○武藤(山)
委員 精神訓話ならばわかりますが、自由民主党は具体的に権力を握っているのですね、やろうと思えばどういうこともできるのです。公正ということは、世の中にあまり不公平がない、なるべく平等に近づける
努力をする、正直者がばかをみない世の中をつくりたいというのですね。
ところが、いま、
国民の正直者のほうが数が多いのに、そういう者が
物価高で、相場師や投機によって被害を受けている。また、土地を買いだめして、ぼろもうけをしている者がある。そういう者に対して、公正な世の中をつくろうとするならば、四十九年度に思い切って再評価税をぶっかけるとか、そういう不当な買い占めをしてもうけたやつに高額な税金をぶっかけるとか、そうして世の中のアンバランスを直すという
施策が、具体的に政治の中に
実現をしなければいかぬのです。そういうものがなくて、ただ精神訓話で、金さえあれば、物さえあればという、これは資本主義の唯一の原理ですよ。資本主義は自由
経済なんです。強い者勝ちなんです。弱肉強食なんです。そういう
社会原理の上に立っている自由民主党の
政府が、おこがましくも他人ごとのように、公正と連帯だというからには、こういう
社会を想定し、こういう連帯なんだというためには、やはり物質的な財政や
金融やあるいは大
企業に対するチェックや適切な
措置をとらなければ、単なる精神訓話に終わるじゃないですか、
大臣。
私は、この問題
一つを論争しても
かなり時間のかかる問題でありますから、いまの
福田さんの説明では、あなたの人生観、あなたの
社会観、納得するものは何もない、単なる精神訓話であるという受けとめ方をして次の質問に入っていきますが、こういうような高度
経済成長論が音をたてていま崩壊をして、
日本経済は大
転換をしなければならない時期に入った。したがって、
経済がそういう
情勢ならば、財政も新しい曲がり角に立って、財政の
運営方法、構造、こういうものに対しても一大メスを入れて、やはり今日の
環境に適応する財政の
姿勢をとるべきだと私は思うのであります。
池田内閣成立以来、高度
経済成長政策がとられ、ほぼ一貫して積極財政が続けられてきたことは、だれしも承知しているところであります。その間、いわゆる四十年不況のときが
一つの財政の転機だったと思います。その際は、当時の
田中角榮蔵相の残した不況とおおばんぶるまいによる財政の赤字という置きみやげのあと始末をする責任を、
福田さんの登場によってなさねばならぬことになりました。そのときまであなたは、
安定成長論者です。この四十年不況克服のときに登場した
福田蔵相は、初めて公債不発行主義というものをやめて、国債発行の
財政政策に踏み切りました。当時、われわれは反対しました。これが将来、
日本の財政上たいへんな禍根を残し、インフレを加速させ、将来の
日本の
経済にたいへんな汚点を残すに違いないという質問をここでしているはずであります。
そして公債を発行する財政に切りかえて、財政新時代の幕をあけて、高度
成長というものを安定に持っていくのかと思ったら、逆な、また高度
経済成長路線を突っ走る
福田蔵相になってしまった。これはまことに皮肉で、第一幕は安定
成長論、それを高度
成長に切りかえて喜劇に終わったが、今度また保守党のエースとして登板をした。この危機における
福田新蔵相の第二幕目は、喜劇になるか悲劇になるか
国民はまさに注目をいたしておるところだと思うのであります。
そこで私は、保守党の政治的危機といわれる
日本経済のこのピンチを切り抜けるために、新蔵相は、いま行なっている程度の財政
運営方針、財政構造の手直し、総
需要抑制の
金融の
姿勢等々で今日の危機を突破できると思っているのか。まだ事足りぬ、ここをこうすべきだった、ああすべきだったという反省を、
予算編成を経過した今日、お持ちになっているのか、持っていないのか。この点ひとつ聞かしていただきたい。