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1974-02-15 第72回国会 衆議院 文教委員会 第6号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十九年二月十五日(金曜日)     午前十時五十分開議  出席委員    委員長 稻葉  修君    理事 坂田 道太君 理事 塩崎  潤君    理事 西岡 武夫君 理事 松永  光君    理事 森  喜朗君 理事 木島喜兵衞君    理事 小林 信一君 理事 山原健二郎君       有田 喜一君    上田 茂行君       久野 忠治君    河野 洋平君       高見 三郎君    床次 徳二君       楢橋  進君    羽生田 進君       林  大幹君    深谷 隆司君       三塚  博君    山崎  拓君       長谷川正三君    山口 鶴男君       栗田  翠君    有島 重武君       高橋  繁君    安里積千代君  出席国務大臣         文 部 大 臣 奥野 誠亮君  出席政府委員         文部政務次官  藤波 孝生君         文部大臣官房長 井内慶次郎君         文部大臣官房審         議官      奥田 真丈君         文部省初等中等         教育局長    岩間英太郎君         文部省大学学術         局長      木田  宏君         文部省社会教育         局長      今村 武俊君         文部省管理局長 安嶋  彌君         日本ユネスコ国         内委員会事務総         長       西田亀久夫君         文化庁次長   清水 成之君  委員外出席者         警察庁警備局公         安第三課長   柴田 善憲君         厚生省児童家庭         局障害福祉課長 北郷 勲夫君         文教委員会調査         室長      石田 幸男君     ――――――――――――― 委員の異動 二月十四日  辞任         補欠選任   安里積千代君     池田 禎治君 同日  辞任         補欠選任   池田 禎治君     安里積千代君     ――――――――――――― 二月十四日  東京大学医学部付属病院精神神経科小児部の診  療制度確立に関する請願有島重武君紹介)  (第一八八六号)  公立大学、短期大学の教育研究条件改善に関す  る請願有島重武君紹介)(第一八八七号)  私立小・中・高等学校振興法制定に関する請願  外二件(有島重武君紹介)(第一八八八号)  同(石橋政嗣君紹介)(第一八八九号)  同外三件(受田新吉紹介)(第一八九〇号)  同外一件(江田三郎紹介)(第一八九一号)  同(越智伊平紹介)(第一八九二号)  同(大野潔紹介)(第一八九三号)  同外一件(大柴滋夫紹介)(第一八九四号)  同(大石武一紹介)(第一八九五号)  同外二件(北山愛郎紹介)(第一八九六号)  同外一件(栗原祐幸紹介)(第一八九七号)  同(河本敏夫紹介)(第一八九八号)  同外一件(佐々木更三君紹介)(第一八九九  号)  同(柴田健治紹介)(第一九〇〇号)  同(小山長規紹介)(第一九〇一号)  同(竹村幸雄紹介)(第一九〇二号)  同(渡海元三郎紹介)(第一九〇三号)  同(長谷川峻紹介)(第一九〇四号)  同外一件(福田赳夫紹介)(第一九〇五号)  同(八木昇紹介)(第一九〇六号)  同外一件(山崎始男紹介)(第一九〇七号)  同外四件(山中吾郎紹介)(第一九〇八号)  同(横山利秋紹介)(第一九〇九号)  同外三件(阿部未喜男君紹介)(第一九五八  号)  同(青柳盛雄紹介)(第一九五九号)  同(新井彬之君紹介)(第一九六〇号)  同外四件(有島重武君紹介)(第一九六一号)  同外六件(大石千八紹介)(第一九六二号)  同外五件(唐沢俊二郎紹介)(第一九六三  号)  同(佐々木良作紹介)(第一九六四号)  同外二件(田中榮一紹介)(第一九六五号)  同外十七件(灘尾弘吉紹介)(第一九六六  号)  同(橋本登美三郎紹介)(第一九六七号)  同(東中光雄紹介)(第一九六八号)  同外四件(廣瀬正雄紹介)(第一九六九号)  同(吉永治市君紹介)(第一九七〇号)  同外二件(有島重武君紹介)(第二〇二七号)  同外五件(大久保直彦紹介)(第二〇二八  号)  同外四十二件(椎名悦三郎紹介)(第二〇二  九号)  同外二件(田中榮一紹介)(第二〇三〇号)  同(中曽根康弘紹介)(第二〇三一号)  同(西岡武夫紹介)(第二〇三二号)  同外一件(福田赳夫君外一名紹介)(第二〇三  三号)  同(三塚博紹介)(第二〇三四号)  同(森喜朗紹介)(第二〇三五号)  同外七件(山田久就君紹介)(第二〇三六号)  同(早稻田柳右エ門紹介)(第二〇三七号)  同(松野頼三君紹介)(第二〇三八号)  私学に対する公費助成増額等に関する請願外一  件(有島重武君紹介)(第一九七一号)  同(栗田翠紹介)(第一九七二号)  同(栗田翠紹介)(第二〇三九号)  同(松本忠助紹介)(第二〇四〇号) は本委員会に付託された。     ――――――――――――― 二月十三日  国立宇都宮大学に人文・社会科学系学部等の設  置に関する陳情書  (第一二四号)  国立能楽堂設立に関する陳情書  (第一二五号)  芸術教育振興法制定に関する陳情書  (第一二六号)  公立小中学校寄宿舎制度確立等に関する陳情  書(第一二七号)  特殊教育教員養成及び確保に関する陳情書  (第一二八号)  高槻市の義務教育施設整備費国庫負担金繰り延  べ措置撤回等に関する陳情書  (第一二九号)  公立義務教育学校学級編制基準改正等に  関する陳情書(第  一三〇号)  養護教諭事務職員全校配置等に関する陳情  書  (第一三一号)  徳島県の義務教育標準定数改善等に関する陳情  書  (第一三二号)  教頭職法制化に関する陳情書  (第一三三号) は本委員会に参考送付された。     ―――――――――――――本日の会議に付した案件  文教行政基本施策に関する件      ――――◇―――――
  2. 稻葉修

    ○稻葉委員長 これより会議を開きます。  文教行政基本施策に関する件について調査を進めます。  質疑の申し出がありますので、これを許します。栗田翠君。
  3. 栗田翠

    栗田委員 おとといに引き続いて質問させていただきます。  障害児問題のことについての引き続きの質問ですが、最初に、先日伺いました養護学校建設数字がどうも私、ふに落ちませんので、その点だけあらためて伺わせていただきたいと思います。  先日のお話ですと、安嶋局長がおっしゃいましたのは、昭和四十七年に十七校建っている、四十八年に三十二校建っているというお返事でございました。ところで、私の持っています資料で、これは文部省初等中等教育局が出しました「特殊教育資料」、昭和四十七年度の資料の一六ページを見ますと、養護学校、国公私立全部を含めたものの数が本校で二百二十九校、分校で五十七校、四十七年度にあるということになっております。そして、やはり文部省が出されました四十八年四月一日現在の「養護学校現状」という資料があります。ここで精薄、肢体不自由、病弱の養護学校を合計しますと、三百十八校になっているんです。十七校建ったよりははるかにたくさん学校があります。分校本校合計しましても、十七校ではこの三百十八校にならないんですね。一体この差は何なのだろうかということがわかりません。  それから、まだあります。今度は管理局助成課に、四十八年度五月一日現在でどのくらいの学校が建っているのかということを私、質問の前に調査いたしました。お返事をいただいたのですが、学校基本調査の結果では、四十八年五月一日には、二百三十校、分校が五十四校建っている。これは沖繩を含んだ数であるというお話でした。ところが、これで計算しますと、四十七年度に本校は一校しか建っていない。分校はむしろ逆に三校減っていることになるんです。一体こういう数の違いはどこから出ているのだろうかということで、私もちょっとわかりません。  それからもう一つは、未設置校について先日お返事をいただきましたけれども、やはり同じこの「養護学校現状」、四十八年四月一日現在、文部省からいただいた資料によりますと、精神薄弱施設の未設置県は四県、それから病弱養護学校の未設置県は十五府県になっているのですが、先日のお答えでは、精薄養護学校の未設置県が十二県、病弱は十九県とおっしゃって、これも数が違っているんですね。私としましては、ほんとうにこれが義務化されるのに間に合うように建つのかどうか、一体収容人員どのくらいになるのだろうかと真剣に考えていますので、かなりいろいろな資料を検討していたのですが、全部文部省から出された数が違っておりまして、お答えもまた全部違っているものですから、どういうことなのか、ちょっと最初にそのことを伺いたいと思います。
  4. 安嶋彌

    ○安嶋政府委員 私どもは、公立文教施設整備費の執行といたしまして養護学校に対する補助をいたしておるわけでございますが、先般申し上げました数字は、補助金対象として取り上げた学校の数でございまして、四十七年度十七校、四十八年度三十二校ということは間違いはございません。ただ、先生おっしゃいましたその数字は、この補助対象校だけではなくて、全体の数の増減ということでおっしゃっておるわけでございますが、補助対象校以外にもいろいろ増減要素があろうかと思いますが、それはまとめて初中局のほうで把握をしているというふうなことでございますので、初中局長からお答えをいただきたいと思います。
  5. 岩間英太郎

    岩間政府委員 ただいま安嶋局長からお話し申し上げましたように、国として責任をもって補助をしていくような学校と、それから実際にたとえば児童福祉施設あるいは分校等独立校にいたしますとか、児童福祉施設施設を借りましてそこで学校開設するとか、そういうふうな国庫補助対象にならないような学校との間の数字が狂ってまいりまして、そこで御疑問のような点が出ていると思いますけれども学校数字につきましては、指定統計数字を御信用いただきましてけっこうではないかと思います。  精神薄弱養護学校につきましては、指定統計では、四十八年の五月一日でございますか、百五十五校、それから肢体不自由児養護学校が百十校、それから病弱・虚弱の養護学校が五十三校と、そういうふうにあがっているわけでございまして、実際の数はこちらのほうでおとりをいただいてけっこうだろうと思います。  それから未設置県の問題でございますが、ただいま四県と十五府県というふうな数字をおあげになりましたけれども、これは四十九年度に開設する見込み等も含めましての数字じゃないかと思いますが、私どもが先ほどお答えいたしましたのは、四十八年の五月一日現在ということで御報告を申し上げましたわけでございまして、その間に四十九年度の分はまだ終わっておりませんので、推計ということでお手元に数字があるのではないかというふうに考えております。
  6. 栗田翠

    栗田委員 それでは、学校基本調査のほうの数字なんですが、管理局助成課お答えいただきました四十八年五月一日の二百三十校、分校が五十四校という、これはどういうことでしょうか。
  7. 安嶋彌

    ○安嶋政府委員 先ほど申し上げました答弁を若干補足して申し上げたいと思いますが、四十七年度補助対象にした学校は十七校、四十八年度補助対象にした学校は三十二校でございますが、これは設置年度といたしましてはそれぞれ区分があるわけでございまして、四十七年度補助の十七校の内容を申しますと、四十七年度開設が二校、四十八年度開設が十二校、四十九年度開設が三校で、計十七校でございます。それから四十八年度三十二校と申しました内訳は、四十八年度開設が七校、四十九年度開設が二十三校、五十年度開設が二校ということでございます。でございますから、補助年度現実にそれだけの学校開設されておるというわけではございません。つまり、前向きの整備をいたしておるわけでございます。ですから、指定統計数字は、これは学校開設されたという時点で数字が出てくるわけでございますが、私ども助成課関係数字は、これは補助年度数字でございますから、それが直ちに開校された学校数数字とは結びつかないということで御理解をいただきたいと思います。
  8. 栗田翠

    栗田委員 わかりました。そうしますと、やはり三年ぐらいはかかっていて、その年に補助金がついても、建設されて、実際に子供が入れるまでには三年ぐらいかかる場合があるということですね。そうなりますと、やはりきのう問題にしましたように、特に五十四年に近いころになって四十校、四十校というふうに、かなりたくさんの数を毎年建てる計画になっていますが、ますますこれが問題になってきます。結局五十四年に間に合わない、補助金はついても、五十四年には実際に学校が建っていないという問題にもつながってくると思いますので、この辺をもっと計画を早めていただく必要がどうしてもあるのじゃないかと私思います。  それから、時間がありませんので、もう少し詳しい資料としてあとで出していただきたいと思いますが、できる学校の実際の定員がどのくらいふえるか、いま入っている子供とかその数でなくて、どれだけ収容能力がふえるのかということや、それから学級増についても、新設の場合、増設の場合に分けて、どれだけの学級がふえたかといったような資料をぜひあとでいただきたいと思いますが、お願いいたします。
  9. 安嶋彌

    ○安嶋政府委員 ただいま、一校つくるのに数年がかりであるから、したがって、五十四年四月一日の義務制施行については相当前から用意をしなければならぬじゃないかというお話がございましたが、一つ学校を数年にわたって建てます場合は、これは主として予算上の理由によるわけでございまして、予算措置が行なわれれば、普通の標準的な工期といたしましては、八カ月から十カ月で学校は建ち上がるわけでございます。そういった工事の実際上の施工の段取りからして二年、三年かかっているわけではございません。予算措置関係でございます。ですから、ただいま申し上げましたように、八カ月ないし十カ月で工事は終わるわけでございますから、先般申し上げましたような計画予算がついてまいりますれば、五十四年の義務制施行には間に合う、こういうことでございます。
  10. 栗田翠

    栗田委員 それでは、間に合うように必ず予算をつけていただくという御返事だと思います。  では、次の質問に移ります。  最初に、就学猶予免除について伺いたいのですが、この猶予免除制度というものはどういうものでしょうか、御説明ください。
  11. 岩間英太郎

    岩間政府委員 これは言うまでもなく、憲法就学義務の規定がございまして、それを具体的に学校教育法ないしは学校教育法施行令で定めておるところでございます。義務教育につきましては、保護者がその保護する子女小学校中学校等就学させる義務を負っているわけでございます。そういうふうな考え方から申しますと、その保護する子女に事故がございまして、学校現実問題としてやれない、そういうものにつきまして、これは法律上そういう義務免除する、あるいは猶予するという制度でございまして、保護者義務を課したということから当然出てくることでございます。これはしかし、決して子供のいわゆる教育を受ける権利というものを阻害しようというふうなものではございませんから、これは保護者義務を課す限りは当然の結果としてこういう制度が出てくるということでございます。
  12. 栗田翠

    栗田委員 特に免除制度といいますのは、九年間の義務教育に対して就学困難な者に対してだけ出されるということですね。
  13. 岩間英太郎

    岩間政府委員 そのとおりでございます。
  14. 栗田翠

    栗田委員 それでは伺いますが、文部省昭和四十七年に「就学猶予免除児童実態調査のまとめ」というのをお出しになりました。この中で、実態調査をしまして、猶予免除児童措置をされましたが、その措置状況について説明してください。
  15. 岩間英太郎

    岩間政府委員 四十七年度に私どもが行ないました調査は、これはサンプル調査でございまして、実際に就学猶予免除を受けているお子さんのうちで、一定の比率によりまして、対象といたします子供につきましていろいろ調査をしたということでございます。  その調査内容は、どういう理由就学猶予免除になっているかというふうな点、それからそういうお子さん方がたとえばどういうふうな判別の手続を経てそういうふうな猶予免除になっているかというような点、あるいは実際に就学猶予免除を受けましたお子さん方の中で、また特にその中から一定児童、生徒を選びまして、そのお子さん方の言語でございますとか、着物が着られるかどうか、排便ができるかどうか、食事が自分でできるかどうか、睡眠がどうであるか、入浴が自分でできるかどうか、それから移動が自分でできるかどうかというふうな具体的な内容につきまして、こまかい調査をいたしております。
  16. 栗田翠

    栗田委員 この中で、六歳児で免除を受けていたお子さんが十七名就学しております。それから七歳児で四十四名、全体の四・六%になりますが、就学しておりますね。
  17. 岩間英太郎

    岩間政府委員 猶予免除児童措置状況としまして、六歳で免除を受けた者が十七名、それから七歳児で免除を受けました者が四十四名就学している、そういう事実は明らかになっております。
  18. 栗田翠

    栗田委員 そこで私問題にしたいのですが、さっきもお答えがありましたように、免除制度というのは、九年間の義務教育就学が困難である子供に対して適用されるものだというお答えだったのです。ところが、文部省調査しましたら、この調査はたしか九月だと思いますけれども、六歳児ですと、小学校へ上がるのが四月、それから半年足らずのうちに、免除措置をされていたお子さんが十七名、全体の二・三%も——これは調査対象の二・三%縫いますが、免除を取り消して就学しているわけです。七歳児の場合も、一年半足らずのうちに、九年間の就学は無理だといわれて免除措置になっていた人が四十四人も就学しています。これは一体どういうことなんでしょうか。
  19. 岩間英太郎

    岩間政府委員 先回もお答え申し上げましたけれども就学猶予免除を受けている者が一万九千名ばかりおるということでございまして、その原因は、一つには、根本的にもう教育対象にならないというふうな方もおられると思いますが、大部分の方が、養護学校が足りないというために事実上就学機会がないというふうなことであろうということで、私ども養護学校義務制を急いでやるということにしたわけでございます。これは先般の予算委員会小笠原先生に対しましても大臣あるいは私からお答え申し上げたとおりでございまして、そういう意味養護学校設置を急いでいるわけでございます。  ただいま申し上げました数字の中で、どうして免除を受けた者が就学するようになったかということにつきましては、その理由までは調査をいたしておらないので、これは推測になるわけでございますけれども、新しくそういうような就学機会ができてきたというのは一つその中の理由としてはあるのじゃないかというふうに考えているわけでございます。
  20. 栗田翠

    栗田委員 私が特にいま問題にしていますのは免除ということなんですね。このお子さんたちは、猶予でなくて免除だったのです。結局、一度免除という制度が適用されれば、普通だったら九年間もう二度と就学機会が与えられないというその免除制度を適用されていたのですね。いまのお返事ですと、施設が足りないから猶予免除になっている場合もあるということなんですが、そうしますと、施設が足りないと子供免除にまでするという扱い文部省はいままで許してこられたのでしょうか。
  21. 岩間英太郎

    岩間政府委員 現実問題としましてはそれが一番大きな理由だと思います。ほかにも医学の進歩その他あると思いますけれども、一番大きな理由は、現実問題としてまだ教育をする能力というものが国とか都道府県になかったということでございます。ただ、先生いま子供たち子供たちとおっしゃいますが、その免除をしているのは、保護者に対して親の義務免除しているということでございますから、これは考え方がちょっと違うわけでございます。親御さんの義務免除する、そういう制度でございますので、これは憲法就学義務義務教育というところから当然出てくる制度でございますから、これはこれとして御判断をいただきたいというふうに考えるわけでございます。
  22. 栗田翠

    栗田委員 いまのお答え、たいへん問題だと思います。親御さんたち義務免除することによって子供教育を受ける権利を奪われるわけなんです。私は免除制度ということをいま言っております。とにかく一回免除になれば九年間二度と教育機会が与えられない、そういう制度ですから、よほど慎重に扱わなければならないわけです。いまも局長からもお話が出ておりましたけれども、おととしの小笠原議員の参議院での質問に対しまして当時の高見文部大臣が言っていらっしゃいます。この免除制度というものはそのままにしておくけれども、「いますぐ制度上の問題を云々するよりは、私は、扱いとして、猶予はいたしましても、免除という扱いは特別の申請がない限りは扱わない。こういうような姿勢で臨みたい」というふうに文部大臣が当時言っておられるわけです。それが四十七年の四月です。この調査が九月。そういうことを大臣が言われて五カ月たつかたたないかのときにした調査の中で、現実就学できる子供が、猶予じゃないんです、免除になっている。しかもいま局長は、施設がないからそうなる場合もあるというふうにおっしゃいましたけれども就学できる子供教育を受ける権利を安易に免除などという制度で奪うということについてどうお考えになりますか。
  23. 岩間英太郎

