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1974-03-28 第72回国会 衆議院 社会労働委員会 第12号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十九年三月二十八日(木曜日)     午前十時三十九分開議  出席委員    委員長 野原 正勝君    理事 大野  明君 理事 斉藤滋与史君    理事 葉梨 信行君 理事 山口 敏夫君    理事 山下 徳夫君 理事 枝村 要作君    理事 川俣健二郎君 理事 石母田 達君       伊東 正義君    大橋 武夫君       加藤 紘一君    瓦   力君       住  栄作君    田川 誠一君       田中  覚君    羽生田 進君       橋本龍太郎君    大原  亨君       金子 みつ君    田口 一男君       田邊  誠君    村山 富市君       森井 忠良君    寺前  巖君       大橋 敏雄君    坂口  力君       小宮 武喜君  出席国務大臣         国 務 大 臣         (経済企画庁長         官)厚生大臣臨         時代理     内田 常雄君  出席政府委員         内閣法制局第四         部長      別府 正夫君         内閣総理大臣官         房総務審議官  佐々 成美君         総理府恩給局長         事務代理    菅野 弘夫君         外務政務次官  山田 久就君         厚生政務次官  石本  茂君         厚生大臣官房審         議官      三浦 英夫君         厚生省医務局長 滝沢  正君         厚生省児童家庭         局長      翁 久次郎君         厚生省年金局長 横田 陽吉君         厚生省援護局長 八木 哲夫君         郵政省人事局長 北 雄一郎君  委員外出席者         議     員 金子 みつ君         法務省民事局参         事官      古館 清吾君         消防庁消防課長 辻  誠二君         日本電信電話公         社厚生局長   小沢 春雄君         日本電信電話公         社業務管理局長 小畑 新造君         社会労働委員会         調査室長    濱中雄太郎君     ————————————— 委員の異動 三月二十七日  辞任         補欠選任   伊東 正義君     松澤 雄藏君   加藤 紘一君     河本 敏夫君   瓦   力君     江崎 真澄君   住  栄作君     中垣 國男君   森井 忠良君     北山 愛郎君 同日  辞任         補欠選任   江崎 真澄君     瓦   力君   河本 敏夫君     加藤 紘一君   中垣 國男君     住  栄作君   松澤 雄藏君     伊東 正義君   北山 愛郎君     森井 忠良君     ————————————— 三月二十六日  国民年金法等の一部を改正する法律案内閣提  出第四七号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正す  る法律案内閣提出第三一号)  国民年金法等の一部を改正する法律案内閣提  出第四七号)  児童手当法等の一部を改正する法律案内閣提  出第五四号)  保育所等整備緊急措置法案金子みつ君外九名  提出衆法第六号)  医療に関する件      ————◇—————
  2. 野原正勝

    野原委員長 これより会議を開きます。  戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を行ないます。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。坂口力君。
  3. 坂口力

    坂口委員 われわれ日本人は、戦後早くも三十年の歳月を迎えようとしているわけでございますが、戦争のなまなましい記憶を一面では忘れかけようとしておりますが、また反面におきましては、戦争が何であったかということを新しい立場から、かえってはっきりとした全体像を把握できるときを迎えているのではないかと思うのであります。いまこの戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案を見ますときに、あらためて基本的な立場考え直すべきときではないかと思うわけでございます。  まず、この中にあります事変地または戦地考え方でありますが、どういうことを基準にして事変地あるいは戦地というものを定めていくのか、この辺のところから少しお伺いをしたいと思います。
  4. 八木哲夫

    八木政府委員 戦傷病者戦没者遺族等援護法考え方といたしましては、軍人軍属あるいはこれに準じます準軍属方々に対します障害でございますとか、あるいはなくなられた場合の御遺族援護というのを対象としているわけでございますけれども、この中で事変地あるいは戦地というような問題を援護法上取り上げておりますのは、内地と違いまして戦地あるいは支那事変の場合ですと事変地、こういうような直接自己の責めに帰さないという場合には、事変地戦地勤務が非常にたいへんだったというようなことから公務に取り上げるというような考え方で、内地勤務とは違う取り扱いをしている例があるわけでございます。
  5. 坂口力

    坂口委員 いま御答弁いただいた、いわゆる勤務が非常にたいへんであったというような考え方からいたしますと、いずれとも言いがたい地域もあるわけでございます。たとえば千島列島ですね。千島列島昭和十二年七月七日から昭和十八年五月十二日まではいわゆる戦地に準ずる地域というふうに定められておりますし、昭和十八年の五月十三日から昭和二十年の九月一日まで、これは事変地または戦地とこう定められているわけであります。この境界線にしましてもなかなか線を引くということはむずかしい問題だと思いますが、こういうふうな問題はどういうふうにお考えでございますか。
  6. 八木哲夫

    八木政府委員 戦地の場合とそれから事変地の場合に若干処遇の差があるわけでございますけれども、結局、戦地事変地の場合の差をどこで求めていくかということでございますが、これは具体的な当時のいろいろな状況、特に空襲が激しかったとか、あるいは戦闘行為があったとか、いろいろなその当時の(坂口委員事変地戦地区別じゃなしに、いわゆる事変地または戦地に準ずる地域と、それから事変地または戦地とこうある、それといわゆる内地というものとをどういうふうに……」と呼ぶ)現在の考え方戦地とそれから事変地とそれからそれ以外の内地と、この三本立てでございます。したがいまして、地域によりまして、当時の状況によります空襲その他の戦闘の激しさ等から、ある時点戦地扱いにし、ある時点事変地扱いにするというような取り扱いにしている次第でございます。御指摘のございました千島列島の場合も、その時点におきます状況によりまして、昭和十八年の十二月でございますか、戦地扱いになっているわけでございます。
  7. 坂口力

    坂口委員 私、なぜこんなことをお聞きしているかと申しますと、たとえば歯舞、色丹、国後、択捉、こういった諸島もこの千島の中には入っているだろうと思うのですが、言うならばこれはわれわれは日本固有領土であるという認識を持っているわけであります。その点はどうでございますか、いわゆる日本固有領土という認識の上にこの法は考えておるわけですか。
  8. 八木哲夫

    八木政府委員 日本固有領土とかそういう問題ではなしに、具体的に軍人軍属そのほか準軍属の方がおられた地域がどういうふうな状態であったかというようなことでございますから、当時戦争中は海外各地に行っておったわけでございますから、もちろん日本領土以外のところも戦地あるいは事変地という扱いにしておるわけでございます。
  9. 坂口力

    坂口委員 ですから、いまおっしゃったように、その地域日本固有領土であるとかないとかいうことではなしに、そこにおける戦争状態がどういうふうな状態にあったかということによって戦地になりあるいはそれになっていない、こういう御意見でございますね。私もそうだろうと思うのです。  そこで、それならば、現在日本領土になっておりますこの本土、ここにおきましてもいわゆる第二次大戦末期におきましては非常にきびしい状態になったわけです。連日東京をはじめ各都市は空襲を受けまして、いわゆる戦地といってもいい状態になったと思うわけであります。このいわゆる日本国内におけるそういうふうな戦争状態というものをどういうふうにお考えになっておるでしょうか。
  10. 八木哲夫

    八木政府委員 確かに先生指摘のように、戦争末期におきましてはあるいは空襲等もございましたし、かなりきびしい状態であったことは事実でございます。しかし、何と申しましても祖国にあったわけでございますし、生活環境そのほかのものから申しますと、輸送力もとだえ、あるいは激しい勤務でありました戦地あるいは外地等とはやはり状況がやや趣は違うのじゃないか。確かにこれは単に軍人軍属のみではございませんで、一般国民を含めまして戦争末期はかなりきびしい状態であったということは間違いない事実だと考える次第でございます。
  11. 坂口力

    坂口委員 たとえば先ほど出ました千島列島なんかでありますと、戦闘そのものは全然行なわれていなかった地域がかなりあるわけであります。しかし千島列島は一応いわゆる戦地という形になっている。そういう戦争の激しさと申しますか、すごさということを中心考えますと、この本土内のほうが非常にきびしい場所もあったわけです。そういう意味ではこの戦地それから内地という線の引き方というものがたいへんむずかしいという気がするわけでございます。もう少し詰めなければならぬと思いますが、その問題が一つございます。  その問題はひとつおきまして、もう一つこの援護法第二条第三項の二に「もとの陸軍又は海軍の要請に基く戦闘参加者」、こういうものが書いてございますが、これはどういうふうなものが該当するのでございましょうか。
  12. 八木哲夫

    八木政府委員 現在援護法におきましては、直接の身分関係のなかった方でございましても、先生指摘戦闘参加者、これは準軍属として取り扱っているわけでございますけれども、具体的な例で申しますと、沖繩でございますとかあるいはサイパンの玉砕地等におきましては、一般民間人の方も当時戦場にあったわけでございますので、完全な民間人であったわけでございますけれども、軍の指揮なり命令を受けて現実戦闘行為に参加したというような非常に激しい状況であったわけでございますので、そういう方々は軍の身分関係はなくても、やはり軍人軍属と同様に取り扱うべきではないかというようなことから、現在の援護法の中で戦闘参加者として準軍属としての処遇がいたされている次第でございます。
  13. 坂口力

    坂口委員 いまお話にありましたように、たとえば沖繩あたり戦闘の激しさというものは、私ども内地におります者にとりましてはこれは想像を絶するものであったろうと思うわけでございます。それが、直接に軍隊に入っていなくても、あるいは軍属に入っていなくても、一応命令に従って行動したということで、同じような扱いをされるということは、これは当然のことであろうと思います。私が申し上げたいのは、それと同じように、内地におきましてもかなり激しい爆撃の下で日々を送っていたところもあるわけです。そういうふうな地域におきましては、軍隊あるいは軍属の、内地におきましても同様にその命令の下に動いていたわけであります。たとえば警防団なんかも今回は取り上げられましたけれども、これもその一つであったろうと思います。また、たとえば国防婦人会なんというのも、その当時は同じようにこの軍隊命令下においてやはり動いていたのではないかと思います。今回、この警防団等の人はこの法の範囲内に入ることになりましたけれども、しかしそのほかにもそれに匹敵するような人たちはたくさんいたと思うわけでありますが、外地とそれから内地との区別は、地理的に申しましても非常につきにくい、あるいはまた身分の上からいきましても非常につきにくいということを、私現在御質問をさしていただいているわけでございます。  そういう意味からいきますと、いまのこの法律というのは、いわゆる旧憲法下での国家との身分関係が前提になっているわけでございますが、たといえばいま申しました国防婦人会なんというのも、これはやはり軍隊一つ指揮下において、こうしろああしろというような形で動いていたときもあったと思う。これは、身分関係ということを中心にいたしますと、ずれてくるんだと思いますが、しかし、いわゆる戦争下という考え方からいたしますと、非常にこの法律に無理があるというふうに私ども考えますが、その点はどういうふうにお考えでございますか。
  14. 八木哲夫

    八木政府委員 先生指摘のように、現在の援護法のたてまえから申しますと、軍人軍属でございますような直接の軍の構成員に当たる方、あるいはそういうような直接の身分関係はないにいたしましても、先ほど御説明申し上げました戦闘参加者でございますとかあるいは動員学徒でございますとか、あるいは今回改正案としましてお願いしております警防団関係でございますとかいうように、身分関係は直接はございませんけれども、現実にはかなり当時の軍なりあるいは国の輪制力というものが働いておった。したがって、現実問題としまして、身分関係はなくても、相当の権力関係が働いておったというようなことで、罰則等も相当いろいろな意味できびしいというような方々につきましては、身分関係があるのと同じような考え方にするということで現在援護法の準軍属対象にいたしている次第でございます。ただ、先生も当初御指摘でございましたように、現在の援護法のたてまえと申しますものが、ある意味では国が使用者であるというような、国の直接雇用しておった、あるいは雇用しておったのに準じているような形で、使用者の責任というような立場から、国家補償であるというような立場から、国家補償であるというような考え方で現在の援護法法体系というものが成り立っている次第でございます。したがいまして、確かに先生指摘のように、特に戦争末期等の場合には、当時といたしましては、総力戦であったわけでございますから、直接間接にいろいろな各個人の自由という面は、現在から比べますと、とうてい考えられないような時代であったわけでございますけれども ただ、そういう意味から申しますと、国民全体がそういう意味で何らかの戦争参加というようなことがあったわけでございますけれども、やはり援護法のたてまえから申しますと、身分関係がはっきりしておる、あるいは身分関係がなくても身分関係にあるのと同じように国の強制力、あるいはある意味で申しますと特別権力関係と申しますか、そういう面が及んでおった範囲方々についてが、現在の援護法法体系として考えられますこととしましてはそういうような内容になるわけでございますので、そういうような面から申しますと、直接身分関係のない方々につきましては、現実に相当な国家権力なり強制力が及んでおった方々のみがその範囲にならざるを得ないのではないかというふうに考えておる次第でございます。
  15. 坂口力

    坂口委員 たとえば旧防空法、これは一般民間人に消火の義務というものを課しておりましたし、これを怠った者には懲罰を課した。こういうふうな状態の中で障害を受けた人々にもこれは適用されてもしかるべきではないかという気がするわけであります。最初にも申しましたとおり、三十年たちまして、この戦争というものを新しい角度から見直す、そしてこの戦争犠牲者というものも新しい角度から見直さなければならない時点に来ていると思うわけであります。そういうふうな意味で、先ほどからその境界線のところをお聞きしているわけでありますが、これを防空法一つとりましてもこういうふうな内容がある。だから、やはりその中で障害を受けた人たちというのにもこれは適用さるべきでないかと思いますが、いかがでございましょうか。
  16. 八木哲夫

    八木政府委員 防空法関係の問題につきましては、従来防空監視員の方のみが対象になっておったわけでございますが、今回警防団でございますとかあるいは医療関係従事者が入ったわけでございます。ただ、当時の防空法考え方といたしましては、一般的な防空法に基づきます防空なり、あるいは防空計画に基づきますいろいろな国民に対する義務というものはあったわけでございますけれども、従来ございました防空監視員にいたしましても、今回お願いしております旧防空法の六条関係の場合、いずれの場合にいたしましても、かなり国強制力というものが及んでおった。さらに、罰則というようなものもかなりきびしい罰則があったという面から、一般国民方々とはやはり趣が違うのではないか。今回の警防団でございますとかそういうような方々も、むしろ公共防空、公の防空というような立場でございますし、先生指摘ございました防空法に基づきます応急防火従事者というような方々につきましては、むしろ、たまたま焼夷弾が落ちたというような際に応急防火を行なうということで、ある意味では当時国民一般に課せられておった義務というようなことでございますし、さらに具体的な命令法律上そういう命令があったわけでございますが、具体的な命令というようなものはなかったわけでございますし、罰則も非常に軽い罰則であったというようなことから、やはり相当な強制力一つ身分関係があったのではないかというふうに擬せられるまでの方々ではないのではないかというようなところから、そういうような方々につきましては、現在の援護法のたてまえから申しますと、なかなかむずかしい問題ではないかというふうに考えておる次第でございます。
  17. 坂口力

    坂口委員 たいへん私も回りくどい言い方をいたしておりましたが、一口で言えば、この内地もあの末期においては戦場と化していたのではないか、こういう私の主張でございます。その点について、あれは戦場でなかったという御意見なのか、将来としては一応これは戦場とみなして、やはり内地で傷ついた人々についてもこの法というものを拡大していくというお気持ちがあるかどうか、これは大臣にお伺いしなければならないことだろうと思いますが、政務次官もあわせてひとつ御答弁をお願いしたいと思います。
  18. 八木哲夫

    八木政府委員 私からまず御答弁さしていただきたいと思います。  先ほど来申し上げておりますように、現在の援護法のたてまえから申しますと、やはり軍の構成員であるとか、あるいは身分関係がなくてもそれに準じたように考えられる方々対象であるわけでございます。したがいまして、先生指摘のように、確かに戦争末期等におきましては、内地等におきましても空襲でございますとか、戦災原爆等、いろんな問題があったわけでございまして、そういう意味から申しますと、国民全体がある意味では被害者でもあるわけでございます。ただ、そうなってまいりますと現在の援護法のような、特定の身分関係をとらえた法律の問題ということでは解決できる問題ではないというふうに考えられる次第でございまして、ある意味で申しますと、国民全体が被害者であったわけでございます。そういうような方々に対しましては、むしろ一般社会福祉一般社会保障政策充実という面でカバーすべき問題ではないかというふうに考えておる次第でございます。
  19. 石本茂

    石本政府委員 ただいま局長からお答えいたしておりますが、先生お話を聞いておりまして、当時の日本はあげて戦場であったと私は思っておりますし、われわれ全国民戦争被害者であったというふうに考えております。  それで、援護法は、先ほど来お話がありますし、先生十分御承知いただいておりますように、法体系としては非常に身分、分限のところに縛りをつけまして、そして、私ども考えましても何か非常に柔軟性に乏しい法律のように思いますので、いま局長申しましたように、他の視点において、国民全体が当時の戦争被害者であったということのたてまえに立っての救済方法がやはりあっていいのじゃないかというふうに考えておりますので、その点、相ともに検討していきたいと考えます。  以上でございます。
  20. 坂口力

    坂口委員 内地で傷つかれた方々がかなりたくさんあるわけでございますが、はっきりとした統計があるのかどうか、それも疑わしいような状態だろうと思います。私もいろいろ調べてみましたが、ずいぶん数字が違いまして、そうしてどれがほんとう内地においてなくなられた、あるいは傷を受けられた方の数かというのが、はっきりどれをとるべきかというのに迷うような幾つかの数字があるわけでございます。その人たちが、戦後三十年の間、ほんとうに何もなしに見捨てられてきたといっても過言ではないと思うわけでございます。福祉のほうでこれを見ていくべきだという御意見がございますが、しかし、現在の福祉の体系ではそういう人たちはなかなか見られないのが実情なんです。これはそういう言い方をしますと、この援護法そのもの福祉のほうに含めて、それで見ればいいということになるわけでございます。そうでなしに、この法律があるというのは、やはり戦争というものが非常に特殊なものであったという立場から特別にこの法律があると思うのです。その立場からいくならば、私はやはり内地において非常に傷つかれて、そしてこの三十年間たいへん苦しい生活を送っておみえになった皆さん方に対しても、やはり同じようにこの適用を拡大していくべきではないか、こう思うわけでございます。  重ねてお聞きをいたしますが、現在はこういう法律案が出されているわけでございますから、現時点では無理といたしましても、近い将来においてそういうふうな方向を含んで検討をされるべきである、こう私は思います、その点、いかがでございましょうか。
  21. 八木哲夫

    八木政府委員 当時の一般国民戦災等方々につきましては、全く処遇がなかったわけではございませんで、当時、昭和十七年に戦時災害保護法というのがございまして、戦時災害によりましてなくなられた方あるいは災害を受けた方、御遺族等に対しまして、一時金でございますけれども、若干の給与金等援護措置があったわけでございます。しかし、これはもうすでに現在廃止になっているわけでございまして、当時におきます一時援護措置としてそういうような措置があったわけでございます。  ただ、先生指摘のように、確かに現在の援護法改善充実に伴いまして、終戦末期等におきます、内地等におきますそういう一般市民方々問題等もあろうかと思いますけれども、やはり先ほど来御説明申し上げましたように、むしろある意味では国民全体が被害者であったというような面から申しますと、戦後すでに三十年近く経過しているわけでございますし、むしろ一般社会福祉なり社会保障政策充実の中で、この問題を解決していくのが一つ方法ではないかというふうに考えられるわけでございます。せっかくの先生の御指摘でもございますし、今後十分研究させていただきたいと思う次第でございます。
  22. 坂口力

    坂口委員 この問題は、大臣がお見えになりましたら、また一言だけ詰めさせていただきたいと思います。  次に、現在、この法律に対して、いろいろ多くの戦傷病者の方から申請が出されているであろうと思います。特に傷病者皆さんの中から多くの申請が出されていると思いますが、その中で、いわゆる非認定書類というのがかなりたくさんあるだろうと思うのであります。その非認定書類の中で、どういうふうなものが一番多いのでございましょうか。
  23. 八木哲夫

    八木政府委員 数がどのくらいあるかにつきましては後ほど……。  大体率にいたしまして一割までにはいっておらないわけでございますが、若干ございまして、現在どういうものがその若干になっておるかということでございますけれども、一番多いのは、はたしてその障害公務に基づく障害であるかどうか、あるいは本来の公務ではなしに、御自分の、復員なりあるいは内地の引き揚げ後発病した病気ではないかというようなことで、その関係戦地なりあるいは軍務なり、そういう公務に関連したという面が非常に立証できにくいというような面で、取り上げられておらないというケースが相当数ではないかというふうに思っておる次第でございます。
  24. 坂口力

    坂口委員 私も、いまおっしゃったような境界線の一例を知っておるわけでございます。これは鈴木一郎さんという方で、明治四十二年五月二十日生まれの方でございます。この方は、何回か軍隊に入られ、あるいはまた一時除隊になり、何回かこうしておみえになるわけでございますが、恩給のほうから申しますと十一年四カ月十五日にしかならないわけなんです。十二年にはちょっと満たない方なんですが、この方は、第二次大戦中、中国との国境で従軍しておみえになった元衛生上等兵でございます。この人は、その当時から、国境の警備等に立っておりましたときから関節の痛みを再三訴えておりました。上官からはそれは関節リューマチではないか、その疑いがあるというようなことを言われていたわけでございますが、しかし軍務につけないというわけではなかったわけでございます。しばしば痛みを訴えながらも軍務についていたわけでありますが、昭和十九年の十月十七日に除隊になっております。以後、内地に帰りましてからだんだんとそれが悪化をいたしまして、次第に歩行も困難となりまして、現在は寝たきりのことが多い日々になっております。  この例に見ますごとく、いわゆる外傷ではなしに、内部疾患との関連で悩んでおみえになる方がかなりあるであろうと思うわけであります。こういうふうな内部疾患でありますと、いつ幾日からということがはっきり切りがたい。さりとてこれを証明しようと思いましても、その当時の外国におけるそういう勤務でございましたから、いわゆる軍医の診断書があるわけでもございませんし、ただ上官とか衛生兵あたりの証言があるだけなわけです。こういうふうな場合にはどういうふうな証拠というものを整えれば、これは一号ケースに乗るんでしょうか。たいへんむずかしい問題でございますが、こういうふうな問題はそちらにも多々あるだろうと思うのです。これはほんの一例にすぎないだろうと思うのです。こういうふうな疾患の場合には、特に内部疾患の場合にはどういうふうなものがあるか。最小限度どれとどれとが整えばこれは一号合格線に乗ってくるのか。合格するかしないかはわからないけれども、認定になるかならないかはわからないけれども、とにかく認定の段階に十分乗り得るためにはケース・バイ・ケースだとは思いますが、最小限度どういうふうなものが必要なんでしょうか。
  25. 八木哲夫

    八木政府委員 先生指摘のケースにつきましては、具体的にもう少し中身を見させていただきませんと、この場では何とも申し上げられないと思いますが、ただいま先生指摘のケースは実は傷病恩給の問題だろうと思いますので、直接は私どものほうよりは恩給局の問題ではないかと思います。ただ恩給局来ておりませんようでございますので、私どものほうから考えられる点を(坂口委員一般論でけっこうです」と呼ぶ)はい。一般論として申し上げますと、当時のある程度の記録がございます。たとえば当時、陸軍病院なり海軍病院等がございますから、そういう病院にはっきり入院したというような記録等がまずございますれば、これはたとえ内部疾患でございましても、そこにおきます発病というのが十分考えられると思います。病院に入院したという記録はかなり残っております。  それから、その後また復員しまして内地へ来られたという場合でも、復員後また内地の病院に入ったというような際の記録等におきましても、どこそこで発病したというはっきりしておる点がございますれば、これは明確であるわけでございます。ただ非常に古いことでございますので、そういうような記録がないという際に、どこまでいろいろな関係資料を整備するかという問題でございますけれども、その辺は個々のケースを見まして、ケース・バイ・ケースで判断せざるを得ないのではないかというふうに思われる次第でございます。
  26. 坂口力

    坂口委員 いまあげました例は、実は御指摘のように恩給の問題でございますが、同じようなかかわり合いの例というのは、この援護法においてもやはりあるだろうと思うのです。こういうふうなケースが私どもにもかなりたくさん寄せられるわけでございますが、しかし、ほとんどこれが認定にならないわけでございます。  それじゃ一体どうしたらいいかということになるわけでありますけれども、現在三十年たちました、あるいは三十年以上もうたっているわけです。現在そういうふうな書類を集めようとしましても、特に外地にお見えになったような方ですとそれがどうにも手に入らない。ただ上官あるいは戦友等の証言を待つ以外にはないという例がかなりあるわけでございます。特に内部疾患等におきましてはよけいにそれが複雑化してくるわけでございます。この人たちについても、私は何らかの線を引いて救うべきじゃないか、こう思うわけでございます。しかし現在の認定基準と申しますか、それではかなりはっきりとした証拠書類、たとえば入院したという実例があるとか、レントゲン写真が残っているとか、あるいはまたそのとき家族に対してこういうふうな状態だということを書いて出した手紙が残っているとか、そういういろいろな証拠がなければ認められないというふうなこともお聞きをいたしております。しかし、それすらもないが確実にそのために傷つかれた、あるいはからだをこわされて現在に至っている、そういう方たちがあるわけです。そういうふうな人たちに対してかたくなな考え方ではなくて、もう少し柔軟な姿勢で取り組んでいただく必要がありはしないか。特に、初めにも申しましたとおり戦後三十年を迎えた今日、そういう感を深くするわけであります。  いま皆さん方の手元にたくさん残っている書類で、しかも片づかないのがずいぶんあるだろうと思いますが、その内容によって非常に頻度の高いものもあろうかと思います。たいへん頻度の高いようなものにつきましては、やはり今後法律の上でしかるべき措置をとっていただくのが当然ではないか、こう思うわけです。また立法機関としてもそうしていくのがしかるべきではないか、こう思うわけなんです。その点、あらためてお聞きをいたしますが、今後の問題も含めてどういうふうな御見解をお持ちになっておるか、お聞きしたいと思います。
  27. 八木哲夫

