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1975-02-25 第75回国会 衆議院 内閣委員会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十年二月二十五日(火曜日)     午前十時三十五分開議  出席委員    委員長 藤尾 正行君    理事 越智 伊平君 理事 奥田 敬和君    理事 加藤 陽三君 理事 木野 晴夫君    理事 上原 康助君 理事 大出  俊君    理事 中路 雅弘君       有田 喜一君    大石 千八君       近藤 鉄雄君    中馬 辰猪君       楢橋  進君    旗野 進一君       林  大幹君    三塚  博君       吉永 治市君    和田 貞夫君       木下 元二君    鬼木 勝利君       鈴切 康雄君    受田 新吉君  出席国務大臣         文 部 大 臣 永井 道雄君         国 務 大 臣         (総理府総務長         官)      植木 光教君  出席政府委員         人事院総裁   藤井 貞夫君         人事院事務総局         給与局長    茨木  広君         人事院事務総局         職員局長    中村  博君         内閣総理大臣官         房総務審議官  佐々 成美君         総理府人事局長 秋富 公正君         青少年対策本部         次長      吉里 邦夫君         防衛施設庁施設         部長      銅崎 富司君         文部政務次官  山崎平八郎君         文部大臣官房長 清水 成之君         文部省初等中等         教育局長    安嶋  彌君         文部省大学局長 井内慶次郎君         文部省学術国際         局長      木田  宏君         文部省社会教育         局長      安養寺重夫君         文部省体育局長 諸沢 正道君         文部省管理局長 今村 武俊君         建設省都市局参         事官      森田 松仁君  委員外出席者         沖繩開発庁総務         局総務課長   大濱 忠志君         外務省アメリカ         局外務参事官  深田  宏君         内閣委員会調査         室長      本田 敬信君     ————————————— 委員の異動 二月二十一日  辞任         補欠選任   笠岡  喬君     原 健三郎君   近藤 鉄雄君     福永 一臣君 同日  辞任         補欠選任   原 健三郎君     笠岡  喬君   福永 一臣君     近藤 鉄雄君 同月二十五日  辞任         補欠選任   竹中 修一君     楢橋  進君 同日  辞任         補欠選任   楢橋  進君     竹中 修一君     ————————————— 二月二十二日  小松基地ファントム配備計画中止等に関する  請願外一件(嶋崎譲紹介)(第七一八号)  青野ケ原ホーク部隊設置反対に関する請願(渡  部一郎紹介)(第七一九号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  文部省設置法の一部を改正する法律案内閣提  出第一八号)  国家公務員寒冷地手当に関する法律の一部を  改正する法律案内閣提出第一九号)      ————◇—————
  2. 藤尾正行

    藤尾委員長 これより会議を開きます。  文部省設置法の一部を改正する法律案を議題といたします。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。中路雅弘君。
  3. 中路雅弘

    中路委員 すでに私の方も同僚議員が、この法案については、特に設置される高知室戸の問題についても質疑を終わっていますので、簡潔に幾つかお伺いしたいと思います。  今度、文部省付属機関として国立少年自然の家が設置されるわけですが、最初に、簡潔でいいのですが、この国立の自然の家を設置される趣旨について一言お聞きしたいと思います。
  4. 永井道雄

    永井国務大臣 国立少年自然の家は、次のようなことで設置されるものであります。  学制百年の記念事業でありますが、これまでも公立少年自然の家というのは多数ございますけれども、その上に国立少年自然の家をつくりますのは、第一に、広域におきまして経験、交流が行えますように図るということがございます。  次に、やはりこういうものを今後発展させていきます上でいろいろな実験を行っていく、また、その実験というものによって、公立自然の家にも何らかの望ましい影響というものが生まれることを期待しております。  次に、こういう少年社会教育というものが一層盛んになっております趨勢の中で、少年教育、特に社会教育でありますが、その指導者というものが年ごとに多数必要になってまいりますから、その指導者の養成、研修、こういうことを目的にしているわけでございまして、おおよそ以上申し上げました三つの点が、主要なる目的考えている次第でございます。
  5. 中路雅弘

    中路委員 私も、社会教育施設の充実、この問題については、父母や教育関係者一つ要求でありますし、特に子供が自然に親しむ、情操や社会性を豊かにするということは、一人一人の行き届いた教育の上でも欠かすことができない条件だと思います。この要求について、国が部分的にも国費を投じて少年自然の家を設置するということは、教育行政上からも当然の施策だと思いますし、賛成でありますが、特に自然の家の管理運営については、関係者利用者要望意見を十分反映させたものにしていただきたいということをお願いしておきたいわけです。  いままで国立青年の家というのが各地に設置されていますが、私は、この問題できょう詰めた議論をするつもりはありませんが、たとえば一つの例でお話ししますと、この国立青年の家の利用規則を見ますと、第八条に「朝のつどいおよび夕べのつどいにおいて、国旗掲揚を行なわなければならない。」ということが義務づけられていまして、第十三条で「所長は、前項の規定に違反した者に対して、退所を命ずることができる。」ということも書かれているわけです。  いま、この前の田中総理の発言もありましたが、国旗や国歌の制定という、法制化という問題は、政治的にまた非常に論議を呼ぶ問題でありますし、私は、この問題の是非をここで論議するつもりはきょうはありませんが、いまこのような政治の場面で論議になっている問題、こういった点については、それを義務づけて、しかも違反した者については退所を命ずるというような規定ですね、こういう点については、できるだけやはり自由な判断にむしろ任せるというような点も必要ではないか。  一例を挙げましたけれども青年の家もそうですが、できるだけこの少年自然の家においても、政治上や宗教上のいろいろな問題、論議になっている問題、そういった点を持ち込むということではなくて、民主的な運営を図っていただきたいと思いますし、そういう点では利用者意見、あるいは運営についても、委員会等のひとつ民主的な機関によって十分これが活用されるように要望したいと思うのですが、一言この点についても御意見をお伺いしたいと思います。
  6. 永井道雄

    永井国務大臣 運営につきましては、地元方々あるいは学識経験者、特に教育についてお考えになっている方、こういう方々にお集りをいただきまして、将来、少年自然の家につきましては委員会的な運営を行っていくというふうに考えております。それはやはり、そういう姿で合意を得ながら進めていくということが非常に必要であると考えているからでございます。  そうでありますと同時に、他方やはり、一つ機関運営いたしていきます場合には、おのずから秩序というものも必要でございますから、それについて規則をつくっております。そういう中に国旗掲揚の問題もございます。ただ、こういうことにつきまして、ただいま御指摘のような点もございますので、どういう方法をこれまで青年の家についてとっておるかといいますと、あらかじめそういう規則をお示しいたしまして、そして、その規則というものをよく見ていただいて来ていただく。ですから、いまの退所のところだけを御指摘になりますと、非常に厳しいのですが、実を申しますと、あらかじめ見ていただくという手続も踏んでいるわけでございますし、少年自然の家につきましても、同様やはり規則が必要だと思いますが、そういう委員会のような運営方法、さらにあらかじめよく規則を見てそして来ていただく、そういう形で進めていきたい、かように考えております。
  7. 中路雅弘

    中路委員 いま一例で挙げましたけれども、特に利用する場合に、さっき退所のところの十三条だけを取り上げましたけれども、こういった点について政治的な論議がまた起きますといろいろ問題になりますから、その点ではできるだけ、そういう問題については自由な判断で——私も掲げるなということを決めろということを言っているわけではなくて、自主的な判断に任せてやっていく、それを守らなければ退所だというような、この八条、十三条を読みますと、そういうことにもなるわけなんで、その点、十分民主的な運営について配慮をする必要があるのではないか、一言そのことを述べておきたいと思います。  その次に、これからの少年自然の家の設置計画ですが、現在公立が、私どもの神奈川県にも三浦に、臨海学園少年自然の家の県立がありますが、全国でいま県、市の公立少年自然の家がどれくらいあるのか、それら公立を含めまして、国立の今後の設置計画を簡潔にお伺いしたいと思います。
  8. 永井道雄

    永井国務大臣 公立少年自然の家は、現在活動いたしております、つまり動いておりますのが六十九ございます。で、国立少年自然の家は、現在計画をして進めていこうとしておりますものが十二でございます。この十二というのを、全国の地図を見まして、そして先ほど申し上げましたように、広域圏でございますから順次十二のものを建設していく。さしあたっては、まず来会年度中に室戸に開所するわけでございますが、そのほか二カ所を来会年度中に建設いたします。そしてあとの九つにつきましては、またこれも段階を設けまして、創設準備を進めていくもの、それから調査を進めていくもの、さらに場所を選定するものというふうに段階別にいたしまして十二、それといま申し上げました六十九、それがお互いに補い合いながら発展していくようにと、こういう形で計画を進めている次第でございます。
  9. 中路雅弘

    中路委員 計画の十二ヵ所の中で、その計画の内訳を見てみますと、南関東区域甲信越区域という二つ候補地未定ということで説明をいただいているわけですが、特にこの南関東甲信越区域というのは、首都圏子供たちにとっても、健康を守る上で早急に候補地を確保して、設置計画を進めなければならない地域だと私は思いますが、この二つ地域が、まだ候補地も未定になっているというのはどういう事情なのか、どのようにこれから進めていかれるのか。私は、この点は設置計画を急ぐ必要があるというふうに考えるわけですが、この点についてお考えをお聞きしたい。
  10. 永井道雄

    永井国務大臣 これについては政府委員から答弁いたさせます。
  11. 安養寺重夫

    安養寺政府委員 ただいま南関東地域甲信越地域計画の実態の御質問がございましたが、実はこの該当地域にも県からこういう場所でどうであろうかというような御要請はございまして、私どもの方で局外の御専門の方々にいろいろ調査をしていただいたのでございますが、まだ、そこに確定するにはいろいろ条件のふぞろいがあるということで、これは今後、そういうものを含めまして検討を急いでまいりたいと思っております。
  12. 中路雅弘

    中路委員 私は、ぜひともこの二つの予定の地域設置計画を急いで、やはり最も首都圏中心のところですし、大気汚染にも苦しむ子供たちが多いところですから、進めていただきたい。特に設置については、地方自治体に不当な財政負担を負わせない。この問題については、すでに高知室戸の問題で同僚山原委員からこの前質疑をいたしましたから、私は要望だけにとどめておきたいと思うのです。  いまの問題と関連しまして、二、三具体的な問題で要望を含めてお話ししたいのですが、たとえば私がいます川崎市ですが、御存じのように、南部の方は公害病認定地域になっています。五十年の二月現在で政府認定患者だけで二千二百八十三名という認定患者がありますし、その中で公害病認定を受けている義務教育児童だけで四百七十九人、小学生が三百八十五名、中学生が九十四名。それから、この認定児童以外に、それに近い小児ぜんそくの症状、こういったものを持った子供は、病院、診療機関医療機関調査でも、この認定児童をはるかに上回る数が出ているわけです。  いま川崎市では、この認定地域小学校の四年、五年、六年と中学校の一年、合計一万二千人いますが、これを全員対象にしたグリーンスクールというのをやっているわけです。何泊か自然のあるところ、緑のあるところの、先ほど挙げました県立の自然の家だとか、あるいは民家の休暇村、そういうところを借りてグリーンスクールというのをやっているわけです。私も一度このグリーンスクール状態を、テレビで放映したことがあるので見ていたのですが、たとえば夜、女の子男の子児童が泊まっているまくら元にカブトムシがはう、そうすると男の子が、このカブトムシを持って川崎へ帰ろうかと言うと、女の子川崎へ虫を持って帰ったら公害病で死んでしまうから、かわいそうだから持って帰るのはよそうというような対話がテレビに出ていて、こういう子供たちが自然に本当に親しむ問題、それから公害の恐ろしさ、そういうものを、子供のときから苦しんでいますから痛感しているわけですが、地方自治体はこういう施策をやっているわけです。  いま公立少年自然の家、今度は国立ができるわけですから、私はそこに、少なくとも国の方が認定をしている児童、五百人から近い児童公害病認定にあるわけですから、こういう児童について優先的に、一定の期間こういう国立少年自然の家を利用する、あるいはできれば関係省庁とも相談していただいて、その費用の何がしかを補助するという形で、公害に対する施策としても、国の方でもこういう施策考えてもらえないかどうかということについて、関係省庁とも相談もあると思いますけれども文部大臣の御意見をお伺いいたしたいと思います。
  13. 永井道雄

    永井国務大臣 ただいま御指摘がございましたように、公害病が発生するような地区における子供の問題というものは非常に重要であると思います。でき得る限り、そういう子供を自然に接触させるような場で教育人間形成ができるというふうに当然取り計らうべきものと考えております。  したがいまして、御指摘がありましたように、公害病認定地区児童や生徒の利用というものにつきましては、優先的にこれを取り計らうというふうに配慮いたしたいと考えております。  なお、利用料金のことについてお尋ねがございましたが、食費などを除きまして、そういう利用料金というものは徴収をいたしませんという方針で臨んでいるわけでございますので、それもつけ加えさせていただきたいと思います。
  14. 中路雅弘

