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西山参考人 私は、
都市計画とか
地域計画をやっている者ですが、きょうは
地域開発と
自然保護という観点から、この
法案についての
意見を述べたいと思います。
この法律は、
富士地域環境保全整備特別措置法案という名前になっておりますので、私は
環境保全のための
法案かと思ったのであります。しかしながら、よく読んでみますと、これは
保護よりも
利用が重点でありまして、いわば
利用整備のための、つまり
開発のための法律であるというふうに結論せざるを得ないわけです。第一条に「すぐれた自然の
象徴」 「
世界に誇る
国民的資産」として
富士山をうたっておりますけれども、はたしてそれが守れるかどうかということは非常に疑わしいと思います。
最も基本的な問題としまして、
自然保護ということなんです。
自然保護というのは、一体何かということなんですが、現在、なぜ
自然保護ということがやかましくいわれるのかということは、かなり根本的な問題に立って考えてみる必要があると思うわけです。これは、人間が自然の一部であるということ、自然を離れては人類は生存し得ないということ、こういうことを認識せざるを得ないというような、現在
環境汚染といいますか公害ということが問題になってきておりまして、その中で自然と人間との接点として
環境というものがあるわけなんですが、ところが、そういうことの中で、原生自然というものは非常に大事なものであるということ——その意味は一々説明申し上げません、皆さんも御存じのことだと思いますが、あるいはそれに近いところの自然といったものを、どういうようにして
保全していくのかということをほんとうに真剣に考えなければならない、こういう時代にわれわれは来ているわけです。
その意味で
富士山地域というのは、
わが国の
象徴的な景観でもありますけれども、同時に、そういう意味で非常に大事な
地域である。ところが、現実の問題としまして、首都圏に非常に過度な産業、人口の集中がありまして、そのためにおさめ切れないほどの人間が集まっておる、それがレクリエーション空間が不足しているものだから、そこで
方々へ押し出されていく、非常に首都圏の人口密集
地帯から近いところですから、そこに当然観光とかいろいろな形で人が押し出されていく、したがって、そのためにその
地域が過剰
利用され、破壊される。そういうような問題として現在
環境の破壊が起こっておるわけなんですが、これを従来のような観光とかレジャー
開発とかいったような視点で、同じようにこの
富士山地域を見るというようなことを考えておったら、根本的にだめであります。
わが国は、非常に高密度社会を形づくっておりますが、その高密度社会をほんとうにうまくつくり出していくためには、豊かな
国土をつくり出していくためには、
土地の
利用について使い分けといいますか、住み分けといいますか、こういうものを非常に
計画的にやっていかなければならない。高密度的なレクリエーションのための
施設というようなものは、本来都市圏の中にあるべきものです。都市圏の中での公園だとか、いろいろなレクリ
施設が不足しているから、そこで
人々はやむなく押し出されてくる、そして
周辺に非常に高密度、過剰
利用のレクリエーション地というものをつくり出して、それが
周辺を破壊していく、それがまた日本の自然全体を破壊していく、こういう事態になっているわけです。現時点ではいかに自然を守るかということ、この
保全を貫徹してこそ、ほんとうの意味の自然との
関係が成り立ち得ますし、また同時に、ほんとうの意味のレクリエーション、観光というものもまた成り立ち得るわけであります。
ところで、この法律は、
自然公園法とか
自然環境保全法といったものと相まって
自然環境を適正に
保護するというようにいっております。相まってということは、しかしよく読んでみますと、どうも主として
保護はそれのほうに譲り、この法律は、そのほかのほうをやるというふうに受け取れるわけです。それはどうかわかりませんけれども、この法律だけですから、あとの政令とかそのほか詳しいことはわかりませんから何とも言えませんけれども、とにかく法律の文面では、そういうことのようです。ところが、
わが国の
自然保護に対して行なわれている
自然公園法とか、それから
自然環境保全法、これはついこの間できたものでございますが、こういうものが、はたして
わが国の自然を守っておるのか、守り得るのかといえば、これは非常に心細いものなんです。
わが国の自然公園というのは、すぐれた自然の景観、風景地を
