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1974-03-28 第72回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第10号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十九年三月二十八日(木曜日)    午前十時三十七分開議  出席委員   委員長 小濱 新次君    理事 國場 幸昌君 理事 床次 徳二君    理事 加藤 清政君 理事 美濃 政市君    理事 正森 成二君       田中 龍夫君    竹中 修一君       本名  武君    上原 康助君       島田 琢郎君    塚田 庄平君       瀬長亀次郎君    安里積千代君  出席政府委員         内閣総理大臣官         房管理室長   伊藤 廣一君         沖繩開発政務次         官       西銘 順治君         沖繩開発庁総務         局長      岡田 純夫君         沖繩開発庁振興         局長      渥美 謙二君         外務省アメリカ         局長      大河原良雄君  委員外出席者         警察庁交通局参         事官      寺尾  繁君         防衛庁防衛局運         用課長     伊藤 参午君         防衛施設庁総務         部施設調査官  奥山 正也君         防衛施設庁総務         部施設調査官  古賀 速雄君         防衛施設庁施設         部首席連絡調整         官       奈良 義説君         経済企画庁総合         開発局国土調査         課長      大月洋三郎君         法務省民事局参         事官      古館 清吾君         文部省大学学術         局医学教育課長 齋藤 諦淳君         農林省構造改善         局計画部資源課         長       伊藤 律男君         特別委員会調査         室長      綿貫 敏行君     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  沖繩問題に関する件  派遣委員からの報告聴取      ――――◇―――――
  2. 小濱新次

    ○小濱委員長 これより会議を開きます。沖繩及び北方問題に関する件について調査を進めます。先般、不発弾事故調査及び沖繩振興開発計画実施状況等調査のため、委員沖繩県派遣い”しました。この際、派遣委員から報告を求めたいと存じますが、私が便宜この席から御報告申し上げます。われわれは、去る三月二十三日から三月二十下日まで三日間、沖繩県下不発弾事故調査及び沖繩振興開発計画実施状況調査のため現地に派遣されました。派遣委員は、鯨岡兵輔君、水野清君、加藤清政君及び正森成二君と私の五名でありましたが、現地において委員國場幸昌君、上原康助君、瀬長亀次郎君及び安里積千代君の参加を得ました。われわれは、初日に沖繩総合事務局から業務報告を受けるとともに、沖繩県当局とも懇談し、小祿の不発弾爆発事故現場豊見城海軍壕を視察し、第二日には海洋博覧会会場並びに海洋博関値事業等を視察し、第三日には伝統工芸急病センター琉大付属病院危険校舎及び那覇新港を視察しました。以下、所見の概要を申し上げます。第一は、不発弾事故対策でありますが、小緑の事故は、まことに不幸なできごとでありました。この事故の原因を考えるとき、戦後処理の一環としての埋没不発弾対策が不十分であったとの反省がまず必要であると思われます。また、被害者救済対策については現在応急的に災害救助法を適用しているものの、国家賠償法の適用を含めて検討の上、被害者救済の万全を期すべきであります。さらに、この種事故再発防止について、未発見埋没不発弾に関する情報を収集把握し、適切な事前調査実施をはかり、その除去と処理体制整備し、これに対応する財政措置強化をはかる必要があると認められます。第二に振興開発に関しては、県の公共事業などの執行に著しいおくれが見られるので、資材、労務の確保とその高騰を抑制することに留意し、用地取得の促進をはかることに特段の配慮が必要と思われます。また、振興開発計画現状から見て、当面社会資本整備伝統産業保護育成農漁業生産基盤整備などに重点を指向し、海洋博以後の本格開発に備える基盤整備につとめ、離島振興方策土地利用計画などの確定を急ぐべきであると思うのであります。  第三に、物価問題については、沖繩総合事務局及び県のいずれも、物価対策を最重点事項とし、県民の協力を得る方向でその対策協議連絡調整に当たる機運が生じてきているので、一そう緊密な協力をはかることにつとめるべきであります。なお、物資需給円滑化対策として、地場産業育成強化県内自給率の向上及び流通機構整備などの施策について、特段の努力をいたす必要があるものと認められます。第四に、国際海洋博については、名護市と会場間の円滑な輸送を確保するよう特段のくふうが望まれ、会場周辺宿泊施設整備は、観客動員数をも左右する重大な問題と認められるのであります。政府・県及び関係諸機関は、以上の諸点に関して、弾力的かつ実際的な施策を早急に確定し、緊密な連携のもとに対処することを強く望むところであります。時間の都合もありますので、以上の諸点についての詳細及び医療問題、戦後処理教育施設などに関しては、別途報告書を提出いたしますので、この際省略させていただきます。以上、御報告いたします。     ―――――――――――――
  3. 小濱新次

    ○小濱委員長 おはかりいたします。派遣委員報告書につきましては、これを本日の会議録に参照掲載することに御異議ありませんか。〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 小濱新次

    ○小濱委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。     ―――――――――――――     〔報告書本号末尾に掲載〕     ―――――――――――――
  5. 小濱新次

    ○小濱委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。島田琢郎君。
  6. 島田琢郎

    島田(琢)委員 私は、沖繩開発問題について主として大臣お尋ねをしたかったのでありますが、きょうは大臣がお見えでありませんので、政務次官を中心にして議論を進めてまいりたい、こう思います。しかし、中身が基本の問題に触れることが非常にたくさんありますので、きょうは大部分保留をいたしまして、後ほど大臣がお見えになったときに基本の問題をやりたいと思いますので、少しばかり具体的な問題でお話を進めてまいりたい、こう思います。と申し上げましても、実は私自身沖繩の土を踏んだことがございません。北海道におりまして、早くから沖繩の問題については、われわれの仲間のうちでもたいへん議論が多かったのでありますが、実際には門外漢の域を出ておりません。したがって、私がこれから申し上げる点についてもいささか的はずれであるとか、あるいはすでにそういう議論はし尽されている、こういった面もかなりあると考えられます。しかし、その辺はひとつ御容赦をいただきまして、きょうはひとつ十分沖繩の実情を私自身も勉強したい、そういう考えを込めて質問をしてまいりますので、その点、どうぞよろしくお願いをいたしたいと思います。  そもそも私ども沖繩考えますときに、どうしてもイメージとして強く出てまいりますのは、長い間、戦後、他国の占領下に置かれて、生活もあるいは社会資本の充実にいたしましても、生活環境そのもの考えてまいりましても、非常にらち外の中で苦しんでこられたというそのことが強く浮かび上がってまいります。そういう点については、もうすでに復帰後も二年を経過しようといたしておりますから、かなり内容として進んでいるものというふうに思われる点もあるのではないかと思いますが、ただ、全般的にはやはり沖繩の問題が出てまいりますと、どうしても占領時代あるいは戦争時代の問題が常に具体的に出てまいります。たとえばきょうも、この要請書を見ますと、文教関係要請書の中にも、先ほど委員長から沖繩調査報告がございました中にも強く触れておりますように、いわゆる戦争落とし子というような不発弾処理の問題などが、依然三十年たった今日も具体的な問題として出されてきているということは非常に残念なことであります。したがって、こうした戦後処理が必ずしも具体的に進んでいないというような現実を踏まえて考えますときに、まず前段として、こういうものを的確に処理するというところから沖繩開発が始まるのではないか。そうしますと、開発計画とかいろいろな意見とかがその中に出てまいりましても、実際には沖繩に具体的に開発計画なり、開発事業なりを落とし込んでいくことそのものも不可能になっているのではないかという気がいたします。  したがって私は、そういう基本の問題を、前段で触れましたとおり、大臣の所信を伺った上で私なりの考え方をひとつ述べてまいる予定にいたしておりますが、当面のその後の問題を後ほど触れることにしてしばらくおきますが、まず質問の第一点は、沖繩開発計画を進めるにあたって一番大事なのは、やはり地場産業といいまますか、第一次産業がきちっと定着をするということが絶対条件だと私ども考えています。そうしてまた、沖繩開発本土のわれわれの従来進めてまいった開発の同じパターンを進むようなことがありますと、これは不幸という結果にしかならぬということも、すでにいままでの経過の中で明らかでありますから、同じ轍を踏ませるようなことが沖繩に行なわれてはならぬ、そういう考え方を強く私は基本として持っているのであります。したがって、どうしても沖繩開発していく上で大事な点は、第一次産業がどう定着するかにかかると思う。  そこで、農林水産業振興という問題については、いままでもかなりの論議をされているようでありますし、私も沖特に入りましてから、沖繩の問題についてほとんど毎日いろいろな資料や文献を見て、あるいは必要によっていろいろな人の御意見を聞きながら勉強してまいりました。しかしそういう中で、たいへん条件というものが本土やあるいは北海道のわれわれとは違っているという点を一つ見のがすことはできない、その点は非常に重要な点だと心得ます。しかしながら、農林水産業をやはり第一次産業として沖繩開発基本に据えるということについては、本土においても沖繩においても変わってはいけないことだと思っているのであります。ところがそういうもろもろの条件を踏まえて、農林水産業振興沖繩ではかろうとするという場合にたいへんなネックのあることも承知をいたしました。たとえば土壌条件一つとっても、また水資源の問題一つとっても、それから水産の問題では、サンゴ礁地帯で、従来われわれのほうで常識的に考えるような沿岸漁業開発振興というものはストレートに本土並みで進めていくことのできない要素もあるということもよくわかりました。  しかしながら、繰り返しますが、水産業振興沖繩開発にとって欠かすことのできない絶対基本条件であるということが明らかである限り、この農林水産業振興について政府としては一体どのように進めていこうとお考えになっているかという点が、いままでの議論の中でも必ずしもすっきりとわれわれが理解できるように説明がされていないように実は思います。したがって政務事官から、沖繩開発計画を進めるにあたっての第一次産業振興というものを基本的にどのようにお考えになっているかを第一点としてお聞きをし、その後議論を進めてまいりたいと思います。
  7. 西銘順治

    西銘政府委員 お答えいたします。  沖繩振興開発計画におきましては、環境保全基本といたしまして沖繩県の有する地理的、自然的特性を生かした第一次、第二次及び第三次産業の均衡ある発展を促すための諸施策を定めているところであります。  沖繩経済社会がこのような基本的な考え方のもとに健全な姿で発展していくためには、先生が御指摘になりましたとおり、第一次産業の果たすべき役割りはきわめて重要であると考えております。  具体的な施策といたしましては、農業については合理的な土地利用計画に基づきまして、まず優良農地を確保するとともに、わが国唯一亜熱帯農業確立を目ざしながら土地基盤整備、また新技術の開発普及流通機構改善農村環境整備など基礎条件整備を進め、一方作目の構成につきましても多様化合理化をはかっていかなければならないと考えております。  林業につきましては、まず国土保全基本といたしまして水源涵養保健休養の場の提供、木材生産等森林の持つ多様な機能を総合的に向上させるため、森林資源計画的に培養していかなければならないと考えております。  また水産業につきましては、漁港を中心とする漁業生産基盤整備、また水産物の流通体制確立をはかっていかなければならないと考えております。
  8. 島田琢郎

