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竹内参考人 竹内昭夫でございます。
私は、総理府の
独禁法改正懇談会にも参加いたしましたので、重複するところがあるかと思いますけれども、
政府案の若干の点について
意見を述べることといたします。
まず戦後の
独禁法の歴史はその弱体化の歴史であったと言われる中で、今回はとにかくその
強化を目指して
改正案がつくられたということは、大いに評価していいことだと思います。しかし、私は、
公取試案が発表されましたときからそれに不満でありました。その発表直後に消費者団体等が、これが最低限であるという条件つきにせよ、
試案を全面的に支持するという態度を表明されたことに対しましても、私は意外の感を持ちましたし、またがっかりもいたしたわけであります。そこで、
独禁法の懇談会の席上でも私が不満とする点を繰り返し述べましたが、今回の
政府案にもその点は全く取り入れられておりません。したがって、私は、
政府案についても
試案に対するのと同様に不満でございます。
私が不満に思いますのは次の点でございます。
すなわち
試案も
政府案も、
公正取引委員会だけが
独禁法を運用するという
考え方をきわめて露骨に打ち出しているというふうな点でございます。私ば、
独占を
禁止する
法律の運用を
公取委が
独占するというような
考え方は、正当でもないし妥当でもないというふうに考えておるわけでございます。
第一に、
事業者の
独禁法違反、たとえば
カルテルによって被害をこうむるのは消費者でありますし、また
違反事業者と
競争関係、取引
関係にある
事業者でございます。そうだとすれば、これら被害を受ける消費者や
事業者の救済を全うするということが、
独禁法にとって最も重要な課題の
一つではないかというふうに考えます。ところが、わが国の
独禁法は、御承知のように二十六条におきまして、
公取委の
審決が確定するまでは被害者は裁判上賠償を請求できないという、まことに奇妙な
規定を置いております。したがって、
公取委が事件を不問に付しますと、被害者は賠償を請求できなくなってしまいます。なぜ
公取委には被害者の救済を求める権利を妨害する権利が認められなければならないのか、私はまことに不思議に思います。これは余りにも不合理だというので、その場合でも被害者は民法七百九条によって損害賠償を求め得るという解釈が、学説上主張されております。しかし、この場合には、加害者の故意、過失を立証しなくてはなりません。なぜ
公取委は、被害者に加害者の故意、過失の立証を要求させるという形でいやがらせをする権利があるのか、これまた私にはわからないところでございます。この二十六条の
規定は、
現行独禁法が被害救済にきわめて冷淡な態度をとっているということを象徴的に示しているもののように思います。
このことを、被害の救済という面だけではなしに、
独禁法の
効果的な
実施、運用という面から考えてみますと、やみ
カルテルのような
独禁法違反行為は、最もスマートなかつ最も悪質な
経済犯罪でございます。同時に、きわめて多数の者から継続的に静かに財産を奪い取っていき、果ては自由にして公正な国民
経済秩序を破壊するに至るという
意味で、空き巣ねらいなどとは比べものにもならない悪質な犯罪でございます。このような犯罪を
効果的に抑止するには、一方においてそれに対抗し得るだけの強力な
法律的武器を準備するとともに、他方においてこれらの武器が
効果的に作動できるようなシステムをつくらなければならないはずでございます。たとえば戦艦大和に四十サンチ砲を備えるとすれば、それに耐え得るような艦体をつくらなければならない。精密なレーダーも必要でしょう。強力なエンジンをつけるのも必要でしょう。さらに、航空母艦や駆逐艦等とともに出動するというのがあたりまえのことではあるまいか。戦艦大和に焼き玉エンジンをくっつけようなどということを考える人は一人もいないはずであります。
法律についても事は同じでありまして、敵が悪質強力であればあるほど、武器を
強化するだけではなしに、その武器がどういうエネルギーで有効に作動するのかということを考えなければならないというふうに考えるものであります。
ところで、アメリカでは、御承知のように
独禁法違反行為に対しましては被害額の三倍の賠償と合理的な弁護士報酬を取れるということにいたしました。それから、
政府機関による民事、刑事の手続において被告が
独禁法に
違反したという確定的な判決または命令が出たときには、賠償を求める私人は——これは消費者も
事業者も含まれます、これを一応の証拠として援用できるというふうに定めまして、損害賠償請求訴訟を容易にしております。さらに、訴訟手続につきましてはこれは
独禁法に限りませんけれども、御承知のようにクラスアクションの
制度を用意して、被害者の代表が同じ被害を受けた者全部の賠償をまとめて取れるようにしておりますし、さらにまた
行政庁は、私人の賠償請求訴訟におきまして裁判所に
意見書を
提出してそれを援助するというようなことも広く行われております。これはまさに私人の賠償請求に、一方においては被害の救済としての
役割りを果たさせるとともに、他方におきましては加害者に対する最も
