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1974-02-19 第72回国会 衆議院 内閣委員会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十九年二月十九日(火曜日)     午後二時三十四分開議  出席委員    委員長 徳安 實藏君   理事 加藤 陽三君 理事 小宮山重四郎君    理事 中山 正暉君 理事 服部 安司君    理事 上原 康助君 理事 大出  俊君    理事 中路 雅弘君       大石 千八君    笠岡  喬君       近藤 鉄雄君    旗野 進一君       三塚  博君    吉永 治市君       川崎 寛治君    吉田 法晴君       和田 貞夫君    鈴切 康雄君       受田 新吉君  出席国務大臣         国 務 大 臣         (総理府総務長         官)      小坂徳三郎君  出席政府委員         内閣官房内閣審         議室長内閣総         理大臣官房審議         室長      亘理  彰君         内閣総理大臣官         房総務審議官  佐々 成美君         宮内庁次長   瓜生 順良君         皇室経済主管  野本 松彦君  委員外出席者         内閣委員会調査         室長      本田 敬信君     ————————————— 委員の異動 二月十五日  辞任         補欠選任   鈴切 康雄君     竹入 義勝君 同日  辞任         補欠選任   竹入 義勝君     鈴切 康雄君     ————————————— 二月十四日  官公労働者ストライキ権回復に関する請願  (井岡大治紹介)(第一八五六号)  同(井上泉紹介)(第一八五七号)  同(小林進紹介)(第一八五八号)  同(兒玉末男紹介)(第一八五九号)  同(上坂昇紹介)(第一八六〇号)  同(神門至馬夫君紹介)(第一八六一号)  同(佐々木更三君紹介)(第一八六二号)  同(佐藤観樹紹介)(第一八六三号)  同(佐藤敬治紹介)(第一八六四号)  同(佐野憲治紹介)(第一八六五号)  同(佐野進紹介)(第一八六六号)  同(斉藤正男紹介)(第一八六七号)  同(阪上安太郎紹介)(第一八六八号)  同(楢崎弥之助紹介)(第一八六九号)  同(成田知巳紹介)(第一八七〇号)  同(野坂浩賢紹介)(第一八七一号)  同(竹内猛紹介)(第一八七二号)  同(竹村幸雄紹介)(第一八七三号)  同(原茂紹介)(第一八七四号)  同(日野吉夫紹介)(第一八七五号)  同(平林剛紹介)(第一八七六号)  同(広瀬秀吉紹介)(第一八七七号)  同(福岡義登紹介)(第一八七八号)  同(藤田高敏紹介)(第一八七九号)  同(古川喜一紹介)(第一八八〇号)  同(細谷治嘉紹介)(第一八八一号)  同(馬場昇紹介)(第一八八二号)  同(阿部未喜男君紹介)(第一九三二号)  同(赤松勇紹介)(第一九三三号)  同(井上普方紹介)(第一九三四号)  同(石野久男紹介)(第一九三五号)  同(石橋政嗣君紹介)(第一九三六号)  同(板川正吾紹介)(第一九三七号)  同(稲葉誠一紹介)(第一九三八号)  同(岩垂寿喜男紹介)(第一九三九号)  同(大柴滋夫紹介)(第一九四〇号)  同(金瀬俊雄紹介)(第一九四一号)  同(金子みつ紹介)(第一九四二号)  同(川崎寛治紹介)(第一九四三号)  同(川俣健二郎紹介)(第一九四四号)  同(河上民雄紹介)(第一九四五号)  同(木原実紹介)(第一九四六号)  同(久保三郎紹介)(第一九四七号)  同(久保等紹介)(第一九四八号)  同(久保田鶴松紹介)(第一九四九号)  同(小林信一紹介)(第一九五〇号)  同(坂本恭一紹介)(第一九五一号)  同(島本虎三紹介)(第一九五二号)  同(松浦利尚君紹介)(第一九五三号)  同(安宅常彦紹介)(第二〇〇九号)  同(阿部昭吾紹介)(第二〇一〇号)  同(阿部哉君紹介)(第二〇一一号)  同(上原康助紹介)(第二〇一二号)  同(小川省吾紹介)(第二〇一三号)  同(勝澤芳雄紹介)(第二〇一四号)  同(勝間田清一紹介)(第二〇一五号)  同(角屋堅次郎紹介)(第二〇一六号)  同(金丸徳重紹介)(第二〇一七号)  同(田口一男紹介)(第二〇一八号)  同(田中武夫紹介)(第二〇一九号)  同(田邊誠紹介)(第二〇二〇号)  同(高沢寅男紹介)(第二〇二一号)  同(高田富之紹介)(第二〇二二号)  同(楯兼次郎君紹介)(第二〇二三号)  恩給、共済年金受給者処遇改善に関する請願  外一件(八田貞義紹介)(第二〇二四号) 同月十八日  官公労働者ストライキ権回復に関する請願  (柴田健治紹介)(第二〇六七号)  同(島田琢郎紹介)(第二〇六八号)  同(嶋崎譲紹介)(第二〇六九号)  同(清水徳松紹介)(第二〇七〇号)  同(下平正一紹介)(第二〇七一号)  同(多賀谷真稔紹介)(第二〇七二号)  同(江田三郎紹介)(第二〇九三号)  同(枝村要作紹介)(第二〇九四号)  同(大出俊紹介)(第二〇九五号)  同(大原亨紹介)(第二〇九六号)  同(太田一夫紹介)(第二〇九七号)  同(岡田哲児紹介)(第二〇九八号)  同(岡田春夫紹介)(第二〇九九号)  同(加藤清政紹介)(第二一〇〇号)  同(加藤清二紹介)(第二一〇一号)  同(木島喜兵衞紹介)(第二一〇二号)  同(北山愛郎紹介)(第二一〇三号)  同(塚田庄平紹介)(第二一〇四号)  同(辻原弘市君紹介)(第二一〇五号)  同(土井たか子紹介)(第二一〇六号)  同(堂森芳夫紹介)(第二一〇七号)  同(中澤茂一紹介)(第二一〇八号)  同(中村茂紹介)(第二一〇九号)  同(中村重光紹介)(第二一一〇号)  同(芳賀貢紹介)(第二一一一号)  同(長谷川正三紹介)(第二一一二号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  皇室経済法施行法の一部を改正する法律案(内  閣提出第一二号)      ————◇—————
  2. 徳安實藏

    徳安委員長 これより会議を開きます。  皇室経済施行法の一部を改正する法律案を議題といたします。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。吉田法晴君。
  3. 吉田法晴

    吉田委員 皇室経済の問題に関連をしてお尋ねをいたしますが、総務長官は、あるいは御存じないかもしれませんけれども、私は、福岡県選出の衆議院議員ですが、前に、参議院議員を十三年、副議長もいたしました松本治一郎という先輩がございます。たいへん、その近くでいろいろ指導もいただきましたし、また影響も受けています。この松本治一郎という人は、全国で三千部落、三百万の未解放部落部落民解放のために、その生涯をささげました。  で、戦前から、あの福沢諭吉さんが言われました、人の上に人をつくらず人の下に人をつくらずということを彼も信条といたしました。そして、この未解放部落部落民、その生涯をかけて解放のために努力をした未解放部落部落民は、いわば身分差別を受けてまいりました。憲法の上でいいますと、なくなっておるはずなんです。なくなっておるはずの身分差別というものが残っておって、それは、総務長官の別の任務でございますいわば同和行政特別措置法もできております同和行政という問題で総務長官にお取り組みをいただいておる。ところが、それは、憲法上はなくなっておるはずでありますが、実社会の上では、特に就職の自由、あるいは教育の自由あるいは結婚の自由等に至りましては、今日もなお悲劇を見、あるいは自殺をする等の現象が、これは一、二にとどまりません。そういう傾向が最近ふえつつある。  原因は、二つあると思うのですが、一つは、これからお尋ねをいたします明治憲法に戻そうとする動き関係があると思うのが一つ。それからもう一つは、経済的に、本会議でも資本主義の弊害というものが指摘をされたと思いますけれども、その生産性あるいはコストを安からしめる、国際的な競争のために労働の二重の組織があります。これは、予算委員会で多賀谷君も取り上げたところでありますけれども、本雇いと下請、孫請という、これは、いわば労働の中における差別だと思います。私は、そういうものが根拠になっておると信じております。  ここで、関連をして聞こうとしますのは、人の上に人をつくらず人の下に人をつくらずという民主主義が人の上に人をつくろう、したがって、人の下に人をつくろうとする差別の再生産復活につながるのではないか、こう私は考えますだけに、お尋ねをするわけでありますが、その前提として、同僚議員からも、先日お尋ねがございましたけれども、新憲法のもとで人間天皇を宣言されて、そして神さまでなしに、人間として、国の象徴としての天皇地位というものがきめられたと思っておる。ところが、それをもとに戻そうとする動きがある。  その一つに、この間お話がございましたけれども、宮内庁側近といいますか、役人の問題があるのではないか、私は、こう考えます。ここに「日本史上秘録」として閑院氏の本がございますが、その中にこういうことばがございます。「宮内官僚側近の人々となると、皇室尊厳と、安泰とを祈念する忠誠心が、良い意味にも、悪い意味にも作用して、民主化を一層困難なものにする。事実私の知る限りにおいては、宮中の慣例やご事情が、社会性という観点からみて、ずいぶん特殊な考え方や、形式や、雰囲気などをとっているものが、少なくない。いわば封建的というか、旧式というか、堅苦しいというか、または過度に保守的というか、あるいは事大的というか、旧態依然たる感がある。民主的という線からは、ほど遠いと思う。そういう点は、将来一般社会と変らないものに改革ありたいと、念願するが、急には困難であろう。宮中あるいは皇室社会的民主化ということは、私は実に前途遼遠だと思う。」と、これは新憲法になり、人間宣言をされて間もなく書かれたものだと思いますが、この閑院純仁殿下ですか——もう殿下ではありませんが、この方の書いた「日本史上秘録」の中にも、そういうことが書いてございます。  私も、かつて宮中を参観さしてもらったことがございますが、そこでこういうことを見ました。平生はたんぼではございませんが、堀の水をくみ上げて、わずか何坪かのたんぼらしいものがつくってあって、そこで、つくられたお米を賢所に供えられるということがあると聞いて、もし、ほんとう農民苦労をお察しになろうというならば、地方で農民苦労を見られたらいいと思うし、また、さらに自分でお手植えになりたいというのならば、もっと国民生活に接した形式になさったらどうですかとお尋ねしましたら、前から賢所の大儀というものがあって、それは前々からやっておるからという、そのときも、瓜生次長であったかと思いますが、お答えがございました。  民主主義のもとで、人間天皇を宣言されて、そして象徴としての天皇になられて、その皇室民主化のためには、大英断がなければなるまい、あるいは明治の初年に、山岡鉄舟氏が明治天皇の御養育係をしたという話も伝わっておりますが、どうも質問をしたり、聞いたりしておりますと、宮内庁の、これは端的に言って官僚ということになると思いますが、お偉い方々の頭の中には、やはり昔からこうやっているからということが、閑院純仁殿下ですかの書いているようなことが、やはり私にもひしひしと感ぜられる。実は、この民主化のためには、その側近からというか、あるいは宮内庁長官次長その他、これはほんとうに頭の切りかえが必要なのではなかろうかと感じてまいりましたが、いかがでしょうか。
  4. 瓜生順良

