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1976-05-27 第77回国会 衆議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十一年五月二十七日(木曜日)     午前十時八分開議  出席委員    委員長 田中伊三次君    理事 大橋 武夫君 理事 亀岡 高夫君    理事 谷垣 專一君 理事 中村 弘海君    理事 松永  光君 理事 田中 武夫君    理事 横路 孝弘君 理事 松本 善明君    理事 坂井 弘一君       上村千一郎君    小山 長規君       佐藤 文生君    坂本三十次君       菅波  茂君    瀬戸山三男君       古屋  亨君    箕輪  登君       渡部 恒三君    稲葉 誠一君       大出  俊君    斉藤 正男君       楢崎弥之助君    松浦 利尚君       庄司 幸助君    中路 雅弘君       三浦  久君    鈴切 康雄君       河村  勝君    永末 英一君  出席国務大臣         運 輸 大 臣 木村 睦男君         国 務 大 臣         (防衛庁長官) 坂田 道太君  委員外出席者         国防会議事務局         長       内海  倫君         国防会議事務局         参事官     伊藤 参午君         警察庁刑事局保         安部長     吉田 六郎君         防衛庁参事官  岡太  直君         防衛庁長官官房         長       玉木 清司君         防衛庁防衛局長 丸山  昮君         防衛庁経理局長 亘理  彰君         防衛庁装備局長 江口 裕通君         防衛庁装備局航         空機課長    筒井 良三君         法務省刑事局刑         事課長     吉田 淳一君         大蔵省主計局主         計官      古橋源六郎君         運輸省航空局長 中村 大造君         ロッキード問題         に関する調査特         別委員会調査室         長       中里  煥君     ――――――――――――― 委員の異動 五月二十七日  辞任         補欠選任   山村治郎君     中村 弘海君   庄司 幸助君     中路 雅弘君 同日  辞任         補欠選任   中路 雅弘君     庄司 幸助君 同日  理事山村治郎君同日委員辞任につき、その補  欠として中村弘海君が理事に当選した。     ――――――――――――― 五月二十四日  一、ロッキード問題に関する件 の閉会中審査を本委員会に付託された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  理事補欠選任  証人出頭要求に関する件  ロッキード問題に関する件      ――――◇―――――
  2. 田中伊三次

    田中委員長 これより会議を開きます。  ロッキード問題に関する件について調査を進めます。  まず、防衛庁及び国防会議事務局から順次発言を求めることにいたします。坂田防衛庁長官
  3. 坂田道太

    坂田国務大臣 衆議院ロッキード問題に関する調査特別委員会に対しまして防衛庁長官といたしまして御報告を申し上げます。  防衛庁は、昭和四十三年ごろから対潜哨戒機能向上のための各種調査研究を進め、当時は米国からP3Cを導入できる見込みがなく、かつ、国内開発によれば所望性能のものが得られるとともに、防衛基盤の培養にも資するという考えのもとに、昭和四十五年度概算要求におきましては次期潜機として必要な基本的性能諸元の概略等検討するための調査研究費を、昭和四十六、四十七年度概算要求においては基本設計費等要求いたしました。  右各年度予算編成に際しまして、次期潜機国産化前提とする研究開発可否の問題が大蔵防衛省庁間において議論されておりますが、各年度予算に計上されました次期潜機関連経費は、いずれも国産化前提とするものではなく、国産化前提とする研究開発を行うか否かを決めるに当たり必要となる基礎的、技術的な調査研究を行うための経費でありました。  このような状況下で、四次防策定の作業を通じて、大蔵防衛省庁間で、この問題についての調整が続けられましたが、依然意見が一致せず、昭和四十七年二月七日の四次防の大綱においても、また同年十月九日の主要項目においても、国産化前提とした次期潜機研究開発を行うことは定められず、同日の国防会議議員懇談会において、次期潜機等の「国産化問題は白紙とし、今後輸入を含め、この種の高度の技術的判断を要する問題については、国防会議事務局に、専門家会議を設ける等により、慎重に検討する。」旨の了解がなされました。  この「了解事項」に基づき国防会議事務局に設置されました専門家会議は、昭和四十九年十二月二十七日答申国防会議事務局長に提出し、この答申は、同月二十八日の国防会議議員懇談会に報告され、同懇談会は、この答申趣旨参考にして、次期潜機国産化問題の取り扱いについて「その装備化検討するに際し必要となる技術的、財政的基盤等の諸条件につき、関係省庁においてすみやかに調査検討すること」を了承いたしました。  防衛庁は、この了解事項に基づき、五十一年度予算編成に問に合うよう国内開発について所要の見直しを行うとともに、外国機導入する場合の条件等についても再度海外調査を行うなどして、国内開発外国機導入及びこれらの折衷案について比較検討を進めてまいりました。  しかし、昨今の経済財政事情の急激な変化もあり、昭和五十二年度以降の防衛力整備内容規模等について十分な見通しを得る段階に至っていないため、結論を得るまでに至らず、したがいまして、次期潜機の問題については、昭和五十二年度予算編成時までに結論を出すこととし、このことを昭和五十年十二月三十日の国防会議に報告し、その了承を得ました。  今後における次期潜機の選定につきましては、わが国対潜能力向上のため、できるだけ早期結論を得たいと考えておりますが、国民に疑惑を持たれるようなことがあってはなりませんので、慎重に取り扱う必要がございます。純粋に防衛上の見地に立って所望性能が得られ、費用対効果の上ですぐれているものを選定しなければならないと考えております。
  4. 田中伊三次

  5. 内海倫

    内海説明員 次期潜機に関します研究開発に係る経過概要につきまして、簡単に御説明を申し上げたいと思います。  この問題に関する経過につきまして、国防会議並びに国防会議事務局、特に事務局に設けました専門家会議に係る部分を中心に概要を御報告申し上げます。以下お手元に差し上げてございます資料に従って申し上げたいと存じます。  まず、昭和四十七年二月に四次防の大綱決定され、その後さらに検討審議が重ねられた上で、四次防の主要項目が同年十月に決定を見ております。  この主要項目決定国防会議に先立つ議員懇談会におきまして、当時の田中総理よりの御発言趣旨を受けまして、ただいま防衛庁長官より御説明のありました了解事項がつくられ、国防会議事務局専門家会議を設ける等のことが決められました。同議員懇談会了解事項としてこれらのことが合意されたのであります。  この了解事項成立までの経緯及び了解事項趣旨につきましては、去る二月二十一日防衛庁より発表されました「次期潜機問題の経緯について」のとおりであろうと存じますので、省略をさせていただきますが、次期潜機についてその国産化方針が決まっていたものを白紙にしたものではなくて、次期潜機国産化前提とする研究開発の問題のような高度の技術的専門的判断を要する問題については、専門家の慎重な検討を待って結論を出すこととされたわけでございます。  当事務局といたしましては、専門家会議設立のための準備に入ったわけでございますが、事前に検討すべき事項がたくさんございまして、各省庁との調整等をも要し、人選にもかなりの苦労をいたしました結果、四十八年八月上旬、国防会議幹事会に諮った上、同月十日に発足を見ました。  この会議諮問いたしました事項は「次期潜機及び早期警戒機研究開発是非について」でございます。この諮問事項に関して、専門家会議はその後十九回の会議次期潜機に係るものとしましては十四回でございますが、これらを開きまして、慎重に検討を行っております。その各回の審議主題等につきましては、お手元資料のとおりでございます。  審議の結果、昭和四十九年十二月二十七日答申をいたしましたが、その答申内容は、簡単に申し上げますと、諮問の件に関しては可否いずれとも決しがたいという趣旨のものでございます。さらに、付言といたしまして、条件さえ整うのであれば国産化が望ましいが、現実の問題としては、一段階先研究開発を含みとしつつ、当面外国機導入を図ることもやむを得ないという意見が付されております。  この答申を受けまして、翌日国防会議議員懇談会に報告いたしました結果、次期潜機につきましては、答申趣旨参考として「次期潜機については、その装備化検討するに際し必要となる技術的、財政的基盤等の諸条件につき、関係省庁においてすみやかに調査検討することとする」旨の了解事項につき合意されたわけでございます。  以上、きわめて簡単でございますが、概略説明申し上げました。
  6. 田中伊三次

    田中委員長 これで説明を終わりました。  ちょっと速記をとめて。     〔速記中止
  7. 田中伊三次

    田中委員長 速記を始めて。     ―――――――――――――
  8. 田中伊三次

    田中委員長 それでは、質疑の申し出があります。順次これを許します。まず箕輪登君。
  9. 箕輪登

    箕輪委員 ただいま防衛庁長官並びに国防会議事務局長さんから、本件に関する今日までの経過について御説明をいただきました。  いま問題になっておりますP3Cに関する、国防会議国産化白紙還元されたと言われております四十七年十月九日は、その了解事項として「国産化問題は白紙とし、今後輸入を含め、この種の高度の技術的判断を要する問題については、国防会議事務局に、専門家会議を設ける等により、慎重に検討する。」ということを了解事項として合意したわけでございましょう。そこで、いまも私が質問に立ちましたら、当時の防衛政務次官だなんていうお話がありました。私は、十月九日は防衛政務次官ではなかったのでありますが、その後十月の十七日に防衛政務次官を拝命いたしました。拝命後、この国防会議了解事項等についても事務当局から政務次官としていろいろ説明を聞いておりました。この問題は大した問題にはならないという気持ちがあったのでありますが、今日大変大きな問題になりました。当時を振り返って私、考えますと、防衛庁、特に海上自衛隊は、とにかく国産だということで、国産国産ということをしょっちゅう要望され、私ども大蔵省にその旨を要望しておったのでありますが、こうした事件が起きてみますと、私は当時を振り返ってみて、防衛庁に住んで防衛庁の飯を食べておった者としても、その疑いを持たれるのは全く心外だという気がいたすのでありますが、しかし、振り返ってみますと、これは世間がいろいろと疑問を持つ、また、野党の方々の質問もありますが、私自身が防衛庁の飯を食っていながら、これはどういうことなんだろうかという、疑いと申しては悪いのでありますけれども、疑問が二、三出てまいるのであります。  そこで、ひとつこれを明快にしておかなければならないと思いますので、再び御答弁をいただきたいのでありますが、「国産化問題は白紙とし」という言葉が非常に問題になってくるのではなかろうか。特に昭和四十五年度からのこの次期潜哨戒機予算要求を見ておりますと、確かに防衛庁は、四十五年には技術調査研究委託費という科目予算要求をいたしておりますが、四十六年には、次期潜機設計研究委託費という名前で、おおむね十九億円ぐらいになりますかの予算要求をやっておられるようであります。こういうふうに国産国産ということで防衛庁概算要求を出しておったのでありますが、確かに成立予算を見ますと、大蔵省の方は、次期潜機設計研究委託費などという名前ではいけません、技術調査研究委託費だということで、四十六年もその要求科目まで変更されておりますので、ここで防衛庁大蔵省の問に国産輸入だという議論が煮詰まっておらなかったことが如実に書かれておるのであります。しかしながら、防衛庁国産要求に対して国産化問題は白紙となりますと、もう国産はあきらめるんだというような印象にとられてしまうわけでありますが、ところが、了解事項をよく読んでみますと、あきらめたのではなくて、国産あるいはまた輸入にしても、専門家会議を開いてそこで決めてもらうんだというのが、この了解事項内容から見てそう判断されるのではないだろうかというように思いますが、防衛庁長官、もう一つここのところをはっきりと御説明をいただきたいと思います。
  10. 坂田道太

    坂田国務大臣 確かにそういう御疑問のあることもわかるわけであります。いま箕輪さんの御質問でございますが、「国産化問題は白紙とし」という表現が、一般には国産化白紙とし、というふうに解されがちでございますが、これは、いま申し上げましたように、大蔵省防衛庁との従来の議論が非常になされて、なかなか意見の一致ができなかった、その国産化是非についての従来の論議を一遍白紙にして、とこういう意味合いでございまして、先生いま御指摘のとおりでございます。
  11. 箕輪登

    箕輪委員 大体わかってきたのであります。国産はあきらめたということではないんですね。ですから、国産を含め、輸入を含め、どっちにするかということを専門家会議をつくってひとつ検討してもらう、そこで結論が出たものについて防衛庁も従っていこうと、こういうことでございましょう。
  12. 坂田道太

    坂田国務大臣 そのとおりでございます。
  13. 箕輪登

    箕輪委員 それならば、もう一つ疑問が出てくるのでございますけれども、四十七年度次期潜機設計研究委託費という科目で十八億二千三百九十五万円を予算要求いたしておるようであります。これは技術調査研究委託費という科目名前が変更されて六億八千六百万予算が四十七年度決まっておったのです。ところが、決まっておったのですけれども、この四十七年度の途中、すなわち十月九日の国防会議で、ただいま了解事項を読み上げていただきましたが、こういう了解事項のもとに専門家会議をつくることが決まった。したがって、予算はついていたのでありますけれども予算の執行はゼロであります。一銭も使っていない、こういうことなのであります。ところが、四十八年度予算では試験研究費として四千五百万円程度のお金がついております。このお金は一体何のお金なのですか。四十七年度ではせっかくついた予算が執行されていない。ところが四十八年度では四千五百万ほどの予算がついておりますが、これは使われておりますが二千百万ほどの金しか使われておりません。これは一体何のお金か、御説明をいただきたいと思います。
  14. 江口裕通

    江口説明員 四十八年度につきましては、先生指摘のように、一応概算要求といたしまして二十七億円の設計研究委託費要求いたしたわけでございますが、いま御指摘のありましたような専門家会議設置等事情がございましたので、結果におきましては対潜哨戒機開発可否検討調査のための費用ということで、試験研究費という費目におきまして四千五百万円の金が付せられております。これは執行いたしましたものは二千百万円でございますけれども、主として専門家会議等におけるいろいろな研究等を行いますための参考資料等の収集に当たる、あるいは作成に当たるというふうに支出しております。
  15. 箕輪登

    箕輪委員 ここは私も知っておるのですよ。これから先が私ちょっとわからないのですよ。  そこで、いまの問題は、私も政務次官当時のことですから、覚えているので、これをもう一回確認して先のことを聞きたいために聞いたわけでございます。  さて、その後のことでございますが、いままでのものは国産とも輸入とも決まっていない、したがって専門家会議国産の飛行機の可否についてもう少し研究しなければならないということで、試験研究費名前でもって四千五百万円ほどの予算をつけてもらった。これでもう終わったのですか。専門家会議がその後でき上がったわけですよ。そこにまた諮らなければいけない。四十九年、五十年、五十一年の三年間はもう国産に対する予算要求というか、開発研究費要求は全然してないように思うのだけれども、しているならしている、どれだけの金がついているんだ。してないとすれば、もうあきらめてしまったということにとられてしまうのであります。専門家会議結論が出ないうちに、もうこれはあきらめたんだ、こういうふうにとられてしまうのです。ですから、どうして四十九年、五十年、五十一年の三年にわたって予算要求を全然しなかったのか、この点をひとつ説明していただきたいと思います。
  16. 江口裕通

    江口説明員 その前後の話でございますが、四十七年度につきましても同様な事情がございまして、一応専門家会議ができるということで予算効率使用等の問題がございまして、実際は執行しておりません。要するに、専門家会議があります間はまだ国産にいたすのか、あるいは輸入にするのか、そういう問題が定かではございませんので、それを待って予算要求をするということでございまして、予算要求はいたしておりません。
  17. 箕輪登

    箕輪委員 それではもう一つお尋ねいたします。  これは防衛庁長官に御答弁いただきたいのでありますが、次期潜機の問題は昭和四十三年ごろから問題にされていたのであります。そこで、十年後の対潜哨戒機はどんなものがいいだろうかということで、海外照会をいたしております。特に四十三年三月八日にP3C用ANEW機器に関する資料提供在日米軍事援助顧問団に要請いたしておりますが、その後お話を承りますと、現時点においてはANEWに関する資料日本政府提供することはできないという御回答があったわけであります。  そこで、ANEWに対する資料も入ってこないとなれば、どうしてもわが方で性能の高い次期潜哨戒機国産化しなければならない、こういうふうに考えたわけでございましょう。そして今日までの経過になったわけでありますが、さて、一回ANEWに対する資料日本政府には提供できないと言っておったのでありますが、それが四十八年になってから日本提供してもよろしいというふうになってきた。ちょうどそれに符合してくるのであります。  四十七年の国防会議での了解事項白紙還元と言われたもの。そのときにはまだP3Cの概要についての説明アメリカからも何も受けられなかったが、これが白紙還元されたと言われてしばらく経過してから、すなわち四十七年の十一月十五日になってから、相互防衛援助事務所申し出によって海幕実務者が、P3Cの概要について説明するからお聞きなさいというわけで、説明聴取をやった。その後、四十八年になってからP3Cの見学、試乗などもやった。それから経過しまして四十八年七月三十一日になりましてから、ようやく米国海軍省からP3Cのリリースは可能であるという返答が来た。  ところが四十七年十月九日に国防会議が開かれて、この問題をしばらく専門家会議に任せるということになった。ところが専門家会議が一向に構成されない。ようやくP3Cがリリースできるようになった。これが四十八年七月三十一日であります。そのときにようやく、ちょうど日にちが同じくらいでありますが、専門家会議ができるようになった。あたかもそれまで専門家会議ができる――だんだんおくれていきますと、国産研究開発が間に合いませんとどうしても輸入につながっていくのです。そういうことを皆さんが疑問に抱かれるのだろうと思うのです。ここのところの説明がよく行われないと、余りにも日にちが符合してしまうのです。だから、これをよく御説明いただきたいと思うのです。  これは防衛庁長官もまた国防会議事務局長にも関係すると思う。専門家会議がどうしておくれたのだということでございます。P3Cを輸入するためにわざわざおくらしたのじゃないかという疑問が持たれるわけでありますから、そこのところをはっきりと私ども説明をしていただかなければならない、かように思うわけです。
  18. 坂田道太

    坂田国務大臣 その辺が非常に微妙なところでございますので、正確に防衛局長から御答弁を申し上げます。
  19. 丸山昴

    丸山説明員 アメリカのP3Cのリリース意向が示される過程について御説明を申し上げたいと思います。  もともと、先ほど防衛庁長官から御説明申し上げましたように、四十三年当初からこのP3Cの電子機器開発のプロジェクトがアメリカで進んでおりまして、それをANEW計画と称しておりましたが、このANEW計画に関する資料提供を四十三年当時から海上幕僚監部ではアメリカに対して要求をしておったわけでございますが、アメリカからはこれについてのリリース意向はないという回答をずっと得ておりました。それが、国産化という方向に行く一つの原因であったわけでございますが、私ども海上幕僚監部が、公式ではないのでございますが、非公式に最初にアメリカリリース意向というものを知り得ましたのは、四十七年の八月に、当時ワシントンにおりました海上幕僚監部から派遣されておりました防衛駐在官から私信で、アメリカとしてはリリースをする意向のようであるということを当方連絡がございました。しかしながら、当時は、海上幕僚監部としては、国産化方針を決め、そして予算要求もしておるという段階でございますので、その点については一応知りおくということで、海上幕僚監部それ自体としては、あくまでも国産化方針で臨みたいということで進んでおったようでございます。  それが、その年の十月九日の了解事項がございまして、そして十一月にMDAOの方から――MDAOと申しますのは在日米相互援助事務所でございますが、ここからP3Cについての概略説明したいという連絡がございまして、そこで、海上幕僚監部から参りまして、このときの説明は大変大ざっぱなものでございますが、そういう説明を受けておるということでございます。これは、大体いまの八月の非公式のリリース連絡があったということを前提に考えておりますので、リリースということを前提にこういう説明をしておるのではないかという漠然たる判断があったように聞いております。  引き続きまして、翌年の一月の二十九、三十だったと思いますが、岩国にP3Cが三機飛来をいたしまして、この機会に実機について視察をしないかという申し出が、在日米海軍から海上幕僚監部の方に連絡がございました。海上幕僚監部、それから技術本部におります海上自衛官が参りまして、実際この航空機に搭乗をして実地の体験をした、こういうことでございます。  したがいまして、四十八年の六月に、これは十一月に海外調査団を派遣する計画を持っておりましたので、専門家会議が開催されるということになりますと、当然諸外国の対潜哨戒機に関する資料についての御諮問があるということで、当方でみずからの研究資料を整えますと同時に、またそういう御要望にも応じ得る体制をとりたいということで、その準備といたしまして、アメリカとイギリスとフランス、それぞれに対潜哨戒機に対する照会を出しております。これは外務省を経由して出しておるわけでございます。  そのうちアメリカにつきましては、P3Cについてライセンス生産可能性があるかどうか、そのライセンス生産の場合にはどういう条件が付せられるのか、経費その他の問題でございますが、こういう点についての照会を出しております。それに対して七月に、ライセンス生産をする場合にはこれこれの条件を付するという回答があったわけでございまして、私どもとしては、アメリカが公式にリリースの意図を表明したというのは、この七月の回答をもってそう判断すべきではないかというふうに考えておるわけでございます。
  20. 箕輪登

    箕輪委員 防衛局長にもう一回尋ねなければならないのですが、ちょっと私の質問に答えたことにならないのであります。その経過は私はよく存じ上げております。だからその説明は要らないのです。  お聞きしたいことは何かと申しますと、四十七年の十月九日の日に専門家会議をつくりなさいということになったのです。ぼくはいいことだと思ったんですよ、その後政務次官になって。十数年前のFXでえらい何か疑惑があったのです。今度は専門家会議ですから、防衛庁も入らないところで決まるのですから、これは非常にいいことをやってくれたものだ、また、それを発言してくれた田中さんというのは非常にいいことをしてくれたものだと私は思っておったのです。ところが、その後専門家会議がなかなか構成されないのです。そしていまあなたの説明のような経過があって、ようやく七月三十一日にP3Cのリリースは可能である、しかもライセンス生産もオーケーである、そのときの条件はこうだというような回答が来た。このときまでまだできないのです。ところが、七月三十一日にようやくP3Cのリリースは可能である、ライセンス生産もオーケーだという回答アメリカから来たのです。アメリカ海軍省から来たのでしょう。そしてその直後にようやく、一年がかりみたいなものでありますが、八月十日になってから、国防会議の中に次期潜機及び早期警戒機専門家会議第一回が招集された。ですから、あたかもそのP3Cのリリースのオーケーという回答が来るまで、余りにも偶然の一致かもしれませんけれども専門家会議を構成しなかったのだというふうに思われるのではないだろうかと思うのです。その点をひとつよく説明をしていただきたい、こう思います。
  21. 内海倫

