運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1974-03-28 第72回国会 衆議院 内閣委員会 第16号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十九年三月二十八日(木曜日)     午後三時三十六分開議  出席委員    委員長 徳安 實藏君   理事 加藤 陽三君 理事 小宮山重四郎君    理事 中山 正暉君 理事 服部 安司君    理事 上原 康助君 理事 大出  俊君    理事 中路 雅弘君       越智 伊平君    大石 千八君       笠岡  喬君    近藤 鉄雄君       竹中 修一君    藤尾 正行君       三塚  博君    吉田 法晴君       和田 貞夫君    鬼木 勝利君       鈴切 康雄君    受田 新吉君  出席国務大臣         法 務 大 臣 中村 梅吉君         国 務 大 臣         (防衛庁長官) 山中 貞則君  出席政府委員         防衛政務次官  木野 晴夫君         防衛庁参事官  大西誠一郎君         防衛庁参事官  長坂  強君         防衛庁長官官房         長       丸山  昂君         防衛庁防衛局長 久保 卓也君         防衛庁人事教育         局長      高瀬 忠雄君         防衛庁経理局長 小田村四郎君         防衛施設庁長官 田代 一正君         防衛施設庁施設         部長      平井 啓一君         防衛施設庁労務         部長      松崎鎮一郎君         法務大臣官房長 香川 保一君         法務省民事局長 川島 一郎君         法務省入国管理         局長      影井 梅夫君         外務省アメリカ         局長      大河原良雄君         水産庁長官   内村 良英君  委員外出席者         労働省労働基準         局監督課長   岸  良明君         労働省職業安定         局業務指導課長 加藤  孝君         内閣委員会調査         室長      本田 敬信君     ————————————— 本日の会議に付した案件  法務省設置法の一部を改正する法律案内閣提  出第一七号)  防衛庁職員給与法の一部を改正する法律案(内  閣提出第三〇号)      ————◇—————
  2. 加藤陽三

    加藤(陽)委員長代理 これより会議を開きます。  本日は、委員長が所用のためおくれますので、委員長が御出席になるまで、指名により私が委員長の職務を行ないます。  法務省設置法の一部を改正する法律案議題といたします。  本案につきましては、去る二十六日、すでに質疑を終了いたしております。     —————————————
  3. 加藤陽三

    加藤(陽)委員長代理 ただいま委員長手元に、小宮山重四郎君外四名より、自由民主党日本社会党日本共産党革新共同公明党及び民社党各派共同をもって、本案に対する修正案提出されております。
  4. 加藤陽三

    加藤(陽)委員長代理 提出者より趣旨説明を求めます。小宮山重四郎君。
  5. 小宮山重四郎

    小宮山委員 ただいま議題となりました法務省設置法の一部を改正する法律案に対する自由民主党日本社会党日本共産党革新共同公明党及び民社党各派共同提案に係る修正案につきまして、その趣旨を御説明申し上げます。  案文は、お手元に配付してありますので、朗読は省略し、その要旨を申し上げます。  原案では、入国管理事務所出張所名称及び位置は、法務省令で定めることとしておりますが、これを現行法どおり法律で定めることとし、これに伴い、省令設置することとしている福岡入国管理事務所伊万里出張所法律に明記するとともに、昭和四十九年四月一日から施行することとしている東京法務局組織の改廃に関する改正規定は、公布の日から施行することに改めようとするものであります。  よろしく御賛成くださいますようお願い申し上げます。
  6. 加藤陽三

    加藤(陽)委員長代理 これにて修正案についての趣旨説明は終わりました。     —————————————
  7. 加藤陽三

    加藤(陽)委員長代理 これより討論に入ります。  原案及び修正案を一括して討論に付します。  討論申し出がありますので、これを許します。中路雅弘君。
  8. 中路雅弘

    中路委員 ただいま議題となっています法務省設置法につきまして、修正案賛成立場で一言討論さしていただきたいと思います。  従来から、入国管理事務所出張所設置等は、設置法改正によって、そのつど行なわれてきました。そして、この出張所新設や廃止を国会審議にかけることで、実際の業務の対応あるいは入管業務などは、支障を来たすようなことにはなっていなかったわけであります。これは最も増加の著しかった昭和四十二年から四十八年まで、三十八カ所の同出張所新設されていますが、そのつど、設置法改正によって行なわれてきていることから見ても明らかであります。   〔加藤(陽)委員長代理退席委員長着席〕  入国管理事務所出張所新設などを国会審議にかけず、省令で定めることは、政府がかってに機構改革を行ない、国会審議権を軽視することにもなります。また国家行政組織法のなしくずしの実施、いわば、その法務省版ともいえるものであると思います。そして、このことが他者の場合に波及される危険性からも、とうてい賛成できるものではありません。  今回の修正案では、原案における入国管理事務所出張所名称及び位置法務省令で定めるという規定を取りやめ、四十九年度において設置が必要とされている伊万里市に出入国管理事務所出張所設置することを明記する修正でありますので、ここに修正案賛成するものであります。  以上で討論を終わります。
  9. 徳安實藏

    徳安委員長 これにて討論は終局いたしました。  これより採決に入ります。  法務省設置法の一部を改正する法律案及びこれに対する修正案について採決いたします。  まず、小宮山重四郎君外四名提出修正案について採決いたします。  本修正案賛成諸君起立を求めます。   〔賛成者起立
  10. 徳安實藏

    徳安委員長 起立総員。よって、本修正案は可決いたしました。  次に、ただいまの修正部分を除いて原案について採決いたします。  これに賛成諸君起立を求めます。   〔賛成者起立
  11. 徳安實藏

    徳安委員長 起立総員。よって、本案修正議決すべきものと決しました。     —————————————
  12. 徳安實藏

    徳安委員長 ただいま修正議決いたしました本案に対し、小宮山重四郎君外四名より自由民主党日本社会党日本共産党革新共同公明党及び民社党各派共同をもって附帯決議を付すべしとの動議提出されております。  提出者より趣旨説明を求めます。小宮山重四郎君。
  13. 小宮山重四郎

    小宮山委員 ただいま議題となりました自由民主党日本社会党日本共産党革新共同公明党及び民社党各派共同提案に係る法務省設置法の一部を改正する法律案に対する附帯決議案につきまして、提案者を代表してその趣旨を御説明申し上げます。  まず、案文を朗読いたします。    法務省設置法の一部を改正する法律案に対する附帯決議(案)  政府は、近時における登記事務の激増に対処するため、すみやかに登記事務に従事する職員の増員に努めるべきである。  右決議する。  本案趣旨につきましては、先般来の当委員会における質疑を通じて、すでに明らかになっていることと存じます。  よろしく御賛成くださいますようお願い申し上げます。
  14. 徳安實藏

    徳安委員長 本動議について採決いたします。  本動議賛成諸君起立を求めます。   〔賛成者起立
  15. 徳安實藏

    徳安委員長 起立総員。よって、本案に対し附帯決議を付することに決しました。  この際、中村法務大臣から発言を求められておりますので、これを許します。中村法務大臣
  16. 中村梅吉

    中村国務大臣 ただいまの附帯決議につきましては、その御趣旨を尊重し、御趣旨に沿いまするよう一そう努力をいたしたいと思っております。     —————————————
  17. 徳安實藏

    徳安委員長 なお、ただいま議決いたしました法律案に関する委員会報告書の作成については、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  18. 徳安實藏

    徳安委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。     —————————————   〔報告書は附録に掲載〕      ————◇—————
  19. 徳安實藏

    徳安委員長 次に、防衛庁職員給与法の一部を改正する法律案議題といたします。  質疑申し出がありますので、順次これを許します。大出俊君。
  20. 大出俊

    大出委員 先般の職員給与法をめぐります質問にあたりまして、後ほど御回答をいただくというような形で終わっております点が三つほどございますので、その点についてのみ御答弁をいただきたいのでありますが、最初に、先般、閣内の一員であるというお立場山中長官から、ソビエト漁船をめくります——たいへん件数が多うございましたが、海上保安庁が発表いたしました、そのための日本漁船に与えた被害漁網が切られたというところから始まりまして、幾つもございましたが、新聞で拝見をいたしますと、長官閣議等で御発言をいただきました。また閣議で一つの申し合わせになったように仄聞をいたしますが、実は関係漁業組合方々が大挙、陳情書を持ってお見えになりました。「ソ連漁船団によるさば操業中止について」ということで、神奈川漁業協同組合連合会、一都三県あじ、さばさんま神奈川漁業協会三崎鯖釣漁業協同組合、以下たくさんございますが、神奈川県を中心にいたします漁業組合方々であります。きょうお話をいろいろ承ってみましたが、陳情書に要約されておりますので、論点だけ申し上げまして、重ねて御回答をいただきたいのであります。  千葉県銚子市一の島灯台の真東、これ以南の海域においては、東日本さば釣漁業生産調整組合、まあ調整をするという趣旨でつくられた組合でありますが、ここと北部太平洋海区まき網漁業生産調整組合との申し合わせにより、サバ採捕を目的としたまき網操業は行なわれないこと。この海域は、漁業資源保存という意味で調整区域に入れて、ここではサバをとらないということにしているのだそうであります。それから二番目に、北部太平洋海域においては、農林省告示第九十六号により集魚灯の使用を禁止していること。三番目、夜間における火光利用の棒受け網及び水中集魚灯は、東京都及び千葉漁業調整規則により禁止していること。以上のとおり、この海域においては、各種の沿岸漁業が営まれ、各漁業種類間における漁業秩序維持並びにサバ資源維持規制措置が講ぜられており、これが零細な沿岸漁民保護の方途となっております。サバ一本釣り漁業最盛期である今日、三月に入ってからは、数十隻にのぼるソ連漁船団スタントロール漁法——吸い込んで揚げるようであります。たいへん強力なものでありますが、このスタントロール漁法による操業で、特に最近、われわれ沿岸漁船操業の中にソ連漁船割り込み操業を行なうようになり、その被害漁船が、漁獲皆無で帰港している事実は、最も憂慮すべき問題であり、このまま推移するならば、沿岸漁業並びにサバ資源の荒廃は必至であると思料しておりますので、ということで、これらの規制を一生懸命国内的にしている地域であるということを前提にして、ソ連側に強く訴えて、理解の上で、この調整している地域操業中止してもらうような措置をお願いしたいという趣旨なんであります。  なるほど承ってみますと、零細な沿岸漁業の死活にかかわる問題であります。一本釣りでございますけれども漁法が違いまして——一本釣りにしているのは、漁業資源保存、枯渇を防ぐということなんだそうでありますが、そこに入ってきて、たいへんなトロール漁法をやるということでどうにもならぬ、したがって、きょう水産庁にお見えをいただいたわけでありますけれども長官から、せっかく閣議で御発言賜わりましたので、御報告いただきたいのと、あわせて、水産庁のほうから、その後、どういう対処をなさったかという点を承っておきたいのであります。
  21. 山中貞則

    山中国務大臣 私は、閣議において、当委員会で御答弁申し上げましたとおり、たまたまその場に居合わせた閣僚は、私一人であったので、個別に農林外務大臣に申し上げれば、いいと思ったが、しかし、たまたまその日に、議員の質問趣意書公明党藤原房雄君だと思いますが、それに対して沿岸漁業の見地からの政府回答書が、閣議決定される日でありまして、そのことが若干触れてありました。したがって、そのことが触れてある以上、むしろ、あらためて閣議で、両大臣及び総理から閣僚にこの事実を知ってもらいたいし、ソ連は、きちんと日時、場所あるいは被害実態金額それから相手方の漁船名その他のものを明確にして外交折衝を行なえば、今日のソ連の状態から見るときに、あえて非常識な回答はしないように私は思っている、だから、そのような措置をぜひとられたい。  ちなみに委員会で指摘された内容でいえば、昨年一年だけでも一千億を下らない被害があった、これは漁具漁網についての指摘等もあったということを、はっきり金額等を申し述べて、農林大臣は、それに対して、水産庁を通じて具体的な事実を調べて、しかるべく、ただいまお話のような外交折衝にゆだねたいという報告答えがありました。外務大臣は沈黙であります。しかし異論がなかったわけでありますから、閣議は、そのような方向外交折衝が行なわれることを是認したものということになります。
  22. 大出俊

    大出委員 私は、たまたまどういう状況にあるかを、防衛庁で調べておられたということを承りまして、長官からも、当時行ってみましたがという話がありまして、この席で実情を見ておられる大臣は、ほかにないと私は思いましたから、ここに海上保安庁農林省の方においでいただいて提起をしたわけであります。  どうも少しおそきに失する感がするのでありますけれども、これだけ沿岸漁民方々が、大きな騒ぎをして、国会まで詰めかけるようにならなければ、やっておられないわけではないのですけれども、問題が具体化しないということではならぬと思いますので、ひとつ水産庁の側から、どういうようにお考えになっているのか、どう対処をするかということについて明らかにしていただきたいと思います。
  23. 内村良英

    内村(良)政府委員 ソ連漁船わが国近海への進出につきましては、御案内のように昭和四十年ごろから、数隻の漁船によりまして、主として北海道近海操業されていたわけでございますが、それが四十六年ごろから、かなりふえてきたわけでございます。その結果、わが国漁民漁具被害が出まして、非常に問題になってまいりました。  あるいはすでに御報告があったかと思いますが、この際、御参考までにもう一度数字を申し上げますと、昭和四十六年は漁具被害が十九件、二十八隻、五百八十八万円。四十七年は十四件、十六隻、二千八百六十五万円。四十八年は十八件、二十六隻、千百三十一万円ということで、四十八年は四十七年に比べて若干減ったわけでございます。  と申しますのは、このような事態になってまいりましたので、水産庁は、四十七年の十一月の終わりから十二月一日にかけまして、ソ連専門家操業協定に関する会議を持ったわけであります。これは結局、うまくいかなかったわけでありますが、そういった努力をしたわけでございます。その結果、四十八年が少し減ったのかなと思っておりましたら、ことしの春になりまして、ソ連がずっと出てまいりまして、最近は御案内のように、静岡沖サバ産卵場でございます銭州漁場まで入ってくるということになりまして、ことしの一月一日から三月二十日まで二十五件、八十五隻、四千八百二十万円の漁具被害が出ておる、こういう状況になっております。  その結果、水産庁といたしましては、県からの報告に基づきまして、外務省善処方を申し入れたわけでございます。私ども外務省から聞いておりますところでは、外務省は、ことしの二月十四日、わが国漁船漁具被害防止についてソ連大使館に申し入れ、さらに三月十二日銭州のサバ産卵場における操業自粛について要請、それから三月十四日には茨城沖漁具被害防止汚物投棄中止について要請していると聞いております。  そこで、ことしになりまして、ソ連操業が非常に活発化してきたわけでございます。これの理由が何であるかは、ソ連のことでありますから、必ずしもわれわれはっきりいたしません。しかし、いずれにいたしましても、このようにわが国漁民被害がふえてきた段階でございますので、水産庁といたしましては、なるべく早くもう一ぺん専門家会議をやろう、そこで、これはアメリカソ連の間にも、そういう操業協定がございますし、それからソ連は、ノルウェーとも同じようなものを結んでおりまして、先例がございますので、操業に関する協定をなるべく早くやろうじゃないかという申し入れをすることを考えております。  さらに、漁具の損失についての損害賠償につきましては、本来、これは民事的な話でございますけれども、相手がソ連という国でもございますし、わが国漁民の利益にも関する問題でございますので、損害賠償を正式に求めることを、現在、外務省といろいろ検討しております。  以上でございます。
  24. 大出俊

    大出委員 どうも外務省、この間も何かちょっと他人事に聞こえる御答弁があったのですけれども、先ほど山中さんのお話を承りましても、声なしでは困るわけであります。大臣は、おそらく御存じないのではないかと思いますが、そこらのところは、どういうことになっておりますか。大河原さんでは、所管が違いますかな。——それじゃこの件は、所管違い局長がお見えになっておりますから、承ることに無理があると思うのでありますが、先ほども閣議で、所管の違う長官ではございますけれども、そこまでお骨折りいただきましたので、また水産庁のほうも、外務省のルートに乗せてということをお考えになっておるわけでありますから、これはぜひ、外務省サイドで、いささかおそきに失する感がするわけでございますが、積極的な御努力を願いたいと思います。その旨をひとつ御相談賜わりたいのですが、いかがでございますか。
  25. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 所管の違うことでございますので、直接詳しいことは承知しておりませんけれども、ただいま水産庁長官から御答弁がありましたように、水産庁外務省当局間において密接な連絡のもとに、これは対処しておると承知しております。したがいまして、本日、この委員会におきまして、この問題がまた取り上げられて、活発な質疑応答が行なわれたということは、上司のほうに報告しておきたいと思います。
  26. 大出俊

    大出委員 所管所管として、これはぜひ、外務省で積極的にお進めいただきたい、このことをお願いしておきたいと思います。たくさんの方にお見えいただきまして、私も実は、きょうはからずも会ったわけでありますが、たいへん深刻な訴えをいただきました。事情を承りますと、確かにこれは、よほど各方面で取り上げてやっていただかぬと、一日もゆるがせにできない問題だという気がいたします。たいへん零細な沿岸漁業関係の方でございますから、その点を重ねて申し上げておきたいと思うのであります。  次に、これは間違いなく大河原さんの所管でございますが、相模原補給廠のいろんないきさつが先年ございまして、私も何べんかここで質問を続けた経緯がございます。  昨日、外務委員会でこの問題が出まして、大河原さんが答えておられるのでありますが、どうもこの答えが、知っていて適当に答えておられるのか、ほんとうに知らぬのか、まことに疑わしい。新聞でございますから紙面に限りがございまして、あるいはもっといろんなことをおっしゃっているのかもしれませんが、新聞で見る限り何とも納得がいかないわけであります。  先般、参事官がお見えになりまして、アメリカ側と早急に折衝してみる、どういうことになっているかを、いずれにしてもお答えをしたい、こう言っておいでになりました。平井施設部長さんのほうも、現在、相模原にどんなものがあるんだと聞いたら、全くわからぬというお話で、これまた、さっそく調べて回答したい、こういうお話でございます。とりあえず御両所から、その後どういう経過になったかという点を、御報告を願いたいと思います。
  27. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 相模補給廠におきます戦闘車両修理並びにそのための搬入搬出という問題につきまして、国会で御議論をいただいておりますが、私どもが承知いたしております搬入状況搬出状況は、昨年の分が、搬入されました戦闘車両が百十六台、搬出されましたものが三百七十六台というふうに承知いたしておりますし、ことしの一月初めからこの二十六日までに搬入されましたものが六十五台、搬出されましたものが二百二十一台というふうに承知いたしておるところでございます。  相模補給廠におきましては、かねて修理機能縮小という問題があるわけでございますが、この点につきましては、一昨年の夏から秋にかけましてのもろもろの事態を踏まえまして、一昨年十一月に、日米間に修理機能に関する了解が成立しているところでございますが、その後、この修理部門縮小ということにつきましては、相模補給廠の中にあります整備局の人員の整理という形で、逐次この方向の動きが見られる状況であるというふうに承知しているわけでございます。
  28. 大出俊

    大出委員 この仕向け先、一体どこに行ったかということですが、これも、どうもアメリカ局長のきのうの答弁では、ベトナムには行っておらないという答弁をされている。正確に仕向け先を明らかにしてもらいたいという委員質問に対しまして、わからないと答えている。期限を切ってもわからぬかという質問に対して、これまた、わからぬと答えている。そういうことでございますか。
  29. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 相模補給廠から搬出されまして、横浜のノースピアに移されました戦闘車両が、その後どこへ船積みされているかという行き先につきましては、必ずしもつまびらかにしておらないということを、私、きのう外務委員会において御答弁申し上げました。その際に、イスラエルであるか、あるいはインド洋のジェゴ・ガルシアであるとか、こういう具体的な地名を指摘されまして、御質問がありましたので、その点につきましては、常識的に考えて、戦闘車両がそういう地域に、あるいは場所に船積みされた、仕向けられたということはないであろうというふうに考えます。  ただ、ベトナムにつきましては、昨年の一月のベトナム和平協定規定に基づく一対一の差しかえということは、手続的にはあり得ることかと思います。しかし、いずれにしましても、昨年搬出されました三百四十三台の車両、これらが最後的にどこを仕向け地として船積みされたかという事実については、つまびらかにいたしておりません、こういう趣旨の御答弁を申し上げたわけでございます。
  30. 大出俊