    瓜生政府委員 われわれに対して、反省をもっとすべきではないかという点が主眼点かと思いますが、私も、吉田先生承知のように、ずっと古くから宮内庁に入っていたものではありませんが、それでも昭和二十八年の暮れからあそこへ入っております。この新しい憲法下における天皇地位というものが大きく変わっており、その線に沿って、新しい時代に即応する皇室のあり方でなければいけないということを私なりに考えながら、つとめてまいってきておるつもりでございます。  要は、憲法第一条にも、天皇象徴という地位は、国民総意に基づくというふうにありますので、その国民総意というのが那辺にあるかということを勉強をすることにつとめてまいっておるつもりであります。直接には、皇室のことに奉仕いたしておりますが、根本的には、やはりわれわれは全国民への奉仕者であるということを腹の底に十分おさめて、全国民の期待に沿うようにやらなければいけないと思って努力をしておるつもりであります。  ただ、古いこと、これもわれわれ、そのままを踏襲するようには考えておりませんけれども、その中で伝統的にやられたことでいいことは、ずっと踏襲していったらどうか。いま、ちょっと例におあげになりました米をおつくりになっておるようなこと、これは、やはり踏襲したほうがいいだろうというふうに考えておるわけでありまして、これは農民苦労を知られるということと賢所へのお供えになるお米なんかをおつくりになる、少量でありましても、やはりいいことだろうというふうに考えておるわけでありますが、なお、前からのやり方でどうかと思う点は、改めることには努力しておるつもりであります。  元の閑院宮さんがお書きの本、私も目を通しておりますが、終戦後のような事情のことを書いておられるわけで、そういう点については、われわれも十分に反省——そういう点の意見もあるということを承知して、新しい時代に即応する御奉仕ということ、そういうものに心がけなければならないと思って努力をいたしておるつもりであります。至らぬ点のある点は、今後も大いに反省して、よりよくいたしてまいりたいと思っております。
  5. 小坂徳三郎

    小坂国務大臣 お答えを申し上げますが、知は、率直に申し上げて、現在の天皇憲法にいうところの象徴であってほしい、また、そのような形で、民主的な社会における象徴としていていただきたいという考えでおります。
  6. 吉田法晴

    吉田委員 この間からの質疑を聞いておって、やはり皇室尊厳あるいは紀元の問題についても、総務長官は厳粛な問題と言われました。のぞくべからずではございませんけれども、ああいう考えを聞いておって、やはり干犯すべからずという、明治憲法ことばを思い出し、知らず知らずの間にそういう考えになられるのではないかといった感じがするのです。  これは、前にも聞いたことがございますが、ちょっといま見出せませんけれども、「帝王と墓と民衆」という三笠宮殿下の御著書がございます。偶然このごろまたある雑誌がこの本を引き合いに出して、三笠宮とだれかの対談がございました。今月号に載っておるのですが、そこで私ども、やはり同じように、この本もときどき引き合いに出るなという感じがするのですが、人間天皇になられ、自分たちも自由に町へ出ることができるようになった、そのときに、自由に町へ出られての食事等もたいへんおいしかったということがございました。ところが、それがだんだんそうでなくなって、警備も厳重に、だんだん昔に返りつつあるということについての若干の嘆きもこの中に書いてございます。そうしますと、皇族自身の中にも、あるいは皇室にもあるのじゃないかということが考えられますが、こういう点については、これはどう考えられますか。
  7. 瓜生順良

    瓜生政府委員 そのいまごらんになっております記事、私も最近読みまして承知いたしておりますが、最近、また警備が少し厳重になって、それに対する嘆きことばのあるのも承知いたしております。その中にちょっとありますのは、警察として、何か事件が起きると、それからあとどうしても厳重になっていく。最近では、坂下門事件があったりして、また厳重になった。坂下門事件と申しますのは、両陛下昭和四十六年の秋、ヨーロッパへ御旅行になります三日ばかり前ですか、あそこの坂下門を突破して乱入された事件があります。御訪欧反対というようなことですね、そのことがあってから、また少し厳重になったのは事実であります。  われわれとしましては、警察のほうに対して、その記事にも書いてありますけれども、宮内庁としては、あまり厳重にならないように、必要最小限度にしてほしいということをいつも言っておりますけれども、警察警察としてのお立場がありまして、事故のないようにというようなことから、幾らか厳重になったという点があります。それからいっとき厳重になりましたが、すぐまた最近はだいぶ緩和しております。そういう点はございます。  しかし、われわれのほうの立場としては、警察のほうに常に申しますのは、この警備必要最小限度にしていただいて、それで国民皇室とが密接に親愛を深めてまいられるようにありたいわけだから、あまり必要以上の警備はしないようにということは希望いたしておるのであります。今後もそういうつもりでまいりたいと思っております。
  8. 吉田法晴

    吉田委員 いま、言われました事件が起こってから云々というのは、今月号の雑誌に書いてある。本の中にはそれはございません。もう一ぺん読む必要はないと思いますが、「終戦後わたくしの生活環境は激変した。が、わたくしは楽しかった。三十になってたった一人で町をあるく楽しみをはじめて知ったわたくしは、運命のふしぎさをかみしめながら、だれにも気づかれずにコツコツと町をあるいてみたものである。」云々、これは歴史研究、特にメソポタミア文化についての勉強、オリエントの歴史勉強するに至った経緯が書いてある。雑誌には、そういうことは書いてございません。  そういう経過あるいは事件警戒ということもございますが、問題は、本質的に旧憲法時代天皇人間天皇として、象徴天皇としてどういうぐあいに実現をするか、この問題は大仕事だと思います。ところが、それを、いままでの考え、あるいはいままでの伝統でやられると、ともすれば、やはり旧憲法時代天皇というものを想像をして、それに戻すような作用になるのではないか、こういうことを申し上げておるわけです。その一つとして、私は、旧憲法時代天皇制復活への傾向があるのではないか、危険があるのではないかと考えるのですが、端的にあらわれております例を一、二引いて、御所見を承りたいと思うのです。  ことばとしてあらわれておりますのは、大森空幕長防衛大学式辞を述べられた。これは昭和四十五年三月二十一日、防衛大学卒業式において、学校長式辞として大森さんが言われた。短い文章ですから読みますが、「わが祖国の防衛は父祖の手によって立派に受け継がれてきました。そういう意味からすれば、自衛隊は旧陸海軍からその良い伝統と遺産とを引き継ぐべき立場にあります。旧軍人自衛官との関係についても同じことです。嘗て本校には、旧軍人先輩とは考えないという雰囲気がありました。陸士、海兵と、本校とは設立の経緯教育方針等を異にしています。厳格な意味における先輩といえないかもしれません。しかし、最近においては、同じ使命につながる先輩、後輩としての親愛感が芽生えてきたことは当然のことながら喜ぶべき傾向であると私は考えます。諸君の目標である新しい時代軍人像考えるには、旧軍人像はどうであったかを知ることが大切です。明治以来終戦に至る間の軍人像を一概に論ずることは極めて難かしい問題ですが、それが明治十五年の軍人勅諭を離れて考えられないことは何人も異論のないところと思います。軍人勅諭には忠節、礼儀、武勇、信義、質素の五つの徳目が掲げられています。私は、これらの徳目は今なお軍人基礎的資質であると考えます。」、こう述べられておる。これは、軍人勅諭があげられておりますし、軍人勅諭の中での精神といいますか、徳目でいまの自衛隊員教育しようという気持ちがあらわれておるという意味で私は重要だと思うわけです。  それからもう一つ、これは防衛大学での学長の式辞ではなくて、昭和四十七年、おととし十二月発行の防衛大学同窓会会報であります。「卒業生諸君に期待して」と海将石田捨雄氏が書いておられます。「去る五月十八日、私は唯一人現役自衛官として、赤坂御苑における春の園遊会に、お招きを受け出席した。あらかじめ定められた御苑内道筋に沿い、招待された人達がお待ち申し上げる中を、天皇、皇后両陛下島式部官長の御先導で、ゆっくりと、そしてところどころで被招待者にお声をお掛けになりながら、お廻りになった。陛下は、制服に身を固め緊張して挙手注目の敬礼をしている私の前にお立ち止りになった。島式部官長が、「海上幕僚長でございます。」と御紹介申し上げると、」、これから読み上げようというおことばをいただいた。そして感激して、これは私が一人いただいたことばでなくて、海上自衛隊だけでなくて、自衛隊全体に賜わったものだと考えるから、ここに書くと書いてある文章であります。おことばで、「隊員はしっかりやっているだろうね。」石田海将が「はい、隊員はみんな一生懸命やっております。」「防衛のことはいろいろ苦労があるだろうね。」「有難いお言葉をいただき感激に堪えません。お言葉隊員に伝えたいと思います。」「士気を落さないようね。」「ありがとうございます。」ということばが、この文章の巻頭に載っておるわけであります。「そこで私は」、これは石田海将自分ことばです。「そこで私はこの際次の二点を特に望みたい。それは、「術科の鬼になれ。」ということと、「真の愛情をもって隊員を導こう。」ということである。」と、その文章精神をあらわしております。  これらを紹介いたしますと、おことばをいただかなかったということになっておりますけれども、世俗に伝えられております増原防衛庁長官がおことばを賜わったという内容と通ずるものがあることを感じます。事実であるかどうかということは、私は、ここでせんさくしておるのではない。幹部自衛官が、幕僚長を含んで、総理大臣あるいは大臣が侍立をしているのかどうか知りませんけれども、直接天皇陛下にお目にかかっているという事実も聞きます。そうすると、昔の軍人勅諭自衛隊教育をしようという傾向復活しつつあり、そして自衛隊のいわば最高責任者は、いまでいいますと防衛庁長官、それから総理大臣でございますけれども、やはり天皇軍隊というものを復活しようという動きがあるのではないか、こういうことを心配せざるを得ません、三つのことばを通じて。  そこを、私は問題にしておるわけでありますが、こういうことについて、これは軍人勅諭復活あるいは教育勅語復活だけでなくて、天皇のもとにおける自衛隊軍隊復活しておるのではないかということを心配するのは、これは杞憂でございましょうか。古い考えを持っておられます宮内庁の、先ほど申し上げました古い伝統、古い考えでもし宮内庁のえらい人たちが処しておられるとするならば、杞憂でないものになるのではなかろうかと考えるのですが、いかがでございましょうか。
  9. 瓜生順良

    瓜生政府委員 私たちは、現行憲法の第九十九条で憲法を十分順守しなければならないことは、深く承知をいたして仕事に当たっておるわけであります。したがって、旧憲法時代と同じようなことを考えてはいけないということは十分承知しておるつもりでございます。  いろいろ何かおあげになりました例については、それぞれ非常にどうかと思うような表現がその中にあります。その点は、私もそう思います。しかし、それを、ここで私どもの立場で討論するのも、ちょっとどうかと思いますので遠慮いたしますが、しかしながら、この新しい象徴としての天皇人間としての天皇の姿が、何といいますか、単に古い伝統の上だけに立っておられたのではいけないので、古い伝統は軽視はできないが、やはり皇室のずっとありますのも、古い歴史の上をずっと貫いてきておられる点にまず根本があると思いますから、その点は無視してはいけないと思いますが、新しい国民の心と結びついていかなければ、これは国民の期待に沿わないことであり、また皇室の基盤である国民総意に基づくという点にも反するわけでありまするから、そういう点は、今後、われわれが仕事をする上においては、十分に考えてまいりたいと思っております。
  10. 小坂徳三郎

