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1974-02-22 第72回国会 衆議院 内閣委員会 第7号
公式Web版
会議録情報
0
昭和
四十九年二月二十二日(金曜日) 午後四時四十分
開議
出席委員
委員長
徳安實藏
君
理事
加藤 陽三君
理事
小宮山重四郎
君
理事
中山
正暉
君
理事
野呂 恭一君
理事
上原
康助
君
理事
大出 俊君
理事
中路
雅弘
君 大石 千八君 笠岡 喬君 近藤 鉄雄君 吉永 治市君 木原 実君 和田 貞夫君
東中
光雄
君 鈴切 康雄君
受田
新吉
君
出席国務大臣
外 務 大 臣
大平
正芳君
出席政府委員
内閣法制局長官
吉國
一郎君
外務省アジア局
長 高島 益郎君
外務省アメリカ
局長
大河原良雄
君
外務省条約局長
松永 信雄君
委員外
の
出席者
宮内庁長官
宇佐美
毅君
内閣委員会調査
室長 本田
敬信
君
—————————————
委員
の異動 二月二十二日 辞任
補欠選任
瀬長亀次郎
君
東中
光雄
君
受田
新吉
君
折小野良一
君
—————————————
二月二十二日
厚生省設置法
の一部を改正する
法律案
(第七十 一回
国会閣法第
九号)(
参議院送付
) は本
委員会
に付託された。
—————————————
本日の
会議
に付した案件
在外公館
の
名称
及び
位置
並びに
在外公館
に勤務 する
外務公務員
の
給与
に関する
法律
の一部を改 正する
法律案
(
内閣提出
第三八号)
行政機構
並びにその
運営
に関する件
——
——
◇—
——
——
徳安實藏
1
○
徳安委員長
これより
会議
を開きます。
在外公館
の
名称
及び
位置
並びに
在外公館
に勤務する
外務公務員
の
給与
に関する
法律
の一部を改正する
法律案
を
議題
といたします。
徳安實藏
2
○
徳安委員長
趣旨
の
説明
を求めます。
大平外務大臣
。
大平正芳
3
○
大平国務大臣
ただいま
議題
となりました
在外公館
の
名称
及び
位置
並びに
在外公館
に勤務する
外務公務員
の
給与
に関する
法律
の一部を改正する
法律案
につきまして、その
提案
の
理由
及び
内容
の
概要
を御
説明
申し上げます。 この
法律案
におきましては、先般
わが国
と
ベトナム民主共和国
及び
ドイツ民主共和国
との間の
外交関係
の
設定
に伴い、取り急ぎ
政令
により設置いたしておりました在
ベトナム民主共和国
及び在
ドイツ民主共和国
の各
日本国大使館
を
法律
に規定するとともに、所要の規定の整備を行なうことといたしております。 また、昨年十二月に自治を達成しましたパプア・ニューギニアの
首府ポート・モレスビー
に総領事館を新設し、同館に勤務する職員の
在勤手当
の額を定めることとしております。 次に、本法案は、
在勤手当
につきまして、最近の著しい
物価上昇
、また
外国為替相場
の
変動等
にかんがみ、その額を改定せんとするものであります。さらに、今後、
国際通貨
、
経済情勢
の急激な
変動
に即応し得るよう、本法の改正により、
在勤基本手当
については、その
基準額
を法定化し、その
支給額
については、
為替相場
の
変動等
に応じ、
基準額
の百分の七十五から百分の百二十五の
範囲
内で弾力的に
政令
で定めることにいたしております。また、
住居手当
については、
法律
では
実費補償
のたてまえを明示いたしますとともに、
限度額
の
設定
、変更につきましては、
政令
に委任することとしたものであります。また、
研修員手当
については、
号別
の区分の
範囲
を拡大することにいたしております。 以上が、この
法律案
の
提案
の
理由
及びその
内容
の
概要
であります。 何とぞ、慎重御審議の上、すみやかに御賛同あらんことをお願いいたします。
徳安實藏
4
○
徳安委員長
これにて
趣旨
の
説明
は終わりました。
——
——
◇—
——
——
徳安實藏
5
○
徳安委員長
これより
行政機構
並びにその
運営
に関する件について
調査
を進めます。 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。
中山正暉
君。
中山正暉
6
○
中山
(正)
委員
連日の
予算委員会
でお疲れのところを、また、おそくからお呼び立てを申し上げて、まことに恐縮だと存じます。しかし、非常に
国際関係
も複雑な様相を呈してまいっております。 特に、ことしは、
とら年
であるわけでございますが、六十年前の
とら年
というのは、第一次
世界大戦
。それから百二十年前の
とら年
といいますのは、ちょうど
アメリカ
のペリーが、サスクェハナとかミシシッピとかいう
軍艦
を引き連れまして、ここから、もう、いまは見えませんが、
東京湾
に入ってまいったのが、ちょうど百二十年前でございます。 そのとき、私
ども
の先祖であります
日本人
は、
アメリカ
という
日本
の二十六倍ある国、その国の
世界
に対する
影響力
というのをいち早く察知して、
外交
も何もわからなかったころ、その
時代
に、
アメリカ
に
大砲
を撃たせなかった
知恵
というのは、すばらしい
知恵
であった。それと比べまして、百年間、暗い運命にもてあそばされましたのは、いまの
中華人民共和国
、当時の清国でございます。
英国
という
大砲
を撃ちまくる国に開国をされて、そして、その当時の
道光帝
以下
政治家
がばかだったから、
英国
に
大砲
を撃たせたのだ、私は、こういうふうに理解をいたしておりますわけでございます。
昭和
の
政治家
が、なぜ間違ったかといえば、
河上肇
という
京都大学
の、
共産主義者
でありました
——野坂参
三が、
日本
に終戦後帰ってまいりましたときに、これで
日本
の革命は成功したと言って死んでいった。
河上肇
のまな弟子であります。 そして、その当時、
内閣
の周辺には、残念なことに、
尾崎秀実
とか、それから
西園寺公一
、後に
日共
から除名されたことによって、
西園寺公一
という男は、
共産党員
であったということがわかったわけでございますが、そういう連中がまわりにいて、私、ちょうどいまの
状態
と似ておると思うのは、一九三五年に
ドイツ
と
防共協定
を結びました。
ドイツ
が、
防共協定
を
日本
と結んだ
あと
、
独ソ不可侵条約
を結んだために、当時の
平沼騏一郎総理大臣
は、
世界情勢奇々怪々
なりと言って
内閣
を投げ出したわけでございます。
ドイツ
は、やはり
日本
を裏切りませんでした。
ドイツ
とともに、その後、
戦争
に入りましたが、
日本
は、
ドイツ
に裏切られたと見て、
日ソ不可侵条約
というのを結びました。その結果は、どうであったかというと、私
ども
が長崎に原爆を落とされたそのあくる日に、
ソビエト
は、まだ一年
有効期間
があった
不可侵条約
を踏みにじって、
日本
に宣戦を布告してまいりました。 このことを考えますと、
時代
は違いますが、非常にいまと似ておる。
アメリカ
が
日本
の
頭越し
で
中国
へ行ったからというので、あわてて
台湾
を捨てるのだろうと思って、われわれも
台湾
を捨てた。私は、その当時も
反対
をいたしておりました。
二つ
の
中国
、私は、厳然と、だれが何といったって、
蒋介石
の
台湾
と
毛沢東
の
中国
とあると思うのですが、それは絶対
一つ
だということで、
台湾
が切り捨てられてしまった。私
ども
が、今日の
経済繁栄
を招きましたのも、実は、八年間、あの
中国本土
で
蒋介石
の軍隊といくさをした、ところが、賠償を要求しなかったから、
朝鮮動乱ブーム
というのに乗れたと思うのです。 それからまた、いつも出る
議論
でございますが、北海道を
ソ連
がとれなかったのは、九州を
蒋介石
がとらなかったからだ。
天皇陛下
が
——
きょうは
宮内庁長官
も来ていただいておりますが、
戦犯
にならなかったのは、
蒋介石
が
反対
をしてくれたからだ。その上に、
台湾
には、
日本
のために戦って、そうして
日本
の遺族は、いま、たくさんのお金をもらっておりますが、
台湾人
として
日本軍
のために戦った
人たち
には、何の
補償
もなされておりません。その国を、私
ども
は、あっさりと捨てたわけでございます。 それを見ておりますと、
時代
は非常にめぐってきている。そして
ソビエト
は、たった一週間しか
戦争
をしないのに、九月の二日に上陸した
択捉島
、
国後
島、
歯舞
、
色丹
をまだ返してくれません。特に、今度の社会党の
成田委員長
の本
会議
の質問のときにもふしぎに思ったんですが、択捉、
国後
ということが出てきませんで、
歯舞
、
色丹
だけ出てきた。
択捉島
には、
ソ連軍
の
空軍基地
がありますし、単冠湾というところは、
山本五十六大将
が、
連合艦隊
を集結して、真珠湾を攻撃したところです。
ソビエト
は、そういう重要な地域を返す気がないんだろう、こういうふうに
解釈
をいたしております。 私
ども
は、だから、
日本
としては、よほどの
知恵
を出していかないとぐあいが悪いんじゃないか。
台湾
を切った
あと
、今度は、
金大中事件
で
韓国
を痛めつけました。いまになってみますと、
アラブ
の諸国に、
日本人
の悪いのがうようよしておりまして、それが
日本
にたいへんな迷惑をかけております。いまになると、KCIAの気持ちも何かわかるような
——
ああいうものが
外国
におって、
日本
に迷惑をかける。これは
一体
、国家の将来にとってどうなんだろう。いつの間にやら出ていって、パスポート持っているのか持っていないのか知りませんが、出ていってしまっている。 ところが、その
韓国
を痛めつけた
あと
、今度は、
石油
で、実際には、一昨年の年末の三カ月に比べて八%も多い
石油
が入っているのに、
日本
は、はいていた高げた投げ出して、今度は
アラブ
のほうへ寄っていったわけでございます。 考えてみますと、
イスラエル
という国も、紀元七三年に
ローマ帝国
に滅ぼされて、その
あと
二千年
地球
上に
存在
をいたしませんでしたが、いま
地球
上に
ローマ帝国
は、
存在
をしないのに、その
イスラエル
がなぜ
存在
をしておるか。言わずと知れた
ルーズベルト
という
ユダヤ人
の
大統領
が、
戦争
が済んだら、われわれの
祖国
、
イスラエル
という
ユダヤ人
の国を再興するんだと言ったそうです。サウジアラビアの、いまの
フセイン国王
の兄貴の
サウド王
でございますが、
サウド王
にそのことを、
ヤルタ会談
の帰りに、
軍艦
で寄った
ルーズベルト
が、はっきりと予言をして、非常に気分を悪くさせたという話が、いまでも伝説的に伝わっておりますが、その
ユダヤ人
の国、
アメリカ
という国は、コロンブスという
ユダヤ人
が発見をした国でございました。 ニューヨークと言うよりも、
ジューヨーク
と言ったほうが当たりがいい、こう言われるぐらい
ユダヤ人
がたくさんいる。その
アメリカ
の政財界、いま見てみましても、確実なのは、
キッシンジャー
がそうでございます。前
国務長官
のロジャーズがそうでございます。
シュナイダー財務長官
がそうです。
シュレジンガー国防長官
が
ユダヤ人
、それから
ニクソン
の
後援会長
のケンドールが
ユダヤ人
、
司法長官
が
ユダヤ人
、UP、AP、AFP、みんな
ユダヤ
で、タイムが
ユダヤ
だ。それから
エジンバラ公
という
エリザベス女王
の御主人が
ユダヤ人
で、
ポンピドー大統領
が
ユダヤ入
、これは
ロスチャイルド
という
ユダヤ系統
の財閥の番頭でございました。
ユダヤ人
が
世界
全体を押えていて、そして、
デビ夫人
という
日本人
を、なぜ
パリ
に連れて行ったかというと、
ロスチャイルド
が、いま
パリ
で養っておりますが、それは実は、スペインの貴族と結婚をさせて、そして
インドネシア
と
日本
と
アメリカ
の政界に顔のきく
デビ夫人
を、
ロスチャイルド
が実はちゃんと押えているのだという話を聞いております。
日本
の
総理大臣
が
インドネシア
を一生懸命訪問されたって、その
あと
、それを打ち消すかのように、
日本人
がブクム島に行った。それも
ユダヤ
の
メジャー
であります
シェル石油
を攻撃をした。その結果、私は、帳消しになってしまったと思う。
日本
の
友好親善
という東南
アジア
に対する顔は、私は、なくなってしまった、こう
解釈
をいたしておるわけでございますが、そういう形で、われわれが
アメリカ
の
祖国
である
イスラエル
というものと縁を切っていく姿は、
一体
、
日本
の将来にとってどうなるのか。 その最中に、ヤマニという人がやってきて、
アメリカ
の
メジャー
からは買わずに、直接
自分たち
から買ってくれと言うことは、だれをまたおこらせておるか。私は、いまほど、
日米関係
が険悪なときはないと思う。
キッシンジャー
が、いま、駐
日大使
を任命しないということが、もう三カ月以上も続いておる。この
状態
を見るときに、私は、
アメリカ
という国は、実は残虐な国だと思っております。あの
アメリカ
というのは、
日本
が
戦争
に負けたときには、十数万人を
戦犯
として処刑した。
罪刑法定主義
、罪状なければ刑罰なしというのに、
日本人
をたくさん処刑して、そして
戦犯
もたくさんつくった以外に、
政治家
もうんと追放いたしました。三親等以内は立候補させない、こういうことまできめた
アメリカ
が、いかに残虐な国であるかということはよくわかります。慕い寄る者はかわいがるが、敵対する者に対しては、徹底的な行動をとるというのが
アメリカ
でございます。 その
アメリカ
は、ふしぎなことに、このごろ気づくことでございますが
——キリスト
という人は、初めて
ユダヤ教
を裏切った人であります。また、
マルクス
という人も、実は、
ユダヤ人
でございます。シオニズムという
ユダヤ思想
を、
最初
に裏切った人が
マルクス
、そういうふうな
設定
でまいりますと、われわれは、
神さま
は一人しかないというキリスト教の
アメリカ
と、
片一方
は、
神さま
は死んでしまったのだという
共産主義
の
ソビエト
、その間にあって、われわれは、いまこそ
知恵
を出さなければいけない。 というのは、われわれの国は、やおよろずの神と申します。
えびすさま
と大黒さんと両方拝む。それが、ふしぎなことに、
中国
は
一つ
だと言った。私は、ここに疑問を感ずるわけであります。 御質問申し上げるのに、時間もありませんので、私の考え方の
基本
になりますことを、申し上げておくのでございますが、
最初
に、
外務大臣
にお
伺い
をいたしたいことは、
中国
は
一つ
であるという
中国外交
は、実は、失敗であったと私は思っております。なぜならば、いま、ここに出てきましたものでも、西
ドイツ
、東
ドイツ
を認めようという。それから
ベトナム民主共和国
を認めようという。
ベトナム
は
二つ
になった、
ドイツ
は
二つ
になったという案が、いまここに出てきたところなんです。それなのに、
中国
は
一つ
であるとわれわれがなぜ言わなければならなかったか。 私は、その過去を振り返ってみまして、きょうは、
宮内庁長官
に来ていただいておりますが、
天皇批判
をやった国でございます。かつて人民日報で、
天皇陛下
のことを御中傷申し上げた経歴のある
中華人民共和国
と接触をされて、ここに一年
たち
、また、いまから
日中航空協定
をやるために、今度は、
日台路線
の取り扱いについてということが出てきておる。たとえてみれば、せびろの
裏生地
でせびろを注文しておるような話です。
日中航空協定
だけ出てくればいい。ところが、
日台路線
の問題についてという裏側が出てくる。 この将来がどうなるかというと、
あと
は
中華人民共和国
との
平和条約
であろう。それが進んでいくと、
ソ連
との
平和条約
、そして北朝鮮の承認となると、ブレジネフが、この間、
田中総理
に
提案
をした
アジア安保条約
という
設定
の中にぴっしゃりと入ってくる。そうすると、
共産主義
の国と
自由主義
の国、お互いが仲よくして、
安全保障
を結べば安全じゃないかという
議論
が通ってきますと、
日本
、
アジア
から
アメリカ
が去っていかなければならないときがくる。これは
アメリカ
の
孤立化
を招く。 私
ども
のような
タカ派
といわれる者は、
戦争
のほうに向かっていくものだといいますが、両方の
世界
が
一つ
になって話し合える
時代
