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1974-05-27 第72回国会 参議院 本会議 第23号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十九年五月二十七日(月曜日)    午前十時二十一分開議     ━━━━━━━━━━━━━議事日程 第二十四号   昭和四十九年五月二十七日    午前十時開議 第一 国土利用計画法案衆議院提出) 第二 欧州共同体委員会代表部設置並びに   その特権及び免除に関する日本国政府と欧州   共同体委員会との間の協定締結について承   認を求めるの件(衆議院送付) 第三 所得に対する租税に関する二重課税の回   避及び脱税防止のための日本国とアイルラ   ンドとの間の条約締結について承認を求め   るの件(衆議院送付) 第四 所得に対する租税に関する二重課税の回  避のための日本国スペイン国との間の条約  の締結について承認を求めるの件(衆議院送  付) 第五 千八百八十六年九月九日に署名され、  千八百九十六年五月四日にパリで補足され、  千九百八年十一月十三日にベルリン改正さ  れ、千九百十四年三月二十日にベルヌで補足  され、千九百二十八年六月二日にローマで改  正され及び千九百四十八年六月二十六日にブ  ラッセルで改正された文学的及び美術的著作  物の保護に関するベルヌ条約締結について  承認を求めるの件(衆議院送付) 第六 国際協力事業団法案内閣提出衆議院  送付) 第七 航空の危険を生じさせる行為等の処罰に  関する法律案内閣提出衆議院送付) 第八 昭和四十二年度以後における地方公務員  等共済組合法年金の額の改定等に関する法  律等の一部を改正する法律案内閣提出、衆  議院送付) 第九 輸出保険法の一部を改正する法律案(内  閣提出衆議院送付) 第一〇 農業者年金基金法の一部を改正する法  律案内閣提出衆議院送付) 第一一 農林漁業団体職員共済組合法等の一部  を改正する法律案内閣提出衆議院送付) 第一二 国民年金法等の一部を改正する法律案  (内閣提出衆議院送付) 第一三 児童手当法等の一部を改正する法律案  (内閣提出衆議院送付) 第一四 原子爆弾被爆者医療等に関する法律  及び原子爆弾被爆者に対する特別措置に関す  る法律の一部を改正する法律案内閣提出、  衆議院送付) 第一五 生産緑地法案内閣提出衆議院送付) 第一六 工業再配置・産炭地域振興公団法の一  部を改正する法律案(第七十一回国会内閣提  出、第七十二回国会衆議院送付) 第一七 都市計画法及び建築基準法の一部を改  正する法律案(第七十一回国会内閣提出、第  七十二回国会衆議院送付) 第一八 学校教育法の一部を改正する法律案   (第七十一回国会内閣提出、第七十二回国会   衆議院送付)     ━━━━━━━━━━━━━ ○本日の会議に付した案件  一、国家公務員等任命に関する件  一、インド地下核実験に抗議する決議案(山   内一郎君外十三名発議)(委員会審査省略要求   事件)  一、日程第一より第一七まで  一、文部大臣奥野誠亮問責決議案松永忠二   君発議)(委員会審査省略要求事件)  一、文教委員長世耕政隆解任決議案加瀬完   君発議)(委員会審査省略要求事件)  一、日程第一八  一、常任委員長辞任の件  一、常任委員長選挙  一、裁判官弾劾裁判所裁判員、同予備員及び裁   判官訴追委員辞任の件  一、裁判官弾劾裁判所裁判員、同予備員裁判   官訴追委員皇室会議予備議員検察官適格   審査会委員、同予備委員国土総合開発審議   会委員東北開発審議会委員九州地方開発   審議会委員四国地方開発審議会委員国土   開発幹線自動車道建設審議会委員首都圏整   備審議会委員北海道開発審議会委員日本   ユネスコ国内委員会委員及び鉄道建設審議会   委員選挙      ——————————
  2. 河野謙三

    議長河野謙三君) これより会議を開きます。  この際、国家公務員等任命に関する件についておはかりいたします。  内閣から、科学技術会議議員藤井隆君、吉識雅夫君、米澤滋君を、  宇宙開発委員会委員齋藤成文君を、  社会保険審査会委員竹下精紀君を、  運輸審議会委員野間千代三君を、  航空事故調査委員会委員長岡田貴君を、同委員八田桂三君を、  公共企業体等労働委員会委員市原昌三郎君、金子美雄君、中西實君、原田運治君、峯村光郎君を任命することについて、本院の同意を求めてまいりました。  まず、科学技術会議議員社会保険審査会委員及び公共企業体等労働委員会委員のうち、市原昌三郎君、中西實君、原田運治君の任命について採決をいたします。  内閣申し出のとおり、いずれも同意することに賛成諸君起立を求めます。    〔賛成者起立
  3. 河野謙三

    議長河野謙三君) 過半数と認めます。よって、いずれも同意することに決しました。      ——————————
  4. 河野謙三

    議長河野謙三君) 次に、運輸審議会委員任命について採決をいたします。  内閣申し出のとおり、これに同意することに賛成諸君起立を求めます。    〔賛成者起立
  5. 河野謙三

    議長河野謙三君) 総員起立と認めます。よって、全会一致をもってこれに同意することに決しました。      ——————————
  6. 河野謙三

    議長河野謙三君) 次に、宇宙開発委員会委員航空事故調査委員会委員長、同委員及び公共企業体等労働委員会委員のうち、金子美雄君、峯村光郎君の任命について採決をいたします。  内閣申し出のとおり、いずれも同意することに賛成諸君起立を求めます。    〔賛成者起立
  7. 河野謙三

    議長河野謙三君) 総員起立と認めます。よって、全会一致をもっていずれも同意することに決しました。      ─────・─────
  8. 河野謙三

    議長河野謙三君) この際、おはかりいたします。  山内一郎君外十三名発議にかかるインド地下核実験に抗議する決議案は、発議者要求のとおり委員会審査を省略し、日程に追加して、これを議題とすることに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  9. 河野謙三

    議長河野謙三君) 御異議ないと認めます。よって、本案議題といたします。  まず、発議者趣旨説明を求めます。山内一郎君。     —————————————
  10. 山内一郎

    山内一郎君 私は、ただいま議題となりました自由民主党日本社会党、公明党、民社党及び日本共産党の五派共同提案にかかるインド地下核実験に抗議する決議案につきまして、提案者を代表して趣旨を御説明いたします。  まず、案文を朗読いたします。    インド地下核実験に抗議する決議(案)   本院は、わが国唯一被爆国であることにかんがみ、今日まであらゆる国の核実験に抗議し、反対する決議を行い、その禁止を強く要望してきた。  今回行われたインド地下核実験は、たとえいかなる理由によるものにせよ、核実験競争を激化させ、ひいては人類滅亡危機をもたらすものであって、厳重に抗議するものである。  政府は、本院の主旨をたいし、すべての国の核兵器製造実験貯蔵使用反対し、全面的な禁止協定締結されるよう努めるとともに、インド政府に対し、直ちに適切な措置を講ずべきである。  右決議する。  申すまでもなく、わが国は、広島、長崎、ビキニと、原爆の悲惨さを身をもって体験した世界唯一被爆国として、核実験全面禁止核兵器の地上からの絶滅を心から願い、このためみずからは、つくらず、持たず、持ち込ませずの非核三原則を国民とともに堅持し、今日に至ったのであります。  本院におきましても、すでにたび重なる決議に明らかなごとく、このような国民あげての願望と決意を体して、あらゆる国のあらゆる核実験に強い反対を表明してまいったのであります。  しかるに、去る五月十八日インド地下核実験を強行したことは、わが国民の意思を踏みにじり、核兵器反対する国際世論を無視するものであって、きわめて遺憾と申さねばなりません。インド政府は、この核実験は、平和目的のものであり、また、部分的核実験禁止条約になんら違反していないと言明しておりますが、いかなる目的のものであるにせよ、また、たとえ地下核実験条約上禁じられていないとはいえ、インドが第六の核保有国となった事実はおおうべくもなく、今後核実験競争を激化させ、核兵器の拡散を招き、ひいては人類滅亡危機をもたらすものであって、われわれは、国民の名において厳重に抗議するものであります。  政府は、本院の意思を体し、インド政府に対して厳重な抗議を行なうとともに、今後いかなる目的理由によるものにせよ、再び核実験を行なうことのないよう強く要請すべきであります。  同時に、政府は、地下核実験禁止を含む全面的な核実験禁止が一日も早く実現するよう一そうの努力を傾けるべきであり、さらに核兵器製造貯蔵及び使用の一切を禁止する協定締結に向かって今後とも関係各国に強く働きかけるべきであります。  以上が本決議案提案趣旨であります。何とぞ全員の御賛同をお願いする次第であります。(拍手
  11. 河野謙三

    議長河野謙三君) これより採決をいたします。本案賛成諸君起立を求めます。    〔賛成者起立
  12. 河野謙三

    議長河野謙三君) 総員起立と認めます。よって、本案全会一致をもって可決されました。  ただいまの決議に対し、外務大臣から発言を求められました。大平外務大臣。    〔国務大臣大平正芳登壇拍手
  13. 大平正芳

    国務大臣大平正芳君) ただいまの御決議に対しまして、政府の所信を申し述べます。  政府は、これまで、その理由いかんを問わず、いかなる国によるいかなる核実験にも反対するとの立場を堅持し、事あるごとに当該国政府に対し、わが国立場を強く表明してまいりました。  今回のインド地下核実験に対しましては、政府は、いち早く官房長官談話の形で遺憾の意を表明いたしますとともに、直接外交ルートを通じてインド政府に対して遺憾の意を表明し、核実験についてのわが国基本的立場を伝え、インドが今後再び核実験を行なうがごときことのないよう強く申し入れを行ないました。  政府といたしましては、ただいま採択されました御決議趣旨を体し、あらゆる核実験の停止、さらには核兵器の廃止の実現に向かって、関係国の理解と実行を促すべく、今後とも一そうの積極的な努力を払う所存であります。(拍手)      ─────・─────
  14. 河野謙三

    議長河野謙三君) 日程第一 国土利用計画法案衆議院提出)を議題といたします。  まず、委員長報告を求めます。建設委員長野々山一三君。     〔野々山一三登壇拍手
  15. 野々山一三

    野々山一三君 ただいま議題となりました国土利用計画法案につきまして、建設委員会における審査経過並びに結果を御報告申し上げます。  本案は、最近における土地利用の混乱、地価高騰土地投機的取引及び大量買い占め等の深刻な事態に対処するため、第七十一回国会における内閣提出国土総合開発法案とは全く別個の目的及び効果を期するものとして、衆議院から提出されたものであります。  その内容は、国土の総合的かつ計画的な利用をはかるため国土利用計画を定めるとともに、土地利用基本計画の作成、土地取引規制、その他土地利用調整のための措置等を講じようとするもので、そのおもな事項は次のとおりであります。  第一は、国土利用計画等についてであります。  内閣総理大臣は、国土利用基本となる全国計画を定め、また、都道府県及び市町村は、それぞれ当該区域国土利用に関する都道府県計画及び市町村計画を定めることができることとするとともに、特に市町村計画策定にあたっては、公聴会開催等住民意向を反映させるための措置を講ずることとしております。  なお、政府は、国会国土利用現況等に関する年次報告書提出することにより、将来の施策に国民意向が反映されるようにしております。  第二は、土地利用基本計画等についてであります。  都道府県知事は、国土利用計画基本として、都市農業、森林、自然公園及び自然保全地域区分及び土地利用調整等に関する土地利用基本計画を定めることとし、国及び地方公共団体は、土地利用基本計画に即して適正かつ合理的な土地利用がはかられるよう、所要の規制措置を講ずることとしております。  第三は、土地取引規制に関する措置についてであります。  まず、都道府県知事は、土地投機的取引が行なわれまたはそのおそれがあり、及び、地価が急激に上昇しまたはそのおそれがある等の要件に該当する区域を、期間を定めて規制区域として指定することとし、内閣総理大臣は、国の立場から特に必要があると認めるときは規制区域指定等を指示し、都道府県知事が正当な理由がなくその措置を講じないときは、みずから当該措置を講ずることができることとしております。  次に、規制区域内における土地取引は、都道府県知事許可制とし、取引価額基準価額に照らし適正を欠くとき、利用目的土地利用基本計画に適合しないとき等の場合は許可してはならないこととし、不許可の処分を受けた者に対しては、買い取り請求及び不服申し立てを認めることとしております。  また、規制区域外における一定規模以上の土地取引は、都道府県知事への届出制とし、取引価額基準価額に照らし著しく適正を欠くとき等の場合は、取引中止等勧告することとし、勧告に従わないときは、その旨及び勧告内容を公表することができることとしております。  第四は、遊休土地に関する措置についてであります。  まず、都道府県知事は、許可を受けまたは届け出をして取得した土地で、その面積が一定規模以上あり、取得後三年を経過しても住宅または事業用に供されていない等の要件に該当するものの所有者等遊休土地である旨を通知することとしております。  なお、昭和四十四年一月一日以後本法施行前に取得した遊休土地については、本法施行後二年間に限り同様の通知をすることとしております。  次に、遊休土地である旨の通知を受けた者は、当該土地利用計画等都道府県知事届け出るものとし、都道府県知事は、利用計画変更等勧告をすることができることとするとともに、勧告に従わないときは、地方公共団体等買い取りのための協議を行なわせることとし、協議が成立しない場合において住宅建設等のため必要があるときは都市計画決定等措置を講ずることとしております。  第五は、立ち入り検査等についてであります。  都道府県知事は、土地取引許可の申請または届け出及び遊休土地利用計画等届け出に関し、その職員立ち入り検査等を行なわせることができることとし、その職務を行なわせるために都道府県土地調査員を置くこととしております。  その他、総理府に国土利用計画審議会を、また、都道府県国土利用計画地方審議会及び土地利用審査会設置するとともに、違反行為者に対する罰則を定め、関係法規改正等を行なうこととしております。  委員会におきましては、衆議院建設委員長ら提案者及び政府関係者の出席を求め、法案策定経過をただすとともに、国土利用計画国土総合開発計画との関係規制区域指定内閣総理大臣指示権及び代行権基準価額算定方法遊休土地買い取り財産権本法施行に要する財政上の措置等について熱心な質疑が行なわれましたが、この際特に、質疑を通じて明らかにされた事項のおもなものを申し上げておきます。  第一に、本案は、内閣提出国土総合開発法案とは全く性格を異にし、もっぱら土地投機的取引及び地価高騰抑制と、適正かつ合理的な土地利用確保主眼とするもので、開発に関する事項を除去し、国土利用計画等策定土地取引規制遊休土地に関する措置等をおもな内容としており、特に、国土利用計画に対し地方公共団体の長及び地域住民意向を十分に反映させる措置規制区域指定要件拡充内閣総理大臣指示権及び代行権発動要件明確化立ち入り検査制度及び土地調査員設置罰則強化等を行なったこと、  第二に、国土利用計画については、開発事業計画決定は他の法令によるものとし、直接に開発事業の実施をはかる性格のものではなく、総合的かつ計画的な国土利用確保するための長期計画であること、  第三に、土地取引規制等の場合における土地に関する権利の相当な価額については、時価の七、八割程度を政策的目標として、政令で適切な算定方式を定めることとすること、  第四に、内閣総理大臣規制区域指定等にかかわる指示権及び代行権については、地方自治の本旨にのっとり、地方公共団体の長の権限を尊重して運用すること、  第五に、本法施行に必要な財政措置については、政府側においてその拡充につとめること、等であります。  さらに、基本的な問題として、法の運用は人にあり、法律が所期の目的を達成するかどうかは、もっぱら執行者姿勢いかんによるものであることが強調され、経済企画庁長官からも、立法の趣旨を十分に尊重し、慎重かつ適正な行政運用を行なう旨の発言がありました。  質疑終局後、春日委員より提出修正案議題とし、これに対して国会法第五十七条の三の規定による内閣意見の聴取及び質疑が行なわれました。  続いて、原案並びに修正案についての討論に入り、日本共産党を代表して春日委員より、原案反対する旨、また、日本社会党を代表して前川委員より、修正案反対し、原案賛成する旨の発言がありました。  討論を終了し、採決に入り、まず、修正案は、賛成少数をもって否決、次いで、本案は、多数をもって原案どおり可決すべきものと決定いたしました。  以上御報告申し上げます。(拍手
  16. 河野謙三

    議長河野謙三君) これより採決をいたします。本案賛成諸君起立を求めます。    〔賛成者起立
  17. 河野謙三

    議長河野謙三君) 過半数と認めます。よって、本案は可決されました。  内閣総理大臣から発言を求められております。この際、発言を許します。田中内閣総理大臣。    〔国務大臣田中角榮登壇拍手
  18. 田中角榮

    国務大臣田中角榮君) このたび、日本共産党を除く与野党の意見一致により、新たに国民待望国土利用計画法が成立するに至ったことは、まことに喜ばしいことであります。  しかるところ、先日のテレビ放映中における私の発言をめぐり国会審議の紛糾を生じたことに対し、ここに遺憾の意を表します。  ただいま可決成立をいたしました国土利用計画法は、建設委員長報告にもあるとおり、内閣提出国土総合開発法案とは目的効果を異にし、もっぱら、土地投機的取引及び地価高騰抑制と、適正かつ合理的な土地利用確保主眼とするもので、開発に関する事項を除去し、国土利用計画等策定土地取引規制遊休土地に関する措置等をおもな内容とするものでございます。  したがいまして、政府は、この趣旨を体し、適正な運用をはかってまいります。(拍手)      ——————————
  19. 河野謙三

    議長河野謙三君) 日程第二 欧州共同体委員会代表部設置並びにその特権及び免除に関する日本国政府欧州共同体委員会との間の協定締結について承認を求めるの件  日程第三 所得に対する租税に関する二重課税の回避及び脱税防止のための日本国アイルランドとの間の条約締結について承認を求めるの件  日程第四 所得に対する租税に関する二重課税回避のための日本国スペイン国との間の条約締結について承認を求めるの件  日程第五 千八百八十六年九月九日に署名され、千八百九十六年五月四日にパリで補足され、千九百八年十一月十三日にベルリン改正され、千九百十四年三月二十日にベルヌで補足され、千九百二十八年六月二日にローマ改正され及び千九百四十八年六月二十六日にブラッセル改正された文学的及び美術的著作物保護に関するベルヌ条約締結について承認を求めるの件   (いずれも衆議院送付)  日程第六 国際協力事業団法案内閣提出衆議院送付)  以上五件を一括して議題といたします。  まず、委員長報告を求めます。外務委員長伊藤五郎君。     —————————————    〔伊藤五郎登壇拍手
  20. 伊藤五郎

    伊藤五郎君 ただいま議題となりました条約四件と法律案一件につきまして、外務委員会における審議経過と結果を御報告いたします。  まず、欧州共同体委員会との協定は、欧州共同体委員会代表部わが国への設置に同意し、かつ、同代表部に、わが国が接受している外交使節団に与えているのと同様の特権免除を与えること等を定めたものであります。  次に、アイルランド及びスペインとの二重課税防止条約は、いずれも、相手国事業を営む企業利得に対する相手国課税基準、船舶、航空機の運用利得に対する相互免税投資所得に対する課税軽減等について定めるとともに、二重課税回避する方法について規定したものであります。  次に、一九四八年にブラッセル改正された文学的及び美術的著作物保護に関するベルヌ条約は、著作物保護期間著作者の死後五十年とすることを義務づけ、放送権内容を詳細化し、朗読権を新たに規定するなど、著作者権利保護の一そうの充実をはかったものであります。  以上四条約についての委員会における質疑の詳細は、会議録で御承知願います。  五月二十一日質疑を終え、別に討論もなく、採決の結果、欧州共同体委員会との協定及び著作物保護に関する改正条約は、いずれも全会一致をもって、また、アイルランド及びスペインとの二重課税防止条約は、いずれも多数をもって、それぞれ承認すべきものと決定いたしました。     —————————————  次に、国際協力事業団法案は、開発途上地域等経済及び社会発展に寄与し、国際協力の促進に資するため、国際協力事業団を設立し、既存海外技術協力事業団及び海外移住事業団を統合して、その業務を引き継ぐほか、開発途上地域等社会開発並びに農林業及び鉱工業開発協力するための新たな業務を行なわせようとするものであります。  このため、本法律案は、事業団資本金、組織、業務既存事業団等権利義務承継等について定めるとともに、主務大臣外務大臣とするが、農林業開発に関する事項については農林大臣との共管鉱工業開発に関する事項については通商産業大臣との共管としております。  委員会におきましては、わが国経済協力理念基本姿勢事業団運営方針農林業開発への協力移住事業等、各般の問題にわたって質疑が行なわれましたが、詳細は会議録で御承知願います。  五月二十一日質疑を終え、討論に入りましたところ、日本社会党田委員より、従来わが国経済協力が明確な理念を欠き、企業進出輸出振興、さらには特定の人々の利益と結びついて内外で多くの批判を浴びているにもかかわらず、これに対する真剣な反省のないまま、各省のなわ張り争いの妥協としてあいまいな機構を発足させることは危険である等の反対意見が述べられました。次いで、自由民主党平島委員より、新事業団わが国経済技術協力有機的統一をはかり、開発途上諸国経済社会発展国民福祉の向上に一そう寄与することになる等の賛成意見が述べられ、最後に、日本共産党星野委員より、本案は、過去の日本のあやまちに反省のないまま、大企業の新植民地主義的海外進出に一そう便宜を与えようとするものである等の反対意見が述べられました。  次いで、採決の結果、本案は多数をもって原案どおり可決すべきものと決定いたしました。  以上御報告いたします。(拍手
  21. 河野謙三

    議長河野謙三君) これより採決をいたします。  まず、欧州共同体委員会代表部設置並びにその特権及び免除に関する日本国政府欧州共同体委員会との間の協定締結について承認を求めるの件並びに千八百八十六年九月九日に署名され、千八百九十六年五月四日にパリで補足され、千九百八年十一月十三日にベルリン改正され、千九百十四年三月二十日にベルヌで補足され、千九百二十八年六月二日にローマ改正され及び千九百四十八年六月二十六日にブラッセル改正された文学的及び美術的著作物保護に関するベルヌ条約締結について承認を求めるの件を一括して採決いたします。両件を承認することに賛成諸君起立を求めます。    〔賛成者起立
  22. 河野謙三

    議長河野謙三君) 総員起立と認めます。よって、両件は全会一致をもって承認することに決しました。      ——————————
  23. 河野謙三

    議長河野謙三君) 次に、所得に対する租税に関する二重課税の回避及び脱税防止のための日本国とアイランドとの間の条約締結について承認を求めるの件並びに所得に対する租税に関する二重課税回避のための日本国スペイン国との間の条約締結について承認を求めるの件を一括して採決いたします。両件を承認することに賛成諸君起立を求めます。    〔賛成者起立
  24. 河野謙三

    議長河野謙三君) 過半数と認めます。よって、両件は承認することに決しました。      ——————————
  25. 河野謙三

    議長河野謙三君) 次に、国際協力事業団法案採決をいたします。本案賛成諸君起立を求めます。    〔賛成者起立
  26. 河野謙三

    議長河野謙三君) 過半数と認めます。よって、本案は可決されました。      ——————————
  27. 河野謙三

    議長河野謙三君) 日程第七 航空の危険を生じさせる行為等の処罰に関する法律案内閣提出衆議院送付)を議題といたします。  まず、委員長報告を求めます。交通安全対策特別委員長西村関一君。    〔西村関一君登壇拍手
  28. 西村関一

    ○西村関一君 ただいま議題となりました航空の危険を生じさせる行為等の処罰に関する法律案について、交通安全対策特別委員会における審査経過及び結果を御報告いたします。  本法律案は、民間航空の安全に対する不法な行為の防止に関する条約、いわゆるモントリオール条約の実施に必要な国内法の整備を行なうために提案されましたもので、その内容は、航空の危険を生じさせる行為、航行中の航空機を墜落させる行為、業務中の航空機を破壊する行為等についての処罰規定、これらの行為にかかわる国外犯の処罰規定等を設けるほか、所要の規定を整備しようとするものであります。  委員会におきましては、ハイジャック関係条約と国内法の整備にかかわる諸問題、ハイジャック等防止対策の現状と今後の措置等の問題が取り上げられ、熱心な質疑が行なわれましたが、その詳細は会議録により御承知願います。  質疑を終了し、別に討論なく、採決の結果、本法律案全会一致をもって原案どおり可決すべきものと決定いたしました。  以上御報告申し上げます。(拍手
  29. 河野謙三

    議長河野謙三君) これより採決をいたします。本案賛成諸君起立を求めます。    〔賛成者起立
  30. 河野謙三

    議長河野謙三君) 総員起立と認めます。よって、本案全会一致をもって可決されました。      ——————————
  31. 河野謙三

    議長河野謙三君) 日程第八 昭和四十二年度以後における地方公務員共済組合法年金の額の改定等に関する法律等の一部を改正する法律案内閣提出衆議院送付)を議題といたします。  まず、委員長報告を求めます。地方行政委員長久保田藤麿君。    〔久保田藤麿君登壇拍手
  32. 久保田藤麿

    ○久保田藤麿君 ただいま議題となりました昭和四十二年度以後における地方公務員共済組合法年金の額の改定等に関する法律等の一部を改正する法律案について、地方行政委員会における審査経過及び結果を御報告いたします。  本案は、地方公務員共済組合の年金の額の改定につき、恩給法等の改正内容に準じて退職年金等の増額及び最低保障額の引き上げ等の措置を講ずるとともに、長期給付の基礎となる給料の算定方法の改善、退職年金等のうち低額なものの年金額の引き上げ、遺族年金の扶養加算制度の創設、短期給付の任意継続制度の創設等の措置を講ずるほか、地方団体関係団体職員共済組合が支給する年金について、これらに準ずる改善措置を講じようとするものであり、衆議院において地方議会議員の年金額の増額及び土地開発公社の職員について団体共済制度を適用することの修正を行なったものであります。  委員会における質疑の詳細は、会議録によって御承知願います。  質疑を終わり、討論に入りましたが、別に発言もなく、採決の結果、本案全会一致をもって原案どおり可決すべきものと決定いたしました。  なお、本案に対し、政府は、公的負担及び各種給付内容の改善、賃金スライド制の法制化、年金改定の早期実施、賦課方式の採用、通算退職年金制度の抜本的改善等について検討を加え善処すべきである旨の各派共同提案にかかる附帯決議を付しております。  以上御報告いたします。(拍手
  33. 河野謙三

    議長河野謙三君) これより採決をいたします。本案賛成諸君起立を求めます。    〔賛成者起立
  34. 河野謙三

    議長河野謙三君) 総員起立と認めます。よって、本案全会一致をもって可決されました。      ——————————
  35. 河野謙三

    議長河野謙三君) 日程第九 輸出保険法の一部を改正する法律案内閣提出衆議院送付)を議題といたします。  まず、委員長報告を求めます。商工委員長剱木亨弘君。    〔剱木亨弘君登壇拍手
  36. 剱木亨弘

    ○剱木亨弘君 ただいま議題となりました法律案について、商工委員会における審査経過と結果を御報告申し上げます。  本法律案は、流動的な国際通貨情勢の現状にかんがみ、プラント類等の輸出取引の安定化をはかるため、保険契約締結申し込み後、決済期限までに、外国為替相場の変動によって受ける損失を一定の範囲内でてん補する為替変動保険を新設するとともに、鉱物以外の重要物資についても、その開発輸入を促進するため、海外投資保険の付保の対象範囲を拡大しようとするものであります。  委員会では、為替変動保険の創設の趣旨、海外投資保険の運用実態をはじめ、国際通貨情勢の今後の見通し、わが国の海外投資と経済協力の現状及び今後のあり方等について質疑が行なわれましたが、その詳細は会議録に譲ります。  質疑を終わり、討論なく、採決の結果、本法律案は多数をもって原案どおり可決すべきものと決定いたしました。  以上御報告申し上げます。(拍手
  37. 河野謙三

    議長河野謙三君) これより採決をいたします。本案賛成諸君起立を求めます。    〔賛成者起立
  38. 河野謙三

    議長河野謙三君) 過半数と認めます。よって、本案は可決されました。      ——————————
  39. 河野謙三

    議長河野謙三君) 日程第一〇 農業者年金基金法の一部を改正する法律案  日程第一一 農林漁業団体職員共済組合法等の一部を改正する法律案   (いずれも内閣提出衆議院送付)  以上両案を一括して議題といたします。  まず、委員長報告を求めます。農林水産委員長初村滝一郎君。    〔初村滝一郎登壇拍手
  40. 初村滝一郎

    ○初村滝一郎君 ただいま議題となりました二法案につきまして、委員会における審査経過と結果を御報告いたします。  まず、農業年金改正案は、農業者の老後生活の安定と農業構造改善に資するため、農業年金事業について、給付内容の改善及びこれに伴う保険料の引き上げ、年金額の物価スライド制の導入、出かせぎ者等で被用者年金に短期間加入した者についての年金支給要件の改善等の措置を講じようとするものであります。  委員会におきましては、本年金制度の目的と給付水準、経営移譲見込み等の農業構造改善の見通しと本制度の役割り、年金制度の加入状況、離農給付金の支給実績、農地等の売買業務及び融資業務の実績等について質疑を行ないました。  質疑を終わり、別に討論もなく、採決の結果、本法律案全会一致をもって原案どおり可決すべきものと決定いたしました。  なお、本案に対し、年金給付充実と加入の促進を求めるとともに、老齢年金水準の引き上げ等、七項目の附帯決議全会一致をもって行ないました。  次に、農林年金法等改正案は、農林漁業団体職員共済組合からの給付等について、他の共済組合制度に準じ、標準給与の月額の上下限の引き上げ、平均標準給与の月額の算定方法改正、低額年金についての年金額の引き上げ等を行なうとともに、既裁定年金額の引き上げの措置を講じようとするものであります。  委員会におきましては、給付に要する費用に対する国の補助率の引き上げ、都道府県補助等の公的財政援助の創設、年金額改定とその早期実施、職員の給与の改善、年金受給者の意向の反映等について質疑が行なわれ、この間、参考人から意見を聴取して審査を行ないました。  質疑を終わり、別に討論もなく、採決の結果、本法律案全会一致をもって原案どおり可決すべきものと決定いたしました。  なお、本案に対し、国庫補助率の増額、都道府県補助等、六項目の附帯決議全会一致をもって行ないました。  以上御報告いたします。(拍手
  41. 河野謙三

    議長河野謙三君) これより採決をいたします。  まず、農林漁業団体職員共済組合法等の一部を改正する法律案採決をいたします。本案賛成諸君起立を求めます。    〔賛成者起立
  42. 河野謙三

    議長河野謙三君) 総員起立と認めます。よって、本案全会一致をもって可決されました。      ─────・─────
  43. 河野謙三

    議長河野謙三君) 次に、農業者年金基金法の一部を改正する法律案採決をいたします。本案賛成諸君起立を求めます。    〔賛成者起立
  44. 河野謙三

    議長河野謙三君) 総員起立と認めます。よって、本案全会一致をもって可決されました。      ─────・─────
  45. 河野謙三

    議長河野謙三君) 日程第一二 国民年金法等の一部を改正する法律案  日程第一二 児童手当法等の一部を改正する法律案  日程第一四 原子爆弾被爆者医療等に関する法律及び原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律の一部を改正する法律案   (いずれも内閣提出衆議院送付)  以上三案を一括して議題といたします。  まず、委員長報告を求めます。社会労働委員長山崎昇君。    〔山崎昇君登壇拍手
  46. 山崎昇

    ○山崎昇君 ただいま議題となりました三法律案について、社会労働委員会における審議経過と結果を御報告いたします。  まず、国民年金法等の一部を改正する法律案は、第一に、老齢、障害、母子・準母子の各福祉年金及び老齢特別給付金について、その額を引き上げるとともに、母子・準母子福祉年金の支給対象となる子等の障害の程度を二級にまで広げること。第二に、拠出制国民年金の保険料を一カ月につき二百円引き上げて千百円とすること。第三に、年金たる給付の受給権を担保とする資金貸し付け業務年金福祉事業団に行なわせることをおもな内容としたものでありますが、衆議院において、厚生年金加入員にかかる厚生年金の保険料率の引き下げを行なうほか、インフレ対策の一環として、本法案による改善措置の実施時期及び年金額の自動的改定の実施時期を繰り上げることとする措置が修正追加されております。  次に、児童手当法等の一部を改正する法律案は、児童手当、児童扶養手当及び特別児童扶養手当の額を引き上げるとともに、児童扶養手当の支給対象に二級障害を有する児童を加えるほか、新たに重度の心身障害児者を監護する父母等に対して特別福祉手当を支給する制度を設けることを内容とするものであります。なお、衆議院において、本改正案による改善措置についても、実施時期を一カ月繰り上げる旨の修正がなされております。  委員会におきましては、両法案を一括して慎重に審議を行ない、討論もなく、採決の結果、全会一致をもって両法案とも衆議院送付案どおり可決すべきものと決定いたしました。  なお、国民年金法等の一部を改正する法律案に対しては、賦課方式への移行、併給制限措置の再検討、積み立て金の管理運用の改善等を内容とする附帯決議を、また、児童手当法等の一部を改正する法律案に対しては、各手当の拡充及び増額を内容とする附帯決議全会一致をもって付することに決定いたしました。     —————————————  次に、原子爆弾被爆者医療等に関する法律及び原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律の一部を改正する法律案は、すべての被爆者に対して一般疾病医療費の支給を行なうこととすること。原爆症と認定された被爆者に対しては、従来から支給されている特別手当の額を一万五千円に引き上げるとともに、当該認定にかかる傷病の状態に該当しなくなった者に新たに七千五百円の特別手当を支給すること。また、健康管理手当について支給対象を広げるとともに、その額の引き上げをはかることを内容とするものであります。  なお、本改正案の改善措置についても、衆議院において実施時期を繰り上げる修正がなされております。  委員会におきまして、採決の結果、全会一致をもって衆議院送付案どおり可決すべきものと決定いたしました。  なお、被爆者の生活保障を充実するための援護体制の検討、被爆者実態調査の実施、放射能の遺伝的影響の調査研究の推進等を内容とする附帯決議全会一致をもって付することに決定いたしました。  以上で報告を終わります。(拍手
  47. 河野謙三

    議長河野謙三君) これより採決をいたします。  まず、児童手当法等の一部を改正する法律案並びに原子爆弾被爆者医療等に関する法律及び原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律の一部を改正する法律案を一括して採決いたします。  両案に賛成諸君起立を求めます。    〔賛成者起立
  48. 河野謙三

