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1974-03-12 第72回国会 衆議院 公害対策並びに環境保全特別委員会 第9号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十九年三月十二日(火曜日)    午前十時三十一分開議  出席委員   委員長 角屋堅次郎君    理事 坂本三十次君 理事 登坂重次郎君    理事 林  義郎君 理事 森  喜朗君    理事 渡部 恒三君 理事 島本 虎三君    理事 土井たか子君 理事 木下 元二君       田中  覚君    戸井田三郎君       羽田野忠文君    八田 貞義君       渡辺 栄一君    岩垂寿喜男君       小林 信一君    佐野 憲治君       山口 鶴男君    米原  昶君       岡本 富夫君    坂口  力君       田中 昭二君  出席政府委員         環境政務次官  藤本 孝雄君         環境庁長官官房         長       信澤  清君         環境庁長官官房         審議官     橋本 道夫君         環境庁企画調整         局長      城戸 謙次君         環境庁大気保全         局長      春日  斉君         環境庁水質保全         局長      森  整治君         通商産業省立地         公害局長    林 信太郎君  委員外出席者         通商産業大臣官         房参事官    下河辺 孝君         福岡鉱山保安監         督局長     小川 利男君         参  考  人         (東邦亜鉛株式         会社社長)   小西 康孝君         参  考  人         (東邦亜鉛株式         会社取締役)  宮崎 孝人君         参  考  人         (財団法人日本         公衆衛生協会カ         ドミウム研究班         班長)     重松 逸造君         参  考  人         (長崎保健部         環境保全局長) 佐藤 達夫君         特別委員会調査         室長      綿貫 敏行君     ————————————— 委員の異動 三月十二日  辞任         補欠選任   岩垂寿喜男君     山口 鶴男君   坂口  力君     田中 昭二君 同日  辞任         補欠選任   山口 鶴男君     岩垂寿喜男君   田中 昭二君     坂口  力君     ————————————— 本日の会議に付した案件  参考人出頭要求に関する件  公害対策並びに環境保全に関する件(カドミウ  ム汚染環境保全の問題)  派遣委員からの報告聴取      ————◇—————
  2. 角屋堅次郎

    角屋委員長 これより会議を開きます。  この際、去る三月九日、新幹線騒音問題の実情調査のため委員を派遣いたしましたので、派遣委員報告を聴取いたします。島本虎三君。
  3. 島本虎三

    島本委員 新幹線騒音問題の実情調査のため、議長の承認を得て、去る三月九日一日間、愛知県に派遣されました派遣委員を代表して、その調査概要を御報告申し上げます。  派遣委員は、委員長角屋堅次郎君、田中覚君、羽田野忠文君、米原昶君、岡本富夫君及び私島本虎三の六名でありました。  調査団は、九日午前愛知県に入り、名古屋市役所において名古屋公害対策局長から東海道新幹線公害に関して市内における新幹線の概況、騒音及び振動等新幹線による公害関係の苦情の概要、沿線における住民運動経過名古屋市と国鉄との折衝経過及び今日までにとられた対策等について説明を受けた後、関係者を交えて忌憚のない意見の交換を行ないました。  次に、調査団は、熱田古新町におもむき、新幹線古新架道橋ガード下において九十四ホンに達する騒音及び振動実態をつぶさに視察するとともに、住民の偽らざる被害の訴えを聴取いたしてまいりました。  次に調査団は、熱田区六番町の第2六番町架道橋下において騒音及び振動測定状況等について視察し、騒音最高九十三ホンという新幹線公害実態をまのあたり調査いたしました。  なお、当日、同一地点名古屋当局が測定したところによると、騒音百ホン、振動速度一秒当たり三ミリという事例もあったとの報告を受けました。  次いで調査団は、市内明治小学校において新幹線騒音児童等に及ぼす影響、校舎の防音工事効果等について調査した後、名古屋新幹線公害対策同盟連合会南方貨物線公害追放委員会及び名古屋新幹線公害訴訟原告団から重ねて切々身に迫る陳情を受けました。  このたびの調査を通じて、名古屋当局等関係者から過去十年間にわたる新幹線騒音振動等による健康被害及び財産被害実情を聴取し、その実態を視察するにつけ、われわれ調査団一同新幹線による騒音振動等の問題に対して適切な対策を早急に講ずる必要があることを痛感してまいった次第であります。  時間の都合もありますので、その調査の詳細については、委員長のお手元報告書を提出しておきますので、本日の会議録に掲載されますようお取り計らい願い、この際、省略させていただきます。  以上をもって報告を終わります。
  4. 角屋堅次郎

    角屋委員長 以上で派遣委員からの報告聴取は終わりました。     —————————————
  5. 角屋堅次郎

    角屋委員長 おはかりいたします。  ただいまの島本虎三君の御提案のとおり、調査報告書は、本日の会議録に参照掲載することに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  6. 角屋堅次郎

    角屋委員長 御異議なしと認め、よって、さよう決しました。     —————————————     〔報告書本号末尾に掲載〕      ————◇—————
  7. 角屋堅次郎

    角屋委員長 公害対策並びに環境保全に関する件、特にカドミウム汚染環境保全の問題について調査を進めます。  本日は、参考人として東邦亜鉛株式会社社長小西康孝君、東邦亜鉛株式会社取締役宮崎孝人君、財団法人日本公衆衛生協会カドミウム研究班班長重松逸造君及び長崎保健部環境保全局長佐藤達夫君、以上の方々が御出席になっております。また、説明員として、福岡鉱山保安監督局長小川利男君が出席されております。  この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ、本委員会出席をいただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。  本委員会といたしましては、従来より鉱山から排出される重金属汚染公害対策につきましては、重点的に鋭意努力を重ねてまいったところであります。  特にカドミウム汚染の問題は、イタイイタイ病という痛ましい公害病を生むと同時に、農業被害まで含め、各地において社会問題となりましたことは御存じのとおりであります。  今日、公害対策並びに環境保全の問題は、人類生存基本としてその重要性が広く人々に認識され、着々と、その施策が実施されておるところであります。このことは、再び公害問題を繰り返してはならないとする国民一人一人の切なる願いと努力によるものと信ずるところであります。  しかしながら、今回明らかになりました対馬厳原町のカドミウム汚染にかかわる事実の隠蔽問題は、本委員会としても大きな驚きと衝撃を受けておるところであり、この問題は、日夜公害対策努力を傾けている国民や多くの関係者を裏切る企業の無責任さといわざるを得ません。  本委員会は、この問題に対し事実関係調査を行ない、地域住民をはじめ国民の不安を解消するため万全を期する所存であります。  参考人におかれましては、本問題の重要性を踏まえまして、どうか忌憚のない御意見を承りたいと存じます。  なお、最初に小西参考人重松参考人及び佐藤参考人から十分程度意見を承り、あとは委員の質疑にお答えいただくようお願いいたします。  それでは、小西参考人からお願いいたします。小西参考人
  8. 小西康孝

    小西参考人 ただいま御指名にあずかりました東邦亜鉛株式会社社長小西康孝でございます。  委員長から御指摘がございましたように、このたびは全く考えられないような不祥事を起こし、諸先主方関係官庁地域公害住民方々にとんでもない御迷惑をおかけして、何と申し上げていいか、心から深くおわび申し上げます。  何はともあれ、真相を究明することが第一番であり、その事実を明らかにして批判を仰ぐということが会社の当面のやるべきことだと考えまして、一刻も早く実態を確認したいということで早速調査に入りました。また、関係官庁からも早く事実を確かめて報告するようにとの指示もございました。  そこで、私どもといたしましては、まず東京に在勤しておりますところの対州鉱業所関係しておりました職員、またその当時勤務しておりました関係者等につきまして早速調査をいたしましたところ、当時の所長であり、現在子会社取締役をしております神出福吉君から——実は神出君は病気加療中でございまして、だいぶ健康的にも問題がございましたけれども、事の重大性を考えまして、無理に本社に出社していただいて聞きただしたところによりますと、まことに遺憾なことでございますけれども川ざらえをしたことと、試料としてとられた検水の水を薄めたこと、この二つの事実は間違いがないということが判明いたしました。そこで早速このことを監督官庁に御報告いたしますとともに、新聞記者皆さまにお集まりいただいて、とりあえずわかったことを率直に御報告いたした次第でございます。  さらに一方、対州鉱業所に、環境管理室担当しております宮崎取締役を派遣いたしまして調査に当たらせました。この結果について御報告申し上げますが、とにもかくにも、こういうことはまことに私どもとしても信じられないことでございました。当時の神出所長昭和四十三年当時起きました爆発的なカドミウム公害の問題に当面いたしまして周章ろうばいした結果、本社にも何の相談もなく、自分だけの判断でやったということでございます。  この責任は、しかしながら本人自身責任だけではございませんので、すべて会社にかかることでございまして、私どもも一日も早く調査をさらに完了いたしまして、皆さまの御叱声と御批判を仰ぎたいと考えているところでございます。特に私自身といたしまして、昭和四十七年田中直正会長が当社の再建に乗り込まれまして、旧来の会社の運営のやり方あるいは考え方あるいは行き方等を徹底的に変えられまして、そのもとに私が社長として就任いたしました以後は、少なくとも企業社会的責任、これを第一番に考える、また、公害問題につきましても、環境優先あるいは健康優先住民優先という考え方にはっきり切りかえまして、現在各事業所等ともその方針のもとに鋭意努力しているところでございます。  私は、四十七年の十二月に社長に就任いたしましたが、ただいま申し上げたような考え方でせっかく努力しておるやさきに、かかる不祥事があったということは、まことに残念でなりません。しかし、ここでさらに私どもはなお足りない点がないか、自己反省をいたしまして、早速各事業所にも自己点検をするよう通達を出すと同時に、さらにいま申し上げた新しい理念、新しい考え方のもとに、今後少なくとも皆さまに御心配、御迷惑をかけないことをここではっきり御誓約を申し上げたいと思います。  続きまして、現在判明しておる事実関係につきまして、とりまとめて御報告申し上げたいと思います。  この報告は、四十九年三月八日から三月十一日にわたりまして神出福吉元対州鉱業所長本社内の対州鉱業所勤務経験社員及び現地の現所長を含む残務整理に残っております社員等から聴取して作成したものでございます。なお、引き続き細部の調査を続行中でございますので、これは三月十一日までに会社として把握いたしました事実でございます。  まず私どもとしては、でき得るならば新聞等に報道されておりますいわゆる「始末記」を入手いたしまして、あるいは「始末記」を作成した人にお会いして、その内容等を十分に伺いながら、さらに実態を、真相を究明するのが一番の方法だと考えて、いろいろ接触あるいは「始末記」の入手につきまして努力をいたしましたけれども、残念ながらまだ私ども手元に入手されておりませんし、また手記を書いた当人にも面接する機会を得ておりません。したがって、新聞に報道されましたこと及び神出所長から報告されたこと、それから各社員が当時記憶しておること等を中心にして調査をいたしました。神出所長報告は先ほど申し上げましたとおりでございまして、神出所長心境としては、こういう状態の中で鉱山がつぶれるのではないかというようなことを非常に心配したということを言っておりますが、しかしどんな理由があろうと、やった行為は許されるものではないと私どもも考えております。  時間もございませんので、要点を申し上げます。  現在私どもがはっきりつかんでおる事実は川底を洗った行為でございます。これは沈でん池の上水の中にある程度石灰を投入しまして、そうして酸化を中和して河川に流しておりますが、これが川に流れますと、渇水期になって川底がかわいてきますと、川底の石に付着して非常に見ばえも悪くなるというようなところから、普通雨が降れば流れるのであるけれども渇水期にそれを流したということでございます。  時間の制約がございますので、それでは、この報告は後ほど御質問に応じて御報告を申し上げたいと思います。では、これで終わらしていただきます。
  9. 角屋堅次郎

    角屋委員長 ありがとうございました。  次に、重松参考人にお願いいたします。
  10. 重松逸造

    重松参考人 重松でございます。  国をあげての公害対策推進に対しまして、研究者としてもそれぞれの立場から全力を尽くす、これが公害調査研究に今日まで携わってまいりました研究者基本的態度であります。そのためには、今日まで研究班に参加していただいております各研究者とも本来の研究を中止したり、あるいは延期しても全力を尽くしていただいたわけでございますが、その調査前提は、この最終目標でございます地域住民方々の健康を守るという目的のために地域住民の皆さんはもちろん、企業方々もその他関係者すべてが、その目標に対して同じような考え方で御協力いただけるという前提のもとに調査をやっているわけでございまして、今回の事件のようなことを前提とした調査ではございません。したがいまして、今度の話を聞かれた、この研究者方々としては、おそらく今後もう公害調査研究はお断わりということになるのではないかと思いますが、私自身もそういう心境でございます。  ところで、この対馬の対州鉱山に関連した調査研究の概略をここで簡単に申し上げておきたいと思います。  御存じのように、神通川流域イタイイタイ病問題に対しまして、国の研究費による研究班が発足したのが昭和三十八年でございます。そうしまして、昭和四十三年五月には厚生省見解が出まして、イタイイタイ病カドミウムに起因する公害病と行政的に決定されたわけでありますが、このイタイイタイ病に関連した神通川流域研究が進んで、進行しております途中で神通川流域と同じような条件のところが、すでに日本にも何カ所か存在しているということで、昭和四十年度にこの対馬並びにこのほかに宮城県を加えまして、それに本来の神通川調査の三カ所についての調査がすでに行なわれております。  それで、昭和四十年のときは人体影響人体側からの調査が主でございましたが、このときの結論は、二、三行でございますので、簡単に読み上げますと、「富山県イタイイタイ病発生地区に類似した成績を示した地区として、長崎厳原佐須川流域地区の一部」これは実は樫根下原部落のことでございますが、「一部があげられ、さらに精密な調査が必要と思われた。」これが昭和四十年度の対馬に関する調査のわれわれ研究班結論でございます。  続きまして、昭和四十一年度にも同じ地区調査が行なわれておりますが、このときは人体影響だけではなしに、すでに環境調査も行なわれております。これもこのときの報告書に基づきまして簡単に御紹介しておきますと、「長崎厳原樫根下原地区における調査」といたしまして、「昭和四十年度の検診においてイタイイタイ病発生地区と類似した成績を示した厳原樫根下原の両部落の四十歳以上男女を対象に下記の項目につき精密検査を行なった。」ということで、いわゆる精密検診のいろいろなやり方をここに示してございます。  それからそれと同時に、両町試水、水のサンプルという意味でございますが「両町試水については岡山大学で、また長崎厳原樫根下原地区井水、流水、土壌農産物(米、大豆)については金沢大学においてカドミウム、鉛、亜鉛などの重金属分析を行なった。」これが四十一年度の調査でございまして、このときの結論を一口に申し上げてみますと、「長崎厳原町における今回の検診によっては、イタイイタイ病患者と思われるものを発見することはできなかったが、尿検査血清検査などの異常所見が、特に樫根部落において多くみられることは、重金属による障害の存在を推定せしめるものがあり、この点さらに詳細な追跡調査を実施する必要があるものと考えられる。」これが四十一年の結論でございまして、この結論に基づきまして、この住民方々健康調査は今日も継続して行なわれております。  それから、このときの環境調査の結果は、「樫根下原地区の水、農産物土壌等に含まれる重金属のうち、カドミウム、鉛、亜鉛などは樫根部落のほうに多い傾向がうかがわれ、ことにカドミウム大豆で約十倍前後の差を認めた。」ということで、やはりはっきりと環境汚染があることを認めております。そうしまして、昭和四十二年度は、実はこの研究班の全精力をイタイイタイ病発生神通川流域におけるカドミウム発生源の追及に全力を注ぎましたので、この両地区についての調査は四十二年度は行なわれておりませんが、四十三年五月の厚生省見解が出ますのに対応しまして、いよいよ対馬と、それから宮城県並びに後に安中地区も加わりましたが、これらの地区の本格的な調査を開始したわけでございます。  これが実はいまお話がございました、いろんな試料に対して人為的な操作が行なわれた年だそうでございますが、この昭和四十三年度に編成されました研究班は、私が班長でございますが、この時点における、言うならば日本におけるカドミウム問題の最高権威者を網羅した班員でございます。お名前だけを申し上げておきますと、東京工業大学の岩崎岩次教授岡山大学農業生物研究所小林純教授国立衛生試験所大阪支所食品部長寺島敏雄博士、それにいまの調査対象地区を管轄しておられるそれぞれの県の衛生部長さん方でございます。宮城衛生部長、群馬県衛生民生部長、それから長崎衛生部長、これだけで研究班を編成いたしました。  そういたしまして、この四十三年度の調査は、これも簡単に骨子だけを申し上げておきますと、四十三年七月三日、日本公衆衛生協会に各研究班員及び上記三県の担当者が参集し、研究の進め方を詳細に検討した。そういたしまして、ここで神通川流域における経験をもとにいたしまして、水だとか、どろだとか、土壌だとか農作物サンプルをどういうとり方をすべきかということを十分討議した上で、それぞれの試料の採取は、この班員であられる各県の衛生部長指導下において行なわれたわけでございます。そうしまして、この四十三年度の結論は、これも長くなるといけませんので、一番大切な、関連のある部分だけを簡単に申し上げます。  いまのような調査方法研究会に基づきまして、たとえば川水につきましては、流域一帯の十一の場所から十一の試料を採取しております。それから鉱業所排水につきましては、第一ダムの東西の排水口から二試料を採取しております。それから井戸水につきましては、十試料をとっております。それから水道水についても二試料とっている。それから、どろ——川どろでございますが、川どろと、土壌につきましても十五のサンプルをとっております。それから、農作物につきましても、これはかなりのサンプルをとっての分析結果でございます。  要するに、この四十三年度の結論は、川水カドミウム濃度は〇・〇〇二から〇・〇四二PPMとやや高く、現在鉱業活動が行なわれていない上流地点でも〇・〇二六から〇・〇四二PPMの高値を示した。それから、鉱業排水カドミウム濃度は非常に低値であった。この辺がどうも、いま伺うと一番問題かもしれません。それから、井戸水につきましては四十一年度の成績と同じでございまして、このときはそう問題にはならない。それから川どろは、一・六八から一四・六PPMと高い値を示し云々というのが結論になっております。それから水田土壌の場合も二・二〇から一一・六PPMと非常に高い。それから畑の土壌も相当な高さ。それからお米の濃度、これはそういう意味では、なかなか人為的な操作はできないはずでございますが、これも非常に高い。  そうしまして、このときの最終結論は、「以上を概括すると、水、泥、土壌等における環境汚染程度は今回の調査対象の三流域ともに、」これはいま申し上げた対馬だけではなしに、宮城県、安中も含めてでございますが、「三流域ともに、神通川流域以上であり、中でも」云々ということでございます。  要するに、こういうことで、いままでの研究班調査は、一貫いたしまして対州鉱業所による環境汚染を認め、そして住民方々の健康につきましてもシロとはいえない。全国のカドミウム汚染地の中では、神通川流域を除きましては、われわれ研究班としては一番怪しい場所であるということで、これ以後も長崎県にお願いして、人体影響調査だけは継続しているという現状でございます。  なお、今回の事件に際しまして、私どもも初めてテレビで知ったのでございますが、通産省関係データがあるということでございます。これは実はもう、この対馬調査以前、すなわち三十八年度からスタートいたしました神通川流域調査のときから、御存じのように特に鉱山関係通産省鉱山保安監督局の管轄でございまして、厚生省を通じて必ずそちらの御協力を得て、われわれ調査をさしていただいているのでございますが、そのつど必ず資料はそちらへお分けしておりますし、それから、これはよく御存じだと思いますが、われわれの調査の結果のデータは常に公表いたしております。もちろん、通産省の方も十二分に御存じだと思いますが、少なくとも、この間のテレビを見るまでは、通産省側で御調査データに関しては、私は一度も拝見したこともなければ御相談にあずかったことがございません。  そういうことで、先般のテレビデータを知らない方がごらんになると、いかにも研究班調査データよりは通産省調査データが十倍も高いという印象を受けられると思うのでございますが、実はそう簡単に比較できるものではございません。これはもう分析方法の問題がございますし、それからそういう分析結果の表示のしかた、たとえば乾燥物としてか、新鮮物としてかという、いろいろな問題がございますので、ただ、あのままを出されると、非常に誤解を与えるという印象を持ちました。それからもちろん、そのデータにつきましては、もしできますれば、われわれ研究班に事前に御相談をいただいて一緒に検討したかった、こう考えている次第でございます。  以上で終わります。
  11. 角屋堅次郎

