○田中寿美子君 私は、
日本社会党を代表して、ただいま
提案されました
政府の
厚生年金法の一部を
改正する
法律案に対し、野党四党共同
提案の
改正案を支持する立場から、総理大臣をはじめ関係閣僚に対して若干の質疑を行ないたいと存じます。
政府は、一方に長年の自民党
政府の伝統である生産第一主義の経済政策を掲げながら、他方において
福祉型経済への切りかえを目ざすもののごとき言辞を弄しております。
さきに発表されました
経済社会基本計画には、「活力ある
福祉社会のために」と、サブタイトルがついているほどであります。しかし、単にことばをもてあそぶのではなく、真実に
福祉の
実現を目ざしているのであれば、今回の
政府提案の
年金法
改正案は、大幅な軌道修正を必要とすると考えます。
現在、国際通貨危機の中にあって、
日本は、経済大国と呼ばれる経済力にふさわしからぬ
労働者の低
賃金、長時間労働などによるダンピングを非難されているばかりでなく、低
福祉による
社会保障ダンピングの非難すら受けているのです。これまで勤労大衆の犠牲においてドルをかせぎまくった
日本政府は、いまや、いわゆる外圧によって国内の勤労大衆の
賃金、労働条件
並びに
社会保障について先進国並みに
引き上げるように政策転換を余儀なくされているのであります。総理は、はたしてこの状況についての認識を正しく持っていられるのでしょうか。私
たちはこの際、
憲法で保障された
国民の生存権、
生活権、幸福追求の権利を
国民のものとするために、
政府の
政治、経済、社会政策路線の
福祉型への転換を徹底的に要求いたします。
そこで、まず私は、
政府の
社会保障についての基本理念を問いたいと思います。田中総理は
社会保障というものをいかに解釈していられますか。
憲法二十五条では、国が
国民に対して
社会保障、社会
福祉を保障することを義務づけています。一体、
社会保障の基本理念はいかなるものでしょうか。私の理解では、第一にかつて
家族制度の中で保障してきた
国民の
生活、教育や病気の治療、年寄り、子供、不幸な者への世話などが急速な産業化の進展の中で
核家族化が進み、個人の力ではささえ切れなくなっていること、そのため個人や個々の家庭にかわって社会全体がささえる
制度をつくることが
社会保障制度であります。言いかえれば世代同士が孝行をし合うこと、相互扶助をすることであると考えますが、総理、あなたはこの原則をお認めになりますか。また国家
財政の最高責任者である大蔵大臣や
社会保障の直接担当者である厚生大臣のお考えはいかがですか。
右の原則に立てば当然のこととして、第二に
社会保障の三つの柱、すなわち
所得保障、
医療保障、社会
福祉制度を根幹として、国がすべての
国民の
生活権と生存権を守る義務を引き受け、そのための
制度を計画的に立案し実行せねばならないことになります。この場合、国が、と私が申しますのは、総理、あなたのポケットマネーを分けていただくという意味ではないのはもちろんで、国とはすなわち
国民であり、
社会保障に支出される国費は
国民の汗とあぶらの結晶の税金や社会保険の掛け金であります。すなわち、
社会保障とは
所得再配分のための政策であります。高額
所得者はその
所得に応じた税金や拠出金で、そして
所得のない者、労働の不能の者は、拠出しなくとも
社会保障によって生きる権利を全うするということにならねばなりません。とりわけ
年金制度は
所得保障制度ですから、
所得再配分の機能を最高度に発揮すべきものであります。この原則に総理は御賛成いただけますでしょうか。衆議院において、総理も厚生大臣も、繰り返し拠出金のいかんにかかわらず一様に五万円
年金を保障するのはきわめて適切を欠くと答えていられます。このような思想に立つ限り
社会保障は
実現いたしません。いかがですか。
第三に、
社会保障制度は、また完全雇用と真の最低
賃金制及び定年制と
年金制との結合を前提条件としなければ、その意義を失うことを指摘したいと思います。すなわち健康な
国民にはすべて職業が与えられること、その職業で得る
賃金や
所得は、
憲法二十五条でいう健康で文化的な最低
生活を営むに足る金額以上でなければならないこと、さらに定年制と
年金制とが結合し、その間にギャップがなく、老年の
生活が保障されることが必要であります。この前提条件のもとで、一たび老齢や疾病その他の理由で労働不能となったとき、
