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1974-05-16 第72回国会 参議院 文教委員会 第14号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十九年五月十六日(木曜日)    午前十時三十四分開会     —————————————    委員異動  五月十五日     辞任         補欠選任      嶋崎  均君     金井 元彦君  五月十六日     辞任         補欠選任      黒住 忠行君     高橋 邦雄君      鈴木美枝子君     松永 忠二君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         世耕 政隆君     理 事                 斎藤 十朗君                 内藤誉三郎君                 片岡 勝治君                 小林  武君     委 員                 今泉 正二君                 金井 元彦君                 黒住 忠行君                 志村 愛子君                 高橋 邦雄君                 中村 禎二君                 中村 登美君                 二木 謙吾君                 加瀬  完君                 松永 忠二君                 宮之原貞光君                 矢追 秀彦君                 松下 正寿君                 加藤  進君        発  議  者  松永 忠二君        発  議  者  宮之原貞光君    国務大臣        文 部 大 臣  奥野 誠亮君    政府委員        内閣法制局第二        部長       味村  治君        人事院事務総局        給与局長     茨木  広君        文部政務次官   藤波 孝生君        文部大臣官房長  井内慶次郎君        文部省初等中等        教育局長     岩間英太郎君    事務局側        常任委員会専門        員        渡辺  猛君    説明員        厚生省児童家庭        局障害福祉課長  北郷 勲夫君     —————————————   本日の会議に付した案件学校教育法の一部を改正する法律案(第七十一  回国会松永忠二君外二名発議)(継続案件) ○公立障害児教育学校学級編制及び教職員定  数の標準に関する法律案(第七十一回国会松永  忠二君外二名発議)(継続案件) ○公立障害児教育学校に係る経費国庫負担に  関する法律案(第七十一回国会松永忠二君外二  名発議)(継続案件) ○学校教育法の一部を改正する法律案(第七十一  回国会内閣提出、第七十二回国会衆議院送付)     —————————————
  2. 世耕政隆

    委員長世耕政隆君) ただいまから文教委員会を開会いたします。  この際、委員異動について御報告いたします。  昨日、嶋崎均君が委員辞任され、その補欠として金井元彦君が選任されました。     —————————————
  3. 世耕政隆

    委員長世耕政隆君) 学校教育法の一部を改正する法律案(第七十一回国会参第五号)、公立障害児教育学校学級編制及び教職員定数標準に関する法律案(第七十一回国会参第六号)及び公立障害児教育学校に係る経費国庫負担に関する法律案(第七十一回国会参第七号)、以上三案を便宜一括して議題といたします。  前回に引き続き、三案に対する質疑を行ないます。  質疑のある方は、順次御発言を願います。
  4. 加瀬完

    加瀬完君 先日も議論になりましたが、これは文部省に伺いますが、義務教育においては就学義務があるわけですが、裏返しをすれば、国家あるいは地方公共団体としては、無償教育を与えなければならない義務と、このように読み取るべきだと思いますが、これはお認めになりますね。
  5. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 憲法の二十六条には、保護者のその子女に対して「教育を受けさせる義務」というのが規定してございますが、それと同時に、義務教育につきまして、「義務教育は、これを無償とする。」というふうな規定があるわけでございます。したがいまして、ただいま先生が御指摘になりましたように、その保護者教育を受けさせる義務、それから国、都道府県、それから市町村、そういうところのそれを受け入れるために、施設その他の整備を行なう義務、それから「義務教育は、これを無償とする。」ということでございますから、これは教育基本法規定によりまして授業料を徴収しないということが基本になるわけでございますけれども、経済的な理由就学のできない者につきましては、別に規定があるわけでございます。したがいまして、保護者義務と、それに対する国、地方公共団体義務と、二つの義務がこの中にあるという御指摘につきましては、そのとおりでございます。
  6. 加瀬完

    加瀬完君 大筋ではお認めいただいたと思いますが、無償義務というものは、単に授業料を徴収するか徴収しないかという狭義に解すべきものではないと思うのです。  そこで、縮めていえば、この無償義務障害者に対しても当然存在すると認めてよろしゅうございますね。
  7. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 義務教育無償につきましては、いろいろな考え方があってしかるべきだと思いますが、現在のところ、最高裁の判例では、授業料を徴収しないということになっているわけでございます。しかしながら、御案内のとおり、教科書につきまして無償という制度を設け、また、経済的な理由によりまして就学困難な者に対する援助も行なっているわけでございまして、先生のお気持ちと申しますか、それを広げていくべきだというふうなお考え、これにつきましては、私どもも、そのように考えているわけでございます。もちろん、障害児につきましても、義務教育が施行されました場合には、これは義務教育にしようということになるわけでございますけれども、現在でも、いま御指摘になりましたような気持ちで、ほかの義務教育学校児童生徒と同じような扱いをしていくということ、これは当然であろうというふうに考えます。
  8. 加瀬完

    加瀬完君 京都府の北部障害者問題連絡会というものが、「すべての子供にひとしく教育を保障することに関する請願書」というものを京都府の議会提出をいたしましたのに対しまして、同議会は、すべての子供が持つ教育を受ける権利を保障するのは国の義務である、こういう意見書内閣総理大臣文部大臣厚生大臣等提出しておりますことは御存じですか。
  9. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) まだ私、その具体的なそういうふうなものを拝見したことはございません。
  10. 加瀬完

    加瀬完君 文部大臣は当然出席すると思いましたから、文部大臣提出されておるわけですから文部大臣に伺おうと思いましたが、おりませんがね。すべての子供が持つ教育を受ける権利を保障するのは国の義務である、こう京都府の議会は議決をして意見書を出したようでございますが、これに対する局長の御見解はいかがですか。
  11. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 御案内のとおり、義務教育につきましては、大体国と都道府県と、それから市町村が三者でほぼ経費につきましては均等に責任を持っているわけでございます。義務教育の具体的な実施責任は、小中学校につきましては、これは市町村が主体になるというふうなことになるわけでございますし、それから特殊教育の諸学校につきましては、都道府県がその第一義的な責任を負うということでございますが、いま申し上げましたように、やはり義務教育と申しますものは、国も、それから都道府県も、市町村も、それぞれの責任範囲におきましてそれぞれ責任を分担すべきものである。経費の面につきましても、現在大体三分の一ずつ小中学校につきましては経費の分担が行なわれておるというふうな現状でございますから、それぞれが力を合わせまして義務教育実施、また、無償実施、そういうものにつとめるというのがこれはたてまえであるというふうに思っております。
  12. 加瀬完

    加瀬完君 これは、財政論になって恐縮ですが、義務教育無償とするということは、国、都道府県、あるいは市町村の各団体が共同で無償義務を負うということには、解することは無理ですね。無償義務というのは、国が負うべきであるわけです。したがって、財政対策上、現状のように部分的に市町村負担になる面、あるいは都道府県負担になる面があったとしても、その財政基礎といいますか、財源のあり方というものは、やっぱり国がもし事務公共団体に分担させるというなら、その事務負担にたえる財政措置というのは国が責任を持たなければならないということは当然な解釈だと思うのですよ。そういう点になっておらないことが地方団体からはたびたび指摘をされておるわけです。あるいは超過負担問題等。——おたくの大臣は自治省に長くいらしたわけですから、これはもう十分にそれらについては御専門でありますから、御理解が届いていると思いますけれども、そういうことで、地方団体と国の間に相当の意見の不一致がありますことは御存じのとおりであります。したがいまして、それは議論になりますからやめますけれども、少なくも、京都府議会意見書というものは、原則としては、私は妥当なものだと思いますが、この点はお認めになるでしょうね。具体的にどうこうということに対しては異論があるとしても、原則としては、やっぱりこれは筋としては認めざるを得ない。お認めになりますか。
  13. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 先生のようなお考え方が全然ないというわけではございません。たとえば、市町村立小中学校先生方の身分を全部国家公務員にして、その給与は全部国で負担すべきだというふうな議論が過去におきましてあったことは事実でございます。そういうことでございますから、憲法にも書いでございますように、「法律の定めるところにより、」ということでございまして、国会の御意思のいかんによりまして、その責任の所在というものがどちらに傾いていくかというふうなことは当然あり得ることでございます。ただ、現在のところ、小中学校は、全国くまなく設けざるを得ないということ、そういう意味から申しまして、沿革的に市町村、それから都道府県、それから国、三者が責任を分担するというような形をとってきたことは御案内のとおりでございます。  それからまた、もう一つ、まあ加瀬先生地方財政のほうは非常にお詳しいわけでございますが、そういう地方財政につきまして、国が現在地方交付税制度によりまして、ある意味で最終的に国がめんどうを見ると申しますか、財源的に全国的に均等な行政を保障するために国が責任を負っているということ、これも事実でございまして、そういうふうな角度から申し上げまして、別に国が責任を負っておらないというわけではないと思います。ただ、はっきりと、国がもうすべて責任を負うんだ、都道府県には責任がないんだというふうな考え方、それは私どもはとらない、あるいはとらないほうが妥当ではないかということで、現在の制度が設けられておるというふうに考えておるわけでございます。
  14. 加瀬完

    加瀬完君 これは、教育費というものを局長は非常に狭義に解釈いたしまして、教員俸給だけを教育費というふうに解すると思われるような御説明ですが、教育費無償というものは、単に学校先生方俸給をだれが持つかということだけにはとどまらないわけですね。施設もあれば、教科書もあれば、運営費用もあれば、そういうものが、現状においては市町村なり都道府県義務に課せられておりますから、市町村なり都道府県財政の力によって非常な差別が生じていると言えますね。たとえば教員給与といったって、ほとんど四十六どおりといってもいいほど段階がついている。学校施設でも市町村によって非常に違いますね。こういうことが義務教育無償という原則からいえば、あっていいことなのか、ないほうがいいことなのかというのはこれはもう説明を要するまでもない。そういう点を考えますと、教員給与市町村負担のときでも、その市町村負担俸給を払う、その財源というものは国が見ておりましたね。今日でも、いまおっしゃるように、確かに学校を建てる費用でも、あるいは学校運営をする一部費用でも、交付税単位費用で計算していますよね。しかし、単位費用で計算しているもの、あるいは校舎など補助金で計算しているもの、それが現状を十分補っているかということになりますと、そうはまいりませんね。たとえば、千平米建てるものも千平米そのまま認めるという形をとりませんで、厳格に査定されますね。七〇%か七五%ぐらいしか対象にならない。単価にいたしましても、平米八万円かかっても、それが去年ならば五万三千円ですか、ことしは幾らかふえましたが、そういう形で、できるところもあるかもしれないけれども、できないところが大部分という状態に置かれている、そういう幾つかの問題点があるわけです。これらを全部解決するような形をとらなければ、ほんとうの意味憲法規定している義務教育無償とするということは完全に果たされたとは言われないという意見は、私だけが故意に局長にふっかけている議論ではないわけです。これは当然多くの学者も指摘しておるところです。それは、きょうの本題ではありませんからやめます。  そこで、この前も、加藤委員のほうからもいろいろ問題が出されました。就学免除就学猶予、こういうものは内容の検討なしに就学免除なり就学猶予なりの制度があるから教育を与える義務猶予していいということにはならないと思いますが、これはお認めになりますね。
  15. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 原則的には、そのとおりだと思います。別にそれを否定するわけではございませんけれども、最後の残された義務教育ということでございまして、現実問題として非常にむずかしい問題があるわけでございます。たとえば治療を優先するか、教育を優先するか、あるいは両方をどういうふうに併用してやっていくのかというふうな面でむずかしい点がございます。その個々の判断につきましては、学校当局、あるいは専門家判断というものはある程度尊重する、そういうことになりますと、保護者の御希望と違った部面も現実問題として出てくる可能性がある。これは保護者にもいろいろ御説明して、御納得いただくというふうなことはもちろん必要でございましょうけれども原則は、ただいま先生が申されましたとおり、これはもう間違いございません。
  16. 加瀬完

    加瀬完君 障害児教育が完備をするならば、就学免除をしなくても、あるいは就学猶予をしなくてもいいという対象も、現状としては存在しているということはお認めになりますね。と申しますのは、最近のいわゆるこういう障害児の不就学状況というものの統計は、私は手元にございませんけれども、四十四年程度を見ても、たとえば精神薄弱者は、免除が五千七百六名、それから猶予が五千九百九十七名と、非常に多いわけですね。それから肢体不自由児は、免除が二千五百六十六人、猶予が千八百八人、それから病気なり虚弱者なりというものも、前者が七百六十八人、後者が千八百八十二人というふうに非常に数が多い。これは、障害児教育施設というのが完備されれば、このうちの何割かは救済されると、そういう現状にあるということはお認めになりますね。
  17. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) その点につきましては、全く御指摘のとおりでございます。いままで関係者努力によりまして、昭和二十四年以来、こういう障害を持っておられる方々教育についてはまあいろんな努力が払われてきた。しかしながら、いま先生指摘になりましたように、まだたくさんの方々障害者の中で、教育がまあできるような方がおられるわけでございまして、そういう方々につきましてまだ手が伸びてないというふうな御指摘、これはまことにそのとおりでございます。
  18. 加瀬完

    加瀬完君 そこで、障害児就学または就学免除の限界はどこできめるかといいますと、発達促進可能性程度ということを問題にしているようですけれども発達促進可能性程度というものは一体どういうことなのか、御説明をいただきます。
  19. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) やはり障害児方々教育を行ないます場合にも、これは小林先生からちょっと御指摘、御注意を受けたわけでございますけれども教育効果というちょっとわかりにくい、あまりあいまいなことばを使ったもんでございますから、御指摘を受けたわけでございますけれども、やはりそれに応ずる成長というものが見られなければならないということ、これは基本になるわけでございます。また、実際に教育に当たっておられる方々も、一日一日ではなくても、一月でも二月でも期間を経るに従いまして、それだけのいままでの努力が現実に子供さん方にいろいろな現象としてあらわれてくるというふうなことが期待もされますし、また、必要でもあるわけでございます。まあそういう点をとらえて、一つ判断基準にしておるということでございますが、これはまだわからない分野が非常に多いわけでございますから、いままで間違ってきたことももちろんございましょうし、これから改めなければならない点もあると思います。そういうふうな点につきまして御指導なり何なりいただきますと、さらに、こういう障害児教育が伸びていくと、まあ皆さん方いま手さぐりでいろいろやってきた仕事がようやく少し方向づけができてきたという段階でございまして、まだはっきりと、いまお述べになりましたことも、私のほうからこうこういうもんだということは、なかなか御説明しにくいという点は御了解をいただきたいと思うわけでございます。
  20. 加瀬完

    加瀬完君 発達促進可能性程度というものは、これは障害児の場合は、特に科学的なり医学的なりに厳密な判断をしなければなかなかきめられないものだと思うのですよ。これは厚生省にも伺いますが、この判断はどういう機関によっていま行なわれておりますか。ただ、障害児を受け入れる学校の教師だけの立場で、発達促進可能性程度というものを判断することは不可能だと思います。そこで、伺うわけですけどね。厚生省には、厚生省立場で見て、いま就学猶予をされている子供就学免除になっている子供が、厳格に科学的な判断のもとにおいての発達促進可能性程度が正しく行なわれて、これは猶予しなけりゃならない、免除すべきだというのにどこから見ても該当するということになるか、逆に言うなら、この判断が不正確に行なわれているために、当然就学すべき者まで就学できないという状態には全然ないということが保証できるかどうか、こういう点ひとつ両者からお答えいただきます。
  21. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 私どもの調査では、大体、就学猶予免除を受けておられる方の中で、三割ぐらいはお医者さんなんかの診断を受けているというふうなデータがあるわけでございます。それから、学校にお引き受けするかどうかにつきましては、私どもまだ普及の段階ではございますけれども市町村あるいは都道府県に、お医者さんとか、いままで教育に関係しておられた方、まあそういうふうな専門家方々によるその判別委員会をつくって、そこでできるだけ正しい判断をしていただこうというふうに考えておるわけでございます。まだ医学的にも、教育的にも十分わかっていない分野でございますので、先生がただいま御指摘になりましたように、その厳密な判断ができているかと申されますと、これはできておらないといったほうがむしろ正確かもしれません。そういう点につきましては、これからの問題として、真剣に取り組まなければならない問題であろうというふうに考えております。
  22. 北郷勲夫

    説明員北郷勲夫君) 就学猶予免除の判定が十分にできているかどうかということにつきましては、私どもも、文部省のほうでしっかりやっていただいておるものと考えておりますが、いずれにしましても、最近、私ども障害児をお預かりしております施設におきましても、非常に教育サイド特殊教育をもっと進展させようということで、むしろ教育対象を広げていただくという方向で努力していただいておりますので、現在の就学猶予免除を受けておりますお子さんにつきましても、ずっと御議論のございます五十四年度の就学義務制というようなことの実施に伴いまして、その対象、現在の基準も当然変わってくるんではなかろうかというふうに私どもは考えております。
  23. 加瀬完

    加瀬完君 障害児は、義務教育の前に、障害児保育というのが社会的には当然要求されてまいりますね。これは厚生省分野だと思いますが、この障害児保育は、いまどういう状況にありますか。
  24. 北郷勲夫

    説明員北郷勲夫君) 障害児保育は、一部の地域で現に試行的に行なわれているところもございますが、本年度から、国におきましても、二十カ所ほどテスト的にこれを実施するというような予算を組みまして、現在実施の準備を進めておる段階でございます。
  25. 加瀬完

    加瀬完君 ですから、この障害児に対しては、学齢前であろうと、学齢後であろうとも、対策が非常に不十分だと、こう断定を下さざるを得ないと思う。  そこで、重ねて文部省に伺いますが、七十一条の「養護訓練」ということばがありますね。この養護訓練というものの対象外になる子供というのは一体どういうものですか。障害児で、当然養護訓練というものをしなければならない規定があるわけですけれども免除なり猶予なりされる子供たちは、養護対象にもならなけりゃ、訓練対象にもならないということになるでしょう。そういう子供たちというのは一体あるんですか。
  26. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) これは、まあ教育という範囲をどの程度まで考えるかという問題になると思いますが、養護学校に、あるいは盲学校ろう学校特殊教育学校に収容する子供さん方につきましては、すべて養護訓練対象とする必要があるということで、まああとで御審議を願います定数標準法におきましても、そういう職員を配置するように計画をしているわけでございます。しかし、学校教育の現在対象になっておられない方につきまして、もちろんそういう必要は私はあると思います。あるいは学校に収容しておりますお子さん方以上にあるかもしれませんですが、ただ養護訓練というものを教育範囲として取り入れたということに最近の体制の意味があるわけでございまして、それ以外のお子さん方に対する養護訓練、これが教育として扱うのか、学校教育として扱うのかどうか、広い意味教育ではございますけれども、やはり治療あるいは医療という範囲にも扱えるわけでございまして、そういう方々で病院あるいは養護施設に収容されている方々につきましても、医療という立場治療という立場、そういう立場で同じようなことをやっていた、ただそれを学校教育にも取り入れている、そういうふうに御理解をいただきたいと思います。
  27. 加瀬完

    加瀬完君 障害児教育養護ということになれば、医療なり治療なりというのは当然含まれる場面というものが出てこなければ完全には養護にはなりませんよ。せっかく養護ということば、あるいは訓練ということばを入れたからには、いままでより、いままでの猶予なり免除なりされていたものも相当幅広く教育の中に受け入れられる、こういうことでなければならないわけでしょう。ところが、相変わらず学校教育という、通常の学校教育に耐えられるか、耐えられないかということだけを基準にしておったら、これは障害児教育は成り立たぬ。障害児教育とはそういうものじゃない。基本的に次元が違うと思うんです。障害児状態というものを養護なり訓練によって回復させるという一つの大きな目的も前提としてあるわけでしょう。一般の義務制の小・中学校と同様にやれるかやれないかということで、それを基本に考えては、これは障害児教育にはならないと思います。  そこで、厚生省にもあわせて伺いますが、そういう形で保育施設なり学校施設なり受け入れられないものは、全部これは家庭なり父母なりの負担といいますか、保育ならば保育負担教育ならば教育負担にかけられるということになるわけでしょう。これはお認めになりますね。むずかしいことないですよ。学校なり保育所に収容できないものはみんな家庭でやらなければならないということに現状はなっているでしょうということですよ。
  28. 北郷勲夫

    説明員北郷勲夫君) 保育所に入れない、あるいは学校に入れないという方は、在宅で、私どものほうで在宅の療育相談などを行なっておりますけれども、いずれにしましても、親御さんが何らかの形で養育を行なっているというのはそのとおりでございます。
  29. 加瀬完

    加瀬完君 そうすると、父母なり家庭環境なりが貧困とかあるいはその他の事情ということによってそういう発達環境が十分に与えられない障害児は、環境のマイナスのために、障害をさらに深めるということもあり得ますね。そうすると、こういう対象者に対する対策というものを国はどうして果たしていくか。義務教育だけ考えてもいい。家庭の負担ということになって家庭に置かざるを得ない。家庭が貧困であったり、その他の事情があって障害状況がますます悪くなり得るという可能性も出てくる。こういうものは、義務教育無償であるというたてまえであるならば、国があるいは地方団体が救済をしないでおっぽり放しで現状はされている。そういうことになれば、これは国の義務なり地方団体義務なりというものを怠っているということになるんじゃないですか。こういう点は、今度の障害児教育のことについて文部省はどうお考えになっていられるか。
  30. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) ただいま仰せになりましたように、小中学校の該当年齢の方々につきましては、これは五十四年度から義務制にしたいということを申し上げているわけでございまして、そういう方々が、教育という環境からはずれることによってますます障害が悪化をしていくというふうなこと、これはできるだけ防ぎたいというふうな考え方でございます。その点は先生と何ら変わらないと思います。  しかし、障害児につきましては、いろんな種類それから程度があるわけでございまして、そういう方々が在宅で治療しておられるという場合に悪化するか、それから在宅で保護者の看護のもとに生活しておられるということで教育を受けられる程度まで回復が早められるのか、そういう点につきましてはまだおそらくわかっていない分野であろうと思います。しかし、私どものほうは、正規の施設にそういう方々を収容して教育をするということが効果があるということを信じまして、できるだけそういう方々を収容するという努力を進めてまいりたいというように考えているわけでございます。
  31. 加瀬完

    加瀬完君 これは教育の問題だけではないですよね。こういう父母の会合などにも私が出席したことがあるわけでありますが、厚生大臣ども出席をしております。その障害状況がよくなるとか悪くなるとかではなくて、家庭生活も破壊されてくるわけですね。その一人の障害児を持った家庭というのは特別の経済負担をしなければならないし、あるいは家族のうちのだれかが養護といいますか、保育といいますか、それに専門にあたらなければならないということで、これをただ家庭だけにまかせておいていいかということは大きな社会問題になっていますね。だからここで障害児教育というのを大きく取り上げるというならば、そういう家庭の負担というのを最小限にして、そのいろいろな悪条件というものを家庭から解放させてやるという方策が当然考えられなければならないと思うんです。  そこで、文部省に重ねて伺いますが、こういった公立養護学校整備特別措置法というのができましたね。これに限定してもいい。できてから今日までこの予算内容というのはどういうふくらみをもってきておりますか。その財政規模の変化をひとつ御説明いただきます。
  32. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) これは、管理局長の所管になりまして私から詳細な御説明はできないわけでございますが、御案内のとおり、昭和二十四年にやっと養護学校なるものが一校できたわけでございまして、それから現在まで二百六十数校の養護学校ができているわけでございますけれども、四十三年の予算規模を見ますと、七億三千七百九十七万三千円ということでございますが、四十九年度の予算額は七十一億五千九百九十四万九千円、約十倍になっておるわけでございます。  なお、私どもは特に、いままで二分の一でございました補助率を三分の二に改めるというふうにいたしまして七カ年計画の促進、それから五十四年度からの義務制の施行、そういうことを計画いたしました一昨年以来この拡充につきましては特に努力してまいったつもりでございます。
  33. 加瀬完

    加瀬完君 七億が七十一億になったから十倍だから相当ふえた。数字的に言うと、そういうことになりますけれども、その七十一億というものは、都道府県なり市町村におりてきて実際の養護施設なりあるいは学校なりをどれくらいつくれるかつくれないかということになりますと、これは全くその地域の関係者なりあるいは熱心な地方教育委員なりが望んでいるような数字にはおりてきませんね。人口十万ぐらいの単位に区域を割りまして、その中にかりに一校ずつ障害児の救済の学校を建てるとしても、七十一億というものは微々たるものになりまして予算のていをなしませんよね。それが前の質問者からも御指摘がありましたように、いろいろ言ったって、財政措置何も講じておらないんじゃないか、やる気があるのかないのかということにもなるわけです。  そこで、これは厚生省もやはり一半の責任を持ってもらわなきゃならないと思いますけれども、「訓練」ということば教育法の中にもありますから、その訓練という中には、リハビリテーションを含むのか含まないのか、これを文部省から先に聞きましょう。
  34. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 「養護訓練」というのは、これは最近の新しい学習指導要領の改正によりまして、こういう分野を取り入れたわけでございますけれども、それに従いまして先般の国会教育職員免許法の一部を改正する法律案を御審議いただいたわけでございます。その内容等につきましてはまだ十分開拓をされてない面がございまして、そういう面につきましては、これから開拓をする必要があろうというふうに考えているわけでございます。また、障害程度によりましても、内容はかなり違っているわけでございまして、たとえば肢体不自由児の場合には、いま御指摘になりましたリハビリテーション、そういうものも中に含まれてくるということ、これは当然であろうと思います。
  35. 加瀬完

    加瀬完君 このリハビリテーションというものを障害者だけの責任に押しつけて、障害者責任で社会復帰をさせるというふうな簡単な考え方というものは、私は認められないと思うんです。障害者の要求に社会や国家がどうこたえるかということがむしろ問題で、そうなってくると、そういう意味訓練をするということであれば、障害児対象とする学校は、特別の施設をしなければならないということになりますね。したがって、その予算というものは、普通の義務学校の予算とは違ったふくらみがなければならないということにもなると思うんです。こういう点を文部省はお考えになっていらっしゃるのですかね。こういう障害児収容の学校というものは、特別な施設、設備の予算というものも含ませなければならないものだと、そういう予算も含んでこれからは計上していくんだと、このように了解してよろしいですか。
  36. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 全くそのとおりでございまして、現在までも不十分ではございましょうけれども、それぞれの特殊教育学校のそれぞれの部の特性に応じました特別の設備を考えているわけでございます。  それから職業教育の設備、ただいま社会復帰というおことばがございましたけども、そういうものにつきましても、できるだけ知恵をしぼって、私どものほうで必要なものがあれば、それを充実していくというふうな態度を持って進んでいるわけでございます。  それからまた、聴覚障害児につきましては、これは補聴器、集団補聴器、こういうふうなそれぞれの障害に応じました設備の充実、これはいまも御指摘がございましたようにぜひ必要なことでございます。その点につきましても努力をしていく。ただ、こういうふうな設備につきましては、まだ十分開発されてない面がございまして、たとえば特殊教育総合研究所におきましても、手づくりでいろいろ新しい設備の開発等もやっております。私ども、そういう設備をつくっておりますような一般の社会におきましても、それに対していい知恵を出して、できるだけ適切な設備ができますように、また、教育していただきたいものだというふうにも考えます。
  37. 加瀬完

    加瀬完君 それで、そういう施設、設備の内容というものを、地方団体に一部負担させるという形で実現ができると思いますか。それぞれの地方は、特に人口急増地域なんかは、もう義務制学校学校なり学級増なんということで非常な負担をしてますね。それから、高等学校を新設しなければならない、拡充しなければならないということで負担をしてますね。教育問題だけでなくて、下水道の問題、上水道の問題、道路の問題、環境施設の問題、公害対策問題等、出費が非常に多いんですね。要求者もそちらのほうが圧倒的に力関係においては多い、強い。そうなってくると、そういう出費が非常に多い中で、特別養護施設なり障害児学校なりに特別の予算を盛ってやるということは、現状においては困難な状態になっておりますね。ですから、これは国の負担ということにどうしてもならざるを得ない。この点は提案者にも伺いますが、現状のこの国の負担率というものを妥当なものだとお考えになりますか。同じことを文部省にもいまのような負担率というか補助率で、あなたのおっしゃるような障害児救済の諸施設ができますか。両方から伺います。
  38. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 ただいまの御質問いただきました問題は、私どもは、非常に不十分だとこのように考えておりますから、実は、七号議案として、ただいま公立諸学校におけるところの経費国庫負担に関するところの法律案を提示したわけです。特に、御指摘問題点は、単に給与費の問題だけじゃなくて、いわゆる御指摘いただきましたところのいろいろな施設、設備の充実の問題、あるいは教材費の問題にしても、最低限ひとつ三分の二は国が補助をしてもらいたい。こういうことで提示したところの理由もそこにあるという点を御理解をいただきたいと思います。
  39. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 特殊教育学校の場合には、主として都道府県責任を持っていただいているわけでございますので、財政力から申しますと、市町村に比べてかなり財政力があるわけで、現実に養護学校あるいは盲・ろう学校等私ども拝見する機会がございますけれども、非常に熱意をもっていろいろな設備をしていただいているという点は、私ども日ごろから感謝しているところでございます。  それに対する国の補助が現在あるわけでございますが、その補助金は拡大ということは、これは必要だと思いますけれども、いまのところ、都道府県理解を得まして補助金の消化というものは非常によろしいわけでございます。その先生の御指摘は、裏財源等について、どういう配慮をするのかというふうな問題の御指摘だろうと思いますが、個々の補助金につきまして裏財源を用意してということはございませんが、一般の設備等につきましては、地方交付税のほうでめんどうを見るというふうな形になっているわけでございます。そういうふうな都道府県財政負担、そういうものにつきましては、私ども都道府県の御意見も十分承りまして、自治省とも相談して裏財源につきましては必要な確保をする。それから私ども補助金で不十分な点がございましたら、これは私ども責任におきまして改善をしていくということを考えたいと思います。しかし、負担率の問題は、これは地方財政につきまして、どういうふうな考え方で手当てをするかというふうな問題でございまして、考え方理解できるわけでございますけれども、現在の都道府県財政力、それから現在の地方交付税との関連、国及び地方を通ずる財源措置等を考えまして、現状のような方向でいまのところは私はよろしいんじゃないか。もし必要が出てまいりましたら、また考えてまいりたいというふうに考えております。
  40. 加瀬完

    加瀬完君 先ほど御説明がございましたように、子供たち教育を受ける権利というものがあることは、これはお認めになりましたね。  それで、第九十回帝国議会の衆議院の憲法改正委員会で、問題の二十六条の一項の解釈が議論をされたわけです。そのとき、金森国務大臣、それから当時の田中文部大臣は、両者、このように答弁をしておるんです。教育を受ける権利、この権利保障はだれがするのかという質問に対して、「権利保障の実質的な義務は国が負うべきものであります。」と、こう答えておる。ところが、文部省というより大蔵省の財政方針も、義務教育地方公共団体財政負担を負うべきものだという、そういう考え方が先行している。しかし、この憲法改正委員会のときの憲法担当大臣文部大臣は、両者一致して、教育を受ける権利の保障は、この権利保障の実質的な義務は国が負うと答えておる。特に、いわゆるいままでの特殊学校、われわれの言う障害児学校については、これだけでも、やはり国が負うという当時の説明をそのままやはり受け取って、国は対処すべきじゃないか。そうなれば、提案者の宮之原先生のおっしゃるように、三分の二に補助率を上げるということは、当然これは肯定されていい問題じゃないかと思う。できるできないという責任論で、これは聞いているわけじゃない。方向としては、こういう障害児学校に対する補助率というのは、もっと上げなければ、実質的にはどうにも動きがとれない現状だということはお認めになるでしょうな。
  41. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 私は気持ちとしては、先生のおっしゃることを十分理解できるわけでございます。ただ、相手が都道府県ということで、ほかに過密過疎の問題等ございまして、まだ補助率等の問題につきましては、いろんな問題があるわけでございますので、そういうものとの関連上、ただいまのところ二分の一ということでいたしかたないんじゃないかというふうに考えているわけでございます。  先ほどの憲法の解釈でございますけども、国が最終的な責任を負うという意味は、市町村都道府県、国がそれぞれ責任を分担し合って、それぞれの職責を果たす、その中で、都道府県市町村がみずからの責任ではなくて、ほかの理由でもってその責務を果たせないというふうな場合が生じましたときには、やはり最終的に国がそのめんどうを見るべきであるというふうな考え方、私はそうではないかというふうに考えるわけでございます。
  42. 加瀬完