    角屋委員長 ありがとうございました。  次に、佐藤参考人にお願いいたします。
  12. 佐藤達夫

    佐藤参考人 長崎県庁で当面の担当をやっております保健部環境保全局長佐藤達夫であります。  三月の八日に新聞で初めて私たちも知りました。まさに降ってわいたようなというのが、そのときの実感でございますし、非常に驚き、かつ半信半疑という面もございました。  そこで、これはさっそく現地についてよく聞いてみょう、どういうことなのかということで現地へ参ることに私はいたしました。翌九日の朝の便で対馬へ渡りました。御承知のように、長崎から対馬へ出ていきますには、まず博多へ出まして、博多から船で五時間かかって対馬厳原に着くわけでございます。それで三月九日の土曜日の午後、現地厳原町に着きまして、町長はじめ皆さんとともに、当の対州鉱業所へ参りました。所長さん、担当の方に会い、こういうふうな新聞が出たが、君たちは知っておるのか、あるいはどうなんだということを聞きました。対馬は、もちろん船便の悪いところでございますので、新聞そのものは一日おくれると申しますか、少しおくれてまいる。そのときの印象と申しますか感じから申しますと、所長さんもたいへん周章ろうばいというか、もう何をしていいかわからないというところでございました。  私ども現地所長に対して、ひとつあなた方のほうでしっかりした、自分でこうだったということを調査する窓口をつくりなさい、だれが担当か何かさっぱりわからぬじゃないですかということで、担当の窓口をつくってください、こういうことをお願いをまずいたしました。それから、その土曜日の晩、現地鉱業所の近くにございます小茂田というところの公民館に、地元の方々に御参集をいただきまして、その中にはたんぼがよごれて、もう農業のできなくなった人、あるいはもと鉱業所につとめておいでになった方もいらしたようでございますが、ともかく被害者と申しますか、地元の方々とお会いをいたしました。私どもがねらいましたのは、その皆さん方の中に、会社のほうではいろいろ工作が行なわれたが、皆さん方のほうでも何かそういうことを知っておることがあるならば、ひとつ教えてください、いわゆる証拠固めというと、ことばが過ぎるかもしれませんけれども、情報をいただきに行ったわけでございます。  ちょっと話がもとに返るかもしれませんが、このいろいろな調査の中のデータに捏造があった、工作があった、それについて、感情的には、われわれはたいへんびっくりし、たいへん失敬なことだ、言語道断だ、けしからぬということを感情的には持ちましたが、事務的には、一体どのデータがよごれておるのか、どのデータが間違っておるのか、それによって判断が違ってくるのか違ってこないのかということが、私どもとしては一番の関心事でございました。どのデータが曲がっておるか、曲がったデータをさがしたい、どれとどれなのか、というのがわれわれ仕事をする上においては一番の最大の関心事でございます。でございますので、当面の現場の所長にも聞き、それを裏づけするために地元の方々の御協力ということを求める、こういうことをひとつということでまず考えたわけでございます。  しかし、たいへん残念でありましたことには、われわれ行政に対して、いまや非常な不信が地元の方々にある。いまこのことで御協力をお願いしたい、こういうふうなことをお願いしましたが、もう根っこから、君たちは大体いままで企業べったりではなかったかということで、ごうごうたる御非難をここでいただいたわけでございます。ついにその証人を得るといいますか、そういうふうな私どもがねらった目的を達することはできませんでした。  その後、こういうことをいろいろ考えてみますと、私ども行政としての責任、そのことを非常に私どもはいま痛感をいたしております。まことに申しわけないと、われわれ自身もそういうことを思います。たとえそこで捏造され、擬装をされたとはいえ、擬装をされるだけのすきを私どもが与えた、そういうすき間が事実存在しておったということについて、たいへん遺憾でございます。  われわれ県が、どのようにこれにいままでタッチしておったか。それは先ほど重松先生からもお話がございましたが、昭和四十三年に厚生省日本公衆衛生協会に御委託になって、いわゆる環境汚染研究をなさる、そのときにわれわれ県の者が班員として、あるいはサンプルの水をくむ、そういう作業のお手伝いをするというふうな意味で参加をいたしております。それが四十三年でございます。四十四年には、同じく厚生省日本公衆衛生協会に御委託になって、これらの地域カドミウムの摂取と蓄積に関する研究、それにわれわれ県が班員として御加勢をしておる、こういうことでございます。それから昭和四十五年には、経済企画庁が県へ直接御委託になった佐須川、椎根川の両方の河川の水質基準の調査ということを、われわれ県のほうで担当をいたしております。昭和四十六年以降は、県は国の補助を得て水質環境の監視、測定という作業を実施いたしております。  いずれにいたしましても、第一線のわれわれのところで非常に不手ぎわがありまして、たいへんなことになりました。私どももたいへん責任を痛感いたしておるようなわけでございます。  以上、御説明を申し上げます。
  13. 角屋堅次郎

    角屋委員長 ありがとうございました。     —————————————
  14. 角屋堅次郎

    角屋委員長 続きまして、参考人に対する質疑を行ないます。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。  なお、本日の質疑時間につきましては、理事会での申し合わせの線に沿い、かつ重松参考人につきましては、国際会議関係で十四時までに退席される事情を踏まえ、質疑をされますようお願いいたします。  林義郎君。
  15. 林義郎

    ○林(義)委員 きょうは参考人方々、御遠方からお越しになった方もありますし、また国際会議などというお忙しいお仕事を持っておられるにもかかわらずお越しいただきました方もございまして、ほんとうにありがとうございます。  三月八日の朝日新聞に「企業公害資料隠す」「東邦亜鉛対馬カドミウム汚染」というのが出ておりました。ただいま参考人からもお話がありましたけれども、みんなびっくりした、こういうふうなお話であります。私はどうも、ほんとうにびっくりしたのかどうかという点が一つ問題ではないか、こう思うのですけれども会社のほうは、ほんとうにそうだったのかどうかという点、私は若干疑問に思っている節があると、はっきり申し上げておきます。  ただ、いきなりそんなことを申し上げてもあれですから、まずここにありますところの「対馬イタイイタイ病鉱害始末記(その隠したる鉱害実録)」という写真が載っております。注によりますと、四百字原稿用紙で全文三一ページ、こういうふうになっております。この資料は、東邦亜鉛社長さんは入手できないとおっしゃっておられますが、そのほかの方々は一体持っておられるかどうかということを、ひとつお尋ねしたいのです。  その前に、社長に一つお尋ねをしたいのですが、まず神出さんという所長さんがいつからいつまで対州鉱業所所長をしておられまして、その後は何か子会社だというお話でありますが、現在はどういう仕事をしておられるのかお答えいただきたいのと、東邦亜鉛は対州鉱業所だけじゃなく、いろいろとカドミウム問題がありまして、ほかに安中製錬所、これも一昨年ですか中村登子さん事件というのでたいへん問題になったところです。それから契島製錬所、広島県の豊田郡にありますが、これはカキに対する環境汚染というような形でありましたけれども、こういった鉱業所も持っておられる。そのほかに、鉱山名で言いますと山形県の長富、これは休出しております。同じく山形県の大蔵、栃木県宇都宮市の富井、それから新潟県の南越というのですか、それから大分県の蔵内、以上が休山でございますけれども、もう一つ福島県のいわき市に小名浜製錬所、先ほどの安中の製錬所、それから契島製錬所、これだけ持っておられる。これは事実でございますかどうか、まず社長からひとつお答えをいただきたい。  それから、重松参考人佐藤参考人には、この資料をお持ちであるかどうか、この辺簡単にお答えいただきたいと思います。
  16. 小西康孝

    小西参考人 お答え申し上げます。  まず神出福吉君でございますが、対州鉱業所に勤務いたしましたのは、三十六年一月に副所長、四十年九月に所長心得でございます。四十二年二月に対州鉱業所所長になりまして、四十三年五月、取締役に就任いたしました。対州鉱業所所長取締役でございます。四十七年一月に本社に転勤いたしまして、鉱山部、環境管理部、事業開発部を担当いたしました。四十七年二月に東邦開発エンジニアリングの代表取締役を兼務いたしました。四十七年十一月に東邦亜鉛取締役を退任いたしまして、四十八年五月に開発エンジニアリングの代表取締役をやめまして取締役相談役になり、現在東邦亜鉛の参事で、東邦開発エンジニアリングの代表取締役相談役でございます。  以上、神出の経歴でございます。  それから現在の製錬所、鉱山につきましては、製錬所は安中製錬所、広島県の契島製錬所、それから小名浜製錬所、御指摘のとおりでございます。鉱山は、休止しておりますけれども、山形県の長富鉱山、大蔵鉱山、栃木県の富井鉱山、それに新潟県の南越鉱山、以上でございます。
  17. 角屋堅次郎

    角屋委員長 重松参考人佐藤参考人よりそれぞれお答えを願います。
  18. 重松逸造

    重松参考人 持っております。
  19. 佐藤達夫

    佐藤参考人 持っておりません。三月十日の毎日の記事が一番詳しくわれわれが知っておるところでございます。
  20. 林義郎

    ○林(義)委員 そういたしますと、実はこの「鉱害始末記」というのを……。
  21. 重松逸造

    重松参考人 ちょっと私、表題を誤解いたしまして、いまおっしゃったのなら持っておりません。
  22. 林義郎

    ○林(義)委員 重松さんが持っておられると言うので、私も非常に驚いたのです。これはたいへんなことだと思いましたけれども……。というのは、この新聞にも書いてありますが、「元幹部が〃告発〃」と、こう書いてあるのですね。告発ということばは、普通は刑事事件になるというふうなことばであります。私はやはり委員長にお願いしまして、この「鉱害始末記」をできるだけ早く当委員会でとっていただいて、いろいろ事実の究明をすることは必要なことではないだろうか、こう思うのです。これはぜひひとつ委員長にお願いをしておきたいと思います。  どこで出たのかよくわからない話でもありますし、それからまた新聞に書いてあること以上にいろいろな問題もあるのではないだろうか、私はこういうふうな気もいたしますから、ぜひそういった点を明らかにしていかなければならない。先ほど実は重松さんから、公害研究はもうお断わりするというような心境である、こういうようなお話がありましたが、はっきり申し上げて、いろいろな問題があると私は思うのです。それを追及していくためには、いろいろな点からの資料は、当委員会においてとってやるということがやはり必要だろうと思いますので、この辺はぜひあとで理事会にでもはかっていただくように委員長にお願いしたいと思いますが、よろしくお願いしたいと思います。
  23. 角屋堅次郎

    角屋委員長 ただいまの点は、後刻理事会で御相談をいたします。
  24. 林義郎

    ○林(義)委員 それから、実はこの原本がありませんから、私も新聞で拝見した程度しかよくわからないが、その中をずっと整理をしておりますと、問題は二つ、三つあるようであります。  まず一番大きな問題は、採取したところの水ですね。検水というのでしょう。それに水を加えたという点がはっきりしておる。四十三年の八月から四十五年まで数回にわたって行なったのではないか、こういうふうに読み取れるわけであります。これは会社のほうで神出さんも、はっきりそういうことをやったと言っておられますけれども社長のほうからこれは事実だったのかどうか、確認をしておられるかどうか、ひとつお答えをいただきたいと思います。
  25. 小西康孝

    小西参考人 お答えいたします。  これは神出所長が直接保安企画室長に命じまして——ちょっと名前はいまここで申し上げにくいのでございますが、H保安企画室長、それからI技師、この二名に命じました。したがって私どもは、この検水の問題の要点はこの二人と神出所長、ここで明らかにしようといたしまして、H保安企画室長をさがしておるのでございますけれども、H室長は退職後居所不明で、現在会社調査しておりますがわかりません。したがって、その下におりましたI技師、これは現地残務整理をしておりますので、神出所長とI技師両方からの聴取を押えて、現在のところつかんだ事実でございまして、まだH室長をつかまえる、というのはことばが悪いのですが、お会いして聞かないと完全なものにはならないのじゃないかと思っておりますが、一応現在会社がつかんでおる事実だけを申し上げます。  期間は、四十三年から四十五年まで、これは大体二人とも、神出所長もI技師も同じでございます。  それから頻度、何回やったかということでございますが、神出所長は四回ないし五回と言っております。それからI技師は五回ないし六回、これは両方とも記憶で言っておりますので、まだ裏づけは完全につかんでおりません。そういうことでございます。  方法でございますが、すべての検水を薄めたのかということにつきましては、通常採取されるのは二十点ぐらいのようでございますが、そのうち柳元——これは場所名でございます、採取した地区でございますが、柳元、それから松木原、それから悪水谷、それから鬼ケ採の四地点から採取された検体に対して行なった。  方法は、あらかじめ佐須川上流の日掛付近の河川水をポリ容器に採水しておきまして、試料が事務所に置かれているときに、試料の二分の一から四分の一を捨てて、かわりにその日掛の河川水を入れた。したがって、薄めた度合いというものは、同じ河川水を使っておりますので、たとえば、かりに採取した試料がカドミで申しまして〇・一であるとしますと、それを半分入れかえると〇・〇五ということではなくて、これはかりの言い方でございますが、〇・〇八か九というようなところじゃなかったか。これは、本人の供述から私が推定しましたので、この点はちょっと不確実でございますが、そういうような薄め方である。以上でございます。
  26. 林義郎

    ○林(義)委員 そうすると、お二人の証言によれば、おそらくとったところの水を半分なり四分の一は薄めたということは事実である、こういうことですね。  と同時に、それじゃ重松先生、佐藤さんにお尋ねいたしますが、その当時の調査は、そういったようなことができるような状態での調査であったかということであります。要するに、会社の人がびんの中の水をかえるなんということは、きわめて悪質な話であります。しかし、その悪質なことができるような状態で調査をしたのかどうかということであります。そのときの調査方法等につきましては、まあ四十三年ですから、まだ、実は公害委員会もあまり活発でなかったような時期ですから、なかなかできなかったのか。あるいは、そういったことは全く悪意か何かでもって——やるのは、これは当然隠蔽行為ですから悪意でしょうけれども、そういったものについての十分な管理というのができないような形での調査であったかどうかということをお答えいただきたいと思います。重松さん、いかがでしょう。
  27. 重松逸造

    重松参考人 先ほども申し上げましたように、この試料のとり方は、われわれがいままで神通川などで積んだ経験をもとに、できるだけ正しいサンプリングを行なうという原則でやったわけでございます。  それから、試料を実際にどういう容器に納め——この辺の段階が実は一番大切なわけでございますので、この辺についても、たとえばプラスチックの容器は、塩酸を薄めた液で洗ってから試料を入れるとか、こういうことで、非常に分析化学上の注意は十二分に払ってあるわけでございます。  ただし、たとえばそのとった試料を厳重に封印しろとか、そこまでは実はいまだかつてやったことがございませんし、また常識から考えましても、そんなことはあり得べからざることだということでございまして、いま林先生からの御質問でございますが、実際の調査現地でやっていただいたのでございますが、おそらくその試料を自分のそばにはだ身離さず置いて、寝るときも抱いて寝るぐらいにせぬ限りは、そういう犯罪的な行為をやられたときには、これは少なくともわれわれの調査方法ではどうにも防ぎようがないということが正直なところでございます。
  28. 佐藤達夫

    佐藤参考人 お尋ねの件につきまして、昨日でしたか一昨日でしたか、私のほうの当時の担当いたしました職員の集合を求めまして、反省と申しますか、過去を振り返る会議をやりました。採取した試料を、ただいま重松先生お話しのように、封印かれこれということは事実やっておりませんでしたが、保管は採取した器材、たとえばメートル尺、スコップ、漏斗、ふるい、バケツ、それから、この当時もうポリびんでございます。二リットルのポリびんを使っております。それを車に入れて持って帰るのでございますけれども、全部積み切れないので、二回か三回に分けて運ぶということで、一部を鉱山の事務所へ置いてきた、こういうことでございます。これは後、厳原の保健所に全部集めまして、そこで梱包をして船便で長崎のほうへ発送する、こういうことにいたしておりました。
  29. 林義郎

    ○林(義)委員 封印はしてない、これは分析するときは、そんなことはおそらくしないだろうと思うんです。私もそう思いますが、まさにおっしゃったように、犯罪的な行為でやられたら、どんなことでもできるということで、ほんとうにこれは困ってしまうのですね。  そこで、これはそれじゃ犯罪になるかどうかということになりますと、また刑法上の問題が私はあるんだろうと思うのです。その辺は、きょうは参考人の方だけですから、また別のところで法務省なり何なりから私は聞きたいと思いますが、こういったことを指示したのは神出さんで、それからH保安企画室長さんとI技師さんに指示をした、こういうふうなお話でありましたけれども、一体そんな指示をする権限というのは、鉱業所所長には与えられてあったのですかどうですか。社長さん、いかがなんでしょう。もちろん、そんな悪いことをしろという命令というのは、与えられてあったとは考えられないのですが、一体そういった行為というのは、これは会社の中での責任というのはどういうふうな形で考えておられますか。
  30. 小西康孝

    小西参考人 お答えします。  工場の管理運営は所長にまかせられておりまして、ましてやこういうような考えられない、信じられない、社会的にも許されないようなことを、これはとうていだれが指示するという問題じゃございませんので、当時の本社関係役員に聞きましたけれども、全然知っておらないということでございました。  一言、ちょっとここで、なぜそういうばかげたことをやったのかという参考でございますけれども、それでもってそれがいいというんじゃございません。なぜそういうばかなことをやったのかということを、一言だけちょっとつけ加えさせていただいてよろしゅうございましょうか。——神出所長によりますと、河川の水が非常に変化が激しくて、流水がかれますと、濃度が上がるというようなことで、自然の状態の濃度にしたがった、検査の結果が、自然の流量の状態のときの検査にしたがったということで、先ほど申しました地点で水がれが激しいときに心配してやったんだ、こういうことを一つ申しております。  これは別にそれで許されるということではございません。ちょっと参考のために申し上げます。
  31. 林義郎

    ○林(義)委員 実は先ほどの社長からのお話によりますと、神出さんというのは、四十三年の五月か何かに東邦亜鉛取締役になっておられますね。取締役のした行為というのは、株式会社ですから当然責任がなくてはならぬ。対外的には取締役というのは責任があると思うのです。代表取締役だけがあるわけじゃないので、取締役行為というのは、会社行為として、やはり責任をとらなければならない。そういった点で、職務権限が一体どうもはっきりしていないのじゃないかと思うのです。やはり会社として相当な、これは責任をとってもらわなければならない問題だろうと私は思うのです。その問題は、この単に検水の問題だけではないと思うのです。  もう一つ出ておりますのは、川の中を洗った、こういう話であります。下流のほうの川に石灰を流したか何か知らぬけれども、ざあっと流しちゃった、いろいろなものを入れて薄めちゃった、こういうふうな話がありますし、それから上流のほうへきたない水を持っていってよごした、こういうふうなことが出ておりますが、この辺は、いま会社のほうではどういうふうな調査をしておられますか。
  32. 小西康孝

    小西参考人 お答えいたします。  まず上流に鉱石その他を散布して特によごしたという事実は、いままでの調査したところではありません。  それから第二番目の、川を洗った行為でございますが、これは沈でん池から、先ほどちょっと申し上げましたけれども、排水中に含まれる石灰水、これは中和いたしますので、どうしても石灰分が入っている、それが川底に灰白色にかわいてくると付着する。これはかわいたときには目立たないが、川底が露出すると、きわ立って目立つので、雨の降らないときには、これをホース、くまでで流したということでございます。これをやりましたのは、日見坑沈でん池の日見川、佐須川合流点に至る約七百メートル、それから第二点は、第二ダム放水口の億富沢から佐須川合流点に至る約五百メートルと、その合流後の佐須川本流の百メートルでございます。  頻度は、日見川につきましては四十三年から四十五年まで二、三回やった。それから億富沢につきましては、四十三年から四十五年まで定期的に年二回ないし三回やった。それから佐須川本流については四十三年に一回実施いたしました。  そのときの作業人員は、時と場所によって多少違っておりますが、おおむね十人前後であったということであります。  方法は、場所と時によって違いますが、先ほどありましたように、流量が多少あるときは消防ポンプの放水で流した、またはくまでを使って付着物を洗い流したということでございます。  なお、私どもがつかんでおりますもう一つは、下流の何か川底をどうかしたじゃないかという点でございますが、これは下流に砂をまいた、麻袋で二、三袋ですか、これは神出所長はそういうふうに申しております。以上でございます。
  33. 林義郎

    ○林(義)委員 石灰をまいたり砂をまいたりするということは、これはやはり事実を隠蔽するということでやったというふうに解せざるを得ないのだろうと思うのですが、どうなんでしょう。
  34. 小西康孝

    小西参考人 この石灰のほうは、これはいわゆるダムの水が酸性でございますので、中和して出す関係上どうしても石灰分が入っております。それが川底でくっつきますと、どうしても白くなる。これは、それがあっても直接害はない。しかし、きれいにする必要がある……。  それから砂をまいたということは、まことにおろかなことなんです。こんなことで、先ほど厚生省でお話でございました底質の調査とかそんなものをごまかせるものでもなければ、あれでもないような程度で、まあ全く気休めと言っておりますが、悪くいえば、やはりよくしよう、少しでもよくしたいという気持ちからだ、よく見せかけようということであると思います。
  35. 林義郎

    ○林(義)委員 重松さんにちょっとお尋ねしますけれども、石灰を流しますね、中和するために石灰を流す。これはしようがないのでしょうけれども、石灰を荒すとカドミウムが少し流れてくるということはありませんか。石灰で中和作用をするときに、カドミウムがずっと流れていくというようなことはないでしょうか、どうでしょうか。重松さん、どうです。
  36. 重松逸造

    重松参考人 私も専門ではございませんので正確なことは知りませんが、いずれにしましても、鉱山排水なりあるいは製錬の処理水といいますのは非帯に酸性が強い。したがいまして石灰で中和をする。そうすると、沈でんが起こりますね。そのときに、やはり一緒にカドミウム分が沈でんいたしまして、少なくとも外へ流れ出す分はそれだけ減るということであります。だから大切なことは、そういう処理をコンスタントにやっていただいているということが大切なんでございまして、何か調査に来そうだから、にわかにほうり込んだというのでは、そのときだけは見かけ上はやや排水のカドミウム量は減るけれども、あとはまたたれ流しということでは困るということでございます。
  37. 林義郎

    ○林(義)委員 それから重松さんにもう一つお尋ねしますが、ここは「魚の大量死、何度も隠す」こういう朝日新聞の記事が、これは三月九日の夕刊であります。カドミウムがどのくらいになったら魚の大量死になるのでしょうか。これは実は、カドミウムでいろいろイタイイタイ病云々というのは、ずいぶんありました。ありましたが、魚の大量死というのは、実は私はあまり聞いたことがなかったもんですから、ちょっと疑問に思ったのです。この辺、学問的にお答えいただきたいと思います。
  38. 重松逸造