    島田(琢)委員 基本的な考え方というのは、私にしてみればまことに食い足りない基本的なお考えでありますけれども、しかしそれはひとつおきまして、先ほどもちょっと触れましたが、沖繩土壌条件といいますか、地質は一口に言ってどういう土壌条件にあるのですか。これは専門のほうから答えてください。
  9. 伊藤参午

    伊藤説明員 お答え申し上げます。  先生のいろいろお考えになっておりますとおり、沖繩土壌につきましては非常に複雑でございますし、また特殊な様相を呈しております。  御存じのように沖繩地質的に見ましてもいろいろ変ったところでございまして、太平洋岸のほうはどちらかといいますとサンゴ石灰岩からできておりまして、島の名前で申し上げますとたとえば宮古島それから本島の南部の一部、そういうようなところはサンゴ石灰岩からできた土壌でございます。また、その中間と申しますか、その次のベルト地帯になりますと、そこはサンゴ石灰岩とそれからもう少し古い土壌とがございまして、またさらにその太平洋から離れた中部に近いほうの地帯になりますと、そこは今度は火山の噴火なり何かからできております、火山による地質からできた土壌もございます。そういうことでございまして、土壌につきましてはいわゆる石灰岩からできた、どちらかといいますと非常に酸性の低いような土壌、またそうでなくて非常に酸性の強い土壌がございまして、酸性の強くないところでは御存じのようにサトウキビだとかそのほかの野菜だとかいろいろな作物、そのほかにもいろいろな作物がございますが、そういうものがつくられております。また、酸性の強いところにつきましては、どちらかといいますと、パイン中心にいたします作物がつくられているようなわけでございます。  私どもといたしましては、復帰以前から土壌調査を行ないましていろいろな土壌図をつくっておりまして、それによりましてきめのこまかい施策がこれから必要でないかというふうに考えております。特に四十七年度からは農業改良普及所に国で補助をいたしまして地力診断施設整備いたしまして、いま申し上げましたきめのこまかい指導なり施策の展開をはかってまいりたいと思いましていろいろやっている次第でございます。もちろん、日も浅いわけでございますので、まだこれから解決しなければならない問題があると思いますので、それぞれの島ごと、またそれぞれの地帯ごとに今後ともいろいろ調査を進めるとともに、いろいろな指導なり施策をやってまいりたいと思っております。
  10. 島田琢郎

    島田(琢)委員 PHは大体高いところ、低いところがあるというお話ですが、サンゴ石灰岩というのはPHとしてはどれくらいの酸度を持っているのですか。
  11. 伊藤参午

    伊藤説明員 いま申し上げましたパインをつくるところでございますが、いま申し上げましたように酸性の強いところがどちらかといいますとパインに向くわけでございます。しかし、あまり強いところでございますとかえってパインでも減収を来たすということになっておりまして、詳しい数字はいま持ってきておりませんけれども、大体四までには押えるというようなことにいたしております。でございますから、パインをつくるような、石灰岩でないところでございましても、酸性の強いところでございましても、やはり石灰を入れたりいたしましてある程度矯正をいたしております。
  12. 島田琢郎

    島田(琢)委員 いや、私の聞いているのは、その矯正はわかったけれどもPHはどれくらいなんですかということです。
  13. 伊藤参午

    伊藤説明員 大体五ぐらいというふうに考えております。その辺は必ずしも酸度だけでは作物のほうは律するわけにはいきませんけれども、一応のくらいに考えております。
  14. 島田琢郎

    島田(琢)委員 私が聞いていることにお答えください。そこで私が判断いたしますので、PH幾らかと聞いているのですから、そこでパインができるか、サトウキビができるかというのはPHを判断すれば、私も農業をやっている人間ですから大体推察がつくのです。  大体沖繩全体としてPHがどれくらいになっているか。たとえば高いところと低いところというふうにおっしゃっているが、高いところはどれくらい、低いところはどれくらいなんですかと聞いているわけですから、ひとつ時間の関係でそういう点については私の質問にだけお答えいただきたい。
  15. 伊藤参午

    伊藤説明員 お答え申し上げます。  いまPHにつきまして全島について先ほど申しました土壌地図のほうはできておりますけれどもPH地図というものはできておりませんで、私は全体といたしまして高いところ幾ら、低いところ幾らというのは、ちょっとその辺の調査の結果を持っておりませんので……。
  16. 島田琢郎

    島田(琢)委員 PHの問題というのはこれは農業をやろうとする場合の経営のイロハですね。高ければ中和をしていく、あるいはもうどうにも低過ぎてむしろアルカリに近いとすれば今度は少し酸性に戻してやる、あるいはアルカリに強い作物をつくっていくとか、そういう方法を講じていかなければなりませんので、土壌調査を進めているとすれば一体それは何紀層でどうなんだ――先ほどもおっしゃっているようにサンゴ石灰岩だとかあるいは若干黒土まじりのものが中間地帯にあって、あと太平洋岸から見て反対側のほうは火山灰であるとか、いろいろな説明がなされていますけれども、大事なのは、この土壌条件というのは農業をやっていく場合に非常に大事なイロハなんですから、それがまだ具体的に進んでいないということは、農業振興の上で非常に大きな点が見落とされていると私は思うのです。ですからおやりになっていないということであればいたし方ありませんけれども、これはすっきり、やはり土壌調査をする上で明確にしていく大事な点だと思いますから、お進めいただきたいと思います。土壌条件はそれでわかりました。  そこでいろいろなデータがあるわけでありますが、沖繩農業適地といわれているのは、いまの土壌条件とかいろいろなことは別にして、農業が成り立つと考えている沖繩地域内の総体面積というのはどれくらいありますか。そのほうの専門家はいませんか。
  17. 伊藤参午

    伊藤説明員 必ずしも私の所管じゃないかもしれませんが、沖繩県の耕地の現状を申し上げますと、総面積で五万三千ヘクタール、これは一九七 ○年現在の調べでございます。  それからどの程度先生のおっしゃいます適地かということになるわけでございますが、その辺ははっきりいたしておりませんけれども、私どものやっております土地改良事業、そういうものをやりましたところが、いまのところはそれほど多くはございませんが三千五百ヘクタール、大体一割に満たない数字でございますが、その程度のところにつきまして土地改良事業をやっておりますような現状になっております。
  18. 島田琢郎

    島田(琢)委員 農作物作付面積のトータルというのは私も知っているのです。ここにあります、資料として。ただ総体沖繩面積の中で、現在つくられているものはもちろんですけれども、いわゆる農業可能地というのは一体幾らと見ているのか、これが農業振興沖繩でやる場合の非常に大事な基礎ですね。これも土壌条件を調べるのと同じようにイロハのイの字なんです。その点があいまいだというのは、私は沖繩開発の上にとって大事な農業をこういう状態で進めていこうとお考えになったってそれはうまくいかぬじゃないか、こう思うのでお尋ねをしたわけです。五万三千ヘクタールくらいの面積になっておるというのは現在つくられている農作物面積にほぼ同じですから、私はそれを聞いているんではなくて、農業可能地とはどれくらいを見込んでいるのか、このことを聞いているわけですが、おわかりにならぬですか。
  19. 伊藤参午

    伊藤説明員 先生のおっしゃいます農業可能地でございますが、どこまでを農業可能地とするかということにつきましては非常にむずかしい問題があると思います。ただ私どもといたしましては、今後沖繩県におきます農業振興いたします上で、やはり基礎になりますのは基盤整備事業でございます。そういうことで、たとえば圃場整備をしたりそのほか農地造成をいたしましたり、いろいろやっていくことにいたしておりますが、そういう面から、これからどの程度面積を優良な農地として確保し、造成していくかということになりますと、一応いま考えております面積といたしましては、先ほど申しました総面積のうち四万五千ヘクタール、それから農地造成といたしましては、なかなか急にいきませんので、大体牧草地ども合わせまして一万一千ヘクタール、これは若干いま申し上げました四万五千ヘクタールにダブるかもしれませんけれども、そういうことで今後土地改良事業をやってまいりまして、さらにもちろん先生からいろいろ御指摘のございました営農対策なりそれからそのほかの施設なり、そういうようなものをつくってまいりたいというふうに考えておる次第でございます。
  20. 島田琢郎

    島田(琢)委員 どうもだんだんお聞きをしてまいりますと、いかにも沖繩開発とこう言われながら大事な第一次産業農業部分について鮮明でない、こういう印象に私はならざるを得ません。たとえば、これは前委員会でも問題になっていましたし、私もいささかそのやりとりを聞いておってなるほどと思った点もあるのでありますが、地籍調査という問題がいまのお答えの中で鮮明になっていない部分に属するのではないか。この地籍調査の不備といいますか、あるいはまた逆に言えば地籍調査が進んでいかない一つの要因にもなるのではないか。したがってそれは、やはり軍用地をかかえている沖繩実態から見て、地籍調査を進めていくことの困難さはいろいろあるということも前の委員会で答弁されていました点で私もある程度わかっているんですけれども、しかし実際には、たとえば沖繩に一体島が幾つあるんだということさえも、まあもちろん無人の島まで入れての話になりますとわからないというところがずいぶんあるようですけれども、私もいろんな文献見たり、いろんな人の話を聞きますが、沖繩には何百何十何個の島があります、こういう的確な一致した島の数というのはなかなか出てこない。それくらい沖繩というのはたいへん島がたくさんあって複雑のようでありますけれども、少なくとも農業振興をやろうとすれば農用地は、現在作物がつくられているのはどのくらいある、そしてまた農業可能地といわれる農業用地はどれくらいある、こういうものが基礎としてしっかりと計画の中に明示されないと、いまおっしゃっているように四万五千ヘクタールを対象にして構造改善、いわゆる土地基盤整備を進めていく、あるいはそのほかに牧草地等あるいは採草雑種地等を含めた可能地が一万一千ヘクタールぐらいある、こう言っていますけれども、こういうあやふやなことで農業振興を進めているという考え方が私には理解できません。少なくとも本土においては全体で農用地がどれくらいあって、さらに農業可能地としてどれくらいあって、こういうものはもうかなり明らかになってきちっとなっているわけですね。まあたいへん複雑なたくさん島をかかえている沖繩実態から見て、的確に答えろといってもなかなかむずかしいということもわかりますけれども、しかし農業振興沖繩ではかるというお考えがあるとすれば、私はいまのお考えの中で、あんまり沖繩農業に力を入れるというお考えがないのじゃないかという気さえいまし始めているのです。そんなことではないと信じたいわけですけれども、いまのお話を聞いていると、どうも農業振興ということについて真剣にお考えになっていないんではないか、そういう感じで受け取らざるを得ません。  そこで、地籍調査という問題の前に、軍用地内における農業適地というのはかなりあるとわれわれは聞いているのですが、この軍用地内の農業適地というのは、調査の結果どれぐらいあると出されているのですか。
  21. 岡田純夫

