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1974-04-26 第72回国会 衆議院 内閣委員会 第25号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十九年四月二十六日(金曜日)     午前十時三十六分開議  出席委員    委員長 徳安 實藏君   理事 加藤 陽三君 理事 小宮山重四郎君    理事 中山 正暉君 理事 野呂 恭一君    理事 上原 康助君 理事 大出  俊君    理事 中路 雅弘君       大石 千八君    笠岡  喬君       近藤 鉄雄君    田中  覚君       竹中 修一君    旗野 進一君       三塚  博君    吉永 治市君       木原  実君    吉田 法晴君       和田 貞夫君    鈴切 康雄君       受田 新吉君    玉置 一徳君  出席国務大臣         外 務 大 臣 大平 正芳君         運 輸 大 臣 徳永 正利君  出席政府委員         内閣法制次長  真田 秀夫君         防衛庁防衛局長 久保 卓也君         外務大臣官房長 鹿取 泰衛君         外務省アメリカ         局長      大河原良雄君         外務省条約局長 松永 信雄君         運輸政務次官  増岡 博之君         運輸大臣官房長 内村 信行君         運輸大臣官房観         光部長     高橋 寿夫君         運輸省海運局長 薗村 泰彦君         運輸省船員局長 住田 俊一君         運輸省港湾局長 竹内 良夫君         運輸省鉄道監督         局長      秋富 公正君         運輸省自動車局         長       中村 大造君         運輸省航空局長 寺井 久美君         運輸省航空局次         長       後藤 茂也君         運輸省航空局技         術部長     中曽  敬君  委員外出席者         防衛施設庁施設         部首席連絡調整         官       奈良 義説君         文部省初等中等         教育局高等学校         教育課長    柴沼  晉君         運輸省航空局飛         行場部長    隅  健三君         運輸省航空局管         制保安部長   松本  操君         内閣委員会調査         室長      本田 敬信君     ————————————— 委員の異動 四月二十六日  辞任         補欠選任   受田 新吉君     玉置 一徳君 同日  辞任         補欠選任   玉置 一徳君     受田 新吉君     ————————————— 本日の会議に付した案件  運輸省設置法の一部を改正する法律案内閣提  出第一〇号)  在外公館の名称及び位置並びに在外公館に勤務  する外務公務員の給与に関する法律の一部を改  正する法律案内閣提出第三八号)      ————◇—————
  2. 徳安實藏

    徳安委員長 これより会議を開きます。  運輸省設置法の一部を改正する法律案を議題といたします。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。上原康助君。
  3. 上原康助

    上原委員 この運輸省設置法の一部改正、いわゆる那覇に新しく航空交通管制部設置するという件については、すでに二、三の同僚議員のほうから、いろいろ質問があったわけですが、なお、釈然としない面が相当残されております。そこで、特に私は、沖繩の出身であるという立場においても、この航空交通管制部設置の件あるいは沖繩の空の安全性米軍とのかかわり合いについて、非常に関心を持ってきた一人でございます。そういう立場も含めて、これからお尋ねをしていきたいと思いますが、何ぶん時間がかなり制約を受けそうですので、要点的にお尋ねをさせていただきたいと思います。  そこで、まず最初に、航空交通管制業務範囲というか、あるいは航空交通管制の定義といいますか、それは一体どういう内容なのか。これまでもいろいろやりとりがございましたが、端的にいって、航空交通管制業務というのは、どういう面をいうのか、説明をいただきたいと思います。
  4. 後藤茂也

    後藤(茂)政府委員 お答え申し上げます。  航空交通管制業務と申しますのは、航空路管制業務進入管制業務及び飛行場管制業務、この三つを総称した観念でございます。
  5. 上原康助

    上原委員 そういう観念あるいはとらえ方といたしますと、今回の場合、日本に返還される、あるいは引き継がれるものは、いわゆる航空路管制、その部分だけということになるわけですか。
  6. 後藤茂也

    後藤(茂)政府委員 先生のおっしゃるとおりでございまして、那覇空港における飛行場管制業務は、すでに日本側において担当いたしております。今回、御審議をいただいております那覇航空交通管制部において所掌いたしますのは、航空路管制業務でございます。
  7. 上原康助

    上原委員 そういたしますと、航空交通管制の全責任わが国が負うという場合は、先ほど説明ありましたように、いわゆる航空路管制進入管制飛行場管制、それがすべて含まれないと、航空交通管制業務のすべての責任を、わが国が負うということにはならない、こういうふうに理解していいですか。
  8. 後藤茂也

    後藤(茂)政府委員 先生の御指摘のとおりでございまして、今回、この航空交通管制部設置によりまして、航空路管制業務米軍から引き継ぎまして、日本政府責任のもとにおいて行なうこととなりますけれども、これでもって、米軍が従来行なっておりましたものの全部が、日本側に引き継がれるわけではございません。今回の措置は、いまだ完全なものとは申せない、こういうふうに理解しております。
  9. 上原康助

    上原委員 まず、その点は明らかにされたわけです。  そこで、法制局にちょっと教えていただきたいのですが、若干お尋ねをしておきたいと思うのです。  法律用語といいますか、法律的に、暫定的に措置をする、あるいは一時的な措置という場合は、限定された期間があるのかどうか。ちょっとばく然としますが、そういう暫定的な措置あるいは一時的な措置という場合に、ある一定の目標が定められている場合は、限定された期間があるのかないのか、そのあたりについての説明を求めたいと思います。
  10. 真田秀夫

    真田(秀)政府委員 お答えを申し上げます。  暫定的にとか一時的にということばが、法令の中で使われることも、ときにはございますけれども、この暫定的とか一時的とかいうことばは、普通一般に使われている日本語を、そのまま用いているわけでございまして、特に、それが法令であるから格段の意味が加わるというものではないということを、まず第一に申し上げておきます。  それから、やはり日本語一般の用い方といたしまして、無条件であることをいつまでもやるというようなことではない、暫定的にやるのであるから、いつかはそれはなくなる、あるいはしばらくの間、こういうことをやるという趣旨をあらわすものだろうと思います。ただ、それは、いつまでそれじゃ、その暫定的な措置が続くのかということは、それは、ことば自体意味合いからも、おわかりだろうと思いますけれども、確定的な期限があるというものではございません。ただ、いずれ遠からずは、それがなくなるであろうということが予測されるというような場合に用いられる表現だろうと思います。
  11. 上原康助

    上原委員 そこで、今回のこの航空路管制わが国への引き継ぎにあたっては、先般来、議論されてまいりましたように、いわゆる昭和二十七年六月と昭和三十四年六月の日米合同委員会の取りきめがあるわけですね。それとのかかわり合いも、四十七年の五月十五日になされた合同委員会の取りきめとも密接にかかわり合いがあると思うのですが、その点は、外務省どうですか。
  12. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 航空交通管制の問題につきましては、昭和二十七年六月の日米合同委員会合意と、それから三十四年六月の同じく合同委員会合意があるわけでございますが、沖繩復帰にあたりまして、四十七年の五月に合同委員会におきまして、沖繩における航空交通管制に関する合意がございます。沖繩航空交通管制に関する日米間の合意をそこで規定いたしますと同時に、その合意のほかには、昭和二十七年六月並びに昭和三十四年六月の日米合同委員会合意が適用される、こういうようなことが合意されております。そういう意味の関連を持っているわけであります。
  13. 上原康助

    上原委員 では、法制局に具体的にお尋ねをしておきたいと思うのです。  暫定的とか一時的というのは、確定した期間はない。しかし、いずれ遠からず、その正常といいますか、本来のルールに戻すべきだ。いずれ遠からずという期間も、いずれ遠からずというのも、どのくらいなのか聞きたいわけですが、そのことは別として、たとえば、昭和二十七年六月のいわゆる航空交通管制について、日米合同委員会合意された事項に、第一項、「日本国は、日本領空において完全かつ排他的な主権をもちかつそれを行使する。但し、一時的な措置として、わが国の自主的な実施が可能となるまでの間、日米間の意見の一致をみた時に、日本側航空交通管制に関する全責任を負うこととして、米軍が軍の施設で行う管制業務を利用して民間航空の安全を確保することとし、また、日本側管制要員訓練米軍に委託する。(航空局注、当時わが国航空交通管制を実施するためには、施設要員とも皆無にひとしい状況にあったので、前記のような一時的措置をとったものである)」、こうなっているわけですね。  昭和二十七年の段階でこういう合意があった。この場合の解釈は、法制局としては、どうなさるのか。これも一時的で暫定的な措置なのか。私は、次のいろいろな議論がありますので、そういう面の解釈についても、いまさっきあなたがおっしゃったように、いずれ遠からずの間に、そういう暫定的な措置とか一時的な措置というものは排除されていくたてまえとするならば、この二十七年の日米合同委員会のいわゆる合意事項というものが、現に生きているということはどういうことになるのか、そこら辺についての見解を求めておきたいと思います。
  14. 真田秀夫

    真田(秀)政府委員 合同委員会合意の文章について、私のほうで、こういう意味だろうということを御説明する立場にあるかどうか、ちょっと疑問でございますけれども一般論として申し上げますと、先ほど申し上げましたように、一時的ということばを使うにしろ、当分の間ということばを使うにしろ、あるいは暫定的ということばを使うにしろ、それぞれに若干のニュアンスの違いはあろうかと思いますけれども、いずれにも共通いたしまして、結局これは恒久的なものではないよ、それはしばらくの間だよ、一時的なものだよ、あるいはここ当分の間のものだよという趣旨、つまり、いずれはなくなるということが予想されているということをあらわしたものだろうと思います。  そこで、具体的に、それではそれが何年ぐらいかということになりますと、これは、それぞれの合意文書なりあるいは法令の場合は、もちろん法令が制定されたときの客観的な情勢なり、そういう暫定的、一時的あるいは当分の間の措置がとられる必要があったという状況、それがどういう事態にまで変われば、その当面の措置は要らなくなるのかという具体的な条文があるのだろうと思いますので、一がいに、二十年たったからだめだとか、二十五年だからだめだということはないのだろうと思います。  と申しますのは、これは御存じだろうと思いますけれども、御参考までに一言説明させていただきますと、有名な判決がありまして、現在の刑法ができましたとき、これは明治四十年なんですが、そのときに、旧刑法のある条文規定は、当分の間なお効力を有するぞという刑法施行法規定がありまして、その当分の間というのは、いかにも長いじゃないかということが事件になりまして、最高裁判所で、それは一がいにはいえない。それで、たしか五十年ぐらいたっていたのだろうと思いますけれども、なおかつ、それは効力あるぞというふうな判決がございます。  そういうことも念頭に置きまして、私は、お答えしているわけですが、結局、一がいにはいえないのであって、だれが見ても、これはいかにもひどいとか、そういう暫定的な、あるいは一時的な措置を取りきめた、あるいは法令で書いたその背景になっている事態がなくなったじゃないか、もう明らかになくなっているというような場合はいざしらず、それだって、だれが判断するかなかなかむずかしい問題がありますので、一がいには申されませんけれども、いずれにいたしましても、二十年たったから、当然これはだめじゃないかというふうに言われても、私どものほうで、ごもっともですということを申し上げる立場ではございませんので、御了承願いたいと思います。
  15. 上原康助

    上原委員 一言わんとするところは、理解しないわけでもないのですが、私は、何もそういうティピカルな、典型的な例がないという立場でこの議論をしているわけではないのです。明らかにここでは、かっこの中に、「当時わが国航空交通管制を実施するためには、施設要員とも皆無にひとしい状況にあったので、前記のような一時的措置をとったものである」、こういう注釈がついているわけですね。  そういうことを考えた場合に、法的に二十年たったから、あるいは五十年の例もあるのだという御答弁ですが、そのことは別としても、実際問題として、少し長過ぎるというお感じは、おたくも持つわけでしょう。
  16. 真田秀夫

    真田(秀)政府委員 どうも私は、そういう取りきめを必要とするに至ったような事態、また、それがいかに解消されつつあるかというような実態を全然知りませんので、感じとして、長いとか短いとかというようなことすら申し上げるような立場でございません。
  17. 上原康助

    上原委員 そばにアメリカ局長政府皆さんが一緒だから、そういう御答弁になるかもしれませんが、あえてここで法律論争をしようとは思いません。議論を進めてまいります。  そこで、そういう経緯があるという点をいま指摘をして、それに対して、どうも明確な御返事はいただけないわけですが、冒頭に申し上げましたように、航空交通管制の全責任わが国が負う、しかもこの前文では、「完全かつ排他的な主権をもちかつそれを行使する。」という前提があるわけですね。そういうたてまえがありながら、先ほど言いましたように、航空路管制については、本年五月十五日に引き継がれるわけなんだが、あと進入管制については、まだ引き継ぎがなされないという前提なんですね、この法律改正というのは。  そこで、本来全責任を負うという場合は、それが三位一体となって、初めて空はわが国のいわゆる管制下に置かれるということになるわけですが、なぜ今日まで、航空路管制だけしか引き継ぎできない状況にあるのか、その点について、ぜひ具体的に説明をしていただきたいと思います。
  18. 後藤茂也

    後藤(茂)政府委員 お答え申し上げます。  先生指摘のように、五月十五日以降も、那覇空港における進入管制業務は、五月十五日の時点においては日本が引き継がないという考え方に基づいて、諸般の準備がいま進められているのは事実でございます。那覇空港周辺には、那覇空港のほかに嘉手納及び普天間の飛行場がございまして、いずれも、これは施設及び区域として米軍に提供されております。この那覇空港を含めて三つ飛行場がきわめて近接しておりまして、それら三つ空港に発着する航空機交通は、この近辺の空域におきましては、きわめてふくそうしております。二年前に沖繩の返還について、米国政府といろいろと折衝いたしました場合に、このふくそうした空域というものの進入管制は、それらの狭い空域に非常にたくさんの航空機がふくそうして飛びかうという現状に着目いたしますれば、これらの進入管制は、個々の空港ではなく、一元的にこの空域について行なう必要があるというふうに考えられました。  しからば、一元的にこの空域における進入管制を行なうのを、日本側がただいまの時点で直ちに、今回準備をいたしました航空路管制と同様に引き継ぐ能力ありやいなやということになりますと、残念ながら日本側には、その当時の見通しといたしましても、二年間の余裕をもってこの進入管制業務を引き継ぐだけの準備をする自信がなかった、また見通しも立たなかった、こういうことでございます。したがいまして、これらの空域進入管制業務は、日本側においてこれを完全に引き継いで、自分の要員施設を使って業務を行なう準備が十分に整うまでは、従来と同様に米軍がこれを行なうということに取りきめた次第がございます。  さらに詳細につきましては、管制保安部長から御説明いたします。
  19. 上原康助

    上原委員 そういう説明は、もうたくさん聞いたんですよ。ですから、あんまり長い御答弁は、かえって時間の妨げになる。  では、角度を変えてお尋ねしますが、確かに嘉手納飛行場普天間飛行場那覇飛行場と隣接をしております。では、現に嘉手納ボルタック中心米軍管理をしているいわゆる進入路といいますか、その範囲はどのくらいになっているのか、それを説明していただきたいし、また運輸省政府那覇空港管理できる半径上空の高度、そういった面について説明してください。
  20. 松本操

    松本説明員 お答えいたします。  現行の沖繩FIRの中におきまして、私ども航空路管制を行なうことになりますと、すべての空域につきまして、基本的に、原則的には、わがほうの航空路管制所、つまり那覇ACC管轄をいたすことになります。その中に、嘉手納進入管制所が扱います空域というものが、高度二万三千フィート以下で半径約五十マイル、約と申しますのは、北側のほうは一部切れておりますが、久木島のところが、さらに少しヒョウタンの頭のように広がりますので、約というふうにことばの上では申し上げさせていただきますが、高度二万三千フィート以下で、半径五十ノーチカルマイル、この範囲の中だけが、嘉手納進入管制所に委任をされることになります。しかし、その中でも那覇空港周辺につきましては、那覇空港飛行場管制を私どもがやっておりますので、その部分空域は、私どもが直接管制をしておる、こういうことになります。
  21. 上原康助

    上原委員 ことばでいろいろ言われても、なかなか専門的にごまかされる可能性がありますので、できれば大きな図示をしたかったのですが、ここで簡単に、いま答弁のあった点を申し上げますと、要するにこれ、平面図ですね、運輸大臣、これを見てください。まずい図示ですが、これはスケールはないですから。ここが那覇飛行場としますとここが嘉手納嘉手納のこのボルタック中心に、高度二万から二万三千のところまでを米軍が全部管轄している、半径五十ノーチカルマイール、ここに久米島が出っぱって、久米島のまたボルタックがここにある、こういう範囲は、全部アメリカが握っておるんですよ。この中に入る飛行機は、ここの指示を得なければいかぬわけでしょう。そして、ようやくこの部分に来て初めて、ACCという那覇進入管制圏ができるのです、実際問題として。あなたは専門的にそういうことで言っておられるが、実際はそういうかっこうにしかならない、平面で見ると。そうじゃないですか。
  22. 松本操

    松本説明員 先生いまお示しいただきましたのは、縦切りをしてお示しいただいたわけでございますが、その外側、おことばを返すようで恐縮でございますが、先生お書きいただきました空域外側は全部——FIRの中がすベて、私どもか新しくこれから業務を開始しようとしております那覇ACC管轄空域でございます。その外側は全部ACCが押えております。そのACCのほうから那覇空港飛行機を受け渡しいたします際に、先生いま御提示いただきましたその空域を通って那覇空港に入る、あるいは通って那覇空港から外へ出ていく、こういうことになりますので、その受け渡しの部分については、実務上の進入管制米側が行なう、こういうふうに御理解いただいてよろしいと思います。
  23. 上原康助

    上原委員 それは、おっしゃるとおりの説明だと思うんですね。確かに、これの外にもいろいろウォーニングエリアがあるわけでしょう、制限空域というのが。あとお尋ねいたしますが、あるんだ、たくさん。この外は、確かにおたくがおっしゃるように、ACC管理によって航路をきめていく。しかし、この範囲に入るためには、ここの許可を得なければいけないわけなんです、正直申し上げて。だから、上空でウエーティングをさせられる、あるいはここの許可がない限り、離着もできないというのが現に起こっているわけでしょう。わずかに日本側が自由に管理できるのは、この部分だけなんですね。面の部分は、確かにあなたがおっしゃるように、航空路管制ということでできている。しかし線の分になりますと、いわゆるこれはのど元ですよ、進入管制というのは。首根っこなんだ。首根っこは依然としてここに押えられているというところに、問題があるという点を私は指摘したい。その点はお認めにならないのですか。現実問題としてそういう形にしかならない。  したがって、これも御答弁いただきたいのだが、じゃ、先ほど次長答弁では、いわゆる技術の問題と能力問題要員の問題があったので、進入管制までを引き継ぐわけにはまいらなかった。現時点において、私は、そう思わないのですね、正直なところ。ほんとに要員の問題、技術の問題、能力の問題なのか、あるいはほかに原因があるのか、その点は明確にしていただきたいと思うのです。そうせぬと、この法律にわれわれは賛成するわけにまいらぬ。私は、いままでの参議院における上田哲さんとのやりとりも全部調べてみた。大河原局長の御答弁もいろいろある。それはあとで聞いてみたいのですが、皆さんは、いろいろな面で、要員の問題とか能力とか技術の問題とか言ってきているのだが、実際の根本になっているハンディというのは、私は他にあると思う。その点を明確にしていただきたいと思うのです。
  24. 寺井久美

    寺井政府委員 ただいま先生指摘の点でございますか、これは、まさに当方の要員施設——要員と申しましても、実物の人間のほかに、それ相応の訓練を行なったという意味での要員でございますが、そういう要員を、この短期間に手配することができなかった。この航空路管制を二年以内に引き継ぐということが、まことに残念でございますが、精一ぱいであったということでございます。  それからもう一つ、この進入管制につきまして問題がございますのは、日本では、まだ複数の空港につきまして、一カ所で進入管制を行なったという経験がございません。そこで、やはりこれを、十分自信を持って引き継ぐためには、それなりの準備訓練が必要であるということでございまして、この四十七年五月の沖繩航空管制合意につきまして、明らかに書いてございますように、どうしてもこの三つ空港のある沖繩の状態からいって、単一の施設によって進入管制を行なう必要があるということが、まず合意されておりまして、日本政府が、これらの飛行場進入レーダー管制業務を行なうまで、暫定的に米国政府が実施するということになっておりまして、あくまでこれは暫定的な措置でございまして、日本側として準備が完了する時期に、これを引き継ぐというのがたてまえになっております。
  25. 上原康助

    上原委員 そういたしますと、米側進入管制も含めて日本側に引き渡すという意思があるのですか。
  26. 寺井久美

    寺井政府委員 この合意ができましたときに、そういう意思があったがゆえに、こういう協定ができたというふうに私ども解釈いたしております。
  27. 上原康助

    上原委員 かりに引き継ぐとすると、どのくらい時間がかかるのですか。
  28. 寺井久美

    寺井政府委員 これは、準備を始めまして、まず五年前後はかかるというふうに考えております。
  29. 上原康助

    上原委員 いまの引き継ぎというのは、進入管制というのは那覇空港だけのことですね。
  30. 松本操

    松本説明員 進入管制だけと申しますと、わかりにくうございますが、那覇空港進入管制につきましては、先生いまずっと御指摘のように米軍がやっております。それから、そのほかにも、いろいろ空港がございますが、ここの進入管制も、現在は米軍がやっておりますが、五月十五日以降は、私どもがこれを引き継ぎまして、那覇管制部でこれらの空港進入管制は直接行なう。したがいまして、五月十五日以降も、米側が実務上の管制を行なうとして、残りますのは、那覇空港を含めた三飛行場進入管制、こういうことでございます。それ以外は、直接われわれのほうで進入管制をいたします。
  31. 上原康助

    上原委員 那覇空港以外も進入管制は、引き継ぎ後はやるのですか、ほんとうに、いまの答弁は。
  32. 寺井久美

    寺井政府委員 ちょっとことばが足りなかったようでございますが、この那覇嘉手納、普天間、この三つ空港進入管制というものは、五月十五日の時点においては、まだ米軍が引き続き暫定的に行なっておる、しかし、そのほかの沖繩におきます空港進入管制というものは、今度できます沖繩管制部において行なう、こういう意味でございます。
  33. 上原康助

    上原委員 そういたしますと、先ほど答弁がありました、いわゆる嘉手納空港中心にした半径五十マイル、高度二万三千フィートまでのその間のいわゆる進入管制圏といいますか、それは依然として米軍が握っているわけでしょう。私が言っているのは、形式的なものじゃないんですよ。嘉手納であろうが、那覇であろうが、普天間であろうが、飛行場に着陸をする、あるいは離陸をしていくその指示権というのは、皆さんがこの管制部を設けたにしても、那覇ACCにはないわけでしょう、那覇のほうには。そのことを明確にしていただきたいというんですよ。依然として嘉手納の指示を得なければ、那覇飛行機を入れることも、おろすこともできない。飛ばすこともできない。その実態は変わらないということは、やはり進入管制については、形式上はともかくとしても、実態としては嘉手納ボルタックでしか指示ばしないのじゃないですか。嘉手納のサインがないとできないわけでしょう。そのことを、皆さんは、ことばでごまかしているんだ。
  34. 寺井久美

    寺井政府委員 その点は、非常に明確であると思います。先生の御指摘のとおり、航空路から進入管制所、ラプコンに受け渡しが行なわれ、それから那覇空港飛行場管制にさらに受け渡しが行なわれる、こういう順序で飛行機が離発着いたしますので、その中間のところを進入管制所で握っておるという意味でございましたら、まさに、そのとおりでございまして、飛行機の受け渡しのちょうど三つの段階の、まん中のところを嘉手納ラプコンが持っている、こういうことでございます。
  35. 上原康助

    上原委員 ですから、それを完全に日本側が引き継ぐということはできないわけですか、できるのですか。
  36. 寺井久美

    寺井政府委員 これは、必要な準備をし、米側とまた協議をした上でできるというふうに考えております。
  37. 上原康助

    上原委員 外務省、その点どうですか。
  38. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 三つ航空管制につきまして、ただいま運輸省のほうから御答弁があったとおりでございまして、私ども、承知いたしておりますことは、二十七年並びに三十四年の合同委員会合意並びに四十七年の沖繩の施政権返還の際の航空交通管制に関する合意、これによってきまっているところでございまして、具体的に進入管制につきましては、那覇管制につきまして、運輸省の御答弁にございますように、暫定的に米側がこれを実施している、こういうことに承知しております。
  39. 上原康助

    上原委員 大河原さん、あなたは定評があるんだよ、ごまかし答弁がうまいということでね。しかし、いつまでもそうはいかないのです。私がお尋ねしているのは、いま航空局長引き継ぎはできると言われた。半径五十ノーチカルマイル、高度が二万三千、いま、これを図で申し上げましたが、運輸大臣、こういうふうになっているのです。これはICAOの図示した航空路のあれなんですよ。要するに、ここが嘉手納といたしますと、この範囲半径五十マイルのこの円をかいた点線が書いてあるでしょう。この中に入る飛行機は、すべて嘉手納の指示を得なければいけないんですよ、現在、この管制部ができたって。だから、沖繩の空は返らないと言っているんだ。これをあたかもできるかのように、皆さんが参議院の予算委員会なり、あるいは内閣委員会で、今日まで技術能力要員が完備した段階では、はたして返るかといったら、返らないんだ、実際、私の判断では。その点明確にしてくださいよ、大河原局長。  アメリカ側は、はたしてこれを返す意思があるのかないのか。その交渉はどうなっているのか。先般の同僚議員のいろいろなやりとりにおいては、あたかもできるようなことを言っておる。要員技術の問題能力の問題、いまさっきは、はっきりできると言ったんだ。これは議事録に載りますからね。しかし、いまの大河原さんの御答弁では、昭和二十七年のいわゆる合同委員会、三十四年そして四十七年の五月十五日の日米合同委員会の取りきめがある、その範囲内でできるというような意味のことを言っておられる。この点は明確にしていただかないと——できないことを、あたかもできるようなことを今日まで言ってきている。ここに沖繩の空の問題があるんだ。これは本土でもそうなんだ、ある面においては、部分的には。その点は明確にしていただきたい。ほんとうに能力技術要員の問題なのか。私は、アメリカ進入管制については——昭和二十七年と三十四年のあの合意議事録を詳細にお読みになってくださいよ。三十四年になると、中身としては、ますます軍事色が強くなっている。したがって、そこまで、いまおっしゃるように運輸省としては返させ得ると思っているのか、また外務省は、それを返す交渉を絶えずアメリカ側とやるようにするのか、またアメリカはそのときに、じゃ要員技術の問題いま言うレーダー設備ができた時点においては、ほんとうに返すのですか、そこは大臣、明確にしていただかないと困りますよ。どうですか、大臣からお答えいただきたい。
  40. 徳永正利

    ○徳永国務大臣 私、いまの応答を拝承しておりまして、確かに歯切れの悪い答弁になっておると思いますが、これは、いままでのいろいろな経過もあることでございましょうから、ひとつ外務省から明確な答弁を聞かしてもらいまして、私の判断もあわせて申し上げたいと思います。
  41. 上原康助

    上原委員 外務省にぜひ明らかにしていただきたいのですよね。これは四十八年四月四日、参議院の予算委員会において、わが党の上田哲委員が質問をしたことに対して、いろいろ政府委員が答えている点なんです。進入管制についてどうなるかということについて、まず政府委員の内村信行さんの答弁は、「進入管制については日付が入っておりません。その理由は、今後進入管制をやるまでには、なお航空路管制をやり、さらにそれから先に進入管制の問題が生じますけれども、それまでに、要員その他につきましてさしあたり見通しがつかなかったもので、そこには書いてないわけでございますが、これもできるだけ早く要員その他を整え次第引き継ぎたいというふうに私どもは思っております。」、こういうような答弁になっていますね。  さらに、大河原局長は、こういうふうに答弁しております。「航空管制組織の運用管理に関する権限については何の疑いもないわけでございますけれども、現実に航空安全の確保という見地から、航空管制がきわめて重要であるという見地に基づきまして、これを具体的に、いかに円滑に、また、しかも安全に日本側に移管させるかということが問題になるわけでございまして、いま御指摘進入管制につきましては、管制要員の確保というふうなきわめて重要な問題ができ上がるまでは、暫定的に米側がその進入管制業務を実施するということになっているわけでございまして、日本側といたしましては、いかにしてその必要な管制要員の確保をはかり、航空安全の確保をはかるかというところに最も主眼」を置いている。沖繩飛行場に対する進入管制そのものを、ほんとうに要員の確保ができた時点においては、いまさっき言ったように返すのかどうか。あなたたちは、一体的にやるには、嘉手納でやらなければいかないというように答弁をすりかえてきておられる。  私が、ここで明らかにしておいていただきたいことは、こういう非常にあいまいな答弁をしながら、あたかも沖繩飛行場、空に対しては、進入管制も将来、一体的に日本側引き継ぎできるかのように国会で今日まで答弁をしてきたのだが、いまさっき言ったように、五十ノーチカルマイルと、それから久米島の出っぱったところ、そして高度二方三千フィートに対してのこの範囲というものは、復帰前と同様にアメリカが手放さないということじゃないのかどうか、その点は明確にしていただかないと、外務省、困りますよ。こういう答弁をしてきたのですが、ほんとうに現段階でどういうことをやろうとしておられるのか、まず答弁をいただきたいと思います。
  42. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 いまの御質問に対します御答弁として、一番適当であろうと思いますのは、四十七年の航空交通管制に関します合意の内容について、御説明することがよろしいかと存じます。  航空交通管制に関する四十七年の合意の中におきまして、まず、「沖繩における航空交通管制組織を運用管理する権限は、日本国政府に帰属する。」ということが規定されているわけでございまして、これが大前提になるわけでございます 一方、その合意の中に、「米国政府は、地位協定の規定により使用を認められた飛行場に関する航空交通管制業務を実施する。」、こういうのがございまして、具体的には、地位協定の規定により使用を認められる飛行場、すなわち嘉手納並びに普天間になると思いますが、その左のところに、「なお、」とございまして、「那覇空港に近接して嘉手納飛行場が位置していることから、これら区域における航空交通の安全を確保するためには、単一の施設によつて進入管制を行なう必要があるので日本国政府がこれら飛行場のレーダー進入管制業務を行なうまで暫定的に米国政府那覇空港進入管制業務を実施するものとする。」、こういうことでございまして、これが日米間の了解であり、また、これに従って現に実施が行なわれているところでございます。  そこで、この合意に基づきまして、この五月十五日から航空管制業務日本側に移管されますけれども、その中での米軍の使用いたします施設、区域における航空交通管制業務というものは、ただいま申し上げました日米間の合意によりまして実施が行なわれる、こういう形になっておるわけでございます。
  43. 上原康助