    中路委員 いま川崎の例でお話ししましたけれども全国のこういう公害認定地域に学童がいると思うのです。いま、そういう児童については優先的に取り扱い、費用についても、食費を除いて徴収もしないというようなお話幾つかありましたが、ぜひとも、そういう点でひとつ具体的な施策を進めていただきたいと思います。  もう一つの問題は、これは先日、大出議員が詳しくお聞きになっていましたので、私、ダブる点は省略をして御質問したいのですが、大出議員は、鶴見学校老朽校舎の例でお話しになりました。京浜地域といいますと、鶴見川崎は一本のものですから、先日の大出議員質問ともあわせて考えていただきたいのですが、いまの公害地域の小中学校、この中にまだ老朽校舎幾つもあるわけです。  一つの例で言いますと、公害地域は、学校空気清浄器をつけるということになっていまして、相当予算もつけて清浄器をつけておる。最近、その現状を聞いてみますと、校舎の傷みがひどいものですから、老朽校舎ですから、空気清浄器をつけても、木造であってはほとんど効率がない。ですから、せっかく国や地方自治体の方で清浄器をつけるという施策をやっても、校舎の方で効率がほとんど上げられないという事態もあるわけです。  この点で、主として公害地区老朽校舎改築のための特別の処置をとりまして、できるだけ早くこの地域老朽校舎は改築するということで臨んでいますけれども御存じのように、いまの地方自治体の財政難の中では一気に解決ができない。川崎の南の方だけでも、私が聞きましたら、小学校四校、中学で三校が今度、五十年度で相当市の方が改築計画を進めておりますけれども、それでもまだ後に残るというような現状なわけです。  その事態の中で、御存じのように、前回も質問がありましたが、いまこの地域は、いわゆる直下型地震の問題が大きな、住民皆さんの不安を呼んで、そして調べてみますと、この地震避難地は、南の方は防災遮断帯もないですから学校と、わずかの小さい公園が指定されているだけということです。いわゆる一番最初に危ない、火災だとか地震に危ないそういう老朽校舎のある学校避難地となっているという現状にあるわけです。  私は、この問題について幾つか御質問したいのですが、建設省の方に、ちょっとこれに関連して二、三お聞きしておきたいのですが、きのうもこれは分科会で問題になったそうですが、川崎市が地震対策等に関する緊急要望書というのを出していますが、この中の第一番に挙げられているのが防災遮断帯の問題です。  先日、ある新聞にもこういう記事が出ていました。この地震の問題、それから石油タンク不等沈下の問題、こういったことが表面化して、自治体住民が非常な不安に陥っている。そこで、川崎市が今月の四日「震災を最小限に食い止めるため、コンビナート市街地をしゃ断する安全対策をとるよう、国に対して緊急申し入れをした。ところが、京浜コンビナートしゃ断帯を建設する具体的プランが、建設省にも国土庁にもないことがわかり、地元を非常にあわてさせている。全国最大規模をもつ京浜コンビナート防災体制のお粗末さが、はしなくも暴露された。」というような新聞記事も出ているわけですが、いままで建設省中心で、これは南関東大震災対策計画調査として四十七年、八年、川崎、横浜市に調査費をつけて防災遮断帯のことについての調査をいろいろやってこられました。これについては、すでにこの調査会から国の方へ報告書が上がっていると思いますが、この報告とあわせて、四十九年三月に建設省都市局で「防災遮断帯整備効果の分析及び整備基本方針検討」という報告書、ここにありますが、非常に膨大な報告書ですが、出ておるわけです。  私、この報告書を読ませていただきましたが、この中に非常に大事な点がたくさん指摘をされておる。建設省都市局が三月にこれを出されていますが、特にこの中では、この防災遮断帯が、地震というような突発的に大災害を起こす可能性のある事故、それから災害危険性、これはもとより、慢性的にある公害危険性から都市住民の生命と生活を守るという上でも最も重要なものだということを、皆さん報告書でも指摘をしています。そうしてたとえば、この遮断帯は五百メートルが一番理想的なんだ、いま川崎の場合、狭いところは三十メートルぐらいですね、住宅と学校コンビナートが。それを、どうしても離す必要があるということも述べられています。しかし、これをやっていくのに一番の問題は、いま防災ということを目的にした事業手法がないし、それを保証する法律もない、またしたがって、資金的な裏づけも全くないということが書かれてあって、こういう問題を解決しなければ、これだけの調査をやられたわけですが、この具体化は絵にかいたモチにすぎないということになってしまうということが、皆さん報告でも書かれているわけです。  そこで、私はお尋ねしたいのですが、これだけの作業をやってこられて、さて具体的に、この遮断帯の問題について、その構想についてどのように進められようとしているのか、具体化されようとしているのか、具体的な計画といいますか、お考え、これを出されてから一年近くなりますけれども、その進行の状態、この点について最初にお聞きしたいと思います。
  15. 森田松仁

    森田政府委員 建設省におきましては、御指摘のとおり四十七年度、四十八年度の二回にわたりまして、京浜臨海部モデルといたしまして、震災対策調査を行っておりますが、ただいま御指摘報告書は、その四十八年度分であろうかと存じます。  そこで四十七年、八年にわたりまして調査いたしましたが、この防災遮断帯構想につきましては、都市防災化安全化というものをあわせまして都市環境の改善といった、いわゆる都市構造自体の根本的な、あるいは恒久的と申しますか、対策モデルとして検討したものでございます。したがいまして、その実現に当たりましては、この報告書にも指摘されておりますが、防災遮断帯整備についての総合的な計画を、まず地方公共団体中心にして作成する必要があるわけでございますので、そういう指導をいたしますとともに、当面におきましては、そのうち緊急を要するものにつきまして、しかも非常に可能性の高いもの、こういうものにつきまして検討いたしまして、ただいま地域防災計画という計画がございますが、その中で地方公共団体が策定いたします防災対策緊急事業計画、これを定めるように現在指導してまいっております。こういう地域防災計画の中で特に定めます防災対策緊急事業計画、この中でこういう防災遮断帯構想ども検討いたしまして、具体的に実施できるものから事業の推進を図ってまいりたい、かように考えております。
  16. 中路雅弘

    中路委員 皆さん報告の中にも、自治体に対する国の協力援助あるいは法制度整備が、これをやっていくのに必要不可欠だというふうに述べられているわけですね。いまの自治体現状では、平常時の都市施設整備だけで手いっぱいでありますから、こういうような問題を具体的に進めるということになれば、国の方の対策が強く求められているわけです。  建設省の試算でも、新聞によりますと、緩衝の緑地帯をつくるのに着工から平均五年はかかる、国が急いで着工しないと地震との競争に間に合わなくなるというようなことも新聞に出ておりますけれども、私がお聞きしているのは、地方自治体防災施策をいまいろいろ進めさせるということについて協力していくというお話ですけれども皆さん自身が述べられている報告、この報告に基づいて国として、建設省として、どのように具体的にこれからこの構想を進めていこうというふうにお考えになっているのか、その点をひとつお聞きしたいと思うのです。
  17. 森田松仁

    森田政府委員 この報告書の中に出ております防災遮断帯整備計画でございますけれども、御案内のように、コンビナート一般市街地との間に安全空間をつくるというのが考え方の基本で、その幅は最低が三百メーター基本的には五百メーター以上であるというお話でございます。しかもその中には空地帯樹木帯樹林帯でございますとか都市施設帯を設けまして、その中にいろいろな施設、あるいは空地もいたしますけれども盛土施設、あるいは場合によりましては住居、それから安全な工場、それから地帯によりましては、人が住んでもいいという地帯もございますので、そういう地域を幅五百メーター以上でつくってまいるような事業でございまして、これにつきましては、そういう期間も長期、あるいは膨大な費用もかかりますけれども、まず、その前に各種の問題点がございます。それは報告書の方にも、いろいろ指摘されておりますけれども、現在その問題点をいろいろと検討しているという段階でございます。
  18. 中路雅弘

    中路委員 その問題点というのは、どういう問題があるのか、もう少し具体的に……。
  19. 森田松仁

    森田政府委員 問題点幾つかございますけれども、それを概略申してみますと、一つには、防災遮断帯整備は、コンビナート自体の安全化市街地側の都市整備というのが協調的に推進される必要がある。防災遮断帯整備計画範囲というものは、やはり工業サイドの計画都市計画サイドの両面から検討する必要があるというのが一つでございます。  それから二番目には、防災遮断帯につきましては、これは非常に広範囲にわたっております。そのために、その中にさまざまな地区が含まれておるわけでございます。したがって、その計画に当たりましては、防災遮断帯の最終的なビジョンを提示いたしまして、それに至る計画段階をまず示す必要がある。このように防災遮断帯計画の中には、長期的な要素と緊急的に整備しなければならないというのと両面含まれておるわけでございます。したがって当面は、可能性のあるものから事業を推進していく必要がある。  三番目は、防災遮断帯のうち緊急に整備を要するものにつきましては、いわゆる既存の事業手法、たとえば都市公園事業でありますとか市街地再開発事業でありますとか、そういう各種の既存の手法の活用によって対処していくものである。しかしながら、これらの諸事業を一体的に推進するためには、やはり地方公共団体中心になりまして、総合的な計画を策定しまして、実現に向けて対応する必要がある。さらに、地方公共団体防災遮断帯整備を進めるに当たりましては、財源の確保等について国の協力が必要である。  以上のような問題点がございまして、そのために指摘されておりますのは、たとえば震災対策緊急整備地区の指定をどうするかとか、あるいは計画推進主体の確立をどうするかとか、あるいは京浜臨海部長期ビジョンの確立をどういうふうに考えるかとか、あるいは個々の事業計画の作成をどう考えるかとか、あるいは財源の確保の問題、さらに防災遮断帯の基礎的研究を推進していくという今後の課題をいただいておるわけでございます。  したがって、それらにつきましては現在検討いたしておりますが、たとえば第一点の震災対策緊急整備地区というものを指定したらどうかということにつきましては、関係各省の震災対策の総合的な施策にわたりますので、これは現在検討いたしております。しかしながら、私どもとしましては、現在の地域防災計画の中で考えております防災対策緊急事業計画という中でむしろ緊急整備地区を指定する、これを公共団体と国が協力しまして、その中で必要な事業を実施してまいるということではなかろうかと思っております。  それから、計画推進主体の確立という課題をこの中で提案しておりますが、これにつきましては、先ほど申し上げましたように、地域防災計画というものを公共団体が立案する立場にありますし、もちろん事業の実施につきましても公共団体がその立場にある、それが中心になりまして、国としてもこれに積極的に協力してまいりたいということでございます。  それから、長期ビジョンを確立したらどうか。これは当然、こういう都市の構造の基本にかかわりますような防災遮断帯等につきましては、やはり全体の長期ビジョンがまず必要ではなかろうか。それにいたしましても、事業を実施する場合には、各種の事業都市公園事業あるいは街路事業市街地再開発事業、各般の都市計画事業がございますので、そういうものの事業を適切に選択しまして、もちろんこれは、地元公共団体並びに地元の方の御意見も聞いてまいりますけれども、適切に事業の種類を選択いたしまして、さらに、それを組み合わせることによりまして、総合的な計画事業を実施してまいりたい。  それから、財源の確保につきましては、これは、まだ防災遮断帯それ自体の計画が確定しておりませんので、所要資金につきましては計算しておりませんけれども、何せ構想としましては、五百メーター以上で十数キロに及ぶということでございますので、もし必要があれば、今後の大きな検討課題になろうか、こういうふうに考えております。  以上が問題点と現在検討しております段階であります。
  20. 中路雅弘

    中路委員 結局この遮断帯の問題では、まだ具体化が進められていないわけなんですね。だから、たとえば横浜市の災害対策室長ですか、新聞に書いていますけれども、京浜工業地帯地震の起こる可能性があるという中で、国が率先して遮断帯問題を含めた施策に当たってもらわなければいけないというのに、まだ具体的にこれを進めていく構想がない、遮断帯についての構想を、まだ国が具体案を持っていないということについて、非常に強い不満を新聞の談話でも出していますし、川崎市も市が独自でいろいろ防災計画を進めておりますけれども、特別なそういうためのお金もない、四百六十七施設も危険物があるというコンビナート対策というものは、地方自治体だけではとても手に負えないのだ、国がぜひともこの問題に乗り出してほしいのだということも言っているわけですね。  しかも、これが出されてからあと、いわゆる去年の暮れ、直下型地震可能性という地震予知会の報告が出ている。こういう新たな事態の中で市民の間では非常に不安が高まっている。だからいま、川崎市は各区単位に地震問題の説明会をやっています。川崎区のこの中心の説明会には、普通の日の市民に向けた市の説明会で二千人から集まっているんですね。会場に入り切れない。そういう中でいろいろ質問も出ていますけれども、一番問題になっているのは、そこで遮断帯計画が非常に注目されている、住民の安全を基本に一日も早くこの対策に移ってほしいという要求が高まっているわけです。  いま言いましたように、避難場所というのは老朽の小学校、そして小さい公園しかない。人口は、この南の方だけでも二十二万の人口がいるわけです。ですから、新たな直下型地震可能性という状況が発表されてから、皆さんのこの報告について、直下型地震との関係でさらに私は対策も急ぐ必要があるし、この構想自身もさらに具体的に見直しの検討も必要ではないかと思うのですが、こういった問題は、昨年暮れ、地震予知会が発表になってから以後、さらに検討を進められるということはやられてきたわけですか。
  21. 森田松仁

