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1973-03-29 第71回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十八年三月二十九日(木曜日)    午前十時十分開会     —————————————   委員の異動  三月二十九日     辞任         補欠選任      向井 長年君     中沢伊登子君      塚田 大願君     渡辺  武君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         大竹平八郎君     理 事                 上田  稔君                 佐藤  隆君                 高橋 邦雄君                 西村 尚治君                 米田 正文君                 横川 正市君                 鈴木 一弘君     委 員                 小笠 公韶君                 梶木 又三君                 川上 為治君                 木村 睦男君                 楠  正俊君                 熊谷太三郎君                 小山邦太郎君                 古賀雷四郎君                 塩見 俊二君                 竹内 藤男君                 玉置 和郎君                 中村 禎二君                 長屋  茂君                 細川 護煕君                 山崎 五郎君                 山内 一郎君                 吉武 恵市君                 上田  哲君                 川村 清一君                 小林  武君                 瀬谷 英行君                 田中寿美子君                 羽生 三七君                 安永 英雄君                 藤原 房雄君                 矢追 秀彦君                 木島 則夫君                 中沢伊登子君                 星野  力君                 渡辺  武君                 野末 和彦君    政府委員        大蔵政務次官   山本敬三郎君        大蔵省主計局次        長        辻  敬一君    事務局側        常任委員会専門        員        首藤 俊彦君    公述人        学習院大学教授  島野 卓爾君        日本女子大学教        授        松尾  均君        横浜国立大学教        授        長洲 一二君        全国中小企業団        体中央会専務理        事        稲川 宮雄君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○昭和四十八年度一般会計予算内閣提出衆議  院送付) ○昭和四十八年度特別会計予算内閣提出衆議  院送付) ○昭和四十八年度政府関係機関予算内閣提出、  衆議院送付)     —————————————
  2. 大竹平八郎

    委員長大竹平八郎君) ただいまから予算委員会公聴会を開会いたします。  公聴会の問題は、昭和四十八年度総予算についてであります。  この際、公述人の方に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多忙中にもかかわりませず、本委員会のために御出席をいただき、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚くお礼を申し上げます。  それでは、議事の進め方につきまして申し上げますが、お手元にお配りいたしました名簿の順に従いまして、お一人三十分以内の御意見をお述べ願いたいと存じます。お二人の先生から御意見をお述べいただきました後、委員の皆さんから御質疑がありました場合は、お答えをお願いしたいと存じます。  それでは、島野先生から御意見をお述べいただきたいと思います。(拍手)  それからなお申し上げますが、御質疑の方は、そのまま、着席のままでひとつ御質疑を願いたいと思います。
  3. 島野卓爾

    公述人島野卓爾君) おはようございます。ちょっとおそくなりまして、申しわけございません。おわびいたします。学習院大学島野でございます。私に与えられました時間、約三十分以内で、一応国際金融について考えるところを申し述べまして、御参考に供したいと思います。  昨日の夕刊で、もう先刻御承知のとおりに、今回の二十カ国の蔵相会議は一応落着を見たわけでありますけれども、しかしながら、かなり問題点が含まれております。そこで、当面の問題と同時に、将来の問題について、どのように考えるべきかということに関して、私個人の意見を申し述べたいと思います。  今度の二十カ国の蔵相会議におきまして、一応固定相場制についての意見が出ておりますけれども、しかしながら、私の考えるところでは、変動相場制ということをかなり強く打ち出したという点が着目すべきことでありまして、わが国愛知蔵相が二十カ国蔵相会議でお話しになられましたように、本来ならば固定相場制が望ましいということは確かでありましょうが、しかしながら、よく考えてみますと、アメリカないしはECの現在の判断は、必ずしもその固定相場制をとる余裕がないということを考えているのではないかと思うんであります。  そこで、少しこまかく、アメリカ立場EC立場を私なりに解釈してみますと、次のようなことであります。もしアメリカ固定相場制に戻るということを主張するとすれば、いかなることをしなければいけないかと申しますと、二つの問題、つまり交換性をいつ回復するかということを直ちに主張しなければなりません、ないしは言明しなければならないわけでありますし、同時に、現在数百億ドルないしは八百億ドルにのぼっているといわれるいわゆるドル債務——アメリカから見ればドル債務、私ども日本その他工業国、それから世界各国から見ればドル債権になりますけれども、いわゆるストックの分としての八百億ドルに近い額をどのように処理するかという問題があるわけであります。しかし、金交換性にいたしましても、それから多額ドル債務をどう処分するかということについては、現在のところ見通しが立っておりません。そういう意味からいたしますと、アメリカはむしろ当分の間変動相場制を続けるというふうにして、金とドルとの間を断ち切っておいたほうが望ましいというふうに考えているに違いありません。さらに言えば、アメリカは、今後考えられます通貨通商のパッケージディールと申しますか、通貨通商をコンビネートして、世界の、ECないしは日本といろんな交渉に当たります場合に、むしろ、ドルの切り下げ、逆に申しますと金価格の引き上げでありますけれども、その重度をふやしておいたほうが望ましいと、つまり、わが国ないしはECとのいろいろな交渉の場合に、もしそれがアメリカの言うとおりにならなければ、ドルをまた切り下げますよという、簡単に申しますと——これは、こういう国会の場でそういうことばを使っていいのかどうかわかりませんが、そういうおどし文句を持っていたほうがアメリカにとっては交渉上有利であると、つまり、バーゲニングパワーが強くなるという考え方に立っているに違いありません。したがって、アメリカから見ますと、変動相場制を当分続けておくほうが、むしろ身軽であるというふうに考えるべきではないかと思うわけです。  で、さらに今度、EC立場をどう解釈すべきかというふうに見ますと、ECは、やはりこれは先刻御承知のとおりに、現在共同フロート——三カ国を除きまして共同フロートになっておりますが、ECがねらっておりますのは、何といっても、できるだけ早い機会に、イギリス、アイルランド、それからイタリアの、現在脱落しております三カ国を共同フロートの中に一応入れまして、そしてドルに対して共同フロートを完成させる。つまり、それが、ECが一九八〇年までに考えております経済通貨同盟の完成へ向かっての一つの重要な試金石になっておるわけでございますので、何が何でもそれを実現したいと。わが国では、これは、私ども研究者仲間意見の違いをここで露呈するようなものでございますけれども、一部の国際金融学者の中には、共同フロートは長続きしないと、そしてむしろ、共同フロートEC通貨同盟にとって隘路になるのではないか、むしろマイナスになるのではないかというような意見を申し述べる方々もおられますけれども、私は逆であります。むしろ、これは歴史的に見ましても、外からいろいろなその影響がございますと、ECは絶えず結束してまいりまして、皆さま方承知のとおりに、一九五六年から五七年ごろにかけてわが国も参加いたしましたが、ケネディラウンドのときもそうでありまして、ケネディラウンドアメリカからかなり大幅な関税一括引き下げ交渉を申し込まれたときに、当時、ECはまだ農産物の共通価格はきまっておりませんでした。しかし、ECはいち早く、むしろ共通価格をきめることは重要だということで、かえってEC結束は高まった、ないしは固まったわけでありまして、それと同じで、今度の場合にいたしましても、むしろ、まあ外敵などということばは不穏当でございますが、しかし、アメリカからの攻撃、逆に申しますと、多少ジャーナリスティックで恐縮でありますが、脱ドル体制、つまりドルからのがれようという体制をつくるためには、むしろそのほうが望ましい、結束を固めるほうが望ましいという考え方があるわけでありまして、そういう意味では、EC立場にいたしましても、固定相場制で一たん相場を固定した上で無条件にドルを買いささえるということは、むしろ重荷であるというふうに考えているわけで、EC立場からいたしましても変動相場制は望ましいというふうに考えているに違いないと、これは私の判断であります。  つまり、非常に簡単に申しますと、現在は基軸通貨がない時代というふうに言ってよいかと思います。御承知のとおりに、基軸通貨と申しますのは、まあ別名、国際通貨とも申しますが、その基軸通貨国際通貨は完全に一致した概念ではございませんが、通常国際通貨といわれておりますのは、準備通貨であり、かつ決済通貨であって、それに加えて介入通貨であるという三つの機能を持っておるものが国際通貨というふうにいわれております。その点で、現在は、ドルといえども、ないしはマルクといえども、円といえども、その準備通貨であり、決済通貨であり、しかも介入通貨であるという三つの条件を備えた通貨世界にございません。そういう意味では、先ほどちょっと触れましたように、現在は基軸通貨のない時代ということになるかと思います。つまり、そういう意味では、世界主要国は大部分が変動相場制に行った、そして現在それが続行されているということで、先般のスミソニアンの合意はもろくもついえたばかりでなく、一九四四年、ブレトン・ウッズででき上りましたいわゆるIMF体制というのは、ほとんど基本的にこわれたというふうに言っていいわけであります。  こういう状態というのは、私ども日本経済にとりましても、ないしは世界国々IMFに参加している国々にとっても、決して望ましいことではないわけでありますが、しかしながら、固定相場制にして、たいへん多額投機現象金融市場が撹乱されるよりは、むしろ変動相場制が持っております利点——もちろん欠点もございます。ございますが、現在、どちらかといえば、変動相場制が持つであろう利点を生かし、そしてそれを長期化させることによって、その間にこの主要な問題−先ほどちょっと触れておきました、ドル債務をどのようにして処理するか、それからドル交換性をはたして回復すべきかどうか、どうすれば回復できるか、ないしは、問題になっております金をどうして廃貨していくか、だんだん貨幣から除いていくか、というふうな問題をこの期間の間に検討するはずであります。まあ、新聞の切り抜きを持ってまいりましたが、昨日の二十カ国蔵相会議共同コミュニケの中にも、今後の国際通貨のサイドでどのように問題を調整していくか。それは大体において客観的な指標を設けるということで落ちつくようでありますし、それから流動性につきましては、SDRを主要な準備通貨として持っていく方向については大体の意見が固まっているというようなニュアンスであります。  で、問題は、国際金融ないしは国際通貨の問題で、いま申しました調整と流動性以外に、信認の問題がございます。で、信認の問題につきましては、現在、変動相場制というところでは、各国それぞれがどの国の通貨信認してよいか、実際問題として、はっきりしていない状態だと言ってよいかと思います。  そこで、これはいままでを振り返った問題でありますが、しからば、今後どうなっていくかということについて少しく触れたいと思います。  よく、ドルの不信という問題と金価格の高騰ということを、わが国新聞その他でも大体パラレルに書いてあります。つまり、ドルが下がると令価格が上がるというふうに考えて書かれてありますが、私の考えるところでは、これを並行して書くこと自体は、むしろ国民を誤らせるものだというふうに思っております。現在のところでは、そうしておそらくアメリカにしても、それからヨーロッパにいたしましても、金の選好が強いヨーロッパにいたしましても、金は通貨として考えておりません。金は商品と考えるべきであります。しかしながら、先ほどちょっと触れましたように、わが国でも、そしておそらく私の知る限りでは、わが国が最もそういう点で、はっきりしておりますが、一部の国際金融学者ないしは専門家の中には、金こそ価値基準であるという考え方をお持ちになっておられます。で、そういう方は、まあ、わが国には比較的多いのは驚くべきことでありますが、しかしながら、金というのは価値基準になり得ない、そういう時代が来たし、かつてもそうであったということを簡単に御参考に供したいと思います。  多くの人々は、金は非常に安定したもので、価値基準になるというふうにお考えでありますけれども、それはむしろ間違いであります。非常に古い話を申して恐縮でありますが、一八四〇年、これはいまからもう百何年も前のことでありますが、そのときに世界経済はかなり不況でありました。しかしながら、それから十年後にカリフォルニア金鉱が発掘されたわけであります。一八五〇年を中心といたしまして、西部劇に出てまいりますような、すべてが金鉱をさがしに西部へ参りました。その金の発掘に伴って、かなり多量の金が出ましたから、金本位制というような関係から申しまして、たくさんの通貨が出て景気が上昇したわけであります。それからまた四十年たちました一八九〇年——実は一八八〇年は、経済はかなりの停滞時期でありましたが、一八八〇年から九〇年にかけて、今度は南アフリカ、現在の南ア連邦でありますが、あそこで多量金鉱が発掘されたわけであります。そして、そのために、また世界経済景気が上昇してまいりました。それから四十年、千八百九十に四十をお足しになれば、すぐわかりますように、一九三〇年であります。一九三〇年は、実は私がまだ生まれてないころでありますけれども、大不況でありました。なぜか。金が発掘されなかったからです。  つまり、四十年と申しますのは、経済のほうで先刻御承知の方も多いと思いますけれども、最も長い長期波動として景気変動論で考えておりますコンドラチエフの波といわれておるものでありまして、四十年を周期として大体大きな波がございます。で、いま申しましたように、いみじくも、その四十年を周期として景気が下がっているときに、ありがたいことに、ないしは幸いなことに、一つカリフォルニア金鉱一つ南ア金鉱というものが発掘されて、資本主義経済を一応保ってきたわけです。  そこで、一九三〇年代の大不況から回復するときに、どうしたかと申しますと、ドルとポンドは約六〇%かう七〇%切り下げました。逆に申しますと、金価格を上げたわけです。金価格を上げるということは、申すまでもないことでありますけれども、物理的な量は同じにしておいて、価値額で金の量をふやすということを意味しているわけでありますから、そういう意味で、あたかも金鉱は発掘されなかったかもしれないけれども、金をふやしたという、人為的にふやしたわけです。  いまの、大体四十年をとりました変化ないしはプロセスというのは一体何を意味しているかというと、金というのは決して安定しているのではなくて、たまたま偶然と申しますか、ちょうど不況生産費が下がるというようなことから金鉱を発掘するインセンティブがわいて金を発掘するということで、たまたまそういう長い期間、金がある程度の価値を、価格を維持したにすぎないわけです。御承知のように、現在、金の価格は一オンスで八十五ドルから九十ドル前後を動いております。しかし、これは商品でありますから、ドル価値がどのくらい下がろうと、円の価値がどの程度上がろうと、一向に関係ないはずなものであって、今後国際通貨体制を考える場合におきましては、金を離して考えるということが重要であろうかと思うんです。むしろ、金にすがっている限り、望ましい国際通貨体制はできません。  これはちょっとめんどくさい話になるかもしれませんが、次の例を説明申し上げれば、おわかりいただけるかと思います。実は、金本位制のときにはどういう状態であったかと申しますと、各国通貨は、国内法に従いまして——わが国におきましても、わが国の一円は金何ミリグラムということで、きめておりまして、世界的にきまった法律がございません。現在のようなIMF契約というのはなかったわけでありまして、各国はそれぞれ国内法で運営していたわけです。その国内法で運営して、なお世界経済全体にわたって調和のとれた国際通貨体制といわれるものがあった理由は何かと申しますと、自由金市場であります。金が自由に売買されることによって、もし、わが国でいえば、日本銀行が金の分量を一円当たりについて少し減らそうものなら、すぐ金市場のほうでそれが反応を示すということで、結局、自由金市場と、それから一円というものが示している金の量目との間は、いつでも同じであったということなのです。ところが、そういう時代は去りました。そして、現在のようにドル体制ないしはドル本位制というふうにいわれているところではどういう現象が起こっているか。この現象は、わが国では比較的、新聞とか、ないしは学界でも取り上げられませんけれども、英語でシニョレージと申します。このシニョレージと申しますのは、通貨流通価値実質コストの間の差であります。で、理解を便にいたしますために、多少ドラスティックに申しますと、私どもが海外旅行いたしますときに持ちますドル紙幣、一ドルなら一ドル印刷費が幾らだというふうに考えて、いま私は幾らかかっているか知りませんが、五セントだといたします。そうしますと、九十五セントは、実質的に、アメリカ連邦準備で発行している分、それだけ利益になるということになるわけです。古くは、わが国封建時代に、なぜ領主が土地を取りたかったかというのは、いわば藩札を出す権限を持ちたいからでありまして、ヨーロッパの中世の王様が領地を取りたいというのは、結局、鋳貨——通貨を鋳造する権限を持ちたいから。通貨を鋳造する権限というのは、実はたいへんもうかるわけです。そうですね。それと同じ現象が現在世界経済にあるわけでございまして、いわば、この紙幣を印刷して世界に、いわゆるドルたれ流しというふうに言っておりますアメリカにして、もし五セントということならば、五%のコストしかかかっていない。そうしますと、数百億ドルの赤字をつくっているといいますけれどもアメリカ実質的なコストというのは、実はそれの数%にすぎないということになら、ざるを得ないわけです。逆に申しますと、その分だけわが国から実質の財が逆にアメリカにトランスファーされているということを意味しているわけで、そのことを、学問上、シニョレージと申します。  なぜ、ECにいたしましても、わが国にいたしましても、そういう立場をとるべきであるかと考えますと、いわば、ドルたれ流しというのは、ことばはきれいではございませんし、あまりいいことじゃないのですが、もう少し考えてみると、通貨が発行されるかわりに、逆に、実物資源アメリカヘトランスファーされてしまっているということを意味しているわけです。こういうよう九通貨体制というのは非常な不公平でありまして、かつての金本位制には、先ほど触れましたように、金市場というのと、それから各国国内法で、その間にシニョレージが発生する可能性が丸かった。ところが、金為替本位制から金ドル本位制になり、さらにドル本位制になるという過程では、絶えずそういうシニョレージが発生するということになって、これは望ましくないわけです。したがって、今後の国際通貨体制をどのような右向に変えていくべきかというときに、まず考えるべきは、シニョレージをなくすような体制でなければいけない。つまり、ある国の通貨、先ほど申しました準備通貨ないしは国際通貨一言っていいわけですが、一国の通貨、たとえばドルとか、そういう一国の通貨国際通貨になりますと、必ずその国は、シニョレージという、流通価値コストとの間の差額だけ利益になるという、そういう現象が発生するわけです。そこで、今後の国際通貨体制を、望ましい、しかも安定的な形でやっていくためには、いま申しましたようなシニョレージといわれるものをなくすという必要があるわけです。  そのなくす方法というのは幾つかあるわけで、現在の変動相場制も、またその一つであります。なぜ現在変動相場制をとらなければいけないか、ないしは、とらざるを得ないかと申しますのは、いわば、毎日毎日の商取引でこの為替相場が立ちますが、その為替相場が立ったところで、少なくと需要と供給に見合った分だけしか——需要されたり、供給されたりしないわけでありますへら、結局、シニョレージを最も小さくしておこう、現在の制度というか、現在の状態で急激に一へんに何か制度を変えてしまうというわけにいきませんので、ある意味ではセカンドベストかもしれませんが、でき得ればそういうシニョレージもなくす、つまり、シニョレージというのがめんどうくさければ、わが国から実物資源アメリカならアメリカ、海外ヘトランスファーするということをやめたいという考え方があるわけです。  そこで、今後どういう可能性があるかといえば、おそらく御想像の方もおられるかと思いますけれどもSDRというようなものはその一つであろうかと思います。なぜか。SDRは、御承知のとおりに、一国の通貨ではございません。これは世界で管理する通貨でありまして、しかも、それは一応紙っぺらではないかとか、ないしは請求書みたいなもので、本来の貨幣とはなり得ないではないかというような反論があるかもしれないわけです。私は、こういう御参考に供する意見の中で、あえてエモーショナルなことを言うべきではないかと思いますけれども、しかし、考えてみれば、自分の子供の将来を完全に予言できる親はいないわけでありまして、おそらく、すくすくと育ってくれるだろうというふうに考えて教育をするはずであります。それと同じで、少なくとも、現在幾つか考えられる通貨体制ないしは将来考えられる国際通貨の中で、望ましいなと——最も最適であるというふうには、それは神さまではありませんから、できない。とは言っても、考えられるのは、そういうシニョレージが発生しない、逆に申しますと、インフレーションの発生原因を相当程度縮めることができるような通貨でなければいけないのではないか。それが、そういう幾つかの欠点を、ドル本位制のもとでの欠点をなくす機能を持っておりますのがSDRでありまして、先般のドルの一〇%切り下げ並びにマルクの三%切り上げは、すべてSDRを基準に変動させました。つまり、金とも関係なく、かつドルとも関係なく、ドルとマルクはそれぞれSDRに対して評価がえをしたわけであります。  そういう意味で、私は、このSDRが直ちに将来、現在のドル本位制にかわるような意味でのSDR本位制ができるとは思っておりません。しかし、考え方によりましては、現在の非常に多額にのぼっておりますドル債務アメリカから見てドル債務を、SDRで切りかえるか、つまり、過剰ドルをどのようにして処分するかという問題については、必ずや、SDRの全部とは言わないまでも、一部はSDRを使わない限りは処理できないだろう。なぜかと申しますと、過剰ドルの処理につきましては、一つは、いわゆるローザ・ボンドに近いような形で、直接アメリカと債権国、たとえば日本との間でローザ・ボンドのようなものを発行して債権債務を決済するという可能性があります。しかし、そういたしますというと、アメリカにしてみれば、それぞれ現在多額ドルを持っている国々に、バイラテラルに、双務的に債務をしようということになるわけです。わが国は大きなボンドを持つ、ボンドの残高を持つということになります。それよりも望ましいのは、やはり、このIMFという——それはもちろん現在のIMFではなくて、改革された後のIMFでありますけれども、そのIMFを媒介として、わが国アメリカに対して間接的な債権を持つ、いわば、金融のほうで、直接金融と間接金融なんということばが一時はやりましたが、それと同じように、IMFを媒介といたしまして、間接金融の形で債権をわが国が持つという可能性のほうが大きいのではないか。そういたしませんというと、IMFというのは全く片すみに追いやられたものになってしまって、将来の望ましい世界通貨制度の中心にはなり得ないというふうに思いますので、その点からいっても、SDRが脚光を浴びるというふうに私は思っております。  そこで、将来の見通しをかいつまんで申しますというと、私は、変動相場制は長期化せざるを得ない、逆に申しますと、変動相場制を長期化することがわが国にとっては必ずしも不利益にならないというふうに申したいのであります。一つは、先ほど申しましたシニョレージが発生しにくい。逆に言うと、インフレーションを海外から輸入する度合いが減るということが一つでありますし、それから、わが国の現在の経済規模から考えて、世界経済に与える影響が相当大きいわが国の実力から考えますというと、わが国が率先して固定相場制に戻ったとしても、ECアメリカドルとの間が変動している限りにおいては、論理的にわが国は固定相場に戻ることはできないわけであります。そういう意味で、変動相場制は、欠点は多少ありますけれども、むしろ利点のほうが大きい。確かに欠点の中では一こちらのほうでも審議があったかと思いますけれどもわが国が現在盛んに各国にやっております長期のプラント契約に対しては、かなり不利な影響を及ぼすという可能性がございます。しかしながら、その不利な点をカバーして余りある利点が国民経済にあるというふうに私個人は考えております。それが第一点。  それから、要約いたしまして、第二点は、ドルの不信の定着化でありまして、よく、金とドルとの間の交換性が回復すればドル信認が回復するというような、非常に短兵急な考え方をお持ちの方がおられますけれどもドルドルの不信から回復するというためには、アメリカ経済それ自体が健全にならない限りは、ドルは不信から免れることはできません。決して、金との間の交換性がしかれたから、それで終わりだというようなものではないわけであります。  それから、第三番目に申しておきたいのは、今後、通貨通商は必ずパッケージされて国際的に交渉されるというふうになるわけで、非常に簡単に申しますと、戦後、第二次世界大戦後から一九六三年から四年ぐらいまで、つまり前回のケネディラウンドまでは、国際経済交渉は主として貿易面で行なわれておりました。しかしながら、その後、ケネディラウンドが終わったあとは、西欧で頻発いたしました通貨調整に見られますように、大部分がIMFを中心とした、つまり通貨のサイドで調整を行なってまいりました。で、貿易のサイドで調整を行ない、そしてその後最近までの七、八年は、通貨のサイドで調整を行なってきたわけでありますが、いまや、その通貨通商、両方合わせてやるという時代が来たように私は思います。これは、アメリカの保護貿易主義の、というふうにわが国ではおっしゃる方が多いようでありますけれども、私どもの考えでは、むしろオーソドックスではないか。通貨通商というのはうらはらでありまして、それを片っ方だけ取り上げるというのはおかしい。かつて貿易の問題だけで一応交渉ができたというのは、それは、ドルが非常に安泰であった時代であれば、通貨の問題は発生いたしませんから、通商の問題だけでよかった。今度、ドルのほうが少し弱くなってきたときに、ケネディラウンドで貿易の問題は一応片がついたものですから、今度は通貨の問題でやったわけです。ところが、片っ方だけ手をつけたってうまくいかないわけで、それは国際収支表を見ればおわかりになるように、経常勘定と、それから資本勘定というのはくっついて国際収支表になっているわけでありまして、その両方を一緒にして今後考えなければいけない時代がそろそろ来たというふうに思います。  これは、わが国の政府にとりましても、いろいろむずかしい問題があるかと思うのでありますけれども、願わくば、私がきょう参上いたしました機会に、最後にお願いというようなことを申すことが許されるとすれば、次のようなことを申したいのであります。  現在の情勢から考えて、通貨のサイドないしは通商のサイドで、もはやわが国は一国だけが都合のいい立場に立つことはできない。通貨のサイドで言えば、これは一つの例でありますが、利子率水準を他の国と遊離した形で置いておくことは、もはやできないでありましょう。それは、もしわが国が国際化と言うならば、本来であれば海外の金利とわが国の金利とは同一水準になるはずのものである。それと同じように、通商のサイドでも、わが国だけが他の国々がやっているのと違うような状況を維持すれば、必ず、先ほど触れましたように、アメリカは、それなら私どものほうではまた何%か切り下げましょうということで、実質的にわが国がやらなきゃならないことをアメリカはやる。で、アメリカはちっとも困らないわけです。かつては金とドルとの交換性がございましたからアメリカは困ったわけですけれども、いまや、いわばその、かせはないわけですから、あなた方がやらないなら私どもでやりますということになっているんでありますから、結局、今後の問題としては、わが国がやったほうが得な場合は積極的にわが国がやるという態度こそ、私は必要ではないかというふうに思います。  多少時間がオーバーしたかと思いますけれども、御参考になったら私幸いでございます。ありがとうございました。(拍手)
  4. 大竹平八郎