    加瀬完君 現状は、義務教育無償であるとともに、義務教育というのは平等でなければならないでしょう。ところが、財政力のある市町村障害児学校を設立できる。障害児が数多くいても、財政力のない自治体はこれを怠っている、こういうことになりますと、最終の責任は国が負うということは、そういう義務教育平等の原則に立って、財政力のない町村には国が財政力を与えてやるという措置が講ぜられて初めて国が責任を負うということになると思う。地方の責任に一から百までかぶせてはならないという解釈なんですから、地方が財政力がないから、Aの市町村で行なわれていることを、Bの市町村では怠っていいということにはならないわけです。いま各市町村は、一般の義務教育施設ですら、これは平等ではありませんよね。非常に差別のままにおかれておる、財政力がないために。そういうことになりますと、非常に大事なことではあるけれども、一部の少人数に限られる障害児学校というものは、これは一般の義務制なり、高等学校教育から見ると、二の次に考えられざるを得ない。そこに財政力を与えてやるという財政的措置をしなければ、現実はどうにもこれは動きがとれない。熱心だといったって、熱心で通る問題ではない、財政力の限界があるんだから。その財政力に対して、文部省もはっきりした裏づけというものをこれはやらなければ、特殊学校といったって、障害児学校といったって、どうにもなりませんよ。それが満足な状態財政負担の措置を文部省が講じてきたと、このように御自信がありますか。
  43. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 先生指摘のように、義務教育はできるだけ平等でありたいものだと、そういう考え方、これは基本的な考え方でございます。そのためにはいまのように、市町村財政力というものは、これは非常に大きな差がある。都道府県も差があるわけでございますが、都道府県の何倍かの差があるというふうな実態があるわけでございます。そこで、たとえば、建物にいたしましても、それから教材費にいたしましても、それから教職員の定数にいたしましても、これは私ども義務教育のできるだけレベルの均衡をはかるために基準を設けまして、その基準に従って国が負担をし、あるいは補助をする、そのほかに地方交付税財源的な配慮をするというふうな仕組みをとっているわけでございます。したがいまして、私どもとしましてはいわゆるナショナルミニマムと申しますか、国が保障すべき最低限度、これにつきましては保障していく。ただ、いまの憲法も地方分権のたてまえをとっているわけでございます。地方住民のウエートの置き方、道路よりは教育だというふうなお考え、教育に非常に御熱心なところもあるわけでございます。また、教育に対しまして、御指摘のように、国の基準を充足すれば足りるというふうなお考え方のところもあるわけでございます。そういうふうなお考えがあっても、国としての最小限度のものは確保していかなければならないということで、いろんなものにつきまして基準を設けて、財政的な裏づけをするということでやってまいりましたものですから、私は、実態は御指摘のように、まだ不十分な点は多々ございます。しかし、私は考え方そのものは、一応国の考え方は間違っていないんじゃないか、われわれの考え方は間違っていなかったんじゃないかというふうな気がするわけでございます。ただ、まあ市町村都道府県財政力の問題は、これは市町村が一対百ぐらいの財政力の違いがあるとすれば、都道府県のほうが、一対十くらいの財政力の違いというふうなことで、都道府県のほうがめんどう見るべき障害児教育につきましては、私はかなり均衡のとれた内容が保障されるようにわれわれも指導してまいりますし、それに必要な財源措置もとってまいりたい。また、府県もそのようにしていただけることを期待しております。
  44. 加瀬完

    加瀬完君 根本的な考え方が私は違っていると思うんです。義務教育というものは、市町村財政の都合によって自主的に判断されては困るものなんです。財政がありませんから、義務教育を怠っていいというものではない、これは国の責任でありますからね。したがって、いかなる町村にかかわらず最低限、国の基準とする義務教育施設なり、運営なりというものは保持されなけりゃならない。そういう点を考えますときに、現状をお認めになるならば、市町村の自主性に待っては、障害児学校の完備というものはほど違いことになる。県は財政力があるからといいますけど、義務教育の実際の運営をするものは、これは市町村ですからね、市町村が連合するなり組合をつくったりして、障害児学校をつくるということは、これは市町村の自主性にまかせていいけれども市町村が要求すれば、その市町村障害児学校はつくれるような、それだけの財政措置というものは国が与えなけりゃ当然ならないことだと思います。したがって、そういう都合のいいとこだけを自主性という形でのがれて、これは午後の教頭法になりますけれども、自主性を尊重しなければならないところには圧迫を加える——文部省の設置法はそんなこと書いてないでしょう。まず、教育が完全に運営できるような、そういう財政的なあるいは運営的な補助を、環境条件の補助なり助言なりをしていくということなんです。ですから、少なくも現状においては、私は、財政当局に対する、障害児学校に関する限りにおいても、文部省の要求というのは非常に強いというふうには認められません。——議論になりますから次に移ります。  そこで、文部省も、宮之原さんなどが提案されております学校教育法の一部を改正する法律案と内容の同じようなもので、やはり、計画が進められているようでございますが、おたくのほうの学校教育法の改正の中で、いままで現行規則では、療母は、世話及び教育をするという形になっておりましたものを、今度は「養育」と直されておりますね。「養育」というのは、どういうことですか。
  45. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) これは平たいことばで申しますと、養い、育てるというふうな意味であろうと思います。いままで養育というふうな法律用語を使った例はございませんので、新しいことばになるわけでございますけれども、いままでの療母の先生方の職務等について見ますと、掃除とか洗たくとかもやられますし、それから子供の世話、夕食とかふろの世話、それから自習のめんどうを見たり、そういうこともやっておられます。いろんなことをやっていただいているわけでございますが、教育ということばでございますと、これは、学校教育法で言っております教育は、これは免許状を持ちまして、学習指導要領に従いまして学校の編成した教育課程を実施するというふうな内容になると思いますが、ここでは療母の方々は、それを越えましていろんな子供の世話をしていただいているわけでございます。そういう意味で、今度新しく「養育」というふうなことばを使わしていただいたわけでございまして、これは教育とは違うけれども教育公務員特例法等で準用されておりますように、教員に準じた内容の子供の広い意味教育、広い意味のお世話をしていただくということで、したがって、別に免許状を必要とするというふうなものではないというふうなことは明らかにしたわけでございます。
  46. 加瀬完

    加瀬完君 ところが、養護教育と読み取っていいということですか。いま、あなたの御説明だと、広い意味養護教育というものを含めて養育と、ただし、免許状は要しない、こう解釈していいですね。
  47. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 教育と申します場合に、学校教育法で申しております、教諭は教育をつかさどるという意味教育とはやや範囲がずれると思います。私はもっと広い概念だろうと思います。そういう意味先生教育ということであろうとおっしゃいますんでしたら、そのとおりでございます。
  48. 加瀬完

    加瀬完君 ほかに例がないと言いましたけれども、児童福祉法の三十七条に、乳児院の問題のところで、「乳児院は、乳児を入院させて、これを養育することを目的とする施設とする。」とありますね。この場合の「養育」とはどういう内容ですか。文部省学校教育法の改正の療母の養育ということと、乳児院の入園させてこれを養育するということは、内容は同じですか。
  49. 北郷勲夫

    説明員北郷勲夫君) 私も、厳密な法律上の解釈をいま確認をしないと申し上げかねるのでございますが、私どものほうでは普通養育、養育ということを比較的年齢の小さいお子さんについて普通のいわゆる育てるという意味で使っております。教育とか何とかいうようなこととはあまり関係なしに使っております。
  50. 加瀬完

    加瀬完君 育てるという、一般の通念的に育てることで、別に教育とはあまり関係ない。そういう形で、児童福祉法の三十七条の内容の養育は使っておりますが、ところが今度学校教育法の改正をする養育というのは養護教育だ、法律で同じことばを二つに使い分ける、こういうことが妥当と言えますか。文部省はさっきこういうものはないと言ったがあるんですよ。いま指摘したように、児童福祉法の三十七条にある。児童福祉法三十七条の養育というのは養い育てる、からだを大きくする、じょうぶにする、このくらいの意味しか持っていない、こういうことのようですが、おたくのほうで、今度改正する養育というのは養っていくこともありますけれども、広義の教育もしていくんだということで内容が違っておる。法律用語というものは、この場所とこの場所で使う内容が違うということはあり得ないんですね。どうして文部省はこういうことばをここで使いになるんですか、その妥当な理由をひとつ御説明してください。
  51. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) これは、法律で違った意味に使うということはあるわけでございまして、できればそういうものは定義をして、この法律では、こういう意味なんだというふうな言い方をするというのが普通であろうと思います。現在、教員といった場合に、校長を含めて言う場合もございますし、法律によりまして。それから教諭、助教諭、養護教諭、養護助教諭、それだけをさす場合もあるわけでございます。でございますから、その法律法律によりまして違った意味で使うということはあり得るわけでございますけれども、本来ならば、先生指摘のとおり、これは違わないほうがよろしいわけでございます、いろいろな法律で。ただ、ほかに例がある、ほかの例を申し上げますと、保育所というものがあるわけでございまして、乳児または幼児を保育することを目的とするというふうな書き方をしております。ところが、私どものほうでは、幼稚園につきまして教諭は、幼児の保育をつかさどるということでございますが、言うまでもなく、保育所の保育は、これは免許状が要らないわけでございます。幼稚園の保育というのは、免許状が要るわけでございます。教育と同じ意味に使っておるわけでございます。そういうふうな違いはございますが、いろいろな法律の中で一つことば一つ意味しか持たないというのが、私は本来のあり方であろうと思います。その点は別に否定しないわけでございますが、私、ちょっとさっき申し上げましたのは、その点、実は気がつかなかったわけでございますが、学校教育として養育ということばを使ったのはこれが初めてだ、そういう意味に御理解願いたいと思います。
  52. 加瀬完

    加瀬完君 ここは立法府ですから理屈をこねるようですが、少しこれは言及しなければなりませんからね。法制局等で立法する場合に、たとえば「養育」ということばを使おうとするならば、その「養育」ということばがいままで出された法律の概念としては、どういうことに使われているかということを厳密に調べるわけですね。少なくも、法律の用語というものは、同じことばであれば、同一概念を意味するものでなければならないということは立法の当然のたてまえです。文部省だけが、こうも読めるとかああも読めるとか、これは俳句なり短歌なりの文学鑑賞をしているんじゃないから、こういう感じがしますという受け取り方をされては法律にならない。一昨日の宮之原委員との問答の中で、「内申をまって」というのは何もあなたの答えではないけれども、法制局長官が、これは親告罪の「待って」と違う、内容が違う場合があっても、「待って」という概念が親告罪の場合の「待って」も内申の場合の「まって」と同じですよ。そう定義をして法律はつくられておる。ちょっと法律の解釈というものを行政的便宜に供し過ぎますよ、文部省は。「養育」ということばが児童福祉法の三十七条にあるわけですから、ここで「養育」ということを使うならば、「養育」ということばは前につくられた児童福祉法の三十七条の凝念にしかこれは通用しない。したがって、違うなら、ことばを変えるという形をとらなければならないわけなんです。もっと法律の用語というものは厳密に解釈し、厳密に使ってもらわなければ困ると思う。午後の審議の教頭法の内容などにつきましても、実に法律用語というものを乱雑に使われ、解釈され過ぎておりますので、私は、そういう文部省の態度というものは原則としては許されないと思う。法律用語というものは、厳密に使うべきであり、同じことばであるならば、同一の内容というものを示すように解釈しなければおかしいと、この原則論はお認めになるんですかどうですか、これはくどいようですけれども念を押しておきます。
  53. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 原則は、先生のおっしゃるとおりだと思います。そうしたいものだと思うわけでございますけれども、しかし、日本語のことばも限られているわけでございますから、その法律の目的とする内容に最もふさわしいことばを選ぶということになりますと、その法律だけの、その法律法律によりましてやはり違いが出てくるということは、これはやむを得ないことじゃないかというふうに考えるわけでございます。今度の場合も、養育ということばにつきまして法制局といろいろ議論をし、検討もしたわけでございますけれども、やはり適当なことば、「養育」というのが一番寮母の仕事を表現するのにふさわしいことばであろうということで、こういう用語を使わしていただいたというわけでございます。
  54. 加瀬完

    加瀬完君 一つことばで二つの解釈をするということは法律上許されないです。これが原則なんですよ。原則認めておいて、便宜的にこのことばでもいいじゃないかということはおかしい。それならば、「保育と教育」というふうにあらわしたほうがはっきりしているんじゃないですか。寮母なら寮母は保育をし教育をするというようにすれば、これは児童福祉法の三十七条とは関係がなくなる。これは指摘をしておきます。  それから次の問題は、現行の障害児教育学級編制、職員定数、これはどういうことになっていますか、文部省に伺います。
  55. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) ただいま改正の法律案国会に御提出を申し上げている段階でございますが、学級編制につきましては、このたび御提案の法律案とそれから私どもが考えております現在の基準というのは、そう大きな隔たりはございません。ただ違います点は、高等部の学級編制が一般的には普通十名、それから重複障害の場合には五人ということになっておりますけれども、このたびの御提案では職業教育につきましては八人というふうな御提案があるわけでございます。その点が違っております。  それから教職員定数につきましても、大体基本的には大きな相違はないと思いますけれども、ただ、今度の御提案の場合には、昨日も御指摘ございましたように、一学級のお世話をする先生の数を、おもにお世話をする方とそれをお手伝いすると申しますか、副として担当される方、そういうふうな方を置くというふうなおそらく御提案の内容ではないかと思いますが、大体におきまして、そういう意味では、教職員の数はいまの私どもが考えております数の倍程度見込んでおられるというふうに感じるわけでございます。それから養護教諭等につきましては大体同じでございますが、今度の御提案では、肢体不自由児の場合は二人と、こういうふうなこと、それから学校司書につきまして特別の規定が設けられている。
  56. 加瀬完

    加瀬完君 質問したことでないですからもう一回質問します。どうも質問がはっきりしなかったのでお答えが違いますから。そうでなくて、現行の障害児教育学級編制あるいは職員定数というものはどういう形で行なわれておりますかということを伺っているのです。新しい提案者の内容というものを聞いているわけじゃない。
  57. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 現在の学級編制につきましては、その障害程度によりましてできるだけ少人数の学級を編制するようにということで考えておりまして、幼稚部の場合には、これは基準としまして、これは地方交付税の関係でございますが五人、それから小中学部につきましては八人、重複障害につきまして五人、高等部は一般的には十名、重複障害につきましては五名ということでございます。それから、その学級に対する先生の配置でございますけれども、これは小学校、中学校と同じような考え方で配置をしているわけでございます。つまり、小、中学校と比べますと、学級編制をできるだけ下げまして、それに対応する先生の数、計算のしかたというのは、これは小、中学校とバランスをとる、あるいは高等学校とバランスをとるというふうなこと、そのほかに養護教諭の配置、それから寮母につきましては、大体四交代ができますようにその数の充実をはかる。それからさらに先ほどもお話がございました機能訓練関係につきましては、肢体不自由児が現在一人でございましたものを四人にするとか、ほかの学校にもそれぞれ配置をするということで、養護訓練関係の教員の充実をはかるというふうなことを考えているわけでございます。そのほか実習助手、それから事務職員、舎監、そういうものにつきましても必要な人数を考えている、そういうふうなことでございます。
  58. 加瀬完

    加瀬完君 後段の定数法だけで聞きますと、現行はこの特殊学校の小、中学校部は義務制定数法をそのまま使っているのじゃないですか。高等学校は高等学校、ただし、幼稚園には定数法はない、そういう現状ではございませんか。
  59. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) いまもちょっと御説明したつもりでございますが、学級編制は小さくするけれども、その学級当たりの先生の数をはじく場合には小中高等学校と同じようなはじき方をする。それから幼稚部につきましては、これは現在地方交付税財源措置をしておりますのですが、幼稚部がまだろう学校以外にはほとんど普及しておりません。したがいまして、ろう学校基準をとりまして御説明申し上げた次第でございます。
  60. 加瀬完

    加瀬完君 ですから、幼稚部については確たる定数法は存在しておらないということになりますね。いまお説のように、分数方式を使っているわけですね。たとえば、学級を二十五分の五十として定員二といったような、高等学校の場合なら、そういう分数方式を使っておりますね、いまの現行法は。この分数方式で障害児教育の適当なというか、妥当な教員定数が確保できるというお考えですか。逆にいうなら、分数方式という小、中・高校の使っている現行法というものを障害児学校の場合は改めなければならないというお考えはございませんか。
  61. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) この分数方式と申されましたが、教員定数を算定いたします場合の考え方としましては、基礎にどれぐらいの時間の授業を担当していただくかということが基礎になっているわけでございます。御案内のとおり、小学校の場合には二十六時間、中学校は二十四時間、高等学校は十八時間が最高というふうになって、現在の小・中・高等学校先生の数をはじき出しまして、そのために、学級ごとにしますと、こういうふうな分数方式というふうな形になるわけでございます。現在のところ、小・中・高等学校は、そういうことでいっております。特殊教育学校につきましては、ともかく、小人数の学級にできるだけする。それに対応する先生は、小・中・高等学校と一応同じで考えていくということを基本にしているわけでございまして、先生が御指摘になりましたように、障害児の場合には、非常に対応が区々でございます。それに対応できるような、現実にマッチしたような計算方法であるかどうかと仰せられますと、これは今後の研究課題として大いに検討すべきだというふうに考えております。
  62. 加瀬完

    加瀬完君 そこで、公立障害児教育学校学級編制及び教職員定数標準に関する法律案、宮之原委員その他の提案の、この内容のほうが私ははるかに進んでいると思うんですよ。そこで、あらためて、こういう定数計算というもので、文部省はこれはいけないと、ここがまずいという点がございますか、ひとつ御所見を承りましょう。
  63. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) どういう考え方でやっておられるかというのが、私どもまだはっきり理解できないわけでございますけれども、やはり機械的にある程度やっておられるような感じがするのは、これはやむを得ないような算定の方法じゃないかと思うわけでございます。ただ、考え方としまして、一学級に二人の先生がかかって、そして教育を担当するんだというふうなお考え、それはまあ特殊教育につきましては、できるだけたくさんの人手のもとに教育が行なわれるということ、これは原則として考えられることでございますけれども、ここに御提案になりましたこういう内容がはたしていいのかどうかという問題、それから、こういうふうな算定基準にいたしますと、現在の教員数が倍ぐらいふえる。一万五千人ぐらい手当てをしなきゃいかぬというふうなこと、それがはたして現在の教員の養成等からいって間に合うかどうか、そういうふうなほかの問題が出てくるわけでございまして、ここで理想的な姿が描かれておると、したがって、それは、まあ現実問題として、そういうものが採用されることが望ましいんだということになるかどうか、なお、検討を要するような問題はたくさんあろうと思います。それとまあ、障害児別にも、これはある程度機械的にやっていられるわけですから、もう少し、こまかい障害別の配慮というものが必要なのかどうか、まあそういう点もおそらく検討の課題として残された問題ではないかということでございます。ただ、特殊教育学校につきまして、現在定数基準があっちこっちの法律に分かれているわけでございまして、それを一本にまとめられたということ、これは私どもはたいへん参考になる御意見のように感じるわけでございまして、まあ、義務制の施行等ともにらみ合わせまして、その点は、私は何とか新しい考え方法律をまとめるということは、まあ非常に有益な御指摘じゃないかというふうに考えております。
  64. 加瀬完

    加瀬完君 この提案がどういう考えで出されたかわからないとおっしゃいますけれども、この目的に書いてあるんですよ。「この法律は、公立の障害児教育学校に関し、学級編制の適正化及び教職員定数の確保を図るため、学級編制及び教職員定数標準について必要な事項を定め、もって障害児教育学校教育水準の維持向上に資することを目的とする。」と、はっきりしているんです。だから要は、いま文部省の考えている案と宮之原提案と比べて、障害児教育学校教育水準の向上にどっちが具体的な効果をあげるかという判別をしていただければいい。で、これはいい一つの案と考えられるけれども教員が非常によけいに要るとか、あるいは当分この案に間に合うような形になるとかならないとか、そんなものは、二次的な問題ですよね。これがいいということになれば、そういう教員養成なりあるいは充足対策なりというものを立てていけばいい方法で、別にそれが、だからどうこうという致命的な欠陥ということにはならないわけです。それから、障害児教育というなら、もっといろいろな障害児の分類等を考えて配慮をしなければならないということであれば、そこだけそれならば、提案者と文部省は話し合って、そういう修正だって可能でしょう。少なくも、現行の障害児学校では教員の配置というのが適正を欠いておって、障害児教育の目的を十分に達しておらないということは、文部省認めておるわけですから、文部省自身の定数改正も若干考えておるわけでありますから、そういう点で、十分これは有力な一つの方針を示しているものだということについて、文部省もこれは認めるにやぶさかであってはならないと思いますが、違いますか。
  65. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) まだちょっと中身が私ども理解できない点があるわけでございますが、たとえば、中学校の学級数に二・二七を乗ずるということがあります。二・二七というのは一体何なのか、私どもちょっとわからないわけでございます。あるいは小学部に二を乗じて得た数ということでございますけれども、これよりももっといい案をつくれとおっしゃれば案としては幾らでもできるわけでございます。ただそれが、財政的に申しまして、それからいい教員を確保できるという限度、そういうふうないろいろな条件をかみ合わせまして、私ども、その前進をはかっていきたいということを考えているわけでございます。そういう意味では、先生方からごらんになれば、たいへん歯がゆいことかもしれませんけれども、そういう点で、私どもは、漸進主義をとるということでございます。人数がたくさんの人がお世話を申し上げればそれは効果があるということ、その点は、これはもう間違いないことであるというふうに考えます。
  66. 加瀬完

    加瀬完君 あとの質問者が参りましたから、私は、幾らでもまだ質問があるのですけれども、これでやめますが、舎監と寮母の関係だって、あるいは舎監や寮母の員数、一週間の配当だとか、たくさんの矛盾がありますよ。しかし、それは私の質問からはこの際、省きます。  そこで、提案者に伺いますが、はなはだわけのわからないことを文部省言っていますけれども、そばで聞いておってあなた歯がゆいでしょう。そこではっきりと、提案者の案は、こういうことを言っているんだと、私も聞きたいと思います。私もよく読んでいますから、文部省と違って、大体わかっておりますけれども、その文部省によく聞かせてください、あなたの案の要点はここだというところを。それで終わります。
  67. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 ただいまこの六号法案の問題に関しましていろいろ質疑をお聞きいたしまして、お聞きしておって、文部省がこの趣旨がわからないとか機械的だというのが、私はどうしてもまたわからない。言うならば、自分たちの現状よりも非常に障害児教育を前進させようとするところの意欲も、これを理解をしようとするところのあれがないんじゃないかと疑いたくなるぐらいなんですけれども、このやはり六号法案の一つの趣旨は、御承知のように、障害児教育の小学部と中学部は義務教育学校のこの定数法の中に、高等部は高等学校関係の中に、幼稚部は全然ないというのを、これではぐあいが悪い、少なくとも、やっぱり障害児教育を振興をさせるためには、一貫したところのやはり学級編制なり定数基準というものがなければならないと、こういう考えから一本にまとめて、一貫性を持たせて障害児教育をその面からも促進をしようというのが最大のねらいであるわけでございます。  さらに、いま一つは、定数関係で申しますと、現行法は、学校規模に応じて、教諭等の数に変化を持たせているというのが現行法なんです。私は、やはり障害児教育の特性から見れば、特にやはり障害児のそれぞれの条件の違うところの、質問者もおっしゃったように、いろんな条件があるわけですから、その子供たち一人、一人の条件に即したものをやるとするならば、これは少なくとも、学級規模の大小にかかわらず、一学級当たり最低限の学校先生方を確保していくと、このことが、障害児教育にとっては非常に重要だと、そういう考え方から、これはずっと編み出しておるわけなんです。そこが根本的に違うところの第二の点だと、私は、こう申し上げていいんじゃないかと思います。特に、やはり関連をして申しますれば、高等学校と高等部との関係にいたしましても、現在の高等学校教育定数自体が生徒数に応じてきめるという仕組みになっていましょう。これ自体私は問題があると思うんです。何で小・中学校に準じて、学級数というものに応じて教員配置をしないかと疑問に思うわけでございますけれども、そのことはさておいても、障害児教育の重要性ということを考えるならば、高等部に所属をしておるところの障害児子供たちといえども、やはりこれは、いわゆる生徒数に応じてやるというやり方は、これは実際的じゃない。ほんとうに行き届いたところの教育とするならば、いま申し上げたように、これはやっぱり学級数に応じてやるという、このやはり基本に立つべきだというものの考え方が一貫しておるんですよ。ここにやっぱり大きな私は違いがある。少なくとも、やっぱり障害児教育を名前の問題でいままでやってまいりましたけれども、ほんとうに憲法の二十六条なり、あるいはまた教育基本法の三条に規定をされておるところの教育の機会均等と、こういうような面から見れば、少なくとも定数面なり、あるいは学級編成の面では、そこまで大きく踏み込んだものもつくっていかなければならない。数字が二・二七とか、二・五とかわからない云々というのは、これは枝葉末節の問題なんですよ。根本的な問題は、そこなんですから、そこの基本を私は、文部省がしっかりすれば、財政上の規模に沿って二・二七が多ければ二・二にもし、一にも斬新的にやっていくという方法は幾らでもあると思うんですよ。そこのと、ころが全然おわかりになっておらない、あるいは障害児教育というものを本格的にそういう行き届いたところの教育をしようという熱意があられるかどうかも疑いたくなるぐらいの私は答弁を聞いていて感じがするだけに、その点だけはやっぱり明確に、この法案の趣旨というものは、そうなんだという点だけ私のほうから申し上げておきたいと思います。     —————————————
  68. 世耕政隆

    委員長世耕政隆君) この際、委員異動について御報告いたします。  ただいま、鈴木美枝子君が委員辞任され、その補欠として松永忠二君が選任されました。     —————————————
  69. 世耕政隆

    委員長世耕政隆君) 引き続いて、御発言願います。
  70. 矢追秀彦

    ○矢追秀彦君 いままでずいぶん質疑がございましたので、あるいは重複をするかもわかりませんが、その点は、御了承いただきたいと思います。  まず最初に、障害児教育、僻地教育というものは、わが国の教育の谷間となっておりまして、教育基本的な問題がここに集中をしておると思います。障害児教育を例にとってみますと、重度の障害児は、極端な言い方をいたしますと、幾ら金をかけても、教育をしても、これは全然社会に役に立たない。そういうふうなことから、非常に現在のような経済高度成長の中においては、もうこういった人たちについては何ら省みられていないと、こういう極端な言い方をしてもいいぐらい現状においては非常に大きな問題をかかえておるわけでありまして、こういう考え方を進める限りは、私は、いろんな施策をやられてはおりますけれども、十分でないと思うわけです。やはりもう一つ一番大きな根本的な問題、こういう現在の、こういう社会の中にあっての障害児というものをどう把握していけばいいのか、それに対してどう教育するのか、どういう対策を組んでいけばいいのか、基本的な考え方をまず政府と、それから提出者のほうからお伺いしたいと思います。
  71. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 障害を持っておられるお子さん方のおられる家庭、私は、たいへんもう、先ほどからもお話ございますように御苦労しておられるのじゃないかというような感じがするわけでございます。したがいまして、そういうお子さん方につきましては、何とか教育によりまして明るい人生が送れるようにというふうなことを念願するわけでございます。  私どもが、障害児教育について考えておりますことは、まずできましたら、社会復帰のできる方につきましては、最大限のお手伝いをして社会復帰をしていただく。しかし、いまも御指摘ございましたように、社会復帰の見込みもないという方々につきましては、せめて生きていかれる上におきまして、教育によって人生に張り合いを持たせると申しますか、生きがいを持っていっていただきたいというふうな考え方でおるわけでございます。  それから、そういう障害を持っておられる児童生徒につきましては、私どもでお引き受けできます限り、そういう方をお引き受けをして、何とか教育の方法、手立てを講じてまいりたいというのが基本的な考え方でございまして、五十四年度から養護学校義務制に踏み切りましたのも、私どものそういう考え方のあらわれというふうに御理解をいただきたいと思います。
  72. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 私どもは、これは前からの質問者も、この問題については非常に重要視し、議論をしてきたところでございますけれども、まず基本的な考え方は、憲法二十六条にいう、国民はひとしくやはり教育を受けるところの権利がある。そうなると、やはりどういう条件の子供でも、これはやはり教育権を保障してやるということが、教育のやはり一番基本でなければならない、こういう点をまず第一に踏まえたわけです。同時に、教育基本法の第三条にありますところの教育の機会均等、これは先ほど文部省の考えとしては、それも国には限度があるんだ云々という話をしておりましたけれども、私は、限度というよりも、どういう条件下にあろうと、また、それぞれの市町村財政規模が違おうと、ひとしくやはり教育を受けさせるところの、教育の機会均等というものを与えていかなければならない、そういうこの二つの点を踏まえるとするならば、今日の日本の教育の中に、特に障害児教育の現実を見た場合に、あまりにもこの二つの原則の面からかけ離れたところの点がある。   〔委員長退席、理事斉藤十朗君着席〕 したがって、これをわれわれとしては、完全にやはりこの精神を貫くところの障害児教育というものを充実していく必要がある。こういう考え方のもとに、まず第一段階の法案として、お手元に御討議をいただいておりますように、五号、六号、七号の法案を提出しておる次第でございます。それだけに、私どもは、いろいろな恵まれないところの条件にあるところの子供たちに、せめて教育で生きがいを感じさせる、教育を通して生きがいを感じさせるというところぐらい、やはりこの教育の面でも充実をしていくということが、政治に携わる者の責任ではないだろうか、こういうふうに考えまして、これを提示をいたしたような次第でございます。
  73. 矢追秀彦

    ○矢追秀彦君 厚生省お見えですので、ちょっとお伺いしますが、現在障害児というものは、大ざっぱな傾向でけっこうですから、詳しいデータがあればお示しいただきたい。年々どういう傾向をたどっておりますか、できたら種類別に分けてください。
  74. 北郷勲夫

    説明員北郷勲夫君) 数字的な問題かと存じますが、大体、発生率のほうでは、ほぼ一定の発生率、一時は若干増加の傾向が見えたわけでございますが、最近では、特に重度の障害児につきましては、やや発生率としては横ばいの傾向、やや発生率としては減少の傾向にあるということが言えるかと思います。ただ、非常に生存率と申しますか、医学の進歩に伴いましてわりと長く、病気なんかでなくなるということがわりと少なくなりましたんで、全体の数としましては増加傾向と、こういうのが一般的な傾向かと存じます。
  75. 矢追秀彦

    ○矢追秀彦君 これは文部省にお伺いしますが、過去五年間における文部省障害児教育予算と、それから文部省の総予算に対する障害児予算の伸び率ですね、これを明らかにしていただきたいのですが。
  76. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 四十九年度の予算は、教員給与費、それから建物の費用まで含めまして三百三十四億、それから四十八年度が二百二十七億、四十七年度が百八十二億、四十六年度が百四十一億、四十五年度が百十一億、四十四年度が九十一億、四十三年度が七十二億、そういうことになっています。  全体の予算に対します比率というのは、私ども、数字をとってありませんので、ちょっといま申し上げられないわけでございます。
  77. 矢追秀彦

    ○矢追秀彦君 伸び率から言うと、文部省総予算に対する伸び率と比べてどうですか。この二、三年でいいです。
  78. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 特殊教育につきましては、私ども重点を非常に傾けているつもりでございまして、伸び率そのものは、たとえば四十八年度から九年度にかけましては約三十%ぐらい伸びているわけでございます。したがいまして、全体の予算の伸び率よりも特殊教育のほうの伸び率のほうがよくなっているというふうに考えております。
  79. 矢追秀彦

