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1975-06-18 第75回国会 衆議院 文教委員会 第17号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十年六月十八日(水曜日)     午前十一時六分開議  出席委員    委員長 久保田円次君    理事 河野 洋平君 理事 西岡 武夫君    理事 藤波 孝生君 理事 三塚  博君    理事 木島喜兵衞君 理事 嶋崎  譲君    理事 山原健二郎君       上田 茂行君    臼井 莊一君       加藤 紘一君    久野 忠治君       床次 徳二君    楢橋  進君       西村 英一君    羽生田 進君       深谷 隆司君    森  喜朗君       山崎  拓君    小林 信一君       辻原 弘市君    馬場  昇君       山口 鶴男君    栗田  翠君       有島 重武君    高橋  繁君       安里積千代君  出席国務大臣         文 部 大 臣 永井 道雄君  出席政府委員         文部大臣官房長 清水 成之君         文部省初等中等         教育局長    安嶋  彌君         文部省体育局長 諸沢 正道君         文部省管理局長 今村 武俊君         文化庁長官   安達 健二君         文化庁次長   内山  正君  委員外出席者         文部省初等中等         教育局財務課長 別府  哲君         建設省道路局有         料道路課長   下川 浩資君         建設省道路局高         速国道課長   山根  孟君         文教委員会調査         室長      石田 幸男君     ————————————— 委員の異動 六月十七日  辞任         補欠選任   山口 鶴男君     渡辺 三郎君 同日  辞任         補欠選任   渡辺 三郎君     山口 鶴男君 同月十八日  辞任         補欠選任   高見 三郎君     加藤 紘一君   平林  剛君     馬場  昇君 同日  辞任         補欠選任   加藤 紘一君     高見 三郎君   馬場  昇君     平林  剛君     ————————————— 本日の会議に付した案件  文教行政基本施策に関する件      ————◇—————
  2. 久保田円次

    ○久保田委員長 これより会議を開きます。  文教行政基本施策に関する件について調査を進めます。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。加藤紘一君。
  3. 加藤紘一

    加藤(紘)委員 きょう少しお時間をいただきまして、短時間ですが、いわゆる障害者教育特殊教育の問題について若干お尋ね申し上げたいと思います。  最初にお伺いしたいのは、聾教育の問題でありますが、最近聾唖者学力低下という問題が非常に大きく言われているように思います。現に私たち社会労働委員会の方で、聾唖者のいわゆる社会福祉の問題をいろいろ扱ってみましても、最終的にやはりどうしても教育の問題に行き着かざるを得ないところがいっぱいあるように思うのです。たとえば聾唖者自分たち福祉向上を求めていろいろ団体活動をやります。そして、いろいろ集会をやります。そうすると、まずその組織能力というものが、私から見るところでは、ほかの障害者に比べて格段に落ちているように思うのです。ですから、全国の各代表が集まって会議をしてもなかなか意思の疎通ができなくて、そして団体がまとまらず、運動も進んでいかないということになっておるわけであります。そして、いろいろ聞いてみますと、どうもいわゆる一般的な知識とか、抽象的な思考能力とか、学力低下という問題が非常にその根底にあるように思いまして、ここにメスを入れない限り、いかなる所得保障的な社会福祉政策をとっても、それにはもう限界があるのじゃないかという感じがいたすわけであります。  それで、文部省の方でも、いわゆる聾唖教育の問題については大正以来ずっと多くの努力をなされておると思いますけれども、その最近の学力低下という問題について、また最近の低下と言わなくても、いままでの聾教育によって目指すところの学力向上、一般的な知識概念の修得というものが本当にできているのであろうかどうか、その辺の実態について御調査なさったことがあるのか、まずお伺いしたいと思います。
  4. 安嶋彌

    ○安嶋政府委員 御承知のとおり、聾学校もそうでございますが、特殊教育の諸学校におきましては、それぞれ小学校、中学校高等学校に準ずる教育を行うということがたてまえでございます。精薄児等の場合はその準じ方にかなり問題があるわけでございますが、盲、聾といったような場合、あるいは虚弱児といったような場合におきましては、小中学校に準ずる教育を行うということがやはり基本であろうかと思います。そうしたことで、特殊教育に関する指導要領あるいはそれに基づく教育が行われておるわけでございます。  そこで、それに対応する学力がどの程度ついておるかということにつきましては、実はまことに遺憾でございますが、的確な調査がございません。しかしながら、一般的な傾向といたしまして、ただいま先生が御指摘のような点が指摘されておるということも私は伺っております。そこで、これはもしそういう事実があるといたしますと、かなり複雑な原因がその背景にあろうかと思いますが、一つ考えられますことは、御承知のとおり、最近補聴器というものが非常に進歩をいたしまして、従来ならば聾学校教育を受けた者が、補聴器のおかげでと申しますか、それを使用することによりまして難聴児学級という特殊学級に移る、あるいは難聴児でございましても、補聴器の助けを借りまして普通学級教育が受けられるというようなことがかなり行われてきておると言われております。したがいまして、聾学校に残った子供、現に聾学校に在学している子供というのは、かなり障害の重い者だけが残っておる。従来はそうでもない者まで入っておったわけでございますが、現在は障害のかなり重い者だけ、だけと申しますとちょっと言い過ぎでございますが、重い者が多く残っておるというような傾向があるやに聞いております。そういう関係から、従前の聾学校教育水準に比べて現在の水準がやや見劣りがすると言われる原因が、その辺に一つあるのではないかというふうに専門関係者から聞いておる次第でございます。
  5. 加藤紘一

    加藤(紘)委員 確かに比較的学力優秀な生徒普通学校へ転校する。したがって、残った生徒標準から見ればかなり学力が低くなっているということは、御指摘されることはあるかと思います。しかし、それがどの程度であるかの実態調査文部省でもやってみる段階に来ているのではないか。たとえば、確かに文部省教育方針というのは、聾唖教育については大正以来変わっていないはずであります。そして、それが果たして適切であるかどうかという問題についていろいろ調査をしている専門家もおるわけですから、少なくともそれを集大成してみるとか、文部省自体で調べてみるということをやる必要があるのじゃないでしょうか。聾唖者と申しましても、全体から見れば少ないのですけれども、いわゆる二級障害、三級障害、これは補聴器の使用で言語を意識できない人たちだと思うのです。何万になりますか、恐らく大体二十万ぐらいになるのじゃないかと思うのですけれども、その人たちのためにもその調査をぜひやっていただきたいと思うのです。いかがですか。
  6. 安嶋彌

    ○安嶋政府委員 全面的な調査をいたしますという答弁をただいま申し上げる用意がございませんが、御指摘でもございますので、文部省特殊教育総合研究所、こうしたところを中心にいたしまして、さしあたり各種の研究成果でございますとかあるいは各学校における実験の成果、そういうものを取り集めまして、とりあえずのまとめをつけてみたいというふうに考えております。全面的な調査につきましてはさらに検討させていただきたいと思います。
  7. 加藤紘一

    加藤(紘)委員 そのいろいろなところでやっている部分的な調査一つをとりましても、京都、大阪の大学の研究者たちがやっているのでは、大体高等学校の一、二、三年生ぐらいでその学力小学校四年生程度というのが定説と言われるぐらいになっているわけです。私、聾唖者全国組織や何かに関連している人を見ますと、中には非常に優秀な人もいますけれども、しかし、一般的な傾向からいって、大体この程度じゃないかと言わざるを得ないように思うのです。早速その調査をできる限り広い範囲でやっていただきたいと思います。  次に、聾唖者コミュニケーションをとるためには、いわゆる手話口話というのがございますね。それで、この手話口話という問題についての教育方針について非常に大きな不満が聾唖者の中にあると思うのです。学校ではいわゆる口を読む、つまり口話を一生懸命教育し、それ以外の手まねは余り使わないようにしましょうということを文部省ではずっとやっています。しかし実際に社会に出ますと、ほとんど手まねで、手話でやっている。その教育方針の問題について文部省は余りにもかたくな過ぎて、聾唖者実態に合ってないのではないかという批判が非常に強いのですけれども、いまどういう方針でやっていらっしゃるか、ちょっと正確にお答えいただきたいと思います。
  8. 安嶋彌

    ○安嶋政府委員 先生も御承知かと思いますが、口話法というコミュニケーション方式でございますが、聾教育は明治以来百年に近い伝統があるわけでございます。その歴史の変遷の中におきまして、大正末期から口話方式聾教育が取り上げられてきたということでございます。これは先生もよく御承知かと思います。  文部省では、法令上、聾教育口話法でやるべきであるということを規定しておるということはございませんけれども、現在の学習指導要領におきましては、口話法による指導が行われるという前提で各般の事項が規定されておるわけでございます。なお、つけ加えますならば、手話法を禁止するということも述べていないわけでございます。しかし、口話法前提であるということで指導要領ができ上がっておるわけであります。  なぜこういう方針大正の末以来とっておるかと申しますと、御承知のとおり、手話法というのは身ぶりによる言語でございます。したがいまして、それによって表現される基本語彙というのはきわめてわずか、数百語程度であるというふうに聞いておるわけでございます。数百語程度と申しますと、語彙の数といたしましては二歳児程度であるということでございます。ただいまも御指摘がございましたように、聾教育向上を図るということになりますと、やはり表現語彙が多数用意されておるということが基本でございます。そういたしますと、手話法では抽象的な思考でございますとか、そういうことが非常にしにくいわけでございます。そういうことで思考意思の伝達ということにつきましては、かなり複雑なプロセス、用意が当然必要なわけでございまして、そういう点から申しますと、口話法というものがお互いのコミュニケーションを豊かにする意味において、手話法よりすぐれておるということが現在の教育界定説にもなっておるわけでございます。また学校教育におきまして手話法を用いるということになりますと、口話法よりは手話法の方が比較的容易でございます。ですからどうしてもそちらに流れてしまう可能性もあるのではないか。口話法はある意味において手話法よりも困難なコミュニケーションの手段でございますが、やはり教育段階においては、それをマスターさせるということにまずは主眼を置くべきであろうということでございます。繰り返しになりますが、その段階手話法もよろしいということになると、口話法の方がおろそかになるのではないか、こういうことを心配いたしておるわけであります。したがいまして、基本口話法であるというのが私どもの基本的な立場でございます。  しかしながら、聾児障害と申しましてもいろいろあるわけでございますし、また聾障害だけではなくて、ほかの障害が重複しておるというような子供たちもあるわけでございます。したがいまして、そういう障害実態に対応いたしまして口話法だけでは無理である、こういうような子供たちもあろうかと思います。そういう場合には手話法も加えて指導するということは、これは考えていくべきことであろうと思います。原則として口話法でいくべきであるけれども、児童の実態に応じて手話法を取り入れるということもやはり検討すべき課題であろうというふうに考えておる次第でございます。
  9. 加藤紘一

    加藤(紘)委員 時間がございませんので、答弁は簡単にお願いしたいのですが、それはいままでの文部省方針、確かにわかります。それで、私も、手話がいいか口話がいいか、聾教育専門家でありませんので、そこまではわかりません。ただ、現実に、いま局長がおっしゃいましたように、大正末期から営々としてその方針でやってきて、そしてでき上がった子供高等学校を卒業して、優秀なのでも小学校三、四年の程度学力しかついていかなかった、この現実は否定すべくもないんですね。それと同時に、社会に出たらほとんどの人が手話を使っている。私は全国聾唖大会というのに一回行ってみました。各地から集まってくるのは、恐らく聾唖者の中でも指導的な、学校でいい成績をおさめた、そういう人たちであります。ところが、その人たち口話で話しているのはほとんど見たことがない。ほとんど手話でやっております。それは私たちのしゃべるのをそばで手話で聞いているというだけじゃなくて、聾唖者同士もほとんど手話でやっております。この現状から考えて、いまのやり方がいいかどうかというのは私はかなり疑問ではないかというふうに感じざるを得ません。それで、まず、文部省としては手話を別に禁止はしていないんだというお話でありますけれども、指導要領の中に、いわゆる聴覚の利用を通じて読話を中心としてやっていくという方向は、おっしゃるとおり現にあるわけですね。それで、現実聾唖学校手話というものは使ってはいかぬのだということを先生はかなり強く言っているはずであります。国立聴力言語障害センターというところで調査した結果によりますと、小学校や学生にアンケートしますと、手話というのはいかぬものだ、余り使ってはいかぬものだというのがアンケートで非常に多くなってきます。しかし、それが一たん社会に出ますと、手話というものはそんなに悪いものではないんだ、それで便利だということになってくるわけですね。  それで、まず最初にお聞きしたいのは、現実手話でやるか口話でやるかは現場の教師にお任せするということだと思いますが、一般的に手話というものを余りやってはいかぬのだという雰囲気があることは否定できないと思うのですけれども、その辺いかがですか。
  10. 安嶋彌

    ○安嶋政府委員 先ほど申し上げましたように、手話がいけないとは言っておりませんが、学習指導要領口話原則としておるということはさっき申し上げましたとおりでございますが、なぜかといいますと、手話の場合は基本語彙がきわめて少なくて、教育上用いることはやはり必ずしも適切ではない、むしろむずかしいけれども口話の技術を十分マスターをする、そのことがむしろ御指摘学力をつけるということの前提にもなるわけであります。抽象的な思考というようなことになると手話法による表現力ではとうていついていけないということでございますから、やはり口話法による教育というのが原則であるということでございます。ただ、それだけということではなくて、やはり障害程度に応じて手話を用いるということも、これは考えていかなければなるまいということを申し上げているわけであります。
  11. 加藤紘一

    加藤(紘)委員 学力をつけるとおっしゃいましても、現についていないじゃないですか。アメリカの場合も、過去数年来、口話だけでやってはいかぬということで、手話の併用になっています。それは御存じてすね。日本だけがあくまでも——口話がいいか手話がいいかというのは、私、わかりません。確かに手まねでやりますと大体五百くらいのボキャブラリーしかないと言われる。しかし、じゃあ口話でいったならば果たして卵とナマコとたばこなんというのは区別できるかといったら、絶対にできない。こんなのを区別できる聾唖者というのは、全国に一人くらいしかおらないそうです。そんな技術的な議論になりますと、ここでやる議論ではなくて、それは教育界でやる議論であります。しかし、現に教育界で、二十万人ぐらいの聾唖者教育の問題について真っ二つに割れるか、少なくとも両方でやるべきじゃないかという議論がなされているときに、やはり口話主体でやるべきだ、それによって抽象概念がかち得られるんだという態度を堅持されるのは、ちょっとかたくな過ぎるのじゃないかと思いますが、いかがですか。
  12. 永井道雄

    永井国務大臣 先生アメリカの場合についてお話しになりましたが、私、別に専門家ではございませんが、アメリカ手話日本手話は少し違うということは御案内のとおりでございます。つまり、日本の場合は身振り的な要素を基礎にしているわけですが、アメリカの場合、指文字という方式手話でございますから、手話有効性ということから言うと、英語の手話の方がいままでも比較的有効だと言われているわけです。そこで、日本の場合に口話手話をどうやって組み合わせていくかという問題については、相当長い間議論がございます。ことしの八月と思いますが、日本で初めて国際聾教育大会が開かれることになります。昨年の聾教育大会にも私出たのでございますが、御指摘のように、聾教育大会のような場所では手話で通訳的な役割りをする、そして言葉が伝わっていくような方法をとっておりますが、恐らく今度の国際的な会議においてもそういうことが一つの重要な課題として検討されることになると思います。でございますから、国によって手話口話組み合わせ方伝統的に違っているという面もありますから、直ちにアメリカやり方日本に入れるべきかどうかという点も私にはわかりません。いまのような違いがあるということだけは認識しております。しかし、御指摘の点は重要課題でありますから、私は、国際聾教育大会が開かれる理由の一つもそこにあると考えておりますので、文部省は当然こういうものを十分尊重いたしまして、そして専門家の御意見というものを検討しながら進んでいくべきものと考えております。ただ、今日まで決して責任を重んじなかったというのではなく、今日までのところでは、初中局長が申し上げましたように、日本の場合には、手話口話組み合わせというときに、口話有効性が強いという理論があったということに基づいておりましたので、その点そういうものとして御理解いただければ幸いでございます。
  13. 加藤紘一

    加藤(紘)委員 いま大臣からおっしゃっていただきましたように、ことし聾唖についての国際大会日本で行われます。大臣がおっしゃるように一つのいいきっかけであると思いますので、聾教育界議論されていることが一体何を議論しているのか、そしていままでのやり方が本当によかったのかどうかについて、文部省も積極的に中に入っていって議論に参加していただきたいと心から思います。そして、私、これはなかなか言いづらいことなんですけれども、大正末期手話をある程度いかぬと言ったのは、どうも手話でやりますとあれはおしでつんぼの聾唖者だということがすぐ外部にわかるものですから、聾唖者自身もきらったという側面がなきにしもあらずだと思うのです。その点から考えますと、いま上野駅の駅頭でも町の中でも、どこでも聾唖者は堂々と手話でやっております。その意識の変化というものもひとつ大きく評価をして、社会的背景も変わったんだということでお考えいただきたいと思います。そういう意味局長にもう一度お願いしたいのですが、今回の国際大会きっかけにぜひ積極的に話し合ってみるということをここでお約束願いたいし、特に、NHK聾教育の講座をやっていますね、そこの中でも、手話をつけろ、手話がいいかということに多くの投書が来ておると聞いておりますし、NHKの内部でも大変な議論をいまやっているそうでありますので、いまちょうどタイミングとしていい時期じゃないかと思いますが、その辺について、決意をお聞かせいただきたいと思います。
  14. 安嶋彌

    ○安嶋政府委員 各方面のいろいろな御意見を伺いながら十分検討さしていただきたいと思います。(発言する者あり)
  15. 加藤紘一

    加藤(紘)委員 応援団もございますので、検討さしていただくということだけでなく、もうちょっと具体的なお話はあり得ないものでございましょうか。
  16. 安嶋彌

    ○安嶋政府委員 積極的に検討さしていただきたいと思いますが、ただ、口話法による教育というのは、先ほど来申し上げておりますように大正以来の伝統でもございますし、また、教育界でもやはりそれが定説になっているように私は承知いたしております。ですから、これを変えるというのは、やはり相当慎重な討議を経てからにすべきだと思います。しかし、せっかくの御指摘でございますから、積極的に検討を進めたいというふうに考えます。
  17. 加藤紘一

    加藤(紘)委員 教育界定説になっておるということは、ちょっとおかしいと思いますよ。果たして本当にそうでしょうか。定説というか、学説が真っ二つに分かれているのじゃないでしょうか。だから問題が出てくるのであって、教育界定説になっているからそれを変え得ない、いまの答弁は、ちょっと私は問題だと思いますが、いかがでしょうか。それは、文部省では定説でしょうけれども。
  18. 安嶋彌

    ○安嶋政府委員 私も、この関係につきまして特に知識があるというわけではございませんが、聾学校長会等の全体の考え方といたしましては、やはり口話法主体とすべきであるという考え方であるというふうに伺っております。そこで、かたくなというお話もあるわけでございますが、これを私がこの場所で直ちにどうこうするというお答えは控えなければならないと思いますが、御指摘のような問題もあろうかと思いますので、十分積極的な検討を進めていただきたいということを申し上げているわけでございます。
  19. 加藤紘一

