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井出公述人 御紹介にあずかりました
井出でございます。本日は
昭和四十八年度の
政府予算案につきまして私の見解を申し述べる機会をいただきまして、感謝申し上げます。
初めに、かねて私がちょっと疑問に思っておりましたことが、今度円が
変動相場制へ
移行するという問題が生じたことと関連しまして、再びはっきりしたように思いますので、その点ちょっと申し上げたいと思います。
このごろ、と申しましても戦後、
予算の
編成というのは、
経済見通しと
経済運営の基本的態度というものと関連して行なわれておるというたてまえになっておるわけです。戦前は、
予算を
編成するときに、
予算編成基本方針というようなものが閣議決定を見て、一応それによって国家の
予算が
編成される、こういうことであったのですが、戦後は、
予算編成の基本方針のほかに、
経済見通しと
経済運営の基本的態度というものが策定されまして、それが閣議で了承を得まして、それとの関連において国の
予算が
編成される、こういうようなたてまえになっておるというわけです。
四十八年度の
経済見通し及び
経済運営の基本的態度というものを拝見いたしますと、名目で一六・四%、実質で一〇・七%の成長率になるんだということで、ここにいわゆる
国民経済予算というものが作成されておるわけです。
国民経済予算というのは、四十八年度なら四十八年度においてどれだけの総生産が行なわれるか、そうしてそれに対して有効需要がぴたっとマッチするかどうか、こういうことでして、四十八年度は百九兆二千五百億円の
国民総生産と同じ金額の
国民総支出とで、総需要と総供給が全く一致するというわけです。そうしてその百九兆幾らという
GNPが、あるいは総支出が、前年度に比べて名目で一六・四%ふえるんだ、実質で一〇・七%ふえるんだ、こういうことになっておるわけです。
ところが、この
国民経済予算というものを拝見しますと、個人消費支出とか
国内民間総
資本形成、あるいは
政府の財貨サービス購入、あるいは
国際収支、そういうようなものが総支出を形成しておって、それぞれどれくらいになるかということがここに計算されて、合計で百九兆幾らになる。それで、
GNPが百九兆幾らであれば、ちょうど総需要と総供給が合致するんだということなんですね。これよりも
GNPがふえる、総生産がふえれば総需要が追いつかぬだろう、あるいはまた、これよりも落ちればむしろ総需要のほうが多過ぎて
インフレになるとか、ちょうどこの
程度、百九兆幾らでマッチするんだ。つまり名目で一六・四%の
伸び率といいますか、成長率で
均衡成長が可能だ、大体そういうような
見通しになっておるわけです。そうして、そういうような
見通しというのは、単なる
見通しではなしに
政策目標でもあるわけでして、こういうような状態に持っていこうという四十八年度の
経済の青写真でございますね。そうして青写真がこうやってできるというのは、国の
政策がここに関連しているわけなんです。財貨サービスも、
政府の財貨サービスの購入ということ、国の
予算及び地方
財政の
予算というものが大体どれくらいであるかということが、ここに織り込まれておるわけです。あるいは個人消費支出にしましても、
国内総
資本形成にしましても、これは
社会保障支出がどれくらいになって個人消費支出がこれだけ
伸びるだろうとか、あるいは所得税の減税をこれだけにすれば個人消費支出がこれだけになるだろうとか、あるいはまた、法人課税を、あるいは
企業課税をこうこう持っていく、そうすると
国内民間総
資本形成というものの設備投資や在庫投資や住宅投資はこうなる、そういうことなんで、ここには、国の
予算と、
国民経済予算に関連するのは地方
財政も含めますが、この国の
予算の
政府部門の
予算とからみ合ってこういうような青写真ができるというわけなんです。そういうたてまえですから、
経済見通しと
経済運営の基本的態度と国の
予算というものは、非常に相互関連的であるべきだというたてまえになっておるわけです。
ところが、この
経済の
見通しというものが、実を言うと
かなり恣意的であって、これはある
程度変動要因、変数が含まれますので、正確な予測はできぬにしても、従来拝見しますと
かなり見通しが違っておる。四十八年度も、たまたまこの円の
変動相場制への
移行を契機として、この国会でいろいろ御質問もあったようでございますが、円の
変動相場制へ
移行するについて、これは実質的には一応
切り上げになっておりますが、そうなると
経済の
見通しも変えなければならぬじゃないか。また、それと関連して
