として四十五年の時点大型機を運航に使うといえば、そのときに間に合い得る状況にある機種しかない、これは言えると思います。
  183. 中島武敏

    中島委員 それは何機種であったということになりますか。
  184. 木村睦男

    木村国務大臣 それはダグラスの方が先にできておるようでございますから、そうなると思います。
  185. 中島武敏

    中島委員 これはDC10以外にないということははっきりしていると思うのですね。これだけ客観的な事実がそういうふうに働いておりましたし、もう疑いのないところではないかと思うのです。  続けてお尋ねしますが、四十五伸五月二十六日に当時の橋本運輸大臣航空業界の再編成を示唆する記者会見をやられた、このことについては御存じだと思いますが、いかがでしょう。
  186. 中村大造

    中村説明員 承知いたしております。
  187. 中島武敏

    中島委員 その二日後の五月二十八日に土川名鉄の社長全日空の取締役でもありますが、いわゆる航空業界再編成問題について橋本運輸大臣に会っての上での話として記者会見をやっておられる。いわゆる運輸大臣試案を発表された。このことについても御存じだと思いますが、いかがでございますか。
  188. 中村大造

    中村説明員 そういう事実は存じません。
  189. 中島武敏

    中島議員 この事実については、当時新聞でもお読みになっておられないという意味でございますか。
  190. 中村大造

    中村説明員 そういう記事が新聞にあったということを最近になって承知いたしましたけれども、そういう事実があったということは存じません。
  191. 中島武敏

    中島委員 当時からずっと携わっておられる方の発言としては、もっと知っておられたんじゃないかというふうに私は思いますが、これの特徴ですね、これはどういうところにあったか。いわゆる運輸大臣試案ですね、それはそういうふうに勝手に名前をつけさしていただくのですけれども、これはどういうところに特徴があったかということについて、重ねて最近調べられて、どういうところに特徴があったというふうにあなたは思っていらっしゃいますか。
  192. 中村大造

    中村説明員 五月二十六日だと思いますが、当時の運輸大臣が従来の航空政策について見直しをする、こういうことを新聞で発表されたわけでございます。それに基づきまして、六月に運輸政策審議会に諮問をいたしまして、その結果四十五年の十一月、いわゆる閣議了解として定められました新しい運輸基本政策というものが発表されたわけでございまして、したがって五月二十六日——五日か六日だと思いますけれども、運輸大臣が発表いたしましたことは、従来のそういう政策を基本的に一度考え直してみる、こういうことを申したことは新聞紙上でも明らかでございます。
  193. 中島武敏

    中島委員 当時の新聞報道によりますと、この特徴というのは、あなたまともにお答えになっておられないけれども、二つあると思うのですね。それは東亜と国内航空の合併ということをはっきり言っておられるようであります。もう一つは、やはり全日空の近距離国際線に対する進出ということで、俗に言う二社方針から三社方針に変えるという話ですね。これを名鉄社長が運輸大臣に会った上でのこととして当時記者会見で発表をしておるわけであります。  それで、もう一つお伺いしたいと思うのですが、いわゆる閣議了解航空企業の運営体制について」、これが四十五年十一月二十日に閣議了解として決められている。これと四十一年の五月二十日、つまりこのときの閣議了解航空企業の経営基盤の強化について」、いずれもよく御存じだと思いますが、これの違いの特徴はどこにあるでしょうか。
  194. 松本操

    松本説明員 四十一年五月の閣議了解におきましては、ローカル運営会社の経営悪化ということを踏まえまして、日本航空日本国内航空が将来合併することを前提にして運営の一体化を図る、またローカル線の運営企業の幹線運営企業への統合を促進する、こういうふうなことが基幹になってございます。この方針のもとに日本航空日本国内航空との幹線運営の問題と、全日空と東亜との合併の問題と、この二つが大きな柱になって出てきておりまして、俗に言われております一社二社というふうないま先生おっしゃったような言い方がされておったかと思います。  それに対しまして、四十五年に定められました運営方針と申しますものは、国内航空輸送の需要の伸びその他を受けまして、航空企業のありようというものを新たに変えたわけでございます。その中におきましては、国内線につきまして日本航空、幹線にこれが入ります。全日空、この二社のほかに当時の東亜航空と国内航空、これが合併して新しい会社ができる。つまり国際は一社、国内は三社、いわゆる俗に言いますところの一社三社体制になる。  これに対しまして、当時非常に問題になってきておりました外国のチャーター攻勢というものも踏まえまして、輸入機材を活用し、わが国機材による旅客の積み取り比率を高めるということを念頭に置きまして近距離チャーターという問題が出てきておる、こういうふうに考えてよろしいかと思います。
  195. 中島武敏

    中島委員 いま言われた二社方針から三社方針に変えるということ、それからさらに航空機ジェット化大型化という問題を推進するということも新たに出てきている、あるいは一路線二社方式ということも出されてきている、あるいは全日空の近距離国際線への進出というようなこともうたわれているわけであります。非常に大きな従来の方針の転換というものが行われたと思うんですね。この点は確認するまでもないことだと思うんです。  ところで、もう一つ引き続きお尋ねしたいのですが、東亜と国内航空の合併、この動きはいつから始まったというふうに認識しておられますか。
  196. 松本操

    松本説明員 四十一年の閣議了解に基づきまして、全日本空輸と東亜航空との合併ということが一つの柱になっておったかと思いますが、それに関しましては四十一年の時点では、四十二年を目途として合併するという動きがあったわけでございます。四十四年になりまして、重ねて全日本空輸及び東亜航空両社から合併に向かって努力をしてまいりたい、こういう意見の表明があったわけでございます。その後も引続きまして合併条件についての話し合いが進められておったわけでございますけれども、どのような合併比率にするかということについての詰めがなかなかつきませんで、四十五年になりましてからこの合併の問題というのが非常にむずかしくなってきた。いずれはこれは困難な状態になるのではないか、こういうふうに考えられるに至ったわけでございます。それとの関連で東亜と国内との合併という別の話がそこに出てきた、こういうふうに理解してよろしいかと思います。
  197. 中島武敏

    中島委員 私がお尋ねしているのは、東亜と国内航空の合併の動きはいつから始まったかということです。
  198. 山元伊佐久

    ○山元説明員 お答え申し上げます。  先ほど次長が申し上げましたように、四十一年の閣議了解に基づきまして全日空と東亜国内航空の合併が推進されてきたわけでございますが、合併比率の問題で折り合いがつかなくなりまして、四十五年の六月十二日に東亜と全日空両社の社長から運輸大臣あてに白紙還元にしたい、こういう申し出が出てきております。
  199. 中島武敏

    中島委員 私が聞いているのは、東亜と国内航空の合併の動きはいつから始まったかということをお尋ねしているんです。
  200. 山元伊佐久

    ○山元説明員 したがいまして、先生質問の動きにつきましては、これは推測でございますけれども、その前後あたりから始まったのではないかと推測されるわけでございます。
  201. 中島武敏

    中島委員 その前後とは、一体何年の何月でございますか。
  202. 山元伊佐久

    ○山元説明員 四十五年の六月十二日に、全日空と東亜国内航空から正式に合併を白紙還元にしたいということで運輸大臣あてに意思表明がされておりますので、その前後あたりから日本国内航空と東亜航空との合併に関する話し合いが始まりかけたのではなかろうかと推測されるわけでございます。
  203. 中島武敏

    中島委員 まともに答えていただきたいのですね。まじめにお尋ねしているのですから、まじめにお答えいただきたいと思うのです。  私の方から申しますけれども、四十五年の六月一日に国内航空の大株主である東急の松田取締役と東亜の佐野会長が合併について基本的に合意したということが、当時の新聞で報道されております。そしてここから急速に東亜と国内航空の合併の交渉が始まったわけであります。これは運輸省としてあいまいに答弁してもらっちゃ困るのです。きちんとお答えいただきたいのです。
  204. 山元伊佐久

    ○山元説明員 ただいま先生が御指摘になりました新聞の記事が出ているということは、私も承知いたしておりますけれども、どういう状態で両社の話が進んでいるかということは正確には承知しないわけでございます。したがいまして、私が先ほど申し上げましたように、六月十二日に従来の方針についての話がつかないから白紙還元にしたいという正式の申し出が運輸大臣に出されたということを申し述べたわけでございます。
  205. 大橋武夫

    大橋(武)委員長代理 ちょっと待ってください政府委員に御注意申し上げますけれども、皆限られた時間内で質疑をいたしておりますので、質疑に対しましては簡単、的確に御答弁をお願いいたします。
  206. 中島武敏

    中島委員 これは本当にまともに答えていただきたいのですけれども、確かに新聞報道ではそういうふうにやられていることについて承知しておられるということであります。これは運輸省として当然承知しておられたと思うのです。  ところで、これは四十一年五月二十日の閣議了解の線とは全く異なる合併の動きではありませんか。そのことはお認めになるでしょう。
  207. 松本操