    上原委員 ですから、その五月十五日の合同委員会で、いまお読みになった点が明らかにされているわけですね。したがって、安保条約第六条に基づく地位協定第二条による施設及び区域として、日本政府がその使用を認めたすべての飛行場における航空交通管制業務米側は実施する、これが根本でしょう。だから、皆さんがいままで、あたかも五月十五日に——航空路管制面だけでしょう。沖繩の空の大部分首根っこは押えられて、その大空においては、那覇ACCがいろいろできるわけです、航路をこうきめていくというように。しかし、その範囲のいわゆる空の管理というもの、これが根っこでしょう。なぜ、そのことを明確に言わないかということなんだな、逆にこっちから言うと。あたかもできるかのような印象を与えておいて、実際は、安保条約と地位協定において、アメリカ側に施設、区域を提供する、その提供している中に飛行場があれば、進入管制はできないということなんですよ。そのことは明確にしていただかないと……。局長はさっきできると言った。これは問題ですよ。したがって、米側との交渉は、これがある限りは進入管制全部含めてできる相談ではないということは、この際、明らかにしていただかないと、国民や県民をできるかのようにごまかすことになる。これが一つ。  もう一つ大きな問題は、かりに施設、区域を提供するということであっても、半径五十マイル、そして久米島の三十マイルでしたか、そして高度二万三千フィートですか、その範囲は全部アメリカ側が握っているんでしょう、それだけの広範囲にわたって。大臣、もっとわかりやすく言うと、こういうことなんですよ。ここにこうまるく円筒をつくってみましょうね。ここは、いま私が言った半径五十マイルのあれで、これはアメリカが握っている。ここに鉛筆の線を入れて、ここに那覇空港がある。嘉手納ボルタック、全部ここに入れるものは、これの指示を得なければいかぬ。この鉛筆の線のこの中でしか那覇の運航はできないんですよ、沖繩の空の運航というのは、いま皆さんが言う航空路管制というのは、ここから行くのは自由にできると言う、アメリカとこっちと連絡をとりながら。こんなばかげたことがあるかというのです。あなた、首をひねっているが、実際問題そうじゃないですか。こういう状態にしかならないんですよ。  だから、私が冒頭に聞いたように、航空交通管制というものの全責任わが国が負うということが、一応この合意議事録でもきめられているにもかかわらず、その全責任を負うというのは、航空路管制進入管制飛行場管制、この三位一体となって、初めて日本が一体的に航空交通管制を取り戻した、引き継ぎできたということになるわけで、だから、私は冒頭にそれを聞いたのです。これは、今後どういうふうに運輸省としてやっていかれるのか。また、かりに地位協定というそういった取りきめがあるにしても、現在のように半径五十マイル、空二万三千フィートまでのその範囲は、がんとアメリカが握っておって、わずかの範囲進入管制那覇空港にできるということは、どういう結果になるのですか。  じゃ、逆にお尋ねしますが、那覇進入管制半径はどのくらい、高度はどれだけですか、いまの点を含めて答弁してください。
  44. 松本操

    松本説明員 進入管制を行ないます空域の広さについての御指摘について、まずお答えいたします。  半径五十マイルと申しますのは、レーダーによります進入管制を行ないます場合に、通常進入管制用のレーダーの届く距離が五、六十マイルでございます。したがいまして、五十マイル程度の半径の中の空を、進入管制をします場として使うというのが通常の形でございまして、確かに沖繩において見ました場合、沖繩本島がすっぽりその中に入ってしまうというふうなことで、非常に広大な空域であるというふうに考えられるわけでございますけれども、たとえば羽田の場合におきましても、あるいは大阪の場合におきましても、それぞれ羽田の進入管制所及び大阪の管制所が進入管制を行なっておりますが、その大きさは、地形その他の関係で完全な円にはなっておりませんが、長いところは五十マイルから六十マイル程度に広がっておるわけでございます。  したがいまして、進入管制空域の広さという点だけについて申しますならば、那覇空港進入管制嘉手納で行なっており、その嘉手納の扱っております進入管制のための空域の広さが、先生のおっしゃるような広さであるということについて、特に那覇空港に関連する進入管制空域が、ほかの進入管制空域に比べて特別に広く設定されているということではございませんので、その点はひとつ御了承いただきたいと思います。  次に、もう一つ、先生の御指摘になりました点の技術的な問題についてのお答えでございますが、航空路管制進入管制飛行場管制三つが、ICAOでいっておりますおもな管制業務であるという点は、先生指摘のとおりでございます。航空路管制というのが、実は管制のすべての根っこになっておりまして、飛行場から飛行機が出まして、ある目的地へ飛んでいこうといたします場合には、航空路管制に乗らなければ飛んでいくことができません。したがいまして、那覇空港を例にとって申し上げますと、那覇空港から航空機が出て、たとえば東京へ行こうという場合には、五月十五日以降は那覇ACCに、クリアランスと私ども言っておりますが、管制承認を求めます。そうしますと、那覇ACC管制承認を出すことになります。そこで、今度は航空路に取りつきますまでに、飛行機がだんだんと高度を上げていかなければなりませんので、その部分の上げ下げの操作を進入管制所がいたします。したがいまして、那覇ACCが出しました管制承認について、嘉手納進入管制所が、これに反対をいたしましたり、これにそぐわない措置をとりましたり、あるいは逆に航空路を飛んでまいりました航空機が、那覇空港におりたいということであります場合に、ACCのほうは、どの地点で進入管制所に渡すぞということを言うてやります。その場合に、進入管制所のほうから、それは受け取れないというふうなことを申しましたり、そういうふうなかって気ままなことを言うことは、進入管制所には許されておりません。ただ、進入管制所の中では、おりてくる航空機と上がっていく航空機とが入り乱れておりますので、その間に安全を保たなければなりませんので、そのために多少の操作を行なうというふうに御理解いただきたいと思います。
  45. 上原康助

    上原委員 長々答弁があったのですが、じゃ、いまおたく航空路管制交通管制の根っこだと言うのですが、逆に、なぜアメリカ進入管制を返さないのですか。そうじゃないのです、実際は。進入管制がのど元なんですよ。ここにもちゃんと書いてあるのじゃないですか。「米軍に提供している飛行場周辺飛行場管制業務進入管制業務を除き、すべて、日本側において運営する。」、なぜ進入管制業務を除き日本側が運営するというふうになっているか。進入管制はのど元なんです。次を見てください。「防空任務に従事する軍用機に対しては交通管制上、最優先権を与えることに同意している。」、これがあるから、半径五十マイル、そして久米島、高度は二万三千フィート、この範囲ののど元については、くちばしは入れさせませんよ。全くの軍事優先の根拠というのがここになされているのです、実際。あなたがおっしゃるように、そんな専門的な学者的なことでごまかされたって困るのです。この面に対しては、確かにあなたが言うように、ACCからいろいろ指令を出してやるでしょう。それは飛行機だから事故を起こす。アメリカだって起こす。軍用機だって同じなんだ。起こさないための操作は、いろいろ技術的にコーディネーションをとりながらやっても、この範囲に対しては、アメリカ側の指示がない限り、いかなる飛行機も入るわけにはいかない。なぜならば、軍事優先のこういう取りきめがなされているから。  その点は明確にしておいて、今後の皆さん航空交通管制については、改善できる面があるならばどうしていくのか。あるいはこれだけ広範囲を、首根っこを押えられるということに一歩下がって——これはアメリカが復帰前にきめたことでしょう。今後のことにおいて、それをやる御意思があるのかどうか、その二点はぜひ明確にしておいていただきたい。そのこともあいまいにして、あなたがおっしゃるように航空路管制がと、私が幾らしろうとでも、そんなこと言っちゃ納得できませんよ。やはり進入管制というもの、飛行場管制というものが第一なんだ。どうしてもそうさせたくないから、こういうような取りきめを合同委員会、地位協定に基づいてやっておる。その点は改善することができるのかどうか、この点は、大臣と外務省のほうから、はっきりお答えをいただいて、ほかの議論に移りたいと思うのです。
  46. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 航空交通管制におきまして一番の重点は、いかに航空交通の安全を確保するかということにあるだろうと承知いたしております。そういう観点から沖繩の返還の際に、沖繩航空交通管制をどういうふうに処理していくかということについての話し合いが行なわれました結果、四十七年の合意が結ばれたわけでございまして、そういう観点から、やはり沖繩航空交通管制は、日本側がやるべきたてまえのものであり、その権限は日本側に帰属することにはなっておりますけれども、いかに航空交通の安全を確保するかという見地から、暫定的な措置あるいは経過的な措置というものが結ばれたわけでございまして、そういう意味から、この問題が考えられてきておるということだろうと思います。
  47. 上原康助

    上原委員 大臣のお答え聞いて——ちょっと中座なさるようですからいいですが、いまの局長答弁、そうじゃないんだよ。そんなことで私は納得しません。じゃあなたは、自衛隊機も軍用機も沖繩たくさんあることが、交通安全を確保できると思っているんですか。あとで、このことは申し上げますが、那覇空港安全性の問題そういうことを私はお尋ねしているんじゃないのです。この地位協定に基づいた日米合同委員会で取りきめたものがあり、現にこれだけの空が首根っこを押えられている。それを、いま民間航空が無理をして、その合い間を縫って、実際には運航しているような状態でしょう。しかも、その空の上には、制限空域というのが幾つあるのですか。あとで聞かしていただきたいのですが、空にもまた制限空域、ウォーニングエリアというのを、あっちこっちに設けているんだ。その合い間を縫ってしか民間航空機というものは飛行できない状態なんです。何がそれで安全ですか。そういうような答弁では、もうごまかされないんだ。図面でもちゃんと出ている。  だから、私がお尋ねしているのは、こういう状態なんだが、これを改める交渉ができるのかできないのか。できなければできないとはっきり言ってくださいよ。できるならできると。この二点については、先ほどの議論を大臣お聞きになったと思うんですが、こういう状態は、復帰前と全然変わらない。復帰をした現時点において、航空交通管制全体を三位一体として、ほんとうにわが国が引き継ぐということであるならば、冒頭でお尋ねしましたように、何らかの形で運輸省外務省が一体となってやらないと、これは困る問題ですよ。技術的に専門的なことだから、みんなわからぬだろうと思ってごまかざれたら困る。そんな簡単なものじゃない。その点は明確にしていただきたい。
  48. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 地位協定に基づきまして、嘉手納飛行場並びに普天間の飛行場施設、区域として日本政府は提供いたしております。一方、地位協定の第六条には、航空交通のための日米間の緊密な協調、整合ということがうたわれているわけでございまして、その協調、整合の一つの形として、地位協定に基づく航空交通管制に関する合意ができているわけでございます。  したがいまして、この航空交通の安全を確保する上から見れば、軍用機はないほうがいいという議論は、これは御議論としてはあり得ても、現実の問題といたしましては、地位協定によって施設、区域を提供しておるという状況のもとに、いかに協調性をはかるかということに当然主眼があるというふうにお考えいただきたいと考えております。
  49. 徳永正利

    ○徳永国務大臣 いままでの御議論を拝聴しておりまして、いろいろな歴史もあるようでございますし、現実の問題として、いま先生がおっしゃったように、安保条約の第六条で緩和されているのだから、それから先どんなうまいことを言ったって動きはせぬじゃないか、こういうような見方もいま拝聴したわけでございます。  私どもとしましては、すなおにその後の条文を読んでみますと、要員施設が整えばこれが引き継がれるというふうに読めるわけでございますけれども日本側としましては、とにかく今後そういうような努力、それからまた、内容の詰めをやっていかなければまいりませんが、少なくとも那覇空港に関する限り、日本側進入管制を行なうということは、早急に努力を積み重ねてまいりたいし、またいかなければならぬ、こういうふうに二つに分けて、いま考えておる次第でございます。
  50. 上原康助

    上原委員 もし大臣あれでしたら、ぜひ私の持ち時間でお帰りいただきたいのですが、いまの御答弁の、那覇空港について進入管制をわがほうが引き継ぐと言ったって、先ほどの大ワクがあるわけです。その範囲におけるものでしかないわけですよ。その点は、やはり大臣、少しお考えになっていただかないと困ると思いますので、後ほどまたお答えをいただきたいと思います。  そこで、いまのアメリカ局長の御答弁ですが、そういたしますと、私が先ほど指摘をしたような状況というのは——よく私の質問を聞いていただきたいと思うんです。そういう状況は、地位協定によって施設、区域を提供する立場にあるから、その状況というものは、この交通管制部が設けられた後も改善はされない、またそういう改善をせよという申し入れもできない、そういう立場にあるというふうに理解をしていいですか。その点明確にしてください。私の質問にお答えをいただきたいと思うのです。私は先ほど申し上げましたが、かりに、そういう提供の義務がある、提供する立場にあるにいたしましても、現在のように嘉手納中心にあれだけの広範囲にわたって、沖繩の空の首根っこを押えるということは不合理だ。復帰前からのずっと引き継ぎだから、この点は一歩譲っても、改善すべき段階に来ていると判断をするのだが、あなたのおっしゃっているのは、提供する義務があるのだからやむを得ない、その範囲でどう整合していくかということに重点を置かざるを得ないという御答弁だったと思う。外務省としては、改善する余地はない、その意思もありません、そういうふうに理解していいですか。
  51. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 四十七年の五月十五日の合意に基づきまして、沖繩の施政権返還と同時に、沖繩航空交通管制組織の運用管理の権限は、日本側に移管される、あるいは帰属されるということにはなったわけでございますけれども、経過的な措置が当然必要であったという意味で、ことしの五月の十五日まで二カ年間経過的な措置がとられてまいりましたけれども、五月の十五日以降は、先ほど運輸省の御当局から御説明がございましたように、航空路管制日本側に移譲され、それから、すでに那覇空港で実施されております飛行場管制と相並んで、日本側航空交通管制の事務が大幅に戻ってくることになるわけでございますけれども進入管制につきましては、先ほど来、運輸省からも御答弁ございますような事情で、那覇空港に関しては、暫定的な措置がとられている、こういうことでございまして、これが四十七年に米側合意を見たことであり、今日、その合意の内容を現実に実施するということが、課題であろうというふうに考えているわけでございます。
  52. 上原康助

    上原委員 ここは重要な点ですから、ちょっとくどいようで恐縮ですが、もう一度念を押しておきたいと思うのです。  那覇空港に限定をする、暫定的にそういう取りきめが五月十五日になされた。昭和二十七年、三十四年になると、日本の全体においてそんなんだが、それが沖繩にも適用されたわけでしょう。私がお尋ねしているのは、そういうことでないんですよ。先ほど言いましたように、半径五十マイル、高度二万三千フィート、そして久米島のそういった範囲進入管制といいますか、いわゆる上空の、空の管理ですよね、アメリカ側の。その状況というものを改善すべきだと思うんだが、この航空路管制日本側が引き継ぐという新しい事態が出てきたわけだから、そのことを改善する御意思があるのか、アメリカ側と話し合いはしますかというお尋ねに対して、いまのようなわけのわからぬ答弁です。そういう状態を、あらためて運輸省とも協議をして、たとえ地位協定やそういう取りきめがあるにしても、この不合理を改善していくという話し合いは、アメリカ側とできますかできませんかということをお尋ねしているんですよ。那覇のわずかな進入管制をどうしようということじゃないんだ、私は、沖繩の空全体を言っているんだ。  そのことは、先ほどの局長答弁では、沖繩全体についての進入管制も、要員技術、レーダーの施設ができるのならば、引き継がれるものと思うということを言っている。私は、そうは思わないということで、その理由も明らかになった、なぜできないかという法的根拠というのか、その日米の取りきめも。今日の段階においては、それはきわめて不合理な取りきめであり、実情なので、そのことを改めていく話し合いが、政府部内においても、またアメリカ側とも、できますかできませんかということをお尋ねしているのです。その点、はっきりしてください。
  53. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 技術的、専門的な詳しいことにつきまして、私は、その知識を持ち合わせておりませんけれども米側に対しまして、嘉手納と普天間の飛行場を地位協定に基づいて提供しているという事実がまずございます。また、昭和三十四年六月の合意では、「米軍に提供している飛行場周辺飛行場管制業務進入管制業務を除き、すべて、日本側において運営する。」というのがあり、また四十七年の五月には、先ほど御説明申し上げましたように、「米国政府は、地位協定の規定により使用を認められた飛行場に関する航空交通管制業務を実施する。」とございまして、これは昭和三十四年の合意と同じ方向のものである、こういうふうに考えてよろしいと思うわけでございます。  したがいまして、当面、この四十七年の合意に基づきまして経過措置、また現実に措置がとられるということが、大きな課題であろうというふうに考えているわけでございまして、そのワク内におきまして、技術的なことにつきましては、また運輸省のほうからもよくお話を伺ってみたいというふうに考えております。
  54. 上原康助

    上原委員 結局、四十七年五月十五日の取りきめ、昭和二十七年の六月及び昭和三十四年の六月、この取りきめに基づいてしかできないということですね心だから、航空路管制が返されても、先ほど私が言ったような空の状況というものは変更できない、変わらない、そういうことで外務省はいいのですね。また、それを変えていこうという意思もないということ、その点は明確にして、技術的な問題を聞きましょう。そのとおりですね。
  55. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 日米間の了解は、先ほど来御説明申し上げているとおりでございます。
  56. 上原康助

    上原委員 それじゃ逆な立場運輸省お尋ねしますが、かりに那覇ACC進入管制まで全部、要員とか技術、レーダー施設ができた場合は、嘉手納に対しても普天間に対しても進入管制、いわゆる航空交通管制全体の管理はできますか。
  57. 松本操

    松本説明員 先生おっしゃいますように、すべての準備が整いますれは、どういうふうな種類の飛行場でございましても、進入管制はできるというふうに考えております。
  58. 上原康助

    上原委員 先ほど、たとえば進入管制業務を引き継ぐには、どのくらい期間がかかるかという私のお尋ねに対して、五年ぐらいだ。それは那覇空港だけのことですか。
  59. 松本操

    松本説明員 那覇空港だけという御趣旨が、私、ちょっとわかりかねているのでございますが、進入管制をいたしますために、一般論的に申しまして、ある特定の一つの空港だけの進入管制の場合でしたらば、多少はやさしいかとも思いますけれども局長が先ほどお答えいたしましたのは、複数空港についての進入管制を、レーダーを使って行なうというふうなことは、遺憾ながら私どもやったことがございませんので、そういうふうな点から五年程度はかかるのではなかろうか、こういうふうにお答え申したのだと思うのでございます。
  60. 上原康助

    上原委員 技術的にわがほうが進入管制飛行場管制——飛行場管制は一歩譲って、現に米側か使用しているわけだから、飛行場まで返還しないと飛行場管制というのは、管理はできませんね。もちろん、いろいろな進入管制との関係はありますがね。なぜ、私がこだわるかといいますと、実際あれだけの広範囲ののど元を、嘉手納中心に握られていますと、皆さんがどういう御説明をしたって、いろいろな弊害が現実に出ているわけでしょう。それは技術的には、おたくがおっしゃるように、やろうと思えばできるわけですね。それはアメリカが返す意思があるかないかによってきまる、私の質問に対して運輸省、そういうふうに理解していいわけですか。アメリカから航空路管制進入管制を引き継ごうと思えば、日本側要員の確保と技術面の訓練をやることによってできる。しかしアメリカは、現に返す意思がないからできない、こういうふうな関係だと見ていいわけですか。
  61. 松本操

    松本説明員 現時点で、アメリカ側に返す意思があるかないかという点については、私どもは、つまびらかにいたしておりません。進入管制がどのようになるかというワクの考え方といたしましては、先ほど来、大河原局長の御返答と私ども局長の申し上げているところのそのワクの中で、これを引き継ぐということになったといたしました場合、引き継ぐためにはと申し上げたほうがよろしいかと思いますが、引き継ぐためには、技術的な問題が非常にむずかしゅうございますので、これこれの準備ができれば引き継げる、こういうふうに私どもは考えますし、その引き継ぎをいつ、どうやってやるのか、どういう話し合いをするのか云々の問題については、外務省のほうから主としてお答えいただいたワクの中において私どもも考える、こういうふうなことになろうかと思います。
  62. 上原康助

    上原委員 そこいらが外務省の御答弁と違うわけですよ。この間の瀬長委員の質問にも大体似たような、いろいろ会議録を調べてみても、あたかもできるようなことを言ってきたのだが、現に二十七年から今日まで進入管制についてはできない。しかも、できないということを、はっきり言っているのです。だから、これを外務省立場で変えていくような折衝をしない限り、あの状態というのは返らない。それは逆に言うと、進入管制航空路管制、いわゆる交通管制全体について排他的にわが国主権下になるには、三位一体でなければいかないということを言ったのだが、実際問題としては、この地位協定がある限り、そうはいかないということを明確にしておかないといかないと思うのです。  だから、それは技術的な問題とか、能力とか、レーダー施設の問題じゃないんだ。アメリカの軍事優先意思によってしか、飛行場管理航空路進入路もきまらないということが明白じゃないですか。ほんとに返せるのか。では、返す意思アメリカはあると思いますか。大河原さん、アメリカ進入管制まで返すと思いますか。返す意思がないものを、あたかもこの文を読んでも、実に巧妙にインチキをやってきているのです。そこいらは、もう少し明確にしておかぬと、国民をごまかすにもほどがありますよ、これは。できないのはできない、できるのはできる、そういうことじゃないですか。
  63. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 いわゆる沖繩の空の排他的権限ということを御指摘であるわけでございますけれども航空交通管制組織の運用、管理の権限自体は、日本側に帰属ということは、これは、もうはっきりしているわけでございまして、現実に那覇嘉手納、普天間、この三つ飛行場が、地理的に非常に近接しているこの事態のもとに、いかに円滑かつ安全確保のための航空交通管制を行なうかということが問題であるのだというふうに私ども了解しております。  そういう意味におきましての暫定的な実施というものが、那覇空港に関して考えられているというのが、合同委員会合意の中身でございまして、それでは、進入管制業務全体を米側がどういうふうに見ているのかということにつきまして、現在、私、その点をつまびらかにいたしておりません。
  64. 上原康助

    上原委員 進入管制業務について、米側がどう考えているかということについては全然わからぬ、話し合ったこともない、そういうことですか。
  65. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 沖繩返還交渉の際に、この点が話し合われたわけでございまして、その結果の合意が、四十七年五月十五日の航空交通管制に関する日米間の合意になっているわけでございます。その後は、日本側といたしまして、経過措置をいかに固めていくかということについての話し合いを、ずっと米側との間に専門的な立場から行なってきたということでございまして、全体の仕組みをどうするかということについての話し合いは、その後行なわれておらないというふうに承知しております。
  66. 上原康助

    上原委員 今後行なう意思はありますか。用意はありますか。
  67. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 当面、とにかく五月十五日までにこの体制整備ということが最重点であろうと思いますので、いますぐ米側と話し合うというようなことを、私どもまだ考えたことはございません。
  68. 上原康助

    上原委員 運輸省はその点どうですか。
  69. 後藤茂也

    後藤(茂)政府委員 たびたびこれまで航空局長管制保安部長から御説明申し上げておりますように、ただいまの時点では、わが航空局の人員、施設は、問題の進入管制業務を引き継ぐだけの能力がないわけでございますが、私どもといたしましては、この航空路管制業務引き継ぎに引き続きまして、これらの能力の整備に万全の努力をいたしたいと考えております。
  70. 上原康助

    上原委員 まだ、すっきりしない面もあるのですが、時間の都合もありますので、ぜひ先ほど私か指摘しましたように——私は進入管制については、そう簡単にアメリカが手放すものと思っていないのです。そこらは、いまのような状況ではいけませんので、それは現段階では、アメリカ側と話す意思がないというような消極的な立場でしかないのですが、そこらはもう少し技術的な面、いろいろな実態というものをつかんでいただいて、この航空路管制が五月十五日の時点でかりに引き継がれたとした場合は、そこらの点も詰めていただく、そういうことでよろしいですか、運輸省外務省も。話し合って、まずわがほうの立場として、政府間でもう一度話し合ってみる、その点はどうですか。
  71. 増岡博之

    ○増岡政府委員 今日、次の段階のことを、いまから申し上げることもいかがかと思いますけれども、しかし、できるだけ早い機会に実現を見るということで、運輸省省内部の技術的な問題をまず詰め、外務省とも協議に入りたいと思います。
  72. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 先ほど来の運輸省からの御答弁でもおわかりいただけると思いますけれども技術的にいろいろまた考えをまとめなければいけない面が多いと思います。したがいまして、私どもといたしましては、運輸省ともよく相談してみたいと思っております。
  73. 上原康助

    上原委員 ちょっと歯切れが悪いのですが、先ほど私が指摘したことを、ぜひ御理解をいただいて、空の管理というものを、軍事色を薄めていく、その点に力点を置いてひとつ取っ組んでいただきたいと思うわけです。  そこで、話を少し進めてまいりたいのですが、日中航定協定の関係などもあって、いわゆる沖繩のFIRあるいはADIZ、防空識別圏、そういう面がまた問題になりつつあります。特に、御承知のようにFIRは石垣と西表の境を通っている。与那国は台湾側の防空識別圏に入っている。そういうような状況もあって、南西航空の運航問題も一時問題になりましたが、これは米台の条約があって、ようやく飛行できるということが言われているわけですね。しかし、五月の十五日にわがほうが航空路管制を引き継いだ時点においては、どうなるかわからぬという話もございます。そこらは、一体、日米間ではどうなっているのか、また日台間ではどうなっているのか、はたして今後も石垣やあるいは与那国、その周辺の飛行というものが安全にできるのかどうか、その話し合いはついているのか、そこらも明らかにしていただきたいと思います。また、いまのFIRを、今後、運輸省改正をしていく話なり準備があるのかどうか。
  74. 後藤茂也

    後藤(茂)政府委員 お答えいたします。  米軍から五月十五日を期しまして、沖繩FIRにおける航空路管制業務日本側が引き継ぐに際しましては、引き継いだあと業務を円滑に遂行するために、那覇FIRとわれわれは呼びますが、那覇FIRと隣接する各種のFIRを担当しております外国のセンターとの間に、技術的な何らかの相談をいたすことが望ましいと考えておりまして、すでにグアムあるいは大邸の、それら隣接のFIRのセンターとの間には、技術的な相談が進んでおります。  お尋ねの、台北FIRを管轄する台北のセンターとの間でございますが、この点につきましては、ただいま日本と台湾との関係が、政府政府の間ということでない事情もございまして、交流協会を通じまして、台湾側の亜東関係協会をその対応者といたしまして、実質的に同じような相談を進めるべく、いろいろとただいま努力中でございます。この台北と五月十五日以降の那覇ACCとの技術的な相談は、ただいまの時点では、まだ最終的に固まっておりませんが、ただいままでわれわれが承知しております限りでは、従来、米軍が台北ACCとの間において行なっておりましたとほぼ同様なやり方で、五月十五日以降、日本引き継ぎました以降の、日本ACCと台北のACCとの間で、飛行機引き継ぎその他の技術的な事柄が進められるにつきましては、私どもは、ほぼ楽観的な見通しが立てられるという感触を得ております。  さらに、お尋ねの与那国でございますが、与那国は形の上では、たとえば石垣から飛行機が飛んでまいります場合に、その途中で台北のFIR、公海の上でございますけれども、その空域を通過してまいりますわけで、その通過する途中で、通常の場合であるならば、台北ACCから飛行に要する情報なり助言なりを受けて飛ぶというのが、本来のたてまえでございましょうが、私どもが知っております限り、現在、米軍那覇沖繩ACC管理しておりますただいまの状態のもとでは、与那国に飛びます航空機、石垣あるいは沖繩方面から与那国に飛びます航空機は、実際上は沖繩ACCと連絡をいたしまして、そのクリアランスをもらって、それだけで往復をしておるという実情でございます。  この点につきましては、台湾が二十日に、日本航空機の飛行に関する声明を出しましたあとも、同じような手続で実際の飛行は継続されておりますし、先ほど御説明いたしましたように、まだ最終的になっておりませんが、五月十五日以降の日本が、那覇ACCを引き継いだ後も、ただいまの見通しといたしましては、ただいま飛んでおると同じような状況が継続し得るのではないかという感触を得ております。
  75. 上原康助

    上原委員 目下のところ、感触であって、五月十五日に、航空路交通管制が引き継がれた時点においてどうなるかはまださだかでない。  そこで、これは非常にいろいろな問題がからんでくると思うのです。私は、もちろん日中航空協定は、すみやかに締結すべきだという立場であります。ただ、FIRがわが国の、もちろん領空、領土と直接は関係ないということになるかもしれませんが、与那国まで含めて日本の領土でありながら、いわゆる台湾側の防空識別圏に入っている、あるいは台湾側のFIRに入っている。これも、アメリカの施政権下でなぜそうなったのか私もわかりませんが、こういう不自然な状態というものは、やはり改めるべきじゃないかという気がします。したがって、そのFIRを将来改定していく。いま台湾は、もうICAOから一応脱退という形になっているわけでしょう。抜けた形になっている。実際の国家間の交渉ができなくなっている。そこに、も一つのむずかしい面があるかもしれません。そういう面を考えますと、民間航空の飛行ということだけじゃなくして、防衛面からも若干問題が出てくるのではないかという気がするわけです。そこで、将来FIRを変えていく話し合いをするのかどうかというのが一つ。  いま一つは、ADIZの問題ですが、防衛局長お忙しいところ来ていただいたのですが、このADIZを変えていくという場合は、一体どういうふうな方法があるのか。それと、いまも御答弁ありましたように、去る二十日に台湾側は、もし日本飛行機が台湾側のFIRあるいは防空識別圏に入った場合は、強制着陸あるいはその他の措置、ぶっそうなことでは撃墜することもあり得るというようなことまで声明を出したということが、報道されているわけですね。そういう事態がもし起きた場合、航空自衛隊としては、どういう措置をとるのかという問題が出てくるわけですね。これも、いわゆる防空範囲、防衛といわないで防空範囲というものはどこまでが限定されているのか、ここらの兼ね合いについても、この際少し整理をしていかないと、仮定の上での話ではいかぬと言うかもしれませんが、序一そういう事態が起きた場合に、航空自衛隊はどう対処していこうとするのか。出撃をするのか。あるいはまた遭難問題が出てくると思うのです。特に漁船、空だけじゃなくて、海上におけるいろいろなトラブルというものが起きた場合、こういうことに対しては、政府としてはどういうふうに対応策を考えておられるのか、ここらについて、できれば明らかにしておいていただきたいと思います。
  76. 後藤茂也

    後藤(茂)政府委員 FIRの境界線の問題についてお答えいたします。  御指摘のように、ただいま那覇FIRの外に与那国という日本の領土がございますが、できればこの境界線が変えられて、そして日本の領土をすべて日本管理するFIRに含めることが望ましいと考えております。いかなる形で、いつどのようにしてこれを改定すべきかにつきましては、さらにこの地域の航空交通の実情、あるいはさらにいろいろと技術的な国際関係の問題あるいは国際情報などを踏まえながら、関係の官庁ともいろいろ御相談する必要があると思っております。
  77. 久保卓也