    重松参考人 この問題は私、専門ではないのございますが、一応門前の小僧的にいままで知っている範囲では、少なくともカドミウムに関しましては、相当な濃度にならないと魚は死なないと思います。ただ、このカドミウムの流を出すという状態は、そのほかの土砂類も一緒に流れ出し、特に川魚の場合は、通常はいわゆる酸素欠乏による窒息死が多いのではないかといわれているそうでございますので、カドミウムもある程度は作用したかもしれませんが、おそらくそれ以上に、いまのそういう土砂による酸素不足などが影響しているのではなかろうかと思いますが、これは私、専門ではございませんので、ひとつその点御容赦願いたいと思います。
  39. 林義郎

    ○林(義)委員 社長にお尋ねしますが、あるいは別の方でもけっこうですけれども新聞では四十七年の十一月三十日の昼前、「魚がいっぱい死んで浮かんでいる」という記事になっております。ですから、いまのお話で、何か別の大量的なものがあったのかどうか。この辺は会社のほうでお調べになっておられますか、どうですか、お答えください。
  40. 宮崎孝人

    宮崎参考人 お答えいたします。  この新聞に出ました件は、私が現地調査いたしました結果は、十一月三十日でなくて、一日、佐須川の宮前橋上手のふちでそのような事実があったということでございます。この原因でございますが、大量といいましても、このとき五十匹ぐらいあがったということ、イダという魚でございます。それから当時は干天続きで川水が非常に枯渇しておって、酸欠状態になっておる。この状態はときどき起こるわけでございます。そういうふうに現地では言っております。川の中の水が酸素が欠乏するわけでございます。通常これを酸欠と申しておりますが、調査の結果はそのようでございました。
  41. 林義郎

    ○林(義)委員 どうも重松さんのお話も酸素欠乏状態、いまのお話も酸素欠乏状態、酸素欠乏状態とカドミウムの問題というのは、一体どういうこなのか、私もよく詰めてみなければわからない問題だろうと思いますけれども、やはり相当にやっていると、こんなものが、魚が死んだり出てきますけれども、私は一番問題なのは人体の問題だろうと思うのです。  私の記憶では、対馬では、確かに類似患者が三名ぐらいあった。それはあくまでも類似患者でという形のままで、二人はなくなられて、一人はまだ生きておって、それが最近なくなられておるとかなんとかいうお話を聞いておりますが、重松さん、その辺はいまどういうふうな形になっているのか。ずっと定期検診をやっておられるのでしょうから、現地の健康状態というものはどういうことになっていて、いわゆるイタイイタイ病患者というものが出ているのか、あるいは類似の患者らしき者があるのかどうか、この辺ひとつお答えいただきたいと思います。
  42. 重松逸造

    重松参考人 先ほど昭和四十年からのこの地区における人体影響調査成績を申し上げたわけでございますが、全国の汚染地の中では、少しおかしい点が多いということを申し上げましたが、これは実際には尿のたん白あるいは糖、つまりじん臓障害と思われる方が——病人とはもちろん言えないわけでございますが、方が、よその地区に比べてわりあい多いという、最初にそういう事実があったわけでございます。  それでその辺をひとつ詳しく調べてみようということが一つと、それからもう一つは、ともかくカドミウムによる環境汚染はあのとおりはっきり証明されておりますが、あそこの住民方々の尿中のカドミウム量も、異常というほどではございませんが、少なくともその後いろいろ全国的にわかってまいりましたデータに比べると、やはり全体にレベルが高い。この二つの時点かち、カドミウムによる障害というものが、いまの時点では明確ではなくとも、今後発展する可能性があるということで今日まで継続して健康診断を長崎県でやっていただいております。そして毎年一、二回は鑑別診断姿員会というのを開きまして、そこで少しでも怪しい方の検討をやっている、こういう状況でございます。  それで林先生からお尋ねの、一体、イタイイタイ病の患者さんがいるのかいないのかということでございます。これは少なくとも昭和四十三年あるいは四十四年ぐらいまでの調査をもとに、あと継続調査をやりました範囲内では、神通川流域のような明確なイタイイタイ病患者と指摘する方は、少なくとも研究班調査した資料の範囲内ではないというのが、いままでの結論でございます。ただ、これはないというか、研究班の表現は見つけることができなかったという表現にしてございますが、これは全部白という意味ではございません。
  43. 林義郎

    ○林(義)委員 あと関連の質問もあるようですから、私このぐらいで終わりますけれども、最後に社長にぜひお尋ねしておきたいのです。  この厳原鉱山も四十七年の十二月に閉山をされたところであります。しかしながら長い間ほうっておられたのでありますし、先ほど来お話しのありますように環境汚染の事実というのははっきりしておる。やっぱり汚染をしたのは会社ですから、当然にこれは会社が休山後におきましても責任を持ってこの対策に取り組んでもらわなければならないだろうと思う。そういった点につきまして社長基本的なお考えをお尋ねすると同時に、先ほどちょっと質問をあとに延ばしましたけれども取締役のされた行為でありますから、会社としては、やはり何かの責任をとられなければならないだろう、こう思うのです。この辺につきまして、どういうふうなことを考えておられるのか、お尋ねをいたしまして、私の質問を終わります。
  44. 小西康孝

    小西参考人 お答えいたします。  対馬では、鉱山は一応休山いたしましたが、長年仕事をさしていただき、またそのあとに、ただいま御指摘ございましたように、いろいろな問題を残しております。特にカドミウム汚染土壌汚染の問題その他いろいろございますので、これは当然東邦亜鉛が全責任を持ってやっていきたい。県と市の指導によりまして、会社だけでやれない問題はたくさんございます。たとえば土壌改良の問題等は、これは県、市の御指導によりまして、会社がやるべき責任を果たしていきたいと思っております。  それから当時取締役でありました神出所長の行ないました行為についての会社責任でございますが、これにつきましても、私どもはやはり責任りあると考えております。具体的に案を示せということでございますけれども、とりあえず現在考えておりますことは、まず真相を究明して、社内の関係者に対して厳正な処置をする。同時に、この調査の結果を誤らしたことによって起きたいろんな問題につきましては、これは後ほど関係官庁等で検討されて御決定になると思います。それに基づきまして、御指導によって会社が償わなければならないものは当然償いをしたいと考えております。
  45. 角屋堅次郎

    角屋委員長 この際、渡部恒三君の関連質問を許します。渡部恒三君。
  46. 渡部恒三

    ○渡部(恒)委員 いまわが党の林委員からの質問で漸次内容が明らかになってきたのですが、私は小西社長にこの際企業社会的責任という立場から二つの点、お尋ねをしたいのですけれども真相が明らかになってから責任をとる、真相が明らかになってから責任をとるということを何度もおっしゃっておりますが、しかし、いまの質疑でも、もうあなた方が検査に対する作為を行ない、あるいは川底洗いを行ない、自分が、自分たちの企業が、この地球上で最も重い人間の生命に危険を与える、それを隠そうとしたということだけは、これはもう明快に明らかになったのですね。  これは一企業の、あなた方の企業だけの問題じゃなくて、研究、学者に対する不信の念を抱かせておりますし、これはきわめて反社会的、非人道的な行為なんですね。いまの近代産業社会の中で、これは確かに公害企業も大きな産業社会における役割りを果たしている。ですから、この存在を否定することはできない。存在を否定することができないとすれば、人の命というものが一番重いという立場から、あなた方自体が、検査されるとか世間からどうされるかということではなくて、企業そのものがいかにして公害を出さないのか、他に迷惑をかけないかということをやらなくてはならないのに、全貌を明らかにして、ひとつ検査してくれという態度であるべきはずなのに、これを隠すというようなことをしたのは、たいへんな——真相を明らかにして幾らか被害に対してお金を出せばいいというような簡単なものではないのです。  こういうことに対する、何か社長社会的責任というものが、いまの林委員との質疑の間では、何か事の重大性というものをほんとうに認識していらっしゃるのかどうか疑問に思うので、もう一ぺんお聞きしたいと思うのです。
  47. 小西康孝

    小西参考人 事の重大性につきましては、御指摘のとおりでございます。ただ、私どもとしていま考えておりますことは、先ほど申し上げたことのほかに、こういった産業が社会的に存在する必要があるとすれば、それがどういう姿で存在しなきゃいかぬのかというりっぱな姿の産業に私はここで切りかえておるつもりでございますけれども、少なくとも過去にこういうことがあった以上は、それを踏まえて、確かにほかの事業所その他においてもそういうことはない、東邦亜鉛は生まれかわったりっぱな企業として存在価値があるというところへ何とか持っていきたいということが私の念願でございます。
  48. 渡部恒三

    ○渡部(恒)委員 林委員の質問にも入っておりましたけれども、あなた方の最初の説明かち、何か全然これは会社は知らないうちに一鉱業所所長が独断でやってしまって、たいへん迷惑をしておるというような説明に対して、おそらくこれは聞いておる人が、ほとんど何か白々しい感じしか受けなかったのですが、これは現場の何か一労務者がやったのだとかいうことであれば別ですが、これはあなた方の企業にとって、鉱業所所長というのはおそらく重役待遇に近い、たいへん重要な社内の立場にあるわけですね。そういう人がこれだけ重大なことをやるのに、一切会社相談なしにやるなんということがあり得るだろうか。  これはおそらくだれが聞いておっても率直に感じる疑問なんです。この際、これは出てしまった。出てしまった以上、これは所長責任を負わせるしかないというのも、従来いろいろな面でこれはあったような慣行かもしれませんが、この事の重大性、たいへんだということをあなた方がほんとうに反省して、これから迷惑をかけない、あるべき姿、新しい社会の企業のあるべき姿を追求するというならば、そんな一時的なごまかしというようなことから出発したのじゃ、これはできるはずがないのじゃないかというような疑問も持つのですが、これは小西社長、ほんとうに国民の前に、神さまの前に、全く企業関係なしに、その所長が独断でやったのだということを言い切れますか。
  49. 小西康孝

    小西参考人 ただいま御指摘の点につきまして、これは一神出所長の単独な、一人の行為じゃなくて、なぜ彼をそうさせたかという問題につきまして、私どもは深く反省しております。  これはそういう企業社会的責任に対しての認識がその当時の会社にあったかどうか、また現在どうかということを、先ほど神前に誓ってというお話がございましたが、反省いたしておりまして、私の口からこういうことは非常に申しにくいのでございますけれども、当初に申し上げましたように、そういう方向を切りかえて、いま会社幹部一同何とか東邦亜鉛の過去の姿を完全に切りかえて、新しい社会にこたえる新しい企業へ脱皮するようにこん身の努力を払うつもりでおりますので、何とぞひとつその点をお見守りいただきたい。そして、ただ私は、今回の事件につきましては、もう何とも弁解の余地はございません。国民皆さまはじめ関係官庁、あるいは皆さま方に衷心からおわび申し上げます。
  50. 渡部恒三

    ○渡部(恒)委員 終わります。
  51. 角屋堅次郎

  52. 島本虎三

    島本委員 長崎県の保健部環境保全局長佐藤達夫参考人に伺いますが、先ほどの参考人の供述に、三月の八日初めて知った、降ってわいたような感じである。現地について聞いてみようということで、九日土曜日午後、町長とお会いになった、そうして担当の窓口をつくれという指示をした、こういうような供述がありましたが、いままで公害立法ができた以後、企業に対しての立ち入り調査権というものがあるわけでありますけれども、県としては一度もそこへ調査に行ったことがなかったのですか。行かないとすると、その辺のいきさつをお聞かせ願いたいと思うのです。
  53. 佐藤達夫

    佐藤参考人 県として一度も行かなかったか、こういうお話でございますが、いわゆる法律が整備されて四十六年以降は、水質の監視測定ということを、その法に基づいて年六回ないし十二回ということでやっております。さっき申し上げましたのは、それ以前の四十三年のことと御了解いただきたいと思います。
  54. 島本虎三

    島本委員 そうして調査は何回くらいなさいましたか、またそのデータは整ってございましょうか、いつから始めましたか、ちょっとそれを御報告願います。
  55. 佐藤達夫

    佐藤参考人 先ほど申し上げたかと思いますが、水につきましては、厚生省の委託を受けて、県がその日本公衆衛生協会班員として四十三年の八月に一回……。
  56. 島本虎三

    島本委員 それは承知しています。それ以後のことです。
  57. 佐藤達夫

    佐藤参考人 それ以後、四十四年には同じく厚生省の委託を受けまして、日本公衆衛生協会班員といたしまして三回出向いております。四十五年には、経済企画庁の直接の県への御委託として十一回出向いております。  以上でございます。
  58. 島本虎三

    島本委員 四十五年以降はないのですか。
  59. 佐藤達夫

    佐藤参考人 四十六年以降は法に基づきます、いわゆる水質の環境監視測定を行なっておる、こういうことでございます。
  60. 島本虎三

    島本委員 四十六年以降の監視、測定の結果、全然異常がなかったのですか。
  61. 佐藤達夫

    佐藤参考人 異常は認められません。
  62. 島本虎三

    島本委員 じゃ、そのデータはちょっと委員長を通じて提出してもらいたいと思います。参考にずっと四十三年、四十四年、四十五年、四十六年、異常のないデータ、それを報告してもらいたいと思います。  次に、通産省来ておりましょうか、四十三年八月二十八日採取した第一ダムの東側流出水、これは上流のほうですが、カドミウム、鉛、亜鉛と三つにわたって調査をしております。ダムの西側流出水——鉱業所の下流になりますが、これもカドミ、鉛、亜鉛、三つにわたって調査しております。そして、通産省の福岡鉱山保安監督局の調べによると、厚生省の委託によるところの日本公衆衛生協会の調べ、これの十倍以上にのぼる重大な測定値が出ているのであります。通産省自身の調べでこれがはっきりわかったのに対して、通産省はなぜこれを指摘しないのですか。これがまず第一の疑問です。  カドミウムの場合には、厚生省の調べによりますと、〇・〇〇四PPM通産省自身の調べによると〇・〇三三PPM、鉛の場合には、これまた〇・〇〇九PPM通産省の調べによると〇・〇四三PPM亜鉛にあっても〇・二二PPM、それが一・五四PPM、数値において格段の違いが出ておるのであります。下流のほうへいきますと、今度はカドミの〇・〇七〇PPMが、逆にこれは厚生省の調べによると〇・〇〇五PPMじゃありませんか。また鉛にしてもそのとおり、〇・〇二一PPM、それが〇・〇一六PPM、これもまた数値において違っておる。亜鉛においても、これはもう通産省の調べでは二・三〇PPM厚生省の、いわゆるこの日本公衆衛生協会の調べでは〇・二八、全然違う数値が出ている。これに対して、そのままにしておいたのですか。なぜこれを指摘し、この時点においてこれをも追及しなかったのですか。
  63. 角屋堅次郎

    角屋委員長 これからの質問者に申し上げますが、参考人に対する質問という形で質疑に入りましたので、関連をして政府委員等に質問のある場合はこれを許しますけれども参考人に対する質問にウエートを置きながら質疑をしていただくようにお願いをいたしておきます。
  64. 林信太郎

    ○林(信)政府委員 お答え申し上げます。  ただいま御指摘の数字でございますが、私どものほうの第一ダム・オーバーフロー東、上流側でございますが、このカドミの分析値でございますが、八月二十八日にとった検体から〇・〇三三という分析値が出ております。これは当時におきます指導基準〇・〇一に比べますと、これをこえております。それで九州工業技術試験所で分析をいたしておりましたが、それがわかりましたのが十月の中旬ないし下旬ころかと思っております。その辺はっきりいたさないのでびざいますが、いずれにいたしましても一月ないし一月半くらい分析値が出るのがおくれております。その段階で、この数値が高いということで、すぐ追っかけて十一月六日から現地に再度検体検査に行っております。その検体の結果を見ますと、〇・〇〇二になっております。これは指導基準の〇・〇一に適合するわけでございますので、八月の異常値に対します疑問を一応解いたわけでございます。  日本公衆衛生協会の数字は、明けまして翌年三月に発表されて私ども承知をしたわけでございます。で、その段階で数値をチェックいたしましたところ、ただいま島本先生御指摘のとおりでございまして、〇・〇〇四、したがいまして、同様の数値になっております。
  65. 島本虎三

    島本委員 重松参考人にお伺いいたしますが、いま通産省が言ったように、はっきり申し上げまして、皆さんの調査通産省自身調査が、これも数値において格段の違いが出ている。その後通産省はまた調査をなすったようでありますが、この件について、やはり自分の調査の数字が意外に違うということで疑問をお感じになりませんでしたか。そして、初めからこういう数値が出たということを参考人は全然お知りにならなかったのですか。
  66. 重松逸造

    重松参考人 最初に申し上げましたように、私ども通産省で御調査になった成績は全然知りません。それから、先ほど強調いたしましたのは、ともかくこういう分析につきましては技術的な問題、方法論的な問題が非常に重要でございまして、ただ結果の数字だけを突き合わせて多い、少ないでは困るのでございます。そのためにも、われわれといたしましてはできるだけこの技術的な点も含めた材料の御提供をいただければ一番ありがたいということで、先ほどそういう希望を申し上げたわけでございます。  それから、これは私実は初めてと言ったのではまずいのかもしれませんが、最初に通産省のほうでお調べになった、この四十三年の八月二十八日とは、すなわち、われわれ日本公衆衛生協会研究班調査した日でございまして、私、前のことでよく覚えておりませんけれども、いままでのわれわれの研究班調査の慣例からいいますと、こちらの研究班でとった材料は常に通産省側にもそのままお分けしているということで、おそらく同じような形態をとったのではないかと思います。この点はもし誤っておりますれば申しわけないかもしれませんが、おそらくそうではないかと思います。その意味でも島本先生御指摘のように、材料はおそらく全く同じ材料のはずでございますし、こういう数字に関しましては、こんなに食い違うのは非常におかしいと思います。  ただし、われわれの研究班のほうにつきましては、最初にも申し上げましたように、このカドミウム分析方法につきましては、おそらく当時の日本のトップレベルの方がお集まりいただき、加うるに、たとえばこの鉱業所の排水の二検体につきましても、長崎県衛生研究所と東京工業大学の岩崎教授の研究室と両方でクロスチェックをやった数字がこれでございます。
  67. 島本虎三

    島本委員 そういたしますと、これは四十三年八月二十八日、排水によって、おそらく検体が同じなのに、一方はこういうような高い数値、一方は低い数値、こういうようになるということ、これ自身がまことに不可解千万なんです。  これは通産省は知っておるのじゃないですか。おそらくは同じ日にやって——同じ日にやったものが数値がこのように違っておる。一方はごまかした数値である、一方はそのままの数値である。そのままの数値のほうは高い。こうなった場合は、何と詭弁を弄しても、通産省企業べったりで、通産省のほうにはそのままの水、そのままの数値が行っている。今度は厚生省の委託によるところの日本公衆衛生協会のほうには薄められた、そしてごまかしの水がやられている。これもやはり通産省は全然知らないなんということはあり得ない。私はこれで憤激するのであります。  小西参考人にお伺いいたしますが、こういうようにして会社内で、あなたの命令であるのかないのかわかりませんが、同じ日にとった水、一方は薄めたやつを、これはちゃんと日本公衆衛生協会にやる、薄めないやつは、そのまま通産省のほうでデータとして持っておる。この操作社長はおそらく指示はしないだろうと思いますが、こういうようなのが現状だとしたら、私としては、これは社会的に許しがたいような犯罪だと思うのです。社長はどう思いますか。事実は全然知りませんでしたか。
  68. 小西康孝

    小西参考人 お答えいたします。  残念ながら、いまのところ、その辺の事実は全然つかんでおりません。
  69. 島本虎三

    島本委員 宮崎参考人にお伺いいたしますが、宮崎参考人のほうも、この事実はお知りになりませんでしたか。
  70. 宮崎孝人

    宮崎参考人 お答えいたします。  知りません。
  71. 島本虎三

    島本委員 そうすると、所長が単独でやった、こういうようなことにわれわれは理解せざるを得ないと思いますが、これはもう小西社長、そうでございましょうか。
  72. 小西康孝

    小西参考人 水の入れかえはそのとおりでございます。
  73. 島本虎三

    島本委員 そうすると、工場の管理運営は所長にまかしてあると先ほど答弁がございましたし、そういうようなことをしたのは信じられない、考えられない、こういうようにおっしゃいました。それはわからないわけではありません。しかし、社長、証拠隠滅ということは、これは犯罪行為です。日本分析化学研究所の原子力のあのデータの捏造事件というのがありました。しかしながら、それよりも悪質なんです。所長の指示、こういうようなことは、直接社長からの指示がなくても社長の指示と同じである、こういうように解釈すべきじゃないかと思いますが、この点、いかがですか。
  74. 小西康孝

    小西参考人 これは先ほど申し上げましたような異常な環境下であって、所長が独断でやったことでございますので、私は、所長行為それ自体が社長の指示とは考えられません。
  75. 島本虎三

    島本委員 社長の指示ではないといいましても、工場の管理運営は所長にまかしてある。まかしてある以上、こういうような社会的な重大問題を所長が自己の権限において行なった場合には、即、これは社長責任にもなる。これが常識ではございませんか。社長は、所長がかってにやったのだから、私は責任ない、こういうような考えのようでありますけれども、私どもとしては、やはり——いわゆる公害罪処罰法、こういうような法律さえもできておって、もうすでに公害は社会的犯罪である、こういうようなことになっておるのは御存じのとおりなんであります。  私どもはそれを見、いろいろ考えまして、——社長が、この際気持ちを改めて、そして社会的な信用をつくりあげていきたい、先ほどこういうようなことばがあったわけでありますけれども、これはやはり、いかに所長がやったといっても、管理運営は所長にまかしているのですから、その全責任社長にあるものである、したがって全責任を負って今後社の態度を改めるのだ、私はこれが企業の社会責任じゃないかと思っているのです。まだ、所長がかってにやったんだから社長関係ない、これでまた社会的責任をあなた逃げようとしている、免れようとしている。これは信用を失墜しないどころか、これこそが社会的に重大な信用の失墜につながるのじゃないか、私はそう思っているのです。  これ以上あまり追及しませんが、ひとつこの辺で社長の御高見を拝聴さしていただきたいのです。
  76. 小西康孝