    内海説明員 私の所管にかかわることでございますので、御説明を申し上げたいと思います。  まず最初に、提示されておりますP3Cのリリース専門家会議の発足が関連があるのではないかということでございますが、実は私どももその偶然の符合に本当に驚いておるのでございますが、率直に申し上げまして、防衛庁でそういうふうな照会をし、かつまた七月の末にそういうふうな返事があったというような問題は、私ども一つ防衛庁の方からは報告も聞いておりませんし、またそういうふうな情報も得ておりません。私どももいろいろ調べてみましたけれども防衛庁からもそういう報告はしておらない。なおよく聞いてみますと、専門家会議が開かれるそのときの資料要求準備のために防衛庁としてはやっておったのだ、こういうことを私ども承知いたしております。  したがいまして、まず最初に申し上げておきたいことは、そういうふうなリリースということと見合って専門家会議を発足させたというふうに意図的にお考えくださることは――私はやはり偶然の一致でしかないと思います。  そこで、経過を申し上げたいと思います。御存じのような了解事項が十月九日に出ましたけれども、これはすでにしばしば防衛庁長官からも御答弁されておりますように、国防会議議員懇談会の席上でこれが決められたもの。通常の例から言いますと、こういうふうなものは事務的に積み上げられて、しかる後そういうふうなものができるというのが例でございますが、私どもの仕事といたしましては、そういうふうないわば閣僚の間で決められた問題につきまして、事務的にどういうふうに取り運ばなければならないかということが非常に大きな問題でございました。内容といたしましても、次期潜機についての国産化問題を白紙とし、さらに今後の輸入を含めて国防会議事務局専門家会議を設ける等して云々、こういうことでございますから、そこでいろいろ検討しなければならない問題が多々ございました。  まず、一体その専門家会議というものをどういうふうに基本的な性格としてとらえていいのか。一言だけで言いますと、これは法律上の措置をとるべきものなのかとらざるべきものなのか、あるいは本来諮問機関である国防会議のその事務局の中に置かれるそういう専門家会議というものはどういう性格を持っていくべきものなのか、こういうことは非常に論議の多い問題でございました。結局、私どもは、法的な手続のない事務局長諮問機関という形でこれを取りまとめることに意見の一致を見ました。  さらに次に、この専門家会議に何をしてもらうのが本来の目的なのか。しばしば論ぜられますことは、これに機種の選定を任せるというふうに理解をされがちなんでございますが、すでに四次防の経過を十分検討されております上でも御承知のように、研究開発ということが問題の対象になっておるわけでございますから、結局この専門家会議検討すべきことは、将来の国産化前提とする研究開発に着手することの是非を論ずるのが専門家会議としての任務であろうということに、これも先ほど御質問にありました、いろいろな国産輸入かというふうな問題を含めまして検討いたしました。  次に、審議の範囲、これも時間が長くなりますから省略いたしますが、どのような審議範囲にとどめるべきか、あるいはなすべきか。さらに今度はこの構成をどういうふうにし、あるいは組織をどういうふうにすべきかというふうな問題、それから運営の方法をどうすればいいのか、あるいは答申の方式とかその取り扱いはどうかとか、こういうふうなことでいろいろ各省庁の問で意見が非常に交錯いたしまして、ようやく事務当局といたしまして一応の案を四月の中旬に得ました。そしてそれらをたたき台にして各省の調整をいたしまして、六月の下旬に最終的な案を得てこれを上司に報告いたしました。  その場合に、専門家として参加していただく人をどういう範囲でどういう立場におられる方にお願いをすることがいいか、こういう問題でございます。当時も言われておりましたことは、防衛庁関係あるいは企業関係を除いて一体こういう問題を論じ得る専門家がいるのかというふうなことが論ぜられましたが、利害関係という立場にある方はやはり除かなければなるまい。そうなりますと、選考の範囲というものがかなり縮減されてまいりました。そしてさらに具体的に就任をお願いするのにも大変苦労をいたしまして、七月末から八月に入ってやっとその人選が確定いたしまして、人選された方たちの日程を合わせまして八月十日という日を決めたのが実情でございます。  お聞き願った限りで、役人のすることだからという御非難もあろうと思いますが、私どもはそういう手順を運んで進めたわけでございます。
  22. 箕輪登

    箕輪委員 いま内海国防会議事務局長さんから御説明をいただきました。どうも偶然の一致だということでありますが、なかなか構成ができなかった、そしてP3Cのリリースが可能だというアメリカ海軍省からの返答がきたのが七月三十一日、そして七月の末から八月に入ってようやくその専門家会議の構成メンバーが決まって、御都合によって八月の十日に第一回の専門家会議を開いたのだ、これは全く偶然の一致なんだ、こういうことであります。きょうはその御答弁を承っておいて、また疑問な点がありますれば後日御質問したいと思います。  私の質問はこれで終わりますが、同僚の大橋先生から関連の質問がございますので……。
  23. 田中伊三次

    田中委員長 それでは、関連して大橋武夫君。
  24. 大橋武夫

    ○大橋(武)委員 特にいまの了解事項の点について伺いたいのでございますが、これは国防会議事務局長から、昭和四十七年十月九日の了解事項というものを、一応参考のためにお読みを願いたいと思います。
  25. 内海倫

    内海説明員 読み上げます。   次期潜機早期警戒機等の国産化問題は白紙とし、今後輸入を含め、この種の高度の技術的判断を要する問題については、国防会議事務局に、専門家会議を設ける等により、慎重に検討する。
  26. 大橋武夫

    ○大橋(武)委員 そこで問題は、この第一行でございますが、「次期潜機早期警戒機等の国産化問題は白紙とし、」こういうふうに書いてあります。続けて「今後輸入を含め、」「検討する。」こういうふうに書いてあります。それで、普通にこの文章を拝見いたしますと、白紙とするのでございますから、いままでは白紙でなかったわけだ。つまり、何らかの色がついておった、だから白紙にするという文句が生きてくると思うのです。そうなりますと、次期潜機あるいは早期警戒機等についての国産化問題というものは相当色がついておったのだ、それではまずいからこの際に白紙にしてしまう。こういうことになりますと、先ほど来の御説明と多少この字句の意味とが食い違いがあるのじゃないかという点を疑わざるを得ないと思うのであります。先ほどの御説明によりますと、国産化問題についてはいままで何らそれに傾いたことはないのである、したがって国産化になるか輸入機になるかどっちともわからなかったのだと言うならば、ここの「白紙とし」という意味は全然生きてこない。この点がいま問題になっておると思うのですが、一体どういうわけで「白紙とし」という文言がここに突如として出てきたのであるか、これについてひとつ詳細に御説明をいただきたいと存じます。
  27. 坂田道太

    坂田国務大臣 これは本来は事務局長からお答えになることだと思いますが、その前に、確かにこの文言だけを読めば何か色があって、そしてそれが白紙というのが常識的なことだと思うのです。それまでに次期潜機国産決定されておったとすれば、色があった、そしてそれが白紙に戻されたということで、これは素直に読めると思うのです。ところが、調べてみますと、その国産化ということを政府であるいは国防会議で決めたということはなかったということはもう明らかでございます。したがいまして、この文言そのものが確かにそういうふうにとられるおそれがあるということは言えると思いますけれども、事実関係調査いたしました結果は、それまでに色のあったような国産化を決めたことはなかったということでございます。
  28. 大橋武夫

    ○大橋(武)委員 この国防会議議員懇談会というと、内閣総理大臣を初め、数名の閣僚級の方々がおられるわけでございますが、それらの方々がおそろいになりまして、自然に白紙とするという文言がここに出てきて、だれも議員の問に書き方について疑問なりあるいは不自然な感じを受け取らなかったといたしますと、あるいは役所の方では決めていなかったかもしれないが、議員さん方の間にはおのずから、これは国産にしなければいかぬのだぞというような気持ちでもあって、それをいろいろ事務当局の話などを聞くと、なかなか簡単にいかぬから、これは白紙にしなければいかぬぞというふうにでもお考えになったのじゃなかろうかと推測するわけなんですが、そういうこともないのでございますか。
  29. 内海倫

    内海説明員 お答えを申し上げます。  「白紙」という言葉でございますけれども大蔵防衛省庁の問で次期潜機研究開発という問題がかなり長い問意見が一致しないまま論議され続けてきたことは事実でございまして、したがって、昭和四十七年の二月八日の大綱決定する際も、両者の論議が対立したまま、問題を残したままこれは決定されておりますし、さらに四次防の主要項目決定するその会議の席におきましても、まだ「電子機器等」という言葉でございますが、この「研究開発を行う」ということの具体的な内容に、次期潜機国産化前提とする研究開発を盛り込むかどうかということは、依然として防衛大蔵の間で論議がそのまま続いておりました。したがいまして、四次防の主要項目決定する直前の議員懇談会におきまして、そういうふうな、まだ両者が論議をしておるような問題については、第三者的な専門家意見を十分に聞いた上でそういう問題の方向を決めようではないかということで論議が行われて、その結果として、いわば大蔵省及び防衛庁の問で生じておった論議を白紙にしよう、こういうふうに了解が行われたもの、こういうふうに私どもは理解をいたしております。
  30. 大橋武夫

    ○大橋(武)委員 もう一つ、「今後輸入を含め」とあるから、いままでは輸入は問題になっていなかった。そこで、これから新しく輸入というものを問題にして、それをも含めて専門家に相談する、こういうふうに自然に読めるのですが、これについてはどう御説明をなさるんでしょうか。
  31. 内海倫

    内海説明員 先ほど読み上げました了解事項にもありますように、今後輸入を含んで、要するに、国産開発ということだけでなく、外国輸入機との対比も行った上で、いずれが是であるのかということを検討して、そして国産開発がいいかどうかというふうなことを検討してもらおう、こういう趣旨でございますので、お説のように、了解事項輸入を含んで検討するということになっております。
  32. 大橋武夫

    ○大橋(武)委員 それはわかっておるのですが、そういうことになると、いままでは輸入の問題はなかったと考えるのが自然だろうと思うのですが、輸入の問題がここで突如として起こってきたのですか。
  33. 内海倫

    内海説明員 確かに、いままでの防衛庁からも御説明申し上げておりますように、防衛庁といたしましては、国産化前提とする研究開発というものを希望して、いろいろ大蔵との間で折衝をしてまいっておるわけでございますから、その間において、少なくとも防衛庁側からは輸入という問題は白紙になる時点までは考えてはいなかった、こういうふうに思います。大蔵側がどういう見解を持っておったかということは、大蔵側での話では、要するに、輸入とかどうとかということとは別個に、過大な開発費を要する、そういう国産化前提とする研究開発というものに対してこれを認めがたい、ただしかし、次期潜機というものについて考えなければならないということの考え方は了承しておった、こういうふうに聞いております。
  34. 大橋武夫

    ○大橋(武)委員 そうすると、それは何か防衛庁会議の申し合わせならそれでいいのかもしらぬけれども、これは政府全体を代表するような国防会議議員懇談会であります。そこでこういう了解事項が申し合わされるということになりますと、いまおっしゃったような、防衛庁はいままで国産化しか考えなかったから、これから防衛庁輸入も考えることにしようというような文句でなく、これはやはり政府としての態度の決定なんですから、白紙とするということになれば、政府が白紙にするのですから、いままで色がついていたものが白紙になる。政府が今後輸入機を含めるということを決めるのだから、いままでは輸入機というものは問題になってなかったんだ、こういうふうに考えざるを得ないのですが、これはこの間この文書の作成されるに至りましたいろいろな事情もございましょうと思いますので、今後関係者等に十分に事情をおただしの上、はっきりした御回答を後日に期待いたしまして、終わります。     ―――――――――――――
  35. 田中伊三次

    田中委員長 この際、木村運輸大臣の発言を求めたいと思います。木村運輸大臣。
  36. 木村睦男

    ○木村国務大臣 民間機の大型機の導入経緯について申し上げます。  まず最初は、航空会社における大型機導入検討の状況でございますが、昭和四十年代に入りまして、航究機製造会社は、短距離型の大型機、いわゆるエアバスでございますが、この開発に本格的に取り組み始めまして、同時にわが国の航空会社も将来の国内旅客需要の増大を見越して関係者の間で非公式な研究を開始したわけでございます。  四十三年ごろには、エアバスの具体的な開発が開始されまして、これに伴ってわが国の航空会社に対する売り込みが始まりましたが、航空会社側の具体的な導入計画等が確定しないため、契約に至らず推移しております。  四十四年一月には、日本航空はエアバスの採用についての検討を正式に開始することとし、一方、全日空は四十五年一月に新機種選定準備委員会を発足させ、機種選定準備作業を開始いたしました。  両社とも結論を得ないまま四十五年末には、日本航空は、国内線への大型機の導入は、四十七年度に国際線用のボーイング747の投入、四十八年度に新大型機の投入という長期計画を策定し、一方、全日空は、四十七年後半から新大型機を投入するという長期計画をつくったわけでございます。  それに対して運輸省の当時の行政の状況でございますが、四十五年の十月の運輸政策審議会の答申を受けまして、「航空企業の運営体制について」というものを取りまとめて同年十一月に閣議了解を受けたわけでございます。  その中で「航空企業内容の充実強化を図り、航空の安全性の基礎のうえに、航空機のジェット化、大型化を推進する。」といっておりますが、四十六年に至りまして、需要増加傾向の鈍化、利用率の低下等の情勢を踏まえて、日本航空、全日空両社の長期計画の精査を行いましたところ、各社の導入計画の基礎とした需要予測は相当大きく、さらにそれを前提にそれぞれの自社の占有率を高めようとするものであり、その後の情勢の変化にかかわらず両社が計画どおり競って大型機を導入した場合には、相当程度供給過剰になること、当時新大型機はまだ就航しておらず未知数の要素が多いことなどの理由で、運輸省といたしましては、大型機の導入は延期した方が好ましいと判断いたしまして、日本航空、全日空に対して指導を開始いたした経緯がございます。  これに対して航空会社の対応でございますが、この運輸省の指導に対して、金日空は、需要の動向、準備期間等の観点から、大型機の四十七年度導入について流動的に考える方向に変わりましたが、日本航空は需要動向等の点から、四十七年度ボーイング747LRの国内線転用、四十八年度新大型機の投入という長期計画どおりといたしたいということを主張しております。  その後、運輸省と日本航空との問で需要予測、機材計画等のすり合わせを行いまして、四十六年九月、日本航空は、四十七年度におけるジャンボの国内転用は沖繩線のみにとどめ、新大型機の導入は四十九年度からとする長期計画に変更いたしました。一方、全日空は、四十六年七月の雫石事故により新大型機導入準備を中断することとなったのでございます。  四十七年の情勢と機種決定の状況でございますが、四十七年に入りまして、日本航空、全日空の機種選定の検討は本格化する一方、日本航空は沖繩線に国際線用のジャンボを投入する準備を進めましたが、空港事情等の問題で実現しませんでした。  この時期に運輸省では、四十五年の閣議了解「航空企業の運営体制について」の具体化について検討しており、大型機の国内線への投入についても種々の検討を加え、四十七年七月一日には「航空企業の運営体制について」を大臣通達として取りまとめたのでございます。  大型機導入問題につきましては、「国内幹線への大型ジェット機の投入は、昭和四十九年度以降これを認めるものとする。ただし、沖繩線については例外とし、空港事情の許すかぎり昭和四十七年度より大型ジェット機を投入し得るものとし、投入の時期、便数等については企業間において協議のうえ決定する。なお、その他の国内幹線においても共同運航等の方法により共存共栄をはかることが可能な場合には、各社協議の上、投入時期の繰上げをはかることを妨げない。」といたしまして、運輸省としての大型機導入問題に対する考え方を明確化いたしたのでございます。  四十七年夏には、日米貿易不均衡是正のための方策の一つとして、民間航空機について四十七年度及び四十八年度に総額どの程度の発注が可能であるかの検討を行いまして、八月末には、航空会社からのヒアリングをもとに需要予測等により修正を加え、資金調達方法が未確定であったこと、大型機の機種が未定であったこと等の不確定要素はそのままに大型機十六機を含む総額三億二千万ドルの発注額を取りまとめ、同年九月一日の鶴見・インガソル会談についての発表文において公表をいたしました。  このような情勢のもとに各社の機種選定作業は着々と進行いたしまして、十月三十日には、日本航空はボーイング747SR、全日空はロッキード一〇一一をそれぞれ選定し、公表いたしました。以上が大型機導入経緯でございます。     ―――――――――――――
  37. 田中伊三次

    田中委員長 質疑を続行いたします。楢崎弥之助君。
  38. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 私は、本日提出されました防衛庁、運輸省関係資料に対する質問の前に、緊急に調査をお願いしたい問題がありますので、それを冒頭明らかにしたいと思います。  実は、シグ・片山氏について緊急調査をお願いする件でありますが、以下明らかにする事項は、実はわが党の約一カ月に及ぶ党独自の調査によるもの、及びシグ・片山氏が社長をされておるユナイテッド・スチール社の元及び現従業員約二十人の証言をもとにしたものであります。  まず、いままでの報道その他によれば、シグ・片山氏は、御案内のとおり、にせの領収証づくりだけをやったというふうになっておるようでありますが、このロッキード事件において占めるシグ・片山氏の位置づけというものは、そういう簡単なものではない。たとえばユナイテッド・スチール社にはクラッター氏やエリオット氏等のロッキード関係者がしばしば出入りをしていたという事実、特にトライスターやPXL売り込み商戦が激しかった四十七年の秋から四十八年の初めにかけては、丸紅の関係者もシグ・片山社長は呼びまして、そして片山氏を中心にして再三打ち合わせの会議が開かれたという事実も証言によって明らかになっております。  次に、ユナイテッド・スチール社には、カリフォルニアのロッキード・インタナショナル社との間で交信をした英文のテレックスのコピー、それをとじたファイルが実は本社に置かれておる工以下それを私はロッキードファイルと呼びたいと思いますが、このファイルは市販されておる濃紺の表紙であります。厚さは約五センチ、全部で冊数は約三十冊前後あったはずであります。ユナイテッド・スチール社が取引をしておりましたたとえばハイケン・マイケル社あるいは不動産関係の会社などとの交信ファイル、そういうものと一緒にこのロッキードファイルは、本社はいま青山に移っておりますけれども、青山に移る前のまだ東京大手町のパレスビル内の四階――四階から六階にその後移るわけですけれども、その事務所の総務部のわきのたなと、それからシグ・片山社長室の二カ所に並べてあったという証言があります。その図面はここに実は用意をいたしております。  このテレックスはユナイテッド・スチール社に関して言いますと、ふだんの場合は週に一、二本交信する程度であったわけですが、問題の四十七年暮れから四十八年にかけましては一日に数本の交信がなされておる。片山社長からは丸紅の売り込み工作状況らしいものが交信されたという証言もあります。  ところが、このロッキードファイルが昨年の十二月末から本年の一月初めごろにかけてどこかに持ち去られた形跡があります。四トンのトラックで本社から突然姿を消しておるという証言があるわけであります。その運ばれた場所のおおよその見当は私どもついております。  そこで、このような事実あるいは情報を司法当局は知っておられるかどうか、お伺いをしたいと思います。
  39. 吉田六郎

    吉田(六)説明員 ロッキードファイルが持ち去られたというような情報を持ってこられたことがあるということにつきましては、十分承知しております。
  40. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 捜査当局としては、そういう重要な資料と思われるものが、まあ証拠隠滅とわれわれは思うのですけれども、そのために持ち去られたような疑惑はお持ちですか。
  41. 吉田六郎

    吉田(六)説明員 ロッキード事件の捜査につきましては幅広く捜査を行っておりまして、いろいろと情報もたくさん参っておりますので、それらにつきまして十分その確度など勘案の上捜査を続けておるところでございます。しかし、その情報に基づいてどれがどうであるかということは、この際答弁を差し控えさしていただきたいと思います。
  42. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 ただいま申し上げた事実等について捜査をされておりますでしょうか。
  43. 吉田六郎

    吉田(六)説明員 ロッキードファイルが持ち去られたというような情報を持ってこられた方がございましたということは、先ほど申し上げたとおりでございますが、本件について捜査するのかどうかとのお尋ねのようでございますけれども、一般的に情報提供をした者がだれであるか、またどのような内容の情報であるか、またその情報について捜査するかどうかは、捜査上支障を生ずるという観点から明らかにしないということで、ひとつ御了承をお願いいたしたいと存じます。
  44. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 このロッキードファイルは、もし押収することができるとすると、例の日米司法取り決めに拘束されない日本独自の貴重な証拠資料になり得ると私どもは確信をいたしておるわけです。そこで、わが党としては任意に調査し得るぎりぎりの限度まで努力をしたわけであります。したがって、何としても発見をして事件の真相解明に役立たせたいと思いますが、これ以上の調査は、強制力を持った司法当局にお願いせざるを得ない。そこで、わが党としましては、今日までいろいろな調査で知り得ました詳細な事実をひとつ情報として提供いたしたいと思いますので、ぜひその点で捜査をお願いしたい、こういうふうに思っております。いかがでしょう。
  45. 吉田六郎

    吉田(六)説明員 ただいまの御質問に対しまして、十分検討いたしたいということで御了解をお願いいたしたいと思います。
  46. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 それでは、その情報の提供の方法については後ほど相談をさしていただきたいと思います。  そこで、防衛庁及び運輸省両大臣にお伺いをいたしたいのですが、それぞれの省あるいは庁における現役の官僚の人が事情調査を受けておる事実がありますか。
  47. 坂田道太

    坂田国務大臣 いろいろの事情聴取は受けております。
  48. 木村睦男

    ○木村国務大臣 航空局の監督課長が何回か呼ばれて当時の事情説明をいたしております。
  49. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 大体それぞれ何人ぐらい行われておりますか。
  50. 木村睦男

    ○木村国務大臣 運輸省の方は監督課長が主でございまして、あと一人か二人ぐらいでございます。
  51. 坂田道太

    坂田国務大臣 四人ぐらいでございます。
  52. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 そこで、資料に基づいて若干まずPXL関係についてお伺いします。  いままでの衆参両院の関係委員会で明らかになった点を、もう一遍重要な点で確認をいたしておきたい。  まず、現有対潜哨戒機次期のPXLと代替する時期は大体何年ごろを予定されておるか。二番目に、国内開発国産開発の場合に、開発研究着手から量産体制まで大体九年ぐらいと言われておりますが、それでいいかどうか。
  53. 丸山昴

    丸山説明員 現有のP2Jの減衰に対応してPXLの実戦配備を開始する時期、これは現在の時点におきましては昭和五十七年以降というふうに考えております。もっともこれは検討中でございますので、若干延びる可能性がございます。
  54. 江口裕通

    江口説明員 開発期間といたしましては一応七年でございますが、量産体制に入るということになりますと八年ないし九年、まあ九年とお考えいただいて結構でございます。
  55. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 そうすると、算術計算で出てくるのですけれども、以上の確認からすれば、国産化の場合、少なくとも四十八年度から開発研究に着手しない限りは五十七年度に間に合わない、そういうことになりますね。
  56. 江口裕通

    江口説明員 量産に入るということになりますと、いま先生の御指摘のとおりでございます。
  57. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 国防会議事務局長にお尋ねしますが、四十七年十月九日の国防会議で、国産輸入、どうするかを専門家会議を設けて答申を出していただく、それが決まったわけですが、その答申の出る時期についてのタイムリミットは、全然問題になりませんでしたか。
  58. 内海倫

    内海説明員 専門家会議を設けました際に、防衛庁から研究開発については九年かかるということは聞いておりますが、特にタイムリミットを設けてということの御質問に対しましては、できるだけ早く慎重な検討を終えたい、こういうことでございます。
  59. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 タイムリミットが設けられていないということがそもそもおかしいのです。答申の出る時期いかんによっては空白が生ずる、そこにつなぎの問題が出てくることはだれが見ても明らかであります。ここに私はまず疑問を感じる。  だから、四十八年度から予算化しないと国産化の場合は空白が生じる、それがわかっていながら四十七年十月九日の段階白紙に還元したということは、つまり、そのときにすでに一年の空白ができることがはっきりしているのですね。さらに、専門家会議が設けられたのが四十八年の八月、これでまた一年おくれる、そして結論が出たのが四十九年の十二月。そうすると、もうそこで算術計算で出てくるのは三年間の空白ができます。そうすると、その空白の問題をどうするかということになると、もうこれは結論として、最低少なくともつなぎとしては輸入をせざるを得ない、こういうことになるのでしょう。これは算術計算で出てくる。どうですか。
  60. 内海倫

