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1973-03-29 第71回国会 衆議院 内閣委員会 第10号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十八年三月二十九日(木曜日)     午前十時六分開議  出席委員    委員長 三原 朝雄君    理事 加藤 陽三君 理事 笠岡  喬君    理事 中山 正暉君 理事 藤尾 正行君    理事 大出  俊君 理事 木原  実君    理事 中路 雅弘君       伊能繁次郎君    越智 伊平君       大石 千八君    奥田 敬和君       近藤 鉄雄君    竹中 修一君       丹羽喬四郎君    旗野 進一君       林  大幹君    三塚  博君       吉永 治市君    上原 康助君       坂本 恭一君    横路 孝弘君       和田 貞夫君    鈴切 康雄君       受田 新吉君  出席国務大臣         外 務 大 臣 大平 正芳君  出席政府委員         防衛庁参事官  長坂  強君         防衛施設庁次長 鶴崎  敏君         外務大臣官房長 鹿取 泰衛君         外務省アジア局         長       吉田 健三君         外務省アメリカ         局長      大河原良雄君         外務省条約局長 高島 益郎君         運輸省航空局次         長       寺井 久美君         運輸省航空局技         術部長     金井  洋君  委員外出席者         通商産業省通商         局次長     片山 石郎君         内閣委員会調査         室長      本田 敬信君     ————————————— 委員の異動 三月二十八日  辞任         補欠選任   吉永 治市君     萩原 幸雄君 同日  辞任         補欠選任   萩原 幸雄君     吉永 治市君 同月二十九日  辞任         補欠選任   丹羽喬四郎君     伊能繁次郎君 同日  辞任         補欠選任   伊能繁次郎君     丹羽喬四郎君     ————————————— 本日の会議に付した案件  在外公館名称及び位置並びに在外公館に勤務  する外務公務員給与に関する法律の一部を改  正する法律案内閣提出第八号)      ————◇—————
  2. 三原朝雄

    三原委員長 これより会議を開きます。  在外公館名称及び位置並びに在外公館に勤務する外務公務員給与に関する法律の一部を改正する法律案を議題といたします。  これより質疑に入ります。質疑の申し出がありますので、順次これを許します。大出俊君。
  3. 大出俊

    大出委員 問題が山積をいたしておりまして、北京大使館の設置を認めようということなんでありますが、それだけに急ぎたい法案でございまして、できるだけ審議促進協力をと思っているのですけれども、対中国問題をめぐりましても数多くの問題がございますので、少し質問をいたしたいと思います。  その前に、きのう、きょうというところで問題がいろいろありまして、急を要する問題でもあり、当委員会のいままでの審議との関連もありますので、冒頭に二つばかり承っておきたいのでありますが、一つは、先般の立川問題あるいは那覇問題等とからみまして、基地内における立ち入り調査、あるいは国内法優先原則に基づいて、自治権というものは一体どこまで及ぶのか。かつまた、革新市長会政府に対する申し入れもございまして、これに対する回答も出ております。これらを踏まえて、私この委員会質問をいたしまして、そのときの外務省の見解と申しますのは、米軍基地の中に日本主権は一体及ぶのかどうなのか、主権放棄ではないかという革新市長会提起に対して、そうではない、日本主権が当然及ぶのだ、だがしかし、安保条約というものを締結をしておるたてまえ上、防衛施設提供義務がある、そこで、地位協定でその間の相互の権利調整をはかったのだ、地位協定はそういうものなんだ、だから日本主権というのは厳として存在する、主権放棄ではない、こういう立論になっている。そうだとすれば、国内法優先という原則は、戦車問題等をめぐってすでに確認済みである。その上に立って、憲法と自治権米軍防衛施設をめぐっての提供義務米軍権利という関係で一体どう考えていくのかという点について、結論は、国内法優先原則は当然でございます、自治権は尊重しなければなりません、が、厳密に言うと、安保条約地位協定のたてまえから、自治権といえども及びがたいものがある。しかし、先般の登録台帳法みたいなものは、その限りにおける調査というものは当然行なわなければならない、こういうやりとりになりまして、さて、そこから先、火事が起こったらどうするのだ、消防車が入っていかなければならぬじゃないか、けが人が出たらどうするのだ、狂犬が飛び込んだ、ほっておけぬじゃないか、どうするのだということになりました。  これに対しては、当然そういう問題については、政府政府責任において、米軍に、あるいは米当局にものを言い、調査なり何なり、その限りにおいて適切な措置はとるべきものである、こうなっておるのでありますが、例のタンカー佐世保における事故問題等をめぐりましてこちら側の従業員負傷者等が出ているにもかかわらず、かたくなに軍事機密をたてにとって米側が、調査を認めない、わが方でかってにやるという、そういうことをほっておいていい筋合いのものではない。そこらのことがあるから、この間私はその点を詰めたわけでありまして、それに対して、いま私が簡単に申し上げましたように、ものを言っておられるわけでありますが、これはまことにどうも象徴的なできごとでございまして、私は、こういうことがあるから日本自主性というものを明確に確立をしなければならぬ筋合いだと言いたいわけでありまして、これは外務大臣、一体この点はどういうふうにお考えになりますか。
  4. 大平正芳

