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1975-03-15 第75回国会 参議院 予算委員会公聴会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十年三月十五日(土曜日)    午前十時七分開会     —————————————    委員の異動  三月十五日     辞任         補欠選任      徳永 正利君     石本  茂君      森下  泰君     小笠 公韶君      立木  洋君     星野  力君      近藤 忠孝君     小巻 敏雄君      渡辺  武君     加藤  進君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         大谷藤之助君     理 事                 岩動 道行君                 矢野  登君                 柳田桃太郎君                 宮之原貞光君                 矢追 秀彦君                 渡辺  武君     委 員                 安孫子藤吉君                 井上 吉夫君                 石破 二朗君                 石本  茂君                 小笠 公韶君                 亀井 久興君                 黒住 忠行君                 源田  実君                 中村 太郎君                 鳩山威一郎君                 最上  進君                 吉田  実君                 上田  哲君                 田中寿美子君                 辻  一彦君                 寺田 熊雄君                 田  英夫君                 野口 忠夫君                 松永 忠二君                 和田 静夫君                 相沢 武彦君                 桑名 義治君                 三木 忠雄君                 岩間 正男君                 加藤  進君                 小巻 敏雄君                 星野  力君                 木島 則夫君    政府委員        大蔵省主計局次        長        高橋  元君    事務局側        常任委員会専門        員        山本 正雄君    公述人        立教大学教授   和田 八束君        日本エネルギー        経済研究所資料        調査部長     高垣 節夫君        大阪市立大学助        教授       村越 末男君        法政大学教授   伊東 光晴君        国井社会生活研        究所所長     国井 国長君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○昭和五十年度一般会計予算内閣提出衆議院  送付) ○昭和五十年度特別会計予算内閣提出衆議院  送付) ○昭和五十年度政府関係機関予算内閣提出、衆  議院送付)     —————————————
  2. 大谷藤之助

    委員長大谷藤之助君) ただいまから予算委員会公聴会を開会いたします。  公聴会の問題は、昭和五十年度総予算についてであります。  この際、公述人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多忙中にもかかわりませず、本委員会に御出席をいただき、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚くお礼を申し上げます。  それでは、議事の進め方につきまして申し上げますが、お手元にお配りいたしました名簿の順に従いまして、お一人約二十分の御意見をお述べ願いたいと存じます。お二人の公述人から御意見をお述べいただきました後、委員皆様から質疑がありました場合はお答えをお願いいたしたいと存じます。  それでは、和田公述人から御意見をお述べいただきたいと思います。和田公述人
  3. 和田八束

    公述人和田八束君) 立教大学和田でございます。  私は、昭和五十年度税制改正の問題を中心にして、若干私見を申し述べさせていただきたいと思います。  御承知のように、ここ二年来の激しいインフレーションのもとで、財政政策全体にわたりましては、インフレ抑制と、そのもとで生じました社会的な不公正を是正するということを最大の目標にしなければならないというふうに思います。税制改正に当たりましても、その課題としましては、まず第一に、インフレ抑制のために高所得あるいは資産所得への課税を重課するということ、特に法人課税強化することによって、そうした目的を果たすということ、それから第二番目には、インフレによる被害者対策、あるいはインフレによって生じました負担の不均衡を調整するという問題、それから不公正を是正するという問題、こうした課題中心に置かれなければならないということは言うまでもないと思うわけですけれども、五十年度税制改正内容を見てみますと、この課題がほとんど実現されていないということについて、はなはだ遺憾に思うわけです。  そこで、少し内容にわたりまして税制改正の問題を検討してみたいと思います。  まず第一に、所得税減税でありますけれども、本年度昭和五十年度は、課税最低限が百七十万円から百八十三万円に、夫婦子供二人のいわゆる標準世帯では上昇したわけでありますけれども、減税内容で言いますと千九百五十億円でありまして、言われておりますように大変ミニ減税であるというふうに言うことができるわけです。  こうしたインフレのもとでは、特に低所得者への減税重点にして、インフレのもとで負担が重くなっている状態に対して調整をする必要があるということは、これは言うまでもないことであります。で、四十九年度にはいわゆる大幅減税が行われたわけでありますけれども、物価上昇名目所得上昇のもとで、一その効果はほとんど消滅してしまっているわけです。昭和五十年度は、政府見通しによりましても、消費者物価上昇率は一一・八%ということになっておりますので、そういうふうにして見ますと、物価調整減税所要額としましては、ほぼ四千億円強と言いますか、になるのではないかと思われるわけですけれども、これに対して、先ほど言いました千九百五十億円、約二千億円というのは、その半分に満たないという状態でありますので、非常に調整という意味合いが薄いのではないかというふうに思うわけです。  それだけではなくて、実はこの減税方式自体が非常に不公平になっておりまして、その内容は、主として人的控除引き上げによって行われているわけです。したがいまして、高所得者層への減税が非常に大きく作用することになっているわけです。たとえば、年所得二百万円の標準世帯でありますと、年間二万三千五百円の減税ということになるわけですけれども、一千万円になりますと、二十九万四百五十円ということになっているわけであります。この開きというのは大変大きいわけでありまして、高所得者になるほどその減税額は大きいという結果になっているわけです。この金額を収入に対する比率で見てみますと、年所得二百万円の人では一・一八%、それから一千万円の人ですと二・九%程度になるわけでありまして、割合から見ましても、高所得者ほど高くなるというふうになっているわけであります。  で、減税全体の規模といたしましては、インフレ抑制、総需要抑制という課題から言いますと、これは大幅減税をする必要がないと考えられるわけであります。むしろ、減税を差し控える、あるいは場合によっては増税を行うという方向が望ましいわけでありますけれども、低所得者層と言いますのは大体年所得三百万以下ぐらいを対象にして考えているわけですけれども、この層に対しては、名目所得上昇に対して十分な調整をしなければならない。つまり、低所得に対する減税と高所得に対する増税とを組み合わせるということが必要になっているわけですけれども、この場合逆になっておりまして、低所得層に対しては減税がきわめて薄くて、高所得層に対してむしろ減税が大きく行われているということでありまして、インフレ抑制という目的から言いましても、あるいはインフレによる被害者対策という点から言いましても、はなはだその目的からはずれた形になっているのではないか。このような結果にならないためには、減税方式自体をこの際再検討する必要があるわけでありまして、低所得者層重点調整をするためには、いわゆる戻し税方式を採用すべきではないかというのが私の考え方であります。  たとえば、私なども参加しております国民税制調査会では去年の暮れに提案をしているわけですけれども、そこでは、基礎控除三万円、配偶者控除一・五万円、扶養控除一・五万円というのを、それぞれ税額控除すべきことを提案しているわけであります。この場合には、政府案のような形の人的控除人的所得控除引き上げ方式ではなくて、この人的控除分税額控除するということでありますので、低所得者層ほど厚くなって、高所得者にはこの減税効果が及ばないという形になっているわけであります。しかも、この税額控除によって、課税最低限といいますか、実際の非課税ラインは二百七十六万円程度に、夫婦子供二人の給与所得者で、なるというふうに見込まれますので、全体としての非課税層というものも拡大するということになってくるわけであります。このように、インフレ下で特に不公正を是正しなければならないという所得税減税目標から言いますと、従来の減税方式を基本的に改める必要があるのではないかというのが、所得税についての意見であります。  それからその次に、利子配当所得、それから土地譲渡所得課税についてでありますが、そのうちの利子配当課税特例は、従来、貯蓄増強による経済成長の促進ということを目的にして行われていたわけでありますけれども、このような国民経済的課題というものがすでに失われてしまった現在、その存続理由がないと考えられるわけであります。また、貯蓄増強という効果自体この特例措置からはないということは、しばしば政府税制調査会によっても指摘されているところでありますので、なおさら存続理由がないわけであります。しかも、昭和四十五年度におきましてこの問題が検討されたときに、五年後に特例を廃止するというような考え方に立っていたと思われるわけでありまして、その経過措置として分離税率引き上げてきていたわけでありますので、したがって、この間に、たとえば税務上の体制を整備するということが行われてしかるべきであったわけでありますけれども、現在に至ってもなお税務上の体制が整備されていないということで五年の延長をするということになりますと、四十五年度における考え方からしても非常な後退ではないかというふうに考えざるを得ないわけであります。  また、土地譲渡所得課税につきましては、特に個人長期保有土地分離課税では、結果的に法人への土地集中地価上昇所得不平等、つまり土地成金の輩出などですけれども、所得不平等をもたらしたということはもうすでに明らかなことでありまして、今日、国土法などによる土地規制が実施されるようとしているのでありますから、税制による土地政策というものを改めて再検討されなければならないというふうに考えられるわけであります。つまり、税制はもりばら所得不平等、それから税負担不平等是正するということを目的にすべきではないか。この点で、政府改正案は一応評価できる点が多いわけでありますけれども、なお、譲渡益二千万円超について見ますと、完全に総合課税にした場合に比べて負担率が低くなっているように思われるわけでありますので、税制による土地政策というよりも、むしろ、土地税制につきましては不公平の是正をさらに強化すべきではないかと、このように考えるわけであります。  それから次に、間接税でありますけれども、主として酒税引き上げられるわけでありますけれども、酒税引き上げによる増収は約一千億円とみなされているわけであります。これに、たばこ専売益金増収分が二千五百億円程度見込まれているようでありますので、これと、さきの所得税減税分約二千億円と比べてみますと、所得税減税分間接税引き上げによって帳消しになってしまっているわけであります。言うまでもなく、間接税は低所得者ほど税負担が重いという、いわゆる逆進的性格を持っておりますので、仮に所得税減税が低所得者向けに行われたといたしましても、間接税上昇分によって、これは相殺されてしまうという形になっているわけであります。ですから、インフレ被害者に対する対策という点から言いましても、あるいは公共料金抑制による物価対策という点から言いましても、間接税引き上げはこの際控えるべきであるというのが、この点についての考え方であります。  それからその次には、相続税贈与税の問題でありますが、インフレーション、それから地価上昇などによって、相続税贈与税納税者数は最近急増しているわけでありますので、一定の是正は必要になってきていると思われるわけです。また、農地の相続問題、あるいは夫婦間贈与の問題などの点からも、手直しが必要になってきていると思われるわけであります。しかし、相続税の軽減をあまり拡大するということは、これは相続税性格、つまり所得税の清算という意味からいいましても好ましいことではないわけですし、今回の課税最低限引き上げ案というのはやや過大ではないかというふうに考えられるわけであります。他の減税、つまり所得税減税、あるいは間接税増税というふうな一般大衆に対する他の減税とのバランスからいいましても、資産保有者あるいは高所得者優先の感がぬぐえないわけであります。  その次には、企業税の問題、企業課税の問題について申し上げますが、現在のわが国企業税制度は、一言で言いまして高度成長下での高蓄積を目的にした企業税制になっているというふうに言うことができると思うわけです。現在の経済的あるいは社会的な課題といたしまして、従来の高度成長優先から、高福祉あるいは社会的公正実現のために税制を改革しなければならないという課題から考えまして、従来の企業税制を改めて大企業課税強化を行うということが必要になってきていると思われるわけであります。  そのためには、幾つかのさしあたって行わなければならない企業税、特に法人税制問題点があると思われるわけですけれども、一つは、法人所得に応じた累進税率を採用することしこれはしばしば指摘されておりますように、法人所得規模ないしは資本金規模による逆進的性格があるのではないかということも言われているわけですけれども、やはり法人所得に応じた累進税率を採用するということが必要ではないかしそれから二番目には、受取配当益金不算入などの、いわゆる擬制説的な法人税制を再検討する必要があるということであります。三番目には、租税特別措置を廃止するという問題であります。四番目には、交際費課税等強化を行うということであります。これらは、法人税制性格を根本的に改めるという点から言いますと、やや不十分ではありますけれども、その第一歩として考えますと、さしあたって緊急に行う必要があるのではないか、このことによって、企業のいわゆる公正競争実現、あるいは税制を通ずる物価上昇抑制、さらには福祉財政実現のための財源確保というふうなことを目的にして、これまでの高度成長型税制を改めるという問題が実現できると考えられるわけであります。  しかし、五十年度の税制改正案を見てみますと、こうした問題はほとんど取り上げられていないわけでありまして、従来の法人企業税制というのがほとんどそのまま温存されているわけであります。租税特別措置についても、公害関係などでかえって拡大されている向きがあるわけでありまして、租税特別措置による税制不平等是正するという課題も果たされていないという点で、最も重要な問題が取り上げられていないという点が大変残念なことだと考えるわけであります。  次に、直接、税制改正案の中ではないわけでありますけれども、五十年度の税制問題を考える場合に重要な点として一、二つけ加えておきますと、その一つは、今日富裕税を新設するということが必要ではないかということであります。現在、所得不平等インフレ下で増しているわけですけれども、それと同時に、資産保有不平等も非常に拡大しているわけであります、これは、土地所有の点から言いましてもそうですけれども、土地以外の形でのさまざまな資産を見てみましても、その間に非常な不平等があるというふうに考えられるわけであります。特に、高所得者に対する課税所得だけでは不十分でありまして、資産ないし財産というものを対象にして課税をするということによって高所得者に対する課税強化されるわけでありまして、これはすでにシャウプ勧告におきましても導入されたところでありますし、それから、ヨーロッパ各国では、大体、財産税ないし富裕税とあう形の税を設けて、これを所得税の補完的な役割りとして用いているわけでありますので、今後のわが国税制平等強化ということを考えた場合には、富裕税の新設ということが重要ではないかというふうに考えるわけであります。  その次に、付加価値税の問題が議論をされているわけであります。付加価値税につきましては、課税標準の問題や、あるいはその課税の仕方などにつきましては幾つ方式があり、また、その長短について議論をされているところでありますけれども、今日問題になっておりますのは、ほぼEC諸国などで採用されている一般消費税としての付加価値税の採用が議論されているように思われるわけであります。しかし、この付加価値税を採用した場合には、全体として物価上昇をもたらすということは明らかなことでありますし、また、その間接税としての性格から、税負担逆進性を拡大することになり、大衆負担増大という結果になることは明らかなことであります。もちろん、間接税全体の問題を考えるならば、今日のわが国間接税体系が必ずしも、整合的なものである、あるいは合理的なものであるというふうには考えられないわけでありますけれども、それにかえて、あるいはそれに加えて付加価値税を採用するということになりますと、いま言いましたような大衆負担増大という結果になるわけでありまして、現在付加価値税を採用するということは好ましくないことだというふうに考えるわけであります。  以上申し上げましたところは、さしあたって、昭和五十年度の税制改正中心にいたしまして、その課題をどこに置くのか、あるいはその課題からして税制改正重点をどこに置かなければならないのかということを申し上げたわけでありますけれども、さらに、税制改正の問題は単に税制の問題にとどまるのではなくて、今後の福祉財政にとってどのような負担、あるいはどのような財源を確保するのかというふうな問題とも関係していると思われるわけであります。付加価値税の問題なども、そのような将来の高福祉財政に対する財源問題という視角からも検討されているように思うわけでありますけれども、むしろ、現在のわが国税負担全体の現状から言いますと、大法人に対する課税強化する、あるいは、大法人所得に対して所得が十分に租税対象として捕捉されていない部分というのがあるわけでありまして、そのような企業会計上あるいは税務会計上の問題というのを解決することによって、実質的に課税の公正を図るということによって、そしてまた、租税特別措置あるいは個人資産課税に対する不平等是正するということによって、福祉財政財源を確保すべきではないか。そのような方向が好ましいのであり、それはつまり、一方では税制の平等を実現するということであり、他方では財政上の福祉のための財源を確保するという、一挙両得と言いますか、の効果を持つものであるというふうに考えますので、このような税制の基本的な改正というものが実現されることをわれわれは期待しているわけであります。  以上、簡単でありますけれども、税制改正の問題について若干私見を申し述べさせていただきました。どうもありがとうございました。(拍手)
  4. 大谷藤之助

    委員長大谷藤之助君) ありがとうございました。     —————————————
  5. 大谷藤之助

    委員長大谷藤之助君) 続いて、高垣公述人にお願いいたします。
  6. 高垣節夫

    公述人高垣節夫君) 日本エネルギー経済研究所高垣でございます。  先ごろの石油危機の時期を通じまして、エネルギー供給の不安と申しますか、あるいは価格の暴騰、そういうことが非常に関心を呼んだわけでございます。最近は若干そういう危険も薄れたようでございますし、価格も、新聞紙上等でごらんのように、やや軟化してくるという状態でございます。ただ、こういった席で皆様方がどういう議論をなさっておられるか、関心はどういう点に集中しておるか、よく通じておりませんが、一般的に申しますと、またああいった供給不安、供給制約ということが再現することがあるのかどうなのか、あるいは価格につきましても、長期にわたりましてどういう動きをするのだろうか、こういうような質問をよく受けるものでございますから、そういったようなことに関連いたしまして二、三の点を、私はこういうふうに見ておるということを申し上げてみたいと思います。  第一に、当面やはり問題になりますのは、需給関係がどうなっておるか、あれほど供給逼迫ということが言われながら、一年もたたない間に、何と申しますか、基調が変わりまして、どちらかというと過剰ぎみというようなことを言われておるわけであります。いろんな表現がとられるわけでございますけれど、多少細かになりますが、昨年一年をとって、ごく大ざっぱな数字で申しますと、やはり石油危機の最中に、先行き不安ということもございましたし、設備投資萎縮ぎみということで、最近見られますように、世界的な不況から、エネルギー需要は約四%ぐらい、その前の年に比べて——その前の年か正常な水準であったかとうかということはおきますけれども、ともかく、その前の年に比べて、いまから見れば前々年でございますけれど、四%ぐらい落ちていたのではなかろうかと思われます。ところが、石油生産を見ておりますと、非常に勝ち誇ったとでも申しましょうか、値段は上がった、そして生産も依然として伸ばすというようなことで、むしろ生産はまだふえ続けた。昨年の初め以来約半年間はそういう状況が続きまして、明らかに需要は落ち、生産はむしろ伸びるということで、プラス・マイナス大きなギャップが出てまいりました。ただそれが、わが国でも在庫をかなり食いつぶしておりましたので、各国ともそうでございますけれど、これを補充するというような操作が行われたために、昨年の六月あるいは七、八月ぐらいまでは、そういった需給アンバランスが表に出てこなかった。しかし、そういうアンバランス基調というのは昨年の初めごろから着実に進んでいたということでございます。  ちょうど夏場ごろに差しかかりまして、わが国でもそうでございますが、昨日のテレビでもやっておりましたが、石油タンクがいっぱいになってきた。船はもっとゆっくり走らせろ、急いで持って帰るなというふうなことが、いよいよ夏場以降、秋口にかけて表面化したわけでございます。そうなりますと、タンカー船腹が過剰になりまして船運賃は暴落する。そういうことになりますと、これは価格に響いてまいります。つまり、石油生産地消費地に非常に近いところもございます。日本で言えばインドネシア、あるいはヨーロッパサイドで言えばリビアでございますが、そういったところは、船運賃が非常に高いときには、中東の遠いところから運ぶ油よりも運賃が比較的少なくて済むだけ、積み出し価格、いわゆるFOB価格は高くつけていばっておれたわけでございますが、最近のように運賃が非常に下がってまいりますと、そういう立地上の有利さがなくなりますので、つまり積み出しのFOB価格というものは下げざるを得ない。もうそれほど、消費地に近いからといっていばってもいられなくなった。そういうことで、昨年の早い時期から、アルジェリア、リビア、ヨーロッパ向けの非常に近い地中海地域の油は、もう下がっていたわけでございます。日本向けにも同じような現象が最近起こっております。アブダビ原油であるとか、あるいはインドネシアとか、品質上非常にすぐれておる、あるいは立地上有利であるとか、こういった油は、いままでかなり優位にあったわけでございますが、徐々にこれが下がり始めたという状態でございます。  このことと、先ほどの需給アンバランスということがどう結びつくのかという点がまだほとんど論じ尽くされていない、取り上げられていない、つまり答えが出しにくい点でございます。簡単に申しますと、OPEC諸国で大体一日当たり三千万バーレルの油を出したことがある。それに対しまして、いませいぜい二千万バーレルをちょっと上回ったところ、生産のピーク時から比べますと一千万バーレル、三〇%も減産しておる。これでは産油国はやっていけないのではないかということで、石油の値段ががたがたになっていくんではないかと、アメリカの高官筋からよくそういうことも言われますので、ますますもってそれが本当らしく響いてくることもあるわけでございます。  多少細かになって恐縮ですが、ただいま申しましたアブダビ原油が最近一バーレル当たり五十五セント値下げしたという報道がございますが、もしアブダビ原油がこのように値下がりいたしますと、ほかの油と比べてバランスがとれているかどうかということ。もしとれていなければ、隣の国が値下げをする、またそのアブダビが値下げをするというふうに、らせん状に値段が下がっていく。つまり、一種のカルテル価格的なもの、そういったメカニズムが崩壊するという判断につながるわけでございます。現状から申しますと、代表的なライトアラビアと、それからアブダビ原油、今回値下げいたしましたその下げ方は、少しアブダビ原油のほうが割り安になっておる。したがいまして、ベースになります中東原油の代表、あるいは世界的な代表原油でございますライトアラビアというものが多少割り高である。これを一体どうしのぐか、対抗的に値下げをするかどうかということが一つの分かれ目でございますけれど、いまの割り高傾向から見、また、サウジアラビアは前々から少し高過ぎるからもう少し下げたらどうだろうというような意見が強いわけでございますので、あるいはそのベースになる油がここでもう少し値下がりする可能性があるんではないかというふうに私は思っております。  しかし、これが、先ほど申しました、らせん状に崩落していくという前ぶれと見るかどうかという点では非常に疑わしいと思います。むしろその点では、三〇%もピーク時から減産しているから、もう耐えられないんではないかという見方がございますが、これは私はそうではないと思います。いままででもそうでございますが、かなりの生産余力を持っていた国が、たとえば中東動乱、第五次中東戦争の起こる前の状態を考えていただければわかりますが、サウジアラビアは六百万バーレル・バー・デイぐらいで操業していたものが、あっという間に八百五十万、四割の生産増というようなことが現実に起こっておりまして、決してそれだけの余力があるからそれだけ全部生産しなければならぬというわけでもない。最適生産水準の状態から考えますと、これはそれほど大きいものではない。ですから、ピーク時から比べまして、確かにいま、在庫調整のような意味を含めまして、かなり大幅に落ちておりますけれども、これが価格の崩落、あるいは産油国相互間のとめどもない競争に発展するというふうに考えるのは少し早計ではなかろうかというふうに思うわけでございます。  多少細かになってまいりましたけれども、わが国の側から見ますと、こういうふうな状態になりますと、一ころ国民生活も、それを支えます産業活動も、めちゃくちゃになるのではないかというような懸念がございましたが、そういった懸念が当面ないのは言うまでもない。あるいはしかし、産油国が今回のように、石油を武器にし、供給を制約するという体制が長く尾を引いて、先進国の経済成長が阻まれるのではないかという、長期にわたっての供給制約問題成長のスローダウンという懸念ということもございましたけれども、これは十年余り前になりますが、第一次のスエズ動乱、スエズ運河を閉鎖いたしましたときも、同じように価格は暴騰し、そして世界がそのあおりを受けまして不況になり、その後長くその過剰の事態が続いたということがございます。一九五七、八年の話でございますけれども、そのあげく石油価格の下落が始まりまして、今日見られるようなOPECが結成されたのも、その時点でそういうことがあったわけでございます。今日の推移を見ておりますと、やはり経済現象というのはそういう類似性も非常に大きいというふうに感じられまして、恐らく今後、急速な経済の反騰ということがもしなければ、石油供給量が制約されたから経済成長が困難に見舞われるというほどの懸念はないのではなかろうか。むしろ、いわゆる安定成長と申しますか、成長速度がスローダウンいたしまして、それにあわせて石油供給のベースも、いままでのように、中東諸国で申しますと年率二〇%もの増産ということが続いたわけでございますけれども、その必要もないというような、生産者側においても安定操業というような状態に落ちついてくるのではなかろうかと思います。  そうなりますと、もう一つの不安は、軍事行動であるとか、また戦争が起こるのではないかとか、いろんなことがございますし、また、もしそのような深刻な供給不安が目の前に立ちはだかっていないのであるならば、今回の予算書にもございますけれど、膨大な備蓄ということが一体必要なのかどうだろうかというような疑問をお持ちになる向きも出てくるかと思います。これは私どもも、はっきり申しまして、よくわからない点でございますけれど、何分にも、いまの対産油国との話し合いというものが、いわゆる消費国の結束の上での対決姿勢という言葉が使われますが、つまり、強い交渉態度をとるためにはその消費国間の結束が必要であり、また、その場合には、IEPというふうな言葉で呼んでおりますが、緊急融通制度というものがなければならないというようなこともございますので、理屈上で申しますよりも、現実の必要上から、こういったことが進められていくということはある程度理解できるわけでございます。  それからもう一つの点といたしまして、これは次に触れることにも関連いたしますが、石油供給が従来は国際石油会社の手でほとんど占められていた、今後とも数量的にはそういう点では大きくは変わらないかと思いますが、何分にも資源保有国の国内から海外へ出るまでの、水ぎわへ押し出すまでの体制は、いわゆる資源保有国主導型ということになると思います。実際に供給するとか、輸出を認可する、しないとかいうことは資源保有国の主権事項に属すると、こういうことになりまして、消費国といたしましても、そうなりますと  何かこれどきちんとした話し合いをしなければならぬ、IEAそのものが、最初の提案が条約の形態をとっておったというふうなことも御承知と思いますけれど、長期の貿易協定、資源保有国との間に、そういう国と国との間の協定という体制が一応考えられるしそういった色彩が濃厚になってくるんではなかろうか、これは商品協定という言葉で呼ばれたり、いろんな名前で出ておる、そういったアイデアが今日流布されておるわけでございますが、もしそれが一つの国家間の協定というようなことになりますと、従来は、国際石油会社が、強大といえどもこれは私企業である、それと主権国との話し合いであった、今後は国対国の話し合いになりますので、もし産油国が、そういった情勢の変化、基本条件の変化ということを無視して乱暴な行動をとるということになりますと、これはやはり消費国の利益を、生存権を守るために、軍事行動ということも、まあないわけではない、そういう大きな背景の変化というようなこともございまして、そういう配慮というようなものもないわけではないだろう。その中に、こういった一定量の備蓄ということは確保しておかなければならない。そういう、本来ならば経済協定という性格の問題と、それからただいま申しましたように、その協定を守るためのぎりぎりの配慮というようなものが、この備蓄問題にはいろんな度合いはございますけれど、凝縮しているのではなかろうかと思います。  今後の問題といたしまして、いま申しますような荒立った物の考え方なり行動が必要かどうかということは、どちらかというと、それはそうではないのではないか、むしろ、最近のOPEC諸国の話し合い姿勢というものが目立っておりますように、何らかの長期の協定ということが念頭に置かれてしかるべきではなかろうかと思います。  で、各消費国の計画ないしその政策発想を見ておりますと、昨年暮れに出ましたアメリカのエネルギー独立計画、それからOECDの一九八五年へのエネルギー見通しという、いろんな報告書がございますが、ともかく値段がいまのままの高い状態であるならば、とても大量には買えません、むしろ、現在その輸入しておる量からはもうふやさない、今後増量は認めないという考え方が一方にございます。しかし、もし現在の価格よりも二、三割方低くしてくれるのであるならば引き続きこの安いエネルギーを利用しようという考え方がございます、この二つの対案というものは、結局、産油国側の収入というふうに視点を変えてみますと、高ければあまり買わない、安ければ少し多目に買ってもよろしい——全体として産油国の得る収入は余り変わらない。つまり、これが所得の保障という考え方に裏づけられているかと思います、高いから買わないぞ、安いから買いますというのは、いわゆる商業行為でございますけれど、別の側面から見ますと、開発途上国の工業化、経済発展のための収入保障、所得の安定化というものが、一本裏に、言ってみれば哲学でございますが、そういうものがあって、こういう交渉がなされているに違いない。そうしますと、一体消費国はどのくらいの量を必要とし、また、その場合の価格はどうあるべきかということは、そういった量と価格の関係から割り出されるという側面が出ておるかと思います。  ただ、この価格の問題と申しますのは、非常にその他の関連する諸事項もございます。今後のエネルギー問題を考えるに当たりまして一番重要と思われますことは、従来、つまり一九六〇年代は、石油が圧倒的に安い、他のエネルギーは対抗できないと、そういう大きなコスト格差、価格差というものを前提にいたしまして、実際の利用はもう石油一辺倒ということになる。他の産業はどうなるかと申しますと、原重油関税に見られますように、ここから一定の財源を得て、炭鉱を閉鎖し、整備するというように、一種の補給金的な調整作用が進んでいたわけでございますが、今後の価格というものはどう動くかというと、そういう圧倒的に安いという価格ではない。むしろ、現在存在します多種のエネルギーの、ほぼこの水準なら経済的に成立するであろうという水準まで上がってくると思います。その格差というものが、つまり産油国の経済余剰、収入になるわけでございますけれど、それを手がかりに工業化を進める、こういう基本的な関係が、昔は、一九六〇年代は、安い石油コストないし価格をベースにしてすべてを考える。今度は、一部の産油国が言っておりますように、新しいエネルギー、たとえばオイルシェール、タールサンド、こういった非常に高いものにベースを合わせろという要求もございますが、これも行き過ぎた考えだろうと思います。恐らく、むしろ中位の、現在存在いたします石炭でも水力発電でもそうでございますが、多数のエネルギー、ミックスエネルギー、まあそういったものが何とかやっていけるような水準まで石油価格は上がっていく。といたしますと、従来のような、石油は安いということを前提にして立てられた関連エネルギー産業に対する政策そのものの物の考え方、政策の進め方の基本条件がここで変わってきているんだと。ただ、今日の時点では、そのいわゆるエネルギー価格の高位安定という言葉が比較的わかりやすいかと思うのですが、抽象的にはそう申せまずけれど、その高位とは一体どこにおさまるんだというふうに問い詰められますと、初めから降参しておきますが、まだそこのところはかちんと決まっているわけではないと。いわゆる最低価格制とか、いろいろな言葉で呼ばれておりますけれど、いずれにいたしましても、いま私が申しましたような内容の、かなり高目のところで各国間の妥協というものが成立するに違いない。いずれにしてもこれは高いでしょう。それに応じた今後の産業政策の進め方を考えるべきであろう。  もう一つ最後に、一分ほどお時間をいただきたいと思いますが、よくオイルダラーの見通しが問題になります。これもやはり世界の金融情勢、経済情勢を揺さぶるような問題でございますが、お気づきのように、昨年の初めにはワールドハンクが、一九八五年には一兆二千億ドルの膨大な金額になる計算になると。最近は各機関が一斉に発表しておりますように、二千億ドルから二千五百億ドルでピークに達し、その後は漸減するというようなことがございます。これも、先ほど申しました産油国に対する所得保障、工業化の進め方、そして相互の物価のスライドのさせ方ということにより、それらの前提条件のいかんによっていかようにも変わる数字である。ですから、これらの数字が独走的に先走って問題が動くのではない、むしろ、今後のそういう産油国との話し合い、取引関係、貿易関係というものによってこの数字はいかようにも動くだろうということでございますので、必要以上にこういった問題に不安に駆られることもないし、しかしまた決して、とりあえずそうか、物が来そうだ、値段もまあ落ちつきそうだ、後は知らぬ、ということで済むわけのものでもない。なかなかそういう経済協力ということは大変であるということはよく新聞紙上でも伝えられますけれども、そういった点での努力が伴うならば、こういった問題についての懸念というものも、非常に変わってくると申しますか、緩和できるのではないかというふうに考えております。非常にあらましでございましたけれども、以上でございます。(拍手)
  7. 大谷藤之助