社会保障によって国が保障するのでなければなりません。
労働者が今春闘で、定年制の延長や
年金制度の要求を高く掲げているのもこの意味からです。労働大臣は
労働者の
生活権を守る立場から、この点どのように考え、厚生省に対し、また閣内において、これらの点でどのような協議や要求をされておりますか。
社会保障に関するILO一〇二号、一二八号条約の批准などについてもどのように努力していられますか。また、厚生大臣はこれらの点で労働大臣と協力し、その
実現をはかっていられますか。
以上三つの原則が
社会保障の基本理念であると考えますが、総理
並びに関係閣僚は、これらの原則に立って
社会保障を
実現しようとする意欲がおありになりますか。それとも、あくまで保険主義の立場で、
年金や医療保険、
福祉制度などを、単に
資本主義経済の破綻を補完するものと考えられるのですか。根本姿勢にかかわることでありますから、明確に態度を示していただきたい。
以上のような基本理念に立って、私は、今回の
政府の
年金改正法案について、
老齢年金にしぼってお尋ねいたします。
今回の
年金改正法案は、
所得保障制度としてはきわめて不十分であり、
国民の
老後の不安を一向に取り除きません。そこで
政府案に対し、次の諸点を根本的に改めることを要望いたします。
第一には、
年金だけで
老後の
生活が送れるようにせよということであります。
政府は、
年金をあくまで、長年にわたって積み立てた
積み立て金を受け取るべきものとする保険主義に立っており、すでに五万円
年金がまぼろしの
年金であることはよく知られています。
国民年金では、事実上
昭和六十六年から初めて四万円
年金となることも、
老齢福祉年金では、三年後にようやく一万円となることも知られております。これらは、いずれもこの
物価高のもとで
生活できる金額ではありません。
これで見ると、
政府は、
年金を老年期における他の
収入に対する補完的な
給付という考えに立っていることがわかります。それでは、老年期における
年金以外の他の
収入とは何でありましょうか。今日、人々は定年退職後、退職金を食いつぶすか、これまでの六割か七割の安い
賃金で再就職するか、親族の補助を受けるかして、少額の
年金と合わせて
生活することを余儀なくされているのであります。これはいたずらに老齢者を不安におとしいれるものであり、私は、
年金だけで暮らせるように、直ちに今年度から
改正の必要があると思いますが、いかがですか。
かりに
政府が保険主義をあくまで固執するとしても、保険方式だから
老後保障ができないというものではないことも、ここに指摘しておきたいと思います。
年金に関しては、西ドイツもフランスも保険方式をとっていますが、現在みなその年の
年金保険の拠出金額をもってその年の老齢者の
年金給付に充てる
賦課方式をとり、暮らせるだけの
給付を保障しております。したがって、
賦課方式を採用して
年金だけで
老後が暮らせるようにすべきだと思いますが、この点いかがですか。
第三に、
政府は、そのような暮らせる
年金にできないのは、
日本の
年金制度が未成熟であるからであると
説明し、今後三十年以上の後の
昭和八十五年ごろまで、
制度の成熟するのを待って
賦課方式に移行すると言っております。今日、
老人問題が緊急であるとき、
年金制度が未成熟であることは致命的欠陥であります。
老人は待てないのです。いまや積極的に
年金制度の成熟化をはかる努力をすべきときであります。
欧米諸国の
年金成熟係数、すなわち被
保険者に対する
年金受給者の比率を見ますと、西独二二・三%、スウェーデン一八%、イギリス一九%、アメリカ一九%でありますのに、
日本は
厚生年金において二・七%、被
保険者二千三百万に対して
年金受給者六十五万にすぎません。
国民年金において一・六%、被
保険者二千五百万人中わずかに三十八万人にすぎません。
なぜ
厚生年金制度発足後三十年を経ている
日本において、かくも未成熟なのでありましょうか。試みに四十八年度の
年金歳入額をとれば、
厚生年金で一兆八千五百七十一億、
国民年金で三千五百五十七億、計二兆二千百二十億にものぼります。これに対して
給付額は、両
年金を合計しても五千億にすぎず、これは今年度
積み立て金の利子
