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鈴木力君 これは
大臣にほんとは聞かないと
——いまの次官の御答弁でそのとおりだとは思いますが、これはもう
大臣にもはっきりそう言っといてもらいたい。どういう意図でああいうことを言ったのかどうしても理解ができない。
それからさっき次官が、
給与については
人事院の
勧告を待ってという、そういう筋は通したいということをおっしゃった。いまの
制度上からいうと、私は次官のさっきの御答弁はそういう御答弁になると思います。ところが、教頭については、これは出すつもりないとおっしゃったからいいんですけれども、一言聞いておいていただきたい。
人事院が
国立学校の教頭を一等級にしようと言い出したのは、
国立学校の特に
付属小
学校、
付属中
学校などでは
学校長というのは大学の教授でその
学校にはいないんだと、教頭であるけれども事実上は校長の職務をやっているから一等級にやれ、こういうことなんです。ところが、そこのところを三十二年に通達を出したかどうかということで、
人事院の意思とは違うんですよ、小中
学校の一等級というのは、校長がいるんですから。だから、その辺ははっきりと整理をしてこういう問題をやっていただきたい。これは私のほうから申し上げておきます。
それで、
あと時間があまり長くなると恐縮ですからやめますけれども、さっき
岩間氏が指摘をされました、
給与を上げるということは私はいいことだと思いますよ。いいことだと思うが、やっぱりそれに見合った職場をつくらないと。そのうちの何かというと、やっぱり
教員定数の問題ですよ。いま
法律案を提出していますなんということで、あんなことで文部省が満足しているんだったら話にならぬ。それはもうはっきり言って、
予算が取れないからこの程度と率直に言ってもらえばがまんもできますけれども、大蔵省がなかなかわからず屋でしかたがなかったんですと言ってもらうんなら私はがまんできるですよ。そうじゃなしに、今度あれだけの定数法を
改正したんですから、わかっていますと、こう言われたんじゃ私はわからない。
まず、小
学校で
——もうくどく申し上げませんよ、いま学級担任制でしょう。これは何べんか私はもう
——局長はよくわかっていますよね、またかという顔をなさっていらっしゃる、その
気持ちはわかる。能力があるなしは別として、いまの小
学校の教育課程に基づいて授業をする場合に、たとえば一校時日に算数なり国語なりの授業をやる。その次に理科室へ行って理科実験をやる。その理科実験の準備にどれだけの時間を要すると思いますか。私どもの知っている仲間の教師からの
報告によると、化学実験の場合には最低二十分かかるそうですよ、薬品を扱うから。子供にやらしてもしものことがあっちゃまた処分を受けるから自分でやらなきゃいけないでしょう。理科室が豊富にあればいいけれども、次のクラスが来て待っている。そうすると、早目に授業をやめて
あと始末をして渡さなきゃいけない。そういう状態のときには理科の授業は平均して二十分ないし二十五分です、実際に行なわれておるのは。文部省は帳面づらでやっているから四十五分授業したと思っておる。今度の定数法
改正でそこのところ補いがつくと思いますか。つかないですよ。そういう問題が
一つある。それからいま小
学校の授業時数から計算をしてタイムテーブルを
——どこかの
学校のタイムテーブルを次官
あとで見てください。授業を済んでクラブ活動をやったら、どの時間に一体小
学校の
先生が教材研究をする時間があると思いますか。どの時間に生徒の作品なんかを見たり、あるいは生徒の何かをこう聞いてみたり、そういう時間をどこに求めさせようとしているのか。
次官は、教育は人間であるということをおっしゃった。いいことをおっしゃったと思うんです。
ほんとうの教育は、授業がうまくいった、うまくいかないじゃなしに、たとえば休みの時間に生徒と
先生が子供なりに遊ぶ、そういう時間の中から
ほんとうの教育の下地ができてくる。いまの
学校はそれを全部取り返しているでしょう。真剣にこういう問題には取り組んでいかなきゃ
——。前の〇・何ぼかけるとかなんとかという数字でそろばんを置いて皆さんは教育行政だと思っている。教育はそろばんじゃないんですよ。もっと大事なことがある。このもっと大事なところに
先生たちを送り込まないと
——。だから、あんな定数でと私は言うんです。私はこれは何べんも言っているんですが、いわば重量制限の橋なんですね、
学校は。設備からいっても
教員定数からいっても重量が制限されている橋だ。しかし、教育課程のほうは満載した荷物ですよ。それを皆さんのほうは通せと、こう言っている。重量オーバーはかまわないと言っている。普通の土木の場合だったらその橋は落ちるからだめだけれども、教育の場合に落っこちるところが気がつかない。だから、現在の教育を皆さんが
