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-
○久保田
委員長 これより会議を開きます。
国政調査承認要求に関する件についてお諮りいたします。
すなわち、
文部行政の基本施策に関する事項
学校教育に関する事項
社会教育に関する事項
体育に関する事項
学術研究及び宗教に関する事項
国際文化交流に関する事項
文化財保護に関する事項以上の各事項につきまして、衆議院規則第九十四条により、議長に対し、国政調査の承認を求めることといたしたいと存じますが、御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
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○久保田
委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。
なお、国政調査承認要求害の作成並びに提出手続につきましては、
委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
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○久保田
委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。
————◇—————
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○久保田
委員長 文教行政の基本施策に関する件について調査を進めます。
質疑の申し出がありますので、順次これを許します。
山崎拓君。
-
○
山崎(拓)
委員 文部大臣にお伺いをいたしますが、戦後三十年を経まして大変日本の経済というものが豊かになりまして、日本の国際的な地位も大変上がってきたわけでございますが、ただこの三十年を経まして非常に大きな転換期に来ておるのではないかという感じが私は強くいたしておるわけでございます。その一つの問題は、もちろん石油危機以来の経済のあり方あるいは日本の財政のあり方について反省もし、再検討もし、新しいやり方で再出発をしなければならぬということでございますが、それと同時に、大きな形で言えば、国民精神のあり方そのものの再検討期に入っているのではないかという考え方を私は持っておるわけでございます。というのは、今日の国民の考え方というものがどうもみずからの権利の主張やあるいはエゴイズムの追求といいますか、そういった面だけが強く走り過ぎて、そのこと自体が社会の円滑な運営を大変むずかしくしておるというきらいが徐々に強くなっているのではないかと思うわけです。そういうことからいたしまして、これから私どもは自由民主主義社会を堅持してまいりたいという考え方に立つものでございますが、そういう自由民主主義というものを維持していきますためにも、もう少し国民一人一人がみずからの権利の主張やエゴの、要求だけではなくして、全体のバランスといいますか、権利と国民としての義務のバランスを持つべきではないだろうかという感じがいたすわけでございます。
そういう問題意識に立ちまして、先般来の三公社五現業のスト権の問題あるいは広く言いまして公務員のスト権の問題について考えてみますときに、やはり憲法解釈の問題になっていくわけですが、労働基本権というものも大切であるけれども、憲法十二条に書いてありますように、国民の自由や権利の追求というのは決して乱用してはなりませんし、あるいは公共の福祉のために利用する責任を負うのだということが書いてございますし、また公務員は全体の奉仕者であって一部の奉仕者ではもちろんない、憲法十五条の規定もございますから、そういう憲法解釈の面からいたしまして、公務員が労働基本権に一定の制約を受けるのは当然であるということについて、永井文部大臣はどう考えていらっしゃるのか、私はお聞きしたいと思うわけでございます。
-
○永井国務大臣 ただいまの御質問の問題でございますが、憲法に規定しております労働基本権というものは非常に重要であると思います。特にそれに三つの面が含まれておりますから、それは基本的なものとして重要であると考えます。団結と交渉とそしてストという問題であります。しかしながら、それは基本的な問題でありまして、憲法は同時に公共の福祉というものを重視しなければいけないということをうたっておりますわけですから、そしてまた公務員は国民に対して責任を負いますから、そうした問題の調和をどうしていくかということが具体的な問題であるかと私は考えます。もう少し法律以前の問題として考えますと、ただいま先生が言われましたように、自由な社会におきましては基本的人権というものはきわめて重要であると私は考えます。そういう基本的な人権に基づきまして、言論であるとかあるいは思想その他重要な自由な権利の主張というものはあってしかるべきものでありますが、そこから生じますのは利害の対立ということであろうと思います。
〔
委員長退席、
三塚委員長代理着席〕
それが、すべての人が無制限にそれぞれの利益を主張するということになりますというと、公共的な意味における連帯というものを生じ得ない、残るものは衝突のみであるというふうに考えるほかはないと考えます。そうすると、その場合に社会全体を構成していく上でどうしていくか。これは具体的な問題として自己抑制ということと妥協という側面が入ってまいりますが、その目標とするところはやはり公共の全体的な福祉を考えるということであろうかと考えます。
たまたま先ほど先生は三公社五現業の問題に触れられましたが、私が所管します教員の問題というものに引きしぼって考えますと、やはりその点はきわめて重要である。私は繰り返し申しておりますが、先生方が勤労者としての立場を持たれて、そうした意味において、たとえば処遇の問題についていろいろな問題を生じる場合には、そうした主張を掲げられて、そして任命権者等と話し合うというような問題は当然生じるものであると考えます。そこに組合の妥当性というものもあるかと考えます。他方先生方の仕事は教育でありますから、その教育というものは何をするかと言えば、これはいままでいろいろな表現が用いられてきておりますが、聖職という方もありあるいは使命職という方もあり、さらにまた専門職という方もありますが、これは先生方の仕事のもう一つの面でありまして、これは特に公立学校義務教育機関の先生の場合には、教育の公務員といたしまして、いまの聖職ないしは専門職さらには使命職、そうしたものは非常に公共的な目的を達成する側面でありますから、その二面というものをどのように明確に分けながら調和を保っていくかというところに、問題の最も重要な所在があると私は考えております。
-
○
山崎(拓)
委員 ただいま大臣の労働基本権あるいはそれに関する教員のあり方についてお考えが開陳されたわけでありますが、けさの朝日新聞に永井文部大臣と槇枝
委員長と
西岡自民党の教職員問題チーム座長、三者の討論会の内容が
紹介されておるわけです。その中で槇枝
委員長は、「悪法も法として守るべきだとは思う。しかし、憲法で保障しているストなど労働基本権を法律で禁止できるのか。」こういうことを言っておられるわけであります。そういうことになりますと、これは元来日教組の主張でありますが、ストを禁止している法律というのは憲法違反であるという立場に立っておられるわけでありまして、ただいま申されました文部大臣のお考えとも日教組の考え方は違っているのではないかというふうにも思いますし、また、基本的人権は尊重されなければいかぬというお話もございましたけれども、やっぱり教育を受ける権利、憲法二十六条に定められた国民の権利もあるわけでありまして、労働者の権利ばかりではないので、その辺のバランスも考えてもらわなくちゃならぬと思うのでありますが、その点についてどういうお考えをお持ちであるか、まず第一点。
それから、さらにそれに続けまして槇枝
委員長は、「一日程度のストを」とこう言っているのですね。一日程度のストという感覚でありますが、教員が一日いなくとも大した影響はないというこの感覚が、私は非常に重大な問題をはらんでいるのではないかと思うのであります。一分といえども子供が教育を受ける時間というのは大切なのだという感覚を、私はやっぱり日教組の指導者たる者は持ってほしいのだという気が強くするわけでございますが、この点について大臣はどう考えるか。
それから第三点は、今回のようなストライキが行われた場合、子供たちは学校現場でほったらかしになるわけでありまして、校長や教頭だけが現場にありまして子供たちの保護監督をやっておるる。大変手薄であるわけであります。大臣は常日ごろから両親の負託にこたえるということを盛んに言われ、今回の談話でもおっしゃったわけでございますが、まさに両親の負託ということになりますと、子供を学校教育現場に送り出した以上は、そこで安心して子供たちが守られておるということを強く希望しておられるわけですね。そういうことからいたしますと、子供たちをほったらかしにしてストライキをやるということ自体が、教師としての使命を十分果たしてないのではないかと思われるのでありまして、そういうことなら、ストライキに参加しない管理職をむしろふやして、しょっちゅうストライキをやるのですから、ストライキに備えなければならぬという、これは暴論になるかもわかりませんが、そういう感じすら持つわけでございます。そういう点についてどうお考えになるか、第三点でお伺いをしたいと思うのであります。
それから、これも私どもは常日ごろ主張していることでありますけれども、遵法精神を教えなければならぬ、平和憲法を守れと言ってシュプレヒコールで盛んに叫んでおる日教組の皆さん方が法律違反をあえてやるということ、こういうことについてどうお思いになるか。
さらに、今回のストは、人確法のときもそうでございましたが、国会で審議される筋合いのことを政治ストで何とか力で変えていこうという日教組の方針でございますが、こういう政治ストそのものがもちろん認められないわけでございますが、今回の問題は、特に学校の先生方の処遇
改善について、第三次給与
改善に関連してこの主任問題というのが出ておるわけでございます。そういうみずからの処遇
改善の問題を踏みつぶしても、どうしても政治的に自分たちの主張を通したいということですね。こういう政治ストのあり方。
以上の五点につきまして、簡潔で結構でございますから、お答えをいただきたいと思うのです。
-
○永井国務大臣 まず第一に、憲法において労働基本権があるのだから、したがいまして、ストライキをやるということは憲法に基づいて合法的であるという槇枝
委員長の御主張についてであります。それはそうでありますが、先ほど申し上げましたように、労働基本権は他の条項との関係において考えなければなりませんから、その関連において地公法が成立しているということだと私は理解いたしております。したがって、教育公務員がストライキを行うということが禁止されている。
ただ、槇枝
委員長は、この問題に関連いたしまして、最高裁の判決がこれまで違ったものが出たということも言われ、またILOなどにおいてもこの問題は取り上げられておるということを言われました。いままで裁判所におきまして、またILOにおいて、この問題が取り上げられてきたということは事実であります。そこで、私がこれについて考えている見解を申し上げますと、地公法上禁じられていることでありますから違法でありますが、同時に、われわれ日本人として非常に考えなければならないことがあるのではないかと思っております。実は私もILOに参ったことがありますが、ILOの当時の事務次長と思いますが、エジプト出身の人でありますが、わが国から来ている教員の問題に関する書類はまことにうずたかくて、テーブルより高い高さがある、これは双方から出ている、これは先進的な工業国家の中でわが国だけである、ILOで実際それを全部読み通してわかっている人間が一人しかいない、これは何とか勘弁してくれないものかということを私に申したことがございます。私は自来、非常にそのことを強く感じておりますのは、やはりILOというものはありますから、どうしても仕方がない問題というのはILOに持ち込むのは仕方がないと思いますけれども、実を言えば、わが国の場合、非常に長きにわたりまして教育の問題について政治的に過熱したということは否定し得ない事実であるかと考えます。
そこで、ストの問題などにつきましても、あるいは教員のことをどう考えるかということにつきましても、これは自治体によって相違がございますが、教員の方の一部の方が闘うというと、今度は他方の、これはどちらかというと保守側の人ですが、抑えるという話が繰り返されてきている。むしろ単純に、法律的な問題だけで考えるのではなく、わが国のこれまでの政治状況というものを考えなければならないのだと私は理解をいたしております。したがって、私がこの文部大臣の職につきましたのは、そうした政治的な過熱あるいは対立というものの外側に教育を置きたいということでございましたが、残念ながら、今回のストにおいて、私はそうした公約を完全に維持することはできなかったということを遺憾に思っております。
しかし、他方顧みますと、非常に長きにわたるそうした情勢がございましたから、むしろこの際私自身戒心いたしておりますのは、そうした政治情勢というものの中で、さらにどういう道を切り開いていくか。ですから、ストの問題について申しますと、以上、槇枝
委員長の考えと違っていることを、新聞は全部文章にできませんから、私はそういうようなことを昨晩も申したわけでございます。
それから二番目の問題ですが、ストライキが行われます場合、半日でございましても、一日でございましても、そういう意味では、別に時間の長さにかかわりなく、やはりストライキの影響というものが教育現場に非常な影響を与えまして、児童生徒に対する影響がございますから、その点では、別に、半日だから結構、二日であれば悪いというようなものではないと思います。まことに同じような影響があらわれてくる。そういう意味において、私は、やはり教育の場というものを静かにしたいという本来の私自身の願望というものは全く変わらないわけであります。
ただ、ここで申し上げておきたいことは、私自身も、実は、ストを阻止するための行政を展開できなかったことを遺憾といたしておりますが、他面、こういう場において申し上げたいと思いますことは、そういういわば政治的状況がございますが、他方におきまして、ちょうど私は就任いたしてから一年になります。その間二回、ストがあるという状況であったのですが、二度とも幸いに全国ストはなくなりました。奥野文部大臣の時分に、五月にストがございましてから計算をいたしますと、実は一カ年半にわたってわが国にそういう全国的な教員のストがなかったわけでございます。私は、この面というものも記憶をしてこれから仕事をしていかなければならない。
なでそう一カ年半なかったか。それは別に私が特によいことをしたということではなく、先生の第三点に関連いたしますが、私は、わが国の国民の大多数というもの、そこに特に父母が含まれると思いますが、実際は教育を静かな場に置きたいという要求というものが基本的にあるのだと思います。そうした要求というものが、いわば自然に反映いたしまして、一カ年半にわたってストライキは一度も行われなかった。
したがいまして、今後私が考えてまいりますべきことは、一回のストが起こったことは大変遺憾でありまして、これについては公約を実行できませんでした私として責任を感じておりますが、他方において、私が将来、また今日もそうでありますが、私自身、この父母の負託にこたえて仕事をしていく上で痛感いたしますのは、やはり大多数の父母はそう考えておられるわけであります。また教員にもそういう方が多いと思います。そこでその負託にこたえていくようにする、それがやはり教員の最も大事なことではなかろうか、また文部大臣として考えるべきことはまさにそこにあるというふうに考えております。
次に、違法行為というものは、これは現行の法律に反していることでありますから、それに対しては、教育
委員会におきまして法に照らした措置をとりまして、そうしてこれも各教育
委員会が国民の負託にこたえるように、先生方に対する措置を行うということが妥当であると考えている次第でございます。
-
○
山崎(拓)
委員 槇枝
委員長は、さらに皆さんとの討論会の中で、今回の主任制の問題に教員の大多数が絶対反対していることをごり押ししているのだ、こういう言い方をなさっておるわけでございますが、果たして教員の絶対多数が絶対反対しているのかどうか、これは非常に認識の誤りがあるのではないかと私は思うのです。
この前の人材
確保法案のときもそうであったわけでございますが、教員の大多数の方は人材
確保法に基づく教師の対遇
改善について強く待望しておられました。それを背景としてストライキを中止されたという経緯もあったはずであります。今回ストライキは回避されなかったけれども、この教員の大多数が反対しておるという認識を持たれておること自体に、この問題を大変政治問題化しておる、あるいは認識を持っているかのごとく振る舞っていらっしゃるのかもわかりませんが、たとえばいろいろな団体から主任制度の制度化について要望するということが文部省にも出ているはずであります。また、今回のこの主任制度が第三次給与
改善と関連をするものであって、今回の第三次給与
改善におきましては、主任に対する処遇のほかに、文部省が出してありますように、第二次給与
改善に引き続き全教員に対して待遇の
改善を図るのだ、あるいは教育経験豊かなすぐれた教諭を一等級とする道を開くのだ、あるいは学校教育における部活動、特別活動の強化のために指導に当たる教員の特殊業務手当の支給範囲を拡大するのだ、こういう内容があるわけであって、主任に対する処遇というのはその一部にすぎない。特に第三次給与
改善の中身としては一部にすぎないという認識が一般の教員には十分ないのですね、私ども、みずからの政治活動を通じましていろいろな先生方と接触する機会が多分にありますけれども。
ところが日教組の指導というものが、主任制度粉砕ということにもちろんこの重点があるわけですが、そのために、全教員に対して引き続き待遇の
改善があるのだということはほとんど知られていない状態なのですね。このこと自体に私は非常に大きな問題を感ずるわけでございますが、大臣いかがですか。
-
○永井国務大臣 いま先生が言われましたことはまことにそのとおりでありまして、私はなぜこういうふうになったかというふうに考えるのでありますが、一つの重要な問題点は、私どもとして、日教組もそうでありますけれども、他の教育関係の諸団体あるいは言論界の人もそうでありますが、この主任の問題というものについて御意見を求めてまいりました。
他方、文部省におきましては春先からいろいろデータを集めまして、そうしてこの実態に即して考えていくというふうに進めてきたわけであります。国会等におきましても、私は繰り返し三つの原則を述べました。一つは、主任というのを管理主義的な形ではやらない。二番目には、五段階給与というものをとらない。三番目には、実情に即して考えていくということでございます。
ただ、今回の経緯を顧みましてきわめて不幸に思いますのは、そうした私自身の考えというものに基づきまして初等中等教育局も非常に活動をしてくれました。前局長は、いまのような考えに基づきまして、いわゆる三部長案というものを、十月段階におきまして、これも日教組以外いろいろな団体を含めてでありますが、日教組にもお示しをいたしました。ところがこれは絶対反対、スト突入という形の回答になったという、これは否定できないことでございます。そういたしますと、内容の検討に入れないということが事実起こりました。これが非常に不幸な事柄であったと考えます。
他方におきまして、今村局長をめぐるいろいろな発言もあり、これも新聞に書かれていることでございますが、そうした意味において、私自身の運びも決してよかったと考えませんけれども、実は私自身は、今村局長が事志に反して十分に仕事ができなかったということで、辞意を、表明されたのでありますが、他方において、自民党におきましても、今村局長の活動を遺憾とする御発言というようなものもあった、これが社会的には、自民党も文部省もこの問題を政治的にとらえているというような姿になってしまったと考えるわけでございます。そこで、私は非常にそうしたことを省みまして思いますのは、もう少し文部省が考えていることを実態に即して議論をしていく場というものをいかように設定していくべきであったか、そういう点に一層の配慮が必要であったということを痛感いたしております。
要するに、先生が御指摘のように、最後につけ加えておきたいことは、そもそもこの問題は人確法に基づく第三次
改善でございます。そういたしますと、人確法は、これは国会で決められました法律でありますから、私たちは重視してその重点施策としなければなりません。その趣旨は、要するにすべての先生方の本俸を上げまして、そうして教育現場を魅力あるものとして人材を集めるということにあるわけでございます。したがいまして、第三次の要求というものも、昨年の暮れに本年度予算の中に盛り込まれておりますが、それは、本俸五%アップという要求から発しているわけでございます。実は、昨年度の七%というものも、四、三とパーセンテージが分かれまして、本俸三%、特別手当は四%、そういう形になりました中で、いかにしてこの当初の人確法の趣旨に基づいて第三次
改善を行っていくべきかということが私たちの課題であります。そこで、このたびは四種のものを考えた。四種のものの中で当然重要なのは、この法の精神に基づきまして、全体の先生方の給与を上げていくということであり、さらに次のものは、国会の附帯決議にもありますように、教諭の中で、いろいろな教頭、校長のような役割りはとらないけれども、しかし教育現場においてよい活動をされるという方を、いわば教頭と同じように一等級に処遇する、これは附帯決議でございますから尊重していく。さらに、そのほかの二種類の一つとして、細かいことは時間の関係で避けますが、主任があるということですが、どうも主任だけの話のようになってしまったということはまことに遺憾でありますが、それは初めに申し上げましたように、実はその主任の中身もよくわからないという中で、このことが、断固実行絶対反対という政治問題化したことと関連があると私は考えております。いま文部大臣の見解というものも十二月に発表いたしましたし、こうして国会で御討議を願いますならば、私たちの考え方というものを一層徹底して理解していただける、そういう方向に向け得るものと信じておるわけでございます。
-
○
山崎(拓)
委員 時間が参りましたので、最後に一言だけ申し上げておきたいのですが、ただいま大臣が言われましたように、人確法に基づくこの教員給与
改善、第一次、第三次、第三次ですね。この第三次、第三次につきまして、大臣はことしの三月七日に人事院総裁あての文書を出しておられるのですね。その中で「人材を
確保するとともに、その職務と責任に見合う処遇を
確保する見地から行うことを基本とすべきである。」このように書いておられる「また、その中身の一つとして「教務主任」その他の「職務を担当する教員に対しては、その職務と責任にふさわしい処遇を
確保する必要があるので、当該主任等に関する規定の整備と相まって、給与上必要な措置を講ずること。」こういう方針をすでにことしの三月の七日の時点で出しておられて、これはもう周知の事実でありますから、その方針に沿って今日までやってこられた、いろいろ準備を進めてこられた、私はかように考えるので、このときに当たって日教組が、この反対のためのストライキをやるんだということは、非常に今日までの人確法が制定されまして以来の経過を考えまして、まことに不思議な感じがするわけで、いささかこの問題に対するとらまえ方を誤っておられるのではないか、そういう感じがするわけなので、既定方針どおりやってもらいたい、実はかように考えておるわけでありますが、先般出されました「調和のとれた学校運営について」という大臣の文書、大臣見解でありますけれども、この中で、二つの側面といいますか、管理の側面と教育指導の側面と、こう二つ出しておられるわけでありまして、これは私も十分理解いたします。ただ「今後は、できる限り多くの教員が、各種の主任を経験し、その専門職としての能力を十分に発揮することによって、学校教育活動がより一層活発になることが望ましい。」ということでありますが、なるほどそうですけれども、教務主任の実態——きょうは初中局長の御説明を聞く時間がございませんでしたけれども、たとえば教務主任でございますが、この役割りというものを考えてみますと、そうこの中で触れられておりますように、その「主任の地位についた者を固定化せずに、できうる限り多くの教員が」いわば回り持ちでその「経験を積むことができるように配慮することが望ましい。」というわけには私はいかないのではないか。それだけの資質や資格というものを必要とすると思うので、やはりそれだけの十分な経験や能力をお持ちの方がこういうポストにはつくべきでありますから、そういう点はただ単に、日教組の誤解を避けるために、あるいは反対のための反対のために、ただ手当てを出すためだけのポストみたいに堕さないように、ひとつこの主任というものの果たすべき役割りが、もちろん教育指導という側面に重点があるとしても、それが本当に経験や手腕や力量を必要とする、あるいは心構えを必要とすることでございますから、やはりそういうすっきりした主任制度というものを考えていただくように最後に要望いたしまして、質問を終わらせていただきます。