保護するということになっておりますけれども、その中に、
保護と
利用という二つのことがうたわれております。これは外国にはないことでございまして、自然公園といいますと、自然を
保全するというのが主要な役目であって、
利用などは入っていないわけです。ところが、
わが国はその
利用というのが入っておりまして、これも昔は、まだ
利用というものが非常に微々たる状態であった場合は、それほど問題ではなかった。しかし、現在のような状態になってきますと、その
利用がもう
保全を無意味にするような
関係になっておるわけです。外国の
自然保護団体などでは、日本の自然公園というものは、
自然保護でもなんでもないと、だから仲間入りもさしてもらえないというふうなものであります。
つまり
開発指向の
考え方であって、これは自然と人間の
関係を、現在の
環境問題が激化するような以前の
状況を根底に置いて考えられたもので、今日においては非常に不十分なものであります。したがって、それを見ましたら、そこでやられる
規制というのは非常にあやふやなものであって、特別
保護地域ですか、こういうものはございますけれども、それは非常に小さくて、ほとんどネコの額じゃない、日本の
国土からすれば、ほとんど問題にならない。こんなもので日本の自然が
保護できると考えるのは、非常におめでたいことだと思います。
自然環境保全法は、それに対して原生
自然環境保全地域などというのをつくっておりますけれども、これはしかし、財産権との問題で非常に制約されておる。したがって、これも有効に働き得ないというような
状況で、
自然保護というものはほとんどできない。その上にそれにまかしたと思われるような
富士地域環境保全整備特別措置法ができるというのでありますから、あんまり上のほうの
環境保全というのは、これはどうもことばだけであって、だめなんではないかというふうに心配するわけです。
第七条に、四つの
地域区分がきめてありますが、
徒歩利用地域、自然探
勝利用地域、
野外施設利用地域、
休泊利用地域、この四つの
地域区分が、どのように実際指定されるのか私わかりませんので、何とも言えないところがありますが、しかし、これは全部
利用地域なんです。一体、守るということは一つもないわけです。ほんとうは制御
地域というのがなければいけないのに、それが全部
利用地域になっているというのは、これもやはり先ほど私が申し上げました不安を裏書きするものです。もし
環境保全ならば、
利用よりも、
利用のチェックの段階で
地域を指定すべきである。そういうふうになっておりません。したがって、もしこの
利用地域が、従来の
公園地域の中に設定されるとするならば、自然公園の破壊は
利用によって一そう促進されるであろうということを言わざるを得ないわけです。
それらの実際の
地域の指定は、いずれ現実の問題として行なわれるんだと思いますが、これは県の
計画にゆだねられておるように思います。県は御承知のように、スバルラインを
開発したというふうな、
世界的にも非常に無謀な
環境破壊をやった張本人といっては失礼かもしれませんが、そういうことをやっておりますので、はたして今後どういうことになるのか、ちょっと心配でならないわけです。
しかし、そういう姿勢の問題とか、そういうことだけではなしに、この
環境の
保全ということは、実は
計画というのは非常に科学的な予測のもとに
対策を立てる、これが
計画だと思うのです。ところが、その科学的な
計画というのができるのかどうかといいますと、こういういろんな
地域の線引きをするということは、非常にむずかしい問題でございまして、その線は単にこうするんだといって、その線で問題がきまるわけじゃないわけです。線を越えて非常に影響が広がっていきます。その影響のしかたに対して、どのくらい影響するのかということは、実は現在の科学研究でははっきりわかっていないわけです。
一昨年だと思いますが、第二回
世界国立公園
会議で二十二の決議をやっておりますが、そのうちの一つに、公園の境界というものは、
生態学的な考慮を必要とするといっております。つまり単に地図の上に線を引くということではなしに、
生態学的に、
周辺にどういう影響を及ぼすのかということを考えてやらなければいけないといっているわけですが、このように
開発というものの意味、その生態系、地質、地形に与える影響というものを考慮して、そういう
地域の区分というものもやらなければならないわけです。
ところが、はたしてそういうものを科学的にしようとしますと、残念なことには、われわれの日本では、そういう研究がほとんど行なわれていない。したがって、科学的な与件を持った