    ○矢追秀彦君 伸び率がいいということでありますけれども、まだまだ全体の予算を見ますと、三百三十億という非常に少ない予算でありまして、特に、いま厚生省からも言われたように数のほうもふえてきておるわけでありますから、やはりもっと予算の増額は必要であると思うわけです。  現在、障害児教育対象になる児童生徒のうちで盲学校ろう学校養護学校及び小・中学校の特殊学級に在学しておるものは大体どれくらいですか。それのパーセンテージですね、全体からの。
  80. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 私どもが推定をいたしておりますいわゆる障害者方々の数が五十四万人というふうに考えております。それに対しまして、現在特殊教育学校に四万一千六百人、特殊学級に十三万三千七百人ということでございまして、比率としましては三二・四%でございますが、ただ、この中にはたとえば視覚障害者で盲学校に行っておられるのが六二・八%、それから聴覚障害者ろう学校に行っておられる方が三六・九%ということでございますが、現在盲学校ろう学校では希望があれば全部収容できるような用意を整えておるわけでございますけれども、実際には、これだけの方しかお入りになっておられない。まあ交通の便その他もあると思いますけれども、やはり普通学級で教育を受けたいというふうな御希望の方、そういう方々が普通学級に入っておるという部分もずいぶんあるわけでございまして、本来五十四万人全部収容すべきにもかかわらず三二%しか入っておらないということではないと思います。
  81. 矢追秀彦

    ○矢追秀彦君 しかし、いま、そういうように言われますけれども、やっぱりわずか三二%というのはあまりにも少ないと思いますし、いまろう学校、盲学校のほうは幾らでも入れるのに来ないと言われておりますが、それを来させるようにするには、やはりいろんな事情があると思うんですよね。だから、これに対して、文部省としては、これからどう手を打たれようとしておられるわけですか。六七%以上あるわけですがね。
  82. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) まず、現在就学児の猶予免除を受けておられます二万人近くの方々、そういう方に教育の手を差し伸べていくということにいたしたいと。その大部分が、現在義務制になっておりません養護学校対象者であろうと思います。   〔理事斎藤十朗君退席、委員長着席〕 それから重複障害方々であろうと思います。これにつきましては、一つは収容のための施設を完備するということであろうと思いますので、これは五十四年度の養護学校義務制を目標にいたしまして施設の整備をはかっていくということが一つございます。  それからもう一つは、現実の問題として自宅から通えないような方々もおられるわけでございまして、そういう方々につきましては、スクールバス等を考えると同時に、寄宿舎の充実をはかるというふうなことも必要ではないかと考えております。当面、そういうふうな教育を受ける機会のない方々にまず手を差し伸べる。それから本来ならば、こういう特殊教育の諸学校に入られるべき方々がまだ普通の学校に行っておられるというふうな方々、そういうものにつきましては、就学奨励費の拡充、それから先ほど申し上げました寄宿舎の整備、それからスクールバス、そういうものを考えましてできるだけ障害に合った教育が行なわれるようにしたいと考えております。     —————————————
  83. 世耕政隆

    委員長世耕政隆君) この際、委員異動について御報告いたします。  ただいま黒住忠行君が委員辞任され、その補欠として高橋邦雄君が選任されました。     —————————————
  84. 矢追秀彦

    ○矢追秀彦君 養護学校義務制は、五十四年を目標と言われましたが、どうして五十四年でなければならないんですか。早めることは不可能ですか。義務教育するためには、どれぐらいの財政措置が必要なんですか。
  85. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 一番大きな理由は、これは現在養護学校が四十八年で二百六十三校ぐらいございますけれども、これからさらに二百校近くの養護学校をつくっていかなければならない。それに伴う教員も養成をしていかなければならないというふうな問題がございまして、急いでやることによりましていろいろなかえって混乱が起こるというふうなことを懸念したわけでございます。私ども、当初十年計画を立てたわけでございますけれども先生のような御意見国会でもいただきまして、それを七カ年計画に縮めた。これがおそらく府県のそれから私どもの能力としましてはまあ精一ぱいのところじゃないかということで、そういう判断に基づいて五年後を目標にして整備を進めるということにしたわけでございます。でございますから、財政的な面ももちろんあるわけでございますけれども財政的な面と申しますのは、むしろ副と申しますか、二番目の理由ということになるわけでございます。現在、養護学校一校をつくるとなりますと、やはり最低七億ぐらいの金がかかるんじゃないか。それが土地の高いところでやりますと、現在高等学校でも一校三十億というふうなことが言われでおりますものですから、何十億かの金がかかるということで、これは府県の財政にとりましてもかなりの大きな負担になるということは言えると思います。
  86. 矢追秀彦

    ○矢追秀彦君 教員養成の問題を言われましたが、これ自体がやはりいろいろ問題があると思いますので、この教員養成制度のあり方については、政府としてはどう考えられておるのか。特に、提出者のほうにお伺いしたいのは、いま言われた五十四年に義務制にするということで進められておるわけでありますけれども、それに伴う教員養成、どう考えておられるか、それをお伺いしたいと思います。
  87. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 教員の養成は、正規の大学で行なうということがたてまえでございます。現在、盲学校ろう学校教員の養成課程、これが盲学校につきましては二大学、ろう学校につきましては六大学で養成をしているわけでございますが、養護学校教員養成課程につきましては、四十八年度をもちましてやっと四十七大学全部に養護学校教員の養成課程が整備されたわけでございます。そのほかにも、肢体不自由児教員養成課程三大学、病弱、虚弱の教員の養成課程一大学、言語障害児教育教員養成課程四大学、その他そういう障害の種類に応じまして課程を設けるというふうな努力はいたしておるつもりでございます。  それからなお、機能訓練等につきましては、これは正規の養成課程でまた養成をするというふうな段階に至っておりませんので、これは検定試験を行なう、あるいは特殊教育総合研究所におきまして、一年間あるいは三カ月間の長期の研修を行なう等、いろんな手だてを講じまして、義務教育実施に支障がないように計画を進めておるという段階でございます。
  88. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 現況について、いま文部省から報告になったとおりでございますけれども、私は、現在のままで置いておいて、一体、五十四年からほんとうに義務制化になった場合に、この肝心の免許状を持ったところの方々の、障害児教育に従事するところの教師が補充できるかどうかと、こうなりますと、やはり非常に問題だと、こう見ておるんです。まあただいま話がありましたように、大体、養成課程の絶対数がやっぱり足りぬのです。したがって、これを拡大をしていくということを積極的にやらなきゃならぬと思うのですよ。佐藤総理は、駅弁大学といわれるぐらいに国立大学は多くつくったんですけれども、それをまたあちこちに大学をつくる、つくると、こう田中総理は言っていますけれども、私から言わせれば、一番こういう条件の教育を振興させるための、この養成課程を拡充するというなら、まだ国民もわかりますけれども、これがやはりまだ非常に第二義的に、第三義的に扱われておるというところに一つ問題点があるんじゃないだろうかと。したがって、やはり絶対数を拡大をしていくという積極的なやはり施策というものが、まず、はかられなければならないとこう思います。と同時に、いまこの免許状をこう見ていますと、大体、幼・小・中・高の普通の免許状と、この障害児教育関係者との免許状は併用が多いわけです。しかも、特に高等部の場合、中学部、高等部の各教科の免許状は、障害児教育の要求するところの免許状とぴしっとなっておらない。したがって、便宜的に現職教育でそれをとりあえず補って、この免許の低いものをやってとにかく間に合わせておると、こういうことがあるだけに、やはりこの特に中学部、高校部で必要とするところのそれぞれの教科別の免許状を強化をさせていくということになれば、先ほども申し上げたようにやはり養成所課程が非常にやっぱり隘路になっておりますからね。これは拡大するということがとられなければ、なかなかこれは充当できないんじゃないだろうかと思います。  それともう一つ障害児教育の中で大事なのは、普通、単に養護学校教員の免許状を持っておるということだけじゃなくて、いわゆる機能訓練士をやはり養成をしなければならない。あるいは介助員をやはり養成をしなきゃならぬと。こうなりますと、これまたやっぱり便宜的な処置しか扱われていない、検定員とかいろいろなものについて。したがって、やはりこれを養成をするという機関を、積極的にやっぱり設置をしていくという方策も合わされてとらなきゃならないと思っています。また、前の加瀬委員のほうのときにも、質問がありましたけれども、寮母の問題にいたしましても、私は、養育ではだめだと思うのですよ。用語の問題でだいぶ苦しい答弁を文部省やっていましたけれども、これは少なくとも、やっぱり養育じゃなくて教育という積極的な問題を、事少なくとも障害児教育の寮母さんに持たせる必要がある。そうなりますと、だれでもやりたい人に来てもらいたい、熱意のある人にやってもらいたいという方式じゃなくて、これはやっぱり一定の資格を持った方々を持っていくとするならば、この養成をどうするかという問題も、私はやはり五十四年までの障害児教育義務制化という段階の中では、計画的に進めていく必要があるのではないだろうかと、このように考えていまして、その点、やっぱり進めない限り、義務制化というのは名ばかりで、実体はいままでとたいして変わらないということになるところの危険性が多分にあるという点を、非常におそれておるものです。
  89. 矢追秀彦

    ○矢追秀彦君 次に、現在、盲学校ろう学校には高等部しかないわけでありますけれども、現在、大学もかなりふえましたし、高等学校自体をもう義務教育にしようというふうなことも言われておる事態でありますので、少なくも、こういう人たちがなかなか一般大学は入るのはむずかしいわけでありますから、やはり大学をつくってもらいたいという声も出てきております。大学あるいは短期大学をつくるという考え方、これは文部省としては、どういうお考えですか。
  90. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 最近になりまして、そういうふうな御意見が出ているということは、私どもも承知をいたしているわけでございます。しかし、高等部の普及ということが、まだ当面の目標として大きな課題として残っているわけでございます。そういう点もございますし、また、最近、普通の大学におきましても受け入れにつきまして、特別な配慮をしていただくところも出てまいっているわけでございます。私ども、そういう勉学の希望のある方、そういう方々につきましては、この勉学意欲を満たすために、大学のほうで積極的に受け入れていただくということを、当面の目標としまして、いろいろ努力をしてまいりたいというふうに考えておるわけでございますが、確かに大学まであるいは短大まで何とか行けるようにしてほしいとか、特別なそういうふうな方々対象とするものをつくってほしいとかいう意見があることは、先生指摘のとおりでございまして、今後、そういう問題につきましても、十分意を払ってまいりたいということにつとめてまいりたいと思います。
  91. 矢追秀彦

    ○矢追秀彦君 次に、問題となっております中教審でありますが、この中に特殊教育の積極的な拡充整備ということがうたわれておりまして、四つの項目があげられておりますけれども、一番の義務教育についてはさきに言いましたので、これはいいといたしまして、あと二、三、四ですね、これについては、どういうふうにこれから進めようとされておるのか。
  92. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 一番目は、ただいま御指摘になりましたような義務教育実施でございまして、これは先ほど計画を申し述べたところでございます。それから二番目は、いわゆる派遣教員等の通学困難な児童生徒に対しまする教育形態に応じた教育のやり方ということでございまして、これにつきましては、四十九年度からいわゆる訪問教師の問題につきましても、予算措置を講ずるというふうなことをいたしたわけでございまして、これは義務制実施とともにその拡充整備をはかっていくという必要があろうかと考えております。それから三番目は、重度の重複障害児医療、それから保護などとの関連を十分考慮した教育施設を充実すると、そういうことでございますけれども、これは大体各県におきましても十分配慮いたしまして、病院とか福祉施設、そういうものとの関連を考慮しながら、養護学校等建設するというふうな方向にまいっております。たとえば、整肢療護園、そういうものとそれから肢体不自由児養護学校との関連、そういうものはかつても十分考慮しておるところでございます。しかしながら、今後学校をつくってまいります際に、そのような配慮をしていくということは、これは当然のことであると思います。それから四番目は、いわゆる幼児期にある心身障害児に対する配慮を加える、それから高等部など義務教育を終えました子供たち教育につきましても配慮を加えるというふうなことでございます。そういうことにつきましては、いまのところ、早期教育の場合には、早期教育の効果が非常に高いといわれておりますろう学校につきまして、ほぼ幼稚部が設置を見たというふうな程度でございますけれども、私ども毎年百学級ぐらい幼稚部の設置につきまして補助を用意いたしまして、その促進をはかっていきたいということを考えております。また、高等部につきましても先ほど御指摘のように、上へ上へと教育の意欲が高まってきているというふうな事態に備えまして、その設置の促進をはかっていくということにいたしたいと思います。
  93. 矢追秀彦

    ○矢追秀彦君 この中に書いてある限りであれば、問題はないんでありますけれども、こういう必要なことについては、私はどんどん進めていただきたいと思うんです。政府は、われわれの好まないようなことのほうは中教審の中にあるものを一生懸命進めているが、こういうのはなかなかやってくれないわけです。  提案者に質問いたしますけれども、こういう中教審に書かれているようなことが、実際行なわれるためにも、やはり私は今回提出された法律案が必要であるとも思いますし、そのために「障害児」ということにされたということはるるいままでもお述べになっておられまして、その点については了解しておりますが、重ねてお聞きしますが、この四つの方向をやはり充実強化するためには、どうしても「障害児」というふうに改めると、その点をもう少し詳しく説明していただきたいんです、この中教審に対する見解も含めまして。
  94. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 中教審に対しまして、よく支持されるところの人々は、第三の教育改革ということで鳴りもの入りで非常に喧伝をされておるわけでありますが、そのこと自体も私は問題があるんですけれども、特に、いま御質問いただいたところの、それならば、障害児教育も第三の教育改革というのにふさわしいところの内容があるかと、こう言いますと、一つもないと言ったほうが私はいいと思うんです。当然いまの中でもやらにゃならぬことをただ申しわけ的に出しておると。ことばの表現は適切かどうか知りませんけれども、そう言いたいぐらいに、一つも、中教審で喧伝されておるところの教育に対するところのビジョンというものが、事少なくとも、いい悪いは別にしても、障害児教育に対して全然見出せないというところに、私は非常に障害児教育の側面から見ますれば問題があると、こう見ているんです、率直に申し上げて。ですから、一番基本の問題でも、少なくとも、やはり障害児教育をわれわれが考える場合には、国民がひとしく教育を受けるところの権利があるという憲法の二十六条、ここのところを踏まえるとするならば、当然、私はそのことを踏まえたところの答申というものがなされなければならなかったはずだと思うんです。しかし、これから、前文を見てみますと、「すべての国民にひとしく能力に応ずる教育の機会を保障する。」と。何か障害児教育というものも、能力という観点からとらえようとするところのものの考え方というものに私は非常に疑問を率直に申して感ぜざるを得ません。それだけにおそらく名称の問題も、この委員会でも議論されなかった。やはり普通教育よりも別の違ったところの特殊教育だという考え方が一貫して抜け切れてない。したがって、私どもが提案しているところの趣旨の、名称を少なくとも「障害児教育」に変えるべきだというのは、中教審答申の方針の一つのものの考え方とも非常に大きな違いがあるという点を私は申し上げなけりゃならぬと思うんです。  なお、いま一つこの点で申し上げますならば、第三の教育改革と言いながら、それならば、障害児教育に対するところの義務制化の方向というものは一体これは示しているのだろうかどうだろうか。こう見てみた場合も、この文章を見る限りにおいて、少なくとも、いつまでもこれは大事な教育だという理解に立つならば義務制化せよと、そのために国の施策は全力をあげてやれという方策が示されてしかるべきだと思いますけれども、その点を示唆をしておるところの文章というものは見えない。そこに私は一つの問題があると、こう思う。  いま一つは、私は、この間の質問の際にも申し上げたんですけれども、こめ障害児教育というのは、私は特殊教育じゃないと思う。本来ならば、一般教育として、からだの故障があるとか、あるいは精神的にどこかに障害があるという、子供がハンデを背負っておるというところの教育なんですから、可能なる限り、一般教育の中で教育をするんだという主体を踏まえて、普通教育の中でそういう障害を持っておるところの子供ができない場合には、こういう施設をして、こういう教育をやれと、そういう原則点というものを踏まえたところの教育方針というものがこの中に指摘されてしかるべきじゃないだろうか、このように考えておるわけでございますけれども、その点も、この中教審答申の中には全然うかがえないという点から見れば、——非常に当然とりあえずやらなきゃならないことだけしか書いてない。しかしまた、当然やらなきゃならない点がやられてないというところにも問題があるわけでございますので、私どもが三法案を提出したゆえんなるものは、まず第一段階として、これだけは最低やってもらえないか、こういう気持ちで、本法案を提出したところの理由でございます。
  95. 矢追秀彦

    ○矢追秀彦君 時間の関係で最後になりますが、きょう、この法律案が採決になってどうなるかわかりませんが、かりに成立をしないということがあっても、政府としては、これだけ法案も出され、これだけ長期間かけて国会でも議論されたわけでありますから、この問題については、真剣に取り組んでいただきたいと思うんです。どうして「障害児」というふうな名前に変えられないのか。その辺の、こだわっておられるネックについて、もし、はっきり言えればお答えいただきたいし、将来、こういうふうなことは含めて検討して変えていくと、こう言うならばけっこうなんですけれども。その点の姿勢を伺って終わりたいと思います。
  96. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 「特殊教育」ということばにつきまして、いろいろの御批判でございます。これを改めるべきかどうかという点につきましては、私どものほうで検討を進めたいと考えておりますけれども、これを改めること自体私どもは反対しているわけではございません。何か適当な用語がございましたら改めてまいりたいというふうに考えておるわけでございます。ただ、「障害児教育」ということばが適切であるかどうか。これもだいぶ定着をしてまいりましたので、一つの御提案であろうというふうに考えるわけでございます。しかしながら、問題がもしあるといたしましたら、障害児——児童の「児」という字を使っておるわけでございます。御案内のように、学校教育法では「幼児」、「児童」それから「生徒」それから「学生」、そういうものを使い分けているわけでございます。先ほどもお話しのように、もし、かりに大学までほんとうにめんどうを見るような事態が生じました場合に、これはあまり適切なことばじゃないというふうになってまいるわけでございます。これはつけ足しでございますが、その問題と、最近、一生涯の教育という意味で「生涯教育」ということばをつかっております。「障害児教育」と申しました場合に「生涯教育」とまぎらわしいことばになるわけでございまして、そういう点がいかがなものか。これは、皆さま方がそういう心配はないんだというふうな御意見でございましたら、これは格別とりたてて言うことはないと思いますけれども、いまのところその程度でございまして、この「障害児」ということばが国民の中に定着をし、また、それをつかうことが皆さま方のよろしいんだというふうなお考えであれば、あえて反対する理由はないというふうに考えております。
  97. 世耕政隆

    委員長世耕政隆君) ほかに御発言もなければ、三案に対する質疑は終局したるものと認めて、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  98. 世耕政隆

    委員長世耕政隆君) 御異議ないものと認めます。  片岡勝治君から委員長の手元に三案について、それぞれ修正案が提出されております。  修正案の内容はお手元に配付のとおりでございます。  この際、三修正案を便宜一括して議題といたします。  片岡君から修正案の趣旨説明をお願いいたします。片岡君。
  99. 片岡勝治

    ○片岡勝治君 私は、日本社会党を代表いたしまして、ただいま議題となっております三法案に対する修正案について御説明申し上げます。  まず、修正案の案文を朗読いたします。  修正案の趣旨は、本法律案の施行期日がすでに経過いたしておりますので、これを昭和五十年四月一日に改めるなどの所要の修正を行なおうとするものであります。  何とぞ委員各位の御賛同をお願いいたします。  (拍手)
  100. 世耕政隆

    委員長世耕政隆君) 次に、公立障害児教育学校学級編制及び教職員定数標準に関する法律案及び公立障害児教育学校に係る経費国庫負担に関する法律案は、予算を伴うものでありますので、国会法第五十七条の三の規定により内閣から両案に対する意見を聴取いたします。奥野文部大臣
  101. 奥野誠亮

    ○国務大臣(奥野誠亮君) 意見を求められました二法案につきましては、政府としては、将来とも検討課題としてまいりますが、今日の段階においては賛成いたしかねます。
  102. 世耕政隆

    委員長世耕政隆君) これより原案並びに修正案について討論に入ります。  御意見のある方は、賛否を明らかにしてお述べ願います。内藤誉三郎君。
  103. 内藤誉三郎

    内藤誉三郎君 私は、自由民主党を代表して、三案に対して反対の意見を表明いたします。  昭和二十二年六・三制発足に際しまして学校教育法の制定された当時は、特殊教育規定は従来の日本になかった非常に進歩的な規定であったが、三十年後の今日、再検討すべき時期に来ていると思うんです。  本法の中には賛成いたしたいような部分も多いと思います。特に名称の問題ですが、「特殊教育」よりは「障害児教育」のほうがよいのではないかと思いますが、まだ盲、ろうその他いろいろ具体的な問題になりますと、もう少し詰めなきゃならぬ問題が残されているように思うのであります。  それから就学猶予免除制度も、これも私は再検討すべきじゃないかと思うんです。入りたいものはみんな入れるように改めたほうがこれもいいと思うんです。そして本人がほんとうに能力に応じ、そして生きがいのあるように教育するのが本旨ではなかろうかと思うんです。学校のほうの都合から猶予免除するというのは少し検討を要すると思う。それから小・中・高等学校教育に準ずるという規定のしかたにも問題があると思うので、障害児にほんとうに適切な教育ができるように、何も小・中・高に準ずる必要はないと思うんで、改めたほうがいいと思う。こういう点には、私はこの三法に対して賛成の気持ちを持っておりますが、本法によりますと、一番困るのは、養護教諭の数が現場一万五千でございますが、これによりますとさらに一万五千人の増員を要すると、そこで、財政の問題もありますけれども、もっと大事な問題は、これは養護教諭の養成の問題だと思うんです。これが簡単には養成ができないと思う、いま看護婦さんでも足りなくて困っているわけなんですから。この養成の問題、さらに待遇の問題があると思う。いま八%の手当がついておるようですが、思い切って二割ぐらいに上げるべきだと思うんです。  こういうような点がありますので、御趣旨はわかるんですけれども、いまこの三案ににわかに賛成するというわけにはまいりませんので、はなはだ遺憾でありますが、反対をいたしたいと思います。
  104. 世耕政隆

    委員長世耕政隆君) 片岡勝治君。
  105. 片岡勝治

    ○片岡勝治君 私は、日本社会党を代表いたしまして、いま議題となっております三法案にかかる修正案並びにその修正部分を除く原案に対しまして賛成の討論をいたしたいと思います。  まず初めに、この法案が提案をされまして審議の過程の中で、障害児教育の実態、そして障害児教育はいかにあるべきかということについていろいろ論議をされました。私は、たいへん有意義なものであったと思うわけであります。今後ともこの課題があらゆる機会に取り上げられまして、福祉政策、教育政策の貧困の象徴と言われるわが国の障害児問題が明るい展望を切り開かれることができるようなそういう措置を今後ともぜひとっていただきたいと思うわけです。  まず、賛成の第一の理由は、何よりもこの法律案が審議の過程の中で、障害児教育憲法に定める国民の学習権、教育権にこたえるものでなければならない、そういう基本的な理念に立ったものであるということが明らかになったということです。  第二は、そのためには、いかなる障害があろうと教育を受ける権利があるのだ、それにこたえる教育体制、教育条件の整備をしなければならない義務は国や地方公共団体にあるのだ、そのための必要な措置を講ずるものであるということが、この法律案で明らかになったということです。  第三には、以上の二つの基本的な考え方から、「特殊教育」という名称を「障害児教育」に改めるということ、あるいは養護学校学級編制、教職員の定数、そういうものを大幅に改善をしていくということ、さらにはまた、養護学校を整備するために、国の責任を明らかにして、国庫補助を大幅に行なわせる、こういう法律案であります。  以上の点から私は賛成をするわけでありますが、しかし、いわばこれはむしろ緊急かつ最低の措置だろう、したがって、この法律案が成立したあと、さらに、これを基本にして充実強化していくという努力をぜひお願いをするわけであります。私は、この法案が全会一致で賛成され、障害児及び障害児を持つ親たちに明るい希望の火をつけていただくことを心から期待をいたしまして、討論を終わります。
  106. 世耕政隆

    委員長世耕政隆君) ほかに御発言はございませんか。——ほかに御意見もなければ、討論は終局したものと認めて御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  107. 世耕政隆

    委員長世耕政隆君) 御異議ないものと認めます。  それでは、これより学校教育法の一部を改正する法律案(第七十一回国会参第五号)、公立障害児教育学校学級編制及び教職員定数標準に関する法律案(第七十一回国会参第六号)及び公立障害児教育学校に係る経費国庫負担に関する法律案(第七十一回国会参第七号)について採決に入ります。  まず、片岡君提出の三修正案を一括して問題に供します。  片岡君提出の修正案に賛成の方の挙手を願います。   〔賛成者挙手〕
  108. 世耕政隆

    委員長世耕政隆君) 少数と認めます。  よって、残念ながら片岡君提出の修正案は否決されました。  それでは次に、三案の原案全部を一括して問題に供します。  三案に賛成の方の挙手を願います。   〔賛成者挙手〕
  109. 世耕政隆

    委員長世耕政隆君) 少数と認めます。  よって、三案は、賛成少数により否決すべきものと決定いたしました。  なお、審査報告書の作成につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  110. 世耕政隆

    委員長世耕政隆君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。  午後二時再開することとし、暫時委員会を休憩  いたします。    午後零時五十一分休憩      —————・—————    午後二時十七分開会
  111. 世耕政隆

    委員長世耕政隆君) ただいまから文教委員会を再開いたします。  学校教育法の一部を改正する法律案(第七十一回国会閣法第一一二号)を議題といたします。  前回に引き総き、本案に対する質疑を行ないます。  質疑のある方は、順次御発言を願います。
  112. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 人事院が都合があるようでございますから、まず、人事院関係のものをお聞きしておきたいと思います。  この法案の附則によりますと、一般職の職員の給与に関する法律を一部改正をして、別表第五のロ、ハに、校長、園長の欄に教頭を挿入をすると、こういうことに書いてありますですね。そういう意味は、端的に聞きますけれども、この一等級、二等級、三等級の一等級に格づけをすると、こういう意味ですか、どうですか。
  113. 茨木広

    政府委員(茨木広君) この改正は、俸給表の適用をいたします職種の種類を備考欄にあげておりますので、その種類に教頭を加えるということを示しておるんだと思います。必ずしも一等級であるということではないと思います。
  114. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 必ずしもって、この一等級、二等級、三等級と三つしかないんですね、この別表は。そうしますと、これは新たな項目を起こすという意味なのか、あるいはそのうちのどれかに格づけするという以外にしか考えられないでしょう。人事院は、どういう方向でこれ検討しようとしているのか、これはもう二者択一だと思いますがね。
  115. 茨木広

    政府委員(茨木広君) 現在のところ、教頭職が法律上の職になってないんで、附則できめられております職になっております関係上、給与法の別表の中にも頭を出してきてないと、こういう関係に相なっておるわけでございます。ただ現実に教頭の方、附則できめられたかっこうでおられるものでございますから、二等級の俸給表を適用しておるということは御案内のとおりでございます。でございますから、この法律が通りまして、教頭職が法律上の職ということに変わってまいるということになりますと、いまのままでいくのか、今後どういうふうにするのかということは、その段階でやはりまた検討しなきゃいかぬ問題であろうと思っております。
  116. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 いや、私が聞いておるのは、その段階でどこに格づけをされるんですかということを聞いておるんですよ。現行どうなっておるということは百も承知です。法案にはわざわざだからそれを変えようと思って書いておるわけですから。たとえば、昭和三十二年、四十五年ですか、おたくのほうで、一等級格づけを国立学校の校長代行者一名に限って格づけをするという通達を出したことがありますね。それに準ずるということになるんですか、それならば。具体的に聞きますけれども
  117. 茨木広

    政府委員(茨木広君) いまのところ、まだそこまで詰めた考え方を持っておりません。
  118. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 この法案によりますと、場合によっては、校長の代行権を与えられることになっておるんですがね。そうしますと、「国立学校の校長の代行は一名に限って」云々という通達の線から見れば、これは皆さんの考え方としては、一等級の格づけということを常識的には考えられるというふうに理解も一応できるんですね。けれども、この七日の本委員会の内藤さんからの質問に対しては、あなたは国公法の六十二条、さらに一般給与法の四条等を引き合いに出しながら、十分吟味をしたいという意味深なことを言っておったんですが、先ほど、私の出したところの通達の問題とこれとの関連で、一体、方向性ということぐらいは出ておると思うんですが、そこはまだ検討中ですか、どうなんですか。
  119. 茨木広

    政府委員(茨木広君) この前、基礎的な考え方を申し上げたわけでございますが、校長の代理をやるということが、即校長職と同じ評価をしなきゃならぬかどうかということは、やはり簡単には結論づけられない問題であろうと思っております。通達で出しておりますのは、御案内のように、校長の方が、大学の教授の方が兼務になっておるという関係で、実質的におられますのが教頭の方なものでございますから、そういうような一等級を適用すると、こういうことできておるわけでございます。ですから、方向性というふうにいまおっしゃられましたが、そういうことであれば、いまの二等級のままでよいかということになりますというと、やはり法律上の職員になり、あるいはいろいろ国会で御議論になっておるような形で、職務内容が変わってくるということでございますというと、上のほうに向かってというふうな方向が、やはりあるんではなかろうかというように考えておりますけれども、何ぶんまだこの法案が審議中でございますので、ここで、どうこうというふうに結論づけたことをまだ申し上げる段階に至ってないというのが正直な話でございます。
  120. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 三十二年、四十五年の通達というのは、国立学校の場合は、いまおっしゃったように、大学の教授が普通学長になるわけですね。それで、主事というのが大体校長クラスになっておるわけですね。付属なんかを見ますと。そういうことなんだから、それとは違うというものの考え方だ、人事院としてはね。さらばといって、それをこのままでもいかぬと考えておるという、二つの上限と下限があるわけですね、いまのあなたの話を聞けば。この中で慎重に検討すると、このように理解してよろしゅうございますか。
  121. 茨木広

    政府委員(茨木広君) たいへん詰められたお話を御質問の形で受けたわけでございますが、二等級等もどうもそのままにしておくのもいかがかという感じでございますし、さればといって、校長と同じというわけにもいかぬのじゃなかろうか、それをどうするかという問題がやっぱりあるのじゃなかろうかと、そういうふうに考えております。
  122. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 そういたしますと、言われておるところの新しい等級のランクを考えられるということも、一つのいまのお話しの中からは大体看取できないでもないんです。しかし、その問題について、私が聞いておきたいのは、皆さんは人事院独自の判断でやられるのか、それとも、文部省の意向ということもお聞きしながら、検討を加えるつもりなのかどうなのか、そこはどうなんですか。
  123. 茨木広

    政府委員(茨木広君) 給与の問題につきましては、御案内のように、毎年勧告の形で内閣及び国会意見を申し上げて、そして、それぞれの御判断をいただいて、例年の形でございますというと、内閣のほうから改正法案が出され、国会で審議をされてきまると、こういうような経過をたどっております。でございますから、かりにこれに伴いまして改正をいたさなければならぬという事態になりますれば、やはり、そういうような道をたどるというふうに考えております。なお、まあその間に、いろいろ関係の方々の御意見等も、従来も出てきておりますし、そういう形でいろいろ意見を聞くという形に相なるものというふうに考えております。
  124. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 そこで、文部大臣、あなた、いまのやり取りをお聞きだったと思いますが、大体、人事院の給与局長のお話から判断されることは、国立学校並みの、一等級もそれ並みにするわけにもいかない、さらばといって、二等級のところに現行のまますることもいかないと思っている。そういうことになりますと、いま俸給表の一等級、二等級、三等級とある上に、もう一つぐらい、その二つを生かすということになるとすれば、表をつくらざるを得ない、四段階の表をね。そうなりますと、私は人確法の審議の際に、いわゆる四段階とか、五段階というものは、考えておりませんかと言ったら、考えておりませんと大臣は明確におっしゃったんです。そういうことになりますと、いまの人事院の答弁でおおよそ予想されるところの問題と、あなたの答弁と二つ合わせてみますと、非常に矛盾したような形になるんですがね。やはり大臣としては、お約束のように、いわゆる五段階給与の前提になるところの四段階給与ということはとるつもりはないと、このようにここで理解しておいてもよろしゅうございますか、どうですか。
  125. 奥野誠亮

