○和田貞夫君 総理、あの
原子力船「
むつ」が、漁民を中心とした地元住民の強い反対を押し切ってまで出港し、洋上での出力試験中に
放射線漏れが生じ、五十日間もの漂流を続けた果てに、いまや撤去作業の進む母港で雪に埋もれてつながれているのでありますが、その姿にこそ、まさに、
わが国の
原子力行政そのものが象徴されているとあなたはお考えになりませんか。(
拍手)
私は、
日本社会党を代表いたしまして、
科学技術庁設置法の一部を
改正する
法律案について、わが党の考え方を述べながら、
政府の
原子力行政に対する基本姿勢に対し、根本的再検討を求めるとともに、総理以下、関係閣僚の見解をただしたいと存じます。
わが国の
原子力行政が低迷を続けている最大の理由は、そもそも
昭和三十年の
原子力三法が決められたときに発しているものであります。
神奈川大学の川上教授が、「
原子力という新技術の管理が、既往の行政概念になじみにくいものであるにもかかわらず、行政技術的な発想で
原子力行政がスタートしたときから問題を内蔵していた」と指摘されていますが、まさに核心をついたものであります。さらに、同教授は、「
原子力という技術の
研究、
開発、利用にふさわしい
体制はどうあるべきかという基本から出発しない限り、現象的な欠陥をいろいろ指摘してみても、在来的な官僚制度の壁にぶつかるだけである」と、その病根を実に明快に述べられているのであります。
本
改正案の、
原子力局を
原子力安全局とに分割するというような考え方は、
政府の
原子力行政の致命的欠陥にメスを入れるものではなく、たび重なる
原子炉事故に対する
国民の不安と怒りをそらそうとする、官僚的発想による単なる機構いじりにすぎないと、厳しく批判されても仕方ないでしょう。(
拍手)
現行
原子力行政の中核である
原子力委員会を、当時の論議では、
原子力の平和利用に関する最高の企画、立案の決定機関とし、その執行を
原子力総局に命ずることができるという、行政
委員会に近い性格のものが構想され、閣議決定にまで持ち込まれたと記憶しているのでございます。しかし、現在の
原子力委員会は、総理大臣の諮問機関というより、むしろ
科学技術庁長官の諮問機関に成り下がり、直属の
事務局も持たず、概して強力な予算の裏づけもなく、その権能にも多くの制約が加えられているのが実情でございます。
また、学界が当時、行政
委員会案を主張されていたのは、第一には、
原子力における先進諸国とも言うべき核保有国と
わが国との技術格差が大きく、よほど強力な
研究開発推進体制がとられない限り、格差の解消はむずかしい
状況にあったことと、第二には、万が一の軍事的利用を防止する上でも、
政治から分離した
体制の方が好ましいとの考えであり、そのために、核保有国に従属的にならず、平和利用技術の自主的
開発を進めるには、行政
委員会の権限と独立性がどうしても必要であるとのことでございました。
ところが、日の目を見なかったのは、その権限と独立性を与えることに対して、たとえば、独禁
法改正を骨抜きにし、公正取引
委員会の
機能と権限
強化に反対するがごとく、自民党と官僚が危惧の念を抱いたからでございます。そのほかには、もちろん、
安全性よりも、経済性本位の
開発を推し進めようとした産業界の意図も込められていたことは、また疑いのないところでございます。
原子力開発が始まって二十年を
経過しますが、その間、ほとんど外国技術の導入にのみ終始し、特に
原子力発電の分野では、国内に
研究開発の
体制がないままに推移し、
わが国と先進諸国との技術格差は全く解消していないにもかかわらず、産業界では強引に大
規模な
原子力発電所の
建設が進められてきたのであります。
諮問機関的な存在である現行の
原子力委員会では、このような産業界での独走を防ぐことができないのは当然であり、
原子力発電の技術導入路線と、
原子力研究所などによる
わが国の
研究開発計画との間に、有機的関連を持ち得ず、今日に至っているのでございます。これでは、
原子力委員会の設置を決めた
原子力基本法第四条の精神を全く喪失したものと言わざるを得ません。
先日の参議院予算
委員会において、佐々木長官も、
原子力委員会が
開発に力を注ぎ過ぎていて、
安全性の問題についてはその責任の所在が分散し、独自の安全
研究が不十分だとし、現行
原子力委員会の
開発中心主義を認めざるを得なかったところに、現在の