が来るまでは、いまの均衡というものをいかに保つかということが、
世界
平和のための
知恵
ではないか。
片一方
では、
ソ連
との話が進んでいるという、
片一方
では
アメリカ
の
原子力潜水艦
の寄港を阻止する、
政府
がそれを
アメリカ
に頼むという
時代
がきておる。 そこで、いまから思い出していただいて、
中華人民共和国
との
国交
の
正常化
という意味を、どういうふうに考えていらっしゃいますでしょうか、その点からお
伺い
したいと思います。
大平正芳
7
○
大平国務大臣
中国
という
隣国
を代表する
合法政府
といたしまして、従来、
日本
は中華民国、いわゆる
国民政府
を認め、それとの間に
平和条約
を結び、
外交関係
その他万般の
関係
を結んでまいったわけでございます。その
国民政府
は、現在もそうだと思いますけれ
ども
、終始
中国
は
一つ
であるという
立場
を貫いておられると承知いたしておりまして、
中国
という国を正当に代表する権利を持っておるのは
国民政府
であるという
立場
を、終始一貫貫いておると承知いたしております。
国連
において、長い間、曲折を経て
議論
をされておりました問題も、
中国
を代表する正当な
政府
はどちらなのかということが問われておりましたことは、
中山
さん御案内のとおりでございまして、先般、この問題につきまして、一応の決着がついたわけでございまして、
国連
におきましては、
中華人民共和国
が
正統政府
になるべきであるという決議をされたことでございます。これも、
わが国
が
正常化
に踏み切る
一つ
の原因であったと思います。 第二に、
日本
の
国内
の
世論
といたしまして、
世論
をどのように
認識
し、理解するかということに
——
これは、ずいぶんむずかしい問題があると思いますけれ
ども
、
日本
の
国内
におきまして、
中国
を代表する
政府
として
北京政府
を選ぶべきでないかという
議論
が、野党はもとよりでございますけれ
ども
、
国内
各分野におきまして相当熟してまいったわけでございます。したがいまして、
政府
といたしまして、この際、そういう
外交的決断
をすることは、内外にわたって妥当な措置ではないかと考えてまいったわけでございます。これは、
イデオロギー
の問題ではございません。
自由主義
を捨てて、
共産主義
を選ぶという
趣旨
では決してないのでありまして、
中国
を代表する
政府
がどちらの
政府
であるかという
選択
の問題でありまして、
田中総理
が率いる
自由民主党政府
は、そういう
選択
を行なったものと私は承知いたしております。
中山正暉
8
○
中山
(正)
委員
私が申し上げておるのは、そこに
知恵
がなければいけないのではないだろうか。私ははっきり言って、
台湾共和国
を設立すべきであった。というのは、
台湾
が抜け出すことを、かつての
愛知外務大臣
が、
特派大使
としてとめにいらっしゃったくらいでございますから、
台湾
を説得するのは
日本
ではなかったのか。そして、
二つ
の分裂国家問題というのは、
ドイツ
がふしぎなことに、
日本
が
国連
に入って十七年目に入ってきた。これも、またふしぎな事実でございます。なぜ、
ドイツ
は、
日本
が
中国
は
一つ
だと言っておるときに、
ドイツ
は
二つ
でございますよと言って入ってくれなかったか。 これは、はっきりいいまして、私、十月の半ばに、ある国の
諜報員
に会いました。そうしましたら、その人のおっしゃったのは、
ウィリー・ブラント
というのは、実は、昔フィンランドに亡命をしておった
共産党員
であった。
イスラエル
との六日
戦争
のときに、
ソ連軍
が
エジプト
から引き揚げた
あと
、
ドイツ
の
軍事顧問団
がいま
エジプト
に入っておる。それから、ふしぎなことに、
ウィリー・ブラント
になってから、
ソ連
との
国交回復
をやった。オーデル・ナイセの
国境線
の
設定
をやった。
ポーランド
との
条約
を結んだ。
チェコスロバキア
との
条約
を結んだ。まことにふしぎであるという話を、実は、その方がしておられました。これは、十月号の「二十一世紀」という雑誌にちゃんと載っております。だから、公表してもいいだろうと思って申し上げるわけでございます。 そこで、
日本
はもう少し
知恵
が出せなかったであろうか。いま、これは
思想
の問題ではないとおっしゃいましたが、私は、政策を決定するのは、
イデオロギー
だと思っております。
イデオロギー
とは、
一体
何か、
思想
とは何かといえば、やはり触覚とか嗅覚とか視覚とか、そういう五感によってわれわれが感じた感性的な
認識
が、経験を経て飛躍したものが
理性的認識
、それが
思想
であろう、私は、こう思っております。 そういう観点から見ると、第二次
世界大戦
で
領土
を広げたのは、
ソビエト
一国であります。ちょっと数えても、
東ポーランド
、
東プロシア
、ラトビア、エストニア、リトアニア、ブコヴィナ、ベッサラヴィア、カシロフィン、樺太、千島、これだけでも十本の指だ。七十二万平方キロ、二千五百万人という、
共産主義勢力
は、第二次
世界大戦
を利用して、それだけの
領土
を広げたという
認識
がわれわれにあるから、
自由主義
を大切にしなければいけないという姿勢を確立して、
自分自身
の信念、信条としておるわけであります。 だから、
台湾
を捨てて、
台湾
を
共和国
にそれじゃしなさい、あなた方は、もう二度と再び大陸に攻めていくこともないでしょう、ここでちゃんとすれば、
世界
は安定するではないですかという説得をしてこそ、
隣国
である
日本
の
立場
というものがあったのではないか。それを、
蒋介石
が、おれが
一つ
だと言うから、それでいいんだとか、
毛沢東
が、
一つ
だと言うから、それでいいんだということは、
世界
にたいへんな危機をもたらすのではないかと実は私、思っているのです。 それは、どうでもいいといたしましても、今度の
安川発言
、放言をしたのは、
法眼
さんではなくて
安川
さんということ。その
安川
さんが、
アメリカ
の
国民
から
一体信頼
をされるだろうか。
田中角榮総理大臣
とリチャード・
ニクソン大統領
との間の
共同声明
の十七
項目目
に、「
大統領
は、
天皇
、
皇后
両
陛下
の御
訪米
に対する以前よりの招待を再確認し、御
訪米
が近い将来
日米双方
にとって都合の良い時期に実現することを希望した。」
アメリカ
という国は、かつて、
王さま
を持っておった
英国
からの分かれでありますから、
王さま
とか
天皇
に対するあこがれというのは、尋常なものではございません。 伺ってみますと、
向こう
には、もう
天皇皇后
両
陛下
を歓迎する
歓迎委員会
ができておったというお話まで伺うわけでございます。 それじゃ、
宮内庁長官
にお
伺い
をいたしますが、
外務省
との間に、
天皇
御
訪米
に対する
最初
からどういうお話し合いがあったのか。また、今回、
安川
さんがかけてもいいという御
発言
まであったあのことに対して、いま、どういうふうにお考えになっておられるか、御所信を御披瀝願いたいと思います。
宇佐美毅
9
○
宇佐美説明員
天皇陛下
の御
訪米
の問題は、
陛下
がヨーロッパに御旅行のときに、
アンカレジ
に
お立ち寄り
になりました。これは休養のためでございますが、
アメリカ政府
では、
大統領
御夫妻が、わざわざ
遠路アンカレジ
まで見えまして、しかも、夜中にあそこで御歓迎申し上げたいというようなことがあって、そのために、当初の計画の
東京出発
も早めたりいたしまして、そういうことが行なわれたわけでございますが、そのときにも、
ニクソン大統領
から、両
陛下
に、ぜひ一度公式に
おいで
いただきたいということがあったと伺っております。 それを契機に、その後、
ニクソン大統領
からの御伝言として、重ねて、
自分たちアメリカ人
は、
政治
を離れて
陛下
をお迎えしたい、熱心にそう思っているということを、
外務省
を通じて、われわれのほうに二度か三度ございました。 そういうことがございました
関係
で、しかも、それが相当の月数の間に行なわれておりますので、いつまでも黙っているわけにもいくまいということも、だんだん出てまいりました。結局、いつ
おいで
になるかわからないけれ
ども
、種々の
情勢
が許すならば、
おいで
になるということで、
外務省
にも、私
ども
は、昨年八月
お出かけ
のときに、そういうことであったわけでございます。 ですから、
共同声明
には、
日本側
のことは、ただ
総理大臣
が感謝をされるという形で出ておりますけれ
ども
、それは、初めてそういうふうに外に出るわけで、おそらく私の想像では、
総理大臣
は、
陛下
に申し上げた上ではっきりするとか、あるいは将来いつかという期日もうたっておりませんから、いろいろ将来、そういうことを込めて研究の上でということであったのではないかと私は想像しております。 それで、今回のことにつきましても、
外務大臣
が、
石油
の
会議
で
お出かけ
の前に、今度は、行っても、こちらから、御
訪米
のことは触れないし、
向こう
から出ても、前のとおりでお話しして帰ってくるということを、事務的に私のほうまでわざわざお話しでございました。それから
新聞記者会見
のことが起こりましても、十四日の朝、
法眼
前次官から、そのことをすぐ私にお電話がございました。その後、大臣からも、私にお電話もございました。式部官長と
アメリカ
局長
その他のほうとの連絡を密に、当時の
状態
の御報告をいただいたわけでございます。 われわれも、昨年から
法眼
次官にも、こういう問題を、将来、実際問題として研究するには、よほど連絡を密にしなければいけない、やはり小
委員会
でもつくって、相談していくべきものでないかということであったわけでございますが、その後の
情勢
におきましては、いまだ、そういう問題を、具体的にいつどうするかというところまで進んでおらないのが実情でございます。 将来のことは、いま申し上げましたとおりで、これがいつごろ、そういうことが実現に至るかということは、まだお答え申し上げる段階まで進んでおりません。そういう経過でございます。
中山正暉
10
○
中山
(正)
委員
承りますと、
陛下
は、五十数年前から、
アメリカ
にいらっしゃりたいという御願望があったということでございますし、いまのお話の
アンカレジ
まで
大統領
御夫妻が、ただ通過するだけであるのに、盛大な御歓迎をいただいたことに対する
——
ニクソン
さんという人が、ウオーターゲート事件で
関係
があって、アグニューさんが悪いとか、
ニクソン
も
関係
しているんだとかいう、具体的な
ニクソン
という人物に握手をしに行くのではなくて、もし、ウォーターゲート事件で、これがだめになったのなら、それこそたいへんな間違いではないか。 抽象的な
アメリカ
大統領
ニクソン
という人と
——
日本
の二千数百年の歴史の伝統の中で、一国家、一民族、一言語というこの伝統を保ち得たのは、私は、
天皇
制の
知恵
であったと思います。ヨーロッパでは、法皇と皇帝がすぐけんかばかりするからしようがないというので、三権分立なんという写真機の足みたいなものを考えましたが、
日本
では、
天皇
制と
政治
というのは、うまいかみ合わせになっておったと思う。 ペリーがさっきの話の、
日本
に来たときに、衣冠束帯の
陛下
に対して、刀をはいて武具をつけた、よろいかぶとのさむらいが頭を下げておる姿を見て、
一体
どっちに頭を下げていいかわからないが、よろいかぶとの武者が頭を下げている人が一番偉いんだろうというので、
天皇陛下
にいろいろと御接触申し上げたという、すばらしい
日本人
の、
日本
の国の、伝統を守りながら、
政治
がどんなに変革をしても、
日本人
が安心して一国家、一民族として暮らしていける伝統の歴史の保証であったと、私はこう
天皇
制を考えております。 その中にある
天皇陛下
というお方が、
アメリカ
へ行って敬意を表していただくということは
——
日本
が幾ら
石油
を入れてきても、そのつくったものを、
アメリカ
が四〇%買ってくれるのですから、ちょうど第二次
世界大戦
の前も、そのくらいの比率でございましたが、それが、
アメリカ
に敵対するかっこうになって、悲劇におちいったわけでございますから、私は、この
アメリカ
関係
というのは
——
陛下
も、もうお年でございます。一日も早く実現をしていただかなくてはならないのではないかと思う。 特に、今回の問題で
——
まあ、前の増原長官は、
天皇陛下
の問題が出ましたときには、すぐに御退官になりましたわけでございますが、今度も、
大平
大臣がおやめになるというようなうわさまで出ておるわけでございますが、それに対する大臣のお考えはいかがでございましょうか。
大平正芳
11
○
大平国務大臣
ワシントンの記者会見におきまして、御
訪米
の時期について、時間的限定を持った
発言
をいたし、
あと
でそれを訂正いたしましたけれ
ども
、そういうことをめぐりまして、多くの迷惑を多方面におかけいたしたこと、全く恐縮いたしておりますけれ
ども
、この事件によりまして、私が辞任するという意思は持っておりません。
中山正暉
12
○
中山
(正)
委員
私も、実は、この間の総裁選挙では、
田中角榮総理大臣
をおつくりすることに一生懸命になったわけでございます。 そこで、これは、本物かにせものかわかりませんが、
中華人民共和国
の解放工作指令書という中に、こんなことが書いてあります。「各団体ごとに、早期に暴発せしめる。彼等の危機感をあおり、」、愛国者というか、そのほうのことを言っておるのです。「怒りに油をそそぎ、行動者こそ英雄であるとたきつけ、
日本
の政界、マスコミ界、言論人等の進歩分子を対象とする暗殺、襲撃はもとより、我が大使館以下の公的機関の爆破等を決行するよう、接触線を通じて誘導する。我が公的機関の爆破は、建物のみの損害にとどめ得るよう、準備しておけば実害はない、事後、
日本
政府
に対して厳重抗議し、官憲をして犯人の逮捕はもとより、背後団体の解散をなさしめ、賠償を要求し、マスコミには、全力をあげて攻撃させ、人民の右派嫌悪感を更に高め定着させる。」、こう書いてあります。 私、心配いたしておりますのは、
天皇陛下
問題というのには、刺激されやすい
日本人
の性質がございますので、ことしから来年にかけて、これが、もしほんとうだとすれば、私はテロの年ではないかと思っております。そういう傾向に入ってくる源泉を、出先の
アメリカ
大使がつくり出されるということは、ゆゆしき問題である。 西山という人、この方は、新聞記者の良識に照らしてみて、どうなのでしょうか。西山という人が、自分で記事を書かずに、だれかにそれを渡して、それを国会の場で発表させることによって、何かの意図を達しようとしたという、非常に
——
人の女房に手をつけたという非常に、もう言語道断といいますか、許せないという感じがするわけでございますが、この人の事件で、直接
アメリカ
の情報をとられたその
安川
審議官が、
アメリカ
の大使に転出をしていくということは、
アメリカ
をからかっておるのではないだろうか。
アメリカ
局長
も、そこにいらっしゃいますが、そのことだけでも、
アメリカ
をからかっておるような人事をして、そして今度、その
安川
大使が、かけてもいいということばを吐いてまで、またまた
天皇陛下
を一そう言うと、まことに恐縮な言い方かもわかりませんが、
天皇陛下
を利用して、そして
アメリカ
をまたからかったのではないか。その日米離間の根源を
外務省
がつくっておる。全く狂気のさただ。その人事の中で、
アメリカ
大使に、
安川
さんという方を、まだこれからずっと
アメリカ
に置かれるのでございましょうか。 それとついでに、お答えを願いたいのは、外務次官がおやめになったのは、
安川
事件のための引責でございましょうか。お役人さんにとっては、更迭されるということは、汚職とか、それから機密の漏洩とかいろいろなことがない限り、たいへん
——
われわれ
政治家
は、また選挙があれば出てこられますが、お役人さんの名誉というものは、私はたいへんなものではないだろうかと思う。 それで、
法眼
さんがおやめになった
理由
が、それに関連があるのかどうか、
安川
さんのこれからは
一体
どうなるのかということを、ひとつ御答弁願いたいと思います。
大平正芳
13
○
大平国務大臣
このたびの件につきましては、
安川
君に、任命権者でございます
総理大臣
から、訓戒処分をいたしたわけでございます。引き続き、戒慎の上、重要な職務でございますから、御精励をいただきたいと考えております。 それから、