    加藤(紘)委員 いまの答弁を聞いていますと、だんだん問題の所在がはっきりしてくるのです。聾学校長会の中では定説になっているとおっしゃいましたね。学校現場では、長年の伝統があるものですから、はっきり言いまして変えたくないのです。しかし、学校現場に携わっていない、それをもっと客観的に見ているところでは議論が起こっている、そのところに、この流れを変え得ない最高の問題があるのであります。だから、いまの答弁では、局長聾唖者自体学校先生と、いわゆるそれを専門的に見ているところとのいろいろな意見の対立というものについて、文部省担当課でも本当の議論の焦点がわかってないのじゃないかという感じがするのです。ですから、教育界というものと教育学の方とのいろいろなその辺の絡みを積極的に見ていただきたい。いままでの御答弁では、積極的に進めると言ってもちょっと不安でございます。その辺をお願いを申し上げまして、これはここで一応終わります。  そこで、一つだけここでお願いしておきたいのは、文部省が軽視されようがされまいが、手話というのは、現実に何十万の聾唖者の中で使用されているのは事実であります。そして、これには標準語がないのです。大阪の方の手話東京の方の手話といろいろ違って、何派、何派というような流派かありまして——私は方言ですと、大阪弁もあって、東京弁もあって、長崎弁もあって、それなりに楽しいと思うのです。ところが、非常にむずかしい限定されたコミュニケーションの場ですから、少なくともこの手話については標準化を図るべきだと思いますし、それに文部省が積極的に乗り出さなければいかぬと思いますが、その辺、お考えになったことはございますか。
  20. 安嶋彌

    ○安嶋政府委員 遺憾ながらございません。
  21. 加藤紘一

    加藤(紘)委員 これはちょっと大きい問題でしてね。口話がありますけれども、実社会で使われておるのは唯一の言語です。それについての統一をぜひ積極的に考えてみるという問題意識を持っていただきたいと思います。
  22. 永井道雄

    永井国務大臣 聾教育の問題は、私も専門家ではないのですけれども、文部大臣になります前から聾教育大会には出ているのです。私もいま文部省の一員でございますから、前から持っている関心を引き続き持って仕事をいたしてまいりたいと思います。  先生の御指摘の、地方による別という問題、これも手話上の問題になっておるということを去年の大会のときも勉強いたしました。何といいましても、ことしの国際大会日本で初めてのことであり、これは非常に重要でありますから、補助金というものも出したわけです。しかしお金を出せば解決するというようなことではなくて、むしろ問題は、聾教育の方法をどうやっていくかということでございまして、他国から学び得ることも非常に多いのではないかということ、また日本が貢献し得ることもあり得るかもしれないというようなことで、私はことしの聾教育大会が開かれているということを先生方から承っております。そこで文部省も、補助金を出すということだけではなくて、引き続きこの問題は非常に真剣に勉強していきまして、先生の言われました手話というものの有効性、それからまたその標準化、そうした問題についてどう考えていくべきか、真剣に取り組んでいきたいと考えております。
  23. 加藤紘一

    加藤(紘)委員 この聾教育の問題の最後にいま大臣からも御答弁いただきましてありがとうございました。  最後に大臣に一言お考えをお聞きしたいのですが、障害者教育というものについて社会に一種の偽善みたいなものがありましてね。おしだつんぼだと言ってはいかぬ。群盲象をなでるというようなことはいかぬ、いわゆるタブー語の問題がございますね。そしてお互いに言い合わないようにしましょう、そして言ったら文句を言うというような感じで、いまどうもお互いに、逆に健常者と障害者コミュニケーションがだんだん離れていっておる。社会福祉が進むのと逆比例にですね。そんな感じがしないでもないのです。私は、本当にみずからのことを考えておる障害者というものは、自分が障害者であるということを自覚し、表に出して、そしてその中で自分の福祉を考えていくし、考えてもらうというのが本当の自分らの権利を守ることだという意識は障害者の方にもかなり強く出てきておると思うのです。それにおくれて、われわれの方が何か遠慮をして、タブー語の問題でも何かおどおどしたり、お世辞を言ったりへっらっているという感じでありますが、その辺も特殊教育の場で、やはり障害者はみずからの障害をはっきり自覚するというようなこともある程度加味してやってもいい時期にきておるのではないかと私は思います。それは非常にむずかしい問題でございますけれども、大臣いかがお考えでございますか。
  24. 永井道雄

    永井国務大臣 これは聾教育だけでなく、先生の御提起になっている一般的な問題というのは非常に重要だと思います。  特殊教育の方法について特に重視いたしておりますのは、特殊教育と普通教育という分け方があるわけです。私はその場合に、特殊という言葉も本当に適切かどうか若干の疑問を持っております。しかし、ほかに表現がないからそうなっているのだと思います。つまり、特殊教育の対象になっておる子供たちの場合に、実際は、たとえば遠足をやるとかあるいは学芸会をやるとかいろいろそういうふうな問題のときに、普通教育の人とどんどん一緒にやれるというケースが非常に多いのでございます。ことしの二月も私は京都に行ってまいりましたが、京都市などは、いまは普通教育特殊教育を学級で重ね合いまして、そして一緒にやれるものはやるという方向で進んできている。そこでその先生方にお会いしまして、ぜひそういう方向を強化していただきたいということもお願いしてまいりました。私は、こういうものは全国的な方向でなければならないと思っております。しかし、それにもかかわらず、重度障害などの場合にやはりそうでなく取り扱わなければいけない問題というものも起こってはまいります。しかし、いまのような形で、むしろ特殊教育のある種の問題というのは、普通教育の人が、特殊教育の対象である人は特殊である、それで、自分たちの方は大変普通なんだというふうに思っているのでございますけれども、私は、全部体がそろってぴんぴんしているところの人の方がどこか根本的に抜けていたりすることが多いと本当は思っています。まあ一病息災なんてことを言っておりますね。実際は、人間はみんな特殊教育の対象と考えた方がよっぽど確かな話であって、余り自分は普通教育の方、あっちは特殊教育の方というような考え方を持っている限り、特殊教育の問題は解決しない。やはりそういう角度で普通教育の方を進める。それは言葉を変えて言うと、その先生が言われますように、特殊教育の方の人だって普通なんですから、自分でやれることはどんどんやっていく、そして、元気を出してやっていくという方向、つまり、そういう意味で、本当の目標は特殊でも普通でもないというようなところに向けていかなければならないというのが私の考えでございますし、そんなことを京都の先生方と、ちょうど二月十一日にお話ししてまいりましたけれども、しかし、今後もこういう方針——実はもうすでに、学級だけではなく、方々の養護学校でもこの種の努力が相当進んできておりますが、私は、これを強化する方向というものがこれから大事であると考えております。
  25. 加藤紘一

    加藤(紘)委員 ありがとうございました。  もう時間になりましたので、最後に一つ聾教育とは違いますが、いわゆる一般の障害教育で、五十四年から完全就学というようになりますね。これは現にやってみようとすると大変むずかしい問題でありまして、まず、いわゆる医療の方面と、それから教育の方面をどうコンビネーションつけてやっていくか。それから、自治体にかなりの責任が負わされる感じになると思いますが、果していまから各自治体はやり切れるのかどうかということで非常に危惧の念を持っておるようであります。それから、四年後を目指して教員養成の問題も非常に強くなっていくと思いますが、その点についての具体的な検討をかなり前からやっていかないと、省令が出ましても、現実にできないという形になるのがいまの進み方だと思います。その点の検討を十分なさっているかどうかということを最後にお伺いして、私の質問を終わりたいと思います。
  26. 安嶋彌

    ○安嶋政府委員 養護学校の義務制につきましては、御指摘のように五十四年からということで準備を進めておるわけでございますが、整備の七カ年計画をつくりまして、ほぼ計画どおりその整備が進んでおるという状況でございます。  施設につきましては、特に三分の二の補助をするというようなことも一昨年から行っておりますし、教員の人件費につきましては、御承知のとおり、つくられた養護学校につきましては二分の一を、義務教育ではございませんけれども、特例的に国が負担をするというような制度もすでにあるわけでございます。そういうことを土台にいたしまして、着々整備を進めておるということでございます。  しかしながら、ただいま御指摘がありましたように、さらにいろいろな問題がございます。教員養成の問題もございますし、また、入るべき子供の判別の問題もございますしいたしますので、その辺のところはさらに具体的に準備を深めてまいりたいというふうに考えておる次第でございます。
  27. 加藤紘一

    加藤(紘)委員 終わります。
  28. 久保田円次

    ○久保田委員長 馬場昇君。
  29. 馬場昇

    馬場委員 私は文部大臣に御質問を申し上げます。  三木総理が、教育は静かな環境に置きたい、こういうことを就任早々言われました。私も、教育が静かな環境で自主的に創造的に行われるということについては非常に賛成でございます。また、民間人の永井さんを文部大臣に起用されたという三木総理の気持ちも、やはり静かな環境に置きたいという一つのあらわれだろう、私はこう考えております。  ここで、なぜ教育界が荒れておるかとか荒廃しておるかとか、そういう原因について私は質問しようとは思わないのです。ただ、教育を静かな環境に置きたいというその基盤の一つとして、教育行政に携わる者がやはり常に反省をしなければならないし、常に自戒をしなければならない。教育行政は権力を持っているわけですから、これかやはり一番重要ではないか、こういうぐあいに思うのです。いやしくも、国民が教育に対してさまざまな願いなり希望なり要求を持っている、これを強く発言するということは、教育界を結局静かな環境に置くということとは矛盾をしない、私はこう思うのでして、教育行政に携わる者の自戒と反省というのがこの基盤にあるべきだと私は思うのですが、大臣の見解をまずお伺いしたいと思います。
  30. 永井道雄

    永井国務大臣 ただいまの問題は、私が国会で最初に御答弁申し上げる機会を与えていただいたときに申し上げたことであります。私は教育行政者であります。それで、わが国の教育にしばしば敵、味方の関係があると考えますが、私はそのときに、仮に敵があるとすれば、それは私の心の中にある、私自身が名望を求めたり、あるいは集団への過度の依存を求める私自身の欲求というものにかち得るかどうかということがきわめて重要であって、私は日本の中にそれ以上の敵というものはあり得ないということを最初の機会に申し上げました。したがいまして、私が文部省で仕事をいたしておりますときに、人間でありますから、そうした初心を忘れるような誘惑に駆られるときがございます。その誘惑というものに打ちかって私は仕事をいたさなければならないと考えております。  そこで、まず、文部省の中におきましても、私は文部大臣ではありますが、権力的であってはいけないし、また、文部省というものの集団に過度に依存することがあってはいけないと考えております。そして過去半カ年、きょうになりましたけれども、いろいろ文部省人たちともお話をいたしまして、私として得るところが多かったように考えております。  昨日、全国教育長の方々の会議、それから教育委員長会議がございましたので、私は半カ年そうした気持ちで働いてきたということを御報告申し上げ、教育行政の場合には、権力によって人をねじ伏せるとか、あるいは物を取り扱うという行政ではございませんで、最終的には人間の心の問題でございますから、したがいまして、他の行政と比較を許さないきわめて専門的なるものがある、その考えで半カ年の仕事を重ねてまいりましたが、どうか全国におきましてもそのようなお心持ちでお進み願いたいということをお願いしたわけでございます。  しかしながら、私がそのような気持ちでおりましても、また私の中に今後も繰り返しそうしたみずからの欲望というものが起こることもあろうかと思います。私は、国会の場に参りますことが私にとって非常に幸いであると思いますのは、そうした場合には先生方の御批判をいただく、そのことによって私自身が幾分かでもよみがえり得る、そういう気持ちを持って、この文教委員会というのは特に大事であると考えておりますが、今後も御叱正をいただきながら、教育行政というものをいま申し上げたような気持ちで進めていきたいと考えております。
  31. 馬場昇

    馬場委員 大臣の気持ちはよくわかりました。  そこで、最近私の熊本県で起こった二つの事例をここで挙げて、教育行政者の反省と自戒という問題について私は質問をいたしたいと思います。私が住んでおります熊本県の八代市というところでございますが、そこの教育長の例でございます。この八代市の教育委員会は新学年の恒例の行事といたしまして、教育長を先頭にいたしまして各小中学校学校訪問を実はいたします。いまから言いますのは、その学校訪問をいたしまして終わった後全体会議、全教職員を呼んでそこで懇談をする、研修をする、その会議上での出来事でございます。この八代市には、教育委員会に指導主事はもちろんおります。ところが、ここは特にそのほかに現場の教師を、小学校の教師二十名、中学校の教師二十名、計四十名、現場先生ですけれども、この人たち指導員として委嘱をしておるのです。そして教育長以下ずっと指導主事も含めまして、課長以下学校を訪問いたします。そのときにこの指導員の先生たち現場から引き抜いて、実は半数ずつぐらい連れていっているのです。そのことにつきまして、訪問をされましたある学校の全体会議のところである先生が、指導員制度というのはほかに余りない、そしてまた現場先生学校訪問を  四十数校ありますから、そこに大体十名近い人が現場から出ていくわけです。そうなりますと出張が多くなって授業に支障はないか、こういうような質問を実はある先生教育長にした。ところが、そこの教育長は、これは方言そのままで言いますから後で訳しますけれども、「ぬしゃ、こん学校で一番年休が多い。子供に迷惑かけとって大きなこと言うな。」こういうことを教育長がどなったわけです。これは、君はこの学校で一番年休をよけいとっている、そして子供に常日ごろ迷惑をかけておりながら、そういう質問をするな、大きいことを言うな、こういう意味でございます。これは教育長の発言でございます。これは明らかに暴言だろう、こういうぐあいに私は思いますし、教育長としてふさわしい発言ではない。先ほど文部大臣が、行政者は権力意識を振りかざしてはいけないと言われました。そのことにも違反するし、これは明らかに権力意識を振りかざしておる発言ではないか、私はこういうぐあいに思うのですが、大臣の見解を承りたいと思います。
  32. 永井道雄

    永井国務大臣 ただいまの先生指摘の具体的な事例につきましては、私自身いま実は何か最近新聞にちょっと出ていたというだけでそれ以上のことを存じておりませんので、これは当然県教委を通しまして事実をよく確認するようにいたしたいと考えております。  ただ、またいまちょうど話題の中に休暇のことが出たようでございます。教員に対して当然年次の休暇というものが与えられる。その休暇のとり方というものについても本人が希望するときにとる。しかしながらその場合に、正常の仕事というものの妨げになってはいけない。正常の仕事に妨げにならないような形でとる、そういうふうなことが休暇のとり方であるということは、これは法的に決まっているわけでございますし、そういう休暇の問題ということはきちんとしたことでございますから、そういう休暇をめぐるようなことで教育行政者と現場先生方との間に混乱というものが、起こるような事態でもございませんし、また起こらないのが望ましい、かように思っております。
  33. 馬場昇

    馬場委員 当初言われました自戒と反省が大分後退して、ちょうど真ん中に立ったような御答弁で私まだ了解できないのですけれども、たとえば学校の授業に支障があるのではありませんかと質問しておるのに、「ぬしゃ黙っておれ。年休一番多かくせしておって何言うか。」こういう発言をするのは暴言ではありませんか、権力意識ではありませんかということをまず質問したわけです。  それからついでに、触れられましたから年休の問題につきまして、この教育長は常日ごろこういうことを言っておるのです。各学校を訪問しまして職員の出勤簿を見てみて、その学校で年休が少ないとここの年休消化率は良好であるということでまず判定を下されるわけです。このものの考え方というものは、私は年休制度からいっておかしいのではないかというぐあいに思いますし、それからさらに、年休は万やむを得ないとき以外にはとるなという指導をなさっておられます。年休というのは使用者が勧めるべきであるというのが、私は労働基準法の精神だろうと思うのです。それを、万やむを得ないとき以外にはとるな。それからはなはだしきは、体育主任が年休をとるということは立場を心得ていない、こういうことをおっしゃるのです。そして年休は夏休みにとるべきである、こういうことをおっしゃるのです。これは先ほど大臣が言われました年休の趣旨から少し逸脱しておるのではないかと思いますけれども、さっきの再度念を押しました質問といま言いましたことについて、お答えを願いたいと思います。
  34. 永井道雄

    永井国務大臣 先ほど申し上げましたことは、誤解を生ずるといけませんから申し上げますが、私は新聞と先生のいまのお言葉で——決して先生のお言葉を信じないというのではなくて、君は休暇をとり過ぎているじゃないかというようなそういう言葉だったそうでございますから、そうしたものについては県教委を通してきちんと私たち調べて対処をしなければいけない、こう申し上げたわけです。どうでもいいということを申し上げたのではない。それで昨日の教育長の会議のときにも私が申し上げたのは、別に休暇のことを取り上げて申してはおりませんけれども、現場先生方というものを尊重して教育行政をしていただくようにくれぐれもお願い申したわけでございます。  なおまた、この休暇でございますが、確かに先生がおっしゃいますように労働基準法で休暇を正当にまた正常にとるということが決められているわけでございますから、これは休暇というものを正常な形で消化していくということが望ましいものであると私は考えております。その消化の仕方というものについては、これまた規定がございます。それは、御本人たちの希望というものも生かすようにするのですけれども、先ほどちょっと触れましたように、正常な授業の運営を妨げないようにするということがございますね。学校の場合ですと、やはり学校というのは休暇期間、夏休みとかそういうものがありますから、そういうときに非常に長い休暇がとれるというのが普通の態様になっていると思いますが、私は大体そういうふうな形で、先生方の休暇の問題というのは労働基準法に基づきまして当然休暇を消化していく、そしてまたその休暇というものを活用していくように進めていくべきものであると考えております。
  35. 馬場昇

    馬場委員 はっきりした答弁がないのですけれども、たとえば具体的事実を調べてみなければわからないということで私の言うのを信用なさっていないようですが、私は事実現地に行って調べて、本人からも聞いてきたわけです。言った教育長の発言もまたほかから聞いておるわけですが、そういうことは別にして私が先ほどからるる申し上げておりますことは、一般論としてこれはやはりいけないということであるかどうか、一般論でお答え願って結構でございます。  それからさらにつけ加えて申し上げたいのは、いま文部大臣は、教職員の場合は夏休み等なんかにでもとってもらいたいというような話がありましたが、これはほかのときにとってはならないということではないということであって、また行政者たる者がそれを非常に強調し過ぎますと、ほかのときにとってはならないというぐあいに、権力者が言いますと受け取られる傾向がありますから、そうあってはいけないということ、それはどうかということを申し上げておきたいと思います。  さらに、こういうことがございました。ここの八代市というところの学校では、ここ数年間私傷病休暇をとった人はいないのです。これはやはりそういうような教育長の発言というものが影響しておると思いまして、四十数校ある学校の中で私傷病休暇をこの数年間一人もとらないということは異常だと私は思うのですが、これはやはり私傷病休暇をとらなくて年休でかえろというような指導が行われておるのじゃないかと思うのです。そういう問題についてこれは非常におかしいと私は思うのですが、いかがでございますか。
  36. 永井道雄