    小西参考人 行なわれた当時の経営陣と現在の経営陣とは、先ほど申し上げましたように、入れかわっておりまして、現経営陣は、先ほど申し上げましたような信念でみな取り組んでおるわけでございます。  したがいまして、現在こういうことが現所長において行なわれたということになれば、これはただいま御指摘のとおり、われわれとしても直接責任を考えざるを得ないと思います。しかしながら過去において行なわれたものである。したがって直接のあれはない。しかしながら会社として、この東邦亜鉛は続いておるわけでございますから、東邦亜鉛の過去に犯したそういった問題については、やはり現経営陣はこれを背負って償いをしていかなければならぬという考え方でございます。
  77. 島本虎三

    島本委員 まあその程度だということがわかりました。  次に、佐藤参考人に再びお伺いいたしますが、佐藤参考人は九日の午後二時に現地に入って、そして農民に抗議を受けたということを報道によって知りました。そして国や県の姿勢が悪いということで痛烈な批判を受けたということも聞きました。この事情をはっきりここに陳述してもらいたいと思います。
  78. 佐藤達夫

    佐藤参考人 申し上げましたように、土曜日の夕方現地の公民館で五十人ないし六十人の方々にお集まりをいただきました。そのときに被害者の組合長から、第一に、県の姿勢として、どうもいままで会社側に立っておったじゃないか、われわれ農民の言うこと、われわれは相手にしてもらえなかったではないかというふうな非常に強い御不満が出てまいりました。  たとえばその一つ、二つの具体的な例をあげますと、いわゆる採水をする地点のいろいろ検討をする、そういうときにもわれわれ地元の住民も一つも加えてもらえなかったじゃないか、こういうふうなことが非常に強く表現をされて、地元の方々の御意見として痛烈に出てきた、こういうことでございます。
  79. 島本虎三

    島本委員 けさほどの新聞には そんなことじゃありません。県の調査班は、会社川ざらいをしたあとに来る、県や国の姿勢が悪い、こういうようなことを言われませんでしたか。
  80. 佐藤達夫

    佐藤参考人 確かにそういうあれもございました。いまそのときのメモをここに持っておりますけれども、日見川という川がございますが、その川の清掃をやったあとに君たち調査班が来たではないか、あるいは調査の直前に川ざらいを行なったというふうなことを日見橋の上から私は見たという人もございました。
  81. 島本虎三

    島本委員 もう一つだけ聞かしてもらいたいのですが、こういうようにして調査班が行く場合には、何日前に会社のほうに予告して参りましたか。
  82. 佐藤達夫

    佐藤参考人 予告ということを、あらかじめ会社のほうへ通知をするということはございません。  ただ、これもわれわれ先ほど申し上げましたように、数日前に反省会をやりましたときに、いわゆる保健所なら保健所に行事予定があります。いつ採水をする、そういうふうなことで、まあ全然秘匿というか、極秘でわからなかったという状態ではなかったことを反省いたしております。
  83. 島本虎三

    島本委員 なかなかりっぱな官僚的な答弁ばかりしておられるようでありますが、県の調査班が行く場合には必ず川ざらいをしたあとであるとか、また、きれいにしたあとばかり行っている。いみじくもほんとうのことを言っている以上、あなたが通告しないと言っても、通告したあとで行っているには相違ないです。その姿勢が悪いと言うのです。あなたのその答弁なんかも、その辺に、うしろにいる人の官僚と同じような答弁なんです。全くもってそういうようなことで立ち入り検査しました、何言ったって、そんなこと信用できません。私は不愉快です。  同時に、若干時間も迫ってまいりましたけれども、今度宮崎参考人に聞きますが、地元の人に閉山騒ぎの心配する声があったり、鉱山を守り抜きたいという地元民の意向をくんで、会社は一切いままでのような行動をしたものであって、これは地元民の要請にこたえて、そしてカドミウムを隠すような行為をはかったものである、大体こういうようなことをいろいろと神出元の所長さんが言っておられたようです。そして社会的な責任について、イタイイタイ病が出ていないので、やってもやらなくても同じだった、こういうようなことも言っておられるようであります。おそらくこういうような企業意識でまだおるということは、私は遺憾なんであります。これに対して、県当局は全然それも知っておらないということ、なおさら遺憾なんです。  やはりこの社長さん、小西参考人に伺いますが、前の神出所長さんが、そういうようなことを言っておるのです。まさにこれは地元民に責任をなすりつけて、企業の安全をはかるという卑劣な行為ではなかったのかと思うのです。何よりも人間の健康と生命が一番大事なのです。企業の存続よりも人間の健康と生命が大事なんです。そこまで立たないとならないような現在の社会的な環境のもとに、まだ地元民に責任をなすりつけたり、企業の安全をはかること、これを先に考えたりするようなこと、私としては納得できませんし、イタイイタイ病が出なかったからやってもやらなくても同じだった、こういうようなことを私、新聞の記事で見て、これもあ然としておるのす。いまでも小西参考人、この神出所長の発表をどのようにお考えでしょう。
  84. 小西康孝

    小西参考人 御指摘のとおり公害問題に対する認識は、先生も御存じのように過去から現在に至るまでずいぶん変化しております。神出所長新聞で発表しましたとき私、そばにおりませんでしたので、どういう心境でどんな言い回しで言ったのかは存じておりませんが、少なくとも私が会った神出所長はもう前非を悔いまして、まことにとんでもないことをやった。ただ、とんでもないことをやったが、それじゃどんな効果をねらってやったのかというような点で、あんなことをやっても何にもならなかったというような意味のことを間違って言ったのじゃないだろうかと思うのですが、それさえも私は慎むべきことだと思います。ひたすら申しわけないということで本人は反省はしておりましたが、一言でもそういうことを言ったとすれば、非常にまずいと私は考えております。  以上です。
  85. 島本虎三

    島本委員 これは重松参考人にお伺いいたしますが、あの資料を見た瞬間に、私は、はっと思った点が一つあるのです。確かに通産省の福岡鉱山保安監督局の調べ、それと厚生省の委託によるところの日本公衆衛生協会の調べ、格段の相違があることは、もう先生御承知のとおりなんですが、これは上流のほうが下流のほうよりも——こういうふうにはっきりとデータが違ってきているような、上流が下流よりも汚染がひどいのに、これはなぜ気がつかなかったのか、この一点だけは科学者としてどのようにお考えだったのか、それを聞いておきたいのです。  このデータを見ましても、やはりつくられたデータである、こういうようなことはいまにしてわかるわけであります。われわれしろうとでもそうでありますから、科学者である場合には、上流のほうが下流よりも汚染がひどいのに、下流のほうが少なくなっている、これはすぐ気がつくはずだと思いますけれども、このつくられたデータに当時はどのようにお考えだったでございましょうか。
  86. 重松逸造

    重松参考人 御指摘の点でございますが、環境調査といいますか、いろいろな条件でデータが食い違ってまいります。もちろん分析自身方法にも問題があるし、試料の採取にも問題があるし、それからもちろんその試料をとるときの自然条件でもいろいろ違ってまいります。したがいまして、このときの一時点のデータだけをとれば、このどこかにもたしか指摘してあったと思いますが、むしろ下流よりはいま島本先生御指摘のように上流のほうが多くなっているというので、その辺のいま島本先生の御指摘のニュアンスはどこかに書いてあったのではないかと思うのでございますが、しかし、そういうことは実はしばしばございます。  それから工場の特に問題は排水でございますが、これも実際にはいまから思うと何倍かに薄まっておったようでございますが、これは調査班が来る、あるいは試料をとるというので、そのときに、にわかに石灰も投入し、できるだけカドミウムを外へ出さないようにするという暫定的な処置をとられると、その時点では薄いというような数字も出てまいります。そういうことで、この数字だけを見れば確かにおかしい点もございますけれども、そのために、これは私先ほどから申し上げたのは、昭和四十年、特に四十一年来のデータがございます。それから田畑の汚染データもございまして、この辺を総合しますと、この地区におけるカドミウム汚染の状況というのは、科学的にはほぼ正確に把握できている、そういうそのときの研究結論でございます。  ですから、いまこの断面だけの成績をとると確かにおかしいという点もございますし、もちろんもうその点は十二分に、このときのデータの解釈のときにディスカッションされたわけでございます。で、先ほど御紹介いたしました、それぞれの専門の立場の方々分析なさったのでございますので、その時点では私も、班長としてはこの班員の皆さん方のこの一致した意見というものを信頼しているつもりでございます。
  87. 島本虎三

    島本委員 まあ、聞けば聞くほど遺憾のきわみでございます。何よりも企業の存立そのもののために一生懸命やっておられるようですが、いま日本の状態が世界の衆目を浴びている一つの焦点は、人間の健康と生命のほうが企業の存立よりも大事だ、この意識に立って今後大いにがんばってもらわないとだめだし、通産省はまさにあと追いばかりやっている。これでもってはっきりいたしました。自分のほうがわかっているのに、ひた隠しに隠しておった、この事態、まことに遺憾であります。  きょうは答弁を聞いて、私まことに不愉快であるということを最後に申し上げまして、私の質問を終わりといたします。
  88. 角屋堅次郎

  89. 土井たか子

    ○土井委員 私は一つだけはっきりさせておきたいことがございます。  きょうここに参考人として御出席の東邦亜鉛小西社長は、先ほど来カドミウム汚染についての試料の擬装をお認めになりました。そういう点からいたしますと、実はいままで東邦亜鉛会社とされては、対州鉱山周辺においてイタイイタイ病が発生しているとは全然考えていらっしゃらないという態度で問題に臨まれ、そうして、厚生省がどういうふうに考えるかという結論待ちで、結論に従って会社としても何とか対処をしてよいのではないかというふうな御態度であったようにお見受けするわけですが、その辺について社長はいかがお考えでいらっしゃるかを、まず一言お伺いしたいと思うのです。
  90. 小西康孝

    小西参考人 お答えいたします。  イタイイタイ病カドミウム問題は私どもは全く予知もできませんし、全然内容についてもよくわからなかった状態はございました。しかし、あくまでも、ないとかあるとかじゃなくて、厚生省でカドミが原因であると認定された以降は、会社としてできることがあるならば、何とか病人が出ないようにやりたい、これだけははっきりしておったと思います。  ただ、いまの試料のすりかえはどうだとこう問い直されますと、これは先ほど申しましたスペシャルなケースとして、ひとつ御理解いただきたいと思うのでございます。
  91. 土井たか子

    ○土井委員 ただしかし、イタイイタイ病の原因がカドミ汚染によるものだという因果関係がはっきりされておる限りにおいては、カドミ汚染に対しての調査試料がすりかえられたり、隠蔽されたり、ごまかざれたりした結果、そのことに対しての、やはりイタイイタイ病に対する認識も当然違ってきているはずなのですよ。その点はすりかえがあっては決してならないと思うのです。  そういう点から申し上げますと、いまもうここですでにはっきりしていることは、東邦亜鉛そのものが調査対象物を工作して、ゆがめて、事実を隠蔽をしたということがはっきりしているわけです。この調査結果をもとに厚生省は、四十四年にカドミウム汚染に関する見解と対策というのを発表されているわけでありますから、事この点に関する限り、対馬に関しては科学的根拠を失うということになるわけですね。今回の問題ではっきりしております。  そこで、ここで政府への質問を委員長にお願い申し上げたいのですが、その当時昭和四十三年から四十四年にかけて厚生省公害課長は、いまここに環境庁の審議官としていらっしゃる橋本審議官であります。したがいまして、橋本審議官に対してお伺いをしたいことがあるのは、この四十四年当時の厚生省が出されたカドミウム汚染に関する見解と対策の中にある対馬に関する部分については、科学的根拠がもはや失われた、したがって、この部分に対しては破棄をして再検討すべきであるというふうなお考えをまずお持ちであるかどうか、その点をお伺いします。
  92. 橋本道夫

    ○橋本(道)政府委員 いま先生の御質問でございますが、当時の環境調査データの中で、環境の水に関する分と排水に関する分というところにつきましては、これはそのようなすりかえがあったということがございました場合には、これは全く信用価値がないということは事実でございます。しかし、その他の面につきましては、井戸水あるいは土地あるいは食品ということにつきましては、私は、いまそのデータそのものは決してその価値を失わないものだろうと思います。  ただ、しかし社会的にそのような問題があった場合に、科学的な数字に対して、その信頼が全面的に失なわれるというような考え方は、科学とは別にあり得ることかと思いますので、どの部分を正すべきかということにつきましては、事後の調査によりまして正すべきところは正すというぐあいに考えております。  対策といたしまして、事後やりました措置につきましては、環境汚染調査の継続あるいは人体影響調査の継続という点におきましては、対策の方向は誤っておりませんでしたし、要観察地域としてはいたしておりますので、要観察地域をはずすという考えは毛頭ございません。
  93. 土井たか子

    ○土井委員 さらにお尋ねしたいことは、要観察地域という指定をはずす考えは毛頭ないという答えでございましたが、もうすでに昭和三十八年当時から、このカドミウム汚染によるところのイタイイタイ病として十分に研究も積まれ、むしろイタイイタイ病という名前の創始者であった萩野医師、それから岡山大学小林純教授、金沢大学の医学部の石崎教授等々によりまして、これははっきりイタイイタイ病と断定しなければならないのじゃないか、イタイイタイ病と考えてよいという患者さんが当時あったことであります。  残念ながらいまは、萩野医師、小林教授あるいは石崎教授等々によりましてイタイイタイ病と断定された三名の方々は、もう帰らない方でありまして、なくなられてしまっているわけでありますが、しかしながら当時の新聞記事などによって見ますと、三名のみならず、こういうふうな表現で記事が載っております。「井戸にカドミウム、二人死亡、三人重症、主婦百八十三人が痛みを訴える」と書いてございます。こういうふうな点からしますと、当時のこのデータに対して、いろいろなすりかえがあったということがはっきりしている以上は、このなくなられた三人の方々に対して、そのうち萩野さんであるとか、小林教授であるとか、あるいは石崎教授等々を現地に招いて、厚生省責任においてこの実際問題に対しての追跡調査をおやりになっていないという経過からも考えまして、この節やはりはっきりとイタイイタイ病という公害病に認定をする必要がありはしないか。  またさらに、これは要観察地域ということでなしに、具体的にやはりもう一度、いろいろな調査であるとか、あるいは検診について一から出直すようなつもりでやり直しをやって、そしてその結果、新たなそういう調査のもとに、地域指定なり、あるいは疾病指定なりをおやりになるという御用意がないか、この点をひとつお伺いします。
  94. 橋本道夫

    ○橋本(道)政府委員 先生の御質問のまず三人の患者さんの問題でございますが、三人の患者さんにつきまして、当時厚生省の課長といたしまして知り得ましたのは、これはすでに皆さんがなくなられたあとのことでありました。四十三年の厚生省の見解を発表する一月前に、発表が小林先生ですか萩野先生ですかによってやられ、その後四十四年の秋に、石崎先生もその意見をおっしゃいました。私どもはこれに対しまして、非常に疑いを抱きました。断定はできませんが、非常に疑いを抱きました。四十四年五月に、私どもは公文書をもちまして萩野先生に手紙を出しまして、先生の御指摘の患者さんにつきまして、ぜひとも詳しく知りたい、資料を何とかいただきたい、御見解を賜わりたいということでお手紙を差し上げましたところ、先生のところでは、そのカルテはないということでございまして、手帳に簡単なメモがあるということと、一人の患者さんのレントゲンのフィルムを持っておるということでございます。検査としては全部完結した検査がやられていなかった、こういうことでございます。  診断といいますのは、医師が必ず患者を見て行なうということの原則で行なわれた者は、この一名の方でございまして、あとの方は事情を聞き、そのときにあったレントゲンを見ると、こういうぐあいに考えられるということでございますし、小林先生は医師ではございませんので、医師の診断というのではございませんが、イタイイタイ病を扱っておられた方として非常な疑いを抱かれたというぐあいに存じます。  そこで私どもは、その問題についてさらに追及すべく長崎当局にこれもまた文書でお願いをいたしまして、三人の人の死亡診断書を全部取りたいということで三人の死亡診断書を取りました。おのおの慢性心臓機能疾患であるとか、あるいは関節リューマチであるというような疾患名がついておりました。  さらに私は、これをきわめて疑いましたので、現地に参りました。現地に参りまして、その協立病院というところに私は参りました。院長さんは代がかわっておりました。それからもう一つは、国立病院にも参りました。保健所にも参りました。患者の家族の家は全部回りました。全部回りまして、そしてお家の方にお目にかかりました。お家の方々にお目にかかると同時に、集会所に行きまして、そこの地区住民方々とお話をいたしました。といいますのは、そのカルテを見るにいたしましても、行政上の目的で個人の秘密のカルテを点検するわけにはまいりません。しかしながら、そこの方々の御意向はへ触れられたくないという非常にきつい御意向を持っておられたというように私はそのとき感じております。しかし、何とかこのようなことを不安のないようにしてくれということと、それから昔をあばいてほしくないということと、どうしてこんなにこの地区だけ僻地におっていじめられるのかということでございました。そういうことで、カルテを直接調べるというのは、患者さん御自身の家族がその利害に伴って調べるという以外には手がございませんので、そういうことはできなかったわけでございます。  そういうことで、私どもは現在の段階でも非常な疑いは持っておりますが、この三人について完全に確かめるという手段がないというのが非常に残念なところでございます。疑いはいまだ消えておりません。  それからもう一点は、その地域につきまして、暫定要観察地域についての調査を徹底的に、新し観点でやり直すべきではないかという御指摘でございます。私どもは、この四十四年以来四十八年に至るまで検診をずっと毎年続け、毎年精密検診をやり、また鑑別診断をやり、経過観察をしてまいりました。その医学的なレポートにつきましては、何ら東邦亜鉛のタッチするところではございません。それにつきましては、権威のある大学、県においてやられたものであり、鑑別診断研究班でおやりになりましたものでございますから、それについては学問的な判断というぐあいに存じております。  ただ全体の調査そのものについて、心を新たにして全くきびしくもう一度取り組み直すべきであるということにつきましては、先生の御指摘のとおりであるというぐあいに思っております。
  95. 土井たか子

    ○土井委員 全く出直しのようなつもりで新たにということを申し上げる中には、従来ありましたいろんな学者や研究者やあるいは医者によるところの測定された資料であるとか、検診によるところのいろんな資料というものを無視してかかっては困るということであります。そういう点からいいますと、いま名前は特に差し控えて私は申し上げませんけれども、お三方のそれぞれのお家で使われている井戸水について、これは飲料水としても使用されているわけでありますから調べてみると、なるほどゆゆしい事態が浮かび上ってくるわけであります。  Aさんのお宅に参りますと、井戸水は〇・〇三五PPM、大体厚生省の基準の三・五倍、Bさんのお宅に参りますと、これは日本公衆衛生協会の発表によりまして昭和四十四年三月段階でカドミウムは〇・一一五PPM厚生省の基準の十一・五倍であります。さらにそれに先立って昭和四十一年には、金沢大学の衛生学教室の調査がございますが、これによって調べてみますと〇・二PPMもある最もゆゆしいのはCさんのお宅でありまして、井戸水について調べてみると、カドミウムが何と〇・二二五PPM厚生省基準の二十二・五倍に達するという中身であります。  こういう問題は、いま鉱業所が閉鎖をしてしまってからあとの状態、あるいはあたりのいろいろな条件というものが変わってきた状態、それによって、調べていった場合には、少しは井戸水の中身も変わっているかもしれませんけれども、御承知のとおりにカドミウムによるところの汚染というものは蓄積性の問題でありますから、そういう点から考えていくと、これは三十八年当初から問題にされ続けてきた小林教授の御意見であるとか、あるいは何と申しましても萩野医師の御意見であるとか、それから診断結果等々について、これを無視するということがあってはならないと思うわけであります。  いま、なくなられた三人の方に対しての認定はむずかしいと、それはおっしゃるとおりでありますけれども、しかし、むずかしいというふうに断定してしまうことが、はたしていま適切であるかどうか。もう度——それは遺族の方々からすると、さわってほしくないという気持ちをさらに払いのけて、それでも強制的にやるということについては難点がありましょう。しかし、いま現にあそこで生活されておる方々に対しての健康管理であるとか、あるいは今後の対策ということを考えていった場合に、このお三方に対しても徹底的にできる限りさらに追跡調査を進めとるいうことは、私は大事な問題だと思うのです。お三方ばかりじゃありません。その付近にお住まいの方々、あるいはこの周辺で現に百八十三人の主婦が痛みを訴えておるという事例もあるわけでありますから、そういう点からしますと、過去にさかのぼって具体的にある、またあるに違いないと思われるデータそれぞれを十分にこの節駆使して考えていただく。  実はいままでにそういう努力が十分であったかというと、それが欠けていたと思うのですよ。したがいまして、そういことからいいましても、要観察地域として、これからさらにこの実態調査をなさるわけでありますけれども、何と申しましても一番大事なのは人間の命であり、健康管理という問題ですから、ひとつ重々この点申し上げたいと思うわけです。橋本審議官の御見解をさらにお伺いして、これでお昼になりますから、一応終わりたいと思います。
  96. 橋本道夫