法眼
次官の問題は、これと全然
関係
のないことでございます。
法眼
君の御勇退と
外務省
の人事の刷新ということによりまして、なお一そう、緊張をもって
外交
の任務に当たらなければならぬと考えておりまして、この両件とも、私の責任において、私の判断において実行いたしたものでございます。
中山正暉
14
○
中山
(正)
委員
前に、
法眼
さんと雑談をした中で、気をつけてください、松岡洋右という人が、
不可侵条約
を結びにいくときに、シベリア鉄道を一週間走った、その寝台車の上に寝ておった人が、いまになって中共から帰ってきた
西園寺公一
でございますよと言うたら、私もその寝台に一緒に乗っておりましたとおっしゃいました。まあ、そういうことで、私は、たいへんたわいのないことが、
世界
を悲劇にするか、それとも楽土にするかの分かれ道になると思います。 この際、私は、さっきも言いましたように、
アメリカ
も
ソ連
も信用しておりません。
日本
は、もう、このわずかな島国を、どうして
——
小さいものは、いまの国会でも、そうでございますが、多数決ではございませんで、少数決みたいな形に
運営
の上ではなっております。そういう形を見てまいりますと、小さいものが大きいものを動かす
時代
になっておる。たった、わずか二人か三人のゲリラが
——
特に、これも、
外務省
の態度が私はふしぎでなりません。クウェートの大使館を、
向こう
が警察権を持って、
日本
の治外法権を守るべきであるのに、それを守れなかったクウェートに対し、
日本
が
特派大使
を出してあやまりに行くというのは、
一体
どういうことか。
向こう
からあやまりに来るのが、あたりまえだと思うのに、
日本
の
外務省
の態度というのは、それで
一体
いいのだろうかという気持ちがいたすわけでございますが、とにかく、これから
日本
は、
知恵
を出して、りっぱにこの
世界
の中で、どうわれわれが平和のかぎを握るかという重大な岐路に来ております。 ですから、
世界
の均衡をつぶす役割りをしてはいけない。
日本
がもし社会主義化したときには、必ず私は
世界
の均衡はつぶれると思う。
日本
の六十六倍ある
ソ連
と、
日本
の二十六倍ある
中国
に、
日本
が加担したら
——
いまでこそ共産党は、公害、公害と言いますが、この間のストックホルムの大会に、
世界
で公害大会に
共産主義
の国はどこも参加しておりません。もし
ソビエト
で、公害なんということを言ったら、きっと、おまえは社会主義建設に対する反革命分子であるということになると私は思うのでございます。そのときには、平気で
日本
を工場に使って、七億八千万の
中国
の人民が最後の敵である
アメリカ
というものに対して、私は最後の決戦をいどむときが来るだろうと見ております。 そのために、
日本
は、どうしても
アメリカ
を孤独にさせないために、
自由主義
陣営の中にとどまるべきだ。そうしないと、
日本
はたいへんなことになると思うのですが、その一番心配なところは、
日本
の
総理大臣
は、三軍の統帥権と警察権を持っております。そして、いま派閥が悪いといいますが、派閥がなくなるわけがありません。昔は、
政治家
というのは、自分の派閥を養って、
総理大臣
になるのではなくて、だれがいいかということは、欲も得もなくなった元老、重臣方がおきめになって、それを
天皇
に言上をして、大命降下という形で
総理大臣
をきめておったから、派閥ができるわけがありませんでした。ところが、いまの憲法は、そういう非常な欠点を持っております。
条約
局長
おられるので、私は、陸戦ノ法規慣例ニ関スル
条約
という、明治四十年に結ばれて、
日本
が明治四十五年に批准したと思いますが、その中に、陸上戦闘の行なわれたところを占領してもいいが、その国の憲法とか
法律
とか、そういうものを変えてはいけない、これは
ドイツ
がいまいい例でございます。
ドイツ
は憲法を改正しておりませんし、いまだに占領下でございます。憲法は
基本
法という形で、つくっておりませんことは、御承知のとおりです。フランス憲法の九十四条の中には、
外国
の軍隊が、
領土
の一部または全部を占領している間は、その国の憲法の改正は無効であるということがございますが、私は、
日本
のいまの憲法は、無効だと思っております。私は、いまの憲法は
アメリカ
からもらったと思う。 その証拠に、共産党と社会党は、国会にこれが
提案
された二十一年には、野坂参三、志賀義雄、徳田球一、それから穂積七郎、細迫兼光、社会党ではこの二人、それから憲法二十九条があったのでは、社会主義政権は樹立できないといって社会党は修正案を出している。あの当時に、憲法を、これは認められないとして、特に、吉田総理が
提案
理由
の
説明
をされようとしたら、そのときに野坂参三が緊急動議を出して、
提案
を延ばすべきであるというのをやっておる。そういう事情で、そのとき、昔、
反対
をした憲法に、いま賛成をして、社会党と共産党は憲法擁護、公明党まで、このごろ憲法擁護と言い出しました。この憲法さえ守っておけば、
日本
はつぶれるという、そういう自信があるんだろうと思います。 ですから、なぜ象徴
天皇
という、
世界
に通じないことばを使うのか。
英国
の女王も、君臨すれ
ども
統治せずという、りっぱに
日本
で象徴
天皇
と申し上げてもいい方が、元首といわれている。 時間がございませんので、最後に、法制
局長
官から、このたわいのない
日本
に、われわれ歯どめを食わして、何とか
世界
の平和を守りたい、こういう感覚でものを言っておりますので、御答弁をお願いいたしたいと思います。
吉國一郎
15
○
吉國
政府
委員
私に対するお尋ねは、どうも法制局の所掌事務にかかわるものではないと存じますが、問題は、要するに、
英国
の女王の例を引かれまして、それに対して、
日本
の
天皇
についてどうかというようなことに問題があると思います。
天皇
が元首であらせられるかどうかということは、要するに、元首ということばの定義の問題に帰するところであろうと思います。このことは、昨年の本
委員会
でも、あるいは
予算委員会
でも、何回も申し上げたことでございますが、元首というのが、内治
外交
のすべてにわたって、国を代表して、また、行政権を掌握している
存在
であるという従来の定義によりまするならば、現憲法のもとにおきましては、
天皇
は元首ではないという
議論
に相なるかと思います。しかし、今日では、実質的な国家統治の大権は有せられなくても、国家における最高の地位にある者を元首とみるという見解もかなり有力になっております。 それは、十八世紀、十九世紀
時代
の皇帝あるいは元首というものが、その後、統治の面において、いろいろ憲法上変遷をいたしまして、現在、元首として、特に君主として
存在
する国々においても、統治の大権そのものについては、非常に許される
範囲
が狭いというようなこともございます。 そういうようなことから、いまのような見解も出てまいったと思いますが、そのような見解をとりまするならば、
わが国
の
天皇
は、
日本
国の象徴であり、
日本
国民
統合の象徴であられるということに、これは憲法第一条で厳然と規定をされております。また、一部ではございますが、対外的に
日本
国を代表する地位をお持ちになる場合もあるということから申せば、元首であるということも、ある意味においては申して差しつかえないということでございます。
中山正暉
16
○
中山
(正)
委員
いまの憲法を擁護する
立場
からいっても
——
マッカーサー元帥は、マッカーサー・ノートという三カ条のノートを出しております。これは、
昭和
十九年に、もう
アメリカ
は、
日本
との
戦争
に勝つという見込みを立てて、SWNCCという
委員会
、ザ・ステート・ウォー・ネービー・コーディネーティング・コミティーという
委員会
で、占領後の
日本
の
運営
方針というのを出している。それを参考資料としてマッカーサーは、マッカーサー・ノートを出しておりますが、その三カ条は、
天皇
を元首とする、地位は世襲である、それから
戦争
の放棄、それから貴族の廃止、これがマッカーサー・ノートの三本の柱でございますから、野党の方々がおっしゃっておられます
立場
からいっても、いまの
天皇
は、マッカーサーの言うとおりにしても元首ではないだろうか、かように私は考えております。 もう時間がありませんので、最後に、実は、先ほど言い落としたのでございますが、お
伺い
をしてみると、
大平外務大臣
の非常に有力な後援者のお方に、
安川
第五郎さんという方がおられる。その方の御令息が、実は駐米大使の
安川
さんであるということを聞いております。 われわれ
政治家
は、梨下に冠を正さず瓜田にくつを入れずで、疑わしいことをしてはならないという
基本
理念があると思いますが、そのいろいろなうわさ、だから、
大平
大臣は擁護をされているのだ
——
私は、そんなこと信じておりませんが、そういうことを言う人がございますので、それを御答弁いただきまして、以上で質問を終わりたいと思います。
大平正芳
17
○
大平国務大臣
安川
第五郎氏は、
わが国
の財界の長老といたしまして、人格、識見とも私が深い尊敬を持っておる先輩でございますことは、間違いございません。しかし、過去、現在を通じまして、私はびた一文の
政治
献金を、
安川
第五郎氏から受けた覚えはございません。 また、
安川
大使が、この
安川
第五郎氏の御令息であることは、間違いございません。
中山正暉
18
○
中山
(正)
委員
ありがとうございました。 国を愛する気持ちで、たいへん大先輩に対して失礼なことがいろいろあったと思われるかもしれませんが、憂国の情に出たものでございますので、どうぞひとつお許しをいただきたい、かように申し上げて失礼をいたします。ありがとうございました。
徳安實藏
19
○
徳安委員長
大出俊君。
大出俊
20
○大出
委員
お忙しいところを、
外務大臣
並びに
宮内庁長官
にお運びをいただきまして、いささか恐縮でございますが、事きわめて重大でございまして、憲法そして
天皇
、
内閣
にかかわる問題でございます。かつ、この
委員会
では、何回かこの問題を取り上げて
議論
をしてまいりました。昨年の二月ごろの
天皇
の
訪米
の時期もしかり、また増原さんのいわゆる
天皇
発言
のときにおきましても、同様でございます。このときには、
天皇
の園遊会にかかわる越山会などという方々の問題にまで、実は発展をした
議論
がこの席で行なわれました。 この国の憲法の規定にございますように、「
天皇
は、
日本
国の象徴であり
日本
国民
統合の象徴であって、この地位は、主権の存する
日本
国民
の総意に基く。」、こうあるわけでありますから、たくさんの
国民
の皆さんの中には、いろんなものの考え方が
存在
をいたします。それだけに、宮内庁という、直接的に携わっておられる役所の責任者
——
現在の
法律
上からいけば、
一つ
の行政長官でありましょうが、この点は十分慎重でなければならない。 もう
一つ
、
天皇
の権限の
範囲
と申しますものは、現行憲法四条で「
天皇
は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」と明確に規定をされているわけであります。したがって、
政治
的に利用されるという
国民
の判断が成り立ったり、あるいは利用することなどがあらわれては相ならぬということで、詰めが行なわれたわけでありますが、宮内庁の皆さん方は、
天皇
には
天皇
の御意思がございます、憲法のたてまえも、明確にいたしております、したがって、利用されるおそれのあるようなこと、まして利用されるなどということは毛頭あってはならないし、今日までなかったのだ、将来についても、そういうことがあってはならぬ、そういうことは行なわないと何べんも明確に答えておられます。 したがって、そのことを前提にして承りたいわけでありますが、先ほど長官のおっしゃっておりました答弁の中で、確認を求めたいのでありますが、昨年八月に総理が、これは日米共同コミュニケの形になっておりますが、この
ニクソン
会談に
お出かけ
になるときに話し合いをされた筋道の御答弁がさっきありました。
天皇
がいつ
おいで
になるかわからないけれ
ども
、双方の都合のよいときにという程度のことにしておこうという御相談だったようであります。つまり、時期の限定はない、このことが、しかとさようかという点を、一度念を押したいのであります。 それから、将来については、たび重なる招待を受けているということから、
おいで
になる御意思が
天皇
におありになるようでありました。しかし、それがいつであり、どういう時期であるか、双方の都合というようなことも、十分これは検討して、慎重にやっていきたい、その意味では、小
委員会
などでもつくって、相談すべきではないかとお考えになっている、これが二番目でございました。 つまり、時期の限定は、一切今日まで
政府
との間で話し合われていない、こういう理解に立ってよろしゅうございましょうか。
宇佐美毅
21
○
宇佐美説明員
ただいま御質問のとおりでございまして、私
ども
は、皇室の方々が、一般の特別な利用をされるという問題について、最も敏感に考えております。しかし、こまかい問題になりますと、絶対にないとは申し上げかねる場合も相当ございまして、いろいろなものを販売するについて、こちらの皇室の御紋章を使いますとかいろいろな問題がちょこちょこ起こります。そういうことは、われわれとしても、相当気を使いまして、そういうことがあれば、注意を与えたりいたして、なるべくそういうような商売とか何かに悪用するというような問題については、非常に気をつけておるわけでございます。 同時に、大きな問題につきましても、
陛下
を利用して、いろいろなことが行なわれるという問題も、実に気を使っておるわけでございます。しかし、まあ、どこか
おいで
になれば、ある程度の影響は出る、これは事実問題そうであろうと思います。しかし、これが、その利用とか特殊なことに使われるということについては、私
ども
、非常に厳重な考え方をしているわけでございます。 まあ、つまらない例を申し上げるようでございますが、
お出かけ
のときに、多年問題であった道路の修理というものを、
陛下
がいらっしゃるからといって強行するというような事態があったことがございますが、私は、厳重に、それは
陛下
はお通りにならないと言って、お通りにならなかった例さえあるわけで、そういうところまで気を配っておるつもりでございます。 今度の
アメリカ
の御訪問の問題も、先ほ
ども
出ましたが、これは、まあ新聞にも出たことで、だいぶ前からでございますが、宮内庁の記者諸君が、
陛下
に拝謁いたしましたときに、
アメリカ
に
おいで
になりますかと
伺い
ましたら、行きたい、しかし、諸種の事情が許せばと、いつでもそうおっしゃっておるわけです。しかし新聞には、しばしば、
あと
の諸種の事情が許せばということが、いつもとれておりまして、
おいで
になりたいというところだけが大きく出る。それは、クラブの諸君も知っておりますが、私は、それを、いつもクラブの諸君にも言っておるわけであります。
アメリカ
に
お出かけ
の問題が、
ニクソン大統領
から、しばしば熱心なお話がございまして、これに儀礼上もおこたえしなければならない、これは
政府
も同様のお気持ちがあったと私は思いますが、そういうことから、いつのことか日取りはわからないし、どういう計画になるかも、いろいろあると思いますが、そういうことがあれば、そういうことは、将来において可能でありましょうということを申したつもりでございます。
大出俊
22
○大出
委員
わかりました。いつのことか日取りはわからない。つまり、日取りは、
政府
との間におきまして、話し合いをしてきめたことは、全くないということになるわけであります。 そこで、
外務大臣
に承りたいのでありますが、
外務大臣
、まことに奇怪な話でありまして、この経過をずっと追ってみますと、私の頭の回転が鈍いせいかわかりませんが、どうもわからない、まさに奇妙なことが起こったという感じがするわけであります。 そこで、まず
一つ
一つ
承りたいのですが、
外務大臣
は、十三日に
石油
の
会議
が終わりまして、その四時間後、こういう時間に、一時間
キッシンジャー
国務長官
と話し合いをされておられます。
安川
大使同席でございましょう。そうしてその後、記者会見を行なわれたわけであります。十三日の午後七時三十分でありますが、
ニクソン
訪問、
天皇
御
訪米
