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1973-09-14 第71回国会 参議院 科学技術振興対策特別委員会 第10号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十八年九月十四日(金曜日)    午前十時四十九分開会     —————————————    委員の異動  九月十一日     辞任         補欠選任      川村 清一君     成瀬 幡治君      瀬谷 英行君     森 元治郎君  九月十三日     辞任         補欠選任      大橋 和孝君     村田 秀三君      森 元治郎君     杉山善太郎君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         渋谷 邦彦君     理 事                 船田  譲君                 辻  一彦君     委 員                 大谷藤之助君                 源田  実君                 斎藤 十朗君                 上田  哲君                 杉山善太郎君                 成瀬 幡治君                 村田 秀三君                 中村 利次君    国務大臣        国 務 大 臣        (科学技術庁長        官)       前田佳都男君    政府委員        科学技術庁長官        官房長      牟田口道夫君        科学技術庁原子        力局長      田宮 茂文君    参考人        日本原子力発電        株式会社技術部        次長       板倉 哲郎君        大阪大学講師   久米三四郎君        東京大学教授   都甲 泰正君        日本原子力研究        所東海研究所原        子炉化学部分析        センター副主任        研究員      中島篤之助君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○科学技術振興対策樹立に関する調査  (原子力安全性及び原子炉設置に係る公聴  会制度に関する件)     —————————————
  2. 渋谷邦彦

    委員長渋谷邦彦君) ただいまから科学技術振興対策特別委員会を開会いたします。  科学技術振興対策樹立に関する調査を議題といたします。  本日は、まず、原子力安全性及び原子炉設置に係る公聴会制度に関し参考人方々から御意見を聴取することといたします。  参考人方々には、御多用中のところ、本委員会に御出席くださいまして、ありがとうございました。それぞれ御専門のお立場から忌憚のない御意見をお述べくださるようお願いいたします。  なお、時間の都合上、お一人十五分程度にお願いすることとし、その後各委員からの質疑の際十分お答えいただくようにお願いいたします。  それでは、まず、原子力発電株式会社技術部次長板倉哲郎君にお願いいたします。
  3. 板倉哲郎

    参考人板倉哲郎君) 原子力発電会社技術部に勤めております板倉でございます。  私は、学校を出ましてから、あるいは学校時代から、放射線関係の安全のこと、あるいは私の会社昭和三十三年に設立しましたけれども、その設立の準備のころから安全の問題をずっと担当しております。原子炉の安全ということにつきましては、原子炉の大きな事故に対する安全ということと、日ごろの通常運転に対する安全ということに大きく分けまして大別できると思います。私は、その平常の安全ということにつきまして、私の考え方、あるいは私の理解しておりますことを申し述べたいと思います。  まず、原子炉は、御承知のように、原子炉体内に非常に大量の放射能あるいは放射性物質というものを持っておりますが、これを、大きな事故の場合、大量に原子炉外に、言いかえますと環境に放散させないようにということがまず事故に対する最大の安全の対策でございます。  それから一方、通常運転につきましては、その量はきわめて微量なものではございますけれども、やはりごくわずかながら環境に気体あるいは液体の形で環境に放出しているわけでございます。したがいまして、平常時の安全と申しますと、その放射能がどの程度の量であり、これが人間またはその人間の住んでいます環境に対してどのような影響があるかということになるわけでございます。また、その放出がいかにじょうずに常に管理下において放出されるかということになります。  放射線あるいは放射能ということば一般にいわれていますけれども、実は、放射能と申しますのは、それ自身から放射線を出す性質を持っているもののことを放射能と申していますが、環境人体影響を与える、あるいは与えるかもしれないと申しますのがいわゆる放射線でございます。言いかえますと、放射線を出す物質から出ます放射線でございます。放射線は、その量がきわめて大きいときには、皆さん承知のように、きわめて人体悪影響を及ぼすことは、御承知のとおりでございます。しかし、人間が全く新しくあらためてつくり出したものが放射線というものではなく、放射線というものは昔からわれわれの住んでおります環境には自然に存在しております。したがいまして、きわめて低い放射線に対しては、それが人体あるいは環境にどのように量的な影響を及ぼすかということについては、放射線の量が低くなればなるほど、実際的な影響があらわれなければあらわれないほど、これを量的に明快に数量的に言い切ることができないわけでございます。したがって、量を考えずに、大量の放射線がきわめて危険であるということから、それをそのまま引き伸ばしまして、ごくわずかな放射線人間または環境影響するのではないかという議論がしばしばなされております。そこで、私は、量的なことを念頭に置いて安全を判断する必要があると考えます。先ほど申しましたように、放射線は、われわれ人類が発生する前からこの環境に存在しており、私たち人類放射線のある環境もとで発生し、進化し、現在の生活を保っているわけでございます。そういう意味で、自然界にある放射線、言いかえますと、私たちが自然に日ごろ受けています放射線というものを一つ指標にして、それがはたして人間の体にあるいは環境悪影響を及ぼすかどうかということを判断する一つのいい指標になると思います。また、一方、強い放射線に対しましては、御承知のように、約七、八十年前に人工的にX線をつくる方法が発見されまして、これにより、強い放射線によって人体がどのような障害を受けるかということは、最近出ました新しい化学物質が、初めて世の中に人間がつくった化学物質とは違いまして、かなり古い歴史を持って、人体に対する影響研究され究明されております。そのような見地から、かなり高い放射線人体悪影響があるということがよくわかっておりますので、放射線一つ基準、あるいは限度と申しますか、こういうものをきめますときに、かなり明快にわかったものを土台として基準値がきめられたわけでございます。これは新しく人間がつくり出しました化学物質などが実際に産業界あるいは一般生活に取り入れられてからその障害、人に及ぼす悪影響などがわかりましてあらためて基準を設定するというものとはかなり本質的に違っているわけでございます。原子力かいわゆる一つ産業としてわれわれの生活にあらわれてくる前に、X線という分野でこの研究がすでに進められていたということが、他の有害物質とはかなり異なるところだと考えます。したがいまして、基準をつくりますときにも、かなり思い切って、非常に安全側基準を作成することができたのもこのためと考えます。まあ卑近な例で恐縮でございますけれども、過密都市ができてしまってからあらためて都市の整備を行なうということは非常に困難でございますが、原子力の場合には、都市でたとえますと、まだ都市というものができる前にこの基準というものの考え方が固まり、そうしてその基準に従って原子力というものが推し進められているわけだと私は考えます。しかし、放射線につきましては、非常に前向きな一つ仮定が行なわれております。大量の放射線人体悪影響を及ぼすということをもとにいたしまして、ごくわずかな放射線でも悪影響を及ぼすかもしれない、まあ国際的な防護委員会ことばをかりますと、英語で恐縮でございますけれども、「メイ」ということばを使っております。いかにわずかであっても人体に悪い影響を与えるかもしれないという立場放射線防護を考えようということでございます。したがいまして、きわめて少ない放射線が害を与えるということとは無関係に、与えるかもしれないという立場放射線管理を行なっていこうというのが放射線に対する防護の第一の前提でございます。したがいまして、もしその仮定を数量的にいじるといたしますと、たとえば一という放射線がある人体に害を与えたといたしますと、これを少なくしまして、百万分の一にいたしましても、百万分の一だけの割合は人体に何か影響を与えるかもしれない、そういう仮定に立っておりますので、数量的には、いま申しましたように、百万分の一といたしますと、それを受ける人口を百万といたしますと、数の上では大きな数が出てまいります。それと、実際の害、実質的な悪影響というものとが数字的なところで混同が起こりまして、ごくわずかな放射線でもきわめて危険なようにとかく誤解されがちでございます。この辺を私は明快にしておく必要があると思います。  そこで、現在の基準が幾らであるかという数量的なことは皆さんもう御存じと思いますけれども、一応国際放射線防護委員会という世界専門家が集まりまして定めた値が、一般公衆に対して五〇〇という値が使われております。一年間に五〇〇ミリ、こういう値が使われております。一方、自然天然におります放射線は、世界のほぼ平均的な場所で、特異な場所を除きまして、同じ単位で申しまして約一二〇−一三〇でございます。したがいまして、現在の国際放射線防護委員会というもので勧告しています値というのは、自然の約四倍ぐらいの値を考えております。  いま申しましたように、その基準はございますけれども、しかし、それよりさらに低くても、できるだけ低く実際に達成できるならば、理論的ではなくて実際に達成できるならば、これをより低くできるならば低く守ろうという根本思想放射線は取り扱われております。これはほかの公害物質についてはまだそういう考えが定着しておりませんけれども、将来環境を守るという立場につきましては、あらゆる公害物質についても放射線考え方を基本といたしましてそのような考え方が今後推し進められるものと思います。最近の研究によりますと、放射線以外の化学物質におきましても、やはりその量に応じた影響があるかもしれないということを示唆するような実験研究が報告されております。  さて、そこで、私は、その五〇〇ミリという自然の数倍の値にきめられた基準というもの、これは放射線についての値でございますけれども、その他の有害物質等につきましては、自然の値と比べますと、現在あります基準というのは自然の値の百倍ぐらいの基準一般にとられております。決して、私は、高い基準がほかのものであるから放射線もより高くていいと申すわけではございません。私の申したいのは、放射線に対します基準というのがいかにきびしくなっているかという一例を申したわけでございます。  さて、実際に原子力産業の一番量としてたくさん利用されております。あるいは今後のエネルギー問題を考えますときにぜひ人類の福祉のために利用したいという原子力発電についてその実績を考えますと、その実績は、先ほど申しましたきびしい基準の値のはるかに下の値の約二けた程度低い値で実績が保たれております。天然と比べましても十分の一ないしは百分の一という実績が保たれているわけでございます。さらに、技術的な開発に従いましてさらにその量が低くできるかという研究がいろいろ推し進められております。  さて、その自然の十分の一ないし百分の一という値につきましても、先ほど申しましたように、高い放射線人類悪影響を及ぼす、したがって、たとえその何分の一であってもそれに応じた害を与えるという仮定もとにして計算いたしますと、いかに少ない放射線であっても個体としては人体にある程度障害を及ぼすというような計算結果にはできるわけでございます。この計算値実態とをよく考えてみる必要があると思います。で、実態として何を一つ基準にとればよいか、基準と申しますよりも対象にとればよいかと考えますのに、先ほど申しました自然の放射線だと思います。自然の放射線は、先ほど申しましたように、ある単位で申しまして、一年間に一二〇〜一三〇あると申しました。それに対しまして、実際の発電所運転実績等は、現在の技術をもちましても、五とか三とかいう値がこれまでの実績で得られております。  そこで、そのきわめて低い放射線人体に対する影響がまだ明快になっていないというお話がございますけれども、天然現象と比較して考えてみるというのが一番理解しやすいのではないかと思います。と申しますのは、放射線というのが、昔からわれわれの場にあって、その中で私たち生活してきた。しかも、天然にあります放射線が、所が変わりますと、かなり大幅に変わっております。二倍三倍の変わりというのはございますが、特別な場所の例は取り除きましても、たとえば関西地方関東地方にいたしましても、先ほどの同じ単位で申しまして、四〇あるいは五〇という放射線が違っているわけです。関西地域関東地域というものについて、実際のわれわれの生活の上で、はたして寿命が違うとか、あるいは、はたしてガンの発生が多いのかという統計を疫学的にいろいろ皆さん研究しておられますけれども、いまだにその例が出ない。例の出ない一つの根拠としてあげられますのが、人間生活はほかのいろいろな因子がある。たとえば、栄養をよくとる、あるいは精神的に安心した生活ができるというもののほうがより大きくきくので、したがって、ごくわずかの放射線が実際は人体影響しているかもしれないけれどもそれが出ないのだというような論理を構成される方もあります。しかし、私が考えますには、われわれ人間がこの環境、この社会生活していますのは、そういうあらゆる因子もとにわれわれは生活しているわけです。  そういう点を考えますと、実際の天然放射線の十分の一などという低い実績で十分運転する技術ができ、そのように管理されております限り、人体に対する実質的な影響は全くない、環境に対してもないということが私自身言い切ることができるわけでございます。一方、先ほども申しました仮定で、ごくわずかであってもそれに応じた害があるということを前提としまして、単に算術的な試算にすぎませんけれども、そういうものをもとにしまして、数字的に放射線による影響というものを算出することができるわけでございます。昨年、アメリカの科学アカデミーで「低放射線に対する影響」という本をまとめております。これらを引用して考えますと、たとえばいまの発電所運転実績でその値は先ほどの単位で五とか一〇とか考えられますけれども、一応五といたしまして試算をいたしますと、百万人当たりの人が七十年間その線量を受けたとした場合に白血病になるかもしれないという単なる試算でございますけれども、その値を試算いたしているのがございますけれども、約一〇という答えが出てきます。一方、天然白血病が発生していますのは、原因は社会のいろいろな影響があると思います。いまと同じ値で六、四〇〇という答えが出ております。天然でも自然に六千四百人というのが出ておりますか、それに比べまして非常にきびしい仮定もと試算をいたしましても、六千四百人に比べまして十人内外という値が出ております。  一方、放射線遺伝影響するといわれておりますが、一応現在一億人といたしますと、年間に遺伝的なものが出ます人数が年十三万人といわれております。自然に起こるのが十三万人といわれております。それに対しまして、先ほどの発電所周辺で五という放射線だといたしますと、さらに周辺から離れますと、その値は減りますので、その減る効果を入れて計算したのがございます。そういたしますと、自然で十三万人に対しまして遺伝的悪影響があるという値が十人を切っております。そのように非常にきびしい仮定をいたしましてもこの値は自然の現象に比べて非常にわずかなもので、自然の変動の中に十分入ってしまうものたという値でございます。一般公害的物質と違いまして、歴史が古く、実際に証明するということが、これまでの地域による生活発病率などからその差があらわれない。さらに計算をしても、自然に比べてきわめてけた的に低いものである。こういう観点から、平常時の発電所運転に関する限り、原子力発電は全く安全なものであると言うことができると私は確信しております。私の陳述を終わります。
  4. 渋谷邦彦

    委員長渋谷邦彦君) どうもありがとうございました。  次に、大阪大学講師久米三四郎君にお願いいたします。
  5. 久米三四郎

    参考人久米三四郎君) 大阪の久米でございます。  初めに私の自己紹介をしておきますが、私は、大学で放射能をつくって、サイクロトロンという原子炉とは違った道具でございますが、それで放射能をつくって、その性質をいろいろ調べる、そういう非常に基礎的な仕事でございますが、それを二十年近くいままでやってまいりました。そういう経験から、放射能を扱うというのはいかに困難なことか。われわれの実験室は、科学技術庁でついこの間も私たち実験室に検査に来られましたが、いかに気をつけても、何となく薄よごれするんです、その辺が。ですから、絶対だいじょうぶにしてあっても、部屋の中ではたばこを吸ってはいけないとか、食べものを食べてはいけないとか、そういう規制をやるんですが、やはり学生なんかがやると必ず事故を起こします。それはそんなに大きな事故ではありませんから新聞ざたにはなりませんが、いかに放射能というのが扱いにくいものであるかということを骨身にしみて感じております。  いま、板倉さんのほうから、だいじょうぶだというお話がありましたが、原子炉の中に入っておる放射能というのは、われわれがそれこそ何百万年かかっても扱い切れないようなそういう放射能でございまして、そういうものを安全に扱い得るという保障が私が、いままで原子炉のいろいろなことを調べた限りでは、もうとても不可能ではないかと思っております。特にその場はおさめても、あとにそういうものが人類に大きなマイナスのおみやげとして残りますので、私は、はっきりと申しまして、こういう野蛮な技術電力エネルギー源として人類が使うというのには反対であります。しかし、当面はそういうことをやっておられますので、現在の原子力発電所がはたしてそういうものに耐え得るかどうかということを科学者の一人としてチェックしょう、そういう立場でやっております。しかし、現在の中ではやはり賛否というのは国民の中でも非常にあります。特に反対というのは住民の方の場合に多うございまして、私も、御存じの方があるかと思いますが、伊方住民の方がこの間行政訴訟を起こされまして、それで許可の取り消しを求めておられますので、それのお手伝いをするという、そういう役割を現在やっております。そういう立場で、私自身は非常に明確な反対論者であるということを一番初めに申しておきます。  それで、きょうは、辻先生のほうからお話がありまして、燃料棒の問題が最近問題になっているので話してほしいと言われたのですが、私は先ほど申しましたような経歴がございまして、燃料棒というのを実際にさわったという意味では専門家ではございません。しかし、伊方の問題を現在も裁判に備えていろいろ大ぜいの科学者方々議論を進めておりますが、その重要な項目の一つ燃料棒でございますので、これまで私たちが調べてまいりました結果の一部を御報告して議員の皆さん参考に資したいと思います。  時間が限られておりますので、図面を使わしていただいて説明したいと思います。   〔図表一を示す〕  それで、あとあと議論になりますので、燃料棒といいましても抽象的に言っておられますとイメージがはっきりしませんので、図をかいてみました。棒と言いましても、見たところはずっぺりした棒でございますけれども、あれを割った図がこれでございますが、一番外側にいわゆる被覆管——これからいろいろ議論になると思いますが、ジルコニウム合金でジルカロイと呼ばれておりますが、ジルコニウムを主体とした合金でできた被覆管がございます。それから径でございますが、PWRとBWRと違いますが、大体一センチから一センチ半ぐらいの非常に細いものでございます。厚みは〇・六から〇・九ミリでございます。何か、棒というと、がっちりしたものと思われますが、一ミリ足らずの非常に薄いものでございます。これは厚くすることはできない。その中にいわゆる燃料が入っておりまして、現在のところは、酸化ウランと申しまして、ウラン金属そのものではございませんで、それを酸化した白い粉でございますが、それを加圧して焼き固めてペレット状にしたもの、そういうものをこの中に径と同じ程度の高さのものを幾つか順番に下から詰めてまいりまして、それで最後に上でふたをする、そういう構造になっております。で、この被覆管とそれからペレットの間が、ものによって違いますが、〇・二ミリから〇・三ミリぐらい普通に詰めたときにはあいておる、そういう状況のものです。そういうものが原子炉のまん中にすわっておりまして、現在標準になっております百万キロでは大体四万本近い棒が詰まっております。  その詰まる状態は、ここにちょっと上から見た図をかいておきましたが、これもPR館等皆さんすでに御存じだと思いますが、非常に密に詰まっておりまして、これが上から見た燃料棒でございますが、その間隔がわずか三ないし四ミリぐらいしかない。その間を非常に高速で一次冷却水というのがポンプで送られてきておりまして、それがここで燃えました原子の火の熱を奪ってタービンのほうに行く、そういうことになっております。非常に狭い間隙を高速度で水が通っておる、そういう状況を想定していただきたいと思います。これがあとでいろいろ事故の結果についての議論になってまいります。  それで、問題は、この被覆管でございます。これがいろいろ二重三重にというふうに電力会社のパンフなどにございますが、それはうそでございまして、ほんとうにささえておるのはこの被覆管だけです。ほんとう意味で物理的におおっておるのはこの被覆管だけでございまして、この酸化ウランの中でいわゆる死の灰が大量に先ほど私が言いましたように私たちが一生使ってもとても使いきれないようなそういう放射能が一ぱい詰まっておる。それが出てはならないので、この被覆管で押え込んでおる、そういうことでございます。ですから、周辺住民も、国民皆さんも、結局はこの被覆管、わずか一ミリ足らずジルコニウムの管に全部のあれをゆだねていると言って過言ではないと思います。で、これが普通の状態で使ったらいいんですけれども、非常に高温で、しかも非常に強い放射線が出ておる、そういう苛酷な条件でこれが使われるものですから、これから申しますようないろいろな事故が起こる。これが事故が起こりますと、結局ここから放射能が漏れ出して環境に出てくる、そういうことになる。それから事故の前でも、普通の状態でも、この被覆管には現在の技術では防ぎ得ない小さな穴があります。先ほど板倉さんも言っておられましたように、まわりにまき散らされる放射能はどこから出てくるかというと、結局、通常状態でも被覆管にあいている穴から、これはどうしても防ぎとめることかできないのでそれから漏れて、一次冷却水に入り、それが環境に出る、そういうことであります。その小さい穴が拡大されたのをこれから申します燃料棒事故、そういうふうに呼んでおります。   〔図表二を示す〕  それで、燃料棒事故にはどんなものがあるかということですが、これは私たちのほうでやったまとめでございますが、種類といたしましては燃料棒破損といわれている状況とそれから変形とがございます。普通はあまりこちらのほうしかおっしゃらないでこの破損のことがよくそこらに書かれておりますが、変形のほうがむしろ重大であります。  それで、結果はどういうことになるかというと、破損というのは被覆管が破れることでございますから、さっき言いましたように、そこから放射能が漏れ出まして、それが一次冷却水の中に入り、それが炉室に出て、やがて環境に出る、そういうことになります。それから変形の場合はどうなるかといいますと、さっき言いました燃料棒というのはまん丸いものでございますが、変形をいたしますとひずみます。それで、たとえば、あとで申しますが、美浜の場合は卵形にひしゃいでしまう。そういう状態が起こりますと、ここに書きましたが、丸いときはちゃんと間隔が保たれておりますが、これがひしゃげてしまいますと、こういうふうに間が詰まって閉塞状態ができます。ちょうど腸閉塞のような形で。ですから、さっき言いましたように非常に狭い空間を高速で水を流しているわけですが、こういう詰まりができてしまってこういうところが水が通りが悪くなる、あるいは完全に通らない。そうすると、どういうことになるかというと、中から原子の火がどんどん熱が出てくるわけですから、それがどこへも発散しないということで、そこが過熱状態になる、そういう状態が出てくる。それが変形の一番の結果でございます。そういうことが起こると、そこが一部分だけ焼いて落ちたようにまっかになるわけですから、そこが破損の原因になりますし、それから事故が起こったときに一番大きなことは御存じのように水が抜けてしまう。一次冷却水の破断と申しまして失われてしまうわけですが、そのときに、あとで都甲先生のお話があると思いますが、緊急冷却装置というのが働いて水が入ってくる、それが燃料をひたして過熱で溶けるのを防いでくれる、こういう仕組みになっているわけですが、その水が入るか入らないかというのもおととし以来の大論争のもとですが、たとえ入っても、そういう変形があって至るところででこぼこしたようなところがあると、入ってきた水が通り悪くなってしまって、水は入ったけれどもその効果がないというようなことになって、ECCSいわゆる緊急冷却装置の効果を無効にしてしまう、これで変形事故というのは非常に恐れられているわけです。  それで、そういうことを起こす原因でございますが、これは実はまだよくわかっておりません。どうしてかというと、普通の工業ですと、何かパイプがやられだとすると、取り出して顕微鏡でのぞいて何とかしてできますが、大量の放射能があるところで起こった事故ですから、いろいろな説明はされております。もっともらしい説明はされておりますけれども、いままでは、もう発電所が動いておれば必ず燃料棒事故が起こっておりますけれども、本当の意味で原因がわかったというのはごくわずかであります。それは、中の燃料を取り出してそれをしさいに金属学的に調べないととてもわからないわけですから、あとはもう想像でございまして、福島の場合も水素がどうとか言っておられますが、あんなものは想像にすぎないので実証的なあれはないのです。しかし、数少ないそういう実証的な例から幾つかの原因が分類されております。実際はそれらが総合してさっき言いました苛酷な条件で起こっておると考えられます。一つは、化学的なもの、これが実例は福島の一号で、この間衆議院に呼ばれたときに初めて見せられましたけれども、水素でやられる。それは、中の燃料に含んでおった水が分解をいたしまして水素になる。その内部から被覆管をやってしまう、そういうことです。これはアメリカのドレスデンというところの発電所でしさいに調べてわかったというのですが、たぶんそれと同じであろうというようなことで福島も言っておられるのだと思いますが、これはジルコニウムと水素というものはある量以上になりますと非常に反応しやすくなります。それで、そこがやられて穴があいてしまう、そういう原因であります。それから第二が機械的と言いまして、これは燃料が、後ほど申しますが、燃焼度が進んでまいりますと、中でだんだん核分裂でできてきたガスがたまってまいります。そうすると、人間の腸がふくれるのと同じように燃料がふくれ上がってきます。そういうふくれ上がってきますと、さっき〇・二ミリから〇・三ミリのすき間がありましたね、そのすき間では耐えられぬようになって、とうとう外の被覆管をぐんぐん押すわけです。初めの間は被覆管ががんばっておりますけれども、さっき言いました非常な苛酷な条件で使いますから、とうとうそれに耐えきれなくなってそこで破壊を起こす、そういうのが機械的な原因であります。それからその次は、これはもう両方の場合共通して起こっておりまして、放射線、特に非常に高い密度の中性子でさらされておりますので、金属がやられて疲労いたします。ですから、つくったときはだいじょうぶでも、やがて使っておる間は時間がたてばたつほどこういうものに対する抵抗力は弱まっていくということになります。それで、実例は、先ほどの化学的なものは、まあ発表を信ずるとすると、福島の一号でありますが、これは想像であろうと思います。そんなにきちっと詳しく調べておられないので、ともかく穴があいたという事実を適当に解釈した。それから機械的なやつ、これは美浜の一号であります。これはもうれっきとして新聞発表ではピンホールということになっておりますが、私、衆議院で申しましたが、ピンホールという新聞発表は絶対に信じてはいけない。どうしてかというと、ピンホールというのは目に見えない穴でありまして、そんなものではないのです。それで、破損を起こせば、必ずそれは目に見えるような穴になります。美浜の一号の場合も、私たちのほうに入った情報では、なんと、ピンホールどころか、被覆管が裂けて、しかも裂けたかけらが原子炉の底に沈んでいるというような、そんな事故が起こっておるのに、発表ではピンホールというようなことになっております。そういうことのよしあしは別にしまして、原因は機械的な原因でございます。  それから変形の場合、これが非常に大きな問題でございますが、二つございまして、一つは、原子炉の中は、御存じのようにPWRというのは加圧水型ですから、百五十気圧ぐらいのあれで詰まっておりますね。ですから、燃料棒が外から一生懸命押されてしまう、それでひしゃげてしまう、そういうことです。それから、BWRの場合は、七十気圧程度でございますから、それがいまのほうが少ないとされておりますが、そういう外かちの一次冷却水の圧力で押されて、それでひしゃげてしまう。初めはがんばっておりますが、金属がやっぱり疲れてまいりますから押されてしまう、それで卵型になる。それが美浜の一号で起こりました。これは実はもう去年おととしアメリカで起こっておったのに、日本ではだいじょうぶだと。側で日本でだいじょうぶだかわかりませんが、やっぱり科学というものは正直で、国を越えて日本でもちゃんとそれが起こったという、あの有名な事故でございます。それから、もう一つ、これはわりあい新しく去年ぐらいから言われておりまして、燃料の密度が、密度というか、詰まり方が、非常に温度か高く——温度だろうと言われておりますが、はっきり原因はまだわかっておりませんか、収縮現象を起こしまして燃料が移動する。そうすると、さっきのすき間がよけいできて、それで外から押されていくものですから変形する。これは、ついこの間、AECが命令を出しまして二五%出力を減らせ、そういう命令を出したあの原因でございます。これについては、原因その他よくわかっておりませんで、現に日本の扱っておりますのは東芝がたぶんそうだと思いますが、ジェネラル・エレクトリックの代理店のようにして売込んでおられますが、それのレビューにも、これは原因がよくわからない、しかしBWRについてはだいじょうぶであろうというふうに書いたその矢先、AECで中止命令が出たという、そういうことになっております。   〔図表三を示す〕  それで、結論でございますが、燃料棒事故は大したことはないという意見があります。これは、この間のジェネラル・エレクトリックのあれでAECから命令があったときに新聞で拝見したのでございますが、日本の原子炉安全専門審査会の最高責任者の方が、新聞で、あれは本質的なものではない、原子炉全体の安全性にかかわるようなもりではないと、そういうふうに言っておられますが、非常に危険な考え方であろうと思います。私は、燃料棒事故は原発にとって本質的であると思います。第一、これは原因が本質的なものです。いままではまだ例が少なかったので、つくったときにちょっとミスがあったものが出たのだろうというようなごまかしのあれがありましたが、先ほどの原因なんかを考えますと決してそうではないので、かなりこれは本質的であります。酸化ウランというものを使い、ジルコニウムというものを使う以上は、それをしかも非常に苛酷な条件で使うということにすると、本質的な事故であって、多少の技術的な改良をいたしましてもあぶない曲芸的な技術にすぎないというふうに私は思います。第二、それは放射能漏洩を増加します。これはもう当然のことでございまして、原発の放射能がどこから出てくるかというと、その源が燃料棒でございますから、この源が拡大するわけですから、これはひいては外界に対する漏洩がふえることは明らかであります。第三、それを防ぎとめることができると皆さんはおっしゃいますが、防ぎとめればその分だけどこかに結局ふえるわけです。どこにふえるかというと、それは放射性廃棄物がふえていく。現に美浜でも事故が起こるたびにドラムかんの数がどんどんふえていっておるじゃありませんか。ですから、燃料棒事故が起これば、必ず放射性廃棄物の量がふえるという形ではね返ってまいります。現在、これをどこにほうっていいか全然当てがないのに、それがどんどん原発の敷地に積み上がっていくわけです。第四、重大事故が起こったときに規模が拡大いたします。先ほど申しました燃料が変形しておるときに一次冷却水が抜けるというような事故があったらどういうことになるのか。いまの原子力委員会の安全審査では、水が抜けるとやがて三十秒ほどしたら水が入ってきて、ひたって、めでたしめでたし、だいじょうぶ、だから安心しろと、こういうことになっておりますが、その水が入ってきても、詰まっておって通らないのです。そうするときにどういうことが起こるかということは、予想もつかないので、そういうのは審査にもなっていないわけですけれども、いまのコンピューターの計算の基礎そのものをゆるがしてしまうようなことになります。第五、これは経済性と非常に関係があります。原子力発電所というのは研究のためにやっておるのでありません。あるいは趣味のためにやっているのでないので、国民のエネルギー生産という非常に経済性に関係したことであるということは委員皆さん御存じのとおりでございます。ですから、こういう問題は経済性と非常にかかわっております。  たとえば、ここに書いておきましたが、いろいろなことがございまして、特に大きな問題では出力密度、これは一定の体積の中からどれだけのエネルギーを取り出すかというそういう量でございます。体積であらわしたり、あるいは線の長さであらわしたりしますが、そういうものは、できるだけ大きければ大きいほど経済性がよろしい。どうしてかというと、同じ百万キロワットをつくるのでも、この密度が小さいと、大きな原子炉の容器を使わなければならない。これは技術的にも非常にむずかしいですし、それだけコストがかかる、そういうことであります。それから燃料もそれだけたくさん要りますから、燃料費もたくさん要る。原子力発電所というのは燃料費が安いということが唯一のメリットになっているわけですが、それが怪しくなってくる。しかも、大量の燃料を使うと、それの再処理の対策というたいへんな事業がうしろで待ち受けているわけですが、それに対する負荷を大きくするということで、経済的にできるだけ出力密度を上げたい、そういうことになっているわけです。それから燃焼度の問題でございますが、これも燃料をとことんまで燃してしまいたい、同じ装てんした燃料ですけれども徹底的に燃してしまいたい、燃焼度というものはそういう量でございますが、そういうものをできるだけ高めたいというのもこれは経済的要請です。それから原子炉のあちこちには燃料が大体出力というのがなかなかうまく均一化いたしませんのででこぼこいたしますが、経済的にはどの燃料も全部完全に燃え尽くすというふうにやっていきたい。だから、それを平坦化と申しますが、そういうこともやりたい。それからもう一つは、放射能の検出レベルといいまして、破損しますと一次冷却水の中へ放射能が出ます。そうすると、それをモニターしておって、あ、いまやられたということがわかってすぐ原子炉をとめるという操作が必要なわけですが、それが少々出ておっても、小さい穴があいてから大きくなるまで時間がかかります。ですから、普通は、それを見ながらきわどい曲芸的な運転をやりまして定期検査まで持ち込んでいくというそういうことをやりますが、そのレベルはほんとうはできるだけ下げるほうがいいのですが、それを経済的にはなるべく上に上げていく。さっき言いました美浜のような場合は、さやの一部が取れて下へ落ちているというような事態が起こっておるのに、それを、たぶん平常運転時も発電所はわかっておったと私は思うのですけれども、まあまあいいということで押し切ってやっておられるということの例だと思います。これは非常に危険なことです。それを安全性の面から見ると、それは書き忘れましたが、出力密度はもちろん小さいほうが燃料棒の破断が少ない、それから燃焼度も少ないほうがいいという、これは原因がはっきりしませんが、現象的にはその相関関係は非常に明確であります。それから分布を平坦化することによって、燃焼が一斉に弱って、事故が起こったときに同時に一ぺんにそれが起こる。いままでは、一万本入れても〇・一%程度であるというようなことが文献にはございますが、ああいうのにだまされてはいけません。あれは出力密度の非常に小さいやつの、いまからまだ数年前のデータにしかすぎないのでありまして、最近のようにどんどんと経済性を上げていった炉についてのそういう確率的なあれはまだ出ておらないわけです。一般に言えることは、そういうふうにむだなく燃せば燃すほど同時に事故が多発するという可能性が十分あるわけです。それから放射能検出レベルについては先ほど言いました。これはまわりのものについてはできるだけ下げていく、ちょっとでも異常が認められたら原子炉をストップするというのが本命でございますが、そんなことをしておったらいまの美浜のように有効率が三〇%を切るというようにまさに経済性が破綻してしまうので、これをできるだけ上げるというようなことになる。したがって、経済性と安全性というのは非常に矛盾があるということでありまして、国民の側から見ると非常に心配だ、それから電力の側から見ると少々のことを押し切ってでもやらぬことには石油よりずっと原子力のほうが有利だ有利だという日ごろの宣伝が成り立たなくなる。そういう意味で、この燃料棒燃料評価というのは原発にとって非常に本質的であると私は思いますが、この点は議員の皆さんにぜひ御考慮をいただきたいと思います。
  6. 渋谷邦彦