    委員長大竹平八郎君) どうもありがとうございました。     —————————————
  5. 大竹平八郎

    委員長大竹平八郎君) 次に、松尾先生にお願いいたします。(拍手)
  6. 松尾均

    公述人(松尾均君) 御指名になりました松尾でございます。  私、主として社会保障を中心に、時間の関係もございまするので、論点をしぼって指摘してみたいと思います。  最初、この大蔵省の「昭和四十八年度予算の説明」、これを見ますというと、きわめて国民福祉の充実というものが強調されておりますけれども、この全編を通して感じますことは、ここに指摘されている福祉の概念というのが明確でないということであります。福祉ということば意味内容が、しばしば混乱して用いられているんじゃないかという点でございます。たとえば、福祉六法にいうような社会福祉という意味の場合もありますれば、一般的に社会保障というような意味で用いられるところもあります。それから、生活環境などの整備というような意味でありますけれども、社会資本の充実というようなところにウエートを置いたものもあります。そういう点は、国民福祉の充実という場合は多少理解できるわけですけれども、他方では、広く国民所得の向上だとか、あるいはさらに経済成長の増大というような意味のところも感じられるわけであります。  そのように、福祉の概念が非常に幅広くなっているわけでありますけれども、そうしますというと、国民福祉の充実と申し上げても、私たちが期待し、あるいは要請している福祉概念と申しますか、それの中身と、かなり食い違っていく可能性を持っているんじゃないかと思うのであります。端的に申しまして、国民福祉の充実という場合、私たちは、従来の高い成長率に主眼を置いた経済政策とか、あるいは輸出重点の経済構造というようなものが、やはり修正されるというようなことを想定しているわけでありますし、それを期待しているわけでございますけれども、その点で、いま言いましたように、経済成長とか、あるいは広く国民所得の増大というようなものまでが福祉概念の中に入ってきますというと、どうも私たちの期待あるいは要請というものに、はたしてこたえられるかどうかというような懸念を持つわけであります。  私は、生産と生活とか、あるいは福祉と成長というものは、いわば観念的には調和できましても、現実的には両立できないんじゃないかということ、これを指摘したいわけでありますし、六〇年代の日本経済はそれを証明しているんじゃないかという点であります。したがいまして、ありふれたことでございますけれども、国民生活の優先のために、生産政策とか、あるいは経済構造をいかに修正するか。特に福祉のために成長のあり方をいかに規制するか、こういう点が今日の課題であろうと思います。  多少総論的になりましたけれども、具体的には、社会保障費に比べまして、産業政策の一つのシンボルとしましての公共事業費が増大している。これは、ウエートとしましても、伸びにおきましても、非常に高いわけですけれども、この点はぜひ再考を要するのじゃないかということ、これが一点であります。  それから、社会保障というようなものの拡大、これを論ずるかたわら、産業構造の特に軍事化的なことを論ずるのは私は誤りじゃないかという点、この点は厳に慎むべきじゃないかという点でございます。これが私の指摘したい総論的な点でございます。  次に、社会保障自体に入っていきますけれども、昨年と比べまして、確かに社会保障の予算の伸び、それからウエート、こういうものも伸びておりますけれども、特に社会保障全体について申しますというと、そうした予算の裏づけにおいて社会保障体系がどのような方向になるのか、この点が不明確じゃないかという点でございます。多少の足しになると思いますけれども、社会保障の国際比較を用いますというと、主として、イギリスとか、あるいは北欧型が一つと、それからドイツ、フランス、イタリー等々の大陸型というふうに通常分けられますけれども、イギリスにおきましては、大体社会保障費の半分を国家が負担しているということでございます。しかも国家は、費用の半分を負担することによって、国民生活の最低限は自分が保障するんだというような筋を通しておるわけであります。中でも、年金とか、医療、児童等々とともに保健衛生、こういう面への支出もかなり大きいわけでございます。これがイギリス、北欧型の特徴じゃないかと思います。  大陸型に注目してみますというと、多少タイプが違っております。社会保障の費用の大体半分、これは、いわば資本家負担というような線を貫いておるわけであります。しかも、社会保障の給付は、主として所得保障と申しますか、年金等々を含めまして所得保障に向けられているわけでありますけれども、国家の役割りが、イギリスあるいは北欧型と多少違うのじゃないか。主として労資関係、これがリードしまして、国家はそれを裏づけするというような形におきまして、費用負担は主として資本家負担によっているという点、こういう特徴があります。  ところが、日本の場合を見てみますというと、費用は大体労・資・国家、それぞれ三分の一ずつであります。それから、社会保障の給付が、三分の二、六五%から七〇%以上が医療に流れているということであります。この点は、やっぱり私はこの際非常に考えるべきことであると思いますし、特に年金と、それから、いわゆる保健衛生と申しますか、憲法二十五条では「公衆衛生」となっておりますけれども、こういう面への支出のしかたが、西欧諸国と比べまして取るに足らないということ、この点は重要な、いわば日本のあしき特徴じゃなかろうかと思うわけであります。  このようにして見ますというと、まず、日本の社会保障というものが、イギリス型なのか、あるいはドイツ、フランスの大陸型に向かうのか、この点がきわめて不明確だという点であります。その点が非常に気になるわけでありますけれども、その点、やはり今日は、日本の社会保障の、いわば筋と申しますか、あるいは型と申しますか、性格づけを明確にすべきじゃないかという点、これが社会保障の体系についてでございます。  次に、社会保障の水準について申し上げますというと、御存じのように、西欧諸国では経済成長の成長率も日本より低い。それから成長自体に対しまして非常に上下の動揺が激しい。ところが、日本の場合には成長率ももちろん高いわけですし、成長率が安定しているというわけですけれども、それにもかかわらず、ヨーロッパの場合には、労働分配率が日本よりきわめて高いということであります。しかも、社会保障の支出が、たとえば国民所得に比べましても高いということでありますし、多少これもしぼって申し上げますというと、大体日本の賃金水準というのは、総体として見まして、ヨーロッパの八〇%程度でないかと思いますけれども日本の社会保障支出がヨーロッパ諸国の、いろいろな計算方法はあると思いますけれども、私はやっぱり三〇%程度じゃないかと思います。さらに注目すべきことは、日本の公害対策とか、あるいは生活環境対策と申しますか、これがやっぱりヨーロッパのほぼ一〇%か広一五%程度のものじゃなかろうかと思うわけであります。  してみますというと、これは、いま島野さんがお話しになったように、国際的にも非常に注目されるわけでありますし、多少えげつなく申しますというと、日本経済成長というのは三つのダン  ピングの上に成立したのではないかということであります。賃金は相対的に高いわけで、八〇%程度でありますけれども、社会保障が三〇、それから生活環境対策が一〇%から一五%だとなりますというと、私は、やっぱりそのような意味におきまして、日本の成長は三つのダンピングの上に成立したというように解釈したいわけでありますし、水準の低さはおおいがたいのではないかと思うわけであります。  その点、特に強調したい点は、今日やはり世界各国の平和貿易が非常に注目されておりますし、いまお話しのように、日本の円問題その他がヨーロッパ諸国からも批判されているくらいでありますし、そうした意味におきまして、この際、社会保障並びに広い意味での生活投資を上げていただいて、いわば、この際、三つのダンピング、これを打開すべきときではなかろうか、社会保障予算におきましてもその点をぜひ実証していただきたいと思います。これが私の指摘したい第二点であります。   〔委員長退席、理事上田稔君着席〕  それからもう一つ、社会保障の中で特にこの国会におきましても上程されている年金と医療保険につきまして指摘したいと思います。年金につきましては、有名な五万円年金というものが論議されております。それから医療保険につきましては、昭和四十年代以来の懸案事項でありますけれども、この国会には、特に赤字対策と抜本改正、これを一本化したような形で改正案が出されているというふうに私は解釈します。両法案とも特に社会保障の軸でありますし、具体的な問題点を掲げてみたいと思います。  一つは、年金でございますけれども、これはまあ年金が五万円年金と言われますけれども、どうもやっぱり五万円年金を受ける受給条件が、私たちの解釈している、あるいは働く国民が要求しているものときわめて違っているということでありますし、明らかなことは、やはり二十七年計算になっているということでございます。その点、やはり保険の保険料納付期間がきわめて長い。しかも長くなっているということは、これはやっぱり保険料の先取り政策じゃないかというようなことを感じますし、特に七〇年代の前半に面しまして、やはりこれは産業資金の蓄積じゃないかというふうに考えるわけでございます。それが一つでございます。  それから、政府案によりますというと、最低保障水準というものが不明確だということであります。特に、社会保障の場合には、憲法二十五条も最低生活とかいうようなことを強調しているわけですけれども、この年金案によりますというと、なぜ、定額部分ですね、比例部分と定額部分とありますけれども、定額部分を土台にしまして、最低保障額を、たとえば四万円前後とかいうような線に定着させていくような努力をされなかったか、この点はきわめててやはり疑問に感ずる点であります。それが二つ目であります。  それから、きわめて画期的といわれるあのスライド制でありますけれども、せっかくのスライド制が物価スライドだということは、これは物価の統計等々をどう見るかといのようなことで問題になると思いますけれども、どうしてもやっぱり物価スライドでは政策スライドになりがちだということでありますし、やはり賃金スライドにしまして、そして自動スライド、これにやっぱり踏み切るべきじゃないかというふうに感ずるわけであります。特に、日本経済世界の中で注目されているおりからでありますし、少なくとも、少なくともであります、日本の社会保障もヨーロッパ並みに近づけるべきじゃないかというふうな点からしましても、私はやっぱり賃金にスライドした自動スライド、これをこの際開始すべきじゃないかというふうに考えます。年金につきまして全体として見ますというと、特に、これも皆さん方御存じだと思います、一九七〇年、七一年、特に昨年七二年度ぐらいから私たちは制度的要求というようなものを掲げまして、特に年金の充実、これを期待し、これを要請しているわけですけれども、その制度的要求というようなものをもっと深く認識していただきたいということであります。特に今日の高齢者の生活実態というのは、こまごま言う必要もないと思います。そうした高齢者の生活実態に面しまして、制度的要求というものが掲げられていくというのは、やはりこれは従来の特に保険主義ですね、保険主義に基づいた積み立て方式では高齢者の生活保障が不可能だ。したがいまして、制度のワク組み自体をやはり変えていかなければ高齢者の生活保障が困難だ、こういうことをあらわしていると思います。そういう点からしまして、この年金問題のかぎというものは、やはり今日の保険主義に基づいた積み立て方式というようなものから、やはりドイツ、フランス——イギリスはもちろんであります、採用している賦課方式への切りかえ、これは英断をもって実行に移すべきじゃないかということ、これを指摘しておきたいと思います。以上が年金であります。  それから、次に健保でありますけれども、健保の場合には、年令と比べましておそろしく複雑な問題を背景に持っていると言いたいのであります。健保法案の改正なり、あるいは予算の説明を見て感じますことは、これは、私は一昨年の公聴会におきましても指摘したところでありますけれども、どうしてもやはり今日の健保の赤字原因の追求が不十分じゃないかという点でありますし、特に赤字対策としまして、たとえば保険料率を上げるとか、あるいは総報酬制を採用するとか、それから弾力条項までつけ加えるというふうな、保険料の負担の増加というようなものが目立っているということであります。言いかえますというと、一方では特に産業公害というものが発生し、しかもいままで発生した産業公害が非常に住民の間に浸透しているというようなこと、これに比べまして、いわばいままでのと申しますか、従来の営利医療というようなものが非常にやはり変えられていない、一貫してこれが貫いているという以上は、単に保険料の負担増加による赤字対策というものはこれは有効ではない、一時しのぎじゃないかということであります。  その点で、やはりこの総報酬制とか、あるいは保険料率とか、弾力条項にわたるような国民負担の増大による赤字対策というようなものも、そうした面に対する配慮、要すれば保険政策、あるいは今日の医療政策に対する配慮がない以上は、やはり過去何回も繰り返されてきたわけですけれども、長期にわたる有効政策と思えない。もちろんこれに対しまして、家族給付が一割程度引き上げられておりますけれども、一割というのは、やはりほかの制度と比べましても、それから今日の日本の財政力、経済力から見ましてもきわめてやはりこれは見え透いたかけ引きじゃないかというようなことであります。えげつなくなって申しわけありません。特にそれは社会保障諸関係というようなものを論議するにあたりまして、たとえば出入国管理法等々が突如として登場するというようなことは、どうもやはり家族給付の一割というようなもの等が政治的かけ引きになる危険性が多分にあるのではないかということですね。この点を、私たちは国会の外におりますけれども、動物的な感覚を働かせざるを得ないということであります。  それから、先ほど申しましたように、今日公害あるいは公害の浸透、これによって健康障害がきわめて著しくなっているわけでありますけれども、その点で、私たちのほうでは医療に対する需要というものが、いわば超過需要をなしているわけであります。これに対しまして、いろいろないわば需給対策としまして供給対策がとられております。たとえば医科大学を増設するとか、あるいは薬剤資本を集中していくとか、あるいは医療器械というものを開発するとか、そのような供給対策が講ぜられているわけですけれども、今日の医療危機、あるいは健康障害というものは、単なるそのような量的な需給対策によってはたして対応できるかどうか、単なる量的な需給対策というものは、はたして医療対策と言えるかどうか、この点は、私はやっぱり片手落ちだと思います。しばしば労働組合等々でも指摘されておりますけれども、今日きわめて重要なことは、保険あって医療なしというような、きわめてわかりやすいことばですけれども、これの実情というのをもっと直視すべきじゃないかということでありますし、そういう点をしぼって申し上げますというと、非常に医療費が高い。高い医療費の中身をやはり徹底的にこの際分析すべきじゃないかということでありますし、その分析をした上で、点数単価出来高払い方式という、この点にやっぱりメスを払うこと、こうでなければ、私はやっぱり抜本対策とは言えないと思います。その点、年金問題がやっぱり積み立て方式か賦課方式かという点が、まあいわば卑俗なことばで申しますというと今日の目玉であり、焦点だと考えますというと、医療の場合に、やはり私は、そうした診療報酬の支払い方式、これに緊急にメスをふるうべきじゃないか。そうでなければやっぱり私は抜本対策とは言えないというふうに思います。  もしもこの際、正しい意味での抜本対策というようなものに取り組もうとしますというと、今日特に七〇年代の前半というようなものを一つの射程に置きまして、医療再編成というものが進行しております。厚生省、医師会、あるいは薬剤資本三者からなる、いわば上からの医療再編成が進行しているように考えますけれども、これをやっぱりストップしまして、もう一ぺん点検し直すということであります。逆に、住民とかあるいは患者、あるいは医療労働者というようなものの、下からの医療社会化運動、これに注目すべきじゃなかろうか。今日の医療危機というのは、私はそこまで来ているんじゃないかというふうに思うわけであります。具体的には、やはり自治体病院、これの役割りに注目しまして、やはりこれを医療改革の拠点とすること、もちろんここにおきましては、病床規制から独立採算制の撤廃はもちろんでありますけれどもを行なうこと、それから、やはり、いわゆる医師会、あるいは厚生省、あるいは薬剤資本というふうな、そうした側からの主導的な医療再編成というようなものに対しまして、やはり広く国民の側の医療への取り組み、こういう点をこの際ぜひ国会におきましても重視されたいということ、これを述べたいわけであります。  最後に、一言でありますけれども、年金につきましても、医療につきましても、私たちは一九七〇年代の前半というものが一体どうなるかということ、これにきわめて注目しております。御存じのように、過去の年金改正のときには、たとえば一九六〇年の皆年金、それから一九六五年の一万円年金、で今回というふうに、大体日本経済の大きな転換点に必ず年金改定が行なわれる。で、今回の年金改定もおそらく七〇年代の前半、これを射程にやるだろうということ、それから今日の医療再編成におきましても、やはり七〇年代の前半というようなもののための一つの布石だろうというふうに私は考えます。したがいまして、特にこの国会におきましては、私たちはいわば国会の外からきわめて注目しているわけでありますし、多少とも私が述べた点につきまして再考いただけば幸いだと思います。  終わります。(拍手)
  7. 上田稔