    ○岡田政府委員 現在、軍用地内のものにつきましては、いわゆる基地内でございますので、防衛庁のほうで地籍問題等に関連いたしまして調査をお願いしております。全般を通じての考え方といたしましては、地籍調査の前ということでございますけれども地籍調査と関連がございますので、あえて説明させていただきますと、四十七年から県全般を通じまして、基地関連の地籍の不分明なところを中心調査を続けております。そして四十七年度におきましておおむねはっきりいたしましたことは、復帰時点におけるところの地籍その他不分明なところが約八割当時の基地内にある。それから、その後返還されたところもございますが、それについては防衛庁のほうにお願いして、それ以外の地域につきまして、四十八年それから来年度にかけまして現在現況把握をいたしております。その現況把握の中で、要するに現状がどのようになっておるか、地形、植生その他も把握してまいることになろうと思います。その上に立ちまして、そこら辺の地域を要するに所有権者にどのように返していくべきかということの調査を現在続けており、四十九年度で願わくは全般について基地外については把握いたしたい、こう思っております。  それと、現在、県のほうで土地利用計画委員会を設けられて県全般についての土地利用計画を進めております。当然その中には、第一次産業であるところの農用地というものについてどのようにとらえていくかということの案があがってまいりますので、それを相談しながらその関連を見てまいる。かたがた基地の農用地との関係も出てまいりますので、しかるべきところをなるべく早く返してもらえるように関係のほうへお願いしているということでございます。開発庁といたしましてはそういうふうに考えておるということを申し上げます。
  22. 島田琢郎

    島田(琢)委員 その進め方や経過についての説明でありますから、そのことは理解しました。  私のお尋ねしているのは、そうした調査の結果、軍用地内に農業適地と思われる面積はどれぐらいあるか、こうお尋ねをしているのであります。
  23. 古賀速雄

    ○古賀説明員 お答え申し上げます。  軍用地内の農業適地ということでございますけれども農業適地かどうかということは私どもさだかでございませんけれども、御承知のように、沖繩にはいわゆる黙認耕作地といわれておりますものがございまして、これは復帰前の沖繩におきまして、高等弁務官布令第二十号に基づきまして、米軍がその裁量によりいつでも任意に取り消せることを条件にいたしまして、土地の耕作ないしはまき、草等の採取を認めていたものがあるわけでございます。これは通常、米軍の出しますライセンスによりまして、市町村長に特定の土地を明示いたしまして、その使用を許可していたものでございます。これは沖繩復帰後におきまして布令二十号は当然失効いたしましたけれども、米軍は、地位協定の第三条の管理権に基づきまして、返還前の実態のまま引き続き耕作等を認めているものでございます。この耕作でございますが、農作物は大体サトウキビ、カンショ、パイナップル等の耕作に利用されているというふうに聞いております。この面積でございますけれども復帰時の米軍の資料により算定しましたところでは、いわゆる黙認耕作地として許可された面積は約五千三百六十万平方メートルでございます。そのうち実際に耕作されているというふうに見られますものが、実際は許可面積の約半分以下、復帰時におきまして約二千九十万平方メートルというふうに見ております。この提供施設の総面積に対しまして黙認耕作地面積の割合は、施設の提供面積の総計が二億七千九百六十七万平方メートルでございますので、約一九%になるわけでございます。
  24. 島田琢郎

    島田(琢)委員 この農用地の判断というのは非常にむずかしいといういまのお話がありました。確かにそういう一面があると思います。ただ、全体の一九%という黙認耕作地の割合から見て、演習地等の実態というものは沖繩の場合違うかどうかわかりません。しかし、演習地といわれるところは、土地改良をやって土地基盤整備をやっていけば、相当農用地として耕作可能地があるというのが常識であります。そうすると、軍用地内におけるいまおっしゃったような黙認耕作地の割合から見て、この数倍もあるいはまだ十倍くらいも――十倍といえば全部になってしまいますけれども、数倍ぐらいの農業適地があるのではないかというふうに私は推測をいたしております。沖繩現地を知らないで言っていますから、それはそんなにないのだということであればそれでけっこうですけれども、しかし、常識的に言えばもっとたくさんあるはずだ。そこで、たいへんな面積があるということが一応推定されますが、軍用地内のこうした農業適地の使い方について、いまのような形じゃなくて、やはり沖繩農業振興をはかっていくためにたいへんな面積軍用地内にあるという事実から見て、これらの返還を一つのめどを立てていきませんと、一体何年に返ってくるのか、こういったものが明確に出てまいりませんと、その基盤整備を進めていく一つの団地構想をかりに持つとしても、その部分だけアウトサイダーで計画の中に入ってこない。あとからもうすでに基盤整備が済んだあとで返ってくる。そうすると、二重にそこにやっていかなければならぬというような問題がありますから、相当農業適地としてまとまっている地帯から軍用地の返還を求めていくという、いわゆる振興開発計画の中におけるそうした点をはっきりとさせておく必要があると私は思うのであります。そこで、こうした点を踏まえて、外務省としてはアメリカ側と交渉してもらいたいと私は思うのですが、交渉されておりますか、それともそういうお考えはございませんか、その点アメリカ局長おいでですから、お答えいただきたいと思います。
  25. 大河原良雄

    ○大河原(良)政府委員 沖繩にあります米軍の施設、区域の整理統合の問題につきましては、沖繩の施政権が返還される前からまた返還されて後も日米間でずっと話し合われてきている問題でございます。一番最近では、昨年の一月に第十四回安保協議委員会におきまして、那覇周辺の施設、区域の整理統合についての原則的な合意が発表されておりますし、ことしの一月に開催されました第十五回の安保協議委員会におきましても新しい施設、区域の整理統合の計画についての原則的な日米の合意を発表されてございます。そういうふうな全般の施設、区域の整理統合の問題について日米双方でこの問題に取り組んできているわけでございますけれども、その特定の黙認耕作地の問題、これにつきましては、ただいま施設庁から御答弁ございましたように、提供施設の中で約一九%という面積が黙認耕作というかっこうで耕作の対象とされているところでございますけれども沖繩の施政権が返還される前におきまして、米軍の布令というかっこうで黙認されておりましたものが、現在の時点におきましては、米軍の地位協定三条に基づく管理権のもとで黙認がされている、こういう形になっております。これを日本側といたしましては、防衛施設庁が関係の機関と相談しながら、一体整理し得るものがあるのかどうか、また、整理し得ないとしてこれを三条に基づく管理権のもとで置いておくということがいいのかどうか、そういうふうな点についての検討も内々で進められているというふうに承知いたしております。いずれにいたしましても、政府といたしましての基本的な考え方は、米軍施設、区域の整理統合という問題は常にある問題でございますから、これに鋭意取り組んでまいりたい、その中で、もし米側が現に黙認耕作を認めておる土地が必ずしも米側として必要としない土地である、こういうふうなことが日本側として見当がつきますならば、この問題について米側と話し合っていきたい、こういうふうに考えております。  ただ、従来の経緯を見てまいりますと、これらの黙認耕作地と申しますのは保安区域というふうなかっこうで考えられているものがわりあいに多いように思われますので、その意味では米側としては、この地域の開放あるいは返還ということについては、必ずしも応じてくるかどうかということについてはいろいろまた問題があろうかと思います。
  26. 島田琢郎

    島田(琢)委員 琉球政府時代に出された基本構想の中でも、基地依存経済から自立経済への移行ということをはっきりと目標として打ち出しているわけであります。基地経済からの脱却という問題は、いまの軍用地の開放というものがスムーズに行なわれていきませんと、幾らことばで言ったって基地経済の脱却ということには相ならない。経済とは現金が動くだけのことではなくて、私がけさから申し上げているように一沖繩産業の基盤が確立する、そういうことがない限り基地経済からの脱却ということはとてもこれは考えられぬ、こう思うものですから、私はその大事な農業振興をはかる上に欠かすことのできない農用地の確保という問題については真剣に取り組まないと、大体この基本構想で明らかにされている基地経済からの脱却という問題は解決しない、こう思うわけであります。  そこで、いま局長からの御答弁の中でも、非常に困難でなかなかこれは年次計画を立てようにも立てられないというような意味のお話があったのでありますが、そうではなくて、農用地の確保という面と産業振興という立場からどうしても必要だと思われる地帯についてはやはり優先して返してもらう、こういう話し合いを積極的にしてもらいたいと思うのです。そうでありませんと、幾らさっき農用地面積幾らかと言ったって、このアウトサイダーに入っている軍用地面積の把握が困難だというような実情の中では、なかなかその点を明確に出すことはできないという、その点も私はよくわかるから先ほどはあの程度質問でやめたのでありますけれども、問題になるのはこの辺だろうと思うのです。次官、これはどうなんですか。いまの局長のようなお考えでアメリカ側との話をしていくのであれば、百年たったってこの軍用地は返ってこないと私は思うのです。どうしても沖繩をいわゆるまともな沖繩として蘇生させていくために必要なのは産業振興であり、その産業基礎農業であるという考え方に立つなら、この農用地の確保はどうしても必要なんだからこの点は優先して返せ、こういう交渉というものはできないのですか。
  27. 西銘順治

    西銘政府委員 基地の縮小整理計画につきましては、ただいまアメリカ局長から答弁がありましたとおり、政府におきましても、農用地だけでなく学校、道路その他の公用地のためにも、どうしても今後とも継続して基地の整理縮小をしていかなければならないと考えております。しかしながら、沖繩軍用地は大半個人有地でございまして、軍用地内における地籍の不明な土地が沖繩全体における不明土地の約八〇%を占めておりまして、まだその調査が十分進んでおりません。したがいまして、返ってまいりましてもいざ使う段階になるとなかなか使えないということで、まずもって基地内における地籍の調査、これを十分進めていく体制を固めていくことが先決だと思うのであります。返されてもすぐ使えない、そこに大きな悩みがあるわけでございまして、公共用地のためにも、また農地の確保のためにも、これを利用するに際してなかなかできない、こういう実情がありますので、どんなことがあってもまず第一にこの地籍の調査を十分進めてその実態を把握した上でこの農用地の確保ということも考えていかなければならない、こういうことではないかと思っております。
  28. 島田琢郎