    大平国務大臣 すでに政府からも申し上げ、いま大出委員からも御指摘がございましたとおり、在日米軍区域施設の使用につきましては、日米間に地位協定というものが結ばれておりまして、私ども安保条約並びに関連取りきめの運用につきましては、この地位協定をもとといたしまして、その厳正な運用を通じて事態の処理に当たっておるわけでございます。  いま御指摘佐世保におけるタンカー爆発事件チャーター船火災が起きました。御指摘のとおりでございまして、たいへん不幸な事件が起きまして恐縮いたしておるのでございますが、事故が発生したのは米政府のチャーターしたピスカタクア船上で起こったことでございまして、地位協定第五条第一項に規定する船舶であると思います。したがって、同船の運航管理上の責任はあげて米軍にあり、今回の事故につきましても米側に全面的な責任があることは、米側もよく確認をいたしております。  それでありますので、今回の事件につき原因調査を行なうのも米側責任義務であり、日本側がこれを行なうことはできないたてまえでございますが、日本人従業員につきましては、労災事故が発生した場合には、労働者保護労災事故防止見地から、関係当局、すなわち労働基準監督局として所要調査等を行なう必要があり、従来から、そのような場合には米側調整の上でこれを実施してまいっておるのでありまして、今回の事故につきましては、再爆発危険性が完全に除去されるのを待ちまして、労働基準監督局の係官が現場におもむきまして、所要調査を行ない事情の聴取を行なう必要があると私は思っておりました。遠からずそういうことは実施されるものと期待いたしております。
  5. 大出俊

    大出委員 私は少しおかしくはないかと思うのですよ。車両制限令などを例にいたしましても、地位協定をいまさらまた繰り返して言いませんが、明らかに国内法優先原則はある。これは戦車問題をめぐって、私が各大臣おいでになるところで申し上げたとおりでありまして、みなそれをお認めになっている。そうだとすると、国内法でありますから、労災適用、当然の話であります。そのためには調査原則条件であります。実態調査をしなければ適用ができない。これは必要条件であります。にもかかわらず調査拒否するというふざけた話はない。それを、遠からず調査ができるものと期待しておりますなどと言う。それじゃ一体日本国内法というのはどうなんだということになる。明らかにこれは戦車のときの答弁と矛盾しているじゃないですか。  先般も、建築基準法等関係でいろいろ私ここで質問をいたしましたが、那覇米軍基地内で建物を建てる、基準法とからむ、調査をしなければならぬ、それを認めるのはあたりまえじゃないか。日本人の側が何人も負傷されている、労災適用当然の話だ、だから調査をさせろ。ずいぶんこれは調査に行って、アメリカ側基地側にものを言っているじゃないですか。労務担当官シャーペットという人に何べんか皆さんは話しているじゃありませんか。全部けられている。それを、遠からず調査が認められるものと期待するなんということを言っていたんじゃ、これは国民感情はおさまりませんよ。これはどうなんですかな、一体政府自身態度というのは。国内法優先原則が明確になっている限りは、調査をさせろと言わなければいかぬじゃないですか。当然なことを明確にしてくれなければ困るじゃないですか。そんな、向こうのほうでものをぽっと言ったようなことを言ってはだめですよ。
  6. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 事実関係につきまして私から答弁さしていただきます。  事故を起こしました船は、先ほど大臣の御説明がありましたように、米国政府がチャーターいたしております公船でございまして、この船が、たまたま佐世保港内にありまする米軍施設区域内で火災を発生したということでありまして、もちろん施設区域内における事故でありまする場合には、地位協定十二条に従いまして当然日本側労働法規が及ぶわけでございますから、労働基準監督見地からの調査ということは、地位協定からも当然認められるべきことであり、その点について何の疑いもないわけであります。ただ、しかしながら、この事故が発生いたしました場所米国公船であるということにつきまして、若干また法的なむずかしい問題が出てまいります。しかしながら、東京在京米大使館並びに府中軍当局と話し合いまして、日本側労災関係に基づく調査ということについては、米側も全面的に了承しているわけでございます。これの立ち入りのための調査米側がこばむということはほんとうはないはずでございますけれども、どうも米側内部連絡中央現地のほうで必ずしもうまくいってなかった面もあるようでございますので、若干、中央考えが地元のほうへ伝わっておらなかったという関係があるようでございます。
  7. 大出俊