    内海説明員 お説のとおりでございますが、専門家会議を受け持った私どもとしましては、要するに、了解事項に基づいて、輸入を含んで、それらと対比しながら国産開発に着手の是非を慎重に論じていくということでございまして、できるだけ早い答えを得ることは当然でございますけれども、結果的にそういうふうな日時を追ったということは、これはもう事実でございます。  しかし、いつを目標にしなければならないということにつきましては、やはり検討というものが慎重にしかも真剣に行われなければならないということと関連してまいりますので、そういう点についての特別なタイムリミットというものは特に考えておりませんが、なるたけ早くということで努力をしていただいた次第でございます。
  61. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 四十七年十月九日に国防会議白紙還元をしたということは、国産は間に合わないから、もうそのときにすでにつなぎが必要になってくる、これはその時点で予想されますね。
  62. 内海倫

    内海説明員 私ども国防会議におります者あるいは専門家会議に参加していただいた者、これらが五十七年云々ということを承知いたしましたのは会議開催後のことでございますし、また論議の途中におきましても、防衛庁等の意見を聞きましても、もし開発がおくれた場合現用機をもって継続していくというふうなことも十分考えられるところでございますので、直ちにいま仰せのような開発がおくれて一つの段落ができたから当然に外国機導入しなければならないというふうな答えにはなってこないのではなかろうか、こういうふうに私どもは考えております。
  63. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 それでは、現実の問題として、こんなにおくれているのですが、長官、つなぎは現有機でやられますか。
  64. 坂田道太

    坂田国務大臣 この点はいろいろのオプションがあると思うので、諸般の事情をよく検討いたしまして決めたいと思っております。
  65. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 どうも後でこじつけられた理由のように私どもには思えるのです。だから、四十七年十月九日の国防会議白紙還元されたということは、これはどうしてもP3C導入のための政治的な決定だと客観的に思わざるを得ない、何としても思わざるを得ないわけですね。そしてさらにおかしなことに、四十九年十二月二十八日ですか、答申を受けての国防会議懇談会では、答申を受けて今後どうするかということは、関係各省において速やかに調査研究すると、さらにたな上げしているのです。結局ポスト四次防でどうかすると決めるのでしょう。そうすると、その間どうしても、先ほどから言うように、これは決定を見守りますけれども、私どもは、これはつなぎとしてP3Cを導入するということに追い込まれていく、こういうふうに思わざるを得ないわけですね。  それで、やはりわれわれの疑惑としては、国産化が決まっておって、それを白紙に返して、そしてP3Cに持っていくための政治的な決定がいわゆる四十七年十月九日の国防会議決定であるし、その後の防衛庁あるいは国防会議の行政指導を見てみますと、専門家会議の設置なりあるいは答申を出す前のあれが非常におくれておるというのは、そこに何らかの行政指導が絡んでおるのではないか、ずっとおくらしていく、やはりそういう疑惑に明確にこたえる必要があろう、私はそのように思うわけです。それは客観的な事実が余りそろい過ぎているからです。さっきのP3Cリリースの問題もそうでしょう。偶然の一致だとおっしゃったって、客観的にはそうは思えない。  それで、いま一つ、ここにロッキード社の一九七四年のアニュアルレポートがあるわけですが、これの三十二ページに――アニュアルレポートというのは、私よく知りませんけれども、恐らく株主総会に出す有価証券報告書みたいな権威あるものだと思うのですがね。これを見ても、一九七五年ですから昭和五十年ですね、昭和五十年度にはオーストラリアと日本とオランダがこのP3Cを購入することを検討しておる。これを四十七年の段階ですでにきちっと報告しているのですね、このアニュアルレポート、年次報告によると。だから、P3C輸入の方向へ行っておったことは何としても事実である、こういう疑問に答えられる必要がある、このように私は思うわけです。  私の持ち時間参りましたけれども、トライスターの件について一件、資料要求をしておきたいと思うのです。  それは、過日、わが衆議院予算委員会は、二月十六日、十七日及び三月一日の二回にわたる証人喚問の中で、全日空若狭社長の証言、偽証の疑いが濃いとして告発しました。新聞等によりますと、若狭社長は、意外であるというような談話を出されておったようであります。その二回の証人喚問の中で、たとえばDC10のオプションの事実はなかった、さらにはまた、大庭前社長から若狭社長に交代する際に、大庭社長からDC10オプションの引き継ぎを受けたことはないと証言されておるのです。それは、全日空の常務会の議事録を見てもらえばわかる、こういう証言が実は行われておる。したがって、若狭証人としては、その若狭証言の信憑性を主張されるならば、その全日空の関係年度の常務会の議事録を当委員会にもぜひ提出をされなければ、その辺のいきさつがわからないという重要なポイントになる資料であると思うのです。予算委員会もそれを要求した。予算委員会要求については、何か企業の秘密とかなんとか言って提出をされなかった。しかし、予算委員会が若狭証人を偽証の告発をやった以上、当委員会にぜひその全日空常務会の議事録、四十四年から四十七年までの議事録をひとつ委員長の指示によって提出をさせていただきたい、これをお願いします。
  66. 田中伊三次

    田中委員長 いまの全日空の議事録は出せますか、木村運輸大臣。
  67. 木村睦男

    ○木村国務大臣 会社の常務理事会の議事録でございますので、会社の機密に触れる問題もあろうかと思います。何しろ会社のことでございますから、会社が出す、こういうことであれば提出させるようにいたしますので、会社の方と連絡をとってみます。
  68. 田中伊三次

    田中委員長 運輸大臣、これは大事なものだから、運輸大臣からも積極的な姿勢でお話をしてください。
  69. 木村睦男

    ○木村国務大臣 わかりました。
  70. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 委員長、最後に一言。  予算委員会でも経験があるのでありますが、いまの議事録はもしかしたら押収されているかもしれない。しかし、予算委員会の経験によれば、司法当局と話をされて、一たん全日空に返した形にして必要な資料を出していただいた、そういう経験がありますから、ぜひひとつ御配慮をいただきたい。  以上で質問を終わります。
  71. 田中伊三次

    田中委員長 大出俊君。
  72. 大出俊

    ○大出委員 ひとつ坂田長官に念を押しておきたいのですが、この委員会ロッキード問題の真相を究明する委員会ですね。したがって、いわゆる次期潜哨戒機なるものの防衛的見地からというのではなくて、真相を明らかにする、この責任があるわけですね、本会議の議決でございますから。  そこで、長官、そういう意味で何よりも積極的かつ懸命にこの真相解明をお図りになる責任があなたにあると私は思っている。次期潜哨戒機をめぐる問題ですから、これはつまりあなたの管掌なさる組織内部の問題。そこに国民的な大変な疑惑が生じている、こういうわけです。そうすると、身に降りかかる火の粉でもある。ならば、あなたがきわめて積極的かつ能動的にどうしても解明する、懸命に解明しなければならぬ責任があなたにある、そうお受け取りでございますな。よろしゅうございますか。そこのところ、念を押しておきたいのです。
  73. 坂田道太

    坂田国務大臣 やはり次期潜哨戒機を決めるにつきましては、国民の疑惑を残したままで決めるわけにまいりません。したがいまして、私といたしましてもできる限り真相の解明に誠心誠意努力をいたしたいと考えております。
  74. 大出俊

    ○大出委員 それならば、それなりの御協力、がこの委員会に対していただける、こういうふうに考えます。  そこで、もう一点承っておきたいのでありますが、次期潜哨戒機なるものの選定はいかにするかという過程の中で、私は今日P3Cオライオンに決まってしまっておるという実は感じを持っておるのでありますが、このP3Cをめぐりまして、児玉譽士夫氏のロッキード社との問におけるコンサルタント契約がございます。おたくに降りかかる火の粉なんですから、この中身を恐らく御存じだと思うのですが、これをごらんになってどういう感じをお持ちになりますか。  いままでの経緯からすれば、トライスター導入その他をめぐりまして、コーチャン氏の証言もございますし、私はコーチャン氏にも会いましたし、チャーチ委員会委員長のチャーチさんにも会いました。児玉の領収証、トータル幾らありますかという質問をして、これこれです。十七億プラス端数がございますという答えがありました。トータルですからそうです。この中身は何ですかという質問までしています。つまり売り込みに対するコミッションだと言う。そうすると、この児玉・ロッキード契約P3にかかわるものは、こういう問題が起こらぬで、いま楢崎さんが質問しておりましたが、つなぎかどうか知りませんが、P3を買ったとなれば、五十機当たり幾らといって入っていく筋合いですね。この点一体どういうふうにお感じになりますか。  これはアメリカ国民に迷惑をかけないことになっておる、コーチャン証言では。販売単価にその分上乗せすることになっておる。そうすると、防衛の名のもとにとんでもないことができ上がったわけなんでありますが、この点どういうふうにお感じになりますか、念のために聞いておきたい。
  75. 坂田道太

    坂田国務大臣 その点がまさに問題のところだと思いますけれども、いままで私どもが調べました限りにおいては、直接そういうようなことを承知いたしておりません。
  76. 大出俊

    ○大出委員 あなた、おかしいのじゃないですか。真相究明にあなた自身が積極的かつ懸命におやりになる立場、そのことをあなたお認めになっておる。だとすると、この七三年七月二十七日のP3対潜哨戒機に関する契約、これは公開契約ですよ。これはアメリカの上院多国籍企業小委員会が一九七六年二月十三日に公表したものです。公のものです。この中で総額二十五億円、まず新しいP3型の対潜哨戒機五十機、これを日本防衛庁が買うのですからね。購入をした時点で十五億を支払い、次いで全機の確定契約をロッキードが受けた後六十日そうして九十日、二回に分割して五億円ずつ払う。二十五億大変な金ですよ。承知していないがごときお話というのは、これはいささか解せぬわけでありまして、何も承知してないのですか。
  77. 坂田道太

    坂田国務大臣 そことのかかわり合いがわからないということを申し上げたわけで、あるいは言葉が足らなかったかと思います。
  78. 大出俊

    ○大出委員 端的に承りますが、どこでどうかかわり合っているかがわからない、そういう意味だと思います。そうでしょう。しかし、この契約が七三年に結ばれたということの事実はお認めなんだから、かかわり合いがなければこの種契約ができることはない。後から申し上げますが、どこかにかかわり合いがあったから、五十機売れたらば二十五億円という契約を結んだんですね、ロッキードは。アメリカというのは契約には忠実ですから、結んだものは払う。骨を折らしたということでなければ――コーチャン氏はしきりに、お目にかかったときもそうですが、議会でも証言をされて、大変お世話になったと言っているわけです。私には、P3の模型を持ってきて、これはあんたが認めれば国会が決めてくれるのだから認めてくれ、買ってくれと言ったんだから、コーチャンという人は。骨を折ったからこの契約が結ばれた。そこまではそうお考えになりませんか。つまり、どこでどう介入したかわからぬがかかわり合いがあったと思われる、ここまではっきりできませんか。
  79. 坂田道太

    坂田国務大臣 少なくともわれわれの、防衛庁の人たちと直接そういうことにかかわりはなかったというのが、いままでの調査の結果でございます。
  80. 大出俊

    ○大出委員 そのことを言っているのではない。つまり防衛庁の方々と直接、と私は言っているのではない。P3Cなるものを日本が買う、この問題をめぐってかかわり合いがある。なければこの契約はできない。そうでしょう。おたくの関係で言っているわけじゃない。そう受け取らなければおかしいんじゃないですか。そこに真相究明が必要になってくるんじゃないですか。いかがですか。
  81. 坂田道太

    坂田国務大臣 いや、われわれの方ではまだP3Cというふうに決めたわけではございません。国産かP3Cか、あるいはその他いろいろのコンビネーションによるものであるか、これは何回も繰り返しておりまするように、いま四次防以後の防衛整備計画をどうするかという作業を進めておるわけで、もう先生御承知のとおりでございます。したがいまして……。
  82. 大出俊

    ○大出委員 いまの質問は、それじゃあ後でもう一遍改めて質問いたしましょう。  そこで、この際ひとつ要求と申しますか、資料をお願いしておきたいのでありますが、このたび資料としておたくの、これはずいぶんちゃちな資料だというふうに私は思うのですがね、長官。「衆議院ロッキード問題に関する調査特別委員会要求資料」ということで、四十三年から五十一年まででございましょうね、いただきました。ところが、これはさっぱりわからぬのですよ。一例を挙げますが、五十年の三月十七日「国防会議事務局参事官会議」というところから説明がついております。説明もずいぶんラフでございまして、資料たるに値するものでない。三月十七日の「海幕 相互防衛援助事務所」これはMDAOでしょう。このMDAOに「P-3Cについて照会」その後「五十年三月十七日の照会に対する回答の一部を入手」何も書いてない。というところから始まりまして、ずっと何も書いてないのがたくさんある。これはひとつ理事会で御相談をいただきますが、これは何とか資料になるようなものをいただかないと、項目だけ書いて何もなくては資料にはならぬのですから、題目だけでは。よろしゅうございますか。
  83. 坂田道太

    坂田国務大臣 どういうものがほしいということでございますれば、われわれの方で作成いたしまして提出いたしたいと思っております。
  84. 大出俊

    ○大出委員 そこで承りたいのですが、東京地検というわけにはまいりませんから法務省の方においでをいただいたのですが、皆さんの方は防衛庁に、今度の対潜機PXL問題に対するいろんな世間の疑惑があるということで、PXLにしぼって資料要求なさっている。また防衛庁はお出しになっている。つまり資料要求なさったということについて、どういう見地からPXLにしぼった資料を御要求になったのか、あわせて御回答いただきたい。  もう一点、きょうは参議院で法務省やっておりますからお忙しいから、そういう意味で二つ合わせて申し上げますが、この技術研究委託を契約をして頼みました川崎重工、私も何人か川崎重工の方にも聞いておりますけれども、川重に対してこれまた東京地検は、PXLにつきましての中心点は四十八年の予算要求前後までが中心のようでありますけれども、契約書その他含めて資料要求をなさって事情も聴取しておられますし、資料も出している。さきに申しました防衛庁からのものは、防衛庁からの口頭の説明も聞いておる。こういうわけでありますが、そのいま質問いたしました真偽のほどをひとつお答えいただきたいのであります。簡単で結構でございます。
  85. 吉田淳一

    吉田(淳)説明員 東京地検といたしましては、現在いろいろ疑惑を持たれることについて、その真相を解明すべく努力している過程の作業だと思います。児玉あるいは丸紅関係者につきましていろいろ捜査中でございますが、それの関係米国ロッキード社から流れました資金の使途につきまして、種々その解明を急いでおるところでございます。  御指摘のPXL関係その他につきましても、検察当局としては重大な関心を払っておると思います。先ほど関係当局から事情の聴取が何人か行われているというお話もございましたが、検察当局としては、法務大臣がこの間の国会で申し上げましたように、官庁関係者も含めまして事情の聴取をして、その際にいろいろ関係資料の提出を求めている。これはその他、御指摘の川崎重工業についても同様の事柄の延長線で、いろいろ必要な事情を聴取している、あるいは資料の提出を求めている、こういうことだと思っております。
  86. 大出俊

    ○大出委員 中身に入りますと時間もございませんし、また捜査の途中でございますからお答えいただきにくい面もあろうと思いますから、私、事前に皆さんと打ち合わせた限度でやめておきます。事実をお認めいただきましたからそれでいいのでありますが……。  そこで、長官に承りたいのでありますが、この国会にお出しになった資料はきわめてラフな、わけのわからぬものでありますが、東京地検の方に防衛庁がお出しになっている資料というのは、私が見た限り大変に詳細なんですね。これは私はお断りしておきますが、おたくの担当の方々に出してくれぬかと言った、やはりちゃんとしたものをいただいて物を聞きたいと思いまして。ところが、担当者の間で、地検からいろいろあったからまとめて説明もし提出もしたものであって、公式に長官以下のところでお決めいただいたものでないからお出しできぬ、こう言うわけですよ。これは担当の方々ですから。私はいまこの資料要求をしましたが、積極的にこの委員会で、本会議の議決でございますから、解明しようという意図がおありであるならば、しかも防衛庁の身に降りかかる火の粉でありまして、つまり国を守るというたてまえで、どうもそこに賄賂などということが取りざたされるということはまことにこれはゆゆしき問題ですから、積極的に御協力いただけるなら、この資料をなぜ出していただけぬかということを私は理由を聞きたい。なぜこれは国会のこの席に、しかも本会議で決めて、真相を徹底的に究明しようという、徹底の字で何時間か議院がもめた世の中ですよ。この委員会になぜお出しにならぬか。出してくれますか。
  87. 坂田道太

    坂田国務大臣 先生方の御要求に応じまして、私たちのところでできるだけひとつ協力申し上げて出したいと思っておりますから、言っていただきますと……。
  88. 大出俊

    ○大出委員 それでは申しましょう。PXLに関する防衛庁の報告書の形になっていますね。これをお出しいただきたいのです。御検討願います。それで、時間がございませんから、そういう前提でひとつ承ってまいります。そのおたくの方の報告書に書いてありますから。そこで、これは四十三年の三月からございます。四十三年の三月に「P3C搭載AlNEWシステムの技術資料提供について在日米軍顧問団を通じて要請」ここから始まる。長いわけでありますから、この国会の資料と違って細かいですから、したがってひとつポイントだけ承ってまいります。  四十五年までの間に、四十五年度予算で川崎重工との研究委託契約が結ばれて、それから四十六年度予算概算要求が行われて予算がついて、十月三十一日に航空工業会と研究委託契約の締結をなさる。それから十二月二十五日に川重の調査研究報告書というのを川重から受け取っておられる。つまりこの川重からの調査研究報告書なるものも実は出していただきたい。この契約書も実はずいぶんいいかげんな契約書を私はいただきましたが、できればもう少し実のあるものを出していただきたいのであります。それから四十六年の二月二十七日に航空工業会から調査研究報告書を納入をいたしております。防衛庁に。防衛庁に入っておりますから、これもいただきたいのであります。それから四十六年の九月九日に川重と次期潜機についての研究契約の締結がございます。これも詳細なものがほしいのであります。そして四十七年に入りまして三月三十一日に川崎重工が調査研究報告書を納入いたしました。これもいただきたいのであります。  さてそこで、一つ不思議なことがあるので、ここからひとつ聞きたいのでありますが、四十七年の八月八日の話をさっき箕輪質問丸山防衛局長がお答えになりました。これをはっきりしておいていただきたい。これは八月八日でございまして、おたくの報告書によれば――これは実は聞いた方がいいのですが、さっきお話がございましたが、実はもう少し正確に承りたいのです。これがポイントでございますから。四十七年の八月八日と申しますと、同じ八月に四十八年度概算要求をお出しになった、予算要求をなさった。この予算要求では、さっき楢崎さんからも話がありましたが、国産するための結論が出て出している予算なんだ。いまこっくりされておりますからお認めでしょう。同じ月であります。不思議なことに、このときにアメリカに行っておられるおたくの、駐在武官と言ったら悪いかもしれませんが、名前まで私のところでわかっております。お名前を言っていただきたいのでありますが、もしおわかりにならなければ私の方で申し上げますが、きちっとした方から、リリース、つまり輸出許可ですね、輸出許可をするという、海幕に対しておたくの駐在武官から、確かに非公式でございますが、おたくの内部連絡としては正式なんです。対外的には非公式。つまりアメリカはP3についての輸出許可を与えるという、だからということでおたくの方に報告が行ったわけですね。連絡が行った。つまり売りますよということですよ。この日にち、四十七年八月八日というのはきわめて不思議な日でございまして、だから聞くのです。はっきりしていただきたい。
  89. 丸山昴

    丸山説明員 その当時アメリカにおりました防衛駐在官玉川一佐でございます。玉川一佐から私信で、先ほど申し上げましたように、リリース可能性ありという意味のあれが参っておりますが、これははっきりわかっておりませんが、当時海幕におりました者に対する私信でございます。八月八日は当方がその私信を受け取った日付でございまして、向こうの発信についてははっきりしたことはわかっておりません。
  90. 大出俊

    ○大出委員 これも受け取った人は、玉川さんという方がおるのですから、だれあてに送ったというのはわかっておるのですから、私が言うのはどうもおもしろくないから、お調べになってはっきりしてください。重大な関係がございますから。この時期にという気が私はするのですよ。防衛庁の本庁では四十三年から苦心して積み上げて、川崎重工業とのいろいろな努力をしてきて、後から聞きますが、そして決定的な結論を出して、あとは防衛庁長官の命令一つのところへ来ていて、予算要求している。  ここで防衛庁長官、ちょっと聞いておきたいのですが、国内開発国産とこう言いますけれども、それはどういう形式から始まるのでございますか。たとえば概念設計、大体の国内機の、つまり国産機の概念設計の段階開発と言わないですね。これは指令は要りません。長官命令はその後に出るはずです。どういう形から国産なんですか。
  91. 江口裕通

    江口説明員 先生、ただいま国産というふうに御指摘がございましたが、開発ということでお答え申し上げてよろしいですか。――開発の場合には、一応各関係の幕僚長から要求がございます。性能要求がございます。それで長官の方でその中身を審査いたします。性能等の基本要目を決定いたしまして、その中身につきましてさらに技本長に対しまして長官が指示される、こういうふうになっております。
  92. 大出俊

    ○大出委員 つまり基礎設計なら基礎設計という言葉を皆さんよくお使いになりますけれども、そこであなたがそれを命令する、そこからは開発なんですね。そのぎりぎりのところ、これが八月です。したがいまして、白紙という問題は後から触れますが、先に事実をはっきりさしておきたい。つまり、いまの御答弁は、風洞実験その他全部やってしまって、そして概念設計もできまして、さて予算さえつけば――概算で機体二十七億要求したわけですから、だからそれが認められれば長官命令を待って一挙に発足をする、岐阜の川重の工場には七十名近いスタッフが待機している、そこから下の東芝その他と契約がすでに結ばれている、こういう状況ですね。全く国産に真一文字。この時期に、いままでただの一度もこのリリース、輸出許可をするという話は入っていないにもかかわらず、なぜ八月八日に突如として輸出許可をする、そういう連絡が駐在武官から入ったのか、その理由をどう御想像なさいますか。
  93. 丸山昴

    丸山説明員 客観情勢はただいま先生おっしゃったようなことであったと思いますが、そのアメリカリリースするというのは、全くこれは一方的な一それは先ほどお話しいたしましたように、四十二年ごろからANEW計画についてのリリースの要望というのはずっと出てきておるわけでございますけれども、この時点にアメリカの方からリリースの意思表示が非公式にしろなされたということについては、私どもとしてはどういう理由であるかについてははっきり想像いたしかねるわけでございます。
  94. 大出俊

    ○大出委員 意外であったということじゃないですか。丸山さん、ちょっとお帰りにならぬで答えてください。当時の方々に聞いてみると、大変意外であったと言っておられますけれども
  95. 丸山昴

    丸山説明員 ただいまの点について当時どういう印象を受けたかということは、私ども当時の関係者から聞いておりませんので、差し控えさしていただきたいと思います。
  96. 大出俊

    ○大出委員 ところで、当時の関係者にここにお出かけをいただきたいのです。この当時の防衛局長さんなり装備局の方の航空機課長さんとかおいでになりますね。この方々のリストを後で出していただきたいのです。  そこで、これに対してどういう取り扱いをしたかという点、ここも念を押しておきたい。海幕は、おたくの報告書にある「四次防におけるP2J整備の方針は決裁済みなので、P3C購入の正式打診があっても応じる余地のない旨通報」した、こうなっている。玉川一佐にその旨をおたくの方は連絡している。間違いございませんか、念を押しておきたい。
  97. 丸山昴