とも、昨年八月の日米首脳会談できまった方針で進めることを確認した、まず、こういうふうに発表されている。そうして、この
あと
で、双方ともことしじゅうに実現させることになった、こう発表した。あらゆる新聞にそう書いてあります。記者の方が、再三再四念を押した、間違いないと、何べんもお答えになった。最後に、
安川
大使の、かけてもいいということの
発言
まで出た、こういうことであります。 つまり、ことしじゅうというならば、新しい角度からものを見なければならぬ、こういう記者の感覚だったと思うのであります。ここまではほんとうでございますか、お認めになりますか。
あと
から訂正されたのは、自由でございますが、七時三十分の記者会見はそうだった、こういうわけでございますか、ことしじゅう、よろしゅうございますね。
大平正芳
23
○
大平国務大臣
それは正確でございません。
キッシンジャー
長官と私との会談におきましての双方の確認は、両
陛下
の御
訪米
については、昨年の首脳会談のときの両国の了解を、再確認しようということにとどまっております。 それで、それが終わりまして、邦人記者団と私との会見で、私は、そのとおります報告をいたしました。したがって、その段階で、日米間の了解としては切れて、日米間の問題は、一応それで済んでおると思います。 したがって、これから邦人記者団の、私に対する質問が、その次に出てまいりまして、それでは、両
陛下
の御
訪米
は、いつになるのでしょうかという質問がございましたが、これは、まさに
国内
の
政府
が関与する、
日本
政府
の意思にかかる問題でございまして、
アメリカ
とその限りにおいては
関係
のないことでございまして、したがって、それにつきまして、私は、本年度中に実現の運びになるのではないかというお答えをいたしました。 その答えに対しまして、それで
共同声明
では
一体
どうなっておりましたかということが、その記者会見において話題になりまして、たしか本年中になっておったのじゃないかという問答が繰り返され、
安川
大使も、それを、そうなっておるはずだとがんばったことは事実でございます。そうして
あと
、確かめて、訂正を求めたという筋道になっております。
大出俊
24
○大出
委員
時間がありませんから、簡単にお答えいただければ、けっこうでございます。 そこで、いまの経過でいえば、
共同声明
が出ている、八月のこの
共同声明
、この両国の了解を再確認した、これが
キッシンジャー
国務長官
と
外務大臣
の間であった。記者に質問をされて、さて、
日本
国内
部の問題である、
アメリカ
にかかわりはない、そういう
立場
で本年内になるのではないか、こういうことを話された、質問が続いて、
安川
大使から、
共同声明
の
内容
はどうなっているのだという話が出たときに、年内だ、それがかけてもいいという話までいってしまった、こういうことだというお話でございますね、事を分けての。 私は、時間がありませんから、ずばり承りたいのですが、日米間で
——
われわれ
国民
は、そこまで知りませんが、私を含めて。だが、どうやら昨年の八月一日、つまり日米首脳会談第二日目というところあたりで、七四年に
天皇
が訪問することを日米間で話し合われ、了解事項ということになっている、そういうことが私の耳に入っておる。 つまり、すでに昨年の
田中総理
、
ニクソン大統領
の会談の席上で、
ニクソン大統領
は、七三年から七四年末までの間に
日本
に来る、
天皇
は、七三年は無理である、七四年中、こういう了解がついていた、この事実を、
外務大臣
でございますから、知らないとはおっしゃらないと思いますが、いかがでございますか。
大平正芳
25
○
大平国務大臣
そういう事実はございません。
大出俊
26
○大出
委員
それでは、承りますが、二十二日に
安川
大使が
——
いまで言えば、きょうは二十二日でございますから、きのうでございまして、二十一日、
安川
大使が記者会見を
アメリカ
でやっておられる。 ここに記録をいたしてみましたが、これは
安川
さんがおっしゃった。昨年八月、ワシントンで開かれた日米首脳会談において、七三年内は困難だが、七四年中という
基本
的な了解事項があった、一人や二人の新聞記者の方じゃないんですよ、そういう記者会見の席上で。おそらくは、あすの朝の新聞に、たくさん載るでしょう。これは、
一体
何事ですか。そういうことはございませんと、あなたはおっしゃった。 これに、さらに
説明
がついている。田中・
ニクソン
会談の二日目、八月一日の冒頭に、この話が出た。
日本側
田中首相、
安川
大使、
アメリカ
側
ニクソン大統領
、
キッシンジャー
補佐官。この席で、
ニクソン大統領
は、七三年ないし七四年中に
日本
を訪問する、
天皇
は、七三年は無理で、七四年中に
アメリカ
を訪問する、こういう話し合いが煮詰まった。そこで
安川
大使が、両首脳に確認を求めたところが、両首脳がそのことを了承をした。これは首脳会談二日目であります。 そこで、ここまでのことが明らかにされていて、これが発表のしかたは、いずれにしても別ですが、あなたは、なぜ否定するのですか。当の
安川
大使みずから出席して言っておるのですよ。
大平正芳
27
○
大平国務大臣
安川
君の、二十二日の
発言
は、まだ報告を待っておるところでございますけれ
ども
、いま御引用になりました去年の首脳会談後のお話でございますが、これは、発表のしかたは、記者ブリーフィングの形でございます。記者会見ではございません。記者会見をいたしたのは、
総理大臣
でございます。 したがって、昨年八月、総理
訪米
の際の会談
内容
は、
陛下
の御
訪米
をいつかは実現することにしたいという、希望しておるという点で、
日米双方
の考えが共通であったということであると私は思います。
共同声明
で明らかにされておる以外に、具体的な了解事項というようなものは、全然ございません。
大出俊
28
○大出
委員
続いて、申しましょう。経過がここに述べられている。昨年、八月一日に行なわれた日米首悩会談二日目、この冒頭で、
天皇
御
訪米
、
ニクソン大統領
訪日の話が出た。会談後の記者会見に備えて、いかが発表いたしましょうかと両首脳に直接お
伺い
を立てたところ、
ニクソン大統領
の訪日は、七三年から七四年内に、
天皇
は、七四年中と言ってよいという了解を得た、これは
安川
大使が海の
向こう
で言っておるんですよ。 きのう二十一日に、
安川
大使が
アメリカ
で記者会見をいたしております。知らないなどと言われてみても、訓告が戒告か知りませんけれ
ども
、処分をしたばかりの大使自身じゃないですか。一人や二人の人の話じゃない。
大河原良雄
29
○大河原(良)
政府
委員
事実
関係
につきまして、私から御答弁さしていただきます。 ワシントンにおきます日米首悩会談は、七月三十一日に第一日が行なわれたわけでございますが、七月三十一日の第一日の会談の
あと
で、その会談に同席いたしました
安川
大使が、記者団に対しまして、ブリーフィングを行なっております。そのブリーフィングにおきまして、
安川
大使は、
陛下
の御
訪米
についても、本年中は無理であるが、来年中には実現したいということで双方が合意した、実現したいということであるが、自分の聞いた感じでは、実現するだろうということであるということを、当時申したということが記録に残ってございます。 今回、いろいろな経緯を経まして、二十一日の夕刻、ワシントンで、
安川
大使は、ワシントンの邦人記者団と会見をいたしております。その際、当時の経緯をもう一回
説明
しろ、こういう記者団からの要望がございまして、
安川
大使は、これに対して、当時のことを、記憶に基づきましてあらためて
説明
をいたしているわけであります。その際、記者団から、それでは、日米間の話し合いというのは、合意であるのか希望の表明であるのか、こういう質問が出てまいりました。この点につきまして
安川
大使は、その点は、首脳間の了解となってはいない、正式の合意ではない、しかし、単なる希望の表明よりは若干強いかもしれない、こういう
趣旨
の答弁をしたということを、先刻電話で問い合わせたところが、ワシントンから言ってきております。
大出俊
30
○大出
委員
安川
大使は、記者会見で、日米両国の正式な合意事項かとの質問を受けたが、
共同声明
を見てほしいと答えた記憶がある、しかし、この合意は、単なる希望よりは、もっと強いものであると理解している、この
内容
が、なぜ日米
共同声明
に入らなかったのかということについて、私には、オーソリティーがないので言えない、こういう発表です。 これは、
大平
さん、あなたは知らぬとかなんとか言っているけれ
ども
、単なる希望じゃない、はるかにもっと強いものである。大使みずからが
説明
しているじゃないですか。では、それをなぜ、
共同声明
に載せなかったか、いや、それは、私にはオーソリティーがない、権限がない、しかも、
安川
大使は、両首脳、つまり、
ニクソン大統領
、
田中総理
長どう発表しましょうかという質問をしているじゃないですか。 質問に基づいて回答を得て、発表している、昨年の八月一日に。会談二日目。その両首脳の会談の中身というのは、
日本
を代表する総理じゃないですか、片方は。片方は
アメリカ
を代表する
大統領
じゃないですか。その間で希望よりもっと強い了解ができている。それを、形式的に了解事項にする甘しないは別な問題です、そんなことは。 常に、あなた方はおっしゃるじゃないですか、両国首脳の信頼
関係
だと言うじゃないですか。希望どころじゃない強いもの、そこまでの話し合いができていて、扱いとして、
共同声明
にそこまで具体的に載せなかっただけじゃないですか。だから、あなたも同席した
安川
大使のいるところで、
共同声明
には、年内年内と言っている、問題はここなんだ。 あなた方は、昨年の八月に年内を了解し合っている。冗談じゃないですよ。そういう秘密
外交
ばかりやっているから、こういうことになる。だから、次から次からぼろが出る。
宮内庁長官
、さっき何と答えた。時期について話し合ったことは、一ぺんもないと言ったじゃないですか。将来、小
委員会
でもつくって検討すべき問題だと言ったじゃないですか。 宮内庁はそっちのけで、
ニクソン大統領
と
田中総理
との間で、希望どころじゃない、強い了解ができ上がっちゃっている、去年の八月に。これをもって
政治
的といわなければ何が
政治
的なんだ。
政治
的に利用されたことはないとかなんとか言っているが、あなたは、一ぺんも時期を相談したことはないと言ったでしょう、
宇佐美
長官は。あなたがその真相を知っていれば、新聞に出ているように、
外務省
にまかしておけぬという気になるかもしれぬ、あたりまえだ、そんなことは。こんなばかげたことで納得できませんよ。だから、念を押した。 憲法第一条に何と書いてある。
国民
統合の象徴である
天皇
という地位。私
ども
は新憲法を守っている。守ろうという
立場
をきめている。
国内
にはたくさんの意見の
人たち
がいる。だから、かりにでも
政治
的と受け取られるようなことをしてほしくない。現行憲法のたてまえ上、こう考えているのです、率直に。 こんなばかげたことを、あなた許せますか。それじゃ、一字一句間違わずに取ってください、
安川発言
というのを。それまでは審議できない。
大平正芳
31
○
大平国務大臣
安川
君の首脳会談後のブリーフィングについての御質問でございますが、両国首脳が責任をもちまして発表いたしましたのは、
共同声明
にうたわれたとおりでございまして、両方とも希望が表明されておるわけでございます。その希望というものは、希望以上のものなのか、単なる希望なのか、つまり、ニュアンスにかかる問題でございます。 首脳会談の
あと
、
総理大臣
が記者会見をされております場合、よくよくの事情のない限り、来年度中には実現したいという希望が述べられておるところから見ましても、この希望というのは相当強い、単なる希望の表明というよりは、
安川
君がおっしゃるように、積極性を加味した希望の表明であるというニュアンスを持ったものだというように考えるわけでございますが、大出さんの、これは、私
ども
日本側
の当事者が
アメリカ
の首脳との間で
政治
的にもくろんだ、
陛下
の
政治
的利用の
一つ
の手段として、そういう下心をもっていたしたというようなことでは、決してないのでありまして、そのように御
解釈
いただくことのないように切にお願いをしたいわけでございます。 〔
委員長
退席、小宮山
委員長
代理着席〕
政府
といたしまして、両
陛下
の御
訪米
というようなことに対しましては、先ほど
宮内庁長官
からも、お話がありましたように、これは、きわめて慎重にいたさなければならない、非常に神経質にまで注意いたさなければならぬ課題だと考えておるわけでございまして、その点は、われわれの微衷をおくみ取りいただきたいと思うのでございまして、その間、
政治
的な意図をもちまして何かの了解をそこで遂げておいて、
共同声明
においては、こういう表現にして、それと別な了解が別に秘密にあるという、そういう性質のものでは全然ございませんことを御了解いただきたいと思います。
大出俊
32
○大出
委員
それじゃ
一体
これは何なんですか。きのうの
安川
氏の記者会見、この中でもはっきり、単なる希望じゃない、もっと強いものだ。単なる希望でない、もっと強いもの
——
両国の首脳の話ですよ、これは。両国の首脳が、単なる希望ではない強いもの。そこまでのことになれば
——
去年のことです。
天皇
の
訪米
は来年、希望ではない、もっと強い、そういう了解ができている。 そうだとすれば、あなたは、
一体
、きのうの外務
委員会
で何を言っているのですか。白紙かという質問に対して、時期を含めて白紙だと言う。なぜ率直に、去年の八月一日に
田中総理
、
ニクソン大統領
の両方の間で、来年、つまり本年じゅうに
天皇
の
訪米
をと
——
単なる希望じゃない、より強い形で了解ができている。だから、全く白紙じゃない。時期的には、そういうことがあったと、なぜ、あなたははっきり言わないのですか。ただ、両国の都合云々ということを、ここらのところもあるから、慎重にとかなんとか、なぜ言わないのだ、あなたは。だから、こういうことが起こる。あなた方は、これが前提になっているから、
向こう
から話が出る。 そこで、承りたいんだが、あなたが、
キッシンジャー
氏に会って、どっちからこの話の口を切ったんですか、この問題は。いずれにしても、これは、あなたが、この了解がある限りは、記者発表にあらわれたこういう結果が出てくるのはしかたがない、あたりまえだ、だが、考えてみれば、
政治
的にたいへんだということになって、どたばた劇じゃないですか、ころころ変わって。
アメリカ
側の出方を見てごらんなさい。いきなり翌日、十三日は
日本側
と同じだ、
天皇
の
訪米
というのは年内こうなっている、歓迎する、ちゃんと答えているじゃありませんか、新聞紙上によれば。
アメリカ
側は、そういう発表をしているじゃないですか、歓迎する。そして翌日になって、これは、
アメリカ
の国務省の午後の定例記者会見だが、
大平
・
キッシンジャー
会談で、
キッシンジャー
長官は、
天皇
がことしじゅうに
訪米
されるよう、あらためて招待したと言い直したじゃないですか。 おそらく、あなた方は了解工作をやったのでしょう、この発表の結果に従って手直しをする。そうしておいて、さらに、その
あと
で、もう一ぺん
アメリカ
側は、十五日、米国務省ベスト報道官が、記者会見で、
天皇
御
訪米
は、ことしじゅうと合意したと発表したのは間違いであった。念が入り過ぎているじゃないですか。全くどたばた劇じゃないですか。 昨年、八月一日に、希望より強い形で了解ができている。それが前提になっているから、
あと
の記者発表になる。
あと
で考えてみれば、これはえらいことになった。国会も開かれている、選挙もある、大騒ぎになったら困る、ウォーターゲート事件で
ニクソン
ますます追い詰められている。宮内庁の意向も、おそらく
反対
だろうというようになったんじゃないですか。あわ食ったようにあなたは取り消す。一生懸命やったでしょう、今度は。 大体、そういうこと自体が
政治
的な利用なんだ。憲法の
趣旨
に反するんですよ、これは明確に。なぜ、そういういいかげんなことをするんですか。なぜ、八月一日のいきさつというものを明らかにしないんですか、あなたから。あなたは、
外務大臣
じゃありませんか。なぜ、白紙だなんて言っているんですか。明確にしてください。
大平正芳
33
○
大平国務大臣
だから、いま正直に申し上げておるわけです。