予算の組みかえも行なわねばならぬじゃないかというような質問も行なわれたようでありますが、それに対して
政府側の御答弁といたしましては、そういう必要はない、実はほんとうはもっと成長率はふえる、
上昇するはずだった、もっと
景気が過熱するはずであったのだけれ
ども、円が実質的には
切り上げられていくということになって、ちょうど
政府の
見通しどおりの成長率にうまくおさまりそうだから、変更する必要はないというような御答弁もあったようでございます。
そうしますと、もしそういう円の
為替レートの変動というようなことがなかったとすると、この一六・四%とか実質一〇・七%という
見通しは、非常に過小な
見通しではなかったか。これだけの
見通しでも
インフレ傾向だといわれるわけでありますけれ
ども、それ以上に過大な
景気過熱の心配のある状況であったのじゃなかろうかということになりまして、ここに
経済の
見通しというものに対する信憑性というものがいささかぐらつくわけでございます。円の
切り上げでたまたまちょうどよくなるのだということだと、それを前提としない
見通しとしてはおかしいことになるのではないか。あるいはまた、実はこれ以上の
景気上昇ということを考えながら、一応こういう形でもって
国民に示そうということであったかもわからない。
ことしの二月二十日ごろの閣議あるいは新聞記者会見におきまして、
経済企画庁長官の御発言では、昨年の十月から十二月にかけての成長率、瞬間風速を見ますと、名目で二〇%、実質で一五ないし一六%くらいなのだ、これでことしになっても
景気拡大の
テンポが非常に速い、放置しておけば
景気過熱が避けられなかった、こういうような御発言があったように新聞で拝見いたしたわけでございますけれ
ども、そうなると、この
景気見通し、
経済の
見通しというものはいよいよおかしいことになる。あるいはさっき言ったように、こういう
景気見通しを一応立てておいて、実際はもっと
景気過熱になることをいわば予期しておったのではないか。とすれば、四十八年度の
予算は
調整インフレ予算を覚悟されておったのではなかろうかということにもなるわけです。その辺のところが、私、いろいろ国会での御審議、御答弁などを拝見いたしておりまして、従来の
経済見通しに対する疑問が何かそこではっきりしてきた、証拠づけられたような気がいたした次第でございます。
経済見通しというのは、もちろん
政策目標でもある。しかしながら、これは
政策要因を抜きにした
経済予測と、それに
政策要因を加えたものなんですね。だから、幾ら
政策目標といいましても、実勢と全くかけ離れた
政策目標というものは立てられないわけだし、実勢と関連した
目標なんです。ですから、それはある
程度科学的に検討されたものでなければならないわけなんで、あまりにも実勢とかけ離れた
目標である、あるいはまた、あとから見てあまりにも
見通しというのが間違っておったということになると、非常におかしいことではないか。
また、そういう
経済見通しあるいは
国民経済予算との関連で国の
予算というものが
編成されておるということになりますと、国の
予算というものに対する信憑性というか、信頼性というものもぐらつくような気がいたすわけです。ですから、もし、
経済見通しと
経済運営の基本的態度、また次年度の
国民経済予算というものとの相互関連において国家
予算というものを
編成するという今日のたてまえが、ほんとうに実質的にそういうたてまえであるとするならば、もう少しこの
国民経済予算というものに対して、あるいは
経済の
見通しというものに対して、
政府が責任をお持ちになる必要があるのではないか。
財政投融資が国会審議、議決の対象に、完全ではありませんけれ
ども実質的になったということは、私は非常にけっこうだと存じます。
財政民主主義の
立場から見てけっこうだと存じますが、私は別に、財投計画ほどに
経済の
見通しあるいは
経済運営の基本的態度というものを国会の審議、議決の対象にすべしとまでは言いませんけれ
ども、この
経済の
見通しというものを立てられる以上は、そこに
政府がもう少し責任を持って、あまりに事実とかけ違った
見通しであるとすれば、何らかの形で
政府が責任を持たれるという仕組みにすべきではなかろうか。実際は、それならどうするんだということになりますと、いろいろあるかと思いますけれ
ども、これは御検討をお願いするといたしまして、そういう問題点があるのではなかろうかと思います。もし、そういうたてまえはたてまえとして、実際は国の
予算は国の
予算として別に
編成しているんだということであるならば、