-
-
○木島
委員 山口さんが質問の通告をしておりましたけれども、議運の
理事会が始まりましたので繰り上げます。
主任問題でありますけれども、もう余りぐだぐだと多くを語ることはないのかもしれませんが、しかしいずれにいたしましても、いままでの経過の中で、大変失礼でありますけれども、永井文部大臣の存在が問われておるということがよく言われます。そして新聞などでは、スト権ストのときの三木さんと同じというようなことを言っておる。しかし私は、それは三木さんの場合はそういうことがあっても、永井さんの場合はそうあってはならないと考えます。いつかも申しましたけれども、三権分立の中における議院内閣制の与党と執行部、行政府というものの関係、そういう関係では三木さんの場合の立場はわかるにしても、少なくとも教育基本法第十条の「教育は、不当な支配に服することなく、」というその思想は、言うなれば四権分立的なものであります。それだけになおさら三木さんと同じ立場に立ってはならないわけであります。このことがきちっとしないと永井さんの存在理由というのが言われるのだろうと思います。率直に言いまして、永井さんが出てこられてから、三木内閣も対話と協調と言うしあなたもそうおっしゃる。そしてあなたという民間からの学者大臣を大臣にお迎えしたこの文教
委員会は、そういう意味では野党全体が、国民的な合意を求めるところの努力を大臣が大臣就任以来率直に言って努力をしてきたつもりであります。たとえば国民的合意を求めるために、今日までの教育行政というものが国民的合意を得なかった部面がよけいだったから、永井さんが大臣になられたということを契機にして国民的合意を求めるところの文教政策に進もうと与野党が努力をしたと思うのであります。だからたとえば文化財保護法の改正にいたしましても、これは二十年来の懸案でありました。この文教
委員会の中においてずっと小
委員会を持ってこられたけれども、それがなかなか具体化しなかった。そしてこのことについては各党にいろいろの問題がありました。けれどもそれも満場一致で通しました。十年来の懸案であったところの私立幼稚園の問題にしても各種学校の問題にいたしましても育児休業法の問題にいたしましても、それはそれなりに、おのおの各党には各党の思想があり政策があり、そしてそういう中では困難な要素もずいぶんありましたし歴史もあったのですけれども、そういう中でもまとめてまいりました。いま継続審議になっておりますところの
学校教育法の一部改正の、大学院大学をつくるというあの改正についても、これは継続審議でこれからの問題でありますけれども、内々では附帯決議をつけることになっておる。その附帯決議という中には、たとえばこれを通すけれども、しかし個々の具体的なものについては事前に
委員会の意見を聞いて、国民的な合意を得てから提案をするというようなことも、与野党一致してきたものも、何かというならば、永井さんが大臣になられて対話と協調と言い、大臣がここに来られねばならなかったという背景をわれわれは感ずるがゆえにこそそういう努力をしてきたつもりであります。この問題、経過から見ると、私はそういう意味では大変永井さんの存在理由が問われると新聞に言われようなことだったろうと思うのです。最初に聞きますが、この問題でも大臣は国民的合意を得るところの努力をいまの段階でもなおするというお考えがございますか。
-
○永井国務大臣 ただいまの木島先生のお言葉の中に、私が就任して以来、特にこの文教
委員会におきまして、与党、野党を問わず、わが国の教育というものを政争の場から離して、そうして具体的に法律などについて考慮をするために、審議をするために配慮をしてきた、そのお言葉に対して感謝をいたします。また育児休暇あるいは文化財保護法の改正などにつきましては、まことに御指摘のとおり、七十五国会におきまして、従来懸案でありましたものをこの国会の場において御審議また決定をしていただいたということを深く感謝している次第でございます。
そこでこの主任制度の問題でございますが、これにつきまして詳細は必要に応じて申し上げますが、従来与党で考えられてこれらたものと私が基本的見解で述べておりますものとの間には相当の違いもございます。これは与党の先生方にも十分御理解を願わなければならない点であります。私は基本的に御理解を願える段階に到達したというふうに考えております。また野党の諸先生方につきましても同様でございまして、私は諸般のこの問題についての考え方に基づいて文部大臣の見解というものを示したわけでございますが、これを進めていく上で、その文書の末尾の部分にも書いてございますように、やはり国民との間に冷静かつ具体的な御検討をお願いしたいというふうに記してあるわけでございますから、それはストが行われる前に書かれた文章でございますけれども、ストが行われた後においても変わらない考えでございます。そのことを明確にいたしておきたいと思います。
-
○木島
委員 参議院でもあなたのこの見解はたたき台ということであります。日教組がストをやった、これは一つの教育団体でしかありませんから、国民的合意ということで、国会で言うならば国会、それは政党政治でありますから、各政党も、これは単にこの
委員会の一回や二回というものではないでしょう、冷静かつ具体的でありますから、したがってこの見解は見解として、私もいま御配付いただいて、一通り目を通しました。私にもこの見解に対する見解もずいぶんございます。さらにこれを具体化した場合の問題もあります。こういう中で国民的合意を求めるのでありますから、あなたがたたき台を出されたのでありますから、したがってこのことは、いろいろな意見を聞いたならば変化もあり得ることでありましょう。あなたのはコンクリートで、これから意見を聞くけれどもこれは変わらぬというのでは意味をなさないのですから、変化があるということは理論にはゼロから一〇〇%までの間であります。そう理解してよろしいですか。
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○永井国務大臣 ゼロから一〇〇%という数値でお示しになりますのは非常にむずかしいのですが、基本的な考え方といたしましては、私も主任の問題を調べました、実態を調べました。これは私もそうですか初中局で具体的な事実を集めたわけです。また各方面に見解があるのを私も伺いました。その上でつくり上げたものでありますから、私としては責任を持ってこれを公表した考えでおります。そこでこれは全部なくしていいかというのがゼロを意味するということになりますと、これは非常に文部大臣として無責任なことになります。私も実は短い文章でございますが、それを書きますのに二週間かかったのです、その文章だけで。そんなわけでございますから、まず御検討いただくという場合に、私もその短い文章の裏にいろいろ裏づけがございますから、これをどうしてそういう意味なのかということを御納得がいくように説明する考えでございます。ただしそのことは、それに完全に固執して、そして一宇一句といえどもその考え方は変えないという意味合いではございません。具体化していくプロセスにおいて、やはりそういうものをたたき台としていただいて、そして私の考えというものが足りない点あるいは補足すべき点、そうしたものがあるならば、当然そうした御意見というものをまさに承るために対話と申しているわけでございます。繰り返して申しますが、対話ということを言いますと、すべての人にその時々に賛成をするということに相なりますと、これは状況追随主義と申しましょうか、みんなに一々賛成をしていたらしまいに精神分裂症のようなことになるわけです、それは意見の違いがありますから。
そこで、私案はコンセンサスを求め得るというふうに考えたものをそこにたたき台として提出したわけでありますから、私の文書は一つの原点と申しましょうか、あるいは基点と言ってもいいのですが、基となる点である考えでございます。私自身一つの立場を責任を持って示すということがございますから、いろいろな方に会ったら一々全部賛成というような意味合いでこれを出しているわけではない。検討していただきたい、対話をしていただきたいというのは、私の見解はございますが、しかし違う見解ももちろん承る、そして十分に御納得がいただけず、また私自身納得いたした場合にはそれを変えなければいけない。それは当然国会尊重の立場からいっても、さようなものと理解いたしております。
-
○木島
委員 おっしゃるように、永井見解はあなたの責任でもってずいぶん——二週間もでありますから、博学であるあなたが英知をしぼって二週間推敲に推敲を重ねられ、考えに考えを重ねておつくりになったところの見解でありますから、それはまさにおっしゃるように一つの基点であります。原点になるでしょう。けれども、あなたもまた完璧な方ではないということもありましょうな。完全な神の存在でもないわけでありますから、そしていまあなたがおっしゃるように、いろいろと意見を聞く中には、したがってゼロから一〇〇%まであり得るでしょう、理論的には。ゼロというものはないのだ、五〇%から一〇〇%までのことは許容するのである、これからいろいろ意見を聞いて、という論理はありませんね。変化がある、たたき台であるという限りにおいては、論理的にはゼロから一〇〇%までの——一〇〇%はあなたの見解どおりということになるわけですね。ゼロから一〇〇%までのものがあるという、その対話と協調。われわれは、だからゼロを押しつけようといま言っているのじゃありませんよ。しかし議論をしていく中で、私最初に申したように、対話と協調という、対話もあれば協調もある、協調できるものは協調ということは、あるいはときに足して二で割るということで協調ということも、それは中にあることもあり得るでしょう。しかし理論的には、完璧なものでない、いろいろな意見を聞くという限りにおいては、理論的にはゼロから一〇〇%までの幅があるのじゃございませんかと聞いているのです。
〔
三塚委員長代理退席、
委員長着席〕
-
○永井国務大臣 木島先生のお言葉にゼロから一〇〇という数値がしばしば出てまいりますので、私はこれについてやはりお答えしなければならないのだと思います。
この問題につきまして、今村前初中局長が一つの考えを示され、そして人事異動というものが、私は決して好んで行ったわけではありませんが、あったことは御承知のとおりでございます。その後私が考えますのに、この問題というのは非常に政治的に敏感なものであるというふうに考えました。そこで、この文書は、文部省見解でもなく、また今日の初中局長見解でもなく、文部大臣見解としたいと思ったわけであります。それはやはり私として責任を持ってやるべきことであるというふうに考えて、文部大臣の見解となっているわけでございます。
そうでありますから、私は、ゼロというのがもうこれは全然だめだから捨ててしまえということを意味するといたしますと、実は私は捨ててしまうようなものを書いたつもりはないのです。ですから、ゼロというのがそれを意味するのであるならば、そこに問題はございます。そういう意味合いで書きました。しかし文書のいろいろな部分につきまして、当然御意見というものを参酌しなければならない、かような考えをもって書いた次第でございます。
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○木島
委員 さっき情勢追随主義という言葉がちょっと出ましたね。いまこの「調和のとれた学校運営について」というのを見まして、たとえばあなたがずっと一貫していらっしゃるのに——わかるのです、管理と指導というもの、そして管理に中心があったということ。しかしこれは実態に即しておらないというのが私の見解なんです。細かく読んで、それからあなたと少し時間をかけて議論をしたら、私はあなたのこの考え方に完全に一致するようになるのかもしれません。対話というものは、合意を求め、進歩を求めるから対話があるのでありますから、あなたは批判的対話なんという新しい言葉をおつくりになりましたけれども、これはよくわかりませんがね。だから、そういう意味では一致することもあるかもしれません。ただ、あなたはここでもって主任とは一体何かということを書いていらっしゃいますね。しからば管理とは一体何か。校長なり教頭は管理主義に陥っておる——では管理とは一体何か。これは具体的に、現実的には、物的管理、人的管理、そして教育管理、この三つがあります。もっと言うならば、いまあなたがおっしゃっていらっしゃる管理主義というのは一体何かと言えば、教育管理のための人的、物的管理に重きをなしたということでしょう、いままでの文教の歴史を見るならば。だから、これを二つに分けねばならぬとおっしゃるあなたの現象的な——教育行政上の現象的な意味では理解しますけれども、実際の校長、教頭というのは教育管理が中心で、あなたは二つの柱とおっしゃいますが、私はそうじゃないと思うのです。教育管理が柱であって、その支えの小柱が人的、物的管理ではないのかと思うのです。ですから、このことに一つ入っていきますと——しかしこれは私とあなたとここでいま議論しようと思っていません。これはずいぶん時間が必要で、私は一時間しかありません。あと三、四十分しか時間がありませんからできませんが、そういう議論を続けていったら、あなたがここに書いた二本の柱というこの見解の出発から議論が分かれるかもしれません。しかしそれは分かれるのは分かれてもいいのです。分かれても、その議論をやっていく中でもって、対話と協調という中でもって一本の——私は対話というのは足して二で割ると思っていませんから、みんなで合意できる、そうだ、こうなければならぬというのを求めるならば、あなたの出発であるところの二本の柱ということから否定されるとすれば、仮に私の論理が正しいとしてあなたが同意なさったとすれば、ゼロから一〇〇%までの可能性はあるだろう、論理的にはそうじゃないのかと言っているのです。
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○永井国務大臣 ただいまのは、ゼロでないように思います。なぜかと言いますと、これは私は管理ということをそこで言っておりまして、もう一つ指導と言っておりますが、恐らくこの実態についての認識ということから言葉が生じてくるわけでありますが、管理というのを、先生は物的人的ないし教育管理、こうおっしゃいましたが、そこの文章の中身を読んでいただきますとわかりますように、私は実は教頭法制化問題ということで、国会がなかなか激しい論争を展開されたことを承知いたしております。そのときの論争の経過についてもいささか学ぶところがありました。それから後どうなったかということについてもいささか学ぶところがあったのです。ところが例外的——例外的というか、一部の校長、教頭の方々に、授業を持ったり、それからいろいろ教育的な活動をしておられる方もあるのですが、しかしながら、どうもその後の経過を見ますと、御承知のように校長さんは朝礼なんかをおやりになりますが、教育管理ということから言いますと、非常に教育との接触面が乏しい。具体的に言いますと、たとえば余り授業を持たれないということが原則である。そして教頭もそういうものとして一般にとらえられている。そこへこの主任というものをただ持ってまいりますと、私、非常におかしいことになるのではないだろうか。つまり、教育管理という言葉でお示しになりましたが、そちらの方が弱まってしまって、いまの物的人的管理ですか、そちらの方へ傾斜するというふうに考えたわけでございます。そこで、自民党文教部会の某議員に、私は、この問題を進めていく以上、やはりまず校長、教頭のところから出発しなければいけない。そこで、そういう考え方を立てていく上で、先生のお言葉で言うと教育管理となるのかもしれませんが、それは私は教育指導という言葉であらわしているのでございまして、違うお言葉をお使いになるのは了解いたしますが、それですと、ゼロではなくて、実態についての言語の使用方法が違うわけでございますから、私はそういうふうな審議を歓迎するわけでございます。
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○木島
委員 これは、管理とは何かということについていま余り深入りするほどの時間を持たないということを申しましたけれども、極端に言うと、もしも、あなたの、校長、教頭というのは管理が中心であったとすれば、私は俸給表だって教育職じゃないと思っているんです。行政職です。学校教育というのは子供と先生の触れ合いでありますから、それを除いたら——その触れ合いの条件整備が教育基本法で言う条件整備であるとすれば、それは大臣も文部省の方々も教育
委員会の職員の方々も、言うなれば学校教育の、先生と子供の触れ合いの条件整備であるならば、これは行政職であります。なぜこれが教育職の給与表になっておるのか。当然それは——まあ、教育管理という言葉がいいかどうかは別といたしまして、教育管理というものが中心であるから、その支柱のための、その支えとしての物的人的の管理でありますから、いま
嶋崎さんはちょっと予算とおっしゃったが、予算もそうですね。予算というのは一つの物的でしょう。あるいは賃金になれば人的になるかもしれません。しかし、たとえばいま理科なら理科のどの基本教材を買うかという予算になれば、当然教育というものが入りますね。ですから、私は、そういうように——いまこの議論をするというのではありませんけれども、もし、校長、教頭というのは管理だけやっておったとするなら、いままで教育職の給与表を適用しておったことが誤りであったということにすらなるだろうと思います。しかし、そうじゃないんだ。物的人的は、教育というその目的のための手段であったかもしれません。となると——私、そこの議論をしようというのじゃないですよ。とすると、あなたのこの出発から考え方が対立するのかもしれません。まあ、してないかもしれませんよ。たとえばあなたがそうだと……。もちろん、私は全然わからぬわけじゃないのですよ。というのは、確かに、政治的に行政的に見ますと、教育の内容に行政や政治が立ち入ってはいけませんから、したがって、この国会で出るところの法律や予算とかその他というものの物の考え方、議論もあります。ありますけれども、それはそういう、いわゆるあなたがおっしゃる式の管理上の問題、条件整備の議論に集中しようという——教育基本法第十条の思想というものを文教
委員は持っておるから、だからそこに入らない。入らないから、勢い管理面だけが出てくる。その管理面というのが、実は確かに政争の観を呈しておりましょう。けれども、内容についてもいろいろ問題がある。しかし、それはわれわれは、十条の思想からして余り深入り——それはここで触れていけないと言うのじゃありません。触れていかぬとは言いませんよ。けれども、余り入り過ぎてはいけないわけであります。そういう自制心があるから、表面的には、あなたのここで書かれる管理面だけが浮き彫りにされ、政争の具になってき、「保守と革新」云々という言葉になってきているのだろうと思うのです。そういうものもありますから、表面的には見えるかもしれないけれども、しかし、こういう主任制度をもってこれから学校運営をどうしていくかということになったときに、一体どちらが柱なんだという式の議論、あなたは二つの柱、こうおっしゃるのだけれども、そのことが果たしてどうかということは——いまさっきから繰り返しの議論をここでしようとしているのじゃないですよ。これはとことん繰り返しますよ。が、そういうように考えたら、だからこれは完璧なものではないとあなたもお考えですから、意見を聞く。意見を聞くということは修正があり得る。修正があり得るということは、したがって論理的にはゼロから一〇〇までだろう。いや、九九か、修正だから。しかし、完全によろしいということもあるから一〇〇%まである。という論理的なこと、筋、何と言いますかな。あなたのはわかりますよ。抽象的にゼロから一〇〇%までというのは、これは否定できないですな。けれども、あなたはそう言えないという立場もわかりますから、余り固執しません。
私、この中にも実はあなたの存在価値が問われているという問題もあるように思うのです。さっきちょっと言いましたけれども、足して二で割るという感じがします。政治というものである限り、そのこともまた必要でありましょう。しかし、三木内閣が対話と協調と言っておる路線の中で、それでは三木内閣の閣僚の一員であるから、政党大臣でもよかったはずであります。だのに、なぜ民間のあなたが大臣になったのであろうか、民間だったらだれでもよかったのだろうか、あえて永井さんが大臣のいすに座られたところのものは一体何であったのか、ただ足して二で割るのであったならば、それは永井さんでなくてもよろしい、三木さんが永井さんをあえて民間からという一つの枠、その民間という中から永井さんというものを選んだものは一体何であったかとするならば、あなたの今日までの教育に対するところの思想、あなたの学者としての業績、そういうものがあったからこそあなたというものが大臣として存在をする、そのあなたがなくなって、足して二で割るとするならば、あなたの存在価値はなくなってくるであろう、そういう意味でも、私はこのことについて存在価値が問われる一つのものがあるのだろうという——私、やめなさいなんて言ってませんよ、気を悪くしないでください。参議院の議論を聞いたら、ずいぶんやめなさいみたいな——参議院はいま貴族院でなくなりましたからね。でありますが、そこのところが、あなたがいま大臣に座っておられるときに、私は一番必要なことなのじゃないかという気がするのですが、余りお答えもらわぬ方がいいですか。
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○永井国務大臣 ただいまの先生のお言葉は、まことに私はそのとおりであると考えます。つまり、各方面の意見を聞いて、足して二で割るとか、あるいは電子計算機にかけて意見を大体調整するということであれば、これは全く別の考え方でありますが、私がそこに書きましたのは、現在わが国の文部省の行政を預かる者といたしまして、実態を見まして、そして今後の進むべき方向というものを考えに場合にかような立場に立つべきである、もちろんその間においていろいろな方々の意見を参酌した、そしてそこにはいろいろ対立した意見もあるということは承知をいたしておりますが、それを足して二で割るというふうなことであるならば、私でなく、もっといろいろな妥協、駆け引きの上手な方が文部大臣になられたらよかったと思います。
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○木島
委員 大臣、あなた内面的には大変お苦しみだと思いますから、私も大変言葉を慎んでおるんですが、だけれども、あなたが大臣になられたということは、教育を政争の場から静かな場へということでした。私、あなたが大臣になられたときの最初の質問に、それでは政争の場になっておるものを静かな場にということであるならば、一体政争はどこから来たのか、その原因を除去せずして未来は語れないであろうと申し上げました。この歴史は一体何か。