    ○理事(上田稔君) どうもありがとうございました。
  8. 上田稔

    ○理事(上田稔君) それでは、公述人の方に御質疑のある方は順次御発言を願います。初めに質疑をされる公述人の方のお名前をあげてお願いをいたします。
  9. 鈴木一弘

    ○鈴木一弘君 島野公述人にお伺いをしたいのですが、今回の変動為替相場、それがずっと続いております。まあこうなったのも、日本が西ドイツあたりを非難をいたしまして、厳重な為替管理をしていないからこういうようなことになったというようなことを言ったりしているわけであります。これは当たらないことかもしれません。それで、今回固定相場制に復帰することをかなり強く主張してきていることはわかるのですけれども、私はそういう点でひとつ先生にぜひ御意見をお伺いしたいのは、日本が厳重な為替管理をこのままずっと続けるべきかどうかということであります。やはりEC通貨ブロックのようなものができてくるとか、いろんなふうなことになってまいりますと非常に感心できない。わが国としては、ケネディラウンドの次にはジャパンラウンドをやろうというような、世界的な通商拡大を願っているときでもありますから、そういうことから考えますというと、あんまり厳重な為替管理をしいていくのはどうかというふうな気が若干しているわけでありますが、そういう点についての御意見をひとつお伺いしたいのと、いま一つは、EC——先ほども先生の御意見では、通貨フロックが、これが将来三国をも入れて相当、何といいますか、共同通貨の方向に動くであろうというふうなお話がございました。それがはたして好ましいことなのかどうかということであります。ヨーロッパ、あるいはそのほかのおのおのがそういう通貨ブロック圏、経済圏ができるということは、どうも世界的な経済の拡大ということから見るとちょっと心配ではないか。まあそうでなくても、いまヨーロッパ国々は特恵供与と逆に、逆特恵供与をやっているところもございます。そういう点から見て、日本経済の前途にもかげりを与えたり、世界経済にもかげりを与えるようなことにならないか。その点の御意見をひとつお願いしたいと思います。
  10. 島野卓爾

    公述人島野卓爾君) お答えいたします。  三点御質問があったと思うのでありますけれども、一番最初、為替管理の問題でありますが、私は、為替管理というのは現状ではやむを得ない部分がございますが、わが国立場から考えますと、次第にはずしていくほうが望ましい。その理由の一つとしては、次第に発展してまいりました東京の国際金融市場の問題でありまして、国際金融市場を育成していく場合には、厳重な為替管理がありますというと、まあ、いわば需要がないわけでありまして、うまく発展しないわけです。争ういう意味では、この為替管理と申しますのは、現状では必要悪と言ったらいいかと思うのですが、そういうものになっているわけです。で、虫はいま申しました国際金融市場の発展の阻害要因になるということが一方であるんですが、他方で、為替管理をはずしていくというか、だんだん緩和していく時期というのは、いずれにいたしましても、現在の過剰ドルをどのように処理していくかということのめどがつかない限りは、各国これぞれ短期資本の移動についての規制を自由にしておくわけにはいかない。そういう意味では、本来、変動相場制を現在続けているわけでありますから、変動相場制で為替管理をやるというのは非常なアブノーマルで、御指摘のとおりであります。しかしながら、変動相場制で為替管理が両立している現状はなぜかと申しますと、いま申しましたような過剰ドルがストックとしてたいへんたくさんある。それを左へ右へと振られますというと、変動相場制それ自体もかなり混乱するということで、救いようがなくなるという危険がございますので、そういう意味では一時的に考えるべきではないかというふうに思います。その一時的というのは、先ほど申しましたような将来の見通しが立つ——将来の見通しが立つというのは過剰ドルの問題、それがつかない限りは無理だろうというふうに思います。いかにもだらしない言い方ですけれども、しかしそうでなければ固定相場制にも戻れないし、事態は全然改善されないというふうに思うわけです。それで十分かどうかわかりませんが、一応お答えしたことにいたします。  二番目の、この変動相場とそれからブロックで、そのブロックについてはもう一つ三番目にございましたが、私の見るところでは、変動相場制し申しますのは、逆に申しますと、逆というか、別な言い方をしますというと、変動相場制と関税政策というのは、実は経済学の術語で申しますと代替財、つまり、どっちかが取りかえられるというものであります。先ほどもちょっと報告をいたしましたときに申しましたが、なぜ将来——近い将来でありますが、通貨通商が一緒になって交渉になるだろうということが考えられるかと申しますと、関税政策、つまり関税を引き上げるとか、ないしは引き下げるというのは、もし相手の国が十分な為替相場世界から見て実勢から乖離しているというふうに考えられる相場を維持している限り、相手の国は通商のサイドで関税政策をとる。そういう意味では、従来、教科書的な言い方で恐縮でございますけれども、自由、無差別、多角的といわれるガットのいわゆる精神というのは、ないしは理想というのは、そろそろ旗がおりる。むしろ制限をするこそ常道である。つまり、通貨のサイドでは、為替相場を調整するというのは、切り上げにいたしましても切り下げにいたしましても、一種のペナルティーと考えるべきではないか。それと同じように、通商のサイドで言えば、関税を課す、ないしは課徴金を課す、それは、いわば片っ方は通貨のサイドでの調整、通商のサイドでの調整が、関税、課徴金というようなものだと。ですから、おそらく今度の変動相場制にいたしましても、決してクリーンフロートではなくて、各国はそれぞれ介入をするということを前提にして考えているわけです。一時ダーティフロートでわが国は攻撃をされましたが、いまやダーティフロートということそれ自体のほうが為替相場を安定するのに望ましい。ですから、どの新聞でありましたか、けさだったか、きのうだったか、出ておりましたが、愛知蔵相が、現在の安定的な変動相場制固定相場制とは紙一重ではないかというような見出しが出ておりました新聞がございましたけれども、必ずしもそこまで言うことはできないまでも、介入をするということは、できるだけ相場を大きく動かしたくないということであるわけであります。そういうことを片っ方の通貨のサイドで続けていきながら、通商のサイドでそれぞれ制限を一時的に加えるという時代が、この七〇年代の半ばから後半に続くということを考えますので、私はそれ自体、為替管理にいたしましても、ブロック化の問題にいたしましても、現状はそういう二つの問題から世界経済の安定的な拡大をねらう以外に方法がないということだろうと思うんです。つまり、通貨制度のほうもがたがたですし、それから通商のほうにいたしましても、もはや、各国が全く自由にやりましょうというような状態ではないわけです。それは、インフレ率が各国間で違う、経済成長率が違う、技術進歩率が違うというようなところで、もし全くクリーンフロートをやり、しかも為替管理をはずし、そして世界経済を安定するためには、各国経済政策の自主権を相当程度制限するという、もう一つ別な方法をとらなければいけない。ちょうどECがやっておりますように、国内で共通インフレ政策であるとか、共通財政金融政策であるとか、さらにそれを全般的な包括概念で言えば、経済通貨同盟というようなところで、内部でそれぞれの経済政策を調整してしまう、事前に調整をするということで、域内経済を相当程度同質化するということが域内で行なわれているわけです。そういうような現象というか、プロセスを世界経済に及ぼすことができるなら、ある程度変動相場もクリーンにできますし、為替管理もはずし、関税についても相当程度お互いがダウンさせることができるわけですが、そういう経済政策の自主権を各国が喜んではずすというようなことをすると考えるのは、研究室では考えるかもしれませんけれども、おそらく政府はじめ、国会でもなかなかそうはいかないだろう。そうしますというと、変動相場制ないしは関税政策というのは、そこから出てくる一つの結論ということではないかと思うんです。そういうことを逆に言いますと、やはり各国はまだまだナショナルインタレストをはずしていない、国益を維持したいということに終始していると言わざるを得ないわけです。  それから、ECブロックでございますが、それは望ましいか望ましくないか、日本経済へのかげりを宿す原因ではないかという御質問がございました。私の判断では、ECのブロック化、これは古くはリージョナリズムとグローバリズムというようなことで、いろいろな面で議論されたことでありますが、結論を先に申しますというと、ECのブロック化は望ましいというふうに私は思っております。確かに、統計数字で見る限り、ECの域内貿易ないしはECの域内交流の比率は、アメリカないしは日本との交流の伸びと比べて、かなり域内のほうが伸びております。その限りでは内向きになっている。そのために国際的な貿易が阻害されるのではないかというような心配があるかもしれませんが、しかし、かつてのアメリカ世界経済のリーダーシップをとっていた時代と、もうすでに現状は違っているのでありまして、ある意味ではアメリカの地盤沈下をどこか別な国が食いとめなければいけない。そういう意味では、世界のどこかに安定した地域をつくる必要がある。それの第一の候補者が実はECでありまして、しかもECは、現在域内では固定相場制をとっているという、非常に安定した方向をねらっているわけでありますから、決して——わが国ECの封鎖性を心配するよりは、わが国が今後開放体制に移ることによって、対日通商交渉はいま一本でやっておるわけでありますから、そういう意味で、日本がどの程度まで、ECという、いわば地域ないしはブロックというところに資本輸出ができるか、ないしはわが国が貿易をしていくかという、この対日通商交渉をできるだけ積極化していく。逆に言えば、日本ECからの輸入を拡大するということによってやっていったほうが、決してブロック化それ自体を望ましくないというふうに考えるべきではなくて、むしろ安定した経済圏をつくったほうがいい。で、ECの安定した経済圏ができ上がりますと、おそらく私は、先ほど触れませんでしたけれどもEC一つアメリカ一つ、それから日本一つというような形で、その地域間ではしばらくフロートをする。そしてそれぞれの内部で固定相場をとる。ですから、簡単に申しますと、これはたいへん腰だめ的な言い方下恐縮でございますが、アメリカとカナダの間は一つのブロックになる。そしてEC一つ、その間はフロートして安定させるという、これは実はアメリカにマンデルという国際経済学者がおりますが、マンデルの最適通貨地域という理論がございます。それに非常に近い形をいまとりつつあるわけで、そのことは必ずしもその最適通貨地域の理論がそのまま妥当するとは思いませんけれども、域内における完全雇用の条件であるとか、それからインフレ回避をする可能性であるとかいうことからみまして、望ましくないとは私には思えないというのがお答えであります。
  11. 横川正市

    ○横川正市君 いまの島野先生にお伺いいたしますが、一つは、私は今度の会議の中でも、低開発地域の各国がこの通貨体制にある意味では相当関心を持っておったと思います。そのことは、通貨それ自体の持っております価値観というものが自国の生産力あるいはそれに付随するものに左右されるということで、いわば先進国間の話し合いというものはいま言ったような状態に置かれたと思うのですけれども、低開発地域との関係というものにはおそらく触れることなしに終わっていると思うのです。アメリカとカナダの関係あるいはECヨーロッパ共同体の関係は、イタリアやイギリスを加えられるような条件が整っていると思いますけれども日本の場合の周辺というものは、非常に多岐にわたって困難性が出てくるんじゃないか。  それからもう一つは、いまの通貨体制をパリ会議から二十カ国蔵相会議へ、そして予想される七月の会議というものは、何かこれは日時も、それから場所も決定されずに、今度は暮れの会議へと、こういうふうに発展していくわけですが、その道程は、長期にフロートするということのマイナス点を、各国は非常に自主的に、あるいは抜けがけといいますか、通貨戦争になるような状態というものを警戒しながら、相当長期にフロート制を続ける、こういうことで乗り切れる状態かどうかという問題ですね。  それからもう一つは、今度の場合にアメリカが積極的な意見を発表しなかったということは、たまたま日経の招聘されたスタイン委員長の講演の内容をちょっと見てみますと、アメリカ自体は相当な力を持っているが、結局緩慢であるけれどもドル信認回復のための底力というものを相当持っている、それをドル圏にあるカナダとか日本、あるいはECがある程度ささえることで可能だという見方をする場合と、それから、アメリカのいわばこの資本その他の流出状況、多国籍企業へのアメリカ政府自体の制約、制限、これが一体どういうふうになるかという問題ですね、それからアメリカのインフレの問題、こういったことを勘案してみて、そういう方法をとりながらドル信認というものは回復するのかどうかという点について非常に疑問ですから、その疑問な点は、SDRとか、そういった方向へ相当急激な傾き方をしながら持っていくものかどうかですね、その点の判断をどのようにされるのか、この点をお伺いいたしたいと思います。
  12. 島野卓爾