    議長河野謙三君) 総員起立と認めます。よって、両案は全会一致をもって可決されました。      ——————————
  49. 河野謙三

    議長河野謙三君) 次に、国民年金法等の一部を改正する法律案採決をいたします。本案賛成諸君起立を求めます。    〔賛成者起立
  50. 河野謙三

    議長河野謙三君) 総員起立と認めます。よって、本案全会一致をもって可決されました。      ——————————
  51. 河野謙三

    議長河野謙三君) 日程第一五 生産緑地法案内閣提出衆議院送付)  日程第一六 業再配置・産炭地域振興公団法の一部を改正する法律案  日程第一七 都市計画法及び建築基準法の一部を改正する法律案   (いずれも第七十一回国会内閣提出、第七十   二回国会衆議院送付)  以上三案を一括して議題といたします。  まず、委員長報告を求めます。建設委員長野々山一三君。    〔野々山一三登壇拍手
  52. 野々山一三

    野々山一三君 ただいま議題となりました三法案につきまして、建設委員会における審査経過並びに結果を御報告申し上げます。  まず、生産緑地法案について申し上げます。  本案は、都市計画上の施策として、生産緑地地区の制度を創設し、農林漁業との調整をはかりつつ、良好な都市環境の形成に資そうとするものであります。  そのおもな内容は、第一に、市街化区域内において、良好な生活環境の確保に寄与し、かつ、公共施設の敷地の用に供する土地として適している農地等で一定の要件に該当するものについては、第一種生産緑地地区を、また、市街化区域内における土地区画整理事業等が完了した区域内にある農地等で一定の要件に該当するものについては、当該区域内のおおむね三〇%の範囲内で第二種生産緑地地区を、それぞれ都市計画に定めることができること、第二に、生産緑地地区内においては、建築行為、開発行為は、原則として市町村長の許可を受けなければならないものとすること、第三に、生産緑地の所有者は、一定期間経過後、市町村長に対し、当該生産緑地の買い取りを申し出ることができること、第四に、生産緑地地区内の農地については、宅地並み課税を適用除外すること等であります。  なお、衆議院において、第一種生産緑地地区及び第二種生産緑地地区の規模要件並びに買い取り価額について修正が行なわれております。  委員会におきましては、都市農業政策の確立、地方公共団体の実施している農業緑地等保全制度との関係買い取りの財源問題等について熱心な質疑が行なわれましたが、その詳細は会議録に譲ることといたします。  質疑を終局し、討論に入りましたところ、別に発言もなく、採決の結果、本案は多数をもって原案どおり可決すべきものと決定いたしました。  次いで、前川委員より、自由民主党日本社会党、公明党、民社党の各派共同提案による附帯決議案提出され、全会一致をもって本委員会決議とすることに決定いたしました。  その要旨は、地方公共団体が実施しまたは今後実施する農業緑地等保全制度については、生産緑地法の規定と異なるものについては、できる限り存続をはかるよう行財政制度の運用等について適切な配慮を行なうこと。いわゆる宅地並み課税については、都市農業の必要性を考慮し、昭和五十年度末までに抜本的検討を加えること。都市農業については、市街化区域内の農地についても適切な農業施策を実施し、それに伴う行財政措置、金融措置等を講ずること。相続税及び贈与税の課税にあたっては、農業経営を存続奨励すべき農地について所要の負担軽減措置を検討することであります。     —————————————  次に、工業再配置・産炭地域振興公団法の一部を改正する法律案並びに都市計画法及び建築基準法の一部を改正する法律案について申し上げます。  工業再配置・産炭地域振興公団法の一部を改正する法律案のおもな内容は、第一に、工業再配置・産炭地域振興公団を改組拡充し、その名称を地域振興整備公団に改めること、第二に、公団の業務として、新たに大都市及びその周辺地域以外の地方都市開発整備のため必要な宅地造成等の業務及び特定の地域の開発整備のための事業にかかわる業務等を行なうことができることとすること、第三に、公団はこの新たな業務の実施については、地方公共団体の要請をまって行なうものとし、その業務を行なおうとするときは、事業実施基本計画を作成し、関係地方公共団体の長に協議するとともに、内閣総理大臣及び主務大臣の認可を受けなければならないこと、第四に、公団の経理については、地方都市開発整備等業務、工業再配置業務及び産炭地域振興業務を区分し、整理するものとすること、第五に、公団の主務大臣は、一般管理業務については原則として内閣総理大臣とするとともに、事業の実施についてはその内容に応じて通商産業大臣、建設大臣等とすること、第六に、工業再配置・産炭地域振興公団の地域振興整備公団への移行、関係法律の整備等であります。  なお、衆議院において、改組後の公団の名称を地域振興整備公団とし、筑波学園都市建設事業は引き続き日本住宅公団に施行させることとする等の修正が行なわれております。  都市計画法及び建築基準法の一部を改正する法律案のおもな内容は、第一に、都市計画法改正でありますが、市街化区域及び市街化調整区域に関する都市計画が定められていない都市計画区域についても開発許可の制度を適用すること、コンクリートプラント、ゴルフコース等の一定の工作物の建設を目的とする開発行為を開発許可の対象に加えること、開発許可の基準として、樹木の保存、表土の保全等の措置が講ぜられていること及び騒音等による環境の悪化を防止するための緑地帯等が配置されていることを加えること、新たに市街地開発事業等予定区域の制度を創設し、区域、施行予定者等を内容とする予定区域に関する都市計画を定めることができること、予定区域に関する都市計画決定後三年以内に事業の施行区域区域内の公共施設の配置、宅地の利用計画等内容とする都市計画を決定しなければならないこと、さらに二年以内に都市計画事業の認可を申請しなければならないこと、予定区域内の建築等を都道府県知事許可制とすること及び土地所有者に買い取り請求権を付与すること等であります。  なお、衆議院において、市街化調整区域における建築等の制限に関して、一定の要件に該当する土地において行なう建築物の新築等は、都道府県知事許可を要しないこととする修正が行なわれております。  第二に、建築基準法改正でありますが、工業専用地域内における建蔽率を強化し、十分の三から十分の六までの範囲内で当該地域の都市計画で定めること、製造施設等の一定の工作物について、新たに用途規制を実施し、建築主事の確認を行なうこと等であります。  委員会におきましては、両法案を一括して審査し、熱心な質疑が行なわれましたが、その詳細は会議録に譲ることといたします。  質疑を終局し、討論に入りましたところ、別に発言もなく、まず、工業再配置・産炭地域振興公団法の一部を改正する法律案採決の結果、本案は多数をもって原案どおり可決すべきものと決定し、次に、都市計画法及び建築基準法の一部を改正する法律案採決の結果、本案全会一致をもって原案どおり可決すべきものと決定いたしました。  以上御報告申し上げます。(拍手
  53. 河野謙三

    議長河野謙三君) これより採決をいたします。  まず、生産緑地法案及び工業再配置・産炭地域振興公団法の一部を改正する法律案を一括して採決いたします。両案に賛成諸君起立を求めます。    〔賛成者起立
  54. 河野謙三

    議長河野謙三君) 過半数と認めます。よって、両案は可決されました。      ——————————
  55. 河野謙三

    議長河野謙三君) 次に、都市計画法及び建築基準法の一部を改正する法律案採決をいたします。本案賛成諸君起立を求めます。    〔賛成者起立
  56. 河野謙三

    議長河野謙三君) 過半数と認めます。よって、本案は可決されました。      ——————————
  57. 河野謙三

    議長河野謙三君) この際、おはかりいたします。  松永忠二発議にかかる文部大臣奥野誠亮問責決議案は、発議者要求のとおり委員会審査を省略し、日程に追加して、これを議題とすることに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  58. 河野謙三

    議長河野謙三君) 御異議ないと認めます。よって、本案議題といたします。  まず、発議者趣旨説明を求めます。松永忠二君。    〔松永忠二登壇拍手
  59. 松永忠二

    松永忠二君 私は、日本社会党を代表して、ただいま議題となりました文部大臣奥野誠亮君の問責決議案趣旨を説明いたします。  まず、決議案文を読み上げます。    文部大臣奥野誠亮問責決議案   本院は、文部大臣奥野誠亮君を問責する。   右決議する。  理由。  文部大臣奥野誠亮君は、国の教育行政に重大な責任を持ち、憲法及び教育基本法を基礎に大任を果たすべき職責にかかわらず、教育の国家統制管理体制の強化をはかるための立法を強引に進め、いたずらに教育に政治的対立と紛争を起こしてきた。これは文部大臣の重責にそむき、国民の期待に反するものである。したがって文部大臣として不適格である。  これが本決議案提出する理由である。  以下、本決議案理由について説明を申し上げます。  まず、教育荒廃の原因はどこにあるかという問題であります。  都道府県教育長会議で、大臣は、日教組等が議会制民主主義の原理にのっとり制定された法律を無視し、学校及び学校教育をみずからの意のままにしようとしている意図が見られると言っています。いろいろな場所の発言を通じて文部大臣の考えているのは、日本の教育が荒廃、混乱している責めは日教組の革命路線にあり、教育の中立を確保するためには政治活動を制限する新しい法律が必要だということであります。いま国民日本の教育にたいへんな不満を持っていることは事実ですが、その責任が日教組にあり、政治活動制限の新立法が必要だという単純な発想を持っている人が国民の多数とは考えられません。  また、さきに強行採決されたいわゆる教頭法制化法案によって教頭職の法制化ができれば、学校教育が改善され、子供はよりよい教育が受けられると考える人がどれだけあるでありましょうか。教頭職を法制化するよりも、まず、教育行政の簡素化が必要ではないか。また、教頭法案に先立って解決をしなければならない基本的な問題があるのではないかという疑問は、国民の間に強く考えられているところであります。  われわれは、今日の教育の荒廃にはさまざまな要因があると考えられますが、その中心は、産業界の要求に見合った教育における能力主義と、六・三・三教育を否定するような国家主義、これを推進する国家統制と管理体制の強化の中央集権的文教政策にその責任があると存じます。  文部大臣の考えは、国民を教育する権利は国家にある、国民の教育を実施し、内容をきめ、また教育制度を改める主体は国家である、それが国の権利であり責務であるという教育観を持ち、それに基づく文教政策を行なおうとしているようであります。その考えを延長すれば、国の権利を行使するものは国会であり、国会で多数を占める自民党が国家の意思を代表することになり、自民党が教育の内容をきめることになります。これで教育の中立性や教育への政治介入が避けられる理由はありません。そこで、戦後教育については、この政治介入を中絶するために、国、地方に教育委員会を置き、公選で選び、教育委員会に教育内容を定める権利を与えようとしたのであります。したがって、政府、文部省は、これについては指導助言にとどめられているのであります。与党といえども政党が教育に対する役割りは教育行政を行なう者に指導助言を行なうことであり、政党の考える文教政策を提示し参考に資するにとどむべきものであります。この原則をはずれ、ある文部大臣は、政党内閣である自民党の文部大臣が自民党の文教政策を行なうにどこが悪いのだ、私は自民党の番頭だと暴言を吐いたのであります。この考え方が歴代の文部大臣、特に奥野文部大臣にはあるようであります。政党は、特に教育の内容に、教育の行政について、その限界を守るべきであります。  大臣はまた、五月二十四日、全国中学校長会総会で、日教組批判を長々と述べ、日教組が一部で国旗、国歌を無視していると指摘し、自国の国旗、国歌を尊敬せずに他国から尊敬されるはずはない、国籍不明の教育を排し、自国の伝統と文化に立脚した教育がいまこそ肝要であると強調しました。われわれは、国を大切にする、国を愛することを否定するのではなく、君が代、日の丸、靖国神社、教育勅語とつなぐ論理の中に、国家主義教育、軍国主義化の思想の危険を指摘しているのであります。憲法の前文には、「自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」と述べ、教育基本法には、「われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。」と述べています。まず先に、普遍的な政治道徳の法則、普遍的な文化の創造が強調され、国際的に通用する個性的な自国の主権や個性的な文化の創造が主張されているのであって、この目ざす方針を国籍不明の教育などというばく然たることばできめつけ、国家主義・民族主義教育を強調することは憲法や教育基本法に違反するものであります。しかも、その会場の入り口で徳育を強調した自民党機関紙「自由新報」の号外が配られたということは、一党一派の主張を教育に入れ、教育に対する政治介入として許さるべきことではありません。  文部大臣は、また、日教組の統一行動について、一部の教職員の集団であるにすぎない日教組その他の職員団体が、国民の代表者によって構成される国会が制定した法律を恣意的に排除するものであり、議会制民主主義の否定という意味で憲法の趣旨に反するものと言わざるを得ないと言いながら、一方では、この統一行動に対する処分については、地方教育行政に関する法律第三十八条の教職員の任免進退などの処分は市町村教育委員会の内申をまって行なうの法律を無視し、都道府県教委の独自の判断によって処分をきめられるではないかと考えると国会で答弁をしています。一方では、国会が制定した法律を恣意的に無視することは憲法の趣旨に反すると断定しながら、他面では、法律を恣意的に拡大解釈してこれを無視することは、全く矛盾した行為であり、かって気ままな考え方と言わざるを得ないのであります。しかも、内申をまって行なうということについては、初中局長通達で、都道府県教育委員会は内申の内容にすべて拘束されないが、内申をまたず任免進退を行なうことはできないと明確にしているところであります。法律金科玉条の万能主義は、行政家の最も慎むべきことであります。法律成立の際、相当数の反対があったり、一党派が単独強行したような成立事情の法律は、執行にあたって慎重な配慮が必要であります。法律にそむくのがよいというのではなく、民主主義の原則は、いかに少数の意見を尊重するかということであり、現在の少数が多数になる可能性もあります。歴史とは正しい法律を求める発展経過であると言う人もあるほどであります。  日教組を一部の教職員の集団ということも、むしろ悪意に満ちた用語と言わなくてはなりません。また、大臣は、日教組は職員組合の本来の目的を逸脱し、違法ストを行なったとたびたび強調し、一千カ所の捜査、一万数千人の任意出頭や聞き込みなどの警察当局の日教組捜査の援護射撃的発言も行なっています。ある新聞は、田中首相をはじめ、政府・自民党が教育対決ののろしを上げ続けているそのさなか、警察当局が幾ら独自の判断だと言い、中立堅持を強調しようと、この教育対決と日教組強制捜査を同根と見ない人がはたしてどれだけいるだろうか、公務員ストが違法、スト指令が違法と言うなら、なぜ日教組だけがという疑念も当然あるだろう、先月十一日のゼネストには日教組を含む公務員共闘二十二単産が参加したからだ、法の公正な執行が確保されていない印象を与えると述べ、続いて、大違法のはずの参議院選挙の事前運動が事実上野放しになっているだけでなく、警察官僚のトップにいた人が天下りしたあげく、自民党総裁派閥にささえられて政界に打って出ようとしている、警察と政府・自民党の関係国民の批判を招いているときである、もし国民感情への配慮があったら日教組捜査は当然別の形をとっただろうときびしく正しく指摘したあとで、ストのあおり罪よりも、大衆に対する権力側のこうしたあおりをこそ自由を愛する国民が一番きびしく警戒しなければならないと結んでいます。文部大臣や田中総理は、これをどう考えるのでありましょう。  こう見てくると、教育二法が提出され、勤評、教育課程改定、学力テストと、一連の日教組対策が続き、昭和三十年代の前半教育界に狂乱のあらしが吹きまくった文部省と日教組の対立に逆戻りした感があります。奥野文部大臣は、新しい大学臨時措置法や、教員の政治活動制限の新しい立法を主張しているのであります。いま政府と自民党と一体となってやろうとしていることは、二十年前の対立の蒸し返しであり、しかも、政府自民党は、こうした教育問題を参議院選挙の争点として野党側と対決しようとする姿勢を明らかにしています。本来なら、政府のとるべき対策は、日教組との抗争によって生じた傷をいやし、教育界を静穏にするものでなくてはなりません。日教組との和解ムードをさらに盛り上げることにより、教育の荒廃に終止符を打ち、そのひずみを是正することでなくてはなりません。国民もまた、教育の場に再びイデオロギーが持ち込まれることに反対であります。教育の問題は、落ちついた空気の中で冷静に話し合うことにより、解決策を見出していかなければならぬ性質のものであります。あなたは、こうした期待に一体何をこたえたのですか。むしろ、田中総理と協力同調して、対決をあおってさえいるのではありませんか。  総理府の青年意識調査も、日本の青年が教育の現状に不満なのは、教育の政治的対立よりも、学校教育が人間性と創造性を軽視し、暗記を重視する機械的な詰め込み教育であることであります。父母の不満も、学校が受験体制に埋没しているため、子供に考えさせ、情操や道徳を養成することがおろそかにされていることであります。いま、与野党も国民政府も日教組なども同じ認識を持つことができるのは、第一に知育偏重教育を是正すること、第二に大学入試と高校教育の改善であり、第三に公立・私立学校の教育格差の是正でありましょう。つまり、日本の教育が学歴主義によってゆがめられ、人間をつくる教育の弱体化していることをどうするかということであります。この打開に早急に全力を傾けなくてはなりません。  イデオロギー的対立のある法律が出されるため、国会では定例日を守ってできるだけ審議の日を少なくし、これを阻止しなくてはならないために、与野党がこうした問題に集中的に議論ができず、国会国民の期待にこたえていないことも事実であります。  私は、この問題について、その解決のしかたには意見の相違もあると思いますが、現場の教師、親たち、政党、政府、日教組など教育関係団体、専門の学者等の集中的議論の成果をそれぞれ社会に発表し、その中から国民的合意をつくりあげ、それを実行に移していくことが大切であります。その合意が得られるまでしばらく、与野党が立場を越えて一致できるものに限って立法を行なうとか、立法にあたって特に野党の意見を求めるとかによって、過剰な政争が教育の場に持ち込まれないようにすることが大切だと存じます。しかも、その動きは与野党の中にもあらわれてきつつあると私は考えるのであります。しかし、奥野文部大臣は、こうした国民的期待に沿ってこの政治的きざしを盛り上げていくというよりは、むしろ逆に、自己の信ずるところを一方的に押しつけ、強力にその考えを実行し、政治的対立を教育の場に持ち込む結果になっていると言わなくてはなりません。まことに文教行政の責任者として不適格であり、その責任は重大だと言わなくてはなりません。  以上が文部大臣奥野誠亮君を問責する理由であります。何とぞ本決議に御賛成くださるようお願いし、提案の説明を終わります。(拍手
  60. 河野謙三

    議長河野謙三君) 討論の通告がございます。発言を許します。鈴木力君。    〔鈴木力君登壇拍手
  61. 鈴木力

    ○鈴木力君 私は、日本社会党を代表いたしまして、ただいま提案されました文部大臣奥野誠亮君の問責決議案賛成討論を行なうものであります。  以下、賛成理由を申し上げます。  まず、奥野文部大臣は、五月二十四日の東京虎ノ門ホールで開かれた全日本中学校長会総会で発言をして、国籍不明の教育を排し、自国の伝統と文化に立脚した教育がいまこそ肝要であると強調しております。日本の民主教育並びに教育労働者、さらに多くの労働者と国民に対する重大な挑戦を内容とするきわめて反動的な発言と言わなければなりません。すなわち、当日のあいさつで、国籍不明の教育を排し、自国の伝統と文化に立脚した教育を強調するとともに、持論の日教組批判を展開する中で、国歌「君が代」の「君」の意味は天皇であって何らおかしくない、日教組が国歌に批判的なのがむしろおかしいなどと強弁を繰り返しています。まことに遺憾千万な発言であります。国籍不明の教育とは、何をさすのでありましょうか。今日、主権在民の民主主義のわが国において、教育基本法第一条に、「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」とあります。この趣旨を尊重し、教育行政の基本として堅持すべきことなのに、あえて国歌だけを取り上げ、国籍不明の教育を強調される意図が全くわかりません。個人の尊厳、真理と平和を希求する人間の育成を目ざした教育基本法の精神を完全に否定しているではありませんか。それだけではなしに、憲法感覚の欠除した発言と言わなければなりません。いわんや、この戦前を思わせる教育の国家統制、これを実現しようとする企図は断じて許すことができないのであります。このような間違った発言を行なう文部大臣は、国の教育行政の最も重大な責任を負う者として不適格であると考えざるを得ないのであります。これは、田中総理が三月十四日の参議院予算委員会で「日の丸」と「君が代」を国旗、国歌として法律で制定する時期に来ていると述べたことと符合するのであって、これまでの建国記念日の制定、神話教育の復活、靖国神社法案の強行採決、予定される刑法の全面的改悪など、飽くなき政府・自民党の一連の反動化、軍国主義化への危険な道と軌を一にするものであります。  いま、日本国民のすべての人たちは、かの第二次世界大戦が天皇の名のもとに「日の丸」「君が代」によってかり立てられ、とうとい三百万の命を奪われたことを強く悔悟しております。強い反省のもとに再び繰り返さないことを全部が誓っているではありませんか。もとより、国旗や国歌というのは、あくまで憲法の理念に徹し、すべての国民が納得し喜んで掲げ、喜んで歌うものでなければならないことは論をまちません。にもかかわらず、わが国にとってまことに残念な侵略戦争であった第二次大戦に対する何らの反省もなく、教育の現場と国民のきびしい批判にもかかわらず、逆に開き直って、居すわって、「君が代」の「君」は天皇でなぜ悪い、日教組が国歌に批判的なのはおかしいなどと、一そう国民に対して反動的、攻撃的な態度をとるようになっております。そうした国民の真実から言う批判に耳をかそうとさえしないのであります。このような文部大臣は、先ほど申しましたように、不適格であるばかりでなく、日本の教育を危うくするものであり、ひいてはわが国の民主主義、平和憲法を危うくするものであって、断じて許すことができないと思います。(拍手)  次に、教頭法案の提案に際して文部大臣のとったさまざまな政治的態度であります。  申すまでもなく、この法案は、一九六八年、六九年、七二年と提出されましたが、いずれも、すべての教師をはじめ、民主的教育を育てようとする教育を愛する国民の多くの強い批判の前に廃案になってきたものであります。しかるに、それをまた提出をしてくるということは、一体どういうことなのでありましょうか。民意に背を向け、議会を軽視していると言っても過言ではないではありませんか。教頭職は、戦時教育体制を定めた一九四一年の国民学校令で初めて定められたもので、学校管理の強化の役割りを果たしていましたが、戦後の民主化の中で廃止されましたものであります。しかるに、文部省は、教頭を復活させるため、強引に学校教育法施行規則に織り込むと同時に、一九六〇年に管理職手当七%支給を始めるなど、その復活を進めてまいりました。  文部省は、教頭職法案の提案理由として、学校における教職員の組織及び職務を明確にするためと言っております。一体、今日、教職員の組織及び職務が明確になっていないというのはどの点をさすのでありましょう。盛んに校務校務といって管理体制を強化するところに学校の責任から教育責任が日に日に薄れてまいる、そして行政責任が強化をされてまいる。学校という考え方が文部省によって不明確にされてきている以外に何ら不明確になっているものはありません。混乱や不都合が何で起こったかといいますと、その組織の不明確さではなしに、勤務評定の強行や、多数の主任の導入、学習指導要領の改悪など、教師に対する権力の支配が強まり、文教行政の根幹たるべき助言と指導、このワクを著しく踏み越えた権力の介入となってきているところに混乱があったのであります。教師を権力的に統制する上意下達の職務・職階及び管理制度は採用すべきではありません。このことは同時に、先ほど申し上げましたように、学校は教育の場であって校務行政の場ではないということをはっきりと言わなければなりません。  さらにまた、学問の自由を保障している憲法に沿って、管理体制を採用すべきではございません。教育基本法にも、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」と定め、国際的にもユネスコなどに認められているところであります。こういう諸点に背反する諸制度は絶対に採用してはならないのであります。  文部省が教頭職を法制化し、教師を統制し、学校管理体制を強化しようとしていることは、教育委員会任命制化をはじめとして、戦後の教育反動化の一環としてさらに中教審路線を強行しようとするものであります。かかる法案を、現場の教師はもとより、国民各層の納得と同意を得ないままに、その声を全く無視し国会提出し、多数を頼んでこの法律案を強行成立させようとする文部大臣の意図は明白であり、断じて許されないのであります。事実、二十二日に参議院文教委員会において強行されたことは、このことを雄弁に物語っているものであります。つまり、この国会の混乱、不正常な運営を招いた文部大臣の責任はきわめて重大であります。今国会会期末の混乱は、あげて奥野文部大臣が責任を負わなければなりません。  さらに、奥野誠亮君は、大学管理法をはじめ、なお一連の反動的立法を企図しているばかりか、具体的に民主教育に対する攻撃、日教組への行政弾圧等も行なおうとしていることがうかがわれます。すなわち、国民春闘四・一一ストライキに参加した日教組及び北海道、東京など十二都道府県教組に対して、政府・警察権力は、当日夕刻、かつてない規模での捜査、押収及び出頭命令を行なうという不当な刑事弾圧を強行しているのであります。日教組が加わりました国民春闘は、インフレに反対し、弱者を救い、年金を引き上げ、さらに教育の諸条件改善などの当然の要求を掲げてストライキに入ったのであります。しかるに、正当な要求を掲げて労働者の権利を行使した日教組に不当な弾圧を行なっていることは断じて許されないことであります。日教組に対する今回の弾圧は、地公法第三十七条違反を理由にしておりますけれども、公務員労働者のストライキの禁止は、実は占領軍の指令をそのまま残されたものであって、労働基本権を保障した憲法第二十八条に明らかに違反いたします。このような不当な弾圧は直ちに取りやめるべきであります。にもかかわらず、奥野文部大臣は、その弾圧を当然とし、さらに行政罰をさえ強化しょうとしているのであります。  奥野君の行政指導は、一貫して教育の機会均等、平和と民主主義の教育のため懸命に努力をしている教師を敵視、抑圧し、独占資本のための差別と選別の教育、国家主義による思想統制の教育反動化を強行しようとする何ものでもありません。
  62. 河野謙三

    議長河野謙三君) 鈴木君、時間がだいぶ経過しました。
  63. 鈴木力

    ○鈴木力君 (続) 教育の最高責任者としての奥野君のかかる政治姿勢は、その職務にまことにふさわしからざるものが明白であると言えます。  以上の理由をもちまして、奥野君が文部大臣として不適格であり、文部大臣の問責決議案に対する賛成の意を表します。(拍手
  64. 河野謙三

    議長河野謙三君) これにて討論は終局いたしました。  これより文部大臣奥野誠亮問責決議案採決をいたします。  表決は記名投票をもって行ないます。本案賛成諸君は白色票を、反対諸君は青色票を、御登壇の上、御投票を願います。  議場の閉鎖を命じます。氏名点呼を行ないます。    〔議場閉鎖〕    〔参事氏名を点呼〕    〔投票執行〕
  65. 河野謙三

    議長河野謙三君) 投票漏れはございませんか。——投票漏れはないと認めます。投票箱閉鎖。    〔投票箱閉鎖〕
  66. 河野謙三

    議長河野謙三君) これより開票いたします。投票を参事に計算させます。議場の開鎖を命じます。    〔議場開鎖〕    〔参事投票を計算〕
  67. 河野謙三

    議長河野謙三君) 投票の結果を報告いたします。   投票総数         百五十七票   白色票           六十二票   青色票           九十五票  よって、本案は否決されました。(拍手)      ——————————   〔参照〕  賛成者(白色票)氏名      六十二名       野末 和彦君    青島 幸男君       沢田  実君    矢追 秀彦君       黒柳  明君    田代富士男君       柏原 ヤス君    原田  立君       中尾 辰義君    宮崎 正義君       山田 徹一君    多田 省吾君       白木義一郎君    小平 芳平君       田  英夫君    上田  哲君       戸田 菊雄君    前川  旦君       杉原 一雄君    茜ケ久保重光君       杉山善太郎君    野々山一三君       田中寿美子君    戸叶  武君       森中 守義君    鶴園 哲夫君       森  勝治君    羽生 三七君       加藤シヅエ君    藤原 道子君       中村 波男君    松永 忠二君       片岡 勝治君    辻  一彦君       佐々木静子君    須原 昭二君       沓脱タケ子君    小谷  守君       神沢  浄君    鈴木美枝子君       宮之原貞光君    加藤  進君       竹田 四郎君    安永 英雄君       川村 清一君    鈴木  力君       小野  明君    山崎  昇君       星野  力君    塚田 大願君       小林  武君    瀬谷 英行君       渡辺  武君    須藤 五郎君       竹田 現照君    河田 賢治君       藤田  進君    沢田 政治君       村田 秀三君    足鹿  覺君       加瀬  完君    春日 正一君     —————————————  反対者(青色票)氏名      九十五名       熊谷太三郎君    森 八三一君       小山邦太郎君    斎藤 十朗君       中西 一郎君    林  ゆう君       寺下 岩蔵君    中村 登美君       松岡 克由君    細川 護煕君       橋本 繁蔵君    中村 禎二君       矢野  登君    山本敬三郎君       柴立 芳文君    高橋 邦雄君       嶋崎  均君    桧垣徳太郎君       二木 謙吾君    丸茂 重貞君       河口 陽一君    岡本  悟君       玉置 和郎君    高橋雄之助君       山内 一郎君    温水 三郎君       小川 半次君    木島 義夫君       鹿島 俊雄君    大森 久司君       植木 光教君    木内 四郎君       新谷寅三郎君    古池 信三君       杉原 荒太君    高橋文五郎君       楠  正俊君    柳田桃太郎君       山本茂一郎君    石本  茂君       志村 愛子君    古賀雷四郎君       黒住 忠行君    河本嘉久蔵君       金井 元彦君    川野 辺静君       今泉 正二君    山崎 竜男君       世耕 政隆君    斎藤 寿夫君       佐藤  隆君    竹内 藤男君       原 文兵衛君    長田 裕二君       上田  稔君    菅野 儀作君       佐田 一郎君    藤田 正明君       木村 睦男君    西村 尚治君       岩動 道行君    土屋 義彦君       内藤誉三郎君    平泉  渉君       鍋島 直紹君    増原 恵吉君       米田 正文君    小笠 公韶君       柴田  栄君    大竹平八郎君       郡  祐一君    安井  謙君       堀本 宜実君    塩見 俊二君       剱木 亨弘君    吉武 恵市君       長屋  茂君    若林 正武君       片山 正英君    梶木 又三君       岩本 政光君    初村滝一郎君       星野 重次君    稲嶺 一郎君       佐藤 一郎君    宮崎 正雄君       久保田藤麿君    寺本 廣作君       伊藤 五郎君    平島 敏夫君       山本 利壽君    徳永 正利君       町村 金五君    田口長治郎君       八木 一郎君      ——————————
  68. 河野謙三

    議長河野謙三君) 日程第一八 学校教育法の一部を改正する法律案(第七十一回国会内閣提出、第七十二回国会衆議院送付)を議題といたします。      ——————————
  69. 河野謙三

    議長河野謙三君) これより文教委員長報告を求めるのでありますが、加瀬完君から、委員会審査省略要求書を付して、文教委員長世耕政隆解任決議案提出されておりますので、まず、本決議案についておはかりいたします。  文教委員長世耕政隆解任決議案は、発議者要求のとおり委員会審査を省略し、日程に追加して、これを議題とすることに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  70. 河野謙三

    議長河野謙三君) 御異議ないと認めます。よって、本案議題といたします。  これより発議者趣旨説明を求めます。加瀬完君。    〔加瀬完登壇拍手
  71. 加瀬完