    ○国務大臣(奥野誠亮君) 従来から繰り返し申し上げているとおりでございます。いわゆる人材確保法の審議にあたりまして、五段階給与を考えているのだと、また、そういうような複雑な給与制度をとることは教育現場をすさんだものにするのだというような御意見もあったりいたしまして、これはやはり慎重に考えなければならない課題だなと私なりに断判をしておったわけでございます。そういう過程におきまして、私は、教頭職の法制化が実現しても、教頭職の俸給表をもう一つつくりたいと、こういうことを人事院にお願いする意思はありません。むしろ、教頭さんにつきましては、大きな学校の教頭さんなどでは、小さい学校の校長さんよりもむしろ責任が重い実態もある、そうなりますと、教頭さんにつきましても、人によっては一等級の適用をしてあげるべきだ、こういうような考え方を持ったわけでございまして、人事院総裁等にもそういう御意見は申し上げておるわけでございます。私としては、教頭さんにつきましては、教頭職法制化のいかんにかかわらず、人によって一等級を適用するというような方向をとりたいなと、いまもその考えを持ち続けておるわけでございます。教頭職の法制化が成立いたしました暁におきましても、現段階におきましては、人事院に対しまして、特別な俸給表をつくってくださいというお願いをする考えは持っていないわけでございます。今後、先生方の間でどういうふうなことを一番希望されるか、先生方の間から起こってきます御意見等に耳を傾けながら、対処していくべきものだと、こう判断をいたしておるわけでございます。
  126. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 大臣の御答弁を要約をいたしますと、いわゆる教頭についての特別号俸、給与表上ですね、いわゆる四段階になるわけです、いま三つあるわけですから。それはまあ考えておらない。しかし、教頭によってはピンからキリまであるから、大規模学校ののはできたら一等級並みに扱うという方法をとりたい。そのことばは、裏を返せば、また大規模校でない中規模校以下のところは、今度は二等級の教頭さんもおると、こういうまあ形になってくるものだと、大臣の考えは理解しておいてよろしゅうございますか。
  127. 奥野誠亮

    ○国務大臣(奥野誠亮君) そのとおりでございますし、また、現実に教頭さんについて一等級を適用している府県も若干ございます。
  128. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 それでは給与局長、これはまあ非常にあなたにいますぐ即答を求めようというのは酷だと思いますけれどね。いわゆる教育行政全般に責任を持つところの文部大臣はそういう答えをされた、人事院は、人事院としてさっきのような答弁をされた、一体これをどう調整するかというのが今後の私はやっぱり課題になっていくと思うんですがね。やはり率直に申し上げて、私どもは、前の人確法の討議の際にも申し上げたし、あるいは今度の、率直に申し上げて、この教頭法案の反対の一つというのも、いわゆる職務、職階給与というものを導入するところの前提になっていくと、こういうものの考えをやっぱり持っておるだけに、あなたがこう別個に云々というもし考えがあるとするならば、われわれとしても、これは反対なんだ、少なくとも、出されているところのものは、給与の格づけをどうするかという問題よりは、法案の中身として言えることは、一体、教頭を準管理職として認めるかどうかという問題にかかっておるわけです、その是非に。ですから、もちろんこれは給与の問題は私は直結即すべきところの問題じゃないとも思いますけれどね、その点はひとつ慎重に、また各界各層の意見を十分聞いてやっていただきたいと、こう思いますが、その点はお約束できますか。
  129. 茨木広

    政府委員(茨木広君) 俸給表の考え方については、いろいろな考え方があるわけでございます。御案内のように、行政職俸給表の一等の運用では、ただいま文部大臣が御答弁なられましたような、一つの職をまたがわせると、二つの等級に格づけをするというようなやり方もございます。ただ、俸給表の種類によりましては、一階職一等級という運用のしかたを原則としておるものもございます。教員の場合には、そういう俸給表になっております。ですから、大規模、小規模というようなかっこうで、教頭なり校長を等級を異にして格づけをするというやり方は、従来はやっていなかったわけでございます。で、現段階では、ごうごうという大臣の答弁がございました。それはまあ先ほど申し上げましたように、格づけ上の問題でございますので、今後どういう形でこの法案がきまり、それから、その後またいろいろ、従来も給与等級の問題については各方面から意見が出ておりました。この法案が通りましたあとでもいろんなことが出てくるだろうと、そういうものをよく承りまして、人事院として、内部でもよく検討をいただいておきめいただくと、こういうことに相なるわけでございます。
  130. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 いろいろ慎重に今後検討したいということですから、これ以上はもう申し上げませんけれども。さらばといって、誤解をしておいていただくと困りますけれどもね、大臣答弁のとおりやってくれということじゃさらさらないんですよ。私どもは、この給与表をいじってもらっては困るという。そういうことは、結局、教頭表、別表をつくっていくということになれば、これは中教審の答申じゃありませんけれども、いずれまた文部省に尋ねますけれども、何とか主任、何とか主任とか、あるいは教員養成制度とからんできて、上級教員というもの、これはもう五段階になっていくということはもうはっきりしているんですよ。一体そういう方式の給与表というものを教育の現場におろしていいかどうかというのは、これは根本的なもう問題ですからね。ですから、私どもは、そういうようなことでは絶体困るということを申し添えて、十分に検討していただきたいと、こういうことだけは申し上げておきたいと思います。局長に対する質問は、それだけです。  それで、私はこれから大臣に質問申し上げたいと思いますが、先日の本委員会の質疑の最後のところで、学校教育法二十八条四項の「教諭は、児童生徒教育を掌る。」ということの意味及びその職務権限について、いろいろまず私はお尋ねをいたしました。しかし、その限りにおいては、初中局長並びに大臣からは、おおむね一致するところの筋論が出たものだと思うのです。  そこで私は続いて尋ねたのは、それならば、そのような教育に追いついて権威を持つ教師が、職員会議に集まって協議をして、たとえばある一つのことについての意思統一がなされた場合に、そのことが学校運営の最終的責任を持つところの校長との意思のかかわりはどうなるんですかと、こういうまあ質問をしたときに、大臣は、いやそれとそれとは別なんだというお答えをされましたですね。私は、これ自体、非常に御答弁はどういう意味かさっぱりわからぬと思います。しかし、時間の都合もありますから、それ以上これは深くはやりませんけれども、それがどうも別だというこのものの考え方は、基本的には大臣の考えとしては、学校長というものの持っているところの教育的な性格ですね、側面ね。そのことよりは、管理者的な性格、側面ということを非常にウエートを置いておるから、私が先ほど述べたような答弁しか、全然別だという考えしかなされてないんじゃないだろうかと、このような気がするんですがね。  それで、学校長というのは、一体管理的な性格ということが主体になるのかどうか、学校教育におけるところの学校長の地位と関連をして、どうお考えですか。
  131. 奥野誠亮

    ○国務大臣(奥野誠亮君) この前もお答えをしたと思うんでございますけれども先生方教育をつかさどる、教育というものは、個人個人の持っている能力、適性等これを引き伸ばしていくんだと、それは画一的なものではない、それぞれの具体の人ごとに創意くふうを尽くさなければ教育の実をあげることはできないんだと、そういう意味において、先生方ができる限り知恵をしぼって、自由濶達に努力されていく体制、これはもう非常に必要なことだと、こう考えていると、こう申し上げました。また、先生方が、お互いに集まってどのような方向で努力し合うかお互いに討議し合う、これも非常に大切なことだと思いますし、校長先生もまた、先生方がそういう意味合いで絶えず研究努力されるその姿勢、これを助けていかなきゃならない、こう考えるわけでございます。それはいずれも、教育運営に当たってお互いに努力し合うべき事柄でございます。私が宮之原さんと違っております点は、だから職員会議がすぐ決議機関になるんだと、だれかを拘束できるんだと、これは違いますと、こう申し上げているわけであります。それは、法律的な性格というものと実態的にどう運営するかという問題と、これは区別して考えなきゃいけませんよと、法律的にはあくまでも校務をつかさどる者は校長さんなんですと、校長さんが責任を負っているんですと、したがいまして、それぞれの教科について、どういう先生方が指導的な役割りを持つとか、あるいはまたどういうような校務について分担し合っていくんだとか、いろんなことが学校の中にあると思うんでございますけれども、そういうことについて責任を負って決定をしていくのは校長さんだと、しかし、校長さんは何も独断専行すべきものじゃなくて、いろいろなことにつきましては、先生方に自由濶達に議論をしてもらって、そして、これが一番適当だと思うところに決定をし、そのような方向に持っていくことが大切ではなかろうかと、こう考えておるわけでございます。学校市町村の役場、役所とは違いますけれども、やはり市長たる者は市役所の職員の意見に十分に耳を傾けながら、誤りない市政をやっていかなきゃならないと思うんですけれども、市の職員会議が市長を拘束するものではない、運営の実態というものと、法律的な性格というものとは区分して考えなきゃならない、職員会議は決して決議機関では、市政の場合においてもない、しかし、あいまいな教育をしないために、運営上市長が職員の意のあるところを会議等の開催をしながらも、くみ取る努力をしていかなきゃならない、そういうことが学校教育においてより多く言えるんじゃないだろうかということにはなろうかと、かように考えているわけでございます。
  132. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 そうしますと、いま大臣の御答弁から判断しますと、法律論は一応させておいて、しかし少なくとも、事教育については責任のあるところの、子供教育をになっているところの教師、その教師が相集まって職員会議でいろいろ議論をして、少なくとも一つの問題について、教育にかかわるところの問題点についてその結論を出したと、そうすればもし校長というのが非常にものごとを教育的に判断をしていくという側画を重視をするとするならば、私は、その意向が取り入れられるというのがこれは自然だ、こう思うんですけれども、どうもいままでの指導、いろんな問題から、いやそうじゃない——この間もいろんな具体的な論文を披露をしてお尋ねしたんですけれども、いや法律上もそうなっているから絶対校長は校長の権限でやれ、こういう指導は現に皆さんがなされておるから私は尋ねるんですけれども法律論は別にいたしましても、そういうような実態の運用の中では当然やはり職員会議というものの意向ということが校長に十二分にやはり尊重されてしかるべきだと思うんですが、これはどうでしょう。
  133. 奥野誠亮

    ○国務大臣(奥野誠亮君) たとえて申し上げますと、学習指導要領、これに基づいて各学校教育課程をきめていく、その学校がきめるという最終責任者は校長さんだろう、こう考えるわけでございます。そういうような法的な規定、規則、そういうことに反しない限りにおきましてできる限り先生方が自由濶達に議論をされていく、研究されていく、そういう姿勢を助長していくべきだろう、校長先生としても、そういう態度をとるべきだろう、こう考えます。しかし、学習指導要領、教育課程に反するようなことにならないように校長さんとしてはそれなりに責任を持っていかなければならないだろう、こう思うわけでございます。
  134. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 私がお尋ねしているのは、なるほどそれは二十八条を見ても、学校運営のいわゆる最終的な責任を負うのは校長ですからね。その校長の権限が、それはおかしい、これは間違いだ、こう言っとるんじゃないんです。しかしながら、少なくとも、最終的にはそれはすべてのものごとの決着というものは校長が責任を持つにいたしましても、先ほど申し上げたように、事教育にかかわるところのいろんな問題が議論されて、職員会議で一つの方向が出るとするならば、これを私は尊重していくところの校長の姿勢ということこそが、ほんとうに校長の教育的な性格というものがにじみ出たところのものの考え方だと、こう考えてならないのです。  そのことはたなに上げて、いや、法律論一辺倒で、管理者なんだから管理者としての責任を果たせ果たせということでは運営できないだけに、私は先ほど申し上げたのがあるべき姿だ、こう思うんですが、その点はどうでしょうか。
  135. 奥野誠亮

    ○国務大臣(奥野誠亮君) 宮之原さんは、職員会議の立場に立って強く主張しておられる。私は、職員会議の立場に立って強く主張すると同時に校長さんの考え方も深く職員会議の皆さんたちが理解をする、両方の立場に立って十分な議論が行なわれる体制、雰囲気、これは私は学校にとって非常に必要なんじゃないかな、こんな感じがいたします。
  136. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 その校長の法律な面での性格論ですが、これは私は、戦前の国民学校令の場合と現行の学校教育法ののを事少なくとも校長の権限云々という点で見る限りは、まだ戦前のほうが非常に教育的な側面というものが重視をされておったんじゃないだろうかと思えてならない節があるんです。  それは、御承知のように、国民学校令の十六条には「學校長及教頭ハ其ノ學校ノ訓導ノ中ヨリ之ヲ補ス」とあるんですね。「其ノ學校ノ訓導ノ中ヨリ補ス」と、こう言うている。したがいまして、同施行規則五十六条にも「六學級以上ノ国民學校ニ於テハ學校長タル訓導ノ掌ル教育ヲ補佐スル為」と、いわゆる六学級以上、規模の大きな学級になると、校長は本来持っているところの教育をその訓導としての面ができないから、訓導をかりにプラスするとか何とかいうような配慮がなされている。少なくとも、この法文上見る限りにおいては、校長というものは、その学校の訓導からなすんだから、常に教育ということを考えてものを処しなければならない、この筋が一本通っておったと私は理解する。  ところが現行法は、施行規則の八条にはなるほど校長の資格条件として教育経験が五年以上云々という条件がありますけれども、二十八条の三項を見る限りにおいては、学校長はいわゆる校務をつかさどり教職員を監督するとありますね、ほかの教職員をね。そういう点から見ると、むしろこれは管理者的な性格というものが非常に強く出ておる、こう思えてならないし、それをたてにとって皆さんは校長というものは絶対な権限を持っているんだと指導されておるのではないだろうか、このように思っておるんですがね。そこらあたりは、こういうふうに大臣は——このいま私か指摘をしたところの法文上からどういうようにお考えになりますか。
  137. 奥野誠亮

    ○国務大臣(奥野誠亮君) 学校における校長さんの職務権限について、戦前と戦後と性格が変わってきたというように私は理解をしていないわけであります。昔は国民学校令でございますし、現在は学校教育法でございまして、したがいまして、表現の上にも若干の違いはございますけれども、戦前の国民学校令を見ましても、学校長は「校務ヲ掌理シ所属職員ヲ監督ス」というような表現を使っているわけでございます。いまおっしゃいましたような点もございましょうけれども基本的には私は考え変わっていない、こう思います。  校長さんの責任、権限を文部省が非常に強調していると、こうおっしゃっておりますが、その辺の事情私よくわかりません。わかりませんが、他方に、組合などにおきまして職員会議が決議機関だと、こういった法律的には理解できないようなことを主張されたりしますんで、自然反対的に校長さんの責任が強調されているという点はあるいはあるのかもしれません。いずれにいたしましても、戦前と戦後におきまして学校長の性格、使命、そういうものは変わったとは私は考えていません。
  138. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 私は、職務権限というよりもその性格を言っておるんですよ。それは、監督するという文字では同じでしょう。しかし、性格から考えてみれば、「訓導ノ中ヨリ之ヲ補ス」とか、あるいは校長は教育をつかさどるという一つのやっぱり職務権限があるんだぞというのが、戦後はないでしょう。言うならば経営者というか、管理者というところの側面だけがこの法文の中ににじみ出ておるから、これは性格の面でも相当のやはりものの考え方の相違があるというのは常識的に考えられませんか、どうですか、こう言っている。普通これはノーマルに考えるとだいぶやっぱり違うなと思うんですがね。そこはどうなんですか、性格。  私は、監督する権限があるかないかということを論争しておらないんですよ。性格としてどんなんですかと。そういう法律上の用語から見て、戦後の中にないだけに、そこに私は、今日のやはり教育一つの大きな問題点が存在するんじゃないかと思うから尋ねておるんですよ。  これは大臣答えられなければ初中局長でもいい、きちんとそこに条文があるなら。
  139. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 戦前と戦後で官吏あるいは公務員の考え方につきまして違いがあるということは、これは御指摘のとおりでございます。その国民学校令の前でございますと、教諭とそれから校長が兼任というふうな形をとるというふうなやり方、そういうふうな考え方もあったわけでございます。  それから、戦後やや違いますのは、たとえば私立学校等でございますと、教育の経験が五年以上というふうな……。
  140. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 いや、そういう広げんで、この法文上どうなっているかということを、性格のことを言っているんですよ。何も小学校令までさかのぼらないから、明確にあるところの国民学校令というものと学校教育法との関連で言ってください。
  141. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 校長の考え方というよりは管理制度、公務員制度考え方というふうなものの違いがここに出ておるというふうに理解したほうがよろしいのじゃないかというふうに思います。
  142. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 何の答弁されたかさっぱり私もわからぬけどね。これはしかしあなた、だれでもすなおに見たって、いわゆる校長の教育に携わるんだというものの考え方というのは——非常に管理面がうんと生み出しておる。だからこそ、あとから尋ねますけれども文部省の指導もお前たちは管理者だ管理者だと、職員にああせい、こうせいと命令するところの問題を持っておるという指導するんでしょうが。私は、ここにやはりもしあなた方が戦前のようにやはり学校長というのは教育というところの性格が非常にあるんだという指導するならば、決してそういう指導方針は生まれてこないと思うんですよ。だから、私は、ここに一つの大きな今日やっぱり教育行政の中でぎすぎすし出しておるところの大きな要素が私はあると見ているんです。確かにその点でね。ここはそれ以上聞きませんけれどもね。  ただ、その点と関連して申し上げますれば、アメリカの学校経営、学校のいろいろな文章を見てみますと、校長の役割りを学校教育の目的達成のための学校の組織者とか、あるいは教職員と教育委員会の間や校区住民と教育行政の間の中間的立場に立つところの媒介者とか、あるいは学校が果たすべきところの課題の診断と、その解決への教職員のための教育的な指導と、こういうようなかっこうに校長の役割りをまとめ、それから職務内容を割り出して、その職務内容を仕事の内容とするから、校長の場合には、教育プログラムの改善とか、教職員の啓発とか、地域社会との協調とか、あるいは学校の管理事務というようなことを非常に強調されて、いわゆる監督者なんだ、あるいは指揮権者なんだというこの強調のしかたがほとんど感じられないのですよ。私は少なくとも、この教育という立場から見れば、これは学校長はこうあるのが当然だと、私らも思うんです。そこらあたりが、先ほど来尋ねておるところの他の国とのこの体系の違いもある。だから、そこからこういうことが言われている。日本の校長は教育者であると信じつつ、ただの管理者に過ぎない。アメリカの校長は管理者であると信じつつ、はなはだ教育者的である、こういうものの評価があるんですよ。これは一体どういうふうに皆さんいま私が紹介したことをお感じになられますかね。その点、大臣の所感をお聞きしたいのですがね。
  143. 奥野誠亮

    ○国務大臣(奥野誠亮君) 少なくとも、国公立の小・中学校、高等学校の校長先生が、管理者的であるよりもより以上に教育者的でなければならない。また、文部省としても、そういう考え方のもとに指導助言に当たってきていると、かように考えるわけでございます。  戦前の場合には、職と身分と分けておりまして、訓導の中にも、この国民学校令を見てますと、奏任官の待遇の人、判任官の待遇の人、いろいろあったようでございまして、その中から職として校長さんに補されたり、教頭さんさんに補されたりしておった。いまはそういう職と身分と切り離した姿になっていないんで、校長という職、それから教諭という職、今度はまた教頭というものを職として法定しようと、こうしているわけでございまして、若干公務員法の扱い方が変わってきていることはあろうかと思います。しかし、精神は、先ほど来熱心に御主張になっているように、校長たるものは教育者的配慮のもとに積極的な努力をしていかなければならない。ただ、管理、監督的な立場を強調するような姿は望ましくない。こういう点については、全く私も同じような気持ちがいたします。そして、やはり教育現場は、お互いに潤いのある教育現場であることが、管理上も非常に必要じゃないか。教育的な影響を考えました場合にも、そういうことに一そうの配慮を尽くすべきではないかと、こう思っておるのでございます。
  144. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 大臣教育論を、結論をお聞きする限りでは、そう私は違いないと思うのです。はなはだけっこうだ。いわゆる学校長も管理者的である以上に、教育者的でもなければならない。ほんとうにそう思っておるとおっしゃるならばけっこうだと思うのです。しかし、現実の文部行政なりあるいは文部行政によって指導されておるところの学校というのは、だいぶ違っておるんじゃないですか。現にあなた、いま日本の教育界を風靡しておる学校の校長経営のあれから見ますと、特別権力関係論と学校経営の重層構造論というのが非常に風靡していますよ、校長さんの間には。これなどは全くこれはもう官僚的法治主義のかたまりだといったって、私は言い過ぎでないと思う。まあ大臣は、戦前からの内務官僚ですから、その特別権力関係論を十分御存じだと思いますが。どうこの特別関係論を握っておられるか、まず、それをお聞かせ願いたい。
  145. 奥野誠亮

    ○国務大臣(奥野誠亮君) いろいろ御議論を伺っていますと、やはりいまの教育の現場に問題があるんじゃないだろうかという気がするのでございます。たとえば、先生方児童生徒をほうりっぱなしで同盟罷業をおやりになる。法律に禁止されている。授業が済んでからいろいろな行動をされる場合には、まあさほどのことがない限り、私はそれほどとがめだてする必要はないのではないかと思うのですけれども、授業を放てきして、児童生徒をほうりっぱなしで、そして同盟罷業をおやりになる。これはやっぱり校長先生としては頭の痛いことだと思います。また、校長先生になる、教頭先生になりますと、さて、家を出て朝学校に行く。とたんに頭が痛くなるという話を私よく聞かされるんであります。教頭になる、校長になるとつらい立場になる。いやだなあというふうに感じられる方々もずいぶん多いというふうにこのごろ伺っているわけであります。あるいはまた、職員会議の決議機関の問題も出ておりました。やっぱり校長さんなり教育委員会なりが持っております正当な責任、これはやっぱり正常に行使されるようにしてあげないと、お気の毒だなあとこう思うわけでございます。あるいはまた、教育内容は、教師集団がきめるのだとこうおっしゃる。教育権は国民にあるんだと、だから教育権は教師集団にある。これは論理の飛躍があるように思うんですけれども、そういういろいろな問題が教育現場で起こっておるもんですから、校長さんたいへん苦しい立場にお立ちになっているんじゃないだろうか。そういうところから解決していかないと、なかなかいまの実態、あるいはおっしゃるとおり、私は文部省は少し校長さんの管理者的な立場を強調し過ぎていること、あるいはあるのかもしれないなと思います。思いますが、それはやっぱりいまのような実態からきているんじゃないかなと、こうも心配するわけであります。まあ、いずれにいたしましても、文部省もよく考えていかなければならない。また、先生なり先生の集団なりもほんとうによく考えていただく。そして力を合わせあって日本の教育を振興させる。早くそういう時期を迎えなければならない、こう思っておるところでございます。
  146. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 質問には的確に答えてくださいよ。私は、何もあなたから感想発表を求めておるんじゃないですよ。現にあなた方、文部省がそういう指導をしているから、それをどう思うかと聞いているんですよ。それはあなたがえらい横道にそれたストライキ問題をやるなら、それはやりましょう。そんなら一応この本法案の審議から別にして、私は委員長にお願いしますけれども、それだけで時間とってもらいたいんだ、ここでいますぐ。それならば、いまあなたが挑発しかけたやつをやりましょう。ストライキ権の問題あるいは職員会議の問題を。話をあなた私にそのものずばり答えないで、横ちょにそらすからそうなるんですよ。  いま、私が聞いておるのは、学校経営のあり方の問題と関連して、一体あなた方、この特別権力関係論をどういう理解をして、どういう指導をしておるんですかと、こうお聞きしておるんだから、それに答えて言いなさいよ。もし、あなたが先ほど横道にそれたところのストライキ権の問題とか、あるいは職員会議の決議機関云々だという問題ならば、それは私も論争するのになぶさかじゃない。ただし、それは委員長にお願いをして、この法案の審議の時間と別ワクにひとつやっていただきたい。どうですか、委員長そういう時間をいま特設してもらえますか。
  147. 世耕政隆

    委員長世耕政隆君) それは後のことにして……。
  148. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 いや、後じゃないですよ。大臣がここで言っておるんだから、それならばそれをやりましょう。
  149. 世耕政隆

    委員長世耕政隆君) それは後の時間にしていただいて……。
  150. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 そうしなければ、あなたまともに答えてくれぬじゃないですか、横道にそらして。(「大臣意見に同感だ」と呼ぶ者あり)そんなら、あなたそういうふうに注意したらいいじゃないですか。問題は、具体的な法律的なものの考え方を、私はお聞きしておるんだから、それだけをお答えになればいいんですよ。それに付随して、たとえば、そのやじっておるところの皆さんが、それは、ストライキ権はどう思いますかというならば、あなた答えていいでしょう。しかし、あなたもとても楽しそうに答えておるから、少し時間を多くとってやったらどうですか。大臣も同意見じゃないですか。委員長、そういうふうにしたらどうですか。
  151. 小林武

    小林武君 委員長
  152. 世耕政隆

    委員長世耕政隆君) 関連質問ですね。
  153. 小林武

    小林武君 議事進行です。議事進行でやります。  文部大臣、あなたの答弁、初中局長もそうだけど、やっぱり質問者のあれをようく聞いてないんですよ、さっきから。ぼくは施行規則の中にある校長の、どんなのが校長になるかというような話、それを前の校長と比較して戦前の、そういう上からの変化のいろいろな問題をさえ、それでもあなたたちはそれに答えてないんですよ。ほんとうの意味において、どうしてこういうふうに変わっていったかということを説明して、これがまたいまの教育を進める上にたいへん重要なあれだというようなことを説明していけば——いまの質問に対して、あなたのほうでもっとぴしぴしとこなきゃだめだ。それをストライキ権なんというのは、何の話だか、ぼくも考えてみると、ストライキの話ならここで特別に時間設けりゃ、ぼくもひとつ割り込んで、ストライキの話やってもいいんですよ。しかし、けさからいろいろ問題になっておりますのは、時間が足りない、時間が足りないという、そういう声を聞くわけですから、それ時間足りないならば、ぼくらのほうはなるべくよけいなことをやらぬで、早く出ていって、やりましょうというけれども質疑段階に来てから、こんなことをやられたんじゃ、とてもかみ合わないんですよ。ぼくは、これがいずれもあんまりその面に通じていない人がやる場合には、これはやっぱりありますけれども、前の教育についても何についても、結局あなたくろうとですよ、戦前派だもの。戦前あなた若いときに教育課長か何かやって鳴らしたんだから、だからあなたほんとうにもう本物なんですよ。局長にしたってあなた、文部省のめし食ってから相当たつわけだ。だからぼくは、そんなはぐらかし答弁やめて、堂々と渡り合ってくださいよ。そうすれば、時間の不経済にならずに質問ができる。どうもやっぱり公平に見て、あなたたちのほうがどうもぐあい悪い。(「委員長、進行だ」「進行してください」と呼ぶ者あり)気をつけてやるようにと、あなた言わなきゃだめだ。
  154. 世耕政隆

    委員長世耕政隆君) 御答弁を簡潔でけっこうでございますが、進行してください。
  155. 奥野誠亮

    ○国務大臣(奥野誠亮君) ちょっと理解があるいは不十分であったかもしれませんので、事務当局からお答えさせていただきます。
  156. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) いまのお尋ねは、特別権力関係論とか、それから重層構造論とか、そういうふうな考え方が公務員等にあることは事実でございます。それが学校の場合にも校長、それから教員の間に、そういうふうな公務員としての特別権力関係に基づく議論、あるいは重層構造論といいますか、そういうふうな考え方が、公務員としては、当然適用されるということはあり得ることでございます。
  157. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 私は、その議論があり得るかあり得ないかという話を質問しているんじゃないんです。先ほど学校長の問題を中心にして議論して、大臣は、学校長というのは、やはり管理者的なことよりも、より教育的な立場でものごとを処しなければならないと、私もしんからそう思いますと、こうおっしゃるから、その発言を私も同感ですと、しかしながら、残念ながら大臣大臣であるけれども大臣が浮かされておるのか、めくらにされておるのかわからぬけれども文部省の指導は、決してそういう指導でありませんよと、いわゆる特別権力関係論やらあるいは重層構造論が先行して、とにかく校長の権限はこんなに強いんだから、おまえたちはやれやれという指導ばかりしておるんじゃありませんかと、そのことをどう見ておられますかと、こういう私は質問をしておるんですよ。あり得ますとか、あり得ませんという話を、私いまやっておるんじゃないんです。  そんなら、まだ具体的に申しましょう。そういう立場で、私は質問していますからそれ間違わぬでくださいよ。それで、私なお具体的に申しますけどね、その特別権力関係論で、具体的にどう指導されておるかと言ってみましょう。  これは昭和三十七年に出された今村武俊君の本です、社会教育局長の。これは「教育行政の基礎知識と法律の問題」と、こうあって、校長、教頭、市町村教育長、管理主事のためにと、わざわざサブタイトルつきですよね。こう言っています。「法治主義の国では、国民は法律の定めに従ってのみ、国の一般支配権に服するわけですが、営造物を利用する場合や、これから先で説明する公務員関係に入った場合のように、特別な法律又は同意にもとづいて成立する関係にある時は、その関係の秩序を維持するための内部規律として特定のものに、学校でいえば営造物の長としての校長に、公務員関係としての場合は、上司としての校長に包括的な支配権が与えられ、特定の者が、学校でいえば営造物を利用する児童、生徒及びその保護者が、公務員関係でいえば上司に対する部下がこの支配権に服することになり、法律の根據によらなくても」と書いてあるんです。「法律の根據によらなくても、この包括的な支配権の発動として命令に服さなければなりません。教育委員会の学校管理権の内容も、この理論に根ざしている」と、こうも述べております。私が先ほど質問したのは、文部大臣もそういう立場に立って、教育行政を肯定をされてやられるのですか、どうですかということを、私はあらためてここでお聞きしたい。いわゆる先ほど学校の校長としての教育論からなかなかりっぱなことを言われたけれども、実際の教育行政がこうされておる。これは何か教育関係者の間でベストセラーになったんだそうですね。非常にわんさわんさと書いて、みんなあっちこっちで地方に参りますと、もうわれこそは法律の大家みたいにみんなこれを振り回してやって、何か職員が言うと職務命令、命令だと、こういうはやりがあるんですよ。特に私から言わせれば、学校造営物論に基づくところの校長の造営物権力論なんという問題というのはすでに御破算になっていると思うんですけれど、やっぱり依然としてこういうものを肯定されて教育行政に当たっておられるんですかどうですか、それとも、どうなんですか。
  158. 奥野誠亮

    ○国務大臣(奥野誠亮君) 私は、すべて管理者というものは、管理の対象になっているものの使命を十分に発揚する、その効果を十分に発揮していく、そういうような体制をつくり上げていくことだと、こう思うわけでございます。その場合に、学校現場というものは、単なる行政機関じゃございませんで、人を育てていくんですから、また、学ぶ者がほんとうに真剣に学ぶような意欲を持たなきゃなりません。それだけに、意欲を持たせるためには、先生方が情熱を傾けていく、一人一人に対応するようなくふうをしていかなきゃならない、そういうくふうが濶達に行なわれるような環境をつくっていく、これは校長さんの責任だと思うわけでございまして、そういう意味合いで、私は、教育的な配慮が校長さんには特に必要ですよと、そういう個々の先生方努力をしていける、そういう体制を助けてあげる、それが学校現場における管理者の責任だと、こう思うわけでございまして、単に管理的責任とか、教育的配慮とかいって、さい然と論理が明快に区分できるものではない。しいて言えば、監督あるいは命令、そういうものを中心に考えるのか、むしろ一つの環境をつくり上げるための助けを積極的にやっていくのか、管理者としての行為には違いないわけですけれども、いろんなそういうふうな立場があると思うんであります。そういう意味で、私は、先ほど来、教育的な配慮、校長さんには非常に必要だと思っておりますと、こう申し上げてまいってきておるわけであります。それは、管理者として、そういう配慮が特になければならない、こう申し上げているわけであります。  いまお話しになりましたのは、その管理者としての法的な責任、これを今村君が公務員的なとか造営物的なとか、責任をそういうかっこうで分けていることだと、かように考えるわけであります。それは、あくまでも法律的な役割りを言うているだけのことであって、管理者としての成果をあげていく、その場合には、どういうような配慮が特に必要であるかと、いうような、実態論というんでしょうか、運営論というんでしょうか、そういうところには、私は触れていないと思うんであります。両方聞いてみれば、そう、私は今村君と宮之原さんとの間に意見の違いは出てこないんじゃないだろうかな、こう思います。
  159. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 大臣は、個々の法律論としては、いまの特別権力論を認めるという立場にあなたは立っておられる。しかしながらと、あとからの学校運営はそうであってはならないというあなたの説明なんだけれども、私は、これも問題あると思うんですよ。何も私も、これは肯定しようという気もさらさらないんです。これは言うならば、あなた、戦前のいわゆる帝政ドイツ、プロイセンドイツの公法学論でしょうが。すでに戦前に、日本であなた方が戦前の内務官僚時代は横行したかもしれませんけれども、戦後では私はこれはおかしいと思うんだ、これを振り回すのは。しかし私は、その法律論をここで長々とやろうと思いません。それ自体、私は、問題あると思うんです。しかしながら、出されておるところのものは、そういうことで、学校行政をやれという指導をあなた方積極的にされておるんです。教育的な立場というよりは管理者的な立場がある。だからして、先ほど紹介しましたところの著書の十五ページにも、こんなことまで極論があるんです。「学校運営上必要なことについて上司が下僚に命令をする。これは職務命令なのです。かりに酒一升買ってきてくれと、くれと言ったことでも同じ職務命令ではあります。」と言っている。酒買ってこいと、こう命令すればそれは職務命令だというんです。「この場合に、事務職員がいやですといって酒一升買ってこなければ、これは職務命令違反で懲戒処分にしてもよろしい筋のものであります。法律の性質というのはそういうものであります。」こういうふうに説明しておるんですよ。こういうやっぱりものの考え方学校の校長さんをいろんなところに文部省が指導講習だ、どうだこうだって指導して特別権力論を振り回す。そういう中から教育というものは生まれてきますかというんです。言うならば、残念ながら文部省には学校先生の経験者はおらない、生まれながらにして試験を通ってパスしたところのエリートなものだから、すべてものごとを法律で解釈をすればいいというものごとが勝って、こんな酒一升買ってこいといっても、それはいやですと言えば職務命令違反になるところの性格のものですよと、これで処分せいとまではさすがに書いてない。そういう性格のものですよというものの言い方をしておる。一体、そういうもので、学校運営というものがほんとうにやれると思うんですか、教育というものが成し立つと思うんですか、大臣。それ、どう思いますか。
  160. 奥野誠亮

