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1973-04-18 第71回国会 衆議院 法務委員会 第20号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十八年四月十八日(水曜日)     午前十時五分開議  出席委員    委員長 中垣 國男君    理事 大竹 太郎君 理事 小島 徹三君    理事 谷川 和穗君 理事 古屋  亭君    理事 青柳 盛雄君       井出一太郎君    植木庚子郎君       住  栄作君    羽田野忠文君       松本 十郎君    三池  信君       小林  進君    正森 成二君       沖本 泰幸君  出席国務大臣         法 務 大 臣 田中伊三次君         厚 生 大 臣 齋藤 邦吉君         国 務 大 臣         (総理府総務長         官)      坪川 信三君  出席政府委員         総理府賞勲局長 吉原 一眞君         総理府恩給局長 平川 幸藏君         法務大臣官房長 香川 保一君         法務省刑事局長 安原 美穂君         法務省保護局長 高瀬 禮二君         公安調査庁長官 川井 英良君         公安調査庁次長 冨田 康次君         厚生省援護局長 高木  玄君  委員外出席者         厚生省援護局審         査課長     柏井 秋久君         郵政大臣官房電         気通信参事官  富田 徹郎君         最高裁判所事務         局人事局長   矢口 洪一君         法務委員会調査         室長      松本 卓矣君     ————————————— 委員の異動 四月十八日  辞任         補欠選任   楯 兼次郎君     小林  進君 同日  辞任         補欠選任   小林  進君     楯 兼次郎君     ————————————— 本日の会議に付した案件  裁判所司法行政に関する件  法務行政に関する件      ————◇—————
  2. 中垣國男

    中垣委員長 これより会議を開きます。  本日、最高裁判所矢口人事局長から出席説明の要求がありますので、これを承認するに御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 中垣國男

    中垣委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。      ————◇—————
  4. 中垣國男

    中垣委員長 裁判所司法行政に関する件、法務行政に関する件及び人権擁護に関する件について調査を進めます。  質疑の申し出がありますので、これを許します。青柳盛雄君。
  5. 青柳盛雄

    青柳委員 本日、私は最高裁判所にお尋ねをいたしたいと思いますが、それはことしの三月十七日の全司法新聞、これは全司法労働組合機関紙でございますけれども、それに松本判事、この方は福岡高等裁判所裁判官松本敏男という方でありますが、その裁判官が、四十七年度民事書記官実務研修というふうに書いてありますが、その最終日のことしの二月六日に、特別講義ということで二時間四十分にわたって講演を行なった。その松本裁判官講義内容特定思想を攻撃しているという見出しで、一応の筋書きが報道されましたので、私ども関心を持ちまして、もっと詳細な資料はないかどうかということで全司法労働組合のほうにお願いをいたしましたところ、その実務研修に出席しておられた組合員の方で、やはり書記官だと思いますけれども、その方が職掌柄非常に詳細な、速記録ほどではございませんけれども要領筆記、約三十数ページにわたるものをとっておられました。そのリコピーをいただいて見る機会を得たわけであります。それによりますと、この全司法新聞記事の全貌が明らかになったわけでありますが、このことについて最高裁は何か御調査になったことがありますでしょうか。ありましたら調査の結果をお知らせいただきたいと思います。
  6. 矢口洪一

    矢口最高裁判所長官代理者 御指摘福岡高等裁判所におきます書記官実務研修でございますが、これはただいま青柳委員からもお話のございましたように、四十七年度の裁判所書記官民事実務研修というものでございまして、書記官研修所現地高等裁判所に委嘱いたしまして行なう研修でございます。これは一月十七日から二月六日まで二十一日間にわたって行なわれたものでございます。書記官になりました二、三年のところのいわゆる中堅クラス書記官が三十名ほど研修を受けたものでございます。これに関しまして、ただいま御指摘のような全司法記事が掲載されましたので、私ども現地に問い合わせをいたしましたところ、今月の初めに現地高等裁判所から報告が参り、その報告の中身は、松本敏男判事特別講話ということで、ただいまお述べになりましたように二月六日の午前に約二時間半にわたりまして、講習を受けに来ました書記官講話をしたというものでございます。その内容でございますが、私どもの受けました報告によりますと、裁判所書記官のあり方ということにつきまして、裁判所が法を守る立場にあるということを強調して、裁判所書記官の職務もまた厳正公正でなければいけないということを講話するために、約二時間半にわたっていろいろお述べになったということであるというふうに報告を受けたわけでございます。詳細につきましては、また必要がございますれば私ども報告を受けております限度についてお話しを申し上げます。
  7. 青柳盛雄

    青柳委員 この松本裁判官のことが問題になりましたときに、私は何か聞いたことのあるような名前裁判官であるなということを思い出しまして、よく調べてみましたら、実は昭和四十六年の九月三日の当法務委員会で私が鹿児島地裁司法行政のやり方について質疑を行なったことがありました。それは鹿児島地裁、当時有名な飯守重任氏が所長をやっておられ、そしてそのもとで刑事裁判などを担当しておられたのがこの松本敏男裁判官であったわけでありますが、いわゆる公安関係勾留事件については、一定裁判官序列をきめておいて、首席松本敏男判事があり、その次にだれだれというふうに序列をきめて、若い判事補などにはなかなか公安事件勾留などは担当ができないようなからくりをやっているということについて質疑したわけであります。私はその際にも、この松本裁判官という方の思想傾向ということについては無関心ではいられなかったわけでありますけれども、何しろ当時は、飯守重任という当時の所長さんがたいへんに反共主義の方でありまして、何でも赤だということでレッテルを張って攻撃をする、青法協なんかもけしからぬのだ、ああいうのは裁判所から追放してもいいのだというくらいの議論とか、全司法労働組合などというのは革命を目ざしている労働組合だからいかぬのだという、たいへん極端な思想を持っておられたものですから、その陰に隠れて、松本裁判官という方がはたしてどうかということについて深く検討する余裕もなかったわけでありますけれども、今度この問題が起こりまして、先ほど申しました講話の要項を読んでみますというと、やはり全司法新聞の報道は決してゆがめたものではなく、確かに特定思想自分で堅持しており、それはともかくといたしまして、その自分思想から見て好ましくないと思われる共産主義に対して敵対的な考え方を持っておられるということがありありとうかがいとれたわけで、たとえばこの講義前半部分は、自分戦時中に関東州というところで役人をやっておって、関東局食糧係をやっておったというようなことから、中国人の、当時は満州国といっておったのですけれども満州国司法部大臣もやったとかいう園という方の家を訪問したことがあり、そこでお譲さんが通訳になって、園さんのおかあさんお話を聞いたことがある、この方は非常にりっぱな御婦人であって、日本軍をたいへんにほめておられた、いつの日本軍をほめておったかというと、それは日露戦争当時のことである、これがロシア軍を負かして、そして治安を確保したというようなこと、こういう日本軍に対してたいへんな敬意を表したというふうにこのおかあさんは述べて、日本人の母を学ばなければならないということで、私費を出して若い人を日本に送って、塾を開き、法律学校を開いた。こういう日本軍国主義はなやかなりしころの日本軍中国の老婦人がたいへんにほめていたというようなことを強調し、その話をまず述べ、実は忘れておったんだけれども自分が二十年の八月八日に新京−当時の名前で新京というんですね。とにかく新京ということばを使っておりますから。新京でけがをした、そしてソ連軍が八月八日にやってきて、どろぐつでもってどかどかと家の中に入ってくる。特にどろぐつということばを二回も使っているわけですね。ところが、日本人感覚でいうとどろぐつで家の中に入るというと非常に乱暴な感じがするのですけれども、私は中国あたり生活環境をそれほど詳しくは知りませんが、一々くつをぬいで部屋の中に入るというような習慣があるのかどうか知りませんが、どろぐつどろぐつということばを盛んに強調して、そうして酒をよこせ時計をよこせといって、時計を三つも四つもはめている、こういうのを見て、やはり日本軍のほうがいいんだということを思い出したというのでしょうか、先ほどの老婦人お話で、ロシア人というものがどんなに野蛮なものであるかというようなことを聞く者に印象づけるような体験を述べているわけであります。そしてあとのほうで、これは実はロシア囚人部隊であったというようなことを言って、第二次世界大戦の終わり時分におけるソ連の参戦、中国の東北に進軍してきたというようなことに対する一定評価をやって、どうもソ連という国は信頼できないということを、やはり自分でも思っているし、聞く者にも印象を強くさせる、そしてそれを単にソ連という特定の国をどうこうというのじゃなくて、ソ連という国が政治方針として持っている共産主義というものが非常に極端なものであり、よくないものであるということを聞く者に十分印象づけるように仕組んであるわけですね。そしてその後の講義の中で、実は田中耕太郎著、これはもと最高裁判所長官だという注釈をおつけになって、その人の書いた「カソリックと共産主義世界観」、これはカトリックの思想をもって共産主義世界観批判しているもののようでございますが、それを紹介をし、これはたいへんにいいものだというようなことを述べて、そしてその根本的なところは、この本を私、読んでおりましたら、なるほど共産主義とナチスなどの全体主義とは同じようなものである、そういう認識に立っている議論だと思います。ですから、この松本裁判官もその点はたいへんに感銘を受けて読んでいたのではないかと思うのですが、たとえばこの本、昭和二十五年春秋社というところから出した本の六ページ、階級理論批判というところで、マルクス主義はまさにナチ主義の「人種」を「階級」に置きかえたものと言い得られる、こういうふうな断定、命題があります。要するに、マルクス主義階級闘争だの階級だのいうけれどもナチズム人種によって全体主義を推し進めた、ああいうこととただ形が違うだけだというような論旨のようでございます。この松本判事は、その点を盛んに引用するような趣旨言動を行なっているわけですね。そしてナチズムは「自己中心的で自分が一番立派だという事、然も法そのものを否定するだけでなく法秩序、家庭的な秩序はすべて否定するという形であらわれています。それでナチス的な人の考えは形だけのもので、いつでも手を切るというようなものです。」こういうようなことを言って、まずナチズム批判をやりながら、マルクス主義共産主義というようなものもそれと同じようなもので、民主主義を悪用して、そして自分が一たび権力の座につけば、たちまち反対派を抑圧し、言論の自由も思想の自由もなくなるのだというようなことを革命ということばを使いながら話し、そして「田中耕太郎先生の先程の本の中でも大学の教授で共産主義者教育者としては適格でないと云ってあります。学問は自由な立場でしなければなりません。」などと言って、裁判官も同じだというふうな趣旨のことを言うわけですね。書記官もそうでなければならないというような……。そして各国憲法調べてみたけれども日本憲法は非常にすぐれておるが、人民民主主義国憲法などというものは全く自由を制限するものであって、一党独裁のようなものだというようなことをまた言うのです。それはたとえば、宮沢俊義著「各国憲法の話」なんというのを読んだということをこの講義の中で言って、この本の、人民民主主義国憲法という項目のところを見ますと、宮沢俊義氏は学者としてはたいへんに著名なんですけれども人民民主主国憲法なり政治体制というものに対して片寄った考え方、非科学的な考え方と思われるものが迷べられておるのです。たとえば反対派は認めない、一党独裁なんだというようなこと、反対派の立候補などというものは全然できないように憲法上できているのだというようなことまで書いてあるのです。こういうものも引用する。そしてしまいには、ソ連のことについてアメリカの留学生が書いた「ソビエトの法律と心理」という訳本が出ておるわけですけれども、これも紹介しながら、ソ連という国ではちょっとした窃盗罪でも懲役が重いのだというようなことがこの本にいろいろ具体的な例をあげて書いてあるのですけれども、非常にやゆ的といいますか、たいへんな国なんだぞ、ああいう社会主義の国とか共産主義の国というのは日本のような自由な国とは違うのだというようなことを、この本はそう露骨には書いてないけれども紹介する過程で話す。それからサンケイ新聞の記者の奥さんで鈴木俊子さんという人が「誰も書かなかったソ連」という自分体験談のようなものを書かれておる。これはベストセラーになったとかという話でありますけれども、これもソ連の国民の裏のほうの生活がよくわかるというような意味で紹介をする。一貫して反共主義を吹聴するという趣旨講義なんですね。もちろんその中に連合赤軍みたいなものをやはり引き合いに出して、これも共産主義の一味だ、あの連合赤軍のやっていることは一体何だ、法廷へ来て法廷秩序を無視する、こういうものは断固として対処しなければいかぬのだと言って、その秩序の——われわれ自身も、法廷秩序を守らなければいけないのだとか、あるいは守らなくてもいいのだとか、そういう言っていること自体は教育としても講習としてもわれわれからとやかく批判を加えるべきではないと思うのです。確かにあまりにも無法な法廷における関係者言動というものに対して、一定秩序を維持するということが、裁判官にも、あるいはそれに協力する立場にあるといわれている書記官にもあるのかもしれませんけれども、ただ、それはさしみのつまのようにして出してくるのであって、連合赤軍のような系統に属する学生、若者たち思想状態が、やはり共産主義だからよくないんだというふうに思わせるような状況でございます。これは最高裁判所考え方でいって、こういうような講義をやってもよろしいというふうに考えておられるか、どうなのか、まずその点をお尋ねしたいと思います。
  8. 矢口洪一

    矢口最高裁判所長官代理者 特別講義というものでございますが、これは必ずしも特定実務科目ということと関係なく、あるいは関係してもいいわけでございますが、主として裁判所職員の心がまえといったものについて必要であり、またそうしたほうがいいと考えられるならば講義をしていただいてもいいということでカリキュラムをつくっておるわけでございます。具体的には各庁、場合によってはもっと実務的な、最近における最高裁判例動向とか下級審主要判例動向とかいったようなぐっと学問的と申しますか、実務的な話をなさる方もございます。場合によりましてはそれ以外の精神的な話をされるということもあるわけでございます。かなりいま幅を持ちまして、一応カリキュラム編成しておるわけで、具体的にはこれを担当される裁判官あるいは講師の方の御意向によるわけでございます。そういったことで、特別講義というような形で認められておるというものでございます。
  9. 青柳盛雄

    青柳委員 こういう講義内容について、一々指導し点検をするというような体制最高裁判所はあるのでしょうか。
  10. 矢口洪一

    矢口最高裁判所長官代理者 先ほども最初の御質問で申し上げましたように、書記官実務研修、こういったものはすべて書記官研修所が主催しておるものでございます。それを、ものによりましては直接中央の書記官研修所に集めまして研修を行なうということもございます。ものによりましては各高等裁判所に委嘱いたしまして研修を行なうというものもございます。本件の場合には、その委嘱研修の一環としてなされたものでございます。私ども、やはり裁判所職員実務研修ということといたしまして眼目にいたすべきものは、やはりあくまでそれぞれの職責にふさわしい実務能力を身につけるということであるわけでございます。書記官の場合でございますれば、勢い法律実務民事裁判実務刑事裁判実務家事裁判実務少年裁判実務といったものが中心になるわけでございます。で、それに関連いたしまして、一般教養的なものも当然入ってくるわけでございます。しかしそのウエートというものはあくまで実務家としてのふさわしい素養を身につけるということにあるわけでございます。
  11. 青柳盛雄

    青柳委員 まさにその名の示すとおり実務研修実務にあるわけですが、一般教養として松本判事講師に選んだということのように結果的にはなっております。先ほどお話でも、司法研修所が東京へ集めてやる場合あるいは直接やる場合があるのだけれども、委嘱する場合がある、だから福岡高等裁判所に委嘱してやった事案がこれだと思うのですけれども、その場合講師になられた方は何名くらいあって、そしてだれがどういうのを担当したということまでお調べになったことはありませんか。
  12. 矢口洪一

    矢口最高裁判所長官代理者 いま申し上げましたように、各高等裁判所に委嘱して研修を行ないますが、そのカリキュラム編成等につきましては、これは書記官研修所が責任を持って編成をいたしておるわけでございます。担当講師等につきましても書記官研修所教官が直接出向いて講習を行なうということもございます。しかし、現地裁判官にお願いするということもあるわけでございます。また書記官実務でございますので、現地首席書記官次席書記官主任書記官等にお願いするということもあるわけでございます。本件の場合は、研修所からも二名の教官が参りました。現地裁判官も大体四名くらいの方がこの研修に参加されました。それから首席書記官次席書記官、訟廷の管理官、それから主任書記官といった方々もそこに行かれております。現地裁判官が数名研修に参加しておられます。そのお一人が松本裁判官であったということでございます。
  13. 青柳盛雄