    島田(琢)委員 どうも私はいま一つ理解ができないのでありますが、先ほど基本構想をもう少し続けますと、基本構想の中でこういうふうにいっていますね。「基地依存経済から自立経済への移行を目標としながら、基地収入は経過期間中に漸減して、目標年次には総需要に占める割合は皆無にひとしくするものとする。」これは琉球政府時代の一つの構想でありますが、おそらくこれは一昨年返ってきて以来日本政府としてもこの構想を引き継いでおるものと思います。そしてさらにこの中では、一つの目標年次を定める、こういうふうにいっているのですけれども、その目標年次というのは実はどこをさがしても明らかにされていない。一体何年後にこの軍用地が返ってくるのか、また返すように進めていくのか、この辺がきわめて不鮮明であります。したがって、肝心の軍用地の開放なんということについては全くどこを見ても具体的に示されていない。そういう中で沖繩開発振興をやろうというのですから、私はどうしてもこの辺がようわからぬのであります。これはどうなんでしょうか。
  29. 西銘順治

    西銘政府委員 御指摘になったとおりでございますが、復帰までは沖繩経済は基地依存の経済でございまして、全く基地経済にささえられたものでございました。したがいまして、この基地の縮小整理計画については、われわれとしてはできるだけ早く縮小整理して沖繩の必要とする耕地とかあるいはその他の公用地等を含めまして返してもらいたいということで努力をしているところでございます。しかしながら、演習地等を除きまして現在軍用に供されている土地につきましては、返されてもすぐ使えない。これは相当金を入れて、たとえば客土等をして復元した形でこれを使わないということになりますと、すぐ農用地に持っていけない、こういう悩みがあるわけでございまして、むしろいまの段階で一番大事なことは、基地内における地籍を明確にする、そして返った時期においてはそれをすぐ使えるような体制に持っていくことが当面の課題ではないか、かように考えております。
  30. 島田琢郎

    島田(琢)委員 繰り返し次官は、いま返してもらっても使いようがないということをおっしゃるわけですが、私はその考え方はいささかふに落ちません。もちろん、いまおっしゃっているように、基地内の土地の状況というものを調べて、次にくる手だてを考える一つの基礎にしたいというそのおっしゃり方は、私は了解します。そのとおりでいいと思うのです。しかし、その裏から、いま返されても困る、こういうふうなことが前面に出てまいりますと、あまり早く返してもらわぬほうがいい、こういうふうに感じとられるのですが、これではどうも前向きの返還交渉にならぬと思うのです。沖繩ではどうしてもこの土地が必要なんだ、農業をやるために必要なんだ、公有地その他の問題はきょうは触れませんけれども、必要なんだ、そういうお考えがないわけですね、いまのおっしゃり方からいうと。
  31. 西銘順治

    西銘政府委員 お答えいたします。  これは島田先生が御指摘になったとおり、できるだけ早い時期に縮小させるということが大前提でございますが、現在沖繩各地で土地は返ってきましたが、なかなか使えない。というのは、ほとんどが個人所有地でございまして、公図、公簿等も全然ございません。したがって、いま基地として使っている土地について地籍を明確にする、そうして返った時期においてこれが使えるような体制に持っていく、まずこれがさしあたっての課題ではないかということを申し上げているわけでございまして、決して基地の縮小整理に反対しているわけではございません。
  32. 島田琢郎

    島田(琢)委員 さすれば、地籍調査はどれくらい具体的に進んでいるのですか。これは所管はどこでしょうかな。
  33. 古賀速雄

    ○古賀説明員 軍用地関係は私ども施設庁でございますけれども沖繩の一般につきましては、沖繩開発庁で所要の調査実施しているというふうに聞いております。特に返還になりました軍用地地籍調査につきましては、先生も御承知のように、米軍による土地の形質の変更がたいへん大規模に行なわれておりますし、また公図等が整っていないというような沖繩だけに見られる特殊な事情がございまして、返還のあと地の民公有地について各所有者別の地籍を確定することはまことに困難な作業でございます。しかし、返還後の各所有者がその土地を有効に利用するためには早急に境界設定問題の解決をはかる必要がございますので、土地所有者、関係市町村及びその他の関係機関、特に市町村長にお願いしておるわけでございますけれども、これらの関係機関と一体となりまして、当庁はその解決にいま努力をしておるところでございます。  進捗状況につきまして申し上げますと、すでに返還になりました施設のうち、境界不明のために境界設定を要する施設というのは泡瀬倉庫地区ほか五施設がございます。このうち泡瀬倉庫地区は、これは十三万平米でございますが、泡瀬倉庫地区とトリイ通信施設、これは百三十万平米でございますが、これにつきましては、現在補償費の積算のための現地調査を終わっておりまして、近く四十八年度内に補償費を支払う方向で事務を進めておるわけでございます。他の三施設につきましては、四十九年度中に処理をすることといたしております。  処理の方法につきましては、先ほども申し上げましたけれども沖繩開発庁、県関係機関とよく連絡をとりまして、当面は所有者と関係人の立ち会いと申しますか、集団和解という方法によりまして境界を設定する方式が最も適当と考えられますので、この方式で実施をしておるところでございます。その際、測量等に要する経費は当庁が補償することにいたしております。  なお、今回第十五回の安保協議委員会で合意されました返還予定施設でございますが、これは引き続き検討される施設というものを除きますと、三十二件ございまして、そのうち米軍の使用によりまして形質変更のために境界が不明確になっている施設が二十八施設でございます。これらの施設につきましてては、先ほど申し上げました方法によりまして、返還の時期を考慮しつつ、関係者との間の調整に努力して逐次解決をはかっていきたいというふうに存じておるところでございます。
  34. 島田琢郎

    島田(琢)委員 いまは返された基地の地籍調査実態お話しになったと思うのです。先ほど次官から、今後返されるまでに基地内における調査も進めなければならぬ、こうおっしゃったのです。これは所管は施設庁じゃないのですか。基地内の地籍調査はどう進んでいるのですか。
  35. 古賀速雄

    ○古賀説明員 お答え申し上げます。  地籍の確定ということは、本来関係の土地所有者が相互に話し合って解決をはかることがまず基本であります。しかし、沖繩におきましては特殊な事情もありまして、全般的には沖繩開発庁において先ほど申し上げましたように必要な調査を進めておりますし、米軍の施設区域内につきましては、米軍の現に提供している施設は米軍が使用している施設でございますので、調査等についてはたいへん制約を受ける場合が多うございます。また立ち入りがかりにできたといたしましても、先ほど申し上げましたような米軍による土地の形質の変更が大規模は行なわれておりますので、米軍の使用中に地籍を確定する作業はきわめて困難であろうかと思っております。しかしながら、そうは申しましても、防衛施設庁といたしましては、施設の管理を行なっている立場がございますので、所要の資料整備を行なう必要もございますし、地籍確定作業につながるものとして外郭の測量――外郭の測量と申しますのは施設と外部との境でございますが、その外部の測量をいま行なっておるところでございます。
  36. 島田琢郎

    島田(琢)委員 そうすると、次官がおっしゃったのとは実態は違うようですね。次官は、いつ返ってきてもいいように地籍調査を進めて、返ってきたときに直ちに使えるように事前の措置をするんだ。ところが、実際いまのお話によると、なかなかそれは困難で、外郭調査くらいの範囲内でしか手はつけられぬ。それでは、いま次官がおっしゃっているような形で地籍の調査というものは進んでいかないんじゃないか。どうもお二人がおっしゃっていることが非常に食い違うのですが、これは決定的に手がつけられない、こういう要素があるわけですか。あなたのおっしゃったことといま施設庁が言ったこととはだいぶ違うわけです。
  37. 西銘順治

    西銘政府委員 まさに御指摘になったとおりでございまして、基地内の調査についてはようやく手をつけたところでございます。経済企画庁それから防衛施設庁、沖繩開発庁、または県、市町村、いろいろその面で協力する体制がようやくでき上がったところでございまして、基地内における地籍の調査が十分にやられませんと、開放になってもすぐ使えないというのが実情でございます。しかしながら、ようやく関係省庁とも連携をとりまして基地内の調査に取りかかろうというところでございます。
  38. 島田琢郎

    島田(琢)委員 どうもそれぞれいろんな所管があるから複雑で、私もいままで勉強してみたら、地籍調査もいまおっしゃっているように基地内は施設庁ですし、ほかは開発庁、国土地理院も介入する、いろんな複雑な分野があるから、その整理がつかないとなかなかこの沖繩開発問題というのは進まぬのじゃないか。私はゆうべもおそくまでどこが問題なんだろうといろいろ研究してみましたら、どうやら外務省の所管もあり、いろんなものがあって、結局は各省庁、各部局の守備範囲がそれぞれあって、なかなかその統一ができないというところに問題があるのではないか、これはひとつ整理をしていかないと、沖繩開発なんて大表題を掲げたって、なかなかうまくいかないのじゃないかという気がいたします、おれがおれがで、割りの悪いところはおまえのほうだ、割りのいいところはおれがやるといったような、これは日本の政府のあり方というのは常にそういうことがたくさんあるのですけれども沖繩は象徴的にどうもそういうことがあらわれているような感じがいたします。何といっても、所管は西銘次官、あなたのところなんだから、そういうものを統括して、いまやれないという要素があるのなら、やれない要素をやはり事前に整理をしてやれるような形をつくっていかないと、施設庁だっていまお答えになっている範囲でしか言えない、こういうことだと思うのですね。ですから、その苦痛のほどは私はよく理解するのですが、理解していたんじゃ沖繩開発は進みませんので、アメリカ局長、いまいろいろお話が出ておりますように、軍用地内の農業適地、これの開発というのは沖繩開発にとって欠かせない非常に大事な分野を占めていると思います。この面について、先ほど、アメリカとお話し合いがされているということでありますけれどもお話し合いの結果というものはあまり芳しくない。これはひとつ前向きに積極的にアメリカ側との話し合いを進めるべきだと私は思うのですが、再度そのお考えについてお示しを願いたいと思います。
  39. 大河原良雄

    ○大河原(良)政府委員 一月の末に行なわれました十五回の安保協議委員会で原則的合意を見ました施設、区域の整理統合の一つの中に、たとえば嘉手納村に関連いたしまして嘉手納飛行場北側の用地の返還というものがあがっております。これなどはいろいろな問題があったわけでありますけれども農業適地というものを何とか確保したい、こういう観点から交渉いたしまして、米側の合意を取りつけることができたというふうな経緯があるわけでございます。私どもといたしましては、当面、第十四回並びに第十五回の安保協議委員会におきまして、原則的な合意ができましたものが具体的に返還の実があがるように、また返還の具体的な措置がとられるように全力を尽くしていきたいと思いますし、それによりまして、ただいま御指摘のような農業用地の問題についても若干の進展があり得ると考えますけれども、それで終わるということではなくして、これからも具体的な問題に対処していきたいというふうに考えているわけであります。
  40. 島田琢郎