    大出委員 こういうことがちょいちょいあっては困るんですね。皆さん米大使館その他といろいろ話をされた、それで調査に行った。シャーペット担当官は、そんなばかなことはない、軍事機密に属することだということで、当方でこれは調査するからということで、立ち入り調査拒否をする。現に拒否しているのです。こういういいかげんなことじゃ、これは困る。もっと日本側の立場というものを明確にして、たとえ軍といえども日本国内施設区域提供を受けているわけですから、日本人側が現にこの事故によってけがをしている、それを軍にけられて泣き寝入りというふざけた話はない。私は、私の足もとともからむからこの問題を提起をしているのですが、いま局長の言われている、公船だからむずかしい問題があるのだというのだけれども、そのむずかしい問題とは何ですか。
  8. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 一つの想定といたしまして、米軍施設区域関係のない場所におきまして米国公船事故を起こした、その事故関連して日本人に死傷の事故があったという場合にどういうことになるのかということと、佐世保にあります施設区域内で停泊しておりました米国公船事故を起こしたという場合とにおいて、どういう違いが出てくるかということになろうかと思うのです。しかしながら、今回私どもといたしましては、とにかく施設区域の中において米国の船の中で事故が起き、それに関連いたしまして、施設区域で働いております日本人職員に重大な事故を生じた、こういう事実に照らして、やはりこれは日本側としては、労災関係担当官立ち入り調査ということは当然必要である、やる義務があるということで米側と話をいたしておるわけでございまして、その点につきまして、府中司令部は十分私どもの要望を認めておるわけでございます。
  9. 大出俊

    大出委員 そうすると、むずかしい問題があるといういまお話があったけれども、その問題はそれなりに解決をしたわけですな。
  10. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 したがいまして、米側内部におきましても、いろいろな考え方があり得たと思います。しかしながら、経緯は別といたしまして、府中司令部は、日本側労災関係担当官立ち入りは認める、こういうことを言っておるわけでございます。
  11. 大出俊

    大出委員 七人の日本側職員、つまり消防担当者が重大な事故にあった。そこで司令部のほうは、地位協定十二条にかかわる解釈という意味で問題が多少あった。あったが、しかし府中司令部労災関係についての立ち入り調査を認めた、だがしかし、現場軍関係者担当官拒否をされたというのはどういうことになりますか、そうなりますと。
  12. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 現場状況につきまして目下調査中でございますけれども、いずれにいたしましても、東京におきまして、米側当局者と私どもが折衝いたしました限りにおきましては、米側の、あるいは軍当局の意向は固まっておるということでございます。米側内部連絡の行き違いというふうなことがあるいはあるのかないのか、そこら辺についてただいま調査中でございます。
  13. 大出俊

    大出委員 これはあなた、二国間の共同コミュニケまで出したって、居すわってしまう横浜オクラホマシティーみたいなのがあるのだから、そういう点はもう少しき然たる態度がなければならぬと思っているのです。一体どういうことが行き違ったわけですか。
  14. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 米側内部連絡状況については承知いたしておりませんけれども、私どもは、東京におきまして大使館並びに府中司令部と折衝いたしました限りにおいて、先ほど来申し上げておりますように、労災関係担当官立ち入りについては、米側は、けっこうである、こういうことを言っております。
  15. 大出俊