    大出委員 つまり、そういうことになると、何もかにもわからぬことになる。平井さんのほうはどうですか。
  31. 平井啓一

    平井(啓)政府委員 防衛施設庁のほうは、提供しております施設区域の中で、こういう補給廠整備の運用がどうなっているか、こういった点については、日ごろから直接的に把握する立場にないわけなんでございますが、先般の事情にかんがみまして、座間の陸軍司令部を通じまして、一応状況を知らしてもらいたいということで、現在どのぐらいの車両相模補給廠において存在し、整備されているか、この実態を承知したいということで申し入れたのでございますが、残念ながら、その内容については申し上げるわけにいかないという回答が返ってきた次第でございます。
  32. 大出俊

    大出委員 申し上げるわけにいかないということになると、日本政府との間の合意が、そのとおり行なわれていないという疑いを持たざるを得ぬですね。そこを念を押しておきます。  さて合意でございますけれども、私は、この合意を厳密に解すべきであるという気持ちでおります。これは何枚もございますから、差し上げてもいいんですけれども、念のためにこれを読んでおきます。一九七二年の十一月二日、これは大平外務大臣閣議で、次の諸点を日米合意事項として報告をした、こういう中身であります。つまり閣議に大平外務大臣報告をした、一九七二年十一月二日、あの戦車の騒ぎのあとであります。合意の中身を報告したのですから、これは明らかに閣議が了解をしている事項でございましょう。私は、これで片がついたという理解を実はしたのであります。ところが、この中身を見ますと、これは厳密に言うと、いまやっていることは、全部しり抜けで、みんなでたらめで、全くもってけしからぬという気が実はするのであります。これは黙っておけない筋合いであります。  そこで申し上げますが、「一、九月十二日の閣議了解は、相模補給廠の戦車の修理機能のみを縮小ないし機能停止の検討対象としていたが、そのほか自走砲、兵員輸送車などの戦闘車両全部についても、修理機能縮小をはかる。」、これが日米合意事項の第一項であります。M48等の戦車のみでない、自走砲——自走砲も実際には戦車でありますが……。それから兵員輸送車M113等を含めまして修理機能縮小をはかるのだ、これが第一であります。二番目に、「同補給廠修理は継続するが、新規の搬入は原則として停止する。」「原則として」とあります。停止が本筋でありまして、たまに例外があり得るかもしらぬ、これが正当な理解でございましょう。三番目、「修理ずみの車両搬出を終えた段階で、戦闘車両修理機能は大幅に縮小する。」、あの中にたくさんありましたが、これを運んじゃったら大幅に縮小する。これが三番目。四番目、「現在計画されている戦闘車両搬出後は、原則としてベトナム搬出されることはない。」、これも、ごくまれに例外があるとしても、ベトナムに行くことはない。これが四番目であります。五番目、「これらの措置と関連して、関東地域の経済的、社会的発展にかんがみ、この地域に多くの米軍施設区域が存在するのは問題なので、その整理統合を検討する。」、こうなっておるわけです。  この五つの項目を、閣議日米合意事項であるとして七二年の十一月二日に、大平外務大臣報告をし、了承をされた、こうなっておるわけであります。私は、一つ間違うと、どうも自衛隊が入って来かねないという気がする、これはあとから承りますが。その以前に、この五つの項目が守られていない。これ全くもってけしからぬというふうに思っておりますが、証拠をここに提示をいたします。委員長、この資料をちょっと差し上げたいのでありますが、御許可をいただきたい、米国の修理計画でございますから、したがって、お持ちいただいて説明しませんとわかりませんので。——このいま差し上げました、英語で書いてありますこれについて指摘をいたします。  「FY−七四」——「七四会計年度」というわけであります。「コンバット・ビークル・プログラム」、つまり「戦闘車両修理計画」であります。これ実は、私は原文をいただきまして、原文を持ってまいりますと、いろいろめんどうなことになりますから、これは私がリコピーしたのであります。したがって、全くそのものずばりの写しであります。仕向け先は、大河原さん、おわかりにならぬとおっしゃるが、これはカスタマー、お得意さんでございますが、通常カスタマー、これは仕向け先、仕向け地といっている。  さて、この仕向け地を見ていただけばわかりますが、上から七、八番目のところに「RVN」、「リパブリック・ベトナム」であります。「ベトナム国軍」と、旧来こういう書き方をしておるのでありますが、ベトナム国軍——ベトナム共和国、そこの軍隊。これは前のときに、私、こまかく申し上げましたから、それ以上申し上げません。これは見ていただけばわかりますように「RVN——ベトナム国軍」、ここに二台。このM106——M106というのは、あとから差し上げましたこの資料の下の説明を見ていただけば、こちら流に訳してございますが、M106と申しますのは、戦闘車両でございまして、戦闘車両といっても、実は戦車のようなものであります。百七ミリの自走砲を載っけている。百七ミリというのは大きなものです。日本の戦車にいたしましても、61式は百五ミリ砲でございます。61式というのは、現在の型は三十五トン、改型で三十七トンぐらいになりますが、あれに載っけている砲が百五ミリ砲であります。日本の自衛隊の中型戦車61式よりも、大きな砲を載せている戦闘車両でございまして、明らかにM106というのは戦車であります。中型戦車より大きいのでありますから。  ここから始まりましてずっと「RVN」、これは幾つもあります。M106が上に二つありますが、さらにその下のほうになりますと、M113A1、M113A1というふうにこう並んでおりまして、ここに三台ございます。それからM548が十二台もある。このM548というのは、装甲貨物輸送車であります。さらにその下のほうに参りますとM125A1、これもここに説明してありますが、M125A1は八十一ミリの砲を載っけている自走砲車、明らかに戦車であります。ずっとお読みいただきますと、仕向け先ベトナムになっているものがたくさんあります。  もう一つだけ触れておきますが、M132A1、そのあとにXM806と書いてあるのがあります。このXM806というのは、何かというと牽引車で、M132A1というのは、火炎放射器が載っかっている装甲車。戦闘車両といったって、これはたいへんなものであります。全部ずらりとある。そして、これらの車両は、一番てっぺんは第八軍、韓国であります。次は第八軍の予備軍、その次に「OPPROJ」と書いてあるのがありますが、これは沖繩の牧港であります。「CONUS」、これは米本土であります。これをずっと見ていただくと、合計四百八十一両になる。これが「FY−七四」、つまり七四会計年度の修理計画であります。  そして、特に問題は、M48にかかわるものが、その下にいろいろある。二番目の、「FY−七四  CVAP」と書いてありますが、これは「コンバット・ビークル・アーチクル・パーツ」、こういうことでございまして、つまり言うならば、ここにちょっと日本字で入れてありますが、「戦闘車動力部門」、訳せばこういうことになります。それで、この動力部門の中に、実は驚くべきことがある。M48戦車のエンジン「RVN」五十、これはM48の姿が形になって出てきませんけれども、エンジンはちゃんとこの修理計画の中で、ベトナムに送られるようにできている。しかも、これはエンジンだけじゃない。その下に「T/M M48A3」とある。このT/Mというのは何かというと、おたくのほうに英語の略号の辞書がございますが、それで引いてみますと、タンク、その次はマシンが入りましてガン、つまり「タンク・マシン・ガン」、これがT/Mであります。だから、戦車用機関銃であります。先ほどの日本の戦車でも、三十五トンの61式は百五ミリの砲を載っけておりますが、言うならば戦車マシンガンというわけです。それが二十、これも「RVN」ベトナム行きであります。  それから、その下のほうをずっと見ていただきますとわかりますが、「Diff M113A1」、このDiff、差動ブレーキという用語を使ったのがあります。そして、その下を見ますとコンピューターM48A3、「RVN」に二十一、ベトナム行きであります。その下にレインジファインダー、戦車なんかののぞき窓であります。これも二十一あります。コンピューターM48とレインジファインダーM48、これが同数。  つまりM48は修理をしない、運ばないということが合意されているが、この合意されているM48を、ぶっこわして、エンジンはエンジン、載っかる砲は砲、ファインダーはファインダー、コンピューターを使っておりますが、コンピューターはコンピューターというふうに別々に修理して「RVN」、全部仕向け地はベトナムじゃないですか。そこに差し上げました一九七二年十一月二日の日米合意事項の閣議報告、これじゃ、まるっきりペテンにかかったもいいところじゃないですか。「原則として」と書いてあるといったって、原則が、五十台も六十台もこんなに行かなければならぬことはない。M113を入れれば四百八十一台ある。四百八十一台が例外なんてばかなことはないでしょう。ここに書いてあるのは、M113もあわせて機能を縮小すると書いてある。戦争が終わったらベトナムにやらないといっている。原則というのは、ごくわずかに、あればあるということになるわけであります。  もう一点、立ったついでですから申し上げておきますが、そこにカンボジアがあるというのはどういうわけですか。さっき申し上げました「FY−七四」——「コンバット・ビークル・プログラム」、この中にカンボジアがございます。XM806E1、カンボジアに片や一台、片や六台。つまり、カンボジアまで車両運送などをするとなると、カンボジアに武器を持っていくということは、一体どうなっているのかという、そこまでさかのぼって考えてみなければいかぬ問題になるというふうに私は思います。カンボジアに武器を輸送することは、停戦協定のときに禁ぜられているはずであります。  したがって、そこらのことをあわせまして、閣議決定は一体何をやったのだ、仕向け地は明確にベトナムになっている、ここらの点を、一体どういうふうに御解釈でございますか。
  33. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 ただいまちょうだいいたしましたこの資料は、よくまた検討させていただきたいと思います。  ただ、一昨年、四十七年十一月二日に、外務大臣閣議報告をいたしましたことにつきまして、ただいまいろいろ御指摘がございましたが、確かに、その当時、日米間の了解について外務大臣報告いたしましたのは、ベトナムの和平成立後におきましては、修理のための戦闘車両の新規搬入は、原則として停止される、またベトナム向けに搬出されることも、原則としてなくなるということがありましたのと、また現存の戦闘車両修理を終えた段階で、相模補給廠修理機能は大幅に縮小するという了解があったのも、そのとおりでございます。  ただ、ここの中に「原則として」ということばが使われてございますけれども、この「原則として」ということばが使われておりますのは、昨年一月二十七日のベトナム協定が発効して以後におきましては、ベトナムからの、あるいはベトナムへの戦闘車両搬出入というものは、原則としては行なわれないけれども、和平協定第七条に基づく一対一の差しかえというための措置の場合には、搬出入があり得るということであります。また、そのベトナム関係以外からの修理なり整備のための戦闘車両搬出搬入、それから補給廠における修理というふうなものは、修理機能が続く限りにおいて続けられるということを踏まえて書かれているわけでございます。  そういう意味におきましては、日本側の当時からの了解が、相模原戦闘車両修理機能というのは逐次整理され、しかも大幅に縮小されてくるというふうに考えているわけでございまして、今日の段階におきましても、当時の了解に従いまして、米側がその方向での縮小計画を進めておるというふうに了解しておるところでございます。
  34. 大出俊

    大出委員 時間がありませんから多くは申しませんが、私は、こういう日米間の合意事項というものは厳密に守られる必要がある、まずこう思います。原則という限りは、あくまでも原則でございまして、本来あるべき姿ではない。  私は、ここに「ヴィエトナムにおける戦争の終結及び平和の回復に関する協定及び附属議定書」を持ってきております。和平協定でありますが、この中で「南ヴィエトナムの両当事者は、南ヴィエトナムの両当事者の合同軍事委員会及び国際管理監視委員会の監視のもとに、休戦後に破壊され、破損され又は消耗した武器、弾薬及び軍事物資を同種類、同性能のものと一対一の割合で定期的に取り替えることができる。」、こうなっている。だから、米軍が計画を立てたこの戦闘車両修理計画は、前の計画と比べて減っていない。そうなると、初めから戦闘が継続されることを予測して修理計画が立てられていることになる。  じゃ閣議報告をされ、了解をされている両国間の了解事項、合意事項というのは一体何だ。そんなばかなことがあるかということになる。そうでしょう。七四会計年度というのは、七月から六月まで、その間に四百八十何台なんということになれば、これは、いままでと一つも変わりはしない。そんなことを初めから予測して、計画を立て、修理をして運んでいく。仕向け先まではっきりきまっている。一対一の割合で破損した場合には取りかえるなどといった性格のものじゃない。明らかにこれは日本とアメリカ合意に反する。  もう一つ、カンボジアの問題でありますけれども、カンボジアも、この停戦協定の二十条に明確になっているじゃないですか。「諸外国は、カンボディア及びラオスにおける一切の軍事活動を止めなければならない。すなわち、これら諸国は、カンボディア及びラオスから全面的に撤退するとともに、両国に部隊、軍事顧問、軍事要員、武器、弾薬及び軍事資材を再び導入することを慎まなければならない。」、こうなっている。「慎まなければならない。」、さっぱり慎んじゃいないことになる、現実に運んでいれば。ということになると、これは日本の立場で、何もカンボジアのロン・ノル政権にいまさら協力しなければならぬことはない。これはこの国の将来のために、アメリカ側にぴしっと、両国の合意があるんですから、それに基づいてものを言わなければならぬ筋合いのものです。  部品に分解して、かってに直して、向こうに一緒にどこかへ持っていって、つなぎ合わせれば一台になってしまうなんというようなことを、M48について平気でやらしておいて、この間のおたくの参事官答弁では、M48は、自今、一切運んでおりませんとか、修理しておりません、修理しておりませんといったって、エンジンから砲から、みんな別々に修理したら一緒じゃないですか。そんなべらぼうな話がありますか。あなた、だまっているわけにいかぬじゃないですか。いかがでございますか。
  35. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 一昨年十一月に、日米間の了解に基づきまして、外務大臣閣議報告いたしました事項は、先ほど御答弁申し上げたとおりでございまして、日本側の了解は、原則として、いま申し上げたような措置がとられるということであったわけでございます。  昨年の春、ベトナムの和平協定が成立しまして以後の、いわゆる一対一の差しかえの問題について、どういうふうに考えるべきかということにつきましても、国会で御議論をいただいておりますが、当時、米側に確かめましたところ、米側としましては、和平協定規定に従った措置をとっている、しかしながら、現実の問題として、国際監視委員会の機能が十分に働いておらない、あるいは二者軍事委員会の活動が十分に機能しておらないというふうないろいろな状況のもとに、ベトナムの和平協定規定そのものが厳格な意味において履行されていない側面はあるけれども趣旨において、米側としまして、和平協定規定に反するような措置をとっている事実はないということを、米側は伝えてきておったわけでございまして、私どもは、そういうふうな米側の説明を受けておったわけでございます。  そこで、ただいまちょうだいいたしました資料をどういうふうに読むべきか、これを、いかに理解すべきかというふうなことにつきましては、十分検討させていただきたいと考えております。
  36. 大出俊

    大出委員 これは原則的に了解をして、しかも基地そのものが、こういう過密な地域、市のたいへん重要な地域にある基地でございますから、したがって、経済的、社会的な発展にかんがみ、この地域に多くの米軍施設区域が存在をするのは問題なので、その整理統合を検討する、ここまでの合意でしょう。しかし整理統合の検討どころじゃない。いま大河原さんの言った答弁からすれば、協定がそのとおり守られていない、だから、従前どおりの修理計画を立てて実行すると言うのならば、原則というのは全く意味がない。それならば、そのことを再度話し合って明らかにする責任が、日本政府側にあるじゃないですか。  それを、施設庁の、さっきの平井さんの答弁じゃないけれども、何をどういうふうにやっているんだか明らかにしろと言ったら、そういうことはお答えできない、知らせられない、そういうことで済んでしまうというふざけた話はない。やはり、この合意事項のようにいかないならいかないような釈明のしかたが、相手方にあってしかるべきだし、対国民という立場に立って、政府は、そのことについてこうなんだということを、明らかにする責任があるんですよ。しかも仕向け地はどこだと言ったって、あなたのほうは一生懸命、知っているのか知らないのかわからぬけれども、隠すだけじゃしょうがないじゃないですか。  そんなことを言ったって、ここにきょう出ていく船がある。船の名前を言いましょう。二十八日出港——きょうです。「ブロストロム」、スペルを申し上げますと「BROSTROM」、米国船です。寄港先が岩国、釜山、沖繩、台湾の基隆、そこから先は書いて消してある。私が、前にこれはちゃんと報告を求めている、わかっているんだ、こういうけちなまねをさせちゃいけませんですよ。送り状の中で、そこから先は消している。そんなふざけた話はないじゃないですか。いままでの、これはベトナム行きのルートなんだ、さんざんぼくら調べて知り過ぎている。この中にM42を載せている、装甲車もある。これは、もう一隻、きょう出ていくやつも載っているけれども、それはアメリカ本土へ行くやっとはっきりしている。二十八日出港予定、「ジェームズ号」、これはアメリカです。米本国に帰ることが明確になっている、こっちのほうは。本国に帰るやつは明確にしておいて、ほかに行くやつは、そこから先消しておくばかはないでしょう。やることがこそく千万。  しかも、もう一つ、三月二十四日、二十五日、私が質問したすぐあと。この二十四日から二十五日にかけて三回、二十八台運び出している。夜の十時四十五分から十一時十台、午前一時十五分から一時三十分九台、午前三時五十分から午前四時九台、こういうわけであります。M113とM577、計二十八台、運んだのはセミトレーラーです。  そうかと思うと、ここにございます資料を見ますと、この戦車の運び出し、船積みに、臨時雇いで雇われて働いている人がちゃんと報告している。場所はノースピア、日当四千三百五十円もらっている。ノースピアにある倉庫から、戦車を一台一台牽引車で引き出している。たいへんに監視がきびしい。米国籍の貨物船「パイオニアコマンダー号」に、起重機でつるし上げて船底に積み込む作業。仕事は班単位になっておりまして、一班が八人と十人、四班あります。一班のうち班長を含めて二人が常雇い、あとは全部日雇い。昼食を食べに行くのでも氏名チェックをする。作業は見えないように船の陰でやるようにと言われる。朝八時半から始まり、午前十一時四十五分までが午前の部、昼食と昼休みのあと、午後一時から四時四十五分までが午後の部。一班で一日十台のところへ十二台のところとある、積み込み班が。約四十台積み込んだ。船底に四つのコンパクトがあって、それぞれ三段になっておって、さらに一つの段がまん中で仕切られている。戦車が積み込みやすいようにできている。この積み込みをやったのは三月の十五日です。  そこで、いろいろ聞いてみている、どこに持っていくんだと言って。ところが、ベトナムだと言っちゃいけない。聞かないでくれ。こういうことまでして、こっそり運ぶというようなことを平気でやっているのを、二国間協定合意事項があって、ああいうことでいろいろ国民の関心を呼んでまとまったものを、それがいつの間にかやみで行なわれる、しり抜けになっているというのを放任はできないじゃないですか。  時間がありませんから、問題点を指摘をいたしましたが、これはアメリカ局長、そこに資料を差し上げたのでございまして、それは、さっき申し上げましたように、私、原文をいただいて、私のリコピーとったのですから間違いない。だから、その点は、アメリカ側にただすものはただして、明確にしていただきたい。  原則くずれたりというならくずれたりで、パリ協定がそのまま行なわれていないから、したがって、戦闘が続いている、中部高原等で大きな戦闘もあった、レインジャー部隊の大隊が全滅するなんという騒ぎもあった、だから、どうしても修理しておかなければならぬのだ、M48そのままのかっこうで送ったんじゃうるさいから、部品に分解してエンジンから始まって、個々に直して送っているんだということを明らかにしてください。  その上で、過密な地域であり、重要な地域でありするんですから、しかも国際的に見て、日本がここから先なおかつカンボジアまでお手伝いすることはないんですから、そこらのことを、一体、政府はどう考えるかということを、ひとつ明らかにしていただきたい。これは、あらためて御回答いただきたい。いかがでございますか。
  37. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 ベトナムに関しましては、先ほど御答弁申しましたように、一対一の差しかえというワクがきまっているわけでございまして、無軌道に、無原則に、またあるいはしり抜けにというかっこうでの搬出が行なわれているとは、私ども承知しておりませんし、また、そういうことがあってはいけないことであろうと考えております。  また、相模補給廠修理機能の問題につきましては、これは漸次縮小し、最後的には大幅な縮小ということが、方向として持たれているわけでございまして、その点に何の変更もないというふうに私らも承知したいと思います。  たとえば、昨年の六月の末に、相模補給廠修理部門に従事しておりました整備局の人員の数が、千三百名ちょっとこえておったと思いますけれども、その後、昨年の暮れ以来、この部門の整理が発表されまして、この五月の末には、その人員が約四百名弱ということに縮小されるというふうに承知いたしております。したがいまして、相模補給廠における戦闘車両修理部門は、このように現実に縮小方向に向かっておるし、さらに、それがまた縮小方向にいくものであろう、こういうふうに考えておるところでございます。  また、一昨年十一月の閣議報告の中にございました、相模原周辺における基地の整理統合の問題につきましては、いわゆる関東平野計画というものが、昨年の一月の日米安保協議委員会で原則的な合意を見ておりますし、そのような形でキャンプ淵野辺あるいは医療センター、こういうふうなものの移設、そういうふうなことが具体的な日程にのぼっている、こういうことを申し上げさしていただきたいと思います。
  38. 大出俊

