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1974-02-22 第72回国会 衆議院 内閣委員会 第7号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十九年二月二十二日(金曜日)     午後四時四十分開議  出席委員    委員長 徳安實藏君   理事 加藤 陽三君 理事 小宮山重四郎君    理事 中山 正暉君 理事 野呂 恭一君    理事 上原 康助君 理事 大出  俊君    理事 中路 雅弘君       大石 千八君    笠岡  喬君       近藤 鉄雄君    吉永 治市君       木原  実君    和田 貞夫君       東中 光雄君    鈴切 康雄君       受田 新吉君  出席国務大臣         外 務 大 臣 大平 正芳君  出席政府委員         内閣法制局長官 吉國 一郎君         外務省アジア局         長       高島 益郎君         外務省アメリカ         局長      大河原良雄君         外務省条約局長 松永 信雄君  委員外出席者         宮内庁長官   宇佐美 毅君         内閣委員会調査         室長      本田 敬信君     ————————————— 委員の異動 二月二十二日  辞任         補欠選任   瀬長亀次郎君     東中 光雄君   受田 新吉君     折小野良一君     ————————————— 二月二十二日  厚生省設置法の一部を改正する法律案(第七十  一回国会閣法第九号)(参議院送付) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  在外公館名称及び位置並びに在外公館に勤務  する外務公務員給与に関する法律の一部を改  正する法律案内閣提出第三八号)  行政機構並びにその運営に関する件      ————◇—————
  2. 徳安實藏

    徳安委員長 これより会議を開きます。  在外公館名称及び位置並びに在外公館に勤務する外務公務員給与に関する法律の一部を改正する法律案議題といたします。
  3. 徳安實藏

    徳安委員長 趣旨説明を求めます。大平外務大臣
  4. 大平正芳

    大平国務大臣 ただいま議題となりました在外公館名称及び位置並びに在外公館に勤務する外務公務員給与に関する法律の一部を改正する法律案につきまして、その提案理由及び内容概要を御説明申し上げます。  この法律案におきましては、先般わが国ベトナム民主共和国及びドイツ民主共和国との間の外交関係設定に伴い、取り急ぎ政令により設置いたしておりました在ベトナム民主共和国及び在ドイツ民主共和国の各日本国大使館法律に規定するとともに、所要の規定の整備を行なうことといたしております。  また、昨年十二月に自治を達成しましたパプア・ニューギニアの首府ポート・モレスビーに総領事館を新設し、同館に勤務する職員の在勤手当の額を定めることとしております。  次に、本法案は、在勤手当につきまして、最近の著しい物価上昇、また外国為替相場変動等にかんがみ、その額を改定せんとするものであります。さらに、今後、国際通貨経済情勢の急激な変動に即応し得るよう、本法の改正により、在勤基本手当については、その基準額を法定化し、その支給額については、為替相場変動等に応じ、基準額の百分の七十五から百分の百二十五の範囲内で弾力的に政令で定めることにいたしております。また、住居手当については、法律では実費補償のたてまえを明示いたしますとともに、限度額設定、変更につきましては、政令に委任することとしたものであります。また、研修員手当については、号別の区分の範囲を拡大することにいたしております。  以上が、この法律案提案理由及びその内容概要であります。  何とぞ、慎重御審議の上、すみやかに御賛同あらんことをお願いいたします。
  5. 徳安實藏

    徳安委員長 これにて趣旨説明は終わりました。      ————◇—————
  6. 徳安實藏

    徳安委員長 これより行政機構並びにその運営に関する件について調査を進めます。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。中山正暉君。
  7. 中山正暉

    中山(正)委員 連日の予算委員会でお疲れのところを、また、おそくからお呼び立てを申し上げて、まことに恐縮だと存じます。しかし、非常に国際関係も複雑な様相を呈してまいっております。  特に、ことしは、とら年であるわけでございますが、六十年前のとら年というのは、第一次世界大戦。それから百二十年前のとら年といいますのは、ちょうどアメリカのペリーが、サスクェハナとかミシシッピとかいう軍艦を引き連れまして、ここから、もう、いまは見えませんが、東京湾に入ってまいったのが、ちょうど百二十年前でございます。  そのとき、私どもの先祖であります日本人は、アメリカという日本の二十六倍ある国、その国の世界に対する影響力というのをいち早く察知して、外交も何もわからなかったころ、その時代に、アメリカ大砲を撃たせなかった知恵というのは、すばらしい知恵であった。それと比べまして、百年間、暗い運命にもてあそばされましたのは、いまの中華人民共和国、当時の清国でございます。英国という大砲を撃ちまくる国に開国をされて、そして、その当時の道光帝以下政治家がばかだったから、英国大砲を撃たせたのだ、私は、こういうふうに理解をいたしておりますわけでございます。  昭和政治家が、なぜ間違ったかといえば、河上肇という京都大学の、共産主義者でありました——野坂参三が、日本に終戦後帰ってまいりましたときに、これで日本の革命は成功したと言って死んでいった。河上肇のまな弟子であります。  そして、その当時、内閣の周辺には、残念なことに、尾崎秀実とか、それから西園寺公一、後に日共から除名されたことによって、西園寺公一という男は、共産党員であったということがわかったわけでございますが、そういう連中がまわりにいて、私、ちょうどいまの状態と似ておると思うのは、一九三五年にドイツ防共協定を結びました。ドイツが、防共協定日本と結んだあと独ソ不可侵条約を結んだために、当時の平沼騏一郎総理大臣は、世界情勢奇々怪々なりと言って内閣を投げ出したわけでございます。  ドイツは、やはり日本を裏切りませんでした。ドイツとともに、その後、戦争に入りましたが、日本は、ドイツに裏切られたと見て、日ソ不可侵条約というのを結びました。その結果は、どうであったかというと、私どもが長崎に原爆を落とされたそのあくる日に、ソビエトは、まだ一年有効期間があった不可侵条約を踏みにじって、日本に宣戦を布告してまいりました。  このことを考えますと、時代は違いますが、非常にいまと似ておる。アメリカ日本頭越し中国へ行ったからというので、あわてて台湾を捨てるのだろうと思って、われわれも台湾を捨てた。私は、その当時も反対をいたしておりました。二つ中国、私は、厳然と、だれが何といったって、蒋介石台湾毛沢東中国とあると思うのですが、それは絶対一つだということで、台湾が切り捨てられてしまった。私どもが、今日の経済繁栄を招きましたのも、実は、八年間、あの中国本土蒋介石の軍隊といくさをした、ところが、賠償を要求しなかったから、朝鮮動乱ブームというのに乗れたと思うのです。  それからまた、いつも出る議論でございますが、北海道をソ連がとれなかったのは、九州を蒋介石がとらなかったからだ。天皇陛下——きょうは宮内庁長官も来ていただいておりますが、戦犯にならなかったのは、蒋介石反対をしてくれたからだ。その上に、台湾には、日本のために戦って、そうして日本の遺族は、いま、たくさんのお金をもらっておりますが、台湾人として日本軍のために戦った人たちには、何の補償もなされておりません。その国を、私どもは、あっさりと捨てたわけでございます。  それを見ておりますと、時代は非常にめぐってきている。そしてソビエトは、たった一週間しか戦争をしないのに、九月の二日に上陸した択捉島国後島、歯舞色丹をまだ返してくれません。特に、今度の社会党の成田委員長の本会議の質問のときにもふしぎに思ったんですが、択捉、国後ということが出てきませんで、歯舞色丹だけ出てきた。択捉島には、ソ連軍空軍基地がありますし、単冠湾というところは、山本五十六大将が、連合艦隊を集結して、真珠湾を攻撃したところです。ソビエトは、そういう重要な地域を返す気がないんだろう、こういうふうに解釈をいたしております。  私どもは、だから、日本としては、よほどの知恵を出していかないとぐあいが悪いんじゃないか。台湾を切ったあと、今度は、金大中事件韓国を痛めつけました。いまになってみますと、アラブの諸国に、日本人の悪いのがうようよしておりまして、それが日本にたいへんな迷惑をかけております。いまになると、KCIAの気持ちも何かわかるような——ああいうものが外国におって、日本に迷惑をかける。これは一体、国家の将来にとってどうなんだろう。いつの間にやら出ていって、パスポート持っているのか持っていないのか知りませんが、出ていってしまっている。  ところが、その韓国を痛めつけたあと、今度は、石油で、実際には、一昨年の年末の三カ月に比べて八%も多い石油が入っているのに、日本は、はいていた高げた投げ出して、今度はアラブのほうへ寄っていったわけでございます。  考えてみますと、イスラエルという国も、紀元七三年にローマ帝国に滅ぼされて、そのあと二千年地球上に存在をいたしませんでしたが、いま地球上にローマ帝国は、存在をしないのに、そのイスラエルがなぜ存在をしておるか。言わずと知れたルーズベルトというユダヤ人大統領が、戦争が済んだら、われわれの祖国イスラエルというユダヤ人の国を再興するんだと言ったそうです。サウジアラビアの、いまのフセイン国王の兄貴のサウド王でございますが、サウド王にそのことを、ヤルタ会談の帰りに、軍艦で寄ったルーズベルトが、はっきりと予言をして、非常に気分を悪くさせたという話が、いまでも伝説的に伝わっておりますが、そのユダヤ人の国、アメリカという国は、コロンブスというユダヤ人が発見をした国でございました。  ニューヨークと言うよりも、ジューヨークと言ったほうが当たりがいい、こう言われるぐらいユダヤ人がたくさんいる。そのアメリカの政財界、いま見てみましても、確実なのは、キッシンジャーがそうでございます。前国務長官のロジャーズがそうでございます。シュナイダー財務長官がそうです。シュレジンガー国防長官ユダヤ人、それからニクソン後援会長のケンドールがユダヤ人司法長官ユダヤ人、UP、AP、AFP、みんなユダヤで、タイムがユダヤだ。それからエジンバラ公というエリザベス女王の御主人がユダヤ人で、ポンピドー大統領ユダヤ入、これはロスチャイルドというユダヤ系統の財閥の番頭でございました。  ユダヤ人世界全体を押えていて、そして、デビ夫人という日本人を、なぜパリに連れて行ったかというと、ロスチャイルドが、いまパリで養っておりますが、それは実は、スペインの貴族と結婚をさせて、そしてインドネシア日本アメリカの政界に顔のきくデビ夫人を、ロスチャイルドが実はちゃんと押えているのだという話を聞いております。  日本総理大臣インドネシアを一生懸命訪問されたって、そのあと、それを打ち消すかのように、日本人がブクム島に行った。それもユダヤメジャーでありますシェル石油を攻撃をした。その結果、私は、帳消しになってしまったと思う。日本友好親善という東南アジアに対する顔は、私は、なくなってしまった、こう解釈をいたしておるわけでございますが、そういう形で、われわれがアメリカ祖国であるイスラエルというものと縁を切っていく姿は、一体日本の将来にとってどうなるのか。  その最中に、ヤマニという人がやってきて、アメリカメジャーからは買わずに、直接自分たちから買ってくれと言うことは、だれをまたおこらせておるか。私は、いまほど、日米関係が険悪なときはないと思う。キッシンジャーが、いま、駐日大使を任命しないということが、もう三カ月以上も続いておる。この状態を見るときに、私は、アメリカという国は、実は残虐な国だと思っております。あのアメリカというのは、日本戦争に負けたときには、十数万人を戦犯として処刑した。罪刑法定主義、罪状なければ刑罰なしというのに、日本人をたくさん処刑して、そして戦犯もたくさんつくった以外に、政治家もうんと追放いたしました。三親等以内は立候補させない、こういうことまできめたアメリカが、いかに残虐な国であるかということはよくわかります。慕い寄る者はかわいがるが、敵対する者に対しては、徹底的な行動をとるというのがアメリカでございます。  そのアメリカは、ふしぎなことに、このごろ気づくことでございますが——キリストという人は、初めてユダヤ教を裏切った人であります。また、マルクスという人も、実は、ユダヤ人でございます。シオニズムというユダヤ思想を、最初に裏切った人がマルクス、そういうふうな設定でまいりますと、われわれは、神さまは一人しかないというキリスト教のアメリカと、片一方は、神さまは死んでしまったのだという共産主義ソビエト、その間にあって、われわれは、いまこそ知恵を出さなければいけない。  というのは、われわれの国は、やおよろずの神と申します。えびすさまと大黒さんと両方拝む。それが、ふしぎなことに、中国一つだと言った。私は、ここに疑問を感ずるわけであります。  御質問申し上げるのに、時間もありませんので、私の考え方の基本になりますことを、申し上げておくのでございますが、最初に、外務大臣にお伺いをいたしたいことは、中国一つであるという中国外交は、実は、失敗であったと私は思っております。なぜならば、いま、ここに出てきましたものでも、西ドイツ、東ドイツを認めようという。それからベトナム民主共和国を認めようという。ベトナム二つになった、ドイツ二つになったという案が、いまここに出てきたところなんです。それなのに、中国一つであるとわれわれがなぜ言わなければならなかったか。  私は、その過去を振り返ってみまして、きょうは、宮内庁長官に来ていただいておりますが、天皇批判をやった国でございます。かつて人民日報で、天皇陛下のことを御中傷申し上げた経歴のある中華人民共和国と接触をされて、ここに一年たち、また、いまから日中航空協定をやるために、今度は、日台路線の取り扱いについてということが出てきておる。たとえてみれば、せびろの裏生地でせびろを注文しておるような話です。日中航空協定だけ出てくればいい。ところが、日台路線の問題についてという裏側が出てくる。  この将来がどうなるかというと、あと中華人民共和国との平和条約であろう。それが進んでいくと、ソ連との平和条約、そして北朝鮮の承認となると、ブレジネフが、この間、田中総理提案をしたアジア安保条約という設定の中にぴっしゃりと入ってくる。そうすると、共産主義の国と自由主義の国、お互いが仲よくして、安全保障を結べば安全じゃないかという議論が通ってきますと、日本アジアからアメリカが去っていかなければならないときがくる。これはアメリカ孤立化を招く。  私どものようなタカ派といわれる者は、戦争のほうに向かっていくものだといいますが、両方の世界一つになって話し合える時代が来るまでは、いまの均衡というものをいかに保つかということが、世界平和のための知恵ではないか。片一方では、ソ連との話が進んでいるという、片一方ではアメリカ原子力潜水艦の寄港を阻止する、政府がそれをアメリカに頼むという時代がきておる。  そこで、いまから思い出していただいて、中華人民共和国との国交正常化という意味を、どういうふうに考えていらっしゃいますでしょうか、その点からお伺いしたいと思います。
  8. 大平正芳