    加瀬完君 私は、日本社会党を代表し、文教委員長世耕政隆解任決議案提案いたします。  まず、案文を朗読いたします。    文教委員長世耕政隆解任決議案   本院は、文教委員長世耕政隆君を委員長の職   より解任する。   右決議する。  以下理由を申し述べます。  解任理由の第一は、文教委員長世耕政隆君の行動が院の品位を汚し、その職責を怠っているからであります。  国会法四十八条には、「委員長は、委員会の議事を整理し、秩序を保持する。」とあり、参議院規則二百七条には、「議員は、議院の品位を重んじなければならない。」と御承知のとおり規定されております。また、同規則二百十六条には、「すべて紀律についての問題は、議長が、これを決する。」とあり、何が紀律かの具体的問題は、すべて議長に決定がゆだねられておるのであります。  申すまでもなく、河野議長は、その就任にあたって、本院の権威の回復を約し、そのためには、特に正常ならざる運営、たとえば単独採決、強行採決、さらには審議期間の不足等に対し、抜本的な解決を志したはずであります。しかも、このことは、本院各会派の代表間において何回も確認されたところでもあります。したがって、本院委員長委員会の秩序、議事の整理の権限の基準には、強行採決あるいは審議の不足等は行なってはならない条項として厳守さるべきはずのものであります。そして本院の正常化による院の権威の回復が一委員長によって引き延ばしもないのに簡単に破られたとしたら、院の品位は全く無視されたことになるのであります。また、委員長委員会報告、それに対する議長内容把握が、今回の場合、国会法や本院規則に照らし何ら瑕疵なしという判断が下せる内容であり得たのか。少なくも議長を含めて院の権威や品位を保つべき努力はなされていないのではないのか。これは議長不信任ではありませんが、しかし、議長にもお聞きいただきたいし、御反省も願いたいのであります。  さらに、委員会審議についての大きな瑕疵について若干申し上げます。  教頭法取り扱いの文教委員会は、理事会合意により、教頭法と議員立法とを各半日ずつ審議することがきめられ、それがスムーズに進行いたして、この点何ら問題はありませんでした。ところが、質問者が一人終わると、自民党の申し出は、与党には早く採決せよとの要望が強いので、あと質問は一人とせよ、こういうことでありました。しかし、理事会では、最初の約束どおり進めることとなり、二人目の質問が約束のとおり済み、午後議員立法の審議に入ったところ、与党は一人も出席せず、委員会が開会されないまま各党間の協議に入らざるを得なかったのであります。その理事懇談会では、結論として自民党の言い分を入れ、定例日の二十三日に社、公、民各一人を終了することになり、自民党理事は、それならよい、これでまとめると一たん退席したまま、再び理事懇談会には顔を見せなかったのであります。(発言する者あり)これは事実と違いますか。この間においては何ら対立も混乱もありません。ちなみに、その日の職権開会以前理事会は一回も開かれなかったのであります。  かくして、審議期間が十分あり、理事会決定がなされておりますのに、野党の質疑を一切させない方法がとられたのであります。自民党の都合で理事会決定も破棄し、あらためて理事会も開かず、一方的に運営しても、委員長が正当なる議事運営をしたと言えますか。これは明らかな正常化という院の決議への挑戦であります。すなわち、委員長は、院の品位は保持せず、自民党の国会対策委員としてのみ行動をしているのであります。各会派申し合わせの参議院の正常化を破棄する役割りを院の役員が恥ずることもなく果たしているのであります。これでも世耕君は議事を整理したことになりますか。  本院がミニ衆議院といわれ、盲腸的存在といわれ、その無用論が世論となりつつあるとき、委員長が自民党の党利のために一そう院の権威を失望させることをわれわれは黙認するわけにはいかないのであります。これが第一の理由であります。  解任理由の第二は、法案内容の重要性に対し、委員長がはなはだしく認識を欠く点であります。  今日の教育は教育基本法に基づいて行なわれ、しかも教育行政は不当なる支配に服することなき自覚のもとに行なわるべきことは自明の理であります。不当なる支配とは、政党、官僚、財界等の圧力をさすとは文部省みずからの説明であります。そして教育基本法は、日本の旧来の国家統制教育への断絶に歴史的意義を持つものであります。文部省設置法は、この点、国が侵してはならない限界を明確にし、国家によって教育は行なうべきものではなく、公立学校の設置管理は地方公共団体の固有の事務であり、別段の定めのない限り公立学校に対する監督能力は文部省にはなく、たとえ文部省の権限内のことであっても、地方団体がかりに違法の場合であっても、文部省が、文部省権限に従うことの強制はできないと規定されております。それほど明確に教育の地方分権は確立しているのであります。また、児童生徒に対する教育権はだれにあるのか。教諭は児童の教育をつかさどるとこれまた明瞭であります。このように、教育の主体は教師であり、文部省でも教育委員会でもないのであります。したがって、教師の自主創造が要望されるのもこの理由であります。いまさら上杉鷹山の「三尺去って師の影を踏まず」を持ち出すまでもなく、教師を大切にする政治姿勢、これがもとで教育は出発するはずであります。教頭法は教師の取り締まり法でありましても、教師の地位を確保する内容ではありません。これは松永議員の指摘のとおり、明らかな教育基本法の違反であります。さらに、文部大臣は、教育権は国民のもの、国民のものとは国会のもの、したがって国会が何でもきめればいい、こう強弁をしておりますが、そして、先ほど御指摘のとおり、地方教育行政法三十八条の内申権すら、内申がなくても任免はできる、このようにいままでの法解釈を無視しておりますが、このように行政権が教育権に優先し、文部省はすべての教育行政機関の統括者であるという考え方は現行法では認められておらないのであります。  さらに、教育関係法規目的は、直接たると間接たるとを問わず、すべて教育の振興発展のためのものとするならば、一体、教育効果はいかなる状態によって生ずるのかを問題にしなければなりません。この点、校長、教師が一体で一つの伝統、校風をつくり出すことが望ましい、文部大臣はこう答えられました。それならば、何ゆえに監督者を増加し見張りを強める必要があるのか。このように教師不信の上に、法規万能的運営の中に、教育の存在はあり得ません。  この点につき、最近、二つの有力な見解が示されております。一つは、ある有名な私立学校の校長の言であります。彼はこう言っております。私はせめて小中学校の三割を私立とすることが夢である。政治力がこんなに公立学校に介入しては、もうほんとうの教育は公立学校ではできない、こういう発言であります。いま一つは、読売新聞のシルバーマンの紹介であります。校長は管理職なのか教育者なのか、管理業務をふやして校長先生を小役人化しては教育の危機を招く、こういう指摘であります。これに対し文部当局は、教頭は雑務の処理が任務でありますとのみ答えているのであります。教頭が教育効果をあげるためのものではないことは、この答弁でも明瞭であります。  また、われわれは次のようにもただしたのであります。教育とは教育者が被教育者との精神作用を媒介とする活動であって、他律的強制とは本質的に相いれないものではないか。教頭法は教頭による教員の管理統括、すなわち他律的強制が主務となるので、これでは教育活動とは相いれないことになるのではないか。また、校長、教頭の管理方針が文部省によってきめられるとすれば、それは明らかな教育の国家統制になるのではないか。また、文部省の説明の限りでは、教育現場の混乱を防ぐということであるが、これでは校内の治安維持対策であり、校内保安権の確立だけで、教育目的とは無関係な役割りをすることになるのではないか。教育の効果は教師の識見によるべきであるのに、従順な命令の服務者のみを要請し、勇気ある教育者を排撃することになるおそれはないか。イギリスの教育制度は、国は金は出すが口は出さないということであり、教育の権限はすべて校長に託しております。(「文教委員長関係ないぞ」と呼ぶ者あり)終わりまで聞け。日本においては、国がすべてを掌握し、校長や教師の権限内に教育計画も指導内容も入り込む余地がないのであります。たとえば、新教育制度の発足時の指導要領には、教育は教師の良心によって計画運営される——指導要領は単なる参考にすぎないといわれておりましたものが、いまは、指導要領は法律である、違背すべからずとされ、教師は、みずからの教育理想を発揮することよりも、文部省の命令にいかに従うべきかを優先させられざるを得ないのであります。かくのごとく、現在でも教師は教育する権利を奪われておるのであります。  これに加えるに教頭法であります。教頭の陳情を見ても、そのほとんどが管理職たる地位の確保であります。教育識見の行使権の要求は全然ありません。管理者としての監督権のみ要求をしております。校長のアシスタントとして教科指導や生活指導を教師にもっとなし得るような、教育指導の要望は何にもないのであります。教頭法によって生まれる果実は、職場の中から一人の教育者を減らし、一人の管理者をふやすにすぎないのであります。ここに、営々として校長にも教頭にもならず、子供や教科を教え続けている教育者、子供がほんとうに先生と呼べる人たちはどう待遇をされておるか。あるいは教頭職の法制化というものをどう受け取るか。ここに思いをいたしますときに、教頭法は、一般教師の不平等、差別感を助長し、管理強化に対する猜疑を増し、教育行政のすべてにわたって不信を招く以外の何ものもありません。  今日の心ある教育者は、かつて役人の頤使に耐えてきた屈辱をいまでも忘れてはおりません。このことを文部省は知るべきであります。命令や法規で教育はできません。教育は教師の人格を信頼することから出発するものであります。一人の人に喜ばれ、十人の者に反対されるものが、職場の中に対立をつくるだけのものが、何で教育の目的にかなうことになりますか。  私がるると法案の内容を述べてまいりましたことは、いずれの点から考えても、こういう法案を簡単に可決すべきような内容ではないはずであります。これらに理解があれば、審議しない採決などが行なわれるはずはありません。どこを重点に審議をすべきか、何を国民の前に明らかにすべきか、この程度の配慮すらなくては、国の教育を論ずる場の委員長としてははなはだしく適格を欠くものであります。これが解任の第二の理由であります。  終わりに臨み一言申し添えます。  私は、本決議の上程にあたりまして、世耕委員長は大学の学長であり、学長たる教育者がいままで述べたような理不尽なことを行なうはずはない、問題は世耕君をすらかくかり立てた自民党を問題にすべきであるという忠言を受けました。しかし、世耕君がだからといって放免さるべきものではありません。しかし、確かに自民党にも反省すべき点が多大であると思います。先般の総理の徳育論に対し、世論は、徳育論を言う前に、国民が生活の展望を持てなくしている政治の責任を明らかにすべきではないか、現代の学校教育は人間性、創造性を軽視している、教育勅語的発想は間違いである、教育行政の立脚点は教育基本法の一点に据えられなければならない、しかも教育問題は国民合意によるべきである、こういう点を指摘しております。この世論の指摘からしても、国民的合意の前に教育を政争の具に供し、教育の根本問題の解決を回避して治安対策立法のみに走り、教育基本法その他の諸立法を政党的解釈でねじ曲げ、教育の国家権力による中央集権の強化等一連の教育行政に不当な支配を行なうなどの自民党の文教政策も当然委員長解任以上に確かに責任を問わるべきであります。しかし、このことはやがて歴史が明瞭に判断を下すでしょう。私は、ここでは、ただ本案のすみやかな成立のため各位の御賛同をお願いして、提案理由の説明を終わります。(拍手
  72. 河野謙三

    議長河野謙三君) 討論の通告がございます。発言を許します。鈴木美枝子君。    〔鈴木美枝子君登壇拍手
  73. 鈴木美枝子

    ○鈴木美枝子君 私は、日本社会党を代表いたしまして、ただいま提案されました文教委員長世耕政隆君の解任決議に対する加瀬議員の提案についての賛成討論をいたします。  戦後の日本における教育が、日本国憲法を基礎にして、生命を大切にし、生活を守ることによって、民主主義を国民の中に深く浸透させていったことは、私たちのよく承知していることであります。あの混乱の中から人間らしく生きる原則を打ち立てた日本国憲法と戦後の教育は常に不離一体の関係にありました。平和と真実を愛する人間をつくろうとしてきた教育は、しかし、今日かつてないほどの危機に直面しております。それはなぜでしょうか。正しい方向を持った教育がどうしてそういう危機を迎えなければならなくなったのでしょうか。それは簡単な理由でございます。独占資本にささえられた自民党政府は、すべての国民を大企業の利潤追求に奉仕させるという任務を帯びておりますから、平和と民主主義を守る教育を目のかたきにして、それを排除しなければならなくなったのであります。教育を土台から切りくずしていくことによって自分たちの使命を全うすることができると思い始めたからであります。私たちは、この反動的な政策に対して鋭く批判を加え、戦前の軍国主義に逆戻りさせようとたくらんでいるファッショ的な権力に激しい憤りを抱いております。言うまでもなく、日教組を中心に組織されされた教育労働者は、子供を再び戦場に送るなと心に誓ってきました。ここを出発点として、これまでのなしくずしのさまざまな弾圧と戦いながら、常に平和と民主主義を追求し、ほんとうの人間らしい豊かさを求め続けて今日に至っています。日本社会党は、こうした教育労働者の真剣な戦いを強く支持してきましたし、これからも理不尽な軍国調の自民党の教育政策に対して徹底的に戦い抜く所存であります。  さきの国会でも、国鉄・防衛二法を強行し、筑波大学法案を会期まで延長して強引に成立させました。この執拗なまでの教育への関心は、だれが見てもわかるように、独占企業奉仕の羊のような人間を養成しようという目的に結びつくものであります。それに加えて、今回もまた、全く非民主的なやり方で教頭法制化法案を十分な審議のないまま委員会で強引に押し通したのであります。こういうファッショ的なやり方で反動法案を押し切ろうとする自民党に、民主主義を口にする資格がありましょうか。これはまさしく平和と民主主義への挑戦であります。また、日本国憲法を足げりにしている人間たちの、法治国家をみずから否認する態度と言わなければなりません。  文部省は、ほとんどすべての学校に教頭を置き、これを学校教育法施行規則で一応の根拠を持たせています。しかし、この施行規則では、「教頭は、教諭を以って、これにあてる。」となっており、「教頭は、校長を助け、校務を整理する。」として、教諭とは異なる任務を与えられてもいるのであります。だが、教頭は教諭であることには何の違いもありません。にもかかわらず、政府は、教頭を法制化することによって教諭の地位から切り離し、身分差を設けることをねらっております。これは、教頭の教諭に対する権力統制を強め、教師たちの自由で創造的な教育活動、すなわち平和と民主主義の方向を力で妨害しようとたくらんでいること以外の何ものでもありません。機会あるごとに、統制に反対し自由社会を守ろうなどと言ってきたのは自民党じゃありませんか。そのようにものわかりのいい自民党が、教師の自由で創造的な教育活動を統制していこうというのは、羊頭を掲げて狗肉を売るような救いがたい矛盾じゃありませんか。  そして、私の所属しております文教委員会において、この教頭法制化法案を無理やりに強行採決してしまったのであります。このことは、たてまえと本音とが全く違っているという自民党の本質をみごとに表明したものであって、公党地に落ちたりの感を深くする次第であります。  もちろん、私たちは、学校運営において職務を分担していく必要を認めています。しかし、憲法第二十三条に示されているように、教育は教師が科学的真理に基づき自由に行なわなければならないという原則に立って、教師を権力的に統制する上命下服の管理制度を絶対に持ち込んではならないのであります。教育基本法には、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行なわれるべきものである。」と定めてありますが、そのことを自民党の諸君はどう読み違えたのでありましょうか。「国民全体に対して」という部分を「大企業に対して」と置きかえてみますと、これまでの一連の反動法案のからくりがわかってまいります。これによって自民党が教育を大企業奉仕の手段と考えていることが明らかになるのであります。  この教頭法制化法案は、その意味で、学校管理体制の強化を目ざす大きな布石であり、かつての教育委員会任命制その他に見られた反動政策の重要な一環であると言わねばなりません。中教審の答申と関連させて考えれば、この法案がいかに教育労働者を圧迫することになるか、いかに危険きわまりないものであるか、だれが見てもわかるのであります。  こうした次々と教育の分野にくさびを打ち込んでくる自民党の国民蔑視の政策は、心ある者にとってはファシズムそのものとして映ってまいります。このような平和と民主主義の教育に対する挑戦は、角度を変えると、命と暮らしを無視する政治以外の何ものでもありません。しかも、そのような危険な内容の法案であるにもかかわらず、去る二十二日、理事会の約束を無視し、世耕委員長の職権で委員会が開かれ、一方的に審議を始め、審議も進展しないまま数時間でこれを打ち切り、ついに強引な強行採決が行なわれました。法案の成立のためには国会のルールも無視してしまう自民党の非常識と、それを安易に認めた文教委員長世耕政隆君に対し、私は、激しい怒りを覚え、民主主義が、国会の中ではすでに死に瀕しているという絶望感にとらわれるのであります。法案の実質審議を行なう委員会で、審議すら十分行なわれることなく、党利党略のために委員長がサル回しのサルのように忠実に強行採決をするというに至っては、憲法無視もはなはだしい、実にゆゆしい事態と言わなければなりません。  世耕政隆君は、二十二日の文教委員会において、金井元彦委員が叫んだ動議に対応して、学校教育法の一部を改正する法律案、すなわち教頭法制化法案の審議打ち切り、強行採決を行なわんとして、委員会を混乱のるつぼにおとしいれたのであります。御承知のように、世耕政隆君は、前国会において、あの悪名高き筑波大学法案の審議中、強行採決の動議を出した張本人であります。このような一連の行動から推して、文教委員会審議すべき事柄に対し、誠意をもって当たっていないと判断するしかありません。世耕政隆君のこの反動的運営は、そのうしろにいるところのサル回し、すなわち自民党の執念深い民主教育破壊の目的に沿ったものである以上、国民を無視し、国会のルールを無視し、大企業の要請にこたえたという点で、反動的委員長はきっと独占資本の側からは高い評価を受けるに違いありません。このことは、世耕政隆君の政治家としてのエゴイズムを満足させることにはなるかもしれませんが、反動法案の推進者としてファシズムの道を開いた悪魔の召使いということで歴史の一ページを汚すことになるでしょう。これは、歴史と国民のために悲しむべきことであります。  もし世耕政隆君が、この政治家として恥ずべき暴挙をいま深く反省されるならば、いさぎよく委員長を辞任すべきであると思いますが、いかがなものでございましょうか。そうすれば、後世において若干の評価は出ると思われますが……
  74. 河野謙三

    議長河野謙三君) 鈴木君、時間がだいぶ経過しました。
  75. 鈴木美枝子

    ○鈴木美枝子君(続) あと二行でございます。若干の評価は出ると思われますが、本人には全くその意思はないのでございましょうか。私は、日本社会党を代表して、委員長の解任を強く要求し、加瀬議員の提案に関する賛成討論を終わらせてもらいます。(拍手
  76. 河野謙三

    議長河野謙三君) これにて討論は終局いたしました。  これより文教委員長世耕政隆解任決議案採決を行ないます。  表決は記名投票をもって行ないます。本案賛成諸君は白色票を、反対諸君は青色票を、御登壇の上、御投票を願います。  議場の閉鎖を命じます。氏名点呼を行ないます。    〔議場閉鎖〕    〔参事氏名を点呼〕    〔投票執行〕
  77. 河野謙三

    議長河野謙三君) 投票漏れはございませんか。——投票漏れはないと認めます。投票箱閉鎖。    〔投票箱閉鎖〕
  78. 河野謙三

    議長河野謙三君) これより開票いたします。投票を参事に計算させます。議場の開鎖を命じます。    〔議場開鎖〕    〔参事投票を計算〕
  79. 河野謙三

    議長河野謙三君) 投票の結果を報告いたします。  投票総数         百五十八票  白色票          六十三票  青色票          九十五票 よって、本案は否決されました。(拍手)      ——————————   〔参照〕  賛成者(白色票)氏名      六十三名       野末 和彦君    青島 幸男君       沢田  実君    矢追 秀彦君       黒柳  明君    柏原 ヤス君       原田  立君    中尾 辰義君       宮崎 正義君    山田 徹一君       多田 省吾君    白木義一郎君       小平 芳平君    田  英夫君       上田  哲君    戸田 菊雄君       前川  旦君    杉原 一雄君       茜ケ久保重光君    杉山善太郎君       田中寿美子君    戸叶  武君       森中 守義君    鶴園 哲夫君       中村 英男君    森  勝治君       羽生 三七君    加藤シヅエ君       藤原 道子君    中村 波男君       松永 忠二君    片岡 勝治君       辻  一彦君    佐々木静子君       須原 昭二君    沓脱タケ子君       小谷  守君    神沢  浄君       鈴木美枝子君    宮之原貞光君       加藤  進君    竹田 四郎君       安永 英雄君    川村 清一君       鈴木  力君    小野  明君       山崎  昇君    星野  力君       塚田 大願君    小林  武君       瀬谷 英行君    矢山 有作君       渡辺  武君    須藤 五郎君       竹田 現照君    大矢  正君       河田 賢治君    藤田  進君       沢田 政治君    村田 秀三君       足鹿  覺君    加瀬  完君       春日 正一君     —————————————  反対者(青色票)氏名      九十五名       熊谷太三郎君    森 八三一君       小山邦太郎君    斎藤 十朗君       中西 一郎君    林  ゆう君       寺下 岩蔵君    中村 登美君       松岡 克由君    細川 護煕君       橋本 繁蔵君    中村 禎二君       矢野  登君    山本敬三郎君       柴立 芳文君    高橋 邦雄君       嶋崎  均君    桧垣徳太郎君       二木 謙吾君    丸茂 重貞君       河口 陽一君    岡本  悟君       玉置 和郎君    高橋雄之助君       山内 一郎君    温水 三郎君       小川 半次君    木島 義夫君       鹿島 俊雄君    大森 久司君       植木 光教君    木内 四郎君       新谷寅三郎君    上原 正吉君       古池 信三君    杉原 荒太君       高橋文五郎君    楠  正俊君       柳田桃太郎君    山本茂一郎君       石本  茂君    志村 愛子君       古賀雷四郎君    黒住 忠行君       河本嘉久蔵君    金井 元彦君       川野 辺静君    今泉 正二君       山崎 竜男君    世耕 政隆君       斎藤 寿夫君    佐藤  隆君       竹内 藤男君    原 文兵衛君       長田 裕二君    上田  稔君       菅野 儀作君    佐田 一郎君       藤田 正明君    木村 睦男君       西村 尚治君    岩動 道行君       土屋 義彦君    内藤誉三郎君       平泉  渉君    鍋島 直紹君       増原 恵吉君    米田 正文君       小笠 公韶君    柴田  栄君       大谷藤之助君    大竹平八郎君       郡  祐一君    安井  謙君       堀本 宜実君    塩見 俊二君       剱木 亨弘君    長屋  茂君       若林 正武君    梶木 又三君       岩本 政光君    初村滝一郎君       星野 重次君    稲嶺 一郎君       佐藤 一郎君    宮崎 正雄君       久保田藤麿君    寺本 廣作君       伊藤 五郎君    平島 敏夫君       山本 利壽君    徳永 正利君       町村 金五君    田口長治郎君       八木 一郎君      ——————————
  80. 河野謙三

    議長河野謙三君) これにて午後二時まで休憩いたします。    午後零時五十八分休憩      ——————————    午後二時五分開議
  81. 河野謙三

    議長河野謙三君) 休憩前に引き続き、会議を開きます。  学校教育法の一部を改正する法律案について、これより委員長報告を求めます。文教委員長世耕政隆君。    〔世耕政隆君登壇拍手
  82. 世耕政隆

    ○世耕政隆君 ただいま議題となりました法律案につき、文教委員会における審査経過と結果を御報告申し上げます。  本法律案は、小学校、中学校、高等学校等における教職員のうち、教頭、講師、養護助教諭、実習助手及び寮母について、現在文部省令によってその設置と職務内容が定められておりますものを、設置の実態及び他の教職員との法律上の均衡を考慮して、法律上明確に規定する等の措置を講じようとするものであります。  すなわち、第一に、教頭については、原則としてこれを置くこととし、その職務は、校長を助け、校務を整理し、必要に応じて児童・生徒等の教育をつかさどること、さらに校長の職務を代理または代行することができること、といたしております。  第二に、講師、養護助教諭、実習助手、寮母等の設置及び職務内容について規定いたしております。  なお、衆議院におきまして、教頭の職務内容等についての一部修正が行なわれましたことを申し添えておきます。  委員会におきましては、教育に対する基本的な考え方、教育行政及び学校運営のあり方、教頭職を本法で規定した理由、教頭の職務に関する衆議院修正の意味、定数法上教頭を別ワクにする問題、寮母の定教増及び処遇改善などの諸問題につきまして、熱心な質疑が行なわれましたが、その詳細は会議録によって御承知願いたいと思います。  五月二十二日、審議の途中、質疑を打ち切り、直ちに討論採決に入る旨の動議が提出され、多数をもってこれを決定、討論もなく、本法律案は多数をもって衆議院送付案どおり可決すべきものと決定いたしました。  以上御報告申し上げます。(拍手
  83. 河野謙三

    議長河野謙三君) 本案に対し質疑の通告がございます。順次発言を許します。小林武君。    〔小林武君登壇拍手
  84. 小林武

    ○小林武君 私の持ってまいりましたこれは、演説の原稿ではございません。正当に開かれた委員会質疑をやろうという、そういう原稿でございます。私は、大学紛争のときにおける大学臨時措置法、さらには筑波大学法案といわれたあの法律案、さらに今度の教頭法案、この審議にあたってただの一度も委員会で質問をやることはできませんでした。これは重要な法律案であると、そういうふれ込みで、日本の教育の将来に影響するような重大な法案でありながら、委員の一人としてあるいは理事の一人として、どの場合も発言が許されなかったというこの事実は、私はやはり将来の日本の議会制度のためにもなくしてもらいたいものだと思うのであります。きよう議長のお計らいで四十五分間私はここで質問を許されたわけでありますが、四十五分間で私は十分な自分の考え方を述べるということはできません。ほんのはしょった、いわば一かけらの私の意見であると思います。そういう現状に対して河野議長は、常々参議院改革ということを口にされておりましたし、今度もまた事態収拾にあたってそのような御意向も示された。しかし、このことを国会の中で真剣に議論されて、少なくとも野党のほとんどが質疑できないままにこういう形で質疑をやるというようなことならば、まあ私に言わせればやらぬでもいいというような気持ちもするわけであります。議会政治というようなものをそんな形でごまかしちゃいかぬと、こう考えるのです。そういう意味でございますけれども、せっかくのことでございますから、できるだけはしょって質問をいたしたいと思います。  田中総理並びに文部大臣に御質問をいたします。  なお、総理に申し上げておきますけれども、私の質問は一つのやはり計画を持っております。一つの議論の計画があります。それはほかでもありません。あなたが教育を愛するように、私も愛している。しかし、その場合に、どういうあり方が一番ほんとうに教育を愛し、日本の国の将来のことを考えるかということになると、意見が分かれてしまう。しかし、私の考え方は、教頭をつくることによって日本の教育はよくならない、いわゆる管理職の強化というようなもので日本の教育はよくならない、そういう現状なんだということを私は言いたいのです。日本の学校を見たときに、日本社会を見たときに、そんな現状ではない。学校がほんとうに教育の場であるためには、むしろ避けなきゃならぬことだという、そういう趣旨に従って私は議論を進めるわけであります。  総理にお尋ねいたしたいのは、総理はこのごろだいぶ教育づいていらっしゃるようであります。ときに触れ、おりに触れていろいろと教育論を展開されておりますが、私は最初に総理にお尋ねいたしたいのは、先日東南アジアを歴訪されて、その外遊の目的というのは、平和と繁栄を分かち合うよき隣人同士の関係を育てるというところに目的があったようであります。そこであなたは流血の反日暴動を体験されたわけであります。この流血の反日暴動の体験の中で、あなたはそこで教育について一つの見解を持たれたと、こういうのです。あなたの書かれた論文の中に、東南アジア諸国を歴訪した各国の首脳から、日本は修身教育をやめたのかと、こう言われた。このことをあなたは何と受け取ったかというと、戦後教育に対する痛烈な批判と受け取ったと、こういうわけです。東南アジア諸国の首脳者に修身教育をやめたのかと言われた、そのことばの中に、あなたは戦後教育に対する痛烈な批判だと、こう受け取られて、そうして日本の教育に対する改革の意向をますます固めた、こういうわけであります。私はなかなかそう思わないのであります。日本の修身教育の中で鍛えられた日本国民がアジアにおいてさまざまな侵略の行動をとったということ、こういうことを考えましたときに、修身教育をやめたということは、これは痛烈なる日本の教育に対する批判なのか、やめないでまたやっているからという心配に対する問いなのか、私は二様のとり方があると思う。私は、流血の反日暴動、そしてこの修身教育をやめたかという、そういう問いに対するあなたの受け取り方というのがちょっと違うのではないかと、こう思うのです。違うのでなければ、私はこれは非常な失礼な話だと思うのです。一国の首脳者が他国の教育についておまえのところでこれはやらぬのかというようなことは聞いたこともないのです。われわれもアジアの教員同士とはかなり交流を深めました。その中で、教師の中にも相当の立場を持った者、政治的な発言力のある者もありますけれども、教師同士の話し合いの中でも、君の国の教育はなっておらぬというような痛烈な批判を下すというようなことは、これは一度も経験したことがないのであります。私はその点、あなたのおっしゃるとおりであるならば、お気の毒であったと、こう思うわけであります。この点について、あなたのお考えを聞きたいのです。戦後教育の批判である、そこから生まれた、つちかわれた若い日本の商社員が、あたかもその欠陥のある教育を受けてそこで問題を起こしたというふうにとられるあなたの政治的考え方がぼくにはわからぬ。  それからあなたは、一つお伺いしておきますけれども、どうも最近の日本人は閉鎖的であると批判されたと、こう言われる。きわめてすなおにあなたは批判的だということを受け取っておられるようであります。私も、この点については、わりあいに、ことばの問題もありまして閉鎖的だと、こう考えられるようなこともないとは申しません。しかしながら、これは午前中の発言の中にもございましたけれども、日本職員組合を誹謗するにあたって、日教組というのは日本の人間の教育をやっていないじゃないか、コスモポリタン教育をやっているじゃないかと言ったのはだれですか。政府・自民党じゃありませんか。それがいつ閉鎖的ということに変わってきたのです。文部大臣は、この点について、はなはだいつでもあいまいなことを言う。よりよき国際人になりたいなんて言ってみたかと思うと、日本人の教育をやっていないというようなことをおっしゃる。私はこの点について総理に御答弁を願いたいわけであります。御都合主義のものの考え方でやられるということは、これは教育を語る場合にたいへん迷惑な話であります。  二つ目のことは、総理の教育勅語観というものをお聞かせ願いたいのです。「「教育勅語」は今日も共通の命題」というのは、自民党の機関紙の中の小さい見出しについております。この教育勅語というものをどう考えていらっしゃるか。「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ」ということをおっしゃるが、私は、総理に、「國體ノ精華」というのを聞きたいのです。委員会ならとこでこうやりとりをやりたいのであります。教育勅語の中の何か都合のいいものを引き出してくることのできないのが教育勅語の趣旨なんです。教育勅語と大日本帝国憲法とこの二本立てで日本の教育ははっきり縛られておったわけです。問題は、「國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源」であるその中身は何であるか。あなたのおっしゃるように、「父母二孝二」から始まって、そうして都合のいいところだけ抜いたようなことを言ったら、それはもうたいへんなことなんです。そのあとには必ず「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」と、このことがついているわけであります。そういうことをあなたが御存じないと私は思わない。しかし、政治家というものは、そういう点でいつでもずるい発言をする。あなたと同じことを言った人に大達茂雄さん——文部大臣がある。「夫婦相和」してどこが悪いというようなことを言った。こんなことを一国の大臣や総理大臣が言うべきではない。あなたはこうも言っている。昭和二十三年六月十九日衆議院で教育勅語排除の決議が行なわれた。それは知っているよと、こう言う。知っているというならば、教育勅語をもっと的確にとらえて、どうしてそれがいまの教育の中で今日的な共通の命題を持っているという結論を出せるのかはっきりするべきなんです。この点について教育勅語の問題をはっきりさしていただきたいと思うのであります。  文部大臣にもひとつ聞いていただきたいわけですけれども、帝国憲法と教育勅語のこの二つを軸として天皇制国家体制が形成されたその教えは、そのときには一つの日本の教育のたばね、精神的な一つのねらいとしてある。あなたはこの教育勅語を総理大臣と同じ角度でとらえております。どうかこの点はあなたからも御答弁を願いたいわけであります。  文部大臣にお尋ねをしたいのでありますけれども、文部大臣は、敗戦直後の日本の新しい教育の創造ということを御存じだと思う。その新しい教育に対して、日本の教師たちは、一つの喜びと、過去のいろいろなあやまちから抜け出して、ほんとうに日本の平和的な国家をつくろうというそういう意気に燃えて努力をしたと思うのです。あなただって御存じだと思う。教科書もない、そこから出発した。あの教育がどのように変化していったか、あなたは御存じですか。どうお考えになりましょうか。私は思い出すのでございますけれども、文部省が言ったことばの中で、なかなかおもしろいことがたくさんある。民主的政体としての議会政治が確立されると、政党の力が強くなり、教育が一方的にゆがめられるおそれがある、そういう場合には、教師は教員組合の団結を強めてそれに対抗していかなければならない、それは教師自身のためばかりでなくて、国民に対する教師の責任であると、これは新教育指針に書かれてある。あなたは、いま、同じような教師の団結を固めながら日本の教育を守ろうとする教員組合に対して、革命的云々というそういうことを言われておる。そういう大きな変化に対して、あなたはどういうふうにこれを受けとめておるかということです。  教育というものは、簡単に方向転換のできないものなんです。きょうは左だけれども、あしたは右に行ってよろしいんだというものじゃないのです。教育の対象としての子供にそんな器用な使い分けはできないのであります。そうしてまた、一つの方針がきまって教育に当たった場合、あなたには再々私が言った、教員というものは教えたことに責任を持たなきゃならぬというつらさがある。つらさでなくて、これは当然のことだ。自分が人間の教育をやろうという——あなたもしょっちゅう言うが、人間の魂をつくろうというそこに全精力を集中しておいて、あとでそれはだめでしたということは言われないでしょう。それを言うことは教師として破産していることですよ。  そのとき一体どうですか。文部省は幾多変転していった。教員組合をつくって政党とときには対立しなければならぬというそういう考え方から、管理体制を強化していってその命令にはどんなことであっても従わなければならぬというような方針に切りかわったときに、教師はどうしたらいいのかということ、あなたはそのことを考えたことがございますか。私も戦前の教師で、教育的にはさまざまなあやまちをおかしてまいった。一番つらかったのは何か。そのことです。治安維持法があろうが、あるいは国定教科書があろうが、何があろうが、子供に教えたというそのことは、そのしりは文部省には持っていかれないんですよ。教師が責任を負うべきだとすなおに私はそのとき思った。しかし、それは私が思ったんです。日本の教師が、そういう場合に、あなたたちの命令どおりになっておって、文部省の言いなりになっておって、そうして教師は責任を負わなくてもいいものなのかどうか。あなたは、その点では全然のしろうとではないと私は見ているんです。戦前のいわゆる日本の教育がきわめて反動化していった時期にあなたは教育課長か何かやったんでしょう。教育課長というものがどれほどの重みのあるものかは、われわれも教員を当時やっておったからよくわかる。そういう重大な責任を負っておりましたけれども、あなたは、敗戦のときに、教えた者の苦しみの半分も三分の一も、ある意味では何にも感じなかったかもわからぬ。感じましたか。われわれの虚脱状態なり、涙を流して自分の不明をわびるというような、そういうあれがありましたか。あなたはエリート官僚として別な道にどんどん歩いていったでしょう。私はそういう意味であなたにお伺いしたいのです。この政治的な変化というようなものをあなたはどういうふうに考えているのか。そうしてまた、これから田中総理が変えようとするやり方に対して、あなたはどういう立場でこれに協力し、そうして教師にこれを押しつけて、教師が最終的段階に責任をとられるような場合に、あなたは全部にかわって何かしてくれますか。それをひとつ私はあなたに承りたいわけです。    〔議長退席、副議長着席〕  総理大臣にお尋ねしたいのですけれども、教育の政治的中立というのはあなたもこのごろちょいちょいおっしゃる。教育の政治的中立というふうなことをどういうふうにお考えになっているんでしょうか。教育の政治的中立というのは、いまは全く逆になっているんですよ。まあはなはだ悪いあれですけれどもおこらないで聞いていただきたいのですけれども、どろぼうがなわを持って盗まれたやつを追っかけていくような形になっているんです。政治的中立というものは、政治が教育に対して中立でなきゃならぬということを言うんです。不当な支配に屈しないということをわれわれが言うのはそこなんです。日本の近代、現代に示された支配階級と国家権力というようなものが一体どういう教育をやってきたか。東南アジアもそうでしょう。そういうところで侵略することを——向こうが侵略だと思っているんですよ——八紘一宇の精神でたいへんありがたいことをやられたとは思っておらない。他民族を侵略することを正当化するための知識と感情を教育に動員したじゃないですか。侵略の不道徳を国民の道義として受け取らせることに道徳教育がやられているということは、すなわちこれが教育に対する政治の押しつけなんです。そういう日本の教育のあり方に中立であるということは、これは教師の側から要求することなんです。文部大臣はどうですか。あなたたちの言いなりになってもし教育というようなものが一部の日本国民にとって非常にふしあわせなそういう境遇におとしいれるようなことがあったら、——一部どころでない、その場合には、必ず大多数の者がそういうところに押し込まれる。そういうことに対してあなたはどう考えますか。あとでよく聞きなさい、よく。——教育の政治的中立というのを、文部大臣のたてまえでは、自民党の方針に従うこと、政府の方針に従うことが教育の政治的中立だと、こう解釈している。逆のことです。そういう教育の政治的中立ということに関するあなたたちはあやまちをおかしている、こういうことになりますから、日本の教育の中にはたくさんの問題点があるんです。  そこで、ひとつ、先を急ぎますから移りますけれども、私は、学校というものは社会の中にあるわけですから、いまの日本の学校を取り巻く社会の状況というのはどういうことかということについて、これはほんとうにあなたにお尋ねしたい。五月の十三日の新聞に出ておったのですけれども、日本人の国民性というものについて文部省の統計数理研究所が結果を発表した。「昭和二十八年から五年ごとに続けられて、今度が五回目」だと、こういうふうに書いてある。その中で、一体「日本人の「国民性」が語るもの」は何であるかということを書いてある。「高度成長が生んだ心の貧しさ」というものがまず語られている。それは国民の受け取り方ですよ。あなたのほうやあるいは総理大臣はたいへんしあわせだと思っているかもしれませんけれども、「世の中は科学や技術が発達して便利になってくるが、それにつれて人間らしさがなくなって行く」という疎外感は、二十年前は三〇%であるが、ついに今度の調査では五〇%に達したという。半分の人間がそれを受け取っている。「「世の中が機械化しても、人の心の豊かさは減りはしない」という自信も失われて、五八%から四二%に落ち、」たと、こう言っている。こういうことを考えますと、日本人の国民性というのは、あなた、この調査の中からよくおわかりになったでしょう。そういう国民に対して、豊かな人間環境をつくることが政治の責任だと、こう言っている。  ところが、どうです、国民の政治不信は、「支持政党なし」がいままでの最高率の三七%にのし上がったと、こう言っている。それで私はあなたばかり責めるというようなことじゃないんです。こういう現実に目を向けて教育の問題と取り組まなければならないということを言っているわけです。そういう疎外感から、家庭に引きこもっていこうというようなそういう日本人にしては非常に心の狭い人間にだんだんなっていく。そういうときに、一体学校はどうあるべきかという問題が出てくるんじゃないですか。この調査について、まず文部大臣から、この調査に基づいて責任者としてのあなたから説明していただきたいと思います。  私は文部大臣にお尋ねしたいのですけれども、どうですか、あなたが教育関係の仕事をおやりになったころから、いまいわゆる民主教育の制度がある現在、どういうふうに思いますか。あなたはかなり確信を持ったとみえて、先ほども加瀬発言のときに出ましたけれども、人事の内申がなければ法を拡大解釈してもやっていいんだというようなそういう発言をなさったと。これは新聞の記事だ。新聞の記事にそう書いてある。文部大臣は、法の拡大解釈をやっても、内申がなかったら、内申なんか無視して人事をやればいいんだと、こうあなたは言ったと。そこらは、私は、記事を信頼するか、あなたを信頼するかといったら、記事のほうを信頼するほうです。かなりのこういう暴言をはくというからには、あなたはこれについて自信を持っている。自信持つはずなんです。なぜならば、いわゆる総理大臣、その下の文部大臣、任命制の都道府県教育委員会、その都道府県教育委員会の傘下にある地方教育委員会、その教育委員会の下にあるところの管理職としての校長、今度は教頭をこれの中に入れようとする。職務と権限の体系であるヒエラルキーがここに確立した。この意味でこの体制は最も軍隊と官僚の中にでき上がりやすいものなのだということはもう定説だ。あなたはこの事実を認めますか、どうです。これは答えていただきたい。満足しているでしょう、いま。  私は一つあなたに御忠告申し上げたいが、この体制は、とにかく幾ら改悪された教育委員会法といえども、こんなことは許されないように思う。教育委員会法を悪用するということに私はなると思うのです。この点についてあなたのお考えを承りたい。  私は、社会の問題だとか、いま教育委員会の問題とか申しました。そこで、私は学校の話を少ししたい。  一体、現代の、少なくとも近代の学校というようなものは、やっぱり何段階かの変わり方をしていると思うのです。まあ人によってはこの近代のあれを第一段階、第二段階、第三段階などといって分けている学者もいる。いわばいまは第三段階だと。この第三段階といわれる学校はどんな環境の中にあるか、これをあなたに説明してもらいたい。いわば第三段階というのは、第一次大戦後の世界の資本主義が一般的に危機を持ってきた、退廃的な徴候もあらわれてきたということ。確かに、日本の状況を見ても、退廃的なものがあらわれてきたと言い得るでしょう。こういう事態の中で学校はどうするのか。学校の非力というようなものがこの第三段階では非常にあらわれてきている。学校よりも社会生活そのものによって一そう根本的に人間形成ができるというような事実があらわれてきた。こういう状況が出てきているときに、学校というものはどう見直さなきゃならぬかということになるわけだと、こう思うのです。あなたの言うような狭い視野に立った、文部大臣の号令一下やるというようなそんなことでは学校はもうなかなか簡単にはいかなくなった。あなたは東京の学校のすべてを知っているわけでもないでしょうけれども、新聞にあらわれたさまざまな事象を見れば、ほんとうに親としても油断もすきも何もないというような状況がたくさんあらわれてくる。そういう世の中の状況というものを見た場合、学校はどうならなきゃならないか。そういう重大な時期に、私は、教育はどうなるのか、学校はどうなるのかという問題が出てくると思うのです。これは、この間の読売新聞に出た記事であります。この読売新聞の記事の中には、学校というものに子供がついていけない詰め込み教育、友だちも競争相手としか見えないそういう学校の空気、子供を差別し選別する教育。文部省もやりましたね、学力テストを盛んにやって、そうして日本一をきめるといってずいぶん精力を使った。そういうことが日本の教育の破壊につながるといって反対した日本の教師たちがたくさん弾圧を受けて処分された、そういう学校の状況。そして今度は、先生と子供たちの間の断絶も起こる。学校とは何かといって根源的な問い直しが発せられるのは当然だと思う。  ここで、この新聞は、教育経営学会でこの問題を取り上げたと、こう書いてある。その取り上げた中でどういう研究があったかというと、私が非常に共鳴したことは、学校の中にいまや三つの論理が入り込んでいるんだと。学校の論理、それは豊かな個性や創造的人間をつくるという学校の論理と、経済社会の論理、子供を選別する機能、能率本位の経済社会の論理がここに入ってきている。それをあなたたちはさらに手をかして拡大しているじゃありませんか。筑波大学をつくれば、日本経済界の総理大臣といわれる人をあなたは参与に入れたんじゃないですか。経済界の論理は小学校から大学まで入り込んでくるんです。それに、家族の論理というのがある。こういう社会の中でどうやったら一体自分の子が競争者を抜いて上に抜き出ることができるかどうかというそういう家族の論理、この三つの論理が学校をいまのような問題点に巻き込んでいると、こういう。学校の論理に立ち返ることが必要だという結論のようである。学校の論理に立ち返るということ、それは一体どんな体制であろうか。私はあなたにときどき言った。教頭や校長というものは教育的な点ですぐれたところがなければほんとうに学校をまとめていくことはできませんということをあなたに話した。管理職として法をたてにとって、酒買ってこいと言ったら酒も買ってくるという。この間、宮之原質問の中に出てきておった。それが文部省の人が書いた本だという話だ。そういう一つの命令が下のほうに直通するようなそういう学校で、いま日本の学校が当面している大問題を解決することはできない。校長も教頭も、ほんとうに信頼されようとするならば、もちろんそれは人間的な問題もありますけれども、教科に対するすぐれた見識をやはり持つということも一つの条件だと私は思います。自信をもって校長にひとつものを聞いてくれと言うような校長さんのところでは、私は学校はいまのような荒廃にはならないと、こう思うのです。  そういう意味で、校長の味方に教頭をつけてやって管理陣を強くするというようなことが日本の教育をよくするというようなことは、日本社会を知らぬということだ、学校の現状を知らぬということだ。こういうところに全力をあげて議論もさせないでおいて強行突破やらせるというような、そんな仕組みが日本の議会の中にあってはたまったものじゃないと、こう思うのであります。  私は、以上のことを申し上げて質問は終わりますけれども、若干残っているはずですから、御答弁のいかんによっては再質問をひとつやらしていただきます。(拍手)    〔国務大臣田中角榮登壇拍手
  85. 田中角榮