    丸山説明員 ただいま先生おっしゃったような事情のように私ども聞いております。
  98. 大出俊

    ○大出委員 次に、さてこの八月には四十八年度予算要求をお出しになっている。この要求の中身「PX」設計研究委託費技術調査研究委託費、PXLの基本設計、基本設計というのは開発でございます。つまりこの基本設計が行われるとなれば、長官が命令を出して、みごとにPXLは国産ゴーなんですね。このPXL基本設計、国産、これが二十六億七千八百六十六万、それから四十八年割り五億四千三百八十九万円。この二つについて、これが実は皆さんが国産にゴーということになる予算要求なんですね、これが行われている。時間がありませんから、あわせて承っておきたいのですが、このときの機体、これは国産機ですね。この予算を含めてここで予算要求をなさったことはお認めになりますね。
  99. 江口裕通

    江口説明員 そのとおりでございます。
  100. 大出俊

    ○大出委員 さて次に、八月にこの予算要求をお出しになった。検討大蔵省は二カ月くらいかかるのは通例であります。そこで、十月の二日になりましたら、大蔵省が四次防について内示をしてきましたね。これまたおたくの報告書にございます。内示が何と支援戦闘機は輸入ということで、FST2あるいはT2、対地支援戦闘機、高等訓練機、この二つはそれまでは国産ということでいろいろ進んできていたわけですが、この十月二日の内示が最初なんです。FST2もT2も輸入であるという内示、これは青天のへきれきなんですね、皆さんは。いみじくも十月二日というのは、四十七年の十月九日のつまり国防会議、ここで白紙還元になったんですね。だから、七日前です。つまり、九月一日のハワイ会談が行われた。翌月の十月、もうこのハワイ会談が行われたときには、皆さんはゴーのサイン待ちの概算要求を出しちゃっていた。川崎重工も東芝以下三社も契約に基づいて準備をして待っていた、こういう時期。ところが、ちょうど同じころにアメリカの側から玉川駐在官から、リリース、許可が出そうであるという連絡が来た。それに対して、決裁を受けてしまっているからだめだと答えてある、こういう時期。  何かがここで起こらなければ、正式に防衛庁が決めて決裁をして、大蔵省予算要求しているのですから、ひっくり返ることはない。こうなれば、大蔵省側がひっくり返さざるを得ない。防衛庁は庁議で決めた、決裁をした。ここでひっくり返す方法はただ一つしかない。大蔵省はこの予算を認めないということにしなければならぬ。PXL国内生産はまかりならぬということにせざるを得ない。  そこで出てきたのが、まず内示の形で、大蔵省は四次防について内示をしてきた。ちゃんとおたくのこの報告書にある。ここで支援戦闘機は輸入であるという実は内示が出てきた。大騒動になった。十月二日内示、お認めになりますね。
  101. 丸山昴

    丸山説明員 十月二日の大蔵省の内示で、当時国産要求をしておりました高等練習機、それからそれの改造型の支援戦闘機については輸入で考慮してはどうかという趣旨の内示があったことは事実でございます。
  102. 大出俊

    ○大出委員 したがいまして、これが例のFST2、T2、これをF5B、F5E等にするという、あるいはT33、38が入ってきますか、こういう実は問題が入り組んできた、ノースロップが入ってくるいろんな出発なんだ。越えて十月の五日、大蔵省から再度支援戦闘機の輸入を要請してきた。この点をお認めになりますな。十月二日の大蔵省の四次防についての内示、いま御答弁いただきました。その後五日の日、さらに大蔵省から支援戦闘機の輸入を重ねて要請をしてきた。これは五日でございます。いかがでございますか。
  103. 丸山昴

    丸山説明員 お答えいたします。  五日の日には四次防の経費枠の問題で折衝がございまして、主としてこの問題で議論が行われたというふうに私ども承知しております。
  104. 大出俊

    ○大出委員 これは先ほど長官におたくの報告書をお出しいただくように要請をいたしましたから、それを長官ごらんになればわかります。そう書いてありますから。大蔵折衝があったわけですから、その際言われたのかもわかりません。  それから十月の六日、ここが国防会議議員懇談会なんですね。「四次防経費総額及び主要項目案について検討」このところで実は二月の四次防の、先ほど御質問が出ておりました文案とここで変わったものになっていくわけですね。念のために指摘いたしておきましょう。白紙還元とおっしゃる問題の焦点の一つでありますから。  四十七年二月七日の国防会議、二月八日の閣議と、こうなっているのですが、その前に議員懇談会が開かれている。この席上に案が出てまいりました。この中身が「技術研究開発」というところで「各種誘導弾、電子機器ならびに対潜哨戒機及び早期警戒機能向上のための各装備等」が入っているのですね。これは私、前に質問もいたしましたが、「各種装備等」は機体を含んでおりますから、これは明確に国産ということが含まれている。この研究開発を行う、ここで輸入とは一つも書いてない。ところが、これが後ほど問題になりますいまの四十七年十月六日、この議員懇談会で出てきました案というのは、全部消えてしまって「技術研究開発」に「対潜哨戒および早期警戒機能向上のための電子機器」だけに限定をされた。そうですね。つまり、高等練習機、対地支援機というものの輸入というものが飛び出してきた。  二回の要請があった。そうして国防会議議員懇談会が開かれた。ここで出てきました、つまり四次防の主要項目案、これが六日の日の議員懇談会でまず機体が消えていく、国産が消えていく、電子機器だけになる。そうして十月七日の国防会議幹事会、四次防の主要項目案の検討、ここではFST2改の問題は関係省庁の話し合いに任せる。ここで後藤田さんが出てくるわけですね。後藤田さんが主宰をして関係省庁を呼んでここで話をする。このときに国防会議の海原さんの方は、これは輸入論一点張りなんです。海原さんという人は、一番最後の最後まで、九日の朝まで高等練習機、対地支援機の輸入なんですね。F5なんですね。  これは私は海原さんを呼んでいただきたい。なぜならば、私はかつて一遍だけ――私はPXLに余り興味がなくてたくさん質問していませんが、この点だけは質問している。ノースロップを何でここで持ち出すのだ、海原さん、あなたおかしいのじゃないかと、当時面と向かって言った。F5なんか持ってきて国産をぶっつぶすというのはどういうわけなんだと言って……。だから、いまでも海原氏に会うと、大出さん、あのときはひどいことを言った、こう言う。彼は最近は評論家だけれども、忘れていない。こういう奇怪なことがある。防衛庁は押し込まれっぱなし。この辺の関係者の方々には、真相究明を徹底するためにこの委員会にお出かけをいただきたい、こう思っております。理事会等を通じましてお願いをいたします。  そして電子機器に限られた。十月八日、大蔵省はFST2改問題について「FST2の国産に同意するが、PXL開発は断念してほしいと要請」これが十月八日であります。いままで三つ申し上げましたが、お認めいただけますな。
  105. 丸山昴

    丸山説明員 大筋はいま先生おっしゃったとおりでございます。ただ「電子機器等」ということは、二月の大綱におきまして「各種装備等」という表現をしておりますが、国防会議事務局の解釈では、これは同じである、つまり、中の代表的なものを特に取り上げて「電子機器等」という表現をしたという解釈になっております。
  106. 大出俊

    ○大出委員 当時丸山さんは責任者じゃございませんで、当時のやりとりを私はある人から詳しく聞いております。そういう解釈をしなければ防衛庁の立場がない、こうなっておるのですね。だから明確に文章が違う。後世の人が見たらはっきり違う。さっきの白紙と一緒です。白紙と書いてありますけれども白紙というのは何にもないことになっていますが、よく白紙をながめてみたらP3Cと書いてあるということになると私は思っているのですよ。なぜならば、いま私が取り上げた十月八日、ここは大蔵省はFST2の国産に同意はするが、PXL開発は断念してほしいと要請をしてきたというわけですよ。はっきりしているのですよ。表街道の専門家にはどっちもこんなことは関係ない。予算官庁の大蔵省は練習機、対地支援戦闘機の国産は認めるが、PXLはだめだぞと言ってきた。  言ってきた方々についても、ここへお出かけをいただきたい人が何人もおいでになる。大蔵省の方から直接言ってきたのは宮下創平防衛担当主計官。この方が八日、つまり皆さんは日曜も出てこられた、休みも出てこられていたんですね。そこへ連絡をしてきた。連絡を受けた防衛庁側の人は小田村経理局長。当時小田村さんですね、そうですね。名前まではっきり挙げていますから。大蔵省の担当主計官は宮下創平さん。この人が相沢氏の意向を伝えるということで伝えてきている。当時の主計局長は相沢さん。そしてそれを受けたのは小田村経理局長。当時の関係者に私はここへ出てきていただきたいのです。  この電話の中身はどうかというと、「どうしてもT2、FST2改の国産を主張されるなら、対米配慮もあり、PXLの国産化はあきらめてもらうほかありません。」だから、これに対して防衛庁は、増原さんが九日の朝、田中総理のお宅にお伺いすることも決定になった。深刻な打ち合わせをして、では私が行ってくるというので、PXL国産を含めて総理大臣田中さんのところに陳情においでになったわけですね。このときはわかった、わかったで終わってしまった。それから二時間後の九日の国防会議で、先ほど来問題になっている白紙還元だ。  この前後に久保発言が出てくるのは無理もないのですよ。防衛庁側はだれもしんから納得してはいないんだから、四十三年から懸命に国産で積み上げてきたのですから。そうして長官の命令が出て、基本設計をやれとゴーのサインが出るのを関係企業を含めて全部待っておったんですから。夢だったんだから。そうすれば五十二年に試作機ができて、三年たって量産機ができることになっておったんだから。それならば、いまはもうできておるのです。それをここでひっくり返された。後になっていろいろなことを言う人がありますけれども、しんからだれも納得していない。だから久保発言が出るんだが、四者会議なんというものを片一方に置いて出てくるわけです。  だが、ここで問題は、皆さんは、国産は涙をのんだんだ。ちゃんとおたくの方はここに書いてある。いいですか。十月八日、おたくが東京地検にお出しになったレポートには、大蔵省の申し入れをやむを得ないと判断したと書いてある。あなた方がやむを得ないと判断したということは、国産断念なんです。それならば白紙還元じゃないですか、明確に。だからこそ、大橋さんがさつき質問をしておられましたけれども、「今後」になるんですよ。ここで初めて「今後輸入を含め」になる。十月九日ですよ、これは。国防会議議員懇談会了解事項ですよ。  T2、FST2改の輸入という問題についてどうしても国産をと取捨選択に迷った皆さんの方は、両方とも納得はしていない。いないが、PXLにはまだ戦いの機会ありというわけです。なぜならば、PXLの方は四次防段階に出てくるんじゃない。だがFST2とT2というのは四次防段階、目の先に出てくるのだから、この国産を外せない。背後には防衛産業もある、外せない。さらに皆さんの航空協会との話し合いだってそうなんです。私も陰で聞いていますが、外せない。外せないからこちらの方を飲まざるを得ない。大蔵省はそこをお見通しなんだ。  だから、十月二日の内示でまず言ってきたんだ。そして結果的にやむを得ないということになった。なったらば、それは白紙還元でしょう。だから「今後輸入を含め」てなんでしょう。お答えください。大臣にできれば答えていただきたいんだが、大臣は当時の責任じゃないものだから……。
  107. 坂田道太

    坂田国務大臣 ずっと聞いておりまして、私が調査いたしましたのと大体大筋は同じでございます。ただ、八日には増原長官と島田次官以下ずっとおりまして、そしていろいろ検討しておって、そのとき増原長官の頭の中には、やはり先生の御指摘のとおりに、次期支援戦闘機をどうするかということがあった。これをもし輸入といったらどうにもこうにもならぬ、腹切り物だという気持ちであったのだと思います。それは増原長官から私も聞きました。
  108. 大出俊

    ○大出委員 だから、久保発言の後で、久保さんのバックアップに回った発言を増原さんはなさっているんですね。私も聞いてみますと、ずいぶん御心労だったようです。後で御病気になられましたが。だから、そういう大変に苦しい思いをして、この休みの日に出てきて、防衛庁の幹部の諸君は長官室にみんな集まって、小田村経理局長が宮下創平主計官から聞いた中身をどうするか。増原さんは、もうやむを得ぬ、四次防の中で出てくるのはT2、FST2改なんだ、これを外すわけにいかぬ、すぐなんだから。PXLは先なんだ。それでもあきらめられぬ。だから増原さんは六時に田中総理の家に行って、何とかPXLを認めてくれと言いに行ったわけですよ。だがしかし、それから数時間後の国防会議では、先ほど来問題になっております白紙還元ということになったわけであります。だから、先ほど来いろいろ言うけれども、この間から長官談話だ云々だお出しになって、予算委員会の田渕君の質問を決算委員会であなたは見解をお出しになったりしておられますけれども、全部読んでみましたが、事実はあくまでも事実で、真実は一つしかない。そうだとすれば、PXLはこの段階ではあきらめざるを得ない、次の段階を考えざるを得ない、こうなった。ここに専門家会議というものを延々と延ばして、タイミングを外していこうというさっきの楢崎さんの質問になり、一番最後に出てきた結論が、国産化は望ましいんだ、しかし第一段階先を考えてもらいたい、つなぎも含めて当面は輸入もやむを得ないという結論が出ているわけであります。しかも議事録の概要によれば、その輸入はP3Cしかないのだということなんです。そうでしょう。だから勝負はここでついた。この白紙のところでついた。ここでP3なんだ。だから、言い直せば、四十七年の十月九日、この日に白紙還元なんだ。P3の輸入なんだ。間違いはございません。いかがでございますか。その最後のP3だと言ったところは御訂正いただきたいところですよ、あなた方そう言ってないのだから。いかがでございます。
  109. 坂田道太

    坂田国務大臣 少し違うところがあるんですね。それは八日の日は先ほど申し上げたとおりで、私たちの方も大蔵から言われて、これはとてもPXLの方はだめかな、しかし、この場合は支援戦闘権をとにかく国産にしてもらうということが最大の課題だということで、翌日田中総理に行かれたときには、PXLの問題ではなくて、やはり支援戦闘機の問題。ところが、まだ総理はそれにはイエスとおっしゃらなかったわけで、非常に深刻な気持ちで帰られたということを増原長官から聞いたわけです。そこのところが少し先生お話とちょっと違うわけでございまして、いわんやP3Cを決めたというわけではございません。
  110. 大出俊

    ○大出委員 このときに増原さんは、このPXLの問題も含めて、前の晩の連絡でT2、FST2は宮下創平さん、大蔵当局から、相沢さんからの話ということで伝えられていてわかっている。だから、PXLをと思って行ったら、田中総理が言ったのは、FST2もT2改もだめだ。PXLどころじゃなくなってしまった、いまのお話のとおり。その前の晩の打ち合わせは、大蔵省の宮下さんから電話をもらって、小田村さんから報告があって、そこでは、私の聞いた限り間違いはない、T2、FST2、この二つは国産でいけそうだ、だがPXLを四十三年から積み上げて、これはどうにもならぬというので行ったのだが、しかしT2についても総理はうんとおっしゃらぬということで、PXLどころではない。やむなく帰ってきたといういきさつがある。その後でなおかつ海原さんからは、まだF5Eにしろということで、島田次官以下が責められたわけですよ。こういう事情もあります。そうして結果的に白紙還元のこれが決まった。  だから、いまの経過からいけば、防衛庁長官が自分でお出しになった文章でまだP3Cは決まってない、こうおっしゃっているのだから、私がこのときにP3Cは決まったのだと言うことに御不服でしょう。だけれども大蔵省側、予算当局がPXLはあきらめろと言った。そこで皆さんやむなしということにした。そうでしょう、内部では。表へ出してはいないが内部では。そうでしょう、これは間違いない事実でしょう。お認めになっていらっしゃるからいいですけれども。だから、白紙と書いてあるけれども白紙とは何もないはずなんだが、よく見たらP3Cと書いてあったということになりますぜと私はさっきから言っているわけです。いかがでございますか。
  111. 坂田道太

    坂田国務大臣 少しやはり違うのですね。それは、前の八日の日には、もうこれでP3Cというか、そっちの方はだめか、こう思ったわけです。そうしたら第三者機関の専門家会議でまた検討と言ったから、一遍首が切られたのが、またつながったというところがあるわけです。だから、またこれからやろうということで、防衛庁は考えておったのじゃないか。そこで、あの懇談会の席上、途中で久保次官が――いまでこそ次官ですけれども、あのときは防衛局長ですよ。それをいち早く、つながった、そして支援戦闘機の方は国産になったよという報告をしているのですね。そういうことを考えますと、そうそのときにみんながっかりしたかというと、必ずしもそうじゃないという事情のようでございます。
  112. 大出俊

    ○大出委員 これは当時の増原さんでない坂田さんですから、そうのんきなことをおっしゃるのだが、私は当時から防衛庁を担当しております内閣委員会委員でございますから、久保防衛局長の当時の気持ちはわかる気がする。恨みつらみがうんとあったのだと思いますよ。だから、私はアメリカへ行って知らなかったのだが、大使館が持ってきた横書きのローマ字のやつを見たら、日本の新聞の記事が載っている。久保発言です。中身は。びっくりした。そこで新聞を見たら、こんな大きな記事になっている。連絡をとってみたら、小さくしゃべったのだがでかく載ったというのだ、久保さんは。事の中身が中身だから、小さくしゃべったってでかく載るんですよ。恨みつらみがあるからですよ、それは。  そこで、念のために聞いておきたいのですが、ゴーのサインを求めるための詰めまでいって、国内開発は長官からの命令が欲しいというぎりぎりまで詰めた。四十八年度予算要求ですよ。このときと、もう一遍あるのだ。いまの話と関連をして、もう一遍防衛庁国産ということで何とかしたいという意欲で、専門家会議に向けて、四十八年のいま私が例に挙げた後に、もう一遍国産ということで詰めておられる。いかがでございますか。それが今日最後になっているはずだ。――時間がもったいないので、おわかりにならなければおたくの航空機課長の筒井さんのところに行って聞いてください。先に私は聞いてありますから、どうぞ。
  113. 江口裕通

    江口説明員 専門家会議に対しましては防衛庁から説明をいたしておりますが、その中で、国内開発計画及びその技術的可能性というポイントについては御説明しております。
  114. 大出俊

    ○大出委員 そこで、もう一点詰めまして、いまお話がありましたが、私は担当課長に詳しく聞いてある。名刺までちゃんと持っておる。間違いない。張本人から聞いているのですから。一生懸命これは詰めて、もう一遍、いま大臣がおっしゃったように、専門家会議で勝負しよう。ところが、この専門家会議の中身というのは、YXまで絡んでしまうのですな、通産省との関係が出てきて。だからいまだに通産省と冷たいのだ。本当にこれはひどいものですよ。何とも言いようがないな、専門家会議の中身というのは。民間機のYXだから。いろいろなことがございます。  だがしかし、ここではっきりしていることは、言葉の形式はどうでもいいが、真実は一つしかないのであって、つまり、一段階つなぎというのは、さっきお話があったように、九年なら九年もつのだったら、そこから先なんだから、それでもあきらめずにやっていこうという防衛庁の気持ちがあってもそれはおかしくはないが、しかし、当面の国産というのはここで白紙になった。つまり輸入である。輸入なら、アトランティックもあればニムロッドもあれば737の改型もあるけれども、P3Cしかないことははっきりしている、できていないのだから。ジェーン年鑑を見るまでもない。だから、それならば、白紙還元白紙はよく見たらP3Cだった、こう書いてあったということになると私は言うのだ。  そこで、念のためにもう二、三点承っておきたいのであります。  それで長官、ここまで皆さんのレポートを問題にしたのだから、ちょっと違うぐらいはあるけれども、全部お認めになったのだから、これは出してくださいよ。東京地検へだけ出しておいてこっちへ出さぬというのは、これはずいぶんふざけた話だから。こんないいかげんなのをお出しになって、あなた、いかぬですよ。  ところで、積極的に取り組むとおっしゃっている。そこで次に川崎重工との関係。これもずいぶん気の毒なことをしているわけでありまして、ここに川重との関係のものが全部ございます。さっき法務省の方にちょっと承りましたが、契約書もここにございます。実は室井さんとか――この人は副本部長さんですが、当時の契約書に基づきますと――契約書Fです。もう一つは契約の6がございましたかね。ここでFだ、6だというのは皆さんの様式でございますから、四の五の言いません。ここで内野憲二さんという方が当時の航空機事業本部長さんですよ。当時の事情を私は聞きたいのです。そしてその前の四十五年のとき、四十五年七月九日の契約、この契約書によりますと、事業本部長さんは三沢良雄という方ですよ。四十六年はいま常務取締役になっておられる内野憲二さん、こういうわけであります。  そこで、おたくの方がお出しになったものでございますけれども、「四十五年度次期潜機調査研究(その一)」それから「四十五年度次期潜機調査研究(その二)」「四十六年度次期潜機の技術調査研究について」こういうふうに契約の中にございます。それで輸入の輸の字がどこかにあるかと思って克明に調べたが、実はないのです。これもおたくの担当の方にも聞いてあります。ほかからも聞いてあります。川重からも聞いてあります。何と第一回、四十五年の調査というのは、二千万からの金をお使いになりまして、皆さんは実行予算でずばりそのものの金額まるまるで契約しておりますから、金はみんなその契約に基づいて川重にぽんと払った。そこで、まず第一の比較、つまり方々の対潜哨戒機の比較なんというようなことをやると言っていますけれども、そうじゃないのです。いろいろな対潜哨戒機がある、それを調べて、目的は何だったかというと、日本で詳しく言えば四十一年から、皆さんの報告では四十三年から、アメリカにいろいろ言ったけれども、け飛ばされて情報をくれない、取れない。そこで、仕方がないから国産をするというような意欲になった。簡単に言えば、いろいろ調べてみて、日本国産をするとすればどういう機種が一番いいかというのを調べるのが第一回なんです。それから第二回、航究業界との契約でございますけれども、これは「国内開発の技術的可能性検討するため」こうなっている。これも国内開発。それから四十六年、これも「電子情報処理装置に関する試験研究及び空力特性の調査研究のため高揚力装置等に関する風洞試験研究など」こうなっておりますが、国産をするために風洞実験を含めて内部構造が基礎的にどうあらねばならないか、これも国産国産以外のことは何にもやっていない。  そこで、私は念のために、四十五年、六年のときの大蔵省防衛庁との間におけるこの技術研究調査費の認識はどういうふうに相互間でなっていたかという点を調べてみた。ここに書いてある。言われたとおりに書いたのだから間違いない。皆さんのおっしゃるとおり書いた。国内開発を行うべきかどうかの決定に必要な調査研究費、こういうこと、よろしゅうございますね。輸入とはどこにもない。アメリカは当時はリリースしてくれない、あるいは情報をくれない、こういうわけですから、だから国内開発を行うべきかどうかの調査研究費を使っていま申し上げたように研究をしてきて、川崎重工以下の東芝その他三つの企業との連携その他の上に立って、五年目の五十二年には探知機器、電子情報処理装置などの装備品を積んだ試作機第一号が初飛行できるという結論に達した、これが一つ。この試作機をもとにさらに実験改良を進めて量産体制に入り、八年目には量産第一号機を納入できる見通しがついた、足かけ八年正味七年、この開発計画結論としてでき上がった。そして木でモックアップをつくったんですね。ちょうど国産機四発の機体と同じ模型をつくった。そこへ皆さんは将官その他防衛庁の幹部の方々、制服の方々みんな行って見学をしている。その後、翼の形、長さその他を全部細かく打ち合わせて川重との間に決めている。そして機体の製作費用も出したが、四十七年大蔵省はけった。四十八年二年目、大蔵省もけりにくい、そこまでいっていた。自信を持ってお出しになった。それが四十八年、さっき私が取り上げた問題。  ところが、さっきのいきさつでこれが消されたわけでありまして、消された結果として、岐阜の工場に川重はPXL設計室をおつくりになって七十名の優秀なスタッフを取りそろえてあって、そしてそのほかにも川重と関連のある日立など三社協力の形をとって契約が結ばれていますよ、そこまでの準備ができ上がっていた、にもかかわらずということに実はこれはなる。こういう事情なんですが、おたくの命令一つで動くというところまでいっていたという事実はお認めになりますね。
  115. 江口裕通