    小坂国務大臣 お答え申し上げます。  吉田委員のただいまの御心配は、私は現時点ではないものと考えております。また、同僚である防衛庁長官も、前回の予算委員会におきまして、非常に明確に、そうした懸念のある御質問に対して、教育その他も十分注意して努力しているということを答えておられます。たまたま、ただいま御指摘になりました二名の方々の御発言は、いささかどうかと思うなという点もございますが、一つの気持ちをあらわしたのではないかというふうに私は思います。  また、先ほどから御指摘の、宮内庁における職員諸君が、いまだにまだ古い感覚で行動しているのではないかという御指摘がございましたが、私、もしもそういう事実に気がつきましたらば、よく先方の諸君とも話して、民主憲法下における皇室のあり方、天皇さんのあり方、こうしたものについて、世人に誤解を与えないようにということによく注意したいと思っております。
  11. 吉田法晴

    吉田委員 こういう話を聞いたり見たりいたしました。これは、いまの天皇陛下が皇太子のときであったと思うのですが、閲兵をしておられて雨が降ってきた、一時間ほど立っておられたけれども、台からおりられたら、靴のあとが微動もしないで残っておったというお話。  また、その当時、それからちょっとあとですけれども、福岡県出身の土岐と申しますが、大膳頭か何かをいたしました人が、郷里に帰ってまいりました。親御さんの御不幸に帰ってこられて、火ばちの前にすわったら、一時間でも二時間でも姿勢をくずさずにすわっておる。たいへん感心——感心は、どっちの感心かわかりませんけれども、感心をいたしましたり、驚異の目で見たりしたことがございます。  瓜生さんも、前から知っておりますし、前からまじめな人であったことは、間違いございませんけれども、宮内庁に入られて、この間から答弁を聞いたりして、その話を思い出すような態度をときどき見受けたりするのであります。なるほど、新しい憲法のもとにおける皇室であられるように宮内庁次長としてはつとめておる、あるいは宮内庁長官としては努力しておるというお話でございましたけれども、何かこう謹厳といいますか、あるいは厳粛な感じ、その厳粛なり謹厳なりというものが、神さまであった当時のしきたりが、そのまま引き継がれておるという感じを持つのは、これは誤解でしょうか。誤解であれば幸いだと思うのです。これは感じで申し上げることでございますから、答弁は要りません。  それからもう一つは、これは国内問題ではなくて、このごろ問題になっております外遊の問題と関連をいたしますが、外遊の際に、この前は、いまの福田大蔵大臣が御同行をされました。いわば、ニクソンの訪中にしても、あるいは対外政策にしても、内政の失敗をおおい隠す努力があるのではないかと思ったりしますが、もし、日本の内政における失敗を、天皇御外遊等によっておおおうとする意図があるならば、あるいはそういうものが作用するとするならば、私は、もってのほかだと思うが、今度のアメリカでのお話に関連をして、新聞記事を見ておりますと、ニクソンが訪日をして、そのあと天皇の御訪米を実現したいという意図が——新聞の解説の中には、やはり天皇が元首としてアメリカを訪問される、元首の相互訪問という記事がございます。これは正式なものであるとは思いませんけれども、少なくとも新聞が、そういうぐあいに受け取ろうとしていることは、これは否定することができないのではないか。  この二つの問題がございますけれども、これらの問題について、まず総括的に、総務長官として、あるいは宮内庁次長として、どういうぐあいに考えておりますか承りたい。
  12. 小坂徳三郎

    小坂国務大臣 お答え申し上げます。  やはり天皇地位は、日本国の象徴であって、日本国民統合の象徴でございます。主権の存する日本国民総意に基づいて、このような地位が与えられておるということと、もう一つは、憲法四条にございますように、国事行為のみを行なっておるけれども、国政に関する権能を有していないとわれわれは考えます。  なお、憲法七条における天皇の国事に関する行為については、内閣の助言と承認を経て行なうということでございますが、やはり天皇象徴であるということ、ですから、天皇が元首として外に向かって行動するという意味ではないと私は思います。
  13. 瓜生順良

    瓜生政府委員 外国のほうからは、まあ、日本の天皇も元首相当というふうに見ておるようであります。これは、やはり憲法の条文の解釈に何か——憲法第七条に外国の大使、公使を接受する、相手から信任状を受けられるのが天皇になっていらっしゃる、内閣の助言と承認によるわけですけれども。しかしながら、こちらから積極的に働かれるのではないわけですね、受けられるだけで。ですが、その点だけを見ると、ちょっと元首のような形に見える。  それからもう一つの点は、国内なりあるいは国外に向かって、国を代表して行政権を総攬されるとかいう点はないわけですけれども、しかしながら、立法、司法、行政という三つの国内の機関のうちで、陛下は、単なる儀礼的な行為ではありますけれども、国会の召集とか解散というのはなさるわけです。それから行政のほうですと、総理大臣、これは国会で推薦されるのを任命されるのですけれども、親任式というので、形の上では任命される。それから司法のほうの最高裁長官、これも、やはり親任式というので任命される。形の上で、儀礼的ではありますけれども、一応国家の最高の地位におられる。そういうようなところもありまして、外国からは、やはり日本の国の公的な最高の人として日本の天皇を見られる。そういうようなことから、外国の国王なり大統領の方が、自分と対等の地位にやはり陛下がおられるというふうに考える、権限はお持ちじゃないけれども、形の上で。そういうことがあると思います。
  14. 吉田法晴

    吉田委員 総務長官のほうからは、外国から元首と考えられるかもしらぬけれども、日本の場合には象徴天皇、元首としては法律上取り扱っておると思わぬという否定的なお答えがあったと思います。瓜生さんのほうは、その辺が少しはっきりしませんが、象徴であり、あるいは国政上の権限はないけれども、対外的には元首と同じように考えるかもしらぬ云々ということで、その辺が少しあいまいでございましたが、もうちょっとはっきりお願いします。
  15. 瓜生順良

    瓜生政府委員 これは、私だけが言っているのじゃありませんですが、昨年、いろいろこの問題が国会で討論された際に、問題になりました際に、法制局のほうでいろいろ研究された、それを聞いておるのを、実は申し上げたのであります。
  16. 吉田法晴

    吉田委員 国事行為についても、国政上の権限がないという憲法の、いま文章は持っておりませんけれども、先ほど総務長官引き合いに出されたようなあれがついておること、それから外国の元首が来られて羽田に着かれたときに、閲兵その他の行為の際にも、いろいろ配慮がなされておるようであります。  ところが、昨年ですか、一昨年ですか、訪欧の際に、その当時の福田外務大臣が随行をしたということ、私は、まあ、そのときの福田大臣の外交にも、彼自身の思惑というものがあったと思うけれども、外遊にどういう意味を持たせるかという意味——これは、外国から見れば、いまお話しのとおりに、元首と思いがちなということもありましょう。そういう際に、現職の大臣が随行をするということは、どうであろうかと考えます。  それから、この間のキッシンジャーとの間に話があったとかなかったとかということになりますが、その事実を、ここでせんさくをしてもしかたがないと思いますが、日米共同声明の中に入り、あるいはそれを確認をするといいますか、話が出た場合に、新聞に書いてありますような、ニクソンの訪日、それから天皇の訪米というものが、双方の元首の相互訪問というように考えられたとしても、——新聞記事には、そういう元首ということばが使われておりましたけれども、使われたとしても、それは、やはりなかなか否定しにくい。そういういわば政府の扱い方に、やはり問題があるのではないかと私は思うのです。  あたかも政府が、元首であるがごとく、対外的にもそういうかっこうにする。現職の外務大臣がついていく、あるいはニクソンの訪日といわば引きかえにといいますか、相互的に天皇がアメリカを訪問される。それにも、その相互訪問についての、たとえば儀礼的な、先般のように、イギリスの皇室なら皇室に会われる、親善を深められるという程度ならとにかくでありますが、それが政治的に利用されるといいますか、意味を持たせるということになれば、やはり憲法精神には反するのではないかと私は思うのです。  それが、元首の訪問であるかどうかという理解の問題と、それから政府のかかわり方に私は問題があると思うのですが、お二人、どういうぐあいに考えられますか、それぞれからひとつ御答弁を願いたいと思います。
  17. 瓜生順良

    瓜生政府委員 天皇陛下が外国を御訪問になるのは、これは儀礼的な御訪問であります。それで、何か特別の政治上の交渉をされるとかなんとかいうようなので総理大臣が行かれるのなんかとは、全然違うわけであります。ほんとうに儀礼的であります。  また、外国の国王なり大統領で、ほんとう象徴的なところもありますけれども、象徴的であるとともに実権を持っておる方もある。アメリカの大統領ですと、最高の地位にあって、儀礼的な、象徴的な面とともに実権も持っておられるわけですけれども、その儀礼的な面においては、日本の天皇陛下と相通ずるものを持っておられる。そういう意味での、時によると、先方の元首級の人が見えれば、また御答礼というようなこともあったりしている、そういうふうに解釈をいたしております。
  18. 吉田法晴

    吉田委員 総務長官、私の心配と意見についてどう考えられますか、承りたいところですが……。これは、政府をここでは代表されると思いますから……。
  19. 小坂徳三郎

    小坂国務大臣 天皇の外国旅行、訪問ということが、私は、純粋に言って、これは日本の象徴としての天皇が儀礼的に相手国を訪問するのであって、そこに、いろいろな政治的な意味を付加するなんていうことは、これは厳に慎むべきことだと思います。  また、しかし、天皇の外遊ということは、これは決して私的な行為ではないわけでございまして、そのために、特に内閣の閣議の決定というようなことを経て、外遊していただくことになっているわけでございます。したがいまして、内閣の閣議によって御訪問をきめるということと、それが、その内閣の持つ国内的ないろいろな問題の解決とか、国際的な問題の解決に利用するというふうなかかわり合いがあってはならぬというふうに私は思います。
  20. 吉田法晴