    ○橋本(道)政府委員 いま先生から御指摘のありましたことは、私どもも十分先生の御意向を尊重しながら進めるべきことであると思います。実は昨日県に対しまして、三人の方の遺族の方々が、いまも、もとと同じようなお気持ちでおられるかどうかということを、一度よく聞いてみてくれないかということは申しております。ただ、非常に制約はありましょうが、できるだけの努力はいたしたいと思っております。
  97. 土井たか子

    ○土井委員 それでは、これで一応終わります。
  98. 角屋堅次郎

    角屋委員長 この際、暫時休憩いたします。     午後零時五十八分休憩      ————◇—————     午後一時二十八分開議
  99. 角屋堅次郎

    角屋委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  質疑を続行いたします。木下元二君。
  100. 木下元二

    ○木下委員 日本公衆衛生協会がつくられました  「カドミウム等微量重金属による環境汚染に関する研究」という書物が出ておりますが、これによりますと、先ほどの報告にもありましたけれども、下流よりも上流のほうが濃度が高いという問題がありました。現在の鉱業活動関係のない上流の地点濃度が高いという現象が特徴的である、こういう報告がされております。その理由としては、「この流域が地質的に重金属濃度が高いことやかなり古い時代から採掘が行なわれていたことなども考える必要があろう。」というふうにいわれておるのですが、この点その理由をもう少し、この書物に示されております理由を詳細に述べて  いただきたいと思うのです。
  101. 重松逸造

    重松参考人 ただいま御指摘いただきましたのは、四十四年三月二十日に発表いたしました研究班報告書の一二ページの上から記載してある事項でございます。それで、現実に得られましたデータが、下流よりは上流のほうがカドミウム濃度が高いということで、これは研究班といたしましても、いろいろ解釈に苦しんだわけでございますが、ただ、この時点で一応こういうデータに対してはこういう解釈が成り立つとしましたのには、幾つかの根拠がございます。  その一つは、実は報告書の二八ページにも載せてございますが、たとえは「佐須川・准根川流域佐須地区廃石分布図」要するに休廃止鉱山の分布などがございまして、この辺の分布から見れば、上流にもしこういう汚染があるとしても、何とか説明できるんではなかろうかということで、ただいま先生お読みいただきましたように、表現としては少し苦しいんでございますが、「古い時代から採掘が行なわれていたことなども」と、こう、ちょっと逃げたような書き方にせざるを得なかったということでございます。  先ほども申し上げたのでございますが、こういう環境調査データというのは、特に川の水の場合にはいろいろな場合に変わり得ますので、一時点で、たとえば人為的な操作が行なわれたことは見破れなかったかというお話もございましたが、少なくとも科学的には、即座にそういうことを言うことは、なかなかむずかしい。というのは、実際に自然環境データとしてはいろいろな場合があり得ます。ただ、この地域データに関しましては、午前中も繰り返しましたように、このときのデータだけではなしに四十年来のデータの積み重ねがございますので、全体としては環境汚染というものを十分に判断することができましたが、少なくとも川の水のこの部分の記載に関しましては、訂正が必要だろうと思います。
  102. 木下元二

    ○木下委員 いま指摘されました、その「古い時代から採掘が行なわれていた」というのは、いつごろ、どの地域、どの地点で採掘が行なわれていたのか、そういったことについては確かめられているのですか、どうでしょうか。簡単でけっこうです。
  103. 重松逸造

    重松参考人 御指摘の点、ちょっと私、記憶にはございませんが、一応この地図をかきますについての基礎データがあるはずでございますので、もし必要でございますれば、一度あとで調査をしてみます。
  104. 木下元二

    ○木下委員 単なる根拠薄弱な推定でもって、下流よりも上流のほうが濃度が高いという理由を説明しておられるのですが、先ほども指摘されましたけれども、こうした会社側による擬装工作といったことについては、あなた方のほうでは全くそうしたことについて疑いを持たなかったのかどうか、いかがですか。
  105. 重松逸造

    重松参考人 工場排水直接につきましては、たとえば午前中申し上げましたように、調査時点だけ特にカドミウム濃度を下げるという人為的な工作は可能でございます。したがいまして、そういう工場排水のデータにつきましては、われわれは一時点だけのデータがたとえ低くても、それがすべて真実とは決して思っておりません。  ただ、川の水につきましては、実際の採水地点というのは何カ所もございますので、現実に全部を入れかえるということは不可能のはずでございますので、その意味ではこういうデータに関しては、われわれはこれが人為的なせいだということを疑わなかったわけでございます。ただし、実際に今回聞いてみますと、とった試料を入れかえたという、それはもうわれわれの全く想像外のことでございます。だから、排水の一次的な処理とか、あるいは特定の地点の川どろをかえるとか、それは可能にしましても、こういう試料自身の入れかえというようなことは、われわれの念頭には全くなかったことでございますので、その点は、いまから思えば不明と言われるかもしれませんが、私どもとしては、とてもそこまでは考える余裕もなかったというのが一番いいんではないかと思うのでございます。
  106. 木下元二

    ○木下委員 あなた方の調査に大きなミスもあったということなんですが、だから初めに言われましたように、もうこうした調査は二度とやりたくないというお気持ちも起こると思うのです。少なくともこういうふうに調査をされて、はっきりした報告書もお出しになっておるわけでありますから、この中身について、先ほども言われましたが、私が指摘をしました一二ページの点、あるいはそのほかの点も含めてひとつ再検討されて、間違いを訂正していただきたい、こう思います。よろしいですか。
  107. 重松逸造

    重松参考人 もちろん、そうさしていただくつもりでおります。
  108. 木下元二

    ○木下委員 それから、もうあまり時間がないのですが、この検体採取には、研究班のほうは何回ぐらい行かれていますか。
  109. 重松逸造

    重松参考人 四十三年度の調査のことだと思うのでございますが、実際には、この試料採取の担当長崎県にやっていただいております。実は、私自身同行はしておりませんが、採取の日時は全部この表に書いてございます。たとえば先ほど御指摘の川の水につきましては、四十三年八月何日かでございましたですか、実際にはこの前後の何日間ではなかったかと思いますが、ちょっといま私からは即答できません。
  110. 木下元二

    ○木下委員 時間が来ましたので、一応終わります。
  111. 角屋堅次郎

  112. 岡本富夫

    岡本委員 私は、重松先生が早く出られるということですから、重松先生を中心に時間内でやりますが、わが党の調査団が参りまして、田中さんがあとで皆さん方に御質問いたしますから、お答え願いたいと思います。  重松先生の先ほどからのお話では、厚生省の鑑別診断班が、現地調査を行なわずに、あらゆる試料は県の衛生部ですか、そこにお願いをした。したがって、そこの県の試料が間違っておると鑑別診断班の認定というものが狂ってくる、こういうふうに考えてよろしゅうございますか。
  113. 重松逸造

    重松参考人 いまの先生の御指摘は、ちょっと正確ではないと思います。と申しますのは、研究班が県に頼んだわけではございませんで、県の衛生部長が、行政官であると同時に研究者としても、この研究班の一員となりまして、そして本来の学者の方々とこういう行政担当方々が一堂に会して、いろいろな調査方法をディスカッションして、長崎県の部分は長崎県の研究班員担当した。それから、たとえば分析につきましては何カ所かに分けてやった、それぞれ分担して研究を受け持った、こういう意味でございます。
  114. 岡本富夫

    岡本委員 長崎県の場合はというのは、この対馬の場合のことを私は言っておるわけですから、長崎県の場合は長崎県の衛生部長さんが研究班の一員となって、そして担当された。したがって、そこの試料が狂っていると、いまのような思わぬことになってくるわけですね。当時の鑑別診断班の班長さんはあなたでなく高瀬さんだったが、そこでこういう事実があるのです。  これは当時長崎県議会で問題になったわけでありますが、昭和四十五年の十一月二十六日、慰労会の名目で県庁のお役人さんお二人、あるいは厳原の保健所の方二人、町長あるいは町助役あるいは厚生課長、こういう人とともに宴会をやっているわけです。そしてここの町長さんは、もと東邦亜鉛の総務課長をやった人です。したがって、こういうような宴会をやったり、しかも水をとるときは企業の方が一緒に行って、ここがいい、ここがいいと一緒にとっておるわけですね。ですから、これはまるっきりぐあいが悪い。こういうものを鑑別診断班が試料のもとにして、そうして認定をする。同時に従業員または地元住民はイ病に関して会社から口を封じられたごとく、わが党が調査に参りましても、いつもおどおどした態度であった。わが党のほうでも、このときちゃんと全部調査しているわけですよ。腰が痛いのは何ぼとか、全部調査しているわけです。しかも樫根部落流域のアオノリがまっかに変色して、これは会社から、三十二年ころですか、見舞い金を二百五十万円出しておる。こういう事実。  なお、四十三年四月、日本衛生学会に、岡山の小林教授がその当時の分析結果を発表しておるわけでありますが、土壌、これが高いところでは二万二千PPM、低いところで五千PPM、稲が十五万五千PPM、低いところで三千三百PPM、玄米が高いところで千五十PPM、低いところで百九十PPM、白米にしましても千百九十PPM、一番低いところを調べても百八十PPM。ここはサツマイモをよく食べるのです。そのサツマイモをはかりますと、一万六千PPM、茎が三万PPM、葉が三万四千PPM。この当時はミリグラムで出しておりますから、これをPPMにかえると、こういう高い濃度になる。しかも井戸水を、先ほど発表がありましたが、分析の権威である小林先生が当時はかったところによりますと、一軒が三十五PPMから二十八PPM、一軒は二百二十五PPM、一軒は百五十PPM。このように井戸水も多量な検出がされておるわけです。  しかも現地調査しますと、三人のお方はおなくなりになっておりますけれども、先ほどお話がありましたが、イ病といわれたら困るというのが、この方々の家族の皆さん方の非常に強い反対であったそうでありますけれども、この樫根部落の四十四戸をそのとき調査して、これは三十七年の調査でありますが、その中で検査をした人が四十九人、そのうち四十二人が全身に疼痛を訴え、二十一人は尿たん白が検出されておる。富山県の神通川と違うのは、これは米を食べるのが少なく、イモを常食にするところが非常に多いわけですから、若干違うというような報告も出ているわけです。  こういうようにしますと、この鑑別診断班がやられたことは非常に根拠が——要するに、先ほどお話ししましたように、宴会をやったり、あるいはまた従業員を押えたり、住民を押えたりした。そういった、要するに長崎県庁の役人さんと、それから保健所のお役人さんと、企業とが宴会をしたような、そんなところかち出てきた試料でもってやられたのでは、私は困ると思うのですが、それについて重松先生から……。
  115. 重松逸造

    重松参考人 その調査担当者が向こうで宴会をやる云々は、これは私、個人的にももってのほかだと思います。ただ、この試料に関連しましては、いま先生がるるお述べいただきましたデータは、全部そのまま研究班の資料になっております。特に最初の部分の、つまり四十三年以前の調査は、実際には小林先生、それから金沢の石崎先生、それから当時、私、金沢大学におりまして、私の教室が直接現地へ行っていろいろ調査した試料が、そのままこの研究班報告として出ております。  それから四十三年度は、先ほど来から御指摘のように、もうこの年からは、それぞれの県でも直接担当していただくということで県にお願いした。これの内容について、そういう不祥事があったわけでございます。  それからイタイイタイ病に関連した鑑別診断班でございます。これは私も班員の一人でございまして、班長は金沢大学の高瀬教授でございますが、その鑑別診断班で検討いたしました実際の試料は、長崎県だけの試料ではございませんで、先生がいまおあげいただきました全部の試料を、萩野先生も含めて十分検討しております。ですから、研究班に関連しましては、そういう宴会事件とは全く関係がないということは、はっきり申し上げられると思います。
  116. 岡本富夫

    岡本委員 それはちょっとおかしいと思うのです。長崎県のものだけで、これをきめたのではない。たとえば安中でも、東邦亜鉛さんは調査前に川底を洗っておるわけですね。それから、川洗いが好きなのか知りませんが、実は私、商工委員会におったときも商工委員会から行ったときに、その前の日に全部掃除しておるわけですね。こういうようなことでは、私は非常に根拠が薄弱であると思うのです。  そこで最後に一つだけ、小西参考人に……。  地元の方が、最近は、何とかはっきりした鑑別をしてもらって、要するに診断をしてもらいたいということなゆで、イタイイタイ病の権威者であるところの萩野先生あるいは石崎教授、こういう人を、あなたのほうの会社の費用で現地にお招きして、そして、いまそういう疑似の方がだいぶいらっしゃるということは、先ほどもお話がありましたが、あなたのほうの費用で住民の皆さんを検診してあげる、ほんとうをいえば、厚生省研究班に出した委託費は、これはだましたのですから、返してもらわなければいかぬ。しかし、そこまで……。社長のほうで、あなたのほうで自主的に呼んで、そうして皆さん方を検診してやる、そして治療も早くしていくというような償いが必要ではないかと思うのですが、あなたの御見解をお聞きしたいと思います。
  117. 小西康孝

    小西参考人 お答えいたします。  対馬の健康管理について住民方々に、できるだけのことをわれわれとしてはすべきだと考えております。ただ、先生をどの先生にすべきかという問題については、われわれとしても少し考えさせていただきたい。いますぐ即答いたしかねますので、それは考えきせていただきたいと思います。
  118. 岡本富夫

    岡本委員 じゃ時間が参りましたから終わりますけれども、けしからぬですね、そういうことでは。
  119. 角屋堅次郎

  120. 山口鶴男

    山口(鶴)委員 昭和四十年、四十五年、四十六年にかけまして、当公害対策特別委員会にしばしばおじゃまいたしまして、カドミウム公害の問題につきましては何回も議論をいたしました。しばらく公害委員会におじゃまする機会がなかったわけでありますが、今回の問題につきまして、若干お尋ねをいたしたいと思うのです。  重松さんが時間の御都合があるようですから、まずお尋ねをいたしたいと思います。  国会では、与野党で国会を運営しております。国会の俗なことばでは、だましたほうが悪いかだまされたほうが悪いかということばがあります。今回のこの事件を見ますと、確かに公害隠しと申しますか、データのもとになります試料を改ざんするというような不当な事柄は、これは絶対に許すことはできないと思います。しかし同時に、重松さんも科学者であり、また当時厚生省公害課長であった橋本さんもりっぱな科学者であります。この科学者の方が昭和四十四年に私どもに示されました「カドミウムによる環境汚染に関する厚生省の見解と今後の対策 昭和四十四年三月二十七日 厚生省環境衛生局」この資料を見ると、私はやはりだまされたほうも問題があるのじゃないかという感じを否定するわけにまいりません。  と申しますのは、当委員会でもすでに問題になりましたから、この記述については読みませんが、とにかくこの四地区ですね、宮城県それから群馬県の安中、それから対馬さらに神通川流域の水、どろ、土壌農作物、こういうもののデータのばらつきを見れば、私は、これはやはりおかしいと思うのが、あたりまえではないかという気がいたすのです。上流のほうがカドミウム濃度が濃くて、下流のほうが薄いというのはおかしいじゃないかという指摘は、すでにございました。まさにそのとおりでありまして、他の地区に比べますと、この川水カドミウム濃度は高いが、鉱業所の排水のこのカドミウム濃度はきわめて低いのです。やはり他の三地区と比較対照すれば、おかしいと思うのがあたりまえじゃないかと思います。  それからさらに橋本さんも言われましたが、井戸水あるいは食品、こういうもののカドミウム濃度はこの対馬の場合は非常に高いんですね。こういうものと比較をしてみれば、私はやはりこの対馬の場合の鉱業排水カドミウム濃度が著しく低い、この点はおかしいと思わなければいかぬのではないかと思うのですね。重松さん、どうですか、そういうことをお感じになりませんでしたか。またOECDにこの経験も買われて行かれた有能な橋本さんが、そのように気がつかなかったことはないと私は思うのですが、いかがですか。
  121. 重松逸造

    重松参考人 御指摘の点は当然おかしいと思っております。ただ午前も御説明申し上げましたように、工場排水に関しましては非常に流動的と申しますか、それだから、われわれは低いからといっても、決してそれが真実とは毛頭思っておりません。そのために特に工場排水については継続調査ということを原則にしております。
  122. 橋本道夫

    ○橋本(道)政府委員 いま先生の御指摘のありましたような問題は、専門委員会の席上におきましても非常に議論をされたところでございましてあれだけのいろんな考えも違う、専門の違う先生方として一応合意されたということで、私は行政官といたしまして、当然それを基礎としてやるべきだということでやったわけでございます。
  123. 山口鶴男

    山口(鶴)委員 重松さんは、確かにおかしかった、したがっておかしいから、継続調査すべきだという御見解を漏らしました。  この改ざんされた調査、改ざんといいますか、公害隠しといいますか、その調査が行なわれましたのは、昭和四十三年の夏ですね。そしてこの結果が、昭和四十四年のこの見解になって出たわけです。とすれば、おかしいと思ったのならば、その次、昭和四十四年にここは継続して調査をされたのですか。そしてそのあと継続して、調査の結果によるところの見解というものが、昭和四十五年に当然私は出なければならぬと思うのですが、これは出たのですか。いかがです、重松さん。
  124. 重松逸造

    重松参考人 御存じのように、研究班はこの時代は厚生省からの委託でございまして、そういう意見に基づいて、四十四年からは長崎県が担当してやられるということでございます。したがいまして、このときの研究班はこの年限りでございますが、データとしては当然調査されているはずでございます。
  125. 山口鶴男

    山口(鶴)委員 そうしますと、これは佐藤さんですか、長崎県に委託をされて、補助金を出して調査を継続したというのですが、その調査のたびに、いつもこういう公害隠しがあったのを平然としておられたのですか。  橋本さんにお伺いしますが、結局重松さんとしては、厚生省から委託されたから継続したいという希望は言ったが——継続したいという希望を申されたから、私は厚生省に言ったのだろうと思うのですね。そういう希望がありながら、なぜ厚生省みずからの継続調査をおやりにならなかったのか、この点はいかがです。
  126. 橋本道夫

    ○橋本(道)政府委員 当時の私の立場といたしまして、厚生省がどうして鉱山にまで調査をするかということは、法律上は非常に行政常識としては、かなり奇異なものでございました。そういうことで、この調査をいたすときは必ず通産に連絡をし、調査の出た成績はすべて通産にお渡しをし、発生源対策については通産省において鉱山保安行政でやっていただくということが当然の行政の筋であるということで、発生源については、あとはそういうリレーをしたという考えでございます。
  127. 佐藤達夫

    佐藤参考人 御質問の趣旨がよくわかりませんでしたけれども、県のほうでどうしてやらなかったか——おそれ入りますが、ちょっと御質問の趣旨がよくわからないのですが……。
  128. 山口鶴男

    山口(鶴)委員 いいです。  重松さん、けっこうです、時間が参りましたから。  そこで私、通産省と橋本さんにお伺いしたいと思うのですが、先ほど来のやりとりを聞いておりますと、通産省は、鉱山保安法適用の企業ですから、そういう立場から排水あるいは川水その他について調査をやっておられた、データも握っておられたということを述べられたわけであります。  そこで私はお尋ねしたいのですが、厚生省がこの見解をまとめましたときに、当然本来の対州鉱山の監督は、これは通産省だったわけでありますから、当然通産省データを握っているということも御存じだったろうと思うのです。したがって、この見解を出すときに、厚生省通産省にこのデータを見せ、照会をしたのですか。  また通産省にお尋ねしたいと思うのですが、当時厚生省からそういう形でのデータの提供があり、通産省みずからは別個なデータを持っておったわけですから、その際、うちのほうのデータはこうだから、おかしいというような指摘は一切なさらなかったのか。この点お伺いしたいと思うのです。
  129. 林信太郎

    ○林(信)政府委員 お答えいたします。  私どものほうは四十三年八月、日本公衆衛生協会調査をされますときに、別途並行いたしまして調査をいたしております。サンプルの取り方は、一つのサンプルを分けてとっておるわけであります。したがいまして、個所にもよりますが、第一ダムにつきましては同じサンプルを分けております。それで大きな数値が出ましたので、その分析結果が十月の中、下旬ごろ判明いたします。したがいまして、私どものほうは当時の指導基準〇・〇一PPMに比べて高いということで、すぐ十一月の六日から八日にかけまして再検査に行っております。その結果は〇・〇〇二という形で出ております。(「それは薄められたのだ」と呼ぶ者あり)おっしゃるとおりでございます。それで第一ダムの〇・〇三三は高いわけでございますが、これが薄められずに残っておったかどうかという点、いま調査中でございます。  それから山口先生のお尋ねの日本公衆衛生協会の結果でありますが、四十四年の三月にでき上がって送付を受けております。そこで私どもは数字をいただいたわけでございます。
  130. 橋本道夫

    ○橋本(道)政府委員 厚生省研究班報告は三月の末に出まして、これを通産省に送付いたしております。しかし、そのときに相手の資料をよこせということを文書では私どもは要求しておりませんでしたが、私どもは相手のところに資料を絶えず全部公開をして渡しまして、どうですかというような話は担当者同士でいたしますが、正確なお答えをいただいたことはなかったというのが実情でございます。
  131. 山口鶴男

