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町村国務大臣
奄美群島の将来の
発展をはかるということは、国としても私は非常に重大な問題だ、こう考えておるわけでございます。
先ほど来、御
質疑を通じていろいろお話が出たのでございますが、何と申しましてもあの
地域に対しましては、戦前も時の政府は
かなり奄美群島の
開発、
発展というものに力を注いだことだ、こう私は考えますし、戦後、占領が終わりましてから後におきましても、すでに二十年の長きにわたりまして種々の方策が講ぜられてきた。しかしいま
本土と比べてみますと、依然としてその
格差はなかなか解消するに至らない。今後いかにして
本土との間の
格差を縮小することができるかどうか。これは結局、私は
産業の
発展をはかってまいる以外に道がないと思うのでございますけれども、しかし、しからば一体、木に竹をついだようにわれわれが何か
計画して、そしてこういう
産業を興したら、こう申しましても、それはなかなかそう簡単にできるわけのものじゃございません。やはり
奄美群島においては
大島つむぎと、そして
サトウキビというものが
産業の二つの大きな柱になっておるというのは、やはりそれだけの長い歴史の上にそういったものが一番適した
産業だとして
伸びてきた、こういうことでございましょう。
私ども今日外部から見ておりますれば、あの
地域などは、たとえば
漁業の基地としてはたいへんすばらしいところではないであろうか、私はこう思うのでございますけれども、しかし
漁業といえどもそう簡単に、場所が適しておるからというだけではにわかに
漁業の
発展というようなものはなかなか期することはできないのではないか。したがって、やはり当面といたしましては現在ある
産業というものをできるだけ
振興をさせる。その障害があるといたしますれば、そういうものを除去しながら、さらにそれにできるだけの協力をして
発展をはかるということが必要でございましょう。
しかし、だからと申しまして、いつまでも
奄美群島というものは
大島つむぎと
サトウキビ以外には何も
発展をしないところだ、こういうふうにきめつけていくということは、これはまた適当ではないのではないか。一朝一夕にはまいりますまいけれども、やはりこの
奄美群島に将来
発展の可能性がある
産業というものがあろうし、日本
経済全体がこういうふうに大きく移り変わってまいりましたので、
奄美群島にやはり分担をしてもらわなければならない
産業というものが当然あり、そしてそういうものには国もまたできるだけその
発展に力を添えるということが当然行なわれると私は思うのでございます。そういった意味で、このたびこの
法律の
題名などを
振興開発法というふうに改めましたのも、ただ従来のものを
振興させるというだけでなく、やはり新しい
産業というものを
開発をしていく。そういうことは非常にむずかしゅうございます。またそれがはたしてどういうものであるのか。またかりに
開発したからといってそれがうまく定着し
発展するかどうかということになりますと非常に多くの問題がございますけれども、だからといって従来のとおり二つのこれだけで、それ以外のものはとうてい
開発の余地がないのだというふうにきめてかかることは、これまた長い目で見て適当でない。そこで私は私なりに
振興開発法というふうに
法律の名前を変えることにいたしましたのも、そういった将来にわたっての展望の上に立っての
開発の可能性というものをこれから探求をいたし、そしてこれがほんとうに
地域住民の方も賛成をし、これならひとつやってみようというような
産業ができてまいりまするならば、それに対しては政府もできるだけの協力を申し上げるというような考えをも実は私どもは持っておるわけでございます。