    永井国務大臣 どうも一番初めの先生の発言の問題について御納得をいただいていないようでありますから、私はもう一回それについて申し上げますが、二つあるのです。一つは、私はこの教育行政を進めていく場合の私の心得を申し上げました。しかし同時に、わが国に教育行政上の機構というものがあるわけです。その場合に、文部大臣がそれぞれの学校現場先生に、こうしなさい、ああしなさいというような形で教育行政を進めていくのではない。そこで、県の教育委員会がございますね。そして市町村があるわけですから、そこでそういう形で、それがありますから、地方自治というものの原則に基づいて進んでいきますから、私は先生のお言葉を信じないというのではなくて、その道で確認させていただきたい、こういう意味を申し上げた。  次に、一般論を言えとおっしゃいましたが、それは仮にある人が、自分は休暇をとり過ぎて——とり過ぎている人だったら別ですが、本当にいない人に向って君は休暇をとり過ぎていると言うのはおかしいに決まっているのでございます。そういうことはあってはいけないと思います。  それから次に、休暇は夏休みにとるのが普通の態様であるということを申し上げますと、そうするとほかのときにとりにくくなるのではないかという問題なんですが、実は私長い間国立大学の教師をやっておりまして、国立大学の教師の場合にも休暇の問題はほぼ公立の先生方の場合と同じようにございます。大体において国立大学の先生は休暇の期間を十分与えられ過ぎているぐらいのところが大学教授の場合あるのでございますが、多分嶋崎先生も賛成していただけると思いますけれども、しかし、それもあるかもしれませんが、そのためもあってかまず平素の授業のところではそれほど消化しないという形になっております。もちろんそれが権力的なことになって、そこで病気のときの休暇、これはまた別にとれるわけなんですが、それはいけないということになってきますとこれはやはり困ったことだと思います。そういうことはあってはならないと思います。ですから権力的な意味合いにそれをとってはいけない。この種のことが確かに先生が御指摘のようにいろいろなところで案外一つの対立、衝突点になってしまっているというところにいままでの日本教育界の騒がしさがあると思うのですね。休暇の問題などは実はほかの職場に比べますと教育の職場は比較的静かに解決し得る職場だと思っております。これはほかの職場の方が相当激しく忙しいですから、別に教育が暇というわけではないですけれども、教育の方が夏期休暇とかそういうものがあって実際やりやすいので、こうしたものについてはいま申し上げたように法律もございますが、法律というものを基礎としてもっと常識的な形で騒ぎが起こらないようなふうに進んでいかなければいけない。そしてもちろん病気というようなことが起こった場合の休暇、これはまたそういうものとして当然これも規定があるわけでございますから、十分尊重していかなければいけない。そういうふうになっていくことが私は望ましいと考えております。
  37. 馬場昇

    馬場委員 先ほど年休をとり過ぎている者には——とり過ぎていない人にそういうことを言うのはおかしいとおっしゃいましたけれども、年休はもう決まっていますから、とり過ぎということは法で決まった以上にとるわけにいかないわけですから、法で決まったものをとるのはとり過ぎではないわけですから、その辺は御理解なさった上での発言だろうと思います。  次に、この教育長はまたその場所でこういうことを言いました。日教組はストライキで有利な賃金をかち取ったと言っているが、そんなことは絶対にない、非組合員は肩身の狭い思いをする必要はない、こう言っておるのです。これはその学校でなくて、回った学校全部でそう言っているし、問い詰めましたところ、いまから回るところも皆そう言うつもりだ、そういうことのようであります。私はその中身については詳しくここで言いませんけれども、いまの発言は一つの集団というものを攻撃したり中傷したりして他の集団とか他の個人というものを激励する、こういうような行為であって私は好ましくないというぐあいに思います。これはまた聞いてみなければわからぬとおっしゃるかもしれませんが、一般論で結構ですから見解を承りたいと思います。
  38. 永井道雄

    永井国務大臣 私は、日教組だけを取り上げてこれはだめです、そしてほかのものを強化してそれに対抗させる、こういうふうに職場の中に対立関係をつくるのはよくないと思います。これは一般論として明らかでございます。ところが今度日教組の方にも——先生も日教組に御関係があったのですね、私も講師をやっていた。日教組の方にも問題がなかったかというとこれはあるのです。たとえば私はよく思うのですけれども、中教審路線粉砕というような言葉がありますね。私はどうも……(馬場委員「その話は一度もしていない」と呼ぶ)いや、しかし、いま粉砕というふうな言葉は使わない、批判というものがあればやったらいい。つまり私はいままでのことを考えて、に申し上げたいのは、要するに対立関係が起こるという場合に、どうも対立関係というのは一方だけからでなく双方の関係で起こる場合が多いと思います。でございますから、私はそういうふうなものをなくしていくようにしなければいけないのではないだろうか。初めに申し上げたように、一つを取り上げて他を助けるということはいけませんが、同時にいろいろな先生方の中の集団というものも他との対立関係をつくらないようにしていく、私たちはそういうことのためにお役に立っていくというふうにしなければいけない、こう考えております。
  39. 馬場昇

    馬場委員 私はいまここで文部省がどうだ、日教組がどうだというようなことの質問は全然していないのです。私は教育行政者の末端のいわゆる市の教育長という人の自戒と反省の問題を質問しているわけでございますが、そういう一市の教育長さんが、やはり日教組はストライキで有利な賃金をかち取ったと言っているがそんなことは絶対にないのだぞ、非組合員の人は肩身の狭い思いをするな、元気を出してやれ、こう言うことは対立を増すだけであって、何にも建設的な話ではないんじゃないか、こういうことはこれはさらに進めて言えば不当労働行為であろうとさえ思います。教育長の仕事というものはいかなる教育者集団に対しても教育長は中立であるべきだ、私はこういうぐあいに思うし、片一方を誹謗し、片一方を激励する、こういうことがあってはならない。そういう意味で、私はここてこのような発言は——基本的には教育長というものはいかなる集団に対しても中立であるべきだということと、やはりこの発言は実は、教育長の権限をこの人は逸脱したのだ、こういうことはしないと言って実は陳謝をなさっているのです。これはもう当然大臣の意向とも同じでしょうが、こういう問題について大臣の、これは逸脱しておるのだ、やはり不当労働行為に類するのだ、だからこういうことは教育長としてはあってはいけないんだ、こう私は主張しておるのですが、これに対する御見解をお願いしたい。
  40. 永井道雄

    永井国務大臣 これもちょっと先ほどと似たようになって恐縮ですけれども、先生のおっしゃることを信じないのではないのですが、私、もう一つ具体的にそこのケースのことを存じておりません。これも私たちとしてちゃんと確認すべきことと思います。しかし、いま先生お話しになったところによりますと、その先生も、どうもそれは不適当な発言であったということで、その事態が静穏な方向に向かっているということでございますから、それは私は望ましいことと思います。
  41. 馬場昇

    馬場委員 どうも大臣は自戒と反省の厳しさが足らぬように思いますね、こういうことはやはり教育長としてあってはいけないということをはっきりしてもらいませんと、うやむやな発言でありますと、やはり日本教育行政というものがうやむやなかっこうでこういうことが許されていってしまって、混乱が起こるということになりますから、やはりまずい点はまずいということをはっきり実はおっしゃっていただきたいと思うのです。  次にもう一つ、これは熊本市で問題が起こっております。これはもう学校の名前も言いますけれども、熊本市の西原小学校というところで五月二十日にPTA総会が開かれました。この席上で五十年度学級担任一覧表というのが校長さんから、三、四百名集まったそうですが、PTA会員に配られました。この中に、一年一組はだれ先生、二組はだれ、二年はと、こういうふうに、学級担任一覧表というのがここにあります。これに、日教組加入の組合員の名前の右の肩の上に丸印をつけてあるわけです。そして、この学校は四十四名教職員がおりますけれども、日教組の組合員は十名であります。その十名の組合員の、たとえば一年六組のある先生の名前を書いて、その上に丸印をつけてある。これをPTA会員に全部配ったわけですから、このことは明らかにその校長さんが日教組の組合員というものを意識し、色めがねで見ている。やはり差別的な行為であろうと思いますし、少なくともこういうことをすることはある意味においては不当労働行為、これに類すると私は思います。それについての文部大臣の御見解を承りたいと思います。
  42. 永井道雄

    永井国務大臣 教職員が勤務条件を改善あるいは維持いたしますために職員団体を構成するということは、もう法的にも認められている当然のことであります。その中に日教組も一つのものとしてあるわけですが、ほかのものもございます。どのものであれ、そういうふうにして正当に組織化されました職員団体というものの構成員が不利益な取り扱いを受けてはならないということ、これもまた法の明記するところでありますから、ただいまの先生の御指摘のようなことは当然あってはならないことと考えております。
  43. 馬場昇

    馬場委員 これは四十四名中十名に対して丸がつけてあるのです。これはやはり、つけられた者は差別をされたと私は思いますよ。それで、それが日教組組合員ですから、組織的に言うならば不当労働行為である。そして、これを受け取った父母は、これを見て、何だろう、やはり違うという差別的な受け取り方というのをしたのじゃないかと思うのです。そういうことについて、私が言いました三つの問題についての文部大臣考え方をやはりお聞きしたいと思うし、そして結論は、こういうことをしてはならないということには私も賛成ですが、そのしてはならない原因がやはり差別的な取り扱いであり、不当労働行為的であり、また、父兄にそういう差別感情を与えるようなことをしてはならない、こういう意味から不適当だと思うのですが、再度御答弁を願いたいと思います。
  44. 永井道雄

    永井国務大臣 父兄に対してそういう感情を与えてはならないと思います。もちろんそうだと思います。で、先ほど申し上げたように、職員団体が法の趣旨に即して活動をしている場合に不利益な取り扱いを受けてはならないというのは、これは地公法の五十六条で保障されております。したがいまして、それに反するような行為は許されない、かように私は考えております。
  45. 馬場昇

    馬場委員 これは、文部大臣がさっき説明されましたように一地教委の問題であるし、一学校の問題でございますから、文部省が直接こうせいという指導はいまの法体系ではできないということは知っておりますけれども、少なくとも文部大臣教育行政に当たる一般的な考え方として、こういうことが行われてはいけないという考え方はやはり教育界に明らかにしておいていただきたいと思うのです。  私はここで大臣にお尋ねしたいのですが、これはほんの一例で、まだほかに例はあるんです。しかしこれが、たとえば熊本県という一つの県をとった場合に、その一番中心地である熊本市で起こっておるわけです。それからさっき言ったもう一つのことは、熊本県で二番目の都市であります八代市というところで起こっております。私はここに陳謝文なんかをずっと持っておるのですけれども、起こっておる。このことは非常に重大であろう、こういうぐあいに私は思います。少なくとも熊本県の北の方の中心、南の方の中心、こういう二カ所の中心都市でこういうことが起こっておるのです。これは氷山の一角であって、当初質問いたしましたように、教育行政に携わる者の常々の反省と自戒というのが足らないし、基本的な考え方が間違っておる、私はこういうぐあいに思います。そしてさらに、教育行政に取り組む真剣さというものも足らない、そういうところからこういうミスが出てくるというように私は思うわけでございまして、たとえば八代の場合を例にとってみますと、ほかのところに比べて非行少年とか何かが特に多いのですよ、統計をとってみますと。行政者が真剣さを欠くとか基本的に間違いを犯しておるということが非行青少年というものの生まれる土壌にもなっておるんじゃないか。そういう点を考えますと非常に重大な問題であろう、こういうぐあいに思いますが、その辺についての御見解を聞きたいと思います。
  46. 永井道雄

    永井国務大臣 ただいまの問題については先生の御意見をよく承りましたが、賛成する部分もございますが、ほかに、私として多少先生と違う角度からぜひ申し上げなければならない点もあるわけでございます。たとえば非行少年などが出てくるのは、行政者が権力的であったりあるいは怠慢であるから起こるのではなかろうかというようなところまでおっしゃいましたけれども、私は文部省に参りましたが、文部省の行政をしている人たち、別に二千人を一人一人首実検したわけじゃありませんけれども、ずいぶん一生懸命働いている人もいます。  そこで問題はどういうところにあるかということなんですが、これは日教組の問題じゃないですけれども、私がまだ大学におりました時分に非常に脇に落ちなかったことの一つがあって、学生諸君と議論をしたことがあります。それはどういうときかと言うと、亡くなりました荒木萬壽夫氏が文部大臣になられたということが新聞に出たわけです。そして荒木文部大臣は、自分はどういう文教行政をやるかということはまだ一言も言っていないわけです。ただなったということがわかっただけなんです。その日に学校にビラが出まして、荒木文政の方針反対、粉砕とこう出るのです。(発言する者あり)いや、事実こういうことがある。これは非常に考えなければいけないことだといって、当時学生諸君に私は申しました。その考えは私は今日も変わりません。それはどの人が何をするかということは、やはりその人が発言し、また行動をした後でなければ評価できないんだと思います。しかし、それをまだ何にも言わないうちから、方針も言ってないのに方針反対というようなことが事実過去にあったということもこれはわれわれ日本人としてみんな記憶しておくべきことだと思います。  さて、そういうふうな状況の中で、まことに遺憾なことでありますが、そうするとこれはけしからぬじゃないかということで、行政の人の中にそういうものに対して、まあいわばそれを強く抑えようというような立場の人たちが出てきたということもこれまた事実でございます。  そこで、私が事柄というものを見ていく場合に、先生のある部分に賛成を申し上げましたが、他のことについて率直に私の見解を申し上げたいというふうに申しましたのは、いまのような両面を相当見なければいけないということでございまして、私は、非行少年が出てきたりする問題はまだそのほかにもあるかと思いますけれども、しかし大人の社会で問答無用の対立というものが起こるということはやはり子供にとって余り望ましいことではない。だからすぐ非行になると言うほど飛躍的にも考えにくいと思いますけれども、私がいま念願といたしておりますのは、大人の中で問答無用の対立はないようにしたいものだ。もちろん教育行政はそのことのために全力を挙げなければなりません。しかしながら、ある場合には非常に必要な批判あるいは相互批判、これはしなければならないものと思っておりますが、そういうふうに過去の事実、私の経験をいたしましたことを考えますと、教育行政に当たる者が自戒いたしますことが非常に大事であるということは最初に申し上げたとおりでございますが、同時にわが国におきまして、そうした自戒を通して何を実現していくかということになりますというと、本当に静かな相互の批判、そうした方向に向かっていくべきものであると私は考えているわけでございます。
  47. 馬場昇

    馬場委員 質問しなかったことにまで答弁もあるわけで、時間をとってしようがないのですけれども、いま大臣が言われました点を聞いていますと、私のいままでの質問を——ちょっと何か自戒の厳しさが全然足らぬといいますか、そういうような感じがしてしようがないのです。たとえば荒木元文部大臣のことなんかここで言う必要はないし、これもまた議論しますと議論はあると思うのですよ。たとえば政党の文部大臣はいけないという思想もあるかもしれません。あの人は何回も文部大臣をやりましたから、あの人のやり口を知っているから反対という人もありましょう、なったすぐであっても。だからその議論をここでしようとは私は思いませんけれども、それを持ってきて、あたかも何か言うのが悪いからこういう行政が出るのだ。そういう意味で私はきょうは質問しているのじゃないのですよ。個人として、少なくとも行政者としての自戒だけをきょうは言っているのです。どこがどうある、こうあるということもあるかもしれませんけれども、そこはきょうは問うていないのですよ。そしてまたいまのを聞いておりますと、たとえば何か教師が集団を組んで圧力をかけるとか抗議をするとかあるいはストライキをするとか、そういうようなことがあると行政者もそれに対応したことをしなければならないとか、そういうような意味答弁にも聞こえたのですけれども、ここはいいか悪いかは別として、少なくともこの八代市というところではストライキなんか行われていないのですよ。そしていま言われたようなことなんか、いわゆる文部大臣がなったときに、聞きもせずにすぐ抗議をした、そういうことなんか一回も行われていないようなところですよ。言うならばそういうところは教育長の権限が非常に強くて、権力的で、それに抑えられて萎縮し何にもできない。病気休暇さえも一日も何年かとれないというようなところなんですよ。そういうところを例に挙げて私は言っているのです。だから私は、文部大臣からは、行政者は権力を持っているのだから、だれがどうあろうとも、まず自分の心を正すことが先だという答弁をお聞きしたいのです。そういう意味で質問しているのです。  それからもう一つはやはり教師やその集団との話し合いの精神、これはもう大臣がいつも言っておられるとおりでございますが、これは話し合いをするのだ、さっき言われましたとおりです。そして話し合いをする中から協調が生まれ、静かな環境が生まれてくるのだ、決して権力を振りかざしたり敵対意識を持ってはいけないということは、いま言われたとおりでございます。これは賛成なんです。そういう意味で、この問題については文部大臣にもう一回考え方をお聞かせ願っておきたいと思うのです。  それから先ほどから言いました、具体的に調べてみなければわからないとおっしゃいましたが、調べてごらんになって事実がはっきりしましたときに、これはいいか悪いかということの見解は、もう委員会でなくても、私の方にお知らせ願いたいと思います。
  48. 永井道雄

    永井国務大臣 すべて事柄は具体的な個別の事例に即して十分に考えるべきものでありますから、私が先ほど申しました話し方というものが、一般論という方向に話の方向を変えることによって先生が御提起になっていることに対して答弁として非常に意を尽くし得なかった側面がありましたといたしまするならば、非常に私の不本意な点でございまして、その点は私としておわびを申し上げなければならないと思います。確かに具体的な事例に即して考えるべきだと思います。でございますが、いま八代市のお話を承りました。私は先ほどから申し上げておりますように、そうした事柄については、ある事柄が起こる、あるいはある非常に困った事態があるという場合には、私たちとしてはまず事実というものを十分確認していかなければいけない、こういう態度で臨んでおりますから、いまの八代市のいろいろ先生が御提起になりました問題については具体的事態というものの認識に努めるようにしたいと思います。そしてその場合に、権力的なものであるならば、これはいけない。それは申し上げるまでもございません。そしてその場合の考え方原則というのも、これも繰り返し申し上げましたように、当然先生方との話し合いというものを進めることによって教育行政は進むべきものでありますから、そうした方向にいかなければならない。ただ具体の事態については、いま申し上げたように、しばらくそうした時間をいただいて私たちにも調べさしていただきたい、こういう考えでございます。
  49. 馬場昇

    馬場委員 次に私は埋蔵文化財の保存の問題、具体的に熊本県の益城町にあります塚原古墳の保存の問題についてお伺いをいたしたいと思います。  最初に、建設省に簡単に御質問を申し上げたいのですが、九州縦貫高速自動車道路の熊本県城南町の塚原台地部分の工事の問題ですが、これはもう建設省としては——道路公団でしょうが、工法、設計、完了いたしましたか。もう時間がありませんから、ひとつ簡単にお願いしたいと思います。そして、当初予定よりも変更されておると思いますが、工事費は幾らぐらい増加になりましたか。そして着工の見通しはいつごろになりますか。  以上です。
  50. 山根孟

    ○山根説明員 お答え申し上げます。  第一の工法の問題でございます。これは塚原台地の部分が約四百四十メートルございますが、このうち方型周溝墓その他円墳等の古墳群を保存するという観点から史跡指定を前提といたしまして四つの部分に分けて工法をそれぞれ考えております。熊本寄りの斜面の部分でありますが、これは百五メーターございまして、これはオープンカット形式で記録保存、これに接続をいたします南側の方型周溝墓群のいわば核心部分でございますが、この百二十メートル区間につきましてはトンネル方式、原形を全くそのまま残すような鋼管矢板押し込み工法という工法を用いまして原状のまま保存をするという考え方の区間であります。それからそれにさらに接続いたします百三十メートル区間はオープンカット形式、オープンで工事をやりまして、後から高速道路の本体部分をつくりまして埋め戻す、こういう区間、さらにこれに接続をいたします南の部分、これは円墳群が存在をしております区域でございますが、この区間八十五メートルにつきましては、第二に申し上げました工法つまりトンネル、原型を残す工法、つまり鋼管矢板押し込み工法による工法を考えておるわけであります。  これら基本的な考え方を一応決定いたしたのでありますが、具体的な詳細設計、それから地域の方々との設計協議等の結果によりましては若干この詳細な工事の工法その他については今後さらに検討を進める部分が残されております。  そこで、これらを含みます区間、ちょうど工事が中断をいたしております二千百四十メーターの区間でありますが、当初われわれといたしましては約十億円の費用を見込んでおりました。以上申し上げました基本的な工法、工事方法を採用をいたしますとして工事費を算定をいたしてみますと、約三十億円を要するものと見込んでおります。  それから第三の今後のスケジュールでございますが、現在県御当局、町御当局と種々設計の詳細、側道の問題でございますとかバスストップの問題でございますとか周辺の史跡指定の問題でございますとか、そういった御協議がなされております。われわれといたしましては、その結果を待ちまして移らしていただくことにいたしたいと考えておりますが、その段取りを現在進めておる段階でございます。
  51. 馬場昇