昭和二十七年まで民間学者大臣が続いて、岡野清豪さんが二十七年に政党大臣になられた。その次が大達さん、そういうことは、そこからなぜ民間大臣から政党大臣になったのかとお聞きいたしたときに、あなたは、そのころから、すなわち朝鮮戦争の少し前から世界の冷戦構造が続いてきた、その冷戦構造から政治は反応をし、そのことが教育にも及んだということをおっしゃいました。私はそのときにそれ以上のことをお問いいたしませんでした。十分にわかっていらっしゃるあなたに、それ以上のことをお聞きするのは失礼と思いました。けれども、冷戦下だとということは政治全般として言えると思います。しからば教育においてのその具体的なものは一体何であったのか。あなた総理大臣じゃなく、文部大臣なんですから。そして政争の場から静かな場へというのであれば、その政争は教育の場に確かに冷戦構造から来た、いまちょっと緊張緩和になっておりますが。そのことをやはり具体的にさかのぼっていかなければ、今回の管理中心主義というものは出てこないだろうと思うのです。形の上では、たとえば
昭和三十一年の教育
委員会の公選制から任命制、翌年
昭和三十二年の校長の管理職、そして勤評、学習指導要領の法的拘束力、この中でも法的拘束力かどうかということを少し議論したいところもあります。そして教頭法がずっと出てまいりました。そして昨年強行採決でもって教頭ができました。今度主任です。これらのことは一体何かというと、あなたのおっしゃる管理というのが中心でありましょうけれども、しかしその管理というものは一体何かというならば、冷戦構造から政治が反応をし、それが教育の部面で反応したものは一体何かと言えば、管理面ではありません。管理というものを通して教育の一つの思想による支配、統制、そのことが是か非かということが、具体的には私は、ずっときたところの政争の一番基本であったろうというように思います。だから、あなたが教育を政争の場から静かな場にとおっしゃるのであれば、そのことを少し解明せねばならないことなのだろうという気がします。あなたここに書いていらっしゃるように、二十年来政争とこうおっしゃいます。あなたの言外に言われていることは、まさにそうなのだろうと思うのです。しかし、それはさっきも言いますように、教育という内容への、私たちの言葉で言うならば支配なり統制、そのための管理体制の強化であったろうと私たちは考えるわけです。したがって、そういう目でもって、政争があるのだからその政争の場から静かな場へと言う限り、そのことを除去しなかったならば教育は静かな場にはいかない。そこからあなたが存在をしたのじゃなかったのでしょうか。あなたが文部大臣になられたのはそこなのじゃないだろうか。そのことといまの状態というものを私は考えねばならないんだろうという気がしておるんです。あなたはそういう意味では苦労もなさって、苦心もしていらっしゃる。わかります。けれども、そのことは民間大臣の必然性かもしれません、いまのあなたの苦悩は。
さっき足して二で割るなんて大変失礼なことを言いました。足して二で割るということは大変失礼なことで、これは足して二で割るという要素がありますなと、こう申し上げたのです。足して二で割るなんてきめつけません。足して二で割るのならば、さっきあなたもおっしゃったように、それはどなたでもいいわけです。配合がうまければいいわけです。けれども、あなたに志操があるから民間の中であなたが選ばれた、大臣になられたとするならば、その辺のところをきちっと踏まえておかなければならないのじゃないか、基本的にそう思うのですが、いかがですか。
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○永井国務大臣 ただいま先生御指摘のように、私は足して二で割るのでない仕事をいたしたいと思っております。
そこで、先生の御質問に答えて、冷戦構造が政治に反映し、さらに教育に反映したということを申し上げたのは事実でございます。そうした過程において教育の方でどういうことが起こってきたか、それは先生がいろいろお述べになったとおりでありますが、しかし、現行の構造におきましても、私は一様な画一化というものでない方向というものをいまや打ち出していかなければならない、かように考えているわけでございます。
具体的に申しますと、たとえば教育課程審議会のあり方というようなものについてもいろいろ考えました。これは主任以前の問題です。でありますから、これもでき得る限り広く意見を聞くだけではなく、これとの関連において視学
委員というものを復活している。中央には二人ですけれども、そのほかに数人地方別の方を設けて、そしてその視学
委員の方々の意見というものを反映するということをこの春先から始めているわけであります。現行制度の中でも、いまの私の文書というのが多様な方向あるいはそれぞれの自治体における教育というものの特色を打ち出していくべきであるという意味合いを含んでおりますのは、現行制度の中でもそれができるというのは、先ほどの管理と指導という言葉にいささかこだわるようでありますが、現在実際に管理主事と指導主事というのがあるのです。これはもう御承知のとおりでございます。しかし、その場合にどちらが強い影響力を持つかと言うと、ともすれば管理主事の方が強い影響力を持つ傾向がある。そこで、私がその文書の中で言っているのは、現行制度においてもそうなのでありますから、その現行制度の趣旨というものをはっきり生かしていけば、先生のお言葉で言えば教育管理というような方向、そうしたことでそれぞれの府県で、いわゆる指導要領に当たるべきもの、そういうこともこの文書の中に書いてあります。また最終的にはそれぞれの学校が自分の学校の指導要領ともいうべきものをつくる、そういう方向が必要なのではないかというふうに書いているわけでございまして、私は、教育界における一つの傾向として、これまで生じてきたものが画一的な多様化を阻むものである、それを変えていかなければならない、それが自由社会の原則である、かような考え方というものがその文書の背後にあるというふうに申し上げることができると思います。
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○木島
委員 私、さっき教育管理とあえて申し上げたのであります。あえてであります。それは、だから、文部省、県の教育
委員会、市町村の教育
委員会、校長、教頭と法制化されてきたというその筋道は、教育管理であります。だからこの主任も、それではどうかということがそこから基本的に私は一つ考えられる要素が出てくると思うのです。校長も教育管理をします、指導をします。まあ教育管理という言葉はあれでございましょう。教頭も指導をします。主任も指導をします。しかし、そこに貫かれておるものは実は統制であり支配であったからずっとこの政争が来たとするならば、学校の中では、教育
委員会を除いても、校長から、教頭から、主任から、平教員は重層的な支配、統制あるいは指導を受けるのだろうか、そうなるのだろうか。私はいま教育
委員の公選制以来のことを言いましたけれども、その道の専門家のあなたにそんなことを言うのは大変失礼。しかし私は、そういうことをずっと見て現状というものを把握せぬと、あなたが政争の場から静かな場と言うところの根本が具体的になくなってくる。そういう目で、もしも、いまあなたはお答えになりませんでしたけれども、それらの一連の法律や行政の行き方、進み方というものが、私の言葉で言うなら支配なり統制であったと、一〇〇%であるかどうかは別としまして、あったとすれば、そこから政争が起こってきたとするならば、そのことが今度また、校長も教頭も、そして主任も指導をする。指導する者が三人、される者が一人。その三人が一致するという保証はない。しかもそこに貫くものは、あえて私が言ったものは、教育管理というものがずっとあったから今日の政争があったとするならば、そこのところを押さえなければならないではないか。そういう観点でなかったら、あなたの存在価値というのはないのではないか。そういう目でもって主任というものをわれわれは危惧をしておる。まだ賛成とか反対とか言っておりません。これから議論をし、これをたたき台にして議論をするのでありますから、反対とは言っておりません。しかし、あえて危惧すると言っているのは、そういうあなたの存在価値も——その存在価値にわれわれは賛成だから前国会も協力したと申しました。そういうものの根底にあるものは、政争の場からというのは、実は一連のそういうものだとわれわれは把握しておるものですから、そこに視点を合わせてこの主任という問題を考えていかなければならないのじゃなかろうかという気がするのですが、いかがなんでしょうか。私の聞いているのはそういうことです。
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○永井国務大臣 先生のお言葉に即してむしろ答えていった方がいいと思いますから、二点申し上げたいと思います。
先生は、管理というものの中に教育管理的なものが本来含まれている、こういう立場から管理という言葉を使っていらっしゃいます。
第一点は、にもかかわらず実際は教育管理的な側面というものは弱かったという認識が私の文書の一つの点であります。そこで、先生が認識されるようにすべての人が教育管理を認識していればいいのですけれども、しかしこれまで起こってきた傾向の中でどういうふうになってきたのかというと、私はむしろ、教育の内容についての指導という言葉ですが、指導といったところで上からのものだけを押しつけるのではないはずであります。特に教育はそういうものでありますが、そういう意味での教育管理というものが実態上非常に弱いから、そこで管理と指導という言葉を使ったというのが第一点であります。
それから第二点は、いま申したことと関連がありますが、教育管理あるいは私の言葉で言えば指導でありますが、それの場合には、これは実際に上からの押しつけというような形で教育というのは行えないことは申すまでもありません。そこの文書に即して言いますと、それは先ほど
山崎先生が言われたこととも関係ありますが、私の七番目の項目のところに、私は主任になる方というのはでき得る限り多数の先生がその専門的能力を生かして参加されることがいいというふうに害いております。つまり、教育の職場が他の職場と違いますのは、どこが違うかと言うと、やはり他の職場たとえば行政官庁やあるいは企業体というような場合には、縦の系列というものが非常に強いと思いますが、教育の最先端に立っている人は、各学級で教えている先生でありますから、そしてその先生方の自主性というものが尊重されなければよい仕事ができない。そうすると、私はその主任というふうなものも、民主的リーダーシップといいますか、参加という要素を持ったものでなければならないと考えたわけです。しかし、そのことから直ちに起こってくるのは、それは自動的な順番制であるとかあるいはローテーション主義であるとかという誤解を生むということであります。そこで、その文書のところに、でき得る限り多数の人、ですが、その専門的能力を生かしてということを言っております。そういう意味で、ですから私の第二点というのは、その要素を含んでいるわけでございます。
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○木島
委員 大臣、私はまだちっともこの中に入ってないのですよ。私は、あなたの大臣としての存在というものをもう一回ここでもって問わねばならぬだろうという意味で、しかしこれは具体的問題ですから、この問題をネタにしておりますけれどもね。
いまおしやった、それはいろいろ問題があります。たとえば指導要領の法的拘束力という問題だってこの中から出てくるでしょうね。指導要領の法的拘束力というのがあるのかないのか議論しなければならぬでしょう。この中にもちょっと触れていらっしゃいますね。あるいは父母の負担を受けている。しからば教育権は国にあるのか教師にあるのかという家永裁判の論争のような問題もここにはありますね。ですから、ここに入ったら、これは大変に深入りせねば結論が出ない問題だと思いますから、私はまだここには入ってない。ただ、あなたの政治姿勢ということ、あなたの存在する、大臣になられたというその意味をここでもってただ言っているだけです。もうあと時間がありません。
たとえばさっきあなたは教頭の話をなさいました。私、あなたが三月七日に出されたところの人事院への給与に対する要望書、あれはいささか軽率だったと思う。
なぜかと申しますと、おっしゃるのはわかります、法律が改正されたから、法制化されたから。しかし、法制化されたのは人材
確保法が通った後であります。人材
確保法には、いわゆる五段階賃金をとらない、現行給与法でいく。法制化されて必要であるならば、たとえば一般勧告ならばよろしい、わかります。教頭の法制化に伴って人確法によって教頭の賃金をというのは、もしもあなたの要望書から出たとすれば、私は人材
確保法をつくったときのあの附帯決議と相反すると思うのです。ところが、あの要望書というのは、その人確法に基づいているところの要望書なんですよ。一方、いわゆる五段階賃金をとらない、いわゆるとは何かといったら、校長、教頭、上級教諭、教諭、助教諭でしょう。それはもう常識なんです。それをとらないと国会が附帯決議している。満場一致で決まった。そのことをあえて踏み出して、教頭は法制化になったからと。法制化になったということは、人確法とは別の法律なんだから、それはたとえばやるとしても、人事院の一般勧告であっても、人確法でやったならば国会軽視と言わなければならない、附帯決議を無視したと言わなければならないと思うのです。
それと一緒に主任手当というものが出た。主任問題というのは一体どこから具体的になったかというと、一つには四十六年の中教審の答申です。しかし中教審の四十六年の答申というのは、これは全部実施しているわけじゃない。一つの方向を示している。言うなればあれはたたき台でもありましょう。だから、たたき台を全部実施しているわけじゃない。
すると、具体的に主任制の問題、主任手当の問題が出たのは、実はあなたの三月七日に出された人事院への要望書から出発しておる。これも厳密に言って五段階か五段階でないかというのは、これはまあいいです。けれども、これが一方で三月七日に出て、いま時分これが出るというのは何だろうと私は思っているのです。これからいろいろ討議をしていく。さっきの私の主張であるならば、ゼロから一〇〇%までまだわからない。まああなたはゼロでないと否定しておったのでしょうがね。だったら何でこれが出たのだろう。あなたのそのときの判断が、この主任問題では今日への具体的な出発なんですね。きっとこれはあなたは余り深くかかわらないであなたの名前で出たものと推定はできます。しかし、具体的にはここから出たのです。そしていまこれが出ているのです。これから議論するのです。
だから、そういう意味では、私はここであえてそのことを責めようとしているのじゃありませんが、こういう中にも、あなたが政争の場からというのの——日本の戦後の教育行政のあり方の流れというものをきちっとお踏まえいただいておったならば、この辺のことがもう少し慎重になったんじゃなかろうかという気がするのです。
さっき日教組のストという話がありました。おっしゃるように、日教組は教員の待遇を
改善することを主とするところの団体であります。それがあのときには五〇%賃金を上げるというのにストライキをやって、それで反対するなんというのは、まさに形の上では大変おかしな話であります。しかし、ストライキをかけてもなお反対するというものが一体何であったかということは、もうあなたに言うことはないでしょう。今回のこともその一連の流れの中に把握される、あるいは危惧されるからという要素があったと思うのです。形の上では、これはいろいろな現象の上からとってこういうことでどうだというあなたのこの理論は、私は後から出た理論だろうと思います。
私は時間が来ましたからやめますが、きょうあなたにお聞きしているのはこの中身じゃありません。大変失礼でございますが、もう一回、あなたが民間からあえて——
昭和二十七年からずっと続いたところの政党大臣からあえて、教育基本法第十条の「教育は、不当な支配に服することなく、」というその立場に立って民間大臣に返った——私は本来の姿に返ったと言いたい、四権分立的な思想から言うならば。もちろん自民党内閣の一員であるというあなたの立場もわかります。けれども、それは最初に言ったように、三権分立の中におけるところの議院内閣制における与党と行政府との関係は厳然とされねばなりません。だからこそ十条があるのです。そういう一貫した現在の教育行政の史観——史観というのはちょっとオーバーか。それがきちっとしておらないところにむしろ非常に問題が出てきたような——これはあなたという意味じゃなくて、そういう流れ全体を考えますと、一番根源はそこだろうと思うのです。その視点から、これから十分に私個人も
委員会でもって具体的にいろいろと討論したいと思う。これはなぜなら、教育の管理、あなたの言葉では、管理と指導というものの調和のとれた学校運営という意味では大変大きな問題だと私は思います。私の考えに誤りがあれば直していただきたいと思います。けれども、軽々にして将来の教育というものを誤ってはならないと私自身も思いますから、それを誤るということは私の責任とか大臣の責任ということでなしに、国民に責任を持つ立場からいっても十分に議論をしたいと思います。
それで、もう時間が来ましたからやめますが、御答弁要りませんが、これはこれからの日程を考えますとなんでありますから、私がいま言ったとおり大変大きな問題だ。形の上では主任制度は制度をつくるか手当を入れるか入れないかという小さい問題でありますけれども、今日までの教育行政の流れというものからいって、私は、先ほど申しましたが、非常に危惧をする。それだけに十分な審議をして日本の教育を誤りないようにしたいと思う。そういう意味では十分なる時間をかけていただきたい。参議院では小
委員会という説も出た。そのことも提案をしたい。あるいはいろいろ参考人にも聞いてみたいと思う。
委員長、そういう提案についていかがですか。
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○木島
委員 理事会で十分相談しましょう。
以上で終わります。失礼しました。
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○山原
委員 この問題はいわば教育の本質にも関する問題ですから、言葉のあやとか修辞によって解決すべき問題ではありません。したがって、かなり精密な討論をしなければなりませんし、同時に学校教育の実態に即した討論が徹底的になされる必要があると思います。その点、
委員長、冒頭に私もあるいは参考人——特にこの問題については現場で現実に子供を教えている先生方の意向というものも反映をしなければならぬと思います。参考人の招致の問題、さらにはただいま木島さんから出されました小
委員会の問題、これなども当然
理事会において審議をしていくというそういう慎重な態度をまず私たちがとる必要があると思います。その点で、ただいま
理事会にお諮りになるというお話でございましたけれども、これはぜひ実現をするような、しかもその中で十分な討議ができるような体制をとっていただきたいということを、最初に
委員長に要請をいたしたいと思います。よろしいでしょうか。
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○山原
委員 この問題につきましてまず最初に、第三次人確法による給与の配分と学校運営の問題とを絡み合わせている、これが文部大臣の出されましたところの第一項にある問題なんですね。
お金のことはお金のことで解決すべきです。たとえば人確法によるところの配分の問題にしましても、それは配分の問題として論議をすればいいのであって、そのお金の問題を学校の運営の問題に絡めてきた、私はここに一番大きな問題があると思うのです。これは決して純粋な立場からの半校教育に対するまじめな態度ではないと思います。言うならばこれは大変不純な形から出てきている、これが先ほども話がありました本年の三月七日に出された文部大臣の人事院に対する申し入れ、ここから来ていると思うのです。
繰り返して言いますけれども、お金の問題はお金の問題で解決すべきです。その問題を学校の運営、教育活動の中に絡めてきている。これは絶対絶ち切らなければならぬ。そしていろいろ学校の運営に問題があるとするならば、それはお金の問題と切り離して論議をする、これが教育に関係しておる本
委員会の任務でありましょう、また文部省の任務だと思います。これを絡めているというところに非常に純粋でないものがあるということ、これが最大の欠陥になっておると思うのです。その点について文部大臣の見解を伺っておきたいのです。
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○永井国務大臣 ただいまの山原先生の御指摘の問題にお答え申し上げます。
第三次給与
改善、これは当然一次、二次に続くものでございますが、私はそれがそもそも人材
確保法に発しているというふうに理解をいたしております。
人材
確保法は何を目標としていたか、これは単純にただ先生方の給与を上げるということではなかったと思います。そうではなくて、教育という場に魅力を持たしてそして教育界にすぐれた人材を集めるということが目標でございますから、そのことからお金の問題が生じてきたのでありまして、ただお金を出す、上げればいいというより、むしろお金の方はそういう意味において副次的である、そういうふうに理解をいたしております。したがってお金の問題というものが解決すれば直ちにすべて人材
確保ができていくというものではない、もちろん重要な要素には違いないと思いますが、人材
確保法案の趣旨は教育界に人材を集めていく、そしてそれは魅力のある職場になっていくということだと思います。そこで、そのことが私の調和ある学校運営ということと関連するわけであります。
と言いますのは、これは先ほど木島先生にも申し上げました人材
確保法以後、実は五段階給与というのではなくて、現在教頭にも一等級を充てるというところに進んできております。それは三月七日の給与等の調査会に基づく報告に発して私どもがつくった文書の中に示されていることは御指摘のとおりであります。
しかし、その時点において私が考えたことを申し上げたいと思います。それは先ほどから申し上げていたことでありますけれども、私としてどうしても腑に落ちなかったことは教頭ができる、そして校長のほかにそういうものができたんですが、そのころから実はずいぶん校長、教頭の先生方に会いました、そういう会にも出ました。それでは一体教育が魅力ある場になっていくかというと、正直言って教育の中身の問題についての議論というふうなものをいろいろな会合で聞くことは余りできなかったというのが私の経験であります。
そこで私は、実はこの席におられませんが自民党の某議員の方に主任の問題を考えていくという場合にどうしても考えなければならないのはいままでの校長、教頭、こういう役割りのあり方というものも問うていかなければ本当に学校というものはなかなか魅力ある場になっていかないのではないかということを申しました。ところが自民党においては、それまで主任というのを中間管理職という言い方をしていたのでございます。これはもう三月の文書の直後からいろいろ御質問があったときに私は言っておりますが、私はいまのような事柄の経緯から言いましてこれを中間管理職というふうに位置づけることは妥当ではないというふうに考えたわけです。
ですから先ほど申しましたようにおよそ三つのことを繰り返し言ってまいりました。管理主義的でないということと、五段階給与でないということと、実情に即するということの三つであります。
それから後の運び方について先ほど木島先生からも御質問があって、もっと早くこの文書を出して議論をすればよかったのではないか、そういうことがあると思いますが、それについて運び方が必ずしも十全のものでなかったということは私は認めます。いろいろもっとよい運び方があっただろうというふうに考えます。しかし、実は十二月六日のその文書というものについての考え方は、それ以前の国会あるいはその他の場所を含むのですが、中間管理職的に考えないということから発しているわけでございます。
そこで、第三次給与
改善というものの中身との関連において私は調和ある学校運営ということを言っておりますが、これは私人材
確保法の趣旨に沿っているのじゃないかと思うのです。なぜ沿っているかと言いますと、要するにただお金を出して学校というものをよくしていくというのじゃなくて、やはり学校というものは魅力ある場になって、そしてそこで生きがいを感じていく、そういう意味においてやはり人材