    松本説明員 四十一年の閣議了解の期待していた結果とは異なっております。
  208. 中島武敏

    中島委員 それに対して運輸省はどういうふうに対処されましたか。
  209. 松本操

    松本説明員 先ほど私、御答弁申し上げましたように、しばしば、東亜とそれから全日空とは合併するつもりでやっております。こういう意思の表明がありましたので、それをぜひそのように実現してほしい、こういう趣旨を申し述べておったわけでございますが、いま先生が逐次御解明になったようなことで、だんだんとそれが客観的にむずかしくなってきておるということを踏まえまして、そのような状態で、さらにそのほかにもいろいろと航空業界の変化が起こってきておりますので、そういうものを踏まえましたものが六月の諮問という形へ移行していった、こう理解しております。
  210. 中島武敏

    中島委員 つまり、そういう合併の動きについては、情勢が変わってきたからということで目をつぶっておられた、それが当時の運輸省の態度であったというふうに理解してよろしいですか。合併の話がどんどん出てくる、どんどんそれが基本的な合意がされ、交渉がずっと詰められていくということがかなり急ピッチにこの時期はやられているようでありますが、それは当然、さっき申し上げたように、以前の方針から見ればまるきり違う合併の話が進行していっておるという現実なんですけれども、それはやむを得ないものとして黙認されておった、これが運輸省の当時の見解、当時の考えであったというように理解してもよろしいですか。
  211. 松本操

    松本説明員 四十四年の末ごろまでの間におきましては、現に四十四年八月に両社からなお合併に向かって努力を続けたい、こういう意思の表示があったわけでございますから、当然運輸省もその方向に沿ってこれを助長するような方途をとっておったと思います。四十五年になりましてから合併比率の問題がこじれて、なかなかこの合併がうまくいきそうもない、あわせまして、四十五年前後から起こっております非常な航空業界の変化というものを踏まえまして、先ほど監理部長がお答えを申し上げましたように、四十五年の六月十二日にはもうこの合併はどうにもなりませんということを正式に意思表示をしてきた、そういうことを踏まえて次のステップに入った。ですから、単に放置して何もしていなかったということではないと私は思いますが、しかし、いろいろと努力をしてまいったにもかかわらず、客観情勢としてどうにもこの合併は望みがなくなってきたという事実だけは私どもとしても認識せざるを得なかった、こういうことであると思います。
  212. 中島武敏

    中島委員 そうでしょうか。四十五年の四月十三日に衆議院の決算委員会で、当時の佐藤総理も発言しておられる。また、橋本運輸大臣も発言をしておられます。ここでは、やはり佐藤総理としては従来の方針を続けていきたいということを言っておられる。それから橋本運輸大臣も同趣旨の発言をして、しかも全日空と東亜の合併、この問題については東亜は承諾しているというふうに発言をしておられるわけであります。これが四十五年の四月十三日時点での話なんです。ところが、さっき申し上げましたように、橋本運輸大臣の業界再々編成の発言というものは五月二十六日。わずか一月の間におよそ間違った見解が出されておるわけであります。これが客観的な事実なんですね。四十五年四月十三日にはやはり従来の方針を堅持するという態度をとっておられて、それでこの一月の間に政府の見解、方針というものがやはりがらり変わるということを示すのじゃないかと思うのですが、この点で、一体政府方針はどこから変わったというふうに考えればよろしいのか、この点について伺いたいのです。
  213. 松本操

    松本説明員 先ほど私、お答え申し上げました延長でございますが、四十四年の八月に、両社は合併します。そういう方針でございますということを返事をする、したがって、政府と申しますか運輸省といたしましても、その方向に向かっての努力を続けるようにそれぞれ所要の措置をとってまいったことと思います。それで、四十五年になりましてもなおかつこの問題は私どもとしてはその方向に向かって進むことを期待していたということは間違いないと思います。ただ、いま先生が引用されました国会のやりとりなどを速記録によって見ましても、東亜がいやがっているのをどうするのだとか、あるいは全日空の整備能力というものが果たしてあるのかないのかとか、かなり細かな御議論がその時点であったようでございます。しかし、やはり私どもの基本的な物の考え方としましては、四十一年の閣議了解の線を踏まえていくのだということをこの時点で崩しているわけではございません。     〔大橋(武)委員長代理退席、委員長着席〕 しかし、客観情勢から見て、それから一カ月、しばらくたってからになるかと思いますけれども、六月の十二日には正式に文書をもって、もうどうにもこの縁組みはうまくまいりません、こういうことを言うようになってきた。むしろ外側の進みが非常に早かった。それに対して私どもの方がいたずらにこだわっていることが果たしてどうかというふうなことが十分に検討され、議論されて、それが航空審議会の諮問という形へつながっていったのではないか、こういうふうに理解いたします。
  214. 中島武敏

    中島委員 いまのお話は業界の方の動きを言っておられるのです。政府の方は一体どうだったのかということを私はお尋ねしているのです。これは非常に大きな方針の転換なわけですけれども、一体どこから変わったものか、変わるきっかけになったのは一体どこなのかという点であります。
  215. 中村大造

    中村説明員 先ほど次長から答弁申し上げましたように、四月の国会でのやりとり、この段階運輸省としては従来の四十一年度の基本方針というものをやはり堅持するという方向で来つつも、この客観情勢の変化というものには相当な気を配っておった時期であろうと思います。したがって、やはり徐々に従来の方針というものについての再検討をしなければならないというそういう機運がやはりそのころはもう醸成しつつあったのではないかと思います。それから六月になりまして正式に両社がもう白紙還元、こういう申し出もございましたし、そういうふうな客観情勢を受けて基本政策というものを運輸省として見直す、こういう決断をしたのではないかと思うわけでございます。
  216. 中島武敏

    中島委員 しかし、あなたそういうふうにおっしゃいますけれども、これは客観的な事実が示しているものは、やはり五月二十六日に橋本運輸大臣の業界再々編成を示唆する発言があり、その翌翌日に土川氏からその具体的な内容についても発言がある、これがきっかけになっているということは、もう否定できない事実なんじゃないでしょうか。ここをなかなか認めたがらない御発言ばかり続いているのですけれども、私はこれは客観的な事実としてはっきり認めていいんじゃないかというように思うのです。どうなんですか。
  217. 中村大造

    中村説明員 たしか五月二十六日の橋本運輸大臣の当時の御発言というものは、四十一年度に決めたいわゆる業界再編成といいますか、そういう従来の考え方考え直す必要がある、要するに、再検討の要があるということを表明したのが五月二十六日であったと思います。その中身、じゃ、どういうふうにするのか、再検討をしてその答えはどうするのだということは、これはいろいろな意見があったと思いますけれども運輸省としては運輸政策審議会に基本政策のあり方ということで諮問をして、その答えをいただいて新しい再編成の答案ができた、こういうことでございますから、橋本運輸大臣が申し上げたのは、従来の方針を再検討する必要がある、こういうことを言ったわけでございます。御指摘のこの土川名鉄元社長が言われたことというのは、これは新聞で報道されておりますけれども、私どもはその事実を何ら確認していない、こういうことでございます。
  218. 中島武敏

    中島委員 この問題については確認をしていないと、最後の御発言ですね、これはぜひ確認する必要もあるのじゃないかと思うのですね。確かにもう非常にはっきりした事実として橋本運輸大臣が発言をされる、それから土川名鉄社長がその具体的な内容というものをある程度具体化して発言をされる、そこから東亜と国内航空の合併問題というのが急速に進んでいくというのは、これはもう客観的な事実なんですね。しかし、このときに今度は国内航空の川淵社長、これは六月十六日に記者会見をして、何も聞いていない、こう言って非常に怒った発言をやっておられる。非常に業界としての動きがあったというのですけれども、きわめて不自然なことではないか、合併の話が上部で進んでいて、そして社長である者は十分承知していないというようなことを、いろいろと記者会見の場においても発言をしているというのがこのときの事実なわけなんですね。そうすると、やはりこの問題の一番のきっかけになったこれは何かと言えば、五月二十六日の橋本発言であるということはもう疑いがないと思いますし、同時に橋本大臣の音頭でここからこれがきっかけになって変わっていったというふうに考えざるを得ない。業界の側でも意見が全部統一されておったわけでも何でもない。ところが橋本発言、ここから変わり始めたということでありますから、政府の方としてはこれがきっかけでこの業界再編成問題というのが起こされていったということだと思うのですね。これはきわめてはっきりしていることではないか、ここら辺はしっかり運輸省としても認めなければならないのではないか。まだよく調べていないというような御発言もありましたようですが、こういうことこそ本当にいまよく調べなければならないという、そういうことに迫られているのではないかと思うのです。  それで引き続きお尋ねしたいと思うのですが、この四十五年五月二十六日の橋本発言の前後、先ほどもエアバス機種決定問題はどうなっていったかという問題についてお尋ねしましたが、これももう簡単にちょっと申しますと、日航では四十四年七月に機種選定作業を中止して、四十五年九月には四十六年から五十年度の長期計画を決める、そしてこの中で四十七年度にB747、これを三機国際線から国内線転用するということを決めておられる、そしてこの国際線のボーイング747、これの四機発注という認可の申請が出され、この年の十一月三十日には認可をされた、これはもう先ほど来ずっと論議をされてきているところであります。  それから全日空の方、全日空の方を見れば、四十四年七月に、先ほども申しましたが、当時の大庭社長が確定発注、オプションということをやっておられる、これはさっき言ったとおりです。それから四十五年一月九日には新機種の選定準備委員会が発足して、二月九日には第一次の調査団が派遣される。ところが、五月三十一日には大庭氏が退陣をする、若狭氏が社長に就任をするということが行われる。十二月には四十六年度から五十年度の長期計画を決定しておりますが、ここでは四十七年度に三機エアバス導入ということを決定しているわけです。  時間がないから私の方からざっと申したのですけれども、これが機種選定をめぐる表面にあらわれた動きであります。これに対して運輸省が一体どういう指導をされておったのかという問題なんです。この辺についてもう一回ちょっとお尋ねしたいのです。
  219. 中村大造