    青柳委員 そしてその松本裁判官に委嘱した講義のテーマというものは何であったのでしょうか。
  14. 矢口洪一

    矢口最高裁判所長官代理者 いまも申し上げましたように特別講話講義というものでございます。特別講義につきまして私ども書記官研修所のほうからその特別講義内容ということで申し上げておりますのは、大体経験豊富な裁判官講師として、経験談を交えながら法律実務法律理論、そういった両者の関係あるいは最近の判例動向等について解説を行なっていただきたいということでございます。これは研修の目的から申しまして、先ほども申し上げたところから当然出てくるところでございます。  ただ、特別講義でございますので、他の科目等の問題で他の科目をやったほうがいいというようなことがあれば、その科目に振りかえてもらっても差しつかえないし、また先ほども申し上げましたような教養といったようなことも大事でございますので、そちらのほうにある程度の重点を置いてやっていただいても差しつかえない。かなりワクを少しゆるやかにいたしまして、現地にそういった点での人選、講義内容等はおまかせしておるということでございます。
  15. 青柳盛雄

    青柳委員 松本判事が何かそういう特別講義をするのにふさわしい力量を持っておられる、経験や知識を持っておられるということの評価はどこから出てきたのか、私どもにはよくわかりませんが、この裁判官の過去の経歴なんというものについて、本人自身戦時中中国におった、そして敗戦で帰ってきて裁判官になったのだというようなことをこの講話の中で述べておりますけれども、お調べになったことはありますか。
  16. 矢口洪一

    矢口最高裁判所長官代理者 一般的な経歴等は、私ども人事関係事項ということで承知いたしております。
  17. 青柳盛雄

    青柳委員 思想傾向というようなことについては何か、たとえば飯守裁判官ついにみずから辞職をされたんでありますけれども所長の任を解くといわれるようなことで裁判官の職をみずからなげうって野におりた方でありますが、その方が過去の経歴などから見ましてもわかりますように、やはり中国で戦犯として逮捕され、抑留をされ、釈放されて帰ってきた。釈放されるときには、共産主義はいいんだ、軍国主義はいけないのだというような自己批判書のようなものを提出をしていわゆる擬装転向をやってそして日本に帰ってきた。また裁判官になって、そしてあれは釈放してもらうためにはああでも言わなければしょうがないじゃないか、当然のことだというようなことを堂々と言ってのけるという、われわれ日本人感覚からいうとたいへんにおかしいと思うのです。要するにそういう自分の節をまげるというようなことについては非常に日本人はこれを忌みきらうわけでありますけれども、そういう点徹底している方でありますが、そういう方と一緒に鹿児島地裁首脳部を構成し、そしてまたその方が野におりた後には福岡高等裁判所に行くといってこういう講義にも顔を出すというような、そういう裁判官の中でも特色のある状態の人だと思うのですが、そういう点はお調べになったことはあるのですか。
  18. 矢口洪一

    矢口最高裁判所長官代理者 松本裁判官は四十二年四月から四十六年の四月まで、四年とごくわずかでございますが、鹿児島地家裁に勤務され、その後福岡高裁判事として福岡に転出されたわけでございます。一方、飯守裁判官は、元裁判官でございますが、御承知のように三十九年の十二月に鹿児島地家裁所長におなりになりまして、四十五年十二月二十五日、所長を免ぜられ、十二月三十一日、願いにって退官された方でございます。したがいまして、この経歴でもおわかりいただけますように、飯守裁判官鹿児島地裁所長をなさっておりました当時に、松本判事も同じ鹿児島地裁に勤務されておったわけでございます。終わりのころでございますが、松本判事鹿児島地裁上席裁判官所長代行裁判官という地位にもあられたわけでございます。したがいまして、当然所長代行所長を助けて、所長の行なう司法行政事務の総括をさらに補佐するという立場にあるわけでございます。そういうことで、飯守裁判官と御接触になり、お話し合いをなさる機会があったということは当然のことであったろうと思います。飯守裁判官がいろいろ御指摘のような行為をなさった方であるということは、これまで申し上げるまでもないところでございます。その間の経緯については十分御承知のところでございますので、あらためて申し上げるまでもなかろうかと思います。また、松本判事は、この方の御経歴から、先ほど指摘のように、終戦当時旧満州国におられ、そしていわゆる外地においての敗戦ということによる悲惨さというものを御自分体験としておなめになったという方であることもよく承知いたしております。それ以外の、御本人がどういうふうなお考えをお持ちであるか、またそれに基づいて、これは個人のお立場としてでございますが、日常どういうふうに律しておられるかといったようなことにつきましては、私ども格段に調査するなり問い合わせるなりということは一切いたしておらないわけでございます。
  19. 青柳盛雄

    青柳委員 裁判官思想傾向を一々点検するというようなことは決していいことではありませんので、それが俗に言う左であれ右であれ、それはよくないことですから、そういうところまで調べていないのは怠慢であるなどということを申し上げるつもりは毛頭ありませんけれども、いずれにいたしましても裁判官が不偏不党であるとか、中立公正であるとか、そしてそういう姿勢らしさというものを保持しなければいかぬということを盛んに言われているときに、こういう反共的な考え方を職務の内外を通じて露骨に言動にあらわすということが、はたして最高裁あたりがいわゆるモラルの問題として裁判官に期待しているようなものと一致するかどうか。  たとえば一つのことを言いましょう。よく革命革命などと言うけれども革命というものはそんなに簡単なものではありません。いい年をしていい学校を出た人が平気でそんなことを言っております。それならそんな人は革命の国に行けばよいでしょう。人権の尊重されている日本にいてそんなことは言えるはずはありません。」こういうことまで言うのですね。これでは、何か最高裁に対する弁明書というものの要旨を、私は最高裁の事務当局のほうからいただきました。それを見ると、これは特定思想なんかを攻撃したりするとかいうようなことではなくて、ただ一部の学生のことを言っておるのだというような弁明がありますが、いい年をしていい学校を出た者が革命などと言っているのだ、こういうように革命というものを非常に敵視して、そして日本ではそんなものをやっちゃいかぬのだというような、こういうことを言う人がはたして裁判官として、モラルの上からいっても適当であるかどうか、これだけお聞きして、私はこの質問をやめたいと思います。
  20. 矢口洪一

    矢口最高裁判所長官代理者 私ども裁判官の心がまえとしては、やはり右に偏せず左に偏せず、中道、中立であるべきであるというふうに考えております。個々の方々がどういうお考えをお持ちになるかということは、そこまで私どもが云々するつもりは毛頭ございませんけれども、しかし、やはり最高裁の事務総長がかつて談話をいたしましたように、厳正公正であるということであると同時に、国民の方々からも厳正公正であると見られる、そういった姿勢というものは、裁判官は堅持しなければいけない、それこそ裁判官の職業の倫理として最も大事なことであるということでございます。そういう観点から見てまいりますと、先ほど来いろいろ御指摘がございましたが、私その詳細については必ずしも報告を受けておりませんけれども、いずれにいたしましても、一つの体験談を話すということでありましても、その話し方といったものは当然あるわけでございまして、事実というものはとうといものでございましょうが、しかし、それをどのような話し方をするか、またどのような場所で話をするかということによって、やはりいろいろの誤解を招くということも当然出てまいるわけでございます。そういったことは、裁判の場でなくて、こういった研修の場であるといたしましてもやはり十分考えて、慎重に身を処していかなければいけない問題であるというふうに私ども考えております。
  21. 青柳盛雄

    青柳委員 終わります。
  22. 中垣國男

    中垣委員長 次に、正森成二君。
  23. 正森成二

    ○正森委員 公安調査庁にお伺いいたします。  先ごろ来、私は二回にわたって公安調査庁に質問をしたわけでございますけれども、その質問の中から明らかになっておりますのは、公安調査官がいろいろなことをお調べになる、そのお調べの範囲には、ある人物に接触するために、そのプライバシーにわたることもありますし、そして政党のいろいろなこともお聞きになる、こういうようなことが多いと見られるわけですね、資料も入手しておりますけれども。そういたしますと、その秘密というものは厳重に保管されなければいけない、みだりに外部に持ち出されるというようなことがあってはならない、こう思うのです。  そこでお聞きしたいのは、公安調査官が、協力者、情報提供者、あるいはことばを悪く言うとスパイ、そこに接触して、いろいろお集めになった資料、こういうものは秘密扱いにされておりますか。そして、その保管方法はどういうふうにされておりますか。それを伺いたい。
  24. 川井英良

    ○川井政府委員 ただいまのような資料は、すべて秘密扱いでございまして、保管につきましては、責任者をきめまして、厳重に外部に漏れないように注意はいたしております。
  25. 正森成二

    ○正森委員 そうしますと、その秘密を他に漏らす、あるいはその秘密の資料に基づいて、自分の判断を加えていろいろ言うというようなことになれば、公安調査官はもちろん国家公務員ですから、国家公務員法に言う職務上知り得た秘密を漏らすということになると思いますがいかがですか。
  26. 川井英良

    ○川井政府委員 国家公務員法の、ただいまあげられましたいわゆる守秘義務の規定に違反するような行為があれば、これはその法に触れるものと思います。
  27. 正森成二

    ○正森委員 非常に含みのあるような言い方をされましたが、私がお聞きしているのは、国家公務員法の守秘義務に違反するようなことがあれば、これがいけないというようなことを聞いているのじゃなしに、公安調査官が情報提供者に接触をしてお集めになった資料、これは秘密だと言っておられるわけですから、これを外部に漏らす、あるいはこれをもとに判断をつけ加えたことをいろいろおっしゃるということは、国家公務員法に言う秘密を守る義務に違反するのじゃないか、こう具体的に聞いておるのです。明確に答えてください。
  28. 川井英良

    ○川井政府委員 私が回りくどい言い方をしましたのは、御承知のように、たしか職務上知り得た秘密、こう書いてあると思います。その秘密の概念につきましては、御承知のようにいろいろな見解がございますので、多少そういうふうな言い回しをしたのでございますけれども、職務上知り得た秘密にそれが該当する限り、それはいけないと思います。
  29. 正森成二

    ○正森委員 毎日新聞の西山記者の問題にからんで、国家公務員法に言うところの守秘義務というのは、いろいろ問題になっておりますが、国家公務員法上守られるべき秘密については、私なりの見解を持っております。しかし私がいま聞いておりますのは、公安調査庁が本来ならば許されないようなことを破壊活動防止法に基づいて、私どもはそれは違法だと思っておりますが、あなた方は合法だとされて、いろいろお聞きになる。その中には個人のプライバシーに関係することもあるし、いろいろな職務上知り得る秘密があるわけですね。それを漏らすということは、国家公務員法百条、罰則で言えば百九条の十二に該当するのかどうか、こう聞いているわけです。
  30. 川井英良

    ○川井政府委員 多くの場合に該当すると思います。
  31. 正森成二

    ○正森委員 そこで伺いますけれども、この前の三月二十八日に、私は金沢公安調査局の村本宏之の窃盗事件、そして村本宏之が持っておるところの情報提供者が日本共産党の金沢地区委員会からどろぼうしてきたそのものを、金沢地方公安調査局が局長以下判を押して受け取っておるという問題について質問しました。それについては、あなたも証拠がありますから認めざるを得なかったと思うのですが、ここにその村本宏之の警察検察調書及び裁判所における公判の調書があります。  これを見ますと、この人物は、直属上司である城田課長というのに非常に恨みを拘いて、この城田課長はどうも大学を出ていなかったらしいけれども、村本さんというのは大学を出ていた。そこで大学を出ていても高校の者のほうがずっといい仕事をするんだとか、いろいろいびるようなことを言う。またおとうさんが危篤であったときに、危篤であるということを知りながら、わざわざ出張を命じて、親の死に目に会えないようなことをするというようなことをいろいろやる。そして重大なことは、鈴木という、自分が使っておった学生が、この城田という課長の逆スパイになっているのじゃないか、逆スパイとして自分のことを調べているのじゃないかというようなことまで考えて、そして城田課長に恨みをはらすためにどろぼうに入って、一課の書類——一課だけだとあやしまれるからその他の書類というようなものも盗んだということを言うておるのですね。実に重大なことだと思うのですね。しかもこの供述調書によると、三月六、七日ごろまで、二月二十二日の夜に入っておるのに特段重要な書類を盗まれたということについてお調べになった形跡がない。  しかもこの調書を見ると、この村本というのはこう言うておる。「私は上司が私を不当に扱うので、上司が私を不当に扱い、最悪の場合退職に追い込もうとするときには、これに対抗するのに局の機密をできるだけ握っておいたほうが有利であると考えて、昭和四十五年の春ごろから局の機密書類をコピーにとったり写真に写したりして、自宅に持ち出しました。」こう言うておる。実に重大なことを言うておるわけですね。  そうするとあなた方は、この局の機密とされることについて、どのような保管方法をとっておられるのか、これについて伺いたい。
  32. 川井英良

    ○川井政府委員 基本的な方針としてはいろいろ承知いたしておりますけれども、具体的に各現場の局においてどういうように保管しているかということにつきましては、まだ日が浅いので、私目で見ているわけではございません。しかし、基本的な方針といたしましては、それぞれの課、それから係ごとに、秘密の書類の保管の責任者をきめまして、そしてまたそれぞれの、具体的にはかぎのかかるロッカーでございますけれども、そのロッカーに収納いたしまして、そして散逸することのないよう注意をする。さらにまた具体的には、年に平均して二回でございますけれども、本庁から、あるいはいまの場合には名古屋の公安調査局から係官が内部監査に参りまして、秘密の書類の保管の方法についても監査を行なう、こういうような措置をとっておるのが基本的な態度でございます。
  33. 正森成二

    ○正森委員 いまの答弁の中で、散逸するようなことのないように注意しておりますというのは、あたりまえの話だ。別に秘密でなくたって役所の書類は散逸しないようになっておる。そんなことを聞いておるのじゃなしに、スパイがこういうぐあいに入って、そして逆に局のものを盗み出すというような場合に、普通の役所でもかぎをかけておると思われるのに、公安調査局はそれが外部に漏らされるというようなことがあれば、国家公務員法に反する、多くの場合そうなると言われましたね。そういうものについて、一体かぎをかけていなかったのか、あるいはかけておってもきわめて容易にあくようになっておったのか。そこら辺を聞いておるのです。  それからもう一つ、私はいま、裁判所で写してきた警察、検察調書及び公判調書によって言うておりますけれども、私が前提として聞いた事実、城田課長との意見の食い違い、不満等々については、あなた方は当然この公判に重大な印象を持って見守られたと思いますけれども、それはお認めになるのかどうか。それをあわせてお答え願いたい。
  34. 川井英良

    ○川井政府委員 ただいま御指摘になっておるケースは、内部の村本調査官が、外部の人である、また自分関係のあった学生を使って、そして役所が保管しておる書類を盗ませるような手引きをした、こういうきわめて特殊な形態でございますので、普通の場合におきましては、かりにこの役所に窃盗の目的で外部の人が入りましても、なかなか書類を持ち出すというようなことは、通常の場合にはおそらく不可能であると信じておりますけれども本件の場合にはそういうような方法で持ち出させましたので、普通の場合とはたいへん違うと思うわけでございます。はなはだ遺憾な事件でございますけれども、そういうふうなことになっております。  それから第二点の村本調査官が上司に対していろいろ不満を持っていたんじゃないかということでありますが、村本調査官がすべて供述しておるとおりの、あるいはその程度までいくような不満があったかどうかということにつきましては、片方の上司もいろいろ内部で調査いたしておりますので多少疑問がございますけれども、同人が上司に対して不満を持っていたということは事実のようであります。
  35. 正森成二

    ○正森委員 私がお聞きしましたロッカーか金庫かどこに入っておったのか知りませんけれども、そこにかぎがかかっておったのかどうか、かかっていたけれども本件は特殊な場合であったのであけられたというのかどうか、その点については明確なお答えがありません。それはいかがですか。
  36. 川井英良

    ○川井政府委員 私、概括的なことは勉強しておりますけれども、当時の具体的なことにつきましてはすでに国会でもいろいろ前に答弁がされておりますので、その事情を知っておる次長からその点を答弁させたいと思います。
  37. 冨田康次

    ○冨田政府委員 ただいま御質問の、かぎがかかっていたかどうかという点でございますが、私の現在の記憶では、手引きされて入った学生がとるときには、たぶんかぎが十分かかっていなかったロッカーだと思います。
  38. 正森成二