    ○国務大臣(奥野誠亮君) いま、お話を伺っていて、私も奇異の感じに打たれました。いま事務当局から聞きますと、一つの例をあげてそういうことを言っているそうでございます。運動会のあとで先生方の慰労会をやる、慰労会をやるときに、こんなことを言ったらということであげているようでございますが、例はあまり適切ではなかったような感じが私もいたします。しかし、文部省は、特に教育の現場における実態にかんがみて何に指導の重点を置くか、やはり実態の変化に応じて、私は指導が生まれていくと思うのであります。そうなりますと、教育現場の実態は、私が先ほど申し上げたようなことからやむを得ずそういうふうなところに指導の重点がいっているんじゃないか、かように考えるわけでございます。私は、先ほどことさらにストライキや何か喜んで触れたわけではないわけでございまして、宮之原先生のお話を伺ってくると、やはり教育現場が文部省の指導をそっちのほうにかり立てているのじゃないだろうか、こういうふうな気持ちで申し上げておるわけであります。やはり指導する場合には、そのときどきの実態に応じて指導の重点が変わっていくことはやむを得ないことではないのではなかろうか、こう思います。しかし、いずれにいたしましても、そういうようなところに指導の重点を置かなければならないということは不幸なことだ、こう考えております。
  161. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 その原因をみんな学校先生になすりつけるということは、私は責任回避もはなはだしいと思いますよ。それはちょうど田中さんのこの間発表した五つの何ですか、やらなければならぬ十の反省など言っておりますが、あれは御自分がやられてから国民にやれというなら国民は大かっさいしますよ。御自分の政治ではあなたたとえば学校教育にあげても弱い者いじめはしないというが、けさのあれを見てごらんなさい。障害児教育の一番大事な弱い層の子供でも、採決をすれば精神は賛成だけれども反対だというんでしょう、この辺、これは一つの例だと思いますけれどもね。ことごとにやはり人を責める前に、まず自分たちの指導のあり方ということを反省してもらわなければ困ると思うんですよ。実は、そういう指導の中で、教頭問題というものが出てきているんですよ。この教頭の問題は、決して内藤さんのおっしゃったように、現在あるところのものをただ法律上認知するだけのことだから大したことないじゃありませんか、こうおっしゃっておる論法なんだけれども、それは、私がいま指摘しましたところの特別権力論が横行し、そういうもとの中で、この教育の管理体制というものが強められておるこの現場、この中に教頭さんを教員のところから引き抜いて今度は校長さんの仲間に入れますよ、お前は管理者的性格ですよ、管理者になりなさいよ、こうもってきているところに非常に問題があるんですよ。真空の中でこの問題が議論されているのではないところに非常に問題がある、ほんとうに学校経営というものあるいは文部省の指導というものは、先ほど大臣がいみじくも言われたところの立場からなされているならば、それはある程度問題の違いあるいは若干の具体的問題のいろいろな意見の相違等ありますけれども基本が同じだから、私は一致していくところの面が多いと思う。けれども、そういう姿勢、そこに私は今日の日本の教育の息吹きがあると思う。そういうところに出されたところのこの教頭法案だという点を皆さんは一体知ってあえて出されているのか。あえて言うならば、それをますます強めるために今度の法案を出されたんですか、どうですかということをまず大臣にお聞きしたい。
  162. 奥野誠亮

    ○国務大臣(奥野誠亮君) この法案が初めて国会提出されましたのは四十三年でありますから、六年の歳月を経過しておるわけでございます。  四十三年に、この法案が国会提出されましたときには、やはり教頭としての仕事が非常に多くなってきておる、新任の先生等の指導にも当たらなければならない、そういう指導の仕事あるいは企画の仕事あるいは管理の仕事、でありますから教員としてなさなければならない仕事もたくさんあるけれども、それ以上に教頭としてなさなければならない仕事が非常に多くなってきているわけだから、教頭職として法定をしたいのだということで始まっているのだろうと思います。やはりその点は、私は今日も変わりはないんじゃないだろうか、かように考えておるわけでございまして、四十三年のときの法制定の事情、それは今日においても同様に続いている、こう思っておるわけです。
  163. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 どうもまともに答えていただかぬので残念ですがね。私が先ほど申し上げたところの学校経営に対するところの指導という一貫したところの文部官僚の皆さんがとらえた中で、これが出されているところに、非常に教育的な見地から一体教頭というのは学校教育の中でどう位置づければいいかという問題以前の問題として出ているところにすでに問題があるんですよ。その点はほんとうにそういうことは考えないで出されたのですかということをほんとうは聞いているんです。けれども、あなたの御答弁は四十三年どうだこうだということですから、あなたが答弁しないというんならそれ以上無理に御答弁求めようとは思いませんけれども、実はやっぱりこの問題と関連をしますけれども、もう一つは、やっぱり指導理念としての問題がある。これは学校重層構造論の問題ですね、これはまあ幸いかどうかわかりませんけれども文部省の役人の皆さんは出していないようです。これは伊東和衛さんが「学校経営の近代化論」で出しておるんですね、続まで書いて分厚い本を。これは、しかしながら実際には文部省の皆さんなり、あるいは実際の指導があったかどうかわかりませんけれども教育行政の中で非常にこれがはやっておるんですね。その影響かどうか知りませんけれども、中教審までこの影響を答申に受けておる、率直に申し上げて。この点、大臣はどういうふうにお聞きしておられますか、聞いておられませんかどうですか。
  164. 奥野誠亮

    ○国務大臣(奥野誠亮君) いまのお話、聞いておりません。
  165. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 これはやっぱり聞いておられなければ、これは局長あたりの補佐が不十分だということにもなりますがね。しかしまあ、それはいいでしょう。聞いておらなければ申し上げますけれども、この人の著書は二部にわたって非常にたくさん書かれて、中には傾聴すべきところの意見も私はあると見ておる。しかしながら、このものの考え方は、現在の学校は国、都道府県市町村学校という四重の重層構造を持っている、ちょうどそういう点では民間の会社は二重か三重かの構造だけれども学校はそういう四つの構造から成り立っているのだと、したがって、学校経営もそれに見習って経営層、管理層、作業層というやっぱり三つの層ということを考えるべきだ、言うならば、校長や教頭がその経営層に入るのだ、それから中教審がよく言っているところの各科の主任ですね、あるいは部長というのは管理層なんだ、いわゆる平教員は作業層だというふうな分類のしかたなんですね。しかも、これは上命下服の命令の支配関係でなければならない、したがって、今日の行政即経営の中では、この行政機能という中で一番大事なことは、この経営層が考えて管理層にも若干問題を示達しながらそこできめたことを平の作業層の教員というのは聞いてやらなければ学校の近代的な経営というものはできないんだと、こういう筋でつながっておるんですよ。そうすると、ちょうどこれは中教審答申が管理機構というものを重視をしなさい、そうして各教科の主任なり学年主任なり、こういうものを一つのやっぱり指導層として重視をしなさいと、こういうものとこれは全く理論的に一致しておるんです。実はこういう理論が文部省の中では非常に強く、あるいは行政の中に強くとられておる。一体いま私が紹介しましたところの問題点がかりに事実だとすれば、大臣は、そのことについてどう思いますか。なかなかいいことを言うてるわい、わが意を得たりのお考えですか、それともどうかと、こうお考えになりますか。
  166. 奥野誠亮

    ○国務大臣(奥野誠亮君) 私は、みんなが一体となって仕事をやっていく、効果をあげようとしますと、お互いの責任分担を明確にするということは大切だと、こう思います。その点については、あるいはいま御指摘になりました点が、変な言い方でございますけれども、通ずるものがあるじゃないかとおっしゃるならば、それは別に異論は申し上げません。しかし、あくまでも命令服従の関係に立つものとしますならば、そういう考え方は絶対に反対でございます。しかし、助言と協力の関係に立つことさえも拒むなら、これは私は全体としての効果をあげるゆえんではない、こう考えるわけでございます。助言し得る者が積極的に助言をしていく、それに対してはすなおに耳を傾けて協力できるものは協力する、それでなければ、私は全体としての効果をあげることは困難じゃないかな、こう思っておるわけでございます。責任をお互いに分担し合っていく、お互いに助け合っていく、その場合に助言する者があり、また、いいものについては協力をし合っていくという関係にあることも私はいなむ必要はないだろう、こう考えているわけでございます。お互いを尊重し合いながら、できる限り協力をし合っていく、そうして全体として効果をあげていく、その効果のあげ方についていろいろなくふうを尽くしていくと、くふうのあり方にもまたいろいろなことがあってしかるべきだろうと、こう思っております。
  167. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 私は、責任の分担がいかぬと言っておるのじゃないんですよ。責任を分担をし、互いにそれぞれの分野で協力し合っていくということはけっこうだと思います。しかし、いまのこの重層構造は責任を分担しなさいということじゃないんですよ。いわゆる校長と教頭が主任クラスに話をして、あとは命令でどんどんさせなさいと、一つのやはり工場経営と同じなんですよ。これで教育界で大論争があったわけなんですね、これが出た当初は。しかし、そのことは言いませんがね。いずれにしても、私は、学校というものは、そういう工場や会社と違うと思うのですよ。少なくとも、教師というものは、老若男女を問わず、年齢の違いを問わず、一学級を経営するところの責任の度合いと同じだと思うんです。事四十名なり三十名なりの子供責任をもってやっておるわけなんですから、そのことにおいては全くこれは平等なんですよ。そういうものの構成の上にやはり学校というものは成り立っておるわけなんですから。それを会社は二重、三重構造であるけれども学校は四重構造だから、そういう構造の中の命令指揮系統というものははっきりしなさいという指導理念の中で一体学校教育を行なわれるものであるかどうか、ここのところを私はあなたにお聞きしておるのですよ。どうなんです。
  168. 奥野誠亮

    ○国務大臣(奥野誠亮君) これは、先刻来たびたび申し上げておりますように、教育現場におきましては、個々の先生方の創意くふうが強く望まれるところでございます。そういう意味におきまして、命令と服従の関係において教育現場が十分に成果をあげることはあり得ない、こう考えているわけであります。同時に、また、校長先生なり教頭先生なりが新任の先生方についていろいろな助言を試みる、あるいは特定の教科について詳しい方が他の先生方に対して助言を試みる、これは私は不適当だとは考えておりません。また、その助言を受けた方々が謙虚に耳を傾けて自分なりの意見もどんどんおっしゃったらいいだろうし、また、みんなが力を合わせなければならぬ点については協力をして、そうして教育界というものが真にはつらつとした姿を持ち続ける、これは非常に必要なことじゃないだろうか、こう思っておるわけであります。そういう意味で、いま御指摘のありました方の主張を詳しくは知りませんので、それで先ほど申し上げたようなお答えのしかたを申し上げたわけであります。命令と服従の関係は学校の現場においては不適当な姿勢だと、こう思っております。しかし、助言と協力の関係を排除する考え方はこれまた間違いだと、こう思っております。
  169. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 だいぶ用心をしながら、あなた防護線を張っているけれどもね、何も私は助言と何とかを悪いと言っておるのじゃないですからね、やはりそういう点はすなおに私は言っていただきたいのです。  それで、実は先ほどもちょっと申し上げたように、中教審答申も直接影響を受けたのかどうかしりませんけれども、やっぱり私は同じようなことになっておると思っていますよ。「学校内の管理組織と教育行政体制の整備」というところを見てみた場合に、教頭以外に教務主任あるいは学年主任、教科主任、生徒指導主任などの管理上、指導上の職制を確立をしなさい、かつ待遇改善策としてこれらのものには特別の手当も支給をしなさいということが、大臣も御承知のように、明示されておりますね。これはまた追っかけるように、いまの大学局長の木田さんが、三十六年の十月ですか、雑誌「学校経営」の中で、こう言っていますよ。課程主事、分校主事、教頭、教科主任、学年主任は、それぞれの上司である。これはやっぱり上司なんだと、こういう主任さんもね。したがって、この点をやっぱり明確にして、学校経営というものはなされなきゃならないと、こういうことを御丁寧にまた雑誌の中で解明しておられるんですがね。そういたしますと、これは大臣は否定をされながら、この命令ということを考えながらのこの上司、主任まで上司というようなかっこうに持っていこうというものの考え方は、やはりこれ、先ほど紹介いたしましたところの伊東さんのものの考え方と相通ずるものがあるんじゃないだろうか。しかも、現在の大学学術局長というえらい人さえも、それを肯定して、こう言っておられるんですからね。だからこれは、大臣がいや五段階給与をとらないからそういうものをしないしないと、こう言ったって、教頭というものを法制化するということになれば、次に中教審で言うところの学年主任、あるいは教科主任、あるいは生徒指導主事というものも一つのまた職務としてきめて、序列をつけていくということになりはしないか、これは、この一歩じゃないかと、こう言われたって、勘ぐられたって、私はしかたがないと思うんですよ。ここにも実は今度の教頭法案の一つの今後の将来発展というものを考えてみた場合に、問題があるんじゃないかと言われておるところのゆえんなんですよ。一体、大臣この点は、先生は関係ないとおっしゃるのか、いや実はどうなのか、そこらあたりもはっきり聞かしてください。
  170. 奥野誠亮

    ○国務大臣(奥野誠亮君) いろいろお話伺ってますと、やはり現状は相互不信といいましょうか、本来信頼し合って、協力し合わなきゃならない教育界が、相互不信、相互対立のような悪循環が出ているなあという感じを一そう深めさしていただいたような感じがいたします。私は、五段階給与の問題にいたしましても、いまのような問題にいたしましても、やはり教育現場にいらっしゃる先生方のほんとうの気持ちをよくくみ上げて、そしてその期待に沿えるような努力をしていかなきゃならない。年来そう考えております。したがいまして、いま私は五段階給与についてのいろいろな反論のある際に、そんなことは一つも考えておりませんよと、教頭職の法制化にあたっても、私からは教頭職の俸給をつくってくださいというようなことを、人事院にお願いする意思も持っておりませんよと、こういうことを言ってきているわけでございます。いま、いろんな主任のお話がございました。学校によっては、そういう分担をきめているところも相当あるようでございます。それもまた、責任を分かち合っていく意味において必要なことなんだろうと思います。しかし、これを一律に全国的に推し進めていくということにつきましては、いま現に宮之原さんから、ただ締めつけを考えているというような批判もあったりするわけでございまして、また、いまのままではそう受け取られる点も私は非常に多いんだろうと思うんでございます。でございますので、こういう問題については、できる限り、教育現場の皆さん方が何を一番希望しておられるか、また、どうすれば、教育の現場の皆さんたちが自分たちの創意くふうを尽くしやすいか、そういうことをよく見きわめた上で、結論を出すべきものだと、かように私としては考えているわけでございます。
  171. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 それは大臣、大きな学校になれば、それはやっぱり校務分掌として、常にみんな集めて相談するというわけにいかぬから、みんなしてやっぱり何か、学年が複数以上あれば、その学年の主任はだれにしましょうとか、あるいは国語や算数の主任はだれにしましょうということ、これはやられておるんですよ、学校はね。私は、この主任というものが悪いといっているんじゃないんですよ。これはあなた、学校運営を効率化するんでけっこうなんですよ。ただ問題は、その主任も職制化しなければならないときておるだけに、これはたいへんな問題じゃありませんかと、しかも、中教審の答申もそう出ておるし、それを裏づけるように、木田さんまでそんな発言をしておるから、じゃ、今度の教頭の法制化というのは、まず一度に出すとだいぶ抵抗があるから、まずこれを小出しにして、教頭からやって、あと次の段階では、その主任も職制化するんだと、こういう意図をお持ちですか、考えをお持ちですかどうかと、そこを聞いておるんですよ。そこを明確におっしゃってください。
  172. 奥野誠亮

    ○国務大臣(奥野誠亮君) まあ、そういうこともございまして、四十三年に法制化法案が出された。そのときは、先ほど申し上げたようなふうに私は承っているわけでございます。その気持ちは少しも変わっていないと、かように申し上げたわけであります。また、先日、内藤さんから、宮之原さんの指摘されたような御意見もあったわけでございまして、現に学校教育法の施行規則で定められておるのを法律に定めるだけのことじゃないかと、現状をそのまま法制化しているだけのことであって、何ら変化はないんじゃないかと、こういう御意見もございました。おそらく四十三年のころに立法された場合には内藤さんは主役を演じておられたんだろうと、こう思います。ですから、いま御指摘になったような考え方のもとにこの法制化が行なわれているんだと、私は思いません。また、そういうふうにすべきものではないだろうと、こう私としては考えているわけであります。あくまでも、教育現場の先生方が自由濶達に創意くふうを尽くせ、そういうふうな体制、これを守っていく、そういう体制が守れるような姿にわれわれとしては配意をしていきたいものだ、こう思っております。
  173. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 そうすると、その点は、大臣としてはさらさら考えておらないと、将来にわたってですよ、こういうふうに理解しておいてよろしゅうございますか。その点は、よく局長の皆さんともきちんとそれでいいかということを確めておいてくださいよ。大臣はしょっちゅうかわるけれども局長というのはみんなおるんだから、長くね。
  174. 奥野誠亮

    ○国務大臣(奥野誠亮君) 先生たちの役割りはいかにあるべきかということについては、宮之原さんと私との間にそう意見の違いはなかったように思います。私は、そういう先生の役割りが十分に発揚されるような教育環境をつくっていかなきゃならない、こう考えておるわけでございまして、いたずらに先生方を締めつける、そういう意図は毛頭ございません。したがいまして、教頭職法制化につきましても、締めつけの手段にこういうものを考え、だんだんといろいろな主任に推し及ぼしていくんだというような趣旨の考え方はいささかもしていないわけであります。
  175. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 まあ、私一人で質問するのもあれですから、いよいよ最後の項目に入りたいと思うんですがね。  それで、その教頭職のあり方の問題を若干はっきりさせておきたいと思います。まず、戦前の教育におけるところの教頭職というものは、どういう位置づけをされてきたのか、それについてお伺いしたいんですが、小学校令の中ではどのような位置づけがあったでしょう。
  176. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 小学校令の中では教頭の規定はなかったように思います。
  177. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 私もいろいろ引っぱり出してみたんですが、法令の中ではありませんわね。まあ便宜上、上席訓導とか首席訓導とは呼ばれはしておりましたけれどもね。したがって、やはり明確に出てきたのは、国民学校令の中で私は出てきておると、こう見ておるわけでございますが、そのように理解してもよろしゅうございましょうか。
  178. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) この前もちょっと申し上げましたが、上のほうの段階では教頭ということばが明治十九年に出ております。それから小学校令の場合は、御指摘になりましたように、首席教員というふうなものが法令上出ております。しかし、小・中・高等学校につきまして教頭という名前が出てきたというのは、ただいま御指摘のとおり、国民学校令からでございます。
  179. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 それで、国民学校令の中で、これは十六条に明確に出ておりますですね。この出てきたところのこの背景、意義というのはどのようなものだと理解をされておりますか。
  180. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) これは、私のほうから憶測を申し上げるよりも、そのときに国民学校令制定の要旨というものがございますので、御披露いたします。「國民學校ノ職員中新ニ教頭ヲ置クノ制ヲ定メ學校長及教頭ハ訓導ヨリ之ヲ補スルコトトセリ蓋シ國民學校ニ在リテハ多面的ナル教育ノ内容及施設ヲ全一的ニ統合スル必要一層切ナルモノアリ特ニ學級数多キ學校ニアツテ其ノ圓滑ヲ期シ且ツ多数職員ノ監督ヲ強化スルタメ學校長ヲ輔佐シテ克ク校務ノ統整ニ當ラシムルノ要アリコレ教頭ノ制ヲ定メタル所以ナリ而シテ學校長タル訓導ヲ奏任待遇ト爲シ得ルノミナラズ教頭タル訓導モ亦奏任待遇ト爲シ得ルコトトセリ」と、そのほかに養護訓導を置きましたものですから、これに対する説明がございますが、要するに、学校の内容とか施設、そういうものの運営の適正を期すると、そういう観点と、それから待遇の改善と、その二つの面があったんであろうというふうに考えております。
  181. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 もう少しお聞きしますが、その国民学校令の特色と申しますか、性格というのは、どういう背景の中から生まれてきて、どこに特色があると、こう学校教育の歴史の中ではお考えですか。
  182. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 国民学校令は、これも要旨に書いてございますが、「惟フニ我が國教育制度ハ明治ノ初年以來年ト共ニ發達シテ今日ニ至リ國運ノ隆昌、文化ノ發展ニ多大ノ貢獻ヲ爲シ來レリ然ルニ輓近世運ノ發展極メテ著シキモノアルノミナラズ特ニ現下未曾有ノ世局ニ際會シ庶政ヲ一新シテ國家総カノ發揮ヲ必要トスルノ秋ニ當リ教育ノ内容及制度ヲ検討シテ其ノ體制ヲ新ナラシメ國本ヲ不抜ニ培フハ蓋シ喫緊ノ要務ナリト謂ハザルベカラズ」というふうなことがございますから、やはり新しい国の当面しました時代に即した教育制度ということであります。
  183. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 局長から明快な答弁を求めようとするのが酷かもしれませんけれども、これは戦争協力を学校教育の中でぴたっとさせるためにできたんでしょうが、端的に言えば、戦争遂行のための、昭和十六年の。だからあなた、皇国の道にのっとった学校教育という大見出しがあるわけでしょう、これはね。したがって、やはり国民学校令にあるところの学校長の権限、命令系統、あるいは教員の命令系統を見ても、あの職員の項目を見れば、学校長は地方長官の命によって教育を行なう、訓導の任務も、訓導はいわゆる校長の命によって教育をつかさどると、こういうのをやるというのは勅令主義に基づくところの上命下服の体系ががっとできておる、戦争遂行への。この背景の中で、この教頭というものが生まれてきたということは、これは争われないところの事実でしょう。したがって、その命令系統の管理者的な性格を持たせるところの一つの職務としてこの教頭というものが明確にされたということも事実じゃありませんか。その事実は否定はされないと思いますが、いかがでしょう。
  184. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 国民学校令の制定につきまして、過去にそういうふうな事情があったという点は別に否定いたしません。
  185. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 これはもう否定するのは無理ですよね、これはもう常識なんだから。それで、戦後これがまだ学校教育の中で消えましたね。消えたところの理由というのは、どういうふうにお考えになっていますか、それならば教頭の位置づけが。
  186. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) どうして教頭という規定学校教育法になかったかという点につきまして、私ども、その当時の担当者その他から事情を聞いたわけでございますけれども、詳細がよくわかりません。まあ当時は、昭和二十二年でございますから、司令部があったわけでございまして、そこでいろいろ検討されました結果、法律、規則等ができてきたことは、これは事実として確かなことでございます。アメリカにおきましては、御案内のとおり、教頭というのは、ごく大規模の学校、全体として五%ぐらいの学校しか置かれておらないというのが実情でございます。したがいまして、そういう意味で、教頭というものについての理解があるいはその司令部に欠けておったのじゃないかというふうな感じもするわけでございますけれども、その点は憶測でございまして、その後、確かな事情というものはわかりません。
  187. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 私は、詳細がわからないという御答弁自体、ほんとうは、ほんとうのことを言っておらぬのじゃないかと思いますよ。それは戦前の国民学校教育のあり方という教育体系が全面的に否定されたからですよ。言うならば、勅令主義によって、国、地方長官、校長、教頭、教員という一つの上命下服の教育体制、そういう中におけるところの教育というのが間違っておった。その中で果たしたところの教頭の役割りというものもあったから、戦後の教育はそうあっては困る、戦後教育基本的なあり方を踏まえれば困るから消えたのですよ、わからないということ自体が私はおかしいと思う。戦前の教育が肯定されておるならば、何も占領軍によって、ここだけチェックするはずはないのです。そこのところをきちんと私は答えてもらいたいと思うのだ。ほんとうにそうではありませんかね。どうですか。
  188. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 正確の事情を知りたいと思いまして、当時の内藤先生その他の方々理由を聞きましたが、これはどうしてもわかりません。
  189. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 まあ、いいでしょう。それはいま私が申し上げたのでなければ、これは筋通らぬわけなんです。小学校令になかったのが、国民学校令の中に教頭というのがぼこんと出て、それでまた、ぼこんと消えた。何か全国公立学校の教頭会の話によると、たまたまつけ落とされたのだという書き方をしておりますけれども、これぐらいちょっと無理な言い方はないと思うのです。何もつけ落としではないのですよ。学校教育というものは、そうじゃないという戦後教育基本的なあり方というものがある。ただ、しかしながら、やっぱりキャップは必要だと、校長さんというのは。だからその上に重層をつくる必要はないというものの考え方なんですよ。  そこで、お聞きをいたしたいのは、その国民学校令の教頭の職務権限と本法案にありますところの教頭との条文、そういうものの違いありますか、ありませんか。
  190. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 国民学校令につきましては、先ほど先生からも御指摘ございましたように、「教頭ハ其ノ學校ノ訓導ノ中ヨリ之ニ補ス」、「學校長ヲ補佐シ校務ヲ掌ル」ということでございますから、ただいまの規定と内容的には変わっておらないというふうに考えるわけです。
  191. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 ほんとうに内容的に違っていませんか。もう一回私は確めますけれども、ほとんど同じ意味ですか、条文上。
  192. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 国民学校というものが制定されました時代的な背景、それからその当時の学校教育考え方、そういうものにつきましては、ただいま宮之原先生から御指摘ありましたとおり、いまともうこれはかなり大きな相違があるわけであります。その中における教頭というものでございますから、そういう意味では、そのときの教頭といまの教頭と変わっているかということでございますと、それは変わっておると申し上げてもよろしいと思いますけれども、ただ、校長を助けまして、教員との間に実際には潤滑油的な役割りを果たして、学校全体がその地域の住民に対して教育という面を通じて万全のサービスをする、そういう校長と一般の職員との間の仲立ちをしていく。稲葉前大臣はお世話役と申しましたけれども、そういうふうな役割り、それは実態としましては変わりがなかったというふうに考えます。
  193. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 私は、その教育の全体の背景が違っておるということは これはあなたが御指摘のようにあったね。けれども、いま校長を助けるとか、公務を補佐するというそこは同じですけれども、ほかに違うところありませんか、ほかのところもみんな同じですかと、これを聞いておるんですよ。
  194. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 特に職務の内容として実質的に私は異なっているようなところはないんじゃないかと思います、実態として。
  195. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 職務の内容は聞いていないですよ。職務の内容は同じだとか——だれだって見ればわかるんだ。助けるとか何とかってあるんだから。性格づけが違っていませんか、違っていますかということを聞いているんです。
  196. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 国民学校当時は、先ほども読み上げましたように、教職員の監督を強化するためというふうな表現がございました。そういう意味での監督の強化というような面が大きく出ているという点はたしかだろうと思います。そういう意味から申しますと、現在の規定はそういうことではなくて、校長と教員の間に立って、その潤滑油的な役割りと申しますか、組織を円滑に運営するための役割りを果たしてきたという気持ちを持ちまして規定をしているつもりでございます。
  197. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 同じだ、同じだとこうおっしゃいますけれども、私は、出されたこの法案と違うと思うんですよ。その根本の問題は二つある、こう思います。その一つは、先ほども校長の性格のところで議論をした問題ですよ。言うならば、訓導の中から任命をしていくという、しかも教育というものが常に教頭といえども非常に教育の側面というものが重視をされておった。ところが、今度はどうですか、修正案によると御丁寧に必要に応じてでしょう、この修正案は。そうなりますと、これは教頭というものは公務をつかさどるのが主体だというふうに変わってきたと、こう見なきゃならぬでしょう。管理というもの、校長を補佐する者、これはたいへんな私は違いだと思うんですが、それでも違いませんか。
  198. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) その身分的な関係は国民学校令の前には、教頭は教諭よりこれを兼任すというふうなことで、兼任関係にするか、補職関係にするか、それともいまのように職をつくって任命というふうなことにするか、それは、そのときどきの公務員の考え方によるものというふうに考えております。したがいまして、教諭をもって兼任する、あるいは教員の中から補すということと、それから職をつくりまして、その職の中に必要な規定としまして、必要があるときは、児童の教育をつかさどるというふうな教育に対する関係を書いてあるということは別に予盾したことじゃないと思います。   〔委員長退席、理事内藤誉三郎君着席〕 ただ、修正案によりまして、現在の教諭、教頭の実態から教頭という職の内容に変化があったということは、これは修正案と修正前の案と、これに違いがあることは、それは御指摘のとおりでございます。
  199. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 だってあなた、あなた方は修正案を含めて提案しておるんでしょう。衆議院で修正されたの、これは修正されたものを提案して参議院で審議しておるんでしょう。そうじゃないですか。違いますか。それはまた、修正案は別ですか。それはまたもう一回議論するときに修正案は別に議論するんですか。衆議院で修正されたものをあなた方政府原案としてここで審議さしてもらっておるんでしょうが。違いますか、違いませんか、それなら。
  200. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 政府としては、原案を提出して御審議をお願いしているわけでございますけれども、衆議院で修正があったわけでございまして、その衆議院で修正されたものが参議院に回付をされている、そうして両方の案でございますか——につきまして御審議を願っているというふうに理解をしておるわけであります。
  201. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 これ、両方審議されておるの。それはちょっと前代未聞だがね。これはあなた常識で考えてごらんなさいよ。あなた方が衆議院に提案したものが衆議院で訂正されたなら、参議院では修正されたものがぼくは議論されていると思うけれどもね。あなたの答弁、聞くとおかしいようね。
  202. 内藤誉三郎