    ○久保政府委員 ADIZは、沖繩諸島あるいは本土の領空侵犯に対する措置を有効に行なうために設定されたものであるということは、言うまでもありません。  そこで、現在のADIZのラインから申しますと、そういう意味からは格別支障はないと思っています。御指摘のように、与那国の真上をADIZが通っておりますけれども、格別それを変更する必要はないのではなかろうかというふうに思っております。特に、今日、日台関係が非常にデリケートなときに、ADIZは、それぞれの国の事情でつくるわけでございますから、重複しても何ら差しつかえないものと思いますけれども現在、それをいじることが適当であるかどうか、私は、若干疑問に思っております。しかし、問題があることは、もちろん承知をいたしております。  それから、台湾のADIZに日本側飛行機が入った場合に、台湾空軍から何らかの措置がとられることが予想されます。その場合に、かりに強制着陸あるいは最悪の場合には、撃墜ということも予想されないわけではございませんけれども、それは、台湾側が明示いたしておりまするように、台湾のADIZに入って云々の場合に、適当な措置を講ずるということでありまするから、日本の防衛ということは、日本という国に対する直接の侵略、武力による侵略ということでありますので、その場合は、台湾の意図が日本に対する武力侵略である、直接侵略であるというふうには考えられないと思います。したがいまして、その場合に、自衛隊が発動すべき法的根拠は何らございません。政府がかりにどうお考えになろうと、現在の法律では根拠がないというふうに言わざるを得ないと思います。  しかしながら、災害派遣は、実はたいへん問題でありまして、先般も沖繩に関連してございましたが、FIRを越え、ADIZをあるいは越えたかもしれませんが、これは事、人命にかかわることでありまするし、自衛隊の問題だけではございません。海上保安庁の問題もありましょう。したがいまして、運輸省でありますか外務省でありますか、いずれにせよ政府機関として、何らか適当な措置を講じて、FIRあるいはADIZを越えて救難におもむかなければならないという趣旨を、台湾側に了承させて、こちらが救難にかけつける。しかし問題は、一刻を争う場合に、そういう手続を踏むときに、時間がかかるという問題がありましょう。したがって、事前にどういうふうな手順をやっていくべきであるか、関係機関のところでも、よく検討していただき、私どもも御相談にあずかりたいと思っております。
  78. 上原康助

    上原委員 私も、FIRについては、これは、できるだけすみやかに改正といいますか、改善をする必要があるのじゃなかろうかという気がいたします。といいますのは、台湾が中国の領土の一部であるということになった以上、これは、いろいろな関係がありましょうが、現にICAOとの関係がないということになりますと、日台間のいま言われているいろいろな問題はあるにしても、やはりFIRそのものは、もっと明確にしておかなければいかぬ問題じゃないのかという気がします。この点については、いま御答弁もありましたが、検討してみたいということですから、ぜひ航空協定の問題が一段落ついた時点で、お考えになっていただきたい。  それと、防衛局長のいまの答弁も、ある程度了解をしたいわけです。ADIZの問題ですが、しいていまの段階で拡大をしていくとか、あるいはどうということになると、日台間、日中間、いろいろ逆のトラブルが起こりかねない。ただ問題は、こういうようにいろいろな事態が予想される中で、私は、運輸省中心になって、あるいは外務省中心になって、このADIZの問題とかFIRの問題は処理をしていただきたい。へたに自衛隊が動くとか防衛庁がどうというようなことになると、かえって軍備の拡大、自衛隊のいわゆる軍事出動、そういうことにもなりかねない結果も、ある面においては予想できるのじゃないかと思うのです。そういうことは、政府がどう思っても、いまの段階ではないという答弁がありましたが、それでいいわけですが、そこいらについては、海難のいわゆる災害派遣、そういう面もやむを得ない場合はあるかもしれませんが、それも万々、運輸省を通してまず話し合いをつけておかないと、そういう余裕がなかったからということで自衛隊が出動していくとか、災害対策ということでやっていった場合に、予測できない事態が起きた場合に問題が出るのじゃないか。だから、私はいまの点を指摘をしたわけです。  その点に対してあらためて答弁をいただきたいし、いままた申し上げたFIRの件については、改正をしていく用意があるのかどうかということと、もう一つは、どういう事態があるにいたしましても、石垣や与那国に現に飛行している民間航空が飛べなくなる事態というものは避けなければいけない。そこいらについても、まだ感触しか得ていないという御答弁でしたが、これは政務次官、お見えになっていますから、大臣いらっしゃいませんので、いろいろむずかしい面もあろうかもしれませんが、少なくともこの五月十五日の段階においては、政府間なりあるいは亜東協会なり交流協会、そういう民間団体を通して、確証を得るように特段の御配慮をいただきたい。それに対しての御答弁を求めたいと思います。
  79. 増岡博之

    ○増岡政府委員 御指摘のとおり、境界そのものの変更につきましても、そうあるべきことが望ましいことと思いますが、しかし、その間におきまして、航空機の運航あるいは災害その他のことにつきまして差しつかえがないように、御指摘の点は十分配慮をしてまいりたいと思いますし、さらに、最後の先生の御指摘のことも、十分詰めてまいりたいと思います。
  80. 上原康助

    上原委員 委員長にお願いしたいのですが、きょうもし、あとの質問者に迷惑をかけてもいけませんので——実は那覇空港の現況について、少しお尋ねしたかったのです。ちょっと防空圏のことで少し時間をとってしまったのですが、大臣もいらっしゃいませんので、後ほど時間がありましたら、二十分程度お許しを血ただいて、いつも八時過ぎまで協力させられているわけですから、ひとつ私の要望も聞いていただいて、ちょっとこれで保留をしておいてなにしたいと思います。その節はよろしくお願いいたします。いいですね。
  81. 徳安實藏

    徳安委員長 いいです。——なるべく、答弁もあまり長くならないように、簡単明瞭にお願いいたします。  中路雅弘君。
  82. 中路雅弘

    ○中路委員 大臣がおられないのですが、会期末ですから、審議に協力をするということで、質問をさせていただきたいと思います。  時間も限られておりますから、先般、委員会で那覇空港の視察に行った、その一員として参加をさせていただいておりますが、この中での問題を二、三御質問したいと思います。  沖繩の施政権返還によって、那覇空港米軍基地から民間空港としてスタートして、政府はこれを沖繩返還の目玉商品として宣伝されているわけでありますが、実際、那覇空港へ行って、現地を見てみますと、返還後も米軍が居すわっている。P3もそのままですし、また自衛隊が移駐して、事実上三者の共同使用になっています。沖繩の空と、那覇空港が現在置かれているこういう状況、将来の問題についても、非常に多くの問題をかかえているわけですが、この中で、私は三点ばかり御質問したいのですが、一つは、いま上原委員が詳しく質問をした問題なので簡潔にしますが、進入管制の問題です。  もう一度お尋ねしますけれども、この進入管制について、五月十五日以降も、米軍のほうが、この進入管制は行なうということになっているわけですが、進入管制について、いまの時点日本側が引き継げない、その理由について、最初簡潔にもう一度お答え願いたい。
  83. 後藤茂也

    後藤(茂)政府委員 お答えいたします。  ただいまの時点で、進入管制を引き継げない理由は、わがほうにこの地域の進入管制業務をやる要員、それから施設、経験、これがまだ整備されていない、皆無であるということが理由でございます。
  84. 中路雅弘

    ○中路委員 先ほどの御答弁でも、この要員それから施設という中で、要員について五年ぐらいというお話ですが、その中に、経験ということに入ると思いますが、空港管制の問題が出ているわけですね。   〔委員長退席、野呂委員長代理着席〕 現在、那覇嘉手納、普天間の三飛行場が隣接しているということで、一元的管制ということから、進入管制嘉手納で操作をするということが理由であげられているわけですが、これは技術的に見まして、この隣接地域の複数管制というのは、どうしてもこうしなければならないのか。切り離して空港を、那覇とそれから嘉手納、これは研究して技術的にできないものか。将来、羽田と成田の関係の問題も出てくると思いますけれども、こういう点で少し技術的に見て、純粋にこの三つ飛行場の一元的管制は、どうしてもやらざるを得ないという、そういう結論なんですか、その点もう少しお聞きしたい。
  85. 松本操

    松本説明員 お答えいたします。  現在までのところ、私どもも、いろいろと研究をしてまいりましたが、現時点におきましては、各関連空港の位置、滑走路の方向、進入管制の方式等から考えまして、一元的に管制せざるを得ない、そうしないと安全が確保できないのではないか、このように考えております。
  86. 中路雅弘

    ○中路委員 そうしますと、この要員施設、経験を持った管制官の養成、そういったのが、先ほど五年ぐらいとおっしゃいましたけれども、その条件が整えば、今度は日本側、いわゆる那覇空港で、この三つ飛行場進入管制も、政治的なことを抜きにすれば、やろうとすればそれは可能なんだということは言えるわけですか。
  87. 松本操

    松本説明員 先生おっしゃいますとおり、技術的な準備が整いました場合には、諸般の別の問題は抜きにいたしまして、技術的な面からだけお答えいたしますならば、おっしゃるとおり可能であるというふうに私どもは考えております。
  88. 中路雅弘

    ○中路委員 さっき大河原さんは、いまの時点では、五月十五日の、引き継いだこの時点の問題の処理を中心にお話をされたわけですけれども、この進入管制の問題について、そういう条件が整えば、技術的には運輸省の、いま答弁のように、一元的な管制ということを那覇でやっていくということは、可能だということもお話しになっているわけですが、当然、空の安全あるいは主権に関する問題ですから、あるいはこの日米合同委員会の中でも、暫定的ということばを使われているわけですから、その時点で、少なくとも外務省は、運輸省と協議をして、進入管制引き継ぎについてお話をされる、アメリカと交渉される、そういうお考えはあるわけですか。
  89. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 ただいま松本保安部長からも御答弁ございましたように、沖繩の空の交通が非常にふくそうしている、また那覇嘉手納、普天間、この三つ飛行場が、地理的に非常に近接している、こういう特殊な事情と、もう一つは、一元的な進入管制が必要である、こういうふうな技術的な前提に立ちました場合に、将来どういうふうな形に持っていくのが一番望ましいのかというふうな問題が出てくるだろうと思いますけれども、その点につきましては、現在、私どもといたしまして、四十七年五月の日米間の合意以上のことを、まだ考えたことはございません。
  90. 中路雅弘

    ○中路委員 この問題は、先ほど長く質疑もあったものですから、それ以上のあれはしませんけれども運輸省としては、可能だというだけではなくて、いままでは航空路管制引き継ぎの仕事に相当没頭されたというお話ですが、この十五日の時点、引き継がれて以後、進入管制を引き継ぐための管制官の養成計画を進められる、具体的にそういうことが可能だというだけではなくて、この時点から、この進入管制も引き継げるだけのそういう施設あるいは要員準備、そういう具体的な計画はお持ちなんですか。
  91. 後藤茂也

    後藤(茂)政府委員 ただいまの時点で、私どもは、具体的にどのようにして要員なり施設なりを整備するという点についての、具体的な計画をまだ立てておりません。先ほどもお答え申し上げましたように、長い目で見て、次はこの設備、人間の整備をすべき段階である、こういうふうに認識をいたしております。
  92. 中路雅弘

    ○中路委員 これは合意の文書でも、「日本国政府がこれら飛行場のレーダー進入管制業務を行なうまで暫定的に米国政府那覇空港進入管制業務を実施するものとする。」となっているわけですから、当然、この時点から進入管制業務を引き継げるだけの要員施設準備は、具体的に計画として進められる必要があるのではないかというふうに私、考えるわけですけれども、この点は、こういう条件があればというお話ではなくて、やはり一日も早くこの進入管制というのは、先ほどのお話のように、事実上首根っこの問題ですからね、これを一日も早く日本側が引き継げるという条件を、運輸省としては外務省と相談されて、あとアメリカとの交渉になるわけですけれども、条件を整えるということでの具体的な準備は、私はこの時点で進めていく必要があると考えるわけです。もう一度念を押しておきますけれども、そういうことについて、これから検討をされる、そういうお考えはありますか。
  93. 増岡博之

    ○増岡政府委員 先ほども申し上げましたように、今後の問題といたしまして、そのような方向で運輸省内部の意見をまとめ、外務省と相談してまいりたいと思います。
  94. 中路雅弘

    ○中路委員 いずれにしても、米軍が今後、ある相当長期にわたって沖繩進入管制を行なっていくことになるわけですが、米軍は、国際民間航空条約や日本の航空法に拘束されて業務を行なうわけですか。ICAOに準拠して行なうということになっていますが、この進入管制についての法的な拘束ですね、これはどういうことになるわけですか。
  95. 松本操

    松本説明員 ただいま先生おっしゃいましたように、ICAOの原則というのが、すべての世界的な航空交通管制の根元になっておりますので、また協定上も、そのように書かれておりますので、米軍はこれに従うわけでございます。  具体的な方法といたしましては、さらに私どものほうのセンターと米軍進入管制所との間に、技術的な問題についての取りきめをいたします。その際に、私どもは、こういうふうにやるので、それを受けられるような形で受けてもらうというふうな技術上の取りきめをする、こういうふうになってまいります。
  96. 中路雅弘

    ○中路委員 このICAOは、軍用機等については規定はないのじゃないですか。この準拠するというのは、これは法的な拘束ということは受けないわけですか。準拠するという趣旨は、どういうことなんですか。ICAOに準拠してやっていくということになりますね。その準拠というのは、法的な拘束という意味では、どういうことになりますか。
  97. 松本操

    松本説明員 準拠してと書いてございますのは、ICAOは、先ほどもお答えいたしましたように、原則的なことが書いてございます。個々のきわめて具体的なことについては書いてございません。たとえて言うならば、わが国の航空法も、ICAOに準拠してできておる、こういうふうなスタイルになっております意味において準拠する、こういう約束であるというふうに理解をいたしております。
  98. 中路雅弘

    ○中路委員 そうしますと、この引き継がれてからあと、現地において当然、この現地の協定ですか、技術的な航空の管制についての、ということが話し合われることになるわけですね。これは具体的に、これから進められるのではないかと思うのですが、もう一度その点について、どういう立場で現地で、引き継いだあと航空管制業務についての協定の話し合いを進められていくのか、その考え方の基本だけでも、ひとつ簡潔にお話し願いたいと思います。
  99. 松本操

    松本説明員 先生おっしゃいましたように、現実に管制を行なうためには、こまかな技術上の取りきめが入り用になってまいりますので、その場合には、私どもが通常行なっております進入管制航空路管制との間のつながり、進入管制飛行場管制との間のつながり、そのやり方がそのまま行なえるということを前提にいたしまして、必要な修正を加えつつ取りきめをしていく、こういう考え方でございます。
  100. 中路雅弘

    ○中路委員 次に、具体的にお聞きしたいのですが、たとえば米軍進入管制を行なうわけですが、この米軍進入管制におけるミスで事故が発生した、あるいはその進入管制のミスによる事故が疑わしいというような事態が起きた場合、こういう場合は、この事故の調査あるいは扱いについてどのように——いわゆる米軍が、いま彼らが責任を持っている進入管制ですが、この進入管制上の責任において起きたと思われる事故が発生した、その点については、その事故についてどういう取り扱いになってくるわけですか。
  101. 後藤茂也

    後藤(茂)政府委員 いわゆる航空機事故調査という観念の場合と、それから、いろいろ調査をしなければいけないと思いますが、米国軍人個人の刑事責任の問題二つあろうかと思いますが、このいわゆる事故調査あるいは航空機の事故が発生し、その原因に、米国の軍が管理しておる、たとえば進入管制業務がかかわりがあるようであるというふうに考えられますときには、ただいまのところでは、昭和二十七年六月に日米間で、合同委員会の承認を得ました事故調査に関する合意がございまして、その合意によりますと、日本側の、ただいまでいえば航空機事故調査委員会でありますが、それから米軍側に通知をいたしまして、合衆国軍司令官が指名する彼らの代表者が、日本側が行ないますこの事故調査に加わりまして、一緒に事故調査を行なうという考え方になります。  また、米国軍人個人の刑事責任の問題これは私どもの専門の問題ではございませんので、詳しい御説明は控えさしていただきたいと思いますが、公務中の米国軍人のそういった行為ということで、地位協定の該当条文に従って日米間で処理される、このように了解しております。
  102. 中路雅弘

    ○中路委員 そういう調査が行なわれて、どのような形であっても事故の責任が、たとえば進入管制業務責任を持っているアメリカ側にあるということがはっきりした場合に、それについてのアメリカ側の、事故についての責任あるいは損害という問題が起きた場合に、これはどういう扱いになりますか。
  103. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 管制官のミスによりまして、事故が発生いたしました場合に、その管制官の業務は、公務執行中の問題であるということになりますと、地位協定十七条三項の規定が適用されまして、この規定に基づく裁判権が行使されるということになります。また 民事責任の問題につきましては、十八条五項の規定によりまして補償の問題がそこで処理される、こういうかっこうになります。
  104. 中路雅弘

    ○中路委員 いま御答弁のように、刑事責任の場合は地位協定十七条、民事責任の場合は十八条ということになりますと、たとえば損害補償ということになると、これは日本側負担ということになるわけですね。間違いありませんか。
  105. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 十八条五項の規定に従いまして、米側責任がある問題につきましては、七五%が米側、二五%が日本側、こういう規定になっております。
  106. 中路雅弘

    ○中路委員 もう一つお尋ねしますが、たとえば民間の場合、いま管制業務処理要領を見ますと、テープレコーダーの運用要領というものによって、管制業務を民間の場合にテープとして保存してあるわけですね。米軍がいま扱う、これからもやっていく進入管制業務、これは、この要領に基づいたテープの保存、こういうことは、やられることになっているわけですか。事故の場合に、たとえばそういうテープの提出とか、事故の責任あるいは原因を究明する、そういうものは、民間の場合の管制業務処理要領等に規定されている、こういう処置が行なわれるようになっているわけですか。
  107. 松本操

    松本説明員 わが国の場合には、先生おっしゃいましたように、管制業務処理要領によって定まっております。米軍の場合にも、私どもが承知しておりますところによりますと、FAA、アメリカ連邦航空局の定めた規定というものが根元にあって米軍規定ができておる、こういうふうに聞いておりますので、おそらく、当然のことながら、そういう処理がなされているというふうに考えております。
  108. 中路雅弘

    ○中路委員 いまの点は、やはり明確にさしておく必要があるのじゃないか。事故が起きた場合に、たとえばニアミスの事故等もあるわけですが、そういう場合に、両方の飛行機の記録を明らかにして、報告を求めていくという体制がなければ、米軍のほうの責任なのかどうかもはっきりしないという状態では、問題の処理が明確にならないと私は思うわけです。  いずれにしましても、この管制業務米軍が引き継いでやっていくわけですから、その中には、軍事優先的なものが出てくるのは当然でありますし、また、他方これを法的に規制するというものが明確にないといけないと思うのですが、いま御答弁にありましたように、その点、不明確な点がありますし、もう少し明らかにしていただく必要がある。あるいは地位協定十七条、十八条では、米軍責任がある場合でも、日本側も負担しなければならないということになっていますから、この点でも、この進入管制業務米軍が引き続いてやっていくという中には、日本側がいろいろそういう負担を負う実態ですし、軍事優先とならざるを得ない状況があるわけです。  やはりそういう点でも、一日も早く進入管制業務日本側がはっきりと引き継ぐ、そうして空の主権を明確に日本側が持って、責任を持ってやっていくという事態に、早急に進入管制業務を引き継いでいけるという状態にすべきじゃないかと思うのです。その点でも、先ほどお話ししましたように、日本側が一日も早く進入管制業務を引き継げる条件をつくって——この合意文書の中では、先ほど上原議員も質問しましたように、文書上非常に明確でない点があるわけですね。外務省答弁でも、まだ、そのことについて、今後アメリカと交渉するという明確な答弁もありませんけれども、その点についても、早急に引き継げるための具体的な計画を持って、運輸省のほうでも外務省と協力をしてやっていただきたいということを、この機会にあわせて強く要請したいと思うのです。政務次官のほうから、この点について一言、この問題でのお考えをお聞きしたいと思います。
  109. 増岡博之

    ○増岡政府委員 できるだけそのような方向でやりたいと思いますけれども、何ぶんまだ日本では、未経験の技術でございますので、十分検討して、さらにスピードを増して結論を出したいと思います。
  110. 中路雅弘

    ○中路委員 次に、もう一つお尋ねしたいのは、これは先日、私どもの瀬長議員が質問した問題と関連して、その続きでもあるのですが、先日の瀬長議員の質問で、外務省の伊達参事官もお答えになっていたわけですが、キャンプ・ハンセンの空域の問題ですが、沖繩における航空交通管制についての合意事項、「合衆国政府は一九七二年五月十五日の合同委員会合意にもとずいて特別使用空域の使用を許される。合衆国はすべての特別使用空域は既存の航空路空港周辺空域の五カイリの緩衝空域をおくべきであるという日本国政府の方針を認識する。」、このことに関連して質問があったと思いますが、伊達参事官も先日の答弁では、合意事項のこの部分は、外部に発表は特にしていないけれども、こういう合意事項はあるということを答弁されていますが、これは間違いありませんね。
  111. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 そのとおりであります。
  112. 中路雅弘

    ○中路委員 先日も質問がありましたが、キャンプ・ハンセンに関して、四十七年の六月十五日の官報の告示を見ますと、キャンプ・ハンセンの範囲が書かれてあって、高度制限九百十二メートル、三千フィートまで射撃訓練のため常時使用というのがありますが、このキャンプ・ハンセンの上空はA82、A86航空路がその上を通っているわけです。先日の答弁で、このキャンプ・ハンセンの空域の上限は三千フィートだから、航空路は四千フィート以上となっておって間隔があるので、わずか三百メートルですけれども安全性に問題がないという寺井航空局長の御答弁が出ていますが、こういう合意文書が出されている趣旨、これは、あくまで危険防止ということが中心に置かれているわけですし、五海里の緩衝空域を置くべきであるというのが設定されているというのは、明らかにこの緩衝地帯を含めて、五海里の全体を立体的にものを考えないとまずいんじゃないか。この上空航空路が通っている、その中に射撃の訓練空域があるということは、この合意文書がなぜできているのかということからいっても、こういうことは許されないんじゃないかというふうに私は思うのです。  この問題について、私は、この合意文書から見て、航空路の下に米軍訓練空域が設定されている、これは明らかにこの合意事項にも違反するというふうに考えるのですが、御見解をもう一度お聞きしたい。
  113. 中曽敬

    ○中曽政府委員 ただいま先生の御指摘になりました五マイルというバッファーでございますが、これは、実はこういうことでございます。  沖繩に、先ほどアメリカ局長が御説明になりました特別空域というものがございまして、平面的な空域を、一応御想定いただきたいと思いますが、それに対しまして、飛行機が飛びます航空路、それとの間に五マイルのバッファーがほしいということを、わがほうがアメリ方側に意思表示いたしまして、これは十分認識するというふうに向こう側は言ったということが、一応沖繩返還当時の合意文書に書いてある、こういうことでございます。  そこでもう一つ、いまのキャンプ・ハンセンの問題でございますが、このキャンプ・ハンセンの問題につきまして、瀬長先生から前回御質問がございました。航空局長並びに私のほうから御答弁申し上げたのでありますが、実はキャンプ・ハンセンと申しますのは、地上の訓練地域でございます。これは防衛庁のほうから御説明いただいたほうがいいと思いますが、いわゆるりゅう弾砲の訓練地域でございます。したがいまして、いわゆる空域というふうには、私どもは理解していないのでございますけれども、この訓練地域が三千フィートというふうな上限が設けられておりまして、そして、その訓練地域の上を、まさにアンバー82ないし86という航空路が、通過していることも事実でございます。これは、先ほども申しました特別空域ではございませんで、訓練地域でございますけれども、高度上のバッファーと申しますか、これを千フィートとりまして、そして最低経路高度四千フィート、アンバー82と86がそうでございますが、最低経路高度四千フィートということで、千フィートの高度上のバッファーを置くということでございますので、その意味におきまして、まず私どもは心配ない、こう申し上げたわけでありまして、五マイルのいわゆる平面的なバッファーとは違います、立体的なバッファーでございます。合意文書におきましてそういったことは、おそらく議論されなかったのではないかと私どもは推測しておるのでありますけれども、いわゆる平面的なバッファーと立体的なバッファー、これの違いでございますので、その点を御理解いただきたいと思います。
  114. 中路雅弘

    ○中路委員 このキャンプ・ハンセンの訓練は、いわゆる平面、立体が出ましたけれども、射撃訓練ですね。そして高度がきめられている射撃訓練なんですね。まさにこの訓練自身は立体的な訓練場なんですね。それで常時、射撃訓練のために使うということでしょう。だから、立体的に考えざるを得ないわけです、三千フィートまで使用するのですから。そのわずかの上空航空路があるわけです。この合意文書そのものは、そのキャンプ・ハンセンまで含めて検討されたかどうかということはわからないというお話ですけれども、しかし、この合意文書趣旨をいえば、これは、あくまで危険の防止、安全ということを中心にして設けられた合意文書であり、アメリカのほうは、これを認識するという表現になっておりますけれども、聞きおくという程度のものじゃないと思うんですね。合意した以上、やはりこれを認めて協力していくということになると思うのです。あくまで危険の防止、安全という問題からいって、この航空路の真下にそういう三千フィートまで設けた射撃訓練の、まさに立体的な訓練場があるということは、この合意文書趣旨からいっても、明らかに違反する問題でありますし、これは、あらためて検討していただいて、キャンプ・ハンセンのこの海兵隊の射撃訓練については、これをやらせないようにするということですね。やはり生命の安全の問題からいっても、脅かされることは当然のことでありますから、この点について、あらためて運輸省のほうで外務省と相談して、もう一度この射撃訓練空域についてば、アメリカのほうと交渉する必要があると考えるのですが、もう一度、この問題について御見解をお伺いしたいと思うのです。
  115. 中曽敬

    ○中曽政府委員 合意文書に出てまいりましたのは、私どもの理解では、平面的なバッファー、つまり特別空域と称しますところで飛行機が飛びます。飛行機が飛びました場合に、若干その飛行機が、そういう特別空域からデフレクトいたしまして、航空路のほうに寄ってくるというようなこともあり得るということを予想いたしまして、そういった場合に対する安全の措置といたしまして、できるならばバッファーはとりたいのだということを、アメリカ側に申し入れたわけでございます。  もう一つ、キャンプ・ハンセンの場合は、そういった五マイルの平面的なバッファーという考え方ではなくて、いわゆる航空路空域を分離いたします場合には、平面的なバッファー、高度上のバッファー、こういうふうに考えられる。ほかには時間的な分離のしかたというものがございますけれども、一応時間的な分離を除外して考えますならば、平面上の空域バッファーをとるやり方と、高度上のバッファーをとるやり方と二通りあるわけでございますけれども、一応四十七年の六月に出ました防衛施設庁の公示によりますれば、キャンプ・ハンセンの場合は、高度三千フィート以上は使わないのだということが明記されておりますので、これは、私どもも一応それを信用いたしまして、そしてさらに、その上に千フィートのバッファーをとりまして、四千フィート以下には飛行機は飛んでくれるなよという意味のMEA、つまり最低経路高度というのを、はっきりと公示いたしまして、そういうふうに飛行機に飛んでもらうということでございますので、私どもは、ただいまのところでは、こういう飛び方をしている限り、つまりまた一方において、三千フィート以上にたまが来ないのだという範囲におきましては、だいじょうぶであるというふうに判断しておるわけでございます。
  116. 中路雅弘

    ○中路委員 この合意文書は、平面的なあれを想定してつくられているわけですけれども、いまおっしゃった立体的といいますか、高度上の問題は、この合意文書には文書としてはないわけですよ。だから、この合意文書趣旨を、安全という立場から考えた場合に、平面上のことについて書かれてありますから、そういう趣旨を生かしていくという場合に、当然、高度上の問題についても考慮せざるを得ないと思うのです。高度上の場合に、どれだけにするということが文書にはないのですから。だから、私は、この合意文書趣旨を、高度の場合にも、立体的な場合にも生かしていくということを考えた場合に、このキャンプ・ハンセンの射撃訓練は、この合意文書趣旨からいって反するのではないかということでお伺いしているのです。合意文書そのものじゃないのですから、安全だろうと皆さんはおっしゃっているわけですけれども。  その点では、私は、この合意文書をつくられるときに、キャンプ・ハンセンのこういう高度の問題も含めて、頭に置いてつくられたかどうかということもよくわかりませんけれども、こういう趣旨を生かしていくということになれば、この問題についても、もう一度検討をされる必要があるのではないかと問題を提起しているわけです。  そういうふうに考えるのですが、これ以上、この問題に時間をとるつもりはありませんけれども、政務次官からも、いまの質問で趣旨はおわかりになったと思うので、もう一度これは検討してみたらどうか、この合意文書の中には、平面の問題はありますけれども、立体的な高度上の問題はないわけですから、この合意文書趣旨を、安全という趣旨、危険防止という趣旨からいって、検討されたらどうかというふうに考えるのですが、お考えを一言お聞きしたいと思います。
  117. 増岡博之

    ○増岡政府委員 文書のあるなしにかかわらず、ある約束ごとが行なわれており、そのとおりに守られれば、危険性の問題はないように思いますけれども、なお念のため、その点を私自身が確認してみて、その上で判断をさせていただきたいと思います。
  118. 中路雅弘

    ○中路委員 もう一つ、これは沖繩で視察に行ってみた問題ですが、航空自衛隊に視察に行きましたときに、昨年行ったときと違って、写真が部屋にずいぶんかけられていまして、自衛隊のブルーインパルスの曲技飛行団のアクロバットの飛行ショーの写真が出ていました。  これでお聞きしたいのですが、昨年の十一月ごろだったと思いますが、那覇空港で自衛隊の沖繩基地開庁一周年記念の祭典でアクロバット飛行ショーが行なわれたのです。現地で聞きますと、民間航空機をシャットアウトして、自衛隊のこの宣伝飛行のために、民間機のダイヤも変更されて行なわれたということですが、運輸省はこのことについて同意をされたのですか。
  119. 中曽敬

    ○中曽政府委員 昨年の十一月十八日でございますけれども那覇空港上空におきまして、自衛隊のブルーインパルス隊が曲技飛行をやったということは承知しております。  この問題につきましては、実は航空法上の規定がございまして、つまり、ああいった那覇空港のような管制圏ないしは管制区、そういったところで曲技飛行をやりますときには所要の手続が要ります。そういった手続を踏んだ上でやらなければならないことになっておりますので、当然、私どもとしましては承知しております。
  120. 中路雅弘

    ○中路委員 これは運輸省、どこで承知されたのですか。
  121. 中曽敬

    ○中曽政府委員 航空法第九十一条のただし書きに基づきますところの許可でございますが、これは、内部的に私どものほうでは、当該地方航空局、那覇空港の場合は、これを管轄する地方航空局は大阪航空局でございますけれども、大阪航空局でそのような処理をしたということでございます。
  122. 中路雅弘

    ○中路委員 航空法の九十一条ですか、いまおっしゃったのは。
  123. 中曽敬

    ○中曽政府委員 はい。
  124. 中路雅弘

    ○中路委員 九十一条を見ますと、こういう地域においては、特別な許可が必要だということが書いてあって、「但し、運輸大臣許可を受けた場合は、この限りでない。」とありますね。運輸大臣許可となっておるのですが、どうして地方がそういうことができるのですか。
  125. 中曽敬

    ○中曽政府委員 運輸大臣許可を権限委任いたしまして、地方航空局長に落としておるわけでございます。
  126. 中路雅弘

    ○中路委員 この問題は、那覇空港沖繩返還の際の目玉商品だといわれて、民間空港第二種の発足をしたわけですね。軍事優先はとらないのだというお話もされていたわけですけれども、自衛隊のアクロバット飛行のために、民間航空全部ダイヤを変更して、あるいは空港の機能を、その期間シャットアウトしてやるということを運輸省が認められる、あるいは自衛隊がこのことを要求して、こういうところで曲技飛行をやるということについては、私は許せないことかと思うのです。  運輸大臣の委任にしても、許可を受けるというのは、航空法で出ているわけですから、運輸省にも責任がありますし、また自衛隊が、こういう過密な民間航空のダイヤまで変更させて曲技飛行をやるということについては、許せない問題じゃないかというふうに私は考えるわけです。もう一度、その点についての御見解をお聞きしたいと思います。
  127. 中曽敬