対策ができないということを意味するわけです。ことに、それに人文、社会的な要素が加わってきますと、つまり過剰
利用の影響ですね、人がたくさん入り込んでくる、あるいはモータリゼーションによって自動車がどんどん入ってくる、こういうことになりますと、問題は一そう複雑になってきまして、たとえばマイカー族が踏み荒らすとか、あるいは盗掘をやるとか、こういったようなことは必然的に起こることなんです。起こることならば、それに対してちゃんと予防しなければいけないのだけれども、それは一体どのようにしたら防げるのかということは、わかっていないわけです。
行政管理庁の昨年の監察では、施策の策定は科学的な検討が必要だといっておりますが、実はその科学的にやろうと思いましても、科学が十分なっていないということなんです。同じ監察で、違反などを調べて国立
公園地域の法律違反が非常に多いということをいっておりますが、二百カ所
調査したところ、九十五カ所が違反で百四例があった。ところが、その中で何も処置しないで、ほっておいたというのが多いのですけれども、原状回復が困難などを理由に追認したといったようなことが多いわけです。この法律の十二条に、原状回復というようなことをうたっておりますが、一体
自然環境に原状回復なんてあり得るのかどうか。これは法律の字句だけでうたっているのであって、そういうことはあり得ないわけです。原状回復が困難だから追認したというのが十五件もあるということは、これを事実が証明しているわけです。ですから、
環境保全というのは、なまやさしいことではないわけです。そういう意味で非常に問題があると思います。
この中には、
環境を
保全するために、下水の問題を取り上げるように聞いております。その下水の詳細な
計画は、私は知りませんからよくわかりませんけれども、ちょっとその資料をべっ見しましたら、この汚水の
処理で流される水というのは、桂川の容量をはるかにこえるものなのではないかというような気がするわけです。しかも、その下水道をつくったからといって、すべての上流の
汚染がそれで食いとめられるのかというと、そうではありません。やはり下水に集約できないようなものがたまっていきます。それが雨のときに、どっと流されて
湖水を
汚染する、あるいは全体が
開発が進めば、じわじわと
湖水の
汚染は進むわけです、水だけとって言いましても……。
この法律は
利用整備のほうがおもになっておりますから、これが行なわれましたら、必ずや観光
開発は進みます。たぶん県もそういうことを期待されておるのだと思いますが、そうなりますと、
環境全体が悪化していって
富士五湖は、先ほど湖がかなり
汚染しているという話がございましたが、これがとめどもなく進行して、やがてどぶ池にならないとも限らない。その流れ出す、桂川も同様のものにならないとはいえない。こういう問題を含んでおります。
現在、自然と人間の
関係というものが根本的に問い直されて、
開発というものに対する疑問が提出されておるときに、少なくとも
環境保全をうたうような法律が、ほんとうにそういうものを防ぎ得るかどうかということになると、非常に疑問である。私は、これは
開発法ならば、もっともな法律だと思いますけれども、
環境保全云々では、どうも羊頭狗肉の感がいたします。あらためて、ほんとうの
自然環境の
保全をどうするのか、
富士地域の
環境保全をどうするのか、これは首都圏に隣接していて非常にむずかしい問題がございます。しかし、そこには、おのずから観光レクリエーション
開発の限度があります。どの
程度の
環境の観光
開発の許容量があるのかということを科学的に調べて、その上で
開発計画を許していくというような科学的な政策をとらなければ、結局うたい文句で幾ら
環境保全ということを言っても、だんだん
環境は悪化し、日本の
象徴的な自然であるところの
富士山も、もちろん上のほうの大沢くずれとかいろいろなことがございますが、全体が破壊されていって、そして法律は
環境保全をうたっても、現実はだめになってしまうことになるのではないか。
最後に、
演習場のことですが、先ほどもいろいろ御
意見をお聞きしましたけれども、
富士のすそ野の巻き狩りというのは昔からの伝統でございまして、非常にけっこうなことでございまして、その巻き狩り
程度なら、たいしたことはないのですけれども、機械力でばさばさやる。生物の生存を許さないといったような破壊が行なわれている。こういう
地域があるというのは、この自然の
保護からいきましても、またほんとうの意味の観光レクリエーションの
利用からいいましても、かなり問題である。それを除外して、はたして
環境の
保全ができるのかどうかということも疑問であります。
以上です。(拍手)