    委員長大谷藤之助君) ありがとうございました。     —————————————
  8. 大谷藤之助

    委員長大谷藤之助君) それでは、質疑のある方は、お二人に対し、順次御発言を願います。
  9. 和田静夫

    和田静夫君 税の問題でちょっと一つだけお聞きしたいのですが、現在不況が非常に深刻に、御存じのとおり、なってきて、その対策として徐々に金融が緩和をされつつある。公共事業なども実施の促進が図られる。で、いずれもっと積極的な景気刺激対策がとられるんだろうと思うのですが、こうした需要の喚起を図る政策には、この政策効果として非常に遅いもの、遅効性のものと、速効性のものがありますが、また、その中には一部企業を利するも、のもあれは、たとえば住民税、所得税減税のように、一般市民に直接影響するものもあります。で、従来の政府の政策をずっと振り返ってみますと、不況時の対策にその効果を非常に現象的に急ぐ。その結果、それぞれの対策が、本質的な性質として特っているといいますか、そういう社会的な影響に余り関心が払われなくて不況対策が実施をされる。そういう中で社会的不公正が拡大再生産をされる、こういう主な点を見逃すことができないと少なくとも私は考えるのですが、いろいろの手法の不況対策が持つ特徴あるいは社会的影響、特に現時点で、いま税制との関係で言えば、所得税、住民税の減税の可否ですね、こういう点についてどういうふうにお考えですか。
  10. 和田八束

    公述人和田八束君) 十分お答えができるかどうかわかりませんけれども、需要を喚起するということで、財政政策の上からの効果ということになりますと、やはり従来もそうでしたけれども、公共投資が最も需要効果としては高いというふうに考えられますので、これは引き締めの場合もそうだと思うのですけれども、やはり財政の項目の中では、公共投資の増減というのが最も効果が高いというふうに思われるわけであります。景気政策に対しては、租税役割りというものも通常言われているわけでありまして、税の増税あるいは減税政策というのが外国の場合などでは意識的に行われている場合もあるわけでありますが、わが国の場合には、どうも余り、そうした税制による景気政策というのは、意識的あるいは中心的にとられたということはなかったのではないかというふうに考えるわけであります。  いまお尋ねのように、所得税ないしは住民税の問題ですけれども、現在のわが国税制のあり方というふうなものを見てみますと、そのまま景気政策としてすぐに税制を活用できるというふうな状態にはないのではないか。つまり、税制そのものが非常に不備なところが多いと同時に、非常な不平等内容を持っているということが言えるわけでありまして、この不平等税制是正するということがまず第一であり、そうしてそれを中心として税制を整備するということがまず前提になければ、景気政策としてこれを用いるということは非常に危険であり、好ましくないのではないかというふうに考えているわけであります。  で、住民税の問題について言いましても、現在の住民税の問題では、これは所得税とともに、地方の所得課税というふうにみなすことができるわけですけれども、御承知のように、課税最低限にいたしましても、国税に比べて住民税のほうが低いということになっているわけですし、また税率の点から言いましても、所得税のような累進性が希薄であるということから言いまして、かなり大衆課税になっているということであります。また、所得税で行われているところの特別措置なども、これはまあ住民税の方にはね返っているというふうなところもあるわけでありますので、この際、所得税と住民税とあわせて、住民といいますか、あるいは国民の税負担のあり方、税負担として公平になっているのかどうかということが一番この問題では重要ではないか。まずその点を考えるべきであろうというふうに考えているわけであります。  ちょっとお答えとして外れたかもしれませんけれども、所得税、住民税についての御質問だと思いましたので、一応私はそういうふうな問題が一番重要ではないかというふうに考えているということを申し上げたわけです。
  11. 田中寿美子

    田中寿美子君 付加価値税のことについてお触れになりましたのですが、政府の方の税制調査会では、福祉財源を求めるのに当たって、一番取りやすい間接税とか、それから付加価値税を新設してとろうという考え方があるように思います。検討せよということになっております。私どもも、いま高成長から低成長に向かおうとして、しかも福祉を充実していかなければならないというときにどこに財源を求めるかというとき、大変簡単にそういうふうに行きやすい心配があると思うわけなんです。それで、政府では高福祉負担という場合に、受益者はみんな負担すべきではないかというような考え方間接税の方に行ったりあるいは付加価値税を新設してとろうという考え方になりやすいと思うのですけれども、しかし同時に、政府の国民生活審議会の総合部会の方では、税制のゆがみを是正するに当たって、そういう間接税の方に財源を求めるべきでないというようなことも言われているわけなんですね。それにもかかわらずその動きがあるということについてもう少し御説明をいただきたいし、それから間接税と直接税の割合のことなんですが、アメリカと日本では直接税の比率がはるかに大きい。日本の場合は七十五対二十五ぐらいの割合で直接税の方が多過ぎるというような考え方が流布されているように思うんですが、そのことはどういうふうにお考えになるか。福祉財源を考えるときに、直接税で公正な、先ほどからおっしゃっておりますけれども、高額所得者から累進的に取っていくということが福祉の精神にも沿うし、それから不公正の是正にもなるというふうに考えるのですが、税制というのは所得再配分の機能を果たすべきだという観点からすると、付加価値税は導入すべきではないというふうに私も思っているわけなんですが、その点。  それからもう一点は富裕税のことなんですけれども、先生は富裕税を設置して不平等是正を図るべきではないかというふうに言われたと思いますが、それじゃどういうふうなところで富裕税を取る可能性があるか、富裕税の新設を考える場合にどういう取り方をしたらいいかというふうにお思いになられるか。その二点をお伺いしたいと思います。
  12. 和田八束

    公述人和田八束君) 付加価値税問題ですけれども、付加価値税につきましては、いわゆる一般消費税としての付加価値税ということで問題になっていると思われるわけです。そのほか、御承知のように付加価値税につきましては、シャウプ勧告でありました企業税といいますか、地方事業税、事業税を付加価値標準で課税するという、こういう意味合いでの付加価値税問題もあるわけですし、かつてあったわけであります。この点につきましては地方税の問題になるわけですけれども、現在の地方の都道府県税である事業税の課税標準が必ずしも好ましくないという、つまり景気がよくて所得増大するときには税収も伸びるわけですけれども、現在のように不況で企業所得がないという場合には著しく減ずる。そのことによって都道府県財政がかなり不安定になるという問題があるわけでありまして、ですから所得標準以外に、売上高標準とかあるいは資本金を標準にするとかというふうなケースも考えられるわけですけれども、むしろ所得よりも付加価値のほうがいいのではないかというふうな議論もあるわけでありまして、この点につきましては、私もこの所得標準というものを再検討する必要があるというふうに考えているわけですけれども、ただ、付加価値税問題というのは、それとは別に国税としての一般消費税として考えられている、つまり間接税として考えられている部分が大きいわけであります。  この場合には直接税と間接税との比率ということで、いまのお話にもありましたように、各国を見てみますと、直接税中心国とそれから間接税中心国というふうに分かれているわけでありまして、概してわが国とかあるいはアメリカ、イギリスなどでは直接税中心主義でありますし、西ドイツなどは大体半分でありますし、それからそのほかのラテン系のヨーロッパ諸国では間接税の割合の方が高いということになっているわけです。これは租税論の立場から言いますと、所得再分配効果は直接税の方が高いわけですし、租税負担の平等という点から言えば直接税中心の方が妥当であるということになっているわけですけれども、それぞれの国の沿革等がありまして、現状のようにかなり分かれているということであります。  わが国の場合には、幸いに従来直接税中心主義をとってきたわけでありまして、直接税——所得税法人税を中心として租税体系がつくられてきたわけでありますので、ヨーロッパ諸国に比べればそれだけ税の公平の度合いが高いというふうに考えられるわけであります。しかし、それだけで公平になっているかどうかということは言えないわけでありまして、所得税中心であるにもかかわらず、所得税制あるいは法人税制そのものがかなり不平等になっておりますので、表面的に直接税中心であるからといって、全体として公平であるということは言えないわけですけれども、しかし、直接税と間接税というふうに分けてみますと、直接税の方が高いということは、これはやはり平等税制に近づけられる可能性が高いわけですので、こういう税制体系というのは、ヨーロッパ諸国に比べればむしろ好ましい。もちろん直接税、間接税というのは一体どういうものかということにつきましてもこれは議論があるところでありますし、また直接税の転嫁問題ということを取り上げれば、なかなかこれは単純には議論できないところでありますけれども、一応そのように考えていいのではないかと思うわけです。  それからもう一つは、現在のわが国間接税は主として物品税からなっている、つまり個別消費税から成り立っているわけですけれども、この個別消費税自体が果たして妥当かどうかという問題があるわけであります。かなり、個別消費税でありますので、個々の税率でありますとか、あるいは課税の仕方、つまり従量課税になっている部分もありますし、それから従価税になっている部分もありますし一それから物品税などの場合には、主として奢侈品課税ということになっているわけでありますけれども必ずしも奢侈品課税ではないという点でありますとか、そのような間接税自体の持っている混乱した状態というものがあるわけでありまして、これをひとつすっきりさせる必要があるのではないかということから言えば、付加価値税に一本化するということはすっきりすることになるわけであります。  ですから、かなりその辺のところからも総合的に判断されなければならないわけでありますけれども、仮に現在の間接税に加えてこの付加価値税を導入するということになりますと、これはすべて小売価格に転嫁する、つまり消費者に転嫁する税でありますので、その分だけみんな物価が上がるということはこれはもう明らかなことでありまして、その課税分についてだけ上がるのではなくて、その課税の際にさらに物価が上がるということも十分に考えられるわけでありますので、物価抑制という課題から言いますと付加価値税の導入は好ましくないわけでありまして、EC諸国におきましても、付加価値税の導入によって物価が上がったということは、これはもう経験済みのところでありますので、物価問題という点から言いましても、付加価値税の導入は好ましくない。それから税全体の問題から言いましても、先ほど言いましたように、間接税強化ということは好ましくないということが言えるわけでございます。  むしろ、現在のわが国でやるべき点はほかに幾らでもあるわけでありまして、確かに今後公共部門の役割りが拡大する、あるいは福祉のための財政支出を増大させなければいけない、あるいは地方財政などにおきましても財政需要は非常に増大してきているわけでありますが、こうした課題財政がこたえていくというためには、これは財源が必要であるということは言うまでもないことであります。この財源をどこに求めるのかということで言えば、付加価値税が最も簡単であるということなのかもしれませんけれども、そうではなくて、ほかに税の不平等な側面というものを是正することによって財源はかなり得られるということは明らかなことだと思うのです。  その点で言えば、所得税については、最も問題になるのは資産に対する課税が不十分であるということでありまして、特に利子配当所得あるいはキャピタルゲイン課税などがほとんど野放しになっている状態、それから土地の譲渡所得課税についてもさらに強化する必要があるということ、それから法人課税について言いますと、法人税率が昨年度、四十九年度ですか、表面税率四〇%に上がったわけですけれども、実際の負担率というのは租税特別措置の影響等からかなり低くなっているわけであります。西ドイツなどでは、最近法人税制改正によって税率を引き上げるという措置をとってきておるわけでありまして、国際的に見ましても、なおこの現在の四〇%という税率は低いというふうに見ざるを得ないわけですけれども、それでもなおその実質負担率というのは低いという状態であります。あるいはその点について言えば、現在の法人擬制説的な税制というものが、たとえば受け取り配当の益金不算入というふうな措置をも生み出してくるわけでありますので、こうした税制の持っている基本的諸問題を洗い直して公正な課税をするということにすれば、現在財政の側で必要としているところの財源というものは、かなりの程度拡大できるというふうに考えられるわけであります。  したがって、一口で言えば、現在わが国で必要な問題は、新税を設けることではなくて、従来の税制を洗い直して一層平等な公平な税制に改めるということが、すなわちこれが税制上の福祉であると同時に財政上の福祉を保障するものである、こういうふうに考えているわけであります。  その上でこの富裕税の問題も、先ほど申し上げましたけれども、所得税を補完するものとして導入すべきではないかということであります、これはすでにシャウプ勧告において富裕税というのはとられていたわけでありまして、シャウプ勧告では所得税の最高税率を五五%にしたわけであります。つまりシャウプ使節団の考え方では、この所得税の最高税率を余り高くしてもこれは税が逃げるわけであって捕捉率が非常に低くなるので、余り高くすることは好ましくないという考え方を持っていたわけでありますしそのかわりに、その分については富裕税で網をかけようということで、この勧告におきましては課税最低限を二百万円として、税率を〇・五%から始まって三%という、四段階の税率を採用していたわけであります。その課税標準は、いわゆる財産に対して課税をするという形になっていたわけであります。  それから諸外国の例を見ましても、現在ヨーロッパ諸国では、西ドイツの純財産税というのがあるわけですけれども、そのほかスウェーデン、ノルウェー、オランダ、フィンランド、デンマーク、オーストリア等々西欧、北欧諸国ではほとんど採用されているわけでありまして、スウェーデンの場合には、課税対象としては不動産、土地の賃借権、事業用の機械装置、原料、現金、公社債、預金、債券、株式、それからさらに個人用の不動産としてオートバイとか自動車とか、ヨット、モーターボートなどの奢侈品なども含めているわけであります、そして一定の少額免税ないし基礎控除を置いたり、あるいは西ドイツの場合には人的控除も設けるというふうなことになっているわけであります。それから税率の点では、比例税率ないしは軽度の累進税率になっているようでありまして、西ドイツの場合では税率一%の比例税率、あるいはスウェーデンでは軽度な累進税率として、大体〇・五%から〇・八%を経て一・八%ぐらいの、大体五段階ないし六段階ぐらいの税率を採用しているということになっているわけであります。  こういうふうに各国でかなり形は違っておりますので、わが国の場合でも、これは高所得との関係で、先ほどのシャウプ勧告にもありますように、一体最高税率をどの辺まで押さえるのか、そしてその最高税率の適用所得のどの辺で区切りをつけて、その上層の所得層に対してどれぐらいの税率をかければ高額所得負担率がどれぐらいになるかというふうなことを具体的に判断して、そして課税対象につきましても諸外国の例なども参照しながら、実際の固定資産、あるいは金融資産、あるいはその他の資産なども含めるという形で考えられなければならないのではないか。各国に例が非常に多いわけですので、その点で言えば、かなり具体的に検討できるのではないかと、こういうふうに考えているわけであります。
  13. 松永忠二

    ○松永忠二君 ちょっとお聞きいたしますが、税の負担率の問題ですが、国際的に比較してみて日本税負担率は低い、あるいはまた社会保険なんかの負担も非常に低いというようなことをよく言われるわけで、これについては結果的にもう少し負担率を高くするにはいかぬものなのか、この税負担率そのものが、いまお話のようにただ平均したものであって、どこから一体負担がかかっているのかというような問題は何ら表現をされてない、それからまた税そのものが、国民の生活水準でも環境水準のようなものであるとか、どういう生活の中でこの税が取られているかという、そういうことも問題があると思うわけです、しかし、結果的には財政負担はだんだん多くなるし、成長率は下がってくるし、そういう意味から言えば、税の負担率は、税というものはどこから取っていかないといけないものか。大体この程度負担率であって、しかも税の取り方というところに問題点があるのか。そういう問題点のあることはいまお話のあったことだけれども、そういうことをやることによって全体的にやはりもう少し負担率が高められていくべき筋合いのものなのかしよく、国際水準の中で国民の税負担率は日本は非常に低いんだというような、こういう一般的な表現のしかたをしている問題について、先生がどういうふうなお考えを持っていられるのか、お聞かせをいただきたいと思う。
  14. 和田八束

    公述人和田八束君) 御指摘のように、わが国税負担率は——この税負担率という場合は租税負担率ですけれども、諸外国に比べれば低いという実情にあるわけです。  租税負担率というのは、いまもお話がございましたように、ただ国民所得に対する総租税収入額を国民所得で割った数値でありますので、一体どういう層がどれだけの税を負担しているのかというふうな具体的な租税負担の実態をあらわした数字ではないわけでありまして、マクロ的に国民所得、別の言葉で言えば、一年間の総付加価値の中からどれだけ租税として控除されたかという単純な数値でありますので、これでもって税負担の状況を云々するということはもちろんできないわけであります。しかし一体、このいわゆる公共部門といいますか、政府部門といいますか、これが国民経済全体の中でどれぐらいのウエートを占めているのかということについてはわかるわけであります、つまり、わが国が租税負担率が低いということはそれだけ公共部門のウェートが低い。つまり、民間部門のウエートが高いということになっているわけでありまして、国民総支出の内容から見てみましても、わが国は諸外国に比べて個人消費支出が低いわけですし、それから政府支出も割合として低いわけで、高いのは、従来民間設備投資が非常に高かったというふうな状態になっているわけであります。  こうした状態が、従来のわが国の高度成長型あるいは超高度成長型経済を形成していたわけであり、またそれを逆に言えば、低福祉社会を築いてきたんだということになるわけであります。したがいまして、公共部門を拡大することによって、いわゆる高福祉型社会をつくっていかなければならないということは、これは国民全体が考えているところだろうと思うわけであります。  そこで、租税負担率を高くすることによって高福祉実現するという意味合いで高福祉負担という、こういう言葉もよく聞かれるわけですけれども、高福祉負担という言葉で言われている場合には、しばしば租税負担率を高くすれば高福祉実現するんだ、あるいは租税負担率を高くするということは、すなわち国民全体が租税負担が高くなることを承認するといいますか、こういうことであるというような意味合いで用いられているようでありますけれども、そうなりますと、ちょっと意味合いが違うわけでありまして、まず、高福祉負担という場合に、租税負担率が高くなれば高福祉になるという、こういうことは言えないわけでありまして、国民所得に対する租税負担が高くなっても、これは軍事支出に多く使われるというケースもあるでしょうし、それから産業基盤的な公共投資に多く使われるというケースもありますので、ストレートにこれが高福祉実現するということではないわけであります。つまり、財政支出の内容がどれだけ高福祉型になっているのか、高福祉実現できるような形になっているのかということが重要でありまして、そういう財政支出の基本的な形というものを前提にして福祉が進行していく、福祉財政が進行していく。その過程で次第に租税負担率が高くなってくるということになると思われるわけでありますし。  ヨーロッパの場合には、大体租税負担率が三〇%から、場合によっては四〇%ぐらいになっているところもあるわけでありますけれども、これはこのように負担率を一挙に高めたから高福祉になったのじゃなくて、高福祉社会を目指して着々と進めてくることによってそのような負担率になり、そのことが国民に対する公共サービスなり、あるいは公共施設の拡充という形になって、租税負担率が高くなるということが次第に国民にとってもマイナスにならないわけでありまして、租税負担以上のものが政府からサービスとして返ってくるわけでありますので、租税負担率が高くなるということが何ら国民に対してマイナスにならないという結果になっているということであります、つまり、高福祉負担ということは、いわゆる、まず、負担を高めるということでは本末転倒であって、まず福祉を高めるということが先行しなければならないだろうと、こういうふうに考えるわけであります。  それからまた、わが国の租税負担の実情ということを見てみますと、これは先ほど言いましたように、きわめて不公正な実態にありますので、この辺を改めれば、たとえばキャピタルゲインに課税をするとかあるいは租税特別措置を廃止するということで、ちょっと数字ははっきりしませんけれども、かなりの、少なくとも一兆円を超え、場合によっては数兆円に及ぶような収入が出てくるわけでありますので、そうなりますと、自動的に租税負担率も高くなるということになるわけであります。ですから、この点で言えば、まず財政面における福祉路線といいますか、あるいは福祉型といいますか、これを確立するということと、税制における平等を実現する、このことがいわゆる高福祉負担実現ではないかと、このように考えているわけであります。
  15. 大谷藤之助

    委員長大谷藤之助君) 念のために申しますけれども、高垣公述人に対する御質問もあわせて行なっていただいてけっこうでございます。
  16. 小笠公韶

    小笠公韶君 それでは和田先生にお伺いいたしたい。  先ほどいろいろお話がございましたが、法人課税の問題が何といっても最も大きい問題の一つだと思うのでありますが、先生のお話では、法人に何といいますか、累進課税をしけと、こういうふうなお話があるようでありますが、累進課税をしくといたしましても、先ほどお話がございましたように、所得あるいは資本金額とかいうふうな標準をとったらどうかと申しておられたように聞いたんでありますが、非常にむずかしい問題であると私は思うのであります。特に法人擬制説、法人実在説というような基本的な法人に対する考え方の相違から、なかなかむずかしい問題が出てくると思うのであります。長らく日本は擬制説に立って今日まで来ておる。それをすぐそのままに、いわゆる累進税率を持っていくことはなかなかむずかしいのではないかと実は考えるものであります。  それから、特に法人重課の趣旨からたびたびお話がございましたが、租税特別措置の全廃のお話がございましたが、租税特別措置の問題につきましては、御承知のとおりそれぞれの政策目標を立てて、その目的を遂行する一助として税制をかりておるわけであります。現在、いろいろ御議論がございまして、大企業向けの特別措置というものは順次整理されてきておることもまた御承知のとおりであります。今日、公害とか、あるいは立地とか、あるいは技術開発とか等々、公共的なもの、あるいは急速にやることが必要なもの、他の手段——補助金とかあるいは金融とかいう手段によって誘導することよりも、税体系を使うことのほうがよりベターにいけるというようなもの、たとえば行政費が安くなるとか、いろいろな問題の観点から租税特別措置法というものがいま存続しておるわけであります。したがいまして、いまお話しのように、租税特別措置法を単純にやめてしまうということは、いわゆる政策達成のために適当かどうか、私は若干の疑問を持つものでありますが、先生すっかりやめちまえと、はっきり言っておられますから、意見が違うかもしれませんが、そういう感じがいたします。  それから、先ほど御質問の中に、富裕税のお話についていろいろお話がございました。所得税の補完的税制としての富裕税あるいは財産税の問題ですが、これを実施するに当たって一つの問題は、日本の現状において各個人財産捕捉というものが公平にできるかどうか。先ほど北欧の例をいろいろお述べになられましたが、それもそうでありましょう。日本で言えば、さらに書画骨とうがある、宝石がある、いろいろな問題が出て、それの捕捉をできるだけの行政能力が日本の現在にあろだろうか。もし行政能力が十分に備わらないのに富裕税をやると、非常に不公平な形になってくるのではないかと心配するのでありますが、現在の所得税体系だけで不十分だということもありましょうが、それを補うのには富裕税が適当かどうか、技術的に問題が非常に残りはせぬかと、こういう感じがいたします。その点について、先ほどのお話で大体わかっているのでありますが、お話を伺いたいと思います。  それから、高垣さんに一つお伺いいたしたいのでありますが、先ほどエネルギーの動向、特に石油の今後の動向についての見通しのお話がございました。特にこれまで、石油はいわゆるメジャー、国際石油資本によって採掘され、かつこれが流通されてきたのであります。最近のOPECを中心とする産油国の動きは御承知のとおりでありますが、今後のメジャーというものの立場が、石油生産、販売においてどういう位置になるのか。先ほどのお話は聞き違えたかもしれませんが、いわゆる産油国と消費国の直接取引、DD原油のような形で動いていくだろうと、こういうようにお話しがございましたが、メジヤーの立場というものはどう動いていくのか。私は、このメジャーの動向いかんは、日本に対する石油供給の安定という点から見て非常に重大問題であると思うのであります。その点についてお話を伺いたい。  以上であります。
  17. 和田八束