    江口説明員 大筋におきましては大体いま先生の御指摘のとおりであろうと思います。  ただ、一、二点モックアップの点でございますが、川重のモックアップでございますが、私どもの知る限りにおいては、四十五年の六月に川重がつくっておりまして、その後調査委託をこちらの方から四十五年度の契約をやっております。その辺が若干事実と違っておるかと思います。  それから川重の体制等につきましてもやや数字が違っておるかと思いますが、大体方向といたしましてはそういう方向であると思います。
  116. 大出俊

    ○大出委員 ちゃんとここに四十六年六月と書いてあります。私が言い違えたとすればそこは訂正をいたします。  そこで、大変に重要なことをここで承っておきたいのでありますが、私はこの席で最初に、何も次期潜哨戒機の能力云々というふうなことを防衛の見地からという委員会ではないと申し上げた。そうですね、長官。この委員会の目的は、本会議の議決ですから。  そこで、この間に、さっき申し上げたように、七三年七月二十七日のつまり児玉譽士夫さんとロッキードの契約がある。これは皆さんの報告書でいくと、ちょうど児玉さんとロッキード社のつまり契約、これは四十八年七月二十七日なんです。この七月二十七日というのはどういうときかと言いますと、ちょっと大臣、聞いてください。  これは大臣に聞きたいのですが、十月九日にさっきの白紙還元を決めたとたんに、十一月十五日にはMDAO、つまり米相互防衛援助事務所、ここの海幕担当者がP3Cのブリーフィングをやるというわけです。説明してくれるという。そこで皆さん行ってお聞きになった。それでさっきお話しの岩国でP3Cを見学試乗する。そこで四十八年度予算が四月に決まる、発足をする、六月にP3Cについて米国に正式に照会をする。ここからもう急ピッチ、みんなP3Cなんです。それで七月に照会に対する、つまり六月にP3Cについての正式な照会を出した、それに基づいて向こうから回答が入ってきた、P3Cの生産方式、所要経費海幕から装備局、外務省、米国ルート、こういう形で照会したやつが逆に戻ってきた。それでまさにP3Cでずっと動いたわけですね。その動いてきたそのところで七月二十七日に児玉さんとロッキード社の契約ができているわけであります。  それからもう一つ、四十七年のこの時期にはユニットの二枚の領収書が出ているわけであります。さっき申し上げました一番最後のところであります。そして四十八年の八月十日、ここで次期潜哨戒機早期警戒機のいわゆる専門家会議、これが発足をする。これが八月十日ですが、その前の日の八月九日が例の丸紅のピーナツ領収書の切られている日なんです。関連がなくはない。  だから、ここで念を押しておきたいのは、長官、冒頭に申し上げましたように、皆さんの方に降りかかってきている火の粉なんです。対国民という意味で、これは意地でも皆さんは振り払わなければならない立場においでになります。そうでなければ、対国民という意味の信用の回復はできない、防衛という問題について。だから、怪しげなものが、上乗せされているものが乗っかっているP3Cなんかに若い制服の方々は純真な気持ちでは乗れぬという話を聞いておりますが、だとすると、さっきのように知らないでは済まない、いまのような関連を持っておりますから。  改めて聞きますが、児玉さんとロッキードのこの契約というもの、これは私は不届きな契約であるというふうに思うのです。五十機買ったら二十五億なんというのは。そこのところを長官のお考え、これからどういうふうに進めていくかというお考えを承っておきたいのです。
  117. 坂田道太

    坂田国務大臣 私といたしましては、次期潜機を選ぶにつきましては、国民に一点の疑惑を招くようなことがあってはなりません。したがいまして、この問題につきましては真相究明に全面的に御協力を申し上げたいというふうに思っております。
  118. 大出俊

    ○大出委員 時間でございますから、終わります。
  119. 田中伊三次

    田中委員長 それでは暫時休憩をします。     午後零時四十九分休憩      ――――◇―――――     午後三時二十四分開議
  120. 田中伊三次

    田中委員長 休憩前に引き続いて会議を開きます。  まず、理事補欠選任に関する件についてお諮りをいたします。  理事山村治郎君が本日委員辞任されたことに伴い、現在理事が一名欠員となっております。  これよりその補欠選任を行いたいと存じますが、先例によりまして、委員長において指名することに御異議はありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  121. 田中伊三次

    田中委員長 御異議なしと認め、さように決定をいたしました。  それでは、理事中村弘海君を指名をいたします。      ――――◇―――――
  122. 田中伊三次

    田中委員長 それでは、質疑を続行いたします。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。まず、中路雅弘君。
  123. 中路雅弘

    中路委員 私は主としてPXLの問題について御質問したいと思います。  二月二十七日の予算委員会でこの問題について質疑をいたしましたが、その後私自身も防衛庁の装備局あるいはPXLの研究開発に当たっていた川崎重工、海上自衛隊の当時の幕僚監部の皆さんにもお会いして事情聴取をしてまいりました。時間もありませんから結論的にお話をしますと、防衛庁と川崎重工とPXLの研究開発の契約を結んで以来、午前中も出ていましたが、機体の風洞実験やあるいは実物大のモックアップをつくって準備をするとか、さらに四十七年度防衛予算でPXLの研究開発費約六億八千万円が認められたのを受けて、同年の七月ごろからは岐阜工場に八十名以上に上る開発の技術陣を動員してPXL設計室を発足させていた。また、防衛庁も技術研究本部から技術開発のスタッフ、一佐、二佐クラス多数が絶えず岐阜工場にも訪れて計画の進行状況も点検をしていた。私がお会いした室井副本部長の話でも、これは防衛庁と一体になって進めてきたんだということも話しておられます。機体についても、富士重工や日本飛行機の両者と協力体制を組み、電子機器部門は日立、東芝、富士通、三菱電機に開発研究諮問して作業を進めてきました。そして、PXLの問題は、エンジン以外は、機体、電子機器を含めて全部国産でできるという趣旨研究レポートを防衛庁に提出をしています。国防会議懇談会白紙還元が決まる直前には、機体の構造や内部の艤装、電子機器の取りつけ位置など大筋の青写真を引く段階にあったわけですから、文字どおり国産化前提研究開発が進捗していたということは明白な事実だと思いますし、四十七年度以降本格的な研究開発を進めて、P2Jの引退する予定の五十七年ごろまでには国産の対潜機を就役させるという構想のもとに、この研究開発が進められてきたと思うわけです。  以上の特に四十五年以来の経過についてはおおよそ皆さんの方でも事情調査をされているわけですが、この大筋、作業がこういう進展をしていたということについては間違いございませんか。簡潔に……。
  124. 江口裕通

    江口説明員 大筋でございますが、若干の事項的な問題がございますので、気のついた点は申し上げたいと思いますが、具体的に四十七年度予算でございますが、これは研究開発費ではございませんので、基礎調査費ということでございます。  それから、防衛庁の方から再々岐阜の川重の方に出向いておるということでございますが、これは従来こういう研究調査等をいたしますと、その契約の中で、研究会あるいは審査会というようなことをやることになっておりますので、そういう関係の人が出向いておったということであるというふうに私どもは考えております。  それから、あと一般的に申しまして、研究をいたします以上、当然川重との間に綿密な連携をとるわけでございますので、そういう意味の、何と申しますかコンタクトと申しますか、行き来は当然あったというふうに考えております。  しかしながら、総括して申しますと、いずれにいたしましても、これは予算の性格上、一応調査研究費ということで基礎的な調査研究をしておったというのが実態でございます。
  125. 中路雅弘

    中路委員 四十七年の八月に四十八年度概算要求をする時点において、二十七億の予算概算要求された。この中には基本設計計画を含めた国産の対潜機の本格的な開発研究の中身が含まれているわけですが、防衛庁として四十八年度予算でこの中身の概算要求をされたわけですから、庁議として当然決められたわけですから、四十七年度さらに四十八年度から本格的な基本設計計画で進まれるということを防衛庁として決められたということは間違いございませんね。
  126. 江口裕通

    江口説明員 防衛庁としては、いま御指摘のように、そういうふうに決定いたしまして、概算要求をしたわけでございます。
  127. 中路雅弘

    中路委員 いま御答弁のように、防衛庁としては庁議として決めたということは、その御答弁のとおりだと思うのですが、いままで防衛庁長官がこの問題で繰り返し言っておられるのは、国産輸入かの議論白紙にしたのだという意味のことをおっしゃっていますが、これはいまのお話でも、国産化前提にした研究開発が進捗していたことは事実でありますし、防衛庁として本格的な研究開発を進めるということを庁議として決められたということも事実だと思うのですね。ただ、防衛庁長官国防会議あるいは政府として決めていないんだということはおっしゃっているわけですが、この機種の問題は、少なくとも十月九日以前はこれは国防会議決定する事項であったのですか。
  128. 坂田道太

    坂田国務大臣 少しお尋ねがあるいは聞きそれたと思いますけれども、いま装備局長が申し上げましたように、四十五年、四十六年、四十七年度はあくまでも国産化前提とする調査研究ではなかったということでございます。それから、いま御指摘の四十八年度概算要求としては御指摘のような決定防衛庁はした。したけれども、あのような了解事項もあり、またそれを踏まえての査定といたしましては、そういうことにはならなかった、こういうことでございまして、私どもがそれまでやりましたことは、国内開発を行うか否かの決定に必要とされる技術上の判断資料を得ることを目的として調査研究を行ってきたということが事実でございます。
  129. 中路雅弘

    中路委員 私はいまもう一つお聞きしているのは、輸入国産あるいは機種の決定、この問題は長官はまだ政府として決めてないとかあるいは国防会議として決めてなかったんだというお話でありますけれども、十月九日以前まではこういう機種の問題を国防会議で決めなくてはならないということは、それは決定されたことなのかどうかということをお聞きしているのです。防衛庁としては庁議で、見送りになったけれども、少なくとも概算要求を出されるときには国産化方針決定をした、それに基づいた概算要求を出されているわけです。しかしそれは国防会議で決めてないというお話をされておりますから、そのことをお聞きしているわけです。
  130. 坂田道太

    坂田国務大臣 御説のとおりに、機種決定までを考えてはおりませんでした。諮りませんでした。
  131. 中路雅弘

    中路委員 ちょっと意味がよくわからないのですが、私のお聞きしているのは、十月九日の国防会議懇談会の後に閣議と国防会議がありますね、それ以前までですね。いま私がお話ししました時期の問題ですね。これは機種の問題について、この時期は国防会議で決めなくてはならない事項だったのかということを聞いているわけです。
  132. 坂田道太

    坂田国務大臣 それまでに国防会議で決めなければならないことではないということですね。
  133. 中路雅弘

    中路委員 これはいままでも国会の議事録を見ましても、たとえば四十三年の十月三十一日の議事録を見ましても、当時の防衛庁長官も、この問題は防衛庁の行政官庁の「行政処分的な行為として機種の決定はなし得るものである」ということを繰り返し述べています。第二次のFXもこれは国防会議にかけていませんね。かけていないんです。だから、私がいまお尋ねしているのは、この国産前提にして研究開発をしていくという問題ですね、これは防衛庁として庁議として、少なくとも四十八年の概算要求を出されるときには決めているわけですから、しかしそのことは国防会議にかける事項ではないわけですね、なかったわけです。かけなくてもいい問題だった、少なくともいまおっしゃったように。そうだとすれば、長官がいままで言ったように国防会議にかけていなかった、政府の決定でもなかったんだということは詭弁にすぎないわけですね。防衛庁の所管で決められる問題、これは防衛庁設置法の第五条に、所掌事務の遂行に必要な装備品、航空機、船舶、この調達は防衛庁の権限に属するとありますが、これに基づいてやられていることですから、防衛庁がそういう方針を庁議として決めて予算要求しているということは、それは政府の了解というか、政府のまたいわば方針でもあったということで間違いないでしょう。
  134. 亘理彰

    ○亘理説明員 事は、相当多額の予算にかかわる予算事項でございます。したがいまして、一般の所管事項の範囲内で処理できるものでありますれば、防衛庁の所管行政の範囲内の防衛庁内部の決定がそのまま政府の決定ということはあり得るわけでございますが、事は予算事項でございますので、概算要求いたしましても、これは大蔵省と協議、調整の結果どういうことになりますか、その結果を待って政府としての予算の決まりはつくわけでございます。  そういう意味におきまして、八月の段階では、防衛庁概算要求の態度としては方針を決めたわけでございますが、予算の折衝の結果は、これは国産化前提とする研究開発は認められなかったということが政府の最終的な決定になっておるわけでございます。
  135. 中路雅弘

    中路委員 私の言っているのは、防衛庁長官、いかがですか、いまの答弁全然違うんです。国防会議で決めなければいけない事項かということを言っているんです。じゃなかったでしょうということを言っている。大蔵省予算の折衝は当然ある。
  136. 丸山昴

    丸山説明員 お答え申し上げます。  御案内のように、四十七年の十月九日の国防会議並びに閣議におきまして、文民統制強化に関する件についての閣議決定がございました。これ以後は国防会議にかけるべき装備の整備等についてははっきり明示をされておりますので、それ以前においては、先生指摘のように、国防会議にかけるべき事項でないというふうに判断をいたしておったわけでございます。
  137. 中路雅弘

    中路委員 いま局長から答弁がありましたが、この十月九日の白紙還元をした議員懇談会の後行われた閣議と国防会議で、いまお話しの「文民統制強化のための措置について」という決定をしているんです。そして、この決定の中に「別紙の事項は、防衛庁設置法第六十二条第二項第五号の「重要事項」として、国防会議にはかることとする。」ということが明記されて、そしてこの中に「左に掲げる装備」ということで作戦用航空機、あるいはいまお話しのように「整備計画が数か年の長期にわたりかつ多額の経費を要するもの」こういった問題は国防会議にかけなければならないということが決められた。これは、四次防の策定をめぐる論議がいろいろあって、文民統制の問題でこの決定がされた。この決定をされたのは、いまお話しのように十月九日ですね。だから、白紙還元了解事項が出された以後ですね。それ以後は国防会議にかけなければいけない。しかしそれまではかけなくてもいいんですね。そうだとすれば、いままで防衛庁長官がこの白紙還元の問題をめぐって、あなたは国防会議でまだ決めてないんだということを繰り返し言われたけれども、決めなくてもいいことを、決めてないからこれはまだ決定でなかったんだ、論議を白紙にしたんだというような、いろいろ詭弁を使われたけれども、この問題は訂正されますか。
  138. 坂田道太

    坂田国務大臣 御承知のように、あの年の国会におきまして、こういう大事な問題はやはり国防会議にかけるべきだというようなことで、いま御指摘になりました十月の九日に文民統制云々のものが出てきたということでございますが、一面において、その問題をかけるかけないにかかわりませず、政府全体としての国産化決定しておったということはないわけでございまして、これはやはりわれわれが決めますにつきましては、大蔵省とわれわれと話を詰めなければ政府としては決められない問題だ、そういうことはあろうかと思います。
  139. 中路雅弘

    中路委員 予算のことで大蔵省と相談をされるということは当然あるんです。私の言っているのは、この機種の問題ですね、あるいは国産とか輸入とか、こういう問題を主として所管するのは防衛庁の権限の事項なんだ。これは十月九日以前については、必ず国防会議にかけなければいけないということが決まっている問題じゃないんだ、だから防衛庁概算要求で庁議としてその方向を前提にして予算要求しているということは、それは防衛庁の決められた方針であった。そのことは防衛庁の権限に属する問題ですね。それを防衛庁が庁議で決めているんだから、それはまた政府のそのときにおける方針でもあったんだ。あなたは、国防会議にかかっていなかったんだから、決めていなかったんだから、それは方針ではなかったんだ、論議を白紙にしたんだということを繰り返し言っているでしょう。だから、私はそれは訂正すべきだ、詭弁なんだということを言っているんです。いま局長だって、それ以前は国防会議にかけなくてもいいということをはっきり言っているじゃないですか。
  140. 坂田道太

    坂田国務大臣 いや、国防会議の問題につきましては、十月九日以後かけなければならないということになったわけです。しかしながら、政府全体の方針といいますか、意思というものは、われわれだけで決めるべき問題じゃないので、もし大蔵省がそれに反対であるということであるならば、それはやはり詰めて、そして了解のもとでなければ政府としての意思は決まらないというふうに思います。それはもうずっと一貫しておるわけでございます。
  141. 中路雅弘

    中路委員 あなたはいままで、国防会議としてこの国産化を決めたことはないんだ、白紙にしたのは国産輸入かの議論白紙にしたんだということを繰り返し言っておられるわけです。だから私は、そういう議論じゃなくて、事実、前提にした研究開発が進められていたし、防衛庁としても、少なくとも庁議としてそのことを決めて概算要求も出されていた。もちろん、予算上のことで大蔵省とそのときいろいろ折衝もあったでしょう。しかし、その前提になる国防会議で決めたことはないんだから、だから国産化白紙還元というのはむしろおかしいんだという答弁をされたのは、正確じゃないでしょう。修正されますか。少なくとも正確なあれでないでしょう。
  142. 坂田道太

    坂田国務大臣 やはりいまよく検討してみましても同じことでございまして、われわれの防衛庁のみで方針は決めましても、それが大蔵省と詰めなければ政府としての意思決定にはならないというのが正確でございます。  それから二月の大綱におきましても、国防会議におきましても、これは方針としては決まっていないということは明らかでございます。でございますから、私の申し上げましたことは間違ってないということでございます。
  143. 中路雅弘

    中路委員 これは前回の予算委員会で私も取り上げましたが、いまおっしゃった二月の四次防の大綱ですね、この装備等の中に機体も含まれるというのは、皆さんの方の当時の装備局長が全部しゃべって、あるいは書いていることでしょう。だから、防衛庁として、私が聞いているのは、国防会議にかかってなかったからそれは決まってないのだと言うんだけれども、その十月九日以前は国防会議の問題じゃないのだから、その点は訂正されますか、ということを言っているわけです。
  144. 坂田道太

    坂田国務大臣 私が申し上げておりますのは、二月の大綱の中ではやはり国産化は決まっていなかったということ、それからわれわれの方では、防衛庁の方では国産化といいますか、国産開発ということは考えておったけれども、しかしながらそれは政府の意思としては決まっていなかった。なぜならば、大蔵省と詰めが行われてなかったからということ、また予算上もそういうふうに決められておったからだということでございます。だから非常に一貫していると思います。だから、国防会議は、厳密には先生おっしゃるように、十月九日から文民統制というものが問題になって、かけるべきものであるということになりましたから、これはもうそのとおりだと思います。それまでの時点においては、確かにわれわれの方も重要な大切な問題をかけなければならないというふうには思っておりましたけれども、十月九日で文民統制云々が出たほどそれほどの重要性――何もかにもというふうには考えてなかった、十月九日で非常に明確になったというふうにわれわれは考えております。
  145. 中路雅弘

    中路委員 時間が限られていますからあれしますが、いままで長官は、国防会議にかけられていない、これは決まっていない、だから国産化の問題は決まっていないのだという趣旨のことを絶えず答弁でおっしゃっているから、私は、国防会議で決めなければならない事項じゃないのだ、きょうも確認してますけれども、だから、そういうものを持ち出して国産化白紙還元の問題で言われるのは詭弁だということを言っているんですね。これはいま事実認められたのですから、国防会議にかける事項じゃないということですね。十月九日以前はかけなくてもいい事項だということは認められたのですから、少なくともいままでのそういうことをたてまえにした発言は訂正さるべきだというふうに私は思います。
  146. 坂田道太

    坂田国務大臣 非常に恐縮でございますけれども、私が国防会議云々ということで、あるいは舌足らずであったかもしれませんが、私が申し上げましたのは、二月の大綱においては決まっていなかった、これは事実でございますから、そのことを私は繰り返したつもりでございます。しかし、先生がおっしゃいました文民統制云々が十月九日から非常に厳格になって、それからはもうどうしてもかけなければならない課題であるということは、先生の御指摘のとおりだというふうに思います。
  147. 中路雅弘

    中路委員 限られていますので、もう一、二点お聞きしたいのですが、久保防衛次官の発言があって、後で記憶違いといいますか、事実誤認があったということで訓戒処分をされましたが、午前中もあったように、前日に大蔵省から話があったと宮下主計官ですか、相沢主計局長の意を受けて話があったというのは、これは了解事項の中身について知らされたということとは全く違うでしょう。T2の問題と、あとは取引にいわばPXLの国産は断念してくれという話があったということだけですね。だから、少なくともこの了解事項で出されている国産化白紙にするということ、それから専門家会議を設けて検討するということ、この問題を了解事項にして出すということですね。この少なくとも三点は、当時の防衛局長ですが、久保防衛次官の言うように、この三点については事前に出されるまで防衛庁側は何ら関知しなかった、知らされていなかったというこの大筋については、久保さんの最初の発言については間違いないわけです。事実誤認というのは、問題がまたこれもすりかわっちゃったのですね。だから、訓戒処分をされたのは――久保氏の最初の発言は事実、この三点について知らされてなかったということは間違いないことなわけですね。その点でも皆さんの方の調査は誤っている、違いますか。
  148. 坂田道太

    坂田国務大臣 久保次官がその夜の十二時に訂正をし、またその翌日の予算総会において訂正いたしましたことは、新聞に報道されましたように、ああいう事柄が総理の部屋で三人で決められたというふうに彼が言ったと報道されたことに対して、それはそうじゃないということを打ち消したわけでございます。
  149. 中路雅弘

    中路委員 午前中もこれはありましたが、突然いままで国産で、その前にこれはすでに二十機ばかり要求も出ていますし、試作機も完成していたというこのT2を、突然ノースロップの輸入の問題が起きてきたということですが、これも午前中、相沢局長の指示で宮下主計官が防衛庁に電話したということがありましたね。これはサンケイ新聞にも出ている記事ですし、他の新聞にも出ていますが、当時輸入派の本家と目されていた当時の大蔵省の最高責任者植木元大蔵大臣の談話ということが出ていますが、大蔵大臣自身も「航空機種の選定に当たっては、最も優秀で安全なものを国産したいと願うのは当然で、この考えは当時も今も変わらない」「私は白紙還元のいきさつについて全く知らされていなかった」ということで、「防衛庁が強く主張していたT2とFST2改の国産化要求に対し、突然どこからともなく代替機の輸入案が持ち出され、防衛庁は増原長官を先頭に大蔵省と激しくわたり合った。」というずっと経過が出ていますけれども、これは大蔵省の大臣自身が知らなかったと言っているわけですから、大蔵省自身の方針でもなかった。相沢局長から出された、さっきのお話でも、宮下主計官を通じて、ということじゃないですか。大蔵大臣自身が新聞に語っているのです。
  150. 坂田道太