    公述人島野卓爾君) 第一点の低開発国の問題でありますが、先刻御承知のとおりに、SDRと開発資金のリンクの問題は討議されたようでありますが、現実のコミュニケには出てまいりませんでした。私の考えでは、SDRを開発資金にリンクするというのは、実は本末転倒でありまして、開発資金と申しますのは長期の資本移動でありまして、決して準備資産の移動ではないわけです。そういう意味では、今度コミュニケに載らなかったのは多少政治的な配慮もあるかと思いますけれども、理論的に考えて、SDRという準備資産となるべきものを開発資金としてリンクするというのは、実は違う性質のものに同じ着物を着せるということになるわけで、本来国際流動性の不足が低開発国にある、発展途上国にあることは事実でありますが、その場合に、SDRを、どちらかというと比率を多くして発展途上国に配付するということでは十分ではないわけです。むしろ、開発途上国に十分な開発資金を出すためには、別な形、たとえばUNCTADを通ずるなり、ないしはOECD、DACを通ずるなりいたしまして、長期の安定的な資本をこの先進工業国が出すということのほうが望ましい。しかもその場合には、かつてのアメリカがそれを一手に引き受けたのと違って、今後はおそらく先進工業国の共同作業としてやっていくほかあり得ないだろうと思うわけです。ですから、私見では、SDRと開発資金を離したほうがいい、離さない限りは、SDRが、あまりいいことばではありませんが、最初からよごれてしまうということになりかねないわけで、そのことはかえって、急場の発展途上国に対する援助を急ぐあまり、かえって長期的なSDRという準備通貨を健全に発展させない危険があるというふうに私は思うわけです。  で、発展途上国に対するこの開発資金の供給について、私はちょっととっぴでありますけれどもわが国におきましても開発政策を誤っているのではないかというふうに思うわけです。と申しますのは、これは農業関係の方には多少の御関心があるかと思いますけれども、非常にとっぴな言い方をいたしますと、私はむしろ農産物を発展途上国にこそ供給してやるべきであって、むしろプラントであるとか、そういうものを出すということは、わが国にとっては全体としてあまりおもしろくない、簡単に申しますとこういうことであります。現在のわが国の産業が持っておりますかなりの程度のオーバーキャパシティのはけ口としてプラントを出す、はけ口と言うというと、商社並びに産業の方はおこるかもしれませんけれども、結果的にはそうならざるを得ない。そうしますというと、それは結局輸出入銀行ないしはそういう政府資金を使うわけです。で、その結果、企業のほうは輸銀の資金を充てますから、一応その資金繰りはつくはずでありますけれども、それは長期の貸し付けになって、事実上もうないものとして考えたほうがいいような形に焦げつくわけであります。他方、それで発展途上国は十分それに伴って、それをいわばてこというか、地盤にして発展するかというと、そうではありません。なぜかというと、周辺産業がなくて高炉ができても実際は動かないわけであります。むしろ、発展途上国が現在非常に困っておりますのは農産物でありまして、食糧の問題であります。で、これは私の全く夢物語とお聞きいただきたいのでありますが、私はむしろ、アメリカならアメリカから小麦を買うなり、カナダから小麦を買うなり米を買うなりいたしまして、それをそのままトランスファーして、金を出す、わが国は食糧を出してやるというほうがよっぽどいいんではないか。で、その会計はどこにやるかというと、農林省はきっとおきらいになるだろうと思う。それでなくても赤字がまた食管会計のところでふえますから、いやがる。ですから、海外協力特別基金みたいな、勘定みたいなものを外務省なり——まあ外務省と言うと外務省の方おこるかもしれませんが、そういうどこかのところへつくって、そういう形で供給をしてやる開発政策というのがもう一本あってもいいんではないかというふうに思うわけです。その場合には、ただしわが国の農業政策はかなりゆすられる。ゆすられるということを覚悟しなければなりませんけれども、もし開発政策というのをそういう広い目でやろうとするならば、今後は開発政策を、ただ単にプラントであるとか工業製品だけに限るような開発政策というのは望ましくないというふうに思っております。  それから二番目の、開発というよりはむしろ国際金融の問題でありますけれども、私は、そのアメリカドル信認を、ECなり日本がささえることによって信認が回復するかというお話、それはささえるといっても程度の問題がありますし、現在ドル信認を回復していくためには、おそらくあと何回かドルが切り下げられるということによって、ドルというか、アメリカ経済自体がこの国際収支を大体黒子に回復できるというめどが立たない限り、ドル信認が回復されない。したがって、たとえば別な雑誌には、リュエフが、フランスの学者であり、金融の専門家であるリュエフが、逆マーシャルプランを出したらどうだというようなことを言っている論文もございます。しかし、そのようなものは、アメリカ経済それ自体が改善されるというめどがない限り、先ほどの開発政策と同じでありまして、役に立たない金を逆にトランスファーしてやるだけだということになるわけで、本来多国籍企業がなぜアメリカに発生し、しかもそれが主としてヨーロッパを中心に発展したかというのは、アメリカの国内の利潤率よりはヨーロッパの利潤率のほうが高いということがその根本原因でありますから、アメリカの国内での利潤率がヨーロッパより高くなるという状態をつくってやらない限りは、資本はいつまでも流出するということになるわけです。ですからこそ、古いお話で恐縮ですが、ケインズが一九二三年、いまからちょうど五十年前でありますが、貨幣改革論の中で書いた、当時のイギリスの状態をケインズが批判した、ないしは克明に解説したあの論文をもう一度参照すべきである。御承知のとおりに、ケインズが貨幣改革論を書いたのは、実はこの国会の問題と非常に関係があるわけでありまして、当時ケインズは保守党の政策に非常に反対でございまして、当時の自由党に賛成でありました。で、そのために一いわゆる自由党であります。イギリスの自由党でありますが、自由党が勝ってほしいということを考えるあまりに、彼は非常に小さな小冊子を書いて、一般の大衆に現在の政策は誤っているということを知らせる、いわば選挙対策に近いような、パンフレットに近いものを出したわけです。で、結果は実は大敗したわけですけれども、しかしながら、そこで言ったのは何かというと、イギリスの経済を安定させない限り、イギリスにある非常にたくさんの資本は海外に投資されてしまう。海外に投資されれば、イギリスの本国はますます疲弊してしまうのだということをケインズは言ったわけです。それ以外に幾つかございますけれども、簡単に言えばそういうことです。それと同じ状態が現在アメリカにあるわけですから、したがって、ドル信認を回復するというのは、私はこれまでわが国でもかなり、簡単に言えば世話になったわけですから、分相応の、助けるといってもいろいろな方法があるでしょうけれども、するのはやぶさかでないとしても、やはり問題はアメリカ経済がどこまで自力で立ち直るかということがない限り信認は回復しない。しかも、アメリカ自身とかECにいたしましても、日本にしても、ドル国際通貨として使うということに対しては、今後も反発するし、反発すべきであると私は思うわけです。  なぜ、このECが金の問題を絶えず持ち出すかというのは、決して金を通貨にしたいと考えているのじゃなくて、ドル国際通貨にするということに対して、金を使うことによってドルをけ落とすという、そういう戦略に使っているだけであって、はっきり言って、フランスが金を使いたいと言っていることをそのままうのみにすべきではないわけで、ですから、根本的に考えれば、フランスといえども、もしSDRドルにかわる十分なる準備通貨になり得るといったら、金を捨てるにやぶさかでないというふうに私は基本的に考えているわけで、その意味では、ドル信認を、長期のフロートで今後しばらくの間やっていく間に、アメリカがどこまで回復できるかというめどを見守るほかないわけです。その間にフロートしていくときに、アメリカは金の価格を何回か切り上げて、一方ではフランスないしはヨーロッパのサイドの金保有国に対して多少の色目を使って条件をよくし、そしてドルの競争力をつけ、そして信認を回復すれば、おそらくフロートから、それこそこの間のワシントンの総会で出ました比較的安定した固定相場制、調整可能な相場制というところに戻り得る可能性が初めて生まれるというふうに私は思うわけです。
  13. 田中寿美子

    田中寿美子君 たいへん素朴な疑問のようですが、島野先生、先ほどドル交換性を回復すべきかどうかというようなこと、それで、必ずしも回復させなくてもいいんではないかというお考えがあるんではないかと思うのですけれども日本政府も、最初はアメリカに対して、ドル交換性の回復を要求するというふうに言っていました。それがだんだん今度は、必ずしもそれは金との交換性とは限らないというような言い方に変わってきているわけなんですけれども、もしドル交換性の回復を要求しないとした場合に、先ほどの話にもありましたように、国際通貨ですから、各国が協力し合わなければならないことはよくわかります。債権国のほうも協力しなければいけない。その場合どういう方向になるかということなんですが、それは債権国が持っているドルの一部の凍結というようなことを言われておりますね。そういうこともしなかったら、ドル信認性とか、あるいはその全体の国際通貨の改革ということはできないんじゃないかなというふうに思うのですが、SDRというのも、全面的に通貨の基本になることはできないんじゃないかと思うのですが、その辺をどういうふうに考えたらいいのかということと、もう一点、日本はたいへんドルを保有している国なんで、もしも凍結というようなことになった場合、これは西独やフランスのように金を保有している国と比べて、非常に金の保有高の少ない日本の場合は、かせぎためたドルを全くなくしてしまうというようなことにもなるわけなんで、そういうような状況にならないで済む方法はないのかどうか。つまり、私の言うのは、もしそういうことになる場合に、福祉のほうに使う方法はないのかということなんです。あとで松尾先生にも……。
  14. 島野卓爾

    公述人島野卓爾君) お答えいたします。  ドル交換性については、いまお話しのとおりに、金との交換性とその他通貨との交換性を峻別しなければなりません。私の考えでは、ドル金交換性は事実上無意味であります。あたかも日本の円を金と交換して意味がないのと同じように、ドルは、現在アメリカの政府もそういう立場でありますが、ないしは考えでありますけれども、なるべく国際通貨として使われたくないという考え方であります。  で、一ぺんにスイスの話をして恐縮でありますが、スイス・フランというのはたいへん信用のある通貨だと一言われております。しかし、スイスの政府が絶えず心配しておりますのは、スイス・フランが各国で準備に使われるということを絶えず監視しているわけです。東京にありますスイス大使館でも、わが国がスイス・フランをかなり過剰に持っているのではないかという場合には、内々にその辺は処分してほしい、つまり準備として持たないでほしいというふうに考えるわけです。それはなぜかと申しますと、準備通貨で持たれるということは、たいへんな持たれた国にとっての重荷になるわけです。かつてのアメリカは、その重荷を十分払いのけて、しかも前進をするほどの力を持っていた国であったわけですけれども、いまやそういう国は世界のどこにもございません。そういう時代なわけです。  そういう意味からいたしますというと、ドル金交換性をしたからといって、ドル信認を回復すると言うことは無意味なわけで、アメリカの重荷がさらにいま以上重くなるだけだというのはアメリカも知ってますし、理論的にもそうだろうと思います。  ところで、それならばドル信認をどうやって回復するかといえば、先ほどちょっと触れましたように、アメリカの国際収支がかなりの程度まで改善できるなという見通しがつけば、私はかなり早期にドル信認は回復してくるだろうと思うんです。それは、別に金を裏側につけてやるとかいう問題ではなくて、アメリカの国際収支が改善するきざしが見えてきたとなれば、各国は喜んでドルを持っていいわけです。したがって、二番目に御質問がございました、そこへいま飛びませんが、ドルを凍結資産にされて価値が減価してかえって困るのではないかというお話も、実はそれとの見合いできめられるべきものであって、ドルが必ずしも減価するかどうかは、いまのところ全然わかりません。むしろまた、一つある期間がたてばドルはたいへんな価値を持つ一つの一国の通貨——準備通貨ではございませんが、そうなる可能性はないとは言えないわけです。そこで、ドル信認との関連で将来の国際通貨体制はどういうふうになるかというふうに考えますと、私は、先ほど多少舌足らずで恐縮でございましたが、一応SDRというのを準備資産として考え、そして決済資産として考える。しかし、各国政府が介入をするときにはSDRを使わないで、簡単に申しますと、ドルを使ったり、フランを使ったり、マルクを使ったり、円を使うということで十分であろうかと思います。もし介入資産までSDRを使いますと、一般の企業ないしは私どもでもSDRを保有することができるということにならざるを得ない。つまり、資本が非常に自由化されてまいりますと、居住者と非居住者との間の差をだんだんなくしていくことになりますから、そうしますというと、SDRがたいへん寒風にさらされることになるので、むしろSDRはひとつ下げておいて、ひとつ上げておいてと言ってもいいわけですが、国際収支の決済の場合と、つまり、だから中央銀行ないしは政府間で持つということにして、通常の日常の決済については、それぞれの国の望ましい通貨を使えばいいということでいいと思うんです。そういう意味では、ドル信認がない限りは次第次第に使われなくなってくるだけであって、信認が増してくれば、ドルを日々の介入通貨というんですか、ないしは取引通貨に使うということになるかと思います。  それから、わが国が持っております過剰ドルをどのように運用したらいいかということだと思うんですけれども、まあ、御説のとおりに、福祉のほうに使うことも、可能性があるかどうかということでありますが、これはたいへんむずかしい問題でありまして、ドルを凍結するというときに、現在のままでありますというと、凍結された資産は、ちょうど終戦後、私どもも親から聞きましたように、いわゆる第二封鎖と同じようなもので、実際はお金があるんだけれどもそれはお金でない、通帳だけであるというようなものになりかねないという御心配があるかと思うんですが、凍結という可能性は私はないだろうと思うんです。  と申しますのは、現在、西ドイツも日本よりたくさん持っておりますし、ドルを凍結したからといって、プラスになるのは、アメリカにとっても日本にとってもないわけで、それを承認するはずは日本でもない。むしろ、そうであれば、先ほども申しましたように、SDRで代替させる、振りかえるか、それともローザ・ボンドのようなものでわが国ドルの限界に対して一応価値保証つき、つまり何月何日に取りかえに来るならば、それに伴って、もしアメリカドルが切り下がったときには、切り下がる前のその価値でボンドの資産を保証するというような、価値減少に対しての保証づきの証書をわが国が保有して、その利子収入を得るというようなやり方が別にあるわけで、凍結というのは、その二つが可能でなかったときの、三つあるとすれば、その中で最低のやり方だろうというふうに思うわけです。  もしそこまでいかないまでも、現在わが国が持っておりますドルを福祉のほうに使えるかどうかという、最後に御質問がございましたが、その場合には、円資金がないとできないわけです。ですから、結局、ドルは確かに勘定項目としてはたくさんございますけれども、それを活用するためには、日本の国内で一たんもうドルが円に変わっているわけですから、円をもってドルを買い取ってうということしかないわけで、そういう意味では、わが国の内部でそれを処分するというときには、それに見合った円が必要である。面接たとえば海外に、たとえばシンガポールであるとか東南アジアのどこかに、それこそ一つのファンタジーで申しますと、児童センターをつくるというような場合であれば、ドルを直接そこに寄与——投資することができますけれども、そういう意味で、わが国の福祉には、かつてもならなかったし、現在のままではならないとしか言えないわけです。
  15. 上田稔

    ○理事(上田稔君) どうもありがとうございました。
  16. 塩見俊二

    ○塩見俊二君 松尾先生にお伺いいたしますが、先ほど年金問題につきまして、いまの積み立て方式か賦課方式かという問題で、松尾先生は賦課方式がいいだろうというふうなお考えのように承ったのでありますが、非常に短い時間で簡単でございましたので、もう少し詳しく、二点だけお伺いをいたしたいと思います。  まず第一点は、お話の中に保険料というものが、いわば産業方面でございますとか、そういった方面に使われて先取りになっておるのだと、こういうふうなお話があったわけでございますが、完全な賦課方式をとる場合に、この保険制度というもの自体を、いまのお話から——私は誤解しているかもしれませんが、そういったような保険料を否定するというようなお考えだということになると、この年金の賦課方式というものについて、保険制度を否定するお考えであるかどうかということがまず第一点。  第二点といたしましては、御承知のとおり、ヨーロッパの老齢化の現象というものが、もう百年くらい前から定着をいたしておるのでございます。日本の場合は、終戦後に、わずか三十年足らずで平均寿命が二十年くらい延長された。そのために、むしろ老齢化は今後の問題であるわけでございまして、したがって、保険金を受け取る階層というものが、むしろ今後急激に増加をして、今後五年か十年あるいは十五年の間にヨーロッパ並みの受給者の状況になると思うのです。その点、ヨーロッパと直ちに比較することのできない年金の特殊事情が私は日本にあると思うのであります。  具体的には、その結果として、かりに完全賦課方式を、あるいは税金なりあるいは保険料なりというもので完全に賦課方式をとるといたしますと、こういったような老齢化の進行の過程に従って、ことしよりも来年、来年よりも再来年と、非常に大きな割合でもって税金なりあるいは保険料の負担が激増してまいることになろうかと思うのです。そうすると、この十年なりあるいは十五年間の、その間の負担の均衡といいますか、そういったようなものが将来におきまして、私は、積み立て方式か賦課方式かということが、ヨーロッパのようになれば、私は不毛の議論だと思うのです。むしろ、それまでの過程において、この負担の均衡というものをこういったような積み立て方式的なもので調整をしていく必要がないのかどうか。そこの点についてお伺いいたします。
  17. 松尾均

    公述人(松尾均君) 私、賦方式を主張したがために、賦課方式に対する一種の懸念というような点を御指摘だと思いますけれども、賦課方式になった場合に、保険料あるいは保険制度というようなものをどう考えるかということの御指摘が一つあります。その点につきまして、もう私は賦課方式になっても、保険料なり保険組織というものを全面的に否定しておるわけではございません。きわめて具体的に申しますというと、先ほども多少触れましたけれども、今日の制度に合わせて申しますというと、定額部分と比例部分がございますし、私は、やはり保険制度というようなものを残すとしますというと、定額部分以外にはそれを残して、保険組織というようなものを利用すべきじゃないかというような点、こういう点が念頭にあるわけでございます。したがいまして、逆に申しますというと、定額部分につきましては、これは、国家は少なくとも最低生活を保障するという意味におきまして、国家の負担によるべきじゃないか。それでは国家はどういう負担を行なうか。税制一般じゃなくして、多少これもせんじ詰めて申し上げますというと、私はやっぱり税制一般というんじゃなくして、やはりこれは大蔵省はきわめておきらいかもしれませんですけれども、一種の目的税というような形でこれを確保していって、そして、現在の定額部分におきまして最低生活を保障したらどうだというようなことでございます。くれぐれも、保険組織というものを全面的に否定するわけではありませんし、これはむしろ無視できないと思います。これが一点でございます。  それから、ヨーロッパ並みの人口、老齢者人口になりますというと、どうしても負担というようなものが気になる、当然だと思います。その点、賦課方式にやがて進むにしましても、積み立て方式というようなものの、何でしょうかね、今日的な利用というものは当然考えざるを得ないと思いますけれども、その点、私たちは、先生の念頭には、たとえば利子部分というようなものが、たとえば一九七〇年には大体保険収入の中で二千億以上あるわけですけれども、こういうものは実際には私たちが負担しているわけでございますし、それをどこに流すかというようなことが今後の場合に問題になるわけでありますし、負担面におきましては、少なくとも端的に申しまして、利子部分が減少するから、それだけ負担が多くなるというようなことはないと思います。現に国民がになっているというようなこと。それから、そう申しましても国民の負担というのはまあ多くなるだろうと思いますけれども、そのためには、先ほども多少触れましたけれども日本の場合には大体これは労使折半なんですね。社会保障の、特に社会保険の場合には、労使折半というのはどう意味を持っておるのか、どういう歴史的背景を持っているのが。これは外国にもたくさんあります。労使折半というのはありますけれども、私はやっぱり労使折半というのは、この際それこそ変更すれば、負担というようなものは緩和されるのじゃないかと思うわけでありますし、この労使折半の根拠というものが一体どういうことになっているか、多分に疑問をいだかざるを得ないわけであります。特に大陸糸では労使折半というようなものに変更しておりますし、そういうことから考えますというと、どうも日本の社会保障というのはイギリス型から大陸型に向かわんとしているような面がありますけれども、多分にこの両方の型の間で動揺しているのじゃないか。そういう意味で、今日の年金というのは日本の生活に即した、日本的ないわば性格なり型をつけるべきじゃないか、それに踏み切るべきじゃないかということを強調したのであります。  以上です。
  18. 上田稔

    ○理事(上田稔君) ありがとうございました。
  19. 田中寿美子

    田中寿美子君 松尾先生に、私もいま同じ問題をもう少し違った観点からお伺いするわけなんですけれども、いまのままで参りますと、いま政府が言っておりますように、年金制度は未成熟であるから、成熟するまで待たなければ賦課方式にはなれない。その時期は昭和七十年であるということですね。現在の老人のニードに合わないわけでございます。それですから、私はやはり賦課方式にいくべきだというふうに思っていますけれども、その場合に、いまの財政方式とか、それから保険料、あるいは給付の形式をそのままに考えていったら、そういうふうになるんだと思う。それで、財政方式を改めるべきだと思うんですが、賦課方式だからといって積み立て金をすぐ積み立てないという意味ではもちろんなくて、保険料を毎年積み立てながら、その保険料と、これ、今日まで年金資金というものは、財政投融資資金の中の資金運用部資金の中に積み立ててきておりますので、それを一部ずつ取りくずしながら、それから保険料の取り方、いまおっしゃった労使の折半とか、私は変えていけばいいというふうに思うんですけど、いろんなやり方を組み合わせながら賦課方式に移行していく方法があるんじゃないか。で、財政面のほうで、そういう方法を先生はどういうお考えを持っていらっしゃるかということが一つです。  それから医療のほうの、さっき診療報酬支払い方式にメスを入れるべきだというふうに言われました。保険医の代表の方々がしばしば見えて、診療報酬を直ちに五〇%引き上げよという要求がされているんですけれども、そういう要求は、私、医者の技術料とか、その医療をする人の技術料の低いことなどはもう十分よくわかるんですが、そういう要求をどういうふうに取り入れながら、診療報酬支払い方式をどういうふうに変えていくべきだというふうに考えていらっしゃるのか、ちょっと先生のお考えを聞かしていただきたい。
  20. 松尾均

