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参考人(柳田邦男君) この提案趣旨の中に、
航空法の趣旨としまして、航空の安全と秩序を維持するための基本法というのがこの法の大前提といいますか、大きな目的になっておるわけでございます。そういう意味で、安全という観点から私ちょっと
考えていますことを申し上げたいのでございますが、航空機ぐらい恐らく今日の
技術の発展進歩の目覚ましい、日々これ変わっていく交通機関というのはないんではないかと思うわけであります。ちなみに、わずか十年間、昭和四十年と昭和五十年、今日を比べた場合に、昭和四十年、当時やっとボーイング727が飛び始めたころでございます。まだフレンドシップとか、あるいはプロペラ機などが中心になっておりまして、ジェット機といえば727がようやく飛び始めた。もちろん国際線はDC8が飛んでおりました。
しかし今日、わずか十年を比べてみますと、727やYS11はもはや退役の段階に入っております。そしてエアバス、超大型機が主力になりつつあるんでございますが、わずか十年でこんな変わりようをする分野というのは恐らくほとんどないんじゃなかろうかと思います。そういう中で、法といういわば非常に息の長い期間を前提にして安全を守っていく、あるいは運航のありようを決めていくというようなものは非常にむずかしい立場に置かれているんではないかと思うんです。それだけに法のつくり方というのはまたむずかしいだろうと思うわけでございます。
で、この
航空法ぐらい恐らく今日の
技術進歩というものを
考えながら、よほどうまくつくらなきゃいけない法律はないんじゃないかというような気がするわけでございます。そういったものの裏づけとして具体的なデータや資料はございますが、きょうは時間が
余りございません。たった一つの例をちなみに申しますと、エアバスというのは大変大きい飛行機でございます。大きいということ自体が
事故になるという大変、そんなことがあるのかと思うようなことが現実に起こるわけでございます。それは一例を申しますと、一九七三年の十二月二十七日ですが、アメリカのボストンのローガン空港というところにイベリア航空のダグラスDC10、エアバスの一種でございますが、これが着陸に失敗して擱坐いたしました。といいますのは、滑走路の手前に進入灯のライトがついておりますが、そこに車輪をひっかけまして胴体着陸の形になって挫滅をして、ちょうどあの巨大な胴体がサツマイモを二つに割ったような形になりまして、大変大きな
事故になって車輪が折れる。幸い火災が発生しなかったので死者は出さなかったわけでございますけれど、脱出の大混乱になりまして、何百人というお客さんが乗っておりましたが、それで十数人の重軽傷者を出したわけでございます。
これは一見、死者や飛行機の火災がなかったのでほとんど日本では報道されておりませんでしたけれど、その間に大変大きな問題が含まれていると思うんでございます。そのファイナルリポートが最近、私の手元に入りましたんでよく読んでみたんでございますけれ
ども、つまりどういうことであったかといいますと、進入直前においてオートパイロットから直前の機首の引き起こしというものは操縦士がマニュアルでやるわけで、その切りかえた瞬間に大変不幸なことが起こった。といいますのは、そのときに天候
状態が
余りよくなくて、気流の乱れがあって、専門的にはウインドシェアと言いますが、風向風速があるところでちょうど小さな前線のような形になっていまして、追い風だったのが瞬間とまって徴風の向かい風になったというような、そういう感じの
状態だったわけであります。そのために、いままで追い風で通常の進入コースに乗っていたDC10がその着陸寸前の段階、高さ二百フィートぐらいだったと思いますが、二百フィートといいますと六十メートルぐらいのところ、もう着陸寸前でございます。そのときにちょっとしたウインドシェアがあったために追い風が向かい風になったために
スピードがブレーキされて若干機が沈むわけでございますね。通常のルートより沈むわけでございます。
ところがオートパイロットというのはそういうのに敏感に反応しまして、直ちに機体のコースを修正をいたします。ところが修正はしたんでございますけれど、ちょう
どもう着陸寸前、操縦士がマニュアルで引き起こしをするためにオートパイロットを切ったために、オートパイロットの修正プラス今度は人間系に変わった段階において、操縦士が能力的にそういう急激な変化に対して対応できなかった。これは注文すること自体が無理なのでございまして、これは操縦士の能力が敏感でなかったとパイロットミスにすればそれまでの話なんでございますけれど、まあそういうことがありまして、それで飛行機というものが予定のコースよりも着陸寸前において沈んだわけでございます。沈んだために車輪が進入灯にひっかかって滑走路の一番手前に胴体着陸して挫滅したというようなこと。