    公述人和田八束君) まず、法人税の問題で、累進税率を採用するということはきわめてむずかしい問題ではないかというお話ですが、確かに非常にむずかしい問題だろうと思います。これはまず第一に理論的に言って非常にむずかしいです。し、また実際上も非常にむずかしい問題だろうと思います。事実、各国においても、法人税については累進税を採用しているという場合はきわめてまれでありまして、同族会社などについて累進税ないしは段階税率を採用している、たとえば西ドイツなどはありますけれども、全体について累進税を採用しているというところは現にない。これは単に法人擬制説だからそうだということではなくて、法人実在説的な考え方を採用している場合でもそうでありますし、また法人擬制説、実在説というのも必ずしも明確な概念ではないわけでありまして、実在説でありましても、いわゆる法人個人との二重課税調整ということはいずれにしてもやっているようでありますので、土重課税調整ということをやる場合には、累進税の採用というのはかなりむずかしくなってくる、技術的にむずかしくなってくるというふうに思うわけであります。つまり、理論的にも技術的にもむずかしいということであります。  しかしながら、現在の大企業というものの所得といいますか、利潤といいますか、これをどのように社会的に管理するといいますか、あるいは還元するといいますか、こういうことがこれからの社会では必要であると思われますので、したがって、法人税の問題あるいは法人所得の問題というのは新しい観点で見直すべきではないか。必ずしも、その点については各国の例ということにこだわるのではなくて、わが国が最も先進的な新しい考え方を導入するということも必要なのではないか。つまり、現在の大企業というのは必ずしも個人的な企業の延長というふうには考えられないわけでありまして、きわめて大きな社会的な性格を持っており、これは経済全体あるいは物価の動向、政治、経済全体にわたってきわめて大きな影響力を持っているわけでありますので、こうした影響力を持って、また社会あるいは経済全体の中で達成されているところの大企業の利潤というものを、社会的に還元、管理していくということは、社会の公正という観点からいって重要な問題だろうと思いますので、したがいまして、この点では擬制説あるいは実在説というふうな従来の法人税理論を超えたところでひとつ問題にできないか、あるいはする必要があるのではないかというふうに考えるわけであります。ですから累進税の問題も、従来の理論上のレベルあるいは従来の技術上のレベルを超えて、これをもっと大きな観点で実現できるような考え方に切りかえていかなければならないのではないか、こういう意味合いであります。  それから、租税特別措置につきましても、これは全部不必要であるということは必ずしも言えないかもしれませんけれども、全体に錯綜してきておりますし、従来古いものもあったり、あるいはその上に新しいものもつけ加わったりしておりますので、ここで全廃をするというぐらいの気持ちで再検討する。どうしても必要なものというのは出てくるかもしれませんけれども、しかし、できるだけ所得税法あるいは法人税法の中でそれらを扱うようにして、租税特別措置法というふうな形でこれが拡大していくということは、やはり税制上望ましいことではないということはだれしも考えるところだろうと思います。  現在公害でありますとか、あるいは社会的な性格を持った特別措置が確かに多くなってきておりますけれども、公害などは、確かにこれは公害対策というのは必要でありますけれども、これを特別措置で行うということは公害企業に対するやはり補助金ないしは特別融資という形になるわけでありますので、やはり公害の防止というのは原因者負担の原則というのがございますので、やはり原因者負担の原則というものに立てば、このような特別措置によって補助金的あるいは特別融資的なもので援助するべきではないだろう。税体系の中で必要なものがあるとしても、これは明確に、それがそれだけの効果があって、したがって必要であるということの証明というのは必ずしも国民の前に明らかになっておりませんので、必要なものがあるとすれば、それはこの点で必要なんだという明確な証明というものがまず必要だろう、このように考えるわけであります。  そのほか国民生活に関連のある、たとえば住宅に対する特別措置でありますとか、あるいは住宅貯蓄あるいは家屋の取得等に対する特別措置などもありますけれども、これらは、やはり特別措置で行うというよりも、私は住宅政策なりあるいは土地対策というものにもつと力を入れることによって、若干の租税的な優遇でもって事足れりということではなくて、実際に公共住宅などによって住宅を保障するということが必要だろうと、こういうふうに考えているわけであります。  富裕税につきましても、これは捕捉が不十分であり、行政能力の上からいってどうかというふうなお話であったわけですけれども、その辺になりますと、私も果たして行政能力的に可能かどうかということは確信があるわけではないわけですけれども、しかし、そういうふうになりますと、かなりいろいろな税の上でやはり一〇〇%捕捉しているというものはこれはないわけでありますし、行政能力が完全であるということで実施されているというのは少ないのではないかというふうに考えるわけであります。で、富裕税が実際に導入されたにしても、その対象となる人員というのはそれほど多くないわけでありますので、まあ、わが国の国税庁等の行政能力からいって全く不可能であるということは言えないと思いますので、まず必要なものであれば、それに対してどのような行政的な対応をするかということ、そういう前向きてひとつ検討すれば——すればというよりはしなければならないのではないかと、その上で行政能力が全くないということになりますと、これはちょっと困るわけですけれども、まあ全くないというふうには私は考えておりませんので、ひとつ、もしも社会的に見て必要なものであるとすれば、それに対応するような行政的な整備をしてほしいと、こういうふうに考えるわけであります。  ちょっとお答えとして不十分かもしれませんけれども、一応そんなことで……。
  18. 高垣節夫

    公述人高垣節夫君) 先ほどの御質問に関しましては、私の説明が不十分だったかもしれません。多少お受け取り方を修正していただければと思います。  と申しますのは、今後、資源保有国がその資源を処分する権利は一〇〇%その国が持つであろうというふうに申し上げたわけでございますが、あわせて、しかし実際に海を出まして物が運ばれ、貿易するとき、だれがそれを担当するかという点になれば、やはり国際石油会社がかなりの部分を占めるでしょうということをあわせて申し上げましたように、基本的に資源保有国がその資源を保有するのであるということと、実際の貿易が直ちに一〇〇%DD原油という形をとるかどうかということは別問題でございまして、重要なのは、その資源を処分する権利というものが向こうに属するわけですから、それと話し合いをつけなければ、先ほどの石油危機の際もそうでございましたけれども、どこどこへ向けては、敵性国家については輸出するな、こういう制約があり得るということでございます。  問題はむしろ、多少俗な感覚になるかもしれませんが、一体メジャーはこれからどうなるんだろうかというようなことになりますと、やはりこれは、産油国が自分で商売をしたいというようなことになってまいりましょうから、それだけ取り扱い量も、自分で取り扱える設備を持ち、輸送設備、販売設備をつくってまいりますと、現にそういう動きがかなりございますから、その分だけはメジャーの取り扱い量は後退せざるを得ないだろう。で、どういうところからこの数字を割り出すかというのは問題でございますが、現実に販売設備を持っておる、あるいは原油の処理設備を持っておるという観点から考えますと、メジャーの持っておる比率は約五割、それから原油の取り扱い量につきましては、他の業者に対してあっせん販売をしておるこれが、約一五%見当と見てよろしいかと思います。そういったあたりを合計いたしますと、ともかく当面全産油量の七割方のものを取り扱うのが適当ではないか、これはイランの国王もそういうことを言っておりますけれども、まず当面の目安はそんなことではなかろうか。しかし、わが国でもメジャーから民族系の石油会社は油の供給を受けておりますけれども、これはやはり独自の商売をするようになりましょうから、行く行くはメジャーのウェートというものは五〇%見当というふうに変わっていくというふうに考えてよろしいのではなかろうかと思います。  で、メジャー自身についてどういうことになるだろうかというのも、かなり重要なファクターでございますけれども、これは一つ重要なポイントは、昔、産油国の王様に話をつけまして、その資源は全部自分が排他的に独占的に処分する権利をもらったんだ、そういたしますと、販売する力はないけれども、とにかく資源だけは持っているんだ、要るものは来い、高く売りつけてやる、そこに非常に大きな中間マージンを生む、こういうような体制が現実にあった。いわゆるアンシャンレジームで植民地的な体制でございますけれども、そういうようなことは認められないというのが最近の動きの趣旨であろうかと思います。具体的に申しますと、同じ国際石油会社の中にも、販売力の強い会社もございますし、それから資源だけ持っておるという会社もございまして非常にアンバランスがあるということで、これから各企業の動きと申しますのは、やはり現実に販売する力のあるものがそれに応じた資源を与えられる、認められる、こういうことが基本になるだろうと思います。いわゆる利権と特殊権益を持ちまして、その上に大あぐらをかいておるという体制は今後は認めない、つまり企業の姿勢を正すということがかなり大きな問題になっていると思います。  これと、最初に申しました産油国が自分で商売をするということは非常に密接に関係がございまして、自分の国の資源はこれこれの値段で売ったけれども、消費地においては非常に高い値段で売られておる、その間のマージンは一体だれが取ったか、こういう問題は昔からくすぶっておるわけでございます。この疑問を解くために自分自身で商売をしてみる、だれがどこでそのマージンをかすめていったか、こういう疑いを持っておるわけでございます、産油国の側は。  実際には、わが国の市場を見ましても、それほど大きな中間マージンが発生しておるとは考えられませんけれども、やはり産油国は、すでに数十年来そういう消しがたい疑惑を持っている人たちでございますから、そういう人たちが立場に参入して営業の実態というものをよく見まして、一種のこれは、はっきり言えば企業監視体制というような、いわゆる一貫操業会社のどこに利潤が隠されているのか、よく言われますが、多国籍企業が、一番税金の安い国へ計算の基点を置いて、そうして節税を行うというように申しますが、そういうようなことは非常に困るのだと、得られる利益は全部資源の保有国にもらいたいというようなこともございます。結論的に言えば、そういうことをしてみても、これ以上大きな金額は発生すると思いませんけれども、一つの産業体制の問題として、従来の国際石油会社のあり方を問うという意味で産油国の動きが出ておるのだということでございます。これらを受けて国際石油会社の運営方針というものが今後内容的に相当変わってくるのじゃないかと思います。
  19. 矢野登

    ○矢野登君 高垣先生にお伺いしたいと思いますが、原油の確保がどうなるのか、原油の価格がどうなるかということ、これは国民全体が非常に大きい関心を持っておる問題でございましたが、非常に細かに御解明をいただきまして、きょうの結果が発表されましたら、国民は非常に喜ぶのではないかというように考えておりますが、そこで、原油の確保のほうは、当分七〇%を超えているアラブ諸国に依存しておってもよろしいのかというような感じがするわけでございますが、さらにこの価格の面は、御承知のように、七三年のアラブ、イスラエルの紛争後四倍に、バーレル当たり現在実勢価格で十ドルを計算しておると思うのですが、これがどの程度までが適正と言えるか、国際交渉でこれがどの程度まで折衝をすることができるか、こういう見通しについてお伺いしたいと思うのですが、どうもアメリカの政府のこの原油問題についてのあわて方というのはちょっと想像に及ばないものがあります。キッシンジャーのごときは、武力に訴えてもこの原油を確保するというようなことを豪語しているような状態からいって、日本政府の現在進んでいるこの石油対策というのが、これでいいのかなあというようなことを感ずることが再々あるのですが、こういう問題についてもひとつ先生のお考えをお願いしたい。  それからもう一つは、長い懸案でございますが、原油の輸入先を分散すべきであるということ、ちょっと先生のお話もございましたが、御承知のように、ペルシャ湾沿岸の各国はどうも火薬庫的な地球上の存在であるというようなことを感じておるのですが、こういう一カ所に依存しておって日本の将来の原油の確保というものが安心していられるかどうか。こういう点から言って分散して輸入先を考えるべきである。しかし御承知のように、石油の埋蔵量が非常に偏っておりますので、分散するとすれば、その適当な産油国があるかどうかという問題が問題になるかと思うのですが、こうした問題についてお伺いしたい。  それからもう一つ、この原油輸入に対して関税がかけられております。これは世界各国どこを見ても石油の輸入関税をかけておる国はございません。日本だけでございます。アメリカが一昨年まであったように感じておりますが、これは廃止されました。しかも、その量において非常に日本の輸入関税が高いということ、これが原油輸入の障壁にならないか。あるいは産油国あたりは、どうも輸入関税までかけておるというような状態でもし原油が高いとすれば、そうしたものをなくしたらいいんじゃないかと、こんなことまで言っておるようでございますが、どうも不合理なこの輸入関税というもの、現在のところ使い道が非常に石炭関係に使われておりますので、この石炭関係の予算というものは次に考えなければいけないと思うのですが、こういうのは対外的に考えても検討すべき問題ではないかと、こういうふうに思いますが、先生の御見解をお願いしたい。  それからもう一つ、新しいエネルギーという問題が非常に議論されております。サンシャイン計画による太陽熱が今後、非常に熱意を持って開発に進んでおります。それから地熱エネルギーとか石炭のガス化、それから原子力、これはもう現在着手して進んでおるわけでございます。これは国民感情から言って、なかなか原子力の開発というのは容易ではないのではないかと思っておりますが、先ごろ横浜国大の先生が、何雑誌であったか発表しておったのを私選挙中に拝見したのです。水素エネルギーの開発というものが、非常に公害もなし将来有望である、特に四海海に囲まれた日本の場合は、これが早急に進められるべきものであるというような論文を見たのですが、選挙を終わってからそれを見たいと思ったのですが、なくしてしまいまして。この水素エネルギーの開発の問題などはどういう見通しを持っておられるか、こういう点についてお話しをいただければお願いします。
  20. 高垣節夫

    公述人高垣節夫君) 非常に多岐にわたる問題でございましたけれども、やはり集約点は、価格ないしそれを調整いたします関税制度その他ということにまたしぼれるのではないかという感じもいたします。  価格がどのあたりに落ちつくだろうかということは、先ほどあまり詳しいことを申しませんでしたけれども、一つ重要なのは、各国が七ドルないし十一ドルの幅で考える、これはアメリカでございますが、そういった場合に、一九七三年価格で物を言うというただし書きがついておる。この点を御注目願いたいと思います。大体、昨年の暮れぐらいまでのアメリカの物価上昇率を見ますと、一九七三年の七月、つまり石油危機勃発直前でございますが、その時点から見ますと約三割方卸売物価が上昇しておる。もし、これをデフレーターとして使用いたしますと、現在言われております十ドル何がしという原油の価格は、実はハドル見当に下がっておる。七ドルとか九ドルとか申しますけれども、そういう相対価格で物を言っておるんだ。まあ、よく私はそういう意味で相対価格は下がっているんだ、実質的には下がっているんだということを言うと、じゃ、すぐ日本でも値段を下げろというような話が出るのでございますが、これは逆でございまして、逆に向こうの値段が据え置かれたまま、日本からの輸出価格あるいは国内の物価というものが上昇いたしますと、表面上、名目的にはかなり上がったように見えましたけれども、実は徐々にディスカウント、割引されていっていたと、この結果が、昨年一年のあの大幅な石油の値上がりにもかかわらず、貿易収支が改善した。鉄鉱その他の重要輸出品目が約二倍に単価が上がっておるというようなことがございまして、わが国の貿易収支が何とか保てた。基本にはこちらの売り値も相当上がったんですと、こういうことでございます。  この関係を私自身非常に驚いたのでございますが、昨年の九月、ヨーロッパないしOPECの本部を回ってみまして、律義に正確に先進工業国の物価上昇にスライドさせる考え方はない、そのことが昨年の十二月来OPEC諸国でも確認されまして、今年一年は据え置きましょうと。わが国にも非常によい結果をもたらしておりますが、世界各国インフレが仮にことし一〇%見当なお進んで、名目価格が据え置かれるとなりますと、これは恐らく七ドル二十見当というようなことになってまいりますので、言ってみればアメリカのエネルギー政策が七ないし十一ドルと、七ドルに下げろとか、云々とか言っておりますけれど、これは名目価格がこのまま据え置かれますと、やや自動的にと言ってもいいぐらいにそこへ到達する。そこまで産油国が自制したということであろうかと思います。  じゃ、どこまでこの価格は修正されるだろうかということになりますと、一月の終わりに開催されました産油国の首脳会議では、アルジェリアの提案としまして、七五年の据え置きは無論のこと、七六年、七七年二年間にわたって、先進国の物価上昇から一〇ないし二〇%ずらせて、より低目のスライドしかしないということを言っておりますので、これが公にされているということは、産油国側の一つのオファー、提案でございまして、交渉次第でもう少し何とかなるかもしれません。私の荒っぽい計算では、七ドル前後がせいぜいではなかろうか、産油国の言い分そのものがそんなところにある。それでもなおかつ従来の——従来と申しますのは石油危機以前の値段でございますが、せいぜい三ドルまではいかなかった。約二倍ということになってくるかと思います。で、この価格が、先ほども申しましたけれども、圧倒的に石油が安い、安く売られるという状態からやや高目のところに、恐らくこの価格は他の、先ほどの例に上せましたように、ヨーロッパの石炭であるとか、アメリカの石炭も無論のこと、わが国の石炭にいきなりこれは適用できるかどうか、少し綿密に計算してみないとわかりませんけれども、ともかく他の競争燃料に対する圧力を減じていることは、これは言うまでもないということでございます。  そうすることによって、次の問題に移ってまいりますが、いま供給源の分散をというお話がございました。石油もそういうふうに上がってまいりますと、北海とかアラスカとかあるいは東シナ海とか、すべて含んでよろしゅうございますが、新しい開発が容易になるということは当然でございます。あわせまして他の種類のエネルギーの開発も、これは有利になることも同様でございます。そこで、石油一辺倒の六〇年代から、今後はいろいろな種類のエネルギーの組み合わせという時代になるでしょう、それに合わせた産業政策というものをここで基本的に考えないといけないのではなかろうかというふうに申し上げたわけでございます。  従来で申しますと、先ほどの繰り返しになりますが、石油が非常に安くて、他のエネルギー供給産業は発展を停止するか、あるいは縮小するというような状態で、その調整財源として原重油関税というものがあったわけでございます。これは他の国に例がないという御指摘でございましたが、西ドイツのように国内の消費税という形で取っているケースもございますし、その趣旨というものは必ずしも日本が独特のものではございませんで、いわゆるエネルギー対策税源という形で、関税で取るかあるいは消費税で取るか、多様でございましたが、ともかくそういうものがあったのだということでございます。ただ、今後その運用、使途、あるいは名目につきましても、いきなり原重油関税、そうして石炭特別会計という形につながっていく、その姿がそれでよろしいものかどうか、これはきわめて私見でございますが、わが国の石炭鉱業をとりましても、もう少し、エネルギー価格全般が上がる状態でございますから、いわゆる石炭価格というものもそういった将来の長期の水準に合わせて是正いたしまして、つまり従来は財政的な援助によって何とか縮小を続けて、低位の安定という状態でございましたが、できることならば、これがいわゆる経済ベースに乗った形での安定操業になれるような姿に切りかえるということが、一つ私は考えられるのではなかろうか。  そういたしますと、その大半は企業の自主的な行動というものでかなり解決できる余地ができるだろうと思いますが、じゃ、いまの原重油関税をどうするかという問題がございますが、来年度の予算にもございますように、さて、そのエネルギー問題はここで全部片づいたかというとそうではございませんで、備蓄の費用その他にもあらわれておりますように、抽象的に申しましてエネルギー対策財源というものは、引き続き何らかの形で要るかもしれない。それが一体原重油関税という形をとるべきなのか、ドイツのように消費税という形をとるべきなのか、いろいろ問題があると思いますが、要するに、やはり長期エネルギー開発あるいは供給確保というためには、そういった一つ財源というものを、エネルギー特別会計とか、昔からいろいろ名前は出ているのでございますが、そういうシステムというものは必要かもしれないというふうに思います。  もう一つ、先ほどの供給源の多様化にもかかわることでございますが、新しいエネルギー開発をどう考えるか。これも、そのいまのエネルギー財源と関連いたしまして、少なくとも一九八五年までの間にこういった新しいタイプのエネルギー、水素を含めまして、これが市場にどんどん出回るというふうには今日われわれは考えておりませんし、関係者一同、それはその点では一致しておるのではないかと思います。その一九八五年を越えまして、資源の枯渇する産油国もございましょうし、また工業化が何ほどか軌道に乗る国も出てまいりましょうし、ともかく一九八五年までの十年間に、これは非常に大きな世界的な試みだと思いますが、開発途上国がどこまで本当に工業化できるのか、いままではほとんど成功はしてないと思いますが、ここでそういう大きな試みを展開してみようと。その一九八五年の時点でどこまで成果が出るか、これは何人も予言できないと思いますが、その後で、一体、資源の枯渇ということを踏まえ、また大きな、何と申しますか、工業化のための財源を消費国が払う必要もないといったときに、われわれは次の資源をどう考え、また産油国自身も次の世代をどう考えるかというところで、原子力の問題が出るとか、あるいは消費国にとりましては水素その他のエネルギーも考えざるを得ないだろうという段取りになっておる。  この辺は非常にまだ荘漠としたイメージの段階でございますので、具体的に計数的にということが言えない。ただ、技術的に申しますと、石炭の液化ガス化まで含めまして、これは比較的簡単なように思いますけれども、やはり現在用いられている技術の程度では、とても現存のエネルギーに対抗できないであろう。どういう技術が出てまいりましょうか。たとえば、石炭の液化がかって戦争中日本でもやったことさえある技術でございますが、将来のあり方というのは、たとえて申しますと原子力の余熱利用、多目的利用という形、これと結びついて、これがガス化されるなり何なりというようなことになるのかもしれない。やはりイノベーション、技術革新という段階が一つあるだろう。水素にしましてもそうですし、オイルシェール、タールサンド、すべてかなりの高熱を利用するということを前提にするその技術の体系がいつ確立するだろうか。それまでの研究開発の予算というものが、先ほど申しましたようなエネルギー対策財源ということでつながってくるのではなかろうかというふうに考えるわけでございます。  うまくまとまりませんでしたけれども、お答えになっておりますかどうか……。
  21. 矢野登

    ○矢野登君 どうもありがとうございました。
  22. 井上吉夫

    ○井上吉夫君 時間も十二時参りましたので、簡単に税制のことで……。  第一点は、相続税贈与税課税最低限が今回の改正案、高過ぎるのではないかという意味のことを言われたと思いますが、どの程度が適当だとお考えになるか。  それから第二点は、先ほど富裕税についての質問がありましたけれども、この行政能力という点だけでなくて、私は、先ほどの説明の中にもちょっとありましたように、かつてシャウプ勧告の際にもこういう意味のことが盛られていたということと、諸外国にもこういう例があるというぐあいに言われまして、いわば所得税の補完的なものとしておっしゃったわけですけれども、私は、当初第一回の御説明のときには、一時的な課税として富の偏在というものを直すという意味でおっしゃったのかと考えておりましたら、だんだんとそういうものではなくて、所得税の補完的な性格として言われたわけですけれども、これは課税技術なり行政のやり方としても非常にむずかしいと思いますが、そのほかに、いわば長年の間の富の累積ということによってある程度資産を蓄積した、ところが、現時点においては事業活動もやってないし、所得としては毎年の所得がきわめて低いという、そういう事例もかなりあると思うんですが、そういうことになりますと、そういう対象者は逐年資産の処分という形で生活をしなければならぬということなどが出てまいると思いますので、シャウプ勧告の際は五五%が最高というぐあいに、所得税の中ではありながら一方で富裕税、これは高い所得者所得が捕捉しにくいということなどの絡みという説明を受けたわけですが、むしろ私は、すっきりと所得税の方の捕捉の仕方を正確にやっていくという努力をすることによって、富裕税というものが持ついろんな観点から見る——行政能力の問題と同時に、いま私か一例として申し上げましたような、資産はあるが、それが所得をなかなかに生み出さない、もちろん利子・配当、それらの問題とは別に私は申し上げるわけですが、そういう点を考えますと、かなりむずかしいという感じがするわけです。このことについての御見解と、もし新設する場合に、先ほどの御説明の中では、かなり高い水準のものだけを対象にすると行政能力もある程度問題がないのではないかというぐあいに御説明がありましたが、先生が考えておられます、この高い水準の場合の大体の、たとえば何といいますか、水準をどの程度に押えて考えておられるか、お伺いしたいと思います。
  23. 和田八束