    馬場委員 文化庁長官にお聞きしたいのですが、いま基本的な工法は決定をした、こういうことをおっしゃいました。それによりますと、ずっと説明があったわけですが、私はここに古墳群の調査をしましたのを持ってきておりますが、これは長官も十分御承知と思いますけれども、そういたしますと、最初の斜面部分の百五メートルの部分ですね、オープンカットしてしまいますと、ここにたくさん古墳群があります。これはなくなってしまうわけですね。それからその次は、これはトンネルであるから大丈夫だと思いますが、その次の部分は、ここにたくさん円墳があるわけです。これは一応壊して、そしてトンネルを掘ってその跡を埋め戻すということですから、これは史跡としての価値が大分損なわれるのではないかと思います。その次の部分はトンネルというからそのまま残る。といいますと、約半分ぐらいは原型が変更されるというようないまの原則的な考え方だと私は思うのでありますが、そういたしますと、これについて文化庁は了解を与えておるのかどうかということと、そういう工法をした場合でもこの地域は文化財として指定ができるのかどうかということについて長官の御見解をまず承っておきたいと思うのです。  それから建設省には見通しはいつだと聞きましたところが、いろいろ地元との問題があると言いましたけれども、全然ないわけじゃないと思うのですよ。私が聞いたところによりますと、これはせっかく二十億よけい金を使っておるようですけれども、道路公団とか建設省に苦労させながら、まだ地元の説得も県や文化庁はできない。何か言ってえらい感情的になっておられるという話も聞いたのですけれども、それは別としまして、あなた方の方はやろうと思えば工事はある程度できるんじゃないかと思いますが、早くやれという意味じゃないのですよ。そういう意味から、見通しは大体持っておられないのかどうかということと、いつごろ着工したいのだという見通しは持っておられないかということ、これは決して早くやれという意味じゃありませんけれども、その見通しについてお伺いしたい。  それからこれは金銭問題で、後でもうきょうは質問できないかもしれませんが、一つだけお尋ねしておきます。天草の五橋が今度無料開放になる。あそこの収支を数字だけを、建設費が幾らかかって、幾らもうけて、有料道路で金を徴収してどうだったんだという収支のトータルだけをちょっと御報告していただきたいと思います。
  52. 安達健二

    ○安達政府委員 塚原古墳群の九州縦貫自動車道路の建設につきましてのその工法の変更につきましては、ただいま建設省の方からお答えになったとおりでございまして、昨年の十二月四日に日本道路公団、熊本県、城南町並びに文化庁との間の覚書で決定を見たところでございます。  それから第二点といたしまして、最初の熊本市寄りの斜面の部分につきましてオープンカット形式によりますので、その部分が記録保存の形にならざるを得ないということと、それから百三十メートル部分、トンネルのアーマー工法による部分の間の地域につきまして、一たん掘って後埋め戻すということによりまして、その円墳等が事実上そのままの原状の保存ができないのではないか。こういう状況下において、この塚原台地なり古墳群につきまして史跡の指定が可能か、こういう問題でございます。この塚原古墳群なりこの塚原遺跡は五世紀初頭の方型周溝墓それから五、六世紀の円墳等の古墳群というものが非常に集合的にあるところの遺跡でございます。そうした場合に、アーマー工法で残しますところの最も重要な意味を持つところの方型周溝墓あるいは最後のところのアーマー工法で残します八十五メートルの部分等におきますところの円墳の重要な部分等はこれは原状のままで保存ができるわけでございます。したがいまして私どもの見解としては、当然これは史跡指定となれば、文化財保護審議会に諮って決めなければならないわけでございますれども、それにいたしましても、この塚原古墳群のきわめて重要な部分が原状のまま残されるということか言えるかと思うのでございます。  そういうことと、もう一つはオープンカットいたしまして後で埋め戻す地域につきましては、ある程度の復元と申しますか、これは原状でございませんから、まさに遺跡の保存としては必ずしも満点の方法ではもちろんないわけでございますけれども、そういう形での復元も可能であり、そしてこの地域全体を一つの古墳群の地域として埋め戻される形によりましてかつての状況が把握できるというようなことを総合的に勘案いたしますれば、この建設省なり道路公団に非常に努力をいただいたこと等も考え、この地域につきましては史跡指定を考えてしかるべきものではないだろうか、かように考えておるわけでございます。
  53. 山根孟

    ○山根説明員 今後の見通しということでございますが、私どもといたしましては、この前後の区間はすでに工事を発注をいたしておるといったようなことから、皆さん方の御協力を得まして、本年度中には何とかかからしていただきたい、かように考えております。
  54. 馬場昇

    馬場委員 そこで、私はこういう重要な古墳を壊せば、価値をまたなくします、これは開発じゃなく破壊だと思います。いま長官が、こういう工法をとっても大体文化財として指定は可能ではないかと言われて、この点安心をするわけですけれども、さらに欲を言うならば、やはりトンネル工法というのはこの部分、この部分ができるとすれば、あとこの土地をオープンカットしなくても、その部分もトンネル工法ができないのかという気持ちがあるわけです。だから、もうそれは全然あきらめてしまったのか、そういうことをまたさらに主張する気もあるのかどうかということをまずひとつ聞いておきたいと思うのです。  それからもう一つ、県では大体二十七ヘクタールというぐあいになっているそうですが、大体どういう地域を文化財として指定するかということで、これについては史跡確認調査をするということになっておりまして、県、国で四百万ぐらいの金がついているわけですが、地元の反対があるのは私は知っております。地元は、約束した側道はどうなるのかとか、あるいは農業用水はどうなるのかとか、あるいは今後の営農計画はどうなるのかと、やはり心配があるのは当然だと思うのです。実はそういう反対で史跡の確認調査がまだ行われていないということも聞いておるのですけれども、一日も早く文化庁並びに熊本県が責任を持って町とも話し合いながら地元の農民を説得していただいて、できれば地元の人たちの要望を受け入れて、一日も早く大体二十七ヘクタールなら二十七ヘクタールぐらい公有地として買い上げる、そういうことが必要じゃないかと私は思うのです。そういう点についての地元説得の問題と、できれば説得をして納得さして公有地として買い上げるべきではないか、そういうことでございます。  それからもう一つは、最後ですけれども、実はこの前私が質問しましたときか、その他のところでだか忘れましたが、長官の方では四十九年度にこうおっしゃっているのです。五十年度の三月には文化財保護審議会にかけたいということを実はおっしゃっておられます。これは熊本県の国会議員等でお話を聞いたときのお話じゃなかったかと思うのです。そうおっしゃっておるのですが、おくれているわけですけれども、文化財保護審議会に大体いつごろかけられる見通しか、この見通しについてお伺いしたいと思います。  それからもう一つは、文化庁としては、県とか町の意向もあると思いますけれども、この地域を文化財として指定したら、その後どういうぐあいにしてここを、利用と言えば言葉は悪いですけれども、活用していくか、こうしたらいいのじゃないかという青写真か何かありますか。指定したら、こういうぐあいにして利用してもらいたい、活用してもらいたいというお考えについてお伺いしたいと思います。
  55. 安達健二

    ○安達政府委員 第一点の、一たんカットをして後で埋め戻しをするというような地域をなくして、全面的にトンネルにできないか、こういうことでございますが、この点は実は昨年のときに十分話し合いをいたしましたけれども、その両方に、地下鉄を掘るようにアーマー工法によってトンネルを掘っていくためには、どうしてもある程度カットしなければトンネルに入りようがない、そういう技術的な点からいたしまして、どうしてもそれは不可能であるということで、したがって比較的遺跡としての価値が低いと申しますか、そういうところをオープンカットして後で埋め戻しをするというようなことにいたしたわけでございますので、この点につきましてはもう十分検討いたした上でございますので、お気持ちはよくわかるわけでございますけれども、われわれとしてはそれはできないことだと了解をいたしておるということが第一点でございます。  それから第二点の、地元の方々の理解と協力を得るということは非常に大事なことでございまして、昨年の十二月三日の覚書におきましては、こういうのがございます。「上記1の工法変更に伴い発生する下記事項については、関係住民の理解と協力を得て速やかに円満な解決がはかられるように熊本県及び城南町が積極的に努力する。」ということで、「側道の変更」、「バスストップの変更」、「その他」というようなことでございまして、県、町が一緒になりまして、県なり町がまずやっていただきまして、われわれとしてもこれに十分協力をしていきたいというように考えるわけでございます。具体的な協力の方法等につきましては、恐らくいまお話しの土地買い上げの問題とか、そういうようなことが史跡との関係から出てまいるだろうと思いますので、そういうことにつきましては県なり町なりの御意向を十分尊重しつつできるだけの協力をいたすようにいたしたい、かように考えておるわけでございます。  それから第三点の史跡指定の範囲の問題あるいはその史跡指定の時期の問題でございますが、この範囲の問題につきましては、ただいまお触れになりましたように本年の七月から発掘調査をいたしまして、古墳群の範囲を明確にする計画を持っておるわけでございまして、そういうものが終わり次第できるだけ早く指定の手続に進みたいと思っておるわけでございます。ただ、史跡指定になりますと、ただ調査ができたというだけではなかなかできないわけでございまして、やはりその後の利用の問題等につきましても、住民の方々の十分な御了解を得ないと史跡指定という問題もなかなかいかないわけでございますので、こういう点につきましては、調査を進めると同時に、ただいまお話ございましたような現地との円満な協力を得るように努力を重ねるというようなことをしつつ考えますると、指定の具体的な期間は、私はここで何とも申しかねますけれども、まあできるだけ早くということであれば、大体年度終わりにやっておるわけでございまして、五十年度の終わりといいますか、五十一年の三月というのが一つ考え方といいますか、目標ということにはなるだろうかと思うのでございますが、その以前でももちろん解決すればその時点での指定も可能かと思うわけでございます。  それから、指定後の利用につきましては、相当膨大な地域でございますので、これはやはり史跡公園的な形で整備をし、住民の方々また日本国民のすべての人々にこの遺跡におきまして往時をしのび得るような形で整備をし利用に供していくというような形が考えられると思うのでございます。これはやはり県、地元とも十分相談をいたしまして、せっかくこういう形で保存できました以上は、十全な保存、整備、活用ができるように、文化庁といたしましても最善の努力、協力をいたしたいと考えておるところでございます。
  56. 馬場昇

    馬場委員 最後にお願いを一つしておきたいのですが、四百四十メートルというこれ全体が、特に方形周溝墓から円墳に移り変わるという一つの歴史をあらわしているわけですし、これまた日本でも最大規模の古墳ですから、いろいろ事情があってここまで持ってこられたのは私は全部知っておりますけれども、やはりオープンカットして埋め戻すということは何か価値を落とすのじゃないかという私の気持ちは何としても変わらないのです。そうして熊本県民みんなが、この地域は熊本の火の国の発祥の地だ、そう思っているわけですし、大切にしているところでございます。だから、史跡の価値が一つでも損なわれたくないという気持ちが十分あるわけです。どうぞひとつ、今後もそういう歴史的な価値と熊本県民の感情というものを踏まえながら、それに沿うように努力をお願いしておきたいと思うのです。  それからもう一つは、住民の要求は確かにあります。住民の要求については県と町がやっておりますけれども、文化庁もぜひ入っていただきまして、十分意思を尊重するような形で早く片づけていただきますように心からお願いをして私の質問を終わりたいと思います。
  57. 下川浩資

    ○下川説明員 先ほど御質問がございました日本道路公団が一般有料道路として管理をいたしております天草連絡道路の収支状況についてお答え申し上げます。  建設費が二十四億一千万でございまして、供用開始いたしまして後に道路の改良に要しました費用が一億五千七百万でございます。それから管理に要します経費、あるいは借入金に対します利息の支払い、あるいは本社に対する経費、そういうものを合計いたしまして三十億六千三百万でございますので、一部推計が入っておりますが、現在までの支出の総合計が五十六億三千万になるものと見ております。収入がちょうどこの支出に見合います時期が大体今年の八月に来るものと予想されますので、この時点でこの有料道路は無料開放されるというふうに考えております。  以上でございます。
  58. 久保田円次

    ○久保田委員長 午後二時に再開することとし、この際、休憩いたします。     午後零時五十一分休憩      ————◇—————     午後二時十七分開議
  59. 久保田円次

    ○久保田委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  文教行政基本施策に関する件について質疑を続行いたします。  栗田翠君。
  60. 栗田翠

    ○栗田委員 私は、きょうは、準要保護児童、生徒の就学援助制度について伺います。  まず最初に、いわゆる生活保護世帯よりもやや所得の多い、しかし準要保護と言われている世帯の児童生徒にこういう制度を置きましたその精神は、どういうところから出てきているかということを伺います。
  61. 安嶋彌

    ○安嶋政府委員 御承知かと思いますが、学校教育法の第二十五条におきまして、「経済的理由によって、就学困難と認められる学齢児童の保護者に対しては、市町村は、必要な援助を与えなければならない。」という規定がございまして、これが中学校にも準用されておるわけでございますが、義務教育は国民がひとしく受けなければならない教育でもございますし、かつまた教育の機会均等という趣旨からいたしましても、こうした就学についての援助を行うということは当然必要なことかと思います。これを受けまして、就学困難な児童及び生徒に係る就学奨励についての国の援助に関する法律というのがございまして、その第一条におきまして「経済的理由によって就学困難な児童及び生徒について学用品を給与する等就学奨励を行なう地方公共団体に対し、国が必要な援助を与えることとし、もって小学校及び中学校における義務教育の円滑な実施に資することを目的とする。」という規定がありますが、こうした趣旨に基づいて措置が行われているわけでございます。
  62. 栗田翠

    ○栗田委員 それでは、この準要保護世帯の基準なんですけれども、この上限はどんなふうにして決めているのでしょうか。
  63. 安嶋彌

    ○安嶋政府委員 準要保護の考え方でございますが、ただいま申し上げました就学援助法の第二条におきまして、生活保護法における要保護者に準ずる程度に困窮している者で政令で定めるものということになっておりまして、政令では、市町村の教育委員会が生活保護法に規定する要保護者に準ずる程度に困窮していると認める者ということになっております。つまり、市町村教育委員会が認定をするということでございますが、この場合には福祉事務所の所長及び民生委員の助言を求めるというようなことになっております。  なお、文部省はさらに具体的な認定の基準といたしましてかなり詳細な基準を掲げておるわけでございますが、一、二申し上げてみますと、「前年度又は当該年度において、次のいずれかの措置を受けた者」として、「生活保護法に基づく保護の停止又は廃止」「市町村民税の非課税」、こういうようなことがございます。そのほかに「保護者が失業対策事業適格者手帳を有する日雇労働者又は職業安定所登録日雇労働者」、こういう場合が例として掲げられておりますが、その他経済的な理由による諸条件を掲げておりまして、これを基準にして町村では具体的な認定が行われているということでございます。
  64. 栗田翠

    ○栗田委員 文部省はここ数年、この就学援助費などについて研修をやっていると思います。いつごろからそういう研修を始めたかということと、それからいまおしゃいました基準というのは、その研修の中で恐らく指導上出されている基準だと思いますが、そう考えてよろしいのかどうか、その辺のことを伺わせてください。
  65. 安嶋彌

    ○安嶋政府委員 研修というお話でございますが、この準要保護児童の就学奨励の事務についてだけということではございませんで、市町村における教育関係の財務事務の担当者に対する研修を行っておりますが、いつから始めたかということについてはちょっと承知をいたしておりませんが、そういう研修はずっと続けておるわけでございます。
  66. 栗田翠

    ○栗田委員 いまおっしゃいました基準というのも、その指導上の目安といいますか基準として出していらっしゃるものですね。
  67. 安嶋彌

    ○安嶋政府委員 指導上の基準ということでもございますが、全国一律に行われておる事業でもございますので、各町村ごとにその認定の基準が区々になるということも適当なことではございませんので、文部省が一定の指導上の基準ではございますが、これを示しまして、この基準に従って事務の処理を進めてもらいたい、こういうふうに考えておるわけでございます。
  68. 栗田翠

    ○栗田委員 私、ここに昨年行われました研修会のテキストを持っております。これを見ますと、さっきお話のありましたような基準とあわせまして、生活保護基準の約一・三倍ないし最高でも一・五倍ぐらいまでの所得というような基準も示されておりますが、これはいつごろからこういう考え方になったのでしょうか。
  69. 安嶋彌

    ○安嶋政府委員 財務課長から答弁をさせていただきたいと思います。
  70. 別府哲

    ○別府説明員 お答え申し上げます。  生活保護基準をもとといたしまして、その一・三倍あるいは一・五倍といったような言い方を文部省自体指導申し上げておるということではなくして、実際に就学援助を行っております市町村の認定の場合の基準としてそのような事例をよく見受けるわけでございまして、そのような場合にこの程度の認定でよろしいかという御質問を受けて、それに応じてこちらの方が指導をしているというケースでございます。
  71. 栗田翠

    ○栗田委員 文部省が使っておられますそのときのいわば指導のテキストですけれども、その中に書いてあるわけですね。「一般的には、生活保護基準の基準生活費の額、教育扶助基準額及び住宅扶助基準額の合計額の一・三倍程度とするのが適当である。」というふうに書かれてありまして、なぜそういうふうにしたかということもその後で説明がついているのですけれども、ただ地方からそう言ってきているからというだけではなくて、もう少し積極的な内容があるように思いますが、いかがですか。
  72. 別府哲

    ○別府説明員 各地域の実態がだんだん積み上がってまいりましていまのような基準ができ上がるわけでございますが、それらを国の指導の中にも取り入れてやってきておるということでございます。
  73. 栗田翠

    ○栗田委員 それで、なおこの指導のテキストの中身を見てまいりますと、「生活保護基準額の一・三倍程度とした場合でも、」云々とありまして、「その対象となる全部を形式的に準要保護者として認定することは適当ではない。」というふうにも書かれているわけなんです。実はここらをめぐっていまかなり大きな問題が起こってきております。全国各地の市町村では、大体いままで文部省指導されたような水準で認定をしてきていたわけなんですけれども、それが「適当ではない。」と言われることで、非常に認定の幅を狭くしてきているという状態が出てきているわけなんですね。なぜこう「適当ではない。」というふうにおっしゃっているのか、ここらのお考えを聞かせてください。
  74. 別府哲

    ○別府説明員 その指導資料の次のところにも書いてございますように、認定に当たっては個々の実情に応じた配慮を必要とするということがございますので、形式的に一・何倍ということで認定することが適当でないと言っているわけでございまして、それぞれ家庭の実態あるいはその保護者の意思といったようなものも十分尊重していかなければならないというつもりでございます。
  75. 栗田翠