    公述人(松尾均君) 年金についてと、医療保険についてでありますけれども、年金についての財政方式をどうするかと言われましたけれども、それは先ほど申し上げましたように、やっぱり私は定額部分というものを基礎に置きまして、その面におきまして最低生活を保障すると、それはやっぱり目的税によって国家がめんどうを見るということですね、それが一つと。それから、これ、質問の方がすでに先取りされましたけれども、やっぱり労使折半というものは、この際、これが至上のものでありませんし、ヨーロッパ諸国にもたくさん例があるわけですし、これを変えたらどうだというようなこと。それからこの賦課方式につきましても、これはいろんなタイプがあるわけでございますし、すぐ全面的に切りくずして、これを切りかえるというんじゃないと思いますし、それは日本なりに、たとえば五年なら五年、あるいは十年なら十年というような計算のもとでもできるわけでありますし、その点の準備はこれからしなくちゃいかぬだろうと思います。ただし年金につきましては、御指摘の意見にかなり一致するととがあるので、その程度にしておきます。  それから医療につきましては、やはり医療費分析と、それから診療報酬支払い方式、ここがやっぱり焦点だろうと申し上げたんですけれども、こういうことを考えております。医療費を分析すれば、たとえば収入面におきましては、医師、医療機関ですね、医療機関の収入が一体どのようになっているか。はたして診療——診断から、装置からですね、広い意味におきまして、診療という実働収入に対する部分と、それから薬剤その他の、何でしょうか、流通部分的な収入と申しますか、これに分けられるだろうということですね。それから、それがどのように使われているかということを申しますというと、一つは、やっぱりどうしても生活費と申しますか、広い意味での生活費であります。それからもう一つは、やっぱり設備、最近はおそろしく設備投資が進んでおりますので、設備投資に対する費用が支出されているだろうというふうに思うわけであります。医療費分析を指摘したのは、はたして実働収入的な面がどの程度あるかということと、それから設備投資に対する面がどの程度あるかということを私は主眼に置いておるわけでありますし、やはり設備投資的な面は、これはいわば医療における企業経営というような形で、資本蓄積とか、減価償却とか、そういうような形をとらないで、やはりこれは国家、公共団体の補助と申しますか、そういう原則を明らかにすべきじゃなかろうかと思うわけであります。  ところが、そういうことをしましても、やはり医療自体がはたして、いわば普通の商品生産のような形で進められていいかどうかということが気になるわけでありますし、医療費分析に続くものはやはり診療報酬だろうと私は思いますし、その点で申し上げますというと、これは、医療保険につきましては、やっぱり私は、医療自体のサービスと申しますか、医療行為自体と、それから所得保障と申しますか、傷病手当その他、こういう部分におきましても、保険制度の果たす役割りと、それから国家、公共団体の費用の果たす役割り、こういうものをやはり整理して考えるべきじゃないかという点であります。どうしてもやっぱり医療自体というようなものにつきましては、国家^公共団体の費用が大きなウエートを占めるだろうというようなことが念頭にありますし、そういうことを考えますというと、やはり先ほどの実働収入部分だとか、あるいは生活費部分というようなもの、こういうものは、やはり御指摘のように、技術料と申しますか、のようなものを中心にカバーできるようにすべきじゃないか。ただし、サービスとか物自体ですね、この面につきましては、やっぱり現在のようなやり方を整理していくべきじゃないか。要すれば、国家、公共団体等々の費用によって行なうというようなことですね。それだけに、技術料なり、いわゆる医者の所得面と申しますか、この点につきましては、技術料を中心に所得計算を行なうというようなことをやっぱり考えていかざるを得ないだろうと私は思いますし、そういうことを念頭に置きまして、経済分析と、それから診療報酬体系というようなことを申し上げたわけであります。そこからこう掘り起こさない限りは、私はやっぱりどうしても日本の医療は、いわば経済計算に流れまして、医療自体なり、医療行為なり、医療サービス自体、こういうものに対するメスがふるわれないのじゃないかという点を指摘したのであります。
  21. 上田稔

    ○理事(上田稔君) ありがとうございました。  それでは、この程度で午前の質疑は終わらせていただきたいと存じます。  お二方の先生には、長時間にわたりまして貴重な御意見を承りましてありがとうございました。厚く御礼申し上げます。  午後一時まで休憩いたします。    午前十一時五十九分休憩      —————・—————    午後一時六分開会
  22. 大竹平八郎

    委員長大竹平八郎君) ただいまから予算委員会公聴会を再開いたします。  この際、公述人の方に一言あいさつを申し上げます。  本日は、御多忙中にもかかわりませず、本委員会のために御出席をわずらわせまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚くお礼を申し上げます。  それでは、議事の進め方につきまして申し上げます。お手元にお配りいたしました名簿の順に、お一人三十分以内の御意見をお述べいただき、後に委員の皆さんから御質疑がございますればお答えをお願いしたいと存じます。  では、長洲先生にお願いしたいと存じます。(拍手)
  23. 長洲一二

    公述人(長洲一二君) それでは、私は、経済一般というテーマを与えられておりますので、特に福祉経済への転換という点にしぼってお話を申し上げたいと思います。  成長より福祉へと、いまやこれは全国民的な合意事項になっておりますけれども、しかし、私の見るところ、問題の中身の理解はいまだ明確でありません。また、実行は実績が上がっていないと言わざるを得ません。それどころか、私の感じでは、むしろ福祉逆行の危険な徴候がかなり濃くなっていると思われます。  一昨年の円切り上げの騒ぎを通じまして、国民は、いわばはだで感じ、からだで学んだと思いますが、従来の高度成長路線、いわゆる産業優先、輸出優遇という、そういう資源配分政策がとられた結果はどうであったか。雑な言い方でありますけれども、産業の生産力はいわば一流国になり、しかし労働条件は二流国、社会保障と生活関連の公共施設は三流であり、公害のみ超一流と、そういうアンバランスが生まれました。これがよく言われます内に弱い円をつくりました。その内に弱い円をつくったからこそ、それに乗っかってある意味でのダンピングとなって、外に対してはアニマルと呼ばれるまでに強い円ができた。こんなことを、国民は、理屈は抜きに、はだで感じ、学んだと思います。それから一年間、残念ながら福祉経済への実効ある転換をなし遂げることができなかったのではないかと思われます。そして、この悪循環、内に弱い円と外に強い円との悪循環を断ち切らない限り、国内では産業と生活の二重構造、そして国外では国際摩擦、こういう悪循環が今後も続くのではないか。その証拠が、たちまちにして円再切り上げに追い込まれました。その意味では、私は、円切り上げの問題は、もちろん外圧という点もありますけれども、単なる外圧ではなくて、わが国経済のあり方、経済運営の方式そのものに内在する内因に基づくと、こういうふうに感じます。  実際考えてみますと、産業成長第一、産業先行、輸出優先、こういう経済政策は、今日、まことにばかげた経済構造を生んでいると思います。日本経済は、御承知のように、世界じゅうから資源を買い、世界じゅうに製品を押し出して輸出している。こうして、言ってみれば世界じゅうから公害を集め、ドルを集め、国内にあふれさせております。しかも、せっかく集めたドルは、御承知のように、日ごと月ごと価値が減ってまいります。のみならず、それが過剰流動性となりまして国内であばれ回って、土地から米や脱脂綿にまで至る買い占めと投機の波で全土をおおっている。しかも、このドルは、いまヨーロッパではドルのことをトランプのばば抜きと言っているそうでありますが、そのドルをせっせと集めながら、しかも、集め過ぎると言って外からは目のかたきにされ、袋だたきにされる。こうして、考えてみますと、国民はまじめに汗水たらして働けば働くほど、内に環境破壊とインフレ、外に国際摩擦と外圧による円切り上げ、こういう悪循環にはまり込んでいる。私は、その点で、外圧と内因は表裏一体連動しているというふうに経済学者として考えます。こういうところから、成長より福祉といういわば路線全体の、ないし経済構造と体質全体の転換が、単に倫理的な要請であるだけではなくて、経済のロジックの要求になってきたというのが七〇年代の日本経済の基本的な問題だろうと思います。  しかし、残念ながら、初めにもちょっと申しましたように、いまのところ、私どもの力の不足もありますけれども、福祉経済というのは、いわばことばのみはんらんしておりますが、実体が不明確である。むしろ、現実には、反福祉経済への——私の感想でありますか——現状はかなり危機的な動きが出ているのではないかと思われます。特にこわいと思いますのは、インフレーションとスペキュレーションの大波であります。福祉経済の優先が叫ばれているまさにそのときに、御承知のような物価上昇と買い占めが大規模に開始いたしました。言うまでもなく、こうした動きがもたらすものは何であるか。一つには、花見酒的な利潤追求、そして、他方では、不平等の拡大であります。それから二番目には、国民みんなが何となく感じている不公正感の感覚であります。そして、三番目に、私は何より危険なのは、このままでまいりますならば、国民的な心の荒廃が起こるだろうと思われます。実際、スペキュレーションとインフレーション、この大きな波が今日のように続いてまいりますならば、明らかに人を出し抜く人が得をします。まじめに働く人は損をいたします。こうした中では、連帯感が国民の中に生まれるはずはない。冷たい空気が人々の心の中にしのび込んでおります。こういうふうに考えますと、もちろん最近言われておりますように、商社、銀行、不動産会社等々のモラルの低下ということ、これはそれ自体として責めらるべき問題でございますけれども、その意味でまた規制の強化というのは当然かと考えられますけれども、しかし、同時に、今日のように国民総投機、国民総買い占めのムードに走らせられているような前述いたしましたような経済構造がやはり問題ではないか。そういう点で私は、少しことばは大げさかもしれませんが、今日の事態は、いわば構造的腐敗への徴候が濃いというふうに考えざるを得ません。  こういういわば危険な状況、持てる者は投機、持たざる者はギャンブルという、こういうふうに動きがちな徴候、これは、歴史的に見ますならば、大正末から昭和初年にちょっと似たような状況すらあると言えるのではないでしょうか。そうした点、お集まりの先生方は十分御認識と思いますけれども経済学者である私ども見ましても、非常に危険な徴候であり、福祉経済への転換とはむしろ逆のきざしがあるということにぜひ御注目をお願いしたいと思います。そうしましたところから、私は、福祉経済ということの実行について、少し中身について、しかしごく一般的な書生論議を申し上げてみたいと思います。  福祉経済と申しますのは、何よりも、いま申し上げましたような、まじめに働けば働くほど内に環境破壊、外に国際摩擦を生ずるような経済構造と路線そのものを転換するということであります。そして、いま申しましたように、不公平、不公正、そして精神の荒廃、こういうものをなくすことである。そのために、日本経済力のいわゆる資源配分の比率を変えることだろうと思います。端的に申しまして、いままで、私どもは、表現は雑かもしれませんが、人間が住む家よりも、機械を入れる工場とビルを建ててまいりました。安い月給で長時間働いてまいりました。公害も無感覚でございました。社会保障に回すべき金も産業にぶち込んでまいりました。だからこそ、生産力とGNPでは一流国になったと言えますけれども、そうした結果、福祉のほうが三流国並みなのは、私は、よく高度成長のひずみというふうに言われますけれども、ひずみではなくて、高度成長をささえた要因だろうというように思います。だからこそ、そのことがまた絶えず外圧による円切り上げという騒ぎを巻き起こしている。この点で、大きな考え方の筋道の点で、かなりいままでとは発想を逆にしなければなるまいと思います。こうした産業と生活の二重構造をひっくり返す。そのためには、金と物と人の流れを抜本的に変えて見るべきではないか。言ってみれば、産業と輸出に——これは私は専門家として見て専門家の友人たちもほぼ意見は一致しておると思いますが——いままでは片寄り過ぎた資源配分構造になっている。これを変えること、そのことがまたいわゆる円対策のほんとうの姿であろうと思います。そんな点で、ぜひ政治家の皆さんにお願いしたいことは、今度は思い切ってむしろ福祉に変更する実行をしていただきたい。福祉も成長も、成長も福祉もという二枚看板では、私はだめだろうと思います。あるいは現実にはまだ成長なくして福祉なしという気持ちと論理のほうが強力にまかり通っていると思います。私は、あえて申しますけれども、曲がった竹をまっすぐに直すためには、反対方向にもっと一そう強く曲げてみるということが必要ではないかというふうに感じます。  そうした点で福祉経済というものを考えていきます場合に、私は、さしあたり、大きな筋道として、とにかく先ほど申しました資源配分の比率を変えること、それからそのための制度を改革すること、そしてまた福祉経済を推進していく主体をつくっていくこと、大きく言ってそのようなことについて先生方の御配慮をお願いしたい。  ことし老人年金がふえるそうでございます。私はまことにけっこうなことと思って歓迎いたします。これももちろん転換の大きな一環でございますけれども、しかし同時に、それを認めた上で、それはしかし一つの環にすぎません。やはり全体の構造、とりわけ比率を変えていただきたいと思います。単に大型の予算を組んで、全体としてふくれた予算の中で社会保障の絶対額がふえていくというだけでは、福祉経済への転換はできないのではないかというふうに私は思います。  その点で、福祉経済への転換の考え方の筋道としまして、第一に、総需要の構成比を変えてくださるようにお考え願いたいと思います。  総需要すなわち個人消費、投資、財政、輸出、この全体の需要、この中で個人消費の占める比率、本日はこまかい数字を申し上げるつもりはございませんけれども日本はほぼ半分であります。これは歴史的に申しますならば、日本経済が戦時経済に突入する以前の、準戦時段階と同じくらいの個人消費比率の低さでございます。そして、欧米はほぼ六割台と申してよろしいと思います。せめてこの六割台の欧米並みにまで個人消費比率を高める、総需要の構成比を変える、このことが福祉経済への転換の大きな原則的な方向だろうと思います。  さらにその場合に、最近の経済の特徴、先進国経済の特徴は、福祉と申しましても、個人消費だけでは私どもは今日市民としての生活欲求を満たしていくことはできません。どうしても公共的消費が必要でございます。その点では、総需要の中に占める財政の比率が大きくなること、これは当然でありますが、しかし、ただ財政の比率が大きくなるのではなくて、その意味で単なる大型なるがゆえの財政主導型ではなくて、財政支出の中身が公共的な国民的消費の方向に力点が移行していく、比率が変わっていく、こういう財政の組み方、予算の組み方をぜひお願いしたいと思います。シンボリックにもし申し上げますならば、私はあえて申しますけれども、高速道路より保健所という発想が必要ではないかということでございます。  その点で二番目の原則といたしまして、私は成長よりも公共財を重視していただきたい。これが福祉経済の二番目のポイントかと思います。  よく、教科書的なお話で恐縮でございますけれども経済学者は申します。財政の機能は、公共的な目的と、公正すなわち所得と所有の分配の平等化、それと経済の発展成長——公共、公正、成長、この三点にあるというふうに一般に言われております。そしていままでのところは、財政の機能が成長のほうに力点が置かれてきたことは私は明らかだと思いますが、この力点を、今日すでにGNPで一人頭百万円の時代になっているわけでございます。したがって私は、ここで大規模に財政の機能を公共と公正に重点を移行させることが必要であろうかと思います。  公共財の、ないしは公共的なサービスの提供、これは今日のような過密型、先進工業国型の国家におきましてはますます重要になってまいります。そういう点で公共財、公共サービスの比重を高める。その場合に、これまたあえて申しますけれども、公共事業、本年度の予算でも公共事業費というのがたいへん巨額でございますけれども、この公共事業の中身をぜひ議員の先生方が十分に分析され、特に私ども経済学者としては、公共資本ないし社会資本という名で一括されているためにまぎらわしいのですが、今日では、社会資本の中で社会的生産手段と社会的共同消費手段とを明らかに分けて考える、こういう発想が必要であり、実際にもちろん入りまじるところはございますけれども、単純にそれを公共事業、社会資本という名で呼ぶことは非常に混乱を招きやすいというふうに思います。そんな点にも御注意をお願いしたいと思います。  かつ、実際にはこの公共的な財とサービスの提供が、どうも私は今日の状況では十分でない。十分でないどころか、戦後しばしば公共的財ないしサービスの提供を、むしろ私企業化いたしました。独立採算といったような名前で私企業化いたしました。しかし、私は財政学の伝統から考えまして、今日の動向から考えましても、警察、消防、教育の費用は赤字だといって騒いだことはございません。にもかかわらず国鉄、水道、電力あるいは健保、この赤字だけが赤字赤字といって騒がれるのは、まだその点の理解について、公共財、公共サービスが重要なウエートを占める時代になっているという、この現代的な問題状況についての認識が国民の間に十分でないのではないかというふうに思います。そんな点で、少し何年かの計画でけっこうでございますから、公共財、公共サービスの提供につきまして、シビルミニマムと申しますか、ナショナルミニマムを明らかにし、公共料金政策をかなり根本的に考え画してみる、このことが必要ではあるまいかと考えます。  第三には、以上のこととも関連いたしますけれども、私はいままでのようなGNPすなわちフロー中心の考えではなくて、ストックと分配を重視する、こういう経済政策に転換すべきであると思います。  このストックという点でございますが、今後、経済発展を考えます場合に、すべての基準になる、根底になるものさし、これは私は環境と資源だと思います。ところが、考えてみますと、今日、気がついてみるならば、一方での資源枯渇、他方での環境汚染、それを進めるほど経済は発展し文明が進歩していく、こういう形に陥っているのではあるまいか。こうしたフロー中心主義の発想をきっぱりやめることが、今日GNPはすでにことしは四千億ドルでございますから、この四千億ドルGNP時代日本経済考え方の中心ではあるまいかと思います。私は端的に申しまして、先生方もヨーロッパその他へもお出かけだと思いますが、日本が西ドイツやイギリスを抜いたなどというのはいかにまっかなうそであるかということは、現地をごらんになればすぐわかると思います。さらに日本経済は、御承知のように昨年は三千億ドルです。ことしは、かりに二百五、六十円のレートになるといたしましたならば、すでに四千億ドルです。そうして二、三年後にはおそらく五千億ドルということになりましょう。五千億ドルは一九六〇年のアメリカのGNPです。そうして、やがて一兆ドルというのは目の前に迫っております。一兆ドルは、アメリカでさえ昨年初めてGNPが一兆ドルの大台に乗せました。すなわち、アメリカの約四%にも満たないこの国土の上に、アメリカ並みのGNPを乗せるという一兆ドル経済、このことを考えますと、私は学生にも始終言うのでございますけれども、一兆ドル経済をこの四つの島の上に乗せることば、はたして可能か可能でないか、望ましいか望ましくないか、このことは突き詰めて考えていかなければならない。  そういう点で何よりも大事な問題は、いまや環境と資源、このものさしで日本経済をかっちりとはかってみることではないかと思います。そういう意味で、私はあえてフローよりストックに重点を移行させるべきだ、そのための環境保全なり、ないしは資源節約型の技術の振興なり、あるいけ公害についてのPPP原則なりの確立、こうしかことが福祉経済を推進していく基盤づくりとして不可欠であろうというふうに思います。  公正分配という問題については、もう申すまでもないと思います。今日GNPが、先ほど申しましたように一人頭百万円時代になってきているのです。そういう時代になれば、何よりも問題は、一方における環境と資源、他方における分配の小正、これでございます。分配の公正を精力的にやれば、日本はかなりいい国になる、だろうと私は信じております。  もう一つ四番目に、急ぎますけれども申し上げたいことは、先ほど触れました制度改革と主体づくりでございます。  これについてはこまかいことを申し上げるつもりはございません。端的に申しまして、戦後二十数年間、四分の一世紀、あるいは明治以来百年と申していいかもしれません、日本の行政、政治の機構というものが、いわば生活中心の横割りではなくて、産業別の縦割りになっているということが絶えず指摘されております。今日、福祉経済への転換を本格的にやるならば、この制度そのものを縦割りから横割りに転換していく、このことについて大きな決断と実行が必要かと思います。  もう一つその点で、主体づくりの点でお願いしたいこと、これも最近世論が高まっていると思いますが、治体の強化ということだろうと私は信じております。福祉経済の現場は自治体だと私は思います。自治体の住民ならば、サンダルを突っかけて役所に参ります。議員の方々に会いに参ります。国会は、こんなことを申し上げては申しわけありませんけれども、あまりに遠くなっております。私は福祉経済の現場は自治体である。そのためにはやはり国会の議員の先生方が率先して、この現場の自治体の行・財政権を強めるような方向に、今日の制度をいろいろ改革することに勇気を発揮していただきたいように思います。このことが主体づくりの点でございます。  そうした中で、あと簡単に申し上げますが、ことしの予算案を拝見いたしまして、こまかいことは私にもよくわからない点がたくさんございますが、思いつく数点だけ最後につけ加えて意見を終わりたいと思います。  一つは、私は予算の作成のプロセスというものが、どうもやはりいままで申しましたような縦割り型の中で何%増というワクで要求をさせる、いわば積み上げ方式というのがすでにもう福祉経済への転換の課題にそぐわなくなっているのではないかというふうに感じております。硬直化した制度をそのままにして積み上げ方式でやるために、当然増でほとんど食われてしまう。したがって新しい新規のこと、福祉重点の財源が乏しい。こういう予算作成方式について再検討が必要ではないかと感じます。  二番目に、歳入面でございますけれども、この面では、先ほど申しました公正という点にぜひ財政が威力を発揮していただきたい。特に税負担の公正化でございます。これはもう言うのもやぼくさいくらいな感じでございますけれども、国民の中でクロヨンとかトーゴーサンとかいわれていること、多年いわれているままでございます。あるいは、これは大体専門家の間ではほぼ合意事項だろうと思いますが、私はやはり日本は法人税が低過ぎると思います。これをせめて西欧並みに高めること。けさの新聞ではそういう方向を政府も御発言になったようでございますが、これはぜひ実行していただきたいと思います。法人税——国税・地方税を含めまして、この税率の変更は、私はいまや天の声だと思います。それとあわせて秘税特別措置等々でございます。  もう一つは、税制につきまして、ただ歳入だけではなくて、環境保全とか福祉経済への全体の誘導政策として税制を活用するということもぜひお考え願いたいと思います。まあ、たとえばでございます、適当かどうかわかりません、しかしたとえばガソリン税は思い切って倍にしてみる。しかもそれは目的税として道路につぎ込むのではなくて、社会福祉につぎ込む。こうしたような新しい発想、ないしはプラスチックについての等々の、新しい税制といったようなことについても従来とは違った発想の取り組みをお願いいたします。もちろんその中に、先ほど触れました国と自治体の間での財源の配分についてかなり抜本的に改革をやってみる、そうした御研究もぜひ国会でお願いしたいと思います。  もう一つ、三番目の歳出面でございますが、この面でも、もう申すまでもございません。先ほど申しましたように、絶対額よりは構成比を変えるという観点でお願いしたいと思います。社会保障の費用、ことしはだいぶ絶対額はふえましたが、しかし構成比はあまりふえていないように思います。数年前の構成比、一時期かなり高かったころとあまり変わっていないのではないでしょうか。その他、先ほど申しました公共事業費の中で、産業別とそれから生活別というものを区分けして考える発想。  それともう一つ、これは歳出全体について申し上げられることでございますけれども、過去の高度成長期に次々に実績として積み上げられて既成事実になっております各種の産業優先、輸出優遇の諸措置、これをぜひ先生方の手で一度全部網羅的にリストアップして、今日必要か必要でないか、総点検をやっていただきたいように思います。例が適当かどうかわかりませんが、私は開銀、輸銀等への財投が今日なぜああいう形であれだけ必要なのか、考え直してみる値打ちがあると思います。計画造船になぜ民間資金だけでやっていけないのか等々のことにつきましても、まあこまかい点はたくさんございますが、そうしたあらゆることにつきましてかなり再点検してみる。そのためには、過去の諸措置についてぜひ全体をリストアップしてみる。一つ一つばらばらにではなくて、そして、その体系を考えてみるということは必要ではないのでございましょうか。  こうしたところから、私は、経済学でよく申しますが、トレードオフと申します。すべてを全部一ぺんにやることはできません。どこかをやればどこかがへこみます。こうしたことを国民の前にさらけ出して、国民に選択を求めていただきたい。私は、日本国民は決して何でもすぐやれというほどのんきでもなまけ者でもないと思います。選択肢を明確にされて、この点はがまんしてくれ、この点はしかしやろう、そしてこういうプログラムでやろうというふうに提起されますならば、日本人はそれにたえると思います。そういう点で、私は国民の前にトレードオフの選択肢を明確にする。そのために過去の諸措置をリストアップし、総点検し、そしてどこが欠けているか、どこが過剰であったか、これについて国会議員の先生方が国民に世論を喚起してくださるようお願いいたします。  そしてその中で、私はもう時間もなくなりましたので申し上げませんが、むしろ福祉重点のために大きく路線を転換するための、緊急三カ年プログラムといったようなことが今日最も必要ではあるまいかというふうに感じております。  先ほど冒頭にも申しましたように、私は今日の状況は、日本経済明治百年以来、あるいは高度成長を終わった時期、ちょうど第一次大戦の高度成長が終わった大正末から昭和期のような大きな歴史的曲がりかどに来ているというふうに私は感じます。しかも、書生の感情的な誇張かどうかわかりませんけれども、かなり危機的なものも感じます。先ほど申しましたように、このままでまいりますならば、いまの構造のままならば、国際的摩擦が激化し、孤立の中の公害列島になり、人々の心は荒廃していく、こういう危険を私は、誇張でなく、私自身感じているわけでございます。どうかそうした点で、どうぞ、先ほどもちょっと申しました、何か一生懸命働けば働くほど何か国土が荒れ、インフレが進み、みんなの心が冷たくなり、そして外からは経済侵略とたたかれる、まじめに働けば働くほどこうなっていくという状況から国民を救い出す、それはやはり私は政治のイニシアチブが必要だろうと思います。ぜひ、そういう点で、先ほど申しましたように、曲がった竹をまっすぐするために、思い切って福祉偏向の経済政策と予算を組んでいただきたいように思います。  御清聴ありがとうございました。(拍手)
  24. 大竹平八郎