    委員長渋谷邦彦君) どうもありがとうございました。  次に、東京大学教授都甲泰正君にお願いいたします。
  7. 都甲泰正

    参考人(都甲泰正君) 東京大学の工学部原子力工学科の都甲でございます。  私は、最初に原子炉の安全を確保するものの考え方をちょっと意見を述べさしていただきまして、残りました時間で最近問題になっております非常炉心冷却系の歴史と現状というようなことを簡単に説明させていただきたいと、こう考えております。  まず、原子力安全性を確保する、この一番大事な点はものの考え方にあろうかと思います。一言で申しますと、原子力ではシステムとして安全を確保するにはどうすればいいかと、こういうもののとらえ方をしている点にあろうかと思います。これが原子力の安全設計あるいは安全確保の一番の特徴であろうかと思います。  具体的に御説明申し上げますと、そのためにはまず一番最初に安全基準というものを設定する必要がございます。これは社会的な判断が当然入るわけでございますが、どの程度安全ならば社会的に安全と考えていいかと、そういうものの考え方を踏まえまして設計目標となる安全基準をきめる、この作業が第一番にございます。この中には、現在すでにきまっております放射線の安全基準ですとか、あるいは立地基準、あるいは安全設計基準、いろいろな安全基準があるわけでございます。  二番目に、この安全基準を満足すべく安全設計の努力がいろいろと行なわれます。これは、実は安全設計という立場の努力はいままでの既存の産業でもたいてい行なわれておりまして、どういう設計の努力をすれば安全性が向上するか、こういう立場でございます。でございますから、原子力でも従来の産業技術の蓄積をそのまま応用いたしまして、その方式をかなり踏襲いたしまして安全設計の向上の努力がなされていると、こう考えてよろしいかと思います。  さて、安全確保のシステムの三番目でございますが、これは安全評価ということを原子力では行なっております。御存じのとおりだと思いますが、この特徴といたしますところは、原子力発電所の計画段階におきまして評価者の立場で安全設計を見直す、万一設計者に考え落としがありましたときにどういう事故が起こるか、それがまた周辺環境あるいは一般公衆にどういう影響を及ぼすか、こういうことを計画段階であらかじめ評価するわけでございます。それで、その安全基準を満足しているということを確認した上で建設に取りかかると、こういうものの考え方、実はこの安全評価という考え方原子力で初めてとられた考え方でございまして、安全確保に非常な力を持っている方法であると考えております。  それから四番目でございますが、それは製作及び建設段階で確かに安全設計どおりのものができているということを確認するプロセスでございます。そのために数多くの検査、特に官庁検査でございますとかあるいは自主検査、たくさんございます。  それから五番目といたしまして、これは発電所を使用開始した後に安全基準の線に沿って運転を続けているということを確認するプロセスでございます。たとえば平常時の管の放射能放出レベルにいたしましても、これを連続監視いたしまして、確かに安全基準の線に沿って運転されているということを確認するわけでございます。あるいは機器の性能等にいたしましても、必要に応じてそれを検査いたしまして、確かに安全設計のとおりの性能を常時保持しているということを確認しながら運転すると、こういう立場でございます。  それで、安全確保のシステムは私の考えでは以上の五つでもって完成するわけでございますが、残念なことに原子力というのは日も浅いものでございますからいろいろと新しい技術を採用する必要がございます。たとえば卑近な例は、非常炉心冷却系統とかいった安全系統がそのいい例でございますが、そういった原子炉事故に非常に関係のありますような重要な施設に対しましては、そのほか安全研究ということを盛んに行ないまして、できるだけ実際に実験によって実証した上でその性能を内輪目に評価していこう、評価に取り入れていこうと、こういう立場、つまり安全研究あるいは安全実験によって実験的に実証した上でそれを取り入れていくと、こういう努力を別にいたしております。このような考え方でございまして、繰り返して申しますと、計画段階でこういう安全評価ということを行ないまして、平常時及び事故時の環境への影響を評価した上で、それが安全基準に合致しているということを確認した上で社会に取り入れようとしていると、こういうものの考え方原子力で初めて打ち出された手法である、それが原子力の安全確保に非常に大きな力になっているということを最初に申し上げておきたいと思います。  さて、残りました時間で最近の非常炉心冷却系統の話をごくかいつまんで申し上げようと思います。非常炉心冷却系統の必要性といいますのは、先ほど久米先生のほうから御説明ございましたように、先ほどの安全評価で実は一次冷却系配管の瞬時破断というような非常に大きな事故を考えるわけです。そのために一次冷却水が瞬時に、瞬時といいますか、非常に短い時間にブロー・ダウンという現象で失われてまいりまして、そのあと原子炉の崩壊熱を除去するために冷却水を注入する必要がございます。この系統がECCS系統でございます。実は初期のころの軽水炉にはこのECCSがついておりませんでした。現在動いておりますアメリカのドレスデン一号炉にもついておりませんし、それ以前のBWRにも実はついていなかったわけでございます。なぜかと申しますと、最初アメリカでこの安全評価という考え方が出ましたときに、最大想定事故と申しまして、炉心の中に入っております放射能を一〇〇%原子炉の外に出す、まあ格納容器の中でございますが、それを出発点として評価をいたしておりましたために、万一燃料棒が溶けてもいいと、こういう最初は考えであったわけでございます。ところが、その後、原子力発電所がだんだん大型になりまして、また、数もふえてまいりまして、実用期に近づくに従いまして、万一のそういった安全評価上の事故の際にも周辺への影響をなるべく小さく押えることが望ましいということが起こってまいりまして、そのためにECCSという概念があらわれたわけでございます。それで、ドレスデン一号よりあとにできましたBWRには、御承知の炉心スプレー系統、これは非常時に炉心の上から霧を吹かせるような装置でございますが、それとか、あるいは非常時に水を注入する装置、いろいろな種類のECCS系統が設けられたわけでございます。この辺の事情はPWRでも同じでございまして、実は一九六五年までのPWR、これは昔の設計といわれておりますが、それは万一の事故時にも外部電源に依存する設計でございました。さらに一時冷却系の最大配管の破断は考えませんで、それにつながっております小さな配管の破断を考えて  いると、こういう考えでございました。それは、あくまでもそういったステンレスでつくりました大きな配管が瞬時に破断するということは技術的に考えにくいという設計者の判断が入っていたわけでございます。その後、一九六六年から七年にかけまして、アメリカのAECにおきまして、実はそのECCS系統の再評価を行なったわけでございます。その結果、実は一次冷却水が抜けまして炉心が露出いたしましてもしそれを冷却いたさないといたしますと、炉心が大量溶融いたします。多くの燃料が溶けてまいりまして、それが原子炉の底にたまる、そのあと現象が実は非常に不明確である。つまり、熱伝達係数が非常に小さくなるわけでございまして、計算の仕方によっては熱が取れるんですが、その計算の仕方を少し内輪目にとりますと、熱が取れなくなりまして圧力容器も溶断するかもしれない、さらにかなりの時間をおきまして格納容器まで溶かしてしまうかもしれない、こういった心配が起こってまいりましたために、どうしてもECCSを強化いたしまして、そういう事故が起こらないようにする必要があるということになりました。その結果、実は一九六七年にAECできまりました原子力発電所一般設計指針という中にその方針が取り入れられまして、それ以降の軽水炉ではECCSの設計が強化されました。  そのおおよそのことを申しますと、まず事故想定といたしましては、一次冷却系の最大口径配管の瞬時破断を考えなさいと、そのほかに中小破断、小さな破断あるいは中くらいの破断の場合もちゃんと検討しなさいということになってまいりました。  それから二番目に、ECCSの作動にあたりましては、外部電源に依存してはいけない、非常電源を設けなさいということが明確にされまして、しかもそれを必ず二つ以上設けなさいということになりました。  それから三番目に、そういった最大想定事故時のECCSの作動にあたりまして、動的機器の単一故障を仮定しなさいということが要求されるようになりました。これは、もちろんそういった安全施設というのは信頼度高くつくるわけでございますが、それでもなおかつそのうちの一つはこわれるものと仮定して評価を行ないなさい、こういう規定でございます。  それから四番目に、あらゆる破断寸法に対しまして、少なくとも二系統のECCSを設けなければいけない。しかも、それは望むらくは異なる設計原理のものがよろしいということでございます。  それから五番目に、ECCSの性能というのは不確かな分野において控え目に評価しなければいけない、つまり、実験によって性能を実証した上で、その効果を安全評価にあたって控え目に見積もりなさいと、こういう要求でございます。  それから六番目が、ECCSの検査とか試験の可能性についての要求でございまして、必要に応じてその性能の試験・検査が行なえなければいけないと、こういう要求でございます。  それで、そういうことで実はアメリカのAECにおきまして、軽水炉の安全研究を最終的に実証するために現在LOFT計画というのが行なわれております。実は最近この原子炉が臨界に達しまして、近い将来ブロー・ダウンテストというのが行なわれることになっておりまして、来年以降、逐次ECCSを含めた性能の実験、実際の原子炉を使ってのそういう非常炉心冷却系統の性能の実験が全体の原子炉で行なわれて、そのデータが出てくるものと思いますが、実は今度のECCSの騒動というのは、その予備実験の過程で出てきたわけでございます。これはアメリカのアイダホフォールズというところにございます実験場でブロー・ダウンの実験装置をつくりましていろいろと実験を行なっておりました。この実験の大きな目的は、そのブロー・ダウンの現象実験によって観測いたしましてそれを計算コードで解明いたします。その次のより大きな寸法の実験装置の現象をその計算コードであらかじめ予測する、最終的にそれを先ほど申しましたLOFTの実験計画の予測に使おう、こう思っていたわけでございます。それが一九七〇年の末から七一年の初めにかけまして行ないましたブロー・ダウン実験のときに、初めて冷たい水を注入いたしましたECCSを注入した実験を行なったわけでございます。ところが、残念なことに、そのときにあらかじめコードで予測していたほど炉心に冷たい水が入らなかったということで、そのECCSの効果が設計どおりないのではないかということで一昨年のECCSの騒動というのは持ち上がったわけでございます。  その原因といたしましては、専門的になりますので、もしあとで御質問がございましたらまた御説明することにいたしまして、AECとしてどういう態度をとったかと申しますと、この問題の解決の方向といたしましては、一つはブロー・ダウンの実験の推進、つまりこの実験を行ないましたときには小さなスケールの実験でございましたために、もっと大きなスケールで、しかもなるべく実器に近いように二つ冷却材のループを設けて実験を行なう、その結果をちゃんとコードで合わせるという方向でございまして、これは現在着々とその方向に実験が進んでおります。それから二番目が計算コードの改良でございますが、従来の計算コードというのは非常に簡単な計算コードでございましたために、あたたかい水が急に外へ出ているブロー・ダウンの現象中に非常に冷たい水が入ってまいりますので計算コードと合わなかった、その辺を学問的にいろいろと究明いたしまして、なるべく実際の状態を模擬した計算コードをつくろうとこういう二つの方向で、現在努力が続けられておりまして、最近のアメリカのAECのECCSの最終基準案の線に沿いまして、着々とその結果が出つつある状態であると聞いております。  さて、そういう状態であるわけでございますが、実はこの問題を学問的に議論しておりますと、結着がつくまでに非常に時間がかかるということで、一九七一年の中ごろAECは暫定指針というのをつくりまして、それで暫定的にECCSの効果を判断する方式を示したわけでございます。その線に沿ってしばらくやっておりましたが、ことしになりまして最終基準案なるものをAECは公布いたしました。その線によりますと、暫定指針よりも少しきびしくなっているところがございます。たとえばジルカロイの被覆材の最高温度が従来は二千一二百度Fといっておりましたのを、最終基準案では二千二百度Fといっております。まあそんなことで少しきびしくなっております。  さて、それでは日本の現状を簡単に申し上げますと、実は一昨年の末でございましたか、アメリカの暫定指針を参照にいたしまして当時日本で手に入りました文献をたくさん調べまして日本の暫定指針をつくっておりますが、その際によりますと、被覆材の最高温度が千二百度Cというふうにきめておりまして、大体これはアメリカの最終基準案の二千二百度Fとほとんどひとしいところの基準であります。そのほか、内面酸化を考慮するとか、あるいは被覆材が一〇%ぐらいふくらむことを考慮して計算しなさいとか、そういったことで日本は現在やってきております。さらに、アメリカの最終案も出たことでございますので、日本が暫定指針をつくりました以降に入手いたしました資料等を検討いたしまして、日本としての最終案を現在検討している段階でございます。  簡単でございますが、私の意見陳述を終わらせていただきます。
  8. 渋谷邦彦

    委員長渋谷邦彦君) どうもありがとうございました。  最後に、日本原子力研究所東海研究所原子炉化学部分析センター副主任研究員中島篤之助君にお願いいたします。
  9. 中島篤之助