これは一見何でもないことのようでございますが、DC10というのは高さが十七・七メートルございまして、つまり腰の高い大きい飛行機でございます。これはジャンボすべてでございます。DC8に比べると五メートルも高くなっているわけでございます。ずうたいが大きいがゆえに、DC8であったならば恐らく車輪を進入灯にひっかけずに済んだであろうという
事故であったわけでございます。ところがDC10であったがゆえに車輪をひっかけるという、つまり全く従来と同じようなISLアプローチとマニュアルに従って進入していったところ、飛行機が大きかったがゆえに
事故になったという、典型的な、今日の大型化時代の中にひそんでいた盲点というものをそこでさらけ出したというような形になったわけでございます。
それに対して、アメリカの
事故調査機関でありますNTSB、国家交通安全
委員会という組織はたくさんのリコメンデーション、つまり勧告でありますが、勧告を出しております。で、勧告の中にはそういった微妙なウインドシェアのような気象の変化というような情報を刻々管制塔はパイロットに対して伝達する必要があるとか、その他もろもろのたくさんの勧告をしております。しかし振り返ってみますと、その中でNTSBでさえも
余りはっきりは申してなかったのは、大きかったがゆえに
事故になったということは申しておりませんが、しかし、これは航空
専門家のどなたの
意見を聞きましても、それはDC10であったがゆえの
事故であるという点は免れ得ないというようなことです。何もDC10だから悪いという意味ではなしに、大型化一般に伴う一つの問題であって、それは盲点であろうと思います。
それで、この進入時のそういったマニュアルとか安全の基準の決め方というような、そんなところまで法律で決めるわけにはいかないのでございます。大きくなったらどうするかというのは全部それは運用の問題でございます。これについてアメリカでもいろいろと細かいそのISLアプローチのエアバスについての運用は変更をしたりして安全を期するようにしたようでございますけれど、まあそういった情報を運輸省当局がどういうふうに処理されているか私は存じ上げないのでございますが、まあこのように
技術の進歩に伴って従来では何でもなかったと思うようなところが、意外にばかばかしいところで発覚して
事故になるというのが大方の例ではないかと思うので、まあ類似の例はたくさんございますが、一例として申しますならばそういうことで、何もずうたいが大きくて、その進入時をどうするかということだけ変えれば安全になるというようなことを私申しておるのじゃございませんで、ほんの一例として申し上げたのでございます。
そういうことを
考えますと、この安全維持という法の大目的を達成するためには、恐らく三つの分野で努力が必要ではないか。それは三分の一は法そのものの基本的なありよう、そういう
技術の変化に対応できるだけのフィロソフィーに基づいて十分つくられているのかどうかということ。それから第二には、そういったものを運用するための政省令あるいは運輸省規則、そういったものがどういうふうに具体的に決められるのかということ。さらに第三に、もう一つ三分の一の責任というものは、それを現場において監督、検査に当たる行政の立場あるいはそれを運用する航空会社あるいは運航担当者、オペレーター、そういったものがどういうふうにそういうものを上手に運用していくかという問題、この三者三様相またない限り、今日の急速な
技術の進歩についていけるだけの安全性維持というのはできないのではないかというような気がするわけであります。そういったことから翻って法のありようというものをもう一度検討する必要がございますでしょうし、それから運輸省の政令、規則のたぐい、そういったものは日々これ
技術の進歩に応じて再検討というものをしていって万全の
措置がとられているかどうかというものを検討する必要があるのではないかというような気がするわけです。
で、少し詳しい話になって恐縮でございますけれど、先月末、羽田であるセミナーがございまして、アメリカの前の国家交通安全
委員会の安全
局長をやっておりましたジョン・ミラーさんという世界的な安全問題の権威者でございますけれど、この方が一週間にわたって非常に詳細なセミナー、レクチャーをやりました。航空
関係者、運輸省の方もたくさん参っておりましたが、そういうセミナーがございまして、アメリカにおける安全の
考え方あるいは危険性というものをどういうふうに区分けをして対策をとるべきかというようなことについて、非常に詳細なフィロソフィーと実例についての機上訓練も含めて勉強会があったわけでございます。