    大出委員 終わりですが、大河原さん、カンボジアに持っていくことは、これは二十条にひっかかりますよ。慎むべきだとなっている。  それと、あなたは、仕向け地をきのうの委員会で、わからぬというので、一生懸命答えなかった。だが、そこに仕向け地が書いてある。そこらは、やはり明らかにさせる必要があるのじゃないですか。そうでしょう。だから、アメリカ側に、そこのところは、一体一対一なのか——その計画からいけば、一対一なんて考えられやしませんよ。そこらは一体どうなっているのか、これは明らかにしていただかなければ、これは責任上困るじゃないですか、私が質問しているのに。  それと、もう一つ、相模原基地を縮小した場合に、自衛隊との共同使用という考え方がちらほら耳に入る。米軍は、あれを放したくない。これは横須賀だってそうじゃないですか。最後までそれでもめている、SRFの問題は。だから、そういうことになると、あの補給廠というものが、自衛隊と共同使用の形にしておいて、米軍が使っていく。ベトナム戦争の度合いに応じ、カンボジアの戦争の度合いに応じて、相変わらず運んできて修理させる。世間体が悪ければ部品に分解したってやれるんだ、そういうことになってしまったのでは、これは意味がない。そこらのところは、大臣いかがでございますか。
  39. 山中貞則

    山中国務大臣 自衛隊としては、往年の軍のように、造兵工廠みたいな、そういうものを持つ気持ちはありませんし、相模補給廠の問題については、もし米軍が返還もしくは二4(a)か(b)かに持ち込んでくるというようなことがありましても、いまのところ、そういうことを聞いておりませんが、自衛隊が使うという意思は持っておりません。
  40. 大出俊

    大出委員 大河原さん、そこのところは、アメリカ側を確かめてください。
  41. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 資料をちょうだいいたしましたので、これをよく、読み方でございますか、そういうふうな点を含めまして、当たってみたいと思います。
  42. 大出俊

    大出委員 ぜひひとつ、やはり合意したものはそのように守られていきませんと、地域住民の立場からすれば、捨ておけぬことになります。また、日本という国そのものを考えた場合にも、どうもカンボジアにまで修理して持っていくものを、日本の国内で修理させていたなんということは感心しない。そういう点を含めまして、これは十分お調べをいただいて、さらにひとつ、後刻回答をいただきますようにお願いいたしまして、終わります。
  43. 徳安實藏

  44. 中路雅弘

    中路委員 きょうは、時間が限られていますので、前回の残しました問題について、幾つか御質問したいと思います。  前回、北海道の石狩の社会福祉施設に働く青年職員が、自衛隊の広報官にデパートで勧誘を受けて、駐とん地に四日間連れ込まれて入隊勧誘をされた、家族から捜索願いも出ていたわけですが、四日間行くえ不明になっていたという問題について、長官も、これは行き過ぎだ、こういう勧誘方法はまずいという御答弁をされたわけですが、これと関連してひとつお聞きしたいのは、自衛隊の募集方法の問題について、二等の陸海空士の一般隊員の募集の問題ですが、師団別に募集の状況の変化をまずお聞きしたいのです。資料もいただいたわけですが、全部をお尋ねしていると、時間もあれですから、この数年の傾向の問題で、たとえば四十一年をとりまして、四十七年まで資料をいただいたのですが、自衛隊募集の師団別募集の状況です。  最初に、志願です。いまの自衛隊は志願制ですが、この自主志願によって自衛隊に入隊をされた、これだけは毎年の変化を教えていただきたいのですが、四十一年から四十七年までの間、自主志願によるパーセントでいいんですが、入隊者はどういう変化を示しているか、最初に教えていただきたい。
  45. 高瀬忠雄

    ○高瀬(忠)政府委員 自衛隊の隊員の募集は、すべて隊員の自主的な意思に基づきまして入ることでございますから、そういう広い意味では、みな自主志願ということでございますけれども、だれの勧誘も受けずに、あるいは特別な深い関係もなしに、ほんとうに自分から進んで自衛隊の窓口に来たというようなものを、かりに狭い意味で自主志願ということで申し上げますと、四十一年では自主志願のパーセンテージは約三四%でございましたが、四十二年以降だんだん減ってまいりまして、四十二年で二五%、四十三年が一九%、四十四年が一七%、四十五年が一四%、四十六年が一三%、四十七年が一〇%というようなことで、四十一年と四十七年を比べますと約三分の一というような形に相なっております。
  46. 中路雅弘

    中路委員 志願別といいますか、これで分けますと、自主志願というのが四十一年の三四%から毎年減ってまいりまして、いまお話しのように四十七年は一〇%、四十一年に比べますと三分の一以下に減っているわけですが、これからあとは、毎年でなくて、四十一年が幾らで四十七年幾らということでいいですが、高等学校など学校の紹介で入隊したというのを、四十一年度と昨年度と比べてだけパーセントで教えていただきたい。
  47. 高瀬忠雄

    ○高瀬(忠)政府委員 学校の紹介で自衛隊に入りましたのが、四十一年は約二〇%でございます。四十七年度が約五%でございます。
  48. 中路雅弘

    中路委員 自主志願それから学校などの紹介も、いまのお話のように二〇%から五%と激減をしているわけですね。  先日の質問と関連するのですが、ふえてきているのが市街地勧誘といいますか、街頭で人狩りのような形で話しかけて試験を受けさせるという方法ですが、いただいた資料では、市街地広報なんて書いてありますが、市街地広報というのは、まあ勧誘でしょう、広報というのじゃなくて。この市街地勧誘で、同じように四十一年度がどれぐらいで、昨年度は幾らになっておるか、これもパーセントでいいですから。
  49. 高瀬忠雄

    ○高瀬(忠)政府委員 市街地広報によりまして、自衛隊に入りました者の数は、四十一年が三%、四十七年が一七%でございます。
  50. 中路雅弘

    中路委員 非常なふえ方をしているのが、この市街地勧誘ですね。いまお話しのように、四十一年度約三%、昨年度一七%はこえていますから五倍になっています。  参考までに、もう一つお尋ねしておきたいのですが、いわゆる縁故募集といいますか、つてをたよりに家へ行って説得するとか、秋の農繁期に隊員は故郷へ一ぺん帰らして募集するという方法だと思うんですが、この縁故募集もふえていると思うんですが、四十一年度と四十七年度をやはりパーセントで……。
  51. 高瀬忠雄

    ○高瀬(忠)政府委員 縁故募集は四十一年が約二四%、それから四十七年が約五〇%でございます。
  52. 中路雅弘

    中路委員 あと幾らかありますけれども、特徴的なのは、いまお話しのように、自主志願あるいは学校の紹介、これが激減をして、街頭での勧誘、都市の市街地での勧誘と農村等での縁故募集、これも倍になっていますね。倍以上にふえている。自衛隊は本来、懇願制じゃなくて、志願制なわけですね。これが自衛隊のたてまえですからね。その志願制が、一割しかいないという状況にあるわけですが、この街頭等も含めて、募集業務をやるのは、地方連絡部だと思うんですが、現在、地方連絡部の定員あるいは実際に仕事をしている人員というのはどれぐらいですか。
  53. 高瀬忠雄

    ○高瀬(忠)政府委員 地方連絡部の、いわゆる編成上の定員は八百九十一名でございますが、その他に陸海空の部隊等から応援を得て募集業務をやっておりますが、その応援の数が二千二百八十五名ということでございます。
  54. 中路雅弘

    中路委員 先日、北海道のことと関連してお話ししましたが、この問題で私たちの代表が、北部方面の総監部にお話に行ったときに、札幌をはじめとした四つの地方連絡部では、そのときのお話では、今年度二千三百人の募集目標があるわけですが、私服のこういう勧誘員を派遣しているのが三百名から四百名だということを、総監部の大西という方がお話しになっていたということです。  それで、皆さんのほうに資料でお願いをして、各地方連絡部で、この市街地勧誘といいますか、こういうようなのに実際出動しているのは、北海道はいまお話がありましたけれども、全国的にどれぐらいの数かということでお願いしましたら、不明というのがこの資料で出ていますが、これは、およそでもわからないわけですか。
  55. 高瀬忠雄

    ○高瀬(忠)政府委員 地連に勤務する者とそれから市街地で広報、宣伝する者とが同一の人間が入れかわり立ちかわりやっておりますので、外に専門に出ている者が幾らかという数を的確に把握するということは、非常にむずかしゅうございます。そういう意味で、そういった数は出し得ません、こう申し上げたわけでございます。
  56. 中路雅弘

    中路委員 この市街地勧誘の行き過ぎについては、一般新聞にもしばしば報道されることですが、最近出ていた新聞でも、一般の部隊でも、秋の農繁期になると、出かせぎ者の帰郷する時期に、募集の応援に出かける、あるところでは訓練を一週間程度やめて、人集めに縁故者をたよって帰郷する、自衛隊というのは、募集のためにあるような状態だというような記事を書いた新聞もあります。  これは朝日新聞か何かに報道されていましたが、東京の場合、募集目標三千人で、東京地連に約二百人の広報官が配置されて、これが上野だとか新宿、蒲田、渋谷、池袋などの盛り場に、常時十人近くが張り込んでいるという記事が出ていました。その中の一人だと思いますが、宮田という上野担当の一曹の話が、三月二十三日の朝日新聞に出ていました。「上野公園が得意の場所で、ブレザーコートにネクタイの一見刑事風だ。若い男をみつけると「自衛隊のパンフレット見ませんか」と声を掛ける。受け取ってくれれば脈がある。ベンチに誘って「最初の給料は衣食住つきで四万三千五百円……」と話し込めればなお有望。「試験を受けてみなさいよ」と事務所へ連れて行く。勤め人が多いので、元の雇い主が「引き抜きだ」と怒ることが多く、あとの世話も大変。月に二人を入隊させるのが広報官の平均だ。」、この人は、自衛隊に入って十六年、募集を始めて四年半ですが、四月以来三十五人を入隊させた。「そのために夏は朝六時、冬は八時から上野公園を歩き回る。夜は家へ行って家族や雇い主の説得など九時か十時までの勤務が普通。日曜出勤も多い。」、「休日は月に平均二回、一日の勤務時間平均十四時間。自衛官には時間外手当はない。手土産、喫茶店の払いなど個人の支出が月七千円。」というような記事も出ています。  こういう募集のやり方ですね、街頭での一例をあげましたが、これが、しかもいま五倍になってきているわけです。先日、例にあげました北海道の場合も、施設で働いている青年を街頭で誘う。そして五日目に給料を取りに行ったのについてきたその誘った自衛官が、最初は親類の者だと言って身分も名のらない。長官は、どうして身分を名のらないのか、ふしぎだという話がありましたけれども、やっぱりこういう無理な勧誘の方法をやっているということ自身に本人も矛盾を持っている。だから、おそらくその場ですぐ身分も名のれないというような気持ちもあるのではないか。あくまで本来の志願制というたてまえをとっていくとすれば、街頭の盛り場で手配師と争って勧誘をしていくというやり方、しかも、それがいま自衛隊員募集の主要な手段になってきている、これは、やっぱり根本的に検討してみる必要がある、こういうことはやめるべきだと私は思います。このような募集方法が、自主志願よりもはるかに多いという入隊方法ですね、この際、この募集のあり方について、根本的に検討する必要があると思うのですが、この点についての長官のお考えをお聞きしたいと思います。
  57. 山中貞則

    山中国務大臣 これは数字を歴年あげて、いろいろな募集の種別に推移を聞いていただきましたとおり、わが自衛隊にとっては、最大の悩みの一つであるということは、結論においては私も同じです。自主志望してくる者が少なくなる、これは若い適齢期の青年諸君が、いまの自衛隊というものをどういうふうに見ておるかということの一つのあらわれでもありますし、あるいはまたアメリカも、昨年、志願兵制に切りかえていろいろと苦労をしているようですが、それでもまだ恵まれていると思って私は見ました。それは学校等に行って、学校の許可をもちろん得て、教室等でいろんな広報をやらしてもらっておる。ところが、わが国においては、かつてはやらしてもらっておったわけでありますが、だんだんそういうこともできにくくなりましたし、学校の推薦等も、私学等は、まだそういう便宜をはかってくださるところもありますが、公立等においては、そういう傾向が逆に少なくなっている。  こういう中で、少なくとも隊員の自給自足ということに努力しなければならない私たちとして、ただ、むだな定員をもってむだな編成あるいは実際の戦闘から考えれば、架空編成みたいなもので自己満足しておるわけにはまいらぬわけでありますから、やはり充足への努力はしなければならぬ。縁故募集というのは、私はそういう責めらるべきことではないと思うのです。やはり自分の同級生とか親戚の者とか、入ってみると、きついことはきついけれども、いまの一般の社会にない規律正しいすがすがしさもあるぞ、あるいは一期つとめると、そういう規律正しさ、礼儀正しさ、あるいは命ぜられた仕事に対する責務を完遂する義務感、こういうものが、一般社会では現実に会社等で評価されていることも事実ですから、そういうことで縁故募集等が行なわれるということは、今後もあり得ると思うのです。また街頭勧誘募集方法等についても、本人の意に反するようなことがあってはならないし、また、それを別な角度からとらえますと、隊員の質の問題にもなります。  私は、先般もお答えしたと思うのですが、アメリカの上院等は、知能指数を四つのランクに分けて、最低の知能指数の者が、一八%以上になってはならぬというようなことを、志願兵制になったときに条件もつけておるようです。また反面、議会のほうで高校卒業生は五三%というようなきびしい条件をつけられて、逆に軍のほうがあわてておるのがアメリカのようでありますが、私どもとしては、なるべく質のいい隊員、できれば自衛隊に入って任期を無事につとめ上げて、なお、その使命感を自覚して、自衛隊で自分の生涯を送ろうという、そういう青年諸君によけい来てもらうことが希望でありますから、それに沿うためには、募集の手段、方法はよく考えなければならぬと思うのです。  北海道の例をたびたびあげられるのですけれども、これは私も疑問に思って、まさか本人を強制的に宿泊させたりなどして、隊内にとどめたのではあるまいなということで調べたのですが、それは本人が、いや自分のほうが泊まりますという手段のほうを申し出たそうでありますから、そのことは間違いないと思うのですが、いずれにしても、募集のしかたというものを、いままでの、たとえば自衛隊の内規によって、非常にたくさん募集の実績のある者を表彰する、そういうあり方をやめようということを私は言っております。ということは、問題は、質のいい隊員を、しかも手段も非常に合法——非合法の問題はありませんが、きわめて妥当な手段でもって確保してくれた実績を持つ者を、表彰の対象にしなければいかぬ、こういうようなことを言っておりますけれども、しかし現実には、現在の若い青年諸君に、長髪を刈らして自衛隊の服を着せるところまで決心させるのには、なかなか容易なことではないということがありますので、行き過ぎのないように注意しながら、なおかつ充足への努力は続けてまいりたい。私どものいま一番悩んでいるところであるということを、重ねて申し上げておきます。
  58. 中路雅弘

    中路委員 もう一つだけ、関連して例にあげておきたいのですが、これは昨年の十一月の下旬、新潟であった問題で、皆さんも御存じだと思いますが、心身障害者施設出身の、勧誘されて入隊した若い陸上自衛隊員が、休みのときに、もとの施設に戻って、後輩である同じ施設の八歳の少女を連れ出して、暴行致死に至らしめた事件というのがあります。この問題を報道している各新聞を見ましても、一番の問題は、自衛隊の、新聞のそのとおりで言いますと「キャッチ作戦に問題があるのだ」ということを書いているわけです。無理な獲得のやり方、街頭でのこういうやり方ですね。しかも本人が、入隊する際に受ける試験というのが、これは、いずれ何かの機会に、もう少し入隊のときの試験の方法等についてもお尋ねしたいと思いますけれども、せいぜい体重だとか視力をはかる身体検査と簡単な身上調査程度だということもありまして、こういう精神鑑定といったものはやられていない。武器を持つわけですから、精神に障害がある者が、武器を扱う自衛官としてまかり通っては、逆に国民にとっては非常な危険を感じるわけです。  こういう事件まで起きる、こういうことも、私は、いまのこのような自衛隊員募集の手段、特に街頭でのこういうやり方、悪くいえば人狩り的なやり方、これと深く関連がある問題ですから、個個に起きた問題について、これは行き過ぎであったという問題だけではなくて——しかも、この数年間見ましたら、自主志願が三分の一になり、いまの街頭での市街地勧誘が五倍からにふえてきておる。それが主要な手段になってきておる。ここに重要な問題があるので、私は、個々の問題の対策というだけではなくて、市街地勧誘、少なくとも街頭で張り込みをやって、盛り場で人を勧誘するというやり方はやめるべきだと思います。こういう立場でひとつ、根本的な検討をお願いしたいと考えるわけですが、この問題についてもう一言……。
  59. 山中貞則

    山中国務大臣 できるならば、そういうことをしないでやりたいと思いますが、しかしながら、充足のための目標達成というものは、努力をしなければなりませんので、街頭でも、そういう相談をして、本人が納得をするということであれば、その手段をやめることは、私としては、そう簡単にはまいらないと思うのです。しかし、そのほうに安易に流れて、本来、努力しなければならない募集の分野をないがしろにすることのないようにしなければならぬと思います。  また、その精薄施設の幼女を死に至らしめた事件は、一般の人間としても、ましてや、いまおっしゃったように、武装集団である自衛隊に入っていた者として、何としても申し開きのできないことである。今後、そのようなことのないように、一つの重要な教訓として受けとめているつもりであります。
  60. 中路雅弘

    中路委員 私は、この問題とも関連があると思うので、あと二、三お尋ねしたいのですが、自衛隊員による刑事事件あるいは道交法違反その他ありますが、たとえば四十年度の刑事事件の発生件数、四十七年度の発生件数、これについて、どういうふうになっているか、簡単に……。
  61. 高瀬忠雄

    ○高瀬(忠)政府委員 隊員による刑事事件の発生件数でございますが、四十二年には八百七十二件ございました。四十七年には千八百二十二件ということになっております。
  62. 中路雅弘

    中路委員 これも、いただいた資料を見ますと、いまお話しのように、四十二年の八百七十二件から四十七年の千八百二十二件まで、毎年増加をしてきているわけです。私がそのときお願いしたのは、刑事事件の内容、窃盗、強盗とか、あるいは傷害致死とかいろいろあるわけですが、一応この刑事事件の中身にわたって簡潔に教えていただきたいとお願いしたのですが、それが資料に出ていないのです。これは、おわかりにならないのですか。
  63. 高瀬忠雄

    ○高瀬(忠)政府委員 私ども内部的には、服務指導あるいは教育指導上ある程度の統計はとっておりますけれども、これは部内の服務指導の参考にし、教育上の諸対策を立てるときの参考ということで、その原因とか動機とか、機微にわたるものもございますので、これは部外に対しまして、公表は差し控えたいという気持ちで、実は大まかな数字はございますけれども、正確に申し上げることはできませんので、一応発生件数だけ資料として提出させていただいたわけでございます。
  64. 中路雅弘