    吉田委員 先年の、米国は入っていなかったと思うのですけれども、ヨーロッパ御訪問等についても、儀礼的だとおっしゃる。なるほど儀礼的でしょうが、同行をした外務大臣は、これは政府を代表して、対外的には任務を持っておりましょう、日本とイギリスあるいは日本とオランダとの間にですね。その現職の外務大臣が随行する天皇の御訪問が、純粋に儀礼的なものたり得るか、こういうことにこれはなってまいります。  それから、この間は、日本の外務大臣がアメリカに行って、話をしたとかせぬとかいう話になるのですけれども、やはり二国間の外交関係の中に、天皇陛下を利用しようと思っているのか思っていないのかわかりませんけれども、客観的にはそういうことになるのであります。  ひとつ、あとでお尋ねをしたいと思っておることですけれども、たとえばオランダに天皇陛下が行かれるときに、オランダで、これは反対デモといいますか、デモがあったという話です。戦争中に、オランダというか、インドネシアに日本からの侵略がありました。そして、あすこの白人俘虜を、日本に連れてきて、強制労働をさせました。これは鉱山だとか港湾、私は、鉱山におって知っておるのですけれども……。そうすると、オランダ人の中に、対日感情といいますか、戦争中の日本の軍といいますか、あるいは日本の行為についてのやはり感情が残っておる。それが、天皇のオランダ訪問を機会にして出たんだと思うのです。あるいは最中ではなく、前であったと思いますけれども、出た。そうすると、日本から考えますと、儀礼的で、オランダの王室との間の親善を深めるために訪問された。しかし外国人から考えますと、必ずしもそうも考えないところがございます。  それに対して、政府が外交の関係にもし利用をしたり、あるいは外交関係の中において、ニクソンの訪日、それに対する天皇陛下の訪米といったようなことを計画し、あるいは閣議決定で行かれる、こういうことをいま言われますけれども、それには、やはり政治が、外交が関係せぬというわけにいかぬじゃないか、そのことを言っているところであります。  外務大臣が随行をしたり、あるいは政治的に意味のある訪米をもし推進するとするならば、あるいは元首の相互訪問ととられたり、あるいはアメリカの対日関係の調整という問題があったり、あるいは日本の政府の対米関係の調整といったものにこれを利用しようとしないにしても、実際に日米関係の中に天皇が入られるということになるとするならば、象徴天皇は、国事には形式的に参加をされるけれども、それは内閣の責任でやる、あるいは象徴的な、儀式的なことだけをやられるんだという憲法精神を越えて、昔の明治憲法下での天皇地位のような動かし方になるのではないかということをお尋ねをしているわけであります。重ねて、総務長官の御答弁を願います。
  21. 小坂徳三郎

    小坂国務大臣 ただいまのお尋ねでございますが、私は、前回のヨーロッパ御訪問のことは、純粋に儀礼的なものだと思います。  福田外務大臣が随行いたしましたのは、やはり訪問される各国々に、日本大使館その他がございますが、そうしたところが、先方の政府といろいろ交渉して、エンターテーンメントその他の準備をいたしておるわけでございますので、そうしたことの手落ちのないこと、また、それの万全を期して、御訪問が意味あるようにするという意味で、私は、外務大臣が随行するのは、当然のことではないかというふうに考えます。  それから、同時にまた、ただいま、憲法四条あるいは七条あるいは八条、いろいろとあるけれども、いまのやり方は、それを空洞化しようとしているのではないかという御質問でございますが、私は、決してそんなものではないし、また、その空洞化をはかろうとするようなことは、むだなことであると考えます。やはり現在の民主主義社会における象徴としての天皇、この地位を大切なものだと私は考えております。
  22. 吉田法晴

    吉田委員 そうは思いませんというだけでは、納得がなかなかいきかねるところですが、具体的に危険を指摘をしたところでありますが、応酬を繰り返しても、しようがありませんから、先に進みます。  先ほど引き合いに出しました三笠宮の「帝王と墓と民衆」の中にも、終戦直後、天皇の戦争責任という問題が取り上げられたことがあるがということばがあったと思います。それは、御自分で「最初に当面した最大の問題は、皇族という身分に止まるかどうかという問題であった。当時は天皇退位の問題や戦争責任の論議などがあったので、すくなくともわたくし自身の心の中では、それは、じつに真剣な問題であった。」ということばの中にも、あらわれております。  最近の国民の心情からいえば、少ないと思いますけれども、しかし、さっき次長が言われましたように、正月の参賀のときにさえ、かつては石が飛んだということがあって、それで警備で守ろうとしておられますけれども、私は、警備で守るよりも、その辺については、そこが皇室民主化の最大のかぎだと思うのでありますけれども、いわば憲法のいうとおりに、昔の天皇制に返すのじゃなくて、国民象徴としての天皇民主化された天皇として、国民に親しまれる天皇になられるように御援助申し上げることが、内閣にしましても、あるいは宮内庁にしても、必要だと考えるのですが、そこで、二つの点を尋ねたいわけであります。  一つは、これは、もうすでになくなりましたが、みずからキリスト教の独立伝道者と申しておりますが、村田大造という人がおりました。これは、極端な人といえば、それまででございますけれども、国民の中に、どこかこういう考えを持っている人もおるという意味引き合いに出します。適当なところがございませんから、私は、その趣旨をくんであれをいたしますが、村田大造という人は、八十二でなくなりましたが、男の子を二人持っておった。そして、その男の子が、戦争中、天皇陛下のお召しによって、一銭五厘のはがきで前線に出ていった。そのむすこも、クリスチャンだったから、戦争で死ぬことを欲しなかったけれども、前線にかり出されて、どこかわからぬところで戦死をしていった。そしてまた、戦死をしたあとの戦没者に対する弔慰金は、われわれのところは四千円もらったけれども、東條大将や何かは何万円という、弔慰金の大きな差もある。こういうこともございますが、そういう二人の男の子を、二人とも戦争でなくした。そして、戦争に召集されたのは、天皇のお名前で召集されたと考えておるだけに、戦争責任という問題について、しりのしりまで言っておりました。そういうことについて、どういうぐあいに考えられますかが一つ。  それからもう一つ、国内的には済んでおるようでございますけれども、先ほど申し上げましたように、先年の訪欧の際には、イギリスの女王の口から、二国の間には好ましいことばかりではなかったという御発言があったということです。それからまた、オランダで、復員軍人同盟の天皇御訪問反対のデモがあったということも先ほど申し上げました。こういう天皇陛下の、初めて外国に出られた機会における対外的な発言の機会は、イギリスの女王の発言に対する御発言としてもあり得たのではなかろうか。それから、そういう意味では、国際的に戦争と戦争犯罪に対する反省というものが、われわれ全体にあるのだろうかどうか。このことは、イギリス女王の口から出た、あるいはオランダで、復員軍人の中からデモがあったということだけでなしに、この間、田中首相がインドネシアあるいはタイ等に行かれた際にも、私は、最近の経済的な、エコノミックアニマルとしての日本のあり方、経済的な進出のあり方だけではないものがあるような気がします。  先ほどインドネシアについては触れました。これはオランダの兵隊だけではないと思います。戦後、日本に来て、日本人との友好を拡大するために、恩讐を越えて他国に来て、そのとき世話になった人たちとの間に交流、交歓をした人もございます。その心境はりっぱなものだと思いますけれども、これは、国として、あるいは政治としても、あるいは皇室のおそばについておられる宮内庁としても、御説明があってしかるべき問題だと思いますから、御答弁をいただきたいと思います。
  23. 瓜生順良

    瓜生政府委員 第一の関係で、村田大造さんの息子さんが戦死されたことに関連して、これは、国民全般の一つの例としてのことでございますが、天皇陛下とされましては、あの戦争につきましては、当時、軍国主義的な国家情勢があって、そのために、心ならずもああいう戦争となり、非常に心を痛め、残念に思われて、その犠牲者に対しては、いまも胸を痛めておられるわけでありまして、それは毎年の戦没者追悼式の際にも述べておられます。将来のために、再びこういう戦争があってはいかないし、永遠の世界の平和を望むということは、常に申されておるのであります。そういう点は、われわれも十分に承知いたし、その点で、われわれの仕事においても、遺憾のないようにいたしたいと思っております。  それから第二点の、外に対する関係でありますが、これは、いま昭和四十六年の秋、ヨーロッパに行かれたときの例を引かれたのでありますが、英国の女王との晩さん会の際に、女王のほうでは、必ずしも好ましいときばかりでなかったということを言われたのですが、こちらの天皇陛下からのごあいさつに、それがなかったという点が、当時、英国の新聞でも問題になったということを聞いております。実は、別の機会の、ウェストミンスターのときには、それについて、ちょっとおっしゃっておったわけですけれども、しかしながら、女王の晩さん会のときには、どちらかというと、明るい思い出ばかりをおっしゃっていた。それで、英国の女王のほうの関係と、ちょっと合わなくて、あとから考えると、批判の余地はあると思います。しかしながら、これも、いまの陛下のお立場上、政治的な御発言を避けて、儀礼的であられなくてはいかぬ点もあるのですから、その発言のなさり方は、なかなかむずかしい点があると思います。  そういう意味で、対外的な関係についても、儀礼的なお立場におられるだけにむずかしい点はありますけれども、ときには、おりに触れて、そういう問題も述べられておることもあるわけでありますが、将来についても、そういうことは検討すべきことかと思っております。
  24. 小坂徳三郎

    小坂国務大臣 天皇のいろいろな御発言や、その他を、われわれ慎重にいつも拝見しておりますが、やはり戦争のこと、そしてまた、戦争犠牲については、非常に深く心を痛めておられることがわかるわけでございます。  また同時に、特に国会などでよくおことばがありますが、日本国憲法の定めに従ってということを、いつも言われておるわけで、この日本憲法の中には、かつての軍国主義時代と違って、憲法九条をもって戦争をしないという国是、また平和国家としていくのだということ、国内政治においては、民主化をどんどん進めるのだ、そして議会制度、議会主義を守って国の政治を行なっていくのだというわけでございまして、そうしたことが、いつもおことばの中に入っている点、私は、そうしたこと全般から見まして、天皇のお気持ちというものに敬意を表しておるわけでございます。そのように私は考えておることを申し上げておきたいと思います。
  25. 吉田法晴

    吉田委員 どちらからも、オランダの話はございませんでしたが、英国での話は、晩さん会のときには出なかったけれども、別の機会にはそういうあれがあったという。戦後、初めての天皇御外遊の際のことですから、戦争中の責任、あるいは戦争犯罪についての反省、あるいは謝罪をされるのに適当な機会ではなかっただろうかという意味で、これは、あとからの話ですけれども、いろいろ論議をされた。そういう点について、御自身については、いま言われるように、たいへん御自責の念がおありだとか、あるいはこの間、御成婚五十周年記念の際にも、全国を回られるのにわらじばきで回りたい、そういうお気持ちであったということがいわれております。しかし、先ほど来、宮内庁のおえら方の問題について、責任を問うておるわけですから、最初の外遊の際に、そういう問題についても、いわば御援助申し上げる点について欠けるところがあったのではないか、こういうことを申し上げたわけであります。  昔のような無答責という姿勢では、民主主義的な、あるいは錯綜しております国際関係では、なかなか通らないのではないか。そして、そのことは、オランダでの訪和反対のデモになっただけでなしに、先般、田中首相が東南アジアに行かれた際にも、最近の日本の実情が、昔のことを思い出させるだけに、東南アジアの諸国に対してかけた迷惑についての反省が対外的には十分表明されていない。賠償はやられたかもしれない、あるいは経済援助はやられたかもしれない。しかし、日本で起こっておることはどういうことなのか。対外的には、やはり軍隊復活、それも、先ほど申し上げましたような昔の天皇軍隊復活しているとわれわれにも考えられる。外国から見れば、これはタイムスにも出ましたように、日本の軍国主義復活といったものが心配されるのと、過去の反省の上に立って、新しいアジアの友好関係、善隣関係を打ち立てようという点が見えないところに、私は、最近のああいう事件が起こるのではないかと考えますだけに、この場を過ごしておけばいいという問題ではないこととして、側近宮内庁のおえら方に、それから内閣の、この場では総務長官が最高の責任者でございますので、総務長官お尋ねをしておるところでございますから、もっと誠意をもって、これからの問題として御答弁をいただきたい。
  26. 小坂徳三郎