私もそこに聴講料を払いまして参加したのでございますけれど、まあ簡単に言いますと、そのミラーさんのフィロソフィーというものはどういうものかといいますと、四つのMということを大変強調された。Mというのはローマ字のMでございますけれど、それはどういうものかというと、危険な諸要国というのは四つのMで代表される。それは一つはマンであり、人間系の問題でございます。ミスを犯すとか過ちを犯すというようなことでございます。それから二番目はマシン、飛行機の
機械というものが安全につくられていなければいけない。で、それは非常にいろんな分野、もうエンジンからいろんな装置からたくさんございます。それから去年のパリで起きましたDC10のドアの問題、ああいう問題含めて、マシンの問題が重要である。それから三番目には、メディア——メディアというのは伝達
手段。通信
手段あるいは管制情報の伝達の仕方が悪いとか誤解をするとか、あるいは非常に交通混雑していて錯綜する。それから四番目にマネージメント、これは非常に重要なことだと思いますが、行政と
企業においてそういう安全対策をどういうふうにとるかというようなマネージメントの問題。
この四つのMが和合して初めて危険な要因というものを全部摘出できて、そしてそれに対する対応がとれるのである。これらが基本的な前提となって、そういう上でいろいろ危険な要因というものはどう改善していくかについてのリコメンデーションというものを一つのしかるべき行政機関が行っていく。アメリカの場合は国家交通安全
委員会というのがそういう権限を持っていまして、それに対してFAA——連邦航空局が機体をやっていく。しかし、それはリコメンデーションがあったからいいというだけではなくて、その円滑な積極的なものがなければ意味がないわけでございますけれ
ども、まあそういうものがミラーさんのフィロソフィーなわけで、現実にそういうものがアメリカにおいては実に年間、小型機のヘリコプターまでを含めた
事故を言いますと、八千件ぐらいアクシデントやインシデント——小さな
事故でございますね——そういったものを含めますと八千件ぐらいあるそうでございまして、そういうものを非常に綿密に大規模な要員を抱えているNTSBが調べまして、そういう中から積極的にリコメンデーションをやっていって安全への寄与をしている。
翻って日本を
考えてみますと、要するに日本という国は戦後大変
技術的なおくれからほとんど外国の飛行機を買って使うということになっているわけでございます。アメリカあるいはイギリス——イギリスの場合は主としてロールスロイスのエンジンなんか中心になるわけでございます。自分でつくった飛行機ではなくて、どうしても外国から与えられた飛行機でございますから、事の詳細、問題点についてはどうしても見落とす部分ができがちでございます。アメリカにおいてさえ一つ一つの
事故を洗い出すと大変たくさんな問題点が出てきて、それに対して膨大なリコメンデーションというものが刻々と出されて、そういう形で改善されている。
ところが日本はどうしてもそういった与えられた外国製の、輸入物を使っている
関係で、自主的なそういう危険性の発見というものが非常に少ないし、おくれている。むしろ同じ飛行機を使っているんだったら、アメリカに常駐の何か安全
調査官でも置いて、そういうアメリカの実態
調査をして、刻々と日本に情報を伝えれば、恐らく小さなトラブルや
事故というものを未然に防げた例だって幾らだってあったろうと思われる。そういう前例もあるわけでございます。そういったことを
考えますと、やはりこの法の大目的である安全維持ということ、そのためになすべきことというのは非常に多いし網羅的であろうと思うわけであります。今回の法改正というものは古い法律、昔からあった法律のいろんな部分について手直しを行っているという点で、その内容については私は特に問題はないと思いますし、それぞれ前向きの形で大変結構なことだと思うんでございますけれ
ども、よりそういった急速な
技術進歩に伴う今後十年なり二十年なりを見通したフィロソフィーの上に立って、この
航空法というのはどういうものであるべきかというような、そういう観点からの抜本的な骨組み自体の何かつくりかえのようなもの、そういうものについてさらに検討する必要があるんではないかというような気がするわけでございます。
それは当然、法をつくり直すということは全体のフィロソフィーなり骨組みをかえることでございますから、それは法の条文の作文上の変更だけではなくて、やはり施行規則なり運用の実態なり、そういうものを、広いバックグラウンドをとも連れにした大幅な前向きの安全対策というものを進める一つのバネであり、エネルギーになる問題にかかわることではないかというような気がするわけでございます。