    八木政府委員 先生指摘のように、私どもも何とか援護法の中で、運用面でも、救済できるものは少しでも証拠なり書類なりを集めて救っていくべきではないかというような考え方で実際の法律の運用をしているわけでございます。  それから、確かに三十年近くも前のことでございますし、なかなかむずかしい点もあるわけでございますので、現在、援護法の中でもたとえば四条二項等におきましては、戦地で発病したという場合には、自己の責めに帰せられないものは故意、重過失以外はすべて公務に見るというような規定もあるわけでございます。戦地で発病したことがはっきりしておるというような場合には、現在でも、およそ戦地であればすべて公務と見ましょうというような規定もあるわけでございまするので、そういうような規定の趣旨にもかんがみまして、先生指摘の趣旨を十分考えまして、今後とも、補強書類等が整いますれば少しでも救っていくというようなことで、できるだけ改善してまいりたいというふうに考えておる次第でございます。
  28. 坂口力

    坂口委員 あと、大臣にも質問させていただきたいところを一応残しておきたいと思いますので、具体的な問題はこれにとどめさせていただきますが、きょう、私申し上げましたのは、いわゆる内地における人々に対しましても、外地とみなされていた人々と同じようにこの法律を拡大していくべきではないか、そういう問題と、それからもう一つ、はっきりとした物的証拠が残っていない人たちについて、しかも戦友あるいは上官がかなりはっきりと、これはそうであったと認め得るものについては、もう少し柔軟な対策のもとにその人たちを救うべきではないか、この二点につきまして申し上げたわけであります。  この問題は、大臣がお見えになりましたら重ねの辺で一応終わりたいと思います。
  29. 野原正勝

    野原委員長 寺前巖君。
  30. 寺前巖

    ○寺前委員 ちょっとのどを痛めておりますのでお聞き苦しいかと思いますが、戦傷病者戦没者遺家族等援護法の今度の改正に伴って、二、三の点をお聞きしたいと思います。  今度の法改正によって、従来対象になっていなかった旧防空法の中にある医療従事者警防団員なども新しく準軍属として対象にするというふうになったわけでございます。私の理解が間違っておったら指摘してください、私はあまりあれですから。  そこで、警防団であったのかどうか。これはいつの場合でもそうなんですが、認定制度という問題が伴う場合にはその認定制度に対する不満というものは必ず出てくる問題ですね。そこでこの警防団であったのかどうかという認定について、その要件をどういうふうにするんだ。要件をきびしく指定してしまったら、もう三十年も昔の話ですからわけのわからぬことになってしまう。せっかくやる以上は十分に配慮する必要があると思うのです。そこでその要件について、どういうふうにやろうとしておられるのか、ちょっと聞きたいと思います。
  31. 八木哲夫

    八木政府委員 先生指摘のように、もう戦後三十年近くなるわけでございますので、警防団等対象になる場合に、はたして今回の法改正の対象になれるかどうかという面で、立証面につきましてもいろいろ問題があろうかと思いますけれども、私どもといたしましては、この改正法というのがもし成立いたしました暁には、できるだけ趣旨の普及なりそういう面を考えますとともに、法改正の趣旨というものにかんがみまして、できるだけあたたかい、法の範囲の拡大というものが及んでいくような方向で努力いたしたいと思う次第でございます。     〔委員長退席、山下(徳)委員長代理着席〕  具体的にどんなものが必要かということでございますけれども、私ども考えておりますのは、なかなかない場合もあると思いますが、現実に持っておられる方もかなりございますので、たとえば当時の地方長官から交付されました防空従事命令書でございますとか、あるいはなくなられた場合に関係団体等からの表彰状がございますとか、あるいは弔詞等をお持ちになっておるというようなことを考えておるわけでございます。しかしなかなかそういうものをお持ちになっておらないということも考えられると思いますので、当時の関係者の方々の証言でございますとか、あるいは各都道府県で保管しております殉難者名簿というようなもの等、そういうようなことが推測できる資料がございますれば、今回の立証書類といたしましてできるだけ幅広く考えてまいりたいと考えておる次第でございます。
  32. 寺前巖

    ○寺前委員 この新聞に、三月十七日ですか、「空襲下の警防・救護団員に年金」ということで、「遅すぎた三〇年目の救済」という記事が載っております。東京都の「犠牲者の会」という会がありまして、溝口松治さんという人が会長になっておられるのですが、この会長さんの内容がたまたまここに載っているわけですね。そうすると、全国からこの人のところにお手紙が来ているようですよ。要するに「遅すぎた三〇年」ですから、いまおっしゃったような従事令書とかあるいはまた表彰状みたいなものを持ってない人が多いわけですね。それから関係者がおられなくなっている。空襲下ですから、あと疎開をしてしまったとか、三十年の歴史というのは、条件というのは非常にむずかしくしているのですね。  そこで、この人のところに幾つかの手紙が来ているのを私見せてもらいましたけれども、訴えられていることはみんな共通しているのですね。要するにむずかしいのですよ、おらなくなってしまって。たとえばここに本間さんという、これは八十二歳ですね、この人は葛飾区の方ですね。この人の内容を見ると、当時長男の一雄が防空群長をつとめておりました。当時私は澁谷区に居住しておって、大空襲戦災にあいまして四児を失いました。当時長男は甲種合格で徴兵となり 大阪へ入隊の途中かぜに罹病、人手不足のため防空群長に推され、ゲートルをつけたまま寝起きをしておった。空襲下にあって休む間もなく、過労となって、ついに肺をおかされ、高じて倒れ、結核で療養を受けたが、悪化、ついに死亡する。入隊前でありましたので、軍人扱いもされず、一般庶民の方々と同じく、全く報いられなかったというその人の事情が訴えられておりますが、要するに当時の知己、縁故の方々がほとんどちりぢりになりあるいはなくなっておられ、それゆえに生き証人二名必要ということになると、私の場合はわずかに元家主さんの富永正利氏一人あるだけであります。この人の場合はもとの家主さんがたよりになりますということだけなんですね。何か話によると、二人の証人がなければならないというようなことが前の自治省のやったときの何か関係であったんですかね。何かそういうようなことで、実際問題として私はその人だけがたよりだ。この人の手紙はそういうことなんですね。  それから埼玉県の蕨におられる永田さんという人の手紙を見ますと、「私の父は警防団員であった事は、間違いなくわかっているのですが、第三者の証人が居りませんため、たしか先年でしたか、何か警防団員の死亡者に、一時金が出ました折にも戴く事が出来ませんでした。」第三者の証言がむずかしいということを、これは当時学童疎開で東京におらなくて、疎開先で両親や姉たちの死を知らされたということで、小さい子供であったら親の状況についてつかむということがむずかしい、こういう問題があるわけですね。  そこで私は、せっかく三十年もたった今日、これをやろうということになったら、かなりやりやすいやり方を研究する必要があるんじゃないだろうか。たとえば先年自治省が何か見舞い金を出したというやり方がありますね。そのときに対象になった人というのは、これはもう調査済みなんだろうから、たとえばあのときには証人がこれだけおられたということでやったって、それからまた何年かたつとその人自身おらなくなってしまうんだから、あのときに出されたものはもう無条件にするとか、あるいはまた「殉職消防職員 消防団員顕彰記録」などというのを府県なんかでつくっておりますよ。こういうものを見ると、この名簿の中に警防団員であったというようなことなんかも書いてあるのですよ。これを見ると、私はそれぞれの消防団員の名簿とか、警察なり消防署なんかに一定の記録があるんじゃないかと思うのですよ。だからそういう一定の記録を調査して、当局の側から積極的にさがすという態度をとってあげないと、疎開している小さい子供だったら、いまの話のとおり、こういう話だったというだけでかいもくわからないということになるでしょう。子供が大きくなったって、近所の人たちというのはその当時のことは自分が疎開しているんだからわからないということが起こってくる。だからそういう意味で、これは私は、積極的にそういう記録を当局が調査するということをやって、呼びかけるということを考える必要があるんじゃないかと思うのですが、その辺どういうふうなやり方を、しようとしておられるのか、やり方について聞きたいと思います。
  33. 八木哲夫

    八木政府委員 先生指摘のように、せっかく制度が改正になりました際に、できるだけその改正の対象になります方々に対しまして、あたたかい手を差し伸べるということは最も必要なことであるというふうに考えている次第でございまして、私ども、まだ実際の運用の問題につきましては、これから研究する段階でございますけれども、ただいま先生から御指摘いただきました貴重な御意見等を十分組み入れまして、私どもといたしましても、できるだけ今度の制度改正の対象から落ちこぼれのないように努力してまいりたいというふうに考えておる次第でございます。
  34. 寺前巖

    ○寺前委員 努力してもらったらいいのですが、その名簿というのはないのですか、警防団員やそういう旧防空法に基づくところのやつはどういうことになっているのですか。
  35. 八木哲夫

    八木政府委員 御指摘の名簿はございません。  ただ、先生指摘いただきました、自治省で出しました特別支出金の交付者でございますとか、それから、ただいま御指摘になりました顕彰記録あるいは各県でも殉職者名簿等があるものもあると思いますから、そういうものはできるだけ活用したいと思いますが、全般を通じましての警防団でなくなられた方の名簿というものはないわけでございますので、既存の資料はできるだけ活用してまいりたいというふうに考えております。
  36. 寺前巖

    ○寺前委員 警防団員であったという名簿とか、そういうものはあるのですか。なくなられたというやつは、まあ三十年もあれだからあれだけれども、基礎になる、団員であったとか、そういう名簿というのはないのですか。
  37. 八木哲夫

    八木政府委員 かなり長時間を経過しておりますので、先生指摘のような名簿が県あるいは市町村等によりまして、あるところもあると思いますし、ないところもあると思います。かなり保存がいい市町村あるいは県等におきましてはあると思いますので、そういうものは十分活用できるのではないかというふうに考えております。
  38. 寺前巖

    ○寺前委員 それじゃ、その名簿を積極的に掘り出してもらって、積極的に呼びかけるという立場で、せっかくの対象にする以上は喜ばれるようにぜひやっていただきたいということをひとつ提起しておきたいと思います。  それから次に、これらの新しく拡大された方々が、従来からあるこの特別給付金の制度ですね、この特別給付金の制度の対象の中を見ると、これはおたくのほうから出された資料ですね。参考資料のうしろのほうのところに書いてありましたが、四十八年度の法改正の支給対象の拡大と、満州事変戦没者の妻に特別給付金を支給するというこの対象だけですね。だから、せっかくこれは対象を拡大したんだったら、何で特別給付金の支給に関する事項について、この分野に拡大をしないのだろうか。せっかくやるんだったら、ぴちっとみんなそろえてやったらよさそうに思うのですが、これは何でそうしないのですか。
  39. 八木哲夫

    八木政府委員 一つは、そういう例は改めたらという御意見になるんではないかというふうにも思われますけれども、従来の援護法の改正のやり方といたしまして、毎年、法改正をいたしまして、新たに援護法対象に取り上げることによりまして、年金、弔慰金等の対象になるわけでございますが、特別給付金につきましては、翌年度に法改正案を御提案しましてお願いしておるというような次第でございますので、私どもといたしましては、従来の例から申しまして、明年度におきましての特別給付金の改正対象として考えてまいりたいというふうに思っている次第でございます。
  40. 寺前巖

    ○寺前委員 さっさと一緒にやったらいいと私は思うのだけれども、これはよくわからぬのだけれども、来年度はやるわけですね。  それから、ちょっとついでに聞いておきたいのですが、援護法を見ていると、責任を感じて、国家賠償の立場に立って対象をこうやって次々にワクを広げてきたわけですね。そうすると今度は、警防団の周辺にまだおるのは、軍需工場に——私の兄なんかもそうでしたが、軍需工場で活動した人、これはあの当時の時期でいうならば、一億総協力で、事実上協力をしなければならないという体制下に入ってしまうわけですね。こういう軍需工場なんかで活動しておった人たちを何らかの形でやはりまた対象にしなければならないという見解に立たざるを得なくなるのではないかと思うのです。要するに、戦争そのもののよしあし論争は別にして、戦争を勝つためにということで強引に協力させられていきますからね。それで軍需工場にはちゃんと将校が乗り出してきて、そしていろいろな防空上の指揮もしながら、こうやりよるわけでしょう。だから、かなりいろいろきびしい生産に対する強制力を伴わさせられてきている。こういうところで活動した人たちが、事実上あの戦争当時においては拘束されるという、やはり国家的な責任をかぶされる結果になってきているのじゃないだろうか、こういう分野については一体どういうような見解を持っておられるのか、ちょと聞きたいと思うのです。
  41. 八木哲夫

    八木政府委員 先生指摘の軍需工場の場合は、おそらく当時としましては、いわゆる徴用工等でございますので、白紙というような関係でございますので、援護法対象になるというふうに考えておりますけれども、ただ、徴用工ではなしに、本来の御自分の仕事をそのままやっておられた方という方々になってまいりますとなかなかむずかしい場合もあると思いますけれども、大部分の軍需工場の場合には、そこにおきまして、そこの工場の勤務のままで現員徴用というような形で一つ身分関係ができているのではないかというふうに考えられますので、軍需工場の場合には原則として援護法対象になっているのではないかというふうに考えておる次第でございます。
  42. 寺前巖

    ○寺前委員 必ずしもそうでもないですよ。全体が軍需生産に従属していっていますからね。ですから大きな工場もあれば町工場もありますから、そうすると事情が変わってくるわけですよ。だから全体として、それは造船所みたいなところとそうでないところとの違いというのは、大きなところと小さいところの違いがありますから、私は全体としていうならばやはりそうではない扱い方になっておると思うのです。ですから、おそらく国家賠償の立場でこの法を制定されたときに、一審しぼったところから話はずっと広がっていくから次々に隣接に広げざるを得ない。この立場でいったら、次には一般戦災全体の責任問題ということにならざるを得ない運命だろうと私は思うんですよ。だけれども、次々に広げるという順番から考えていくならば、ぼくは次にはこの分野が実態はどうなっていたんだろうかということを、分析はやはりしてみなければならない問題ではないかというふうに思いますので、これはちょっと問題提起をしておきますので、ひとつ御検討いただきたいというふうにしたいと思うのです。  あとでそれに関連して石母田さんから質問がありますから、それはちょっとあとにして、次に、今度の援護法の改正の中で、三目症、四目症の人々に新たに手帳を渡すという問題が出ていますね。これは、三目症、四目症の人に手帳を渡したら、手帳をもらってどういう利点が出ることになるのですか。
  43. 八木哲夫

    八木政府委員 三、四目該当者につきましては、従来資金等が出ておったというようなことで、一、二目までが対象になっておって、三、四目は出なかったというようなことから手帳が交付されることを考えておるわけでございますけれども、先生指摘の具体的な利点という面から申しますと、三、四目の方々がその病気によりまして治療が必要であるという場合には、現在の特別援護法でもできるわけでございます。ただ手帳をその場合には一々もらって、またなおったら返さなければならないというような問題があって、その場合の事務の簡素化がはかられるという程度でございまして、現実問題といたしましては具体的な、特に三、四目の場合には非常に軽い障害でございますので、具体的なメリットという面から申しますと、直ちに現行法ではないわけでございます。むしろ戦傷で受けられた方々が、この傷は戦傷によって受けられたんだというような精神的な面の意味というものが非常に大きいのではないかというふうに考えられるわけでございまして、特に関係者からの御要望のございましたのも、精神的な面でございましても、やはり手帳の交付というものを非常に熱望されておったというようなことから、手帳の交付が行なわれたということを考えておる次第でございます。
  44. 寺前巖

    ○寺前委員 私のところに傷痍軍人会あるいはその妻の会から決議が来ているのですが、手帳の交付をしてもらいたい、三目症、四目症に対して。同時に、国鉄の無賃乗車証でもくれなかったら、それだけではどうもならぬじゃないか、こういうのが出ておるのです、これは相談員の人からきているのですけれども。せめてそういうような国家賠償の立場に立って、一目症、二目症の方までは年二回の無料扱いなど一番低い段階でもあるようですから、何かのそういう措置を国としても考えてみるということはどうなんでしょうか。
  45. 八木哲夫

    八木政府委員 先生指摘のように、戦傷病者手帳が交付される以上は国鉄の無賃乗車の取り扱い考えるべきではないかという関係団体からの強い御要望がかねてからあるわけでございまして、私どももまず手帳の交付というのが今回予算的にも入りましたわけでございますので、今後の方向といたしまして無賃乗車の拡大等につきましても努力してまいりたいというふうに考えておる次第でございます。
  46. 寺前巖

    ○寺前委員 これはほかの問題で私のところに出てきている問題ですが、京都の洛北病院に五十四歳の近藤正司という人が入院しているのですよ。この人は昭和十八年に右肺上葉浸潤兼左肺門腺炎で内地へ十八年に引き揚げて、第二目症見込みとして、陸軍省から傷痍軍人手帳の交付を受けて、それから昭和二十五年の十二月に手帳の再交付で、昭和三十二年から入院して、いまも入院しておられる第二目症の方なんです。普通だったら第二目症というたら仕事はできないということにはならないと思うのですけれども、この人は今日に至るまで結婚もできず半生病院暮らし、これは内部疾患の場合にとかく起こる因果関係問題とか、そういう問題も含めての話だと私は思いますので、この問題についてはまた別個にお話しをさせていただきたいというふうに思いますけれども、この人と話をしていると、家族も両親もない人なんですが、たまたま療養手当の話になったわけですよ。どういう生活をしているのかというと、四十八年の法改正で、収入が七千百四十円のうちで療養手当が月六千三百円で生活保護費が月八百四十円もらえるという勘定になるというわけですね、療養手当が六千三百円入るから。だから生活保護費の中からその分を引いて生活保護費がつくのが八百四十円、こういう勘定になるということをその人が言っているわけですよ。わかりますか。  それで、そこからこの人が問題提起しておられるのは、戦争の犠牲ということで国家賠償の立場に立っている法律じゃないか。国家賠償の立場に立って、いま療養している人間に対して六千三百円というのは療養手当ですね、これは医療のほうは見てもらうのだから、結局生活上の日用品費ということになるわけでしょう。そうすると、日用品費ということになると生活保護の日用品費でも七千百四十円じゃないか。それからたとえば、原爆の医療手当の場合だったら九千五百円じゃないか。何で同じ日用品費を考える場合に、国家賠償だと片っ方では言っていながら、実際上国家賠償としての金額にならぬじゃないか。この人はめがねを買いたいというのですよ。だんだん年をとってきたから目に影響するんでしょう。近視、それからもう一つ老眼との関係も出てくるわけでしょう。そうすると、めがねを買おうと思ったらたいへんなことになるのですよ。めがね、高いですからね。めがねを買うお金が出てこないという問題なんですよ。ですからこの国家賠償の立場に立っての療養手当ということになると、あまりにも低いじゃないかということをこの人は訴えているわけなんですよ。だからこの療養手当について、せめて原爆被爆者の医療手当程度のことを考えるか何かしなければいかぬじゃないですか。この点、どうでしょう。
  47. 八木哲夫

    八木政府委員 長期入院患者の療養手当につきましては、確かに先生指摘のとおり、現在では月額六千三百円でございます。この手当の性格としましては、やはり入院患者に対します日用品費的なものであるというような考え方から、生活保護の日用品費等も勘案いたしまして、四十九年の四月から現行の六千三百円を八千円に増額したいというふうに考えている次第でございまして、生活保護法の日用品費には大体見合った額に、今度の引き上げによりましてなるのではないかというふうに考えておる次第でございます。
  48. 寺前巖

    ○寺前委員 ところが生活保護を今度改善しますわね。七千百四十円を日用品費七千九百二十円にするけれども、冬季加算を入れたら八千四十円にまってしまいますよね。月平均にすると。そうするとやはり低いのですよ、少々には違いないけれども。低い場合には少々がやはり意味を持ってくるわけですね。ですからこの人の訴えておられるのは、国家賠償の立場に立つならば、われわれ長期に療養している人間に対してもっとあたたかく扱っていただいていいんじゃないかという意見なんですね。そういう点から見ると、やはりこの額というのは、私は原爆被爆者の医療手当の額、せめてその額ぐらいの療養手当にしないといかぬのじゃないだろうかというふうに思うのですが、これはひとつ再検討をやはりすべきじゃないでしょうか、どうでしょうか。
  49. 八木哲夫

    八木政府委員 確かに先生指摘の面もあると思いますけれども、原爆の場合にはむしろ精神的な慰謝というような要素もあると思いますので、特別援護法の場合には、日用品費的な考え方というようなことから八千円にいたしましたのは、確かに冬季加算等を考えますと低い面もございますけれども、生活保護の場合でございますと、七千九百二十円ということで、そこまで生活保護法のような年間を通じましての季節によりますこまかい配慮はしておらないわけでございますけれども、ある意味で年間を通じましての数字としましては、生活保護法より高い場合もありますし、低い場合もあるというようなことで、その辺を勘案いたしましての八千円ということでございますが、御指摘のような点もございまするので、今後とも十分研究させていただきたいと考える次第でございます。
  50. 寺前巖

    ○寺前委員 相談員の人からの訴えの中にあるのですが、長期の療養者の療養の裁定の問題なんです。「受傷または罹病後三十年を経過しようとしている今日、いまだに有期の裁定をうけている者の数は多い。既に症状が固定化している者が将来治癒する可能性があると考えているのか。この際有期裁定者のすべてを無期にされたい。」こういう要求が、これは相談員の人のところにたくさん持ち込まれてきているのですね。私も症状によっては、これは治癒まで毎年毎年裁定をするというようなことをしなくともいいように思うのですが、この点はいかがなものでしまうか。
  51. 八木哲夫

    八木政府委員 症状によりましてどう判断するかという問題でございますが、現実障害年金等におきましては、完全に固定化している場合につきましては、もう有期というのをやめて無期で裁定している例もございます。おそらく先生の御指摘の場合には、年金等の場合ではなしに、療養の場合の療養権の問題ではないかと思います。これは現在療養中であるというようなことから、症状がまだ固定しておらないで、確かに今後の症状の変化等によりまして考えなければいけないというようなことから有期ということで、現実問題といたしましては六カ月とか一年とかいうような有期でございましても、非常に短い期間でございますので、私どもといたしましても、症状によりまして、必ずしも一年というような期間でなしに、もう少し長い期間考えるということも十分考えられると思いますので、この問題につきましては十分検討させていただきたいというふうに思っておる次第でございます。
  52. 寺前巖

    ○寺前委員 くれは戦傷病者の、先ほどの新しく拡大した場合でも、もっと親切に打って出なければいかぬという問題があると同じように、これは相談員の人から訴えられたのですが、たとえば私のほうで相談員というと京都市には九区行政区があるのです。ところが北区と上京区で一人というふうに二つの行政区で一人なんですよ。この相談員の数というのが非常に少ないですよ。中京と右京で一人、下京と南区で一人というふうに数がほんとうに少ないのですね。これは昭和四十年十月一日から新設された制度のようですが、一体それでどうなんですかとこう聞いてみたら、五百円の手当をいただくんだ、こういうわけです。民生委員は何ぼもらうんですかと言ったら、千円だと言うのですね。だからこれは金の話では話にならないわけですね、正直言うと。民生委員さんの場合にも共通して出る話なんだけれども、せめてお世話をする電話代なり手紙代なり、実費を出すというふうな形にでもならぬものなのか。あまりにも金額的にも少ないということと、もう一つは、人員配置の面でも、相談するのに二つの行政区に一人というようなことでは話にならぬじゃないか。それから昔の郡でいうたら郡に一人だ。郡にはたくさんの町がありますが、それにたった一人だ。やはりこれでは相談にならないということで、これは数をふやしてもらう、こういうふうにこの体制を一つ考えてもらえぬものだろうかという問題と、もう一つは、やはり戦傷病者のための援護のしおりというようなものを国自身がもっと積極的に打って出なければいかぬのじゃないか。何にもそういうものはないようですね。京都府では初めて去年つくってもろうたというわけですよ、この相談員の人たちが言うのに。だからもう三十年来話としていろいろ伝わるけれども、きちっとだれにでもわかるようなそういうわかりやすいもの、相談に乗れるしおり、そういうものを全国的ないい経験を学んで、国自身がつくっていただくというわけにいかぬものだろうかという二つの問題提起を相談員から受けたんですが、いかがなものでしょうか。
  53. 八木哲夫

    八木政府委員 先生指摘の相談員関係でございますが、現在、戦傷病者相談員につきましては九百四十一名、それから戦没者遺族の相談員につきまして千四百十名設置されておる次第でございます。戦没者遺族の相談員につきましては、昨年増員がございました。  それから相談員の増員の問題等につきましては、確かに関係者からも非常に御要望も強いわけでございますし、私どもといたしましてもきめのこまかい相談ができるようにということで、相談員の増員の問題につきましては今後とも努力してまいりたいというふうに考えている次第でございます。  それから相談員の手当につきまして、民間の篤志家にお願いするというようなことで、謝金等の面につきましての配慮が十分でなかった点は申しわけないというふうに思っている次第でございますが、過去何年間か五百円ということで、先生お話しございました五百円ということで据え置きになっておったわけでございますが、明年度は、わずかではございますが、五百円を七百円に引き上げるというような措置を講じている次第でございまして、今後とも増額につきましても努力してまいりたいというふうに考えておる次第でございます。  それから第二点のPR関係の問題でございますが、援護法関係につきましては毎年のような改正が行なわれておりますし、処遇内容範囲の拡大等につきましても改善措置が講ぜられている次第でございますし、関係者も、非常に古い昔のことの問題が多いわけでございますので、現在の事務当局者等もわからないというような問題があるわけでございますので、私どもといたしましても、できるだけそういうようなPR資料なりあるいは事務担当者の必要な資料というものを整備してまいりたいというふうに考えている次第でございます。
  54. 寺前巖