    中村説明員 先ほどの御答弁に関連してでございますけれども、いわゆる四十五年五月二十六日、橋本運輸大臣の従来の政策の再検討というものは、まさにその四十一年の従来の基本政策、これはいわばどちらかというと、安全第一、それから企業が乱立して安全の確保がむずかしい、こういう事態でどうするかという観点からでき上がった基本政策でございます。したがって、当然としてこれは集約統合、こういうことでございます。  それから四十五年になって客観情勢が変わってきました。したがって、今度は、安全ももちろん大事でございますけれども、需要の動向にこたえて利用者の利便をどう図るか、こういうことが非常に大きなウエートを占めてきた、そうなると、従来のような集約統合ということだけではまいらないのではないかというそういう機運が四十五年になって出てきたわけで、そういう機運、そこからいわゆるローカル線専門の会社もYS11を使って十分に採算をとってやっていけるというこの自信を持ってきた、そういう客観情勢を踏まえて、従来のいわゆる集約統合という基本政策を利用者の利便ということに重点を置いた新方針に再検討する必要がある、こういう客観情勢の中で、橋本大臣がその客観情勢を敏感にとらえておっしゃったわけでございます。  したがって、運輸省としてはその新しいいわゆる基本政策に従って利用者の利便のためにエアバス、いわゆるジェット化大型化ということを推進してきたわけでございますから、どのような時期にエアバスを入れるかというエアバス導入時期については、運輸省としては当然のことながら重大な関心を持っていろいろ必要な行政指導もした、こういうことでございますけれども、どの機種を選ぶかということについては全くノータッチだった、こういうことでございます。
  220. 中島武敏

    中島委員 当時橋本運輸大臣は、機種統一問題について、先ほど申しました衆議院の決算委員会でやはり発言しておられますね。これは機種選定については「最終的に決定する場合は、運輸省中心になり、関係会社とも十分に相談した上できめたい。」非常に明快な発言をされているわけです。さらに、議員の質問に答えて、全日空機種選定は今月、来月あたりに焦点がしぼられているがどうか、こういう質問に対して、橋本運輸大臣は、「ここ一、二カ月の間に決定することはありません。」これまたきわめて明快な発言をしておるわけであります。これは機種選定運輸省中心になって進めるというだけではなくて、全日空の内部の事情をよく熟知していなければ、こういうことは言えない発言だと思うのです。これはやはりきわめて重要な発言だと思うのです。ところが、「ここ一、二カ月の間には決定することはありません。」きわめて明快に発言をされて、もう本当に幾日もなく全日空の大庭氏が五月三十一日退陣をする、DC10を確定発注、オプションしておられた大庭氏は退陣をしてしまう、もうまさに全日空にとっては機種選定どころではない、こういう状況が生まれてきているわけであります。この間に橋本運輸大臣航空再編成をどんどんやるというふうな発言をして、実際にそういうふうに動いていく。  この航空再編成の一つの特徴は、時間があればいろいろとお尋ねしたいのですけれども、余りありませんからこれまた私の方から言うのですけれども全日空の育成ということが一つの柱であります。もう一つは、やはり大型化ジェット化の推進ということが柱であります。つまり、再編という問題は、非常に複雑にエアバス導入問題と絡んでいるというのが客観的な事実の示すところであります。なお言えば、日航最初はダグラス、次はボーイング、こういうふうに変わっている。これは皆さん御存じのとおりです。全日空もダゲラスからロッキードに変わっている。東亜もボーイングからダグラスに、これはエアバスではありませんが、機種は変わっている。決まったことが逆転をしておるわけであります。  ところが、実はこの時期に、これも皆さん御存じのとおりだと思いますが、アメリカの多国籍企業小委員会において明らかになったところによれば、コーチャン、それから児玉、小佐野が戦略会議を持って、日本航空から全日空売り込みの矛先を変えてきて、いろいろと作戦を練ったということを証言しておるのであります。大体同じ時期であります。これも否定しがたい事実だと思うのです。  そこで、大臣に私は一つお伺いしたいのですけれども、このコーチャン証言について一体どういうふうに思っておられるかということについて伺いたいと思うのです。
  221. 木村睦男

    木村国務大臣 昭和四十五年ごろの状況を見ますと、御指摘のように、新しい大型機種の売り込み合戦が始まっておったことは事実でございます。同時に、わが国におきましては、四十一年の再編成の方針がそのままいきがたくなって、改めて再編成をやらなければいかぬという時期に際会しておった。時間系列的にはちょうど合うわけでございます。しかし、わが国の航空再編成問題は、いま事務次官が申し上げましたような事情によって再々編成へと進んだわけでございます。これと、いまお話しのコーチャン証言云々の売り込み合戦側のこととはわれわれは関係があるという認識を持つものは何もないわけでございます。たまたま時系列的にそういうことがあったにすぎないという認識を持っております。
  222. 中島武敏

    中島委員 どうも大臣の御発言は、これだけ大きな問題になっている点、これが関係がないと思うという御発言なんですが、ここは非常に大事な点なんですね。いまかけられている疑惑について積極的に当委員会においても解明をしていかなければならない、運輸省としてもあるいは運輸大臣としても積極的にこれに協力をしなければならない。そう思うとか思わないとかいうことだけでこの問題は済まされる問題ではないと思う。  伝えられるところによれば、もうすでに児玉はこのときに日航に対してDC10を買わせないための圧力をいろいろとかけたと言われておるわけであります。小佐野氏は当時何をやっていたか。全日空の株の買い集めをどんどん進めている、すさまじい勢いで株の買い集めを全日空に対して行っておるわけであります。まさにそういうときに橋本運輸大臣は何をやったか。橋本運輸大臣は、いままで客観的な事実として明らかなことは、業界の再編成、全日空の育成案というようなものを出した。これは同時に、言葉をかえて言えば、ロッキードの受けざらづくりをやったと言われてもこれは仕方がないわけであります。この問題を解明するということは、私はきわめて重大な問題だと思う。  きょういろいろと、いままでの質疑の中でも、これから後に引き続くいわゆる佐藤試案であるとか丹羽運輸大臣通達であるとかいう方向に向かってこの後進んでいくその問題について午前中はいろいろと議論をされました。私はもっとその問題についても議論をしたいと思いますけれども、しかし、その一番出発点になっているのはこの問題であります。そういう意味では、この問題についてかけられている国民的な疑惑、このことを晴らそうと思えば、やはり橋本運輸大臣に当委員会証人として出ていただいて、問題の積極的な解明を行うということが私は必要なんじゃないかと思うのです。このことを委員長にお願いしまして、時間も大分過ぎているようですから、私の発言を終わります。
  223. 田中伊三次

    田中委員長 坂井弘一君。
  224. 坂井弘一

    ○坂井委員 きのうの日本航空の朝田社長の証言の中で、機種選定の問題に触れまして、各航空会社がどの機種を選ぶかについては、これはおのおのその航空会社のいわゆる航空運営の中で、路線構造によって主体的に航空会社がその機種を決めるもしのである、実はこういう発言があったわけでございますが、運輸省はよく御存じだと思います。  そこで、いま申しました、機種の選定は各航空会社の自主的な判断だというこの朝田発言に対しまして、運輸省は、今日までの行政指導なりあるいは指示の経緯に基づいて、一体この発言をどう評価するか、あるいはこの発言に対していまどのような見解を持たれておるのかにつきまして、まず最初にひとつ明らかにお答えをいただきたいと思います。
  225. 木村睦男