確保法のそもそもの存在理由があったというふうに理解いたしておりますから、やはり学校というものがそういうふうになっていかなければいけない。
そこで、他の三つの種類のものを列記いたしておりますが、一つには従来から考えてこられましたように全体の教員の給与の
改善を図る、これは当然入っていくべきものです。もう一つは国会の附帯決議でもございましたが、校長、教頭などの役割りにつかない教諭の方を一等級にするという問題、これが入ってこなければいけない。しかし、ここで主任というものを考えていく場合にどうするか、これが私は一つの論争点になっているということを春先から考えておりました。今村局長もその考えに沿って実は考えたわけでありますが、その間における見解の表明というものがはっきりもっと早く行われなかったということについて私はこれは足りなかった点があると考えますけれども、金と絡めて制度を変えていくというのではなく、むしろ逆であって、教育の職場が生きがいあるものとなってそこに人が集まってくるというのが人材
確保法だ、その線上においていまのことを考えるというふうに私の思考課程で申しますとなっていく、これは私の偽らざる考え方であります、そう申し上げておる次第でございます。
-
○山原
委員 人材
確保は当時の田中総理はどう言ったかというと、教師を裁判官並みにするのだとしばしば言っていますね。それから五〇%引き上げるのだということも言っているのです。人材
確保の法律に基づくところのやり方はそれなりにあるわけですよ。ところが、そうではなくて、あなたのやられたのは人事院に対して人事院の予算配分の基準をつくらすための器をつくるということが先行しているのです。これはどんなに考えたってそうです、三月七日に。では主任問題等についてそのときになぜ国会の論議ができなかったのか。学校教育についてどう考えるか、この基本的な問題を考え、それが論議される。その前に文部省として人事院に対して出しておる。あくまでも人勧に対する器をつくるという立場から出ている。この発想が不純だと私は言っているのです。時間がありませんからその点は指摘だけしておきたいと思うのです。それでいまどうなっているかというと、予算編成期の十二月を迎えて時間的余裕がない、年内に主任の制度をつくるんだという発想が出てくるわけです。教育の基本、学校運営に関する問題ならば、お金のことで期限が切られるなんという問題じゃないと思うのですよ。十二月に予算編成があろうがどうだろうが、本当の現場の実態をつかんで、日本の教育をどうするかという立場で論議をしていく、国民的な合意を得ていく。それならば十二月末までにつくるなんという必要は全くないわけです。やはり金の問題がここで左右しておるところにこの問題の不純性があり、教育の立場に立つ純粋性が失われている。このことを私は指摘しておきたいのです。
しかも人材
確保法は附帯決議をつけて——あの審議の課程を見ましても、この衆議院では合意に達していません。参議院でやっと合意に達した。そのときに附帯決議をつけた。附帯決議の中身は五段階給与体制なんというものはとらないと言っているわけですね。しかもまた奥野文部大臣もしばしばそういうことはやりませんと言ってきている。これが国会における審議の過程です。そうして五つの政党が一緒になってこの附帯決議をつけた。この附帯決議がなければ、政党によっては人材
確保法に反対をしているのです。附帯決議を基礎にして人確法という法律に五党が賛成をして参議院を満場一致で通したという経過ですね。これが国会の審議です。ところがあなたの言われるのるのは、校長、教頭、今度また主任というものが出てきて、教員、助教員、実態は五つの段階になるわけです。しかしそれはそうでない、こういう言い方をするけれども、これは国会の附帯決議の精神をまるで逆用した、裏をかいたようなかっこうになっているわけですね。ここにも非常に不誠実な、いわゆる国会の議決の中に流れておる精神、合意した考え方に対する裏切り、あるいは裏をかくやり方、こういう問題が出ておるんじゃないですか。これを二つ目の問題として私は指摘をいたしたいのですが、この国会の議決に対して、文部大臣としてどういう誠実な態度をとるかという点、時間がありませんから、簡明にお答えいただきたいのです。
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○永井国務大臣 私は奥野文部大臣も五段階給与にしないということを言われたのを承知しております。そこで今度の主任、いま先生が校長、教頭、主任、教諭、助教諭というふうに言われましたのですが、主任は教諭であるという考えであります。したがって、そうした校長、教頭、そして教諭、助教諭というのに匹敵するような、教諭の上に主任を設けて五段階給与にする、そういうことを考えていないわけでございます。
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○山原
委員 当時もこの問題については論議をされておるのです。あなたのおしゃることは、変形でありますけれども、実際は当時国会で論議をされたものを持ち込んできておることには間違いありません。形を変え、いろいろな言葉を周辺につけてはおりますけれども、実態は、われわれがそういうことはすべきではないと言って、そして最終的に合意に達したものに対する裏をかく形態をとっておることは間違いないわけです。だから問題になっているわけです。
この主任の性格についてまた後で少しあなたのお考えを伺いたいと思いますけれども、三つ目の問題として、ここに書かれておるこの中身について全部触れるつもりはありませんけれども、いままで教育の現場にきしみがあった、暗かった、暗さがあったということを書かれておりますが、このきしみというのは具体的には何を指されているのでしょうか。
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○永井国務大臣 具体的にはいろいろな問題があると思いますが、私は、すべてのきしみが管理強化それから管理阻止というような形で起こったというふうには思っておりません。そういうことが多かったということを書いております。一つの重要なものは、勤務評定をめぐる問題はそうしたことに関連したものであったと考えております。
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○山原
委員 勤務評定と、学力テストの問題はどうでしょうか。学力テスト問題。各地で裁判事件を起こし、そして大変な紛争を起こし、しかも違憲問題まで出るこの学力テストの問題は、あなたのここに指摘されておるきしむ問題の中に入っていないのでしょうか。
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○永井国務大臣 学力テストの法律的な側面というものは別といたしまして、学力テストのあり方をめぐって、きしみと私が言っている種類の論争があったというふうに理解しております。
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○山原
委員 学力テストというのはまさに教育指導の問題と関連をしているわけですね。しかもそれが大きなきしみが生じてくるということになりますと、教育指導の問題ではあってもこれが管理と結びついてきたからこそきしみが生じ、また暗さやあるいはいろいろな事件が起こってきたわけですね。この点を明らかにしますと、その次に書かれておりますが、あなたは管理と教育指導の面を分離されております。教育にはそういう分離ができるのか。分離をしてこれを調和するという立場をとっておられるのですけれども、現実にこの考え方として管理と教育指導の面を分離されてお考えになっておるところに三つ目の大きな問題があると私は思っています。
たとえば中学校の例をとりましょう。学校で子供がたばこを吸った。このたばこを吸ったことに対して学校はどうするか。官庁や企業で職員に瑕疵があった場合にはこれに対して処分をしたり、いろいろな行政処分などが行われますね。これは管理でしょう。しかし、学校の中で子供がたばこを吸ったということに対してこの子供を処分する。その場合に、ここで単なる管理だけではなくして、教育上の立場としてこの子供をどう立ち上がらせていくかということが論議されるわけですね。したがって、教育の場において管理と指導とを分離し、対峙させて考えてこれを調和させていくというこの考え方に大きな誤りがあると思うのです。私は、時間があれば幾つか今日現場に起こっておる問題を出してみたいと思いますけれども、ここにも大きな問題がある。学校における、教育の場における管理とは、どこまでも教育に従属したものである、私はそう思うのです。そうでなくて、これを分ける思想というのは、その基礎には官庁的、企業的考え方が基礎になっておるから分けているんじゃないですか。学校の立場に立って、文部大臣の立場に立って考えるならば、学校教育における管理とは子供たちの教育にどこまでも従属していく、それが学校だという立場でなければならぬと思うのですね。あなたはここで、学校というのは企業や官庁とは違うと書いてはおりますけれども、この二つを分離するという考え方はやはり企業的発想、官庁的発想の中から出てきておる。教育の現場に即した、教育の実態に即したものでない。ここに三つ目の大きな問題が存在しておると思います。この点はいかがですか。
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○永井国務大臣 ただいまの先生の御指摘に対しては、そこの文章の中に「学校は教育の場である。」というふうに書いてありますように、私は、学校の基本的な性格は何であるかといえば、教育だと思います。それは疑いないことであります。
では、なぜ分けたかということでございますが、これは申すまでもございませんが、今日の学校教育というのは非常に大規模化し、また複雑化しております。でありますから、たとえば文部省というふうなものと地方の教育
委員会との関係というようなことも非常に重要な問題になってまいりますし、また大規模校、そうしたところにおける管理上の問題というものが出てまいります。そういう過程において一体どういうことが起こってきたかという実態に即して考えますと、いまのような勢いの中で管理面が強くなってきたということでありますから、私は管理とそれから教育指導という面を一応分けますが、しかしそこで「調和」ということを言っており、さらに「学校は教育の場である。」これをもちろん否定しているわけではありませんから、これを単純に、指導と教育を同列に置いて学校を教育の場でないというふうに考えているのではないのであります。申し上げましたように、今日では、いろいろな複雑な管理上の問題というものを持っている中で、どういう教育の場を復活していくべきか、あるいは強化していくべきかという考え方でございます。
-
○山原
委員 これも大事な問題でありますから、これ以上、この時間内では深めるわけにはいかぬと思いますけれども、私の、文部大臣のこの見解に対する指摘として申し上げておきたいと思うのです。
現在、御承知のように、学校の中にはいろいろな形で、さまざまな多様化された主任というものがおることは事実です。それはほぼ先生方の合意によって、いわば取りまとめ役ですね。学校のチームワークがなければ、教育は生き生きとしたものはできないわけですから、そのチームワークをつくる取りまとめ役として学年主任とかそういうものが存在しておることは事実です。
ところが、今度文部大臣が考えられておるのはそれとは違うわけです。これが制度化されるだけでなくして、たとえば、いま主任は教諭であるとおっしゃいましたけれども、
学校教育法によれば「教諭は、児童の教育をつかさどる。」これだけなのです。校長には監督の職務もあります。また、教頭には校長を補佐する職務もあります。「教諭は、児童の教育をつかさどる。」これが
学校教育法に決められたところの教諭の性格です。
ところで、今度出されております。一カ所だけあなたの書かれておることについて触れてみますと、主任とは何かということを書かれておるのです。私は大変意外に思ったのですけれども、こういうふうになっているわけですね。「主任は、校内の規律を重んじ、校長や教頭の方針に従って活動し、これを補佐する反面」すなわち管理職である校長、教頭を補佐するという一つの仕事を書かれております。もう一つは「関係の教員の参画を得て意見をまとめあげ、また、これを指導していかなければならない。」複数の教員というものを指導するという立場が出てきたわけです。
それから後の方へ参ってみますと、「主任は引続き教員として相当の時間数の授業を担当すべきである。」こうなってまいりますと、この文部大臣が出されました見解の中にある主任というのは、これは単なる教諭ではありません。三つの任務を持ったものとして、職制として制度化されるということなのです。この文言をそのまま読むならばそういうものであるわけです。しかも、いままでの主任と違って、これを制度化し、任命をしていくという立場ですから、明らかにいままでの教諭とは違った性格を持ったものがここに新しくあらわれてきた、いわば、教員にとって上司といいましょうか、上司が明確に出てきたのが、あなたの書かれていることではないでしょうか。
-
○永井国務大臣 教諭は、先生がおっしゃいますように「児童の教育をつかさどる。」というのでありますが、その主たる仕事はそうであるというふうに規定されております。で、私は教諭の中からそういう主任の方が出てくるというふうに申しましたが、その主任の仕事のところで、先生が言われました校内の規律を重んじ、そして校長、教頭の方針というものを重んじてこれを補佐する反面、いろいろな先生方を指導していく、こう書きました。そうすると、先生は、単なる児童の教育だけではなく、校長、教頭補佐という第二面、それから指導という三つを要するに新たなものとして制度化するのではないかという御意見だと承りました。
まず児童の教育の方は、これは前どおりです。
次に「校内の規律を重んじ」という問題は、これはすべての先生に当てはまることで、私はそこのところを削除せよということであれば、別にそれでもいいのです。それは当然のことであります。
第三番目の点なんですけれども、第三番目の点は、今度は校長と教頭の仕事の内容を決めているもう一つの項目がございます。ですから、そこで私は強調したかったのは、現状において以上に校長、教頭というのは教育面にかかわってほしいということを述べているわけです。そうしてやはり学校というものの方針をつくって、最終的な責任を負っていくのはやはり校長だと思います。ですから、まさに先生が言われますとおり、学校の管理というのは教育管理でなければいけない。これは木島先生の御指摘と同じである。ですから補佐するという意味は、校長と教頭のその役割りについて私が述べているところと関連してくるわけでありまして、いわゆる管理というものでいままで考えられたものではございません。それが一面。
その反面の方は、指導すると確かに書きました。私はそういう指導というものはあると思いますが、それが教育活動の一部でないというふうには考えにくいと思います。たとえば学年主任をとりました場合に、事実上学年主任というのは、大規模校におきましてはそれぞれの学年に相当のクラスがある、そうしてその学年主任になっている先生は事実上自分の教育も続けてやっていくわけです。つまり三つのうちの一をやっていくわけです。しかしながら、たとえば若い先生が来られる、相談を受ける、そうしてそれを指導していく、そのことが学校の全体の方針とつながっていかなければいけないのだと思います。それぞれの先生のやり方というのはやはり独自でしょうけれども、私は「校風」という言葉をそこで使ったのもそういうことに関係があるのですが、そういうものになっていかなければいけない。この校風をつくっていくときに、もちろん主任だけが校長や教頭に意見を述べるというのではないと思います。それは直接それぞれの先生方も述べにいかれたらよろしいし、あるいは職員室における討議というものも大事だと思います。でございますからこそ今度は七項目のところで、先ほど申し上げたように、この主任というものになる方は、その専門的な力を生かしてできるだけ多数の方がいいということも言っているわけでございます。
したがいまして、先生が御指摘になりました、前は一つであったものを新たに二つを加えてとおっしゃいましたが、第二点については御説明申し上げましたから省きますが、一番問題になるのはその第三のところだと思います。
第三のところは、いま申し上げたようなわけで、校長、教頭というものの役割りの規定の仕方というのが非常に大事であり、また主任というのは自分の授業も持ちながら参加をしていく、多数の先生の意見を生かす、そういう意味合いでありますから、私はどうもいま承った限りにおいては第一のことと矛盾しないように考えているわけでございます。
-
○山原
委員 いまおっしゃっていることは文部大臣の気持ちですわね。しかし、今日の教育の現場、実態というものは気持ちではいかぬわけですね。たとえば制度化された場合には、制度化されたそれだけの機能を発揮していくわけですね。したがって、自分ではそんなんじゃないのだ、こういう気持ちなのだと言いましても、制度化された場合にはやはりそれだけの、しかも場合によっては強力な性格を発揮していくということを考えておかないとこれはどうにもならぬと思うのですよ。だから文部大臣も書かれておるように、校長、教頭には今度も性格として管理面だけでなくて指導面も強めろということを書かれておりますね。おりますけれども、しかしいまだってそうなんです。校長、教頭が管理ばかりやっておるわけでなくて、皆学校を回って、初めて来られた先生に対しては、国語なら国語の指導というものに対してはこういうふうにやられた方がいいでしょうと、これが学校というものでして、そういう点でチームワークというものが保たれているわけですけれども、しかし、やはり書かれておるとおりに解釈するならば、それを補佐していくと一いう仕事、また複数の先生方を指導するという立場、管理の方は手伝わないんだと言っても、指導に対しては管理できるわけですよ。だからそれは木島さんが言われたように教育の管理だという言葉ですね。教育はまさに指導教育が主体ですから、その上に一定の職制が制度化された場合には、これは指導の中身、教え方、教室のあり方についてまで指導していくという一定の職制になることは明白なわけでございます。しかも、これは後の方で文部大臣はくしくも書いておりますけれども、今度は女先生たちにもやっていただきたい、そうしてそれから先はそういう経験を積んで女先生たちも校長にもなってもらいたいと、この言葉の中にやはり校長へのステップとしての立場が、ここにやはり本音が出ていると私は見たのです。そういう一つの管理職へのステップとしてこの問題も一面考えられているんだなということを感じたわけです。これも私は指摘をいたしておきたいのであります。
同時に、たとえばこういう職制ができますと、これに対する勤務評定というものもなされるわけですね。だから勤務評定というものは、いままでの教諭に対する勤務評定ではなくして、幾つかの性格を持った指導層であるこの主任に対する勤務評定というものがなされるわけです。だから、その機能を発揮しておるかどうか、成果を上げておるかどうか、ここで勤務評定というものが生きてきて、この主任というものに対して果たして成果を上げておるかどうか、ここが問題になってくるわけですね。そうしますと、やはりこの主任というのは、文部大臣に言わすとかなり漠然としたもののようではありますけれども、現在の教育の管理体制から言うならば、この主任というのはまた一定の勤務評定をさせられ、またその成果を上げなければならぬという、いわば教育の管理者としての役割りを果たす方向に向かうことは必至であります。これは現場の実態です。私はそのことを言っているわけです。この主任というのは一般教諭にとって上司ですか、何なんですか。
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○永井国務大臣 上司という言葉は何を意味するか、これはむずかしい問題を含むと思います。したがって、初中局長からも後で答弁をしてもらいますが、上司というような形で上に座って、もちろん命令したり、そういう式のものでないということは、いままで申し上げたことを繰り返すことになりますから、そういうものを考えているわけではない。
それからむしろ最後のところで私が、女教員のところで、将来校長や教頭への道も開くことができるのではないか、そう述べているところから、やはり語るに落ちるといいますか、そういうことを言っているではないかという御印象を与えているようでありますが、それについてはこう考えているわけです。
現在、日本の小学校の場合には教員の半分が女性である、そして中学の場合には三割がそうであるということでございます。やはり私は教員の世界というものは、それぞれの先生というものが独立して、いわば対等な関係にあるということは非常に重要だと思います。しかし、それでは事実上どういうことになっているかと言いますと、これはまず校長や教頭というものはどうしても必要だと思います。それではそういうところに女の先生がなっておられる方はどのぐらいあるか、これは非常に微々たるものだということは否定できないことだと思うのです。そうすると、私が考えている主任というのは、教育的な仕事について活動を盛んにしていくものでありますが、当然そういう仕事につかれる人から、その後にいわば二筋の道ができてくると思うのであります。一つの道筋は、別に校長とか教頭にならないで、先ほどから議論になっております。いわゆる一等級をもらったりするけれどもずっと教諭としていく、そういう道があると思います。しかし事実相当数の人はやはり校長や教頭になられる、そういう方向にいくであろうということは、これは推定できるわけです。ただその場合の校長や教頭はどういう仕事をするかということは、先ほど申したから繰り返しません。私は将来日本の学校教育を考えていきます場合に、五割の女の先生の中から民主的リーダーというものもたくさん生まれてこなければいけないのではないかというふうに考えたわけです。それは一つの組織でありますからみんな対等である、そして教室を預かっているという意味においてそれぞれの先生が重要であるということは、私は否定いたしません。そういう意味において教育組織は重層であるか単層であるかといういまいろんな議論がありますが、私は、学校は、小、中、高、大学を通してやはりそれぞれの教室が大事だと思う。しかしながら他方において、それではいわば組織の全体の責任者は要らないかとかあるいは方針をつくっていく人は要らないか、校風をつくったりする人の中心になる人は要らないか、これはやはり要るのだと思います。それがなければ、やはりリーダーなき社会になる。そのリーダーのあり方が問題なのではないか。そういうふうな形で校長、教頭も考え直す方向を、私は校長会や教頭会等においても検討してほしいということをそこで書いておりますが、そう考えておる。そして主任というものはそれとの関連において新たにはっきりその点は明確にしておきたいというのが第四項でございます。
私が考えているような方向に進めることができますならば、将来日本の学校において、もっと女性の民主的リーダーというものも生み得るのでありますが、私は現実においては、育児休暇というものについて成立したということは非常に喜ばしいことと思いますが、婦人の先生方はそういう点で他の国々に比べまして、やはりリーダーの立場よりどちらかというとリーダーでない立場でずっと現在おられるということが多い。調べてみますと、小学校の学年主任の段階におきましては、これは女性の方が男性より多いということはわかりました。そうすると、むしろそういう婦人が活動しておられるわけでありますから、そういう婦人が活動しておられる場というものをしっかりと確認していくということも妥当なことではないかと思ったわけであります。
なお先生が……(山原
委員「少し短くやってください。こちらは時間がない」と呼ぶ)どうも済みません。もう一言だけ申します。
私がそういうふうに考えていても具体的にそういかないということ、これは一番注意すべきことだと思います。ここの討論もそういう一つですが、他のいろんな方法でそうしなければ観念論に終わるということはいろんな方に御指摘をいただいておりますから、非常に注意すべき点であると思います。