    ○寺前委員 せっかくの機会ですから、ちょっと話は変わりますけれどもお聞きしたいと思うのです。  それは、この前からおたくのほうにも話が行っているんじゃないかと思いますが、昨年の十一月十三日から一カ月にわたってフィリピンの戦没者の遺骨収集が行なわれたときのことなんです。  東京の杉並に住んでおられる木原まきさんという人が、民間の遺骨収集の協力隊としてお行きになったんですね。木原さんの弟さんの遺骨がフィリピンの米軍のベースキャンプのあるクラークというところにあるというので一緒に行かれたわけですが、その陳情書を読みますと、この遺骨収集には、政府派遣の百二十三人のほかに、厚生省遺骨収集協力隊四十一人をその傘下に加えて行なわれた、こういうんですね。四カ月前の七月二十四日に厚生省で打ち合わせをして、そうしてその民間の協力者のほうは全額自費負担でやってください。期間は政府派遣団は一カ月に対して協力隊は二週間でなければならない。現地で政府団に合流して共同で集骨作業を行なう。山中野営の場合でも食事のめんどうは見られない、こういうような話を事前に十分打ち合わせをしてお行きになったようです。ところが、現地へ行ったら、アメリカ軍の基地の中のことですね。自分の弟さんがそこに入っているというので、そこまで行けるものだと思っておったところが、突然現地へ行ってから入れなかった。政府隊の人はお入りになったということで、事前にちゃんと打ち合わせまでして一緒に行ったのに何でこういうことになるんだという問題提起なんです。私は第二次世界大戦、太平洋戦争でなくなられた方の遺骨というのは海外に二百数十万あって、今日まだ半数ぐらいしか遺骨というのは戻っていないのじゃないかと思うのです。この間、フィリピンで小野田少尉の問題があったように、三十年たっているけれども結果的にまだ戦争は完全に終わったということになっていない。おそらくフィリピンの場合なんかは相当の人がなくなっておられて、そして帰ってきている遺骨は少ないのじゃないかと思うのですが、どういう実態になっているのかわかりますか。
  55. 八木哲夫

    八木政府委員 フィリピン地域について申し上げますと、戦没された方の数は五十一万八千でございます。それからすでに部隊復員時、あるいは遺骨収集等でこちらへ御遺骨を送還して持ってまいりましたのが八万六千でございます。ということでございますが、ただ残りが全部現在あるというわけではございませんで、やはり当時のフィリピン地域の水域に輸送船等が撃沈されて海没したとか、それから船が撃沈されたとか、あるいは爆弾でそのまま粉砕したとかというようなこともございますし、さらにその後の地形の変貌等もございますので、いま申しました送還遺骨の差し引き数が現在これから収集できるそのままの御遺骨ということではないわけでございますが、まだかなりの御遺骨が残っているということは言えると思います。
  56. 寺前巖

    ○寺前委員 ですから、そういう条件があるにしても三十年たった今日、五十一万八千のうち八万六千しか収骨されていない。だから家族の方にするならば、やはり何かなくなられた土地の土でも持って帰りたいという気持ちというのは、ぼくは当然のことだと思うのです。ですから、そういうことを考えたら、民間協力隊の方々ですね、ちゃんと打ち合わせまでして一緒に行かれた方々に対して、どたんばに行って初めておまえは政府団ではないからだめだということでは、正直言って、私は納得できないだろうと思うのですよ。そういう人たちの協力をむしろ積極的に援助してあげなければいけないんじゃないだろうか。この辺の問題について、当局としてどういうふうに考えておられるのか、ちょっと聞きたいと思うのです。
  57. 八木哲夫

    八木政府委員 フィリピンの遺骨収集につきましては、過去何回かやっているわけでございますが、昨年十一月から約一カ月間実施いたしたわけでございます。従来は政府の職員だけで参っておりましたけれども、昨年度から遺骨収集の問題を本格的に大規模にやりたいというようなことから、予算的にも大幅な増額が行なわれましたので、従来、政府職員だけでやっておりましたのを民間の戦友の方でございますとか、あるいは御遺族の方の御参加もいただきまして、政府派遣団といたしまして、先生お話しのございましたように百二十名をこす政府派遣団が遺骨収集に出発したわけでございます。なおフィリピン地区の御遺骨収集につきましては、やはり相手国の事情もございますものですから、相手国との外交交渉によりまして、こういう地域につきましてこういう時期にこのぐらいの人が行くという外交折衝の結果によって実施したわけでございます。  そこで私ども政府派遣団といたしまして、百人をこします民間の方々も御参加をいただきまして、昨年の十一月にフィリピンの遺骨収集を実施したわけでございますが、その際に、政府派遣団以外の方で——遺骨収集ではそういうことで外交折衝にのりませんので、参れませんけれども、たまたま政府派遣団が遺骨収集に行く際に慰霊巡拝という形で現地へ行かれます幾つかの民間団体の方々がございまして、そういう方々が一緒に行きました際に、現実問題としまして現地のほうの事情が許せば慰霊巡拝だけではございませんで、政府派遣団が実施いたします遺骨収集にも一緒に御協力いただく、御参加いただくということは、現地の事情が許せばけっこうではないかというふうに私どもは話しておったわけでございます。  そこでフィリピンの遺骨収集を実施いたしたわけでございますが、その他の、先生お話ございましたクラーク基地の問題だろうと思いますけれども、クラーク基地以外につきましては、そういうことで政府派遣団以外の民間で慰霊巡拝で行かれました方々につきましても、一緒に御遺骨の収集に御参加いただいたということでございますが、クラーク基地につきましては、基地であるというようなことから、実は政府派遣団自身が出発する直前まで許可が来なかったわけでございます。そこで現地へ参りましていろいろ外交折衝をやっておった。したがいまして、クラーク基地へ行かれます御遺族方々につきましては、政府の民間協力団以外で慰霊巡拝で行かれる方々につきましては、そういうようなことで、現地へ行かれましても、出発の前の段階ではまだ許可が来ておらないというようなことから、慰霊巡拝で行かれるのはけっこうでございますけれども、現地へ行きました際に許可が出るかどうかわかりません——政府自身も出ておらなかったわけでございます。したがいまして、現地へ行きましてからも非常に折衝いたしまして、その結果ようやく政府派遣団、これは民間の方も含めてでございますが、政府派遣団十四名につきましての許可は得たわけでございます。ただ、政府派遣団以外の民間の慰霊巡拝で行かれた方々につきましては、遺骨収集は困るけれども現地での慰霊はけっこうですというようなお話がございましたので、結局、結果的にはほかの地域は、民間の方も政府派遣団と一緒に行動をともにできたわけでございますが、クラーク基地につきましてはそういうような事情もございましたので、結果的に遺骨収集には御参加できなくて、一部の方が慰霊巡拝を行なわれたというような事情でございます。事前の打ち合わせの際も、そういうようなことがありますということにつきましては十分お話を申し上げた次第でございます。
  58. 寺前巖

    ○寺前委員 自分の家族の人がそこにあるというのを目の前に見せつけられておって、ほかの人だけ一緒に協力しておってはずされるということになると、正直言って、それは気分的にも理解しがたいものがあるだろうと私は思いますよ。だから、現地でさらに折衝したと言われるのだったら、現地折衝のときにやはり強く保障するように、政府団であろうとなかろうと、政府の指揮のもとにやるといって協力しておられるわけでしょう。全然別個にかってにやっているというわけじゃないのでしょう。全然別個ですか。そうでなくして、やはり協力するのでしょう、指揮のもとに協力してやると言っておられるわけでしょう。協力に入らぬというならこれはまた話は別ですけれども、協力してやりたいとおっしゃっている場合だったら——ぼくは一定の制限が、よその国のことであるし、基地の場合には起こると思うのです。だからそういう場合には、一定の指揮のもとに行なわれるのだったらやはり同じように扱ってあげる、政府の責任において処置をするというふうに、この問題については今後やはり十分配慮してもらいたいということをぼくは要望しておきたいと思うのです。いかがでしょうか。
  59. 八木哲夫

    八木政府委員 御指摘のとおり、政府派遣団以外にも慰霊巡拝のような形で現地で参加されるという方は、せっかく現地まで行かれまして御遺骨の収集に参加できないということになりますと、御遺族の気持ちというものも十分察せられるわけでございまして、今後とも——私どもとしましてもあの段階でできるだけの努力をしたわけでございますけれども、結果的には入れなかったというような事情もございましたので、今後ともそういう面につきましては十分努力してまいりたいといいふうに考えておる次第でございます。
  60. 寺前巖

    ○寺前委員 大臣がお見えになったから、久しぶりなんでちょっと聞きたいと思っていましたけれども、時間もあれなんで、この援護法が、国家の責任において戦場に連れていった人たちとの、あるいは家族との関係の問題で責任を果たしていかなければならないという問題として、ずっといろいろワクを拡大してきて、今回は旧防空法に基づくところまで範囲を広げてきたわけですけれども、しかし戦争に対する責任問題というのは、単にそれにとどまらず、原爆の被爆の問題も、その国家のやはり戦争責任の結果の問題だし、それから空襲を受けた地域の問題とか、そういう問題全体についてやはり検討すべきものがあるんじゃないか。そういうことで関連して質問を私どもの石母田さんにやってもらいますので、私はこれで終わります。
  61. 山下徳夫

    ○山下(徳)委員長代理 石母田達君。
  62. 石母田達

    ○石母田委員 私は関連して、いつもこれで問題になっております一般民間の戦争犠牲者、特に障害を受けた方あるいは死没者の遺族に対する援護がいわゆる国家の補償の立場から行なわれていないということについて、再三提起してまいりました。特に、私どもがこの間この法案に対して棄権という態度をとったおもな理由が、この援護法が、いわゆる特定の国家との身分関係あるいは公務という、いわゆる戦争行為というものに参加した者だけが特定の援護を受けるということについて、あの当時の国家総動員法その他において国民全体が戦争によって犠牲を受けた、そういう中で、こうした特定の人だけじゃなくて、いわゆる一般民間戦争犠牲者にも及ぼすべきだという立場から、残念ながらこの法案については棄権の態度をとらざるを得なかったわけであります。しかし、この問題は、いま全国民的な運動にもなろうとして、被爆者のほうは一両日に、野党四党で、いわゆる国家補償立場からの援護法を制定するという法案も大体煮詰まりまして、いずれ国会に提出してこれの実現方をやるわけですが、あと残るのは、いよいよこうした一般民間の戦争犠牲者の問題が残るわけでございます。政府はどうしても、これは特定の身分関係にはなかった、あるいは公務性がないということで、再三拒否しておられるわけですけれども、私は再びこの問題について、とにかくいまこの方たちが要望されておる、一般民間の空襲による戦争犠牲者障害者、死没者遺族等に対する援護法の立法方を早急に措置されたい、あるいはまた、このためのいわゆる全国的な調査をぜひ進めていただきたい、こういう声が切実な声となっておりますので、この問題についての基本的な見解を私は大臣にお伺いしたいというふうに思います。
  63. 内田常雄

    ○内田国務大臣 石母田さん御承知のように、齋藤厚生大臣がコロンボに出張いたしておりますので、その間の臨時代理を仰せつけられておるわけでありまして、私が断定的なことを申し上げにくい非常にこれは広範な問題でございますが、私どもがふだん論議をいたしておりますラインに沿いますと、いま石母田さんからお話がありましたような、広く一般国民戦争犠牲者あるいは障害者、戦災者などにつきましては、これは今日非常に社会保障制度というものが逐次充実発展されつつある時代でもございますので、そういう一般の社会保障のラインの中において対処するような方向をとるほうが、それはどこまで入れるかという問題もございましょうが、適当とする課題であるというふうにも私は聞かされてきております。しかし石母田さんの声は、それは国民の中にも同じようなお考えを持つ方が多いわけでございますから、御所論のありましたことを、齋藤大臣が帰りましたら十分に私からも伝えまして、いろいろ研究してもらいたいと思います。  しかし幸い、私が聞いておるところによりましても、ことしでございましょうか、愛知県で、身体障害者でいまの援護法等の対象になっておらない方々についてのかなり広い調査を計画しているようなことも耳に入っておりますので、そういう調査の過程あるいは調査の結果なども、いろいろのこの問題処理の参考になるものだと考えております。
  64. 石母田達

    ○石母田委員 この間の国会で田中議員からも質問がありましたが、井上留吉さんという、愛知航空の熱田工場で徴用されておって、至近弾のために吹き飛ばされたところが工場の外であったということで、公務性がないということで援護法の適用が受けられなかった。その後これをお聞きしますと、認定にならなかった。そういう中で、田中議員とどういう関係があるんだというふうなことまで聞かれたといって非常に憤慨されておるんですけれども、そうした行為をあなた、これは、高木政府委員がその当時、徴用であったんだから当然これは対象になるわけだといって調査を約束したのだけれども、調査というのは、そういうことまで調査してやるということだったのですか。
  65. 八木哲夫

    八木政府委員 ただいま御指摘ございました件につきましては、私どもは、具体的に援護法対象になるかどうかという範囲につきましての調査でございまして、それ以外の調査をしたことはございません。  それから具体的な調査の内容でございますけれども、具体的に井上さんにお伺いいたしまして当時の状況等を調査いたしました結果、確かに公務性はあるということでございますけれども、たまたま障害の程度が現在援護法で見ております障害範囲まで及ばない、ある意味では非常に軽い障害であるというようなことから、現在の援護法では対象にならないということでございまして、公務性の面から見ますと問題ないわけでございます。
  66. 石母田達

    ○石母田委員 この問題について私どもその本人からそういう申し出を聞いておりますので、そういう認定をされる場合に、そうした政治的なと思われるような調査をすることはとんでもない話だと、その点について質問を保留しておきます。  再度大臣に要請いたしますけれども、いま、こうしたことが愛知県で行なわれたそうでありますから、こういう調査を全国的に進められるよう、そしてこれに対する、やはり特別の措置をとられるよう検討していただくよう、厚生大臣が帰りましたら十分協議してやっていただくよう要望したいと思います。よろしゅうございますか。
  67. 内田常雄

    ○内田国務大臣 石母田さんのお話十分承りまして齋藤君に伝えます。
  68. 石母田達

    ○石母田委員 これで質問を終わります。
  69. 山下徳夫

    ○山下(徳)委員長代理 坂口力君。
  70. 坂口力

    坂口委員 先ほど、大臣が御到着になります前に、四十分ばかり時間をいただきましていろいろ質問をさせていただきました。その中で御質問しましたことをあらためてかいつまんで申し上げますので、大臣にお聞きをいただきまして、その中の二、三についてひとつ御答弁をお願いをしたいと思います。  一つは、われわれ日本人は戦後早くも三十年の歳月を迎えようとしているわけでございますが、戦争とその犠牲について新しい角度からようやく全体像を把握することができるようになったとも思いますし、またあらためて基本的な立場考え直すべきときに来ているとも思うわけでございます。その第一は、事変地または戦地、この考え方についてでありますが、戦争の激しさということが一つの基準になっているようでございます。日本固有領土でありましても、千島のようにいわゆる戦地あるいはまたそれに準ずるというようなところになっているところもありますし、それから、戦争末期でたいへん爆撃が激しく、連日爆撃が行なわれるというような非常にきびしい状態になりましても、内地本土と申しましょうか、現在の本土というのはいわゆる戦地とはみなされていないわけであります。その戦争の激しさということだけでこれを分けるということがたいへん、考えてみればむずかしいわけであります。またその職種につきましても、これは、旧憲法下での国家との身分関係が前提となっているわけでございますが、しかし、これとても、非常に境界が不鮮明な点もございます。  そこで、これは今後の問題としてでございますが、いわゆる内地における傷病者というのもたくさんおみえになるわけであります。あの空襲によりまして、片腕をとられた人、また、両足がなくなった人、あるいはまた大きなやけどで今日までたいへん御苦労なすった人、そういうような方がたくさんございます。そういった方に対してもあらためて手を差し伸べることを考えるべきときに来ているのではないか、この改正案を審議するにあたってそう考えるわけであります。そこで大臣の、今後のこの法案の改正も含めまして、どういうふうな御見解をお持ちなのか、ひとつお尋ねしておきます。
  71. 内田常雄

    ○内田国務大臣 心情としては坂口さんのお話、まことにごもっともだと思いますが、これも坂口さんよく御承知のとおり、戦場となった、たとえば小笠原、沖繩等につきましてはもちろん戦地として入りますが、その他の空襲が激しかった地域戦場とみなして援護法対象地域に入れるか、あるいはまた、国と使用関係のなかった軍人軍属、準軍属以外の方々まで入れるかというようなことは、一般社会保障制度との関連で私は研究をさるべき問題だと思いますので、だめだとは申しませんけれども、非常にむずかしい問題であると考えます。  齋藤大臣にもよく私からも伝えておきます。
  72. 坂口力

    坂口委員 実は、先ほどからもその議論がなされまして、社会保障の中で考えていくというようなお話もありました。しかし、社会保障の中で考えていくことであれば、現在の援護法そのものも社会保障の中で考えていくということも成り立つわけであります。しかし、ここにあらためてこの援護法があるということは、これはその中でも特別なケースである、特殊なことであるというのでこの援護法というものが制定されたと思うわけであります。したがって、この援護法考え方の中で考えるならば、やはりあの戦争末期の激しい爆撃下、特に、原爆を含めまして、爆撃下の中で非常に多くの障害を受けられた皆さん方についても、立法機関としては、今後の方針としてはやはり考えていくべきときに来ている。と申しますよりも 時期が非常におくれたという気もするわけであります。そういう意味で御質問を申したわけでございますので、ひとつ齋藤厚生大臣にもお伝えいただきたいと思います。と同時に、何とかしてこの人たちに私は一日も早く手を差し伸べていただきたいと思うわけであります。もう一度お話を伺えれば幸いでございます。
  73. 内田常雄

    ○内田国務大臣 坂口さんの御意見、十分胸に刻みまして、むずかしい問題ではございましょうけれども、また、ひとつ今後対象にさせていただくように、齋藤大臣にも伝えることにいたします。
  74. 坂口力

    坂口委員 もう一点ございまして、それは、戦傷病者としての申請がたくさん出ていると思うわけでございますが、その中で、認定にならない人がたくさんあるわけであります。これはもう大臣も御承知のとおりかと思うのであります。先ほども議論の中で、どういうふうな方が認定されないのか、たくさん申請が出されているけれども、その中で認定されない人はどういう人が多いかという質問をしましたところ、外地等で、物的証拠が非常に不十分な人たちがたくさんいる。あるいはまた、内部疾患で、その因果関係をはっきり求めがたいという人たちがたくさんいるという御答弁がありまして、そのことについて先ほども私としての立場を表明したわけでございますが、特に三十年の月日もたっておりますし、それから特に、外国と申しますか、外地において従軍しておみえになったような方については、物的証拠云々と申しましても、これはとうてい無理な方がたくさんあるわけであります。また、手をなくしたとか、足をなくしたという、その時点において起こったということが明確な人もありますし、あるいはそうではなしに、そのときから徐々に始まった疾患で、しかも不治の病である。たとえばリューマチのような病気で、その勤務についていたときにたいへんからだをこわしたけれども、しかし、帰ってからそれがだんだん悪化をしていって、現在動けないというような人も中にはあるわけであります。そういうふうな人たちのことを考えますと、この申請が出されましたときにその基準をあまりきびしくし過ぎますと、どうしても非認定になるということになりますので、もう少し柔軟な姿勢でお考えをいただきたい。たとえば、戦友とかあるいは上官等の証言だけしかない、それ以外にたよるべきものは、たとえば、レントゲン写真だとか、あるいはその病院のカルテですとか、あるいはまた、その人たちがおうちに出した手紙だとか、そういうふうな証拠が何らないという方もたくさんあるわけであります。その人たちに対しての考え方をあまりにもきびしい、そういうふうな物的証拠ということだけを主張されますと、どうしても認められないということになりますので、その辺をもう少し柔軟な姿勢でお考えをいただきたいということを先ほど申し上げたわけであります。
  75. 内田常雄

    ○内田国務大臣 それは、柔軟な姿勢で対処するということはいかがかと思いますが、いまの物的証拠等につきましては、せっかくこういう制度があるわけでありますから、私は、人に相談するまでもなく、物的証拠と同じような心証が得られるような状態にある者は、せっかく制度としてある傷病年金というものの恩恵に浴させる方向で対処することが制度や法律を生かす道だろうと思います。ただしかし、最初に申しましたように、柔軟で、どこが境かわからぬというのを個人的判断でというわけにはまいらぬでしょうが、あくまでも親切に、本人の立場に立って事を処していくということは、私は当然いたすべきだと思いますが、これはいろいろのケースによりまして、いま私の申しました精神で対処してもらうように、ここに両方に関係の厚生省の職員の方々が聞いておられることでありますから、そういうふうにはからいたいと思います。
  76. 坂口力

    坂口委員 もちろん、法律でございますから、個人的な立場で、極端に法を曲げて解釈するとかというようなことではそれは決してございません。ただ、あまりにもいままでの考え方が、法の中でかたくなに物的証拠等を主張され過ぎたということを申し上げているわけでございます。先ほど答弁いただいた大臣の御答弁は、私はその柔軟な取り組み方の姿勢であろうと思うわけでございます。私が申し上げたのはそういう意味でございます。したがいまして、今後ケース・バイ・ケース、いろいろあろうかと思いますが、もう少し法というものを、その人たちのために、疑わしきは拾い上げるというぐらいな覚悟でひとつ運用をしていただきたい、こうお願いをしたわけでございます。もう一度大臣の御答弁を得まして、終わりにさせていただきたいと思います。
  77. 内田常雄

    ○内田国務大臣 先ほど申し上げたとおりでございます。坂口さんの御熱心な御所論、十分心に銘じてまいります。
  78. 坂口力

    坂口委員 ありがとうございました。      ————◇—————
  79. 山下徳夫

    ○山下(徳)委員長代理 内閣提出国民年金法等の一部を改正する法律案及び児童手当法等の一部を改正する法律案を議題とし、順次その提案理由の説明を聴取いたします。厚生大臣臨時代理内田常雄君。
  80. 内田常雄

    ○内田国務大臣 ただいま議題となりました国民年金法等の一部を改正する法律案並びに児童手当法等の一部を改正する法律案につきまして、その提案理由を御説明申し上げます。  まず、国民年金法等の一部を改正する法律案について申し上げます。  国民年金制度については、老後保障のささえとなる年金制度に寄せる国民各層の期待にこたえて、昨年、厚生年金保険制度とともに年金給付水準の大幅引き上げと年金額のスライド制の導入を柱とした画期的な改善充実を行なったところであります。今後さらに本制度が老後生活のささえとしてその効果を発揮していくためには、受給者の最も多い福祉年金についてその内容を一段と充実させるとともに、拠出制年金につきまして将来にわたり適正な給付水準を確保するため年金財政の健全な運営をはかっていく必要があります。  今回の改正法案は、このような趣旨にかんがみ、福祉年金の額を大幅に引き上げるとともに、拠出制国民年金の保険料の適正な改定等を行ない、国民年金制度の改善充実をはかろうとするものであります。また、本法案は、昨年の改正により厚生年金保険等の年金の受給権を担保とする金融の道が開かれたことに伴い、その具体化のための所要の改正を行なうことといたしております。  以下、改正法案の内容について、概略を御説明申し上げます。  第一に、福祉年金の額につきましては、五〇%引き上げ、老齢福祉年金の額は月額五千円から七千五百円に、障害福祉年金の額は一級障害について月額七千五百円から一万一千三百円に、二級障害について月額五千円から七千五百円に、母子福祉年金及び準母子福祉年金の額は月額六千五百円から九千八百円に、それぞれ引き上げることといたしております。  第二、昨年の改正により新たに設けられました老齢特別給付金につきましても、月額四千円から五千五百円に引き上げることといたしております。  第三に、母子福祉年金及び準母子福祉年金の支給要件等につきまして、これらの年金の支給の対象となる子等の障害の程度を一級から二級まで広げることといたしております。  第四に、拠出制国民年金の保険料につきましてその額を現行の月額九百円から二百円引き上げ、千百円とすることといたしております。  第五に、年金受給権を担保とする金融につきましては、年金福祉事業団にこれを行なわせることといたしております。  なお、年金額の引き上げ、母子・準母子福祉年金の支給要件等の緩和は本年十月から、保険料の額の改定は昭和五十年一月から、年金受給権を担保とする金融は政令で定める日から、それぞれ実施することといたしております。  以上がこの法律案提出する理由でありますが、何とぞ慎重に御審議の上、すみやかに御可決あらんことをお願い申し上げます。  次に、児童手当法等の一部を改正する法律案について申し上げます。  児童手当制度については、昭和四十七年一月の発足以来その円滑かつ的確な実施をはかり、制度の確立につとめているところであり、児童扶養手当及び特別児童扶養手当制度については、母子家庭及び心身障害児に対する手当制度として、逐年その改善につとめてきたところでありますが、福祉充実が課題となっている今日、児童に対する福祉施策の向上をはかる必要性は一段と高まっております。  今回の改正法案は、このような趣旨にかんがみ、手当額を引き上げ、児童扶養手当の支給要件を緩和するとともに、新たに特別福祉手当を支給することにより、これらの制度の充実をはかろうとするものであります。  以下、改正案のおもな内容について御説明申し上げます。  第一に、児童手当の月額を三千円から四千円に、児童扶養手当の月額を六千五百円から九千八百円に、特別児童扶養手当の月額を六千五百円から一万一千三百円に、それぞれ昭和四十九年十月から引き上げることといたしております。  第二に、国民年金法別表二級に相当する程度の
  81. 金子みつ