    木村国務大臣 航空会社もそれぞれ企業としてやっておるわけでございますから、航空会社の企業という立場に立ちますと、一番自分の企業にとって有利な機種を選定するということは当然のことでございまして、これに対して監督官庁として積極的な、強制的な干渉はすべきではないと思っております。  ただ、われわれ政府といたしましては、やはり同じ路線において公正な競争を確保するということが、公衆利用者のためにも、企業の円満な発展のためにも必要でございますので、そういう場合には、できることであれば同一機種が望ましいという考え方を持って今日まで参ってきております。望ましいと申し上げておるところに非常に意味があるのでございまして、決して強制したり干渉したりするところではない、望ましいという限度でおさめておるということでございます。
  226. 坂井弘一

    ○坂井委員 望ましいという考え方で、でき得る限り機種の統一をすべきだ、こういう基本見解を運輸省はいまの時点でなおかつお持ちなんですか。
  227. 木村睦男

    木村国務大臣 同一路線で大体同一条件で運航するような場合には、やはり機種は相なるべくは同一機種が望ましいという考え方には変わりございません。
  228. 坂井弘一

    ○坂井委員 四十四年の十月ごろに、当時の手塚航空局長が機種統一の行政指導をされたことはおありですか。
  229. 松本操

    松本説明員 当時の新聞にそのような記事が載っておったことは私ども承知しておりますが、その具体的な内容につきましては、恐らくいま大臣が申し述べましたような範囲のものであったというふうに理解しております。
  230. 坂井弘一

    ○坂井委員 その際の、手塚航空局長が機種統一の行政指導をされた、なぜそのときに機種統一の行政指導をしなければならなかったのかという背景、理由、それは何だったんですか。
  231. 松本操

    松本説明員 当時のこと、四十四年から五年へかけてのころのことでございますから、新しい大型機をどうしようかという議論が、表には出てまいりませんでも、それぞれの会社の中で、それぞれの部門において研究をされておるようだということは、運輸省としても承知をしておったはずでございます。したがいまして、かつてございましたような機種競争というふうなことがここで再び繰り返されるということは好ましいことではない、このように考えた上での発言であったのではないか。ただし、その発言そのものにつきましては、現在私どもは、新聞に載っております記事で承知をしておる限りでございますので、具体的にどういうことであったかについては、詳細はよくわかりません。
  232. 坂井弘一

    ○坂井委員 これは四十四年十月当時の機種統一の行政指導なんですね。具体的な何かがなければ、機種統一という指導にはならないはずであります。その辺のいきさつにつきましては、今回の一連の問題の解明のためにぜひとも必要な当然の入口であるべきはずでありまして、運輸省としましては、手塚航空局長がなぜ機種統一の行政指導をしたのかということについて、当然当時の事情をお調べになったはずだと思うのですけれども、全然調べてもいないということでしょうか。
  233. 中村大造

    中村説明員 当時の関係者にもその当時の模様を聞いて、御指摘の時点にそのような行政指導をした事実があるかどうかということについて調べたわけでございますけれども、新聞に報道されておるような事実を確認することができないわけでございます。ただ、従来から機種統一が望ましいという方針航空局としてずっと持ってきたことは事実でございますから、どのような強さで、どのような状態行政指導したのかどうかわかりませんけれども、やはり機種統一についての必要性を当時の航空局が持っておったということは、決してこれは不思議ではないと思います。
  234. 坂井弘一

    ○坂井委員 日本航空全日空等に機種統一の行政指導がどのような形で行われたかということにつきまして問い合わせたようなこともございませんか。
  235. 松本操

    松本説明員 本件が起こりまして以後、ただいま事務次官からお答え申し上げましたように、どのようなものであったのかということについて各社の報告を求めておりますが、いずれもその答えは同様でございまして、強力な行政指導とかそういうふうなものを受けた覚えはない、ただ、相なるべくはJALANAがよく話し合って、効率的にいい機材を十分相談して決めてほしい、こういうふうな趣旨でありました、こういうのが私ども理解でございます。
  236. 坂井弘一

    ○坂井委員 運輸省としまして機種統一の基本方針をお決めになったのは、最初はいつですか。同時に、その基本方針は今日なお変更なくそのまま続いておる、変わりはない、こういうことでしょうか。
  237. 松本操

    松本説明員 三十七年、航空審議会の答申に基づきまして、日本航空全日空の間で提携を強化する必要があるという方針を三十七年の夏に決めております。この線に沿いまして、当時非常に激しく行われておりました全日空日航との間の機材競争というものに一つのピリオドを打つ、こういう意味で、両社で話し合って最も望ましい機材を選ぶようにということを指導いたしました。その結果、国内線用の中距離ジェット機といたしまして、三十九年に、これは古いボーイング727−100でございますが、これが決まった。こういう事実がまずございます。  それで、その方針と申しますか、物の考え方と申しますか、相なるべくは同じ機材を使って、同じ路線を飛ぶ場合に、そのような状態になった方が旅客の利便からも、あるいはまた企業同士の整備その他の面からも都合がいいのではないかという考え方については、冒頭大臣がお答え申し上げたとおりであると思います。
  238. 坂井弘一

    ○坂井委員 いまお示しになったのは、三十七年八月十五日、「日本航空及び全日本空輸の提携の強化に関する基本方針」、ここに端を発して、今日までなお機種統一についての基本方針は変わりはないということかどうかという確認を一点お願いしたいことと、この中の、つまり第三項に「前記幹線における両社の使用機材については出来得る限り機材勢力の質的な均等化を図っていくものとし、将来の旅客需要増加に対応する新型機材導入等については出来得る限り同一機種の採用、部品、整備施設の共用、乗員の共同訓練等を研究することが肝要である。」ここのところが、つまり機種統一をできる限り、というこの時点での確定いたしました基本方針として今日まで生きておるのだ、この方針には変わりはない、こういうことでございましょうか。
  239. 木村睦男

    木村国務大臣 その基本方針は変わりはございません。
  240. 坂井弘一

    ○坂井委員 そういたしますと、今回問題になりましたいわゆるトライスター、L一〇一一の採用に関する全日空政府間との協議内容、運輸省からちょうだいをいたしましたこれを見ますと、「航空会社が自社の事業用にいずれの機種を選定するかは、航空会社の独自の検討によって決定されるものである。」これがトライスター採用に関する全日空政府間、運輸省との間におきまして協議した決定事項であります。つまり、機種選定はあくまでもその航空会社の自主的判断である、決して機種の統一、機種選定につきましては、逆に言えば、それを統一しようというような考え方運輸省はないという、そういう内容の協議事項を全日空運輸省の間において確定をした、こういう文書だと思うのです。これについてはどうお答えになるでしょうか。わかりやすく説明をしていただきたい。大変な矛盾だと思います。
  241. 木村睦男

    木村国務大臣 私が最初申し上げました、非常に誤解を招いてはいけないと思いまして、わざわざ言葉を注意して申し上げておるわけですが、機種統一ということは、同一機種が望ましいということは、これは航空行政をやります場合に公正な競争がそれで保障できるし、それからその他のいろいろな利便もあるわけでございます。ですから、航空行政の立場としては、相なるべくは同一路線で同じような競争的立場に立って運航する場合には機種が同じであることが望ましいというところまでが私が申し上げている内容の限度でございますので、それを航空会社が受けて、航空会社は自分の企業というものを育成していくわけでございますから、航空会社のいろいろな事情運輸省はそういう方針と言いますか、考え方を持っておりましても、それをそのまま受け入れられない場合も多々あろうと思います。そういうときに運輸省は、それはけしからぬとかそれはやめろとか、Aの会社がこの機種を使っておるからおまえもこれを使えとか、そういうことは言わない、これはやはり自由競争下における航空事業の一つの本質的な考え方である、こういう立場で申し上げておりますので、いまお示しの文書について私は知りませんが、そういう考え方でございますから、大前提考え方であるということで御理解をいただきたいと思います。
  242. 坂井弘一

    ○坂井委員 念のためにこの文書をお渡ししたいと思います。運輸省から実はちょうだいいたしました。  私がなぜここでわざわざ、全日空に限ってでありましょうかどうでしょうかそれはわかりませんが、つまり、全日空のトライスターの採用に関して、運輸省がなぜ全日空とこのような協議をして、つまり協議内容というものは、いま読みましたとおり「航空会社が自社の事業用にいずれの機種を選定するかは、航空会社の独自の検討によって決定されるものである。」こういうことをなぜわざわざ全日空運輸省との間で協議決定しなければならぬのかということが私にはきわめて不可解だ。つまり、この種のようなものがあるならば、ほかの航空会社においてもやはり同じような協議をして、そういう内容を運輸省は一々決定をしておるのかどうかということが実ははなはだ疑問になるわけであります。  その次に続けてありますが、「運輸省は、昭和四十七年十月三十日に全日空からトライスターを選定した旨の報告を受けた。」こうあります。
  243. 中村大造