    岩間政府委員 それは先生制度としての考え方をちょっと混同されていると申しますか、子供教育、これはもう可能な限り私ども責任を持ってやらなければならないことでございます。ただ、制度として親御さんの義務というものを免除するかどうか。これは義務に違反いたしますと罰金の刑までつくわけでございます。そういう意味制度でございますから、考え方としまして、就学義務を課する、課した場合に、その就学義務が実際に履行できなければ親御さんの義務免除するということでございます。ですから、子供さん方の教育をできる限り広げて、私どもがそういう機会をできる限り保障するということとは何ら矛盾をしない。考え方が違うわけでございますから、義務を課するという考え方をとれば当然免除というふうな考え方が出てくるというだけのことでございます。
  24. 栗田翠

    栗田委員 私は全く納得できません。親御さんの義務免除すれば、それでもうその子供就学権利は保障されるということにはならないのです。結局保護者就学させなければ、子供自分就学したいとかするとかいう手続をすることすらできない。結局権利を奪われることになるじゃありませんか。しかも、親御さんの義務免除するという言い方をなさいますけれども、それでは親御さんは、免除されるということを自分で望んでしているわけですか。
  25. 岩間英太郎

    岩間政府委員 私は法律のたてまえを申し上げたわけでございまして、親御さんの義務免除する、これは考え方としては、当然義務を課するわけですから、免除をするという場合があるということはこれは当然のことでございます。ただ、現実問題としまして、先ほどから申し上げておりますように、国や地方公共団体のそれを受け入れる能力というものが限られておった、そのために、親御さんとしてはぜひ教育をしていただきたいというふうなそういうお気持ちがあるということ、これは別に否定するわけじゃございません。その場合に、国や地方公共団体のほうでそれを受け入れるだけの能力がなくて、親御さんから見ればある意味で強制的に免除猶予にされたというふうなことがあった、あるいはそういうお気持ちを持っておられるということも別に否定するわけではございません。そのために、この前の高見文部大臣のときにもお答えいたしましたように、すべてのお子さん教育機会に恵まれるように私どもも努力をしていきたい。それから奥野文部大臣のときに、五年後にいろいろな困難はあるだろうけれども義務教育まで踏み切るというふうな措置を講じたわけでございます。いままでの国や地方公共団体の努力が足りなかったという点につきましては、これは御指摘のとおりでございますけれども、私どもがこの百年間やっと義務教育までこぎつけたという、私どもだけの力ではもちろんございませんけれども関係者の努力、それからそれに対する態度というものにつきましては十分御理解いただきたいと思うわけでございます。
  26. 栗田翠

    栗田委員 施設がなければ子供教育義務免除してよいのかどうか、大臣に伺いたいと思いますが、この猶予免除制度といいますのは、その猶予の場合には、またその次の年に学校へ行けるかどうかということで毎年検査を受ける機会も持っております。ところが免除という制度になりますと、一度受けたらばもう九年間その子供教育を受けるのが無理なのだというたてまえで、もし親御さんが特に積極的にやらなければ、そのまま教育を受ける権利子供自身が奪われる状態になるわけなんです。そういう中にありまして、いま初中局長おっしゃいました、施設がないからしかたがなかった、これは行政として努力は足りなかったという点は認めるけれども、今後努力するからいいじゃないかと、こう言っていらっしゃるのですけれども、こういう形で、免除という形で子供たちがいままで施設がないために就学機会を奪われてきたということについてどうお考えになりますか。
  27. 奥野誠亮

    ○奥野国務大臣 免除猶予扱い方も、義務制をたてまえにしない時代と義務制施行を控えた時代とではおのずから変わってくるのじゃないだろうか、こう考えるわけでございます。今後は義務制になっていくわけでございますので、免除扱いについては慎重を期していくべきだ、こう思っております。しかしながら、制度としての免除、これはやはり残さざるを得ないのじゃないだろうか。現実問題として、どうにもならない病弱の方があるいはいらっしゃるかもしれませんで、それを機会を待つために猶予猶予でつないでいけばいいじゃないかということもあるかもしれませんけれども、実際問題として不可能である場合には免除申請される、それを認めてあげるということはあり得るのじゃないだろうか。しかしいずれにしましても、義務制に踏み切っていっているわけでございますので、免除扱いはいままでよりもさらに一そう慎重を期していかなければならないというふうに私も思います。
  28. 栗田翠

    栗田委員 もう一度大臣に伺いますが、いま私があげている例は、就学困難で免除になっていたのではなくて、施設がないために免除になっていたということですね。現に半年足らずのうちに就学しているわけなんですから、その子供就学できないからだの状態ではなかったのですね。それなのに免除制度を適用されていたわけです。こういうことが現にあって、憲法教育基本法で子供たち教育を受ける権利をひとしく持っていることになっているわけなんです。ところが、免除制度というのはこういう形で使われまして、施設がないからしかたがないじゃないかと就学可能な条件を持った子供免除になっている。しかも猶予じゃないのです。一度受けたら、ひょっとしたら九年間全部義務教育を受ける権利を奪われるという免除制度が適用されていたというこの事実です。これについてどうお考えになりますか。
  29. 奥野誠亮

    ○奥野国務大臣 ただいまも申し上げましたように、五十四年からは義務制施行ということに踏み切ったわけでございますし、それまでの過程におきましても、あとう限り、希望者がある限りは収容できるように最大限の努力を地方団体も払っていかなければならない、またそういう気がまえもできてきておると思います。したがいまして、就学を希望しておられる方について、施設さえ整えばそれを認めることが不可能でない者についてまで免除制度ということは私も適当ではない、かように考えます。
  30. 栗田翠

    栗田委員 このような扱いが方々に出てきております。現に、先ほどあげました文部省調査の中にも、ふに落ちないのがずいぶんたくさんあるのです。調査がじゃないです。どうしてこのお子さん免除になっているのだろうか、どうしてこのお子さん猶予になっているのだろうかと思うような例が続々と出てきております。  たとえば、私、一つあげますと、この「就学猶予免除児童実態調査のまとめ」の中の二五ページ、難聴と言語障害の六歳の子供さんがありますが、免除になっております。ところがこのお子さんの症状はどうかというと、言語がどうにか会話ができるという程度です。あと着脱、入浴、食事、睡眠、排便、移動、全部普通の子供と変わらないのです。それなのにこのお子さん免除の適用がされていたわけですね。こういうのはたいへん不都合ではないでしょうか。どうお思いになりますか。
  31. 岩間英太郎

    岩間政府委員 この調査は、限られた事項で比較的客観的にわかりやすいものにつきまして調査をいたしておるわけでございます。このほかに親御さんの御希望あるいは家庭の事情その他もあるわけでございまして、そういうところまでは調査が行き届いておらないわけでございます。  いずれにしましても、猶予とか免除とかいう措置につきましては、ただいま大臣からも申し上げましたように、いよいよ義務教育にもなるという段階でございますので、これは御父兄の御希望その他を十分考えてやりたいというふうに考えているわけでございます。
  32. 栗田翠

    栗田委員 そのほかにも、たとえば三七ページのまん中にあります虚弱児ですね。六歳児で免除になっているお子さんがありますが、このお子さんなんかも、言語、着脱、排便、食事、睡眠、移動、全部普通なんです。ただ入浴にちょっと手がかかるというだけなんですね。これで子供教育を受ける権利を奪われております。免除になっています。こういう例は枚挙にいとまがありません。猶予になっているお子さんの場合には、いま時間がありませんので全部言いませんけれども、私がざっとあげただけでも、ここにずいぶんたくさんの例がありまして、一体こういう子供さんたちがどうして学校へ行ってないのだろうかと首をかしげるような状況がたくさん出てきております。それじゃこれが全部施設が足りないために入り切れないからそうなっているのだということになりますと、これは実に大きな問題です。いま身体障害児は義務制になってない。身体障害児のうち盲、ろうを抜かして義務制になっていないということではあっても、義務制になっていないから、子供たち就学することが可能なのに、その権利が安易に奪われていく状態であっていいのかどうかという問題があります。その辺について大臣施設が足りないという問題と、実際に子供たち就学できるのにこうして就学権利を奪われている状況について、どうお考えになりますか。
  33. 奥野誠亮

    ○奥野国務大臣 いまおっしゃるようなお気持ち、養護教育に関心を持っておる者みんなが抱いてきたわけでございます。そして早く義務制にしたい義務制にしたいと思いながらなかなか達成できなかった。それを五十四年から義務制に踏み切ったわけでございまして、今度は地方団体がそれまでに施設を整えなければならない義務を国法に基づいて負ったわけでございます。同時にまた国といたしましても、財政的にそれが可能なように努力していかなければならないことになったわけでございます。でありますので、いまおっしゃったことが即義務制施行せよということでございますし、またそれは、五十四年からでございますけれども、もうすでに踏み切った。したがってまた地方団体も、それまでの間には、就学を申し出られた場合には受け入れられるように、たいへんな金もかかるだろう、たいへんな人も養成していかなければならぬけれども、とにかくそれはやらなければならないということになったわけでございます。五十四年からは希望のある限り完全に全員収容できるようにしようということで、いまから努力が始まっているということでございます。それが完全に達成できますようにみんなで力を合わせていかなければならない。たいへんなことだと思います。しかし、たいへんなことでございますけれども、それができるような国力にもなったのじゃないか、こう私たちは考えているわけでございまして、そういう意味義務制に踏み切ったということでございます。これは従来とは完全に違った姿勢になったというふうにぜひ御理解をいただきたい。またそういう姿勢になったのだから、いままでのような安易な免除免除で済ましていくようなことは許されない。地方団体もそういう気持ちで対処していただかなければならないし、いただけるように私たちも指導していきたい、かように思っております。
  34. 栗田翠

    栗田委員 大臣にもう一度伺いますが、免除制度というものをおやめになるおつもりはありませんか、猶予は残すとしても。免除制度というものは二度と子供就学について検討する機会を奪う制度だと私思いますけれども、それをおやめになるお気持ちはありませんか。私はやめるべきだと思いますが、どうお考えでしょうか。
  35. 奥野誠亮

    ○奥野国務大臣 気持ちの上ではそうしたいのですけれども現実問題としてやはりあるのじゃないでしょうか。できる限り、希望のある限りは全部教育を受けさせたいと思います。受けさせたいと思いますけれども、それが不可能、保護者もまたとてもそんなことはできない、免除してほしい、こう言われることの場合が、私は現実問題としてあるのじゃないか。好ましいとは思いませんけれども現実問題としてある以上は、猶予猶予でつないでいくことも一つかもしれませんけれども、どうにもならないという場合にはやはり免除制度、そのかわり回復して可能になった場合には当然それは取り消されなければならない、こう思います。実際問題としてあり得ない、なくて済ませるのなら私もそれがいいと思いますけれども、まあ不可能じゃないだろうか、こんな気持ちでおるわけでございます。
  36. 栗田翠

    栗田委員 ここに文部省初等中等教育局で編集しています「特殊教育」という雑誌がございます。ここに久里浜の特殊教育総合研究所の所長をしておられます辻村先生が論説を書いていらっしゃるのです。この中を見ますと、こういうことが出ております。イギリス文部省特殊教育主任官ラムスデン氏にお会いになったときに、こういう話を聞いた。イギリスでは「私が努力してきたのは、待機名簿に登録しなければならない児童をひとりでもなくすというこの一事につきる。この子に特殊教育を受けさせたいと申し出た親に「すみませんいま満員です。学校学級が足りませんから待ってください」と言うのは公の立場としてまことに申し訳ないことで、それを極力回避できるように努力してきたわけであるが、最近やっと満足できる状態になった」と言われた、こういうふうに書かれているのです。待機名簿というふうに書かれているわけですね。結局いま就学猶予を受けている子供に対して、イギリスでは、これは待機しているのである、いずれは就学する機会を一日も早く行政の責任としてもつくっていくけれども、それまで待機してもらっているという立場で扱われているということがここにあらわれているわけです。猶予の場合には、これもまた現在、私、時間がありませんのでたいへん残念ですが、猶予措置をとった場合に、それは子供を待機させて、一日も早く就学させていくのだという立場で扱っている自治体と、まあそうでないと思われるものがありますけれども、毎年毎年もう一度検討し直していく機会というのが与えられていきます。ところが免除の場合にはそれがないわけで、免除制度というのは子供を待機させるという制度じゃありませんね。この点でたいへん問題だと思っているのです。いかがでしょうか。
  37. 奥野誠亮

    ○奥野国務大臣 ちょっと誤解されているのじゃないかと思うのです。義務制になる前は、施設が整わないから受け入れることはできません、しかし待機名簿の中に登録しておきましょう、こんなことは言えるのですけれども義務制施行になりますと、五十四年以降は、待機名簿というようなものは第一あり得ないことなのでございまして、就学を希望される限りは、地方公共団体はこれを受け入れなければならないのであります。義務を負っちゃうのであります。だから義務を負えるように、人も施設も一生懸命これから整えていかなければならない、そういう事態になっているわけでございます。でございますので、保護者が希望する、本人が教育を受けることが可能である、にもかかわらず猶予するとか免除するとかいうことは許されないことでございます。必ずこれは地方団体が受け入れていかなければならない。また受け入れられるように、御心配いただいておりますように、相当な努力をいまからしでいかなければならない。これは大問題でございます。しかし、仕組みが変わるのだということについてぜひ御理解をいただきたいと思います。
  38. 栗田翠

    栗田委員 義務制を実施して、完全に受け入れていくようになさるという大臣お話でございました。  それでは次に、厚生省に伺います。以前、昭和四十七年に小笠原議員質問をしましたときに、時の斎藤厚生大臣が、厚生省が出しております施設での猶予免除の通達、あれは私個人としては撤回したいというふうに答えておられます。ところがあれがその後いまだに撤回されておりませんが、それはどういう事情のためでしょうか、またどんな検討がされているのでしょうか。そこをお答えいただきたいと思います。
  39. 北郷勲夫

    ○北郷説明員 施設関係就学猶予免除の要件としておりますのは二つございまして、一つ精薄児の通園施設でございます。もう一つは、精薄児の収容施設、重度棟の関係でございます。私どもは、先般来ずっとその廃止につきまして検討いたしてまいりました。関係団体と協議いたしてまいりました。  そのうちの通園施設のほうの問題につきましては、大体協議が整いましたので、近く廃止と申しますか、通知の改正を行ないたいと考えております。なお、この問題につきましては、さらに事務的な問題もございますので、文部省と若干の詰めを行ないまして、近いうちに通知の改正が行ない得ると考えております。  それから、一方の重度棟の問題でございますが、これはなお、施設側と申しますか、施設関係の方々ともう少し検討を要する点がございますので、この点につきましても、できるだけ早く結論を出したいと考えております。
  40. 栗田翠

    栗田委員 確認させていただきます。そうしますと、通園施設については通知の改正をなさるということで、これも早急にやられるということでございますね。
  41. 北郷勲夫

    ○北郷説明員 そのとおりでございます。
  42. 栗田翠

    栗田委員 重度棟に関していろいろ問題があるとおっしゃいましたが、具体的にどういうところがいま問題になっているのでしょうか。
  43. 北郷勲夫

    ○北郷説明員 精薄施設の重度棟と申しますと、非常に重度のお子さんが入っておりまして、そういったお子さんの療育のあり方が一体どういう形になっていくか、文部省のほうでやっていただいております特殊教育の形とにらみ合わせながら、どういう人間の配置をしていったらいいのかというような点をもう少し詰める必要があるのではないかというふうに考えております。
  44. 栗田翠

    栗田委員 大臣に伺いますが、厚生省の通園施設の通知を改正するというお話がいまありましたが、そうしますと、当然文部省の通知も関係してくると思いますが、その辺はどう検討されていらっしゃるでしょうか。
  45. 岩間英太郎

    岩間政府委員 ちょっといまの御質問、聞き取りにくい点がございまして、あるいは間違った御答弁をするかもしれませんが、私どものほうも、この前の厚生大臣の御発言がございましたものですから、特殊教育課を通じまして、厚生省のほうといろいろ御連絡をいたしておりまして、この前の厚生大臣の御発言のように処置をしていただきたいということを申し上げているわけでございます。ただ、重度の方々の収容につきましては、これはいまそういうふうなことに従事ができるような職員の問題、それから収容施設の問題 いまいろいろ議論をされておりまして、私もなかなか、ただ方針をきめただけで、それを具体的に実行するというのにはむずかしい点があるだろうということは、推測はいたします。しかし、この前厚生大臣から御答弁申し上げましたような方向でやっていただきたいということを重ねて申し上げているわけでございます。
  46. 栗田翠

    栗田委員 文部省の通達も通園施設の問題に触れていると思いましたが、その点は、それではやはり改正の方向でやっていらっしゃるわけですね。
  47. 岩間英太郎

    岩間政府委員 それは、厚生省のほうで手直しをされるということでございましたら、当然でございます。
  48. 栗田翠

    栗田委員 それでは、あとまだ判別委員会内容だとか、その他いろいろ私、用意しておりましたが、時間がありませんので、次の機会にそれは譲らせていただきまして、最後に一つだけ質問させていただきます。  この就学義務を五十四年から父母に課する場合に、当然今度は就学義務が遂行できるような保障というのが、やはり行政の立場でやられていかなければならないと思うのです。いま障害児が通学する上で、何が一番保障される必要があるかというと、やはり通園、通学のための手段です。ここにも、私、いろいろ調査をしまして、いろいろな資料を持っておりますけれども子供たち学校へ通わせるために親御さんがたいへんな苦労をしております。私、おとといの質問のときにも、最初お話しした例もその一つです。こういうのもあるのです。「健康な子が通学するには学区があり、憲法でこれを保障し、労少くして登校出来る。而し特殊教育現状は、特殊学級が市内に六校」、これは静岡の場合ですが、「肢体不自由児にとっては、県立の養護学校が一校だけである。T子ちゃんは六時二十分のバスで未だ暗いうちに通学するし、養護学校のF君は藤枝、S君は富士から両親付添で毎日通っている。」、そのために家庭もかなり破壊されたり、ほかの兄弟はほったらかしになったりというふうに、いまなっているわけです。その中で養護学校子供を通学させているその子たちの「殆んどの母親が、体力、勘の落ちた年齢で十五万も二十万も貴重な金をかけ、必要にせまられて自動車運転教習所に通う姿は、真に社会の歪みを感じないではいられない。」というふうに書かれているのですね。しかも学校がどこかへ移転するといいますと、競って引っ越すわけなんです。「学校の所在地の近くにかたつむりの様に次々と転居する家庭の多さ」ということがいわれております。こういうふうに通学をする。それを保障するということだけでも実に父兄は苦労をしております。  そこでまず、それを保障していくための措置ですけれども一つはスクールバスです。ここにもいわれていますけれども、「少なくとも学校へ向って、放射状の数台のバス運行が出来ないものか。」というのが切実な叫びになっているわけです。また子供たちを一人でも多く学校へ通わせるために、スクールバスの運行があと一回り多かったら、あと何人かの子供たちがそのために救われていくのではないだろうかということもいわれているわけです。  そこで、今度出されております四十九年度の予算について伺いたいのですが、スクールバスの予算は、四十七年、四十八年は、どちらも千四百万、単価も同じに計算されておりましたが、四十九年度はどんなふうに措置されているでしょうか。
  49. 岩間英太郎

    岩間政府委員 スクールバスの購入につきましては、前年度千二百万でございましたものを四千百万にふやしております。一般用が十二台、それから重度障害者用が十台、単価は一般用が二百万円でございますが、重度障害用は五百八十万、そういうふうな単価になっておるわけでございます。この重度障害用は前年度はなかったわけでございますから、これが新しくつけ加わったわけでございます。
  50. 栗田翠

    栗田委員 特に通学費など、親の付き添いの問題なんかもありますが、伺うところでは実費全部が補償されているというふうに聞いております。ところで、特に雨のひどい日なんか、普通のバスではなくて、タクシーか何かで学校へ行かなければならない。その出費が非常にたいへんだという声もありますが、そういうことについての御配慮というのはありますでしょうか。
  51. 岩間英太郎