    森田政府委員 私どもといたしましては、この報告書、これはもちろん検討してまいりますが、とりあえずは先ほど申し上げましたように、防災対策緊急事業計画というものを、三大都市圏でございますけれども、特に急ぎます各地域について相談しながら、現在その計画を早くつくるように地方公共団体と打ち合わせ中でございます。  そういうことを現在やってまいっておりまして、それが決まりますと、その中でおのずから緊急に整備すべき地域、その中で行われるべき事態業の種類、そういう具体策が決まってまいりますので、それについて積極的に国としましては地方団体と一緒に取り組みまして、事業実施を図ってまいりたい、こういうふうな段階でございます。
  22. 中路雅弘

    中路委員 御答弁を聞いていても、これは緊急を要する問題なんですね。だから私は、もっと国の方が、各地方自治体からも住民皆さんからも要望されている問題について、これを具体的に進行さしていくということが、関係省庁との相談も必要でしょうけれども必要である。  皆さん報告の中でお尋ねしますけれども、こういうところがありますね。これを進めていくのに、特に企業に対する安全化対策事業への補助、融資あるいは企業からの負担金あるいは国からの補助金、こういうものによるたとえば事業団の設立の問題を、一つの案として、この事業実施の主体として提起をされている。また、これをやっていくためには、特別立法が必要だということも述べておられるわけです。川崎市のこの要望書の中で、この防災遮断帯等を進めるための防災上の重要整備区域にこういう地域を指定して、緊急に整備されるよう、特別法の制定をやってほしいという要望も、この中で述べているわけですが、皆さんの方の報告の中でも、こういう処置をとらなければ、なかなか具体的にこの構想は進まないということも指摘をして、絵にかいたもちだということを皆さん自身報告の中で述べられておるわけですが、こういう問題について、今後早急に検討されるおつもりなのかどうか、そのあたりをもう少しお聞きしたいと思います。
  23. 森田松仁

    森田政府委員 先ほど申し上げましたように、防災対策の緊急整備事業計画というものの中で、川崎、横浜におきます防災遮断帯構想も、当然地元市町村を含めまして検討してまいります。ですから、この段階検討事項になろうと思います。
  24. 中路雅弘

    中路委員 もう一度念を押しておきますけれども皆さん報告にも、この防災遮断帯の問題について、先ほど言いましたように、財源が必要だということも言っていますし、法体系を整える必要がある、特別立法の必要性も強調しているわけですね。そういう点について検討に入るべきだと私は思うのですが、今後やはり国の責任を回避するわけにいかない。対策について地方自治体にのみこれをかぶせるわけにいかない。だからひとつ、国としてこういう財源の問題あるいはそのための特別立法の問題、皆さん自身報告書でも強調しているし、あるいは地域関係自治体からも強く要望が出ている問題について、今後具体的に検討をしていくという皆さんのお考えなのかどうか。また、どういうふうに検討していくかということは、まだ具体的なプランをお持ちでないと思いますけれども、しかし、こういう問題について至急検討しなければならないし、また検討していくのだ、この構想について前へ進めていくのだというお考えなのかどうか、この点は念を押して私、聞いておきたい。
  25. 森田松仁

    森田政府委員 再々お答え申し上げておりますが、現在、三大都市圏につきまして、地域防災計画の一環とします防災対策緊急事業計画というものにつきまして、地元関係公共団体と国との間で詰めておりますが、それは防災遮断帯だけの問題ではございませんで、もちろん、もっと都市全体から見まして、防災あるいは震災を含めまして緊急に事業を施行しなければならぬという地区なり計画なりというものを煮詰めてまいります。その中で当然、この報告書にございます問題も検討されてまいるということでございます。
  26. 中路雅弘

    中路委員 この問題、もう少し私、別の機会に詰めてお聞きしたいと思っているのですが、少なくとも皆さんが、都市局でこれだけ膨大な報告書をつくられているわけですね。私、きょう言っているのは、皆さん報告の中で指摘をしている問題です。そうですね。皆さん指摘をしていて、指摘している点がやられなかったら絵にかいたもちになる、そう皆さん自身が言っておられる。私は絵にかいたもちにならないように——しかもその後、こういう直下型地震というような、この報告書が出された後、問題も出てきて、特に遮断帯中心にしたこの防災対策については強い要望になっているわけです。  きのうの新聞の報道ですと、金丸国土庁長官は、特別立法の問題も含めて検討していこうというお話新聞報道でされているわけです。だからひとつ、主体になる建設省自身が、そういう問題について今後検討していくということでなければばらばらになっていくわけです。私は、その点をお聞きをしているのであって、具体的な内容までお聞きしているんじゃないのです。皆さん指摘されて、これが具体化しなければ絵にかいたもちになってしまうというお話だから、その点についてやはり今後急いで検討していくのだという姿勢なのかどうかということをお聞きしているわけなんです。その点もう一度、最後に念を押したいのですけれども……。
  27. 森田松仁

    森田政府委員 この調査は四十七年、四十八年二カ年にわたりましてやったものでございます。したがいまして、その時点でいろいろなモデルとしましてこういう構想が出ております。ただ最近、いろいろ問題が起こっておりますので、これを踏まえまして、もっと広く各三大都市圏の市なりのことも聞きまして、いわゆる防災対策緊急事業計画を定めよう、こうしておるわけでございます。だから、その中におきまして当然こういう問題も検討される、こういうふうに考えております。
  28. 中路雅弘

    中路委員 きょうは時間も限られていますから、これ以上あれしませんが、私は、直接建設省関係とは別ですけれども、大臣にお伺いしたいのです。  いま若干質疑をお聞きになったと思いますけれども、この地域防災問題というのは緊急を要するわけですね。しかもその中には、先ほど言いましたように、小中学校が避難場所になっている。それも老朽校舎で、まだ最終的に解決していないということですから、一つ老朽校舎——国の補助はどこも同じなんです。しかし県が優先順位等を決めることになっておりますから、国と県と、あるいは市と十分話し合っていただいて、大出委員質問しました鶴見を含めまして、この京浜地域における避難場所として指定されている学校校舎、あるいは先ほど言いましたように、公害問題から見ても、空気清浄器をつけても老朽のままでは効果がないというようなところですから、この老朽校舎、この解消については、ひとつ関係自治体とも相談をしていただいて、これができるだけ早く解決できるように御相談をしていただきたいというのが一点。もう一つは、これは学校校舎の問題、児童災害防止の問題を含めまして先ほどから御質問しておりますこの地域において、国が特別の財源も保証し、あるいは特別立法も検討して、災害問題についての対策を、ひとつ閣僚会議の中でも相談をしていただいて、具体的に推進をしてほしいということ、この問題は直接の担当とは違うわけですが、せっかく質疑を聞いていただいた関係もありますので、最後に御意見をお伺いしておきたいと思います。
  29. 永井道雄

    永井国務大臣 この神奈川県川崎、それから先般、大出委員が御質問の中で提起されました鶴見、こういう地区学校校舎の問題は、もちろん防災の点も大事でございますが、他方、公害地域でもございますから、そういう両方の角度から考えていかなければならない。  公害につきましては、これはもう御案内のとおりでございますが、全国を六つの地域に順次分けまして、第一次地域というのは千葉・市原、それから水島、四日市、それから神奈川県というのは第二次地域に入っておりまして、昭和四十四年以来の調査がございまして、昭和四十六年と思いますが、計画策定指示というのがございまして、四十七年の十二月に指定されているわけです。  そういう意味もございますから、もちろん神奈川県というのは非常に重要な地域、注目しなければいけない地域ということで進んでおりますから、われわれの方も、そういうことで自治体と話し合いながら公害の問題を考えていく。  他方、防災の問題につきましても、これは重要でございますから、自治体と話し合いながら、また関係各省と協力をいたしまして、でき得る限り防災公害の両面から望ましい状態に進んでいきますように努力いたしたいと考えております。
  30. 中路雅弘

    中路委員 これで終わりますが、地元皆さんから私、直接聞いた意見なので、ちょっと大臣に伝えておきたいのですが、先日、永田町小学校ですか、忙しい中、大臣が訪ねられた記事が写真入りで新聞に出ていました。子供たちに、青空の心を持ってというお話をされたのが記事に出ていまして、私のところへある婦人から、現地を文部大臣に見ていただくというのは非常にいいことだ、青空の心といっても、公害地域では空自身が青空じゃない、まだ澄んでいない、そういう中で、いわゆる自分の責任じゃなくて公害病で苦しむ学童が何百人といる、しかも、いま言いましたように老朽校舎で、施策をやってもなかなか効果がないというようなところですから、できれば暇を見て、時間を見て、そういう地域現状もよく知っていただきたいというようなことを伝えてほしいという話が私にありましたので、終わりに、そのことを一つ紹介させていただいて質問を終わりたいと思うのですが、せっかく要望があった問題ですから、一言、大臣の方からもその点についてのお話を聞いて、質問を終わりたいと思います。
  31. 永井道雄

    永井国務大臣 実は、いまのようなことも承りましたので、この間の日曜日、学校は閉まっておりましたけれども鶴見に行ってまいりました。本当に空気が悪いということを改めて痛感いたしました。日曜日に時間があったものですから行ったのですが、やはり学校が開いているときに、でき得る限り——ほかの仕事もございましてなかなか忙しいですが、学校はできるだけ見させていただくという心構えでおりますので、その気持ちを申し上げておきたいと思います。
  32. 中路雅弘

    中路委員 終わります。
  33. 藤尾正行

    藤尾委員長 受田新吉君。
  34. 受田新吉

    ○受田委員 永井先生が民間人の中から選ばれて、三木内閣の国務大臣になられたということは、非常に清新の血をたぎらせた意味で私も歓迎します。また一方では、永井文部大臣には非常に使命の重さが、自民党員である国会議員がなるよりも、変わった意味で振りかかっておることもおわかりのとおりでありまして、国民の期待にこたえて、りっぱな文部行政を長官としてやっていただきたいと要望させてもらいます。  そこで永井先生、あなたは文部大臣になられた瞬間に、文部省という役所を、文教とかいろいろとあるが、大宝律令の中に出た式部、治部、民部、兵部、刑部、大蔵などという旧式の名称が用いられていることに対して、素直にどういう感じをお持ちになられたか、御答弁を願います。
  35. 永井道雄

    永井国務大臣 私は、保守的なところもございまして、わが国の古くから用いられている言葉、それが非常によい意味合いを持っている場合は、もちろんこれを維持していくことが大事である。ただ、その言葉というものに余り規定されまして、そうして時代の変化というものに即応しないような硬直化現象が起こるとこれは困りますが、しかし文部省の場合、私の部屋に森有禮文部大臣の非常にりっぱな教えの言葉がかかっております。「他省のことを比較するのでなく、文部省は文教に向けて全力を挙げて働け」という非常に厳しい言葉がありまして、まさにそれは、文部省の発足当時のきわめて決然たる意思を表明したものでありまして、身の引き締まる思いがいたします。私は、微力でありますから、そのような非常にりっぱな先人と比肩し得ることはなかなかないのでございますが、しかし、そういう意味合いにおきまして、これは世界的に見ても、わが国の文部省というものの明治初年における非常にりっぱな建設の努力というものは高く評価されておりますから、時代は移りまして、それから約一世紀を経ましたが、微力ながら、その気持ちで、時代に対応しながら文部省の本来きわめて意欲的な精神というものを生かしたい、こう考えております。
  36. 受田新吉

    ○受田委員 国会は衆参両院とも、担当委員会は文教委員会ということになっている。文化教育を担当するという意味でそうなっています。文部といういまの御発言でちょっと私、釈然とせぬところがあるのですが、古い歴史と伝統を重んじて文部という名称を肯定されておるのですか、どうですか。
  37. 永井道雄

    永井国務大臣 私がいま申し上げました意味合いは、もちろん文教ですね、文化、教育、こういうもの、さらにまた学術というものも、われわれの役所の所管でございますが、いま申し上げましたように、この文部という言葉を明治の初期に使っておりますが、しかしそのときから、文化、学術、教育というものを推進しようという意味合いで明治の初期に使っており、また相当の成績を上げたということは、世界的にも認められていることでありますから、私は言葉それ自体というものは、やはり歴史的に評価すべきものだ、そういう意味合いにおいて使われた文部という言葉の意味を今日、積極的に生かして文教を進めていきたい、こう思っているわけです。
  38. 受田新吉

    ○受田委員 国家行政組織法に並べてある各省名、各省庁の名称、かつて司法省と言われたのは、大宝律令にならって、司法は法務と変わりました。それから逓信は、明治以来できたのが郵政と変わっておるのです。文部といいますと、何か文化財の、過去のどこかに始末してあった、倉庫の中から出した名称のような印象をお受けにならないかどうか。それになれておると、文部省の官僚の皆さんも、おれは文部官僚だと自負して、名は体をあらわすで、自分の看板のことに一向気がつかないでおる。あなたは、そこへ清新な立場で入ってこられた閣僚でありますから、称名についてもちょっと検討する必要があるかというような感覚をお持ちになってしかるべきではないかと思うのでございます。御見解を伺いたいのです。  これは余り事前に通告しておくと、非常に巧んだ御答弁になるので、ぱっと質問が出るのにも味があるので、大変失礼であったのですが……。
  39. 永井道雄