    山口(鶴)委員 実情はわかりました。私はそういうところにわが国の行政の欠陥があったといわざるを得ないと思うのです。現在の政府、要するに各省のなわ張り争いというものは非常によくやります。同時に、それは各省ごとにデータをそのまま持っておって、なかなか交流をしない。私はだましたほうも悪いが、だまされたほうも悪いと申しました。少なくともこの当時、通産省が〇・ ○一PPMをはるかにこえるデータを持っておったわけですから、私は少なくとも通産省鉱山保安監督局データを持っておったのですから、それと当時の厚生省公害課とがデータの交換をやっておれば、私はやはりこのような欺瞞性というものは早くから発見できたはずじゃないかと思うのです。ですから私は、このような公害隠しの事実も悪いけれども、各省も連絡を密にとって、もっとしっかりやってもらわなければ困る、このことを強く申し上げておきたいと思うのであります。  それでは次に移りますが、当時の東邦亜鉛はこれ以外にも不当なことを数々やっております。この公害隠しの事実は昭和四十三年八月です。同じ昭和四十三年の四月に、当時の東邦亜鉛亜鉛の製錬月産一万一千トンでございました。これを一万四千五百トンに、鉱山保安法の適用があるにかかわらず、無認可で施設の増設をやりましたね。それからさらに昭和四十三年十一月にはさらに上のりをいたしまして、月産一万七千トンに無認可で増設をしている、かように承知しておりますが、小西さん、いかがですか。
  132. 小西康孝

    小西参考人 残念ながらそのとおりでございます。
  133. 山口鶴男

    山口(鶴)委員 そうですね。このような無認可操業をいたしたことを、当時の国会で私は問題にいたしました。当時の東京鉱山保安監督部の鶴田さんという方は、これを苦にいたしまして、とうとう昭和四十四年八月自殺をされました。そして昭和四十五年には行政訴訟がございまして、違法操業の認可取り消しを求める請求に対して、当時の通産省はこれを認めました。またさらに、昭和四十五年五月十四日には鉱山保安法違反とする刑事事件に対して判決があり、会社は二十万円の罰金、そして役員の方お二人が懲役六カ月ないし八カ月、執行猶予三年、こういった判決を受けているはずであります。  こうしてみますと、公害隠しが行なわれた昭和四十三年八月の前後において無認可による増設が行なわれ、違法操業が行なわれる、こういうことを考えてみますと、私は当時のおたくの会社は、率直にいって申しわけないですけれども、全く無法伏態の会社だった、こう言って私は差しつかえないと思うのであります。当時の社長さんは相川さんという方だったと私は聞いておるわけでありますが、あのような企業のあり方に対して、当時小西さんもこの会社におられたはずであります。どのような御感想をお持ちであったか伺っておきたいと思います。
  134. 小西康孝

    小西参考人 私の口から申し上げるのは非常に苦しいのでございますけれども、この席上でございますので率直に申し上げますが、先ほどちょっと申し上げましたように、企業の社会的使命あるいは責任ということについての認識が欠けておった、ある意味では古い一つの体質を持っておったということを率直に申し上げます。
  135. 山口鶴男

    山口(鶴)委員 ちょうどそのころ、昭和四十四年十二月二十二日——実はこの前に、地域住民から違法操業に対して認可取り消しの行政訴訟が提起をされておりました。この審査に当たっておられました当時の通産省とすれば、当然企業実情調査する必要があるということで、東邦亜鉛安中製錬所の実情調査するということを発表されたのであります。ところが、昭和四十四年十二月十二日の通産省調査を前にいたしまして、今回問題になりましたような公害隠しと同じような行為が行なわれておったという事実を、私は残念ながら指摘せざるを得ないのであります。  それは、十二月二十二日に通産省の検証が行なわれることになっていたが、汚染水のサンプルを採取する地点だった碓東小学校という学校がございます。碓東小学校近くの延長放流路のマンホールを労働者の方お二人がたわしを使って真水で洗い流しておった。さらにあの辺に柳瀬川という川がございますが、この柳瀬川の川底を洗って、しかもそういう仕事を請け負っていた人が二人も当時おったということを現地住民の人たちが私に指摘をいたしております。昭和四十四年十二月二十二日に通産省調査がある。それを前にして、放水路を真水で洗ったり柳瀬川という汚染された川の川底を洗ったり、これは今回の対州鉱山公害隠しと全く同じやり口じゃありませんか。このような事実を、小西さんあるいは宮崎さんでございますか、お二人の方御存じでございますか。その事実を認めますか。
  136. 小西康孝

    小西参考人 当時そういうことを聞きまして調べたところ、何とか検査にいい結果を得ようとして、残念ながら一部やったことは認めます。
  137. 山口鶴男

    山口(鶴)委員 通産省お見えでありますが、昭和四十四年の十二月二十二日に、通産省の係官の方が現地に出向かれました。地域住民方々が集会をいたしまして、そしてこのような不当な事実があるじゃないか、このような不当な事実がある調査は全く無益であるから、本日の調査はやめるべきだという要求を通産省の役人の方々にされて、そして通産省の役人の方々も、そのような事情を認識されて、当日の調査は取りやめたという事実があったはずでありますが、通産省で当時の事情を御存じの方があれば、ひとつお答えをいただきたいと思います。
  138. 下河辺孝

    ○下河辺説明員 お答えいたします。  四十四年の十二月、日は忘れましたが、不服審査法に基づきまして行政審査が出ておりましたものですから、それの実態調査を行ないますために、当時排水と排煙の調査を実施する予定にしておりましたが、十二月の調査は排水を予定しておりまして、ただいま先生御指摘がございましたような、確かに私のほうの職員が付近の方々といろいろ接触があったということも私、ちょっと聞いておったような記憶もございます。それで、結局いろいろな理由がございまして、その調査は急遽取りやめにしたという事情は確かにございました。
  139. 山口鶴男

    山口(鶴)委員 通産省も、小西さんも、この事実をお認めになりました。これは一つの事例だと思います。日時が明確になっておりますから、この問題一つを私は具体的に提起をいたしました。  現地住民の諸君に聞きますと、同じようなことが安中でも何回か行なわれたということを私に訴える諸君が多いわけであります。先ほど指摘した昭和四十四年、これは相川さんが社長だった当時ではないかと思います。そこでお伺いしたいと思うのですが、小西さんどうですか、前の社長が退陣をされ、そして現在は小西さんが社長をしておられる。小西さんの時代になってから、このような公害隠しというようなことはやったことがございますかございませんか。
  140. 小西康孝

    小西参考人 絶対にそういうことをやらせないように特に厳重に示達しておりますから、ないと確信しております。
  141. 山口鶴男

    山口(鶴)委員 ぜひそういう決意で私は今後対処していただきたいと思うのです。  問題は、過去の社長さんの時代にあったことかもしれない。しかし、少なくとも東邦亜鉛株式会社という会社は一貫しておるわけです。そうでしょう。法人としては一貫性があるわけですから、当時のこのような問題は、私の時代のことじゃないから知らぬというような態度であってはならぬと私は思うのです。前社長の時代の問題であろうとなかろうと、会社として、このような不始末をした、そのことについては会社みずからが今後償っていかなければならない、こういう問題ではないかと私は思うのです。その意味における小西さんの御決意を重ねて私はお伺いしておきたいと思うのです。
  142. 小西康孝

    小西参考人 御指摘のとおりでございます。先ほども申し上げましたように、直接の関係はなかったとはいえ、会社はその償いを今後りっぱに果たしていくという覚悟でございます。
  143. 山口鶴男

    山口(鶴)委員 それからさらに私お尋ねしたい問題があるわけであります。  それは、問題になりました対州鉱山、その後閉山をいたしたということをお伺いをいたしております。そして聞くところによりますと、新たに東邦亜鉛は子会社をりくりまして、その子会社が鉱業権を取得する。そういたしますと、東邦亜鉛株式会社はいわば鉱業権がなくなるという形になると聞いております。そうしますと、鉱山保安法の規定から申しまして、鉱山に付属して製錬所がある場合、鉱山保安法の適用になるわけですね。ところが、鉱業権がない、鉱山の付属製錬所ではなくなるということになりますと、これは独立製錬所という形になりまして、これは鉱山保安法の適用から除外される、こういうふうに法律的な体系ではなっておる、かように承っておるわけでありますが、まず通産省にお伺いしておきますが、その点はそのような規定と理解してよろしゅうございますか。
  144. 林信太郎

    ○林(信)政府委員 お答え申し上げます。  ただいま先生が御指摘のとおりでございまして、鉱山が生産を中止あるいは閉山いたしまして、引き続き鉱業権を放棄いたしますと、当該会社が持っております製錬所は鉱山を持たない製錬所でございますので、独立製錬所という形になり、この場合の公害法規の適用は、一般工場関係公害諸法規に自動的に移るという仕組みになっております。
  145. 山口鶴男

    山口(鶴)委員 そうしますと、これを監督する官庁は具体的に府県だというように理解しておりますが、それでよろしゅうございますか。
  146. 林信太郎

    ○林(信)政府委員 おっしゃるとおりでございます。
  147. 山口鶴男

    山口(鶴)委員 そこで、小西さんにお伺いしたいと思うのですが、会社としてはそのような、私がただいま申し上げたような子会社をつくり、鉱業権をその子会社に与える。したがって、安中製錬所あるいは福島県にあります小名浜製錬所でございますか、というものは、従来の付属製錬所から独立製錬所になる、そのような御計画をお持ちだ、こう聞いているのですが、いかがですか。
  148. 小西康孝

    小西参考人 当初、そういうことも考えておりましたが、こういう事態になってまいりましたので、現在慎重にこれに対処しなければならぬと考えております。誤解のないように対処しなければならぬと考えております。
  149. 山口鶴男

    山口(鶴)委員 また通産省にお伺いしたいのですが、私はかつて数年前でありますが、当委員会安中東邦亜鉛と同じようなカドミウム公害を出している企業を問題にいたしました。具体的に言えば、富山県の黒部市にある日鉱三日市製錬所であります。  東邦亜鉛安中製錬所は、湿式製錬と乾式製錬と両方をおやりになっている。したがって、カドミウム汚染というものは、一つは湿式製錬から出ます排水を通じ水を汚染をしている。これに対しまして乾式製錬のほうは、乾式製錬でありますから、それから出る排煙の中にこの気化したカドミウム、気化した亜鉛等が含まれて、いわゆる煙によるカドミウム被害というものが起きている。特に沸点につきましては亜鉛よりもこのカドミウムのほうが低いわけですから、そうなりますと、この鉱石の組成よりも、むしろ排煙の中に含まれるカドミウムの量はふえていく、そういうところから、この安中製錬所のカドミウム公害を議論する場合は、排煙の議論が必要であるということを、当時厚生省、橋本さんにも指摘し、当時の斎藤厚生大臣が、排煙のほうを忘れておって申しわけないということで陳謝されたことを私も覚えております。  これと同じように、黒部市の日鉱三日市製錬所も乾式製錬をやっておった。ですから、当然排煙によるカドミウム被害が問題になったわけです。ところが、この黒部市の日鉱三日市製錬所につきましては、付属製錬所ではない、独立製錬所だということで、鉱山保安法の適用から除外されておったわけであります。  これでは、やはり問題ではないのか。現在のわが国の製錬所というものを見ますと、これはもうアルミニウムもそうですし、亜鉛もそうですし、それから銅もそうです。鉄もそうでしょう。結局すべて国内で採掘される鉱石というのは、ほんとうに少ないわけであります。安中の東邦亜鉛の製錬所も、ほとんどは外国からの買鉱にたよっておられるわけでしょう。そういう面からいえば、いずれもわが国の製錬所というのは買鉱にたよっておるのだから、この東邦亜鉛安中製錬所は鉱山保安法の適用を受けるが、同じような操業をして、同じような公害を出している日鉱三日市製錬所が、鉱山保安法の適用でないのはおかしいではないかということを指摘をいたしまして、黒部市の日鉱三日市製錬所は、鉱山保安法適用の企業というふうに、省令を改めて、たしか適用したと記憶をしているのですが、通産省いかがでございますか。
  150. 林信太郎

    ○林(信)政府委員 お答え申し上げます。  三日市製錬所につきましては、いま山口先生が御指摘のとおりでございます。
  151. 山口鶴男

    山口(鶴)委員 その後、現在はまたはずれているということは、私は承知しております。  しかし問題は、一たん鉱山保安法適用でなかった独立製錬所を、付属製錬所とみなして鉱山保安法を適用の企業にした。そういう経過を考えれば、私は今回のこの安中製錬所の問題も、法律的に議論すれば、いろいろあるでしょう。しかし今回、このような形で、公害隠しといいますか、対州鉱山の遺憾な問題も暴露されて、そして国民がこの問題に注目をしている。  こういうことを考えれば、しかも群馬県なら群馬県の実態を見れば、これは確かに今度は、法律的にいえば、適用からはずれれば、群馬県がこの監督の立場に立つ。しかし群馬県は、今日まで、  こういった鉱山保安法適用の企業と類似の企業に対して、十分監督の実績を持っているかといえば持っていない、スタッフがあるかといえばスタッフもない。私は決して県を信頼しないということではありませんけれども実情はそうで、そういうことも考えれば私は、この際やはり十分鉱山保安について長い間の経験を持ち、やり方については先ほど来指摘されたような遺憾な実績もあるようでありますが、それはおきましょう、とにかく、この問題について今日までの実績を持っている通産省が、引き続いてこの鉱山保安法適用の付属製錬所として、この監督を続けていくということが、国民の期待にこたえる道ではないか、あえていうならば、地域住民の期待にこたえる道ではないか、かように思うのでありますが、その点に対する通産省の見解を承っておきたいと思います。
  152. 林信太郎

    ○林(信)政府委員 お答えおし上げます。  法律のたてまえは、先ほど山口先生から御指摘があったとおりでございます。私ども法律に基づいて行政を実行してまいりますものといたしましては、しいて法律を曲げて行政を実施するということは許されないことではございます。ただ、ただいま山口先生きわめて適切に御指摘がございましたように、現在、県におきます製錬所に対する公害の監督の体制が、私ども監督局で持っております技術、スタッフ、経験等々と比べまして、相当な差があるということも事実でございまして、安中対馬の閉山に伴いまして、すでに昨年の九月に生産ストップ、十二月閉山いたしておりますが、そのことから、県のほうは、いよいよ自分のほうで受けなければならないとなると、どうしても鉱山監督局のほうの技術的なアドバイス、指導等々長く受けたいというふうな非公式の申し入れも受けております。私ども、そういう県の要望に対しましては、その背景に、ただいま御指摘のように、地域住民方々の不安、要望、あるいはもっと広く国民一般の要望があるようでございますので、喜んでそういうことにはお手伝いするという返事をいたしております。  ただ、こういう情勢の中で、ただいまのような重大な事件が起きてまいったわけでございます。これを契機にいたしまして、東邦亜鉛傘下の製錬所のあります地元におきまして、製錬所の監督の移管について不安問題が起きているということも承知いたしております。したがいまして、法律のたてまえはそういうことになっておりますが、形式行為としての会社からの鉱業権廃止の手続が私どもに出てまいりません限りは、実質上鉱山監督局が製錬所を監督するという形が継続するわけでございます。  したがいまして、法律をつくり、あるいは法律の施行を監督されます国会の先生方の了解が得られるのであれば、そういう実態にもかかわらず、こういった重大な事態が解消するまでの間は、いまの問題は静観いたしたいというふうに考えており、かつ、そういうことでございますれば、強力に企業を指導してまいりたいというふうに考えております。
  153. 山口鶴男

    山口(鶴)委員 私が指摘いたしました違法操業の問題、それから当委員会で問題になりました公害隠しの問題、さらに私が新たに提起いたしました昭和四十四年十二月二十二日の問題、いずれも前社長の時代の事柄であることは、私は承知しております。それだけに小西さんに、前社長の問題であるけれども会社は一貫した人格というものを持っているんだから、やはりこの現在の会社が、あなたがその過去の遺憾な事態を償っていかなければならぬだろうということを指摘いたした次第であります。  いま通産省から御答弁がありましたように、鉱業権廃止の手続がこの会社からなされれば、法に従って、この鉱山保安法の適用からはずれるということが法のけじめだ、こう言われました。どうですか小西さん、今回こういう事態も起きたわけでございますから、この鉱業権については東邦亜鉛会社が持っている、そういう中で、この鉱山保安法適用の企業として十分通産省の監督を受け、そういう中で、その後公害対策にもいろいろ力を入れているということは伺っておるわけでありますが、どのように公害対策にその後力を入れたかという問題と、その一環として、この鉱山保安法の適用の問題、具体的に言うならば、鉱業権廃止の手続は慎重にひとつ対処されたい、できればやめていただきたいというふうにお答えいただければいいと思うのでありますが、先ほども十分諸般の事情を考慮して、前向きに検討していきたいというふうに言われましたが、この問題に対する御見解を承って私の質問を終わっておきたいと思います。
  154. 小西康孝

    小西参考人 ただいまの御趣旨を十分尊重しまして、慎重に対処いたしたいと思います。御了承願いたいと思います。
  155. 角屋堅次郎

  156. 米原昶

    ○米原委員 私はまず最初に、長崎県の環境保全局長佐藤参考人にお聞きしたいのです。  先ほども岡本委員のほうから、長崎県の衛生部長会社側との宴会に参加したというような事実が述べられましたが、こういうことを県のほうでは御存じでしたかどうか、これを聞きたいのです。
  157. 佐藤達夫

    佐藤参考人 私のほうの県会でも話題に出まして存じております。  ついでに中身を若干申し上げますと、患者さんのと申しますか、住民の健康診断、第三次診断でございますが、対馬ではお医者さんが足りませんので、長崎のほうから参ってやるわけです。それでたいへん御苦労でございました、ありがとうございましたということで、町長さんの御慰労というか感謝というふうなことで席が設けられた、そういうふうに聞いております。
  158. 米原昶

    ○米原委員 もう一つ、先ほどのあなたへの質問の中で、先日長崎県と福岡の鉱山監督局の調査団厳原の町に調査に行かれたときの問題でありますが、そのときの被害者、農民たちの集会で、先ほどは川ざらいの話が出ましたね。このブルドーザーによる川ざらいについては、四十三年の六月の定例町議会で、町議会議員からすでに追及されていた、こういうことがあなたの行かれた集会で農民から出て、そういうことがその当時すでにあったのに、それでも県は知らなかったというのかという質問が町民から出たそうであります。これは私新聞で読んだのですが、そのとおりですか。
  159. 佐藤達夫

    佐藤参考人 農民の集会というよりも、むしろその前に、私どもと町役場と、それから町の議長さん、公害対策特別委員長さん、皆さんおいでになって、少しお役所サイドで話を伺いました。  そのときに、いまの四十三年のブルドーザーの話が出てまいりました。当の御質問をなさった議員から、こういう話を自分は町議会でしておるのだけれどもというお話がございました。私はそのときに、個人的には私は存じませんけれども、県として町議会でそういう質問があったということを知らないというわけにはいきません、そのような意味のことをお答えしたと思っております。
  160. 米原昶

    ○米原委員 つまり、町民たちはほとんど県を信用していないということがいままでの経過からわかるのです。非常にその点が残念だと思うのです。その点について、長崎県は今後どういう考え方でいかれるか、この際はっきり見解を述べていただきたいのです。
  161. 佐藤達夫

    佐藤参考人 私どもの県の中でいろいろうまくいっていないというお話で、たいへん痛み入るわけでございます。申しわけをするわけではありませんけれども、非常に時間もかかりますし、遠いところであって、何かと意思の疎通を欠いておることは事実でございますので、その点は、私どもは距離の遠さということ、時間的な遠さということも十分考えまして、特に私ども出先のほうに、厳原に県立の保健所を持っております。そことの連絡を密にしてやっていきたいと思っております。
  162. 米原昶

    ○米原委員 それでは、次に小西参考人にお伺いいたします。  先ほども、四十四年の十二月に通産省調査に入るということが前もって予告された段階で、やはり東邦亜鉛安中製錬所の問題ですが、実際に川ざらいなんかやったということが話が出ましたし、その一部を小西さんも認められました。実を言いますと、その当時出ました、毎日新聞社から出ております毎日グラフというのを見て驚いたのですが、当時のこういう一般に読まれているグラフにまで、川ざらいをやったところの写真がここに一ぱい出ております。ですから、公然たる問題に当時なっているわけです。グラフに、これは四、五ページにわたって、その模様が出ているわけであります。     〔委員長退席、坂本(三)委員長代理着席〕  さらに、それだけでなく、そこの安中被害者たちが、その調査を前もって知っておりましたから、そのときにすぐに、川ざらいが始まったというのでカラー写真でとったものを私、ここにこれだけ持っております。こういう実態なんです。ですから、これはまさか否定されないと思っております。  ただ、そこで私、小西さんにお伺いしたいのは、その当時の安中の製錬所の所長小西さんがおやりになっていたのではないかと思いますが、その点、間違いありませんか。
  163. 小西康孝

    小西参考人 そのとおりでございます。
  164. 米原昶

    ○米原委員 そうだとしますと、やはりその川ざらいにもかなり責任があるのじゃないかと思うのです。先ほど、その当時はもちろん社長さん違いますが、その当時の会社は、企業社会的責任という点については自覚が足りなかったということをおっしゃいました。そして、いまは違うのだとおっしゃるわけです。しかし、ちょうど対州鉱業所で問題の事件が起こった、その同じ時期に、やはり安中製錬所で事前に川ざらいをやるなどというようなことが行なわれていた。これを知りますと、これは決して簡単な問題じゃない。対州鉱業所で起こったのは、その当時の対州鉱業所所長の個人的な独断専行のような話が出ておりますが、そうだと思えないですよ。  つまり、その当時同じようなことが安中でも行なわれていたのじゃないかということですね。しかも、この点につきまして、私が小西さんに特にお伺いしたいのは、そのときに安中の農民が小西さんのところに行って、この問題を問いただしている。こういう記事が当時の新聞に出ております。つまり、柳瀬川の底石を竹ぼうきで洗ったり、生コンクリートを流し込んだりしていた。そういうことで農民がこのことをあとで追及したところが、小西さんがこうおっしゃっているというのですね。日本人の常識として、お客を迎えるときに、あたりをきれいにしておくものだ、こういうふうにあなたが答弁されたという記事が出ておりますが、これは事実かどうかということをお伺いしたい。
  165. 小西康孝