    ○中曽政府委員 先生指摘の点につきまして、若干弁解じみますけれども、御説明させていただきたいと思います。  昨年の十一月の半ばでございますけれども、そういうふうな申し出が、自衛隊のほうからございました。実は九十一条、つまり先ほど申しました空港上空のような管制圏におきましては、九十一条のただし書きの許可が要るわけでございます。  そこで、大阪航空局といたしましては、現地の空港事務所と連絡はとったわけでございますが、防衛庁のほうからの申し出で、なるべくあいている時間に、いわゆる民間機が飛ばないような時間にやりたいというような申し出があったということでございますが、われわれ自体といたしましても、九十一条のただし書きの許可をいたします場合には、まず何といいましても、安全が確実に確保されるかどうかということを見なければならぬわけでございます。これにつきましては、大阪航空局におきまして、それなりの検討をされたわけでございます。   〔野呂委員長代理退席、委員長着席〕  ただ、まことに遺憾なことには、那覇空港事務所それから防衛庁、大阪航空局、そういった関係者の間に、若干の意思の疎通を欠く点があったことは事実でございまして、私どもといたしましては、安全が確保されるということに一番の主眼を置きまして、九十一条の趣旨があることでございますので、そういった見地から検討をしたわけでございますけれども、結果的に見まして、若干、民間機に対して影響を与えざるを得ないというふうなことになったということにつきましては、反省しておるわけでございます。  したがいまして、今後は、事前にこういった関係機関との間の調整というものを十分とりまして、安全はもちろんのことでございますが、そういった民間機に対する影響というふうなことはなるべく避けるべきでございまして、そういった見地から、十分地方航空局を指導していきたい、かように思っておるわけでございます。
  128. 中路雅弘

    ○中路委員 那覇空港については、私も視察をたびたびしまして、皆さんも御存じだと思いますけれども、あの滑走路一本の空港で、民間航空でも過密になっている中に、P3も居すわっているし、そこへ自衛隊も入ってきたということで——また空港の使用についても、半分ぐらいが軍でしょう、日常の、年間の統計をとってみても。これについても、那覇空港の今後の問題について、いろいろ意見もあり、批判も出ている中で、今度は民間航空のダイヤも変更して、自衛隊がアクロバット飛行をやる。安全上でも問題もありますけれども、それを、やはり運輸省が認めていくということに、私は大きい問題があると思いますし、また久保さんお見えになっていますけれども那覇空港のこういう現状の中で、防衛庁がここで曲技飛行をやるということを運輸省にも要求して、民間航空のダイヤにも大きな影響を与えながらやったという問題については、私は、今後こういう問題については、一切やらないということを明らかにしてもらう必要があると思う。いま運輸省でも若干の反省をしているというお話もありますけれども、防衛庁のほうの見解も、一言この機会にお聞きしておきたいと思います。
  129. 久保卓也

    ○久保政府委員 いろんな団体あるいは自治体などがお祭りをやります。お祭りをやりまして、だしを出したりパレードをやったりいたします。その場合には、市民に迷惑をかける場合もありましょうし、市民が喜ばれる場合もあります。したがいまして、そういうような行事が妥当であるかどうかということは、そういった迷惑の度合いと市民の喜ばれる度合いというものを彼此勘案しながら、主催者なり地元なりの人が相談しながらきめるものだと思います。  私どもも、それと変わらないものでありまして、単純に自衛隊の飛行機訓練をやったというのではなくて、航空自衛隊の開庁一周年を記念して、地元の人たちと一緒に喜んでもらう。そしてまた、沖繩の方々がブルーインパルスというものを御存じない。そういうものを見て喜んでいただこうというようなプラス面もあるわけであります。  しかしながら、大きく影響を与えてはいけないということで、大阪地方航空局と協議をしまして、三十分間の間でやりなさいということでありますから、その間に限ってやった。あとで聞いてみますと、民間機については、少ないもので十分、一番多いもので三十分の遅延なり早めに着陸させたというのがあったそうであります。その辺が、妥当なことをやったかどうかということで、あるいは問題があるかもしれません。しかし、趣旨としましては、多くの人に喜ばれながら、そういうものを見ていただくということでありまして、一がいにこれがいけないというふうにはまいるまいと思います。  特に、那覇空港の場合には、すぐに海上があります。したがって、上空で事故があります場合には海上に逃げられます。この種のブルーインパルスというのは、必ずしも自衛隊のためにやっているだけではありませんで、エアショーでありますとか、民間航空空港開庁、空港のお祭りでありますとか、そういった場合に呼ばれまして、やっているということもございます。したがいまして、その場合、その場合の各種の条件を勘案して、どの程度、どういう時期にやるべきかということを、慎重に運輸当局と私どもが考えてやるべきであったろうというふうに考えます。
  130. 中路雅弘

    ○中路委員 この問題は、これで終わりますが、いまおっしゃいましたけれども、この航空法の九十一条では、こういうところでは、普通曲技飛行はやってはいけないということで、「家屋の密集している地域の上空」、それから第二に「航空路」、第三に「航空交通管制圏」ということを明記してあって、ただしということで、特別の場合に限って、運輸大臣許可を受けた場合はこの限りでない。普通のところでやって見せているというのとまた違うわけですね。運輸大臣の特別の許可を受けた場合に限ってという制約もあるわけです。  私は、こういう航空法の曲技飛行についての規定もありますし、それから安全の問題その他ああいう過密の問題になっている空港での問題ですから、特にお話をしているので、曲技飛行をやったからけしからぬと一般的なことで言っているわけではなくて、那覇空港のこういう現状の中で、たとえ短時間でも、民間ダイヤまで変更してこれをやったということについては、十分反省もしていただかなければならないし、問題も多いのではないかということを指摘しているのであって、運輸省のほうでも、これは十分もう一度検討してみる必要がある、反省するところもあるというお話ですので、これ以上話を詰めませんけれども、そこの点は、今後も十分留意していただきたいというふうに思います。  時間も来ましたので、あと一、二点だけ、これは空の問題じゃないのですけれども、いま大きい問題になっているので、この機会に、運輸省の方がおられるのでお聞きして一おきたいのです。  いま、全国的に問題になっている新幹線公害の問題ですが、名古屋ではすでに、御存じのように、この新幹線公害の問題では、訴訟が起こされているわけです。私のほうの神奈川県下でも、特に横浜の大倉山地域から川崎の苅宿地域にかけては、新幹線公害問題では、被害者同盟というのができていまして、特に横浜では、最近、横浜市の公害対策審議会が、この問題について意見書も出しています。  この中身を見ますと、横浜市の公害対策局の最近の調査でも、調査地点七カ所のうち六カ所までが、国の暫定基準八十ホンをこえていますし、振動も、ピークをとりますと毎秒一・二六というようなことを記録しています。これは港北区の中心ですが、住民の皆さんからの陳情も、裏づけするような資料も出ていますし、また川崎につきましては、私も現地へ行っていろいろ調べてみましたけれども、私が調べたところでは、ひどいところは、騒音が八十から八十五ホン、振動でも毎秒一・六五というようなところもありまして、家屋が傾いたり、あるいは睡眠ができないとか、ノイローゼになる人も出てくるという状態です。  私は、きょうはこまかくこの問題を取り上げるのではなくて、実は、現地へ行って聞きましたら、国鉄の新幹線総局環境管理室の人たちと現地の住民の皆さんが、この問題で話をされているのですが、話を聞きますと、全く誠意がないんですね。川崎で話を聞きましたら、苅宿地域でも六十二軒が被害の届けを出しているわけです。それについて、二十五軒については一応補償するということでお話があって、内容を聞きましたら、ふすま二枚をかえるとか、壁を少しやるとかいうことで、一軒二百万円ぐらい出して直したいうちもあるのですが、そういう中で、ふすま二枚とかそういうものがほとんどですから、地元の人たちにとっては、全く誠意がないということですね。  これも御紹介しておきますと、住民の皆さんの話の中では、家の被害を訴えますと、大工の腕が悪かったのじゃないかという話が皆さんのほうから出てきたり、あるいは一ぺんどれだけひどいか、一晩一緒にここへ泊まって経験してほしいという話が出ましたら、私は人間じゃないので、ここには住めないというような暴言も出た。これは現地の話ですけれども、出たということで、補償の内容よりも、国鉄側のほうのこういう態度に、現地では、私が行きましたら、非常に怒りが強いわけです。  私は、きょうは、この問題について、こまかく御質問するのじゃなくて、一言お尋ねしておきたいのは、これは全国的にも訴訟の起きるような大きな問題ですから、いろいろ暫定的な基準も出ていますけれども、国鉄のほうで、やはり被害については、いろいろ住民の皆さんの現状もよく調査をしていただいて、訴えについて十分現地と話もし、できる限りの誠意を示した対策を立てていただく必要があるのではないかということで、終わりに一言御質問するのです。だから、個々の問題についてはきょう御質問するつもりはありません。これは、むしろ現地で皆さんと、現地の代表の皆さんがいろいろお話をされ、皆さん自身が現地の実情をよく聞いていただくということが先に立ちますけれども、ずっと私が回ったところでは、むしろそういう誠意のないということで、非常に怒りが強いということであります。このことについて一つ。  それからもう一つ、非常に具体的な話で出ている点だけ一点お尋ねしますけれども、要望の強いもので、川崎で集中アンテナの問題がある。これは電波障害に対する集中アンテナの要求があるのですが、近くにある国鉄の市ノ坪のアパートは六十世帯ですが、この集中アンテナについては、国鉄のほうが維持、管理についても、負担をして最近つくられたわけですし、また住宅供給公社のアパートは、公社が負担をしてやるということになっているそうですから、こういう関連からいっても、この苅宿地域の人たちは、集中アンテナの維持、管理については、ひとつ国鉄の負担で、国鉄の官舎でやっておられると同じような対策を立ててもらえないかという要望もありますので、一つだけ要望も加えて御質問しておきたいと思います。  第一番に、やはりもう少し住民の皆さんの実情をよく聞いて、国鉄の側で立てられる誠意のある対策を進めていただく必要があるのじゃないかと痛感をしたので、一言、最後にそのことをお尋ねしておきたいと思います。
  131. 秋富公正

    秋富政府委員 運輸省といたしましては、一昨年十二月に環境庁から、新幹線の騒音防止対策につきまして勧告をいただきました。早速、これに基づきまして、国鉄にも種々の措置を指示してきております。  その一つは、いわゆる防音対策でございまして、これは昨年以来、在来の新幹線につきまして約八百億の予算をもちまして防音対策をやっております。  次は、音源対策につきましても、現在いろいろ措置をとってきておりますが、ただいま先生から御指摘の、いわゆる国鉄の現地におきましての応対におきまして、なお私たちといたしましても、注意いたしますし、また国鉄といたしましても、注意いたすべき点いろいろあるようでございます。この点につきましては、私のほうから十分注意して、御指摘のような点につきまして、十分配慮していきたいと思います。  次に、いわゆる電波障害の問題でございますが、これに一つきましては、現在、新幹線につきまして、各地に、いわゆる集中アンテナと申しますか、共同アンテナの設置を進めておるわけでございまして、御指摘の、いわゆる維持費の問題と思うわけでございますが、これにつきましては、全国にわたる問題でございまして、この問題をいかにすべきかということは、なお現在、検討中のことでございます。
  132. 中路雅弘

    ○中路委員 これで終わりますが、十分検討していただいて、近くに国鉄の官舎がありますが、それについては、国鉄でちゃんと負担してやっておられるので、そういうのを住民の人たちは見ておられるわけですから、維持費についても強い要望が出ている。これも早急にひとつ解決できるようにしていただきたいと思いますのと、先ほどお話ししましたように、きょうは時間がありませんから、ここで個々の被害について御質問しませんから、ひとつ現地のほうで、十分住民の皆さんと誠意のある話をしていただいて、被害については、できる限りの補償をしていただきたいということをお願いしておきたいと思います。  これで終わります。
  133. 徳安實藏

  134. 受田新吉

    受田委員 きわめて短い、能率のあがる質問をしますので、答弁もそうしていただいて、できるだけ所要時間を縮めて質問を終わりたいと思います。  運輸省設置法改正案に直接触れる問題、その第一は、付属機関として海員学校を波方に設ける点でございます。これに関連して、この海員学校という下級船員養成目的、これは教育的にはどうですか、高等海員に道が開けるという夢を持たせて、この船員養成をやっておられるのかどうかでございます。
  135. 住田俊一

    ○住田(俊)政府委員 ただいまの御質問にお答え申し上げます。  ただいまの先生の御質問は、この海員学校の卒業生に対しまして夢があるか、こういうお話でございます。これにつきましては、この資格の問題につきましては、次のようになっております。この海員学校の卒業者につきましては、船舶職員法の施行規則の一部改正によりまして、卒業時乙種の二等航海士、または乙種の二等機関士資格につきましての筆記試験が免除されております。そして一定の乗船経験を経た後におきまして、口述試験を経てその資格がとれる、こういうふうになっております。  さらに、今後の問題でございますが、非常に優秀な方あるいは夢を持つという方のためには、さらに進んで上の道がございまして、上級の海技免状を取得する場合におきましては、海技大学というのがございまして、海技大学に進学できる措置がとられております。  なお、この海員学校の卒業生に対しましては、商船高専への編入だとか、あるいは通信教育制度というものを活用いたしまして、高校卒の資格がとれるように、こういうことも、現在いろいろと関係各省とも検討しております。  そういうことで、先生指摘のように、こういった卒業生に対しまして極力夢を与える、希望を与える、こういうことにつきまして、一段と努力を払っていきたい、かように考えておる次第でございます。
  136. 受田新吉

    受田委員 人間すべて夢がなければなりません。夢を失った人間は、抜けがらのような人生になるのです。そういうことでございまするから、この機会に、私はさらに掘り下げてお尋ねしたいのですが、波方に海員学校を増設しなければならなくなったということは、この海員学校の生徒をだんだんふやさなければならぬという、皆さまのいろいろな情勢を判断した結果の結論であると思うのですが、海技大学への夢がある、商船高専への夢を何とかして結びたい、いろいろお話が出ましたけれども、この海員学校だけ出て、内海航路あるいは遠洋航路も含めた下積みで生涯を終わるという形にしては事実許されない。  その意味で、現に海員学校へ学ぶ人をだんだんふやさなければならないような斯界の情勢があるのかどうか。志願者がだんだんふえて、各海員学校の競争率が高くなっておるという現実かどうかです。
  137. 住田俊一

    ○住田(俊)政府委員 お答え申し上げます。  現在、海員学校生徒の応募状況でございますが、昭和四十九年三月におきまして、次のようになっております。すなわち、生徒定員が一千二百五十五名に対しまして、応募者は一千二百五十二名、定員の約九九・八%でございます。そして合格者は一千四十七名でございますので、定員の約八三・四%、こういう状況に相なっております。  私どもといたしましては、日本海運の一つのにない手である、特に下級船員が極力集まる、こういう意味におきまして、今後、関係機関と極力連絡いたしまして、応募率の向上につとめたい、かように考えておる次第でございます。
  138. 受田新吉

    受田委員 定員を割るような応募者という状況の中で、学校を新しくつくるという意義は、どこにあるかということです。
  139. 住田俊一

    ○住田(俊)政府委員 今回、御審議願っております栗島の海員学校の波方分校でございますが、これは、次のような事情で本校に昇格させるわけでございます。一つは、最近におきまして、内航船舶の近代化が非常に進展しておりまして、特にそういうことに関連いたしまして、船員の質的向上が要請されているということが第一点。それから、この波方海員学校は、本来、海員学校の中で唯一の内航の海員の養成機関でございます。同校卒業生に対します内航船主からの求人率が非常に多うございまして、四十七年度におきまして二・八倍、それから四十八年におきまして二・七倍、こういう非常に高い率を示しております。  そこで、こういうような状況に対応いたしまして、同校の施設を拡充しなくちゃいけない、また、そういう全体のバランスから考えまして定員もふやしていく、それから、この学校の規模の内容が、ほかの海員学校と比べましてほぼ同等になった、こういうふうに考えられる、そういうことから、今回、波方分校につきまして、本校昇格をお願いした、かような次第でございます。
  140. 受田新吉

    受田委員 一つ、問題を提起します。  海員学校で、いま波方の地域事情はよくわかりました。瀬戸内海の周辺に粟島、波方また児島、門司と海員学校があるわけでございますが、全国的規模では定員を割る応募者であるという。大臣、ここに一つ問題がある。夢が大きい青少年に、夢を与えていないから、国立学校の定数さえも応募者がおらぬということになる。定数に応ずる応募者がおらぬということは、競争率もないが、みんな入れるわけにはいかぬから、結局は定数を大きく割って入れなければならぬというこの実情は、海員学校を希望する人に夢を与えていないからです。大臣も夢多き若き日から、今日、国務大臣の地位を得られたわけでございますが、そういうことから、青少年に夢を与える海員学校にしなければならない。  その意味では、かつて商船学校は運輸省の所管であった。それを昭和二十六年に国立学校設置法の中へ、全国五つの商船学校を商業高等学校として文部省の所管にした。そして昭和四十二年に、これを国立の商船高等専門学校にみんな引き上げた。したがって、各校とも競争率が十倍、二十倍と、商船高専の志願者が圧倒的にわあっと押しかけてきた。  この際、あなたの御所管ではあるが、海員学校を文部省所管にして、高等学校の卒業資格を付与されるような教育内容など、なかなかこれは技術的にむずかしい問題があるが、二年ではなくて、もう一年勉強して高等学校の卒業資格を与えるようにして、そして将来は商船高専にも行ける、商船大学にも行けるというような、夢を与えるかっこうのものにしてはどうか。大臣、打ち合わせしてなかったとしたら、ひとつ大臣の率直なお考えを伺いたい。
  141. 徳永正利

    ○徳永国務大臣 何か、打ち合わせしたがっているようですけれども、私は、率直に私の考えをひとつ申し述べたいと思います。  やはり、おっしゃるように、夢がなくてはいけません。それから、この海員学校は海員学校としてのやはり特殊の使命をもってつくられたと思います。  そこで、いまこれを三年制にして、文部省に移管するかというような問題は、これは、また早々にここで、私きっぱりお答えするだけの知識も持っておりませんし、また自信がないわけでございます。しかし夢を与えなければいかぬ。少なくとも、これを卒業した生徒たちが、ただ訓練だけを身につけたというのではなくて、船に乗ってからの将来のことも、あるいは学歴においても、きちっとしたものを持たせなければならぬと思います。  これは、私が尋常小学校卒業だけで、もう身につまされて、私はそういうようなことを、いままでも考えてきたわけです。それで、この卒業生たちに、とにかくあとの通信教育でもいいから、高等学校の卒業の免許を与えるように、これだけでも私はひとつ在任中にやりたい、こう考えております。
  142. 受田新吉

    受田委員 通信教育その他で高等学校卒業資格を付与する方式としてどのようなものがあるか、文部省側からお答え願いたい。
  143. 柴沼晉

    柴沼説明員 現在の海員学校は、教育内容の面においても、あるいは制度的に申しましても在学年数の面においても、それを高等学校にそのまま認めることはできない実情にあります。したがいまして、海員学校の卒業生が、高等学校の資格をとるためには、いま大臣からお話がございましたように、現在、広域通信制の高等学校というのが四校ございますが、各県をまたがって通信教育を行なっている高等学校に、海員学校とあわせて在学して、四年間の年限で所要単位をとることによって高等学校の卒業資格を得られる、そういうことになるかと存じます。
  144. 受田新吉

    受田委員 自衛隊にも少年兵がおるわけです。中学校を出ただけで入っている。これにも高等学校の資格付与の道が開かれておる。それから高等学校を卒業した自衛官は通信教育で、全国的に大量にスクーリングその他を受けて通信教育部を持った大学へ通っている。ところが、そこへ行くと、今度は通信教育で学ぶ者にも、自衛官が来るというので、また別のほうからおかしな反撃があったりするのですが、私は、自衛官であって大学に学んでおる崇高な使命に、大いに協賛を贈る一人です。  けれども、そういうところで道は幾らでも開けておるといいながらも、制度的にはなかなか壁があるのです。それは大臣からいま、ぜひ在任中にやりたいという決意があったように、文部省と十分連絡をとられて高等学校卒業資格——一年というのもある、二年というのもある。通信教育その他でどういう内容をつけるか。放送による通信教育もある。あるいは付近の高等学校へ学ばせる手もある。通信教育から夜間へ行かせる手もある。いろいろある。パートタイムのほうへ行かせる手もある。何らかの道を講じて、そしてここを出たら、今度は商船大学へも進んでいける。海技大学校だけでなくして商船大学へも行ける。そして人間の夢を最も育てる最高のところまで道が開けておらぬといかぬ。道が開けていなくて、迷い路で先の見えた世界というものには、人間、希望が持てないのです。お役人になられても、局長になった人はさらに次官になりたい。課長の人は局長になりたい。同期が局長になれば、おれはもうだめだなと嘆く。おれもがんばらなければいかぬと励ましがあるというようなところに意味があるので、そういう意味で、ひとつお互いに夢を持っていく制度を設けられる必要があると思うのです。これをひとつ大臣、文部省その他の関係機関と十分連絡をして、道を開くことに御努力を願いたい。  那覇空港管制業務の点については、もう上原先生からもやられたし、それから中路先生からも、やられておると思いますから、私も一緒に視察した立場で同感でありますので、これはあえて質問を避けます。ただ、ここで、もし五月十五日までにこの法律が施行されなかったら、どうなるかという対策も用意しているかどうか。これは、国会の情勢が日中航空協定その他で、あるいはどの大臣がきょうでやめるとか、自民党の中にたいへんな内紛が起こって、国会の運営がストップするとかいうようなことになって——世の中というものは、突然変異が起こるものなんです。そういうときに、五月十五日までにこの法の適用を受けることができなくなったときの対策も用意してあるのか、そのことをちょっとお示しを願いたい。これは非常に大事なことです。法律ができることを前提にしている役所でなくて、できない場合にはどうするかも考えなければいかぬです。
  145. 後藤茂也

    後藤(茂)政府委員 お答えいたします。  ただいまの段階では、いま御審議いただいております法律改正を、ぜひとも五月十五日までに上げていただきたいという一心でございまして、そうならなかった場合の対策は、本日ただいま、まだ準備いたしておりません。
  146. 受田新吉

    受田委員 行政事務というものは、ものごとが運ばない場合はどうするかも考えておくべき性質のものなんです。そのことは考えぬというような役所では、これは非常に危険な役所ですよ。つまり、立法府と行政府は分離されておるのですから、立法府でそれができない場合のことも、行政府は考えておかなければいかぬというわけなんです。まあ私、追及しますまい。ここでのおもむき、背水の陣、波ぎわに立たされたお立場はよくわかりますので……。  そこで、次に質問を変えます。大臣がここにおいでの間にお尋ねしておきたい。  総合的な交通体系をつくって、陸海空の密接な連絡のもとに有機的な、能率的な交通体系をつくらなければならぬ。空とか海とか陸とか、お役所がちゃんと分かれておる。航空とか海運とか陸運とか鉄道とかいろいろ分かれておる。その役所の中で総合交通体系をどう築いていくかということ。たとえば空の航空路について、全国どの県にも、一つずつローカル空港ができるようにしたいと数年前まで答弁しておられた。しかし、それはいまや限界が来ておる。そうなると、今度はそれへ道路をどう築いていって、陸上でどういうふうにするか。新幹線と空とどう結んでいくのか。新幹線も空も恵まれない僻遠の県などには、どういう道をとっていくのか。第二次空港五カ年計画が来年で終わるが、その来年の五十年度は、第三次以降に回そうという審議会の諮問の答申も出るというようなことでございますが、しかし、新幹線と空とそのどちらにも恵まれない地域は一体どうして救われるのか。鉄道をそこへ敷くのか、あるいは建設省の協力を得て、りっぱな道路をつくって、そこへ自動車で短時間に行けるようにするのか。恵まれない全国の幾つかの県に対しては、空と陸との関係でどういうふうに総合交通体系をつくろうとしておられるのか。大臣、それはあなたでないと夢は実現できないのです。あとのあなたの部下は、ばらばらな見解を持って、自分の所管に精魂を傾け尽くして疲れ果てるというところまできているので、それを総まとめにする総合交通体系をつくるのは、大臣、あなたなんです。御答弁願いたい。
  147. 徳永正利

    ○徳永国務大臣 総合交通体系につきましては、御承知のように、経済社会基本計画をもとにしまして、一応作文としてはりっぱなものができていると私は思うのです。あれを読みますと、ほんとうに感心するようなことが書いてございます。しかし、その中にも、たとえば公害の問題でございますとか、あるいはエネルギーをどういうふうに配分してこれを将来にどう結びつけるかというようなことが、いささかウエートが軽くなっているというふうに私は考えるわけです。そこで環境保全をどうするか、また、それぞれの飛行機、船あるいは鉄道、自動車、そういう部門の役割り、シェア、たとえば貨物の運搬にしましても、人の交流にしましても、それをどういうふうなシェアを持たせるかということについて、前の総合交通体系を考え直さなければならない、見直さなければいかぬ時期に来たと思うのです。  したがいまして、運輸政策審議会に一昨日、そういうものを含めて、一ぺん御検討をいただきたいということで諮問をいたしました。私どもも、それなりの検討をいたしております。また明年は、御指摘のように、空港整備五カ年計画の第三回目の一年度に当たりまして——本計画にしても、実は今年から出発したいと思っておったのですけれども、御承知のように、こういうような経済情勢になりましたもので、来年度を一年度とせざるを得ないわけであります。そういうようなもろもろのことを考え合わせまして・いま運輸政策審議会に、御指摘のような総合交通体系についての諮問をいたしたわけでございます。そういうことの御答申等も踏まえまして、今後、計画を進めていきたい、かように考えております。
  148. 受田新吉

    受田委員 大臣が四十分に行かれるということですので、あと五分しかないようでございますから、大臣に対するお尋ねを先に終わっておきますが、地方の陸運局の中には鉄道部というのがまだ残っております。中国などにはほとんど鉄道はない。ないけれども、鉄道部というものが残っている。仕事がほとんどないところに役所だけは残っておる。こういうような機構上の問題も含めて、ひとつ私は——審議会の答申によって総合交通体系をつくるというお話ですけれども、きわめて明白なのは、ローカル空港を各県に一つずつ置くという基本構想が一応くずれてきた以上は、そういった県には一体どういうふうな——一々指摘しません。われわれの気持ちはおわかりだと思うのですが、そういうところには、幹線からそこに支線の鉄道をりっぱなものをつくってやるとか、あるいは自動車道をりっぱにつくって短時間に目的地へ行けるようにするとか、新幹線と空港のあるところは非常に短い時間に行けるが、それのないところには、たいへん時間的なロスがあるという不幸な地域を日本じゅうにつくってはいけない。それが運輸行政の基本なんです。そのためには少々の赤字を覚悟してでも、そういった恵まれない府県にはどの路線かを敷く、空か陸か、海はなかなか思うようにいかぬけれども、なかなか速度の速い船もできておる。  こういうことで、ひとつ総合基本構想、これは経済企画庁も、それの一つの案を持っておるはずだし、さらに建設省の道路計画なども含めて、これは大臣の非常に純粋な気持ち——あなた奮励努力された、人間として非常に魅力のあるお方です。長い間のつき合いでよく知っておる。その誠意のあるあなたが、陸海空の三つの経路にわたってバランスを十分とって、大所高所からぴしゃっとした判断を下す必要がある。われわれも夢を持っているのです。さっき竹中先生と話し合ったんですが、われわれが内閣をとったらどうするか、おれが運輸大臣になったら何をするかという、お互いに議員は夢を持っている。その夢をこうした機会にぶちあけて、国民のためにどういう答えを出すのが一番いいか、野党のよい意見があればそれを取り入れて、それを採用して実行に移すということでなければならぬと思うのです。そういう点について、ひとつ十分の配慮をしていただきたい。  そこで、あなたのおられる間にもう一つ。観光部長が担当しておられる観光行政で頭にくることがある。あなたも海外へ何回か旅行なさっておられるし、私も二十四回にわたって海外旅行をしておるわけですが、日本のホテルはばかに値段が高い。外国のホテルは中級以下のホテルがたくさんあるから安い旅ができる。昨年あなたのほうから出された運輸省の観光白書を拝見すると、昨年年末までにおいて、海外から日本への旅行者がどれくらいあったか、外国へ行った旅行者がどれだけおったかという数字が出ておる。外国に行った者は四十八年中に二百二十九万人、前年に比して六四%も増加をしておるという飛躍的な海外旅行、その中には相当な恥をかいて帰っておる人もたくさんあるわけで、これは日本人としてあるまじき行為が批判をされておるわけです。そして今度、外国人が日本へ来たのはどれだけあるかというと、前年に比して八%の増で七十八万五千人、それだけの、約八十万の人を引き受ける日本のホテルはばかに値段が高い。国際観光ホテルというものがたくさんできて、二十四年に、われわれが議員になりたてのときに、国際観光ホテル整備法というものができた。私はよく覚えておる。その整備法によって融資をやる。その融資をした結果、何をつくっておるか。この辺のホテルの大きなものを見てごらんなさい。結婚式場にばかに力を入れておる。ホテルに行ってみると、結婚式場とその控室で充満しておる。廊下を歩けば花嫁がうろうろしておる。海外に旅行して、ホテルで結婚式の花嫁の姿を見るようなことはありません。教会がちゃんとあって、そこでみな結婚しておる。日本の国際観光ホテルは、国家から、開銀その他から融資をしてもらいながら、結果では結婚式場にばかに力を入れて、一般の人の泊まるところではなくして、そんな付帯設備に力を入れて、それに開銀の融資をどんどんやっている。  だから、十年前、オリンピックで海外から来られたときも、横浜に外国の船が着いて、日本のホテルの料金が高いものだから、ホテルのかわりに自分の国の船に乗っておる。それほど日本のホテルに対して批判がある。それにもかかわらず、政府は引き続き大ホテルをつくることに力を入れている。外国のまじめな日本旅行者は、ホテルの料金が高くて泊まることができない。ホームビジット、民間の宿泊も思うようにいかぬ。そして日本に対する非常な批判が出ておる。国際観光ホテルという名前がついておる国際的な信用を高める観光ホテルは、日本の国際不信用ホテルをつくっておる。運輸省はそういう指導をしておるのです。  かつて議員提案で、国際観光を含めて観光局をつくった。そうしたところが、一省一局削減で観光局を部に下げられた。部に下げられても、従来以上の能率をあげると、当時大臣も局長答弁された。この委員会でやった。ところが、いまのような恥の上塗りがどんどん集積されておる。これを大臣、あなたが、ひとつ国際的に見て、たいへん残念な、宿の専門でなくて、そういう付帯事業のほうに力を入れている日本の国際大ホテル、大企業と癒着しているこのホテルを、庶民に開放されていないホテルをひとつ改善してもらいたい。ヨーロッパの旅行をしても、十ドルから十五ドルでりっぱなホテルにわれわれが泊まれる。日本ではいま二十ドル、三十ドル、一万円とか一万五千円とか高いホテルがくしの歯のごとくできておる。庶民に開放されていない。運輸大臣として、この観光行政は徹底的にひとつ改善しなければいかぬです。  そしてもう一つ、一時貿易外収支の中で観光収入がトップを占めた時代があった。いまやこういう状態で、海外に資金を流出するほうばかりに力を入れている。貿易外収支の中に占める観光収入が、りょうりょうたるものになってきたらたいへんです。つまり大企業と癒着するホテルでなく、庶民のためのホテルをたくさんつくっていくという旅行業法、国際観光ホテル整備法、その他観光基本法というりっぱな基本法があるにもかかわらず、枝の小さな法律もできなければ、小さな設備もしていない。根っこはできたけれども、枝は一つもないじゃないですか。日本の観光行政の大欠陥を、私たちは指摘しなければいけない。これに目をつぶって、このままでいったならば、外国からひんしゅくを買って、国際観光ホテル、東洋の日本じゃなくして、最も侮辱される日本になる危険があると思うのです。これは各省とも力を入れていただかなければ——いま船員局長も、かつて観光部長として御苦労された住田さんがやっておられる。各省そういう意味で、総合的な観光行政の上に日本の信用をいかに回復するかということで、ひとつ大臣、外国と比較して堂々たるものにつくり直してもらいたい。
  149. 徳永正利