日米双方
の希望を表明したのが
共同声明
であった、その希望というのは、単なる希望としては強いニュアンスを持ったものであったというのが、
安川
君の記者ブリーフィングであった、それに先立つ
総理大臣
の記者会見におきましては、よくよくの事情のない限り、来年中は実現したいという願望を述べておるわけでございます。 したがって、いま希望の域をまだ出ていないわけでございますので、
政府
部内におきまして、この問題につきまして、宮内当局はもとよりでございますが、十分検討を遂げて、所要の手続を経まして、具体的決定を見るまでは、本件は白紙であるというのが、私の
立場
から見て、正しいありのままの
状態
でありますので、その点は、御了解をいただきたいと思います。
大出俊
34
○大出
委員
念のために、
宮内庁長官
に承りたいのですが、あなたは、先ほど時期の問題については、将来小
委員会
云々ということで、何も時期については、話し合ったことがない、こういう
趣旨
の確認を求めましたら、御
発言
がございまして、昨年の八月一日に希望というんじゃない、より強い形の日米両首脳における了解ができている。これは前提がはっきりしているじゃありませんか。あなたのほうは、そこのところは、どうなっているんですか。
宇佐美毅
35
○
宇佐美説明員
ただいまの仰せになりましたいきさつは、私
ども
は、よく伺っておりません。 それで、そう言っては、おかしゅうございますが、昨年、十月に
おいで
いただけぬかというのを考えますと、昨年は七三年で四年じゃございません。ですから、その当時のは、相互の願望であったんじゃないかと私は思います。
大出俊
36
○大出
委員
外務大臣
、これは
外務省
ベースで、これは、私、新聞の記事で
外務省
にまかしておけぬと言ったか言わないかというようなことを、きのう瓜生さんには聞いてありますから、
宇佐美
長官に再確認を求める気はありません。ありませんが、私が憲法を冒頭に申し上げたようなことで、商売
関係
でいろいろなことに利用されることまで、実は宮内庁としては気をつけておられる、さっき言ったように。そこまで新憲法下の
天皇
のお
立場
というものを考えて、進めてこられた
宇佐美
さんの
立場
がある。 だとすると、
外交
ベースで話し合われたことであっても、よしんばこれを表に出す、発表するという場面は、外相が帰られて、やはり宮内庁と十分相談をし、打ち合わせをされて、宮内庁なら宮内庁というところで、
天皇
の御意思も確かめて
——
さっきお話があったように、一々、
情勢
が許せばということをつけ加えて
天皇
は言っておる。ここまで
天皇
御自身も気をつかっておられることになる。常々、諸種の事情が許せばというふうにつけ加えておられる。それならば、なぜ
一体
、帰ってきて十分話し合って、宮内庁の長官おられるんだから、そちらのペースでものを言わないんですか。それが正しいんじゃないですか。知らないなんてなことにしておいてどうするんですか、去年八月一日の件を。御存じないじゃないですか。
政府
の
解釈
は、公的行為と言う。国事行為がある、私的行為がある、まん中に公的行為がある、こう言う、答弁によれば。その第一次の責任はだれが負うのですか。これは答弁を求めますが、
宮内庁長官
のはずだ。第一義的な責任は
宮内庁長官
のはずだ。第二義的な責任はだれが負う。総理府総務長官のはずだ、
政府
の答弁なら、最終責任はだれが負うかといったら、
内閣
なんです。そうでしょう。なれば、なぜ
一体
、直接責任を負わなければならぬ宮内庁の長官と、そこらの意思の疎通がはかられていないなんというばかなことにしておくのですか。それならば、やはり宮内庁の側からすれば、まかしておけぬという気持ちがふっと出てくる、これはあたりまえです。 ここが、実は新憲法の
国民
統合の象徴としての
天皇
の地位のポイントなんだ。あなた方は、そんな疎遠にしておいて、かってに行って、
宮内庁長官
の知らぬところで、八月一日に両首脳間で単なる希望以上の了解を取りつけあって、そのことを話していないとは何だ。話していない限りは、事前に相談もないはずじゃないですか。かってにあなた方のペースできめたんじゃないですか。しかも、共同コミュニケにうたうとは何だ。明らかに
外交
上の
政治
舞台の取りきめですよ、
共同声明
というものは。全く
政治
そのものの取りきめですよ。そこに憲法四条があるのに、
天皇
の問題をのせるとは何だ。 瓜生次長は、きのう、そのことについて、間接的に私もその点については不賛成だということをはっきり言っておられる。しかも、その背景を相談もしてないとは何ですか。そのこと自身が、あなた方
——
私は、田中
内閣
始まって以来、どうも
天皇
を利用するという方向に動く感じが見えてならない。
天皇
の園遊会で、越山会のワクを特認で認めてどんどん出している。総理も総理だ、ほんとうに。総理自身で八月時点できめているのなら、なぜ
宇佐美
さんに言わないのですか。増原事件のときだって、そうじゃないですか。ことごとにそうじゃないですか。去年の
訪米
のときだって、通商問題のこじれがあった。この時期に出そうとする。だから、国会の中で問題が起こるのです、これは。これは、宮内庁の側では耐えられぬことです。
外務大臣
、あなた、去年の
共同声明
のときだって担当者でしょう、
外務大臣
なんだから。大体、いまのところ、あなた全く知らないとは、これは何事ですか。なぜ、そういうことをするのですか。
理由
を明快にしてください。
大平正芳
37
○
大平国務大臣
御
訪米
問題は、仰せのように、最も慎重にやらなければならぬことと私も心得ておるわけでございます。したがって、第一義的に、皇室の御心配をいただいておる
宮内庁長官
をはじめ宮内庁とは、随時、周密な連絡を保ってやらなければならぬことでございまして、私
ども
といたしましては、それについて十分留意をいたしておるつもりでございます。
外務省
が独走いたしまして、こういう重大な問題につきまして、
外交
的思惑をもちまして事を処理しようなんということは、みじんも考えてきたこともございませんし、今後もこういうことをいたすつもりは毛頭ございません。
大出俊
38
○大出
委員
時間が来たようでございますから、まとめてものを言いますが、
天皇
の国事行為ということばがよく出てまいります。私は、憲法にそういう表現はないのでありますから、そのことを否定をいたします。開院式に
おいで
になる云々ということは、旧来からの慣行として
国民
が認めていることである。それは、それでよろしい。植樹祭なりあるいは国体などに
お出かけ
になることも、これはよろしい。 だが問題は、これは
宇佐美
さんに御答弁いただきたいのでありますが、開院式の問題をとらえたって、閣議できめているのは、お話しになるおことばの中身をきめている。妙な話であります、これは。中身だけ閣議決定する。そんなばかな話はない。
おいで
になるそのことについては、何も閣議は取り扱わない。いつもお読みになるあの中身については、閣議がおきめになる、こういうやり方であります。植樹祭や国体、これは閣議決定なし、長官の全くの責任のはずでありますが、そうかどうかお答えいただきたい。 それから、一昨年ですか、先回のヨーロッパ訪問、あのときには、閣議でおきめになっている。閣議できめておれば、直接
内閣
の責任ということがいえるかもしらぬ。きめていなければ、宮内庁が直接責任を全部負わざるを得ない。だから、国体だとかあるいは植樹祭だとかいうところに
お出かけ
になることを宮内庁が応諾なされば、これが国事行為だとおっしゃるなら、私的行為でないとおっしゃるなら、あくまでもこれは宮内庁の責任でおやりになることになる。事は重大であります。閣議は何もきめない、そうでしょう。そういう形に今日なっているのが、はたして正しいのかどうか。 世の中の学者の中にも、たくさん意見がありまして、公的行為をお認めになる学者、これは少数意見のように思いますけれ
ども
、その学者の方々でも、
一つ
の
範囲
というものは、ぴしっとしておかなければと言う。公的行為のワクが広がっていったら、国事行為に入っていってしまう。どこに
一体
その限界があるのか。早い話が、公的行為で
訪米
をされても、そのことが
政治
的に利用された
——
あなたは、利用する意思はごうもないと言ったって、それなら
向こう
側はなぜ急ぐのだ。それならば、今年中に
ニクソン
氏が
日本
に来る、
天皇
が
アメリカ
に行く、こうなった場合に、
ニクソン大統領
の
立場
からすれば、幾ら責められたって私はやめませんぞということを表に出すことになるじゃないですか。
政治
的な行為につながるじゃないですか。そういう意図があるのかもしらぬ、
アメリカ
の側には。そんなことだったらたいへんですよ、
日本
の
立場
からすれば。 したがって、公的行為の歯どめ、制限というものは、ぴしっとしなければならぬという学者の意見がたくさんある。そういう時期だけに、この問題は、慎重に、かつ
国民
全体の統合の象徴としての
天皇
の
立場
というものをお考えいただいて処理に当たらなければならぬ問題ですよ。 だから、こういう区々に、適当なことになっているというのは、これは
一体
どういうわけかということ、一次責任、二次責任、三次責任というのは
一体
どうなるか、公的行為というならば。私は、公的行為を認めたくないけれ
ども
、そこらのところは、まず宮内庁で明確にしてください。その上で、全く相談もなさぬというこの
内閣
のあり方というものは改めてください。
宇佐美毅
39
○
宇佐美説明員
天皇
の象徴としての公的行為ということがあるということは、われわれも法制局においても学者の中にも認めているところであろうと思います。ただいま仰せのとおりでございます。 これは宮内庁で申しますと、宮内庁法によりまして、皇室に関する国家事務を扱うという意見において、公的な御行動について判断をいたしているわけでございます。ですから、いま、おっしゃいましたとおりに、いろいろな、毎年ございます植樹祭とか国体とか、こういうものは、例年のようなことでございまして、それは一々申し上げておりませんけれ
ども
、しかし、たとえばオリンピックがございましたときに、オリンピック憲章によりますと、
陛下
がヘッド・オブ・ザ・ステートという意味でお出まし願いたいということでしたから、これに対しましては、私は、そういう表現だけでは、
日本
では問題があるだろう、オリンピック
委員会
で
天皇
にお願いするということがきまれば考えましょうと言って、
委員会
はその決議をしたわけです。しかも、なお、これは
内閣
の閣議において取り扱っていただいたくらいに慎重に扱ったわけでございます。ですから、事柄によりまして非常に慎重にいたしますし、いま仰せになりましたように、ヨーロッパのときも、事前の準備をしなければなかなか閣議には出せません、実際問題。ですから、ある程度は、
内閣
と
外務省
とかと内々相談いたしまして、準備をして、いいということになりましてから閣議にかけるわけでございます。 ですから、今度の場合におきましても、そういった将来の
一つ
の心がまえとして、いつの日か
おいで
になるということにいたしたわけで、これを正式に決定するには、閣議をまたなければならぬということは、はっきりしておると思います。
外務大臣
の御答弁も、おそらくそういうことであろうと私は思っております。したがって、それでは閣議に決定を
——
これは助言と承認を求めるということにはなりません。助言と承認というのは、申すまでもなく、国事行為に関する問題だろうと私は思っております。ですから、閣議にかけることは、重要なる宮内庁の事務、それから
外務省
においても事務でございまして、
外国
に
おいで
になりました例は、
一つ
しかございませんけれ
ども
、
外務省
との共同請議というような形になって、閣議決定を求めているということでございます。 ですから、そういう大きな問題を、予想してこれを書き出すということは、なかなかむずかしい問題で、私
ども
といたしましては、通常、恒例のものに属する問題は、宮内庁で処理をいたします。それから
政治
的に、あるいはいろいろな宗教上の問題が起こる場合もございますし、相当むずかしい問題があれば、
内閣
のほうと相談したり、あるいは正式に閣議に持っていくというような心がまえでおるわけでございまして、仰せのとおり、何か列挙できれば、はっきりいたしますけれ
ども
、事柄がいろいろ起こってまいりますと、そういうわけにもまいりません。われわれとしては、そういう点を非常に注意して判断をしてまいりたいと考えておるわけでございます。
大出俊
40
○大出
委員
大平
さん、
宮内庁長官
は、昨年の八月一日の件は、御存じないとおっしゃる。まことにもって私はこれは不満です。これでは
政治
ペースでものごとが進められていく。明らかな
政治
利用になってしまう。これは重大な問題だと思います。しかし、時間がありませんから、あらためたところで申し上げますが、これは重大問題だということを、はっきり申し上げておきます。 そうして、都合のいい時期にという時期判断について、瓜生次長は、昨日、私に、ウォーターゲート事件とかいろいろある、このことは、
一体
、都合が悪いのかいいのかという点でいろいろ御質問を申し上げましたら、間接的な表現ではございますが、好ましくないという意味の表現をされておりました。きのうの夕刊に一部載っておりますが、私はこういう時期は、いずれにしても、お選びになるべきではない、こう考えておるわけでございます。 そこらのところは、都合のいい時期という中で、双方の
国内
事情もございましょうが、あまり都合のいい時期でないことは
——
私は、もう都合が悪過ぎる、こう思っておりますけれ
ども
、そこらのところ、念のために、
宇佐美
さんと大臣に、どうお考えになるか、承っておきたいと思います。
大平正芳
41
○
大平国務大臣
本件につきましては、まだ
政府
部内で相談に入っておりませんが、今後、相談いたす場合におきましても、諸般の事情を慎重に配慮の上、事を運びたいと考えております。
宇佐美毅
42
○
宇佐美説明員
諸種の事情ということは、こういう複雑な
時代
になかなかむずかしゅうございますし、
外国
のいろいろな諸問題を、私が批評するということは、こういう場合で適当でございませんが、内外の諸
情勢
を考え、また
陛下
の御健康も考え、いろいろな点を考えて、いずれまた、
外務省
のほう、あるいは
内閣
のほうとも御相談をしなければならぬというふうに考えております。
大出俊
43
○大出
委員
時間がありませんから、これで……。
小宮山重四郎
44
○小宮山
委員長
代理
東中
君。
東中光雄
45
○
東中
委員
時間がありませんので、端的にお
伺い
したいのですが、昨年の四月十二日に当
委員会
で、
宮内庁長官
おられなかったので、かわりに次長が見えて、
天皇
の
訪米
問題についての質問を私やりました。それについて、瓜生次長が答えられたのは、「将来適当な時期には、
天皇陛下
が
アメリカ
を御訪問になることはけっこうなことだろうというふうに考えておりますけれ
ども
、その適当な時期ということについては慎重に検討したいということでございます。」、こう言っておられるのですが、この答弁、そういう考え方というのは、その後変わったのか変わっていないのか、段階が新たな段階に入ったというのか、宮内庁の考え方をお聞きしたい。
宇佐美毅
46
○
宇佐美説明員
次長の申し上げましたことが、どういうことばづかいであったか、いまおっしゃるとおりだろうとは思いますけれ
ども
、とにかく
陛下
が
アメリカ
に
おいで
になることに、私
ども
は、考え方として
反対
ございません、正直申し上げまして。しかし、これは
政府
と今後の相談によって、だんだんはっきりすることでございますし、その場合に、いろいろな点を考慮しなければならぬということは、いま申し上げましたとおりでございます。
東中光雄
47
○
東中
委員
五十数年前から、
天皇
は
アメリカ
へ行ってみたいということを、意思表示されておったというふうな
発言
も、ほかの
委員会
で長官言われているように聞いておるのですが、
天皇
が個人的に、どこへ旅行に行きたいという気持ちを持っておられるのは、これは全く個人的な、私的なことであります。五十数年前から、象徴
天皇
として公式に、公的行為として
アメリカ
へ行きたいというふうに
天皇
が思っておった、あるいはそういう意思を表明されておったということでないことも、これまた事実です。その当時、象徴
天皇
なんというようなことは、だれも考えていやせぬのですから。だから、まさに個人的な