    中路委員 刑事事件の内容についても、いまの自衛隊の現状あるいは社会人としても問題のあるような事件のほうが、むしろふえてきておるわけですね。そういう点で私はお願いしたわけですけれども、もし、いまのようなお話でしたら、たとえば理事会の中にだけでも、資料で出していただくということをはかっていただきたいのです。  たとえば、これは海上自衛隊公報の写しですが、四十五年一月から十二月まで、わざわざ秘密版となっておりますが、この海上自衛隊の公報を見ますと、区分をして詳しく統計がとられていますね。窃盗、強盗、傷害暴行、傷害致死、過失致死、強姦、わいせつ、詐欺、横領、こういうように分けて出ていますけれども、これを見ましても、これは年度で見ますと、たとえば昭和三十九年百十六件が、昭和四十四年になりますと二百九十七件、一つずつ区分してありますが、いま申し上げたのを合計しますとふえている。こういったのも、各自衛隊でおそらくとっておられるのではないかと私は思います。  そこで、委員長にお願いしたいのですが、一般に公開するというのは、いまお話しされたように、問題もあるということになれば、自衛隊の隊員の刑事事件、これが、いま増加していることは明らかになっているわけですが、どういう内容の刑事事件があるのかという資料を、理事会の中で出していただくということをはかっていただきたい。
  65. 徳安實藏

    徳安委員長 承知しました。
  66. 中路雅弘

    中路委員 きょうは、約束の時間が限られているものですから、それと関連して、先日、私、沖繩に行ったものですから、一、二点、現地でお聞きした問題でお尋ねしておきたいのですが、向こうへ行きまして、陸上自衛隊の鬼沢司令にも現状のお話を聞きました。  その際に、最近の自衛隊と沖繩県民との間はどうかという視察の議員さんの質問に、鬼沢さんが自分の例をあげてお話しになって、非常によくなってきた、最近タクシーに乗って、その運転手さんに、自分のうちでお茶を出して話を聞いたら、自衛隊はタクシーに乗ればすぐわかる、礼儀もあるし節度もある、商社マンに比べれば一見してわかるという、いま非常におほめを受けているんだというような説明もあったのですけれども、この前、視察に行ったときに、沖繩の人権協会の人からも訴えられた問題で、最近のことだけお話ししますと、たとえば二月十八日に起きた問題です。  中身は、簡潔にしますが、陸上自衛隊の高村という三曹が、タクシーをみぞに転落させた、接触して交通事故を起こしたわけです。コザ警察で、追い越そうとして通行区分違反で、加害者として罰金が出ているわけですが、これについて、陸上自衛隊の一〇一後方支援隊所属の防衛事務官三人が、浦添市の「ひまわりタクシー」の社長を訪れて、自衛隊は国の機関だから、警察の調査は参考程度だということで、自衛隊の調査によると、両方に問題があった、だから、双方で修理をして、事故がなかったことにするのが一番いい方法だというふうに話に来たというので、この社長が人権協会に訴えまして、これは金の問題じゃない、警察の処理にさえ従わない、一方的に圧力をかけて、ぬれぎぬを着せようとするのは、復帰前の米軍と同じような考えじゃないかということで訴えがあって、人権協会でも調査をしているという話を聞いたのですが、この問題については、実際どういう事情だったのか。  ここで訴えられているように、自衛隊は国の機関だから、交通事故を起こしても、警察の調査は参考でいいんだというようなことで、圧力をかけるということになれば、訴えられているように、復帰前の米軍と同様じゃないかというような憤激が起きるのは、当然のことだと思うのですが、一言この問題について、もし事情がおわかりでしたら、お聞きしておきたい。
  67. 高瀬忠雄

    ○高瀬(忠)政府委員 いまの事故が起こりまして、それで右路側帯を自衛隊の車が走っておりまして、通行区分の規制違反ということで反則金を告知されております。  いまお話しの那覇の自衛隊の事務官が参りましたのは、そういった事故が起こったので、反則金は課せられておりますけれども、その事情をよく聞いて、そうして、わがほうでやるべきことがあったらやりましょうというようなことで行ったわけでございまして、ただいまのように、警察はどうであろうともいいんだというようなことで行ったのではございませんで、自衛官は、そういう話になれていませんので、相手の者とスムーズな話をしようということで参ったわけでございまして、いまのような事情ではないと思います。  この問題は、三月の十三日に、タクシーの損害額五万二千八百二円を払うということで、相手の会社と和解が成立しております。
  68. 中路雅弘

    中路委員 もう一つ、これも、やはり同じ時期のことで、労働組合から話を聞いたのですが、二月の十三日にあったのですが、那覇の電報電話局に、夜、午前二時ごろ、福岡に電話したいということで、自衛隊員が来て、女子の職員に何をぐずぐずしているのだということで、あとから三人になって——これは酒を飲んでいたそうですが、どなり込んで、案内係の氏名を言えとか上司を出せとか、たたき出してやるとか、組合の話ですと、そういう暴言を吐いて、局の電信局長が自宅からかけつける、パトカーが出動するという騒ぎになって、一応その場は謝罪をして引き揚げたという問題ですが、深夜に女子組合員をおどしたりする、こういう行為は許せないということで、この自衛隊員の所属や氏名を明らかにしてもらって、抗議をしたいという強い要請もありましたけれども、この問題について、沖繩の自衛隊員だと思いますけれども、あとで明確にこの問題について処置されたのかどうか。
  69. 高瀬忠雄

    ○高瀬(忠)政府委員 電電公社から、いまのような連絡を受けまして、自衛隊では、直ちに沖繩におります陸、海、空の部隊におきまして、営内に居住している二千三百名のうちで、当日、特別外出をした者あるいは休暇中の者あるいはそのほかに営外者であった者等につきまして、全体につきまして、一人一人当日の状況につきまして、詳細に調べました。その後、沖繩の実は警察にも依頼をし、それから電々公社に参りまして、その次長という人にも会って、人相その他につきましても、いろいろと聞きまして、いまのような調査をしたわけでございますけれども、私どもといたしましては、徹底的には調べましたけれども、そういった該当者は、わが自衛隊には発見されませんでした。
  70. 中路雅弘

    中路委員 いまのお話ですと、まだ——自衛隊員であったことには間違いないんですけれども、はっきり犯人はわからないそうですが、こういう事故が非常に多いわけです。私は、神奈川県にいるわけですけれども、ことしになってからでも、私のところに来ているのでも、一、二件あります。たとえば、これは新聞にも出ておりましたが、厚木で自衛隊員が幼稚園児をひき逃げした。あとでこれは逮捕されましたけれども、無免許運転であったから逃げたというようなことだったとか、いろいろこういう問題が多いわけですが、事件を見ますと、社会的な一般の通念といいますか、常識——事故といいますか刑事事件になっている問題は、先ほど資料で出されたように、件数も非常にふえている。  そういう点で、自衛隊員の日常の教育といった問題について、これは松本議員が、だいぶ予算委員会質問しましたけれども、反共教育というようなことではなくて、もっと社会常識を徹底させるというような意味での教育が必要ではないかというふうに思うのですが、終わりに、その点についても長官の御見解をひとつお聞きしたい。
  71. 山中貞則

    山中国務大臣 先ほどの電話局の問題ですが、これは福岡に電話をかけた者がいるかどうか、福岡に電話をかけるような知人を持つ者がいるかどうかまで含めて全部——予算委員会で、上原康助委員から質問があったのですから、徹底的に調べました。しかしながら、そのような客観的な傍証も存在しない。したがって、結論的にいうならば、自衛隊員ではなかったと私たちは確信を持つことができます。この事件については、そう申し上げておきます。  しかしながら、その他あげられました数々の事故については、全国に散らばっております二十数万の若い集団でありまして、毎日、「事故速報」を私は手元にあげておりますし、それの処分については、月報でもっていかなる処分をなしたかを、陸、海、空すべてについて、またその処分に疑問があれば、私から、あらためて命令を下すなどして、これらの犯罪とか、いやしくも国民のために存在するはずの自衛隊が、国民に危害を加える存在に、一人であってもなってはならない、これに反することは、非常に重大な問題でありますから、その点は、まことにきびしいことをやっておるつもりであります。  しかし、たとえば飲酒等の問題をとらえてみましても、酒さえ飲んでいなかったらというような事故をずいぶん起こしております。一例をあげますと、私、習志野の空挺団に予告なしに参りまして、ふだんの訓練を見ました。私から見る限り、よくやっておりました。その連中に訓示をいたしまして、諸君は、その任務の性格上も、訓練からも、非常に身体強壮であって英気はつらつとしておる、しかし、それらは、ともすれば、不必要なことまで冒険をしようという気持ちに結びつくおそれもある、昨年起こりましたが、パラセール訓練中に、使用してならないかさを使用して死んだ者がおりまして、その者を責めるつもりはない、しかし、そういうことも、やはりやってはならないことということは、自覚しなければいかぬ、自分をコントロールすることはむずかしかろうが、ことに最近、たびたび訓示、通達等を出しておるとおり、飲酒ということに注意してもらいたい、酒を飲むと、まっ先に麻痺するのは理性であり、自己制御力が落ちるのだということを訓示しまして、そして帰ってきて三日目には「習志野隊員、飲酒泥酔の上、部外者と乱闘」という報告が上がってまいりました。私も瞬間がっくりきたのですが……(上原委員「親分に学んだのだ」と呼ぶ)そんな失礼なことは言わぬでください。上原君とは幾ら親しくても、そんなことはやめなさいよ。私はまじめにやっておるのです。  答弁を続けますが、飲酒というのは、やはり階級の上下にかかわらず、個人差が非常にありますが、しかし、これは私、繰り返し、繰り返し言うべきである、言ったことが、どれほど役に立ったか統計には出ませんが、もし、そのことをきびしく言い続けていなかったとすれば、もっと多かったであろうという効果はあると思うのです。したがって、微力でありますけれども、一生懸命、隊員たちに対して、そのようなみずからの本来の使命を逆に疑われるような行為に出るようなことのないように戒めてまいるつもりであります。
  72. 中路雅弘

    中路委員 きょうは、これで終わりますが、いま通達の話も出ました。訓辞ですが、皆さんからいただいた資料を見ましても、四十三年から四十八年をとっても、毎年二回か三回は、綱紀粛正の通達というのを年間出しておるわけです。私は、こういうようなのが毎回出ていても、実際の統計で見れば、こういう犯罪、事件も非常に急増しているという中に、先ほどお尋ねしました、また要請もしました、いまの自衛隊員の無理な募集方法、あるいは隊員に対する日常の教育、こういった問題とも非常にかかわり合いがあるのではないかということを感ぜざるを得ないわけですけれども、この点について一そう、特に最初お話ししました街頭での募集方法については、私はやめるべきだと思うので、ひとつ根本的な検討をあわせて要請をして、きょうは終わりたいと思います。
  73. 徳安實藏

    徳安委員長 上原康助君。
  74. 上原康助

    ○上原委員 できますれば、提案されている法案の件についても触れたいのですが、どうしても取り上げておかなければいかない問題が二、三ございますので、最初に、その点から質問をさせていただきたいと思います。  実は三月五日の沖特委でも、これから取り上げる問題につきましては、いろいろ施設長官あるいは労務部長、またアメリカ局長の御見解などもお尋ねをしましたが、例の牧港補給基地で起きた——去る一月二日に解雇通告を受けて、三月三十一日、きょうは二十八日ですから、あと三日もたてば解雇になるというせっぱ詰まった段階まで来ております。  そこで、せんだっての沖特委でのお尋ねの場合は、いろいろ議論をいたしましたが、まず第一点として、正月の二日という公休日に、大量の解雇通告を出している、しかもこの件については、本年になって、一月以降、防衛施設庁あるいは防衛庁長官、また県側にもいろいろお尋ねをしてみましたが、事前に何の予告もなかった、全然知らなかったということが、関係者の方々から言われております。そういう解雇の手続の問題と、正月の二日という公休日を利用して、しかも三月三十一日という日本側の会計年度ぎりぎりにあてて解雇をしていくというやり方に対して、私たちは非常に義憤を感じますし、そのことを容認している政府の姿勢に対しても、非常な疑問を持つわけでございます。  そこで、お尋ねしたいことは、むずかしい問題ではあるのだが、解雇の撤回を申し入れてくれということに対しては、なかなかそうはまいらぬ、四月一日以降に延ばせということについては、引き続き最善の努力を払いたいということを、施設長官もおっしゃっておりましたし、労務部長もそういう趣旨の御発言をなさったかと思うのです。この大量解雇について、その後、米側とどのように話し合いを詰めて、現在の段階はどうなっているのか、その経緯について御説明をいただきたいと思います。
  75. 田代一正

    ○田代政府委員 お答えいたします。  過日の沖特委におきまして、牧港を中心といたしまして千三百三十七名の解雇問題につきまして、三月三十一日の期限を延長するという問題と、さらに人数を圧縮するという問題について、さらに折衝する考えはないかという御意見でございましたので、引き続き努力いたしますという答弁をいたしました。  そこで、その後、私のほうでいろいろ接触をいたしているわけでございますが、期限を延長するという問題につきましては、これは現段階におきまして、きわめてむずかしいという状況でございます。  それから第二の問題といたしまして、人員を圧縮するという問題でございますが、これは現時点におきまして、千三百三十七という当初の数字が、九百五十五名まで下がってきているというのが現状でございます。
  76. 上原康助

    ○上原委員 そこで、どういう交渉をなさってきたかということを、もう少し具体的に明らかにしていただきたいわけです。米側といろいろ交渉を重ねてきたのだというのですが、一体、何月何日にだれとどういう趣旨で話したのか、どのレベルでどういう問題について話し合いをなさったのか。組合側からも、あるいは私個人も直接いろいろ御要望もいたしまして、やっている、やっているとは言うのだが、実際上どういう過程を踏んで今日まで来ているのか、明らかでない面がかなりあるわけですね。ただ、一月二日の、当初の解雇人員数が千三百三十七名、これも通告というより、まあ込みでそれだけの人数を解雇するというだけのことですね。個々の雇用員に対しては、それからかなりおくれているわけです。  これも後ほど議論をしたいわけですが、一体、皆さんがおっしゃっている九十日前の解雇通告ということは、込みで何名解雇するということをだれかに、労管なら労管あるいは該当県にやればいいということなのか、個々の雇用員に対しては、ではどういうふうなことでいいのか、そこらも非常に不明確なんですね、いまの解雇の手続のやり方というのは。  ですから、質問趣旨を戻しますけれども、具体的に、この解雇問題が出てから、どのレベルで、どういう内容で、いついつどういう交渉をしたのか、全部明らかにしていただきたいと思うのです。
  77. 松崎鎮一郎

    ○松崎政府委員 お答えいたします。  私、最初に、座間に米陸軍の司令部がございますので、その米陸軍司令部人事部長と一月十日、この問題で交渉をいたしております。  内容は、先ほどから私ども長官が申し上げておりますように、一月二日というお正月、日本人にとっては、めでたいお正月でありまして、そのときに、そういう、実際の解雇の発効そのものではございませんが、事前通告をするというのは、日本人の感情なり慣習なりをあまり考えてない、適当でない措置であるということが一つ。二番目には、いまの解雇の延期ということは、非常に現地から強く要望されているが、これについて考慮ができないかということ。三つ目が、沖繩は昨年、非常にいろいろ人員整理がございますけれども、かためて千三百名以上というような大量のものは初めてでございまして、こういったことについては、陸軍で始末がつかないものについては、海軍なり空軍なり海兵隊なり、いろいろ沖繩に基地がございますものですから、そこで配置転換等の措置がとれないか、あるいは希望退職者による振りかえというようなことがとれないか、この三つについて話し合いをいたしました。  その後、具体的な日にちは、あとで調べまして御報告申し上げますが、私自身で四回やっております。それは座間とですが、それから別に、一回は府中の米軍司令部のほうとやっております。そのほか私どもの労務部に所属いたします調査官なり、企画課長なり、あるいは連絡官なりという段階で、ちょっと私、数は覚えておりませんが、数回やっております。  これは同一の内容でございまして、その結果、先ほどうちの長官が申し上げましたように、延期の問題につきましては、これまで数年間、非常に繁忙でございました車両の再生業務、そういったものがほぼ終了段階にきた、したがって、人員が余剰になったということなので、仕事がなくなったのに、それに対応する人を置いておくということはなかなかむずかしい話でございますし、それを置いておくだけの予算もない、そういうことでございまして、これは、いろいろな角度で、それにかわる措置等もいろいろ協議をいたしましたけれども、なかなかできておりません。  ただ、三番目にお話をいたしました実整理者の減少という問題につきましては、一月十日のとき、直ちに座間の陸軍としましては、そういう措置を発動するということで、実際にその後、大きいもので約四回いろいろ発表があったと思いますが、現在、九百五十五人、先ほど聞きますと、九百四十人ぐらいまでに、もう少し何とかなるのじゃないかということでございますが、そういう措置が、沖繩の現地の陸、海、空、海兵隊というものを、総合調整いたしまして、行なわれたという結果でございます。  いま現在での最後の折衝日はいつかと申しますと、先週の金曜日でございます。これは私自身の交渉でございますが……。それから、その前の週の十三日には、現地の沖繩の陸軍の司令官なり空軍の司令官なりに、私も参りまして、希望退職等の振りかえについては、いままでの努力を感謝し、なお今後とも努力を続けてほしい、延期の話については、こういうことを東京で話をしておるんだが、現地のほうでも、東京の司令部のほうから言ってきたときには、よく考えてほしいというようなことを話しております。
  78. 上原康助

    ○上原委員 いま労務部長から、交渉経過について、お答えがあったわけですが、この件について施設長官は、いわゆる府中の在日米軍なり、あるいは陸軍ですから座間の陸軍司令部お話し合いを持ったということはないわけですか。
  79. 田代一正

    ○田代政府委員 私、個人といたしましては、わざわざ座間とか府中に出向いたことはございませんが、私は、定期的に、たとえば日米合同委員会とか、そういう際には、在日米軍参謀長にしょっちゅう会うという機会もございますし、また先般は、在沖繩陸軍司令官が更迭いたしまして、新司令官が私のところにごあいさつに見えたという機会もございまして、そういった機会を利用いたしまして、数回この話をしたという記憶がございます。
  80. 上原康助

    ○上原委員 山中長官は、この件については、全然今日までかかわり合いはないわけですか。
  81. 山中貞則

    山中国務大臣 私のほうは、直接、長官がこれに対して、きわめて強い関心と要請をしておる旨を冒頭に述べて、長官の意思を持ってきたということを言いなさいということを絶えずやらしておりますし、また私が、ひょこひょこ府中あたりまで出かけていかなければならぬというのは、やはり立場としてはちょっとおかしいので、そういうルートで話を詰めるのが至当だと思っております。
  82. 上原康助

    ○上原委員 アメリカ局長は、この件について米側と話し合いをなさったとか、あるいは施設庁と御相談をして何とかせねばいかぬのじゃないのかというような話し合いをもって交渉した経緯はございませんか。
  83. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 この大量解雇の問題につきまして、最初に私ども耳にいたしましたのは、施設庁からの通報を得たときのことであったわけでございます。したがいまして、こういう労務の問題につきまして、直接窓口として担当しておられる施設庁とは、随時、緊密な連絡をとっておるところでございます。ただ、この問題について、直接、具体的な数をあげ、あるいは具体的な内容について、米側と交渉ということはいたしておりませんけれども、労務問題全般の重要性ということにつきましては、随時、米側との接触は持っております。
  84. 上原康助

    ○上原委員 いまお答えがあったわけですが、私は、政府のこの種の問題に対する姿勢ということを、せんだってもいろいろ強調いたしました。姿勢がどれだけ重要かということを強調したつもりなんです。事、重要な件については、政府部内で密接な連絡をとり合って、対米交渉なり事に当たるということを、施設長官アメリカ局長も労務部長もやっておられる。もちろん山中長官大臣御自身が、この種の問題について、直接府中なりあるいは座間の陸軍司令部と交渉する筋合いでないということは、私もわかります、その程度のことは。だが、実際、いまの施設長官の御答弁からして、いかにこの問題について皆さんが消極的であったかということは、いまの答弁を見れば明らかなんですね。  せんだって、正月の二日に、おとそ気分もさめやらぬときに通告をするというのは、けしからぬと思う、憤激にたえないということを、私の質問に対しては言っておられるわけですよ。だから、私は、けしからぬと思うなら、けしからぬ気持ちでやってみたらどうかということも、きつく申し上げました。千三百三十七名がいま九百五十五名に減って、きょう承ったところによると、あと十人ぐらい減るのだから九百四十人に、だいぶ減ったのだということをおっしゃりたいわけでしょうが、問題は、これだけの労働者が正月の二日という公休日に通告を受けて、しかも本庁も知らない、県庁にも事前に通告されていない、もちろん該当者もわからない、組合もわからない、そういう筋の通らないことであるならば、なぜ、もっとき然たる態度で、アメリカ側に対してもものを言ってくれぬのかというのが私たちの不満であり、今日までのこの問題に対しての要請でもあったと思うんですね。  日米合同委員会やその他いろいろな機会があるから、そのつど言っておりましたということで、事、解雇問題をサブジェクトにして、日本政府としては、これこれに対し、こういう通告のあり方に対しては不満だからと、正式の議題してこの問題を交渉したことはないわけでしょう。労務部長人事部長段階でやったというのが、今日までの政府の姿勢であって、長官御自身が、この問題についてほんとうに責任を感じてやったということは出ていないわけです。それでいいのかということなんですね。  この点について、ほんとうにそういうお立場でいいのかどうか、あらためてむしろその責任というものを、私は聞きたいわけです。
  85. 田代一正