    ○理事(内藤誉三郎君) ちょっと速記とめて。   〔速記中止〕
  203. 内藤誉三郎

    ○理事(内藤誉三郎君) 速記つけて。
  204. 奥野誠亮

    ○国務大臣(奥野誠亮君) 事務当局から先ほど来まで政府原案の立場に立ってお答えをしておったわけでございます。しかし、衆議院で修正が加えられたわけでございますので、政府原案が変わってきているわけでございます。変わった点を中心にして宮之原さんが御質問になっておったのを気づかずに政府原案の立場でお答えをしておった、ここに食い違いがあったように考えます。でありますから、修正によって、この委員会で御審議いただいている案は、修正のほうの案で御審議いただいているわけでございます。
  205. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 さっきの初中局長の答弁が違うんか。それ、きちんと統一してやってくれなきゃ、訂正するならするように、そうせにゃ審議できぬですよ。
  206. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 国会法の規定の解釈につきまして私が間違っておったようでございますから訂正をさしていただきます。
  207. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 訂正してどうなんですか。訂正して、そこもはっきりした結論を——だから大臣が言うているなら言うとおりだとはっきり言ってもらわなければちょっとわかりませんよ。
  208. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 大臣が申し上げたとおりでございます。
  209. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 私は、常識的に考えててっきりそうだと思うからそのことを質問しておったんです。それは、最初衆議院にあなた方が提起したこととやっぱり違っておるわけなんだからね。違うとなれば、教頭の個々の性格づけというものが非常に変わってくるから、大事だから、先ほど来尋ねたように、国民学校令によるところの教頭というものよりも一そうこれはもう管理者事な意識というものが非常に強くにじみ出ているから、どうなんですか、こうですかと根掘り葉掘り聞いているんですよ。違わないというなら違わないと言い、違うなら、どこにその意義があるかということも、それをあなた言ってもらわなければ困りますよ。
  210. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 国民学校令の規定でも、「教頭ハ其ノ學校ノ訓導ノ中ヨリ之ヲ補ス」と、「學校長ヲ輔佐シ校務ヲ掌ル」と、書いてあるわけでございますから、「訓導ノ中ヨリ之ヲ補ス」というのは 訓導という職務があって、その上に校長を輔佐し校務をつかさどるというふうに解せられるわけでございますけれども、しかし、訓導というのは、身分であって、実際に大規模の学校あたりでは校長を補佐し校務をつかさどるというのが本務であるという場合があるかと思います。したがいまして、現在の校長を助け、校務を整理し、必要があるときには児童の教育をつかさどるということとそう異なった、特に実体的に申しまして異なった点が生じたというわけではございませんけれども、職としまして、校長を助け、校務を整理するのが本務であって、必要があれば児童の教育をつかさどる、やや考え方としては、逆の考え方になってきておるという点はあろうと思います。
  211. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 それで、お尋ねしますけれどもね、修正されたのと政府原案と、これは「教頭は、校長を助け、校務を整理し、及び児童の教育をつかさどる。」、今度われわれが審議しておるのは「教頭は、校長を助け、校務を整理し、及び必要に応じ児童の教育をつかさどる。」と、「必要に応じ児童の教育をつかさどる。」というのがありますからね。これは普通常識的に考えれば、校長を助けてやるという管理者的なこの教頭の性格づけが濃いんですよと、これは政府原案よりは。そう考えるのが至当じゃございませんでしょうか、どうですか。そういうふうに理解してよろしゅうございますかということを聞いている。
  212. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 管理ということになるかどうかはわかりませんけれども、「校長を助け、校務を整理」するというふうな表現は、類似なものとしましては、たとえば文部省では文部次官の規定にあるわけでございまして、そういう意味での管理というふうな表現、それは決して間違っていないと思いますけれども、先ほど申し上げましたように、校長と教員との間に立ちまして、その両者の間の意思の疎通をよりよくはかっていく、学校の組織全体の運営というものを円滑にしていくと、そういう職として明確に位置づけられるということは言えると思います。
  213. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 だってあなた、先ほど来の論理から言えば、いわゆる校長の役割りが、教育というところの性格的な側面と管理者というところの側面があるということはずうっと大臣認めておられてきておったでしょう、ずうっとその論理の発展の中でね。そうすれば、この前のおたくの原案で「及び児童の教育をつかさどる。」という「児童の教育」といえばこれは教育ですよね、常識的には。教頭というのは、校長を助けながら校務も補佐するけれども、同時に教育もやるんですよというのがあなた方のものの考え方なんです。しかし、修正されて提示されておるものは、「必要に応じ」という以上は、上のほうにウェートがあるから、教育よりは亜管理者的な性格というものが強まったと理解するのが当然じゃないんですかと、こう聞いておるんですから、そのとおりですと答えていただきゃけっこうなんですよ、あんまりいろいろ弁明しないで。違いますか、違うなら、いやそれは逆ですと、このためによってなお教育もつかさどることが主体ですというならまたそう言ってくださいよ。
  214. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 考え方はそのとおりでございます。ただ、管理者というちょっとおことばがございましたから、管理者ということばの内容につきまして、やや申し上げたわけでございます。
  215. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 あなた、管理的な性格が強まるから管理職手当を付しておるというものを、教頭は管理者とあなた方見ておるからやっておるんでしょう。いままでだって、管理的な側面ないんですか、そんなら聞きますけれども、この法案で聞きますけれども、「校長を助け、校務を整理」するという役割りは、これは管理者的な性格があるからあなた方この法律改正前にすでに管理職手当をやっておるんでしょうが。あるいはILO条約で、これは非組合員だと、こう言っておるんでしょうが。違いますか。そういう面で見れば、この上のほうは、これは管理者的性格でしょうが。ちょっとことばをごまかさないではっきりおっしゃってください、あなた。そうならそうだとおっしゃればいいんですよ。
  216. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 管理職というのは、管理または監督の地位にある者に対して管理職手当が支給される、そういうふうなことで、管理者というわけでございますから、その限りにおきましては、そのとおりでございます。
  217. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 ようやくもう何回かやってお答えになる。だから時間がこれ延びざるを得ないんですよね。その点は、こっちを悪く思わぬで向こうに言ってくださいよ、こっちは時間を切り詰めようと思って一生懸命やっているんだから。  それだと、現在の学校教育法の施行規則二十二条の二に、これは「教頭は、教諭を以つて、これにあてる。」という考え方、言うならば、教頭も原則的には教育をつかさどるべきだという理念が、私はこの理念だと思うんですがね。この理念も当然変わってまいりますね。いずれ、この施行規則も変わると、こう見てよろしゅうございますか、いかがでしょうか。
  218. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) そのとおりでございます。
  219. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 それで、やっぱりいまやりとりから見てみますと、なお、今度出されておるところの法案は、むしろ国民学校令よりは一そう私はやっぱり管理者的な性格がこれは強化されているということは否定できないと思うんですよね。先ほど申し上げたところの国民学校令の出たところの背景、戦時下というああいう時代よりも一そうその性格を強めようということが好むと好まざるにかかわらず、政府原案はどうあったにせよ、衆議院で変わってきておるんだから、いよいよこれは学校教育への管理体制の締めつけなんだと、こう言わなきゃしようないじゃありませんか。それでもそれは事実と違うということになりますか、どうですか。修正されたところの法案の中身と、私のいま言ったこととは矛盾がありますか。やっぱり同じ方向をたどっておるんでしょうが、いかがですか。
  220. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 締めつけとか管理、監督を強化するというふうな意図ではございません。
  221. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 あなた、意図でなくたって、先ほどあなたから言われたように、校長の職務という二つの側面の中の管理的な性格というものは、この教頭も強まってきておるんだから、修正案によって。したがって、当然、先ほどあなたが言われたように、学校教育法の施行規則も変えるというんですから、言うならば、いよいよ教頭というものは教員の充てのものでなくて、充て教頭じゃなくて、こういうような一人歩きをし、しかもその位置づけがこういうふうに変わってくるということになるとすれば、これはやっぱり管理者という性格は非常に濃くなったということは否定できない。そうならば、この教頭というものは、政府が最後に原案として出したところの意図より以上にこれはもう校長と全く同じもので、いわゆる管理者としての側面が非常に学校教育の中で強まってきておると、この修正案によって。そう言われたって、これはしかたないじゃありませんか。逆ですか、どうですか。そう考えざるを得ないじゃありませんか、いままでの議論から言えば。
  222. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 先ほど大臣からも申し上げましたように、学校の役割り、それから校長と一般の教員の間の関係、そういうものについては、大臣から申し上げたとおりでございます。両方で相協力して、国民に対して教育という面でサービスをするということでございまして、教頭は、その間に立ちまして、前の文部大臣の表現をかりますと、お世話役として、その職務を果たしていくということでございまして、戦前のように命令系統一本でいっているわけじゃございませんから、学校のあり方、学校運営のあり方と関連して、御理解いただければ、そういうことはないということは御理解いただけるんじゃないかと思います。
  223. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 これは、あなたがいかに否定しようと、確かに国民学校の命ずる云々というのはこれはなくなっておるんですね、学校教育法とすると。これは何も教頭問題で出ておるんじゃないんですから、戦後教育の変わりの中で出ただけの話なんだから。けれども、そういう変わりの中からこの教頭というものは、死んだはずのお富さんを次々出してきたんでしょうが。たとえばあのときに、学校教育全体のあり方の中で、これは否定されておった。それを昭和三十二年に施行規則の二十二条のところで、教頭というものをちょこっと顔を出させた、地中からもぐってきて。そうして三十五年に今度は管理職手当の範囲を広げて広く、それも教頭を含める。その上に立って、四十一年のILO八十七号条約批准の中で管理職として指定をした。法律のないものをあなた方の解釈の中で次々と顔を出させてきておったんでしょう、経過から見ればね。そうして、あるものを認知するだけだと、こういうけれども、そういう魂胆。それで今度ぽっかり天下晴れて、こういうものを法律にあげてやろうと。言うならば、法常識からいえば逆なんですよね。法律があって規定をして、施行規則を改め、あるいはいろいろなものをやっていくというならば、これは筋はわかるけれども。何かの魂胆があって、次々そういう既成事実を行政の面でやれる、権限でやれるところの面でつくってやっておって、しかも、出されてきたところのものは、先ほど来私が申し上げるように、児童の教育もつかさどるということがあったものを、どういう魂胆があるか知りませんけれども、通すためかどうかわかりませんけれども、どういう理論的な根拠かわかりませんけれども、なお、その児童のところをうんと薄めてやったということの経緯を考えてみれば、私が先ほど指摘したところの面をいかに抗弁しようともあなた肯定せざるを得ないじゃありませんか。それでもやっぱり違いますか。
  224. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) それは学校の性格、それから校長とそれから一般教員との関係、そういうものによるわけでございまして、法律上の用語として管理、監督ということばを使ったり、あるいは「校務を整理し」というふうなことばを使ったりするようなことはございましても、実態としては、先ほど来大臣が申し上げましたような関係が、学校のあり方として望ましい。その中における教頭の役割りというものを、おのずからそういう関係を円滑にさせるための職務というふうに御理解をいただきたいというふうに思います。
  225. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 どうも、先ほどからの答弁をお聞きしていますと、都合のいいときには実態論を出し、悪いときには法律論を出して答弁される、どうもやっぱり首尾一貫しません、答弁も。しかしながら、あなたこの法律的な経緯あるいはものができたところの経緯並びに修正されたところの個所を見れば、これは否定できぬと思うんです、どう抗弁をされても。けれどもまたあれですか、法律はああだけれども、ある政党の協力を得るためにつくったんだけれども、実際にまた政府原案に返って指導は別にやるというわけでもないんでしょうが。そういうように器用なまねは私はできぬと思います。また、そうなりますと、「まって」の解釈じゃないけれども、またおかしくなるんです。だから私は、その点はあなたがどう抗弁しようと、これは聞いておる人から見れば、そんなに無理してつくろわぬでもいいんじゃないかという気持ちはおありだと思う。賛成論者ともどうあろうとも。だから内藤さんあたりがそうだそうだと小さな声でやじっておるところのゆえんがあるんです。まあそれはそれでいいでしょう。次にいきます。  教頭の職務内容で「校務を整理し」と、整理するとは一体どういう意味ですか。
  226. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 学校事務につきましては、いろいろ複雑なものもあるわけでございます。そういうものを先ほど大臣が申し上げましたように職務の分担を明らかにする、これも整理だと思います。それからまた、分担したものが結果が出ました場合に、それを調整をするというふうなこともあると思います。ともかく、そういう責任分担を明らかにして、その間の調整をとっていく、そういう意味理解してよろしいんじゃないかというふうに考えます。
  227. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 これは、「校長を助け、校務を整理し」と、こう書いてあるんですが、そうすると、これは校長の補助ということが主役になるわけです。そうなりますと、先ほどちょっと局長は何か事務次官みたいなものだと、こうおっしゃっておったんですが、そのように理解していいんですか、教頭の役割りというのは。
  228. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 整理というのは、文部省の場合には、次官それからほかの場合には次長などの職務内容をあらわすものとして従来使われているわけでございます。やはり大体、文部省なら文部省、それからその他の行政機関なら行政機関のいろんな仕事、そういうものを円滑に進めていきますために、分担をさせ、それから出てきたものをまとめる。そうして長を助ける、そういうふうな意味合いのものではないだろうかというふうに思います。
  229. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 そうしますと、教頭の天体の職務権限というのは、官庁でいえば、言うならば、次官みたいなものだと、こういうふうに理解していいんですか。
  230. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 次官——行政機関でございますから役所の場合には次官があり、局長があり、課長があり、課長補佐あり、そういうふうな仕組みで、さらに、命令系統がはっきりしているというふうなことはございますけれども、しかし、長を助ける者の職務としましては、やはり共通したところがあるんじゃないかと思います。
  231. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 そこの点をはっきりしておきたいんですよ。次官みたいなものだと、こう言ったって、そう言ったかと思うと、いや助けるということだけが同じなんだと、こういうお話なんですが、これは明確におっしゃってください、そこはどうなんだと。
  232. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 文部省の場合にも、文部省の権限というのは非常に多岐にわたっておるわけでございます。その中で大臣がおやりになれる限度というのはおのずから限られるわけでございます。その場合に、次官が、これは大臣にやっていただく仕事であるかあるいは部下のほうで処理する仕事であるか、そういうものを整理するというふうな点があると思います。学校の教頭の場合にも、学校にいろいろな仕事があるわけでございます。たとえば外部のPTAのお世話もしなければいけないし、あるいは訪問者もあるだろうし、そういうものを一々学校の仕事を全部校長先生が何でもかんでもさばくということはなかなかむずかしいことでございますし、また、お一人でできるという限度もあると思います。まあ、そういうものを校長を助けながら仕事を整理して、校長先生にどうしてもやっていただかなければいけないようなこと、決断していただかなければならないようなこと、そういうものを校長先生にやっていただく。あとの教員との連絡、それからこまかい事務等につきましては、教頭のところで大体やるというふうなことがあると思います。そういう意味では、似通ったところがあるわけでございますけれども、仕事の性質上、学校と一般の行政機関というものは違っておるということはこれは事実でございます。ただ、その仕事の性質という点から申しますと、同じような役割りを果たされる職であるということは間違いないと思います。
  233. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 仕事の性質上同じだというんですか、違うというんですか。ちょっとあなたことばが低いのでよくわかりませんが、次官といわゆる仕事の性質が似ておるという意味なんですか。それとも職務権限が同じだという、仕事の性質はいろいろ違うけれども、でも職務権限で見れば、大体次官みたいなものだと、こういうふうに理解していいんですか。どっちなんですか。
  234. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 仕事の内容は違っておりますけれども、その仕事の進め方、それから分担の関係、そういうものは大体同じであろうということを申し上げたわけでございます。
  235. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 大体、法律的な面で言えば、職務権限というのは同じだと、こう理解してよろしゅうございますか。
  236. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) それは行政機関と学校との差がございますから、職務権限が同じだというふうな言い方はちょっと間違うおそれがあるわけです。
  237. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 一番違うポイントは何ですか、違うところのポイントは。
  238. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 職務権限という面では、行政機関とそれから学校とでは違うわけでございますから、その関係で内容では違う。それから職務権限ということばじゃなくて、その役割りとでも申しますか、そういう意味でございましたらその役割りの性質、そういうものは似ておるということが言えると思います。
  239. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 どうも一番きわどいところになるとわかりませんが、それならば、端的に聞きますけれども、あなたの話を聞くとそれは行政機関と教育機関だから違うということは、これはわかるんですよ。けれども役割りとか、仕事の代替、いろいろなところから見れば大体それみたいなものだと、こういったかと思うと、それならば、職務とか権限の面では同じですかと言っても、それも何か違うみたいな違わぬみたいな話なんですが、それじゃ、具体的に聞きますが、監督権というのはどうなりますか、二人ともなかったんでしたかね。
  240. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 部下の監督権というのは、これはもちろん大臣とか、校長の命は受けますけれども、これはその校長を助ける職として当然にあるわけでございます。
  241. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 そうすると、教頭は監督権があるんですか、尋ねますけれども。これは重要な問題だと思うがね。
  242. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 監督の権限はあるわけでございます。
  243. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 どこにあるんです、この条文上。
  244. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) これは、「校長を助け、校務を整理」するという、その表現の中に、校長を助けて、そういう管理監督の職務を校長にかわって行なうと。かわってと申しますか、校長の権限の委任の範囲で監督をする。これは先ほど先生からも申されましたいわゆる営造物理論と申しますか、そういうふうな考え方をすれば、そういうふうな関係が明らかになるわけであります。
  245. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 私は重大だと思うんですよ。校長は、あなた、部下教職員を監督すると、きちんと出ているんですよ。教頭の役割りは、校長を助けて、校務を整理するだけでしょうが。それが、校長と同じような監督権があるということは、これはどうしてもこの法文では理解できませんよ。それは、その次の条項にある、たとえば校長が欠けたとき職務を代行する場合、それはあり得るでしょう。ほんとうに監督権があるんですか。これくらいまた拡大解釈はありませんよ。それはあれですか、営造物管理の、その特別権力論であなたはまた管理権があると、こう言うんですか。この法文のどこにありますか、それが。
  246. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) これは、たとえば職員に事故があったような場合に考えれば、一番はっきりするわけでございますけれども、その場合には、文部省でございましたら局長だとか、それから次官だとかというのは、やはりその責任をとらなければいけないというふうな形になるわけでございます。学校の場合でも、やはり部下の職員の監督が十分でなければ、それは教頭とか校長とかというのは当然その責任を問われるという立場にあるわけであります。
  247. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 そうなれば、先ほど来教頭は管理職じゃありませんかと言えば、いや、管理職じゃありません、こう一生懸命あなた抗弁しておったがね。監督権があるというならば管理職でしょうが、名実、天下晴れての。そうすると、先ほど来私が質問しておった、これから見ればもう児童云々というよりも管理者としての立場に立つんですねと言ったら、いや、そういう解釈されると云々と一生懸命逃げ回って、事のあげく、二、三十分してようやく、そういう立場に立つと、こう言っておってね。それは監督権、監督があるということになれば、これはあなた完全な管理者じゃありませんか。どっちがほんとうなんだ。どっちなんですか、それは。いよいよあなた、校長と一緒の管理者層じゃありませんか、それなら教頭というのは。したがって、先ほど来言うように、天下晴れて、この修正案によって校長と肩を並べる管理者になったんだと、こう理解すべきですねと言ったって、それは、一生懸命ことばをにごしておったけれどもね。あなたの論理でいって、監督権があるというなら、そうじゃありませんか。明確に答えてくださいよ、そこを。
  248. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 教頭が管理職であるということは、先ほど申し上げたとおりでございます。管理職というのは、管理または監督の地位にあるものが管理職でございますから、その意味では、管理監督の地位にあるわけでございます。  ただ、まあ教頭の職務の内容としましては、それは一面をとらえたものであるという意味で、管理者であるかどうかという、監督者であるかという御質問に対しましては、私が、多少先生から申しますと蛇足なことを申し上げているわけでございます。
  249. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 そうすると、この法文、どこを見ても教頭が監督権があるというふうには考えられませんがね。どこを突けばそれが出てくるんですか。少なくとも、校長を助けるという意味においては、広義のそれはあるかもしれませんけれどもね。学校教育法の二十八条三項は、明確に校長の権限は監督権だと書いてあるんですよ。校長を助けるんだから、校務を整理するんだから監督権があるという、こういう解釈成り立ちますか。たとえば校長から命令された範囲とか、何とかという限定があるというなら、まだそういう理解のしかたもありますよ。けれども校長も教頭も完全に監督者なんだ、こういうことになれば、監督者がいよいよ学校教育の中では二人もできてきた。そうなると、名実ともに管理体制を強めるものだといわれたってしかたがないじゃありませんか。そういうことになるでしょう、それなら。
  250. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 校長が二人できるという意味じゃもちろんございません。
  251. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 実質、監督者が二人できるということになるじゃないか。
  252. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 校長の命令とそれから教頭の命令が食い違った場合を考えていただければ明らかでございますが、それは校長の命令というのがもちろん優先する、監督というものが優先する。しかし、教頭は校長を助けまして、その授権の範囲内で監督権を有するというのは、またこれ当然のことだと思います。
  253. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 これは、私はやっぱりこの法案はいよいよ重大だと思うんですよ。こういうように、これはあなた方のあれですか、宣伝文書ですか。これを見ても、どこにもあなた監督権者だとは出てきていないんですよ。それなのに、今度はいよいよ尋ねてずっと詰めてみれば、監督権があると。こういうことになりますと、いよいよこの法案の意図、特に修正をされてからますますこの教頭法案の意向というのは、職場の管理体制を強めるために、これはやっぱり教頭というものの一席をつくられるんだと、こう理解してよろしゅうございますね、それなら。
  254. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 管理監督と申しますのは、そういう権限が与えられておるということでございまして、実際上、学校運営が命令的に行なわれるべきではないというふうなことで申し上げましたのは、これは大臣から申し上げましたとおりでございます。
  255. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 それならば、一体、教頭というのは現在どういう役割りをしておると、あなた方理解されていますか、学校運営の中で。
  256. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) これは、私どもは抽象的にどういう仕事にどういう時間がとられているかというふうなことを調べるというのが、私どもの全般的な把握のしかたでございますけれども、授業は教員の大体半分ぐらい、平均して半分ぐらい。それから、そのほかは校長を助けまして、事務でございますとか、対外的な折衝でございますとか、そういうふうな事務系統のお仕事、あるいは教員を指導する、指導助言するというふうなお仕事、そういうふうなお仕事がかなりの部分を占めておる、そういうふうに理解いたしております。
  257. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 学校の現場は、私は、あなた方が、そういうように監督権を持たせてやろうということになると、ますますそれを助長することにしかならないと想定するんですがね。たとえば、これは私どももいただいたわけでありますけれども、「教頭職法律制定についての趣意」と書いて、全国公立学校教頭会会長小笠原壽一さんですか、この人がいろいろ文書を出しておりますけれどもね。この中には、一般の学校運営の中では校長の確かに補佐をやっておる、これは名称のいかんにかかわらず。しかし、「その教頭は同時に、教員としては首席もしくは上席教諭であって、校内の教員をまとめ、代表しまた教員の相談役ともなる。いわば職場生活におけるリーダーでもある。」、言うならば、教頭は学校運営上「職務活動の実態は慣行と個々の事例における人間関係など」云々と、こう述べて、言うならば、校長と一般教員の間のほんとうに潤滑油的な学校運営のいろんな人間関係の調整等、いろんなものをやりながら苦労しておるんですよ、実際、教頭さんというのは。それだから、やはり教育職の立場に立って教育ということが重視をされなければならないというのはそこなんですけれども。だから学校の、特にこの教科指導とか、そういう面では先輩的な役割りをやっているんですよ。そういう役割りを果たしているのが現実の教頭さんの大部分なんです。いわゆる校長の弁当持ちで、おしりだけついてちょうちん持ちをしているんじゃないのですよ。大部分の皆さんはその間にはさまれながら、どうして両方の意見を調整しながら、学校運営をスムーズに円滑にそうして一つ学校運営体をまとめていくかということで苦労されておるんです。それを、あなた方がいま指摘されたように、こういうものを設けて、そうして法制化し、しかも、監督権もありますというものの解釈でいき、しかも、修正案によって教頭のその児童をつかさどるという面が非常に影が薄くなっていくということになれば、ますます実際的には、管理者意識の面だけしかこれは強調できなくなるんです。今日、いろんな理由の中で、ぎすぎすするところの職場の状況というものは、ますます二つに分かれていく役割りしか、私は果たさないと見ておるんです、このことの促進しか。ほんとうに教頭さんが苦労しながら学校をまとめておるということを、その実態を考えようとするならば、これは、こういう一片の法律によって決してできない。それをあえてしてやってくる。しかも、私は何回も、ずっといろんな理由の中から申し上げましたけれども、そういう背景の中に、これはされておるだけに問題が非常に複雑になり、学校に必要以上の砂ばくみたいな状況を起こすということは、これは明白なんです。そのことだけ私は申し上げて、私の質問を終わります。
  258. 加瀬完

    加瀬完君 質問に入る前に、委員長に二点お願いをいたしたいと思います。  一つは、教頭がどういう試験で採用されておるかということを知りたいので、各都道府県の教頭採用の試験問題についてなるべく多く御提出をいただきたい。  第二は、総理が最近たびたび教育問題で御発言をされておりますので、特に教育憲章の問題、それから「五つの大切、十の反省」といったようなことについて、次の委員会で文部大臣から若干の御説明をいただきたいと思いますので、そのように御措置をいただきたいと思います。よろしゅうございましょうか。
  259. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 教頭や校長の試験につきましては、これは公表しているところとしていないところとあるわけでございます。したがいまして、公表をしていないところにつきまして、私どもからそれを御提出するということはできないわけでございます。
  260. 加瀬完

    加瀬完君 そういうことを要求していませんよ。実際、試験問題を出してやっているところをなるべく多く御提出をいただきたい。可能な範囲でけっこうです。  そこで、質問に入りますが、先ほど大臣の御説明では、潤いのある教育現場というものをつくりたい、それから、学校というものは、単なる行政機関ではない、教育の育つ場をつくることが大切でありまして、そして、これは校長の責任でもあります。第三には、よき教育環境をつくることが大切であって、命令と服従という関係ではだめだ、学校運営は、こういう趣旨が育成されることが望ましいという御発言がございましたが、これはよろしゅうございますか。間違いありませんね。
  261. 奥野誠亮

    ○国務大臣(奥野誠亮君) そのとおりに考えております。
  262. 加瀬完

    加瀬完君 このいま審議をしております教頭法の内容というものを、ただいままでの問答を拝聴しておりましても、大臣の言うような趣旨が、十分そういう趣旨でつくられておるというふうには私には判断できない。そこで質問を申し上げますが、いまの質問にもございましたように、あるいは教頭会の報告にもありましたように 教頭というものは、ある程度定型化しておりますね。教頭というものを新しく法定しなくとも、教頭という一つ制度は固まっておりますわね、現状においては。そういう状態の中で、どうしてあらためて法定化さなければならない必要があるのか。法定化の理由は何ですか。
  263. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 一番大きな理由は、職としてその身分を確立するというふうな点にあるわけでございますけれども、そのほかに、たとえば校長が欠けたときは、その職務を行なうというふうなことが現在は法律でできないわけでございます。そういうことができるようにしたという点が大きな理由だと思います。
  264. 加瀬完

    加瀬完君 宮之原委員からも質問がございましたが、教頭としての固有の職務というのは、結局校長と同じ管理職で、事故ある場合は校長にかわるべきもの、こういうことですか。
  265. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 私は、先ほど宮之原先生がおっしゃられました教頭の職務は、こうあるべきであるという職務の内容、私は、あれは非常によく教頭の職務内容を表現していただいたというふうに考えております。  校長と一般教員の間に立って、非常に御苦労しておられるというふうな実態があるということでございますが、校長を助けまして、実際の学校という組織が、その能力を最も大きく発揮できるように教員と校長の間に立って、潤滑油的な役割りを果たしていただくということでございます。  二番目の職務というのは、非常にむずかしい職務でございますから、その職務の形態というのは、校長先生の御性格とか、何かによりまして、かなり実際には違ってくる場合もあるかと思いますけれども、その校長を助けまして、教育職員との間の円滑な連絡をはかるというふうな意味におきましては、性質としては同じような性質であろうというふうに考えておる次第でございます。
  266. 加瀬完

    加瀬完君 大臣がさっき望ましい学校運営状況と、お話になった内容ですね。それからいま局長がおっしゃった内容は、現行の教頭という形で行なわれておるわけですね。だからこれを指導、助言して大臣なり局長なりの御説明のなさったような教頭の役割りというものを強化すれば、これは済むことで、あらためて法制化する必要というものは、法制化されても、今度の教頭法というものによっていまおっしゃったような内容が教頭の新しい任務として、新しい役割りとして、さらに育成、助長されるというような内容にはすぐには読めないわけですね。それじゃ、ほかに何かあるのかということになりますと、先ほどの質疑応答の中のように、やっぱり教頭はれっきとした管理職という地位を与えて、そうして児童の教育をつかさどることが本務ではなくて、校長を助け、校務を整理する、そういう役割りが新しい教頭の固有の職務だと、こう解釈するのが当然ではないか、宮之原委員指摘は、そのまま認めざるを得ないわけでしょう。
  267. 奥野誠亮

    ○国務大臣(奥野誠亮君) 私は、先ほど来から話を伺っておりまして、教育現場が荒廃しているものだから、学校によっては一般の先生方と校長先生とが対決したようなかっこうになってしまっておる。そうしますと、教頭さんは管理職だからますます締めつけに使うんじゃないか、こういうふうに読まれてしまう。たいへん不幸な姿になっているなというふうな感じを持っていたところでございます。行政機関と学校とは違うわけでございますけれども文部大臣を助けるものとして、事務次官あるいは局長あるいは課長、みんな管理職でございます。局を一つふやしたからあるいは課をふやしたから締めつけをまたやるな、こんな感じをだれも持たないわけでございます。一般の職員も課長も局長もみんな一緒になって努力をしておるわけでございまして、    〔理事内藤誉三郎君退席、委員長着席〕 文部省の使命を達成するために努力をし合っておる。ですから職務分担をしていくためには、一般の課員を減らしても、課長を一人ふやしたほうがうまくさばけるのじゃないだろうかな、あるいはまた、課長を一人減らしても、局長を一人ふやしたほうがさばきがうまくいくのじゃないか、そのほうが文部省としての責任を果たせるゆえんじゃないか、こういうように考えるのですけれども、対決している場合には、締めつけ側の力をふやすのだろう、こうなってしまうわけであります。法の意図は、決して締めつけなどを考えているわけではありませんけれども、管理職である教頭職を法律の上に明確にする。しかも、いままでは「教育をつかさどる。」が、「及び必要に応じ教育をつかさどる。」ことになったわけだから、管理職としてのウエートを高めているじゃないか、まさにそのとおりなんでございますけれども、そうすることによって教育がはつらつとしたものに持っていきたい、こういう熱意にほかならないわけであります。しかし、不幸にしていろいろと対立しているものですから、対立している中で管理職をふやしていく、締めつけを強化するな、こうとられる、たいへん私はほんとうに不幸な事態になっているな、かように考えるわけであります。一刻も早く不幸な事態を解消させまして、本来の生き生きとした教育現場が教頭さんの力も利用しながら生み出していかなければならない、こんなことを感じておったところでございます。
  268. 加瀬完

    加瀬完君 大臣の御意見は御意見としてわかりますが、どうも、錯誤があると思うのです。日本の教育界が全般的に混乱をしておって、その混乱を防ぐために、教頭職というものを新しく設けなければならないという、そういう理由は、大臣がおっしゃるようには、私は、そうすべきだという判断ができる状態にはないと思う。しかし、私は、いま教頭が管理体制の側に立つのがいいとか、悪いとかという議論をしているわけではない。いままでよき慣行として、宮之原委員指摘したように、職場によっては、教頭職というものが法制化されなくても、大臣の言うような学校運営のうまさというものを教頭が果たしていた面もある。よき慣行は、よき慣行として育てていくというのがこれは筋ではないか。摩擦を起こすように、疑義が生ずるような新しい法律をつくって、よき慣行を破棄していくという必要はどこにもない、そう思うのです。これは法制局もおられると思いますけれども、よき慣行が行なわれているなら、疑義を生ずるような法律を新しくつくる必要がないというのが、これが定説だと思いますが、どうですか。
  269. 味村治

    政府委員(味村治君) よき慣行が行なわれていると申しました場合にも、その慣行がよいか悪いかということはいろいろ問題があろうかと思いますが、一応よき慣行だという前提でお答え申し上げます。  慣行と申しますと、これは、ある一定の事項が繰り返しならわしとして行なわれているということでございまして、将来ともそれがならわしとして行なわれるということが保証されるわけではございません。そういう意味では、法律として法的な強制力を与えたほうがベターであるという場合もあろうかと思います。しかし、この問題は、立法政策の問題でございますので、法制局としては、ただいま申し上げましたような限度でお答え申し上げるほかないと思います。
  270. 加瀬完

    加瀬完君 商法なんかでは、法文よりも商慣習というものが優先しますね。あなたは、前の説明をよく聞いておりませんでしたけれども、いま教頭法が法制化したほうがいいかどうか、こういう問題を私は言っているわけではない。一般に慣行として、慣習として自然の中に法律を制定しようとする目的が行なわれているというなら、何も法律を新しくつくる必要はないじゃないか、これが法律解釈の常識じゃありませんか。より法律をつくったほうがいいかどうかということは、その慣行そのものが破壊されるだろう、慣行そのものに将来ゆがみを生ずるだろうということがあれば、そういう措置というのが必要になってくるけれども現状において、よき慣行がそのまま行なわれているという前提であるならば、それへワクをはめる必要はないというのは、これは法の精神から当然の常識じゃないですか。
  271. 味村治