    ○徳永国務大臣 御指摘のような点が確かにございます。(受田委員一言でいいです」と呼ぶ)そういう点につきましては、いまの御意見を十分拝聴しまして、今後努力してまいりたいと思います。
  150. 受田新吉

    受田委員 それじゃ、どうぞお帰りください。  そこで、具体的にいまの私の質問に、観光部長、お答え願いたいと思います。
  151. 高橋寿夫

    ○高橋(寿)政府委員 お答え申し上げます。  先生の御指摘のように、日本のホテルの宿泊料金が、諸外国に比べますと非常に高い、これは事実でありますが、高いことの原因に二つあると思います。  一つは、日本では安いホテルがないということです。これは先生指摘のように、安いホテルがないために、どうしても一局いホテルが多くなってしまう。と申しますのは、日本人の宿泊慣行としては、宿屋に泊まるという慣行があったものですから、西洋式のホテルに泊まる慣行があまりないために、それで昔からホテルの建設がおくれていたという点があるわけでございます。古くからあれば、当然償却等も済んでおりますから、安いホテルがあり得るわけであります。その点が、外国と違う大きな点だと思います。  そこで、先生も御指摘のように、国際観光ホテル整備法をつくりまして、その後にまた開発銀行等の融資をする制度を開きまして、何とか長期、低利資金の融資をもちまして安いホテル、つまりたくさんの外国人が利用できるようなホテルにしようということで努力をしております。ただ、最近の情勢は、遺憾ながら各種の、地価の値上がりとか、あるいは建設費の高騰等々で、なかなか安い料金のホテルが実現しにくい状況にございますけれども、しかし、そういった状況の中でも、何とか努力いたしまして、国際的に見て、日本のホテルは高いという評判はなくしたいと思っております。昨年度からそういった点も一つ加味いたしまして、従来の国際観光ホテル整備法の基準に合ったホテルだけではなくて、もう少し基準の低い、たとえば客室等も少し狭くてもいいような、いわゆるビジネスホテルのようなものについても、開発銀行の融資をする道を開きまして、昨年から進めております。そのために、地方中核都市等には、ビジネスホテルがだいぶできております。  それから先生、先ほどの宴会場その他の問題でございますけれども、これは日本のホテルの一つの特色でありますけれども、どうしても客室だけで営業が成り立っていくだけのお客がなかなかないということもありまして、宴会場その他結婚式場等の兼業で収支を埋めるということがあります。これは、ほんとうの姿でなくて、私は、やはり本来は、ホテルというものは宿泊客だけでペイをするようにすべきだと思います。ただ、私どものやっております開銀融資のあっせんの仕事、これはホテル整備法の登録とうらはらでございます。ホテル整備法の登録は、現在、客室と、それからそのお客さんに必要な料理等をつくる設備、あるいは玄関まわり等だけでありまして、宴会場あるいは大広間等ははずしております。したがいまして、開銀融資の場合にも、私どもは、宴会場等を除きました部分につきまして推薦をしている、こういうことになっておりますので、その点は、ひとつ御了承をお願いいたします。
  152. 受田新吉

    受田委員 その考え方にちょっと間違いがあるのです。去年からビジネスホテルなりも融資の対象にするというお説でございますが、大宴会場を設け、結婚式場を設けていく。それは本来ホテル業務じゃない。それに融資をしておられる。そして、いまお話を承ってけげんに感じたのですが、むしろ宿泊のほうの収入よりは、そのほうの収入に重点を置いておるというような心得違いを、政府自身が認めておられるわけです。これは、たいへんなことなんです。そして一般民間人が期待もできないような大がかりな、何百万円というような結婚式を大ホテルでやって、いばっているというさびしい現状では、庶民と遊離した特権階級の、そうしたレジャーの場に大ホテルを利用するようなかっこうになってくるのです。庶民に開放し、外国人の日本を愛する人々に安く泊まってもらうためのホテルであって、ビジネスホテル、中以下のホテルがないのだというこの日本のホテル経営方針、ホテル対策に運輸行政がたいへん欠陥を来たしておる。これは許されないことなんです。  これは今後、根本的に改めて、本来の目的以外の収入を原則に考えるようなホテル営業ということは断じて許されない。これは海外に対してもたいへんですよ。国際観光ホテルの値打ちがないですよ。これは政務次官、あなたは大臣にかわって答弁を願いたい。あなたもりっぱなホテルをつくる業者でいらっしゃるが、そういうことを抜きにして、特定の大企業と癒着するような仕事を改めて、大衆に開放され、国際的に開放されるホテルというものに重点を置くという点について、大臣にかわって御答弁を願いたい。
  153. 増岡博之

    ○増岡政府委員 先生指摘のとおりでございまして、ホテル自体が華美になり過ぎておる。それからまた、古いホテルがどんどん建てかえられて新しくなる。そういう面で、償却に日がかさみますので、費用が高くなるという面があるかと私は思います。その点については、十分今後は指導してまいりたいと思います。
  154. 受田新吉

    受田委員 時間が迫って、いま小宮山先生がにらんでおいでになるので、これは非常につらいのです。これはほんとうに運輸行政を、あなた方にしても、観光部長さん、それから住田船員局長さん、このホテル問題で、あなたが御在任中国会で論議されたことがあるのですか。観光行政のこうした問題等で、論議がされた御記憶があるかないか、運輸委員会などでやったことがあるかないか、ちょっとお聞きしたい。
  155. 住田俊一

    ○住田(俊)政府委員 お答え申し上げます。  私が観光部長時代に、ただいま先生がお話しのように、ホテルの料金あるいは内容につきまして、国際的に見て、それが日本の国際観光に不利益にならないように、こういう御指摘が十分でございました。  そこで、私どもといたしまして、法律の内容を検討するなり、あるいはただいま高橋観光部長が申し上げたように、開銀融資あるいはビジネスホテルの活用なり、こういった点について、いろいろと努力をしたことは事実でございます。ただ、高橋観光部長の申し上げたように、外国と非常に慣行、いわゆる慣習、これが違っているということ以外に、日本の土地代が高いということ、あるいは建設費が非常に高い、こういうことで、先生がおっしゃるように、外国と比べた場合に、非常に差があることは事実でございます。しかし、私どもといたしましては、特にオリンピックの開催を契機といたしまして、大衆料金で泊まれる、そういったホテルをつくるということで極力努力したつもりでございます。たとえば、商工中金の金を使ってやるなり、というようなことで、最近はビジネスホテルが相当出ております。  そういうことで、先生の御指摘の点について十分とはいわないまでも、いろいろと努力したつもりではおりますが、高橋部長がおっしゃるように、一そう今後、そういったいろいろな融資の問題あるいは法律的な点について検討する余地がある、かように考えておる次第でございます。
  156. 受田新吉

    受田委員 十分検討の余地がある。これは根本的に対策を立て直さなければいかぬ。京都と大阪だけが日本の観光目的地じゃないのです。アジアの観光であり、国際観光でもあるのです。国際観光ということを忘れて、ある大ホテルの建設に力を入れるという意味の観光であってはならない。これは世界と比べてみたらわかる。日本はまだ生活様式はヨーロッパやアメリカ並みにいっておらぬ。生活様式は非常に低い水準にありながら、ホテルだけは世界のどこにもない、大がかりなものをつくっておる。この片ちんばの行き方に問題があるのです。だから、庶民の生活様式とかけ離れたでっかいものがある。外国ではつつましやかに、つつましやかに結婚式が行なわれる。教会その他での厳粛な結婚式。日本ははでに何百万円という、いかに金をかけてはでに結婚をするかという華美なホテルの利用、これを根本的に改めなければならぬ。あえて日本観光行政の根本的改革を提案しておきます。十分ひとつ御留意を願いたい。  運輸行政の中に占める一つのアクセサリーの観光行政というのでなくして、基本的な行政の一つであるという意味で、いま船員局長も前観光部長時代の苦悩の一端を申し述べられた。私、ずっと運輸委員会で、どのぐらい質問しているかなと思って見たが、このホテルの料金、そして旅客のサービス、外国と日本との比較というのは、論議はほとんど出ちゃおらぬですよ。ずいぶんやられたといま住田さんが言われたけれども、私が運輸委員会の会議録をちょっと見たけれども、ほとんどこの問題に触れておらぬですよ。実際に触れておらぬのです。観光部長さん御就任以後、運輸委員会でこの問題が出たかどうかです、高橋さん。
  157. 高橋寿夫

    ○高橋(寿)政府委員 私は、昨年の十一月に就任いたしましたのですが、それ以後、運輸委員会で出たことはございません。
  158. 受田新吉

    受田委員 そのように、この問題は軽く扱われておる。あえてこの問題を提起して、質問を終わります。御苦労さんでした。
  159. 徳安實藏

    徳安委員長 木原実君。
  160. 木原実

    ○木原委員 時間が制限をされておりますので端的にお伺いいたしますから、ひとつ簡明にお答えを願いたいと思います。  五月十五日からおそくない時期に、米軍から航空交通管理業務が返ってくる、こういうことが下敷きになっているわけですけれども、返ってくる管轄空域、これは、どういう範囲ですか。
  161. 松本操

    松本説明員 管轄空域は、現在沖繩FIRと呼ばれております空域、これが管制業務の移管後は、空域としては、すでに基本的にわれわれが管轄権を持っておるというふうに私ども理解しておりますけれども、実際の管制業務は五月十五日以降である、そして名前を那覇FIRと変えるだけであって空域的に変化はない、このように考えております。
  162. 木原実

    ○木原委員 そこで、いろいろ空域のことについてお伺いしたいわけですけれども、この空域の南限は、どういうことになっていますか。私の手元には、あまり完全でない地図があるのですけれども範囲をひとつお示しを願いたいと思います。
  163. 松本操

    松本説明員 これは、非常に形が複雑でございますので、大ざっぱに申し上げまして、南の限界が北緯二十二度でございます。北の限界が北緯三十度でございます。
  164. 木原実

    ○木原委員 それで、もうその地図で明らかなように、識別圏、ADIZとFIRがずれていますね。  そこで伺いたいのですけれども日本の領土が、言ってみれば台北のFIRの管轄下になる。つまり、いまのお示しですと、日本那覇の情報区は、何と言いますか、日本の領土の一部を台北側に譲っているという関係になっていますね。
  165. 松本操

    松本説明員 那覇FIRの領域は、先生いまおっしゃいましたような形になっておりますので、西表島とそれから与那国島、これは、さらにその境界線の西側にございます関係上、台北のFIRの中に入っております。
  166. 木原実

    ○木原委員 これは、そうしますと、きわめて単純なことですけれども日本の領土の一部を台北の管制で飛ぶ、こういう状態になりますね。
  167. 松本操

    松本説明員 多少、この点は技術的な面が入りますので、その点の説明を御容赦いただきたいと思いますが、FIRと申しますものは、領土圏領空圏との直接的な関係はございません。その空域の中で主として飛行情報業務が行なわれる、つまり、飛行情報を発しましたり、あるいは捜索、救難を行なったりというふうな航空管制あるいは航空交通にかかわりのあります業務が行なわれる空域ということになっております。  しかして、台北のFIRの中に現在入っております与那国につきましては、これは与那国自身は、わが国の領土でございます。与那国とたとえば石垣島との間の海は、これは先生御承知のように公海ということになります。公海上におきましても、必要によっては管制行為が行なわれますが、現実には与那国に対する飛行についての管制沖繩FIR、返還後の那覇FIRを中心といたします那覇ACC、こちらのほうから直接管制を行なう。台北側は現に何ら管制を行なっておりませんし、返還後も台北側は管制を行なうということはないというふうに私どもは考えております。
  168. 木原実

    ○木原委員 そうしますと、いまお示しになりましたような与那国だとか西表島だとか、あの空は日本側ACC管制を行なう、こういうことなんですね。
  169. 松本操

    松本説明員 管制自身は、ただいま先生がおっしゃいましたような形になるというふうに考えております。
  170. 木原実

    ○木原委員 現在は、米側と台湾との間に、このACC業務協定があるわけですね。
  171. 松本操

    松本説明員 嘉手納にございます米軍のセンターと台北にございます台北ACCとの間に、取りきめがございます。
  172. 木原実

    ○木原委員 それらの米軍が掌握しているものが返ってくるということになることは、あらためて日本と台北側との何らかの形の協定を必要とする状態ですね。
  173. 松本操

    松本説明員 おっしゃいますように、技術上のこまかな点について取りきめが必要になってまいります。
  174. 木原実

    ○木原委員 それは、正式にはどういう協定なんですか。
  175. 松本操

    松本説明員 これは、まことにおかしゅうございますが、日本語の適切な訳がございませんので、通常単にレター・オブ・アグリーメント、つまり合意の手紙というふうに簡単に呼ばれておりますが、あえて日本語的に申しますと、那覇ACC及び台北ACCの間の管制移管に関する協定書、こういうふうな形になるかと思います。
  176. 木原実

    ○木原委員 ACCというのは国家機関ですね。
  177. 松本操

    松本説明員 通常そうなっております。
  178. 木原実

    ○木原委員 そうしますと、日本は台北とあらためて協定を結ばなければならないということですね。
  179. 松本操

    松本説明員 先生指摘のように、通常ACCというのは国家機関でございます。しかしながら、現在の日台間の関係は、先生御高承のようなことでございますので、日本側におきましては交流協会、台湾側におきましては亜東関係協会、こういうふうな線を通しましての民間の取りきめという形で取りきめが行なわれる、こういうふうに考えております。
  180. 木原実

    ○木原委員 その話し合いは、どれぐらい進んでいるのですか。
  181. 後藤茂也

    後藤(茂)政府委員 日本那覇管制業務を引き継いだあとにおける那覇ACCと台北のACCの取りきめは、ただいま交流協会を通じて台湾側と接触中でございまして、まだ成案は得ておりません。  ただ、すでに日本側管制の専門家と台北の専門家との接触は始まっておりまして、私どもは、これまでの情報で、この取りきめは早々のうちにきまるという感触を持っております。その形式がどうなるか、事実上どういう内容になるかという点については、まだ進行中でございます。
  182. 木原実

    ○木原委員 おそらく、この協定の中身自身は、きわめて技術的な問題だと思うのです。しかし日中の航空協定のあおりを受けまして、御承知のような情勢になっております。つまり、たいへん技術的な問題自体が、国際間のと申しますか、政治的な問題になっている状態ですね。そういう状態の中で、すでに技術者の接触が行なわれている、そして感触としてはうまくいくだろう、こういう感触をお持ちだというのですが、いまの政治情勢を踏まえて——飛行機は毎日飛んでいるわけですから、しかも向こう側は、われわれのほうに情報を提供しないというきびしい態度をとっておる状態があります。そういうことを踏まえながら、この法案によりますと、五月十五日までの間に、日本のほうは米軍から移管を受けて、業務を開始するということになっておるのですが、そういう政治情勢を考慮に入れて、この業務協定自体は、五月十五日までに間に合うというお見通しですか、どうですか。
  183. 後藤茂也

    後藤(茂)政府委員 いま御説明申し上げました見通しは、先生がただいまお述べになりました、ただいまの台湾との特殊な関係を考慮に入れた上で、五月十五日までにまとまるという見通しを持っておるという意味であります。
  184. 木原実

    ○木原委員 そうしますと、この交渉の中で、私が先ほど触れました空域についての線引きの部分の、たとえば改定というようなことはあり得るのですか、あり得ないのですか。
  185. 後藤茂也

    後藤(茂)政府委員 管制保安部長から御説明申し上げました、ただいまの沖繩FIRと台北FIRの境界線を、ただいまの時点で変えるということを、関係国と話し合っているという事実はございません。
  186. 木原実

    ○木原委員 そこで、先ほどもちょっとお話があったのですが、空域の領土内のことで、確かに領土権にかかわる問題ではない、こういう形になっています。しかしながら、われわれのしろうと考えからしますと、やはり幾つかの島々があるし、そこに南西航空その他の飛行場も飛んでおることであるし、技術的な問題は別にして、空域の問題については、米軍の場合には、いままでそれでもよかったのではないかと思うんですよ。しかし、正式に日本に空の管制が移管をされて、われわれが仕事を始めるという段階になったときは、やはりこの南限については、少なくとも領土内については、われわれが技術的にも、あるいはこの線引きの上でも、十分に明確にしておく必要があるのではないかという気がするのですが、その辺を少し説明してくれませんか。
  187. 松本操

    松本説明員 最初に、一番初めの先生の御質問に、私、数字を間違えました点を訂正させていただきますが、南限二十二度と申し上げましたのは、北緯二十一度でございます。  次に、与那国島が台北FIRに入っているかいないかという境目は、南北ではございませんで、西側の限界になっておりまして、現在のところ東経百二十四度の線のところに那覇FIRと台北FIRの境目が来ておる、こういうことでございます。  それから、やや技術的な御説明になりますが、FIRというものは、二つの国の間だけできめるわけではございませんので、国連の下部機構でございます民間航空機構、ICAOと呼んでおりますが、このICAOの場においてきめられるという形になっております。したがいまして、これを変えますことにつきましては、先生指摘のように、諸般の問題を考慮に入れましても、いずれ変える必要が出てくれば、ということは、主として航空路の運用の実態を見た上で、さらに諸般の政治的情勢等々をも踏まえまして、ICAOの場において関係の国あるいは関係機関が議論をした上で改定がきめられる、手続的にはそういうふうになってまいるかと思います。  ただ、方向といたしましては、先生おっしゃいますように、現在のFIRのバウンダリーというのを、その時期が来れば、あるいはその必要が起こってまいりました場合に、適当な形に改定をするという方向で検討をすベきではないかというふうに考えております。
  188. 木原実

    ○木原委員 そこで、問題があるのですけれども、台湾はICAOから抜けていますね。抜けた場合、おそらくICAOの条件というものは踏襲をしていくことになると思うのですが、私どもが気になりますことは、中国との関係の中で、台北側がICAOを抜けているという状態の中で行なわれるわけですから、FIRの策定については、御説明のあったとおりだと思うのですが、しかし台北がICAOから抜けておるという一つの現状を考え、それから将来のことを考えますと、それでいいのかどうか、こういう疑問がわくわけですが、どうですか。
  189. 松本操

    松本説明員 先生おっしゃいますように、現在台湾はICAOの場から退いております。しからば、中国を代表する形で、現在の中国政府が正式にICAOのメンバーとしての機能を行なっておるかという点になりますと、これも私の承知いたします限りでは、まだ正規の機能を発揮していないという状態でございます。一方、FIRの境目というものは、二国間ではございませんで、アジア太平洋地域に利害関係を有しておりますすべての国なり、すべての国際機関というものが関与をして議論をする、これがICAO流のやり方でございます。  したがいまして、FIRの境目をどこに置くかということは、むしろICAOのほうがきめてしまう、そのきめたICAOの計画に従いまして——これは、あくまで計画てございますのて、計画に従いまして関係当事国がその機能を発揮させるようにする、そこで初めてICAOとしてのFIRの機能が行なわれる、こういうややこしい手続になってまいります。  まさに先生おっしゃいましたように、台湾はもはやICAOのメンバーではなく、一方、中国側は現時点においては、必ずしも完全にICAOの機能を発揮するに至っていないという状態で、このバウンダリーをどうするかということは、非常にむずかしい問題でございます。先ほど私がお答えいたしましたように、まず第一には、技術的に航行の実態というものをよくにらまえなければいけませんし、それと同時に、政治的な情勢その他関連する諸情勢を十分に踏まえた上で、そのような方向で措置をしていくというふうなことになろうかと思います。
  190. 木原実

    ○木原委員 関連をして少し伺いたいのですが、返ってくる沖繩空域の中には、御承知のように、まだ米軍訓練空域たくさん残っておりますね。そのためにいろいろと制限をされる部分も現にあるわけです。  これは、外務省に聞きたいのですけれども訓練空域の将来にわたっての返還についての考え方、あるいは縮小を求めるというような考え方はあるのですか、どうですか。
  191. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 沖繩周辺に海上演習場、これは空戦訓練空域を含んでおりますが、こういうものを、領海内の分につきましては、地位協定に基づく提供、それから公海上のものにつきましては、地位協定の趣旨に照らして米側がそれを使用することを許容するというかっこうでこの使用を認めておりまして、沖繩周辺には公海上のものが十四件ございます。これらにつきましては、長い歴史を持っているわけでございますけれども米側に対しまして、そういうふうな性質のものとして使用を許容いたしておりまして、さしあたり、これについてどういうふうな手をつけていくかということは、まだ考えられておらないところでございます。
  192. 木原実

    ○木原委員 これは運輸省に聞きますけれども、この空域を飛ぶ飛行機の年度間の頻度ですね、あるいはまた一年じゅうを通じていろんな飛行機が最高に飛ぶ頻度、こういう資料はありますか。これは那覇管制業務の処理能力にも関連をするわけですけれども、そういうことはおわかりでしょうか。
  193. 松本操

    松本説明員 現在、これらの空域を避けて航空路ができております。あるいは、むしろ航空路を避けてこのW空域というものができておるというふうに私どもは理解をいたしております。ただし、これらの空域が使われていない場合、全くその空域がからの場合には、管制上の必要からその空域の中を飛行機が通るということは、あるやに承知をしておりますけれども、御承知のように、現在、飛行場管制を除きますすべての管制が、嘉手納において実質上米軍が行なっておるということが一つと、それから、ただいま冒頭に申し上げましたように、空域の中を通り抜ける航空路というものは本来ございませんので、管制上の便法として、あいているときに空域を使うということだけでございます。先生御質問の数字について、明確に答える資料を持ち合わせておりません。
  194. 木原実

    ○木原委員 これは、大河原さんおっしゃったように、いろいろ歴史的な経過や、それから、いままでの条件というものが重なっていると思うのですが、ある意味では、せっかく管制権といいますか、そういうものが約束に基づいて返ってくる。全部ではないまでも、かなりの部分が返ってくる。こういう事態を迎えた中で、しかも将来のことを考えますと、この空域を通過する、もしくはこの空域を使用する飛行機の頻度は、ふえていく傾向にあるのではないかと私どもとしては判断をするわけですね。  ひとつお願いなんですけれども、実際にこの空域を年間どれくらいの頻度で飛行機が通っておるのか、それからまた、年間を通じて最高に使われる日、そういうものがもし積算できるならば、あとでもいいですから出していただきたいと思うのです。そういうことを前提に置いて、これはおそらく自衛隊のほうも訓練空域についての要求があるやに私は聞いているわけですけれども、これらの空の空域の設定についてのある意味では整理なりあるいは縮小なり、こういうかまえをもって交渉してもらいたいという要求をわれわれ持つのですが、それはどうですか。
  195. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 海上演習場なりあるいは空戦訓練空域の問題につきましても、一たん提供したりあるいは使用を許容したものは、一切手をつけないということではございませんで、従来もそのときどきの情勢に応じまして、米側の使用頻度の少ないもの、あるいは使用の必要がないと認められるもの、こういうものにつきましては、返還なりあるいは使用の許容を取り消すというふうな措置がとられたものもあるわけでございます。したがいまして、御指摘のような問題点を踏まえながら随時レビューしてまいりたい、こういうふうに考えております。  なお、先ほど十四件という数字を申し上げましたのは、間違えておりまして、六件でございますので、訂正させていただければ、ありがたいと思います。
  196. 木原実

    ○木原委員 日本の空は、どこも過密なんですけれども、いずれにいたしましても、やはり一つの機会だと思うのです。管制権は返ってきたけれども沖繩の空は依然として、かなりな部分米軍側が占めている、こういう状態というものは、私どもとしましては、一日も早く少なくとも整理をするなり、あるいはまた縮小をするなり、そういう方向に踏み出してもらいたい、こういう強い希望を持っているわけですので、せっかく努力をしてもらいたいと思うのですが、いまのところは、そういうことについては、米軍から何らのアプローチも考え方も示されておりませんね。
  197. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 特に具体的なアプローチを受けておりません。
  198. 木原実

    ○木原委員 その次に、管制の問題について、少し聞きたいのですけれども、具体的に返ってくる管制は何々ですか。飛行場管制、これは従来もやっておるそうですけれども……。
  199. 松本操

    松本説明員 管制の中の航空路管制とそれから進入管制でございますが、この進入管制と申します中で、那覇嘉手納、普天間の三空港にかかる進入管制につきましては、先ほど来御議論がございましたように、暫定的になお米軍がこれを引き続いて行ないます。したがいまして、たとえば宮古島あるいは石垣島、こういうところへ出入りいたしますための進入管制、これにつきましては、五月十五日以後は、直接那覇ACCが行なうようになります。
  200. 木原実

    ○木原委員 いまの進入管制のことなんですが、しばらくの間というのは、時間的なしばらくですか、それとも何かほかの条件を満たすまでということですか。
  201. 松本操

    松本説明員 これは、一九七二年の協定書にも書いてございますように、日本国がこれらの空港について、レーダー管制を行なうことができるまで暫定的に、こういうふうに私ども理解をいたしております。
  202. 木原実

    ○木原委員 それは、そのときの協定に基づいて、レーダー管制を行なえる能力を持つまで、こういうふうに解釈していいのですか。
  203. 松本操

    松本説明員 レーダー管制をいたしますためには、要員訓練施設の整備、方式の設定その他関連する諸事項がございますので、これらの準備が整い、諸般の協定等が落ちなくできた時点において、わが方が始めるまでは米側が暫定的に行なっておるものである、こういうふうに理解をいたしております。
  204. 木原実

    ○木原委員 進入管制については、いわば一元管制が行なわれる、こういうことなんですか。そういうことですね。
  205. 松本操

    松本説明員 那覇空港に接近して嘉手納等の飛行場があることにかんがみ、航空安全を確保するために一元的に管制を行なう必要がある、こういう趣旨でございます。
  206. 木原実

    ○木原委員 ちょっとこまかくなるのですが、接近をしておる、具体的に言いますと、那覇嘉手納、普天間、こういう形になっているわけですが、アメリカとしては、米軍側としては、その中で那覇だけ切り取って返すことは、むずかしいというような条件があるのじゃないでしょうか。どうでしょう。
  207. 松本操

    松本説明員 先生いままさにおっしゃいましたように、那覇と普天間と嘉手納空港の相互の距離、滑走路の方向、それから、これらの滑走路に出入りをいたします方式、これらがきわめて錯雑しておりますので、したがって、現在まで私ども米軍をまじえて検討した結果によりますれば、一元的に管制をしないと航空の安全が確保できないのではないかということでございます。
  208. 木原実

    ○木原委員 その管制の一元化が完全に行なわれるというのは、つまりは米軍側の示しておる、われわれの側で、たとえばレーダー整備その他ができる、こういうことと関連をする、こういうふうに解釈していいですか。
  209. 松本操

    松本説明員 先ほども申し上げましたように、これら近接した複数の空港についてレーダー管制を行なうということは、遺憾ながら、私どもは、現在までに経験がございません。したがいまして、どういうやり方でやればよろしいのかというわれわれのやり方、方式につきましても、まず明確に打ち立てていく必要がございますが、それはともかくといたしまして、準備が全部できて、われわれのほうがレーダー管制ができるようになるまでは、米軍が暫定的にやっておる、こういうことでございます。
  210. 木原実

    ○木原委員 これ、ちょっと話がそれますけれども飛行場の接近の距離ですね、私は、絶えず成田の空港の問題について関心を持っているのですけれども、たとえば成田の問題について、将来、百里と成田、それから場合によれば関東一円の一元化をやりたいという希望が運輸省側にあるやに聞いておるわけなんですが、この一元化をやる場合の接近ということばの距離ですね、たとえば私の記憶では、百里と成田の距離というのは、大体三十マイルぐらいだ、こういうふうに聞いているのですが、接近ということが一つの条件になれば、嘉手納と普天間、那覇、この距離はどのくらいですか。
  211. 松本操

    松本説明員 私、先ほど申し上げておりますように、地理的、地形的に接近していることと、それから滑走路の方向が、たとえば非常に接近しておりましても、同じ方向に並んでおるか、あるいは滑走路の延長が交わっておるかというふうなこと、それからさらにそこへ入りますときに、ILSで入ってくるのか、あるいはVORアプローチで入ってくるのかといったような進入の方式、これらによっていろいろ変わってまいります。  そこで、やや技術的な御説明で恐縮でございますが、進入管制を一元的に行なうということの意味が実は二つございまして、一つは、私が先ほど嘉手納について御説明申し上げましたように、これらの飛行場の相互の位置、滑走路の方向、進入出発の方式の錯雑さのために、一元的に管制をしないと、むしろ航空の安全を確保する上で問題があるという意味において一元的な管制が要求される、こういう場合が一つございます。  それから次に、多くの一元管制というものが、これから私が申し上げる考え方で行なわれておるわけでございますが、個々の空港につきまして、それぞれの空域を定めて、それぞれ別個に進入管制を行なっておる場合、将来、航空の量がふえてまいりまして、狭いと申しますか、むしろ限られた空域を有効に使うためには、それぞれがかきねを立てた別個の空域管制をするよりも、これを一個の空域として管制したほうが能率がよろしい、こういう意味での一元管制というのがございます。たとえて申しますならば、ケネディ空港中心とする四つの空港が一元的に管制されておるというのは、あとから申し上げました効率的という面のウェートがやや高くて、最初申し上げました安全性の問題がこれにつながった形で一元管制が行なわれている、こういうことでございます。
  212. 木原実

    ○木原委員 そうしますと、どう言ったらいいのでしょうか、一元化の基準ですね、いまいろいろ御説明がございました、安全性の面と効率化の面と。ここでついでに伺っておきますけれども、成田の場合、話がちょっと飛躍して恐縮ですけれども、片方に羽田があり、片方に百里がある、こちらのほうには横田その他がある、こういう状態のもとなんですが、沖繩でまさに経験をされようとしている一元化の問題というのは、たとえば成田開港の状態の中で考えられることと、つまり量的な基準というものは同じだと考えてよろしいですか。
  213. 松本操

    松本説明員 あるいは答え方がすかっとしていないと、おしかりを受けるかもしれませんが、簡単な数字等をもちまして、これが基準であるというふうに申し上げることが非常に困難でございます。したがいまして、ただいまの先生の御質問にお答えするとしますれば、嘉手納における場合と成田における場合は、一元化を必要といたします理由がやや異なっておるということから、同一の基準をそのまま当てはめるというわけにはまいらないだろうというふうに考えられます。
  214. 木原実

    ○木原委員 そこで、私が聞きたいのは、暫定的に返らない部分がある、そうしますと、技術的な御説明がいろいろございましたが、米軍側としては、そういう技術的な条件が満たされれば、全部返してくる、こういうことなんですが、しかしまた同時に、嘉手納の状態その他を見ておりますと、やはり米軍側で幾つかの管制については独自に持っていたい、こういう考え方、意図、そういうものがあるわけではないのですね。
  215. 松本操