    ○田代政府委員 私の行動についての御意見でございますので、お答えいたしますが、やはりこういった問題については、かねがね申し上げておりますように、私ども、労務問題、特に解雇問題につきましては、非常に慎重に従来考え、また非常に細心の注意を払ってまいってきておるわけでございます。  そこで、わざわざなぜ府中に行かないのか、なぜ座間に行かないのかというお話でございますけれども、やはりこちらで、そういう機会に——たとえて申しますと、現在、在日米軍司令官は空席でございます。したがって、最高の地位にある方が参謀長でございます。この方が、私のところに、一時間とかそういう時間を切って参ることが多いわけです。そういう機会をつかまえて話したことがいけないので、なぜ府中に行かないのかということだと思いますが、私は、私のスタッフとして、そういうことが実体的に米軍に伝わるように話をしたらいいのじゃないかと思うのです。何もわざわざ府中に行ったからどうの、座間に行ったからどうのという問題じゃないのじゃないか、どういうことを、私が話をしたかということが問題じゃないか、そう考えます。
  86. 上原康助

    ○上原委員 ことばじりをとらえるつもりはありませんが、私も何も府中や座間にのこのこと行きなさいとは言っていないわけです。参謀長が施設長官の部屋をおたずねになるということは、何もこの解雇問題を話し合いたいから来たんじゃないんでしょう。ほかのサブジェクトがあって、たまたまその機会に来たので、ついで話でやったということなんでしょう。本来、あなたが参謀長を呼ぼうが、座間の司令官を呼ぼうが、それはおたくの権限なんですよ。そのぐらいのことは、施設長官できると思う。それを、出向くとか出向かないということは、私は聞いていませんよ。この解雇問題、これだけ大量の解雇問題、しかも通常とは違うわけですね、正直申し上げて。なぜ三月三十一日ということを、アメリカ側がこれほど固執をしてやってきたかということは、皆さん多く言わないでもおわかりでしょう。そのはね返りが、解雇されていく労働者にみんないっているわけですからね。  そうであるならば、やった結果、ベストを尽くして、あるいはベターでもいいですよ、ベストを尽くしても、なおかつ解決しないというならば、該当者もそれなりに政府の誠意というものを理解しましょう。それは世の中ですから、実際やってできないこともあるし、やってできることもあるのです。しかし国会でいろいろ議論をして、正月の二日にやることはけしからぬと思うので、やりますと言ってみても、実際にどういう形でやったかということを、私はいま問題にしているわけですよ。  いま、いみじくも、皆さんお一人お一人答弁なさったのですが、私が受け取る感じとしては、この問題については、労務部長が本来の窓口だから……。それはそうでしょう、事務的な面は。しかし、あのときにも、三月五日にも私が指摘しましたように、これは労務部長とかそういったレベルでは相当無理があるんだ、背景というものがあるんだから、できれば大臣のレベルまで上げていただいて、政治折衝もやるべきだということを、私はかねがね言ってきたはずなんですよ。なぜ、そういう方針をとろうとしなかったかということを、私はいま指摘しているわけです。もののついでの話だということと、これだけは、どうも納得がいかぬので、もう一ぺん日米会議で正式に話し合ってみようじゃないかということでは、おのずと相手のアメリカ側の受けとめ方も異なってくるでしょう。それは私が言わなくても、皆さんいろいろなことをおやりになって、重々わかっていらっしゃると思うんですね。  そこに、この問題に対する政府の姿勢が、非常に消極的であったということがうかがえてしかたがないわけですね。ここまでせっぱ詰まって、私が取り上げたのはおそかったと私も反省をしましたが、三月の五日ですから、もうあれから三週間以上もたっているわけです。まだ期間があるので、できるだけのことはやると言いながら、実際問題としては、茶飲み話といっては失礼かもしれませんが、事のついでにしか今日まで折衝してきていない。これでは、あまりにも問題の深刻さというものを御理解していただいていないのじゃないかという気がしてならないんですね。その点について、施設庁として、どういう方向でこの問題を取り上げてきたのかということを、もう少し明らかにしないと、いまのお答えでは納得できませんよ。
  87. 松崎鎮一郎

    ○松崎政府委員 若干補足させていただきます。  私がいろいろやりましたことだけ申し上げたような感じがいたしますが、全部うちの長官の指示で動いておりますし、そのうしろには大臣の指示が最初にあったわけです。したがって、米軍との折衝もさることながら、こういう問題につきましては、要するに沖繩の米軍に関する仕事が減って、従業員がやむを得ず離職になるという傾向は、日本全国を通じまして、そういう傾向がありますので、これについては、特に沖繩で問題が深刻であるということで、総理府を中心にぜひ関係省庁でこれの対策を、全体的にお考えいだきたい、そういう申し入れを、長官の指示で正月早々やっておりまして、その後、正式な幹事会としては、一月の二十五日であったかと思いますが、第一回、そのあと事務打ち合わせ会を四回ぐらいやっておりまして、第二回目の幹事会を、つい先ごろやりまして、何とかこういう対策を、全般的にはこういうこと、特に沖繩についてはこういうことだというようなことの検討を進めておりまして、近くその成案が得られるはずになっております。
  88. 上原康助

    ○上原委員 施設長官は、何もお答えがないのですか。
  89. 田代一正

    ○田代政府委員 先ほど上原委員から、茶飲み話程度に話をしておるというお話でございましたけれども、それは全く誤解でございまして、そういうことはございません。いろいろな話もございますけれども、やはりこの問題も、大きな問題の一つとして、私としては向こう側と話をし、また懇談をしておるということを申し上げておきたいと思います。
  90. 上原康助

    ○上原委員 じゃ、合同委員会のもとに労務分科委員会というのがあると思うんですが、その間、労務分科委員会というのは、一体どれだけ持たれたのですか。
  91. 松崎鎮一郎

    ○松崎政府委員 正式な合同委員会の下部機構としての労務分科委員会は、実はここ十数年開かれておりません。
  92. 上原康助

    ○上原委員 じゃ、どこで——皆さんいろいろ政府で話し合うということを、絶えずおっしゃるのですが、労務分科委員会も全然開かれない。合同委員会でも、この問題は正式なサブジェクトにはならない。実際問題としては、労務部長人事部長段階で話をして、何とかしてくださいよ、たいへんな問題だからという程度でしょう。そこを私は指摘しているんですよ。政府というのは、そういうものじゃないと私は思いますね。やろうと思えば、あなたが三月五日におっしゃったように、もしほんとうにけしからぬ通告である、予告であるということを親身に受けとめておるなら、できようができまいが、外務省も入れる必要があれば、入れる必要を認めて、政府間で協議をして、アメリカにどう当たるかということを政府でまず詰めて、交渉に当たるというのが本筋でしょう。そういうことはやらないで、ただやりとりの場でいろいろ言われて、ことばのつじつまだけ合わせばいいという問題じゃないと思うんですね。具体的に全然やってきてないじゃないですか。
  93. 松崎鎮一郎

    ○松崎政府委員 一例を申し上げますと、一月の三十日に、第十五回の安保協議委員会が、私ども大臣も御出席になってやられておりますが、その後の日米の発表にもございますように、特に一項設けまして、離職者の苦境を緩和するための措置を、両国は最善の努力をもってやるというふうに発表されております。
  94. 上原康助

    ○上原委員 一月の十五日に安保協議委員会を持たれていません、安保協議委員会は一月三十日。一月の二日に通告が出されている、この問題もこの間やりましたよ。だから、皆さんが、解雇を軽減していく、困難をなくしていくということ、あの安保協の発表文の中にあるんだが、実際に解雇をされていく人々の困難を軽減していくということであるならば——首を切る以外にもっと困難なことがありますか。  そこで、こういうやりとりをしておっても……(中山(正)委員「基地をなくせというんだから、首を切られるのはあたりまえの話」と呼ぶ)それとこれとは別だよ。(中山(正)委員「そんなことはっきり答弁したらいいじゃないか。その矛盾を黙っているからおかしい」と呼ぶ)実際問題として、努力はしてみたができなかった……。  それで、先ほども申し上げましたように、なぜ三月三十一日ということに米側がこだわってきたかということは、やはり四月一日以降のわがほうの新しい会計年度になれば、ベアの問題とかいろいろかさんでくるわけでしょう。アメリカ側に、それだけの出し前が負担になるということである、それを言っているわけでしょうが、アメリカ側は。逆にいえば、それだけ労働者にとっては不利益を受けるという結果でしょう。いまの政府立場としては、もうやむを得ないということで、このまま三月三十一日の午前零時になるのを待つばかりですか。
  95. 山中貞則

    山中国務大臣 そうじゃなくて、あしたも府中にもう一ぺん行って、念を押してきなさい、相談をしなさいということを、私から直接命令がしてあります。
  96. 上原康助

    ○上原委員 あした行かれるというのは、この牧港の補給基地の解雇問題を含めてお話し合いをなさるわけですか。
  97. 山中貞則

    山中国務大臣 その問題です。
  98. 上原康助

    ○上原委員 明日は金曜日で、しあさっては土曜日、次は言うまでもなく日曜日、期限切れですよね。ここまでくると、いま横からいろいろな意見もあったのですが、確かに基地の問題と解雇の問題と矛盾するのじゃないかということも、これまでいろいろ指摘をされてまいりました。しかし、今回、一月三十日の安保協で返還になったリストを見ましても、牧港補給基地は、金網の外にある事務所が一カ所返されただけですよね。基地の開放とは全然関係ないんですよ。その点も指摘をしておきたいと思うのです。調達事務所が返されただけなんです。補給基地そのものは、どかっとすわっているんです。業務の量が減った云々の問題は、これはアメリカの予算がどうなっているのかそこまで詰めぬと、この議論は、ここで、ただはいそうですかというわけにはいかないわけですよね。  そこで、いま大臣の指示で明日も、府中へ出向こうが、出向くまいが、これは皆さんの御判断ですが、お話をなさるということですね。問題は、きわめてもうせっぱ詰まっておりますし、四月一日以降にずらされていくという可能性も、ほとんどないのじゃないかと懸念をいたします。どうしても四月一日以降に、全面的に撤回をさせようということを、原則的に私たちは要求をいたしてまいりましたが、四月一ぱい雇いなさいという要求でもないわけですね。組合側は、もう譲歩をしてきている。なぜ新しい会計年度一日をずらせぬのかというところに、いまひっかかっているわけですよ。これは政府がその気になっていただけば、できない相談じゃないんじゃないですか。  ついでですから、申し上げますが、私は、名前をあえて明らかにいたしませんが、私もあるアメリカの高官と非公式にこの問題について会ってみました。アメリカ側が言うことには、三月三十一日の解雇ということについては、事前に日米政府で十分協議をいたしました、だから、いまさら、これを繰り延べるとかあるいは撤回ということはできない相談だと思う。さらに、次のことが大事なんですね。日本政府のほうから四月一日以降にずらしてもらいたいという要望も、解雇を撤回してもらいたいという進言も何もありません、こういう言い分なんですよ。いまさきの皆さんのことばとこれは符合するんだ。だから、ここではいろいろ言っておられても、長い間協議をしておって、三月三十一日には、これだけの労働者を解雇するのもやむを得ない、合意を見たから、皆さんはアメリカに対してものを言えないという立場じゃないのかという推測ができるのも、これは、おのずと明らかでしょう。もし、そうであるならば、あまりにも問題をすりかえている結果になるんですよ。
  99. 田代一正

    ○田代政府委員 ただいま二点の御指摘がございましたけれども、第一点、つまり事前に、日本政府は知っていたんじゃないかという問題でございますが、そういうことはございません。  それから第二点の、そういう延期の申し入れをしたことがないということをおっしゃったそうですけれども、だれがおっしゃったか知りませんけれども、申し入れをしているわけですから、そういうことはございません。
  100. 上原康助

    ○上原委員 外務省は、事前に解雇については協議なさったんですか。十分協議をしたと言っている、した結果、三月三十一日という日付になったんだ。だとすると、申し入れは、口頭でやったのかあるいは文書でなされたのか、それも明らかにしていただきたいと思う。
  101. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 外務省は、解雇の問題について米側と協議するというふうな立場にございません。
  102. 上原康助

    ○上原委員 文書でなさったのですか、口頭ですか。解雇延期の申し入れは文書でなさったのか。
  103. 松崎鎮一郎

    ○松崎政府委員 口頭でございます。
  104. 上原康助

    ○上原委員 口頭でやろうが、あるいは文書だろうが、拘束はあるんだというお答えになるかもしれませんが、先ほど来申し上げておりますように、これだけ重要な問題であるという御認識があるとするなら、やはり米側に対しては、こうこういう立場政府としては、解雇の撤回ができなければ、少なくとも四月一日以降にずらすように再検討をしてもらいたいという公式の文書を発送するというのが、外交の、いわゆる相手のある交渉になると思うんですね。組合側だって、そのくらいのことはやりますよ。  だから、何べんもくどくど申し上げておりますように、いまの間接雇用のあり方なり政府のこの種問題に対する姿勢について、ほんとうに疑問を抱かざるを得ない。先ほどの米高官の言い分などを聞いても、言っていることがどこかで全く符号するんだが、実際問題としては、もう完全に合意の上で進められてきている。基地の返還だってそうでしょう。  これは長官に、今後のこともありますので、お答えをいただきたいのですが、この種の問題については、確かに相手があることだし、また、いまのアメリカ側のいろんな事情からして困難であるということは、私も理解しないわけではございません。だが、事、正月とかあるいはお盆、いつだって解雇問題が出れば、おまえ文句を言うじゃないかということかもしれませんが、会計年度にぎりぎり詰めていくとかいうような解雇のやり方については、政府としては、少なくともこういう手順をとらさないということは、この際明らかにすべきだと思うんですね。そういう御意思があるのかどうか。それは、できれば口頭じゃなくして文書で申し入れてもらいたい。この際、そのことを強く要望したいし、御見解を承っておきたいと思うのです。
  105. 山中貞則

    山中国務大臣 事前に知っていたような事実がもしありとせば、私が三月三十一日などというものを断じて承服することをしないことは、これは、わかってもらえると思うのです。  特別給付金についても、いままでかつてやったことのない、四月にさかのぼってまでやったという、これは、ほんとうに大蔵省が、前例になって困ると言うのを、無理してやらせたわけでありますが、その私の姿勢から見て、事前に承知していたなどということはあり得ませんし、向こうだって、ハッピー・ニュー・イアーというその一月の二日に、そういう解雇の発表をすることについては、私自身も、この場で常識では考えられない行為であるということまで言っているわけでありますから、事前に双方が合意してやったなどということは全くありません。  また、それも三月三十一日というのは、日本のいみじくも会計年度の最終日に当たるということで、いまおっしゃったように、また先ほど来言っておられるように、四月一日になればベースもまた違う、退職金の計算も違うというようなことから、米側が作為的にやったものではないかという推測をもって、はたしてほんとうにそれだけの整理をしなければならない財政事情なのかという問題は、どういう整理のしかたをしたかによってわかりますから、私は、単に総数でなくて、その総数の内訳を全部調査させました。  しかし、それは、まことに多方面に分散しておりまして、タイピスト一名、守衛一名、運転手一名、修理工一名というふうに、多くても二名というふうに非常に広く、あらゆる分野について節約と申しますか、予算の制限のためにやっているのだなと思わざるを得ない、内容はそういうものがあります。しかしながら、私としては、間接雇用の雇用主として、防衛庁施設庁があるわけでありますから、少なくとも日本人を、日本の政府が雇用して、米側に提供しておる立場において、このようなことがたびたび行なわれることは、最も避けなければなりませんし、事実また、十二月の二十四日、米側のクリスマス、そして日本の正月明けの一月六日までに至る間は解雇をしないということについては、これは米側も実行しておるところであります。  今回は、その発表を一月二日にやった、このことも、やはり私は、解雇はさきであっても、一月の二日とかあるいは六日以内とか、または年末とかいうときにやることは、やはり常識上好ましくないと思います。したがって、米側には、そういう意向は、あらためて伝えもいたしますが、文書を発する、そして文書で返答をもらうというような切り口上のやりとりよりも、私たちは、やはりもっとお互いが、日本側の実情もよくわかってもらう、日本側の風俗、習慣等もよくわかって、米側も、日本人というものに対して使用者の立場で、働きいい場所で働いてもらうというやり方をとるのが、私は、かえっていいと思います。公文書でしますと、向こうはノーならノーと言ってきます。そしてまた、文書でノーでは困るから考え直せ、再考の余地はない、そういう文書のやりとりよりも、やはり施設庁に労務部長がおるわけですし、手足もスタッフも、またパイプも相手側とあるわけでありますから、私の意向も絶えず伝えておりますので、そういう手段を今後も続けていくほうがかえっていい、そういうふうに私としては考えます。
  106. 上原康助

    ○上原委員 先ほど不規則発言しておしかりを受けましたが、私もおわびをします。  ちょっとおかしいのじゃないかと思うんですが、おわかりでなくて——わかっておったなら、むしろ断じて拒否しておった、事前に三月三十一日ということを……。わからないままに、政府も全然知らないままに、やみ討ち的にやられた、このほうを、むしろおいかりにはならないんですか。そうであればなおさら、何の連絡もないまま——県側も知らなかったと言うし、政府も知らなかった。せんだってのあれでは、本来は、政府が、必ずしも事前に受けるようにはなっていないということでしたが、私は、そうは思わないんです。全然、政府が知らないままにされて、しかも三月三十一日ということであるなら、これこそ筋が通らないんだから、今回の通告についてはお断わりしますということが言える筋の問題ではないかと思うんです。そこにも、まだぎくしゃくする面があるわけです。  そこで、文書でやりとりということも格式ばるので、できるだけ相互の理解の上でやっていくというお答えですが、要するに、どういう形式でやろうが、会計年度のぎりぎり、三月三十一日というのに合わせて、こういう大量に解雇をするということは絶対避けてもらう。今後もあり得ることだと思うのです。もう一々申し上げませんが、一日日にちが違ったということだけで、該当者の損失というのは、いろいろな面で、実際問題として三十万から五十万の範囲になるんですね。これでは解雇をされていく人々に、ますます困難を強要しているようなものです。何の軽減にもならないんです。  だから、私は、この間も、安保協の文書は一体何かと言ったのです。そうであるなら、そこいらについては、もう一度明日、どの程度効果があるかわかりませんが、ぜひひとつ、最後までベストを尽くしていただいて、できるだけ四月一日以降に、この解雇というものを延期をさせる。四月まるまる働かしなさいと言っているのじゃないんです、こっちは。アクションを、三月三十一日というよりも、四月一日ということでとるのもやむを得ない措置だということまで言っているわけです。これは組合が言っているのじゃない、私が言っているんです。そのことがアメリカの財政上の都合があるにしても、何とか聞けない相談じゃないと私は思うんです。だから、ぜひその点、最後の努力をしていただくように強く要求をしておきたいと思うのです。
  107. 山中貞則

    山中国務大臣 ちょっと私の表現が悪くて、誤解を招いているようですが、事前に三月三十一日付で解雇をいたしたいと思いますが、よろしゅうございましょうかという相談を受けたら、私がそれをイエスと言うはずはないということを申し上げたわけです。これは一方的な通告でありますから、したがって、われわれとしては、その通告を知った後、それは、ちょっと非常識じゃないかということで、今日まで交渉してきたということでありますから、誤解を解いていただきたいと思います。  それから、今後、こういうような事態が生じないようにということは、十分相手方にも、なぜ、われわれがこういうことをずっと問題にし続けたかということについて、いままでも言っておりますけれども、今後のことがありますから、あらためてその点、米側の注意も喚起いたします。
  108. 上原康助

