○正
森委員 だからこそ忌避、回避の制度もないわけですね。ところが、アンケートによりますと、参与
判事補が
事件に真剣に取り組めば、つまり研修の効果か何か知りませんけれ
ども、一生懸命やろうとすれば、判事の心証に影響を及ぼすと答えた者が七八%。そうなると、
裁判官にあらざる者が——当該
事件にとってはですよ、当該
事件にとっては
裁判官であらざる者が、
裁判所でない者が一生懸命やれば、七八%、心証を構成するということになれば、これは
裁判の独立が侵されていることになるし、そうでなしに全くのもう事務だけだということになれば、これは参与の意味がないというか、下請けの勉強だけだということになってしまうわけですね。こういうアンケートがあるとすれば、やはり
裁判官の中に、これほど一生懇命やって心証に影響しておる、
裁判書の下書きまでした者も相当数おるわけですからね。そのとおりになっておる者もおるわけですから……。やっておるのに、
裁判官としては認められないで、法廷で法服を着ずにせびろを着て、ちょこんとおる。屈辱にたえないのですね、これは。こう言うておるのです。名前を言わずに、一人だけ読みますよ、あなたのところに資料がないなら。これは貴重な機会だから、よく聞いておいていただきたい、
法務大臣も聞いていただきたいのですが、未特例
判事補の悩みとして、「
裁判官である以上、死んでもやりたくない。理由はこの制度が違憲であり、良心に反し、独立を侵し、未特例の地位を低下させ、
国民の納得しないものであるから。しかし指定されても」というのは、参与
判事補にというのですね。「その意思を貫き通すことに大きな不安を感じる。まず
裁判長との折り合いが悪くなるし、最高からどのような不利益を受けるかもしれない」、まあ
矢口さんあたりににらまれるという意味でしょうな。「この不安を乗り切る力となるのは勇気、それに未特例の団結、
裁判所外の人の支援しかない。参与制度は、われわれ未特例にとって踏絵であるだけでなく、
裁判長にとっても同じである。参与するかどうかで最高に対する忠誠心を示すのである。」、こういう意味のことを言うているわけですね。ほかにもいろいろ言うておられますが、そういうような点を見ますと、こういうような制度をやはり四十七年からおやりになる。全国で実施されるのは、これはまだもうちょっとあとでしょうが、八つくらいなさいましたね。そういうのが、やはり若い
判事補に、
最高裁に対してもう少し残ろうという魅力がなくなってくるという
一つではないかというように若い人たちは言っているのです。そういう点もお
考えにならないと、この
裁判官不足のときに、せっかく少しでもいい人をといって人事局が一生懸命さがした。その人が途中でやめていくということになると思うのですね。
お答えを聞く前にもう
一つだけ例をあげましょうか。修習生というのに魅力がなければ、これは第一、なかなか
裁判官になってくれないし、なっても長続きはしないと思うのですが、修習生というものの、これまたいろいろの資料を見ますと、非常におもしろいことが書いてあるのですね。いまちょうど二回試験がこれからそろそろ始まろうというときですね。二回試験はすこぶる評判が悪いのですね。私らもそれを受けましたけれ
ども、大体七時間半ないし八時間かん詰めになるのでしょう。トイレへ行くときもトイレに監視がついておるということで、二百ページぐらいの記録を読んで一生懸命やる。こう言うておるのですね。「昼食も、あてがい弁当で、その間席を立つことは許されず、トイレも監視づきという実態の中で、自由で周到な起案が可能かどうかという原則的問題が検討されなければならない。修習生は、これは体力試験であると受け取り、その準備のために寮内でニンニクを焼いて備える者」がある、こう書いておるのですね。その前に即日起案、即日起案ということをやっておる。だからこういうような態度、それについても
考える必要があるのではないですか。
また。修習生の間では憲法の講座がないのですね。憲法問題について、せめて——これは私の意見ですけれ
ども、有名な憲法問題が例になった、たとえば三菱樹脂とか長沼とか、そういうものを思想、信条によって変えてはいけませんから、座席の何番から何番までの者は
裁判官、何番から何番までは弁護士、何番から何番までは検察官、こういう三つの立場でディスカッスをしろというようなことを教官側は授業の中へ取り入れておるとか、あるいはアドバイスするということになれば、これはもっと生き生きするでしょうが、そういうものもない。あるいは、無味乾燥な記録について起案、起案と、特に後期がひどい、こう言うておるのですね。そういう点についても、もう少し改善なさる気持ちはないですか。