    国務大臣田中角榮君) 小林武君にお答えいたします。  まず第一は、東南アジア訪問の時期における話題についての御発言でございますが、東南アジア首脳との間で、正式会談のときではございませんが、徳川幕府の初期以来、日本と東南アジア各国との間には大きな交流があったんだというようなこと等、現時点における日本人の海外活動の現況等が話題になりましたときに、昔の日本人に対するイメージというものは開放的であり、濶達であり、積極的であったというような日本人というものと、その後海外に在住する特に若い商社マン等との比較についての話題が各国において出されたことは事実でございます。そういう意味で、日本人と交流を持ちたいという考え方に立っておる現地の人たちとの間に、どうも日本人が閉鎖的で、日本人だけでゴルフをやったり、日本人だけでパーティーをやったり、また。パーティーをやっても、呼んでも出てこないというようなところに日本人に対する評価が相当違ってきておるんだと。日本人から協力をしてもらわなければならない現地との間でありますから、日本人がもっと開放的に、もっと現地の中に入ってくるようなことが望ましいと。で、戦前の日本の教育などを知っておるような人たちの間で民主主義教育の問題やその他が出たことも事実でございます。しかし、いま小林君御指摘のとおり、それをもってがく然たる思いであったとか、日本の教育を直ちにどうしなければならないとかいうような考えを持ったものではございません。それは、日本の教育というようなものに対してこのように外国人も関心があるのだから、望ましい国際人となるための教育はどうあるべきか考えなければならぬなあと、すなおに考えただけでございます。  それから第二は、教育勅語観でございますが、教育勅語につきましては、確かに、昭和二十二年に教育基本法が法律二十五号として制定公布をせられたというときに実質的には失効していると、こう私は考えております。しかし、審議の過程においていろいろ文部大臣発言等もありましたし、いろいろな議論もございましたので、その後両院において排除決議が行なわれたわけでございますから、教育勅語として拘束権を持つものは、これはもう教育基本法制定公布と同時に失効されておるということは当然でございまして、この教育勅語というものの評価をどうこう私は考えてもおりません。また申しておるのでもないわけでございます。ただ、普遍の原理としてこの中に表現されておるものの中で、具体的に述べれば、どこの国に持っていっても、時代の変遷のいかんを問わず必要な人倫の大道になるべきものが存在すると、こう述べたにすぎないわけでございます。教育勅語というものはなくなっておるということは、これは国会の議決で厳然たる事実であって、その教育勅語云々を申したのではなく、その中に書いてあるもの、これが全く一体でございましたから、排除が行なわれたら逆論で言うと、夫婦は仲よくしなくてもいい、兄弟も仲よくしなくてもいい、そういうことではないわけでございまして、この中に表現されておる数々の問題は人倫の大道として十分尊重に値する、こういう感じを述べたものでございます。  第三は、教育の中立性の問題でございますが、学校の教員は全体の奉仕者であるとされ、また学校におきましては教育の政治的中立性が強く要請されることは、これはもう私が申し上げるまでもないことでございます。公教育である学校教育は、国民意思に基づき国民のために行なわれるべきものであり、これを達成するためには国民の総意を学校教育に反映させる必要があります。議会制民主主義のもとにおいて、国民の一般的教育意思国民の代表である国会において制定された法律にのみ具現されているというべく、法律によって教育行政の権限を有する文部省、教育委員会等の行政機関により、法律に従って学校教育が行なわれることが教育の中立を守るゆえんであると考えます。でございますから、国会で制定された法律を守らなかったり、文部省や教育委員会意思反対をすることが教育の中立性を確保するということは全く誤りであると、こう考えます。(拍手)    〔国務大臣奥野誠亮君登壇拍手
  86. 奥野誠亮

    国務大臣(奥野誠亮君) 教育勅語につきましては、これをそのままで一般的に押しつけようというような考え方をとろうとは毛頭考えておりません。ただ、その中には将来にわたって変わらない人倫の道などが盛られているわけでございますので、それはそれなりに評価していくべきだと、かように考えているわけでございます。  第二に、戦後の教育についてのお話がございました。  申し上げるまでもなく新憲法を確定いたしまして、民主的で文化的な国家を建設して世界の平和と人類の福祉に貢献しようと決意したわけでございますし、その理想の実現は教育の力にまつべきであると広く主張されたことでもありますし、また関係者はみなそういうような決意のもとに大きな理想に燃えて努力を続けてまいったと、かように存じております。  新教育指針のお話がございましたが、何ぶん占領下でございますだけに、いろいろな混乱があったことは事実でございます。二十二年三月に教育基本法が制定されましてから、日本の教育はこの教育基本法を基礎として発足していくのだということでいろいろな考え方がまとまったものだと、かように理解をしておるわけでございます。  今回の教頭職の法制化は、現状をそのとおりに法律で是認すると、こういうような気持ちでおるわけでございまして、管理体制の強化と申し上げるよりも、管理体制の適正化だと、こう私たちは理解をいたしておるわけでございます。同時に、教育の基本は教師にありますし、教師自身が自発性、創造性を働かしながら、個人個人の持っております個性、特性を引き伸ばしていかなければならない、かように存じておるわけでございます。しかしながら、公教育制度の中で教育に携わってもらうわけでございますので、その制度そのものはやはり理解をし守っていただかなきゃならないだろうと、こういう気持ちでおるわけでございます。  ただ、政治的な変化のお話もございましたが、戦後は戦前、戦中の教育の反省の上に立って進められてきたと思います。これからの教育は、ある意味においては戦後三十年の教育そのままでよかったのかどうだろうかということについてはやはり反省をしながら努力してしかるべきものではなかろうかと、こんな気もしておるわけでございます。美にこりてなますを吹くたぐいもございますが、国家とか社会と言うただけで戦争につながるとか軍国主義化だとかいうようなことばを吐かれる向きもあるわけでございます。個人、国家、社会ともに充実したものにするように努力をしていきたいものだと、かように存じております。  第三に、政治的中立のお話がございました。  教育界は次代をになう青少年を育ててまいるところでございますだけに、一党一派にとらわれたものであってはならない、かように考えるわけでございます。ただ、形式的にそれじゃどうするのかということになりますと、やはり教育も国会統制のもとに服するものだと、こう申し上げたいのでございます。  第四に、学校がどうあるべきかということについてのいろいろの御意見がございました。  私は、戦後三十年、物の豊かな社会が築き上げられたけれども、やはり心の豊かな社会を築いていきたいものだという気持ちが多くの方々に出てまいってきているように思うのでございます。個人主義も利己主義に走ってはならない、自由主義も相手の自由の尊重を忘れてはならないと、いろいろな反省があるわけでございますし、環境が人間を育てていくといわれているわけでございますので、やはり学校の環境も潤い豊かなものにしていかなければ望ましい人間を育てていくことは困難ではないのだろうかと、こんな心配を持っているわけでございます。  第五に、教頭法制化によりまして段階制を強めていくのだというような式のお話がございました。私たちはそれは考えていないわけでございまして、校長さんと一般の先生方との間の潤滑油的な存在、それを教頭さんに一そう期待をいたしているわけでございます。学校は組織体でございますので、組織としてどうあるべきか、これは明確に規定していかなければならない、かように考えるわけでございます。組織を動かすものはやはり人でございますだけに、人が学校現場に合った姿においてこの組織を運用していくということはきわめて肝要なことだろうと、こう考えております。そういう意味におきましては、先生一人一人が創意くふうを尽くす、思う存分それぞれの力量を発揮できるような環境、これをつくっていくことが大切だと、いたずらに締め上げるばかりが能ではないというふうに考えるわけでございます。  いずれにいたしましても、学校に限らず、社会全体でもそうだと考えるわけでありますが、やはりみんながそれぞれ責任を分かち合う、みんなで少しでも前進するように努力し合っていくんだという気持ちがわいてきません限り、効果をあげることは困難ではないだろうか、こう思っておるわけでございます。  社会風潮についてのいろいろな話もございましたが、やはり教育の問題は家庭教育、社会教育、学校教育全体として努力をしていかなければならない、こう思うわけでございまして、一億国民総評論家的な社会であってはならない、こういう気持ちも強くいたしておるわけでございまして、学校の先生方が、一般の先生方も、教頭先生も、あるいは校長先生も、みんなが一緒になって潤い豊かな学校現場を築き上げ、そして環境が人間を育てるといわれていることにつきましても何らの心配のないような教育現場をつくっていただきますように努力していくべきものだと、かように考えております。(拍手
  87. 森八三一

    ○副議長(森八三一君) 小林武君。    〔小林武君登壇拍手
  88. 小林武

    ○小林武君 四分しかありませんから、長々やることもできないので残念だけれども、あなたはやっぱり学校を知らぬのですよ。学校の中で一番何が大事にされるかといったら、教授活動です。いわゆる教育をつかさどるというところに重点がなければ学校はうまくいかぬ。いわゆる学校の論理なんです、それは。その学校の論理を大きく取り上げるときに、教頭、校長というのはどうかといったら、従来の教頭、校長、これは何といっても教育をほんとうに高めるような人間によって学校はうまくいくわけです。今度あなたたちのやることは、全く管理者という一つのポストを与えるだけです。私のところに来たある校長は何と言ったかというと、ひとつこれ通してくださいよ、教頭さんが味方になると私もだいぶ助かるのですと、こういうことを言っている。何か対立してけんかでもするようなつもりでいる。そういう管理体制というものは学校をますます不毛にするのです。こういうことを一つ申し上げます。  総理大臣、結局、教育という問題では、これは大げんかして国の中でやる問題ではない。あなたも、あまり教育づいて、必要以上に教育の前進を妨げるようなことのないようにお願いしたい、こう思います。    〔国務大臣田中角榮登壇拍手
  89. 田中角榮

    国務大臣田中角榮君) 私に対しては御要望があったようでございますが、その御要望に対して、考え方を一言申し述べておきたいと思います。  教育が非常に重要な問題であることは申すまでもありません。お互いのこの世における生命は非常に短いものでございますが、われわれの子供や孫、子孫に伝承する民族の生命は悠久でございます。そういう意味で、世界的に、また人類の中で、望ましい、好ましい日本人として長く将来とも生きていかなければならないことを考えると、あらゆるものに優先し重要なものが教育であるということであることは、もう申すまでもないことでございます。そういう意味で、戦後足かけ三十年もたってきたわけでございます。また、この教育に対してはいまは三十年も定着をしましたし、しかも歴史的な重さもございます。しかし、この教育メモランダムが日本政府に手交された当時の混乱ということはもう小林さんも十分御承知のとおりでございます。そういう中で二十二年三月三十一日に公布されてきたわけでございます。ですから、三十年たって、いまのものがもう極上のものであってこれに手をつけたり考えたりすることが反動なんだという考え方にはいささか首肯できないのであります。時代は変わってまいります。日本人に対する要請も強くなっておるのであります。そういう立場から三十年の歴史を顧みて、常に新しい視野と角度と立場からよりよい教育制度をつくるために努力をつちかうことは、これは国民的課題であり、責任であります。ですから、教育の専門家というようなそういう立場からだけでみずから述べることが最上であって、人の言うことはみな誤りだという考え方は、これこそ誤りでございます。国民全体が真摯な考え方で教育問題に絶えず取り組むということでなければ、理想的教育制度が完成するとは思わないわけでございます。私は、そういう意味で、教育問題に対しては真剣にまた慎重に考えてまいりたいと思います。でございますから、まあ多数決であればいつでもできるわけでございますが、しかし、この教頭法案は四十三年からずうっと国会に御審議をお願いしておるのでございますから、この一事を見ても、いかに政府が慎重であるかということを御理解いただけると思うのでございます。(拍手)    〔国務大臣奥野誠亮君登壇
  90. 奥野誠亮

    国務大臣(奥野誠亮君) 先ほども申し上げたとおりでございますが、やはり教育は個人個人の持っております個性、特性を引き伸ばしていくということでございますので、先生方が個人個人について創意くふうを尽くしていく、これが非常に大切なことだと、かように考えているわけでございます。そういう意味におきまして、先生方が自由濶達に働ける、そういう学校現場をつくり上げていかなきゃならない、かように考えるわけでございます。教頭さんが校長さんの気持ちを先生方全体によく理解させるように持ってくる、また教頭さんが先生方全体の気持ちを校長さんによく理解させるように潤滑油的な働きをすることによって、学校が組織体として全体として生き生きとしたそして潤いのあるものになっていくことを期待いたすものでございます。(拍手)     —————————————
  91. 森八三一

    ○副議長(森八三一君) 片岡勝治君。    〔片岡勝治君登壇拍手
  92. 片岡勝治

    ○片岡勝治君 私は、日本社会党立場から、政府に対しまして、民主教育にとってたいへん重大な危機に直面をいたしております文教政策について、総理並びに文部大臣にその所信を求めるものであります。  さて、私は、冒頭、いわゆる教頭法の審議が中断されまして、結果的にこういう形で審議が行なわれなければならなくなったこの自民党の暴挙に対して、きびしく糾弾をしたいと思うわけであります。  いま参議院選挙を目前にいたしまして思い浮かぶことは、過ぐる三年前に河野議長が誕生いたしました。いわゆる参議院の民主的な改革への期待と希望を私は率直に持ったわけであります。しかしながら、それもつかの間、わずか一年経た昨年、筑波大学法等四法案の審議にあたりまして、常軌を逸した自民党の強行採決の繰り返しによって、この参議院改革はみごとにくずれ去ったのであります。そしてこの課題は完全に振り出しに戻ってしまったわけであります。私は、そのおり、この壇上から、その不当な仕打ちに対し、これこそ民主主義の敵であり政治暴力である、そういうことを声を大にしてここで叫んだことをいま思い出しておるわけであります。いまここで再びこの壇上から、この積み重ねられた背信行為を追及しなければならないことにほんとうに私は深い憤りを感じます。同時に、自由と民主主義をみずから放棄して変質していく自由民主党に対して心から哀悼の意を表する次第であります。  そもそも、この教頭法は、衆議院においても御承知のように非民主的な運営によって委員会では賛成会派のみで審議し、採決し、本会議に持ち込まれ、事実上強行採決によってこの参議院に送られてきたわけであります。しかし、参議院の良識は、直ちにこれを委員会に付託いたしませんでした。このような衆議院審議のしかた、これについて参議院の良識は強く非難をいたしました。その結果、議長を含め各党の国対役員が十分協議した結果、このように不当な衆議院審議があった教頭法、しかしこの参議院では強行採決はしないようにお互いに努力をしようという確認がなされて、文教委員会に付託されたのであります。そして委員会はきわめてスムーズにかつ慎重な審議が続けられたのでありますけれども、またも強行採決です。自民党の総裁である田中さん、あなたは最近五つの大切・十の反省などと聖人君子になったおつもりか、国民の前にこのことをお示しになりました。その中に、「約束は守ったか」というのが一つあります。政権担当の与党自民党が率先して議会の民主的な運営を踏みにじっていて、「国民よ、子供たちよ、約束を守っているか」などとどなり回ったとしても、だれが聞くものですか。返ってくる答えは不信と嘲笑だけでありましょう。強行採決のあと、世耕委員長は田中総理のもとに報告に行ったそうであります。そこでもし田中さん、あなたが例の調子で、とんでもないことをしたとどなり返すようなことでもあれば、私は田中さんを再評価するでありましょう。しかし、それもなかったようであります。一体総理は、自民党の総裁として、議会制民主主義というものをどのように理解をしているのか。自民党の総裁としてそのような態度を続けておったのでは、いま申し上げました五つの大切・十の反省など、ナンセンスと言われてもいたしかたがないでありましょう。私は、総理に深い反省を求め、この際、この問題に対する自民党の総裁としての総理の見解を求めるものであります。  文部大臣もそうです。強行採決のあと、委員の面々に深々と頭を下げ、にこやかな笑いを示しておるのが写真に示されました。この政治暴力の前で文部大臣たろう者が深々と頭を下げ、にこにこするようでは、私は日本の道義は成り立たないと思うのであります。この強行採決の問題についても、私は文部大臣の見解をしかと承りたいと思うのであります。  さて、次に教頭法の問題に入りたいと思うわけでありますけれども、まず最初に教頭法提出の意図についてただしたい。  午前中の各種の決議、あるいはいま小林議員の質問にもありましたが、その意図は当初から明確になっておったわけでありますけれども、私は、このことは絶対に許し得ない、そういう立場でこの意図というものをここで申し上げたいと思うわけであります。  奥野文部大臣は、衆議院における強行審議にあたって、自民党委員の質問に答えて次のように言いました。「私が文部省を担当いたしまして、月日のたつごとに学校現場が非常に混乱している、そのことの具体的な事情がだんだんはっきりさせられるとともに、この教育現場の秩序を正すことが、日本の教育の将来を考える場合に、何よりも大切な問題だ、そういうことを深く意識させられるようになってまいりました。そういう学校の教育現場の秩序を正す」「意義の非常に大きいことを痛感してまいってきておるわけであります。したがいまして、先日お尋ねのありましたときに、どの法案よりもこの教頭職法制化、これを成立させてほしいという私の切なるお願いも申し上げたわけでございます。」とあるのであります。何たる見解でありましょう。ほんとうに私はゆゆしい問題であると言わなければならないわけであります。「月日のたつごとに教育現場が混乱している、その具体的な事情がはっきりさせられた」という。いま、日本の教師は、困難な教育条件の中で多くの壁に突き当たりながら、それを克服して献身これつとめているではありませんか。私はそう思うのです。おそらく大部分の国民もそう思っているでありましょう。この現実から目をそらし、月日のたつごとに教育現場が混乱してきているなどとは何事です。しかも、事もあろうに国会において言明することは、国民に対し宣言したことなのです。大臣、それほど教育現場に不信をお持ちなら、出かけていって見るがよい。もちろん、中には校長と教員あるいは教師の間で、また、地域の住民と学校との関係で、さらには住民相互の争いの中に学校が巻き込まれている、そういう例はなしとはいたしません。しかし、それにはそれなりの特殊な要因があり、特別の条件があったからにほかならないわけであります。わずかなそれらの例をもって、あたかも全体がそうであるかのごときの言動は、事が文部大臣なるがゆえに私は許されざるものと思うわけであります。それは、何よりも国民に今日の教育と教師に対する不信感をあおり、教育をささえる信頼関係を破壊するからであります。いわば教育の根源をゆるがすことになるからであります。そして営々として日夜努力しておる教師諸君に対する最大の侮べつ、教育に対する冒涜でなくて何でありましょう。月日のたつごとに日本の教育現場が混乱しているというのであれば、それを余すところなくただいまここでその全部を発表していただきたい。私が最も憂慮することは、文部大臣や文部省がこうした予断と偏見を持って、これを前提として文教政策を進めてきているということです。まさにここに日本の教育の悲劇があるのです。教頭法案の提出がこの虚構の上に考案されたところに教育の論理からはみ出してしまった問題があるわけであります。このことは、いま小林議員がるるここで訴えられたところであります。つまり、教育条件の整備より管理機能の強化が優先されるという倒錯した政治姿勢、行政姿勢に問題があるわけであります。私は、大臣がこうした誤った認識と偏見を深く反省され、さきの発言を取り消し、全国の教師諸君にこの場を利用して釈明されることを期待するものであります。本来、管理機能の強化は、上意下達をスムーズにはしますけれども、下意上達——ことばは適当ではありませんが、この機能が弱められることは明らかであります。こうした機能の強化は教育だけにきわめて重大であることは、いま小林議員が指摘したところであります。一つには権力の支配を容易にすること、二つには教師の創造性、自主性を阻害し、教育の前進をはばむことは何人も認めているところであり、そのことは教育活動全体を沈滞させることになるわけであります。最もおそるべきことは、結局は、これらのことが教育に対する政治支配というよりも政党支配の可能性を大きく切り開いていくというところに大きな問題があるわけであります。私は、教育は、教師の努力と、これをささえる教育条件にかかっていると思うわけであります。行政はこの教育条件の整備が目的であるはずです。教育行政本来の姿に立ち返ることを心から期待をするわけであります。いま教育の世界には幾多の問題が山積いたしております。中でも、子供も、教師も、そして親たちも悩み苦しんでいる入学試験地獄、こうした緊急な課題こそいま早急に解決をはからなければならない課題でありまして、これらの重大なそして国民の要望する課題をほっぽっておいて、不必要なこうした法案を何よりも優先して強行突破するということは、われわれ国民の側から見るならば、まさに無責任政治の象徴であろうと思うわけであります。あやまちを改むるにはばかることなかれ、田中さん、奥野さん、今日までの教育行政、どうかそのあやまちを改めて、国民の期待する教育行政に進まれることを心から期待するわけであります。  また、二十四日の中学校長会におきましては、先ほどからもいろいろ指摘をされましたが、その文部大臣のことばの中に、「国籍不明の教育」、こういうことばが出てまいりました。これはきわめて重大であり、あたかも日本の教育が国籍不明の教育であるかのごとく印象を与えたことは、これまた許されざる発言だろうと思うわけであります。一体どこが何が国籍不明なのか、「君が代」を歌い「日の丸」を掲げることだけが国籍ある教育などということにはなりますまい。これらの点についても私は大臣の明確な見解を求めるものであります。  さて次に、この教頭法に関するごく具体的な問題について二、三ただしておきたいと思うわけであります。  いままでもお話がありましたとおり、今度のこの教頭法の法制化は、従来の教頭をただ法律にのせた、そういうものではないことは、これは文部省自身が認めているところでありまして、さらにこのことは衆議院の修正によって一そう明らかになってきたわけであります。すなわち、今度の教頭は、校長の補佐、校務の整理、これが教頭のおもなる任務になったわけであります。特別の事情のある場合にのみ教育をつかさどる、こういうことになったわけでありますから、これは明らかに管理の側に立ったということは否定できない事実であります。つまり、通常の場合には授業を行なわない、こういうことになるわけであります。そして衆議院における答弁では、まあ欠勤の先生の補充教育に行く程度という意味の答弁をされておるわけであります。現在、教頭でも、他の教諭と比すればはるかに時間数は少ないけれども、通常の授業を行なっておるわけであります。今度の改正によって、特別の事情ある場合にのみ教育をつかさどるということになれば、その分だけ教員定数が充足されなければならないはずであります。しかるに、このことがありません。なければ一体どうなるか、他の教師がその分だけよけいに負担をしなければならなくなるということは、物理的に出てくるわけであります。言ってみれば、今度の教頭法制化は、教頭を校長の補佐役専従者にさせるために、教頭の授業を原則としてなくし、その分だけ一般教員に授業の負担をふやす、こういう結果になることは必然であります。これが一体どうして教育条件の整備向上になるというのでありましようか。文部省は言うかもしれません。それはいま教職員定数法改正案を提出していますと。しかし、これはごまかしであります。これは教頭法制化とは関係なく、今後五カ年間における教職員定数の基準を改正しようとするものでありまして、教頭法制化とは直接関係なく立案されたことは文部省も認めておるわけであります。いわんや、衆議院の修正による教員定数との関係要素が追っかけていってこの定数法に入るはずがありません。一体、これを文部省は、大臣は、何と説明なさるのでありましょうか。  私は、さきに、文部大臣の認識とは逆で、日本の教師はよく困難な条件のもとでひたすら教育活動に献身されているということを申し上げました。いま大切なことは、この教育条件を一歩でも二歩でも改善をはかり、教師が喜んで日々の教育に携わってもらう、そのことが大切なのであります。私もささやかな教師の経験を持っておりますだけに、校長、そして現行の教頭、そして一般教職員が、さまざまな雑務に追い回されていることをよく承知いたしております。これには行政機関の深い配慮によって雑務を学校に持ち込まないこと。それでも一定の事務は避けられないでありましょう。そのためにはどうしたらいいか。事務職員をどんどんふやす。今日なお事務職員のいない学校、養護職員のいない学校があるというまことにお粗末な行政、そういうお粗末な行政の上になすべきことをなさずして教頭法制化をしても、一体現場の教師は喜んでこれを受けとめることになるでありましょうか。  また今日、特に小学校、中学校の教師の授業時間数は過重であります。一学級の児童生徒数を減らすことはもちろん大切でありますけれども、教師の受け持っておる授業時間が多過ぎたのでは、これまたよりよい教育ができるはずがありません。戦前のような画一的な教育ならいざ知らず、今日では個性の尊重、これが基本であります。さらにはまた、教材の多様化の中で教師自身の研究と準備がたいへん必要になってきておるわけであります。市販テストが問題になっておりますけれども、ついつい手が出てしまうのは、こうした教育現場の状況も一つその要因となっていることは否定できないわけであります。率直に言って、週二十時間以上の授業を受け持つことは、もはや労働の限界を越えた過重であります。そのほかに、学校教育にとっては欠かせないホームルームやクラブ活動、生徒指導等、ほんとうに教師の労働時間、任務は大き過ぎるわけであります。こういうものに対して一定の基準を示し、教師の過重労働を減少させていく施策が緊急な課題であるわけであります。私は率直に言って、小学校においても、高学年になった場合には専科教員制を採用、充実し、担任授業の過重負担を軽減させる等の行き届いた体制をつくることが必要だろうと思うわけであります。  教頭法制化によって教頭が校長補佐役として、原則として授業を受け持たない、それに対する補充措置が何ら考えられないというところに、先ほども指摘されましたが、文部大臣あるいは文部当局は教育現場について無知なのではないかと私は思わざるを得ないのであります。先ほども触れましたけれども、教頭法制化ができたら、教頭さんの授業は学校の先生が休んだときの補充授業程度になるであろう、こういうことの質問に対して、初中局長は認められたわけでありますけれども、しかし、これまたたいへんな問題であります。数字的に申し上げますならば、教師の年次有給休暇は年二十日あります。年二十日ということは、十二人の学校の規模では、学校の先生の有給休暇だけで延べ二百四十日あるわけであります。二百四十日といえば、大体小中学校の年間の授業日数であります。つまり、十二人の教職員の規模の学校では、毎日一人は年次有給休暇で休んでいることになる。二十四人の学校では毎日二人、三十人以上になれば毎日二人の先生は有給休暇で休んでいるという計算が成り立つわけでありまして、これを教頭さんが受け持つなどということは、どういうところからそういう話が出たのか、私どもは理解ができないわけであります。それは別として、しかし、いま申し上げましたような教字を示すならば、この教職員の休暇、そのほかに病気もあります。そうした補欠授業に対する定数増加等も当然配慮されてあってしかるべきでありますけれども、それが考慮されていないから、今度教頭さんにそれをやってもらう、そんなことを文部省が言っておっては、これまた紛争の種になりますよ。  いずれにいたしましても、今日の教育行政が教育現場からその現実から遊離している、その実態を知らない、そういうところに大きなあやまちをおかしているものであります。いま申し上げました年次有給休暇や、あるいは病欠の場合の措置としても、教頭さんがいかにしゃっちょこばっても、これを補完することは不可能であります。結局は、学校全体が、学校の先生がお互いに理解し合い、協力し合う、そういう体制の中で初めて休暇をとった先生の、病気で休んだ先生の補充授業というものが行なわれるのであって、そういう体制づくりこそ、教育の根源、教育行政の根源と言わなければならないと思うわけであります。  次に、進みたいと思います。大臣は、教頭法制化は教頭さんの強い要望だ、こういうことも繰り返して言っておりました。私の感触とはだいぶ異なるわけでありますが、それはさておきまして、校長や教頭の学校における役割り、それは決して小さくありません。むしろたいへん大きいものであります。それは法制化したから、法制化しないからの問題ではないはずであります。校長、教頭が、長年の教育の実践者としての教育に対する高い見識あるいは民主的学校運営にかかる力量、教師が信頼してよき相談相手、指導助言の求めに応じ得るかいなかにかかっていると思うわけであります。もし教頭が法制化がなければその職務が遂行できないとすれば、それはもはや教育の論理からはずれた異質のものと言えると思うわけであります。しかし、私は、今日の教頭がそうだとは考えません。もっと鋭く追及されなければならないことは、さきにも触れたごとく、政府、文部省の教育現場に対する偏見と誤った認識、それを口実にした教育支配にあることなのであります。それを教頭さんの強い要望の形にすりかえ、心ある多くの教頭さんの良心を傷つけている今日の政治姿勢、文教政策こそ糾弾されなければならないと思うわけであります。  文部大臣は、この法案の審議にあたって次のような答えをされました。教頭法制化ができても別に教頭がえらくなったというものではない、学級や学科を担任し教育に当たっておる者も大事な仕事をしているのである、校長や教頭に向かないが教員としては実にりっぱであるという人がたくさんおる、どちらがえらいというものではないと。まことに私もそのとおりだろうと思うわけであります。私も現実にそういう先生を知っております。市の教育委員会に呼ばれて、あなたは教頭になってもらいたいという内示があったときに、その先生は、いや、私は教頭や校長は不適任である、学級担任のほうが私には合っているのだといって辞退をされて帰ってきた先生を私は直接知っておるわけであります。普通の社会ではあるいは変わり者と言われるかもしれませんけれども、しかし、教育の世界ではこのことが非常に大切と思うわけであります。しからばこういう教師に対して一体どのような処遇をしているでありましょうか。御承知のように、今日の教育職員の給料表はいわゆる三等級に分かれておりまして、校長になればとたんに昇給の幅が大きくなり、年数を加えるごとに一般教職員と校長との間には大きな格差が生まれてくるわけであります、大臣、あなたの、どちらがえらいというものではないというそういうお考え、これは私は正しいと思うわけであります。それに見合う給与体系を考えていくことが、こうした営々と働いて一人の教師として終わっていく人たちに報いる道であろうと思うわけでありますけれども、これらの点について新たな考えがあるかどうか、この際お聞きしたいと思うわけであります。この給与の差はボーナスにも影響し、退職金にももちろん影響し、年金という形では死ぬまで大きな差別が行なわれるわけでありまして、真に教育を考える立場であれば、これらの給与問題も当然是正されてしかるべきだろうと思うわけであります。  さて、参議院選挙を前にいたしまして、田中総理は、いま小林議員が指摘されましたように、教育問題のアドバルーンをあげております。しかし、世間一般の人は、世界一のインフレ、高物価、そして自民党のスポンサーである大企業の反社会的行動、これじゃとても選挙にならぬということで、教育問題を盛んに提起していると見ております。その具体的なあらわれは、各新聞がこぞってこのことを指摘しているわけであります。私は、教育問題がこのような次元の低い発想で論議をされるということについて深い憤りを感ずるわけであります。しかも、田中さんがラッパを吹くたびに奥野文部大臣は、文教委員会でいかにも迷惑そうな顔をして訥々と答弁をいたしておりました。一部はこれを否定し、一部はあれは田中総理の全く個人的な見解であって文部省は何ら関係がないと言っておりました。しかるに、最近、どういう風の吹き回しか、文部大臣までが田中さんのまねをしてだいぶ吹き鳴らしておりますけれども、私は、特に教育、中でも道徳の問題については、これはそういうような形で論議すべき課題ではないであろう、本来そういうものが多数決できまるべき問題ではないだろうという考えを持っておるわけであります。  ある新聞は、こういう見出しで書いてありました。「〃失政〃を道徳論でごまかすな」という見出しで、「政治の指導者が道徳論をしきりに取り上げたがるのは、その政治がうまくいっていない場合に、しばしば見受けられる。」と。そして新潟県人会のつどいで、先ほど触れました五つの大切・十の反省を提唱したことに触れまして、「内閣総理大臣は説教師になり変わったのか、」「むろん、提唱された徳目そのものはだれも異論はないだろう。その当然至極のことを政治指導者がなぜわざわざ力説しなければならないのか。そういう不自然さを感じた人は少なくないだろう。」と。そして、さらに次のように言っております。「訴えが説得力を持ち、聴くものを素直にうなずかせるためには、何よりも語るものの謙虚な態度が必要である。これまでの田中政治への徹底した反省がなければ、ビジョンも道徳説法もまことにしらじらしいものになってしまう。」とあります。新聞の社説としてはまことに単刀直入に書かれておるわけであります。新聞の社説でこれほど書くのでありますから、国民のほとんどがこのような受けとめ方をしておると言ってもいいでありましょう。さらにまた、「反省の不足と思い上がりの態度が目立つ。」とまで書かれておるわけであります。他の新聞でもたくさん書かれておりました。一国の首相が提唱した道義論、かくも完膚なきまでに批判された例は、近代国家においてはその例を見ないと私は思うわけであります。つまり国民の道義は、為政者の態度、政治姿勢そのものが指標になるということであります。田中さん、いま国民は、インフレ、高物価、公害、入学試験地獄、交通地獄、さまざまな課題に悩んでおります。田中さんがこれらの緊急な課題にほんとうに献身している姿を国民の前に示すことが、それが道徳教育だと私は思うわけであります。これらのことを放棄しておいて、やれ教育勅語だ、十の反省だなどと言っても、それは国民は馬耳東風として受けとめるでありましょう。  私は、最後に、次の作文を朗読して終わりたいと思います。この文に対して総理大臣や文部大臣に見解があれば承りたいと思うわけであります。  総理は五つの大切・十の反省をぼくたちに示したということですが、ぼくたちの言い分も聞いてください。  一、友だちと仲よくしただろうか。  ぼくたちはみんな仲よしです。でも心の中では憎いと思うこともあります。それは試験地獄だからです。これをなくさなければ、ほんとうの心の友だちにはなれないと思います。  二、弱い者いじめをしなかったか。  私たちはみんな助け合って勉強しています。でもからだの悪い不自由な人にも私たちと同じような教育が受けられるように法律を出したところが、反対したのは田中さんや奥野さんの自民党だったそうではありませんか。政治が弱い者いじめをしていてはいけません。  三、お年寄りに親切にしただろうか。  近所のおじいちゃんは嘆いています。年金が低くてとても生活に苦しいと。お年寄りへの親切は何よりも安心して生活できるようにしてあげることではないでしょうか。お年寄りへの不親切は田中さんではないですか。  四、生きものや草花を大事にしましょう。  私も生きものや草花は大好きです。でもだんだんなくなってしまいました。ですから、大事にしようともできません。お説教する前に生きものや草花がなくならないような政治をお願いいたします。  五、約束を守っただろうか。  ぼくたちがふしぎに思うことは、強行採決です。えらい議員さんが約束したことがなぜ破られるのでしょうか。法律とは約束だと思います。その法律をつくるときに、しかも大事な法律をつくるときに約束が破られては、法律を守りなさいと言っても変な気持ちになります。田中さんはそのほか国民にいろいろ約束をされておりますけれども、守ってくれません。政治が率先して約束を守って、はじめて国民も守るようになると思います。  六、交通ルールを守っただろうか。  私たちは交通ルールを守ることすらたいへんなのです。ルールを守っていても毎日びくびくして通学しています。これを解決しないで、ルールだけ守れと言っても無理があることを御存じなのでしょうか。  七、親や先生の意見をよく聞いただろうか。  ぼくたちはちゃんと聞いています。それより、田中さん、奥野さん、ぼくたちのおとうさんやおかあさんや学校の先生の意見をもっと聞いてください。  八、食べものに好ききらいを言わなかっただろうか。  私たちは好ききらいを言ってはいられないのです。物価高でおかあさんがほんとうに苦労しているのです。こんなことをおっしゃる前に物価を下げてください。  九、人に迷惑をかけなかっただろうか。  ぼくたちは迷惑をかけていません。迷惑を受けているのです。物価高、公害、交通戦争、試験地獄。  十、正しいことに勇気をもって行動しただろうか。  おとうさんは言っていました。いまの政治や社会は、悪いことに勇気を出して、正しいことに憶病だと言っていました。石油問題が起こったとき、石油会社は勇気を出してお金もうけをし、これを取り締まる政府は憶病だった、こう言っていました。  これは日本の子供たちの率直な気持ちでありましょう。田中さんの五つの大切・十の反省に対する日本の子供の回答だと思います。見解があれば承りたい。(拍手)    〔国務大臣田中角榮登壇拍手
  93. 田中角榮