    中村説明員 どうも失礼いたしました。  この文書は、たしかトライスターの採用について全日空政府の間に何らかの協議があったか、あればその内容、こういう御質問に対する答えでございますので、表題を「協議内容」、こういう表題にしたわけでございまして、それに対する答えはただいま申し上げましたように、「航空会社が自社の事業用にいずれの機種を選定するかは、航空会社の独自の検討によって決定されるものである。」そして運輸省は十月三十日に全日空からトライスターを選定した、こういう旨の報告を受けたということで、事前の協議はなく、決定した後で報告を受けたものである、こういうことをお答えしたものでございます。
  244. 坂井弘一

    ○坂井委員 航空会社がどの機種を選定するかという際には、必ず機種選定には運輸省は一々関与するということになりますか。
  245. 松本操

    松本説明員 機種選定という言葉が非常に紛らわしいので、はっきり申し上げますと、どういう、何式、何型というふうなそのものにつきましては運輸省は全く関与する立場にございません。それは先ほど先生お読み上げいただきましたその資料にもあるとおりでございます。機種統一とか、できるだけ同じような機材を使う、こういうことについては、大臣が先ほど来御説明申し上げておりますように、運輸省としては非常に大きな関心を持っている、現在でも関心を持っている、こういうことでございまして、機種というものが何式というふうに限定されるということでありますれば、運輸省は全く関与いたしません。
  246. 木村睦男

    木村国務大臣 誤解があってはいけませんので補足いたしますが、いまお示しの資料は、どなたか議員の方から、当時についての状況を資料で出しなさいということで委員会の方へお出しした資料でございまして、全日空との協議とかなんとか、そういうものではございませんから、誤解があってはいけませんので、一言補足しておきます。
  247. 坂井弘一

    ○坂井委員 よくわかっております。  どういうことでそういうトライスターの採用に至ったのかということを聞いたらば、正式に運輸省は——これは運輸省のあれですよね、協議しました、その協議の内容、政府間の協議内容……。
  248. 中村大造

    中村説明員 協議したことがあるか、あれば協議内容を報告しろ、こういう資料要求でございましたので、協議内容という件名についての御回答をした、こういうことでございまして、協議をした事実がない、したがって協議の内容もない、こういうことを御回答したわけでございます。御質問の方は、協議内容について答えろ、こういうことでございましたから、それに対するお答えの表題でございます。
  249. 坂井弘一

    ○坂井委員 だから、一切機種選定については運輸省はタッチはしていない、こういうことですね。それでよろしいのですか。
  250. 中村大造

    中村説明員 そのとおりでございます。
  251. 坂井弘一

    ○坂井委員 では言いましょう。  先ほど機種選定に関する当時の橋本運輸大臣の話が出ました。もう一件申しましょう。これは東亜国内航空DC9の導入の際の委員会における質疑であります。四十八年三月二十三日、参議院における質疑であります。質問者は、東亜国内航空DC9の導入計画について了解を与えたのでしょうか、この点について伺いたい、それから、東亜国内航空から要請があったことは事実ですか。これに対して、当時田中角榮総理が答えておりますが、前段がいろいろ実はありまして——正確に申しましょう。これは議事録でございますから読み上げます。「東亜国内航空の会長というよりも、もとの毎日新聞の会長ですから、私と同じ姓であります。私と橋本幹事長と、ときどきゴルフをやっておったんですが、この一、二年やってないのでいつかやろうと、こういうことでございまして、寄ったわけでございます。私は、いま、次の日曜日にそういうことができるかどうか予定を組めないような状態だから、別な人とやってくれと、こういうことを述べたときに、DC9の問題に対して四、五分話がありました。これは、東亜国内航空というものの運営上必要な、適当な機種であるということで、いま運輸省にお願いしていますと、運輸省でも国会でも議論があった問題だし、運輸省は安全第一で慎重に調査をしておるはずだからその結果を待ちなさい、その結果を待つ以外にないと、こういうことでありました。」こういう実は答弁であります。「いま運輸省にお願いしています」、DC9を導入するかしないか、したいということでもって東亜国内航空運輸省にお願いをした、要請をした、運輸省はそのお願いを聞いておる、いま慎重に検討をしておる、実はこういう答弁なんですが、このことに対してはどうお考えになりますか。
  252. 中村大造

    中村説明員 この点は後ほど事務的に御説明申し上げますけれども、恐らく東亜国内航空ジェット化をする、こういう計画に対しまして、運輸省としては東亜国内航空の体質能力、そういう点から、いわゆる自由にジェット化を進めさせていいかどうかということについて一つの危惧を持ったわけでございます。これは事故を起こしましたその後でございますから。したがって、運輸省として関心を持ちましたのは、東亜国内航空が自主的にいわゆる新しい機材を購入してジェット化する、こういう問題については、たしか運輸省の承認を得るように、これは行政指導だと思いますけれども、そういう措置をとったわけでございます。したがって、ジェット化する場合の機材として何を選ぶかは運輸省の関知するところではございませんけれども、自主的にジェット化するという点については運輸省の承認を得てもらいたい、そのやりとりのことだと存じます。
  253. 坂井弘一

    ○坂井委員 かなり無理ですね。DC9と限定して聞いているわけです。まあ、そういういろいろな動きとか背景はありますよ。それはわかりますよ。しかし、いずれにしろ運輸省の方にいま要請をしておる——話し中だ、それを待ちなさい。——素直に読んでください。だれが見たってよくわかるじゃありませんか。確かにそうした機種の決定の際には航空会社から要請があって、その要請を受けて運輸省が判断するんだな、運輸省航空会社の間で最終的には機種が決められるんだということじゃありませんか。素直に読んでください
  254. 中村大造

    中村説明員 それは全く事実と相違いたしておりまして、運輸省はジェット機を購入する、ジェット化という計画に対して承認をする、しない、こういうことでございまして、そのジェット機がDC9であろうと727であろうと、これは運輸省の関知するところではなかったはずでございます。
  255. 坂井弘一

    ○坂井委員 経緯をずっと見ますと、全日空が大体四十年以降購入したジェット機一覧は、ボーイング727、747、ずっと来ていますね。それで今回問題になりましたところのいわゆるL一〇一一ということになるわけですね。一方、日本航空の方もDC8、ボーイング727及びボーイング747、こういう購入がずっとある、一貫してあるわけでございます。もちろん、日本航空の場合は国際線国内線ありますから、機種統一についてはあながちそれが一貫したものではない場面もあります。しかし、少なくとも従来、一社内においての統一、縦の統一、そういう形の中で各航空会社間の機種の統一、横の統一をでき得る限り図っていこう、こういう基本方針は今日まで運輸省は堅持されてきたはずだと思う。ところが、今度のL一〇一一の場合においては、これはもう全く突然、その機種統一という基本方針からはいきなり変わった形のものが出てくる。少なくともその背景には、やはりDC10というものの機種統一ということを念頭に置きながら来たにもかかわらず、L一〇一一の逆転ということになった。つまり、今度の事件の問題として、なぜそういう形になったのかというところの解明をしなければ、従来運輸省が基本的に持ってきたところの機種統一ということと、そして今度のL一〇一一が突如として逆転の結果あらわれたということの説明がどうにもつかないということに実はなるわけでありまして、実はそこに大変大きな疑惑を持つことは、これはもう当然のことだと思う。  話題を変えますけれども、同じく昨日の石黒さんの証言に、四十四年の七月二十九日にDC10三機の確定発注、それから四機のオプションという証言があったわけでございますが、四十四年の七月二十九日以後運輸省がこの確定発注なりオプションを知り得たのはいつですか。
  256. 松本操

    松本説明員 そのような事実があったということは、今回いろいろな問題が出てまいりまして承知をしたわけでございます。
  257. 坂井弘一

    ○坂井委員 事実としては、確かに四十四年の七月二十九日に確定発注をしてあった、オプションもあった。これは昨日の証言において明らかになったわけであります。それを今日まで運輸省は一切知らなかった。それでは、今回知ったとするならば、いつ知ったのか、今回のいつの時点でということについて、これはひとつはっきり報告を願いたい。
  258. 中村大造

    中村説明員 運輸省といたしましては、いわゆる三井物産ダグラス社との間については承知いたしていないわけでございまして、全日空の現在の経営責任者からの報告をわれわれは徴しておるわけでございまして、この点については、従来からの報告について現在においても変更がないわけでございます。
  259. 坂井弘一

    ○坂井委員 どうもわかりません。いつ報告を受けたのかとこう聞いておるのです。
  260. 中村大造

    中村説明員 これはたしかことしの三月ころだったと思います。
  261. 坂井弘一

    ○坂井委員 その三月の時点で、運輸省全日空との間で当然やりとりがあったと思いますがね。ずいぶん長い期間を置いて、まあ今度の事件の一連の問題として、中の問題として。  そこで、三月の時点で報告を受けた、こういうことでございますが、この内容、経緯につきまして、なぜ今日まで確定発注なりオプションということについて運輸省にも知らされなかったか、知り得なかったか、そういう事情等について聞かれましたですか。
  262. 中村大造