    岩間政府委員 いま特殊教育学校子供たちの通学費につきましては、実費を基礎にしまして私どものほうから都道府県を通じまして親御さんに補助をするというふうなたてまえをとっておるわけでございます。ただいまのところは、実際に都道府県補助をしまして実費でやっているわけでございますけれども、タクシー代まで入っているかどうかはちょっと私どものほうでは正確に把握をいたしておりません。その点調べてみますが、ほんとうに必要なものであれば、それは措置をするというふうなことも検討いたしてみたいというふうに考えます。
  52. 栗田翠

    栗田委員 静岡にねむの木学園という肢体不自由児の学園があります。これは宮城まり子さんが私費を投じて建てた学園でして、先日、一月ごろにはこのねむの木学園の子供たちの学園の中での状態を、どんなふうにやっているか映画にしたのをたぶん大臣もごらんになったのではないかと思います。文部大臣がごらんになったかどうか存じませんが、閣僚にお見せしたというニュースも私聞きました。このねむの木学園は施設内に分校を持っている学校ですが、こういうところでも、私行ってじかに話を聞きましたら、スクールバスがどうしてもほしいというんです。通園するためではないんですけれども教育のためにバスがどうしても必要である。結局、施設に入っている子供は、外へ買い物に出たり人と接触したりする機会がたいへん少ないので、教育の一環としてバスへ乗せてデパートなどへ連れていって、また不自由なからだだけれども自分でお金を出して物を買う、そういう教育もやっているのだそうですが、ここにスクールバスが配置されていないということなんですね。こういう点についても御配慮をいただきたいと思いますが、いかがでございましょうか。
  53. 岩間英太郎

    岩間政府委員 これは、私どものほうでお世話いたすのか、あるいは厚生省のほうでお世話いたすのか、よくわかりませんけれども、今後の検討課題として検討してまいりたいというふうに考えます。
  54. 栗田翠

    栗田委員 四十九年度特殊教育就学奨励費補助金予算単価というのがここにございます。これを見ますと、たとえば寄宿舎居住に伴う経費寝具、日用品等の購入費などいろいろあるのですけれども、寝具対象学年の小学部四万九千五百六十六円、その他の学年四万四千五百六十六円、五千円の差になっております。この五千円の差というのは一体何の金額でしょうか。
  55. 岩間英太郎

    岩間政府委員 寝具対象学年と申しますのは、一年に入りました場合に寝具に対しまして五千円の補助を行なうわけでございます。したがいまして、その他の学年と申しますのは、その五千円を引いた金額が対象になるわけでございまして、その差の五千円と申しますのは、これは寝具に対する補助ということでございます。
  56. 栗田翠

    栗田委員 いまふとんを買いますと、五千円じゃとても買えません。どんなに安くても二万五千円くらい、毛布その他を入れれば三万円くらいはかかるわけです。ところがこの文部省の計算ですと、五千円ということになっております。こういうのがその他にも全部あるわけで、こまかくやっていったら切りがありませんけれども、ほんとうに現実にいまの時価相当の額で計算してそして割り出していくというやり方でなかったら、非常に貧困な家庭の子供もあるわけですから、就学を保障していくという点で、ただでさえ出費の多い親御さんにとって負担がたいへんかかると思います。そういう点についてさらにこの予算についても御検討いただきたいと思いますが、いかがでしょうか。
  57. 岩間英太郎

    岩間政府委員 就学奨励費の単価につきましては、これは厚生省の児童福祉施設の単価あるいは生活保護費の単価というものを基礎にいたしまして計算をいたすものが非常に多いわけでございます。ただいま寝具の例がございましたが、それは五千円では新しく買いました場合にはとても実費にはいかないということはわかるわけでございますが、厚生省の児童福祉施設などは、その児童福祉施設自体がいろいろ準備をいたしまして、そこにお子さん方が入るということでございますけれども文部省関係でやっております就学奨励費は、これは親御さんに対しまして直接補助をするというものでございまして、児童福祉施設にお入りになった子供さんたちと同程度のものは親御さんに対して補助をするというふうなたてまえをとっておるわけでございます。したがいまして、これでもって全部まかなうというふうなたてまえにはなっておらないわけでございまして、考え方には多少違いがあるということは御理解をいただきたいわけでございますけれども、いずれにしましても、実際にかかっております金額まで私どものほうで補助の単価を当面引き上げていくというふうな方向は御指摘のとおりでございまして、そういうふうに努力してまいりたいというふうに考えております。
  58. 栗田翠

    栗田委員 それでは私はこれで質問を終わりますが、最後に、大臣が繰り返しおっしゃられたように、五十四年からは就学を希望しそして可能な子供たちに完全に教育を受ける権利を保障していくように政府は努力をしていくのだという御決意でございましたので、それに沿ってあらゆる面でこれが保障されるような一そう大きな努力を期待しております。それでは、私の質問は終わります。
  59. 稻葉修

    ○稻葉委員長 関連質疑の申し出がありますので、これを許します。山原健二郎君。
  60. 山原健二郎

    ○山原委員 私は、最近、二つの障害児教育施設を見せてもらいました。一つは久里浜国立養護学校です。ここで感じたことは、皆さんたいへん努力をされているのですが、一つは、医療関係がうまくいっていないようですね。いわゆる町医者に校医として来てもらうという状態、これではたしてほんとうに子供たちの身体状況その他あるいはからだをなおすというようなことができるのかという疑問を持ちました。それからもう一つは、戸外に子供を出さないという方針のように承ったのです。芝生ができたら出すというのですけれども、現在どこの施設でも、子供たちを日光のところに出すために、芝生ができなくとも、たとえばアンペラを敷くとか、むしろを敷くとかということでやっておりますが、この点について、はたしてこれでいいのかどうか私はわかりませんけれども、ちょっと疑問を感じたわけでございます。  それからもう一つは、集団的な先生方の学習と、そして子供たちの成長をどういうふうにやっていくかというふうなことがなされておるのかどうか、こんな疑問を持ちまして帰ってきたわけです。もちろん数時間の見学ではわかりませんけれども、そういう状態。  それからもう一つは、かなり軽度の子供さんたちが入っておられるのですね。これは私のもう一つ見ました学園施設でありますけれども、これはもう子供たちがその辺に寝ころがって、どうにもならないという状態、そして親御さんがついてきて苦労されておるという姿を見まして、せっかく国立久里浜養護学校であれば、全国の状態にこたえるような形の学校にしていくべきではなかろうかというふうに感じたわけです。これは誤りもあるかもしれません。  もう一つは、山形市で行なわれました日教組、日高教の教育研究集会へ参りました。その中で障害児教育の分科会にも足を運んだのでございますけれども、あの底冷えのする中で、父母も先生方もほんとうに真剣に討議をしておられる姿を見たわけなんです。私はそういう点から日教組の教研集会というものの、ほんとうに現場の先生方や父母、子供たちの悩みというものが一つ一つ積み上げられてあそこへ持ち込まれてきておるという真摯な研究の討議の姿にたいへん胸を打たれたことを覚えております。ところが一昨日、奥野文部大臣は、この日教組というものに対しまして、たしか深谷議員の質問に対する答弁の中で、日教組は社会主義革命に参加する団体であるということをみずから規定しておるということばが出てまいりまして、たいへん意外な感じを受けたわけですが、これは日教組みずからが社会主義革命に参加する組織であるというふうに規定した事実があるのか、どこにそのことが書かれておるのか、文部大臣から明確にしていただきたいと思います。
  61. 奥野誠亮

    ○奥野国務大臣 昨年群馬県の前橋大会でいろいろな資料が配付されております。同時にまたスローガンも十項目にわたって掲げられております。そういうことを受けてでございましょう、当時のどの新聞であるか忘れましたが、ある新聞には、日教組がみずからの性格を、階級的大衆組織であって、社会主義革命に参加するものと理解しているようだ、こういう説明もございました。私もつぶさに読んでまいりますと、まさにそういうように受け取れるわけでございます。同時にまた、今回もいろいろのストライキを考えていらっしゃるようでございます。考えておるようでございますが、その討議資料を見てまいりましても、やはり同じように受け取れるわけでございます。国内社会の分析につきましても国際社会の分析につきましても、そういうようにとれるわけでございまして、自由社会は混乱を深めてきている、社会主義社会は堅実に発展を続けているということでございましょうか、そういう見方すらあることも、悪いとかいいとか私は申し上げるわけじゃございませんが、記載されております。そうしてまた、資本家階級の政府を倒すのだ、こういう表現も出ておるわけでございます。そうして他方して、参議院選挙に勝利を占めるのだ、まさに政治目的の団体じゃないかという感じを受け取れるわけでございまして、そういう字句もあがっているわけでございます。そういうことを通じまして、書かれているものを見るとそういう感じを受けるのだ、一昨日も申し上げましたように、日教組に加わっておられる先生方みんながそういうことは考えていらっしゃらないだろうけれども、示されておる、書かれているものから見ているとそういうことが書かれているのだということを私は申し上げたわけでございます。
  62. 山原健二郎

    ○山原委員 あなたはこう言っているのですよ。「社会主義革命に参加するものとするのだ。自分たちの組合の性格をそう規定しておられるのであります。」どこに書いていますか。ほかのことを答える必要はないのですよ。組合の組織、組合の性格というものは、規約、綱領、これによってきまる。(「運動方針」と呼ぶ者あり)運動方針——運動方針のどこに書いてありますか。これを明確にしてください。いろいろ説明する必要はないのです。この社会主義革命に参加する団体だとみずから規定した個所はどこですか。これだけ聞いているのです。どこですか。
  63. 奥野誠亮

    ○奥野国務大臣 私がいま申し上げましたようなことばから総合的にそう判定される、こういうことでございます。
  64. 山原健二郎

    ○山原委員 総合的に判定されるならば、そういうあなたの感想を述べればいいのです。みずから規定しておると——どこへ規定しておるのですか。日本教職員組合が社会主義革命の団体であるということをみずから規定しておる事実はどこにあるのですか。規約ですか、綱領ですか。これを明らかにしてください。どこへ書いておるか、これは重大な問題ですからね。どこへ書いておるか。
  65. 奥野誠亮

    ○奥野国務大臣 規定しているということばの意味は、規則に書いているとかいう規定じゃございませんで、お互いが、そういうように自分たちが考えているのだというふうに規定をしているのだ、こういうような、お互いに考え方をそういうふうに理解し合っているのだという意味で私は申し上げているわけでございます。そういう理由は、総合的ないま申し上げましたようなところから思えるのだ、またそういうことを論説にも書かれておったのだ、こういう意味でございます。
  66. 山原健二郎

    ○山原委員 いいかげんなことを言ったらいかぬですよ。これは文教委員会という公式の席上で、日教組は社会主義革命に参加するものとするのだ、自分たちの組織の性格をそう規定しているとあなたが言っている。日教組がそういう性格をどこへ書いていますか。そんな、総合的な論評とか新聞の評論とか言っているのじゃない。あなたは明確にこう言っているのですから。日本教職員組合が社会主義革命を行なう団体だとみずからどこに書いているのですか。言いたいほうだいのことを言ったらだめです。
  67. 奥野誠亮

    ○奥野国務大臣 それは、ことばの使い方はいろいろあるだろうと思うのであります。私は別に、規則に規定している、綱領に規定している、こういう表現を用いておりませんで、私が規定していると言うたのは、いま申し上げたような意味において表現をいたしておるわけでございます。もしまた、そういうことについてなお御疑問ございますならば、資料として御提出さしていただきます。
  68. 山原健二郎

    ○山原委員 その資料は出してもらいたい。規約、綱領、運動方針の中に、社会主義革命をやる団体だとみずから規定しておる事実があるのか。どこにありますか。いつ出しますか資料は。
  69. 奥野誠亮

    ○奥野国務大臣 早急に提出さしていただきます。
  70. 山原健二郎

    ○山原委員 資料が提出されましてからそのことについてはやります。直ちに出してください。
  71. 稻葉修

    ○稻葉委員長 午後一時に開会することとし、この際、休憩いたします。    午前十一時五十九分休憩      ————◇—————    午後一時十五分開議
  72. 稻葉修

    ○稻葉委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  文教行政基本施策に関する件について、質疑を続行いたします。  質疑の申し出がありますので、これを許します。高橋繁君。
  73. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 私は、第七十二国会における文部大臣の所信に対して若干質問をいたしたいと思います。  この所信表明を聞きまして、私たちはたいへん残念に思うわけでありますが、昨年の所信表明とほとんど変わっていない、あるいはかなり抽象的なことであって、ほんとうに教育が危機と叫ばれているときに、いま少しの具体性と斬新的なものをほしかったという感じがまずいたします。そこで、本年はたいへんきびしい試練の年であるというように大臣はおっしゃっておりますが、このきびしい試練の年という大臣のまず見解を最初お聞きいたしたい、こう思います。
  74. 奥野誠亮

    ○奥野国務大臣 昨年からことしにかけまして、国際社会においてもそうでございますけれども、わが国の社会におきましても大きな変化が続いている、こう思うわけでございます。その一つとして、たとえば石油の輸出削減という問題が起こりましてから経済界がかなり混乱を深めてまいりましたし、またこの間には消費者が買いだめをしているじゃないかとか、あるいはメーカーが売り惜しみをしているじゃないかとかいったような批判も続いたりしているわけでございます。これまでわが国は非常に順調な発展を経済的には続けてきたと思います。先進国の二倍をこえる実質経済成長率を続けてきたと思うのでございます。幸い順調でございましただけに、今日までの国民のあり方についていろいろな批判がありながらも大過なく過ごせてきた、こう考えるわけでございます。しかし資源の問題にしましても、世界の資源には限りあるのだ、これをいかに有効に活用していくかということは、それぞれ人類に課された大きな課題だ。どう乗り切っていかなければならないか。石油だけじゃございませんで、ほかの問題についてもいろいろな問題が起こってくることが想起されるわけでございます。  そうしますと、これに対応して国民はどうしていくのか。いままでは、個人主義といわれながらも、正しい個人主義が成長しないで、利己的な人間に走り過ぎてきたのじゃないだろうか。やはり社会全体がよくならなければ、その中で個人が豊かな生活を送り得るはずはないのだ。もっと社会に目を開いた人間になる必要があるのじゃないかというようなことも言われましたし、また自由が謳歌されてきたけれども、それはけっこうなことだが、相手の自由を尊重しなければ自分の自由も楽しむことはできないのだ、それにはやはり自我を抑制してかからなければならないというようなことも言われてまいったと思います。あるいは権利思想、これも大切だけれども、反面義務の履行を怠ってはならないのだというようなことも言われ、やはり奉仕の精神をもっとみんなが持たなければいけないじゃないかというような話もあったりするわけでございまして、社会が非常な混乱を深めるおそれがあります場合には、国民がしっかりしなければ対応できない、こういうことにもなるわけでございますので、そういう意味で、試練の年として、みんなで考え合っていこうじゃないか、そしてよりよい社会を築き上げるように努力し合っていかなければならないのじゃないだろうか、こう考えておるところでございます。
  75. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 過去百年間、学制百年といわれますが、その間たいへん順調な発展を遂げてきた、こうおっしゃいました。確かに豊かさという問題については、私たちの生活を取り巻く社会情勢というものは、ここのところ百年間、あるいは高度経済成長、あるいはGNPというもので、たいへん急ピッチの速さをもってやってきたと思うのです。そこで、順調な発展を経済的には遂げ、私たちは豊かさをある程度身につけてきた。その反面、教育という問題について、ほんとうに順調な発展を遂げてきたであろうかどうか。いわゆる物的な経済危機、試練の年であるという面と同時に、少し大臣が触れておりましたが、一面で教育の試練の年である、私はこういうふうに思うわけですが、いま一度大臣のお考えをお聞きいたしたい。
  76. 奥野誠亮

    ○奥野国務大臣 おっしゃいますように、教育のあり方についても試練の年を迎えているという自覚の上に立ちたい、こう思っているわけでございます。私は年来、進学率の上昇に見られますように、量的には非常な拡大を見たけれども、質的にはなお多くの問題をかえって包蔵している、こう心配しているものでございまして、そういう点につきましても格別な配慮をしていかなければならない、かように考えているところでございます。
  77. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 質的な問題と、こういうことでありますが、量から質への転換をしなければならない、こういう中で、大臣が考えておる教育における最大の課題ですね、いま差し迫った問題というものは一体具体的にどういう問題がおありですか。
  78. 奥野誠亮

    ○奥野国務大臣 最大の課題といいますと、各段階ごとに考えていかなければならないわけでございますけれども、初等中等教育の段階を見ましても、しばしばいわれますように、入学試験中心の教育になっているのじゃないだろうか、やはり人をつくり上げる、社会の変化に耐える力をつちかう、そういう観点に立ったゆとりある教育がほしいのではないか、こういうようなことが論ぜられているわけでございまして、私も、そのとおりだと考えているところでございます。そういうこともございまして、昨年来、小・中・高一貫の教育課程審議会を設置さしていただいて、そこでもう一ぺん教育内容を検討し直さしていただきたい、それに即した教育になるような努力をしたい、こう考えておるところでございます。問題はたくさんございますけれども一つ言えとおっしゃいますればそういうことではなかろうかと、こう思います。
  79. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 大学あるいは高校入試の問題が取り上げられましたが、ほかにはないですか。
  80. 奥野誠亮

    ○奥野国務大臣 大学にもたくさん問題があろうかと思います。いろいろな騒ぎが今日も続いているわけでございますので、真に、研究し、教育にふさわしい学園の環境が保持されているかといいますと、私はとてもそんなことは言えない、こう考えるわけでございますし、さらに日本の学術、文化を向上さしていきたいと考えてまいりますと、やはり大学院の充実、整備が大切だな、いまの大学のままでは心配だな、こんな気持ちを持っているわけでございまして、いろいろな問題、ここでもしばしば御指摘いただいておりますけれども、たくさんの問題をかかえておりますので、おっしゃるとおり、教育についても試練の年と自覚して努力したいと思います。
  81. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 そのように、大臣のよく言う学制百年を迎えまして、教育の課題というものは一体何であるかということが、いまほんとうにはっきりしなければならないと私は思うのです。それが私は第七十二国会における大臣の所信表明でなくてはならない、このように痛感をするわけです。いまおっしゃいましたように、緊急課題は大学の問題であるとか入試の問題であるとか、突然的な発言のようにも聞こえますが、本気になって考えれば、大学入試の問題あるいは私学助成、高校教育、幼児教育、いろいろな問題があると思う。その中でもやはり本年度手をつけなければならない問題は一体何と何であるか、これをまず具体的に施策を施し、そうした具体的な施策の実行に当たらなくちゃならないと思うのですが、そうした具体的な施策がない、そこに私は日本の教育の最大の問題があろうと思うのです。  そこで、先ほどから申し上げておりますように、高度経済成長、あるいはGNPの極度の伸び、目まぐるしく私たちの生活が追い上げられてきたわけです。そしてある程度の豊かさを示した。ところが、昨年来の売り惜しみや買い占めやエネルギー問題、そうした反面で心の不安というものはぬぐい去ることができない。本気になって、落ちついて、大地に根をおろして、この教育問題を考え、着実に前進するときではないかと私は思うのです。その、大地に根をおろして着実に日本の教育というものを考えていかなくちゃならないときに、具体的な課題もないし、あるいは文部大臣のお考えもないところに、私はたいへんさびしさを感ずるわけですが、そうした問題についていま少し大臣の考えをお聞きしたいのです。
  82. 奥野誠亮