    国務大臣田中角榮君) 片岡勝治君にお答えいたします。  まず第一は、本法案の委員会審議についてでございますが、これは先ほど申し上げましたが、このような重要な問題は慎重に積極的に審議せらるべきであることは申すまでもありません。しかし、結果がこのようになったということでございますが、なぜこのようになったのかということもひとつお考えいただきたいのでございます。四十三年の五十八国会提案をし、続いて四十四年の六十一国会提案され、四十七年の六十八国会提案をされ、第四回目は四十八年の七十一国会提案をされ、継続案件となり、今国会は会期始まって以来百七十八日に及んでおるのであります。法律は、予備審査の制度もございますし、公聴会の制度もございますし、(発言する者あり)あるはずでございます。これが月火水木金土と毎日おやりになっておってなおこういうことができなかったというなら別でございますが、私は提案をした責任者でございますが、国会の御審議国会にお願いをしておるわけでございます。ですから、私に御質問をされるとすれば、多数党である自由民主党の総裁としての立場意見を問われておるわけでございますが、これだけ長い間国会議題になっておるのですから、国民の衆人環視の中でほんとうに御審議をいただきたい、私はそう思います。この問題がこのようになったことの可否は、来たるべき参議院通常選挙国民が判断すると思います。そうでなければ、民主国会そのものが成り立っていかない、真に私はそう思うわけでございます。  国民の道徳問題でございますが、これは戦後の教育ももうすでに足かけ三十年になっております。知育に関しては世界に類例のないほど高揚されておると評価されておりますが、徳育問題がなおざりにされておるというのは、これはもう外国ではなく、国民的課題になっておるのであります。これは一面においては戦後の日本というものは物質的には非常に豊かになったが、心がこれに伴わない。教育は知育偏重であり、徳育とあわせなければならないというのがいまや世論であります。私は、そういう意味で、これからどういうふうにして徳育を重点的に拡大するかということは、これはわれわれも十分考えていかなければ、政治の責任を果たすことはできない、こう考えておるのであります。戦前戦前といって、三十年も前のことに、あつものにこりてなますを吹くような気持ちで日本の教育をなおざりにしておったならば、私は真にあるべき日本の教育はできない、こう思います。  それから教育の改革という問題については、とにかく三十年たったわけですから、いまのものが絶対にいいのだということは誤りだと思うのです。そういう意味で、悪いところがあったならそれを直していくということでなければ進歩はありません。その意味で、教育の改革に対しては、特に教育の中立性を確保しなければならぬということも世論になっておるのであります。  また、第二には、徳育を充実をしなければならぬということも国民的課題であります。その意味で、三年ごとに行なわれる参議院通常選挙でございますから、これに具体的に、教育の状態はこうであります、わが党はこう考えておりますということを国民に明らかにしないで、私は政治の責任を果たすゆえんではないと思うのです。そういう意味で石油問題とか物価問題はこうして毎日国会を通じて議論をされております。教育問題というものでも手をつけなければならない問題があることは事実でございますから、私たちは選挙運動というような立場で言っておるのじゃありません。各党はすべて教育問題の実態を国民の前に明らかにして判断を求むべきだと思うのでございます。そういう意味で私は述べておるのでございまして、これは選挙に対していろいろなものを目の前のものとすりかえるなどという考えはあろうはずはありません。  強行採決と言われますが、これは多数採決でございます。多数の採決は民主政治の結論でございますし、四国会、五国会議題となっておりながら最後に多数的な採決をしなければならないというところには、遺憾ながら欠陥が存在すると思います。こういう現実をお考えにならないで、結果だけで論ずることは、私は真の民主政治を育成強化するゆえんではないと、こう思います。私たちも多数などということをやりたくない。だから、二十四年間も御審議をいただいた、そして国会議題にいたしますという小選挙区法案も、これをこのままで提案をするとまた多数決で採決をしなければならぬという危険があったので、お出しをしないというぐらいに慎重な態度をとっておるわけでございますから、そこらはひとつ御理解をいただきたいと思います。(拍手)    〔国務大臣奥野誠亮君登壇拍手
  94. 奥野誠亮

    国務大臣(奥野誠亮君) 教頭職法制化の法案は、教頭さんや校長さんたちが熱望しているばかりじゃございませんで、都道府県市町村の教育委員会委員長、そしてまた教育長の協議会からも強い希望が寄せられておりますことを申し上げさしていただきます。  第二に、教育現場の混乱についてお話がございました。多くの先生方が教育に熱情を傾けていただいていることには深く感謝申し上げたいと思います。しかしながら、一部の組合におきましては、一つには職員会議決議機関化、あるいは職員会議の最高決議機関化、これを運動方針に掲げておられるわけでございます。学校行事でありますとか、あるいは校務の分掌でありますとか、そういうものは職員会議がきめるんだと、こういうようなことを運動方針に掲げておられるわけでございます。私は一般行政と全く同じだとは申し上げませんけれども、県の仕事にいたしましても、市町村の仕事にいたしましても、職員会議決議機関だと、こんなことはないと思うのでございまして、知事なり市町村長なりがその権限、その責任のもとに、県の行政、市町村の行政を遂行していくものだと、かように考えておるわけでございます。学校におきましても、校務をつかさどるものは校長さんの権限であり、校長さんの責任でございまして、職員会議がそれを排除しようとするようなたくらみは避けてもらいたいものだと、かように考えるわけでございます。そういうこともございまして、職員会議では、卒業式には「日の丸」を掲げることは反対だと、こういうようなことで校長さんに強く迫られる。したがいまして、鹿児島県の玉利中学の校長さんのように、朝日新聞の報ずるところでは、「〃日の丸紛争〃で悩み校長自殺」というような見出しまで掲げておったわけでございまして、こういうような争いはずいぶんたくさんあるわけでございます。  もう一つまた例を申し上げさせていただきますと、学習指導要領の法的拘束性の撤廃ということを運動方針の一つに掲げておられるわけでございます。  戦後、わが国は、占領軍によりまして修身の授業の禁止を命ぜられました。やはり道徳を身につけることは大切だということで苦慮してまいったわけでございましたが、組合の強い反対でなかなか実現を見ませんでして、三十三年に初めて小中学校におきましては一週一時間道徳の時間を設けるということにいたしました。しかし、組合は強い反対を続けまして、道徳の時間をどう運用するかということにつきましても、講習会粉砕、講習会になだれ込んでもこられたわけでございまして、今日もなおこの道徳の時間廃止ということを運動方針に掲げておられるわけでございます。  こういうふうなこともございますし、また、法律禁止しておりますストライキ、四月の十一日にはまる一日のストライキの指令が行なわれまして三十万の先生方が参加された。昨年四月二十七日のストライキには二十六万の先生が参加された。私は、やはり何をおいても児童生徒の教育には情熱を傾けたい、いろいろな不満があるにしても、その授業はとにかく済ましてからでなければ行動はとれない、こういうような先生になってもらいたいものだなという期待を持っているわけでございます。  そういうことで、いろいろとあげてまいりますと際限がございませんが、教育現場には混乱があるわけでございまして、そのことを一番私は憂慮している意味で、先ほど御指摘になりましたような発言につながったわけでございます。  第三に、国籍不明の人間を育てることが学校に期待されているわけではありませんということを申し上げましたのは、今日わが国が世界各国から十分信頼され尊敬される国民になっているんだろうかということになりますと、たいへん疑問が起こってくるわけでございます。やはり自国の文化とか伝統というものについて深い理解を持つ人間でありませんと、開発途上国の文化や伝統につきましてもそれなりに深い理解を持つことは困難でございます。同時にまた、自国の国旗、国歌に対しまして理解を持ちこれを尊敬する人間でなければ、他国の国歌や国旗についても尊敬できない。それではやはり世界から信頼される人間になっていくことは困難ではないだろうかと、こういう心配を持っているわけでございます。そういう意味合いにおきまして、国とか社会とか日の丸とかいえば、すぐ戦争につながるのだ、軍国主義化だ、こういうようなあまりにも一部の人たちの宣伝にかんがみて、あつものにこりてなますを吹くようなたぐいは避けていきたいな、こういう心配のあまりに申し上げていることでございます。  第四に、教頭さんの授業のことにつきましてお話がございました。教頭さんの持ち時間を一般教員よりも減じて配置しているわけでございます。しかしながら、衆議院におきまして御指摘のような修正がございましたので、今後さらに一そうその増員をはかっていかなきゃならないだろう、かように考えておるわけでございます。教職員一般の定数の改善につきましては、今回も法案を国会提出させていただいたわけでございますが、今後とも一そうの努力を続けてまいる所存でございます。  第五に、学校は協力し合う体制づくりが大切だと御指摘がございました。私も全くそのとおりだと考えておるわけでございます。教頭さんは現在あるわけでございますけれども、いまのように、教頭さんは職員会議で公選するんだとか、あるいは教育委員会から任命された教頭さんはおれたちとは関係がないんだとかいうような混乱が起きているわけでございますけれども、法律国会において認めていただく、そういうことにおいてそういう争いがなくなる、そうして教頭さんがほんとうに協力し合う体制づくりに潤滑油的な存在として大きな役割りを果たしてくださることを期待いたしておるものでございます。  第六に、教頭等の管理職には不適当だけれどもりっぱな先生があるじゃないかというお話がございました。ぜひそういう方々を優遇するような配慮が私も大切だ、かように考えているわけでございまして、相当な年数を経過して、管理職には向かないけれども、教諭として児童生徒の教育に熱情を傾けていただく、そういう方々を優遇する、そういうことにつきましては特段の努力を払ってまいりたい、かように考えます。  最後に、総理のあげられました徳目につきまして御批判がございました。私は、教育勅語が国会において排除決議が行なわれましたり、あるいは戦前の修身教育のあり方についていろいろな批判がありましたりしましてから、徳目というものを掲げることを何か避けてきたように思います。やはり徳目というものも、これを媒介にして道徳を身につけていく一つの手段だと考えるわけでございまして、欠けているところにつきましてそれにふさわしいような徳目を掲げてみんなに注意を喚起し合い、これを媒介にしてそれなりに正しいやり方を身につける努力をし合う、私は、それが大切なことじゃないだろうかな、かように考えているものでございます。  いずれにいたしましても、政治の社会での争いを道徳・徳性を論ずる社会にそのままの形で持ち込むような姿勢は避けたいものだと、かように念願をしているわけでございまして、お互いに責任を分かち合いながらこの社会をよくするようにみんなで努力し合う体制を確立していきたいものだと、かように念願いたしておるものでございます。(拍手)     —————————————
  95. 森八三一

    ○副議長(森八三一君) 矢追秀彦君。    〔矢追秀彦君登壇拍手
  96. 矢追秀彦

    ○矢追秀彦君 私は、公明党を代表して、ただいま議題となっております学校教育法の一部を改正する法律案について、総理並びに文部大臣に若干の質問をするものであります。  質問に入ります前に、先日の文教委員会における自民党の暴挙について一言触れておきたい。  本法案は、教頭法制化による学校管理体制を強化し、最近の政府の教育反動化の傾向をますます強めているところから、国民反対も強く、問題点も多いのであります。したがって、委員会における審議は慎重でなければならないにもかかわらず、会期末まで十日以上もあり、十分審議が尽くせるところを、定例日以外の五月二十二日、委員長職権により開会を強行し、しかも、わが党委員が即時中止を要求するのを無視し、変則的な審議を続行し、わが党への質疑の機会をついに与えず、一方的に質疑を打ち切り、採決を強行したのであります。  わが党は、過去の経験の上から、終始、発言の機会を各党に与え、民主的な委員会運営を主張してまいりました。しかるに、これを無視し、筑波大学法に続いてまたも強行採決を行ない、良識の府参議院の歴史にまたまた黒い汚点を残したのであります。まことに議会人の立場として悲しむべきことであります。  思い起こせば、昭和四十四年、大学立法の審議の際、文教委員会、本会議ともわれわれは一言も発言することができず、強行突破が行なわれたのであります。自民党の多数を頼んだファッショ的暴挙により、国民の中に多くの反対のある法案が次々と良識の府参議院で成立し、議会制民主主義は次々と破壊されていったのであります。大学立法強行採決の立役者は、当時自民党の幹事長であった田中総理、あなたなのであります。今回は、筑波大学法審議のときと全く同じ形式による強行採決であります。すなわち、委員会において強行採決、そして本会議で補足質問を行なってケリをつけるというやり方であります。これが今後常例化されるならば、幾らでも強行採決のできる道を開いたことになるのであります。このことは、せっかく参議院の民主的改革を強く進めようと願っているわれわれにとって、まことに遺憾であります。この際、自民党総裁である田中総理に強い反省と、今後このような事態の起こらないようにすることを口先だけでなく行動をもって示されることを強く要望するものであります。でなければ、議会は死滅し、国民の政治不信はますます高まっていくことでありましょう。  次に、私は、本案の具体的な問題の質疑に入ります前に、田中内閣の教育に対する最近の政治姿勢について伺います。  最近、政府・自民党は、参院選挙を前にやっきになって教育政策、教育論を展開し、物価政策、資源外交政策の失敗にほおかぶりをし、一挙に反動化への方向に進もうとしております。このことは私一人だけが主張するのではなく、多くの国民の憂慮するところであります。筑波大学法、教頭法、そしてそれに関連した教員の政治活動規制の問題、さらに君が代や日の丸の法制化並びに教育勅語復活の動き等々、数え上げれば枚挙にいとまがありません。そして、日教組に対する警察権の介入はそれを最も顕著にあらわしていると言えるでしょう。  まず初めに伺いたいのは、先日あなたが発表された五つの大切・十の反省についてであります。五つの大切とは、一に人間、二に自然、三に時間、四に物、五に社会を大切にしようと言っておられます。なるほどこれだけ見れば悪いところは一つもないでしょう。しかし、いまの子供すべてがこの五つの大切を忘れているのでありましょうか。決してそうではありません。このようなことは常識であります。問題は、こういったことができない社会とそれを導いた自民党の政治にこそ問題があると指摘せざるを得ないのであります。したがって、この五つの大切は、子供たちに強要する前に総理みずからがえりを正してこれを守らなければならないのであります。  歴代政府・自民党の高度経済成長政策は、全く物が人間より優先する社会をつくり上げてしまいました。金さえあれば何でもできる。物さえあればしあわせである。そして本来人間のあるべき姿を忘却させてしまったのは一体だれなのでしょうか。高度経済成長は、公害を日本全国へばらまき、人間生命をむしばみ、そして使い捨ての消費社会をつくり、税制などに顕著に見られるように、金持ち優遇の諸制度はあらゆるところで社会的、経済的弱者をますます窮地に追い込んでおります。さらに、ばく大な財界からの政治献金によって政治権力をつくり上げ、大企業優先の社会的不公平容認の政治を行ない、差別を一そう強め、福祉政策のおくれは老後への不安をかり立て、ますますせつな的享楽主義へと多くの若者たちをかり立てております。こういった政治がどうして人間を大切にしていると言えるでしょうか。特に、田中内閣発足以来、あなたの金融財政政策の完全な失敗は、大企業の石油危機の便乗値上げに見られる国民不在の悪徳商法を許し、狂乱物価を生み出し、ますます国民生活の破壊を推進しているのであります。人間の生命を大切にし、安心して生活できる政治への転換をいまこそはかるべきでありますが、田中総理、あなたのいまやっている政治はほんとうに人間を大切にしておられるとお考えなのでしょうか、お伺いしたい。  第二に、自然を大切にしようでありますが、いまごろになって総理は何をおっしゃるのか。自然破壊の元凶こそ田中総理あなたであると申し上げたいのであります。あなたがはなばなしく鳴りもの入りで宣伝された日本列島改造論をこの際はっきりと撤回を表明されてこそ、日本の美しい自然を守る第一歩になると確信をもって申し上げるものであります。総理は、最近、少々は石油供給のめども立たないこの改造論の誤りに気がつかれたのか、それともことばの上だけで選挙において国民の目をごまかそうとするのか、真実のほどを私はわかりかねますが、先日、ふるさと再建十カ年計画を提案され、国土改造によってふるさとに住む親のところへむすこ娘たちを帰し、都会に出かせぎしている人たちをふるさとで暮らせるようにする。ふるさとには、家族や隣人を愛する心が残っている。かさかさした現代社会を救うため、ふるさとに温存されている連帯の輪を広げようという趣旨の演説をされたようでありますが、日本列島改造論の上に立ったふるさと計画は、幾ら総理がうまくごまかそうとも、お金と鉄とコンクリートで自然破壊を進め、公害をばらまき、ますます物価を上昇させることは火を見るより明らかであります。これは依然としてこの十数年来歩んできた資源多消費型の高度経済成長の道をさらに超スピードで今後とも進むことになり、決して美しい日本列島が築かれるものでもありません。いまこそ必要なのは、発想の転換であり、新しい政治理念をつくり上げることであります。  かつてイタリアに始まったルネッサンスは、中世の暗黒時代から脱却し、新しい時代の幕を開いたのであります。それはヒューマニズムを高らかにたたえたギリシア、ローマ文明への回帰を目ざしたものでありました。そこには自然への愛着と人間生命への謳歌があったのであります。私は、残念ながら、田中総理の考えの中から、何らの納得できる理念、哲学が見当たらないのであります。幾らあなたの精巧なコンピューターがあっても、幾ら強力なブルドーザーを持っていても、それを動かすあなたの哲学、理念、そして精神構造が、国民全体に納得され、賛意を伴わなければ意味がないのであります。いまこそあなたの得意とされる決断と実行をもって日本列島改造論を撤回し、心から人間と自然を大切にされる政治への転換を重ねて強く要望するものであります。総理の所信をお伺いしたい。  次に、時間についてであります。時間の大切であることは当然であります。しかし、最近のスピードアップ化はますます人間社会を忙しくさせ、ことに新幹線の出現は、便利な反面、これが経済成長に利用され、これを利用する勤労者はかつての列車の旅を楽しんだ出張ではなく、仕事に縛られる忙しい旅になっているのであります。これが全国に張りめぐらされたときを考えると、人間が激しく行きかう日本列島は、騒音公害とイライラが一ぱいであり、殺伐そのものに成り下がってしまうのであります。時間を大切にするどころか、時間に追いまくられるエコノミックアニマル日本人に成り下がってしまうのであります。宇宙は無限であり、時間は悠久でありましょう。しかし、人生は有限であります。充実した幸福な生活こそ万人の願いであり、このための環境づくりをすることこそ政治の使命であります。  総理、あなたの日本列島改造は、こういった意味からも、さきに述べたように、撤回すべきであります。そして老後を保障し、安心して住める生活環境をつくってこそ、時間を大切にと言える資格を備えることができるのであります。働けど働けどわが暮らし楽にならずの状態が定年後もきびしく続く日本の勤労者の願いを一日も早く実現すべく、福祉対策の充実に力を注ぐべきであります。  次に、物を大切にでありますが、石油危機になって初めて省資源ということがクローズアップされてきましたが、それまでは、消費は美徳と言い続けてきたのは一体だれであったのか。これを強要してきた経済政策こそ、根本的に改めなければならないのであります。五年ないし六年使っただけでもはや部品がなく、修理することはできず、新しいものを買わなければならないモデルチェンジの横行、次々と新製品をブラウン管から茶の間に侵入させ、使い捨てを半ば強要し売りまくり、ぼろもうけをしてきた大企業の商法、これに対する歯どめを具体的にせずして、物を大切にと言っても、それは不可能であります。そのためには、この際、モデルチェンジに対するあり方を検討し、何らかの法的規制、さらには、耐用年数の長いものについては、税制上において何らかの優遇措置を行なってその歯どめをする必要もあろうかと考えます。こういった点について総理のお考えをお伺いしたい。  最後に、国と社会を大切にでありますが、以上申し上げたとおり、田中総理の政治姿勢を変えることこそ、国と社会を大切にすることであり、総じて五つの大切は総理みずからがその責任においてやらなければなりません。総括して具体策をお伺いしたい。  次に、十の反省でありますが、これについても、子供たちに強要する前にみずからが反省をすべき点が多々あるのではないかと思います。東南アジア諸国の反日感情をあおる日本経済進出のあり方は、一の友だちと仲よくしたろうかに当たります。大企業優先の経済政策は、インフレと福祉の充実を極度におくらせ、その結果、総理の言う、弱い者いじめをしなかったか、年寄りに親切にしたか、これに当たるのであります。  さらに、国民の声を無視し、ゴリ押しに生産第一主義を一貫してとり続け、国民に迷惑をかけ、自然を破壊し、大企業の利益を最優先し、社会的不公平な政治をとり続けてきたことは、人に迷惑をかけなかったか、生きものや草花を大事にしただろうか、親や先生など人の意見をよく聞いただろうか、食べものに好ききらいを言わなかっただろうか、この反省に当てはまるのであります。  また、特に、約束は守ったかと私は言いたいのであります。決断と実行はすべてかけ声に終わりました。物価安定については、正しいことを勇気をもって行動したろうか、これに当てはまります。特にあなたが勇気をもって行動しようとしているのは、私たちにとって求めておるものではなく、独裁政治を目ざす小選挙区制実現であり、また、教育の反動化であり、さらに強行採決に見られる議会主義の破壊であります。これは最後の交通ルールを守ったろうかの反省にも当てはまると思います。  以上述べたように、十の反省は、すなわち、田中総理あなたがまず国民に向かって反省を表明し、これを実行してから子供たちにこれを説くべきであります。この場においてはっきり国民にこの点の約束ができるのかどうか、責任をもって具体的にお答えいただきたいのであります。特に、この五つの大切と十の反省を田中版教育勅語にされようとしているのかどうかもお尋ねしたい。  教育勅語の中には「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ、以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ。是ノ如キハ濁リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス、又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン。斯ノ道ハ、實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ、子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所」云々とあり、これが教育勅語の目的であり、重要な部分であります。これを押しつけ、そして本質的に侵略戦争であった昭和の十五年戦争に日本国民をかり立て、多くの若き青年のとうとい生命を奪い、国土を荒廃させ、未曾有の敗戦に日本を追い込んだ元凶の一つに教育勅語があることは、峻厳なる事実であります。  さらに総理は、軍人勅諭までも引き合いに出されておりますが、これこそ最も危険な考えと言わなければならないのであります。私は、戦後中等教育を受けたために、軍人勅諭は全文を見たことも教えられたこともありません。単なる過去の遺物としか評価しておりませんが、今回、総理が持ち出されたので、あらためて全文を読んで驚いたのであります。すなわち、「我國の軍隊は、世々天皇の統率し給ふ所にそある。昔神武天皇躬つから大伴物部の兵ともを率ゐ、中國のまつろはぬものともを討ち平げ給ひ、高御座に即かせられて、天下しろしめし給ひしより、二千五百有餘年を経ぬ。」に始まり、「此五ケ條は、天地の公道人倫の常経なり。行ひ易く守り易し。汝等軍人能く朕か訓に遵ひて、此道を守り行ひ、國に報ゆるの務を盡さは、日本國の蒼生擧りて之を悦ひなん。朕一人の懌のみならんや。」と結ばれております。これは、世界の平和を踏みにじり、日本の民主主義の発展を破壊した軍国主義そのものではありませんか。これを総理はどうしてよいと言われるのか。おそらく一つ一つの条文の一部を言われるのでしょうが、この勅諭の目的が旧帝国憲法における天皇制の秩序と支配を維持するための唯一の手段として大日本帝国軍隊を位置づけるためのものであり、これによって急激に日本は軍国主義への道を歩むことになった歴史的事実に思いをはせるとき、日の丸、君が代の法制化の考え方も含めて、戦前型に教育を戻そうとされる田中内閣の政治的意図がありありと見られるものであります。ここに靖国神社法案強行採決を含めて田中総理のファッショ的本質がさらけ出されてきたと断定せざるを得ないのであります。このような戦前型への移行に強い思いをはせるような体質を持つ保守政党は世界にも類がなく、いかに田中内閣が時代錯誤であり、再びあのいまわしい暗いファッショへの道をたどろうとしていることを私は国民とともに心から憂慮するものであります。あやまちは再びおかしてはならないのであります。総理は、これら一連の反動的発言並びに考え方を撤回される意思がおありかどうか、お伺いしたい。  ことに教育を政争の具にしてはならないことは当然であり、教育が国家権力によってゆがめられてきた過去の日本を見るとき、このあやまちも再びおかしてはならないのであります。総理はあえてこの道を歩もうとされていますが、教育に政治は介入してはならないという原則を守る決意があるのかどうか、考えをお伺いしたい。  次に、徳育については、教育基本法前文に、「われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。」とあり、第一条には、「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」と明記されているのであります。さらに、小学校学習指導要領には、第三章に道徳の項を設け、第一の「目標」には、「道徳教育は、人間尊重の精神を家庭、学校、その他社会における具体的な生活のなかに生かし、個性豊かな文化の創造と民主的な社会および国家の発展に努め、進んで平和的な国際社会に貢献できる日本人を育成するため、その基盤としての道徳性を養うことを目標とする。」とあり、第二の「内容」として「生命を尊び、」から始まる三十二項目をあげております。これには多くの反対があったことも事実でございますが、これでも徳育が不十分なのでしょうか。それなのに、どうして総理は思いついたようにやっきになって徳育を強調されるのでしょうか。徳育は、学校教育のみによってすべてできるものではありません。いま、金のかかる教育、入試目当ての詰め込み教育、入試地獄の解消、すし詰め教室、プレハブ校舎の解消、高校義務教育化、教員の育児休暇の実現など、まだまだ政治の力でやらなければならないことは山積しております。これに手をつけないで、政治権力によってのみ反動的な徳育強要に力を入れられるのは、党利党略以外の何ものでもなく、これこそ教育の本質をわきまえていない人間のすることであり、教育に対する冒涜であります。  ジョン・デューイ、ペスタロッチなど、生涯を教育に打ち込んだ世界の教育の先覚者は、学校教育は万能であるとは言っていないのであります。社会、家庭における教育も重要であると指摘をしているのであります。したがって、学校教育のあり方を政治権力によって変えればすべてが解決するという錯覚であります。政治は、あくまでも、教育が自由にそして創造的、民主的に行なわれるよう環境整備をすることに重点を置き、いま生涯教育がクローズアップされている今日、さらに社会、家庭を豊かにすることに力を注ぐべきであります。この点について総理は大きなあやまちをおかしていると考えられますが、総理の所見を伺いたい。  次に、教頭法制化法案の内容についての質疑に入ります。  今回の教頭法制化は、教育の本質から見た場合、本来あるべき学校運営のあり方に逆行することは明らかであります。教育の本質はすでに引用した教育基本法前文及び第一条に明らかにされており、この万人の認める教育の基本精神をよもや文部省は曲げることはないと思いますが、教頭法制化をはじめとする、さきにもるる述たごとく、一連の政府の教育に対する反動姿勢はこの精神までも踏みにじるがごときものであり、この精神に反する本法案は直ちに取り下げるべきであると考えますが、文部大臣は教育基本法の精神を尊重されているとお考えになりますか、所信を伺いたい。  わが党は、未来のわが国を背負って立つ青少年の育成に際し、教育基本法の示している人間性豊かな、創造性、主体性を備えた平和と正義への願いを人類の願いにつなぐ人間像を期待するものであります。このような人間を育成する教育の中枢となる原動力は教師であります。教師の任務は、何よりもまず子供、青年の人間的発達を保証するため、その学習欲、研究心を充足させることにあります。そのため、教師は、教育内容についての学習、研究を行ない、かつ、子供の成長、発達についての専門的知識を持ち、授業を通じて子供の人間的成長、知識の修得を目ざすものであります。すなわち教師は、教育の主体的にない手であり、教師の教育活動は自身の研究に裏打ちされたものが必要であります。したがって、教師がよき教師であるためには、教育の内容方法、子供の発達についての知識を裏づけられた自由で創造的な教育実践者であることが求められるのであります。ゆえに、教師には、教育の本質に即して、創造的教育実践の自由と、それをささえる研究の自由が保証される環境が絶対条件なのであります。この保証のないところに、生き生きした教育はあり得ないし、教育の進歩もあり得ないのであります。ILOの教員の地位に関する勧告の六条には、「教職は、専門職と認められるものとする。教職は、きびしい不断の研究により得られ、かつ、維持される専門的な知識及び技能を教員に要求する公共の役務の一形態であり、また、教員が受け持つ生徒の教育及び福祉について各個人の及び共同の責任感を要求するものである。」と、教師の職務について、その対象が人間であり、人格形成途上の子供であることから、きびしい倫理を要求しているのであります。また、アメリカの全国教育協会は、教師の職業として、「専門的な知識を必要とする」「基本的に知的な職業」など八項目にわたる条件を出し、その中でも「自律性、主体性」をたいへん重要視しているのであります。  以上述べてきたように、教師という人間が人間を教育する職業は非常に高度な専門性、主体性、創造性を要求されるのであります。ゆえに、あらゆる外的圧力を排除して、真理と普遍的価値とに子供を触れさせるために必要な専門的知識と、それに基づく判断の自由が保証されなければならないと思いますが、大臣の所信を伺いたいのであります。  本法案の教頭法制化は、この流れに逆行するものであり、そればかりか、現在の学校教育において広義、狭義の意味における外的圧力の要素があまりに多く、教師はその自由がなくなりつつあり、その傾向はさきにも述べた政府の反動的な姿勢によってますますエスカレートしようとしているのであります。そこで教師が、自由で主体的、創造的な教育を行なう上で阻害条件となっている問題点について順次質問してまいります。  その第一は、教頭法制化をはじめとする管理体制の強化についてであります。管理体制の強化の要素は多数ありますが、代表的なものを取り上げて質問してまいります。  まず、教育行政の中央集権化による管理体制の強化であります。  昭和三十一年以前、教育委員会は公選制であり、教育委員は中央政府に対しても地方の一般行政に対しても独立的な権能を持ち、たとえば県教育委員会は学習指導要領もつくることが可能であり、教育行政は民主的に運営されてきたのであります。ところが、三十一年、強行採決により、教育委員任命制をとる地方教育行政法を成立させたのであります。以後、教育行政は政府・自民党の思惑どおり中央集権化の道を急速度でたどってきているのであります。教育委員任命制により、教育委員が構成する委員会の独立性は強まり、知事、市町村に従属する傾向が強くならざるを得ず、予算、人事の面においても教育委員会は弱い立場となり、ひいては国の統制が地方教育委員会まで及ぶようになったのであります。そしてあの悪評高い勤務評定、学力テスト等、多くの改悪が行なわれたのであります。文部省−都道府県教育委員会−地方教育委員会−校長−教師という上意下達の官僚支配体制は、今日、教育の元凶となっておりますが、この根本原因は教育委員任命制にあるのであります。私は、教育の正常化のために、早急に公選制を回復し、民主的に教育の運営を行なうべきだと思いますが、大臣の考え方をお聞きしたいのであります。  次に、学校運営上の管理体制の強化であります。これは、本法案と最も関係の深い点でありますので、少し詳しく質問したいと思います。  先ほども申しましたように、教育の場である学校は、生き生きと明るく自由な雰囲気でこそ教師は本来の教育ができるのでありますが、このような環境をつくるために、大臣は何が必要条件と考えているのか、まずお伺いしたい。  私は、そのためには、上からの管理統制が強化されてはならないと思います。しかるに、現状においてさえも校長、教頭、教務主任などと学校内部組織が強化されており、文部省の調査によっても八、九割の学校に教務主任が置かれている実情であります。さらに、もっと激しいところでは、教務主任、教科主任を部長、課長と呼んでいるところさえもあるようであります。これらの内部組織が教育現場における職制として末端行政を推し進める支配序列となり、教師の管理が一そう強くなるおそれがあります。中教審答申には、「学校の種類や規模およびそれぞれの職務の性格に応じて、校長を助けて校務を分担する教頭・教務主任・学年主任・教科主任・生徒指導主任などの管理上、指導上の職制を確立しなければならない。」とし、また、「研修を受けてその高度の専門性を認定された者に対して、職制と給与の上で別種の待遇を与えるような制度を設ける」としており、これに基づいて、いわゆる五段階給与体系(校長、教頭、上級教諭、教諭、助教諭)を提唱しております。これは縦系列の序列化であり、明らかな管理体制の強化であり、わが党は反対であります。今回の教頭法制化は、この職階制の第一歩であると思わざるを得ませんが、大臣の真意を聞きたいのであります。  また、もし今回の教頭法制化が職階制と関係ないと断言するなら、将来において職階制を導入する意思がないことを国民の前に明確に答弁すべきであります。  私は、教育の本来のあり方からして、教育組織は一般行政職とは異なった形をとらねばならないと思っております。教育職という特殊な職場においてピラミッド型の組織は管理、統制を強化するのみで、教育上の効果は期待できません。専門職としての組織であるなら、スタッフ組織化を導入すべきだと思います。縦系列の組織ではなく、横に広がった組織とすべきであり、そこでは、命令ではなく、互いの意見を交換し合い、民主的な決定の上で仕事を遂行するという形をとるべきであります。文部省の一連の教員組織に対する考え方は、あまりに強圧的、官僚的過ぎるのであります。学校教育の場においては、官僚的発想、官僚的統制は排除しなければなりません。今回の教頭法制化は、官僚的発想の最たるものであります。学校における管理者すなわち校長は、専門的知識と人格という権威によって他の教員を指導育成していくのが本来のあり方であります。しかし、現在、校長の権限は、学校教育法二十八条に、「校務を掌り、所属職員を監督する。」とあります。これを行政の立場で解釈をしますと、校務の観念はきわめて広く解され、学校内における一切の仕事あるいは学校運営に関するすべての学務であるとし、教育活動に関するものまでも包含するのであります。このように解釈すると、これは文部省の解釈のしかたでありますが、学校運営全般の業務に対する管理者監督的な性格を付与されていることになるのであります。学校運営、管理の上で非常に強い権限を有しているのであります。たとえば、職員会議はその学校の教職員意思を決定する最高機関であるはずでありますが、実態は、一般的な傾向として、教師の自主的な協議や運営によって進められておらず、もっぱら校長が命令したり、決定を伝達したりする便宜的な場になっている学校が少なくないといわれております。  このような傾向はますます強くなっているにもかかわらず、本法案においては、「教頭は、校長を助け、校務を整理し、及び必要に応じ児童の教育をつかさどる。」と教頭の地位、権限を明確にすることは、明らかに現行法以上に管理の強化をはかる以外の何ものでもないのであります。このような権限をバックにした校長及び教頭は、教育の本来の目的を忘れ、教職員の管理、監督だけに情熱を燃やし、教育委員の顔色をうかがう小役人的管理者となってしまう危険性があります。文部大臣は、教育に実効のないこのような法改正を野党の反対を押し切ってまで強行した真意は何なのか、明らかにすべきであります。  次に、私は、教師がよりよい教育を進める上で阻害条件となっている二番目の問題点として、近年ますますきびしくなっている教育内容の統制について取り上げたいと思います。  教育は、本来、教師の自由な創造性、自主性の発露によって行なわれるものであり、きびしい官僚統制のもとでは真の教育はなされないのであり、今日の学校教育の大きな欠陥となっております。教育内容の統制には、大きく二つの問題があります。一つは、教科書の採択の問題、もう一つは、カリキュラムの自主編成の問題であります。  まず、教科書採択の問題については、昭和二十三年検定制度施行当時、教科書の採択権は教師が持っていました。しかしながら、文部省による教育行政は、三十年代に入り、教科書の検定強化とともに教育委員会の採択権を取り入れ、検定を強化してきたのであります。現在、検定は、教科用図書検定規則第二条により「図書の検定は、教科用図書検定調査審議会の答申にもとづいて、文部大臣がこれを行う。」ことになっています。教科書原稿を教科書調査官と審議会や調査員が評価することになっているが、最終的に合否を判定するのは文部省の調査官が行なうシステムになっています。そこには全くと言っていいほど、最もその意見を尊重すべき現場で教育に携わっている教師の意見は反映されないのであります。これではたしてほんとうの教育がなされるのでありましょうか。  教科書の採択についても、教師の参加は数が限られ、広域採択制となっているため、大半は校長、教頭、指導主事などの意見によって決定されるのが実情であり、教師は自分の使用したい教科書さえも自由に選択できないのであります。教科書は教育の主体をなすものであります。教科書の採択にあたっては教師の意見を反映するのが当然であります。  そこでわれわれは、教科書の検定、採択については、教師の主体性、自主性を守り、よりよい教育を行なう上から、次のように主張します。それは、教材の選択権をそれぞれの専門家にゆだねる、教材の配列記述の権利は中央、地方の現場の教師の意見による、採択にあたっては教師による採択制とする、以上の点について早急に改善を行ない、よい教科書により、よい教育が行なえるようにすべきと思いますが、大臣の所見を伺いたいのであります。  また、もう一つの問題でありますカリキュラムの自主編成についてであります。現在、教師は自分の行なう授業の内容を学習指導要領によって文部省より制約をされております。前にも述べたように、教育は、教師が主体的に、自主的にみずからが研究した内容について自由に行ない得て初めて本来の教育がなせるのではないかと思います。文部省よりきめられた全国統一のカリキュラムにより定められた内容で、学校教育が全国同様に行なわれていることを考えると、おそろしささえ感じます。画一的なカリキュラムで規格品的人間像をつくるのではなく、教師が互いに研究、討議できる自由な環境でよい教育がなされるのであります。  教科書の選択権もなく、カリキュラムも国できめられ、授業内容もきめられる、そして本法案で教頭は校長とともにいま以上に監督が強化される、このような状態で教師の自主性、主体性はどこにあるのでしょうか。この点は、真の教育を実現するために、早急に改めるべきであると考えますが、大臣の所信を伺いたいのであります。  次に、三番目の阻害条件として、教師の教育活動条件の整備であります。行き届いた教育を行なうためには、教師の活動条件が整わなくてはなりません。よい教育、充実した授業を行なうためには、十分な研修、研究時間が必要であります。一説には、一時間の授業を行なうためには教師は三時間の事前準備が必要であるといわれております。日本の教師はあまりにも多忙なのであります。学校教育は教師と子供との人間的接触の中で行なわれるのであります。にもかかわらず、最近、教師と子供との間に断絶が起きているのであります。東京都教育研究所の調査によると、高校生が学校で一番期待しているのが友だちとの触れ合いで六二%を占め、先生との触れ合いを期待しているのはわずか三%にすぎないというのであります。これこそ教育の危機であります。だが、これは教師があまりに忙し過ぎることが最大の原因のようであります。ある新聞の投書欄に女性教師が次のような投書をしていることから見ても明らかであります。少し長くなりますが、現在の教師の実態がよくあらわれておりますので読んでみます。「夜おそくまで眠い目をこすりながらの超勤労働である。わが家は同じ職業の共働きだからつぎの朝は目を血ばしらせながら秒読みさながらの風景が展開される。出欠の記録、学習の記録、行動および性格の記録、評定、所見、学級費会計報告。何が何でもやらねばならぬのである。学校の職員室は、かぜ、神経痛、頭痛、目がかすむなどで総合病院の待合室とかわりない。今日、帰りがけに子供に誘われた。『沼へ魚つりに行くんだけど、先生来ないか』ああ!あの子といっしょに遊びながら話したいなあ。」以上のような投書がありました。何とも実感のこもった投書でありましょう。これが教師の実態なのであります。わが国は一学級当たりの生徒数が他の外国に比較して非常に多いのであります。たとえば法的基準で見ても、わが国は一学級当たり小・中学校とも四十五人、イギリスでは小学校四十人、中学校三十人、フランスでは小学校四十人、中学校三十五人であります。生徒が多くなれば教師の負担は当然ふえてまいります。また、今回の教頭法制化によって教頭も担任につかなくなるよう修正がなされ、ますます一般の教師は負担がふえることになります。投書にもあったように、教師は、本来の職務以外に、多種の調査統計事務、集金事務、PTA事務その他の調査等、枚挙にいとまがないありさまです。このような実情のもとでは、児童、生徒の指導の内容を高める研究、研修は望めないのであります。これには、学校運営の事務的な面の合理化、近代化が不可欠であり、さらに教師以外の職員をふやさなければならないのであります。たとえばアメリカでは、事務職員の数が本務教員百人に対し四十一人も置かれ、日本の二十三人に比べるとかなり多いのであります。教師の雑務を少なくし、本来の教育職に専念できるよう、事務職員の増大などの改革は早急にすべきだと思いますが、大臣の所信を伺いたいのであります。  また、激務のあまり、健康を害したり、からだに変調を来たしている教師が多いのであります。からだの調子が悪い場合、他の職業でも同様でありますが、仕事に全力を尽くすことができなくなり、よい教育など望めなくなります。たとえば、最近婦人教師が非常に増大しておりますが、ある県の調査によりますと、出産に際し、正常産が教師の場合六四・五%、かん詰め工八八・八%、主婦九一・〇%と圧倒的に教師の正常出産率が低く、早産及び医師の助力を要した率が異常に高いのであります。この例を見ても、教師の仕事がいかに過重労働になっているのか明白であります。人材確保法で多少給与が上がっても、人が集まらないのは当然と言えるかもしれません。このような実態を大臣は御存じなのでしょうか。具体的な対策はどのように実施しているのでしょうか、明確に答弁願いたいのであります。  いずれにしろ、教師の働く条件はあまりにも過重労働過ぎるのであります。よい教育を行なうためには、教師にとってもよい環境が必要であります。十分に研究、研修のできる余裕のある職場を一日も早くつくらねばならないと思います。文部省としても、何らかの長期計画を持っていると思います。学校が教師にとって健康で明るく働ける職場とすべき具体的な計画を明示してほしいのであります。  以上、自主性、創造性のある明るい自由な職場環境をつくることが教師にとってよい教育を行なうために必要な条件であるとの立場より、管理体制強化、教育内容の統制、教師の職場環境の三点について質疑をしてまいりました。いずれにしろ、これらの基本的な原因は、本法案が明らかにしているように、政府の管理体制の強化、反動教育化がその原因となっているのであります。  教育は、選挙目当ての対立のための政策や思いつきのものでは真の教育は実現できません。現在危機に立った教育を救うためには、まず、政府の教育に対する政治姿勢を変えることから始まると思います。  総理、文部大臣は、教育基本法の精神にのっとった教育を行なうべく、私が提起した問題点を真剣に思索し、反省すべきは反省し、やめるべきはやめ、輝ける二十一世紀のために謙虚に教育問題に取り組んでいくべきであることを強く主張し、私の質問を終わります。(拍手)    〔国務大臣田中角榮登壇拍手
  97. 田中角榮