    公述人和田八束君) 最初に、相続税課税最低限引き上げが高過ぎるのではないかということで、どの程度かというあれだったのですが、私もどの程度が妥当かということを持っているわけではなくて、やや高いのではないかという感じを申し上げたわけですので、その点はちょっと不正確になったかもしれません。ただ、定額控除だけ見ましても、これで言いますと、六百万円を二千万円にということになるわけですね。で、相続税の場合に一番問題になりますのは、現在住んでいる普通の居住用に供している資産などが相続に当たってかなり土地の評価などが高くなってきたために、納税するためには自分の住んでいた住宅を売らなければ払えないというふうなケースが出てくる、こういうのが一番問題だろうと思いますので、課税最低限ということで言えば、通常の住居を、たとえば未亡人とか、あるいはその他家族などが生活用に生存財産として利用する場合にこれが利用できるという、その程度の水準だろうと思うわけであります。そうなりますと、定額控除の二千万円ということで言いましても、今日、通常  一般に住んでいる住宅の評価が上がってきたといっても、なお定額控除二千万円ですね。で、法定相続人比例控除四百万円に法定相続人数を乗じた金額——配偶者の負担軽減措置があるということから言いますと、ちょっと正確ではないかもしれませんが、かなりの住宅、土地の場合に課税されないという形になり得るわけでありまして、かなり地価が上がっているといっても、相続税評価額の点からいって、仮に二千万、三千万という住宅というのはかなりいい方だろうと思うわけであります。そういう点から言いますと、最近の実情からして、相続税納税者数がふえてきているとは言っても、なおそれほど、たとえば六百万円を二千万円にという程度に定額控除を上げるということは少し高過ぎるのではないかという感じを申し上げたわけであります。  それから、相続税につきましては、これは遺産税であると考えるのか、あるいは取得税であると考えるのかというふうなことでも若干物の考え方というものが違ってくると思うんですけれども、現在のは遺産税であり、それが生涯所得の清算であるというふうに考えるとすれば、かなり相続税というものは厳しい考え方が妥当だろうと、私はそう思うわけです。  それから、富裕税の点での御質問ですけれども、これも一般論としては先ほど言いましたようなところで、現在どの程度の、たとえばシャウプ勧告的に言えば、最高税率をどの程度で頭打ちするのか。現在七五%ですけれども、それを、五五%当たりが妥当なのか、六〇%ぐらいが妥当なのか。シャウプ勧告ではかなり低い、まあ大体五五%という線だったけれども、将来五〇%ぐらいにまでしてもいいというふうに考えていたようですけれども、それほど低くする必要があるとも思えないわけですが、ではどれぐらいまでで切るのか、そしてそれ以下の所得層所得税負担率とそれ以上の層の所得税及び富裕税負担率がどのように接続するのかということにつきましては、もう少し具体的に詰めてみたいと思っておりますので、ちょっとここでは具体的な数字を申し上げられませんので、ひとつ御勘弁いただきたいと思います。
  24. 田英夫

    ○田英夫君 高垣さんに伺いたいのですが、一つはIEAに日本が非常に変則的な形で加わっているわけですね。これは世界で一国だけだと思いますが、そんなことまでして加わっていることに果たしてどの程度の意味があるか、大変むずかしいかもしれませんが、お考えを伺いたいのです。  それからもう一つは、九十日備蓄の問題ちょっと触れられましたけれども、これも莫大な予算を投じて六十日を九十日にすることによってどれほどの意義があるのかという問題。  三点は、日韓大陸だな協定が国会に出されたわけでありますけれども、これは政治的にもあるいは条約的にも非常に問題があると私どもは思っているわけですが、資源的に見て、あの地域あるいは東シナ海全体の大陸だなでもいいんですが、どういうふうに評価していらっしゃるか、この三つを伺いたいと思います。
  25. 高垣節夫

    公述人高垣節夫君) いままでで一番むずかしい問題でございますので、立ち上がるのに少しおっくうな感じがいたしましたが、IEAになぜ参加するかという点につきましては、確かに昨年フランスの人たちといろいろ話してみましたときに、一体ああいうエネルギー危機がまた起こると思っているのかというのが大前提でございまして、和解にもっていこうというその人たちの物の考え方と、結論的に何らかの妥協は考えられるけれども、それまでの態勢固めをしようという、やはりアメリカとフランスの考え方の相違が非常にはっきりしているような感じがいたしました。  私自身も、御指摘のようにいろいろ疑問は感じますけれども、その後の発展は、ちょうどヨーロッパを歩いているときにECGがIEAに切りかわって、百数十ぺ−ジの膨大な文書が出たということで一同驚いていたわけでございますが、現在はすでに政府の所管事項というようになっておりますし、私どももその交渉内容はよく存じません。新聞で見る程度でございますが、ただ、そこで言われましたエネルギー節約の問題であるとかいろいろの点がございますけれども、最初に言われておりました二百万バーレルを節約しろ、実際これがどの程度実行可能かどうか。微細な問題になって恐縮でございますけれども、そういう問題がそこで議論されましても、私どものいままで見ておりました推移、たとえばエネルギーの消費原単位を下げて産業で節減しろといっても、これ非常にむずかしいわけでございまして、むしろ逆に、日本の産業界で実現しております消費原単位に各国が追いつくまで各国が節減なさったらどうですかと。  日本の鉄鋼業に、これ以上節減しなさい、供給しません、それに応じて鉄鋼の生産をどうのこうのしろと、こういう筋違いの議論が案外世界に横行しておる。昨年のイギリスでの発電所の熱効率を調べてみましても、わが国が四〇%近い理論値の上限に近いところまでの効率を発揮しているのに対して、イギリスの場合には三〇%にも達していない。実にその効率差は三割ほどございまして、アイドルという言葉を使うことは失礼かもしれませんが、そういう状態で推移している国が、結果的にこれは資源のむだ遣いになっているわけでございます。それがわが国に対して節減しろと言うのは多少筋違いではなかろうか、そういうようなことも言って息巻いて見ておりましたけれども、やはりそういう否定できない議論というものは漸次表に出ていきつつあるようでございますし、こういった具体的な場で議論すれば、やはり余りむちゃなことにもならないのではなかろうか。それ以上私どもは直接交渉の場にもございませんし、非常に問題の多い点であるとは感じております。  備蓄の問題につきましても、これと全く同趣旨でございまして、非常に資金もかかりますし、お答えにならないと思いますが、一言で私の感想を言わしていただければ、異様なことであると言う以上に何も申し上げられないと思います。何と申しましても、整然といろいろ議論はなかなか出にくい面だと思いますけれど、やはり住民はその巨大なタンクを見てどう思うかということを一つとってみてもそういう感じがいたしますし、企業といたしましても、この膨大な資金負担と、これが実際にどこまで実現できるだろうかということも、よく新聞等でも言われておりますが、偽らざる実情ではなかろうか、果たしてこれはどうなるものだろうかと私は疑問に思ってはいるわけでございます。  それから日韓大陸だなの問題につきましては、交渉云々ということより、資源量ということになりますと、残された大きな資源の賦存地帯であるということはほぼ定説になっているのではないかと思います。かなりの有望性がある、わが国でも、亡くなられましたけれども、東海大学の新野教授が早くからこういうことを指摘されております。私どもはそういうことは詳しいことわかりませんので、後から追いかけていろいろ聞いてまいりますと、確かにあそこは大きな堆積地であるということも間違いございませんでしょうし、大体出てくる油を、中国の側の油を見ておりましても、大体インドネシアのミナス系に近いところから見まして、おそらく同じような条件で油がその後できたのであろうと思われる節が多々ある。これ以上、私専門でございませんので、言い過ぎますと後で恥をかきますので控えまずけれど、いろいろな徴候から見てこれはかなりのものがあるに違いないというふうには感じられました。現在インドネシアの低硫黄原油に広く依存する度合いが強いわけでございますけれど、うまくすればこのインドネシアの現在の生産水準の二、三倍程度のものはこの地で期待できるのではなかろうかというふうに考えます。  ちょっと私、先ほど矢野先生の御質問に言い忘れたかと思うのですが、このように供給源が分散いたしましても、そのことによって価格が下がるのか、あるいは競争が起こるのかという最初の問題に戻りまずけれど、恐らくそういうことは期待できないのではないか。やはり一つの、ターゲットプライスというような言葉を使うのでございますけれども、長期の安定した価格目標にみんなが足をそろえてくる時代だ、そのことをよく考えておきませんと、供給源の分散ということは、供給量の確保には確かに有利でございましょうけれども、かといって、そのことによって資源供給者の足並みが乱れて価格がどんどん下がっていくというような時代でもないということも事実だというふうに考えますので、あわせてちょっと補足させていただきたいと思います。
  26. 大谷藤之助

    委員長大谷藤之助君) それでは、この程度で午前の質疑は終わらせていただきます。  お二人の公述人には、長時間にわたりまして貴重な御意見を承りまして、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。(拍手)  午後一時まで休憩いたします。    午後零時十九分休憩      —————・—————    午後一時九分開会
  27. 大谷藤之助

    委員長大谷藤之助君) ただいまから予算委員会公聴会を再開いたします。  この際、公述人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多忙中にもかかわりませず本委員会に御出席をいただき、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚くお礼を申し上げます。  それでは、議事の進め方につきまして申し上げますが、お手元にお配りいたしました名簿の順に従いまして、お一人約二十分の御意見をお述べ願いたいと存じます。お三人の公述人から御意見をお述べいただきました後、委員皆様から質疑がありました場合はお答えをお願いいたしたいと存じます。  それでは、村越公述人から御意見をお述べいただきたいと存じます。
  28. 村越末男

    公述人(村越末男君) まず、この国会で社会的不公正の是正が大きく取り上げられてきましたことに対しまして、敬意を表したいと存じます。  福祉予算につきましてはすでに多くが論じられておりますので、ここでは総論を省略いたしまして、幾つかの問題についてのみ述べさせていただきたいと存じます。  今日、厚生省関係の予算の伸びはだんだんと増加の傾向にありますが、私は、社会保障関係の予算を西欧並みの二五%の水準にもっていくことを望ましい、それは私たちだけじゃなくして、数年前から叫ばれてきたことでございますし、皆様の一層の御努力によりまして、そういう水準への向上をお願いしたいというように考えるわけでございます。今日、私は特に次の五つの問題に限定しまして述べさせていただきたいと思います。  まず第一に、年金の問題でございますが、いわゆる懸案の賦課方式に移行することにつきましては、与党議員の皆様の中からも意見が聞かれておりますし、野党の皆様方は全部推進をお望みのように承っておるわけでございますが、   〔委員長退席、理事柳田桃太郎君着席〕 この国会でどれほど議論されましたか、まあ注目しているところでございます。また、各年金のスライド制を徹底しまして、この実施時期をできる限り繰り上げていただくことが基本的な問題であろうというように存ずるわけでございます。特に老齢福祉年金につきましては、私は少なくとも三万円程度の水準に早急に引き上げが必要であろうかと存じますが、政府は、たしか四十八年二月、閣議決定におきまして、経済社会基本計画で五十年度までに一万円にする方針だったというように思いますが、大分これは後退した線ではないかというように残念に存ずる次第でございます。  年金制度につきましては幾多の問題がございますが、私は、こちらで制度の抜本的改定に直ちに着手する必要のあることを強く主張したいと思うわけでございます。すなわち、日本福祉年金制度は、今日のままのシステムでございますと、ますます各階層間の落差といいますか、そういうものが大きくなっていくのではないかという懸念がございます。  次に、第二点といたしまして、障害者の問題を取り上げておきたいと存じます。  政府予算案では、介護を要する在宅障害者約三十万人に月額四千円の介護手当を出すようになっておりますが、すでに東京都では昭和四十八年度から実施しておりまして、四十九年度には月額二万円になっている、こういう事実から見ましても、まだ不十分であります。また、単に介護手当の金額だけではなく、その対象範囲につきましても、難病患者など数万人の要介護者があると見込まれておりまして、対象範囲を今年度予算案の四千人から数万人に拡大していく必要があろうかと存じます。また、障害者対策としましては、障害等級の適正化と適用範囲の拡大、障害児の保育と教育の推進、障害者のいわゆる生涯教育と就職の開発、リハビリテーション等の拡充、そして障害者の交通、通信手段の確保などが緊急に必要であります。さらに、難病対策としまして、大腿四頭筋短縮症対策と、乳幼児への乱注射の中止、荒廃しました精神病院の改善、在宅難病患者対策など緊急対策が必要かと存じます。  第三に、私は僻地医療対策を重視しております。  政府予算案は、五十年度から五カ年計画で、無医地区を持つ広域市町村圏二百四十八カ所に僻地中核病院を指定し、整備するという方針のもとに、初年度として十五の中核病院を整備をしようとしているのであります。問題の一つは、勤務医をどうやって確保するかということにございます。このためには公立医大の拡充はもとより、僻地の中核病院をいかに魅力的にするか、そして民間医療機関の協力と動員をいかに可能とするかなど、解決していかなければならない課題は多いのでございます。  第四に、社会福祉の施設及び勤務者の問題であります。  特に、公私立福祉施設職員の夜勤が勤務時間外の扱いを受けていたり、休憩時間を確保できなかったりする事態を解決するためには、政府予算案では全国で約五千六百人を増員する計画になっていますが、これに必要な人員は約二万人と見られております。厚生省の当初予算要求でも二万人を要求していたはずでありますが、大幅に削減されてしまい、まことに残念に思っておるわけでございます。  また、社会福祉施設等の自治体の超過負担は法律違反かと思われますが、大阪府の摂津市などから訴訟が行われておりまして、政府も超過負担解消を繰り返し約束してきたことから見ましても、ここらで完全にその問題を解決していただきたいというように存じます。  第五点としまして、いわゆる日本における最大の被差別集団の問題であり最大の人権問題の一つであります、さらにいわゆる同和対策審議会答申も述べますように、あるいは同和対策事業特別措置法も明記してありますように、その解決は国の責任であり国民の課題であるといわれておりますところのいわゆる部落問題、同和問題の対策予算について若干申し述べたいと思います。  政府予算案の説明の中に一字も、同和対策一行も出ていないというように考えるわけでございますが、昭和四十年の同和対策審議会答申を受けまして、いわゆる同和対策事業特別措置法が四年につくられまして、いわゆる十カ年の長期計画を策定しまして、あと残るところもう三年という段階でございます。しかるに、今日、被差別部落の状況は、政府自体がいまだ全国にその存在を確認できていない面がかなりあるわけでございます。地方自治体におきましては、たとえば一昨年までは長崎県などは部落もなければ差別もないと言っておりました。もちろん対応する諸施策は何一つながったわけでございます。やはりおととし、鹿児島県におきましては三十六地区でございましたか、八地区でございましたか、被差別部落の存在は認めたわけでございますけれども、差別はないと称しておりました。ところが、今日部落解放運動の前進の中で、鹿児島県はようやく差別の存在を認めてきております。政府もそういう正式な答申を受け、法律を受けながら、今日、同和対策予算は全予算の〇・四%に足りていないはずでございます。今日、急速な予算の拡大並びに同和行政に対応する行政機関の拡充、設置を要望したいと存じます。  これで公述を終わります。(拍手)
  29. 柳田桃太郎

    ○理事(柳田桃太郎君) ありがとうございました。
  30. 柳田桃太郎

    ○理事(柳田桃太郎君) 続いて、伊東公述人にお願いいたします。
  31. 伊東光晴

    公述人(伊東光晴君) 地方財政中心に申し上げたいと思います。  現代都市をめぐりまして、現代経済学をやっている者は新たに三つの問題に直面しております。  従来までは、都市の問題は、都市規模の拡大とともに集積の利益が進み、ある限度を超すと集積の不利益が生じ、適正規模があると考えておりました。しかし、欧米における研究、わが国における研究は、ともに集積の利益と集積の不利益が同時進行するということを最近に至りまして発見いたしました。そして、集積の利益を受けるものと集積の不利益を受けるものの主体が違うということであり、特に、集積の不利益を受けるものに地方公共団体があるということであります。これに加えまして、わが国の特質の場合は、十数年来地方分散を続けましたけれども、地方分散政策の結果が巨大都市への集中を生み出すということを発見されました。たとえば鹿島地区にコンビナートを設置した場合、当面の鹿島地区の労働者の数に比べまして、ここに原材料を提供する、あるいは製品を販売する販売部門、管理部門の人員ははるかに人数的にこれを凌駕するのでありまして、地方にコンビナートの分散が同時に巨大都市への人口の集中をもたらし、付加価値の集中をもたらすという事実が七〇年代の初めに学界において出だしまして、従来の分散問題についての反省を引き起こしております。この現実の問題と一般的に言える集積の利益と集積の不利益の同時進行が、現在の地方都市の問題、巨大都市の問題、地方財政の問題に大きくのしかかっている。これが第一であります。  第二の問題は、アメリカにおきまして社会的アンバンス、あるいは市場欠落と言われている問題であります。この問題は、高福祉負担と現在言われているものと密接な関係を持っております。ハーバードのガルブレイス教授は、豊かな社会になりGNPは急速に伸びつつあるのに、なぜ公的な部門、最も市民生活にとって必要な公共財の部門がおくれるかという問題、これを社会的アンバランスとして事実指摘を行いました。その後、最近における現代経済学者は、実はこの背後には市場欠落問題という新しい問題があるということを主張し出したのです。  たとえて言えば、洗剤が使われることによりまして、中に入っておりますところの燐が水質汚染の原因になっております。先日、リマの湖の魚が全部浮かびましたけれども、これも付近にアパートがたくさんできまして、そこから出る下水が下水道処理場において処理され、この湖に出ましたけれども、現在の技術をもってしてはこの燐を除去することができないために、赤潮と同じような状態になったのであります。こうした事態がわが国においても生じておりますために、たとえば建設省は、多摩団地のところに新たに日本に初めての下水道第三次処理場を設置する等々のことを行おうとしております。しかし、この費用を、現在アメリカにありますカリフォルニアの下水道第三次処理場を例に使いまして計算いたしますと、ほぼ燐一グラムを除去するに四、五円、最も安く見て四、五円の費用がかかるのでありまして、これを洗剤一キロ当たりに直しますと、ほぼ洗剤の市場価格と同一の価格になるのであります。  そのほか、いま問題になっておりますところのABS問題等々がございますけれども、こうして市場の中で計算されましたところの値段、それに市場外で国民が税金を通じてやがて過集積社会においては買わねばならないところの公共設備としての下水道第三次処理場、こうしたものが、市場メカニズムの中においては洗剤の価格の中に入っていないのであります。この結果、市場欠落と、こうしたことを言いますけれども、市場欠落を生じていない石けんと、市場欠落を生じている洗剤との闘いは、洗剤の勝利になりました。そうして、その結果はどうなるかと言えば、政府及び地方におけるところの公共設備に対する非常なウェート、負担となってあらわれてまいります。こうして、豊かな社会においては高負担をするのは当然であるという一般論の背後に、実は市場欠落に基づくところの異常な負担が公共部門に入っております。こうしたことが現代経済における社会的アンバランス、つまり私的部門と公的部門のアンバランスであり、公的部門がいかに予算をふやしても追いつかないということを生じているのであります。こうした問題の最たるものは、ミシャン教授によれば自動車と道路の関係でありまして、こうしたものに対する対策を打つことなしに、豊かな社会は結局福祉のためにという名目によってゆがんだ高負担を国民はし、地方財政はそれによって窮迫するという形になるのではないでしょうか。  第三は、混雑性現象と言われているものでありまして、たとえば自動車のように、ある限度を超えて過密になりますと混雑現象が生じ、そして、みずからが渋滞による費用を受けるだけではなしに、既存の利用者にも負担を課すという形になり、このような場合においては自由な市場においては調整ができないということは、厚生経済学が極大原則によって論証したところであります。新たに入ってくるものの調整は限界費において行わなければならない、この考え方を適用しながら分配問題に対する新しい視点を入れたのが、昨年度の電気料金における三段階制でありますけれども、地方における集積の利益、集積の不利益の同時進行、特に集積の不利益にはこうした混雑性現象が生じているのでありまして、自由な市場にかわる介入が必要になっていると考えられます。  以上、一般論として三つの点から、集積の利益、外部不経済の問題、集積の利益と外部不経済の問題を調整するためには、どうしても新たに課徴金制度の導入というのが必要になってまいります。集積の利益を受けているものに課徴金を課す。また、社会的アンバランスの基礎であるところの、外部不経済を出しているところの市場欠落を生じている商品に対しては、その分の課徴金を課す。そうして、本来市場だけで支払っている値段以外に社会が支払っている、やがて財政を通じて国民が払うべきものに課税をするという課徴金制度というものを付し、いままでのように、財政需要が生じなければ税金が課せられないというものを乗り越えるという課徴金制度の導入なしに、現代経済に対するゆがみは取り除くことはできないのではないかというぐあいに考えます。  なお、アメリカにおきましては、自動車が外部性の問題、混雑性の問題、社会的アンバランスの問題の最たるものでありますが、自動車が支払う諸税のうち、三分の一程度を道路に還元するのが経済学者の常識でありまして、この自動車が負担するものの大部分が道路目的財源的扱いを受けるのは、明らかにゆがんでいると思います。この問題を、日本の道路事情がきわめて悪かった事情において、ある限度をもって道路目的財源的扱いをするのは正しかったとは思いますけれども、もはやその限度を超え、このガソリン税を目的財源から外し、むしろ社会的アンバランス是正に利用するなり、あるいは一般財源である自動車税、地方税でありますけれども、それを強化するという方法、方策が望ましいのではないかというぐあいに思います。  さて、一般論を離れまして、現代の日本の地方財政の問題に移らしていただきます。  御存じのように、地方財政は歳入構造と歳出構造において著しいアンバランスがあります。昨年からことしにかけてのように物価、賃金が大きく上がる場合に、歳出は賃金、物価の上昇によりまして直ちに増加いたしますけれども、歳入の場合には、たとえば固定資産税は物価上昇に容易にスライドするものではありませんし、個人所得に課せられるところの税金は一年おくれでありますから、この賃金、物価上昇においては明らかにおくれます。また、法人所得は景気変動を最も受ける分野でありまして、こうして歳出と歳入構造の矛盾が出てくるのは明らかなとおりであります。  こうした状態を少しでも改善するためには、たとえば個人所得に課すところの地方税につきましては、どうしても国税と同じように現年課税にすべきであり、それに応じて課税最低限度を引き上げるということ、こうしたことを行うことによって異常な物価、賃金上昇に適応できる構造をとっていただきたいと思います。  また、景気変動の影響の著しいところの法人所得に関するものに対しては、現代経済学は、もちろん不況においては赤字をとり、景気調整をとり、景気過熱期においては黒字をとるというのを当然と考えておりますけれども、こうしたことが地方の財政の場合には著しくむずかしい。もしそのむずかしさというものを保持するならば、シャウプがシャウプ勧告において行いましたように、たとえば法人事業税は、景気変動によって変動することがないように、売上高に課税する一種の外形標準課税にすべきでありましょう。そのような考え方をシャウプは持っていたがゆえに、この法人事業税を物税として扱い、したがって、法人税計算においてコストとして認めるということを行ったのであり、現在のように所得に課す税であるならば物税ではありませんから、これをコストとして法人税の計算において認めるべきではないと考えたに違いないのであります。  シャウプは、アメリカの実例から、地方の歳入は景気変動に変わりはないような状態を保持させようとして、一種の外形標準課税というものを考えていたのでありますが、この考えは再考に値すると思います。いま地方が財政収入の悪化に伴いまして、最も容易なる法人所得に関するところの税率引き上げを行っておりますけれども、三十年代におけるドイツの、またイギリスの経験からも、こうした法人所得に関する税引き上げは、景気悪化の状態においては税率を引き上げましても税額を確保することはできず、結局はうまくいかなかったという実例を考えましても、むしろこの地方税のうち、安定収入を図るべく法人事業税についてシャウプの本来の考えを再考するということも、いま必要ではないかと思います。  固定資産税につきましては、物価にあるいは地価上昇にスライドするというようなことを容易に行うということは、個人土地所有、庶民の土地所有の現状から見てきわめてむずかしい状態にあることは御存じのとおりであります。今回考えられました事務所税は、これにかわって法人所有の一部についてもしこの分を現実に適用させるという考えがあるならば、事務所税につきましては、当初の自治省原案のようにその課税の基準を固定資産税評価額にリンクさすべきでありまして、現在考えられていますような事務所の一定面積に課するということはいいことか悪いことか。特に分配問題を考慮いたしましたとき、地価及び固定資産税評価額のきわめて高い中心部と周辺部分とを考えました場合に、当初自治省案のように、固定資産税評価額にリンクした方が分配上は望ましいように考えられます。  第二に、現在問題になっております地方財政圧迫の主因と言われている給与の問題についてであります。  給与の問題について地方を圧迫しているということ、この問題について特に著しいのはどこであるかと言えば市町村段階でありまして、都道府県段階は、これに比べればはるかに少ないというのは周知の事実であります。それでは市町村段階においてどのようなところが現実に問題になっているかと言えば、例外は別にいたしまして、世上言われていない最大の問題は、地方によって著しい収入のアンバランスが現に生じているところであります、その著しいアンバランスは、ギャンブルに基づくところの歳入が特定都市を潤しているのでありまして、その特定都市の中には給与費を超えるギャンブル収入を持っているところがあり、これが基準財政収入の中に計上されていないために、ここが給与を著しく引き上げる、そしてその周辺都市はそれに引きずられ、労使の関係から、収入が不十分であっても引き上げられるという状態が生じまして、これが一つの大きな問題になっている。しかも、それが潜在してはいますけれども、世上言われていない、新聞そのほかにおいては出ていないというのは、私にとっては不思議であります。地方の知事さんの中で、どうしても、一つの県だけでもこのギャンブル収入の問題に手をつけ、これを平等に分けようというようなことを努力し続けていられる人がおられますけれども、こうした問題を無視して、今日の地方給与問題というものは論じられないではないかというぐあいに考えております。  第三に、補助金の問題が日本の地方と中央との問題というものをゆがめているということは再三にわたって主張されていることでありますけれども、この改善は一向に進んでおりません。今日、補助金、それを整理し、束にし、第二交付税的に地方に渡し、地方の判断に基づき、地方の独自な考えに基づき、特色あるところの地方の行政を行わせ、地方間における行政競争を行わせるということは必要ではないかと思います。もちろんこうした問題は、各省と地方との縦の行政、これを切るわけでありまして大問題にはなりますけれども、しかし、徐々に地方に対する信頼を深め、こうした補助金の整理による第二交付税による、仕事をなくし人員を整理するということが、中央、地方においても行政簡素化のために必要なのではないでしょうか。  四番目に、法人超過課税の問題であります。  現在の地方財政の悪化は、地方をしてこぞって超過課税に走らせております。市民税の法人割りについて、全国の市の実に五九・三%が超過課税をしております。このことは、超過課税が一般化しているということの証拠でもあるかと思います。固定資産税については二〇%を超えております。この超過課税か新税かという問題に対しては、税調の中でも現代経済学をやっている人たちは、むしろ超過課税の方が新税よりはいいという考え方が強いのでありまして、事務所税よりも超過課税という主張が強かったのであります。特に、事務所税が現在のような形になるのであるならば、巨大都市対策としては理解できても、それは超過課税によって処理することはできないものかという考えでありますけれども、この超過課税を、いまの規制よりも一般化して、むしろこれを利用して地方の独自な行政に対処するということが、従来の法体系をそのままにして地方の現状に対処するという点においては望ましいのではないかと考えます。  なお、超過課税に付随している事項でありますけれども、不均一課税について一言いたしますと、不均一課税を地方が行うことは強く規制されております。しかし、このことはある範囲内においては許されるべきものではないか、地方も経済政策を行うということを許すためには、不均一課税についてある限度において許されてもしかるべきではないかと思うんです。ただし、過去におきますところの不均一課税の例に、明らかに分配上におけるところのゆがみをもたらすような不均一課税については是正さるべきであって、むしろ分配上好ましいものについては推進すべきだろうと思います。一例に、過去に自治省が是正した不均一課税について例を引きますと、大阪府門真市においては、三十八年から四十八年にかけての十年間において、個人住民税について、所得の高い人の税率を高めるという標準税率、所得の高い人の税率を高めるようになっておりますけれども、これを切りまして、所得の高い人が低い人と同じような税率をしくという不均一課税をとっていたのであります。四十九年、自治省はこれを直すようにし、実現させましたけれども、こうした分配についている逆不平等的不均一課税というのは、現に日本においては過去においてあった。そうしたものに対する規制は強く行うべきでありましょうけれども、分配上好ましいものについては、それは不均一課税に対する規制というものをもう少し緩めてもよいのではないかと考えております。  最後に、私たちが地方財政を考えます場合に最も困難な問題は、資料についての入手がきわめてむずかしいということであります。固定資産税評価額、課税基準につきましても、これを具体的に知るということが非常にむずかしく、他のものにつきましても、国の財政と違いまして入手が非常にむずかしいということであり、この点についてはもう少しディスクロージャーを行っていただきたいと考えております。  以上です。(拍手)
  32. 柳田桃太郎