    ○奥野国務大臣 具体的な施策を所信表明の中に述べさしていただいておるわけでございます。また試練の年をどう考えるかとおっしゃいましたので、教育面について反省しなければならない、精神面について今日批判されているところを申し上げたわけでございまして、順調なときにはいままでのままでもそれで何とか切り抜けたかもしれないけれども、これからはそうはいかなくなったのだ、ほんとうにこれからの日本の国民のあるべき姿というものをこれを機会に反省し、そしてその上に立ってりっぱなものをつくり上げていかなければならない、非常に重要な年だと自戒してかからなければならない、こう思っておるところでございます。
  83. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 重大なときであり、反省をするときであると、これは当然のことでありますが、いま少しの具体性といいますか、現時点における教育の重大性というもの、これはもう私が申し上げるまでもなく、いわゆる現在の瞬間というものが過去の実績になり、未来への大きな発展の基礎になる。そうしたときにおいて、ほんとうに時代の速さ、あるいは高度経済成長というものすごい速さの上に教育が流されてきたというような感じを私は持つわけであります。  いろいろな人が言われておりますように、いま同じ年代の層、たとえば高等学校に例をとれば、九割近い同じ年齢層の人が高校に入学しておる、そのうちの七割が与えられた知識を不消化にしておるという問題、その最大の問題は大学入試にある。まあほかにもいろいろ理由がありましょうが、そうしたことを考えたときに、一体教育とは何なのか、人づくりははたしてこれでいいだろうかということを、私はもう少し具体的に大臣にお考えを聞きたかったわけでありますが、あと具体的に問題を詰めながらさらに深めてまいりたい、このように思います。  そこで、大学入試の改善について、所信表明の中で大臣は「大学入試制度の改善についても共通試験の実施に関する調査研究等を行なうことといたしております。」ということがあります。この入試制度の問題は、長い間論議をされておりますが、いまだに結論を得ません。そこで文部省は共通試験の実施ということ、共通試験という前提においての大学入試をお考えになっているのかどうか。まあそのように書いてありますから、そうだろうと思うのですが、この点についてもう一度確認をいたしたいと思います。
  84. 木田宏

    ○木田政府委員 大学の入試改善につきましては、いろいろな側面を考えていかなければなりません。私どもも、いままでに、もう少し高等学校側からの調査書の活用をはかるべきこと、また大学が行ないます入学試験問題そのものの再検討と改善、あるいは入学選抜事務の処理の体制を整えるといったこと、あるいは高等学校側からの進路の指導の充実、こうした問題点をそれぞれに進めていかなければならないと思っております。また、もうすでに御理解のとおりでございますが、大学に対するものの考え方あるいは就職の際のものの考え方、こういうところから広い社会一般の御理解を得なければならぬという問題点もあるわけでございます。それらを一歩一歩改善をはかっていくということで、毎年毎年でございますが、その実施の成果を考えながら、調査書の活用の方法あるいは推薦入学制度の普及、そういった点にかなりの努力を進めてまいりました。また試験問題の改善にも、検討の結果の指導、助言等は繰り返しておるわけでございます。  いまおあげになりましたのは、大学の入試を国公私立を通じて共通試験を実施するというところまで行っておりませんけれども、少なくとも国立大学自体の中で、もう少し国立大学の入試制度の改善をはかるべきであるという検討も進んでおります。私どもも、せめて第一段階の課題としては、国立大学がまず共通の一次試験を実施し、そしていい試験問題をこれによって与えることができる、その上で進路、適性に応じた第二次の選考というのを加えるならば、いまのように特定の学科について度を過ぎた試験勉強という弊害も是正できるであろうし、試験問題の改善もはかれるであろう、こういうことで鋭意検討を進めておりますので、四十八年度に引き続きまして四十九年度も共通試験の実施体制をいろいろと検討を進めて整えていきたい、こういう考えでおる次第でございます。
  85. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 共通試験につきましては、大学基準協会、いわゆる大学入試制度改革研究委員会ですか、等も非常な消極的な態度をとっているやに私聞いております。あるいは国大協、中教審あるいは高等学校の校長協会等でもかなりの意見があるようであります。そうした意見の食い違いで今日までおくれておったという状況にもあるやに聞いておりますが、そうした大学入試の問題については、それぞれの各機関で研究をなされ、共通試験という問題については、かなりの利点もあるけれどもマイナス点もかなりあるのではないかということで、いままで結論が出ずにきてしまっているというように思います。文部省としては、国公立の大学については一応共通試験を行なうという前提で研究がなされていくという局長のお考えでありますが、そういう各界、各団体の意見というものは今後どのように聴取されていきますか。
  86. 木田宏

    ○木田政府委員 文部省で検討を進めました入試改善会議の報告は、広く国公私立の大学関係者にそれについての御意見を問うておるわけでございますが、御指摘のように、共通学力検査の実施につきまして、いい面もあり、また注意しなければならない面もあるというのは、各方面の意見でございます。しかし私どもがいま検討を進めておりますのは、実施するという前提に立ちまして、どういうふうに問題を解決するかということに取り組んでおるのでございます。それは、共通学力試験をどの範囲に取り入れるかということは、まず国立の段階から考えてみたいというつもりでございますが、取り入れるという前提で検討しなければ、検討そのものも真剣にまた具体的に進みません。でございますから、いろいろと指摘されております共通試験制度のいい点を生かすべく、そしてそこに注意をされておりますマイナス点はできるだけこれを少なくする、こういう方向で実施の可能性を鋭意進めておる次第でございます。
  87. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 大学入試については、大学入学者選抜方法研究委員会ですか、それでやっているようであります。本年度の予算でさらに四十五か五十五大学まで組織あるいは人員を増加したいということでありますが、この研究委員会のメンバーは各大学から出ておるのでありますか。それともう一つ、大体いつごろその結論を出す予定なのか、その辺のめどについてお聞きをいたしたいと思う。
  88. 木田宏

    ○木田政府委員 文部省自体で御相談をかけております大学の入試改善会議におきましては、共通学力検査の実施を取り入れるべきことという改善案の御報告を文部省としてちょうだいをいたしておりまして、これは国公私立の大学関係者また高等学校関係者等が入った会議でございますが、この御意見に沿って具体的に実施するための検討を国立大学関係者との間でいま進めておるわけでございます。一方、国立大学には、入試問題、これは共通試験だけでなくて、それをこえまして、入試の選抜方法を改善するための研究委員会というものを設けております。これは個々の大学にそれぞれ設置してもらうということを進めておるわけでございまして、いま御指摘のありました名称は、個々の大学に私ども予算上の措置を講じまして、大学の入試改善委員会を四十五大学に現在のところ設置しておるという次第でございます。
  89. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 その共通テストにまた少し戻りますが、その共通テストをただ単にやるということでは、私はかなり問題があるのじゃないかと思うのです。それ以前に国公立大学の新設とか、あるいは入ってから卒業の評価をきびしくするとか、入りやすく出にくいような体制にするとか、いろいろな御意見があろうかと思うのですが、ただ単に共通テストを前提とした上で論議がなされていくところに、また、より問題があると思うのです。それ以前の問題もかなり論議をしなければ、この共通テストという問題はなかなか結論が出ないのじゃないかと私考えますが、その辺のお考えは局長どうですか。
  90. 木田宏

    ○木田政府委員 御指摘のとおりでございまして、冒頭にもお答え申し上げましたとおり、入試改善の問題は幅広い大学制度全体につながる問題でございます。入学希望者の増に対応いたします大学の拡充あるいは地域的な整備ということからも事柄を進めていって対処しなければならぬというふうにも思っておりますから、共通学力検査だけが入試改善の方法であるというふうには毛頭考えておりません。   〔委員長退席、西岡委員長代理着席〕 しかし、いろいろな大学がそれぞれ自分の大学限りの入試制度をやっていくということに伴ういろいろな弊害も広く指摘されておるところでございますから、国立大学に入学する一定の学力水準を共通して判定するための共通試験、これはできるだけすみやかに実施、実現をはかるという目的のもとに検討を進めておる、こういう次第でございます。
  91. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 いつごろというめどは立ちませんね。概略昭和何年ごろまでに結論を出すとかいうめどですね、そういうものはないのですか。
  92. 木田宏

    ○木田政府委員 できますならば、四十八年から準備も進めてまいりましたし、国立大学協会との御相談も詰めておりますので、入試を実施する大学関係者がほんとうに取り組む姿勢になっていただかなければならぬことは当然でございますが、私どもの心組みといたしましては、高等学校の学習指導要領の改定が行なわれ、それに伴いまして新たな入試制度と取り組むべき昭和五十一年度をともかく一つのめどとして進めてみたい、こういうつもりで取り組んでおる次第でございます。
  93. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 次は、所信表明にもありますが、「世界の繁栄と平和に貢献していくためには、心豊かで創造力に富み、かつ、国際人としてだれからも尊敬され、信頼されるたくましい日本人の育成」、いわゆる日本人の育成とともに国際人として尊敬され、信頼される、また国際間の交流という問題がこのところにわかに問題になってきております。  そこで、私は留学生問題について少し例を引きながら具体的に質問をいたしてまいりたいと思いますが、特に日本に外国から入っている留学生というものは総数約四千六百人、そのうちの八割がアジアである、アジア人であるというところに、日本の留学生の大きな特色が一つあろうと思うのです。  そこで、本年初頭における田中総理の訪問によってたいへん反日的な学生運動というものも起きてきておる。そのような留学生が日本でほんとうに貴重な勉強をされて帰国をされて、そのされた学生が反日感情を持って帰国をしておる。先ほどの田中総理の訪問に際してのタイの反日運動の中にも、かつて日本で勉強した留学生がいるのじゃないか、またいるということ、留学生の母親運動を進めているその母親のことばの中にもそういうことがあるわけであります。そうした問題について、日本におるアジアの留学生がそうした感情を抱いておるという事実については文部省としては認識をしておりますかどうか。大臣でも局長でもけっこうです。
  94. 奥野誠亮

    ○奥野国務大臣 御指摘のございました、総理が東南アジア五カ国を訪問いたしましたときに起こりました騒擾、このことから、私も、いま留学生問題をはじめ、国際人として日本が将来に生きていく上において、教育の面においてもあるいは留学生の受け入れの面においても大きな検討をしていかなければならないということを深刻に考えている一人でございます。留学生の受け入れの問題につきましても、逐年改善がはかられてまいってきておるわけでございますけれども、留学生全体が満足して帰っていただいているかどうか、これらにつきましてもなおよく検討を加えていかなければならない問題が多々あろう、こう思っておるわけでございます。積極的な反省、改善、これに努力を続けていく所存でございます。
  95. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 では、具体的に質問していきますから、お答えをお願いをいたしたいと思うのです。  まず留学生の生活問題ですね。文部省が国費として支給をされております国費留学生は六百五十七名ですか、残りの四千八十余人が私費の留学生。その国費の留学生に対して日本政府から奨学金として、学部に入っている人には五万二千円ですか、それから研究学生には七万九千五百円が支給をされておる。国費の留学生は文部省からこのように奨学金が支給をされておるけれども、私費の留学生はほとんどそうした奨学制度もない。そこで、この国費留学生も私費の留学生も、違法とは知りながらアルバイトをしたい。だけれども、外国人であるということでなかなかアルバイト先も見つからない。また雇ってくれる人もほとんどない。アジアの留学生ということで日本国の中で差別をされておる。だから、その中で切実な声は、せめてアルバイト先でも何とかめんどうを見てくれないかしらという切実な声が留学生の中にあるわけで、本年度国費の留学生については、学部が八千円ですか、研究生にして一万円ですか、増額をいたしましたが、この物価高、悪性インフレの中でそれだけ値上げしてもなかなか至難な生活であろうと思うのですが、そうした留学生の生活問題について、日本の場合、外国と比べてみても決してそう高くはないようです。したがって、その面についての文部省のあたたかい、いま少しの留学生に対する気持ちというものはないものかどうか、お聞きをいたしたいと思うのです。
  96. 木田宏

    ○木田政府委員 留学生が国費留学生、私費留学生に分かれておることはいま御指摘のとおりでございます。ただ、国費留学生は、日本側で就学の資金を援助するという意味で国費でございますが、私費留学生の中にはいろいろの事情の者がございまして、外国政府自体の金で来ておる者とか、あるいは別途いろいろな関係での勉学の資金があるということで日本に勉学に来ておられる方々であります。ただ、一般的に申しまして、いま御指摘がございましたように、日本のわれわれの社会生活が、外国人の青年学生にとって生活環境が違います関係上、いろいろと諸経費がかかるという点は考えておかなければなるまいかと思います。しかし、そういう意味では私は、留学生、国費、私費を含めまして日本に来る学生に対する生活環境を整える方向というものは努力をしていく必要があると思いますけれども、事柄のたてまえといたしまして、自分の金で日本に来て勉強できるという、そういう立場で入ってこられた私費留学生に対して、国のほうから援助を与えていく、こういうところまでまだ考える時期に達していないというふうに考えるのでございます。
  97. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 国費の留学生に対して六万円あるいは研究生八万九千円ということでありますが、一体これで日本のこうした物価高の中でやっていけるかどうかという不安が留学生の中にあると思うのです。私費留学生は、特にいま局長のおっしゃったような問題があろうかと思うのですが、文部省が国費で留学させるその留学生について、この奨学制で一体勉強はできるかどうか。いまの物価高と考え合わせて妥当なものであるか。本年度上げたけれども、さらに値上げをしてあげなくては、留学生の生活というものは非常にたいへんじゃないかと思うのですが、その点いかがですか。
  98. 木田宏

    ○木田政府委員 いま御指摘がございました国費の学生の、たとえば研究留学生であります八万九千円という金額は、アメリカ、西ドイツ、イギリス、フランス等の奨学金の大きさと比べて決して遜色のあるものではございません。ただ、昨年の暮れ以来起こりました今日の物価騰貴という点は、われわれと同様深刻な事情があるかと思いまするけれども、日本の大学に学んでおります大学院の学生その他の生活条件等考え合わせてみますならば、私は、九万円近い奨学金を研究留学生に対して出しておるということはかなり十分な処遇であり、留学生諸君も日本の学生のそうした生活環境と比べてことさらに不満であるというような声を、まだいまのところ聞いておりません。
  99. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 不満というものは聞いていないとおっしゃいますが、確かに不満はあるわけです、住宅問題を一つ例にとりましても。木田局長も、この「留学生の現状と課題」という中で、確かに奨学制の額は、そんなにほかの外国とは、この資料では、見劣りません。ただ、医療費の問題が、日本の場合七割補助である。イギリスは全額補助である。フランスは八割補助、アメリカやドイツは疾病事故保険というようなことでやっているが、日本の医療補助の場合少ない。あるいは住宅問題にしても、木田局長自身が、今日の留学生のために設けている学寮の一覧について、全部合わせて千百人、今後この学寮の収容能力はもっと増加されなければならない。それとともに、大学院学生に家族持ちの者が少なくないから云々と書いてありますが、寮の問題で留学生がたいへんな困惑をしているわけです。確かに、最初渡ってきまして、日本語学校で日本語を勉強するわけですが、日本語学校については、新しく冷暖房ができたようでありますが、日本語学校の卒業生がほとんど二万円も一万五千円も、あるいは二万、三万もする家賃を出してとても生活できないので、この寮に踏みとどまって他の大学に通っている例がある。そういうことを考えますと、住宅問題、寮の問題あわせてこの学費というものは決して高いものではない、たいへんな難儀をしているというふうに考えますが、その点どうですか。
  100. 木田宏

    ○木田政府委員 いまおあげになりましたように、この留学生の生活問題が特に住宅事情等がむずかしいという点はもう御指摘のとおりかと考えます。私もまたそれが十分であるとは決して考えておりません。日本の社会生活自体が外国人の青年を気持ちよく受け入れるという生活環境に至っていない。これは日本の長い歴史的な経緯のあることでもございまして、一気にその改善はむずかしゅうございます。そのことが大学のキャンパスの中にありましても、外国から来た学生たちの生活環境どいうものについて、その維持改善をなかなか現実の問題としてむずかしくしておるということは私も感じておりますが、それだけにこの点につきましては、今後も国費留学生のみならず、それぞれの大学が受け入れるべき留学生に対する生活の場というものを整えていかなければなるまいというふうに考えておるところでございます。月々の奨学金の額を上げるよりも、いまの生活環境の改善ということをはかっていくほうが現実的ではなかろうかというふうにさえ考えております。
  101. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 そうしますと、今後の留学制度、寮の問題は、奨来ともにわたって増設をする意図はありますか。
  102. 木田宏

    ○木田政府委員 国立大学につきましては、昨今の施設費の高騰に伴いまして、やや私どもの四十八年度の心づもりも狂ってしまったわけでございますが、できますならば、中京地区に一つ留学生の宿舎をつくりたいという希望で今日まで考えてきておりますし、それから、これは主として国費の留学生のことになりますけれども、国際教育協会の持っております東京の駒場と、それから関西の留学生会館は、少しずつではございましたが、昨年まで整備拡充をいたしてまいりました。今後も、それぞれの地域別にこの留学生の対応策として留学生の宿舎の整備につとめていきたい、こういう気持ちでおります。
  103. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 そこで、四十九年度の留学生は四百四十名から四百八十人に四十人ふやすという予算になっております。その中の四十人の増の学部と研究の割合はどのようにお考えですか。
  104. 木田宏

    ○木田政府委員 最近毎年のように留学生の受け入れ増をいたしておりますが、その増加数はすべて大学院レベルで考えておるところでございまして、四十九年度に予定しております留学生の増も全員大学院レベルの増でございます。
  105. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 ところが、学部と研究の人員の問題ですが、国費のほうの留学生の場合、学部が人員的にきわめて少ない。研究のほうがどうしても多くなる。多くとるというか留学させるといいますか、それは学部が志望者が少ないのでこのように少なくしているのか、どういう理由があって一体学部と研究を、このように研究を多くして学部を少なくしているのですか。その辺についてのお考えを聞きたいと思います。
  106. 木田宏

    ○木田政府委員 昭和四十八年度四百四十人の受け入れ数のうち、学部六十人、大学院三百八十人ということでございまして、この学部六十人というのは長期間にわたって固定してございます。しかし学部の留学生は、結局平均いたしまして五年以上にわたるわけでございますから、全体の在籍延べ数といたしましては三百人をこえるということになるわけでございまして、大学院が一年半ないし二年という年限で受け入れることを考えますと、受け入れの総数としてはそれほどひどい違いがあるわけではございません。これは日本だけではございませんで、一般的に諸外国でもそうでございますけれども、留学生を受け入れます場合に、その大部分が大学院レベルにあるわけでございます。これは留学生を受け入れる考え方、できるだけ多くの国の青年たちを受け入れて日本の高等教育で学ぶ機会を与えたいということから考えますと、一人の人が数年間長期に滞在するということもそれは意味のあることではありながら、また数多くの人が最高の水準で最高の勉強をするということも非常に大切なことでございます。先進諸国に招かれてまいります日本の学生たちも、その大部分が大学院レベルでございます。ですから、政府としてこういう留学生制度を考えます場合には、大学院に各国の頭脳を迎え入れて、そして日本の大学院の学生と一緒に勉強してもらうという意味合いをできるだけ数多く与えたい、こういう趣旨から考えまして、この数年来大学院レベルの招致に力を入れてきた次第でございます。
  107. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 ところが学生の意見はだいぶ違うようです。欧米各国でも大学院に力を入れているから日本でもそうなんだという。その前に、一応国費と私費の留学生を見たときに、四十七年度では私費の留学生は断然学部が多いわけです。学部が二千六百二十三名で、大学院が千二百四十名。四十六年も倍近い学部の希望というものがあるわけです。この国費の留学生の場合も、現地では何百倍というような学部の希望者がおることもタイの国あたりではあるということも聞いておりますが、そういうことからして、大学院で勉強することによって、研究留学生に対して、短期間で日本語も身につけない留学では単なる海外旅行の記念にすぎない、私たちはどうしても学部留学生として長い期間、若いのですから、日本語も十分マスターをして、しっかり勉強した上で、日本を知った上で帰国をいたしたいという希望を持っておる学生が多いようであります。そうした私費留学生の状況から見て、何で国費だけ学部を少なくして大学院だけ多くしているのかというところに私は非常に問題があるように思うわけですが、何かその辺で、学部を少なくして、かたく締めつけて、短期間である研究生をふやしているように思えてならないわけです。学部と研究のそうした人数の割合というものがはなはだ不自然のように思うわけですが、その点どうですか。
  108. 木田宏

