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佐藤(敬)
委員 ある県では、秋田県もそうですが、奨学金を出したりしているのですね。ところが、貧乏なものだから微々たるもので、とてもそんな奨学金をもらうような貧乏な学生は入っていないんだね。だもんだからだれももらわない。奨学金をもらおうとして
医学部に入っているようなものはいないのです。この間も新聞に出ていましたが、一人か二人しかいない。もらわないのですよ。これはかなり大きな
金額を出すか、かなり有利な
条件を出してそして地元に定着させようとしなければ、これは地元なんかに絶対定着しないのです。われわれも妙案がありませんので
文部省に何かないかと聞いたのですが、この点、たとえば地元を優先して半分はとる、こういう地元優先主義を確立するとか、何かしら
対策を講じて、せっかくつくったこの大学の卒業生が地元に定着するような
対策をひとつ早急に考えていただきたい。
次に、いま問題になっております救急医療のことについてちょっとお伺いしたいのです。救急医療はいま非常に大きな問題になっておりまして、これが不採算医療なもんだから地方の公的
病院に非常に大きな負担になってかかってきております。こういう問題についていろいろお伺いしたいと思います。
救急医療というものを構成している要素は、救急車で運んでくるいわゆる搬送と、それから今度は運んできた患者を治療するところの救急医療機関、こういう二つのものから成り立っておるわけです。
まず、その救急搬送のほう、
自動車のほうはどういうふうな状態になっているかということを調べてみますと、これは言うまでもなく、わが国では消防法に基づいて地方自治体がやることになっておるわけですけれ
ども、この救急車の普及度というものを調べてみますと、全国の三千二百三十七市町村のうちで千六百三十二の市町村が救急車を持っておるのですね。大体半分、五〇・四%が救急車を持っておる。これを
人口別に直してみますと、総
人口の約八六%がこの救急車の体制の傘下に入っている。こういうことがいえるわけですね。それで台数からいいますと、
昭和四十七年四月一日現在で千七百七十八台。これを見てみますと、普及度としてはかなりなものだと思う。全
人口の八〇%以上を傘下におさめた搬送の体制というものはかなりりっぱなものだと私は思うのです。
一方、それじゃ運んできた患者を治療するほうの救急医療機関のほうはどうなっているか。これはまたちょっとおかしいことですが、法律ではなくて
厚生省令で定められているのですね。そして強制的にこれをやれというようなあれではなくて、ボランタリーサービスなんです。私は非常にふしぎだと思うのですが、救急医療のほうではそういう状態になっておるのですね。四十七年四月一日現在の救急医療機関の状態を調べてみますと、これはおたくで出したのでしょうが、国及び公的
病院、これは
病院が七百六十、診療所が九で、合計七百六十九
病院施設が救急指定
病院になっておるんですね。これは全体の一六・二二%。これに対して、
私立病院、診療所、これの総計は三千九百六十八、これをパーセンテージにしますと八三・七六%、こういうふうな状態になっておるんですね。日本のこの状態を見ますと、日本の救急医療を担当しているのは、私
どもの常識からいくと国や
公的医療機関だと思っていたら大間違いで、八九%が
私立病院が担当している、こういうような状態です。これはボランタリーサービスですから、自発的にやる。やりたくなければやらなくてもいい。それで、全国の県
市町村立の
病院、これは本来の使命からいっても当然救急
病院にならなければいけないのですが、驚くなかれこれのうち約四〇%は救急
病院になっていないのです。そして八九%ぐらいというものは
私立病院が全部担当している。いわば、おのおのの使命からいくと非常にさか立ちした状態になっておるんですね。
それで、救急患者の搬送体制、これを受ける救急医療
病院、こういうのを両方考えてみますと、数の上からいけば決して少なくない。ほかの文明諸国に比べて決して少なくないと私は思うのです。
それで、結局その救急車と
病院が活動した結果がどうなっているか、これを申し上げますとこういうことですね。
昭和四十五年の救急
自動車の出場回数、これは消防白書によりますと八十七万二千五百四十五件となっております。
〔
中村(弘)
委員長代理退席、村田
委員長代理着席〕
これは
昭和四十五年の
調査ですけれ
ども、こういう数字が出ているんです。五万二千人の
交通事故の患者があった。さっきの
調査を裏づけておるのですが、五万二千人のうち五万人が