予算の説明をされる場合に、
経済見通しとか
国民経済予算との関連において行なわれるべきではないと思います。
国民経済予算において、
政府の財貨サービスの購入の
伸び率が比較的少ないから
インフレ予算ではないというような説明は、それは
国民経済予算と国家
予算と
政府みずからが非常に関連してとらえられておるから、そういう御答弁があると思うのですね。それならば、そういう
国民経済予算なり
経済の
見通しというものを、国の
予算のように精密に行なわなければならない、こういうことになるだろうと思うのです。円の
切り上げを前提としない
経済の
見通しが、円が実質的に
切り上げられるということと関連して、ちょうどうまくいったというのは非常におかしいのではなかろうか。こういう点について率直に私の疑問を申し上げまして、御検討をお願いいたしたい、こういうふうに思います。
次に、もう一つこの
予算の
編成に関連いたしまして考えますことは、今日の円の再
切り上げ、これはいつになるかわかりませんが、とにかく
変動相場制になりまして事実上
切り上げられておりますし、再
切り上げも、時の問題は別として、不可避ではなかろうかと思いますが、この円の再
切り上げがかりにあったとして、それを契機としまして、再び
輸出中心、あるいは産業
中心の
政策、あるいは
予算に逆戻りするというようなことがあってはならないわけでして、そうすればまた第三次、四次の
切り上げということに追い込まれるということは、これまでの
経験からも明らかであろうと思います。したがって、やはりこれは
福祉政策を強力に推進して、そうして皆さんが申されておりますように、
産業構造の改革なり、あるいは具体的に言いますと、労働賃金の引き上げ、あるいは労働時間の短縮とか、あるいは公害防止費用の
企業の自己
負担とか、要するに欧米主要国と同じような生産条件のもとにおいて生産をする。そういう形で
国際収支の改善を行なっていく。それでなおかつ
国際収支が
黒字であり続ければ、円の
切り上げへいくというのがたてまえでなかろうかと思うのですね。円の
切り上げということも一つの方法でございますけれ
ども、ただ円の
切り上げだけにたよれば、これは、そういう
福祉政策なり生産条件の欧米並みへの引き上げ、あるいは
国民生活の条件の引き上げということがないままに
国際収支は
黒字になってしまう。ですから問題は、円の
切り上げの前に、そういう体質の改善なり、あるいは
福祉政策の推進という形で
国際収支の改善を行なうという努力を続けていくべきである、こういうことが基本だろうと思います。
ところで、そうしますと、よく高
福祉、高
負担といわれますように、
財政規模というものが
拡大をしていくであろうということになります。しかしこの場合、安易な
拡大ということは厳に慎まなければならないと思います。
福祉財政の内容におきまして、
財政資金の浪費とかあるいは
財政規模の過大というようなものに対して、あまり寛容になり過ぎているような気がいたすわけです。
福祉財政だ、だから幾らでも
財政規模は
拡大していいのだ、資金はある
程度浪費してもいいのだというような傾向がありはしないか。何も自由主義時代のチープガバメントをここで主張するわけではございませんけれ
ども、この際あらためて、
財政体質の改善あるいは
財政の
効率化ということを考えてみる必要があると思います。
そうして、そういうことを実現するためには
一体どうしたらいいかというと、これは
予算編成の方式を変えていかなければならぬのじゃないかと思うのです。現在はどういうことになっているかというと、
大蔵省に対する概算要求も、新規経費の概算要求ということになっておりまして、既定経費はそのまま。これは事務能率の簡素化、迅速化というようなこともありましょうが、既定経費はそのままにしておいて新規経費だけの概算要求をする。それから
大蔵省の査定も、新規経費を査定する。既定経費はそのままなんですね。既定経費という部厚な層があって、その上に新規経費がある。その新規経費をどれだけ認めるか削るかというようなやり方をやっておられるわけです。しかし考えてみると、既定経費といわれるところで非常に問題があるのではないか。既定経費をもう一ぺん各年度ごとに洗い直して、そうして既定経費に手をつけて、既定経費においてむだな面があればそれを排除する、そういうことにして新規経費の認むべきものは勇敢に認めていくということをしないと、既定経費に食われてしまいまして、いつまでたっても真実に望ましい
政策があまり十分に行なわれない。だから私は、既定経費に手をつけるということが絶対に必要だろうと思う。新規経費
中心の