    ○木田政府委員 早くから日本の学校で学びたいという外地の青年たちが中等教育を終わった段階で日本の大学に留学をする、こういう希望者が多いということは当然だろうと思います。しかし、日本側のほうで外国の青年たちを受け入れて一緒に勉強しようということを考えますと、しかもその機会をできるだけ多くの国々の学生と分かち合うという留学生受け入れの政策観点から考えますならば、それぞれの国で一応しっかりした高等教育まで済ませて、そして専攻の目的をはっきりきめた学生たちが来て一緒に勉学をする、そのことのほうが国費でお迎えした学生の勉学のあり方としてはより先に援助をすべきではなかろうかというふうにも考えておるのでございます。また、だんだんと最近東南アジアの各国はじめ諸外国も、大学制度そのものがその国において整ってまいりまして、それぞれの国の政府側の希望も、自分の国で大学教育を終えた者にもっとより高い勉強を日本で済ましてもらいたい、そういう意味で、奨学生の数をふやすならば研究留学生の段階でふやしてくれという現地側からの要請も聞いておるところでございます。これは双方の考え方が一致することであろうかと思っておりまして、学部留学生を減らしていく考えは毛頭持っておりませんけれども、今後の拡大につとめるならば、研究留学生の段階で当分進めていってよろしかろう、こういう考え方に立っておるわけでございます。
  109. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 双方の考え方がそういう考え方に立っているということは、政府同士の意見はそうかもしれないが、一体国民が何を望んでいるのか、学生が一体何を希望しているのかということを、やはり教育という問題についてはそれをかなえてあげるのが私は当然であろうと思うのです。したがって日本の留学生の特色である約八割を占めるアジア各国の国民が一体何を望んでいるのかということをこの辺で真剣に考えていくことが、国際間の交流、特にアジアに日本を知ってもらうためにも大事なことではなかろうか、私はこのように考えるのであります。そうして先ほども例を示した私費留学生の比率から見ても、アジア各国の国民が何を知りたがっているか、何を希望しているかということに観点を置くべきであって、政府間同士でのそうした単なる話し合いで学部の人数をきめたり研究生の人数をきめるということは、私はたいへん問題があるように思います。そういう意味で、さらにこの学部と研究生の人員の問題については、いま一度しかとひとつ検討をなされたいと思いますが、局長、御意見いかがですか。
  110. 木田宏

    ○木田政府委員 最近、アジアの諸国の大学制度もかなり整ってまいりました。それらの国の青年たちが、自分は早くから日本へ来て日本の大学で勉強したいという希望者がたくさんあることは喜ばしいことでございまして、それを受け入れることにやぶさかではございません。しかし、日本が奨学金を出してそれらの国々から学生を招くというのは、それらの国の指導者を大学の段階から養成するというような肩がわりの考え方に立つのではないのでございます。もうアジアの国々もそれぞれりっぱな大学を持ち、いい教育ができる段階になった。それで、その大学を卒業し、さらに高度の研究を進めていこう、こういう人たちが日本の青年と一緒になって学問の研究につとめる、ここに心の通いが出てくるのではないか。そのことを意図して留学生を考えます場合には、アジアの国々の青年に対する教育の面が全然ないというわけではありませんけれども、一緒に学ぶという機会を与えていく、このことを、より多くの機会を与えるように考えていくのが筋道ではなかろうか。ですから、政府が金を出して奨学生をお迎えするという点では、私は研究留学生のほうが私どもの政策の課題としても、より適しておると思いまするし、それから、先方の大学で勉強した青年を送って、より高度の学問研究を身につけさせたいという現地側の課題にも適しておるものだというふうに考えます。  しかし、繰り返し申し上げますように、戦後の留学制度の発足が学部の段階からあわせてスタートしたということ、そうして学部留学生の数は窓口こそ狭うございますけれども、受け入れている在籍総数の中におきましては約四割を占めているわけでございますから、決して少ない数だというふうに考えているわけではございません。
  111. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 局長は、東京YWCA国際部の、留学生の問題を考える会のこの世論調査を見たことがありますか。
  112. 木田宏

    ○木田政府委員 そういうものが近く印刷される予定であるということで、内容の一端の説明を受けたことはございますが、私自身読み通したことはまだございません。
  113. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 そうした学生の純粋な意見あるいは母親の意見というものが、先ほど申し上げましたように、これによく出ております。  私は、アジアの国民がほんとうに考えている要望を、せっかくの国費を投じて留学生を招くわけですから、どうか印刷されましたらよくお読みになって、その願いをかなえてあげていただきたいと思うのです。  もう一つ、この留学生の最大の問題は、留学生が日本に入ってくる場合に誓約書をとる、これは国際間の交流の最大の問題ではないかと思うのですが、その誓約書は、文部省がいわゆるめんどうを見る、こういう交換条件として、その一つの中に、いかなる政治活動も行なわないこと、配置大学についての文部省の決定に忠実に従うことという、こうした誓約書がかわされる。これは、日本人がアメリカや海外に留学する場合に、一体そうした誓約書をとられておるのかどうか。おそらく世界の各国の中で、こうした誓約書をとっているのは日本だけではないかというふうに私は理解をしておりますが、その誓約書をとるということについて、これは日本独自の考えでとっておるものかどうか、その辺についてお聞きいたしたい。
  114. 木田宏

    ○木田政府委員 たとえばフランス、西ドイツ、スイス等留学生を受け入れておる国々が、その政府奨学金で留学生を受け入れます場合に、政治活動を行なわないようにというようなこと、あるいは学習、研究に専念すべきことといったような確約をしてそうして受け入れておるというのは、一般のことだと考えるのでございます。現にそういうふうにいたしてございます。でございますから、外国から青年を招きます場合に、もちろん勉強するつもりで志願をし、来るわけでございまするけれども、そのことを確認して勉強に専念してもらいたい。そしてまた、日本の政府側で奨学資金を出してどこの大学にお世話をするというふうに、こちらでお世話をすることですから、そのお世話に従ってもらいたい。そしてまた、日本の国内に参りまして、勉強に専念してほしいわけでございまして、政治運動をしてもらうというのははなはだ迷惑なことでございますから、そういうことをしないようにお願いをしたい。これは入国の際にそのような意思を明示していただくということはきわめてあたりまえのことだというふうに考えております。
  115. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 フランス等では確約をしておるというのですが、このようないわゆる誓約書、書類でとっておるという事実はないように私は理解しております。あるいはまた、東南アジア各国で日本人がそういう誓約書をとられているかどうか、その辺についてもう一度確認したいのです。
  116. 木田宏

    ○木田政府委員 誓約書ということばのとおりの書類があるかどうかという点につきまして一々承知しておるわけではございませんが、ちゃんと確認をしてサインをする、そしてそれぞれの政府奨学生として受け入れてもらうということは、フランス、スイス、インド、西ドイツ等、行なわれておるところでございます。   〔西岡委員長代理退席、森(喜)委員長代理着席〕 これはやはり、政府奨学金をもらう留学生として受け入れます場合に当然のことではなかろうかと思っております。  具体的に、東南アジアの国々が、今度は逆にどういうふうにしておるかという点は、私はつまびらかにいま材料を持ち合わせておりません。これらの国々も留学生を受け入れておると思いますが、どのようにしておるかにつきましては、また後刻、資料が整いました段階でお答えをさしていただきたいと思います。
  117. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 誓約書が学生の間にたいへんな窮屈な思いをさせておる。もちろん国費で来る場合には、政治活動をする目的で来る学生はおそらくないと思うし、そうした信頼というものが、これから国連大学本部もできるという中で、たいへんな問題ではないかと私は思うのです。この間、田中総理がタイ、インドネシアを訪問したときに、学生の反日運動があった。そのときに、日本におるタイ、インドネシア留学生に対して、あるテレビ局がインタビューしたことがあったやに聞いております。そのときに、その学生は、まあそういうことについては一言も言えない、こういう誓約書があるからということで、あまりインタビューに答えなかった。そのときに、それが電波に乗って全国に放送された。その放送された直後に、文部省の留学生課、だれか知りませんですけれども、意見はよいけれども批判はいけないというような電話がその寮に入った。そういうことで、インタビューをしてそれが報道されたときに、そういうように文部省から、意見はよいけれども批判はいけないという電話が入って、その学生間では、マスコミには今後応じないという決議をされたやに私は聞いておりますが、これはあまりの行き過ぎではないか。一体、意見と批判とどう違うのかというように考えるわけですが、そのような事実があったのかどうかお聞きをいたしたいと思うのです。
  118. 木田宏

    ○木田政府委員 テレビのインタビューに対しまして、文部省の担当者からいま御指摘のようなことを、そのインタビューを受けた学生に申したという事実は、私どもは心当たりがございません。そのことだけまずお答え申し上げます。
  119. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 私は学生がうそを言うわけはないと思うのです。純粋な学生がそのようなうそを言うことはないと思います。文部省は、局長はまだ聞いてないということなんですが、文部省の中でそういう事実があったということは、私は事実だと思うのです。その辺について、あったとすればどうお考えですか。
  120. 木田宏

    ○木田政府委員 まことに申しわけないことですが、留学生課の関係者も、残念ながらそのテレビ自体をだれも見たことがないようでございまして、どうも電話のかけようもなかったろうと思うのでございます。
  121. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 だれもテレビを見たことがないということをどうして確認したのですか。いまそこに留学生課の諸君は全員おらないじゃないですか。
  122. 木田宏

    ○木田政府委員 そういうことがすでに話題にあがったようでございまして、課長が課員に確かめたようでございますが、そういうテレビそのものについて見た人間がいなかったということでございます。
  123. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 ここでやりとりしてもあれですが、私は事実そのように聞いております。そうなりますと、学生間におけるいわゆるそうした誓約書をかわしたという事実でそういうことがなされておる。文部省が国費留学生に対して、意見はいいが批判はいけない。意見と批判とどう違うのか、これは広辞林で引けば多少の違いはありますけれども、実際そのものについてどう違うかということはなかなかむずかしい問題であろうと思うのであります。そうしたことがその留学生に対してとやかくされる。留学生の精神、気持ちに対するものとして私はたいへんな問題があろうかと思うのです。したがって、国際間の信頼、文部大臣の所信表明の中にありますように、ほかの外国でやっているからいいんだというのじゃなくて、ほんとうに日本がアジア各国の信頼を得るため、たくさんのアジア出身の留学生を持っておる日本の政府として、文部省として、あるいは今後国連大学本部ができるというたてまえからいっても、この誓約書の問題については十二分に検討する段階に来ていると思うのです。したがって、この条項について大臣、誓約書をかわすということを廃止するという方向で考えるべきではないかと思うのですが、その点いかがでありますか。
  124. 奥野誠亮

    ○奥野国務大臣 国際慣習から言いますと、一般に外国人は内政干渉にわたるような政治活動をしてはならない、これは常識的なことのようでございます。また国費留学生が国内におきまして本国の政府に対する反対的な活動を行ないますと、これまた両国の国交の上に問題が起こったりすることにもなるわけでございます。そういう意味におきまして、やはり政治活動はしないのだということで、勉学に励んでもらう、これが必要ではなかろうか、こう思います。誓約書をどういうかっこうで出してもらいますのか、その辺につきまして悪い感情を抱かせないような配慮は十分していかなければならない、かように思っております。
  125. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 私は何回も申し上げますが、この誓約書についてはまた後日事実をさらに——ほかの問題もあります。そうしたことで、国際間の信頼を得るために検討をすべき段階にきていると思う。検討というのじゃない、もう廃止をすべき段階にきていると思う。その廃止がさらにアジア間のわれわれの国際的な信頼を得る貴重な第一歩であると私は確認をいたします。  そこで、留学生が日本に入ってきた場合の文部省の留学生に対する考え方、お人形さんのように箱に入れて、どうも閉鎖的であるというように考えざるを得ない。日本語学校にしても、東京外国語大学の付属の施設になっておるわけでありますが、非常に離れた場所でやっておる。学生の希望は、もっと日本人と交流を深めて、日本人と生活をともにしながら学びたいという希望がたいへん多いわけであります。日本人の社会からたいへん隔離をされているような感じがする。そこに信頼感が得られない一つの大きな条件があるのじゃないか。学生の要望は、日本人学生とのまじわりを深めながら勉強していきたい、これは当然なことだと思うのです。私も、いまは外地になっておりますが、そこにいたときに、つとめて日曜とか休みを利用しては、ことばのわからないいなかに飛び入って現地の人たちと話をする、またその中で民情も知るということにつとめたことを思い出しますが、そうしたことがたいへん大事なことじゃないかと私は思うのです。そうした留学生を迎える政府の閉鎖的な考えがあるのじゃないか。何とか日本人と触れさせないようにして、留学生にそうした政治活動をさせない。もちろんするようなつもりで来ているわけじゃないのです、国費ですから。もっと自由にして、しかも日本を知ってもらうために閉鎖性をなくしていくことが大事ではないか、もっとあたたかい思いやりを持った、留学生を迎える文部省側の受け入れ体制が大事じゃないかと思うのですが、その辺についてのお考えどうですか。
  126. 木田宏

    ○木田政府委員 御指摘のように、日本の大学に学ぶことがほんとうに気持ちのいい青年の交流の場であるというふうになりたいものだ、そのように考えます。しかし、これは長い日本人の、われわれ社会の生活習慣の違いその他もございますので、一気にそこまでまいりません。率直に私どもも国費留学生の今日までの流れを考えながら、文部省は呼んでくるが、大学はそれをどうも気持ちよく受け入れてくれないという一面がかつてあったことも事実でございまして、留学生を肝心の大学側が荷やっかいに考えるというような考え方がある。そしてまた大学のキャンパスの中でことばの不自由な学生を受け入れるというのも、日本的な非常に特殊な事情でございます。本来留学生は、その国のことばで自由に用が足りる段階になって勉学ができるという保証があって入ってくべきものでございますけれども、戦後の日本の留学生の過程は、ことばができなくとも、日本でことばの勉強から教えてやろうというところまで踏み込んでまいりました。またそれをやらなければならない実態もございました。そういう関係上、なかなか今日まで、たとえばアメリカの大学に諸外国の学生が自由に集まって英語でしゃべっているというような留学の風景になっていないことは事実でございます。しかし、このことはほっておくわけにはまいりません。一歩一歩その望ましい方向へ進めていかなければならない。そういう観点から、私どもも最近特にでございますが、大学自体が責任を持って学生の交換をやる、そういう方向を打ち出して、大学自体が自分の学生として同じように留学生も受け入れてくれる、こういう方向へ予算の上でも国費留学生交換制度等も実施をいたしまして、ものの考え方を進めておるわけでございます。また国費、私費の留学生も同じように受け入れたならばその教育経費を見てやろう。いままでは国費留学生だけを特別に世話をするというふうなかまえでございましたけれども、そうでなくて、国費の学生も私費の学生も一緒に勉強しておるわけでございますから、一緒に勉強することに対して教育の経費を見てやろう。またそういう指導の体制もとってもらいたいというふうに、大学自体のかまえ方もいま少しずつかじをとりかえておるところでございます。幸いに機運が動いてきておりますので、これは一両年の間にというような短期の問題ではございませんけれども、いまお考えのような方向に少しずつ努力をしておるという点だけはひとつ御理解を賜わりたいと思います。
  127. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 文部省もさることながら、大学側もやはり国公立の大学に留学生を受け入れられないような閉鎖的なものがあるということは局長も認めましたので、どうかひとつ大学自体も、そうした留学生を迎える姿勢というものについてここら辺で考える必要があろうかと私は思うのです。YWCAの母親委員会の荻田セキ子さんですか、その人がこのように言っております。「Bさんは日本に来て八か月間、日本語教育を受け、私費留学生に対する統一試験を受けた。この試験で、かなりよい成績をとり、いくつかの国立大学に当たったが結局すべてダメだったという。それらの大学では、今年は留学生をとらないからと願書さえ受けつけてもらえなかったり、日本人学生と全く同じ選考方法であったり、また、留学生は特別に選考するというので受験したら、留学生がどっと押しかけ、十数倍の競争率であった、という。」十年以上もこの問題に取り組んでおります愛知大学の田中助教授も、「日本の大学は現在もなお鎖国状態であり、開国しなければならない。学生の中に各国の学生が数多くいることがその大学の誇りであるという発想の転換が必要。しかも政府主導型の開国ではなく、大学人みずからが解決すべきだろう」と、このように忠告をいたしております。この留学生問題については、いままであまり論議もされなかったようでありますが、問題はなおさらに山積いたしておるようであります。こうした国際間の交流、特にアジアと日本との交流、あるいは日本をもっと知ってもらうという意味からも、大きな役割りを果たすのが私はこの留学生の問題でもあろうかと思うのです。したがって、そうした問題を謙虚に聞いて、問題解決をいたすべく努力をしていただきたいことを要望いたしておきます。  次に、かなりそれと同じような問題でありますが、今度は海外の勤務者の子女教育あるいは帰国されてからの教育という問題であります。今回予算の中に帰国子女に対する研究指定校あるいは海外の勤務者の子女に対する研究調査というものを進めて、その問題を解決するということに手をつけたことは一応評価をいたします。しかしながら、日本に帰ってくる児童は四十五年に千六百人、四十八年に二千八百人、本年度は三千七百人にのぼると見られておる。かなりの数にのぼってきておる。ところが、帰ってきて一番の親の悩みは、海外で教育を受けて帰国した際、ことばのハンディキャップと国内の受け入れ体制というものがきわめて不十分なために、もう一度海外へ行こうと決意をされておる父兄もあることを私は聞いております。どうしてもわが子の教育ができない、学校に行かなくなってしまった。そこでいたし方なくもう一度職をかえて海外へ渡っていこう。こういうようなことを考えると、この子供教育という問題はたいへんな問題であろうと思うのです。  ところが、この研究指定校、帰国子女特別学級というものは、東京であるとか大阪、愛知に一カ所、兵庫、そういった大都市でありまして、帰国された日本人の方々は何も東京や大阪ばかりに住むのじゃない。静岡県にも住んでおります。あるいは山梨県にも住むであろう。そうしたときに最大の悩みは、この子供教育である。とすると、東京に宿を求めて、そこに住んで山梨に通わなければならない、東北に行かなければならないという、そうした親と子の別生活というものを考えると、たいへんな問題であります。  それと同時に、この研究指定校にそうした子供が通学をいたしておりますが、一体ほんとうに満足な教育を受けられているであろうかということが一つの問題点。それから、こういう研究指定校、学級がないところは普通の小学校に通わせました。ところが一週間行って子供がいやになってしまった。生徒数の多い四十五名の中で、一人だけ全然ことばがわからない子に対する教師の負担も大きい。また子供もハンディを感じていやになってくる。つまるところは私学にお世話にならなくちゃならない。やむなく私学に通わせて、そこで特別にめんどうを見てもらっている父兄もあることを私は知っております。  そういうことを考えますと、今後この帰国者が千六百から二千八百、三千、また五十年にはさらにふえると予想されることを考えると、手をつけたことは一応評価はいたしますが、これではまだまだたいへんな問題があるのではないかと思います。この辺について将来どのように考えておりますか。あるいはこの研究指定校、預っている学校で一体成果をあげているのかどうか。私、事実を確かめればよかったのでありますが、時間がなかったものですから確かめることもできません。そのことについてお答えを願いたい。
  128. 清水成之

    ○清水政府委員 ただいま御指摘いただきました帰国子女の点でございますが、御指摘のとおり非常に大事なことでありますと同時に、また困難な問題もあるわけでございます。  御指摘のように研究指定校が発足されておるわけでございますが、これも実態調査に基づきますと、東京、神奈川、兵庫、大阪というところの学校へ九割が入っており、あと一割がその他の地方という実態がございます。そこで、当初東京を中心に研究指定校を開設したわけでございますが、その後これを拡充いたしまして、ただいまお話しのとおり、神奈川なりあるいは兵庫地区、あるいはまた愛知地区に徐々に拡大をしてまいっておるわけでございます。その点ひとつ今後の実態調査も踏まえまして、いかなるところにどういう研究協力校等を設けたらよいかということを検討してまいりたい、こういうことをまず御了解いただきたいと存じます。  それから研究指定校の成果等の点でございますが、お話にございましたように国語、言語能力の点が一番障害になっておるということは、研究協力校から指摘をされておる点でございます。これらの点につきまして、最近も若干研究指定校のまとめがございますが、そういう子供に対して普通学級の中でどういうところから導入をしていったらいいかというような失敗談あるいは成功例もございます。それから一面、そういう学習指導面のみならず、非常に大事なことといたしまして、生活指導の点がきわめて大事である、友だち同士の間における日常会話の点とかあるいは習慣等の点、こういう生活指導の点がきわめて大事であるという指摘が研究指定校からあがってきておるわけでございまして、これらの積み重ねを普及をしてまいって、ささやかではございますが、努力をしてまいりたい、かように考えております。
  129. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 研究協力指定校は公立だけになっておりますが、一番少ないところで五名、私学で地方でそういう子供を預って協力指定の学校があるとすれば、私学に対しても協力研究指定校という指定は今後考えるおつもりはないか。
  130. 清水成之