    国務大臣田中角榮君) 矢追議員にお答えいたします。  第一は、文教委員会採決問題等についてでございますが、先ほどもお答えいたしましたように、重要な法律案ほど国会で御審議がいただけ、そしてその審議の過程を通じて国民の理解、判断が得られることが望ましいわけでございます。ところが、結果としては、一部の党の方々だけが審議を願い、公明党の方々などは発言の時間もなかったという御指摘でございますが、そういうことのないようにしなければならぬと思います。私は、法律提案者としての政府の代表者としては、国会審議に対して言及する立場にありませんが、特に矢追さんは多数党の総裁としての意見を聞きたい、こういうことでございますから明確に申し上げますと、私はこういう問題を解決しなければいかぬと思っているのです。なぜ一体、四十三年からずっと提案をされながら、最後には野党四党のうち三党が質疑ができないというふうになるんでしょう。そういう事態を究明しないで、こんな問題は解決できるはずがありません。しかも、同じように予算委員会においては、政党政治でございますから、ちゃんと各党の代表が先に御質疑になってから、それからやっておられるじゃありませんか。そのためには、多数党である自民党は質疑を行なわないということさえやっておるのであります。そういう意味で、四十三年からこれだけ長い間両院に提案をしておって、参議院は予備審査の制度がちゃんとあるにもかかわらず、野党四党のうち三党が質問されないうちに討論採決が行なわれた。それが悪いといえば、そこらは、やっぱり野党の中でもってお話しいただくとか、自民党を含めた在籍議員によって質疑時間をきめるとか、そういうことをやってもらわなければ、これは何年たってもどうも次の方々に回っていかない。こんな簡単なことが国会審議の過程においてできないということは私はないと思います。もし、そうであれば、多数党の代表者としての意見を求められるなら、これは参議院でも衆議院でも在籍議員でもって発言時間を割っていただく、そうして採決でもってきめてもらう。過去はみんなそうなっておったのです。それが行なわれないから暴力的な採決だと言われても、これは私はもっていかんともなしがたいわけでございます。そういう意味で、ひとつこれを機会に、こんなことのないように具体的提案を党からいたさせます。党から今度、在籍人員でちゃんと割っていただいて、そうして議題として提案されたものはすべて委員会提案がされる、議題は一括提案になるという過去のような現実がずっとあったわけでありますから、そういう具体的な案を提案をいたします。これがお答えでございます。  第二は、国土改造論を撤回せよということでございますが、狭い国土にこのように多い国民が住んでおる実態、六十年展望にはこの上になお千五百万人もふえるわけでございます。そういう意味で、国土の改造なくして真に国民の望ましい社会環境の整備された日本ができるとは思われません。その意味で、狭い国土の合理的、効率的な利用が必要であることは申し上げるまでもありません。その意味で新しいふるさと運動の強力な推進を行なっておるわけでございます。その意味では、この国土の改造により真に豊かな日本のあしたを築くための具体的な論文は、またいずれ世に明らかにするつもりでございます。  次は、五つの大切・十の反省等についてでございますが、これは私は、ただこれを全部押しつけるつもりもございませんし、これを全部きめていただきたいというのではありません。現在の教育の中では、知育に対しては申し分がないが、徳育に対してはこれをもっと強化しなければならないというのは国民的な声であります。そういう意味で民主政治というものは、まず一つのたたき台、一つの試案を国民の前に提案をするというのは政治家の義務であります。何にも提案をしないで、そうして現在でよくないのに現在のまま放置せんか、それは政治の責任を果たすゆえんではありません。そういう意味で私はこれを国民の前に問うておるわけであります。それは民主政治家として、責任政治家として当然の義務を果たしておるにすぎません。ですから、これに付加するものがございましたら、どうぞ矢追さんも幾らでも付加してもらったり、そうしてつくるという方向で進んでもらわなきゃだめじゃないですか。いま徳目がもっと強化しなきゃならぬというのに、人が出したものを何にも——まあ難くせじゃありませんが——評価もしないで、そうしてそれに対して付加もしないで、現状でいいということでは、これは日本の教育はよくなりませんから、そういう意味では与野党の別なくひとつお知恵をかしていただきたい。私が言っている五つの大切・十の反省は、これは孔孟の教えとかモーゼの十戒とかそれほど重きものではございませんから、これはひとつこれをたたき台にしてよりいいものを国民的英知の結集においてつくっていかなければならない、そのときを迎えた、こう信じておるわけでございます。  それから教育勅語ということに対してでございますが、教育勅語は御承知のとおり、衆議院、参議院における排除決議が行なわれるまでは、教育の基本としての拘束力があったわけでございます。ところが、昭和二十二年の三月三十一日に法律二十五号として現在の教育基本法が制定をされ、そしてまだもやもやがあったわけであります。新しい憲法によって排除されておる部分を除く部分はそのまま通用するのではないかという文部大臣答弁もございましたが、しかし、そういうもやもやがあっては困るというので、現に長い間拘束力を持っておった教育勅語というものは正規に衆参両院において排除決議をやろうということで排除されたわけでありますから、教育勅語というものが存在しないことは言うまでもありません。ただ、その中に書いてあることは、これは教育勅語であろうがなかろうが、これはもう非常にいいことが書いてある、こう申し上げておるのであります。これは軍人勅諭の中でも、これは軍人勅諭がいいなどと言っているのではありません。現にもう軍人もありませんし、軍人勅諭というものはありません。しかし、この五条の中に、あなたがお読みになりましたが、「信義を重んずへし。」「禮儀を正くすへし。」、こういう表現やこういう条文は、これは将来も変わらない非常に大切なことだと、こう述べておるだけでございます。そこらは私がそういうことを言ったからといいまして、これらの発言を教育の反動化に結びつけるのは、これはやっぱり幾ばくかの飛躍でございます。そういう意味で、私の意のあるところを十分御理解賜わりたいのでございます。  それから教育というものは学校教育だけでできないということでありますが、それはそのとおりです。それは家庭教育や社会における教育が大切であると。しかし、学校における教育というものが最大に必要であるということは、ひとつ十分前提として御理解をいただきたい、こう思うのでございます。  これからの教育を教育基本法にのっとってやるかどうか。これはもう当然でございます。現憲法を基本とし、教育基本法にのっとりやっていくべきことは、もう申すまでもないことであります。矢追さんが最後に述べたとおり、いまのものが完ぺきではないから、悪いものは悪いものとして切り捨てる、いいものはいいものとして付加する、正すべきは正す。ほんとうにあなたが言われたとおりやってまいりたいと思います。(拍手)    〔国務大臣奥野誠亮君登壇拍手
  98. 奥野誠亮

    国務大臣(奥野誠亮君) 教頭職法制化の法案は、現状を法律によってはっきりさせてほしい、そのことが教育の現場におきまして教頭職法制化、公選制などの主張があったりいたしまして若干混乱も見られる、こういうようなところから出ている点もあるわけでございます。したがいまして、これを法制化することが教育基本法の精神に抵触するのではなくて、むしろこの精神を教育の現場に十分に生かしていく働きをすることができる、こう思っておるわけでございます。私のところへこんな訴えがございました。「組合の活動には私はどうしてもついていけないのだ。しかし、ついていかない場合に、ストライキに参加しない場合には村八分の目にあわされてしまうのです。村八分の目にあわされても、校長さんも教育委員会もみんな見て見ぬふりをしているのです。もう少しそれなりに自由な行動がとれるように考えてくれませんか」と、こういう訴えが幾つかあったりしているわけでございます。私は、管理強化などと少しも考えておりませんけれども、やはり先生方と校長先生がみんな一体となって教育の遂行に当たれるような環境をつくっていかなければならない。そういう意味で、私は、教頭さんというものについて、地位の争いがなくなり、そして教頭さんが校長さんと一般の先生方との間で潤滑油的な働きをしてくださることによって教育基本法の精神が一そう生かされていくのではないだろうか、かような希望を持っているわけでございます。  第二に、教育委員会制度につきまして、公選制廃止などにからんで御意見がございました。教育委員会制度は、申し上げるまでもなく、戦前の中央集権的な教育行政への反省に立って、地方自治の本旨にのっとり教育行政の地方分権化をはかるとともに、教育行政を一般行政から分離して自主的に執行させることを保障するために、アメリカにおける地方教育行政制度を範として設けられたものでございます。  公選制を廃しましたことは、若干それに具体的に申し上げさしていただきますと、一つには、選挙が次第に実質的に政党の区分により行なわれがちになり、その選挙活動から生ずる政治的確執が委員会の運営に持ち込まれ、教育の政治的中立の維持が危ぶまれるようになった。二つは、教育委員にふさわしい人格、識見ともに兼ね備えた人物よりは、資金あるいは推薦母体を持つ者が選挙によって選ばれる傾向にあった。三つには、大きな組織力と資金を有する団体のみがその代表者を委員に送り込み、その委員を通じて教育委員会をコントロールしようとする特定団体の教育への介入の傾向が顕著になった。四つには、選挙により一度に全委員が交代するたてまえとなっていたため、本来安定性が要請されている教育行政について、安定性の確保が制度的に保障されていなかった。五つには、実際の選挙では住民の関心が低く、他の選挙に比してきわめて低い投票率にとどまり、公選制の意義が生かされなかった、というようなことからでございました。御理解いただいていると思いますが、念のために申し上げさしていただきます。  第三に、学校において教務主任でありますとか学年主任でありますとかいろいろなものが設けられている。それを一律強制するのじゃないかという危惧をもってのお尋ねであったように伺いました。私は、学校現場におきましていろいろと責任の分担を明確にしていく、そうして教育の効果があがるように努力していく、この努力は高く買ってしかるべきだと、こう思っているわけでございます。しかし、国のほうで一律に一定の組織をいま直ちに全学校に押しつけようというようなことは全然考えておりません。学校現場の意見もくみ上げながら、よい方向がまとまっていく場合には、そういう方向については努力すべきだろうと思います。いま直ちにそのような考え方は持っておりません。  また第四には、五段階給与のことについてお話がございました。教頭職法制化ができましても、教頭さんの俸給について特別な俸給をつくってほしいということを私から人事院にお願いをする考えは持っておりません。教育現場の意見がはっきりしてまいりまして一致した段階におきましては、私も積極的にものを言っていきたいと思いますけれども、できる限り教育現場の先生方の希望に沿って教育行政を進めていきたいという気持ちを強く抱いているわけでございます。もともと人事院の権限ではございますけれども、私のほうからお願いしていく意思はございません。  職階制のお話がございました。法律には、職務の種類とその複雑と責任の度合いによって分類整理していくということが示されているわけでございます。しかし、どのように具体化するかということにつきましては、人事院において鋭意検討されていることだと思います。学校現場にことさらに特別な段階制を多数持ち込むというような考え方は毛頭持っていないことは、先ほど来お答え申し上げてまいったことによって御理解いただけると思います。  第五には、校長を助け校務を整理する者として教頭さんを法律の上ではっきりさせるわけでございますけれども、御指摘になりましたように、管理監督に熱意を燃やす、そういう圧力的な態度、そういうものは教育現場でふさわしくないことは言うまでもございません。先生方がそれぞれ教頭になり、校長になっていただくわけでございますので、そういうようなことにつきましては十分御理解のある方々ばかりであるというふうに私としては理解いたしておるものでございます。  教師の自主性、創造性の点からいろいろな御批判がございました。  まず、教科書検定、採択という問題について申し上げさしていただきます。教科書の検定といいますのは、民間で著作、編集された図書の内容を国が調査し、その図書が教育基本法及び学校教育法趣旨に合し、教科用として適切であるかどうかを認定する制度であることは御承知のとおりであります。戦後、検定制度がとられましたおもな理由は、国は教科書の検定を行なうにとどめ、教科書の著作、編集、発行は民間の自由競争にまかせ、編著者の創意くふうによって特色のある教科書が数多くつくられること、また教科書全体としての質的向上も望まれることによるものでございます。また、教育の中立性、内容の正確性、教育課程との適合性、教育水準の維持向上等の確保のためにも教科書検定制度は必要なことであると考えているわけでございます。  この採択につきましては、公立学校にありましては、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の規定に基づきまして、所管の教育委員会が行なうこととなっております。また、国立及び私立の学校にあっては、当該学校の校長がこれを行ないます。教科書の採択の方法については、義務教育諸学校の場合は、義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律によりまして、郡市等を単位とする一定地域の共同採択の方式が定められておりますが、この共同採択の方式を採用した理由は次のとおりでございます。一つは、教科書無償制度の実施以前においても、一定地区においては同一の教科書を使用していた経験にかんがみ、教師の学習指導及び教科書に関する共同研究等に便利であること、また、同一地域内の児童生徒の勉学に際しても便利であること。二つには、一定地域による共同採択は教科書の価格の低廉化に寄与し、供給の円滑化にも資するものであるので、教科書無償制度の実施にあたっては、教育上の利点、財政上の問題、無償給与事務の便宜等のためこの制度がとられたわけであります。  なお、各都道府県におきましては、義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律の定めるところによりまして、都道府県教育委員会に置かれる教科用図書選定審議会の委員に義務教育諸学校の校長及び教員等を任命しており、また、同審議会及び採択地区協議会に置かれる教科書調査員に教員を委嘱し、採択のための教科書の調査研究を行なわせるなどして、教員等の意見を十分採択に反映させるよう留意しているところでございます。  次に、カリキュラムは教師にきめさせてよいではないかという趣旨の御意見がございました。公教育制度でもございますので、学校教育法は御承知のように、小学校、中学校、高等学校それぞれにつきまして教育内容がいかにあるべきかを定めておるわけでございます。これに基づきまして監督庁が教育課程を定める。定めるにあたっては教育課程審議会の意見によることになっているわけであります。この学習指導要領に基づいて学校が具体の教育課程を定めることになっているわけであります。学校の具体の教育課程の決定にあたりましては、個々の先生方が大いに御議論あってしかるべきじゃないだろうか、こういうことを離れて学校の先生独自の判断にゆだねてしまうということはやはり不穏当ではなかろうかと、かように考えているところでございます。  次に、先生方が忙し過ぎるという点についての御指摘がございました。今回第二次ベビーブームが始まっているわけでございまして、その関係で先生方の自然増は多数にのぼるわけでございますけれども、第四次教職員定数改善の五カ年計画をきめさしていただいたわけでございます。かなりな先生方をふやすことにしたわけでございます。特に御指摘の事務職員につきましては、現在半数の学校には事務職員が置かれているわけでございますけれども、この五年のうちには七割五分の学校には事務職員を配置したい、さらにその次の段階においてはだんだんと全部に配置するように持っていきたいものだと、かように考えているわけでございます。  また、女教師の産前産後の休暇について言及がございました。実態に即しまして各県において期間の延長をいたしておるわけでございまして、大部分の県では産後八週間になっているのが実態のようでございます。  なおまた、養護教諭につきましても、現在は全学校の半数に置かれているわけでありますが、五年間の間に七割五分の学校に置けるようにしたい、さらにその後引き続いて全体の学校に置けるように努力を続けていきたい、かような考え方でおるわけでございます。(拍手
  99. 森八三一