天皇
の旅行についての意思、それを果たされることは、けっこうなことだ。この次元の話なら、
宮内庁長官
の言われるとおりでいいと思うのです。 しかし問題は、そうじゃなくて、
日本
国の象徴としての公式行為だということになれば、そういう行為は、できるのかできないのかということが問題になっているわけですから、象徴
天皇
の公式行為として行くのだ、あるいは行きたいのだということを
天皇
が意思表明をされておるのかいないのか、その点はいかがでしょう。
宇佐美毅
48
○
宇佐美説明員
それは、先ほ
ども
申し上げましたとおりに、五十年前というのは、
陛下
がまだ
天皇
でもいらっしゃらない。皇太子の
時代
でいらっしゃる。ですから、それを、この間も、ほかのときに申し上げたのでございますが、この三、四年の間、もう少し前からか、新聞社の連中がしばしば伺って、一応個人的に、そして諸種の事情が許せば行ってみたいと常におっしゃっている。しかし、そのことと今回のお出ましの
関係
は、何らくっつけて考えているわけではございません。そういうわけでございます。
東中光雄
49
○
東中
委員
それは、別のことだということは、これは、もう当然だと思うのです。 それでは、公式の
日本
国の象徴として公式訪問をするということについて、宮内庁として、訪問する、あるいは訪問してよいというふうな意思表明を
アメリカ
に対してされた、あるいはそういう意思決定をされたことがあるのかないのか、いかがでしょう。
宇佐美毅
50
○
宇佐美説明員
これは、先ほど来、いろいろ過去の
アメリカ
との
関係
のお話が出ておりますが、その間に、
陛下
のお考えというものも
——
全然経過を申し上げないわけにいかないと思います。申し上げておりますときに、そういうわけで、そういうことがほんとうに可能であれば、そういうことで、先ほ
ども
申しましたように、
おいで
になること自体も、もっと研究をするという
状態
にあるわけでございます。おっしゃるとおり、公式に天下に発表するというような形のやり方ではいたしておりません。
東中光雄
51
○
東中
委員
私的旅行の話は、この際、混同させないために、はっきりのけて、
天皇
として
大統領
の公式の招待、昨年の
共同声明
の招待というのは、公式の招待になると思うのですが、それに対して、
天皇
あるいは宮内庁として、それに行くというふうに言われておることは、時期の問題だけが残っておるというのじゃなくて、行くこと自体についても、別に何の意思表明もされていない、こういうことはいえるわけですね。
宇佐美毅
52
○
宇佐美説明員
それは、いま申し上げましたとおりに、
外務省
等のお話し合いにおいて、そういうことが行なわれるならば、宮内庁としては、別段差しつかえないと思うということを申し上げてあるわけであります。
東中光雄
53
○
東中
委員
そうすると、結局は、
外務省
の交渉できめるということであって、宮内庁としては、きまれば行くし、いま行くことをきめたわけでもないし、行く方針を意思決定をしているわけでもない、招待に対して受諾をしたわけでもない、こういう
関係
である。そういう意味では、行く時期も、行くことも含めて、まだ何も決定もされていないし、いわんや相手方に対して、何の意思表示もしていない、こういうことになるわけですね。
宇佐美毅
54
○
宇佐美説明員
それは、先ほど
外務大臣
が仰せになりましたように、
アメリカ
側と相互に訪問することについて、できればという希望を述べておられます。その希望を述べられるにあたって、やはり
天皇陛下
にそういうことになっても支障がないということになっておるところでございまして、これを要するに、まだこれから検討しまして、具体的になり、閣議決定になって、初めてその意思が確定したというふうに言わざるを得ないと思います。
東中光雄
55
○
東中
委員
結局は、そういう意味では、宮内庁として、行くことはきまっているけれ
ども
、時期だけが残っているのだ、白紙なのは、時期だけだというふうに言われていたけれ
ども
、行くこと自体についても、何も宮内庁内部できまっているわけでもなければ、いわんや
アメリカ
側に承諾するような意思表示をされていることはないということになるわけでしょう。
宇佐美毅
56
○
宇佐美説明員
いま申しましたとおり、そういうふうに進んでも、私のほうは異議がないということは、
外務省
に申し上げております。
東中光雄
57
○
東中
委員
それで、
大平外務大臣
にお聞きしたいのですが、昨年の
共同声明
で「
大統領
夫妻の訪日に対する
日本
政府
よりの招待を伝達した。」、この
大統領
夫妻の訪日招待は、これは首脳会談でそういう声明を出されておるわけですから、どこの国のどの
大統領
も片っ端から招待していくというわけじゃありませんので、どういうことでこの招待をされることになって、この間、あらためてその意思を再確認されることになったのか。目的なり
政治
的意味なり、そういう
立場
を、
外務省
、田中
内閣
の考え方をお聞きしたいと思います。
大平正芳
58
○
大平国務大臣
わが国
といたしましては、その国の信条、体制いかんにかかわらず、
友好親善
関係
を増進していきたいということをベースにいたしまして、
外交
を展開いたしております。 なかんずく、
アメリカ
合衆国は、御案内のように、最も濃密な
関係
にある友好国でございますので、
アメリカ
合衆国の
大統領
が、訪日の機会を持っていないということは、むしろ不自然でさえあると考えておるわけでございまして、日米の
関係
の現状と将来を考えて、御招待を申し上げるのは、当然の道行きであると考えております。
東中光雄
59
○
東中
委員
結局、
大統領
の招待というのは、
友好親善
外交
の
外交
の
基本
的な方針に従って、親密な友好
関係
にある
アメリカ
の元首を、まだ
日本
に一回も来ていないのだから招待する。これは
外交
の
基本
方針に基づいた、田中
内閣
、自民党
内閣
の
基本
方針に基づいて友好
関係
を一そう深めていくという、やっぱり
外交
施策として招待されていることになるわけですね。そうでございますか。
大平正芳
60
○
大平国務大臣
友好
関係
にある国の元首をお招きするというのは、きわめて当然なことと考えておりまして、特定の目的をもって、つまり、
外交
上特別の目的をもって、特にしつらえた
外交
施策というように手の込んだものではございません。
東中光雄
61
○
東中
委員
それは、当然のことなんで、会談をやろうと言っているわけじゃない、招待ですから。しかし、大きな
外交
政策としてやっておられるので、未承認国だったら、そういう
外交関係
の中でそういう招待をするということは、これはないわけですから、友好
関係
が緊密でない、あるいはまだ承認できないという
状態
であれば、そうなる。それはやっぱり
政治
的な、
外交
的な方針に基づいてやっておられることになる。
天皇
の
ニクソン大統領
からの
訪米
の招待というのも、やっぱり同じ意味なんです。個人的に遊びに行きたい、
アメリカ
を一回見てみたいということで行かれるのだったら、これは先ほど言うように、全然別のことです。象徴
天皇
として、そして公式に招待するということになれば、これは明らかに
外交
ペースに乗ってやられている。だからこそ、
外交
ペースで現に話をされているわけであります。こういうのは、
宮内庁長官
が先ほど言われているような、五十数年前から行きたいと言われておったというようなのとは全く別の、
天皇
のそういう個人的な旅行、訪問先についての希望というものとは別の、
政治
次元での問題にこれは当然なるわけです。 そういう意味で、これは
政治
的に利用されておる。特に、いまの
ニクソン
の置かれておる
アメリカ
国内
における
状態
あるいは日米間の
状態
、そういう
政治
的
情勢
を判断してきめなければいけないということ自体が、これは、きわめて
政治
的なことではないか。それに、
天皇
が
訪米
されるということになければ、それはそういう
政治
的な行為に参加するということになると思うのですが、その点どうお考えでしょうか。大臣、長官から……。
大平正芳
62
○
大平国務大臣
いま申し上げましたように、日米間の友好
関係
の現在並びに将来を考えまして、私
ども
基本
的に両
陛下
の御
訪米
を希望いたしております。しかしながら、仰せのように、
陛下
は国の象徴であり、
国民
統合の象徴であられますけれ
ども
、権力を掌握されたお
立場
にございません。
大統領
は権力の中心に
存在
されておられる方でございます。したがいまして、私
ども
として非常に注意しておりますのは、相互訪問という表現でございまして、そういう意味での相互訪問ということばは避けておるわけでございます。
陛下
の御
訪米
につきましては、
国民
の祝福を受けて、そして慎重に事を運ばなければならないと考えておるわけでございますし、また
アメリカ
におかれましても、現在、
陛下
が国の象徴としてのお
立場
にあられて、
政治
権力の外にある、政争の外にあられるお方であるということにつきましては、十分
認識
を持っておられることと私は確信いたします。
東中光雄
63
○
東中
委員
天皇
が公的行為として行くという場合は、
天皇
も公務員の
立場
で行かれるわけですね。いわゆる普通に言っている公務員と、ちょっと感じは違いますけれ
ども
、憲法上きめられておる特別の公務員ですね。特別の公務員として公式行為をやるということについては、公務員にそういうことをやる権限があるのかないのかということが当然問題になるのであります。憲法上の規定にはないということが
一つ
。 それから同時に、公務員としての
天皇
が
アメリカ
を訪問することを決定するのは、それではどこが決定するのか。先ほど閣議によって決定すると言われましたけれ
ども
、そうすると、
天皇
はその決定に従って今度は行かなければいけないことになるが、意思に反する決定はしないかもしれません。それは、どの公務員の出張の場合だって同じことです。 それから、そういう形で
政府
が閣議決定で特定の国との、いまの場合は、
アメリカ
との
関係
での
政治
的条件を判断し、そして
大統領
の訪日招待との関連で
——
共同声明
自体だって関連で出ているわけです。相互訪問という、文字どおり一緒であるかないかということになれば、
向こう
は
大統領
であって、こっちは
天皇
だから、それは違うことはわかっていますが、しかし、その両方が一緒に出されてきているということも明瞭な事実ですから、そういう点で、これは明らかに、どう言われようと個人的な
天皇
の旅行でない、閣議で決定をして
外交
レベルで交渉をして、そしてものを運んでいくということになれば、これは、そのときの
政府
自身が、
天皇
にどういうことをやるようにということをきめることになるわけですから、これは
政治
的
立場
できめて、
天皇
を使うことになる、論理的には当然そうだと思うのです。 いま
大統領
と
天皇
と違うというようなことを大臣言われた。権限が違うのは、これはわかり切っていることです。しかも、その上に立ってそういう形で出されているというところに問題があるわけです。閣議決定があれば、公式訪問ということになれば、
天皇
は憲法上の特別の公務員として行く、閣議決定に従って行く。これは美濃部さんの
天皇
機関説じゃありませんけれ
ども
、感情とかニュアンスとかというものをのけて客観的に見れば、そういうことになりますね。そういう特別公務員としての行動を、閣議で
天皇
にきめる、意思を尊重するにしても、きめるということがもし許されるとすれば、それはまさに
政府
が思うように使えるということになります。どこまでいくのかということになれば、歯どめは何もなくなる、私は、そういうふうに思うわけですが、そういう点についてのお考えを
宮内庁長官
にお聞きしたい。
宇佐美毅
64
○
宇佐美説明員
戦後、各国から国王なり
大統領
がたくさん見えました。公式に見えておりますが、この場合は、
日本
国におきましては、
政府
が御招待をするという形になっておりまして、見えれば
天皇
もそれを御接待になる。いわゆる
政治
的に触れない
一つ
の、何といいますか、歓待のことをなさる。ですから、あるいは飛行場で歓迎のことをにぎわしくやるとか、晩さん会を開くというようなことでございます。たとえば
大統領
が、それ以外に、今度は
政府
と何かおやりになりましても、宮内庁の
関係
したことではございません。 その
反対
の場合もあるわけで、たとえばベルギーの国王がお二方で、かつて国賓で見えました。これは実際に、いわゆる親善一本やりでございまして、そういった
政治
的な意味というものは何も含みません。一昨々年ベルギーに
おいで
になりましても、あちらでもそういう扱いをされた。ですから、そういう
関係
で、それぞれの
立場
というものは、お招きする以上はわかるわけであります。 ですから、
アメリカ
の
大統領
は、なるほど
政治家
的でおられると私も思いますけれ
ども
、
陛下
がいらっしゃいました扱い方というのは、やはり親善一本やりにとどまると思いますし、
大統領
が見えましても、
陛下
のなさることは、そういう
範囲
にとどまると思います。それ以外に
政治
的な動きがあっても、
陛下
は何ら御
関係
にならないはずでございます。これは、いままで幾多の例があるわけで、みなそういう扱いでございます。 ただ、最終的には、いろいろな問題がございまして、やはり
政府
としても、
陛下
の
おいで
になることについて、そういった
政治
的なことのないように考えていただくというのは、もちろんでありますし、そのほか、
おいで
になりましても、経費の問題も出てまいります。
政府
として
関係
していただかなければならぬことがたくさんあると私は思います。しかし、
おいで
になるかならぬかというときに、
政府
が
陛下
に青も申し上げないで、いきなりきめてしまうということは、私は、あり得ないと信じております。それでございますから、それは手続上の問題としてお考えいただいていいんじゃないか、かように考えます。
東中光雄
65
○
東中
委員
時間が来ましたので終わりますけれ
ども
、この前の欧州訪問のときは、当時の福田
外務大臣
は、宮廷
外交
は非常にいいというふうな
発言
をされたこともあります。そうして現実に、たとえばイギリスでは、ああいう
政治
的な問題が起こりましたね。
反対
運動が出たり、デモが出たりという形になった。まさに、それは
政治
的行為なんですよ。どう言われようと、現にそういう問題が
——
あらわれなければあらわれないで、それだけに今度は、特定の国との
友好親善
を深くしていくという
外交
路線での
——
他の特定の国とは、そういう方法はとらないということがあるわけですから、そういう
選択
をやっているわけですから、明白に
政治
的行為になる。 宮廷
外交
、これは当時の
外務大臣
自身がそう言われているわけでありますから、そういう性質を持つものだということでありますので、いま行くこと自体についても、また行く時期についても、まだきまっていない、それは希望があった、強い希望であったかもしれませんという段階だけでありますから、これは行くことを含めて再検討を当然されるべきではないか、こう思います。その点を強く要請をして、私の質問を終わりたいと思います。
小宮山重四郎
66
○小宮山
委員長
代理 鈴切康雄君。
鈴切康雄
67
○鈴切
委員
たいへんおそくまで御苦労さまでございます。私も時間的な制限がございますので、端的にお話をお
伺い
しておきたい、このように思うわけであります。 私
ども
公明党は、党是として憲法を順守するという
立場
を貫いております。そういう意味において、憲法に定められた象徴
天皇
という問題につきましても、やはり厳粛に受けとめておると同時に、これが
政治
的な場に利用されるということについては、やはりあってはならない、私はそのように思うわけであります。 ところが、昨今、例の
大平外務大臣
、
安川
駐米大使等の言動は、まさしくそういう意味において配慮に欠けた点が多々あったということは、周知のとおりであります。 そこで、私、御質問申し上げたいわけでありますけれ
ども
、
共同声明
という性質は、どういう性質であるかということを、
外務省
においてはどのように御
認識
なされておりますか。この点について
伺い
たいと思います。
松永信雄
68
○松永
政府
委員
共同声明
は、一般的に申し上げまして、各国間で首脳会談あるいは