    坂田国務大臣 先ほどの十月八日の問題で私が事実調査をいたしました限りにおいては、これは増原長官以下首脳が相談をしておるところに主計官から話をしてきたということ。しかもそれを受け取ったのは防衛庁の経理局長である小田村君であるということは本当でございますけれども、それが相沢君がどうだこうだということは全然入っておりません。大出さんはおっしゃいましたけれども、私どもはそういう事実認識はしておりません。  それから、植木先生が当時の大蔵大臣でいらっしゃいますが、植木先生には私お会いいたしました、お話聞きました。そのときには、これはやはり植木さんとしては、全体の四次防の総枠の問題、それからT2改支援戦闘機の国産化あるいは輸入化という問題がやはり主要な問題であって、PXLについて余り実は自分の頭にはなかったということを私にはおっしゃっております。そして国産化につきましては、長期的に基本的にそういう考え方を持っているので、それがそのままPXLにあれするという意味ではないということをおっしゃいました。  そしてまた、それの国産の持論というのは、自分が第二次大戦のときに、大蔵省の主計局長で海軍の方の担当だったそうです。そうして南京に飛んでまいりました日本の飛行機、それを山本五十六さんがまだ下のときにお願いされて、そしてそれが片肺で帰ってきたという、そういう印象が非常に強いので、主要なる飛行機であるとか戦車であるとか、そういうものはやはりできるならば国産化にしなければならぬという持論を持っているんだ、こういうお話でございました。
  151. 中路雅弘

    中路委員 あと一、二問にしますが、もう一つたとえばこういうことも新聞に出ておりますね。これは二月十日の東京新聞ですが、十月五日に――八日の前ですね、十月五日に首相周辺から――田中総理ですね、首相周辺から国産を予定していたFST2改にかえてノースロップのF5戦闘機を輸入すべきだとの見解が非公式に防衛庁に伝えられたということも報道されていますが、これは事実ですか、簡潔に一言。
  152. 丸山昴

    丸山説明員 お答え申し上げます。  十月二日に、四次防に関する防衛庁からの要求に対しての大蔵省の内示がございまして、そのときに防衛庁として国産で進むという計画要求を出しました高等練習機とそれからFST2改支援戦闘機については、輸入検討してみてはどうかという趣旨の内示があったわけでございますが、実はこのT2並びにFST2改におきましては、四次防の大綱が決まる以前からノースロップ当時T38という一局等練習機に対応するのがございました。これとの比較、それからこれが改造になりましたF5Bそれから戦闘機に改造されておりますF5E、こういったタイプの航空機の輸入とそれから国産との比較検討、これが財政当局と防衛庁との間にずっと繰り返されてきておるわけでございまして、したがいまして、ただいま御指摘になりました五日に特に総理近辺からそういう点についての示唆があったというようなことは、私ども聞いておらないわけでございます。
  153. 中路雅弘

    中路委員 時間ですから終わりますが、最後に一つだけ、これはぜひ調査をして御報告を願いたいと思うのでお話ししますが、午前中に出ていました、四十七年八月にワシントンの大使館に駐在している海上自衛隊の玉川一佐から海上幕僚監部に私信の形で、P3Cの対日リリースの可能だというアメリカの海軍筋の報告が入っているわけですが、これは私信という形ですけれども――私信という形にしなければ報告はできないですね。防衛駐在官は外務省の職員の資格で行くわけですから、公式報告だったら外務省を通じなければいけない。だからこれ自身が問題だと思うのですが、しかし本当の私信じゃない。中身は防衛駐在官として取得をした情報を防衛庁に報告しているわけですね。だから、皆さんもこれに対して当面応ずる余地はないということで海幕で返事を出しているというものですから、全く私信の性格じゃなくて、防衛駐在官からの報告ですから、この中身をひとつ資料で御提出願いたいというのが一点と、もう一つはこの玉川一佐がその後防衛庁を途中で退職しましてエニパックというアメリカの会社に就職していますけれども、これは私、調べてみましたが、防衛駐在官が外国アメリカの企業に直接就職するということは全くほかに例がないわけですが、しかも途中で退職してですね、この経過調査をして報告していただきたい。この二点をひとつお願いしたいのです。
  154. 丸山昴

    丸山説明員 まず第一点の玉川一佐からの私信でございますが、これは現在現物が残っておりませんで、当時回覧をいたしました関係者の記憶で、その中身がいわゆるP3Cのリリースの見通しの可能性についてのことであった、こういうことでございます。したがいまして、この資料は私どもも実はこれを調査をいたしたのでございますが、現物がございませんのでお含みおきをいただきたいと思います。  それから、玉川一佐は四十九年の九月八日付で退職をいたしております。アメリカから帰ってまいりましたのは四十九年の七月の一日でございまして、九月八日に退職をいたしております。退職後スペリマニパックという会社のワシントン支社、現在ワシントンにおりまして、そこで勤務をいたしております。どういう経緯でこの会社に勤めるようになったかということにつきましては、実は海幕でもこれは本人に聞いてみないとよくわからないということでございまして、いま先生指摘のように、海外駐在官が退職後外国の会社に勤務するようになったという事例としては非常に異例な、異例と申しますか通常こういう形のはございませんが、本人が勤めるようになったことは異例なことであるというふうに私どもは受け取っておるわけでございます。
  155. 中路雅弘

    中路委員 終わります。
  156. 田中伊三次

    田中委員長 それでは三浦久君。お待たせしました。
  157. 三浦久

    ○三浦委員 運輸省にお尋ねいたしたいと思います。  運輸省から提供された資料を拝見いたしたわけですけれどもロッキード問題について専門的に調査する特別委員会である当委員会に提出をされた資料としてはきわめてずさんである、粗雑であるという印象を免れません。いままで運輸行政の問題についてはいろいろ国会で論議をされております。問題点は運輸省自身がはっきりわかっているはずなんですね。この前の、おとといの理事懇談会の席上で田中委員長の方から、問題点をちゃんと整理して資料をそれにつけて出せ、こう言われているわけです。ところが、拝見をすると、まるっきり問題点をぼかしてしまっている。真剣に真相の解明をしようという意欲は運輸省には見られない、そういうふうに感ぜられるわけですね。  たとえばエアバスの導入延期の問題にしても、資料は四十六年六月の昭和四十七年度の幹線需要の予測の資料だけ出してきていますね。昭和四十六年の二月から四十七年度導入延期の指導をしているわけでしょう。そうであれば、四十六年の二月に延期の指導をした根拠ですね、その資料は当然あるはずなんですから、それをこの委員会提供するというのは当然なことだと思うのですけれども、その点についてお尋ねしたいと思います。
  158. 中村大造

    中村説明員 四十六年のいわゆる行政指導、これにつきましての御説明のための資料は、従来から私どもといたしましては、運輸省に存在する限りにおいてできる限りこれを調べましてお出しいたしておるということでございまして、決して存在するものを隠してお出ししないということはございません。
  159. 三浦久

    ○三浦委員 四十六年の二月に四十七年度導入が早いというふうにお考えになったのは、やはり四十七年度の幹線の需要予測からでしょう。需要供給のバランスからいってまだ時期が早い、そういうふうにお考えになったからじゃないのですか、いかがですか。
  160. 中村大造

    中村説明員 四十六年の二月にエアバス導入時期について行政指導いたしましたときの情勢判断は、四十七年度を見越しまして需要予測が、各社の持っております需要予測が相当大きいことも事実でございますけれども、それをもとにして各社は自分の会社の占有率というものを相当大きく見込んでおるわけでございまして、そのままエアバス導入、輸送力増強というものを認めますと、両方足しますと一〇〇%を超す、こういう事実が大きな要素としてあったわけでございます。したがいまして、四十六年の二月ごろに、先生指摘のように、どのような需要予測をして、それに基づいてどのような意思表示をしたかというその需要予測の数字が実は現在役所には存在いたしませんので、四十六年六月に指導いたしましたときの資料を現存するものとしてお出ししたわけでございます。
  161. 三浦久

    ○三浦委員 資料がないというのもきわめて不可解なんですね。四十六年六月に行政指導した文書があって、一番最初に――一番最初が一番大事なことでしょう。行政指導するかどうかということで、一番慎重に検討しなければならない四十六年二月のとき、そのときに四十七年度の需要予測を判断した資料が全くない、こんなふざけた話は私はないと思うのですよ。  じゃ、ないと言うから、ないものを出せと言っても仕方がないから、お尋ねしますけれども、そうすると、四十六年六月に予測をした需要ですね、需要供給の関係、これと大差がないというふうに判断してよろしいのですか。
  162. 中村大造

    中村説明員 大きな差はないと思います。  それから、四十六年六月のこの需要予測自体の数字も、各社の四十七年度の需要予測、これは四十五年ごろに作成したものでございますけれども、それと比べまして、そう大きくかけ離れているということはございません。
  163. 三浦久

    ○三浦委員 四十六年二月の直前、昭和四十五年十二月に運輸省は、日本航空が国際線のボーイング747LRを国内線に転用するその穴埋めとして――穴埋めを含めてと言った方がいいかもしれませんね、穴埋めを含めて四機のボーイング747LRの購入を認可いたしておりますね。これを認可するときには、当然四十七年度に国内線にエアバスを導入することが必要かどうか、そういう判断を下した上でこの国際線四機の購入認可をしたのだと思いますけれども、その点はいかがでしょうか。
  164. 中村大造

    中村説明員 四十五年の十一月の終わりに日航の国際線用四機の購入の取得認可をいたしますについて、四十七年度に日航の国際線用三機を国内線に転用するということについて日航が積算いたしておりますこの需要予測、こういうものを運輸省といたしましては当然そのときに審査いたしておるわけでございますから、そのときの判断としては、これは全日空との関係を別にいたしまして、日航に関する限り、四十七年度に三機を国内に転用する、これは当然あり得ることであるという判断をしたことは事実でございます。
  165. 三浦久

    ○三浦委員 そうすると、四十五年の十二月二日に認可をしているわけですが、この認可というのは、エアバス三機を昭和四十七年度に国内線に導入する、そういうことが当然前提になっているわけですね。ですから、四十七年度にエアバス三機を国内線に導入するかどうかということを判断するためには、四十七年度の幹線の需要予測というものをやはり同じように立てなきゃいけない、判断しなければならないと思いますが、その判断は、昭和四十六年二月に導入延期の行政指導をしたときと同じ判断だったのですか、どうでしょうか。
  166. 中村大造

    中村説明員 四十五年の十一月、十二月にかけて、この四機の国際線用の購入を認可いたしますについて、日航の国際線、国内線全体の機材繰りの予定というものを当然審査いたしておるわけでございます。そのときに、四十七年に国際線用の三機を国内線に転用するということについて、確実にそのようにするということを運輸省としては認可したわけではございません。ただ、日航の持っております需要予測それから全体の機材繰り、こういうことから考えれば、四十七年に三機を国内線に転用するということは、確率的には相当高い可能性があるという判断を当時の航空当局がしたことは事実でございます。
  167. 三浦久

    ○三浦委員 そんなあいまいなものじゃなかったはずですよ。あなたたちが国際線四機の購入を認めた理由は、現在国際線を運航しているボーイング747LRが四十七年度に国内線に転用されるんだ、その穴埋めなんだということははっきりしているじゃありませんか。ですから、あなたたち自身がお出しになった文書「DC8-61型機の取得及びボーイング747型三機の国内線転用について」こういう題の書面がここに来ていますよ。この中に「四十七年度についてはボーイング747型三機の国内線への転用が必要となった」ということがはっきりうたわれているわけですよ。そうしますと、国内線に三機四十七年度導入されるか、そういうこともあり得るなというようなことで、その代替機材として四機を認可したというようなことじゃなくて、四十七年度導入というのは既定の事実として、四十七年度導入というものが必要かどうかという判断をちゃんとした上でこの四機の認可をしていると思うのですがね。その点は、そうごまかさずに、すっきりお話しになったらいいんじゃないですか。
  168. 中村大造

    中村説明員 決してごまかしておるわけではございません。先生いまお読みになりました、三機転用が必要になったということは、その前に、日航の長期計画によれば、こういうことがあるわけでございまして、あくまでも日航の長期計画というものをもとにいたしまして、日航としてそういう国内線への転用が必要になった、こういうことで、それを運輸省といたしましても否定はいたしていないわけでございます。ただ、あくまでもこの四十七年に三機国内線に転用するということをその時点で決めておる、こういうことではございません。
  169. 三浦久

    ○三浦委員 おかしいんですね。日航は、国際線のものを国内線に転用するから、その穴埋めとして国際線に四機購入することを認可してくださいと、はっきりそう言って申請書を出しているわけでしょう。あなたの方では、四十七年度導入はどうか――まあ国内線への転用ですね。余りわからないみたいな話じゃ、それじゃ要らないものを認可しているということになりますよ。日本航空が申請もしていないものをあなたたちは勝手に認可したということになりますよ。日本航空は、穴埋めとして欲しいのだ、こう言っている。あなたたちは、穴埋めじゃなくて国際線に四機要るのだといって許可したというのであれば、求めていないことについてあなたたちは認可したということになるじゃありませんか。そうしたら、国際線の飛行機ががたがた余ってしまいますよ。それは全くの詭弁ですよ。  ですから、四十五年の十二月にこの四機の購入を認可したときには、その時点で四十七年度の幹線の需要予測をちゃんとしているはずですよ。してないのですか。
  170. 中村大造

    中村説明員 四十七年の需要予測というものは、当時、日航、全日空ともに長期計画の中でいたしておるわけで、運輸省といたしまして、運輸省自体がどういう需要予測をしたかという、運輸省自体の需要予測の数字は残っておりません。ただ、日航のそういう需要予測を見て運輸省が取得認可の判断をしたわけでございますから、したがって、そのような四十七年の需要予測というものを運輸省は否定いたしておったわけではございません。  あくまでも四十五年の十二月に認可いたしましたのは四機の購入でございまして、その国内線に三機を転用するというのは四十七年でございます。四十七年の段階で全体にどのような需給のバランスになるか、したがって全体の機材繰りというものをどうするかということは、四十七年の段階でこれは事業計画の認可で改めて処理するわけでございます。  しかしながら、四十五年の十一月、十二月段階に、四十七年には三機国内線に入れるということを航空局としては絶対に否定したわけではございません。そういうことは大いにあり得る、こういうことを前提にして四機の購入を認可したわけでございます。
  171. 三浦久

    ○三浦委員 あり得るなんということじゃないじゃないですか。何でそういう答弁されるのですか。四十五年の十二月に認可したときには、四十七年度の幹線の需要予測はしたのでしょう。しなければ認可できないじゃないですか、あなた。その一点だけ答えてください。
  172. 中村大造

    中村説明員 四十五年を振り返りますと、当時、運輸政策審議会で、四十六年から五十年までの長期予測をいたしておりまして、運輸省としてもそういう予測をいたしておったわけで、その需要予測に基づいて運輸省といたしましても判断いたしておったわけですから、四十七年の予想数字というものは、当時の運輸省の持っておった数字と会社自身が持っておった数字に大きな違いはないはずでございます。
  173. 三浦久

    ○三浦委員 そうすると、もうきわめて奇怪なことが起きているわけですね。四十五年の十二月も四十六年の二月も四十六年の七月も、それぞれの時点で四十七年の幹線の需要予測をしている。それは大差ない。それなのに四十五年の十二月には、四十七年のエアバス導入を、国際線の転用という形ではあるけれども、一応判断をされている。それが四十六年の二月になったら急に延期の指導が出るということですね。これはまともじゃ考えられないことなんですよ。  いま航空局長は事業計画は四十七年になってからやるんだなんということを言っていますけれども、四十五年の十二月にエアバスの購入を認可したこの時点ではぴちっと需要予測をしていなければならない。なぜならば、四機も買うのですよ、一機八十億円もするものを。三百二十億円の買い物をする、この認可なんですから、これは当然ぴちっと判断をしてやっていなければならないはずです。それがわずか二カ月ちょっとの間に全く逆の結論が出ていくわけですね。いまあなたのお出しになった資料を見てみても「三機の国際線用ジャンボの国内線への転用は必要なく、」こう書いてある。ところが、四十五年の十二月、わずか二カ月ちょっと先には必要だということで認可している。この矛盾をどう説明するのかということですよ。やはりここにはロールス・ロイスの倒産、そしてロッキード社がトライスターの生産が非常におくれてくるという、こういう事情があって、ここで四十六年二月の橋本発言になってくるというふうに見るのが、どうしたって、だれが見たってそういうふうに見ざるを得ないような状況なんですね。  それで、あなたたちがこういう行政指導をしたことによって日本航空は損害を受けたと思いませんか、どうですか。
  174. 中村大造

    中村説明員 日本航空が損害を受けたとは思っておりません。
  175. 三浦久

    ○三浦委員 あなたの出したこの需要予測の第四に「国内線に転用しようとしていたジャンボ三機はそのまま国際線に使用し、国際線用ジャンボが多過ぎる場合は新たに購入しようとしている国際線用ジャンボ四機のデリバリーを遅らせる。」こう書いていますね。これはわれわれが調査した結果、長期計画の中で二十一機月おくらせているのです。ところが、実際にはニューデリーの事故等がありまして、そう遊んではいないのですけれども、しかし数機月はおくれているのです。そのために日本航空はボーイング社に対して保管料を払っているのですよ。幾ら払っていると思いますか。
  176. 中村大造

    中村説明員 約七十万ドルでございます。
  177. 三浦久

    ○三浦委員 それだけの損害を与えているじゃありませんか。こういう行政指導がなければデリバリーをおくらせる必要はないわけなんですから、保管料なんか支払う必要ないのですよ。そういうふうにあなたたちのいわゆる奇々怪々な行政指導によって、結局現実に日本航空にそういう大きな損害が発生しているということなんですよ。  私はもう時間がありませんから質問を終わりますけれども、やはりもう少し、この真相を解明するという立場でこの特別委員会の審理に協力をしてもらわないと困るということを申し上げて、私の質問を終わりたいと思います。
  178. 田中伊三次

    田中委員長 鈴切康雄君。
  179. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 まず、お二人の大臣に政治姿勢についてお伺いをします。  いま自民党は党内がらみでいろいろ抗争をしているということは御存じのとおりでありますけれども一つには、ロッキード問題そのものをうやむやにするのではないかとまで言われております。ロッキード問題については、防衛庁長官、運輸大臣、そして当該関係官庁の責任者としてどのように真相究明をされるか、まずその政治姿勢についてお伺いします。
  180. 坂田道太

    坂田国務大臣 私といたしましては、とにかくPXL、次期哨戒機を購入いたさなければならないわけでございまして、そのために作業を進めておりますが、しかし、P3Cであるとかあるいは国産であるとかあるいはその他いろいろのやり方によってどういうふうにするかはまだ決めてはおりませんけれども、その対象にも数えられるP3Cのロッキード社と児玉との問において金銭の授受が行われておるというようなこともございまして、国民はやはり非常な疑惑を持っておるわけでございます。こういう疑惑を晴らさないで機種を決めるわけにはまいりません。どんなにりっぱな装備を持った飛行機を購入いたしましても、もしそれが国民の疑惑を残しておるというようなことでございますと、その防衛力というものは力になり得ない。私がもうかねがね申しておるとおりでございまして、何とかしてこの真相を究明いたしまして、国民に一点の疑惑のないような形で次期の対潜機を選びたい、かように考えておりまして、でき得るだけこの真相の究明に当たりたいと考えておるわけでございます。
  181. 木村睦男

    ○木村国務大臣 運輸省は国民の航究需要に対して適切な航空輸送力を提供するということが運輸行政の基本的な使命であるわけでございます。したがって、適切な航空輸送力を提供するということにいささかも欠くるところがあってはいけないということでございますが、今回のエアバス導入に関連いたしまして、現在いろいろ御論議をいただいておるような事件が背後にあるということでございますが、第一に私として考えなければならないことは、そういうことがいやしくもいま申し上げました航空行政、つまり国民の航空需要に対して適切な航空輸送力を提供するということに影響があったかなかったか、こういうことをまず詳細に検討しなければならないということで、当時の航空事情、航空需要、そういうものの関連性においていろいろ調べておるわけでございますが、私は、当時の航空需要に対して適切な航空輸送力をずっと提供してまいっておるというふうに見ておるわけでございます。  しかも、いかなる機種を入れるかということは、これは各航空会社が最終的に自主的に決めるわけでございまして、運輸省としては機種の問題については別に干渉はいたしておりません。輸送力の面ではいろいろやりますけれども、いかなる機種かということについては干渉をいたしておりません。それが運輸行政の現状でございます。  しかし、いろいろな事件が運輸省の航空行政に大きな影響を与えるということがあってはまことに遺憾なことでございますので、その点はいろいろな資料により、また当時の事情調査いたしまして、皆さんの疑惑解明に対してはできる限りの調査をいたし、御答弁を申し上げておるという立場でございます。
  182. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 先日、法務大臣から捜査の進捗状況についての中間報告がありまして、百八十人から事情を聴取したというふうに言われておりますが、その中には、防衛庁あるいは運輸省、大蔵省の官庁関係の官僚を含むとの答弁でありましたけれども防衛庁はいままでに何人参考人として事情聴取をされたか、また延べにすると何人ぐらいになるのか、そして、現職と元防衛庁幹部との関係はどうなのか、あるいは内局とか外局との問題等がおありでありましょうから、その点について御報告をお願いします。
  183. 玉木清司

    ○玉木説明員 お答えいたします。  東京地検からこの問題につきまして事情を聞かれておりますのは、現職につきましては、内局の官房総務課長及び実務上の責任のありました防衛課長、それから海上幕僚監部につきましてはPXL関係の実務の責任をとるべき課長クラスの者、こういう者が四名呼ばれております。参りまして、事務上の説明を申し上げておる。  それから、退職した者につきましては、当時の海上自衛隊及び航空自衛隊の責任ある立場におった者が三名呼ばれておることを知らされております。  以上でございます。
  184. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 報道によりますと、白川元春前統合幕僚会議議長、それから石田捨雄元海上幕僚長等の方々もやはり参考人として呼ばれているのではないかというふうに言われておりますけれども、その点はどうでしょうか。  それからまた、国防会議の方にお聞きいたしますけれども国防会議の海原前国防会議事務局長参考人として呼ばれているというふうに聞いておりますけれども、その点はいかがでしょうか。
  185. 玉木清司

    ○玉木説明員 お尋ねの白川前統合幕僚会議議長及び石田前海幕長につきましては、それがどういう立場で事情聴取を受けておるのか、これは検察官の判断に属することでございますので、承知しておりません。
  186. 内海倫

    内海説明員 けさ新聞記事は見ましたけれども、事実のほどにつきましては、私、承知いたしておりません。
  187. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 あなたはどうですか。参考人として呼ばれていますか。
  188. 内海倫

    内海説明員 全くございません。
  189. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 検察庁の要請によりまして、いままでPXL関係及びFXに関係する資料としてどういう資料防衛庁の方から検察庁の方にお出しになりましたか。具体的にひとつ御答弁願いたいと思います。
  190. 玉木清司

    ○玉木説明員 内局官房で承知しております範囲で申し上げますと、防衛庁の組織がどのようになっておるのか、あるいは業務の流れがどのようになっておるのか、あるいはPXLの決定当時の事務上の経緯とか四次防の計画の策定前後を明かすような関係書類、こういうような種類のものを、協力を求められまして、東京地検に対する官庁間の協力という立場で送付してございます。
  191. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 国防会議事務局の方はどういうものでしょうか。
  192. 内海倫