    ○副議長(森八三一君) 加藤進君。    〔加藤進君登壇拍手
  100. 加藤進

    ○加藤進君 私は、日本共産党を代表して、学校教育法の一部を改正する法律案、いわゆる教頭職法制化法案について、総理並びに文部大臣に質問いたします。  本法案は、提案されること四たび、すでに三たび廃案となり、本国会においては衆参両院における強行に次ぐ強行採決という全く異常な経過を経て今日に至ったものであります。しかも、予算関係法案に先立ってゴリ押しはしないとの公党間の申し合わせさえ一方的に破り、議会制民主主義をじゅうりんして強行され続けてきたものであります。  本法案は、事教育に関する重要な法案であります。当然国民の十分な合意を得るということがその前提でなければなりません。したがって、国民の代表機関である国会においてこれが十分審議を尽くされるということを国民はひとしく期待していたわけでございます。十分な審議が保障されてこそ、真に国会の権威を保ち得るものと思います。総理、あなたは、自民党の総裁として、学校教育にかかわるこの重要な法案が、衆参両院において再三にわたって強行されるという異常な事態の中で本日の本会議にかけられているということについて、その責任を一体どのように反省しておられるのか。少しでも反省するというなら、本法案を直ちに委員会に差し戻し、引き続き審議を尽くすということこそ、国会が真に国民の負託にこたえる道であると思いますが、明確な答弁を求めます。  政府は、本法案について、学校教育の水準を維持向上させる目的で教職員の組織及び職務を明確にするため教頭職を独立させて法制化する必要があると説明しています。したがって、本法案の前提となっている、第一に、教育の現状をどのように認識するのか。及びどのような教育を行なうことが今日求められておるのかという教育の理念と原則の問題、第二に、教員組織、とりわけ教師のあるべき姿はどのようなものであるかという問題、第三に、学校運営とその中で果たすべき教頭の位置と役割りについて、一つ一つ具体的に審議することが何よりも必要であります。  本法案は、教頭職を教員とは別個の独立の職とし、学校管理がその基本の職務であることを法律によってきめようとするものでありながら、一方何ら教員をふやすような措置をとることもせず、このような教頭職を法制化しようとしているものであります。これでは実質的に教員の数は各学校において一名減とならざるを得ないのであります。ここにも本法案が全く教育の現状を無視した性格であることを端的にあらわしているものであります。  そこで、まず第一に、教育の今日当面している現状についてお尋ねいたします。  文部省検定による教科書を中心とする詰め込み教育と、一クラス四十五人以上の学級定数のために、今日どのような状態が起こっておるのか。半数以上の子供が授業についていけないという驚くべき事態が今日起こっておるわけであります。授業内容の過密と受験準備のために進度は落とせないという時間配当が一そう子供たちを学校ぎらいにさしております。このことと子供たちの非行の増大、その非行の低学齢化とは無関係ではありません。  昨年七月、村山文部事務次官が岡崎の講演会において次のように述べています。いまの中学、高校の教科書のむずかしいことには驚いた、これでテストして五十点以上取れる人があれば、私はさか立ちして歩いてやる。さか立ちして歩くというのであります。この講演の事実に対して愛知県議会で問題になりました。一体愛知県の教育長もまたこのように学校の教科書がむずかしいと思うのか、こういうわが党の追及に対して、お説のとおりでございますと、こう答えております。総理並びに文部大臣、このような事態が今日教育の現場で起こっておるという事実を御存じなのかどうか。また、御存じあるとするなら、このような事態を引き起こしておるものこそどこの責任であるのか、それこそ政府、文部省ではないかという点について明確な御答弁をお願いいたします。  さらに子供と父母の心をすり減らしている問題に受験地獄があります。これこそ高校間あるいは大学間の格差を拡大し、私学助成を怠ってきた政府・自民党の政策の直接の結果であることは言うまでもありません。  また、一人一人の子供に行き届いた教育をするためにも、今日、一学級定員を減らすことが緊急な問題になっています。しかるに現状はどうか。小中学校の四〇%以上が四十人以上の学級に編制されています。国民総生産世界第二位を呼号しておるこの田中内閣のもとで、少なくとも先進国並みに四十人以下に定員を押えることができることは、いま国民の緊急に求めておるところであります。そのために、教師をふやし、そして教室を新設する費用を含めてみても、約二千億円余で可能であります。ところが、政府は何らこれに対して積極的な対策をとろうとしておらないばかりか、本法案のためにいまだ本院では審議されていない学級編制並びに教職員定数法案の衆院審議の過程において、十年間はそれは無理だという、まことに無責任な答弁を繰り返しておるわけであります。政府は、一人一人の子供にしっかりした教育を保障するために、この緊急な措置をなぜとろうとしないのか、その理由を明確に答弁を願いたいと思います。  歴代自民党政府の高度経済成長政策、日本列島改造計画の実施によって、激しい物価狂乱、インフレを引き起こし、学校用地の取得は著しく困難となり、高校の新設は進まず、数年後には人口過密の七つの県において約四十三万人の中学浪人が予想されております。プレハブ教室は増加し、約三万六千四百教室分にものぼる老朽危険校舎はいまだに未解消のまま放置されております。これらは、まさに義務教育の土台そのものが崩壊させられているということの姿ではないでしょうか。これこそ自民党と政府が憲法の教育を受ける権利と教育基本法の精神を踏みにじって強行してきた反動的文教政策のおそるべき結果でなくて何でありましょうか。  政府・自民党は、教育の荒廃の責任があたかも教師にあるかのような言辞を弄し続けてまいっておりますけれども、以上のように、政府・自民党の文教政策こそ今日の教育の荒廃をもたらした真の原因であるということは明確であり、その責任を負うべきものはまさに自民党田中内閣であるということは明らかであります。総理は、このような事態をどのように反省し、これらの問題を真に解決するためにいかなる対策を用意されておるのか、具体的に明確な御答弁をお願いいたします。  次に、わが国教育の理念と原則について伺います。  これに関して見過ごすことのできないのは、たび重なる田中総理の教育勅語と徳育発言であります。もともと教育勅語は、主権在君並びに神話的国体観に基づいて、天皇に対して忠良な臣民を育成するために、道徳の問題をも君主の天下り詔勅によって決定したものであります。それゆえにこそ、昭和二十三年、衆議院及び本院において、この教育勅語の排除・失効の決議がなされたことは御承知のとおりであります。とりわけ衆議院決議はどのように言っているのか。教育勅語は憲法第九十八条にかかわる違憲詔勅として無効となる旨明確にしていることは、総理もよく御承知のとおりであります。さらに本院における失効決議においては、教育基本法こそ道徳教育の基礎となるべきことを明示しております。このように、天皇主権の国家主義教育理念に対するきびしい反省と否定の上にとそ、戦後教育改革の民主主義的教育理念と原則が打ち立てられていることは周知のとおりであります。しかるに、憲法とこれを基礎に置く教育基本法については何一つ語ることもなく、これに敵意さえ示しながら、あえて教育勅語や軍人勅諭にもよいところがあるとの発言を繰り返すことは、政府の憲法順守の義務に照らしてみても、憲法違反の疑いのある重大な発言と言わざるを得ないのであります。その上、事実に反して、占領軍の押しつけによって衆参両院の教育勅語排除・失効確認の決議がなされたかのごとき言辞によって国会の権威を軽んずるがごとき態度は、みずからも責任をもって賛成した決議に対して、まさに天に向かってつばきするにもひとしいと言わざるを得ないのであります。このことは、田中総理の現憲法下の政治家としての資質を疑わしめるに十分であると私は確信するものであります。一体、総理は、憲法と教育基本法の理念と原則に立って教育行政を行なおうとするのか、そうでないのか。教育勅語の理念と原則をこそ今後の教育理念として押し通そうとするのか、しないのか。その点を明確にしていただきたいのであります。  また、政府・自民党は、憲法と教育基本法を占領制度の遺物としてこれに攻撃を加え、その改悪を企図しておりますが、文字どおり占領制度の遺物であるアメリカ式のマル・バツテストや、子供たちの学力を正しく評価することもでき得ないような五段階相対評価法を、多くの国民の批判にもかかわらず、いまなお固執し続けておるではありませんか。これらのことが教育にどのような重大な障害をもたらし、子供たちの心を傷つけ、真の子供たちの友情をさえ妨げていることを、政府はよもや知らぬとはおっしゃるまい。文部大臣、アメリカ式の五段階相対評価方式を直ちにやめ、子供たちの学習の到達度を明らかに示して、子供の学習への意欲を励ますような正しい教育評価方式をとるべきであると思いますが、いかがでございましょうか。  総理は、最近、知恵ぶとり徳やせといって、徳育を強調し、道徳教育の徳目として五つの大切・十の反省なるものを打ち出していますが、真の道徳は正しい知恵にささえられ、真の知恵はしっかりした道徳によって初めて力を得るものであることは明らかであります。道徳教育は、真理と真実の上に立つ知育と一体のものであります。徳やせの原因の一つが真の知育の欠除であることさえ、総理、あなたは御存じないのでしょうか。実際、悪徳商法によって国民の苦しみをよそにして大もうけをし、それを隠すのに大わらわになっている大企業の売り惜しみ・買い占めを見のがし、そこから昨年だけでも約二百億円、ことしはさらに巨額に達するであろう政治献金を受け取っている自由民主党の総裁である田中総理、公約さえ守らない田中総理に、道徳を語る資格があるとでも思っておられるのでしょうか。田中総理の五つの大切・十の反省について、世論は冷ややかに、ときには徳育を必要とするのはわれわれよりも総理自身ではないかと、きびしい反応を示しています。物価問題についての総理の発言こそ、うその上にうそを重ねているとの非難が起こるのは当然であります。五つの大切・十の反省を守らなければならないのは、第一に総理自身であり、文部大臣自身であります。しかるに、総理は問題提起にすぎないと言っておるそのときに、自民党橋本幹事長やあるいは奥野文部大臣は、田中総理の個人後援会での問題提起を、政府の各種の公的審議会に移して、政府国民に要求する徳目にしようとしております。これは、国民道徳を政府が管理するだけではなく、ひいては思想の統制につながる行動とも言わざるを得ません。  わが党は、子供の自主的な活動を尊重し、民主的な社会の形成者にふさわしい道徳を身につけさせるための教育を重視しています。今日、必要な徳育とは、憲法と教育基本法に基づいて行なわるべきだとわれわれは考えております。わが党は、憲法と教育基本法に基づいて、子供たちに次のような市民道徳の内容を教育すべきであると問題を提起しています。  それは、  たがいの人格と権利を尊重し、みんなのことを考える  うそやごまかしを排し、真実と正義を愛する心  社会の生産をささえる勤労の重要な意義を身につける  みんなの協力を大事にしながら、自分の責任は自分ではたす自立心  封建的な「忠」や差別でなく、親、兄弟や隣人へのあたたかい愛情  民主的市民として欠くことのできない公衆道徳  侵略戦争や暴力の賛美でなく、真の平和の愛好  排外主義や他民族蔑視でなく、真の愛国心と諸民族友好の精神などであります。  田中総理は、国民の道徳を、何に基づき、何によって行なおうとしておられるのか。わが党が提起しておるように、それこそ憲法と教育基本法を尊重し、これが順守すべき市民道徳の内容であると考えておられるのかどうか、明確な御答弁をお願いいたします。  次に、教師の問題についてお伺いいたします。  今日、父母や国民の求めておるのは、子供たちを愛し、子供たちによくわかるように教えてくれる豊かな人間性と高い専門性を兼ね備えた自主的で創造的な教師の活動であります。教育の目的は、教育基本法第一条に明確に定めています。それは、「人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」ということであります。教師は、このために、基礎的な知識や技術、体力、豊かな情操などを子供の発達に即して身につけることを助け、導き、それを通じて国民全体に服務する責任を負うています。教師は、精神的、文化的な、しかも次代の主権者としての子供の人格の形成に直接のかかわりある高度に専門的で責任の重い職務をみずからに課しておるのであります。このような意味で、教育の仕事は、聖職とも言える側面を持っておるのであります。  わが党は、以上のように、次代の主権者を育てる教育をきわめて重要な国民事業であると考えておると同時に、かかる国民から負託された重大な責務を持つ教師を大切にしなければならないと考え、教育基本法第六条に定めておるように、「学校の教員は、全体の奉仕者であって、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教師の身分は尊重され、その待遇の適正が期せられ」ることを強く要求するものであります。政府・自民党も、教育は大事であり、教師は聖職者だから、教師を優遇すると説明だけはしております。しかしながら、事実はこのとおりでしょうか。現在、教師は、文部省が一方的にきめ、学校は法的拘束力を持つとして押しつけられている学習指導要領に強く縛られ、文部省が密室で行なう検定教科書を主たる教材として使用させられ、しかも、教科書を採択する自由さえ奪われておるのであります。さらに、教育行政当局は、教師たちの自主的な研修に対してさまざまな制約を加えつつあることは、皆さん御承知のとおりであります。これらは、教師の自主的で創造的な活動を妨げているのみならず、教師の職業上の専門性を政府・自民党が全く尊重しようとしておらないことをみごとに物語っているものであります。  教師の勤務についていえば、小学校では一人の教師の基準担当授業時間は週二十六時間であり、一時間のその授業には一時間あるいはそれ以上の教材研究と授業の準備を必要としております。それだけでも週五十時間に及ぶ勤務となっておるのが現実であります。本務以外の校務、雑務は週五時間以上となり、休憩時間も一日を合わせてわずかに四十五分で、それもきわめて変則的であります。これは、政府が、事務職員、養護教諭、学校給食員と施設その他を十分に学校に配置していないことが原因であります。  また、教師の住宅と勤務時間との状態がどのようなものであるかについては、はたして政府はその実情を一度でも親身になって調査したことがあるのでしょうか。子供に行き届いた教育を行なうために不可欠なものは、教職員の定数並びに専科教員を大幅にふやし、一クラスの児童・生徒数を減らして、教師に週一回の研修日を保障することであります。また、教師が学区内に住宅を持って、子供たちや父兄と生活的にも互いに触れ合うことのできるような教員住宅を保障することであります。総理が教師をほんとうに大事にすると考えておられるなら、これらに対してどのような具体的な対策をとられるつもりであるか、項目ごとに明確な御答弁をお願いしたいと思います。  次に、重大なのは、教師の民主主義的な権利に対する抑圧であります。  憲法第二十八条に保障された団結して行動する権利、とりわけストライキ権を、占領軍マッカーサー司令官の書簡による政令で教師から奪い取り、国家公務員法と、違憲の疑いのある人事院規則によって、教師の憲法に保障された思想、言論、出版、結社の自由、政治的諸権利を、これ以上制限できないまでに重大な制約を加えておることは御承知のとおりであります。その上、政府・自民党は、教員の政治活動禁止法を制定するなどということを強調しておりますけれども、これ以上どのような政治的権利を奪おうとするのか、お聞きしたい点であります。  さらに教職員団体による対政府交渉権までを否認し、多くの教師の反対を弾圧して勤務評定制度を実施し、その内容をその教師にさえ知らせないまま一方的にこれをきめておるわけであります。最近では、最高裁のあの逆転判決を契機として、わが国最大の教職員団体である日教組を警察権力の介入と弾圧のままに放置しております。田中総理並びに奥野文部大臣、教職上の自主性と権利わが国の憲法に保障された基本的人権を享有していない者が、真に自由と権利、個人の尊厳について子供たちに教えることができるでしょうか。広い政治的教養にささえられた政治的自由を失った者が、国民基本的人権の一つである政治的権利について子供たちに正しく身につけさせることができるというのでございましょうか。金力、権力、暴力に屈せず、国民主権と民主主義、真理と真実にのみ従うというあの高い倫理観に裏づけられることなくして、どうして教育基本法の示す真の教育の名に値する授業をすることができるでありましょうか。  私は、この際、一九六六年のILO、ユネスコの「教師の地位に関する勧告」が規定している教師の職業上の自由、教員の諸権利を認めるような措置を直ちに政府がとることを要求するものであります。第一、政府はこの勧告案に賛成しておるではありませんか。田中総理、あなたは、教材の選択、教材教具の開発への参加、公共生活への参加、他の市民と同様の市民的諸権利、勤務条件についての交渉、補助職員確保による教職本務に専念する等々の諸権利を教師に直ちに保障する用意があられるかどうか。さらに、教頭もまた教師である以上は、教師をこのように取り扱ってきた政府・自民党が、どうして教頭だけを尊重し、大事にすることなどができるのかどうか、明確な御答弁をあわせてお願いいたします。  最後に、学校運営の問題と、教員組織の問題についてお伺いいたします。  もともと学校は、父母、地域住民の要求と期待にこたえ、国民全体に直接責任を負うて、教師及び教職員集団と児童・生徒との人間的触れ合いを通じて教育の正しい目的を実現する場であります。これは当然のことながら、企業や官庁などの組織管理のあり方とは本質的に異なるものであります。したがって、学校の運営にあたっては、校長を含む教職員全体の協議を十分尊重しつつ、教員及び教職員の自発性と創意を発揮させることによって初めて全体として有機的に生き生きとした学校における教育活動が展開されるのであります。しかるに、政府・自民党は、学校をあたかも企業や官庁と同列視し、その運営の基本を監督と服務、指揮、命令に置こうとしておるのであります。教育こそ監督、指揮、命令とは最も相いれないものであります。命令で教育を行なおうなどということは教育そのものの否定であり、教育の基本は指導と助言の方法によるべきはまさに当然であります。政府・自民党の学校管理論によれば、ついに、一文部省の高級官僚がその著書「教育行政の基礎知識と法律問題」において論じておることに明確になっています。どう言っておりましょうか。運動会後の慰労会のために校長が事務職員に酒を一弁買ってきてくれと言った場合は、有効な職務命令であって、これに従わない者は懲戒処分を受ける筋合いだと書いておるわけであります。政府・自民党が、本法案によって企図しておるものは、このような学校の管理運営の歯車の一つに教頭職を位置づけようとしておることは明らかであります。このことは、教頭を教育者として尊重する道では絶対にありません。わが党は、かかる学校管理のあり方に強く反対するものであります。  今日、子供や教師、父母が求めているものは、長年にわたる教育経験と教育についての広い識見に立つ指導、助言者としての教頭であり、校長であります。たとえば、新任の若い教師が教育指導にあたって悩み困っているときに、親切な指導と援助によって問題の解決に導き、若い教師に新たな情熱と創意をもって一そう進んだ取り組みを行なわせるようにし、教職員全体の総意を反映する職員会議で先輩として積極的に議論し、指導して、教師集団が生き生きとその創意を発揮して教育効果をあげることを援助することこそ、まさに教頭に課せられた任務であると確信するものであります。政府は、教育及び教育行政の基本方法が、指揮、命令ではなく、指導と助言であるべきだということを正しく認めるのか認めないのか、その点、明確な御答弁をお願いしたいのであります。  また、教職員の総意を反映する場としての職員会議を、学校運営上重要なものであって、ここに反映される教職員全体の意思を尊重するという立場に立たれるのか、それとも、学校運営の単なる補助機関としてあくまで職員会議を軽視し通されるのか、その点も明確な御答弁をお願いいたします。  以上、政府が教頭職法制化法案の提出理由としているわが国学校教育の現状、教育の理念と原則、教師及び教職員組織、学校運営と管理について引き続いて質問してまいりましたが、政府・自民党のこの法案にかけておる意図は、政府の説明とはおよそ全く異なるものであることをこの際強調しなければなりません。本法案は、国民が切実に求めている当面する教育の緊急な諸課題のすみやかな解決とは無縁のものであります。本法案は、政府・自民党の学習指導要領の一方的な押しつけ、文部省の専断的な教科書検定などによる教育の国家統制の強化、教師の職業上の自由と権利の剥奪、労働基本権をはじめ基本的人権を大幅に制限することによって教育全体を政府・自民党が管理統制する仕組みの中に教頭を位置づけようとするものでしかありません。これは、田中総理の教育勅語、軍人勅諭の賛美、徳目の政府による押しつけ、さらに、靖国神社国体護持法案あるいは刑法改正の企図、そして小選挙区制と憲法改悪への執念などの政治反動の動きと相まって、教育の反動化と荒廃を一そう推し進める一角に教頭を据えようとするものであります。ここにこそ政府・自民党が国会の民主的運営、参議院改革の精神をじゅうりんしてまであえて暴挙に次ぐ暴挙を繰り返した真の理由があると断ぜざるを得ないわけであります。  最後に私は、教育関係者、国民の合意もないままに教頭職を法制化することは、今日の教育にとって百害あって一利なきものであり、政府は直ちにこの法案を撤回することを強く要求して、質問を終わります。(拍手)    〔国務大臣田中角榮登壇拍手
  101. 田中角榮

    国務大臣田中角榮君) 加藤進君にお答えいたします。  教頭法案の審議につきましての御発言でございますが、教頭法案は、参議院文教委員会において六回の審議が行なわれ、五月二十二日に可決されたわけでございます。教育の問題は、民族の魂、国家の顔とも言うべき最も重要な国政の課題であります。それだけに、本法案につきましても、先ほどから述べておりますとおり、昭和四十三年に国会提出して以来、議会制民主主義の本旨にのっとり、与野党の合意が醸成されるのを心待ちにいたしておったことは御承知のとおりでございます。しかし、いつまでもたなざらしにすることは許されないのでございます。一日も早く議了されることを心から期待をいたします。  次は、学校教育の現状についての御発言でございますが、わが国の学校教育は長い伝統を有し、幾多先人の努力の結果、諸外国と比べても教育水準は高く、その教育内容も整備されておると考えておるのであります。しかしながら、教育は時代の進展に従って生々発展するものとして不断の改良を加えなければならないものであります。現在行なわれております学校教育についても、なお多くの問題があることは十分承知をいたしております。これに対処して、教育内容の改善、教職員の待遇の改善や定数の増加、学校施設・設備の充実等についても意欲的に改善の努力を傾けてまいったことは、国民各位も十分理解しているものと考えます。しかし、現状の問題点をことさら誇張して国民の不安をかき立てたり、現実的でない解決策を示したりすることは、われわれのとらないところであります。問題の所在を的確に把握し、勇気をもって着実にその改善につとめるべきであると考えておるのでございます。戦後の学制改革から足かけ三十年、改革を要するところも多くあることは御存じのとおりであります。国民の負託にこたえ、将来長きにわたって確固たるわが国の教育制度の確立のため全力投球をしてまいりたいと、こう考えておるわけであります。  それから次は、教育勅語と徳育についての発言が目立つが、その真意は何かと。これは間々申し上げておるとおりでございますが、最後でございますから、明確にいたしておきたいと存じます。  教育の目的は、教育基本法第一条に示されておりますように、よき日本人としてその人格の完成を目ざすものであって、そのためには知育、徳育、体育が三位一体となったバランスのとれた教育が必要であります。    〔副議長退席、議長着席〕 今日の状況を顧みると、とりわけ豊かな人間性をはぐくむ徳目の充実は重要でございます。戦後のわが国の教育は目ざましい進展を遂げ、ことに知育面では世界的に見ても最高のレベルにありますが、その反面、ややもすれば知育偏重のきらいがあり、いわば知恵が太っておるわりには徳がやせておる青少年を育てる教育風土が定着しておると思うわけであります。両親を大切にし、兄弟は仲よく、共同生活の中にあっては、市民として、また日本国民として、さらにアジアの一員として、人類の一員として、自分中心の考えでなく、常に相手の立場に立って考える青少年を育成することが大切であると考えておるのであります。  そこで私は、このことを考慮して五つの大切・十の反省をあえて提唱したのであり、もとより憲法や教育基本法に基づいて、心身ともに健康な国民の育成を期していることは申すまでもありません。  なお、教育勅語につきましては、先ほどから間々申し上げておりますとおり、二十三年六月十九日衆議院で排除の決議がなされ、参議院でも失効の決議が行なわれたことは、もとより承知をいたしております。何も教育勅語そのものの復活などを考えているわけではありません。しかし、「父母二孝二兄弟二友二、夫婦相和シ朋友相信シ、恭倹己レヲ持シ、博愛衆ニ及ホシ、學ヲ修メ業ヲ習ヒ、以テ智能ヲ啓叢シ、徳器ヲ成就シ、進テ公益ヲ廣メ」という、こういうところは、この基本原理は今日でも共通する命題であろうと、こう申し上げておるのであります。「一旦緩急」などを考えておりません。(拍手)  それから共産党の提唱しておる市民道徳八項目ということについての御発言がございましたが、共産党提案の市民道徳八項目については、まだ勉強しておりません。(「不勉強だ」と呼ぶ者あり)おりませんが、いずれ勉強します。一般的に言えば、国民だれもが共通の道徳律としてよく守り、国民の道徳性の一そうの向上をはかるためには、具体的かつ平明な生活の規範となるものを考えていく必要があることは言うまでもありません。私の五つの大切・十の反省は、このような観点から提案したものでございます。共産党の方々が国民の前に提案することはよろしくて、田中角榮提案するのはよろしくないという考えは、よろしくありません。こういう提案をしたら、各党もみな提案をして、徳目教育が必要であるなら、そういう試案を国民の前に出して、国民的合意を求めるというのが民主政治の責任だと思っておるのであります。(拍手)  最後に、政府・自民党の教師聖職論についての御発言がございましたが、教師は聖職であるということについては、なかなか意見の合わない自民党と共産党でありますが、ここだけ合ったわけであります。教師は教育を通じて国民全体に奉仕する立場にあり、これは教育基本法六条にあるとおり、人格の触れ合いを通じて次代の国民を育成するという重要な職務を持っております。特に教師は、知育、体育だけではなく、徳育に対しても教えなければならない。その意味で教師は聖職にあると言うべきであります。教師が労働者であるというような考え方で教師の真の責任を果たせるものではありません。私は、いずれにしろ、国家の将来を左右する学校教育の成果は個々の教師の資質のいかんにかかっており、教職にすぐれた人材を迎え入れ、教師が使命感にあふれ、情熱を傾けて安んじて教育に専念できるようにすることは喫緊の課題であると考え、いわゆる教育人材確保法を制定した次第であります。したがいまして、教師自身も自己の崇高なる使命を十分自覚するとともに、国民の期待にこたえてその行動につきましてはみずから規制し、誠意をもってその職務の遂行に当たることを望みたいのであります。しかも、制度的には、教師が安んじて情熱を教職にかけられるように、身分、待遇その他に対してあらゆる努力をなすべきであることは当然であり、政府もそのような方向に向かって全力を傾けてまいりたいと考えます。  残余の質問に対しては文部大臣から答弁いたします。(拍手)    〔国務大臣奥野誠亮君登壇拍手
  102. 奥野誠亮

    国務大臣(奥野誠亮君) 教育の現場につきましていろいろ御意見がございました。社会のあり方に対応いたしまして、望ましい人間像を求めながら努力をして教育の改善、充実につとめていかなければならないと考えております。そのためにも、昨年、小中高一貫の教育課程審議会を発足さしたわけでございまして、学校教育におきましては基本的なものを身につけて変化に対応できる力を養わせるべきだと、こういう観点から教育内容の精選といったことについても御検討をいただいているわけでございます。同時にまた、教科書等のあり方についても重要な問題があると考えております。なおまた、入試の問題につきましても、難問、奇問を避けて、学校教育をきちんと学んでおれば何の心配もないというような姿に持っていかなければならない、かような努力をしているところでございます。同時に、学歴偏重の社会——私はやはりいま社会の中心をなしている人たちは、大学への進学率が一%の時代の方々であろうと思うのでございます。今日では三三%の方々が大学へ進んでいるわけでございますので、やがていろいろな学校の出身者が社会の中枢においてそれぞれ大きな活躍をするようになるのじゃなかろうか、おのずからそこから学歴偏重の社会というようなものが変わってくるのじゃないだろうか、かように考えているわけでございます。それだけに、児童生徒の能力、適性に応じた進学指導、進路指導、これについてもっと力強く進めていかれるべきである、こういうふうな考え方を持っておるものでございます。  第二に、一学級の編制基準四十五人を四十人以下に引き下げるべきだと、何か金の問題でそのようなことに手をつけていないようなお話がございました。金の問題ではございませんで、何から先に手をつけていくべきかという順序の問題でございます。人口急増地帯におきましては急激に児童生徒数がふえてまいってきておりますので、教室をふやさなきゃならない、学校を増設しなきゃならない、たいへん困り抜いておるわけでございますので、この上にまた四十五人を四十人に下げますと、それに輪をかけて教室をふやさなきゃならない、学校を増設しなきゃならない。一種の混乱が起こることを心配しているわけでございます。  次に、第二次ベビーブームの関係から教員数の自然増は相当な数にのぼるわけでございます。その中におきましても、私たちは教職員定数の改善に手をつけたわけでございます。三個学年複式学級、これは廃止いたしました。二個学年複式学級につきましてもその基準を大幅に改善したわけでございまして、第一学年を含む学年につきましては、いままでは二十二人まで一学級だったわけでございますけれども、今回の改正で十二人まで一学級ということにしたわけでございまして、そういうような形で努力をしている際でございますので、これ以上さらに教員を大幅にふやさなきゃならないような改革をいたしますと、教員の質が大幅に低下していく、こういうことをおそれているわけでございまして、やはり順序を追いながら教育の改善に努力をしていきたいものだ、かように考えておるところでございます。  第三に、老朽危険校舎の点について御議論がございました。人口急増地帯について特に問題が多いわけでございますので、四十八年度国庫負担率二分の一をこういう地域については三分の二に引き上げたわけでございます。ことしはまた用地費の補助率に対しまして従来二分の一を基礎にしておりましたのを十分の六を対象にするというようにいたしました。なおまた、事業分量は四十九年度は四十八年度の一〇%増し、四百万平米を四百四十万平米の事業を行なうということにしたわけでございます。  第四には、アメリカ式相対評価の点について御意見がございました。現在小中学校で行なっております五段階の評価法は、画一的な評価におちいることを避けながら、児童生徒の評価をできるだけ客観的に行なうということを目ざしまして慎重な検討をもって定め、戦後長年にわたって定着してきた合理的な方式であると考えております。ただ機械的、一律的にその評点に一定の人数を割り振るということは避けていかなければならない、かように考えているところでございます。これに対しまして、主観的に到達目標を考えて評価するなどの方式は、評価の基本として必要な客観性などに問題を生じます。特に全国的な水準の同一性を確保して行なうべき義務教育段階ではなかなか適しがたいものがあるのではないかと、かように心配をいたしているわけでございます。  第五に、徳目を押しつけようとしているのじゃないかというお話がございました。私は、やはり徳目も道徳教育を行なう重要な媒介だと、こう考えております。同時にまた、それは地域の実情、あるいは年齢相応のもの、それぞれ具体的に考えて掲げられるべきものだろうと、こう思うわけでございます。ボーイスカウトが三つの誓い・十二のおきてといったものを定めておりますが、各社会教育団体はそれぞれそうした徳目を掲げておるわけでございます。総理の提唱も重要な提唱でございますので、社会教育審議会に道徳教育のあり方をひとつ考えてもらいたい、プリンシプルをきめてもらいたいというような形で審議をしたいと考えておりますし、また、学校現場におきましては、校訓校是を生かしながらそれぞれ努力目標というようなことで適切な徳目を見出すということも教育上非常に重要なことではなかろうかと、こう思っておるわけでございます。  教師の活動につきまして処遇の問題について御意見がございました。これはすでに人材確保法で努力しているわけでございます。持ち時間の問題についても御意見がございましたが、定数の改善につとめておるところでございます。また、住宅の問題につきまして御意見もございました。全国的には、自宅から通っている者及び父母と同居している者が約六九%、教員住宅や公営住宅に入っている者約一〇%であり、残りの借家、間借り等が約一七%というような調査結果を持っているわけでございます。特に僻地関係につきましては住宅事情が悪うございますので、教員住宅の建設につきましては国庫補助を行なってその整備に努力をしているところでございます。いずれにいたしましても、地域地域におまきして先生方を大切にするという空気、環境、これが一番重要なことじゃないかと考えております。社会から尊敬される先生、先生を尊敬する社会にしたいものだと、常日ごろ申し上げているところでもございます。  第七に、労働基本権等についての御意見がございました。スト権のお話がございましたが、戦後一、二年、現業以外の公務員はストライキを行なうことができないというような法制のもとに、現業職員だとは思いませんけれども、先生方にスト権が与えられたような時期がございました、ほんの一、二年でございます。それ以外はずっとそういうことはないわけでございます。やはりどういうあり方が一番望ましいかということで決定されるべきものだと、かように考えておるわけでございまして、法律によりまして身分を保障しているわけでございます。同時にまた、政権がどうかわろうと、教育公務員の身分には何ら変更はない、法律的な保障を受けている、また、給与も議会において定められておるわけでございます。また、給与のあり方につきましては、絶えず実態を調査しながら人事院が勧告するという制度もあわせ講じておるわけでございますので、教育公務員につきましては、団結権や交渉権を認めているけれども、協約締結権やスト権は認めていないということでございます。何をおいても、児童生徒の教育に情熱を傾けてもらいたいものだと、かように念願をいたしておるところでございます。  ILO・ユネスコの教員の地位の勧告のことについて御意見がございました。ILO・ユネスコの教員の地位に関する勧告は、ILO及びユネスコに加盟している諸国の政府に対する勧告でございますから、加盟国政府努力目標を示したものでございます。わが国は、明治以来、教育の発展に大きな努力を傾注してきたところであり、現在、わが国の教育は、欧米とともは世界的に見て高い水準にあり、教員の給与上の待遇及び身分上の保障につきましても、戦前戦後を通じて他の公務員に比べても多くの特別な配慮が行なわれてきたところでございます。したがって、わが国は、一般的にいってこの勧告の示す目標におおむね到達しているものと考えているわけでございますが、なお教員の待遇の改善とその他位の向上については今後とも努力してまいりたいと考えるものでございます。  第九に、教師の自発性について御意見がございました。企業の管理方式を学校の中に持ち込もうなどとは夢にも考えていないわけでございます。教師の職務は創造性、自発性が要求されるものであり、創造性、自発性が生かされて初めて教育の効果が期待できるものであると私も考えております。しかしながら、公務員としての学校教育は、国民意思に基づき、国民のために国民全体に責任を負う体制のもとに行なわれるべきことが要請されておるわけでございまして、国民の総意を教育に反映させる必要がございます。現行の議会制民主主義のもとにおきましては、国民総意は国会で制定された法律に具現されていると言うべきでございますし、教師の創造性、自発性も法令のワク内において認められるものであると言わなければならないと考えているわけでございます。その中におきましてできる限り創意くふうが積極的に教師によって尽くされるような環境の整備に今後も努力を続けていく所存でございます。(拍手
  103. 河野謙三

    議長河野謙三君) 加藤進君。    〔加藤進君登壇拍手
  104. 加藤進

    ○加藤進君 一つの問題だけ私は重ねて質問したいと思います。  先生を大事にすると強調されます。大事にする道は、一つには勤務条件、労働条件、生活条件を保障することであります。もう一つの問題は、学習と研究の条件を十分に保障するということ、教育を実のあるものにしていくための措置を十分に保障することだと思います。  そのためにお聞きいたしますけれども、第一に、一週間に一日は先生たちに研究の日、学習の日を保障するということについて私は提案いたしましたけれども、答弁がありませんでした。この点をお答え願いたいと思います。  もう一つは、自主的な研究活動について、これを十分に尊重される気があるかどうかという問題であります。毎年行なわれるあの教研集会に対していままで文部省のとられた態度を改めて、教研集会における教員諸君の自主的活動を十分に尊重いたしますと、ここではっきりお答え願えるかどうか。その点をお尋ねして、質問を終わります。(拍手)    〔国務大臣奥野誠亮君登壇
  105. 奥野誠亮

    国務大臣(奥野誠亮君) 教員はその職務の特殊性から絶えず研究と修養につとめなければならないものであることは言うまでもございません。政府は教員の研修の充実をはかりますため、従来、各種研究会の実施、教育研究団体等の助成、教員海外派遣の大幅拡充等の施策の推進につとめてまいったわけでございまして、教員の研修の奨励については今後とも一そうその充実につとめてまいりたいと思います。  第二に、教研集会の問題がございました。おそらく日本職員組合の教研集会のことであろうかと思います。私は、日本職員組合は階級的大衆組織であって、みずから社会主義革命に参加するものとみずからを規定していると認められると、こう考えますということで国会にも資料を提出させていただいたわけでございます。そういうような実体でございますと、そのような考え方のもとに行なわれる集会につきましては、私は教育上非常に大きな疑義を感ずるわけでございます。教育団体のあり方と大きな関連を持つと考えるわけでございまして、国民の信頼をかちうるような教育団体の実体であり、そしてまた研究についても大きな努力が続けられるというような姿を心から期待をいたしているものでございます。(拍手
  106. 河野謙三