収入五千四十億をもって支払っても、なお余りのある状態です。なぜかくも
年金の
給付が少ないのでしょうか。
政府はその原因がどこにあると思われますか。
一つには女子
労働者などの掛け捨てが多いこと、二つには
わが国の
年金制度が皆
年金と称しながら、申請主義で
任意加入の
制度であったからでありましょう。また、中途からの
加入者に対する経過
措置がきわめて不十分であったこともその理由と考えられます。そこで、
年金制度を持たなかった事業場における過去の勤務を
計算に入れる経過
措置を
導入すること及び
国民年金の十年
年金、五年
年金制度に対して思い切った優遇
措置を講ずることが必要であります。
政府は勇断をもって野党
提案のような
措置を講ずべきだと思いますが、いかがですか。
なお、
老齢福祉年金を野
党案のように思い切って大幅に
引き上げること、六十七歳から六十九歳のいわゆる谷間の
老人のために
福祉年金を
適用することも考えていただきたいと思います。
第四に、
年金の
給付水準を大幅に
引き上げ、
物価スライドでなく、
賃金スライド方式をとることが緊要だと思いますが、この点について
政府案を変更する意思はおありになりませんか。
今日の
インフレ下、老齢者、
年金生活者は
生活苦にあえいでいます。私は、最近一通のはがきを未知の
老人から受け取りましたが、それには、
厚生年金を
昭和十七年からかけ続け、四十年に退職、その後再就職して四十二年までまた掛け金をしました。現在、
年金月一万六千円を受け取っています。これが倍になっても老
夫婦の
生活のかてにはなりません。
物価高の今日、老
夫婦でも月五万円はぜひ必要です、と書いてありました。
政府の
年金をまぼろしの五万円
年金としないためにも、今年度からすぐに野党
提案のように
賦課方式をとり、その年度の
積み立て金を
給付に充てれば、五万円どころか六万円
年金も可能です。なぜ
政府はちゅうちょするのですか。
さらに
スライド制については、過去十年間
物価は平均五・六%上昇したのに対し、
賃金は平均一五%上昇しています。したがって、
賃金自動スライド制が経済変動や
生活水準の変化には最もよく対応できるものであります。現に公務員共済
年金は
賃金スライド制をとっているではありませんか。まやかしの
物価スライド制や、何の基準も設けていない
標準報酬の再
評価による
スライド制では安心できません。
政府の
スライド制によれば、将来、
国民生活水準と
年金水準とが大きく乖離していく危険があると心配されます。この危険を防ぐために、われわれの
提案のように
賃金自動スライド制に変更されるお考えはありませんか。
なお、
給付の財源
計算については、野党の
計算方式をぜひ参考にしていただきたい。私
たちは、ただ
給付水準の
引き上げのみを叫んでいるのではありません。われわれの六万円
年金構想では、
厚生年金の例をとれば、
保険料率は当分の間
現行どおりに据え置き、
値上げをしないで、労使折半の
負担とし、
国庫負担を三〇%に
引き上げます。一方
給付のほうは、前年度の平均
賃金の六〇%を
最低保障額とし、それに
報酬比例部分を加えることとして、
賃金自動スライド方式で
計算しますと、単年度の
収入で
給付がまかなえなくなるぎりぎりの年度は七年後の一九八〇年、
昭和五十五年度となります。そのときから以後、労使三対七の限度まで事業主の
保険料負担分をふやしていきます。われわれの
計算では、労使三対七となる年は一九八八年、つまり十五年後、
昭和六十六年であります。その年以後、
年金積み立て金の累積額を取りくずしていくという
考え方です。
私があえてここでこのようなめんどうな数字を申し上げましたのは、
政府がしばしば野党は
財政計算なしに
年金給付の
引き上げのみを主張しているかのような批判をされるからであります。ここで特に申し上げたいことは、私
たちは将来、
保険料の
引き上げに一切応じないといった、かたくなな態度を主張しているものではないということです。問題は被
保険者の
負担先行政策をとるのか、あるいは
給付先行の政策をとるのかにあるのです。将来、完全な
年金制度ができたとき、拠出者のコンセンサスを得て
保険料の
引き上げに応ずることもあるかもしれません。私は
国民の納得ずくで
給付と
負担を行なうことこそ民主主義であると信じます。