予算編成方法というものはこの際反省を要するのではないか、こういうふうに思います。
ですからこれは、たとえば官庁機構というものはどんどんふえていきまして、一ぺんふえますと、それに要する人件費でも物件費でも既定経費になって、そうしてその上に新規経費というものが積み上げられていきますので、だんだんと官庁機構が膨大になっていけばいくほど既定経費がふくれ上がって、新規経費の余裕がなくなる、こういうようなことになるわけです。国土総合開発庁とか国土総合開発公団というものができまして、別にこれを私はとやかく言うわけではございません。必要があってこういう新しい機関が生まれたものと思いますが、そういう必要があってこれが生まれたならば、同時に他面において、不必要になったもの、もっと圧縮すべき部分もなかろうかということを考えなければ、次から次にこういうものがつけ加えられていって
財政はふえていく。これができれば、もうこれに対する経費は既定経費だ。ですから、そこが問題だと思いますね。こういうことをもう一ぺん反省しまして、
財政の体質の改善あるいは
財政資金の効率的使用ということをこの際考えなければならぬと思う。
福祉政策は推進しなければならない。しかしながら、もともと資源の乏しい国であります。ですから、
福祉政策を十分に推進しなければならないほど
財政資金の効率的な使用ということが必要になってくるわけであって、
福祉財政だから放漫な
財政でいいというわけではないので、
福祉財政こそ一面においてむだな支出を省くという必要がある。私は、ここに
財政の体質の改善とその
効率化ということについて御検討をいただきたいと思います。
一ころ
財政の
硬直化ということが問題になりましたが、時間がだんだん迫ってまいりまして、この点はちょっと省略いたします。
それから、
福祉財政ということになれば、何といっても
福祉税制の確立ということが必要だろうと思います。しばらく税制問題について申し上げますと、とにかく円が
切り上げられるということ、あるいは事実上
変動相場制のもとにおいても
切り上げられておりますが、
中小企業や零細
企業あるいは中小所得者、特に給与所得者層に対するしわ寄せというものがあるわけでありまして、これに対しては早急に救済策というものが必要だと思います。それは
予算の組みかえあるいは補正
予算ということになりましょうが、さしあたり
財源の問題がございます。
財政支出の追加を必要とする面については
財源の問題がございますけれ
ども、これについては、かねてからよくいわれておりますように、大法人課税をもう少し強化すべきではなかろうか、こういうふうに思います。
この大法人の課税強化ということは、法人税率の引き上げということがまず考えられますが、基本税率いま三六・七五%でございますが、これを四〇%
程度にするとか、そういう税率の引き上げということもございますが、それとあわせて、たとえば、法人の受け取り配当の益金不算入の制度とか、あるいは支払い配当への軽減税率の適用制度とか、こういうようなものをこの際撤廃するという方法をとるべきではなかろうかと思います。法人株主の比率が非常に個人株主の比率に対してふえておりますが、そういう場合に、法人の受け取り配当が課税対象外に置かれておるということは、法人、特に大法人にとって不当に有利ではなかろうか。それから支払い配当への軽減税率が適用されておりますけれ
ども、これは従来は、銀行から金を借りて設備投資をすれば利子を支払わなければいかぬ、その利子は損金に算入される、ところが増資をすれば配当しなければならぬ、支払い配当は損金に算入されない、こういう税の仕組みでは銀行借り入れのほうが有利だ、他人
資本に依存するということが有利な仕組みになっておるのでおかしいじゃないか、だから支払い配当は損金に算入しろというような主張、要求もございまして、結局、軽減税率の適用ということになっております。しかしこれはやはり撤廃すべきであると思います。特に時価
発行というようなことで
企業資金というものが獲得されるようになりますと、銀行から借り入れるという場合よりも、むしろ増資のほうが資金コストは安くなるというようなこともあるわけです。したがいまして、そういう
企業については、支払い配当の軽減税率の適用ということは不当にまた有利になっておる、こういうことになるわけでして、やはりこの二つの制度はこの際撤廃すべきではなかろうか、こういうふうに思います。
それから、これまたよくいわれますけれ
ども、租税特別
措置の徹底的な整理ということ、これはやはり私もやるべきではなかろうか、こういうふうに思っております。もちろん特別
措置といっても、新しい