    参考人中島篤之助君) 原子力研究所の中島でございます。  きょうは、放射性廃棄物の処理処分について話をしてほしいという御要望がございましたので、主としてそのことについて話をいたしたいと思います。  実は、放射性廃棄物の処理処分ということは原子力技術にとってたいへん深刻な問題であるはずなんですけれども、残念ながら、現状は、そういう認識がない、あるいは認識はお持ちなんだけれども、まあ打つ手がないから放置してあるのかどうかわかりませんが、そういう状況であるというふうに私は考えております。  五月の九日に国会の衆議院でも科技特におきましてやはり原子力発電安全性の問題についていろいろな議論がありましたときに、私、次のようなことを申したわけであります。それは、先ほど板倉参考人も言われましたように、最近の原子力発電所それだけをとりますと、確かに環境への放射能の放出なんかは事故でないときには小さくなっている。それはたいへんけっこうだけれども、一方、たとえば再処理工場においては——この再処理工場というのは何をするかというと、原子力発電所で結局燃やした燃料を再処理いたしまして、プルトニウムを取り出したり、あるいはウランを回収したり、あるいは廃棄物を分離すると、そういうことをやるところでありますが、その再処理工場からは環境にたいへん大きな放射能、たとえばクリプトンを一日に八千キュリーも出してしまう、そういうことをやってしまう、これはたいへん片手落ちではないか。で、いま都甲さんも言われましたけれども、原子力技術というのはシステムで考えなければいけないとおっしゃるなら、実はこの廃棄物再処理あるいは廃棄物処理全体を含めたシステム全体を考えるべきなんであって、それを原子力発電所だけで少なくなった少なくなったと言っておるのはたいへんおかしいということを実は申し上げたわけであります。  そのことをもう少し詳しく放射性廃棄物の処理処分というようなことで申しますと、実は放射性廃棄物の処理処分といいますと、皆さん頭に浮べられるのは、いわゆるごみを処理するのと同じような考え方でお考えになると思いまして、普通のごみでも、最近ごみ戦争などということで都市ではたいへんな問題になっているわけですけれども、放射性廃棄物の場合には似ているところもありますけれども実はたいへん異質な点が多いわけであります。これは第一は放射能が対象になっているということでありまして、それからもう一つは、放射性を持っておりますから、かなりの量のエネルギーをつまりごみといいますか廃棄物が出すのだというような、これは普通のごみにはないようなことがあるわけであります。そういうことになりますから、普通のごみですと、何とかしてそれを拾てるか、あるいは環境に希釈拡散させるということを基本にしてごみ処理技術というのができておるわけですね。たとえば燃して炭酸ガスにして空気中に出すのだというようなことをやるわけですけれども、この放射性廃棄物の処理処分では実はそういうことは全くできない。ですから、基本的には、人間生活環境からどうやって隔離するか、あるいは、もう少し人間だけではなくて生物圏からの隔離をどうやってするか、あるいは閉じ込めをするかという考え方をとらざるを得ないわけであります。ですから、本来ならばいわゆる許容量以下ならば十分希釈拡散すれば自然環境の浄化能力によって無害化が期待できるということが実は放射能に対してはあり得ないわけでありまして、放射性廃棄物の処理に関してはいわゆるクローズドシステムだけが合理性を持つことになるというのはこれは自明であろうと思います。たとえば再処理工場のクローズドシステムということにつきましては、前田長官もかつて国会でそういうことをおっしゃったそうでありまして、われわれたいへんそれはけっこうなことであると思いますが、実際はその後その方向に沿ってたとえば法制的にもあるいは実際的な技術開発が進められているかという点では、たいへんまだそういう状態ではないのじゃないかということを私はたいへん残念に思っているわけであります。  それで、放射性廃棄物の処理処分につきましても、たとえば初期のころではレディオアクティブ・ウエーストのディスポーザルという英語が使われておりましたけれども、最近では、御存じだと思いますが、ウエースト・マネージメントということばが広く使われるようになってまいりまして、これも、いま言ったような考え、つまり環境問題を十分考慮に入れたいわゆるマネージメントをしていかなければいけないと。実は、原子力技術が使えるかどうかということは、放射性廃棄物の処理処分を完全にやることができるかどうかということが基本であるということを最初に申しておきたいと思うのであります。  ところが、わが国の現状は、たとえば発電計画は、六十年までに六千万キロワットをつくりたいとというようなことが長期計画で書いてあるわけですけれども、一方それじゃ廃棄物処理はどうするのか。これは、何といいますか、その長期計画ですと、五十一年まで研究をやって、そのあとたとえば陸上処分と海洋処分を考えたいというような抽象的なことが書いてあるだけでありまして、これでははたしてそういう膨大な放射能の蓄積が起こる事態に対して対応できるのかどうかということが一番問題ではないかと思うのであります。で、これはよく御承知だと思うのですけれども、将来を考えますと、容積的に一番問題になりますのは、原子力発電所に蓄積される低レベルあるいは中レベルの固体廃棄物といったものがボリュームとしては一番多いということになろうかと思います。それからキュリー数、つまり放射能の強さと申しますか大きさと申しますか、このキュリー数では、再処理工場からのいわゆる高レベル廃棄物がそれになるわけでありまして、九九・九%以上は再処理工場からの高レベル廃棄物になるということになります。  これは日本だけではありませんが、放射性廃棄物の処理処分をどう考えていくか、あるいはどうやっていくかということについて一つの例を申しますと、たとえば日本よりもかなり早くから原子力を始めておりますアメリカでは、いま申しました高レベル廃液は、結局のところは、タンクに入れてためておるという状況でありますけれども、いままでにその貯蔵だけに総額数百億円に達するお金を使ったといわれておりますし、現在までに集積された放射能の量は百億キュリーをこえているというふうに推定されているわけであります。実は、その先がどうなるかということなんでありますが、これはたとえば寿命の長いストロンチウムでありますとかセシウムでありますとかそういうものを考えますと、おそらく一千年間にわたるマネージメントを考えなければいけないということになるわけなんですけれども、いまのところはそういうことが言われているわけでありますけれども、現状は原子力開発を始めてまだ三十年しかたっていないからとにかくタンクがもっているということでありまして、このタンクは将来だんだん移しかえていけばいいのだというようなたいへんたよりない話になってくるわけでありまして、私は、原子力発電を将来使うとしても、こういう問題に対してちゃんとしかるべき技術開発とか何とかについての努力をしないで発電計画だけがどんどん先行していっている現状が非常に問題だと思っているわけでありまして、廃棄物処理なんかになるとたいへんたよりない話になってまいります。  これは実はアメリカの原子力委員会でもやはり深刻な問題でありますから、一九七一年に高レベル廃液について新しい政策というものを出してあるわけでありまして、これは簡単に申しますと、これ以上の工場内のインベントリーを認めない、十年以内に高レベル廃液は固型化して国の最終廃棄場へ搬入させて、国の管理する土地以外での処分は認めないことにすると、そういうようなことを法令化する。つまり、これは、たとえばこの間福島で事故がありましたけれども、ああいう廃液なんかもいま言ったようなことに従わせるということになります。  それから最後にカンサス州の岩塩鉱に高レベル廃棄物の永久処分場を設けるというようなことを発表したわけなんです。ところが、これにつきましても、最近、地質学者等からいろいろな疑問が出されていて、必ずしもこの方向でやれないというようなことになっているわけですけれども、とにかくこういうような手を打っております。  それから技術開発の方向としては、高レベル廃液の最終処分のために何らかの固化処理が必要だということで、たくさんの方法、いわゆるガラス化するとか、焼き物にするとか、いろいろなそういう研究をやっておりますけれども、残念ながら、いわゆる固化処理技術というものは未確立の状態である、そういう状況であります。  ところが、これはアメリカの話でありまして、それじゃ日本ではどうなっているかということなんですけれども、日本ではいま原子力委員会がお考えになっていることは、率直に申しまして、高レベルの廃液は再処理工場は東海村に一つできるだけだからとりあえずためておけと、それからあと、だから当面の関心事になっておることは、とにかく発電所ができていくから、その中に低レベルの、あるいは中レベルのドラムかんがどんどんたまっていく、これをしかるべき時期に海洋投棄をしたい、あるいはどこかへ貯蔵場を設けたい。これは南西諸島それから五島列島に設けたいという考えを出されたことがありますが、何といいますか、そういう点について、わが国の国情からしますと、アメリカのように、たとえばカンサスの岩塩鉱に設けるというようなことはできませんから、高レベル廃液については全く対策なしというふうに申し上げていいのではないかと思います。それから中レベル廃液については海洋投棄を考えるというようなことしか考えていらっしゃらない。これについても、十分な化学者の意見を開いて検討するということはどうもおやりになっておらないというふうに思うのであります。たとえば環境安全専門部会は一年近くにわたってすでに審議をなされていると聞きますが、あまり進展があるというふうには私ども聞いておりません。これはたいへん問題ではないかと思います。  でありますから、結論として、結局いま原子力発電の問題についてとらるべき政策というのは、これはやはり現在可能なこと、現在できる処理処分の技術の範囲内でしか発電所をつくってはいけないのではないか。私は原子力発電所の建設そのものに決して反対している立場ではございませんけれども、あと始末のことができないうちにこういうことをやるというのは実は非常に問題であるというふうに考えているわけであります。  それから先ほど板倉さんが最初に申されたのですけれども、微量の放射線に対する影響云々ということをおっしゃいましたけれども、板倉さんのお話を聞いておりますと、微量の放射線だけが問題のように皆さんお聞きになったかもしれませんけれども、それはそうではなくて、いま私が申し上げたように、実は発電所をつくるということは同時に一方で何億キュリーという膨大な放射能をつくっていくことだということをはっきり認識していただきたいということと、それからもう一つは、微量の放射線であっても、たとえばクリプトンの例のように、いままで地球上には存在しなかったクリプトン85というものが原子力発電を始めてから、これは大体一九五〇年ごろからでありますが、確実に直線的に増加をしてきておりまして、現在大体一立米当たり十五ピコキュリーぐらいになっておりますし、このまま二千年ごろを推定いたしますと、たしか六千ピコキュリーぐらいのクリプトンが空中にこれは世界じゅうどこでも存在するようになるんだというふうなことが予想されているわけであります。実は、いままでの産業においては、そういうことをあまりちゃんと予想しないでやった、その結果が現在御存じのような環境問題を引き起こしている、あるいは公害問題を引き起こしているわけでありますから、原子力がそういうことを予見してやっているというのは確かによいことですけれども、これは実は質的に非常に違った、質的に大きな危険性を伴ったことであるだけに、これは当然やらなければいけないわけでありまして、その点を間違えますとたいへんなことになるということを私は申しておきたいと思います。  最後に、もう時間もありませんが、こういう問題がございます。この間、水銀の汚染の問題がございまして、原子力産業関係のある方と議論をいたしました。私が原発に対してたいへん慎重なことを言っているものでありますから、こういうことをおっしゃる。中島さん、いまマグロの中のマグロの実は肝臓でありますが——水銀かたいへんふえておる。これは石炭の発電所のせいだ。十九世紀以来石炭をたいたために地球が汚染してマグロの中の水銀がふえたと。これには実は、正確に言いますと学者には二派ありまして、天然の起源だという学者と、石炭発電所のせいだという方とあるわけですが、だから、原子力発電じゃなくて、石炭発電所のほうがずっときたないのだというふうにおっしゃるわけです。これはそういう議論はたいへんおかしいのでありまして、十九世紀に石炭発電所をつくってわれわれがエネルギーを取り出したころに、まさか百年後にカジキマグロの中の水銀をふやすということを予想して石炭発電所をやった方はなかったと思うのであります。これはその方々が自然の環境破壊に対してたいへん無邪気な状態であったということにすぎないのであります。ところが、それと同じような無邪気さでもってこれから原子力発電所をつくりましたときには、百年後に環境に対してどういう問題が起こるかということは、これはたいへんなことなんでありまして、いまなら少しだからだいじょうぶだというような考え方で燃しましたら、マグロの水銀どころの話ではなくなるということだけは私ははっきり申し上げられる。ですから、これは全力をあげてゼロを目ざすべきであるし、それから処理処分の技術ができないのにむやみに発電所をつくるというような政策は直ちに考え直しをする必要があるということをむしろそういう例から私は申し上げておきたいというふうに思うのであります。  簡単でありますが、あとまだ時間がよろしゅうございましたらちょっと一言だけ公聴会について申し上げたいと思いますけれども、私は現在学術会議の原子力問題特別委員会の幹事をやっておりまして、今度福島で公聴会が開かれることにつきまして学術会議としてもたいへん重大な関心を持っております。それで、科学技術庁のほうともお話し合いをいたしまして、原子力問題特別委員会の幹事を一名公聴会に参加させたいといろいろお願いいたしまして、やっと参加させていただくことになりました。ただし、公聴会につきましては、公聴会本来の目的というのが国民の理解と協力を得るというふうにおっしゃっている点から見て、たいへん危惧する点がある、少なくとも原子力三原則の精神から見て根本的に改善すべき点があるということを考えておりますことが一つと、それからつまり現在の開催要領なり、実施細則を改善すべきであるという点が一つと、それからもう一つは、今回は討論もなくて一方的な陣述だけが行なわれるそうでありますけれども、陳述された意見につきましては、学術会議としては御報告を何らかの形で受け取りまして、そしてそれを学術会議としても独自に検討するし、それから同時に原子力委員会に対してはその陳述の結果が安全審査あるいは原子炉にかかわる分については安全審査に反映させるし、それからその他の部分については各関係官庁にどうやって反映させるかということを明らかにしていただきたいということを考えておりまして、そういう考えを来週の運営審議会にかけて御意見として申し上げたいということを現在考えているということをこの機会にちょっと申し添えさしていただきます。
  10. 渋谷邦彦

    委員長渋谷邦彦君) どうもありがとうございました。  以上で参考人からの意見聴取は終わりました。  午後一時再開することとし、休憩いたします。    午後零時九分休憩      —————・—————    午後一時十五分開会
  11. 渋谷邦彦

    委員長渋谷邦彦君) ただいまから科学技術振興対策特別委員会を再開いたします。  休憩前に引き続き、科学技術振興対策樹立に関する調査を議題としたします。  御質疑のある方は、順次御発言願います。
  12. 辻一彦

    ○辻一彦君 きょう、私、順序は二番目になっておりますが、ちょっと都合がありますので先にお願いしたいと思います。私は、主として、いまたいへん問題になっている燃料棒燃料問題や廃棄物等をめぐっての安全の問題を中心にお伺いいたしたいと思います。しかし、いま各参考人からそれぞれ御意見を伺いましたので、それに関連して最初に二、三点お伺いして、順次お願いをいたしたいと思います。  第一に板倉参考人にお伺いをいたしたいと思いますが、それはすでに衆議院の五月九日にかなり全般的な安全性環境をめぐっての論議がございましたので、私はそういうものと重複を避けながら二、三点伺いたいと思います。それは、お話のとおりに、一般的に言えば、各原子力発電所では外に放出する微量放射能はかなり押えられつつあるということは言えると思います。しかし、政府の原子力委員会では依然としてこの基準は変えてはいないわけであります。そういう点で、アメリカは、設計基準ではすでに百分の一、五ミリレム以下というふうに基準を押えてきた。わが国の原子力委員会では、山田原子力委員が一昨年答弁しておりますが、それによりますと、現場の保守規程といいますか保安規程としては五ミリ以下を厳守すると、こう言っておりますが、しかし、なお基準については明確にしていないわけであります。そういう点で、私は、やはり基準を下げるということがそれに従ってさらにまた安全度をとっていくという点から重要ではないかと、このように思いますが、こういう点から、わが国の設計基準あるいは放射能基準を五ミリ以下というように、自然に比べてそれだけ小さいと言われるならば、さらにアメリカよりも下げてそのきびしい基準もとにやっていくと、こういうようにすることが安全の上から重要でないかと思いますが、これについて板倉参考人並びに中島参考人にお伺いいたしたいと思います。
  13. 板倉哲郎

    参考人板倉哲郎君) いまおっしゃいましたように、実績それから実際の運転管理の上におきましては、アメリカで現在まだ提案中でございますけれども、そういう値よりも低い値で日本の原子力発電所運転ができております。そこで、私、アメリカの提案自身のことを多少ちょっと御説明したいと思いますけれども、アメリカにおきましても、基準と申しますか、限度と申しますのは、従来どおり一年間五〇〇と、ミリレムという単位でございますけれどもそのまま採用されております。提案につきましても、その五〇〇という限度を変えようという提案はございません。しかし、全体的に、先ほど私御説明しましたように、放射線は実用上できるならば、英語で恐縮でございますけれども、アズ・ロー・アズ・プラクティカブルと申しております。プラクティカブルということばは、ぜひともという限度を言っているのではございませんで、実用可能ならばということばをもう少し詳しく申しますと、経済的あるいは社会的、そういうことを考慮の上で、それが割りに簡易にできるならば低くしようというのが放射線防護前提でございます。したがいまして、五〇〇は危険であるからこの値を百分の一に下げようということとは違っておりまして、実際上低くできるならば低くしようではないかという提案でございます。したがいまして、アメリカにおきましても、提案されまして二年たっておりますが、いまだいろいろそれがプラクティカビリティがあるかと、実用上下げ得るかどうかということの詰めが現在まだなされております。いろいろ情報を聞くところによりますと、ほぼその線ができそうであるという答えが出ております。したがって、これは放射線の限度を下げるのではなくて、軽水型発電炉だけにつきまして——と申しますのは、ほかの原子力施設につきましては、それまでの実績がございませんので、そこまで実用上プラクティカブルにできるかどうかという論議がなされておるわけでございます。  いまおっしゃいましたように、わが国につきましてはまだ明確なそういう提案がなされていないというお話でございますが、私、いろいろ聞き、あるいは関連していますことにつきましても、わが国においても原子力委員会の中の環境安全のある一つの部会で日本でどのくらいまでできるかということの検討がなされ、私たちもそれについてどこまでできるのだという話をしております。  もう一つ、つけ加えて申しますと、アメリカでいまおっしゃいました百分の一——数値で言いますと五という数字が提案されておりますが、これは発電所一年間をどうしても五にしなければならないということではなくて、アメリカの考えは、もともと設計が五をねらうようなことが実用上できるならば、これに電気を出すというエネルギー供給上のフィージビリティということを考慮して設計がそうなり、そのように運転しようとしているならば、原子炉の長い平均か、たとえば一原子炉の寿命というのが二十年あるいは三十年ということで、平均は五になるだろうということの見通しがなされております。わが国もそういうことがいろいろ検討されていると聞いておりますし、事実そういう研究が進められていると思います。しかし、運転する側におきましたら、それが提案がなくても実際できるところまで下げたいということを考えてやっております。御承知のように、日本の発電所は、アメリカでそういう提案があります前から、実用上できるものが技術的に開発されれば、それを設備を取りつけたいということで、たとえば御承知と思いますけれども、チャコールベッドとわれわれ一般で呼んでおります装置がドイツで開発され、実用的な開発がされつつあるということを聞きまして、それらをいろいろ調べまして、そういう実験を日本でもしてもらい、敦賀発電所についてはそれを運転に入った後についても設備の変更をいたしましてやっております。そういう意味で、基準とおっしゃいましたけれども、基準、あるいはそういうものが明文化されていなくても、実質的に放射線を下げるという努力は今後とも必要であり、また、日本の発電所を建設運転するものについては常にそれを考えております。そういう意味で、明文化されたものがいつでもできるということとは無関係に実質的に下げての運転という努力が固められており、また、そうすべきだと考えております。  以上でございます。
  14. 中島篤之助

    参考人中島篤之助君) まず意見を簡単に申しますと、当然それは基準も下げられるべきだと思いますし、また、それは可能であると思いますし、直ちに実行すべきではないかということをまず申し上げて、ちょっと申したいと思うのですが、廃棄物処理——その前にいまの五ミリレムとか何とかというのはどこかというと、いわゆる敷地境界での問題で、そこになりますと、はかるのがむずかしいとかいろいろな話があるように見えますけれども、実際幾ら出ていくかということは実ははっきりわかっているわけでありまして、もっと濃いところのスタックの出口とかそういうところでは、これはもう明らかに何キュリー出るのだというのはわかるわけでありますから、やはりそれを極力押える努力をすべきである。これはもうすでに御承知のように、最初は大気中に放出——たとえば敦賀のBWRの場合でも大気中に放出していたものをチャコールベッドを設けるというようなことによって事実上非常に低減することが実はできたということでありますから、これはさらにそういうような努力をすればできるはずだということがはっきりしたことであろう。それからもう一つは、実際問題として五十万キロワット以上の大型の原子炉ですね、今後大体百万キロワット級がこれから日本でも計画ではたいへん多いわけでありますけれども、そういう大型の発電所についての運転実績といいますか、これは決して十分ではないと思います。それで、これは日本だけではなくてアメリカでも同様でありまして、日本と違いましてアメリカの場合にはいわゆる環境保護法——NEPAがございますので、そのNEPAとの関連で環境への影響を調べるための監視プログラムをNEPAに基づいてつくるという作業が始まったばかりという段階が現状でありますから、そういうことも十分考えて、アメリカよりもさらに人口密度の多いわが国においてはよほど慎重な態度をとるべきではないかというふうに考えるわけです。  以上です。
  15. 辻一彦

    ○辻一彦君 まあ廃棄物全体についてはあとでまとめてお伺いいたしたいと思います。  そこで、私、まず最初に都甲参考人にお伺いをいたしたいのですが、いままでわが国の原子力委員会は、国会におきましてもしばしば世界のどの国よりも安全性においてはきびしいと、こういうことをここ数年ずっと説明をされてまいりましたし、原子力委員会の代表もそういう御発言でありました。しかし、最近において、アメリカにおける低人口地帯、それと日本との比較、あるいは西ドイツにおける安全度のとり方、まああそこではファントム戦闘爆撃機から直撃を受けてもそれに耐えるような構造を考えるとか、そういう西ドイツの基準、それからいわゆるマン・レムの概念が入っておりますが、カナダ、西ドイツが百万人レムに対してわが国が二百万人レムの一応目安になっている。こういうアメリカ、ドイツあるいはカナダ諸国に比べて、わが国の具体的な立地における原子炉の安全基準というものを比べた場合に、世界一きびしいということは言えないのじゃないかと、こういうことを私はいろいろ申し上げて、最近は世界のきびしい国の一つであるというような御答弁になっております。そこで、まあ先生はその筋の御専門でありますので、わが国の安全基準あるいは指針というものが諸外国に比べてどのくらいなきびしさを持っているのか、こういうことを第一にお伺いをいたしたいと思います。それぞれ持ち時間がありまして、なるべく多くをお伺いいたしたいので、要点をまとめてお願いしたいと思います。
  16. 都甲泰正

    参考人(都甲泰正君) それでは、ただいまの御質問にお答えしたいと思います。  まず、立地基準のきびしさと申しますか、それは日本の立地基準にも書いてございますように、周辺環境とそれから安全防護施設とのかね合いで判断するものであろうかと思います。それで、わが国の立地基準世界で一番きびしいかどうかという御質問に対しましては、あとのほうの非常にさびしいほうの一つであると言うのが正確であろうかと思います。と申しますのは、御承知のように、西独の基準がかなりきびしゅうございまして、これは西独の置かれております特殊な立地条件を反映していると考えてよろしいかと思います。と申しますのは、西独では、原子力発電所の立地可能な地帯があのライン川沿いとか大きな川の岸に限られておりまして、そのために必然的に人口密集地帯に近いところに原子力発電所をつくる必要がございます。そのため、実際に立地条件を調べてみましても、アメリカとか、日本、あるいはイギリスあたりの立地条件に比べまして、最近の西独の立地条件はかなり人口地帯へ近づいております。このために、安全基準及び安全設計とも、その西独の特殊事情を反映いたしましてかなりきびしい設計になっております。西独の軽水炉の設計が、特に安全設計が、アメリカ型の軽水炉に比べてかなり独特なものである、安全設計を強化したものであるということがいわれておりますが、これは、この西独の特殊事情を反映したものであると考えてよろしかろうと思います。  それから今度、日本の場合とアメリカの場合を比べてみますと、いろいろ書き物等で日本の敷地条件がアメリカに比べて人口地帯に近いのではないかという批判がございますが、実際にアメリカの全発電所の出力とそれから敷地境界までの距離というようなものをプロットしてみますと、わが国の敷地条件とほぼ同等である。これは私がついにこの前学会誌に原稿を書きましたときに調べた結果わかったわけでございますが、実はアメリカの立地基準といたしまして一九六二年につくられましたものがございます。その中に、TID方式——TIDの一四八四四でございますが、そういう文献がございます。それによる立地方式というのが示されておりますために、この辺がよく誤解されておりまして、その方式で計算いたしますと、たとえば百万キロワットの原子力発電所ですと非常に大きな敷地境界、敷地面積を必要とするわけでございますが、事実アメリカの実情を調べてみますと、そのTID方式を満足する敷地というのはほとんどございません。と申しますのは、アメリカにおきましても、そんなに広い立地というのは実際上選定できないわけでございます。そういうことでございます。  それからわが国の立地基準でございますが、これは一言に申しますと、アメリカの立地基準参考にしてその中に日本の社会の特殊事情を加味してつくっていると私は解釈いたしております。その相違点を申し上げますと、日本の立地基準といいますのは、重大事故と仮想事故の二つの事故に対して評価を行なっておりますが、アメリカは、御承知のように、仮想事故という、まあ極限事故と申しますか、安全評価で考えます最大の事故それ一つについて評価を行なっているのみでございますので、その点では、日本の立地基準のほうがより詳細な検討を加えているということができようかと思います。  それからもう一つの大きな違いは、日本の敷地境界の距離というのは重大事故で評価いたしております。この重大事故といたしましては、先ほどの冷却材喪失事故を考えましてそのときにECCS系統か一部効果を発揮すると、こういう事故でございます。一方、仮想事故というのは、一次冷却材喪失事故でECCS系統が効果を発揮しない事故でございますが、アメリカの立地基準では敷地境界というのは仮想事故で評価いたしまして、ただその二時間線量、事故が発生したあと二時間の間に受ける線量でもって評価をいたしております。つまり、アメリカの立地基準の中には、二時間以内に退避できるという退避の概念が入っておりますが、日本の立地基準ではその点を二時間という数値をきらいまして、たぶん重大事故という技術的に考えられる事故の中で最大限の事故を考えて評価する、そういうふうに日本の立地基準をつくっているというふうに私は解釈をいたしております。  そういう意味でございますので、立地基準を日本とアメリカと比べてどちらがシビアかということは、少なくともアメリカ並みにシビアである、たぶんそれ以上にシビアであろうと思いますが、それ以上に重大なことは、敷地条件がほとんどアメリカと日本とは同等であるということ、これはもうはっきり申し上げることができようかと思います。  以上でございます。
  17. 辻一彦

    ○辻一彦君 もうちょっとお伺いしたいのですが、低人口地帯、それからTIDの変遷は私もかなり調べてみました。前の距離は安全であると、こういう概念が技術的な前進によってかなり変わってきているということも伺っております。しかし、それでも、たとえば全く大飯発電所と同じアメリカのセコイアの発電所、あるいは、ニューボルトアイスランドといいましたか、最近百万単位で許可されたのでありますが、P型、B型どれを見ても、やはり五キロから八キロぐらいは全部その敷地周辺部に低人口地帯というのを一応アメリカは設けておりますね。広大な国土におけるアメリカがなお万一ということを考えてその敷地の周辺に五ないし八キロ、今日でも技術が進歩したといいながら、それでも低人口地帯を設けている。これに比べて、日本の原子力委員会の全部八百メーターの敷地内に入るという考え方は、基準上余裕を十分に見るという安全度から考えれば甘いのじゃないかということが一点と、それからもう一つは、西ドイツの人口分布図でありますが、ラインにあるあのビールス等の発電所の分布図を見ると、大きな発電所は、底辺百キロに三角形の両辺七十キロというような形でかなり広い地帯に分布をしておる、こういうふうに考えるわけですね。わが国のたとえば百十万キロといえば、大飯、東海、福島とありますが、東海等を考えれば、かなり人口のあるところに大型が設けられている。こういうことを考えれば、もし西ドイツが人口の関係をもってきびしい基準を日本よりもきつく持っているとすれば、わが国の立地の基準といいますか、その基準はもっときびしくあるべきじゃないか、こういうふうに思いますが、この点につきまして、都甲参考人と、東海の関係もありますので中島参考人からもひとつ御意見を伺いたいと、こう思います。
  18. 都甲泰正

