○小林武君 そこで私は、まあ
教育の問題というのは必ずしも
教育の
内容の問題だけじゃない。
教員が
ほんとうに自信持ってやれるためには、条件としての生活の問題、あるいは個人的な個人の
基本的な権利がどうでなきゃならぬかというさまざまな問題が入りますから、そういう点について
教員だからというような
考え方に立たれるというと、
ストライキはだめですというようなこと、これは先ほど来
宮之原質問ではずいぶん詳細な点にわたってやられた。私は、まあこれについてそれほどくどくど言うことはないですけれ
ども、やっぱりこの点は
宮之原質問の中に指摘されたように、最高裁の大法廷で出たこの判決が
内容的に全くくつがえされるようなそういう形で出たということ、これは皆さんも知っているとおり専門の学者の方々もこれはもうたいへんなことだと、こう言って批判されている。これは一々ここで紹介しない。こういうことは、日本のために悲しむべきことなんですよ。私はまあ、大体
教員上がりで、
法律はあんまり詳しくないです、率直に言って。しかし、一年間法務
委員やった。その法務
委員をやってその中で、ちょうど私は、いわゆる裁判官についてやれ何だかんだかという問題がたくさん起こった時期、そのときの訴追
委員をやった。私はしろうとながら訴追
委員として、再々開かれる訴追
委員会で、その訴追という問題に対して日本の司法の危機というものを
感じた。こんなことで一体日本の
——われわれはもうとにかく裁判だけは弱いものもあるいは貧しいものも正当なとにかく判決をしてくれるというある種の安心感を持たないことには、どうにもこうにもならぬという不安感があるでしょう。その中で私は、もう非常な深刻な
感じを持っている。最後は
投票だからね。
投票によって裁判官がその立場を左右される。訴追
委員というものはそういう場合に当面させられる。そんなことで、
二つの大法廷の判決に出された裁判官の数の増減によって、日本の
国民の一体自由がどうでもなる結果に変化するというようなことであったら、これはどういうことになるかということです。
私は、都教組事件の判決というのは非常にりっぱだと、こう思っている。このことは初中
局長も知ってると思うが、私はかなりこのことについてしつこく質問した。たいへんおそれいりますけれ
どもね。私はこの
考え方は絶対間違いでないと思っている。この判決文の「理由」の中に、くどいようですけれ
ども、私は
自分の信ずることのとおりだと、こう思っている。
「
憲法二八条は、いわゆる労働
基本権、すなわち、勤労者の団結する権利および
団体交渉その他の
団体行動をする権利を保障している。この労働
基本権の保障の狙いは、
憲法二五条に定めるいわゆる生存権の保障を
基本理念とし、勤労者に対して人間に値する生存を保障すべきものとする見地に立ち、一方で、
憲法二七条の定めるところによって、勤労の権利および勤労条件を保障するとともに、他方で、
憲法二八条の定めるところによって、経済上劣位に立つ勤労者に対して実質的な自由と平等とを確保するための手段として、その団結権、
団体交渉権、争議権等を保障しようとするものである。」と、こう言っている。また、「
憲法自体が労働
基本権を保障している趣旨にそくして
考えれば、
実定法規によつて労働
基本権の制限を定めている場合にも、労働
基本権保障の根本精神にそくしてその制限の
意味を考察すべきであり、ことに生存権の保障を
基本理念とし、財産権の保障と並んで勤労者の労働権・団結権・
団体交渉権・争議権の保障をしている法体制の
もとでは、これら両者の間の調和と均衡が保たれるように、
実定法規の適切妥当な法解釈をしなければならない。」と、こう言っている。私はこの判決の
見方というのは正しいと思う。先ほど来あなたはかなりこういう点について、これに何か大体似たようなことを言ったけど、これほどはっきりはおっしゃらなかった。持ってないわけだからね。『右のような見地に立って
考えれば、「
公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」とする
憲法一五条を根拠として、
公務員に対して右の労働
基本権をすべて否定するようなことが許されないことは当然であるが、
公務員の労働
基本権については、
公務員の職務の性質・
内容に応じて、私企業における労働者と異なる制約を受けることのあるべきことも、また、否定することができない。ところで、
公務員の職務の性質・
内容は、きわめて多種多様であり、
公務員の職務に固有の、公共性のきわめて強いものから、私企業のそれとほとんど変わるところがない、公共性の比較的弱いものに至るまで、きわめて多岐にわたっている。したがって、ごく一般的な比較論として、
公務員の職務が、私企業や公共企業体の職員の職務に比較して、より公共性が強いということができるとしても、
公務員の職務の性質・
内容を具体的に検討しその間に存する差異を顧みることなく、いちがいに、その公共性を理由として、これを一律に規制しようとする態度には、問題がないわけではない。ただ、
公務員の職務には、多かれ少なかれ、直接または間接に、公共性が認められるとすれば、その見地から、
公務員の労働
基本権についても、その職務の公共性に対応する何らかの制約を当然の内在的制約として内包しているものと解釈しなければならない。しかし、