    島田(琢)委員 時間が来てしまいまして、私のきょうお話ししたがったうちの半分にもなっておりません。ただ結論として私は――結論をきょう申し上げるということはいささか早計でありますけれども、きょうのやりとりの中から私なりに受けとめたのは、昨年いみじくもサトウキビの問題で皆さん上京されて、いろいろと訴えをされておりましたが、いわゆる沖繩のほんとうの姿というものをひとつ取り戻してもらいたい。それは観光を中心にした開発でもなければ、あるいはまた土地を本土から買いあさりに来るために沖繩が提供されるようなことがあってもならない。われわれは長い間サトウキビをつくり、パイナップルをつくって農業で生きてきたし、またこれからも生きていきたい。しかし長い間軍用地として大かた基地を押えられている現況の中で、われわれのサトウキビの耕作も思うにまかせないという悲痛な訴えがあったのは、まさしく今後の沖繩開発の方向を彼らは明示をして帰ったと私は受けとめているのです。それあるがゆえに、沖繩開発を間違えますとわれわれの本土並みの問題が出てきて、しかもああいう小さい面積のところですからそれがさらに出てきたときの姿というものは非常に悲惨な結果になるのではないかということを私どもは憂えております。したがって開発基本を間違わないように進めてもらいたいということを、私はきょうは申し上げたかったわけであります。きわめて限られた時間で十分のことを言い尽くせなかったのを残念に思いますので、また次の機会にこの続きをやらしてもらいますけれども、次官、あなたの大事な沖繩です。間違った開発が進められるようなことがないように、あなたは守る責任があると思うのです。そして沖繩でやはり農業が安心してできるようなことを考えてあげる責任もあなたにあると思う。ですから私は、そういう意味も含めていささか基本にかかわる問題を大臣とやりとりしたかったのですが、それもできないままに中途はんぱな質疑に終わってしまったわけですけれども、しかし私の申し上げたかったことについては、きょうお集まりの政府側の皆さん方もよくおわかりになったと思うのです。私は農業者だからセクトで農業の問題を言っているのでは決してなくて、日本の国内における食糧の問題は、沖繩も含めてたいへん大事な点でありますから、この点をひとつきっちりと踏まえていただきたいものだということを最後に希望として申し上げて、時間が参りましたので、私の質問をこれで終わりにいたします。
  41. 小濱新次

  42. 瀬長亀次郎

    ○瀬長委員 きょうはおもに日米合同委員会の合意議事録の問題について質問したいと思います。  まず第一番目に、たしか二十五日の日米合同委員会でアメリカ側代表が米原潜の寄港を要求したということが二十六日の新聞に報道されておりましたが、アメリカ局長のほうでその合意された内容について明らかにしてもらいたいと思います。
  43. 大河原良雄

    ○大河原(良)政府委員 この二十五日に第十回の安保運用協議会が開かれました。しばらくぶりに開かれた運用協議会でありましたので、安保条約の運用に関します日米間のいろいろな問題が話し合われたわけであります。その取り上げられましたいろいろな問題の中の一つといたしまして、原潜の寄港の問題が話し合われたわけであります。その中で、日本側といたしましては、かねて随時日本のこの問題に対する事情状況、こういうものを通報いたしてきたわけでありますけれども、その運用協議会の場におきましても、最近の状況、事情、こういうものを話をいたしました。これに対しまして米側は、日本側からの随時の通報によって日本側の事情はよく心得ておる、こういうふうなことであったわけであります。
  44. 瀬長亀次郎

    ○瀬長委員 そうしますと、日本側としては放射能監視体制と核種分析機関の確立その他体制が整うまで米原子力潜水艦の寄港を遠慮してもらいたいという要望をされたというふうに理解していいですか。
  45. 大河原良雄

    ○大河原(良)政府委員 一月二十九日に国会でこの問題が初めて提起されまして以来の日本の事情というものをわれわれは米側に対しまして随時通報をいたしております。その通報によりまして、先ほど御答弁申し上げましたように、米側としては日本側の事情はよく心得ておるということできておるわけでございまして、日本側といたしましては、かねて政府が国会で申し上げておりますように、原潜寄港地における現場の監視体制について何の疑問も持ってない。したがってこの限りにおいて、問題は、従来民間の機関に委嘱しておりました核種分析の点が非常な不備があったということで、この点は早急に体制の再確立をはかる、こういうことできているわけでございます。したがいまして、原潜の寄港に伴う安全性ということにつきましては、昭和三十九年以来政府考え方は一貫して何も変わっておらないところでございす。
  46. 瀬長亀次郎

    ○瀬長委員 アメリカとして早急に原潜の寄港を日本に要求するといったような姿勢ではなかったというふうに理解していいのですか。
  47. 大河原良雄

    ○大河原(良)政府委員 昭和三十九年以来アメリカの原子力潜水艦が合計百四回日本の港に寄港いたしております。この事実で明らかでございますように、米国海軍としましては当然日本の港に原潜を寄港させたいという希望を持っておることは確かでございます。しかしながら最近の状況に照らしまして、米側としては米側の立場においていろいろ考えておる、こういうことであろうと思います。
  48. 瀬長亀次郎

    ○瀬長委員 二十六日に日本共産党は独自に横須賀、佐世保に次いでホワイトビーチを調査したのですが、いわゆる放射能の監視体制はほとんど気休め程度で、なっておらぬという結論であります。たとえばモニタリングポイントにしても、ポストにしても、さらにモニタリングカーにしても、ほとんどその性能また体制ではどうにもならぬ。これにつきましてはあとでまとめて質問したいと思いますが、この問題については国民の安全と健康に関する問題であるので、ほんとうに核種分析をはじめ現地における放射能監視体制が少なくとも確立するまでは原潜は寄せつけないという政府は強硬な断固とした姿勢をもってアメリカに対処してほしいという要望をしておきます。  さらにこの前から問題にしております日米合同委員会の合意議事録、この法的問題について、きょうはできれば私が理解できるように煮詰めたいと思います。  最初にお聞きしたいのは、日米合同委員会とその合意事項の法律的性質について説明してもらいたいと思います。
  49. 大河原良雄

    ○大河原(良)政府委員 一番最初に原潜の問題につきましてもう一回御答弁させていただきます。  昭和三十九年に日本政府が米側からの要請を受けまして、原子力委員会中心としてきわめて慎重な検討を加えました結果、原子力艦船の寄港に伴って安全性に関する何の疑問もなしということで、米側に対して、米側の要請に応じるという回答をいたしたわけでございまして、それ以後、日本政府として原子力艦船の寄港に伴う安全性に関して何の疑問も持っておらない。したがいまして、今回民間機関の核種分析の体制について非常な不備が発見されましたことはきわめて遺憾なところでございますけれども、だからといって米側に対しまして、寄港の中止を申し出るということは政府考えておらないところでございます。  次に、合同委員会の問題でございますが、地位協定の第二十五条に合同委員会の規定がございまして、この規定によりますと「この協定の実施に関して相互間の協議を必要とするすべての事項に関する日本国政府と合衆国政府との間の協議機関として、合同委員会を設置する。」こういうふうにございます。この規定に基づきまして合同委員会が設置され、同じく二十五条の二項の規定に基づきまして日本側は代表並びに代表代理を任命いたし、米側はそれに見合う代表並びに代表代理を指定いたしまして、定期的な会合を重ねてきておる、こういうことでございます。
  50. 瀬長亀次郎

    ○瀬長委員 私がお聞きしましたのは、日米合同委員会と、特にその合意事項の法律的性質についてなんです。詳しく申し上げますと、その合意事項は国内法上有効なものであり、国民に対して拘束力を持つのか、それともただのおしゃべりであるのか、この点を明らかにしてほしい。この場合、答弁を正確にしてもらうために行政判例集の法令の公布の問題についての見解を述べますと、「法令の内容が人民の権利・義務に直接関係のない場合には、法令の形式をとる場合であっても公布の必要はない。これに反して法令が実質的意義の法律、いいかえれば、人民の権利・義務に関する一般的基準を新たに定立し、又はその例外を内容とする場合には、一般の人民の知り得べき状態におくことを要し、それが効力発生の要件となる。知り得ない法令を遵守させることは不可能なことを強制することであって条理に反する。」こういったようなことが行政判例百選の中に書かれております。いまの日米合同委員会で合意される合意事項は国内法上有効なものであって、これが国民の権利を拘束するものであるかどうか、いやそうではなくて、これは単なる日米間のおしゃべりにすぎないというふうなものであるのか、その具体的な問題なんです。
  51. 大河原良雄

    ○大河原(良)政府委員 合同委員会は地位協定の実施に関して相互間の協議を必要とする事項に関する協議を行なう場でございます。また地位協定の実施につきましては、それぞれ関係の国内法令がございます。したがいまして、日米間で協議が行なわれます場合に、日本側がとり得る措置は、国内法に基づくものが、当然国内法を基礎として行なわなければいけないところであるわけでございます。日米間で合意を行なう場として、日本側は政府の代表が米側の代表との間に合意を取りきめるということをやっているわけでございまして、日本側の政府代表は合同委員会の場を通じて米側との間に合意を行なっております。その合意が国民の生活に密接に関連いたす問題につきまし七は、たとえば施設、区域の問題のような場合には、これは施設庁の告示の形で一般に公示されるという形をとっているわけであります。
  52. 瀬長亀次郎