    参考人(都甲泰正君) それでは、最初の御質問に対して見解を述べさしていただきますが、日本の仮想事故の評価のときに低人口地帯が敷地内におさまっているかということでございますが、これは確かに現状そのとおりでございます。その理由でございますが、これは、安全評価に際しまして見込みますクレジットと申しておりますが、つまり何と何の効果を計算上認めるかと、その認め方によりまして簡単に数値は変わってまいります。それで、実は、一言で申しますと、安全評価に際しますクレジットをたくさんとりまして、出てくる答えをなるべく小さい答えを要求する。基準が、現在ですと、敷地境界において、たとえば事故の場合にはおとな二五レムという線量がきまっておりますが、あるいは仮想事故の場合にはおとなの甲状腺三〇〇レムというふうに低人口地帯の外できまっておりますが、それをたとえば安全評価のクレジットを非常に小さくとりまして出てくる答えが三〇〇ぎりぎりでもいいという考え方と、それから別にもう一つ考え方は、安全評価に対してとるクレジットを技術的に十分評価いたしまして合理的と考えられる範囲内でやや大き目にとりまして、ただ、そのかわりに、出てくる線量のほうを、たとえば指針では三〇〇レムといっておりますが、その三分の一以下ぐらいを目標としようということ、この二つの考え方は全く等価でございます。日本の場合にはその後者の方法を従来採用してきたと、こういうことになろうかと思いますので、安全上どちらが安全であるということとはちょっと関係がないのではないかと私は考えております。  それから二番目の御質問でございますが、日本の場合に人口密度がアメリカに比べて多いので、ドイツ並みあるいはそれ以上に立地基準をきびしくすべきではないかという御意見に対してでございますが、これは実はわが国の全体の人口密度は確かにアメリカあたりに比べますと相当多いだろうと思いますが、まあ東海村がやや多いかもしれませんが、それでもアメリカのインディアンポイント2あたりの人口分布と比べますと、東海村のほうがたぶん少ないのではなかろうかと思います。といいますのは、インディアンポイント2というのはちょっと離れたところに大きなニューヨーク市を控えておりますので、世界的に見ましても非常に低人口地帯と申しますか、周辺の人口分布の多い発電所一つでございますが、そういう意味でございますので、やはり敷地周辺の人口分布、距離によってどう人口が変わっているかと、そういうことによりまして判断すべきではないかと考えております。  以上でございます。
  19. 中島篤之助

    参考人中島篤之助君) 東海のほうということで御質問がありましたので、まず申し上げたいのは、東海の場合、これは原子力発電所だけでなくて、かりに事故がない場合でも再処理工場がある。もちろんこれについての複合効果というのは東海二号のときに計算はされたということになっておるわけですけれども、実は住民がそれに対してどう思うかということはないわけでありまして、いま都甲さんがおっしゃいましたように、敷地低人口地帯のところで二五レムであり、おとなの甲状腺で仮想事故のときは三〇〇レムだというふうなことを住民が納得すればそれは置けるということでありまして、だれも納得していないわけでありますから、これはそういう基準のとり方自体がおかしい。それからもう一つは、立地基準がこれはたとえば東海のケースでおきますと、あれは原子力発電会社原子炉でありますから、具体的にたとえば郭賀にも敷地を持っていらっしゃる、東海にも敷地がある。現在の安全審査のシステムですと、安全審査会が独自に百十万キロ置くのによい土地を選んで置くということはなされているわけではなくて、その申請者から出されたのがいわゆる基準に合っているかどうかということだけを見る審査をおやりになっているわけでありまして、しかし、たまたまあの東海二号炉の場合には郭賀と東海というのがある。そうすると、郭賀へ置かれたらどうですかということは、これは常識的に出てくる一つ議論でありまして、郭賀のほうが人口とかそういう点からいけばベターだということが言える。そうすると、それをもっと広げますと、もっとベターなところがどこかにあるのではないかという話が当然出てくる。これが立地の一つの問題だと思うのですが、現状はそうではなくて、どこかへ一つ置いてしまいますと、そこはすでに置いちゃったということ、ないしは置けたということは、比較的その住民の方の反対運動が少なかった。そうすると、どんどんそこへ集中するというのが現在起こっている問題でありまして、たとえば福島あたりが一番ひどいと思いますが、非常に近いところへ千万キロワット以上の原子炉が集中するということが起ころうとしておりますし、それから若狭湾でありますと、これは少し離れたところへぼつぼつと県全体として見ればたいへんな集中が起こるということが現状である。これは現在の安全審査会に責任があるよりも、安全審査がそういうシステムでやられるというところに実は非常に大きな問題があって、その立地基準をどうとるかの以前のまず問題が一つあるということを申し上げておきたいと思うのです。  それからこれは過疎地の人だけががまんすればいいというような話も確かにあるわけですけれども、現在の原子力技術を考えますと、十分な防護をした上でもやはり敷地はなるべく安全といいますか、人口の少ないところを選ぶというのは、これはきわめて常識的ではあるけれども一つのよい方法でありますから、むしろそういうところを積極的にさがすというのが正しい態度ではないかと思うのでありまして、その点も十分考えていただきたいと思っておる点であります。  時間がありませんから、簡単に申します。
  20. 辻一彦

    ○辻一彦君 これはあまり詳しく伺う時間がないので残念ですが、もう一つだけ伺っておきます。  先ほど、私、西ドイツの場合に百キロと七十キロと、こういう距離を申し上げたのですが、若狭湾や福島の場合にはいまのお話のように非常に集中していますね。だから、特定の地域で西ドイツと比べて人口密度の比較もありますが、特定の地域に極度に集中しているという場合は、やっぱり西ドイツにももちろんアメリカにも例を見ない若狭湾や福島地区の過度集中であると思うのですね。こういう場合には、もっときびしい基準というものを考えるべきじゃないか。現状のような基準であるから、ああいう集中かまあこれはワクの中におさまるんだと、こういうことで全部進められていくのじゃないかと、こう私は思いますが、その点、都甲先生、簡単でけっこうですが、いかがですか。
  21. 都甲泰正

    参考人(都甲泰正君) ただいまの御質問の一地点あるいは一地域原子力発電所が集中する場合の基準に対する考え方を述べさせていただきたいと思います。これはアメリカの立地指針でもはっきり明示してございますが、一つの地点に二つ以上の原子力発電所を置きます場合でございますが、二つに分けまして、一つ平常時の問題もう一つ事故時の問題と二つに分けてお答えいたしたいと思います。  最初の平常時の問題でございますが、これは当然一地点に何基置きましても、あるいは一つ地域に何十基置いたといたしましても、そのすべての複合効果による線量がたとえば五〇〇ミリレム、現在のどころ許容レベルが五〇〇ミリレムでございますから、それをこえてはならないと。アメリカのいま提案されております指針によりますと、設計目標としてすべての発電所からの影響が敷地境界において一〇ミリレムをこえてはいけないと、そういうことになるわけでございます。ですから、一つ発電所がある場合に比べまして、もしそこに五つ六つと置くといたしますと、一基当たりはそれだけ放出量を下げる努力をしなければいけない。これは、技術的に新しいあるいは大きな先ほど申しておりましたチャコールベッドの効率の高いものを設けるということになろうかと思います。  それから事故時でございますが、事故時には、これは一つ発電所で起きた事故がそれ以外の発電所たとえば隣にあります発電所影響を及ぼしまして事故を誘発すると、そういうおそれがない場合には、複合を考えないでよろしいということをうたっております。その根本的な考えといたしまして、実はこれは安全評価の考え方の根底にさかのぼるわけでございますが、安全評価で考える最大の事故として一次系配管の最大破断を考えるということなんでございますが、これはもともと一次系の配管というのはこわれないようにつくるわけでございます。それを安全評価に際して一本こわして考えるというのが大前提でございますので、そういう非常に起こりにくい事故が独立に同時に二カ所に起こるということは、これはとても技術的に考えにくいということで除外して考えておるわけでございます。でございますから、一つの地点あるいは一つ地域に二つ以上の原子力発電所が集中した場合にも、事故の場合にはもし誘発事故が起こらなければ独立に評価してよろしいと。ただ平常時の場合にはその複合効果を考えなさい、現在の基準ではそうなっておるわけでございます。
  22. 辻一彦

    ○辻一彦君 久米先生、地震の問題なんかを考えた場合に、こういう集中の問題について何かお考えになっておりませんか。
  23. 久米三四郎

    参考人久米三四郎君) 地震の問題については、いま私たちが問題にしています伊方の場合に非常に議論になっておって、これはもう訴状なんかに書いてございますので読んでいただいたらいいと思いますが、さっきから都甲先生おっしゃっていますように、ちゃんとわが国の立地の目安の中にもそういうところは避けろと書いてあるのに、わざわざそういうところへ持っていく。その根拠は、耐震設計が発達したからだいじょうぶと。それだったらあの目安を撤回すべきです。あれを書かれた方はどなたか知りませんが、地震のところは避けようという非常に常識的な考えがあるのにかかわらず、それを無理やりに計算でだいじょうぶだからといって持ってこようというふうな非常に誤ったあれがあると思うのです。実は、この伊方の問題を調査している過程で、ある地質の専門家のところに私は参りました。そこで、実は敦賀とか美浜の場合にも、つくられるときにアメリカのほうのジェネラル・エレクトリックあるいはウェスチングハウスのほうからその教授のところに問い合わせがあったという重大なことを私は聞いた。どうしてかというと、自分たちのほうとしては日本の地震の事情がよくわからないので、聞くところによると地震国であるので、一体、敦賀とか美浜はだいじょうぶであるかというふうに問うてこられたと。その教授は、いや、北陸のあのあたりは日本でもかなりの有数の地震地帯であるということで、自分としてはそれは地震のことについて懸念しなくてもいいということはよう言わないというふうに言われたそうです。私はこの事実はぜひ一回議会あたりでも調べていただきたいと思いますが、ここにも板倉さんがおられますが、おそらく商業上の約束をされるときに向こうのジェネラル・エレクトリックなりウエスチングハウスはたぶんその辺は免責条項としておられるのではないかと、これは想像です。こういう点はアメリカでやったものを日本にそのまま持ってきてサルまねをして、さっき都甲先生がおっしゃったように、西独のような場合は特例だとおっしゃいましたが、日本も決して特例ではございませんで、有数の地震国です。アメリカの分布をごらんになっても、カリフォルニアのほうにはもうほとんどない。これは住民運動が強いということもございますが、地震のせいであるということは世界に明らかであります。そのカリフォルニア以上の地震の国に持ってくるときに、アメリカの東部でやっておるような常識のものをそのままさげてきておられるわけですから、それで建物だけをやたらとじょうぶにしたって、そんなものは何のあれもないわけでして、特にコンクリートのひび割れの問題とか、これはもう未解決の問題がたくさん建物についてもあるわけです。それにもかかわらず、その地震国にそのまま持ってきておられるということについては、一度これは、私たちはとてもそういう権限がありませんが、そういう商業上の契約上の問題とかそういうことも議会で調べていただきたいと私は思います。そういうことの中で日米の安全に対する考え方の差というのは出てくるのではないかと思います。これは間違っておったらいま板倉さんなり都甲さんから訂正していただいたらいいと思いますけれども、私はそういう意味では地震国日本に対する配慮が非常に欠けておるというふうに思っております。特にそれが集中的に出たのは伊方の場合であるというふうに思っております。
  24. 辻一彦

    ○辻一彦君 地震との関係は、これは別の機会に少しまた論議をいたしたいと思います。  そこで、燃料関係の問題でこれから少しお伺いしたいと思います。これは都甲先生とそれから久米先生にお伺いをいたしたい。  暫定指針がアメリカのが出ましたが、日本の原子力委員会でも、去年の三月ですかに大体指針を出しておられると先ほどお話がございました。そこで、福島について言いますと、一号炉から五号炉までと、それから六号炉からあとは四十七年の三月というのをめどに変わってきていると思います。それらのごく数字でけっこうでありますから、どういうように変わっているのか、それから福島一号から五号に至る燃料被覆材の最高温度、こういうものが何度になっておるのか、それからもし前の状態よりも暫定指針後福島一号炉の被覆材の最高温度が変わったとすれば、設計あるいは出力あるいはその他に何らかの変更があったのか、何もなしにおさまっているとすればどういう事情であるか、この点をお伺いをいたしたい。  それから時間の点もありますので二、三点まとめて申し上げます。  二つ目は、美浜の加圧型の燃料棒にピンホールの穴がかなり大きな穴があいた。何か聞きますと、水中カメラでちょっと見えたということもこの間現地で関電が話しておるのですが、ピンホールというような小さな穴ではないように思うのですが、こういう穴といいますか、こういうものがどういう原因で起こっておるのか。そこで、さらに美浜の場合には問題がある非加圧型の燃料棒を全部交換を加圧型にしましたが、これは新しい燃料、古い料、こういうことで——非加圧型燃料が古い燃料、加圧型燃料が新しい燃料、こういっておりますが、そういう新旧燃料の交換ということで問題は解決をしているのか。特にP型、加圧型の原子炉では、最初燃料棒に外圧によるゆがみの懸念があり、それからあとになっては内圧によるゆがみの懸念がある、こういうことが当然考えられるわけですが、そこらは一体どういうようになっておるのか、この点につきまして、都甲先生とそして続いて久米先生からもお伺いしたいと思います。
  25. 都甲泰正

    参考人(都甲泰正君) 最初のECCSの問題に関連いたしまして一次冷却材の喪失事故後の温度でございますが、福島一号でございますが、それを検討いたしましたときの資料がちょうど手元にございますが、アメリカの暫定指針方式で検討いたしますと、約千百七十度ぐらいになっております。おおよその数値でございますが。それから二号から五号までは、これは設計は全く同じでございまして、千百八十五度Cということになっております。一方、日本でつくりました暫定指針、日本の暫定指針でございますが、それで検討いたしますと、両方とも約十度ないし二十度ぐらい高目の数値が出ております。これは、先ほど申しましたように、被覆材の内面酸化を考えるとか、そういった計算方式の差による違いでございます。  それから二番目の御質問の美浜の燃料の問題でございますが、実は、私、燃料専門家でございませんので、あるいは少し間違っておりましたら御容赦いただきたいと思うのですが、知っております範囲でお答えさせていただこうと思います。  まず、ピンホールの問題でございますが、これは実はいろいろの原因でピンホールというのはあくだろうと思います。それからまた、どのぐらいまで許容できるかというそのレベルによりまして実は製造過程でどのぐらい厳重に検査したらいいか、品質管理——よくクオリティ・コントロールと申しますが、品質管理のレベルをどのぐらいまで押えたらいいかという問題と直接関係があると思います。それからもう一つ重大な問題は、先ほど久米先生から御説明ありましたように、燃料の使用条件でございます。どのぐらいの温度で使用するか、あるいはどのぐらいの期間使用するか、大体そんなところがピンホールのあき方、何本燃料がこわれるかということに一番きいてくる因子だろうと思います。現在のところ、たぶん設計では一%、あるいは五%といっていることもございますが、燃料棒全体の一%ないし五%ぐらいにピンホールがあいても定常運転に差しつかえないように廃棄物処理計その他の設計をいたしまして、それを目標に品質管理を行なっていると私は了解しておりますが、ただ、実績では、〇・一%以下ぐらいの破損燃料が生じているというのが実情であろうかと思います。ですから、どのぐらいの破損燃料まで設計にあたって許容するかというのは、これは実は環境問題と直接関係があるわけでございます。でございますから、将来日本でもいま検討しておりますような公衆に対する被曝線量が一年間に五ミリレムというようなことがきまりますと、その線に沿ってこの燃料の信頼度を見直すということになろうかと思いますが、ただ、いままでの実績ですと、先ほど板倉参考人からもございましたように、年間五ミリレムといったような数値をこえたことはないのではなかろうかと思います。  それから美浜の燃料でピンホールではなくてもっと大きな穴があいたのがあるということでございますが、確かにいろいろな原因によって燃料棒はピンホールがさらに大きくなりまして、目で見えるようなかなり大きな穴、あるいは燃料被覆管がバーストと申しましてかなりの長さにわたりまして口をあけることがございます。この場合の考え方でございますが、安全基準のほうから申しますとこれは二つございますが、一つは、プラントの保守に影響を及ぼしてはいけないというほうからきまります一次系の水の放射能の汚染レベルというのがございます。それがある値をこえてはいけないと。それからもう一つは、環境放射能に対する基準でございまして、毎秒何キュリー以上出してはいけない。この二つの基準をこえないようにして管理するわけでございますが、燃料破損の原因といたしましては、燃料のクオリティ・コントロール漏れ、品質管理漏れと申しますか、品質管理で完全に一〇〇%合格品というわけではございませんで、ごくわずかの割合、たとえば〇・一%とか〇・三%ぐらい品質管理から漏れるものがあるということを覚悟してものをつくるというのはこれは生産の常識でございますので、たぶん一番大きな原因はいまの品質管理漏れではないかというふうに考えております。  それから非加圧燃料と加圧燃料の違いでございますが、確かに、いま御指摘のとおり、加圧燃料になりますと、初期の段階では被覆材を中から外に向かって押しておりますので、それから中に大量のヘリウムが入っておりますので、熱伝導度がよくなります。つまり、中に入っておりますウランペレットから被覆材への熱伝導度がよくなります。これがまた非常に燃料棒の信頼度にきいてくるといわれております。  以上で私の理解している範囲でお答えさしていただいました。
  26. 久米三四郎

    参考人久米三四郎君) 前の暫定指針に関しては、私は都甲先生ほどその問題には詳しくありませんが、いろいろな種々の情報から見て私としては信頼をしていない。というのは、この暫定指針に対しては、御存じのように、アメリカ国内でも非常に強い批判がございます。いま先生もおっしゃいましたように、これはある条件を仮定して、それで一次冷却水の喪失事故があったあと、また冷やされるというある仮定が入っています。それで、計算機でやって、やれ何とか三けたをおっしゃっていますけれども、私はそんなものはとても信じる気にはならないので、そういう仮定全体が、さっきおっしゃいましたLOFTの実験で大きくゆらいでおります。それでこれは事実でございますが、アメリカでも、最終結論は、あの事件があって早期に一年以内ぐらいに結論を出すつもりで公聴会をやったところが、やればやるほど問題が出てくる。しかも、AECの専門家のほうから暫定指針に対しての疑問が続出するというような状況で、最終結論がいまだに出ない、いまだに暫定であるという点をぜひ注目していただきたいと思います。決してこれは簡単に何か解決するというようなものではないので、一方動いている原子炉をどうにもしようがないので、ともかく何とかそういうことでつじつまを合わしていこうということにすぎないのであろうと、私はそういうふうに思っておりますので、あまり個々の内容の温度について触れようとはいたしません。ただ一例だけ、というのは、私はこのお話を承ってから二日か三日ほどしかございませんので、福島の一号から六号まで徹底的に調べる時間がございませんでしたが、特にBWRに関しては、アメリカのジェネラル・エレクトリックでBWRの六型ができたというので非常に安全性が高まったと大宣伝がされております。おそらく福島のあとのほうについても、そういうのを採用するからだいじょうぶというようなことになるかと思いますが、これは一口にいいますと、いわゆる線出力密度というのを下げてあるのですね。メートル当たりのキロワット数が下がっておって、しかも出力密度がふえるというので太鼓をたたかれておりますが、これについては、実はアメリカは御存じのように相手方がPWRはウエスチングハウスがつくっています。そのウエスチングハウスのほうがこれに対する批判文を出しておりまして、これはいずれしかるべき機会に発表したいと思いますが、いまはちょっといろいろな情報源その他もありましてあれですが、ジェネラル・エレクトリックの皆さんが太鼓をたたいておられる計算というのは非常に当てにならない。それによりますと、緊急の事故が起こったときの燃料被覆管の最高温度は八百度C、摂氏にして八百度ぐらいにしかならないと、これは画期的なことですが、そういうふうに言われておるけれども、ウエスチングハウスのほうでいろいろまあ多少意地悪い計算をすると、それは一千三百度をこえる、すなわちいまの暫定指針をこえてしまうというふうに言っておるわけです。この批判の内容についてわれわれいま検討いたしておりますが、商売がたきといえ、もうすでにそういうあれが出てくること、これに対して評価はおそらく日本の専門家もできないという状況で日本の開発が進められていくということ自身が非常に問題だと思う。そういう一つの事例だけをあげて、いま旗頭になっておるBWR六型についても、アメリカ国内ではかなり手きびしい批判も出ておるので、ぜひ皆さんはカタログを信じて、そのままで技術が改良されたというふうなあれに惑わされないようにしていただきたい。燃料棒全体については明らかにこれは試験期間であります。この点についてはあらゆる専門家といえども一致するのでありまして、それを実証炉と名を打ってそういう綱渡り的事実を公衆の面前でやるということについて私自身は非常に反対しておるわけです。そういう技術というのは改良しながら進むのは当然なんですけれども、あまりにもそれの代償が原子力の場合は大きいものですから、はっきり実験段階であるということも国民に断わってやるべきである。それを実証でだいじょうぶだ、心配するな、まかしておけというようなことで開発しておられる点が問題だと思うのです。  それから第二に美浜の点、これについてはいろいろな教訓的なことがあってお話ししたいことは山ほどあります。特にこの点については、私は辻さんたち調査に行かれるときに一緒に行かしてもらいましたので、いろいろ現地でも向こうのお話も聞くことができました。それで、事実関係では、一つは、先ほど申しましたピンホールというのは、これはうそであります。この点はこれから私は正確にしたいと思うので、ピンホールというのは、いま都甲先生もおっしゃったように、製品のふできで、ふできというか、これはいかんともしがたいことになっておりますが、ある程度の漏れ率はやむを得ないということになっています。そういうものに関してピンホールと呼ぶべきであって、破損して燃料をピンホールと呼ぶことは間違いでありますから、こういう発表をする電力会社は私は手きびしく批判する必要があると思う。美浜の場合はどういう発表をしたかというと、ピンホールを一方に見つけたというのです。これはうそなんです。いま辻議員は、向こうはもうちょっと大きかったといっておると言っておられますが、私はある放送会社の方を通じてその点は確認いたしましたが、やはりわれわれの得た情報どおり、いま都甲先生もおっしゃったように、被覆管が大きく裂けて、しかもその一部分が炉の底に沈むというふうな非常に大きな燃料破損が起こっておったということです。これをピンホールというような形で発表する、その事実はどういうところから起こるかというと、破損を見るのには二つの手がありまして、一つはシッピング法といって、一次冷却水のところから別の水槽に移して漏れてくるのを確かめる。こいつは放射能の漏れで調べますから、どんな穴があいておったかということは見えないのですね。だから、ピンホールというのはいかにそれはそうであるか、何も見てないことをそんなことを勝手に言うわけですから。それからもう一つは、のぞく。美浜の一号炉はそれをやったのですが、こいつは水中カメラで置いておいて、ずっと前を燃料棒をつり下げて通す。見学に行かれたらわかりますが、炉心の水というのはそれほど透明度がよくありませんから、これを水中カメラでのぞいているわけですから、そんなもので見て回った破損にピンホールなんてあるはずはないでしょう。明らかにそれは大きなクラックがあいておるものに違いがないのに、それをピンホールと発表しておるというそういう事実が一つ。  それから加圧型と非加圧型については、これはへっ込んだのはアメリカのジンナーの発電所でもありました。ちょうど一年前にアメリカでそれが起こって、非加圧型はへしゃげるという事実が出て、さっき言いました卵型にへしゃげるという事実がもうアメリカで見つかっておったにかかわらず、だいじょうぶということでやっておったわけですが、やはりそれはへんてこだ。それをいわゆる加圧型に変えてもうだいじょうぶだといったのですが、そのいま言いましたピンホールがあいたのはどちらかというと、これは加圧型です。こいつはどうしてかというと、辻先生おっしゃったように、その燃料がふくれる、あるいは外圧が高くなるということで破損をするわけですから、これは前門のオオカミ、後門のトラでありまして、どっちがいいかというようなことは、長い間の経験、それもその運転条件で違います。美浜の一号でそういったから、二号は今度は出力密度がさらに高まっていますから、出力密度、あるいは運転条件、炉心の配置、そういうものに合ったような、ほんとうは圧力のあれがあるはずなんですけれども、そんなこまかいことを言っていないで、加圧か非加圧かという大ざっぱなことで現在進んでいる段階でありますから、加圧にしたからだいじょうぶというのは、これは全然のインチキであると私は思います。  それが事実でありますが、教訓として私はどうしても言っておきたいことが二つあります。一つは、ジンナーですでに一年前にそういう事故があったのに、これは当然ここの委員会なんかは差しとめられるべきであったのです。ところが、そうされずにそれを許したということ、これは非常に重大なことであって、つい最近私たちのほうに入った情報では、ジンナー問題が起こったときにアメリカでは公聴会が開かれた。そのときに日本にも実は美浜に同じタイプのやつが行っているということがわかって、美浜の発電所公聴会から問い合わせが来たという事実がわれわれのほうに入っております。これはぜひこの委員会でも調べていただきたい。そうしたら、発電所から自分のところはだいじょうぶであるという返事をその公聴会あてにやったという事実がいまわれわれのほうに入ってきております。これは重大なことでありまして、アメリカですでにそういうことが問題になっておるときに、日本であえてそれを定期検査までというふうに引き延ばして運転したというふうな、こういうことを許すべきでないと思う。あとを追っかけているにかかわらず、アメリカで起こっても日本ではだいじょうぶというようなこういう態度がやがては大きな事故につなかると私は思います。  それから第二の教訓は、これは先ほど言いました破損時の検出方法の問題でありまして、大きなクラックが避けたら、先ほど都甲先生がおっしゃったように、一次冷却水放射能のレベルがかなり上がっておるはずです。ところが、それを気をつかずにやったとすると、これは一次冷却水が非常によごれておるということの証拠でありますし、もしも気がついておったとすると、経済性のために安全性を無視したという、どっちにしてもこれは許しがたいことであると思いますけれども、定期検査のときに初めてそんな大きな裂け目が見つかったというこの事実は、私たち安全性を考えている者にとっては非常に重大な事態だと思っております。ほんとう放射能のレベルがちょっとでも上がればすぐとめて異常を調べるというふうにやるべきなのを、そんなに裂け目ができて、それをのぞいて見ないとわからないというところまでほっておいたというそういう状態で現在あの美浜の原子炉運転されておるとするならば、私は非常に寒心にたえないと、そういうふうに思っております。  まだ幾つかありますが、そのぐらいで……。
  27. 辻一彦