公務員の労働
基本権に具体的にどのような制約が許されるがということについては」、地公法第三十七条及び六十一条四号が違憲であるかどうかという問題になる。右の基準に照らして、ことに労働
基本権の制限違反に伴う
法律効果、すなわち違反者に対して課せられる不利益について必要な限度を越えないように十分な配慮がなされなければならず、特に勤労者の争議行為に対して刑事制裁を科することは必要やむを得ない場合に限られるべきものであると、この点十分な考慮を払いながら
判断しなければならない。ところで、地公法三十七条、六十一条四号の各規定が所論のように
憲法に違反するものであるかどうかについてみると、地公法第三十七条第一項には「職員は、地方公共
団体の機関が代表する使用者としての住民に対して同盟罷業、怠業その他の争議行為をし、又は地方公共
団体の機関の活動能率を低下させる怠業的行為をしてはならない。又、何人も、このような違法な行為を企て、又は遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおってはならない。」と規定し、同法第六十一条四号には、「何人たるを問わず、第三十七条第一項前段に規定する違法な行為の遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおり、又はこれらの行為を企てた者」は三年以下の懲役又は十万円以下の罰金に処すべき旨を規定している。これらの規定が文字どおりにすべての地方
公務員の一切の争議行為を禁止し、これらの争議行為の遂行を共謀し、そそのかし、あおる等の行為をすべて処罰する趣旨と解すべきものとすれば、それは、前叙の
公務員の労働
基本権を保障した
憲法の趣旨に反し、必要やむを得ない限度をこえて争議行為を禁止し、かつ、必要最小限にとどめなければならないとの
要請を無視し、その限度をこえて刑罰の対象としているものとして、これらの規定は、いずれも、違憲の疑いを免れないであろう。』こう言っている。
私は、このことについて何べんもやったから、あなたたちよく知っているだろう。私は、そういう角度に立った最高裁の大法廷における判決が四年もたたぬうちに、一体こんな雲泥の
相違、そのところにちょっといいところがあると言うけれ
ども、ちょっといいどころの問題ではない。このことはおそるべき逆もどりだと、こう言っていることは肯定されなければならない。私は、そういうものが裁判官の数、賛否の数の移動によって、しかも、その賛否の数の移動の前に、この裁判官は一体けしからぬとかなんとかいうような、訴追にあらわれるようないろいろなことを私は検討してみて、直剣にこれに取り組んでみて、いささか大きな不安を持つ。私は、だから
文部大臣の
スト権に対する
考え方について、一体
スト処分を急げというような、こういう言い方で一体
教員を責めつけていくというようなことが妥当かどうか、私は、あなたはやはり陳謝すべきだと思いますね、その点で。陳謝すべき材料の
一つの中に、もっと前向きにやるべきことを、しかも、この
スト権の問題で長い間いろいろ議論して、いよいよまあ今度根本的な結論が出るだろう。その結論が出るといっても、簡単なものではないでしょう。大体三者の意見がまとまるなんていうことについては、よくよくのことでなければ、完璧にまとまるわけはない。非常な苦労の中において、ものをまとめようとしたら、私はやっぱり
お互いが正しくものを見、日本の現状に合わしたような
見方で解決しなければだめなんだ。今度の場合はそれができなかった。残念だけれ
ども、努力はしたようだ。したようだけれ
ども、私は満足してないからね。だから私はそういう点について
文部大臣としては
スト処分を急げというような、まあ、そう言っては悪いけれ
ども、
文部大臣として、しかも相当いろいろな点で経験ももっている人が言うということについては、私はこれはひとつやっぱり度を越していると思う。この点ではあなたどうですか、断固処分してやれという、そういう行き方でこれからも押し通しますか。そういうことによって、先ほど言う
教員の責任の問題、役人の責任の問題についてどうですか、うまくいくと思いますか。私がまあ、こう見ているというと、役人というのは責任とらぬですよ。あんまり。
ほんとうに責任をとらぬと思う。言いっぱなしだものね。何か起これば、まあ学校の
教員が悪いというようなことで、学校で起こればね。しかし
自分のやったことについて当然とるべきことをやってない。もっともこれは、あさってから始まるあれのときに具体的にやりますから、きょうはやめますけれ
ども、責任を
お互いがとるということ。あなたたちは強力な行政をやったら、行政的な責任、行政的に犯した責任というものははっきり認めて、これは失敗であったということを言わねばいかぬね。それはまああらためてやりますが、あなたはさっき言ったような立場からいって、
教員の
ストというものに対してもう少し弾力的なものの
考え方をするべきだと私は思うのだが、あなたは
ストライキというようなことを言うたら、もうあれですか、徹底的に、日本の教職員
組合を目のかたきにしてやるというお
考えなのかどうなのか。少なくとも、国際的な
一つの先進国並みのものの
考え方で見ていこうとするのかしないのか、そこらひとつ意見を述べてもらいたい。