    大平国務大臣 中国という隣国を代表する合法政府といたしまして、従来、日本は中華民国、いわゆる国民政府を認め、それとの間に平和条約を結び、外交関係その他万般の関係を結んでまいったわけでございます。その国民政府は、現在もそうだと思いますけれども、終始中国一つであるという立場を貫いておられると承知いたしておりまして、中国という国を正当に代表する権利を持っておるのは国民政府であるという立場を、終始一貫貫いておると承知いたしております。国連において、長い間、曲折を経て議論をされておりました問題も、中国を代表する正当な政府はどちらなのかということが問われておりましたことは、中山さん御案内のとおりでございまして、先般、この問題につきまして、一応の決着がついたわけでございまして、国連におきましては、中華人民共和国正統政府になるべきであるという決議をされたことでございます。これも、わが国正常化に踏み切る一つの原因であったと思います。  第二に、日本国内世論といたしまして、世論をどのように認識し、理解するかということに——これは、ずいぶんむずかしい問題があると思いますけれども日本国内におきまして、中国を代表する政府として北京政府を選ぶべきでないかという議論が、野党はもとよりでございますけれども国内各分野におきまして相当熟してまいったわけでございます。したがいまして、政府といたしまして、この際、そういう外交的決断をすることは、内外にわたって妥当な措置ではないかと考えてまいったわけでございます。これは、イデオロギーの問題ではございません。自由主義を捨てて、共産主義を選ぶという趣旨では決してないのでありまして、中国を代表する政府がどちらの政府であるかという選択の問題でありまして、田中総理が率いる自由民主党政府は、そういう選択を行なったものと私は承知いたしております。
  9. 中山正暉

    中山(正)委員 私が申し上げておるのは、そこに知恵がなければいけないのではないだろうか。私ははっきり言って、台湾共和国を設立すべきであった。というのは、台湾が抜け出すことを、かつての愛知外務大臣が、特派大使としてとめにいらっしゃったくらいでございますから、台湾を説得するのは日本ではなかったのか。そして、二つの分裂国家問題というのは、ドイツがふしぎなことに、日本国連に入って十七年目に入ってきた。これも、またふしぎな事実でございます。なぜ、ドイツは、日本中国一つだと言っておるときに、ドイツ二つでございますよと言って入ってくれなかったか。  これは、はっきりいいまして、私、十月の半ばに、ある国の諜報員に会いました。そうしましたら、その人のおっしゃったのは、ウィリー・ブラントというのは、実は、昔フィンランドに亡命をしておった共産党員であった。イスラエルとの六日戦争のときに、ソ連軍エジプトから引き揚げたあとドイツ軍事顧問団がいまエジプトに入っておる。それから、ふしぎなことに、ウィリー・ブラントになってから、ソ連との国交回復をやった。オーデル・ナイセの国境線設定をやった。ポーランドとの条約を結んだ。チェコスロバキアとの条約を結んだ。まことにふしぎであるという話を、実は、その方がしておられました。これは、十月号の「二十一世紀」という雑誌にちゃんと載っております。だから、公表してもいいだろうと思って申し上げるわけでございます。  そこで、日本はもう少し知恵が出せなかったであろうか。いま、これは思想の問題ではないとおっしゃいましたが、私は、政策を決定するのは、イデオロギーだと思っております。イデオロギーとは、一体何か、思想とは何かといえば、やはり触覚とか嗅覚とか視覚とか、そういう五感によってわれわれが感じた感性的な認識が、経験を経て飛躍したものが理性的認識、それが思想であろう、私は、こう思っております。  そういう観点から見ると、第二次世界大戦領土を広げたのは、ソビエト一国であります。ちょっと数えても、東ポーランド東プロシア、ラトビア、エストニア、リトアニア、ブコヴィナ、ベッサラヴィア、カシロフィン、樺太、千島、これだけでも十本の指だ。七十二万平方キロ、二千五百万人という、共産主義勢力は、第二次世界大戦を利用して、それだけの領土を広げたという認識がわれわれにあるから、自由主義を大切にしなければいけないという姿勢を確立して、自分自身の信念、信条としておるわけであります。  だから、台湾を捨てて、台湾共和国にそれじゃしなさい、あなた方は、もう二度と再び大陸に攻めていくこともないでしょう、ここでちゃんとすれば、世界は安定するではないですかという説得をしてこそ、隣国である日本立場というものがあったのではないか。それを、蒋介石が、おれが一つだと言うから、それでいいんだとか、毛沢東が、一つだと言うから、それでいいんだということは、世界にたいへんな危機をもたらすのではないかと実は私、思っているのです。  それは、どうでもいいといたしましても、今度の安川発言、放言をしたのは、法眼さんではなくて安川さんということ。その安川さんが、アメリカ国民から一体信頼をされるだろうか。田中角榮総理大臣とリチャード・ニクソン大統領との間の共同声明の十七項目目に、「大統領は、天皇皇后陛下の御訪米に対する以前よりの招待を再確認し、御訪米が近い将来日米双方にとって都合の良い時期に実現することを希望した。」アメリカという国は、かつて、王さまを持っておった英国からの分かれでありますから、王さまとか天皇に対するあこがれというのは、尋常なものではございません。  伺ってみますと、向こうには、もう天皇皇后陛下を歓迎する歓迎委員会ができておったというお話まで伺うわけでございます。  それじゃ、宮内庁長官にお伺いをいたしますが、外務省との間に、天皇訪米に対する最初からどういうお話し合いがあったのか。また、今回、安川さんがかけてもいいという御発言まであったあのことに対して、いま、どういうふうにお考えになっておられるか、御所信を御披瀝願いたいと思います。
  10. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 天皇陛下の御訪米の問題は、陛下がヨーロッパに御旅行のときに、アンカレジお立ち寄りになりました。これは休養のためでございますが、アメリカ政府では、大統領御夫妻が、わざわざ遠路アンカレジまで見えまして、しかも、夜中にあそこで御歓迎申し上げたいというようなことがあって、そのために、当初の計画の東京出発も早めたりいたしまして、そういうことが行なわれたわけでございますが、そのときにも、ニクソン大統領から、両陛下に、ぜひ一度公式においでいただきたいということがあったと伺っております。  それを契機に、その後、ニクソン大統領からの御伝言として、重ねて、自分たちアメリカ人は、政治を離れて陛下をお迎えしたい、熱心にそう思っているということを、外務省を通じて、われわれのほうに二度か三度ございました。  そういうことがございました関係で、しかも、それが相当の月数の間に行なわれておりますので、いつまでも黙っているわけにもいくまいということも、だんだん出てまいりました。結局、いつおいでになるかわからないけれども、種々の情勢が許すならば、おいでになるということで、外務省にも、私どもは、昨年八月お出かけのときに、そういうことであったわけでございます。  ですから、共同声明には、日本側のことは、ただ総理大臣が感謝をされるという形で出ておりますけれども、それは、初めてそういうふうに外に出るわけで、おそらく私の想像では、総理大臣は、陛下に申し上げた上ではっきりするとか、あるいは将来いつかという期日もうたっておりませんから、いろいろ将来、そういうことを込めて研究の上でということであったのではないかと私は想像しております。  それで、今回のことにつきましても、外務大臣が、石油会議お出かけの前に、今度は、行っても、こちらから、御訪米のことは触れないし、向こうから出ても、前のとおりでお話しして帰ってくるということを、事務的に私のほうまでわざわざお話しでございました。それから新聞記者会見のことが起こりましても、十四日の朝、法眼前次官から、そのことをすぐ私にお電話がございました。その後、大臣からも、私にお電話もございました。式部官長とアメリカ局長その他のほうとの連絡を密に、当時の状態の御報告をいただいたわけでございます。  われわれも、昨年から法眼次官にも、こういう問題を、将来、実際問題として研究するには、よほど連絡を密にしなければいけない、やはり小委員会でもつくって、相談していくべきものでないかということであったわけでございますが、その後の情勢におきましては、いまだ、そういう問題を、具体的にいつどうするかというところまで進んでおらないのが実情でございます。  将来のことは、いま申し上げましたとおりで、これがいつごろ、そういうことが実現に至るかということは、まだお答え申し上げる段階まで進んでおりません。そういう経過でございます。
  11. 中山正暉

    中山(正)委員 承りますと、陛下は、五十数年前から、アメリカにいらっしゃりたいという御願望があったということでございますし、いまのお話のアンカレジまで大統領御夫妻が、ただ通過するだけであるのに、盛大な御歓迎をいただいたことに対する——ニクソンさんという人が、ウオーターゲート事件で関係があって、アグニューさんが悪いとか、ニクソン関係しているんだとかいう、具体的なニクソンという人物に握手をしに行くのではなくて、もし、ウォーターゲート事件で、これがだめになったのなら、それこそたいへんな間違いではないか。  抽象的なアメリカ大統領ニクソンという人と——日本の二千数百年の歴史の伝統の中で、一国家、一民族、一言語というこの伝統を保ち得たのは、私は、天皇制の知恵であったと思います。ヨーロッパでは、法皇と皇帝がすぐけんかばかりするからしようがないというので、三権分立なんという写真機の足みたいなものを考えましたが、日本では、天皇制と政治というのは、うまいかみ合わせになっておったと思う。  ペリーがさっきの話の、日本に来たときに、衣冠束帯の陛下に対して、刀をはいて武具をつけた、よろいかぶとのさむらいが頭を下げておる姿を見て、一体どっちに頭を下げていいかわからないが、よろいかぶとの武者が頭を下げている人が一番偉いんだろうというので、天皇陛下にいろいろと御接触申し上げたという、すばらしい日本人の、日本の国の、伝統を守りながら、政治がどんなに変革をしても、日本人が安心して一国家、一民族として暮らしていける伝統の歴史の保証であったと、私はこう天皇制を考えております。  その中にある天皇陛下というお方が、アメリカへ行って敬意を表していただくということは——日本が幾ら石油を入れてきても、そのつくったものを、アメリカが四〇%買ってくれるのですから、ちょうど第二次世界大戦の前も、そのくらいの比率でございましたが、それが、アメリカに敵対するかっこうになって、悲劇におちいったわけでございますから、私は、このアメリカ関係というのは——陛下も、もうお年でございます。一日も早く実現をしていただかなくてはならないのではないかと思う。  特に、今回の問題で——まあ、前の増原長官は、天皇陛下の問題が出ましたときには、すぐに御退官になりましたわけでございますが、今度も、大平大臣がおやめになるというようなうわさまで出ておるわけでございますが、それに対する大臣のお考えはいかがでございましょうか。
  12. 大平正芳

    大平国務大臣 ワシントンの記者会見におきまして、御訪米の時期について、時間的限定を持った発言をいたし、あとでそれを訂正いたしましたけれども、そういうことをめぐりまして、多くの迷惑を多方面におかけいたしたこと、全く恐縮いたしておりますけれども、この事件によりまして、私が辞任するという意思は持っておりません。
  13. 中山正暉

    中山(正)委員 私も、実は、この間の総裁選挙では、田中角榮総理大臣をおつくりすることに一生懸命になったわけでございます。  そこで、これは、本物かにせものかわかりませんが、中華人民共和国の解放工作指令書という中に、こんなことが書いてあります。「各団体ごとに、早期に暴発せしめる。彼等の危機感をあおり、」、愛国者というか、そのほうのことを言っておるのです。「怒りに油をそそぎ、行動者こそ英雄であるとたきつけ、日本の政界、マスコミ界、言論人等の進歩分子を対象とする暗殺、襲撃はもとより、我が大使館以下の公的機関の爆破等を決行するよう、接触線を通じて誘導する。我が公的機関の爆破は、建物のみの損害にとどめ得るよう、準備しておけば実害はない、事後、日本政府に対して厳重抗議し、官憲をして犯人の逮捕はもとより、背後団体の解散をなさしめ、賠償を要求し、マスコミには、全力をあげて攻撃させ、人民の右派嫌悪感を更に高め定着させる。」、こう書いてあります。  私、心配いたしておりますのは、天皇陛下問題というのには、刺激されやすい日本人の性質がございますので、ことしから来年にかけて、これが、もしほんとうだとすれば、私はテロの年ではないかと思っております。そういう傾向に入ってくる源泉を、出先のアメリカ大使がつくり出されるということは、ゆゆしき問題である。  西山という人、この方は、新聞記者の良識に照らしてみて、どうなのでしょうか。西山という人が、自分で記事を書かずに、だれかにそれを渡して、それを国会の場で発表させることによって、何かの意図を達しようとしたという、非常に——人の女房に手をつけたという非常に、もう言語道断といいますか、許せないという感じがするわけでございますが、この人の事件で、直接アメリカの情報をとられたその安川審議官が、アメリカの大使に転出をしていくということは、アメリカをからかっておるのではないだろうか。  アメリカ局長も、そこにいらっしゃいますが、そのことだけでも、アメリカをからかっておるような人事をして、そして今度、その安川大使が、かけてもいいということばを吐いてまで、またまた天皇陛下を一そう言うと、まことに恐縮な言い方かもわかりませんが、天皇陛下を利用して、そしてアメリカをまたからかったのではないか。その日米離間の根源を外務省がつくっておる。全く狂気のさただ。その人事の中で、アメリカ大使に、安川さんという方を、まだこれからずっとアメリカに置かれるのでございましょうか。  それとついでに、お答えを願いたいのは、外務次官がおやめになったのは、安川事件のための引責でございましょうか。お役人さんにとっては、更迭されるということは、汚職とか、それから機密の漏洩とかいろいろなことがない限り、たいへん——われわれ政治家は、また選挙があれば出てこられますが、お役人さんの名誉というものは、私はたいへんなものではないだろうかと思う。  それで、法眼さんがおやめになった理由が、それに関連があるのかどうか、安川さんのこれからは一体どうなるのかということを、ひとつ御答弁願いたいと思います。
  14. 大平正芳

    大平国務大臣 このたびの件につきましては、安川君に、任命権者でございます総理大臣から、訓戒処分をいたしたわけでございます。引き続き、戒慎の上、重要な職務でございますから、御精励をいただきたいと考えております。  それから、法眼次官の問題は、これと全然関係のないことでございます。法眼君の御勇退と外務省の人事の刷新ということによりまして、なお一そう、緊張をもって外交の任務に当たらなければならぬと考えておりまして、この両件とも、私の責任において、私の判断において実行いたしたものでございます。
  15. 中山正暉