    小坂国務大臣 オランダの場合は、たいへん恐縮でございますが、私自身も、オランダに参ったときに、会う人ごとにたいへん非難を受けました。戦後でございます。これが一回だけではなく、もうずっと長く続いておるわけでございまして、オランダの日本に対する感情は、前の戦争で非常に悪くなっているということは、すでにだれでも体験している点ではなかったかと思います。  陛下がいらっしゃる前に、そうした問題を少しでもゆるめ、そして、もっといい状態にしておくという努力、これは、やはりインドネシアの独立ということとからんでおると思いますが、そうしたような関連について、十分配慮をしなかったのは、政府としても、十分反省をした点だと思います。  先般の、田中総理の東南アジア訪問におきましても、日本の、今日までの経済進出の姿勢が、一般大衆にきわめて悪い印象を与えていたということが如実に示されたわけでございます。総理は帰ってまいりましてから、閣議で数度、この問題についての、今後の日本の経済協力というもののあり方、そうしたものについての反省を繰り返して申しておりますし、先般も、経済界との懇談の席におきまして、強くこの点についての反省を求め、今後は、政府とまた民間は、こうした一般の大衆が不愉快だと思うようなことはやめようじゃないか、今日までやってきたものにいいものもあったけれども、しかし、悪いものもあるという事実を率直に認めて、今後の経済的な協力あるいは外交関係すべてを、もう一回ここで練り直そうではないかということを呼びかけておりました。  そうしたことに関連して、今度新しく、また、そうした問題を、十分に政治活動の中で表現するような組織もつくるというようなことにまで政府は対策を進めておるわけでございます。御了承いただきたいと思います。
  27. 吉田法晴

    吉田委員 元号の問題については、同僚議員から、ずいぶん質問がございましたから、いわば、手続の問題といいますか、あるいはその他については、もう重複を避けます。  ただ、これは、私の意見も含めますけれども、元号の問題についての、いままでのいろんな意見、それから新しい憲法のもとにおける皇室民主化、そういうものを考えると、私は、当然に、いわば憲法的な制度として、憲法的な観点から考えるならば、天皇の一代の名称と、それから元号、歴史的な番号というものは切り離さるべきだと思います。そういう意味においては、国際的に使われておる西暦を使うのが、新しい憲法精神ではないかと考えますが、手続的には、いろいろ論議をされますけれども、手続の問題を抜きにして、結論だけを承りますが、総務長官、いかがでしょう。
  28. 小坂徳三郎

    小坂国務大臣 先般も、皆さまにお答え申し上げたとおり、この問題は、きわめて厳粛な問題であるということを私は考えております。  なお、本委員会におきましても、諸委員の皆さま方から、いろいろの御意見も出ておりますし、また、われわれ自体としましても、元号についての世論の動向等も、世論調査等をいたしておりますが、引き続いて、今後、慎重に検討してまいりたいという考えでございます。
  29. 吉田法晴

    吉田委員 前の答弁を繰り返されたのですが、厳粛な問題と言われるのですが、厳粛な問題というのは、どういう意味か私、わかりませんけれども、古い明治憲法時代の元号の問題と新しい憲法下における元号の問題とは、これは別だと思う。厳粛な問題だと言われる意味が、ようわからぬのですが、古い考えでなければ、厳粛な問題でも何でもないし、ことしを何年と呼ぶか、西暦何年と呼ぶか、あるいはまさか日本歴史が二月十一日に始まって云々というものを——紀元の日というのは、きまっておりますけれども、日本暦皇統何年ということでもないでしょう。厳粛な問題というのが、理由がわかりませんけれども、それと暦年の問題とは別の問題じゃないか。新しい民主憲法のもとにおいてきめるのならば、国際的に通用する暦年、それ以外にないのではなかろうかと考えられますが、どうでしょうかということです。  厳粛の意味と、それから世論を聞きながらきめたい——制度的には、公式制度連絡調査会議ということですが、実際に、これは、そこにかけるという姿勢もない。慎重に云々ということで、じんぜん日を送られますか、いかがでしょう。
  30. 小坂徳三郎

    小坂国務大臣 お答え申し上げますが、これは、一つの実例として、小学校、中学校及び高等学校の教科書においては、昭和四十三年八月に、文部省の初等中等教育局長が通知を出しまして、教科用の図書検定基準実施細則によりまして、日本の歴史の紀元について、重要なものについては、年号と西暦が併記されなければならないというふうにしているわけでございます。  したがいまして、ただいまのお話のように、こうしたことについては西暦を使う、また併記をするということは、すでに行なわれておることでございます。  それからもう一つは、厳粛なことと申しますのは、やはり象徴である天皇の生命の問題とか、あるいはその他のきわめて重大な変化ということを意味しますから、したがいまして、われわれとしましては、そうした国民象徴である天皇の身分の、あるいは生命についての大きな変化ということ、これをあらかじめ予測して、また、あらかじめこれをどうするかという問題については、いまのところは、すぐ取りかかることがなかなかむずかしい、心情的にきわめてむずかしいということを申し上げている意味でございます。
  31. 吉田法晴

    吉田委員 以上、幾つかの問題について、お尋ねしてまいりましたが、最後の年号の問題で厳粛な問題と言われた、その厳粛な問題のゆえんをお話しになりましたが、その辺にも、やはり問題があると思いますが、これは考えの違いがあるようですから、私は、私の立場を申し上げるにとどめます。  最後に、皇室経済の問題について、先般来から資料を求めておるところでありますが、資料は相談をいたしましてということでございますから、まだ結論が出ておらぬと思いますが、相談をしてお示しをいただけるとするならば、いつごろになるだろうか、それだけを承りたいと思います。積算の基礎の内訳なり、あるいは実績についてお尋ねをした同僚議員の質問に答えて、自分だけで申し上げるわけにもいかぬ、そこで相談をいたしまして——皇室会議ですか、相談をしてという回答でございました。だから、その回答をいただける見通しを伺うわけです。
  32. 瓜生順良

    瓜生政府委員 先日、木原先生からの御要望のあった点だと思います。むずかしいけれども、研究してみますと言ったそのことだと思います。いろいろ研究いたしまして、やはり大体のことはおわかり願うような何らかを考えるべきだろうということで、いろいろ調査をいたしました。こういうことを申し上げれば、概略がおわかりじゃないだろうかということをここで申し上げます。  内廷費についてお尋ねがありましたが、内廷費は、これは天皇、皇后両陛下、皇太子、同妃両殿下、それから東宮御所の浩宮さま、礼宮さま、それから紀宮さま、お三人のお子さま、全体で七人になられますけれども、そういう方の経費でありますが、そのうちで物件費的なものは、最近三年くらいの実績を見ますと、六七%であります。あとの三三%が人件費です。  六七%の内訳で、これを六つくらいに分けて申し上げたらというふうなことで、第一の点は、御服装、お身の回り品等の費用でありますが、これが大体一八%程度であります。それから第二番目は、お食事関係の費用であります。これは、そういう方々のお食事以外に、御親族だとか縁故者を招かれての御内宴も含みますけれども、そういうお食事関係の費用が一三%ぐらい。それから第三に、奨励、災害見舞い、その他御交際の費用。まあ奨励と申しますと、学芸関係、体育関係社会事業、そういうようなものがありますけれども、災害見舞いは、地震があったり、水害があったり、火事があったりする、そういうことであります。その他御交際の費用というのが一〇%程度であります。第四番目に、御教養、御研究、御旅行等の費用であります。この点は七%程度です。第五番目に、神事等の費用、宮中三殿でいろいろ神事があります。それから伊勢神宮にお供えをされたりするような、そういう神事などの費用が七%くらいです。第六番目は、その他の費用。その他の費用といいますと、そのほかに医療の関係、つまりお薬とか医療の関係ですとか、御物の管理の関係、その他の雑費、そういうようなものが一二%。いま申し上げたのを、ちょっとお足しになりますと六七%になるわけです。まあ、こういう私経済的なものでありますから、年によって、いろいろ相違もございます。これは概要を申し上げたのであります。
  33. 吉田法晴

    吉田委員 この物件費と人件費に分けて、六七%が物件費、それから人件費三三%、その六七%の内訳も、パーセンテージで示されました。しかし、私は、そもそも内廷費なら内廷費について、この間から、これだけのものがある、あるいは項目をあげられたことがあると思いますけれども、何か皇室のことはのぞかせぬ、あるいは触れさせぬという態度を感じましたが、それは間違いじゃなかろうか。  少なくとも、民主主義というのは、合理主義の日に当てて、ごもっともだと考えるものが、説明の資料としてはなければならぬのじゃなかろうかと思います。なるほど、パーセンテージを示されたのは、これも初めてだと思いますけれども、それを資料にして、金額を入れて、表でいただくわけにいきませんか。内廷費のことだからのぞかせぬ、あるいは触れさせぬ、説明も十分せぬで、それで納得をしてくださいというのは、これは、やはり神秘主義の影響です。昔のそれこそ旧憲法時代ならともかくですけれども、説明をするとするならば、人間が納得できるだけの資料を、やはりおそろえになるのが当然だと思うのですが、いまの説明を金額にして、あるいは積算の基礎等もお示しいただいて、お示しをいただくわけにはいかぬのですか。
  34. 瓜生順良

    瓜生政府委員 内廷費は、私経済のことでもあり、年によって御需要の相違もありますし、内廷費そのものの定額も、法律の定めるところによって変わってまいりますので、このパーセンテージで申し上げたほうが、大体の御仕組みがおわかり願えるだろうかというふうに考えるわけです。で、これをかけてごらんになれば、大体の金額が出るわけでありますけれども、そういう点がございます。  なお、あまりこまかくなりますと、これは、やはり私経済的な面で、これはお手元金であって、宮内庁が経理する公金とはしないという皇室経済法の条文もございますので、そのたてまえ上からも、まあ、このあたりがぎりぎりで、ひとつ御了承願いたいと思います。
  35. 吉田法晴

    吉田委員 これは、同僚の木原委員からも質問をいたしました。それから、ほかに、この問題について質問をした人も何人かおります。ですから、私が一人で承って、これで了承するというわけにはまいらぬと思いますが、これは相談をさせていただきます。させていただきますが、それでは、さらに、これ以上の説明はごめんこうむると、こういうことですか。これ以上の説明は、あるいは数字にしてお示しをいただくというわけにはまいらぬ、こういうことですか。
  36. 瓜生順良

    瓜生政府委員 これは、まあ、内廷費の性質上、私経済であり、お手元金であって、宮内庁の経理する公金でないとあるものですから、公には、あまりこまかく申し上げるというのを差し控えるのが、まあ、われわれ公務員としての義務であろうと思います。そういう点で御了承願います。
  37. 吉田法晴

    吉田委員 取り扱いは、相談をさせていただきます。これは、委員長にも相談することかもしれませんけれども……。  これは、ごく最近ではないと思いますけれども、何かこのごろ読んでおりましたら、戦後のことであったかと思いますけれども、皇室から五万キロの砂糖が、いわば困っておる国民に出されたことがあるということであります。ですから、いわば、いまパーセンテージで言われましたが、総額をパーセンテージで出しますと、おおよその金額はわかるかもしれません、それから先は想像してくださいということなら別問題でありますけれども。私は、民主主義というのは、ある程度の説明、納得が必要だと思うのであります。それに近い資料をいただけませんかというのですが、まあ、これ以上は勘弁してください——勘弁するかどうかは、木原委員やら、あるいは他の党との関係もございますから、相談をさせていただいて、質問を留保させていただきます。これを委員長に御了解いただきたいのでありますが、そういうことがあったということは御存じですか。   〔委員長退席、小宮山委員長代理着席〕
  38. 瓜生順良