    ○栗田委員 その前年のを見ますと、同じところが「不可能である。」という言い方になっているのです。つまり、該当する世帯「全部を準要護者として認定することは不可能である。」という表現に四十八年度のテキストではなっているんですね。それが四十九年度になりますと、全部をそう「認定することは適当ではない。」というふうに変わってきておりまして、「不可能である。」という表現だと、これは予算的にも全部を認定したら足りないという意味なのかなと、わりあいそういう解釈をしていたのですけれども、「適当ではない。」となってくるとかなりそこで問題が変わってきますし、文部省指導のお考えが四十八年度と四十九年度で変わってきたのだろうか、そこのところを伺わせていただきたいと思います。
  76. 別府哲

    ○別府説明員 特に四十八年と四十九年とでその部分について文部省考え方が変わって、その結果この文面が異なっておるということではないと承知いたしております。「不可能である。」という表現でございますと、本来援助をしなければならないにもかかわらず、先生いま御指摘のような予算上の理由その他で不可能になるというようなニュアンスが出てまいるわけでございまして、必ずしも適切な表現ではないというふうな意見もございますので、ここらあたり、実情に即した表現にするということで変わったのではなかろうかと考えております。
  77. 栗田翠

    ○栗田委員 それで、文部省が示している基準というのが非常にあいまいなんですね。たとえば生活保護基準の一・三倍から、最高ですと一・五倍ぐらいまでの所得の家庭は一応それに当てはまるという考え方が一方にありまして、そしてそれ以外に「準要保護児童生徒の認定基準について」ということで、さっき局長お話しになりましたような細かい基準が出ているわけです。これを見ますと、たとえば「世帯更生貸付補助金による貸付け」を受けた者とか、「国民健康保険法に基づく保険料の減免又は徴収の猶予」を受けた者とかいろいろあります。  それから、「(ア)以外の者で、次のいずれかに該当する者」というような形で、たとえば失対の手帳を持っている場合とか、保護者の職業が不安定な場合とか、いろいろあるわけですね。こうして見てまいりますと、たとえばさっき言われましたような大まかな所得水準というのはあるにせよ、それはありましてもそれ以上の所得が、たとえ多少上にいっていてもこれに該当したらばやはり対象として考えられるのかどうか、それとも生活保護基準の一・三ないし一・五倍以内の者で、そしてこの認定の基準ですね、文部省が示されている個々の基準に該当する者だけが対象になるのか、いろいろの問題が出てまいります。その辺はいかがでしょうか。私なぜそれを伺っているかといいますと、たとえば世帯更生貸付補助金による貸し付けなどの場合、東京都ですと生活保護基準の一・七五倍ぐらいまで貸し付けているのですね。この基準を見るといずれかの措置を受けた者の一つに入っているわけで、こんな場合にどうなってくるのだろうかという問題が出てくるわけです。この辺でいままでと考えが変わってきているのかどうか、そういう点についていかがでしょうか。
  78. 別府哲

    ○別府説明員 この就学援助の仕事につきましては事業の実施主体は市町村でございまして、国は市町村がその事業をやる場合にその二分の一を国庫補助をいたしますという形でやってまいっております。そこで、その場合の基本的な考え方といたしましては、教育の機会均等という見地から義務教育を円滑に進めることができるように、すべての児童生徒たち教育を十分に受けられるようにという観点から、できるだけ落ちこぼれのないように網羅的に援助の対象を考えるべきであるという考え方をとっておりますので、ここに掲げられております一つ一つのものはまさに各市町村が認定する場合の資料として掲げたものでございますけれども、一・三倍ならよいけれども一・五倍を超えるとどうとかいった金額的なものを全国一律に定めるということは必ずしも私どもの方ではいたしていないわけでございまして、それぞれの地域に即して子供たち教育を円滑に進めるという見地から判断をすべきものだと考えている次第でございます。
  79. 栗田翠

    ○栗田委員 つまり大まかな基準であって市町村にあとは任せる、こういうことですね。そうしますと、これは予算の範囲内で出されることになっております。いまのように大まかな基準で続々と申し出があって、確かに基準に合致していると思われる者がたくさん出てきた場合には結局どういうことになるのでしょうか。どういうふうにして足りない分を切り捨てていくかということですね。その辺は一体どういうふうにしていらっしゃるのでしょうか。
  80. 安嶋彌

    ○安嶋政府委員 先生も御承知のとおり就学援助法に基づく補助は予算の限度内で行われている補助でございます。で、実際の執行といたしますと予算が不足をしたために大変困るという状況にはなっていないわけでございます。大体文部省が各市町村に配当した予算の範囲内にほぼおさまっておるという状況でございます。町村負担と文部省の補助金の関係を比較いたしますと九九・五%ということでございますから、ほかの費目につきましては超過負担等の問題が云々されることもございますけれども、この経費について申しますと、ほぼ町村の負担というものと国の負担というものは見合っておるということでございます。ただ、お話のその基準を当てはめました場合に該当者が非常に多い、その者に対して町村がさらに積極的な援助をするということになりますれば、国の補助の枠を超えて町村が援助をするということになるわけでございますが、ただいま申し上げましたように実態は必ずしもそこまでいってない。将来もしそういう事態が起こりますならば、さらに予算の増額等を図りながらそういう事態に対応をしていくべきであろうというふうに考えております。
  81. 栗田翠

    ○栗田委員 いま大体の基準を生活保護基準の一・三倍から一・五倍くらいとして考えますと、これは全児童生徒の数の何%くらいの人数になるのでしょうか。それに対しまして、いまこの就学援助費として組まれています予算は全体の何%分に当たるくらい組まれているのでしょうか。
  82. 安嶋彌

    ○安嶋政府委員 予算の当初の考え方は、要保護がおおむね三%準要保護がおおむね七%ということで発足をいたしまして、そうした予算も計上されておったわけでございますが、町村の実施の状況が実は必ずしもそこまでまいっておりません。むしろこれを下回っておるわけでございまして、実績から申しますと、要保護が一・七%、準要保護が四・六五%というふうな形になっております。  先ほど申し上げましたように、私どもは大体実績に対応する予算措置を講ずるということで近年予算措置をいたしてきたわけでございますが、基準を当てはめました場合に、この額では不足だという事態が現実に起こってまいりましたならば、それに対応する措置は検討しなければなるまいというふうに考えておりますが、ただいまのところはほぼ予算額に近い実施の状況になっておるということでございます。
  83. 栗田翠

    ○栗田委員 実績に対応して予算をふやしていく措置のお心づもりがあるということを伺いましたので非常に安心いたしましたけれども、ではたとえば市町村によって実施される率の非常に高いところとそうでないところもあるわけでございます。ある市町村によっては、実際に配分された予算の枠を超えているような場合がいま現実に出てきております。こういうような場合にはどういうふうに処理されるのでしょうか。
  84. 安嶋彌

    ○安嶋政府委員 これも先生承知かと思いますが、就学援助法の施行令におきまして、国から府県に対する割り当ての方程式がございます。それからまた府県から市町村に対しまして枠を割り当てる方程式がございます。この方程式に従って割り当てをいたしておるわけでございますが、過不足があるということも御指摘のとおりでございますので、全体といたしまして調整をいたしまして、高い町村におきましても実績に近い補助金を認めておるということが実際でございます。
  85. 栗田翠

    ○栗田委員 私が先ほどから心配して幾度も言っておりますのは、実は文部省のテキストにもこういうふうに書いてあるのですね。さっき抜かして読まなかったところがあるのですが、準要保護の基準を生活保護基準額の一・三倍程度とした場合でも、相当数の世帯(二五%)がその対象に含まれることとなるので、全部を対象とするのは適当でないと書かれているのです。つまり生活保護基準の一・三倍程度、大まかに言って準要保護世帯と言われるのでしょうが、そこの世帯数だけでいまの全児童生徒数の何と二五%にも当たるということがこの文部省のテキストで書かれております。これはそういうふうに確認していらっしゃいますね。これは文部省の方で書いてありますから当然そうだと思いますが、いかがですか、さっき七%とおっしゃっておりましたが。
  86. 別府哲

    ○別府説明員 各世帯の年間所得というものは大変とらえにくいものでございまして、特に文部省ではそういった実態については大変疎いものでございますので関係官庁の方からいろいろと資料をいただいておる次第でございますが、その場合生活保護基準の一・三倍程度をとりますと、この二五%程度の世帯が含まれるという数字もございましたので、それをテキストに入れたわけでございますが、ただ機械的に二五%というものをとってまいりますと、過去の就学援助の実態とは大変違った実態になってございますので、そういったものを十分に勘案してやらなければならないという考え方をここに述べておるというふうに存じております。
  87. 栗田翠

    ○栗田委員 過去の就学援助の実態と非常に違ったものになるというのはどういうことですか。
  88. 別府哲

    ○別府説明員 つまり二五%もの申請と申しましょうか、認定が行われてはいなかったということでございます。
  89. 栗田翠

    ○栗田委員 最初なぜこれがつくられたかということを伺いましたときに、学校教育法の精神とか、それに沿ってつくられた就学奨励法の精神とか、こういうことをお述べになったと思います。教育は機会均等でなければならないし、義務教育を受ける権利を子供は持つ、親は義務を持つ、これを保障していくためには、経済的困難という理由で就学を十分にさせられないことがあってはならないということでこの法律ができたのだと思います。かつては準要保護と言われる考え方水準に達している世帯の数はいまより少なかったのではないでしょうか。最近の高物価、インフレの中で、実際の所得というのは少なくなってきているわけですね。そのためにいま生活保護基準の一・三倍、これは大した所得じゃないのですけれども、それが言われるように二五%にも上るという世帯数、児童生徒数になっているわけなんです。私も調査いたしましたけれども、実際に方々の市町村でそのくらいの水準で計算していきますと、確かに平均して二五%くらいにいくのですね。これは大変なことで、四分の一はこれに当てはまるくらいの所得だということになります。  そうしていきますと、必要であるということで本当に申請をし、それを受ける制度が進んでいきますと、どんどんふえてくるという可能性は非常に大きいと思うのですね。現在のところ、さっきのお話だと要保護三%、準要保護で七%と見ているけれども、実際それを受けている人たちは少ないということなんです。これは実際にそれだけやられていないということで、広がってきた場合、みんなが本当に積極的にこの制度を利用し始めたときどういうことになっていくのだろうか。それにちゃんと対応できるだけの準備が文部省におありだろうかということなんです。  ここで、私一例を挙げて申し上げますが、ここに秋田県の湯沢市の例がございます。この湯沢市というところでは就学援助費を受けるという運動が非常に進んでおりまして、こういう制度があるということを知っている人たちが多いのですね。大体いままでの父母で、これを受けていない人というのは知らない人が多いのです。中にはこういうものをいただいたのでは子供に申しわけないとか、どんなに困っても絶対にいただきませんという方もありますけれども、そうではなくて、知らない場合が非常に多いのですが、知り始めた中で、たくさんの方たちが受けるようになってきたわけです。  どういうことが起こってきたかと言いますと、この湯沢市では四十九年までは就学援助の認定基準というのを市が決めまして、これが生活保護基準の一・三倍の額ぐらいということで、家族三人だと幾ら幾ら、四人だと幾ら幾らと大変親切に書いてあります。そして、その受け付け方も、「希望の方は、八月三十一日まで教育委員会へ印鑑持参の上、申請してください。」、こういうふうになっておりまして、印鑑を持って申請する方がだんだんにふえてきたのですね。そこで困ってしまったわけです。さっきいろいろ勘案するとおっしゃったのですが、その辺がどうもうまくいってないようでして、湯沢市の財源に食い込むという事態が起きてきたようでございます。  ここで何が起こってきたかと言いますと、次の年、四十九年にこうなっていましたが、五十年四月十五日の湯沢市の広報を見ますと、一・三倍という基準がなくなっているのです。そして「就学援助の対象となる児童生徒の区分と基準」ということで、言ってみれば、最初局長のおっしゃいましたような個々の基準だけが書かれてあります。しかもその後で、「学校長が、福祉事務所長および民生委員の助言を得て、教育的立場から就学援助を必要と認められる児童生徒を、準要保護児童生徒として教育委員会に報告します。」こうなっているわけです。つまり学校を通して、しかも民生委員の助言を得て申請するのでなければ受け付けないという形に変わってきたわけなんですね。こういうことがいま起こっておりまして、湯沢では大層これが問題になっております。  それで伺いますけれども、この法律または施行令を見ますと、教育委員会が認定するということになっているわけですね。ですから、いままでのように直接教育委員会に印鑑を持って申し込んで、そこで一定の基準になっている、この人は大体準要保護と認められる家庭であるということになったら支払っていたものが、そうでないやり方になってまいりました。直接こういうふうに教育委員会に印鑑を持っていくという制度、これはいままでの制度の趣旨からいって当然だと思いますけれども、これをやめた湯沢のやり方についてどうお考えになりますか。間違っているのではないでしょうか。
  90. 別府哲

    ○別府説明員 就学援助を開始する場合の方式と申しましょうか手続と申しましょうか、これについては必ずしも全国一律の様式、手続を定めてはございません。それぞれの市町村で判断をしておるところでございますが、ところによりましては広く地域にビラを配る、あるいは子供たちに家庭に持ち帰らせるということで周知徹底を図っているところもあれば、あるいは学校の方で教員さらに民生委員等の協力を得て、子供実態を十分に把握した上で認定を行う、いろいろの方法があるようでございまして、その場合もやはり考えの基礎には子供たち教育を円滑に行うためという考え方で、最も適切と思われる方式をそれぞれの市町村で考えてやってきておられるということでございまして、文部省といたしましてどの方式でなければならないというような形での指導はしていないわけでございます。
  91. 栗田翠

    ○栗田委員 私の言い方がちょっと誤解を受けたかもしれませんが、学校を通した受け付けの方法というものもあると思うのですけれども、最初やっていたような、教育委員会に直接父母が申請してそして受け付けるやり方ですね、制度の趣旨からいってこれも認められますね。
  92. 安嶋彌

    ○安嶋政府委員 ただいま財務課長から申しだとおりですが、文部省が申請について特定の方法を指示しておる、そうでなければならないというふうには考えておりません。ですから、教育委員会に直接申請をするという方法もあっていいわけでございます。しかし、それ以外の方法がないかというと、それはいろいろ考えられるであろうということでございます。
  93. 栗田翠

    ○栗田委員 ですから、学校を通さない限りは認めないというやり方、これはおかしいと思いますが、その辺でいかがでしょうか。
  94. 安嶋彌

    ○安嶋政府委員 湯沢市の教育委員会が湯沢市についてはこういう手続をとるということをお決めになれば、それはその方法で申請をしていただくべきものと思います。
  95. 栗田翠

    ○栗田委員 私はもう少し本質的なことを伺っているのですけれども、制度の趣旨からいってそういう方法があってもよい、その方法は間違いだから認めないというやり方考え方は制度の趣旨からいってどうかということです。さっきもお答えがありましたね。制度の趣旨からいったら教育委員会に直接申請しても、その方法だっていいのではないか、こうお答えがありましたから、そういうことだと思いますが。
  96. 安嶋彌

    ○安嶋政府委員 制度の趣旨は、就学援助の実質が実現されるということでございまして、申請の手続が市の教育委員会に直接行われるか、あるいは校長を経由して市の教育委員会に行われるか、それはそれぞれの市町村の御判断にまつべきものであって、どちらの方法でなければならないということはないと思います。
  97. 栗田翠

    ○栗田委員 いま問題にしていますのは、なぜそういうふうになってきたかというところに一番問題があるわけです。いままで教育委員会に直接申請して何かぐあいが悪いことがあったかというとそうでないのですね。私、湯沢の例を挙げているのは、湯沢がこの制度を非常によく活用しているところだからで、他の市町村に比べて支給されている率が非常に高いのです。ですから決してその制度でぐあいが悪かったとは思いません。むしろ必要な人たちに周知徹底してその人たちが非常に多く活用して支給されているということだと思うのですが、それが最近やり方がそうでなくなってきた。これは毎日新聞の秋田版でございますけれども、つまりたくさんの人たちがその制度を活用するようになってきたために、予算的にやり切れなくなってしまって、その結果そういう方法に切りかえて、今度はただ比較的簡単に所得その他の要件で認定するのではなく、必ず民生委員を通して一人一人の子供の家庭を調べまして、この人は認定する、この人は落とすというのを以前より厳しくやり出した。その結果こういうことになっているわけなんです。ここに問題があるわけでございます。ですから、なぜ市がそういうふうに変えてきたかということで、いままでは受けられていた人たちが非常にたくさんふるい落とされ始めた。そういうこととの関係で方法が変わってきているわけなんです。さっきからおっしゃっていますように、児童生徒の就学が円滑に行われるようにこの制度があるのだということですから、その趣旨を損なわないやり方であるならば、わざわざ幅を狭める方法に切りかえるということは問題があるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
  98. 安嶋彌

    ○安嶋政府委員 制度の趣旨は先生指摘のとおりでございますが、しかし前提は、法律等にもございますように、やはり経済的に困難な状況にある家庭のお子さんたちに援助を与えるということでございますから、経済的な困難をどういうふうに判定するかということが判断の前提になります。従来もし民生委員だとか福祉事務所等の審査を経ないでやっておって、その結果制度の運用が乱に流れておるということでございますれば、それを是正するためにさらに手続を慎重にするということは考えられることだと思います。ただ湯沢市の場合、現実に不当にそれがチェックされているかいないか、その辺のところは私どもとしても詳しくは承知いたしておりません。
  99. 栗田翠

    ○栗田委員 湯沢の広報を見ますと、さっき文部省でおっしゃっていたような基準でやっているわけですね。ですから生活保護基準の一・三倍ぐらい、しかもさっき局長も言われましたような中身での適用基準ですね、これを当てはめているわけです。いままでもそうだったわけです。それが乱に流れるということにはならないと思うのですけれども、しかしそうしていきますと、文部省のこのテキストにもあるように、実際には二五%の世帯が適用される資格を持つわけですから、どんどん制度を知る人、活用する人がふえていけば、さっきの予算の範囲をオーバーするのは当然なことです。乱に流れているのではなくて、予算をオーバーするという実態がここに出てきていると私は思います。湯沢のことについてはかなり幾度か文部省とも交渉などもあったようですが、実情を御存じでしたら、少しその辺について、お考えをおっしゃってください。
  100. 別府哲

    ○別府説明員 この問題については何度か文部省の方にもお話がございましたけれども、その場合のお話の趣旨は、こういった認定の方法が変わってきておるのは文部省の指示によって変わったのではないかという趣旨でのお話でございましたので、先ほどから局長も申し上げておりますような趣旨で、文部省としてどちらの方法でなければならないといったような指導はいたしておりませんということでございまして、個々の具体的な細かい事情等につきましては、余り十分には承知をしていないことでございます。
  101. 栗田翠