    金子(み)議員 私は、ただいま提案になりました保育所等整備緊急措置法案につきまして、日本社会党を代表し、その提案理由及びおもな内容を御説明させていただきます。  日本社会党は、憲法を暮らしの中に生かしていく政策に取り組んでおりますが、特に、年金の拡充、医療の社会化、そして福祉充実にその重点を置いております。これらの政策の一環として、このたび、立ちおくれております保育所の整備を緊急に実現しようとするものであります。  まず、保育所において保育を必要とするすべての子どもに対して、保育が保障されなくてはならないという原則から、現保育所の整備充実を緊急に行なう必要があります。ことに物価高騰による家計の窮迫から、あるいは婦人の経済的自立を求める積極的職場進出等から共働きの婦人や母親が増加しておりますし、さらにまた子どもを取り巻く生活環境の悪化等から、保育所の需要は急激に増大しております。子どもの権利と婦人の働く権利を守り、その福祉を増進するためにも、保育所整備は緊急に行なわれなければなりません。  保育所整備については、すでに政府も四十六年度実施の社会福祉施設整備緊急五カ年計画の中で、保育所増設を行なっておりまして、他の福祉施設整備に比べ、その増加率が高いのは事実でございますが、それでもなお依然として保育所要求は著しく強いのが現状です。ですから、当面目標の二百万人に対する不足の六十三万人分を、三カ年間に早急に実現させる必要がありますし、この保育所要求に対して、自治体が積極的に保育所を増設し、子供が適切な保育を受けられるように、国は十分な国庫補助を行なう義務があるのであります。  児童福祉法第五十二条は、国が保育所建設費の二分の一を負担するように定めておりますが、現実は定額打ち切り補助で、二分の一にはほど遠くなっておりまして、そのため昨年八月、大阪府摂津市は国を相手どり訴訟を起こしたという事実によっても明らかでありますように、自治体が住民の要望に沿って保育行政に力を入れれば入れるほど、超過負担はふえるのであります。国が法に定められた責任を果たさず、福祉行政費用の大半を、財政的基盤の弱い地方自治体にまかせきりであるため、超過負担が保育所建設の大きな障害となっているのが現状であります。物価狂騰の昨今、特に建築資材の値上がりが著しい中では、補助率並びに補助単価の大幅引き上げを行なわなければ、保育所の増設は不可能であります。  さらにまた国は昨年、施行令の一部を一方的に改正し、国庫補助の対象となる児童福祉施設を限定し、基準をきびしくするなど、福祉行政にそむく措置を行なっております。こうした現状を打破するために、国庫負担のあり方を変え、自治体負担を軽減するとともに、民間保育所には固定資産税を軽減する等、緊急に保育所整備を行なおうというのが、本法案の趣旨であります。  その他、子供の受け持ち人数が多く、労働過重による腰痛症や頸肩腕症候群などの職業病の問題等を解消するための保母の定数増加をはかり、勤務条件を改善いたしますとともに、保健婦または看護婦、栄養士、事務職員、用務員の配置等、諸般の措置を行なおうとするものであります。  さらに、要求の多い保育時間の延長や産休明け保育につきましては婦人の母性保護の見地から産後休暇を延長いたしますとともに、産休明け保育が実施できますよう条件整備、また父母負担の軽減、保育所の公私格差の是正をはかる等々のために、必要な措置をあわせ行なわなくてはならないのであります。  以上の諸理由によりまして、私たちはここに本案を提案し、今後の政府施策の基本とすることを要求するものであります。  次に、本案の内容について御説明いたします。  まず第一条において、本案の目的が、保育所等の緊急かつ計画的な整備を促進することにより、児童福祉の増進に寄与することにあるといたしております。  ついで第二条で、本案における「保育所等」とは、児童福祉法に規定する保育所及び児童厚生施設並びにこれらの施設の職員の養成施設をいうといたしまして、「保育所等」の定義づけを行なっております。  第三条においては、保育所等整備三カ年計画について、厚生大臣は、中央児童福祉審議会の意見を聞いて、昭和四十九年度以降の三カ年間における保育所等の整備に関する計画を決定しなければならないとし、三カ年間における保育所等の整備の目標及び事業の量を定めなければならないとしております。  そして、第四条、「国の負担割合の特例」において、保育所等整備三カ年計画に基づく地方公共団体の設置にかかわる保育所等の設備に要する費用に対する国の負担割合は、他の法令の規定にかかわらず、三分の二とする、として三カ年計画に要する国の費用の負担割合について、特例を認めております。  第五条は地方債についてでありまして、国は、地方公共団体が保育所等を整備するための土地の取得等に要する費用に充てるために起こす地方債については、法令の範囲内において、資金事情の許す限り、適切な配慮をするものとしております。  なお、この法律は、昭和四十九年四月一日から施行することといたしております。  以上をもちまして、日本社会党提案になる保育所等整備緊急措置法案の提案理由の説明を終わります。何とぞ慎重に御審議の上、一日も早く成立を期せられんことをお願いする次第でございます。(拍手)
  82. 山下徳夫

    ○山下(徳)委員長代理 ちょっと速記をとめて。   〔速記中止〕
  83. 山下徳夫

    ○山下(徳)委員長代理 速記を始めて。  この際、暫時休憩いたします。    午後零時四十九分休憩      ————◇—————    午後三時二十六分開議
  84. 野原正勝

    野原委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を続けます。羽生田進君。
  85. 羽生田進

    ○羽生田委員 今回、援護法の改正によりまして、旧防空法の規定による防空業務に従事した者、医療従事者警防団員等が準軍属として新しく戦傷病者戦没者遺族等援護法また戦傷病者特別援護法対象にされることになりましたが、これらの方々に対しましては特別支出金が、昭和四十四年、四十五年に支給されております。私の調べましたところで、医療従事者対象者、障害四、死十八、死亡二千百四十四、こういうふうになっておるのですが、今回の改正によりまして、対象者はどのくらいになりましたか。また、その予算措置について、どのようになっておりますか。特別支出金を受けた者以外に、対象者になる者はどのくらいおるか、これらについてお伺いいたします。
  86. 八木哲夫

    八木政府委員 今回御審議をお願いしております戦傷病者戦没者遺族等援護法等関係によります防空法関係の該当者といたしましては、医療従事者といたしまして障害年金について五、遺族給与金について八十五名を予定いたしております。それから防空法第六条第二項該当でございます警防団員等につきましては、障害年金の対象者四百五十五名、遺族給与金の対象者千三百九十五名を予定いたしておる次第でございます。  それから予算でございますが、四十九年度の予算額といたしまして二千二百四十五万六千円、それから国債費の総額といたしまして七千五百六十万円を予定いたしております。
  87. 羽生田進

    ○羽生田委員 それから次に横井さんがグアム島から、また先日は小野田少尉が三十年ぶりに帰国した。戦後三十年を経過いたしました今日においても、まだ戦後処理が終わってないと言えると思うのですが、約三千数百人も未帰還者がおる、こういうふうにいわれておりますが、これらについては今後どうされるつもりか、お伺いしたいと思います。
  88. 八木哲夫

    八木政府委員 未帰還者の現状でございますが、先生からただいま御指摘受けましたように、昨年の十二月現在でございますが、海外の未帰還者三千五百四名を数えておるわけでございます。その内訳はソ連地域が三百四十七名、中国地域が二千八百八十七名、北鮮地域が百十四名、南方諸地域が百五十六名というような状況になっておる次第でございまして、私ども各地から帰還してまいりました引き揚げ者の方でございますとか、あるいは家族に対しますいろいろな現地からの通信等がございますので、そういう面からできるだけ未帰還者の実態を把握するというような措置をとりますとともに、さらに外交交渉を通じまして、関係国に対しまして未帰還者の調査の把握という面につきまして格段の努力を進めてまいりたいというふうに考えておる次第でございます。  なお、南方諸地域等にございます旧日本兵等の情報がございます際には、できるだけ一つ一つにつきまして調査をいたしまして、的確な情報を把握してまいりたいというふうに考えておる次第でございます。
  89. 羽生田進

    ○羽生田委員 援護関係については以上で終わりたいと思うのです。      ————◇—————
  90. 野原正勝

    野原委員長 次に、医療に関する件について調査を進めます。  羽生田君。
  91. 羽生田進

    ○羽生田委員 去る二十五日でしたか、岐阜県の高山市におきまして未熟児が失明したという事件の判決がございました。これに対しまして、私は医者という自分の立場、特に私は眼科が専門でございますので、眼科医という立場から厚生省当局あるいは法務省等に対しまして私の見解を申し上げましてそれに対してお答えいただき、あるいはまたいろいろと教えていただきたい、こんなふうに思っております。  このいわゆる未熟児網膜症、こういう病気は近年になりまして一応認められてきたような病気でございまして、特に未熟児の生存率が高まってまいった今日、このような網膜症というようなものが半面出てきた、こういうわけでございます。特にわが国におきましてもここ二、三年来の問題になっております。しかし、この未熟児に対します保育器を使っての生存率が高まっておるというようなことはもうすでに何年かたっておりますけれども、いままでのいろいろな点を考えましても、未熟児の生存を助けた半面、視力障害者が出た、こういうようなことでございますので、逆にいえば、いわゆる未熟児網膜症、こういうものが出ていないというところは未熟児に対する保育管理が悪いといっても過言ではないような状況でございまして、せっかく生命を助けても視力障害が残ったというところで、医師の未熟児管理に手落ちがあるというようなことをいわれて、これで訴えられるというようなことがあるのは非常に残念なんですが、それらに対しまして厚生省は一体どんなふうなお考えを持っておるか、承りたい。
  92. 滝沢正

    ○滝沢政府委員 先生御説明のように、確かに新しい近代医学の進歩によりまして未熟児の救済措置ができるようになり、なおその中から新たな未熟児の健康管理にまつわる問題として、アメリカなどから網膜症の問題が出てまいりまして、わが国においてもこの問題は学会その他でもいろいろ論議されておるところでございます。  今回の裁判のことは、現在われわれもまだ必ずしも詳細な資料を手にいたしておりませんけれども、いずれの理由にいたしましても、当時の光凝固治療について学会等の関係者の理解の状況等から勘案いたしますと、きわめて微妙な状況についての判断がなされたという感じは率直にいって持っておるわけでございます。  それから、医療機関や医師が患者の治療にあたって最善の努力を尽くすべきということは、これは私は当然のことだと思うのでございまして、今回の高山日赤につきましても、最善の努力はされたものと聞いておりますが、法律的にそれが過失のあった、ない、こういう問題は裁判所の判断する問題でございますので、いま申し上げましたように、この問題についての直接的な批判は避けたいと思うのでございますが、一般的には先生のおっしゃるように、いまの医学の進歩によって必ずしもまだ治療法が十分確立してない、確定してないという段階の中で、医学が適用されていくという事実はあるわけでございまして、医療機関が生命を維持し、それを増進していくというために努力することにつきましては、医療機関としては先ほど申しましたように当然最大の努力をすべきものだと思うのでございます。そしてその持っておる技術や能力というものを最大限に発揮して責任を果たさなければならぬということは、これは言えることであろうと思うのでございます。  ところが、実際にはそのような努力を各医療機関が尽くしても、なおかつあるいは死亡するとか障害が残るという場合が医療の実態としてあるわけでございまして、過誤ということはもちろん許されることではございませんが、実際に生じた障害の結果を一つ一つとらえて、これを一般的に医療機関の責任であるというようなことにするということになりますと、これは非常に問題がある点でございます。したがいまして、未熟児の医療につきましても、高山日赤の持っておる医療機関としての能力をもとにした一つの判断があったものと私は思うのでございまして、一般的には各医療機関、各地域によってその能力には差があるわけでございますが、その能力の中で最大限の努力を医療は果たさなければならぬということは——私は当然果たさなければならないと思うのでございますが、いま申し上げましたように、それぞれの実態からいって、責任を果たしましてもなおかつ若干の問題を残したときに、これらの問題が今後どう取り扱われるかということに対しての影響というものは若干あるというふうに私は考えておるわけでございます。
  93. 羽生田進

    ○羽生田委員 今回の訴状によりますと、要約いたしますと、二つの点でこれは医師の怠慢である、あるいは過失である、こういうふうな結論がつけられておるのです。  その第一が、子供は伸二というんですけれども、漫然と酸素の使用をしておって、伸二に対する眼底管理を生後四十三日間も怠って、本症の予防と早期発見をなし得ずと、こういうことが早期治療につとめなかった怠慢であるというようなことなんです。ところが、この未熟児は産まれたときは体重が千百二十グラムしかないわけです。眼科の専門の方々、いま現在教授としてやっておられる方々ですね。特に私、国立小児病院の眼科部長をしておった植村という、現にいま慶応の教授ですけれども、いろいろ伺ったのですけれども、体重千二百グラム以下の未熟児に対して眼底を見るなんということはとうていできることじゃない。また中間透体ですね、角膜とかあるいは水晶体、硝子体、これらの疾患も必ず伴っておる。眼底なんか全然見えない。またそれがきれいで見えておっても、眼裂も小さいし、とにかく何といっても未熟児なんですから、その目を見る——角膜を見ることだってたいへんなのに、眼底を見るなんということはとうていできるものじゃない。試みに植村教授に、一体わが国にそういう未熟児の眼底を見られる眼科医はどのくらいおるかと伺ったのですが、この朝日新聞によっても七、八名ぐらいだろうといっていますけれども、植村教授も十名ちょっとぐらいじゃないだろうか、こういうようなことで、それだけのむずかしい特殊技能を要するものを、一般の眼科医にそれを怠っておったというようなことで、それは一種の怠慢である、こうきめつけられては、今後そういう未熟児の眼底等を依頼されても、なかなかどうも見る医者がいなくなるんじゃないか、極端なことを言えば断わるんじゃないかという気持ちがするのですけれども、それが第一の理由になっておるのです。そこの点でどうお考えでしょうか、ちょっと承りたいのですが。
  94. 滝沢正

    ○滝沢政府委員 この眼底検査が未熟児、特に千グラム以下というような未熟児の場合、非常に困難であるということは、先生も専門家でおられますし、私も決してそれを否定するものではございまん。確かにまたそれを適確にできる医師がきわめて少ない、数の上では私は確信を持った数字は現在の資料からは何も申し上げられませんけれども、非常に少ないということは事実であろうと思うのでございます。しかし、今回の裁判の問題なりあるいは判決なり——判決理由の内容に私は今回は触れることはできるだけ避けなければならぬと思いますが、一応判決理由の要旨から推測いたしますと、高山日赤の場合は眼底検査をした結果についてある判断をなされたというふうに記憶いたしておりますので、そういう眼底検査の適確にできる、できないの医療上の問題、その判断にどういう的確性が期待できるかということの、特に未熟児という非常に特殊な条件に対する眼底検査というむずかしい技術、こういうことを考えますと、先生の御意見については、一般的には現状のわが国の医療全体の能力からいってもそう多くを期待する、また日常的に期待することはかなり無理な問題であるということは私は否定いたしませんけれども、今回の場合は眼底検査が行なわれたということを前提にした議論のように思っておりますので、今度はそれの内容の的確性とかということになりますと、今回私の言及する問題ではございません。いずれにいたしましても、先生の御意見はわが国の現在の医療の実態であることは事実であろうというふうに私は思うわけでございます。
  95. 羽生田進

    ○羽生田委員 いまの医務局長のお答え、私もわかるのですけれども、どうも医者のほうが漫然と酸素の使用をしておったという——漫然と使用しておったということに対して、医者という立場からも非常に不審に思うのですけれども、この千百二十グラムなんという小さな未熟児、これは酸素をやらなければすぐ死んでしまうわけです。それに四十三日間も酸素をやっておったというのは、やはり全体の状況がよくないからやっておるので、それを漫然とやっておった。それからその間、これは眼底を見るといったって保育器の中じゃ見られないのです。外へ出さなきゃ見られない。外へ出せばすぐチアノーゼを起こす、呼吸困難を起こすというようなことになれば、これはとうていできることじゃないのです。しかもおとなの眼底を見るように二、三分で済むとかというものじゃないのです。場合によれば何回でもやらなくちゃならない。もちろん散瞳もしなければなりませんけれども、特に未熟児というのはみんな縮瞳しておりますから、これの眼底を見るだけでも一時間も二時間もかかるわけです。それを変だからといってまた保育器の中に入れる、また少しよくなってきたから出してみるというようなことはとうていやれるものじゃないのです。何としても医者とすれば命を助けるということが優先するわけですからこれを四十三日間も見られなかった、こういうふうに私たちは判断するわけなのですが、それが怠慢である、こう言われたら、今後とても未熟児の眼底などを見る眼科医はいなくなるだろうと思って、私はそこが心配なのです。そこのところを医務局長としてはどうお考えですか。もう一ぺんお聞きするわけですけれども……。
  96. 滝沢正

    ○滝沢政府委員 酸素の問題について漫然とということは、少なくともいまの未熟児を取り扱う医療機関では私はないと思っております。今回の事例でも酸素の取り扱いについては過失を指摘されておりませんし、ほぼ適正であったということになっておるようでございますが、先生がいま専門的な立場から、未熟児という状態における眼底検査の問題の技術的な環境条件、その他も含めまして御説明がありましたことについては、私も医学の立場からも、いわゆる検査を実施すること自体にきわめて困難性があるということは否定いたしません。したがいまして、一般的な意味で、先ほど申し上げましたように、各それぞれの医療機関の置かれた能力そのものを標準にしたものの医療の注意なり努力の義務というものがやはり必要であることは否定しませんで、医療立場からはできるだけのことはやるということをわれわれとしては期待するわけでございまして、もちろん個々の場面場面によってそれぞれの努力なりの違い、あるいはそれが障害を残した場合のいろいろの判定の上にもやはり差があってよいのではなかろうかというふうに思うわけでございます。
  97. 羽生田進

    ○羽生田委員 それから第二番目の理由が、当時確かに眼科専門雑誌等には未熟児の網膜症に対して、光凝固という方法でなおった例があるという報告はあったわけです。ところが、現在でも学会におきましてもこれが唯一最大の方法であるなんというふうにはまだ断定しておりません。これはもちろん実験の段階を経たというようなことで、これからの追試その他でさらに確かめていかなければならないというような判断をしておるわけですけれども、この医者の過失であるというのは、すでに当時成果が発表されていた光凝固法という方法があることを患者に知らせてなかった、その手術を受けしめるような処置を怠っておった、これがやはり過失だ。先ほどの眼底をよく見なかったということと、それから、そういう方法があるのにそれを教えてやらなかったという二つの点、こういうことで過失責任を問われたわけなのですが、いま私も申し上げましたように、確かに患者がこういう方法でなおったという報告が出たのは四十二年なのですね。その後追試等がされておりまして、四十五年になりましてこれが一番いい方法だろう、こういうようなことを同じ天理病院の医師が発表しているということで、必ずしもこれが最大のものだというふうにまだきまったわけではないのを、いかにもこれでなければなおす方法はないんだというようなことだし、しかも訴状の中にそういうふうなことばが書いてあるのです。「もし伸二が右手術を受けるよりも約三週間早い日令六五日頃に、すなわちオーエンスII期の終りからIII期のはじまるまでの時点で同じ光凝固法の手術を受けていたならば、手術は完全に成功し両眼とも失明を免がれえたものであった。」こういう訴状を書いてあるのですね。これは仮定の問題を、「両眼とも失明を免がれえたものであった。」と、かもしれないというならわかるのですけれども、こういうふうな、あったという断定をして、これをやらなかった医者が過失だ、こういうようなことをいわれておるわけなんで、これらに対しましても、これはやはり医師としてとうていどうも許すことはできないというふうに思うわけなんですけれども、この点に関してもちょっとひとつ、あるいは法務省の方でもいいですが……。
  98. 滝沢正

    ○滝沢政府委員 先生のいまお話は、具体的なその高山日赤の事件の問題の中身に触れてのことでございまして、この点につきましては確かに論争の焦点でありますし、また及ぼすところいろいろ影響もあろうと思いますが、私は先生の御見解に、ひとつ別の角度から——光凝固装置というものは、全国にまだわが国は九十台程度が医療機関に備えてある程度、備えてある医療機関も大学その他の特定な機関でございまして、県によってはこの機械がない県が、最近の情報でございますが、二県程度あろう。四十七年十一月の実態調査の結果では、八つの県が当時持ってなかったということですが、その後おそらく備えてあるようになっていると思うのでございます。したがって、これをブロック的に見ましてもかなり、各県ごとというよりも、確実にこの問題に対処できる医療機関というのは、ブロック的にもかなり限られているというような背景は、われわれの資料からも、また現状のわが国のこの問題に対処する状態からは言えると思うのでございます。そういうような光凝固装置が、医学的に断定しておるという点について先生は御批判でございますが、確かに医療というものの中には、これが絶対的な方法であるということで断定することは、一般論としては非常にむずかしいことでございますし、また文献等によりましても、光凝固装置による治療だけが唯一の、また絶対効果が期待できる治療法であるとは理解いたしておりませんし、これが適用のしかた、適用の時期、そのような点についても、医学的にも非常にむずかしい問題があるということも理解いたしておりますので、先生は具体的な高山日赤の事例についての御質問でございますが、これに対して具体的に私のほうから申し上げることは裁判に対する批判にもなりますので、この機会には避けたいと思いますが、一般的には私は、研究その他の文献から見ても、光凝固装置を適用することが絶対的なものであるかどうか、この問題については学問的にもいろいろ議論があるということだけは承知いたしておるわけでございます。
  99. 羽生田進

    ○羽生田委員 先ほども、未熟児の眼底検査というものができる医者がろくにいない、こういうことを言ったのですが、特にその未熟児に、場所を見つけて、光凝固の手術をしようなんという医者は、さらにできる医者はないのですよ。したがって、これだけでそれは医者の過失だというのは、現段階においては非常に私は過酷だと思うのです。  そういう意味で、大体結論的なことになりますけれども、生命を救うことに医師というものは当然主眼を置くべきなんで、この命は助かるかもしらぬが盲人になってしまう、今後不幸な生活をしなくちゃならない、こういうことが推測されるような場合には一体どっちを、どっちをといいますか、やはり命を犠牲にするというわけにはいかぬだろうと思うのですが、そういうような場合に、医師の指導が悪かった、あるいは処置が悪かったといわれたときには、医者は一体どうしたらいいでしょう。命を助けてもあるいはこの子はめくらになるかもしれない、あるいは精薄になるかもしれないということがあった場合ですね、どういうふうにすべきだろうか、そこらのところ、どうでしょうか。
  100. 滝沢正

    ○滝沢政府委員 たいへん医療の基本に触れるむずかしい問題ではございますが、私、先生のお気持ちにあるように、まず生命を救うということが未熟児の医療の実態としてはまずあるわけでございまして、それがこの酸素の濃度等の問題を契機といたしまして、アメリカで一万人近い失明者が出たということで、濃度を四〇%以下に基準的には考えるということで学問的にはいろいろ基準が出され、それによって各医療関係者、特に医師はこの酸素管理ということに厳重な注意を向けるようになってまいりました。したがって生命の維持のほかに、できるだけこの網膜症の予防、しかも網膜症は先生御存じのように自然治癒ということも七、八%あるというふうに研究の結果も出ております。酸素が少な過ぎてもまた問題がある。極端にいえば、酸素の供給が少ないときには精薄等の問題にもつながるということでございまして、生命を救うことが第一義的であることには私決して反論するものではございませんが、しかし、それぞれの時点における医学の進展に応じた人間の健康全体というものを、やはり健康管理というものを推進するということに、それぞれの置かれた医療機関の能力と医師の立場で最善を尽くすという、最初に申し上げたことについてまで生命のために否定するわけにはまいりませんし、また網膜症あるいは精薄の予防ということだけを重点に考えるために、保育器の管理というものに極端な対策をするということは、これは先生おっしゃるように、第一義的には生命の維持ということがございます。したがいまして、決して私の申し上げたことは先生の御質問に対する的確な答えであるということにはならないのでございまして、先生も私も、お互いにこの問題は理解しながら、しかもわれわれとしては、医療の中で、与えられた最善の努力と注意義務を果たすことは、医師としてやらなければならないのではなかろうかというふうに思っているわけでございます。
  101. 羽生田進

    ○羽生田委員 そういうようなことがあったために、これは愛知県の眼科医会なんですが、眼科の医師の団体なんですが、未熟児の眼科の検診については簡単には引き受けられないというような見解を発表しているわけです。これは、せっかく未熟児を助けようというような、未熟児の生存率を高めるような現状に、むしろこういうようなことがありますと何か萎縮的になっていくような、たとえば産婦人科の医者が、どうも助かってもめくらになったんじゃ困るなというような心配がある。また、未熟児の眼底をよく見そこなったために、医者が過失だといって訴えられるんじゃどうも見たくない、こういう風潮も、もうすでに起きているんですね。そこで、これは非常にゆゆしき問題なんですけれども、医師法の十九条ですか、応招義務というのがありますね、正当な事由がなければ拒んではならないという。未熟児の眼底はよく見えない、私はできませんといういうようなことは、正当な事由にこれはなりませんか。どうでしょうか。
  102. 滝沢正

    ○滝沢政府委員 この問題は、私まだ、具体的な動きがあるという先生の御発言でございますが、事実はまだ聞いておりませんけれども、一般的に一つの集団が、いろいろお気持ちはわかりますけれども、一つの原則的、一般的に何か検査なり医療を拒否するということになりますと、これはやはり私はたいへん遺憾な問題でございまして、先生の後段で御指摘の、個々の医師が具体的に自分の能力に十分自信がない、あるいは、能力としては責任を持てないという問題で、相談なり医療を求められたときに、これを他の医師に紹介するというふうにして、最善の努力を尽くすことになれば、これは正当な処置であって、問題にはならないと思うのでございますけれども、一般的な意味で集団でそういうようなことを考えるとか、あるいは個々の医師の場合、そのような理由なり立場を明らかにせずに、一般的な意味で診療を拒否し、それが正当な理由がないものとなれば、それは十九条に私は触れてくることもあり得るというふうに思うわけでございまして、先生の心配されておる面の、医療が萎縮する、積極性を欠くようになるという問題は、このような問題のみならず、一般的な医療事故を契機にして、医師の医療というものに対する積極性というものが外国においても非常に現在問題になっておることは事実でございますけれども、この問題について、ただいま御質問の十九条問題に触れては、それぞれやはり適切な御指導なり患者の紹介なりしていただくことに努力していただくことで、御協力をしていただかなければならないというふうに思っております。
  103. 羽生田進