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○諸沢政府
委員 ただいまの主任が上司であるかどうかということは、一つは省令に主任の職務職務を規定するその規定の仕方によると思うわけです。たとえば教務主任につきまして、教務主任は学校の教務に関して関係職員を統括整理するというように書けば、これは明らかに上司というふうに読まれるであろうと思います。しかしながら、私どもがいま考えております主任の職務内容の規定は、いまの教務主任について言えば、教務に関し関係職員の連絡をし指導し助言をする、こういうような、現在やられております教務主任の実態というものを踏まえて、先ほど大臣もお話ししましたように、実態に即してという意味で、実態を踏まえて規定をしようといたしておるわけでございます。ところでその実態でございますが、現在教務主任等につきまして、学校の教務に関してお互いにこういう教え方はどうであろうかというようなことを知恵を出し合っておられるというふうに先生も言われるわけですけれども、それが、これが制度化された場合には、そういう教え方ではだめだとか、あるいは何時間内に消化しろというようなことになるおそれがあるのじゃないか、こういうような御意見のようにも聞くわけでございますが、私はいま申しましたように、実態を踏まえて規定をし、またそのようにしていただくわけでありますから、そういうことは起こらないし、また教師の本来の使命がその自発性、創造性というものを教師の専門職としての本性とするわけでありますから、そういうことはあってならないと思うわけであります。ただ最小限に、そうは言いましても、学校という組織体において学校教育が全体的に円滑に行われるためには、やはり主任という立場において、お互いの進度をもう少し早めてくれとか、あるいは教育内容が学校で決めました方針にそれないようにしてくれという要請は従来もやっておりますし、今後もやるべきだと思いますから、そういう面をとらえて、それが職務上の上司だと言えばそれは言えないことはないと思いますけれども、むしろ従来実態において先生方がそういう意職を持たないでやっておられるならば、それをそのまま肯定して制度化するという方向で考えておるわけでございます。
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○山原
委員 いまのお話、議事録に載っておると思いますので重要視したいと思います。
ところで、もう頭の中にそういう省令の文章までできておるような感じですから、これは論議を進める意味におきまして当然この
委員会に出していただきたい。
委員長、どうですか。
-
○永井国務大臣 この問題に関する必要な資料、たとえば現在の主任の実態等について調べましたもの、これは私どもの方にございますから、必要がありましたらば提出をいたします。ただ省令は、まだ別に文案を書いているわけではなく、さらにまた省令を書きますのは私自身の責任に基づいていたしますものでございますので、別に省令案もない段階、また省令案を国会に提出いたしまして審議していただくということについては慎重でなければならないので、資料提出ということはいたしたいと考えております。
-
○山原
委員 いま諸沢さんの方から省令案のごときものが発言をされたわけです。議事録に載りましたから、これは当然本
委員会の論議の対象として、また資料として出していただきたい、このことを強く要求します。いかがですか。
委員長、どうですか。
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-
○山原
委員 文部省はいままでの学校に対する指導方針を変えるんですね、ここへ持ってきておりますけれども。
-
○諸沢政府
委員 ただいま御指摘の点は恐らくこの「新学校管理読本」というところだと思いますが、そこを読みますと、「ある教職員の職務について総括し、指揮する職務を校務分掌上与えられている職員がいれば、その者がその教職員にとって職務上の上司となるわけである。したがって、学年主任とか教務主任も、職務の与え方にもよるが、一般的には当該学年の仕事に関しては、あるいは教務に関しては一般の教職員に対して上司の立場に立つと考えてよいであろう。」ということで、私がいま御説明申し上げましたのもまさにその趣旨を申し上げたわけでありますから、別に方針を変えるということはございません。
それから、いま省令の案を出せというお話でございましたが、私どもはまだ省令案をつくったわけではないので、その省令をつくるとすれば、その立場においては、いまの総括指揮というようなきわめて管理職的な色彩の強い案は考えていないということを申し上げたわけでございます。
-
○山原
委員 この問題について、現在の主任もあなた方は上司だ、こういうふうに解釈していいですね。現在「このような学年主任や教務主任が上司かどうかということであるが、職務上の上司というのは、その職員が一つの組織体の中で、どういう職務を持っているか、職務分掌上どういう立場にあるかによって決まってくるものである。上司だから職務命令を発せられるというよりも、職務命令を発せられるような職務を持っているから上司なのである。」そしてこれは上司だというふうに言われているわけですね。しかし、今度は現在の場合と違いまして制度化されてくるということになってまいりますと、これは大変な問題でして、先ほど諸沢さん並びに文部大臣の言われたこととこの関係というものは当然生じてくると思います。したがって、資料が出てきたときに、この問題については当然各党とも論議をすると思いますので、この資料が提出されましてからこの問題については質疑を続けたい、こういうふうに思っているわけであります。
この問題は、私は学校の教室というものを考える必要があると思います。私は方々の学校へ今度の問題でいろいろ問い合わせてみました。自分も行ってみたのですけれども、たとえばある学校でこま遊びをする。子供ですからこまを転がすのがはやるわけですね。そうすると先生方は、これをどうするかということで討議をいたします。そうして討議をした結果、これはとめるわけにもいかないだろう、しかしあちらでもこちらでもやられては困る、そして場所を決めて一定の場所で子供たちにそれをやってもらう、当然の結論が出るわけですね。その際に学年主任の方が、それはいかぬ、学校はこまで遊ぶところではないから禁止する、こういう点で意見の対立が生ずることはいろいろな面から出てくるわけです。しかしこの学校の場合は話し合いをして、意見の対立はあったけれどもうまく上手におさめています。最終的には場所をつくって、そして時間を決めて遊ばすということ、これは当然教育の指導上の問題として起こり得ることですね。ところが今度はそういかなくなるだろう。一定の職制として出てき、上司として出てきた場合にそうはいかなくなってくる。細々したようですけれども、こういうところにいろいろな問題があるのです。だから、きしみとかあるいは暗さというものがこの文部大臣の見解、意見によってどういうふうに変わるかということは、職場にとっても、先生方にとっても、子供にとっても、父母にとっても大変重要な問題なんですね。そういう点で主観的に文部大臣の方でこういうことはやらさぬようにします、歯どめをします——先ほど三つの原則というのを言われましたね。五段階給与はとらない、管理主義的なものにはせぬと言っていますけれども、管理主義的なものにしないと言ったところで、任命するのは小学校の場合地方教育
委員会が任命をする。そうするならば地方教育
委員会はそれなりの指導方針を持っておるわけです。指導主事もおるわけです。それが今度は学校の教室の中に入ってくる。これが問題なんです。教室というのはどういうものかといいますと、教室には性格があります。生きています。たとえば一年生なら一年生のクラスが五つあるとします。その五つの一つのクラスはよく教科の理解できない子供が十人おる、あるいは一つのクラスでは三人しかいない、あるいは一つのクラスは大変学校に協力的な父母がおって、父母との間がうまくいっておるとか、いろいろな性格があるわけですね。それから担任の先生はどうかといいますと、一人一人の子供を知悉しているわけですね。すぐれた教師であればあるほど、この子供の算数の力はこの程度、そして家庭はこうなっている、そして性格はこうだ、この知悉した子供に対して先生方は対応しているわけです。これが本当に教室が生き生きとする根源でもありますし、そしてその中で教師が自分の担任のクラスに対して、自主性、自発性を持って、こういう教え方がいいというようなことが考えられて、初めて教室が明るくなるのですね。これは、そういう点で、たくさんの先生方が努力をされているわけです。この自主的な運営あるいは自主的な教室の運営というものについて、これを激励をしていく、これが私は教育行政のあり方だと思うのです。これを、じゃ五つのクラスがあるから、この中の一人が主任になる。主任になって、そして職制という一定の権限を持ってやっていくということになりますと、必ず問題が起こってまいります。これは、どんなに上手に運営をしましても、力を持ち、いわば一段高い上司の役割りを持った者が出てきた場合に、果たしていままでのような取りまとめ役、チームワークまた教室の中における生き生きとした姿が、これが一層前進するかどうかというと、この点についても私たちは精密な討議をしておく必要があると思います。これは当然のことです。そのことを私は強く強調いたしたいと思うわけであります。そういう点で、最初から
委員長にも申し上げておるわけでございますので、本当に教育の問題について討議しようじゃありませんか。今度の国会でも、もう八十何日過ぎておりますけれども、本
委員会は不幸にして
委員会をきょう初めて開いているわけです。
それから、本当に教育の現場に立って討議がなされてきたかというと、案外そういうこともなくて、ちょうど国会の中もきしみが多くて、やれ人格法だ、やれ教頭法だと言って、わんわんやることで実際に教育の現場を踏まえた論議というのがなされていない傾向がないとは言えません。これをやる必要があると私は思うのです。そういう意味で、この
委員会でもやるし、また場合によっては小
委員会というものをつくる。これは討議しなければなりませんし、私らの党で小
委員会をつくることが正しいかどうかというようなことも当然論議しなければなりませんが、さらに参考人を呼ぶ。こうして本当にここで腹が張るような、そういう論議をしておく必要が絶対にあります。参議院で文部大臣が言われているように、マスコミの方は大体賛成してくれているなどということもちらちらお話になっていることを聞くわけですけれども、しかしそれも一つの世論でしょう。しかし、本当に教育の現場に立った声というものを絶対に吸い上げていくという、この立場を貫いていただきたい。文部大臣にしかとそのことを私は要請をしたいと思うのです。もう予算編成期だから、十二月、年度内にやるなどというどんな圧力がかかっても、教育はそうではないのだ、おれは文部大臣として日本の教育の前途のために、この問題では徹底的に論議をやるのだ、この立場をとるかどうか聞きたい。
-
○永井国務大臣 私がその文書を公表いたしましたのは十二月六日でございますが、期限よりも手続が大事であるというふうに申しました。これは別に国会の問題ではなく、一般的な問題として申したわけでございます。その理由は、実態に即して考えるという最初の考え方からつながるものでございます。国会におきましても、参議院でさように申したことは事実でございますから、それは当然ここでも繰り返さなくても私は同じ考えでございます。ただ国会の手続をどのようにお決めになるかということは、これは私ではなく国会においてお決めになるわけでありますから、それを私がとやかく申し上げる筋合いではないと思います。
なお、マスコミのことでちょっと誤解がありますから申し上げておきますが、実は報道面におきましては余り私の見解というのは具体的にそれほど論じられていないわけです。たまたま私が賛成してくれていると申しましたのは論説でございまして、そう申したわけでございますから、限定されているものであるということをつけ加えておきたいと思います。
-
○山原
委員 最後に、この上司といいますか、この主任は、職務命令を出せるものとして考えておるのですか、初中局長。
-
○諸沢政府
委員 先ほどもお話申し上げましたように、主任の仕事として、一般の職務上の上司とその性格がかなり指導的な面が強うございますから違いますけれども、必要最小限のことにおいて、やはりその仕事を遂行する上に必要があれば職務命令という形で出すことは出せるというふうに考えております。
-
○山原
委員 したがって現在の主任とは全く性格の異なるものであるということが明白になったと思います。そういう点でさらに資料要請もしておりますので、それに基づいて論議をいたしたいと思います。国会の論議、これがなされる岡は、こういう問題について見切り発車をするようなことがないように厳重に申し上げておきたいと思います。
最後に、一つだけ簡単に
文化庁長官お見えくださっておりますので申し上げたいのですが、五分程度で済みますからごしんぼういただきたいと思います。
これは、実は日光東照宮の杉並木の問題でございます。私はたまたま東照宮の方からの御要請も間接的にありまして、また自然保護の立場の方たちにも要請を受けまして、ここへ見に行かせていただきました。この杉並木は一万五千三百六十九本あるわけでございます。実態は御承知と思うのです。実は幕末に、高知県の板垣退助が総司令官としまして、この東照宮の方を会津に向かって進軍して行くときにここへ行きまして、この杉並木を見て、これは壊しては大変だということで総攻撃を中止をしたという話があるわけです。だから東照宮の前には板垣退助の銅像が建っています。板垣は、その後自由民権運動を興すわけでございますけれども、私もその高知県の末裔として、この問題は大変重要な問題だと思いました。ところがこの杉並木は史跡、そして天然記念物として指定をされております。けれども、杉並木の杉の木のすぐそばまで宅地造成などといって買い占めまして、そして大きな根方が切られています。そして中はダンプがどんどん通って、両方から杉並木の根方は完全に傷つけられておるわけです。杉は千年もっと言われております。しかしこのままでいくならば、これは完全にそう長くない時期に消滅するだろうという心配が学者の間からもありまして、そしてこの杉並木の根方を、せめて根元二十メートルは国が買い占めてもらいたい、こういう要請が出ておるわけです。ことしも百本ついに枯れまして、枯損木として切り捨てなければならぬというこういう事態で、特別史跡並びに特別天然記念物として二重の指定を受けておるものは日本にはここだけしかないそうです。それがこんな状態に置かれておることは、これは絶対に放置できないというふうに考えるわけでございます。一つは、前の
文化庁長官も一度視察に行っております。新しく安嶋さん
文化庁長官になられたわけですから、ぜひ一度調べていただきたいと思うのです。
同時に、この三十七キロにわたるところを、三十メートルは根方を国が買い取って、そしてこれを守っていくべきだというふうに切実に私は感じたわけです。試算をしますと、大体三十二億から四十億程度のものでこの一万五千本の木を守ることができるのではなかろうか。世界にもないこのような記念物をぜひ守ってほしい、こういう要請も受けておるわけでございますが、文化庁としても検討されておるようにもお聞きするわけでございますけれども、この要請に対してどういう態度をとられるか、伺っておきたいのです。
-
○安嶋政府
委員 日光の杉並木街道につきまして御案内のような問題があるということは承知をいたしております。文化庁といたしましては、かねてこの問題に対しましていろいろな指導をいたしておるわけでございますが、本年の一月、日光杉並木街道保護対策連絡協議会というものを設けまして、地元の方を中心にいたしまして、ほかに文化庁の記念物課長も入りまして、この杉並木の保護についての施策の検討を始めておるわけでございます。
ただいま御質問の中で、杉並木の周辺二十メートル程度を買い上げてもらいたいという要請が出ておるやのお話がございましたけれども、まだ具体的にそこまではいっていないということを私、承知いたしております。
どういう保護の方法がよろしいか、あるいはその保護の方法につきまして地元あるいは国でどういう責任分担をするかということ等につきまして、ただいま申し上げました保護対策連絡協議会におきまして検討が進められておるということでございます。早急にその結論を得るように指導、助言もいたしたいというふうに考えております。
なお、文化庁といたしましては、五十年度、五十一年度、航空写真を撮りましたり、あるいはその保護の区域区分をいたしまして、それぞれの区域につきましてどういう保護対策をとるかということを調査させておるような状況でございます。
それからなお、宅地造成が杉の根方まで迫っておるというような部分もございまして、緊急を要する部分につきましては土地の買収費を、今年度約三千万円でございますが、県に補助するというような措置も講じておりまして、今後の施策といたしましては、さっき申し上げました対策協議会の具体的な結論を待ちまして、それを基本にいたしまして措置を講じてまいりたいというふうに考えております。
私自身は、適当な機会にぜひ現地を見せていただきたいというふうに考えておりまして、施策を立てる上の参考にさせていただきたいと考えております。
-
-
○久保田
委員長 午後三時に再開することとし、この際、休憩いたします。
午後一時二十三分休憩
————◇—————
午後三時一分
開議
-
○
三塚委員長代理 休憩前に引き続き会議を開きます。
委員長所用のため、その指名により、
委員長がお見えになるまで私が
委員長の職務を代行いたします。
文教行政の基本施策に関する件について質疑を続行いたします。
質疑の申し出がありますので、これを許します。有
島重武君。
-
○
有島委員 最初に、高校の増設の問題について承りたいと思います。
この前の国会でございましたか、やはり高校の問題でもっていろいろ御質問申し上げた。そうして、いま予算編成がもう近づいているわけでございますけれども、この高校増設につきましては、いまこの段階でもってどのように考えていらっしゃるか、その大筋を承っておきたいと思います。
-
○永井国務大臣 高等学校の問題、実は明年度からということだけではなく、ここのところずっと新増設問題が深刻な課題であったわけでございます。本年度は残念なことに起債措置という形でこれに対処しているということは、先生も御承知のとおりでございます。しかし、引き続き進学率の実情あるいは公私立高校の関係など、各都道府県で非常に重要な問題がございますから、文部省といたしましては概算要求の中に、百二億強でございますが、来年度は高等学校の新増設というものの国庫補助を計上いたしまして、そしてこの問題に対処してまいりたいというのが基本的な考えでございます。
なお、もう一つの計画といたしましては、各都道府県にあります私立と公立との相互の調整といいますか、話し合いの場というものをつくりまして、そして重複したり、あるいは地域によって私立に任せ得る、すでに私立ができているところではそういう進学人口を吸収していただくとか、いままでそうした連絡機構というものが十分に機能しておりませんでしたので、そうしたものもあわせて考えていくという立場で臨んでいる次等でございますが、なお詳細の点は管理局長から御説明いたします。
-
○
清水政府
委員 ただいまの大臣の御答弁に尽きるわけでございますが、補足をさしていただきたいと存じます。
ただいま大臣からお答えがございましたように、八月の時点におきまして、文部省の考え方に基づきまして御案内のとおり要求をいたしておるわけでございます。その際、いま大臣からお言葉がございましたが、公私立間の関係につきましていろいろのことがございますので、その間の調整を十分行って事を進めたい、こういうことで各県に連絡協議会をお願いいたしまして、すでに従来からできておるところもございますので、それはそれを活用し、ないところにつきましては新しくつくっていただきまして、十分話し合いの上、公私立間の円滑な連絡をとりつつ、県の責任のございます分につきましてはそれなりに進めていただく、こういうことを考えまして、現在その要求の方針に従って事を進めておる、こういう現時点でございます。
-
○
有島委員 先般、十二月九日でございましたか、報道によりますと、自民党の文教部会でもって、国庫補助は七十億円、ほかの新聞だと六十億円なんというのもございましたけれども、こうしたようなことが書いてあるので、大分いろいろと波紋を呼んで、心配している向きがあります。こうしたことについて永井文部大臣はどのようにお考えになるか。
-
○永井国務大臣 自民党の文教部会も、この高校新増設につきまして、いまのような公立私立の連絡協議会の問題ではなく、先生御指摘のように国庫補助の方法並びに金額というようなものも算定しておられるようであります。しかし私どもは、八月段階で概算要求の中に計上いたしましたものがもちろん文部省案で基本的なものでございますから、自民党の文教部会にそういう案があることは承知いたしておりますけれども、われわれとしては、八月の概算要求というものを、非常にむずかしい財政状況ですが、何としても実現したいという考えでいるわけでございます。
-
○
有島委員 大蔵省の主計局の方も来ていらっしゃるようでございますけれども、いまの意向は十分承知できますね。一言いただいておきましょうか。
-
○矢澤説明員 文部省からの概算要求は十分に承っております。ただいま鋭意検討を続けている段階でございます。
-
○
有島委員 この当初の百二億円ということが実現するとすると、どの程度よくなるのか。これは日を追って物価も上がっていくことですし、どの程度の効果を生むのであろうかということについて、どういうふうに考えていらっしゃいますか。
-
○
清水政府
委員 ただいま当初要求の考え方についてのお尋ねであったと思うわけでございます。私どもといたしましては、あの要求におきましては、校舎につきまして三分の一、それから寄宿舎につきまして二分の一補助、こういう考え方に立って要求をしておるわけでございます。
そこで、お尋ねの効果という意味が、ちょっと私つかみかねたのでございますが、もちろん大臣からも先ほどお話があったかと思いますが、全体の計画を実現します場合に、その裏打ちの起債をめんどうを見ていただくとか、あるいはまた自主財源でございます交付税上の
改善措置とか、そういうものも踏まえまして、その中で国庫補助がどういう割合を占め、どういう効果をもたらすか、こういうことに相なろうかと思うわけでございまして、そういう全体的な観点から見まして、三分の一の国庫補助、また寄宿舎につきましては二分の一の国庫補助、こういう考え方で要求をしておるわけでございます。
-
○
有島委員 これは、この前も議論いたしましたように、本年七月二十四日付の全国知事会の見積もり、見積もりと申しますか、予想であると、五十年から五十二年度の三年の間に必要とされる新増設校が四百四十一校で、その総事業費は五千億を超えるということになっておりますね。それからまた別の調査によりますと、これは特に東京、大阪、埼玉、千葉など九つの都道府県の高校不足数が六百五十八校、こうなるという調査もあるわけですね。これを積算してまいりますと、一兆を超えるようなことにもなる。これはまあいままでのような高校の行き方ということをそのまま頭に置いて、それも今度は人数で計算してというような単純な積算から出たことだと思うのですけれども、ここでもって、いま公立と私立との間の連携ということをお考えになり、調査を始めたということですけれども、高校のあり方そのものを少し大胆に考え直さなければならないのではないか。先日も、自民党の方からもいろいろな考えが出ているようですが、私たちも前から事あるごとに提唱しておりましたけれども、二部制にしてしまうとか、あるいは三部制にしてしまうというようなことも考えられるし、その間、もう少し高校をいろいろ整理しなければならないということもあるわけですけれども、何か高校のあり方そのものをもう少しこの際考えていくということ、これは時間を早めなければいけないのじゃないかと私は思うのですけれども、大臣どのようにお考えですか。
-