    永井国務大臣 私、受田先生のお気持ちが非常によくわかります。多分、私自身も、そのお気持ちの相当部分を同じくしていると思います。  要するに文教、これは非常に大事でございます。これは私、全くその気持ちで仕事をいたしておりますが、ほかに外務、大蔵というものも、これはなかなか古い呼称でございますが、しかし呼称というものが古くても、実質が新しくということも可能なのではないか。  私、就任以来二カ月強でございますが、実はその間、実質的にこの文部という役所の内容をきわめて意欲的なものにするということに微力ながら心を配ってまいりましたが、実は名称の変更ということは、さほど考えてまいりませんでした。しかし気持ちの上で、先生のおっしゃることには、まことに共感するところがありますから、一層、実質におきまして文教行政の推進というものをはかっていかなければならない。  文部省の官僚という言葉がございましたが、実は私は、もちろん文部省の官僚の方々と一緒に仕事をしているのですけれども、皆いろいろ学校を出られて、文部省に来られるときには、青雲の志を抱いてわが国の文教の改革、刷新ということを考えておられるわけなんです。それがいろいろ社会、歴史の変化の中で、人必ずしも常に志を得るものではございませんから、社会においていろいろの批判もありましょうが、私は、文部省に参りました以上、文部省内におきましても、これまた対話と協調をいたしまして、そして文部省内の方々とともに本当に文教の意欲ある刷新、そういう気持ちで進んでいきますならば、いわゆる文部官僚という、いまお言葉の中にいわばきわめて肯定的ならざる要素もあったと思いますが、しかしこれは、十分にその方々のこれまでの意欲、経歴というものを生かして、先生の御精神に沿い得るものと確信いたしております。
  40. 受田新吉

    ○受田委員 文部を正式に音訓読みに正しく読むのは、モンブがよいのかブンブがよいのか、そういう文化教育ということになれば、ブンブという発音をすべきではないのか。モンブと発音する理由を説明願います。これは大臣でない方がいいでしょう。
  41. 永井道雄

    永井国務大臣 政府委員の方にお答え願うのがよろしいかと思います。
  42. 清水成之

    ○清水政府委員 いまの受田委員の御質問にお答えする能力もございませんが、これは歴史的な音訓の読み方で踏襲してまいっておる、かように考えております。
  43. 受田新吉

    ○受田委員 これは非常に大事な問題でございますから、御研究を願いたい点でございますが、これ以上追及しません。  次に、三木内閣もこの教育を前面に打ち出され、文化教育を国政の柱石にされようとされておるし、それに対して永井文部大臣を起用されたと本会議でも説明をしておられる。それからあなた御自身も、所信表明の中で意欲的な六つの柱、中心の御意見の表明がありました。一々肯定をされております。  そこで、精神的なもの物質的なもの、いずれもその調和をはかって国政の発展に寄与させねばならぬのですが、物づくり、経済面とそれから人づくり、そうした文化教育面とこういうものを、バランスをとらなければならないわけです。その意味から言うと、いまの政府の行き方は、経済というものへとかく力を入れて、人づくりに比重が下がってきたという過去のそしりを少しでも是正しようという努力はわかるのですが、しかし結果は、依然として人づくりの方が下位に立っております。それは国会の冒頭の所信表明、施政演説にもこれをうかがうことができるので、総理大臣の演説の後に外務大臣、大蔵大臣、経済企画庁長官の演説がありますが、文部大臣の演説がないのです。人づくりを大切にするならば、当然文部大臣の演説をやってしかるべきである。この国会冒頭の政府の施政演説というものは、名は体をあらわす、やっぱり。ですから、物に力を入れて大蔵大臣と経済企画庁長官という二人の経済閣僚に演説させておる。しかし、これは一人でいいです。経企庁長官などはやめて、大蔵大臣にして、大変申しわけないが経企はやめてくれ、永井君、君に文部演説をやってもらおうと三木総理が言うてくれるぐらいの総理の感覚があってしかるべきだ。こうして得がたい人材を文部大臣に迎えた機会に、永井文部大臣の施政演説を私、聞きたかったのです。  閣僚の地位につかれて以来、内閣の清新な運営というものを考えるときに、物づくりの大臣の演説ばかりを聞いて、人づくりの大臣の演説が聞けないというさびしさをしみじみと感じているのですが、非常に清新なお気持ちで閣僚に御就任になった文部大臣として、私のいま申し上げている見解に対して、どういう御意見をお持ちか御答弁を願いたいと思います。
  44. 永井道雄

    永井国務大臣 私、文部大臣に就任いたしましてから、国会におきまして質問の数が多いことに非常に感謝をいたしております。といいますのは、御質問が多ければまた私はそれに対して熱心に答える。それは国会議員の方にお答えしているわけでありますが、しかし国会議員の方は国民の代表でございますので、お答えすることによって、国民の方々に私の立場というものを表明する機会をお与えいただいていることに感謝しているわけであります。  所信表明演説の場合に、文部大臣が登壇した方がよろしいかどうかという問題につきましては、これは総理大臣が非常に教育問題というものを重視されましたから、その問題に触れられることについて、閣議におきましても意見を交換いたしましたし、相当部分を教育問題に触れていただきましたから、それで意見というものを表明する、そして私自身は、それ以後、いま申し上げましたような形で、いろいろな討論の場におきまして私の考えをお述べするというようなことでまいりましたので、こういうことでいままで来たやり方というものは、一応それでいいのではないか、今後だんだんに実績を生むことができましたならば、また将来は、どういう方法をやったらいいか、こういうことは検討していった方がいいと思いますが、根本におきまして、先生がおっしゃいましたように、物をつくるということだけでは、社会はとても問題の解決ができませんで、人づくりが第一だということは、お説のとおりでありますから、その根本的な精神に基づきまして、そういう国会の問題だけでなく各般の問題に対して対処いたしたい、かように考えます。
  45. 受田新吉

    ○受田委員 いろいろとお立場もありますから、私、これ以上お尋ねをしませんが、私の気持ちは総理にも適当な時期に伝えます。前の総理には私、猛烈に伝えておいたのです。ところが、やはり物づくりの方へ熱中されてこられたのですけれども、私は三木さんも、田中さんのやられたことの中で人づくりを少し——田中さんもやはり人づくりを非常に提唱されたのです、本会議の施政演説を承っても。現に初中教育に力点を置き、人確法など歴代の総理が言われなかったことをすぱっとやられた。海外に教員の派遣などということは英断です、これは。けれども、ついに施政演説に文教担当の国務大臣を登場せしめることをようせなかった。三木さんにも、これをひとつ提唱したいと思っておって、これは文部大臣には、いつか私、ちょっと申し上げたことがありますが、そのチャンスをまだ失っておるのですが、施政演説というのは、国民に大変な影響を与える演説なんでありますから、そこで国民に向けて、政府は文教を大事にしておるぞという印象を与える上から、国政の柱に人づくりを大きく掲げたなということになれば、経済閣僚の一人を省いて文部大臣をこれに充当させるという施策が要る。閣内においても、そのことをむしろ勇気を持って文部大臣が提唱されてしかるべきだ、こう思いまするので、次の演説の機会が到来することを期待申し上げて、この次の演説のときには、お互いがまた国民の洗礼を受けておるかもしれませんが、文部大臣は引き続き文部大臣として御在任であると思いますので、勇気を持って閣内で主張していただく。人づくりの根源を叫ぶ内閣としては、まず国民向けの政府演説の中へ文部大臣の演説を入れろということを要求されてしかるべきであると思います。  次に、この文部省設置法の改正案に移るのですけれども少年自然の家というこの少年という言葉と青年という言葉は、年齢的にはどこに限界があるのか、明確に示していただきたいと思います。
  46. 永井道雄

    永井国務大臣 政府委員から答弁させます。
  47. 安養寺重夫

    安養寺政府委員 法令的に格別決めたわけではございませんが、少年義務教育就学中の児童、生徒、青年は高等学校、大学もしくは、勤労青年としてその年齢層に該当する者、これらを一応文部省では考えております。
  48. 受田新吉

    ○受田委員 そうすると、大体十五歳以下ということですね。
  49. 安養寺重夫

    安養寺政府委員 少年につきましては、さようでございます。
  50. 受田新吉

    ○受田委員 そうすると、十五歳から通常成年に達する、民法第三条に規定されている成年、成人という限界論を申し上げたいのですが、少年法という法律がいま十八歳か二十歳かで議論されている、そういう少年法という法律もあるわけです。少年という名称を用いた法律があるにもかかわらず、少年法の適用を受ける中で十五歳以下義務教育までの者がおれたちの少年で、それから少年法で言っている十五歳以上の分はおれたちの対象じゃない、これは限界論で奇妙な矛盾があると思うのですが、いかがでしょう。これは事務当局で結構です。
  51. 安養寺重夫

    安養寺政府委員 私ども社会教育関係教育施設の活動のあり方でございますが、在来からもそうでございますが、特に最近、学校教育社会教育との連関ということの重要性というものが指摘されておりまして、そういう関連から申しまして、少年自然の家は、義務教育に在学する子供たちが、少年自然の家というような社会的施設において、学校教育との関連において学校外の教育活動をそこで営むという点に重点を置いているものでございますから、われわれの角度から一応少年というものをそういう立場から取り上げるというふうな考え方をしておるわけであります。
  52. 受田新吉

    ○受田委員 文部省と同時に青少年対策本部の次長さんにきょうはおいでいただいておりますが、青少年対策本部は、青少年と一括して看板を掲げておるのですが、その年齢的な区別、限界というようなものについては、少年はどこまで、青年はどこまでということは全然考えないでおるのか、あるいは文部省のような意見で十五歳まではわしの方の少年の対象、青年はそれ以上、青年はそれからどこまでが青年となるか、二十五か六か、結婚しない者は三十ごろまで青年と称しておるのもあるわけだが、そういうものはどうなっておりますか。
  53. 吉里邦夫

    ○吉里政府委員 ただいま文部省政府委員からお答え申し上げましたが、大体の傾向としてはそういうことでございますが、私の方の施策を通じまして中心を置いておりますのは、十四、五歳から二十五、六歳までということでございます。ただし、土俵といたしましては、幼小時あるいは上の方は、これは各国によって違いますけれども、ほぼ二十五、六歳、二十七、八歳ぐらいまでのところが、私どもの対象になるという感じ方をとっております。
  54. 受田新吉

    ○受田委員 要するに、非常にあいまいになってきておるわけですね。二十五、六歳、二十七、八歳というところになると非常にあいまいなんです。文部省青年の家は、何歳までを対象にしておるのですか。
  55. 安養寺重夫

    安養寺政府委員 おおむね二十五、六歳というような感じで運営を実際いたしております。
  56. 受田新吉

    ○受田委員 青年の船とか東南アジア青年の船とかいう、外国へも出かける青年のための制度もあるわけですが、それに乗る青年の最高年齢は幾つになっておりますか。
  57. 吉里邦夫

    ○吉里政府委員 従来、青年の船には十八、九歳から二十五歳まで、こういうことで一応の締めをいたしております。新しくできました東南アジア青年の船、第一回をことしやりましたが、これは、いわゆるASEAN五カ国とのいろいろな協議をいたしまして、十八から三十までという原則で乗せております。ということは、シンガポールあるいはフィリピン等々は三十ぐらいまでで、大体青年指導者を含みまして、そこら辺に置いておりますものですから、協議をいたしましてそのようなことにいたしております。
  58. 受田新吉

    ○受田委員 外国の青少年の受け入れ体制も、もうすでに着手しておられる。そういう外国の青少年というのは、受け入れる場合に一体どのくらいの年齢になっておりますか。
  59. 吉里邦夫

    ○吉里政府委員 これも事業ごとによって違いますが、先ほど申し上げたのは、青年の船による受け入れも、実はその中に約四十名ほど行き帰り乗せてきておりますが、その年齢は先ほど申し上げたようなことでございます。  それから飛行機によります外国人の青年の招致というのがございますが、これも大体二十五、六が中心でございますが、三十歳程度の者が若干入ってきております。
  60. 受田新吉

    ○受田委員 私は、日本の将来を支える青少年の育成、これが国政の中核でなければならないのでございますから、人づくりの根幹は、これからの将来を背負う青少年中心を置く、これは、もう当然のことでありますが、いまの年齢的な限界が、ちょっとあいまいもことしているようなわけで、文部省は十五歳まで義務教育、それから青少年対策本部は十八歳から上ぐらいまで、こういうような青少年対策本部文部省との間はちょっとずれがある。  総理府に青少年対策本部があります。機構として総理府設置法に掲げてある。そこの本部長は総理大臣がやっている。副本部長は総務長官が担当している、また、その全体を統括する事務責任者はいま次長さんがやっておられる、こういうようなことになる。そして文部省との関係は、青少年問題の総合調整を対策本部がやる。その中で、こういうことをやってはどうかということを、文部省へいろいろと建議するのかあるいは要請するのか、その間の連絡事務というのは、どういうふうになっておりますか。
  61. 吉里邦夫