    ○羽生田委員 私のところでは未熟児の眼底をよく見られません、そういって断わるというのは、正当な理由になるかどうか、それを……。
  104. 滝沢正

    ○滝沢政府委員 一般的には、医師としてそのような自分の非常に特定な技術を要する問題でございますし、また、場合によっては瞳孔を開く、あるいは必要によっては麻酔というようなことまでつながるとなれば、単なる拒否ということでなくて、私のところではそのようなことを自信を持ってやることができませんという、それを正当に相手に理解してもらい、そしてまた望ましいことは、それによってさらに他の医療機関等の可能なところに紹介していくという努力は医師としてあることが望ましいと私は思うのでございます。したがって、これはその正当性というものが、度合いによっては単なる拒否であるということでは好ましいことではございませんけれども、したがって、十九条をすぐ適用されるということにはならぬとは思いますが、その医師としての条件なりいろいろなものを具備した上での正当な立場に立っての、拒否といえない、要するに診療上の個人の立場を明確にするということは、私は十九条違反にならないというふうに思います。
  105. 羽生田進

    ○羽生田委員 それで、これは私の今後のお願いでもあるわけですけれども、現在、大学でもいわゆる新生児学というものがはっきりいたしておりません。したがって、未熟児に関するいろんな問題があると思うのですが、これらを十二分に講座として持っておるというような大学はございませんし、また、特にこのような未熟児網膜症というようなものをするにしても、これは婦人科医、小児科医あるいは眼科医というものの、未熟児に対する未熟児診療センター的な役割りを果たすようなものをやはり将来つくっていかなければならないかもしれないのですが、この子供さんが失明したということは確かに非常にお気の毒ではございますが、それと同時に、こういう方々に対する社会的な救済あるいは援助というようなこともやはり考えていただかなければならないのでございまして、それと医師の責任とは全然別個の問題でございますので、現在のような、まだ発見方法も非常にむずかしいし、また治療方法も的確なものがないというような段階において、まあ命は助かったけれども失明したということで、個々の医師にそれは責任があるというふうにすることは、私は少し無理じゃないか、過酷ではないか、こう思うわけなので、今後これらの点につきましても、厚生省としてはこの対策あるいは失明者に対する社会的な救済という問題等考えていただくと同時に、大学等においてももっともっと未熟児、いわゆる新生児講座というものまで設けたりして、ひとつこれからの医師にそういうような教育を、医学はもう年じゅう進歩するわけですから、やはりどんどん新しいものに取り組んでいく体制を、これはまあ厚生省だけの問題じゃないのですが、ぜひひとつしていただきたい。これをお願いいたしまして、この質問を終わりにいたします。  どうもありがとうございました。      ————◇—————
  106. 野原正勝

    野原委員長 戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を続けます。  大原亨君。
  107. 大原亨

    ○大原委員 けさほどからいろいろと各委員から質問があったわけですが、それらを頭に置きながら質問をいたしたいと思います。  前半は総括的にお尋ねするのですが、第一は、いままでもありましたが、この戦傷病者戦没者遺族等援護法の立法の趣旨なんですが、これはけさほども答弁があったように、軍属と準軍属範囲は、国との雇用関係があるということが一つと、あるいは公権力、行政力がそういう被害者との間に介在をしておる、こういう二つの理由があげられたわけですね。  そこで第一に、外務省その他法制局等からも来ておられますから、それに焦点を合わしてやるのですが、お尋ねをしたい当初の問題は、軍人軍属や準軍属の第二次大戦中における死没者の数は何人か、それから一般戦災者の死没者の数は何人か、この点についてお答えいただきたいと思います。
  108. 八木哲夫

    八木政府委員 今次の太平洋戦争によります死没者のうち、軍人軍属、それから準軍属につきましては約二百数万人が死亡者として推計されております。これは太平洋戦争だけでございます。  それから一般戦災によります犠牲者につきましては、これははっきりした数はございませんけれども、昭和二十三年に経済安定本部が調べました数字によりますと、約三十万人程度というような数字を承知しておる次第でございます。
  109. 大原亨

    ○大原委員 その一般戦災者の死没者が三十万人というのは、これは、たとえば広島、長崎の原爆の被災者も入っておるわけですね。
  110. 八木哲夫

    八木政府委員 戦災空襲、原爆を含んだ数字でございます。
  111. 大原亨

    ○大原委員 その中で広島、長崎の原爆被害による死没者は何名ですか。
  112. 八木哲夫

    八木政府委員 被害者総数、安定本部の調べによりますと約三十万人でございますが、そのうち広島が約八万六千という数字でございます。長崎が二万六千という数字でございます。
  113. 大原亨

    ○大原委員 広島、長崎で十一万二千ということになりますが、原爆による死没者の数というのは、直接原爆による死没者と、それから翌日以降においてなくなった人、こういうものの整理ができていないと思うわけですが、しかし、普通いわれておるのは広島、長崎の死没者の合計は三十万人であって、残っておる被災者も一定の条件があるわけですが、三十四万、まあ三十万人、三十万人というふうにいわれているわけですね。これは少し少ないですが、どういう資料によってお答えになったのかお聞かせをいただきたい。  それから全体の、東京やあるいは名古屋や大阪、神戸等の一般戦災者はそれらを含めてやりますと、たとえば東京だけでも十四万人あるんじゃないですか。そういうことから言うなれば、お答えになった数字は実情に合わない、こういうふうに思いますが、いかがでしょう。
  114. 八木哲夫

    八木政府委員 何ぶんにも非常に昔の関係でございまして長い期間たっておりますので、当時の一応政府の行ないました数字としましては経済安定本部の、申し上げた数字しかないわけでございますが、確かに先生指摘のように、あるいは私どものほうで調査したものではございませんけれども、全国戦災都市死没者連盟等で行ないました数字等によりますと、五十万というような数字も出ているわけでございますし、さらにただいま申し上げた数字につきましては、行くえ不明者等も入っておらないというような状況でございますので、実態はよくわからないわけでございますけれども、三十万から五十万というようなことが考えられるのではないかというふうに思われるわけでございます。
  115. 大原亨

    ○大原委員 本土空襲その他でなくなった軍属、準軍属ですね、それから軍人ですね、できれば公務員もですが、それはわからぬと思いますが、それはわかりませんか。軍人軍属等の死没者は二百万人というふうに言われましたね。
  116. 八木哲夫

    八木政府委員 先ほど申し上げましたのは軍人軍属二百万入った数字でございますが、本土とその辺の関係はちょっと現在わからない状況でございます。手元にございません。
  117. 大原亨

    ○大原委員 軍人軍属等で第二次大戦の戦闘でなくなった人が、つまり恩給法や本援護法対象になっておる人が二百万人余り、こういうふうに一口に言うておるわけですね。  そこで、きょう私は一つの根拠を持って議論しようと思うのですが、一般戦災者の問題について大蔵省等も、あるいは与党の諸君の中でもそうですけれども、これを援護範囲を広げていくと、きょうの午前中も厚生大臣代理も頭の中にそういうようなことがあったのですが、そうするとばあっと無制限に広がるような印象です。財産被害については今日いろいろと議論はあっても、これが問題として残っておる点は少ないわけです。人命や健康に対する傷害の問題を含めて被害について議論があるわけですね。そういたしますと、死没者の数からいいますると、一般戦災者の被害者は三十万人説をとっても、あるいは五十万人説をとりましても、言うなればいま議論いたしておりますることはそれほど大きな数字ではないわけですね。  それで、この問題だけで議論をしてもいかがかと思うわけですが、そういう問題であるということを一応頭に置きながら、私は厚生大臣代理にお願いしておきたいのは、けさもちょっと話があったかと思うけれども、これは各自治体に要請をして、そして内容をかなり分けて、第二次大戦の本土における犠牲者について調査をするならば、これはもう少し確実な数字がある程度出るんです。だから私は、まずその調査を各自治体等に要請をしてやってもらいたい。姫路に戦没者の碑があるわけですが、そこで概略集計したのが俗に五十万というふうにいわれておるわけです。私はそういう点については、原爆の被爆の被害者を含めて、できるだけ正確な数字を政府のほうで集計をすべきではないか、こういうふうに思います。私は遺骨の収集も賛成でありますが、国内における戦争犠牲者の数について——私はいつも思うのですが、こんないいかげんな議論では話にならぬと思います。もう少しきちっと調査をしてもらいたい。いかがでしょう。
  118. 八木哲夫

    八木政府委員 確かに先生指摘のように、一般戦災あるいは原爆等数字につきましては正確な数字はないわけでございます。マクロの数字といたしまして、死没者につきましては三十万なり五十万という数字がございますが、障害者につきましては全く状況がわからないというようなこともございますので、サンプル的な調査を実施するというようなことから、ある程度全国的な数字等も考えられるのではないかというようなことで、相談いたしまして、愛知県等におきましてまず障害者のサンプル的な調査を実施いたしたいというふうに考えでおる次第でございます。
  119. 大原亨

    ○大原委員 厚生大臣代理、第二次大戦の一般戦災者についても調査をしたらいかがでしょう。自治体等でやればわかるんですよ。もう少し確実にわかっているんですよ。東京だってかなりの概数が出ておるはずですから。私は厚生省として調査してもらいたい。そのくらいのことはできるはずです。
  120. 八木哲夫

    八木政府委員 死没者の場合には、ただいまも申し上げましたようにある程度のマクロの数字でどの程度というのがわかりますれば——具体的な調査の方法等になりますとまた非常にむずかしい問題もございますし、その後の移動等の問題もあるわけでございますので、なかなか困難な問題ではないかというふうに考えられると思います。
  121. 大原亨

    ○大原委員 大臣、あなたは借りてきたネコみたいにそこへすわっておるけれどもね。前に厚生大臣しておったからと思ってここへ連れてきたんだけれども、だめじゃないですか。そのくらいの調査なんかしたって金はそうたくさん要らないですよ。これは最後にまた尋ねます。  そこで厚生大臣代理の内田さんと、それから元外交官出身の山田外務政務次官にちょっとお聞きするのですが、第二次大戦が終わった八月当時、八月十五日に戦争が終わったわけですが、あのころはどこにおられましたか。何をしておられました。
  122. 山田久就

    ○山田(久)政府委員 あのときは大東亜省の課長をしていました。
  123. 内田常雄

    ○内田国務大臣 私は実は長いこと満州におりましたが、敗戦のときはちょうどこっちに帰ってまいりまして東京におりました。そのときに、本土上陸作戦に備えるということで全国九ブロックにした総監府というのができておりましてね。その関東信越総監府の職員をいたしておりまして、向こうに帰ることができませんでそのままこっちにおりました。
  124. 大原亨

    ○大原委員 きょうは国家公安委員長の町村さんに出席願うつもりだったのですが、あの人なら内務官僚だから、私が質問することはある程度知っているかと思いましたが、見えておりません。  そこで外務省、私は順序不同で質問するわけですが、この援護法を審議をして軍属や準軍属国家補償について議論をする際に、国との雇用関係があるかないかということを言うわけです。それから権力関係で、国の強制力で自由を拘束されて戦闘業務に協力したかどうかということを言うわけです。  私は、きょうも二つの問題を質問をしておるわけです。しかし、私は、別の観点からいえば、戦争を回避をして、戦争を終結をするというのは国の行為なんですね。だから一般戦災者は、国の戦闘行為の中において行なわれておるものであるから、そういう一般国民戦災犠牲者といえども、財産被害については全国民が受けたから社会保障でということはあるけれども、人命や健康被害については国が責任がない——第一条では「国家補償の精神」ということが書いてあるわけですが、そういう広い意味国家補償の精神の範疇に入らないということは、私はおかしいと思う。これはあなたは国際法上で解釈等もやっておられたから、国際法については知っておられると思って私も出席を願ったわけですが、これが一つ。  それからもう一つは、非戦闘員に対する無差別爆撃は、ヘーグの陸戦法規やその他法規、慣例の規定があるわけですけれども、これに明らかに違反をしている行為ですね。ところが、これは裁判でもいろいろ議論になるのですが、その被害者は、たとえ戦勝国であっても戦敗国であっても、賠償については権利があると思うのです、国際法違反の犯罪行為によって起きた戦争被害ですから。それを日本の政府はサンフランシスコ条約で放棄をしたわけです。日本の政府の行為によって放棄をしたわけですから、その被害者に対して国の責任がある。国際法から類推をしてもそういう議論が成り立つのではないか、私はこういう一般論があると思うのです。むしろ援護法では準軍属軍属との差はなくしたわけです。それで準軍属の五割のところから、いま処遇をずっと一緒にしたわけですが、いままでの議論の中でやってきたわけですが、そういうことから言うなれば、むしろ国から月給も受けないで、何も受けないで、それが裏づけの措置なしに一般戦闘員が協力をさせられて、しかも後に言うように、罰則があるわけですが、そういう人こそ国が責任があるのではないか、そういう私の国際法に対する見解からの国家責任について、あなたの所見をひとつ聞きたいと思います。
  125. 山田久就

    ○山田(久)政府委員 いまお話しの件、いろいろ常識上の問題としては確かにごもっともの点があろうと私は思いますが、国際法上の問題としては、残念ながらいまだそういうような点について、差別なくいろいろな点の責任を認めるというような国際法はむろんございませんし、また国際的な慣例としても、おそらく非常に残念と思われるのじゃないかと思いますけれども、事実としてはそういう意味においての国際法的な先例も残念ながらまだ存在しておらないというのが実情でございます。
  126. 大原亨

    ○大原委員 五十万の死没者の中で、広島、長崎の原爆で瞬間的にあるいは残留放射能等でなくなっている人が多いわけですが、広島、長崎の例を持っていって国際法の議論をいたしますと、これは藤山外務大臣のときも議論をしたことがあるのですが、昭和三十四、五年ごろですが、つまりヘーグの陸戦法規は、海、空もそうですけれども、つまり外的な手段について制限しておる。毒ガスを使ってはいけない、化学兵器を使ってはいけない。ましてや原爆を使ってはいけないということは、原爆は当時なくても当然の類推的な規定で判断できる。原爆というのは毒ガス以上ですよ、その放射能等の影響が残るわけですから。  それからもう一つは、爆撃の対象が無差別であってはいけない、それは国際法が禁止していることですから。その被害者については、そういう戦闘行為をやったものについては、国が全然責任がないという議論はないと私は思う。国際法からいっても、国際法の精神からいっても。広く解釈して精神という議論でいいです。ここでこの問題だけで時間をとるわけにいかないですから。いかがでしょうか。
  127. 山田久就

    ○山田(久)政府委員 いまお話がございましたように、この無防備都市の爆撃というのは、こういう手段を禁止されておる。そういう点からいえば、いまの原爆なんかどうなんだ。私は確かにそうい点はもっともな御議論だとは思います。しかしながら、そういうような意味で現にジュネーブにおいて三月六日から今月一ぱい、いままでのジュネーブの陸戦法規関係、これの改善検討という会議をやっておるわけでございますけれども、その中にいわゆる非戦闘員、文民というものに対するいろいろな保護ということがございまして、それでまだ原爆を特にねらってどうというような点は、これは片一方の何といいますか、原爆、核兵器の制限というような方面にむしろ譲っているというようなかっこうで、的確ではありませんけれども、しかしながら核兵器の使用禁止という声がそういう方面では非常に大きくなってきておりまして、したがって何らかの意味においての改善という方向に動いているんじゃないかと思います。しかしながら、まだ実定国際法としてはそれが定着するという段階には至っておらない。にもかかわらず、これを使用した国、この責任はどうだという問題については、これはドイツのニュールンベルグの会議等でも、そういう点の戦争責任というようなことが問題にされたことがございますけれども、しかしながら、それはまだそういうところの議論あるいは国際法学者の議論という段階にとどまっておりまして、したがって、現実にはいま先生も御指摘になられましたように、日本としてはこれについての請求権というものを平和条約の十九条の(a)ということで放棄したというかっこうになっているものですから、そういう意味における国際関係というものでの責任追及という面は、遺憾ながらすでに一応解決といいますか、なし得ないようなかっこうになっておる。  その場合に、しからばこの条約上で日本が権利を放棄したけれども、かわって政府がその責任を負うべきじゃないか。この議論はいまの原爆の関係ばかりではなくて、たとえば戦時中に公海の安導券をもらって——阿波丸なんという事件がそうですけれども、安導券をもらって航行していた。それが潜水艦の攻撃にかかって沈んだものに対する責任なんというものをこれもやはり放棄したということになっておりまするけれども、そういう変わったものについて国がどうすべきかということは、これはまた別の政治問題としてはいろいろ検討しなければならないということじゃないかと思います。  それから国際法上の関係については、いま御説明申し上げたような状況でございます。
  128. 大原亨

    ○大原委員 あなたはもうちょっとおってくださいね。それは、私が議論をしたり、東京裁判よりか少しあなたの議論は後退している。というのは、国際法の精神に違反する、こういうことは東京裁判でもいっているわけです。それは何かといいますと、私も藤山さんと議論したことがあるのですけれども、細菌兵器とか毒ガスは国際法で禁じられておるわけですね。それ以上か以下かという議論からいえば、学者の議論は圧倒的に、原爆はそれ以上の非人道的な兵器ですから、害敵手段について、無制限に自由が保障されることは、戦争行為といえどもない。国際法の役割りからいえば、これはその精神には違反する、こういうことです。あなたの議論もそういうことを否定したわけではない、こういうふうに思います。  そこで問題は、厚生大臣代理、私はこの援護法の、直接法律関係しまして、重要な問題の議論をもう一回ちょっとしておきたいと思うのですが、この援護法軍属と準軍属の中に国民義勇隊を入れておるわけですね。あなたは国民義勇隊のことについて知っていますか。当時、日本の終戦の直前のときにどういう状況であったかということを知っていますか。
  129. 内田常雄

    ○内田国務大臣 あまり私には記憶がございません。
  130. 大原亨

    ○大原委員 これは局長でいいんですが、この戦傷病者戦没者遺族等援護法の第二条の第三項の第三号に書いてありますね。国民義勇隊を準軍属として扱った、こういう根拠について書いてあるわけですね。これが根拠だと思いますが、そうですか。そうであるならば、そいつを一回読んでください。
  131. 八木哲夫

    八木政府委員 ただいま先生指摘のとおり、援護法の第二条第三項三号が根拠規定でございます。(大原委員「ちょっと読んでください」と呼ぶ)「昭和二十年三月二十三日の閣議決定国民義勇隊組織に関する件に基いて組織された国民義勇隊の隊員」という規定でございます。
  132. 大原亨

    ○大原委員 その閣議決定で、本土決戦に備えて一億総武装の手段としてこの決定をしたわけですが、サイパンがやられて、沖繩危うしという段階で、本土決戦に備えてやったわけです。この国民義勇隊の閣議決定、これを引用しておるわけですが、その後これについて、法律によって規定したのか。それは何月何日に公布をいたしまして、どういう名前のものであるかということです。
  133. 八木哲夫

    八木政府委員 昭和二十年の六月二十二日に公布されました法律第三十九号の義勇兵役法でございます。
  134. 大原亨

    ○大原委員 閣議決定をこの援護法に準軍属対象として引用しまして、その後にできました法律をなぜ引用しなかったのですか。
  135. 八木哲夫

    八木政府委員 現実問題といたしまして、援護法処遇対象になりましたのは国民義勇隊の方々でございますが、国民義勇隊の隊員の方々につきましては、戦争末期におきましては、ただいま申し上げましたような法律で、対象とするということを予想して法律ができたわけでございますが、現実には、この法律は公布にはなりましたけれども、発動されなかったというような状況でございますので、国民義勇隊のみが対象になっているということでございます。
  136. 大原亨

    ○大原委員 法律が国会で議決になって公布されたけれども、発動されなかった、実行されなかったということがあるのですか。この義勇兵役法には最後の附則に、「本法ハ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス」とありますね。これはどういうことなんですか。
  137. 八木哲夫

    八木政府委員 確かに御指摘のとおり、義勇兵役法は公布になりまして施行になったわけでございますが、先ほど申し上げましたように、法律ができまして公布にはなりましたが、現実に義勇兵役法の適用を受けるというような事態までは至らなかったというふうな実情だというふうに承知しております。
  138. 大原亨

    ○大原委員 法律が公布をされて施行されても、法律が実行されないということがあるのですか。そういうことがあるのですか。
  139. 八木哲夫

    八木政府委員 当時の状況でございますので、私どももそこまで承知しておらないわけでございますが、現実にここにございますような義勇召集というような形の召集はなかったのではないかというふうに聞いておる次第でございます。
  140. 大原亨

    ○大原委員 法制局、法律を議会で議決をして、公布をして施行しておいてこれが実行できない。これは六月二十二日でしょう。二十二日ですから、これは七月、八月というふうに一カ月半以上あるわけですよ。あるのに終戦の八月十五日まで実行されないということがあるのですか。当時は、政府はそんなことをかってにきめたわけですか、そして閣議決定のほうが実行されたというわけですか。
  141. 別府正夫

    ○別府政府委員 お答え申し上げます。  ただいま大原委員から御質問のありました義勇兵役法の施行状況につきましては、実は当方調べておりませんので、ここでそのままお答えするわけにはいきませんが、一つ考えられますのは、二十年の六月というのは、もう相当敗戦直前の混乱期であったために、法律を公布、施行したけれども、実際にそれが実効的に動いていなかったということがあるかもしれないということが一つ。それから、御存じのとおりに、義勇兵役法の、たとえば二条の義勇兵役に服する者につきましての勅令の定め等が実際に出ていたかどうかということもあわせて当方で調べたいと思っております。ただいま御質問を受けるまで私のほうはその点はっきり確認しておりませんので……。
  142. 大原亨

    ○大原委員 つまり閣議決定が優先をしまして——三月二十三日に閣議決定がなされて、それが動いて、そして六月二十二日に義勇兵役法といってでっかい法律ができているのだ。これは全部の国民が兵役に従うという法律なんです。いままであなた方が議論しておるやつは全部ひっくり返ってしまうのだ。一般戦災で議論しているやつは全部ひっくり返る議論だ。その法律が官報で公布をされ、しかも即日施行されて、なおかつこれが実行されないということが、それはきょうあしたのことなら別ですよ、一カ月以上も開きがあったときにそういうことがあるのはどういう理由なんだということです。そういうことであるならば、私が追跡して調べた常識からいうなれば、六月二十二日の兵役法を基礎にして、それを勅令等で——補う形のものが勅令ですから、それを整理して出せば、これはぱっとできるようになっているのだ。法律を根拠にして政令や勅令等が閣議決定できちんとできるようになっているのだ。そのために法律をつくったのだ。  一億総武装を閣議決定したのはいつごろか知っていますか。だれか知っておる者がおったら、説明員であってもだれでもかまわぬから、この部屋の中におったら答弁してください。
  143. 八木哲夫

    八木政府委員 申しわけございませんが、承知いたしておりません。
  144. 大原亨

    ○大原委員 そのころ生まれたのかね、君は。もう一つ、厚生大臣代理、あなたを含めてよく聞いておってもらいたいのですが、この国民義勇隊、その他の閣議決定もそうですが、この準軍属の根拠になった閣議決定ですが、この閣議決定を戦後外部に出さない、封印しましたね。これは閣議決定を封印したわけです。これはいかなる理由によるものですか。   〔委員長退席、斉藤(滋)委員長代理着席〕
  145. 八木哲夫