第五に、各種
年金の格差をなくし、将来の一元化に備えることを要求したいと存じます。
現行制度最大の欠陥は、あまりにも多くの
年金制度が分立し複雑なことです。先ほど引用しました私へのはがきの主に、私は折り返して詳しいデータを求めましたところ、その
老人は今度は封書で、自分の住居地の社会保険事務所に聞きにいったが、
計算がむずかしくてわからない、中央の社会保険庁
年金保険業務課に聞いてほしいと言ってきました。
年金をかけている者だれもほとんどが、今度の
改正で一体幾ら
給付されるようになるかの
計算もできない状態です。
政府は将来分立した
年金制度の一元化と
給付の一元化に向かって改革すべきだと思いますが、このために何らかの方向を出していられるのでしょうか。
最後に、私は、
年金積み立て金の
運用を改め、
年金資金の別勘定を設けることを
提案いたします。
私は、本院予算委員会におきまして、何度か、
年金拠出金が資金
運用部資金に繰り入れられて、
財政投融資資金として、過去に長い年月、
日本の
産業基盤の整備や開発、生産のために大きな役割りを果たしてきたことを指摘してきました。今日ではすでに
年金の
積み立て金の累積額は八兆円にのぼっています。私は、
国民が
生活できる
年金をと叫んでその
給付の
改善を求め、その財源をさがし求めている現在、この巨額の
積み立て金は当然
年金の資金として役立たせるべきものだと主張してきました。
厚生省の試算によれば、
年金の
積み立て金残高は、四十八年度末には九兆九千億、五年後の
昭和五十二年度末には十七兆二千五百億、そして
昭和七十年には百七十五兆三千億、そして
政府の言う
年金成熟化の完成する年、
昭和八十五年には四百十一兆円というばく大な金額にのぼります。しかし皆さん、三十年先に四百十一兆円の
積み立て金を累積することがいかに愚かしいことか。その間じゅう
国民の
老齢年金は、常に
国民の
生活水準とかけ離れ、
インフレで
積み立て金の価値も減価し、しかも、その間じゅう、財投資金として公団、公社、公庫、その他
政府機関を通じて
資本への投資に巨大な資金を提供していく仕組みがはたして正しいことでしょうか。
政府がいかに
年金資金の使途を
国民の
福祉のためにすると強弁しても、財投の仕組み上、一たび繰り入れた資金は一元的に
運用され、
年金資金の回収さえ明らかにならないのです。
私はもうこれ以上、ここで財投の性格を論じる気持ちはありません。ただ、ここで主張したいことは、
年金特別勘定を分離し、その年の
年金の拠出金は、
生活できる
年金の
給付に充てたあと、これまでに貸し付けてきた資金の回収額とともに、
年金のための資金として積み立て、自主
運用すべきであるということであります。厚生省は、
年金を本格的に暮らせる
年金制度とするために、
年金特別勘定の自主的分離
運用に踏み切る決断を持ってほしいと考えますが、厚生大臣いかがですか。大蔵大臣は、財投資金として
年金積み立て金を分離し、手放すことに対して、一番強硬な反対論者であるかとお察ししますが、もはや
年金給付水準の
引き上げ、
賦課方式その他、私が先に論じました
財政方式は今後の趨勢ではありませんか。総理大臣もこの辺で
年金の方式の軌道修正をされる決意を固めていただけないでしょうか。
なお、
年金特別勘定の運営のために、拠出者を
中心とする
年金資金
運用審議会を設け、民主的運営に当たらせることも同時に
提案いたします。
質疑を終わるにあたり、私は、
政府が
政府案を固執し、一歩も譲らないという態度をとられるならば、国会の審議は不要となるということを申し上げたいと思います。今日、
老後の保障は緊急の必要でありますが、それは単に老齢者だけの問題ではありません。若い世代の将来の
負担を軽くするために野党の案はとらないという
政府の口実は、実は詭弁です。
老齢年金の問題は若い世代の問題でもあります。今日、保障のない老齢者をささえねばならない若い世代の個人的な
負担を思えば、若い世代全体が老齢の世代全体をささえるほうがはるかに軽く、安定しているものであり、また、いつでも自分自身が次の世代によってささえられる基礎をつくるものであります。
私は、
政府が真剣に野党の
提案を取り入れることを要望し、私の質疑を終わります。(
拍手)
〔
国務大臣田中角榮君
登壇、
拍手〕