    ○吉里政府委員 私の方の本部の組織は、いま御案内のとおりでございますが、本部長は総理、副本部長が総務長官、次長が私、こういうことでございまして、私の方の本部に青少年問題審議会というのがございます。これは茅先生が会長でございますが、その事務的な各省との連絡調整の意味も含みまして、各省の局長クラスを幹事にいたしております。そのほかに私の手元で、関係省庁が多うございますが、事務連絡の連絡課長会議というのを持っております。その組織を通じまして、私の方が青少年問題審議会の答申あるいは建議を受けまして、あるいはわれわれ自身が発議もいたすことがございますけれども、そのわれわれの希望なりあるいは調整の方針を、先ほど申し上げました事務担当の会議あるいは直接に私が担当の局長のところへ出向きましてお話を申し上げて、これをやってくれということもあり得ることでございます。  なお、一般的に言いまして、たとえば五十年度の予算編成の概算要求の前に、青少年対策本部としまして、審議会の御意向も受けまして、明年度要求としましてはこういうところに重点を置いてほしい。それからもう一つは、最終的な予算の大詰めの段階で、私の方の本部長、総理でございますが、審議会の会長が本部長たる総理のところに出向きまして、本部としましての青少年対策の重点をお話し申し上げ、御意見を交換しております。
  62. 受田新吉

    ○受田委員 そうした機構上の分担というものを明確に聞いてきたわけですけれども、せっかく青少年対策本部ができたのです。そして吉里さんがいま現にそこの次長でいらっしゃる。事務局の責任者でいらっしゃる。そして吉里先生も、もともと文部省におられたわけなんです。いまあなたは、失礼ですけれども、指定職になっておられるか、どうです。
  63. 吉里邦夫

    ○吉里政府委員 指定職になっております。
  64. 受田新吉

    ○受田委員 そこで文部官僚でいらっしゃった吉里先生が、指定職ということで文部省局長と同格でいらっしゃる。だから、その間で総合調整をする機能を発揮するポストにおられるわけでありますから、文部省局長さんたちとの間でなれ合い的なものがあってはいけないわけですよ。油断するとなれ合いになる。総合調整の機能を発揮する人らしく、そのポストにおられる立場で注文もつける、ときどきは文句も言うぐらいにやっていただいてしかるべきである。いま安養寺先生が社会教育局長をしておられる。昔の仲間だから適当にやっておこうやというようなことをしないでほしい。ぴしっとやる。  そこで少年自然の家、自然に親しませるというところが青年の家とちょっと性格が違う。団体訓練と自然に親しむということと違うのですが、いまのように十八歳以上ぐらいをいつも考えておられる青少年対策本部としては、この少年自然の家の方は余りタッチしないで済むのですか。
  65. 吉里邦夫

    ○吉里政府委員 これは実は、私の方の方針としましても、従来どちらかといいますと、青年に偏ったきらいがありまして、少年関係施策が各省を通じましてウイークであることを痛感いたしておりまして、五十年度施策を各省が立てる場合にも、いま御指摘少年自然の家等につきましては、わが本部としても十分推進をしたい、またぜひ、これの運営よろしきを得てもらいたいということで応援をしておるわけでございまして、関係がないわけではなくて、非常に重大な関心を持っております。
  66. 受田新吉

    ○受田委員 そうすると、今回の法律案に直接関係があるということになるわけですね。  そこで、ではお伺いしますが、青少年対策本部は、どちらかというと、青年の方へ力点を置く機能を発揮している役所の印象を私はいままで受けておったのです。重大な関心を持っておるというと、義務教育の課程の小学校へ入ったときから、青少年対策本部は比重を同じにして、青年義務教育の子と同じようにやる対策本部ということになるわけですか。
  67. 吉里邦夫

    ○吉里政府委員 総理府にございます青少年対策本部あるいは審議会におきましても、従来どちらかといいますと、ボランテイア活動あるいは社会教育活動に目を向けてまいったことは事実でございます。教育、特に義務教育段階以下の学校教育につきましては、文部省が専管をいたして、十分社会の情勢その他を把握しまして施策を講じていらしたわけでございますから、そこの点について、余り審議会として、あるいは私の方として細かいことを申し上げたことはございませんでした。ただし、現在のいろいろな状況を考えますと、ここ一、二年の情勢から、私どもの方の審議会におきましても、たとえば在学児童生徒の活動、学校教育あるいは校外における活動が非常に大事であるということも認識して、文部省にもお話し申し上げたわけでございますが、文部省の方でも、社会教育審議会の方で、在学児童生徒の活動につきまして、学校教育社会教育との連携とかいろいろなことを御研究いただきまして、施策も講じていらっしゃるわけでございます。
  68. 受田新吉

    ○受田委員 文部省質問を移しますが、学校というものは一体何を教えるところかという疑問も、一つ掘り下げて言えば起こるわけですけれども、それは本格的な質疑ということではなくて、学校だけで子供が成長するような感覚が社会にまだある、それを是正するためには、義務教育の過程の子供社会教育に親しまなければいけないのです。だから、学校だけにお任せして、家庭も社会もそっぽを向いているということをなくして、社会は学校と一体になり、家庭と一体になって次代を背負う青少年を育成するのだという感覚に立たなければいけない。その意味では、文部省思い切ってこの社会教育に力点を置いて、そして、そういう具体的な施策を織り込んでいかなければいけない。その一つが今度の法案の改正であると私は了承します。  だから、義務教育学校子供学校で教えてもらうだけで、もうそれはおしまいだということでなくして、少年自然の家へ行って社会教育をしてもらう。自然に親しまれる、こういうのをもっと広げていって、少年自然の家などは中央にも、むしろ地方にも、もうこれは現に着手しておるわけですけれども、府県にもどんどんつくってもらう。そして、それに惜しみなく国家から助成して、ただ単に学校教育だけで人をつくるんじゃないのだ、少年自然の家のような、その他いろいろな社会教育の機会に触れて、そして家庭でもまた両親が教育の責任を自分も負うて、そして三位一体となってよい子供が生まれるというかっこうへ持っていく、そういう努力が、いまその一環がここにあらわれたと私は了承します。  そこで、もっと積極的に、この少年自然の家のようなものが、全国各所に地方立でたくさんできる、そういう方向に行っていますか。
  69. 安養寺重夫

    安養寺政府委員 公立少年自然の家につきましては、昭和四十五年度から各地方公共団体と相談をいたしまして建設を進めていただいておるわけでございまして、それに対して国もできるだけたくさんの補助金を差し上げたいと引き続いて努力をいたしておるわけでございます。
  70. 受田新吉

    ○受田委員 いまできている地方の少年の家はどれだけあるのですか。それから、これから年次計画で——こういうものは年次計画が必要なんで、今後の五カ年計画を、文部省とそれから地方立と両方で御説明願いたい。——これは文部大臣と申し上げたときに文部大臣から御答弁いただいて、普通の質問をするときは関係局長からの御答弁で結構です。
  71. 安養寺重夫

    安養寺政府委員 ただいま現に事業を行っております公立少年自然の家は六十九カ所ございます。  なお、五十年度のいま御審議をいただいております予算の中には、公立少年自然の家三十カ所に対しまして、一カ所補助金額八千万円、合計二十四億円を計上いたしておりまして、こういうことを初めといたしまして、今後できるだけ近い機会にたくさんつくりたい。はっきりとした五カ年計画というような計画はただいまございませんが、公立青年の家が、三十年を越えましてから現在までに二百二十三カ所現にできておりまして、活動いたしております。そういうような利用の頻度数等を考えまして、われわれといたしましても、相当数公立施設もつくっていただきたい。これは社会教育部課長会議等もございますので、文部省としてもそういう方向で、各県の少年人口あるいはこういう施設の必要度というものに濃淡はございますけれども、できるだけ早い機会につくるという方向で議論をしようではないか、計数的にまとめたものはございませんが、そういう議論はいたしております。
  72. 受田新吉

    ○受田委員 こういうことは、ある程度長期展望も考えながら施策をお立てにならなければいかぬと思うのです。だから、五年後辺にはこの辺までやりたいなというめどをつけて計画せぬと、場当たりで文部省施策が立てられることは私は残念である。ことにこういう文教行政のごときは、すでに五カ年計画幾つかが文部省から出ておるが、こういうものも、やはり五年くらいのめどはつけておかなければならぬと思うのです、安養寺先生のところでそういうめどをつけた立案計画を要請申し上げておきます。  私、青少年対策本部の御苦労もよくわかるし、また、これはしっかりやってもらわなければいけぬところなんですが、文部省として、こうした今度の法改正に、少年自然の家をつくるために法案が出るというところまで前進したことは、非常にうれしいことなんですが、もう一度言いますよ。  学校だけで子供教育するということでなくして、社会も家庭も一緒になって教育するという体制も、幼稚園から小学校、大学までこれは一貫していく、また大学出てからも社会がその人間を吸収していく、そして大学も社会に開放されて、成人を大学の門へどんどん入れて特別講座など一般人のために開く。筑波大学法案のときにも、そういう論議を大いにしたのですが、文部大臣、いま私が指摘した幼稚園から大学、さらに大学を終えて生涯を貫いて社会教育の恩恵に浴する、それに惜しみなく国費を使っていくという私の提唱に御見解を表明願いたい。
  73. 永井道雄

    永井国務大臣 私、受田先生がおっしゃいますように、教育と言えば、学校だけに限る、そういう時代、またそういう考え方というものは、現段階においてはもう非常に不満足なものだと思います。教育の分野は学校だけでなく、ほかに社会と家庭というものがありまして、この三つの分野において、非常に調和よく発展していくということでなければならないと思います。  そこで、少年段階におきましても、少年自然の家というものの国公立の発展を望んでいるだけではなく、先生も非常に関心を持っておいでになりますスポーツ、こういうふうなものにつきましても、一層これを充実するように本年度計画をいたしているわけでございます。  おっしゃいますように、また子供段階だけではなく、大学を出た後も社会教育というものは生涯教育の角度で考えなければいかぬ、まことに御指摘のとおりでございまして、そういう意味合いにおいて、たとえば公民館における成人教育というものをどうやって充実していくか、また、いろいろな工夫で充実していくべきだということも今年度計画にございます。  ただ、私、思いますのに、この学校、社会、家庭という三分野の教育を充実いたしてまいりますのには、もちろん政府が財政的にも配慮をいたしますことも非常に大事でありますが、同時に、人々が広く、教育というものはその三分野にまたがっているのだということを自覚して協力するということも非常に大事であると思いますので、機会あるごとに、その三分野における教育の発展を図りましょうということを、文部省としましても、また私自身も、これまで皆様に御理解をいただくように話を進めてきているわけでございまして、今後も一層、そういう気持ちでこの三分野における教育の充実ということを進めるようにいたしたいと考えております。
  74. 受田新吉

    ○受田委員 その三分野の調整、総合的な効果を上げるために、地方に社会教育主事というのがおる。この社会教育主事を置かなければならないにもかかわらず、置いてないところがたくさんある。こんなものはもうすぐ必ず置くという強烈な施策をとっていただく。当然、国からの補助制度もあるわけですから、置かないでは、この責任者がおらぬでは——特に今度、こうした少年自然の家など本格的に乗り出そうとすれば、社会教育主事を置かないようなそうした地方公共団体というものには、すかっとした手をすぐ打たなければいかぬと思うのです。  大臣、これは御検討されておると思うのですが、社会教育主事必置体制、これは大臣から御答弁願います。
  75. 永井道雄

    永井国務大臣 社会教育指導者というのは、いろいろな段階考えるべきであると思いまして、いまそれを進めているわけであります。一つは、いま御指摘のように、社会教育主事という考え方でこれを拡充するということでございますが、他方、間に合わない場所に派遣社会教育主事という形も考えております。他方、少年自然の家ばかりでなく、すべて少年社会教育活動あるいは体育活動というものも盛んになってまいりますから、体育関係の主事の問題も考えますし、そのほか、いわゆるボランテイア的な形で活動される方たちは、広く青少年教育指導者というふうに考えるべきであると思いますから、そういう方たちについての養成あるいは研修、そしてまた、それを強化するための財政的な裏づけ、そういうふうに考えまして、いわば重層的に社会教育主事、派遣社会教育主事あるいは体育関係の担当者、それから指導者、こういう形で計画をいたしているわけでございます。
  76. 受田新吉

    ○受田委員 いま大臣からも指摘されたわけですが、次にお尋ねしようと思った体育振興、その中で私、時間が進行しておりますからポイントだけ。  すべての国民にみずからの健康を自覚させ、また健康増進に対する努力をさせるという意味で、特に成年に達した者に対して、みずからの体力はどの程度あるか、これを国民的規模、国家的規模で全青年に対して、国家の体力テスト基準を示しながら一斉に実施するというような手だてをすべきではないか。成年に達したけれども——昔は徴兵検査というのがあった、これは別にわれわれ悪用という意味じゃなくして、大人になったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝い励ますという成人の日が国民の祝日として生まれておるが、大人になったことを自覚する二十歳という時点で、自分の体力はどれだけあるか、あるいはそれから何年かたった後にさらにやるとかいうような、国民総合的な体力テスト、体力検査という健康基準を示すテストを、これは文部省が主催でやってしかるべきものだ。それが往年の徴兵検査につながるというような、とぼけたことに考える人はおらぬはずです。つまり、お互い日本国民が成年に達した時点で、いろいろな体力が自分にはどの程度あるのかというところをテストしてあげる。これは無料でテストする。そして体力テストの結果を表示する体力手帳を渡して、それでみずからの健康に対する自信を持たせる、こういう手だてをする時期が来ているのじゃないかと私思うのです。  総合的な国民体力テスト法という法律——法律までいかなければ、さしあたり何かの政令かなんかでやる。できれば、これは国民体力の増進の基礎になるから、国民体力テスト法とかいうような法律で基準を決めて、それをすべての国民にやらせる。国民の健康のための大事な問題だということでやるべきじゃないか。新提案でございますが、ひとつ私から提案させてもらいます。
  77. 永井道雄