    ○辻一彦君 いま都甲先生と久米先生からだいぶ大事なことをお伺いできました。そこで、いまの問題に関連してですが、昨年の四十七年の八月二日に、美浜の関電は、アメリカのAECで非加圧型燃料に問題があるという発表が行なわれたその日ですが、こういう見解を出しておりますね。それは、三分の一、第一領域の四十一体は非加圧型の燃料だが、アメリカの原子力委が指摘した密度の九一%よりも九四%で高いから、アメリカに起こるような事故は起こりにくいと。それから第二としては、燃焼度が問題になったギネーの発電所では二万メガワット、美浜は一万一千三百六十五メガワットで少ないから、燃料棒を長く使っていないから心配はないと、こういう点で事故の心配もなく安全であると、こういうことを関電並びにまあいつも出てくる京都大学の先生が同様の見解を出しておられるのですね。ところが、美浜の加圧型の一号炉は、御存じのように、去年の六月から十二月まで細管漏れの事故でとまっておって、三カ月動かしてまた三月十五日から八月の十日ごろまでとまっておった。そうしますと、実質一万一千三百六十メガワットだから非常に燃焼度が少ないと言ったけれども、それから三カ月、しかも出力わずかに二十万か二十四万キロで動かして一おった。こう見ますと、何ほども燃焼度はその期間に上がっていないと、こう思うのですね。そうすると、ちょっとたって実際的には同様の事故がことし三月十五日に定期検査の中で三十八本の燃料破損棒が出てきたと、こういう問題が起きて、関電は、これはいかぬと、こういうことで、四十一集合体第一領域は全部非加圧を加圧型に変えたと、それでもう心配はないと、こういうふうに言っておりますが、さっき指摘されましたが、アメリカでこういうふうに指摘されたときに、日本のは心配はないと、こういう安易な態度じゃなしに、直ちに原子力委員会科学技術庁等がこの問題についてきびしく検査し検討する必要があったと思うのですが、たった二、三カ月で同様の問題が起きて、その前に心配はないと、こういうようなあいまいな態度が原子力委員会やまたその監督下にある発電会社の中にあるように私は思うのですが、これについて、都甲先生、久米先生、また発電側の板倉さん、中島さん、それぞれどうごらんになるか、ごく簡単でけっこうですからお伺いいたしたい。
  28. 都甲泰正

    参考人(都甲泰正君) ただいま辻先生から御指摘いただきました問題、実は私よくフォローしておらなかったものですから、直接お答えできないのでございますが、関電側の説明がもしそのとおりであったといたしますと、現在の知識で言われておりますのは、デンシフィケーションの問題がバーンナップが比較的初期に起こるということが言われておりますので、その辺に対する知識がその当時なかったのではないかと考えております。つまり、ギネーの発電所で二万メガワット・デー・パー・トンで美浜の発電所で一万一千幾らであると、だから安全だということ、これはもしこの原因が燃料のデンシフィケーションが原因であるといたしますと当てははまらないわけでございまして、最近の情報では、デンシフィケーションというのが最初の一千メガワットとか二千メガワット・デー・パー・トンまで比較的初期の段階に起こるというふうに言われております。ですから、その点はたぶん当時情報が不足していたのではないかと考えております。  それから三十八本について燃料の破損が見つかったと、これはたぶんシッピングで見つかったのではないかと思いますが、それを加圧型に取りかえたからだいじょうぶであるという発表をしたということでございますが、これは技術の進歩というのは大体そうだと思うのですが、欠陥が見つかりましたその時点で考えられます最良の技術を使ってそれを補正しながら技術が進んでいくと、こういう過程をいままでもたどってきておると思いますので、まあそういうことではないかと考えております。  直接のお答えにならなくて申しわけございませんが、ちょうどこの問題は、私フォローしておりませんでしたので、以上でお答えにかえさしていただきたいと思います。
  29. 久米三四郎

    参考人久米三四郎君) 私は、いまの点、もうだいぶさっき言いましたので、一つだけ、いま都甲先生がおっしゃったので。これは検出法と非常に関係があるんですね。いま辻さんおっしゃったように、アメリカから問い合わせて、アメリカで見つかったときに日本でだいじょうぶと言ったのは、中をのぞいていないと思うのです。私は一番初めお話ししましたが、燃料棒事故で破損とそれから変形がございますね。破損のほうはわりあいこれは検出しやすいのです。で、レベルの問題がございますが、一次冷却水放射能の漏れさえ測定しておればそれは運転中といえどもチェックできるのですが、変形のほうは破れないまではわからないわけです。だから、いま都甲先生はシッピング法と言われましたが、そうじゃないのです。あれはどうやってやったかというと、さっき言いました定期検査のときに炉心から引き出してそれを水中カメラで観測して初めてわかったんです。それで変形が非常にこわいのです。だから、これはジンナーのことが起こって公聴会から問い合わせがあった時代にもしも中をのぞいておったら、私はもう変形を起しておったと思うのです。にもかかわらず、それを調べようともしないで——これは調べるというと、たいへんなことになります。全部燃料を引き出してあれせにゃいけませんから。それで、燃焼度が低いからだいじょうぶであるとか、あるいは定期検査が三月で間近いからまあまあとかいうようなことで踏み切ったと私は思うので、それで私は非常に問題だと言っているわけです。ですから、この変形の問題は起こると非常にたいへんなことになる。さっき言いました変形した状態でたとえば事故なんかがあると、さっきから議論になっています暫定指針もへちまもどこかに飛んでしまって、もっと重大な事故拡大の要素になっていくわけですから、ですから、この変形については特に慎重にやらなければならないというのが燃料棒操作のイロハであるにもかかわらず、それが外的にわからなかったから定期検査までとにかくまあいってからやろうというふうなそういう安易な態度が許せないと、そういうふうに私は言っているわけです。
  30. 板倉哲郎

    参考人板倉哲郎君) 私の意見一つ。確かに、燃料が大きくこわれますと、日ごろの運転中におきましても、先ほどから話がございますように、一次系の水の放射能で検知できるということがございますが、この場合には、久米参考人も言われましたように、ピンホールの数がもともと多いといたしますと、それから一方ピンホールがなくてかなり大きな破損があったという場合には、放射能では区別しにくいことがあるかと思います。この点は久米参考人と同じ意見でございますが、ただ、私が多少意見を異にしておりますのは、燃料が多少破損いたしましてもいわゆるECCSの問題にきわめて大きな問題になると久米参考人は言っておられますけれども、その破損のしかたによりまして、多少ふくらむとか変形ということにつきましては、これは実際の炉の実験でないことはLOFTがまだやられておりませんけれども、それを普通の実の原子炉ではないところでいろいろ実験をしております。かなり燃料棒をふくらせてみたり、破損さしたりやっています。しかし、そういうことによって冷却の能力というものはなくならないということが実験的になされておりますので、もちろんその影響は全くないとは申しませんけれども、いきなり大きな事故と直接結びつくものではないと考えております。これは私の意見でございます。
  31. 中島篤之助

    参考人中島篤之助君) 燃料の問題については、これはさっき久米さんも言われたように、いろいろ新しい問題が続々と出てきておるというのが現状であるということを申し上げなければならないと思います。  それから最近いわゆるデンシフィケーションの問題が新聞なんかに報道されまして、まあいまさらのように。初めて起こったかのように言われているんですけれども、私ども原子力研究所にいる者から見ますと、今度のデンシフィケーションに関するような事柄というのは、実はもうかなり日本ではわかっておったのではないかというふうに思います。私自身専門ではありませんから知りませんが、私どもの同僚に実は聞いてみますと、それはもうわかって、いろいろさっき申し上げたたとえばハルデン・プロジェクトがございますけれども、OECDでやっておりますハルデン・リアクター・プロジェクトですね、それに原研は参加しておりますので、その関係の情報でこれに関連した情報というのはすでにあるわけでありまして、私はこの燃料問題なんかだけではありませんが、たいへん残念に思いますのは、せっかくそういうのをやっておるのに、正当に評価していただいてなくて、それで結局アメリカへ調査団をお出しになるのもけっこうですけれども、その前におやりになることがやっぱりあるのではないだろうかということをまず申しておきたいと思うのです。今度の問題についても、そういう角度から考えていただければよろしいかと思います。これにつきましては、もし委員会で御調査をなさりたいということでありましたら、ハルデン・プロジェクトの計画会議の議長は原研の三井田氏がやっておりましたし、それからその他たくさんの人がハルデンに行っております。この関係でしたら石塚さんが一番よくデータをお持ちになっておられると私は思います。  以上です。
  32. 辻一彦

    ○辻一彦君 私も原子力学会誌をちょっとのぞきましたら、ハルデンの何かいろいろ報告されておりました、プロジェクトが。で、前のこの状況を見て、いろいろ学者の間に資料がどうも行き渡っていないといいますか、お互いに学術情報が不足している感じが私は強いと思うのです。というのは、この前もECCSのときにもすぐアメリカに調査に行った、まあそれはいいでしょう。今度の場合も、きのう調査団が帰られたとかいうことですが、しかし、いまも御発言があったけれども、あの学会誌を見ても、ハルデンのプロジェクトには、もうすでに五項目、六項目——いま問題になっている燃料棒燃料の中にある水分が熱で分解をして水素になりそれがジルカロイに反応して腐食を起こすというようなことは、五、六点のうちの一つに取り上げておるわけですね。こういう問題は国際的に日本の原子力研究所も参加をして科学技術庁長官がそれに要るお金におそらく判でも押して出しているはずですが、なぜこういうのを活用しないのかですね。私は、こういう中身をもっと生かしたならば、ばたばたアメリカへ飛んで行かなくてもかなりに準備がこちらにできたはずでないかと、こういうように思いますが、そういう意味の学術情報というか資料がごく一部のところにある、あるいはあっても有効に使われていないという、こういう問題について、都甲先生、原子力委員会の安全審査のメンバーでもございますので、どうお考えになりますか。
  33. 都甲泰正

    参考人(都甲泰正君) ただいまの学術情報が一部に偏在しているのではないかという御指摘でございますが、審査会等でよく検討いたしますときには、アメリカの資料とかあるいは国内の資料その他手に入ります資料は一通り目を通しておるつもりでございます。もちろんそれぞれ御専門によりますが、たとえば燃料関係でございますと、燃料関係の御専門の先生方が、一通り目を通して、その上で判断をしていると、そうお考えいただいてよろしいと思います。特に原研の資料等ですと、これは文字どおり公開でございますので、簡単に手に入りますから、その範疇に入ると考えております。
  34. 辻一彦

    ○辻一彦君 資料公開の問題はいままでからも取り上げておりましたし、ちょっと触れておきたいのですが、それは安全審査専門委員会燃料のメンバーにはその資料は手に入っても、もう少し広範に、いわゆる日本のこれを研究されている学者の皆さんにはなかなか手に入らない。公開されなければ手に入らないのですが、そういうことが非常に局限されたところで資料が使われて公開されない、そのために広いすそ野を持つ研究の広がりというものが制限されるのではないかと、こう思うのですが、それをもっと公開をしてより多くの専門の学者が参加をして研究もし論議もし実験もやっていくと、こういう体制をとらないと、私はしょっちゅうこれからアメリカで起こった問題のあとをいつも追って歩く、またしばらくすればアメリカへ飛んで行かなきゃならぬ、こういうことが起こるのじゃないかと思うのですが、この点どうでしょうか。これは中島さんにもちょっとあわせてお伺いしたいと思いますが、都甲先生に……。
  35. 都甲泰正

    参考人(都甲泰正君) 私がいま申し上げましたのは、すべて公開になっていると私は解釈しておるのでございますが、ただいま辻先生御指摘いただきましたのは、たとえば審査会のメモでございますとか、そういった意味の資料の公開の御指摘だろうと思いますが、この問題につきましては、原子力局と申しますか、行政当局のほうからお答えいただいたほかがよろしいと思いますが、審査会のメンバーの私個人の見解といたしましては、ほんとうに資料は全部公開すべきであると、そういうふうに考えております。
  36. 中島篤之助

    参考人中島篤之助君) たいへん残念なことを申さなければならないのは、原子力委員会がアメリカ型の軽水炉はプルーブンである、実証済みであるという考えをとっておられますと、たとえば原研でJPDR2といったプロジェクトをやろうとしますときに、まあはっきり言えばよけいなことをやってくれるなということが理事会当局にあったことはこれは否定できない事実でありまして、ですから、ハンデン・プロジェクトについても私はそういう意味で必ずしも正当な評価が与えられたというふうには思っておらない。もっとこれはアメリカのものを輸入するにあたって必要なことをとにかくやっておかないと、国民に対する原子力研究所の責任という点から見て必要であろうかと思って私はJPDRプロジェクトなんかもサポートしたのですけれども、それはほんとうは自主ということから言えばもっと独自な炉を考えるべきであるという議論もあるわけでして、買ってきたものについて何か追試みたいなことをやるのにかなりのエネルギーをさくというのはどうかというような議論も実はあるわけです。しかし、とにかく現実として大量の軽水炉を持ってきてしまっているという事実がありますから、そういう意味でそういうものをやらなければならぬというのはこれはあり得る立場であると思っているわけですが、それがそういう形でサポートされない、極端なことを言うといい顔をされない。結局、実験というのをやりますと、必ずいろいろな問題が当然起こってくるわけでありまして、それが軽水炉にとって都合がいいうちはいいのですけれども、都合の悪いデータが出るとうまくないというふうなことでは、これはほんとうの安全を保障するということは決してできない、それから研究能力を十分に組織したということにはならないというふうに私は考えておりまして、そういう点では決して十分ではなかった。この前の五月九日にも私は申しましたけれども、実は原研で今度やることになったROSAにいたしましても、それからECCSの実験にいたしましても、実は新聞でいわゆるECCS騒動というのが起こってからようやく認めていただいたということが正直な実情でございまして、その前にわれわれの同僚である研究者が、炉心がどうなるか、冠水しなくなったときにどうなるかということの興味から出発してそういう計画を立てますと、はっきり言ってよけいなことをやるなというお話があったわけでありまして、二、三年その実験に着手する時期が延びている、こういうことが事実あったわけで、これと同様なことがあっちこっちであるというのは三原則という点から考えてたいへん残念だというふうに考えております。  それから現在の公開の点でありますが、ハルデン・プロジェクトのリポートはいわゆる協定文書ということになりまして、これは日英、日米の高速炉研究協定関係の文書は一般閲覧よりはかなりきびしい制限がついておりまして、たいへん見にくいないしは読みにくい状況にあります。われわれ所員でもむしろアメリカのドケットのほうがずっと簡単に読めまして、たとえばハルデンを見ようとしますと、複写をしようとしますと、たとえば部長の許可をもらわないと複写ができないという規定になっておりまして、たとえば辻先生あたりから電話がかかってきて焼いてくれと言われても簡単じゃないということを申し上げておきます。
  37. 辻一彦

    ○辻一彦君 都甲先生から、安全審査の中身、資料も公開すべきであるという発言がございまして、これは私はたいへん大事なことだし、けっこうなことだと思います。かねがねこれは強調していることですから、これはまた別の機会に行政当局と論議をすると、こういうことにいたしたいと思います。  そこで、いまのお話のように、せっかく日本に原子力研究所という設備と陣容、スタッフを持ちながら、どうもこれを十分に生かし切れないうらみがある。関電の美浜のインコネル細管のパイプにしても、三菱の研究所に持っていったり、原研へさっぱりそういうものを持っていかないのが、私はどうもなぜある原子力研究所をもっともっと生かして外国に劣らないように前進させないのかと、こういう点に非常に疑問を持ちます。この点については、これは行政当局とあとでまた論議をいたしたいと思います。  そこで、時間がかなり限られてまいりましたが、ピンホールといいますか、燃料棒破損のB型沸騰水型における事故の原因ですね、まあ東京電力、あるいはこの間通産省の見解によりますと、先ほどちょっと申し上げましたが、ペレット燃料内の水分が熱で分解して水素になり、これがジルカロイと反応して腐食を起こすと、こういうように言っておりますが、これだけではないということはすでにさっきいろいろお話があって明らかであると思います。しかし、この間、学会のあれを見ましても、四千本のうち四十八本の破損のうちの二十八本はこの水素とジルカロイの反応によって起こっている事故であると、こういうデータが出ておりますね。そうなりますと、水素とジルカロイ被覆管の反応による腐食ということはかなり一般化する懸念があるのじゃないかと、こう思いますが、これはごく局部に限定されるのか、一般的なものでないのかどうか、これが一つ。  それからもう一つは、最近、アメリカが出力制限をいたしておりますですね。まあ燃料の焼きしめによる影響を考えて、安全のために出力制限を命じたということであろうと思います。そこで、わが国の敦賀は、すでに自主的に六・二五%出力を落としておりますが、福島一号炉については、ドレスデンと同型でありますが、この問題はどうなのか、この点につきまして、都甲先生、久米先生に時間の点もございますので、簡単に要点だけお伺いいたしたい。
  38. 都甲泰正

    参考人(都甲泰正君) それでは、最初の問題からお答え申し上げますが、福島の燃料の破損の原因が水素であるということは、実は私も初めていまお聞きしたのでございますが、実は、燃料棒というのは、使用しておりましていろいろ欠陥が見つかりますと、そのたびにそれを設計にフィードバックしております。いまの水分の問題に関しましては、その情報が一年ぐらい前だったでしょうか、日本にも入ってきたことがございますが、新しい燃料のつくり方をするときにはUO2のペレットを焼きましてそのあと乾燥するわけでございますが、乾燥したものをなるべく早くその被覆材に詰めるという仕様が加わったはずでございます。つまり、それまでは、ごく微量の水分、つまりUO2のペレットの中に自然に空気中に放置しておくことによって含まれる程度の微量の水分が燃料棒の信頼性にそれほど影響があるという知識がなかったわけでございますが、その知識がふえましたために、燃料の製造工程にその仕様が一項目加わったことを記憶いたしておりますので、それと関連する問題ではないかと考えております。  それから最近のBWR燃料稠密化に伴います出力低減の問題でございますが、実は、昨日、調査団が帰ってまいりまして、私もまだその結果を聞いていないのでございますが、聞くところによりますと、最初アメリカのAECは十の発電所に対しまして五%ないし二五%の出力低減を命じたというふうに報道されました。この十のBWR発電所と申しますのは、いずれも比較的古い設計のもの、ECCS設計も比較的古いものであったわけでございますが、その実情はどうかと申しますと、ドレスデン二号その他の四つの発電所で実際に一〇%ないし二〇%程度出力低減を行なったと、残りの六つの発電所については出力のピーキング・ファクターを平坦化することによって局所的には一番高い出力は下げるわけでございますが、全体としての出力には変更はなかったと、そういうふうに聞いておりますが、その具体的なこまかい内容はまだ聞いておりませんので、ちょっとお答えいたしかねるのでございます。また、調査団の報告を少し勉強さしていただきたいと、そう考えております。
  39. 久米三四郎

    参考人久米三四郎君) 第一の原因については、私はその東電の発表は信じておりません。なぜかというのは、初めに申しましたように、その水素化であるということを調べようと思うと、中の燃料を全部掘り出して実際を見ないと、科学的には何にもわからないので、これは意地悪く見ると、いま都甲先生おっしゃったように、水素化というのは中の水である、これは水かどうかこれもまだわからぬのです。実証されていないのですが、水素が出てくるのは水しかないというそういう当てものからしか出てないんです。ですから、それはペレットの乾燥をよくしてすばやく詰めるというような対策を現に確かにとっておられるのです。だから、その原因は、もうすでにいまはないというふうな伏線でやっておられるのではないかと思われてしようがないので、私は水素化というような話を頭から信じられるのは非常に危険だと思うのであって、燃料棒の破損というようなものは、ほとんどその実態についてはわかっていないというのが実情です。ですから、水素化というのは私は信じておりません。  第二に、出力低下の問題は、いまの都甲先生のお話が同じだとしますと、ドレスデンの二と福島の一は、たぶんBWRの四でしたか、ゼネラル・エレクトリックのタイプでは同じですから、燃料要素の部分については私は詳しいことは知りませんけれども、大体同じと見てよろしいでしょうから、まあいまどなたかが出力低下せぬでもいいと言っておられますけれども、たぶんそのうちにすうっと下げられると思います。しかし、それは、燃焼度だとか、運転条件の函数ですから、ほんとんはどうなのか、これもまだよくわかっていないんです。だけれども、たぶんドレスデン2が下げておられるとすると、おそらくまねをされると私は予言をしておきます。もしも下げられないとすると、まだドレスデン2に比べて運転の期間が短いからという、美浜でさっき言ったと全く同じことをまた日本でやろうとしておられるというふうに私は思います。  以上です。
  40. 辻一彦

    ○辻一彦君 それについてもう一つお伺いしたいのですが、この間、われわれの委員会で通産省のほうからいろいろな説明がありましたが、ドレスデンの二と福島の一号はまあ同じだと、ところが、ドレスデンの二のほうはいわゆる燃焼度がかなり高いと、福島のほうは八月に定検をやって動かし出したので燃焼度が低いからまあいまのところいいじゃないかと、こういう見解が示されました。しかし、燃料棒の交換は全部かえるのでなしに、三分の一ずつかえておるとすれば、三分の一は新しい燃料棒であっても三分の二は古い燃料棒が装荷をされている。そうすれば、全部の燃料が新しくて燃焼度が低いと、こういうようには言えないので、ちょっと事案が出ればやっぱりかなりな燃焼度の中で出力ダウンの必要性が出てくるのじゃないかと、こういうように思いますが、この点、都甲先生、久米先生、いかがでしょうか、簡単でけっこうですけれども。
  41. 都甲泰正

    参考人(都甲泰正君) お答えをいたします。  いまの問題は、実は新しい燃料をどこに入れて古い燃料をどこに入れるという問題と関係するわけでございます。つまり、実際に燃料棒をどう配置したかという、その状態で炉心のピーキングと申しますか、ピーキング係数を正確に測定、あるいはその炉心の中に入っております計測器で測定して計算で推定いたしておりますが、その推定値をもとにいたしまして判断することになろうかと思います。ですから、ただ、バーンアップが長い低いだけではきまりませんで、実際に燃料棒の配置がどうなっているかということを総合的に判断いたしまして最終的に出力を下げるかどうかという結論が出るのではないかと思います。
  42. 久米三四郎

    参考人久米三四郎君) 私はもう内容については言いました。ただ、哲学として、非常にすれすれのことをやって、それでよかったらまあまあ何とかという、そういう運転のしかた自身を私は問題にしておるのであって、安全性の点からいうと、もう出力を下げ、燃焼度を下げるしかないのです。それで数年間やってみてだいじょうぶだったらじわじわとやっていくのがあれなんで、いまは、もう限界に来ているのです。燃焼度もあれも設計の基準からいって。そこで、すれすれの状態でちょっと落とそうか落とすまいかというようなことで、落とさなくてもうまいこといったというような、そういう危険なやり方を実証炉と称してやるやり方がしんぼうできないのです。
  43. 辻一彦