    委員長大竹平八郎君) どうもありがとうございました。     —————————————
  25. 大竹平八郎

    委員長大竹平八郎君) それでは、次に稲川公述人にお願いいたします。(拍手)
  26. 稲川宮雄

    公述人(稲川宮雄君) 私は、中小企業の立場から四十八年度の予算につきまして意見を申し上げたいと存じます。  まず、日本の中小企業施策全体について見ますると、中小企業施策は、その種類におきましても、あるいはその数におきましても、きわめて多いのでございまして、関係法律だけでもおそらく五十を下らないという数字に達するであろうと思います。しかも、このようなきめのこまかい施策があの手この手と行なわれておりますのは、広しといえども日本をおいてほかにはないのでございまして、まさに日本は中小企業施策におきましては世界無比である、世界に冠たる国であるといっても決して私は過言ではないというように思うのでございます。金融制度を考えましても、あるいは税制を見ましても、あるいは組織、あるいは労働、あるいは近代化施策、あるいは環境是正、あるいは今回の円の再切り上げに対する施策を見ましても、その政策はきわめて多いのでございます。そういう意味におきまして、こういう施策をたくさんにとっていただきました国会並びに政府に対しまして、私ども中小企業は深く感謝をしなければならないというように考えておるのでございます。  それでは、中小企業の現状は何にも問題がない、何にもそういう不安というものはないかと申しますると、そうではないのでございまして、施策の種類と数におきましては、いま申しましたように世界無比であります。ここに「中小企業施策のあらまし」という中小企業庁発行の本がございますが、施策のあらましを紹介するだけで四百何十ページに達するという、まあ、われわれ専門にやっております者も覚え切れないほどのたくさんの施策が講ぜられておりますけれども、しかしながら、その効果におきましては、遺憾ながらきわめて不十分であると言わざるを得ないのであります。特に、小規模零細企業の不振がはなはだしい。たとえば、下請業者の中でも、二次下請あるいは三次下請、さらに四次下請というように、下へ下がってくるに従いまして窮状が著しい。中小企業の中でも、いわゆる階層分化ということばがございまするが、格差がだんだん開いていくという、そういう現象を起こしておるのでございます。もちろん、景気の好調にささえられ、あるいはまた経済の拡大という中にありまして、中には順調な経営を保っておる中小企業もございますけれども、しかしながら、最近における内外の経済情勢の急激な変化によりまして、大部分の中小企業は、あるいは原料高の製品安、あるいは賃金の上昇、あるいは公害費の負担というようないろいろな問題によりまして、経営上きわめて困難を来たしておるのでございまして、そういう意味におきましては、中小企業者の間の不満はうっせきしておると言わざるを得ないのでございます。  一体どうして、このように施策はたくさん行なわれておるにかかわらず中小企業の現状は不満に満ちておるかという点でございまして、これにつきましてはいろいろ問題があると存じますけれども、第一は、施策というものがせっかく行なわれましても、十分に末端の中小企業、零細企業までこれが浸透していない。いわゆる施策の普及度が十分でない。こういう点があげられるのでございまして、こういう点におきましては、私ども中小企業関係の団体も、みずから省みて大いに責任があるというふうに考えておるのでございます。  第二の問題は、せっかく施策が行なわれておりましてもこれに伴う予算が十分でないということをあげざるを得ないのでございます。国の総予算は十四兆二千八百四十億円というかなり膨大なものになっておるのでございますが、中小企業関係予算は、各省のものを合わせましても八百二億にすぎないのでございまして、国の総予算に比較いたしますると、わずかに〇・五六%にすぎないのでございます。よく、中小企業予算は五%ないし六%というふうに間違える人があるのでございますが、五%、六%もあればこれはむしろたいへんなことでございまして、一%にも及ばない。いわゆる「コンマ以下」ということばがございますけれども、一%にも及ばない〇・五六%にすぎないというのが中小企業全体の予算になっておるのでございます。昨年の四十七年九月一日現在で実施いたしました総理府の統計局の調査速報によりますると、わが国におきまする民営の非農林水産業の事業所数は五百十一万に達しておりまして、この五百十一万のうちで、中小の事業所、つまり、使用従業員三百人未満の事業所数は九九・八%、五百六万に達しておるのでございます。これに従事いたしておりまする者全部を合計いたしますると、おそらく三千万近い数に上ると思うのでございますが、このような膨大な事業所あるいはまたその従業者数をかかえております中小企業に対しまする予算が〇・五六%ということは、いかにこの比率が低いかということを物語っておるものだと思います。しかも、その伸び率におきましても、中小企業庁の分では二六%でありまして、平均をやや上回っておりますけれども、その他通産省、大蔵省、労働省等を合計いたしました総額におきましては一八・一%の伸び率でございまして、全体を合わせますると、二四・六%の国の総予算の伸びに対しまして、中小企業全体の予算は一八・一%という伸び率も低いことになっておるのでございます。一体、どうしてこういうことが起こってくるかと考えてみますると、予算案の編成そのものに問題があるのではないかと思います。毎年の政府の予算案の編成におきましては、前年度の三〇%以上の要求は原則としてまかりならぬと、こういうことになっておるようでございます。したがいまして、もとが少ない中小企業予算に対しまして三〇%で押えられるのでありまするから、その三〇%全額がつきましても伸び率は少ない、全体の比率が少ないということで、いつまでたっても、この膨大な階層を持っております中小企業予算というものは伸びていかない。そこで、中小企業庁を中小企業省に昇格しろ、こういう意見もこういうところから出てくるわけでございます。そういうような点で、中小企業に対しまするいろいろな不満が出てくると思うのでありまするが、今後の中小企業施策とその予算につきましては、この際、発想の転換を私どもはお願いしなければならないというように考えておるのでございます。ただ、数や種類だけをふやすのではなくて、中小企業施策におきましては、内容を充実し密度の濃いものにすることが大切ではないか、そのためには、従来のいきさつにとらわれない発想の転換による予算の編成というものをお願いしたいのでございます。しかも、それは単に中小企業に対する直接的な施策の面だけではなくて、国民経済全体との関連における総合的な立場において考えていかなければならない。たとえば先ほどもお話がございましたが、高度成長、大企業を中心とする高度成長というものが中小企業に対しましていろいろなひずみを生じておる、あるいは従来大企業優先政策がとられておる、そういうものをこの際止揚していかなければならないのではないか。新しい産業構造あるいは新しい国際分業の立場から中小企業というものを位置づけていくという、そういうビジョンを打ち立てまして、それに基づく中小企業予算というものを編成していただきたいというように思うのでございます。  その転換の一つといたしまして特に申し上げたいと思いますることは、歳入に関しまする租税問題でございまして、この税制につきましては中小企業の立場から言うべきことはきわめて多いのでございます。毎年われわれは税制の改正につきまして非常に多くの項目を要求しておるのでございますが、いまここでそれらのことを申し上げる時間がございませんので省略いたしまするけれども、特に一点だけ指摘したいと思いますることは、先ほども法人税についてお話がございましたが、私の申したいのは、この法人税というものに対する段階的な税率の適用、こういう問題でございます。現行の法人税は、その法人の所得の多い少ないにかかわらず、三百万円以下ということは唯一の例外といたしまして、他はすべて一律の三五%、特別措置によりまして三六・七五%という比例税が適用されておるのでございます。所得が五百万でありましても、一千万でありましても、あるいは一億でありましても、十億でありましても、あるいは百億でありましても、同じ税率が法人には適用されておる、こういうことでございます。これは要するに、シャウプ勧告に基づくところの法人擬制説にその根拠を持っておるからであると思うのでございます。個人と法人とは違うのでございますから、個人の累進税というものをそのまま適用することはかりに困難であるといたしましても、しかしながら、負担の能力あるいは負担の公平という点から考えまして、中小法人には相対的には負担の軽減をしていく、大法人の所得の高いところにはもう少し負担を重くしていく、こういう考え方をとって、いわゆる段階税率というものをとっていくということがむしろ公平であり、また中小企業の立場、中小企業の法人からはこれを特に要望したいのでございます。しかも、三百万以下の所得に対する軽減税率は、いまから十年前に三百万がきまったのでありまして、十年たちました今日におきましても同じ三百万がそのままに据え置かれるということは、物価の点だけから考えましてもきわめて不公正であると言わざるを得ないと思うのでございます。  次に、歳出面における発想の転換でございますが、四十八年度の予算案において発想の転換とも言うべきものといたしまして、いわゆる無担保、無保証人によるところの小規模経営の改善資金の融資制度というものが考えられておるのでございます。従来の金融の概念あるいは構想から考えますると、これはかなり飛躍した考えでございまして、いろいろ問題はあるかと思いまするけれども、発想の転換として私どもは評価したいと思います。ただ、そのやり方におきまして、零細企業、小規模企業というものはもっと組織というものを活用することが必要であるということがわれわれの年来の主張でございます。そういう点の配慮が加えられていないということは残念でございますけれども、しかしながら、小規模層に対しまするこういう思い切った金融制度を考えるということは大いに評価すべきであるというふうに思うのでございます。  なお、この際、たいへんかってな希望のようにお受け取りいただくかもしれませんが、しかしながら、中小企業の希望として考えておりますことは、たとえば、今回の円の切り上げ対策その他にも見られますように、一体、中小企業の個人的な責任ではなく、大企業のしわ寄せを受けるとか、あるいは国の政策の犠牲となったような被害に対しましては、国の補償をお願いしたい。かりに補償をお願いすることが困難であるといたしましても、そういうようなものにつきましては、せめて無利息の金融というものを考えていただきませんと、いろんな場合に金融措置をとっていただく、あるいはこれに対しまする信用保険を加えていただく、いろいろな手が加えられておりますけれども、次から次へといろいろの問題が生じてまいりまして、だんだん借金をしていきますると、借金で首が回らない、その金利負担だけでもたいへんなことになってくるわけでございますから、みずからの責任でないようなものに対してましては無担保、無保証もけっこうでございますけれども、もっと金利の低い資金でありませんと、だんだん借金がかさんでいく、こういうことになる点につきましてたいへんかってなようでございますけれども、中小企業といたしましてはそういう点の希望を持っているわけでございます。  以上、一般的なことを申し上じました。次は、四十八年度の中小企業予算案に関する具体的な二、三の問題について申し上げたいと存じます。第一は、中小企業振興事業団によりまところのいわゆる高度化資金というものがございまして、団地であるとか共同工場あるいは共同店舗、ボランタリーチェーン等々につきまして金利の低い資金が貸し出されておるのでございます。これは中小企業の高度化をはかる上におきましてきわめて有効な措置であるというふうに考えられるのでございますけれども、しかし、この負担がいろいろものによって違いますから一律ではございませんけれども、一般的に申しますると、国のほうが四二%を負担し、県が二三%、合計いたしまして六五%の負担をしていただきまして、三五%は自己負担、こういうふうになっておるのでございますが、この場合、県の二三%という負担がかなり重いために、せっかくの施策が浸透しないという点がございまするので、県の負担を軽くして、国のほうにおいてこれを負担していただくような措置を今後考えていただきませんと、せっかくの高度化資金、いわゆる団地その他の資金の活用ということが十分浸透しない、資金が残ってしまう、こういうような現象も生じてくるのでございます。  第二の点は金融関係でございますが、政府関係の金融機関、中小公庫、国民公庫、商工中金、これに対しまして毎年出資なり財投によって中小企業に対する資金源を確保していただいておるのでございまするが、一般の低金利時代におきまして、政府関係の金融機関の金利のほうが普通の民間の金融機関よりも金利が高いということは私は矛盾ではないかと思うのでございます。一般の金融機関が融資することの困難なものに対するこれは金融機関ということになっておるのでございまして、困難というのは担保その他のことを言うのでございますけれども、しかしらがら、金利の点につきましても、せっかく国の施策としてやっていただきますならば、一般の民間よりも有利な条件においてやっていただくことが必要ではないか。特に、その中でも商工組合中央金庫につきましては、長期資金の金利が中小公庫、国民公庫より高いのでございまして、いわゆる中小企業の金融には組織金融というものを中心にしていかなければならない。中小企業に組織を組ます、その組織の力によって金融をつけていくというのが従来の一つの方策でございますが、組織を組んだ商工中金の金利が両公庫よりも高いということは、組織政策としてはなはだ矛盾である。今回、商工中金につきましては二十億円の政府出資、また、円対策といたしまして六十億の出資が予定されておるようでございますけれども、この商工中金の金利をもっと下げていただくということが組織を強化する上においてきわめて必要ではないかというふうに思うのでございます。  それから次の問題は、中小企業の海外経済協力のための経費というものが、特に中小企業固有の予算としてはないようでございますが、今後中小企業は海外に発展していかなければならない、そうして各発展途上国と協力いたしまして、その現地の経済の開発に当たっていくということがきわめて大切な問題であることは言うまでもないのでございます。また現に、そういう方面に進出しておる企業も決して少なくないのでございますが、そういう面に対する予算の充実、あるいはこれに対しまする投資育成機関の設立等が今後考えられなけばならぬのではないかというふうに思うのでございます。  中小企業施策につきましては、なお思い切ったいろいろな施策をお願いしたいのでございますけれども、特に最近の問題といたしましては、円の再切り上げによるところの輸出関連中小企業が非常に苦しんでおる、これに対しましてはいろいろな施策が講ぜられておるのでございますが、なお、こういう点につきまして、一そうの御配慮をお願いいたしたいのと、もう一つ最近の問題といたしましては、物資が非常に不足し、そのために価格が高騰いたしまして、原材料が手に入らない。原材料が手に入らないために、やむを得ず事業を休止しなければならないという現象が各地において、あるいは各業界において起こっておるのでございまして、これは最近における中小企業のきわめて重要な、また、深刻な問題になっておるのでございます。これをいま予算としてどうするかということにつきましては、私ども別に案はないのでございますが、こういうような点に対しましても、早急に対策を立てていただきますよう御配慮をお願いしたいのでございます。  以上によりまして私の公述を終わりたいと思います。御清聴ありがとうございました。(拍手)
  27. 大竹平八郎

