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安里委員 沖繩の
復帰、返還が
実現をいたしまして、ある
程度なんだが
沖繩問題というものが終わったような
感じもするわけでございますし、またそう思われるような節もありますけれども、
沖繩開発庁ができ、国会におきましても
特別委員会が継続して設けられておりますゆえんのものは、私は、
沖繩の
復帰が
実現いたしましても、その後の問題というものが重要なものを持っておるし、始末しなければならぬところのいろいろな問題をかかえておるという特殊な
立場から来ておると思っております。
もちろん暫定的な
措置、
経過的な
措置がなされますとともに、先ほど申しましたように積極的な
振興開発というものも行なわれておりますけれども、端的に申し上げまして、これはある
一つの
既成事実の上に立ったところの構想だと、こう思います。なお言いまするならば、
戦争の
あと始末という問題、この基本的な問題というものがまだ済まされていない。その上に
開発だ、
振興だというようなことが打ち立てられるし、あるいは長い間造成されました
一つの
既成事実の上に、これを無理なく本土との格差をなくしようという組み立てができておると、私はこう
考えております。
そこで、いま
大臣がおっしゃいました
爆発問題でございますけれども、これはまさしく
戦争の結果の
あと始末がなされていない。
爆弾の上に
沖繩が建設されておるということになりますので、確かにこの問題はこの事件で注目されましたけれども、いままでほうっておいたということが私はたいへんな誤りだったと思っておりますし、この問題の処理をぜひともしなければならぬ、こう思っておりますが、実は先般、あの
爆発事故のありました
現地に参りまして、それぞれ当局の
方々ともお会いをしてまいりました。
新聞紙上やあるいはまた報告で聞いておった以上にひどいものがございまして、作業をしておりました三名の方が死亡されましたし、その中の一人は二、三十メートルもはね飛ばされて、なくなっておられますし、気の毒に三歳になる
子供さんがなくなっております。不幸中の幸いなことには、すぐもう十メートルも離れていないところに
幼稚園がございまして、
幼稚園の庭続きでございますけれども、
子供たちが家の中に入っておったおかげでこれらの
子供たちが助かったということで、万一休み時間ででもあった場合にはたいへんだったというような
感じを抱かされるわけであります。
そこで、非常に大きな
爆発力であったようでございまして、五十メートル以上も離れている三階の家のてっぺんに、六百キロもあるところの打ち込んだ鉄の
パイルがはね上げられておるというたいへんな
爆発力でございまして、
陸上自衛隊のその係の方にお会いしますと、この穴の
状況からおそらく百五十キロの
爆薬が作用したのではないか、そういうふうに承りましたけれども、きのうほかのほうから聞きますと、いや二百五十キロほどの
爆薬だというふうなことも聞かされております。
そこで、先ほどの御
答弁で、まだこれが一体何だったかというようなこともはっきりしないというふうに承ったのでございますけれども、現にこれは
地雷であったというようなことも言われておりますけれども、
地雷にしては百五十キロもあるような
爆薬の
地雷ということもちょっとどうも想像がつかないわけでございますけれども、まだどうしたことによって、どういうものが埋まっておったためにこの
事故になったというようなことにつきましては、やはり確実のところは
政府とされましてもまだ報告を受けておりませんか。