    中山(正)委員 前に、法眼さんと雑談をした中で、気をつけてください、松岡洋右という人が、不可侵条約を結びにいくときに、シベリア鉄道を一週間走った、その寝台車の上に寝ておった人が、いまになって中共から帰ってきた西園寺公一でございますよと言うたら、私もその寝台に一緒に乗っておりましたとおっしゃいました。まあ、そういうことで、私は、たいへんたわいのないことが、世界を悲劇にするか、それとも楽土にするかの分かれ道になると思います。  この際、私は、さっきも言いましたように、アメリカソ連も信用しておりません。日本は、もう、このわずかな島国を、どうして——小さいものは、いまの国会でも、そうでございますが、多数決ではございませんで、少数決みたいな形に運営の上ではなっております。そういう形を見てまいりますと、小さいものが大きいものを動かす時代になっておる。たった、わずか二人か三人のゲリラが——特に、これも、外務省の態度が私はふしぎでなりません。クウェートの大使館を、向こうが警察権を持って、日本の治外法権を守るべきであるのに、それを守れなかったクウェートに対し、日本特派大使を出してあやまりに行くというのは、一体どういうことか。向こうからあやまりに来るのが、あたりまえだと思うのに、日本外務省の態度というのは、それで一体いいのだろうかという気持ちがいたすわけでございますが、とにかく、これから日本は、知恵を出して、りっぱにこの世界の中で、どうわれわれが平和のかぎを握るかという重大な岐路に来ております。  ですから、世界の均衡をつぶす役割りをしてはいけない。日本がもし社会主義化したときには、必ず私は世界の均衡はつぶれると思う。日本の六十六倍あるソ連と、日本の二十六倍ある中国に、日本が加担したら——いまでこそ共産党は、公害、公害と言いますが、この間のストックホルムの大会に、世界で公害大会に共産主義の国はどこも参加しておりません。もしソビエトで、公害なんということを言ったら、きっと、おまえは社会主義建設に対する反革命分子であるということになると私は思うのでございます。そのときには、平気で日本を工場に使って、七億八千万の中国の人民が最後の敵であるアメリカというものに対して、私は最後の決戦をいどむときが来るだろうと見ております。  そのために、日本は、どうしてもアメリカを孤独にさせないために、自由主義陣営の中にとどまるべきだ。そうしないと、日本はたいへんなことになると思うのですが、その一番心配なところは、日本総理大臣は、三軍の統帥権と警察権を持っております。そして、いま派閥が悪いといいますが、派閥がなくなるわけがありません。昔は、政治家というのは、自分の派閥を養って、総理大臣になるのではなくて、だれがいいかということは、欲も得もなくなった元老、重臣方がおきめになって、それを天皇に言上をして、大命降下という形で総理大臣をきめておったから、派閥ができるわけがありませんでした。ところが、いまの憲法は、そういう非常な欠点を持っております。  条約局長おられるので、私は、陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約という、明治四十年に結ばれて、日本が明治四十五年に批准したと思いますが、その中に、陸上戦闘の行なわれたところを占領してもいいが、その国の憲法とか法律とか、そういうものを変えてはいけない、これはドイツがいまいい例でございます。ドイツは憲法を改正しておりませんし、いまだに占領下でございます。憲法は基本法という形で、つくっておりませんことは、御承知のとおりです。フランス憲法の九十四条の中には、外国の軍隊が、領土の一部または全部を占領している間は、その国の憲法の改正は無効であるということがございますが、私は、日本のいまの憲法は、無効だと思っております。私は、いまの憲法はアメリカからもらったと思う。  その証拠に、共産党と社会党は、国会にこれが提案された二十一年には、野坂参三、志賀義雄、徳田球一、それから穂積七郎、細迫兼光、社会党ではこの二人、それから憲法二十九条があったのでは、社会主義政権は樹立できないといって社会党は修正案を出している。あの当時に、憲法を、これは認められないとして、特に、吉田総理が提案理由説明をされようとしたら、そのときに野坂参三が緊急動議を出して、提案を延ばすべきであるというのをやっておる。そういう事情で、そのとき、昔、反対をした憲法に、いま賛成をして、社会党と共産党は憲法擁護、公明党まで、このごろ憲法擁護と言い出しました。この憲法さえ守っておけば、日本はつぶれるという、そういう自信があるんだろうと思います。  ですから、なぜ象徴天皇という、世界に通じないことばを使うのか。英国の女王も、君臨すれども統治せずという、りっぱに日本で象徴天皇と申し上げてもいい方が、元首といわれている。  時間がございませんので、最後に、法制局長官から、このたわいのない日本に、われわれ歯どめを食わして、何とか世界の平和を守りたい、こういう感覚でものを言っておりますので、御答弁をお願いいたしたいと思います。
  16. 吉國一郎

    吉國政府委員 私に対するお尋ねは、どうも法制局の所掌事務にかかわるものではないと存じますが、問題は、要するに、英国の女王の例を引かれまして、それに対して、日本天皇についてどうかというようなことに問題があると思います。  天皇が元首であらせられるかどうかということは、要するに、元首ということばの定義の問題に帰するところであろうと思います。このことは、昨年の本委員会でも、あるいは予算委員会でも、何回も申し上げたことでございますが、元首というのが、内治外交のすべてにわたって、国を代表して、また、行政権を掌握している存在であるという従来の定義によりまするならば、現憲法のもとにおきましては、天皇は元首ではないという議論に相なるかと思います。しかし、今日では、実質的な国家統治の大権は有せられなくても、国家における最高の地位にある者を元首とみるという見解もかなり有力になっております。  それは、十八世紀、十九世紀時代の皇帝あるいは元首というものが、その後、統治の面において、いろいろ憲法上変遷をいたしまして、現在、元首として、特に君主として存在する国々においても、統治の大権そのものについては、非常に許される範囲が狭いというようなこともございます。  そういうようなことから、いまのような見解も出てまいったと思いますが、そのような見解をとりまするならば、わが国天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であられるということに、これは憲法第一条で厳然と規定をされております。また、一部ではございますが、対外的に日本国を代表する地位をお持ちになる場合もあるということから申せば、元首であるということも、ある意味においては申して差しつかえないということでございます。
  17. 中山正暉

    中山(正)委員 いまの憲法を擁護する立場からいっても——マッカーサー元帥は、マッカーサー・ノートという三カ条のノートを出しております。これは、昭和十九年に、もうアメリカは、日本との戦争に勝つという見込みを立てて、SWNCCという委員会、ザ・ステート・ウォー・ネービー・コーディネーティング・コミティーという委員会で、占領後の日本運営方針というのを出している。それを参考資料としてマッカーサーは、マッカーサー・ノートを出しておりますが、その三カ条は、天皇を元首とする、地位は世襲である、それから戦争の放棄、それから貴族の廃止、これがマッカーサー・ノートの三本の柱でございますから、野党の方々がおっしゃっておられます立場からいっても、いまの天皇は、マッカーサーの言うとおりにしても元首ではないだろうか、かように私は考えております。  もう時間がありませんので、最後に、実は、先ほど言い落としたのでございますが、お伺いをしてみると、大平外務大臣の非常に有力な後援者のお方に、安川第五郎さんという方がおられる。その方の御令息が、実は駐米大使の安川さんであるということを聞いております。  われわれ政治家は、梨下に冠を正さず瓜田にくつを入れずで、疑わしいことをしてはならないという基本理念があると思いますが、そのいろいろなうわさ、だから、大平大臣は擁護をされているのだ——私は、そんなこと信じておりませんが、そういうことを言う人がございますので、それを御答弁いただきまして、以上で質問を終わりたいと思います。
  18. 大平正芳

    大平国務大臣 安川第五郎氏は、わが国の財界の長老といたしまして、人格、識見とも私が深い尊敬を持っておる先輩でございますことは、間違いございません。しかし、過去、現在を通じまして、私はびた一文の政治献金を、安川第五郎氏から受けた覚えはございません。  また、安川大使が、この安川第五郎氏の御令息であることは、間違いございません。
  19. 中山正暉

    中山(正)委員 ありがとうございました。  国を愛する気持ちで、たいへん大先輩に対して失礼なことがいろいろあったと思われるかもしれませんが、憂国の情に出たものでございますので、どうぞひとつお許しをいただきたい、かように申し上げて失礼をいたします。ありがとうございました。
  20. 徳安實藏

    徳安委員長 大出俊君。
  21. 大出俊

    ○大出委員 お忙しいところを、外務大臣並びに宮内庁長官にお運びをいただきまして、いささか恐縮でございますが、事きわめて重大でございまして、憲法そして天皇内閣にかかわる問題でございます。かつ、この委員会では、何回かこの問題を取り上げて議論をしてまいりました。昨年の二月ごろの天皇訪米の時期もしかり、また増原さんのいわゆる天皇発言のときにおきましても、同様でございます。このときには、天皇の園遊会にかかわる越山会などという方々の問題にまで、実は発展をした議論がこの席で行なわれました。  この国の憲法の規定にございますように、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」、こうあるわけでありますから、たくさんの国民の皆さんの中には、いろんなものの考え方が存在をいたします。それだけに、宮内庁という、直接的に携わっておられる役所の責任者——現在の法律上からいけば、一つの行政長官でありましょうが、この点は十分慎重でなければならない。  もう一つ天皇の権限の範囲と申しますものは、現行憲法四条で「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」と明確に規定をされているわけであります。したがって、政治的に利用されるという国民の判断が成り立ったり、あるいは利用することなどがあらわれては相ならぬということで、詰めが行なわれたわけでありますが、宮内庁の皆さん方は、天皇には天皇の御意思がございます、憲法のたてまえも、明確にいたしております、したがって、利用されるおそれのあるようなこと、まして利用されるなどということは毛頭あってはならないし、今日までなかったのだ、将来についても、そういうことがあってはならぬ、そういうことは行なわないと何べんも明確に答えておられます。  したがって、そのことを前提にして承りたいわけでありますが、先ほど長官のおっしゃっておりました答弁の中で、確認を求めたいのでありますが、昨年八月に総理が、これは日米共同コミュニケの形になっておりますが、このニクソン会談にお出かけになるときに話し合いをされた筋道の御答弁がさっきありました。天皇がいつおいでになるかわからないけれども、双方の都合のよいときにという程度のことにしておこうという御相談だったようであります。つまり、時期の限定はない、このことが、しかとさようかという点を、一度念を押したいのであります。  それから、将来については、たび重なる招待を受けているということから、おいでになる御意思が天皇におありになるようでありました。しかし、それがいつであり、どういう時期であるか、双方の都合というようなことも、十分これは検討して、慎重にやっていきたい、その意味では、小委員会などでもつくって、相談すべきではないかとお考えになっている、これが二番目でございました。  つまり、時期の限定は、一切今日まで政府との間で話し合われていない、こういう理解に立ってよろしゅうございましょうか。
  22. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 ただいま御質問のとおりでございまして、私どもは、皇室の方々が、一般の特別な利用をされるという問題について、最も敏感に考えております。しかし、こまかい問題になりますと、絶対にないとは申し上げかねる場合も相当ございまして、いろいろなものを販売するについて、こちらの皇室の御紋章を使いますとかいろいろな問題がちょこちょこ起こります。そういうことは、われわれとしても、相当気を使いまして、そういうことがあれば、注意を与えたりいたして、なるべくそういうような商売とか何かに悪用するというような問題については、非常に気をつけておるわけでございます。  同時に、大きな問題につきましても、陛下を利用して、いろいろなことが行なわれるという問題も、実に気を使っておるわけでございます。しかし、まあ、どこかおいでになれば、ある程度の影響は出る、これは事実問題そうであろうと思います。しかし、これが、その利用とか特殊なことに使われるということについては、私ども、非常に厳重な考え方をしているわけでございます。  まあ、つまらない例を申し上げるようでございますが、お出かけのときに、多年問題であった道路の修理というものを、陛下がいらっしゃるからといって強行するというような事態があったことがございますが、私は、厳重に、それは陛下はお通りにならないと言って、お通りにならなかった例さえあるわけで、そういうところまで気を配っておるつもりでございます。  今度のアメリカの御訪問の問題も、先ほども出ましたが、これは、まあ新聞にも出たことで、だいぶ前からでございますが、宮内庁の記者諸君が、陛下に拝謁いたしましたときに、アメリカおいでになりますかと伺いましたら、行きたい、しかし、諸種の事情が許せばと、いつでもそうおっしゃっておるわけです。しかし新聞には、しばしば、あとの諸種の事情が許せばということが、いつもとれておりまして、おいでになりたいというところだけが大きく出る。それは、クラブの諸君も知っておりますが、私は、それを、いつもクラブの諸君にも言っておるわけであります。  アメリカお出かけの問題が、ニクソン大統領から、しばしば熱心なお話がございまして、これに儀礼上もおこたえしなければならない、これは政府も同様のお気持ちがあったと私は思いますが、そういうことから、いつのことか日取りはわからないし、どういう計画になるかも、いろいろあると思いますが、そういうことがあれば、そういうことは、将来において可能でありましょうということを申したつもりでございます。
  23. 大出俊

    ○大出委員 わかりました。いつのことか日取りはわからない。つまり、日取りは、政府との間におきまして、話し合いをしてきめたことは、全くないということになるわけであります。  そこで、外務大臣に承りたいのでありますが、外務大臣、まことに奇怪な話でありまして、この経過をずっと追ってみますと、私の頭の回転が鈍いせいかわかりませんが、どうもわからない、まさに奇妙なことが起こったという感じがするわけであります。  そこで、まず一つ一つ承りたいのですが、外務大臣は、十三日に石油会議が終わりまして、その四時間後、こういう時間に、一時間キッシンジャー国務長官と話し合いをされておられます。安川大使同席でございましょう。そうしてその後、記者会見を行なわれたわけであります。十三日の午後七時三十分でありますが、 ニクソン訪問、天皇訪米とも、昨年八月の日米首脳会談できまった方針で進めることを確認した、まず、こういうふうに発表されている。そうして、このあとで、双方ともことしじゅうに実現させることになった、こう発表した。あらゆる新聞にそう書いてあります。記者の方が、再三再四念を押した、間違いないと、何べんもお答えになった。最後に、安川大使の、かけてもいいということの発言まで出た、こういうことであります。  つまり、ことしじゅうというならば、新しい角度からものを見なければならぬ、こういう記者の感覚だったと思うのであります。ここまではほんとうでございますか、お認めになりますか。あとから訂正されたのは、自由でございますが、七時三十分の記者会見はそうだった、こういうわけでございますか、ことしじゅう、よろしゅうございますね。
  24. 大平正芳