    ○上原委員 次に、この問題とも関連するんですが、これも解雇問題なんです。  諸機関労務者の件で、これは、もちろん先ほどのお話でも、本土の解雇はあるわけで、私は、同次元で考えているわけですが、諸機関労務協約の場合に、一体、米側がとれる人事措置というものは、どういうのがあるのか、諸機関関係雇用員の場合に、人事措置として米側がとる措置というものは、どういうことができるのですか。基本労務契約も同じなんですが、実際、諸機関の場合、なおひどいのです。ほんとうにやりたいほうだいやっているんです。
  109. 松崎鎮一郎

    ○松崎政府委員 お答えいたします。  人事措置といたしまして、一応諸機関労務協約というものがございます。   〔委員長退席、小宮山委員長代理着席〕  これに基づいてお答えいたしますと、「在日米軍は、任用、昇格、低い等級への変更、配置転換、異なる基本給表への変更および雇用の解除を含む人事措置」というものを行ないます。
  110. 上原康助

    ○上原委員 確かにそう書いてありますね。「人事措置人事記録および人事報告、A節通則」、ここでいっているのは、総則的なものをあげているわけですね。  では、お尋ねしたいのですが、パーマネント・パートタイム・フルタイムというのは、どういう意味ですか。パーマネント・パートタイム・フルタイム・アポイントメント。むしろ英語で言ったほうが、すっきりするような気がしますので……。
  111. 松崎鎮一郎

    ○松崎政府委員 日本語で申しますと、常用という意味でございます。
  112. 上原康助

    ○上原委員 常用というと何ですか。
  113. 松崎鎮一郎

    ○松崎政府委員 一応、雇用の形態といたしまして、常用従業員、それから臨時と申しますか、期間を定めて雇い入れます従業員、その他いわゆる常用でない者が幾つかございますが、諸機関の場合、常用従業員といたしまして、通常勤務時間が四十八時間以下の者で、いわゆる期間を定めないで継続任用する者、そういう者が常用従業員でございます。
  114. 上原康助

    ○上原委員 先ほどお答えのあったどういう人事措置がとられるか。これには、いま私が言ったパーマネント・パートタイム・フルタイム・アポイントメント、このことは入るのですか。それと、パーマネント・パートタイム・フルタイム・アポイントメントという用語が、この協約の中にあるのかどうか。その二点をお答えしていただきたいと思います。
  115. 松崎鎮一郎

    ○松崎政府委員 そういう規定は協約内にございます。どういう意味かと申しますと、常用従業員であるが、フルタイムと申しますのは、四十時間以上の者をいっておりまして、パートタイムと申しますのは、四十時間以下の勤務時間の者をいっております。
  116. 上原康助

    ○上原委員 先ほどの人事措置に、たとえばフルタイムからパーマネント・パートタイム・フルタイム・アポイントメントに切りかえる措置というものは、先ほどお答えがあった人事措置に入るのですか。
  117. 松崎鎮一郎

    ○松崎政府委員 お答えいたします。  先ほど、任用ということを最初に申し上げましたけれども、採用いたします際に、一定の試用期間を置いて、期間を定めない継続勤務の従業員を雇うというような意味であります。
  118. 上原康助

    ○上原委員 ちょっと不明確なんですが、時間の関係もありますので、私のほうから進めていきたいと思います。  この諸機関の協約の場合、それは、皆さんは御専門にやっていらっしゃるから、それなりの解釈があるし、また、いま米側が、たとえば昨年の九月以降OREで、いわゆる常用雇用からパートタイムに切りかえるいろいろな措置がとられたわけですが……。   〔小宮山委員長代理退席委員長着席〕 しかし正直申し上げて、その手続のしかたも、協約上から考えて、かなり疑問があるわけです。これはアメリカ局長がいらっしゃるので、従来ステータスという場合は、一般概念はどうなるのですか。ちょっとそこまで聞いて話を進めたいと思うんですが……。
  119. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 ステータスという英語の訳でございますが、たとえば地位協定、これはアグリーメント・オブ・ステータス・オブ・USフォーセスということでございますから、地位というのが一つの訳としてあると思います。
  120. 上原康助

    ○上原委員 そうでしょう。地位とか身分とかでしょう。人間の場合は、身分のことでしょう。身分の変更というのは、一般的概念としては、重大な人事措置ですね。私は、そう思うんです。ですから、私が先ほどどういう人事措置があるかということで——確かに書いてありますよ。「在日米軍は、任用、昇格、低い等級への変更、配置転換、異なる基本給表への変更および雇用の解除を含む人事措置に関する手続を開始することができる。これらの人事措置は、在日米軍の要求に応じて、防衛施設庁(労務管理機関)によつてすみやかに正式なものとされる。」、これこれはできるということを、確かにあげてありますね。しかし常用雇用からパートタイムに切りかえることは、こっちには該当してないのです、私の解釈では。これが一つ疑問な点。あなた先ほどからおっしゃっているんだが、そういうことなんです。  もう一つ、この諸機関労務協約の二〇ページ、これの勤務時間というところの総則のe項に、「週四十時間未満の勤務時間制」ということが確かにうたわれています。これも読んでみましょう。「在日米軍は、業務運営上の必要に応じて、週四十時間未満の勤務時間制を定めることができる。この勤務時間により勤務する従業員は、パートタイム従業員とし、」、その後が問題点だと思う。「その試用期間の終了の後常用従業員となるものとする。」、ですから、ここでうたってあるパートタイム、週四十時間以下でもパートタイムとして雇ってもいいということは、雇用される前の条件だと思うんです。いわゆる最初に雇用される場合に、現在は四十時間以上の従業員がAという職場に百名おって、それだけで満たされているんだが、なおかつ繁忙期とか、あるいはPXですと、クリスマスとか年末、年始の場合は、忙しくなるのです。そういうときは五名か十名は、四十時間以下のパートタイムで雇いましょう、それはできますよ。しかし、その後、試用期間が終えたら、常用雇用員にすることもできますよということなんだ。そうでしょう。  だが、いま米軍がやっていることは、本来パートタイムでなかった、四十時間の正規雇用員であった者を、この項を適用しているかどうかはわかりませんが、パートタイムに切りかえるということでしょう。しかもパーマネント・パート・タイム・フルタイムというのは、どういう意味なんだ。こういう用語はないですよ。この諸機関協約には私はないと思う。英文をちょっと見てみましたがない。ところが、アメリカの通告を出しているのには、そういう用語が使ってある。いまの二点ですが、明確にしていただきたいと思う。
  121. 松崎鎮一郎

    ○松崎政府委員 お答えします。  御疑問の最初の一点は、パートタイム従業員と、それから四十時間以上働いております従業員とは、身分が違うのではないかという御質問ではないかと思います。これは、私ども先ほど申し上げましたように、諸機関の職場で働いております従業員の場合、四十時間以上であろうと四十時間以下であろうと、いまの、期間の定めがなく継続勤務として雇い入れました者の場合は、同じ常用従業員でございます。したがって、いわゆる身分、ステータスが違うということはないというふうになっております。  それから二番目の、パーマネント・フルタイム、パーマネント・パートタイムというお話でございますが、パーマネント・フルタイムと申しますのは、いわゆる常用の四十時間以上働く諸機関の従業員、それからパーマネント・パートタイムと申しますのは、常用であるが、四十時間未満の勤務時間制で働いている従業員、そういうふうに理解しております。
  122. 上原康助

    ○上原委員 そうしますと、本来、常用雇用として四十時間制でやってきたわけですが、その方々が、アメリカ側の一方的な都合によってパートタイムに切りかえられる、その場合の規定は、どれをアメリカは適用しているわけですか。
  123. 松崎鎮一郎

    ○松崎政府委員 お答えいたします。  諸機関労務協約の最初のほうでございますが、二ページに、「業務の分担」という項がございまして、ここに防衛施設庁と在日米軍のそれぞれの業務の範囲というものが規定してございますが、ここに在日米軍のほうのいわゆる分担する業務という意味で、先ほども申しました任用その他の手続をとるというのがございます。それからその前に、「すべての通常の管理および監督上の権限を行使し、かつ、責任を負う。」というのがございます。  それで、就業時間何時間でこの職場を運用管理するかというようなことは、アメリカ側のいわゆる分担する業務ということになっておりまして、これが具体的にこの本で言いますと、二十一ページになりますが、この諸機関労務協約の附属書の3、英文附属書の8になりますが、勤務時間を規定している附属書がございます。その総則の中で、「通常の勤務時間は、在日米軍によって定められ、業務運営上の必要に応じて、在日米軍によって随時変更が行なわれるものとする。防衛施設庁は、緊急の場合を除き、その変更の発効日の五労働日前に通知を受けるものとする。」というのがございます。したがいまして、在日米軍は、その通常の勤務時間制について、随時その業務の運営上の必要に応じて通知をしてくるわけでございます。この規定からいきますと、五労働日前に通知を受ければ、それで四十八時間以下の勤務制であれば、随時変更できるというふうになっております。
  124. 上原康助

    ○上原委員 それは、おかしいですよ。いま、おっしゃっているのは当たっているが、いま読まれたのは、通常の勤務の場合でしょう。まだ、ほかに、通常の勤務というのは、四十時間から四十八時間と書いてある。ですから、これは通常の場合です。私が言っているのは、通常の常時雇用であったわけだ。常時雇用であるのが、パートタイムに切りかえられていくという場合は、どの条項を適用しているかということが一つと、またアメリカ側の都合で、通常の場合は、こういうことはできるのだが、四十時間以下のを新たに雇うという場合じゃないんですよ。継続して雇用されてきた人が、本来は常時の雇用であるのが、ある日にちを限ってすぐパートタイムに切りかえていくということが、協約のどこから生まれてくるのかということなんです。それを、まず明確にしておいていただきたい。
  125. 松崎鎮一郎

    ○松崎政府委員 先ほど申し上げましたあとに、五労働日前に通知を受けるわけですが、そのあとに、「基本労働週は、日曜日に始まり、土曜日に終わるものとし、通常の勤務時間は、2eに定める場合を除き、四十時間以上四十八時間以下とする。」となっております。それで2eというのは、何かと申しますと、週四十時間未満の勤務時間制を定めることができるという規定でございます。したがいまして、通常の勤務時間は、この諸機関の従業員の場合には、四十八時間以下である。したがいまして、先ほどお答えいたしましたときに申し上げましたように、米軍が業務運営上の必要に応じて随時変更権を持っておりますので、その範囲であれば就業時間の変更ができる、こういうことでございます。
  126. 上原康助

    ○上原委員 そこが若干、解釈のしかたの問題に疑念があるわけです。いま労務部長のおっしゃるとおりとすると、四十八時間以下は通常の勤務時間だ。そうすると、アメリカは四十八時間以下なら、おまえは五時間きょう働きなさい、おまえはあしたは十時間だ、あさっては二十時間だ、そういうこともできるのですか。そういう極論も出てくるんですよ。ちゃんと歯どめはあるんじゃないですか。それを問題にしているんです。  私は、専門ではありませんが、私が理解をする限りにおいては、この協約においても歯どめはされていると思うのです。歯どめされていなんですか。あなたがおっしゃるように、四十八時間以下ならどうでもいいのだ、きょうは五時間、あしたは七時間、次は忙しいから四十八時間働け、こんなでたらめな職場がありますか。こんなことは実際問題としてできっこない。
  127. 松崎鎮一郎

    ○松崎政府委員 お答えします。  通常の勤務時間が四十八時間以下であれば、随時変更権があると申し上げましたのは、いまおっしゃいましたように……(上原委員「通常の場合四十時間と四十八時間の範囲なんだよ」と呼ぶ)要するに、「2eに定める場合を除き」、と書いてございますけれども、四十時間以上四十八時間と書いてありますので、2eというのは、四十時間未満もできる、これは基本労務契約の関係の従業員の規定にはないわけでございます。諸機関だけにあるわけでございます。  なぜかと申しますと、諸機関というのは、御承知のように、実態といたしまして、俗にいいますPX、いわゆる売店でございますとか、クラブ、食堂、こんなようなものが、いわゆる諸機関と称するものでございまして、歳出外の資金で運営されており、独立採算制でやられておるわけですが、そういった職場の特殊性ということから、たとえばほかの民間の場合でも、食堂等でパート等があり得ますように、この米軍の食堂等でも、そういうものがあり得るということで、特にこういう規定が諸機関の労務協約に規定されておる、こういうことでございます。  それから、あした八時間とかあさって七時間にしろということを、その一日前に言うということはできません。五労働日前にちゃんと通知をしなさい、しかも、そのパターンは——長くなりますので省略いたしますが、そのあとに変則勤務というものはどういうものです、断続交替勤務というものはどういうものです、スプリットシフトとはどういうものですというようなことは規定がございまして、類型はございますので、その類型の中でやることになります。
  128. 上原康助

    ○上原委員 ですから、先ほどは極端なことを申し上げたんですが、四十八時間以下の勤務変更は、いつでも協約上できるということになると、そういうこともありますよ。五労働日前なら五日前に、労管なりあるいは政府なりにやればできる、そういう解釈にもなるわけですが、そうはならないと私は思うんです。——それは一致しましたね。  それと、いま一つ。ここでおっしゃる2eの件ですが「2eに定める場合を除き」というこの項のことは、本来、常時雇用であった者でなくして、当初、いわゆる最初に雇用される場合の規定をうたったものではないかということなんです。そうでないと、たてまえからしても、正規の雇用なんて要らないですよ。これを、皆さんは、いや四十時間以下も、アメリカ側が労働日を定めることができるのだ、五日前に変更の通知をやればできるんだからということなんだが、先ほどもあげたんですが、この2eで確かに「できる」と書いてあります。四十時間以下も。しかし、これはあくまでパートタイムという場合です。あなたはパートタイムとしてしか雇用しませんよ、四十時間以下ですよという条件で雇われた場合は、この項に私は該当すると思うんですね。  だからこそ、そのうしろで「その試用期間」とあるんです。この試用期間というのは、正規の雇用でないのを試用期間というのです。三カ月なら三カ月と定めて、その間、いろいろ調査をして、能力があるかどうかも調べて、正規雇用に上げるというのが一般の労使慣行でしょう。だからこそ、「その試用期間の終了の後常用従業員となるものとする。」なんで、これは、むしろ予備的な条項であって、いま沖繩や本土でこれを乱用——乱用と言ったら、また御意見あるかもしれませんが、そこいらは、もう少し歯どめをはっきりさせぬと、私は、この協約の問題も、むしろアメリカ側がやりたいほうだいに拡大解釈をされていく。そういう結果にいまなっていると思うんですね。その点は、ぜひ明確にさせていただきたいと思うのです。
  129. 松崎鎮一郎

    ○松崎政府委員 恐縮でございますが、上原委員お持ちのようでございますが、この一二ページに常用任用の定義という項がございます。長くなりますので省略しますが、その最後に、「この定義は、パートタイム従業員にも適用する」ということで、常用任用であるということは、はっきりいたしております。したがって、身分が変わるとか雇用形態が変わるというものではございませんで、就業時間が変わる、それは変えてもいいことになっている、そういう意味でございます。
  130. 上原康助

    ○上原委員 ここは、あとでまた勉強しますが、そうしますと、あなたがおっしゃるように、常用であってもすぐパートタイムに切りかえることも可能ということですか。ここでいう定義は、身分は確かに臨時であっても、取り扱いの、いわゆる協約に定められているいろんな権利とか休暇とかそういうものについては、パートタイムについても同じように取り扱うということだと私は理解するのです。そうだと思うのです。
  131. 松崎鎮一郎

    ○松崎政府委員 先ほども申し上げましたが、常用従業員とここでいっておりますのは、どういうものかといいますと、期間を定めないで継続的に雇うと申しますか、そういうものでございまして、いろいろほかに臨時従業員というものもございますし、日雇いもございますが、そういったものではないという意味でございます。したがって、雇用形態の変更ではございません。諸機関の特性上、たとえば週三十六時間とか、そういう勤務時間制もあります、常用従業員としても。  ただ問題は、四十時間以上の勤務の場合と——通常四十時間が多いのでございますが、三十六時間とか三十二時間とかいうことになりますと、その給与が減ります。これは当然、勤務時間が減りますから減ります。ただ、その場合に、別の規定がございまして、選択権を使える。それで、従業員は、アメリカ側から、そういうことを言ってまいりましたとき、たとえば今後はいつからパートにしたい、三十六時間にしたいというようなことを言ってまいりましたときには選択権が使える。その選択権というのは、どういうものかと申しますと、具体的に申し上げますと、一つは、そのまま、じゃパートになりましょうという意思表示、それからもう一つは、それと全く正反対で、もうこの際やめるという意思表示、その中間といたしましては、一応、現在の、四十時間で勤務していたときの期間を精算して退職金をもらって、翌々日ぐらいからまたパートタイムで再採用される、その場合の退職金は、いわゆる人員整理扱いの退職金で、高率のものを支給するということになっております。
  132. 上原康助

    ○上原委員 そうなりますと、明らかに身分の変更ですよね。そういう解釈はとれないのですか。本来、それは皆さんがこの協約だけにこだわるから、何とかそこに話を持っていこうとする。しかし長い間、従来、四十八時間、二十年間働いてきた、あるいは過去三カ年は、四十時間ということで正規雇用として働いてきた、しかし三月三十一日付で、あなたが言うように三十五時間制にしますよ、条件は、継続して、先ほど言ったようにパートタイムとして、フルタイム・パートタイムとして受けるのかという条件がついている、三十五時間以下になる労働日は。あるいは整理退職余を受けてやめますか、そのいずれにも該当しないものは、継続雇用のパートタイムとして雇いますよということを、いま強要しているわけでしょう。これは明らかに雇用の身分の変更じゃないですか、一般常識からいって。  ところが、協約上もその点は明確にうたわれていないんですよ、こういうことをやっていいということは。そういうことは書いてないわけでしょう。ですから、そういう面を、いま少しすっきりした形にしないと、幾らでも、あなたがおっしゃるように、四十時間以下であっても、五日前に労働日を変更しますからということであるならば、じゃ二十時間に変更するということもできるんですよ。そんなでたらめなことを、幾ら諸機関であってもさせてはならないと思うんですね。明らかに身分の変更ですよ。雇用の変更、制度の変更であるならば、解雇するなら解雇するで一応ぴしゃっと切る、そういうのが私はたてまえだと思うんですが、このいまの諸機関の解釈の問題も、もう少し整理をしていただきたいと思うのです。  いま時間の指示があったんですが、これは長官にも、そこまでは大臣のお仕事でないといえばそれまでかもしれませんが、実際にいま三月の十二日に通告をして、しかも三月三十一日でこれを実施しようとしているわけでしょう。こういうことも、本来なら、四十日前に、解雇であるならば通告をしなければいけませんよね、諸機関でも、トータルとしては。わずかに三月の十二日に、あなたは四月一日からはパートタイムになりますか、それともやめますか、そういうようなやり方をどんどんやってきているわけですね。このことについても、もう少しアメリカ側に対して、この諸機関労務協約の解釈の問題なり、あるいは現在の実態というものを調べていただかないと、現場で働いている労働者の待遇といいますか、生活というものは、ますますめちゃくちゃにされていく可能性が——可能性というより、現に出てきているわけです。これも三月三十一日ということにまた詰めてきている。ですから、先ほどの解雇もそう。諸機関の場合も全部そこなんです。OREにしても、エアフォースにしても、そこなんです。そこまでアメリカ側が、なぜ強引にやってきたかということに対しては、問題を整理して、これは受けられませんということを、この際私はやるべきだと思うんですがね。  この空軍の二百九十名の問題についても、そのまま、アメリカ側がやろうというのだからしようないということでさせるのか。どうしてもこれは歯どめにかけるべきだと思う。ある意味においては、牧港の場合は九十日前ということがあって、どうやら九十日ということは、日にちは合わしたけれども、それ以上にこれはやり方としてはこすいやり方なんですよ。この点について、どういう御配慮をなさろうとしているのか、お答えいただきたいと思うのです。
  133. 松崎鎮一郎