    ○正森委員 そうすると、重要な秘密書類だと思いますが、そうでしょう——うなずく。答えましたからね。それについて、夜かぎもかけないでほったらかしておくということになれば、これは答えは二つしかない。その書類は秘密でないと扱っておるのか、あるいは秘密であるにもかかわらず公安調査庁は非常にそれを守ろうとする順法精神がないということになるか。どっちかだ。しかもこの村本が言っておるところでは、いかに公安調査局員だったとはいえ、随時リコピーをとったり写真を写したりして、いざというときに使おうと思って自宅にため込んでおる。これをはっきり言うておるのですね。そういう物騒なことを公安調査庁はやっておって、そして個人のプライバシーを侵し、あるいは団体や政党の秘密に当たるようなことをせっせと集めておるということであっては、これは綱紀の怠慢というか何というか、けしからぬではないですか、そういう点について、あなた方はえりを正されますか。それについてお答え願いたい。
  39. 川井英良

    ○川井政府委員 このケースはもちろん私の来る前でございますけれども、私も当時名古屋におりまして、ある程度承知しておったわけでありますが、私自身も非常に驚いたわけでございまして、いやしくも部内の者が外部の者を手引きして、それで庁が保管しておる秘密のものを盗ませるというようなことは、私は言語道断だと思います。それのときにもそうでございますが、今日も全庁かようなことのないようにえりを正しております。
  40. 正森成二

    ○正森委員 次長に伺いたいと思うのですが、あなたはこの前私が質問をしたときに、三月二十八日に、報償費というようなものは、これはそのつど渡すものであって、月ごとに渡すというようなことは一切ございません、こういう趣旨の答弁をしておりますね。覚えているでしょう。
  41. 冨田康次

    ○冨田政府委員 いま御指摘のようなことについては、私述べてはいないように思いますが……。
  42. 正森成二

    ○正森委員 いや、速記録を見れば、そういう意味のことを——いや長官がしたのか。
  43. 川井英良

    ○川井政府委員 私が答弁をした記憶がございますが、そのとおりでございます。
  44. 正森成二

    ○正森委員 ところが、この村本の供述調書によりますと、こういう窃盗事件を起こす直接の契機というのは、村本公安調査官が協力者三号というのを持っておった。そして協力者三号が資料だけでほかの情報を入れないので、これを切るかどうかということについて城田課長と内紛があった。協力者三号には維持費を渡しておったが、その維持費というのは、いろいろな情報を入れないときにも月々渡しておったのだ。そこでその維持費を返さなければならないということになったので、それも不満の大きな一つである。ここで明白に言っておる。検察官の調書で言っている。そうすると答えは二つしかない。一つは、たてまえとして長官が言うとおりだけれども、実際にはそれが行なわれていないということになるのか。たてまえも違うのか。その二つのうちのどちらかだと思う。それについて一体村本のこの供述調書について明白にこれは維持費——報償費じゃないです。スパイの維持費です、そういうようにいっておることについて前の答弁と比較してどういうようにお答えになりますか。
  45. 川井英良

    ○川井政府委員 この活動費が、いまのように定額でもって月給のように給与するということになりますというと、たびたび御指摘を受けるまでもなく、国費の使い方としてまことに適当でありませんし、またかような経費というものは使い方をよほど注意いたしませんと間違いを起こすということになりますので、これはたてまえはもちろんでございますけれども、実施の面におきましても提供を受けた資料、その資料の内容というものを十分に吟味し、それから多くの場合には調査官がその上司にそれを報告した上でどのくらいな金額をこの際支給したらいいかということをきめるようにきびしく指導いたしております。  ただ問題は、長らく関係が続いてまいりますと、やはりこの次にこういうものを提供するからそのあれとしていま前金でもってこの程度のものをほしいんだというようなことも具体的な実際の場面においてはいろいろ出てくるわけでございますので、そういうようなときにはそれを維持費と呼びますか何と呼びますかは別問題として、そういうふうな形のものも出てくるようでございますけれども、たてまえ、原則、それから具体的な実態におきましても個別に支給するようにという方針を貫いているわけでございます。
  46. 正森成二

    ○正森委員 いま御説明がありましたが、われわれが裁判所から入手したこの調書によると、明確に月々の維持費ということになっておるから、たてまえと実際とは違うというように私どもは思います。  そこで、秘密の点についてなお質問を続けますけれども労働組合法の二十三条ではやはり秘密を守る義務が規定されておって、「労働委員会の委員若しくは委員であった者又は職員若しくは職員であった者は、その職務に関して知得した秘密を漏らしてはならない。」ということになっており、これには、もちろんのことですが、罰則がございます。そこで、労働委員会などというのはこれはわれわれも出かけてやっておりますが、審問の過程でいろいろ聞く。あるいはあっせんをする場合、調停をする場合に、当事者双方行っていろいろ聞くということであって、公安調査官とは大いにその情報収集の方法が違っております。その労働委員会の委員や職員でさえ秘密を守る義務があるということであれば、公安調査庁のように特殊な情報収集活動をされる役所というのはより一そう秘密を守る義務があるというように私どもは思いますが、先ほども私が一般的に入手した資料、こういうものを外へ漏らすという行為は、あなたは秘密を守る義務、これに違背することになる。こうお答えになりましたが、再度そう伺ってよろしいですね。
  47. 川井英良

    ○川井政府委員 そのとおりだと思います。
  48. 正森成二

    ○正森委員 さらに伺いますが、破防法の二十九条によりますと、公安調査庁と警察との情報、資料の交換というのが規定されております。ここでいう情報、資料の交換というのはいろいろのいままでの解説を見ますと、この破防法を実施するための、つまり規制のためのもしくは罰則適用のための情報、資料の交換であるというようにいわれておりますが、この二十九条の解釈について一応長官の御見解を承りたい。
  49. 川井英良

    ○川井政府委員 「この法律の実施に関し、」とこういうふうに書いてございますので、「この法律の実施」というのは、端的には団体の規制というのが中心になると思いますが、ほかのところで団体の規制に関しと、二十七条なんかは団体の規制に関し、と書いてあります。二十九条のほうは、「この法律の実施に関し、」と、こう書いてございますので、二十九条のほうは、私どもの従来の解釈では、「規制に関し」というよりはやや広い考え方ではないか、こういうふうに解釈をいたしております。
  50. 正森成二

    ○正森委員 その広いという意味は、ほかのところで「規制に関し」となっておるのは、規制をやるのは公安調査庁の役目ですね。ところが警察と情報を交換するということになると、警察は、破防法の各条に規定されている刑法上の犯罪になる、このことについて強制捜査権を持っているのは警察ですね。したがって、そこで得た資料を当然公安調査庁にお渡しする。公安調査庁はそこまで至らないものについても、必要があれば警察に渡すということがあるために、「この法律の実施に関し、」と、こうなって、「規制に関し」とはなっておらないというように解釈さるべきだと思うのですね。そうでなしに、規制以外のまたは罰則適用以外の、何だか知らないけれども、広いものがいつでも情報交換するというようなことは、破防法の二条、三条からいっても許されない解釈だというように思いますが、私のそういう解釈でよろしいか。
  51. 川井英良

    ○川井政府委員 私の考え方は、ただいまの御主張と多少ニュアンスがあるように思いますけれども、御承知のとおり、本法には規制の部分のほかに、後段のほうに刑罰を加重した規定がございます。そこで刑罰のほうは警察が担当いたしておりますし、それから規制のほうは私どものほうが担当いたしておりますけれども、ほかの条文でもありますように、いろいろと両者の間に情報交換の必要性が認められますので、たとえば私どものほうの入手した情報で、明らかにそれが犯罪を構成するのじゃなかろうかと思われるようなものは、やはり二十九条に基づいて警察のほうへ提供する、こういうふうな義務づけが二十九条でなされているのじゃなかろうかというようなことも考えております。  それから、なおこれはちょっと時間が長くなりまして失礼でございますが、たしか石川事件、私ども調査官が問題になった刑事事件がございますが、その判決の中で、この二十九条を根拠にいたしまして、もっと——もっとといいますか、広範に一般的な情報を、警察と公安調査官との間で交換を前提とした規定だというような趣旨の解釈も示されているようでございます。
  52. 正森成二

    ○正森委員 いまの答えを見ても、これは加重されておる刑罰がある、その点について言うのだというようなことをいわれましたけれども、私自身も、規制に関し及び罰則の適用に関してではないかということを言うておるので、結局は同じことになるのではないか。また犯罪が行なわれたと思料するときは、この前も私は言いましたけれども、刑事訴訟法で、官吏及び公吏は、これを告発をしなければならないということになっておるので、公安調査庁のお役人も官吏、公吏である以上、当然そのことはしなければならないということになれば、結局この法律の規制に関し及び罰則の適用に関し情報及び資料を交換するということであって、それ以外に罰則の適用だけでもなければ規制でもない、だがしかし、一般的に何でもかんでも知り得たことを情報交換するのだということにはどうしても読めないというように思いますけれども、それでよろしいか。
  53. 川井英良

    ○川井政府委員 質問の焦点、わかりました。規制に関すること、それから罰則の加重の部分、それはもちろんでございますが、私どもの解釈はお説よりはやや広く、わざわざ二十九条を設けたということは、もちろん規制を離れ、罰則の強化の点は著しく離れてはいけませんけれども、それにある程度密着するあるいは関連する限度におきまして、やや広い情報の交換が二十九条で義務づけられ、また行なわれることを期待している、こういうふうな考え方でございます。
  54. 正森成二

    ○正森委員 いまの御答弁で、密着しとかあるいはこれに著しくはずれてはいけないけれどもというような御答弁はきわめて不明確であって、破防法の趣旨からいってわれわれは許されない。もしそういうことを言い続けるならば、何が密着し、関連しておることであるかということについては、国民の前に明らかにされる必要があるということで、この点については質問を留保しますけれども、私が次に伺いたいことは、国家公務員法によれば、職務上知り得た秘密を漏らさないということになっておる。それには罰則がある。それをこの破防法の二十九条で公安調査庁と警察との間に限っては、この知り得たことを交換してもよろしい。それをやっても国家公務員法上の職務上知り得た秘密を漏らすということにはならないのだという例外規定を置いておるものだというように法解釈としては考えるべきだと思いますが、そうではございませんか。
  55. 川井英良

    ○川井政府委員 そのとおりだと思います。
  56. 正森成二

    ○正森委員 そうだとすれば、破防法二十九条で認められている、明文規定のある公安調査庁と警察との間の情報及び資料の交換、その範囲については私とあなたとでは若干差がありますけれども、それ以外の役所に対して、一般的に郵政省であるとかあるいは建設省であるとか、そういうところにあなた方が職務上知り得た秘密、ファイルとして収集しておること、そういうようなことを通報するということは、国家公務員法に違反することになるというように思いますが、いかがですか。
  57. 川井英良

    ○川井政府委員 この二十九条は二十七条の法律で認められた調査権で入手した資料、警察のほうは、これも言うまでもないことでございますが、場合によれば強制捜査権をもって入手した資料とかもあるわけでございますので、そういうふうな特別な規定に基づいて、普通ならば得られないような資料というようなものも二十九条で交換ができる。こういうことで、先ほどの守秘義務との関係というのは免除されるといいますか、そういうふうにきめられたものだと思いますが、私どもは二十七条に基づくそういう調査権のほかに、やはり基礎調査というのでしょうか、二十九条に基づいても根拠が求められると思いますけれども、それ以外に一般公然の、公になった書類とかあるいは二十七条の調査権あるいは規制の権限というものを円満にまた効果的に遂行するためには、基礎調査というのですか基礎資料というのでしょうか、基本的な考え方、あるいはそういうふうな資料というものを集めるのは当然のことだ、こういうように思っておるわけでございまして、そういうふうな二十七条の調査に基づかないような一般的な基礎的なもので集められたような資料、そういうふうなものを二十九条で認められた警察以外の官庁との間で情報交換というような意味で交換することが絶対に許されないものかどうかという点につきましては、ちょっと意見が違うように私思うわけでございます。私どもはある程度のものは、その必要があれば交換ができるのではないかというふうに思っております。
  58. 正森成二

    ○正森委員 いまの公安調査庁長官の発言は非常に重大だ。あなた方は一体破防法二十七条以外に調査権があるというように考えておられるのか。いままで国会での答弁によれば、破防法二十七条では「この法律による規制に関し、第三条に規定する基準の範囲内において、必要な調査をすることができる。」こういうようになっておる。この「規制に関し」というのは、たとえば破防法の五条、七条というような規制ですが、あなた方の国会での答弁によれば、その規制をする前に、その規制が必要とされるかどうかということを調査する必要がある。これはやはり破防法二十七条から出てくるということで、具体的には調査指定団体というものを公安調査庁長官が指定して、そして行き過ぎないようにということで調査しておる。こういうことになっておるのでしょう。どころが、それ以外に何か一般的にざあっと、法律の規定はないけれども調査できるということになればこれは物騒でしかたがない。だからいまのような発言ですね。二十七条以外に、しかも二十九条は単に情報または資料の交換だけをきめておるのに、これを一つの根拠としてさらに広いことができるのだ、そんなばかなことがありますか。それ以前に調査についての権限があって、そこで知り得たものについて警察との間に情報交換をするというのは当然ではありませんか。ですから、あなたのいまの答弁は若干舌足らずだと思いますが、二十七条以外にというのではなしに、二十七条の前提としてたとえば指定調査団体ということで聞く、これは規制に関してではなしにその前段階ですね、そういうことではないのですか。
  59. 川井英良

    ○川井政府委員 具体的な問題としまして、たとえば「赤旗」というような公刊された機関紙あるいはその他学生諸団体あるいは右翼諸団体におきましてもいろいろ、公刊した、だれでも買えるようなかっこうになった機関紙とかその他のものが出されております。これはいままでの状況では必ずしも一般的なものではありませんで、そういうような公刊されているものを買ってきて、そしてそれを整理してそしていろいろなことの基本的な、二十七条の本格的な調査の始まる前提、一種の専門常識としてそういうふうなものを研究してたくわえてくるというようなことがやはり仕事をするについては当然必要になってまいります。そういうふうな事柄をわざわざ法律二十七条で調査、こういう権限を調査官に与えるのだということで法律で書かなければそういう権限が出てこないのかどうかということにつきましては、私は多少疑問を持ちます。やはり法律で書いた以上はもう少し進んだといいますか、そういうふうな権限を二十七条で与えたものだ。本来の仕事の前提となる基礎的な専門常識というようなものの獲得のためのいろいろな調べとか、あるいはそういうものの収集とかいうようなことは、これは何も二十七条を待たなくても当然出てくる事柄ではないか、こう思っておるわけであります。
  60. 正森成二

    ○正森委員 そういう専門知識に基づいて入手できる資料に基づいてやるということは、そうすると、たとえばあなた方が十六団体指定されておるようですが、それ以外の政党、たとえば社会党、公明党、自由民主党、民社党というものについてもなさるのか、そしてそれについていろいろの資料提供、情報交換をなさるのか。それをもしなさらないとなれば、なぜそれを区別されるのか。まずそういうことをされていますか。
  61. 川井英良

    ○川井政府委員 いわゆる指定をしているもの以外につきましてはそのような調査もいたしておりません。
  62. 正森成二

    ○正森委員 そうすると、指定しておるというのは破防法二十七条に基づいて規制をしなきゃならぬということの疑いがあるからということでやっておるのでしょう。そうすると、そのものについては特に調べて、そしてあなた方は基礎資料だということで、その基礎的な資料については各官庁あるいは場合によっては民間団体も含むのですが、それに出してもかまわないということになるのですか。もしそういうことになるなら、あなた方が提供をしておられる内容あるいは規模についてここで明らかにしていただきたい。どういう材料に基づいてどの程度のものをどういうような団体、官庁には当然提供してもよろしい、それは国家公務員法に違反するような職務上知り得た秘密の漏洩ではないのだというようにいわれるのか、そこら辺をはっきりしていただかないと、われわれとしては一体公安調査庁長官あるいは役所はどういうように国家公務員法を順守しているのかということがわからない。
  63. 川井英良

    ○川井政府委員 法の解釈のたてまえ論というのですか、ということをいま申し上げたわけでございますが、実際問題といたしましては警察以外のところと定期的にあるいは随時的に情報の交換をしているというようなことはありません。
  64. 正森成二

