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佐々木国務大臣 恐らくおっしゃる
意味は、いま大変いろいろ問題になっています舶用炉あるいは
発電炉に使っておる軽水炉に関する安全性の問題かと存じますので、その点を少し
お話しいたします。
軽水炉
そのものは、これは本来安全なものなんです。使っている
燃料は濃縮ウラン、大体二%から三%の濃度でありまして、爆弾で使う九十数%、一〇〇%近いものとは全然違います。それから、減速材は水でございまして、この水が、温度がだんだん高くなってまいりますと、うんと高くなってきますと、核反応
そのものが鈍ってまいりまして、普通、負の温度係数と言っていますけれども、
自分自体で自然に停止するようになります。ですから、爆発に至りません。これは事実アメリカでも、何にも制御棒等を使わずにそのままでやってみたのですけれども、とまりますね。ですから、爆弾のようには破裂しない、爆発しないというその安全性だけはまず
大前提として御理解いただきたいのです。
そこで、原子炉とは何ぞやと言っても、爆弾と違いまして、
原子力そのものを制御して危なくないように使うというのが原子炉の本質でございます、他の機械やなんかと
意味が違うわけでございまして。そこで普通、安全性と言われているのはどういう
意味かと申しますと、私は、どうもこの点は
日本の皆様の
——われわれも多分力も足らないし、悪かったに違いありませんが、安全という問題に対して非常に幅広い解釈がありますのにかかわらず、最悪の場合だけつかんで話すものですから、非常にこんがらがったのじゃないかということですね。それは、いま申しました軽水炉でございますけれども、たとえばパイプが何千本も入って、そして非常な強い圧力で中を熱湯が走り回って、それから熱を移しとって、そうして蒸気に変えて普通の電気にしていくという構造になっているわけですけれども、そのパイプ等が、仮に何千本の中で一本、しかもその一部に小さい穴があいたといったような場合でも放射線が出ます。出ますが、微量な放射線が出ますと、すぐアラームで、放射線が出ましたよという警告ができるようにしてあります。早期発見のためのあらゆる設備ができております。ですから、そういうものが出ますと、すぐ炉をとめて、その修理にかかっていく。これは何にも
関係ないですね、第三者、大衆とかは。あるいは環境には何の
関係もない。それから、それがもしそうでない場合にはどうなるかというので、あらゆるケースを考えていって、そうして二段にも三段にも、あるいは独立して、これがだめであれば全部だめだというやり方では困るということで、独立して炉を消すような装置を幾段にも考えている。最後には、地震その他あらゆる要素があった場合には、こういうふうにしろ、震度がこういうふうになればこういうふうにとまる、あらゆることを考え、そうして、ほかの産業にはいままで全然ないわけですけれども、仮想の、あり得べからざる事故を仮にあるとした場合どうするかということを想定してまでこの安全性というものを確保するための措置というものができておるものなんです。これは、ほかのいままでの人類の歴史にこういう産業というのはありません。あり得ないことまで想定して、仮にあったならばという、あらゆる事故を集合して、そうして、仮にあったならばという想定を下しておりますけれども、それに対してもこういう手段で出しませんという装置が幾つもできております。またもし仮に、それがそれでも漏れたという場合にはどうするかというと、遮蔽を幾つにもしてそれを出さないようにしていく。
ですから、アメリカの
原子力委員会が、三年ばかり大金を使いましてアメリカの
学者を動員して、そうして軽水炉がそういう大きい事故、第三者を冒す、あるいは環境を汚染するような事故がありやなしやという確率を三年間で
研究させたわけです。それで
結論が去年の秋ラスムッセン
報告として出ておりまして、いま世界の各個所でその
検討に入っておりますが、アメリカもそれを
公開して各国に送って、それぞれ
検討して返事を下さいということで、わが方もわが方で
研究を進めております。それによりますと、そういう
意味ではこれほど安全なものはない。きょうは資料を持ってこなかったので正確には言えませんけれども、いん石の確率よりもはるかに少ないんですよ。何億分の一。こんなことはあり得ないのです。
ところが、
日本のいまの取り上げ方は、小さいピンホールが起きた、それはすぐ炉を消して直せば直るわけですから、そのことと第三者あるいは環境を汚染するというこの事故とごっちゃにしちゃうわけですね、大変だと。私は、どういうわけで