    ○松崎政府委員 ただいまおっしゃいました沖繩の空軍関係のIHAのパート切りかえの問題は、実は三月の十二日、私、沖繩に団体交渉で参ります飛行機の中の新聞で知りまして、翌日、団体交渉をやります際に、その実情が、具体的な事実関係がよくわからないままで団体交渉をやりました。  ただ、私として、そのとき申し上げましたのは、いわゆる現行の諸機関協約に違反しているものではないが、なお何か実情に不適当なものがあれば十分善処します、こういうふうに申し上げまして、その足で、で、これは空軍の関係のものでございますから、沖繩の空軍司令官、それから嘉手納の基地司令官、そのお二人にお会いしましたときに、いま沖繩の状況は、復帰後まだ日が浅くて、いわゆる間接雇用制度と申しますか、そういったものについて、日米関係者とも十分なじんだという状況にまで至っていないと思うので、ただ規定に書いてあるからいい、違反でないからいいというだけでなくて、もう少し実情をよく見て善処してほしい、従業員のほうに、アメリカ側として、空軍のクラブがいまどういう経営状態になっていて、そのために、こういうことはどうしてもやむを得ないというような事情を、もう少しよくわからしてほしい、よく理解と協力を得られる大勢になっていて、そしてそういうことをやるということが、あとあとの運営上にも一番いいでしょうということを頼んできました。それで、こちらに帰りまして、府中のほうにも、そのようなことを、私どもの企画課長を通じて伝えてございます。  そこで、先ほど大臣から、明日、牧港等での折衝の御指示がございましたけれども、明日は、また手分けをいたしまして、第五空軍のほうで、当面そういうものの調整をやっておりますので、そちらのほうにも、その話をしてまいるつもりでございます。
  134. 上原康助

    ○上原委員 もう時間が参りましたので、これも、ほんとうに協約上——まあ皆さんは、協定に違反をしていないが、好ましくないからという立場に立つ、そういう態度は、行政をやる立場としては当然かもしれません。しかし現実の問題として、いろいろ解釈のしようによっては、線引きもあるわけですから、解雇をするなら解雇をする、なぜ解雇をするかという理由を明らかにしてやるべきが、私は人事行政だと思うのです。アメリカ側が好きかってに、幾らでも勤務時間を縮めてみたり、解雇をすることもできるということになると、そういう状態では、労働者の立場も生活設計も立てられませんよ。  ですから、大臣のほうも、こまかい点で恐縮ですが、そこいらについても、いまの米側の解雇の手続の踏み方というものは、実際あまりにもめちゃくちゃなやり方をやっている、混乱を起こしている、そういう実態について、十分実情を施設庁、関係者に調べさしていただいて、この件なども、ぜひとも四月一日以降にずらしていくように、まあ明日どういう交渉になるかわかりませんが、やっていただきたいということを、重ねて強く要求しておきたいと思うのです。
  135. 松崎鎮一郎

    ○松崎政府委員 ちょっと補足いたしますが、そのときに沖繩の空軍の司令官が私に申しましたのは、長くつとめてもらっている従業員のことでございますから、私の家族同様に考えております、一番ダメージを従業員に与えるのは、解雇ということではないかと考えられます、だから、解雇ということはできるだけ避けたい、いましばらくの間、経営状態が思わしくないクラブ、ほかは問題ないのですが、クラブに問題がある、その財政状態の悪い間、一割ぐらいの収入減になることは、非常に気の毒だと思うんだが、がまんしてほしいということを、いま従業員のほうに頼んでおるところであるというような回答でございました。  ただ、いろいろそう申しましても、実質的な解雇につながるような措置でもあり得るのじゃないかという御指摘については、私ども、実はこういう件が、内地でも、青森その他で起きておりまして、関係の労働組合とも十分話をしておりますが、この規約そのものの改正と申しますか、それを、もう少し従業員のほうに思い切りがつくようにと申しますか、はっきりわかるようにと申しますか、わかりやすい、常識的なものにというようなことは、十分心がけてまいるつもりでございます。
  136. 上原康助

    ○上原委員 これで締めくくりたいんですが、先ほど申し上げた牧港補給基地の解雇の問題、特にいまの諸機関のほうも、昨年のOREの問題あるいは現在の空軍の問題を含めて、そのやり方が、もう三月三十一日までには、どんなことをしてでも、切るのは切る、あるいは勤務時間を減らすのは減らす、やめるのはやめるというような、イエスかノーか方式のことをやってきているわけですから、それについては、ひとつ大臣のほうで指示をしていただいて、あまりむちゃ過ぎるのじゃないか、そういう表現を使うかどうかは別として、いま申し上げた二点について、在日米軍に強く再考慮を求めていくということを明日やっていただきたいと思うのです。  そのことを含めて、今後の基地労働の問題等が、こういうかっこうではいかないということをお感じになったと思いますので、最後に、その御見解をお聞きして、きょうのところ、これで終わりたいと思うのです。
  137. 山中貞則

    山中国務大臣 私は、解雇の数のいかんにかかわらず、一名であっても、その日のうちに、理由書を付して、私の手元に届けさせております。それは、その人にはその人の人生があり、その人のたった一つの職場であり、妻子の将来もある、それを考えますと、数字の多寡も問題ですけれども、一名であっても、その人にとっては生涯の問題であるというふうにとらえて、その通知を、私としてはよく調査をし、納得のいくまでやっているわけですが、ただいまのような御意向については、今後も十分努力してまいりたいと思います。
  138. 上原康助

    ○上原委員 終わります。
  139. 徳安實藏

    徳安委員長 和田貞夫君。
  140. 和田貞夫

    ○和田(貞)委員 私は、その後の自衛官の募集のやり方をいかに改善されたかということと、隊員に対する同和教育について、どのように取り組まれておるかということについてお聞きしたいと思うわけであります。  昨年の三月二日の、前国会における防衛庁設置法、自衛隊法の一部改正案の中で、私が本会議で大阪の一例をとりまして質問したわけです。防衛庁長官はかわっておられるわけですが、一月の十九日の大阪におけるできごとでありまして、高槻の未解放部落の出身の一少年が、家を出て、そして帰ってこない、家のほうでは、一生懸命に四方八方さがしまして、警察に行くえ不明だということで届け出をしておる、ところが、大阪地方連絡部のほうでは、その二人の少年が、ポスターに見入っておったわけですが、地方連絡部の広報係長が二人を呼んで、自衛隊に入りたいか、入隊したいか、こういうことで連絡部の中に連れ込んで、そしてその日は一泊させて、あくる日に受験をさせて、そして合格をした、合格したが、一月の三十日が入隊の期限であるから、それまで日にちがある。だから、アルバイトせいということで、近くの三永紙工という印刷会社に連れていって、そして、このアルバイトをさせた、そして実に十九日から二十五日まで隊内に泊めておったという、こういう事件であります。  その間、親が一生懸命さがしておるが、なかなか見つからない。一月の二十三日には、連絡部のほうが、少年の家の近所までやってまいりまして、そして親元の家に行かないで、近所のSさんという家へ行って、そこの奥さんに会って、いろいろとその少年の事情を聞いたところが、その奥さんが非常に驚いた。実は、浪速商業高等学校の生徒である、年齢は十七歳である、親は一生懸命さがしておるということを、そのSさんの奥さんが、調査に来られた連絡部の人に伝えておる。ところが、この調査に行った人が、帰ってなお不審にも思わぬし、Sさんの奥さんから聞いておるにもかかわらず、なお親元にも連絡しないでほっておいた。Sさんのほうは、家元のほうで非常に心配されておるので、さっそくそのことを知らせに行った。そこで初めておやじさんが、カンカンになって連絡部のほうに文句を言い、早く返せということを言って、初めて一月の二十五日に家元へ戻したという事件であります。  しかも、その間におきまして、アルバイトを世話するということで連絡部が連れていって、ついに二十五日まで毎日、自衛隊の連絡部の官用車でアルバイトにその少年の往復を送迎した。そしてなお、三永紙工からいただく賃金は、本人の少年に直接支払わさないで、自衛隊のほうで受け取って、食費だということで、食費代を差し引いて、あとの残りを少年に渡す、そういうことが伴っておるわけです。しかもなお、これは、この一少年の問題だけではなくて、実に十四回にわたり、地方連絡部が同じ三永紙工に職業を紹介しておったということが、これまた伴うわけであります。  したがって、そのことにつきまして、私が質問いたしましたところ、当時の防衛庁長官は、どんなふうに考えておられたのかわからないのでありますが、その当時の答弁としては、「満十八歳未満の人について勧誘をいたしましたところ、両名が自衛官になることを承諾をした。ただし、入隊までに期間がある。その間、実は衣食の道が適切にないということで、勧誘しました者がアルバイトをあっせんしました。」、こういう答弁をしております。あるいは当時の労働大臣は、「お尋ねの自衛隊の募集、すなわち入隊勧告でありますが、この問題程度では、職業安定法に触れることはありません。」、こういうふうに言い切っておるわけであります。さらに、同和事業の担当所管大臣であります坪川総理府総務長官は、「官庁の幹部職員を集めまして、累次にわたるところの研修会を開いており、その中に防衛庁職員の幹部諸君も多数御参加をいただいておるというような次第であります。」というように、それぞれ答弁をなさっておるわけであります。  ところが、私がこの質問をいたしました後に、実に七月の二十五日までかかりまして、地域の民主団体やあるいは部落解放同盟の諸君たちと、この点についての解決に当たる中で、この三人のそれぞれの大臣答弁というものは、全くでたらめでありまして、全く当を得ておらない答弁であったことが事実として判明したわけであります。  そこで、そのことについて、この機会にお尋ねいたしますが、その後、大阪地方連絡部なり、あるいは中部方面総監部のほうから、具体的にその報告を聞いておるかどうか、まずお答えいただきたいと思います。
  141. 高瀬忠雄

    ○高瀬(忠)政府委員 この事件が起きまして、その後間もなく、実は大阪地方連絡部から報告を受けております。そのときの報告では、この両名は、自衛隊に入りたいということで志願書を書かせましたところ、年齢を偽って書いたといいますか、年齢に違いがございまして、あとで先ほどお話しのように、十八歳未満ということがすぐわかるわけでございますが、そういったことが、間違いの出発でございまして、そのとき、さっそく親元に返せばよろしかったのに、なお確認しようというようなことで、泊めておったというようなことがございました。  それからその間、いまお話しのように、アルバイトの世話をしたとか、それから二十五日に、学校の校長から責任者の来校を求められて行くわけでありますけれども、それまでの間、地連の中に泊めておった。それでその朝、アルバイト先から本人たちの給料をもらうことにしたわけでありますが、とても間に合わぬというので、自衛隊の広報員が立てかえて払った、こういうようなことを、この事件がありましてから、すぐ報告を受けております。
  142. 和田貞夫

    ○和田(貞)委員 そのときに、自衛隊がとった態度というのは、その当時、私の質問の際に、政府答弁として、この程度では職業安定法の違反ではないのだというように聞いておられるのか、あるいはその賃金を、本人に会社のほうから支払わさせないで、自衛隊のほうで受け取って、そしてその食費を差し引いて本人に渡すというような行為、これが労働基準法の違反でないという考え方に立っておられるのかどうか。
  143. 高瀬忠雄

    ○高瀬(忠)政府委員 そのときのこととあとで事実がわかったこととでは、だいぶ違うのでありますが、そのときは、たまたまその二名の少年に対してアルバイトを世話した、それだけのケースであったということでございまして、これは継続的に繰り返し紹介をしたということでないということで、職安法違反ではないというように、そのときは判断したわけでございますが、あとでいろいろ調べてみますと、十四回もそういったことが継続して行なわれておったということがわかりました。  それから、先ほどの労働基準法の関係でございますけれども、先ほど申しましたように、その朝早く、学校の校長さんから呼び出されまして、とりあえずアルバイトをやめていくわけでありますから、二人のアルバイト料をとにかくもらってやらなければいかぬということでございましたが、間に合わぬとその会社の者が言うものですから、広報員が立てかえたというようなことでございまして、そういうようなことが、直ちに労働基準法の違反であるというふうには、その当時は考えておりませんでした。
  144. 和田貞夫

    ○和田(貞)委員 私は、この問題を質問で触れたときに、質問の時間が短い時間でありましたが、この一件だけでなくて、他にもあるということを触れておるわけなんです。それから食費が差し引かれて賃金が支払われておるというようなこと、時間が短時間でありましたけれども、私は、具体的に言っておるはずなんです。それにもかかわらず、労働大臣なりあるいは当時の防衛庁長官が、別に悪いことをやったことはない、やったとは思わないというような正々堂々とした答弁が、この議事録に残っておるわけであります。  労働省の方に来てもらっておりますが、ひとつ具体的に、なぜ労働基準法の違反になるのだ、なぜ職業安定法の違反になるのだ、この事実と照らして、それを法的にこの際明らかにしておいてもらいたい。
  145. 加藤孝

    加藤説明員 職業安定法の三十三条におきまして、無料の職業紹介事業を事業としてやることにつきまして、一般的に禁止をしておるわけでございます。労働大臣の許可があった場合にはそれができる、こういうような規定になっておるわけでございます。  その趣旨は、たまたま知人の依頼を受けて仕事の世話をするというたぐいのものについては、そういう事業性がないということでございますが、それが事業性を持っておる、すなわち反復継続してそういうことが行なわれる、こういうことになってきますれば、それは無料の職業紹介事業ということで、許可がない限り許されないことになるわけでございます。  御指摘のその辺の問題点につきましては、当時の調査におきましては、そういう事件があったということで、その回数性といいますか、その反復継続性につきまして、これが、まさか十四回も行なわれておるというところまでは、たいへん申しわけございませんけれども、把握できておりませんで、そのために、そういうことがたまに一、二回あったといっても、直ちにこれを事業ということはできないだろうという観点から、それは無料職業紹介事業とまではいえないということで、職安法違反にはならない、こういうふうに考えておったわけでございます。  しかし御指摘のように、その後、調査が進んでまいりますと、十四回にわたって類似の行為が行なわれておった、同一の民間企業に十四回にわたってアルバイトのあっせんを行なっておった、こういう事態が判明してまいりました。こうなりますと、やはり反復継続する事業という性格を帯びてくる、こういうことで大阪府のほうでも、その事案を認定いたしまして、職業安定法違反である、こういう考え方をとったわけでございまして、その点については、労働省といたしましても、当時、調査不十分のために、違反ではないというふうにお答えしました点については、申しわけないと存じます。
  146. 岸良明

    ○岸説明員 基準法の面から申し上げますと、ただいまの事案につきましては、賃金は、やはり使用者が直接労働者に全額支払わなければならない、これがたてまえでございます。したがいまして、この事案について、所轄の監督署で調査をいたしまして、その結果、三永紙工、この印刷会社のほうについては、基準法の二十四条、そのほかの条項の違反がございましたので、厳重に是正をせしめる、そういうような処置をいたしております。
  147. 和田貞夫

    ○和田(貞)委員 いま労働省のほうから、具体的に説明がありましたように、労働省としての見解というのは、そういう見解なんです。  ところで現地のほうで、私が質問してから後に、地方連絡部の責任者といろいろ話をする過程で、その事実を認めながら、職業安定法に違反でないのだということを、やはり言い切るわけです。けれども、その当時は、労働省の見解は、いま言うてもらいましたけれども、大阪府の労働部の見解として、やはりいまの見解と同じように、職業安定法については違反である、こういう見解を言うておるわけです。そうすると、おれは違反でないというように思うけれども、府のほうが違反だということであれば、それに従わざるを得ない、こういうような認識のしかたです。  労働基準法につきましては、基準局のほうが、これは、いまの答弁と同じように、労働基準法の違反であるということを言いましたら、これにつきましては、やはり連絡部のほうは、労働基準法の違反であるということは明らかに認めました。しかも、後には、いま労働省が見解を申されましたように、職業安定法の違反である、労働基準法の違反であるということについて、地方連絡部あるいは中部総監部ともに認めたわけです。   〔委員長退席、小宮山委員長代理着席〕  それは、それといたしまして、この事件にあたって、単に労働基準法の違反だとか、あるいは職業安定法の違反だとかいうことだけで終わるべき事件ではなかったというように、私たちは思っておるわけなんです。  この事件は、特に二人の少年の中の一人が、未解放部落の出身の少年でありまして、未解放部落の置かれておる環境の中でおもしろくない、学校に行くのがいやだというような環境の中で育っておる、そうして、たまたま一月の十九日の日に、家を出て自衛官募集のポスターをながめておった、それが先ほど申し上げましたようなところに入り込んでいくわけなんですが、そうして十九日の晩に、泊まりましたときに、その少年が、広報係長に言っておるわけです。いままで私は大阪に行って、もう学校をやめて働きたいと思うということを親に言うたところが、おまえらは行ったところで、三日と続くかいというようなことを、やり親に言われたということを、その係長に話をしておるわけなんです。そうすると、当然これは、普通の隊員募集にやってきた少年でないということ、これは直感できるはずなんです。  そこらを綿密に、詳細に調査をしないで、翌日に試験を受けさせて合格させた。そうして、その少年を、ついに二十五日まで家出少年として仕立て上げる結果になってしまったという、少年の未来を通じて非常な禍根を残さすような結果に追い込んだわけであります。そういうようなことから、この事件の一つとして、やはり自衛隊全体として、部落問題についての認識が非常になさ過ぎたということと、さらには、この少年が浪速商業高等学校に通学しておる少年でありましたが、そのことによって、教育の面でその少年に頭を打たすというような結果になった、こういう二つの大きな性格が、この事件の中に含まれておるというように私は認識しておるわけであります。   〔小宮山委員長代理退席委員長着席〕  このような問題につきまして、その後、地方連絡部なり、あるいは中部総監部のほうから、どういうような連絡があって、どういうような具申があって、これらの問題について、単に大阪地方連絡部のできたことにとどめるのじゃなくて、自衛官募集という今後の問題として、防衛庁としてどういうような考え方に立って現在対処しておられるかということについて、ひとつお聞かせ願いたい。
  148. 高瀬忠雄

    ○高瀬(忠)政府委員 ただいまのように、当初、中部方面総監部並びに大阪地方連絡部から報告がありまして、その後、逐次報告がありました。それで、そういった経緯がありましたが、六月二十日付で、これはあとで、六月二十日以後に私どもは知るわけでありますが、「方面隊としての事実の認識と反省及び今後の取組み」というのと、これは方面総監部でございますが、それから地連では「事実確認、反省及び今後の取り組み」という文書を、確認会というのでございましょうか、そこに出しましたという報告がございました。  それで、そういったことを踏まえまして、私どもは募集のあり方について反省をいたし、募集のあり方を再検討しなくちゃいかぬというようなことから、各方面総監に対しまして、これは方面総監は募集担当者でございますので、方面総監に対しまして、陸上幕僚長から、先ほどのようなことが起こらないようにという通達を、十月の三十一日に出しております。
  149. 和田貞夫

    ○和田(貞)委員 その際、現地で、地方連絡部との話し合いの過程で、次のようなことばのやりとりが出ておるわけなんです。あるいはそういうような事象が出ておるわけなんですが、この点について、これはいいことなのか悪いことなのか、これは当然わかり切ったことでありますが、そういうことなどについて、どういうように対処されたかということについて、ひとつ長官のほうから御答弁いただきたいと思います。  それは、先ほども申し上げましたように、一月十九日には、まだ試験に合格もさしておらないし、採用もしておらないわけなんです。あるいはその体験入隊ということにかこつけても、その時期になっておらないにもかかわらず、一月十九日に、自衛隊の隊舎で泊めておるということ、これは一般住民です。自衛隊に全然関係のない者を、一月十九日に、たとえ一晩といえども、自衛隊の隊内で泊めておるということ、これが一つ。しかも、そのことにつきましては、先ほど話しました佐々木という広報係長でありますが、泊めることについては、上司の許可を得てある、こういうふうに言っておる。それから大阪地方連絡部の古本という副本部長は、これは防衛庁長官の許可を得ておるのだ、こういうように答えてもるのです。この事実関係をひとつお答え願いたい。  それからさらに、少年のアルバイト先の三永紙工に、毎日、自衛隊の官用車で送り迎えをしてきたということ、こういうようなことが許されるのかどうかということ、これが二つ目であります。  三つ目には、大阪地方連絡部の渡辺本部長が、ちょうど戦時中に、過去の旧憲法のときに、旧陸海軍をつかまえて天皇の赤子だと言われたこと、昔、軍隊の中で言われたことばと同じようなことばの表現をしております。天皇はわれわれのおやじだ、こういうように大阪地方連絡部の渡辺本部長が暴言しておる。そして、その暴言について追及いたしますと、あとで、それは私の個人の意見であったというような弁解をしておるわけであります。  現地における交渉過程の中で、この三つの問題について、これを具体的な例としてあげたわけでありますが、防衛庁長官としてどのようにお考えであるかということをお答え願いたい。
  150. 高瀬忠雄