    ○正森委員 私が問い詰めていくと、ありませんと言う。しかし、先ほどの答弁では、これは当然としてやっておるというようにとれるお答えをなさっておる。そこで当然やっておるということになれば、どういう基礎資料だけは外部に提供することができるということになっておるのか、その資料及び分析の方法、それから提供先というものは当然明らかにしなければ、国家公務員法の秘密を守る義務との関連がわからないから聞いておるんです。  したがって、時間がありませんから、私は、公安調査庁長官がそういう答弁をなさったから、委員会に要求をしたいと思います。どういう資料に基づいてどういう内容を分析して、それをどこに情報提供しておるのか、それを明らかにしていただきたい。そして過去の回数についても、もし可能なら明らかにしていただきたいということを要求したいと思います。それは、公安調査庁が国家公務員法を守っておるかどうかという点を国政上調査する上でも当然のことであるというように私は思います。  次に伺いますが、昭和四十七年三月十四日の当法務委員会において甲府電報電話局の情報提供に関することが問題にされました。そこでは、磯野茂という人が古屋正こと水上淳という公安調査局員、第一係長だそうですが、この人に対して情報提供しておるという事件でございます。それについてはそのときに、あなたの前任者である川口公安調査庁長官が、大体においてそのようなことがございました、と青柳委員の質問に対して答えておる。ただ、送り込んだというようなことだけはございませんと、こう言っております。それでよろしいか。
  65. 川井英良

    ○川井政府委員 私も取り急ぎ川口さんの答弁を読んでまいりましたけれども、その後に展開された問答を見ますというと、最初のいまあげられました部分の送り込み以外はそのとおりだという点は、そのあとの問答と比べてみて、必ずしも正確ではないように思います。
  66. 正森成二

    ○正森委員 私は、青柳委員の初めの質問に対して「ただいま青柳先生が御指摘のような事実は大体においてございました。」こう答えておるということを言うておるのです。その後電信電話公社関係と問答がございますけれども、その点については電信電話公社は、石和町の花月という旅館で会ったとか甲運亭の件については、これはそういう事実はないと言っておるんですね。そうすると、大体においてそういうことでございますというのが違うということになれば、あなた方は、甲運亭だとか、そういうところで会ったことはある、その点だけが違うと、こうおっしゃるのか、それなら非常に正直でよろしいが。
  67. 川井英良

    ○川井政府委員 大体いま私の頭にあったのは、その点があとで否定されておりますので、そういうような点を含めて多少正確でないんじゃなかろうかという印象を持ったということを申し上げたわけです。
  68. 正森成二

    ○正森委員 そうすると、否定されておるから正確でないということになると、やはり否定しないで、あったということのほうが正確だ、こういうことですね。
  69. 川井英良

    ○川井政府委員 いや……
  70. 正森成二

    ○正森委員 いやいや、だってあなた、日本語としたらそうなるよ。だからわざわざ私が確かめているんだ。電信電話公社側は否定しているんですよ。そうして委員が問い詰めているんですよ。答えなさい。
  71. 川井英良

    ○川井政府委員 その、いま、何ですか、甲運亭とかあるいは何とかいうところで三者が会合したということはなかったということを前長官もあとで答弁しているようでありますので、そういう点を頭に置いて、最初の答弁というものは必ずしも正確ではないという印象だと、こういう印象を申し上げたわけです。
  72. 正森成二

    ○正森委員 それならよろしいが、そもそもこの速記録では初めから電電公社が否定しているんだから。だから、そのとおりだと言えばいいものを、それを違うと言うから、こちらはそれは前否定したのは間違いで、ほんとは会うたことを認めるのか、こういうように考えるのは理の当然なんだ。それをさらに確かめた。いやいや、前の電電公社の答弁のとおり会うてないのだということに落ちついたから、それはそれでよろしい。それでよろしいですね。  それでは、私は順番に問いたいと思いますが、川口長官の答弁によると、「養成して積極的に党組織の中へスパイを送り込むというな、送り込み工作は好ましくないと考えております。本件はそれに該当いたしません。」こう答えております。これは公安調査庁としては一貫した立場だと思いますが、いかがですか。
  73. 川井英良

    ○川井政府委員 そうです。
  74. 正森成二

    ○正森委員 そうすると、事実は大いに違うのじゃないか。この磯野茂という人は、本来共産党員でも何でもない、共産党に必ずしも好意を持っていなかった。それが立川という山梨大学の工学部に在学中の公安調査局員と接触をして、情報をほしいということを言われた。そしてしばらくたってから古屋正こと水上淳に接触をして、そしてたとえば一九六七年に山中湖で行なわれた民青主催の平和友好祭の話をしたら、参加してくれといわれた。参加費も公安調査局から出ておる。そして友好祭に参加して、その後の望月という電話局の先輩から、民青に加盟をすすめられたところ、古屋にこれを報告した。そうすると、古屋さんは、入ってくれたらありがたいと言い、また結婚するまでという条件なら入ると民青に言うたら、そのほうが自然だということを教え、加盟申し込み書を書いて、古屋に見てもらってこれでいいと言われて提出をした、こういうように言うております。そうしてその結果民主青年同盟に加入を許された。それは一九六七年七月二十一日。これがそのときの加盟確認書です。私は、磯野茂氏にみずから会って、供述調書をとってきておる、さらにその後民青に加入していろいろ情報提供をしておりますが、一九六八年の暮れに共産党に入るときにも、入ってくれたらありがたいということを言って、入党申し込み書を書いた上、水上淳に見てもらって、これでよろしいということで入党しております。そうだとすれば、これは少なくとも公安調査庁が手取り足取りして、結婚するまで入ると言ったほうが民青には入りやすいとか、民青同盟に加入申し込み書を書いて、見てもらって、これでよろしいといって入るということになれば、日本語の通常の用法では、これは送り込んだということになるのです。そうじゃないでしょうか。その事実はお認めになりますか。
  75. 川井英良

    ○川井政府委員 前長官のときに問題になったそういう送り込みという事実はないということを長官が答えておりますけれども、私もこの件につきまして、取り急ぎ水上あるいはその上司について確かめさせましたところ、その対象者である磯野何がしという人が言っておるような事実と、その調査官の申し述べる事実との間には非常な開きがあるようでございました。私ども調査結果によればあくまで自発的に入党したものであって、それを養成して、いわゆるスパイとして送り込んだというようなことは決してない、こういう報告になっております。
  76. 正森成二

    ○正森委員 事実を確かめますが、民主青年同盟に加入する前に、情報提供者に月々あるいは情報をもらうつど報酬を出しておったということは認めますか。  第二、青年友好祭の参加費を公安調査庁が出しておったということは認めますか。  第三、民主青年同盟の加入申し込み書を古屋正こと水上淳が見て、これでけっこうだ、こう言ったこと、あるいはそれにつけ加えますが、結婚するまでという条件なら入るというように言ったほうがいいというように言ったことがありますか。  その三つの点について、具体的に簡潔に答えてください。
  77. 川井英良

    ○川井政府委員 第一の点は、組織の中の協力者というのじゃなくて、第三者的な協力者という意味合いにおいて関係を持って、そして若干の報酬を与えたということは事実でございます。  それから二と三の点は、それに該当するような事実はない、こういうことでございます。
  78. 正森成二

    ○正森委員 あなた方はないと言われますけれども、磯野茂は私に、甲府市内で会って、供述調書の中で明白にそのことを述べております。  私はさらに伺いたいのですが、あなた方は報酬を渡す場合に、金銭で渡さずに貯金をして渡すというようなことをやりますか。
  79. 川井英良

    ○川井政府委員 そういうことはないはずでございます。
  80. 正森成二

    ○正森委員 そういうことはない。——次長、どうですか。
  81. 冨田康次

    ○冨田政府委員 同様でございます。
  82. 正森成二

    ○正森委員 それでは、ここに証拠があります。これは磯野茂あてに古屋正、これは水上淳のペンネームであるということは認めるでしょう。この人が磯野茂からもらった資料をいつまでも持っておったのでは党に気づかれるというので即日速達で送り返してきた資料です。ですからこれは、古屋正の筆跡です。私は、磯野茂に会って供述調書をとって、そのときにさらに詳しいことが知りたいからということで、磯野茂さんに人間としてお願いいたしました。それに対して磯野茂氏は、東京都千代田区永田町一の七、衆議院第一議員会館六二三号室、正森成二様ということで、速達で私に資料を提供してくれました。ここに郵政省もおりますけれども、これはつくられたものではない、明白に本人が送ってきたものだ。ここに本人の手紙があります。その本人の手紙では、「前略、お約束のもの送ります。鈴木名義の通帳とその印鑑です。架空の住所は水上(古屋)の筆にて通帳の最後のページに記してあります。」こう言っておる。何なら筆跡を調べてもいい。そしてここに通帳がある。協和銀行の甲府支店ナンバー一九四五二、ここに貯金されておる。第一回の預け入れ期日は六八年十月九日、二千円、以後大体毎月二千円納入されておる。そしてのがれられない証拠に、この一番最後のところに住所を書かなければならないことになっておる。ここに朝日三丁目十の三、この筆跡は古屋正こと水上淳の筆跡です。そして鈴木という架空名義で預けており、何回かたって信頼ができたと思ったか何か知らないけれども、通帳と判とを磯野茂に渡しておる。こういう事実があるとすれば、あなた方が預金するようなことはないなんと言うことはまっかなうそじゃないか。ここにちゃんと資料がある。こういうことをやって、あなた方は、この青年を情報提供者、スパイにしておる。あなた方は国会でうそをついておるじゃないか。調べましたとか、報告がないとか言っておるけれども、実際の実情は違うじゃないか。そうだとすれば、この間の松江の件でも何でも、あなた方は報告がない報告がないと言っても、実情は違うじゃないですか。われわれがこういう動かし得ないことを突きつけたときにだけ事実を認めるのですか。何ならこれを手にとってごらんなさい。筆跡まで調べてある。いかがですか。
  83. 川井英良

    ○川井政府委員 それらの資料に基づいて、間違いない資料だと思いますが、私のほうの調べたいままでの経過では、その六八年、約五年前のあれでございますが、その当時の協力関係にあったときに、どういうふうな形でもって金を出しているかということにつきましては、特に調べもしませんでしたし、また報告もなかったわけでございます。それは私は貯金をして渡すとかなんとかいうようなことはないはずだ、こう申し上げたわけでございますが、それはやはりそのつど資料提供を受けて、それから相手方の希望するような方法でもって報酬を渡すということが原則であり、一通の通帳に貯金して渡すというようなことは給与的な給付になりますので、私違法だとは思いませんけれども調査の方法並びに活動費の交付の方法としては当を得ていない、こういうふうに考えます。そういうふうな考え方に基づいて、そういうことは指導の面でもいままでしてきたと思いますので、そういうことはないはずだ、こういうふうに申し上げたわけでございますが、たまたまそういうふうな事例がございますれば、それはまた一つのそれを教訓にいたしまして、なるべくそういうふうな方法をとらないように指導してまいりたいと思います。
  84. 正森成二

    ○正森委員 私は、実はきょうわざわざ電々公社に来ていただきました。前の記録では電々公社が否定されておりますので、その点について、私の調査結果に基づいて聞きたいと思っておりましたが、いま伺いますとお約束の時間が十一時半までで十分超過しておるということですので、非常に残念ですけれども、その点は非常に電々公社側には申しわけないのですけれども、次回にさしていただきたいと思います。  ただ私はこの手紙について申し上げておきたい。この手紙には追伸がついておりますが、「過日私は久しぶりに生きている人にお会いしました。励ましありがとうございました。正森成二様 磯野茂」こう書いてあります。つまりわれわれは査問とかそういう形ではなしに、人間と人間としてお話を伺い、そして相手方は久しぶりに生きている人にお会いしました、こう言って任意に提供しておる。久しぶりに生きている人にお会いしましたというところを見ると、いままで公安調査庁は死んでいる人だったらしい、そういうように思います。そういうような任意の調査に基づいて調べておるのだということをぜひとも肝に銘じて、そして報告がなければそういう事実はないというような態度ではなしに、真摯に調べていただきたい。そして正すべきことがあればえりを正していただきたい。そうでなければ公安調査庁は存在理由がなくなるだろうというように私は思います。非常に残念ですけれども、時間が参りましたので途中で終わります。
  85. 中垣國男

    中垣委員長 次に小林進君。
  86. 小林進

    小林(進)委員 まず法務大臣にお伺いいたしますが、これは古くて新しい問題でございます。四十八年の二月二十七日の予算委員会における質問でございますが、例の軍法会議の問題でございます。戦時中における軍法会議の不当性を縷述をいたしまして、それに対する法務大臣のお考えをお伺いいたしました。そのときに大臣はこういうふうにお答えになっております。速記録を読み上げます。  「私は、先生仰せの重要なこれらの人々の名誉回復、いやしくも戦争自体が間違っておったというのに、その戦争のまっ最中に軍法会議をやったことがどうかこうかなどということは論外で、これは何かの法制上の道がありますならば、これを根本から取り除く、そして判決がなかったことにするという方途を講ずることができるものならばこれを講じてみたい、」云々、そして「私のところには幸いに司法法制調査部がございますので、そういう仕事をするところでございます司法法制調査部に命じまして、法制的に道がなかろうか、そして根本的に名誉を回復する道がなかろうかということを、前向きの方向で検討をしてみたいと考える次第でございます。」もはやきょうは四月の十八日でございましょう。五十日に近い時日が経過をいたしておりまするので、もはや法務省においても大臣においても結論をお出しいただいたのではないかと思いまして、あえて御質問を申し上げる次第でございます。
  87. 田中伊三次

    ○田中(伊)国務大臣 いまお読み上げの御質問、私の答え、よく記憶しております。お説のとおりいまも考えております。  軍法会議で裁判をいたしましたものには、大体大まかに見まして二種類ございます。  一つは軍刑法、これは陸軍刑法、海軍刑法、軍法会議は別でございますが、軍刑法というものに違反をした事件として裁判をいたしましたものが一つ。  それからもう一つは、軍法会議で裁判をやったのだけれども、適用をいたしました法律は、軍刑法でなしに一般刑罰法規、一般民間で適用しております刑罰法規というものを適用していたしましたものと二種類ございます。  これの影響が、終戦になりまして大赦、恩赦をいたしまして、陸海軍刑法に基づくもののほうは消えておるわけでございます。ところが、一般の刑罰法規を適用いたしました部分については、刑法の規定によりまして、判決が確定をいたしまして、刑の執行を終わってから十年間経過をすると、刑法の規定によって消えるという結果消えておるものでございます。終戦後の思赦によって消えておるものではないのでございます。ちょっとここが違うところでございます。  そこで、いま先生の仰せのような、判決の言い渡しは効力を失うように消えてはおるのだけれども、先生のおっしゃるのは、そういうことをおっしゃっておるのではないので、軍法会議の裁判の言い渡し自体を消す道がなかろうか。私もこれは仰せのとおりに、消す道があれば消してみたい。間違った戦争中の軍法会議でございます。こういうものの言い渡しというものは、消す道があったら消してみたい。ところが、いろいろ数十日にわたって検討を命じましてやっておるのでありますけれども、なかなかこの御質問がむずかしい。現実に裁判の言い渡しというものがある。その言い渡された裁判があるということは認めて、その裁判で言い渡された判決の言い渡しの効力を失わしめるという法制は、法制的に考えられるのでございます。けれども言い渡し自体をなくなったことにする道はなかろうか、軍法会議における裁判それ自体がなかったことにする道はなかろうかという、何といいますか、別のことばで申しますと、言い渡しという事実、歴史的事実とでもいいますか、そういう経過的な歴史的な事実を払拭してゼロにするという道が今日の法制では考えられないのか、なかなかむずかしい。これはしかし、こうせよと仰せになることは、法律的にこうせよということを仰せになっているのでございまして、法制上そういう道があるかないかということを検討してみるということが必要なので、これを調査部に命じまして検討をさしておるのでございますが、どういう検討をしてきたかということにつきまして、ひとつ事務から御報告申し上げます。
  88. 安原美穂