    瓜生政府委員 存じませんです。
  39. 吉田法晴

    吉田委員 それからもう一つ。いわば皇室に御料牧場というのがある。馬の牧場やら、それから乳牛のことは、前に御説明がございました。そして、その乳牛から牛乳がとれる、あるいは卵を云云という話がありましたが、これらのものは、内廷費には関係なしに、内廷費でない皇族費で、そこから出ましたもの、牛乳だとか馬だとかいうものは、皇室がお使いになるものだと思うのです。いわば財産としてあるもの、そういう貯蓄をされているものの中から、利子あるいは取りくずしてお使いになることもあり得る云々というようなお話もいつかありましたけれども、それとは別に、乳牛だとかあるいは鶏を飼っているとかいうものは、これは内廷費とは関係ありませんか。
  40. 瓜生順良

    瓜生政府委員 御料牧場の生産品のことだと思いますが、御料牧場は、皇室用財産でありますので、そこでの生産品は皇室の用に供される。皇室の用に供される場合に、公的な宴会、もてなしに使われる場合もあり、なお、内廷の、両陛下などが召し上がるという場合に使われる場合もあります。これは、両方が、要するに皇室の用に供するというふうに解釈されております。  したがって、内廷で、これは一部そういうようなものをお使いになるのもありますけれども、しかし、その量は、そう多くありません。一般の市中からお買いになるほうが、ずっと多いわけでありまして、そして、そういう生産品の使途としては、公的な場合のほうが多いわけであります。
  41. 吉田法晴

    吉田委員 それから、木原さんも質問をしておりましたけれども、献上品とかいろいろございますね。   〔小宮山委員長代理退席、委員長着席〕 それは、また、その地方の産業の奨励にもなっておるという関係もございますが、いわば、内廷費といま、おっしゃった御料牧場からの、お使いになるのは小量で、公的なもてなしの用にも供される、こういうお話ですが、内廷費と、それから、その他の皇室経費との分別はしないでお尋ねをしておりますが、それらの点について、大綱は資料でもらえますか。計上されましたものの説明は、物件費、人件費でパーセンテージで示されましたけれども、一億何千万円のほかに、いわば物で、御料牧場からの牛乳、鶏、卵の話が出ましたけれども、そういうものを、一々ここで聞いてもしようがないと思うのです。資料でいただけますかというお尋ねをしております。
  42. 瓜生順良

    瓜生政府委員 御料牧場の生産品から、皇室の用に供されて入ってきておるその量が、どれくらいかというお尋ねでございますか。
  43. 吉田法晴

    吉田委員 それを、一々聞かないで、資料でいただけますかと聞いておるのです。
  44. 瓜生順良

    瓜生政府委員 こういうもの、こういうものというふうに、それはできまずから、お出ししてけっこうです。
  45. 吉田法晴

    吉田委員 お互いわれわれ、貧乏人の出身なものだから、つい財産があれば、その財産からどのぐらいの収入があるのか、それから、この東京の混雑する中でいいますと、子供じゃありませんけれども、あんな広い宮城の中で、うしろのほうにはキジが住んで、生まれたら外に遊びに来ているそうだけれども、どうなっておるのだろうかという疑問を持ちます。これは、しかし、疑問も子供らしい疑問でありますけれども、やはり一応説明のつくものが必要であろうと考えますだけに、審議の資料の中には、一応御料牧場その他を資料としていただきたいということを申し上げます。  それからもう一つ、中の広さと、それから利用されておる方法等に関しては、いまの宮城の建物が——宮内庁の庁舎ができる前にしか、私ども拝見をしたことはございませんが、当委員会で参観をできる機会があれば、委員長として、ひとつお取り計らいをいただきたいということをお願いしておきます。それでは、その資料の点については、いただけますね。
  46. 徳安實藏

    徳安委員長 資料は、一ぺん理事会によくはかりまして、そして正式に要求するようになりましたら、正式に要求するようにいたします。
  47. 吉田法晴

    吉田委員 それでは、資料に関連するいまの、木原君等から質問をしました内訳の説明等については、私ども相談をいたしますが、いまの資料もございますから、質問は留保して終わります。
  48. 徳安實藏

    徳安委員長 中路雅弘君。
  49. 中路雅弘

    ○中路委員 私は、最初に、皇室経済法施行法の法案について、簡潔に二、三御質問しまして、あと、きょうは下田の須崎と、それから神奈川県の葉山にあります御用邸に関連する問題について、幾つか御質問したいと思います。  今度の、内廷費、皇族費の値上げについて、その理由のところで、最近の経済情勢にかんがみて必要と認めたというのが書かれてあるわけですけれども、これは、先日のときも、お答えになっていましたが、どういう経済状況の場合に値上げを出されるのか、その根拠について、もう一度簡潔にお伺いしておきたいのです。  先日は、四十三年十二月ですか、皇室経済に関する懇談会で確認された方針として、物価事情、公務員給与の改定状況等に基づいて算出する増加額の見込み額が、定額の一〇%をこえる場合に改定を実施するという意味のことをお話しになりましたが、この定額の一〇%をこえる場合という問題について、もう少し簡潔にお話し願いたいと思います。どういう状態の場合なのか。
  50. 瓜生順良

    瓜生政府委員 これは、この内廷費や皇族費の中に、物件費的なものと人件費的なものがあります。定額できめまして、その後、物件費の点で予測しないような支出がある、あるいはまた、場合によっては物価が上がっていって支出がふえる、それから人件費の場合ですと、人件費が、一般の公務員がベースアップすると、それに伴って上げなければいけない、そういうことで、この支出をふやしていかなければいけない、そういうことで、そのために、そうした物価情勢あるいは給与のベースアップの情勢並びに特に不時の何かが最近ふえたというようなことがありますと、そのふやす程度が一〇%以上であるというような状態が出ますと、そういう場合には、定額の増額の変更をお願いしようということであります。  現在のお願いしております場合で申しますと、現行の内廷費に対して、そういうような物件費、人件費の増加を必要とするパーセンテージが一九・六%、それから皇族費の関係で申しますと、そうした増加を必要とするパーセンテージが二一%ということでございますので、増額の改定をお願いすべきだというふうに考えておるわけであります。
  51. 中路雅弘

    ○中路委員 この値上げの根拠が、いまおっしゃったように、物価上昇あるいは公務員の人件費のアップ、これが主として根拠になっているわけですね。ここで審議をしなくてはいけないのは、いわゆるもとになっています、いまの内廷費が妥当なものかどうかということについては、わからないわけですね。私たちに、この出されたものではわからない。象徴としての天皇の職にある、いわば特別公務員ともいえるわけですけれども、国事行為をやられる象徴天皇としての内廷費が正当であり、妥当なものであるかということが一番根拠にあって、人件費が上がる、物価上昇があれば、それにさらに必要な額が加算されるというのならば、その範囲では納得できるわけですけれども、もとのものが非常に足りないのか、あるいはそれでも十分やっていけるのか、そういうことが全然なしに、ただ物価がこれだけ上がったから、二年たてば一九%になったから一〇%定額をこえるということで年々申請されてきて、この十年間で見ますと、約二倍になっているわけですけれども、これが妥当なものかということを判断する根拠がないものですから、こういう提案というのは、審議する場合に、非常に困るわけですね。  たとえば、この人件費の中に、この前御説明ありましたが、私的な費用の人たち、掌典だとかありましたけれども、二十五人の中に、たとえば生物学研究の助手の方ですか、四名入っていましたね。こういう点を見ますと、生物学の研究というのになりますと、これは天皇の私的な研究ですから、代がかわれば、また趣味や学問研究、そういったものも変わるわけですから、いわば皇室経済法の七条にある、公的な性質を持った、引き継がれていく由緒あるものと言えないわけですね。一代のものだと思うのです。それが変われば、生物学研究の人件費、その部分は、当然、基礎のほうは変わってくるわけです。  だから、私が言っているのは、いまの象徴天皇としての妥当な内廷費、そういうものが根拠にあって、それでさらに人件費がアップになるから、これだけそれにふやしてもらう必要がある、こういう提案でないと——私も、一つ一つ御手元金の中身について、せんさくをするということを決して言っているのじゃなくて、全体としてそれが妥当なものであるかどうかということを根拠にして、それから物価上昇や人件費の問題も考えていかないと、出されているこれだけ必要なんだということの根拠がどうもはっきりしないというように思うのですが、皇室経済会議で論議をされる場合に、検討される場合に、その点はどういうふうな扱いになっておりますか。ただ、物価上昇があり、これだけ二年間に上昇があった、人件費もアップがあった、定額にかければこうなったからということで申請されるわけですか。
  52. 瓜生順良

    瓜生政府委員 おおむね、いまおっしゃったようなことでありますが、これは、最初、戦後、昭和二十二年に、まず内廷費が八百万円にきめられたことから、だんだん基礎になってきておりますけれども、その途中においては、時によると、イギリスの王室費の国民一人当たりの平均所得に対する倍率を参考として算出した、昭和二十七年度にそういうようなことがあったりもしております。それから、昭和三十六年度には、国民の消費支出の上昇率を採用した。消費支出は、物価指数よりも高いわけです。実際は、内廷費は、宮内庁の経理する公金でありませんけれども、私的な面を宮内庁のほうでもお手伝いをしているという関係で、ある程度わかっておって、非常にお苦しいような状況のときには、特にお願いしておるということだったと思います。そういうことで、最近は、ずっと物件費には、物価指数、それから人件費には、公務員のベースアップの率をかけてきております。  なお、その基礎について、いままで、あまりばく然として、どうもわかりにくい、盛んにいろいろ御質問もあり、われわれもいろいろよく研究をいたしました。先ほど吉田先生の御質問の際に、先日、木原先生が言われた点、むずかしいが、研究してみますと、研究の結果というのでパーセンテージでお示しいたしましたし、それでも大体見当がつくと思いますと私は思うわけでありまして、実際、この皇室のほうの関係は、質素を旨としておられますし、そうむだな経費はお使いになっていないとわれわれも拝見しております。しかし、いま言ったように、物価指数も上がり、人件費も上がってくれば、やはり増額を考えなければいけない、こう思うわけでございます。
  53. 中路雅弘

    ○中路委員 いま、イギリスのお話も出ましたけれども、最近、私が見たロンドン・タイムズの中で、イギリスでも、いま女王の住居の改築、そういったものが議会に出されておりますが、それについて、いまの経済事情の中で、こういう増築、改築の相当大きなものをやるのはどうかということで、相当大新聞でもきびしい批判をやっているのがあります。  性質は違いますけども、私たちも、先ほど言いましたように、いまの憲法象徴天皇としての国事行為があるわけですが、それにふさわしい妥当な内廷費ならば、これは必要だと思うのですけれども、全体として少し高いのじゃないか、高過ぎるのじゃないかという考えがあるのです。しかし、これは、はっきりした根拠は、やはり示していただいて、それについて審議ができるような計らいをしていただきたい。そうでないと、物価上昇率が幾らあったから、それをアップすれば、人件費をアップすれば、幾らになるから、今度はひとつ、これだけにしてほしいということでは、やはりこれを審議するのに、根拠といいますか、理由が非常にはっきりしないというふうに考えますので、これは、これからこの種の問題を扱っていく場合での一つの要望として特にお願いしておきたいというふうに思うわけです。  それからもう一つだけ、この問題をお聞きしておきますけれども、皇室経済会議の構成で、八名の中で、宮内庁長官が入っておられるのですが、その所管の総理府の総務長官が加わっておられない。宮内庁は、いわば皇室経済会議の場合の説明役のような立場に立たれるんじゃないですか。だから、この会議には、その所管の長である総理府の長官が参加をされる、これは法律改正に関係しますから、あれですけれども、この機会に、お聞きしておきたいのですが、経済会議の構成について、当然、総理府の総務長官が参加されるのが妥当ではないかと思うのですが、一言ちょっと御意見があれば御説明願いたい。
  54. 小坂徳三郎