    政府委員(味村治君) ただいま商法のお話がございましたが、商法は、商法の一条でも……。
  272. 加瀬完

    加瀬完君 答えだけ言えばいいよ、結論だけ。
  273. 味村治

    政府委員(味村治君) 商法の一条をもちまして、商法典がまず最初に適用がございまして、この商法典に規定がございませんと商慣習法にいきまして、そして商慣習法がなければ民法が適用になると、こういう順序になっております。民法に優先するという範囲で商慣習法を優先さした、民法に優先させたという点では商慣習法に優位を認めたわけでございますが、商法に対して商慣習法に優位を与えているわけではございません。しかも、二の商慣習法と申しますのは、すでに法的な確信に達しております慣習でございまして、慣行とはまた違うわけでございます。慣行と申しますと、ただ慣習的に、慣行的に行なわれている、ならわしとなっておるということでございますが、慣習法と申しますのは、そのならわしが法的な確信にまで高められておるということでございますので、必ずしも慣行があるから法律にする必要はないという御議論は、常に妥当するとは限らないと存じます。
  274. 加瀬完

    加瀬完君 あなたの解釈おかしいよ、それは。民法でも商法でもいいよ、商慣習というのは、法律に優先する場面が出てきているわけです。それほど慣習というのは、ある法律によっては優先的に扱われている。そうすると、学校現場におけるよき慣習というものがあるならば、そのよき慣習は慣習の中で育てられるべきであって、あるいはその慣習を育てるように、大臣のおっしゃるように、そういう学校経営の零囲気なり条件なりというものをこれは管理者がつくるべきであって、現状法律をつくる必要もないようなよき慣行が行なわれているところに、法律を無理にかぶせる必要はないではないかと、こう申し上げておるわけです。  これは具体的にもっと聞いていきますから、あと大臣に伺いますが、学校というところは、どういうところだと大臣はお考えになりますか。良風美俗を育てるところだという説がありますが、これは御否定になりますか。学校というのは、良風美俗を育てるところだ、こういう規定をする学者がありますが、そんなことはないと御否定になりますか。
  275. 奥野誠亮

    ○国務大臣(奥野誠亮君) 学校でよき人づくりが進められてまいりますと、おのずからその中で良風美俗——何が良風美俗か問題があるかもしれませんけれども、も育っていくものだと存じます。
  276. 加瀬完

    加瀬完君 良風美俗というものは、法律秩序というものでがんじがらめにしなければ育たないものでしょうか、それもと慣習として、法律規則を待つまでもなく自然に社会秩序が保たれる、こういうものではないでしょうか。御所見を承りましょう。
  277. 奥野誠亮

    ○国務大臣(奥野誠亮君) 法律は、良風美俗を法定するといいましょうか、あるいは期待される良風美俗を法定するといいましょうか、両方の面があろうかと思います。
  278. 加瀬完

    加瀬完君 いや、良風美俗というものは、法律でがんじがらめにワクをきめなければ育たないというものではなくて、むしろ、法律を必要としないで育つということのほうが本筋ではないかと。
  279. 奥野誠亮

    ○国務大臣(奥野誠亮君) 良風美俗が育ってくる、それを打ち破るものがある、そのためには法律でさらに守っていくというような場合もあるのじゃないだろうかと、こう思います。
  280. 加瀬完

    加瀬完君 しかし、それは本筋じゃありませんよね。法律なんというものがないときから、良風美俗というものは長い歴史の間にいかなる民族でもいかなる地域でも育ってきた。そして、その育ってきた良風美俗をさらに基準化するために、法律というものがあとからつくられてきたわけでしょう。あなたの先ほどの御説明からすれば、教頭法という法律を待つまでもなく、さっきおっしゃったような雰囲気が学校にできておって、あなた混乱とおっしゃいましたけれども、そういう状態のない、あなたの考えられるような運営ができておれば、教頭法も法律も必要ではなく、必要としないような条件で教育運営されることのほうがむしろ好ましいと、こういうことになるのじゃないですか。また、それでいいのじゃないですか。あなたの考えを前提にしますよ。あなたの最初おっしゃったように、そういう条件で学校運営ができているというならば、何ぞ法律を必要とせんということでなければ、おっしゃることもおかしくなりましょう。そう解釈していいでしょう。
  281. 奥野誠亮

    ○国務大臣(奥野誠亮君) 先ほどもお答えをしてまいりましたように、みんなが一緒になって成果をあげようとする場合には、お互いの責任分担を明確にしていくことが大切だろうと、こういうようなことも申し上げました。責任分担の中には、だれが全体の責任を負うか、校長さんというものをつくる、つくらない、こういう問題もあろうかと思いますし、やはり校長さんを助けて、先ほど来一般の先生方との間の媒介的な役割りも果たそう、そういうものを明確にするというような問題もありましょうし、あるいはどういう教科については、だれが責任者になるという問題もございましょう。どういう範囲までを法律で定めるかということになってくるわけでございまして、それについては現状、教頭職が管理職として施行規則ではございますけれども、定められていると。ところが、事務当局から申し上げましたように、校長さんの代理はできないかっこうになっているものだから、それを明確にするためにやっぱり法制化も必要なんです。このようなことも申し上げてきたわけでございます。
  282. 加瀬完

    加瀬完君 だから、おっしゃっていることがちょっと筋が通らなくなるんです。基本的に、学校のあり方というものは、どうすべきかという基本的観念がやっぱり定まっておらないと思うんです。あなたは、さっきこうおっしゃったんですよ。単なる行政機関ではないと、学校というものは。したがって、校長の責任でよき教育環境がつくられることが大切で、命令だとか報従とかという関係だけでは困るんだと、潤いのある教育環境というのが望ましい。したがって、そういう環境なり経営のあり方というものは法律で押えつけるということではなくて、自然発生的に人間関係の相互信頼という上からむしろ成り立つということのほうが好ましいんではないかと。現状は、そういうふうになっている。なっていないところもあるとおっしゃるかもしれないけれども、なっているところもある。じゃ、なっているように、それを育てていくことのほうが大切ではないか、私は、そう申し上げておるわけです。  そこで具体的に伺ってまいります。大臣はもちろんのこと、そこにお並びになっている局長、課長、それぞれエリートですね。しかしながら、このエリートをたどれる原因というものをたぐってみると、やっぱり小学校教育というものを、あるいは小中学校教育というものをはずすというわけにはいかないと思う。まあ歯にきぬ着せず申し上げれば、皆さんが小中学校の教師の人間的影響というものが、いま顧みて大きいとお感じになりますか、校長なり教頭なりの組織の力が皆さんの人格を非常に大きく形成しているとお感じになりますか。これはいつか文部大臣もお話しておりましたけれども、人間的関係の強かった教師の人間関係というものが皆さんに非常に大きく影響しておるということをいなむわけにはこれはいかないと思う。これは三人に答えていただきます。いかがですか。
  283. 小林武

    小林武君 議事進行について。  社会党のここに列席している委員に自民党の委員から本日かくかくの進行を行なわない場合は、強行採決の手段をとるかのごとき発言があったということで、したがって、ここで私は休憩をひとつしてもらって、事実の有無をはっきりさせてもらいたい。名前はあえてあげないけれども、あげてくれといえばあげないわけでもない。
  284. 世耕政隆

    委員長世耕政隆君) 速記をとめてください。   〔午後四時五十五分速記中止〕   〔午後五時五十五分速記開始〕
  285. 世耕政隆

    委員長世耕政隆君) 速記を始めてください。
  286. 加瀬完

    加瀬完君 時間を早くといいますから、それじゃこちらからまとめて申し上げます。  教育制度よりも教師の人間が大切だ、こういう点は、先ほどの質問に引き続いて皆さんお認めになるでしょう。
  287. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) そのとおりでございます。
  288. 加瀬完

    加瀬完君 この教頭法というものは、そういう教師の人間が大切だ、人間関係が大切だという立場では、立法されてはおりませんね。
  289. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) これは組織の定め方でございますから、表面的には、そういうふうなこともうかがえないわけでございますけれども、しかし、当然そうあるべきものだということを前提に、こういう規定が設けられるということは言えると思います。
  290. 加瀬完

    加瀬完君 当然、教師の人間性を信頼すべきものだとするならば、何も教頭法という新しいワクをつけなくたって、現行のさっき私が申し上げました慣行に従ってやっておって十分事足りるということになろうと思うんですよ。教師という人間を信頼するというなら、私は、校長とか、教頭とか、管理権を大幅にゆだねて管理という形式で、先ほど宮之原君が指摘したように、命令を出して服従させると、こういう形を教育では取り得ない性格のもんだと思うんですよ。これは、大臣にも伺いますけれども、ほんとうに小・中なり、高校の教師というものを文部省は信頼をしておるんですかね。とにかく教師というものは、児童生徒教育をまかせるに足る信頼すべき人材だと、こういう信頼感に立って、一体文部省は立法なり、行政なりをしておりますかね、いままで。
  291. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 児童生徒は全国で千四百万もおります。その千四百万の子供たちに対して、教師を信頼しないで教育ができるはずがございません。そういう意味で、私どもは、教師を信頼してやっていくというたてまえをとらざるを得ない、とるのが当然でございます。  それから、法律に書かなくてもよろしいじゃないかということでございますが、これは戦後民主主義というたてまえをとり、法治国というたてまえをとっているわけでございます。国民の方々にできるだけたくさんの法律をつくって、できるだけ法律の内容は国会できめていただきまして、そうして国民の間にそれを周知するということでございます。こういうふうな教頭に関する規定を設ける、校長に関する規定を設ける、学校制度について、法律で明らかにするということは、一面には国民に対するまあ責務と申しますか、そういう面もあろうと思います。
  292. 加瀬完

    加瀬完君 たいへん失礼なことばになりますが、そういう考え方が思い上がりだと、私は思うのですよ。私も教師の経験がありますが、役人は同じ年齢でも、大学なりなんなり学歴が違うということがもとかどうか、教師に対するべつ視感というものを昔も非常に持っておりましたね。べつ視感をもってわれわれは遇されましたよね。その反感というものは私だけでなくて、いずれも現場の教師は大なり小なり持っておると思う。新しい教育制度ができて、教育基本法なり、いろいろの法律がきまりましたときに、特に「不当な支配に服することなく」ということで、全面的に信頼というものを教師自身に置いたわけでしょう。ところが、いままでの御説明を聞いても、教師というものに信頼が置けないという前提がどっかにありますよ、潜在意識に。私は、そういう考え方では教育は進展しないと思う。  どうも体験をかりて申し上げて恐縮ですが、私がかつて奉職をしておりましたある基地の市長は、その市はいわゆる軍都といわれるように現役、退役の将官などがたくさん住んでおりましたが、そういう者たちに対しては、この市長ははなはだ不遜と思われるほどでありました。しかし、小学校先生に対しては、だれだれ先生ということで、だれだれ君だとか、だれだれさんだのというよりも、だれだれ先生と初めて入ってきた教師にまでこのように尊敬をあらわしておりました。どうしてですかと聞きましたら、私は市民の代表ですから、市民がお世話になる先生に対して最大の敬意を表するのは当然ですと、こう言っておりました。こういう市長のところで教育はひとりでに育つわけですよ。こういうかまえ方というものに対して、初中局長でも、大臣でもいい、どうお考えになりますか、どのような御所見をお持ちですか。
  293. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 全く先生の仰せのとおりだと思います。私どもは、子供先生方を尊敬できるように私どもみずからが先生方を尊敬するという態度で臨まなければいけないんじゃないか。また私も、及ばずながらそういう気持ちで特に先生方に対しましては、ことばづかいその他につきましては、十分気をつけてきたつもりでございます。
  294. 加瀬完

    加瀬完君 後々申し上げますが、いま、教育委員会等で教育行政の衝に当たっている者はそういう態度は少ないですよ。いま申し上げました市長は、弁護士で非常な博学な人であります。知識人です。その方は、私が今日あるのは小学校先生のおかげだと、とかく世の知識人なり有名人は一人でりっぱになったようなことで、小学校先生の恩義というものを忘れているが、それが日本の教育の一番のカンだと、もっと学校の——義務制です、いまで言えば。義務制学校先生というものに対して世の指導者というのは、まず尊敬の念をあらわすということから教育は出発すべきだと、こういうふうにその方はいつも申しておりました。私どもではなく、議員とか、その他の方々にそう申しておりまして、すべての地域の人々に学校先生に対する尊敬の念というものを強要というぐらいすすめておりました。この市長は、学校先生という方は専門家でありますから、専門家先生方の仕事に注文をつけたり文句をつけたりすることは議会などではしてはならない、先生という職業の人は、私たちよりも責任感が強く反省心も強い、ことさらにいろいろのワクをはめる必要はないと、このように教師というものを見ておってくれました。私は、この方はなくなった方でありますけれども、少なくも、教育行政の衝に当たる者は、この市長のような考え方というもので先生方に接するなら、先生方があなた方の心配されるような形しか仕事もできないというようなことはあり得ない。あるいは話し合いをすれば、直ちにあなた方の御期待にも沿うようになる。もし、先生方のやり方に間違いがあれば、反省をすることにやぶさかではないと思う。こういう信頼感というものを持ってくれないので、初めから教育行政の担当者と現場の先生の行き違いが生ずるということに私はなるのではないかと思います。戦前でも、こういう人もおったということを考えますと、戦前、戦中、戦後にかかわらず、私は、教師に対する行政的立場の人のあり方というものは、これは法律ではない、その人々の教師に対する尊敬の念のいかんということになると思う。この考え方は皆さんお認めになりますか。好ましいものだとお認めになりますか。
  295. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) そのとおりでございまして、少しも異論はございません。
  296. 加瀬完

    加瀬完君 大臣は、教育活動の発展は職場の管理のみにあると、こう断定をなさいますか。
  297. 奥野誠亮

    ○国務大臣(奥野誠亮君) たびたびお答えを申し上げておりますように、個人個人の能力適性を伸ばしていく、それが人を育てるゆえんだ、したがいまして、個々の先生方がそれぞれ創意くふうを尽くして、個人個人に適応した教育のあり方、情熱を傾けてやっていただかなければ、それぞれの児童生徒がみずから学びとろうとする意欲をわかしてこない、こう考えているわけでございまして、したがいまして、自由濶達に先生方努力してくださる、そういう環境をつくり上げていくことが大切だ、校長さんの責務もそういうところにあるんだろう、こう思っております。
  298. 加瀬完

    加瀬完君 大臣は、二月二十日の衆議院文教委員会でのこの教頭法の御答弁の中で、「管理が十分に行なわれないようにして組合が思うように振り回したいと思っているのだ、こんな見方もできないわけじゃございません」と答えている。これは一体現場の教師を信頼している発言になりますか。
  299. 奥野誠亮

    ○国務大臣(奥野誠亮君) 教頭職法制化に反対される方々が、しばしば管理強化を目ざしている、こういうように言われるわけでございます。管理強化は目ざしていないけれども、管理が適正に行なわれる。それぞれの先生方責任分担を明確にしていく。そして協力しやすいような体制にする、これは管理の適正化だと思います。締めつけでも何でもない、みんなが力を合わせ合って、教育の効果を発揚するように努力し合っていくということでございます。おそらくあるいは管理強化というようなことばにつながって、何か私が発言したことをお取り上げになっているんじゃないかと思いますが、私の気持ちは、いま申し上げますように、管理が悪いとは一つも考えません。ただ、締めつけだけを考える、あるいは命令と服従、こういうような姿勢を強要する。これはもうとんでもない考え方だと、こう思います。管理が適正に行なわれまして、お互いの責任分野を明確にする、そして助言と協力、みんなが努力をし合って、教育の効果をあげようと一身同体で努力をし合っていくという体制、これは私はたいへん大切なことだ、こう考えております。
  300. 加瀬完

    加瀬完君 そこが若干見解の相違するところでね。管理というもので教育運営されるということ自体が教育効果を阻害することになると、私は自分の体験から思うので、大臣の言う管理というのは管理ではなくて、教育運営の教師と校長の一体感、あるいは教師と児童の一体感、こういう、一つ教育目的に向かって同一の感情で運営を進めていくという、こういう心組みですよ。そういう心組みができるかできないかで学校が進みもすれば退きもするわけです。それを校長、教頭という管理体制で指示命令をすれば、そういうふうに動くというものでは、教育はないはずです。あとでこれは具体的な例を申し上げますが、教育というものは、教師自身が積極的に活動しない限りは進歩はありませんよ、進行はありませんよ。頭から何かかぶせられるような、手足を縛られるような、それも校長なり教頭なりあるいは教育委員会の考え方だけで一つのレールに乗せようということでは、レールに乗るかもしれませんけれどね、みずからの力で走るという、そういう速力、スピードは出てこないのですよ、教育というものは。先ほどおっしゃるように、創造性なり自発性なりというものでなければ教育は進展しないのですから。動きがないですから。レールをはめたりいろいろの規則、規約で制限をする条件の中で、能動的に精神作用が働くということは、これはあり得ないでしょう。ですからあなた方の教頭法の説明を承っておりましても、一体これで教育を進めることになるのかどうなのか。教頭さん自身、校長さん自身のほんとうの意味での教育管理をこういうきめ方で効率化することになるのかどうか、こういう私は疑問を持つわけです。教頭法に賛成とか反対とか、こういう立場を私はとっておりません。ほんとうの教育運営というものを考えるときに、私の体験では、こういうきめ方では、おっしゃるような方向には進まないと思うので、伺っているわけであります。  一歩譲って、管理体制が教育を進める体制にないからといって、その責任が管理側には全然なくて、管理される教員の側だけにあるという、先ほどもおっしゃいました一部に混乱がある、あるいは教頭法なんかの制定に反対している向きがある。これはけしからぬ。けしからぬところがあるかもしれません。しかし、広い意味での教育運営が円滑を欠いているとするならば、これは管理体制に批判をする者だけの、教員側の責めという断定が下せますか。下していらっしゃるようですがね、どうして下せるのですか。と申しますのは、校長なり教頭なりは、そういう部下職員を十分指導をし、啓発をしていかなければならない義務があるでしょう。ほんとうの教育者であるならば、その教育者の識見というものに敬意を表しない教員が一人でもおりますか。教育者の識見ではなくて、教育者のものの見方や考え方ではなくて、管理職という立場だけを形式的に強要してくるから、まじめな教師から反発をされる場面だってあるわけですよ。そういうことを全然抜きにして、命令に従えない者はけしからぬということでは、それでは——職員会議の例が出ましたが、これはあとで申し上げます。ほんとうのいい教師の意見というものはどこで取り上げるか。だれが取り上げるか。また、校長、教頭の意見がいつでもそのことに関して最高の教育的識見だという保証はどこにもないですよ。かりにそうであっても、そうありたいわけですけれども、ほんとうの校長なり教頭なり指導者であるなら、もっといい意見はないかということで職員の意見聞くでしょう。職員に問題を投げかけて考えさせるでしょう。それを集約するコントロールの役割りを校長、教頭がすればいい。そういう役割りというものを果たすのに、何でこの教頭法が必要ですか。ワクではない。教頭なり校長なりの人間性が問題なんだ。教育者としての識見のあるかないかが問題である。ここでは、教頭法をどのように御説明なさろうと、教頭の教育的識見が非常に高くなる、そういう裏づけが別にあるわけじゃないでしょう。これをどうして問題にしないのですか。高い教育的識見の者を教頭に据え、校長に据えるという方法は、どうすればできるという考え方をどうしてお持ちにならないのですか。ここに、私は、ほんとうの教師を遇する道というものをあなた方は知っておらないと、どうも失礼な申し条でございますが、考えざるを得ない。いかがですか。
  301. 奥野誠亮

    ○国務大臣(奥野誠亮君) 管理職といったようなものは、学校がその使命を十分に果たすためには、どういうような責任分担で運営されることが望ましいか、それを明確にして、できる限り効果をあげるようにしようというようなことで、組織が設けられてきているのだと、こう思います。管理職になっている者がえらいのだとかえらくないのだとか、そんな性格のものでは私はないと思います。管理職には向かないけれども先生方ほんとうに情熱をこめて教育に打ち込んでいらっしゃる。しかし、その方は教育者としてはりっぱだけれども、管理職としては向かない。よく小林武さんがこのことをおっしゃる、私も全く同感だと思っているのです。管理職ということになると、すぐ締めつけをするのだとか、あるいは一般の先生方に命令をするのだとかというふうに受け取られるいまのお話は、私はあまり理解できないのです。教育はいかにあるべきかということについては、私はお話を伺っておりますと、お互いの間にそう変わりはないと思うのであります。いかにあるべきかという教育の姿を具現していく、そのために、組織運営はどうあるべきかということで、教頭職というようなものも定められてきているのではないか。そして教頭さんが校長さんを助けて、校務を整理していくのだ、もっぱら教育に当られる先生方の手数を校務の整理のようなことにあまりわずらわせないようにしていくのだというようなことであるのじゃないだろうかと、こう考えておるわけでございます。ただ、教育の現場があまり好ましくないようなすさんだ姿になっていることが多いものですから、すぐそれを基礎にして御議論になっている場合が多いのじゃないだろうかと、こう思うわけであります。むしろ、そういうものを積極的に直していきたいということを考えておるわけでございまして、現在の教頭職は命令で書かれている、それをことさら実態を変えようというような意味で、われわれ法制化を持ち出したわけじゃございませんで、先ほど来初中局長からお答えしているとおりであります。
  302. 加瀬完

    加瀬完君 それならば、教育をさらに効率化するためには、そういうまじめな教育者を優遇することを先に考えるのか、おっしゃるように、組織運営の体制を考えるのか、あなた方はいま後者をとっておるわけだ。教頭職というものをさらに法制化して、御説明によれば、組織運営による能率を上げようという、組織運営にどういう能率をあげようとしても、それは教育効果をあげることにはならないという立場を私はとっておるわけです。おっしゃるように、教育効果をあげようとするならば、報われないほんとうの教育者というものをどう優遇するかということを考えることなんです。私は、校長とか教頭とかというものは教育者じゃないと思う。教育者というのは、子供を受け持ったり教科を受け持ったりして、じかに子供に接して教えているものが教育者ですよ。ですから、ほんとうの教育効果というものは、子供にじかに接しているこの人たちが本気になって、子供のために仕事をしてくれなければ能率があがるものじゃないですよ。教員をやりますと、一学級を持って世話をした子供たちは、何十年たったってたずねてきますよ。ずいぶん本人としてはうぬぼれもあって成績を上げたつもりでも、学級を持たない校長などで、あの校長先生に指導されたといってたずねてくる子供というのは特殊な子供しかありませんよ。ところが、校長とか教頭とか、こういうものを一生懸命待遇をして位づけをしようと考えておりますけれども、ほんとうに教育をしている者を、これを優遇しようという考え方はないじゃないですか。それはまあ、一〇%上げたとか、また一〇%上げるということはありますけれども、それは全部上げるでしょう。校長や教頭には管理職手当も出る。じゃ、ほんとうに、校長にもならないで、先ほどお話しのように、私は校長なんかはするのはいやだ、一学級受け持ったほうがいいとまじめにやっている先生は、どこで報いられていますか。こういう先生を報いるという体制をとるなら、文部省が出そうが、だれが出そうが、われわれは全面的に賛成をしますよ。ほんとうの教育者というのを待遇する対策ではないんだ、この教頭法というものは。比べてみて、ほんとうの教育者を待遇するというものがあとになって、管理体制の位づけだけが先になっている。そういう行政にやや走っているという御反省はないですか。
  303. 奥野誠亮

    ○国務大臣(奥野誠亮君) 全然、別個のことを御議論になっているように私には聞こえるのです。先生方に対しては、非常に重要な仕事を受け持っていただいているわけですから、いまも御指摘になりましたように、いわゆる人材確保の法案を提出さしていただいたわけであります。一般の公務員に比較して優遇されなければならない。何となれば、次代を背負う青少年を育てているのだから、教育界は国家社会の命運の託されているところだ、国家社会の命運の託されているところで働いていただいている先生方責任は非常に重いのだ。責任が重いから、それだけ給与を厚くしていくことは、当然のことだという考え方に立っているわけであります。同時に、その中で、御指摘のように、真剣に教育に成果をあげていられる方をもっと優遇しろ、これは喜んで優遇さしていただく、給与の点についてもそれでよろしいということでありますならば、積極的にそうしたほうがいいと思います。また、これはこれなりに御議論が出てくるのじゃないかと思いますけれども、非常にけっこうなことじゃないだろうか、こんな感じもいたします。  教頭職の問題は、これは組織運営のあり方の問題でございまして、優遇するために、この法案を出しているんだと、そうじゃないのでございまして、学校がその所期の目的を達していく、それにはどうしたらいいんだろうか、それはやはり職務分担を明確にしていくこと、これもまあ大切だろうというようなことでございますし、校長先生がいなくなった場合に、だれが代理するかというような問題もあったりするわけでございます。私たちはいずれにしても、社会から尊敬される先生先生を尊敬する社会、そういう社会を打ち立てていきたいんだと、そのためには、やっぱり先生の質もやはり高くする、そのためには、思い切って海外を見てもらう、社会が先生を尊敬するようになる一つの力にはなるだろう、こういうことも考えておるわけでございまして、やはり総合的に施策を講じていかなければならない。たった一つの施策だけで、あらゆる目的を全部達成するということは、私は、むずかしいだろうと思います。定年制を引き上げていこうと考えておるのも同じことでございまして、安んじて職務に専念してもらおうと、こういうことから、私たち定年を引き上げられる県に対してはいろいろの面で協力しますよと、こういうことも申し上げたりしてきているわけでございまして、いろいろ皆さん方のお知恵を拝借しながら、総合的な施策を積極的に講じていきたい。そうして、望ましい教育界をぜひ確立していきたいものだと、かように考えておるわけであります。
  304. 加瀬完

    加瀬完君 教頭法が教頭の優遇策でないということは、先ほどからも御説明があったとおり、私も、そうは言っておりませんよ。私の言うのは、そういう組織強化という形で、教頭法などをつくることと、実際に教育をしている教員をどう優遇するかということを比べたら、優遇策というものを優先して、まず文部省としては取り上げるのが至当ではないか、こう申し上げているのです。一〇%上げたじゃないか、優遇しているじゃないか。しかし教頭、校長という管理職と、一般の先生を比べてごらんなさい、退職の年齢が、東京都は別ですが、大体の府県は、校長の年齢よりも二つか三つ若くやめさせられておりますよ。それから退職の計算でも、恩給の計算でも、管理職のほうがはるかに有利です。一般の先生に、あなたはまじめに学級だけやってくれたから割り増しをしましょうという県はほとんどありません。そういう現実を私どもが見ておりますと、やってもらいたいのは、現場の子供を持ったり、教科を持ったりして、一生懸命やっている先生方の優遇策というものを先にやってもらいたい。そうであるなら、職務分担なんということを、学校先生法律で明瞭にされなくても、自分がいかなる職務分担にあるか、どういうことをしなけりゃならない責任にあるかということは、おのずから明瞭ですよ。言われなくたってやる、そんなこと。言われなくても、職務分担を自覚してやるような体制にどうしたらなるかということを考えることが教育効果をあげることなんです。そこに、あなた方が教師に対する、小・中学校の教師に対するべっ視感があるというんだ。あいつらはまかせてておきゃ何するかわからない、だから事こまかくレールを敷いてやって、このとおり渡らせるんだ。渡りぎわの悪いやつにはけつひっぱたいてやる。こういうぬぐうべからざるべっ視感というものがあなた方にはある。ないというなら、こういうことは、現場の意見というものを十分聞いて、一応立案しても、はたしてそれが現場に受けるかどうか、現場の意見というものを、校長、教頭だけではない、一般の先生方にも十分聞いて、そういう話し合いの上で、合意を求めるということが当然なけりゃならないわけだ。ほんとうに現場で一生懸命やっている先生方意見を聞いて、教頭法というものを現場の先生の要求で定めたということじゃないでしょう、これは、この作業の経緯から言っても。いかがですか。
  305. 奥野誠亮

    ○国務大臣(奥野誠亮君) これは、いろんな見方があるんだろうと思うんですけれども、私は、こういうことも一つの原因になっているんじゃないかなあと思います。たとえば、組合が職員会議の決議機関化を言っておられる。校務の分掌なんかも、職員会議できめるんだと、教頭さんをだれにするかということも、職員会議できめるんだと、こうおっしゃっているところもあるようでございます。それで、現にそういうことできめられた方と、別に教育委員会から教頭職を命ぜられてきた方、若干そこに混乱が起こったりしているところもあるようでございますし、そういうこともあってじゃないかと思うんですが、先ほど教頭会の会長さんの文章をどなたかお読みになっておったりしたわけでございまして、教頭会が、非常にそういうことでその法制化を熱望されている。私たちは、また私たちとしての見識で、この法案を提出しているわけでございますけれども、やっぱり法律で職として法定をしてもらうと、当然都道府県教育委員会がだれが教頭だということをきめてくるということになりますので、職員会議で公選をするんだという問題の位置がなくなってしまう。すっきりしたものになってしまう。教育現場から争いが一つなくなっていくと、こういう希望も、私はあるんじゃないかなと、こう思うわけでございまして、先ほどの文章を伺いながら、やっぱり教育の現場が荒れている一つの証拠になるのかなあと思いながら伺わせていただいておったところでございます。いずれにいたしましても、先生方の処遇を引き上げていく、また、熱心にやっておられる方々についていろいろな面において優遇の措置を講じていく、これは具体的なことを御提案いただきましたなら、私も喜んでそういうものの実現に努力をしてまいります。ほんとうにそうしたい気持ち一ぱいでございまして、当委員会でも何度かそういう意見も出ておるわけでございます。かりに特別昇給の道を選べとおっしゃるなら、喜んで私はそういう道も選ばせていただきます。また、これはこれなりに御議論もあるところだろうと思います。まあ、いずれにしましても 具体的な御提案がございましたら、喜んで私は、そういう道なら取り上げていくべきものだと、こう思っております。
  306. 加瀬完

    加瀬完君 二つの点を伺います。  一つは、教頭さんたちは、あるいは校長さんたちは、大幅に校長なり教頭なりで教育運営のできる権限というものを一体求めているのか。ワクづけをされて、上からの命令の受託者、そして下に対しては下命者になることだけを求めているのか。おのずとこれは、教育者である校長さんならば、教頭さんならば、教頭職の法制化いかんということではなくて、思い切って私ども教育をさせてくれる大幅な権限というものをまず求めたいというのが、私は、これはもう大体の偽らない御意見だと思う。そういうことをあなた方はよく御存じないわけだ。何をほんとうに教頭が求めているか、校長が求めているか。あなた方は戦前の教育ということを言うけれども、戦前はこんな不自由なものじゃありませんでしたよ。校長がもっと大幅にやって、あんまり文句は言いませんでした。大体、二年くらいで学務課長とか学務部長がかわってしまうわけですけれども、そんなこまかいことまでいまの都道府県教育委員会の、特に文部省から来た人みたいにやりませんよ。たまにはいい人もあるかもしれぬ。しかし、大体文部省から来た者は、文部省のほうを向いて——あとで言いますけれども、そうして御意見を承って、それを下に流すわけだ。ほんとうの地域の教育をどう振興しようかという責任をとってやっている人というのは数少ない。そうではないですよ、現場の求めているのは。  それからもう一つ伺いたいのは、たびたびの御説明を承っておりますと、教員組合というものは、吉田さんじゃありませんが、不逞のやから扱いですね、あなたの御説明は。組合というものは、教育にそんなにブレーキをかけている集団という御認定ですか、これは念のために伺っておきます。
  307. 奥野誠亮