    ○安原政府委員 ただいま大臣仰せのとおり、小林先生の御意見を伺いまして、軍法会議の判決の効力に対して何らかの法制上の措置をとって、いわゆる名誉の回復をする道があるかどうかということを事務当局で検討いたしましたその経緯を御説明申し上げます。  まず、いま大臣が申されましたように、軍法会議が存在して、軍法会議が有罪の裁判を言い渡したという歴史的事実は何人も消すことができない、これはもうそのとおりであると思います。ところでその次に、しからば事実は消せないが、そういう軍法会議の判決の効力をいわば原始的に遡及して当初からなかったものにする、いわば無効の状態にするという立法ができないかということになるのであろうと思います。それは場合によっては理論的には考え得ることであろうかと思います。しかしながら、御案内のとおり、軍法会議につきましてはいろいろ批判はございましたけれども、新憲法の施行になります昭和二十二年の五月二日、前夜までは軍法会議は有効に存在しておったのであります。特に戦地におきます臨時軍法会議は有効であって、そして軍刑法も、陸、海軍刑法も五月三日以降はともかくとして、それ以前は有効にわが国の法令として存在しておったということはこれを認めざるを得ないわけでございます。したがいまして、軍法会議が適法に存在し、そして軍刑法が有効に存在しておった、その軍刑法あるいは一般の刑法を適用して軍法会議が言い渡した判決というものは、それはそれなりに一応有効とせざるを得ないわけであります。  そこで、その有効に成立した裁判を、いまの時点からさかのぼってなきものとするというようなことが理論的にはともかくとして、立法政策として相当であるのか、あるいは現憲法下においてそういうことができるのかということがその次に問題になるわけであります。そこで考えまするに、なるほどわが国は戦争に負けました。新憲法ができました。しかしわが国はわが国として、別の国になったわけではない、国家としては同一性を継続して今日に至っておるのでございます。同一の国におけるかつて有効であった裁判を、さかのぼってなかったものにするというような立法は、それは立法の政策としても相当ではない。のみならず、三権分立を認めております場合に、一律に有効にした裁判を、司法権の作用を、立法権ないしは行政権でもってさかのぼって無効にするというようなことは憲法上も疑問がある。私どもは現段階においてはできないのではないかというふうに考えておるのであります。したがいまして、最初のテーマであります軍法会議、有効に成立した軍法会議の裁判をさかのぼって無効にするという立法措置はとるべきではないし、とれないのではないかというふうに考えておる次第でございます。  そこでその次に、それと同時に小林先生の御案内のとおり、一律になきにすると申しましても、軍法会議の裁判を受けた者の中には、気の毒な者もございますが、戦地で略奪をしたり強姦をしたり、上官を殺したりという犯罪もあるわけでございます。そういうものを一律に過去にさかのぼってなくするというようなことは実体的にもいかがかと思われるのでございまして、そうなれば気の毒な者をどうやって救済するかということがその次に問題になってくるのであります。つまり、一般的に効力をなくするのじゃなくて、具体的な事案に即して個別に有罪の裁判の効力を否定する法的措置としては何があるかということになりますと、御承知と思いますが、制度としては非常上告または再審の制度でございます。しかしながら非常上告の制度は、重大な法令の違反がある場合における法令の解釈の適用統一をはかることを主たる目的とするのでありますから、いまの先生の御期待されるようなこととは縁遠いことでありまして、非常上告はこの際名誉回復の措置としては問題にはならない。次に再審の制度ということでございますが、これも戦後の昭和二十七年の平和条約発効まで軍法会議の裁判に対する再審の道は開かれておったわけであります。しかしながら再審の制度は、御案内と思いますけれども、その裁判についての無罪にするための新たな証拠が発見されるということでなければならぬわけであります。そういうことで個々に救済する道は開かれておったのでありますけれども、これもまた具体的なケース、ケースでございまして、そのケースによって再審によって無罪にするということはおそらく御希望の処置とは縁遠いものであろうというふうに思われるのであります。特に昭和二十七年四月二十八日までさような再審の道を軍法会議の判決において開いておりましたが、幸か不幸か一件も再審の申し立てはございませんでした。そこで過去にさかのぼって軍法会議の判決を無効にするということは、私ども検討の段階におきましては、ないということに相なるものと思うのであります。また世界の立法を見ましてもそういう例はないというふうに思います。  そこで将来に向かってどうするか、将来に向かってこれら有罪の判決を受けた人についての名誉回復の措置として何かあるかということになりますと、それはまさに恩赦という制度であるというふうに思われます。恩赦の目的にはいろいろございまするが、その時期におけるある行為がその時期においてはぜひ刑罰を必要としたけれども、その後の政治的、思想的、経済的、社会的な変動などを経た後の時期においてはそれを処罰する必要がないというようなこともあり得るわけであります。つまり社会情勢、価値観念の変化とともに、かつて有効に成立した判決を将来に向かってその効力をなくするのが恩赦、特に大赦の制度でございます。そう考えますと、私どもの検討の段階では、軍法会議の判決を受けた人で、その後の社会情勢の変化とともにその効力を維持しておく必要がない場合があるということで、恩赦という制度によってその人たちの名誉を回復するのが最も妥当な方法であるというふうに考えられるのでありまして、この点につきましてはすでに戦後三回にわたりまして恩赦が行なわれておりまして、いわゆる先ほどの略奪とか強姦とか殺人等の罪を除きましては、軍法会議によって有罪の判決を受けた人は、軍刑法に関するものの限りはすべて大赦ということで、つまり国家が戦争を反省してそれを許すという大赦という行為を行なっておるのであります。これによって刑に処せられた者の名誉は回復されておるというふうに考えるべきではないかと思うのでございます。  以上が検討の結果でございまして、なお去る二月二十七日の予算委員会で小林先生から御指摘のありました西郷隆盛につきましては、明治二十二年二月十一日、いわゆる明治憲法の発令の日に大赦令の発布がございまして同時に西郷隆盛は特旨をもって正三位を追贈されております。つまりこれは一つの恩赦の措置であります。逆賊であった西郷さんの汚名をそそぐということで大赦のときに、西郷さんは判決を受けたわけではございませんので、一種の行政措置として正三位という逆賊と言われて死んだときの正三位の位をその日から将来に向かって贈られておるのであります。いわゆる恩赦と同じ将来に向かっての措置でございます。  それからもう一つ、江藤新平については、明治二十二年勅令第十二号、いま申しました西郷さんと同じときの大赦令によりまして、赦免をされました。この方も反逆罪で梟首、さらし首の刑を受けて死んでおりまするけれども、二十二年の明治憲法のときに赦免されまして、大赦ということで、大正元年の九月二十日に大審院検事総長が遺族の願い出に応じてその旨を証明しておるという事実がございます。  以上が今日までの検討の結果でございます。
  89. 小林進

    小林(進)委員 いや刑事局長ともなってこんなことしか言えないのかと思って、ぼくは半分あきれていましたよ。大体司法省というのは封建的で、法務省というのは昔から、司法省といったときから封建的ですから。いま十二時をちょっと回っておりますからゆっくりやります。  第一、これは法務大臣に申し上げますが、あなた、軍刑法で——一般刑法と軍刑法の適用が二つに分かれるということをこの間もおっしゃった。これも二回聞きましたから、あまり聞く必要はないですけれども、同じことを何回もおっしゃるから私も言いますけれども、軍刑法と一般刑法はついて回るのですよ。たとえば逃亡罪というのは、裸で逃げれば逃亡罪。これは一つの軍刑法でいいのでしょうけれども、軍服を着ていたのは、敵地中で、おっかないから鉄砲を持って逃げますよ。これは刑法で言う横領罪、窃盗罪。一番いいのは横井庄一さんですよ。横井さんだって逃亡罪だけれども、窃盗も横領もついて回るのだけれども、なかなか日本法律というものは、あとで法務大臣に聞きますが、法治国というけれども、その法律の適用というのはこんなになっておるのですよ。ですからそこら辺、あなた聞きましたから、刑が執行されて十年たつと一般刑法もぱあぱあになるということを聞きましたから、それはそれでいい。私は問題を軍刑法だけにしぼって、これは気の毒だからひとつ無効にしてもらいたい。しかもこの問題は、日本だけじゃなくて国際問題になっておる。日本じゃサンフランシスコの講和条約で、悪い戦争をしました、間違った戦争をいたしました、いわゆる侵略戦争をやりました、かんべんしてくださいとあやまった。ドイツもあやまった。そのあやまった日本が、悪いことをしたという戦犯者を、この悪い戦争を計画し、行動し、指揮し、やった人たちに対して、一つも戦犯として処刑も受けてなければ責任も追及されてない。さすがにドイツは、いまでも悪い戦争を計画した戦犯者というものはきびしく追及しています。日本はそういう人たちが、追及じゃない、みんな叙勲の対象になって、戦後においてもぽかぽか百九十万も二百万も、全部名誉の勲章から叙勲の対象になってほめられているのですよ。そういうふうに、私はいやだいやだと言うのが一銭五厘のはがきで無理に引っぱられて、そして妻子眷族泣き別れで、かり出されていった。その下士官、兵や一般軍属が、いゆる戦場において、飢餓戦場だ、食うものも食わせられない、飲むものも飲ませられない。しかも終戦のどさくさまぎれに、指揮官もない、指揮系統も乱れているのですよ。その中で上官の意に沿わないからといって、いわゆる軍法会議という名のもとに、逃亡罪でぶった切られたり、死刑になったり、銃殺になったりした、その人たちは、五万人もいるのです。そして戦争が済んで二十八年もたっても、いまなおこの遺族は——私も行ってみましたよ。遺族の家庭を訪問してみました。戦犯者の家庭には写真一つありません。夫の写真一つありません。さすがに、戦死者といっても普通で戦病死で死んだ人の家庭へ行きますと、二十八年もたってもみんな写真はありますよ。軍服の写真はありますよ。そういう軍法会議でやられたという家庭には、写真一つ、証拠の写真一つ出していませんよ。それで私が行くと奥さん方は、大きな声を出さぬでください、先生、子供が聞きますから、子供にはないしょにしているのですから、子供が肩身が狭くてこの話は聞かされませんから、先生、声を小さくしてください。いまなおそういう悲惨な状況の中で生きているというこの矛盾を、一体なぜ救済できないかということなんですよ。  なぜ一体国の行政で救済できないか。私は一片の法解釈の問題ではないか。そこをしかしあなたたちがまだがんこに抵抗されるというなら、私どもはあなた方のベースに返ってひとつ御質問をいたしますが、これは私の一つのヒントですよ。  最近いわゆる尊属殺という問題が脚光を浴びてきまして、そしてこれに対してあなたは、尊属殺の重罰は違憲であるという判決に対して、法務大臣は、政府は刑法改正案を今国会に提出したい、あなたの談話です、また変わったかもしれませんがね。  第二番目は、尊属殺重罰について判決が確定しているものの救済については、検事総長による非常上告をとることにする。これは談話を発表されているのです。いわゆる非常上告というのは、法令に判決が違反した場合でございましょう。違反した場合にいわゆる非常上告の手段をとる。これは法律に定められております。もし軍法会議が、先ほどから説明が来ているが、法令に違反してないと言う、あなたは軍法会議はりっぱに行なわれているという前提のもとに立って長々としゃべられたけれども、われわれから言わせれば、軍法会議は全部法令違反だと言いたいくらい、違反しているのです。ならば一体、このいわゆる非常上告という法制を、そのままでなくてもいい、類推解釈でもよろしいが、準用でもよろしいが、何かこういう手段で、これが一体救済できないものかどうかという考えに立って、私はお伺いするのです。  あなたは尊属殺重罰規定は今回の判決で無効となったが、これまでの判決には一体この規定が生きていると考えられるかどうか、これが一つです。これは法務省の考えを聞かなくたっていいのです。法務省はもはやこのいわゆる検事総長による非常上告にむしろ抵抗しましてね、先ほども言う恩赦の方法でやろうとする考えになっていることは、私は風のたよりで聞いているのですよ。もしそれに対して——あなたはいみじくもこの判決が出たときに新聞談話で、田中法相は個別恩赦をやたらに使うのは好ましくないので、非常上告をとるべきだとの判断に立っているという新聞発表をされている。さすがに田中さんはりっぱだわい、私はそう感じたのでございますが、同時に現在審理中の尊属殺事件三十六件については、検事総長は、検察庁で、すでに求刑したものは裁判所において求刑の訂正をやるようにという申し出をされたということでございますが、あわせて私のお聞きしたいのは、尊属殺重罰ですでに死刑を執行されたケースが四件ある。この取り扱いを一体どうする考えか。これも遡及して、これは間違った判決なんですから、間違った法令の適用で死刑になっているのですからね。これをどう救済されるか。この救済の道をあなたが考えてくださるならば、この誤った法令の軍法会議で五万人もやられている人たちの救済の道も、おのずから出てくるのじゃないか、私はこういう立場で質問しているのであります。ひとつ明晰な御回答をお願いしたいと思います。
  90. 田中伊三次

    ○田中(伊)国務大臣 先ほどもくどく申し上げたように、何とか救済の道がなかろうかということで、くどく研究をさせてみたのであります。けれども先生の仰せになることを、お話はよくわかるのですが、軍法会議の言い渡し自体、裁判自体をなくする道はなかろうかと仰せになる。この考え方に対しては、どのように誠意をもって考えてみても、検討の結果は道がないということの結論なんですね。それが結論なんです。  そこで、刑法二百条と関連をして御質問になりましたが、この二百条無効の判決が最高裁から下されたという結果は、二百条は無効となるということは御承知のとおり間違いはないのです。間違いはないのだが、これは過去にさかのぼって無効になるのか将来無効になるのかということは、たいへん論議の余地のあるところ、過去にさかのぼって無効になるということは、なかなかこの判断がむずかしいのではなかろうか。過去にさかのぼって無効になるということならば、先生仰せのとおり無効の判決に基づいて裁判をしたということになりますから、非常上告の理由になる。検事総長が最高裁に対して非常上告をしなければならぬという筋になるわけであります。けれども、将来に向かって無効である。こういう判断になりますと、非常上告の道でなくこれを救う道は個別的恩赦によって救済をする以外に法制上の道がない。一体どちらをとるべきかということについてその後検討をしておりますが、その後の検討では、個別的恩赦による以外にはなかろうということが結論となっておる。  そこでそういう事態でございますから、この軍法会議で言い渡した裁判の歴史的事実、言い渡しという事実を消す道が法制的にないということも、誠意がないからないのでないので、四の五の言うからないのじゃないのです。これは仰せになること自体を実現することが何としてもどうも無理だということになるわけで、そこでその一つの道は、よう考えてみると、いま先生のおっしゃった戦争の最高責任者というとなくなられた当時の内閣総理大臣東条大将、戦争最高責任者、この人が恩給をもらっておるじゃないか。この人が恩給を受けておるではないか。無効の軍法会議で、大赦権を発動して天皇がその判決を無効になさった。そういう者にどうして恩給が与えられないのか。国際裁判を受けて死刑に処せられた国内的に戦争最高責任者はりっぱな恩給をもらっておるじゃないかということもいつか仰せになったことを記憶するのでございますが、この辺に救済の道があるのではなかろうか。別の角度で、一たん言い渡した歴史的な事実を消せというようなことでなしに、それも大事なことでありますが、道がないとすればやむを得ぬじゃないか。それは幾らおしかりになったって、これは方法はないです。一つの別の方法というものは、無効の軍法会議なんだ、間違った戦争なんで無効の軍法会議ではないか、天皇から大赦の恩典が出ておるじゃないか。どうしてこれに軍恩給が出せないのか。全部軍人は軍恩給をもらっておるじゃないか。東条大将ばかりじゃない。無効だということになるならば、これに恩給を渡していいのではないかという問題がある。これを検討して、これに渡してよろしい。はなはだどうもやっておることが不均衡ではないか。無効だということになれば、一般軍人に帰るのですから、傷のない一般軍人に戻るわけだから、軍法会議が無効だということになるならば、どうしてそれに恩給が出せないのかという問題が一つあるのではなかろうか。かてて加えて、東条内閣総理大臣の恩給を受けていらっしゃることと比べて論議をすれば、これはあまり深い論議をする余地はない。これがかりにうまくいくということになりますと、それは軍人として働いた恩給が支給されたということになる、それは扶助料でございますが、したがって遺族に対して扶助料が支給されたということになるならば、名誉の回復はこの一点からできるのではなかろうかということがこの一つの考え方でございます。  先生の御質問によって教えられたことは、この恩給を受けていないということについて、受けておる人と受けておらぬ人との不平等、不均衡こういうものをどう解決するかという一つの問題が提供されたものとして私はこれを受け取っておるのであります。誠意のない話をしておるのじゃありませんから、そこのところは誤解のないように、私の申し上げることに御理解をいただきたい、こう考える。
  91. 小林進