事態に応じて必要なものもありますので、従来の特別
措置ですでに使命を終わったもの、あるいは理論的に疑義のあるもの、あるいは
効果の少ないもの、これは思い切って整理すると同時に、どうしても新しい
事態において必要な特別
措置はこれは設けていく。何も特別
措置絶対にいけないというわけじゃございません。今日においては、特に大法人に有利な租税特別
措置というものが残されておりますので、それは徹底的に整理すべきであろうと思います。今度の税制改正では、新しい特別
措置の導入もございます。その中に、たとえば公害
対策のための特別
措置がございますが、これは、特別償却とか準備金という名における公害防止設備投資等に対する補助金の供給ということになりましょう。ただ、これはPPPといいますか、ポリューター・ペイズ・プリンシプルといいますか、公害発生者
負担の
原則という、これは
世界的には
合意を得つつありますけれ
ども、そうして先般もニクソン大統領が強調しておりますが、こういうようなPPPという
観点から見ると問題があるのじゃなかろうか。この点は、非常に
負担が耐えられないという
企業もありましょうし、
中小企業においてはどうかという問題もありますので、
事態は複雑でございますけれ
ども、それはそれとしてまた別段の考慮をするとして、そういうことの考慮なしに、ただ単に公害防止設備等についていろいろの形の名における補助金の支給ということは、公害発生者
負担の
原則、PPPに反するわけで、国際社会においてどういうような
影響があるかということが心配になるわけでして、この点もひとつ御検討をお願いいたしたいと存じます。
世界は大体、こういう設備投資その他のソシアルコストは、これは
企業の自己
負担とすべきだということでありますので、その点を御検討をお願いいたしたいと存じます。次に、中小所得者、特に給与所得者の減税のことでございますが、この四十八年度の税制改正におきましても、給与所得者の標準世帯といいますか、夫婦子供二人、四人暮らしの世帯におきましては、課税最低限度額が引き上げられまして、初年度で百十二万千二百六十円、平年度で百十四万九千円、約百十五万円ということになったわけでありますが、この課税最低限度額は、それ自体まだ私は低いと思いますけれ
ども、ここで一つ考えたいことは、平年度で約百十五万円、初年度で百十二万円というように、いつも減税の額を出すときには初年度と平年度とが併記されておりまして、いかにも平年度が意義があるような形になっておるわけです。四月から会計年度が始まりますので、その年の一月、二月、三月分は減税の対象にならないわけだから、平年度が減税幅が大きいし、初年度は三月分だけは少ないということになるわけです。しかし考えてみますと、この課税最低限度額というものを考えますと、今後物価が騰貴していく限りは、毎年課税最低限度額は引き上げていかなければならないと思います。とすると、毎年毎年初年度が問題なんですね。平年度というのはこれは架空のものだと思うわけです。ですから、平年度百十五万円、初年度百十二万円というのじゃなくて、百十二万円だということになるわけです。ですから私は、こういうまぎらわしい表現をとらないためには、減税をやるときには一月にさかのぼってやるべきではなかろうか。会計年度は四月からですけれ
ども、一月からさかのぼってやれば、初年度から百十五万円の課税最低限度額になるわけです。技術的にあるいはめんどうな点があるかと思いますけれ
ども、しかし、必ずしもその技術的なめんどうさというものは克服できないものではないと思われますので、初年度と平年度の区別なしにする、こういうこともひとつお考え願いたいと思います。
それから、事業主報酬制度というものが創設されまして、これは税制調査会においてもあまり評判よくない、一般に評判がよくない、こういうことでございますが、私はこの事業主報酬制度そのものは必ずしも反対ではないんです。小
規模個人
企業の所得といえ
ども勤労所得的要素が多分にあるわけですね。これは、われわれ給与所得者あるいはサラリーマンの所得と、ある範囲においてはダブるような性質があるわけです。ですから、個人事業主報酬について給与所得控除、つまり勤労控除を認めるということは、必ずしも私は反対ではないのです。シャウプ勧告でも、この勤労控除というものの性質はどういうものかというと、いろいろありますが、一つは、所得を稼得する人間の
労働力は年々摩滅していきますので、それに対する減価償却的意味があるのだ、勤労所得控除は。それから余暇を犠牲にして働くということについての表彰的意義があるのだということ、それから特に給与所得者は、給与所得は勤労所得ですけれ