    松本説明員 私ども、いままでのところ、嘉手納進入管制につきまして、直接米軍と何も議論を詰めたことがございませんので、先生おっしゃるような意図があるのかどうか、私は、つまびらかにいたしておりません。
  216. 木原実

    ○木原委員 それは、そうでしょう。しかし、われわれも、この嘉手納飛行場の状態というのは、外から見るだけですから、的確なことは言えません。ただ、あそこは米軍側にとっては、非常に重要な軍事基地として位置づけられておる、こういうことなんですが、技術的に考えまして、すでにこちらから訓練生といいますか、センターの中に運輸省の側からも人が入っており、いろいろと動きは出ていると思うのです。わかってきていると思うのです。ただ、それにもかかわらず、私どもが気になりますことは、技術的な条件を満たしさえすればというかりに前提があっても、やはり特殊な高い基地の機能を持っているところですから、技術的に条件が整わないということを一つの理由にして、なおすべて返ってくるということが延びるのではなかろうか、こういう心配があるわけです。その点についての、何か考え方なり判断なりがあったら示してもらいたい、こういうことなんです。無理ですか。
  217. 寺井久美

    寺井政府委員 現在のところ、先ほど保安部長が申しましたように、この複数の空港に対する進入管制の経験が、残念ながら航空局にございません。今後どのような手だてをすれば、そういうことができるかということについて、いま確たる見通しもございません。したがいまして、私どもとしては、まず別の地域、たとえば羽田、成田というようなところで進入管制を一本にしまして、効率的な運営をはかるというような、一つの経験を土台にしてこういう問題は解決していきたいというふうに、目下のところ考えております。  ただ、具体的にどういうふうに計画があるのかと申しますと、まだそういう具体的な計画はございませんで、当面は航空路管制をまずテークオーバーし、各空港管制官、こういったものの質的な充実を当面すぐにはからなければならないというような事態にございますので、まだ、そこまで手が回りかねるという実情にございます。
  218. 木原実

    ○木原委員 そうしますと、この部分が返ってくるというまでには、時間的に見てかなり時間がかかるということですね。それは、そういうふうに解釈してよろしいですか。
  219. 後藤茂也

    後藤(茂)政府委員 かなり時間がかかるというふうにお考えいただいてけっこうでございます。
  220. 木原実

    ○木原委員 これは、別の意味でなかなか容易なことではないと思うのです。せっかくあれだけの返還協定に基づいて管制権が返ってくる話し合いができ、そしてまた、ここまで来て、日本運輸省の部局がここに設置をされる、それで沖繩の空の問題は、おおむね片づいたんじゃないかという気持ちが、あるいは国民の中にはあると思うのです。しかし、なかなかどうも実情は、管制一つをとっても、かなり大事なところがまだまだ返ってこない。しかも空の分野については、これは同僚の上原議員なんかが、しょっちゅう指摘をし、心配をするところですけれども、かなり広大な分野が米軍訓練場その他に占有をされておる。しかも、この空域というのは、私どもの判断では、将来にわたって相当な飛行機が飛びかう地域だ。こういうことも考えますと、せっかくこの法案で、運輸省の新しい管制の部局ができるわけですけれども、中身がたいへんに問題を残したままだ、こういうふうに判断をせざるを得ないわけです。しかし逆の意味で言えば、それでも一つの返還協定に基づく前進であるという分野も確かにあると思います。  ですから、そこで、これは要望しておきたいところですけれども、一つは、繰り返すようですけれども、最初に申し上げましたように、ICAOにかかわる問題です。空域の問題については、これからもいろいろな機会があろうかと思うのですけれども、私どもとしては、やはりICAOに向けて日本側の情報区の設定その他についても、検討の上、何か新しい問題の提起をするような機会があれば、積極的に出していく必要があるんじゃないかと思うのです。特に中国との航空協定ができ、そのあとのいろいろ政治問題は、台北との間もかかわって問題が残るわけですから、それならばそれで、やはり将来に向かってまだ動く余地があると思いますから、それらの問題については、技術的なことを踏まえながら問題を提起されたいことが一つです。  それから、沖繩空域の問題については、私ども決して満足できないということは、表明しておかなければなりません。米側訓練空域の縮小なり返還なりの問題については、さらに努力をしてもらいたいということが一つです。  それから、管制上の問題につきましては、いま暫定的に返ってこない部分について、なお私は問題が残るような感じがいたします。しかし、これについては、成田との関連その他もというおことばもございましたけれども、私どもとしましては、少なくとも国民に疑惑を残さないように、すみやかな管制上の全面的な返還といいますか、つまり、われわれの領土の中では、われわれが管制権も全部掌握をするという目標に向かって進んでもらいたいと思うのです。大臣がいらしたら、御見解を聞きたいところですが、次官どうですか。
  221. 増岡博之

    ○増岡政府委員 管制空域と境界の問題も、もちろん改善せられることが望ましいと思っております。したがって、またさような努力もしてまいりたいと思います。  進入管制問題につきましても、先ほどから申し上げておりますように、技術的な問題、未経験のことでございますので、まず運輸省内部でその解決をはかりまして、後に外務省と協議をいたしてまいりたいと思います。
  222. 木原実

    ○木原委員 それで、もう時間がだいぶん迫りましたので、最後に一つ二つ、あわせて聞いておきたいのですが、先ほども話の出ました成田に関連をするのですが、空域の問題。私は、最近文書で、成田空港に関連をする幾つかの問題を、やや詳細にお尋ねをしておるところなんですが、ここでお聞きをしておきたいことは、成田空港の開港の明示がいまだにできないというのはどういうことなのか、そこらをはっきりしてもらいたいと思うのですが、どうでしょう。
  223. 後藤茂也

    後藤(茂)政府委員 成田空港の開港の時期というものがいつであるということを、明確に申し上げられない理由といたしましては、現在すでに、先生御存じの暫定パイプラインの工事をいたしておりますが、この燃料の暫定輸送というものが、いつ完成するのかという明確なる見通しがまだつきがたいということが一つ、それからもう一つは、滑走路の末端にございます二本の妨害鉄塔を、いつ除去できるかという点がまだ明確でない。おもな理由としては、この二つが開港の時期を明確にできないことになっております。
  224. 木原実

    ○木原委員 たびたびそういう話は聞いてきたのです。  じゃ、別の角度から聞きますけれども、四十六年三月には開港する、時の大臣が、この席でも運輸委員会の席でも、私どもに断言をされたことがあるわけですね。しかし、それからでもすでに四年たっているわけです。御指摘のように、暫定パイプラインの問題や妨害鉄塔の問題がありますけれども、成田のいままでの経過からしますと、私は、どうもそういうことではないような気がするわけです。気になりますのは、四年たっているのに、たとえば飛行コースあるいは空域についての関係がはっきりしないのです。これは、どうしてでしょうかね。四年間たっていて、いまだに飛行コースさえきまらない、これは、どういうことでしょう。
  225. 後藤茂也

    後藤(茂)政府委員 飛行コースにつきましては、これは陸上の部分と海上の部分と両方ございますが、大体のめどというものはついております。ただ、まだ二、三問題のございます点がございまして、最終的にこれだということを、運輸省として発表できない事態になっております。  私どもの考え方といたしまして、一応このコースを設定いたしましたら、そのコースによって確実に安全上問題がないかという実際の飛行検査をやり、かつまた騒音の問題がございますので、騒音の影響というようなものも、あわせて検討した上で最終的にきめたい、こういう考え方でいま進めておりますけれども、何ぶんにまだ飛行場は滑走路が直接に使えないというような状態もございまして、飛行場の近くの点については、明確な騒音測定等ができないことになっております。大体、海上面についてはおおむね飛行コースはきまっておりますが、陸上の一部について、まだ最終的にきまっておらない、こういうふうに御理解いただけたらと思います。
  226. 木原実

    ○木原委員 どうもその辺が、私は、一番問題じゃないかと思うのです。局長指摘のように、飛行コースがきまらないから、ある意味では、騒音対策も科学的な根拠のあるものが出ないという関係になっていると思うのです。われわれも開港までには、騒音対策についてもきちんとしたものを求めたい。しかし飛行コースの設定ということについては、問題があることは、私は重々承知をいたしております。しかし、それだけに、さかのぼれば四年間も時間があったわけですから、少なくともA案なりB案なりC案なり、飛行コースについては、もっと明確にできるものがあってしかるべきものじゃないのか。それが依然としてもたついているわけですね。ですから、一部には成田の空は非常に危険だ、どこにコースを引いても非常に危険な空になる、天国と地獄が共存している成田空港なんという話を、われわれ関係者から聞くことがあるのです。ですから、なぜ飛行コースの最終案が二、三の問題を残していまだにきまらないのか。これは、どういうことなんですか。  たとえば防衛庁の関係についても、私もずいぶんこの点ただしたことがあります。民間優先でやれというのが、雫石のときの総理の御発言にもございました。それならば自衛隊のほうは、少し遠慮すべきではないのか、こういう意見もわれわれは持っておるわけです。ですから、その辺について、飛行コースがきまらないということについての、ぎりぎりの詰めた問題というのは一体何なんですか。
  227. 寺井久美

    寺井政府委員 これは、なかなか御答弁しにくいのでございますけれども、一度、飛行コースをきめますと、これは当然のことながら、周知徹底をいたさねばなりません。そこで、いささかでも変更の要因と申しますか、これが実行できない可能性があるということでは、これを最終案としてきめるわけにはまいらない。先ほど申し上げましたように、まだ二、三問題がございまして、これを最終的に片づけてしまわなければ、これが事務的な案にいたしましても、これでいくということを公表するのはいろいろ問題が出てくる、こういうことでございまして、この問題も早急に片づけるべく、いろいろ努力いたしております。ずいぶんだってまだきまらないのはおかしい、まことにごもっともでございますが、やはり地元等いろいろ問題もございますので、まだ最終的にきめかねておるということでございます。
  228. 木原実

    ○木原委員 さっぱりわからないんですけれどもね。まあ、いろいろわかるのですけれども、これは次官、非常にむずかしい問題があるのです。ただ、私は繰り返し要望しているのですが、むずかしい問題があるのですけれども、これは事空の安全にかかわる問題ですから、少なくとも足して二で割るような解決のしかたはしてもらいたくない。むずかしいということは重々あるわけです。むずかしいだけに、やはり一番心配しますのは、開港の時期その他の問題にからみまして、最終的に政治的に判断をして、つまり、たとえば防衛庁と運輸省の関係だとかいうようなことになって、そこで足して二で割るような解決のしかたはしてもらいたくない。このことは特に一つ申し上げておきたいと思うのです。むずかしいことがわかっているだけに、技術的にさらに詰めていって、そして何を削るべきなのか、何を落とすべきなのかということをやる以外に私はないと思うのです。それは事務当局ではなかなかやれないと思うのです。私も成田の空港の問題にかかわって、かれこれ十年になるわけですからあれなんですけれども、一番の問題は、政治的な解決をしないこと、それから、かりに成田の空港としての機能が落ちても、安全を第一に考えるべきではないか、その踏み切りがつかぬのじゃないか、そういう点ですね。  ですから、私は、一つは騒音対策を確立するために、飛行コースの選定についてはすみやかに決定をしてもらいたい。どうせ開港するなら決定すべきだ、そういう考え方を持っております。そうかといって、政治的な判断じゃだめだということと、それから成田の機能が落ちるということについては、もうこれ以上メンツその他にこだわっていただきたくないということ、そういうことを申し上げておきたいと思うのですが、どうでしょう。
  229. 増岡博之

    ○増岡政府委員 先生よく御承知のとおり、この問題につきましては、いろいろな関係から複雑な要素があろうかと思います。したがいまして、慎重の上にも慎重を重ねておるわけでございますが、最終的な決定は、先生指摘のとおり合理的なものにいたしたいと思っております。
  230. 木原実

    ○木原委員 何か聞くところによると、総理はたびたび開港を急げという指示を出されていると思うのですが、あまり総理がわかったわかったで一刀両断にやられては困る側面があるのです。私の申し上げたいことは、土地の問題だけではありません。当初からかなり無理な空港の設定であったと思うのです。そのしわ寄せがきていると思うのです。  ただ、そこで、もう一つお伺いをしておきたいのですけれども部分開港ということはおやりになる意思はございませんね。
  231. 寺井久美

    寺井政府委員 部分開港という意味が、やや不明確かもしれませんが、私どもは、成田が完成いたしましたら、国際線を成田に移すということで計画をしております。ただ、移す時期が多少長いか短いかという点の具体的な問題につきましては、いろいろ検討いたしておりますけれども部分開港という意味の開港のしかたは、いまのところ考えておりません。
  232. 木原実

    ○木原委員 これは念を押すようですけれども、飛行コースの選定にあたって、問題のあるといいますか、むずかしいところははずして、一コースでも二コースでもきまったところから、一応設備が整ったということで発足をする、こういうことはありませんかということなんです。どうですか。
  233. 寺井久美

    寺井政府委員 部分開港という意味が、非常にむずかしいのでございますが、このコースがきまったから、この程度の飛行機は飛べる、したがって、これだけ移すというようなことは考えておりません。やはり成田に国際線を、最終的に移すということでございまして、この移す期間が、一カ月で移れるのか、三カ月で移れるのかというような問題になりますと、これは、まだ詰まっておりませんので、いまの段階でちょっとお答えできないわけでございますが、基本的には移していく、こういうことでございます。
  234. 木原実

    ○木原委員 もうこれで最後にしますけれども、現状からいきますと、四十九年度内成田開港ということは無理ですね。来年の三月です。
  235. 寺井久美

    寺井政府委員 私どもは、無理というよりも、四十九年度内にぜひ開港したいということで、いま鋭意努力しておるところでございます。
  236. 木原実

    ○木原委員 もうこれは、これで終わりますが、無理をなさらないようにしてください、ここまで延びちゃっておるわけですから。きまっていない時期を、ここで、来年三月とかことしの十月とか、こういうことは無理かもわかりません。それにしましても、今井総裁あたりが出てきまして、九月までに開港するとか、やや無責任なことを言い過ぎると思うのです。何が困難な状況であるかということは、関係者の中ではある程度わかってきておると思うのです。だから、一つは無理をしないことと、それから、ある意味では、あまり責任のない、あるいは責任をのがれるような発言をなさらないで、十分にかまえて、そして合理的な処置を講じてもらいたい、こういうことを要望しまして終わります。
  237. 徳安實藏

    徳安委員長 和田貞夫君。
  238. 和田貞夫

    ○和田(貞)委員 この間質問を続けようと思いましたら、航空局もおいでにならなかったので、時間の関係もありますので、簡単に大阪空港と関西新空港の問題について、お聞きをしておきたいと思います。  昨年の七月九日に、運輸省のほうから、大阪空港の騒音対策協議会に、減便計画を含めて回答なされておるわけなんですが、その後、三月の二十三日に、日航、全日空、東亜国内航空の三社に対しまして、大幅減便の措置を講ずるようにという指示をなさっております。それから山陽新幹線の岡山−博多間の開通が、十二月をめどにしておりましたので、それらの開通と相まって、さらにジェット機の減便ということも計画になっておられる。ところが、山陽新幹線の岡山——博多間の開通が、やはりいろいろ用地の取得等々で時期が延びるというようなことがほぼ確定的になっておる。あるいは日中航空協定の調印で中国機が大阪に乗り入れる、こういうことが確定的になりました。したがいまして、従来、大阪空港の場合には、イギリスはじめ欧州各国の便も航空騒音ということを理由に断わられておったわけなんですが、中国機の大阪空港乗り入れと相まって、断わり切れないような状況運輸省としてもなっておるのじゃないか、こういうふうに思うのです。  いま申し上げましたような状況のために、昨年の七月九日に、地元の皆さんにあなた方がお約束したこと、今後、国内線、国際線を含めて、そのことを守っていくことができるかどうかということを、この機会にひとつ御答弁願いたいと思います。
  239. 寺井久美

    寺井政府委員 先生指摘の、七月九日の地元に対する約束と申しますのは、新関西空港ができましたら、その時点において伊丹空港の廃止を含めてあり方を考える、こういうことであったと了解してよろしゅうございましょうか。——それで、やはりその方針はずっと変わっておりませんし、伊丹空港につきましては、ジェット機の離発着回数というものを減らしていくということで、先生指摘のように、いわゆるエアバスの導入と新幹線の開通等もろもろの要因をかみ合わせまして、現在二百六十のものを大体二百程度に下げていこう、こういう計画を大臣が発表いたしております。私どもといたしましても、この計画に沿って離発着回数を削減する努力をしているわけでございます。  そこで、今回の日中航空協定に基づきまして中国が入ってくる、これはふえるではないかという御指摘かと思いますが、私どもは、やはりきめられたジェット機の離発着回数のワクの中で処理をすべきものだというふうに考えております。
  240. 和田貞夫

    ○和田(貞)委員 国際線も同様ですか。
  241. 寺井久美

    寺井政府委員 国際線を含めまして、ジェット機の離発着回数というもののワクをきめておりますので、そのワクの中で国際線、国内線を処理していく。先生指摘のように、第三国との関係が非常にむずかしい状態になるということも事実でございますが、これは十分話し合いを通じて解決していきたい、こういうふうに思っております。
  242. 和田貞夫

    ○和田(貞)委員 そうすると、先ほどの答弁の中に触れられておったように、新関西国際空港を建設するということをあくまで前提に立てておられるように思うわけなんですが、いままで新聞等でいろいろと記事を見てまいりますと、いつの場合も大阪国際空港の抜本的な解決のためには、新空港の建設以外にはあり得ないという基本的な考え方を、運輸省としては持っておられると思うのです。その端々に、大阪空港の撤去も含めてというようなことばを使われたり、あるいは地元の騒音対策協議会に対する回答の内容につきましても、新空港建設がまず第一だから、むしろその新空港建設のほうに、いまの大阪空港周辺皆さん方は協力してもらいたいというような意味での発言もあったように承っておるわけです。  ところで、新空港を建設するにあたって、いまだに予定地が航空審議会のほうから答申がないわけなんですが、去年の春に答申があるというものが七月に延期され、九月に延期され、十一月に延期され、さらにはことしの三月も予定されておりましたけれども、いまだにない。聞き及ぶところによりますと、大体七月ごろが、その答申の時期だというように聞いておりますが、私たちが新空港に予定される地域の側に立ってみたら、非常に神経をとがらしておるわけなんですが、その後、いろいろと公害対策についても資料等を集められたと思うのです。この航空審議会の答申が、私がいま申し上げましたように、あるいは地元の皆さん方が推測しているように、国会が終わってから参議院選挙のさなかか、あるいは参議院選挙が終わって国会がないその時期、七月ごろに答申があるというような推測が当たっておるかどうか、ひとつお答え願いたいと思います。
  243. 隅健三

    ○隅説明員 先生の御質問にお答えいたしますと、四十六年の十月に航空審議会に対しまして、新関西空港の位置と規模を諮問いたしましてから、二年半にわたって審議をいたしております。昨年審議をするというときに、大阪国際空港騒音対策協議会、いわゆる十一市協に対しまして、航空局長から、伊丹空港の撤去も含めてできるだけすみやかに検討をするというような回答を出しました点、航空審議会におきましては、いままでの伊丹空港をそのまま残して、離発着回数は少なくするにいたしましても、併用という考え方で審議を進めておりましたのを、一応、代替空港として考えられるという点に審議を変えたことが一つ。それから、十二月に航空機騒音にかかわる環境基準が答申されました。十二月の二十七日に告示が出ました。この点につきまして、さらに精査をする必要があったということで答申がおくれております。現在におきましては、各候補地を比較いたします比較項目の重要度づけと申しますか、採点に対しての考え方、それから各候補地につきます比較表を目下作成中でございます。このようにいたしまして、全員懇談会を五回、起草小委員会である総務小委員会を、すでに六回開催いたしておりますけれども、作業の進みぐあいから見まして、どうしても六月一ぱいはかかるのではないか、あるいは七月にかかる、事務的な作業の段階においてぎりぎりが七月ぐらいであろう、現在の作業の進みぐあいは、そういう状況でございます。
  244. 和田貞夫

    ○和田(貞)委員 七月に大体、答申の時期がにおわされたわけなんですが、いまの答弁の中で、あるいは先ほど私が話しましたように、大阪空港の撤去もという表現のしかた、いまの答弁の中では、あくまでも答申の審議の内容が、大阪空港の代替として新空港ということで作業が続けられておるということですが、もう一度質問したいのですが、新空港ができると、いまの大阪空港は撤去されるものだというように、明確に答弁として受け取ったというように解釈していいですか。
  245. 隅健三

    ○隅説明員 ただいま私が申し上げましたのは、「現大阪国際空港の将来のあり方については、新関西国際空港との関連において十分検討を要するものであるが、その開港時点にこれを撤去することをも含めて可及的速やかに検討するものとし、その検討に際しては地元公共団体の意思を十分尊重するものとする。」という文章を回答いたしておりますので、関西新空港の開港の時点に、これを撤去するということを決定したわけでございません。それまでの間に、工事といたしましては、やはり担当長期間かかりますので、われわれといたしましては、現大阪国際空港の騒音対策を、万全の努力でこれをいたしまして、そのときに、開港の時点に環境基準を達成するような状態に現大阪国際空港がなっておるかどうか、その点につきましては、地元地方公共団体の御意向、御意思を十分尊重して、その時点において決定するというふうに申し上げたわけでございます。
  246. 和田貞夫

    ○和田(貞)委員 新空港と現空港と併設していくという場合と、新空港設置によって、現空港が撤去されるという場合と、新たな新空港の規模がやはり変わってくると思うのです。だから、答申の内容では、やはり位置と規模が答申されるわけでしょう。だから、そういうあいまいなことでは、答申の内容自体もあいまいな内容になるのですか。
  247. 隅健三

    ○隅説明員 答申につきましては、伊丹空港が撤去した場合も想定いたしまして、それにこたえ得るだけの拡張その他の可能性も踏まえて審議をして、答申を作成するというふうに伺っております。
  248. 和田貞夫

    ○和田(貞)委員 そうすると、現空港が撤去をされた場合の新空港というのは、現空港よりもはるかに上回った大規模な新空港であるという内容の答申になってくるわけですね。
  249. 隅健三

    ○隅説明員 新空港の規模につきましては、将来関西の航空需要がどのくらいまでまいりますか、そういうことを含めまして、伊丹空港がなくても関西新空港でまかなえるであろうという規模を想定して、その可能性を含めて検討するというふうに存じております。
  250. 和田貞夫

    ○和田(貞)委員 そうすると、現空港よりも大規模な構想のもとの規模を考えておられるというように解釈していいですね。
  251. 隅健三

    ○隅説明員 答申に際しましては、現在の大阪国際空港の存立の場合も一応考えておりますが、その点につきましては、将来の可能性をそこに検討をしておるということでございます。
  252. 和田貞夫

    ○和田(貞)委員 大規模であるのかどうかということだけを、私は尋ねているわけです。現空港を撤去したことも想定して考えられておるわけだから、現空港を撤去した段階における関西新空港というのは、かなり大規模な空港の構想であるというように解釈していいかどうかということですね。
  253. 隅健三

    ○隅説明員 第一期の計画は、やはり現大阪国際空港の規模、それから第二期について大阪国際空港の撤去ということが考えられるならば、さらに第二期の規模というものも考慮するということでございます。
  254. 和田貞夫

    ○和田(貞)委員 そうすると、現空港よりもかなりの大規模の空港ということになりますと、いまの周辺の住民も公害に非常に悩まされておるわけなんですが、これは新しく位置が神戸沖か泉南沖かということになるわけですが、泉南沖の可能性のほうが強いというようなにおいもするわけなんですが、泉南沖に空港を持ってこられることにつきましては、沿岸各市町村議会、首長それから住民、絶対反対の立場をとっておるわけです。  私は、この機会に、時間がありませんのでお尋ねしておきますが、昨年の予算委員会分科会におきまして、私は、前の新谷運輸大臣にお聞きをいたしましたのは、住民が反対する限りにおいては——住民が反対する限りにおいてはということは、具体的にその地先にある都市だけじゃなくて、たとえば泉南沖ということになりましたならば、この泉南沖の沿岸の各市町村が住民の意思を代表して、反対決議がなされておる限りにおいては、答申がなされた段階においても、強行建設工事をやらないということを答弁されているわけですが、その考え方はいまも変わっておりませんか。
  255. 隅健三

    ○隅説明員 これは、いままで総理大臣あるいは運輸大臣がたびたびお答えしておりますように、航空審議会の関西部会から答申をいただきましても、直ちに位置の決定をするということはいたしません。一応、関係地方公共団体と十分話し合いをいたしまして、その御理解をいただいた後に一応決定するということを繰り返し申しておりますので、その点は変わっておりません。
  256. 和田貞夫

    ○和田(貞)委員 昨年の九月の二十三日に、阪南町の町議会選挙がありました。阪南町の町議会選挙では、候補者が保守、革新、無所属を問わず、泉南沖の空港については反対である、このことばを出さなければ選挙がやれないという状況であります。その次に、十一月の十一日に泉佐野の市長選挙がありました。泉佐野の市長選挙では、三人の候補者を出しましたけれども、三人の候補者とも、これは泉南沖の空港については反対であるという約束をして、そのうちの一人が当選しているわけです。さらに十二月の二日に岸和田の市長選挙がありました。岸和田の市長選挙では、泉南沖の国際空港については、絶対に反対をするという約束をいたしました候補者が市長に当選しております。さらに、ことしの一月に貝塚の市長選挙がありました。これも泉南沖の空港については、絶対反対であるという候補者が無投票で当選しております。五月の十二日に泉佐野の市議会選挙が行なわれるわけです。いま地元住民は、それぞれの候補者に文書をもちまして、泉南沖空港についてのアンケートをとっております。おそらくいままでやりました選挙と同じように、泉佐野の市議会の選挙についても、どの候補者もそのことは述べるだろうと思うのです。泉佐野の市議会選挙では、これは、そのことを打ち出さないと選挙はやれないという他の市町村と同じことである。さらにことしの八月には、泉南市長選挙がありますが、この市長選挙でも同じことだと思います。  こういうように、去年からことしにかけての選挙の状況、あるいはいま沿岸の市町村が、ことごとく市議会において反対決議をしておるわけです。そういう限りにおきましては、これは、いかに答申がなされようとも、あなた方のほうが、どういうほうに位置をきめられようが、少なくとも泉南沖については、こういう状況である限りにおいては、公有水面の埋め立ての認可、許可を、やはり許可権限は知事が持っておるわけでありますから、知事も許可することができないであろう、こういうように思うわけです。  したがいまして、いま御確認いたしましたように、このように住民がこぞって反対を決議しておる限りにおいては、しかも現空港を撤去する前提に立った新空港の構想というものは、かなり大規模な計画であるということを考えるときに、ひとつその新空港の建設ということにつきましては、あくまでも住民の意向を尊重して、前大臣を踏襲した考え方で対処していただきたい、こういうように思うわけでありますが、大臣がおりませんので、ひとつ政務次官のほうから、明確な御回答をお聞きしたいと思います。
  257. 増岡博之

    ○増岡政府委員 新しい空港がどの程度の規模になるものかということでございますけれども、私は、決して現在の伊丹空港より何倍も大きい空港が必要であるとは考えておりません。審議会の結論がどういうことになるか、まだわかりません段階で申し上げるのもなんでございますが、飛行場が各地で騒音問題によりまして、きらわれておることも事実でございます。しかし、やはり審議会がその問題も考えた上での結論を出すことであろうと思いますので、その案ができました段階で、極力地元の方々の御理解をいただいた上で、それなりの結論を出してまいりたいと思います。
  258. 和田貞夫

    ○和田(貞)委員 先ほど御答弁いただいたわけですが、ちょうど大臣来られましたので、大臣にひとつかわって御答弁いただきたいと思いますが、昨年のこの予算委員会の分科会で、私、新谷運輸大臣にお聞きいたしましたところが、地元住民が反対する限りにおいては——地元住民が反対する限りにおいてはということは、それらの沿岸の市町村が、住民を代表する議会において、いま先ほど御説明したのでありますが、ことごとく反対決議をしておるわけです。それらの反対決議がある限りにおいては、答申がいかなる内容であっても工事の強行着工はしない、こういう答弁をいただいておるわけです。そういう前運輸大臣答弁に基づいて対処していただくという考え方、いまも変わっておらないかどうかということを、ひとつ大臣のほうから御答弁いただきたい。
  259. 徳永正利

    ○徳永国務大臣 空港等につきまして、いま御指摘の関西の新国際空港でありますが、いま審議会に諮問をして御答申をお願いしているところでございまして、いまおっしゃったように、地方のそういう公共団体が、こぞって反対しておられるというようなことにつきましては、これはもう了解を得なければできないことでございますから、その内容等をよく御説明すれば、あるいはまだ了解いただける問題もあろうと思いますので、そういう努力を重ねまして、いまの伊丹の空港は御承知のとおりでございますが、副都である大阪に国際空港が必要でないということであれば、これは、また別でございますけれども、これも私は、それだけの勇気をもって断言することはできないと思います。そういう意味合いからも、新しい空港はぜひ必要でございます。そうするならば、地方公共団体等の協力を十分得ました上で、そういうような工事等を進めてまいりたい、これは全くそのとおりでございます。
  260. 和田貞夫

    ○和田(貞)委員 それじゃ時間も参りましたので終わりますが、ひとつ市議会が反対しておる限りにおきましては、いま大臣から御答弁がありましたように、住民の意思を尊重して、この点について対処していただきたいということだけを申し添えまして、私の質問を終わりたいと思います。
  261. 徳安實藏

  262. 上原康助

    上原委員 ちょっと質問がとぎれとぎれになって迷うのですが、だいぶ時間があるようですから、もう少しお尋ねをさしていただきたいと思います。  先ほどもいろいろお尋ねをしましたが、まだ釈明されていない点もかなりあるような気がいたします。そこで、先ほどの木原委員の御質問との関連において、沖繩周辺上空に、いわゆる制限空域ウォーニングエリアといわれているが最初十四カ所、訂正になさって六カ所だという答弁アメリカ局長からありました。この制限空域といいますか、その六カ所については、もう一度念を押しておきたいのですが、この航空交通管制が返還されても変わらないということなのか、あるいはこれについて何らかの変更が加えられるのかという点を、重ねてお尋ねをしておきたいと思います。  それといま一つ、米軍のそういった制限空域が設定されていると同時に、自衛隊も訓練空域を求めているということを伺っております。自衛隊のそういったウォーニングエリアというのも別にあるのかどうか、あるとすれば何カ所あるのか、そういった面も、この際ぜひ明確にしていただきたいと思います。
  263. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 自衛隊の関係は、後ほど関係の方から御答弁いただきたいと思いますが、空戦訓練空域という意味での演習場は、先ほど木原委員の御質問に対して御答弁申し上げましたように公海上に六カ所ございます。このほか領海上に射撃場をまた施設、区域として提供いたしておりますけれども、これらのものにつきましては、今回予定されております航空交通管制に関する新しい体制と、直接は関係ございません。
  264. 上原康助

    上原委員 いまの御答弁は、公海と領海にそういった訓練空域がある、今度の航空交通管制とは無関係だというのですが、その公海、領海といわゆる空との関係は全然無関係というのですか。空においてな、そういった制限空域というのは定められているんじゃないですか。
  265. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 私、ただいま御答弁申し上げましたのは、これらのものを領海内につきましては、地位協定に基づく施設、区域として提供しており、公海の分につきましては、その規定趣旨に沿って使用を許容しておるというかっこうで使用を認めておりますけれども、こういうかっこうで米軍が空を訓練のために使っておる、空戦訓練のために使っておるということと、先ほど来御議論の対象となっております航空交通管制の仕組みとは直接の関係はない、こういうことでございます。
  266. 上原康助