    永井国務大臣 戦後、日本人の体重、身長が劣っているということで、体位の向上ということを非常に考えました。そしてまた、その結果、背が高い、体重のなかなか重い日本人がふえましたけれども、体力の向上という点がそれに伴わなかったということ、これを非常に人々は広く認識するようになりました。  そこで、先生が御指摘になりますように、体力というものを鍛えまして、体位だけでなく体力もという、名実伴うような日本人ができなければいけないということ、全く同感でございます。  そこで、その進め方でございますが、もう相当人々が自覚してまいりましたから、これについての機運をつくっていくということが何より大事であると考えております。御案内と思いますが、昭和三十六年にスポーツ振興法で、地方公共団体住民が積極的に参加できるような運動能力テストというものの実施に努めなければならないというふうになっておりまして、そこで、保健体育審議会に諮問をいたしまして、三十八年に答申を受けましたから、それ以後、三十九年以降スポーツテスト実施要綱というものによりまして、相当この普及奨励というものをやってまいっております。  いまの状況を御報告申し上げますと、昭和四十四年度調査で、日本の全国の市町村でのスポーツテスト実施回数は約三千九百回、これを一市町村の平均にいたしますと一・二回になりました。これだけ、一市町村一・二回というのが平均でございますから、まず、どこの市町村でも行われるという段階まで進んでまいりました。しかし、それでも必ずしも十分というわけにまいりませんから、これは学校と社会とを問わず、青少年が自分の体力、運動能力というものを認識いたしまして一層心身を鍛えていく、そして、そういう意味でスポーツテストというものを活用していくという方針で私たちは臨みたいと考えております。
  78. 受田新吉

    ○受田委員 これは、いまのようなそうした義務的な形への一歩前進として見ていいと思うのですが、さらに一歩を進めて、国民体力テスト法というようなかっこうで一括して、成年に達した者、つまり、これは成年という意味——年齢的にはどうしておりましたかね、あれは。
  79. 諸沢正道

    ○諸沢政府委員 このスポーツテストというものの対象は、中学生から、十二歳から二十九歳までというふうにいたしまして、三十歳以上の方は壮年ということで、これは体力テストだけの基準をきめております。それから小学生は小学生スポーツテスト、大体三つに分けております。
  80. 受田新吉

    ○受田委員 私、特に一応成長のとまった時点と見られる二十歳、大人になったことを自覚する時点のテストというものを一斉に実施する、こういう立場のものについて検討すべきではないかと思うのです。これに対しての御見解を伺いたい。
  81. 諸沢正道

    ○諸沢政府委員 ただいまも大臣からお話がございましたように、スポーツテストというものの趣旨は、要するにこれを行う人が自分の体力なり運動能力の現状というものを十分認識し、かつ、それを他の者と比較して、自分の体力なり運動能力の目標をどこに置くべきかということを自覚せしめ、今後の努力の目標を設定せしめるところに根拠があると思うのでございます。そういう意味で、テストのパターンを全国的に統一するということを、保健体育審議会の答申を得まして文部省としては実施をいたしたわけでございますから、それが今日、全国的な同じ型で行われるというところにまず第一段階の意味があろうかと思うのであります。  そこで文部省は、この実施の実態というものを踏まえまして、毎年スポーツテストの実情というものを印刷にいたしまして、県の教育委員会等に交付をして行政の資料にいたしておるわけでございます。  そこで、そのようなテストを法制上義務化すべきだという御提案でございますけれども、確かに一つ考え方であろうかと私ども思うわけでございますが、前段で申し上げましたように、要するにテストそのものは、それをやることよりも、受けた青少年がそれによって自分の体力、スポーツ能力というものを自覚し、今後努力をするという本人の意思に一にかかって意義があると思うのでございます。  そういう意味で、もちろんこれを一つの義務と課することも、国民的な課題であろうかと思いますけれども、私どもは、現段階においてさらにその趣旨を徹底いたしまして、できるだけ多くの国民がこのテストをあらゆる機会に受けるような機会を設けたい、そういうことでやってまいりたいという意味で、実はそのほかに、スポーツテストの普及講習会でありますとか判定員の養成研修会でありますとか、そういうことを現在やっておるわけでございまして、法制化の問題は今後の課題としてひとつ検討さしていただきたい、かように思います。
  82. 受田新吉

    ○受田委員 これは、法制化検討に値する問題だと思います。国民的規模で、しかも成人という時点、それを問題に御検討願いたい。  最後に、時間も進んでまいりましたので、残された質問の中で一つだけお尋ねします。  それは、医師養成大学の問題でありますが、これで文部省は、厚生省と連絡されながら、今後十年後の医師、歯科医師の数をどれだけとし、そして、この間において、国立でどれだけの医師を養成し、残された者は私立で養成するという方針を立てておられるか、お答え願いたいのです。
  83. 井内慶次郎

    ○井内政府委員 わが国の医師数は、四十九年現在で人口十万に対し一二八・九人ということになっておるようでございますが、四十五年に厚生省の方から、人口十万人に対し医師百五十人程度を、昭和六十年を一応のめどとして確保したいというような資料等を文部省の方へいただきまして、その後、先生御案内のように、無医大県の解消ということで、国立の医科大学の増設等のことも取り進めておるわけでございますが、現在の時点で、私どもの試算によりますと、昭和六十年までに十万人に対します百五十人程度の医師の確保ということができる見込みかと存じております。  文部省としましては、昭和六十年を一応めどとしましての人口十万に対する百五十人程度の医師の確保というめどが一応ついておりますが、しからば、これで文部省として医師の養成について事足れりとしていいかどうかという点につきましては、やはり医療需要の動きというものを厚生省の方からもいろいろと資料もいただき、特に医師の地域的偏在の問題でありますとか、あるいは医療水準の向上等に対応して、文部省としても努力を引き続きしなければならないであろう、かように考えておるところでございます。
  84. 受田新吉

    ○受田委員 その六十年に十万につき百五十人の比率になるようにするために、国立で今後どれだけの者の養成が増加され、私立でどれだけされるという大まかな数字をお示し願いたい。現時点と六十年時点とで数字を示していただきたい。
  85. 井内慶次郎

    ○井内政府委員 ただいまお答え申し上げました試算には、無医大県の解消ということで今国会に、国立学校設置法の改正で二県に医科大学を創設するお願いをしておりますが、さらに引き続きまして、沖繩を含めましてあと七県で無医大県の解消ということができますが、その数値を一応全部取り込みまして試算をいたしまして、六十年をめどに人口十万人に対して百五十人の医師の確保ができる。その際、いわゆる私立の医科大学の数値はカウントいたしておりません。
  86. 受田新吉

    ○受田委員 もう一度、私立の医科大学の何を考えていないのですか。
  87. 井内慶次郎

    ○井内政府委員 私立の医科大学で今後何人医師の養成の増ができるかという数はカウントいたしませんで、無医大県の解消ということで、国立の医科大学で医師の養成数をふやしてまいるという想定で計算をいたしまして、昭和六十年をめどに百五十人を確保できる、こういうことです。
  88. 受田新吉

    ○受田委員 英国などは、医科大学は私立で片づけておる。私立でお医者を養成して、そして国がそれに対して助成をどんどんやっている。  それで文部省も、いままで私立の医科大学をどんどん乱造された。乱造された以上は、そのできた学校を大いに強化育成することを考えないで——収容人員がどれだけ、それに対してどれだけの助成をするかというような計算をきちっとやって私立医科大学を認可されればよかったのですけれども、そういうことなしに、ついいろいろな、ある基準に合致しておれば認可するというようなことで一応スタートした。スタートしたけれども、医師養成学校、これは一年に三百万も経費が要ると言われておる。その膨大な経費を負担する場合、父兄負担をどんどんやらなければならぬというようなことで、非常に矛盾が起こっておる。その矛盾を、私立医科大学の強化育成というようなことについては、文部省は認可した責任がある以上、これについても十分力を注いでいかなければいかぬ。もっと思い切った財政援助もしなければならぬということを私は感ずるのですが、国立だけの計算をいまされておる。  滋賀医科大学を今度おつくりになるわけだが、地方に無医大県がないということはいいことだ、けれども、現にできておる私立医科大学を、非常に高額の父兄負担をかけて無理をしているこの私立の医科大学を、このまま放置しておいてはこれは大変だと私は思うのです。それに対しての計算は、ちっともいましてないようでございますが、現に認可した以上は、子供を生んだ以上は、それをりっぱに育てる責任が文部省にある。文部省は傍観の態度ではいけないわけだ。それに対する対策をちょっと承りたい。
  89. 今村武俊

    ○今村(武)政府委員 私立大学の医学部、歯学部の認可後の文部省の措置に対する先生の御意見、全くそのとおりだと思います。したがいまして、私どもとしては、ささいなる努力ではございますけれども……。
  90. 受田新吉

    ○受田委員 ちょっと聞こえにくいのでございますが、今村先生。
  91. 藤尾正行

    藤尾委員長 大きな声で答弁してください。
  92. 今村武俊

    ○今村(武)政府委員 大学の全学生のうちで歯学部、医学部の学生は二%に当たりますが、私大経常費助成におきましては、二〇%の補助金を出しております。その金額を増加せしめていくことは当然でございますので、なお、こういう配慮は続けたいと思います。  それからまた、未完成校、学年進行が終わらないうちは補助金を出さないことにいたしておりますが、昭和四十九年度から歯学部、医学部に限って三年期から、つまり進学課程が終わった次の段階から補助金を出すことにいたしております。  また、新設理工系、医学部、歯学部系の設備費については、三分の二の特別な補助金を出すということでいささか努力はいたしておりますが、しかし現実のところ、先生のおっしゃるような大変な経費の問題がございますので、いま、その点をどう打開するかについて内部で検討を続けておるところでございます。
  93. 受田新吉

    ○受田委員 これで質問を終わりますが、文部大臣、いま今村局長の御答弁のような実態です。一たび生まれた学校は、りっぱにこれを育てていかなければいけない。そのためには、特に医師養成大学などというものは、莫大な経費も要ることであるから、誕生せしめた以上は、思い切った助成が要るわけなんです。  それからもう一つ、私学の問題で、まじめに経営をしながら運営がおもしろくないようなところに私学振興財団からお金を貸した、その金が返済できない、利息も返済できないというような事情のある、中にはまじめにやり過ぎてやっていけないようなのも出てくる。思い切って父兄負担をさせたりするような大学よりも、まじめにやり過ぎて多少借金が残る、利息の支払いがおくれたりという方がむしろいとおしい、ふびんであるというところもあるはずなんです。そういうようなことも考慮しながら、まじめにやり過ぎて行き詰まるところには、一たび認可した以上は、それが虚弱児で育たぬようではなしに、健康児としていくように文部省としては十分配慮せねばいけぬ問題です。  文部大臣は、その私学振興を六本の柱の三番目に置いておられるわけだが、この際、大学の場合は、その全学生の国公と私立を比べたならば国立の五倍も学生もおる私学に、ひとついまのような問題、具体的な問題を含めて勇敢に取っ組んでいただきたい。民間人として登場された大臣であるだけに、事情のわからぬところへ飛び込まれて御苦労が多かったと思いますが、しかし、あなたに期待する国民の声は大変大きいのであるから、賢明な事務当局の局長さんたちの知恵をかりながら、同時に、あなたの独特のアイデアを生かしながら、りっぱな文部行政をやってほしいとあえて希望申し上げて、質問を終わります。
  94. 藤尾正行

    藤尾委員長 これにて本案に対する質疑は終了いたしました。     —————————————
  95. 藤尾正行

    藤尾委員長 これより討論に入るのでございますが、別に討論の申し出がありませんので、直ちに採決いたします。  文部省設置法の一部を改正する法律案について採決いたします。  本案に賛成の諸君の起立を求めます。
  96. 藤尾正行

    藤尾委員長 起立総員。よって本案は原案のとおり可決すべきものと決しました。  なお、ただいま議決いたしました法律案に関する委員会報告書の作成につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。
  97. 藤尾正行

    藤尾委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。     —————————————報告書は附録に掲載〕     —————————————
  98. 藤尾正行

    藤尾委員長 本会議散会後委員会を再開することとし、この際、暫時休憩いたします。     午後零時三十二分休憩      ————◇—————     午後三時十七分開議
  99. 藤尾正行

    藤尾委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  国家公務員寒冷地手当に関する法律の一部を改正する法律案を議題といたします。  質疑の申し出がありますので、これを許します。上原康助君。
  100. 上原康助