    ○瀬長委員 この前の三回にわたる本委員会の中で明らかにされたのは、キャンプ・ハンセン、とりわけ恩納村に関連する県道一〇四号、この問題について合意議事録を私、指摘しまして、アメリカが演習するという場合には、やはりアメリカの軍事行動に支障があってはいかぬというふうなものを含めた合意事項があります。これはすでに明らかにしたのでありますから申し上げませんが、その場合、この合意事項は告示されておらぬということを施設庁でもはっきり認めました。最初は告示されているということであったが、だんだん追及した結果、告示されておらない。また、ここにあります四十七年五月十五日の返還の日に告示されたこれは施設庁の告示第十二号、それと同じく施設庁の告示の第五十九号、これによっても、この合意事項は告示されておりません。告示されておらないのであるから、法的な拘束力は持ち得ないというのが大体いわゆる法解釈上当然成り立つし、たとえばここでいう日本政府は、それに対する行政行為の成立要件の問題でありますが、「行政行為は、行政機関の精神作用の表示であるから、行政機関の内部的な意思の決定があっただけでは、未だ行政行為が成立したとはいえない。それが、行政行為として、外部に表示されるか、少くとも外部的に認識され得る表象を具えるに至ったときにはじめて行政行為が成立する」これは田中二郎「行政法総論」の中に、いわゆる行政行為の成立要件というのもあります。いま告示の問題に触れますと、公告または通知を欠く行政行為「行政行為をなすに当り、利害関係人をして、その権利を主張し、異議の申立をなすべき機会を与えるために定められた公告又は通知を欠くときはその行政行為は無効である。」これも「行政法総論」にあり、これはほとんど法理論的には定立されている。となれば、いまのもう具体的な問題なんです。一〇四号の県道、あれは演習によって、しかもこの演習が合意議事録に規定されている。これが告示されておらない。その場合、演習自体が法の手続を踏んでいない。明らかになるわけなんです。この点いかがですか。
  53. 大河原良雄

    ○大河原(良)政府委員 告示の点につきましては、あるいは施設庁のほうから後ほど御答弁いただいたほうがよろしいかと思います。ただ、合同委員会の合意につきましては、ただいま御指摘ございましたように、昭和四十七年五月の十五日の沖繩返還の時点におきまして合同委員会の合意が行なわれまして、その中でこのキャンプ・ハンセンを米側に対して施設、区域として提供する。ただし、その使用条件として幾つかあるわけでございますが、その一つとしまして、この施設、区域内の一〇四号線はこの使用が米軍の活動を妨げないことを条件として地元民による使用が認められるということがあるわけでございます。このキャンプ・ハンセン内の道路の問題につきましては、沖繩が米軍の施政権下にありましだ当時以来の事実関係がずっと及んできているわけでございまして、そういうものを踏まえてこの措置がとられた、こういうふうに御理解いただきたいと存ずるわけでございます。いずれにいたしましても、私ども承知しておりますところは、防衛施設庁の告示はこの道路部分を含めましたキャンプ・ハンセン全体が施設、区域として提供されているということを明らかにしているわけでございますし、また施設庁のほうにおかれてそれに関連する種々の説明の措置がとられているというふうに私ども承知いたしております。
  54. 瀬長亀次郎

    ○瀬長委員 私が施設庁をここに答弁してもらわなかったのは、施設庁はこの前委員会ではっきりしております、この点については告示しておりませんと。またいないのです。だから別に答弁を求めておらないのです。  はっきり申し上げまして、この合意事項の一番の中心点は「本施設区域内において実弾射撃は認められる。合衆国軍隊が使用する兵器は通常海兵師団が常備する兵器の一般的な範疇に入るものである。」その他として(a)(b)(c)(d)の(e)「施設及び区域内の出入路及びルート一〇四号線の地元民の使用を認める。ただしその使用は合衆国軍隊の活動を妨げないものとする。」これが合意事項の骨子なんです。これが告示されておらぬということははっきり施設庁認めたし、さらにこの告示にも出ておりません。したがって、私が申し上げましたのは、そういったものが告示されないで、道交法に基づいて――この道交法はこの告示がされておるということを前提にして、道交法を利用してその通行の制限、禁止をやっている。したがって、こういった合意議事録は告示されないでも拘束力を持ち得る、また持たし得るというこの矛盾ですね、私、これを聞いているわけなんです。あなた方は合意事項が、何べんかの合同委員会あるいは運用協議でやるこの合意事項が国民の権利を制限するという場合、法的手続として公告または告示しなければならぬ。国民は知る権利がある。政府は知らす義務がある。これは憲法に基づいても言える。そういう法的手続をあなた方、政府は踏んでいない。私それを指摘しているわけなんです。局長のほうでいまの合意議事録、私が再三にわたって日米合同委員会の合意議事録を出してほしいと言うのはこういった法的な根拠に基づくものであって、決して一般的に何も政府を追及するとかというふうなことじゃないわけです。国民の権利が事実上県道から自由に歩く権利すら制限するというようなことが法の手続を踏まないでほとんど法的に違反であり、さらに不合理であるというふうなことが現実に出ておるわけなんです。すでにそれが六回やられている。また七回になるかもしれぬ。この問題はやはり道路の問題だけじゃなしに国民の権利、義務に関する問題であるので、もう一ぺん合意議事録が拘束力を持つ場合には国民に知らせなければいかないということを事実政府はそういうふうに考えておるのか、いや合意議事録は国民の権利を制限する場合であってもそれは知らす必要はないというふうに考えておるのか、ここら辺をはっきりさせてください。―― 施設庁はいいですよ、あなた方は言ったんだから、何も施設庁の関係じゃないのだから。私は合意議事録をあなた方がやっておるから言うのですよ。
  55. 大河原良雄

    ○大河原(良)政府委員 四十七年五月十五日の合意議事録を演習の際の道路通行制限ということについて具体的に御指摘でございまして、合同委員会合意の中身はまさにそのとおりであるわけでございます。日本政府といたしましては、この合意に基づきましてキャンプ・ハンセンを米軍の施設、区域として提供をいたしたわけであるわけでありますが、このキャンプ・ハンセンの中を県道として認定されました道路、具体的には一〇四号線が走っているという事実関係に基づきまして、米側のキャンプ・ハンセンの使用というものはその限りにおいて一部制約を受けることになっているという形になっておると思います。  一方、県道として認定されました一〇四号線というのは、県道としての認定は受けておりますけれども、キャンプ・ハンセンという施設、区域内を走っているという関係におきまして、施設、区域内の道路という形での特定の制約を受けておる、こういう形になっているわけであります。  そこで、合同委員会施設、区域の提供ということにつきまして合意ができました以上、これは当然告示という形で国民に周知されるべきものでありますから、その意味におきまして、施設庁のほうでこの内容を受けました告示を出しておられるわけであります。その告示につきまして、施設庁はキャンプ・ハンセン全体を施設、区域として提供する、その中には道路部分も含まれている、こういう考えのもとに告示を出しておられるというふうに承知しておるわけでございまして、いままでもそうでありますし、今後ともそうでありますけれども、合同委員会の合意の結果、それが国民の生活に直接結びつくものにつきまして、これを隠しておくことはもちろんあってはならないことでございまして、国民に対してしかるべき周知の形がとられるべきものである、こういうように考えるわけであります。
  56. 瀬長亀次郎

    ○瀬長委員 いま大河原局長が言ったとおりだと思うのですよ。事実これは道路部分について、これもありますが、私が問題にしておるのは道路が開放されたというふうな問題ではないのです。合意事項の中にいま申し上げましたアメリカ軍の演習ですね、その演習の内容、さらにアメリカの海兵隊の活動を妨げてはならぬというふうなことまで含むこの合意事項、これが告示されていないのですよ。事実施設庁も説明されたいと思うのですが、私はこういった中身にいま集中しているのです、そういった形式の問題ではなしに。これが事実は告示されていないとなれば、これは法手続上不備であるどころか、全然行なわれていない。いわゆる無法地帯になっている。警察が恣意的にこれは危険であるから通行停止しよう、禁止しようということになれば、幾らでもできるような状態、これは法治国家のとるべきことじゃない。だから聞いておるのですよ。したがって、いま日米合同委員会あたりで英語で行なわれるという問題、議事録も英文である。三月五日沖特委での局長の話があって、議事録は公表もできない、したがって告示もされていないということも明らかになったわけですね。そうなりますと、一体、国民が理解もできない、知ることもできぬ会議の内容に権利と自由を拘束されるということ、これは一体どういうことになる、そこら辺をはっきりしてもらわぬといかないと思うのですよ。何か施設庁……。
  57. 奈良義説

    ○奈良説明員 一言弁明させていただきます。  私、この道路等について告示していないと申し上げたようにとられておりますけれども、私が申し上げました趣旨は……。
  58. 瀬長亀次郎

    ○瀬長委員 道路についてじゃないのですよ。
  59. 奈良義説

    ○奈良説明員 道路の部分を含んで、つまり道路の部分を除かないで従来からのキャンプ・ハンセンの地域を演習場等として告示いたしましたというふうに申し上げております。それで特にこの告示には添付図面がございません。それから道路ということばを特には書いてございません。しかし、道路を含んだものとして全域を演習場として告示申し上げておると、こう御説明申し上げてまいったつもりでございます。
  60. 瀬長亀次郎

    ○瀬長委員 それはそのとおりですよ。ところがあなたの説明は、これは三月五日の委員会です。「奈良説明員 告示では特にそのことについては触れておりません。」これは私がいま申し上げました合意事項です。それはそのとおり触れていないのですね、あなたは。それでいいのです。それで、いまもう問題となっていることに対しては、もちろん告示されていないとなると、さすがに局長でも説明はむずかしいと思うのですよ。なぜかというと、これは大体英語でやるということも実は問題なんですがね。国権の最高機関である国会でさえ憲法第五十七条により公開せられており、議事録もだれでも入手できることになっている。裁判でさえ証人が英語で話せば日本語に翻訳することになっており、そうでなければ、証拠能力を認められないというふうなことも、これも普通常識なんですね。そこで国民が知ることもできぬ会議の合意事項によってその権利と自由を制限されているというのが現実なんです。それを認めたのです。そうなると、結論としてこれは秘密外交、密室政治、こう言われても、もうこれは答弁の余地ないのじゃないですか。また屈辱外交でもある。それこそいわゆる対米従属の軍事優先の政策を国民に押しつけている、そのあらわれであるということなんです。この合同委員会がこういった安保条約その他においてこうなったああなったということを私は聞いているのじゃないのです。合意議事録が、きわめて国民の権利と自由を制限し拘束するものであるにかかわらず、これを国民に知らすため、告示さえしていない。どうなりますか、一体、局長
  61. 大河原良雄

    ○大河原(良)政府委員 キャンプ・ハンセンを施設、区域として提供いたしました際に、ここで、米軍の訓練が行なわれ演習が行なわれるということは、これは合意はされておりますけれども、その事実、そのことを隠す必要は毛頭ありませんし、また隠すことができるような性質のものでもないと思います。したがいまして、合同委員会の合意そのものは、日米間の約束によりまして、そのままで明らかにすることは控えさせていただきますけれども、どういう内容の合意があるのかということにつきましては、当然これは、国民に対して明らかにされてしかるべきものだというふうには考えております。  ただ、施設庁は、訓練場等を含めてのキャンプ・ハンセンを全体として提供しているという事実を、告示の形で明らかにしているということであるわけでございまして、このこと自身は何も隠す、あるいは秘密という趣旨に出たものでないということは、御理解いただきたいと思います。
  62. 瀬長亀次郎