    上原委員 領海における制限水域、あなたが  おっしゃっているのは。それはあるのはわかりますよ。空の場合も、そういった制限空域があるかどうかということが一つ。先ほどの答弁では、あるということだったんですよ。ですから、空にお  いてもやはり制限されているわけでしょう、米軍制限空域ということで。そのことは今回の航空交通管制が返還されても従来と変わりませんのか、変わるのがありますかというお尋ねなんです。
  267. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 空戦訓練空域という意味で、その地域を米軍が空戦訓練のために使うことを、日本側は認めているわけでございますが、これが公海上に沖繩周辺に六カ所ございます。したがって、その空域内におきまして、米軍は空戦訓練を行なってきておりますし、また行なうことが認められてきておるわけでありますけれども、それと航空交通管制の問題とは、先ほど御答弁申し上げましたように直接の関係はございませんので、五月十五日以降、この公海上の部分あるいは空戦訓練空域と考えられてきておるものが、航空管制と直接のつながりをもって影響を受けることはない、こういう趣旨でございます。
  268. 上原康助

    上原委員 直接それは関係ないですよ。私もそれぐらいはわかる。直接関係ないのだが、海を利用する場合に、公海であろうが領海であろうが、利用する場合は、空も関係があるわけでしょう。だから、従前どおりになるわけですね。  たとえば、これは私がなぜこういうことを言うかといいますと、いま非常な制約を受けているんですよ。大臣におわかりいただきたいのですが、間違っておれば皆さんのほうから指摘してください。先ほど言いましたように、これが半径約五十マイル、こういう制限水域と空域があるんですよ。  一、二、三、四、この中にもある、五、六、六カ所です。これは海だけじゃなくして、その上空も  一緒なんです、制限空域として。したがって、いいですか、本来ならば、これは航空路だから、これからここに入る場合の指示を受けなくてはずせるんだ、実際からいうと。これだってそういうことになるわけでしょう。これも、これからははみ出ている。確かにこの五月十五日の、あなたがおっしゃるように——理屈だけこねぬでください。理屈ではそうなる。そうなるのだが、実際その上空というのも変わらないのですねということを私はお尋ねしている。変わるなら変わる、変わらないなら変わらないと答えてください。こういう制限を受けても関係ないと言いますが、本来ならば、こっちを飛んでもいいのだ。飛行機はもっと行きやすいかもしらない。飛びやすいかもしらない。しかし、こういうところは、飛んではなりませんよということが、復帰前も現在も取りきめられているから、曲がりくねって、あるいはここを避けて通らざるを得ないという状況に実際問題としてなっているわけです。このことは変わるのですか、変わりませんかということを私は聞いているんですよ。
  269. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 繰り返しで恐縮でございますが、直接のつながりはないわけでございまして、五月十五日以降、沖繩の飛行情報区におきまして、日本の航空当局が航空路管制を実施するということが新しく変わってまいるわけでございます。
  270. 上原康助

    上原委員 ですから、逆に言うと、従来と変わらない、依然として制限は、公海も領海も空域においても制限は受けている、そういうふうに受け取っていいわけですね。
  271. 松本操

    松本説明員 ただいま先生御提示いただきました地図に、まさにごらんのとおりに航空路が幾つか設定をされております。その航空路のないところに、御指摘のウォーニングエリアがございます。先ほど来アメリカ局長が御答弁申し上げておりますように、航空交通管制が戻ってくるということとウォーニングエリアを返すということとの直接の関係はございませんので、したがいまして、現行の航空路の形でそのまま管制が行なわれる、こういうことでございますが、航空路自身は、ごらんのようにウォーニングエリアを避けてつくってある、あるいは先ほども申し上げましたように、航空路を避けてウォーニングエリアがつくられている、こういうふうに私どもは考えております。
  272. 上原康助

    上原委員 ちょっとくどくなりますので、これ以上はやりませんが、何も航空路を避けてウォーニングエリアができたのじゃないのです。ウォーニングエリアを避けて航空路ができたんですよ。それは逆なんだよ。では、あなたは専門家として、こういうウォーニングエリアがあちこちにあるのが、ほんとうに航空交通管制をやる上でいいのですか。有利じゃないわけでしょう。そこは、幾ら政府立場だって、あっていいものとなくていいものがある。あるのだが、やむを得ないという立場であるならまだわかりますが、それを、ウォーニングエリアは航空路を避けてできた。話は逆じゃないですか。その点を指摘しておきたいんですよ。そこまで役人がずるくなったら困りますよ。  大臣、この点は、いろいろ御都合があって中座してもらったのですが、私は、きょう、いろいろな問題を実際事実として指摘をした面が幾つかあります。それに対しては、現にある、公海においても空域においても同じなんですよ。こういういろいろな障害というもの、沖繩中心周辺の空というものはそういう制限を受けている。その根拠というものは、ほぼ明らかになりました。したがって、私は百歩譲って、皆さん立場としてアメリカにそういう施設、区域を提供せざるを得ないということであっても、復帰前と何ら変わらない、航空交通管制をわがほうが引き取った場合でも、そういう大きな制約を受けざるを得ない、そういう状態というのは少し改めていただきたい。われわれの立場からすると、そういったのは取っ払ってしまえ。そうなると議論がかみ合わなくなりますので、たとえ、よしんばそういう状況下にあっても、もう少しくふうはないものかどうか。緊急事態という場合には、やはりそういう制限空域を避けて通らざるを得ないということで、非常に、網の目とまではいかなくても、いろいろな支障があるということを、私は直接関係者から聞いたこともあります。そういうことも一切伏せているかもしれませんが、できるだけそういった空の、いわゆる日本側が完全に権利を、権限を行使できる状態に持っていくというのが、これがベストでありますね。  しかし基地の関係とかいろいろなのがふくそうをしておって、万やむを得ないにしても、もう少し交通整理をする必要があると私は思うのです。この点について、今後の決意のほどを伺っておきたいと思うのです。
  273. 徳永正利

    ○徳永国務大臣 先ほどからの御議論も拝聴しております。実は、ものの言い方が反対側になっているだけだと思うのです。御指摘の点も私にはよく理解できます。安全保障条約という一つの条約の上に立って、いろいろなむずかしさもあろうと思いますけれども、基地をなるたけ小さくするとか、あるいはまた返還してもらうとか、それから、いまおっしゃったようなことも、われわれは努力していかなければならぬことだと思います。御指摘の点については、今後ともひとつ努力してまいりたいと思います。
  274. 上原康助

    上原委員 防衛庁、帰ってしまったのですが、運輸省のほうに何か自衛隊のほうから、そういった制限空域、公海、領海含めて要請があったのかということと、いま一つは、飛行場使用の件について、防衛施設庁なり防衛庁とはどういう取りきめをしておられるのか、運輸省立場でわかる範囲説明いただきたい。
  275. 中曽敬

    ○中曽政府委員 防衛庁から、沖繩周辺の海域に訓練空域を設けてもらいたいというふうな要請があったことは事実でございます。しかしながら、現在の時点までにおきましては、われわれのほうと協議は設定されておりませんで、いわゆる訓練空域の設定という形でセットはされておりません。
  276. 上原康助

    上原委員 それは何カ所くらいですか。
  277. 中曽敬

    ○中曽政府委員 ただいま問題になっておりますのは二カ所でございます。
  278. 上原康助

    上原委員 現在は、その取りきめはないわけですね。
  279. 中曽敬

    ○中曽政府委員 設定されておりません。
  280. 上原康助

    上原委員 飛行場の使用の問題についてはどうなんですか。
  281. 隅健三

    ○隅説明員 那覇飛行場の使用等に関する協定で、昭和四十七年の十一月七日、運輸省航空局長と防衛庁の防衛局長の間で協定が結ばれております。なお、そのほか現地におきまして、たとえばバリアーの設置であるとかあるいはターゲットのバンナー標的の曳航に関する現地協定というのがございます。
  282. 上原康助

    上原委員 四十七年の十一月の七日の本庁における取りきめ、さらに現地における、いまおっしゃるバリアーその他の設置についての取りきめというのは、大体どういう内容になっていますか。
  283. 隅健三

    ○隅説明員 那覇空港における航空自衛隊の航空機によるバンナー標的の曳航及び投下に関する協定は、四十八年の十月二十九日に、空港事務所の空港長と向こうの南西航空混成団司令との間で結ばれております。これは先生御存じの、バンナー標的機を、発進のときとそれから帰投してそれを落としますときに、那覇空港のナイキの基地のところに落とすという技術的な取りきめでございます。  それからバリアーにつきましては、昭和四十七年の十一月五日に、やはり空港長と航空自衛隊那覇基地司令との間にバリアーについての使用協定がございます。
  284. 上原康助

    上原委員 ここも問題なんですよ。これは、きょうは残り時間ですから、そこまで触れられないかもしれませんが、空においてはアメリカはそういう制限空域を持っている。一方の飛行場そのものは、これは民間空港とは名ばかりで、自衛隊、米軍そして民間、三者共用なんですね。三者共用というのがあるのか、三者使用、そういう状態なんです。これは、いずれまた、私も資料を若干持っておりますので明らかにしていきたいのです、周辺整備の問題との関係もありますので。こういう実態であるというのは、大臣ひとつつかんでいただきたいと思うのです。  そこで、那覇空港の全面返還ということはたびたび、もう沖繩返還協定を審議をする過程から、あるいはそれ以前の共同声明以降、耳にたこができるほど聞かされてきたのですが、完全に目玉が抜かれて、いまさっき申し上げたような状況になっている。そこで、よくP3の移転ということが絶えずこれまで議論されてきたのですが、現に那覇空港に−那覇飛行場といいますか、那覇空軍海軍補助施設ですね、皆さんが言っている、そこに常駐している米軍機というのは、一体どういうものがあるのか、明らかにしていただきたいと思うのです。
  285. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 那覇飛行場を現在使っております米軍飛行機は、P3Cが九機、それから標的機その他が約五機、これが常駐するものでございますが、このほかに、海兵隊の飛行機が随時飛来して使っておる、こういう状況でございます。
  286. 上原康助

    上原委員 そうしますと、いま局長答弁のあったP3、それから標的機、海兵隊のファントム、機種は三つということですか。
  287. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 海兵隊はA4を使っているというふうに私、承知いたしておりますけれども、いずれにいたしましても、あそこに常駐いたしておりますのは、海軍の関係のP3と、それに関連いたします標的機あるいは連絡機、そのほかに海兵隊がA4を使って、随時那覇飛行場を使っている、こういうことです。
  288. 上原康助

    上原委員 そこも若干疑問なんですね。実際、私がいろいろ調査をやってみますと、P3のB型あるいはC型が常時九機から十機にわたっておりますね。それからDP2Eというのが常駐しています。いまおっしゃったA4Eというもの、これも海兵隊のファントムの一種で、このことも大河原さん覚えていらっしゃると思うのですが、昨年の九月に、いわゆる沖繩にF4なりファントムが移駐したときに、私は安井吉典先生と一緒に、那覇空港を全面返還するというのに、なぜファントムまで移駐させるのかということについては、おそくとも九月ないし十月の上旬には、どこかに撤収されるということになりますということをあなた答弁したのです、大平外務大臣一緒に。しかし、その後ずっと常駐して、現にいま機数もふえている、そういう状態なんですね。スカイホークもおっしゃるように訓練をしながら飛来をしてきているんです。あるいはそのほかUS2B、US2Cというのが、それぞれ二機ないし三機、ヘリコプターSH3Gタイプ、何と現在でもP3を含め、ヘリコプター、あなたがおっしゃる標的機、連絡機、そしてファントム、機種からしても七つから八ついるんですね。そして全体の数といいますと三十機はいらない、こういう状態なんですね、那覇空港。これは運輸省はどうお考えです。そのくらいは、いつも空港管理をしておられるのですから。あなた、ファントムなんか、わざわざ西側にだだっ広いところをとって、目のつくところにはいないで向こう側、海岸側でいまぶうぶうやっている、こういう状態がいまの那覇空港の実態なんですよ。これだけの飛行機が、米軍がい那覇空港を常時利用しているという状態なんです。  そこで、確かめておきたいのですが、P3の移転、移転ということで、来年の三月末までに嘉手納に移す、この嘉手納に移すのはけしからぬと、みんな反対しているのです。P3を移転するというんだが、このファントムとかスカイホークとか、いま私があげたような飛行機は、そのときは一体どうなるのですか。
  289. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 P3の那覇から嘉手納への移転の作業が、当初考えていましたより若干おくれぎみでございまして、来年の三月末までの移転完了ということは、ちょっとむずかしい。おそらく五十年度へ若干ずれ込むであろう、こういう状況でございますが、いずれにいたしましても、これは工事能力の関係でございまして、P3をなるべく早く那覇から動かすという既定方針については、何の変わりもございません。  また、P3が那覇空港から嘉手納へ移転いたします段階におきましては、現在、那覇飛行場を使っておりますいまの標的機なり、ヘリコプターなり、あるいは海兵隊の飛行機、こういうものは、今後一切那覇空港は使わない、こういうことになります。
  290. 上原康助

    上原委員 もう四十七年の五月の十五日が五十年の三月になったのですが、それもいま初めてまた明らかにされたことですね、来年の三月はずれ込む。もちろん、それは現在の異常物価の状況下でいろいろなことがあるとは思いますが、そこは一応は理解いたしますが、大みえを切ったんですよ、海洋博が延期されようがされまいが、完全に那覇空港は三月末までにはやりますと、山中防衛長官も大平外相も。  そこで、いま私があげたような、こういった米軍機というものは一切、P3がどこかに移転をした段階では、それも含めてどこかに移駐するわけですね。完全に軍用機というものは、米軍機というものは、一切那覇空港にはそのときにはいませんね。
  291. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 現在は、暫定的に那覇飛行場米軍施設、区域として提供いたしておりますから、そういう関係でP3の関係部隊が駐留いたしております。しかし、P3が嘉手納へ移駐しました後におきましては、那覇空港施設、区域としての提供を終わるわけでございますので、そういう意味の軍用飛行に使われることはなくなるわけでございます。
  292. 上原康助

    上原委員 空港、いわゆる那覇飛行場施設、区域、滑走路は米軍機は使いませんね。
  293. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 米軍機が那覇空港を、P3が移駐を終わり、施設、区域としての提供が終わったあとで、米軍機があの飛行場を使うことはない、こういうことになります。
  294. 上原康助

    上原委員 これは二4(b)も二4(a)も関係なくなりますね。
  295. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 関係ありません。
  296. 上原康助

    上原委員 初めて、すかっとした答弁があったんだが、これは前にも私が聞いたら、少し会議録を調べてみたのですが、若干疑問の点があった。これは、いま、三月が若干ずれ込むかもしれませんということでもありましたが、早急にそういった方向で、いま答弁のあったような方向で処置をしていただきたいと思うのです。ただし、嘉手納に持っていくのは反対ですよ。いまでもやかましいのが、さらにやかましくなる。私の家なんかどうなっていると思う。——それは余談といたしまして、続けたいと思います。  その点は明らかになったのですが、そこで、現在の那覇空港の滑走路のいわゆる安全性の問題、安全性の件ですが、いわゆる滑走路の中心線灯、中心の線があって、そこに点滅している何かあかりがあるわけですね、光をこうやる。この中心線灯というのは、どのくらい設置されているのですか。まずその数から言ってください。
  297. 松本操

    松本説明員 まことに申しわけございませんが、いま数が何個であるかは記憶しておりません。
  298. 上原康助

    上原委員 敷設といいますか、これを設備したのはいつごろですか。復帰後ですか、復帰前ですか。
  299. 松本操

    松本説明員 復帰後、那覇空港の滑走路がいたんでおりますので、これをかさ上げをいたしました。かさ上げをいたしました結果といたしまして、従来の灯器類を全部改修する必要が生じてまいりました。この時点におきまして、中心線灯を整備いたしたわけでございますが、現在まだ関連工事が完了いたしておりませんので、これを使用する段階には至っておりません。
  300. 上原康助

    上原委員 これが設置されてから、破損、破壊された例はないのですか。いま使用してないというのは、ちょっと納得いかないのですがね。
  301. 松本操

    松本説明員 私が使用していないと申し上げましたのは、滑走路中心線灯を新設いたしました関連といたしまして、電源施設を全部更新することになっております。電源施設を更新いたしますために、ケーブルも全部張り直すことになっております。この部分の工事が現在まだ完了いたしておりませんので、灯器はついておりますが、中心線灯として点灯するに至っていない、こういう意味で申し上げたわけでございまして、灯器そのものが、あかりがついてないのに、こわされたという  例はございます。
  302. 上原康助

    上原委員 あかりがこわされた例は、ほんとうになかったんでしょうかね。そうは思えませんね。私もいろいろ調査をしてみましたが、滑走路の中心線灯は、昭和四十八年の六月か七月ごろに着工して、大体昨年の八月か九月ごろ完了したんじゃないですか。一応完了した。完了後間もなく、その中心線灯が破壊、破損をされた、もぎ取られた、そういう事態があったことは、現地の新聞にもでかでか出た。四十八年十月三日の沖繩タイムス、「居座りファントム猛訓練中心灯、吹っ飛ぶ」、あんた、わかりながらそう言っちゃ困りますよ。では、これは事実じゃないのですか。そこまでごまかさないでも、いいんじゃないですか。
  303. 松本操

    松本説明員 私、いまはっきり灯体がこわされましたことがございますと御返事申し上げたので、もし聞き違いいただきましたら、たいへん申しわけございませんでした。ケーブルがつながっておりませんので、まだあかりがつけられない状態でございますということを前段に申し上げまして、後段に、しかしながら、あかりがつかないにもかかわらず、中心線灯をこわされた事実はございますと、こういうふうに御返事したわけでございます。
  304. 上原康助

    上原委員 どうも失礼しました。こわされたわけですね。  そのこわされた原因は、自衛隊機ですか、米軍機ですか、それとも民間機ですか。
  305. 松本操

    松本説明員 灯器を破損いたしましたのは、米軍の艦載機だと承知しております。米軍の艦載機の着艦フックがこれをたたくために、灯器が破損される現象が生じたということでございます。
  306. 上原康助

    上原委員 これは、きわめて重要な施設なんでしょう、中心線灯というのは。ところが、私も航空は何もわかりませんが、専門家や那覇の関係者からいろいろ聞いてみますと、やはり中心線灯が十分でないと、特に夜間とか雨天の場合は、非常に不便だというんですね、特に飛行機の着陸には。そういう重要な中心線灯であるにもかかわらず、米軍機のいわゆる離着訓練、私たちがよくいうタッチ・アンド・ゴーによって破損されている。なぜかというと、スカイホークとかF4なんというのは、艦載機ですから、航空母艦から飛び立ったりおりたりしていくものですから、なるべく短距離で離着陸をしなければいけない。そういう意味で、おりるときに何かフックがかけてあるというのでしょう。それによって、どんどん破損をさせられていく、かじられていく。那覇空港はこういう状態なんですよ。  これに対して、米側に何か申し入れはなさったんですか。また、外務省はこれについてどうなさったのか。
  307. 松本操

    松本説明員 先生ただいま御指摘のように、昨年の秋ごろには、はなはだしくそういう現象が起こりました。そこで、私どもといたしましては、米軍に申し入れを行ないまして、単なる訓練のためにフックを使うということをやめてもらったわけでございます。  ただ、艦載機というのは、御承知のようなああいう形でございますので、横風がやや強いとき、あるいは滑走路が雨でぬれておりますときには、まん中を走りにくいという現象があるのだそうでございます。そういう安全上の問題がある、こういうことでございましたので、単なる訓練のためではなく、やむを得ずこれを安全のために使わなければならないときだけに使用するということを米軍に申し入れ、現にそのように運用をいたしております。
  308. 上原康助

    上原委員 では、米軍はそういうフックをかけるような形で、今後も継続して使用していくのですか。そういたしますと、来年の三月までは、まだかなり間がある。一年近くあるんですよ。いまのアメリカ局長の御答弁では、まだそれよりもずれ込んでいく。もういつになるかわかりませんが、そういうことは、私はやはりこの際やめさせるべきだと思いますね。現に管理権は日本側にあるわけでしょう。そこまて痛めつけられて——せっかく予算をかけて整備をしようにも、アメリカの軍用機のそういった訓練によって、どんどん飛行場は破壊されている。そのことが、いろいろな意味民間航空機の離着陸あるいは飛行場管理の面で重大な支障があるということは、皆さん、いろいろな面でも明らかにしてあるんですよ。これは何も秘密文書でもないし、私が那覇空港管理について、どういうあれがあるかと聞くと、いろいろな面で支障があるということを言っているんですよ。  これを運輸大臣、これはアメリカとのことになると、また外務省かもしらぬが、外務省は正直いって、あまりようやってくれませんので、このくらいは——こんなめちゃくちゃに飛行場の滑走路までぶちこわされたら、たまったものじゃないですよ。それは厳重に抗議をするのか、そういう訓練なりあるいは着陸方式というものは、やめさせるよう申し入れる御意思があるのか、今後どうなさるのか、明らかにしていただきたいと思うのです。
  309. 徳永正利

    ○徳永国務大臣 お説のようなこともこれあり、訓練のために使うことはやめさしたわけでございます。
  310. 上原康助

    上原委員 運輸大臣がそこまできっぱり御答弁いただいたのですから、あえてアメリカ局長に念を押す必要もないかと思うのですが、アメリカ側と話し合って、そうやりますね。
  311. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 運輸省のほうから御答弁ございましたように、米側と現地において話し合いの結果、すでに措置はとられている、こういうことでございますので、それを守ってもらいたいというふうに考えております。
  312. 上原康助

    上原委員 那覇飛行場のいわゆる離着陸の頻度の問題、先ほども若干出たんですが、回数の問題などがあるのですが、過去一年なら一年でもいいし、あるいは最近の事例でもいいのですが、米軍機の異常運航というのはどのくらいあったのか。自衛隊機の異常運航というものもあるのかどうか。民間機の異常運航というものもあるのかどうか。そこらについての実態がおわかりでしたら、明らかにしていただきたいと思うのです。
  313. 松本操

    松本説明員 ただいま、それらの数字を手元に持っておりません。
  314. 上原康助

    上原委員 具体的な数字をお持ちでなければ、大体のことでもいいのですが、そういう異常運航があったことはございますね。
  315. 松本操

    松本説明員 軍用機の場合には、航空機自身の性格上の問題もございまして、ちょっとしたことでも、たとえば消防自動車を出すというふうな準備をして、事故が大げさにならないように手配をするということのようでございます。そういう意味において、わりあいに消防車が出動するというケースはあるように聞いております。
  316. 上原康助

    上原委員 これは異常運航も相当数あるんですね。私も新聞なりの記事とかいろいろ調べてみたのですが、一番多いのが米軍機なんですよ。多いときで月に大体十二、三回、少ないときで三、四回。民間機というのはほとんどないのです。あと自衛隊が、F104Jのほうが月に大体一、二回ないし三回、こういう状態。  私は、いまいろいろな実態を申し上げているんですよ。空港の滑走路の整備の問題とかあるいはそういった使用のあり方、離着陸の頻度の問題こういう状態なので、那覇空港というのは、皆さんが当初から言ってこられたように、完全返還にもなっていないし、むしろ軍事的な色彩というものは、復帰前と正直申し上げて何ら変わらない。いまさっきP3の関連においては、その後は滑走路を軍用機が使うことはありませんとはっきり言いましたが、それまでの間においても、もう少しこういった問題は対策を立てていただいて、それなりの措置をやっていただかないと困ると思いますので、そこらについて今後どうなさろうとするのか、異常運航問題を含めて、ぜひ大臣のほうからお答えをいただきたいと思うのです。  ですから、申し上げたいことは、単に航空交通管制がわがほうに移管されたといってみても、実際にああいう三者共用の飛行場であるとか、あるいは空や海域において多くの制限を受けているとか、そういう状態では、空の完全な安全ということは、残念ながら保たれないという実情だけは御理解いただけたと思いますので、そこらについても、先ほども答弁ありましたが、いま一度この種の問題に対しても、どういうふうにやっていかれようとしているのか、あらためてお尋ねをしておきたいと思うのです。
  317. 徳永正利

    ○徳永国務大臣 問題は、米軍機の撤退、移駐、これが原則だろうと思います。先生、不幸にして嘉手納に移転は、御回意いただけないそうで、反対だそうでございますけれども、これも残っているのは、工事をどういうふうに取り運ぶかという問題だけだというように承知しております。したがいまして、原則的には一生懸念に早く進めていくということでございます。  その間におけるいろいろな配慮につきましては、先ほど来間々御答弁申し上げましたように、できるだけの努力を払ってまいりたい、かように考える次第でございます。
  318. 上原康助

    上原委員 ぜひ早目に完全に返還されるように、またわがほうで責任を持って管理ができる権限を含めて——責任だけ与えられて、実行する権限がないとだめなんですよ。そういう面を確立していただきたいと思います。  それで、時間も何かあるようですから、あと一、二点で終えたいのですが、あまり空域の問題だけを話しましたので、今度は働いている方々の待遇問題について、少しお尋ねをしておきたいのです。  特に航空管制業務というのは、それ相応の技術能力が要りますし、また非常に緊張のし通しの仕事だと思うのです。そういう面では、待遇面においても労働条件、そういう面についても、十分な配慮があってしかるべきだと思うのですが、現在改定すべきものはないのかどうか、あるいはまた関係者からはどういう要求などがおもに出されているのか、もしあればお聞かせいただきたいと思います。
  319. 松本操

    松本説明員 先生おっしゃいますように、航空交通管制官というものは、きわめて短い時間に飛行機をさばくという特殊な仕事をしておりまして、しかも、それが安全につながりますので、おっしゃるように、相当高度の訓練が必要でございますとともに、勤務時間中は相当の精神の集中も要求されます。  したがいまして、現在まずその訓練につきましては、航空保安大学校において基本訓練した後に現場でさらに訓練を受け、レーティングをとる、これだけの資格が要求されております。それに見合う処遇という意味におきまして、管制官につきましては、原俸の八%の調整額というものがついておりますほかに、最近累次値上げをしてまいりまして、額はまだ十分とは申し得ないかもしれませんが、四百円から低いほうは二百円程度の管制手当というものがついておるわけでございます。
  320. 上原康助

    上原委員 それだけじゃだめなんですよ。賃金問題というのは、特に夜間手当なんて、最高まだ四百五十円じゃないですか。私がいろいろ調べてみますと、非常にささやかな要求で、私ならもっとたくさん要求するのに、何でこんな控え目なことをおっしゃるかなと思って、幾ぶん疑問を持っているのですが、せめて看護婦手当並みの千円くらいに上げていただきたい。それから、夜の十時から五時までとなっているのを、五時から八時までに時間の延長をしていただきたい、こういうことが言われているわけですね。私は、賃金というのは基本給与表がありますから、そうでたらめ、でたらめというよりは、バランスをくずすわけにはいかないと思うのです、号俸、号級がある以上は。しかし、こういう職場環境で働いている方々の夜勤手当の問題とか、あるいは勤務時間のそういった点については、これは運輸大臣の御努力いかんによっては、できないことでもないんじゃないかという気が私はするんですよ。ですから、夜勤手当の問題とか管制手当については、もう少し、現年度の予算がどうなっているかそこまで調べてございませんが、関係者の意に沿うように改善していただきたい。そのことが、やはり空の安全なり人命を尊重する上での一番基礎になりかねない。その点、努力する御意思があるのかどうかお尋ねしておきたいと思うのです。
  321. 徳永正利

    ○徳永国務大臣 お説のとおりでございます。今日までもいろいろ努力して、全きを期しておりませんけれども、今後もその努力は続けてまいらなければならぬと思っております。
  322. 上原康助

    上原委員 たいへん長くなって恐縮ですが、あと一点だけ。これは空とは直接関係はないのですが、きょう陸海空ともに少しお尋ねしようと思ったのですが、せっかくバスの方をお呼びしましたので、最後に一点だけ。  せんだっての分科会でも、私は沖繩のバスの公的一元化ということと、いわゆる総合的交通体系の整備ということを強く申し上げて、大臣もそれなりに前向きに取り組んでいかれるという決意のほどもお伺いをしましたが、現在、特にバス統合の問題等、いろいろな春闘賃上げ問題なりあるいは来年の海洋博などもからみ合って、たいへん困難をしている状況なんです。御承知のように、鉄軌道というものが全くない。陸上の人員輸送というのは、バスにたよらざるを得ないわけです。  そういう意味で、この件については、きょうは確たる御返事はいただけないと思うのですが、バスの統合問題と今後の交通体系整備については、県側やあるいは関係者にまかすのではなくて、運輸省としてもそれなりの取り組みというもの、行政指導といいますか、あるいは政策的なアプローチ、関係者の意向を聞いてやらないと間に合わない問題じゃないかという気がしますが、この点について、あらためてお尋ねをしておきたいと思うのです。
  323. 中村大造

    ○中村(大)政府委員 バスの問題につきましては、御指摘のように、一元化を含めまして、これからのバス事業のあり方について緊急に、また真剣に検討してまいりたいと思います。  ちなみに、沖繩につきましては、那覇市内の二社につきまして、近く合併の実現の運びになっております。
  324. 上原康助

    上原委員 大臣、いいですね、その点。——閣議があるようですから、まだ残っていますが、これで終わります。
  325. 徳安實藏

    徳安委員長 これにて本案に対する質疑は終了いたしました。     —————————————
  326. 徳安實藏

    徳安委員長 ただいま委員長の手元に、野呂恭一君より運輸省設置法の一部を改正する法律案に対する修正案が提出されております。
  327. 徳安實藏

    徳安委員長 まず、提出者より趣旨説明を求めます。野呂恭一君。
  328. 野呂恭一

    ○野呂委員 ただいま議題となりました運輸省設置法の一部を改正する法律案に対する修正案につきまして、その趣旨を御説明申し上げます。  案文はお手元に配付してありますので、朗読は省略し、その要旨を申し上げます。  原案では、波方海員学校の設置に関する改正規定昭和四十九年四月一日から、那覇航空交通管制部設置に関する改正規定は同年五月一日から、それぞれ施行することとしておりますが、これらを、公布の日から施行することに改めようとするものであります。  よろしく御賛成くださいますようお願い申し上げます。
  329. 徳安實藏

    徳安委員長 これにて修正案についての趣旨説明は終わりました。     —————————————
  330. 徳安實藏

    徳安委員長 これより討論に入ります。  原案及び修正案を一括して討論に付します。  討論の申し出がありますので、順次これを許します。上原康助君。
  331. 上原康助

    上原委員 本設置法の一部を改正する法律案に無条件で賛成するものでないことを、まず明確にしておきたいと思います。  特に、改正点の大きな柱となっている運輸省の地方支分部局として、沖繩那覇市に那覇航空交通管制部設置することでございますが、質疑応答を通じてより明らかになったことは、航空交通管制の全責任と権限をわが国に引き渡すことにならないということを指摘しておきたいと思います。  沖繩周辺の全空域が、何の制限、制約もなくわが国管理下、主権の行使ができることこそ、沖繩県民を含む国民の要求であると判断いたします。しかるに、今回の法改正によって航空路管制は五月十五日以降返還されるにしても、航空交通行政運営の面でのど元はすべて米軍管理、あるいは権限下に置かれる形態に変わりがないことが明らかにされました。沖繩の空の状況を、そのような状態に今後も引き続き置くことは、きわめて不満であり、そのような障害を一日も早く除去すべきものであると思います。  政府が、委員会で法案審議を通じて各委員から指摘され、提起された諸点を十分踏まえて、今後対処していかれることを強く要求し、そのことを期待をして、不本意ながら賛意を表しておきたいと思います。
  332. 徳安實藏