日本がこういう風土になったのか、世界にこんなところはありません。あるわけがない。
ですから去年、ソ連の
原子力副
委員長でございますか、
日本に参りまして、社会党の
皆さんもソ連の事情をよく聞きたいというので会わせた。お聞き及びだと思いますけれども、原子炉ほど安全なものはないじゃないかと、ずばりともう話をされて、そうしてその後、去年の秋、
日本のこの道の練達の士が、技術堪能の士が十数名でございますか、参りまして帰ってきましたが、ソ連のこの問題に対する
考え方というものは実に徹底しておりまして、
日本のように被覆なんというものは余りやってないんですね。ですから、ぜひひとつ
皆さんで見に行ってもらいたいと思うのです。
ということで、私は、安全という概念
そのものに対する
考え方、取り上げ方に非常に問題があると思います。ですから、たとえばどこそこで事故が起きた、炉がとまったじゃないか、それはとまってますけれども、より以上に安全に完全なものにしようというので、
日本は念には念を入れて修理したり何かしているのですから、これはどうしてもとまる率が多くなります。ほかの国では、もうそんなものは構わぬでやっておるようなところがあるのにもかかわらず、
日本はそんなことはしません。ところが、そのこと
自体が、実際はいま申しましたように、安全と第三者というのは、大事故とかいわゆるリスク、危険とかいうものとは違うんですけれども、すぐごっちゃになって取り上げられるということ、それから、いろいろ故障でとまること
自体は何の問題かというと、私は、むしろ操業度、電力の安定供給というものに支障を来たすのじゃないか、あるいは経済価値、電力料金に操業度が影響しないかという問題として取り上げるのであれば、これはわかります。それは当然のことでございますからそれはわかります。しかしそうじゃなくて、
そのもの自体がいわゆる安全、第三者なり環境汚染なり、そういうものとの
関連でこれが安全かどうかというこの論議の立て方、こういう特殊な
原子力風土なんですね。これはどうもまだまだ改善の余地があるのじゃないかというふうに実は私は考えています。
今後だんだんそういうものを直していかなければいけませんけれども、しかし、しからばなぜそういうことが起きてきたかと言いますと、私はやはり、これは
日本の安全問題に対して、特に軽水炉の安全問題に対する機材その他に対するメーカーあるいは
電力会社あるいは
研究所、
政府も交えまして、この問題に真剣に取り組む姿がなかったということ、これは批判されてもやむを得ぬことだと思います。その経過を、私、初代の
原子力局長でありますから、私どもがやったときにはどうだった、軽水炉を取り入れたときにはどういう
状況だったという点から話せば非常にはっきりしてきますけれども、長くなりますからやめますが、要するに、そういう安全
自体に対する、特に軽水炉の安全問題に対する国の
研究は遅まきでありますけれども、これらの
研究をどうするか、いまやっております。
原子力研究所にも今度センターをつくりまして、いま真剣にやっておる。二、三年来でございますけれども、非常に成果を上げつつございます。アメリカの方でも刮目しているほど成果を上げつつある。それから、
電力会社もメーカーも
一緒になってだんだん故障の
原因、個所等がはっきりしてきましたから、全部総がかりでいま完成に向かいつつある最中でございます。
そういう軽水炉に対する安全問題をどういうふうにしていくか、できた
そのもの自体が安全であるのが一番いいのであります。しかし念のため安全かどうかということを検査しようということで
審査、検査の
体制をどうするか、これもさっき申しましたように、いままでの法規でもやれますけれども、現状をもって満足すべきかと言いますと、必ずしもそうではございませんので、それを
行政措置として、お互いに連絡し合ってもう少しはっきりさせようじゃないか、あるいは
国民の支持を得るためにどういうふうな方策が必要か、理解、協力を得るための方策いかんといったようなこと、軽水炉だけの問題に関しましてもいろいろな問題がまだあるわけでございまして、そういう
意味で、私は、こういう
安全局のようなものをとりあえずつくって、そしてそういう問題を、万全ではないにしても前進させていく。そうではなしに漫然と三年後、四年後を待って、それまではしようがありません、何ともなりませんという行き方はとるべきではないのではないかということで、この
安全局に踏み切ったわけでございます。