    ○上原委員 寒冷地手当法の一部改正案が出ているわけですが、これと関連をして、冷たい、寒い話だけじゃなくして、少し暖かい、暑いところの話もしておかなきゃいかぬじゃないかと思いまして、それについて総理府あるいは人事院の御見解を承っておきたいと思います。  沖繩開発庁の出先である総合事務局なり、あるいは復帰後、国家公務員として沖繩本島、宮古、八重山等、沖繩県下に勤務する公務員の皆さんから、暑い夏の期間の何らかの手当というものが必要じゃないかという声が非常に強かったのです。もちろんまだ、特殊地域手当とか、あるいは酷暑手当、そのほかいろいろ仮称で呼ばれているのですが、この件については、人事院はどういうお考えを持っておられるのか、一応御所見を伺っておきたいと思います。
  101. 茨木広

    ○茨木政府委員 ただいまの問題につきましては、沖繩復帰時以来、その問題が提起されておりまして、私どもも、いろいろ関係者方々に資料をお願いいたしましたりして吟味を重ねておるところでございます。  これを考えますに当たりましては、二つ問題がございまして、一つは、沖繩地帯に勤務していらっしゃる公務員全員の問題と、それから、こちらから行きました方の問題と、両方の方々がいらっしゃるわけでございますが、その辺でそこに何らかの、沖繩在住の方と、こちらから行かれました方との間に区別をしたような感じが出てはおもしろくないではないかというのが、復帰時当初からの問題でございまして、その問題が回避されないようなものであれば、なかなかそう簡単にこれを決めるわけにいかないという点が一つございます。  それからもう一つは、暑さの関係でございますが、これは、やはり寒冷地の問題についても、一種の生活給的な考え方をいたしておるものですから、似たような意味の、どういうような増高経費がかかるだろうかというような検討をやらなければいかぬ。逆にまた、本土よりも常時暖かい地帯でございまして、十二度以下になる日はないという感じでございますから、寒冷関係の経費がほとんど浮いてくるという問題もございます。その辺、寒冷関係の経費と暑さに伴います増高経費との関係も吟味しなければいかぬ。その辺のデータがなかなか——冷房機械を買わなければいかぬとか、電灯料がかかりますとか、いろいろありますけれども、そう大きな量にもならないものですから、いままで時間がかかっているというのは、そこに一番大きな原因があるわけでございますが、そういう二つの観点からいろいろ吟味をさせていただいておるわけでございます。  あと、歴史的沿革としましては、復帰以前の方は、外交官並みみたいな別途の手当をもらっていたものが全部なくなる、これは、やむを得ないのではないかということで、あの当時も人事院として処理させていただいた経緯がございますが、それとやはり別途の観点で、前段で申し上げました点も解決をはからなければいかぬだろう。その辺のところをいろいろ吟味しておるわけでございます。
  102. 上原康助

    ○上原委員 いまのお答えは、人事院として決して否定的ではないというふうに受けとめられるわけですが、沖繩開発庁は、酷暑手当ないし特殊勤務手当ということで、そういう手当を支給してもらいたいということを人事院に御要請なり御要求をなさった経緯がございますか。
  103. 大濱忠志

    ○大濱説明員 昨年の六月に、人事院に対しまして、文書をもちまして、たとえば亜熱帯地域手当、まあ仮称でございますが、これらの新設を要望いたしております。なお、四十八年度、四十九年度の人事課長会議要望といたしましても、人事院にその旨をお願いしておるわけでございます。
  104. 上原康助

    ○上原委員 それに対する人事院の答えとか何か、どうしたいという御返事はあったのですか。
  105. 大濱忠志

    ○大濱説明員 まあ、事実上はいろいろ人事院と相談しているわけでございますけれども、いま人事院の方からも御説明申し上げたように、この問題の実現につきましては、なおいろいろ検討すべき問題も多くございますので、具体的には検討中ということでございます。
  106. 上原康助

    ○上原委員 そこで、きょうの段階でどうということまでは申し上げたくございませんし、また、この種の手当を制度化していく、あるいは支給するという場合に、確かにいろいろな調査なり、それを裏づける資料等も必要であると思いますが、ただ、一般に報道されたことで、まさか高潔円満な人格者である人事院の皆さんがこんなことをおっしゃらないと思うのですが、寒いのはがまんできないが、暑いのはがまんできる、こんなことで手当を出しておっては切りがない、沖繩の暑さぐらいでは人間は死なないのだということを言ったとか言わなかったということが報道されて、きっぱり断ったということで、関係者には非常なショックであると同時に、問題じゃないかという印象を与えていることは間違いないですね。  総務長官も、開発庁長官として御就任なされて現地に行かれたときに、総合事務局の責任ある方々から、このことについては強い要請を受けられたのじゃないかというような気がするわけです。われわれも沖特で行きましたときに、総合事務局の局長がそのことを要請しておるわけですね。したがって、先ほどの給与局長のお答えも、いろいろ検討して前向きに進めたいというふうに私は理解をするわけですが、少なくとも近い将来に十分調査をして、一方において寒冷地手当というものができてきた経緯もあるわけですが、やはり沖繩の夏も、これは関係者にとっては大変きついし、それだけ能率面においてもいろいろな環境の整備の問題と、それに要する手当というものは考えてしかるべきじゃないかと思うのです。  そういうことで、今後鋭意検討していただいて、近い将来に何らかのめどを立てるというふうにお考えである、人事院も開発庁もそういうお考えでおられると理解をしてよろしいですか。
  107. 植木光教

    ○植木国務大臣 開発庁長官といたしまして先日、訪沖いたしました際に、ただいまお話しのとおり、総合事務局の責任者から、お話しの亜熱帯地域手当ともいうべきものについて、われわれは要請をしているし、努力をしてほしいという話がございました。さらにまた、沖繩県の持っております気象条件あるいは離島における生活等からしますいろいろな生活環境の問題、職場環境の問題等々についても配慮してほしいということを、私は、直接聴取いたしたのであります。  そこで、いま人事院で亜熱帯地域手当あるいは酷暑手当ともいうべきものについては、いろいろ研究をしていただいているわけでございますが、新しい手当をつくりますにつきましては、やはり国民の納得が得られるものでなければなりませんので、ひとつ人事院に専門的な立場から、中立的第三者機関として合理的な調査研究をしていただいて、勧告を待ちましてこれに対処してまいりたいと存じておりますし、また職場環境の整備等につきましては、今後も鋭意努力をしてまいりたい、このように考えております。
  108. 上原康助

    ○上原委員 この点、人事院の方も御調査をいただいて、何らかの方向で結論を出していくというお考えであるということでよろしいですか。人事院総裁の方からひとつ……。
  109. 藤井貞夫

    ○藤井(貞)政府委員 先刻給与局長からも御答弁を申し上げたところでございますが、われわれの方といたしましても、沖繩開発庁の方から非常に強い要請が出ておるということもありまして、いろいろな資料等も関係各省からいただき、また、われわれの方も整備をしていま検討を続けておるところでございます。いまこの段階でお約束をするというところにまでは至っておりませんですが、総務長官も言われましたように、何か手当的なもの、あるいはその他の給与措置を新しく講ずるということになりますと、やはり国民に納得をしていただけるようなそれ相当の資料も必要でありますし、われわれも自信を持ってこれをやるというようなところまでまいりませんと問題が残り、また波及するところも大でありますので、それらの点を慎重に見守りながら、さらに積極的に検討を続けてまいりたい、かように考えております。
  110. 上原康助

    ○上原委員 おっしゃるように、確かにそれ相応の裏づけになる資料が必要であるし、関係者はもとより一般的に理解のできる方向でないといけないということは私も了解をいたします。  しかし反面、ただ暑いのはがまんできるのだとか、冬は寒くないのだから、年間の生計費等を相殺するとかえって安いのだとかいうような、そういった簡単なものではないと思うんですね。暑ければ暑いほどそれだけ洗たく賃もかかるし、また、いろいろなことが言えるわけですから、どうかそういった面は十分検討していただいて、関係者要求に沿うように御配慮を賜りたいと思うのです。  そこで、念を押しておきたいのですが、新聞に報道されたことは、まさか公式におっしゃったということじゃありませんね。同時に、人事院の皆さんが一番暑い夏にじかに行かれて、沖繩の夏がどれだけ大変なものであるかということを御体験なさることもいいことだと思いますので、そこらを含めて調査してください。
  111. 藤井貞夫

    ○藤井(貞)政府委員 私も、いま御指摘新聞報道は読ましていただきまして、実は驚いておるわけでございます。御指摘のように、われわれといたしましては、そういう軽率な発言をいたした覚えはございません。その点御了解を賜りたいと思います。  なお、現地を身をもって体験するということも必要であると思いますので、そういう機会を人事院としても持ちたいとも思いますが、また、われわれの方の事務局が現地にございまして、それらの点は十分事情の報告も受けておるのであります。また私も、人事院に参ってからは無論まだ行っておりませんが、以前に共済組合の仕事をやっておりました際に、あそこに共済組合の宿舎を建てるということで、現地に参ってつぶさに体験をいたしたことがございます。
  112. 上原康助

    ○上原委員 そういうことで、その点は御検討をいただいてぜひ実現をするように、重ねて御要望申し上げておきたいと思います。  委員長にお願いしますが、時間の範囲内でほかの件でちょっとお尋ねをしておきたいことがありますので、続けさせていただきたいと思います。  そこで、総務長官は沖繩開発庁の長官でもあられますし、現在、沖繩で県民間に非常に不安を与え、また問題を起こしている面がありますのでお尋ねしたいのですが、せんだっての沖特でも理事会で話し合った例の県道一〇四号線の件、これは今回に限ったことではありませんで、復帰後たびたび県道を封鎖して海兵隊が実弾射撃訓練をやっておる。しかも今回の場合は、封鎖をしないでやろうというようなことなどもありまして、反対をする地域住民なり民主団体の方々といろいろなトラブルが出てきておる。せんだって沖特でも、政府は速やかにかかる不安を除去するため善後措置をとるよう要求し、あわせて事態及び対策の詳細について報告をするようにということを理事会で申し合わせました。それに対して外務大臣の方から、調査をして次の委員会報告をするということになっておりましたが、その後、外務省なり防衛施設庁ではどういう御調査をして、この問題に対して一体どう考えておられるのか、明確な御答弁を賜っておきたいと思うのです。
  113. 銅崎富司

    銅崎政府委員 今回の演習は、那覇防衛施設局が二月十日に米海兵隊から、二月十八日から二月二十日までの三日間、キャンプ・ハンセンの第一五号砲座を使用する射撃演習を実施するという通報を受けました。演習は、第三海兵師団第一二海兵連隊第三海兵大隊のG中隊及びM中隊が、一〇五ミリりゅう弾砲及び一五五ミリりゅう弾砲を使用して実施する計画でありました。なお、今回の演習に当たりましては、地元方々に迷惑をかけないように、道路を封鎖しないで、人や車が通らないときに射撃を実施するという方法につきまして米軍、地元と調整するとともに、道路上、着弾地等の安全確認の方法につきまして、米軍と十分に事前に調整した上で射撃を実施することとしたわけでございます。  しかしながら、演習日の前日から抗議団の方々が着弾地に座り込むという事態になりましたので、施設庁としましては、在日米軍司令部に対しまして、射撃の実施に当たっては人命尊重の立場から、道路上、着弾地等場内の安全を十分に確認するよう注意を喚起し、現地部隊へその趣旨の徹底方を要請いたしました。また、事態の改善が見られないので、現地におきましては那覇防衛施設局長から、再三にわたって現地米海兵隊に演習の中止を要請したわけでございます。そういうようなことで、今回の射撃演習は中止されることになった次第でございます。  次に、仮に演習が行われるときにどういう対策をとるかにつきましては、ただいま庁内におきまして協議をしておるところでございますが、関係機関とも十分協議をしていきたいと考えております。
  114. 上原康助

    ○上原委員 きょうは時間が限られておりますので細かいところまで入れませんが、県道一〇四号線が、かつて琉球政府認定をした道路に指定されたのはいつですか。
  115. 銅崎富司

    銅崎政府委員 昭和二十八年の九月に琉球政府政府道として認定されております。供用開始は同年の十月ということになっております。
  116. 上原康助

    ○上原委員 現在、提供施設、区域となっている部分はどのくらいですか、道路の延長。
  117. 銅崎富司

    銅崎政府委員 総延長は八千三百メートルございまして、そのうち施設、区域となっておるところは三千五百メートルでございます。
  118. 上原康助

    ○上原委員 軍用地に接収された時点はいつですか。
  119. 銅崎富司

    銅崎政府委員 昭和二十年の後半と思いますが、手元に正確な資料を持っておりません。
  120. 上原康助

    ○上原委員 昭和二十年の後半じゃないんですよ。いまおっしゃるように、県道認定が一九五三年の九月二十八日なんですね。それから五カ年後にその一部が米軍の施設、区域として接収されたのです。その時点においても、道路については琉球政府と米軍側との話し合いはついていない。だから本来、なぜあれだけの抵抗があるかということは、もともと県道として認定された後にしか米軍はそこの一部を軍用地として接収しなかった、そこにまず一つ基本があるということを、皆さん認識していただかないと困ると思うのです。さらにこの県道一〇四号を、復帰時点においても、いわゆる沖繩の復帰に伴う特別措置に関する法律、昭和四十六年十二月三十一日法律第百二十九号、これによって、引き続いて県道であるということを認定しているわけですが、その段階においても施設庁と県の間に、軍用地の一部に入っている道路についてどうするということは話し合われていない、こういう経緯があるということは御存じだと思うのです。  そこで私がこの際、明らかにしていただきたいことは、復帰の時点において、日米合同委員会でこの県道の取り扱いについて日米間の合意メモがあるということが言われてきた、何回かその内容を明らかにしてもらいたいと資料提出も要求いたしておりますが、いまだに米軍の演習に支障のない範囲で道路を使用させるのだということが了解なんだと答弁されているわけです。県民生活に影響のない範囲で使用するというのならまだ話はわかる。しかし米軍の演習に支障のない範囲で、かつて県道として認定をされ、その取り扱いについても十分な協議がどのようになされたかを県民の前に明らかにされないで、演習を優先させているところに最も問題があるんですよ。その内容がどういうものなのか、ぜひ明らかにしていただきたいと思うのです。
  121. 深田宏