    ○理事(柳田桃太郎君) ありがとうございました。
  33. 柳田桃太郎

    ○理事(柳田桃太郎君) 続いて、国井公述人にお願いいたします。
  34. 国井国長

    公述人国井国長君) 私、国井社会生活研究所長の国井国長でございます。私は、右手の不自由な身体障害者でございます。  公述の第一点といたしましては、国民福祉行政と新聞投書との関係でございます。  この国民福祉行政は社会保障、社会福祉のみならず、公営住宅でございまするとか、あるいは消費者保護、電信電話、国鉄などいわゆる国のサービス行政、そういったふうな関係の国の行政あるいは事業につきまして、不服あるいは不満、苦情を、朝日、毎日、読売の各新聞に投書をなさいました方二百人を、御本人の御承諾を得まして、国井社会生活研究所が意識調査をしたのでございます。  たとえば新聞に投書しました目的、あるいは新聞の投書が広い意味の国民福祉行政を推進するに役に立つかどうか、あるいは実際に行政にどんな不満、苦情があったのか、それはどのように解決したか、あるいは解決しなかったか、さらには行政を国民本位の血の通う行政とするためにはどのような方策をとるべきか、このようなことにつきまして調査票を送りまして、それに回答を求めました。さらには、その方々に対しまして訪問調査をいたしまして、その次に、三月五日付の読売新聞の都内版に記事が出ておりまするが、そのうちの七、八人の方にお集まり願いまして座談会をいたしたのでございます。新聞投書者の意識調査というのは、いままで新聞社でもあるいは他の研究機関でも全く試みたことがないものでございます。ここでは、新聞投書者の意識調査にあらわれました行政に対しまする苦情、不満、あるいは要望につきまして、先生方にお耳に達したいと考えるのでございます。  第一点は、広い意味の国民福祉行政にどのように期待しているかという問いに対しましては、大いに福祉行政をやってほしいという答えがもちろん大部分でございます。しかしながら、残念ながらあまり期待はできないだろうというふうに、実現を疑問視する人が多いということは、これまた実情を反映しているように思うのでございます。  第二点といたしましては、行政庁にいろんな不服なり苦情がありまして、その役所に苦情を持ち込んだけれども、あまり解決をしなかった、やむなく新聞に投書したというふうな御意見も多かったのでございます。  さらに、新聞に投書した趣旨、目的につきましては、第一は、新聞に投書することによって国の福祉行政あるいは行政運営の改善を意図したもの、第二は、何らかの役所から回答を期待したもの、第三は、新聞投書によって世論を盛り上げる、第四は、とにかく新聞に投書して社会に訴えたいと、まあこういうふうな四つの類別でございまするが、社会に訴えて世論を形成したいというふうな御意見が最も多かったのでございます。  それからさらに、新聞に投書いたしまして、その新聞投書には当然その役所に直接新聞紙上または本人あてに回答を求めているもの、あるいは直接回答を求めていませんが、当然その行政庁は回答があってしかるべきようなものがあるのでございまするが、それに対して行政庁から新聞紙上に回答がなかった、あるいはその本人に直接回答がなかったというふうな訴えも多数あったのでございます。  ここで、新聞投書に対しまする行政庁側の受け入れ体制でございまするが、私が調げましたところによりますと、厚生省では行政相談室を設けまして、一般の厚生行政に対しまする苦情、要望などを処理いたしておりますが、ここでは非常に国民の投書を重視いたしまして、新聞にあらわれました投書に対しましては、関係の局課長がよくそれを見まして、そしてそれに新聞紙上で回答する、あるいは本人あてに回答するということをやっておりまして、これはおそらく田中厚生大臣が血の通う厚生行政ということで、五万円年金ということの構想を与党、野党の先生方とともに打ち出したような背景にもなってると思うので、これは大変結構なことだと思うのでございまするが、労働省を調べましたところが、新聞の投書に回答する義務はないと言うのです。なるほど新聞の投書は、直接労働省に回答を求めてないものがあるかもわからぬ。しかしながら、新聞に投書したということは、新聞が公にそれを認めたことなんです。その人ばかりでなくて、多数の人の支持を得て新聞に投書が載るのでありますから、ごね得をねらうような投書であっては黙殺してもいいけれども、筋の通ったものならば私は当然これは回答があってしかるべきなのに、新聞の投書に対しては回答する義務はないと、それは労働省全般じゃないかもわからぬけれども、私がその関係の担当官に聞いたところはそういったふうな非常に血の通わないような言葉で私は非常に憤慨したということをお耳に入れておきたいのでございます。  新聞の投書が広い意味の国民の福祉行政の改善に役立つかどうかということの評価でございまするが、投書者は、大いに役に立つというのと、それから、まあ大いにとは言えないけど相当役に立つという答えが大多数であったのでございます。中には、どうも新聞に投書しても余り役に立たない、新聞の投書欄はいわば愚痴なんだ、愚痴を言っているようなものだというふうに自嘲的な方もあったのでございますが、それでも投書することはやめることができない、投書は民の声である、もし投書しなかったら、行政は、それは政府、国会の先生方が投書がなくてももちろんやっておられますが、もっと悪くなるような面がないでもない。であるからして、どうしても私たちは投書しなければならないというふうな御意見が多くて、今後も大いに投書をしたい、できれば新聞投書者の横の連絡をつくって、グループをつくって、もっとこれを世論喚起の国民運動に発展させたいと思うけれども、先生どうでしょうかというふうに、この間座談会で御相談を受けたくらいでございます。  それで、時間の関係がございますので先を急ぎますが、新聞に投書した人は総じて、個々の問題につきましては非常に行政に対して満足し、感謝している者もございますが、総体的に評価すると、いまの行政は非常に国民本位でなくて不十分な点があるんだということを、これはもう投書回答者の九五%までがそのような批判をいたしております。行政を国民本位の血の通うものにするためにはどうすればいいかというふうな設問に対しましては、第一は、政府、役所が国民の求めるところを敏感に察知して、行政がそれを先取りをしてほしいということでございます。それから第二に、非常にやはり意見の多かったのは、件数の多かったのは、いまの法律、規則、手続が非常に難解であり複雑である。であるから、これを国民本位のものに改めて、もっと法律をわかりやすく、手続をもっと簡単にして、できるならば国民参加の行政の体制をとるようにしてほしいという意見、それからさらには、いわばよろず行政相談所というようなものを地域ごとに多数設けて、現在でも市役所とか区役所でやっておりますが、これを非常にたくさん設けて、気軽に国民が行政についていろんなわからないところを相談する、そしていろんな手続などを教えてもらって、つまり十分に権利行使ができるように、また何と申しますか、法律を誤解したために権利がないものを権利があるというふうに主張して、お役所を困らせることのないように、そんなふうな行政よろず相談所というものをたくさん設置してほしいというような御意見もあったのでございます。  私は、ただいま先生方に申し上げましたように、新聞の投書というのは民の声でございます。朝日新聞の「声」欄、毎日新聞の「読者の広場」、それから読売新聞の「気流」、この三新聞を対象にいたしたのでございますが、そこの投書は、いわゆる学者の方々の解説というようなものでなくて、本当に国民の生活の実感に根差した国民の血の叫びであるということも、先生方もひとつ御会得願いまして、今後政府、国会におかれましても、新聞投書というものを重視いたしまして、行政を適正に、福祉を向上、推進するために御活用賜りたいということを特にお願い申し上げるのでございます。  それから公述の第二は、行政の違法不当処分と、その権利救済の実情でございます。  先生方の格別の御努力によりまして、社会保障、社会福祉その他の国民福祉の関係の国民の権利利益は、まあ徐々にでございますが、増大いたしておりますることにつきまして先生方に厚くお礼申し上げます。ことに、今国会におきましては、老齢福祉年金が原案の一万円から一万二千円に伸び、さらに、その他の各部門におきましても若干の推進がございまして、とにもかくにもこの社会保障、社会福祉の方は徐々に上向いているということは何人も肯定すると考えるのでございまして、先生方の格別の御配慮を厚くお礼申し上げるところでございます。  ところで、せっかく先生方が国会におきまして法律を御制定になりましたが、この法律が一体法律の額面どおり国民に確保、実現されているかということにつきましては、若干のここに違法不当処分による権利漏れがあるということを指摘せざるを得ないのでございます。  行政は法治主義、民主主義、地方分権主義を原理といたしまして行われておりますことは申し上げるまでもないことでありますし、この社会保障関係の給付の受給権の裁定処分、あるいは国税その他の税の賭課徴収の処分は、言うまでもなく法律に基づいて、法律に従って権限のある行政庁がこれを裁定処分しているのでございます。おおむね——おおむねと申しますか、もうほとんど九九%はもちろん適法妥当な処分が行われておりますことは、これは政府の御努力と国会の先生方の御指導のたまものであるということは申し上げるまでもないのでございまするが、ときには、行政庁が調査の不十分あるいは法律の解釈、適用を誤りまして、違法不当の処分をして国民の正当の権利が侵害されるごとがあるということを申し上げなければならないのでございます。  それは、行政管理庁等の調べによりましても、たとえば行政管理庁が昭和四十六年に行政不服審査法の施行状況を調査いたしたのでございますが、それによりましても、昭和四十六年度一年間だけで、処理いたしました中で約二万件の違法不当の処分があったのでございます。これは行政不服審査法以外の、たとえば国家公務員法でございますとか、あるいは簡易生命保険法でございますとか、あるいは出入国管理令とか、行政全体の総計でございますが、約二万件ございました。その中に一番多いのは国税関係でありまして、その年の国税関係の違法不当処分で取り消されたものが八千五百七十件、それから年金、健康保険、労働災害補償、恩給等、社会保障関係が約千六百件くらいございました。その他は簡易生命保険関係が二十件、そのほか出入国管理令関係が相当多数ありまして、たくさんございますが、とにかく二万件もの違法不当処分があったのでございます。さらに、昭和三十七年に行政不服審査法が施行されましてから昭和四十六年までの十年間に、不服申し立ての件数が四十万二千二百件あったということをつけ加えて申し上げたいと思うのでございます。  税の関係におきましては、ただいま申し上げましたように八千五百件、それから昭和四十八年は大分少なくなりまして、国税関係で違法、不当処分として取り消されましたものは千六百八十八件でございまするが、国税関係で違法処分として不服申し立てをして取り消されたものは不服申し立て件数の大体約五〇%ぐらい、つまり不服申し立てした件数の半分くらいは違法、不当な処分であるということでありまして、この点は国民感情としても非常に私は、何と申しますか、納得できない事実であるということを指摘しなければならないのでございます。額に汗をいたしましての零細な所得の者に対しまして、このような誤った課税処分がされるという、それはただいま申し上げましたように不服申し立てをすれば救われるのでございますが、そのためにかなりの時間的なずれなど損害があるのです。ところが、一方におきましては高額所得者であり、しかも社会的の地位の高い人が脱税をしているという事実、これは社会的不公正の最も極端なものでありまして、断じて国民として許すことができないわけであります。新聞の投書者の意見を聞きましても、新聞の投書は、こういうことを非常に強く指摘しているということも先生方にお耳に入れておきたいのでございます。  それから、この違法、不当処分に対しましては、もちろん裁判所に訴えまして私法的な救済を受けられることは憲法が保障いたしているのでございまするが、行政部内におきまして簡易迅速な手続によりまして権利を救済する制度といたしまして、昭和三十七年に先生方の御努力によりまして制定されました行政不服審査法が通則法として施行されておるのでございまして、これによりまして審査請求、不服申し立てをしてこの権利が救済されるのでございます。社会保険関係におきましては、社会保険審査官及び社会保険審査会法という法律で不服申し立てを処理いたしておるのでございまして、私は、厚生省に設置せられておりまする社会保険審査会という、いわば社会保険の行政部内における最高裁判所的なところの参与という国選弁護人的な立場で権利救済の実際に参与させていただいているのでございます。   〔理事柳田桃太郎君退席、委員長着席〕  ただいま社会保障関係が全体で、これは労働省、厚生省、総理府その他にまたがりますが、総体で大体年に千五、六百件から二千件ぐらいが不服申し立てによって救われているのでありまして、救済率は大体三件に一件、不服申し立てを三ついたしますと、そのうちの一つが救われるというふうな非常に救済率が高いのでございまするが、残念ながらこの不服申し立てをいたしましてから、この裁決がおりるまで、一年あるいは二年、三年というふうにかかる場合があるのでございます。その権利が回復いたしまするまでの間の、この権利者の精神的なあるいは経済的な悩みが多いということと、それからもう一つは、たとえば社会保障給付がただいまのように物価の高騰、貨幣価値が下落いたしまするときにおきましては、この給付を受け取りまする時期がずれますると、かなりの損害があるのでございますが、これに対しては政府は補償しないのでございます。というのは、違法、不当な処分であっても、裁判所または権限のある審査機関が違法処分であるとして取り消されるまでは適法な処分であるというふうに推定されまするために、仮に取り消されても、その間の利子というものはつけられない、こういうことになっているということも申し上げたいと思うのでございます。  この日本の行政不服審査制度は、社会保険審査会及び労働保険審査会は公開審理でありますし、参与という国選弁護人的な者もおりますし、さらには裁決書も交換されますので、ガラス張りで審議して、裁決書が国民の批判にさらされる、理解を得るために読まれるということでございまして、非常に公正、強力、民主的な組織手続で行われておりますが、この点は私は外国の制度に比較いたしましても非常にすぐれていると考えるのでございまして、これまた昭和二十八年あるいは三十一年にこの法律ができましたことを、御推進いただきました国会の先生方にお礼を申し上げるのでございます。が、他の生活保護あるいはその他の関係では、この国民の参与なしに、行政部内の者だけで非公開で審理をして決定するというふうな、非常に非民主的な扱いでございます。行政不服審査制度は裁判の前身として行われるのでございますが、やはり裁判の前身としての適格を備えるような、社会保険審査会あるいは労働保険審査会のような組織、手続に私は改めるべきであるというふうに主張いたしております。昭和四十七年に厚生省の委託研究を受けまして、私はイギリスの社会保険審査制度及び西ドイツの行政裁判所の制度を調査いたしたのでございますが、両制度とも非常に民主的であり強力であり、それからまた公正に運営されているのでございまして、日本の行政不服審査制度もこの社会保険審査会、労働保険審査会及びイギリスの審査制度及び西ドイツの社会裁判制度を範といたしまして強化改善するようにしていただきたいと思うのでございます。  この行政不服審査制度によりまして違法、不当の処分が救済されることは、ただいま申し上げたのでございまするが、この制度につきましては政府のPRが非常に少ないのでございます。政府の、つまり広報及びこの不服申し立てができるという教示が少ないために泣き寝入りがずいぶんあるのでございます。私は、朝日新聞それから毎日新聞、読売新聞にたびたびこの審査制度につきまして掲載されているのでございますが、たとえば昭和四十七年の十月二十一日の毎日新聞では「”弱い者の味方”ひとすじ 「行政不服」の相談役」というふうな、こういうふうに新聞に掲載されますと非常にたくさんの電話とか手紙その他での御相談がずいぶんあるのでございますが、その相談とか手紙の内容をいろいろ調べますと、もうちょっとこの行政不服審査制度につきまして政府あるいは行政庁のPRが十分ならば救われるであろうということを、私はつくづく感じているのでございます。  この審査制度につきましては、もちろん行政庁が広報あるいは不服申し立ての教示というものを十分にするとともに、国民といたしましてもまた権利意識を高めて、泣き寝入りをしないようにしなければならないと思うのでございますが、そこで私は大事なのは、行政庁がこの行政処分の過程を適正公平に、公正にして適正な処分をする、つまり違法、不当の処分をしないような事前抑制と申しますか、行政手続法を制定する。そしてそのいまの権利救済制度をもっと整備強化いたしまして、行政処分の前後を通じまするところの行政手続法というものを制定して、この権利の手続的の保障を十分に整備してほしいと思うのでございます。申し上げるまでもないのでございまするが、権利の手続的な保障のないところには本当に権利は私は存在しないと主張しても差し支えないと思うのでございます。  それで、ただいま申し上げましたように、この不服申し立てば年に政府全体では三万件から四万件ありまして、かなりの数が救われておるし、いろいろな問題がございます。そこで、この問題は非常にじみな問題でございますが、私はこの法律の額面どおりに権利が保障されるということは大事なことでございますので、行政不服申し立てあるいは審査年次報告というものを政府から国会に提出いたしまして、国会でそれを御審議願うようなことをお願い申し上げたいと思うのでございます。この点につきまして私、昭和三十八年の当参議院の予算公聴会、あるいはその後の衆議院予算公聴会でも公述人としてこういう問題をお願いいたしたのでございますが、まだ実施に移されていないのでございますが、こういうような行政不服申し立てあるいはそれの不服審査のことにつきましては、年次報告を取るというような御措置を特に立法化していただきたいということをお願い申し上げるのでございます。  次に、公述の第三点といたしまして、行政の苦情処理でございますが、時間の関係でごく簡単に申し上げまするが、国の行政あるいは公社、公団、公庫等の政府関係の事業に対しまする国民の苦情、これは行政管理庁が行政相談法に基づきましていろいろ処理いたしておりますが、行政管理庁の公式の統計によりましても、昭和四十八年度には約十万件の苦情を受け付けて、それを処理いたしたのでございますが、その中で約三六%、三万六千件、年によりましては四〇%、四万件くらいは法令の不備あるいは事務処理の遅延、不親切、あるいは法令解釈の不適切等によるところの、苦情の原因が行政庁にあるというふうな行政のミスが明らかになっているのでございます。  こういうことにつきましても、ただいま申し上げました行政相談関係によりまして処理されているのでございますが、先ほど申し上げました新聞の投書者の意識調査によりましても、必ずしもそうではなくて、かなり不満であるというふうな訴えが多いのでございます。そこで、やはりこれまた年に三万も四万もこういったふうな苦情が起こらないように、行政が適切な運営をしていただきたいと思います。いま非常に行政需要、たとえば社会保障、社会福祉関係でございますとか、その他の関係では非常に行政需要が多くなっておりまして、それに携わる公務員の数が少ないので御苦労とは存じますが、もっと血の通うような運営をしていただきたいのでございます。  最後に、五分ばかりおかりいたしまして、第四の身障者、老人の福祉強化の問題でございますが、この老人、身障者、母子世帯というのはインフレの最大の被害者であり、また社会的不公正の最大の被害者でございますので、これを救って、生きるところの喜びを与えていただきたい。敬老の日などに老人が自殺することのないように、生きていてよかったというような喜びを与えるような施策をしていただきたいのでございます。そのためには、年金の給付水準の改善もさることながら、年金制度のひずみのために当然権利がある者がもらえないというような、たとえば通算制度がないとか、そういったふうな問題がございますが、こういうふうな点も強化をしていただきたいということをお願い申し上げます。  結論といたしまして、私は、行政が国民本位の血の通う国民参加の行政をしていただきたいということをお願い申し上げます。社会保障その他の給付水準の拡充なども当然必要でございまするが、行政運営を適切にするということは、特に特別な追加財源を必要といたさないものでございますので、どうぞ行政運営が適正にされまして、国民の信頼を得るようにお願い申し上げたいと存じます。  御清聴大変ありがとうございました。(拍手)
  35. 大谷藤之助

    委員長大谷藤之助君) ありがとうございました。     —————————————
  36. 大谷藤之助

    委員長大谷藤之助君) それでは、質疑のある方は御三人御一緒に順次御発言を願います。
  37. 寺田熊雄

    ○寺田熊雄君 村越先生にお尋ねをいたしたいのですが、このごろ大阪市近辺の自治体の同和事業につきまして、ある革新政党から非常に厳しい批判が寄せられております。それは、自治体全体の事業の中で同和対策事業の占めるシェアが余りにも大き過ぎるという論難がなされておるんです。私は、形式的に事業費だけの比較では、それが自治体の住民に幸せをもたらすものか、それとも不幸せをもたらすものか、一概に断定はできないと思うんです。  たとえば、私も実は自治体の行政を担当した経験があるのですが、そのときに、失対事業でプールをつくるという場合に、それが一般の請負業者、土建業者につくらせるのと比較して金がよけいにかかるので、それは市民にとって不得策であるという批判が寄せられたことがあります。私は、そのときは、失対事業擁護論者でありまして、それを精密に計算をしたわけです。そうしますと、なるほど一般の土建業者につくらせた方が総事業費を比べますと若干安いのですが、しかし、国からいろいろな補助金が来ますので、その補助金を用いてプールをつくりますと、市民負担は逆に請負業者につくらせるよりは少なくて済む。したがって、市民には失対事業でプールをつくった方が得なんだということをまあ研究して、当時の東京市政調査会、いま都政調査会と言うんでしょうか、市政調査会の機関誌に載せたことがあります。  それと同様に、やはり同和対策事業が果たしてどれだけの自治体の自主財源を費消しておるか。つまり、それが国の補助金とかあるいは起債が認められて、起債の元利償還の中でどれだけが国が受け持っておるか、市民負担がどのぐらいか。つまり、自主財源をどれだけ費消しているかというようなことを詳細に検討してでないと、それが市民に得策なのか、不得策なものかということを断定しがたいので、そういう点、もうちょっと私は科学的に検討する必要があると思うんですが、そういう点いかがでございましょうか。御研究になったこと、ないでしょうか。
  38. 村越末男

    公述人(村越末男君) お尋ねの同和対策予算は、同和対策事業特別措置法が制定される以前から、若干の地方自治体では自主的に支出しておりました。  御承知のように、同和問題と申しますのは、明治四年の八月における太政官布告によりまして、えた、非人の称が廃されましてから、職業、身分ともに平民と同様たるべきことという法令が出されまして、法制的には日本の中に身分差別はなくなったのでございます。ところが、当時から政府は、被差別部落に対しては一銭の財政的援助を与えませんでして、逆に、いわゆる士族、華族階級と呼ばれている封建社会における一部特権階級に対しましては、当時の予算におきまして約二億一千万円、昭和四十五年段階で換算いたしますと約八千億円、明治五年からそれを年四分という非常に低利の正当な利殖投資で蓄積いたしますと、大体百兆円に相当するものが投ぜられたわけでございます。ところが、被差別部落に対しては一銭の財政援助を与えないどころか、御承知のように明治五年、いわゆる壬申の年にあたりましては、壬申戸籍と呼ばれていますが、あの国家の言うなれば基本的文書の中に、えた身分であるとか、元長吏であるとか、あるいは新平民であるとか、そういうきわめて露骨な差別文字を記載いたしまして、全国地方市町村に永年保存で、しかもこれを戸籍法に基づきまして閲覧自由という形で国民に差別をばらまいてきたのでございます。  言うなれば、そういう国家の差別制度のために犠牲を受けてきた被差別部落民の人々に対しまして、戦後も、いわゆる法のもとの平等の名のもとにおきまして特定な、言うなれば財政的援助であるとか措置であるとかいうことをなしてきませんでした。そういう結果が、総理府の調査でも皆さんは御承知のとおりに、大体平均いたしまして、全国の生活保護水準ですね、生活保護者の、言うなれば全国民を一とした場合に被差別部落におきましては平均七をオーバーするものになっているわけです。そういう中で同和対策事業特別措置法が生まれまして、いわゆる国家財政の援助が三分の二、それから起債を認められまして、その起債に対する返還率が八〇%、そういう点からいたしまして、地方自治体が、法律のとおりに行われました場合は負担率はきわめて軽微になるのでございます。ところが、国家のそのような法的な補助事業対象が全面的に認められないということと、地方の実際行政上の要求が多面にわたるために、かなりな、ごく最近でございますが、地方財政におけるいわゆる同和対策費というものが増加していることは事実でございます。  しかしながら、たとえば大阪におきましても、その同和対策事業予算は四・二、三%、多いところで一〇%という形、実際の負担はそれ以下でございます。問題は、予算の中にそれら同和事業に対する予算全体を投じた場合、比較的大きな数字を示すのでございますが、たとえば大阪府は、実質上その八割援助をしているわけでございまして、一般的に言われているように、同和対策の地方財政における負担というものはそう大きなものではございません。そう大きくないということは言えないんだが、一部ではかなり大きくなっているところがあるんだが、それは歴史的に言うなれば、なさねばならなかった同和対策の投資をサボタージュしてきたという行政の責任にございまして、近年、それをわずか十年間の間に解決しなければいけないという課題の前にとっては、まだまだそれは少ないと私は評価できるぐらいのものでございます。そういう点で、おっしゃられるような同和対策予算が地方財政を圧迫し、国の財政を圧迫するなんということはとんでもないことであろうと、このように思います。
  39. 石本茂