    大平国務大臣 それは正確でございません。  キッシンジャー長官と私との会談におきましての双方の確認は、両陛下の御訪米については、昨年の首脳会談のときの両国の了解を、再確認しようということにとどまっております。  それで、それが終わりまして、邦人記者団と私との会見で、私は、そのとおります報告をいたしました。したがって、その段階で、日米間の了解としては切れて、日米間の問題は、一応それで済んでおると思います。  したがって、これから邦人記者団の、私に対する質問が、その次に出てまいりまして、それでは、両陛下の御訪米は、いつになるのでしょうかという質問がございましたが、これは、まさに国内政府が関与する、日本政府の意思にかかる問題でございまして、アメリカとその限りにおいては関係のないことでございまして、したがって、それにつきまして、私は、本年度中に実現の運びになるのではないかというお答えをいたしました。  その答えに対しまして、それで共同声明では一体どうなっておりましたかということが、その記者会見において話題になりまして、たしか本年中になっておったのじゃないかという問答が繰り返され、安川大使も、それを、そうなっておるはずだとがんばったことは事実でございます。そうしてあと、確かめて、訂正を求めたという筋道になっております。
  25. 大出俊

    ○大出委員 時間がありませんから、簡単にお答えいただければ、けっこうでございます。  そこで、いまの経過でいえば、共同声明が出ている、八月のこの共同声明、この両国の了解を再確認した、これがキッシンジャー国務長官外務大臣の間であった。記者に質問をされて、さて、日本国内部の問題である、アメリカにかかわりはない、そういう立場で本年内になるのではないか、こういうことを話された、質問が続いて、安川大使から、共同声明内容はどうなっているのだという話が出たときに、年内だ、それがかけてもいいという話までいってしまった、こういうことだというお話でございますね、事を分けての。  私は、時間がありませんから、ずばり承りたいのですが、日米間で——われわれ国民は、そこまで知りませんが、私を含めて。だが、どうやら昨年の八月一日、つまり日米首脳会談第二日目というところあたりで、七四年に天皇が訪問することを日米間で話し合われ、了解事項ということになっている、そういうことが私の耳に入っておる。  つまり、すでに昨年の田中総理ニクソン大統領の会談の席上で、ニクソン大統領は、七三年から七四年末までの間に日本に来る、天皇は、七三年は無理である、七四年中、こういう了解がついていた、この事実を、外務大臣でございますから、知らないとはおっしゃらないと思いますが、いかがでございますか。
  26. 大平正芳

    大平国務大臣 そういう事実はございません。
  27. 大出俊

    ○大出委員 それでは、承りますが、二十二日に安川大使が——いまで言えば、きょうは二十二日でございますから、きのうでございまして、二十一日、安川大使が記者会見をアメリカでやっておられる。  ここに記録をいたしてみましたが、これは安川さんがおっしゃった。昨年八月、ワシントンで開かれた日米首脳会談において、七三年内は困難だが、七四年中という基本的な了解事項があった、一人や二人の新聞記者の方じゃないんですよ、そういう記者会見の席上で。おそらくは、あすの朝の新聞に、たくさん載るでしょう。これは、一体何事ですか。そういうことはございませんと、あなたはおっしゃった。  これに、さらに説明がついている。田中・ニクソン会談の二日目、八月一日の冒頭に、この話が出た。日本側田中首相、安川大使、アメリカニクソン大統領キッシンジャー補佐官。この席で、ニクソン大統領は、七三年ないし七四年中に日本を訪問する、天皇は、七三年は無理で、七四年中にアメリカを訪問する、こういう話し合いが煮詰まった。そこで安川大使が、両首脳に確認を求めたところが、両首脳がそのことを了承をした。これは首脳会談二日目であります。  そこで、ここまでのことが明らかにされていて、これが発表のしかたは、いずれにしても別ですが、あなたは、なぜ否定するのですか。当の安川大使みずから出席して言っておるのですよ。
  28. 大平正芳

    大平国務大臣 安川君の、二十二日の発言は、まだ報告を待っておるところでございますけれども、いま御引用になりました去年の首脳会談後のお話でございますが、これは、発表のしかたは、記者ブリーフィングの形でございます。記者会見ではございません。記者会見をいたしたのは、総理大臣でございます。  したがって、昨年八月、総理訪米の際の会談内容は、陛下の御訪米をいつかは実現することにしたいという、希望しておるという点で、日米双方の考えが共通であったということであると私は思います。共同声明で明らかにされておる以外に、具体的な了解事項というようなものは、全然ございません。
  29. 大出俊

    ○大出委員 続いて、申しましょう。経過がここに述べられている。昨年、八月一日に行なわれた日米首悩会談二日目、この冒頭で、天皇訪米ニクソン大統領訪日の話が出た。会談後の記者会見に備えて、いかが発表いたしましょうかと両首脳に直接お伺いを立てたところ、ニクソン大統領の訪日は、七三年から七四年内に、天皇は、七四年中と言ってよいという了解を得た、これは安川大使が海の向こうで言っておるんですよ。  きのう二十一日に、安川大使がアメリカで記者会見をいたしております。知らないなどと言われてみても、訓告が戒告か知りませんけれども、処分をしたばかりの大使自身じゃないですか。一人や二人の人の話じゃない。
  30. 大河原良雄

    ○大河原(良)政府委員 事実関係につきまして、私から御答弁さしていただきます。  ワシントンにおきます日米首悩会談は、七月三十一日に第一日が行なわれたわけでございますが、七月三十一日の第一日の会談のあとで、その会談に同席いたしました安川大使が、記者団に対しまして、ブリーフィングを行なっております。そのブリーフィングにおきまして、安川大使は、陛下の御訪米についても、本年中は無理であるが、来年中には実現したいということで双方が合意した、実現したいということであるが、自分の聞いた感じでは、実現するだろうということであるということを、当時申したということが記録に残ってございます。  今回、いろいろな経緯を経まして、二十一日の夕刻、ワシントンで、安川大使は、ワシントンの邦人記者団と会見をいたしております。その際、当時の経緯をもう一回説明しろ、こういう記者団からの要望がございまして、安川大使は、これに対して、当時のことを、記憶に基づきましてあらためて説明をいたしているわけであります。その際、記者団から、それでは、日米間の話し合いというのは、合意であるのか希望の表明であるのか、こういう質問が出てまいりました。この点につきまして安川大使は、その点は、首脳間の了解となってはいない、正式の合意ではない、しかし、単なる希望の表明よりは若干強いかもしれない、こういう趣旨の答弁をしたということを、先刻電話で問い合わせたところが、ワシントンから言ってきております。
  31. 大出俊

    ○大出委員 安川大使は、記者会見で、日米両国の正式な合意事項かとの質問を受けたが、共同声明を見てほしいと答えた記憶がある、しかし、この合意は、単なる希望よりは、もっと強いものであると理解している、この内容が、なぜ日米共同声明に入らなかったのかということについて、私には、オーソリティーがないので言えない、こういう発表です。  これは、大平さん、あなたは知らぬとかなんとか言っているけれども、単なる希望じゃない、はるかにもっと強いものである。大使みずからが説明しているじゃないですか。では、それをなぜ、共同声明に載せなかったか、いや、それは、私にはオーソリティーがない、権限がない、しかも、安川大使は、両首脳、つまり、ニクソン大統領田中総理長どう発表しましょうかという質問をしているじゃないですか。  質問に基づいて回答を得て、発表している、昨年の八月一日に。会談二日目。その両首脳の会談の中身というのは、日本を代表する総理じゃないですか、片方は。片方はアメリカを代表する大統領じゃないですか。その間で希望よりもっと強い了解ができている。それを、形式的に了解事項にする甘しないは別な問題です、そんなことは。  常に、あなた方はおっしゃるじゃないですか、両国首脳の信頼関係だと言うじゃないですか。希望どころじゃない強いもの、そこまでの話し合いができていて、扱いとして、共同声明にそこまで具体的に載せなかっただけじゃないですか。だから、あなたも同席した安川大使のいるところで、共同声明には、年内年内と言っている、問題はここなんだ。  あなた方は、昨年の八月に年内を了解し合っている。冗談じゃないですよ。そういう秘密外交ばかりやっているから、こういうことになる。だから、次から次からぼろが出る。宮内庁長官、さっき何と答えた。時期について話し合ったことは、一ぺんもないと言ったじゃないですか。将来、小委員会でもつくって検討すべき問題だと言ったじゃないですか。  宮内庁はそっちのけで、ニクソン大統領田中総理との間で、希望どころじゃない、強い了解ができ上がっちゃっている、去年の八月に。これをもって政治的といわなければ何が政治的なんだ。政治的に利用されたことはないとかなんとか言っているが、あなたは、一ぺんも時期を相談したことはないと言ったでしょう、宇佐美長官は。あなたがその真相を知っていれば、新聞に出ているように、外務省にまかしておけぬという気になるかもしれぬ、あたりまえだ、そんなことは。こんなばかげたことで納得できませんよ。だから、念を押した。  憲法第一条に何と書いてある。国民統合の象徴である天皇という地位。私どもは新憲法を守っている。守ろうという立場をきめている。国内にはたくさんの意見の人たちがいる。だから、かりにでも政治的と受け取られるようなことをしてほしくない。現行憲法のたてまえ上、こう考えているのです、率直に。  こんなばかげたことを、あなた許せますか。それじゃ、一字一句間違わずに取ってください、安川発言というのを。それまでは審議できない。
  32. 大平正芳

    大平国務大臣 安川君の首脳会談後のブリーフィングについての御質問でございますが、両国首脳が責任をもちまして発表いたしましたのは、共同声明にうたわれたとおりでございまして、両方とも希望が表明されておるわけでございます。その希望というものは、希望以上のものなのか、単なる希望なのか、つまり、ニュアンスにかかる問題でございます。  首脳会談のあと総理大臣が記者会見をされております場合、よくよくの事情のない限り、来年度中には実現したいという希望が述べられておるところから見ましても、この希望というのは相当強い、単なる希望の表明というよりは、安川君がおっしゃるように、積極性を加味した希望の表明であるというニュアンスを持ったものだというように考えるわけでございますが、大出さんの、これは、私ども日本側の当事者がアメリカの首脳との間で政治的にもくろんだ、陛下政治的利用の一つの手段として、そういう下心をもっていたしたというようなことでは、決してないのでありまして、そのように御解釈いただくことのないように切にお願いをしたいわけでございます。   〔委員長退席、小宮山委員長代理着席〕  政府といたしまして、両陛下の御訪米というようなことに対しましては、先ほど宮内庁長官からも、お話がありましたように、これは、きわめて慎重にいたさなければならない、非常に神経質にまで注意いたさなければならぬ課題だと考えておるわけでございまして、その点は、われわれの微衷をおくみ取りいただきたいと思うのでございまして、その間、政治的な意図をもちまして何かの了解をそこで遂げておいて、共同声明においては、こういう表現にして、それと別な了解が別に秘密にあるという、そういう性質のものでは全然ございませんことを御了解いただきたいと思います。
  33. 大出俊

    ○大出委員 それじゃ一体これは何なんですか。きのうの安川氏の記者会見、この中でもはっきり、単なる希望じゃない、もっと強いものだ。単なる希望でない、もっと強いもの——両国の首脳の話ですよ、これは。両国の首脳が、単なる希望ではない強いもの。そこまでのことになれば——去年のことです。天皇訪米は来年、希望ではない、もっと強い、そういう了解ができている。  そうだとすれば、あなたは、一体、きのうの外務委員会で何を言っているのですか。白紙かという質問に対して、時期を含めて白紙だと言う。なぜ率直に、去年の八月一日に田中総理ニクソン大統領の両方の間で、来年、つまり本年じゅうに天皇訪米をと——単なる希望じゃない、より強い形で了解ができている。だから、全く白紙じゃない。時期的には、そういうことがあったと、なぜ、あなたははっきり言わないのですか。ただ、両国の都合云々ということを、ここらのところもあるから、慎重にとかなんとか、なぜ言わないのだ、あなたは。だから、こういうことが起こる。あなた方は、これが前提になっているから、向こうから話が出る。  そこで、承りたいんだが、あなたが、キッシンジャー氏に会って、どっちからこの話の口を切ったんですか、この問題は。いずれにしても、これは、あなたが、この了解がある限りは、記者発表にあらわれたこういう結果が出てくるのはしかたがない、あたりまえだ、だが、考えてみれば、政治的にたいへんだということになって、どたばた劇じゃないですか、ころころ変わって。  アメリカ側の出方を見てごらんなさい。いきなり翌日、十三日は日本側と同じだ、天皇訪米というのは年内こうなっている、歓迎する、ちゃんと答えているじゃありませんか、新聞紙上によれば。アメリカ側は、そういう発表をしているじゃないですか、歓迎する。そして翌日になって、これは、アメリカの国務省の午後の定例記者会見だが、大平キッシンジャー会談で、キッシンジャー長官は、天皇がことしじゅうに訪米されるよう、あらためて招待したと言い直したじゃないですか。  おそらく、あなた方は了解工作をやったのでしょう、この発表の結果に従って手直しをする。そうしておいて、さらに、そのあとで、もう一ぺんアメリカ側は、十五日、米国務省ベスト報道官が、記者会見で、天皇訪米は、ことしじゅうと合意したと発表したのは間違いであった。念が入り過ぎているじゃないですか。全くどたばた劇じゃないですか。  昨年、八月一日に、希望より強い形で了解ができている。それが前提になっているから、あとの記者発表になる。あとで考えてみれば、これはえらいことになった。国会も開かれている、選挙もある、大騒ぎになったら困る、ウォーターゲート事件でニクソンますます追い詰められている。宮内庁の意向も、おそらく反対だろうというようになったんじゃないですか。あわ食ったようにあなたは取り消す。一生懸命やったでしょう、今度は。  大体、そういうこと自体が政治的な利用なんだ。憲法の趣旨に反するんですよ、これは明確に。なぜ、そういういいかげんなことをするんですか。なぜ、八月一日のいきさつというものを明らかにしないんですか、あなたから。あなたは、外務大臣じゃありませんか。なぜ、白紙だなんて言っているんですか。明確にしてください。
  34. 大平正芳