外務大臣
会談等が行なわれました場合に、いろいろな意見交換が行なわれます。その結果を集約した、それぞれの会談で見解あるいは希望等が表明された文書でございますが、
法律
的な文書ではございませんので、いわば
政治
的な意味合いを持つ文書であろうと存じます。
鈴切康雄
69
○鈴切
委員
いま
条約
局長
は、
共同声明
の
認識
について、これは各国間の首脳あるいは
外務大臣
等が話し合われたそういう
内容
について、集約的に事をまとめて、そして明らかにしたものである、そういうことからいうならば、非常に
政治
的な要素の深い
内容
である、それは当然な話であります。
政治家
がお互いに各国の問題等を話し合うわけでありますから、それは申すまでもなく、
政治
的な
内容
になることは、あたりまえであります。 ゆえに、昨年の八月の一日のワシントンにおける日米首脳会談の共同コミュニケにつきましても、十八項目にわたってるる述べられておるわけでありますが、その中で、十七項の二点を除いては、全部
政治
的な意図を含んだ問題であります。となりますと、私は、なぜこの
天皇
の
訪米
の問題を、この
共同声明
に盛らなくてはならなかったのかという問題を非常に強く
——
私は、それに対して、
政治
的の場に引きずり込むおそれのある
内容
について、あえて
共同声明
に盛り込んだという意図、この意図について、ちょっと
外務大臣
にお
伺い
したいと思います。
大平正芳
70
○
大平国務大臣
この問題を、
共同声明
から別個の形のものにするか
共同声明
の中に含めるべきか、われわれの間でも考えたわけでございますが、
共同声明
の中に入れて悪いという性質のものではないのではないかという判断で十七項に記録して申し上げたわけでございまして、
共同声明
は、なるほど
条約
局長
が
説明
いたしましたように、
政治
的な案件が多いわけでございますけれ
ども
、それでなければならないという性質のものでも私はないと思うのでございまして、両首脳の間で話し合われた
内容
を正確に記録をいたしまして、公的に発表するという形式でございますので、これに含めて差しつかえなかろうという判断から行なったものでございます。
鈴切康雄
71
○鈴切
委員
私は、その判断に大きな間違いがあったのではないか。少なくとも
政治
的な色彩が濃いこの場所に、
政治
的利用に関しては問題を持ついわゆる
天皇
の
訪米
問題について入れ込んだということが、言うならば、今日の問題をかもし出している、私は、そのように思うわけです。 そこで、先ほど
宮内庁長官
は、このように言われました。訪欧されたときに、
アンカレジ
に
ニクソン大統領
夫妻がおられて、そして公式に
アメリカ
に来られるようにという要請があった、しかし、それは
政治
を離れてお迎えしたい、そういう
内容
、ことに
政治
を離れてお迎えをしたい、そういう
ニクソン大統領
のやはり意図もあったわけであります。 さらに、先ほど
宮内庁長官
から、
天皇
が民間に利用されるということに対しては、私はほんとうに神経を使っているのだ、そしてまた、大きな問題として
天皇
を利用されることに対しても、非常に注意を払っておるのだ、こういう御答弁があったわけであります。 それは、重要な問題であるだけに、慎重でなくてはならないと私は思うわけでありますが、
宮内庁長官
は、この
共同声明
に盛られた、いわゆる
天皇
訪米
の問題についてあなたはどのようにお考えになっておりますか。この
共同声明
に盛られた
内容
について、
宮内庁長官
としてはほんとうに迷惑である、こういう問題は、やはりこういうところに書いていただきたくなかった、そのように正直に思われているのではないかと私は思うのですが、その点の御見解をお
伺い
します。
宇佐美毅
72
○
宇佐美説明員
このたびのこの声明に
外務省
がお書きになったのは、ただいま大臣からお答えがありましたので、それに私がいろいろなことを申し上げるのは、かえっておかしいのでございますが、ただ、先ほどから申しますとおり、この問題を離れても、なるべく
政治
的にとられないような努力をすることは、必要であるというふうに思います。
鈴切康雄
73
○鈴切
委員
私は、いまこの
政治
的な色彩の濃い
共同声明
の中に、
天皇
の
訪米
の問題がクローズアップされ、そして、それがいま大きな問題になっているということを考えたときに、
宮内庁長官
は、やはり
天皇
の側近におられて、一番
天皇
のお心を知っておられるだけに、何も
外務大臣
に迎合する必要はありません。あなたのほんとうのお気持ちというものは、どういうお気持ちであるかということをお聞きします。
宇佐美毅
74
○
宇佐美説明員
この
共同声明
のことについては、私
ども
の
関係
するところではございません。 だから、いま申し上げましたのを、繰り返して申し上げますけれ
ども
、同じことでございますけれ
ども
、
政治
的にとられない、いろいろな点に注意を払いたいというのが、私の念願でございます。それで御了承いただきたいと思います。
鈴切康雄
75
○鈴切
委員
この問題が、配慮が非常に足りなかったがゆえに、こういう大きな問題を次から次へとかもし出しているということは、
政府
のほうで、これをどういうふうに取り扱おうかという時点において、もう一度考えてみる必要があったのではないか、私は、そのように思うわけであります。
天皇
が訪欧されてイギリスに行かれた。イギリスのほうにおいても、たいへんにイギリスの
国民
が歓迎をされた。そのときは、
日本
の
国民
の中においても、確かにその問題について
国民
的な合意ができておりました。私は、そういうふうな観点から考えるならば、やはり
アメリカ
に行かれるにしても、少なくとも相当大きな配慮がなされて、
国民
的な合意を得られながら、親善に行かれるべきではないか、そういう意味において、配慮が少し足りなかったのではないか、そういうふうに結果的に申し上げているわけでありますけれ
ども
、その点について、
大平外務大臣
……。
大平正芳
76
○
大平国務大臣
仰せのとおり、
国民
的合意、
国民
的祝福の中で慎重に運ばなければならぬことでございます。そういう点に配慮が欠けたところがございましたならば、それは、私
ども
の不明のいたすところでございまして、十分戒めて、そういうことのないように配慮してまいらなければならないと思います。
鈴切康雄
77
○鈴切
委員
天皇
の行為については、憲法の中に国事行為ということがはっきり明記されておりますが、国事行為のほかに、私的行為ということも当然考えられるでありましょう。そして学者の中においては、公的行為ということも、論じている学者があります。これは全部の学者が、そうだとは言いませんが、そういう公的行為というものに対しての、言うならば、考えを持っている学者がいることは、よく知っておりますが、一歩譲って公的行為というものを、私
ども
として一応それを取り上げた場合、
内閣
は、
天皇
に対して、どのような行為をして、そして、それに対してどのような責任をとられるというふうにお考えになっておられるか。
松永信雄
78
○松永
政府
委員
御
訪米
の問題は、憲法上の国事行為ではございませんから、
内閣
の助言と承認というものを伴って行なわれるものではございませんが、象徴としての
天皇
のお
立場
における公的な行為であるということから閣議決定が行なわれるということになっております。したがいまして、その決定は、
内閣
の責任において行なわれるということであろうと存じます。
鈴切康雄
79
○鈴切
委員
いま御答弁がありましたように、憲法第七条にいう
内閣
の助言と違うということは、明白でありますけれ
ども
、それでは
天皇
が
訪米
をするときに閣議決定をされる、あるいはイギリスに行かれたときにも閣議決定をされた、その閣議決定をされる問題と、たとえていうならば、国体とか植樹祭とか、そういうときに
天皇
が行かれる場合に閣議決定をされない、これは、どのような違いがありましょうか。
宇佐美毅
80
○
宇佐美説明員
これは、先ほ
ども
ちょっと出まして、申し上げましたのでございますが、象徴としての公的行為というものは、いろいろございまして、先ほ
ども
申し上げましたように、何か基準ではっきりと列記するというようなことは、実際問題として非常にむずかしいと思います。ですから、大体において、普通の行政でもそうでございますが、ある程度のものは、そこの担当のところにおいて処理をするということがございまして、例年のものであるとか、類似のものであるとか、軽微なことであるとかいうような問題については、宮内庁は宮内庁限りでいたしております。 ただ、異例であるとか、きわめて重大であるとかいう問題は、一々
内閣
のほうと相談して、ことに決定を要するものは、閣議決定を求めるという形にいたしているわけで、画然とした規定や内規があるわけではございません。
鈴切康雄
81
○鈴切
委員
国事行為と私的行為というものは、これは案外とはっきりしております。国事行為は、憲法において明確に規定されておりますからわかります。公的行為というものは、先ほど
宮内庁長官
が、この問題については、なかなか判断がしにくい、非常に多種多様にわたる問題であるだけに、慎重でなくてはならないというふうに言われたわけでありますけれ
ども
、この公的行為というものを拡大
解釈
される中に、すべて
政治
的な利用というものもそこに介在をしてくるおそれがある、私は、そのように思うわけであります。 ですから、そういうことを考えたときに、やはり歯どめというものが、そこにおのずと必要だというふうに思うわけでありますが、その点についての歯どめを、どのようにお考えになっておりましょうか。
宇佐美毅
82
○
宇佐美説明員
重要な問題ということについて、何をもって重要と見るかということだろうと思いますけれ
ども
、これは、やはりそれが非常に
政治
的に
関係
するんじゃないかというようなこと、あるいはこれが一種の特殊な宗教等に
関係
はしないかとか、あるいは国際的に何か問題が起こるんじゃないかというような、いろいろな問題があろうと思います。そういうときには、やはり
政府
のほうと連絡をとって、閣議の決定を要するものはするというような措置を従来とっておるわけでございます。
鈴切康雄
83
○鈴切
委員
公的行為に対して、
政治
的な利用という問題がやはり問題になってくるわけでありますが、そういう点について、宮内庁としては、どのような判断をもってこれに対処されておられるのか。やはり判断の基準というものが必要だと思うわけでありますが、そういう点についてお尋ねをいたします。
宇佐美毅
84
○
宇佐美説明員
判断の基準ということでいま申し上げたつもりでございますけれ
ども
……。どういうことを申し上げていいかわかりませんけれ
ども
、そういった
政治
とか宗教とか、特殊な利益
関係
が起こるとか、いろいろな点を具体的に、多くは申請に基づくわけでございますから、そういう場合には、慎重に
調査
をいたしまして、それで
おいで
になるとかならないとかきめているわけでございます。
鈴切康雄
85
○鈴切
委員
外務大臣
、
天皇
の
訪米
については、先ほどからの御答弁からいいますと、時期的においても白紙である、そのように言われているわけですが、いずれ
天皇
が
訪米
をされるということについて、私
ども
も、それが
政治
的な利用でない限りにおいては、心から歓迎するものがあるわけでありますが、そういう意味から考えて、もしも、その時期が決定される場合においては、閣議決定をされるお考えであるか。そして、その時期とかあるいは諸
情勢
というものを判断をするについては、慎重でなくてはならない、そのように思うわけでありますが、
外務大臣
としては、昨今の国際
情勢
、そしていろいろの
国内
、国外に累積するそういう問題を、どのように判断をされておられるか、お
伺い
をいたして、質問を終わりたいと思います。
大平正芳
86
○
大平国務大臣
御
訪米
の問題につきまして、具体的に運んでまいる場合におきましては、当然、前回の西欧御訪問と同様、閣議決定の手順を踏むべきであると思います。 それから、仰せのように、そういう手続きを踏んでまいるにつきましては、十分慎重に配慮してまいるべきでありますことは、仰せのとおりと思います。 第三の、それに関連いたしまして、
国内
外の
情勢
をどう判断しておるかということでございますが、
アメリカ
の
国内
情勢
につきまして、私の
立場
でコメントを申し上げるということは、穏当でないと思っておりますが、どこの国におきましても、内政、
外交
多難な課題を持っておりますことは、ごたぶんに漏れないところであろうと考えておりますが、こういう状況の中で、仰せになったように、きわめて慎重に判断いたしまして、かりそめにも、この行事なるものが、
国民
の祝福と期待に沿わないようなものになってはたいへんだと思います。
政府
といたしましても、十分の上にも十分な配慮を加えていかなければならぬと考えております。
鈴切康雄
87
○鈴切
委員
外務大臣
、やはり
外交
が、
訪米
について少し先走り過ぎているんじゃないか、だから、こういう問題が起こってきている。少なくとも
天皇
の意思というものを、もっと尊重して、そして
天皇
の御意思をお聞きしてすべてを判断をするということになれば、間違いというものはなくなるわけであって、結局、
政治
的に
外交
が先走って、宮内庁としては、全くそのことについては知らなかったというような時点があっては、それはもう
政治
的な利用であるというふうに言われてもしようがないと思うわけであります。 そこで、今後、
外務大臣
としては、宮内庁とよく連絡をとって、そして
宮内庁長官
から、
天皇
の御意思等もお聞きして、そして、そういう問題については、慎重に取り扱うというお考え方であるかどうか。 また、宮内庁のほうとしては、この問題について、こういう問題をかもし出して、私は、言うならば、まことに迷惑千万なことであったと思うわけでありますが、
外務省
とやはりそういう点についての連絡をおとりになって、そして
天皇
の御意思等をお聞きになった上で、時期的な判断も御助言申し上げてやるということについて、そうされるかどうか、最後にお聞きして、私の質問を終わります。
大平正芳
88
○
大平国務大臣
仰せのとおり、
政府
部内、各
関係
方面、とりわけ宮内庁とは緊密な連絡の上、慎重に対処してまいりたいと思います。
宇佐美毅
89
○
宇佐美説明員
ただいま仰せになりましたことは、まことにそのとおりでございまして、不敏でございまするが、全力をあげてあやまちのないようにいたしたいと思います。 特に、
陛下
もだんだんお年が進みますので、われわれは、ほんとうに真剣に考えてまいりたい、このように考えております。
小宮山重四郎
90
○小宮山
委員長
代理
受田
君。
受田新吉
91
○
受田
委員
四十八年八月一日の日米
共同声明
の中の「
大統領
は、
天皇
、
皇后
両
陛下
の御
訪米
に対する以前よりの招待を再確認し、御
訪米
が近い将来
日米双方
にとって都合の良い時期に実現することを希望した。」、これに対して
宮内庁長官
は、「御
訪米
が近い将来」ということについては、この
あと
にも条件はついておるのですが、本年、つまり
昭和
四十九年、一九七四年末までという
ニクソン大統領
の訪日とのかね合いから、七四年じゅうにも行なわれるということが考えられるということにお考えであったか。これは
ニクソン大統領
が訪日した後の七五年以後というふうにおくみ取りになっておられたか。
陛下
の御行動に関する
基本
的な問題でありましたから、
宮内庁長官
の受け取り方は、七四年末までにも御
訪米
が実現するという
解釈
か、いや、そうじゃなくして、七五年以後にという「近い将来」の
解釈
をされておったか。この
解釈
のしかたは、七四年を含むかどうかということでございまして、その受け取り方をどうされたかを御答弁願いたいのです。
宇佐美毅
92
○
宇佐美説明員
ただいまの問題は、繰り返し申し上げましたとおりに、何ら具体的検討に入っておりませんので、もちろんはっきり申し上げかねるところでございます。
アメリカ
側の御希望も、なるべく近い機会に双方の都合のよいときということでございまして、これは、実際打ち合わせてまいりますと、どういうことになるか、こちらだけの都合ばかりでもございませんでしょう。ですから、いま特に、どういう印象を持ったかと仰せになっても困るわけでございます。 ただ、いつかというようなことを考えますときに、両
陛下