    小西参考人 そのことばどおりであったかどうかは別といたしまして、とにかくあとで、なぜそういうつまらないことをやったのだろうということで、私もきびしく反省するとともに、そういう慣行といいますか、検査があるとか社長が視察をするとか、そういうときにはできるだけきれいにして迎えるというような慣行があったということは事実でございまして、そういうことをやることはないと言って戒めましたけれども住民方々にこれはどういうことだと言われたときに、誤解を招くようなことをあるいは言ったかとも思います。
  166. 米原昶

    ○米原委員 いまの御答弁だと、隠蔽工作なんかやるつもりは、そのときにも全然自分にはなかったのだというふうに聞こえますが、しかし、そうでないことが当時の毎日グラフというような一般に読まれる大衆的なグラフにまで——一つの、その隠蔽工作自身が当時社会的な問題になっているわけですよ。そうして、ここにずいぶん皮肉な記事が書かれております。こんなふうに書いてあります。「通産省調査の行なわれる数日前、工場前広場に美しい花壇がつくられた。しかしそこに植えられた花が、生き生きとしていたのは皮肉にもたった一日だった。「あれがいい見本ですよ」と農民はいう」と、こんな記事が出ております。  非常にむしろ皮肉な見方で社会全体から見られていたんですよ、そのときに。私はその当時の社長さんの方針が、いま言われたほどすっきりしたものじゃなかったんじゃないか、やはり企業社会的責任ということについて、小西さん自身もその当時認識が足りなかった、そういうふうに認めるべきじゃないかと思いますが、どうなんでしょうか。
  167. 小西康孝

    小西参考人 弁解はいたしません。みずから顧みて、足りなかった点もあったと思います。     〔坂本(三)委員長代理退席、委員長着席〕  なお、花の話も出ましたが、非常に残念ながら地域住民との不信感がありまして、そして、せっかくわれわれとしては、よくしようとしたことも理解されない。それにはそれなりの原因があったかと思います。  それから、みずから顧みて、自分ではそのときは一生懸命にやったつもりでございますけれども、まだ足りない点があったということを反省いたします。
  168. 米原昶

    ○米原委員 その点で、いままでのお話では、対州鉱業所の問題のほうは当時の所長だけの何か独断専行でやったことで、当時の会社にはそういう指示を出したことはないということを言っておられますし、その証拠を引き出すのは、そう簡単じゃないと私も思っていますけれども、しかし当時とっておられた会社の全体の方針を見ますと、遺憾ながら決して所長個人がやったと思えないのです、客観的に判断して。会社全体がやったことじゃないか。この点、さらに私たちは検討していきたいと思いますが、同時にその点から考えましても、先ほども出ました鉱業権を譲渡して別会社をつくるということは、これは絶対にこの際やめていただきたいと思うのです。  やはり鉱山監督局の——少なくともほかの官庁とは違った、鉱山保安体制については経験も持っておりますし、また、いままでやったことを全部が全部けっこうだとは私は申しません。非常に不徹底だとは思いますけれども、しかし鉱山監督局の厳重な、やはり公害規制のもとに置かれる、その状態を続けることが、またその状態を続けてもらうことが、私は会社としても社会的責任を果たすゆえんだと思うのです。その点、この際はっきり会社としても、その覚悟を持ってもらいたいということを要望しまして、簡単ではありますが、私の質問、これで終わります。
  169. 角屋堅次郎

    角屋委員長 木下元二君。
  170. 木下元二

    ○木下委員 小西参考人の御経歴をちょっと聞いておきますが、四十七年十二月までに、社長になられる前ですね、安中所長をやっておられたということですが、これはいつからいつまでなのか、それから、その前に庶務課長をやっておられたのは、いつからいつまでなのか、伺いたいと思います。
  171. 小西康孝

    小西参考人 お答えいたします。  四十一年十一月から四十三年の十一月まで人事部長兼総務部長を本社でやっておりました。それから四十四年の七月に安中へ参りまして、安中製錬所長をやりました。それから四十五年の八月に副社長として、そのまま安中製錬所に駐在しております。四十六年の二月に副社長として本社へ帰りました。  以上でございます。
  172. 木下元二

    ○木下委員 安中では、庶務課長はおやりになってなかったのですか。
  173. 小西康孝

    小西参考人 総務課長ですか。
  174. 木下元二

    ○木下委員 庶務課長と聞いておりますが、庶務課長はおやりになっていないのですね。
  175. 小西康孝

    小西参考人 総務課長は、安中で二十九年から三十年の夏ごろまでやっております。
  176. 木下元二

    ○木下委員 それを先に聞いておきまして、問題の点に移りますが、その前に神出所長——当時保安企画室長がいて、その人が居所不明になったということを言われたのですが、名前は何といわれる方ですか。——質問がわかりませんか。先ほど小西参考人が言われたのですが、幹部で居所不明になった人がおりますね。
  177. 宮崎孝人

    宮崎参考人 おります。対州鉱業所の保安企画室長です。久松忠というのです。
  178. 木下元二

    ○木下委員 この方はいつから居所不明ですか。
  179. 宮崎孝人

    宮崎参考人 昭和四十七年の二月に退職しましてから、わからないわけでございます。
  180. 木下元二

    ○木下委員 問題の起こった点について、小西参考人はお認めになった部分と認められていない部分とあるわけなんですが、鉱業活動と無関係地点、日見川上流などに夜間、鉛とか亜鉛とかを含む鉱石を河床に散布した、こういうことはお認めにならぬのですか。
  181. 小西康孝

    小西参考人 現在会社調査したところによりますと、そういう事実はありません。
  182. 木下元二

    ○木下委員 それは、先ほど言われたのですが、神出所長と、それからIという方二人から聞かれたのですか。
  183. 宮崎孝人

    宮崎参考人 お答えいたします。  神出所長、及び私が対州に行きまして、現在の所長その他の残っております者から聞いた事実でございます。
  184. 木下元二

    ○木下委員 椎根川上流の河床の凹部に廃石を投入して、河床の露頭からカドミウムが出ておるような状況に仮装したということはどうなんですか。
  185. 宮崎孝人

    宮崎参考人 お答えいたします。  そういう事実はないというふうに私の調査ではなっております。
  186. 木下元二

    ○木下委員 あなたの調査と言われますが、それは、あなたが現地に行かれまして、だれとだれから聞かれたことですか。
  187. 宮崎孝人

    宮崎参考人 まず神出所長、それから現在の三木所長、現在の斉藤副所長、それから現在の福岡営業所長で前に工作の課長をやっておった素花弘、それから現在の企画室長でありますところの今井新造でございます。
  188. 木下元二

    ○木下委員 現在の所長、副所長などはその当時ここにおられた人ですか。
  189. 宮崎孝人

    宮崎参考人 当時勤務しておりました。
  190. 木下元二

    ○木下委員 そうしますと、認めた点は二つなんですが、上流のほうに砂やいろいろ持っていって流し込んだというのは、これは新聞記事を見ましても、お認めになっているのですか、どうですか。新聞にはそういうふうに出ておりますよ。
  191. 宮崎孝人

    宮崎参考人 上流ではなく下流に砂をまいたという事実はございます。
  192. 木下元二

    ○木下委員 それから検体の水に注水をしたというのは、これも四、五回とか五、六回というようなことを言われましたけれども、告発書によると、十四回というふうに回数まではっきりしておりますが、この点は、じゃ五、六回とか四、五回と言われるのなら、それはいつから、どの分か特定できるのですか。四、五回とか五、六回というのは非常にあいまいな記憶ではないのか。そうでしょう。
  193. 宮崎孝人

    宮崎参考人 お答えいたします。  今井新造という現在の室長に尋ねたところ、自分の記憶では四回か五回であった、おっしゃるとおり、記憶によるものでございますから、あいまいだと思います。
  194. 木下元二

    ○木下委員 それから検体の水を薄めるということなんですが、これはどういうふうにしてそういうことになったのかということですけれども、県のほうから人がやってきて、事務所に置かれておるのに水を混入したということですか。事務所でやったのですか。旅館でもやっておりませんか。
  195. 宮崎孝人

    宮崎参考人 お答えいたします。  非常に大きなポリびんでございますので、場所を相当とるわけでございます。したがいまして、事務所に保管して検査員がまた別の場所に行ったすきにやったということを言っております。旅館では、そういうことは一切しておりません。私の調べた結果ではそうでございます。
  196. 木下元二

    ○木下委員 県のほうから人がやってきたら、どこに泊まるのでしょうか。宿泊はするんですね。これは会社のクラブのような宿泊所が鉱業所にあって、そこで宿泊をしておったのではないですか。
  197. 宮崎孝人

    宮崎参考人 厳原の旅館に泊まっております。会社にクラブはございますが、泊まっておられません。
  198. 木下元二

    ○木下委員 その点はっきり調べられましたか。あとのほうでは、そういうふうに旅館に泊まるようになったけれども、初めのころはクラブに泊まっておったのではないのですか。
  199. 宮崎孝人

    宮崎参考人 初めのころは私は調べておりません。それでわかりません。
  200. 木下元二

    ○木下委員 そうすると初めのころはわからぬ。あなた、ではいつのことを調べたのですか。どの分を調べたのですか。
  201. 宮崎孝人

    宮崎参考人 特に時期を指定しておりませんでしたが、ここ当分の最近のことだと私は判断しております。
  202. 木下元二

    ○木下委員 そうすると、その調べられた旅館に泊まったというのは、いつのことなのか、その時期はわからぬのですか。
  203. 宮崎孝人

    宮崎参考人 はっきりわかりません。
  204. 木下元二

    ○木下委員 あなたのほうの調査は非常にずさんですね。なぜもっと明確に調べないのですか。わざわざ現地に行かれてお調べになった以上、いつ、どこで、どういうふうなことがあったのかということを、もっと明確に調べるべきでしょう、あるいはわからぬ点があるかもわかりませんけれども。あなたのお調べようは非常にずさんな、あいまいなことじゃないですか。これはもう県のほうから検査に来て、初めのうちはずっとクラブに泊まっておって、それがあまりやかましくなったので、下のほうの旅館に泊まるようになった。旅館に泊まるようになってからも、食事に誘い出しては、そのすきに混入しておったというふうなことじゃないのですか。
  205. 宮崎孝人

    宮崎参考人 今回の調査は約二日間にわたって短期間にやったものでございますから、御指摘の点のように多少不安定なところがあることは認めます。ただし、水を薄めた、その他につきましては、現在団員を残しておりますので、それはいつ、どういうふうにやったかということを調査しておりますので、現時点では正確にお答えできないということでございます。
  206. 木下元二

    ○木下委員 それから、その水を混入するというのは、ポリ袋に入っておる水を出して減らして、そしてその減った分だけ新しい水を入れるということですね。
  207. 宮崎孝人

    宮崎参考人 お答えいたします。  そのとおりでございます。量は、私の調べましたところ、大体二分の一ないしは四分の一を捨てて、別にとっておった水を注入した、こういうことでございます。
  208. 木下元二

    ○木下委員 まだいろいろ具体的に聞きたい点などがあるわけですが、いまあなたのお話によっても、現時点での調査であって、非常に不明確な点、あいまいな点がありますので、この点はさらに突っ込んだ徹底的な調査をやるように要望しておきます。いかがですか。
  209. 宮崎孝人

    宮崎参考人 会社としても、仰せのとおり徹底的に調査いたす所存でございます。
  210. 木下元二

    ○木下委員 それから、米原議員からも質問のあった点ですが、これは通産省が検証をするにあたって、いろいろな証拠隠しをやっておるということですけれども、花壇をつくったり、あるいはマンホールの問題等々出ましたけれども、もう一つこういうことをやっていませんか。工場のすぐそばに小高い山がありまして、そこに、緑のはだに見せるために、ぼろ布にペンキを塗って吹きつけをする、こういうことをやっておるのですが、これは現にたくさんの住民が見ておりますし、弁護士も行って見ております。どうですか。
  211. 小西康孝

    小西参考人 お答えいたします。  これは、ああいう斜面でございますので、ただ種をまいたのでは、なかなかつかないのです。それで、網みたいなものをかけて、そして吹きつけまして種をやりましたので、ペンキではだを塗ったのではございません。これはだいぶ誤解をされましたのですが、これは間違いございません。
  212. 木下元二

    ○木下委員 ペンキを何かに塗ったということは、事実はないのですか。種をと言われたけれども、ぼろ布にペンキを塗って吹きつけをしたというようなことはありませんか。
  213. 小西康孝

    小西参考人 布は緑色をしておりますが、布にはペンキは塗っておりません。
  214. 木下元二

    ○木下委員 何に塗ったのですか。
  215. 小西康孝

    小西参考人 緑色の布を使っているだけでございまして、どういう製造であるかはわかりませんが、決して会社で作為的に色をつけたのではありません。これはとにかくきれいにする、周辺を美しくする、花を植える、これは擬装というよりも、できるだけよくしていこうという努力でございます。それだけは申し上げます。
  216. 木下元二

    ○木下委員 それを特に検証の前にやるから問題になるわけなんですよ。そして、これは検証の前だけではなくて、これはもう前から、あなたのほうの安中の従業員の人ではっきりと申し出ておる人がおるのです。だから私は言いますが、検査があるというと、植え木の植えかえをやったり、下流に魚が浮くと、浮いた魚をすぐに取りにいく、水の中に入って竹ぼうきで掃除をする、こういったことを次から次にやっておる。どうですか。
  217. 宮崎孝人

    宮崎参考人 ちょっと先ほどの種のことで補足させていただきますが、これはサンケットといって、専門的によくわかりませんが、肥料と種の入った網がございますので、それをがけにやって吹きつけるという方法をとって、ああいうがけに種をつけるようなことになっておるのだそうでございます。それは四十四年から四十五年ごろにやっております。
  218. 木下元二

    ○木下委員 いまの点はどうですか。
  219. 小西康孝

    小西参考人 とにかく非常な不信感がございまして、善意でやることも、あるいは中には、先ほど御指摘がありましたように、きれいにひとつ見せようということと両方があったと思いますが、一つ悪いことがありますと、全部悪いように見られますが、やはり企業としては周辺をきれいにし、また川がよごれれば、それを直していく、ただそれが検体をごまかすためであるとか、あるいは検査をうまく通ろうというようなところへいきますと問題になるわけでございまして、その辺が先ほど御指摘ありましたように、古い一つの体質でいろいろ誤解を生むようなことがありましたので、非常に残念ながら、すべてが悪いように解釈されているのではなかろうかと思っております。
  220. 木下元二

    ○木下委員 まあ、検査があるからといってその直前に、そういった清掃ということに名をかりて、いろいろと整理をすれば、当然やはり問題になりますよ。  さらに指摘をすれば、これは今年の三月十八日、十九日には現に裁判になっておりまして、裁判のほうの検証がありますね。これに際していろいろとやっておられますね。  一つだけ言いますが、岩井というところがありますね。この岩井のたんぼを焼き払っておりますね。これはもちろんあなた方の会社のものではなくて、この付近の人たちのものでありますが、この人たちに話しかけをするなり働きかけをして、たんぼを焼き払っておる。いかがですか。
  221. 宮崎孝人

    宮崎参考人 その点は、お答え申しますが、それは誤解でございまして、たんぼが、そこはいま公害田になっておりまして、米作ができません。したがいまして草がはえておりますが、地元が火災等の予防のために焼き払ってくれということでやっております。そのように報告は来ております。決して擬装とかそういうためにやったのではございません。
  222. 木下元二

    ○木下委員 その点はもう私はここで論議をいたしません、時間がありませんので。しかし、これは当然裁判でも明白になってくる問題だと思います。  結局対州で起こったことは、所長がやったのだ、会社は知らない、社長関係ないと言われますけれども、その社長所長をしておられた安中でこうした問題がいろいろ起こっておることは、さっきから指摘があるように、これは会社としてこうした公害隠しをおやりになったことは明白であります。  まだいろいろ問題点がありますけれども会社に対してはもう終わりまして、時間が来ましたので、一つだけ私は最後に県のほうに伺っておきますが、県の土壌汚染対策といたしまして七三年三月に、県より委嘱をしまして、九州大学の青峰教授という方に、その汚染状況についての報告書をつくっていただきましたね。これが、その鉱山汚染寄与率というものを調べた報告ということになっておりますが、この事実、間違いありませんか。
  223. 佐藤達夫

    佐藤参考人 県のほうで先生にお願いをして、県の単独でつくっていただいております。
  224. 木下元二

    ○木下委員 その報告に基づいて、農民に対する土壌汚染による補償をやっている。その補償のうち、この会社のほうに対して一億円、三億円の補償のうち一億円、三分の一の補償をしておるということですけれども、この事実は間違いないでしょうね。
  225. 佐藤達夫

    佐藤参考人 青峰先生という九州大学の農学部の先生にお願いいたしております。お願いをいたしました目的は、この鉱山がたいへん古い山でございまして、現在の東邦亜鉛カドミウム汚染をしたその寄与率、どれぐらい東邦亜鉛会社がよごしたか、カドミウムでよごしたか、そういうことはなかなか議論がありますので、そこをひとつ判定していただきたいということで青峰先生にお願いをしたというのが趣旨でございます。そして青峰先生の報告をもとにいたしまして、私のほうは会社に三割というのを負担してくれ、こういうことを言っております。  それから汚染田の買収でございますが、ほんとうでございますと、転作をするなり、あるいは土壌改良、土地改良をやるなりということが考えられるのでございますけれども、技術的に、いろいろできない点があるということで、やむを得ず汚染田を町が買い取る、こういうことをやったわけでございます。それの負担の区分が三割が会社ということでございます。
  226. 木下元二

    ○木下委員 そういたしますと、結局、私、先ほど間違えましたけれども、三割負担ということでおきめになっておるようですけれども、その汚染寄与率のデータ、根拠そのものが狂ってきたことになりますので、そうしますと、この問題についても根本から洗い直す、やり直すということになるわけですね。
  227. 佐藤達夫

    佐藤参考人 一応この事件がわれわれの耳に入りましてからごく最近、九大の青峰先生に、こういうことがあるがどうだろうかと鑑定をお願いして、鑑定が狂うだろうか、どうだろうかといふううなお伺いを立てております。しかし、データの中で何か根本的に大きく狂うものがあれば、またあらためて先生に再検討をお願いする、このようなことは十分あり得ることだと思います。
  228. 木下元二

    ○木下委員 もう質問終わりますが、あり得るということでなくて、こういうデータそのものが擬装工作によってつくられたものであるということが判明したわけですから、当然新たにデータを出し直して、それに基づいた鑑定報告ということになると思うのですよ。だから、そういうことがあり得るんでなくて、当然そういう方向で進めていただきたい、いかがですか。
  229. 佐藤達夫

    佐藤参考人 専門の先生にお願いしたのでありますので、私がいまここで、この内容をとやかく申し上げることはあれでございますけれども、趣旨はいま先生のおっしゃったようなことで、青峰先生に再度御検討をお願いすると、こういうことでございます。
  230. 木下元二

    ○木下委員 じゃ終わります。
  231. 角屋堅次郎

  232. 田中昭二

    田中(昭)委員 私は、去る日曜を利用いたしまして、先ほど岡本議員から申し上げましたように、公明党の調査団の団員の一人といたしまして現場にお伺いしてまいりました。  そこで、まず宮崎参考人にお尋ねいたしますが、新聞報道によりますと、あなたはこの事件で告発が起こりましてから、元所長神出所長の発言を確認に行かれた、簡単にいえばですね。元所長が悪いことをやった、それを新聞発表した、それがほんとうだったのだろうかどうだろうかということをあなたは現場へ確認、そのほかのこともあって調査に現場におもむかれた。間違いございませんね。そうして、あなたは九日に、私のほうの調査団の一員と、そこにいらっしゃる県の局長さんと一緒に、いろいろ事情聴取なり調査も行なっているようでございますね。これも間違いございませんね。  そこで私は、あなたがまだ十日の朝いらっしゃるうちに、公明党調査団として、あなたの調査をなさったものをお伺いしょうと思いまして、朝のうちに私たちが来ますから、おっていただきたいということを三木所長のもとに申し入れをしておきました。ところが、あなたはどういう理由でか、その日の船の便でお帰りになった。私たちはもうそのときから、ほんとうにどういうもんだろうかというような気持ちもしましたけれども、これは人間の感情の問題でございますから、さておきますが、いま私が申し上げました、あなたが神出所長の、当時所長として行なったことについて、確認と調査のためにおもむかれて、そうして九日の日、私のほうの谷口県会議員、一緒にあなたはいろいろお話をされたはずです。  そのときに神出所長——簡単に言いますよね、いわゆる土砂搬入の問題とか、それから川を清掃したとか、それから検体に注水したとか、それから川にアユを流したとか、こういう問題について、大まかにいえばこういうことで、あなたはいろいろ御説明があった、このように私は聞いておるのです。その中でいままで明らかになりました、このいわゆる調査サンプルである検体に注水したということは、これはいま公害がこのように問題になりましてたいへんな問題なんです、これはもう技術者として、こういうことが行なわれるならば、ほんとうに企業の反社会的な責任を問わざるを得ない、こういうように思うのですが、私はまず、この一つを取り上げてみたいと思うのです。  あなたは、神出所長の発言を受けて現地に行かれて、そうして九日の日には神出所長は二回、検体を薄めたという御発言になっておりますが、これは間違いございませんか。
  233. 宮崎孝人

    宮崎参考人 お答えいたします。  神出所長は、二度指示をしたと言っておるわけでございます。それで神出所長が言っとったのは、自分の記憶では三、四回やったんではなかろうか、自分としては二度ばかり指示した覚えがある、こういうふうに言っておったということを説明申し上げました。
  234. 田中昭二