    大平国務大臣 だから、いま正直に申し上げておるわけです。日米双方の希望を表明したのが共同声明であった、その希望というのは、単なる希望としては強いニュアンスを持ったものであったというのが、安川君の記者ブリーフィングであった、それに先立つ総理大臣の記者会見におきましては、よくよくの事情のない限り、来年中は実現したいという願望を述べておるわけでございます。  したがって、いま希望の域をまだ出ていないわけでございますので、政府部内におきまして、この問題につきまして、宮内当局はもとよりでございますが、十分検討を遂げて、所要の手続を経まして、具体的決定を見るまでは、本件は白紙であるというのが、私の立場から見て、正しいありのままの状態でありますので、その点は、御了解をいただきたいと思います。
  35. 大出俊

    ○大出委員 念のために、宮内庁長官に承りたいのですが、あなたは、先ほど時期の問題については、将来小委員会云々ということで、何も時期については、話し合ったことがない、こういう趣旨の確認を求めましたら、御発言がございまして、昨年の八月一日に希望というんじゃない、より強い形の日米両首脳における了解ができている。これは前提がはっきりしているじゃありませんか。あなたのほうは、そこのところは、どうなっているんですか。
  36. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 ただいまの仰せになりましたいきさつは、私どもは、よく伺っておりません。  それで、そう言っては、おかしゅうございますが、昨年、十月においでいただけぬかというのを考えますと、昨年は七三年で四年じゃございません。ですから、その当時のは、相互の願望であったんじゃないかと私は思います。
  37. 大出俊

    ○大出委員 外務大臣、これは外務省ベースで、これは、私、新聞の記事で外務省にまかしておけぬと言ったか言わないかというようなことを、きのう瓜生さんには聞いてありますから、宇佐美長官に再確認を求める気はありません。ありませんが、私が憲法を冒頭に申し上げたようなことで、商売関係でいろいろなことに利用されることまで、実は宮内庁としては気をつけておられる、さっき言ったように。そこまで新憲法下の天皇のお立場というものを考えて、進めてこられた宇佐美さんの立場がある。  だとすると、外交ベースで話し合われたことであっても、よしんばこれを表に出す、発表するという場面は、外相が帰られて、やはり宮内庁と十分相談をし、打ち合わせをされて、宮内庁なら宮内庁というところで、天皇の御意思も確かめて——さっきお話があったように、一々、情勢が許せばということをつけ加えて天皇は言っておる。ここまで天皇御自身も気をつかっておられることになる。常々、諸種の事情が許せばというふうにつけ加えておられる。それならば、なぜ一体、帰ってきて十分話し合って、宮内庁の長官おられるんだから、そちらのペースでものを言わないんですか。それが正しいんじゃないですか。知らないなんてなことにしておいてどうするんですか、去年八月一日の件を。御存じないじゃないですか。  政府解釈は、公的行為と言う。国事行為がある、私的行為がある、まん中に公的行為がある、こう言う、答弁によれば。その第一次の責任はだれが負うのですか。これは答弁を求めますが、宮内庁長官のはずだ。第一義的な責任は宮内庁長官のはずだ。第二義的な責任はだれが負う。総理府総務長官のはずだ、政府の答弁なら、最終責任はだれが負うかといったら、内閣なんです。そうでしょう。なれば、なぜ一体、直接責任を負わなければならぬ宮内庁の長官と、そこらの意思の疎通がはかられていないなんというばかなことにしておくのですか。それならば、やはり宮内庁の側からすれば、まかしておけぬという気持ちがふっと出てくる、これはあたりまえです。  ここが、実は新憲法の国民統合の象徴としての天皇の地位のポイントなんだ。あなた方は、そんな疎遠にしておいて、かってに行って、宮内庁長官の知らぬところで、八月一日に両首脳間で単なる希望以上の了解を取りつけあって、そのことを話していないとは何だ。話していない限りは、事前に相談もないはずじゃないですか。かってにあなた方のペースできめたんじゃないですか。しかも、共同コミュニケにうたうとは何だ。明らかに外交上の政治舞台の取りきめですよ、共同声明というものは。全く政治そのものの取りきめですよ。そこに憲法四条があるのに、天皇の問題をのせるとは何だ。  瓜生次長は、きのう、そのことについて、間接的に私もその点については不賛成だということをはっきり言っておられる。しかも、その背景を相談もしてないとは何ですか。そのこと自身が、あなた方——私は、田中内閣始まって以来、どうも天皇を利用するという方向に動く感じが見えてならない。天皇の園遊会で、越山会のワクを特認で認めてどんどん出している。総理も総理だ、ほんとうに。総理自身で八月時点できめているのなら、なぜ宇佐美さんに言わないのですか。増原事件のときだって、そうじゃないですか。ことごとにそうじゃないですか。去年の訪米のときだって、通商問題のこじれがあった。この時期に出そうとする。だから、国会の中で問題が起こるのです、これは。これは、宮内庁の側では耐えられぬことです。  外務大臣、あなた、去年の共同声明のときだって担当者でしょう、外務大臣なんだから。大体、いまのところ、あなた全く知らないとは、これは何事ですか。なぜ、そういうことをするのですか。理由を明快にしてください。
  38. 大平正芳

    大平国務大臣 御訪米問題は、仰せのように、最も慎重にやらなければならぬことと私も心得ておるわけでございます。したがって、第一義的に、皇室の御心配をいただいておる宮内庁長官をはじめ宮内庁とは、随時、周密な連絡を保ってやらなければならぬことでございまして、私どもといたしましては、それについて十分留意をいたしておるつもりでございます。外務省が独走いたしまして、こういう重大な問題につきまして、外交的思惑をもちまして事を処理しようなんということは、みじんも考えてきたこともございませんし、今後もこういうことをいたすつもりは毛頭ございません。
  39. 大出俊

    ○大出委員 時間が来たようでございますから、まとめてものを言いますが、天皇の国事行為ということばがよく出てまいります。私は、憲法にそういう表現はないのでありますから、そのことを否定をいたします。開院式においでになる云々ということは、旧来からの慣行として国民が認めていることである。それは、それでよろしい。植樹祭なりあるいは国体などにお出かけになることも、これはよろしい。  だが問題は、これは宇佐美さんに御答弁いただきたいのでありますが、開院式の問題をとらえたって、閣議できめているのは、お話しになるおことばの中身をきめている。妙な話であります、これは。中身だけ閣議決定する。そんなばかな話はない。おいでになるそのことについては、何も閣議は取り扱わない。いつもお読みになるあの中身については、閣議がおきめになる、こういうやり方であります。植樹祭や国体、これは閣議決定なし、長官の全くの責任のはずでありますが、そうかどうかお答えいただきたい。  それから、一昨年ですか、先回のヨーロッパ訪問、あのときには、閣議でおきめになっている。閣議できめておれば、直接内閣の責任ということがいえるかもしらぬ。きめていなければ、宮内庁が直接責任を全部負わざるを得ない。だから、国体だとかあるいは植樹祭だとかいうところにお出かけになることを宮内庁が応諾なされば、これが国事行為だとおっしゃるなら、私的行為でないとおっしゃるなら、あくまでもこれは宮内庁の責任でおやりになることになる。事は重大であります。閣議は何もきめない、そうでしょう。そういう形に今日なっているのが、はたして正しいのかどうか。  世の中の学者の中にも、たくさん意見がありまして、公的行為をお認めになる学者、これは少数意見のように思いますけれども、その学者の方々でも、一つ範囲というものは、ぴしっとしておかなければと言う。公的行為のワクが広がっていったら、国事行為に入っていってしまう。どこに一体その限界があるのか。早い話が、公的行為で訪米をされても、そのことが政治的に利用された——あなたは、利用する意思はごうもないと言ったって、それなら向こう側はなぜ急ぐのだ。それならば、今年中にニクソン氏が日本に来る、天皇アメリカに行く、こうなった場合に、ニクソン大統領立場からすれば、幾ら責められたって私はやめませんぞということを表に出すことになるじゃないですか。政治的な行為につながるじゃないですか。そういう意図があるのかもしらぬ、アメリカの側には。そんなことだったらたいへんですよ、日本立場からすれば。  したがって、公的行為の歯どめ、制限というものは、ぴしっとしなければならぬという学者の意見がたくさんある。そういう時期だけに、この問題は、慎重に、かつ国民全体の統合の象徴としての天皇立場というものをお考えいただいて処理に当たらなければならぬ問題ですよ。  だから、こういう区々に、適当なことになっているというのは、これは一体どういうわけかということ、一次責任、二次責任、三次責任というのは一体どうなるか、公的行為というならば。私は、公的行為を認めたくないけれども、そこらのところは、まず宮内庁で明確にしてください。その上で、全く相談もなさぬというこの内閣のあり方というものは改めてください。
  40. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 天皇の象徴としての公的行為ということがあるということは、われわれも法制局においても学者の中にも認めているところであろうと思います。ただいま仰せのとおりでございます。  これは宮内庁で申しますと、宮内庁法によりまして、皇室に関する国家事務を扱うという意見において、公的な御行動について判断をいたしているわけでございます。ですから、いま、おっしゃいましたとおりに、いろいろな、毎年ございます植樹祭とか国体とか、こういうものは、例年のようなことでございまして、それは一々申し上げておりませんけれども、しかし、たとえばオリンピックがございましたときに、オリンピック憲章によりますと、陛下がヘッド・オブ・ザ・ステートという意味でお出まし願いたいということでしたから、これに対しましては、私は、そういう表現だけでは、日本では問題があるだろう、オリンピック委員会天皇にお願いするということがきまれば考えましょうと言って、委員会はその決議をしたわけです。しかも、なお、これは内閣の閣議において取り扱っていただいたくらいに慎重に扱ったわけでございます。ですから、事柄によりまして非常に慎重にいたしますし、いま仰せになりましたように、ヨーロッパのときも、事前の準備をしなければなかなか閣議には出せません、実際問題。ですから、ある程度は、内閣外務省とかと内々相談いたしまして、準備をして、いいということになりましてから閣議にかけるわけでございます。  ですから、今度の場合におきましても、そういった将来の一つの心がまえとして、いつの日かおいでになるということにいたしたわけで、これを正式に決定するには、閣議をまたなければならぬということは、はっきりしておると思います。外務大臣の御答弁も、おそらくそういうことであろうと私は思っております。したがって、それでは閣議に決定を——これは助言と承認を求めるということにはなりません。助言と承認というのは、申すまでもなく、国事行為に関する問題だろうと私は思っております。ですから、閣議にかけることは、重要なる宮内庁の事務、それから外務省においても事務でございまして、外国おいでになりました例は、一つしかございませんけれども外務省との共同請議というような形になって、閣議決定を求めているということでございます。  ですから、そういう大きな問題を、予想してこれを書き出すということは、なかなかむずかしい問題で、私どもといたしましては、通常、恒例のものに属する問題は、宮内庁で処理をいたします。それから政治的に、あるいはいろいろな宗教上の問題が起こる場合もございますし、相当むずかしい問題があれば、内閣のほうと相談したり、あるいは正式に閣議に持っていくというような心がまえでおるわけでございまして、仰せのとおり、何か列挙できれば、はっきりいたしますけれども、事柄がいろいろ起こってまいりますと、そういうわけにもまいりません。われわれとしては、そういう点を非常に注意して判断をしてまいりたいと考えておるわけでございます。
  41. 大出俊

    ○大出委員 大平さん、宮内庁長官は、昨年の八月一日の件は、御存じないとおっしゃる。まことにもって私はこれは不満です。これでは政治ペースでものごとが進められていく。明らかな政治利用になってしまう。これは重大な問題だと思います。しかし、時間がありませんから、あらためたところで申し上げますが、これは重大問題だということを、はっきり申し上げておきます。  そうして、都合のいい時期にという時期判断について、瓜生次長は、昨日、私に、ウォーターゲート事件とかいろいろある、このことは、一体、都合が悪いのかいいのかという点でいろいろ御質問を申し上げましたら、間接的な表現ではございますが、好ましくないという意味の表現をされておりました。きのうの夕刊に一部載っておりますが、私はこういう時期は、いずれにしても、お選びになるべきではない、こう考えておるわけでございます。  そこらのところは、都合のいい時期という中で、双方の国内事情もございましょうが、あまり都合のいい時期でないことは——私は、もう都合が悪過ぎる、こう思っておりますけれども、そこらのところ、念のために、宇佐美さんと大臣に、どうお考えになるか、承っておきたいと思います。
  42. 大平正芳

    大平国務大臣 本件につきましては、まだ政府部内で相談に入っておりませんが、今後、相談いたす場合におきましても、諸般の事情を慎重に配慮の上、事を運びたいと考えております。
  43. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 諸種の事情ということは、こういう複雑な時代になかなかむずかしゅうございますし、外国のいろいろな諸問題を、私が批評するということは、こういう場合で適当でございませんが、内外の諸情勢を考え、また陛下の御健康も考え、いろいろな点を考えて、いずれまた、外務省のほう、あるいは内閣のほうとも御相談をしなければならぬというふうに考えております。
  44. 大出俊

    ○大出委員 時間がありませんから、これで……。
  45. 小宮山重四郎

    ○小宮山委員長代理 東中君。
  46. 東中光雄

    東中委員 時間がありませんので、端的にお伺いしたいのですが、昨年の四月十二日に当委員会で、宮内庁長官おられなかったので、かわりに次長が見えて、天皇訪米問題についての質問を私やりました。それについて、瓜生次長が答えられたのは、「将来適当な時期には、天皇陛下アメリカを御訪問になることはけっこうなことだろうというふうに考えておりますけれども、その適当な時期ということについては慎重に検討したいということでございます。」、こう言っておられるのですが、この答弁、そういう考え方というのは、その後変わったのか変わっていないのか、段階が新たな段階に入ったというのか、宮内庁の考え方をお聞きしたい。
  47. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 次長の申し上げましたことが、どういうことばづかいであったか、いまおっしゃるとおりだろうとは思いますけれども、とにかく陛下アメリカおいでになることに、私どもは、考え方として反対ございません、正直申し上げまして。しかし、これは政府と今後の相談によって、だんだんはっきりすることでございますし、その場合に、いろいろな点を考慮しなければならぬということは、いま申し上げましたとおりでございます。
  48. 東中光雄