ほんとうに救う気なら日教組の悪口を言っている時代じゃもうないですよ。そうじゃなくて、そういう
条件を整えてやることにもっと本腰を入れなければいけないということだ、私はそう思うんですよ。
それからもう
一つは、まあたくさんありますけれども、こんなことをくどくど申し上げたら夜中になるから言いません。まだまだありますけれども、もう
一つ。教育実習に行った学生がもう
教員になるのをやめたと言ってくる最も大きい
理由はいまのようなことです。あれじゃとてもおれは
教員つとまらぬ。大学の
付属でやってみたのとは事が違うということが
一つ。その次は、やっぱり校長さんと教頭さんの
給与ですね。皆さんは管理管理と、こう言っていらっしゃる。ところが、管理ということを皆さんが指導し過ぎるものだから、校長はもう教諭でなくなっているでしょう。そこに基本的に問題がありますよ。私は昔がよかったとは言いませんけれども、昔は校長は訓導兼校長という辞令をもらったものです。校長は兼務職だ、本職は訓導でしたよ。だから、役所との
関係でいえば、県庁から県視学が来ますが、そのときには校長は
教員の側に立って
教員の
資格で視学と応対したんです。いまの校長はどうです。皆さんの指導がよ過ぎるために、管理主事が来ると、校長は管理主事の前に
教員のほうを向いている。これじゃ
学校というところは魅力のあるところにならぬでしょう。日教組が悪いからと言いたいだろうけれども、そんなけちなことを言っている時代じゃないと思うんです。もう一ぺん教諭兼校長になぜできないか。
学校というところは教育責任を持つところなんです。そういう教諭にもう一ぺん校長がなって、そこで教師の中の中心になり、リーダーにならなければいけない。ところが、文部省の校長講習なんかのあれを見ても、なるほどと思うような教育の生き生きとする講習はほとんどない。
学校教育法何条によって職場を離れるときにはどういう扱いをする、どういう書式の手続の書類をとるかとか、そんなことばかりやっているんです。だから、校長というのは教育的には魅力のない存在になってしまっている。これじゃ教師が校長を中心にして教育をやろうという
気持ちにならぬ。こういう面は私は
ほんとうに再
検討してもらいたい。
それからもう
一つの面は
人事管理です。
人事異動です。これはもうやむを得ない事情がありますから、私はだれもが満足するような
人事異動をやれなどということは言いませんよ。しかし、あまりにも機械的に
人事異動が多過ぎるために最近
教員のその
学校にいる年数というのはきわめて短くなっている。校長さんなんか二年か三年でもうぼんぼん動いているでしょう。やっぱり
学校長が自発的に、主体的に、
ほんとうにそこの教育に根をはやそうとするには二年や三年じゃ本物にならぬですよ。ところが、機械的にその校を何年とかやって動かしている。
教員も動かしておる。そして私の県と言えば岩手県ですけれども、過疎地域があるものですから、これは非常にむずかしい
条件にあるけれども、二〇%以上の
教員が夫婦別居させられているんです。まあこれもしかたない事情があるから一ぺんになくせとは言わないけれども、そういう場合にはもっと思いやりのある
人事異動という
やり方があるはずだ。そういうことによって、教師になってよかったという、行政と教育というものが一体になれるその道を皆さんが
検討していかないと
人材確保にはつながらないと思うのですね。
私は、そういう問題はひとつ意見としてきょうは申し上げて、
あとで御異論があれば御反論もちょうだいしたいと思いますが、これは私は真剣な問題だと思うのですね。管理職がどうしたとか、
教員が職場で職場会議を開いたとか、そんな議論をしているところに教育を破壊する問題がある。そういう
立場で、そういう中で教師の
ほんとうの自主的な研究活動というものを保証していかなければいけないと思うのです。私はそういう職場をつくるためにはもちろん行政だけでやれるとは思いません。教師に
納得のできるような行政があるときにそれが出てくると思います。そういう
意味で、この
法律で教師の
待遇をよくするという
考え方については私はよくわかります。わかるが、さっき
岩間委員も指摘したように、月給を上げたから今度はというようなことであっては、しかもさっき言った養護教諭なりあるいは
事務職員なり、みずから
法律に書いたことをこれを三十年近くもほっておく、こんなようなことで他との
関係でなどと言っているんじゃもう文部省に情熱がないんです。そうしたものを排除してもやっていくという情熱がほとばしるときに
先生たちも情熱ある教育が出てくると思うのです。そういう行政に積極的にひとつ切りかえていただきたい。
要望申し上げて質問を終わります。
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