    ○栗田委員 つまり市町村の判断によって変わったということですね。その点はわかりました。  ところで、生活が苦しいとか貧困であるとかいう目安というのは、なかなか実際むずかしいわけです。同じ所得の家庭でございましても、親が非常にしっかりしていれば、学校に出すべきいろいろなお金類などはきちっと持たせますし、衣服もさっぱりしたものを着せている。片一方は、同じだけの所得でもそんなものが滞ったり汚れたりしているということもあるわけです。ですから一概に外から人が見ていて、あの家は経済的に破綻しているという状態があるのかどうかということは、なかなかこれはむずかしいので、むしろいろいろいままでの制度を見れば、いろいろな補助その他の対象になっているのは、所得がどのくらいという考え方で大体割り当てられていたと思うのです。生活保護基準にしてもそうでございますし、それから文部省の管轄である特殊教育就学奨励費補助なども生保の大体一・五倍ぐらいになっているのでしょうか、世帯更生資金の貸し付け対象なんかでも、これは文部省ではありませんが、一・五ぐらい、また所得税の課税最低限なんかの決め方だって、もちろん所得で決めているわけですね。こういうことになっております。そうなってまいりますと、決して準要保護家庭の基準を生活保護世帯の一・三倍から一・五倍ぐらいと決めているのが高い基準だとは思わないのです。生活保護の一・三といったら非常に苦しい生活だと思います。できればむしろそういう決め方で所得なり収入なりではっきりと線を引いた方が、事務手続も簡素化されるし、また非常にわかりいいのではないかと思いますが、その辺は御検討になったことがありますか。いかがでしょうか。
  102. 安嶋彌

    ○安嶋政府委員 予算上の積算は先ほど申し上げたわけでございますが、それはつまり実績に基づいて積算をしておるということでございまして、文部省がつまり各具体の年度の執行といたしますと、予算の範囲内での執行ということになるわけでございますが、しかし予算が足りなければさらに増額する方向も検討したいということを申し上げているわけでございます。当初は要保護三%、準要保護七%という枠の積算があったわけでございますが、その後実績の方がだんだん減少してまいりまして、今日は先ほど申し上げたような点に至っておるわけでございます。ですから、現状で抑えるという気持ちはないわけでございまして、将来そういうような需要が高まってまいりましたならば、さらにその実態に合わせて予算の増額には努力をしてまいりたいというふうに考えます。  ちょっと繰り返しになりますが、具体の年度の執行といたしましては予算補助ということで限度があるわけでございますから、それでやっていただきたい、将来足りなければ増額に努力をしたい、こういうことでございます。
  103. 栗田翠

    ○栗田委員 予算の増額に努力するという大変いいお答えをいただいておりますから、私もほっとしております。  それでもう一つ、生活保護基準の一・三倍ぐらいという考え方から割り出されているこの所得なり収入なりの額というのが、また私どもの計算から見ますと、大変低いように思うのです。文部省が出されているこのテキストなんですけれども、それは生活保護基準の中に本来含まれる控除額を含めてないのですね。細かい話になってまいりますけれども、このテキストを見ていますと、生活費と教育扶助基準額と住宅扶助基準額の合計額の一・三倍となっております。非常にこれは私もむずかしくてなかなか頭を悩ましましたけれども、こういうふうになっているのですね。ところがよく調べてみますと、普通の生活保護というのはこれにまだいろいろなものが入っているわけです。それで、たとえばさっき言いました特殊教育就学奨励費などの場合にも、社会保険料とか生命保険料なんかまで控除しているのが、入れてないのですね。普通に生活保護基準を決める場合にはもっと入っているものがありまして、期末一時扶助だとか勤労特別控除だとか社会保険料なんかが全部入っているのですね。ところが文部省の場合にはこれを入れずに計算したものの一・三倍というふうになっているわけなんです。ところが市町村で適用します場合に、生活保護基準の一・三倍ということになるものですから、普通にやられている保護基準の一・三倍を計算しますと文部省指導より金額が高くなりまして、こういうことがいま矛盾として出てきているわけです。ですからいままで準要保護の世帯ということで認められて、そして就学援助費をもらっていたところが、文部省指導によってあなたのところはその基準に合致しなくなったからと、言ってみれば既得権でもらっていた人たちが今度認定されないということが実際に起きてきております。ですけれどもこの辺は、生保の一・三倍とうたっている以上、普通の生保の計算の一・三倍ぐらいを基準にして指導すべきだと思うのですけれども、この辺いかがでしょう。
  104. 別府哲

    ○別府説明員 生活保護でございますと、たとえば生活保護基準額に教育補助を加えあるいは住宅補助基準額を加えたりいたしまして、一種の基準生活費を出して、それと収入との見合いでその足りない部分を保護費として支給するといったような形がとられているかと思いますが、この就学援助におきましてはそういった生活費の足りない部分を補うという形ではなくして、経済的に困窮であるので義務教育を受けるのにも困難を来たしておるという、教育を受ける方の困難性、それをはかる場合の一つの目安としてとらえておりますので、いま先生指摘のような一つ一つの非常に細かい基準の積み上げということをやらないで、一種の大まかな基準を示しておるというふうに考えておるわけでございまして、全国の各市町村では必ずしもこのように機械的に一律にやるのではなくして、御指摘もございましたような個々の実態に即した認定の方法をとっているもの、こういうふうに考えているわけでございます。
  105. 栗田翠

    ○栗田委員 それでは、必要があれば個々の市町村でその支給の枠をそれに応じてある程度広げるということもあってよいということですね。やはりそれだけ実質的に支給されていてそれだけの費用が使われていた場合には、いろいろな形で勘案するというような弾力的な扱いも国としてはなさるということでございますね。
  106. 別府哲

    ○別府説明員 市町村によりましては、地域の実態に応じて準要保護の世帯の占める割合の大変高いところもございます。その結果として財政的にその方面への必要な経費がかかるわけでございますけれども、国の補助におきましては、先ほども御説明いたしましたように、それぞれの実態に即した補助をいたしておりまして、現在まで不足を来たしていないわけでございますし、国は二分の一を補助するわけでございますので、残り二分の一はそれぞれの市町村の負担になるわけでございますが、その場合地方交付税では、普通交付税では一律の積算になってございますので、ある特定の市町村で非常に高い率を示すということになりますと、普通交付税だけでは見切れないという状態がございます場合には特別交付税の方でその部分を措置するということがすでに行われておりますので、そういった点は十分に措置をされていると思います。
  107. 栗田翠

    ○栗田委員 よくわかりました。実際には岡山市あたりでも七百人ぐらいが今度認定から切り捨てられたという例が出ておりまして、部分的にですけれども、そういう例が出始めているということを聞いております。  私、時間がありませんので終わりにいたしますけれども、さっきからもたびたびお答えをいただいておりますように、実績に見合って予算を組んでいるのだけれども、実績が膨張してきた場合、必要経費が膨張してきた場合には予算もそれに応じてふやしていくというお考えでございますので、ぜひ今後そういう形で必要なものがふえてきたときにはそれに対応した措置を必ずとっていただきたい、このことを申し上げまして私の質問を終わりにいたします。その点についてだけ一言、幾度も伺っておりますが、大臣のその点についてのお答えをいただきたいと思います。
  108. 永井道雄

    永井国務大臣 義務教育は国民のすべてが受けるものであるということがまず第一の原則であります。したがいまして経済的な理由によって義務教育というものが受けられない人があってはならない。この精神は根本的な問題でありますからだれも周知のことでありますけれども、しかし改めて申し上げておきたいと思います。  ただ事態が推移する中でそうした経済的理由というものがある状態の中においては非常に困難になり得るということで先生が詳細な問題をお挙げになって御指摘になったこと、これはすべてわれわれとして十分銘記すべきことであると考えております。したがいましてもし事態の変化があり、就学の機会が経済的な事由によって奪われるような人が出てくる場合には、これは当然予算というものについても改めて検討を加えなければならないものと考えております。
  109. 栗田翠

    ○栗田委員 それでは終わります。
  110. 久保田円次

    ○久保田委員長 高橋繁君。
  111. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 私は給食問題と自閉症児のこと、その他若干質問をいたしたいと思います。  給食問題につきましては本委員会でも毎年問題になっておりますが、その給食問題の中で特に残滓、パンの品質改善、それから栄養士の職務内容、最近問題になっておりますリジンの問題、保健体育審議会の給食部会で検討を開始したといいますが、今後の給食問題等について若干質問をしてまいりたいと思います。  まず食べ残しの問題ですが、文部省の残滓基準量は三%になっておる。ところが現状はどのようになっておりますか、把握をいたしておりますか。
  112. 諸沢正道

    ○諸沢政府委員 お答え申し上げます。  食事の残滓につきましては文部省としても全国的な調査をしたことはないのでございますが、昭和四十八年度におきますところの鹿児島県における残滓率の調査結果を見ますと、パンにつきましては小学校が七・四%、中学校が一一・七%。これに対しまして牛乳が小学校が一%、中学校は四・二%というような数字が出ておるわけでございます。そこで残滓と申しましても学校給食におきましては、全児童に対しましてほぼ同量のあるいは同質の食事を提供するわけでございますから、個人の好み、嗜好あるいは身体状況その他によって若干の残滓が残るのはやむを得ないというふうに考えますが、恒久的にあるいは恒常的に特定の食物だけが残るということでありますれば、これは十分配慮する必要があるだろう、こういうふうに考えておるのでございまして、その対象としては、大体従来はパンを残す傾向があったわけでございます。  そこでそのパンをどういうふうに考えるか。極端に申せば子供の嗜好だけに迎合して甘い菓子パンのようなものを与えれば子供は喜ぶというようなこともございましょうけれども、給食の趣旨にかんがみまして、そうした子供の嗜好というものももちろん考えながら健康の保持、増進ということを念頭において、かつ子供のことでありますから目先を変えるということも必要でありますから、毎食コッペパンということではなくしてあるいは普通の食パンにするとかバターロールにするとか若干干しブドウを入れるとか、そういうようなことをやっていただくように県の給食担当の指導者が集まった際にお話し申し上げるとともに、中央、地方の栄養職員の講習会等におきましてもそういうような指導をしてまいっておるわけでございます。
  113. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 文部省の基準量が三%と決められて、その三%に近づけるための努力、あるいはその前に、全国で行われておる学校給食についてどのように残滓があるのか、あるいは食べ残しがあるのかということを調査もしていない。ただ鹿児島県の例を引いておっしゃっているわけでありますが、そうしたせっかく決められておる基準に対して調査もしないで、いまおっしゃったような指導をしておるだけである。だが、現状はそれで解決をしておらない。ますます食べ残しというものが多くなってきておると思う。わが党の調査でも、小学校児童で五%残しておるのが約三九%あります。それから五%から一〇%残しておるのが二二%、一〇%から一五%が一八%、一五%から二〇%が五%、二〇%から二五%が約一・九%。そうしますと、約五〇%の人たちが五%以上を残しておるという調査がされております。そうしたことから見て、いまのようなお話では、一体学校給食に対してどのように考えておられるのか大変疑わしくなるわけですが、その指導で食べ残し、残滓が少なくなったと認識しておりますか。
  114. 諸沢正道

    ○諸沢政府委員 ただいま文部省の基準として三%の残滓量というのがあるではないかという御指摘でございましたけれども、実は基準として三%の残滓が基準だというようなことは言っておらないのでございまして、ただ、従来栄養士の方等にお聞きいたしますと、学校全体としての残滓を調べてみると、大体三%か四%ぐらい残っておるという実績を聞くことが多い、こういうことでございます。  そこで、文部省といたしましては、まず第一に、給食を実施するに当たっては栄養やカロリーの点からして基準をつくりまして、それにおおむね合致する献立によって具体的食物を調理していただくということを指導しておるわけでございます。それを子供が摂取するに当たっては、残滓があるというのは、先ほど申しましたように個人差もございますから若干のものについてはやむを得ないかと思うのでありますが、大量に全般的に残る、あるいは恒久的に残滓があるというような場合は、やはり個々の調理方法なりあるいは材料の量なりという点について検討をしていただいて、適切な量と調理方法により改善していただくということで努力していただきたいと思って、そういう意味での指導をしておるわけでございます。
  115. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 その中で一番残してくるものは、先ほど話があったようにパンだ。非常にパンがまずい。もっとおいしくしてもらいたいという意見もありますが、ただおいしくすることだけがあれでもないかもしれませんし、栄養、量ということも考えなければならないと思うのです。確かに栄養価があって食べればいいわけでありますが、実際問題、食べないことには問題にならないと思うのですね。その残すパンについて、もう給食始まって以来同じようなパンを食べているわけでありますが、その辺の改善という問題については今後考えませんか。そのままにしてまた従来を踏襲してまいりますか。その辺について。
  116. 諸沢正道

    ○諸沢政府委員 パンを主食とするということにつきましては、給食開始時期のわが国における食糧事情、あるいは小麦粉に含まれる栄養の問題等からこれを主体とすることとしたわけでありますが、当初におきましては、何と言っても従来の食生活からしましてなじみが薄いということもあり、かつ製パンの技術、子供の好みに対する配慮という点でも十分でなかった点がありますので、大きなコッペパンを与えると半分くらい残るというようなことはよく聞いたわけであります。しかしながら最近の全般的傾向といたしましては、先ほどお話ししましたように、同じパンにしましてもいろいろ目先を変えまして、子供の嗜好等も考えてパンをつくっていただくということで、このことは各県にあります給食センター等におきましてもいろいろ工夫をしておるところでございまして、今後一層そういう点についてきめの細かい配慮と申しますか、そういうことをしていただくように指導をしてまいりたい、かように思うわけでございます。
  117. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 その残滓の原因、パンのまずさということもありますが、その原因について文部省当局は探求あるいは調査をしたことございますか。
  118. 諸沢正道

    ○諸沢政府委員 原因についてその体系的な調査をしたことはございませんが、ただいま申しましたように、やはり子供でありますから味とか見た目とか、そういうものが非常に単調であるということは考え直さなければならないということで、いま言ったような指導をしてまいっておるわけでございます。
  119. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 調査したことはないということになりますと、一体今後給食というものについてどういうことをやっていくのか。いままで行っておる給食について欠陥もある。子供が食べない、残す、そうした原因がどこにあるかということを調査しなくては、次の新しい給食体制というものもできないと思うのです。いろいろ言われております。あるいは大型の給食センターの残滓が多いとか、担任の給食指導いかんによるとか、パン、ミルクに飽きたとか、味が悪いとか、家庭における食生活の改善あるいは偏食の矯正指導、施設設備の問題、いろいろなことが挙げられると思うのです。学校給食の問題については、食べ残しの問題あるいは給食全般についても、いま大変な問題にぶつかっていると思うのです。ですから、そういった問題について何らの関心を持ってないというところに問題があると思うのですが、どうですか、局長
  120. 永井道雄

    永井国務大臣 給食のいまの食べ残しの問題に関連して、なお政府委員から御説明申し上げるべきこともありますが、私として一言申し上げておきたいこともあります。  それは、食べ残しの問題に関連して、おいしくないから食べないということもあるでしょうから、おいしくした方がいいということもありますが、給食というのは一つ教育活動であるという角度からいま文部省でも検討を進めて、そういう方向を強めているということも御理解願いたいのでございます。といいますのは、子供に好ききらいがあるというふうなことは余り望ましいことではないのです。またわが国で古くから、食べるときいただきますと言いますし、食べ終わったときにごちそうさまと言います。そういうふうなことが意味のないことのように思われますけれども、しかしながら非常に深い意味を持っているということもやはりわれわれは考えるべきではなかろうか。また私わりに海外で長く活動いたしましたが、好ききらいがありますとなかなか国際的活動というのはできないです。それはもう本当に根本的な問題でございます。私は、わが国の国民というものが世界に平和的に共存をしていろいろな場で活動をしていくというようなことも考えなければいけない。そういうふうなたかが食べ物という問題に尽きない、人間に三度の食事がございますが、それをなくしてはもちろん生きてはいけませんが、これは同時に車要な生活の営みでありますから、私たちとしてはいま教育的な角度からもこの問題について考えていくという点がございまして、必ずしもおいしい、まずいというような角度からだけ考えてはいけないんではなかろうかというその点、いま考えて進めておりますことでございますので、御理解をいただきたいと考え、私として考えを申し述べさせていただいたわけでございます。
  121. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 学校給食が教育活動あるいは教育的な意義があると大臣はおっしゃっておりますが、教育活動という面からいって本当にそういう教育的な意義があるならば、中学校の給食が完全給食に遅々として進まない、これは一体どういうことに理由があるのですか。
  122. 永井道雄

    永井国務大臣 中学を給食にしたらいいという意見があることも承知しておりますが、しかしすべてを給食にすることが望ましいかどうかということも、これまた非常に検討を要する点であります。と申しますのは、ちょっと年度を覚えておりませんが、三、四年前でございますが、東京都の調査では朝食を家でとらない子供の数が四〇%あります。それから厚生省、これはもっと最近の統計でございますが、朝食を家でとらない子供が一〇%あるわけです。これはどういう理由から起こるのか、これも本当に重大な、検討を要する問題だと思います。で、全国平均で一〇%、大都市で四〇%ということですと、まあ普通の類推をいたしますと中都市がその中ぐらいというようなことになるんだろうと思うのですが、大都市の場合に、団地で、長距離に主人が通っているというような問題があったり、そういうことで主人も食べない、子供も食べないというようなことが起こるということが指摘されておりますが、私は、どこの国を見ましても、別に洋の東西を問わないと思いますけれども、朝食というようなものをでき得るならば家族が一緒に食べるということも非常に大事だと思います。そうすると中学で御弁当ということも、これまた必ずしも簡単に悪いとは言えない。もちろんそのことから義務教育でありますから、家庭における貧富の差というものが弁当に反映するというようなことになれば、これはまたそういう角度から十分に考えなければいけません。しかし私、ちょうどいろいろ石油ショックが出ました時分に朝日新聞社におりましたけれども、あれはちょうど有楽町にあるのですが、どうも余りいろんなところで昼御飯を食べて歩くよりは弁当にしようじゃないかということでわりに弁当族が増えてきたのでありますが、弁当族がふえてきて、やはり弁当だと安くもつくし、それから家庭というものももう一回元気が出ていいところもあるななんという話も出たのです。私はそういうことは軽々に見逃し得ないことなのではないかと思います。昨今において親子の断絶というようなことも言われておりますが、私はもちろん給食というものは大事である、またその給食の根本はどこにあるかというならば、やはり義務教育の精神に発していると思います。義務教育の精神というのはすべての子供に、国民という場合、先ほど栗田先生の方から御指摘ばございましたが、貧富の差というようなことなしに教育を受けていくということなんでありますが、しかしそのことは決して、だから全部給食ということを中学まで進めてしまって、いまのような家庭の状況を放置しておいていいということにはならない。相当いろいろな角度からやはり考えるべき問題でありまして、これは私は本年度の文教の所信の中でも申し上げましたが、家庭と学校社会教育というものが連携いたしませんとしたら、教育というものはなかなか効果を符にくいものと思われます。そういう意味合いもございます。ですから私は、中学の給食の可能性を全面的に否定するものではありませんけれども、しかしいまのような朝食の事情があるということも御理解願いたいと考えている次第です。
  123. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 いまの大臣お話でありますと、中学校が給食を行うことは必ずしも望ましいことではない、先ほどは給食は教育的には意義があるということ等考えますと、矛盾があるようにも思うわけですが、大臣の発言によると、中学校については何も完全給食にすることはないのだ、こう理解してよろしいのですか。
  124. 永井道雄

    永井国務大臣 私は矛盾したことを申し上げなかったように思っているのです。給食は大事です。ですから小学校段階でそれをやってみんなで共同の生活をしていく、非常に大事なことと思います。しかしながら他方、家庭とのつながりというものも大事なんです。ですから場合によっては、それは小学校で絶対に給食というふうなことより、自分の弁当の方がいいというふうなそういう私立の学校もございます。私立の学校でそれをやることは全く自由だと思います。ですから中学のときに給食の可能性を完全に否定はいたしませんと申し上げましたが、しかし他方において御弁当というふうな考え方も十分成り立ち得るではないか、こういうふうなことも考えながらやはり給食の問題というものも考えていかなければいけないのではないか、こういうふうな意味合いで申し上げたわけでございます。
  125. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 そうしますと、先ほどもお話があったように、義務教育の中では将来にわたって完全給食をしていくことがいい、あるいはまたそういう義務教育の中でそういう考えの上に立って弁当を持ってきてもいいんだというような意味合いですか。そういう意味ですか。
  126. 永井道雄