    ○国務大臣(奥野誠亮君) 私は、教頭さんがこの法制化を希望しておられる、それは権限ほしいから言うておられるのじゃなくて、教育の現場が非常にすさんでいる、私はいま公選制の問題を申し上げたわけでございますけれども、そういうような対立関係をなくしていきたい、円滑な、もっと潤いのあるものにしたい、私はこれが一番の御希望ではなかろうかと、かように考えておるわけでございます。権限だけのことなら、いまと何にも変わりないんです。しいて言えば、校長さんがいない場合に、代表をどうするかというような程度のことだろうと思います。これは内藤先生からも御質問のあったとおりでございまして、実態的には、何にも変わりはないということを御理解いただいておきたいと思います。  それから組合を不遇のやから視しているかと、こうおっしゃいましたが、組合にもいろいろございます。政治的には厳正中立ということを大きな目標に掲げておられる組合もございます。また、組合によりましては、私は、どうも日教組は階級的大衆組織であって、社会主義革命に参加するものとみずからを規定しておられるように受け取られますと、こう申し上げざるを得ない組合もあるわけでございます。私は、やはり組合は、地方公務員法上に規定しておりますように、勤務条件の維持改善をはかる、これが目的だと思います。いささかも政治的な目的を達成するために組合を結成してよろしいと、こう言うているわけじゃございませんので、そこはぜひ私は反省をしてもらいたい、かように考えておるわけでございまして、不逞のやから視というような、なまいきなものの言い方はする意思は毛頭ございません。毛頭ございませんが、その姿を私は率直に言い合っていいんじゃないだろうか。私は、最初に日教組の委員長に会いましたときに、私は、日教組のすべてが悪いとは言いませんよ、しかし、遠慮なしに批判をしていきますよ、今後も批判をしていきますよ、あなたたちも文部省の批判を大いにやりなさいよ、しかし文部省の政策すべてが悪いというような言い方やめなさいよと、こう言った。そのとおりだ、そうしようというお話だった。終わってから一緒に私は記者クラブへ行きまして、こんな話し合いをしたんだということをクラブで申し上げましたよ。そういう気持ちをいまも持っているわけでございますけれども、なかなか組合の関係むずかしいようでございます、その後の姿を見ておりますと。しかし、決して不遇のやから呼ばわりする意思はございません。しかし、感じているところは率直に申し上げさしていただきます。お互いにやっぱり思っていることはずばりずばり言い合って、そして反省もし、そして改善の努力も尽くしていけばいいんじゃないだろうかと、こう思っているわけでございます。究極的には、先生方と、あるいは教師の集団と文部省なり地方の教育委員会とがほんとうに力を合わせ合うのでなければ、教育の振興というものはあり得ない、これは私の信念でございます。ですから、協力し合えるような体制を一日も早くつくり上げていきたいものだ、これが私の最大の使命だと、こんな感じまで持っているんです。
  308. 加瀬完

    加瀬完君 それには全く同感ですよ。  そこで、教頭さんは、教育指揮権を大幅にふるいたいと、こういう考え方には私は反対する者は一人もないと思う。教頭法というものは、教育指揮権を大幅にふるわせるように教頭に権限を与えるということではなくて、教頭法制化という一つのワクをきめて、文部省考え方の伝達機関にしようという考えは毛頭ございませんか。これが一つ。  それから、組合と話し合っていただくことはけっこうですね。文部省でありますから、組合の悪いことはばりばりこれは指摘することも当然。ただし組合の、ただ、経済的要求をすれば事足りるんだという御見解であれば、これは間違いだと思う。現場の先生ですから、組合員と言ったって。現場の先生文部省に対して、こうしてもらいたいとか、教育の目的について、こういう点は考えられないかと教育論についていろいろ申し出をするのは当然でありますしね、これをあなた方が受け入れて話し合いをするのは当然じゃないですか、これは。そういう考え方に立てるのかどうかということ。話し合いと言ったって、ワクを非常に強めて、いろいろ教育現場としての注文は組合からは一切受けませんよと、こういうことでは困ると思いますが、この点はどうです。  それから第三の問題は、第二組合というものを育成していますね、助成していますね、文部省の指導は。どうして現在ある組合とさっきおっしゃったようにひざ突き合わせて、反省を求めるなら反省を求める、言うことがあるなら言うことを言わせると、こういう態度をとらないんですか。ここに二つの都道府県に組合がある、そうすると、必ず第二組合のほうに応援している。それから第一組合がお気に添わないと、第二組合の育成を表向きに援助している、こういう実例がありますよ。こういうことがとるべきことなのかどうなのか。これじゃ不信感を買わざるを得なくなるんじゃないですか。話し合いをしようたって話し合いにみぞができることは当然じゃないですか。最初の文部大臣の御態度のように、もっと私は日教組ということではなくて、現場の先生という立場で、現場の先生団体ですから積極的な話し合いをすると、これはそのようにしていただけるものと確認をしたいと思いますが、その三点についてひとつあらためて伺います。
  309. 奥野誠亮

    ○国務大臣(奥野誠亮君) 教頭職を単なる文部省の伝達機関としようと考えているのかというお話がございましたが、そんなことは毛頭ございません。しかし、いずれにいたしましても、文部省先生方との間でもっとお互いの意思が疎通し合うような体制を確立していくことが非常に重要な課題だなあと、こんな気持ちは持っております。  第二に、組合は勤務条件の維持、改善をはかることを目的とすると書かれているとおりだと、こう考えます。勤務条件の維持、改善、これは別に狭く解釈しなければならないとは思っておりません。しかし、勤務条件の維持、改善をはかることを目的とすると法律に書かれているわけでございますので、これは、このとおり受け取っていいんだと思います。  そこで、問題になるのは、政治活動の制限の問題だと思います。公務員全体に政治活動の制限がございます。私は、その中でも先生方は特に政治活動についてはみずから規制しなければならない職種だと、こう考え、また常日ごろそう申し上げております。教育基本法が、特に「学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。」、こうまで書いているわけでございますので、その趣旨は明確じゃないだろうかと、こう思うわけでございます。特定な政治活動に意欲を燃やしておりますと、どうしても特定の政治思想に児童生徒を仕立て上げようとせざるを得ない。そういうことはやっぱり避けるべきだなあと、こう考えているわけでございます。それだけに、日教組が運動目標の中に、政治活動を制限しているのはけしからぬ、そのためのいろいろな法律があるけれども、この空文化、一つ一つ空文化するための戦いを強めていくんだということを運動方針にあげておられるあの精神は、私は強く反省を求めたい、こういう気持ちでおるわけでございます。  第三に、第二組合を育成する努力をしているじゃないかというお話がございました。どういう点をおっしゃっているのかわかりませんが、具体的にお教えをいただきますと、私たちよく注意をしてまいりたいと思います。
  310. 加瀬完

    加瀬完君 それは、日教組に話し合いのときに聞いてくださいよ。当面の担当の方から伺ったほうがいいでしょう。ここでは私は関係者もおりますので発言を差し控えます。  それから、政治活動といいますけれども、個人の政治活動というものを制限されることはできないわけですね。教師たりとも教壇の中で、教科指導の中で政治活動するのは、これは当然いけないことですけれど、だれに一票を投じようか、どの政党を支持しようか、個人としてはこれは自由ですよ。そういう個人の集団が組合という形で支持政党をきめるのも自由ですよ、これは。それは支持政党をきめたものを教育の現場におろしてやったということなら問題だけれども、しかしこれは、何も政治活動をここで議論するところじゃありませんから、もっと政治活動については教育に影響するところがありとすれば、それはお互いに話し合いで解決するということを私はそれも拒むものではありませんけれども、個人の政治活動を制限をされることはあり得ないことだと思います。  それから問題の教頭ですけれども、教頭は、この法律で何か新しいものを与えられましたか。教育的な運営の上で新しいものが与えられましたか。
  311. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 大臣からもお話し申し上げておりますように、組織の中での教頭の位置づけということを私ども考えておるわけでございます。先生が先ほどおっしゃいましたように、教頭さんになられるよりも学級担任をしたほうがいいというような、その御希望の方もおられるだろうと、確かに私はそういう方もおられると思います。まあ、教頭さんというのはほんとうの裏方と申しますか、言ってみれば、そういうふうなめんどうな仕事をお願いするわけでございまして、それよりはむしろ子供たち教育をやっておったほうがいいんだというようなお考えもございましょうけれども、やはりその裏方の存在というのは、これは必要なことでございまして、学校という組織がその能力を十全に発揮するためには、どうしても、こういうふうな方々の存在というものを考えざるを得ない。まあ、ごめんどうでもそういうことをお引き受けいただくというふうなことを職務の中で明らかにするということでございまして、それ以外にはございません。
  312. 加瀬完

    加瀬完君 私の伺っておりますのは、いまのお話はよくわかります。しかし、教育活動をする上に何か新しい権限というものを与えられておるのかという点を伺っておるわけです。
  313. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) それは、いままでもそのとおりだと思いますが、新しい教員の指導、あるいは御自分の専門につきまして、教員に助言を与えるというふうなことは当然やっていただけるものというふうに考えているわけであります。
  314. 加瀬完

    加瀬完君 それは新しい法制化によって生じたことじゃないでしょう。だから私は教頭に与えるべきものは、待遇をもっと上げるというのはけっこうですよ。それから校長ともどもあんまり文部省とか、教育委員とか、そういうワクで押しつけるようなことをしないで、思い切って、識見に応じて教育運営ができるような権限を与えるということのほうが先だと思うんですよ。しかし、そういうものは、何もここには満たされておらない、本法では。そういうことを言いたいんです。  そこで、大臣に伺いますが、大臣は、衆議院の御回答の中でも、教育権は国民にあることは認めると、しかし、その教育権は、教師が信託されているということはどう考えてもそうは解し得ない、こうお答えになっています。それは、局長、答えてもいいですよ。「教諭は、教育を掌る。」ということは、それでは、どういう内容になりますか。
  315. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 教諭は、具体的に、先ほど先生がおっしゃいましたように、一クラスなら一クラスの子供を持ちまして実際に教育を行なっていくということでございます。もちろん、それにつきましては、学校教育課程に従うということは当然のことでございます。そのほか校長先生や教頭先生の指導を受ける、あるいはほかの先生の助言を受けるというようなことは当然あるわけでございますが、それに一クラスなら一クラスを持ちまして、その教育につきましては責任をもってその実施に当たると、そういうことであろうと思います。
  316. 加瀬完

    加瀬完君 といいますことは、国民が持っている教育権というものを教育活動というワクにおいて教師は信託されておる、委任をされておると、当然これは解釈できるんじゃないですか。実際に子供を教えることが教師でない者にできますか、法律的に。たとえば文部省教育委員会、こういうものは、教育委員会の教育長、直接子供を教えることができますか。文部大臣だって同じだ。ということになりますと、教師だけが子供を教えるという、こういう権限というものを委任されているということになるんでしょう、法律的には。だから、それを教師が信託されているということばであらわしていいかは問題があっても、実質的には、こういう国民の教育権というものを委託されて実質的に教育を実行するものは教師であると、こういう考え方を、これ、はばむわけにはいかないでしょう。
  317. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 委任を受けて、そういう権限を持っているというふうなお話、そういうふうな表現でもよろしいんじゃないかと思いますが、ただ、国民から直接に先生に権限がいっているわけじゃない。国民は、国民の代表者である国会に、そういうことをまずお願いする。国会では法律を制定いたしまして、どういうふうに教育を運んでいくのかということになるわけでございます。その国会法律に基づきまして、行政機関、つまり文部省とか、教育委員会がその法律を具体的に実施をする。その具体的に実施する規則を制定したりするわけでございますが、その範囲におきまして、学校教育課程を編成する。その教育課程の範囲内におきまして、教員が具体的に教育を行なっているということでございます。やはり国民の代表者である国会を通じて行動するということは当然でございます。
  318. 加瀬完

    加瀬完君 いいかげんなこと言っちゃ困りますよ。教育課程は、そういうことになったかもしれぬけれども、現行の法律では、教員教育をつかさどると、はっきりきまっているんだから、子供を教える権利というものは、教師以外にはないわけですよ。文部省教育をする権利がありますか。あなたは文部省が何だのかんだのといろいろなことを言っているけれども、そういうものの考え方がおかしいんだよ。文部省教育権がありますか。あったということならたいへんだよ、これは。
  319. 奥野誠亮

    ○国務大臣(奥野誠亮君) 加瀬さんにこんなことを申し上げるのはたいへん恐縮な感じがするのですけれども、日本国憲法の前文をごらんいただきますと、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、」「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」と、こう書かれておるわけであります。先ほどおっしゃいましたように、教育権国民にあること私は否定をいたしません。その国民にある教育権を受けまして、国なり地方団体なりが国民が教育権を十分満足できるようにいろいろなものの施設を整備していかなければならない、そういう責務を負っているものだと思います。そこで、国会憲法なり学校教育法なり、教育基本法、一連の法制を通じまして小中学校や高等学校教育内容はどうあるべきであるか、学校教育法に書かれているわけでございましょうし、また、それを受けまして教育課程は監督長が定めるのだ、こう書いてあるわけであります。そういうことで、文部省では教育課程審議会を発足させ、この審議会意見に基づきまして、教育課程としての学習指導要領、これを決定しているわけであります。そして、これに基づいて学校が個々の教育課程をきめるのだ、こう書いておるわけでございまして、同時に、教育をつかさどります先生方につきましては、資格要件等を示しておるわけでございまして、その資格要件を持っている先生方がこれらの法律に基づきまして、その教育内容を中心に教育に当たっていくわけであります。もちろん個々の児童生徒の個性、能力に適応しますように、かなりそこに創意くふうを尽くさなきゃならない、しかしながら、基本的なものは、法律その他一連の仕組みを通じまして定められておるわけでございまして、これを離れまして自由に教育をつかさどるのだからかってにやれるのだというわけにはまいらない、こう考えておるわけであります。教育権は国民にある。しかし、国民がすぐ個々の先生教育を全部まかしたわけじゃないのだと。教育内容は教師集団がきめるのだというようなことを言っている組合もございます。それはおかしいことだと、こう言っているわけでございまして、個々の先生方に国民がすぐ渡したわけじゃない。やはり国会を通じて、いま申し上げましたような仕組みを通じて、先生方教育をつかさどるのだと、こう示されておるわけでございます。したがいまして、一連の法制のワクを尊重していただいて教育に当たっていただかなければならない、こう考えておるわけでございます。
  320. 加瀬完

    加瀬完君 だれもそんなこと言っちゃいませんよ。あなたの御説明、それから初中局長の御説明にも非常に将来の文部行政のあり方がそういうふうに行ったらたいへんだという危惧がある。というのは、国会国会ということを言っている。国会が何でもきめればかってなことができるということには、教育に関してはできないですよ。憲法があって、教育基本法があって——教育基本法でも憲法でも、国会によって変えられる時期があるかもしれぬけれども現状では憲法教育基本法というものの基盤をはずれてかってな法律をつくるということはあり得ない。そこで、文部省教育権があるなんということはあり得ないですよ。文部省設置法に何と書いてありますか。教育基準なり条件なりというものをつくることは許されていますけれども子供を直接教えるということは、文部省まかされておりませんよ。国会国会と言うけれども教育基本法によって地方教育委員会が国民を代表して教育の行政権というものを持っているのでしょう、公立学校の場合は。私の言っているのは、直接子供を教えるこの権能というものは、教師に与えられているわけだと。教師に与えられているということは、教師というものは、教育的良心に従って教育の活動をするものだという前提があるからですよ。あなた方のように何してもいいかにしてもいいと、そういうように、教師を見ることがどだい間違いだ。しかも、そういう権限は文部省にはないんだ、教師の活動に誤りがあれば、それは地方教育委員会の監督権があるわけだから、地方教育委員会が監督に当たるべきだ。地方教育委員会から、あなた方の手に余るからどうしたらいいですかと、指導助言を仰いだときのみ、あなた方の意思が働く余地があるのです。私は、そういう理屈を言おうと思いませんけれども。  それで、とにかく教育を担当しているものは教師なんですよ。当然、この教師というのは、優秀な教師という前提ですよ。そういうように教育をする主体が教師だということになれば、教育条件や教育環境を整備する義務が国や地方団体にあるわけです。こういうたてまえをくずして、いままでの文部省のやり方のように、指導要領でも、何でも教師の良心に待つべきものまでも、みんなこまかくきめて、文部大臣の言うように、ゆったりした雰囲気だとか、あとで言いますけれども子供と教師の接触なんといってもそういう余裕のないようながんじがらめにしているのが現在の教育行政のあり方です。これは怜明な文部大臣が具体的に視察をしてみれば、教師の良心がどれだけ発揮する余地があるかどうかということは、実情見ればすぐわかると思います。そのように、大体教師は能力がないんだ、悪いことをするに違いないんだ、だから何からかにまできちんときめてやれと、こういうものの考え方文部省やめなさいということだ。そういう根本思想というのが大いに誤っている。それじゃ、不逞のやからとは言わないけれども、はなはだ不退な行為のあるものがおるのだと言うなら、なぜ、そういうものがあるなら校長、教頭が指導できないんだ。それを校長、教頭が指導する責任が当然あるでしょう。それを処罰するほうにだけ校長、教頭に応援しておって、校長、教頭の無能力ということはひとつも責めておらない。ほんとうの教頭なり、ほんとうの校長なら、そんな十人や二十人のところであなた方に非難をされるような部下をそのままに見のがしておくはずがないですよ。だから、そういうただ校長、教頭だけをあなた方がたてにしておっても、教育の振興というのはできないという点を私は申し上げたい。  そこで、よく大臣は、学校現場が混乱していると言いますけどね、混乱というのはどういう点ですか。じゃ、混乱しない状態というのはどういうことですか。これを御説明をいただきましょう。
  321. 奥野誠亮

    ○国務大臣(奥野誠亮君) 学校に奉職しておられる職員の方々みんなが助け合って、一致協力して努力をする、そういう潤いのある環境、これは、私は非常に大切なことだと思います。混乱しているというのは、その間に対立関係が生じたりして、いがみ合ったりしている姿が見受けられると、そういうことを非常に心配をしているわけであります。
  322. 加瀬完

    加瀬完君 ですから、対立がもしあるとすれば、そんな対立をほぐすことのできないような校長なり教頭なりであったら、管理能力についても疑問があるということになる。またなぜ校長、教頭にも手に余るような混乱状態があるというならば、地方教委にあなた方は指導しないですか。地方教委の責任で、校長、教頭の考え方が正しくて、はなはだ教員の個々の考え方がだめだというなら、地方教委は当然それを校長、教頭を助けて指導しなければならない義務があるでしょう。しかし、内申権じゃありませんが、大体、内申権でも何でもみんな委任事務みたいに集めておいて、内申の有無にかかわらず、委任を受けたからというので配当しているわけです。変な教員がいるとか何とか、それを採用したのはだれです。混乱させるような教員がいるとすれば、それを指導しないのはだれです。任命権者じゃありませんか。大体、都道府県教委、指導主事というのは何をしておる。あるいは地方教育委員会というのは何をしておる。そういうものに当然の義務を果たすように助言指導をすればいいんですよ。校長じゃあぶないから、もう一つ教頭というのをおっつけて、ただし金は払わないと、しかし校長になりたがっているんだから、大体格づけしておけば一生懸命やるだろうと、で上から命令出して取り締まりやらせようと、駐在巡査みたいな扱いを教頭とか校長にやらせるという考え方をやめたほうがいいよ、これは。
  323. 奥野誠亮

    ○国務大臣(奥野誠亮君) 私は、教育委員会の責任だとか、校長さんの責任だとか、そういう気持ちを捨てちゃって、みんなの責任だというふうな空気が起こってこない限りにおいては、私、よくならないんじゃないかと、こう考えるわけであります。その前提として、また、どういう方向に教育を持っていくか。社会主義社会の実現のにない手を育てていくのだという考え方を持っておられる方々がおるとしますと、なかなかこれは話し合ってもうまくいかないかもしれません。まあ根本的な考え方の違いもあろうかと思いますけれども、できる限りまずみんなの責任だというようなことで努力し合えるような体制をつくりたいものだなあと、こう思います。
  324. 加瀬完

    加瀬完君 あなた、さっき憲法を出したから、憲法には思想、信仰は自由だと書いてある。どういう考え方を持っていようが、クリスチャンだろうが、南無妙法蓮華経であろうが、これはもう自由だよ。あんた方にこれ制限されるものではないよ。また、共産主義思想を持とうが、社会主義思想を持とうが、それも自由だ。ただそれをそのまま子供に押しつけたり、教育実践としてやったりしたら問題なんだ。しかし、そんなものをやらしているということがあったら、やらしている校長、教頭は一体何だ。地方教育委員は何だ。結局、地方教育委員会なりがほんとうに現場の先生方にサービスするような機関になっておれば、こういう問題は起こらないですよ。教頭を強化したって、これは直りませんよ。地方教育委員会のあり方というものが、財政的にも機構的にも、完全でないというところにむしろあなた方は研究の対象を置くべきだと思うんです。全体の責任だということは、私ものがれませんよ。しかし、大体あいつおれたちの言うことを聞かないから、変な考えを持っておるに違いない、変な考えを持っておるのは変なことを教えているに違いないと、違いない、違いない、想像では想像妊娠みたいなもんだからいつまでたったって子供は産まれてこないんです。そこらをほんとうに現場と、文部大臣がやるわけにいかぬが、地方教委というのは現場と話し合って、少なくとも、人事権も全部県教委なんかにゆだねて、県がきめたんだからというそんな無能力な教育委員会は認められないという指導をしてくれりゃこういう問題は解決することなんですよ。教育現場の秩序というんなら、そういう法制化だけで進むものではないと、私は思うんです。  それから、教育の場の秩序というのは、その学校教育識見によって統一をされ、あることについて最高の教育見識がむぞうさに取り上げられていく、いわば教育の最高良心によっていつでも運営されているという状態が、あなたのおっしゃる教育現場の最高の秩序だと思いますが、これはお認めになりますか。
  325. 奥野誠亮

    ○国務大臣(奥野誠亮君) あるいはお話を正確に理解していないかもしれませんが、とにかく教育に当たる人たちの話を積極的にくみ取ろうとする努力を相手方が持つ、気持ちを持つ、そういうことでなければ教育は行なわれませんよ。幾ら先生の前に児童生徒が何時間すわっておろうと、本人自身が学び取ろうとする意欲がない限りにおいては教育は行なわれないと同じことです。したがいまして、先生方がそれだけに情熱を傾けて教育に当たってくださる、また、情熱を傾けられるように先生自身の創意くふうがそこに発揚されるというような体制、姿勢、これが非常に大切なことじゃないかと、こう思っております。
  326. 加瀬完

    加瀬完君 その統一のあり方なんです。教育見識なり教育識見なりで統一しようとするなら、これは学校先生方は唯々としてその統一に従うんですよ。ただ教育識見なり教育見識なり、教育者の考え方というものは二の次にして、管理者というものの恣意といっては悪いけれども、専断な考え方学校を統一しようとしたって、どんなに組織化したって、学校先生というのはそうばかじゃないですから統一はできませんよ。私のことを言うと恐縮ですが、私は、最悪の不良教師だというレッテルを張られました。ところが、三年ぐらいたったら、最良の教師だというので私は校長に抜てきされました。私は一つも変わってない。変わってないのに、見る人によって最悪になったり、最高になったりする、こういう危険があるわけですよ。だから、問題は教育見識に従わないような者は、教師として、これは存在を許されませんよ。しかし、学校の統一というのは、校長や教頭の教育見識というものに重点を置いて考えるという考え方を持っていただかないと困るんですよ。これは初中局長、直接、指導に当たっておられて間違いないでしょう。だから、教頭職とか、校長職ということよりも、教頭、校長の教育的見識というものにもっと重点を置いてものを考えてもらえば、その見識に当然従うような統一状態というのができてくる。ところが、その教育者の見識というのはあまり求めてないですよ、いまの教育行政は。これはある新聞にも、校長は教育者なのか管理者なのかと、校長が管理的色彩だけが非常に強くなることは、日本の教育上まことに憂うべきものだということが書かれてあります。これは、私は一つの見解だと思うのですよ。それで遺憾ながら、教育行政機構が複雑になれば複雑になるに従って、教育者の見識を重視するというよりは、管理体制を強化するという方向に格づけをするような傾向が強い。もっと教育者の識見というものに私はウエートを置いてもらいたいと思いますが、いかがでしょう。
  327. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 私もそのとおりに考えます。ただ、管理職としてはやっぱり全体の先生をまとめていく能力でございますとか、まあPTAその他外部との非常に連絡のいい方だとか、それぞれの能力のある方々がおられて、それが校長先生としての適格であるかどうかというほかの要素も、まあともかく人をまとめていくと申しますか、引きつけていく、そういう能力も必要だろうと思いますが、基本的には先生のおっしゃるとおりだと思います。
  328. 加瀬完

    加瀬完君 私がさっき教頭試験の試験問題を取り寄せてもらいたいと言いましたのは、教育識見だけで教頭や校長に抜てきされるという形で教育行政は動いておりませんよ。教育の実践者として非常に優秀な者でも、教頭試験を受けるとはずれちゃう。何ではずれるかというと、大体教頭試験が、そういうほんとうの実践的な問題というのは、子供をどうするかとか、教科の運営をどうするか、そういうものはほとんど出ない、大体。管理運営に関する法律ばっかり出てくる。ですから子供をおっぽり出して、管理運営の勉強だけ一生懸命やっていた者が合格するわけです。そういう者が教頭になったって、ほんとうの教育実践ということにはほど遠いですから、現場の反発を買うのも当然です、まじめな先生の。そういう実情というものを、私はもっと反省してもらいたいと思いますから、その資料を求めているわけです。  それで、大臣は戦前、戦中のころの教頭というものを御存じないと思いますので御紹介をいたします。大体五十学級ぐらいの大きな学校では、校長の十年前後の経験のある者が教頭になったわけです。そのころは首席と言ったり、次席と言ったりした場合もあります。校長の経験者が大体私どもの県などではなっておった。どうしてそういう者がなるかというと、その人たちは、こういうふうに言っていた。学校というのは上命下従ではできませんと。大臣がたびたびおっしゃるように、まあ同じような共同目的、共同意識というものを持つような零囲気が大事ですと。それには、私は校長の経験もありますから、上から、校長から命令されたものをそのまま下におろすということはいたしませんと。クッションの役割りをして、ずばりとおろさないで、そこでこの程度に薄め、この程度説明を加えて、皆さんに納得させたらいいかどうかという配慮をしていろいろやりますと。学校に対していろいろ若い者たちの文句がありますと、文句は全部聞き役になりますと。そして、それをまたコントロールして校長に言いますと。命令と、命令を受ける者を衝突させるようなことをしませんで、私ども教頭の役というのは、クッションですと。ですから、大校長さんになりますと、自分一人ではどうにもなりませんから、その校長経験者をもって教頭にしたわけです。しかしその当時、教頭職というのは、あるいは教頭という名前もなかった。次席とかなんとか言われておって、身分的な法定化は何もされておらなかった。しかし、そういう形で、教育運営としては唯々として校長の職を捨てて、いまで言えば教頭になるし、またそういう形で部下の意見を聞き、校長の意見を部下に綿密に伝えるにはどうしたらいいかという媒介の役割りをしておったわけですよ。これで学校経営は一つも支障がなかった。したがって、教頭の法制化というものが、どうして私どもはこういう体験から考えて必要なのか。能力のある者はまた大きな学校の校長にしたっていいじゃないか。あるいは教頭として、そういう教頭の役割りをほんとうにやっている、その学校運営そのものを非常に能率をあげている者は校長に抜てきしてやったっていいじゃないか。だから、法制化というものをしても、嫌悪感だけ部下は持っている。校長と教頭は別ワクだと、われわれはわれわれでというかたまりをつくって、意思の疎通がかえって阻害されているというのが現状なんですね。それを、どうして教頭を学校融和の軸にさせるかということを考えたら、待遇を与えることはけっこうですよ、教頭に。しかし、ただワクづけだけを与えたってどうにもならない、官僚機構だけを強化してもどうにもならないという、私どもは体験を持つわけです。こういうことをひとつ御参考にして、もう少し考え直していただけませんか。
  329. 奥野誠亮

    ○国務大臣(奥野誠亮君) 運営は、まさにいまおっしゃったようなことを目ざして進んでいかなければならない、こう考えるわけでございまして、法制化の暁には、そのような指導に万全を期するように努力をしていきたいと思います。
  330. 加瀬完

    加瀬完君 私たちの経験からすると、がんじがらめに職員もワクをはめてやるような校長は、大体学校経営はゼロだ、ぼやっとしていて何かわからないけれども、全く教員意見をよく聞いてまとめて先生方を積極的に働かせるというような校長はみんな成績あげていますよ。この教頭法の制定というのは、私は成績の悪い学校だけをつくるようになるんじゃないかという心配があるんです。教頭というのは、教頭のワクづけをしてもらうより、教頭として能力者をずんずん校長にしてくれるほうがはるかに教頭の能力があがるわけです。そういう適材適所に適格者を発見して校長に抜てきするということをしないで、教頭を何年やったら校長試験受けさせる資格を与えるとか、あるいは年齢がどのくらいだからまだ校長には早い、こういうマンネリを繰り返していましては、学校というのはこれは改革されませんよ。本法は、こういう一つの戦前から教頭というものに対する定説に対して逆コースですよ。歯車逆に回したようなことになりますよ、と私は思うんですが、いかがでしょう。
  331. 奥野誠亮

    ○国務大臣(奥野誠亮君) 教頭職の運営にあたりましては、やはり学校先生方がみんなそれぞれの持っている能力を最大限度に発揮する、その役割りをになうもんだ、校長さんも、私はまさにそのとおりだと思っているわけでございまして、そういう考え方で、この法律が生かされていくように考えていきたいと思っております。
  332. 加瀬完

    加瀬完君 私は、教頭法よりも、さらに教頭が奮起して学校経営に専念できる方法があると思う。いま相撲をやっていますがね。横綱なら引退ということがありますけれども、これは負けが込むと下へ落ちるでしょう。下で成績があがれば上にあがるでしょう。学校の校長は横綱並みだよ。やめるまで大体下へ絶対落ちない。教頭は幾ら一生懸命やったって上がつかえているとできないのだよ。だから教頭のいいのと校長の悪いのと、こう幕内の人と幕下と交換してやるような制度をつくれば教頭は奮起します。ばかでもちょんでも校長になれば六十までやれる。こんなばかな話がありますか。それから教頭では立ち回りの悪い者はいつまでも教頭で終わってしまう、教師としてはなかなか優秀な者が。そういうことがあってはならないという新陳代謝というものを考えれば、私は校長も一生懸命やらなければ落ちるということなら、下だって一生懸命やらざるを得ませんよ。何もしないで、大体一週間のうちに五日間ぐらいは学校にいないのが大校長です。一生懸命毎日毎日朝早く来て子供を教えているのは、組合員で、ただけしからぬから減俸だなんてやられては、減俸される理由は別として、感情としてはけしからぬということになりますよ。そういう助言、指導というものを地方教委はやるべきだと。そういうことを一つもやらないで、ちょいと教頭の法制化だけを考えてもだめなんですよ。  そこで、終戦直後文部省は新教育方針というものを出しましたが、あれは撤回しましたか。
  333. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 新教育指針は、教育基本法ができると同時に、失効をしたというふうに考えております。
  334. 加瀬完

    加瀬完君 その考え方は、軍国主義を押えて平和主義、こういう考え方一つ強調した、それから、国家主義というものに置きかえて、民主主義という点を強調した。この考え方は、しかし教育原則においては変わりはないでしょう。
  335. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) その考え方のおもなものは、教育基本法に受け継がれていると思いますので、教育基本法に受け継がれている範囲におきましては、それはいまでもその精神が生きているというふうに考えます。
  336. 加瀬完

    加瀬完君 そうすると、学校運営において民主主義的運営というのは、校長が命令権をもって独断専行で何でも下に、下命をするということではない。コントロールは当然校長はしても、職員会議その他の方法で職員のいろいろな意見というものを、これは取り上げるということも当然だと、こう解さなければならないのじゃないですか。
  337. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 大臣からもたびたび御答弁申し上げておりますように、みんなで一致協力いたしまして、潤いのある職場をつくっていく、そういう関係で、独断的な校長が、独断的にものごとを処理するというふうなことは、これは避けるべきだというふうに考えます。
  338. 加瀬完

    加瀬完君 そこで、私だけで時間をあまりとっていていけませんので、この次に、質問をする点をまず用意していただきたいと思います。教育活動というのはいかなる作用であるか、この御回答によって、今度教育活動について、教頭法との関係を質問をしていきますから、この次は、それを大臣から答えてください。一応この次まで。
  339. 世耕政隆

    委員長世耕政隆君) ほかにございませんか。  本案に対する質疑は、本日はこの程度にとどめ、これにて散会いたします。    午後七時十二分散会      —————・—————