○永井国務大臣 高校は、本年度で進学者の率が九二%弱に達しました。したがいまして、まず建物の問題もございますが、非常に重要なことは、現在の教育課程で妥当であるかどうかということがやはり検討を要することであると思います。それで、これにつきましていま自民党の有田議員がまとめられておられるグループといいますか、チームといいますか、そこからも見解が出ておりますが、われわれは、これは先生御承知のように教育課程審議会からの中間まとめを中心に考えていくつもりでございます。中間まとめは、やはり九二%に到達いたしました段階で、基本的な考え方といたしましては、共通必修という線をまず下敷きに一年のところで置いていく。そうしてそれからは各教科の多様化というものを考えて、小、中の段階から必要ではありますが、高校においては一層適性、能力というものに応じた教科の展開を考える、そういうことでございます。現在まだ中間まとめの段階でございますが、この中間まとめに対していろいろな意見を聞いている。先ほどは自民党の案も挙げられましたし、あるいは先生方の党でもお考えになっている。しかし、また教育界からもいろいろな意見があるということで、まずこの教育課程というものを基本的に検討していくことが非常に大事だと思っております。ただ、この共通必修という考えが出てまいりましたために、結局それは六三に一を足して十・二制にするのではないかという解釈が一部に報道されましたけれども、私が理解するところでは、十・二制というのは、何か十年義務教育にとられて、そうして二というところが新しくできていくという誤解を招くと思いますが、現在中間まとめはそういう考えではない。そうではなくて、やはり六三というものは従来のように維持して、ただ高校について現段階においていままでと違う課程を組んでいく、そういう考え方であると理解しているわけであります。したがって、高校義務化という方向ではないと思います。できるだけ希望する人は多く入れて、そうしていわゆるついていけない生徒とか、そういう問題がありましたから、そういうものはやはり除去していく、他方、能力、適性を伸ばしていくという非常に複雑な、多様な要求というものがこれからの高校にある。それに対する対応の仕方といいますか、それが教育課程の中間まとめの根本的な考え方であると理解して、われわれはともかくそういう方法で、中間まとめの段階ではありますが、そういう発表がありましたので、それに対応しながら今後高校のあり方を考えていきたい、こう思っているわけでございます。
-
○
有島委員 そこで一言念を押しておきたいのは、いろいろこれから考えていかなければならないと思います、私たちも提案しなければならないことがたくさんあると思っておりますけれども、そういう問題と、もう一つ、当面この一、二年の間に増設すべきもの、新設すべきもの、このことでもって国庫から負担をしていくということが、これは別な問題といいますか、これこれ考えているんだからまあいいじゃないかというようなことにならぬようにぜひしてもらいたい。そのためにまた私たちは公立高等学校の建設を促進するための臨時措置法をつくってもいいのではないかとぐらいまで思い詰めて、これを御提案したわけですけれども、大臣と、ここに大蔵省来ていらっしゃるけれども、そのことを特に念を押しておきたいと思います。
それから、いまお話が出ました教育課程審議会の問題でございますけれども、五十一年の十月ごろに本答申を出されるというふうに承っているわけですけれども、これについて、ではこの実施に入るのがまたずっとおくれて五十五年ぐらいになるのではなかろうかというお話でございますね。その閥五十三年度ぐらいからは移行措置をしなければならぬのではないかというような話が出ておった。これはどんな工夫をなさろうとしておるのか、それを承っておきたいと思います。
-
○諸沢政府
委員 教育課程の改定につきましては、ただいま御指摘のように、明年秋に大体答申をいただく予定で目下御審議を願っておるわけでございますが、答申をいただきますと、それに基づきまして学習指導要領をつくります。そしてこの学習指導要領が告示されますのが大体
昭和五十一年度の末ということになろうかと思います。そうしまして、それに基づいて新しい教科書が現実に子供の手元に届くには、従来のやり方でやりまして三年かかるわけでございます。つまり最初の一年は教科書の編集、著作をいたします。そしてその検定申請のための著作本ができました次の二年度に検定を出願し、検定を実施するわけでございます。これが大体一年かかりまして、三年目にその検定に合格した本について、これを見本本として、具体的には三年目の夏、教科書展示会をいたします。そこでどれだけの採択部数があるかということがはっきりしたところで、その三年目の後半から製造にかかって、四年目の年度当初にこの新しい教科書が使われるということになりますから、いまの例で申しますと五十二年、三年、四年と三カ年を要しまして、五十五年度から新しい指導要領に移るということでございますが、それまで全然新しい指導要領に移行しないかといえば、ただいま御指摘のように、五十二年度におきまして、その内容について関係の先生方に趣旨徹底をいたしまして、五十三年、五十四年度は教科書は新しくなりませんけれども、内容的には新しい指導要領に即して移行的にこれを教えていく、こういう考え方になっております。
-
○
有島委員 これも余り時間がありませんから結論だけ言いますが、移行措置というもの、これも一つのことを変えようとすると、またいろいろ考えなければならないというようなことが次から次へと出てくるわけです。だけれども、これ根本に戻ってみますと、いまの指導要領が法的な拘束力を持つというふうに受け取られている。そういうことはないのだということを明らかにするということだけでもってずいぶんこれは話が一拳に違ってくるのではないかと私は思うのです。それは、これも厳密に従わなければならないというようなことの中において時間がかかる。時間がかかって、結論が出るまで大変だから、またそこに移行措置をつくる。何か仕事をたくさんつくるということも結構でしょうけれども、大臣として、この際、このいまの学習指導要領というものがそんな法的拘束力を持っているものではないということをもっとそれこそ指導、助言なさるということが、その移行措置の中でも一番根本的なことになるのではないかと私は考えますけれども、いかがでございますか。
-
○永井国務大臣 指導要領は非常に大事なものでありますが、これは先生もその中をごらんになればわかりますように、基準的なものであります。この基準的なものは、私は守っていくべきであると考えてますが、具体的にそうした基準というものをどうやって生かしていくかということについては、これは地域の特性というふうなこともありますし、そうしたことでそもそも各都道府県において相当弾力的にこれは扱っていかなければいけない。また、さらに各学校と、先ほど所信に関連をいたしましてそういうことを申しましたけれども、たとえば学校でも公害の問題もあればあるいは都市人口の過密化というような問題もあったり、あるいは学校によってついていけない子供というものの数が多かったり、あるいはその比率が少ない学校もございますから、そうした意味で指導要領を活用するという角度、これは私は実は就任以来教育長、教育
委員長あるいは校長先生方の会議などで繰り返し申し述べている点でありますが、そういう方向でやはり対処していくことは妥当であると考えております。ただ、高校九二%という問題との関連で申しますと、いま指導要領というものを考えないで全く勝手にやったら、これはやはり相当混乱を生じるのではないか。でありますから、少し長期的な計画で、先ほど申し上げたような線が教育課程審議会でも出ているわけですが、そういう意味で基準の再検討ということも起こってまいります。つまり指導要領の再検討。ただ、繰り返して申しますが、それの弾力的な活用という方向のために、ただ話しているだけではなく、実は視学
委員というもの、これはずっとしばらく置かれてなかったようなんです。私になりましてから復活いたしまして、中央だけに置くのはまずいというふうに思いましたから、ブロック別に分けまして、そしてそれぞれのブロックの問題というふうなことについて考えていただく。また逆にそれを文部省の方に教えていただく。明日もその会議がございますが、そういう形で生かしていかなければならないというふうに思っているわけでございます。
-
○
有島委員 その次に、「調和のとれた学校運営について」というのをお出しになった。これは、せっかくお出しになったわけでありますので、私も少し質問をさせていただきたいと思います。これは、ここでもってこれが終わるかどうか、多分終わらないと思うのですけれども、同僚の
高橋委員もぜひともその質問をしたい、質問したいというか、学校の現場の状態なんかでもっていろいろ意見を交換したいというわけです。ほかの
委員の方々も恐らくいろんな御意見を持っていらっしゃると思いますので、最初に私は、先ほど社会党の木島
委員それから共産党の山原
委員から御提言のありましたように、これは、
委員長がいま御不在ですけれども、ひとつ私からも、これは小
委員会のようなものをぜひともつくってもらいたいということをここでもって表明させていただきます。
最初、大臣に承っておきたいのだけれども、この文書は決定稿ではないのだというのだろうと思うのです。さっきからたたき台であるとおっしゃっております。けれども、修正される御用意がおありになるのか、それともこれが後代、十年、二十年たってから、あの
昭和五十年十二月の永井文部大臣の文書によればというように、これは何か残っていくことになるんじゃないかと思うのですけれども、これは修正して決定版をおつくりになるという御用意があるのですか。それとも、これはただたたき台である、みんなの議論がなければ、もうこんなものは非公式なものとしてしまうか、そういったようなことについて、その扱いについてどんなふうにお考えになっていらっしゃるか承っておきます。
-
○永井国務大臣 先ほども木島先生、山原先生に申し上げましたように、私はそれを準備してつくりましたから、一つの基点、基となる点と考えておりますが、たとえば、先ほど山原先生の御指摘の中に、校内規律を重んじるということが実は教頭のところに書かれておりますが、それについて山原先生が、これは新しく加わるのではないか。で、私は答弁して、これはすべての先生に当てはまることでありますから、もしもそういう誤解を招くようでありましたら、そういう点やはり十分考えなければいけない。一例でございます。そのほか、その考え方を仮に次第に具体化していくという場合に、いろいろほかの方法を加味しないと、そこに一つの意図がございましても、事志に反するような結果を招くのではないか、そういう御注意もいろいろいただきましたから、そういう点でもその文章を検討することは多々あると思います。さらに、それを中心に制度化していく上で、ずいぶんいろいろ御意見をいただきましたから、そういうものは参考にいたします。そういう意味でたたき台であるという性格を持っている。
特にそこの中には余り書いてないのですが、ただ初めのところにちょっと触れております。現在の小学校、中学校の主任の種類ですけれども、小学校では二つ、中学校では三つ、高校で四つ、大体重点的なものを挙げておりますが、そうしたものは現在固定したものと考えておりません。そこで、それについていろいろ御意見を承るというようなことも、たたき台と申していることの具体的な意味でございます。
-
○
有島委員 これは十分修正していく用意があるということと、それからもう一つは、やはりこれを基点としていきたい、かなり永続性のあるものとしていきたい、そういうふうに受け取ってよろしゅうございますね。
それで、ぼくわからないことが少しあるものですから伺います。言葉の上で「従来、いわゆる管理面できしむことが多く、」と書いてあるわけでありますが、「管理面できしむ」というのは、具体的にどういうことなんですか。
-
○永井国務大臣 それは、その後で述べている管理強化と管理反対ないし管理阻止ということと関連があるのですが、私も学校の先生方とかなりおつき合いがあるわけです。それで、その中には校長、教頭先生もあればそうでない先生もあります。そういう方たちの意見もいろいろ伺ったわけです。そうすると、事実、校長、教頭先生の中に、どうも学校というものを十分に引き締めていくことができないから、もう少しがっちり運営をやっていきたいというようなことを言われる方もあります。そうでない方もありますが、そういう声も聞きました。他方において、私がおつき合いをしております先生の中で、校長、教頭でない方々に、どうも学校では上から管理というふうなものが強くなってきている傾向があっておもしろくない、そういう御意見がある、そういうこと。これは私の見聞でございますが、しかしほかに文書を読みましても、非常にそういうことが両方から問題が出ている。それが、きしむ面が多い。先ほど、過去にさかのぼってどういう実例があるかということを山原先生お聞きになりまして、それに対して御答弁をいたしましたが、現時点でよく聞きますこと、また読みますことはそういう意味合いでございます。
-
○
有島委員 ここでもって一貫しておりますのは、管理の問題と教育の問題、これが二面であるとか二つの柱であるというふうに言っておられる。それがずっと一貫しているように思うのですけれども、それを調和させたいとおっしゃっている。
そこで、申すまでもなく、教育というのはおそらく目的である、管理というのはおそらく手段である、そのように考えてもよろしいでしょうか。
-
○永井国務大臣 もう学校が教育を最も重要な目的、あるいは唯一の目的と言ってよろしいですが、としている場であることは申し上げるまでもございません。
-
○
有島委員 そういたしますと、二つと言うけれども、そこには目的と手段というちょっとした次元の違いがある。並列な問題ではない。言葉の上では二本の柱あるいは二つの面とおっしゃるかもしれないけれども、次元がちょっと違うというふうに、目的と手段ということになりますと、そういうふうに思われる。よろしゅうございますね、それは。そして今度は、教育なら教育の中にも一つの目標と、教育していく上の手段あるいは技術ということがございますね、教育だけとっても。そこに教育の中における技術、また管理するとか教材を何とかするとかいうような問題、教育に役をしていっている問題、とにかく教育目標というようなところにある問題と、教育全体を大きく分けて言っている場合の管理とかいうものと、ちょっとここに混乱があるんじゃないかというように思うのですよ。そういうようなことがもしあれば、これはちょっと整理して書き直していただかないとまずいんじゃなかろうかというふうに思うのです。
大体いま、教育そのものがテストあって教育なしなんていうことを言う人もいますね。それからいろいろな採点をする、それから事務をやる。いろいろ一個の先生にとっても、自分が本当に教育だと思っていることに時間を注げないで、わりあいと事務的な面に忙殺される。それから人を採点する。これも一つの仕事でしょうけれども、こういったことに本当に教育的な意味があるのだろうかないのだろうかというようなことを悩まなければならないことにまた相当時間を使うというようなことが、すでにいまの学校教育内に相当根深く起こっているのではないかと思うわけですね。
そういたしますと、そこには目的よりも手段が優先しているという土壌が、大体教育の中にいまかなり根深く浸潤しているのではないか。これは別に学校教育に限らず、大きく言いますと、現代文明そのものがそういうような傾向を示しているというようなことも言えるかもしれませんけれども、大体そういった基本的な認識を私は持っているわけなんだけれども、大臣いかがでございますか。どんなふうに感じていらっしゃるか……。
-
○永井国務大臣 先ほど午前中に山原先生の御質疑があり、なお
有島先生の御質疑があって、私も、この文章の中の問題点として、もう少しはっきりさせた方がいい点があるということを感じております。私はそういうふうに考えていたんですが、なるほどと思いますのは、学校の目的は教育で、これは間違いない。そして教育の一番大事なところは、それぞれの教室における先生方の教育活動である。これは間違いがないところだと思うのです。
私は二本の柱と言いましたのは、項目の四から六のあたりで述べておりますことなんですが、管理ということが一方である、他方、教育指導ということがあるということなんでございます。教育指導というのも、私は最終的には目的を教育に置いているのだと思います。それから管理というのも、最終の目的を教育に置いている。
ただ、ここで述べましたのは、調和のとれた学校運営ということでありますから、そこでそういう学校の運営に当たって二つの面を申したのですが、誤解を生じやすいところは、実は二番目のパラグラフではなかろうかと、先ほど山原先生の御質疑があった後で自分で考えていたのです。こういう点、誤解を招かないように整理しなければいけないところがあるというふうに感じております。どうも
有島先生にお答えしているときに山原先生からの質問との関連を申して恐縮ですが、非常に類似の点がありますから申しますが、何といっても一番大事なのは教育であるということは否定できない。ところが教育をやっていく上で、先生おっしゃるように受験地獄のこととかあるいは現在の社会でのいろいろな子供の気持ちの問題とかあります。それをちゃんと教育していくのが一番の目的なのですが、さてそういう場合に老練の先生がいらっしゃったり経験を積んでいて、自分も教育しているのですが同僚の先生というものに指導をする。この指導という場合には、また押しつけて指導するという式のものではなくて、十分助言をしたりするわけでありますが、その助言をする相手方の先生というものが本当に自発的によい教育がしていけるようにする、そういうものと私は考えているわけでございます。
-
○
有島委員 私が伺ったのは、大体、目的と手段とを混同するというようなこと、あるいは手段の方が目的に優先するというような傾向が一般的にあるのではないかというふうに私は感じているのだけれども、これとは離れてこれは一般論です。そのことを言ったんです。
-
○永井国務大臣 まさにそうだと思います。そういう傾向は非常に強いと思います。
-
○
有島委員 そういったような土壌の中で管理面のことを言われると、またこれを非常にシャープに感じる。普通、そうでないような土壌の中で言われているのはいいのだけれども、そこに混乱があるところにもってきて言われるものですから、これは相当注意をなさらないとかえって誤解を大きくしている、みぞを深くしてしまうというおそれがあるのじゃないか、それを私は心配するわけです。
それで、第二番目のパラグラフのことでちょっとおっしゃいましたけれども、ここにあるように、学校と行政と企業体ということが三つ並べられているわけなんですね。それで行政官庁の目的というのは、一般的にこれはまさに管理統制が目的ではないかと思うのですね。企業体というのは管理の側面からだけでとらえられるというふうに考えていらっしゃるのか。「学校の運営を行政官庁や企業体のように管理の側面からだけで」とらえられないと言うんですから、今度は、行政官庁や企業体は管理の面だけでとらえられるというようなことになろうかと思いますけれども、企業体の方は目的が明らかなのじゃないでしょうか。これでよろしいかどうか、ちょっとおかしいと思うのですけれども。
-
○永井国務大臣 企業体の場合にも最近よくラインとスタッフというようなことを言いまして、いわゆるラインというのが管理の縦の系列だと思いますが、それに対して一種のブレーン的な活動をするということがあると思います。しかし企業体の場合に、やはり主要な目的というのは、これは会社としての営業を行っていくということであると思いますから、その限りにおいてはスタッフ的な活動というのがありましょうけれども、たとえば学校のようにそれぞれの教室、その教室というところが一番仕事の中心になっていくという種類のものでないように思います。いささか違うのではないだろうか。行政官庁の場合も、これは各行政官庁で違うと思います。文部省のようなところはもちろん管理の仕事が重要でございますけれども、最終的にはその目的は日本の教育活動をよく生かしていくということにあると思いますが、しかしながら文部省自身が教育をするわけではございませんから、そこがやはり学校と違う、そういうふうに思っております。
-
○
有島委員 それに違いないのですけれども、企業体というのは管理の側面からだけ、さっきのような言い方をいたしますと、手段面だけを特に取り出していっていけばかなりぴっちりと規定ができる。目的面をそんなに問わなくてもいいというようなふうに聞こえるわけなんです。官庁なんかは目的というのは明らかに決まっておるといえば決まっているというか、それこそ管理していくことそのものが目的であるように私は思いますからいいのだけれども、企業というと、これは明らかにお金もうけのためなので、そのお金もうけのためにどんな管理形態をとろうともそれは御勝手だということになるわけですね。ややちょっと次元からはずれるみたいだけれども。
それから、学校とは何かという問題は、非常に簡単におっしゃっているんだろうけれども、ここは何かわかったようで非常にわかりにくいのじゃないかと思うのです。学校の運営は管理の側面からだけではとらえられることはできない。これはあたりまえなのですけれども、企業体だって管理の側面からだけでとらえることはできないわけですね。これも非常に何か不適当な感じを受けるわけです。お考えいただきたい。こんなことでもって時間を費すのはもったいないみたいですけれども、それでも大切だと思うわけです。
それから調和させることということがありますけれども、この給与
改善について最後に一枚別の紙がございまして、給与
改善というが「調和のとれた学校運営」を目的としているんだということになっております。初めは「目標」と書いてありますけれども、ここは「目的」とはっきりしているんです。
そこで結論的に申しますと、われわれが一番心配しておりますのは、今度の主任制度によっていままであった学校の調和がかえって破られるのではないか、そのおそれが十分あり、こういうことが結論なんですね。これはそれこそ小
委員会等を開いて、そのおそれが全くないというならばそれでいいわけなのですけれども、そのおそれがあるならば、これは給与
改善はすべきでない、そういうことになりますね。ここにやはりどうしても無理があるように私も思うのです。
それで、人材
確保法の精神にのっとってってということを先ほども言われておりました。人材
確保法のときに私たちが反対の理由としておりましたところは、人材
確保法というのは、給料さえ上げれば人材が集まってくるであろうというような発想はおかしいということがあったわけです。この議論はずいぶんしましたけれども。そのことがかえって今度はお金の問題とそれから人材を集めていく問題というのが一応本当は分離しなければいけない問題なのだけれども、あの人確法については、給与の面だけで人材というものを押さえざるを得ないから押さえているだけです。そういった面をまた踏襲して、その延長線上に今度この給与
改善というのを持ってこられる。これはこれで給与問題として、給与をふやすということについては私は異論ないわけですけれども、そのことによってまた無用な波紋を起こし、かえってそれが人材
確保ないしはその運営の反作用的なといいますか、かえって乱すような状態が具体的に起こるということを——これはどうしてももう少し具体的に論議しなければいけないと思うわけです。それで結論的にはこれは波乱を呼ぶもとになりつつあるから、これは見合わせなければいけないということが私の結論なのですけれども、ちょっと時間がもうあと十分くらいでとても詰められませんので、そういった議論もこの次のチャンスをまたいただくように留保して、それで
高橋委員からちょっとだけ関連の質問をさせていただきたいと思うわけです。それではお願いします。
-
-
○
高橋(繁)
委員 あさからこの主任の問題で論議が交わされておりますが、これは今後具体的にはなお細部にわたって質問しなければなりませんが、本日「調和のとれた学校運営について」ということで出されましたので、質問に入る前に二、三点お聞きをしたいと思います。
大臣は、この主任というものが小中学校あるいは高等学校で非常に多様な主任があるということについては認めておりますし、その多様な主任があることについては異存はないわけでありますね。
-
○永井国務大臣 異論ございません。
-
○
高橋(繁)
