○吉田
委員 基準
局長は基準
局長らしく、賃金、労働時間その他について御説明をいただきましたが、実は私も四十九年、五十年のベースアップの額あるいは率等もいただきました。四十九年は全産業が三二・九%のアップに対して
石炭は五五・四%、この
答申の中にも、そのことが
炭鉱に新しい
労働力が幾らかふえるようになった
原因ではないかと書いてありますが、外国に比べると、まだいまだしという正直な話をされましたが、私はその話を聞いていて、もう十年近く前になりますが、ルール地方に
日本の
炭鉱から相当行っておりました。やめられました、たしか石黒さんだったと思いますが、ルール地帯に駐在をしておられました。そして三ヵ所の宿舎を回りました。そして懇談をいたしました。そのときには坑内には入りませんでしたけれ
ども、
炭鉱労働者は
日本の
炭鉱労働者と比べて、ルール地方ですから製鉄所もあります。鉄鋼
労働者に比べても何ら遜色がない、むしろ賃金、時間等は条件がいいと見ました。
炭鉱労働者には、あれだけの誇りと、それから
生活のゆとりがある
程度の待遇をしなければ、製鉄所もある、
炭鉱もあるというときに、
炭鉱に入る人間を十分、
確保するには、あれだけの待遇をしなければならぬのじゃなかろうかと、実は食事をしながらも考えたところです。
石炭がこの間からの合理化
政策で多少、前向きになっておるときに、新しい
政策として二千万トン以上
確保しようとすれば、時も時ですし、情勢も情勢ですから、やはりそれだけの思い切った
労働者の優遇——優遇じゃない、当然の待遇をしなければ、
労働者を
確保できないのじゃなかろうか。三DKの家が何戸ある、あるいは四部屋の家もあると言われましたけれ
ども、大半はあいた社宅を二つくっつけて四間ありますぞというだけです。それから、
北海道で雇用促進事業団がつくられました三DKなり四DKの住宅のことも聞きました。しかし、依然として
炭鉱労働者の住宅にはふろがないのですよ、
北海道の雇用促進野業団がおつくりになった住宅にしても。いまごろとにかくふろのない住宅はありません。私も二DKの県公社住宅に八年住んでおりました。二DKでもやはりふろ場がある。キッチンはキッチンでちゃんとある。それば最低の住宅ですよ、最低の住宅ですけれ
ども、やはりふろはある。ふろのない住宅など問題外です。あるいはいま労働時間のことも言われましたが、この間、多賀谷さんも言われたけれ
ども、世間並みに旗日も休まぬ、それから週休二日制というのに、労働時間は普通よりも長い、これでは少し変わったとしても、本質的には変わりないと言えるのではなかろうか。それを根本的に変えて、
炭鉱にも新しい世代の人がき得るような
炭鉱にするには、どうしたらよかろうかということをお尋ねしておるわけであります。基準
局長は基準
局長らしく御答弁をいただきましたが、さらに具体的にひとつ考慮をいただきたい。
石炭部長からは
審議会でも云々というようなお話がございましたが、そこでひとつ先ほど昔の先輩、これは
石炭関係のお役人さんではありますけれ
ども、私
どもやはり教えてくれた先輩の名も挙げました。
そこで、具体的に今度は人一人の命の問題について、関連をしてあれしますが、
保安対策は挙げてはございます。挙げてはございますが、それも本当によくなるだろうかという不安を持つのは、ひとり私だけではなかろうと思います。この間、新夕張
炭鉱で
ガスの突出事故があって五名の人が亡くなられた、とうとい犠牲を出しましたが、あの新夕張
炭鉱の
ガス事故で、あれだけ新しい
設備をやっても、なおああいう突出事故を防ぐことができなかったという意味で、新
政策にも影響がある。新
政策にも影響があるのじゃないかというのは、やはり
炭鉱には
災害がつきものだ、こういう感じがあって、新
政策にも影響があるのではないかと報ぜられたのだと思います。新しい
設備で万全を期したと言われますけれ
ども、先ほどの
報告を聞いてみても、やはり欠陥が感ぜられます。