    ○瀬長委員 それから二つの疑問が出てきますが、いま私が申し上げました合意議事録の内容を、何か別の方法で新たに告示するのか、隠す必要ないとなれば。しかもこれは、法手続としてそうしなければいかぬわけでしょう、報告書、告示書。やられていない、するのか。あるいはまた、そういうふうに別に秘密にする必要がなければ、私が再三にわたって日米合同委員会の合意議事録、これを英文、和文で出せということに対しても、当然出さなくちゃいかぬという結論に達するわけなんだが、これはどうなんですか。
  63. 大河原良雄

    ○大河原(良)政府委員 告示の問題は、施設庁から御答弁いただきたいと思います。  それから、合同委員会合意の問題につきましては、かねて御説明申し上げておりますように、日米間の約束によりまして、合意の内容そのものを、文書の形あるいは何という形で、全文をそのまま出すということは控えさせていただきたいと考えております。  ただ、先ほど来御答弁申し上げておりますように、具体的な、合同委員会の合意の中身はこういうことでありますということにつきましては、当然、私ども説明申し上げる用意があるわけでございます。
  64. 瀬長亀次郎

    ○瀬長委員 委員長、時間がないですから、法的な問題になっておりますので、関連質問として正森理事からもありますが、私が締めとして申し上げたいのは、合意議事録が告示されておらぬ。その合意議事録自体が、もうすでに国民の自由と権利を拘束しておるという事実を認められたわけなんです。さらに法的問題について、補足質問を正森委員にしてもらいたいと思います。
  65. 小濱新次

    ○小濱委員長 瀬長委員にちょっと申し上げたいのですが、防衛施設庁からまだ答弁が残っておりますということですから、答弁を聞いてから正森委員の御質問に移りたいと思います。御了解いただきたいと思います。
  66. 奈良義説

    ○奈良説明員 お答えします。告示の問題につきましては、この使用条件その他を克明に、一々書くということはたいへんでございます。もちろん、先ほど大河原局長からもお話しございましたように、私ども隠すという意図は全然ございません。したがいまして、告示をしてない件あるいは明確でなかったような件については、いろいろな機会をとらえて御説明申し上げてきたつもりでございますが、私どもいま、特にこういう道路の問題といったような重要な関係を持つものについては、何らか告示の形にはっきりさせるというようなことを今後少し検討してまいりたいと考えております。
  67. 瀬長亀次郎

    ○瀬長委員 委員長、ちょっと一言ですが、施設庁は、この告示では特にそのことについて触れていませんとはっきり言ったので、私は別に答弁を求めなかったんです。だから、道路とか区域とかという問題じゃなしに、合意議事録の問題を中心にしてやっているにかかわらず、それをそらしちゃいけません。これだけ御注意申し上げて、正森委員にしてもらいます。
  68. 小濱新次

    ○小濱委員長 関連して、正森成二君。
  69. 正森成二

    ○正森委員 まず最初に聞いておきたいのですが、一〇四号線は現在依然として県道なのかどうか、それを伺います。
  70. 大河原良雄

    ○大河原(良)政府委員 沖繩本土復帰の際に、県道として認定された道路とみなすという措置がとられておりまして、これは今日もそのままでございます。
  71. 正森成二

    ○正森委員 一〇四号線が県道だとすれば、いま防衛施設庁などの答弁を聞いておると非常に重大な問題が含まれている。瀬長委員は、県道を演習のために閉鎖するという場合には、人民の権利を制限するものであるから、その告示は当然明白になされなければならないという論点であります。ところが、防衛施設庁の持って回った説明を聞くと、特別に道路を除いたのではなしに、全体としてハンセン基地が基地であり、そこで演習が行なわれるということを告示してあるから、だから特別に道路についてこういう場合には道路の閉鎖その他の制限をするということをやらなくても、一般的に道路を含めた全体の区域を施設としているからかまわないんだ、法律的にはそういう主張でしよう、そうでしょうが。そうだとすると、わが国で人民が通常通ることを可能とされている県道が、何らの理由もなしに、原則として基地として使用されており、そこで砲爆撃を行なうことも自由である、一体そういうような道路が日本国内にあるのか。それだったら、日本国民は危険でしょうがないじゃないですか、そういう理屈になる。あなた方は、そういう国辱的な主張、日本の地方自治体の県道が何らの理由もなしに施設の中に含まれており、だから告示なんかしなくてもいいんだ、そういう主張を認めるのか。重大なことだぞ。一体それで独立国と言えるか。答えられないだろう。
  72. 大河原良雄

    ○大河原(良)政府委員 キャンプ・ハンセンを施設、区域として提供いたします際に、先ほども私御答弁申し上げましたけれども沖繩が米国の施政権下にありました当時以来の実態というものが背景となりまして、キャンプ・ハンセンの用地となるべきものを全体として施設、区域として提供した。一方、その中を一〇四号線と現在称せられております道路が通っておるという実態のもとに、これが県道として認定される道路としての指定が行なわれたわけであります。したがいまして、その限りにおきまして、米軍の施設、区域としての使用が、一般に開放される道路が存在するということによる事実上の制約を受けている。一方、県道として認定されております一〇四号線は、一般の使用に供される公道ではありますけれども、演習期間中は通行において事実上の制約を受ける、こういう形になっておるわけでございまして、米軍がこの地域におきまして演習を行ないます際には、事前にその旨の通知を日本側に行なってきておる、こういう形になっておるわけでございます。
  73. 正森成二

    ○正森委員 そういう説明を聞いても……。いいですか、あなた、施設、区域の中で黙認の耕地があり、そこへたまたま入って個人がスイカをつくっておるとか何をつくっておるという場合と全然違うのです。県道というのは、日本国民であろうと外国人であろうと、本来堂々と天下の公道として歩けなければならないところです。それが何ですか、生命の危険にさらされるような演習があり得るかもしれないのに、それが事実上制約されているとか、事実上使うことができるとか、そんな法治国がありますか、あなた。そんなことで法治国と言えますか。それはいにしえの専制制度のもとの人民の権利じゃないですか。権利とも言えないときの時代のことじゃないですか。そういうような状態に、現在沖繩県民が置かれているということを一体あなた方はどう考えるのか。いやしくも自尊心のある国民なら、そんな状態のもとで道を歩くことはできないはずだ。またそれを自尊心のある政府なら許すことができないはずではないか。――おそらく私は外務省も施設庁も答えられないと思います。したがって、この問題は大臣が出席するときに追及するということにして関連質問を終わり、私の質問に入らしていただきたいと思いますが、よろしゅうございますか。
  74. 小濱新次

    ○小濱委員長 正森君に申し上げます。  大臣の出席のときにこの質疑を再開することは、これは当然でありますが、担当局長がもう一言御答弁したいということでございますので、お許しをいただきたい、こういうことですので、許可いたします。
  75. 大河原良雄

    ○大河原(良)政府委員 このキャンプ・ハンセン内の道路の問題は、一九五二年の沖繩の高等弁務官令によります措置が一九五三年に当時の琉球政府によってとられたとき以来の長い経緯がある問題でございまして、そういう経緯を踏まえて、沖繩の施政権が日本に返還されました際に、先ほど来私が申し上げておりますような形での施設、区域の提供が行なわれた、こういう経緯があるわけでございます。その意味におきまして、通常の形と必ずしもぴったりというものではございませんけれども、米軍に対しては施設、区域を提供しておりますけれども、その中を道路が通っておるという形での制約が加わり、また一方その道路は、演習中には米側の演習を妨げないという形での制約が加えられておる、こういう形になっておるということを御答弁申し上げたかったわけでございます。
  76. 瀬長亀次郎

    ○瀬長委員 私、委員長にお願いしますが、いま政府の答弁でも明らかなように、この合意議事録ですね、これを出してもらわなければ、この合意議事録が現実に国民の自由と権利を拘束しておるということになりますと、これは当然のことながら法治国家としてぜひ明らかにしなければならぬ。いま申し上げました一〇四号に関する合意議事録、さらに現在建設中の縦貫道路、これについての合意議事録、英文と和文で両方提出してほしい。提出しなければ、たとえば縦貫道路でも一ぺん通ったら、アメリカが路線権を利用してこれを通さぬということになると、国民が知らぬうちにまた国道が遮断されるということが当然のことながら予想されますので、委員長のほうでこの合意議事録の提出の私の要請について善処してほしいと思います。  これで終わります。
  77. 小濱新次

    ○小濱委員長 ただいま瀬長亀次郎君から御要望のありました資料要求の件について、答弁を求めます。
  78. 大河原良雄

    ○大河原(良)政府委員 先般来、当委員会におきまして、いまの二つの合同委員会合意の文書による提出の御要求がございました。これに対しまして、かねて御答弁また御説明申し上げておりますように、文書による提出は米側との約束により差し控えさせていただきたいと考えるわけであります。
  79. 小濱新次

    ○小濱委員長 瀬長亀次郎君に申し上げます。  御要望のありました件については、ただいま御答弁がありましたけれども、次回の理事会に計らいまして善処したい、こういうように思いますので、御了解をいただきたいと思います。
  80. 瀬長亀次郎

    ○瀬長委員 承知しました。
  81. 小濱新次

    ○小濱委員長 正森成二君。
  82. 正森成二

    ○正森委員 私ども沖繩、北方特別委員会では小濱委員長を団長といたしまして、三月二十三日から二十五日まで沖繩県の実情視察を行ないました。百聞は一見にしかずということで、非常に見聞を深めることができたというように喜んでおります。同僚議員も質問されると思いますが、きょうは一時から本会議でございますので、きわめて限られた時間の中で、私はとりあえず、一、二の問題を伺いたいというように思っております。  その第一は保健衛生の問題でありますが、御承知のように、県の説明では、沖繩県には約七十二の島々があり、本島を除く有人島は三十九島、一説によりますと四十五島であるという説もありますが、人口が離島に十四万二千人住んでおるということになっております。ところが、医療の点については非常に不十分でありまして、医師をはじめとする保健医療従事者というのは本土の類似県の大体半分程度というのが実情です。たとえば病床数は五四%、医師の数は五〇%、看護婦や准看護婦の数は三九%、いずれも類似県と比較してのことでございます。そして特に病院の病床数というのは全国平均の二五%程度であるというようにいわれております。私は思いますのに、本土におきましても医学部の設置というのが各県から要請されておりますが、特に沖繩県のように島全体が離島であり、しかも本島周辺にさらに離島がいま言いましたようなたくさんの数があり、そこに人口が十四万二千人も住んでいるというような状況のもとでは、少なくとも、沖繩本島に医療の拠点を設ける、あるいは学術の相当水準の高いものを設けるということは、必要不可欠のことであるというように思いますが、まずその根本的な問題について、きょうは次官がおられますので、次官の御見解を伺いたいと思います。
  83. 西銘順治