    石本茂君 私、村越先生にお伺いいたします。  先ほどのお話を承っておりまして、これは私どももそう思っているところでございますが、わが国におきます特に来年度の国家予算を見ておりますと、確かに厚生省予算そのものだけは四兆円近いものを予算額として計上しておりますけれども、全体からながめますと、とてもさっき申されました福祉先進国等の持っております二五%以上にはまだ遠うございます。一八・何%、やっとまあ出たというところにあるわけです。そこで、先生も幾つかの対策項目を挙げられまして、抜本的にこういうものは改善していくべきだと申されたわけでございますが、福祉といいますのは、私のあさはかな考えかわかりませんが、時の流れの中で、時々刻々にその対象になりますものの幅が広がり、深みが浅くなったり深くなったりという、非常に複雑怪奇な現象を持っていると思うんです。そこで、いまたとえば日本のこの厚生行政を私なりに見ておるわけですが、さっき国井先生も、国民本位の行政をという中にどこまで幅があるか存じませんが、国民の声を行政にということになりますと、非常に項目が多くなりまして、現実は総花式だと思うんです。深みを追っかけるよりも、幅をむしろ追っかけているというような、現在ただいまの福祉対策、保障につきましても、いうふうに私は思うんですが、先生この辺、どのようにお考えになりますかということと同時に、一八%ちょっと超えたこの現状でございますので、現在ただいま改善するとすれば、体制の改善——変革をするとすれば、どの程度の一体国家予算を何十%までその組みかえをしたら、先生のお考えになっていらっしゃるところの福祉対策あるいは社会保障というものが一応かっこうがつくのでございましょうか。これもお聞きしたい。  それからもう一つ、これはもう先生御承知でいらっしゃると思うんですが、何か今国会に、これは先般、七日の日に閣議で決めたということですが、例の社会保障の最低基準に関する条約でございます。いわゆるILOの百二号条約でございます。これを何としても今国会で批准していきたい、しかし、御承知いただいておりますように、日本の満たしております項目というのは、九つありますうちの四項目でございまして、こういうことを今度、来年度国家予算をながめまして、やっとこ何とか四項目はずり込むにいたしましても、残る五項目でございますね、さっき先生も申しておられました例の医療給付、それから私ども女性の場合は母性給付が一つの問題になると思うんですが、それに家族給付、あるいは疾病給付、あるいは遺族給付というものが今日なお資格条件を整えておりません。こういうことも含めまして、五十年度国家予算の総対象の中で、こういう批准をされることがさらに刺激剤となりまして全体がよくなっていくのか、あるいは最低のものを部分的に満たしたからまあまああとは——それからあるいはその枠に入ったものも少々緩めていってよいのか、これは国の対策であり、われわれ国会におります者の考えの中で動いていくと思うんですが、その辺の私はいささか心配をする思惑を持っておりますので、先生の御所見を承りたいと思います。  それからもう一つあわせまして国井先生には、国民中心の行政をと申しておられまして、るるお話を承りまして、大体承知したのでございますが、いまの福祉関係でございますと、すごく手続その他が複雑でございます。一つのことを進達いたしますにも、あっちにもこっちにも持っていって、そしてやっと結論が出るというような行政でございます。この辺をどう一体簡素化できますものか、先生の長年の、行政へもいろいろと御援助いただいておられます先生ですから、簡単でございますので、一言こうしたらいいんじゃないかというものがありましたらお示し願いとうございます。  以上でございます。
  40. 村越末男

    公述人(村越末男君) お答えいたします。  憲法第二十五条の規定を受けまして、昭和二十五年十月社会保障制度審議会が政府に提出しました社会保障制度に関する勧告案は、「社会保障制度とは、疾病、負傷、分娩、廃疾、死亡、老齢、失業、多子その他困窮の原因に対し、保険的方法又は直接公の負担において経済保障の途を講じ、生活困窮に陥った者に対しては、国家扶助によって最低限度の生活を保障するとともに、公衆衛生及び社会福祉の向上を図り、もってすべての国民が文化的社会の成員たるに値する生活を営むことができるようにすることをいう」、このように規定いたしております。ところが昭和三十七年八月の社会保障制度の総合調整及び制度推進に関する勧告におきましては、一、一般国民に対しては、社会保険をプール制によって統一する方向をとり、二、低所得階層に対しては、社会福祉と特殊の社会保険により、三、貧困階層は、公的扶助で対処する、こういう漸進案に変わりまして、このことがもとになりまして、日本社会の福祉制度というのは、ある面ではその発展がむしろ遅れたわけでございまして、さらにこれがそのまま推進された場合は、いわゆる高負担高保障というかっこうで、貧しいものがそれに排除されてくるという原理的な矛盾があるように思います。私が、抜本的検討を加えていただきたいというのはこのような点でございます。私は、いま先生方の審議に対して何%福祉予算をというようなことは言えませんけれども、さっき述べましたように、最低二五%までは進めていただきたい、これは心からなるお願いでございます。  ILOの批准については早急に批准していただきたい、そうして九項目を全部満たしていただきたい、このように考えるわけでございます。
  41. 国井国長

    公述人国井国長君) 石本先生は厚生政務次官としまして厚生行政にお携わりになりましたので、よく御存じと思いますが、非常に社会保障関係の給付の手続等が煩瑣でございます。それで、たとえば届け出を一回で済ましていいようなものを二回、三回するような制度、仕組みになっておりますので、それを簡単にするようなことが一つと、もう一つは、受給者に対しましてもいろんな手続的の面を何かチラシとか、しおりのようなものをつくりまして、あらかじめ配布して、国民の方にもそういったふうな手続、適法な手続ができるようなものを与えるべきだと思います。  それから、ついでながらちょっと申し上げますが、先ほどちょっと申し上げたんでございますが、先生方の御配慮によりまして、社会保障の水準はどんどんよくなったが、受給者につきましてはどんどん年金受給額なんかが上がっております。ところが、一実際に権利がありましても権利が認められない。たとえば通算制が欠除しておりますとか、あるいは国民年金の場合には、本来ならば五年なり七年なり掛金して、実際にはもう受給権があるんですが、事故の直前に三月か半年滞納したために、本来の拠出制の年金をもらえないばかりか、無拠出の福祉年金ももらえないと、こういったふうな制度のひずみもございます。ここに朝日新聞にそういうことも出ておりますので、そういう点も是正しまして、受給権者と、それから実際に受給者とのずれのないように、つまり格差が拡大しないような御配慮も賜りたいと存じます。  後、何かございましたら御質問にお答えいたします。
  42. 小巻敏雄

    小巻敏雄君 村越さんに質問をいたします。  いま寺田さんの方から、ある政党の批判では云々の話の上で御質問があったのですが、いま地方自治体の財政破壊の中で、同和事業対策の問題が大きな原因になっているというのは、特に大阪府では広い範囲にわたって天下周知の事実でありますが、村越さんのお話では、まだまだ市の持ち出しが足りるどころか、不十分なようなことも言われている。大阪市大の部落解放研究所の事務局長をやられておって、そうして大阪の矢田において部落解放同盟自身の役員もしておられたあなたが、そんなに実態を御存じないというようなことは通らない話だと思うんです。  私は、いま一、二例を挙げられましたので、ざらに大阪府における同和財政の実態について、あなたの口から具体的に少し出してもらいたいと思うんです。泉南市における同和地区の人口比、これと同和予算の人口比を比べると、私は、人口の六・五九%の住民に対して、同和予算は全予算の二九・四一%に及んでいるというふうに承知をしておるんです。多かれ少なかれそういうことがある。和泉市、八尾市、貝塚市などは、いずれも二〇%を超える同和予算を持ち、地区人口は三%、四%というような状況になっておる。そして、これに対しては、おおむね国の補助金というのは規定どおりにはとうてい受け取ることができないようになっていると承知をしておりますが、これらの状況について、大阪市、各衛星都市、こういう状況について具体的に述べていただきたい。  さらに、地方自治体においていま超過負担の問題が大問題になっておるわけですけれども、どうしてこれらの町々では、あえて最大の問題である超過負担をみずから選ぶのか。ここには市の意見というよりも、糾弾という問題によって、議会を素通りをして市の役員がその要求を強烈な糾弾によってのまされておるという事実があるわけです。これらのあり方がこういう不正常な状況を生み出している。この問題についても、あなたの方からその実態に触れてもらいたいと思うわけであります。  なお、保育所等でも、その結果生まれておるものは、全体の状況と部落内での状況の大きなアンバランスが生まれております。大阪市は地区人口は六万五千人です。市の人口の二・三%ですけれども、市の教育予算の四五%が同和予算に投じられており全市の保育所のうちで二一%が地区内に置かれ、児童数の二三%を占めておるというような状況もあります。保母の一人当たりの児童数は、部落の保育所においては四・二四人、一般では一〇・五七人ということもあるんです。この問題。  それからいま一つの点として、いま部落解放の必要性、これはどうしても行わなければならぬものですけれども、部落住民が、いまもなおこれらのかなりの予算を投じて行われておる事業から除外されておる人たちがあるという問題ですね。真の部落解放は、何としても部落住民全体に対して行政の事業の恩恵が行き渡らなければならぬ。その結果が行き渡ることのできない人たちを生み出してきておる。部落解放同盟が承認をしなければ、同じ地区の住人であっても住宅が当たらなかったり、保育所に通えなかったり、あるいは高校入学の仕度金が受け取れなかったり、こういう人たちを生み出しておるわけであります。これらの解放を阻害する要因というのは、今日の窓口一本化というような実態がある。これについても、法違反のこういう状況を生み出しておるのは、糾弾というものを除いて考えられないわけです。これらについても釈明をお願いしたいと思う。
  43. 村越末男

    公述人(村越末男君) 何党の方か私存じませんけれども、釈明する気持ちは少しもありません。
  44. 小巻敏雄

    小巻敏雄君 説明でいいですな。
  45. 村越末男

    公述人(村越末男君) 問題は、自治体財政が困窮に陥っている原因が、いわゆる同和対策予算にあるかのような発言でございました。これは、地方自治体の歴史を御存じの方からは口に出ない言葉でございます。地方自治体が発足しました当初から、いわゆるそれは三割自治体と言われておりました。なぜかと言えば、国の税制上、必然的にそうならざるを得ないからでございます。  いまのお話を聞いておりますと、恐らくあなた方自体がその矛盾をすでに早くから批判してきていたのではないか。問題は、昭和四十年にようやく同和対策審議会答申が部落解放運動によってかち取られまして、いわゆる部落問題を解決することは国の責任であり、国民の課題であるという理念が一般的に承認されました。そして同和対策事業特別措置法が四十四年に制定公布されましてから、十カ年計画が推進されるに際しまして、御承知のように部落差別の問題は、法的には明治四年から発足をするものでございますけれども、それ以前の数世紀にわたる長い封建社会における差別、迫害、身分制度の問題がございます。しかも、明治維新当初の近代日本国家の出発点におきまして、国家のそのような行政措置が非常に誤ったために、私がさっき述べましたように、いまの被差別部落の生活保護は、一般水準のおそらくは七倍以上を超しているわけでございます。  私はむしろ質問されたあなたに、地方財政の窮迫を訴えるよりは、この国民の中において何ゆえに七倍もの生活保護水準の中に陥らなければならなかったかということを考えていただきたい。被差別部落が土地所有から排除され、就職から排除され、教育の平等から排除されてまいりまして、年々歳々、いまも差別による自殺者まで出ているわけでございます。この社会的基盤の中で、わずか十カ年にしてこの部落問題を解決することの困難さは、想像を絶するものがございます。いろいろな政党政派の妨害の中で、ようやく地方自治体における、市民としての権利を確立していくための最低限の要求をしてきた。もちろん強大な運動の中で、さっきあなたがおっしゃられたように泉南の場合は、わずか〇・五九%の人口比に対して二一・何%かのいわゆる地方自治体の予算が使われている、これは数字のごまかしである。問題は、人口が一%であろうと、たった一人であろうとも、基本的人権を迫害された者がその市民的権利を復原するに際しては、最大限の努力はしなければいけない。この中におきまして、政府が同和対策事業特別措置法に基づく正当なる援助をした場合には、このような矛盾があらわれなかったのでございます。  ところが、大阪府におきまして、二百四十億の同和対策事業費の中でも、百八十億がいわゆる補助対象外事業、六十億が政府補助対象の事業というふうになっているかと思います。私の記憶は間違いかもしれないんだが、とにかく二対一ないし三対一という形で政府が補助対象外事業としておる。このようなことが、いわゆる地方財政圧迫という形をとっているわけであって、ほとんどゼロに近い同和対策予算がここ五、六年の間に膨張していけば、無限大の増加と宣伝することもこれは容易である。その倍率をのみ宣伝し、数字をもって扇動することは私は許しがたい犯罪であると思う。  同時に糾弾が——基本的人権を侵害された被差別部落民に対して、今日、国家の方は何を保護しておるのか。刑法においてわずかに名誉毀損罪でこれを保護するにすぎない。皆さん、名誉毀損罪でおのれの人権を保護するということがいかに困難なものであるかということは御承知のとおりだ。このように差別によって、しかも人身迫害がなされ、死に至るところの迫害がなされているときに、この不当、基本的人権を差別することに対して、人権擁護の自衛活動が展開されるのは当然である。糾弾活動は歴史的にそのようなものであったと言えます。  さらに、このような糾弾が、議会を通らないで財政措置がなされた云々と聞きますけれども、私は、浅学非才にして今日の行政体において議会を通らない財政というものは存じ上げておりません。さらに今日のいわゆる、たとえば非常に問題になっておる矢田南中学校というのがございますが、二十三億円かけて建てられた。この実態を申し上げますと、部落指導生徒はわずか二〇%足りない。八〇%がいわゆる同和対策予算とか何とかあなたはおっしゃるかどうか知りませんけれども、建設された中学校で等しく教育の健康な権利を保っております。私は日本の教育水準は低いと思います、施設的にも。今日ますます学校の規模をりっぱにすること、教育予算増大することは当然な要求かと思います。  それから、部落住民全体に利益を受けせしめるために、いわゆる窓口一本化の問題は起こったわけである。在来、行政体は、部落内の派閥抗争、A、B、CならA、B、Cという派閥に対して、おまえのところは橋を要求してきておる、Bの方は道路を要求しておる、Cは住宅を要求しておる、こんなことじゃ行政はできないから一つにしてきなさいと言って、常に部落内の分裂、対立を利用しながら同和行政をサボタージュしてきたんだ。この中で地域住民全体の利益代表として、たとえば大衆団体である部落解放同盟、これは御承知のように、自民党支持者の人もおれば共産党員の人もおりますし、社会党員もおれば公明、民社の方もおります。それは差別撤廃のための、いわゆる人権確立のための大衆運動である。このような大衆組織を対象とするか、あるいは同和事業促進協議会のような別個な組織をつくりながら、地域住民の統一化を図って、いわゆる同和行政を推進されるか、このことは共産党の方はもちろん、社会党の方も全部一緒になって在来まで行政に要求し、行政もまたその必要によって生み出したものでございます。ところが、残念ながら、いわゆる同和対策審議会答申に対する評価のいろいろなトラブルをめぐりまして、政党エゴイズム、そのようなものが非常に発揮されまして、おのれが十数年間以上も直接携ってきた指導理念を破壊する動きが今日、日本の各所に出てまいっております。私は、そういう国民の人権確立のための統一的な運動に対して、分裂的あるいは抽象的誹謗をする動きがあることを、非常に今日残念に思っている次第でございます。
  46. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 国井先生と村越先生に御質問を申し上げたいと思います。  国井先生が、みずから生活研究所をおつくりになって、特に身体障害者の皆さんを中心としますところの社会保障制度の諸問題に取り組んでいらっしゃることにつきましては、深く敬意を表したいと存じますが、先ほど先生の公述をされた中で一点お尋ねしておきたい点があるのであります。  それは、時間の関係でおそらく先生から言及がなかったと思いますけれども、この身体障害者の社会的不公正を是正をするという課題は、分野は非常にたくさんあると思いますが、とりわけ、ぜひともこれとこれとは早急に実現をしてもらいたいという点があれば、お聞かせをいただきたいという点でございます。  次に、村越先生にお尋ねをしたいのでありますが、いまも同和問題に関しますそれぞれの角度からの質問があったわけでありますが、私は、先生が政府の同和問題の積極的な解決ということを強く強調されておる点は、まことに同感であるわけであります。その立場から、大きく分けまして三つ質問を申し上げたいと思います。  その一つ予算の問題でございますが、先ほどのお話によりますと、五十年度の予算の同和事業対策費関係は総予算の約〇・四%前後である、同和地区の人口比を考慮すると低いのだというお話があったわけでありますが、先生は、これは切りがないわけでありますが、最低やはり比率の面で見ればどの程度は常識的に、政府が同和事業ということを、同和という問題について本当に理解があるならば、最低どのくらいは当然組むべきだというお考えなのか。その点をお聞かせ願いたい。  同時に関連をして、いま一つは、先ほど同僚議員の寺田委員からの質問もありましたし、いまの質問とも関連をしますが、なるほどそのたてまえとしては三分の一が自治体、しかし、そのうちの八〇%がほとんど起債でめんどう見るという点等々から見て、たてまえとしては、市町村自治体の持ち出し分というのは少なくならなきゃならぬ理屈なんです、これはきわめて少ないわけです。しかしながら、実際の面であるというのは一体どこに問題点があるのか、国のこの同和の施策という面から見てどこに一体問題点があるのか、そこの点をはっきりお聞かせを願いたいと思います。  第二の問題は、同和問題の歴史的な経過、あるいは置かれているところの現実を直視をいたしますと、この同和問題の本質ということをやはり明確に把握をしなければ私は不十分だと思います。したがって、問題の本質の見誤ることなく、同対審に基づくところの実際の仕事を国の責任でやろうとする場合に、私は、同和問題の見方という問題について、最近この同和の問題は一般の福祉行政と何ら変わらないんだと、たとえば保育所に行くのに差別があるかという論と全く同一視したところの議論があるわけでございます。言葉をかえて申し上げますならば、差別を一般論に埋没をさせてこの同和問題というものを見るという向きがあるわけでありますが、そういう意見についてははなはだ私は疑問に感ずるわけでございますが、その点、先生の基本的なお考え方をお聞かせ願いたいと思います。  いま一点は、先ほども質問者からあったところの窓口一本化の問題と関連をして、窓口一本化という問題は、憲法十四条違反であり地方自治法違反であるという、しきりに法律違反論があるわけでありますけれども、先ほど先生のお述べになられたところの諸点で私もよくわかるわけでございますけれども、その法律論と関連をする中で、これが誤りであるという点を先生が明確にお持ちになるならば、その点をお聞かせを願いたいと思います。  以上です。
  47. 国井国長

    公述人国井国長君) 宮之原先生は、身体障害者の教育問題等につきまして非常に格別な御努力をされておりますことを冒頭にお礼を申し上げます。  身体障害者は、これを援護の面から分類いたしますと、これは個人差がございますが、一つは、常時介護を要するようなきわめて重度の身体障害者、それから二つ目は、家庭内ではどうやら人手をかりなくても自分のことができるが働くことができないというのが第二の分類でございます。第三番目は、家庭内のこともできるし、また、ただいま先生方の御配慮をいただいておりまする身体障害者の福祉工場など、つまり保護的の授産所などでは働くことができるが、一般の労働市場で競争して就職することができないというような者が第三番目。第四番目は、主として身体障害が軽度、あるいは障害の部類によりまするが、一般の労働市場でも就職をして働けるような軽度の障害者、この四つにほぼ分類できるのでございます。  したがいまして、これに対しまする対策個人差はもちろんございまするが、ただいま申し上げました四つの分類に従いまして、ある部類に対しましては年金等による所得保障を十分にする、ある面では施設の収容を十分にする、ある部門に対しましては雇用面で援護を十分にすると。こんなふうなきめ細かな対策が必要なんでございます。ところが、現在の施策は必ずしも総合的、計画的にされていないのでございまして、特に重度障害者の場合には手厚い保護がされてないということが言えるのでございます。一面におきましては、軽度の障害者で余り保護の必要のない人にも保護がされているということでございます。  先生方、新聞で御存じと思いますが、最近、大企業あるいは官公庁が身体障害者雇用促進法に定められた雇用率を守っていない、つまり達成しない。つまり、国が勧奨している数だけの身体障害者を雇っていないということを新聞が報じておりますし、労働省も、次の、来年の恐らく国会でございましょうか、何か改善する法案を提出して先生方に御審議願いたいということのようでございまするが、この身体障害者の雇用率でございまするが、これも、昭和三十五年に身体障害者雇用促進法ができましたときに、私は衆議院の社会労働委員会で参考人として意見を述べたのでございまするが、そのときに、最初の原案では、この保護の対象になる身体障害者は身体障害者福祉法の対象の身体障害者ということになっておったんでございます。ところが、ある団体からのまあ圧力と申しますか、陳情に労働省が屈しまして、もっと幅を広げて、言うならば、小指一本ないような人あるいは足の指が二本しかないくらいの、軽度障害というよりもむしろ軽微障害で、ほとんど保護が必要がない、つまり雇用促進法というような特別立法がなくても雇用をされるというような人まで含めたために、形式的には、数字の上ではつまり雇用人員がふえ、雇用率がもっと高くなったというふうな、こういうふうな、何と申しまするか、数字の魔術、あるいは保護の必要のない者までもひっくるめて保護しているんだというふうなことのやり方をしているんです。  その反面におきましては、この雇用促進法では、ただいま申し上げましたように、指が一本ない人を雇っても一人、それから両足のない人あるいは片腕が肩からないような保護の必要な人を雇っても一人。したがいまして、やはり企業体では障害程度の軽い者を雇って数を満たそうというふうなやり方をやっていて、しかも、それですら大企業は身体障害者には門戸を閉ざしているような状態でございます。  そこで、先生方にお願い申し上げますのは、西ドイツにおきましては、この雇用率の中に重度の障害者、たとえば片足をひざの上からなくしたとか、あるいは片腕を肩からなくしたというふうな重度の障害者をある一定率含めよというふうな法律になっているのでございます。法律で身体障害者の雇用を援護いたしますのは、私は少なくとも中度以上の障害——中度障害者、重度障害者を対象にすべきだと思うのでございます。中度障害者とは片腕あるいは片足を失った者であり、重度障害者は両腕の喪失あるいは両眼失明でございますが、重度障害者につきましては、その個人差によっての雇用の促進もさることながら、これらの重度障害者に対しましては、むしろ私は年金をもっと手厚くして所得保障をすべきであると思うのでございます。  ところで、いまの国会に提案されておりまするところの国民年金法によりますると、重度の一級、常時介護を要するような両足がない、あるいは両眼失明というふうな障害者は、今度は一万八千円に増額されます。これも先生方の御努力で最近非常に増額をされたんでございまするが、一方におきましては、官公庁の公務災害の身体障害者あるいは旧軍人軍属の増加恩給は、同じような障害程度の方々が現在百五十万、仄聞するところによりますると、これが五十年度から二百万円に増額されるというふうに伺っているのでございます。まさに、同じ障害者の一方は、なるほど強制的に戦場へ駆り立てられた、あるいは公務災害の犠牲者でございまするが、同じ障害者が、一方の障害福祉年金は月額ようやく一万八千円、一方の方では月に十三万あるいは十五万というのは、余りに私は格差が激しいということを申し上げておきたいと思うのでございます。  それから、ただいま私が申し上げましたように、身体障害者対策というものは中程度以上の障害——中程度障害あるいは重度障害に重点を置いてほしいということを申し上げたんでございまするが、これが年金の面でも必ずしも十分に反映されていないのでございます。  先ほど、石本先生の御質問にお答えしましてごく簡単に申し上げたんでございまするが、障害年金の場合には、老齢年金と違いまして通算制が確立していないのでございます。そのために、現在のように、厚生年金から国民年金、あるいは国民年金から共済組合というふうに制度間を移動いたしますると、一つの制度の中にいて障害を受けます、あるいは死亡した場合には年金が支給されるのが、どの制度からも年金が支給されないというような落ちこぼれがあるのでございます。こういうふうなものにつきましては、厚生省も来年度この通算制を確立したいということでいま努力しておるように思いますのでございまするが、先生方からもこの点につきまして御鞭撻を願いたいと考えるのでございます。  そのほか、たとえば七十一国会で私は公述人として、現行の年金行政に非常に不合理な点があるということを意見陳述したのでございますが、たとえば、兵隊に召集されまして、ごくわずかな軍人恩給、これは職業軍人じゃございません、軍人恩給をもらっているために、本来もらえる障害福祉年金が全額支給停止、あるいは年額たった百五、六十円しかもらえない。こういう者に対しては、私は、障害年金、特に重度の障害年金の場合には介護料的な部分があると思うのでございます。一方、普通恩給は、純然たるいわば老齢とか退職に相当するもので障害年金あるいは障害の加算部分がないのでございますから、これは加算的に併給すべきだということをお願いいたしたのでございます。  そこで、あとちょっと一分ばかりおかりいたします。  ただいま宮之原先生から障害者の問題につきまして御配慮いただきましてありがとうございまするが、障害者は、このように社会保障給付あるいは社会福祉の施設とかその他の面が強化されましても、それだけでは満足をしないのでございます。やはり身体障害者が生きる喜びを味わい得るような制度にしてほしいということでございます。  そこで、一点、私は最近感激したことがございますので、御披露申し上げます。鳥取県の県警察本部長の仲山順一さんという方が、鳥取県では国民本位の警察行政を目指して、積極的に老人や重度身体障害者のいろいろの慰問をしたり、つまりパトロールのときに訪問してその方を慰めたり御相談にあずかっているので、言うならば警察が国民本位の警察として住民の困り事の相談にも、社会保険事務所とか福祉事務所などともタイアップして、そういったふうなことにも、受け身ですが、やりたいと思っているから警察官にそういったふうなことについて講演してほしいということで、二月の十三日に講演して参ったのですが、ここでは、警察官が、ただいま申し上げましたように、老人や身体障害者を訪問して慰問激励して御相談にあずかることによって身体障害者や老人が非常に感激すると、またその感激されたことによって警察官も生きがいと申しますか、それを感じているということを私は目の当たりに見たんでございまして、警察行政につきましてはいろんな批判もございますが、いい点はいい点として私は評価してほしいと思うんでございまするが、これは宮之原先生の御専門の教育の関係にも関係いたしまするが、学校に行きますと、最近、身体障害者の問題等につきまして、いろいろと教育の面でも配慮されておりますようですが、さらに一層、この学校教育におきましても、身体障害者その他のいわゆる社会的弱者が生存権を確保され、生きる喜びを感じまするように、教育の方でも一層お取り入れ願いたいと存じておるのでございます。ありがとうございました。
  48. 村越末男