    小林(進)委員 大臣のお気持ちは一面は理解いたしますから、大臣もまた私の言うところをひとつ理解していただきたいと思います。私はあくまでもいわゆる判決自体を無効にすることと恩赦は別だ。恩赦というのは裁判所がきめた刑を法務省が行政的に軽減をする処置、これが恩赦でございましょう。それではだめだと私は言っている。私は、判決は判決自体が間違っているので、これは法務省とわれわれの違いなんです。いまの尊属殺の重罰刑の問題ですけれども、これは判決自体が法令に違反しているから、その判決自体の法令に違反していることを修正なり改めるのが私は非常上告の規定だと思うのです。それを判決はやはり有効だというものにしておいて法務省の行政処置で個別恩赦という形でそれをやることは私はものの本質のすりかえだ。ここに私は法務省の封建的なずるさがあると思うのであります。いや、それはそうです。判決自体の法令違反、判決自体の実体法の違反、手続法の違反を私は論じている。だから判決自体を動かしてくれということを繰り返しあなたに言っているのであって、それを行政的処置で修正しようというようなことをお願いしているのではない。これは間違えないでください。  それからいま一つ、これは法務大臣がおっしゃいましたね。ただ判決のいわゆる法令違反、上告ですね、非常上告がさかのぼって効果を及ぼすかどうかということについてはおっしゃるように学者の説が分かれていることはわかります。確かにこれは統一した意見ではございません。将来に向かって不利な判決を訂正することができるけれども、さかのぼって効果があるかどうか。しかし私はその学者の説をコピーしてみんな持ってきておりますけれども、私どもの尊敬する学者は、特にアメリカ等においても法令の適用のために不利な判決を受けた人たちがさかのぼって既成事実としてそのまま不利のままにして置かれるということは、それは法の適正を失うものであるから、やはり遡及してその効果を過去に及ぼして、そして不利な——それは非常上告は決して被告人の救済が目的ではございません。それは、法務大臣の言っておるように法令の統一解釈のためにやるのでありますけれども、付随条項として、付随条件としてやはり不利な判決に泣いている者はさかのぼってこれを救済するというのが学者の意見。これは、私は学者は正しいと思います。けれども、私は何も学者の説をもって大臣と論争しようとは思いませんが、あくまでもこの被害者の方はこの判決自体をともかくないものにしてくれというのが願いの筋なので、行政的手段に基づいてこれを救済してくれということを言っているのではないのであります。私の質問もそうなのであります。その端的な例を——いま総務長官は三十分でお帰りになるそうですから、十分くらいでいくために私も結論を急ぎますが、これはあとで厚生大臣にも繰り返し私は質問をいたしますが、厚生省という省は実に、特に援護局などというのは援護でなくてむしろこれは殺人局といっていいくらい人を殺す局なんでありますが、その中で、これはやはり悪いことをしたという、良心に恥ずるところがあると見えまして、私がいま問題にしているブーゲンビル島の逃亡者の中で、軍法会議で敵前逃亡をしたとやられてついに獄死した、その中の五人だけを、どういう関係か選び出して、そしてこれに勲章をやっているのですよ。実にナンセンスですがね、勲章をやっているのです。いいですか、「軍法会議で有罪判決を受け“敵前逃亡兵”という名を背負ったまま獄死したオーストラリア領ブーゲンビル島の元日本兵五人の救済を検討していた厚生省は、戦病死者並みに叙勲を決定、」というんですよ。叙勲を決定した。これは昭和四十七年七月二十八日だ。これに対して、その叙勲を決定された遺族が一体どう言っているか。これは、あなたのおっしゃる判決、恩赦の問題に関係しますから言うのです。  この叙勲で勲章をもらった五人の遺族の一人、東福純義さんという元兵長の姉の徳重ウメさんは「敵前逃亡が罪なら横井さんも同じではないか。」夫の吉さんは「国は謝罪すべきです。叙勲でウヤムヤは許せません」、こう言っておこっているのであります。次の佐藤元兵長の弟の武雄さんは「遺骨を受取りに行ったときの肩身のせまさは忘れない。亡くなった両親も最後まで気にしていた」三番目の金屋正助元軍曹の兄、精吉さんは「母はことし一月、八十四歳で死んだが、死ぬ直前まで“一人の息子を紙切れ一枚で引っ張り、栄養失調で殺すなんて”と怒っていた。母が生きていてもたぶん“勲章なんかいらないから息子を返せ”といったでしょう」四番目、上与那原寛一元伍長の妻、静さんは「夫のことはうすうすと知っていたが、成長ざかりの子供たちに知らすまいと、いろいろ気を使った。急に叙勲といわれてもピンとこないが、」五番目の早川正利元軍曹の母親、マスさんは「戦死扱いにしてほしい」と再三厚生省に足を運んで頼んだが取り上げてもらえず、また慰霊塔の片すみでもよいから名前を刻んでくれと願ったが、これもかなえられなかった。戦争はおそろしくて、もういやです、これが勲章をもらった五人の遺族の偽らざる心境ですよ。そんな恩赦だとか遺族年金だとか勲章だとかでごまかされるような心境ではないのですよ、問題は。そういう不法な裁判でやられたというこの判決自体を何とかしてくれというのが切実な要望なんです。  これに対しまして、総務長官、あなたはもう時間でお帰りになるというから、あなたにお伺いいたしますが、あなたは「先ほどから小林委員の、ほんとうにその立場に立っての正義感に満ちた御意見、私も深く傾聴、拝聴いたしております。したがいまして、いま法務大臣も述べられましたように、政府といたしましてもこれらの問題につきましては、どう法体系の中にこれを裏づけてまいるべきであるかというような点については、関係省庁とまた十分連絡をとりながら、前向きの姿勢で考えてみたい。また小林委員のとうとい御意見、また指摘になりました点については、総理にも御報告申しておきたい、こう考えております。」こういうふうに答弁をしております。前向きに考える、総理にも報告するとおっしゃいました。その結果、一体どういうふうに考えていただいて、どういうふうな結論を出していただいたのか。これは田中総理だけじゃないのです。前に佐藤総理大臣も同じことを言っているのです。佐藤総理大臣のことばもここで読み上げましょうか。佐藤総理も政治的配慮で問題を解決したいという趣旨の答弁をしておられるのであります。これは速記録を持ってきませんでしたが、そういう答弁をしている。ずっと続いているのです。もし法体系の中で措置ができなければ、もっと高度の政治的措置で問題の処理をいたします、こう言われたのです。前尾法務大臣も、各省関係をしながら、もはやじんぜん日を過ごすわけにいかないから、これは政治的に解決をいたしたいと思います、こう答弁されておる。みんな同じことを繰り返しておきながら何にもやってない。今度はもうやらない話は困りますから、総務長官、ひとつやった話を教えてください。
  92. 坪川信三

    ○坪川国務大臣 いま御指摘のように、過般の予算委員会において小林先生がおっしゃった点につきましては、私はそのとおり答弁いたしておるわけでございます。したがいまして、私は直ちに二階堂内閣官房長官に、予算委員会でお述べになられました御意見、御指摘等を含めましてるる報告をいたし、総理に伝達方をお願いいたしておったわけでございます。非常に大事なことでもございますから、先ほど二階堂官房長官にほかの用事でお会いをいたしましたので、その点も確認いたしてまいったようなわけでございますが、二階堂官房長官も、非常に大事な問題でもあり、長らくの懸案の事項であるから、何とか考えなければならぬなということをおっしゃっておられるようなわけでございます。私は政府の立場を代表いたしまして、この間申しました気持ちでいまなお取り組んでおるような次第でございますが、法務省は法務省としてのいろいろの法的な立場からの事情、また厚生省は厚生省としてのいろいろの立場等があることも聞き及んでおるような次第でございます。その中にあって、小林委員の正義感といいますか、非常に貴重な正しい御意見に対しましては、政府は各省庁と連絡をとりながら、これに積極的に前向きな気持ちをもって取り組むことにおいては何ら動じていないということを申し上げ、今後もそうした気持ちで取り組んでまいりたいということで御理解を願いたいと思うのでございます。
  93. 小林進

    小林(進)委員 あなたは私の質問が正しいということをおっしゃっているので、そのことばだけはとうとい。あなたはずばりと言いました。やはりりっぱですけれども、次がりっぱじゃない。何もあなたは官房長官の配下でもなければ下級職でもない。あなたは総理大臣に言うと私に約束された限りは、何も官房長官二階堂何がしを通じなくても、あなた自身が総理に毎朝毎晩顔を合わせているならば堂々とおっしゃればいいのに、それが私は気に入りませんが、いま一度ここで約束して、総理に率直にお話しいただけますか。予算委員会やあるいは参議院でも同じことをやっています。あなたは私の言わんとする気持ちを率直にくみ取っていただいたのでありますから、あなたの感じとられたままを、官房長官などを通じないで総理みずからにひとつお話しください。そして問題を一歩でも二歩でも前進するようにひとつ御努力をしていただきたい。約束していただけますか。
  94. 坪川信三

    ○坪川国務大臣 決して責任を回避するとか、あるいはそうした気持ちなどはつゆ持ってはおりません。官房長官あるいは総務長官、また総理を中心としてのわれわれは補佐役としての立場から、大きい使命のあることも自覚いたしております。したがって、私は他意があって総理に直接申し上げなかったというような気持ちはないことをひとつ御理解おき願いたいと思います。したがって、私も再三にわたる小林先生の御意見等、またいま御指摘になりました点は必ず総理にも直接お伝え申し上げておきたい、こう考えております。
  95. 小林進

    小林(進)委員 いや、あなたのお気持ちのほどは理解いたしましたので、どうぞひとつ——次に私は法務大臣に、問題の解決の道を法務大臣にも考えていただきますが、私も考えておる。全体としては、あなたが先ほど言われましたようにいわゆる軍刑法、軍法会議、それ自体をひとつ取り消してもらいたい、これが一番の願いです。  そうすれば問題はさばさばするわけですけれども、しかしそれができないとすれば、第二番目としては、いわゆる旧陸海軍軍法会議日本国の領域外で行なわれたものの判決はひとつ一切無効にする。これは正々たる内地における軍法会議と、いわゆる領域外に置かれた軍法会議の形式は違うのです。大臣の前に釈迦に説法でございますけれども、これは臨時軍法会議といって非常に簡略でやられた。内容は非常に粗末なもので、軍法会議の形式をなしていないのです。非常上告の制度がいまも軍法会議に残っておれば、私ども全部上告を要請いたします。それから法務官もいなければ上審、再審の制度もなければ上告の制度もない。みなしろうとの軍人が、それはもう上官の命令一本で一時間もたたないうちに判決をくだして、一時間もたたないうちにぶち殺している。あの軽井沢に立てこもった赤軍のリンチよりももっとひどいやり方でみんな殺しているのですから。それはもう一切は非常上告になり得る素質を持っているのですから、これをひとつ無効にしてもらえないか。  それがだめならば大臣、二番目として、個々のケースでも、先ほど何か二十七年まで待っていたけれども来なかったなどという、また遺族年金も恩給制度も復活しないで、食うや食わずで生活しているときに、その一片の通達を出して、それで、来なかったんだからなんていう、あなた方のあういう説明を聞くと私は腹が立ってまいりますよ、局長。そういう、人の顔にどろを塗るようなものの言い方をするものじゃありませんよそんな言い方は皆さん方の一番悪いくせです。そういうことを言っちゃいけません。いまの、終戦直後にそんな上告するとか再審を要求するとかいう制度があったのに一件もなかったということをあなたが力を入れてそんなに自慢して言うような問題ですか、これは。一体不謹慎きわまりますよ、問題のつかみ方が。  そこで私は、もしそういう一般の軍刑法をないものにするということができないならば、いま一つ、その非常上告に類似するような道を開いて、いまでも軍刑法の不当な罰に泣いている者のためにその道を開いてもらえないかということです。いいですか。一体軍刑法が廃止になりましたのは昭和二十年の十一月二十四日、勅令第六百五十八号ですね。刑事局長、そのときに軍法会議が廃止になりまして、その後どうなりましたか。その後の経緯をひとつ承りましょう。
  96. 安原美穂

    ○安原政府委員 先ほども申し上げましたように、軍法会議は新憲法施行の日の前日であります昭和二十二年五月二日まで、最終的にはいわゆる先ほどの戦地に置かれました臨時軍法会議という形でございましたが、それは昭和二十二年の五月二日までの範囲内で適法に存在しておったということでございます。  なお詳しく申し上げますと、軍法会議にはいろいろな種類がございまして、いわゆる常設軍法会議と特設軍法会議と、陸軍と海軍では少し呼称が違いますが、区別としてはその二つでございまして、常設軍法会議というのは師団軍法会議、軍軍法会議、高等軍法会議というものがありますし、特設軍法会議には戒厳令施行宣告の際の合囲地軍法会議と、戦時時変に際し編成した部隊により特設された臨時軍法会議がございます。  それがどのような経緯で逐次廃止されていったかということでございますが、まず昭和二十年十一月二十二日の勅令第六百五十八号というもので「第一復員裁判所及第二復員裁判所令」というものができまして、それによって先ほど申し上げましたいわゆる常設軍法会議が廃止されまして、第一復員裁判所、第二復員裁判所という本土に置かれた裁判所がそれを受継していったということで、昭和二十二年十一月二十二日にいま御指摘のように常設軍法会議がなくなりましたが、この第一復員裁判所、第二復員裁判所という形で本土に対応してあったわけであります。それがそのときには、いま問題になっております戦時時変に際し陸軍のあるいは海軍の部隊に特設されました臨時軍法会議が廃止されずに存続し、また陸海軍刑法も陸海軍軍法会議法の規定によりまして臨時軍法会議敗戦後もなお存続しておったのであります。  それからさらに昭和二十一年五月十七日の勅令第二百七十八号というもので、先ほど申しました復員裁判所というものが廃止されまして、そしてその後受継裁判所として、それぞれその復員裁判所の所在いたしておりましたところの管轄する地方裁判所がその受継裁判所になりましたが、なおいま問題になっております臨時軍法会議は存続をしていったのでございます。  それからその次が昭和二十二年の五月十七日の政令五十二号というもので、これは施行の日は新憲法施行の日の五月三日でございますが、そのときに最後まで残っておりました陸軍、海軍の臨時軍法会議がなくなると同時に、陸海軍刑法が廃止されたというのが大体の経緯でございます。
  97. 小林進

    小林(進)委員 あなたは勅令第六百五十八号が十一月二十二日とおっしゃった、これは二十四日じゃありませんか。それから勅令の二百七十八号、五月十七日とおっしゃったが五月十八日じゃありませんか。これは日にちはたいしたことはありませんが、それでいいですか。私は二十二年五月十七日にポツダム政令五十二号でいわゆる臨時軍法会議、陸海軍軍法会議も廃止になった、こう言われたのですが、そこまで言われるのなら私はお尋ねしたいのだが、いわゆる五月十八日勅令二百七十八号で、ポツダム勅令で第一、第二復員裁判所が廃止になったときに、その廃止される軍法会議の後継の裁判所、東京刑事裁判所でこれを引き継いだことになるわけだ。そしていわゆる非常上告をものにした、非常上告の権限は、一般刑法ではおっしゃるように検事総長でしょう。ところがこの軍法会議の場合には臨時軍法会議を問わず、これは非常上告の権限は陸軍大臣であったわけです。その陸軍大臣が二十一年五月十八日のいわゆるポツダム勅令によってどういうふうになりましたか。陸軍大臣が廃止になったんだから、その陸軍大臣にかわる権限者はだれになりましたか。
  98. 安原美穂

    ○安原政府委員 その御指摘の勅令によりまして、陸海軍軍法会議法に規定する陸海軍大臣の職権、たとえばいま御指摘の軍法会議の確定判決に対して非常上告を行なわせる権限はその後、第一、第二復員大臣が行なっておったのですが、いま御指摘の勅令によりまして内閣総理大臣が行なうことになったのであります。
  99. 小林進

    小林(進)委員 そうでしょう。内閣総理大臣がいわゆる検事総長、一般刑法の検事総長の役割りというふうに定められた。それが二十二年の五月十七日ポツダム政令以後に一体それはどうなりましたか。
  100. 安原美穂

    ○安原政府委員 この昭和二十二年五月十七日の政令五十二号によりまして、先ほど申しましたように軍刑法は廃止され、それから臨時軍法会議も廃止された。そしていま御指摘の陸海軍大臣の職権を内閣総理大臣が行なうこととしていた昭和二十一年勅令二百七十八号の附則第三項をも削除いたしました結果、軍法会議の確定判決に対しまして非常上告をなさしめる権限を行なうものがだれであるのかが不明確となったということでありますが、解釈の余地といたしましては、その際、附則第十二項によりまして、刑事訴訟法によるもの、すなわち検事総長によって権限を行なうことができるという解釈をとるべきではないかということに検討いたしております。
  101. 小林進