原子力行政は尽きているのでございます。
総理、この際、
原子力行政を見直す考えはございませんか、見解を明らかにしていただきたいと
思います。
以上のような現状に対し、わが党の基本的考え方は、
原子力行政の基本姿勢を再検討し、自主、民主、公開の
原子力平和利用の三原則を厳守し、
安全性を第一とする一元化した
原子力行政を
確立することでありますが、以下、安全面、
エネルギー政策、
原子力行政の組織上の問題点について、見解を承っておきたいと
思います。
まず、安全面についてでございますが、
原子力に関しては、未知の部分や困難が比較的少ないはずの遮蔽技術においてさえ、
日本はきわめて未発達であり、基礎的
研究の蓄積がいかに欠けているかは、
原子力船「
むつ」の問題が証明しているところであります。まして、最近相次いで明らかになっている冷却パイプと炉本体の応力腐食割れ、蒸気発生器の細管腐食、
燃料棒の破損、緊急冷却装置等の安全装置の
機能不全などの問題も、さらにまた、使用済み核
燃料の安全な再
処理や、放射性廃棄物の最終処分の問題も、遮蔽技術より、はるかに重大な未知の部分や困難を秘めており、しかも、基礎的な
研究が決定的に欠けているのでございます。また、内部に働く人々の集積被曝線量も、年々大幅に増大しているのが現状ではございませんか。
取り返しのつかない悲劇的な事故を未然に防止するためには、
原子力船であれ、その百倍も大きな出力の
原子炉を持つ
原子力発電所であれ、また再
処理工場であれ、このような実用装置を建造してよい
段階ではなく、全分野における基礎的な実験、
研究を積み重ねるべき
段階であることが、だれの目にも明らかであるにもかかわらず、もっぱらアメリカの
研究と運転経験や、米
原子力委員会の安全評価に依存しているのが現状ではございませんか。
総理、この最も基本的な問題について、どのような考えをお持ちになっているのか、御見解を承りたいのでございます。
また、実用炉をどんどん大型化し、
建設してしまってから、
国民の安全にかかわる重大な技術上の諸問題の
研究が後追いしていくなどという姿は本末転倒であり、他の公害に比べて、はるかに深刻になり得る放射能を大量に生み出す
原子炉を、
安全性の十分な
確立なくして実用化し、商業的に先行させてしまってよいのでございましょうか。
ただ、いままでに
建設された
原子力発電所は、幸いなことに、まだ大事故を起こしていないものの、中小の事故や故障が続発し、いずれも稼働率が著しく低下し、美浜一号炉に至っては、
昭和四十九年度の稼働率が、実に七%にまで低落しているではございませんか。一基に七百億円も一千億円もかけた
原子力発電所が、ほとんど稼働できなくなるということは大変な損失ではございませんか。しかも、このことによって値上げされた電力料金が使われるのでは、
国民は納得することができないのでございます。
政府の責任ある答弁をこの際求めます。
あわせて、使用済み
燃料棒の再
処理の後にできる高レベル放射性廃液の処分を、最終的にどのような
計画を持っておられるのか、明らかにしていただきたいと
思います。一千年以上も安全に漏れなく保管する必要があるとされているこのようなしろものの、安全な最終保管、処分方法が
確立されないまま核
燃料を使用し、再
処理するなどというのは、全く危険千万ではございませんか。
原子力の環境、安全問題は、技術と社会の両側面から検討されなければならないのは当然ではございますが、昨年十月に
原子力委員会の環境・安全専門部会から
安全審査体制のあり方などの
報告がなされたのが、今回の
改正法案の背景となっていると考えられますが、この
報告書は技術問題に終始し、
原子力の平和利用
推進に欠いてはならない住民の
信頼を、いかに回復するかという根本問題が欠落しているのでございます。
わが国の行政全般にわたって言えますが、
原子力行政におきましても、住民を行政の客体としてとらえ、実質的に公正な行政を
確保することよりも、技術専門性を主体とした独善に陥り、行政の便宜と能率だけを考えて運用されてきたのが実態でございます。このことが、住民の不信感を増幅し、
国民の理解と協力が得られないのは当然のことでございます。
また、
原子力発電所や、その他の
原子力施設の設置が予定されている自治体が、その受け入れを渋っているのを見るや、補助金をえさに、いわゆる札束でほっペたをひっぱたくような露骨なやり方にもなってくるのでございます。行政が住民との