ども、この給与所得については、特に必要経費の控除が困難であるから、概算的必要経費の控除という意味があるのだ、こういうようなことをいっておるのでありまして、結局小
規模個人事業主については、いまの初めの二つの意味の勤労控除は認むべきだ、それにプラス必要経費の概算的控除というものを給与所得控除には認めるべきであるといっておるわけです。ですから、勤労所得控除はどっちにも認める。ただサラリーマンなどの勤労所得控除は、必要経費の概算的控除の分だけ多くしろということをシャウプ勧告はいっておるわけですね。ですから私は、事業主報酬について給与所得控除を認めるということは、それが勤労控除という意味におきましてこれはよろしい。ただし、われわれ給与所得者の給与所得控除と同額であるというのは、これはおかしいと思うのです。これはシャウプ勧告のあれからいってもおかしい。ですから、これはやはりわれわれに対する給与所得控除額の一定割合、二分の一とか、そういうことにしなけりゃならぬと思うのですね。そうしなければ、やはりクロヨンとかトーゴーサンという現在の税制の不公平が、ますます
拡大されるという批判に耐えられないと思うのです。ですから、やはり控除額を考慮するということがぜひ必要である。こういう事業主報酬に対して給与所得控除を認めること自体がいけないとは、私自身はそうは思っておりません。これを機会に、所得税の課税最低限の額をもう少し引き上げなければなりませんけれ
ども、特に引き上げ方は、給与所得者に対する給与所得控除額を思い切って引き上げるという形で給与所得者に対する課税最低限度額をうんと思い切って引き上げる、そして、その何分の一か、何%かをこの事業主報酬に対して適用する、こういうようなことであればいいんじゃないか、こういうように思います。同額であるということであれば、これはちょっと納得ができません。
それから、
福祉税制ということになりますと、どうしても株式譲渡所得課税を復活すべきであろうと思います。このキャピタルゲインの非課税というものは、持てる個人、高額所得者と低額所得者との間の
負担のアンバランスをもたらすということでありましたけれ
ども、いまや株主というものが法人に
かなり出てきた。そうすると、このキャピタルゲインの非課税というものは、株主であるところの特に大法人に利する税制である。大法人優遇
中心の税制の一役を買っておるものでございます。したがって、この株式譲渡所得課税は復活すべきでありますが、キャピタルゲインの捕捉の困難性ということがありますけれ
ども、私は、たとえ困難性があっても、理論的に課税すべきものであるならばそれを実施しまして、そうしてこの課税の復活を要求いたしたい、こういうふうに思っております。
時間がだんだん切迫いたしましたので、この税制改正の問題については、たとえば
中小企業についての課税の軽減、これは、同族会社の留保金課税は撤廃すべきだと思います。ほかの大法人の留保金課税は撤廃されたのに、同族会社に対する留保金課税だけは残存しているということはおかしい。
それから、法人税率も累退税率を積極的に採用いたしまして、そうして小
企業について何段階かの税率の低減を考えるべきである。いまは
資本金一億以下の
企業について、年所得三百万円で区切りまして税率を変えておりますけれ
ども、もっとその辺のところは考えるべきであるというふうに思います。
それから
年金制度でございますけれ
ども、
年金制度は賦課方式にすべきだと思います。これは、この間見えたシャウプ教授の説によれば、老人というものは現世代人の税金によって扶養すべきであるということを強調されておるわけですが、そこまでいかなくても、せめて賦課方式によって現世代の人たち、働くことのできる人たちの保険料金によって老人を扶養すべしということが、現実的には考えられるわけです。理論的に言いますと、シャウプ教授の見解は、非常に考えさせられる要素を持っておると思います。それと関連して賦課方式をここで提唱いたします。
それから、実を言うと公債問題について申し上げたいのでありますが、これは時間の
関係で要目だけを申します。実は公債問題は私ちょっと重点を置いたのでございますけれ
ども、時間の配分のまずさで時間切れになりつつありますが、公債は、四十年は一応別として、
昭和四十一年からの本格的な公債の
発行というのは、フィスカルポリシーの手段として考えておった。ところが、現在は資源配分の手段として公債を考えるということになった。フィスカルポリシーではない。だから、
景気のいかなる局面においても、公債というものは資源配分の手段としてコンスタントにふえ続けていくというような思想が非常に出てきておる。これは
福祉財政の