    委員長大竹平八郎君) どうもありがとうございました。     —————————————
  28. 大竹平八郎

    委員長大竹平八郎君) それでは、公述人の方々に御質疑のある方は順次御発言を願います。
  29. 横川正市

    ○横川正市君 稲川さんの意見で、お聞きしたいんですけれども、円問題が起こってきた根本的な問題は、外圧かそれとも内因かという問題で、こもごも原因というものがあるわけなんです。そしてそれは、対策の中の柱に、中小企業に対する手厚い対策が必要である、こういうことが議会の中では論議をされるわけなんです。その場合の、たとえば円の最初の三百八円がきめられましたときに、当時総理大臣以下が、再切り上げをするようなことがあったら、これはもうきわめて重要問題である、相当な責任をとるというような意見が国会で開陳をされまして、そして事実上切り上げになった場合の吸収度というのを見てみますと、これは必ずしもよい施策が吸収したのではなしに、中小企業のその体質とか構造とか、そういったものが吸収をしたんじゃないのかという点を私どもはあとから承知をいたしたわけなんです。ですから、いま中小企業の問題がこれから推移していく場合、相当その点が重要な問題だと私ども承知をいたしておるわけですけれども円が現行二百六十四、五円のところでフロートしているわけですが、それに対して、中小企業側から見てどういう施策が必要だとお考えになっておられるか、具体的にお示しいただきたいと思います。  それから長洲先生にお願いしたいと思うのですが、ちょっと逆になりましたけれども、緊急に私どもはやはり何かをせなければいけない時期が来ているのに、何から手がけてよいのかというそういう迷いがあるというだけではなしに、たとえば福祉予算なんかを見ますと、三年くらい前に、私どもは一兆円予算を組みなさいという要求をしたわけなんです。それがはるかに、倍ぐらいになりまして、なおかつ福祉の恩恵といいますか、そういったものを感じない状態に置かれているわけでありますね。ですから、この転換をするということは、かけ声としては先生のおっしゃるように非常に前向きになっているわけですけれども、受ける側からすると、それがさっぱり身についておらない、そういった点を私ども感ずるわけですが、単に、一つの積み重ねられたものがありまして、それにパーセンテージで積み重ねていくという予算の出し方、そういうことが問題だというふうに思うわけですけれども、具体的に指摘するとすればそれは何か、この点、御指摘いただければ幸いだと思います。
  30. 稲川宮雄

    公述人(稲川宮雄君) 円の実質的な再切り上げというものが外圧か内因かということでございますが、私は両方まああると、こういうふうに思っておるのでございまするが、特に、こういう事態になりましたのは、私どもアメリカ自体にもかなり問題がある、いわゆるドルたれ流しということが言われておるのでございますが、こういうことが大きな原因をなしておるという点は当然指摘しなければならない点であると思います。また、内圧と申しますか、内因といたしましては、長洲先生からもお話がございましたように、従来とってまいりました政策というもののしわが来ておるのでございまして、特に私どもから言えば、中小企業から言えば、中小企業の中でも輸出がかなり伸びたものもございますけれども、この前の円の切り上げから今日までを調査いたしてみますると、むしろ中小企業におきましてはかなり輸出が減っておる、あるいは市場を転換しておるというものが多いのでございまして、今回のこの円の切り上げの原因は、大企業といいますか、そういう企業、産業の輸出のむしろ結果でございまして、中小企業といたしましてはむしろこの前よりもかなり輸出が減っておると、こういう実態をつかまえておるのでございます。  それから、これからどういう施策が必要であるかということにつきましては、まず、中小企業自体といたしまして考えていかなければなりません点は、この前の円の切り上げから今日までの実績から考えましても、やはり転換ということをある程度考えていかざるを得ない。それは品種の転換、市場の転換等もございますが、特に内需へ今後は転換していくということ、かなり進んでおりますけれども、どうしてもこれからは中小企業も内需転換——幸い景気も悪くないのでございますので、この内需転換をどうしても考えざるを得ないということが一つでございます。  もう一つは、やはり品質の向上というものがどうしても必要でございまして、品質の向上をしております業種なり企業におきましてはかなりの抵抗力を示しておりまして、ある程度発展途上国へ注文が変わったものもまた戻ってくると、こういうような事態もございますので、これからは品質のいいものをつくっていくという方向に中小企業も向かっていかなければならない、こういうように考えておるのでございます。まあ政府の施策といたしましては、いろいろな点をわれわれ要望しておるのでございますが、これは変動相場制というものが長くとられますると中小企業は非常に不利益でございますので、かなり長期になる見通しでございますが、なるべくわれわれといたしましては早く固定相場制に復帰していただきたいということを希望しておる次第でございます。  その他いろいろございますけれども、おもな点だけをお答え申し上げます。
  31. 長洲一二

    公述人(長洲一二君) たいへんむずかしい御質問でございますけれども、私、先ほどちょっと申しましたのは、一つは、予算の作成過程が、もう少し重点施策ができるような形に自然増の新規財源が活用できるような予算作成方式は考えられないかというふうに私思います。単純に昨年度より何%増で概算要求させるという方式ではなくて、これが適当かどうかわかりませんが、ラウンドナンバーで各省に割り当て、各省の中で既定経費の削減と新規経費の増加を主体的にくふうをもってやっていただくような仕組み、それから他方、ある程度の資金は大蔵省にリザーブして、それでこの重点施策に重点的に金をつける、そういう点でこの予算作成方式に少しごくふうをしていただけますと、もう少し目に見える形で、はだで感ぜられる形で路線の転換が行なわれるのではないかというふうに、まず一つは思います。  二番目に、にもかかわりませず、この転換というのは、御指摘のように私ども書生が口で言うのはやすく、実際にむずかしいことは私どももある程度承知しております。と申しますのは、いわば全体系が問題でございます、システムの転換でございますから。そんな点で、私も先ほどちょっと申しましたが、いままでのたとえば産業優先とか輸出優先とか、あるいは成長第一とか言われておりましたが、それに見合った諸施策が次々に二十何年間積み重ねられているわけでございます。そうしたものを一応全部リストアップして総点検する、こういうような作業がぜひ必要ではあるまいかというふうにも思います。  それから三番目には、こまかいことまでは申し上げられませんけれども、まあ私どもは、実は友人たちと語らいまして、一昨年の円切り上げの騒ぎの最中に、やはり日本経済の軌道修正とシステム転換が必要だ、そのための緊急軌道修正のためのポイント切りかえの、転轍のための緊急三カ年プログラムといったようなことを大まかなめどでいいから出すべきだというふうに申しました。その柱は、もう言うまでもございませんが、一つは社会保障、社会福祉等々のウエートを高めること、それから公害その他についての画期的な方針を、まあことばは適当でないかもしれませんけれども、私は日本列島清掃三カ年計画といったようなものを考えてみたらどうかと、等々、数本の柱を立てまして申し上げました。その中には自治体の行財政権——何と申しましても福祉経済の現場であり主体であるのは、私はやはり住民が現実に生活する場所である自治体が中心だろうと思いますので、そういうところへの金と仕事を振り分けること、こういう作業について等々ですね、大体三年程度——五年と言えば大体きれいごとになり過ぎですし、一年と言えばできないことになりますので、まあかりに三年くらいのことでポイントを切りかえるかなめのプログラムを国民に提起する、こういうことをぜひ国会あるいは各政党の方方にお願いしたいと思いました。そうした緊急三カ年計画の柱のようなことを提言したこともございますが、実際にはどうも、部分的には行なわれているかもしれませんが、システムとしてどうも行なわれていないように思います。まあそういう点で、具体的にこれからという特に名案というのはございませんけれども、私はやはりかなり全システムの転換が必要とされている、それくらい大きな歴史的な曲がりかどだというような意識を持っております。  たいへん不十分でございますけれども一言お答えいたします。
  32. 矢追秀彦

    ○矢追秀彦君 長洲先生にお伺いいたします。  先ほど資源配分の問題をおっしゃいましたが、このことをもう少し具体的におっしゃっていただきたいと思います。特に資源は、いま石油資源にいたしましても、また食糧、あるいは海洋水産物資源、非常に世界的に危機がうたわれつつあります。特に日本はこういう資源がない国でありますから、こういう中で日本経済はどうあるべきか、その点をお伺いしたいわけです。特に、結局先生が言われた、公害が非常に多いということも、やはり資源がない、だから原料を輸入して日本で製造して外に売る、残るのはその残りかす——公害ということに、ある程度やむを得ないというふうな形で、こうできてきておるわけです。だからと言って、今度は生産を——要するにある程度の製品にまでして日本に輸入するとなれば、今度はその生産しておる地域にまた公害を日本の企業がつくるという形が出てくる。非常にそういったジレンマを私どもは感じるわけですね。資源不足のこの日本列島、これをどういうふうに、福祉という面から、いわゆる福祉経済、福祉社会をつくる場合に資源のこれからの不足をどう考えるか。そこで国際分業ということも出てくるかと思いますが、その点を少し具体的にお伺いしたいと思います。  もう一つは、ドルの問題を見ましても、やはりアメリカに大きな影響をいつもされておる。このアメリカ経済からの脱却を具体的にどういうふうにしていけばこれができていくのか。今度のいろいろな通貨会議等を見ましても、結局私の個人的なあれになるかもしれませんが、要するに全部アメリカによって日本が大きくゆれ動いておる、こう思うわけです、輸出の問題にしても、すべて。このアメリカ経済からの脱却、まあ安保体制ということがあるからかもしれませんけれども、それだけでなくていろいろな問題があると思いますが、その点どうお考えになっているか。その二点。
  33. 長洲一二

    公述人(長洲一二君) いまの矢追先生の御質問でございますが、先ほど、私、資源配分と申しましたが、ちょっとことばの使い方が正確でなかったかもしれませんが、私が先ほどお話の中で資源配分と申しましたのは、いわゆる天然資源その他だけではございませんで、金、物、あらゆる経済力全体の配分のことでございます。それをもう少し産業より生活へと、総需要の中で個人消費の比率を高めろと、こういう形で申し上げました。その点ちょっと補足をさしていただきます。  御質問は、狭い意味の天然資源の問題だと思いますが、御指摘のように、私はやはり今後環境と資源、これがやはり経済を考える場合に必ず押えなければならないものさしになってきたというふうに思います。そういう点で、日本の場合には、私は言って見れば日本の産業構造はよく総花的というふうに申しますけれども一つには全業種網羅型でありまして、あらゆる業種を全部持っております。これは、おそらくこれくらい全業種網羅型である国は、アメリカとソ連と、それからEC規模のヨーロッパ、要するに大陸国家だけでございまして、それから、もう一つ総花型と申しますのは、いわば一貫生産型とでも申しましょうか、買うのは資源だけ、そして一次加工から最終製品まで加工は全部する、そして製品を売る、こういう一貫加工型でございます。日本人は資源がないから、資源を買ってきて、ここで加工をして、輸出をしてめしを食う、そういう加工貿易立国が当然だというふうに信じ切っておりますけれども、私はそれは日本人だけがそう考えているわけでありまして、国際的には通らなくなってきたというのが最近の大きな問題だと思います。  これは、日本がこれだけGNPが大型化し、大型化した勢いで国際化してまいりますならば、先ほど申しました全業種網羅型であればあらゆる国とぶつかります。一貫加工型であれば、特に工業化を志している低開発諸国、発展途上国とぶつかる。こういう非常に外とぶつかりやすい体質に日本の総花的産業構造がすでになっている。そういうことでございまして、この円の問題は同時に通商問題であり、通商問題は同時に産業構造の問題である。この産業構造をどう再調整するかというふうに考えなければ、この通貨問題というのは、私は、最終的には決着がつくまい。そんな意味で、円問題は同時に日本の産業構造の転換を要求している問題だと、こういうふうに問題を受けとめるべきだと思います。  そう考えますと、先ほども触れましたように、世界じゅうから天然資源、特に鉱物資源、枯渇寸前である鉱物資源をいままでのテンポで買ってくると、こういう構想の日本経済発展計画は成り立たないと思います。最近、御承知のように、産業計画会議といったような財界人でさえ、そういうことについては不可能だと言い始めているわけでごごいまして、まあ、そういう点で、資源多消費型の重化学工業、明治以来百年の道は終わった。新しい国際分業の中での産業構造をどうつくり上げていくか。それにはいままでとは違った路線が必要であろうというふうに私は感じます。そのことは、しかも同時に、日本自身が、先ほど申しましたように、すでにGMPでことしは四千億ドルでございますから、ここまできた段階では、産業構造はいままでとは変わらざるを得ない。資源問題からしてもそうでございます。そうした資源面での制約からする転換と、国内の需要構造の内需、消費中心のそういう転換とが、需要と産業供給の面で見合うような路線が私は考えられるというふうに考えているわけでございます。具体的なお話ということでございますが、なかなか具体的には切りがございませんので、抽象論でございますが、その程度にさせていただきます。  最後の御質問、アメリカからの問題でございますが、私は、本日は特に、日本経済の福祉経済への転換という角度で申しましたので、私はやはり外圧、内因一体、表裏一体という面を強調いたしました。しかし、同時に今日の通貨問題が、米ドルがしょっている病気を、アメリカ自身が手術台に乗らずに、他国を手術台に乗せているという点に根本の問題があることは言うまでもございません。アメリカの国際収支の節度がいまのような状態であり、しかも、過剰ドルが残っている、この処理もつかない、こういうままの状態であれば、私は、国際通貨につきましては、かなりまだこの数年間は激動すると思います。今回の総フロート時代、これは要するに、問題が残ったということを世界じゅうが確認しただけでございまして、そういう点でまだまだ通貨問題に象徴されるこの問題というのは終わらないと思います。  しかし、大きな流れといたしましては、すでにヨーロッパ共同フロートのように、ドルからの脱却の方向がいろいろな形で出ておりますし、また、あるいはSDRを強めるとか、それと第三世界との関係とか等々という形で、ドル体制に依存する時代というのはやはり終わったという認識がまず前提になければならないかと思います。私は、−端的に申しまして、いろいろやりましても、この一千億ドル近いといわれる過剰ドルがあばれ回っているこういう状況を考えますと、もうIMF体制は死んだと、ドル体制はもうすでに過去のものであると、こういう認識の中で新しい方途を、活路を考えていくと、そういう決心がまず先行いたしませんとぐあいが悪いのではないかというふうに思います。そうした点でのいろいろな模索は、いろいろな形で専門家たちの間で行なわれているかと思います。  ただ、EC通貨と違いまして、円が多少心配なのは、円は強いと申しましても、たまたまいま強いだけでございまして、全くのローカルカレンシーであることば変わりはございません。そういう点では、諸外国の準備通貨になり得ない通貨でございまして、強い円は突如弱くなるかもしれません。そういう点で、この七〇年代、あと数年間かけまして、もう少し円のいまのような強さではない強さをどうやっていくか。それには東南アジア貿易、あるいは貿易についての通貨の建て値のきめ方とか等々、かなりくふうをして円の基盤をもう少し強くしていく、そういう方向が考えられるのではないかと思います。  不十分でございますが、この程度にさせていただきます。
  34. 小山邦太郎

    小山邦太郎君 関連して。  いまの円の問題は産業構造につながると、ごもっとものお話だと思います。その構造はどういうふうに持っていけばいいのか。素材だけをこちらに持ってきて、あとはピンからキリまで最後までやるということは、これはどうももう通用しない。しからば、第一次、第二次ぐらいまで、あるいは物からいえば、重工業は別として、軽工業などはもうむしろ向こうへ出かけてそうしていくのでなければ、仕事はなくなった、一億の民はこの中に住んでおるというのでは、これは口では構造改善なんということは楽だけれども、なかなかできないと思うのです。そうすると、国際的にも、先ほどのお話に、アジアのほうに大いに思いをもっと移さなければいかぬと、もっともだろうと思います。それにはどういうふうにやっていくか。やはり技術も持っていく、人も行って、向こうもよければこっちもよいというような考えを起こさないとやっていけないのじゃないか、日本が。人のこともそうだけれども、こちらがやっていけなくなる。しかし、こちらのこときり考えてはおられない。相手のことも考えなければならない。相手の生活水準を上げるために行く。そうして向こうと合弁ででも何でもどんどんやるというような、向こうの文化水準を高めるために、こちらも進んで協力をするというような体制をつくることが大事ではないかと思うのですが、いかがですか。
  35. 長洲一二

    公述人(長洲一二君) 私は、おっしゃるとおりだと思います。日本の産業、あらゆる全業種網羅型と申しましたけれども、その中で、ある部分を漸次国際分業という関係で他国に譲っていく、そういう発想がやはり必要ではないか。もちろん、これはおっしゃるとおり一挙にはまいりません。しかし、そういう方向で既存の産業をそのまま温存し、保護するというのではなくて、ある部分、それがどの部分でありますか、ある一次加工の部分、あるいは最終労働集約的な部分、そういったようなものかもしれません。その中の具体的な業種その他はもうすでに部分的に出ておりますが、こういうようなものを次第に譲っていく。そうして有無相通ずるような形にしていく。そういうことをやらない限り、私は、必ず日本の発展はそのまま外でのトラブルのもとになるというふうに思います。そういう方向にやはり経済構造を切りかえていく。  そのためには、製品の輸入について、そういう発展途上国からのものについてはもっと優遇をするとか、そういうようなことも必要でございましょう。また、転換のための国内での保護の施策ではなくて、転換の施策をかなり精力的に考えられなければならない。そのためのポイントは、私は、やはり労働力の移動と、それから再訓練が摩擦なしにできるような施策が考えられなければならない。そういったようなことを組み立てることが、私は福祉経済への転換の大きな柱だと思います。まあ、そういう中で産業構造の転換という仕事でございますから、これこそ号令をかけて来年からできるということではございません。おそらく私は、七〇年代一ぱいかけて、しかし、大きな展望を持ってそういう再編成ということを意識した施策が行なわれるか、あるいは、いろいろ困るから、ただ助けてやるという施策をやるかで、五年後にはものすごく変わってくるだろう、こんなことを私としては考えておるわけでございます。そのくらいでよろしゅうございますか、まだ幾らでも議論はございますが……。
  36. 上田稔