が非常に若ければ、まだ先々もあるかもしれません。いつでもいいということも言えるかもしれませんが、なるべくお元気のときに
おいで
いただくということは、われわれの願うところでございます。それは諸
情勢
とのにらみ合いで検討する
一つ
の問題でございます。
受田新吉
93
○
受田
委員
外務大臣
は、この日米
共同声明
を確認された時点において、その十八に書いてあるとおり、「
総理大臣
には
大平
正芳
外務大臣
、
安川
壯駐米
日本
国大使が同行した。」と明記してあるわけでございますから、
共同声明
に、直接総理の同行者としての責任が最もあるわけです。その
外務大臣
が、七四年じゅうというふうな理解を一時的にしておられたということでございますので、あなた御自身は、頭の中に七四年という印象が強く残っておったのでありますね。
大平正芳
94
○
大平国務大臣
なるべく早い機会、本年中にもという、私といたしましては希望を持っております。
受田新吉
95
○
受田
委員
大臣御自身が、七四年じゅうにもという、できるだけ早く御
訪米
が実現するようにしたいという願いがあったから、その先入観があったから
——
総理と御一緒に同行したのです。これが
共同声明
に明記してある。総理の次はあなた。それから
安川
大使。つまり、この三人は
共同声明
の担当者。その人が錯覚を起こしておるということでございますから
——
私、錯覚
外交
について、錯覚をもって質問するのじゃないのであります。正常な形でいま質問しておるのでありますが、大臣としては、おそらく終始
陛下
に、七四年じゅうに御
訪米
願おうという強い先入観があったので、この
共同声明
に書かれた規定にかかわらず、そういう
発言
をされたと了解してよろしいかどうか。
大平正芳
96
○
大平国務大臣
私の
発言
は、その後、直ちに訂正をいたしておきましたので、御了承をいただきます。
受田新吉
97
○
受田
委員
錯覚ということの背景には、あなた御自身の強い信念があった、これは、すなおに言われていいと思う。私の気持ちとしては、できるだけ早くという気持ちがあったのだ、そこだけを言っていただけばいい。
共同声明
の条項とは違ったけれ
ども
、七四年の取りきめがあった、これは言われていいと私は思うのです。
大平正芳
98
○
大平国務大臣
なるべく早い機会に実現を希望いたしております。
受田新吉
99
○
受田
委員
私、いま
宮内庁長官
が指摘されたように、
陛下
のお年のことも考えると、「近い将来」という中には、七四年は含まないで、七五年以後というような考えでなくして、もちろん七四年も
範囲
の中に入った「近い将来」というお考えがあったと思うのです。そういうことは、全部白紙だという意味でなくして、「近い将来」の中には、七四年も含まれると理解してもよかったのじゃないですか。
宇佐美毅
100
○
宇佐美説明員
年数を具体的に仰せになりますと、これから検討するということばと、だいぶ違ってまいりますので、先ほど申し上げましたとおりに、私も、
陛下
も、なるべくお元気のうちに実現するならするというふうに申し上げるほかございません。
受田新吉
101
○
受田
委員
ことばじりじゃないのです。すなおに考えて、「近い将来」の中には、七四年も含まれる、七五年も含まれる、七六年、これが八〇年以後ということは、もう想像できない。
陛下
が八十歳になられては、御無理だと思いますから、七四年、五年、六年ぐらいのところが、普通常識としては「近い将来」の中に入るのじゃないですか。 それを、具体的には申されなくて、そういうものを含めて「近い将来」ということは
——
これは、そのために、ことばじりをとらえるわけじゃありませんよ。七四年の場合もあるが、五年の場合もある。白紙ではあるが、「近い将来」という中には、ことしも入るのだという理解であっていいと私は思うのです。それがないような白紙ということはあり得ませんよ。
宇佐美毅
102
○
宇佐美説明員
これから先、五年も六年の先までもと仰せになるならば、そのくらいには何とか願いたいと私も思います。
受田新吉
103
○
受田
委員
いいかげんなことでなくて、すなおに答えていいと思うのです。七四年は除いた、七五年以後というような「近い将来」ということばではない。「近い将来」となれば、昨年の八月ですから、それから計算しても、七四年、七五年、七六年、その四、五、六年の間、
陛下
の御健康を含めれば、そういうところが一応の目標になる。白紙のことばとは別にして、当然その辺に入る。普通すなおに
国民
の側から見て、ことしでも条件がよい。双方の
日米関係
のいい時期であれば、これも含む。また、七五年がよければ、あるいは七六年がよければというのは、長官、常識でございますよ。その常識がお答えできないということになっては
——
、これ、
外務大臣
はどうですか。
天皇
の御健康のこともあるので、あなた御自身としては、七四年の場合もあり、五年の場合もある。五、六年先というよりも、普通は、あなた方が
内閣
をとっておる間に、あなたも随行したいというお気持ちが多分にあったと私は思うのですよ。こういう公的行事に参加したい、だから、七四年の場合は除くという意味でなくて、七四年も含み、そして「近い将来」という意味と理解していいのじゃないですか。それを白紙というのはおかしい。
大平正芳
104
○
大平国務大臣
その
共同声明
の文言をめぐってもんちゃくが出たわけでございます。したがいまして、私のきょうの答弁は、「近い将来」ということでごかんべんをいただきます。
受田新吉
105
○
受田
委員
あなたが七四年と限定されたから問題になったのであって、七四年ももちろん含んだ近い将来ということにしておけば、それはちっともおかしいことじゃない。
大平正芳
106
○
大平国務大臣
受田
君も
日本
語に精通されておる方でございますので、「近い将来」ということの意味は、釈迦に説法になりますから……。御理解いただけることと思います。
受田新吉
107
○
受田
委員
大臣、非常に慎重になられました。あなたのお気持ちはよくわかりますが、この「近い将来」という
日本
語の
解釈
を、あまりおびえて御
発言
されなくてもいいと思うのです。これは、ことしも含んで、ことしもいい条件ができればという意味であって、来年、再来年以降の数年です。
条約
局長
、
外交
上の用語としては、普通「近い将来」というのは、
一体
どのぐらいのところなんですか。これは大事なことですから、
外務省
はどういうふうに
解釈
しているか
伺い
ます。
松永信雄
108
○松永
政府
委員
字句どおりの
解釈
から申し上げますれば、「近い将来」と述べた時点から始まりまして、そう遠くない将来ということであります。したがいまして、字句の問題といたしましては、その中に七四年以前は入らないとか入るとかということではないだろうと思います。
受田新吉
109
○
受田
委員
「近い将来」の中に、七四年までは入るとか入らぬとかいう問題ではないと言われるが、これは「近い将来」の中に入るとか入らぬとかいう問題ですよ。来年、再来年というようなところが、普通
解釈
できるんじゃないですか。そうですよ。
松永信雄
110
○松永
政府
委員
たとえば七五年以降に限るということはないと思います。
受田新吉
111
○
受田
委員
そうすると、七四年を含むと了解してよろしゅうございますか。
松永信雄
112
○松永
政府
委員
七四年も含み得ると思います。
受田新吉
113
○
受田
委員
そう名答していただけば、きわめて明白になる。そう答えないから、くどいこと何回も質問するようになる。大臣もそう言えばいいのですよ、七四年も含む「近い将来」と。
条約
局長
、あなた非常に名答をされました。大臣もそういう理解ができますか。
条約
局長
とは答弁のそごを来たすかどうかをひとつ……。
大平正芳
114
○
大平国務大臣
松永
条約
局長
は有能な
条約
局長
で、常に信頼をいたしております。
受田新吉
115
○
受田
委員
それでいいのです。私、有能な
外務大臣
を窮地におとしいれる気持ちはございません。すなおにこの文章を
解釈
し、そしてすなおに御答弁をいただけばいいわけでございます。 そうしますと、
ニクソン大統領
の訪日、これは、あらためてこのときに
総理大臣
が要請された。「右の招待に対して」ということで、順序としては
天皇
訪米
が先で、
ニクソン大統領
の訪日要請が
あと
、こう
解釈
してよろしゅうございますか。
大河原良雄
116
○大河原(良)
政府
委員
昨年八月の
共同声明
には、十七項で、まず
大統領
が両
陛下
に対する御
訪米
の招待を申し出、
総理大臣
がこれに対して深甚な謝意を表明されました。それと同時に、
総理大臣
から
ニクソン大統領
の訪日方を要請して、
ニクソン大統領
がこれを受諾した、こういう形になっております。
受田新吉
117
○
受田
委員
順序としては、
天皇
訪米
要請が先である、こういう答えですね。そうしますと、
ニクソン大統領
訪日より先に
天皇
訪米
があり得るということにもなると理解していいですか、ある場合もあり得ると。
大河原良雄
118
○大河原(良)
政府
委員
大統領
の訪日、両
陛下
の御
訪米
、この時期の先後ということは、共同コミュニケ自体からは読めないことでございまして、共同コミュニケは、
大統領
が両
陛下
の御
訪米
を御招待申し上げたということを記述してあるわけでございます。
受田新吉
119
○
受田
委員
時期の先後ということは、
大統領
の訪日が先で
天皇
訪米
が
あと
ということにもならぬ、
天皇
訪米
が先になり得るということも、この文章では
解釈
できますね。そう言えばいいのです。
大河原良雄
120
○大河原(良)
政府
委員
先ほど御答弁申し上げましたように、御
訪米
、
大統領
の訪日、この時期の先後につきましては、コミュニケに関する限りは、とっておらないわけでございます。
受田新吉
121
○
受田
委員
大臣、この間、ちょうどあなたが
アメリカ
で
発言
されたその日に、十四日に、私、この
委員会
で
天皇
の御
訪米
の質問をしたのです。あなたがちょうど記者会見をされたころと、私がここで質問したのが前後しておったと思うのですが、そのとき小坂総務長官は、宮内庁を担当する国務大臣として目下十分検討しておるということでございました。そして、総理府の外局の長として、私が指揮監督しているお役人が
宮内庁長官
であるという答弁をされた。 そうしますと、
政府
が閣議でいろいろと相談されて
天皇
御
訪米
を要請される。そして
宮内庁長官
は、それに対して、
天皇
の御健康などということでは抵抗はできるが、指揮監督権を行使される
立場
からは抵抗ができないということになりますか。
宇佐美毅
122
○
宇佐美説明員
そういう
陛下
の御健康等は、私
ども
が拝見してきめることでございましょう。ただ、
政府
のほうのおきめになるときにも、いずれ御相談があると私は思っております。
おいで
になることについては、私もその責任のある地位にございます。ですから、私も意見を申し述べさしていただきたい、かように考えております。
受田新吉
123
○
受田
委員
御意見を申し上げた結果、指揮命令権の発動によって、たとえば
外務大臣
が次官の首を切るというような形で、言うことを聞かなければ
宮内庁長官
を罷免するということもあるということが予想されます。抵抗の限界は、どこまであるのですか。
宇佐美毅
124
○
宇佐美説明員
はなはだむずかしい御質問でございまして、そういうことなくきめるのがわれわれの職務でもございます。
受田新吉
125
○
受田
委員
大臣が世間いろいろと批判されているように、
法眼
次官にやめてもらったわけですが、きわめてあっさりやめてもらった。
宮内庁長官
が
天皇
の御健康、
天皇
の御希望等を含めて、
政府
の要請にかかわらず、すなおな気持ちで意見を述べられることに対して、
政府
の力で圧力を加えるということがあってはならぬと私は思うのです。事、象徴
天皇
御一家をお守りする
立場
にある
宮内庁長官
の意見というものは、十分尊重されなければならないと思いますが、国務大臣たる
外務大臣
の御所見を……。
大平正芳
126
○
大平国務大臣
当然のことでございまして、全
国民
の祝福の中で遂行しなければならない行事でございます。とりわけ宮内庁、
内閣
の間におきまして、意見の間隔など等あってしかるべきものとは思いません。
受田新吉
127
○
受田
委員
これで質問を終わりますが、
外務大臣
、象徴
天皇
御一家のことに関しては、
政治
的に軽々しい
発言
をしてならないことは、もうあなた御自身が今度の事件で身に徹して御感得あそばしておると思います。 私、そこで最後の質問として、
宮内庁長官
は、最近めったに
——
この
委員会
に御出席なさった機会に、
天皇
の国事行為と
天皇
の公的行為、そういう諸
解釈
について、もっと明確な態度を表明していただきたい。
天皇
の公的行為という中に、
天皇
の国事行為である儀式と重なるところが起こる、どちらに
解釈
したらいいかという問題が多分にあると私は思うのです。立太子礼、大喪礼、これは公的行為でもあり、また見方によっては、憲法七条の
天皇
の国事行為の中の儀式ということに入る。どういう
解釈
をなさいますか。
宇佐美毅
128
○
宇佐美説明員
いまおあげになりました憲法第七条の最後に、
天皇
の行なわれる儀式ということが
天皇
の権能の中へ掲げてございます。もちろん
内閣
の助言と承認のもとに、
国民
のために行なうというふうに書いてございます。現在、それに当たりますものは、お正月の祝賀の儀というのが、唯一のものであるという国としての
解釈
になっております。その他、信任状認証式とかいろいろございますが、これは国家の公的な儀式ではあると思いますけれ
ども
、第七条の儀式とは
政府
は取り扱っておりません。 ただ、過去の例から申しますと、皇太子さまの立太子礼、それから成年式を一緒に行ないましたが、これが国事行為として行なわれております。
受田新吉
129
○
受田
委員
大喪の礼は、皇室典範に規定してあるが、その大喪の礼、これが国事行為に入るかどうかです。
宇佐美毅
130
○
宇佐美説明員
これは、まだ正式に打ち合わせが済んでおりませんが、われわれは、国事行為であるというふうに考えております。
受田新吉
131
○
受田
委員
その大喪の礼の具体的な細目はできておらぬ、これらは
陛下
に対して失礼であると思うのです。大喪の礼をどう行なうか、践祚がどうなっているかわからぬ。先帝崩じられるときは、皇太子が皇位を踏まれるわけです。その践祚というものがあるのかないのか、今後そういうものがあるのかないのか、これも規定がない。宮内庁には、すぐ手をつけなければいけない大事な問題が放置されていると私は判断するのです。
陛下
も、お葬式のことまでやるのは、おれは不愉快だとおっしゃっておらぬと思うのです。やはり象徴
天皇
の御葬儀となれば、われわれは、憲法第七条を尊奉する
国民
として、最高の礼としてお弔いをしなければならぬと思うのです。そういう細目を、何らか具体化する御計画は事実進んでおるのですか。
宇佐美毅
132
○
宇佐美説明員
仰せのとおり、私
ども
は、こういうことは不時に起こる問題でございますので、そういうことに対する資料は膨大に集めてございます。大体、内部的には相当
調査
をいたしております。ですから、どうぞ御安心を願いたいと思います。
受田新吉
133
○
受田
委員
この
天皇陛下
の国事行為、公的行為、こういうものは、結果的に
政治
的な影響を与えることがあるのです。 そこで、これは、私、当然あってしかるべきですが、たとえば親善旅行をされる、それは
政治
的な意義ではないが、結果では両国の親善を大いにふやしていく、そして、あちらにおられる
国民
との感情をやわらげる、こういう意味があると思うが、いかがです、大臣。
大平正芳
134
○
大平国務大臣
たとえば両国の親善友好
関係
の増進に資するところ大きいと思いますけれ
ども
、私
ども
として、そういうことのために、そういう
政治
目的を達する手段としてこの行事を考えるというようなことはいたすべきでないと考えます。
受田新吉
135
○
受田
委員
質問を終わります。
小宮山重四郎
136
○小宮山
委員長
代理 次回は、来たる二十六日火曜日午前十時
理事
会、午前十時三十分より
委員会
を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。 午後七時三十分散会