    永井国務大臣 大変失礼いたしました。ちょっともう一度先生の……
  127. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 義務教育の中では給食をやることがいいという基本的な考えはあるということをさっきおっしゃったように私は聞きました。その中でいわゆる学校給食法に決められた完全給食をやるのか、あるいはある一面ではそういう観点の上の基本的な考えの上に立って弁当持参の給食を実施してもいいというようなお考えですかというのです。
  128. 永井道雄

    永井国務大臣 基本的な方向としては、義務教育は初中を通して給食という考えはございます。ただ、私はなぜ先ほどのことを申し上げたかというと、非常に給食を急ぐ、そしてそれをしないとまるで教育がだめになるかのように言う人がいるのですけれども、私申し上げたように、教育というのは三面にまたがっているのです。実は給食のことを御要望においでいただいたお母様方にも申し上げたのです。それはそうなんですけれども、しかしお母様方の相当強い特権といいましょうか、それは子供に御飯をつくって食べさせることではないか。それを放棄するうちが大都市において四〇%ある。そうすると給食をやることによって特権を剥奪するというようなことがあってはまずいのです。お母様方も、なるほどそんなにひどい数字と知りませんでしたというような問答を、実は数回幾つかのグループとしたこともございます。ですから、私は、義務教育基本的方向として小中一貫、そういう考え方でいくことは結構と思っております。しかしながら、話が給食に集中しますと、そのことの解決を非常に急げばすべてよくなるというふうな方向に議論は向かいがちでございますが、しかし、わが国の現状として先ほど申し上げたようなこともありますので、こういうことも十分勘案しながらいくべきではないかという意味合いにおいて申し上げたわけでございます。
  129. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 そうしますと、給食に対する考え方というものは、大臣の発言からいくと従来より変わってきた、またそういう大臣の発言のもとで今後の給食というものが考えられていくようこ思うわけですが、そんなふうに理解してよろしいですか。
  130. 永井道雄

    永井国務大臣 私は、従来の考え方、事給食を切り離して考えれば変わったと思いません。そうではないのです。私はほかのことをつけ加えて申し上げた。いま申し上げたような調査資料というのは、東京都も厚生省も最近出てきた話なんです。私もその資料を読むまで知りませんでした。しかし、当然そういう資料が出てくれば、別に私だけが考えたのじゃなくて、それについてはいろいろな人も討論しているし、そして実はお母様方と話をしますとなるほどそうだということでありますから、なるほどそういうことも新たに加えて考えるべきだという意味合いで、それは、給食という一つの方向がございますね、それを後退しようとかなんとかということでは決してない、もっと日本教育を強化しようという意味合いにおいて私は申し上げたわけでございまして、基本的な、給食だけを切り離して考えたときのいわば路線というものが変更になったということを申し上げておるのではないのです。
  131. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 次に、それでは、昨年国庫負担ということで栄養士の身分というものがある程度保障されたわけですが、学校あるいはブロック等に栄養士が配置されておる、ところがせっかくそうなっても、その栄養士の職務内容がはっきりしていないのです。非常に学校によってまちまちです。学校の職員会議にも出席をさせないとか、あるいは用務員のようないろいろな仕事をやってみたり、種々雑多であります。私は、この際、文部省でも考えていると思いますが、学校栄養士の職務内容についてはっきりした基準を示すべきであると思いますが、どのようにお考えですか。
  132. 諸沢正道

    ○諸沢政府委員 おっしゃるように、学校栄養職員の仕事としては、本来的には献立の作成、物資の調達、調理、あるいは事後、事前の施設設備の衛生管理あるいは中毒等の予防といったような仕事があるわけでございまして、これを実施するためには専門的、技術的な知識、経験を必要とするわけでありますから、そういう意味でまさに昨年の法律改正によってこれを専門職員として明確に規定し、またその身分を県費負担にすることによって安定を図ったわけでございます。  ところで、先生指摘のように、そうは申しましても、具体的には個々の学校においていろいろ仕事の分野が明確でないというようなお話も聞くわけでございまして、私どもの考え方といたしましては、もちろん栄養士といえどもある学校の職員でございますから、その専門的事項に限らず、時にはいろいろお手伝いも願わなければならぬことがあるかと思いますけれども、それにいたしましても、その職務内容を明確にするということは必要であるというふうに考えるわけであります。具体的には、市町村の教育委員会が所轄の学校なり共同調理場の職員であるところの栄養職員の職務内容につきまして規則を設けるということになりまして、その規則にのっとって校長さんなりあるいは共同調理場の長が具体的な職務命令を出すということになるわけでございます。そこでその市町村が規則をつくります場合に、およそ栄養職員としての仕事内容を規定する場合にはこういうようなものを考えたらどうでしょうかという意味で、その職務内容規則の御参考になるような準則案をいま私どもの方でつくっておりまして、その内容について県の教育委員会その他関係の方々の御意見をいま伺っておる、こういう段階でございます。
  133. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 それは大体いつごろ案ができますか。
  134. 諸沢正道

    ○諸沢政府委員 これからさらに意見を詰めまして、できれば今年度内にこれを公にしたい、かように考えております。
  135. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 本年内ですか、ずいぶん時間がかかるものですね。これは基準ですからそんなに時間はかからないのじゃないかと思うのですよ。栄養職員ははっきりしなくて大変困っています。同じ東京都内でも非常に千差万別でございます。また校長さんの考え方によって職員会議にも出席させない。非常にまちまちです。そういうことは半年も時間がかからないと私は思うのですね。だからもっと迅速にやるべきである。本当はもう昨年発足と同時に職務内容の大体の基準というものはつくるべきであると私は考えておったわけですが、それはひとつよろしく頼みます。  それから、沖繩の学校給食の物資の無償供与の延長問題について、これは米軍統治の時代から無償である、復帰後も特別措置をもって行われておるわけでありますが、沖繩県の県民の生活状態から考えて、この給食物資の無償を五十二年から五十七年三月三十一日まで五年間延長してもらいたいという強い要望がありますが、このことについては現状をどうお考えでありますか。
  136. 諸沢正道

    ○諸沢政府委員 沖繩の学校給食の援助につきましては、本年度の予算では、小麦粉と脱脂粉乳とそれから食用植物油、これの無償供与の対価として七億強の予算が計上されておりますが、従来の経緯からいきますれば五十一年度までということになっておるわけです。そこで、その先どうするかということにつきましては、実はこの食糧援助の問題は文部省のみならず農林省との関連もございまして、米全体あるいは麦全体の取り扱いあるいは脱脂粉乳の関税の免除の問題等々ございますので、それらを総合的に考えて検討すべき課題であろうと思いますので、今後関係方面と協力し、協議して考えてまいりたい、かように思っております。
  137. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 この要望の線に沿って検討するのかあるいはもう五十一年で打ち切るのか、その辺の考え方はお持ちですか。
  138. 諸沢正道

    ○諸沢政府委員 これは、予算要求の時期も間もなくでございますけれども、まだ現段階におきましては白紙の状態で、これから検討したい、かように考えております。
  139. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 これは要望どおりひとつこの方向に沿ってしかるべく検討してもらいたい。  それから保健体育審議会の給食分科審議会で給食問題について検討を開始しているというように聞いておりますが、どういう方向で今後の給食問題の検討を開始されたのか、原案が、お考えがありますればお聞かせを願いたい。
  140. 諸沢正道

    ○諸沢政府委員 保健体育審議会の中の給食分科審議会の審議状況につきましては、実は現在のところ特定の事項を諮問しているというようなことはないわけでございます。ただ、審議会でございますから自主的に御検討願って、必要があれば建議をいただくというような意味合いにおきまして、実は四十九年暮れからの物価高騰に際しましてはこれに対応する府県負担の問題等たくさんの問題がございましたので、昨年は主としてそういったような問題について具体的問題がありますごとにお集まり願って御意見をいただく、こういうようなことでやってまいったわけでございます。  ところで、現時点におきます問題といたしましては、さしあたって最近問題になりましたリジンの問題等御審議をいただいているものでございますが、今後審議会にどういうものを御相談するかという御質問でありますれば、現在のところ学校給食等の関連では、最近地方財政が非常に苦しくなっておるというようなことに関連して今後そういう問題をどう考えていくべきか、それから日本の食糧事情全般の問題として、自給を高めるという見地からいたしますと学校給食にもっと米を取り入れたらどうかというような御意見もございますので、そういうような問題を中心にして今後御検討願うようになろうかというふうに考えているわけでございますが、現段階としてその問題について特に何を諮問しているというようなことはございません。
  141. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 私はいま局長がおっしゃったように、日本の食糧問題、将来にわたってパン食がいいのかどうかという問題もあろうと思います。大臣の先ほどおっしゃった問題も含めて、あるいは十和田町で週五回のうち二回が米飯、これだけは父兄が負担ですが、あとは町で全部負担しておる。しかも副食物の野菜等は全部その町でできた物を子供に食べさせておるということですね。しかも、負机の全体の予算が町の予算の三%である。これはもう税の自然増収等で考えれば簡単にできるという。全部の町村がそうはいかないと思うが、町で義務教育における学校給食の公費負川ということで先取りしてやっておる。いまのは給食の一つの例でありますが、先ほど申し上げた残滓の問題を含めて学校給食は大きな問題に私は差しかかっていると思うのですね。中学がなぜできないか。教育的な意味があるにもかかわらず現場先生がなかなかこれを取り入れようとしないとか、いろいろな問題がここにあるわけでございますので、せっかくの給食分科審議会で検討いたしておるようでありますから、今後の、将来にわたっての給食問題というものについて検討を開始をしていただきたいということを強く要望しておきたいと思います。  その次に、最近大変問題になっておりますリジンの問題につきまして質問をいたしたいと思いますが、この問題についてはわが党が三月の予算委員会で危険性を指摘した。政府は十分に検討する旨の回答を約した。これが三月です。ところが文部省は四月、何ら明確な科学的論拠もなしに、沖縄を除く全国教育委員会に対してパンに対してリジンの添加をすることを通達をした。その検討すると言ったのがたしか三月であろうと思うのですが、一カ月間でそれを四月に実施するという通達を出した。そこら辺にも問題があると思うのですが、その辺の問題については検討されましたか。
  142. 諸沢正道

    ○諸沢政府委員 リジンの問題につきましては、昭和四十九年度の時点におきまして、もうすでに四十三道府県におきまして実施しておったわけでございますが、それを五十年度から東京都を除いて全道府県に実施をするということに踏み切ったわけでありまして、踏み切るに当たりましては、従来のこのリジンの制度上の位置づけ、つまり食品衛生法なり栄養改善法における添加食品としての位置を確認いたしますとともに、この毒性の問題については、日本にも外国にも急性毒性において問題がないという調査がございましたので、それを確認し、また慢性の毒性の問題につきましても、外国の実験例に徴しましても心配がない、こういうようなことでございますので、それらの点をあわせまして、いまの給食分科審議会にお諮りをいたしまして、その分科審議会の中には前国立栄養研究所の所長である大礒博士等もおられるわけでございますが、その御意見に徴しまして心配ない、こういうことでございますので、これを踏み切った、こういう経緯でございます。
  143. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 検討はされなかったようでありますが、そもそもリジンが各都道府県で採用になったのは、四十五年二月に保健体育審議会から文部大臣に対して、最後の方の項目でありますが、「たん白質の栄養価を高めるとともに、製パン適性をあげる効果もあることからして、学校給食用小麦粉にリジンを強化することも適当であろう。」という答申であった。これが大体四十五年の二月、これは間違いないですか。
  144. 諸沢正道

    ○諸沢政府委員 ただいま御指摘のとおり四十五年二月の保健体育審議会からの答申はそうなっておりまして、さらになおつけ加えさせていただくならば、四十八年十一月保健体育審議会学校給食分科審議会からの報告として、小麦粉にリジンを添加して小麦たん白の質を高める措置を講ずることが望ましいという、もう一歩前進した要望があったわけでございます。
  145. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 四十五年二月は適当であろう。四十八年十一月は望ましいという答申があった。それに基づいて文部省としては適当であろう、あるいは望ましいというその答申だけに基づいて、これを五十年二月からリジンを強化することを内容とする学校給食用小麦粉品質規格規程の改正についての検討が行われて、了承がなされた、こういうふうに理解してよろしいのですか。
  146. 諸沢正道

    ○諸沢政府委員 もちろん審議会の関係で言えばそういうことでございますし、先ほど申しましたように、実際に実施をしておりまする四十三の道府県につきましてもそれまで実施した経緯にかんがみまして、自分のところはこれをさらに継続したいという要望があったわけでございますから、それらを踏まえて、それでは残りの四都県につきましても御相談をしよう、こういうことで始めたわけでございます。
  147. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 文部省としては確たる確証といいますか、そういうものは持っていらっしゃらないわけですね。ただ、審議会が適当であろう、望ましいということで、各都道府県が実施をしているからいいだろうということに踏み切ったわけでありますね。
  148. 諸沢正道

    ○諸沢政府委員 リジンの問題は、最近、その毒性等のことが言われるようになりまして、非常にいろいろ議論があるわけでございますが、そもそもリジンというものは必須アミノ酸の一種でありまして、これは人間の体内でこれをつくることができない、どうしても食物を通して摂取しなければならない物質である。そしてそれが人間の、特に成長期の子供にとって体たん白質の質を高め、吸収をよくするためには欠かすことのできないものであるということは、今日、栄養学的にもどなたも否定しない御意見だろうと思うのであります。そういう医学的あるいは栄養学的な意見というものを背景としまして、四十三年から実施をしたわけでございますから、その必要性においては私ども、もちろん主体的にこれを推進してまいった こういうことでございます。
  149. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 何回も申し上げますが、審議会としては確信がないから、適当であろうとか望ましいという言葉で逃げていると私は思うのです。本当にリジンというものが子供の健康に、あるいは体力増強に役立つものなれば、強化することが適当であろうとかあるいは望ましいという言葉ではなく、もっとはっきりした答申というものがなされたのじゃないかと私は思いますが、その辺の問題がはっきりしておらない。しかも石丸環境衛生局長は「「リジンはある一定の量までは必要であり、一般に毒性は少ない。米国でも安全と認められている」と楽観的な見解を述べながらも、「わが国には慢性毒性実験はない。今後の検討に待たなければならない」」と答えておる。そういうように環境衛生局長は答えておるわけであります。審議会もそういうように望ましいとかあるいは適当であろうとかという言葉で逃げておる。文部省だけが確信を持ってこれを奨励しているようにも私は思うのでありますが、その辺の確信はおありですか。
  150. 諸沢正道

    ○諸沢政府委員 厚生省の担当者とされまして、食品衛生の見地から慎重にということであろうかと思いますけれども、私どもは現時点におきましては、繰り返して申し上げますけれども、いままでの諸実験例等あるいは学者の意見等に徴しましても、これを継続支給することには危険はないというふうに考えておりまして、その意見には変わりがないわけでございます。  なお、いまの毒性試験の問題等につきましては、その後、日本の国内におきましても、慢性の試験等を実施をされた結果を近く発表されるというような情報を聞いておりますので、それを待ちたいと思いますし、また、少し先走りますけれども、最近発がん性の問題につきましても、東大の講師が分析した結果、ごく微量の三・四ベンツピレンが検出されたということもありますので、それにつきましても文部省独自の立場においてリジンの分析をお願いしているというような事実もございますので、それらを待ちまして、さらにこれを十分検討するということにいたしたいと思います。
  151. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 あなたの発言は、いま検討しておる、またほかの場所でも検査を開始しておる——これからでしょう、あなたが本当に確信を持って言えるのは。それにもかかわらず、「リジンの安全性に関する一部の声のために学校給食に対する基本的態度を軽々に変更することのないよう望みたい。」という通達を出しているじゃないですか。あなた、一体何の確信を持っているのか、リジンが毒性がないかどうかということはこれからの問題なんです。それを待って、ちゃんと確信を持ちたいとおっしゃっておる。それにもかかわらず、一部の者のために軽々しくそういう変更するなといういわば圧力を各教育委員会に対してかけておる。そう私はとりたい。そうじゃありませんか。
  152. 諸沢正道

    ○諸沢政府委員 先生指摘のように、これから私どもは調べるというのでは決してないのでございまして、学者の意見等を聞きますれば、従来の外国の実験例等でも十分それは証明されておるんだ、こういうふうに伺っております。それに基づいて私どもは大丈夫だというふうに判断しておるわけでありますが、事ほどこの問題は国民一般の間でもいろいろと心配の声もあるということであるので、さらに念を入れて検査をしたい、そういう意味でいまお願いしているのもあるわけでございまして、決して、いままで全く不安だけれども、いま頼んでいる検査の結果を見てこれから判断するのだ、そういう趣旨ではないのでございますから、御了承いただきたいと思います。
  153. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 あなたは慎重にしたいとおっしゃっているのでしょう。一部には反対の声もある。疑わしきものは私は使用してはならないと思うのです。あなたもそうおっしゃっておるにもかかわらず、この文部省の異例の通達というものは一体何で、「リジンの安全性に関する一部の声のために学校給食に対する基本的態度を軽々に変更することのないように望みたい。」という通達をなぜ出したのですか。
  154. 諸沢正道

    ○諸沢政府委員 リジンの供給の仕組みは、御承知のように日本学校給食会が一括全国の所要小麦粉を購入し、その購入の段階におきまして、このリジンを混入したものを地方へ送っておるわけでございます。そこで、具体的に問題が起こったといたしましても——具体的に起こったというか、具体的に〇〇町でこのリジン使用のパンを使わない、食べないというようなことが起こったとしましても、その問題はいま申しましたように、私どもとしましては十分関係者お話し合いをしていただければこれは理解していただけるものと、こういうふうに考えておるわけでございまして、それを一部の方の反対がある、あるいは危険だからということだけで直ちにそこは中止だということになりますれば、やはり全国的な混乱を巻き起こさすということも予想されるわけでございまして、そういう意味合いにおきまして、その教育委員会等が態度を変更するというようなことが仮にあります場合には、十分に慎重に御検討を願って、文部省とも話し合いをし、かつ変更なら変更しなければならぬという理由が明確になった段階でやっていただこう。ただそういう声があるからということだけで、これを中止というふうに軽々に踏み切らないでほしい、こういう趣旨でございます。
  155. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 もし事故が起きてからではもう遅いでしょう。いまはある町村あるいは県が反対しているから、そんなことで軽々しく中止なんということは相ならぬということは、考え方がおかしいと私は思うんですね。一部の、あるいは消費者連盟等がずいぶんたくさん、いまこういうリジンの使用について埼玉県でも問題が起きております。神奈川県は中止した。東京はもうやっていない。そういうことがありますと、なかなか容易にいかないと思うのです。だから、はっきりした調査結果が出た上でしようとしても遅くないと私は思う。とうとい人命がもし万が一毒性があるということで毒されていったら、一体どうしますか。それよりも、いまこの段階でそういう声がある以上は、一時でもいいから中止して、その結果を待って再び使用するということの方が文部省としてのとるべき態度ではないか、これが教育じゃないかと私は思うのですが、その辺のお考えはどうですか。
  156. 諸沢正道

