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小林(信)
委員 日本社会党を代表して、本
法案に反対の
意見を表明します。
本
法案の第一条に述べてありますように、
富士山はわが国のすぐれた自然の象徴であり、かつ、世界に誇る国民的資産として、高く評価さるべきものであります。よって、その恵沢を国民がひとしく享受し、後代の国民に継承するため、
富士山の
自然保護に万全を期することには、われわれも賛成でありますが、しかし、この
法案には絶対に賛同しがたいものがあります。その理由を申し上げます。
法案の第十五条、「何人も、みだりに次に掲げる行為をしてはならない。」という規定をしておりますが、その第二号に拡声機、ラジオ等により著しく騒音を発してはならないとあります。しかし、一面実弾
演習が許されているということは、何とも矛盾を感じます。かえってこっけいさが先に立って、まともな
法律の運営ができないと私は心配するのであります。ここに、この
法案の性格を最も端的にあらわしていると思うのです。
次には、
富士山の実態が正確に把握されていないまま、この
法案がつくられていることは、最も残念なところであります。もっと科学的な調査をし、乱開発による破壊の実態というものを十分
考えて、この
法案がつくられているのかどうかということを私は問題にしなければならぬと思います。したがって、この
法案は、他の
意味を持って概念的な保全計画が立てられているのではないか、こう見なければならないのであります。
利益の対象として乱開発をされてまいりました
富士山を守るためには、もっと科学的な根拠に立って、しかも決断をもって当たる積極性がなければならないと思います。当然緊急を要する幾多の問題があります。あるいは財政的な裏づけをしなければならない問題がありますが、そういうものは何らこの
法案審議の中でうかがわれない。これでは特別に立法をする
意味というものがなく、きわめて形骸的な
法案に終わっている。私どもはそこを問題視しなければならぬと思うのであります。
私は、
審議の中でわずか一時間しか与えられなかったために、たくさんの問題を残しておるわけですが、その一、二を申し上げれば、いまやあの
周辺にあります五湖は、たれ流しのため池に変わろうとしております。青木ケ原という美しい森林は
——屎尿
処理場があることは、私は問題ではないと思いますが、あそこに屎尿
処理場が置かれるというようなことから、いまやあの
周辺は廃棄物の捨て場所になっております。
私どもは、紅葉台というところに登って見ましたときに、高いところに登れば、もう青木ケ原は産業廃棄物はもちろん、一般家庭の廃棄物、そういうものの
処理場になっている。ハリモミの原始林が天然記念物に特別指定されておりますが、まさに死滅寸前にあることは、われわれこの
委員会が視察をして十分知ってきたことでございます。つまり、皆さんがこの
法案にりっぱなことを書いて
提案をされておりますけれども、そのことは
ほんとうにむなしい感じを与える以外にない。
富士山の実態というものは、
環境行政の中ではまさに放置されている状態であります。
したがってこの
法案を提出するからには、もっとそうした現実をしっかりつかまえ、科学的な根拠に立って、こう積極的に取り組みますというものがなければならぬのでございますが、残念ながら、そういうものが片りんも見られない。
富士の五合目は、あのスバルラインの終点でございますが、いままでは天地の境と言われました。したがって、もうあそこは清浄なところであるというふうに
考えられておったのですが、まさにいまは目をそむけたくなるようなごみの山に化しておる。観光道路を建設したために、森林が切り開かれ、それに対して何らの措置がされておらないまま、ますます荒れようとしております。
しかも、今回、
環境庁が全国で六カ所の景勝地に対しまして自動車の乗り入れ禁止をいたしました。しかし、この
富士山の現状を看過しておることは、
法案を出してきた、その真意というものを私は疑わざるを得ない。そういう面を私どもは全く納得できないまま今日まで終始したわけであります。
私に言わしめれば、いまのような
一つ一つの問題を取り上げても、まじめに論議できない、こういう気がするのでありますが、一体その原因は何だ。やはり私どもが、各
委員から
指摘をしました昭和四十七年七月二十七日、民法六百四条の適用を法務省が認めるところとなりまして、
北富士演習場の四千ヘクタールに近い県有地が
山梨県に返され、実質、
演習場は閉鎖されたわけであります。
国立公園内に
演習場が存在するということは、この
審議の中でも、
政府からも好ましくない、あることは好ましくないのだ、こういうことがすべての人から言われております。しかし、そういう
考えを皆さんが持ちながらも、そうして
山梨県民が、この機会こそのがしてはならない、この機会をつかまえて、
富士山を本然の姿にするために、自然を保護するために、
演習場返還をこの六百四条適用によって実現したいという悲願を持ったわけであります。
知事もそういう意図を持っておったのですが、ところが百三十億、二百十ヘクタールの払い下げ、そしてこの
保全法を条件として
官房長官に説得をされまして、再び
自衛隊の
使用転換にまで運んで、
演習場が可能になったわけであります。
三木長官が、安保条約を認める立場とそうでない立場の問題で、このことに対する議論というものは避けてまいりました。しかし、そうしてこの措置を正当化しようとしておりますけれども、おそらくこの見解というものは、将来にまで残る問題であって、はたして当時の
環境行政を行なう人
たちの見解がこれでよかったかどうか、私は、将来の問題にもなると思うのであります。
私どもは、この
演習場が生まれるときには占領下であった、だから文句を言うことができずに、民意を聞くことなしに
演習場が指定されたわけであって、文句は言えなかったけれども、二十年たった今日、六百四条が適用される、そのときに
自然保護が優先か、あるいは
演習をすることが優先をするかという、私は、きわめて安保条約に左右されないで判断のできるときではなかったかと思うのであります。
こういうことが原因でもって、この
富士保全法が
提案をされたということは、何としても私は、きょうここでこの
保全法を、賛成をして通すということは、これは将来に大きなあやまちをおかし、自然を保護するということが
——私は、
審議の中でも申し上げましたように、もっと高い、人間性の向上ということを基礎にして
考えていかなければならぬというときに、せめてこの
法案が出されるときには、純粋な気持ちでもって、
ほんとうに
政府自体が自然を愛するということ一点ばりでもって臨んでくるかどうかということが私は問題だと思うのです。
一方で騒音を出してはいけないと言いながら、実弾射撃が行なわれておる。一体今後どういうふうに取り締まっていきますか。そのことだけでも、この
法案の無
意味さを、むなしさを一般の人
たちが感じて、
富士の保全は不可能になる。こう私は判断しまして、
法案に反対をすると同時に、修正案にも賛意を表明することができないことを申し上げまして、私の討論を終わる次第であります。(拍手)