    公述人(村越末男君) 今日の政府予算が、当初予算におきまして、昭和五十年度、八百二十三億余りでございます。パーセンテージにして〇・三九%。私は、人口が約一・五%ないし三%あるから、それによってもっとふやさなきゃいけないということだけではないと思うのでございます。先ほど申し上げましたように、被差別部落の根本的解放なくしては日本人民における民主主義はあり得ないということです。このことを私は特に訴えておきたい。これは、同対審が述べたから、同和対策事業特別措置法がこう書いてあるからということだけではないのであって、世界史の歩みにおける基本的人権確立の歴史の流れの中で、日本民族もまたそこに足場を置かなければいけない。このためには、このような被差別部落に対する差別、迫害は根本的に解決しなければいけない。そのための予算がどのくらい必要であるかということは、なかなか数量的にはむずかしいことでございます。  さっき申し上げたように、一握りのいわゆる封建社会における特権階級のために出したお金が、今日正当に利殖を積みまして、百兆円を超えております。被差別部落の人口はそれより多いわけでございまして、これを正当な水準に戻すためには、じゃ百兆円出すか、こういう議論もなかなかむずかしいわけでございまして、そのようなことを言っているわけじゃございません。ただしかし、政府の同和対策予算が一地方自治体である大阪の予算に比べてもずっと低いわけでございます。このような根本的矛盾はなくしなければいけない。じゃ大阪府の部落問題は解決しているかと言えば、とんでもない。部落差別はいろいろな人々の悪宣伝もありますけれども、むしろ、今日ますます緊迫した非常に重要な問題を提起しております。そういう点では、政府が少なくとも私は法律どおりの補助対策を行うこと、私が一例非常に特徴的なことを言いますと、高知県大方町という小さい町がございますが、そこに一億五千万円余りでいわゆる同和向けの公営住宅を建設いたしました。そこで調べてみますと、その町が出した一般財源はわずか七万円足らずであったと思います。多くとも八万円を超えておりません。一億五千万円でいわゆる三十六戸の公営住宅を建てるのに、地方自治体が十万円足らずの予算で済むとなれば、これはどこの自治体でも喜んでこれを建てるわけでございます。ところが、政府がそのようなことをすることはまれな例になって残念でございますが、これを全国に、ぜひ法律どおりの投資をしていただきたい、財政援助をしていただきたい、このことが一点あるわけでございます。  さらに、毎年のいわゆる予算における同和予算をどのくらい必要と見てみるのかと。私は、本当を言えば、すぐに五%ずつ、少なくとも最低十年はこれから五十年度以降継続してほしいというふうに考えますけれども、そのこともなかなか今日の社会的状況の中では困難でございます。少なくとも私は、しかし、一・五%から五%の段階に早く水準を引き上げていただきたい。そして、若干の時間長引こうとも、完全に部落差別の問題を解決していただきたいというように思うわけでございます。  同和対策はやはり一般行政でなすべきではないか、こういう議論も確かにあるわけでございまして、私は、その議論が根本的に誤っているとは思わないわけでございます。一般のあらゆる行政の中で同和問題解決の一般行政をやってほしい。だが、そのようなことが言われまして百年間、日本の行政が継続されて差別は解消してないのでございます。ということは、根本的に一般的行政の中では何もなされていなかったという歴史的事実があるわけでございます。そういう点で、やはり昭和四十四年の同和対策事業特別措置法が制定された趣旨があるわけでございまして、そういうように、同和対策に対する特別の行政的、法的、教育的な、あるいは財政投資的な行政をやっていただくとともに、全行政の中にその問題を結合して解決していただきたい。このように、やはり特別行政のみで済むとも思われないし、在来の一般行政の中でのみ解決するとは思いません。そういう両者の具体的な結合の行政展開をしていただきたいというように考えるわけでございます。  さらに、窓口一本化の問題が法律違反のように言われておりますけれども、残念ながらそのようなことは、私はいままで具体的に法違反の問題が起きたことを聞いておりません。といいますのは、たとえば東京都の例をとります。東京都庁には同和対策室が設けられております。ところが、二十三カ所の都内の部落は実は同和地区指定をしていないわけでございます。そうすると、東京都の人口一千百万の中で三、四十万人の被差別部落民が恐らく居住していると推定されておりますけれども、じゃ、たとえば世帯更生資金を借りに行く、これは同和対策事業特別措置法に基づく行政でございます。ところが、じゃ十万円の金を貸してくれと、東京都民全部がこれを申し込む可能性すらあるわけでございます。全部といっても、世帯主が。そのことをだれがどこで一体行政的にチェックできるのか。もしこれを全都民が一律に自由に、たとえば同和対策の世帯更生資金を借り受けるとするならば、一体東京都の財政はどれまでもつでしょうか。  私は、そういうことの行政の立場を重んじて心配するわけじゃございませんけれども、法治国家である限り、法の制限を受けるのは当然でございます。そういう点で、窓口一本化は、先ほど申し上げましたように、日本の民主主義行政を居住市民の利益とあるいは意思とに結びつけて完全に実現するために起こされた具体的な行政の姿でございます。在来、すべての政党の人がこの二十年間にわたってこの窓口一本化のいわゆる形式において同和行政が行われるときに、何一つ矛盾が起きていない。それが最近、ある政党がその運動に対して一つの反対見解を持ったために、行政の措置までが変わり得るということは私はあり得ないと思うんです。そうして、さらに同和行政が窓口一本化でなければ——もちろん、近代日本におきまして行政はすべて窓口一本化でございますけれども、この地域住民の切実な要求と利益との結びつきがなければ、その行政効果はゼロになります。そういう点での同和行政の窓口一本化は私は当然必要である、日本の法律において違反するところは見当らない、このように考えております。
  49. 和田静夫

    和田静夫君 伊東さんにちょっとお願いしますが、都の新財源構想研究会の御一員でもありますから、一つは住民税なんですが、従来から自治省は負担分任原則という言い方を持ち出しまして……
  50. 伊東光晴

    公述人(伊東光晴君) 何ですか。
  51. 和田静夫

    和田静夫君 負担分任の原則というのを持ち出しまして、大幅な減税に踏み切ることがなかなかできないんですね。消極的なんですね。この原則というのは、私も長い間自治省とは論議をしてきていますが、金科玉条として仰ぐべきようなそんな原則であるようにはどうしても思えないんですよ。で、先ほど財税政の不公正の現状というお話をお聞きいたしましたが、それを聞けば聞くほど、ますますこれはどうも原則として当てはまらないように思うんですが、どういう御所見をお持ちですか。  二つ目は……
  52. 伊東光晴

    公述人(伊東光晴君) ちょっと聞こえないんですが。
  53. 大谷藤之助

    委員長大谷藤之助君) さっき言われた言葉、ちょっと。
  54. 和田静夫

    和田静夫君 負担分任の原則。
  55. 伊東光晴

    公述人(伊東光晴君) 負担……。
  56. 和田静夫

    和田静夫君 それからもう一つは、自動車の排ガスの規制ですね。五十一年規制が、御存じのように内容が緩みました。その実施の時期まで五十一年にずれ込む、こういう形になったわけですね。で、その間に自動車のトップメーカーは、御存じのとおり旧来型の並行生産を行う予定だと。通産省は行政指導で一応それをとめようと努力をしているが、なかなか私はそんなに成果が上がらぬのじゃないだろうかというふうに思うのです。で、三木総理が課徴金の問題を指示をいたしました、これに対して。ところが、これもまたどうもうやむやになりそうなんです。大都市の住民の健康を守るということは、これは今日の政治にとって大変大きな問題だし、都市の責任者にとっては一日もゆるがせにすることができないことはこれは御存じのとおりです。これはひとつどういうような措置というものを当面とったらよいんだろうかということを、もし御所見があればこの機会に承りたいわけですね。  それから三つ目ですが、明年度は固定資産税の書きかえの年なんです。で、この評価がえというのは、これは私は単に固定資産税の評価がえというような形で考えて済ませておけるような筋合いのものではない、こう思うんです。税制全体の中でかなり重要な位置を持っておると私は考えているんですけれども、宅地などの評価がえに伴う土地税制ですね、その土地税制の諸問題というものについて、もし御所見があればこの機会にお聞かせ願いたいと思うんです。  それから最後に、電気税ですが、東京都において一体どういう企業が非課税の恩恵を一番受けていますか。もし研究会等の討論を通じて御存じならば教えていただきたいんです。私はその企業から、その非課税対象になっている企業から——電気・ガス税というのは私たちは基本的には反対なんですが、いわゆる個人負担をする部分については——企業の電気税を非課税にせず取っていっても、私はその生産価格に大した影響は与えないんじゃないかということを考えるんですが、この辺について教えていただければ幸いです。
  57. 伊東光晴

    公述人(伊東光晴君) まず、固定資産税の評価がえによって東京の宅地に関する課税がどのくらい上がるかということは、現在一万七千円ほど、上野毛におけるところの五十坪ほどの住宅でこの前の評価がえのとき一万七千円程度納めている者が、五十二年で九万四千円、五十七年に五十万六千円という形で上がってはいます。こういうことは実際問題として不可能であろうという形のために各種措置がとられまして、実はこの前のときに措置をとられたわけですけれども、私たちがこれをやりましたのは二年前でありますけれども、二年前のときから、固定資産税を正確に課すということは実際はできないだろうと。ただし、他方においてどういうことが起こっているかと言いますと、今回の長期譲渡に関するところの改善措置、これは所得分配上においてきわめてよい分配をもたらすと私たちは考えておりますけれども、と申しますのは、個人所得に関する課税が実質上三千万円を超実る人について逆累進になっているというこの事実の基礎は、何よりも長期譲渡所得税について分離課税が行われ、優遇されていたということが第一。二番目には、配当に関する優遇措置がある。この方の響きはかなり小さいのです。具体的の数字というのを申し上げますと、最新時点で入手可能な資料というのが数年前になりまして四十七年と四十八年の数値になりますけれども、一億円を超える人か——サンプリングでありますからこれは全体を推しはかることはできないんですけれども、東京のサンプリングでありますが、一億円を超える人の平均税率が地方、国、両方入れまして二一・八%、最高は二千万円から三千万円の三六・九%。これが今回の案によりますと、完全に逆累進がなくなりまして累進課税になり、近代税制に適応するという非常にいい措置なんです。  ただ、こういうようなことが行われますと、同時に出てくる問題は何かというと、ロック・イン・エフェクトの問題であります。つまり土地をかなり持ち、すでに資産のある人たちがそれを売らないという凍結効果が出るのです。それでこの凍結効果地価に与える影響というものを考えざるを得ないのです。譲渡所得税引き上げて、分配の公正を勘案する場合には、必ず凍結効果を抑えるために固定資産税を重課するということが同時に行われませんと、土地問題というのは、解決できないのです。実は四十年代の初めにおけるところの解決に、土地を安くするために、売りやすいようにするようにというので譲渡所得税軽減措置が行われました、御存じのように。このとき、現代経済学をやっているのは、ヨーロッパのことから言って、これは決して土地供給をふやし、安くする形にはならない、むしろ、その土地が社会的発展によって上がるというこの外部経済の利益を社会化して吸収して、政府が税金によってそれを有効に使いなさいということを提案したのは、四十年代の初めにおける経済企画庁の物価問題懇談会の提案なのです。このとき、実はあの税制を安くして長期譲渡所得税を優遇して、そして土地の値段を安定させるというものはだめだという西欧の結果を実は持っていたと思うんです。結果はどうなったかと言えば、やはり同じように、分配における不公正が非常に拡大いたしまして、先ほど申しましたように逆累進になったわけです。これを是正するという今回の措置はきわめて私はいい措置だと。  ただ、一点これに付加しなければならないのは、これが凍結効果を生じてしまう可能性がある、それに対して固定資産税を上げざるを得ないと。しかし、固定資産税を上げますと、先ほど申しましたように、東京のような地価が非常に高いところにおける庶民は自分のうちを持てないという形になるのです。ここでどうしても固定資産税に関する二重措置、個人に対する優遇措置と法人に関するところの別措置というものをとらざるを得ないのではないか。そういう意味では、自治省が初めに出しましたところの事務所・事業所税が固定資産税の事実上の引き上げという案で、大阪などのような巨大都市空洞化問題に対処し得る安定財源という点においては私は意味がある。ただし、そういう形でやるのがいいのか、それとも、固定資産税を制限税率を超えて上げて不均一課税という形でもって決める方がいいのかという問題は、これは従来から言われているように、新税をつくるよりも、既存の法体系の中でできるならばそうした方がいいのではないかというぐあいに私たちは考えていますけれども、しかし、今回のような事務所・事業所税案というのは、一歩前進という点では評価したいと思います。固定資産税についてちょっとやや横にいきましたけれども、この種の税の改革のうち非常に重要な点だと理論をやっている者としては言うので、ぜひとも申し上げたいと思います。  それから、電気・ガス税が非課税であって、実質的にどこがというのは実は調査がありません。そして、それは影響が少ないということと、それほど金額的に大きくないであろうということなのです。むしろ、こうしたことについて、地方税について重要な点は何であるかと言えば、産業別に非常な不平等がある点においてどこに問題があるかと言えば、これははっきりしておりまして、事業税に関して保険会社がきわめて優遇されているということです。これは保険会社については一種の外形標準課税になっておりまして、これが非常な産業別のアンバランスを出しているということ、このことについては私たちもかなり前から議論しておりまして、大蔵省はこれに対する改善措置を実は行政指導においてとっておりまして、一段階改善が行われたと思います。私の持っておる資料は四十七年、そして部分的に八年資料でありまして、改善の結果を見たいと思っておりまして、改善が一歩進んでおりますが、まだ産業別についての不平等という点では事業税についてあるというぐあいに考えております。  二番目の自動車の課徴金問題——逆になって申しわけありませんけれども、課徴金問題につきましては、自動車の排気ガス問題、一種の外部不経済でありますけれども、この外部不経済に関して、課徴金によってこの対策をとるということは、直接有害ガスが出ないのに比べていい制度ではないとは思いますけれども、しかし一般論として、市場メカニズムを利用しながら、つまり、課徴金を課しましてこの外部不経済に対して調整をするというのはこれは望ましいのでありまして、直接規制というのがむずかしい場合におきましては、課徴金制度をぜひとっていただきたいというぐあいに思います。そして、課徴金制度をとることによって、外部不経済の利益を内部化いたしまして発展をし続けているということ、このことは資源の効率的利用というものを著しくゆがめるわけでありますから、これを正していただきたいと思うんです。戦後の日本経済成長の場合には、意識的に市場欠落を行い、外部不経済を是認しながら成長させるという戦略要因も十分あり得たと思います。しかしながら、それが過大になった場合には、価格メカニズムが持っている資源効率的配分という現代経済学の主張を大きくゆがめるのでありまして、自動車については、この課徴金によるところの調整ということをぜひともやっていただきたいというぐあいに私は考えるのです。  ただ、そこに行く前に、自動車と道路と自動車需要の悪循環というミシャンの突きましたところの問題このことから言えば、わが国においてはガソリン税を道路目的財源として長く続けるというのは早く是正さるべきであって、その方をまずやっていただきたい。そしてそれとともに、課徴金なり、あるいは課徴金がいかないのならば自動車税の引き上げなりというのが望ましいというぐあいに思うんです。  それから第一の負担分任の原則というのは、どうも私はよく知りませんで、私よりも鳩山先生の方がよく御存じですね。どうも私もよく知りませんで、ちょっと内容を御説明願いたいと思うんですけれども、どういうことなんでしょうか、具体的内容と申しますと。
  58. 和田静夫

    和田静夫君 端的に言って、住民税のたとえば減税点の引き上げ問題というのは、非常に大きな論議をずっと呼んできていますね。
  59. 伊東光晴

    公述人(伊東光晴君) 減税分の引き上げ……。
  60. 和田静夫

    和田静夫君 いわゆる免税点の引き上げ問題というのは、ずっと大きな論議を呼んできていますが、先生は、私たちが主張してきているような形での、所得税との対比においてそこの部分というものをぐっと縮めていこうとする論に対してはどのようにお考えですか。
  61. 伊東光晴

    公述人(伊東光晴君) 賛成です。私は、課税最低限を国税と同じにそろえなさいという主張なんです。ただし、その反面、逆に、国税と同じように、所得税と同じように、現年課税にしなさいと。よく、国税と同じように現年課税にすると、付加税みたいになって地方の自主的なものを阻害するというように言いますけれども、それは全く形式的なものでありまして、いまのように賃金、物価が上昇する場合において、現年課税であったならば、いまのように地方全体が一般に財政窮迫になることはないであろうと。そして現年課税にいたしまして、最低限というのを国税と同じにしまして、計算いたしまして、ほぼ地方の得る税金は正常年においていまと同じだけの税収入を確保できるのです。そして分配上におけるところの公正という点では、下が上がりますから、分配上における公正が地方税においてよいという形になります。  なお、申し上げますと、国税と地方税における分配上の公正問題について言えば、租税特別措置を取り除くならば、国税の方が分配上効果がいいのでありまして、地方税のほうが緩過ぎると考えておりまして、せめて最低限を引き上げることによりまして、地方税における分配上の公正もやっていただきたい。地方がこれを望まないんですよ。何かわれわれの自主性を損なうというんですが、現行制度が自主性があるとはどうしても考えられないと同じことだというのがお答えです。
  62. 石破二朗

    ○石破二朗君 伊藤公述人にお伺いいたしたいと思います。  ただいま大変貴重な御意見をお述べいただきましてまことに感謝にたえません。特に、いわゆる零細補助金を整理して一般財源として地方に与えると、地方自治体ひとしく望んでおると思いまするし、公営ギャンブルにつきましても、その是非はしばらくおくとしましても、やはり若干の部分につきましては他の団体にもこれは与えるというようなお考えにつきましては全く同感でございます。  ただ、もう時間もないようでありますから、一点だけお伺いしたいんですけれども、いわゆる富裕団体と貧弱団体との関係についてでありますけれども、たとえば東京都都民と——私は出身か鳥取県なんですけれども、鳥取県民、憲法第二十五条に保障されております権利をひとしく享受しておるかといいますと、決してそうではないと思います。健康面におきましても文化面におきましても、東京都民の方が鳥取県民よりか、はるかに上だと残念ながら言わざるを得ない。そういう現状におきまして、富裕団体がいわゆる超過課税というものを行いますと、ちょっと考えますと、貧弱団体の方がそれだけ犠牲を強いられるような結果になるような感じもいたすのでありますが、その辺、公述人におかれましてはどのようにお考えになっておりますか、お伺いいたしたいと思います。
  63. 伊東光晴

    公述人(伊東光晴君) 経済力の弱いところと強いところとの差があるにもかかわらず、平等な行政サービスを行わせるという理念で、シャウプは基準財政需要と基準財政収入によるところの計算というものを入れ込んだわけです。この制度は、他のシャウプ勧告とともに大変すぐれた制度であるというぐあいに考えております。にもかかわらず、このシャウプ勧告のもとにあった考え方は、せいぜい日本の経済が三%ないし四%で成長するということを前提にしているのでありまして、いまのような急速な成長というのを前提にしたときにおいては、一方において過密が生じ、一方において過疎が生じ、いずれの場合においても地方における財政需要というものを増加するわけなんです。これにシャウプ勧告を適用するために、幾度かにわたり、この基準財政収入なり基準財政需要なりについての手直しが行われましたけれども、結局において、根本的にこの大きな成長と流動に対処するような税制になっていなかったということだと思うんです。  私は、決して地方が過密の都市と比べて楽だなんということを考えていないので、地方は大変苦しいというのは、現状をごらんになればそのとおりであります。特に、御出身地であるところの中国地方の五県は、それはどういう形になっているかと言いますと、実は昨年度におけるところの地方分担金を、国の直轄事業に対する分担金が実は払えないという、それによって地方財政のつじつまを合わすという、払わないというより払えない、または払わないと言った方がいいかもしれませんけれども、そういう事態なのです。そして、それに比べるならば、豊かであるところの財政需要のある県というのもまたあるのですけれども、しかし、そこはどうかというと、集中に伴うところの摩擦による財政需要に当面している。二年ほど前の経済白書で、東京において一人の人間が地方から入った場合において、どのくらいの財政支出を必要とするかと言いますと、三百三十万円を超える財政支出がふえるというのは、かなり少ない計算でありまして、この計算に私も関係しておりますから、それが少ないということを申し上げることは容易なわけですけれども、もっともっと支出が必要である。実は東京も、過大によって、集中によって必要であり、地方もまた新しい事態によって必要である。加えて、どうなっているかと言えば、日本状態長期的には福祉への傾斜を強めれば強めるほど地方の支出が増大するという形になってきていると思うんです。  こうした場合に地方をどうするかというのが一般的に大問題でありまして、他方、国の場合には、いまのように賃金、物価が上がるところにおいては、所得に課せられているのが現年課税であるために容易に収入がふえる。実は、四十九年度における補正予算は初めて給与費以内の補正予算が組まれたのでありまして、国においては余ってしまっている予算が生じているということが実情です。他方、地方においては御存じのような大変な窮迫がある。特に鳥取、島根、山口、広島、岡山という点において生じておりまして、ここが団結していることは御存じのとおりです。その結果、いまのように、なお給与中心についての地方いじめが進行したならばどうなるかと言えば、結果ははっきりしている。それは中国地方五県がこの四十九年において行ったように、国の分担金に対する地方負担分を抑えるという形になります。それのみならず、地方の公共需要が抑えられる。いまのような景気状態において、公共投資によるところの景気浮動策というのを当然考えなければならないとき、最大のネックがこれになるわけなんです。一体いまのような地方いじめを続けることによって、景気浮動策が可能であるかどうかという問題を含めて、この地方一般についてこの問題を考えていただきたいと思います。  そして、地方と国との関係において一つ大きく問題になったのは、御存じの東京におけるところの法人事業税の引き上げということが、これが地方の法人所得税のコストとして計上されるために、法人所得税全体を削減し、交付税を少なくするということなんです。この問題はもうおっしゃるとおりでありますけれども、しかし、なぜそうなったかということを、私は先ほどわずかの時間で申し上げたのでありますけれども、シャウプはそういうことを考えなかったのは、法人事業税についての考え方、あれをなぜ都道府県段階にしたか。これはちょうどアメリカの州税と同じでした。これを一種の物税扱いにするという意味は、売上高税を考えていて、こういうようなことがないように、そして都道府県段階において自主制を発揮してもそれが影響をこうむらないように考えていたということを実は申し上げまして、もしあれを物税扱いにして、法人所得のうちコストとして取り除くならば、法理論上から当然これは物税扱いの外形標準課税にすべきである。そしてまた、所得課税にするのであったならば、それはコストとして計上してはならないというのが欧米におけるこの問題の通念である。それがないとあのようなことになるわけなんです。  逆に申しますと、なぜ法人事業税が引き上げやすいかという問題なんです。あれはまさに法人にとって費用になるがゆえに——法人所得なり法人所得に課する住民税なりを引き上げたら、もろに法人にかかるわけです。特に大きな企業においてはその負担が非常に大きいのです。ところが、法人事業税では費用になるがゆえに非常に引き上げやすい、また企業の方も、大きな企業法人事業税なら認める、しかし、法人税あるいは法人所得に関するものであったならば大変な反対でありまして、そこで、多くの地方が法人に重課する場合において法人事業税に課すという傾向になってしまうのです。そこで、この点については、やはりシャウプ勧告という英米的な考えが、従来まであった日本の大陸的なあれとねじ曲がって接合してしまって、その間実は二年間ほどのやり合いがあるわけですが、この点をお考え願いたいというぐあいに考えております。
  64. 石破二朗

    ○石破二朗君 ありがとうございました。
  65. 田中寿美子

    田中寿美子君 伊東先生か村越先生の御意見を伺いたいのですが、いままで伊東先生は主として地方財政税制、地方自治体の側からの政策的なお話でございました。今度観点を変えまして、私は地方の自治体に住んでいる住民の立場としての、つまり、ナショナルミニマムとか、シビルミニマムということについてのお考えを聞きたいわけなんです。  税制を確保していくのも、そこに住んでいる住民の福祉ということのためにそうすべきだというふうに私思うわけなんで、一例ですけれども、公共料金のこと、あるいは公共的な料金のことについて考えてみますと、これはやはり逆進的な間接税と同じような性格を持っているものが多いんですね。たとえば神奈川県の藤沢市では、下水道の料金を大企業の方に高くスライドさせるような改正を昨年の十月にしたわけなんですが、やはりいま公共料金のいろいろ引き上げが予定されているわけなんですけれども、昨年東電が料金体系をやや福祉的な体系にして、値上げが非常にたくさんされまして、六四%も値上げしましたときに、生活保護者に対してはことしの三月末まで据え置きにして、そして、そのほか家庭用で最低限必要な部分に対して一定料金にして、それから後上げていくという方針をとったわけですが、こういったような方針を、公共料金あるいは公共的なものへの料金体系としてとっていくということが可能なんじゃないか、あるいはそうすべきじゃないかというふうに私なんかは思っているわけなんで、藤沢市の例によりますと、そのために地方の税源が減るよりはむしろふえていったということを聞いております。  そういうふうなこと、つまりナショナルミニマムというものがきちっといろんな面で設定されるということが住民の側にとりましてまず必要であるように思うのですが、そういうことを自治体として考えることができないかということを伊東先生にまずお尋ねします。  それから村越先生は、さっき幾つかお挙げになりました年金、それから障害者対策、あるいは難病対策、医療その他ですね、こういったもの、つまりナショナルミニマムという場合に、どういうものをどの程度標準にして設定したらいいかというお考えがありましたら、それを生活保護などを含めてお聞きしたいと思います。  それから第二点目は、国井先生ですが、身障者の問題の中で、いま身障者の教育の問題が非常に重要な問題になってきております。で、五十四年の四月一日までにはすべての身障児が教育を受けられるように——教育猶予とか免除の制度がありまして、それで、それを理由に今日まで養護学校にも入らないで身障児たちがずっと、ことに重症身障児の場合は教育から除外されておりました。そこで、五十四年四月一日までには全員が教育を受けられるように、身障児もみんな何らかの形で潜在している能力を引き出さなければいけないという方向にいま向かっているわけなんですが、その場合に、これまで身障児というのは全部収容しさえすればいいという考えであったのが、いやそうじゃなくて、やっぱり一人一人違った障害を持っているのに対して、それを大事にしながら、しかも集団の中で、あるいは地域の中で生活させなけりゃいけないという考え方にいま変わってきていると思うのですが、さらには、それには医療も伴わなければいけないという、大変いろんなむずかしいことがあるし、それからそのために働く職員の問題もあるし、それから所得の保障もなければいけない、親が死んでしまった後はどうしようもないということでは困りますから、それら全部を含めて、果たして五十四年の四月一日までに全員が養護学校に入ることができるように、施設も、それからすべてそれらの施策が間に合うかどうかということを私は心配するんですけれども、どういうふうにお考えになっていらっしゃるかということです。
  66. 伊東光晴