    東中委員 五十数年前から、天皇アメリカへ行ってみたいということを、意思表示されておったというふうな発言も、ほかの委員会で長官言われているように聞いておるのですが、天皇が個人的に、どこへ旅行に行きたいという気持ちを持っておられるのは、これは全く個人的な、私的なことであります。五十数年前から、象徴天皇として公式に、公的行為としてアメリカへ行きたいというふうに天皇が思っておった、あるいはそういう意思を表明されておったということでないことも、これまた事実です。その当時、象徴天皇なんというようなことは、だれも考えていやせぬのですから。だから、まさに個人的な天皇の旅行についての意思、それを果たされることは、けっこうなことだ。この次元の話なら、宮内庁長官の言われるとおりでいいと思うのです。  しかし問題は、そうじゃなくて、日本国の象徴としての公式行為だということになれば、そういう行為は、できるのかできないのかということが問題になっているわけですから、象徴天皇の公式行為として行くのだ、あるいは行きたいのだということを天皇が意思表明をされておるのかいないのか、その点はいかがでしょう。
  49. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 それは、先ほども申し上げましたとおりに、五十年前というのは、陛下がまだ天皇でもいらっしゃらない。皇太子の時代でいらっしゃる。ですから、それを、この間も、ほかのときに申し上げたのでございますが、この三、四年の間、もう少し前からか、新聞社の連中がしばしば伺って、一応個人的に、そして諸種の事情が許せば行ってみたいと常におっしゃっている。しかし、そのことと今回のお出ましの関係は、何らくっつけて考えているわけではございません。そういうわけでございます。
  50. 東中光雄

    東中委員 それは、別のことだということは、これは、もう当然だと思うのです。  それでは、公式の日本国の象徴として公式訪問をするということについて、宮内庁として、訪問する、あるいは訪問してよいというふうな意思表明をアメリカに対してされた、あるいはそういう意思決定をされたことがあるのかないのか、いかがでしょう。
  51. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 これは、先ほど来、いろいろ過去のアメリカとの関係のお話が出ておりますが、その間に、陛下のお考えというものも——全然経過を申し上げないわけにいかないと思います。申し上げておりますときに、そういうわけで、そういうことがほんとうに可能であれば、そういうことで、先ほども申しましたように、おいでになること自体も、もっと研究をするという状態にあるわけでございます。おっしゃるとおり、公式に天下に発表するというような形のやり方ではいたしておりません。
  52. 東中光雄

    東中委員 私的旅行の話は、この際、混同させないために、はっきりのけて、天皇として大統領の公式の招待、昨年の共同声明の招待というのは、公式の招待になると思うのですが、それに対して、天皇あるいは宮内庁として、それに行くというふうに言われておることは、時期の問題だけが残っておるというのじゃなくて、行くこと自体についても、別に何の意思表明もされていない、こういうことはいえるわけですね。
  53. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 それは、いま申し上げましたとおりに、外務省等のお話し合いにおいて、そういうことが行なわれるならば、宮内庁としては、別段差しつかえないと思うということを申し上げてあるわけであります。
  54. 東中光雄

    東中委員 そうすると、結局は、外務省の交渉できめるということであって、宮内庁としては、きまれば行くし、いま行くことをきめたわけでもないし、行く方針を意思決定をしているわけでもない、招待に対して受諾をしたわけでもない、こういう関係である。そういう意味では、行く時期も、行くことも含めて、まだ何も決定もされていないし、いわんや相手方に対して、何の意思表示もしていない、こういうことになるわけですね。
  55. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 それは、先ほど外務大臣が仰せになりましたように、アメリカ側と相互に訪問することについて、できればという希望を述べておられます。その希望を述べられるにあたって、やはり天皇陛下にそういうことになっても支障がないということになっておるところでございまして、これを要するに、まだこれから検討しまして、具体的になり、閣議決定になって、初めてその意思が確定したというふうに言わざるを得ないと思います。
  56. 東中光雄

    東中委員 結局は、そういう意味では、宮内庁として、行くことはきまっているけれども、時期だけが残っているのだ、白紙なのは、時期だけだというふうに言われていたけれども、行くこと自体についても、何も宮内庁内部できまっているわけでもなければ、いわんやアメリカ側に承諾するような意思表示をされていることはないということになるわけでしょう。
  57. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 いま申しましたとおり、そういうふうに進んでも、私のほうは異議がないということは、外務省に申し上げております。
  58. 東中光雄

    東中委員 それで、大平外務大臣にお聞きしたいのですが、昨年の共同声明で「大統領夫妻の訪日に対する日本政府よりの招待を伝達した。」、この大統領夫妻の訪日招待は、これは首脳会談でそういう声明を出されておるわけですから、どこの国のどの大統領も片っ端から招待していくというわけじゃありませんので、どういうことでこの招待をされることになって、この間、あらためてその意思を再確認されることになったのか。目的なり政治的意味なり、そういう立場を、外務省、田中内閣の考え方をお聞きしたいと思います。
  59. 大平正芳

    大平国務大臣 わが国といたしましては、その国の信条、体制いかんにかかわらず、友好親善関係を増進していきたいということをベースにいたしまして、外交を展開いたしております。  なかんずく、アメリカ合衆国は、御案内のように、最も濃密な関係にある友好国でございますので、アメリカ合衆国の大統領が、訪日の機会を持っていないということは、むしろ不自然でさえあると考えておるわけでございまして、日米の関係の現状と将来を考えて、御招待を申し上げるのは、当然の道行きであると考えております。
  60. 東中光雄

    東中委員 結局、大統領の招待というのは、友好親善外交外交基本的な方針に従って、親密な友好関係にあるアメリカの元首を、まだ日本に一回も来ていないのだから招待する。これは外交基本方針に基づいた、田中内閣、自民党内閣基本方針に基づいて友好関係を一そう深めていくという、やっぱり外交施策として招待されていることになるわけですね。そうでございますか。
  61. 大平正芳

    大平国務大臣 友好関係にある国の元首をお招きするというのは、きわめて当然なことと考えておりまして、特定の目的をもって、つまり、外交上特別の目的をもって、特にしつらえた外交施策というように手の込んだものではございません。
  62. 東中光雄

    東中委員 それは、当然のことなんで、会談をやろうと言っているわけじゃない、招待ですから。しかし、大きな外交政策としてやっておられるので、未承認国だったら、そういう外交関係の中でそういう招待をするということは、これはないわけですから、友好関係が緊密でない、あるいはまだ承認できないという状態であれば、そうなる。それはやっぱり政治的な、外交的な方針に基づいてやっておられることになる。  天皇ニクソン大統領からの訪米の招待というのも、やっぱり同じ意味なんです。個人的に遊びに行きたい、アメリカを一回見てみたいということで行かれるのだったら、これは先ほど言うように、全然別のことです。象徴天皇として、そして公式に招待するということになれば、これは明らかに外交ペースに乗ってやられている。だからこそ、外交ペースで現に話をされているわけであります。こういうのは、宮内庁長官が先ほど言われているような、五十数年前から行きたいと言われておったというようなのとは全く別の、天皇のそういう個人的な旅行、訪問先についての希望というものとは別の、政治次元での問題にこれは当然なるわけです。  そういう意味で、これは政治的に利用されておる。特に、いまのニクソンの置かれておるアメリカ国内における状態あるいは日米間の状態、そういう政治情勢を判断してきめなければいけないということ自体が、これは、きわめて政治的なことではないか。それに、天皇訪米されるということになければ、それはそういう政治的な行為に参加するということになると思うのですが、その点どうお考えでしょうか。大臣、長官から……。
  63. 大平正芳

    大平国務大臣 いま申し上げましたように、日米間の友好関係の現在並びに将来を考えまして、私ども基本的に両陛下の御訪米を希望いたしております。しかしながら、仰せのように、陛下は国の象徴であり、国民統合の象徴であられますけれども、権力を掌握されたお立場にございません。大統領は権力の中心に存在されておられる方でございます。したがいまして、私どもとして非常に注意しておりますのは、相互訪問という表現でございまして、そういう意味での相互訪問ということばは避けておるわけでございます。  陛下の御訪米につきましては、国民の祝福を受けて、そして慎重に事を運ばなければならないと考えておるわけでございますし、またアメリカにおかれましても、現在、陛下が国の象徴としてのお立場にあられて、政治権力の外にある、政争の外にあられるお方であるということにつきましては、十分認識を持っておられることと私は確信いたします。
  64. 東中光雄

    東中委員 天皇が公的行為として行くという場合は、天皇も公務員の立場で行かれるわけですね。いわゆる普通に言っている公務員と、ちょっと感じは違いますけれども、憲法上きめられておる特別の公務員ですね。特別の公務員として公式行為をやるということについては、公務員にそういうことをやる権限があるのかないのかということが当然問題になるのであります。憲法上の規定にはないということが一つ。  それから同時に、公務員としての天皇アメリカを訪問することを決定するのは、それではどこが決定するのか。先ほど閣議によって決定すると言われましたけれども、そうすると、天皇はその決定に従って今度は行かなければいけないことになるが、意思に反する決定はしないかもしれません。それは、どの公務員の出張の場合だって同じことです。  それから、そういう形で政府が閣議決定で特定の国との、いまの場合は、アメリカとの関係での政治的条件を判断し、そして大統領の訪日招待との関連で——共同声明自体だって関連で出ているわけです。相互訪問という、文字どおり一緒であるかないかということになれば、向こう大統領であって、こっちは天皇だから、それは違うことはわかっていますが、しかし、その両方が一緒に出されてきているということも明瞭な事実ですから、そういう点で、これは明らかに、どう言われようと個人的な天皇の旅行でない、閣議で決定をして外交レベルで交渉をして、そしてものを運んでいくということになれば、これは、そのときの政府自身が、天皇にどういうことをやるようにということをきめることになるわけですから、これは政治立場できめて、天皇を使うことになる、論理的には当然そうだと思うのです。  いま大統領天皇と違うというようなことを大臣言われた。権限が違うのは、これはわかり切っていることです。しかも、その上に立ってそういう形で出されているというところに問題があるわけです。閣議決定があれば、公式訪問ということになれば、天皇は憲法上の特別の公務員として行く、閣議決定に従って行く。これは美濃部さんの天皇機関説じゃありませんけれども、感情とかニュアンスとかというものをのけて客観的に見れば、そういうことになりますね。そういう特別公務員としての行動を、閣議で天皇にきめる、意思を尊重するにしても、きめるということがもし許されるとすれば、それはまさに政府が思うように使えるということになります。どこまでいくのかということになれば、歯どめは何もなくなる、私は、そういうふうに思うわけですが、そういう点についてのお考えを宮内庁長官にお聞きしたい。
  65. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 戦後、各国から国王なり大統領がたくさん見えました。公式に見えておりますが、この場合は、日本国におきましては、政府が御招待をするという形になっておりまして、見えれば天皇もそれを御接待になる。いわゆる政治的に触れない一つの、何といいますか、歓待のことをなさる。ですから、あるいは飛行場で歓迎のことをにぎわしくやるとか、晩さん会を開くというようなことでございます。たとえば大統領が、それ以外に、今度は政府と何かおやりになりましても、宮内庁の関係したことではございません。  その反対の場合もあるわけで、たとえばベルギーの国王がお二方で、かつて国賓で見えました。これは実際に、いわゆる親善一本やりでございまして、そういった政治的な意味というものは何も含みません。一昨々年ベルギーにおいでになりましても、あちらでもそういう扱いをされた。ですから、そういう関係で、それぞれの立場というものは、お招きする以上はわかるわけであります。  ですから、アメリカ大統領は、なるほど政治家的でおられると私も思いますけれども陛下がいらっしゃいました扱い方というのは、やはり親善一本やりにとどまると思いますし、大統領が見えましても、陛下のなさることは、そういう範囲にとどまると思います。それ以外に政治的な動きがあっても、陛下は何ら御関係にならないはずでございます。これは、いままで幾多の例があるわけで、みなそういう扱いでございます。  ただ、最終的には、いろいろな問題がございまして、やはり政府としても、陛下おいでになることについて、そういった政治的なことのないように考えていただくというのは、もちろんでありますし、そのほか、おいでになりましても、経費の問題も出てまいります。政府として関係していただかなければならぬことがたくさんあると私は思います。しかし、おいでになるかならぬかというときに、政府陛下に青も申し上げないで、いきなりきめてしまうということは、私は、あり得ないと信じております。それでございますから、それは手続上の問題としてお考えいただいていいんじゃないか、かように考えます。
  66. 東中光雄

    東中委員 時間が来ましたので終わりますけれども、この前の欧州訪問のときは、当時の福田外務大臣は、宮廷外交は非常にいいというふうな発言をされたこともあります。そうして現実に、たとえばイギリスでは、ああいう政治的な問題が起こりましたね。反対運動が出たり、デモが出たりという形になった。まさに、それは政治的行為なんですよ。どう言われようと、現にそういう問題が——あらわれなければあらわれないで、それだけに今度は、特定の国との友好親善を深くしていくという外交路線での——他の特定の国とは、そういう方法はとらないということがあるわけですから、そういう選択をやっているわけですから、明白に政治的行為になる。  宮廷外交、これは当時の外務大臣自身がそう言われているわけでありますから、そういう性質を持つものだということでありますので、いま行くこと自体についても、また行く時期についても、まだきまっていない、それは希望があった、強い希望であったかもしれませんという段階だけでありますから、これは行くことを含めて再検討を当然されるべきではないか、こう思います。その点を強く要請をして、私の質問を終わりたいと思います。
  67. 小宮山重四郎

    ○小宮山委員長代理 鈴切康雄君。
  68. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 たいへんおそくまで御苦労さまでございます。私も時間的な制限がございますので、端的にお話をお伺いしておきたい、このように思うわけであります。  私ども公明党は、党是として憲法を順守するという立場を貫いております。そういう意味において、憲法に定められた象徴天皇という問題につきましても、やはり厳粛に受けとめておると同時に、これが政治的な場に利用されるということについては、やはりあってはならない、私はそのように思うわけであります。  ところが、昨今、例の大平外務大臣安川駐米大使等の言動は、まさしくそういう意味において配慮に欠けた点が多々あったということは、周知のとおりであります。  そこで、私、御質問申し上げたいわけでありますけれども共同声明という性質は、どういう性質であるかということを、外務省においてはどのように御認識なされておりますか。この点について伺いたいと思います。
  69. 松永信雄