    ○清水政府委員 ただいまの点でございますが、実は指定しておりますのは公立だけではございませんで、私学につきまして小・中で三校、現在東京と神奈川で指定をしております。なお高等学校につきまして四十八年度から開設したわけでございますが、公立一校、それから私立二校を指定しております。  なお、ただいま御審議いただいております予算案におきましてこれを二十二にふやしたい、こういうことでございますので、各地域の配分、また地域の御協力を得まして、公私の点等につきましても勘案をしてまいりたいと、かように考えます。
  131. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 そういう私学があれば指定をするということですね。——それで了解をいたします。  次に、国連大学につきまして今回予算が計上されております。文部省の要求額は三億六千四百万円であったろうと思うのですが、ちょっと文部大臣首をかしげておりますけれども、実際そうなんです。ところが決定額は二億一千八百万円ということになってきておる。日本が最大の努力をされて国連大学本部ができるようになった。この本部開校の準備費が最初は二億二千万、これが一億五千万に減額になった。要求よりも減らされたわけですね。それから本部の建築費が一億三千万が五千三百万、半分になった。設立準備委員会の一千万が六百万、このようにたいへんに減らされてまいってきているわけでありますが、せっかくの国連大学本部ができるということで、日本がものすごい力を入れて運動をしてかちとった大学が、そうした三億六千四百万円を要求されて一億円も減らされて本年度開校準備にとりかかることになるわけですが、たとえば本部建築費が半分にも満たない。これは内容を見ると、多少敷地の問題があるようにこの予算面では見られますが、この要求額に対して決定された二億一千八百万で一体国連大学本部が順調に設置をされることができるかどうか、その辺について文部大臣……。
  132. 奥野誠亮

    ○奥野国務大臣 国連大学本部は、日本が希望いたしまして、幸い日本に設置されることになったわけでございます。それだけに、今後、国連大学本部が日本に決定されてよかったなと、国連はじめ世界の国々がそう考えてくれるような内容のものにしていきたい、強い決意を持っておるわけでございます。  国連大学本部あるいはまた研究施設、どこに設置するかということにつきましては、まだ国連大学本部の理事会も発足いたしておりませんので、発足いたしましてから後に、理事会と相談をして決定をすることになるわけでございます。したがいまして、今回予算に計上しておりますのは、それまでの間の仮の事務所、その費用を今年度分について計上しているわけでございまして、当初はかなり早い時期からそれが必要であろうかと思って予算要求もしておったわけでございますけれども、いろいろな検討を経た結果、九月からということでよかろうというようなことになりましたりして、御指摘のような金額の計上にいたしておるわけでございます。本年度に関します限りはこれで十分だと考えておるわけでございますけれども、もちろん国連大学本部側として不十分だというような事態が起こってきた場合には、補正予算を求めて、あるいは予備費の支出を求めて、満足していただけるような方向に運びたい、そういう強い決意を持っておるところでございます。
  133. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 確かに予算要求のときも仮事務所ですよ。そして進めていこうということなんだ。これが一億円も減額されたということになると、かなり支障を来たすじゃないかと私は思うのですが、具体的にその辺の心配がないかどうか。仮事務所は要求も決定も同じなんです。
  134. 西田亀久夫

    ○西田政府委員 御指摘の点で、当初要求から金額的に大きく変わりましたのは、私どもは、この概算要求の当初の段階では、仮事務所を開設をして、そこに大学本部として将来のいろいろな研究、教育計画を立てるためには相当いろんな設備が要るであろう、その中の最も大きなものがコンピューターでございまして、しかしその後、国連当局と連絡の結果、理事会がきまり、学長がきまり、そして当初大体三十名から五十名の首脳部が、大学の基礎づくりのほうにまだ初年度は非常に忙しいという段階で、まだまだ文献、資料等を整えたコンピューターによる将来の計画作成という段階まではなかなか初年度はいけないだろうという見通しを立てまして、その部分は設備の中で割愛いたしました。コンピューター一つでも何千万というけたでございまして、それが最も大きなものと、それから仮事務所というところの借り上げ期間をぎりぎり詰めてみますと、まあ九月からで大体向こうのテンポと合うであろう。さらに、将来の本施設をつくる土地についても、基本設計を行ない、そしてその辺の土地の状況等を調査するということで、必ずしもまだ本年度内に所定の場所を借料を出して借り上げて、建設準備に具体的に手をつけるというところまでは、まだ全体のテンポからいって言えないだろう。かような技術的な検討の結果、この二億一千万で、ただいま大臣が申し上げましたように、わがほうとしての初年度の準備は一応まず大きな欠陥なしに遂行できるだろう、かように考えております。
  135. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 大臣にお聞きしますが、この国連大学というものは、国民の間にはなかなか一応の内容、輪郭すら理解されておらないという感じがします。せっかく日本の国にできるわけですから、こうした国連大学について、宣伝といいますか、理解といいますか、深めるために私は文部省としてはしなければならないと思うのです。なかなか、かなりの有識者でも、国連大学の内容とかいうものについては、わからないというのが本心じゃないかと思うのです。  それと同時に、この国連大学の設置を進めるために、これはどこかでちょっと見たことがありますが、大学協力委員会設置を提唱しておる人もあります。そうした意味で、スムーズにこの事業を進めるために、そうした国連大学協力委員会、仮称でありますが、あるいは推進委員会でもけっこうです。そうしたものを設置されて、この大学がスムーズにいくように考えるべきであると私は思いますが、大臣のお考えをお聞きいたしたいと思います。
  136. 奥野誠亮

    ○奥野国務大臣 なるたけ早い機会に、政府内部の問題といたしましては、文部省と外務省との間で国連大学本部を設置するについて日本側の委員会組織をつくりたい、こう考えているところでございます。  同時にまた、国連大学本部ができ、そしてまた研究施設ができます場合には、おっしゃいますように、これに協力する民間の機構、そして関係者の便宜もはかってやる、政府でやれないことに側面的に協力してあげる、そういうような機構も必要だろう、こう考えておるわけでございます。これは次の段階で必要になってくる問題だ、こう思っているところでございます。御指摘のとおりに努力していきたいと思っております。
  137. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 所信に対する質問は以上で終わります。あと具体的な問題は次の機会に譲ってまいりたいと思います。
  138. 森喜朗

    ○森(喜)委員長代理 安里積千代君。   〔森(喜)委員長代理退席、委員長着席〕
  139. 安里積千代

    ○安里委員 大臣の所信表明に関連してお伺いいたしたいと思います。  前回の議会におきましても大臣の所信表明を承りました。文教施策の基本方針がそう毎年変わるはずはございませんし、基本的には同じ立場に立っての所信表明だと考えておりますが、昨年のお考えと今度述べられました所信表明との間に、基本的にお考えの違うところ、あるいはまた進歩したところ、あるいは後退したところ、こういったようなところがございましょうか。特に昨年と違って、本年の所信表明において強調されようとしますること、具体的な問題はけっこうございますので、基本的な文教行政に対する所信についてだけ承りたいと思います。
  140. 奥野誠亮

    ○奥野国務大臣 社会の変化あるいは国際社会の変化に対応して日本の教育を考えていきます場合には、やはりそれなりに努力をしなければならないところが多分にあると考えておるわけでございます。学術の振興の問題にいたしましても、あるいは国連大学の本部が幸いに日本誘致にきまりましたけれども、こういう問題にも力を入れていかなければならない、こう考えるわけでございますけれども、国際社会から信頼される日本人はどうあるべきか、それを教育の面において特に反省をし力を入れていかなければならない問題が非常に多くなってきておる、こう思っております。
  141. 安里積千代

    ○安里委員 そこで、現在の世相の中にありまして、文教の立場からどのように見るかということをお伺いしたいのです。  もう少し具体的に申し上げますというと、日本が経済大国として相当繁栄を誇っておりますけれども、残念ながら対外的にはエコノミックアニマルという非難を受けまするし、またそのような関係もありましょう、一国の総理が外国に行って排斥を受けるという、極端に申しますならば国に対する屈辱的な処置を受けてくる、こういうような事態も起こりました。  この経済大国の内にありましては、今度はいわゆる石油ショックというものもありまするけれども、異常なインフレ、物価というような問題で、不当な買い占め売り惜しみ、こういうようなものも行なわれてくる。なおまた、社会にもいろいろな不愉快な、これまで見られない多額の金の詐欺、横領、あるいはまた教職にある中にありましてもいろいろな問題が起こっております。こういう国柄全体から見ました場合において、異常な状況にございますこういう世情の中において、これを文教の立場からどのようにごらんになっていらっしゃるか。
  142. 奥野誠亮

    ○奥野国務大臣 御指摘の数々を考えてまいりますと、この辺でこれまでのあり方、もう戦後三十年近くたったわけでございますけれども、一ぺん反省をしてみて、そして新しい国民性はどうあるべきかということで教育の改革に取り組まなければならないのじゃないだろうか、こんな気持ちを抱いているところでございます。  こういうことばづかいがあるかどうか知りませんが、私は戦前の教育のあり方を超国家主義の教育、こう申し上げますならば、戦後の三十年近い日本の教育を超個人主義の教育、こういう言い方もできるのではないだろうか。やはり両方大切なことだな、両者の反省を踏まえてこれからの教育のあり方をくふうすべきだな、こんなことを言ったりもしている人間でございます。そういう意味で試練の年だ、りっぱな国民性をこれからつくり上げていかなければならないのだ、こんなことを言っているわけでございます。  どういう意味で超国家主義的な教育、超個人主義的な教育ということを申し上げるかと申しますと、やはり戦前の反省の上に立って戦後の教育が進められてきた。その中では、たとえて申し上げてまいりますと、戦前は義務の強調が行なわれた。戦後は権利意識に目ざめろ、こういう主張がされてきた。権利意識に目ざめるためには、戦前のような報恩感謝の気持ちを言うておったのでは権利思想は弱くなってくるのではないか。自然いつの間にやら、ありがとうとか、すみませんとかいうようなことばをできる限り言わなくなってしまった、たいへんすさんだ社会になってきたのではないか、こういう感じもするわけでございます。  そういう式にいろいろなことを取り上げてまいりますと、数限りなくあるわけでございますけれども、やはりこの辺で戦後三十年の姿を反省してみて、これから日本国民はほんとうにいかになければならないかということを真剣に考えていかなければ、国際社会でも信頼される日本人として発展していくためには困難だな、こう思っているわけでございます。  必要でありますならばなおこまかいことも申し上げますけれども、そういう気持ちの上に立って努力をしていきたい、こう思っておるところでございます。
  143. 安里積千代

    ○安里委員 たいへん私の質問がばく然とであり、何をねらっての質問であるかということもおとりにくかったろうと思いますが、私がいま取り上げようとしまする問題は、この思想の中にあらわれておりまするどれ一つをとらえてみましても、いわゆる物質万能、物重点ということがすべてに災いしておる、それから生まれておる問題だと考えております。  それで、所信表明の冒頭に大臣は、ことしは試練の年である、きびしい試練の年である、こういうふうに表明されておられます。試練ということばからきまする感じは、経済的に非常に苦難、困難な世の中になったという場合にはやはり物質的な問題というものがどうしても頭にまいります。ことしは苦しい年だ、だからがまんしろ、あるいはこの苦しさに耐えて勝ち抜いていけ、こういった気持ちがこの試練ということばから反射的に受ける気持ちでございます。しかし、いま大臣がおっしゃいましたが、私は、試練の年というよりも、そのような世相の中において、文教の立場からするならば反省の立場じゃないか。いま大臣も反省ということばを何回となくお使いになりました。私はまさにそのとおりだと思っております。政治の場におきましても非常な対決です。保守・革新の対決とよくいわれます。あるいはまた、文部当局と教育現場の日教組の方々との対立もいろいろなことをいわれます。何となくとげとげしい中にあります。こういう中にあって、何もかも政治が悪いということをよくいわれますけれども、その政治自身は国民自身がつくったものであります。国民の手によって生み出された政治であります。  そこで、その国民をつくる教育であります。としまするならば、あらゆる世相の中において教育に携わる者がほんとうに反省の上に立って——政治も経済もすべて人間が支配するわけでございます。こういう世の中に対して教育の面をどうしなければならぬか。なお極端に言いまするならば、人づくりが悪かった、教育が悪かったからこういう世の中になったということも言えるかもしれません。そうでなくても、教育者としては、政治家の持つところの感覚よりもほんとうに真剣な意味において教育者の反省というものが私はなければならぬ、こういう感じを持ちますために申し上げたのであります。そしてそのことが、大臣の所信表明の中に昨年のものと違った重要な表現が私はあると思っております。意識的になされたのかそうでないかはわかりませんけれども、それは前回になかったところの、心の豊かな、あるいはまた「自己の利益のみを追求することなく、」こういうことがこの前の所信表明の中にはございませんでした。「今日のきびしい時代にあって、日本人が単に物の豊かさのみでなく、心の豊かさを持ち、国民として、社会人としての教養を」云々ということばがございます。私は、いまのいろいろな問題の中において、物の多寡、物のあり方ばかりが中心になっておりますけれども、欠けておるところの心の豊かさ、これをどのように築くかということ、確かに自己の利益のみを求めてというこのことばの中にも私は非常な意味がある、こう考えております。  そこで、この特に二つのことばが私は今度の所信表明の中において、大臣とされまして教育に臨む基本的な、進んだと申しまするか、反省の上に立ったところの立場があるんじゃないか、このように私は善意に見るわけでございますが、大臣の所信をあらためてお聞きしたいと思います。
  144. 奥野誠亮

    ○奥野国務大臣 試練の年ということばも、経済的な問題よりも、日本の国民性がどうあるべきか、国民性が問われる試練の年だ、こんな気持ちで私はよく試練の年ということばを最近使っておるわけでございます。御指摘いただきました点、私たちそのとおりに感じているわけでございまして、またそういう気持ちで使っているのでございます。  やはり敗戦の直後は食べていくことが精一ぱいだったと思います。自然、経済重点に政治が動いてきた。非常な好運にも恵まれたわけでございますけれども、驚くほど早い時間で経済の復興を達成したわけでございますけれども、その間に心の問題が伴っていなかったということになるのじゃなかろうか、かように考えるわけでございます。やはり個人自身がどちらかと申しますと利己主義に堕しておったじゃないか、社会とか国家ということがことさらに忘れさせられてきたじゃないだろうか。そのことが東南アジアの人たちから見ましても、日本は経済協力というけれども経済侵略じゃないか、こう受け取られるわけでございましょうし、日本人の都合ばかり考えているじゃないか、こういう批判にもなるわけでございましょうし、口でいいことばかり言うているけれども、やっていることは全く違うじゃないか、こういう批判にもつながってくるのじゃないか、かように考えるわけでございます。やはり社会全体のことを考える、あるいはまた世界全体のことを考える、そういうような日本人に今後大きく伸びていかなければならないのじゃないだろうか。いろいろな困難が今後来ると思うのでございますけれども、そういう困難にうちかてる国民性をつちかっていかなければならないのじゃないだろうかなと深く考えているところでございます。
  145. 安里積千代

    ○安里委員 昨年の議会で問題になって議会を通過いたしましたいわゆる人材確保法の問題、私どもは賛成の立場に回ったわけでございますけれども、文句なしに賛成をしたものじゃなかったわけでございまして、質疑の中においていろいろの疑義をただしたわけでございますが、大局的立場において賛成をしたわけでございます。もし討論の時間が許されるのであったならば、賛成するにしても反対するにしても、それぞれの考えというものがもっと明らかにされるならば、賛成するにしろ反対するにしろ、理解というものが成り立ったものだ、こう私は思っておるわけでございますが、そういったいろいろなことの対決ムードの中から、教育の中においても冷たさがある、とげとげしさがあるということを非常に残念に思うわけでございます。このことを申し上げまするのは、あの審議の際にも私は申し上げたつもりでございまするけれども、教職員の待遇をよくする、そして人材を確保する、この最終的な目的には異議はないわけでございまするけれども、問題は、教職員に対するところの待遇が悪い、給与がよくない、だから教職員に人材がない、こういうふうにとられるということになりますと、教職そのものもやはり物質に支配されるというような感じを受けます。そうでなくして、教職員の特殊な大きな責任、使命、こういったものに対して教師というものは魂を打ち込んでやっておる。これに対して国は相当の待遇をしなければならない、こういう立場において優遇措置を講ずるのだ。結果は同じでございましても、私は、発想の基本に相違がある、こう考えております。何となくやはり教育の面におきましても、物中心の考えというものが私は日本のこの教育の中においていつでも何らかのひっかかりが来る。そうして今日、実業人であろうが、政治家であろうが、あるいはまたこの委員会におきましても指摘されておりまする大事な教育関係の中におきましても、金銭につながる不愉快な問題があげられてくる。こうなりますと、ほんとうの人間をつくる教育というものがどこかに欠けたものがあるのじゃないかというような感じを抱かされるわけでございます。その点において心の豊かな、そして目の前の自己の利益のみを考えない教養のあるところの人をつくる、この基本的な方針には私は賛意を表しまするし、これからの施策もそういう気持ちでやっていただきたいと思います。それは文部当局であろうと、あるいはまた現場の教職員の組合の皆さんであろうと、その点においては同じものだと私は思います。ですから、両々相まって、真に調和のとれた教育というものがなされることを希望いたします。  そこで、二、三具体的な問題について承りたいと思っておりますが、先般、復帰後国立大学に移行いたしました琉球大学の中におきまして、講義を受けておる授業中の学生が、その教室の中において殺害をされたという事件が起こっております。大学の中において、教養ある人々の中において、やった方がどういう方か知りませんけれども教育の現場においてそのような殺人事件が行なわれるということは、これは実に嘆かわしいことというよりは驚くべきことだと思います。そのことは、前の、本土におきまする神奈川大学ですか、にもあったかと思っておりますが、講義を受けながら、その途中でやられたということは、おそらく前代未聞じゃないかと思っております。この実情につきましては、当局も御報告を受けておられると思います。また、当然刑事事件でございますので、警察当局もこの点に対する調べがなされておると思います。どちらから先でもよろしゅうございまするから、報告あるいは調査をされた範囲内におきまして、その実情についてお述べいただきたいと思います。
  146. 木田宏

    ○木田政府委員 琉球大学の学生が死亡した事件につきまして、事件の概要を御報告いたします。  死亡した学生は、比嘉照邦でございまして、琉球大学法文学部文学科一年生でございます。昭和四十八年の四月に入学をいたしておりまして、県立名護高校を四十六年三月に卒業した学生であります。  事件の発生は、昭和四十九年の二月八日金曜日午後一時五十分ごろでございまして、琉球大学教養部のA教室、プレハブの一階建ての教室でございます、そこで事件が起こりました。この比嘉君が、物理の授業を約四、五十人の学生とともに教養部の教室で受講中、一時五十分ごろ七、八人の学生が自治会の委員長の名前を叫びながら入ってまいりまして、比嘉君が立ち上がって逃げようとしたところを取り囲まれて、鉄パイプ、バールで殴打されたということでございます。このときちょうど黒板に向かって、新垣義一という理工学部の教授が、これは初代の学生部長をやった人でございますが、黒板に字を書いておりましたときに起こったことでございまして、振り向きざま暴力はやめろということを叫んだわけでございますが、瞬間のできごとでございまして、乱入者はそのまま逃亡したということでございます。  以上、私どもの立場から、大学の中で起こりました事件の概要を簡単に御報告申し上げます。
  147. 柴田善憲

