○石原
委員 おことばを返すといいますか、釈迦に説法になるかもしれませんが、この数年来
朝鮮半島に見られる
南北統一への一つの手がかりというものは、世界全体の政治的な風潮であるデタントの一つの地域的な表示といえばいえると思いますが、実は
日本の外交なり
外交関係者あるいは
日本のジャーナリズム、大衆というものがおかしがちの誤りの一つは、デタントを一つの政治的な状況と
考えることだと思うのです。これは時間がありませんからここで講義をするわけではございませんけれ
ども、
朝鮮半島に限ってみましても、あそこに見られるデタントは決して状況ではなしに一つの新しい政治的な条件にすぎないということの認識を私たち持つべきだと思いますし、さきの
田中・ニクソン
共同声明でも、しかしあそこではっきりアメリカは、共産圏ということばを使わないにしても、閉ざされた社会と開かれた社会という表現で、われわれ開かれた社会が閉ざされた社会を開いていくことが国際的な責務である、使命であるというようなことをうたっておると思います。そういう観点で私は一つの要望として、この
朝鮮半島に
存在する二つの非常に特質的な、異なる
国家に対する外交をできるだけ慎重にお運びいただきたいとお願いいたします。
最後に一つ。いままでの
質問とかかわりない問題についてお尋ねいたしますが、最近、正常化の後に中国から、私たちが確認していなかった、戦争中を通じて戦後も現在のいわゆる中国
政府、かつての中共軍、その支配下の地域に残った
日本人が帰ってまいりました。この人たちは戦前、戦争中、今日の中国やあるいは北鮮やソビエトにはなはだ類似した全体主義的な軍事
国家であった
日本の社会生活を体験し、そのまま終戦を迎えたわけでありますが、当然
向こうに残ったため、戦後の
日本の社会にどういう変化が訪れたかということを認識しないままに、実は
自分たちが国籍を持った過去の
日本と非常に類似した社会にそのまま住んできたわけであります。
この人たちが機会に恵まれて
日本に帰ってきまして、初めて戦後の、現在の
日本の社会と現在の中国の社会というものをあくまでも個人的な主観で、個人的な価値判断で、人間的な目で見比べる機会を与えられたわけでありますが、それらの方々の中にはそのまま帰国した人もいますし、肉親を残してきたために一時帰国者ということで、やがては中国に帰るということで
日本に来た人が何人かおります。しかし、帰ってみれば人情として、私は幸か不幸か現在の中国に行ったことはございませんけれ
ども、かつての
日本に本質的にはなはだ類似した現在の中国に住む
日本人が、現在の
日本にこのまま居つきたい、つまり中国に帰りたくないという意思をほとんどの人々が持つのは私は妥当な帰結だと思います。
しかしこれに対して、そういった人たちに、中国の現況についてあまり周囲にしゃべらぬように、そしてまた、できるだけすみやかに自分の意思に反して中国に帰るように、帰らない場合には残した家族に何らかの影響があるだろうというサゼスチョンのもとに、中国の
大使館ではなしに、
日本の、
日本人が構成している組織を通じてそういう一時帰国者に対する説得なり監視というものを依頼しまして、これは書類としてもございますし、事実としてもございます。
これを受けたのは日中友好協会(正統)本部という、こういうことを
日本人のくせに受け合うのがこういう組織の正統性のゆえんかもしれませんけれ
ども、彼らがこれを依頼されまして、その協会の
理事長なり事務
局長の名前でこの友好協会(正統)中央本部の機関誌にそういう政治的な業務の受け合いというものを各支部に通達しておりますが、私は、これは政治的干渉とにわかに申しませんけれ
ども、いずれにしても、その一時帰国者たちが完全に自由な条件で現在の中国を選ぶか
日本を選ぶかという機会を与えられていないだけに、決して好ましくない措置であり、傾向であると思いますけれ
ども、いかがお
考えでございましょうか。
それからもう一つ、時間がございませんので重ねてお伺いいたしますが、日中国交正常化のあと、
日本の
外務省としてはすべきことはたくさんあったと思いますけれ
ども、はたして正常化の後に、終戦のときすでに中共の支配下にあった地域の
日本人が一体何人おり、その人たちのその後の消息がどのようなものであったかということの
調査を依頼されましたでしょうか。それがわかっておりましたならば詳しくお伺いしたいと思いますし、いまお手元に資料がなければ後日その資料をいただきたいと思います。
以上です。