    小林(進)委員 なくなったんでしょう。あなた方と言っては悪いけれども、時の政府は意識的に削除しちゃったんですよ。削除してそしてこういう軍法会議のやられた者だけにいわゆる非常上告をする権限を意識的に削除しちゃったんだよ。総理大臣までやれるように持ってきたけれども、最後の新憲法制定のときになったら削除しちゃった。いわゆる行くえ不明にしちゃったわけだ。あなたがそれを今度検事総長がやれるなんというのはあなたの主観でしょう。どこに一体そういう法的根拠がありますか。みんなこういう重大な問題をごまかしているのですよ、政府は。そうしておいて、しゃにむにこの人たちをいまでも泣かしておくのでありますから。大臣御理解いただいたと思います。ちゃんと陸軍刑法にも非常上告の手続はあったのです。そして戦争に負けて陸海軍大臣がなくなっても、それにかわるべきものは、陸海軍大臣にかわって非常上告をしてくれるものは総理大臣だ、そこまで持ってきたのです。そこまで持ってきておきながら、いわゆる最後の五月十七日のポツダム政令のときになって、新憲法を施行するときになってその大事なところをいわゆる附則の三項、四項というのでありますが、ぱっとそれを削除しちゃった。意識的にとってしまって、救済の道を永久にとってしまった。ですからやることが実に微に入り細に入り、こういう下級の下士官とか兵とか一般軍属とかいう者の、不法不当なる行為に泣きぬれている者には永久に救済の道が閉ざされている。これ自身も国務大臣としては何か考えていただかなければならぬ。私は法の不備——不備じゃありません、意識的にこういうことをやっているのです。もし下士官、兵あたりが違法問題で非常上告をして、自分たちの上官や国の政治に対する戦争の間違いをぱあぱあやられたら、いわゆる陸軍大将から中将から少将から元帥閣下あたりが御身安泰に暮らしていくことはできないのでありますから、こういう人たちの救済の道をみなふさいでしまった。どうですか、それをあなた今日に至ってなおかつ救済の道がないなどということを言っておられるかどうか。  そこで、私は繰り返し法務大臣に申し上げますが、あなたは最後にぎりぎりまでいったら、いままでずっと戦後も続いてきたこの非常上告の窓を開きますか。開いてくれるなら私は全国のいわゆる被害者、遺族動員いたしまして国会に押し寄せて、彼らがこの戦地の中に泣きぬれた涙のかわかない悲しみを全部ぶち明けます。そしてあなたがひとつ非常上告の擁護者にでもなっていただければ、あなたのお部屋へ全国から動員して、非常上告の手続をやっていただくようにお願いにやらせますが、いかがでしょうか。検事総長じゃだめだ。法務省はとてもそういう情ある処置をしてくれるようなところじゃありませんから。そういう処置をやっていただけるかどうか、いかがでございましょう。  全般的に軍刑法はこれほど無理なんだから、それでもまだ第四番目として、あなたは調査権をお持ちになっておりまするから、約五万件に近い軍刑法をいわば全部再調査をしていただいて、こっちは正当な軍刑法でやられたのだから救済ができないが、これはどうも手続においても実態においても、それは尊属殺以上に不当な刑罰が行なわれているから、法の適用も間違っているという意味において、全部洗い直していただいてその何割かを救済をしていただく、そういう処置をとっていただくか、私は解決の案として四つくらいあなたに案を提出いたしましたが、そのうちの一つでも御採用いただけるかどうか、参考までにひとつ伺っておきたいと思うのであります。
  102. 田中伊三次

    ○田中(伊)国務大臣 なかなか御要望の点を実現することはむずかしい、法制的にむずかしい、法律制度としてそれをやることはむずかしいということが結論でございます。その理由をくどくど申し上げることは要りませんが、これは小林先生、こういうことなんですよ。  終戦直後に大赦によりまして救われておる。この大赦ということを分けて申しますとどんなことかといいますと、国家の刑罰権が消滅をしておる。国家刑罰権が消滅をしてしまっておるということは、事実上そういう裁判はなかったことと同様のことになっておるわけですね。そこでかりに小林先生仰せのように、非常上告の道を新たに、非常上告の法律制度というものをあらためてつくる、ちょっと法律常識では考えられぬことでありますが、かりにつくると仮定をいたしまして、非常上告をいたしまして、そうしてこの言い渡しが無効となると、本来無罪のものであったということの判決がかりに下ったといたしましても、先生の仰せになる歴史的事実としての軍法会議の裁判は残るのです。そういう軍法会議の裁判がなかったことにはならぬ。そのとき軍法会議の判決はあった。その歴史的事実を消すということはできない。あったけれども、後に非常上告によってこれが消されたのだ。こういう二重の事柄が事実として残るということ、間違いはないのでありまして、法律制度といたしまして、言い渡しました判決を消して言い渡さなかったことにする、もともとゼロだという、先生御要望のもののつくりようがない。しかし何か名案があれば考えてよいのでありますけれども、いまのところこの名案がない。言い渡した効力はなくなっているのです。大赦でございますからそれはなくなっている。こういうことでございます。どうか私からお願いでございますが、この点を御理解をいただきたい。道は何としてもない。よい方法があればこれを承って検討したい。歴史的事実を消すという法律制度、これが考えられぬ、こういうことですね。
  103. 小林進

    小林(進)委員 くどいようでございますけれども、やはり判決自体が違法であったという結論を私は得たい。私じゃありません。遺族の言うことは、判決自体は有効だが、しかし恩赦、大赦という形でそれを薄めてやった、軽減をしてやった。将来に向かっていわゆる効力をないようにしてやったというのではない。それではだめだ。繰り返しますが、いわゆる判決という司法の行為——恩赦は行政行為でございましょう。司法行為自体を違法のものとして取り消していただかなければいけないということなのでございますが、これはまたあとで。  私の時間も相迫ってまいりましたから、まだ問題の追及として厚生大臣に私はひとつ別の角度からお伺いしますが、私は二月二十七日に吉池軍曹事件に関連をいたしまして、吉池君が処刑されたというならば、されたというその証拠書類を全部提出をしていただきたいという要望を厚生省に強くいたしておきましたにもかかわらず、一通も提出をちょうだいいたしておりません。そこで私は二十七日に、吉池軍曹の直属の連隊長であり戦友である人たちが、吉池君が処刑された事実はございませんでしたという証明書を厚生省に送っているのだから、その書類を提出をしてもらいたい。同時に吉池軍曹に関係をしている二つの県知事、宮崎県知事と長野県知事もその証明書に添書をして、吉池君はそういう逃亡罪等で軍刑法で処刑された事実はございませんから、どうぞひとつ穏便に御処置いただきたいという書類を厚生省に提出されている。それも出していただきたいということを要望したのであります。それに対して斉藤国務大臣は「援護局長をして答弁させます。」と言った。かわって援護局長の高木政府委員は、「いま先生のおっしゃられた書類は、厚生省にございます。」こう言った。出しなさいと言ったのにまだ出さないじゃないですか。それほどまでにこの私を軽く見られたわけでございますか。小林ごときものはその場所だけ答弁をして、あとはうっちゃらかしておけばよろしい。あいつは夜店のバナナ売りと同じで、ただ声だけ大きくたたかせておくので、あとは野となれ山となれでよろしい、こういうふうにお考えになったのじゃありませんか。それならそれでよろしい。そういうふうにお答えになったらよろしい。
  104. 齋藤邦吉

    ○齋藤国務大臣 私はさような気持ちは毛頭持っておりません。この事件は、あの当時小林委員にもお答えいたしましたが、遺族の方々の心境を思えばほんとうに御同情申し上げる次第でありますということを私は率直にお答えをいたしておるわけでございまして、資料の提出がどういうふうにおくれたのか、援護局長から答弁させます。
  105. 高木玄

    ○高木(玄)政府委員 まだ資料を提出いたしておりませんことは、まことに申しわけなく存じます。私、予算委員会での先生の御質問は、こういう資料が厚生省にあるのかというふうなお尋ねかと思いましたので、ございますというふうにお答えいたしたのでございまして、それを提出せよというふうに、実ははっきり受け取らなかったものでございますので、これは弁解になりますからこれ以上申し上げません。すぐお届けいたすようにいたします。
  106. 小林進

    小林(進)委員 私は、生まれて初めてこれくらい侮辱されたことがないと思いました。夜に日を次いで、私は腹の中で煮えくり返る思いをしてきたのでございます。というのはこれだけじゃないのですよ。それ以外にも厚生省はいんぎん無礼で人を軽べつするようなことをおやりになるものでありますから、実に私は了承できないのであります。そこでなおかつ私はこの速記録に基づいてお伺いをいたしますが、吉池事件について厚生大臣に、もう訴訟はおやめになったらどうですか。こういう終戦直前の非常事態の、しかもブーゲンビル島などという孤島の中でやられたその人の行為を、あなた方がどうしてもこれは逃亡兵だ、だから正当な軍刑法でやられて処刑になった、銃殺になったのだと抗弁してみたところで、それが一体国民にどれだけの教育になるのだ。遺族に一体どれだけの励ましになるのだ。何にも得るところはないじゃないか。しかも援護局というその商売柄からいえば、はたの人たちが、あの兵隊は、あの軍曹は軍刑法で逃亡罪でやられたのだぞといっても、確かな証拠がない限りは、あなたたちがかばって、それを擁護し、援護し、あれは逃亡兵ではない、りっぱな戦死者なんだというふうな立場に立つべきが援護局の立場じゃないですか。しかるに判決書もない、始末書もない、処刑のあとの経過調書もなければ何もない。しかも殺されましたという連隊長から中隊長から、その直属の上官まで、そんなことはございませんでしたと言っているさ中に、なぜ厚生省だけががんこにいやどうしても逃亡罪で銃殺になったのだということを主張しなければならないのか。私はそのお気持ちがわからないのです。そのためにその未亡人の奥さんはいまでも泣きぬれておるのです。子供がまだ満足に町中も歩けないのですよ。上級学校にいくのに背を伸ばしていけないのですよ。そういう未亡人だけじゃないのだ。これは親族身内がみな泣いているのです。それをなぜ裁判で争わなければならぬのか。一言、あまり確かな証拠もないのに厚生省も少し肩を張り過ぎました、いや済みませんでした、裁判を取り下げましょうといえば、いますぐこれは解決するのです。おやりになることを考えませんかと私は言ったのだ。もはや二カ月近くたったのですから、あなたも冷静になって相当お考えになったと思うのでありますが、どのようにお考えになったか、ひとつ承っておきたいと思うのであります。
  107. 齋藤邦吉

    ○齋藤国務大臣 実は小林委員から二月に御質問をいただいたわけでございまして、こうした戦争中の混乱期における事件であり、しかも遠い孤島において行なった事件でございまして、しかも私、この前お答えいたしましたように、軍法会議の書類は何かオーストラリアに持っていかれたとか何とかいう話で、現実ないわけです。これははっきり申し上げました。それで奥さんや子供さん方は敵前逃亡の罪でなくなったということを信じてないというお話でもございましたし、私もそうだろうと思います。自分の父、自分の夫は、りっぱな戦死をしたんだというふうに信じておられるだろうと思います。そういうような遺族の心境を思えば、まさしく私そのとおりだと思います。ほんとうに同情にたえない次第でございます。  そこで、小林先生の御質問がありましたあと、実は卒直に言うて、こういうことを何とかならぬのかと、部内でいろいろ議論をしました。ということでございましたが、先般の御質問の際に法務大臣からもお答えがありまして、効果をなくするという道は理論的に考えられ得るとしても、その事実を消す道はない、こうおっしゃっておられるわけでございます。しかし、法務大臣のことでございますから、何かいい方法を考えてくださる道があれば、これが一番いいと実は卒直に考えておったのです。いい方法があれば、これが具体的な問題解決の一番の近道でございますから、そうも思っておりました。部内においても、何とかならぬのかということを実は数回議論したのです。一つも投げてなんかおりません。数回議論いたしましたが、どうもこの事件は、遺族年金請求から始まりまして、そしてこの審査会において敵前逃亡であるからいけません、こういう却下をした事件であります。その後遺族援護法の改正によりまして、途中からそういう方についても出せる道が開くようにはなりましたけれども、御家族の方々は、これは遺族年金がほしいから言うているのではないんで、要するに逃亡罪ではないんだ、これは名誉の戦死なんだ、こういう心境でございますから、これでは本人のお気持ちを全うするわけにもまいらぬというわけで、審査会の決定を取り消せという訴訟になってしまった。そこで、現在厚生大臣が訴えられて、裁判に係属中である。  そこで、おっしゃるようにそうであれば、私が審査会の、敵前逃亡の罪によって——援護法の適用がない時代でしたから、援護法の適用がないんだというその判決を、裁決を取り消せば済むじゃないか。かりにそうしても、事実関係はやはり残るということになることも考えられるわけでございます。そんなふうなこともありまして、遺族年金請求の訴訟について、事実までを消すということができるのか、できないのか、その辺が一つの問題点ではないか。かりに審査会の決定を私が取り消すとしても、それが残るではないか。  それからもう一つは、せっかく何回も相当に慎重に、慎重にと言うと小林委員は、そんなものは慎重でないとおっしゃるかもしれませんが、審査会で慎重に検討をして、敵前逃亡であるから遺族年金の支給はできないんだという判決を、私が独断で取り消すということが、行政秩序の上からいっていいであろうか。いな、むしろこの際は、裁判において公平な、神のような気持ちで判断をしていく以外に道はないのではないかという気持ちに大体なっておるわけでございます。  私は、小林委員からお尋ねがあったときに、こんな絶海の孤島の中に、戦争の混乱のさ中に起こった事件につきまして、奥さんや子供さんには想像もできない事案でございます。そういう事案について、何とか奥さんや子供さん方の気持ちに報いるような方法はないであろうか。ほんとうに真剣に考えました。けれども、いま申し上げたような事実を消すということはできないだろうということ、それから審査会が、慎重にと言うとしかられるかもしれぬが、検討したことを、私が独断で取り消すということが可能であるか、適当であるか。かりにそうしても、この事実を消すことはできぬのか、こういうことを考えて、法務大臣、何かいい方法を考えてくださるならばありがたいなと実は思っておった次第でございます。  今日までの話し合った内容、心境を申し上げてお答えといたす次第でございます。
  108. 小林進