    田中(昭)委員 それはいま私が言ったことなんですよ。あなたはそれを確認に調査に行かれたわけでしょう。神出所長さんが二回指示したと言ったと、かりに。ほかにまだ三回か四回あるというようなことも記憶がある。それをあなたは確認に行ったんじゃないですか。その確認に行った結果はどうだったんですかと聞いているのです。
  235. 宮崎孝人

    宮崎参考人 確認の結果は、私が神出所長の供述によって確認しましたところ、今井現室長は、自分の記憶では四回ないし五回やったというふうに言っております。その時点では、その点の確認ができていない時点でございましたので、私の来た目的は、そういう神出所長のことを、ただいまから確認をいたします——それは九日の日でございます。私は九日の一便で参りましたから、三時に山に入りまして、三時過ぎに調査団の方がおいでになって、まだ私は今井室長なり何なりに会う時間がございませんでしたので、一応ごあいさつと、神出所長はこういうような記者会見をしております、したがって、その事実を確かめに参っております、こういうふうな御説明を申し上げました。
  236. 田中昭二

    田中(昭)委員 それではそういうあいさつが終わったあと、あなたは二回か三回か薄めたことを確認されましたか。それで確認されたら、何月何日の調査の分の検体をどのように薄めたか御存じですか。
  237. 宮崎孝人

    宮崎参考人 その夜、今井係員にいろいろ尋ねましたけれども、その資料についてはよくわからないと言います。したがいまして、私はその資料と申しますか、そういうような表を至急さがしてみよという指示をいたしまして、私はその資料ができるのを待っておりましたが、その翌日から今井係員が監督部の調査にまた入ったわけでございます。
  238. 田中昭二

    田中(昭)委員 あなたの調査は何をしに行ったのですか。先ほど私が確認したでしょう。二回か三回か四回かやった、それを確認に行ったわけでしょう。その確認に行ったところが、担当官が、書類はあなたが帰るまでとうとう出さなかったということですか。あなたたちの企業でやったことは、悪いことはもうはっきり社長さんもお認めになっておるのだから、ほんとうならば、あなたが確認してきたものなり、三回なり四回のものをここに出しなさいよ。そうすればあなたたちの良心というものを私は疑いません。しかし、ことばでこの場だけを抜けていけばいいというような、そういう態度がありありとしておるから、私はおこっているのです。はっきりしなさい。
  239. 宮崎孝人

    宮崎参考人 そういう態度は毛頭ございません。(田中(昭)委員「じゃ、はっきり答えなさい」と呼ぶ)それは、残念ながらそういうことで、資料がどこに入っておるかわからぬと申しますので、それを至急に調べろ そう言っておいたのです。それで私は、こちらの国会のほうに呼ばれておりますので、十一日までにどうしても帰らなければならぬということで、十日の午後の便に乗らざるを得なかった、こういう実情でございます。
  240. 田中昭二

    田中(昭)委員 結局、そうしますと、あなたは調査に行って——検体を薄めたのが大問題になっているわけでしょう。それをあなたは調査に行って、担当の人に見つけろと言ったところが、とうとう間に合わなかったということですね、十日に三時の便で帰るまで。それはいま聞いたからいいですよ。  そうしますと、あなたは何をしに行ったのですか。そういうことを反省しなさいよ。あなたの会社に、その調査分析したものがないはずはないのです。あるのです。私はここに持っているのです。これはまだ早過ぎますけれども、あなたがそこまで言うのだったら、私は手に入れてきたのです。ですから、お見せしましよう。これは委員長社長さんと一枚ずつあげてください。——いや、まだもう少し聞こう。委員長だけにあげておいてください。委員長、こういうことでございますから。ほんとうに、私が行って会社からもらってくる前に、それを確認に行った会社取締役が、環境担当の常務がわからないということはどういうことですか、おかしいでしょう、委員の皆さん聞いておられる方が、どうですか。  もう少し聞いていきます。それでは社長さんにお伺いいたしますけれども、先ほど質問に答えられまして、三回か四回か、こうおっしゃいましたね。社長さんはその二回と三回、四回はいつやったのか御存じですか。
  241. 小西康孝

    小西参考人 申し上げます。  ただいまのところ、わかっているものはこうだと申し上げましたのですが、宮崎取締役に、その確認のデータが間に合ったか、間に合わなかった、あとで、調査員が四名ぐらい行っておりますから、入手判明次第本社に届けるようにということにしてございます。したがって、現在のところわかっている範囲で申し上げますということでございます。
  242. 田中昭二

    田中(昭)委員 あやふやですね。あなたは先ほど検体を薄めたものを四カ所とおっしゃいましたね。それはいつのものですか、その資料を私に見せてください。調査しているのでしょう。
  243. 小西康孝

    小西参考人 いま申し上げましたように、当然場所はわかりました。そうすると、何月何日やったかというデータ、それから先ほどの検体を薄めた、何件やった、それはいつといつやったか、そのデータ、これを、裏づけのものをつかんでくれということを指示しておるのでございます。  先ほど申し上げましたのは、宮崎取締役が行きまして、担当者にずっと会って聞いた、いわゆる聞いてきたことをさっそく報告して、問題は、あとの裏づけはまだ済んでおりません。
  244. 田中昭二

    田中(昭)委員 簡単に言えば、宮崎さんが行かれて聞いてきたことを、あなたはお答えになったということですね。そういうことですね、そうでしょう。  そうしますと、宮崎さんは、社長さんにどういう報告をあなたはしておりますか。私がさっき何べんも言っておるように、何月何日の調査で、調査サンプルはどういうものをどういうふうに薄めた、調査検水をとったところは、どことどことどこと、そういうことぐらいの調査は当然しておるべきじゃないですか。私は、それを持って社長さんがお答えになったのだろうと思いましたから、それを見せてください、こう言っているわけですよ。どうですか。
  245. 宮崎孝人

    宮崎参考人 お答えいたします。  私は、社長報告いたしましたのは、神出所長がどういうふうにして、そういう行為をさしたかという事実と、だれとだれに命じたかという事実と、どういう方法で、どこの場所の水をやったか、そういうようなことを聞きただした。それに答えたことは、本人はおおむね四十三年から四十五年ぐらいまでだと言うのです。それで頻度は大体五、六回だったように記憶する。それからすべての試料について検体を薄めたわけではない、通常採取される二十点前後の検体のうち、柳元、松木原、悪水谷、鬼ケ採の四地点から採取された検体に実施したと思う。それから方法は、佐須川の上流日掛付近というところがございますけれども、河川水をポリ容器に採取しておき、それを検体の水を抜いて二分の一なり四分の一なりを注入した。何年何月、いつかというデータが間に合いませんでしたので、団員を残しまして、それを現在全部出させるようにやっておるわけでございます。
  246. 田中昭二

    田中(昭)委員 それでは、あなたがいまおっしゃった、だれとだれとに命じてどういう地点をした、そういうものでもいいから出してください。委員長、これをお願いします。  私の調査は、私はどこからか宙から持ってきたものではないのです、検査の実態というのは。会社の中にあるのです。そのあるものを、いま宮崎さんはそういうふうに、ただ担当者に聞いた、そういうお答えでは、これはまた、だまされてもしかたありませんでしょう。ちゃんと会社には毎日の日誌がございますよ。その日誌にあがっているPPMは、ちゃんと薄めたものと一致して、合わせてある。作業日誌というのはだあっとありますよ。四回なら四回、五回なら五回、何年ごろ、四十三年から四十五年ごろまでだったら、記憶をたどっていけば、いつごろの日誌を見れば、どういうふうに薄めてあるというのがわからないはずはないのです、私がわかるのですから、資料をもらったのですから。これは私がつくったのじゃないのです。  社長さん、ここに来てまで、そういうあなたたちの都合のいいようなことばかり御答弁になるようでは、あなたは何のための社会的責任とかなんとかおっしゃるのですか。——待ってください。先ほど検体も四カ所だとおっしゃった。四カ所じゃないのです、薄めたのは。四カ所じゃないのですよ。たいへんなところ薄めていますよ、これは。そういう事実が会社の中にちゃんと書類としてあるじゃないですか。なぜそれを持って正確にお答えできないのですか。  私は検察官じゃありませんから、何もてこで一つ一つを問い詰めるわけじゃありませんけれども、先ほどから聞いておりますと、いま企業モラルというものを国民が注目しておるときに、あなたたちのその姿勢は何ですか。私はそれを問題にしたい。薄め方も、いま三分の一とか四分の一と出ていますけれども、ほんとうに悪いことをやっていますね。一ぺん薄めてみて、これでいままでの報告と合わないから、また薄めて……。どういうことですか、こういうことは。もう根本的に、あなたは東邦亜鉛社長として——いま、神出所長が独断でやったというけれども、独断でやったということは、午前中から話が出ておりますように常識的に考えられないじゃないですか。  宮崎さんはいま、所長が何人かの人に指示をしてやらせたと。その指示された人間は、死人には口なしですけれども、生きている人がちゃんとおるのですよ、証人が。先ほどから行方不明になったと言う。私は行方不明になった人についても知っております。そういうことを一つ一つここで裁判所みたいに明らかにするあれはないじゃないですか。もう少しほんとうの企業社会的責任を果たし——あなたたちがこの鉱山を開発され、いろんな社会的責任を果たしてこられたことは、私は十分評価しなければならないと思うのです。しかし、その鉱山地域住民に与えたいわゆる動揺といいますか、不信感、不信感と言いますけれども、不信感の原因は、もともとはだれが与えておるのですか。住民はいまでも泣きの涙で、山があったからこそ自分たちも栄えてきたと言って、イタイイタイ病がおっても、あなたたち会社は一ぺんでも補償しておりますか。そういうことを考えれば、不信の種はあなたたちがまいてきたのです。どうですか。
  247. 小西康孝

    小西参考人 私どもは決して事実を隠そうとしたり、あるいは調査をいいかげんにしようという考えはございません。したがって、ただいま御指摘もございましたが、引き続きいまデータを要求し、そして調査団員が数名まだ残っておりますので、おそらく近いうちに、そろってくるだろう、入手もできるだろう、いまお持ちの表もおそらく手に入れていると確信しております。
  248. 田中昭二

    田中(昭)委員 ほんとうにどうしてですかね。まあおえらい社長さんというのは、そういうこともおわかりにならないというのは、私は残念に思えてなりません。これはあなたがそういうことでまた調査をして、これをどうだということをおっしゃいましたが、そういうことになりますと、また一人罪人が出るのですよ。行方不明になったり、自殺したり、たった一人の命はほんとうに大事にしなければならぬということを、若い私が社長さんに申し上げる必要もないと思うのです。  きょうは、三十年もジャングルの中におった小野田さんが帰ってきて、全国民がどれだけこの人命の尊重ということについて注目し、そして帰ってきたことを喜んでおりますか。いま社長さんのおっしゃるようなことになれば、とうとい人命が傷つけられ——委員長、これは私がこれだけ指名いたしましてもまだお答えになりません。この調査サンプルの検体を薄めたことにつきましては、やっていけば時間が相当かかります。私は時間を制限されておりますから、後日もう一ぺんこの問題については調査なり、会社のほうから自発的に出していただくように理事会等でお取り計らいいただきまして、次の問題に移りたいと思いますが、いかがでしょうか。
  249. 角屋堅次郎

    角屋委員長 ただいま田中君からのお申し入れの点については、委員長から小西参考人のほうに要請をいたしますが、責任を持った調査を本委員会にすみやかな機会に提出されるよう、強く要請をしておきます。
  250. 田中昭二

    田中(昭)委員 では、この問題は避けまして、次に県のほうにお尋ねします。  県はいま土壌汚染防止法によりまして、この鉱毒によるあとの処理を県も指導されながら町当局と進めておられますけれども、先ほどから出ましたが、汚染されたたんぼにつきまして買収という方法をとっておりますね。これは土壌汚染防止法のどういう法律に従ってなされているのですか。
  251. 佐藤達夫

    佐藤参考人 土壌汚染防止の負担法には基づいておりません。
  252. 田中昭二

    田中(昭)委員 法律に基づかないことを県と町はやっておる。これはそれだけの背景はあろうと思います。これは通産省はどう思いますか。厚生省もそれぞれ答えてください。
  253. 林信太郎

    ○林(信)政府委員 お答え申し上げます。  公害に対しまして原因企業がその責任を当然とるべきでございますが、とる限度は、考え方といたしましては原因者責任原則、いわゆるPPPという考え方がございます。さらにそれを立法化したものとして各種の法規及び費用負担法がございます。そういう趣旨にのっとってやられたものと聞いております。
  254. 城戸謙次

    ○城戸政府委員 この事業は、全く公害防止事業費事業者負担法の規定にのっとって費用負担がきめられているということになっていないわけでございまして、県独自で企業あるいは町と相談されてきめられていっている、こう了解いたしております。
  255. 田中昭二

    田中(昭)委員 県の佐藤さんにお答え願いますが、この事件が起こりまして、あなたも現地に行かれて現地住民、農民の方といろいろお話をなさったと思います。そこで、現時点で住民がどういうことを言っておりますか。また住民にどうするのが県として——県も立場上からいえば、だまされたといえばだまされたのですけれども、先ほどから聞いておりますように、県の行動についてはなれ合いだったということも、何も私のほうから指摘するまでもありません。県議会でもわが党の県会議員が追及しておりますし、町議会においてもわが党の町会議員が、それぞれ県の責任については追及しておりますけれども、それは申し上げませんが、あなたが現地に行かれて、いま住民は何を一番望んでおるか、それをお聞かせ願いたいと思います。
  256. 佐藤達夫

    佐藤参考人 住民の中には、これを契機としてと申しますか、こういう事件がなくても、いろいろ要望があると思いますが、特にこれを契機として、おそらくはこういう話があるのではないかということを予想をいたしております。  いまいろいろお話がございましたが、部分的な土地改良をしてほしいという声があるのじゃないか、これは役場から聞く話でございます。それから開田、山の上にたんぼを開くことでございます。そういうようなものにひとつ補助をしてくれぬか。しかし、あれは転作、いわゆる食糧になるものがっくれないので、そのほかのものをつくる、転作をする、それにも幾らか金を出してくれ、こういうふうなことが、おそらくは出てくるのではないかと思っております。
  257. 田中昭二

    田中(昭)委員 せっかく現地に行って住民のことを聞くのであれば、いま少し、そういうお役所的なことだけじゃなくて、ほんとうのことを聞かなければだめですよ。それは聞いていないと言えば、それまでかもしれませんけれども、結局、住民は、先ほどからいろんな町や県や国のいままでやってきたことに対して不信感を持っておるわけでしょう。いまあなた、いろいろおっしゃいましたけれども、私どもはそれは間違いと思いません。そういうことで努力しておられることは、そうでしょう。しかし、いま住民が一番思っておることは、何といっても自分の持った先祖代々の土地を没収されるような形で買い上げていかれるという問題でしょう。  あの島といえば、私が説明するまでもなく、耕地というのはわずかなものですよ。そのわずかな耕地を一生懸命耕して、そしてあの自給自足もできないような島でお米をつくって、そのお米がカドミのために汚染されて困っておるわけですね。その汚染田が、ある部落においては九九%、もうほとんどといっていいぐらい一号田として没収されるような形で買い上げられておる、こういう気持ちも農民の中にあるのですよ。それはあなた、おわかりと思います。そうじゃないと言えないでしょう。  そこで、県としては、この公害問題については、買収するということが公害の一切の問題にピリオドを打つと、そういう方法でこの買収の方法をとられた。しかし、いまの時点で、この不信渦巻く中で、農民の人たちが言っておることは、このあなたたちが買い上げ、その手当てをした農地を、買い戻すと言っていますよ。いままだ買収をされていない土地はもう売りたくない。ということは、根底に、私がいまるる述べました、農民の方はいわゆるたんぼを手放したくない。県も町も、法律に——せっかく公害が問題になって、土壌汚染防止法というものができて、それでもまだまだ財界の圧力によって、しり抜けの面がございます。だけれども、その最低の土壌汚染防止法による法律をこえて、法律にないようなことを、いわゆるたんぼの買収ということをやる。そこにまた、農民、住民の、県に対する、町に対する不満が出てくるのは当然じゃないですか、法律にきめられたこと以外のことをやっておるのですから……。  そういう点について、ほんとうに農民が思っておりますことを県もよく掌握しなければ、私は、これは今後の解決の道にはならない、こういうことを忠告しておきます。何か言うことがあれば言ってください。
  258. 佐藤達夫

    佐藤参考人 たいへん現地の声の切々としたところをお述べいただきまして、ありがたい御意見と思います。若干私のほうの考えも申し述べさしてもらいます。  御承知のように、農民の土地に対する愛着、特にあの地区は米のできが少ない。先ほど、島の人間はイモのほうを食べておるというお話もありました。たいへん米のできの少ないところでございます。あそこが、大げさに言うならば——大げさではないかもしれませんが、唯一の穀倉地帯でございます。それをカドミウムということで、食べられない米しかできないということで、農民としても非常にショックであり、またわれわれも、農民のその気持ちを受けて、できることならば、もとのたんぼにして返す、もとにしてあげる、これが一番いいことだということをいろいろ考えました。あるいは転作ということも考えました。紅花、ホウショウ、かれこれ考えました。あるいはいまを時めくグリーン産業ということも考えました。  しかし、何せ対馬の果てでございまして、いろいろそこらのところには制約がある。それから、土地をかさ上げする、これもいい土がない。そして、御承知のとおり、対馬のあの土地は、ものの何尺か掘れば、数メートル下は昔のズリ、からみの埋め立て地の上にたんぼが乗っておって、下からじわじわと上がってくる。上のかんがいの水から出てくる水ではない。かんがい用水によって汚染されるというよりも、下からじわじわ上がってくるのだということで、もう私たちもいろいろ考えました。できることならば、法律に基づくあれによりまして、お国のほうのお金もいただきまして、そして土地改良をやる、何をやる、一番それが善の善なるもので考えたのでありますが、いろいろ考えた末、万策尽きてしまったわけでございます。  決して最初から、もうこれで切り捨て論というふうに聞こえるようなことで出発したわけでございません。われわれも、法律にないことでございますので、たいへん考え悩みましたけれども、もうこれしかないということで踏み切ったというのが実情でございます。
  259. 田中昭二

    田中(昭)委員 もう時間も参りましたから最後に、社長さんに、もう一言社長さんの決意でもお聞きしてみたいと思いますが、あなたは、厳原の対州鉱業所、この地域の人のためにはどんなことをしても惜しまないというようなお気持ちを披瀝されたことがあると聞いております。いままでのやりとりからも、たいへん社長さんのおことばの中には責任を感じておるということもございますけれども、ほんとうにこれはただ公害病の認定患者がいないからというようなことだけでは済まされない、そういう結果が出ておることも十分考えていただきたい。  先ほど私の党の岡本委員員が、いまこの地域で健康診断を受けたいという——いままでは、住民の人たちは、会社のことを思って、健康診断すら受けられない、受けたくない。イタイイタイ病患者がおっても、それを申し出ることもはばかる、こういう雰囲気があったのです。ところが、今度の事件を契機として、これはたいへんなことになった、何とか健康診断を受けて、専門の医者の診断を受けて、もうわれわれの時代にこういうことははっきりしておかなければならない、こういう声を私は現地に行って聞いてきました。  どうでしょう、社長さん、こういう地域住民のために、あなたの会社は、地域住民と一緒になって金もうけもしてこられた、またそのために地域の人たちが恩恵を受けたこともあるでしょう。しかし、いまは詳しくは申しませんが、いまの県の参考人からも御答弁があったように現地の事情というものを考えるならば、いまさしあたって、すぐやってもらいたいことは、いわゆる専門医による健康診断をやってくれ、まだほかにもございますけれども、一つの要望を言えばそういうものがございます。  これに対して、社長さん、きょうはそういうものは言われなくても、進んでやります。農民の要望する専門家の萩野医師並びに石崎教授、こういう方がいままで出ているそうでございますが、こういう方でもさっそく呼んで、会社の負担において健康診断もしてあげたい、このぐらいのことだけでも、人間らしいことを進められたら、いかがでしょうか。
  260. 小西康孝

    小西参考人 住民方々のために、できるだけのことをしたいということははっきりしておりますが、方法としまして、すぐ萩野先生を呼ぶのがいいのか、石崎先生を呼ぶのがいいのか、あるいは県の衛生部長なり国の厚生省なり、それぞれ権威のある権威筋のほうにも御相談いたしまして、と同時に住民方々の御意見も伺いまして、会社でできることばやっていきたい。ただ、ここでだれを呼ぶとか、かれを呼ぶとかいうことは、ちょっと考えさせていただきたいと思います。何とかできるだけのことをするということを申し上げます。
  261. 角屋堅次郎

    角屋委員長 以上をもちまして参考人に対する質疑は終了いたしました。  この際、一言ごあいさつを申し上げます。  参考人各位には、御多用中のところ長時間にわたり貴重な御意見を述べていただき、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。  特に小西参考人におかれましては、今回の問題の重大性にかんがみ、今後企業社会的責任を果たされるよう強く要望しておきます。      ————◇—————
  262. 角屋堅次郎

    角屋委員長 この際、参考人出頭要求に関する件についておはかりいたします。  公害対策並びに環境保全に関する件、特に新幹線騒音問題調査のため、参考人の出頭を求め、意見を聴取したいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  263. 角屋堅次郎

    角屋委員長 御異議なしと認め、よって、さよう決しました。  なお、参考人の人選及び出頭日時等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  264. 角屋堅次郎

    角屋委員長 御異議なしと認め、よって、さよう決しました。  次回は、来たる十五日金曜日、午前十時理事会、午前十時三十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後三時五十四分散会      ————◇—————