    小坂国務大臣 宮内庁長官ですか、この方が、この会議に入っているということは、内部的によく事情を知っているから、他の委員に対しても、説明が十分行き届くという意味でいいんじゃないかと私は考えます。  それから、ただいまおっしゃいましたように、私がこの委員になっておらぬのはどうかという御意見なんですが、総理府が外局である宮内庁を監督をするという立場にあるわけで、職制からいえば、入っていいんではないかと思いますが、一面からいたしますと、総理府そのものの長は内閣総理大臣でございますし、内閣総理大臣が、この委員会のメンバーでございますので、必ずしも私が皇室経済会議委員にならなくてもいいというふうに考えております。別に積極的に入らなければ、職務が果たせないとは考えておりません。
  55. 中路雅弘

    ○中路委員 これも研究しておいていただきたいと思うのですけれども、おっしゃったように、宮内庁のほうは、皇室経済会議ではあくまで説明役ですよ。それを審議するということになれば、所管の総理府の長官が入られたほうが——宮内庁は、経済会議において、いろいろ諮問を受け、説明もするということのほうがいいのではないかと私は思いますけれども、一応いまの法律では構成がきまっていますから、研究していただく、要望しておくということにしておきたいと思います。  きょう、二つの御用邸に関連する——これは、直接御用邸の問題ではなくて、それに関連した地元の皆さんのいろいろ要望や陳情的な意見ですが、そういうものに関連して幾つかお尋ねしたいのです。  最初は、下田にあります須崎の御用邸に関連する問題ですが、四十三年十月ごろから用地買収をやられて、この須崎の御用邸については、住友不動産の分と須崎の財産区の分があったと思うのですが、この御用邸の中に天皇の生物研究所もほぼでき上がっているわけです。三井浜という浜にできているわけですね。この浜を使用していました約四百人の漁業協同組合の組合員がいるわけですが、御用邸用地とされて、そこに生物研究所もつくられる。相当りっぱな写真もあります。ほぼでき上がる前、最近の写真ですけれども、この三井浜を漁港がわりに使っていました漁民については、当然、その代替としての漁業を続けていく補償がやられなければいけないと思いますけれども、この点について、簡潔に、どんなになっているのかということを最初にお伺いしたいのです。
  56. 瓜生順良

    瓜生政府委員 この漁業協同組合の漁業基地が、今度の御用邸の用地の中にありました。特に、その海岸の先のほうのところですけれども、海水浴をしたり、いろいろ海岸で貝拾いなんかされるそういう場所でございまして、やはり移転の必要があるというふうに考えられて、漁業協同組合のほうとも交渉いたしました。ただし、漁業権については制限しない。その湾内でいろいろ漁業されることは制限しないということです。  それから、基地をどこか別のところに移っていただこう。で、少し別のところへ移っていただくということで、そのために、代替の施設をつくる建設補償といたしまして、千五百六十三万七千円を漁業協同組合のほうに渡した、支出したわけであります。それで、一応基地をつくられて、そのかわりのところがあるということで、引き続き漁業をやっておられるということであります。
  57. 中路雅弘

    ○中路委員 私が聞きましたところでは、いまおっしゃったように、その代替の九十浜というのですか、隣の先のほうですね、これに宮内庁が千五百六十三万七千円出されて、いま、おっしゃいましたように、それと関連して船を揚げた場合に、収獲物なんかを入れている小屋が、前に三棟ばかりありますね、それとも関連して三十六万三千円が出ていますから、全部で約千六百万円補償として出されているわけです。  しかし、現地で聞きますと、この移った、かわった港に、合計しますと二千四百万かかっておりますね。三百万で、いわゆる荷を揚げる小屋がいままで三つありましたけれども、荷揚げ場をつくりましたし、それから新しく浜で使うところにおりていく二十六メートルくらいですけれども、急斜面の道路、これに五百万ということで、全部で二千四百万かかっているのですが、これを地元の財産区——こまかい点は、省略しますけれども、財産区と市と県が全部分担をして出しているわけです。だから、結果でいいますと、現地で相談をされて、代替の浜を一応つくるということでされたわけですけれども、実際には、千六百万と二千四百万、八百万ほど地元に大きな負担になっておるということがあるのです。  いま、私は、この問題というよりも、この代替につくられた浜が、港の先にあるものですから、エビの最盛期、九月から五月ころまでですが、東風、東北の風が吹いたときは、船つき場がほとんど使用できないということで、調べてみましたら、エビの最盛期のほぼ半分は使用できない。というのは、防潮堤が十八メートルつくられたわけですね、この十八メートルでは、使用ができないので、現地では防潮堤を延ばしてほしい。下田の海上保安庁に聞きましても、これは非常に危険なので、早く防潮堤を延ばすというふうにしないと、船の使用ができないということも言っているわけですが、地元で聞きましたら、あと三十メートルくらいはぜひ延ばしてもらいたい。前の三井浜というのは、一番奥の、入り組んだ、いいところにあったのですが、今度は、みさきのほうに出たものですから、船が使えないというのです。  この港を移るのについても、いま言いましたように、八百万ほど地元が特別負担していますけれども、そのつくられたところが、そういうことで、一番最盛期に半分くらいは使用できないというので、少なくとも、この防潮堤については延ばして——地元の漁業協同組合四百人の人たちが使用していた港です。その代替としてやられたわけですが、これについて、海上保安庁でも危険性を指摘しているので、最初、おそらくお話をされてつくられるときには、これぐらいでだいじょうぶだろうということもあってつくられたのだと思いますけれども、実際には、半分ぐらい使用できないということなので、少なくとも、この防潮堤については、国のほうで解決をしていただくということが強い要望であるわけですが、いま、すぐここでどうするということができなくても、これは代替としてやられているのですから、国も責任があるわけですし、この点について、長官のお考えを最初ひとつお聞きしたいと思います。
  58. 小坂徳三郎

    小坂国務大臣 やはり、こういうようなことで、住民に対してそういう問題があるということは、好ましいことではないと思いますので、ただいま御指摘のございました点につきましては、十分実情を聞きまして、私らも積極的に考えてみたいと思います。
  59. 中路雅弘

    ○中路委員 いま言いましたように、この港の移るのについても、相当負担が——八百万ほどですね、地元に。地元の市は、非常に小さい市でして、年間予算が、聞きましたら十九億ぐらいの市ですから、道路一つのあれでもたいへんなんですね。その中で、この荷揚げ場についても四十八万ほど負担していますし、全体で八百万ほど地元に負担をかけているわけですから、この問題よりも、差し迫ってこういう負担もかけているところですから、防潮堤については、いま検討するとおっしゃいましたけれども、ぜひとも——地元で私が聞きましたのは、三十メートルぐらいという要望が出ています。一メートルでどのくらいかかるのだと言いましたら、百万くらいだろうというお話ですけれども、その点は、ひとつ地元と話していただいて、いままで漁民が使っていた、そして一番の最盛期に漁業ができない、船がつけないということでは、たいへんなことですし、御用邸と関連している建設の問題ですから、やはり宮内庁なり国のほうが責任を持ってその点は補償をしてやる、それだけの、やはりかわって漁ができるということは、ひとつ確保できるように、あわせてお願いしておきたいわけです。  それから、こまかい点は、私、省略しまして、二、三お話ししたいのですが、もう一つは、道路の問題ですけれども、御用邸ができたので、その御用邸に向かう道路です。これは、ほとんど御用邸だけですが、幅七メートルの道路が、いままで市の道路だったのが、県のほうに移管になりまして、千八百メートル余りを、県の費用と地元の財産区が金を出しまして、舗装をしたわけです。これは、全部地元の財産区と県の負担で舗装した。県のほうが三千八百四十二万円、財産区が四千六百五十六万円出して舗装をして、これを県に所管がえになったのですが、それと振りかえということであるのかどうかわかりませんが、地元の住民の人が住んでいる須崎部落へおりていく道路、これは県道だったのですが、これが今度、逆に市の道路に、約九百メートルくらいですが、振りかえられました。御用邸のほうに行く道路は、市の道路が県道になって、地元がみな舗装したわけです。今度、県道であった、部落へ行く道路のほうが、その時期に市の道路になったということです。  今度、市道のほうが、先ほど言いました市の財政事情もありまして、補修ができないということで、いま非常な穴ぼこの状態になっているということで、これも御用邸と関連して起きた問題ですし、天皇が行かれる場合には、地元の人たちは、奉仕ということで、いま道路に水を打って、竹ぼうきで掃いていろいろやっているわけですね。そういう関係もありますので、少なくとも、この道路の修繕、補修についても、国のほうがめんどうを見ていただきたいという要望が一つ出ているのですが、この辺の事情はおわかりになりますか。
  60. 瓜生順良

    瓜生政府委員 道路の関係の、そういうことになっているということも聞いております。ただ、いろいろ研究してもらいましたのですが、やはり道路法との関係で、これは御用邸だけに限らず、各地にいろいろ国の施設がある場合に、一つの基準がありまして、その基準からいうと、どうも負担をするにはぴったりはまらないというふうには聞いております。しかし、もう少しさらに検討をいたしてみます。
  61. 中路雅弘

    ○中路委員 もっと簡単な問題で、ひとつお尋ねしておきたいのですが、これは御用邸自身に関する問題でもあるのですが、葉山の御用邸も三年前に焼失したわけですね。いまの下田の御用邸についての消火せんの問題ですけれども、これは、つくられたときに、邸内には、お聞きしましたら、宮内庁の予算で十二カ所の消火せんをつくられたのですが、周辺に消火せんがほとんどない。門の前に二カ所ぐらいあるだけだそうです。これは、そんなに費用はかからないものです。一基二十万だと言っておりました。水槽タンクで一基百十万ぐらい、四十トン入りですね。この御用邸の前を通ってずっと奥に、スイセンですか、それの観光地があるのです。だから、マイカーがいま非常に通るわけです。たばこの火その他で、ことしになってからも、四回消防車が出動した。大火にはなっていませんけれども、周辺でそういう事故も起きているということです。  その先に、爪木崎というスイセンの観光地があって、非常にマイカーが通るのですが、四回のうち一回は御用邸のほんとうに隣接したところで起きています。また、その裏には、練馬の区立の養護施設もあるのです。御用邸自身の防火という面でも、邸内だけでなくて、少なくても御用邸の周辺の必要なところには、幾つかの消火せんは設ける必要があるし、これも地元の消防署自身が、ぜひとも、あと数カ所は消火せんが必要だということを言っているわけです。  この点については、やはり地元の負担ではなくて、御用邸の建設と関連してあるわけですから、費用もそんなにかからないわけですから、宮内庁のほうで消防署とも地元とも相談をされて、これは御用邸自身の防火でも必要なことですから、至急に、この消火せんについては、つけられるというふうにされる必要があると思うのですが、これについて……。
  62. 瓜生順良