規模の
拡大と関連するわけですが、だからフィスカルポリシーの手段から資源配分の手段としての公債ということになってきているわけです。しかし、公債の
発行というものを無制限に許すことができるかということが問題になります。
財政法第四条の
公共事業費というものが、
財源として公債を
発行することができるということになっておりますけれ
ども、この
一般会計予算の説明書における
公共事業費といえば、いわゆる道路とか橋梁とか港湾とか下水道とか、いわゆる
社会資本の形成、これが
公共事業なんです。ところが、
予算総則において、
財政法第四条によって、公債をもって支弁し得る
公共事業というものの中身を見ますと、たとえば警察庁の施設費とか、あるいは税関の施設費とか、あるいは何々開発調査費、つまり官庁営繕費あるいは調査費が、
公共事業費という名において公債をもって支弁することができるということになっておる。これは
公共事業費の内容の
拡大であり、金額の
拡大であり、したがいましてこの点からいいますと、
財政法第四条は公債費の歯どめとしては非常にあやしいということになります。それから、そうではないんだ、
公共事業は幾ら
拡大しても国あるいは地方の
消化能力というものがあるから、むやみやたらに
公共事業というものを
拡大することはできないのだということ、そういう説もありますが、確かに
消化能力には制限があるから、むやみやたらに
公共事業をふやすことはできない、したがってむやみやたらに公債を
発行することはできないということでありますけれ
ども、考えてみますと、今度は繰越明許費という制度がございまして、これも資料によれば、各省各庁繰越明許費に該当する項目が非常に多いわけです。あれは金額はちょっと出ておらないようでありますけれ
ども、どれだけ繰越明許費によって繰り越されていくか、金額がわかればおもしろいと思いますが、もし公債を増発したいために
公共事業費の内容も
拡大する、金額も
拡大する、
消化能力をこえる場合においては繰越明許費という制度を利用しまして次年度に繰り越すということをすれば、またさらに公債を増発すすることができるということになります。ですから、第四条の公債の歯どめということは非常に問題になるのですね。
それから第四条では、公債の償還計画を立てろといっておりますけれ
ども、
政府の償還計画というのは、これは一々読み上げてもいいですけれ
ども、きわめて簡単で、全く形式的なものですね。あれがはたして償還計画であろうか。第四条の趣旨は、
均衡財政を標榜しておるわけです。したがって、これだけの公債を
発行して、ほんとうに将来償還期限が来たとき、あるいはその間の利子支払いというものが
財政を圧迫しないだろうかというようなことをはっきりと証明しなさいという趣旨だろうと思うのですね。だから、
政府のいまの公債償還計画というものは、これは
財政法第四条の要求する償還計画じゃないのじゃないか、こういうふうに思います。
財政法第四条があまりにも窮屈な
均衡予算主義であるから、何とかそこをごまかして、実際は公債の
発行を
拡大しているのだということであるならば、私はむしろ
財政法第四条というような規定は撤廃すべきであるというわけです。そうしてあらためて、どの
程度に公債を
発行すべきか、累積させるべきかということを
経済理論的に研究し合って、理論的な歯どめを持つべきである、こういうふうに思うわけです。
それから、この公債の累積と関連しますと、
国債費の累積というのがありまして、公債というのは
公共事業の
負担の世代間の配分だという説がありますけれ
ども、これは私、疑問な点もあります。はたして
負担の配分だろうか。公債で
公共事業をやる、そうすると今度は、その元利払いは税金で後世代の者が
負担するといいますけれ
ども、受け取る者も後世代の者ですからして、決して
負担の後世代への押しつけということにはならないわけです。税金を払う者も後世代だけれ
ども、公債の元利払いを受ける者も後世代なんです。だから問題は、後世代において、
国債費の累積によっていかなる所得の再分配が可能であるか、どういうことが実現するかということが問題なんです。だれが公債を持っているか、どういうような税制であるかということが非常に大きな問題になる。そういうことを全く不問にして、公債の累積というものを資源の配分の手段という名において認めるということにつきましては、非常に警戒せざるを得ない、私はこういうふうに思います。
公債問題についてもう少し申し上げたいところでありますけれ
ども、再々の御催促でございまして、これをもって終わりといたします。
御清聴ありがとうございました。(拍手)