委員 そういう多様の制度がしかれておって、この多様な主任は学校長の経営方針あるいは職員の民主的な手続のもとに決められた制度であると思うのです。その学校長の経営方針並びに職員の民主的な手続によって定められた先生方の主任、小学校においては校長、教頭を除いて九五%以上が学級担任である。そういう者に手当を支給するということについては、校内にきわめて混乱を起こすと私は思いますが、そういう御判断はしておりませんか。
-
○永井国務大臣 非常に多様な主任がございまして、学校によっては、たとえば四十人先生がいらっしゃると四十主任があるところもあります。それは学校から組織のチャートを集めますとそういうふうになっているところがあるということもわかりました。そこで給与の問題なんですが、ではどうして給与かということになりますが、そういう主任の中で責任とかあるいは時間的なロード、これがやはり重いものがあるということもわかったわけでございます。そしてしかもこれは一学校における学級数との関連によってパーセンテージも違いますが、必要でございましたらその表というようなものも資料を提出いたしたいと思いますが、調べますというと、先ほどから申し上げている、またこの文書の中に書いてある種類のものは実際に忙しいし、そして相当責任を伴っている。そしてそれは全国的に普及度というと変でございますが率が高い。そういうものを取り上げまして、やはり忙しいお仕事をしていらっしゃる方に、労働対価というと変ですけれども、それだけの手当を差し上げるということは妥当ではなかろうかというふうに私は考えたわけです。
-
○
高橋(繁)
委員 確かに忙しい係の仕事もあります。たとえば体育主任なんというのは、皆さんほかの職員が帰った後、校外試合等があれば夜遅くまで、夕方日が去るまでやっている先生方もあります。ところが、そういういろいろな職員に差はありますが、これはすべて職員の民主的な手続をとって、では本年は私がやります、このようにして出された組織なんです。主任、係なんです。
たとえば研究指定校になった。研究指定校に指定されたその学校の校長さんは、この先生は本当は学年主任の方がよかったかもしれない、だけれども、国語の指定校にされたので、あなたはことしは主任をはずして国語の研究主任になってもらって研究を一生懸命やってもらいたいという場合もありますし、あるいは高学年の音楽の担当の場合には、この先生は当然主任になる資格もありますし、なってもらわなければならないけれども、学級担任外として音楽を担当してもらおう、これは校長の経営方針です。あるいは職員の民主的な手続です。だから、学校によって千差万別なんです。
そういうものにこうした主任手当というものを出しますと、校長の経営方針というものが狂ってくる。これを早急にやるということについては非常に混乱を来す。これは現場を見てごらんなさい。ですから、そういうものを正しく認識する必要があると大臣は言っておられますが、本当に正しく認識するにはかなりの時間を要する、あるいは話し合い、討議の必要もあるということを私は痛感するのです。いまそういう職員のきわめて民主的な手続をとられた学校運営というものはまことに多様である。しかも規模数は全部一校一校みんな違う。三十学級の学校もあれば二十学級の学校もある。六学級の学校もある。生徒数も全部違う。教員数も全部違う。そういう百年来の歴史を持つ学校運営については、これはかなりの慎重さをもっていかなければかえって現場の教育に支障を期すということを私は痛感するわけでありますが、あなたのおっしゃっておる「正しく認識することが必要である。」ということは、認識をされたのか、あるいは、これからいろいろな現場の学校長にも会ってごらんなさい。今度の問題だけは私は非常に悩んでいます、現場の校長そう言いますよ、良識的な校長さんは。きわめてむずかしい。だから教職員はもちろんのこと、校長さんも、ぜひともわれわれの意見も聞いてほしい、そうしてしかる後に本当に合意の上に立ったものが実現されてほしいということを要望されています。
そういうことで、今後「正しく認識することが必要である。」ということをここにお書きになっておりますが、これから時間をかけて正しく認識をする必要があると思いますが、大臣のお考えどうですか。
-
○永井国務大臣 実はいま先生がおっしゃったことも、私が正しく認識していく上で非常に大事なことだと思うのです。文部省といたしましては五月から調査もやっております。
〔
三塚委員長代理退席、
委員長着席〕
そこでその調査資料というものもございますが、その間において校長先生方の御意見というものも承りました。ですから、もちろん私は、もうこれで万全であるということであれば、実は御討議も願わないわけでありますが、そうでないと思いますから御討議を願っておるわけでございます。
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○
高橋(繁)
委員 時間がありませんので、ぜひとも、問題を非常に山積をいたしておりますので、
委員長においても今後時間をかけて討議していただきたいことを要求して終わります。
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○
受田委員 文部大臣永井道雄先生にひとつ。永井文部大臣は議員に対して終始先生という言葉を用いられます。私もその意味では先生と言われる危険がありますので、永井先生として対等のごあいさつをさしていただきます。
永井先生、文部大臣御就任一年をけみせられたのでございまして、この一年間を顧みるとき、お仕事をなさる上で大変御苦労をされた思い出が残っておられると思います。ただ、先般の争議行為が起こったことに対しては、永井先生の心にないことであったと思うか、予期していたことであるか、お答えを願います。
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○永井国務大臣 ストのことは日教組で十月決行という決定がございましたから、私は危惧は持っておりました。しかしそれ以前に、文部大臣になりましてから実は二度ストの計画もございました。幸いにそれはストに突入ということでございませんでした。したがいまして、危惧は持っておりましたが、仮にお話し合いが十分にできるならば避けることができるはずである、そういういわば二面の考えを持っておりましたから、最後の日まで何とか回避ができないかというふうに努力をしたわけでございます。
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○
受田委員 文部大臣として、国民待望のもとに出現をした議員にあらざる大臣として、対話と協調の中で教育問題を進めていきたいという御熱意は私十分承知しております。ところが、それにとらわれ過ぎて、大事な問題である御自身の信念、文部大臣としての職務の遂行に当たる所信断行という点に多少でも揺るぎがあって、日教組の皆さんに対するお気がねというようなものがあって文部大臣の職務を遂行されるということであってはならない。そこは毅然たる態度が必要である、こう思っております。また日教組の先生方にいたしましても、教育を愛し、教育職員の組織を愛するという立場、教師たる立場も尊重してもらいたいという気持ち、これもわかります。わかるけれども、結果が事実出ました。この出たことは非常に残念ですが、教員組織がストをやらなければ要求が貫徹しないというような形のものでなくして、スト以外に選ぶ道があるのではないか。ストは結局対象としての子供を犠牲にするのです。スト以外を選択するという道を大臣としてお考えになられたことがございますか。
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○永井国務大臣 私はスト以外の方法として一番大事な場がほかならぬこの国会であると考えております。とりわけ国会におきましては、旧来日教組とも御関係の深い御経歴をお持ちの先生方もおいでになるわけでございますから、そういう先生方との討議という場が開かれる。しかしまた、国会以外にもわが国には非常に発達したマスコミというものもあり、そのほか直接的な話し合いもございます。そういうものを活用することによりまして私はストは避け得るという考えを持っているわけでございます。
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○
受田委員 地方公務員法の三十七条に、争議行為等の禁止規定があるわけでございますが、大体、先生たちは公務員です。公務員であるがゆえに、憲法の規定によって、まず憲法第十五条による「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。」と明確にうたってあるのです。また地方公務員法の三十条にも「すべて職員は、全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し、且つ、職務の遂行に当っては、全力を挙げてこれに専念しなければならない。」とあるわけです。だから教職員の皆さんは、この憲法の規定による全体の奉仕者であって、一部の奉仕者じゃないという使命感を持っていただくために、文部大臣として、部下を督励して、教職員の皆さんにこの点を、憲法を尊重するということを訴えたかどうかです。いかがでしょう。
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○永井国務大臣 それはいまの
受田先生のおっしゃいますこと、教員は一面において勤労者であるということはあると思います。他方におきまして、全体に対する、公務員、特に教育公務員としての奉仕者でございますから、このことは言うまでもなく繰り返し私も申しております。公式の場といたしましては、教育長の全国会議であるとかあるいは教育
委員会の関係の方の会議、そうしたものは非常に公式的なものでございますが、そういう場だけではなく、その他の会合などでも繰り返し申していることでございます。
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○
受田委員 この基本的な考え方の上に立っていくならば、学校の先生たちは、少なくとも争議行為というものの手段によらざる要求貫徹の道を選んでもらうべきだと思うのです。気に入らなければストをやる。地方公務員法の第三十七条、先生方の場合はこの争議行為禁止規定、法律を犯してストをおやりになる。子供に法律を守れ、立法国家である、立法国家の教職員として、子供にお国の規則を守ることを教える先生みずからが、私は諸君には法律を守ることを教えるが、私たちはまた法律を破る先頭にも立つよということでは非常に残念なんです。同感でございましょうか。
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○永井国務大臣 いまの先生の御指摘のこと以外に、わが国の教育について基本的な問題を決する場はこのほかならぬ国会でございます。したがいまして、この国会の場というものを十分に活用するということも含めまして、さらに先生が言われたこともあわせて、私はそれでないと子供の教育というものは十分に達成し得ないものと考えております。
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○
受田委員 私たちは法治国家の国民でありまして、規律ある国民生活の中に安定した生活を保障してもらえる政治の中におるわけです。その中に、不幸にして公務員の教職員の方々が争議行為をおやりになる。ストは自分たちの目指す待遇問題その他身分的な問題等に不満があるから子供を犠牲にする、子供は事実犠牲になっておるのです。教職から離れた先生方によって自習をさせられておる。そして先生たちが集会を持つ。その集会を持つ間は教室に先生がいない。がやがや自習、先生たちがスト会議でそこにいない間に、もし大地震でも起こったら一体どうなるのでしょう。目標になる教師がスト会議を下でやっておる。そして先生たちのいない部屋では子供は右往左往、うろつく。ちょっと先生は留守だが、もし何かあったら、そこでりっぱな対策が立てられておればいいですけれども、それを放置したままで教員の集会をなさるということになるならば、大変な事態が起こったとき、それはいついかなる事態が起こるかもわからないのでございまするから、子供は非常な危険の中に放置されるわけです。これは非常に重大な問題であって、教職員の皆さんは大事な人間を抱えておる、物を抱えておるのではないという認識に立っていただくならば、ストという手段で子供を犠牲にしない道がある。それを選ぶべきであることを文部省も、またわれわれも訴え続けなければならぬし、国民もまたそれを期待している。日教組から御推挙を受けた先生、代議士さんにしても、そこを念頭に置き、常に大所高所から判断をしてもらうことによって、国会の場でこれがより高度の判断で処理できるということにもなるわけです。そういう意味で、本当に祖国日本の教育を憂えるとき、せめて先生たちは、気に入らぬ問題があれば、子供を犠牲にしてストをおやりになることをやめて、別の手段によってより大きな効果を上げる道を選ぶべきであると思うのです。それに対して文部省は良心的に先生方にお訴えをする以外に、別に力で対決する道はないからというので、さじを投げておられるのかどうかです。
-
○永井国務大臣 私の考えでは、決してそういう問題にさじを投げているわけではございません。昨日のストは起こりました。そしてそうしたことが起こらないように努力すべき人間はほかならぬ私であったのでありますから、私はこの問題に一番重要な責任がある者はだれかと言えば私だと考えております。しかし、そうであるだけに対話というものが必要であるという考えでありますから、実は昨日もある会合におきまして、
西岡議員も参加されましたが、再び槇枝
委員長とも対話をいたしました。そういう直接的な対話も一つの方法であろうかと思います。各地におきましても、直接の任命権者は教育
委員会、そして教育長がおられます。また、校長先生等もおられますから、いろいろな形で対話をしていく。そして、もちろん待遇その他について要求もございましょうから、そういう問題というものは話し合うことが妥当であると考えております。私がストが望ましくないと考えます重要な理由を申しますと、先生がおっしゃいましたように、地震が起こったらどうするか、こういうことも非常に大事だと思いますが、一番教育上与える影響としましては、ストというのは、一つの事柄が起こったときに、問答無用で事を決しようという方法だと思うのです。学校教育でやっぱり問答無用で事を決しようという方法は教育上妥当でない。学校というのは、相当むずかしいことでも、よくお互いに考えて対話をしようというのを教える場所でございますから、そういう意味においてもストは妥当でない。それだけに、われわれ大人の間で、どんなむずかしいことが起こっても、とりわけ教育に関連するときには、教育関係者の中でいろいろな話し合いをする、私はそういう考えで、別に日教組だけではなく、文部大臣になりましてから、従来比較的文部省といわば緊張関係にありました大学などに行って講演をしたり、あるいは教育学会などでも講演をしたり、あるいはまた文部省の
委員会に日教組関係の先生の御意見も聞くというような道を少しずつは開きかけてきたのでございます。今後もそういう努力をどうしてもいたしたいと考ええております。そうすれば、どんなにむずかしいことがあろうとも、問題は解けるはずでありますが、いまのところそれが十分にはできなかったことの結果が最近のストということになったのだと思いますから、今後一層私も緊張してこの仕事に当たらなければいけない、かように考えている次第でございます。
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○
受田委員 地方公務員法に争議行為禁止規定があり、これに伴う罰則がある。この公務員が争議をしてはならぬという、教職員もそうですけれども、それを決めた
昭和二十五年、当時私も議員の一人でございます。社会党、自由党、改進党各党が賛成し、共産党だけが反対であった。したがって、当時公明党はなかったのでございますから
高橋先生のお立場はデリケートでございますが、社会党の先生も自由党の先生たちも、当時一緒にこの法律をよきものとして賛成したわけでございますから、この法律に反することがあるならば、それを説得してこれを正常な形で対話と協調へ持ってくるというところに意味があると思うのです。そういうことからいけば、もっとお互いの力でこの問題を避けるための努力が要る。文部宿がそれをけしかけないように。争議行為をけしかけて扇動しては、逆にこれは法律違反になるわけですからね。したがって、みんなでこの教育という大事な問題を、日本の政治の中で一番崇高で、一番高い使命をもって、しかも長期展望に立つ、日本の運命を決する希望の星が教育ですよ。この一番大事な教育事業に闘いをもって、捨てばちの問答無用という現象が起こることは残念です。永井先生はそれを避けたいと思って御就任以来一年有余御健闘に相なった。恐らくあなたの脳裏には、おれが文部大臣をやっている間は、日教組の諸君も十分説得して、対話と協調の中で、おれはストのない文部行政をやろうというお気持ちがきっとあったと私は思うのでございますが、どうでございましたか。
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○永井国務大臣 まさにそういう気持ちがございました。ですから、ストになったときには万感こもごもという気持ちでございました。
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○
受田委員 私は永井先生のお気持ちがよくわかる一人です。したがって、永井先生が願った文部行政の岡に間違いがないようにしたいという願いが崩れたことに対して、私も実はこれは結果的に見て残念なことが起こった、永井文政の中で私もそういう事態を起こしてはならぬという願いを持っておった事態が起こったわけです。
それで、これを今後どうして救っていくかという問題に触れるわけでございますが、これはいま文部省が提案されようとしている主任制度の問題、それを日教組の皆さんは非常に神経過敏に考えておられる。それから文部省はいとも簡単に考えておられる。そこに問題があるわけで、この問題は現場の先生たち、一般父兄その他から見て、早くこれを実行してくれなければ困るというような雰囲気でふないと私は思うのです。しかしながら、また一方では、ストをやっている最中に大地震が起こって子供たちが路頭に迷うて大変悲惨な事件が起こるというような、先生たちが子供を捨てて無責任なスト会議をやるというようなことをそのままにしておくわけにもいかぬ。そんなときにはだれかが子供のめんどうを見る、つまり先生方の中のお世話係というのも要るじゃないかというような問題も考えられる。そうすると、どっちの立場から見ても、突如として文部省が御提案に相なり、われわれも御相談を受けたのはごく最近である。こういうような問題については、せめてある期間現場の先生の声、国民の声、各界各層の声をひとつ確かめて、いい答えを出すのにはどうしたらいいかという、ある猶予期間が要ったと私は思うのです。そうすることによって、私たちの党の立場からも、対話と協調を目指す党として、広く皆さんの声を聞いて、是とする面についてはよろしく協力しよう、否とする面についてはお断りしようという答えが出せる。その余裕がなかったのです。余りにも急いでこれをお出しになろうとしたという点にいささか無理がある。できればひとつ各党の間で話し合いをして、そして現場の先生の声も聞き、国民各界各層の声も聞いて、そして総意をまとめて答えを出すような御努力の期間が要るのじゃなかったのでしょうかね。いかがでしょうか。永井先生としては、対話と協調を目指す意味からはある期間を、私がいま願っている、私の党でも、私でもそういう期間がほしいのですから、この良識を持った私が思うぐらいですから、大臣もきっと思っておられると思うのです。
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○永井国務大臣 私は、先生のお気持ちはよくわかるのでございます。決して弁解を申し上げるわけではないのでありますが、事の経緯をひとつ申し上げます。
一つは、実はこの主任に関する案というものを文部省が提示をいたしまして、日教組の意見を求めましたのは十月の中ごろでございます。したがいまして、それから年末ぐらいまでかければ、非常にうまくいくと思っていたのでございます。それからの経過というものをくだくだしく申し上げることはいたしません。しかし、実はうまく話し合いができませんでした。その運びについては私は確かに遺憾な魚があったと思っております。期間としては適当なときから始めた考えでおりますが、その後の運びにおいて足りなかった。でございますから、私は先般来、期限より手続ということを申し上げているわけでございまして、この国会の手続の問題については私自身がとやかく申すべきことではなく、諸先生方の御決定が重要でありますから、そうした形で手続というものを決めて進めていく。そしてまた、国会以外についても私は手続を重んじたいという考えでいるわけでございます。
-
○
受田委員 この主任制度、私自身も体験のある学校教育でございますので、いまのように複雑多岐にわたるお仕事も抱える教育の場でありながら、社会的ないろいろな問題も抱えておる学校として、また経済社会に乗り出すための進路指導なども入ってくることになると、そこにいずれの点かに、ポイントに立つ人が必要であるなという感じが、個人の情では起こります。ところが、それをことさらに指摘して、たとえ名目は管理職ではないとおっしゃっても、中間管理職的な存在に自然にそれが固定化させられるという日教組の皆さんが心配しておるような点はこれもまた否定するわけにいかないのですね。だから、これは決して災いを起こすということはなくて、プラスになるところが多いということになれば、いい方をとっていくということにすれば、勇敢に採用してよろしいし、またそれがいい方が少なくて、悪い方がひどければこれはやめておけばいいということになるわけなんです。それが事実問題、私自身にしても研究期間が短か過ぎるのです。いま、大体、私の体験から来るものは、一応の私案を持っておっても、そういう感じです。そしてまた文部省というお役所は、いままでそういうことは心配ないとおっしゃりながら、結果的には心配のある方向へ行くんだというお役所の過去の歴史上の認識などが日教組の皆さんにもあると思うのです。私自身もちょっと文部省に対して不満がある点を申し上げておきたいのです。
大臣御就任前に
学校教育法の一部改正をやって、教頭職が明記されたわけです。校長を補佐し校務を整理する、そして必要に応じて児童、生徒の教育をつかさどる。ところがその必要に応じてとなると、専任的な立場になると自然にお仕事が専任的になるから、定数は別枠でこれを後から是正する、定数を改正するという方が——私も修正案の提案者として、その提案理由の説明にもそれが入っておる。ところが実際問題はなかなかこの定数を——これは局長の御答弁でいいです。大臣の就任以前のことですから局長御答弁願いたい。なかなか定数をもたもたして、先般も今年度のスタートにあたって五百人ばかりしかやっておらぬ。初めは千人はやると言って、結局半分に減らされた。三万人を超える教頭さんがいらっしゃるなら、せめて一万人ぐらいの専任化を図ってしかるべきであったと思うのです。お約束が違っている。修正案の提案、われわれ現場の先生が、教頭の先生の授業が欠けて、教頭担当の受け持ちの子供は不幸である、自習が多い、したがってこれを少なくするために、別に専任の先生をふやすというところに大きなねらいを持っておったわけだが、そのねらいの方が崩れて、専任的な方だけがクローズアップしたのでは、これはもうこの法律改正の目的が崩れてくるわけです。定数法の改正と、その改正の中身、一体どういう方向へ行っておるのか。きょうはいいチャンスであるから、私自身が修正案の提案者としての責任もあるから、断固この質問を申し上げるわけです。
-
○諸沢政府
委員 お答えします。
ただいまの教頭としての定数配置、先ほど先生、本年度は五百名とおっしゃいましたが、確かに予算の積算の上では五百名でございますけれども、全定数の中でいろいろ操作をいたしまして、本年度中にこれを千名にいたすようにいま考えておるところでございまして、本年度中にそれは実施できる見込みでございます。
-
○
受田委員 それはそれで、私はこれからの展望を聞いておるのです。