    公述人(伊東光晴君) シビルミニマムとか、あるいは公共料金に対してどういう価格制度をつけるかということは、わが国においてはある意味でおくれている、ある意味では進んでいると思います。実は、私のように戦後英米的な教育を受けた者は、一方において地方分権論——財政審におきましても税調におきましても、フルブライト留学生は地方自治に対して非常に強い主張を続けている。それはなぜならば、アメリカ自体が市の連合体として形成された国家でありますから、そして、その中におけるところの公共料金政策なり、あるいはシビルミニマムなどという考え方に現代経済学者はかなり賛成であります。  その場合、一つ明らかにしなければならないのは、生存権思想と生活権思想との違いであります。わが国においては、生存権の問題と生活権の問題がいまだ明確にされていないという段階に法律関係の人はあるように思います。しかし、経済関係は、現代経済学を学んだ者はここに対する区別をいたします。  御存じのように、スミス以来ずっと経済学は市場中、心の見方でありました。この市場中心の見方に対応するのは近代市民法でありまして、我妻栄先生の主著である「近代法における債権の優越的地位」が、まさにこれを強く主張したところであります。しかし、それが第一回の修正を受けるのが二〇年代から三〇年代でありまして、経済学的には、ピグーによる分配の問題の付加、ケインズより完全雇用の付加が個人の責任を超えて社会の問題として提起され、アカデミーの中に定着したこと。法律は、ワイマール憲法に象徴されるところの生存権思想の定着であります。これが戦後もう一転回を来します。生存権思想は、一言で言えば、それは再分配と雇用の問題でありまして、最低限以下に落ちた人を再分配において引き上げるということであり、雇用機会をひとしく与えるというものなのです。しかし、戦後起こったのは、最低限以下に落ちないような状態をつくるために、市場メカニズムの中に入れるべきものと、これを排除するものとをはっきり区別し、そして最低限以下に落ちないような社会の構造をつくるということが生活権思想であります。  先ほど身障者の問題が議論されておりますけれども、これについて言えば、それは生活権の場合においては、たとえば私が交通事故に遭いまして、車いすになった。収入が少なくなった。公的住宅にあった場合はどうなるかと言えば、それは公的住宅の家賃が収入と家族数に応じて一覧表ができているのです。そして私の収入ががあんと少なくなれば、直ちに公的住宅は安くなる。そして、これに基本的なガス電気の料金というのはリンクされているというのが普通であります。現在におけるソビエトの家賃を私も調査いたしましたが、こうした西欧の影響を受けて、同じような形になっております。自由の市場を基礎にして経済を復興させたという俗説がわが国にあります。西ドイツにおいてすら、住宅の問題は自由な市場において解決することは庶民にとってできないと考え、これを市場メカニズムの外に置いたのです。そして現在の家賃補助制度は、私自身も属しておりますところの宅地審議会において、日本の公的家賃を変えろという主張を決めましたけれども、あそこで書きましたように、それは収入と家族数に応じて標準的な家賃表ができておりまして、ぜいたくな住宅及び一定限以下の住宅を除くならば、この一表と市場価格の差異を国家が補助するという形になり、市場メカニズムから外しているのです。そして、いままでのような身障者にコロニーをつけてくれという問題から、身障者の人が進んで社会に復帰できるような社会構造をつくっていくという方が重要なのだということが生活権なのです。  この生活権思想の影響の中に、ナショナルミニマムなり、シビルミニマムなりの思想が生まれてきたわけです。これは決して最近に始まったことではなしに、アメリカにおきましては、古い伝統を持っておりまして、アメリカの都市の中において、水道料金が無料であるという都市はかなりあるのです。水道がわが国のように独立採算制であるということをけげんに思って、おまえの国はどうしてそうなのかと聞くアメリカの学者も存在しているくらい、ここについてはそうしたものが定着しているのです。もちろんアメリカは、自治の見本市と言われるくらいで、有料な都市もあります。もちろんそれもありまして、無料であるところもあるし、有料なのもあるし、いろいろあります。それゆえに、公共料金の価格づけについてのいろいろな理論が進みました。  一般論として英米的な考え方を言えば、それは収穫逓増状態にあるところの企業については、自由な市場において平均費によっては決めてはならないというのが、一九三六年のホテリングのエコノメトリカの論文以来定説でありまして、経済学者は、統制経済学の極大原則から、その収穫逓増で使用量がふえるにつれて費用がどんどん下がる場合においては限界費によって価格を決め、限界費と平均費の差額は税金によって補てんする。それによって補助した場合は、社会的余剰が極大を示し得るという論証を一九三六年イギリス人のホテリングは行いまして、それを主張し続けたわけです。にもかかわらず、世上の普通の法的通念の独立採算制とこれが抵触いたしまして、国家補償が行われないために、やむなく行われたのが二分料金制度という新しい理論であります。  さらに、それが最近において進みまして、三段階料金制で、一番うんと使うところにおいては限界費によって決める。この場合、もうちょっと正確に申しますと、特に日本のように使えば使うほど安くなるのではなくて、逆に上がっていくという場合が多いために、その場合においては、うんと使うのは、新規水源開発水道であるならばそれで価格づけを行う。そして基本的なものは安く、ないし無料で提供するというアメリカ的な伝統を入れ込む。そして両方を勘案して全体としては独立採算制を行うのが実は極大原則において一番よく、分配においても一番いいという新しい公共料金理論が提出されたわけであります。これをいち早く適用しようといたしましたのが東京都の水道でありまして、私自身も加わりました電気の料金決定において、東京都の水道というものの料金決定資料が配付されたのはそのためであります。  こういう点では、現代経済学の理論というものを地方財政が利用し出すという形に入りまして、そのうちある最小限度のものは、これは低廉ないし無償でというアメリカ的な伝統なりあるいは北欧の、あるいは社会主義を含めての生活権思想を入れ込んでいくもの、これが福祉のための価格づけ理論ですべてを低廉ないし無償にしたならば資源の乱費が起こるために、資源の乱費を抑えるために一定量以上については限界費という、新規水源開発費その他非常に高いものでつくることによって効率化のための価格づけ理論を行うという形でありまして、田中さんのおっしゃったナショナルミニマムなりシビルミニマムは、単にそれだけだったら資源の乱費が生じる。もう一方のものを必要とし、その間を入れ込みながら進んでいくということは、市場中心の経済学であった従来の経済学とは違う新しい市場の外側の経済学の問題として現在展開中であります。にもかかわらず、一般としてはスミスの見えざる手に導かれて、リカード価値法則、マルクス価値法則のゲルテン、マーシャル市場メカニズムという形で、市場の外側の問題に対して詳しい分析が出てこない。この問題が現代経済学の主張であると同時に、またラディカルエコノミクスというものがアメリカにおいて起こって、両方が同時に問題にしながら、従来の経済学を追い込んでいるという理由はそれであります。
  67. 村越末男

    公述人(村越末男君) 社会保障に関する勧告の中に、昭和三十六年の水準を、十カ年でヨーロッパ、アメリカの水準を最低限実現しなければいけない。その勧告がいまだ実現をしていない。すなわち生活保護は、昭和三十六年の水準を昭和四十五年においては三倍にしなければいけないというのですが、実質は今日なお二倍にとどまっていると言われております。そういう点で、私は、この勧告の四十五年はもうすでに五年も過ぎてしまったわけでございますけれども、最低三倍の水準に引き上げなければいけないのではないか。  と申しますのは、現在、一級地で四人標準世帯五万五千円ぐらいでございますか、これでは生活が実際できないのでございます。そのために、いわゆるやみ労働といいますか、こっそり隠れて労働しているような例も出てきております。すなわち国民が労働をやみでしなければいけないということは、これはまさに基本的人権の侵害というか、福祉国家の理念から全く相反するものでございます。そういう点で今日、生活保護は大体病気、失業、身障その他のいろんな理由があるわけでございますけれども、世帯分離をしてそれを獲得しなきゃいけないとか、やみ労働をしなければいけないという水準は早急に解消してほしい、これをぜひ引き上げていただきたいと思うのです。  また、いわゆる拠出制国民年金の問題でございますか、確かに支払いの免除規定があるわけでございますが、その場合に、支払い停止期間においては保障が三分の一しかない、すなわち、政府の補給する金しかこれを保障しないという矛盾があります。社会保障は、そのように労働ができない、あるいは支払いができない人に保障すべきであって、その人が支払い停止の期間には三分の一の保障しかできないというような極端な矛盾は、早急に克服していただきたい、このように思います。
  68. 国井国長

    公述人国井国長君) 田中寿美子先生は、身体障害者あるいは婦人の問題につきまして高い御識見を持たれまして、この福祉の充実のために御努力されていることを大変ありがたくお礼申し上げます。  そこで、時間がきわめて少ないので申し上げることが十分でございませんので、できますならば、社会労働委員会その他の関係委員会で参考人としてお呼び願いまして御聴取賜ればありがたいと存じますが、ごく簡単にお答え申し上げます。  私は、身体障害者の教育の面のことにつきましては余りつまびらかでございませんので、御質問の趣旨に沿ってお答えできますか、私の考えておりまする範囲で申し上げますが、ただいま昭和五十四年度までに身体障害児の完全就学という問題を御提起されたのでございますが、私は学校の施設をつくるということは、さのみ困難でないと思います。これは予算がつけられまして、いわゆるコンクリートのかたまりであれはできるのでございます。ところが、問題は私は人の面だと思います。ことにいま学校の、特に特殊教育という言葉は差し支えがあるかもわかりませんが、身体障害児あるいは精神薄弱児などの教育に携わっている先生方は、私は必ずしも正当な評価がされてないように思うのでございます。そういう点で、その教育にふさわしい先生を、質と量が十分な先生方を集めるということはなかなか困難があると思います。よほどの御努力を政府がなさいませんと、そういう点で五十四年にこれが完全に達成されるということは支障がある、こういうふうに考えるのであります。  それから、二つ目に先生がおっしゃいました施設万能主義から在宅へ、これは恐らく日本では身体障害者あるいは身体障害児の保護等につきまして施設重点主義というものが従来とられておったようですが、これが行き詰まりを見せまして、その反省として、先ほど私ちょっと前に申し上げましたが、それぞれの個人差とか、あるいはそれぞれの必要度に応じて在宅あるいは施設、あるいは通所というように振り分けてやるようにというふうに、考え方といいますか、施策が若干転換されてきたように私は思うのです。そうは言いましても、やはり学校教育で完全に教育するためには、学校を十分につくって、それに必要な教員をまず十分に整備するということ。  私は、私自身が身体障害者ですが、一点だけ申し上げますが、やはり身体障害者は、さっき申し上げましたように、社会保障給付とか社会福祉の施設、制度がよくなっただけでは満足しないんです。身体障害者といえども、それぞれの個人の人格が成長できるような御配慮を行政の上でしていただきたい。そのためには、まず身体障害者の基本的人権である教育が完全に得られますような環境をつくって運営するようにしていただきたいと考えるのです。時間が短うございますので、大変に恐縮でございますが……。
  69. 桑名義治

    ○桑名義治君 私は伊東先生にお伺いいたしたいと思いますが、現在の各県、市町村、こういった地方自治体の財政というものは大変に窮迫をしているわけでございますが、この原因といたしましては、いろいろ国会でも論議をされておりますように、人件費の高騰が問題だとか、あるいはまた超過負担が問題だとかいろいろなことが言われておりますが、これを根本的に直すためには、現在の国と地方との行財政の再配分がなされなければ、しょせんは一時的な効果しかあらわれてこないんだ、このままの状態でいくならば必ずや地方財政の貧窮というものは慢性的なものになってしまうのではないか、こういうふうに考えているわけでございますが、この点については審議会等についても早く結論を出すようにというような諮問がなされているわけではございますけれども、これが依然として遅々として進まないというのが現在の姿でございます。そういった意味で先生のこれに対する、国と地方との行財政の再配分に対するお考えがございましたら、その点、概略でよろしゅうございますので、お聞かせ願いたいと思います。  それから国井先生にお願いを申し上げたいんですが、現在、年金保養基地というものが構想が練られているわけでございます。この国民年金保養基地というものは、現在の段階では全国で四カ所が決定をしております。そして候補地としてあと九カ所、全部で十三カ所ということになっているわけでございますが、昭和四十八年度のいわゆる予算規模で一カ所が二百億、したがいまして、これは莫大な数字になるわけでございます。これが五十年、五十一年というふうに現在の段階で考えますと、恐らく全部の保養基地を建設するためには三千億のお金が必要になってくるわけでございます。  この構想の内容をいろいろと見てみますと、莫大な三百三十ヘクタール以上の土地を持つ、そしてそこにはプールもつくる、宿泊所もつくる、あるいはまたキャンプ場もつくるというような超デラックスないわゆる基地が想定をされているわけでございますが、こういうようなデラックスな基地が全国に十三カ所、しかも莫大な三千億を超えるような投資をしなければならない。これはわれわれから言いますと、年金の積立金がむしろむだに使われているのじゃないか、まだ使い方があるのじゃないかと、こういうふうに考えるわけでございますが、この点について国井先生の御意見も伺っておきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
  70. 伊東光晴

    公述人(伊東光晴君) 行政の再配分と財政面における再配分と、そのいずれを優先しながらこれを行うかということは、わが国のみならず、イギリス、カナダなどのいまの問題であります。そして従来まで財政における再配分、お金の面における再配分についてはかなり言われたわけで、しかし、これが実行されないというのもまた事実であります。最近、ウエートが仕事の内容についての再配分に移りつつあるという点、これはおっしゃるとおりでありまして、この財政と行政における再配分ということは各国とも、と言いましても、私が調査しましたのはイギリスでの調査とカナダにおける調査でありまして、日本と全く同じような状態が出ているのです。  そして、そこにおいて行われている一つの案で、私がわりあいむずかしいけれどもこれはと思ったのが、先ほど言いましたように、まず補助金を束ねて第二交付税、これは各省が自分たちの仕事を奪われるような気になりましてなかなかむずかしいけれども、国会の力でそれをやったなら、地方は少なくとも仕事の面におけるむだというのはなくなるだろう。いかにいま地方が東京に出てきて、一つ一つの事業を決めるために——もっと極論するならば、たとえば起債におけるところの国の規制というものは戦前と戦後と違いまして、戦後は二重規制になっています。自治省のみならず大蔵省の規制がありまして、戦前は一重であります。こういうことを含めて、事務量は実に煩瑣になり、そのために人間と金とを食われている。それをなくすために、実は行政における再配分までいかなくても、まず仕事を整理するという点で、束にして第二交付税というのがいいのではないかというのが、実は、イギリスの実態を調べたイギリスの財政学者の結論でありまして、私は話をしながらも、これはそうだと。ただ日本とかなり違うところは、イギリスにおいては革新の方が中央集権論でありまして、保守の方が地方分権論で、日本と逆になっているという点がかなり違う。これは余談でありますけれども。  そこで、私は、先ほど時間がないのでああいうことを申し上げまして、行財政における再配分問題は賛成でありまして、詳しい、たとえば起債についてどうなっているかということについてはこんなに持っておりまして、いろいろお話しすればできますが、時間がありませんので申し上げるのをきょうは省略いたします。おっしゃるとおりに賛成であります。  なお、超過負担については多く言われていますので私は申し上げなかったのですが、超過負担については、これだけ地価の格差があった場合に一律ではとうていできないということはかなりの問題なのです。そのために、私など若い学校関係者が財政審そのほかで強く言っているのは、いまの地方の予算というものを豊かにする実効ある措置は、小学校、中学校用地を国の補助対象にしてくださいと、これに対して従来のお答えは、それは起債で賄っているからいいじゃないかという答えなんです。しかし、これがもし補助対象になったとき、地方、特に過集積による地価上昇地域といういまの問題地域におけるものはかなり解決いたしまして、小さなところを、何を動かすよりも、そんなことよりもこれ一つやったならば地方に対する影響というのは非常に大きいと思う。いろいろな細かいことを積み上げるのも重要でしょうけれども、効果として大きいのはこれであり、こういうことを考えていただきたいということ。  もう一つは、同じような地域において遺産相続税の金額が非常に大きいということであります。たとえば東京の府中であるとか町田であるとか、あるいは地方の新産都市であるところにおいて地価が上がりますから、そうしてその地価上昇は、公共投資によるところの外部経済の利益でありまして、これを社会が有効に利用する手段というのは、再三にわたってこれに対して課税をしろとか何とか言われているわけですけれども、これは固定資産税において吸収するか、譲渡所得税によって取るか、遺産相続税によって取るかでありまして、この遺産相続税の地方移譲問題、これを半分でも行われますと、そうしてそれは当然地方が公共投資をやった見返りでありまして、外部経済の利益をその発生者が吸収する、これもまた地方に与える影響というものは大きいのです。そういうポイントをぽっとやっていただきたい。それと同時に、行財政の再配分問題は、おっしゃるとおり、いま地方、中央をめぐるむだをなくすために、そのことが最大の問題であるというぐあいに思います。おっしゃるとおりです。
  71. 国井国長

    公述人国井国長君) 桑名先生には国民年金のことにつきまして非常に御関心いただいております。本当にありがとうございます。  ただいまの国民年金の保養基地をたくさんつくるというのはあるいは何か問題があるというようなふうなお尋ねでございましたが、恐らく先生の頭の中には、むしろその積立金をもっと有利に活用するなりして年金の給付を改善させたらいいだろうというふうな御意見だと存じますので、その点私も非常に同感でございますが、ただしかし、一つは、国民年金の保養所というのは、年金受給者ばかりでなくて、年金の被保険者に対しまするサービスでございます。年金受給者につきましてはもちろんその給付改善は必要でございますが、保険料だけいま取られっ放しの若い世代の方に対しましては、やはり何かこういったふうな国民年金の還元施設、保養基地でございますとか病院とか、そういったものをつくりまして、自分の拠出した保険料がこういう面にも還元されてくるんだと、こんなふうな施策をとることが私は必要であると思います。それからさらに、こういうふうな窮屈な時代になりますると、個人個人の消費、いわゆる私的消費と申しますか、これとともに共同消費と申しますか、社会的消費と申しますか、こういう面でこういったふうな保養基地などが大いに今後活用されるべきだと、こういうふうに私は考えているのでございます。  以上、ごく簡単でございますが……。
  72. 星野力

    星野力君 私は、村越公述人に簡単な問題を二つお聞きいたしたいのです。  一つは、同和問題におけるいわゆる窓口一本化の問題でございます。公述人から先ほど来、この問題につきましていろいろ説明がなされましたが、窓口一本化が現実に大きな弊害をもたらしておる、大きな不合理、不公正を引き起こしておるということは否定できないのではないかと思います。あなたの言われる部落解放同盟、この推薦なり、あるいはそこの推薦する人によるところの研修を受けるなど一定のそういう条件のない者は行政の行為であるところの事業の対象になり得ない、こういうことが起きておりますが、実際問題としては、思想、信条その他の理由から、あなたの言われる部落解放同盟に所属しない、あるいはその研修を受けることを拒否する、そういう個人やまた解放運動の団体もあるのでありますから、いま申しましたようなことを条件にして行政行為の恩恵を受けられないというようなことになっては、非常に行政の不公正ということも生まれてきますし、新しいこれは差別を生ずるものである。現にそれが行われておるということに対してどうお考えになりますかということが一点でございます。  第二のことは、解放同盟のこの運動の中で、要求を貫徹するために、あるいは糾弾というような口実のもとに、非常にしばしば暴力が使われる、暴力を伴ってその運動がやられる、要求の貫徹が行われるということであります。これは行き過ぎということでは片づけられない問題ではないかと思う。その間に非常な人権じゅうりんというようなことを引き起こしておるのを、私どもたくさん見ております。そういう運動のやり方をどうお思いになっておられるか。たとえば兵庫県の八鹿高校でございますか、あそこでは周知のように恐るべき暴力事件がやられて、暴力者が現実に警察によって検挙をされておるわけでありますが、こういう運動のやり方をどういうふうにお考えになるかということであります。長い間の圧迫、差別に苦しめられてきた人々として、それも当然なんだ、当然でないにしても、やむを得ないことだと肯定されておるのではないと思うのでありますが、その点についてお聞きしたい。こういう二点であります。
  73. 村越末男

    公述人(村越末男君) 同和行政における窓口一本化の問題でございますが、先ほどちょっと例に引きましたけれども、たとえば東京都庁が世帯更生資金を同和関係の住民に貸し付ける場合、部落解放同盟と都の行政職員からなる同対協の関係者からいわゆる研修を受けて、その金を借りてくる。これも一つの窓口一本化の問題につながって大きな問題になったわけでございますが、私は、そのことは当然避けるべからざる必要事だと思うのです。と申しますのは、先ほど申し上げましたように、数十万人と推定される被差別住民と、東京都庁がいわゆる部落という地区指定をしていないために、一千万人に上る世帯数の実は区別は、法的にも現実的にもつかないわけでございます。そうしたときに、同和対策事業特別措置法に基づき同和対策事業のために貸し付ける資金を、申込者にオーケーよと全部貸し付けますと、これは全く無限定な(「有資格者ですよ」と呼ぶ者あり)——有資格者とだれがこれを認定をするか、できないんですよ。そうしたときに、やはり地域住民が、五十三年来の解放運動の歴史を持つ部落解放同盟が、都と、行政と協議しながら、その人々に何のためにこの同和対策事業資金を貸し付けるかという説明をしなければ、一体、同和対策事業における世帯更生資金の貸し付けの意義はどこに生まれてくるでしょう。  このことは、さらに、私は歴史的に事実を知っておるわけでございますが、いま部落解放同盟を盛んに非難中傷していらっしゃる政党の方々も、この同和行政窓口一本化の問題には、ともに闘い、ともにこれを維持してきた歴史があるんです。その歴史事実を全く御存じない、言うなれば無知の人々がこれを宣伝扇動して、まるで犯罪かのごとく言っていらっしゃる。私に言わせたら漫画みたいなことが現在起こっているわけでございます、これはね。さらに、いいですか、大阪におきまして同和対策事業のいわゆる推進促進協議会が生まれたとき、私はその歴史事実を知っておるんですが、それを創立した人も、ずっと共産党の方と一緒にその事業を推し進めてきたわけでございます。私はこの事実は尊重しなければいけない。幾らその問題に関する評価が違い、政党政派の利益が違いましても、部落差別を根絶することは単に党利党略の問題じゃない。これはいかなる政党といえども、思想、信条を持つといえども、この不当なる人権侵害に対する闘いは、まさに全国民的な問題である。この問題に対して私は党利党略を持ち込むことは絶対に許されないだろう、このように判断するものでございます。  さらに、部落解放同盟の運動の中で糾弾がございました。一九二二年三月三日に全国水平社が生まれました。御承知のように水平社というのは、レベラーズというあのイギリスにおけるデモクラシー集団の思想が一つは継承されたと思われるわけでございますが、その創立大会におきます決議の一つに「われわれは特殊部落民その他の差別用語によって差別するものに対しては徹底的に糾弾をなす」と、こう言ったのでございます。これは決議をいたしました。さらに、その創立宣言におきましては「人間に光あれ」と叫んだ。皆さん、糾弾闘争というものは、人権を無視じゅうりんされた被差別集団が、おのれの人権を確立するための唯一の闘争手段であったのである。この問題が、いいですか、これは共産党の諸君も非常に戦前、この糾弾闘争の中に積極的に参加してもらいまして、日本の民主主義発展のために大きな実はエネルギーとなったのでございます。  ところが、私が承知したところによりますと、昭和四十年に同和対策審議会答申が出されまして、実は被差別集団である部落解放同盟の解放の闘いの中に、二つのグループが生まれました。一つは同対審答申を積極的に評価するものと、同対審答申を否定的に評価するもののグループがあらわれたのでございます。これは全く現象的な問題でして、その背後にはいろいろな思想的な問題があるわけでございますけれども、この中で実は共産党の方々が解放同盟から離脱し、あるいは除名せられたりした事実がございます。この中で、部落解放同盟正常化連絡会議と称する、解放同盟を正常化するためのそういう集団がその後つくられてまいりました。このときに、私は率直に申しまして、この二つの集団が本来は一つで、部落解放同盟を名乗るものと正常化を名乗るものですから、本質的には一つのものでございます。ところが、部落解放運動は大衆組織でございまして、大衆の要求を実現することなくしては、実はその闘いはあり得ないわけでございます。このとき、非常に在来長い歴史にわたりましてともに窓口一本化を闘い、行政闘争いたしました者たちが、私たちにも窓口をよこせという私は率直な要求があったのだと思います。そういう要求が実は組織内外の問題として、自分たちのいわばグループの利益を解放同盟非難という形で実現してきた、ここに大きな問題があったように思います。  八鹿高校の人権問題につきまして、今日、日本の国家内で暴力是認を唱える人はだれ一人いないのであります。また、法的に許されないのでございます。問題は、八鹿高校の場合長い歴史がございまして、あの部落問題研究会が、一部の教師の集団によりまして積極的に部落解放同盟非難中傷の場となりまして、このときに被差別部落出身の主に、女の子もおったのですが、高校生たちは、この非難中傷に耐えがたくして離脱したわけでございます。そうしてさらに、そのままになっておったわけですが、積極的にいわゆる部落解放のために本当に貢献する研究集会をつくらなければいけないと言って、部落解放研なる組織を、いわゆるサークルをつくろうとしたわけでございます。そうすると、先生がそれを認めない。ついには自分の教え子に対して対話を拒む、話しすらできないという状況が起こったわけでございます。  こういう、私は教育が全く不当なセクト性のためにゆがめられることを、非常に根本的な問題として恐れるわけでございます。この結果が、いろいろな経過の中で、あの不幸ないわゆる暴力事件と称されるものが起こった一つの歴史的原因でございますが、その暴力の問題についても、事実の問題はいろいろな認識の違いがございますけれども、私は非常に不幸な事件だと思う。いわゆるマイノリティーが半世紀かけた解放運動の中で、逆に暴力云々によって宣伝せられて孤立させられていくという不幸は、私は忍びがたい。このときに、良識ある人は、この不幸な事件を解決するためには、一切の悪らつな宣伝は停止しなければいけない。少なくとも良識ある人は、その判断の上に立って問題の、本当に人権確立のための方向に、その問題が一つの出発点となるように私は処理されなければいけないと思うわけでございます。以上。
  74. 大谷藤之助

    委員長大谷藤之助君) それじゃ簡単に一問、お願いします。
  75. 星野力

    星野力君 簡単にやったんですが、お答えが長くて、私の質問は非常に端的なことなんですけれども、それに長々と別のところでお答えになっておりますから、一言言わしていただきたい。  村越公述人に申し上げます。私は別段、先ほどの質問をお聞きになればわかりますように、党利党略論議をここでやろうと考えて質問したのではないのであります。あなたは共産党を名指していろいろなことを言われました。また、私は過去の部落解放運動について、いまここで論議しようと思って質問いたしたわけでもございません。私は過去のことではなしに、現実に窓口一本化という問題が大きな不合理、不公正を引き起こしておる。同じ部落の住民であり、同じく行政行為の対象になるべき資格を具備した人間が、あなたの言われる部落解放同盟に所属したり、あるいは推薦をされたり、あるいはそこの研修を受けなければその行為の対象に、事業の対象にならないということは、非常にこれは社会的な不公正である、これをどうお考えになるかということを申し上げたのですが、それに対しては正面からお答えがなかったと思うのです。私は何も行政の説明、それが一切要らないなどという立場から言ったのではございません。あの研修なるものをどうお考えになるか、こういうことをお聞きいたしたのであります。  また、八鹿高校の問題については、私たちもちろん糾弾即暴力だとは考えておりません。迫害され被害を受けた者が、加害者、圧迫者に対して糾弾する権利、これを一概に否定しているものではありませんが、いかにも私たちが糾弾そのものを一切認めないかのような御説明、それから暴力を肯定するのではないと、こう申されながらも、暴力があったことについて弁解されておる。正面からのお答えがなかったことは非常に残念に思っております。しかし、もうお答えは要りません。これで終わります。
  76. 大谷藤之助

    委員長大谷藤之助君) 本日はこの程度にいたしたいと存じます。  三公述人には、長時間にわたり貴重な御意見を承りまして、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。  明後日は、午前十時から予算委員会を開会いたします。  本日はこれにて散会いたします。   午後四時二十四分散会