○安里
委員 大体わかりました。
ところで問題は、
局長は盛んに新たに設立した新大学である、新しく設立されたということに重点を置かれてのおことばでございました。法令上、
扱い上確かにそのとおりであると思います。形式的には確かにそのとおりの、法令に従って新しく認可になっておりますが、しかし実質的には、この大学はずっと続いてきておったものなんです。法令に忠実なということはけっこうでございましょうが、生きた
教育をする場において——確かに形式的には今度新しく認可した、新しく認可してこれからスタートする大学だ、理屈を言えばそうでしょう。けれ
ども、実質的にはずっと復帰前から続いている大学であります。そうして昨年の入学も、いま認可された大学と同じような
内容を持つところの立場において
教育をされてきております。形式論としてはおっしゃるとおりです。けれ
ども、実質的には同じ大学なんです。だから学ぶ者
たちにとりましては、引き続いてこの大学に学んでおるという頭に変わりはございませんし、また、当時の
学校の
理事者がどのように言ったか、あるいは法令に違反しながらあえて募集したという、いわば許されない行為をしたかもしれません。けれ
ども、大学はやはり学ぶところの学生が中心なんです。その人々が
学校当局を信用し、そして試験を受け、合格して一年学んだ。それは学生にとりましては
教育の場における
一つの信頼
関係、あるいは信頼というよりは
一つの大きな期待と申しますか、その期待ということも信頼の上に立った期待だと思います。それを持って学んだ学生であります。それが
文部省の認可がおくれた。ことしからしか新しく認可されてないからして、これまでのやつは聴講生で、新しい
学校の学生と見るわけにはいかない。これはあまりにしゃくし定木じゃなかろうか。私が
教育の場において、いま教える者も学ぶ者も愛情がなくなっておる、ほんとうに配慮がない、冷たくなり過ぎておると思う点がそこにあるわけでございまするが、必要なのは形式的な認可された
学校になったか、されなかった
学校になったかにあるかもしれませんけれ
ども、学ぶ者にとりましては、大学の所定の単位をとるかどうかということに問題があると私は思います。いまの
局長の御答弁では、すべて問題は、
沖繩大学の
理事者が、これはもう聴講生でよろしいんだ、新しい大学とは
関係ありません、編入させるものではございません、こう言われたからということで現地の大学の当局に
責任を負わしておるようでございますけれ
ども、これは理屈の上において、法令の上においてそうかもしらぬけれ
ども、形式よりも実質をとうとぶ立場においてこれを救済する道というのが考えられぬものか。また配慮してやるのが文教当局としての立場でないだろうか。そう言ってもこの学生はどうするんだというむしろ積極的な配慮というものが当局にあってしかるべきじゃなかろうか。大学当局がそう言ってきたからというだけで済まされる問題ではないと私は思うのです。一年間むだではないでしょうけれ
ども、少なくとも父兄にとりましても本人
たちにとりましても、一年のおくれというものはたいへんなんであります。負担もたいへんなものであります。それを一片の法令に反して形式的に備わってなかったということではねのけるということは、普通の事業ならとにかくといたしまして、
教育の現場においてたとえどういうあやまちが、やりそこないが当時の
学校当局にあろうと、私はこの際何とかこれを救ってやるところの道というものを積極的に指導助言してもらえるところのあたたかみがあっていいのじゃないか、それが
教育者の立場じゃなかろうか、このように思うわけでございますけれ
ども、
大臣、ひとつお考えを承りたいと思います。