-
○諸沢政府
委員 ただいまの御指摘の点は、
昭和四十九年度から五カ年間の定数
改善計画の本年度は第二年次となっておるわけでございますから、来年度以降あと三カ年で逐次これを目標に近づけて、目標と申しますのは、法案審議の際に言われましたところの中学校は三学級以上の学校、小学校は六学級以上の学校につきまして二分の一の教頭を配置するということでございますから、来年も要求の内容としてはさらに千名増ということでいま要求をいたしておるわけでございます。ただ来年度の予算がどうなりますかは今後の予算折衝にかかっておる、こういう現状でございます。
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○
受田委員 これは三学級、六学級、その二分の一ということになれは、ちょっと目標の数字だけ示しておいていただかないとごまかされる危険があるわけです。
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○諸沢政府
委員 ただいま申し上げましたように、三学級、六学級というのが終局の目的でございまして、第四次の年次計画におきましては、当面十八学級以上ということでやりますと、これが小中合わせて五千名ということになるわけでございます。
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○
受田委員 当面を五千名、そしてさらにそれの十八学級といま指摘されましたが、この大綱ですよね。実際問題としては教頭という職務、六学級以上ぐらいからはもうりっぱな教頭の教頭らしい職務をとっておるところですからね。それを十二学級以上というようなところまで漸次下げていく方向へ目指しておられるわけでしょう。ここで十八学級でとめるわけじゃないでしょう。
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○諸沢政府
委員 ただいまもお話し申し上げましたように、第四次の五カ年計画は四十九年度から五十三年度まででございますから、その五十正年度までの計画が終わって次の段階になりました際に、いま先生がおっしゃったような点を十分検討して引き下げの方向で考えていく、こういうことになるわけでございます。
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○
受田委員 それを漸次教頭の専任に伴う別枠増員というところへひとつ目標を崩さずに進めてもらう。ことしは余りにもなめられた答えが出ておるものだから、私も意外な答えで面目まるつぶれのおそれがあって、いささかきょうはこの点を強く不信感をぶちまけようと思ったわけですが、いま五カ年計画、これはテンポが少し遅過ぎるのです。これをさらに次への検討を引き続き要求をいたしておきます。
永井先生、私、教育の世界だけは不信感というのはいやなんです。不悟ということはいやです。信頼ですね。バイブルの詩篇一二五、好きな言葉「エホバよ、主に信頼する者は、動かされることなく、とこしえなるシオンの山のごとくである。」好きな言葉ですね、お互い信頼したい、先生たちとも信頼し合いたい、常に相手に不信を抱いてぶち当たるのでなくして、信頼を持ってぶち当たるという世界にわれわれ生きていたから、私たちいままでやってきたことは自分自身では正直に自分の意見を述べ、それにぶつかってもらいました。まず相手を疑ってかかる世界は教育の世界から葬らなければならない。私は非常に愛する言葉があります。それは「花は一言なけれどもよく客をとどむ」、美しい花、すばらしい花、一言もない、黙っているが、そのすばらしさ、美しさに魅せられて多くの人が寄ってきて離れようとしない。永井先生、そういうすばらしい花になっていただかなければならない。民間人から久しぶりに文部行政の最高責任者になった自分は、この花は一言ななけれどもよく客をとどむる存在として国民の、子供の、後世へ続く若人の至宝になりたいなという御努力を願いたいのです。私のあなたにおかけしておる願い、おわかりいただけますか。
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○永井国務大臣 先生がいま申されたお言葉に値する器ではございませんが、そういうお言葉の域に到達いたしますよう私は努力する考えでございます。
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○
受田委員 トップ会談で槇枝
委員長と大臣はお話し合った後で槇枝
委員長が永井さんに対して不信の気持ちを投げかけたときに、永井先生は、私は引き続きあなたを信頼しますと言われたという、それは間違いありませんか。これは一回この席で私、お聞きしておきます。
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○永井国務大臣 間違いございません。
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○
受田委員 その言葉は非常に貴重な文部大臣の言葉でございます。したがって、大臣は引き続き槇枝
委員長に対しても信頼を持って当たってもらい、そして全国教職員に対しても、法律を守り、子供を愛し、後に続く人々に希望の星を抱かしめる教育の総本山になっていただきたいのです。私は、教育は一党一派のものでなく国民のものである、長期展望に立って日本の運命を支配するのは教育である、政治の各部面の中で最も高いウエートを置くのが教育である、政治に教育優先の原則を打ち立てることを従来しばしば訴えました。
そこでもう一つ、そのことについて文部省は国民にうそを言ってはいないか、不信を与えてはいないか、もう一遍お尋ねしたいのです。人材
確保法案なるものは義務教育諸学校の教師の教育水準を高めるための法案であった、その法案を提案されたときは義務教育諸学校の教員を人材たらしめようという御趣旨であった永井文相です。長たらしいけれども、そういうことです。そうすると、義務教育の諸学校の先生の教育水準、人材
確保という趣旨から言うならば、この趣旨を生かすために給与というものはこれは副的なものである。けれども、それもおろそかにしてはならない。としますると、第一次勧告、第二次勧告、人確法に伴う人事院勧告第二次勧告の二百三十二億円の積み残しというものは一体文部省ではどうお考えになったのか。その積み残しはことしの八月中旬に勧告をされた人事院の本勧告によって完全に、小中学校を含むさらに高等学校、いや大学、高専の先生方までも、アンバランスになったので、そのアンバランス是正のために大学、高専、高校ぶさっと二百三十二億が使われて、つまり義務教育学校でない大学や高専にまでこの金が使われたということは、当初の義務教育学校の教師の人材を得るための法律の目的以外に使われたということにはならないか。もちろん小中学校のバランスをとるために高校学校の先生に及んでくるということは当時附帯決議などでもそれはわれわれつけたわけですが、さらにそれが今度大学、高専にまでバランスでこう及んでくるとなれば、もう人確法の予算を教員の全部に優遇するという結果になってきたというと、法律の趣旨は大学、高専の先生にまでサービスを一緒に申し上げるということに使っていいものかどうか、筋論でお答え願いたい。
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○永井国務大臣 原則として、私たちがまた私がこの国会にも、この
委員会においても申し述べましたし、参議院でも同様でございますが申し述べましたことは、人材
確保法の精神というものを生かしていただきたいということでございました。これを人事院に対しても申し上げたわけでございます。他方人事院においては、人事院のお立場でそうでない方向というものを打ち出されました。その間総裁と私と意見を異にするという期間が答弁の場において長く続いたことは御記憶のとおりと思います。ただ、これはまた原則といたしまして、われわれは人事院の勧告というものは第三者機関の勧告でございますから、これを尊重する立場というものもまたとらなければいけない、こうしたことも申しました。したがって、原則として私たちは、第一には、人材
確保法の貫徹、しかし他方において、第三者機関である人事院の勧告はこれをまた重んじなければならないという立場にあるというふうに申した次第でございます。
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○
受田委員 ちょっとお答えがすかっとしないところがあるわけですが、二百三十二億積み残しがないように、第二次人事院勧告で教職員の優遇にすかっと全部使うために予算がとってあったろうと思うのです。少し残しておいて後から本勧告のときに大学や高専の方へも回すようにという意味で予算をとったのではないのでございましょう。そうですか。ちょっと明確にお答えしてください。
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○永井国務大臣 まさにその通りで、三百二十二億をほかの方に回すためにということでは全然ないのであります。われわれが初め計上いたしましたのは、予算を使い切っていただいて、人確法の趣旨に基づきまして本年度におきまして七%本俸というものの充実を図っていただきたいという趣旨をもって出発した。それは先生仰せられるとおりであります。
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○
受田委員 そこで人事院
給与局長さん、御苦労でございますがひとつ御答弁を願いたいのですが、これは文部行政の中で、教職員優遇案を立てると他の公務員との給与バランスが崩れて、公務員給与体系の全面的な問題に波及するというおぼしめしがありますか、どうですか。
-
○茨木政府
委員 御案内のように、学校の先生方と他の職場との関係では相当人事交流がございます。文部省の中はもちろんでございますし、地方団体の方でも教育
委員会と学校との間、あるいは一般部局との間、国家公務員につきましても文部省以外の省庁との間もございます。そこで、どの程度の
改善をすることによってそれが余り波乱を起こさずにいけるかどうかということは大変むずかしい問題だと思います。人材
確保法の中にも、三条のところに「一般の公務員の給与水準に比較して必要な優遇措置が講じられなければならない。」こう書いてあります。そこに「必要な」というふうに書いてございまして、どの程度が必要かということを四条に持ってきて人事院勧告にゆだねておるというかっこうも一つの仕組みとしてあるわけでございます。その辺が大変苦労したところでございまして、いまでも第二次勧告というものが、の私どもの一般勧告と絡みまして県の段階ではまだ未実施で残されている県も相当ございます。
そういうような段階でございまして、やはり大変むずかしい問題であるということを御理解いただきたいものだと思っております。
-
○
受田委員 文部大臣、義務教育の学校となると、公立だけでなくして私立にも配慮しなければならぬ問題がある。私立学校は義務教育だけれどもいいわよという調子にはなりません。義務教育の中の公立へ行った先生たちは優遇されるが、私立における義務教育学校の先生は冷遇されて教育効果が上がらないということであれば、私立の義務教育学校で学ぶ子供は大変不幸です。したがって、公立で使い残す方があるならば、むしろ同じ義務教育で私立に勤務する人々の方へ何かのかっこうで
助成すべきではなかったのですか。御答弁を願いたい。それは局長でも結構です。行きがかりを説明してください。
-
○諸沢政府
委員 私立学校に対する
助成として、直接人件費それ自体のみを目的とした補助というのはいたしておらないわけでございますが、御承知のように、私立学校に対する運営費の
助成というものにつきましては、明年度の予算要求におきましてもさらに拡大要求をしておるわけでございまして、都道府県において高等学校以下の私立学校に対し
助成をする場合には国がそれの援助をする、補助をするということで今後考えてまいりたい、かように思うわけでございます。
-
○
受田委員 お国が公立の義務教育学校に対して特別措置をしたわけです。そうすれば私立にも義務教育学校に対して措置をすべきですよ。小中学校、義務教育学校というものが公立と私立では大きな違いがあるということでは、そこへ勤める先生方だって、公立の義務教育の先生は優遇された、二回にわたって優遇されておる、今度はわれわれの方へもという気持ちがあるし、そういうものの要望にもこたえてあげるために、二百三十二億に要望が出たら、それはむしろ義務教育の私立学校へ
助成すべきだというかっこう、それを県へ流して県がそのとおりにやらなければ……。枠組みをきちっとしておけば持っていきますよ。それはやはり目的を明確にしておけば配分を必ずやる。そういうところで私のいまの考え方、つまり義務教育学校の先生の水準を高めたい、そこで、水準が満たされたらやがてその上級の学校の方へも波及するというおぼしめしのようであるならば、公立、私立を問わず義務教育学校の先生優遇策に力点を置くというところへ頭を向けるべきではなかったかということです。
-
○
清水政府
委員 ただいま初中局長からお答えしたわけでございますが、ただいま
受田先生から御指摘がございましたそのやり方につきましては、趣旨はごもっともでございまして、交付税上の積算基礎で小中のはじき方を
改善するということがまず第一でございます。
それから一方、先ほど初中局長から申し上げましたように、ことしからお認めをいただき、かつまた明年度四月一日以降実施されます私立学校振興
助成法の枠の拡大の中で、人件費を含む経常費ということで、それの充実に努力をしてまいる、こういう方向で対処をしてまいるべきものと考えております。
-
○
受田委員 この夏通った
私学振興
助成法、これは府県に流したものをさらに府県が補助するというかっこうに小中学校はなってきますが、これも大体二分の一以内という言葉が入っていて、ちょっと懸念される点もあるわけなんです。ぴしっと三分の一となっていないのです。これは大学を中心にしてそういう考え方が成り立つわけなんです。
文部省は、国公私立のアンバランスを是正するとなれば、せめて小中の義務教育の辺、私立の義務教育学校、ここだけはまず基礎を固めさせてあげる、それから今度高等学校、それから人事院がいま考えている高専、一般の大学、こういうふうに、文部省の金の使い方は義務教育学校というところを第一に考えて、そして人事院に二百三十二億の金を回さぬように、最初からこの予算を文部省が使っておけばよかったんです。二百三十二億を取り残して、後から人事院にどうぞ融通金額としてよろしいという答えを与えられたのに一つ問題がある。そうなると、もはや文部省の教職員待遇の限界が来ておる。文部省はこれだけがんばったが、人事院の他の公務員とのバランスの問題の壁にぶつかった以上は、今後は、来たる三月に予定されるこの一カ月分の五%優遇措置の平年化にも大きな壁がある、こういうことになりやしませんかね。大臣、いかがでございましょう。永井先生の御答弁をいただきます。
-
○永井国務大臣 ただいまの先生の御指摘でございますが、私はわが国の教育の中において義務教育というものを重視しなければならない、これについて全く同感でございます。
他方、文部省は学校教育、社会教育の全般にわたっての責任を負っておりますが、仮にここで学校教育だけを取り出して考えるといたしましてもきわめて不健全な財政状況で、わが国の教育をゆがめているものはどこにあるかという角度も非常に大事だと考えております。これは申し上げるまでもありませんが、たとえば私立歯科大学におきまして数千万円の入学時寄付金というものを納めているというような形で実は大学が今日まで発展してきた。これは教育の機会均等の原則から申しましても非常に憂慮すべきことであると思います。そこで
私学振興
助成法というものも成立したのだと考えます。そこで、そうしたことを踏まえて私はわが国の全教育体系の中で、そしてまたわが国の財政状況というものも踏まえて、選択順位というものを私たちは慎重に考えてゆがみを正しながらしかも教育の基盤を固めていくという方法をとらなければならない、基本的な考え方としてはそういうものであると考えております。でありますから、先ほど先生がまず
私学振興ということ、特に私立の義務教育のところに公立と全く同じような待遇をすることにまず踏み切るべきではないかという御指摘がございましたが、これについては初中局長、管理局長から申し上げましたように、
私学につきましては直接の人材、人件費というものの方法をとらない、しかもその問題は大学とも関連していてそこに非常なひずみがある、さような実態を踏まえてどういうふうに私たちが学校に対する財政的な措置を行っていくか、これはきわめて慎重に考えてきておりますけれども、今後も考えなければなりませんから、いまこの段階で先生の御趣旨は非常によくわかりますが、私はであるから他の要素というものを勘案せずに私立の義務教育の人件費を直ちに公立と同じようにすることを、ほかの要素を全く考慮せずにそれだけで突き進むというふうにここで御答弁申し上げることは早計であると考えます。
-
○
受田委員 それだけで御答弁申し上げることは早計であるという理解のもとに承っておきます。と同時に、これはやはり義務教育学校から高校、大学と進んでいく子供たちの中で、義務教育の学校だけはもうすべてが行かなければならぬのです。それから上は選択的になってくるわけで、日本のすべて国民はその保護する児童をして義務教育を受けしめる義務を負う、そしてその義務は国が負担するんだ、こういう意味から言うたならば、私立の義務教育の学校の子供に公立と比べて大きな別の負担が私立の小中学校に行ったら要るのです。それを負担をさせることは憲法の精神にも反するのです。いかがでしょう。
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○永井国務大臣 ただいまの先生の議論を推し進めてまいりますというと、私立の義務教育というものが結局は望ましくない、すべて公立にせよという議論に発展すると思います。現状におきましては、そうではなくて、これはパーセンテージは高校や大学よりはるかに低いですけれども、また幼稚園などとも比較にならないほど低いですが、しかし選択的に私立に行っている、そして私立の義務教育年齢に当たる小中校があるということ、これは事実でございますから、先生の論理をそのまま推し進めていきまして、その基盤に立って新しい政策を立てる、そうしていまの先生のようなお考えに基づく財政的な裏づけを行うということは一つの重要な御示唆としてわかりますが、私はただいまの段階におきまして直ちに先生に完全に賛成、その方向に向かって進むというふうに申し上げると、それこそ先生との信頼関係を失うことになります。いま私が考えているのは、そこまではできないというふうに考えております。
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○
受田委員 わかりました。私あえてこれを指摘したのは義務教育学校に勤務する教職員にその教育の文化水準、力を高める意味の法案であるから、そうなれば当然私立の義務教育学校にも全部とは言わないが前進的な措置をせよという含みでいま提案したわけです。それを、私の理論を完全に進めれば義務教育学校は全部公立にすべき理論になってくるわけです。けれども、現状を打破するために義務教育学校に一歩前進、二歩前進という道がある、それをその方へ予算を振り向ける努力をして、大学、高専の職員を優遇する前にその方へ一歩前進の手を打つべきではなかったか。
それからもう一つ、文部省はこれ以上義務教育学校の先生の人材を
確保しようと思って予算措置をがんばろうとすると、大学、高専とのバランスなどが崩れて人事院の大きな壁にぶつかる、国全体の公務員の給与の公平の原則から言って文部省には要求の限界が来ておるのではないか、第三次要求を完全に三月に振り当てた五%分を平年並みにすぐ持っていけるのかどうか、それを強引にやることに自信があるかどうか、第四次、第五次という
改善措置ができるのかどうか、文部省は人確法の
改善措置はもはや限界に近づいていることをお考えではないかということをあえてお尋ねをしたいのです。
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○永井国務大臣 文部省の考えでございますが、第四次、第五次というものはさておくといたしまして、第三次、これにつきましてはすでに昨年末第三次の一カ月分というものを要求いたしたわけでございます。そこで、それに基づく平年度化というものを本年度の予算に計上いたしますのは、政策の一貫性という点から申して私は当然であると考えて概算要求の中に盛り込みまして、これを大蔵省に要求したわけでございます。しかし、先生がおっしゃいますように、わが国の財政状況が人確法発足の当時と違ってきたということも、これは否定すべからざる状況であり、そうした状況の中で人事院は人事院としての判断をされたということは三%本俸、四%手当という本年度における私どもが予期しなかったことではありますが、人事院のお考えを示されたのでありますから、そのことをもってしても私たちが当初考えましたような容易な状況ではないということは十二分に承知をいたしております。でありますから、ではもうあきらめてしまうかというとやはりそうではない、これは昨年度考えたものの政策の継続の責任というものもあり、そしてこれは人確法という法に基づいているわけでありますからこの法というものを重んじて、私たちはでき得る限りこの財政状況の中におきましてもその法の精神が生かされるように大蔵省と折衝したい、かように考えている次第でございます。
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○
受田委員 時間が参りましたので、あと三分しかありませんので、結論の質問でおしまいにします。
このたびのこの主任制度問題に関連して文部省は教育経験の豊かなすぐれた教諭を一等級とするというこの問題、これは私が人確法及び
学校教育法の改正のときに要求をした二十五年以上というものを一応ここへ取り上げていただいたように思っております。これは三十年という基準を設けたいというお気持ちのようですが、こういうふうにして営々と働いた先生が最後は報いられるのだという道も開く必要がある。主任制度の問題は、これはもう一度繰り返して申し上げます。私たちもこれをさらに現場のあるいは一般国民の各界各層の声を急いで聞くように努めましょう。それを余り急いですぐこれを省令化するというかっこうで、国民の合意を得るのにある時間をかけないで即座に実行しようというところへいくとこれは問題がある。即座に省令化へ踏み切ろうとされているのか、ある期間を置こう——来年の三月までは余裕があるはずなんです、時間をかけてわれわれのような良識の声も聞いて、教育は国全体のものである、国民すべてのものである、国家百年の大計として、あらゆる政治経済の根幹をなすものであるところの教育優先原則くらいこのあたりですかっと——文部大臣に永井先生を迎えて、あなたは政党人に気がねなしにやっておられる立場ですから、たとえ自民党の文部大臣といえどもあなたはいま党籍はないでしょう、だからその点は本当に純粋にやれる。もしそれで不都合ならおれはいつでも潔く桂冠するという御決意でやっておられると私は思いますので、永井先生の御在任中に日本の教育の根幹、国家百年の大計を打ち立てられるように野党のわれわれの声も静かに聞いてお答えを出していただきたい。花は一言なけれどもよく客をとどむる、偉大なる文部大臣として墨痕鮮やかに歴史の上に残るきれいなお仕事をしていただきたい。名前でなくて中身の豊かなお仕事をやっていただきたい。御尊父柳太郎先生の演説を私、
昭和十三年渋谷公会堂で承りまして敬愛いたしました。その御令息であるから、引き続き父子を敬愛する立場であえて最後に激励の言葉を申し上げ質問を終わります。
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○永井国務大臣 先生に心から御礼申し上げます。
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○久保田
委員長 次回は、来る十七日開会することとし、本日は、これにて散会いたします。
午後五時二分散会