    ○深田説明員 ただいま上原先生御指摘になりましたように、この施設、区域を提供いたしますに際する合意で、演習等、この施設、区域の使用に差しさわりのない範囲におきましてこの道路を使用するという合意が成立しておるわけでございます。先生御指摘のとおりでございます。
  122. 上原康助

    ○上原委員 ですから、それはどういう形で合意されているのですか。文書で合意されておれば、その内容をぜひこの際明らかにしてもらわぬと——米軍の演習に支障のない範囲で県民が利用するということで本当に合意しているのですか。
  123. 深田宏

    ○深田説明員 ただいまお答え申し上げたとおりでございます。合同委員会の合意の内容につきましては、文書等を公にするということは、かねての日米間の約束でいたしませんことになっております関係上、文言そのものを御説明することは許されておらないわけでございますが、ただいまの道路との関連につきましては、先生も御指摘になり、私からもお答え申し上げたとおりでございます。
  124. 上原康助

    ○上原委員 合意された合意メモといいますか、合意事項が明らかにできない根拠は一体何ですか。
  125. 深田宏

    ○深田説明員 合同委員会の合意の内容につきましては、もちろん、わが国民の皆様の生活に影響のある問題点等も含まれます関係で、そのような事案につきましては、しかるべき告示を行う、あるいはその他の通報の措置をとる等によりまして、関係の皆様に十分お知らせする手だてがあるわけでございますが、何分、合同委員会そのものは、御案内のように地位協定の実施につきまして、かなり内々にわたって双方で話し合いをする場でございますので、たとえば軍事機密の関連等、先方との間で、それを一々そのままの形で公表することは差しさわりのある場合もあるということから、そのままの形で外には出さないという約束にかねてからなっておる次第でございます。
  126. 上原康助

    ○上原委員 私は、それには納得しかねます。少なくとも県民の道路を封鎖して実弾射撃演習をするということに対して、日米間で取り決めたことが、単なる政府部内でしか知っていないということに対しては納得できませんよ。しかも演習をするたびに防衛施設庁なりから、各市町村あるいは所管の警察署にもいろいろな通達、文書がいっているわけですが、ここの一日当たりの交通量を、皆さんどのくらいに見ておられるのですか。この県道一〇四号線というのは、単なる山の中の道じゃないのです。あぜ道じゃないんですよ。れっきとした県道なんです。どのくらい見ておられるの。
  127. 銅崎富司

    銅崎政府委員 正確な数字は、いま手元に持ち合わせておりませんが、一日三百台程度だったかと記憶しております。
  128. 上原康助

    ○上原委員 冗談じゃありませんよ。四十八年の四月段階で、これは公式な文書ですよ、県の土木部長から石川警察署長に出された文書なんです。   通行の禁止制限について   (回答)  昭和四十八年四月二十二日付け石交第六十五号で照会があったみだしのことについては、次のとおり回答します。  県道一〇四号線は恩納村と金武村を結ぶ幹線道路で一日当りの交通量は約二千五百台で、しかもバス路線となっている。このように現在不特定多数の一般の交通の用に供している該道路を演習のために通行の禁止を行なうことは道路本来の目的を著しく損なうので好ましくないと思料します。 何が三百台ですか。しかもバスも通っている。通学道路でもある。こういうことなどを県や関係市町村は、施設局に対しても、それを米軍と一緒になって強行しようとしている警察に対しても積み重ねてきているんですよ。だから、こういうことを役所や関係者が出しても、なお強行しようとしているから、とうとう着弾地点にまで体を張って、実弾射撃演習は反対だというあの十八日から二十日にかけての抵抗が出ているのじゃないですか。もう少し県民の立場に立って皆さんがこの種の問題を取り扱っていかないと、ますます県民と米軍あるいは政府の対立関係というものは深まるだけなんです。  そこで、これまでも皆さんは、米側に対して演習の中止を申し入れる立場にはないということを繰り返してきたのですが、百歩譲って、そういう立場にあるかもしれませんが、しかし万が一、不測の事態が起きた場合一体どうするのですか。県道をはさんで、しかも民間部落をはさんで、その下には小学校もあるわけでしょう、そういうところで一〇五ミリ、一五五ミリ、しかも実弾の射撃訓練をやるということ自体が明らかに間違っているんですよ。  改めて今後、そういう実弾射撃演習はさせない、中止をすべきだということで、私たちはこれまでも要求してまいりましたが、政府の確たる見解をここで明らかにしていただきたいと思います。  それと同時に、今後演習申し入れがあった場合に、皆さんはどういうことをなさるのか。また現にこの間、十八日から二十日にかけて演習ができなかったということで、砲台は現に据えたままで、カバーをかぶせてそのままだ。きょう、あすにも、今週いっぱいにも、再び強行するのじゃないかという情報もあるのですが、そういう申し入れはあるのかどうか、この二点についてぜひ明らかにしていただきたいと思うのです。
  129. 銅崎富司

    銅崎政府委員 私どもの立場といたしましては、演習場としてキャンプ・ハンセンを提供しておりますので、米軍の方でどうしても演習をしたいということであれば、やはり中止を申し入れる立場にないというふうに思っております。ただ、上原先生御指摘のような安全確認、あるいはトラブルが起こらないようにするという点につきましては、万全の措置をとっていきたいというふうに考えております。  次に、いつ演習をやるかということですが、私ども演習通報を現在のところ受け取っておりません。
  130. 上原康助

    ○上原委員 外務省はどういう処置をなさいますか。
  131. 深田宏

    ○深田説明員 ただいま防衛施設庁の方からお答えいただきましたとおりでございます。先生、不測の事態ということを仰せになりましたけれども、そのようなことが生じないように、私どもといたしましても、米側関係者と十分緊密な連絡をいままでもとってまいりましたし、今後においてもそのようにいたしたいと考えております。
  132. 上原康助

    ○上原委員 それと施設庁にあと一点だけ、きょうの時点でお伺いしておきたいのですが、何か迂回道路を新しく設ける。これも全く虫のよい話で、せっかくある道路を整備すれば、もっときれいな産業道路にもなり、生活環境の整備にもなるのに、わざわざ演習をさせるために、遠回りをして多くの国民の税金を使うということも、これもまたもったいない話で、けしからぬ話なんですね。そういう計画はあるのですか。
  133. 銅崎富司

    銅崎政府委員 つけかえ道路といいますか、私どもは、開発道路も兼ねたものとして考えておるわけですが、地元の金武村におきまして、発射地区の後ろを回すバイパスができました場合には、あの奥にパイン、果樹を植えるのに非常に役立つというようなこともありまして、今年度一応二千三百万の調査設計費で調査に入っております。来年度は本格的な工事に取りかかるという計画で、一応予算要求といたしましては二億を要求してございます。
  134. 上原康助

    ○上原委員 まさか、それは現地の関係者なり県なりの反対を押し切ってまで強行するというおつもりじゃないですね。
  135. 銅崎富司

    銅崎政府委員 地元とは十分よく話し合いをいたしまして、実施してまいりたいと思います。
  136. 上原康助

    ○上原委員 次の分科会のあれがありますので、そこで皆さんに改めて、大臣もいらっしゃるので、特に開発庁長官として、できれば外務大臣にもお尋ねしたいのですが、私は何も反対がための反対をしていないのです。海抜三百メートル近い山上まで登って、道もないああいうところまで二、三百名が体を張って、実弾射撃演習——万一、一発でもぶっ放されてごらんよ。それこそ全部吹っ飛んじゃいますよ。しかしなぜ、そこまでして実弾射撃を食いとめる、反対をするかという、その異常な決意については、もっと政府はしっかり受けとめてもらわぬと困るとぼくは思うのです。  戦後この方、アメリカの銃剣やブルドーザーで土地は取られて、やりたい放題やられてきて、復帰をしてもなお県民優先の道路じゃなくして、県民の側に立つべき政府が、アメリカを擁護する形ですべての基地の問題や外交問題を処理しようとしている。これは皆さんの本土の感覚では理解できないかもしれませんが、もう県民はどうしてもがまんができないという段階に来ているということは、これは防衛庁にしても外務省にしても、どんなに役人という立場があろうとも、もう少し真剣にいまの県道一〇四号という問題を考えていただきたい。そうせぬと、不測の事態なりいろいろな問題に発展しかねない。それをなくするためには、やはりああいう民間地域において実弾射撃訓練をさせないということが大前提でなければいけないと思うのです。皆さんがどんなに金網を張りめぐらしてやろうと、あるいは迂回道路をつくってさせましょうと言ってみたって、もう一歩そこまで行って体を張って阻止した県民の反戦平和の闘いというものは、そう簡単につぶせるものではないんですよ。  篤とその点は理解をしていただいて、大臣、その点についてどういうふうな処置をとられるのか。もちろん、直接あなたの担任ではございませんが、沖繩開発庁長官として一言御答弁いただいておきたいと思うのです。
  137. 植木光教

    ○植木国務大臣 沖繩県にございますアメリカ軍基地の問題につきましては、かねてからその整理縮小を強く要望しているところでございまして、特に沖繩振興開発計画を推進してまいりますためには、その重要性というものを深く認識いたしますとともに、従来とも努力してきたところでございます。アメリカ軍基地も徐々に返還をされつつある状況でございますけれども、今後ともそのための努力を続けてまいりたいと存じます  今回の県道一〇四号線の海兵隊の射撃訓練につきましては、私も事態の推移をいろいろ聞きますとともに、不測の事態が起こらないようにということを深く念願してきたのでございます。幸いにして中止ということになったわけでございますが、アメリカ軍の訓練につきましては、日米安全保障条約上の問題がございますから、この点については、政府といたしましては、その条約の遵守方についての配慮をしなければならないわけでありますが、同時に、県民の感情というものも十分しんしゃくし、また県民にいやしくも不安を与えないような方向で行われるということが望ましいことは言うまでもないのでございます。  この点につきまして、先日の特別委員会において委員長から御発言がございました際に、外務大臣に対しましても、私の方から善処方を要望したところでございまして、今後も県民の立場に立ちまして配慮し努力を続けてまいりたいと存じます。
  138. 上原康助

    ○上原委員 ちょっと納得しかねる面もあるのですが、時間ですから……。  私は、安保条約あるいは地位協定で施設、区域を提供しているからやむを得ないという、それだけではいかないと思うのです。基地は戦域であってはならないんですよ。まずは、そこに住んでいる住民の平和と安全と秩序というものが保たれて、初めて皆さんが言う平和もあるわけでしょう。大の虫を生かすには小の虫を殺していいという論法はないはずなんだ。仮に安保条約や地位協定の問題があるにしましても、地域住民に著しい被害や損害や不安、場合によっては命を落とさないとも限らないような状況の容認をするというのは、私は百歩譲っても安保や地位協定の本来の趣旨じゃないと思うのです。その安保の虚構や地位協定そのものに問題があるというのが私たちの指摘なんですよ。  これは、ここで議論しても始まりませんが、少なくともそういう感覚を、外務省も防衛施設庁も持っていただかないと、年がら年じゅう爆音やアメリカのやりたいほうだいのことによっていじめられている県民はたまったものじゃないですよ。アメリカが言うことに対して、すべて便宜供与を与えるというのが地位協定や安保の目的じゃないと私は思う。どうかそういうことも、従来の感覚ではなくして——復帰をすれば少しはよくなるかと思ったら、むしろアメリカがおったときの方が、アメリカと対決をしてやったときの方がもっとよかった。いまは、もう日本政府が隠れみのになって、どんどんどんどん権力の質は悪くなっている。そこに県民の激しい新たな怒りがあるということ、抵抗があるということも皆さん十分理解をして、これらの問題に対処していただきたいと思うのです。  いま私が申し上げたことに対して、施設庁や外務省何かありましたらお答えいただいて、きょうのところ、この問題は一応終えておきたいと思うのです。
  139. 銅崎富司

    銅崎政府委員 米軍の演習に当たりましては、いろいろ不測の事態に備えて安全確認というものは、さらに万全を期してやりたいと思いますし、施設そのものにつきましては、外務省ともよく相談をいたしまして、整理縮小できるものは今後とも進めてまいりたい、こういうふうに考えております。
  140. 藤尾正行

    藤尾委員長 次回は、来たる二十七日木曜日、午前十時理事会、十時三十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後四時三分散会