    中村説明員 私どもが受けた報告は、全日空としては、このDC10についてのいわゆるオプションといいますか、そういう契約があったかなかったかということについて、全日空三井物産に対して法律的にも道義的にも責任はない、こういうふうな回答を得ておるということで、したがって全日空としてはDC10については要するにそういうふうな契約をしておる事実はないというふうな報告を全日空から受けているわけでございます。これは現在においても変わりございません。
  263. 坂井弘一

    ○坂井委員 同じ全日空のトライスターの場合は四十七年の十月三十日、選定と同時に報告を受けたということでしょう。これは後いつ報告を受けたということでしょうか。
  264. 中村大造

    中村説明員 これは十月三十日にトライスターを選定して、当日発表したわけでございますけれども、当日運輸省に報告があったはずでございます。
  265. 坂井弘一

    ○坂井委員 トライスターの場合は十月の三十日に選定が決定して、すぐに報告を受けた、同じ全日空DC10はなぜ今日まで報告がなかったのか、それはお考えになりましたか。
  266. 中村大造

    中村説明員 十月三十日に報告を受けたのは、日航全日空が今後購入するエアバスについて、日航はボーイング747SR、それから全日空はトライスターに決めました、こういう報告を受けたわけでございまして、当日かあるいはその直後に両社はいずれもいわゆる仮契約を結び、それから日を経ずして正式の契約を結んでおるわけでございます。したがって、そういうふうな正式の購入の契約に入る直前に運輸省に報告があったわけでございますから、それ以前のものについては運輸省に報告する義務もございませんし、また何ら報告を受けていないということでございます。
  267. 坂井弘一

    ○坂井委員 DC10の場合は確定発注しながらも四十四年の七月二十九日から今日まで全然運輸省に報告がなかった。これは特殊な事情でしょうか。
  268. 中村大造

    中村説明員 私ども全日空が契約を結んだというふうな報告は受けておりません。
  269. 坂井弘一

    ○坂井委員 では、全日空以外のどこからその報告を得たでしょうか。つまり、仮契約、正式契約、確定発注ということになりますと、輸入承認の許可、航空機登録申請あるいは耐空証明、事業計画認可申請等々、通産、大蔵大臣の同意、また当然運輸省が窓口となりましてそうした一連の手続ということになるわけでありますが、そうした点につきましては、DC10の場合、米国三井物産をしてダグラス社との間において契約が成立しておるということでございますので、一切そうした手続関係につきましては運輸省はその後も、その後と申しますと四十四年七月二十九日以降何ら関係なく今日まで来た、こういうことでございましょうか。
  270. 中村大造

    中村説明員 一切ございません。
  271. 坂井弘一

    ○坂井委員 わかりました。実は、この件につきましては、なお具体的に詰めたい問題がございますが、実は時間がございません。あす、決算委員会運輸省所管になっておりますので、あすの質疑に譲りたいと思います。
  272. 田中伊三次

    田中委員長 永末英一君。
  273. 永末英一

    ○永末委員 昭和四十一年五月二十日、閣議了解として「航空企業の経営基盤の強化について」が決められました。これを見ますと「各企業における保有機数の増加を抑制する」というように、言うならば、それぞれの企業を強くするというところに焦点があるのであって、その基調は、どんどん乗客がふえて需要がふえてくるので拡大してやれということではなくて、むしろ乱立する企業を統合するとかあるいはまた吸収合併させるとか、引き締めてやれ、こういう基調の方針が出ているように思いますが、そうですか。
  274. 中村大造

    中村説明員 そのような考え方が非常に強く出ておると思います。
  275. 永末英一

    ○永末委員 そういう考え方昭和四十一年五月二十日以来どれだけの期間やられたのですか。
  276. 松本操

    松本説明員 四十一年にいまのような形で閣議了解が行われました後、まず、日本航空日本国内航空との間の問題全日空と長崎航空との合併、これはいまの線に沿ったものでございます。四十二年の十二月に合併をいたしました。それから全日本空輸と東亜国内、これにつきましては、先ほど来御議論がございましたが、いろいろな努力にもかかわらず、これはついに成功を見るに至りませんでした。このようないきさつで四十五年の当初のころまでこの四十一年の閣議了解方針の実現のために努力が払われ、一部においてはその実現を見、また客観情勢の変化として旅客もふえてきた、こういうことであると思います。
  277. 永末英一

    ○永末委員 企業合併につきましてはそういういきさつがございますが、これのトップ、第一には「各企業における保有機数の増加を抑制することにより、需給の調整を行なう。」ということが書いてあるわけでございます。したがって、四十五年の当初までは各航空会社が機数の増加を図ろう、こういうような企てに対しては、それをするな、こういう方針指導してこられたのですか。
  278. 松本操

    松本説明員 四十三年あたりのところまでは機数の急激な増加を抑えるような措置をとってまいったわけでございますが、御承知のとおり、四十二、四十三、四十四と三〇%を超す年率で需要が伸びてきたというふうなこともございましたので、この考え方も改めなければならないような情勢になってまいったことは事実でございます。
  279. 永末英一

    ○永末委員 それで私は、この方針はいつまで続けたのかと最初に伺っておるのであって、最初あなたは四十五年当初のころまでやった、こういう話ですが、いまのお話を聞きますと、四十三年ごろ。どっちが本当なんですか。
  280. 松本操

    松本説明員 四十一年のこの中にはいろいろなことが書いてございますので、たとえば東亜と全日空の合併、こういうふうな考え方につきましては、四十五年になりましてもなお先ほど御議論もございましたように、その方向での努力が行われておったわけでございますが、一方、需要の増加に対応して適当な供給力を付与していかなければならないという別の問題がございますので、そういう点については、四十三年ごろまで機数増に対して抑制的であったが、それ以後はやはり伸びに対応できる程度措置はとらざるを得なくなってきた、こういう趣旨でございます。
  281. 永末英一

    ○永末委員 四十三年ごろまで供給を抑制する体制をとってきたというお話でありますが、四十三年と言っても、初めと終わりでは非常に違うわけでございまして、少なくとも四十四年からは需要の増大に見合う供給を拡大していこう、こういう方針で臨まれておったと了解してよろしいか。
  282. 松本操

    松本説明員 おっしゃるとおりでございます。
  283. 永末英一

    ○永末委員 各企業におきましては、そういう方針運輸省が持っておるということになりますと、機数をふやすとかあるいは新しい機種導入するとかという計画を立てるのは当然でございますね。
  284. 松本操

    松本説明員 四十四年ごろから、ただいま申し上げましたように、需要に対応できるような状態にしなければならないという客観的事実が出てまいりまして、特に四十五年というときが万博の年であるということ、もちろん四十四年の時点からはっきりしておるわけでございますので、それに対応いたしまして相当の座席数を提供していこう、このために、たとえばストレッチタイプを投入するというふうな計画も事実行われておったわけでございます。
  285. 永末英一

    ○永末委員 四十四年の二月には、日航の松尾社長は、新しい機種をこの増大する需要に見合うためにひとつ選定をしたいということを三月には発表したいという記者会見がございましたが、三月にはございませんでした。また、全日空はすでにこれらの問題に対する動きがございました。これらに対して、何か運輸省としては両方にいわゆる行政指導のようなものをやられましたか。
  286. 松本操

    松本説明員 四十五年の万博対応ということにつきましては、各社から相談があればこれに応じたことと思いますけれども、特段に何かの積極的な行政指導を行ったということはなかったかと思います。
  287. 永末英一

    ○永末委員 四十四年の七月二十五日には日航の松尾社長が、新機種の決定について延期をする——いままで新機種を決定するということを発表し続けてきたわけでございますが、それを延期するということを発表いたしました。日航の朝田社長の言によれば、常務会が七月三十日であるかどうかはっきりいたしませんが、要するに、そのころまで、拡大する需要に見合って供給力をふやそうという一環として、ひとつ新機種を選んで導入しようという企てを日航がやっておった、一応ここでストップになった、こういう事情についてあなた方は関与をいたしましたか。
  288. 松本操

    松本説明員 本来的に機種の選定そのものは企業の問題でもございますし、その時点におきまして運輸省がこの問題に介入をしたとか関与したとかいうふうなことはございません。
  289. 永末英一

    ○永末委員 機種の選定という言葉にこだわっておられるようでございますが、要するに、先ほど私が伺いましたのは、供給力の増大を各企業が図る場合には、あなた方は、少なくとも四十四年以降はこれに対して積極的な態度で臨んでおるような御答弁がございましたので、したがって、いまのようなことがあれば、当然それを察知して、新機種が何であるかということじゃなくて、供給力を増大しようということだから、その動きについては知っておられなければならないし、また、当然企業の方もあなた方に相談をしておるはずでございましょう。何ら相談はなかったのでしょうか。
  290. 松本操