    瓜生政府委員 現在、御用邸の周辺の道路に、市で設けた消火せんがあるそうでございますが、純粋に御用邸のためというわけではないようであります。あのあたりは、いま、おっしゃったように、スイセンの名勝地などあって、たくさん自動車も通うものですから、したがって、どうも宮内庁でその経費を負担する、補助するというのは、いまの国の予算のたてまえ上、大蔵省にちょっと言いにくいというような点があるように聞いておりますが、なお実情は調べてみます。
  63. 中路雅弘

    ○中路委員 この周辺は、御用邸しかないんです。さっき言いましたように、うしろに練馬区立の林間学校ですか、養護施設がありますけれども、あとは森林ですから。御用邸の防火対策からいっても当然のことでありますし、これで山林でも火事になれば、たいへんなことになるわけですから、いま、ちょっと大蔵省の予算の話もされましたけれども、いま言いましたように、一基で二十万の消火せんですから、そんなに費用のかかるものじゃないのです。  これは、ひとつ国の責任ではっきりつくる、何カ所つくるかということは、もう少し消防署、地元とも相談されて、個所もきめていただければいいと思うのですが、これは地元の住民だけじゃなくて、消防署もそういうことを強く言っているわけです。あと数カ所は、ぜひとも必要なんだ、御用邸の表だけじゃなくて、うしろ側に必要だというんです。実情をひとつ調べていただいて、総務長官どうですか、こういうことは、簡単なことですから、ひとつ国の責任でつくるということで検討していただけますか。
  64. 小坂徳三郎

    小坂国務大臣 御指摘のような点については、よく調べます。そして、そういう事実等をよく考えまして行動したいと思います。
  65. 中路雅弘

    ○中路委員 もう一つ、これは、お金に関することじゃないので、すぐにお答えできると思うのですが、いま言いました漁業組合、約四百名ですが、浜が変わったわけです。しかし、先ほどおっしゃったように、漁をこの中でやっていくということについては——そこでは漁をやっているわけですね。漁期に、そこの浜へ行くのに、御用邸の敷地を通って行かなければいけないというので、通行証を出しておられるわけですが、四百人で、聞きましたら通行証が百出ています。ただ、この通行証が、漁業協同組合に置いてありまして、通るたびに、そこの漁業協同組合まで相当遠くとりに行って、それを持って通行する。また帰ってくるときには、協同組合の事務所まで行って通行証を置いて帰る。協同組合の人たちも、この通行証が紛失して、もし、それで御迷惑でもかかればたいへんだということで、非常に管理をきびしくされているのでしょうけれども、少なくとも、この浜を使っている漁業協同組合員については、漁期について、そこを自由に通行できる、浜へおりるだけですから。通行証を出されるのだったら、みんなが通行証を持って、一々事務所にまでとりに行って、また返しに行くのじゃなくて、自分で通行証を持ってそこを自由に通れるという——これは簡単なことですけれども、現地では、御用邸だというので、いろいろこまかい神経を使ってやっているのだと思いますが、実際の漁民の人たちにとってみれば、これが毎日のことですから、たいへんなことなんですね、通行証をとりに行ってやっていますから。  漁業組合の幹部の人たちは、事故でもあればということできびしくやっていられるのですが、こういう点は、もう少し配慮をされて、いままで使っていた浜に行くのですから、協同組合とも話をされて、不便を与えないで、少なくとも、ここを使用している漁民については、漁期について自由に通行ができるという処置をとっていただきたいと思うのです。  どういう方法がいいか、その通るところだけ通路をつくるとか、あるいは通行証を全部に渡して入れるとか、よくわかりませんから、その点は、一番いい方法を相談されたらいいと思うのですが、少なくとも、漁民にそういうことで不便を与えるということのないようにしていただきたいと思うのです。
  66. 瓜生順良

    瓜生政府委員 その点は、実情をよく調査して、検討してまいりたいと思います。  なお、この通行証は、昭和四十七年には五十枚交付しておりましたが、昭和四十八年、昨年ですけれども、四十八年からは百枚と倍に増加して交付しております。実情をよく調査の上で、相談して、間違いないようにやりたいと思います。
  67. 中路雅弘

    ○中路委員 四百人全部が使うわけでないだろうと私も思いますけれども、五十枚とか百枚とか制限しないで、そこを使う人には、みんな渡すという形で相談をしていただきたいと思うのです。  幾つか、地元のほうからお話を聞いたことがまだありますけれども、何点かだけにしぼってお話ししました。御用邸をつくられるに関連して、地元の人たちがいろいろその点で配慮をし、先ほど言いましたように、来られるときには、道路も奉仕で掃除をやっているわけですから、少なくとも、地元の市民に、そのことで大きな負担がかかるということがないようにすべきじゃないかというふうに私は思うのです。  先ほどお話ししましたが、特に漁業のことは生活の問題ですから、防潮堤については、ぜひとも国のほうで実現するということで、先ほど前向きで検討するというお話だったので、どういう防潮堤がいいかということも含めて、ぜひ実現をしていただきたいということを、もう一度念を押しておきたいのです。  もう一つ、これは私の選挙区にあるのですが、葉山の御用邸の問題です。四十六年一月に、御用邸が焼失をして三年余りたつのですが、いまこの葉山の御用邸については、そのまま放置されて、管理人が二名ほどですか、おられるだけです。皇室財産のままになっているのですが、今後、どうこの御用邸についてされるのか、お考えは何かあるのですか。
  68. 瓜生順良

    瓜生政府委員 四十六年の一月に、御本邸が焼失いたしました。付属邸は残っておりましたので、その後、付属邸を使って両陛下がおいでになったことが一度ございますが、現在でも、付属邸だけを使っておいでになることは、できるわけですけれども、非常に手狭でございます。  この復興という問題がいろいろ問題になっておりますが、あの焼けました直後、地元の町議会からは、早く復興してほしいというふうな申し出を受けておりますが、しかし、この問題につきましては、一方、先ほどお尋ねの須崎のほうの御用邸のできましたこともありますし、以前とは幾らか違います。ただ、須崎に比較しますと、葉山のほうは、距離も近いので便利な点はあります。ただし、少し混雑しているという悪い点もございます。そういうこともあり、なお地元では、多年の沿革もあるのだから、復興してほしいというふうなこともいわれております。  いまのところは、検討いたしておるという段階でありまして、将来、復興するにしても、前の形のままではなくて、もっと縮少をして、一部分の土地は、一般の方々に、いわゆる開放ですね、公園か何かにするとか、そういうことで考えるというふうな腹組みでおりますけれども、いまのところは、まだ全然未定のままでございます。
  69. 中路雅弘

    ○中路委員 四十九年度の予算では、まだどうするかということも出ておりませんし、検討されておる最中だと思いますけれども、一時、須崎の御用邸ができたこととも関連をして、地元では、西武や京急にあと地を払い下げるのではないかといううわさが流れたこともあるのですが、京急や西武、こういう大企業なんかにあと地を払い下げるということは、いまの検討の中にも全くありませんか。
  70. 瓜生順良

    瓜生政府委員 いまのところ、そういう話題には全然なっておりません。
  71. 中路雅弘

    ○中路委員 三年前に焼失した直後、いまお話しのように、町議会でも、全員協議会等を開きまして、これを再建してほしいという運動等が起きまして、陳情に来られたこともあるのですが、最近、現地での御用邸をめぐる地元の人たちのいろいろな御意見を、三年間も放置しておりますから、いろいろ話も出るわけですが、見てみますと、その後三、四年たっておりますから、また下田に生物研究所もできましたし、御用邸もできた関係もあって、幾らか意見も違ってきているんですね。  一つだけ紹介しますと、これは逗子と葉山の青年会議所が、住民を抽出して、個々面接をしまして、いろいろ意見を聞いたのがあるのですが、この中を見ますと、一つの資料として聞いていただきたいのですが、御用邸を再建してほしいというのが二五%ですね。こまかく町内別や階層別、年代別も出ておりますが、省略しまして、全部総計をした平均を出しますと、再建してほしいというのが二五%で、これをぜひとも開放してほしい、払い下げてほしいというのが五四%ある。その中で、何にということでは、自然公園というのが圧倒的に多いわけですね。あの自然の景観は、ぜひともこわさないでほしいということです。自然公園として、開放でなくても、たとえば国有財産にして、県に無償で貸してもらうとかいう意見もありますけれども、自然公園というのが圧倒的に多くて、いま、ちょっとお考えの中にありましたけれども、一部を公共施設とか、たとえば文教施設なり——葉山は、いま学校施設の用地では全く困っていまして、小学校二校、中学校一校どうしても建てなければいけない。しかし用地が確保できないということで、先日、新聞に出ていましたけれども、定例の町議会も見通しが立たないから、開かないというようなところまで来ているわけです。  一部を、できたら、そういう教育施設等に払い下げていただいて、あとは、あの景観を残した形で、自然公園にしてほしいという要望が、この世論調査の結論でいいますと圧倒的に多いわけですけれども、ただ、これは一つの資料でありますし、これからどうするかということを検討中だとすれば、できるだけこの地元の全体の住民の意向等も検討していただいて……。  いま、沼津は公園か何かになっていますね。これは開放ですか、払い下げですか、どちらかわかりませんけれども、沼津の御用邸は、そういうふうに使われて喜ばれているわけです。下田に御用邸ができたということに関連して、この葉山の問題について、いま検討中というお話ですし、その中には、一部は公共施設というお話もいまありましたけれども、このままずっと放置しておくということになりますと、おっしゃったように、都市の中の払い下げのあれですから、いろいろ地元で意見もありますし、大企業に払い下げるんじゃないかという、先ほど言いましたうわさも流れているというようなこともありますので、ひとつ、この点について、できるだけ早い機会に、検討もしていただき、県や地元の住民の要望にもできるだけ沿うようにやっていただきたいと思うのですが、お考えがありましたら、ちょっと述べていただきたいと思います。
  72. 瓜生順良

    瓜生政府委員 今後も、地元住民のそのお気持ちなども十分調査をしながら、どういうふうにしたら適当であろうかということを十分検討してまいりたい、こう思っておりますので、御了承願います。
  73. 中路雅弘

    ○中路委員 大体終わりますけれども、いま葉山の御用邸は、まだ皇室財産のままになっているんですね、用途廃止で国有財産に戻っているということじゃなくて。先ほど、ちょっと聞き忘れたが、現在、所管はどういうふうになっているのですか。
  74. 瓜生順良

    瓜生政府委員 現在は、やはり皇室用の財産としての国有財産というふうになっております。
  75. 中路雅弘

    ○中路委員 現状でいえば、すでに三、四年放置されたままになっていますし、まだ、四十九年度どうするかという対策も立てられていませんけれども、できるだけ早い機会に、全面的に再興するというお考えは、先ほどのお話でもないようですから、ぜひとも——国有財産に用途は変わるわけですね。地元とも相談されて、先ほど地元の要望の一端を資料としてお話ししましたけれども、それに沿えるような形で御検討をお願いしたいということを要望しまして終わりたいと思います。
  76. 徳安實藏

    徳安委員長 次回は、来たる二十一日木曜日午前十時理事会、十時三十分より委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後四時四十九分散会