    ○辻一彦君 一時間半という時間がまいって、廃棄物の問題を私はもう少し中島参考人から詳しくお伺いしたかったのでありますが、時間が迫って、その点おわびをいたしたいと思います。  そこで、いままでの質問を通していろいろ御意見を伺ったのですが、問題点がP型にしましてもB型にしましてもかなり多いように思います。そこで、片やこれはもう完全なる実証炉であるから心配がないと、こういうような考え方がありますし、片方では、実証炉にあまりにも事故や問題が多く出過ぎるのじゃないかと、こういうことで多くの批判が出ておりますが、現在の加圧型並びに沸騰水型をして完全なる実証炉と言い切れるのかどうか、この点を四参考人からそれぞれ簡単にお伺いをいたしたい。  それからもう一つは、これは先ほど都甲先生も、資料はやっぱり公開したほうがいいだろうと、こういうような御意見でありましたが、私はいろいろなことを見てみますと、たとえば、都甲先生は審査委員でございますから御存じのとおりでありますが、この申請書には、安全審査の過程では企業の申請書、それから添付書類と、その段階に応じてそれぞれ出される。あるいは各安全専門審査委員から問題点が出れば、それに対して審査資料という形で、それぞれ企業が資料を出しておりますですね。その数はかなりな数にのぼるわけでありますが、中には、いろいろ問題はあろうとは思いますが、最大限そういう資料を公開して、日本の専門的な原子力に関係される先生方が共通のやはり学問的な情報、そういうものを踏まえて論議をしていただくと、こういうことがほんとうに学問の前進、あるいは実験研究における前進に役立つのではないか、これはもう欠くことのできない要件でないかと思います。そういう点で、福島で開かれる公聴会にしましても、企業の申請書と添付書類まででは、まあこれはだれでも見られるわけでありますが、しかし、ほんとうに共通の場を持つだけの情報をあれだけでは私は得られないと思いますが、そういう意味で、今後の資料公開の点につきまして、それぞれの立場からどう考えるべきであるということをお聞かせいただきたい。  もう一つは、これは都甲先生にお伺いしたいのですが、安全審査の中身がどう行なわれるかということを資料とあわせて知りたいというのが、いろいろな批判を持ち、不安を持つ人たちの共通した立場でございます。ところが、いままで論議されました中では、どうもそういう安全審査の論議を速記をとったりすると言いたいことが自由に言えないと、こういうことで自由な発言ができないと、こういう御意見があるというように聞いております。しかし、私は、安全専門審査会は少なくともこの道の日本のそれぞれの権威の方が学門の権威にかけて参加をされておるとするならば、そこで御発言になった中身というものがやはりどういう場に公開されても確信ある内容でなくちゃいかぬと思いますですね。そういう意味で、安全審査の中身も、どういう経過をたどったかということも公開をされると、こういうことが行なわれれば、私は、いま広範にある多くの不安や批判にかなり大きくこたえることができるのでないかと思いますが、これは特に都甲先生からお伺いし、ほかの皆さんも関連して御発言があればそれをお伺いして、私の時間がまいりましたので終わりたいと思います。
  44. 板倉哲郎

    参考人板倉哲郎君) 先ほどの久米参考人からのお話にございましたことに関連し、いまのお答えとも関連するわけですけれども、一つは、いま原子炉の出力といいましても、原子炉全体の出力ではなくて、たくさんあります燃料の一番高いものの出力を制限するということでございますので、これは都甲参考人の話もありましたように、運転の仕方、あるいは燃料を取りかえますときの燃料の配置、それから運転に入りましてから制御棒をどのように位置調整していくかということに関連するわけで、そういう操作を省力化しておりますと、最後は全体の出力の低下ということにも関連すると思います。そういうような調整の仕方を安全ぎりぎりの線で限界の辺を運転することが非常に不安だという久米参考人からの御意見がございましたけれども、全体じゃなくて、おのおのその個々の燃料を幾らに押えようかというその基準自身がきわめて安全に未知のところについては十分マージンをとってしておりますので、そういう意味で、運転の調整、あるいは燃料棒の配置の調整というようなことが安全ぎりぎりの線を走っているということには私は考えておりません。  それから実証炉であるかどうかということに対しての私の意見を申しますが、原子炉で安全上何が一番重要かと申しますと、これはもう皆さん承知のように、原子炉の中に大量の放射能を含んでおり、この大量の放射能環境に出るということがきわめて危険なわけでございます。そういう意味で、大量の放射能環境に放出しないということについては、十分な対策がとられていると私は思います。もちろん、これをよりよくする研究というものは今後大いにやり、みなで専門家の同士で意見を交換してやるという意見には全く賛成でございますが、ただ、よくこう事故があるではないかというお話に対しまして、いわゆる重大な安全にかかわるものでないことについて故障がかなりあるといいますのは、これまでの事例のとおりでございます。こういう故障が起こりましても、原子炉の場合には安全を第一としますために、自動的に原子炉は停止するというような方策があちらこちらにとられております。そういう意味におきましては、電力を出すいわゆる経済性という意味についてはまだ今後改良していき、そのアベイラビリティと申しますか、原子炉を置いて運転して出力を出していくというアベイラビリティのことについては、今後さらに検討する項目はたくさんあると思いますが、重大な安全の問題については、今後さらに研究は必要でございますけれども、十分な安全の対策はとられていると私は確信しております。  以上でございます。
  45. 久米三四郎

    参考人久米三四郎君) 実証炉かどうかの前に、私の基本的な考えをちょっと朝申しましたけれども、私はほかの参考人とは意見が違うかもしれませんが、これは非常に野蛮な技術であって、よほどのことがない限りは人類としてこれは使うべきでないという基本的な考えを持っております。  それで、その比較のためには、PCBは皆さんもうよく御存じのとおりで、PCBが流れていくときにどういう議論があったかというと、通産省のほうでは、クローズドシステムでやっているやつについては許可をすると。というのは、あれは熱媒体であっていろいろな工業に使われております。そういうことで避けようとしたのですが、それは世論の前に幾らクローズドシステムといえどもそれは必ずどこかで漏れるのであってこれは使用禁止の方向に行くということになったことは、皆さん非常に明らかなとおりです。ところが、原子力発電所は、私は名前を変えたほうがいいと思うのですが、大量放射性毒物製造装置です。伊方行政訴訟にも住民の方と一緒に私はそう書きましたけれども、そういうふうに考えていただきたい。こんなものを白昼堂々と許しておるというのは私にはあれなんで、それを安全工学的に押え込んでいるからというふうな議論は、PCBのときに一体どういうふうになったのか、その議論と比較していただきたいので、私はそういうクローズドシステムで何とか押え込んでいけるというふうなあれは技術の傲慢なあれだというふうに思います。で、もうそれをしないと人数はどうしてもあしたの日から食っていけないというときには別ですけれども、私は決してそうは思いませんので、そういう基本的なあれを持っていますから、あまり実証炉かどうかという問いについてはあれもないのですが、百歩譲って、それをどうしても皆さんがやるとおっしゃったら、いまは実証炉でないと言わざるを得ないので、たびたび引用して恐縮ですが、美浜の一号炉がその例であります。いま、板倉参考人は、たいしたことは起こっておらぬと言っておられますが、そうでないので、あの蒸気発生下の事故というのは重大事故一つなんですよ。原子炉安全専門審査会ではわずかそのうちの一本が破断するということが重大事故になっているのですが、あの美浜の一号は途中でモニター装置が働いてわかったとかいって大自慢をされておりますが、そんなことはないので、ああいう非常な現実が起こっている状態のときにもしも地震があったらどういうことになったか、考えていただきたい。一ぺんに数十本が破断するという事態が起こることは間違いないと思います。そういう重大事故ですら考えていないようなことは、もはや具体的なあれとしてのぼっておったと、私はそういうふうに理解しております。そういうこともひっくるめていろいろなあれがあって現在の利用率が三〇%そこそこであるとかいうふうなことでありますが、私は美浜だけを非難するのは非常に気の毒だと私自身は思っております。技術というものはそんなものであって、改良しながらだんだんいくのです。どうしてそんなにいらいらするかというと、あらかじめ大きな声で約束をするからです。これは実証炉、だいじょうぶ、心配するななんと言うておるから、ちょっとした事故でも隠そうとすると、よけいまたそれが問題になってあばかれて大騒ぎになるというようなことを繰り返しているわけですから、そのこと自身原子力開発の方針が間違っておるんです。これは。技術というのは、初めから絶対だいじょうぶなんてあり得ないので、すべての技術を見たら明らかで、だんだん途中では人身災害も起こし、いろいろな経験を積んで技術は初めて発展していくものですから、原子炉だけがあらかじめ計算できてそんなことはだいじょうぶだというのはそれは迷信です。だから、そういうことでないんで、いま危険なことだけれども、まあ国民がみんな将来どうしても要るというのであれば実験をしていきたいからどうか置かしてくれぬかというふうに住民に了解を求めれば、あとそんなにびくびくしてやる必要はないのですが、初めにそんなことを言わずに、だいじょうぶだ、まかしておけなんてうそ八百を言うからああいう事態になっているということをぜひ皆さん考えていただきたい。そこに実証炉かどうかということが具体的にあらわれていると思うので、これについてはおそらく板倉参考人も同意見だろうと私は思うのですが、いま経済性だからどうとか言われた。経済性を抜いた原発なんてあり得ないのでして、そういうものをひっくるめた実証性というのは、私の見る限りではとうていそんなものはないと思っております。  それから資料公開と公聴会の関係ですが、公聴会についても、私は、いま立法府がやっていただきたいことは、もしも実証炉でないと皆さんが少なくとも思われたら一あんまりいろいろな資料をあれこれやる学会ではありません、公聴会というのは。もう国民の生命と生活をかけたことをやっているわけですから、そういう危険なものであったら、一時ストップするということが一番大事なことです。それからの議論です。あとは。それで、あとはしかるべき学会で学者同士がこれは学説というのはいつでも異論はあるわけですから、それを戦わすということ、これが本来の道であって、それをいま公聴会という国民の生命と生活がかけられているさなかで学術論争をやるというようなそういうこと自身が私には一番ナンセンスに思えてしようがないので、そういう点も、そんなことせんならぬようになったということ自体は、これはもう実用段階ではないというふうに、その辺は議員の皆さまは政治的感覚は非常に発達しておられると思うので、そういう手をぜひ立法の府としても積極的に打たれるべきであるとこの間衆議院でも私はお願いしましたが、同じことをここでも言って終わりたいと思います。
  46. 都甲泰正

    参考人(都甲泰正君) 最初の御質問の実証炉かどうかという御質問でございますが、これは実証炉の定義でございますが、私の個人的な考えといたしましては、軽水炉というのは確かに見かけ上非常に急速に大きくなっておりますが、そのほんとうのところはタービン発電機技術とか、あるいは水処理技術、蒸気取り扱い技術、そういった非常にむずかしい技術に関しまして従来の火力発電所の経験をそのまま引き継いだと、そのために早く大きくすることができたと、そう考えております。そういう意味で、実証炉の定義が混乱するようでしたら、実用炉ということばで言うといたしますと、私の個人的な見解では、実用炉の域に達していると、もっと砕いて申しますと火力発電所並みの実用の域に達していると、そう考えております。つまり、ときどきバルブが漏れましたり、あるいはポンプがこわれましたりするトラブルを続けながら運転を続けておりますけれども、全般的にながめますと、十分実用になっていると、こういう状態を実用炉というふうに定義さしていただきたいと思いますが。  二番目の資料公開の問題につきましてでございますが、やはり一番大きな論争は、三原則で言っております資料公開の中に商業機密が入るかどうかと、この議論だろうと思います。私ども専門家立場としてはどちらでもいいわけでございまして、なるべくたくさんの資料が公開されることが望ましいと考えておりますので、その辺を法制的にと申しますか御検討いただけたらと思うわけでございます。  それから審査会の審査の内容の公表についてどう思うかという御質問がございましたが、これはやはり議事録その他の形でその内容をなるべく皆さんにお知らせするという必要、これは私は個人的にたいへん重要なことだと思いますが、あるいは速記録をとるとかそういう形ですと、やはり審査にいろいろと差しさわりがあるのではないかというふうに考えております。これも個人的な見解でたいへん申しわけないんでございますが、あるいは裁判官でございますとか、あるいは国会議員でございますとか、相当法律的に身分が保障されておりますと、その公の場における発言に対してあとから責任を問われることはないわけでございますが、その辺の、何と申しますか、制度の裏づけがなくて内容だけ公開しろということになりますと、やはりその審理経過に相当差しさわりがあるのではないかと、個人的な見解でございますが、そういうふうに考えております。
  47. 中島篤之助

    参考人中島篤之助君) まず、実証炉かどうかということで、一言で申しますと、実証炉ということが言われた意味は、これは技術的にも経済的にも実証済みだということであったはずでありますから、たとえば現在の美浜の運転実績なんかから見まして、これは板倉さんもお認めになったように、決して経済的には実証炉でないということはこれは明らかであります。私が非常に問題にしなければならないのは、そうであるのにかかわらず、次々と、たとえば美浜一号が加圧水型のわが国の一号炉であるとすれば、これが十分な運転実績を積み、今度のような事故を十分経験に取り入れて、それから次のPWRを設置認可されるということであれば、国民原子力委員会に対する信頼性というのはいまのような危地的状況にはならなかったと思うのでありますけれども、だいじょうぶだということで、もうすでに美浜一号機が運転開始してから三年もたっていない現在で九基以上のPWRについて安全性の確認をして政府はこれに基づいて設置認可をしているということが現実でありまして、これがやはり現在のいわゆるクレジビリティギャップの一つの非常に大きな原因になっているというふうに私は思うわけです。そういうふうになりますから、幾ら都甲先生が良心的に安全審査をなさっても、結局これはセレモニーじゃないかというふうに国民が思うのはやむを得ないという状況があるというふうに私は申し上げなければならぬと思います。  それからもう一つは、先ほど——私はきょう廃棄物処理のことで参考人として参ったわけですが、この軽水炉そのものが幾ら安全になったとしましても、たとえば事故時を除いて平常運転時は安全だということになったとしましても、たとえばその結果としてとにかく何億キュリーという放射能をつくり出すわけでありますから、これの始末が実は全体として考えられていないではないかということを申し上げたわけでありまして、しかも、これに対して相当な努力がされていて見込みが立っているという状況であれば、これは原子炉をつくることもよろしいと思いますが、それがないわけであります。でありますから、私は、現在とるべき方法は、やはりどの程度までできる、むしろそちらのほうを先におきめになって、そしてこれ以上は原子炉はできないというのが逆に出てくるわけでありまして、そういうことから申しますと、現在の発電計画を再検討し凍結すべきであるということは、これは最低限の要求ではないかというふうに思います。それから公開の問題でありますが、それはそれとして差し迫ってとにかく集中立地が行なわれているという問題に対して、これは今度の公聴会にも関連しますが、学術会議としては、この集中立地問題については多くの科学者方々に集まっていただいてそれが起こる危険というものを明らかにして国民に知らせる義務があるというふうに考えているということを申し添えておきたいと思います。
  48. 船田譲

    ○船田譲君 私は、国対関係をやっておりますために、先ほど来出入りしておりまして、先生方の貴重な御意見を途中で聞き漏らしたりしておりますし、また、全くのしろうとでございますので、失札なことあるいは見当違いなことをお聞きするかもしれませんけれども、しろうとに免じてお許しいただきたいと思います。  まず、最初に、中島参考人にお聞きしたいのでありますが、先生は原子力平和利用の安全性についていろいろ御講演なさっておりますし、また、原子炉原子力施設等の安全についてはいろいろな御意見をほうぼうで発表しておられますが、現在どのような研究専門家として従事しておられるのか、その点についてお伺いしたいと思います。と同時に、日本学術会議の議員さんでいらっしゃると思いますが、これは個人的なことをお聞きしてたいへん恐縮でございますけれども、日本科学者会議の会員でもいらっしゃるかどうかもあわせてお聞きしたいと思います。
  49. 中島篤之助

    参考人中島篤之助君) それでは、簡単にお答えいたします。  私は現在原子力研究所の原子炉化学部というところにおりまして、専門は、実は非常に狭い専門を申しますと、いわゆる分光化学を専攻しておりまして、現在その分光学会の責任者もしております。それで、これが原子力とどう関係があるかということでありますが、その点では、たとえば、何といいますか、同位体ですね、ウランの235と238を迅速に測る方法でありますとか、そういうことを実際の原研の業務としては現在たとえば一つの例としてそういうことをやっておる。それからいろいろな燃料や材料の分析検査が専門であるというふうに申し上げておきたいと思います。  それから学術会議は、議員と申しませんで、会員と申します。  それから科学者会議のメンバーかどうかということでありますが、私、茨城県の科学者会議の支部の代表幹事ということを仰せつかっておるので、当然会員であります。  以上お答えいたします。
  50. 船田譲

    ○船田譲君 もう一度中島参考人にお聞きしたいのですが、廃棄物処理のことについてあなたのケミスト——化学者としてのお考えを簡単でけっこうでございますからお聞かせ願いたいのと、それからもう一つ原子力発電そのものについての根本的なお考えでございますけれども、かなり長期の将来にわたって原子力発電はやるべきではないというネガティブの立場でお考えになっておられるかどうかということをお聞きしたいと思います。
  51. 中島篤之助

    参考人中島篤之助君) 二つ問題がございまして、あとのほうからまずお答えするのが順当かと思いますが、私は、原子力発電というのは、これはたとえばエネルギー問題なんかを考えますと、将来必ず何とかしなければならないというふうに実は考えております。ただ、そのために、きょうも申し上げたように、廃棄物処理であるとか、そういう問題について解決ができたときに初めて利用可能にむしろなると考えております。現在の進め方は、それに対して何と言いますか、あと始末の技術をわきに置いたままやっておる。たとえば、公害というような点から言いますと、ほかの産業技術の場合には、社会的、経済的な理由で、技術的には可能なことをやらないでいる。ところが、原子力というのは、技術開発をまずやらないでおいたまま原子炉だけをつくっていくという状況が現在起こっておるというふうに私は考えております。  そういうことで、その廃棄物処理というのがどうなのかということでありますが、こういうふうに申し上げたいと思います。たいへんむずかしい問題でありまして、これは化学だけの問題ではないわけです。特に処理技術というのは確かに化学が関係するところが非常に多いのですけれども、処分ということになりますと、これはいわゆる最終処分ですね、まあほんとうに処分技術と呼べるようなものとしては、たとえばロケットに積んで宇宙圏外に出すという宇宙処分法でありますとか、それから最近原子力産業会議がおっしゃっていますいわゆる消滅処理というような、これはほんとうに処分の技術だろうと思いますけれども、そのほかは、もう単に放射能を隔離するだけにとどまっている。それで、結局、そこに化学者が関与するのは、それをほかの生物環境放射能が広がらないように固定をするということに関連して技術開発をやらなきゃいかぬということと、それから最近の一番進んでいる技術というのは、放射能と言ってもいろいろありますから、それを寿命の長いものと短いものとにせめてより分けまして、たとえばストロンチウム、セシウム、そうすれば少し管理が楽になるということが始められかけているというのが現状であると思います。これはアメリカなどでそういう努力がされかけておるということでありまして、この方面の研究はもっともっとやっておかなければ、当面の対策としてもそういうことは必要であるというふうに私は考えております。  お答えになったかどうか知りませんが……。
  52. 船田譲

    ○船田譲君 では、次に、四参考人にお聞きしたいのですが、簡単にお答え願いたいのですけれども、電力の需要の増大につきましては、この委員会でもいろいろな委員からすでに質問の形でいろいろ言われておりますし、ことに中村利次委員はそのほうの御専門でもいらっしゃいますので、数回にわたって政府に警告をしておられるくらいでございます。そこで、各参考人にお聞きしたいのでありますけれども、今後増大する電力の需要につきましては、必ずしもこれが大企業の産業電力の増大だけではございませんで、国民生活が向上しますにつれましてその占める分野も相当大きくなると思います。元来、わが国は、聞くところによりますと、GNPが一伸びますときに、これに対しましてエネルギーの需要量というものは大体一・一五、いわゆる多エネルギー消費型の国民生活であり産業構造であるといわれております。欧米は〇・八前後だと、こういわれております。そういう意味で、国民生活あるいは産業構造そのものにもエネルギー多消費型を改めていくことが必要であろうと思いますけれども、急速にはそれはいかないと思います。しかも、現在、国民生活におきまして、米国と比べましたときに国民一人当たりの電力の消費量は二分の一弱でございます。そういうことをこう考えてまいりますと、今後も電力の需要は、単に産業の伸びをかなり押えたといたしましても、あるいは構造をある程度改善したといたしましても、増大する国民生活の向上に伴って必要になってくる。それをどこに依存するかということが非常に問題になってまいりますけれども、すでに水力の時代ではございません。火力ということになってまいりますと、たとえば重油関係、石油関係にいたしましても、大気汚染の問題が非常にあります。そういったことを考えてまいりましたときに、原子力の発電にわれわれが将来の夢をある程度託さなければならないという状況にあるわけでございます。ことに、最近、関西、四国電力等では、電力の不足が相当如実になっておりますし、比較的恵まれておりました東京電力でも予備率が一これは私しろうとで、中村先生のほうが詳しいかもしれませんが、五十年あるいは五十一年度にはマイナスになるであろうと、こういう状況下にございます。  そこで、私は各参考人にお聞きしたいのでありますが、そういった状況を踏まえまして、今後の増大する電力需要、これをどのように対処していかなければならないか、その場合における原子力発電の持つ一つ意味というものをお聞かせいただければ幸いだと思います。
  53. 板倉哲郎

    参考人板倉哲郎君) 私は、いまお話しございましたように、エネルギーというものが、一企業がエネルギーをつくる電力会社のものということではなくて、国民の福祉という意味におきまして——私も詳しくエネルギー問題を専門にやっている者ではございません。私、安全問題をやっている者でございますので、専門ではございませんが、私個人の考えとしましては、エネルギーの増大ということがすなわち国民の福祉に直接つながるものであると確信しております。  さて、では、そのエネルギーを何によってまかなうかという点におきましては、わが国の国情、あるいはわが国のみならず世界のどの国を見ましても、その志向を考えましても、必ず原子力でもってこれをまかなわざるを得ないと考えております。それで、いろいろまだその実証的な経済性が云々されているからその実証ができてから後にすべきであるというお話に対しましては、安定というものを第一に考えますが、この安全というものが大きな意味の安全が確保はされていると思いますので、その意味におきましては原子力発電あるいは原子炉の開発というものは着実に歩を進めていくべきだと思っております。
  54. 久米三四郎

    参考人久米三四郎君) この問題については、経済の方あるいは財界の方をぜひ呼んでいただきたい、私たちはあれですから。  ただ、私は思っている点を二点申し上げます。一つは、いままでは、原子の火は未来輝かしいものであるというふうなイメージをわれわれ専門家は、私もその一人でしたが、そういうことを皆さんに振りまき過ぎたという反省が私にはあります。したがって、一方で無制限なエネルギー需要と一緒になって現在のエネルギー政策が出てきているというふうに思いますので、私は決してそういうバラ色のものではないということをもっと国民皆さんに言わなきゃならぬという、そういう立場をとっております。  それから第二は、電力の需給の問題については、私たちはしろうとで、そこらの新聞に書いてあるしり馬に乗るのはあまりにも軽率ですから、たとえば産業問題懇談会、これは財界の方が集まっておられますね、あそこが計画を出しておられて、現在のGNP生産を続けると日本は二つの面から破滅する。一つは公害でやられるし、もう一つは資源戦争をアメリカとやる気がない限りは現在のGNP生産を続けられないというこの二面、公害と資源の面から——あの人たちは何も労働組合の人たちじゃありませんし、住民運動でもありません。経済界の方が言っておられるわけですから、その人たちの言うことの試算によりますと、これから少なくとも十年間は年率百万キロワットですよ。  一年間百万キロワットの新規の発電所をつくればよろしいということになっています。その算定基準については私は評価するあれはございませんけれども、これを現在の原子力委員会の計画と比べますと、いま御質問になった議員さんは、水力はもうだめやと軽くおっしゃいましたが、そうではないのですね。原子力委員会に出ているあの長期利用計画では、年百万キロワットというのは水力発電でずっと経常的に確保されているわけです。ですから、もしも百万キロワットでいけるというふうな重大な結論が出たら、火力も原子力もたよる必要はない、これは非常に単純な議論ですけれども。だから、そういう原点に立ち返ってもう一度これは全体的な討論をやっていただきたい。それが、電力が要るからといってわれわれ専門家のほうにおまえたちはどう考えておるのかというふうに迫ってこられるというのは、私は本末転倒ではないかと、そういうことだけをお話ししておきます。
  55. 都甲泰正