    内海説明員 国防会議及び行いました専門家会議に関する若干の資料を提出いたしましたが、内容につきましては御遠慮さしていただきたいと思います。
  193. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 それでは本題に入りますけれども、先ほど、了解事項の問題でいろいろ問題になりました。そこで、この問題についてもうちょっと詰めてまいりたいと思うわけでありますけれども、「次期潜機早期警戒機等の国産化問題は白紙とし、今後輸入を含め」と書いてありますね。ですから、今後輸入を含めてという言葉が入っている以上は、国防会議議員懇談会了解されるまで輸入ということは検討の中に含まれていなかったということになるのでしょうか。
  194. 丸山昴

    丸山説明員 PXLの経緯につきまして、たびたび申し上げてございますように、防衛庁とそれから財政当局との間の対立いたしておりました問題点は、PXLの国産化前提とするということが是か非かという議論であったわけでございます。その時点におきまして、輸入を対比してという問題はまだその議論の中には入っておりません。したがって、この「国産化問題は白紙とし」という了解事項の御趣旨は、私ども関係省庁といたしましては、PXLの国産化是非に関する議論白紙としというような趣旨に私ども受け取っておるわけでございまして、輸入という問題はこの了解事項で初めて出てきておる問題であるというふうに理解をいたしておるわけでございます。
  195. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 大分明確になってきたのですけれども、いままでに輸入も含まれていたとするならば、何も今後輸入を含めるという言葉をことさら挿入する必要はないわけです。御存じのとおりですね。となりますと、やはりいま、国産化前提とするということを言うならば国産化問題を白紙にするということになったというふうに理解をしているというふうに防衛局長は言われたわけでありますけれども、結局、いままで輸入ということではなかったけれどもこれからは輸入ということも含めてということであるならば、意味がわかるわけです。だから、そういう意味において、国産化前提とするということは白紙還元をされたということ。もう一度御答弁願いたいと思います。
  196. 丸山昴

    丸山説明員 国産化前提とすることが是か非かという議論が、防衛庁大蔵省との間の議論であったわけでございます。もちろん、国産と申します場合に、いわゆる量産体制に入るかどうかという問題は、これは先の問題でございまして、大蔵省防衛庁との問に行われておりました議論は、国産化前提とする研究開発は是か非かという議論をいたしておったということでございまして、したがって、その了解事項の中の「国産化問題を白紙とし」という表現は、防衛大蔵両省問において行われておった、国産前提とする研究開発は是か非かという議論は一応そこでたな上げになって、専門家会議で新たに輸入という問題も含めて検討すべし、こういう了解事項が示されたというふうに解釈をいたしておるわけでございます。
  197. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 結局、結論から言いますと、国産化を目指しての研究開発がすでにあったということ以外にないわけです。防衛庁国産化を進めておった、そして大蔵省はそれに反対をしておった。そういう論議を白紙にするということなんですけれども、論議は一つ結論を得る過程であります。だから論議をするということはこれはあたりまえのことなんですよ。その論議をするのを白紙にするということは、どういう意味なんですか。
  198. 坂田道太

    坂田国務大臣 もう本当に量産に入って国産でやるかどうか、そういう論議ですね。つまり、もういよいよもって国産化前提として基本設計もやり、そしてそれはもう量産化につながっていく、そして計画的に遂行していく、そういうことをもう財政当局も承知をする、その上でもって政府全体として決めるということでございますと、これはもう国産化でございますね。しかし、四十五年、四十六年、四十七年の調査研究というものは、これはあくまでも国産化前提としない調査研究だということに厳にチェックがかけられておったし、またわれわれもそれを了承しておった。こういうことで、その範囲内においてしか予算の執行はできなかったということでございます。
  199. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 あなたの言うことはさっぱりわからないですね。「国産化問題は白紙とし」という表現は、一般には国産化白紙と解されがちであり、国産化是非についての従来の論議を白紙とするというんでしょう。これはずいぶんおかしな話ですね。国産化の問題の是非の論議をたな上げをするというならば話はわかるんだよ。白紙にするというんですから、結局、何か白紙にするについては色がついておったんでしょうよ。もともと白紙であるものを白紙にするわけがないのですよ。何の色がついておったのですか。
  200. 坂田道太

    坂田国務大臣 先ほどお答えいたしましたように、そういう御疑問が起こるのも無理からぬと思います。と申しますのは、白紙にするという意味は、前に色があったからそうじゃないかということでございますが、色ということを申しますならば、それは国産を決めておった、これは防衛庁だけじゃなくて政府も全体として国産化を目指すということを決めておったということであれば、これは色がついておった、それを白紙というなら話がわかるというのが先生お話だと思いますが、よく調べてみましたところが、政府全体としましてはそのようなことはしておらなかった、国産を決めてなかった、ただし、防衛庁自身は国産是非についての議論大蔵省とはやっておった、こういうことでございます。
  201. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 全くわからないことをおっしゃいますね。ですから、あなたの論理から言いますと、この了解事項白紙還元というのは、言葉はおかしくなりますね。これはおかしい言葉というふうにあなたはとっておられますか。
  202. 坂田道太

    坂田国務大臣 私は了解事項というものを、いまの段階で考えれば、もう少し表現がしかるべきであったろうかというふうには思います。しかし、その了解事項内容はいま申し上げましたようなことであって、しかもそれにつけ加わりまして、輸入を含めてということになっておりますから、わりあいにはっきりいたしておるんじゃないかというふうに思います。
  203. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 坂田防衛庁長官が五十一年の二月の二十六日の予算委員会で「白紙還元というその言葉がいまとなっては非常におかしい」こうおっしゃっておりますよ。答弁されておりますよ。これは坂田さん、あなた防衛庁長官の見解なんですか、政府の公式な見解なんですか。
  204. 坂田道太

    坂田国務大臣 そのとき私が申しましたのも実はいま申し上げましたようなことでございまして、それはそれ自体としてちゃんとした了解事項でございますけれども、いまの時点から考えてみて、もう少しベターな表現があったかもしれないということは言えるという意味でございます。それが実は非常に誤解を招いておるわけでございますから、その意味合いにおいてこの案文がもっとベターな表現があったらという気持ちを申し上げただけでございます。
  205. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 結局はおかしいということじゃないですか。このあなたが答弁された「白紙還元というその言葉がいまとなっては非常におかしい」というのと何も変わりがないですね。     〔委員長退席、大橋(武)委員長代理着席〕 となりますと、昭和四十七年当時は、これは実はおかしくなかったんですよ。おかしくなかったから、だれ一人異論を唱えなかったんですね。ところが、この了解事項がそういうことでまとまったわけでありますけれども、なぜいまになって一防衛庁長官であるあなたが平気な顔をして非常におかしいというようなことを言われるか、全く私は納得がいきませんね。納得いかない問題なんです。その当時了解事項とされてだれ一人異論がなくて、そこで出された問題が、いまロッキード問題が問題になったからといって、それからいろいろ手繰ってみるとそのときの言葉はおかしいと言うのですよ。この昭和四十七年の当時の了解事項は、少なくとも議員懇談会了解事項ですよ。確かに国防会議決定ではないにしても、実質的には国防会議と同じ役割りをするところで決まった問題ですよ。いいですか。そのときにたまたまおいでになった方々は、田中総理大臣、それから三木副総理、大平外務大臣、植木大蔵大臣、増原防衛庁長官、有田経企庁長官、中曾根通産大臣、二階堂官房長官でしょう。こういう方が何の異論もはさまないのを、いまあなたはおかしいと言うのですよ。閣内不統一じゃないですか。統一見解を出してください。
  206. 坂田道太

    坂田国務大臣 私が申し上げましたのは、非常におかしいとかなんとかは言っておらないのです。(鈴切委員「はっきり言っている」と呼ぶ)非常におかしいなんては言っていないはずです。――いま速記録を読みますと、非常におかしいということを言っておるようでございます。これは私いまとなって考えますと、やはりそれは適当でなかったというふうに思います。でございますが、しかしその気持ちは、それはごまかしているわけじゃございませんで、率直に申し上げますと、いま申しますのは、あの議論が、いかにもあの了解事項を読みますと、世間の方々がみんなとにかく前に国産化を決めておったのだ、もう政府は決めておったのじゃないか、こういう御質問が至るところにあるわけでございます。そういうふうに実はこの了解事項が誤って理解をされる。誤って理解をされるということは、この了解事項そのものがやはりもう少しベターな表現であったならば誤られなかったかもしれないという意味のことを申し上げたのでございます。非常におかしいなんということを一防衛庁長官が申したことはけしからぬとおっしゃられれば、それは取り消したいと思いますが、私の真意はそういう意味でございます。  いやしくも了解事項でございますから、今日の段階といえどもそれが素直に取れなければならないわけでございまして、しかし、そこにこの問題が非常に世間から疑惑を持たれている点でございますから、これはやはり正確にその真意を明らかにする必要がある。明らかにする必要があるためにあえてそういうようなことを申し上げたということでございまして、御了承を賜りたいと思います。
  207. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 了承できませんね。非常におかしいという言葉を取り消されるということは、この了解事項を認められるということじゃないですか、このとおりだということじゃないですか。そうすると、根本的に防衛庁調査事項というものは、結論から言えば、すべてでたらめであるということでしょう。
  208. 坂田道太

    坂田国務大臣 私が申し上げましたのは、了解事項を否定しているわけじゃございませんで、それはもうちゃんとそのとおりだというふうに考えておるわけでございます。それは一貫しておるわけでございますから、間違いのないようにお願いを申し上げたいと思います。
  209. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 「非常におかしい」というこの言葉自体が、実を言うと、大変おかしい話なんです。あなたはこの問題を調査をされましたけれども、少なくともこの議員懇談会に出られた方々八名、田中前総理大臣を含めて、あなたはそのときの状況をよくお聞になって、そして防衛庁の見解をまとめられたのですか。
  210. 坂田道太

    坂田国務大臣 私はこのPXL問題につきましての調査は、懇談会その他のメンバーはやはり国防会議の所管でございますから、私の所管の範囲内におきまして、たとえば当時のわれわれの長官でありました増原長官あるいは次官あるいは官房長、経理局長等々にお会いをいたしました。それからまた関係いたしました国防会議事務局長の海原さんにもお会いをいたしました。それから、その後いろいろ問題がございましたので、植木さんとかあるいはまた官房副長官の後藤田さんとかあるいは大蔵省の当時の主計局長でございました相沢さんであるとかいうそれぞれの方々にはお会いをいたしました。
  211. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 結局あなたはこの八名の閣僚にお会いしているというのは、数え挙げてみて幾らもないじゃないですか。この閣僚は言うならば了解事項をしたのでしょう。その大事な閣僚に聞いてみないであなたは防衛庁の見解を述べられたこと、私は信用できません、そんなのはできるわけないじゃないですか。了解事項をした、わかりましたというその人たちに聞いてみないでこんなものをまとめられたって、私は絶対に正しいとは思っちゃいませんよ。     〔大橋(武)委員長代理退席、委員長着席〕  それから、当時緊急輸入について、PXLは当時のドル減らしに対して大変に対象になったかどうかという問題ですけれども、もし対象になったならば、緊急輸入に対してどのようなメリットがあったか、そうして、なっていたとすれば、年次別の計算によってどういうメリットがあったかというふうに御判断になっていましょうか。
  212. 丸山昴

    丸山説明員 お答え申します。  先ほども申し上げましたように、PLXにつきましては、大蔵省防衛庁との間に交わされました議論は、国産化前提とする研究開発をやりたいというのが防衛庁意向、それから、これは将来金がかかるから国産化につながる研究開発は認めないというのが大蔵の主張でございまして、したがいまして、PXLが緊急輸入の対象としての議論をされたことはございません。
  213. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 結局これはドル減らしが何にも関係ないわけですよ。そうしますと、いわゆる専門家会議の設置の条件が、専門家会議にもありますように、ドル減らしを理由にPXLの国産化白紙還元し、輸入も含めて検討することを目的に設けられたとなっています。となりますと、ドル減らし、全然関係ない。専門家会議の設置の意義が全然ないじゃないか。何そんなことを言っているのですか。
  214. 内海倫

    内海説明員 先ほどから大臣あるいは防衛局長がるる説明いたしておりますように、この了解事項というものができ上がりました経緯はおわかり願ったと思いますが、この了解事項の中で「今後輸入を含め」ということにつきましては、将来の国産化前提とする研究開発に着手することの是非検討するに際して、外国機輸入の場合との対比も含めて慎重に検討すべきであるということでございます。またPXL問題のいわゆる「次期潜機早期警戒機等の国産化問題は白紙とし」ということは、私どもの聞いております限りでは、ドル減らしという問題との関係はなかったのではないか。ドル減らし云々との関係、これは私の想像でございますが、ありましたのは、恐らくT2改の論議についてはそういう問題があったかと思いますけれども、PXLについてはずっと先の問題でございますから……。
  215. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 だから問題なんですよ。専門家会議はドル減らしを理由にPXLの国産化白紙還元し、輸入も含めて検討することを目的にというのでしょう。ですから、設けられたそのときの意義は、やはりドル減らしであったということですから、ドル減らしが結局何らPXLに対して関係がないということであるならば、専門家会議の設置というものの意義はなくなったわけであるのに、なぜ専門家会議をやろうとするのですか。それはもうとにかく私は納得のいかない点です。  それから、昭和四十七年の十月九日に国防会議議員懇談会での了解事項白紙還元をされた二日後の十月十一日、田中総理大臣は丸の内の外国特派員プレスクラブでの記者会見で、白紙還元の対潜哨戒機などは輸入にウエートを置いて検討していくことを明らかにしておりますね。これは白紙還元して専門家会議の設置によって検討すべきことが決まっていたPXLは、専門家会議ができる以前にすでに輸入にウエートがもう置かれていたということは、これは問題じゃないですか。大変な問題ですよ、これは。全く白紙還元されたものに対して、すでに記者会見において輸入にウエートを置くという、そういう内容発言されたということは、もうすでに色がついて輸入ということを前提にして専門家会議を開いたことになるのではないですか、その点いかがでしょうか。
  216. 内海倫

    内海説明員 総理がそういう記者会見でおっしゃったということは私も新聞で読んでおりますけれども、もう一度申し上げますと、四次防で主要項目決定いたしました時点では、まだ次期潜機の装備のことは何ら決定しておるわけではございませんので、研究開発の問題が問題になったときでございますので、その研究開発をすることの是か非かを判断するために、輸入との対比で慎重に検討をするというのが私は了解事項の理解であろうと思いますので、したがって、総理がそういう発言をされた時点では、直ちに新しい対潜機輸入するというふうな事情はどこにもなかったはずでございます。
  217. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 それならばなおさら輸入ということは田中総理みずから心の中に決められておった問題じゃないですか、そういう結論になるのではないですか。  いいですか、実は私は昭和四十七年十一月八日にたまたま田中内閣総理大臣に質問しておるのですよ。実はこの当時は大変に国産化という問題が急ピッチで進められておったときでありまして、このままでいきますと産軍癒着があるのではないかということで私、大変に心配して、そして質問をしたのです。その当時はこういう質問になっております。「過日、総理大臣は、円対策のため緊急にエアバスなど航空機の輸入をきめまして、それに伴い、十四億円の戦闘支援機を国産化するよりも、九億円の安いF5Eの輸入を考えたときもあったというように御答弁がありました。」ということで、こういうことから質問をしたわけでありますけれども、この内容はこういうことであります。いいですか。「日米間の貿易収支の不均衡を是正するということは、日本としてはたいへんなことでございます」と、こういうことを言っております。それから「緊急輸入できるものはすべてやりたい」という前提を踏まえて要請もいたしました。防衛庁にもT2改をF5Eということで進めていくといういろいろ論議がなされておりましたけれども、結局はT2は国産化で決まっているのでT2改も国産でやるという防衛庁の案は認めました。それに直接緊急輸入に対してのメリットもさほどないということで「防衛庁原案を認めざるを得なかった」として、それから問題なんです。「これはまだ手をつけない、練習をしておらないもの、哨戒機その他は別でございます」というのですよ。「別でございます」これは輸入じゃないですか。これはちゃんと田中総理大臣が答弁をされておりますよ。そうなりますと、輸入というのは、もうすでにその時点において決まっておった。だから、専門家会議のときにおいても、総理大臣は輸入にウエートを置くというその意向専門家会議をつくったわけです。だから、専門家会議自体がもうすでに輸入という、P3Cということを完全に前提にしながら組まれているから、だから次から次へとこれが合ってくるわけですよ。いいですか。私は納得いきません。  私の時間が来ましたので、後は坂井弘一さんにお譲りいたします。
  218. 田中伊三次

    田中委員長 坂井弘一君。
  219. 坂井弘一

    ○坂井委員 運輸省からいただきました資料防衛庁も同じでございますけれども、大変不十分で、満足できるものではございません。  そこで運輸大臣にお尋ねしますが、捜査当局から提出を求められた資料の件数と件名、これをひとつ教えてください。
  220. 中村大造

    中村説明員 件数は相当な件数に上っておりますので、件名について特に申し上げるような資料をいま持ち合わせておりません。相当な数でございます。
  221. 坂井弘一

    ○坂井委員 実際に大変な資料が出されておるようですし、またわれわれから資料要求をいたしましてもなかなか出てこないということでございますので、時間もありませんが、要点だけ聞いてまいりますから、ひとつ的確にお答えいただきたいと思います。  四十七年の三月の二十二日「航空企業の運営体制について」と題する文書、報告書ですかね、これが作成をされておるということについては、事実でしょうか。
  222. 中村大造

    中村説明員 そういう文書が存在することは事実でございます。
  223. 坂井弘一

    ○坂井委員 この報告書はだれの手によって作成されたものでしょうか。
  224. 中村大造

    中村説明員 この資料は、三月二十二日に運輸省として航空対策特別委員会に提出された資料でございます。
  225. 坂井弘一

    ○坂井委員 当時、この報告書の作成には佐藤孝行政務次官は関与しておりますか。
  226. 中村大造

    中村説明員 この作業自体について当初から政務次官関係をされておるわけでございます。
  227. 坂井弘一

    ○坂井委員 この報告書はどこに提出されたのでしょうか。
  228. 中村大造

    中村説明員 報告書というのではなくて、運営体制についての運輸省としての一つの試案を三月二十二日に航空対策特別委員会に提出をして、そこで御説明をした、こういうことだと存じます。
  229. 坂井弘一

    ○坂井委員 捜査当局はこの報告書を知っておりますか、試案。捜査の方には渡っておりますか。
  230. 中村大造

    中村説明員 捜査当局は独自にいろいろ捜査をしておられると思いますので、捜査当局が資料のすべてについて御存じかどうか存じません。
  231. 坂井弘一

    ○坂井委員 この試案を見ますと、全日空の事業分野を決めておりますところの第一項の二、つまり国際線に関するくだりがございますが、ここでは「逐次、近距離国際不定期航空運送事業の運営の充実を図る」こうあります。そこで、全日空の不定期運航方式、これを認める、こういう内容になっているわけでありますが、このことは航空業界再編成への基本見解を示しましたところのいわゆる四十五年十一月二十日の閣議了解、これを超えた非常におかしな内容になっておる。つまり四十五年十一月二十日の閣議了解では、いわゆる航空業界再編成の基本見解といたしまして、近距離国際チャーター航空については、日航と全日航の提携のもとに余裕機材を活用、こうあるだけでございまして、不定期便のことにつきましては全く触れられていない。それがこの試案の中に、いわゆる不定期便ということが出てまいりますが、一体このことは何を意味するのか。なぜ全日空の不定期運航方式、言うなれば準定期便でありますが、これを認めることになったのか、その理由について明確にお答えをいただきたいと思います。
  232. 中村大造

    中村説明員 これは航空法上は定期運送事業しからざれば不定期、こういうことでございまして、定期でなければ不定期、こういうことでございます。したがって、不定期運送事業がこれは定期に準ずるとかそういうことではないわけでございまして、むしろ不定期というものの中に当然このチャーターというものが含まれ、あるいは現実の姿としては、不定期運航というものは現実のあり方としてはチャーター便が大部分、こういうことでございます。したがって、その三月二十二日にそのような試案を出しましたときに不定期運送事業という表現を使いましたのは、少なくとも私ども調査に関する限りにおいては、特に深い意味があったわけではない、こういうふうに了解いたしております。
  233. 坂井弘一

    ○坂井委員 チャーターと不定期とは違いますよ。そういういいかげんな答弁をされるとはなはだ困る。つまり、この試案が自民党の航空対策特別委員会に提出をされた、その三カ月後の四十七年七月の一日にいわゆる丹羽運輸大臣当時の通達、大臣通達が出され、「航空企業の運営体制について」と題するものでありますが、ここではこの不定期便のことにつきましては、非常に妙な言い回しでこれは否定したような形の通達になってあらわれておる。  それで、さらにこのことに関連いたしまして、いわゆる福永メモ、四十七年の六月の二十七日、福永氏から当時の丹羽運輸大臣に対して「航空企業の運営体制に関する件」と題するこのメモが出された。  先にお尋ねしますけれども、一体このメモは運輸省内のだれから運輸省内のだれの手に渡されたのか、その後お調べになったと思いますから、この際明らかにしていただきたいと思います。
  234. 中村大造

    中村説明員 六月二十七日の文書につきましては、その入手経路について、運輸省といたしましても鋭意調査をいたしておるわけでございますけれども、残念ながら現在の段階までに、どういう経緯で運輸省に入ってきたかといういうことはつまびらかにすることができません。
  235. 坂井弘一

    ○坂井委員 おかしな話じゃないですか。どこかの金庫から出てきたのですよ。だれかに渡したのですね。いまだにわからぬなんというのはおかしな話です。  このことについてずいぶん慎重なのかどうなのか知りませんけれども、お伺いしますが、全日空から同じく自民党の航空対策特別委員会に対しまして、四十七年の五月二十六日、航空企業の運営体制についての要望が出されました。この要望書、これは福永メモと共通の部分がございますか。
  236. 中村大造

    中村説明員 文章の一部にきわめて類似している部分はございます。
  237. 坂井弘一

    ○坂井委員 このことの骨子を決めた前段の文章は全く一緒ですね。そういうことでしょうか。
  238. 中村大造

    中村説明員 全日空の要望書というものは、全日空から特別委員会に直接出されたものでございます。その後、われわれがそれを読んでみたところによりますと、先生指摘のように、その前文部分についてはほとんど同じである、こういうことは言えると思います。
  239. 坂井弘一

    ○坂井委員 いわゆる福永メモの中の運営体制についての具体的な項目が二ページにあるわけですけれども、この「航空企業の運営体制について」の案というのは、運輸省の案ですか。いつおつくりになったのですか。この中には「近距離国際不定期(またはチャーター)の充実を図る。」すでにこのときに、近距離国際不定期ということを主として「またはチャーター」と、チャーターは次に来ているわけです。これは先ほどから私が指摘いたしますように、四十五年十一月の二十日の閣議了解をはなはだ逸脱した内容であるということを、一点ここではっきり指摘しておきたいと思います。このことについての確認をしていただきたいと思います。
  240. 中村大造