    八木政府委員 申しわけございませんが、承知いたしておりません。
  146. 大原亨

    ○大原委員 その当時の状況について、閣議決定が次から次へ出ているのです。それを戦後封印したのですね。それできょう初めて、われわれがずっと主張し、あるいは何十回も決議になりまして出てまいりました防空法関係については、警防団医療従事者は初めて今度は援護法対象になっておるわけです。これは確かに一つの決断なんです、旧防空法関係は全部否定しておったのが出てきたわけですから。これは防空監視員は別ですが、これがちょっと前に出てきまして、これが出てきたのは私は一つの前進であるということで、今回の援護法改正案は評価するわけです。しかし閣議決定を封印しておったわけです。その証拠には援護法をつくりまして、準軍属の制度ができましたときに、国民義勇隊、女子挺身隊や学徒動員やあるいは徴用工や、けさも話がありましたが、軍の戦闘に協力をした一般国民戦闘行為に協力をした人、そういう者を軍属に準じまして援護法対象にしていったわけですが、最初国民義勇隊をやりましたときの法律は、御承知のように、昭和二十年の三月二十二日というふうになっておったわけですね。実際には、私が指摘いたしまして、これは二十三日がほんとうであったということになった。私が主張して表面に出てきてから、一日、一本棒が足りなかったわけです。うそを書いておったわけです。効果があるかないかと言ったら、法制局長官は、高辻君ですが、三百代言で何とか言っておったけれども、中身が同じだから日にちが一日ぐらい違っても、引用した法律は効果には関係がない、そういうへ理屈もあるが、それにしても間違っていたのです。そのくらい当時の実情についてはやはり否定をされておっわけです。つまり抹消されておったわけです。戦後はこの法律関係は、国民義勇隊もあるいは私が言っている義勇兵役法も否定されておった、抹消されておった。しかしながら中身は、あとで申し上げるのですが、ひどいものであります。なぜ封印したかということについてもひとつ調べてもらいたい。これが終わるまで、きょうは採決ないと思うから、次の採決までにどういうことかということを追跡をして調べて、どういうことで閣議決定が封印をされて外部に出さなかったということについてもできるだけ、かなうだけ調べてもらいたい。  これは法制局もそれから各出席者もお聞きいただきたいわけですが、たとえば三月の二十三日の国民義勇隊組織に関する基礎になった閣議決定を見ますと、「現下ノ事態ニ即シ本土防衛態勢ノ完備ヲ目標トシ当面喫緊ノ防衛及生産ノ一体的飛躍強化ニ資スルト共ニ状勢急迫セル場合ハ武器ヲ執ツテ瞬起スルノ態勢へ移行セシメンガ為左記ニ依リ全国民ヲ挙ゲテ国民義勇隊ヲ組織セシメ其ノ挺身総出動ヲ強力ニ指導実施スルモノトス」「尚之ガ円滑適正ナル実行ヲ期スル為地方行政協議会長ヲシテ関係軍管区司令官及鎮守府司令長官、警備府司令長官等ト緊密ニ連繋シ夫々事態ノ推移ト管内ノ実情ニ即スル如ク措置セシムルモノトス」「一、目的」というのが書いてございます。防空や水火消防その他も入っておる。陣地構築も入っておる、兵器弾薬、糧秣の補給、輸送等も入っておるわけです。それから通信機関の問題も入っております。食糧増産も入っておる。それから「組織」というところに、「国民義勇隊ハ官公署、会社、工場事業場等相当多数ノ人員ヲ擁スルモノニ付テハ当該職域毎ニ其ノ他ノモノニ付テハ一定ノ地域毎ニ之ヲ組織セシムルモノトス」これは法律ではありません、閣議決定ですよ。「尚 学校ニ付テハ別ニ定ムル学徒隊ニ依ルモ前項ノ業務ニ付テハ国民義勇隊トシテ出動スルモノトス」(二)といたしまして、「国民義勇隊ニ参加セシムベキ者ハ老幼者、病弱者妊産婦等ヲ除クノ外可及的広汎ニ包含セシムルモノトス」注釈をちょっととりまして、そういうのがずっとありまして、そして「運用」の中には、「(三) 国民義勇隊ハ軍部隊ノ補助ノ為出動スル場合ハ当該陸海軍部隊長ノ指揮ヲ受ケ警防活動ノ補助ノ為出動スル場合ハ当該官署長ノ指揮ヲ受クルモノトス、」「其ノ他ノ業務ノ為出動スル場合ハ当該工事又ハ作業ノ施行者ノ要請ニ従ヒ行動スルモノトス」こういうふうにありまして、「其ノ他」の項目の中に、(二)としまして、「国民義勇隊ノ組織運用等ニ関シテハ在郷軍人会、警防団等ト互ニ齟齬スル所ナカラシメ彼此両全ヲ期スル如ク配意スルモノトス」というのがありまして、そしてこれは別の日ですが、昭和二十年四月十三日の閣議了解事項で、「警防団ハ之ヲ国民義勇隊ノ組織二一体化スルコトヲ目途トシ一面警防ニ聊モ間隙支障ナカラシムルコトヲ確保シツツ必要ナル措置ヲ講スルモノトス」というふうに、閣議了解事項であるわけであります。これらはすべて封印をされておったのを出してきたわけですね。そこで、警防団はこれを国民義勇隊の組織に一体化するということになっておるのです。だから警防団等は、今回の医療従事者も、これは旧防空法の規定に基づいてあるわけですけれども、これは昭和十二年にできた法律ですが、改正いたしておりますが、しかし昭和二十年三月の閣議決定がすべて優先をいたしまして、国民義勇隊の組織がずっと進んできたわけです。国民義勇隊は準軍属といたしまして処置をいたしておるわけであります。それから、そこで国民義勇隊は早くから準軍属になっておりましたが、これと一体関係警防団については今回準軍属になったわけであります。医療従事者と一緒に準軍属になったわけでございます。しかしここにあるように、またこの閣議決定の裏づけとなって法律が公布、施行されましたその法律の中にあるわけですが、この法律は、第七条には「義勇召集ヲ免ルル爲逃亡シ若ハ潜匿シ又ハ身體ヲ毀傷シ若ハ疾病ヲ作爲シ其ノ他詐偽ノ行爲ヲ爲シタル者ハ二年以下ノ懲役ニ處ス」「故ナク義勇召集ノ期限ニ後レタル者ハ一年以下ノ禁錮ニ處ス」第八条は「前條ノ規定ハ何人ヲ問ハズ帝國外ニ於テ其ノ罪ヲ犯シタル者ニモ亦之ヲ適用ス」第九条「國家総動員法第四條但書中兵役法トアルハ義勇兵役法ヲ含ムモノトス」つまり総動員法の中には兵役法を含めて規定をしておるわけですが、その中には義勇兵役法も、この法律も含むのだ、兵役と同じだというふうにいたしてございまして、そして第二条には「義勇兵役ハ男子ニ在リテハ年齢十五年ニ達スル年ノ一月一日ヨリ年齢六十年ニ達スル年ノ十二月三十一日迄ノ者(勅令ヲ以テ定ムル者ヲ除ク)、女子ニ在リテハ年齢十七年ニ達スル年ノ一月一日ヨリ年齢四十年ニ達スル年ノ十二月三十一日迄ノ者之ニ服ス」こういうふうにありまして、女子は四十歳まで、男子の場合でしたら六十歳までこの義勇兵役法に従事をする責任があるわけです。ですから、これは調べたあとも答弁していただくわけだが、閣議決定があって、あとで義勇兵役法が公布、施行をされて、その裏づけになって閣議決定が進んでいった、こういうふうに考えてよろしいわけであります。  これを概括的に議論をいたしてみますと、これはけさほどから各委員から議論がありましたけれども、あるいは局長から答弁がありましたが、これは、国との雇用関係、あるいは国民義勇隊や動員学徒や女子挺身隊や徴用工その他のように、国の行政力の介入によるそういう国との関係、こういうものと差別はないです。この義勇兵役法というのはそれ以上ひどいものです。ですから、これは一般戦災者であるからという理由で、国が社会保障でやれば済むのだ、そういう議論では全然ない。そういう組み立てば全然ない。私は財産被害その他についてまで言っているのじゃないのです。あるいは濃淡について政治的な配慮は私はよく知っている。知っているけれども、職業的なそういう人々が二百万人以上おって、これはもちろん国の命令外地へ行ったという人もあるわけだが、しかしながら国内におったからといって、非戦闘員であるからといって、国が戦争を開始いたしまして、宣戦布告をしてやった行動の中で、こういう一億総武装の決定を何回もいたしました。そして閣議決定で、これ以上まだまだひどいのがある。ついでに読んでみましょうか。これは「國民義勇隊ノ組織運營指導ニ關スル件」で、昭和二十年四月二十七日の閣議決定です。その中には第三項に「國民義勇隊ノ地域組織ニ當リテハ既存ノ職能組織ノ機能又ハ特質ヲ國民義勇隊ノ目的達成ノタメ最高度ニ發揮セシムル如ク市匿町村ノ基盤組織ニ付地方ノ實情三應ジ特別ノ措置ヲ講ズルモノトス」ということで、どこへでも入っていけるようになっている。厚生大臣代理は御承知かどうかわからぬが、大政翼賛会とか翼賛壮年団というのが当時あったのです。それも義勇隊に変える。すべての警防団その他も義勇隊に変える。こういうことがあったわけですが、そういう義勇隊編成になったということの実態を把握しないで、この援護法ができておるのではないか。こういうことを調べてみると、これはなかなかたいへんな問題ですが、そういうふうに思うわけです。  ですからそういう点について、けさほどからの情勢認識や御答弁、質疑応答というものは甘くはないか。しかし、事務当局としてはそういうことは言ってきた、そのことはわかるけれども、今回一歩前進であるけれども、私は、一般的な戦争状況から言うならば、これは全然実情には合わないものではないかと思うわけです。この点は、追加答弁をいただくこともあるわけですが、厚生大臣の御答弁をひとつ私は聞いておきたい。
  147. 内田常雄

    ○内田国務大臣 いまの義勇兵役法というものは終戦直前に制定、公布、しかも施行されたというようなお話、実は私は初めて承知をいたしました。しかし、その前の閣議決定による国民義勇隊の隊員というものが、一定の条件のもとに援護法対象になっておるものとすれば、それをも吸収拡大した義勇兵役法なるものが制定されて、それが現実に動いて義勇兵役に編入された人々についても、現在援護法対象として取り扱われておる国民義勇隊と同じような条件のもとにおいて、援護法対象として検討すべきではないか、こういう大原さんのお話は、これはいま初めて聞く話ですが、私はそれなりにわかるような気持ちがいたします。ただ法制局も言われましたように、終戦直前の法律でありますし、公布の日と同時に施行日とされたまでは、お読み上げになった記録によってわかるわけでありますが、はたしてその法律の公布、施行によって、日本国民の男女が兵役に編入されるという過程があったかどうか、また編入された上、その義勇兵役法に基づく兵役の職務に関連して傷病を受けて、そして死没したというような事態のものが現実にあるかどうかというところに問題があるように——これは私はあなたのおっしゃることをはねのけるという立場かち言っているのじゃないのですよ。たてまえとしてそういった二つの点を検討してからでないと、おっしゃるとおり、援護法対象としてひとつこれは今回取り上げましょうというお答えは、端的にはできないように思います。ということは、さらにこれは私の想像だけですから、法制局の調査を待たなければなりませんが、この義勇兵役法が公布、施行されても、それが何らかの行政上のアクションを必要とする法律であって、そして兵役編入の手続等が、勅令の問題もさっきあったようでありますが、勅令ができておったかできていなかったかの問題にも関連するでありましょうが、現実に兵役法に編入されて、そうして義勇国民兵としての活動をしておったような、そういう国民があったかどうか、こういうところに問題があると思います。法律には二つありまして、それは、一般法律のように公布、施行されることによって直ちに発効するものと、それから行政法の多くのものにありますように、その法律によって行政官庁に一つのアクションを起こす権限を与えるような法律もございます。そういう場合には、その法律によって与えられた権限によってアクションが起こされて、そしてそのアクションの対象となった——この場合には国民男女が、実際に発生しておったかどうかというところに、この問題解決のかぎがあるようにも思われるわけでありますが、そういうことを含めて、大原さんのいま提起せられた法律に関連する義勇兵役の実態というものについて、厚生省にも、また法制局にも一ぺん調べてもらうのがいい、このように考えます。その上でまたこの法律上の対処法を考えていくべきだ、このように思います。
  148. 大原亨

    ○大原委員 これは簡単に言うと、国民義勇隊については閣議決定は三月したわけですね。この閣議決定をしていろいろな勅令等とも合わさって、そして六月には法律をやったわけです。その中に罰則があるのですからね。罰則は適用しようと思えば適用できるのです。勅令があるのですから、実際国民義勇隊の組織が進んでいるわけですから。この法律が施行になりましたら罰則が適用できるのですから。これは二年の懲役ですよ。  そこで——何か法制局の答えがあるのだったら法制局にもついでに言っておくけれども、法律が施行になれば、それは国民に対して権利義務は完全に発生しているのでしょう。アクションを起こすかどうかということは、それはもちろん具体的な問題であるが、これはアクションが先に起きているわけだ。この法律関係はどうなるのか。
  149. 別府正夫

    ○別府政府委員 先ほども少々調べたいということを申し上げましたが、ただいま大原委員のおっしゃいました点につきましては、内田厚生大臣代理のほうから御答弁ありましたように、兵役に服するというのは、具体的に——私も実は軍隊に行っておったわけでありますけれども、現役兵あるいは召集兵として兵役に服するという事態が生じないと現実に問題が起こらないと思います。先ほどお読み上げになりました七条の、たとえば義勇召集を免れるため逃亡し云々ということで、「二年以下ノ懲役ニ處ス」というような義勇召集の規定は、第五条の「義勇兵ハ必要ニ應ジ勅令ノ定ムル所ニ依リ之ヲ召集シ」云々と書いてございます召集行為がございませんと、すぐに罰則が動くということには必ずしもならないのじゃないかという点を、ただいまちょっと補足して御説明申し上げたいということでございます。
  150. 大原亨

    ○大原委員 従来の閣議決定との関係はと私は聞いておる。
  151. 別府正夫

    ○別府政府委員 お答え申し上げます。  閣議決定自体とこの義勇兵役法とはそのまま必ずしもつながってはおりませんので、閣議決定によって組織された国民義勇隊の隊員であるかどうかという事実は、その当時の事実でございますからわかりにくい点があるかもしれませんが、一応事実として確認が可能だろうと思います。ただ国民義勇隊の隊員になることと、義勇兵役法が、実際に大原委員言われましたように施行されてはおるわけですけれども、実効的に働いたところまでいっているかどうかということを先ほど調べさせていただきたいと申し上げたわけですけれども、働いた事態までいきませんと、この法律のたとえば罰則等が働いてこない。その点は国民義勇隊自体に、閣議決定の国民義勇隊とそれから義勇兵役法に基づく義勇兵役なりあるいは義勇召集というものは、やはり閣議決定を根拠にするものと法律を根拠にするものと、制度的には違ったものと考えざるを得ないのであります。一応いまこれを読みましてのお答えでございますから、もし間違っておれば訂正させていただきたいと思いますが、そういうふうに考えております。
  152. 大原亨

    ○大原委員 閣議決定についてはあなた調べたことがあるか、一応全部調べた……。
  153. 別府正夫

    ○別府政府委員 閣議決定は先ほど大原委員お読みになりますときに一緒に読んでおりますし、それからその前にもこういう閣議決定があるという趣旨は了解しておりますが、大原委員がお調べになっているほど詳細に、細部についてまで十分に理解しておるということをお答えするだけの自信はございません。もし御指摘がございましたならばここで読みましてお答えいたしたいと思います。
  154. 大原亨

    ○大原委員 閣議決定には、国民義勇隊は本土決戦に備えての組織としてやる、こういうのがみなあるわけですね。そのときの権力というか罰則ですね。罰則等についてはあなたは御承知ですか。
  155. 別府正夫

    ○別府政府委員 ただいまちょっと調べておりますので……。  閣議決定でございますからそれ自体に罰則はついていないのではなかろうかと考えます。
  156. 大原亨

    ○大原委員 そこで、たとえばこの仕組みは、国家総動員法との関係をつけているわけです。国家総動員法には、これは他のほうの規定にもあるわけですが、罰則はあるわけです、当然ですね、国家総動員法にはあるわけです。そして閣議決定自体には罰則はつけられないというのは——幾らその当時といってもつけられないです。ないですけれども、ずっとこれを中心とするたび重なる決定によりますと、これはほとんど強制力を持ったというのは何かといいますと、防空法にも罰則があるわけです。一年以下の懲役があるわけです。一千円以下の罰金がある。いまで言えば四、五十万円以上になるかもしらぬ、罰金は。それから警防団と一体的に運営するということも閣議了解にあるわけです。ですから閣議決定のほうも、警防団防空法のほうも総動員法の罰則がついているわけです、こっちには法律で。一体的に運営するという問題があるわけです。それの運営の実態がどうかということを厚生省は追跡をするならば、これは全部の防空活動は、本土決戦に備えて戦闘組織になるようなそういう仕組みになっておる。それを法律的に根拠づけたものが兵役法であろう。発動されたかどうかということについては、あなたの法律解釈はわかりました。わかりましたが、全体の法律の仕組みというものは、これは非常に独裁的にやられたわけですよ。独裁的にやられているのですけれども、閣議決定でこんなことをやるわけですから。まだまだひどい決定をしておる。一億総武装の決定なんかしているわけです。ですからそういうものを戦後出したのではいけないということで、全部隠したわけです。封印したわけです。防空法関係の資料は全部焼かせたわけです、各末端に至るまで。それは私どもが確認いたしました。  ですから私は全体として、厚生大臣、その実態をもう少し、防空法とその罰則権力関係と、それから総動員法とそれから国民義勇隊についての閣議決定と、これは準軍属対象となっている。そういうものとの具体的な関係を、私どもが——この点については戦後占領下において戦争犯罪の追及を受けるために、これは封印をしたり資料を抹消したわけです。そうですね。非戦闘員を、一般国民戦闘に権力で動員したということについては、これは自発的にやったんだというふうにすりかえたわけです。ですからその実態を私は徹底的に究明をしてもらいたい。法制局も、それからこれはきょうは消防庁ですが、義勇隊関係で、警察権力の中にこの防空法は入ったわけですから、内務大臣が本部長ですから、国民義勇隊の総元締めは、陸軍省と内務省が大げんかをいたしまして、結局はいま参議院にいる迫水書記官長が中に入りまして、そして閣議了解という軍のとりつけながら内務大臣の権限にした。主務大臣は陸海の大臣も介入できるようにした。鎮守府や師団司令部も全部あるということですから。私はそこらをもう少し究明してもらいたいことが一つ。  それから法制局、ついでに、町内会とかそういう組織がありますね。これは行政上の補助手段である、行政機関の補助機関である、こういう規定をしておるが、あなたは承知しておるかどうか。
  157. 別府正夫

    ○別府政府委員 どこでどういう規定があるかということは、申しわけございませんが存じておりません。
  158. 大原亨

    ○大原委員 それもつまびらかにしてもらいたい。はっきりしてもらいたい。そういうことはやはり国の施策について濃淡はあっても、やはり実態とそういう権限の関係をきちっとすることが必要だ。というのは、町内会は行政上の補助手段にするのだということの規定があるわけです。ひとつこれも法制局はきちっと調べて、厚生省と話をしてもらいたいと思うのです。  ですから私は、これは総括的な議論で、さらに議論をしたいことはあるわけですけれども、警防団医療従事者について、旧防空法関係について、準軍属として援護を一歩進めたことは、私はそういういままでの国会における議論を踏まえてやったことがあるから一歩前進である、こういうふうに考えるのです。それはよろしいと思う。それはすべてのものを無差別に国の責任だというふうなことには議論はいたしませんけれども、特に財産被害等についてはみんなが財産被害を受けたわけですから、そういう場合には社会保障で考えるということがあるわけです。いろいろな施策で考えるということがあるわけです。しかし国の権力関係で、特別権力関係で動いた人が二百数十万人あって、一般戦災者は関係がないということの議論は、成り立ちませんよ。戦争は国が始めたんじゃないですか。戦争を終わる決断をするのも国じゃありませんか。それによって被害を受ける場合には、今日は公害だって企業責任があるのに、こういう問題について国がほおかむりでおって、一般社会保障と同じように考えるのだ、こういう認識ではいけませんよ。こういうことを私は言っておるわけです。私の、この、社会保障一般にこれを解消することについての不合理性、不当性についてまたこれを考え直すべきだという点について、厚生大臣代理はどういうふうにお考えですか。
  159. 内田常雄

    ○内田国務大臣 大原さんのいままでここで私が承っている論議は、たいへんよくわかりました。私も、国家総動員法に基づくものだろうと思いますが、徴用工であるとかあるいは動員学徒でありますとか、そういうものは援護法対象に準軍属として持ち込み、また国民義勇隊にかかわるものを援護法対象として持ち込み、さらに今回警防団とかあるいは医療従事者というものまで援護法対象に持ち込むことにしたわけでございますので、いまお取り上げになりましたような義勇兵役法というものが現実に動いて、その対象になっているものが以上私が申し述べましたような、すでに援護法対象になっておる人々と同じ性格の状態にありながら、援護法対象外に除かれているものがありとするならば、それはそのものについても突き詰めた検討をすべきであると、あなたと同じような私は意見を持つものであります。しかし、それはこれ以上申し上げる必要はありませんけれども、最終的な終戦段階において国がいろいろの法律制度をつくったり構想をしたけれども、それらの制度の対象現実にあらわれておらなかったりした場合には、これは援護法対象として取り上げようがないということにもなりましょうから、それは私は拒絶する意味ではなしに、あなたとむしろ同調するような意味において、検討した上で考えてみるべきだということを申し述べておることは、さきのとおりでありまして、これは私などが午前中にもちょっと申し上げました一般の社会保障制度をもって論ずべきだという議論とはまた別の議論です、この議論は。それはそれで財産関係ばかりでなしに、生命、身体に関するものでありましても、これは一つ考え方言い方としては一般の社会保障制度をもって論ずべきだという考え方もあるのかもしれません。しかし、いまそれはここであなたと論議するものではありませんが、ここでおっしゃられた限りのことにつきましては、たいへんよくわかりました。おそらく政府委員の諸君も、法制局の諸君もわかられたと思います。
  160. 大原亨

    ○大原委員 準軍属の中に、軍人とか軍属とかいう、そういう身分とか、雇用関係になくても戦闘に参加した、こういうのがある。それで、東京空襲では十四万人死んだ、こういうんですが、これは死傷者、重傷者含めてだと思うのですが、名古屋からずっと全国空襲があったわけです。そのころになりましたら、本土はこれは官民の差はなかったわけですよ。ですから警察の命令にいたしましても、軍の命令にいたしましても、権力を背景にして全然有無をいわさず、もしいうことを聞かなかったならば召集をかけるとか、いろんな方法でやったわけです、実際上。ですから、本土全体で空襲下にあるようなところは、戦闘に具体的に、身分はなくても参加したんだ、こういう判断でやっぱりこの解釈の適用もできるわけです。だから、そういうどたんばの実態というものを踏まえて法律の適用をしなければいけない。法律だけを観念的に適用いたしまして、こうなっているんだからこうだという議論は私はいけないと思う。やっぱり実態をそういうふうに踏まえて、そして法律の公平な適用をすべきだ、私はそういうふうに思うわけです。大臣、いかがですか。
  161. 内田常雄

    ○内田国務大臣 私も、このことはあまり詳しくはございませんけれども、戦傷病者戦没者遺族等援護法に関する限りは、初め狭かったものを国会論議を通じてだんだん対象を広げていったり、あるいはまた処遇を厚くしたり、あるいは軍属と準軍属に対する取り扱いの八〇%とか九〇%とかいうものを取り払って一緒にしたりするような段階を国会ごとに実はしてきていると思いまして、そういう過程から見ましても、これですべて広い尽くしたということはいえないものが出てくる場合もあるかもしれません。そういう場合にはいままでと同じ流儀で考え得ることだろうと思いますが、かなり幅広く拾ってまいっておるようにも思いますので、非常にその辺のあとに残された問題の性質というものが希薄になってきていることもこれまた事実であるように考えます。しかし、結局考えてみますと結論的にはどこまでいくかということは、それこそ国民的コンセンサス、私などがこのごろ苦労をいたしております所得政策じゃありませんけれども、国民的コンセンサスあるいは少なくとも国会におけるその政治的コンセンサスがないと、なかなかこれからあとへ残っておるものについては、先ほども申しますように希薄になっている点等を考慮して、むずかしい点も多かろうと思います。しかし、何も門戸を閉ざす必要はない、こういうふうにも思いますので、十分御説のあるところは政府当局にも勉強をしてもらいたいと思います。
  162. 大原亨

    ○大原委員 そこで、まだ基本的な問題を議論したいのですが、基本的な議論はまた別の機会にしまして、一応そういう問題で私が要請いたしました点は、十分実態と法律関係をもう少し観点を変えて調べてもらいたい。こういうことを特に要請をしておきます。  それから、ちょっと突然変異のような発言ですが、この法律の改正の中で、満州事変まで戦没者の妻の適用を広げてきたわけですね。この法律はそういうふうになっておるわけです。内田さんはそういうことは前の厚生大臣時代にも問題にならなかったから御承知ないのですが、今回は日華事変から満州事変まで広げてきたわけです。その対象者はここに書いてあるとおりなんですか。何名ですか。
  163. 八木哲夫

    八木政府委員 今回の満州事変関係の特別給付金の対象者といたしましては、戦没者の妻につきましては六百五十人、それから戦没者の父母等に  つきましては十人を予定いたしております。
  164. 大原亨

    ○大原委員 少し時間的にこれは薄めておるわけです。日支事変を満州事変までちょっと時間的に薄めておるわけですよ。これは私も不賛成ではありませんよ。満州事変の前まで薄めるということになると、どこになりますか。
  165. 八木哲夫

    八木政府委員 満州事変の前になりますと、第一次大戦なりあるいは日清、日露まで至ると思いますけれども、そこまでは考えておらない次第であります。
  166. 大原亨

    ○大原委員 日本の植民地政策によりまして、どんどん出ていったということでは同じような因果関係があるわけです。延ばしたら切りがないということで、大東亜共栄圏までいったわけですから。そういたしますと、日清事変や第一次大戦もみんな関係あるわけですが、そういうところの該当者ありますか。
  167. 八木哲夫

    八木政府委員 ちょっとその数字は把握いたしておりませんが、もしございましても、非常にわずかな数字ではないかというふうに考えております。
  168. 大原亨

    ○大原委員 それから適用の範囲の問題ですが、この広島に三菱重工というのがありまして、朝鮮人を、当時は日本人の国籍ですが、連れてまいりまして、これは応用問題だから、言うておらぬからよく聞いてください。権力で連れてきまして、徴用したわけです。原爆でなくなっておる人があるかもしれない、これは千数百名ですから。それでその後、新聞にも報道されたわけですけれども、その後本国へ帰る船がなくて、自分の船で帰っていくときに日本の近海で沈没したわけですね。現在は第三国人である、しかしながら、当時は日本人の国籍であった人々で徴用工という準軍属対象となるような現在の第三国人は、これはこの援護法との関係はどうなりますか。
  169. 八木哲夫

    八木政府委員 現在援護法の適用対象につきましては、日本国民対象といたしておりますので、第三国人については対象といたしておりません。
  170. 大原亨

    ○大原委員 これは日韓会談その他サンフランシスコ条約と同じことですが、国家間の関係については帰った人にについてはないわけですが、日本の国にいて、当時の日本人の国籍を持つ、そういう政策の中で日本人として徴用された。台湾籍の人もあれば、朝鮮籍の人もある。そういう人々が徴用という権力発動の権力関係において戦争被害を受けて日本にいるとか、あるいは日本の近くで被害を受けた、こういうふうな場合は遺族年金や障害年金等の、いわゆるこの援護法対象にならないという理由はどこにあるのですか。
  171. 八木哲夫

    八木政府委員 これは条文はちょっと見当たりませんが、日本国籍を有するということが当然対象になっておりますので、日本国の国籍を持っておらない方は、この法律に該当するような、たとえば戦時中の準軍属と同様な状態にありましてなくなられたという御遺族の場合でございましても、この法律対象にはならないわけでございます。
  172. 大原亨

    ○大原委員 厚生大臣代理、これは不当ではないですか。日本人の国籍ということで、本人の意思とはかかわりなしに総動員法で徴用して、言うなれば強制労働させた、それが日本を出る前に船が沈没をして死体が漂流をした。引き返した人があるかないかはわからない。それから日本に住んでおって、原爆——当時、三菱重工ですから島の端ですけれども、広島に住んでおったんですね。これは二十年の三月四日に千五百名が徴用されて三菱重工で働いているわけです。当時、終戦直後に、日本戦争に負けまして出たのが二百四十名というふうにいわれているのです。それが暴風で難破しまして、その船がすぐ出たところでやられまして、壱岐、対馬に死体が流漂した。壱岐、対馬に行きましてもそういう話がいまあります。しかし、その中には日本で強制徴用されて、自分で帰った人もあるかもしれないけれども、原爆を受けて死んだ人もあるかもしれないし、あるいは日本の領海、領土の中でそういう被害を受けている、こういうふうな場合には、やはり徴用は国籍のいかんを問わず——外国に住んでいる場合は別ですけれども、日本に住んでいる場合にはやはり日本の施策の対象にすべきではないか。たとえば生活保護法等についてもやっているでしょう。やろうと思えばできるわけでしょう。こういう点、いかがでしょうか。
  173. 八木哲夫