    徳安委員長 中路雅弘君。
  333. 中路雅弘

    ○中路委員 今度の運輸省設置法の一部改正案ですが、日米合同委員会の取りきめである二カ年間の期限、五月十五日が迫っておりますし、運輸省沖繩空域における航空交通管制業務等を引き継ぐ必要から、同省の地方支分部局として那覇航空交通管制部設置するため、五十五条の関係を改正するというものでありますから、このことに限って言えば、いままで二年間空の主権にかかわる問題が米軍管理にゆだねられていたということこそ問題であって、今回の改正によって日本側交通管制業務を行なうというのは当然のことであり、本改正案に賛成するものであります。  しかし同じく日米合同委員会合意によれば、日本国政府がレーダー進入管制業務を行なうまで、暫定的に米国政府那覇空港進入管制業務を実施するということが取りきめられています。このため、今後もなおアメリカ空軍基地嘉手納飛行場によって、那覇空港進入管制が行なわれ続けるということとなり、空の主権と安全は米軍の手にゆだねられていることになります。また、民間空港として完全返還される約束の那覇空港には、いまだにP3対潜哨戒機が居すわり、また、この返還のめども当てにならない現状です。加えて、航空自衛隊が移駐し、空港を共同使用しています。  国の主権と安全を守るためにも、那覇空港米軍使用あるいは自衛隊使用をやめさせること、那覇空港進入管制米軍管理は不当であり、早急に日本側で行なえるよう、このことを強く要望して、本改正案に対する賛成の討論を終わります。
  334. 徳安實藏

    徳安委員長 これにて討論は終局いたしました。  これより採決に入ります。  運輸省設置法の一部を改正する法律案及びこれに対する修正案について採決いたします。  まず、野呂恭一君提出の修正案について採決いたします。  本修正案に賛成の諸君の起立を求めます。   〔賛成者起立〕
  335. 徳安實藏

    徳安委員長 起立総員。よって、本修正案は可決いたしました。  次に、ただいまの修正部分を除いた原案について採決いたします。  これに賛成の諸君の起立を求めます。   〔賛成者起立〕
  336. 徳安實藏

    徳安委員長 起立総員。よって、本案は修正議決すべきものと決しました。     —————————————
  337. 徳安實藏

    徳安委員長 なお、ただいま議決いたしました法律案に関する委員会報告書の作成につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  338. 徳安實藏

    徳安委員長 御異議なしと認め、さように決しました。     —————————————   〔報告書は附録に掲載〕     —————————————
  339. 徳安實藏

    徳安委員長 午後五時より委員会を再開することとし、この際、暫時休憩いたします。    午後四時七分休憩      ————◇—————    午後五時六分開議
  340. 徳安實藏

    徳安委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  在外公館の名称及び位置並びに在外公館に勤務する外務公務員の給与に関する法律の一部を改正する法律案を議題といたします。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。吉田法晴君。   〔委員長退席、加藤(陽)委員長代理着席〕
  341. 吉田法晴

    ○吉田委員 先般、私は、この法律に関連をして質問をいたしましたあと、予算の分科会がございましたから、私自身は中座をしたのですが、あと藤尾委員からの質問がございまして、中江参事官から答弁がありました。そのときに大臣が横にすわっておられまして、聞いておられたと思うのです。私の質問は、地図の問題に関連をして、日中共同声明が調印をされて、二つの中国はないという立場をおとりになったら、地図が色が違っておったら、これは教科書どおり使われておったらぐあいが悪いではないか、二つの中国は、政府立場からいってもあり得ぬではないかという質問を申し上げて、大体、共同声明の精神に従った大臣と中江参事官にも御答弁を願ったんですが、そのあと、藤尾委員の質問に答えて違った答弁がなされておりますので、あらためてお伺いをする次第であります。  日中航空協定の国会提出もおきまりになったということですから、ざっくばらんにお尋ねをしてもよかろうかと思うのですが、問題の中江参事官の最後の答弁、ごらんくだすったと思うのですが、前半は、私に対する答弁と同じでおります。「先ほど私が御答弁しました質問は、中国のところの国名が、中華民国となったままになっておる点を指摘されたのが妥当でないかという質問に対して、私、お答えをいたしたわけでございまして、台湾−及び膨湖諸島につきましては、これはサンフランスコ条約で明らかなわが国立場、最終的にはポツダム宣言第八項の立場を堅持するということで、日中共同声明におきましても確認された、その立場に変わりはないわけでございまして、台湾、膨湖諸島について、日本政府として、」、そこまでは、まあけっこうですが、その次、いまから読みますところが問題のところであります。「台湾、膨湖諸島について、日本政府として、それがどこに帰属すべきものか、あるいはどういうふうな表示をするかということについて、国際法上の帰属を意味するような表示というものは慎まなければならないというのが日本政府立場だ、こういうふうに思っております。」、こういう答弁がございました。  それから問題は、直接中江参事官の発言ではございませんが、福岡から青年の船が中国に参りました。その青年の船に乗ってまいります何百名でございましたか、百五十名ぐらいであったかと思いますが、その青少年に中国課のある課員の方が、福岡市の要請に応じて行って講演をされました。その講演の内容の問題について東郷事務次官にお目にかかりました。そのときに中江参事官のことばを取り上げて、同じような考えが外務省に残っておるのではないか、二つの中国論が残っているのではないかということで、引き合いに出してお尋ねいたしましたときにも、大体、中江参事官がここで言われたようなことを事務次官も触れられました。それだけに問題は、ここでの私に対する答弁と藤尾議員に対する答えとが違いますのは、これは重大な問題だと思いますので、あらためてお尋ねをするわけであります。   〔加藤(陽)委員長代理退席、委員長着席〕 おわかりになっていただけると思うのです。それで、そのとき事務次官に会って感じましたのは、あの日中共同声明で、中国を代表する政府は中華人民共和国政府だけしかない。台湾が中華人民共和国の領土の一部であるという中国側の主張に対して理解を示した。理解を示したというのと、そういう立場をとるかどうかということは、別問題というぐあいに考えられておるのではないかと私は感じたわけであります。  したがって、外務大臣の答弁は問題はございません。問題はなかった。問題はなかったが、中江参事官の答弁の後半については、これはやはり問題がございます。このときの答弁趣旨を、東京新聞が大きく取り上げて書きました。その書き方は、少し誇張があったかと思いますけれども、その後速記録を取り寄せてみても、前半はとにかく、後半はこれは私に対する答弁とは違います。私が質問をしたら、共同声明の精神そのまま答弁があった。藤尾議員から質問をされると、また藤尾議員に適した答弁があるというのでは、私はやはり問題があろうと思う。国際的な関係だけに、あらためて大臣の明確な答弁をいただきたいと思います。
  342. 松永信雄

    ○松永政府委員 三月五日の本内閣委員会におきます御質問に対する政府側の御説明ということにつきましてお尋ねがございましたので、私から、一応この問題につきまして、包括的なお答えを御説明させていただきたいと思います。  わが国は、過去においては、中国という国家を代表するものといたしまして中華民国政府を正統政府であると認定する立場をとっていたわけでございますけれども、七二年九月の日中共同声明第二項によりまして、わが国は中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であるということを承認したわけでございます。これは中国という国を代表する政府として、それまで中華民国政府というものを承認していた、それに取りかわって中華人民共和国政府を承認するという趣旨でございまして、いわゆる国際法上の政府承認を与えたということであると存じております。その結果、わが国といたしましては、中華人民共和国政府を承認いたしました時点以降、台湾においては中国を代表する政府というものはない、またわが国から見ます限り、台湾という地域に、国際法上の主体としての国家あるいはそれを代表する政府の存在というものを認めるものではないということになったわけだと存じております。  そこで、共同声明には、さらに第三項におきまして、「台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部である」との中華人民共和国政府立場、この立場わが国が「十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する。」ということが書いてあるわけでございますが、このことにつきましては、わが国はサンフランシスコ条約に基づいて台湾に対する一切の権利を放棄しておりますので、台湾の法的な地位について認定を行なう立場になく、したがいまして、中華人民共和国政府の主張というものを積極的に承認するという立場にはないと考えられます。  しかしながら、この立場を十分理解し、尊重するということでございますから、台湾地域について中華人民共和国の実効的支配が及んでいないという事実は踏まえながらも、その中華人民共和国政府立場に異議を唱えたり、あるいは台湾という地域に新しい国家としての承認を与えるというようなことはしないということが、この日中共同声明の第三項というものの解釈から出てきますところの当然の帰結であろうと存じているわけでございます。  そこで、先ほど御指摘がございました中江次長の御説明の中で、地図の問題につきまして、台湾、膨湖諸島について、国際法上の帰属を意味するような表示というものは慎まなければならないというのが、日本政府立場でありますという説明をしておりますが、この意味するところは、私がいま申し上げましたごとく、台湾、膨湖諸島の地域の法的地位について、わが国といたしまして積極的にこれを認定する立場にないということを御説明申し上げたものである、こういうふうに了解しているわけでございます。
  343. 吉田法晴

    ○吉田委員 中江参事官の答弁説明を、いま条約局長にいただいたわけであります。私は、問題は政治的な問題だと思うし、条約局長は、そのときに横にはおられませんでしたが、大臣がすわっておられて、私への答弁には、大臣が最初答弁を願って、あと参事官の答弁を願った。  そこで、私としては、私に対する答弁と藤尾議員に対する答弁とは違っておると思いますから、大臣にお尋ねをしておるわけであります。問題は、法律的な解釈もございますけれども、いわば政治的な見解として外務大臣としてどう考えられるか。それから、そのことと、いまと同じような趣旨説明を事務次官もされました。これはあとで、どの程度に引き合いに出しますかはわかりませんけれども、東郷事務次官に会いましたのは、中江参事官の答弁のことで参ったのではなくて、福岡の青年の船に乗って中国を訪問いたしました青少年に対して、中国課員の人が話をした、その話の問題で事務次官に会いましたときに、中江参事官と同じような意見を述べられましたから、外務省の中に同じような意見がある。そうすると、私に対する答弁がほんとうなのか、あるいは藤尾議員に話をされたのがほんとうなのか、あらためてお尋ねをしたいというのが、今日の質問の趣旨であります。  それだけに、条約局長は、条約を法律的な、共同声明は共同声明の法律的な解釈をされます。日中共同声明を調印されて、その日中共同声明の実施の一場面として、航空協定について大平大臣が合意に達してこられて、それを批准する云々ということで今日提案をされるわけでありますが、その大平大臣の日中共同声明に調印をせられました立場からする解釈というものが、今後の外務省をリードしてまいることでありましょう。外務省の中にあります考え方というものが、法的に説明するといまのようなことなのかもしれませんけれども、これは、たいへん大事な問題だと思いますだけに、大臣の御答弁をお願いするわけでございます。
  344. 大平正芳

    ○大平国務大臣 わが国歴代の政府は、中国は一つであるという立場を終始堅持してまいりました。すなわち中国は二つではない、あるいは一つの中国と一つの台湾でもない、中国は一つであるという立場を終始貫いてまいったわけでございます。そういう立場、これは政治的立場でございますが、それが一昨年の共同声明発出にあたりまして、具体的にどのようにあらわれてまいったかというと、共同声明第三項にうたわれておるとおりの立場を内外に表明し、日中両国もこれを確認いたしたわけでございます。  この立場は、一事務官の国会答弁で変えられるべき性質のものではないのであります。私ども、この立場を釐毫もおかすことのないようにやってまいらなければならぬわけでございます。いま、アジア局の中江君あるいは一事務官の出張先における講演というものが問題になったわけでございますけれども、人間の未熟な表現がございましたり、あるいは必ずしも十分といえない表現がございまして、誤解を招くようなことになっておりますことは、私はたいへん遺憾に存じます。吉田先生おっしゃるとおり、最も基本的な問題でございますので、こういう問題につきましては、慎重の上にも慎重な立場で、それが最高の機関である国会においての答弁はもとよりでございますけれども、われわれが日常の公的活動を通じまして、終始周到な配慮をしていかなければならぬ義務があると考えておるわけでございます。  そういう意味で、国会の答弁あるいは党におきまして一部十分でない、意を尽くしていない、あるいは未熟な表現というようなものがございます点については、大臣といたしまして、私なりに遺憾の意をこの機会に表明さしていただきます。しかし、こういうものによって、わが国の対中国政策の基本が釐毫もゆるぐわけではないわけでございますので、このことにつきましては、十分の御理解と御信頼をちょうだいいたしたいと思います。
  345. 吉田法晴

    ○吉田委員 外務大臣としては、一つの中国を日中共同声明で確認をして、その他のどういう事務官なりあるいは参事官にいたしましても、もし違った答弁があるとするならば、これは政府の方針ではないという明言がございましたから了承いたします。了承いたしますが、私が接触したところでは、なおやはり昔の立場が残っておるやに感じます。これは間違いかもしれませんけれども、ここはこまかいやりとりをする場でもないと思いますから省略いたしますが、十分いまの言明の点を省内には徹底いただきますように。そのことが、いろいろな点であらわれてまいります。そのあらわれたところは、ここで指摘をすることはいたしません。いたしませんけれども、十分御指導を願いたいということをお願いをして、この問題については質問を終わります。  たいへん恐縮ですけれども、質問の機会を与えられましたので、もう一つ、心配をしております問題についてお尋ねをいたします。これはアジアの関係ですが、私は、かねてから、アジアの平和のためには、あるいはアジアの諸民族の平和共存のためには、中国と日本とを中心にした、日中を軸にしたアジアの関係が共同声明のように確立さるべきだと思うものだから、まあ派生をしてお尋ねをいたします。  それは、最近の韓国における日本学生の逮捕の問題に関連をしてであります。あの金大中事件の際に、大臣としてははっきり言明をされました。そうしてまた、当時の法務大臣あるいは関係の各大臣から、原状に回復されることが望ましいことだと言われた。ところがそのままになっておる。私どもは、日本立場が初めからはっきりしておったならば、その後の混迷はなかったと思うのであります。今度の場合も、まだ金大中事件も原状回復されておりませんで、事件が起こりましたから、いろいろ意見が述べられております。この際に、外務大臣の所見を承ることができれば幸いだと思います。
  346. 大平正芳

    ○大平国務大臣 最近起こりました、ソウルにおける二名の日本人が惹起いたしました問題についての御質問でございます。この問題につきましては、事件発生以来、東京及び現地を通じまして、まず第一は、真相をなるべく早く掌握したいということ、それから日本人でございますから、日本人の保護に欠くるところがあってはならぬということ、そしてこのお二人の方の処理にあたっては、人道的な立場で御処理いただかなければならぬ、そうしてこの事件は、日韓関係の現状及び将来を考えまして、迅速かつ公正な解決をはからなければならぬということを基本にいたしたして、韓国政府との間に接触を続けてまいったわけでございます。  しかしながら、この事件は、当初早期な解決ができるのではなかろうかというような、双方にそういう感じがあったのでございますけれども、その後新たな事実が判明いたしたようでございまして、それに関連いたしまして、問題がやや拡大を見つつあるという状況に、非常に憂慮を覚えておるわけでございます。  私どもといたしましては、まず事実を早く確かめなければならぬし、それを踏まえた上で、公正かつ人道的な措置を講じまして、日韓関係にそごを生じることのないようにということを念願しながら、いま鋭意先方との接触につとめておるわけでございます。ちょうどこの時間、五時半には後宮大使と先方の金外務大臣との間の会談が持たれることになっておるわけでございますので、本件につきまして、私が確実な事実を基礎にいたしまして、またいろいろな韓国内における法令等との関連、そして外国人とそういう韓国の法制との関連、そういった問題につきまして十分検討を逐げた上で、正確な御答弁を申し上げないといけないと思っておるわけでございまして、いま鋭意接触を先方と持ちまして、事態の究明に当たっておるわけでございます。  しかし冒頭に申し上げましたように、早期に公正な解決をはかりたいということ、それから本人たちにつきましては、十分人道的な処理をしていただかなければならぬということ、そして近親との面会であるとかあるいは弁護士をつけるとかその他のいろいろな問題につきまして、大使館当局をしていろいろ手配をし、先方との話し合いの中でいま道をつけつつある状況であることを申し添えまして、この段階における模様を御報告申し上げることで、御答弁にかえさせていただきたいと思います。
  347. 吉田法晴

    ○吉田委員 韓国問題については、金大中事件以来はっきりしませんから、ぜひはっきりさせていただくように要望だけして、終わります。
  348. 徳安實藏

  349. 上原康助

    上原委員 時間がなくて何をお尋ねしていいか迷っているのでありますが、一点だけ、法律と関係のある点をお尋ねしておきたいと思うのです。  提案されております在外公館設置と、そこに勤務する職員の給与の改定の件なんですが、新しくベトナム民主共和国、ドイツ民主共和国に在外公館設置するということには賛成しますし、また同時に、在外公館におつとめの職員の方々の給与も、それ相応に改善をしていかなければいけないという理由も理解をします。  そこで、この改定は、現在、在外公館の名称及び位置並びに在外公館に勤務する外務公務員の給与に関する法律の第七条、調査報告書というのがあります。この調査報告書に基づいてなされたものなのかどうかという点が一つ。  それと、在外の日本人学校につとめる職員の給与の改定というのは、これとは関係ないのか。在外公館の職員の給与を改定する、上限二五%のワクでやりたいということであるならば、当然、在外の日本人学校の職員のそういった給与改定についても、あわせて考えなければいけない点だと思うのですが、そこら辺については、どういう考えを持っておられるのか明らかにしていただきたいと思います。
  350. 鹿取泰衛

    ○鹿取政府委員 いま御提案しております在外公館の名称及び位置並びに在外公館に勤務する外務公務員の給与に関する法律の一部を改正する法律案におきまして、御審議をお願いしております在外の外務公務員の給与につきましては、先生指摘のように、そのもとの法律の第七条に規定してございます、在外公館長が定期的に行ないます調査報告書に基づいてきめたものでございます。  第二の問題、すなわち在外公館員でない在外の日本人学校に勤務されております先生の給与につきましては、この法律は直接適用がございませんで、法的には別の規定になるわけでございますけれども、しかし、在外公館の職員について給与の改定を要します事情は、大部分在外の学校の先生たる職員につきましても当てはまるわけでございますので、在外公館員の給与を改定いたしますときに、やはりそれと同じような給与の改定を、予算でお願いするということにしております。
  351. 上原康助

    上原委員 この法律と直接関係ないが、在外の日本人学校の職員の給与についても、それなりに改定をしていく準備があるという受け取り方でいいわけですね。  それと、例年この七条に基づく調査報告というのは、的確になされておりますか。
  352. 鹿取泰衛

    ○鹿取政府委員 先生の御指摘になりました第一の点につきましては、法律の適用がそのままございませんので、そのまま全く同じように、先生についても改定を行なうということはできませんが、大体それに準じて、在外の先生方の給与が不当に低くて生活がお困りにならないような配慮をしていく、そういうことで毎年予算要求でもってその改定をはかっているわけでございます。  それから、第二の問題でございます調査報告書につきましては、先生のおっしゃいましたとおり、在外公館からこの法律に基づく条項につきまして定期的に参っております。
  353. 上原康助

    上原委員 いま指摘したことを、ぜひやるように要望しておきたいと思います。  そこで外務大臣、だいぶお疲れでしょうが、あと問題がたくさんあるので、お尋ねするのも心中察して、ちょっと気がひけるのですが、時間の範囲で二、三点質問させていただきたいと思います。  これは、すでに国会でも議論されましたし、新聞でも、特に現地のほうは大きくこれまで扱われてきているわけですが、何ぶん問題が広範囲にわたりますので、きょうは一、二点だけ確かめておきたいのです。  例の、去る一月三十日に合意を見た、いわゆる基地返還の中に、安波訓練場と北部訓練場の返還というのも入っております。そこで、例の四つのダムの件なんですが、安保協議委員会で発表された中では、いわゆるある程度の条件つき返還であるということは、私たちも発表を見て理解できたんですが、だんだん明らかにされていく中で、ダム建設後は、米軍がそのダムも軍事演習場として引き続いて使うのだ。これは全く寝耳に水で、県民に大きなショックを与えているわけですね。一体どういう経緯で、そういう条件つき返還になったのか。事、人命にかかわる飲料水、たとえ福地ダム以外は、多目的ダムの建設が目的であるにしても、大かたは飲料水に利用される。また活用しなければいかないという状況下の中で、このような取りきめをやるということは、あまりにも人道上の面からしても、政治的な面からしても、国際間の取りきめにいたしましても、私たちは常道を著しく逸脱をしているものだといわざるを得ないわけですね。そういう意味で、なぜ、そういう結果になったのかという点をまず、ひとつ明らかにしていただきたいと思うのです。
  354. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 北部訓練場並びに安波訓練場は、沖繩返還の際に地位協定に基づいて米側に提供をいたしたわけでございますが、その後、昨年来、沖繩施設、区域の整理統合の交渉を米側といたしますにあたりまして、北部訓練場あるいは安波訓練場の問題についても、米側と話し合ったわけでございます。一方、日本側といたしましては、この地域に多目的のダム建設ということが、沖繩の開発計画との関連におきまして前々からあったわけでございまして、そこらの点も前提といたしまして、米側との折衝が行なわれたわけでございます。  そこで、ことしの一月三十日の第十五回安保協議委員会におきましては、この二つの訓練場につきまして、貯水池予定部分とその周辺区域は日本側に返還、その他の部分は、地位協定二条四項(b)に基づいて使用を米側に認めるということについての原則的な合意ができたわけでございまして、米側に対しまして、供同使用の形で使用を認めますのは、ダム建設後の水面でございまして、ダム並びにそれの管理事務所等の部分は、ダムの建設後は日本側に返還されるということになっております。  また、水面の使用につきましては、ただいま御指摘のございましたような汚染の防止につきましては、米側に対して十分注意をし、また米側の使用につきましては、その面における使用条件を付しまして、この使用を認めることにしておるわけでございます。
  355. 上原康助

    上原委員 いとも簡単に、汚染防止の対策をする条件で使用させるということをおっしゃるわけですが、これは、どう考えたって疑問が残りますし、また、そういう基地使用というのを、基地の返還のあり方もないし——少なくとも公害対策、公害防止なり水質汚濁防止なり飲料水なり、ダムの安全管理ということが、最も配慮されなければいかないということは、水道法や河川法あるいは水質汚濁防止法、もちろん水質汚濁防止の場合は、直接は関係ないにしても、常識的に考えても、そういうことは言えると思うんですよ。  時間ありませんから……。この申し入れというのは、一体、米側から当初あったわけですか。ダムを建設後返還する、あるいはダム建設後は、こうこういう軍事演習をさせてもらいたいという条件は、一体どこからどう出されたのか、そこいらについても、明確にしておいていただきたいと思うんですよ。
  356. 奈良義説

    ○奈良説明員 御説明いたします。  先ほど大河原局長が御説明になりましたように、安保協議委員会の協議とは別に、ダム建設という具体的な処理のために、施設分科委員会で返還ないし共同使用のお話をしていたわけでありますが、ダムができたあと水面を、そういう条件で使わせてほしいというのは、米側からの要求でございました。
  357. 上原康助

    上原委員 米側からの要求は、具体的にどういう内容なんですか。
  358. 奈良義説

    ○奈良説明員 軍がダムの水を、飲料水として飲むための浄化訓練ということと、それからこの水面を利用しての渡河訓練等でございます。
  359. 上原康助

    上原委員 渡河訓練等の等は何ですか。どういうことですか、全部あげてください、アメリカ側がはっきり言ったことは。そんな、飲料水を浄化訓練するなんというのはごまかしですよ。
  360. 奈良義説

    ○奈良説明員 米側からの要求がありました中で、われわれもやむを得ないというふうに判断いたしまして、長い交渉の結果、認めざるを得ないと判断いたしましたものが、浮き橋の建設、湖面に浮き橋を建設いたしましてそれを利用する、それから渡河訓練を行なう、それから小さな舟等を操作する、そういう訓練を行なう、それから波乗り訓練、それから水陸両用車両の利用法について兵員を訓練する、それからヘリコプターによる空海の救難作業等でございます。
  361. 上原康助

    上原委員 大臣、いまお聞きのように、一体ダムでこういう訓練が許されていいのかどうかという疑問は、お持ちにならないのですか。浮き橋を建設をする、それから渡河訓練をやる、小船艇の操作、波渡り、水陸両用の——これは水陸両用の何を使うんですか、戦車でしょう。水陸両用の戦車なりがダムをかき回した場合に、一体どうなるかということぐらいは、もう常識で考えても結果はわかると思うんですね。   〔委員長退席、野呂委員長代理着席〕  しかも心理的に心情的に、県民やこのダムを利用する人々に与える影響というのも、あまりにも重大だと思うのです。これだけ出されて、なおかつその条件を認めざるを得なかったという防衛庁、防衛施設庁あるいは政府の、私はその感覚をほんとうに疑わざるを得ないわけですね。こういう前例というのはないわけでしょう。しかも福地ダムは、いつから建設が始まったんですか。福地ダムは復帰前から建設はやっているんです、やってきた。建設する段階ではそういう条件なんか全然ない、私が調べた限りにおいては。なぜ、新しいいまの段階において、沖繩の基地を一〇%近くも返しましたなんて大々的に報道はしておって、ダムをつくるという段階で、あとでは戦車で踏み荒らす、ゲリラ作戦はやる、そんな基地の返し方が一体ありますか。これじゃあんまりですよ、大平大臣。もう少しここいらは考えていただかないと、納得できないと思いますね。  いまあげられたことに対して再検討をしていただきたい。こういう条件なら、返されても、それはむしろ迷惑するかもしらぬ。これは文書で取りかわしてあるわけですか。いま言う使用条件とか、あるいは米側がどういう訓練をしたい、こういうのを含めて、大臣の見解を私は明確に求めておきたいと思うのです。
  362. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 米軍が、このダム地域を使用する目的につきましては、先ほど施設庁のほうから御答弁があったと思われるのでございますが、その使用にあたりましては、日本側としましては、米側と話し合いの結果、水中爆破は一切行なわない、あるいは恒久の建造物はつくらない、仮設の建造物は使用が終わったら直ちに撤去する、あるいは貯水池の汚染防止には万全の措置を講ずる、こういうふうな条件を付しているわけでございます。  したがいまして、米軍が、先ほど来御説明がありましたような使用目的に、これらのダム水面を使います際にも、いま申し上げましたような条件が付せられておるわけでございます。米軍が使うことによりまして水質汚染が発生する、あるいはその水を使用する地元の人たちの衛生上の問題が起きるというふうなことにはならないように、万全の措置を講ずるということになっておるわけでございまして、将来ダムの建造が終わりまして、二条四項(b)の使用が行なわれます際にも、日本側といたしましては、十分その点の確保には努力をしているつもりでおります。
  363. 上原康助

    上原委員 ベルが鳴りましたが、これは、もうこの短い時間ではとても十分議論できない問題なんですね。  あなたは、万全の対策を講ずるようになっているのだ、じゃ、アメリカ側がどういう万全の措置をするのか、どういう汚染防止対策をやるのか、そういう条件については、具体的に文書で何か取りきめがあるんですか。
  364. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 ダムの建設が終わりまして現実の使用が始まりますのは、まだかなり先のことでございまして、合同委員会合意をいたしましたのは、使用の目的と使用の条件でございます。使用の条件につきましては、ただいま御説明いたしたようなことでございまして、貯水池の汚染防止等についての万全の措置ということにつきましては、ダムの建設の後、また現実にこれが使用されます段階におきまして、十分その点の確保をはかっていきたいと考えております。
  365. 上原康助

    上原委員 それは話し合うということではだめなんですよ、将来だって。こんなあなた、ことばはきたないかもしれませんが、アメリカがゲリラ作戦をして、くそたれようが小便しようがダムヘじゃんじゃん流す、その水を飲めというのと同じじゃないですか。そこまでは日本政府はやってもらいたくない。けさもいろいろ問題になりましたが、航空管制にしたってそうなんだ。なぜ、そこまでやらなければいかないかということを私は問題にしているんだ。あなたの感覚を疑いたい。  大臣、きょうは時間がありませんが、こういうことに対しては改める御意思はないのですか。これは人命にかかわるきわめて重要な問題なんですよ。水中爆破はやらぬから、あとは何でもいいんだということじゃ納得できませんよ。これに対して、あらためて米側と話し合ってもらいたい。もう屋良知事をはじめ全部反対しているでしょう。だれだって反対しますよ。あなただって、自分の飲み水が軍事訓練で汚染されるかもしらない、そういう条件をつけられて、快くやむを得ないと思う人がおりますか。そういったことを根本的に改めない限り、沖繩の軍事優先の実態、アメリカの言いなりにもうどうでもなるんじゃないですか、こういうことにされたら。そこはきっぱりと改めていただくということができるのかどうか、きょうはその大臣の決意だけ伺って、この問題については、私はあらためていろいろな角度から問題提起をしながら、議論をしていきたいと思うのですが、大臣の御答弁を求めておきたいと思います。
  366. 大平正芳

    ○大平国務大臣 上原さんに申し上げることは、釈迦に説法でございますけれども、われわれは沖繩にございまする基地は、沖繩の開発計画を進める上におきましても、たいへんな重荷になっていると思うわけでございまして、これを鋭意民生のために、軍事上の目的が許す限りにおきましては、解放してまいるという基本の方針を持って進んでおるわけでございます。つまり、どういう寸土でございましても、これを返還願うものは願っていきたいという気持ちで一ぱいなんでございます。  いま御指摘訓練場でも、この訓練場をお返しいただいて、そこであなたの言われる飲料水のダムあるいは多目的のダムをつくるということで、民生の開発に役立とうということを念願しておるわけでございますから、そこで、軍事目的とどのように調和していくかということが現実の課題なんでございます。しかし、軍事目的に使いましても、それが人命にかかわる、人の健康にかかわるというようなことになりますと、あなたの御指摘のとおり、これは許せないことだと思うのでございます。さればこそ、使用条件といたしまして、幾つかの条件を先方に提示し、先方もそれを了承して、汚染防止のため万全の措置を講ずるということでございまして、あなたの御心配のないようにすることによって、軍事目的との調和をはかりながら、基地を漸次民生用に変えていくというような努力を、私どもは鋭意やってまいらなければいかぬと考えているわけでございます。  しかし、これからいろいろ御論議もいただき、あなたの御意見も十分拝聴いたしたいと思います。汚染防止のための措置というようなものをどのようにやってまいるか、そして、それの安全保障がどのように確保されるかという具体的な問題として御検討いただき、御論議をいただきまして、私どもといたしましては、この基地対策というものにつきまして十全の配慮を、今後とも鋭意続けてまいりたいと考えております。
  367. 上原康助

    上原委員 きょうは時間がありませんから、またいずれ機会を改めてお尋ねもしたいと思いますが、まだいまの大臣の御答弁では、再考慮の余地があるかのような印象も受けます。しかし事は、重大な問題であるという点だけあらためて指摘しておいて、きょうはこの程度にとどめておきたいと思います。
  368. 野呂恭一

    ○野呂委員長代理 次回は、来たる五月七日火曜日、午前十時理事会、十時三十分より委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。    午後五時五十八分散会