    ○松永政府委員 共同声明は、一般的に申し上げまして、各国間で首脳会談あるいは外務大臣会談等が行なわれました場合に、いろいろな意見交換が行なわれます。その結果を集約した、それぞれの会談で見解あるいは希望等が表明された文書でございますが、法律的な文書ではございませんので、いわば政治的な意味合いを持つ文書であろうと存じます。
  70. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 いま条約局長は、共同声明認識について、これは各国間の首脳あるいは外務大臣等が話し合われたそういう内容について、集約的に事をまとめて、そして明らかにしたものである、そういうことからいうならば、非常に政治的な要素の深い内容である、それは当然な話であります。政治家がお互いに各国の問題等を話し合うわけでありますから、それは申すまでもなく、政治的な内容になることは、あたりまえであります。  ゆえに、昨年の八月の一日のワシントンにおける日米首脳会談の共同コミュニケにつきましても、十八項目にわたってるる述べられておるわけでありますが、その中で、十七項の二点を除いては、全部政治的な意図を含んだ問題であります。となりますと、私は、なぜこの天皇訪米の問題を、この共同声明に盛らなくてはならなかったのかという問題を非常に強く——私は、それに対して、政治的の場に引きずり込むおそれのある内容について、あえて共同声明に盛り込んだという意図、この意図について、ちょっと外務大臣にお伺いしたいと思います。
  71. 大平正芳

    大平国務大臣 この問題を、共同声明から別個の形のものにするか共同声明の中に含めるべきか、われわれの間でも考えたわけでございますが、共同声明の中に入れて悪いという性質のものではないのではないかという判断で十七項に記録して申し上げたわけでございまして、共同声明は、なるほど条約局長説明いたしましたように、政治的な案件が多いわけでございますけれども、それでなければならないという性質のものでも私はないと思うのでございまして、両首脳の間で話し合われた内容を正確に記録をいたしまして、公的に発表するという形式でございますので、これに含めて差しつかえなかろうという判断から行なったものでございます。
  72. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 私は、その判断に大きな間違いがあったのではないか。少なくとも政治的な色彩が濃いこの場所に、政治的利用に関しては問題を持ついわゆる天皇訪米問題について入れ込んだということが、言うならば、今日の問題をかもし出している、私は、そのように思うわけです。  そこで、先ほど宮内庁長官は、このように言われました。訪欧されたときに、アンカレジニクソン大統領夫妻がおられて、そして公式にアメリカに来られるようにという要請があった、しかし、それは政治を離れてお迎えしたい、そういう内容、ことに政治を離れてお迎えをしたい、そういうニクソン大統領のやはり意図もあったわけであります。  さらに、先ほど宮内庁長官から、天皇が民間に利用されるということに対しては、私はほんとうに神経を使っているのだ、そしてまた、大きな問題として天皇を利用されることに対しても、非常に注意を払っておるのだ、こういう御答弁があったわけであります。  それは、重要な問題であるだけに、慎重でなくてはならないと私は思うわけでありますが、宮内庁長官は、この共同声明に盛られた、いわゆる天皇訪米の問題についてあなたはどのようにお考えになっておりますか。この共同声明に盛られた内容について、宮内庁長官としてはほんとうに迷惑である、こういう問題は、やはりこういうところに書いていただきたくなかった、そのように正直に思われているのではないかと私は思うのですが、その点の御見解をお伺いします。
  73. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 このたびのこの声明に外務省がお書きになったのは、ただいま大臣からお答えがありましたので、それに私がいろいろなことを申し上げるのは、かえっておかしいのでございますが、ただ、先ほどから申しますとおり、この問題を離れても、なるべく政治的にとられないような努力をすることは、必要であるというふうに思います。
  74. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 私は、いまこの政治的な色彩の濃い共同声明の中に、天皇訪米の問題がクローズアップされ、そして、それがいま大きな問題になっているということを考えたときに、宮内庁長官は、やはり天皇の側近におられて、一番天皇のお心を知っておられるだけに、何も外務大臣に迎合する必要はありません。あなたのほんとうのお気持ちというものは、どういうお気持ちであるかということをお聞きします。
  75. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 この共同声明のことについては、私ども関係するところではございません。  だから、いま申し上げましたのを、繰り返して申し上げますけれども、同じことでございますけれども政治的にとられない、いろいろな点に注意を払いたいというのが、私の念願でございます。それで御了承いただきたいと思います。
  76. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 この問題が、配慮が非常に足りなかったがゆえに、こういう大きな問題を次から次へとかもし出しているということは、政府のほうで、これをどういうふうに取り扱おうかという時点において、もう一度考えてみる必要があったのではないか、私は、そのように思うわけであります。  天皇が訪欧されてイギリスに行かれた。イギリスのほうにおいても、たいへんにイギリスの国民が歓迎をされた。そのときは、日本国民の中においても、確かにその問題について国民的な合意ができておりました。私は、そういうふうな観点から考えるならば、やはりアメリカに行かれるにしても、少なくとも相当大きな配慮がなされて、国民的な合意を得られながら、親善に行かれるべきではないか、そういう意味において、配慮が少し足りなかったのではないか、そういうふうに結果的に申し上げているわけでありますけれども、その点について、大平外務大臣……。
  77. 大平正芳

    大平国務大臣 仰せのとおり、国民的合意、国民的祝福の中で慎重に運ばなければならぬことでございます。そういう点に配慮が欠けたところがございましたならば、それは、私どもの不明のいたすところでございまして、十分戒めて、そういうことのないように配慮してまいらなければならないと思います。
  78. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 天皇の行為については、憲法の中に国事行為ということがはっきり明記されておりますが、国事行為のほかに、私的行為ということも当然考えられるでありましょう。そして学者の中においては、公的行為ということも、論じている学者があります。これは全部の学者が、そうだとは言いませんが、そういう公的行為というものに対しての、言うならば、考えを持っている学者がいることは、よく知っておりますが、一歩譲って公的行為というものを、私どもとして一応それを取り上げた場合、内閣は、天皇に対して、どのような行為をして、そして、それに対してどのような責任をとられるというふうにお考えになっておられるか。
  79. 松永信雄

    ○松永政府委員 御訪米の問題は、憲法上の国事行為ではございませんから、内閣の助言と承認というものを伴って行なわれるものではございませんが、象徴としての天皇のお立場における公的な行為であるということから閣議決定が行なわれるということになっております。したがいまして、その決定は、内閣の責任において行なわれるということであろうと存じます。
  80. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 いま御答弁がありましたように、憲法第七条にいう内閣の助言と違うということは、明白でありますけれども、それでは天皇訪米をするときに閣議決定をされる、あるいはイギリスに行かれたときにも閣議決定をされた、その閣議決定をされる問題と、たとえていうならば、国体とか植樹祭とか、そういうときに天皇が行かれる場合に閣議決定をされない、これは、どのような違いがありましょうか。
  81. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 これは、先ほどもちょっと出まして、申し上げましたのでございますが、象徴としての公的行為というものは、いろいろございまして、先ほども申し上げましたように、何か基準ではっきりと列記するというようなことは、実際問題として非常にむずかしいと思います。ですから、大体において、普通の行政でもそうでございますが、ある程度のものは、そこの担当のところにおいて処理をするということがございまして、例年のものであるとか、類似のものであるとか、軽微なことであるとかいうような問題については、宮内庁は宮内庁限りでいたしております。  ただ、異例であるとか、きわめて重大であるとかいう問題は、一々内閣のほうと相談して、ことに決定を要するものは、閣議決定を求めるという形にいたしているわけで、画然とした規定や内規があるわけではございません。
  82. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 国事行為と私的行為というものは、これは案外とはっきりしております。国事行為は、憲法において明確に規定されておりますからわかります。公的行為というものは、先ほど宮内庁長官が、この問題については、なかなか判断がしにくい、非常に多種多様にわたる問題であるだけに、慎重でなくてはならないというふうに言われたわけでありますけれども、この公的行為というものを拡大解釈される中に、すべて政治的な利用というものもそこに介在をしてくるおそれがある、私は、そのように思うわけであります。  ですから、そういうことを考えたときに、やはり歯どめというものが、そこにおのずと必要だというふうに思うわけでありますが、その点についての歯どめを、どのようにお考えになっておりましょうか。
  83. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 重要な問題ということについて、何をもって重要と見るかということだろうと思いますけれども、これは、やはりそれが非常に政治的に関係するんじゃないかというようなこと、あるいはこれが一種の特殊な宗教等に関係はしないかとか、あるいは国際的に何か問題が起こるんじゃないかというような、いろいろな問題があろうと思います。そういうときには、やはり政府のほうと連絡をとって、閣議の決定を要するものはするというような措置を従来とっておるわけでございます。
  84. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 公的行為に対して、政治的な利用という問題がやはり問題になってくるわけでありますが、そういう点について、宮内庁としては、どのような判断をもってこれに対処されておられるのか。やはり判断の基準というものが必要だと思うわけでありますが、そういう点についてお尋ねをいたします。
  85. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 判断の基準ということでいま申し上げたつもりでございますけれども……。どういうことを申し上げていいかわかりませんけれども、そういった政治とか宗教とか、特殊な利益関係が起こるとか、いろいろな点を具体的に、多くは申請に基づくわけでございますから、そういう場合には、慎重に調査をいたしまして、それでおいでになるとかならないとかきめているわけでございます。
  86. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 外務大臣天皇訪米については、先ほどからの御答弁からいいますと、時期的においても白紙である、そのように言われているわけですが、いずれ天皇訪米をされるということについて、私どもも、それが政治的な利用でない限りにおいては、心から歓迎するものがあるわけでありますが、そういう意味から考えて、もしも、その時期が決定される場合においては、閣議決定をされるお考えであるか。そして、その時期とかあるいは諸情勢というものを判断をするについては、慎重でなくてはならない、そのように思うわけでありますが、外務大臣としては、昨今の国際情勢、そしていろいろの国内、国外に累積するそういう問題を、どのように判断をされておられるか、お伺いをいたして、質問を終わりたいと思います。
  87. 大平正芳

    大平国務大臣 御訪米の問題につきまして、具体的に運んでまいる場合におきましては、当然、前回の西欧御訪問と同様、閣議決定の手順を踏むべきであると思います。  それから、仰せのように、そういう手続きを踏んでまいるにつきましては、十分慎重に配慮してまいるべきでありますことは、仰せのとおりと思います。  第三の、それに関連いたしまして、国内外の情勢をどう判断しておるかということでございますが、アメリカ国内情勢につきまして、私の立場でコメントを申し上げるということは、穏当でないと思っておりますが、どこの国におきましても、内政、外交多難な課題を持っておりますことは、ごたぶんに漏れないところであろうと考えておりますが、こういう状況の中で、仰せになったように、きわめて慎重に判断いたしまして、かりそめにも、この行事なるものが、国民の祝福と期待に沿わないようなものになってはたいへんだと思います。政府といたしましても、十分の上にも十分な配慮を加えていかなければならぬと考えております。
  88. 鈴切康雄

    ○鈴切委員 外務大臣、やはり外交が、訪米について少し先走り過ぎているんじゃないか、だから、こういう問題が起こってきている。少なくとも天皇の意思というものを、もっと尊重して、そして天皇の御意思をお聞きしてすべてを判断をするということになれば、間違いというものはなくなるわけであって、結局、政治的に外交が先走って、宮内庁としては、全くそのことについては知らなかったというような時点があっては、それはもう政治的な利用であるというふうに言われてもしようがないと思うわけであります。  そこで、今後、外務大臣としては、宮内庁とよく連絡をとって、そして宮内庁長官から、天皇の御意思等もお聞きして、そして、そういう問題については、慎重に取り扱うというお考え方であるかどうか。  また、宮内庁のほうとしては、この問題について、こういう問題をかもし出して、私は、言うならば、まことに迷惑千万なことであったと思うわけでありますが、外務省とやはりそういう点についての連絡をおとりになって、そして天皇の御意思等をお聞きになった上で、時期的な判断も御助言申し上げてやるということについて、そうされるかどうか、最後にお聞きして、私の質問を終わります。
  89. 大平正芳

    大平国務大臣 仰せのとおり、政府部内、各関係方面、とりわけ宮内庁とは緊密な連絡の上、慎重に対処してまいりたいと思います。
  90. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 ただいま仰せになりましたことは、まことにそのとおりでございまして、不敏でございまするが、全力をあげてあやまちのないようにいたしたいと思います。  特に、陛下もだんだんお年が進みますので、われわれは、ほんとうに真剣に考えてまいりたい、このように考えております。
  91. 小宮山重四郎

    ○小宮山委員長代理 受田君。
  92. 受田新吉

    受田委員 四十八年八月一日の日米共同声明の中の「大統領は、天皇皇后陛下の御訪米に対する以前よりの招待を再確認し、御訪米が近い将来日米双方にとって都合の良い時期に実現することを希望した。」、これに対して宮内庁長官は、「御訪米が近い将来」ということについては、このあとにも条件はついておるのですが、本年、つまり昭和四十九年、一九七四年末までというニクソン大統領の訪日とのかね合いから、七四年じゅうにも行なわれるということが考えられるということにお考えであったか。これはニクソン大統領が訪日した後の七五年以後というふうにおくみ取りになっておられたか。  陛下の御行動に関する基本的な問題でありましたから、宮内庁長官の受け取り方は、七四年末までにも御訪米が実現するという解釈か、いや、そうじゃなくして、七五年以後にという「近い将来」の解釈をされておったか。この解釈のしかたは、七四年を含むかどうかということでございまして、その受け取り方をどうされたかを御答弁願いたいのです。
  93. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 ただいまの問題は、繰り返し申し上げましたとおりに、何ら具体的検討に入っておりませんので、もちろんはっきり申し上げかねるところでございます。  アメリカ側の御希望も、なるべく近い機会に双方の都合のよいときということでございまして、これは、実際打ち合わせてまいりますと、どういうことになるか、こちらだけの都合ばかりでもございませんでしょう。ですから、いま特に、どういう印象を持ったかと仰せになっても困るわけでございます。  ただ、いつかというようなことを考えますときに、両陛下が非常に若ければ、まだ先々もあるかもしれません。いつでもいいということも言えるかもしれませんが、なるべくお元気のときにおいでいただくということは、われわれの願うところでございます。それは諸情勢とのにらみ合いで検討する一つの問題でございます。
  94. 受田新吉