    ○諸沢政府委員 確かに食物のことであり、人の健康に関することでありますから、十分慎重にしなければならないわけでございます。万一事故があったらどうするかというような御指摘でございますが、先ほど申し上げましたように、一部の県ではすでに昭和四十三年からこの添加を実施し、今日に至るまでそれなるがゆえに事故が起きたということを私どもは聞かないわけでございます。そういうことから考えましても、ここで早急に中止を決めるという必要はないのではなかろうかというふうに判断したわけでございます。
  157. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 一部でそういう結果が出ておるからやるんだ、こういう考え方ですか。
  158. 永井道雄

    永井国務大臣 この種の問題は、非常にデリケートといえばデリケートな面がありますから、私たちが考えている点を申し上げたいと思います。  リジンは子供の健康のために望ましいから、リジンを使った方がよろしい、その方が抵抗力なども出てよろしいというのは、国連食糧農業機構と世界保健機構、FAOとWHOの合同特別委員会が調査をして出した一九七三年の報告書にございます。もちろん、それら二つは重要な国際機構でありますから、相当数の学者、世界的にも相当な人たちを集めて出されたものと考えてしかるべきものと思います。ですから必ずしもわが国だけの問題ではございませんので、世界的にリジンを使っているということです。リジンを使ったのは、むしろ体力の増強のためという目標からであります。  さて、いま一部からそれについて疑問が出てくるという場合にどういうふうに対処したらいいかという、ことでございますね。私たちは、こうしたものについてどう対処すべきかというときに、三つ、四つの重要な柱があるように思います。それは、先生がおっしゃいましたように、それを使っていると直ちに、一週間、十日のうちに人の命にかかわるというようなことがわかるようなら、これは直ちに中止しなければならない、それは全くそのとおりだと思います。ただ、リジンのように、WHOとFAOで合同特別委員会をつくって、そこから報告が出ているというような場合、いま出ているような疑問というのは、そこを根本的に覆しているようなものではなくて、その報告書に問題点があるという式のものでございます。そこでどうしたらいいかということになるわけです。その場合、やり方は三つあると思います。  一つは、やはり調査をやっていくということだと思います。現在、文部省も独自の立場でやっておりますけれども、文部省だけではできませんから、厚生省とも十分連絡をとってしっかりした研究資料を集めていくということであります。  第二番目の問題は、そういう過程において不安が起こらないようにしなければいけないということであります。実際、いまのリジンのことは、先ほどから御説明申し上げましたように、その二つの国際機構が出した一九七三年の報告書、それを根本的に覆すという意味における疑問が出ているとは理解していない。そうではなくて、リジンは体に役に立つのだけれども、それに毒性が含まれる可能性もあり得るという形の疑問が出ているわけです。しかし、そういうことが正確に伝わるように文部省は努力しなければいけない。先般の通達も、ずっと読んでいただきますとそういう点に触れているわけでございます。ですから、いますぐリジンをやめるというわけではないけれども、よく考えていくということです。これを、教育委員会を通して各学校、結局御父兄に理解していただく、その過程において私たちは考えていくということでございます。  三番目の問題といたしましては、これはリジンの問題なんですが、私自身だってもちろん、お医者さんではありませんし、こういう問題は専門家でありません。リジンとたん白質との関係、それから先ほど体育局長が申し上げました発がん性との関係等々非常に個別的な問題がたくさん絡んできて何か危険だというふうになりますから、こういう式のものはできるだけ問題を具体的に解析いたしまして、どこのところが問題点であって、どこのところが問題点でないかというふうに非常に具体的に処していく考えでいるわけでございます。  以上三点申し上げたわけでございますが、リジンの場合、非常にデリケートなのは、いま申し上げましたように、一番初めは、そういう国際的な機構、しかもそういう専門的な機構からの共同報告というものもあって、一言で言えば体力増強だと思いますが、体力増強に役に立つのだという話であった。ところが、それにいま問題点があるということが大体今日の事柄の全貌であると私は思っております。だから調べなければいけないと思います。しかし、リジンというのは大変な騒ぎなんだという形の疑問が出ているのではない。そういうわけではなくて、両面をはらんでいるものとして、いま起こっていることがあるのではなかろうか。しかし、それも私の素人的見解でありますから、こういうことは厚生省も文部省も共同して調査をいたしまして不安なからしめるようにしなければいけない、こういう考えでございます。
  159. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 その必要量も、私は文部省には確たる基準がないと思うのです。いま大臣から、いろいろ具体的に問題が起きているので、整理をして、国民が納得のいくような方向でいくのが望ましいという発言がありましたが、そういう意味で、反対をしている研究学者に対してもそういう確たるものが得られるような体制をつくった上で使用することが望ましいと私も考えるわけであります。したがって、現時点で一たん中止をして、そういう具体的にわかりやすい、国民が納得できる体制をつくった上で、使用すべきものであれば使用するし、あるいは検査の結果毒性があるならば中止をしなければならない。こういう結論が出るまで中止すべきであるというふうに私は要請をしたいわけですが、このことについてのお考えはどうですか。
  160. 諸沢正道

    ○諸沢政府委員 せっかくの御提案でございますけれども、私、事務当局としましては、現段階で使用を一時中止するということは考えていないわけでありまして、先ほど申しましたように、これは毒性なし、催奇性なし、発がん性のおそれは少ないあるいはないというような結果が出ると思うのですが、それらの結果を待って、さらに保健体育審議会を開きまして保健体育審議会の御意見を伺うことにいたしたいと思っておりますが、それまでの間、いま直ちにこれを中止するという意図はないわけでございます。
  161. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 なぜそんなに急ぐんですか。あるいは中止する考えはないんですか。二年も三年も向こうへ行くということではないでしょう。早急に結論を出さなければならない立場にいま立たされていると思うのです。これからさらにこの問題については文部省あるいは国民、その間でいろいろな問題が派生してくると私は思いますが、なぜそんなに強硬に中止をしないという方針を打ち出しているのか、あるいは急ぐのか、この辺の考え方を聞かしてください。
  162. 諸沢正道

    ○諸沢政府委員 急ぐというのは、いま御指摘のようにいろいろ御不安の声もあるわけでございますから、それに対してできるだけ叩く安心していただきたいというつもりでございまして、中止をしないというのは、繰り返して申し上げますけれども、これまでの実績とそれからこれまでの検討結果及び専門家の御意見等を総合いたしまして、中止をする必要は現段階ではないであろう、こういうふうな判断をしているわけでございます。また、私の聞いておりますところでは、大部分の県は現在円滑に給食をやっておるわけでございますから、これで行ってみたい、こういうように思うわけでございます。
  163. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 ばかに強硬な意見のようでありますが、文部省が新聞でも異例な通達を出しておるということから考えると、私たちは何でそうしなければならないかということをますます疑いを持ちたい。今後の研究ということでありますが、先ほども申し上げたように、疑わしきものは使用しないというのが私は、原則的な考え方であろうと思うのですね。あるいは一部の都道府県でよかったから使うとかいうのじゃなくて、一部に反対があれば、それをきちっとさして納得した上で使用するというのが、私は教育的な考え方であり、文部省の行き方であろうと思う。この問題についてはさらに私たち研究を重ねて質問をしてまいりたいと思いますが、私ははっきりするまで中止をしてほしい、このことを強く要請をして、次の問題に移りたいと思います。  自閉症児、いわゆる情緒障害の問題でありますが、文部省が毎年、特殊児童調査資料というのを出しておりますが、あれからいきますと出現率が〇・四三%、これは八年間変わっておりません。私はこの八年間その出現率というものが何ら変わっていないことに不思議を感ずる。同じような統計結果が毎年出されておる。この根拠は正しいですか、あるいはどういうことで〇・四三%の出現率でこの八年間来ているわけですか。
  164. 安嶋彌

    ○安嶋政府委員 情緒障害児の出現率につきましては、ただいまお話がございましたように〇・四三%ということでございますが、これは四十二年に文部省におきまして児童生徒の心身障害に関する調査というかなり大がかりな調査を行ったわけでございますが、その結果に基づきましてこの数値を得たわけでございます。もちろん精細な調査をときどき繰り返せば別な数字が出ようかと思いますが、一応行政的にはこの数字を踏まえて施策を講じておるわけでございます。出現率ということでございますから、これは実数が変わりますればそれに従って推定児童数、生徒数も変わってくるわけでございます。行政的には一応この数値を用いて施策を進めて差し支えなかろうということでいるわけでございます。大体その他の障害にいたしましても、出現率というのは、たとえば衛生状態が非常に変わってくるような場合には変化があるかと思いますが、短期的にはそう大きな変化がないというのが通常の考え方であろうかと思います。
  165. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 出現率は私は変わっていると思うのです。たとえば盲人、聾唖関係は少なくなってきておるし、この情緒障害については、私は静岡県でありますが、静岡県の調査したところによりますと、人口一万人に対して〇・五四%になっております。これは県の独自の調査ですから、ほかの都道府県はわかりませんですけれども、四十二年から八年間というものこの出現率が変わっておらない、そのままの数字を使用しておる。私は毎年やる必要はないと思うのですが、ある一定の期間たったならば調査をし直す必要があるじゃないか。生まれた子が、八年たてばもう小学校二年になっておる。最近のような社会情勢の変化等によって、静岡県の例から言っても出現率が約〇・一何%か違うわけなんです。ですから、この出現率について私はもう一度調査をする段階に来ていると思いますが、調査をする気持ちはありませんか。
  166. 安嶋彌

    ○安嶋政府委員 ただいま申し上げましたように、心身障害児の出現率は、自閉症児あるいは情緒障害児に限りませず、視覚障害や聴覚障害や精神薄弱、肢体不自由等につきましても、現在は四十二年の調査基本にして数値を推計し施策を進めておるわけでございます。もちろん将来このままでいいということではございませんので、適当な機会に改めて調査をするようなことも必要かと思いますが、さしあたりのところは再調査するという考えはございません。
  167. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 さしあたりのところは調査する必要ないとおっしゃいますが、私はやはり出現率は変ってきていると思うのですよ。このままの調査が今後何年続くかわかりませんですけれども、私は近い将来、ここ一、二年のうちにもう一度調査をする必要がある、それでなければ特殊児童の実態はつかめない。先ほど静岡県の例を申し上げたが、すでに変わっているじゃないですか。これは一府県でありますから何とも言えませんが……。いまのところ将来にわたって調べる必要はない、こうかたくなにおっしゃっておりますが、この辺どうなんですか、もう一度考える必要ないですか。
  168. 安嶋彌

    ○安嶋政府委員 将来とも調査をする必要がないと申し上げているわけではございません。将来再調査をする必要もあろうかと思いますが、さしあたりのところ四十二年調査のこの数値でもって施策を進めてまいりたいということでございます。将来の時期といたしましては、御承知のとおり五十四年度から養護学校の義務制の施行ということもございます。そういう一つの折り目が調査の時期として適当な時期の一つではないかと考えられますが、たとえばそういう時期において再調査をするというようなことを今後検討課題にしてまいりたいと思います。
  169. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 そのようにひとつ実施をしていただきたい。私も五十四年と申し上げようと思っておりましたが、一つの境になると思うのですね。  そこで、自閉症児の定義というのは大変むずかしいのです。ところが就学率がきわめて低いんですね。〇・七六%。その他の心身障害児は約三〇%でありますが、この中できわめて低い状態に置かれておる。ということは、自閉症児の定義が非常にむずかしいということもありますし、あるいは都道府県教育委員会もこの種の子供教育については大変困っているという問題もあろうかと思いますが、文部省としては都道府県に四十八年までに最小限小学校二クラス、中学校一クラスのこの自閉症児を扱う特殊学級的なものをつくりたいと目標を立てておりましたが、現実はなかなか進んでおらないようですが、どうですか、この実態については。
  170. 安嶋彌

    ○安嶋政府委員 ただいま先生からも御指摘がございましたように、自閉症児とは何かということが学問的にもなかなか定義をしにくい問題のようでございますし、さらに自閉症という症状の把握の仕方でございますが、これを基本的に疾病、病気と考えるのかあるいは性格の偏りと考えるのか、これは学問的にも意見の分かれておるところでございます。したがいまして、この自閉症児の教育の仕方というものにつきましても、一定の見解がないというのが現状でございます。と申しますのは、自閉症児の症状が非常に区々でございまして、したがいまして、これに対して一定の方法でもって教育をすることが適当だという結論がなかなか出しにくいということがあるのでございます。  久里浜にございます特殊教育総合研究所におきましても情緒障害児の研究部門を設けまして、こうした教育のあり方について検討いたしておるわけでございますが、まだただいま申し上げましたようにこれといった結論を得るという段階には至っておりません。そういう点がこの情緒障害児あるいは自閉症児の教育が十分に行われない一つの理由かと存じます。  現在情緒障害児を収容する特殊学級でございますが、これは小学校が三百六十九学級、中学校が九十二学級ということで四百六十一学級、約二千五百の児童生徒がこれに学んでおるわけでございますが、推定出現率によりますと、さらに多数の児童が該当するわけでございます。御承知のとおり四十七年度を初年度といたしまして十カ年間で三百三十学級の自閉症児のための特殊学級をつくりたいということで計画を進めておるわけでございますが、ただいま先生も御指摘ございましたように、特殊学級の整備につきましては必ずしも計画どおり進捗をしていないという状況でございますが、私どもといたしましても、この点につきましてはさらにこうした学級の整備が促進されますように指導をしてまいりたいというふうに考えております。
  171. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 給食問題で時間を過ぎましたので、あと細かいことがありますが、後回しにしまして、先ほど午前中の質問にも文部大臣お答えになっておりました、特にこの自閉症児の場合、インテグレーション、いわゆる普通児との、普通学級の児童との融合あるいはある時期には普通学級に入れて教育する、あるときには特殊な者についてまた特殊学級教育する。特に自閉症児についてはそういう教育が望まれてあり、あるいは効果があるようであります。そういう特殊教育のこれからの問題、それと、これはこの委員会でもたびたびお話意見が出ております、大臣も特殊という言葉が妥当でない、これは国立の久里浜の入学式のときもおっしゃっておりました。けさもおっしゃっておりましたね。委員会でもたびたびそういう意見が出ております。だから、この特殊という問題について、そういう意見が議会内でもあるいはちまたでも起きておるという、われわれも検討をいたしておりますが、なかなかうまい言葉が出てきませんが、この特殊という言葉を変えたい。大臣も変えたいとおっしゃっておりますが、これについての検討をひとつ早急にしていただきたいということと、自閉症児の教育の問題について、先ほど申し上げたことについて大臣の御意見をお聞きいたしたいと思います。
  172. 永井道雄

    永井国務大臣 自閉症児の問題につきましては、先ほど初中局長が申し上げましたように、なかなかこの自閉症児というものが何であるかということがつかみにくいわけでございます。つかみにくいですから、したがいまして治療方法というものもまた十分にわかっていないということでございます。しかし先生が御指摘のように、この問題は本当に大変重要な、また深刻なことでございますから、何とか解決の方法を考えていかなければいけない。私も久里浜に参りまして、自閉症児の教育といいますか、あるいは治療というか、見学をしてまいりました。ずいぶんいろいろな角度から違う試みをやっているということはわかったのです。それもいま申し上げたようなわけで、はっきり原因がつかめておりませんから、ある意味では治療の方から、新しい治療をやることによって、それがうまく当たれば原因というものがかえってわかってくるのじゃないかというような考え方で、私の行った部屋では、小鳥を一つ置いて、その小鳥の方に注意をさせながらそれに関心を持たせるというようなやり方をやったりしていました。そこでそういうやり方は、その先生がつきっきりで、いわゆるマン・ツー・マンのあれでございますが、しかしもう一つ先生がおっしゃいますように、そういうやり方ではなくて、ほかの子供と一緒にまぜるというような方法もあるのでございます。そういうことをやっている学校もございます。したがいまして、全くこれはむずかしい問題なんだというほかはないのでありますが、自閉症児の問題がやはりその特殊教育というものの考え方のむずかしさを物話っていると思います。つまり特殊、ある意味ではほかの子供と一緒にしたらば直ちにはやりにくいというような、本当に動くのも不便な予供もございます。そういう場合に、やはりその子供だけの教育をしなければいけませんが、同時に常に可能性を開いておくことが大事ですから、そういう場合には、普通特殊というふうな枠をつくらないことが一番望ましいのだと思います。  ですから、根本的な考え方としては、やはり私は心身障害児の特別なケアを必要とする者、それがあるということはこれは非常に困ったことですけれども、否定できませんからそれは続けていかなければいけませんが、他方においてやはりもう特殊、普通というような枠で分けませずに、そういうふうに専門家の方も盛んにそういう方向で努力しておられるようでありますから、文部省としてもぜひそういう方向を強化していきたい。これはもう先生のおっしゃったとおり、その方向が次第に実現できれば望ましいのであると考えております。
  173. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 あと一点だけ、せっかく来ておりますので、幼稚園関係で、学校法人、公立、個人立、宗教法人、いろいろ幼稚園がありますが、この幼稚園の適正配置の問題で十分留意するということで文部省からも以前通達があったように覚えております。それがまた削除されたというように聞いております。その辺は私確認をとっておりませんが、市町村における公、私立の適正な配置という問題について、いまどのような指導をなさっているか、その辺についてお聞きをいたしたいと思います。
  174. 安嶋彌

    ○安嶋政府委員 幼稚園は、御承知のとおり大学や高等学校などと違いまして園児の通園する範囲に限界がございます。したがいまして、幼稚園は適当な地域間隔で整備されることが必要でございます。ところが御承知のとおり幼稚園には、国立は特殊なものでございますが公立と私立がございます。また、私立相互間でも配置上いろいろな問題があるわけでございます。そこで、昭和三十九年の八月付をもちまして各都道府県知事と都道府県教育委員会あてに通達をいたしまして、管内の市町村に対しましては将来を見通した幼稚園の拡充整備計画を円滑に実施いたしますために、都道府県の教育委員会及び知事の部局におきましては、たとえば連絡協議会を設けるなどの方法によりまして設置の連絡調整の方法を講ずるようにしてもらいたいということを申しております。  御承知のとおり、私立の幼稚園の設置認可権は都道府県知事にあるわけでございます。一方、公立幼稚園の設置は教育委員会によって行われるわけでございまして、その間の調整を図ることがぜひとも必要であるということで、こうした通達を出して指導をいたしておる次第でございます。  今後の課題といたしましましては、現在私立の幼稚園の設置認可につきましては、設置者から都道府県知事に直接申請が出されておるような状況でございますが、たとえばこの申請について、市町村長を経由するというような方法をも講じまして、町村段階における幼稚園相互間の配置の調整ということについて考えてまいりたいというふうに考えております。  私立幼稚園相互間の調整の問題につきましては、特にこういう通達は出していないわけでございますが、しかし私立幼稚園につきましては、設置認可の際は各都道府県に置かれておりまする私立学校審議会に諮って認可が行われるということでございますから、実際上はそういう場所であるいは私立の幼稚園協会といったようなところで話し合いが行われて調整もとられておるというような状況でございます。  なお、先般文部省に設けられておりました私学振興方策懇談会におきましてもこうした幼稚園の設置の調整につきましては留意することが必要であるという答申もいたしておりますので、そういう方向で今後とも努力をしてまいりたいというふうに考えております。
  175. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 適正な配置ということで、東京都内でもつぶれる幼稚園があるということでありますので、これこそひとつ強力な指導をしてもらいたいことを要望して、質問を終わります。
  176. 久保田円次

    ○久保田委員長 次回は、来たる二十日開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後四時三十四分散会