私立病院で取り扱われ、処理されているわけですね。そのうちで
病院収容後に死んだ人、これを調べてみますと千二百四人が
病院に収容された
あとで死んでいるのですね。このうち、これはさっきの数と合っているのですが、八八%というものは公的
病院じゃなくて例の
私立の中小
病院で死んでいる、こういうような状態です。これは東京消防庁の
調査ですけれ
ども、こういうふうに考えてみますと、この数字というものは日本の現在の救急医療制度というものを非常に端的にあらわしている、私はこう思うのです。完備した総合的な公的
病院、これなら助かる率が非常に多いと思う。ところが公的
病院じゃなくて、設備の悪い
私立の中小
病院でもって大部分が処理されているから非常に死亡率が多くなってきている、こういうことがいえると思うのです。
こういうふうな数字もあるんですね。わが国の年間
交通事故の死亡率はおよそ二万人、そのうちの四千人というものは命が助かるチャンスがあったのではないか。ちゃんとした
病院あるいは応急手当をきちんとやっていけば、適当な処置をしていけば助かったのではないか。それが中小
病院であるとか設備の悪いところ、こういうようなところにたらい回しされている。そのために四千人という人がよけい死んでいるのではないか、こういうような
調査もあります。こういうようなことを見ますと、いま私が申し上げましたような数字というものは、日本の救急体制というものに対してどうしなければいけないかということの一つのサゼスチョンになっていると私は考えます。
なぜ公的な
病院が救急
病院になりたがらないか、まずこの問題が一つありますね。これはもうここで言わなくともいいようなものですが、もうからないですね。もう絶対にこれをやってはもうからない。こういうような例を秋田魁新報が出している。秋田県の救急
病院の状態です。「救急指定
病院は消防法によってその基準が定められている。まずは搬送に便利な場所で、二十四時間診療で専用病床がある
病院であること。そして手術室、輸血、麻酔、X線などの設備を備えていることなど、細かな基準がある。これに対する県の補助は、救急の研修費として
医師会を通して年間二十万円だけ。「いろんな基準を設けながら、
補助金はすずめの涙程度。これで医療機械を更新したり、看護婦を雇って二十四時間診療なんて出来っこない。もちろん赤字ですヨ」」端的にこう言われているのですね。もうからないからやらない。
しかし私が考えますに、元来、不採算医療、こういう事業というものは
公的医療機関の本来の仕事であると私は思うのです。ところが、なぜいま言ったように救急
病院に指定されたがらないか。本来ならば一〇〇%救急
病院になるべきはずの公的
病院というものがまだ六〇%しかなってない。なぜか。この根本にあるのは、いま読んだのでもわかりますように、独立採算制だ、私はこう思います。独立採算だ、赤字を消せ、こういう命令があるものだから、何をさて置いてもとにかくもうかることに集中する、こういうことになるのです。
この前の
公立病院の
再建の問題あるいは去年の交通
再建の問題、こういうことで
自治省の江崎前大臣がこういうことを言っておるのです。独立採算をなくしますとなまけて、むだづかいをしてだめだ、経済効率が悪い、こういうふうに言っておるのですね。
現実はもうすでにどんどん
補助金を出しておるから、独立採算制は事実上は崩壊している。しかし、独立採算というワクをはずすと、でたらめをやって効率が悪くなるから、やらなければいけない。要するに、企業的経営の持つインセンティブ、これが必要だから独立採算のワクをはずされない、こういうふうに話しておるわけです。ところがこれが、いまの救急医療であらわされるように、非常に大きな問題だと私は思うのです。この場合の独立採算の持つところのインセンティブというものは、
公的医療機関本来の仕事、いわば不採算的な仕事、この救急医療、こういうものを不可能にしてしまっている。これにブレーキをかけておるのです。独算制の赤字という大きなおもしは、
公的医療機関に対してその本来の使命を捨てさせておる。そしてきゅうきゅうとして、
開業医と同じようにもうける一方の仕事に堕落してしまっておるのですよ。これを堕落させておるのは何か。赤字というおもしなんです。なぜこれが必要かというと、あなた方の解釈によりますと企業的なインセンティブが必要なのだ。しかし、そのインセンティブのために
病院そのものの本来の使命を抹殺してしまえば、インセンティブというのは何の役にも立たないじゃないですか。角をためて牛を殺すたぐいなんだ。そうでしょう。これはどう思います。