    柴田説明員 捜査の概況を御報告いたします。  同日、事件発生と同時に一一〇番が入りましたので、直ちに沖繩県警察本部から百名足らずの者を現場へ急行させまして、何とか現行犯で逮捕いたしたいと努力いたしましたが、結局逮捕ができませんでした。そこで、同日捜査本部を設けまして、捜査を続けております。その間、本件に関係いたしまして四カ所捜索いたしまして、これまでに七人の者を兇器準備集合罪あるいは銃砲刀剣類所持等取締法違反ということで逮捕をいたしております。  なお、本件の犯行に使われたと思われますレンタカーが一台遺留されておるのを発見いたしましたので、この関係を捜査いたしまして、一人の中核派とおぼしき人間でございますが、この者を本件の殺人罪で二月の十一日に全国に指名手配いたしまして、目下その行くえを追及中という状況でございます。  なお、逮捕いたしました七人の者も、いずれも沖繩におきます中核派の最高幹部でございますので、これらの者と本件殺人事件との関係につきましても、目下鋭意追及をいたしておる状況でございます。
  148. 安里積千代

    ○安里委員 局長の御答弁の中に、大学の中で死亡した事件だとおっしゃいましたけれども、ことばは非常に違うのです。私は、殺されたとお聞きしているのですよ。死亡したのと殺されたのではだいぶん違うので、簡単なことばのようでございまするけれども、受け取り方が、もし単に死亡したというふうに受け取られるのでありましたならば、この事件の趣旨というものが誤解を受ける。正しく理解をされておるとは思いません。  そこで、もちろん文部当局とされましては、その程度の状況だと思うのでございまするけれども、警察当局のほうでは、中核派の者だと思われる、こういうふうにおっしゃっておられるのでございまするが、前回、本土におきましても、これはもちろんやはり学校内あるいは学校外においても、この種のいわゆる内ゲバといわれる争いの結果、大事な生命を奪うという、人権尊重だ、あるいは平和だ、いろんなことが口にされまするけれども、人間を殺すということ自体というものは、これは社会一般においても考えられない異例なことなんです。これが学内において行なわれる。一体どういうところからこういうことが平気で行なわれる状況なのか。しかも大学に関係あるところの学生の諸君と見られる中にこのようなことがなされるということは、教育のどこかに欠陥があるのか、あるいはこの人々の大学に入るまでの過程における人間形成にどこかにあれがあるのか。あるいは社会全体が悪い、政治のどこかにゆがみがあるがゆえに、このような事態になっておるのか。こういったものに対する文部当局、文教当局の見方はどんなでしょうか。  あわせまして、私は警察庁の方にお聞きしたいのでございまするが、中核派に属されておるという者でございまするが、これはまだ在学中の人々でしょうか、それとも琉球大学外からの者であるのか、そういった点についてのお取り調べがあったら、それも承りたいと思います。
  149. 木田宏

    ○木田政府委員 先ほど御答弁申し上げました中で、ことばづかいが適切でなかったという意味での御指摘もあったようでございます。確かに殺されたことでございまして、ただ単に客観的に死亡したとだけ事柄を理解しておるわけではございません。補足させていただきます。  なぜこうした問題が起こるかという点につきましては、私どもはいろいろと検討もいたしておりますが、その的確な原因について御説明を申し上げるだけのものをまだ持ち合わせておりません。かつて非常に大きな学生の集団の騒動として大学の紛争が起きまして、今日一般学生はそうしたことに対していわば鎮静化したと申しますか、へたな動きをすることがなくなってまいりましたが、その一面、特殊な運動家、過激派が何か極端な行動に出ることが目立つようになってきております。浅間山荘事件もそうでございますし、また国際的にもテルアビブのような事件も起こってまいりまして、ごく少数の者が窮鼠ネコをかむようなむちゃくちゃな行動に出ておるということを、流れとして感ずることがございます。  その原因が教育上何かあるのではないかという点でございますが、私は、これはやはり個々の青年の発育の過程におきまして、自分自身の進路を踏み違えておる、またその近回りの人たちの環境というもの等とも何がしか関係があろうかと思いますが、責任という点から考えますならば、私は、こういうことに対して他に責任を求めるべきではなくて、本人の間違いというものを本人自身の発育の過程の中で正すように考えていくべきではなかろうかというふうに思っております。もちろん教育制度全体、あるいは学校におきます学生の指導、取り扱い等について留意しなければならないこと等は、われわれも感ずる点がございます。そのつど大学の中への凶器の持ち込みを禁止するとか、あるいはこうした学生の暴行、集団の威圧等に対して適切な大学としての措置をとるようにということはいろいろと言っておりまして、それらの措置を一段と高めていくということも、こうした不幸をなくする上で大事な措置だと思いますが、やはり問題は、本人自身の誤った行為というものを責めるという考え方を強めていかなければならぬというふうに考えております。
  150. 柴田善憲

    柴田説明員 本件の殺人罪につきまして、これまで逮捕いたしました者あるいは指名手配いたしました者の中には、現在大学生であるという者はいないようでございます。ただ、本件犯行の手引き等をいたした者の中にいるのではないかという疑いがございますので、その点は目下捜査中でございます。なお、沖繩県ではいましきりに内ゲバが続いておりますが、これらをやっております者の中には、現在大学生の身分を持っておる者がおるのではないだろうかと思いまして、これも捜査継続中でございます。  なお、今回逮捕いたしました者の中にも、現地中核派の最高幹部二名が入っておりますが、これはいずれも本土から出かけた者でございます。沖繩問題というのは、極左暴力集団の各派が絶好の闘争テーマということで、昭和四十五年ごろから次第に内地からのオルグを送り込み始めまして、最盛時の四十七年ごろには相当数の数になっております。私どもの把握いたしておりますだけでも、中核派の場合は約六十名くらいの者がおったというふうに見ておりますし、あるいは革マルにいたしましても十名ないし十数名の者が行っておった。その他、各セクトがそれぞれオルグを入れて、向こうでしきりにオルグ活動をやったということをつかんでおります。なお、この最盛時以後は次第に数が減ってきておりまして、現在常駐の形で本土から出かけていって残っております者は、中核派で十数名おると見ております。その他革マル、それから共産同、ブントというものがありますが、このセクトがそれぞれ少数の者を残して引き続いてオルグ活動を続けておる、そういう状況であるように把握をいたしております。
  151. 安里積千代

    ○安里委員 警察庁のお話では学生でなかったというお話を承りまして、何となく身が軽くなったような気持ちもするわけです。もし学内において学生の身分を持ちながらそのような闘争に、ことに人の生命を断っても省みないというようなことが行なわれるとするならば、教育の場にある者としますれば、それだけの人間に成長してくる中におきましては、いろんな過程を経ておるはずであります。その人々がどのような思想を持っておろうと、どのような境遇の中にあろうと、このような凶行をするような人間をつくり上げたということに対しましては、われわれは非常な責任を感ずるわけでございます。学校教育法学校の目的というものを読んでみましても、はたして大学がそのような目的のために進んでおるかどうかということについても、現状を肯定できないものもございますし、ちょうど偶然の機会でございましたが、この事件が起こりました同じ日の朝でしたか前日の朝でしたか、新聞の投書欄に、大学の学生の名前で、大学というものに対する学生の失望感、せっかく大学に持っておったイメージがこわされた、教師と学ぶ者との間に非常な差がある、教師に対する不満も述べられており、遊離された立場の姿に対しまする一学生の不満が投書欄に述べられておりましたが、くしくもその日かその翌日にこの事件が起こっております。私は、大学教育の中のどこかに何か欠陥がありはせぬか、こういったものの起こる根本的な問題について、教育の場において十分考えなければならぬ問題があるのじゃないか、このように思うわけでございます。  次に進みます。私立沖繩大学が認可になりまして、この問題につきましては、私自身経過を知っておりまするし、詳しくお聞きする必要もございません。復帰後における処理について当局もいろいろと御苦心をされた所産だと思っております。ただ残念なことは、沖繩の、これは復帰後の対策の一つであったわけでございまするけれども、二十余年にわたって本土から教育的には分離されました中にあって育て上げた私立大学であったわけでございますが、いろいろな隘路、これはもう当然予想されることでございます。教授陣あるいは施設、あらゆる点において本土の大学の基準に合わなかったという点も理解できるわけでございますが、問題は、その基準に合わない、これを充実させろ、これは文部当局として当然な言い方ではございます。しかし、諸般の事情、異民族の支配下にあって、いろいろな隘路の中に教育の火をもり立ててきた、この立場を考えるならば、もっと考える道があったのじゃなかったろうか。ただ規則一点張りでこの問題を処理したところに安易さがあったのじゃなかったかと、反省をさせられております。  それはそれといたしまして、とにかく認可になりました。新しく発足をすることになるわけでございますが、この問題は、いま委員長の稻葉先生大臣時代にも、こういう席上でどうかと思いますけれども、よく御存じだと思っております。就任後まつ先におっしゃったのはこのことでございまして、私は非常に感激したわけでございまするが、紆余曲折を経て設立認可になったようでございます。問題は、昨年の四月に入学しました、本来ならばもう二年次に入りまする学生の処遇であります。これで新しくというよりは予想せられたところの紛争というものがまた起こるし、問題がすべて解消したわけではない状況であるように新聞などでも報道されております。そこで、認可までのいろいろな詳しい事情というのはもう必要ございません。残された、昨年四月に入学したこの学生たちの処遇をどうするかということに対しまする当局のお考えを承りたいと思います。
  152. 木田宏

    ○木田政府委員 昨年も御答弁申し上げたかと思いますが、沖繩大学の当局の方々は、昨年の三月十九日の理事会におきましても、この学生の扱いにつきまして、政令に定めてあるとおり、正規の学生として扱うわけにはいかないことでございますから、聴講生として取り扱うというおとりきめがなされました。そして四十八年の四月以降聴講生としての便宜を与えてこられたものと思っております。  今回、四十九年度から新たに開設をする大学といたしまして、沖繩大学の設置を認可することになりました。しかしこの大学に昨年入りました聴講生がどういう形で受け入れられるかというのは、これはまた新たな問題でございまして、大学としては私どもに、聴講生として現在処理しておりますこれらの学生は、二年次に編入させるというようなことばございませんということを明言されております。またこれは当然だと思います。またかりにそのようなことをなさっても、法令上それは無効に属することになります。でございますから、四十九年から新たに発足する大学の学生として新たな位置づけをお考えくださる、こういうことになるほかはないものというふうに考えます。
  153. 安里積千代

    ○安里委員 いまの御答弁を承りますと、学校当局の中において、この新しく設立の認可を与えたその機会にこの聴講生を二年次に編入することはありませんという確約ですか、そういうことをこの認可の際において声明と申しますか言明をされたというのでございますか、経過の中においてそういうことがあったということでございましょうか。
  154. 木田宏

    ○木田政府委員 沖繩大学は五十一年三月三十一日までを限って存続する大学とみなされる教育機関ということに政令でなっておりまして、新たな学生の募集はできないということにされておるのでございます。そこで昨年、四十八年度の学生につきましては、その旧沖繩大学の聴講生として一年間便宜を与えられた、こういうことになっておる次第でございます。四十九年度から新たに沖繩大学の認可が行なわれることになりまして、新沖繩大学が発足するわけでございますけれども、その新沖繩大学は四十九年度から、これから学生が入るわけでございまして、まだ学生は何もおらぬわけでございます。四十八年度に法令の規定に違反して募集のようなことが行なわれたわけでございますが、これは法令に反することのないように、旧沖繩大学の聴講生として取り扱うということが四十八年の三月、大学当局のお考えとして御説明がございました。したがいまして、新大学の学生との関係はございません。そのことは大学関係者も十分承知をして、私どもにも、新大学との関係はないという意味で、従来の沖繩大学の聴講生として取り扱ってきておるものでございます、新大学の二年生になるというような取り扱いはございませんということを、大学関係者も昨年の暮れ、設置認可の過程で重ねて御説明がございました。
  155. 安里積千代

    ○安里委員 大体わかりました。  ところで問題は、局長は盛んに新たに設立した新大学である、新しく設立されたということに重点を置かれてのおことばでございました。法令上、扱い上確かにそのとおりであると思います。形式的には確かにそのとおりの、法令に従って新しく認可になっておりますが、しかし実質的には、この大学はずっと続いてきておったものなんです。法令に忠実なということはけっこうでございましょうが、生きた教育をする場において——確かに形式的には今度新しく認可した、新しく認可してこれからスタートする大学だ、理屈を言えばそうでしょう。けれども、実質的にはずっと復帰前から続いている大学であります。そうして昨年の入学も、いま認可された大学と同じような内容を持つところの立場において教育をされてきております。形式論としてはおっしゃるとおりです。けれども、実質的には同じ大学なんです。だから学ぶ者たちにとりましては、引き続いてこの大学に学んでおるという頭に変わりはございませんし、また、当時の学校理事者がどのように言ったか、あるいは法令に違反しながらあえて募集したという、いわば許されない行為をしたかもしれません。けれども、大学はやはり学ぶところの学生が中心なんです。その人々が学校当局を信用し、そして試験を受け、合格して一年学んだ。それは学生にとりましては教育の場における一つの信頼関係、あるいは信頼というよりは一つの大きな期待と申しますか、その期待ということも信頼の上に立った期待だと思います。それを持って学んだ学生であります。それが文部省の認可がおくれた。ことしからしか新しく認可されてないからして、これまでのやつは聴講生で、新しい学校の学生と見るわけにはいかない。これはあまりにしゃくし定木じゃなかろうか。私が教育の場において、いま教える者も学ぶ者も愛情がなくなっておる、ほんとうに配慮がない、冷たくなり過ぎておると思う点がそこにあるわけでございまするが、必要なのは形式的な認可された学校になったか、されなかった学校になったかにあるかもしれませんけれども、学ぶ者にとりましては、大学の所定の単位をとるかどうかということに問題があると私は思います。いまの局長の御答弁では、すべて問題は、沖繩大学の理事者が、これはもう聴講生でよろしいんだ、新しい大学とは関係ありません、編入させるものではございません、こう言われたからということで現地の大学の当局に責任を負わしておるようでございますけれども、これは理屈の上において、法令の上においてそうかもしらぬけれども、形式よりも実質をとうとぶ立場においてこれを救済する道というのが考えられぬものか。また配慮してやるのが文教当局としての立場でないだろうか。そう言ってもこの学生はどうするんだというむしろ積極的な配慮というものが当局にあってしかるべきじゃなかろうか。大学当局がそう言ってきたからというだけで済まされる問題ではないと私は思うのです。一年間むだではないでしょうけれども、少なくとも父兄にとりましても本人たちにとりましても、一年のおくれというものはたいへんなんであります。負担もたいへんなものであります。それを一片の法令に反して形式的に備わってなかったということではねのけるということは、普通の事業ならとにかくといたしまして、教育の現場においてたとえどういうあやまちが、やりそこないが当時の学校当局にあろうと、私はこの際何とかこれを救ってやるところの道というものを積極的に指導助言してもらえるところのあたたかみがあっていいのじゃないか、それが教育者の立場じゃなかろうか、このように思うわけでございますけれども大臣、ひとつお考えを承りたいと思います。
  156. 奥野誠亮

    ○奥野国務大臣 また新しい問題が起こっているのだなということを、いま初めて承知させていただきました。率直に申し上げますと、沖繩大学と国際大学、どちらも大学の基準に合わないから、将来の沖繩のためにも両者を合わせて沖繩国際大学をつくる、国としてこれに援助する、そして沖繩大学と国際大学は廃止するというのが当初の決定。私が文部大臣になりましてから、いや、沖繩大学は残してくれという話になってまいりまして、それなら沖繩大学としての認可申請をしなさいよ、屋良知事にもそう申し上げました。それが幸いに順調に進んだからでございましょう、先般認可になったわけでございます。  伺っておりますと、その間に実力行使といいましょうか、聴講生という名義で何人か入っておられた。この諸君をどうするのか、こういう話になっておるようでございまして、次々に新しい問題が起こってくるな、こんな感しでいま聞かしていただいたところでございます。その程度でお答えをさしていただきたいと思います。
  157. 安里積千代

    ○安里委員 私は復帰直後からこの問題の事情を知っておりますので、文教当局の配慮というものもよくわかっております。七二年、復帰の年の当時の文部当局、局長ももちろん当時から関係しておりますけれども、あの当時、確かに取り扱い上、法令上、これは一応廃止になり、新しく認可しなければならない、こういう方向で、九月ごろだったと思っております、そのような指導を受けておりました。また示唆を受けておりました。そういう方向に持っていくことに、私も当局も助言をやったわけでございまして、一応納得をいたしておりました。あのときに処理しておれば、この問題はほんとうは起こらなかったと思っております。ところが、あれからまた二転、三転して変なぐあいになりましたために今日になったと私は思っております。当時の文部当局の指導のように九月、場合によっては十二月まで、あるいは三月までにこのことができておりますならば、昨年入学の問題も文句なく救済ができたと思いますけれども、それがいろいろな手続やいろいろな関係で延びた。ですから、手続上、形式的な面においては確かに延びております。けれども、実質的には学生がずっと学んできております。しかもその学生というものは、学校当局を信頼し、そして教育を受けてきておる者なんです。これに対して失望を与える。もうそうなりますと、教育の場、学校当局も全然信頼できないということになりますと、私は非常に大きなマイナスがあると思っております。  そこで、大臣とされましてはこの経過は途中からお聞きのようでございまして、いまの状況だけしか御存じありませんけれども、事務当局のほうはよく御存じでございますし、法令の立場も、決して私は無視しろと申すものではございません。しかしこれを救済し得る、その場合は、学生を中心にして、形式的な学校じゃなく、そこに学ぶ学生をどうするかという、ここに思いをいたされまして、この問題の解決をぜひとも促進していただきたいということを私はお願い申し上げて、この質問を終わりたいと思います。  それから、今度の所信表明の中におきまして教員大学の構想が述べられております。この教員大学の大体の構想、ねらい、こういった点を少し御説明願いたいと思います。新しい構想によります教員大学の創設に対するお考えをお聞きしたいと思います。
  158. 奥野誠亮

    ○奥野国務大臣 四年制の大学を卒業して教職につかれる、それだけではたしてもう一人前の先生になったと言えるのだろうかという若干の疑問があるわけでございます。そこで、教職につかれてから二、三年教育に当たっていただく、そしてやはりもう一ぺん大学院に入っていただいたほうがいいのじゃないだろうか。修士課程は二年ということになっているわけでございますけれども、二年程度の大学院に入っていただいて、それで初めてほんとうの先生ができ上がるのだ、こう持っていきたい、そういう大学院に付属の四年制の大学を設けたい、そこで、小学校先生方が不足ぎみでございますので、小学校教員養成課程をつけて、大学院につきましてはできるなら全寮制で、よい教育環境をつくり出したいな、こう思っておるところでございます。そういう方々につきましては、地位をそのまま持ったままで、処遇も従来のままで勉強できるようにさしてあげられないだろうかな、こう考えているところでございまして、二年がかりでそういう大学をつくり上げたい、こういう希望を持っておるところでございます。できますならば、こういう大学をブロックごとに一つぐらいはつくりたいなと考えているところでございます。
  159. 安里積千代

    ○安里委員 教師の質の向上、さらに教育者としての研さんを積まれる、けっこうだと思います。そこで、私がお聞きしたいのは、現在大学を卒業されまして教員としての資格、免状を持っていらっしゃる方は多数あられると思います。問題は、現在これら免状を持ち、資格を持ち、そしてまた教師として立とうという希望を持っておられるところの方々が、その教師としての職につく道が完全にあるかどうか、ほかのことばをもって言いますならば、必要な教師というものが充足されておるかどうか、なお言うならば、足りないのか、余っているのか、端的に申し上げますれば実情はどんなでございましょうか。
  160. 木田宏