    議長河野謙三君) これにて質疑は終局いたしました。     —————————————
  107. 河野謙三

    議長河野謙三君) 本案に対し、討論の通告がございます。順次発言を許します。宮之原貞光君。    〔宮之原貞光君登壇拍手
  108. 宮之原貞光

    ○宮之原貞光君 私は、日本社会党を代表して、ただいま議題となっています学校教育法の一部を改正する法律案に対して反対討論を行なうものであります。  各学校には事実上教頭が存在している、本法案はそのことを法律上明確にしただけで他意はない云々との見解が喧伝されておりますが、私はこれほど国民を欺く言辞を他に知りません。もしほんとうにそのことをうのみにして賛成している者がいるとするならば、その人こそ学校教育の何たるかを知らない者と言われてもしかたないと言わなければなりません。このことは学校教育における教頭職の変遷を振り返ってみれば明らかであるのであります。  戦前の小学校令では、学制発布以来、教頭職は法律上の明文はなく、ただ慣習上、首席教員または首席訓導と呼ばれて、上席教員として同僚教員の相談役の役割りを果たしてきたのでございます。ところが、日本軍閥の侵略戦争の拡大とともに、学校教育もまた戦争遂行への大きな任務を背負わされて、昭和十六年四月、国民学校が発足するや、天皇−国−地方長官−校長−教頭−教員という勅令教育の一貫した上命下服の教育体制を強化し確立するために、国民学校令の中に教頭職は明確に位置づけられたのであります。しかし、敗戦となり、戦前教育のあり方が否認されるとともにこの教頭職も法律面から全く姿を消していったのでございます。その後、月移り年かわり、再び教育の権力支配と中央集権化が徐々に復活し強化されていく戦後教育の歩みの中で、死んだはずのお富さんではございませんけれども、死んだはずのこの教頭職が再び息を吹き返してきたのでございます。昭和三十二年、学校教育法施行規則の改正で頭をもたげ、同三十五年、管理職手当の支給対象の拡大の中で上半身をあらわすという行政の既成事実つくりがなされ、このたびの法改正で正面に姿をあらわして、天下晴れて存在を認知させようとする挙に出てきておるのでございます。  このような戦前の戦争遂行への教頭職の役割りといい、戦後の教頭職法制化への道程の背景が、皆さんも御存じのように、教育委員会制度の任命制への改悪、勤評、学テ政策の強行という教育反動の進行の中での措置であったことを顧みるならば、政府・自民党の皆さんがどのようにことばをとりつくろうとも、教頭職の復活の意図が那辺にあるかは明らかであるではありませんか。しかも、政府原案が、民社党の修正によって、教頭が従来持っていた児童の教育をつかさどるという教育の役割りが抹殺されて、校長とともに管理一本の任務に従事をするということにその性格を大きく変えたことは、教頭は独立の職とは名目のみで、その独自性は全く奪われ、いまや教育行政の上命下服体制強化の先兵となり下がったと断言できるのであります。  したがいまして、このような教頭職の法制化は、学校運営、ひいては学校教育のあり方の本質をも大きく変貌させ、民主教育そのものの基盤をも根底からゆさぶるものであると断じても、決して言い過ぎではないのであります。  そもそも政治は、数の力による説得と物的力の直接の行使によって他の者に自己を認めさせる行為であるといわれておりますが、教育は全くこれと異なり、理性の力によって人間みずからにみずからを判断、自覚させ、自助への援助と自己変革への飽くなき探求の助成をするところの営みであるのであります。それだけに、この教育を行なうところの学校は、教育をつかさどる崇高な任務を持つ教師一人一人の自主性、自発性、創造性が十分に保障され、それらが集団としてより高められて、国民全体に対して直接責任を負う教育が行なわれるような運営がなされなければならないのであります。校長は、そのためのリーダーシップをとるのが役割りであり、教頭は、教員として上席教員の立場から校内の教員をまとめ、代表し、また同僚教員の相談役となる、いわば職場生活におけるところのリーダー役であるのが本来の姿であるのであります。それを、本法案によって教頭職を明確に一般教員と切り離した独立の職として、校長と並んだ身分取り扱いをするということは、現在すでに上下の人間関係調整補助者を必要とするところの校長職が実際的にはもう一名ふえるだけの意味しかなく、協力を求めるべき所属教職員との間の断絶をますます広げるのみで、あるべき学校運営の姿とは全く相いれない結果しか生じないのであります。したがいまして、この教頭職の法制化は、校長職務の量的限界を補助する消極的な意義はあるにいたしましても、積極的に校長の質的限界を補い得る期待は全然持ち得ないと言わなければならないと思います。  また、教育行政は、先ほども申し述べたように、正しい学校教育が行なわれることを保障するための教育諸条件を整備をすることがその任務であるのであります。そして、もしこれを妨げるような政治権力の介入とかあるいは文部行政の画一的、固定的なむちゃな押しつけがあるならば、断固としてこれを排除することがその正しいあり方であるのであります。教育基本法第十条にいう教育行政の基本理念はまさにここにあるのであります。しかし、現実の教育行政は、このようなあるべき姿とは全く相反する状態にあることを残念ながら指摘をせざるを得ないのであります。末端の教育行政まで浸透し横行しておるところの旧ドイツ帝政時代の遺物である特別権力関係論や、中教審答申の強調しておるところの学校管理組織の重層構造化の理念は、今日学校職場に行政あって教育なしという状態を生んでおるのであります。過日、文教委員会の論議の中で強く糾弾されましたところの、地方教育委員会の内申がなくても、県教育委員会は県費教職員の任免にかかわる措置ができるという文部省の見解は、まさにこのような官僚的法治主義の典型と言わなければなりません。それだけに、本法案の教頭職法制化の措置は、このような傾向をますます助長する役割りを果たすのみのものであることは間違いないのでございます。したがいまして、本法案は、決して単なる教頭職の法律上の明文化ではなく、われわれ日本国民が敗戦のとうとい代償としてあがなった憲法及び教育基本法そのものの否定にもつながるものであると言わなければならないのであります。  かかる企図とその方向を促進するところの本法案をわが日本社会党は断じて認めるわけにはまいりません。  断固反対であることを再び表明いたしまして、討論を終わります。(拍手)     —————————————
  109. 河野謙三

    議長河野謙三君) 斎藤十朗君。    〔斎藤十朗君登壇拍手
  110. 斎藤十朗

    ○斎藤十朗君 私は、自由民主党を代表して、学校教育法の一部を改正する法律案、いわゆる教頭法制化法案に賛成討論を行なうものであります。  本法案の中心は、現在の教頭が文部省省令の規定により教諭をもってあてることとなっておりますが、これをその他位と職務内容に応じて教諭とは別に独立の職として法律上明確に位置づけようとするものであります。  ちまたにおいて本法案について説いても、現在すでにある教頭の位置づけを明確にするのに、なぜそんなに反対され、なぜ重要法案扱いされるのかという素朴な感情に出会うのであります。私がかつて小学校に入学したとき、入学式の日に私の母親が、「あの人が校長先生よ、あの人が教頭先生よ、そしてあの人が担任の先生ですよ。」と話してくれた記憶があり、いまでも鮮明に覚えております。このように、どこの学校でも、学校があれば校長がいて教頭がいるということが一般の常識となって国民の意識の中に定着しているのであります。  本法案は、かかる背景を踏まえながら、すでに昭和四十三年以来三たびにわたって国会提案をされながら、野党の理解しにくい強い反対の前に、何ら審議されないまま葬り去られ、現在四度目の提案によりようやく成立いたさんといたしております。本法案が最近の思いつきなどでないことを指摘しておきたいのであります。  ところで、現在、教頭は、学校教育法施行規則において、「校長を取け、校務を整理する。」と明確に位置づけられ、人事院規則や人事委員会規則で管理職として規定され、管理職手当も支給されており、また、その職務内容も、企画、調整、管理、指導といった、教諭というよりもむしろ校長の職務に近い職務を行なっています。このように教頭は、校長に次ぐ重要な地位を占め、管理職としての職務を行なっているにもかかわらず、現在の教頭は教諭をもってあてるものとされており、教諭に教頭という職務を付加するという、まことに実態にそぐわない制度のもとに置かれております。このたび、この実態に即して、教頭を教諭とは別の独立の職として法律上明確に位置づけることは、教頭の身分を確立することはもとより、教頭に自信と誇りを与え、その職務に安んじて専念していただくことを保障するものであって、まことに時宜を得た措置であると思うのであります。日教組をはじめ一部政党は、この法案が学校の管理体制の強化につながると宣伝し、執拗な反対を繰り返しておりますが、私は本法案の成立により管理体制が強化されるものとは思いません。しかし、百歩譲っても、わが党は、学校管理が適正に行なわれることが教育の効果を促進するという確信に立ってこの法案に賛成しているのであります。  学校という組織体が一体となって所期の成果をあげていただくためには、校長の指揮のもとに教頭がそれを助け、各教職員が円滑に秩序をもって教育活動を展開していく必要があります。このような学校経営と申しましょうか学校運営があって初めて国の大本である学校教育がその所期の目的を達成することができるのであります。  本法案が成立し、教頭職が確立されることにより、教員定数が小中学校で一万四千人も大幅に増加されることであり、教員の負担が軽減され、皆さんが余裕をもって一そう教育に専念していただけるメリットをも兼ね備えておるのであります。加えて、衆議院における民社党の修正によって、教頭は必要に応じて児童生徒の教育をつかさどるとなりましたことは、一そう教頭の立場を明確にするものであり、まことに適切な修正であります。民社党の皆さまの教育に対する熱情に対して深い敬意を表するものであります。(拍手)  また、養護助教諭、講師、実習助手、寮母につきましても、学校において重要な役割りを果たしている職員であるにもかかわらず、学校教育の基本を定めた学校教育法にその職が明確に規定されていないことは、他の職員との均衡を欠くものであり、この法律によってこのことが是正され、法律上の位置が明確にされますことは、これら職員の自覚と励みを与えるものとして、これまた時宜を得た措置であると思います。  わが自由民主党は、終始一貫して教育は国づくりの基本であるという認識に立って、最重点政策の一つとして教育政策を推し進めてまいりました。一年の計は穀を植えるにあり、十年の計は木を植えるにあり、そして百年の計は人を教育することにありといわれています。まさに国家百年の計に思いをいたすとき、次代の日本をになう青少年を育成する教育、なかんずく学校教育の果たす役割りの重要性については、いまさら多言を要しないところであります。  わが党が教育の振興をはかる施策を進める上で最も重視し力を入れておりますのは教員の問題であります。言うまでもなく教育は、教える者と教えられる者との魂と魂の触れ合いであり、教師と児童生徒との全人格的な信頼関係を基礎に成り立っているものであり、児童生徒に与える教師の影響力の大きさははかり知れないものがあります。教育の成否はかかって教育者にあると言っても過言ではありません。  このような観点から、わが自由民主党は、教職にすぐれた人材を迎え入れ、教職員が使命感にあふれ、情熱を傾けて安んじて教育に専念できるようにするためには、何よりもまず教職員の給与を抜本的に改善することが緊急の課題であると考え、いわゆる教員人材確保法案の成立にわが党の全精力をあげて取り組んできたところであります。幸いにこの法案は今国会において成立し、教職員給与の抜本的改善をはかるという国の政策が確立されたのであります。この世界に類例のない画期的な制度について、国民父兄各層ひとしく歓迎し、教職員がその職責遂行に専心情熱を注ぐことができるものと期待を深めているところであります。  しかるに、日教組等は、政府の文教政策にことごとく反対をし、政治目的を掲げた違法なストライキを繰り返してまいりました。国民の教育に寄せる信頼を裏切って日教組等はさきの春闘に参加し、児童生徒を犠牲にしてスト権奪還の政治的目的等を掲げて、去る四月十一日全一日、十三日には午前二時間に及ぶかつてない規模の違法なストライキを全国的に実施し、さらにその上塗りをするがごとく、今月二十三日はこの法律案の粉砕を叫んで一時間の違法なストライキを実施いたしたのであります。今月二十三日のストこそ、政治ストと呼ばれて返すことばはないと思うのであります。法律案審議すべき場は、国民の代表によって構成されるこの国会であります。それを無視して、しかも違法なストライキをもって法案粉砕を意図することは、議会制民主主義の否定以外の何ものでもないのであります。法秩序を守るべき次代の国民の育成に携わる教職員がみずから法秩序を破ることは、とうてい理解し得ないところであり、まことに遺憾なことであると言わざるを得ないのであります。日教組等の幹部諸氏の猛省を強く求めるものであります。  国籍不明の教育を排し、日本の伝統と文化の上に立脚した教育を推進することはまさに当然のことであり、次代をになう青少年を正しく育てるに足る教育を、そして父兄が安心してまかせられる教育を、教育の改革は長く、根気よく続けてまいらねばなりません。  この教育の改革の大きな流れの一環として本法案をとらえながら、私は自由民主党を代表してこの法律案賛成するものであります。(拍手)     —————————————
  111. 河野謙三

    議長河野謙三君) 柏原ヤス君。    〔柏原ヤス君登壇拍手
  112. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君 私は、公明党を代表して、ただいま議題となっております学校教育法の一部を改正する法律案に対し、反対討論を行ないます。  まず、本論に入ります前に、先日の文教委員会における本案に対する強行採決について一言申し上げます。  去る二十二日、自民党は、公明、共産の野党が一度も質疑に入らないにもかかわらず、野党の反対を数の暴力で押し切って採決をするという暴挙に出ました。  本法案には、学校教育の本質にかかわる重要な問題が含まれており、院外においても反対意見が強く、国会の場において真剣な論議が望まれていたのであります。教育問題はすべて、一方的な押しつけではなく、十分に論議が行なわれて国民的合意ができてこそその効果があらわれるのであります。だが、ここ数年の文教委員会は、毎国会といってよいほど、強行採決という数を頼んだ、議会制民主主義を破壊に導くような手段がとられているのであります。大学立法しかり、筑波大学法しかりであります。そして今回というように、なりふりかまわぬ方法をとってきたのであります。  では、それで日本の教育はよくなったかといいますと、むしろ本来の教育からはずれた方向へと歩んでいるのであります。過去二十数年間、政府・自民党が権力をもって教育に介入してきた結果がこれであります。相変わらず、本法案のみならず、五つの大切・十の反省とか、君が代、日の丸、教育勅語などと血迷ったことを言っております。二十年間権力をもって行なってきて、いまだ自民党の思うようにならず、国民に受け入れられないということは、今後も全くその可能性がなく、結局教育に関して政権担当能力がないということであります。政府・自民党の教育についての考え方、そこからの発想によって描かれる教育のあり方が、生きている現実の社会の進展から全くくずれているのだというきびしい証明がなされたということにほかなりません。教育は、次代の青少年を育成するという神聖なものであります。党利党略で教育を行なってきた結果が今日の教育危機を招いたのであります。政府及び自民党にこの点を深く反省することを望むとともに、今後は一切教育を論議する文教委員会においては強行採決をしてはならないということを強く要望して、本論に入ります。  さて、教頭職を法制化する本法案は、昭和四十三年以来、国会提出されること三たび、今回が四回目であり、そのたびに野党及び国民の世論からきびしく批判され、廃案となってきたのであります。たび重なる廃案のうき目にあいながらも、なぜこのように政府は教頭法制化に固執するのか、その政府の教育姿勢をただしながら反対理由を述べてまいります。  第一の反対理由は、本法案が教育の中央集権化をさらに推し進めるものであるという理由からであります。  教育行政の中央集権化による教育統制は、昭和三十一年の強行採決による教育委員会任命制移行に始まるのであります。それまで教育委員は民意を反映した公選制がとられており、民主的に運営されておりました。しかし、任命制移行後急速に中央集権化が始まり、県教育委員会の人事面までも管理するようになりました。文部省−都道府県教育委員会−地方教育委員会−校長−教職員というピラミッド型の組織によって官僚統制は強固な体制になったのであります。そして本法案においてさらに校長のもとに教頭を置き、一そうの強化をはかるのであります。教育の世界における中央集権化は、学習指導要領による教育内容の統制、教科書の一律化など画一的な教育となってしまい、本来の教育のあり方とは全く異なった方向へと進められております。本来教育は、自由な雰囲気で創造的な教師のもとで行なわれてこそ初めてその効果があがるのであります。中央集権化をさらに進める本法案は、教育にとって決してよい結果は得られないのであります。  反対の第二の理由は、管理体制の強化をはかる意図を持ったものであるという理由からであります。  さきにも述べましたように、中央集権化は学校の中にまで強い影響を与えているのであります。学校における校長の権限は、学校教育法第二十八条に、「校務を掌り、所属職員を監督する。」とあります。本来、教育面における管理者である校長は、専門知識と人格の権威とによって他の教員を指導、育成していくものであります。しかし、文部省は、この二十八条を学校運営全般の業務に対する管理者監督的な性格であると解釈しております。そうすると校長は、学校運営、管理の上で非常に強い権限を有していることになります。たとえば、一部の学校では、職員会議は名目上のものとなっており、もっぱら校長の命令の伝達や、すでに決定した事項の連絡という便宜的な場になっているという事実は、校長の権限の強さを明らかにしております。このように校長の権限はますます強くなっているにもかかわらず、本法案において、「教頭は、校長を助け、校務を整理し、及び必要に応じ児童の教育をつかさどる。」と、教頭の地位、権限を明確にし、位置づけることは、現行法以上に管理の強化をはかる何ものでもないのであります。このように権限をバックにした校長及び教頭は、教育本来の目的を忘れ、教職員の管理、監督だけに懸命になり、文部省や教育委員会の出先機関的存在になりかねないのであります。未来よりの使者である夢多き子供たちを育てる学校は、教師が生き生きと明るく、自由な雰囲気でこそ本来の教育ができるのであります。学校管理を一そう強め、教育の目的をそこなう危険性のある本法案に私は強く反対いたします。  次に、反対の第三の理由は、中教審路線を歩む反動的法案であるからであります。  中教審答申には、学校の管理について、「学校の種類や規模およびそれぞれの職務の性格に応じて、校長を助けて校務を分担する教頭・教務主任・学年主任・教科主任・生徒指導主任などの管理上、指導上の職制を確立しなければならない。」とし、また、「研修を受けその高度の専門性を認定された者に対して、職制と給与の上で別種の待遇を与えるような制度を設ける」としており、これに基づいて、いわゆる五段階給与体系を提唱しております。これは、縦系列の管理の強化をはかることを目的としており、われわれは断固反対でありますが、本法案は、明らかに、この職階性の第一歩であります。文部省は、職階性の導入はしないと言っているようでありますが、今回の教頭法制化は中教審答申そのものであります。  現在、学校によっては、教務主任、教科主任を部長、課長と呼んでいるところもあるそうです。学校管理は縦系列の管理ではなく、横に広がった組織とすべきであり、そこでは、命令ではなく、互いの意見を交換し合い、民主的な決定の上で仕事を遂行する形をとるべきであります。学校教育の場においては、官僚的発想、官僚的統制は排除すべきであります。
  113. 河野謙三

    議長河野謙三君) 柏原君、時間がだいぶ経過しました。簡単に願います。
  114. 柏原ヤス

    ○柏原ヤス君(続) はい。このように中教審路線の先導である本法案を認めることはできないのであります。  次に、反対の第四は、教師の仕事をさらに増大するということであります。  以上が、私が本法案に反対するおもな理由であります。  現在、政府・自民党は、物価問題等、政府の失政を国民の目からそらして、教育問題を参議院選の争点にしようとしております。しかし、本法案に見られるように、その姿勢は危険な意図を持った反動的色彩の強いものであります。  わが党は、創造性ある人間性豊かな教育を目ざすべく、反動的教育に対してはきびしく対決してまいります。  以上で私の反対討論を終わります。(拍手)     —————————————
  115. 河野謙三

    議長河野謙三君) 松下正寿君。    〔松下正寿君登壇拍手
  116. 松下正寿

    ○松下正寿君 私は、民社党を代表して、ただいま議題となっております衆議院送付学校教育法の一部を改正する法律案賛成討論を行なうものでございます。  本法案の趣意は、管理職としての教頭の地位を明確化し法制化することであり、その目的は、現在激しく動揺しております教育秩序を回復し、教育をそのあるべき姿に近づけることであります。教育そのものと教育秩序とは密接な関係はございますが、同じものではなく、二つ別なものであります。本法案すなわち教頭法が論議される際に、教育そのものと教育秩序という二つのものが混同され、その結果、議論が著しく混乱してきましたことは、まことに遺憾であります。教育そのものは人間形成でありまして、学校教育においては教師と生徒との心情的関係が基礎となるべきは当然であります。したがって、国家権力の介入はもとより、学校の管理権もできるだけ関与しないほうが望ましいのはもちろんであります。  本法審議中、国会の内外において、教頭法は管理権を強化するものであるから、教育のあるべき姿に反するという非難がなされました。この議論は、それだけとしては正しいのであります。しかしながら、この議論は、あたかも外科手術を要する患者がいる場合に、患者の疾病のことは全くこれを無視して、抽象的に血を流すこと、身体を傷つけることがいいかどうかを論ずるようなものでありまして、教育そのものと教育秩序とを峻別しないと、そのような議論の混乱が生じてまいります。  われわれの直面している問題は、教育そのものの前提条件であるところの教育秩序が確立されているかどうかであり、われわれは残念ながら教育秩序が現在著しく乱れ、崩壊の危険をはらんでいるという事実を認識せざるを得ません。(拍手)したがって、本国会に課されている問題は、抽象的に教育の正しい姿はいかにあるべきかではなく、現在のように教育秩序が混乱し、正しい教育ができないという実情のもとに、教育秩序をいかにしたならば回復できるかという、それがわれわれの直面している問題であります。そしてわれわれは、管理者としての教頭の地位を明確化し法制化することが教育秩序の回復の一つの有力な方法であると信じているのであります。  再び繰り返して力説いたしますが、教頭法は直ちに教育効果とはつながりません。しかし、現在のように教育秩序が著しく乱れていては正しい教育を期待することはできません。教育秩序の回復ということが一切の問題の先決問題であります。しかるに、本法を非難する人は、教育秩序の混乱という事実を故意に無視し、教育秩序が完全に保たれているかのごとき仮定を設け、その仮定のもとに理想的教育はいかにあるべきかという問題を設定し、その設定に従って教頭法は管理権を強化するものであるから教育の理想に反すると、そういう論法をとっております。そうでありますからして、まさにこれは問題のすりかえであります。本法に対する賛成反対、これは別問題でありますが、問題の本質がどこにあり、そして本法が必要になった原因を明らかにすべきであります。教育秩序が今日のように混乱し、正常な教育が不可能であるという悲しむべき状態がないと仮定したら、教頭法は必ずしも必要はないかもしれません。国家権力が全然介入しない、学校当局の管理権すらあまり関与しない、そういう平穏無事な状態で教師と生徒との心情的つながりによって人間形成が行なわれるということ、これがまさに理想的教育であります。しかし、教育秩序が完全に保たれればそういう理想的教育は決して不可能ではありませんが、現在の教育秩序は、ある特定のイデオロギーとその特定のイデオロギーに基づく組織によってゆさぶりをかけられております。今日の教育の危機の原因はまさにそこにあります。このゆさぶりをかけているイデオロギーの立場から見ると、現行の教育秩序はやがて崩壊すべき体制の一部であるから、混乱におとしいれ、崩壊を早めたほうがいいという論法になるかもしれません。もしそれが本意であるとしたら、それは世界観の問題でありますから、この討論において論ずるのは不適当であります。しかし、彼らの意図が何であるにせよ、現在教育秩序が著しく乱れ、正常な教育が至難な状態にあることは明らかな事実であります。今日は、理想的教育のあり方を論ずるよりも、諸悪の根源であるところの教育秩序の乱れに関心を集中し、教育秩序を回復することを考うべきであります。その目的のために教頭法の成立は絶対に必要であると私は信じ、本法案の成立を強く要望するものであります。  しかしながら、教頭法の運営については、どこまでも教育的でなくてはいけません。私は、さきに、教育そのものと教育秩序とは区別すべきものであることを述べました。そして教頭法は教育秩序に関する法律であることを指摘いたしました。この法律により教頭が管理職であることが明確化されたからであります。しかし、学校における管理は、管理のための管理ではなく、いわんや営利のための管理ではありません。教育こそ真の目的であり、教頭の管理権は教育秩序を維持するに必要な最小限度にとどむべきでありますから、かりそめにもその運営が権力的であるという印象を与えないよう、細心の注意を払っていただきたいのであります。  最後に、私は、教頭法の成立に伴う定数の改正がすみやかに実現されますよう政府に対し強く要望して、私の賛成討論を終わります。(拍手)     —————————————
  117. 河野謙三

    議長河野謙三君) 河田賢治君。    〔河田賢治君登壇拍手
  118. 河田賢治

    ○河田賢治君 私は、日本共産党を代表して、学校教育法の一部を改正する法律案、いわゆる教頭法案について、反対討論を行なうものであります。  反対の第一の理由は、この法案が本日の本会議に上程されるに至った経過が示すように、事国民の合意を前提とすべき教育に関する重要法案を、自民党が相次ぐ強行採決によって議会制民主主義をじゅうりんし、その成立をはからんとする点であります。  教頭法案は、国会提出されて以来すでに三回、そのたびに世論の強い反対で廃案となり、前国会でもようやく継続審議となって今日に至ったものであります。しかも、今国会での本法案の取り扱いは、衆議院において議長の凍結解除が行なわれた直後の五党国対委員長会談で、予算関連法案の先に無理押しはしないなどの申し合わせがなされてきたものであります。しかるに自民党は、公党間の約束を踏みにじり、本法案を自民、民社両党だけで採決を強行するという暴挙によって参議院に送付されてきたものであります。さらに、参議院においても自民党は、文教委員会での合意を一方的に踏みにじり、去る五月二十二日には突如として委員長職権で開会を強行、わが党と公明党には一言の質疑をも認めないまま、自民、民社両党だけで不法不当な暴挙を積み重ねてきたのであります。  しかも、許しがたいのは、国民的合意を得るよう慎重に対処すべき教育に関する本法案が、このような自民党の相次ぐ議会制民主主義の破壊、問答無用の暴挙を合法化し、多数の力でその成立をはからんとすることであります。これこそ本法案にかける政府・自民党の政治的ねらいが国民の求める教育とはおよそ無縁なものであり、教育を党利党略の具に供しようとする以外の何ものでもありません。  このような経過のもとに上程された本法案は、国民と教育の名において絶対に容認できないのであります。  第二の反対理由は、この法案の内容についてであります。  もともと校長、教頭は、教育上の高い識見と豊かな経験の上に立って教師に助言し、援助すること、さらに、教師や子供、父母からも信頼される指導力を持つことが必要であります。ところが本法案は、教頭職を法制化することによって行政的管理のみが強化され、ただでさえ足りない教員定数は一名減となり、教職員の総意を反映する職員会議を軽視するなど、教師が学校で創意を発揮した生き生きとした教育を行なうことをますます困難にするものであります。  このように、教育活動を行なう教師の自主的な活動を抑え、教師への管理統制のみを強める本法案は、学校という教育の場を、あたかも官庁か企業と同列視するものであり、これは教育の国家統制への道を一段と強めるものと言わなければなりません。  しかも、この法案は、いま政府・自民党が次々と打ち出している反動的な教育改革、教育の軍国主義化を進める道具に教頭をしようとするものであり、このような意図は断じて許すことはできません。いま、国民が教育に切実に求めているものは、教師に対する政府・自民党の反動支配の強化ではなく、深刻な事態となっている教育の荒廃の現状を即刻打開することであります。今日、わが国の教育は、自民党政府の反動的文教政策のもとで、授業についていけない子供の激増、受験地獄の深刻化、子供の非行化、教育費の父母負担の過重、プレハブ教室、老朽校舎など、教育条件の劣悪化等々、教育行政の貧困と荒廃は目をおおうものとなっております。いま必要なことは、学習におくれた子供を出さないこと、一人一人の子供の基礎的な知識や技術の基本を系統的に学習できる教育を保障することであります。そしてそのためには、教育施設の充実、教職員の増員、その自主的研修権の保障など、教育条件の整備拡充こそ、今日、文教行政に求められている緊急課題なのであります。かかる深刻な教育荒廃の現状を顧みることなく、教師への管理、統制のみを強化する教頭法案の成立を強行しようとする態度は、本末転倒もはなはだしいと言わなければなりません。  第三の反対理由は、本法案が政府・自民党の反動的な教育路線の復活、教職員の民主的な諸権利に対する攻撃と深く結びついて出されてきている点であります。  田中総理は、最近、五つの大切・十の反省などと徳育教育の強化を唱え、さらには軍人勅諭や教育勅語にもいいところがあると繰り返し発言し、君が代の法制化を打ち出すなど、戦前の忠君愛国を基本とした修身教育の復活の意図を露骨に示しているのであります。  さらに政府は、憲法が保障している教職員の当然の権利であるストライキ権に攻撃を加え、日教組への狂暴な政治的弾圧を行ない、教師の民主的諸権利を奪い去ろうとしているのであります。  総理の賛美する教育勅語や修身教育が何をもたらすかは、あの悲惨な戦禍をもたらし、いままた修身教育の優等生たちによって悪徳商法が横行させられ、千載一遇のチャンスなどと国民を欺き、一億国民から諸悪の根源としてきびしい糾弾にさらされている事実を示すだけで十分であります。  また、わが党は、教師の民主的諸権利に対する攻撃が、教師を再び権力に従順なもの言わぬ教師につくりかえることをねらった政府・自民党の誤った教師聖職論と一体となって強められていることを見過ごすことができません。言うまでもなく、教師は、教育基本法によって、不当な支配に屈することなく、国民全体に直接責任を負って教育に当たることとされ、しかも、教育の専門家として子供の基礎的な学力を育て、人格形成に響影を与える重要な役割りをになっているのであります。したがって、教師は当然その地位を尊重され、教育活動に専念できる諸条件が保障されるべきであります。  しかるに政府が、教師に対して、憲法に明記された労働基本権はもとより、政治活動をはじめ、市民的諸権利にまで攻撃を加えていることは、聖職の名によって教師の地位を逆に低下させ、教育の反動化を一そう押し進めようとするものであり、断じて容認することができないのであります。本法案もまた、こうした政府・自民党の反動的な教育再編の意図の一環をなすものであります。さらに、教育内容、生活指導、学校運営など、教育方針の重要事項に対する教職員発言権を弱めることをねらっていることは明白であります。  以上の立場から、私は、最後に本法案の撤回を強く要求して、反対討論を終わります。(拍手
  119. 河野謙三

    議長河野謙三君) これにて討論は終局いたしました。  これより採決をいたします。  表決は記名投票をもって行ないます。本案賛成諸君は白色票を、反対諸君は青色票を、御登壇の上、御投票を願います。  議場の閉鎖を命じます。氏名点呼を行ないます。    〔議場閉鎖〕    〔参事氏名を点呼〕    〔投票執行〕
  120. 河野謙三

    議長河野謙三君) 投票漏れはございませんか。投票漏れはないと認めます。投票箱閉鎖。    〔投票箱閉鎖〕
  121. 河野謙三

    議長河野謙三君) これより開票いたします。投票を参事に計算させます。議場の開鎖を命じます。    〔議場開鎖〕    〔参事投票を計算〕
  122. 河野謙三

    議長河野謙三君) 投票の結果を報告いたします。   投票総数         百七十票   白色票  百四票     青色票          六十六票  よって、学校教育法の一部を改正する法律案は可決されました。(拍手)      ——————————   〔参照〕  賛成者(白色票)氏名      百四名       木島 則夫君    松下 正寿君       中沢伊登子君    中村 利次君       高山 恒雄君    熊谷太三郎君       森 八三一君    小山邦太郎君       斎藤 十朗君    中西 一郎君       林  ゆう君    寺下 岩蔵君       中村 登美君    松岡 克由君       細川 護煕君    橋本 繁蔵君       中村 禎二君    棚辺 四郎君       矢野  登君    柴立 芳文君       大松 博文君    高橋 邦雄君       嶋崎  均君    桧垣徳太郎君       二木 謙吾君    河口 陽一君       橘直  治君    岡本  悟君       玉置 和郎君    高橋雄之助君       山内 一郎君    温水 三郎君       小川 半次君    鹿島 俊雄君       大森 久司君    植木 光教君       木内 四郎君    新谷寅三郎君       上原 正吉君    古池 信三君       杉原 荒太君    高橋文五郎君       楠  正俊君    柳田桃太郎君       山本茂一郎君    石本  茂君       志村 愛子君    古賀雷四郎君       黒住 忠行君    河本嘉久蔵君       金井 元彦君    川野 辺静君       今泉 正二君    渡辺一太郎君       山崎 竜男君    世耕 政隆君       佐藤  隆君    竹内 藤男君       原 文兵衛君    長田 裕二君       上田  稔君    菅野 儀作君       佐田 一郎君    藤田 正明君       木村 睦男君    西村 尚治君       岩動 道行君    土屋 義彦君       内藤誉三郎君    平泉  渉君       鍋島 直紹君    増原 恵吉君       米田 正文君    小笠 公韶君       柴田  栄君    大谷藤之助君       大竹平八郎君    郡  祐一君       安井  謙君    堀本 宜実君       塩見 俊二君    剱木 亨弘君       吉武 恵市君    迫水 久常君       長屋  茂君    若林 正武君       片山 正英君    梶木 又三君       岩本 政光君    初村滝一郎君       星野 重次君    稲嶺 一郎君       佐藤 一郎君    林田悠紀夫君       宮崎 正雄君    久保田藤麿君       寺本 廣作君    伊藤 五郎君       平島 敏夫君    山本 利壽君       徳永 正利君    町村 金五君       田口長治郎君    八木 一郎君     —————————————  反対者(青色票)氏名      六十六名       野末 和彦君    青島 幸男君       矢追 秀彦君    黒柳  明君       田代富士男君    柏原 ヤス君       原田  立君    中尾 辰義君       宮崎 正義君    山田 徹一君       多田 省吾君    白木義一郎君       小平 芳平君    田  英夫君       戸田 菊雄君    前川  旦君       杉原 一雄君    茜ケ久保重光君       杉山善太郎君    野々山一三君       田中寿美子君    戸叶  武君       森中 守義君    鶴園 哲夫君       西村 関一君    中村 英男君       森  勝治君    羽生 三七君       加藤シヅエ君    藤原 道子君       中村 波男君    松永 忠二君       片岡 勝治君    辻  一彦君       佐々木静子君    須原 昭二君       沓脱タケ子君    小谷  守君       神沢  浄君    鈴木美枝子君       宮之原貞光君    加藤  進君       竹田 四郎君    安永 英雄君       川村 清一君    鈴木  力君       小野  明君    山崎  昇君       星野  力君    塚田 大願君       松本 賢一君    小林  武君       矢山 有作君    須藤 五郎君       竹田 現照君    占部 秀男君       横川 正市君    大矢  正君       河田 賢治君    藤田  進君       沢田 政治君    村田 秀三君       田中  一君    足鹿  覺君       加瀬  完君    秋山 長造君      ——————————
  123. 河野謙三

    議長河野謙三君) この際、常任委員長の辞任についておはかりいたします。   建設委員長       野々山一三君   決算委員長       田中寿美子君 から、それぞれ常任委員長を辞任いたしたいとの申し出がございました。  いずれも許可することに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  124. 河野謙三

    議長河野謙三君) 御異議ないと認めます。よって、いずれも許可することに決しました。      ——————————
  125. 河野謙三

    議長河野謙三君) つきましては、この際、欠員となりました常任委員長選挙を行ないます。
  126. 森勝治

    ○森勝治君 常任委員長選挙は、その手続を省略し、いずれも議長において指名することの動議を提出いたします。
  127. 柴立芳文

    ○柴立芳文君 私は、ただいまの森君の動議に賛成いたします。
  128. 河野謙三

    議長河野謙三君) 森君の動議に御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  129. 河野謙三

    議長河野謙三君) 御異議ないと認めます。  よって、議長は、建設委員長に小野明君を指名いたします。    〔拍手〕  決算委員長に前川旦君を指名いたします。    〔拍手〕      ——————————
  130. 河野謙三

    議長河野謙三君) この際、おはかりいたします。  小野明君、吉田忠三郎君から裁判官弾劾裁判所裁判員を、横川正市君から同予備員を、上田哲君、安永英雄君から裁判官訴追委員を、それぞれ辞任いたしたいとの申し出がございました。  いずれも許可することに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  131. 河野謙三

    議長河野謙三君) 御異議ないと認めます。よって、いずれも許可することに決しました。      ——————————
  132. 河野謙三

  133. 森勝治

    ○森勝治君 各種委員選挙は、いずれもその手続を省略し、議長において指名することの動議を提出いたします。
  134. 柴立芳文

    ○柴立芳文君 私は、ただいまの森君の動議に賛成いたします。
  135. 河野謙三

    議長河野謙三君) 森君の動議に御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  136. 河野謙三

    議長河野謙三君) 御異議ないと認めます。  よって、議長は、裁判官弾劾裁判所裁判員に戸  叶武君、村田秀三君を、  同予備員に神沢浄君を、  裁判官訴追委員に小谷守君、沢田政治君を、  皇室会議予備議員松永忠二君を、  検察官適格審査会委員に鈴木力君を、  同予備委員に向井長年君を、  国土総合開発審議会委員に中村波男君を、  東北開発審議会委員に戸田菊雄君を、  九州地方開発審議会委員に森中守義君を、  四国地方開発審議会委員に秋山長造君を、  国土開発幹線自動車道建設審議会委員に野々山  一三君を、  首都圏整備審議会委員に森勝治君を、  北海道開発審議会委員に竹田現照君を、  日本ユネスコ国内委員会委員に田英夫君を、  鉄道建設審議会委員に藤田進君をそれぞれ指名いたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後七時二十一分散会