    中村説明員 先生指摘の文書は、そのコピーが運輸省にも存在するということでございまして、もちろん運輸省が作成した文書ではございません。
  241. 坂井弘一

    ○坂井委員 同じく全日空から出されました要望の中には「全日空は将来近距離国際定期へ進出することを含みとして、さし当り近距離国際不定期便の充実を行うものとする。」この全日空の要請をここに入れて福永メモとなり、そしてそれが運輸省に出されておる。しかも、出された福永メモの原案が運輸省においてすでにつくられておった。しかし、そのことは、あの大臣通達の枠からはなはだしく逸脱するものである。つまり、なぜ全日空が定期便あるいは将来は国際線へ進出するのだということを含みとしての不定期便を強く要望したか。またそれに符節を合わすごとき運輸省の国際線進出への方向をもう示唆しておる、含みとして持っておるということ、このことが全日空のトライスターの導入と非常に大きなかかわり合いがあるというこことを、私はこの際指摘をしておきたい、こう思うわけであります。  時間がございません。いまの運輸省の答弁を踏まえまして、さらに具体的な資料の要請を実はしたいと思います。この際、これは防衛庁長官もひとつお答えいただきたいのですが、幾つかの問題につきまして、それをそれなりの根拠をもちまして私ども資料の要請をしたいと思う。  従来、守秘義務だとか何とかかんとかというわけでなかなか出てこない。どうかそういう点については、真相解明を目的といたします当委員会でございますので、委員資料要求に対しては積極的に応じてもらいたいという実は要請であります。両大臣からそのことにつきましてお答えをいただきまして、以下証人が参った際にそうした点を踏まえながら明らかにしてまいりたい、こう思いますので、お答えをいただきまして、質問を終わりたいと思います。
  242. 坂田道太

    坂田国務大臣 必要な御要求資料につきましては、できるだけ提供いたすつもりでございます。
  243. 木村睦男

    ○木村国務大臣 資料の提出につきましては、できる限り御協力をいたします。
  244. 田中伊三次

    田中委員長 永末英一君。
  245. 永末英一

    ○永末委員 私はPXL関係について質問をいたします。  防衛庁長官は国務大臣でございますけれども、PXL関係の問題は、特に防衛庁がこの件についていかなるかかわり合いがあるかということが一番のポイントでございますので、政府全体の立場を代表するよりは、防衛庁は一体どうであったかというところをはっきりと国民にお答え願いたい。まずもって注文を申しておきます。  さて、防衛庁はPXLにつきまして国産を決められたことはございますか。
  246. 坂田道太

    坂田国務大臣 次期潜哨戒機につきましては、まだ決めておりません。
  247. 永末英一

    ○永末委員 私は、いろいろ調べてみますと、そういう御方針をもっていろいろ仕事をやってこられた、このように推察せざるを得ないと思います。たとえば昭和四十五年十月三十一日に防衛庁日本航空工業会は契約を結びまして、その契約の件名は次期潜機調査研究(その二)でございますけれども、それに基づいて四十六年二月二十七日に日本航空工業会が報告書を提出いたしました。その報告書は「とう載エンジンについて国内開発の技術的可能性検討する」こうなっている。明らかに相手側はエンジンの国内開発についての報告資料防衛庁にもたらしている。だといたしますと、防衛庁国内開発をやることの内容についての検討日本航空工業会に対して委嘱をした、こう見ざるを得ないと思いますが、いかがですか。
  248. 坂田道太

    坂田国務大臣 これはたびたび繰り返して申し上げておりますけれども、四十五年、四十六年、四十七年度調査研究費というものは、あくまでも国産化を目指したものではなかった、国産化前提としたものではなかったということははっきりいたしております。しかしながら、われわれが希望を持っておったということは言えると思います。なぜならば、四十六年、四十七年度におきましても基本設計をも要求しておるような事実から申して、そういうことは言えるかと思います。
  249. 永末英一

    ○永末委員 いま防衛庁長官が申されましたことでありますけれども、恐らく四十五年の八月ごろ、四十六年度予算概算要求をやられておる、その概算要求のあなたの方の費目は、次期潜機設計研究委託費、すなわち設計をしたいのだ、こういう意味合いですね。そうして十八億余円の要求をされ、結局のところ、技術調査研究委託費という四十五年度と同じ件名でもって予算が組まれました。だから、防衛庁の方はやはり国産で設計もやりたいのだ、こういうことがその当時のあなた方の方針であったと見ておりますが、いかがですか。
  250. 坂田道太

    坂田国務大臣 そのとおりでございます。
  251. 永末英一

    ○永末委員 概算要求をされる場合には、やはり決めるんでしょう、防衛庁の意思として。
  252. 坂田道太

    坂田国務大臣 そのとおりでございます。
  253. 永末英一

    ○永末委員 それであるならば、当初防衛庁国産ということを次期潜哨戒機について決められましたねと申しましたところ、あなたは決めたことがないように御答弁ございましたが、そうではないんでしょう。
  254. 坂田道太

    坂田国務大臣 あるいは私の聞き違いだったと思いますけれども、国として次期潜哨戒機国産と決めたかというお尋ねだったと聞き違いいたしましたので、そう申し上げたわけでございます。
  255. 永末英一

    ○永末委員 一番初めにあなたにそこを区別して、防衛庁だけの立場をこの本委員会を通じて国民に明らかにしていただきたいということを前提であなたにお願いしたのでございますから、もう一遍言っておきますが、国産をいつ決めたのですか。
  256. 江口裕通

    江口説明員 基本的な態度といたしましては、御存じのような四十五年に国産化方針というのを一応出しております。したがいまして、そのベースの上に乗っかって防衛庁としては考えていっておるわけでございます。ただ、具体的な国産というものを前提とした開発というような考え方をとって予算要求をいたしましたのは四十六年からということでございます。四十六年度概算要求ということでございます。
  257. 永末英一

    ○永末委員 四十五年度には一般に防衛生産に関する国産化方針の基準を防衛庁としては決められました。したがって、そのとき以来、これは一つ次期潜哨戒機という項目でございますが、そのとき以来装備等については国産化方針で臨む、こういうことでお考えになっておると了解してよろしいね。
  258. 坂田道太

    坂田国務大臣 四十六年度からそうだというふうにいまお答えいたしましたとおりでございます。
  259. 永末英一

    ○永末委員 四十八年八月十日から四十九年十二月二十七日まで、いわゆるこれらの問題に関する専門家会議では、防衛庁は終始一貫して国産化を主張されましたか。
  260. 岡太直

    岡太説明員 専門家会議に対しましていろいろと御説明を申し上げました。しかしながら、申し上げた事項は、国産の従来やっておりました事実ですね、国産したらどういうふうになるとか、そういうふうな事実の御説明を申し上げたわけでございまして、国産すべきであるとか、そういうような主張はいたしておりません。
  261. 永末英一

    ○永末委員 国防会議事務局長に伺いますが、この「審議概要」として本委員会に提出されました資料を見ますと、防衛庁案とP3C導入案について比較検討する、こういう形で審議が行われた一こうなります。そうしますと、P3C案というのは輸入案であり、防衛庁案は国内開発、すなわち国産案である、そのように国防会議事務局長はお受け取りになっておりますか。
  262. 内海倫

    内海説明員 専門家会議に私が諮問をいたしましたのは、国産化前提とする研究開発是非についてということでございます。さらにそれにつけ加えまして、外国機との対比においてこれを検討していただききたい、こういうのが私ども諮問した内容でございます。  「審議概要」にも詳細書いておりますけれども、そういうふうな考え方に従って、外国機との対比で国産開発機というものを一応想定いたしまして、それとの対比でいろいろな検討を加えた結果、結局これと一番対比できるものはP3Cである。この二つを取り上げて比較検討いたしまして、もしその結果国産開発機がよりいいということになれば、研究開発に着手することが是である、こういうふうになりましょうし、もしまたいろんな点を総合勘案してP3Cの方がいいということになれば、開発着手は見合せた方がよかろうということになりましょうが、種々検討の結果は、いずれをも否としがたいという答えになりました。したがって、検討はそういう形でございます。
  263. 永末英一

    ○永末委員 私の伺っているのはその全体ではなくて、P3C導入案というのはこれは輸入案である。ところが、これに対する比較検討されたもう一案、終局的に検討されておるのは「防衛庁案」と書いている。防衛庁案というのはイコール国産開発機案である、つまり国産案ですね。そのようにあなたは了解されておられればこそ、こういう「概要」を本委員会に出された、こうでしょう。
  264. 内海倫

    内海説明員 そこで防衛庁案と申しておりますのは、先ほど岡太参事官が申しましたように、防衛庁計画してつくり上げた開発計画案でございます。
  265. 永末英一

    ○永末委員 ストレートに言っていただいたらいいんであって、それは要するに国産案、そうですね。ストレートに答えてくださいよ。
  266. 内海倫

    内海説明員 そのとおりでございます。
  267. 永末英一

    ○永末委員 最初からそうお答えになれば二分半ほど時間が節約になったのでありますが、さて、国防会議事務局長にお伺いしたいのは、この専門家委員を設けるについてあなたは具体的にはだれから指示を受けましたか。
  268. 内海倫

    内海説明員 私は了解事項が出ましたかなり後着任いたしまして、総理大臣にあいさつをいたしました。総理大臣から了解事項にある問題について検討を加えるようにと、こういうことでございました。
  269. 永末英一

    ○永末委員 国防会議につきましては官房長官の所管事項といたしておりますが、官房長官からも指示を受けましたか。
  270. 内海倫

    内海説明員 具体的な指示は受けておりませんが、同様な指示を、同様なお話を承りました。
  271. 永末英一

    ○永末委員 内閣総理大臣並びに官房長官があなたのこの仕事に関するいわば直接の上司でございますが、この了解事項の中で「専門家会議を設ける等により」――「等」というのは、専門家会議をやってみてもほかのルートで決めることがあるぞ、こういうニュアンスにわれわれは受け取れますが、あなたは専門家会議のみによって結論を出すべきものと了解されたか、それとも私が言うように了解されたか、いかがですか。
  272. 内海倫

    内海説明員 私どもはあわせてと了解いたしております。
  273. 永末英一

    ○永末委員 さらに、「慎重に検討する。」こうまとまっておるのが了解事項でございますが、専門家会議の位置づけは、したがって一義的にこれが決定するのであるならば当然時期の明示があるはずである。ところが、あわせてのことでもあり慎重にということになると、あなたは時期については何らの指示は受けなかったのですか。
  274. 内海倫

    内海説明員 時期については特別な指示は受けておりません。
  275. 永末英一

    ○永末委員 答申の最終的な結論は、この国内開発案については相当の期間を要するので、当面外国機導入はやむを得ないというのが、ただし書きでそうなっている。そうしますと、当初国防会議事務局長専門家会議を発足させるについて指示したものが時期のことを明示してないが、最終的には時期を導入して、国産化が望ましいが、ただし外国機導入もやむを得ぬというような結論になっているというのは、非常に最初から意図的にあなたに任務を与えたと私は思います。あなたは受けられまして、おれはこの仕事を受け取ったが、いつまでに結論を出さねばならぬかと考えられましたか。いや、これはもう時期の制限がないのだから、のんびりやればいい、こういうつもりで仕事を始められましたか。
  276. 内海倫

    内海説明員 私の当時の気持ちといたしましては、たびたび各関係者が申し上げておりますように、長い議論白紙にした大きな問題でございますから、過ちのないように慎重な、しかも客観的な検討をすることが目的である、かように考えておりました。
  277. 永末英一

    ○永末委員 あなたは防衛庁にも在職せられ、特に次官の職にあられた方でございました。したがって、この種の対潜哨戒機、戦闘機もそうでございますが、それぞれ耐用年数があり、ある一定年数たてば減衰していくものである。したがって、次期潜哨戒機の問題というのは、次期と書いてある限りにおいては期間というものが重要なファクターであることは当然御承知だと思いますね。承知しておらなければおかしいはずである。その方が、いま御答弁を伺いますと、慎重に、客観的にと言う。そうじゃないのでしょう。やはりいつまでにやらねばならぬというのは当然考えられなければならない。それを考えぬでいいということは、時間を延ばせばよろしいという任務を与えられたのではなかろうか、そう私には思われますが、あなたは時間をかけてでもゆっくりやればいいという気持ちでかかられましたか。
  278. 内海倫

    内海説明員 そういうふうな指示は受けておりませんし、先ほど慎重にあるいは客観的にと申しましたけれども、もとよりできるだけ早く答えを出したい。しかしながら、非常に大きな問題でございますから、結果的にある程度の時間がかかったことはやむを得なかったと今日思っております。
  279. 永末英一

    ○永末委員 当初全然時期の設定が行われていないにかかわらず、答申の最終的結論において時期が導入せられた。そしてその時期の導入によっていわゆる輸入案というものがきわめて強い光を当てられるに至ったということは、私どもはきわめて作為的だと思います。あなたはこの仕事をずっと主宰されておって、いつごろからこの時期の問題が入ってきたと判定しておられますか。
  280. 内海倫

    内海説明員 防衛庁において説明のある途中におきまして、海上自衛隊側から、だんだんに現在の使用しておるP2Jが脱落していく、それは大体昭和五十七年ごろである、こういうことは聞いております。これは専門家会議を開いてから説明の途中で承知いたしております。
  281. 永末英一

    ○永末委員 三次防においてP2Jが開発せられるとき、すでにこれは何機つくって何年ぐらいまでもつけれども、後は減衰していく、だからこそ四十三年、四年ごろから次期潜哨戒機のことが問題となったのでございまして、当然そのことを含みつつ、先ほどから議論になっておりますように、昭和四十五年以来の予算のことも問題になっておるわけであります。したがって、あなたがいま専門家会議の過程において防衛庁側、海幕からですか、そういう話があってと言われましたが、その辺の事情を明らかにする資料を本委員会に御提出を願いたい。よろしゅうございますね。委員長資料提出よろしゅうございますね。
  282. 田中伊三次

    田中委員長 よろしい。
  283. 永末英一

    ○永末委員 では、質問を終わります。
  284. 田中伊三次

    田中委員長 河村勝君。
  285. 河村勝

    ○河村委員 トライスターの関係をお聞きいたします。  昭和四十五年十月二十一日、運輸政策審議会の「今後の航空輸送の進展に即応した航空政策の基本方針について」という答申があって、これに基づいて十一月二十日に「航空企業の運営体制について」という閣議了解ができておりますね。そこで、国内航空のジェット化、大型化を推進するという方針が打ち出されています。この運輸省の方針に基づいて全日空においては経営五カ年計画を策定して、昭和四十七年の後半から大型ジェット機三機の投入を計画した。それで日航においても四十七年度にボーイング747三機を国際線から転用、四十八年度には大型ジェット機六機を投入するという計画をしたわけです。ここまでは事実ですね。そこで、もし四十五年十一月二十日に決定された運輸省の方針がそのまま生きて、したがってこの二社とも計画を変更していなかったとすれば、国内線における大型ジェット機の採用に当たって準備のおくれていたロッキードのトライスターというものは当然競争から落後して、結局採用にならなかったであろう、そういう因果関係はお認めになりますね。
  286. 中村大造

    中村説明員 四十六年当初において機種決定をして導入を図るということになれば、先生指摘のようなことになったと思います。
  287. 河村勝

    ○河村委員 そうしますと、ちょうどこの時期に米上院の外交委員会でコーチャン氏が証言をして、トライスターは立ちおくれているから、エアバスの導入延期の工作をやって、それが成功したということを述べています。結果として、ちょうど状況的にはそれと一致している、そういう事実はお認めになりますね。
  288. 木村睦男

    ○木村国務大臣 ちょうど大型機の売り込みの時期と並行してそういうことがあったわけですから、お話しのように、結果的には大体合っているということでございます。
  289. 河村勝

    ○河村委員 ところで、十月二十一日に出された運輸政策審議会の答申書の中では、これからの航空需要予測をつくっております。その昭和五十年度の予測は、その後の経過に照らして合っておりますか合っておりませんか。
  290. 中村大造

    中村説明員 昭和五十年度の国内線の予測は当時約四千万人というふうに見込んでおりまして、これはその後の経過から見れば過大であったということでございます。
  291. 河村勝

    ○河村委員 どのくらいになっておりますか。
  292. 中村大造

    中村説明員 これは結果論でございますけれども昭和五十年度の実績はたしか約二千五、六百万、したがいまして、四十五年当時に想定いたしました需要予測に対して結果は六割から七割、このようになっておると思います。
  293. 河村勝

    ○河村委員 その理由は、恐らく昭和四十九年以降の日本の景気の後退によるものだと思いますが、そうではありませんか。
  294. 中村大造

    中村説明員 四十五年にそのような想定をいたしましたときは、年率二十数%の伸びでいくということで、それ以前の実績は三十数%の伸びであったわけでございますから、四十九年以降というそういう最近の傾向よりも、その予想は、もうすでに四十六年から実態として四十五年における予想を変更せざるを得ない状態になっておったというふうに思います。
  295. 河村勝

    ○河村委員 そうなると、あなた方に大変都合のいいような数字になってくるわけでありますが、しかし、この閣議了解ができたのが十一月の二十日、それで、その後運輸省が日航、全日空に対して、国内線に大型ジェット機導入延期の指導を始めたのは四十六年の二月ですね。わずか二カ月余り。この間にそんなに需要予測が変わってくる。そう二カ月かそこらの問に長期的な需要予測が変わるという理由は私はほとんどあり得ないだろうと思うが、なぜそういう需要減退を予測してこういうことをなさったのか、その理由をお聞かせいただきたい。
  296. 中村大造

    中村説明員 四十六年の二月に果たして長期的な見通しを確定したかどうかこれはわかりませんけれども、少なくとも四十六年に入りまして数カ月のこの月々の実績というものが、当初予想しておった伸び率というものをはるかに下回るような実態になり、かつ、各エアラインの利用率というものが落ちてきておった、こういう実態を四十六年の当初に、きわめて深刻に受けとめた。したがって、その状態が四十八年まで、四十九年まで続くかどうか、そこまで確たる見通しを立てたかどうかは定かでございませんけれども、当時、このままでは非常に供給過多になる、こういう感じを持ったというふうに了解いたしております。
  297. 河村勝

    ○河村委員 あなたはいま、四十六年に入って数カ月の傾向と言いましたね。しかし、あなた方がこういう行政指導をやったのは四十六年二月ですよ。数カ月どころじゃない、わずか一カ月の集計、一月分の集計すら概算でしかわからぬという状況のもとに大きな政策の変更をやっている。これは行政の常識から言うと、全く考えられないことだ。その理由はどういうわけです。
  298. 木村睦男

    ○木村国務大臣 当時の事情をずっと調べてみますと、運政審の答申が出たのが四十五年の秋でございますか、ちょうどあの万博が九月まであったわけですから、非常に景気の上昇と同時に、万博の影響でウナギ登りの実績を基礎にしてやった点が確かにございます。そこで、運政審の想定は、昭和六十年が一億二千万人のお客があるのだろうというふうなことになっておるわけです。  ところが、その運政審の答申が出まして、その答申を受けて閣議了解ということになったわけでございますが、閣議了解の中では、これは将来の趨勢としては大型化あるいはジェット化ということはうたっておりますが、これは基本的にもう世界的にそういう傾向にありましたから、将来の日本の航空機材の進むべき方向としてはそれを示唆しておるわけでございます。  で、その答申が出、閣議了解が出まして、万博も終わって四十五年の秋ごろから、もうすでに下り坂になってきておったということが一つあるわけでございます。したがって、四十六年の二月ごろから運輸省として、もう四十五年の始まりぐらいから両航空会社とも大型機導入のことをいろいろ計画もしておったわけでございますから、そういう事実を踏まえながら、四十六年に入りましてから四十七年に導入するとかいうふうなことでいろいろ考えておりますので、当時の時点に立ってその後の航空需要の予測をしますと、これはしばらくは航空需要はふえることはないであろうということから、そういう指導を始めたということになっておるわけで、突然政策を変更ということではございません。
  299. 河村勝

    ○河村委員 それは全然理屈に合わないのであって、万博が終わったのは九月ですよ。それで閣議了解ができたのは十一月です。だから、万博の終わった後の一番がたっと落ちる影響というのは、この閣議了解が出た時点で一番多くあらわれているはずなんですよね。だから、その時期にその一時的な落ち込みぐらいは当然考えてやったに決まっておるので、全く理由にならないのです。  しかし、時間がありませんからその点はいずれ改めて聞きますが、四十七年の七月になって、今度は改めて四十九年以降エアバス導入決定いたしましたね。ところが、四十七年というのは一体どういう年であったかと言うと、四十六年に「ばんだい号」事件、それから雫石の事故があった。それで非常なショックであったわけですが、四十七年には、大きな事故こそ目立たないけれども、一月二十九日から二月二日まで連続して全日空の同じ飛行機が三回事故をやっている。このときには、そのほかに東亜国内まで入れると四日間続いておる。五月になると羽田で日航ジェット機が離陸に失敗して暴走大破をしている。これはいずれもエンジン関係の整備が非常に悪いという原因であったと私は承知をしている。だから、四十七年当時は、七月までの問にはこうした事情があったにもかかわらず、だからむしろ新しい機材を導入するのには非常に抑制的でなければならない時期である、その時期にあえて一たん抑えたエアバスの導入決定したというのは、私は行政的に見てはなはだ不可解である。その理由は何ですか。
  300. 木村睦男

    ○木村国務大臣 なるほどそのごろいま御指摘のような事故もあったわけでございますが、もともと四十七年ぐらいを両会社が目途としてやっていこうという、その計画であったわけでございますから、四十七年では両方が大型機を入れて競争をやるということになると非常に供給力のオーバーということになるということを懸念しておったわけでございます。かたがた四十六年に雫石の事故も起きたというふうなことで、全日空としては大型機導入の問題どころではないというふうな状況で、日本航空に対して大型機の導入を少し延ばしてもらえないかというふうな話もしておるわけでございます。運輸省としては、大型機を入れるのであればフェアコンペティションということで、両社が同一に入れて使えるという時期にやることが好ましいという考え方でおったわけでございますので、そこで四十五年の方針が出まして、これが基本的な方針で、これを受けてのいわゆる実施的な方針として四十七年に運輸大臣通達を出したのですが、ジェット化、大型化ということは将来の構想として基本的にあるわけでございますので、日本航空はもともと早く入れたいという考えであり、全日空はいまのような事情もあって延ばしたい、両方がそろうころが大体四十九年ということでございますので、そのころになれば両社とも導入して使用でき得るという状況も予想できたわけでございます。そういうことを踏まえまして四十九年からやるのがよろしかろうという方針を出したわけで、考え方としてそういうふうな順序を踏んでおるわけでございます。
  301. 河村勝

    ○河村委員 終わります。
  302. 田中伊三次

    田中委員長 予定の質疑は終わりました。      ――――◇―――――
  303. 田中伊三次

    田中委員長 この際、証人出頭要求の件についてお諮りをいたします。  ロッキード問題に関する件について調査のため、来る六月二日午前十時三十分に、児玉譽士夫君及び福田太郎君以上二名の諸君を証人として本委員会に出頭を求めたいと存じますが、これに御異議はありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  304. 田中伊三次

    田中委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決定いたしました。  衆議院規則第五十三条の規定によりその手続をとることといたします。  次に、米国人で現在日本に滞在しております片山・シグ君につきましては、米国政府の了承が得られた上で、来る六月二日午後一時に出頭を求めることにいたしまして、米国人で現在米国に在住しておりますカール・コーチャン君及びジョン・ウィリアム・クラッター君につきましては、米国政府の承認及び本人の同意を得られましたならば出頭を求めることとし、出頭の日時、その手続等につきましては委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  305. 田中伊三次

    田中委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決定いたしました。  次回は、明二十八日、金曜日、午前十時十分理事会、午前十時三十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。   午後五時五十一分散会