    八木政府委員 韓国の例について申しますと、韓国との条約におきまして請求権はないという形になっておるわけでございます。  なお、補足いたしますと、具体的な内容等につきましては、現在手持ち資料がございませんけれども、韓国におきまして、やはり当時日本におきましてなくなられた御遺族等に対しましての韓国内におきます遺族援護等の措置は講じておるというふうに承知しております。
  174. 大原亨

    ○大原委員 韓国内におる人はいいわけですよ。——いいということはありませんよ、それは別の問題です。それは問題ですけれども、いま国が違うわけですから、国家間で話をつけているわけでしょう。いい、悪いは別ですよ。だからこれは国際関係です。ただし、日本にそういう経過があって在住している人は、属地主義をとるか属人主義をとるかということになるわけですが、しかしこれは属地主義をとってもいいのではないか。だって生活保護と同じではないか。たとえば沖繩はアメリカの占領期間中だったのです。しかしながら、この援護法沖繩のわが同胞につきましては適用したことがあるのです。適用したのです。沖繩が祖国復帰をしない前においてもやったことがあるわけです。援護法についてはやっておったわけです。そうでしょう。沖繩日本人についてはやっておったわけです。これは統治権は向こうにあったわけだ、その議論は別にいたしましてね。しかし、ここの場合は、日本人として被害を受けたんですから、日本に現在住んでいるというふうな人については、この援護法を適用するということは、たとえば生活扶助等においてもやっているわけですから、できないという話ではないし、当然人道上も、あるいは政策上もやるべきではないだろうか、こういう議論ですね。これは局長の答弁の限界を越えますか。
  175. 八木哲夫

    八木政府委員 韓国の問題につきましては、日韓条約によりまして、わが国におります韓国人の方につきましても請求権はないわけでございますので、現在、援護法で、それからまた援護法のたてまえもそういうことになっておるわけでございます。  それから、これは私どもの所管の問題ではございませんけれども、生活保護の場合におきましては、人道上の見地からということで直接法律上適用なっているというふうには聞いておらない次第でございます。
  176. 大原亨

    ○大原委員 だから適用のしかたはいろいろあるだろうと言うんです。あるだろう。しかし日本におる、永住権を持っておる、事実上永住権を持っておる人も含めて、そういう人については韓国のほうは日本に対しては何にもしていないでしょう。ですから、ここに居住している人でそういう由緒来歴のある人については、当然に人道上からも、日本は永住権を認めているということからもやることは何ら支障はないと私は思う。たとえば生活保護等でも出しているわけですから、そういう適用のしかたは、法律のそういう障害となる点は将来修正するならば、これはできるのではないか、やるべきではないか、こういうふうに援護法の問題としては思いますね。私どもは、原爆被爆者についての対策を立てる際に、そういうけじめをつけることは立法上も日本法律で可能である、こういうふうに了解しております。ですからこの援護法でも、まずできることからやるべきではないか、こういう議論ですね。
  177. 八木哲夫

    八木政府委員 先ほど来御答弁申し上げておりますように、韓国の問題につきましては、日韓条約で措置されておりますので、日本におります方、あるいは韓国の中におります方の処遇の問題につきましては、韓国の国内問題ではないかというふうに理解している次第でございます。  なお、援護法はやはり年金でございますとか、そういうようなことで一つ法律関係の問題でございますので、行政措置の問題ではないというふうに考えておる次第でございます。
  178. 大原亨

    ○大原委員 たとえば、その中には医療もあるわけですね。傷病者に対する医療もあるわけです。向こうのほうが日本におる人をそういう処遇をしているならいいけれども、特に朝鮮人等については永住権という問題があるわけです。特殊ないままでの歴史的な経過を踏まえて永住権を認めているわけです。事実上認めているわけです。そういうことで、できるだけ日本の国内の施策として日本人と同じような——税金もかけるわけでしょう。税金もかけるわけですから、そういう施策を及ぼすということがあるわけですから、そういう政策的な観点をも考慮すべきではないか、こういうふうに思うわけです。厚生大臣代理、あなた、いま端のほうにすわっているだけだけれども、いまの点、どうですか、国務大臣として。
  179. 内田常雄

    ○内田国務大臣 専門の政府委員の答弁にございましたように、いまの永住権の問題等も含めて日韓の条約を締結いたします際に、こういう問題も想定をしながら解決をされておる問題だということでございますので、それは条約があろうが、あるいは国内法がどうなっておろうが、それはもう一ぺん掘り直して考えろ、こういう御意向だと思いますけれども、日本の国内におる韓国籍を持っておられる韓国人につきましては、やはり韓国の対人公権といいますか、統治権も属人的に及んでおるわけでございますので、そういうことも含んで条約が結ばれているということでありますので、そのように御理解をいただくのがよいのではないかと思います。
  180. 大原亨

    ○大原委員 福祉年金はどうしているんですか。
  181. 八木哲夫

    八木政府委員 私の所管外でございますけれども、支給してないというふうに承知しております。
  182. 大原亨

    ○大原委員 生活保護だけ、支給しているのは。
  183. 八木哲夫

    八木政府委員 生活保護法につきましても、これは所管外でございますけれども、法律に基づくものではなしに、行政措置としてやっているというふうに聞いております。
  184. 大原亨

    ○大原委員 たとえば行政措置でやろうと思うならばできるというわけでしょう。これは理屈の上から言ったっておかしいですよ、いままでのことから言うなれば。それはひとつ私はそれで了承をしていないということで進めてまいります。  今回の警防団医療従事者については、対象となるべき人については一応予算上の根拠数字は出ておるわけですが、この根拠数字はどこから出て、そしてこれはさらに広がっていく可能性はないか、年金化いたしますると広がっていく可能性はないか、こういう点についてお答えをいただきたい。
  185. 八木哲夫

    八木政府委員 私どものほうで予算の積算の基礎にいたしました数字等につきましては、特別支出金の対象者等を考慮し、さらに援護法の場合には生計維持関係等が問題になるわけでございますので、そういう問題、あるいはその後のなくなられた方等を考えました数字でございますので、厳密に申しますと実施してみませんとわからないということでございますが、予算の積算の数字でございますが、大体間違いないのではないかというふうに考えております。
  186. 大原亨

    ○大原委員 その数字をもう一回言ってください。この前言っておったな。
  187. 八木哲夫

    八木政府委員 障害年金の対象者につきましては四百五十五人、それから遺族給与金につきましては千三百九十五人を予定いたしております。
  188. 大原亨

    ○大原委員 つまり遺族給与金という遺族年金についてはお答えのようでありますが、そこでこの場合遺族特別支出金、これは昭和四十二年から三年ですかね、数年前ですね。それから障害特別支出金、これを出す場合にはどういう手続で、ちょっときょうはさっきも議論ありましたが、どういう手続で出しましたか、このほうは。これからどうするというんでなしに、このときにはどういう手続で出しましたか、どういう立証のしかたをしましたか。この人が警防団やあるいは医師、歯科医師や薬剤師や保健婦、看護婦、助産婦というふうな医療従事者であったということの立証はどういうことでしたのですか。これは消防庁でもいいよ。
  189. 八木哲夫

    八木政府委員 警防団等につきましては自治省の問題でございますので、どういう実務的な方法でやったかについては承知いたしておりません。  それから医師、歯科医師等につきましては、医療従事者等につきましては私どものほうで申請手続をきめまして、防空従事命令書あるいはこれにかわるような証明書、さらに防空従事死傷証明書、こういうような特定の従事命令書なり証明書がございます場合にはこれによりますし、それ以外の場合には、証人等によります補強証拠というような形で実際の審査をやっておったというような状況でございます。
  190. 辻誠二

    ○辻説明員 警防団員の関係でございますけれども、ただいまの医療従事者と大体同じようなことでございまして、四十四年の要綱を告示いたしましたわけですけれども、警防団員の証明書とか、防空に従事して死傷した証明書等の証明書をつけまして申請を受理しております。その警防団員の証明書とか、防空に従事して死傷されたというような証明書につきましては、二人から各一通ずつの証明書が必要であるという、そういう手続をとっております。
  191. 大原亨

    ○大原委員 警防団医療従事者については、旧防空法の規定によりましても長官から従事令書が出ているわけですね。だから従事令書の写しがあればいいのですが、二十数年間たってそれを持っている者はほとんどいないですよ。たまに持っている人がある。それからいまのお話のように、いままでのとおり、警防団医療従事者の原簿があって、それを照合してやるというのもあるでしょう。問題になるのは、これからも問題があるんですが、いままでも問題があったのは、やはり二人なら二人の証人をつけるという場合ですね。証人を当時の警防団の団長とか役員とか、あるいは町内会長とかというふうに限定したところにかなり当時も問題があった。しかし、いままでの特別支出金については一時金ですから、七万円とか五万円ですから、これは簡単ではないけれども、ややこしいから、こんな一時金だし、もういやだ、こういうことで途中でやめた人もあるわけですね。問題は、時間がたっていて、証人をつけてやる場合にそういうふうに限定を——証人なしに認定をすることはできない。これは原爆手帳だって何だってそういうことですから、一定の法律条件にかなった人間が申請に基づいてやるようなそういう仕組みになっているから、これはしかたがないだろう。証人が要るだろう。しかし問題は証人のつけ方ですね。証人のつけ方は、町内会長なんか入れたって、どこへ吹っ飛んでいったかわからない。それから、第一そういう人が、そういう対象者になる警防団医療従事者が、戦後二十数年の間に、原爆を受けたり焼夷弾を受けたりして、どこへ行っておられるかわからないということの実態があるわけです。であるのに、それを立証しなければならないということになると、せっかく法律をつくりましても、インチキをやることは許されないけれども、正しいことが証明できないという結果にならないか。そういう点については配慮しなければ、私はせっかくこういう制度をつくりましても、権利の上に眠る人ができるのではないか。証人をつける場合における、いままでいろいろな援護局は経験があるはずですが、どういう考えで臨もうといたしておるか、こういう点についてお答えいただきたい。
  192. 八木哲夫

    八木政府委員 具体的な立証の問題につきましては、どの範囲につきまして考えるかという問題につきましては、これからの問題でございますけれども、ただいま先生からの御意見もございましたので、権利の上に眠る者がないような意味におきましての指導というものにつきましては十分努力してまいりたいと考えております。
  193. 大原亨

    ○大原委員 たとえばその警防団の分団なら分団の、分団を掌握しておる人がいなくとも、警防団の役員はどっかにいるはずなんです。それと話をして、その実情を言うならば、たとえば当時町内会の役員、会長をしておらなくとも、あるいはその地域に住んでおった人でもよろしい、二人なら二人のうちでそういう人をも加えるようにしましてやる、あるいはそういう警防団が見つからない場合がある。そういう場合に証明する場合に、やはり当時の事実を本人が申し述べて、これは間違いないということで客観的にそれはそうだということになれば、私は町内会長とか警防団の役員とか幹部とかいうふうなことにこだわらないで、やはり立証のしかたを親切にやらなければいけない、こういうふうに思いますが、いかがでしょう。
  194. 八木哲夫

    八木政府委員 御指摘の問題も含めまして、さらに県あるいは市町村等によりましてはいろいろな補強証拠等もあると思いますから、できるだけいろいろなものを活用いたしまして、お話ございましたように、権利の上に眠る者がないような努力を進めてまいりたいと考えております。
  195. 大原亨

    ○大原委員 この援護法の準軍属の適用は軍属と同じようにしたわけですが、これは遺族給与金という遺族年金と障害年金が一つの新しい政策では中心で、弔慰金等が加わっておる、葬祭料等が加わっておるわけですが、弔慰金は五万円だと思います。  そこで、その際に内科的な疾患があるわけです。障害年金の場合、内科的な疾患がある。外科的に両手がないとか両手が切れたとか、あるいは目が見えない失明したとか、視力障害があるとかいう機能障害がはっきりしている場合はいいわけですけれども、内科的な疾患で、たとえば広島、長崎等で警防団員や医療従事者で原爆症だ、白血病だ、あるいは肺ガンである、あるいは肝臓の機能障害がある、そういうふうなことで、たとえば白血病等は四千数百人も認定患者がいるわけでありますが、内科的な疾患について、障害年金の特別項症から六項症、五款症に至るまで十二のランクづけの中へ入れる場合に非常に不利になるのではないか。広島、長崎等の原爆症や焼夷弾等、毒ガス等にいたしましてもそうですが、内科的な疾患について十分配慮しなければならない。援護法を制定した当時よりもこの問題についてはかなり突っ込んだ研究もなされておるわけですから、内科的な疾患は従来どのように扱ってきたか。
  196. 八木哲夫

    八木政府委員 援護法におきまして、内部疾患につきまして、実際の裁定にあたりましては、私どものほうで、顧問のお医者さんがおりますので、その方々の判断になっている次第でございますけれども、現在の援護法におきますたてまえといたしまして、恩給法の障害程度の別表を援護法も基礎にしておるというようなことでございますので、障害程度の判定につきましては、恩給法に準じました判断で行なっている次第でございます。  なお、現在まで障害年金受給者が、援護法の場合で申しますと四千九百八十七件、約五千件でございますが、そのうち内科疾患を対象としておりますのは一割までには達しておりませんで八%くらいだと思いますが、四百八件というような現状でございます。
  197. 大原亨

    ○大原委員 たとえば白血病というのは不治の病だ、こういわれている。白血病がなおるということはいまの医学では考えられないといっている。血液上の欠陥ですけれども、破壊されているわけでしょう。  そこで、しかし寿命を長引かせるとか死に至らしめないというふうな治療方法や防衛方法はあるわけでしょう。ですから、そういう場合の特殊性を考えながら、たとえばぶらぶら病とか、あるいは老化現象が非常に早い、年の割合に老化する、機能が全体として後退する、こういうことがあるわけですから、そういうことは目が悪いとか手が悪いとかということとは別の症状であって、こういう認識の十分ない医者等でございましたならば、これは客観的な機能障害がないから、外科的な疾患がないからだめだ、こういうふうにランクを落とす場合がしばしばである。ですから、こういう援護法の適用の際には、原爆症等については、あるいは内科的な疾患についても、いままでの経験やあるいは皆さん方意見等を参酌して、適用基準というものを別につくって、そうして機能障害、外科的な疾患の障害の程度に当てはめていく際にこれを十分配慮して行なう、こういうことを専門機関にはかってやるべきではないか、私はこう思います。いかがでしょうか。
  198. 八木哲夫

    八木政府委員 先ほども御説明申し上げましたように、障害状況の判定につきましては、私どもの顧問医が恩給法におきます障害程度の判定の考え方というものを基礎にしてやっておる次第でございまして、御指摘のような点につきましても、今後恩給局とも十分相談いたしまして検討してまいりたいというふうに考えております。
  199. 大原亨

    ○大原委員 その原爆症その他、内科的な疾患についての傷病年金適用についての留意点とか、基準とかいうようなものを特につくって、そして審査に遺憾なきを期してもらいたい、こういうことを強く私は要望をしておきます。  それからその次は遺族年金で軍属、準軍属について三万六千何百円ということになりますね。これは月三万円ですが、この根拠は一体どこから出ておるのですか。
  200. 八木哲夫

    八木政府委員 私どものほうの戦傷病者戦没者遺族等援護法遺族年金なりあるいは遺族給与金の額につきましては、同じような戦争によります遺族援護という立場でございますので、恩給法におきます公務扶助料というものを基礎にいたしまして、援護法の年金というものが……(大原委員「どこを標準にしているの」と呼ぶ)兵の公務扶助料でございます。
  201. 大原亨

    ○大原委員 まあ軍属とか準軍属、たとえば動員学徒なんというものは国との雇用関係は少ないとは言いながら、薄いとは言いながら、逆に言うならば意思能力のない者を戦争に動員しているのですから、それで前途ある者が死んだり障害になったわけですから、逆に言うならば軍人軍属以上の処遇をしてもいい、こういう理由になるわけです。一般国民戦争に巻き込まれて被害を受けたのですから、一般戦闘員についても一般論としてはそういうことが言えるわけです。  そこで兵隊と下士官や将校を差別をつけるというのはおかしいと思うけれども、戦争犠牲者においてはおかしいと思うが、まあこの基準については、たとえば兵隊と下士官の総平均をとるとか、そういうふうな考え方もあるのではないか。まあこれはきょうはひとつ私の意見だけ言っておこう。  もう一つは弔慰金はどういう立法の趣旨なのか。今度五万円になるんですね、準軍属は五万円ですか。弔慰金はどういう立法の趣旨で、弔慰金ということで遺族年金よりも少しは広い範囲で出しておるのか。
  202. 八木哲夫

    八木政府委員 遺族年金なり遺族給与金の場合には生活保障というような観点からの年金ということでございますが、弔慰金の場合にはやはり生活保障という問題以外に、遺族範囲等も直接なくなられた方との生計関係ということがある方だけではなしに、現実には兄弟姉妹というふうに範囲が広がっておるわけでございますが、これは現実に戦没者、なくなられたあとの御遺族に対します英霊をお守りするという立場におきます慰謝料的な考え方、そういうような面も入った一時金であろうというふうに考えておる次第でございます。
  203. 大原亨

    ○大原委員 戦没者の妻や父母に対する特別給付金、六十万円、三十万円。これはどういう趣旨ですか。
  204. 八木哲夫

    八木政府委員 戦没者の妻あるいは父母に対します特別給付金の性格につきましては、特に最愛の夫を失ったあるいは最愛のむすこを失った老父母の立場というものを考えまして、一般の年金以外に、やはりそういうような妻なりあるいは父母の立場に対します一時金というような考え方が、当初の十万なり二十万の特別給付金だったというふうに思われますし、それ以後の、継続しまして三十万、六十万に増額されました父母なり妻に対します特別給付金の性格といたしましては、やはり戦没者を出したことに伴います、特に老齢期を迎えての寂寥感に対します慰謝というような趣旨が、その後の継続の給付金には入っているのではないかというふうに考えておる次第でございます。
  205. 大原亨

    ○大原委員 最後に大臣、私の質問としては最後ですが、あと関連質問がありますが、引き揚げ者については、給付金が二十万円ということで出たわけですね。在外資産の補償ではないが、出たわけです。それは権力関係はないわけです。ですから、残っておる問題は、原爆被爆者の問題で、これでいいか。一般戦災者の問題で、東京空襲やいろんなところから出ているわけです。私は、人命や健康被害については、国民がかなり納得する線で、あと人数から見れば少ないわけですから、きょうは厚生省も来て聞いてもらっているわけですけれども、無限に広がるようなことを言って、それを権力関係に限定しようという考えもあるわけです。そのこと自体について根拠はないとは言わないのですけれども、しかし、やはり当時の実態とかそういうものについて、いまの段階において考えて、不公平な点があれば是正をするということについては、きょう二時間近く議論をしたわけですが、厚生大臣代理はかなり理解をされたというふうに思います。ただ、齋藤厚生大臣がいないのが遺憾ですが、よく話をしていただきまして、ぜひこの問題については、現在の法律の足りない点を積極的に補っていく、こういう観点で処理してもらいたいということを最後につけ加えておきまして、私の質問は、関連質問者に譲りたいと思います。——ちょっと時間があるようですから……。法制局。つまり、部落会とか町内会の問題は、やはりわれわれも追跡する点は全部追跡しておかなければいかぬわけですよ。それで、隣組とか町内会の防火活動というものは、自分で財産を守ったんだ、財産を守るためにやったのだ、あれは国が命令したのではないのだ。したがって、非戦闘員は戦闘に動員していないのだ。こういうことで戦後は言うなれば戦争犯罪の追及を受けたわけですが、免れたわけです。経過は申し上げたのですが、事実はそうではないのです。「防空法第八条の七により応急防火をなしこれに協力したもの(内務省訓令第十七号の第二の「組織」の(四)の規定する通り「部落会長町内会ハ部落又ハ町内住民ヲ基礎トスル地域的組織タルト共ニ市町村ノ補助的下部組織トスル」云々とあるのですよ。そういうのがあるのです。市町村の補助的な下部組織にするのだという規定が、内務省の訓令で出ておるわけです。ですから、防空組織というものは、上から下までばっと警察と軍隊指揮系統が一本筋が入って、終わりごろは一億総動員体制ができておったわけです。ですから、いまここに資料が出ておりましたから、私が申し上げた点を補足をしておきますから、これは議事録にとどめて、そして皆さん方のほうでも検討してもらって、実態と法律関係について法制局の見解をまとめてもらいたい、こういうことを要望しておきまして、森井委員の関連質問に譲ります。
  206. 森井忠良

    森井委員 今回の改正は、先ほど来話がありましたように、一つは給付の額のアップ、それからもう一つは、準軍属範囲の拡大、大ざっぱに言いましてこの二つだと思うわけです。そこで、時間の関係もありますので、私は範囲の拡大の問題に限って御質問申し上げたいと思います。  そこで、まず援護局長にお伺いしたいわけでありますが、今回の改正は、範囲の拡大については旧防空法第六条一項並びに二項の該当者、こういうことになっておるわけですね。これはもうすでにわが党の大原議員をはじめとしまして、長年要望されておった問題でありまして、私どもも評価をしたいと思うわけです。これで厚生省が考えておられます、大体この範囲まで入れたいという準軍属範囲については終わるわけですか。
  207. 八木哲夫

    八木政府委員 私どもの準軍属範囲の拡大につきましては、従来から逐年範囲の拡大を行なってきた次第でございますけれども、午前中もお答え申し上げましたように、援護法のたてまえといたしましては、軍人軍属のような直接軍の構成員である方、しかしそういうような軍の構成員であるというような身分関係がない方々におきましても、軍の強制力なり、あるいは現実におきまして軍人軍属と同じような処遇をすることが必要であるというような方々につきまして、身分関係はございませんでも、動員学徒でございますとか、あるいは戦闘参加者等を対象としたわけでございますが、今回の防空法関係の六条一項へ二項の警防団あるいは医療従事者につきましては、かねてからの懸案でございますし、昨年の国会等の附帯決議にもございました問題でございますので、私どもといたしましては、準軍属処遇範囲の拡大につきましては、現在のところでは今回の改正によりまして、おおむねその範囲の改善という点につきましては、目的を達しておるのではないかというふうに、現在の段階では考えておる次第でございます。
  208. 森井忠良

    森井委員 身分関係はなくても、軍の命令その他で強制的に軍属と同じように業務に従事した者の救済ということでありますが、私はそれでいいと思うのです。ただ、防空に従事をしておった者という形になりますと、いろいろあるわけでありますね。たとえば、旧防空法の中でも、第一条を見ますと、防空というものの定義が明らかにしてあります。何と言いましてもいまからの常識でいきますと、警防団医療従事者というのはその最たるものだと思うわけでありますが、特に警防団あるいは医療従事者に限るということではなくて、いま申し上げましたように、旧防空法の第一条の精神からいけば、まだ該当者があるのではないか、こういう感じがするわけでありますが、その点いかがですか。
  209. 八木哲夫

    八木政府委員 確かに御指摘のように、防空法は、当時の状況といたしましては戦時におきます防空の目的を達するというようなことから、かなりの範囲方々に対しましての命令なりあるいは義務というものが課せられていると思うわけでございますけれども、ただ戦傷病者戦没者遺族等援護法の現在のたてまえで申しますと、やはりたまたま身分関係はなくとも、軍の構成員と同じように、軍の強制力なりそういう権力関係というものがあるというような対象方々考えておるわけでございますので、防空法義務なりあるいは権利制限がある方々すべてが援護法対象になるというふうには直ちには結論はできないのではないかというふうに理解をしておる次第でございます。
  210. 森井忠良

    森井委員 私は空襲の非常に激しいころに、実は私自身が電信士として旧逓信省につとめておりまして、言うなれば防空通信を身をもって体験をした一人です。これは軍から発せられました空襲警報なりあるいは警戒警報なりその他諸情報について、逓信省の現場で受けて、そしてたとえば市役所であるとか消防であるとか、もちろん警防団であるとか、そういった防空関係者に知らせるという任務があったわけでありまして、むしろそういった旧逓信省の従業員によって警防団が動かされておった、こういうふうにも一面で言えるわけであります。  いま、私ここに持っておりますのは広島市の警防団のその当時の資料でありますけれども、警防団指揮命令系統等についてこの表に明らかになっておるわけでありまして、ちょっと見えにくいかと思いますので読みますけれども、その当時の防空の系統図なんです。   〔斉藤(滋)委員長代理退席、山口(敏)委員長代理着席〕 それを読みますと、西部軍司令部、またはこれは海軍のほうでありますが、呉鎮守府、ここからいま申し上げました警報が発せられた場合のことを申し上げますと、警報が伝えられまして、そして西部軍司令部の場合は、広島師団司令部を通って広島中央電話局あるいは広島中央電信局、つまり電話と電信と両方ございますから、そういったものに伝達をされ、さらにそこから今度具体的には警防団の各分団、あるいは広島市の市役所、場合によっては警察、そういうところまで情報をそれぞれ送るという状態であります。  私もまだ記憶に新しいわけでありますが、私の場合、先ほど申し上げましたように電信士でございましたから、したがって、ちょっとややこしいのでありますが、そういう非常警報の場合の符号が送られてまいります。明らかにしておきますと、ツー・トン・トン・トン・ツーなんです。そしてあとそれぞれたとえば空襲警報の場合でしたらナ・イ・セ・ク・ハという暗号で送られてくるわけです。ナ・イ・セというのは内海西部ということだろうと思うのでありますが、ク・ハというのは空襲警報の発令、ですから警戒警報の場合ならナ・イ・セ・ケ・ハという、もちろん電報ですからかたかなでありますが、送ってまいります。そういう業務に私自身従事をしておりました。いま申し上げましたとおりこれは予告なしでありまして、四六時中電信機にかじりついておらなければならないという当時の状況であります。  そういうふうな形からいたしますと、全く警防団と同じような仕事——警防団といいますか、防空に関しては非常に重要な役割りを持っておったということがいえると思います。したがって、そういうことでありますからその当時の制度としても、国家総動員法の中の第三条の二項でございますけれども、明確に「国家総動員上必要ナル運輸又ハ通信ニ關スル業務」これは「総動員業務トハ左ニ掲グルモノヲ謂フ」という定義の中で第三条で明らかになっておるわけであります。  またこれは援護局長も御理解をいただけると思うのでありますが、軍属の中で配属雇用人というのがございましたね。逓信省とかあるいは鉄道省等の有給の吏員等がその身分を保有したまま陸海軍に配属をされまして、そして事変地あるいは戦地勤務をしておったわけでございます。これはあなたもお認めになると思うわけでありますが、さらにそれは具体的には防空隊の指揮下に入っておった、この事実があるわけですね。これは逓信省の関係したものでもあります。したがって、私は、今回の援護法改正案警防団医療従事者が準軍属として扱われるということについては非常に歓迎をするわけでありますが、いま申し上げましたように、具体的に旧逓信省の関係の中で防空業務に従事をして苦労した人は一体どうなるんだろうか、この点について援護局長からお考えを承っておきたいと思います。
  211. 八木哲夫