効果的な
制裁としての機能を果たさせようとしているわけでございます。つまり
行政機関のエネルギーだけではなかなか
効果的に抑止できるような敵ではないという認識に基づきまして、被害者の賠償請求というエネルギーを活用して
独禁法の
実効性のある運用を図ろうとしているのであります。
これに対しましてわが国では、アメリカの
独禁法を継受しながら三倍賠償の
規定は落としてしまっておりますし、弁護士報酬を求め得るという
規定すら置いておりません。のみならず、二十六条のような逆の方向の
規定をわざわざ置いておるのでありまして、
法律を能率的に動かすためにいろいろなシステムを連動させ、社会のエネルギーを巧みに活用しようという発想が全く欠けているというふうに私は考えるのであります。そうして、
公取委だけが
独禁法を動かすなどという
考え方は、一方においては余りにも自負心過剰、あるいは独善的であるだけでなしに、他面おいて余りにも知恵がなさ過ぎるというような感じがするのでございます。
その
意味で、まず第一に、二十六条を削除いたしまして、第二に、賠償額をできれば三倍にする。なお、この点で
参考になりますのは、現在のわが国の労働
基準法でも附加金は二倍取れるということになっておるということが御
参考になろうかと思います。少なくとも弁護士報酬は敗訴被告の負担とすべきである。第三に、公取の確定
審決や
独禁法違反についての有罪の確定判決には一応の証拠としての効力、推定力を認める
規定を置きまして訴訟を容易にすべきであろうと思いますし、第四に、損害賠償を求める訴訟におきまして、
公取委は裁判所に
意見書を
提出し得るという旨を定めるのが妥当ではないか。第五に、賠償請求訴訟は東京高裁の専属管轄と定めておりますところの八十五条の二号は削除するのが妥当ではないかというふうに考えるのでございます。同様の
考え方は損害賠償に限らずとるべきでございまして、したがって第六に、
公取委の処分については何人も不服を申し立て得る旨を明らかにするのが当然のことであろうと思いますし、第七に、九十六条の
公取委の専属告発に関する
規定を
修正いたしまして、
公取委が審判手続を経て告発したときは東京高裁の専属管轄権を認めてよいと思いますけれども、それを経ずに告発したとき及び
公取委以外の者が告発したときには、被告人の審級の
利益を保障するために一審は地方裁判所とするということが妥当ではないかというふうに考えます。
私は、
独禁法はあくまで公正自由な
競争経済秩序を
維持する
法律であるというふうに考えておりますので、以上のことは何も消費者保護施策を
独禁法に盛り込もうとするものではございません。しかし、四十八年十月の第六回の消費者保護
会議、これは多数の閣僚が加わっておられるものと思いますが、この消費者保護
会議におきましては、消費者の被害を
効果的に救済し、ひいては消費者保護のための
規制の徹底を図るため、総合的な消費者救済
制度につき調査検討を進めるという旨を
決定しております。総合的な消費者救済
制度の必要性を認めているのなら、
独禁法の分野でも消費者、それから
競争事業者、要するに被害を受けた者の救済を万全ならしめるということを考えるのが当然ではないか。消費者としても、武器をわれらにという声を上げるのが当然でありまして、それが実現されない限り、消費者保護はいつまでたっても
行政によるおんぶ抱っこの消費者保護
行政というものを脱却できないのではないかというふうに考えるのであります。そういうようなことでは、消費者保護基本法第五条におきまして、消費者は「自主的かつ合理的に行動するように努めることによって、消費生活の安定及び向上に積極的な役割を果たすものとする。」ということを定めておりますけれども、この
規定も空念仏に終わるであろうというふうに考えます。取られたものを取り返すというのはまさに合理的な行動以外の何物でもない。それを自主的にしようとする場合に多くの障害を残したような
独禁法というものを残しておいて、消費者保護基本法のこの
規定の精神が生きてくるとは思えないのでございます。
次に、
課徴金に関する
規定について一言申しますと、以上のような
考え方からいたしますと、私はこの
課徴金という
制度そのものが何とも中途半端なものであるというふうに考えております。私は、
公取試案が出たときから、この
制度は成績をつければ良ではあっても優の点はつけられないということを申してまいりました。それは石油パニックのときに便乗
値上げに対しましてきわめて厳しい批判が加えられましたが、便乗
値上げはけしからぬというのならば、やみ
カルテルをこれ幸いと国が
課徴金を取ってもうけるというのは何事かという感じがするからでございます。もちろんこの
制度のねらいは、国がもうけようというものではございません。そのことは私もよくわかっております。不当な
利得の
確保を許さないというのがこの
制度のねらいであるということは私もよくわかっておりますし、その範囲内ではこれは行った方がいいという積極的な面を持つわけでございますけれども、しかし被害を受けた消費者や
事業者としましては、少なくとも違法に取られたものはきちんと自分のところへ取り戻して初めて損得なしの状態になるのでありまして、国がもうけたからといっておもしろくもおかしくもない感じがいたします。その