ガス抜きをしたけれ
ども、その
ガス抜き作業の
現場から
ガスがなくなったのを確かめて、
作業に移させるという余裕がなかった。あるいは保安官を常駐させたらどうかという提案も
報告の中にもございましたが、
炭鉱においては、まだ人一人の命が地球よりも重いということが、実際に
確保されていないのではなかろうか。どんなに金をかけても、新しい
炭鉱では人の命の危険はない、こういうところまでどうしてできないだろうか。何遍も
災害に遭うたびに自分で考えました。どうして
炭鉱にはこう
災害がつきものなのだろう。この人一人の命を救うための、地球よりも重いという命を大事にするためには、どんな
保安設備をしたらいいのだろうか、どういう採炭方法をとったらいいのだろうか。もし、どうしても
災害が
炭鉱からなくならぬならば、そういう
炭鉱はやめてもしようがないじゃないか、
炭鉱をつぶしてもしようがないじゃないかとまで思いました。ところが、それだけの感じが
炭鉱の中にはまだ確立されていないのではなかろうか。殉職のたびに、君の殉職徒事ならずと弔詞では読みますけれ
ども、しかし、根本的に
保安対策を立てて心配をなくすることは、私の
炭鉱におる間においては、とうとう経験することができませんでした。
新しい
石炭政策の中では、本当に
保安対策に万全を期して、
炭鉱にはもう大きい
災害はないのだ、心配はないのだというところまでいかなければならぬのじゃなかろうかと思うのですが、まだ依然として「
労働者各人の保安
意識の浸透」だとか、あるいは「教育」だとか書かれておるのを見ますと、不安を感じてしょうがありません。保安教育に精を出して、保安の点で表彰を受けたような、もうなくなりましたけれ
ども大辻
炭鉱で、最後には坑長も亡くなるような大きい
災害が起こりました。教育には限界があります。あるいは個人の
責任に転嫁をするような
時代はもう過ぎたと思うのです。
ところが、このごろ、これはもう十年ぐらい前に起こりました山野
炭鉱の坑内事故について、これは二百四十何名か死なせたと思いますが、
会社の
責任が問われました。これは三井の子
会社ですけれ
ども、山野鉱業と、それから四人の鉱長や保安の
責任者等について罰金刑が下されましたけれ
ども、それに対して控訴がなされております。控訴がなされて、個人にその爆発の
責任があるのではなかろうかということを争おうと思い、また三池
炭鉱について言っても、不起訴になったについては、やはりあれがあるのではなかろうかと思っておりましたが、果たせるかな、このごろの新聞によりますと、「三井地獄からはい上がれ」という毒物を増子さんという、これはどういう人か知りませんけれ
ども、起訴間違いないと言われた三池
炭鉱の事故を不起訴にするには、人の名前を挙げて恐縮ですけれ
ども、前に採鉱学をやられました山田元九大教授に
調査を願って、「集積炭じんは爆発しない」という上中書を、三井
鉱山の弁護人を通じて福岡地検に提示をし、起訴に自信を持っていた検事正以下捜査当局が総入れかえになり、この大事故は不起訴になったという、いわば「被害者圧殺を告発する」書物がごく最近出たということを新聞で知りました。こういうのを見ると、山野
炭鉱で二百数十名の死者を出し、あるいは三池で四百数十名の死者を出し、千人を超すCO患者を出しておっても、なおそれを不起訴にする、あるいはその
責任を争う、こういうものがあることが、現実の
鉱山の実態ではないか。そういうものがある以上、新夕張の
鉱山事故についても、
経営者なら
経営者の本当の
責任を感ずる
体制、あるいは保安に万全を期する
体制ができるかどうかについては、大きな疑問があると思いますが、このことは通産大臣からお答えをいただきたいと思う。保安
局長から答弁をいただく前に、通産大臣として、新しい
政策の中で人の命には心配がないのだ、万全の保安を確立するというならば、それだけの覚悟があると思いますから、通産大臣に承りたいと思います。