    参考人(都甲泰正君) 向こう二十年間ぐらいを考えますと、私の見解では、たぶん、石油火力及び軽水炉を中心とする原子力発電所、この二つが電力をまかなうそのにない手ではなかろうかと考えております。それから先は、たぶん現在開発中の高速炉及び核融合炉がさらにその先には出てこようかと思いますし、また、場合によってはあるいは太陽熱、さらには石炭のエネルギー、これを見直す時代が来るのではなかろうかと考えております。  それでは、その理由でございますが、まず、原子力は、幾つかの特徴がございますが、一つは資源問題、これが化石燃料に比べてだいぶ余裕があるというのが第一点。それから二番目に、もっと短期的な問題では燃料備蓄の問題がございます。最近石油の備蓄問題が騒がれておりまして、ヨーロッパでは九十日であるのに対して日本は五十日そこそこであるということで、これを九十日のレベルに引き上げようといたしますと、たいへんでございます。ところが、原子力、核燃料の場合には、輸送及び備蓄の問題がはるかに楽になってくる。これが第二点でございます。それから第三点は環境問題、まあこれは実は正直申しまして温排水問題はさしあたって除いて議論さしていただきますが、放射能の面だけに限りますと、環境問題、公害問題が火力発電所に比べて原子力のほうが対処しやすい。この三点の理由で私は本質的に原子力というのはかなりすぐれたエネルギー供給源ではないかと、そういうふうに考えております。ただ、最近環境問題、安全問題で原子力がたたかれておりますが、これは純技術的な問題もさることながら、むしろより大きな要因は、原子力発電所がこれから本格的な実用期に入ってまいります時期に差しかかっておりますので、この時点でどうしても社会のコンセンサスを得る必要があると、そのための努力、そのための苦悩をいま味わっているのであると、そういうふうに私は考えております。  以上でございます。
  56. 中島篤之助

    参考人中島篤之助君) 私も、実は、エネルギー問題については専門家でございませんので、原子力問題の基本にはその問題があるということはこれは明らかでありますが、同時に、エネルギー問題だけではなくて、いわゆる環境問題ですね、この二つをちゃんとこれから考えていかなければいかぬというのはこれは大体通念になりつつあると思いまして、そういった立場から申し上げるのですが、現在学術会議でも国民生活特別委員会というのが設けられておりまして、そこでこのエネルギー問題を、まあたいへんむずかしい問題でありますが、一定の結論を出そうとしていろいろ審議が続けられておるということを申し上げておきます。まだ結論が実は出ておらないわけですが、私の考えは、これはもういろいろな方が言われましたように、いままでのように環境問題なんかを全く考えないで、ただ年率何%で生産が増大するからエネルギーもふえるというようなことだけは少なくとも直ちに再検討すべきである。ただ、ただいま産業構造その他を改善してもずっと伸びるだろうというふうにおっしゃいましたが、ほんとうはまだ改造していないわけでありますから、まずそういうことをおやりになる必要があるわけだと思うのです。それから水力はだめだということを久米氏が批判されましたが、これはそのとおりでありまして、通産省の調査によりましても、日本の包蔵可能開発水力は三千万キロワットぐらいだというふうにいわれておりますし、ある人によりますと、金利の問題なんかを考えなければ、つまり長期低利の資金が確保できれば、六千万キロワットぐらいは開発できるのだということを言っております。私が水力ということを言う意味は、エネルギーというのは実は本来エネルギー不滅でありまして、われわれがエネルギーと言っているのは、結局、自然にエネルギーが循環している経路で生活に必要なエネルギーを得るというのが自然の循環を破壊しない一番よい方法だという意味で水力が見直されているということであろうかと思います。それで、原子力につきましても、環境の問題をよほどきちっと考えておく必要があるのでありまして、これは六十年度にかりに六千万キロワットの原子力発電所ができるとしますと、そこから出る温排水量は千四百億トンぐらいになるかと思います。そうしますと、これは日本の河川の総流量が二千億トンでありますから、それにほぼ匹敵する。火力の温排水も全部含めますと、全河川水量をあるいは上回るような温排水が日本のこの狭い列島に出されるということはこれは計算で簡単に出てくるわけでありまして、これはどういうことになるかということについては、実はわからない、はっきり言えば。しかし、少なくとも、それはわからないという意味は、何でもないであろうという意味ではなくて、これは何かあると考えざるを得ないのではないかというのが環境専門家の御意見であります。そういうように、つまり狭い日本列島で、最近のはやりのことばを使いますと、一定の環境容量の中で日本のエネルギー生産の密度というのは、すでにアメリカをはるかに上回っておりまして、これは相当無視できない、要するに太陽熱エネルギーに対して無視できない程度になってきているのは事実でありますから、そういうことを考えて、むしろ根本的に考え直すというのがやはり非常に必要であるということは言えるのではないかというふうに私は考えております。ですから、この問題の解決は、いろいろなエネルギーをやっぱり総合的に考えて解決すべきであるというふうに思います。  それから原子力発電につきましては、実はニクソン自身もたとえば核分裂のエネルギーについてはあまり高い評価を与えておらなくて、太陽エネルギーのほうが大きな評価を与えられておるわけでありますけれども、それは環境ということを重視しますとどうしてもそういう考え方が出てくるのではないか。ですから、私は、原子力発電というのは、非常に差し迫った状況のところである期間使うということが起こるということを否定いたしませんけれども、いまのまだ未熟な軽水炉、廃棄物処理のことも片づいていないような軽水炉をむやみにつくるということについては賛成できないということを申し上げておきたいと思います。以上です。
  57. 船田譲

    ○船田譲君 久米先生にお聞きしたいのですが、先ほど公聴会の問題で、公聴会は決して学会ではないのだから、こまかい学問的な議論を説くべきではないと。べきではないと言うとちょっと私の言い方が悪いかもしれませんが、そこで、公聴会の今回発表になっております要領を見ますると、地元利害者のほかに地元利害者を代表する科学者というのが入っておりますけれども、その場合の科学者の扱い方というものはどういうふうにお考えでございますか。
  58. 久米三四郎

    参考人久米三四郎君) 一般的に言いますと、公聴会というのはいろいろな性格のものがございますね。たとえば電力料金を上げるのはどうかというような公聴会、そういうのは、学者が出てきて議論をしてもどこかでたぶん何か妥協点が出るような問題だと思いますが、いま争われておる原子力をめぐってのやつは、是か非かという非常に根本的なところで、特に住民のほうにとっては、中途はんぱなことではなしに、その安全性を認めるか認めないかというところで議論が起こっているから私は申しているのです。そういう非常に基本的な点で、たとえばきょうは私は参考人の間でいまあんまり意見が対立しているようには思いませんけれども、世上賛成派と反対派の学者がおってどうとかということになりますから、もしもそれがほんとうで、それほど学界で賛否を争わなければいかぬような問題を、エネルギーの問題という非常に基本的な部分にそれを乗せるというその政策自身をもう一度立法府としては検討されるべきではないかと、そういう意味を言ったのですが、公聴会に一般にいわゆる学識経験者という人が出ても意味がないという意味ではございません。いまの原子力の場合の問題点がそういうところにあるということで言ったわけです。
  59. 船田譲

    ○船田譲君 大体わかりましたが、もうちょっと久米先生にお聞きしたいのですが、つまり、放射能の問題につきましても、安全性の場合でも、学術的に絶対にゼロだということは科学者としては言えないと思うのですが、ただ、科学者議論としては絶対的にゼロは言えないということが、逆に心情的には住民の人々がそれじゃ危険なんだというとり方をしてくる可能性はあると思います。ある意味では、こういういわば一種の行政上の判断の問題の場合には確率論的なことが入ってくると思うのでありますけれども、その場合にどの辺を、まあ非常に荒っぽい議論で恐縮ですけれども、これはゴーである、これはストップであるといういわば分岐点にすべきであるとお考えかということをお聞きしたいわけです。
  60. 久米三四郎

    参考人久米三四郎君) 二つございまして、一つは、私がいまいわゆる住民の方たちの側に立っておるというふうに自分も思っていますが、それはやはりいまの公害をもたらしたことに対する反省からです。PCBと水銀の公害について残念ながら日本の科学者はどういうことをやったかということの反省が私には非常に強いんですね。これはPCBが起こってから、スウェーデンのある科学者が来て、日本には科学者がいなかったのかという慨嘆をしましたね。これは私には一番こたえたことです。この問題については、実はいまから振り返ってみると、予測できる段階が幾つもあったのに、それについてわれわれ専門家が——私も初めは化学から出発いたしましたからその点ではいま責任を感じていますけれども、そういうあれが全く欠けておったということを感じております。ですから、いまおっしゃられましたように、大体どれぐらいであれば、たとえば安全審査委員会のあたりは百万分の一というようなものだったらもうだいじょうぶじゃないかというような議論がありますが、その百万分の一という数自身が私にとってはもう不可解なものではありますけれども、われわれが特にいままで日本の国民に対してそういう科学者として与える被害まで考えてほんとうに責任あるあれがとれたかという点で、全くいま私は自信がないので、この原子力の問題については手探りながらそういうことから踏みしめていきたいというのが率直な感じです。ですから、私にとっては確率論という点はあまり関心がないというのが一点と、それから第二は、争われている問題は確率論というのではございませんで、私この秋にも学会でやりたいと思いますが、先ほど中島先生がおっしゃった消滅論というあれでございます。廃棄物というのは消滅できるというのが何かこの五月に原産会議から大々的に発表されて、一部の方はそれを信じておられるようでございますが、それがいかに科学的に見ても不可能なものかということを私は実はこの十一月に東京でございますその学会でやるつもりです。それで、それについては自信もありますし、おそらく大討論になりますと思いますが、そういう非常に基本的に分かれる問題をかかえたままで将来何とかなるじゃろうというようなことで、はたして工業を許していいのかどうかという、こういう点を考えていただきたい。多少のまあいけぬこともあるけれどもいけることもあるというような議論だったらまだしもですが、この何十キュリーとたまってくる廃棄物をどうしようもないのじゃないかというのと、何とかなるじゃろうというようなあたりでいま議論になっているのです。そういうのに、さっき中島さんがおっしゃったように、いま大規模にどんどん進めるということはほかの工業では私はとても考えられないと、そういう非常に基本的な点の意見対立があるという点、この二点を申し上げたいと思うのです。
  61. 船田譲

    ○船田譲君 いまの議論につきまして、都甲参考人の御意見がございましたらお聞かせ願いたいと思います。
  62. 都甲泰正

    参考人(都甲泰正君) それではお答え申し上げますが、実は確率論的な考え方といいますのは、先ほどの安全評価の中で通常時とそれから事故時と申し上げましたが、その事故時の安全の考え方というのと密接に関連するわけでございます。それで、確率論的な安全評価という手法をとっております国は、従来、イギリスの原子力公社、それからカナダ、この二国でございます。そのほかの国では、安全評価を行ないますときに、たとえば最初に事故を選定いたします。その際に確率論的な考え方が背景にはあるわけでございますが、それを表面的に打ち出しておりません。と申しますのは、確率論的な考え方といいますのは、問題点が幾つかございます。一つは確率計算の不確かさ、つまり、われわれ人類の経験、いままで有史以来何千年というオーダーの経験しかございませんが、そういう経験から、向こう百万年とか一千万年に一回起こるか起こらないか、そういう非常に小さい確率を議論するのは意味がないという議論一つございます。それからもう一つの困難な点は、やはり一般公衆の人に対する説得力でございます。たとえばあなたの——あなたと言ってはちょっと語弊があるかもしれませんが、あなたの原子力発電所の万一の事故によって死亡する確率は一千万年に一回ですよと、たとえばそう言ったといたします。一方、雷で死ぬ確率は百万年に一回ですと。ですから、雷にあたって死ぬ確率に比べて十分小さくしてありますからそれでがまんしてくださいと、こういう言い方がなかなか一般の人には受け入れられにくいと、こういう事情があろうかと思います。しかし、専門家の間では、そうは申しましても、立地基準、安全基準を考えますのに必然的にその確率論を離れて考えることはできないわけでございますので、アメリカ、ドイツ、それからイギリスとすべてそういった確率論的な考え方に準拠して安全の考え方を進めておりますが、おおよそのことを申しますと、たとえば百万年に一回とかあるいは一千万年に一回というような非常に起こりにくい事故というのは、一応安全評価の対象からはずしていこうと、こういう方向であろうかと思います。でございますから、たいへんむずかしい御質問でございますが、現在、日本におきます安全の考え方は、確率論が背景にはございますが、直接それを表に出して判断しているわけではないと、こう申し上げたらお答えになろうかと思います。
  63. 船田譲

    ○船田譲君 都甲及び板倉両先生にお聞きしたいのでありますが、通常運転の場合の事故ではなくて、万一起こった場合という事故の場合でございますけれども、その場合のいわゆるリダンダンシーは、普通の別のテクノロジー、たとえば交通機関であるとかまだいろいろございましょうが、そういうものに比べて原子力の場合には格段に慎重な系統ができておるというふうに私どもは理解しておりますけれども、それを、実はしろうとでございますから、比較して評価するすべをわれわれは持たないわけでありますが、どのように現在になっておるかということを両先生からお聞きしたいと思います。
  64. 板倉哲郎

    参考人板倉哲郎君) 原子力の安全設計の基本的な思想は、午前中も都甲参考人からもお話がありましたように、普通一般産業であるいは一般技術で考えますときに採用されていないところまで考えていますことは事実でございます。原子力それ自身が、何度も申しますように、非常に大量の、それをそのまま環境に放散すればきわめて悲劇的な放射能を持っております。したがいまして、そういうことをするのはまた当然かと思います。具体的にどう違うかということのまず第一は、小さな故障ということを抜きにしまして、どこかがこわれたら一番困るというところを、設計のいかんにかかわらず、その事故が起こったと仮定して、そういう場合においての放射能環境に大量に出さないという仕組みができております。たとえば、あまり例がよくないかもしれませんけれども、同じ電力で水力の場合を考えますと、きわめて大型のダムをつくる、そのときの安全設計は何かと申しますと、ダムがこわれないようにということに技術的な能力を集中するわけでございます。いろいろ解析の結果、アーチ型のダムがいいとか、あるいはまあ名前は別としまして、いろいろダムを考えます。しかし、ダムの場合に、もしもそのダムが決壊した場合には、ダムは一般に川の上流にありますので、その放水によって沿岸の方がかなりの悲劇をこうむられると、これはイタリアにおいてもそういう例があったかと思っております。原子力の場合には、まずそのダムがこわれないということは、言いかえますと設計自身でたとえば原子炉の圧力容器並びにそれに直結する太い配管が破断しないようにということで、耐震上も、材料の選択におきましても、あるいは強度計算においても、きわめて広いマージンをとってつくっております。したがいまして、設計者からすれば、こういうものがこわれるということを仮定しての話はおかしいではないかという議論も一部あるわけですが、しかし、私たち安全を担当する者は、いかに設計がよくできていても、それを一つ仮定としてこわしてみろ、そのときでも放射能が大量に環境に出ないようにという方策をとっております。その一つの例が、たとえばECCSであり、あるいは格納容器であるわけです。そのようになっておりますのが、思想的に全く違っておる、そのようにすべきであり、また、そのようなことが達成されておるということが一つです。それからECCS自身にしましても、先ほども都甲参考人から話がありましたように、いざ使おうと思うときに、人間のつくったものであるからあるいはそれがどこかこわれるかもしれない、作動しないかもしれないということも考慮しています。したがいまして、先ほど船田先生がおっしゃいましたように、われわれダンダンシーということばを言っていますが、ものをよくつくるということはさんざんやりますが、そのほかに、それが働かなくてもさらにほかのものでできるというようなことを行なっております。しかも、それらをできれば別の原理で、一つの原理ではなくて、同じ形のものということ以外に別の原理でやろうとやっております。さらに、それを動かすものがたとえば電気で動かすというものならば、電気は停電することもあるだろうというところで、発電所の中にさらに小さな発電所といいますか、電気をみずから起こすものを持っております。その電気を起こすもの自身が、やはり機械的なものですから、あるいはこわれるかもしれないということを仮定しまして、一つであっていいものを二つ、三つと持つようになっています。そういう意味におきましては、安全に対します基本的な考え方自身、それからその系統の設計自身、さらにそういうものを設計して運転に入りましてからも、それ自身が必要なときに働くかどうかというテストを一定の間隔でやっております。そういう点につきましては、きわめてほかの一般技術とは違った特殊な考えに基づき、さらにそのような設計がなされ、運転管理がなされると考えております。  以上でございます。
  65. 都甲泰正

    参考人(都甲泰正君) ただいま御質問いただきましたリダンダンシーの問題に関しましては、例をあげますと、非常にたくさんあるのでございますが、ごくわかりやすい例を二つだけ御紹介しておこうかと思います。  一つは、国鉄の話でございますが、御承知のように、昔の国鉄はATS装置というのはございませんでした。つまり、運転員が信号を見落としますと、思いがけない衝突事故が起こっていたわけでございます。たまたま昭和三十何年でしたか、三河島事故、大きな事故がございまして、それを契機といたしまして、運転員が信号を見落としても自動的にとまるようにということで、安全装置としてATSの装置が設けられたわけでございます。ところが、それからまた二、三年たちまして、今度は新宿駅構内で貨車の脱線事故がございました。これをATS装置が働いたはずだがというので原因究明してみましたら、それがこわれておりました。それ以後、ATS装置を今度は二重に設けようということになりまして、やっとそういう歴史的な失敗の繰り返しのあげく、国鉄では最近たぶんATS装置が二重についているというわけでございます。原子炉のほうはもちろん最初からそういうことを考えまして、運転員の誤操作の対策をいたし、かつ、重要な機器というのは独立に二系統を設けている、そういう設計上の努力をしておるわけでございます。  もう一つの例が自動車の話でございますが、一九七〇年を迎えるときに、アメリカのGMの社長が、自動車産業というのは過去二十年間性能向上にもっぱら努力してきた、今後二十年間は安全の向上に努力していくという所信を表明しておりますが、自動車という産業が始まりまして二十年たって初めて安全の問題と正面から取り組もうという態度を示したわけでございます。そのこともございまして、最近では、自動車もブレーキを独立二系統に設けているはずでございますが、以上、二つの例をおわかりやすい例として引用させていただいたわけでございます。
  66. 船田譲

    ○船田譲君 三十分の与えられた時間を超過しましてたいへん恐縮でございますので、最後に一問だけ久米参考人にお聞きしますので、先生から簡単にお答え願いたいと思います。  日本の自然環境における放射能のバックグラウンドが、私が聞いておりますところによりますと、関西関東で大体四十二ミリレムくらい違っておるといわれておりますが、この四十二ミリレム、まあ数字はいろいろあるでしょうけれども、その差によるところの人体のそれぞれの地方に住んでいる人々に与える一つ意味を持った違いといいますか、影響といいますか、それは見られるものであるかどうか、そういう点についてお答え願います。
  67. 久米三四郎

    参考人久米三四郎君) この点は私は専門家でございませんが、タンブリンの意見を私は全く支持しております。ですから、それは有意の差は絶対出ておるというふうに信じております。で、それは認められないということで、先ほど板倉さんもおっしゃいましたけれども、いろいろな統計上の手法の問題もございますし、それから実際上ほかの原因との、ガンの区別をどうするか、あるいはガン自身の発見、それが日本のような場合に医学的にいろいろなでこぼこがあって、そういうものが、きちっと統計の対象になって私は有意の差が出るというふうに信じております。これはしかし実験をいたすわけにもいきませんし、かなり長期にわたってそういう科学的なあれに耐え得るかどうかという条件が出でこないと、何とも言えないというのは確かです。ですから、何とも言えないのは何にもないんだというふうにすりかえるということを私たちは非常におそれている、それだけなんです。そういう意味では、あくまで一つの説を信じているというそれはそのとおりであります。
  68. 中村利次

    ○中村利次君 私は、日ごろから言っているのですが、本委員会は読んで字のごとく科学技術振興対策特別委員会でございますから、日本国民のために、あるいは人類のために、科学技術を振興して人間のしあわせをより高めていくという、そういうものでなければならないと思いますから、したがって、当然科学技術の振興によってしあわせになる面があり、不幸になる面があり、不幸になるものが余分に残れば、これはそういうことはやるべきではないということになるわけです。先ほどからいろいろ四参考人の先生方に貴重な御意見を伺ったわけでありますけれども、たとえば原子力発電原子炉の問題にいたしましても、これはやはり開発をすべきであるという御意見の方でも、現在の安全性に及ぼす影響、あるいは環境に及ぼす影響、あるいは今日以降後年にわたっての影響がどうあるのだということは、きわめてきびしく追及をされ、また、今後も追及をしていこうという立場をおとりになっているようであります。したがって、そういうものの安全性を通じてひとつ不足をしておるエネルギー源に充てようという御意向のようだと受け取るわけです。これはまあ電力の需給の問題はたまたま先ほど質問に応じていろいろ御意見を伺いましたけれども、確かに日本の産業用の電力というものはたいへんにエネルギー多消費型であったことは間違いない。それから御指摘いただきましたように、水銀、PCB、あるいは大気汚染から、水質汚染、環境の問題等々、とにかくやはり現在どうしようもない状態に置かれておるわけでありまして、したがって、原子力の問題にしても、これは電力需給との関連もたいへんにございますけれども、安全と環境の問題は徹底的に追及していかなければならぬという立場を私どもとっているわけです。電力の問題なんかは、これは産業用の多消費型を改めるといたしましても、民間需要も最近とみに伸び率が高くなっておりまして一過去一年くらいの間に大体三〇%、七、三の割合から四、六ぐらいの割合になっておりまして、四十六年度で民需要が四一%という統計が残っておりますから、現在はもっと高くなっておる。ところが、これもたまたまいま出ましたけれども、水力には全然問題がないかというと、これだって環境の問題がうるさくいわれ、あるいは、地震学者に言わせますと、ダムと地震の関係というのはこれは容易じゃないという御指摘があるようであります。火力に至っては、中東の油をたいておる限り、よほどの脱硫技術の開発に力を入れませんと、これはあちらこちらで騒がれておるような状態があります。  そこで、まず、原子力について——久米参考人は時間的にたいへん御迷惑をかけておるそうでありますから、私は、基本的な問題を一般にお伺いをして、あとは、申しわけございませんので、久米参考人に特に集中的に質問をさしていただいて、御迷惑をかけておる度合いをできるだけ少なくさしていただきたいと思います。原子炉の開発実用化は、これはまだ歴史はそれほど古くはないわけでありますけれども、先ほど板倉参考人のほうから放射線については七・八年の歴史がある、したがって、この点については相当の研究が進んでおるのだということでございました。放射線人体、生物に与える影響は明らかになっておるといわれておるのですけれども、私もそのように理解をしておりますが、大体明らかになっておるかどうか、まず板倉参考人にお伺いをいたします。
  69. 板倉哲郎

    参考人板倉哲郎君) 現在まだ明らかになっていないというところもございます。これは何かと申しますと、自然に私たちが住んでいます放射線よりもさらに低いような放射線については、これは学問的に数量的にわかっていないといわれております。
  70. 中村利次

    ○中村利次君 なお、放射能の安全管理が十分に行なわれている場合は——これはまあ重大事故、仮想事故いろいろございますけれども、現在のところ、放射能の安全管理が十分に行なわれている場合には、安全上の心配はそれほどないといわれておると思うのですが、この点については、久米参考人、いかがでしょうか。
  71. 久米三四郎

    参考人久米三四郎君) 放射能管理というのは非常に問題がございまして、本来は、中島さんもおっしゃっていますように、その放射能ほんとう人類が処分するまで、それまでをマネージと言うべきであって、原子力発電所でやっているのはマネージでないので、無理やりほんとうは出したいのだけれども、出せないのです。あれは。それで押し込んでいるだけであって、環境に出ませんといったって、出ないかわりにそれだけ押し込めているだけですから、そこへ矛盾が激化しているだけです。これがほんとうにわれわれ人類生活と関係ないところで葬り去られるかどうかということの回答が出ない限りは、管理ということばは簡単に使うべきでないと思います。常に局限した原子力発電所で押え込んでまだ人類が数年間しか経験ないところで実績はどうかといえば、それは、さっきから言っているように、そんなところで死ぬほどの放射線を出したら、たちまちこれはもうとまっているはずですから、これはもう明らかなとおりです。それで、それはチャコールベットを使うなりその他によって、それのレベルを下げておられるということは、それは事実ですけれども。
  72. 中村利次

    ○中村利次君 同じ質問で、都甲参考人に……。
  73. 都甲泰正

    参考人(都甲泰正君) 私も、先ほどの御質問になるかもしれませんが、要するに、低レベルの放射線、たとえば許容レベルでございますとか、あるいは天然放射線程度放射線人体にどのくらい影響があるかということに対しまして、学問的でないかもしれませんが、私ども常識で考えてなるほどと思います考え方は、われわれ人類は過去数十万年にわたりまして天然放射能を受けているわけでございます。日本で考えますと、関西地方のほうに住んでおられる方は、親子代々関東地方に住んでおる方に比べまして一年間当たり四十ミリレムとか五十ミリレム多くの放射線をあび続けてきているわけでございますが、その結果が現在の状態でございます。現在の状態で、関西に住んでおります人と関東に住んでいる人が有意の差がある、関西に住んでいる人が非常にたくさん放射線障害が出ているというようなことでもございますと、その数十ミリレム程度放射線をよけい浴びると確かに有害であるということが、学問的ではなくて、社会通念として出てくるわけでございます。ところが、いままでの科学的な調査では、なかなかそれが目に見えない、統計上有意の差としてあらわれてこないということになるわけでございます。そういうことから考えますと、現在軽水炉で目標としております年間五ミリレム程度に押えるといたしますと、その差はやはり確かに有害であろうと思います。学問的に言いますと、一般公衆に対して五ミリレムよけいに放射線を与えたということでそれだけ多くの効果が出るのだろうと思いますが、しかし、それはやっぱり目に見えない程度であるというふうに私は考えてよろしいのではないかと思っております。
  74. 中村利次