意味で、国が不当な
利得を
課徴金の形で取るというのならば、それを被害者に返すべきであろうと思います。このことは国が賠償請求をかわって行うということですけれども、こういうことはアメリカでは別に珍しいことではないのでありまして、それが筋として本筋ではないかというふうに考えるわけでありますが、それだけでなしに違法に取った分をすべて取るという発想がなくなっておりますために、できるだけ簡単な算式で
課徴金の額を決めようという
考え方が出てまいります。予算も人手も知識も権限もある、十分ではないかもしれませんけれどもそういうものを全部持っている
公取委が
課徴金を取るにも簡単な計算式が要るというならば、それらを何
一つ持たない消費者に対して自己の損害額を立証して賠償を取れというのは、赤ん坊に象と素手でけんかしてみろと言うようなものではないかという感じがいたします。
課徴金制度の導入に当たってその簡単な計算
方法が問題になったということは、これまた被害者の賠償請求がいかに軽視されてきたかということを端的に示すものではあるまいかというふうに感ずるわけでございます。
次に、
政府案の計算
方法について一言申しますと、その数字的な根拠が何であるかはわかりませんけれども、過去三年間の経常
利益を考慮に入れるというのは、先ほど来いろいろ御
意見が出ておりますが、私にもはなはだ理解しがたいのでございます。同じどろぼうでも貧乏人のどろぼうは多少しんしゃくするというのならばまだ多少わからぬではありませんけれども、いかに過去に積立金がたっぷりあっても、過去三年間はもうからなかったという金持ちの
企業がやる場合、これをしんしゃくするというのは一体どういうことなのか、私にはこの
政府案の説明が、まだ詳しくは伺っておりませんのでどうもよくわからないのでございます。それから、特に多角経営
企業の場合にはどうか。ある
カルテルをやった、ほかのところで三年損していたという場合でも同じことになるのだろうか。その
意味で、経常
利益による減額
規定というのは私にははなはだわかりにくいというふうに思います。
政府素案では、
カルテルの前と後との
利益の差に販売数量を乗じた額ということになっておりましたからまだわかりやすかったのでございますけれども、経常
利益をしんしゃくするということになりますと、はなはだわかりにくくなってくる。こういうことになりますのも、
課徴金といういわば中途半端な
制度から出発しているからでございまして、国が取るのだから、そうまるまる取らなくても、苦しいところからは勘弁してやっていいじゃないかという発想法が生まれてくる。ところが、取られた方の立場から考えますと、全部取り戻すのはあたりまえであって、苦しいからちょっとまけてくれというのはおかしいのではないかという感じがするわけでございます。
それから、
事業者団体の
構成員から
課徴金を取るということが先ほど来問題になっております。この点について一言だけ申し上げますと、
正田さん、
松下さん、
實方さんと私は考えている
内容においてはそんなに違わないのかもしれませんけれども、しかし形式的には私はこの
事業者団体の
構成員からも取るという
規定を残すのが妥当ではないかというふうに考えております。結論的にはその
意味で反対でございます。そして、その場合には、現在の
政府案の八条の三、たとえば八条第一項第一号というのの次に括弧書きを加えて、これは不当な
取引制限に当たる場合に限るというふうなことを明らかにする、そうすれば二号の方にはそう入っているわけでございますから、いずれにしても
事業者団体が不当な
取引制限に当たることをやった場合には
構成員から
課徴金を取るぞということが明らかになるわけでございます。それは
正田さんなんかのおっしゃっていることと
内容的にはそう違わないかもしれませんけれども、形は違ってくるのではないか。なぜそういうことを申すかと申しますと、もし
事業者団体でやればいいのだということになれば、これからはやみ
カルテルをやるときには
事業者団体をつくってからやれということになるわけでございまして、だれかが憎まれ者になって通知を流す、それでほかの人間はイノセントな第三者ということになればよろしいわけでございます。
事業者団体などというのは、もちろん何万人のものもありましょうけれども、三十人でつくってはいかぬというわけではない。
カルテルは
事業者団体をつくってやれというような知恵が回るようなことになっては大変ではないか。もちろん
正田さんなんかはそういうふうなことをおっしゃっているわけではございませんけれども、私はその
意味で、いま申しましたような
趣旨、
正田さんなんかの
意見を盛り込んで八条の三を残すということの方がむしろ妥当ではないかと考えるわけでございます。
なお、ほかに申し上げたい点もございますし、申し上げない点は全部私が納得しているというわけではございませんし、私自身
独禁法の専攻者でもございませんので十分勉強しているというわけでもございませんが、私としましてはいま申し上げたような点、それからほかの
参考人が述べられたような点がしんしゃくされて、
修正された上この
法案が国会を通過するということを期待するものでございます。