    松本説明員 全日空につきましては、727−200という727タイプとしてはこれを大型化する、日航につきましては、たしかDC8−61であったかと思いますが、これを国内線に投入してくる、こういうふうな形で提供座席数をふやす、こういう議論については当然相談もあったと思いますし、それなりにどのような調整をとるかというふうなことを関係各社議論したと思いますが、エアバスというふうな問題について、端的な議論がその時点で行われたというふうには私ども承知しておりません。
  291. 永末英一

    ○永末委員 四十五年の一月には、全日空では新機種選定委員会が発足をいたしました。これとはどういう関係を持ちましたか。
  292. 松本操

    松本説明員 全日空が四十五年の一月に機種選定委員会を起こしたことにつきましては報告を受けておると思いますが、それだけのことであろうかと思います。
  293. 永末英一

    ○永末委員 昭和四十五年の六月二十五日に、あなたの方は運輸政策審議会に諮問を発せられました。そして「今後の航空輸送の進展に即応した航空政策の基本方針について」こういう諮問を第四号というので発せられたのでありますが、このときには、どういう需要の増加があるという前提がやはりございますね。それをひとつ述べてください
  294. 松本操

    松本説明員 運輸政策審議会に諮問をいたします前の段階、つまり前身と申してよろしいかどうかは存じませんが、運輸政策懇談会というものがございました。その段階におきまして、やはり長期ビジョンという点から将来の航空需要というものについての諸般の論議が行われておりまして、そのころの数字の中に、昭和六十年は一億二千万とか、このような議論がすでに芽生えておったわけでございますから、また、事実四十二、四十三、四十四と、こういうふうな段階におきます年率が三〇%を超える勢いでございましたので、当然そのようなことを需要の伸びというふうに踏まえて諮問が行われた、こう理解しております。
  295. 永末英一

    ○永末委員 この諮問にこたえまして、十月二十一日に運輸政策審議会の答申が出るのでございますが、これを一言にして申し上げますと、いまのようにきわめて急激な需要の増大がある、その需要の増大に見合うためには、国内航空においては「基幹路線について大型ジェット機導入を促進する必要がある。」こういうことを中心に、あといろいろなものがございますけれども、当面のこの委員会の目的である、供給量の増加をどう見るかというところに焦点を合わせれば、大体それを基軸にこの答申が書かれてあると見てよろしいですね。
  296. 中村大造

    中村説明員 需要の増大ということに見合って新しい企業の運営体制というものをどうあるべきか、それから国際線については、やはり需要の増大に見合ってわが国の積み取り比率を増大するためにどういう対策を講ずべきか、こういうふうな観点からその四十五年のいわゆる方針というものが出されたわけでございまして、エアバス化とかそういうものが中心ではなかったというふうに私は思います。
  297. 永末英一

    ○永末委員 エアバスという言葉は使われておりませんが、その第二節「航空の長期展望のもとにおける課題」ということの(1)「国内航空」、そのロのところで、第一には「航空機ジェット化を推進するとともに」、先ほど読み上げました「基幹路線について大型ジェット機導入を促進する必要がある。」これは「大型ジェット機導入」とはっきり書いてあるわけでしょう。エアバスとは書いてございませんが、しかし、その時点における国内でございますから、国内の基幹路線であるから、エアバス導入と読んだって全く不思議ではない。別に読み方がございますか。
  298. 松本操

    松本説明員 この場合におきます「大型ジェット機」という言葉の中にエアバスが入ってないと申し上げると、これはうそでございますが、先ほど申し上げましたようなDC8−61、こういったものも百七十八人か何かの相当人数が乗るわけでございますから、こういったものの投入ということも当然大型ジェット機という概念の中には含まれて書かれているというふうに当時から私ども考えております。
  299. 永末英一

    ○永末委員 最初言葉がよく聞き取れなかったのですが、エアバスが含まれていないのであって、エアバス以外のそういう多人数乗る航空機、ジェット機だというのですか。
  300. 松本操

    松本説明員 エアバスをも含めましてそういったストレッチタイプも入っておる、こういうふうに御理解いただきたいと思います。
  301. 永末英一

    ○永末委員 それを受けて、十一月の二十日に閣議了解で「航空企業の運営体制について」が出てまいります。そこで使われた「航空機ジェット化大型化を推進する。」こうなりますと、いまの答申に盛られた概念がこの言葉で集約せられておる、このように読み取っても不思議はないですね。
  302. 松本操

    松本説明員 ここにおきます安全云々の上に「ジェット化大型化」と申しておりますのは、同様の趣旨と御理解いただいて結構でございます。
  303. 永末英一

    ○永末委員 経過から申しますと、最初質問申し上げました四十一年の閣議了解から四年半たって同じような閣議了解が出たのでありますが、閣議段階ではここで方針が変わったということですか。それ以前に変わったという徴候がございますか。
  304. 松本操

    松本説明員 閣議の段階では四十一年の時点、四十五年の時点、この二つでございます。
  305. 永末英一

    ○永末委員 時期的なものが非常に含まれておるわけでございますので、大体そういう大型化ジェット化を推進すると言えば、どれくらいの期間を見込んでこれは書かれた文章なんですか。
  306. 松本操

    松本説明員 いつまでにということは、実はこの中には何も書いてございません。しかし、そんな長い先ではないだろうというふうに思っておったことも間違いなかろうかと思います。  と申しますのは、これが出てまいりますベースになりました輸送需要というものが、先ほど来御議論いただいておりますように、昭和六十年に一億二千万とか一億とか、こういう数字でございますから、その伸び率に沿って置いてまいりますと、たしか昭和五十年で四千万ぐらいになっておったかと思います。そういう数字でございますから、当然数年間というふうな感じでこれが出ていたというふうに考えてもいいだろうと思いますが、厳密にいつということを予期していたとは思われません。
  307. 永末英一

    ○永末委員 木村運輸大臣は四月二十六日参議院の予算委員会におかれて、日航全日空エアバス導入の意向がこの時点であったのは事実である、そういう答弁をされておられるのであります。したがって、いまの御答弁によりますと、時期は別に明定していない、こう言うのでありますけれども現実にそういう動きがあれば、やはりそれはその各企業が空理空論をやっているのじゃなくて、導入して商売しようということでございますから、大体物理的にどれくらいのめどでやらねばならぬかということを頭に入れて書いておるというのがあたりまえでございませんか。だからこそあなたは、各企業がそういうエアバス導入の意向があったことは事実であると答弁された、こういうことですね。
  308. 木村睦男

    木村国務大臣 四十五年ごろまでの航空需要の増加、また世界的にだんだん大型化することが企業経営上もよろしいということで、そういう傾向にある中でこういう答申が出たわけでございますので、そういう点にさとい航空企業ですから一日も早く大型化した方が得だということで、そういう意図を持っておったというふうに申し上げておるわけでございます。
  309. 永末英一

    ○永末委員 やはり中にやるべき行政行為というものを前提にしてこれは書かれておらねばならぬと私は思うのであります。理屈を書いておるのじゃございませんから。だからこそ十一月の終わりには、日航から申請がございました747のLRについて四機の取得認可をされたのであります。しかもその前提となっておる、日航側がすでに就航さしている747LRの三機について国内線転用をするということについて認可をしなかったというお話でございました。認可はしないけれども、なぜ四機も認可をするか。その行為の中身は、三機が国際線から国内線転用するのだという了解があったと思いますが、そうではございませんか。
  310. 松本操

    松本説明員 当時、日航が九月に立てておりました日航自社の計画の中では、初めの三機を国内線転用する、それに対する代替分とそれから国際線の増強分合わせて四機というもので一三号機から一六号機、こういう考えであって、この考え方はおおむね可能性のある考えではないか、こういうふうな判断をその時点でしたわけでございます。
  311. 永末英一

    ○永末委員 この分につきまして翌年の二月からいわゆる行政指導が始まるのでありますけれども橋本運輸大臣は当時二月二十日、衆議院の予算委員会第五分科会で答弁をいたしました。その中で、安全性の確保や空港整備の対応を前提考えるという条件を挙げただけで、エアバス導入をそう急ぐ必要はない、こういう答弁をしておりますが、需給がアンバランスになって、需要が少なくて供給が多過ぎるようになるのだということを言っておらぬのでありますが、どういうことですか。
  312. 木村睦男

    木村国務大臣 その折の質問需給の問題ではなくて、安全性それから空港の整備問題等を理由に挙げられてたしか質問をしておられたわけです。そういうことだから、急ぐべきではないではないかという意味の御質問に対して、それに対応して運輸大臣がいまお話しのような答弁をしておるようでございます。
  313. 永末英一