    ○中村利次君 久米参考人から燃料棒を中心とした御意見をいろいろお伺いをしたわけでありますけれども、これは安全性についてはたいへん危険なものである、安全度についてはどうも憂いがきわめて強いという御意見でございました。  そこで、お伺いをいたしますけれども、被覆管ジルコニウム合金ですか、これは径あるいは厚み等を具体的な数字をあげて御説明をいただいたわけですけれども、このジルコニウム合金というのは、大体何度ぐらいで変形をし、それから何度ぐらいで破損をするものでしょうか。
  75. 久米三四郎

    参考人久米三四郎君) ちょっといまの御質問が、変形、温度——先ほどから都甲先生もおっしゃっていますように、静的——静かというのですが、その静的な温度の条件でそれの理論は非常にできにくいのです。それがはっきりしておるのは、千九百度になったら溶けてしまう、それからおけば千五百度になれば水と非常に反応をする、それでぼろぼろになってしまうと、そういうことはビーカーの中でも実験ができます。だけれども、原子炉の中に置いておる状態で一体何度で何時間もてばどうなるかというそのことこそ、いま皆さんが実証炉と呼んでおられるまん中でためしているということなんですけれども、おいおいそれが出てくると思います。ですから、出力を下げてみたらどうかとか、象のあっちこっちをさわるようなことをみなやっておるわけです。それがちゃんとわかっておったら、そんなことを言うことはないのですが、温度以外に放射線影響がありますね。それから一つのものが立っているわけではありません。中のものが、あれは出力がふえてくると、今度は中の燃料が膨張してきます。それが外のものをぎゅーっと押しているわけです。それから原子炉をとめると、今度はすーっと収縮する。それを繰り返すわけですが、その間に、今度そこの金属がそれにようついていかぬようになって、どこかで破断するというようなことになっていくわけです。ダイナミックな——動的といっているのですけれども、そういう要素がはっきりしていないのです。いまは。ですから、温度が何ぼだったらどういうふうに単純には答えられないというところに一番問題がある。生きもののように動いているわけですから。
  76. 中村利次

    ○中村利次君 そうしますと、たとえば、いまのお話ですと、しからばまあ、これならば大体安全だというようなことを求めるためには、経験の期間がどの期間程度ならば安全について確信が持てるということでしょうか。あるいは、設計出力というのがありますけれども、いまの設計出力では不安であるというお説でございましたですね。これをどれくらいに下げたら大体安全であるという確信が持てるのか、その点はいかがでしょうか。
  77. 久米三四郎

    参考人久米三四郎君) うしろのほうはわりあい具体的な数字がありまして、先ほど申しましたジェネラル・エレクトリックでBWRの六型というのは新型であるといって非常に宣伝をしております。それでは、先ほど申しましたフィート当たりの出力密度ですね、線密度と言っておりますが、それがいままではピーク時十八・何がしであったのを十四・何がしに下げたということになっておりますから、少なくともそのくらいは現在はすでに設計基準ぎりぎりにいっているというのは、現在の値をできるだけ下げようという方向でみなが努力しているということは確かですから、具体的な十八と十四というふうなことを見ていただければ見当がつくと思います。三〇%ですか、四〇%ですから。  あとは、運転条件については、私、そういう実際上の現場は全然経験を持ち合わせておりませんから、一般的には、先ほど都甲先生の言っておられるように、いろいろ燃料をあっち置きこっち置き、均一に燃し方をどうするとか、そういうことをやってみないとおそらく答えは出てこないと思います。
  78. 中村利次

    ○中村利次君 同じような質問に対して、同じ科学者として、都甲先生、いかがでございましょうか。
  79. 都甲泰正

    参考人(都甲泰正君) それではお答えいたしますが、実はこの問題は燃料棒の設計だけではございませんで、ECCSの設計と非常に関連がございます。それで、十四キロワット・パー・フィートとか従来いわれておりましたのでございますが、ドレスデン2とかそのあたりの評価では、十一・五とか十二キロワット・パー・フィートに押えなさいと、こういうAECの判断が示されております。それは古い形のBWRがECCSの設計が弱体であることによるわけでございます。ですから、私も実はBWR6の設計をそれほど勉強したわけではございませんが、最近の大型軽水炉はECCSの設計がかなり強化され——強化されていると申しますのは、容量がふえるとか、あるいはいろいろ異なった原理のものをたくさん使っているとか、そういう意味でございますが、そのために同じキロワット・パー・フィートですと、昔のものよりはだいぶん余裕があるはずでございます。
  80. 中村利次

    ○中村利次君 そうしますと、まあ廃棄物の問題は別に私は取り上げてみたいと思うのですけれども、廃棄物の問題を除いては、安全度の問題では、やはりこれならば安全であるということを追求するのは現在の科学界でも決してだめなものではないと、こういうぐあいに解釈してよろしゅうございましょうか。久米参考人に伺います。
  81. 久米三四郎

    参考人久米三四郎君) ちょっと御質問の意味がよくわかりませんが、私は最低限譲れる点は、先ほど都甲先生がおっしゃったように、現在、実際の原子炉で、しかしこれは非常に小型の原子炉でございますが、そこでECCSの実験をやっていくというふうなことになっておりますので、そういう実際の実験——これが私はほんとう意味の実証だと思うのですけれども、そういう安全装置が働くというようなことを確認された段階でそれは結論が出ると私は信じております。それをやらないで、都甲先生がさっきおっしゃいましたように、時間がかかるということでたぶんこれでいけるだろうと計算機に頼るというやり方は、私にとっては決して科学的である、実証的であるとは思えないということを言っているわけです。いま言っておられる意味がちょっとよくわかりません。安全性について……どういうことでしょうか。
  82. 中村利次

    ○中村利次君 先ほどお伺いをしたのについて、たとえば出力の問題についてのお答えで、この程度の出力にすれば安全性は確保されるということが大体立証されておるというようなお答えがございましたが、それから続いて確かに現在パイプあるいはバルブ等に故障があった実例が相当ございます。しかし、このことがしからばそこの作業員あるいは地域住民あるいは地域人間以外のいろいろのものに対する影響実績としてどうあったのか。これはウインズケールの事故というのが二百マイルにわたって牧草を汚染して、六カ月間ですか、ミルクの出荷をとめたという実績がございますけれども、そのほか、アメリカで二、三マイルぐらいの汚染の実績があるようでありますけれども、その他たとえばいろいろ例を伺いました。福島あるいは美浜その他いろいろな事故例がございますけれども、実害がどれほどあったのか、そういう点について久米先生にお伺いしたいと思います。
  83. 久米三四郎

    参考人久米三四郎君) 実害というのはいろいろの点がありまして、たとえば許容被曝線量のどれぐらいまで浴びたかというふうな点についてはほとんど私は資料を持ってはおりません。ただ、ウインズケールのように環境が大汚染されたというような例はまだないことは確実であります。何かそういうものが出たらやめるというその発想のように私は思いますので、重大な事故があったのかあったのかという問い詰め方というのは、そういう例があればわかりやすくて危険だということはわかるけれどもというふうに考えておられるように思うので、私はむしろ、これはいまアメリカの専門家もずいぶん心配しておりますが、大部分は原発に寄りかかったあとで何かそういう取り返しのつかない事故が起こったときには、これは一基の原発をとめるということにならずに、その電力計画全体について非常に大きな経済的、政治的な打撃があるというので慎重論が出てきているというようなことを大きく考えていただけたらと思うのですけれども、現状はそんなに人が何人も死ぬというような事故は起こっておりません、それは。だけれども、いま小さい小さいと皆さんが言っておる事故の中に、私から見れば、さっきあげました美浜の一号なんかのときはりつ然とするような事故要因が入っておると思うのです。それが大事故につながっていくという——大事故というのは、そこらの工業でもそうですけれども、それに至るまでの、この間の出光でもそうですけれども、前に小さな事故が幾つも積み重なってそれが拡大していくということ、これはもう工業的な事故の常識だと私は思いますので、そういうことを疑わすような事故は十分私は起こっていると思うから案じておるわけです。
  84. 中村利次

    ○中村利次君 これは私が質問をしております前提は、おっしゃるようなことではないのです。それは冒頭に申しましたように、現在、大気汚染、水質汚染から、環境問題から、PCB、水銀問題、その他あらゆる公害と称する問題が起きて、それから今日に至ってこれはもうどうしようもない、地球をどうきれいにするかということが人類の課題になっておるわけですから、したがって、かりに原子炉を開発していこうという立場の人たちも、やはり現在ただいまの安全性環境に対する影響、あるいは後年にどういう影響があるかということを追及していらっしゃると、こういう理解をしていますということが私の前提でございますから、したがって、いろいろ故障が起きているけれども、それが影響ないから、将来大事故につながらないではないかという理論の立て方、質問の仕方をしようというつもりでは全くないのです。ですから、これとは別の問題でして、これはそういう小事故あるいは重大事故等をほかの例にたとえてみましても、たとえば自動車事故はないか、あるいは飛行機事故はないか、列車事故はないか、水力事故はないか、火力事故はないか、もう事故と称するものはあらゆるものに対して少なくとも文化生活人類に与えているいろいろな施設の事故というものはつきものですね。自動車そのものを見ましても、オキシダントに影響のある窒素分を排出もしていますし、あるいは年間一万数千人というのはまぎれもなくこれは統計実績的に死者を出しておる。そのほか重大な後遺症を残すような負傷者なんというのはたいへんな数ですね。あるいは飛行機事故のあの惨劇なんというものは私どもはちょいちょい大きなショックを受けているのですけれども、しからば飛行機は使わないのか、あるいは自動車は使わないか、列車は使わないかというと、お互いに使っておるのでして、したがって、私は、この原子力発電の問題にしても、国民の選択だと思うのですね。ですから、私は常に言っておりますけれども、とにかく絶対後年にわたって重大な影響を与えるものならやめればいい。しかし、やはりそういうものも十分検討してそして重大な影響がないというそういう前提に立った開発が進められておると私は理解をしておりますから先ほどみたいな質問をするわけなんです。  次にお伺いをしますけれども、重大事故、仮想事故の問題についても質問をさしていただきたいのですが、ICRPで年間被曝線量の限界を五〇 ○ミリレムと、こうきめておる。これは現在の知識に照らして身体的な障害または遺伝障害の起こる確率が無視できる線量であるとしてこの五〇 ○ミリレムを勧告しておるということを聞いておるのですけれども、これは間違いございませんか、板倉参考人にお伺いします。
  85. 板倉哲郎

    参考人板倉哲郎君) いまおっしゃるとおりでございます。身体的障害についても遺伝障害についてもこれが社会的に容認できるレベルということで五〇〇がきまっております。
  86. 中村利次

    ○中村利次君 そうしますと、この点については、ICRPがこういう勧告をしておるということは、大体において世界の科学界でもまあほぼこういう点について合意されているものだと解釈をしてよろしゅうございましょうか、都甲参考人にお伺いします。
  87. 都甲泰正

    参考人(都甲泰正君) ただいまのICRPで勧告されております五〇〇ミリレム、俗に許容線量ということばで呼ばれておりますが、ただ、これにただし書きが二つついておりまして、一つは、むだな被曝は避けなさいというただし書きがございます。二番目が実行可能な限り低く押えなさいと。先ほどから板倉参考人からのアズ・ロー・アズ・プラクティカブルに押えなさいと、こういう二つのただし書きがついております。この線に沿いまして原子力発電というのは努力しているわけでございまして、先ほどから議論がございます軽水炉でこの値を二けた下げようというのは、その努力のあらわれでございまして、軽水炉はいままで一番経験の深い原子炉でございまして、いままでの技術改良の努力の結果年間五ミリレム程度に設計目標を押えるということは、これは技術的にプラクティカブルである、経済的にプラクティカブルであるという経験に基づきましてそういう設計目標を定めようという動きがあるわけでございます。
  88. 中村利次

    ○中村利次君 おっしゃるとおり、アズ・ロー・アズ・プラクティカブルというんですか、その百分の一、五ミリレムに押えよう、こういうことで事実上そうなっておると思うのですけれども、中島参考人にお伺いをいたしますけれども、これはもし場違いでございましたらお許しをいただきますが、いま原子力発電原子力発電株式会社をはじめ各電力で建設をされておりますけれども、労使間での作業員の被曝許容線量ですか、それは大体どういう方向にございましょうか。それと、実績でですね、作業員のみでなく、周辺に与える被曝線量というものの実績はどういうことになっておるのでしょうか。
  89. 中島篤之助

    参考人中島篤之助君) ただいまの御質問に答えます前に、その五〇〇ミリレムの問題についてちょっと申し上げたいのですけれども、アメリカでは現実に一七〇ミリレムを採用しておるのです。ですから、日本はICRPの勧告を尊重するということで五〇〇にしておりますけれども、これは学者間に異論がないのではなくて、もっと下げろという異論があるということを申し上げなければならないと思います。そして、もう一つ申し上げなければならぬのは、いわゆる許容量というものが、知識が進歩するとともに、けさほど板倉さんが言われましたが、確かにX線が発見されて以来、われわれは放射線というものと対面しておるわけなんですけれども、実はいわゆる許容量みたいなものが生まれた最初は、たしか一九〇五年ごろロリンズという人がおりまして、これがそのとき許容量みたいなものを提案したわけです。これは一〇レム・パー・デーというようなとんでもない、いま考えますと驚くようなものが当時のいわゆる許容量として、つまり、これぐらいいると皮膚にやけどができるというようなことがあったわけでありまして、それからずっとX線技師とか何とかの間でだんだん被曝をすると有害だということがわかってまいりまして、それで許容量というものがだんだんきびしくなっている。これをかりに、きょう図を持ってまいりませんでしたが、横軸に年代をとって、これは直線的なスケールでとって、縦軸に対数軸でもって許容量、いわゆるそういうものをプロットしますと、一八九五年からほとんど直線的に落ちてきているということが言えます。ですから、知識の進歩とともに許容量というのは実は減ってきておる。それからいまの五〇〇ミリレムの根源になっております一九五八年のICRP勧告では、これは考え方としては、何といいますか、放射線というのは利益があるからやむを得ず受けるのだという考え方が取り入れられております。そのアズ・ロー・アズ・プラクティカブルというようなことがいわれたのもそのときからでありまして、そういう考え方は取り入れられたのだけれども、実際の数値についてはそれまでの経験を勘案して五〇〇ミリレムというようなものをきめているわけでありますから、その後、アメリカのナショナル・アカデミー・オブ・サイエンスでも、防護技術が進歩してもっといわゆる許容量は下げることができるということを言っているということをまず申し上げておきたい。  それからいまの先生の御質問でありますが、これはつまりだれでも当たったら相当な被害が起きますから、つまり、都甲先生がおっしゃったように、むだな被曝を極力避けるというのが基本でありまして、たとえばわれわれ職業人はやむを得ず浴びる場合があるとすれば、いまの基準ですと周辺住民は少なくともその十分の一にすべきだというようなことが言われておりますけれども、それが管理上きちんとそうなっているかどうかはあまり明確ではない現状であります。それで今度は労働者の場合ですけれども、私、知っておりますのは、悪名高い三レム協定というのがございまして、年間三レムまではあたかも当たってもいいかのごとき協定があるかに聞いておりますけれども、これはたいへん困るわけでありまして、やはり極力減らすということをやらないと、これはお金をもらったから当たっていいんだということには決してなりませんで、その人たちと、何といいますか、当然そういう従業員は社会的に通婚関係にある、ICRPではそういうことを言っていますが、日本人全体の中で職業人の数がふえ、そしてその人たちがたくさん当たれば、結果としてその人たちの子孫だけがどうこうという問題ではなくて、社会に対する負担になる遺伝影響があらわれるということもこれはまた事実でありますから、できる限り慎重な態度をとるということかと思います。これについてはむずかしい問題がありまして、従業員補償の問題でありますが、たしか我妻先生を中心に我妻委員会ということでいろいろな検討がなされていると聞いておりますが、私、詳しいことはきょうデータを持っておりませんので、この辺でそういうことがあるということだけ申し上げておきます。
  90. 中村利次

    ○中村利次君 これはICRPの勧告というのは、五〇〇ミリレムに対して科学界で異論があっても何であっても、現実にはこれは五ミリレムというのですから、まずナンセンスみたいなものでして問題にならないと思うのですが、しかし、五ミリレムが三ミリレムであってもこれは当たらなければ当たらないほうがいいにきまっているのですから、そこでこれは重大な関連がありますけれども、先ほど船田委員のほうから質問がございまして、東京と関西自然界における放射線に四〇数ミリの差異があると。これはやはり地域によってまず国内から伺いたいと思いますが、たとえば北海道あるいは東京、指摘された関西、あるいは九州、こういう地域によって差異がありますか、あれば大体どれくらいの差異、日本国内で最高と最低ぐらいではどれくらいの差異がございますか、板倉参考人にお伺いします。
  91. 板倉哲郎

    参考人板倉哲郎君) 自然のバックグラウンドの差異の詳しいデータはここに持っておりませんけれども、日本国内で関西の六甲地方とかあるいは私のほうの発電所をやっております敦賀というのは年間に一五〇ぐらい、あるいは六甲地方はもっと高うございます。それに対しまして茨城県地方というのは一〇〇を切っている値であるということは申せますけれども、いまおっしゃいましたのは、自然のバックグラウンドで差異といいますのは、その影響の差異があるかどうかというお話と解釈しますと、これは先ほど都甲参考人も言われましたように、現在の科学技術の上での統計をいろいろとっておられましても、その差が出ておりません。  それからもう一つ、日本の国内だけではなくて、さらにほかの場所になりますと、その差はもっともっと、十倍とかもっと高いところがございます。そういうところについても、現在のところでは、統計上で人体影響があるという差は出ておりません。しかし、低くても低いに応じた害があるかもしれないという態度で防護をせよというところで、直線的な比例関係に害があるのだという仮定計算をすると、わずかでございますけれども非常にたくさんの人口が当たれば、たとえば先ほど少し申したかと思いますけれども、遺伝のことにつきましても、一億人の遺伝ということを一億人の統計を考えますと、そのわずかな五ミリとか——これは五ミリと申しますのは発電所周辺でございます。国民全体でいきますと、それから離れますとさらに線量が落ちますので、そういう数値を入れて計算をした例があるわけでございますけれども、そういう例から、午前話したことと同じになりますけれども、一億人ということを対象にしますと、自然でも……
  92. 中村利次

    ○中村利次君 はい、けっこうです。次に質問します。  国内以外にはもっと十倍ほどの差があるというお話でしたけれども、これは世界各国の例で見て一番低いところ、一番高いところは大体どれくらいですかまあ大まかでけっこうですが。
  93. 板倉哲郎

    参考人板倉哲郎君) 高いところになりますと、インドのケララ地方、約三千人の人が住んでおりますけれども、先ほどの単位で申しますと、五千とか六千という値も出ています。単位で申しまして、先ほど何十ミリとか百とかいっておるのに比べまして、何千あるいは一万というようなところも自然でございます。それからもう一つ高い例は、南米にございます。そこはもともと人があまり住んでおられませんところでございますけれども、人が住んでいるところで有名なのはインドのケララ地方で、三千人の人がその辺に住んでおります。
  94. 中村利次

    ○中村利次君 そのインドのケララ地方ですね、これは三千だとか五千だとか一万なんといえば、私どものあれからすると容易じゃないのですが、これは統計的実績の上でたとえば白血病にかかる人が非常に多いのか、あるいはガンにかかる人が非常に多いのか、統計的実績の上ではいかがでしょう。これはもしお答えいただければ都甲先生にもお伺いしたいと思います。
  95. 板倉哲郎

    参考人板倉哲郎君) インドの例は、その統計がまだ不十分であるという話でいまだに、国連の科学委員会でも統計をとっておりますけれども、現在までのところでは有意な差がまだ見つかっていないと、こう言っておられます。私は非常に高いところとの差ということよりも、少なくとも日本国内について考えても数十ミリということは事実的に差がないということを申し添えたいと思います。
  96. 都甲泰正

    参考人(都甲泰正君) 私の記憶ですと、実はインドのケララ地方は人が十万人ぐらい住んでおりまして、それで自然放射線のレベルがたしか数百から千ミリレム程度だったろうと思います。そこで、実はほかの地方と有意の差があるかという調査をたしか国連から調査団が行ってしたわけでございますが、結論から先に申しますと、有意の差が出なかった。なぜ有意の差が出なかったかと申しますと、インドという国は戸籍がしっかりしておりませんので、ケララ地方で確かに白血病で死んだという例はかなり集まったのですが、その人が何年前からそこに住んでいたかというデータが十分正確でなかったと、そのため統計書類が不十分で有意の差が出なかったということに記憶しております。いまのことをもうちょっとかいつまんで申しますと、要するに、千ミリレム程度、つまり普通の地方の十倍程度放射線レベルの地方に住んでいたとしましても、一年とか二年とか数年とか、要するに短期間住んでいたのではなかなか統計上有意の差が出ないと、こういうふうに解釈すれば学問的には正しかろうと思います。
  97. 中村利次

    ○中村利次君 あわせて、ついでですから、これは最近の新聞だったと思いますけれども、ジェット機なんかで高くのぼると被曝線量が多くなるということですけれども、これはどなたでもけっこうですけれども、具体的にどういうことになりますか。
  98. 板倉哲郎

    参考人板倉哲郎君) ジェット機は高度が高うございますので、空間の線量が非常に高くなりまして、一応アメリカ大陸の横断にジェット機で四、五時間かかりますが、一回——住復でございませんで一回片道でその飛行時間だけで約二ミリないし三ミリ、一回です。一年間じゃございません、二回の飛行でそのくらいの被曝が増加するといわれております。
  99. 中村利次

    ○中村利次君 最後に、これはまだたくさん質問をしたいと思いますし、あるいは仮想事故、重大事故、まあ仮想事故はこれはそうたいしてここで問題にするには当らないと思いますけれども、大体重大事故等については質問をしておきたいと思いますし、あるいはこれはたいへん大事な廃棄物の処理、処分についても私は原子力委員会にもほとんど毎回質問をしておりますし、そういう立場から中島参考人にも質問をしてみたいと思ったのですが、時間がございませんですから、最後に、AECのアイダホ実験でECCSが働かなかったということでたいへんにどうも軽水炉はやはり危険があるということが非常に問題になった。これに対して、時間が少ないですから、都甲先生から、そのいきさつ、実態等についてお伺いをしたいと思いますことと、もう一つは、あわせて、PWRについてわが国では事故時にECCSが作動しないものとして安全評価がなされておるのか、作動するものとして安全評価がなされておるのか、そういう点についてお伺いをしたいと思います。
  100. 都甲泰正

    参考人(都甲泰正君) それではお答えいたします。  最初の御質問でございますが、午前中の私の陳述のところで概要述べさせていただきましたが、それをごくかいつまんで申し上げますと、アイダホの実験でECCSが計算どおり入らなかったというのは事実でございます。それでECCS論争が起こったわけでございますが、そのとき直接実験をいたしましたのは、蓄圧注入系と申しまして冷たい水をタンクに入れておきまして、それを高い圧力で押しながら——押すと申しますか、蓄圧しながら通常運転を続けている、それで一次系が破断いたしまして一次系の圧力が下がりますと短時間にその水が入ってくると、こういう系統についての実験でございます。でございますから、実は高温高圧水が短い時間に流れ出すブロー・ダウンという現象がございますが、そのブロー・ダウンの現象の間に入った冷たい水が計算どおり炉心の中に入らなかったと、こう申し上げたほうが正確であろうかと思います。ところで、軽水炉には、いま申しました蓄圧注入系のほかに、低圧注入系ですとか、あるいは高圧注入系でございますとか、少し時間がおくれまして、つまりブロー・ダウンの現象が終了いたしました後に入る蓄圧注入系もございまして、それらの効果につきましてはまた別途評価しているわけでございます。それらまで含めて全部水が入らないというような印象を一般の方に与えておるかと思いますが、アイダホの実験で得られた結果は、あくまでも蓄圧注入系に関しての実験でございまして、それが前半に対するお答えでございます。  それから後半のわが国のPWRの安全評価に際してECCSの注入系を認めているかどうかということでございますが、これは結論から言いますと、認めております。ただ、その認め方といたしまして、先ほど午前中にもちょっと申しましたが、幾つかの条件がございまして、非常にECCS系を信頼度を高くつくってあるという前提がございますし、それから二番目に、その効果と性能を内輪目に評価するということがございますし、それから三番目に、その評価をいたします場合に一つの機器の故障を考える。つまり、一番都合の悪い機器が一つこわれているという仮定を設けた上で評価に取り入れていると、その三つの条件のもとに効果を取り入れているということでございます。
  101. 中村利次

    ○中村利次君 ありがとうございました。
  102. 渋谷邦彦

    委員長渋谷邦彦君) 参考人方々には長時間にわたり貴重な御意見を拝聴させていただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。  他に御発言もなければ、本日はこれにて散会いたします。    午後四時二十一分散会