    西銘政府委員 お答え申し上げます。  御指摘になりましたとおり、沖繩の医療体制は、本土と比較いたしまして非常に低い水準にございます。しかしながら、開発庁といたしまして、施設整備あるいは医療器具の整備等につきましても鋭意努力いたしまして、その整備をはかっているところでございます。  また琉球大学の医学部設置につきましては、現在文部省で検討しておる段階でございまして、詳しいことにつきましては関係局長から答弁をさせることにいたします。
  84. 正森成二

    ○正森委員 昭和四十年の八月、当時の佐藤総理大臣沖繩に行かれて、琉球大学に医学部を設置するという発言をされたことは公知の事実であります。  そこで文部省に伺いたいと思いますが、医学部を設置する場合の基準ですね。大体敷地面積というものがありますし、それから大学の付属病院としては病床数が幾らぐらい必要かという基準があると思いますが、その二点について伺いたいと思います。
  85. 齋藤諦淳

    ○齋藤説明員 医学部を設置する場合には基準がございますが、現在では講座は二十七講座以上設ける。それから、病床数は学生の数によって異なりますが、かりに百人とした場合には八百床の病院を設ける、こうなっております。ところが、その関連教育病院を使用する場合には、その八百床は六百床でもいい、こういうことになっております。  なお、現在国立大学の医学部なりあるいは医科大学を創設する場合には、将来の医療短大の増設なども含めまして、相当大規模な敷地を整備するように、そのようにしておりますが、既存の大学の場合には、たとえば五万坪ぐらいのところもございますし、あるいは三万坪ぐらいのところもございます。ただ、最近の新設のところでは、それ以上できるだけ確保するように、このようにつとめておる次第でございます。
  86. 正森成二

    ○正森委員 私の聞いているところでは、最近新設する場合には六万坪を要求されておるとこう聞いておりますが、いかがですか。
  87. 齋藤諦淳

    ○齋藤説明員 七万坪を要求しております。
  88. 正森成二

    ○正森委員 そこで、この琉球大学の保健学部に行ってまいりましたが、あそこは非常に手狭なところでありまして、隣接しております出入管理事務所などを含めましても一万五千坪しかないということになっております。また、病床数は現在四百床しかないということであります。そうすると一体、文部省は――文部省だけの責任ではないかもしれませんが、なぜそういうように現在一万五千坪足らずしかないところへ、しかもそれ以上広げようと思えば、沖繩というところは非常に公園の少ないところですが、前に与儀公園というのがありますが、与儀公園をつぶしても三万坪に足りないぐらいだというようなところに、こういう保健学部を設置し、しかも説明によればこれを将来は医学部の付属病院にしたいというようなことを答弁してきたのか。それでは初めからできないところへ設置したというように解釈されてもしかたがないじゃないかというように思うのですが、その点はいかがですか、あるいは将来どうするつもりですか。
  89. 齋藤諦淳

    ○齋藤説明員 琉球大学の保健学部が現在あるわけでございますが、これは復帰前の昭和四十四年度に設置されたものでございまして、それから並びにいま御指摘のありました四百床の病院は、復帰された四十七年の五月の十六日に琉球大学保健学部の付属病院として開設されたわけでございまして、文部省といたしましては、この琉球大学の保健学部が設けられた趣旨が、医師養成は当面本土で行なって、当分の間は保健学部としてその専門家なりあるいは看護婦等の養成を行なう、こういうふうなことで移管されました。これに従って今後拡充するとともに、同時に医学部の設置についてもぜひこれは必要と考えておりますので、早急にその対策を考えたい、こう思っておる次第でございます。
  90. 正森成二

    ○正森委員 そうすると、初めからあの保健学部というのと医学部というのは、別個のものにするというつもりだったのですか。そうだとすれば、医学部を将来どこに、どういう発想でつくろうとしているのか、それを伺いたい。
  91. 齋藤諦淳

    ○齋藤説明員 設置された当時にとりあえず保健学部を設ける、こういうことでございまして、医学部をどうするかということはその際には明らかにされていなかったわけでございます。ところが、本年度文部省の中で調査委員会を設けまして、この保健学部の中に、保健学部を基礎として、これを医学部として、その中に従来の保健学部で行なっておったコースも十分存続するようにしたい、こういう趣旨の答申が出ておるわけでございます。  なお先ほども申しましたように、既存の大学では非常に狭いところで、たとえば東京医科歯科大学とかあるいは大阪大学の医学部とかやっておるところもあるわけでございますが、しかし新設の医学部ということになりますれば、どうしても敷地が拡張可能でなければ、別の敷地を早急に求めなければならない、こう考えておる次第でございます。
  92. 正森成二

    ○正森委員 いまそういうようなお話ですけれども、私は先ほども申しましたように、沖繩県に医学の学術の中心を設けて、そしてそこから出た学生、医師が、さらに沖繩県で県民の医療のためにも当たるということが絶対的に必要であるという感を深くしてまいりました。特にこれは佐藤総理大臣が初めて沖繩県へ行かれたときのある意味では政治的な約束でもありますし、また政治的約束であるだけでなしに、社会生活的に絶対的に必要なことであります。かつ、われわれ調査団が行ってまいりましたところでは、あの琉球大学の保健学部の付属病院の敷地あるいはそのまわりの状況では、どうしてもここにセンター的な医学部を設けるには敷地として不十分だ。むしろあの病院は県立病院あるいは市民病院として、たださえ医療設備の少ない沖繩県にそういうものとしてあの病院を使う。医学部はまた別につくるというようなことでもやらなければ、これはとても要請にこたえられないだろう、こう思います。きょうは大臣もおられませんし、あなた方に要望しておきますが、沖繩県の医療水準というのは非常に低い。それを是正するためには、やはり医学部を万難を排してつくることが必要であり、その点についてあなた方の努力を一段と要請しておきたい、こう思います。  時間がございませんので、次の質問に移らしていただきたいと思いますが、法務省が来ておられますね。――私たち代表団の今回の調査の非常に大きな目的の一つは、御承知のように小禄における爆発事故の補償をどうするか、あるいはこういうことが起こらないために、探査及び爆発物の発掘処理をどうするか、こういう点が一つでございました。  そこできょうは、探査と発掘については直接伺いませんが、すでに起こった事故について、国がどういうようにその被害者及び被害物件に対して補償するかというのはきわめて重要な問題です。きょうおいでになっているのは古館参事官のようですが、この前私が質問しましたときには別の方が答弁されたわけですが、そのときに補償上の根拠条文として、最初は国賠法の一条と民法の七百九条をおあげになりました。その後私の質問の中で、国賠法の二条に該当する場合も考えられる。なお公の営造物というのに入るか入らないかというようなことで論議を行なったわけですが、そのときに総理府の副長官も、法務省がなかなか渋っておるようだけれども――古館参事官が渋ったのかどうかそこはわかりませんが、渋っておるようだけれども、再度検討できるかどうか、県民の要請もあるので考えるということを言われたように、非公式ですが、記憶しております。そこでその検討をなさったかどうか。適用ができるのかどうか。もし適用ができるとまでは省内でまだ議論がまとまっていないとすれば、その問題点はいまのところどこにあるのか。その点について、時間がございませんので、簡単に一言答弁していただきたいと思います。
  93. 古館清吾

    ○古館説明員 国家賠償法二条一項の公の営造物にかりに本件の事故が、旧海軍の敷設した機雷によって起こったものだといたしましても、その機雷が公の営造物に当たるかどうかにつきましては、解釈上相当疑義があるだろうと思います。公の営造物と申しますのは、先生も御承知のとおり、行政主体によりまして、特定の公の用に供されている建設物または物的設備というふうにいわれているわけでございます。本件の不発弾が、現在公の用に供されているものというふうにいえるかというと、どうもその辺は困難なんじゃないかというように考えるわけでございます。そういうことから、国家賠償法二条の適用につきましては相当問題があろうと思います。ところが国家賠償法一条あるいは民法七百九条という問題もあるわけでございます。この辺は事実関係によりまして判断しなければならない事柄だろうと思います。そういうことで、私どもといたしましては関係行政庁に対しまして事実関係を早く調べてほしいということを強く要請しております。したがいまして、そういった事実関係についての資料が出た段階で国家賠償法一条あるいは七百九条の適用の関係がどういうふうになるのかという結論を早急に出したいというふうに考えております。
  94. 正森成二

    ○正森委員 いまの答弁を聞いておると依然として一般法である民法七百九条とか国賠法一条にこだわり、国賠法二条一項の「公の営造物」というのは考えられないかのような答弁でありますが、古館参事官のことばじりをとらえるわけじゃないが、あなたはあの機雷を現在使用されているような公の建物とかあるいは付属物的設備とは考えられないという意味のことをいわれた。そうすると一体国賠法は現在「公の営造物」として使用されていなければ一切国賠法二条一項に該当しないのか、そんなばかなことはないでしょう。公用を廃止されておっても依然として国の所有物である、その管理が非常に不十分であったために何かくずれてきて事故が起こったとかいうような場合には、当然やはり法律の解釈上としては公の営造物の設置、管理、それに瑕疵があったということにならざるを得ない。大体もしあの第二次世界大戦中の爆雷や機雷が現在使用されている国の物的施設だとかそういうものといえるかどうかなんて観点から考えれば、そんなもの現在使用されていないのはあほうでもわかる。そんなことを聞いているのじゃない。前に法務省が答弁したところでは、国の財産といわざるを得ないだろうという答弁があった。国の財産といわざるを得ないということになれば、いわざるを得ない国の財産を、しかも判例では動産もそれに含まれ得る、こういうておる場合に、それの設置、管理についてやはり瑕疵があったのではないかという議論に発展するだろう。注解を見ましてもあるいはあなた方の訟務検事がお書きになった本を見てもその解釈を許す余地があるということを私がるる説明したわけです。答弁者がかわったから前のことを知らないのかもしれないけれども、依然として七百九条だとかあるいは国賠法の一条だけを考えるというのでは総理府副長官が十分検討すると言った趣旨に合致しないのではないかというように思われますけれども、そういう点についてきょうは責任者が来ておられませんけれども、ぜひとも総理府ともよく相談されて、沖繩県民の要望にこたえるような法解釈をしていただきたい、こう思います。  委員長、きょうは大臣もおられませんし、一時から本会議でございますからこの程度にとどめまして、なお三日間の調査によって同僚議員とともにいろいろ問題点を調査してまいりましたので、次回の委員会等で続けて質疑を行ないたいと思います。
  95. 小濱新次

    ○小濱委員長 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午後零時五十三分散会      ――――◇―――――