    ○永末委員 木村さん、そういう前提なしで先ほどからの議論をずっと聞いておりますと、ここであなたの方の監理部監督課ですか、そこで議論になったのは、まさにその需給対策だけであるというような御答弁が先ほどから続いておったわけです。ところが、当該大臣はその時点では需給対策なんか全然考えもしないで、公害とか何とかというところに焦点を置いて考えている。それは別の話ですね、整備計画が不十分であるかどうか、そういうところが問題であったとか。だから、そのときの主題と後からつくられた考えとは違うではありませんか。どっちが本当なんですか。
  314. 木村睦男

    木村国務大臣 恐らく需給状況も当時はしばしば答弁申し上げましたような状況でございますから、大臣も十分それを承知しておるはずでございますので、たまたまいまお話しの答弁は御質問に対応する範囲で答弁したので、その意味では十分ではなかったのではないかと思います。
  315. 永末英一

    ○永末委員 六月には「四十七年度幹線用機材について」という、いわゆる橋本大臣行政指導が出てくるのでありますが、この中で、日航の供給力が不足するとすればDC8−61を転用すればいいのではないか、こういうことを言っておるわけです。さっきから聞きますと、機種選定というようなことにはタッチしないのだ、ただ供給や需要のことは考えるけれども機種をどうするかというのにはタッチしないのだと声を大にして言っておられますけれども、ここに至って機種のことを強調して指導しておられるわけですね。どういうことですか。
  316. 松本操

    松本説明員 四十六年六月一日におきましていろいろと数字を挙げて議論をしておるわけでございますが、DC8−61というのはもうすでに日航の持っておる飛行機でございます。これの定員というのもわかっております。したがって、この飛行機は国内線にも持ってくるという、現に持ってきてもおるわけでございます。したがって、それを踏まえまして一・五機を入れればどうなるとか、何機入れればこうなるとか、全体の供給輸送力というものはこういうやりくりで合うではないか、こう言っておるので、DC8−61をこれから買えとかそういうふうなことで言っておるわけではございません。現にある飛行機、現に使われておる飛行機をやりくりして機材機数を計算すればこのようにつじつまが合うではないか、こういう言い方をしたわけでございます。
  317. 永末英一

    ○永末委員 いまのは詭弁というのでありまして、JAL側の言いたいのは、747を国内線転用したい、そして不足する国際線についてはすでに認可のある取得された四機を実施したい、こういうことでしょう。その前段のところであなたは議論しておられますけれども、結局のところ、この文章のその次に書いてございますように、国際線用のDC8−61を国内線転用するとするとそれでもいけるのじゃないか、こういうことを言い、そして取得すべきものについてはこれはデリバリーをおくらせたらいいと、その買うことについてストップさせていますね。これはどういうことですか。
  318. 松本操

    松本説明員 つまり、これから新しくどうこうしようというのではございません。現在手持ちの飛行機をやりくりするという中で、いろんな定員が決まっておりますから、これとこれとを組み合わせればこうなるではないかという話をし、そしてこのデリバリーの問題も、すでに発注をしてしまってある飛行機でございまして、これを持ってくるとオーバーキャパシティーになってしまうのではないか、こう言っておるだけのことであるというふうに御理解をいただきたいと思います。
  319. 永末英一

    ○永末委員 木村運輸大臣は九月一日の鶴見・インガソル会談について、五月二十七日の本委員会で内容について答弁をしておられました。これについてもう少し詳しく伺っておきたいのでございますが、八月末に航空会社からのヒヤリングをもとに需要予測をやったのだ、こういうことでございますが、どの会社からどういうヒヤリングを受けたか明らかにしていただきたい。
  320. 松本操

    松本説明員 三億二千万ドルを出します過程といたしましては、日航及び全日空あたりからどういうふうな機材発注できるかという点を一応聞きながらそれを私どもの方で取りまとめをしていった、こういうことでございます。
  321. 永末英一

    ○永末委員 日航からは具体的にどういう機材が幾ら、何機、全日空からはどういう機材が幾ら、何機という申し入れがあったのか。  それから日航全日空等と申しましたが、その等はどこであるか。
  322. 松本操

    松本説明員 日本航空からは四十七、四十八年度にわたってどういうものを入れるのかということを聞いております。747、これは当然LRの方でございます。大型ジェット機、これは機種不明でございます。DC8の61、これは中古を買ってきたい。  全日空につきましては、727−200、つまり大型機——大型とは申せないかもしれませんが、727としては大きい方でございます。大型ジェット機、これも機種がはっきりいたしておりません。未定のままでございます。  それから「等」と申しましたのは、東亜国内でございまして、これは727クラスとか8クラスとか言っているだけでございまして、どんな飛行機かもよくわかっておりません。
  323. 永末英一

    ○永末委員 総機数十六機というのは、どうやってはじいたのですか。
  324. 松本操

    松本説明員 いろいろ初期の段階ではいろいろな数字があったようでございますが、最終的に整理をいたしました段階におきまして、大型ジェット機が四十八年度分といたしまして九機、四十七年度分といたしまして七機、これを足しますと十六になるかと思います。これらをいろいろな値段ではじいた中の一番安い方をとって、つまりかたく押さえたという形で勘定いたしまして、さっき中古が入っておりますと申し上げましたが、中古のようなものは最後には落としていった、こういう過程でございます。
  325. 永末英一

    ○永末委員 中古というのはDC8−61のことであったと思います。先ほど申されたのは。そして、いま大型四十七年度七機、四十八年度九機というのは、先ほど機種、型不明な全日空日航大型ジェット機と、こういう大型の部分でございましょう。だから、したがって、その単価を出そうとすれば、大型の機種を言わなければ出ないじゃないのですか、機種が出ておったのでしょう。
  326. 松本操

    松本説明員 中古は、先生おっしゃいますように、8の中古でございます。  それから大型ジェット機国内線用七機、こう申しております分につきましては値段がよくわかりませんので、七機で一億八百五十万ドルから一億八千三百六十万ドル、それから大型ジェット機、先ほどのうちの国際線用につきましては、これはジャンボLRでございますので、これは一億一千五百万ドルというぴたっとした数字を入れまして、さらに国内線用のものについてもよくわかりませんので、七千七百五十万ドルから一億三千万ドルという問の数字をとって、両方を計算をいたしました。その中で小さい方の数字を押さえた、こういう趣旨でございます。
  327. 永末英一

    ○永末委員 国内線用大型ジェット機というのは、何を対象にして計算したのですか。
  328. 松本操

    松本説明員 どの機種というわけではございませんで、当時エアバス、こう言われておりましたものの価格から747のSRの価格、こういうふうな問のところを目見当にして出しておるわけでございます。この価格も問い合わせたぴったりしたものではございません。
  329. 永末英一

    ○永末委員 エアバスというものの中には、問題となっておりますロッキード・トライスターもあるのでありますから、トライスターの価格も参考にされましたね。
  330. 松本操

    松本説明員 エアバスと申しますのは、大体三発の大型機というふうな感覚で当時とらえておったようでございます。当然、おっしゃいますように、いろんな値段を問い合わせたと思いますけれども、正確にどこでどういうふうに見積もり合わせをしたとか、そういうふうなものであるとは思いません。
  331. 永末英一

    ○永末委員 トライスター、入っておるのでしょう。
  332. 松本操

    松本説明員 入っておると思います。
  333. 永末英一

    ○永末委員 計算したのはだれですか。
  334. 松本操

    松本説明員 当時こういう細かな計算は監督課でいたしておりますので、だれかと申されましても、何のたれ兵衛は存じませんが、監督課の担当者がしたものと思います。
  335. 永末英一

    ○永末委員 運輸大臣、あなたのところの省は、ポイントのところに来ると、わからぬと言うのですね、さっきから。おかしいですね。やはり明快にしてもらわないと、国民から見ますと、運輸省は何をしておるのだということになります。その当時の人がおられないかもしれませんが、三発のエアバスと言えばトライスターですよ、それは。トライスターが入っておると私は思います。あなたはどう思いますか、あなたの答弁願います。
  336. 木村睦男

    木村国務大臣 いま次長が申しておりますように、入っておるのではないかと思いますが、ただ、いまの値段は本当に概算で押さえて出した数字でございますので、どれが何ぼで、これを何ぼ買うということではなかったということは、私も当時の事情をよく聞いております。
  337. 永末英一

    ○永末委員 終わります。      ————◇—————
  338. 田中伊三次

    田中委員長 それでは、この際、証人出頭要求の件についてお諮りをいたします。  ロッキード問題に関する件について調査のために、来る六月十六日午前十時に渡辺尚次君、それから同日の午後一時三十分に長谷村資君、翌十七日午前十時に大庭哲夫君、以上三名の諸君を証人として本委員会に出頭を求めたいと存じます。これに御異議はありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  339. 田中伊三次

    田中委員長 御異議なしと認めて、さよう決定をいたしました。  衆議院規則第五十三条の規定により、その手続をとることにいたします。  この際、暫時休憩いたします。     午後三時十八分休憩      ————◇—————     〔休憩後は会議を開くに至らなかった〕