    ○高瀬(忠)政府委員 最初の、泊めたことでございますが、先生の認識と私どもは違いまして、十九日にすでに筆記試験、身体検査を行ないまして、それに合格したということになっております。ただ年齢につきましては、まだ確認はされておりませんけれども、試験そのものにつきましては、合格したということになっております。  それから、官用車につきましては、確かに乗ってまいりましたけれども、毎日、広報官が町に広報に出ていくわけでございますが、そのとき一緒に乗っていったわけでございまして、わざわざ彼ら自身のために、アルバイトの、そのことを目的として送ったということではないようでございます。確かに官用車に乗せたことは事実でございますが、実際はそういう事情でございます。  それから、いまの天皇云々の話につきましては、私ども存じません。長官の命令云々ということにつきましては、私ども事実を確認しておりません。
  151. 山中貞則

    山中国務大臣 私から、この際まとめて申し上げます。この問題は、私のときの問題ではありませんが、この問題を踏まえて、あってはならないこと、確認しておくことがたくさんあります。  一つには、年齢を確かめないで入隊勧誘もしくは隊に泊めた、試験を受けさせたということが、まず第一の誤りであります。そして、その次には、十八歳未満であることがわかって、今度は採用できませんから、アルバイトをあっせんしたということは、これは職安法の違反であります。そうしてその結果、学校の校長先生まで来られたということで、急遽、会社に賃金を請求したが、間に合わぬというので、立てかえて支払ったという行為は、労基法違反であります。  したがって、このようなことを、全体を踏まえて見ますときに、この同和問題は、差別をしたわけじゃありませんで、私は、その問題は、この件については、そうかかわりのある問題とは実は思っておりません。差別をした問題であれば、私は、同和の責任大臣として三年近くおったわけでありますから、十分そのことの民族としてのあらねばならぬ姿に対して、性根を据えておるつもりであります。そのことは、私としては、差別をしたわけじゃありませんから、そういうことはなかったと思いますが、しかし少なくとも、その少年の背景というもの、自衛隊が誘った場合に、まだ学校にいるにもかかわらず、おとうさんからとめられておるにもかかわらず、そういう環境のために入ってきてしまったのではないかということへの一般常識と申しますか、それぐらいの理解は、これは一般隊員全部はわからないでしょうが、責任者及びその部署の者は、やはり承知していなければならぬことである、そのように考えます。  一応、総まとめとして私から、事実関係は私もその後承知いたしておりますので、以上の点を反省し、今後、隊員募集全体のあり方についての戒めにしたいと考えます。
  152. 和田貞夫

    ○和田(貞)委員 いまの点は、そうくどくど言う必要はないと思いますが、そのことが、正確に地方連絡部なり、あるいは中部総監部のほうから連絡がなかったとしたら、これは、やはり問題があると私は思います。  これは自衛隊大阪地方連絡部と中部総監部、これが、高槻に反自衛隊高槻市民共闘会議というのがあるんですが、これあてに公文書で、いま私が話しましたことの事実確認の上に立って、今後こうするということを文書でうたってきておるわけなんです。  ですから、これが正確にもしも来ておらないということであれば、私がいま申し上げました三つの点を、防衛庁として把握しておられないということであれば、私は、これまた問題だと思う。どうですか。
  153. 高瀬忠雄

    ○高瀬(忠)政府委員 先ほど申し上げましたけれども、方面隊としての「事実の認識と反省及び今後の取り組み」、それから地連のもう一つの、「事実確認、反省及び今後の取り組み」というものにつきましては、承知しております。
  154. 和田貞夫

    ○和田(貞)委員 そこで、私は、決してでたらめを言うておるのじゃなくて、確認したことを言うておるんですから、これは正確に受け取めておいてください。そうしないと、今後またあやまちをおかすわけですから。  私は、さらにつけ加えて申し上げたいと思いますが、ちょうどその時期と相前後いたしまして、和泉市でも、当時問題が起こっておるわけです。和泉市でも、ちょうど和泉の未解放部落を歩いて、そして中学校卒業寸前の七軒の家庭を回って、高等学校と同じ程度の高度の試験を受けて入ってもらうところだぞというようなことで、よその地域じゃなくて未解放部落の中を回っているわけです。だから、私は、先ほど長官が言われましたけれども、この高槻の問題につきましても、後ほど家庭調査にも行っているわけなんです。あげました高槻のこの一つの例にいたしましても、あるいはいま私がお話をいたしておりますところのこの和泉市の問題にいたしましても、未解放部落がいま置かれておる条件の中で、学校へ行くのもおもしろくない、家におるのもおもしろくないというような中で子供たちは育ってきている、だから、悪いことばで言うならば、その気持ちをとらまえてこの募集の行動が行なわれておるというように受けとめられても、私はいたしかたないと思うわけです。  さらに言うならば、昭和三十九年に御案内のとおり、陸上自衛隊信太山駐とん地の差別事件というのがありまして、地域ではかなり大きな問題に発展をしていったわけであります。その結果、自衛隊としては、「基本的人権の尊重に関する通達」というものを全自衛隊に出されたことがあった。ところが、その通達は、大阪地方連絡部としては、何ら取り組まれておらなかったということ、これがまた、大阪地方連絡部と私たちの話し合いの中で確認されておるのです。  だから、そういう中でこそ、私がいま申し上げましたように、部落に対するところの認識というものが足らなかったために、こういう信太山の事件なりあるいは高槻の事件というのものが起こったのだというように私たちは把握いたしますし、また、そのような上に立って大阪地方連絡部としては、そのとおりであったということを、文書をもってかく回答してきておるわけなんです。ですから、長官としてそこらをひとつ、部落差別の認識として、あらため御認識いただきたいと思います。  さらに、ついでに申し上げますが、同対審答申が昭和四十年になされ、それに基づいて昭和四十四年に特別措置法が制定された。そして先々週でありましたけれども、同和対策協議会の五年間延長ということも、ここで総理府設置法改正として可決されたわけであります。  そこで、大阪地方連絡部のほうは、防衛本庁のほうから、そのような通達を全然受け取っておらなかった、そのようなことが記載された官報一枚も受け取っておらなかったということが、この事実確認の中で明らかになったわけですが、これは、この大阪地方連絡部だけであったのか。大阪地方連絡部だけに通達が行かないで、ほかの地方連絡部には、通達が行ったというようなことはないと私は思うんですが、そこらの防衛本庁の取り組みにも問題があるのじゃないかと思うわけなんです。  そこで、この二つの点、やはり防衛本庁としてしかと認識を新たにしてもらわないと、今後、いかに口先だけ言いましても、このようなことを大阪だけでなくて、全国各地で繰り返すようなことがないということは、だれも保証できないわけでしょう。このような点について、ひとつあらためて防衛庁長官の今後の御決意のほどをお伺いしたいと思います。
  155. 山中貞則

    山中国務大臣 私は、ずいぶん勉強したつもりでありましたが、自衛隊の中で差別事件というものがあって、問題になったことを知りませんでした。この点は、全く私の勉強不足でありますが、そのようなことが絶対にあってはならないことであり、ただいまの重々のお話のとおり、人間としての平等、尊厳、基本的人権、宗教、信条も含めて、そういうものを差別してはならない、これは、あたりまえのことでありますし、それができないようでは、自衛隊の基礎というものは、いつまでも固まらないわけでありますので、ただいまの具体的な問題については、人教局長より答弁させますが、基本的には、そのように答弁をさせていただきます。
  156. 高瀬忠雄

    ○高瀬(忠)政府委員 いまお話しのように、信太山駐とん地、第三師団の管内で起こった問題でございますが、その問題、それから、その後におきましても、富士学校におきまして、同じような事件が起こりまして、私ども自衛隊内部におきまして、この点を重視いたしまして、総理府が中心になって、いろいろ協議などいたしておりますが、そういったところには、私ども担当者をみな出しまして、勉強させて、その経験をもとにいたしまして、そして、それぞれ関係の資料をつくりまして、部隊等に対する教育を行なっております。  具体的には、私ども業務学校に、これに対するそういった方面の教育をする課程が一つ設けられておりまして、それで教育を行なった事実もございます。そのつど、おりに触れまして、具体的な事例をあげて間違いのないようにということで、いろいろな教育をしております。  ただいま、地連には中央からの指示がなかったということでございますけれども、中央からもしばしば通達を出しております。四十一年三月には、陸上幕僚長から各方面総監、部隊長、機関の長あてに、「基本的人権の尊重等に関する教育の徹底について」という通達を出しておりますし、それから先ほど申しました陸上自衛隊の業務学校関係の課程の内容ということで、教養幹部課程十三週のうちで年一回、人員三十人の教育をするというようなことで、学校、方面、師団等の教養担当幹部を対象といたしまして教育をいたしております。  それから、特に第三師団は、いまのようなことで問題が起きましたので、三十九年の五月十三日、十四日にわたりまして、信太山駐とん地において、各部隊の人事担当者六十名に対して教育を行なったり、それから三十九年の八月五日から八月六日にかけましては、和歌山県におきまして、同じような教育を行なっております。それから四十年の七月二十二日から二十三日にかけましては、第三師団におきまして、同じような教育をして、以下四十一年におきましても第三師団、それから各部隊等に対します教育を行なうということで、この点につきましては、いろいろ関心を持ちまして教育を行なっておるつもりでございますが、かようなことが起こりましたことを契機にしまして、先ほどのように、通達を現地の者が知らぬということでは非常に困りますので、そういうことのないように、今後は注意していきたいと思います。
  157. 和田貞夫

    ○和田(貞)委員 いま具体的に述べられましたけれども、その点が不徹底であり、不十分であったために、やはりこのような問題が起こってきたのだと私は思うわけです。  そこで、中部方面総監部のほうから、今後の取り組みとして、これは文書で皆さん方のほうにも行っておると思いますけれども、「同和問題担当責任者の指定」、それから「今後の隊内におけるところの同和問題の研修の実施」、それからもう一つは、「自衛官の募集要領の改善指導」、この三つについて、文書で具体的に、今後こういうようにしていきたいということが述べられておるわけです。しかも末尾には、これは大阪で起こった事件であるが、大阪だけの問題ではない、やはり自衛隊全体の問題としてやっていかなくてはならないので、このような具体的に盛られた内容については、防衛本庁あるいは自衛隊の各幕僚監部に具申をして、自衛隊全体として同和の研修あるいは募集要領の改善指導ができるようにやるということが文書でうたわれておるわけです。  そのような観点に立って、すでに半年を経過したわけでありますので、このような問題について、防衛庁としてはいまの三つの点、どういうように具体的に処理なさっておられるのか、この機会にひとつ明らかにしていただきたい。
  158. 高瀬忠雄

    ○高瀬(忠)政府委員 とりあえず中部方面総監部では、ただいま対策の担当者をきめて、教育を徹底するということをやる体制になっております。  それから、募集のことにつきまして、具体的に志願票の問題につきましては、いままではずっと村まで書きましたけれども、本籍は県どまり、家族の職業欄は削除するということで、志願票等につきまして、さっそく実施をいたしました。  それから、中方でこのようなことをやったのでありますから、中方では直ちにこれに取り組みまして、その姿勢を強力に進めていくということを確認しております。
  159. 和田貞夫

    ○和田(貞)委員 募集要領について、志願票の本籍と家族の職業、これは削除した、そういう新しい志願票によって現在は実施しておるわけですね。
  160. 高瀬忠雄

    ○高瀬(忠)政府委員 昨年の十一月に、これを改正いたしまして、直ちに、古いのはみんな破棄いたしまして、新しいのでただいまは実施しております。
  161. 和田貞夫

    ○和田(貞)委員 志願票は、そういうように記載事項の改善をなされた。しかし先ほどの事件にもありましたように、本人が未成年であるのに、成年であるというふうに生年月日を書くというようなことも、あるわけでありますから、差別を助長するような本籍の調査だとか、あるいは家族の職業を調査するというようなことは、改善をして、やらないとしても、やはり本人の身元確認を、いままでと異なった方法でする方法が私はあると思うんですが、そのような新しい身元確認のあり方という点について、どういうふうに考えておりますか。
  162. 高瀬忠雄

    ○高瀬(忠)政府委員 採用試験の場合におきましては、一々いまのようなこまかい調査はいたしません。採用がきまりまして、採用時には戸籍抄本をとりまして、これは国家公務員になるわけでありますから、それによりまして、年齢の確認をいたすということにいたしております。
  163. 和田貞夫

    ○和田(貞)委員 募集目標は、これは一部都道府県、市町村に事務委任をしておりますけれども、重点市町村であるとか、あるいは重点県であるとかいうやり方で従来指示をされておりましたが、このように募集目標が達成しなかったということで、地方連絡部を、従来のようにしりをたたくとかあるいは責めるということはやられるのですか、やられないのですか。
  164. 高瀬忠雄

    ○高瀬(忠)政府委員 自衛隊にとりまして、募集の問題は、非常に重大な問題でございますので、自衛隊員の採用につきましては、重点的にやっておりますけれども、よくいわれるように都道府県、すなわち地方連絡部にノルマを課して、このノルマは必ず達成しなくちゃいかぬ、そういうことはいたしておりません。しかし、おおよその目安は、もちろんつけております。というのは、従来の各県の人口とか、従来の実績その他によりまして、大体の見当はつけておりますけれども、これもノルマじゃありませんで、われわれのほうの計画立案のための目安でございます。したがいまして、その地方連絡部で、それだけとれないからけしからぬという姿勢での募集のやり方をしてはおりません。
  165. 和田貞夫

    ○和田(貞)委員 これは都道府県や市町村には、いかに機関委任事務といえども、募集目標を達成しなかったからけしからぬじゃないかというようなことは言えないといたしましても、自衛隊の各県の地方連絡部は、それが仕事ですから、その長に対して、募集目標が達せられなかったということについて責めるということはないわけですね。
  166. 高瀬忠雄

    ○高瀬(忠)政府委員 先ほど申したのは、実は地方連絡部長に対してもというつもりで申し上げたのですが、市町村、都道府県に対してという意味ではございませんで、地方連絡部長に対しまして、この県では何名とらなければならぬ、そういったことを言いつけてもおりませんし、とらなければどうだというような態度で臨んでおりません。
  167. 和田貞夫

    ○和田(貞)委員 この募集をするのにポスターあるいはリーフレッド、ちらし、いろいろ宣伝物というか配布物が従来から印刷されておるわけですが、たまたまこの時期に使用されておったポスター、これは名前は言えませんが、同じ公務員である府の労働部の責任者が、その当時、このポスターを見て、同じ公務員として恥ずかしい思いをした。食事代無料、安定した職業、楽しい云々と、自衛官の募集のポスターにこういう文字が書かれておるが、はたして安定した職業と思っておられるのか。食事代無料といいましても、結局、給与の一環として支給しておるわけですから、無料じゃないわけでしょう。だから、こういう字句が使われたポスターというのは、これは誇大広告にひとしいというふうに言っておられたわけですが、これも、やはり改めなくちゃならぬということは、話し合いの過程であったわけです。  いま志願票の問題や、あるいは身元確認の問題や何かは触れられましたけれども、募集にあたって、その後のポスターの作成あるいはその他のリーフレット、ちらしを作成するにあたって、誇大広告になったり、あるいはまぎらわしいそういう誇大宣伝にならないようなことを配慮してポスターあるいはちらし、リーフレット等をつくっておられるか、そういうことを配慮して作成に当たっておられるか、そういう点ひとつお答え願いたい。
  168. 高瀬忠雄

    ○高瀬(忠)政府委員 ポスターをつくりますときには、まず目につきやすいということで、いろいろ配色とか図案とかを考えております。内容につきましては、言うまでもありませんけれども、自衛隊に入りまして隊員となってどういう生活ができるか、どういう勤務をするか、自衛隊に入ってから本人がどういうことになるかということがはっきりわかるようにするのが一番いいわけでございまして、できるだけ、そういうことがわかるようなことを重点にして、しかも、そうこまかく説明はできませんものですから、簡単に説明するのでいろいろ誤解をされる向きがあるかと思いますが、いまのお話のことは、私、直ちによくわかりませんけれども、今後そういうような誤解のないように、しかも、そうやって簡潔にして目につきやすくて、しかも自衛隊の全体の内容がわかるようなポスターをくふうして出していきたいと考えております。  パンフレットにつきましても、いまのような趣旨から、よく自衛隊の内容がわかるように、簡潔に記載をして出していきたい、間違いのないような内容で出していきたいと思います。
  169. 和田貞夫

    ○和田(貞)委員 同和問題に関する担当者の指定ですが、いまの御答弁では、中部方面総監部の管内で起こった事件でありますので、中部方面総監部のほうでは、そういうように取り組んでおるというようなことを言われましたけれども、これら中部方面総監部としても、これは自衛隊の問題として意見具申をするんだということを明記されておるわけです。  したがいまして、自衛隊の各隊あるいは細部の末端組織に至るまで、それぞれ同和問題についての担当者の姿勢というものを、今後、総監部であるとか連絡部であるとか軍であるとかということだけでなくて、それぞれの末端組織に至るまで同和問題に関する担当者を指定して、その任に当たっていくというような処理はなさっておられないのですか。
  170. 高瀬忠雄

    ○高瀬(忠)政府委員 この問題の担当者は、すでに人事担当——具体的にいいますと、S1という人事担当者が担当ということになっておりまして、従来からそういうことにつきましては、先ほどのような御指摘ございましたけれども、関心を持ってやっていくということになっておりますが、なお今後、こういった機会に、これを間違いのないようにしていくために研究してみたいと思います。
  171. 和田貞夫

    ○和田(貞)委員 人事担当者がやっていくのだ、そして従来やらしておるのだというような認識では、これまた間違いの起こるというようなことがありはしないかと思うので、この際、全組織を通して、それぞれの組織の中で同和問題に関する担当者というものを明確に指定して、対処していくというようにひとつ検討願いたいと思います。そういうように処理してもらいたいと思うのです。  それから、研修の問題につきましても、全隊員に、しかもこれは自衛隊だけでなくて、同和問題につきましては、国民的課題でありますから、それを公務員が率先してやっていくということでなくてはならないのでありますから、これは幹部だけにとどまる、一部の人だけにとどまるというようなことがあってはならないと思うんです。  したがいまして、総監部のほうから文書でいただいておりますように、やはり全隊員を対象として同和教育に取り組む、同和研修に取り組むということを言われておるわけでありますから、たとえば一つの方法として隊員に配布される配布物、これは一年に何回とは限らないわけでありますから、ひとつ機会あるごとにとらまえて、全隊員にこの同和問題を認識を新たにするための啓発活動、啓蒙活動、研修活動というものをやってもらうということを希望するわけなんですが、その点についてのお考えをお聞かせ願いたい。
  172. 高瀬忠雄

    ○高瀬(忠)政府委員 私ども、先ほど申し上げましたように、従来からこの問題は重視しておりまして、それでやってまいりましたが、今後、一そうこれを重視いたしまして、研究を進めていきたいと思います。
  173. 和田貞夫

    ○和田(貞)委員 全隊員をですよ、全隊員を対象として……。
  174. 高瀬忠雄

    ○高瀬(忠)政府委員 もちろん全隊員を対象といたしまして、一人の隊員にも間違いのないようにということで、研究をして進めていきたいと思います。
  175. 和田貞夫

    ○和田(貞)委員 時間も相当経過いたしましたので、この辺で終わりたいと思いますけれども、ひとつこの事件を契機としていただきまして、自衛隊の中から、今後、差別事件が一切起こることのないように、ひとつ長官、責任をもって対処していただくということを、最後に長官の決意を述べていただきまして終わりたいと思います。
  176. 山中貞則

    山中国務大臣 当然のこととして、それは行なわれなければなりませんが、今後、まかり間違ってもそのようなことのないように、一そう配慮してまいります。
  177. 和田貞夫

    ○和田(貞)委員 それじゃ、私の質問、これで終わります。
  178. 徳安實藏

    徳安委員長 次回は、来たる四月二日火曜日、午前十時より委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。    午後七時四十五分散会