    受田委員 外務大臣は、この日米共同声明を確認された時点において、その十八に書いてあるとおり、「総理大臣には大平正芳外務大臣安川壯駐米日本国大使が同行した。」と明記してあるわけでございますから、共同声明に、直接総理の同行者としての責任が最もあるわけです。その外務大臣が、七四年じゅうというふうな理解を一時的にしておられたということでございますので、あなた御自身は、頭の中に七四年という印象が強く残っておったのでありますね。
  95. 大平正芳

    大平国務大臣 なるべく早い機会、本年中にもという、私といたしましては希望を持っております。
  96. 受田新吉

    受田委員 大臣御自身が、七四年じゅうにもという、できるだけ早く御訪米が実現するようにしたいという願いがあったから、その先入観があったから——総理と御一緒に同行したのです。これが共同声明に明記してある。総理の次はあなた。それから安川大使。つまり、この三人は共同声明の担当者。その人が錯覚を起こしておるということでございますから——私、錯覚外交について、錯覚をもって質問するのじゃないのであります。正常な形でいま質問しておるのでありますが、大臣としては、おそらく終始陛下に、七四年じゅうに御訪米願おうという強い先入観があったので、この共同声明に書かれた規定にかかわらず、そういう発言をされたと了解してよろしいかどうか。
  97. 大平正芳

    大平国務大臣 私の発言は、その後、直ちに訂正をいたしておきましたので、御了承をいただきます。
  98. 受田新吉

    受田委員 錯覚ということの背景には、あなた御自身の強い信念があった、これは、すなおに言われていいと思う。私の気持ちとしては、できるだけ早くという気持ちがあったのだ、そこだけを言っていただけばいい。共同声明の条項とは違ったけれども、七四年の取りきめがあった、これは言われていいと私は思うのです。
  99. 大平正芳

    大平国務大臣 なるべく早い機会に実現を希望いたしております。
  100. 受田新吉

    受田委員 私、いま宮内庁長官が指摘されたように、陛下のお年のことも考えると、「近い将来」という中には、七四年は含まないで、七五年以後というような考えでなくして、もちろん七四年も範囲の中に入った「近い将来」というお考えがあったと思うのです。そういうことは、全部白紙だという意味でなくして、「近い将来」の中には、七四年も含まれると理解してもよかったのじゃないですか。
  101. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 年数を具体的に仰せになりますと、これから検討するということばと、だいぶ違ってまいりますので、先ほど申し上げましたとおりに、私も、陛下も、なるべくお元気のうちに実現するならするというふうに申し上げるほかございません。
  102. 受田新吉

    受田委員 ことばじりじゃないのです。すなおに考えて、「近い将来」の中には、七四年も含まれる、七五年も含まれる、七六年、これが八〇年以後ということは、もう想像できない。陛下が八十歳になられては、御無理だと思いますから、七四年、五年、六年ぐらいのところが、普通常識としては「近い将来」の中に入るのじゃないですか。  それを、具体的には申されなくて、そういうものを含めて「近い将来」ということは——これは、そのために、ことばじりをとらえるわけじゃありませんよ。七四年の場合もあるが、五年の場合もある。白紙ではあるが、「近い将来」という中には、ことしも入るのだという理解であっていいと私は思うのです。それがないような白紙ということはあり得ませんよ。
  103. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 これから先、五年も六年の先までもと仰せになるならば、そのくらいには何とか願いたいと私も思います。
  104. 受田新吉

    受田委員 いいかげんなことでなくて、すなおに答えていいと思うのです。七四年は除いた、七五年以後というような「近い将来」ということばではない。「近い将来」となれば、昨年の八月ですから、それから計算しても、七四年、七五年、七六年、その四、五、六年の間、陛下の御健康を含めれば、そういうところが一応の目標になる。白紙のことばとは別にして、当然その辺に入る。普通すなおに国民の側から見て、ことしでも条件がよい。双方の日米関係のいい時期であれば、これも含む。また、七五年がよければ、あるいは七六年がよければというのは、長官、常識でございますよ。その常識がお答えできないということになっては——、これ、外務大臣はどうですか。  天皇の御健康のこともあるので、あなた御自身としては、七四年の場合もあり、五年の場合もある。五、六年先というよりも、普通は、あなた方が内閣をとっておる間に、あなたも随行したいというお気持ちが多分にあったと私は思うのですよ。こういう公的行事に参加したい、だから、七四年の場合は除くという意味でなくて、七四年も含み、そして「近い将来」という意味と理解していいのじゃないですか。それを白紙というのはおかしい。
  105. 大平正芳

    大平国務大臣 その共同声明の文言をめぐってもんちゃくが出たわけでございます。したがいまして、私のきょうの答弁は、「近い将来」ということでごかんべんをいただきます。
  106. 受田新吉

    受田委員 あなたが七四年と限定されたから問題になったのであって、七四年ももちろん含んだ近い将来ということにしておけば、それはちっともおかしいことじゃない。
  107. 大平正芳

    大平国務大臣 受田君も日本語に精通されておる方でございますので、「近い将来」ということの意味は、釈迦に説法になりますから……。御理解いただけることと思います。
  108. 受田新吉

    受田委員 大臣、非常に慎重になられました。あなたのお気持ちはよくわかりますが、この「近い将来」という日本語の解釈を、あまりおびえて御発言されなくてもいいと思うのです。これは、ことしも含んで、ことしもいい条件ができればという意味であって、来年、再来年以降の数年です。  条約局長外交上の用語としては、普通「近い将来」というのは、一体どのぐらいのところなんですか。これは大事なことですから、外務省はどういうふうに解釈しているか伺います。
  109. 松永信雄

    ○松永政府委員 字句どおりの解釈から申し上げますれば、「近い将来」と述べた時点から始まりまして、そう遠くない将来ということであります。したがいまして、字句の問題といたしましては、その中に七四年以前は入らないとか入るとかということではないだろうと思います。
  110. 受田新吉

    受田委員 「近い将来」の中に、七四年までは入るとか入らぬとかいう問題ではないと言われるが、これは「近い将来」の中に入るとか入らぬとかいう問題ですよ。来年、再来年というようなところが、普通解釈できるんじゃないですか。そうですよ。
  111. 松永信雄

    ○松永政府委員 たとえば七五年以降に限るということはないと思います。
  112. 受田新吉

    受田委員 そうすると、七四年を含むと了解してよろしゅうございますか。
  113. 松永信雄

    ○松永政府委員 七四年も含み得ると思います。
  114. 受田新吉

    受田委員 そう名答していただけば、きわめて明白になる。そう答えないから、くどいこと何回も質問するようになる。大臣もそう言えばいいのですよ、七四年も含む「近い将来」と。条約局長、あなた非常に名答をされました。大臣もそういう理解ができますか。条約局長とは答弁のそごを来たすかどうかをひとつ……。
  115. 大平正芳

    大平国務大臣 松永条約局長は有能な条約局長で、常に信頼をいたしております。
  116. 受田新吉

    受田委員 それでいいのです。私、有能な外務大臣を窮地におとしいれる気持ちはございません。すなおにこの文章を解釈し、そしてすなおに御答弁をいただけばいいわけでございます。  そうしますと、ニクソン大統領の訪日、これは、あらためてこのときに総理大臣が要請された。「右の招待に対して」ということで、順序としては天皇訪米が先で、ニクソン大統領の訪日要請があと、こう解釈してよろしゅうございますか。
  117. 大河原良雄

    ○大河原(良)政府委員 昨年八月の共同声明には、十七項で、まず大統領が両陛下に対する御訪米の招待を申し出、総理大臣がこれに対して深甚な謝意を表明されました。それと同時に、総理大臣からニクソン大統領の訪日方を要請して、ニクソン大統領がこれを受諾した、こういう形になっております。
  118. 受田新吉

    受田委員 順序としては、天皇訪米要請が先である、こういう答えですね。そうしますと、ニクソン大統領訪日より先に天皇訪米があり得るということにもなると理解していいですか、ある場合もあり得ると。
  119. 大河原良雄

    ○大河原(良)政府委員 大統領の訪日、両陛下の御訪米、この時期の先後ということは、共同コミュニケ自体からは読めないことでございまして、共同コミュニケは、大統領が両陛下の御訪米を御招待申し上げたということを記述してあるわけでございます。
  120. 受田新吉

    受田委員 時期の先後ということは、大統領の訪日が先で天皇訪米あとということにもならぬ、天皇訪米が先になり得るということも、この文章では解釈できますね。そう言えばいいのです。
  121. 大河原良雄

    ○大河原(良)政府委員 先ほど御答弁申し上げましたように、御訪米大統領の訪日、この時期の先後につきましては、コミュニケに関する限りは、とっておらないわけでございます。
  122. 受田新吉

    受田委員 大臣、この間、ちょうどあなたがアメリカ発言されたその日に、十四日に、私、この委員会天皇の御訪米の質問をしたのです。あなたがちょうど記者会見をされたころと、私がここで質問したのが前後しておったと思うのですが、そのとき小坂総務長官は、宮内庁を担当する国務大臣として目下十分検討しておるということでございました。そして、総理府の外局の長として、私が指揮監督しているお役人が宮内庁長官であるという答弁をされた。  そうしますと、政府が閣議でいろいろと相談されて天皇訪米を要請される。そして宮内庁長官は、それに対して、天皇の御健康などということでは抵抗はできるが、指揮監督権を行使される立場からは抵抗ができないということになりますか。
  123. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 そういう陛下の御健康等は、私どもが拝見してきめることでございましょう。ただ、政府のほうのおきめになるときにも、いずれ御相談があると私は思っております。おいでになることについては、私もその責任のある地位にございます。ですから、私も意見を申し述べさしていただきたい、かように考えております。
  124. 受田新吉

    受田委員 御意見を申し上げた結果、指揮命令権の発動によって、たとえば外務大臣が次官の首を切るというような形で、言うことを聞かなければ宮内庁長官を罷免するということもあるということが予想されます。抵抗の限界は、どこまであるのですか。
  125. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 はなはだむずかしい御質問でございまして、そういうことなくきめるのがわれわれの職務でもございます。
  126. 受田新吉

    受田委員 大臣が世間いろいろと批判されているように、法眼次官にやめてもらったわけですが、きわめてあっさりやめてもらった。宮内庁長官天皇の御健康、天皇の御希望等を含めて、政府の要請にかかわらず、すなおな気持ちで意見を述べられることに対して、政府の力で圧力を加えるということがあってはならぬと私は思うのです。事、象徴天皇御一家をお守りする立場にある宮内庁長官の意見というものは、十分尊重されなければならないと思いますが、国務大臣たる外務大臣の御所見を……。
  127. 大平正芳

    大平国務大臣 当然のことでございまして、全国民の祝福の中で遂行しなければならない行事でございます。とりわけ宮内庁、内閣の間におきまして、意見の間隔など等あってしかるべきものとは思いません。
  128. 受田新吉

    受田委員 これで質問を終わりますが、外務大臣、象徴天皇御一家のことに関しては、政治的に軽々しい発言をしてならないことは、もうあなた御自身が今度の事件で身に徹して御感得あそばしておると思います。  私、そこで最後の質問として、宮内庁長官は、最近めったに——この委員会に御出席なさった機会に、天皇の国事行為と天皇の公的行為、そういう諸解釈について、もっと明確な態度を表明していただきたい。天皇の公的行為という中に、天皇の国事行為である儀式と重なるところが起こる、どちらに解釈したらいいかという問題が多分にあると私は思うのです。立太子礼、大喪礼、これは公的行為でもあり、また見方によっては、憲法七条の天皇の国事行為の中の儀式ということに入る。どういう解釈をなさいますか。
  129. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 いまおあげになりました憲法第七条の最後に、天皇の行なわれる儀式ということが天皇の権能の中へ掲げてございます。もちろん内閣の助言と承認のもとに、国民のために行なうというふうに書いてございます。現在、それに当たりますものは、お正月の祝賀の儀というのが、唯一のものであるという国としての解釈になっております。その他、信任状認証式とかいろいろございますが、これは国家の公的な儀式ではあると思いますけれども、第七条の儀式とは政府は取り扱っておりません。  ただ、過去の例から申しますと、皇太子さまの立太子礼、それから成年式を一緒に行ないましたが、これが国事行為として行なわれております。
  130. 受田新吉

    受田委員 大喪の礼は、皇室典範に規定してあるが、その大喪の礼、これが国事行為に入るかどうかです。
  131. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 これは、まだ正式に打ち合わせが済んでおりませんが、われわれは、国事行為であるというふうに考えております。
  132. 受田新吉

    受田委員 その大喪の礼の具体的な細目はできておらぬ、これらは陛下に対して失礼であると思うのです。大喪の礼をどう行なうか、践祚がどうなっているかわからぬ。先帝崩じられるときは、皇太子が皇位を踏まれるわけです。その践祚というものがあるのかないのか、今後そういうものがあるのかないのか、これも規定がない。宮内庁には、すぐ手をつけなければいけない大事な問題が放置されていると私は判断するのです。  陛下も、お葬式のことまでやるのは、おれは不愉快だとおっしゃっておらぬと思うのです。やはり象徴天皇の御葬儀となれば、われわれは、憲法第七条を尊奉する国民として、最高の礼としてお弔いをしなければならぬと思うのです。そういう細目を、何らか具体化する御計画は事実進んでおるのですか。
  133. 宇佐美毅

    宇佐美説明員 仰せのとおり、私どもは、こういうことは不時に起こる問題でございますので、そういうことに対する資料は膨大に集めてございます。大体、内部的には相当調査をいたしております。ですから、どうぞ御安心を願いたいと思います。
  134. 受田新吉

    受田委員 この天皇陛下の国事行為、公的行為、こういうものは、結果的に政治的な影響を与えることがあるのです。  そこで、これは、私、当然あってしかるべきですが、たとえば親善旅行をされる、それは政治的な意義ではないが、結果では両国の親善を大いにふやしていく、そして、あちらにおられる国民との感情をやわらげる、こういう意味があると思うが、いかがです、大臣。
  135. 大平正芳

    大平国務大臣 たとえば両国の親善友好関係の増進に資するところ大きいと思いますけれども、私どもとして、そういうことのために、そういう政治目的を達する手段としてこの行事を考えるというようなことはいたすべきでないと考えます。
  136. 受田新吉

    受田委員 質問を終わります。
  137. 小宮山重四郎

    ○小宮山委員長代理 次回は、来たる二十六日火曜日午前十時理事会、午前十時三十分より委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後七時三十分散会