    上田稔君 長洲先生にお伺いをいたしたいのですが、予算案につきましての御意見を承りましたのですけれども、この中で、公共事業というものを生活別と産業別に分けて考えろというお話が出ておりました。この産業別、生活別といいますが、公共事業はほとんどが生活に最も関係が深いのであって、産業に関係の深いものというのは、ごくわずかなのではなかろうかと思うのです。先ほどガソリン税を福祉に回しなさい、こういうお話が出ておりましたけれども、たとえば道路というのは、これは何といいますか、生産をしたものを消費、つまり生活のほうに使うところに持っていくためのものが大部分が道路でありまして、生産をするための道路というのはあまりないのであります。そういうようなことを考えますと、ほとんど生活別に属するものになるんじゃないか。  まあ、生産別、産業別というものは、たとえば臨海工業のように港をつくるとか、工業港をつくるとか、あるいはまた大きな何といいますか、港であって、これは外国から資材を持ってくる。そして、つくったものを外国へ運び出す。これはまあどちらかといえば産業別かもしれないけれども、そのほかのものは、道路に至ってはほとんど私は生活別に属するんじゃなかろうか。そのほかのものは、これはほとんど生活をよくするためのものであって、決して私は、生産を上げるために重点的にそれがやられているものではない、こういうふうに考えるんです。したがって、私は、公共事業というものは、もっとやはり福祉とともに上げていかなきゃいけないのじゃなかろうか。特に日本においては、欧州あたりと違って、最近に至ってようやく公共資本というものがふやしてもらうことができるようになってきて、そうして、公共施設というものがやっと少し完備されかけできたところである。このときにおいて、いや、もう方向転換して、そういうものはやめて、そうして福祉関係でも特に、何でしたか、病院じゃなくて、保健所をつくれと、こういうお話が、これは例でございますけれども、出ておりましたが、そういうようなことになると非常な混乱を生ずるんじゃなかろうか。まあ、欧州のように、もう道路もでき、下水もでき、上水道も完備され、人口も変化がない、こういう場合においては、そういうことはだいぶなくなってまいりますので、英国あたりも病院にうんと重点を置く、こういったような考え方もわかりますけれども日本ではちょっとその点はどうかと思うのですが、それに対する御意見はいかがでございましょうか。
  37. 長洲一二

    公述人(長洲一二君) これはおそらく人によって意見が分かれるところかと思いますが、確かに、あらゆる道路ですね、あるいは港にしても何にしてもそうでございまして、最後は人々の生活に役に立つ、こういうことになると思うんです。そういうわけで、結局、成長していけばいつかは福祉に回ってくる、こういう議論に通ずるのではないかと思うんですが、私は、そういう形でいままでかなり産業用の——産業用といいますか、港湾から、道路から、コンビナート建設から、そういう社会的な公共的な生産手段に対する公共事業費の割合というのは、日本はものすごく高かったと思います。いま比率の数字は持っておりませんけれども、この公共事業費の割合は非常に高いです、日本は諸外国に比べまして。この十数年来非常に巨額の公共投資をやっております。その結果が今日になったということでございまして、そういうところから考えますと、私は、産業用の投資が結局は回り回って福祉につながるという論理だけでは処理しきれないというのが現状ではないかというのが、私の一般的に申し上げたいことでございます。  特に、この道路の問題でございますが、これはひとつ、私の仮説でございますので、皆さん方でいろいろ御意見を戦わしていただきたいと思いますが、私は、あえて、道路は全然要らないと言ったわけじゃございませんけれども、市町村段階の道路と国道、特に、高速道路という関係ではやはりアンバランスがあって、そして、そういうところをいまのように大規模にやっている限り、おそらく交通問題は解決しないだろう。道路と車についてどういう態度をとるか、ここらでかなり根本的に考え方を変えるか検討、少なくとも検討してみませんと、道路をつくったから問題が解決する、交通難が解決するというようなことはないのじゃないかと思うのです。そういう点で、私自身は、道路投資について、特に高速道路の投資についてはかなり再点検してしかるべきときにきているのじゃないかというふうに考えるわけです。  もちろん、いろいろな道路は生活にも直接、間接に関係いたしますけれども、しかし、私が先ほど道路より保健所をと、かりに例として申し上げましたのは、道路をやるというのでセメントも上がり、地価も上がり、みんな上がっているわけでございます。そういうところをやれば需要効果としても効果がないのみならず、車文明と今後の総合交通政策に対して、基本的な姿勢がますますぼやけてくるだろうということと、それからもう一つは、もし、保健所というのはその例でございますけれども、全国にある保健所を全部近代的な設備につくり直すというのでございましたら、かなり公共投資として需要効果もあるのみならず、土地問題は一応解決しているわけです。そして、そこに非常に進んだ設備を、医療設備等々をやれば、そちらの産業が伸びるであろう。そういういわば知識集約型の、技術集約型の産業が今後伸びていくというのが、一兆ドル経済へ目ざす日本の産業構造を誘導する、需要の面で誘導する大きな手がかりになるであろう。そんなことも考えまして、一つの例として、もちろん道路を全然やめろという主張ではございませんが、道路か保健所かというチョイスをひとっここらで一ぺんみんなが真剣に考えてみる必要があるのではないか、こんなような意見を申し上げたわけでございます
  38. 田中寿美子

    田中寿美子君 ただいまの問題に関係ありますのですけれども、初めに長洲先生に、日本予算の編成のしかたを、日本経済全体を、福祉型の経済に切りかえていくためには非常に発想の大きな転換が必要だと、それには予算編成も根本的に方針を変えなければいけないというお話は、そのとおりだというふうに私は思うのですけれども、それで、国民生活に基礎的に必要なものについての公共性ということを私たちは主張しているわけで、たとえば主食、それから医療費、教育費、住宅費、交通費、それから福祉関係ですね。そういったようなものへの投資といいますか、公共サービスなんかもその中に、そういうものでまかなっていくと、そういうふうな方向に転換させなければいけないということはよくわかるのですけれども、先ほど先生もおっしゃいましたように、現在の日本の機構は、縦割りの行政機構の上に乗っかって予算も提出される仕組みになっております。   〔委員長退席、理事西村尚治君着席〕 で、立法機関というのは、その行政のつくったものを審議するという形になっているのですね。それで、その予算の組み方自体を根本的に変えないと、はたしてそういうことが可能なのだろうかどうだろうかというふうに思うわけです。もちろん、それは少しずつ修正していくということはできるかもしれないけれども、はたして、たとえばことしの社会保障関係費は非常に多くなったと政府が説明しますけれども、やはり全体の中に占める比率は、昨年よりは伸び率が少し多くなっただけであって、予算全体に占める比率は変わらない状況ですね。これを繰り返しておりますと、ほんとうにそういうふうな福祉型の経済に変えることが非常にむずかしいように思って、非常にジレンマを感じるわけなんですね。で、それは一体どういうふうにすれば可能だろうかということが一つです。  それからもう一つは、GNPがいま四千億ドルと、で、欧米諸国——先進諸国では、そのGNPに対して六〇%ぐらいまでは福祉型の経済の使い方をしている。じゃ、一体幾らぐらい日本で考えたらいいのかということなんですけれども、私は、日本のGNPが非常に大きくなる、ふくらんでいく中身には、たとえば公害がどんどんふえて、その公害対策費を含んでいくとか、あるいは病人がどんどんふえているので病院へ行く人もふえる、それも入っていますし、それから、まあむだな飲み食いみたいなもの、交際費みたいなものも入っていると思うのですね。そういうものを全部含めて、GNPが大きくなっていく中で、そのGNPに対して、どのくらい福祉型というものを考えたらいいのかということをお教えいただきたいんです。  それから稲川先生のほうに。中小企業が使える資金が少ないというお話がありましたですね。特に海外経済協力の予算がないというふうに言われたのですけれども、四十八年度千二百何十億か計上しておりますね。その中で、六百九十五億でしたかが財投資金なんです。財政投融資の中から出る海外経済協力基金なんですね。これがまだ、第四・四半期に入って、二月現在でも、四十七年度で六百十億あったんですが、そのうち四十億しか使っておりませんでした。それから、その上に前年度からの繰り越しが二百億以上あったわけです。そのまま今度は、四十八年度にうんとたくさん繰り越しがいくような予定になっていますね。そういうことを考えますと、資金のほうはあるわけなんです。どうして中小企業に対してそれが使えないのか、その隘路がどういうところにあるとお思いになるのか、それをお聞かせいただきたいと思います。
  39. 長洲一二

    公述人(長洲一二君) 田中先生の御質問、いろいろ多岐にわたっているかと思いますが、一つは縦割り予算の組み方といったような問題でございますが、これは、たとえば例として考えますと、環境庁、あれの実際の姿はどうもよくわかりませんが、あれはつまり横割りに新しくつくったものじゃないかと思うのです。ああいうようなものをもっと考えられないかということでございます。  まあ、少しことばは悪いのですが、日本の行政組織は、大体生産者団体の上に行政機関の部局が乗っかって省になっていると。産業分類表を並べてみると役所の分類表となると、そういう形で、大体メーカー、生産者団体の利益の代弁を行政組織がやっていると、そして議員の先生方がその中間で媒介をなさっているというような形に、つまり利益集団型民主主義に組織化されている。それがよく機能した面もあったかもしれませんが、いまや、私は全体として時代の要請にそぐわなくなって、硬直化してきたというのが今日の姿ではないかと思うのです。そういう点で、行政機構を横割りに——生活ということになれば、あらゆるものが関係するわけでございますから、横割りのものに考えられるような、そういう機構をつくっていただけないか。私は、環境庁はその一つだと思いますが、なぜ国民生活省とかなんとかというのができないのか。それをやりませんと、私は、公務員、官僚の方々は有能で、まじめで熱心であればあるほど全体はセクショナリズムになっていくということになると思うのです。また、例によって書生の評論になって恐縮でございますけれども、これは国民の声もそういうことを望んでいるんだろうと思います。窓口を一本にしてくれと、生活に関しては。こういうことでございます。そういうようなものをつくっていただく。それは私は政治家の先生方にお願いしたいことでございます。  それから、いろいろ初めのほうで御指摘の主食とか最低限必要なものということでございますが、私、ちょっと先ほど申しましたように、国家とか財政とかの機能は、公共的なもの、個人個人がマーケットへ出かけていって、自分のお金で満たすことのできる個人的、私情的欲求以外の欲求ですね、公共的欲求。これを満たすというのが、私は広い意味で国の責任だと思います。そのために、まあ経済学では、昔から、国防とか治安とか消防とか、そういうものは当然全体でやるんだと。したがって、そういうのは赤字とか独立採算制など論じたことはなかったわけでございます。  ところが、現代では、だとすれば、警察や消防も公共的なニーズであるならば、なぜ医療が、なぜ教育が、なぜ、場合によっては最低限必要な国民の足が、水が、ガスが、電力が公共的でないのか。個人では満たせないもの、こういうものにつきましては、歴史的に考えましても、教育なんかは初めマーケット原則でやっておったのが、だんだん公共的になってきて、いまや文部省が赤字会計だと言って騒いでいる人はいないわけでございます。同じようなことば、私はだんだん広げて言えるんではないか。そういう点で、どこまで広げられるか。すべてを全部国がまかなうという、無料にするという方式はいまとれませんけれども、ナショナルミニマムとしてどこを押えるべきか。それについては、もっと段階的な公共料金政策を二段がまえにするとか、こういったようなことは私は考えられるのではないかというふうに思います。  産業界でも、最近の新聞によりますと、たとえば、従来は産業用大口電力を安くしておりましたが、今後はそちらを上げる、家庭用の電力は安くする。それもおそらく段階をつけるでございましょう、ミニマムと。ミニマムをこえて家庭が使う分はたっぷりいただく。こういったような公共料金政策について、シビルミニマム、ナショナルミニマムに基づいた新しい発想がありませんと、いまのいろいろな、国鉄から健保から、その他等等の赤字問題というのは、そういう点で考え方を変えていきませんと、イタチごっこで切りがない。何度でも言いわけをしながら上げていかざるを得ないという結果になってしまうんじゃないか、こんなふうに思います。  それから三番目の御指摘は、GNPのお話でございましたが、先ほど、私はそういう点で、フローの観点よりもストックと分配の観点に目を移していただきたいと申しました。フローとしてのGNP、これは分配とか平等とか、中身の質でございますね。先生言われたように、実際交通事故がふえればGNPはふえるわけです。こういったようなわけで、平等や質の問題には、GNPというのは盲目なんでございます、このものさしは。これは、経済学者はそういうことを一応承知して使っておりますが、一般にはあまりにはやり過ぎましたために、何かGNPが大きくなれば、当然福祉が大きくなる、こういうような錯覚が生じております。  これは、俗にはパイの理論でございますが、パイが大きくなればみんなが食べる分が大きくなるというわけでございますが、しかし、パイは大きくなりましても、ナイフの入れ方、すなわち分配の問題が問題でございますし、このごろのように、パイは大きくなったけれども、味が落ちまして、ときどき毒が入っているというのでは困るわけでございまして、そういう点で、分配とストックをどう配伍するか。実際、私は大げさかもしれませんが、われわれ現世代は、一体、日本をこれだけ荒らし回って子孫に何が残るだろうかという点で、非常に何か、教師としても、深刻なうす寒い気持ちさえ持ちます。そういう点で、ストックと分配の問題、この問題を考えるべき時期に来ている。しかも、先ほど申しましたように、GNPのスケールで考える限り、分配の構成がかなりうまくいけば、私はそれほど高い成長率、それほど大きいGNPの伸び率がなくとも、日本人ばかなりハッピーであると、そこまで来ているというふうに思います。そういう点で、主力を、ストックとぜひ分配に眼目を移していただきたい。  そういう点で、私どもの反省でもありますが、いろいろ、来年の成長率は何%、あるいは五年先は何%、こういう政府の経済見通しというのも、そういうことでございますが、極端に言えば、私はその発想をやめたほうがいいと思います。何%であるかはあとで考えれば、結果として出てくればいいことでございまして、まず重点を、何をやるか、これをやってみれば大体五%になります、八%になりますということではございませんでしょうか。ここまで来ましたら、私は漸次スピードを落とすことを考えてよろしいんじゃないかと思います。いままで日本は、やはり一ぺんにはなくなりませんが、大体アクセルばかりでございましてブレーキがございません。ブレキーがある車が一番安全な車でございます。やはり一〇%以上伸びないと不況感がわくというのは非常にアブノーマルな体質でございます。一挙にはなりませんが、この数年のうちにそうした高成長体質を企業も産業も漸次改めていく、そういうことが非常に差し迫って必要になってきている。それをやりませんと、先ほど申しました資源、環境、そして国際問題、あらゆるところで大型化し国際化すればするほど、いわば悲劇的な状況になっていく危険があるというふうに私は感じております。  またまた抽象論で恐縮ですが……。
  40. 稲川宮雄

    公述人(稲川宮雄君) 私に対するお尋ねでございますが、中小企業振興事業団につきまして、海外経済への資金というお話がございましたけれども、振興事業団は、いま海外のほうはやっておりませんので、一般的な資金の繰り越しの問題としてお答えいたしますが、御指摘がございましたように、中小企業振興事業団は、いわゆる高度化事業、高度化資金として、きわめて有意義な資金を出しておるのでございますが、かなりの繰り越し、いわゆるキャリーオーバーというものがございまして、せっかく予算で組んでいただきました資金が残るということは、私どももたいへん残念に思っておるのでございますが、どうしてせっかく予算に組んでいただいたものが残るかという点につきましては、いろいろな問題があると存じますが、一つには、振興事業団の助成率は、ものによって違いますけれども、一般には六五%ということになっておりますけれども、単価の査定その他におきまして、六五%フルに貸してもらえるということは少ないのでございまして、実際は五〇%ぐらいしか借りられない、五〇%は自己資金が必要であると、こういうようなことで、表向きは六五%でございますけれども、なかなか、自己資金というものがかなり必要であるというので、思うように伸びていかないという点が一つあるのではないかと思います。  それからもう一つは、先ほど申し上げた点でございますけれども、この六五%の助成、これはものによって違いますけれども、国のほうが四二%で県が二三%が、まあ普通と申しますか、原則になっておるのでございますが、府県の二三%の負担ということが、県によって違うのでありますけれども、財政力のない県では非常に重荷になっておりまして、むしろ県の段階において断わらざるを得ない、業者のほうで希望いたしましても県のほうで断わらざるを得ないと、こういうことでございまして、事業団のやっておりますのにはA方式とB方式がございますが、A方式といいますのは、事業団から県に資金を出して、県の二三%の金と一緒になって助成する。B方式と申しますのは、二府県以上にまたがるような場合でありますが、県のほうが事業団に資金を出しまして、事業団のほうで助成していくと、こういう方式でございますが、われわれといたしましては、もう一つC方式というものを考えまして、事業団だけでひとつそういう助成をするような、そういうものが必要ではないか。あるいは二三%の県の負担率というものを、もう少し低めていただくということでありませんと、国の予算がつきましても、なかなか県では消化ができない、消化がしにくい、こういう問題がございます。  三つ目の問題といたしましては、土地の問題でございまして、非常に土地の値上がりが激しいために、せっかく団地等の計画をいたしましても、土地の入手ができない。計画にかなりの時間を要しまして、計画をつくって土地の入手をしたいというときには相当の値上がりをしておるとか、あるいはまた、そういう計画が漏れたりいたしますると、土地所有者が足元を見透かして非常な法外な値段を言ってくるというようなことで、なかなか土地の手当てができないというところが、この団地等が思うように進まない点でございまして、この点につきましては、四十八年度予算におきましては、いわゆる土地の先行投資というのを事業団のほうにおいて考える予算化ができておりますから、ある程度、この問題は解決つくのではないかと思いますけれども、それにいたしましても、今日の土地問題というものは、先行投資だけで簡単に片づくかどうか、やはり問題は残るのではないかというふうに思っております。イギリスでありますとか、その他の国でやっております団地政策などを見ますると、団地の造成は国自身がやっておりまして、そしてそれを中小企業に貸していくと、こういう制度がございますので、欲ばった希望かもしれませんけれども、そういう団地の造成そのものを国のほうで、事業団のほうでやっていただく、それを中小企業に利用させると、こういうようなところまでいきまするといまのような問題は非常にうまく解決していくのではないかと、こういうふうに思っております。  以上、お答え申し上げます。
  41. 西村尚治

    ○理事(西村尚治君) ほかに御質疑のおありの方はございませんか。
  42. 田中寿美子

    田中寿美子君 一つ残っているんです、海外経済協力基金のことで。  先ほど、海外経済協力基金のことをおっしゃったでしょう。それで、そのことを私がお尋ねしたわけなんですが、これはたいへんたくさんの繰り越しがあるんだけれども、どういうふうにしたら中小企業のほうにこれが使えるかということ。
  43. 稲川宮雄

    公述人(稲川宮雄君) 海外経済協力基金というのを、私、事業団と間違えまして恐縮いたしました。  中小企業にもそれは使えることになっておると思いますけれども、わりあい中小企業におきましては、そういう資金の使い方というものにつきまして、まだよく存じておりません。まあ、先ほど小山先生からも御指摘がございましたように、今後やはり中小企業は相当海外に進出していかなければならない。それは自分たちのためというよりは、やはり現地の幸福のために、発展のために、もっと中小企業が進出していかなければならぬということでございまして、これからはそういう進出もますます多くなってくると思いまするし、またそういう資金の使い道も出てくるし、また使っていかなければならないと思っておりますけれども、従来は、あまり中小企業といたしましては、そういう資金の使い方につきまして十分知らない、また現地の事情等にも暗いために、出ておるものもございますけれども、中小企業単独でなかなか調査等もできないために、まだ十分な進出ができていないと、こういう事情であろうというふうに思っております。
  44. 西村尚治

    ○理事(西村尚治君) よろしいですか。——それじゃ、ございませんね。  それでは、質疑はこの程度にいたしたいと存じます。  お二方の公述人には、長時間にわたりまして貴重な御意見を拝聴させていただきまして、まことにありがとうございました。厚くお礼申し上げます。  明日は、午前十時、公聴会を開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後二時五十八分散会