    ○木田政府委員 学校の種別によって需給の逼迫の状況はいろいろあろうかと思います。小学校教員につきましては、昨年教育職員免許法の改正で御審議をいただきました際にお答えをいたしたところでございますが、たとえば昭和四十八年度免許状を取得した者が一万八千人でございまして、新規に小学校教員として採用された者が一万六千人でございますから需給の関係はかなり窮屈な、免許状取得者との関係からいえば窮屈な状況に相なっております。中学校教員、高等学校教員は、実際の就職者に対しまして免許状取得者は約十倍ほどおりますから、供給のほうがかなり潤沢にあるというふうに一般的に御説明申し上げることができます。それから幼稚園教員につきましても、一万六千人程度の新規採用に対しまして約三万人免許状を単年度でとっておりますから、これまた需給の関係から言えば、まず供給は十分にあり得るというふうにお考え願っていいかと思います。養護学校教員につきましては、免許状を取得した者が千七百人でございますが、新規採用者は千二百人ほどでございます。今後、特殊教育養護学校義務設置等を予定いたしまして拡充が進んでまいりますので、新規需要が毎年千五百ないし二千人程度に達するものと思われます。これにつきましては、昭和四十年から計画的に養護学校教員の養成課程を国立大学に設置をしてまいりまして、今日供給数約一千ございますし、そのほかこの養護教員に対する措置はとれますので、一応供給の体制はあろうかと思います。  なお、高等学校教員の職種別等によりましては、たとえば特別の教科を担当する教員について十分でないとか、あるいは養護訓練等の教員につきましては養成につとめなければならぬという個別の事情は個々にあることはまた言うまでもございません。一般的には供給できるものと考えております。
  161. 安里積千代

    ○安里委員 私があらためてこのことを御質問申し上げましたのは、小中学校の中におきましては、私は地域によってずいぶんと違うのではないかと思う気持ちがするわけです。地方におきましては、教師の免状を持って、そして採用試験も通っておる、けれども定員の関係でもってあきがない、だから就職できない、こういうのを私はずいぶんと聞かされております。これはあるいは地域によって違うかもしれません。あるいは都会地によってはむしろ採りたいというほうが多いかもしれませんが、地方によりましてはなり手は多くても実際に採用する者は数が少ない、こういうふうな不均衡というものが現実にあるのじゃないか、こう思うわけです。私の狭い見聞の範囲内でございまするけれども、全体的にはおっしゃるとおりそうかもしれませんけれども、地域によっては非常にまずい結果を来たしておる点があるのではないか、こう思うわけですが、どんなでしょう。
  162. 岩間英太郎

    岩間政府委員 ただいま先生の御指摘のとおりでございまして、いわゆる過密県におきましては子供の数もふえる、それに対応する教員の確保に苦労する。その反対に、いわゆる過疎県といわれておりますところにおきましては教員の志望者がきわめて多い、それに対して採用できる人数がきわめて極限されるというふうな状態でございます。今後十年間に第二のベビーブームによりまして子供が大体二〇%ぐらいふえていくというふうなことも予想されているわけでございますけれども、その九四%はいわゆる過密九県といわれておりますけれども、その地域に集中をするというふうな状況でございます。したがいまして、そういう県におきましては教員の需要というものはきわめて強いわけでございますが、その他の県、特にいわゆる過疎県といわれておりますところでは子供の数があまりふえませんで、そのために新しい教員を採るという余裕が少ない。それに対して、地元の大学を卒業されました方が就職を希望される。最近ちょっと調べたものでは、ある県では高等学校の教員の採用試験を合格した者が四十名近くおりまして、その中で現実に採用できるのが四、五名というふうな実情もあるわけでございます。全く御指摘のとおりでございます。
  163. 安里積千代

    ○安里委員 せっかく人材確保法もできておるわけでございまするけれども、教職につこうと思ってもその何分の一しか採用できないということになりますと、その多数の人々というのは次の機会まで待つ。これも待てない者は、しかたないからほかの仕事をやらなければならない。しかしどうしても教職にあれしようと思えば、歯を食いしばってでもまた採用されるまで待つ。おそらくそういうような人というものはめったになかろうと思うのです。私は、この問題は、地域によっていまおっしゃるとおり非常に差があると思うので、これに対して全国的な立場から、もちろんこれは地方自治体の教育委員会において処理される問題であるかもしれませんけれども、こういうことも地方によって不公平のないように、また教職につこうとする者が失望しないような道というものが何とか考えられぬものかというふうに思うわけでございます。これに対する対策としまして何かお考えになっておられる点がありましょうか。
  164. 岩間英太郎

    岩間政府委員 ただいま御指摘になりましたような事態がだいぶ前から進んでまいりましたものですから、本年度の予算調査費を計上いたしまして、それに対する対策を検討いたしておりましたが、来年度の予算、ただいま御審議いただいておる予算案におきましては、いわゆる過疎県から過密県へ教員を三年程度派遣をするというふうな制度を具体化をいたしたいということで、金額にいたしまして三千万、一人当たり七十五万円の支度金と申しますか準備の費用に対しまして、三分の一の補助制度を設けるということにいたしたわけでございます。これは試みに来年度からやるわけでございまして、具体的にそういうような方法が効果があるということがわかりました場合には、さらに拡充をしてまいりたいというふうに考えておるわけでございます。
  165. 安里積千代

    ○安里委員 育英の奨学資金の問題についてお聞きしたいと思うのでございますが、昨年よりも金額が上がりましたし、貸与金額の単価も上がっておることも承知をいたしております。しかし、現在の物価高その他いろいろな経費の上昇を考えますと、わずか二千五百円あるいは三千円程度のものを上げたというだけでは、スズメの涙と申しますか非常に中途はんぱなものであるような感じがするわけでございますが、当局とされましてこの算出いたしました金額、これで十分だというお考えでございましょうか。修士課程で貸与月額二万三千円から二万五千五百円、博士課程で三万円から三万三千円になっております。これを増額しなければとうてい現状についていけないのじゃないかという気がいたしますが、お考えを聞きたいと思うのです。
  166. 木田宏

    ○木田政府委員 四十九年度の育英資金につきましては、大学院の修士課程と博士課程につきまして全員に単価の改定をさせていただきました。その金額はいま御指摘がありましたとおりでございます。これは今後の物価の推移その他から見ますと、必ずしもこれでいいというふうに言えない面もあろうかと思いますけれども、子算編成の段階におきまして、私どもは一方物価の安定ということを期待しながら、生活費を中心に考えております大学院の学生の育英資金については、最終の段階で一割程度ではございましたけれども何とか上げて、この学生の生活費の足し前にしたいという気持ちで追加して処理をさせていただいた次第でございます。
  167. 安里積千代

    ○安里委員 文部当局の御要求はこれ以上であったはずであります。皆さん方は、学生の立場を考慮されてこれ以上の金額を要求されたのであるけれども、おそらく全体の調整の中で、大蔵当局の筆一つでこのようになったと私は思っております。私はこういう問題について、ほかの事業でありまするならば、かけ引きもありましょうし、事業費の金額の算出にいろいろあの手この手があるかもしれませんけれども、少なくとも文教に携わりまする文部省関係の要求する予算というものは、かけ引きも何もない。文部当局の出されるところの予算というものは、極端に言いまするならば、司法裁判所の組むところの予算と同じように、文部当局がこれだけは必要だと要求する金額については、政府としてはこれは削ることをしないという原則的な立場をつくるぐらいの重みと申しますか、重要性を政府の中において教育の面においてとらなければならない、このように思うのです。工事費だったら、何割引きせよということで、またこれだけやればこれだけ削られるだろうというかけ引きもあるかもしれないけれども、皆さんの要求にはそんなかけ引きはないはずなんですよ。正直な文部当局のものも十ぱ一からげに、これを何割か削れ、この程度でいいという、ほんとうに机の上だけで数字をいじくってくるということは、私はもう実情に合わないと思うのです。確かに文部当局はもっと高い金額を要求したはずです。その金額というのは決してむちゃな要求じゃない、当然なことなんです。そこに教育を重要視しておると言いながら、細部にわたって見ますと削られる。そうなってきますと、大臣の政治力と申しますか、これは文部当局を代表されまして、文部予算については削らさぬのだというぐらいの立場を私は今後とってもらいたい、このように思うのですが、大臣どうですか、ひとつ大きなところで。
  168. 奥野誠亮

    ○奥野国務大臣 奨学金の金額につきましては、私も率直に申し上げまして、実は不満足な気持ちを抱いているわけでございますけれども、全体の問題もございますので、ああいう金額でおさめざるを得なかったわけでございます。次の機会にはぜひもっと引き上げられるように、さらに一そうの努力を払わせていただきたい、かように考えておるわけでございます。
  169. 安里積千代

    ○安里委員 大臣のことばですから信頼いたしましょう。ぜひひとつ文部予算につきましては、いま小さい一つの例を申し上げたわけでございますけれども、御配慮願いたいと思います。金がないために、教育を受ける能力がありながらなかなか研究、勉強ができないというような結果を来たしたら、これは非常に大きなマイナスだと思っております。  そこで、実はきのう予算委員会におきまして、私は貴重な参考人の意見の一端を聞いたわけでございます。もちろん政府からこういうふうに奨学資金として貸与することも一つの道である。もう一つ考え方というものは、奨学ローンというものをつくったらどうかという御意見でございました。私は傾聴に値する参考人の意見だと承りました。この金は四年か五年学んでいずれ返すものだ。普通の事業をしまするために金を借ります。そのことを考えますならば、教育という大きな事業を完成するために使用する資金なんです。これをたやすく銀行ローンの形で、何かそういう道がありまするならば、あえて文部当局から奨学金を出さぬでも、みずから必要とするものをみずからの手において金融を受けていく、そして学業の目的を達する、もしこういう道が開かれるとしますならば、むちゃな借り方もしないでございましょうし、またそれに対する責任ということもございましょうし、私は非常に効果的な道があるのじゃないかと、このように考えて聞いておりました。あるいは当局におかれましてはこれまでお考えになったことがあるかどうかわからないことでございますが、制度的にもそういうふうにして、それに要する利息に対してはまた何らかの配慮をするというようなことが行なわれまして、貧しくとも教育のためには十分な学資というものが出る道があるのだということになりまするならば非常にいいんじゃないか、こういうようにきのうの予算委員会の公述人の意見を聞いて私は感じたわけでございますが、これに対して何らかの御意見がございましたらばお願いします。
  170. 奥野誠亮

    ○奥野国務大臣 奨学ローンの制度文部省の事務当局もかつて考えたようでございました。その論議の中で財政当局としては、いまの奨学金の制度は無利子なものでございますので、それじゃ全部有利子にするかというような話が出たりしましてその構想がつぶれたことがございます。四十九年度でとろうとしておりますのは、私の大学が奨学制度自分で考えてくれる、それなら資金も国のほうから供給しましょう、事務員も補助しましょう、そして心の通い合う大学を経営してくださいよ、大学当局が学生の生活を親身になって世話をしているのだ、だから必要な人については奨学金のお世話をしましょう、そういう態度をとってくださいよ、そうしたらその資金は国から供給しますよと、この仕組みを私としては発展させて  いきたいなと、こう考えているところでございます。事前に手をあげてもらったところが二、三校しかなかったというところでございますので、四十九年度用意いたしました資金は二億円でございます。しかしだんだんこういう考え方に各大学ぜひ立っていただきたいな、そしてその資金を供給する、それは在学中は無利子、卒業後は有利子というような仕組みを考えておるところでございます。
  171. 安里積千代

    ○安里委員 最後に一つだけ。いま学寮を持って  いる大学があるはずでございますが、この学寮のよしあし、いろいろあると思うわけでございますが、学寮の制度と申しますか設備と申しますか、その実情はどうなっておりましょうか。
  172. 木田宏

    ○木田政府委員 学寮、かなり多くの大学で持っておるわけでございますが、その実態は私どもの口から申し上げるのも恐縮でございますけれども、必ずしもうまく運営できておるというふうには思えません。またその学寮の施設、設備につきましても、いまの現状でいいと言えるような状態ではございません。  学寮につきましては、いろいろと考え方もございまして、今日でも、ほんとうに全員入寮して生活をともにしながら教育的に訓練を行なうという学寮もございます。それからまた、ただほかに生活の場がないために、どうしても学生に宿舎を与えてやる必要があるというような性格の学寮もございます。すべての学寮というわけではございませんが、戦後の大学制度の過程の中で、寮におきます学生指導という面が一面では薄れてまいりました。そしてまた学寮の自主管理ということが事柄としては必ずしもいい意味で運営されておらないために、入寮者の選考あるいは管理運営そのものが適切に行なわれておると言えないような残念な例も幾つかございまして、今後の大きな課題と考えておるところでございます。
  173. 安里積千代

    ○安里委員 その学寮の管理運営の責任はどこにあるのですか。
  174. 木田宏

    ○木田政府委員 事柄の筋道といたしましては当該大学にございます。
  175. 安里積千代

    ○安里委員 学寮そのものが、大学の教育の場においてまああまりいい結果を来たしてない場合もあるように感じとられるおことばが先ほどございましたが、学寮そのものの存在というものを教育の場から見まして否定せられるところの立場じゃないでしょうね。その点はどうでしょうか。学寮そのものは大学教育をこれから進める上であってはいけないのだ、あるほうがいいのだ、こういうふうな、運営のいい悪いは別といたしまして、学寮の性格そのものからいたしまして、この点は基本的にどうでしょうか。
  176. 木田宏

    ○木田政府委員 必要に応じまして設けられてしかるべきものだと考えております。
  177. 安里積千代

    ○安里委員 おっしゃるとおり、教育の場において寮を通じまして大学と密接につながる。あるいはまた学ぶ場所、経費の関係もありましょうし、住まいの遠い近いという関係もございましょうし、いろいろな立場から寮を利用するということが私は好ましいものがあると思うのです。問題は、その学寮の管理運営に対して当を得てないところのものもあるということでございますが、いままで報じられております範囲内において承りますと、また週刊誌などでも一度報じられておりましたが、この寮そのものがほんとうに腐朽の状態に入っておる。馬小屋か豚小屋、これも少し極端でございますけれども、人間が住める場所じゃない。少なくとも文化的な生活を営むにふさわしくない。屋根が落ちる、床が落ちる、とにかく危険家屋さえもある。こういうふうに聞いておりますけれども、実際いま存在します学寮がどのように運営されておるかは別といたしまして、学寮の建物そのものの実態は把握されておられるでしょうか。
  178. 木田宏

    ○木田政府委員 学寮の実態につきましては、国立に関します限りはかなり正確に把握をいたしておるつもりでございます。
  179. 安里積千代

    ○安里委員 私はいま国立の場合を主体にして質問を申し上げておりますが、管理がいい悪い、実際に居住しておる利用しておる人々の状態は第二にいたしまして、まず、それが大学の一つの建物、といえば国の財産である。そのような寮というものが普通の人が住めないほど、そうでなくても大きな補修を要する、日常の補修も要するような状況の学寮が数多くあるのじゃないか、いや、ほとんど耐用年数をもう過ぎたずいぶん古いものになっていはせぬか、こういうふうに思うわけでございますが、当然に大学当局からは財産の管理、施設修理費といったようなものが要求されてくるはずであります。それは文部省が把握しなくても、大学の学長は、大学の管理運営というものに責任を持たせておるならば、その持っております寮がどういう状況になっておるか、国の財産ですから、修理すべきときに修理しなければ、あとになりますればよけいな修理費を要するということになりますし、あるいはまた危険家屋ならば取りこわして、必要ならば新しく建てるというようなことも考えなければなりません。そういった寮の管理維持に対する要請というものが各大学からはなされておらないのでしょうか。それとも、なされていても、文部当局としては、これらの費用というものは認めないでけっておるのかどうか。
  180. 木田宏

    ○木田政府委員 現在、国立大学の学寮は約二百五十ほどございまして、その半数が木造でございます。この木造の中には、一部にいま御指摘がございましたような老朽化したものがございまして、早い時期に整備をする必要があると感じられるものもございます。いま御指摘がございましたように、大学当局がほんとうに責任の持てる寮としてお話がありますものにつきましては、十分御相談に応ずるつもりでございます。ただ、遺憾ながら大学当局自体もどう責任をとっていいか困るというような例もないわけではございません。少なくとも私どもは、大学当局がその寮につきまして責任の持てるようなものをつくっていきたいというふうに考えておる次第でございます。
  181. 安里積千代

    ○安里委員 そうでありますなら、これは運営がおもしろくない、あるいはまた皆さん方がお考えになっておるのは、この寮というものが結局本来の期待するところの運営方向に行ってないというような感じも受けるような御答弁でございますけれども、それならそれとして、大学の管理自体が悪いということになりまするし、大学に対するところの指導助言というのもあってしかるべきものだと私は考えます。大学があまり乗り気じゃないからといって、国の財産それがそのまま腐朽する、少なくとも大学に学ぶところの人々がとんでもないところに住まいをしておる。居は人をつくるのです。住まいが悪ければものの考え方も悪くなってくるのです。快適ないい住まいにすれば人間の心もきれいになってくる、簡単に言えばそうだと思います。居をりっぱにせずして、いい人間をつくろうたって、できるはずはないわけであります。でありますので、私はこれでやめまするけれども、この問題については、私の聞く範囲内におきましても、どこかに何かひっかかりのあるような気持ちがいたしますけれども、そういったものを乗り越えて、国の財産、大学の財産の管理ばかりじゃない、そこに住む学生の学習のための場としての活用ということに万全を期していただきたい。これを希望いたしまして私の質問を終わります。
  182. 稻葉修

    ○稻葉委員長 関連質疑の申し出がありますので、これを許します。木島喜兵衛君。
  183. 木島喜兵衞

    ○木島委員 さっきの沖繩大学の問題、これはやはり何かくふうをするということが必要だと思うのは、あの二つの大学を統合するときには、曲折はあったけれども、最終的には大学がうんと言ったわけじゃないわけです。ですから、そういう点では文部省も考慮せねばならない要素もあるだろうと思うのです。たとえば昨年なら昨年、旭川なら旭川、九月から入っても一年間とみなしますね。ですから、卒業はことしの春から四年間で出すけれども、三年間でもって単位をとる。そして一年後に大学の四年生のときには、四年たたないと卒業証書はもらえないけれども学校へは来ないでよろしいというような方法だって、ちょっと法律上まだ無理もあります。しかし何条かに授業日数の規定がありますが、原則ですよ。旭川なんか実はそうでないだろうと思う。三十五週になっているけれども、やっていないわけですから、そういうことで何か便宜を考える。文部省としても、あの統合の経緯を考えれば、それは確かにいろいろありましたけれども、そういう点は考えられないだろうかと思うのですが、どうですか。
  184. 木田宏

    ○木田政府委員 たいへん冷たいようなお答えでございますけれども、大学が四十九年四月から発足するわけでございますから、学生の扱いはそれ以降ということになります。その間にありまして教育のしかたをどのようにするかというのは、これは個々の大学のお取り扱いの余地があろうかと思いますが、四年在学して所定の単位を終了するということだけは、これまた守っていただかなければなりません。  沖繩大学の問題だけでなくて、過日当委員会で御指摘のあったことでございましたけれども、事実上の各種学校の在籍者を、大学が、出たときに、すでに早くから大学に在籍していたかのような取り扱いをされて、刑事事件にかかったケースもあるわけでございます。実態的には同じような教育ではないかというお考えの面もありますけれども制度制度でございますので、その点は誤りのないようにお願いしたいというふうに考えます。
  185. 木島喜兵衞

    ○木島委員 ぼくも四年間の在学を否定しているのではない。四年間の在学なんだけれども、その中で一年間の聴講というのがあるんだから、その範囲で単位をとっていけば何か便宜的な方法を考えられないだろうか。法令だけで突っぱねるのではなしに、何か考えてやろうという意思があるかどうか、意思があれば何かできはしないかと言っているのです。
  186. 木田宏

    ○木田政府委員 学生に対します教育は大学が行なわれることでございまして、私どもが考える考えないというような問題ではございません。また、この席でお答え申し上げることが適当なこととも思っておりません。
  187. 木島喜兵衞

    ○木島委員 けっこうです。
  188. 稻葉修

    ○稻葉委員長 次回は来たる二十日開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後四時二十七分散会