    小林(進)委員 その審査会は三十五年に行なわれて、実にあれがインチキそのものであることは、もう二月二十七日の委員会で繰り返し言った。その中で審査会に加わったのは、ここには柏井君か、君一人がいるな。そのときに呼んだ連隊長から中隊長が、絶対、あのときの状態は、八月十二日におけるブーゲンビル島の第一線の状況なんか、逃亡できる状態じゃないんだ、だからやめてくれと言ったけれども、厚生省の当時出席した課長以下六人、この諸君が、一たんこれは逃亡罪にした以上は、連隊長、中隊長、おまえらが何を言おうとも、おまえたちのほうで確かな証拠を持ってこない限りは取り消すわけにはいかぬと、さっと私たちを追い出してしまった。私はその状況をいまでも手にとるように知っているのだ。その審査会が、神のような審査会だから、それを私の独断でやるわけにはいかないなどと、これがいわゆる齋藤厚生大臣一流の詭弁だと言うのだ。あなた、それをやるからだめなんだよ。だからだれも信用しないのだ。齋藤という男は手品師なんだ。さすがに行政官としては優秀なんだろうけれども、大臣としてはだめだねと、こう言うんだ。私が齋藤局長という理由はそこにあるのだ。いつまでたったところで、あなたは労働省の局長から発達をしてないのです。頭が進歩してないのだ。そんなことじゃいけませんよ。私は繰り返して言っている。問題の事件は八月十二日のこと、そうでしょう。ブーゲンビル島、八月十二日でしょう。八月十二日という日は一体何ですか。もはや日本が、いまや天皇を中心に御前会議が開かれて、ポツダム宣言を受諾して、天皇の地位に変更はないことを条件に無条件降伏いたしますと決定したのが八月の十日ですよ。もはや日本が降伏したあとなんですよ。そのあとの八月十二日に、それを知らざるとは言いながら、こういうような形にやられたというのでありまするから、その期日をひとつ考えてみていただいても、これがいかにインチキなものかわかるじゃないですか。  当時のブーゲンビル島における第十七軍の状態はどうだったか。それは神田中将以下が言っております。玉砕の準備をした。もはや敵に全部包囲せられて玉砕以外にはない、そういう状態で、軍は腹をきめていた。で、その中で吉池君が所属をいたしておりました第二十三連隊というのは一体どういう状況であったか。あなたも調査されたのだから、あなたから聞けば一番いいのだけれども、あえて私が言いましょう。この二十三連隊はいわゆる連隊としての定員は四千人、これは戦時中の部隊ですから。しかし、その四千名の定員の中に現在はたった四百名、一個連隊の生き残っている人が八月十二日現在四百人。その四百名のうちで二百名がもはや軍の野戦病院へ入っている。残るのは二百名だけ。その二百名が何していたかというと、いわゆる玉砕をする前には仕事が何もない。ただ食糧あさりに朝晩暮らしていた。これが八月十二日の現状ですよ。その現状の中から、一体、軍のりっぱな臨時軍法会議を開いて、そしておまえは逃亡罪であるといって処刑なんかできる状態があったかというのだ。だから、軍司令官も連隊長も、そんなような状況ではございませんでしたと口をすっぱくして言っているじゃないですか。にもかかわらず、あなた方はその審査会と称する厚生省の、旧軍人のやれ審査第一課長だの、調査第一課長だの、総務第一課長だのという、これはみんなビルマ軍の参謀をやったり、何々軍の参謀をやった、旧陸軍、海軍大学を出た海軍中佐、陸軍中佐、海軍少佐、陸軍少佐あたりの諸君が審査委員と称し、審査会というものを設けまして、この諸君がこれを、みんな軍法会議でやられたんだと固執して譲らないんじゃないですか。その審査会が一体正しいということが言えますか。そういう状態の中に、吉池さんが八月十五日に処刑されたということで、家族の者を泣きぬらしておいて、あなたそれでいいとおっしゃるのですか、一体。私はそういうブーゲンビルの状態、わが日本国内における状態、そういう状態を冷静に考えていただいたら、私はこの際厚生大臣が先頭になって吉池軍曹の問題などは取り上げて天下にその罪を謝し、あわせて法務大臣等に法体系がどうあろうとももっとひとつ高度な立場に立って、こういう軍刑法でやられた人たちを全部その判決をないものにしてくれ、あなたが私にかわって先頭に立って閣議の中で主張しなければならぬ立場じゃありませんか。まるで逆じゃありませんか。そういうことでは私は問題の解決にはならないと思う。いいですか、厚生大臣、いま一回どうも精神を入れかえる気はありませんか。ほんとうですよ、あなた。これは何も私個人でないですよ。五万名の——そして私はまた繰り返して言いますけれども、これは外国から来ました翻訳ものです。これは出すと差しつかえあるといけませんから、言いませんけれども、私ども国会におけるこういう軍事裁判とか軍法会議の論争が海外に流れておりますから、これは翻訳書を持ってきたのですけれども、いわゆる日本の政府を戦勝国をあげて非常に非難しています。戦争犯罪に対して日本が陳謝をしたけれども、それはいやいやながらしたことである、その後の政府の行政をながめても何にも戦争を反省する行為が一つもないじやないか、こういうことを全部言っている。そして先ほども言うように、かわって、しかし西ドイツは戦犯者に対しては非常に激しく追及しているけれども日本はやらない。外国のとり方ですから、私どものとり方と違っておりまするけれども、そういう、戦争にサボタージュをした、あるいは下級の下士官、兵に対してだけ日本の政府はなおかつ残酷な処罰を与えて、これを救済しようとしないことは日本の戦争の処理のしかたがまことにけしからぬという、これです。まだこれを三つしか持ってきておりませんけれども、皆さん方足りないとおっしゃるなら、私を外国へ厚生省の予算で派遣してください。こういう日本のいわゆる戦争にかり出された兵隊に対する日本の政府の処罰はこうふうになっているからと、いま私が皆さん方と論争していることを率直に言って外国に行って聞いてみますから、厚生省ひとつ私に代理出張命令を出してくれませんか、私は行きますから。そういうふうに世論はいま世界的に盛り上がっている。決して小さい問題ではない。古くて新しい問題だから、私は政府の決意を問うているのです。
  109. 齋藤邦吉

    ○齋藤国務大臣 先ほども申し上げましたように、八月の十二日という混乱のときの、しかも孤島において起こった事件でございまして、家族の方々はほんとうに名誉の戦死だと思っているだろうと私は思うのです。その気持ちは私はほんとうに同情にたえないと思います。そういうようなことで何とかできないだろうかということを相談をしてみました。かりに審査会のほうの決定を私が独断でといいますか、取り消すとしても、敵前逃亡であるというその事実をどうするか。これがもうどうしようもない。かりにだとすればですよ、敵前逃亡であったということであるならば、その事実を消すことはできないではないか。  そこで、法務省のほうで法体系の中でそういう道はないとおっしゃるならばこれはどうにもならぬじゃないか。むしろこの事実があったのかなかったのか、やはり現在裁判係属中でもありますので、公正な裁判官の審査に従う、これ以外に私の道はないのではないかということを実は考えたわけでございます。  私は小林委員のおっしゃることよくわかります。できるなら何とかしたいのです。していただきたいと思うのです、これは法務省にも。けれども、そういうことは法体系の中ではできないということであるならば、やはり判決に従うということが最も適当ではないだろうか、こんなふうな気持ちでおるわけでございます。  しかもこの事件は先般来お話のありましたように軍事裁判の訴訟の記録というものは何にもないわけなんです。こちらにはないのです。だから、そういうことを頭に描けば描くほど何とかできないだろうかという気持ちに私は変わりませんし、今後ともそういう方向で努力をいたしたい、かように考えておる次第でございます。
  110. 小林進

    小林(進)委員 これは私どもの先輩の猪俣浩三先生はじめ総評系の弁護士が全部力を合わせていま裁判で争っていることでもありますし、私もきょう質問するについては事前に弁護士先生の意向も聞いてまいりました。もはや十七回くらい公判を繰り返しておるようでございますけれども、絶対に負けることはない、必ず勝利をする確信がある、しかし万々一にも負けることがあれば、必ずこれは控訴し、最高裁まで持ち込んでも国家全般の姿勢に関する、国の姿勢に関する問題でありまするから、争いを続ける、こういうことを言っておりまするし、私も皆さん方がまだ改心と言っちゃ失礼かもしれませんけれども、その自説をとられるならば、私は国際世論に訴えても日本の行政の姿勢のあり方を正してもらわなければならないと思います。これは私は民族永遠の問題でもあり、特にいやいやながら戦争に狩り出された五万の処刑者の人たちは、一代だけではありません、その子供から孫までずっと泣きぬれていかなければならぬ問題でありますから、私は決して引っ込みません。  しかし、かりに厚生大臣、あなたが言われるように、事実逃亡したとしても、そのしなければならない飢餓線上、われわれは兵隊にとられて戦場に行ったけれども、飢え死にするような約束のために兵隊にとられたのじゃない。だれが一体食糧あさりに逃亡しなければならぬようにしたのか。いまも言うように、もう八月十二日は病院に入らない生き残っている者は全部食糧あさりに毎日、日を暮らしたというのだ。その飢餓線上食糧あさりをしなければならないようなことをさせたのは一体だれなのですか。その人たちが一体軍刑法に問われておりますか。軍法会議に問われておりますか。飢え死にしなければならぬまで追い込んでおいて、そうして食糧あさりに行った者はいわゆる逃亡罪として処刑をするというようなことは、もし事実としても、これはいわゆる正当な行為であるとはいえない。いわゆる普通の刑法でいえば、ちゃんと非常上告なし得る違法行為です。手続も違ってくれば、内容も違ってくる。それをなおかつ事実があるから、事実があるからと固執せられるところに、あなたの考えの間違いがある。事実があるならば、飢え死にさせたそのもの自体の事実をもう一つ明白に責任を追及する姿勢に変わってください。  そこで、私は今度法務大臣にお伺いするのでありますけれども、そういう事態です。そういう事態の中でいわゆる戦争に負けたのです。負けて国の体制が変わったのです。先ほども刑事部長は何か法体系は継続して一本だとおっしゃったが、あなたは四月五日の参議院におけるわが党の阿具根議員の質問に答えています。あなたの答えではないな。そこにおられる安原刑事局長だ。あなたの答弁、革命あるいは外国に日本が併合されるとかの国家の同一性がなくなっていれば別だが、いないので、これはどうにもできないと、こう言われた。これはいわゆる国家の同一性が失われる、別なことばで言えば、革命でもある、こういうときには、すなわち前の判決をなきものにすることができるわけでございますね、あなたの答弁では。どうでしょう。局長はこういう答弁をしていますが、これに対して一体法務大臣はどうお考えになるか。繰り返して言いまするけれども革命が起きた、あるいは国家の同一性が失われるとか、外国に合併されるとか、こういう新しい事態になったときには、これは旧来のいわゆる軍刑法をなきものにすることができる。現在はそうでない、だからできないのだというふうに答弁をしておられるのでありまするが、これに対して大臣はどうお考えになりますか。
  111. 田中伊三次

    ○田中(伊)国務大臣 一つの考えを述べたものと思います。  しかし、これはあれでしょう、小林先生仰せになっておることは、先ほどからくどく言うように、問題の所在は軍の言い渡しがなかったことにする法制上の道はないかということに尽きるのですね。私は扶助料でも差し上げれば名誉を回復はできるように思うのです。小林先生とそこがちょっと違うのです。あなたは、そうじゃない、そんなことはどうでもいいんだ金のことはどうでもいい、何を言っておるんだ、勲章でさえもいやがっている、迷惑がっている、それよりも事実を消せと仰せになる。事実を消すということが法制上できるかどうか。かりに法律をつくって——新しい法律をつくることには技術的に問題がございますが、仮の話が、法律をつくって消す道を考えても、これはあったということは消えないのです。これはあったんだ、本判決はあったんだ、それを新しい法律によって消したという二つの事実が残ってくるのですね。前のやつは消えてしまって、あとの新しい事実だけが残ってくるというぐあいにうまくいくとぐあいはいいのですが、これは全世界になかなか類例のない法律ということです。全く類例がない。しかし小林先生の御熱意を私たち拝聴してみると、何か道がなかろうかということで私は苦心をするのですけれども先ほどからくどく申し上げたように、いまのところよい道が発見できないということが正直な答えでございます。
  112. 小林進

    小林(進)委員 あなたはそれはおっしゃるのですよ。この前の二月二十七日も、「この問題を法律制度として、とにもかくにも判決があった、人間社会に判決が行なわれた。その判決があったというこの歴史上の事実、そういう事実を取り消して、なかったことにするという法律は、私の調べますところどこにもいままで先例が見当たらぬ。外国の立法例にもございませんし、日本の法制の上にもそういうことがございません。」あなたはこれまで言われて、けれども、私どもの言わんとする趣旨はわかるから、何とかひとつ前向きの姿勢でこの遺族やあるいは被害者の名誉を回復する処置を考えてまいりたい、こうおっしゃった、私はそれで期待していたのですけれども、きょうの答弁ですと、うしろに刑事局長がいて何か書いて渡す紙を見て、だんだんあなたは後退されるような気がするのですね。うしろへ下がって私は非常にさびしい。いまも言うように、もしも革命でもあって前の事実を全部なきものにすることができるとするならば、戦争に負けて、旧明治憲法が廃止になって新しい憲法が生まれて、天皇の統治権が失われて、いわゆる国民が国の主権者になったということは、これはおそるべき国の政体が変わったことだし、革命が成就したことだ。この一点を見ても、旧軍判決などはなくなったというりっぱな証拠ができるのじゃないか。刑事局長の答弁をかりて言えば、私は国の政体も変わった、だから旧来のものはないことにすることができるのじゃないかと言えると思いますが、この点はいかがでございましょう。
  113. 田中伊三次

    ○田中(伊)国務大臣 法律的な理論としましては、小林先生仰せのとおりわが国政体は変わった、日本国は変わった。形式上の日本国というものは残っておるけれども、中身、内容は変わった。ことに憲法、法制上のわが国政体は全く変わった、こういうことが言えるのであります。確かにそういうことが言える。言えるから大赦をやって消しておるのです。びっくりぎょうてんするような、国が始まって前例のないことが起こって、政体が変わったのだけれども、しかしやるのは現行法でやるよりしかたがない。現行法でやるなれば、大赦をして消してしまえということで消しておるのですから、事実上は消えておるわけですよ、小林先生。ただそういう軍の判決があったという歴史的事実だけが残っておる。効果は一切消えてなくなっている。国家刑罰権が消滅しておるのですから、あろうわけがないのですから。そこの御理解がいただけませんか。
  114. 小林進

    小林(進)委員 どうもそこへいきますと法務大臣と私は平行線ですね。いまも言うように大赦では遺族とか子々孫々の失われた名誉は回復しないというのが私の立場ですから。  そこでこの問題は、私はまだ納得できませんから、今度は参考人を連れてきます。これは委員長理事の諸君にお願いして、いかに軍刑法というもの、軍法会議というものが手続においても内容においてもくだらぬものであったかということを生き証人を呼んできてこの論争をやります。  きょうは時間もありませんから、きょうはきょうとして最後に一言私はお願いを申し上げる。これは、この問題に関してわれわれ社会党が立案をいたしました問題の処理に関する立法措置であります。あとで資料も差し上げますが、これを読み上げます。    旧陸海軍軍法会議処刑者の名誉回復に関する法律(案)   昭和六年九月十八日以降に日本国の領域外で行なわれた旧陸海軍軍法会議法に拠る軍法会議の判決は、これを取り消す。     附則   この法律は公布の日から施行し、(昭和二七年四月一日)にさかのぼってこれを適用する。提案理由の説明案であります。  さきの大戦により灰じんと化した国土も国民大衆の営々たる努力により二十有余年を経て再建され、特に昨年は国民大衆多年の悲願であった沖繩復帰、日中国交正常化等の重要課題が逐一実現を見るに至りました。  しかながら他方において政府の戦後処理の施策の実態を見るに、グアム島の横井庄一氏、ルバング島の小塚、小野田両氏のような生存する者の救出または遺骨収容等、戦争犠牲者に対する措置の不十分を指摘せざるを得ないことは、まことに遺憾と言わざるを得ないのであり、戦時中の軍法会議処刑者に対する取り扱いもまたしかりであります。  この件に関しては、これまで占領軍の指令下に特定の罪種に対する大赦あるいは年金支給の開始などの措置がとられましたが、なお刑名を負うて肩身狭き思いにある者及びその遺族のあることに注目しなければなりません。  そもそも当時の野戦軍の軍法会議の実態を見るに、起訴、不起訴の決定は、当該軍司令官、師団長などの専権に属し、起訴、不起訴の決定には当該指揮官の恣意が強くこれを左右し、またその量刑も各戦域の戦況により軽重の差がはなはだしく、きわめて不当な裁判でありました。のみならず、あるいは外国領域の捕虜収容所内で開廷された非合法な私刑に類する裁判、あるいは何らかの原因により判決書等の関係書類が滅失したために処刑の事実を追認しがたきもの等、長年月を経た今日においては、もはや疑わしきも修正救済の手段がないまま暗い運命に泣く者や年金受給の権利を受け得ざる遺族等放置すべからざる各般の事例があり、これの救済は戦後処理の重要課題として取り上げなくてはならぬのでありますが、野戦軍軍法会議が一審制終結審である以上は、その救済是正は法律制定をもってせざるを得ないのであります。  ひるがえってさきの大戦の経緯を顧みれば、ひとえに国の上層指導者群の無謀なる野心に基因し、国民大衆をその強烈なる指導圧迫により欺騙、使嗾して戦場にかり立てたものであり、戦場において罪を犯したとしても、その非はむしろ国民を誤導して戦争に突入した指導者群にこそ帰すべきものといわなくてはならぬのでありますが、戦後処理の方向と内容を見れば、これら重大なる責任者はとがめられず、遺族年金、軍人恩給等の支給についても過去の階級に応じてかえって厚遇せられおるに比し、多年戦野に辛苦しながらたまたま罪を得て不明瞭な処刑を科せられいまなお放置せられある人々の存在することは不公平きわまるものというべきであり、戦後すでに二十八年のこの際、一挙にすべての軍法会議処刑者の判決を取り消し、その名誉を回復すべきは、われわれがなすべき当然事と考えるのであります。過去の歴史において多数の先例あるにかんがみ、ここに軍法会議処刑者の名誉回復に関する法律案を提出する次第でありますので、政府並びに議員各位におかれましては、何とぞこの法律案の趣旨に御賛同賜わり、すみやかに可決あらんことを望みます。  こういうのでございますが、これをひとつ政府にも参考までに差し上げますので、慎重審議をいただきたいと思います。  以上をもって私の質問を終わります。
  115. 中垣國男

    中垣委員長 小林委員質疑はこれにて終わりました。  次回は、来たる二十日金曜日午前十時理時事会、午前十時十五分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。    午後一時三十一分散会