信頼関係を保持するには、事実をありのままに公開するとともに、とりわけ、
原子力のような巨大な新技術の
推進に当たっては、不断の対話が必要であると
思います。
ところで、現下の
原子力行政で最重要な
原子炉安全審査会の
委員には、
安全性に疑問を持つ学者は任命されておらず、せっかく任命しても、良心的な
委員は辞職してしまうという始末であり、現在は、企業秘密優先の
委員ばかりで構成されているのが実態ではございませんか。(
拍手)
また、
昭和四十八年に
原子炉の設置に係る公聴会制度を設置いたしましたが、ここでも地元民を代表する学者を参加させず、この公聴会には、核
燃料再
処理施設の設置を含む
原子力発電の全システムが、自然社会環境にどのような影響を及ぼすかという総合的な視点が全くございません。
また、開催の必要を
原子力委員会の一方的判断にゆだねられ、
質疑、討論が一切禁止され、公聴会で陳述された
意見に対する
原子力委員会の検討結果は、総理大臣に答申する時点でしか明らかにされず、それに対する疑問や新たな反論は、一切許されない仕組みになっているのでございます。
このような現状では、
わが国の
エネルギー政策とも重要な関連を持つ
原子力行政において、その
開発、
推進の問題のみならず、
世界で唯一の被爆
国民として、核という問題に異常な関心を持つわが
日本人の感情から見ても、
原子力行政はさらに混迷を深めるであろうことは、だれの目にも明らかでございます。
総理、あなたも、去る参議院の予算
委員会で、現在の
原子力行政は
開発一本やりのような印象を与えている、
安全性について
国民の納得を得るようにしたいと述べられまして、
原子力委員会の大幅改革をほのめかしておられるのでございますが、
原子力委員会を独立した行政
委員会に改組し、その
委員長は
科学技術庁長官や
国務大臣が兼務してはならないこととし、
国会の議決によって選任された
委員の互選によって決めるべきであると考えますが、いかがでございましょうか。
原子力安全局のような機構は、行政
委員会として衣がえした
原子力委員会の
事務局として設置すべきであると
思いますが、いかがでございましょう。(
拍手)
また、
国民の
信頼を得るためには、
原子力基本法第二条に述べているとおり、すべての資料は公開すべきであり、
原子炉安全専門
審査会を
規制委員会とし、
委員は、地域住民や労働者側の推薦する学者や技術者と、使用者側の推薦する専門家との同数ずつで構成すべきであると
思いますが、いかがでしょう。これらにつきまして、明快な御答弁をお願いいたしたいと
思います。
さらに、仮想事故に対する災害評価の甘さがあること、あるいは、タブー視されていることが学者によって指摘されているところでございますが、あわせて、この面についての御
意見を承りたいと考えます。
次に、
エネルギー政策との関連でありますが、
原子力発電と一口に言っても、今日の死の灰を必ず生み出す核分裂型の
原子力発電は、決して長期的な本命ではなく、一時しのぎの、いわばかん詰めのような
エネルギー源にすぎないということが、多くの学者の見解でもございます。
本命は、死の灰を出すことのない核融合方式でありますが、石油や石炭やオイルシェールなどが本当に枯渇してしまった時点で、もし万が一、まだ核融合が実用化できない場合には、その間のつなぎとして、初めて核分裂型の
原子力発電の
建設を検討すべきであって、そのためにいま必要なのは、核融合の
研究開発にこそ、もっと大きな力を注ぐべきではなかろうかと
思います。
特に、
日本のような大地震の多い、しかも人口稠密な国で、核分裂型の
原子力発電所をつくるのは、諸外国に比べて危険性が著しく高く、幾ら大地震に耐え得るように設計してあっても、パイプに予期しないひび割れが生じているような状態では、そこから破断することにより、取り返しのつかない大事故になるおそれがあるのでございます。このことだけでも、大型実用炉の
建設は当面中止させるべきではないかと
思いますが、総理の御見解をお伺いいたしたいと
思います。
最後に、
わが国の
原子力行政が、軍事目的を主要に追求する米
原子力委員会に決して追従することなく、あくまでも自主的、主体性を持つ
日本の
原子力行政であるべきことを強く要求いたしまして、私の質問を終わります。(
拍手)
〔内閣総理大臣三木武夫君
登壇〕