    八木政府委員 先生指摘のように、当時の防空法のたてまえといたしましては、防空計画そのほかの防空業務につきまして、軍との関係におきましていろいろな意味で、先生からお話しございました警報の発令の伝達の問題等につきましても非常に御苦労されたということは十分わかるわけでございますけれども、ただ、私どもの戦傷病者戦没者遺族等援護法で取り扱っております範疇の問題といたしましては、軍人軍属、あるいはたまたま身分がございませんでも、軍との関係である程度身分関係があるのではないかというぐらい擬制できるほどの強制力が及んでおるという方々につきまして、援護法対象にしているわけでございまして、旧逓信職員の方々につきましては、それぞれ旧逓信関係の職員としましての処遇があるわけでございますので、旧逓信関係におきます——これは私どものほうの所管ではございませんけれども、当時共済組合等があったわけでございますので、それぞれの官庁等におきます職員の処遇の問題につきましては、これは恩給でもそうでございますし、ほかの場合もそうでございますが、それぞれのところで処遇していただくというのが援護法のたてまえでございますので、私どものほうといたしましては、そういうような公務員であるというような形でない方々につきまして、軍人軍属以外の方々につきまして準軍属として処遇しているというような次第でございますので、確かに、御指摘ございましたような防空関係の面におきまして非常に御苦労されたという点につきましては十分承知しておる次第でございますが、これは私どもの問題と申しますよりは、むしろ郵政省等の問題ではないかというふうに考えている次第でございます。
  212. 森井忠良

    森井委員 一般的にいいますと、いま共済組合という話が出ましたけれども、いわゆる業務災害等で殉職をされた。したがって、殉職年金を支給するというふうな場合、これは当てはまると思うのです。しかし、いま私が問題にいたしましたのは、原爆が投下をされて、たまたま逓信省の現場でございます電話局なり電信局が爆心地のすぐそばにあったわけです。したがって、吹き飛んだわけです。これは焼夷弾でもいえるわけでありますが、焼夷弾等については、これはそういうふうに原子爆弾ほど一挙に吹き飛ばすほどのものでないですから、当然のがれる機会等がありまして、その犠牲者はあまりない。むしろいま申し上げましたように、電信局、電話局が爆心地の近くにあったために起きた問題なんですね。ですから、あなた本来共済組合でやれとおっしゃいますけれども、それは共済組合の規定としても私は問題があると思うわけでありまして、業務上災害ではないわけなんです。援護法は、御案内のとおりあくまでもこれは国家補償の精神に基づいて、その裏には大きな原因として戦争という問題があるわけでありますが、そういう戦争犠牲者なんですね。そうはいうものの、たまたま共済組合があったものだから、したがって、官吏その他についてはこれは共済組合で救済された。それから先ほど申し上げましたように総動員令の指定職場でありましたから、当然動員学徒等がたくさんおりました。この人たちは御案内のとおり、この援護法でいま準軍属として扱われて救済をされておるわけです。したがって、残ったのは、あくまでも、いま申し上げました官吏でもあるいは動員学徒でもなくて、一般の雇用人の層が残ったわけです。ですから、これはぜひ援護法で救済すべきである、こういうふうに私は考えるわけです。その点いかがですか。
  213. 八木哲夫

    八木政府委員 先ほど御答弁申し上げましたように、援護法のたてまえといたしましては、軍の構成員あるいは軍の構成員と類似の状態戦争に協力したという方々でございまして、いずれにいたしましても陸海軍と何らかのつながりがある方々というのを対象にしているわけでございますので、旧逓信関係方々につきましては、現実問題といたしましては防空法上のいろいろな問題があろうかと思いますけれども、やはり直接の親元があるわけでございますので、親元がございますところはそこで処遇するというのが現在のたてまえでございますし、現実お話しございましたような原爆等でなくなられた方々につきましても、旧逓信関係方々につきましては戦災殉職年金というような処遇がなされているというふうに伺っておりますので、逓信関係戦災殉職年金等の処遇現実にもあるというような実態、さらに昭和四十六年に電電公社なりあるいは郵政省におきまして、年金が支給されてない方々に対しましての見舞い金が支出されたというような実情から見ましても、くどいようでございますけれども、現在の法律の体系から申しますと、援護法の中で処遇するというのはなかなかむずかしいのではないかというように考えておる次第でございます。
  214. 森井忠良

    森井委員 旧逓信省の関係についていま一時金等の話が出ましたけれども、これはもうすでに議論し尽くされている問題ですね。昭和四十四年前後から、こににおられます大原委員あたりが一時金の問題についてはもうこれは解決済みの問題で、私はいま時間がありませんからこの問題で議論するつもりはありませんが、そういうような趣旨からいけば警防団についても同じようなことが言えるわけでありまして、五万円もしくは七万円というのが、趣旨はともかくといたしまして中身についてはすでに支払われておる、だから悪く言えば一たん済んだじゃないかといわれればこれは全く同じ立場なんです。警防団と、いま申し上げました旧逓信省の関係の者と差をつけろというほうが無理だと思うわけです。  もうちょっと実態を明らかにしたいと思いますが、せっかくこういうふうに警防団等が旧防空法関係で救済をされるということでありますから、郵政省なりあるいは電電公社——御承知のとおり、旧逓信省といえば現在の郵政省と電電公社でありますから、それぞれ人事局長なり厚生局長お見えでございますから、防空に関してその当時旧逓信省が果たした役割りについて、あるいは業務の内容等について、時間がありませんので簡単でよろしゅうございますが、ひとつお知らせを願いたいと思うのです。
  215. 小畑新造

    ○小畑説明員 お答えいたします。戦時中におきます通信体制の一環といたしまして昭和十三年の一月二十八日に逓信省令第九号で防空通信規則というものが制定されまして、旧逓信省の職員は、たとえば警報でありますとかあるいは情報等の伝達のためにいわゆる防空通信というものに従事しておったわけでございます。
  216. 北雄一郎

    ○北政府委員 ただいま電電公社からお答え申し上げたと同じように理解しております。
  217. 森井忠良

    森井委員 いま援護局長お聞きのように、なるほど具体的な問題については旧防空法じゃなくて、いま発表があったようなことなんでありますけれども、これは旧防空法の第一条に通信というのは、当然のことでありますが入っておるわけであります。したがって、この際、警防団医療従事者が救済をされるのなら落ちこぼれがあってはならぬ、少なくとも戦争中のいろいろな法的なアンバラ等で、新憲法になって現在法のもとに平等であるという立場からいくならば、私は差をつけることはおかしいと思うのです。ちょっと具体的に申し上げますけれども、その当時、若干数字は違うかと思いますけれども、私のほうの調査でいま申し上げましたようなことでなくなられた方は、官吏、これは判任官であるとか奏任官であるとかありましたけれども、官吏が百三十七名であります。これは先ほど援護局長が言いました旧共済組合法でちゃんと援護対象になっております。それから雇用人、これが約七百名、数字はさだかでありませんけれども、大約約七百名私のほうで把握しておるわけであります。若干その前後があろうかと思います。それから学徒等、いわゆる動員学徒ですね、これが百三十四名、これだけの人々がその当時犠牲にあっておられるわけです。順序から申し上げますと、官吏はいま申し上げましたように完全に旧共済組合法で救済されておる。それから動員学徒についても援護法で救済されておる。雇用人だけがその救済の対象になっておらぬ。しかし、すべてではないわけでありまして、雇用人の中で生活の維持者についてはその当時の共済組合法で救済をされる。したがって生活維持者でない人は、私のことばで申し上げますならば泣き寝入りという形になっておるわけであります。ちなみに、これは同じような企業体でございましたたとえば国鉄、これなんかは家計の負担者であろうとそうでなかろうと、生計をともにしておれば援護対象になるという形になっておるわけであります。ですから、そういうふうに生計の維持者というのはあまりたくさんなかったわけでありまして、私は当時の立法がどうなっておったかさだかでありませんけれども、きわめて不合理な形ででこぼこがあった。国鉄とか専売とかというところは、いま申し上げました生計をともにしておる遺族があれば、それに遺族給与金等が支給されるようになっておる。いま申し上げましたように、旧逓信省の場合は家計の維持者というもう一つの条件がついておるわけであります。これはそれ以外にも幾つかございまして——私が知っている範囲で三つでありますが、一つは陸軍省あるいは海軍省につとめておりました職員——これは軍人じゃありませんよ。その当時いわゆる文官といわれた者でありましょうけれども、この人たち。それから大蔵省の関係の人、大ざっぱに言いますと、そういった方々については、やはり旧逓信省と同じように生計をともにしておるという条件以外に、生活の維持者がなくなった場合というような規定があるわけです。ところが、奇妙なことに、同じような条件でありますが、陸軍省、海軍省等の雇用人については、この法律ができるときには御案内のとおりはずしてありましたけれども、調べてみたら、これは対象にならないということで、途中で突っ込んでいま準軍属として扱っていらっしゃる。中身はほとんど変わらないと思うのですよ、逓信省の仕事と海軍省の軍人以外の仕事でありますから。にもかかわらず、そういったふうに旧陸海軍については雇用人であっても救済をされておる。  それからもう一つの大蔵省でありますが、これはもう具体的に該当者がほとんどいない。これはもう明確になっておるわけでありまして、すでに四十四年二月二十六日の衆議院予算委員会第五分科会の会議録によりますと、その当時の大蔵省主計局次長でございました海堀政府委員が、大蔵省には該当者はおりませんということを明確にしておるわけです。そういたしますと、もう国鉄も該当者がいない、もちろん陸軍、海軍の雇用者もいない、そういうふうに見てまいりますと、ほんとうに文字どおり、残ったのは旧逓信省の関係者だけなのです。これはもうすでに何回となく議論されておりますから私は繰り返しませんけれども、わずかに残っております旧逓信省の雇用人の中で、いま申し上げましたように生計維持者以外の人、これは人数はまたうんと限られてくるわけでありますが、こういった人たちをなぜ今回残すのかという問題が出てくるわけです。あなたは、それは共済組合の問題だからとおっしゃいますけれども、それでは旧陸軍、海軍の問題をどう理由をつけるのかというのが一つ。  それから二つ目は、いま申し上げましたように、共済組合が考えておりましたものは、これはあくまでも業務上の災害者である。いま申し上げましたように、原爆がごぼっと落ちてそれで死んだというようなものまで共済組合に負わせるというのはむしろ問題があるのじゃないか、私はこのように考えるわけです。ですから、せっかく今回の援護法の改正を機会にして、再度この問題について厚生省が前向きにお考えになる必要があると思うのです。どうですか。
  218. 八木哲夫

    八木政府委員 確かに防空法の問題につきましてはいろいろな面が、関連する分野が多いと思いますが、ある意味では、防空法におきます義務というのは国民全般に課せられているわけでございますし、さらに重要産業の従事者等につきましては、すべて防空法上のいろいろな義務というのが課せられておる次第でございます。ただ、防空法の中で特に軍との雇用関係があると同じように考えるほど国の強制力が及んでおったという意味で、今回警防団等が取り上げられた次第でございます。  それから、御指摘いただきました陸海軍省の軍属等につきましては、これは現在援護法のたてまえが軍人なり軍属ということでございますから、陸海軍省の職員につきましては、援護法の本来の対象であろうというふうに考えておる次第でございます。ほかに、現在旧陸海軍省の職員の援護措置をやっておるところはないわけでございますので、これは当然援護法対象になるのではないかというふうに考えられる次第でございます。  それから、先ほども申し上げましたように、それぞれ親元がございますところはそこで取り扱うというのが現在の援護法のたてまえでございますし、さらに原爆等の問題につきまして、これは業務上の問題ではないかというような、そこまで共済組合で考えるのはどうかという御議論でございますけれども、やはり勤務中に、あるいは拘束されておりました際に障害なり死亡されたという場合におきましては、これは公務上の問題として当然考えられる問題かというふうに考えられる次第でございまして、いずれにいたしましても、先ほど来御説明申し上げておりますように、それぞれ公の、何らかの公的な立場で雇用関係がはっきりしておるという場合には、事業主責任、使用者責任というような考え方から申しまして、使用者立場におきまして補償を考えるというのが筋ではないかというふうに考えておる次第でございます。  旧逓信共済関係におきまして、遺族関係範囲の問題につきまして、御指摘のように生計維持関係だけで生計同一がない方々対象になっておらないという問題が残された問題であるというふうに考えておりますけれども、何べんも申し上げますように、現在の援護法の体系の中でこの問題を処理するというのは非常にむずかしい問題ではないか、むしろ共済組合の問題として御解決をお考えになるのが適当ではないかというふうに私どもとしては考えておる次第でございます。
  219. 森井忠良

    森井委員 旧陸軍、海軍の雇用人、これは、ちょっとことばは悪うございますが、お茶くみまで入るのですよ。その当時陸軍省、海軍省におれば、軍人軍属にしてしまったわけです。先ほど電電公社の業務管理局長が答弁をしましたように、きちっと国防の任務を任務づけられて、第一線で、私が先ほど申し上げましたような、ほんとう戦争に行っているのと同じような気持ちで防空活動に従事した者とは違うのです。たまたまその当時の法制が、法制か何か知りませんけれども、とにかく陸軍省、海軍省におったものは全部軍属とするという形になっておった。この法律ができたときも最初はこれははずれておったのす。それはお認めになるでしょう、陸軍省、海軍省の雇用人については。なぜか、それはちゃんと共済組合があるからという、あなたの理論がそのままその当時も生きておったと私理解しておるわけです。ところがやってみたら、やはり生計の維持者という項目があって支給の対象にならないというので、そこで大急ぎで追加をした問題でしょう。逓信省とどこが違うのですか。
  220. 八木哲夫

    八木政府委員 陸海軍省の雇用人の問題につきましては、厚生省が遺族援護立場考えるということでございますので、厚生省の問題としまして処遇しているわけでございまして、それぞれ親元がございます場合にはそれぞれのところでお考えいただくというのが、使用者責任という立場で申しますれば筋ではないかというふうに考えます。
  221. 森井忠良

    森井委員 悪く解釈しますと、いまの答弁にありましたように、陸海軍は厚生省の所管だからとおっしゃいますけれども、だからやったんですか。私は、少し根性が悪いようですけれども、そう解釈せざるを得ないじゃないですか。どこが違うのですか。  そこで、その点をお考えをいただきたいと思うことと、それから今回は防空ということで警防団医療従事者が出たわけですね。これはなぜか。もう本土決戦という形で、あれだけひどい空襲が続いてまいりました。その最後が原爆だったわけですね。したがって防空にしぼられたということについては私も十分理解をし、評価をしておるわけです。それなら、同じ防空という立場なら、この際、そう人数は多くないのだから入れられたらどうかということと、これは、かりに実施をするということになるとどうなりますか。郵政省なりあるいは日本電信電話公社はそれぞれ会計が別でありますから、それぞれ措置されることになるんじゃないかと思うのですね。その点についていかがですか。二点について。
  222. 八木哲夫

    八木政府委員 前段の問題でありますけれども、現在の私どもの所管しております法律のたてまえが、軍人軍属というのをまず基本に置きまして、これは当時の軍が何らかの形で直接の使用者であるというような考え方から、その御遺族等に対します保護を考えておるわけでございます。さらに準軍属につきましては、直接軍の使用者ではないかもしれないけれども、軍の構成員と同じような立場にあるというふうに考えられる方々を、軍の直接の使用者と同じような立場で、構成員と同じような立場処遇しているということでございますので、御指摘ございました逓信関係方々につきまては、はっきりした使用者というものがあるわけでございますから、そちらのほうでお考えいただくのが筋ではないかというのを申し上げている次第でございます。  後段の問題につきましては、私どものほうの所管の問題ではございませんので……。
  223. 森井忠良

    森井委員 それじゃ、後段の問題はそれぞれの省からということでありますから、ついでにお伺いしておくわけでありますが、いまお聞きのように、郵政省なり電電公社の皆さんほんとうにこれで残ったのは旧逓信省の関係で、しかも雇用人に限られておるわけですね。これが終わらなければやっぱり戦後は終わらないというぐらいに私は申し上げたいわけです。いま郵政省としてはどういうふうにお考えですか。具体的にいまの議論をお聞きになって、郵政省あるいは電電公社だけ残るわけでありますが、それぞれの省から一言ずつ所感をお伺いしておきたいと思うのです。なお予算の問題についても、もしきまれば郵政なり電電なり、それぞれ支払いをされることになると思うわけでありますから、予算の点についてもお伺いしておきたい。
  224. 北雄一郎

    ○北政府委員 年金ということだと存じますが、年金ということでございますと、これは支給します側と受ける側との間に永続的な権利義務関係を発生する、こういうことになるわけであります。こういった権利義務関係は、やはり法律によって明定化しておく必要があるというふうに考えるのであります。ただその場合、そういう特別立法という中でこの原爆殉職されました旧逓信雇用人のみを対象とする制度を考えるということは、先生お話も十分わかるわけでございますけれども、理論づけが非常にむずかしいのではないかというふうに実は考えておる次第でございます。
  225. 森井忠良

    森井委員 電電公社、いかがですか。
  226. 小沢春雄

    ○小沢説明員 お答えいたします。  私どものほうは、政府機関でございませんで政府関係機関でございますが、ただいまの森井先生お話を拝聴いたしておりまして、御趣旨は、厚生省とのいろいろな話で、法令的な措置を講じて、その上でこの旧逓信雇用人の防空業務等に従事した者についての救済をはかるべきである、こういうふうな御趣旨に拝聴いたしましたが、電電公社といたしましては、そのような法令的措置が講ぜられました暁には、監督官庁とも十分御指導を仰ぎながら、必要な措置を講ずるようにいたすべきものというふうに考えております。
  227. 森井忠良

    森井委員 そうしますと、問題の認識については援護局長と私のやりとりで十分御理解をいただいたと思うわけであります。しかも援護局長は、やはり雇用者負担の原則からいけば旧逓信省、現在の郵政、電電というところで措置をしてもらいたいという形で、援護局長としては、これに支出をしてはならないとかいうことではなくて、むしろ出すべきであるというふうに私は援護局長意見を拝聴したわけでありますが、どうですか、その点援護局長のお考えを承りたい。
  228. 八木哲夫

    八木政府委員 これは私どもの所管の問題ではございませんので、申し上げる筋合いではないというふうに考えておりますけれども、現在の援護法のほかの例から見ますと、そういう方々、生計維持者と同一の方々は入っているという面は申し上げられると思います。
  229. 森井忠良

    森井委員 そうしますと人事局長、先ほど申し上げましたように、国鉄の関係者は救済をされておる、あるいは陸軍海軍の雇用者についても、あるいは大蔵省の関係についてもすべて救済をされて、具体的に残っておるのはあなたのところだけなんです。しかも、くどいようでありますが、いままでのやりとりをお聞きのように、何とかしたいけれども、厚生省の答弁は、この援護法には言うなればなじまないという意味での答弁をされたわけでありまして、なじむものなら、援護法の改正のときに同時に入れたいというお気持ちなんですね。  そうしますと、何らかの形でやはり措置するために、当然郵政省として対策を講ぜられるべきだ。しかも、この議論も歴史は長いわけでありまして、郵政省で山本人事局長時代からの問題なんですね。十分研究をしてみますという形で今日まできております。したがいまして、この問題の解決は、少なくとも今回の援護法軍属範囲の拡大を機会に、郵政省としてもどうしても処理をされなければならない問題だと私は思うわけであります。その点について再度、あなたのところだけですから、やはり残った立場から御答弁いただきたい。しかも、いま、電電公社の小沢厚生局長の答弁は、あなたのほうがいいと言えば電電公社としてはやはり支給する用意がある、というと大げさでありますけれども、当然考えなければならぬというように先ほど答弁があったわけでありますから、どうですか、その点。
  230. 北雄一郎

    ○北政府委員 一番最後に仰せられました問題は、実は内部の区分で、たいへん恐縮でございますけれども、私どものほうで電電公社との関係がございますのは監理官のほうでございまして、私、人事局長というのは郵政省だけの人事局長でございますので、その点は御理解いただきたいと思います。  それから、私どももこの問題につきましてはかねがね大原先生等の御指導もございまして、御承知のように、特別交付金というものを、共済組合の立場ではなくて、郵政省という国家機関の立場で当時その道を開きまして、そして支出をしたわけでございます。御指摘のように、今回援護法の改正ということで、さらにその援護法の中へ入らないのか、あるいは、入らないならば特別立法をしてはどうかというお話だというふうに理解いたしますが、特別立法の問題につきましては、先ほども申し上げましたように、旧逓信雇用人のうちの生計維持者でない者だけが、そういう意味では年金の対象から現実に残っておるという問題は確かにございますし、関連いたしまして、森井先年のお話よくわかるわけでございますけれども、現実にそこだけが残っておるからそれを特別立法するということにつきまして、理論づけも非常に困難な面がございまして、にわかに動き出せないわけでございますが、なお十分に研究はいたしたいというふうに考えます。
  231. 森井忠良

    森井委員 そうなりますと、私の主張は、お聞きのように、まずやはり原爆が落ちたという特殊事情、あるいは何人か焼夷弾でなくなられた方もおりますけれども、これは人数が限られておる。一瞬に吹っ飛んだわけですから、ほとんど原爆ですよ。したがって、一つの主張は、そういう意味では共済組合で見るよりも、国家補償の精神に基づいて出すわけですから、やはり援護法のほうが私は正しいように思う。そういうことで、厚生省に要求をする意味で質問を展開したわけでありますから、この点について厚生省は十分お考えいただきたい。  それから、もし厚生省がだめなら——率直に申し上げますと、どちらかで見てやらなければならぬという立場でありますから、厚生省の主張が通るのなら、やはりいま発言がありましたような郵政省の考え方は、これはもう引っ込めることになると思うのです。ただ私は、どちらかできちっとしなければならぬときに来ておる、このことだけは特に強調したいわけです。援護局長、その点どうですか。
  232. 八木哲夫

    八木政府委員 確かに先生がおっしゃいます趣旨は十分わかるわけでございますが、何べんも申し上げますように、どうも援護法の体系の中に非常になじみにくいのではないか。ですから、私どものほうの所管の問題としてこの問題を処理するというのは非常にむずかしい。むしろ郵政省ですか、電電公社のほうでお考えいただく問題ではないかというふうに考えます。
  233. 森井忠良

    森井委員 石本政務次官がお見えでございますので、政務次官のほうからお考えを承りたいと思うのです。
  234. 石本茂

    石本政府委員 いままでじっと話を聞いておったわけですが、確かに先生おっしゃるように、筋目といたしましては、国家的見地から見ますと非常にバランスがとれておりませんので、両方の立場局長さんのお話を聞いておれば、それぞれ親元があるのではないか、あるいはまた、援護法の中で何とかできないかとおっしゃっているわけでございますけれども、私は厚生省の立場で、まあ局長は法を守るお立場でいままでの御意見を開陳なさいましたので、また大臣お帰りになりましたら、今日こうありましたこともよくお話しいたしまして、さらにまた当局、局長の皆さまの御意見も十二分に煮詰めさせていただいて、検討してみたいという気持ちで聞いておりました。以上でございます。
  235. 森井忠良

    森井委員 よくわかりました。  それで、聞いておりまして、問題の深刻性については認識をしていただいたが、どうも厚生省と電電、郵政とでキャッチボールをしておるようで、肝心の被害者はどうなるのかという問題が非常に気になるわけですよ。  そこで、援護局長に言わせれば、もう雇用者負担ということを先ほどおっしゃいましたから、これは正確に解釈しますと、旧逓信省、現在引き継いでおります郵政省と電々公社の責任であるということ、これははっきりしておると思います。あなたの答弁で雇用者負担ということがはっきりすれば。しかしいま申し上げましたように、私としては、そうはいうものの業務災害ではないという問題が当然残ってまいりますので、そうかといって郵政省その他に合わせるというのも、共済組合という性格からすれば若干疑問が残る。いま政務次官が言われましたように、委員長、これはどうでしょうか。きょうまだこの法案の採決じゃないようでありますから、次は厚生大臣がお帰りになりますし、いま政務次官から御答弁がありましたような形で大臣ともよく相談してということでもございましたので、きょうはこれで終わらしていただいて、大臣と御相談の上、この問題の決着をつけるということで、質問を留保させていただきたいと思うわけであります。
  236. 山口敏夫

    ○山口(敏)委員長代理 速記をちょっとやめて。   〔速記中止〕
  237. 山口敏夫

    ○山口(敏)委員長代理 速記を起こしてください。  ただいまの森井忠良君の御意見につきましては、次回の理事会にはかりまして、しかるべき趣旨を全理事と協議して善処したいと思います。
  238. 森井忠良

    森井委員 終わります。
  239. 山口敏夫

    ○山口(敏)委員長代理 次回は、来たる四月二日火曜日、午前十時理事会、十時三十分より委員会を開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後六時四十一分散会