    大出委員 時間がありませんから、中に立ち入りませんけれども現場方々現地に出かけていってけ飛ばされて、追い帰されたという表現が妥当かどうかわかりませんが、軍事機密で、そんなことはないといって帰された。ずいぶん迷惑な話だ、現場職員にしたって。これは今後のこともありますから、その間の事情をつまびらかにして御報告を願いたい。早急にひとつよろしゅうございますか。
  16. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 状況はただいま調査中でございます。
  17. 大出俊

    大出委員 もう一つ、私横浜におりますので、かつて、ベトナム戦争に直接弾薬を運ぶ、あるいは戦闘関連をする物資を運ぶ、あるいは兵員を運ぶ、それが銃弾を浴びて非常に危険な状態になったというLST乗り組み員は、横浜輸送司令部が直接雇った日本人である、これを一体どういうふうに扱うのかという点について、前後二回私は質問をしてきたわけであります。弾薬、兵器を積み込んでベトナムへ向かったLST、この人たちベトナム停戦に基づいて帰ってきているわけでありますが、これは何名くらい従事していたかという点、外務省防衛施設庁、どちらでもかまいませんが、お答えを願いたい。
  18. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 手元に資料を持ち合わしておりませんので……。
  19. 大出俊

    大出委員 施設庁のほうはどうですか。
  20. 鶴崎敏

    鶴崎政府委員 私もちょっと用意しておりませんので、いまわかりません。
  21. 大出俊

    大出委員 これは千数百人帰っておりますが、このLST日本人船員というのは、横浜MSC、正式に言うと米海軍省極東管区軍事海上輸送司令部、ここに直接雇われている。そうして日本、韓国、フィリピン、台湾ベトナムタイ、これらを結ぶ軍事物資輸送に従事しておりました。私の最初質問はちょうど四十年ころでございますが、このころのLSTは二千八百トンといわれていた、総トンで。LSTが二十八隻、日本人船員が約千八百人。これが最近は十三、四隻ぐらいに減っておりまして、六百五、六十名の方々日本人で従事をされていた。一隻の乗り組み約四十人、一航海はおおむね往復で四カ月、うち三カ月はベトナム海域作戦参加でございます。  これも時間がありませんから、かつてのその問題についての私の質問の中身は省略をいたしますが、これは全員米軍の服装をいたしまして、米軍階級章をつけているわけであります。一等航海士が少佐であるとか、艇長は大佐であるとかいう、そういう階級章をつけて働いていた人たちであります。これは、兵員輸送、それから相模補給廠で修理をいたしました例のM48、こういうふうなものを運んでいる。また、沖繩におけるB52の弾薬台湾からベトナム軍事道路建設用の石灰であるとか、サイゴンからは、プロコンドール島に例のトラのおりなんというのがあるそうでありますが、そこらに収容されている政治犯の食糧、タイからはベトナムへ派遣されるタイ軍兵士の武器、ナパーム弾。また、南ベトナムのチュライ、ミトーなどの各地で解放戦線ロケット攻撃なんかも受けまして、まさにLSTが沈没しかかってたいへん危険な綱渡りをしてきた。だが、アメリカ側から厳重な規制をされておりますから、私どもはかつて何人も会いまして、直接聞いてみましたけれども、なかなか説明ができない、こういう事情にある。これはそのいきさつをつまびらかにしたことがかつてあります。言えないようにされている。  この方々が、これはあとで御調査をいただきたいのでありますけれども、船長、つまり艇長で三十五万円、船員で月額約二十万から二十二万円くらいの給料をもらっていた。この方々が戦い済んで帰ってきたんだが、これは私どもからすれば、何でそういうところに協力をしなければいかぬのかと言いたいのでありますけれども、それはベトナム戦争協力姿勢をとってこられた政府のことですから、その限りは御苦労さまな話であります。これは帰ってきたとたんに、過小申告だ云々だというので税金に取られる、あとは何の保障もない、ほうりっぱなし。これは政府は百も承知で直接雇用という形を認めてきたわけでありますから、外務省はこの方々にどういう扱いをしてこられましたか。いま私が説明をしたのは、皆さんがおわかりないというから申し上げるので、今日それがどういう扱いになっているかを調査していただいて、この方々は最近方々に、あまりといえば使うだけ使っておいてひどいじゃないかという不満をぶちまけておられる。私は横浜現地でありますから、何人もの方から聞いている。これは皆さんが全く知らないのだから、核心に触れることを少し避けて、まず調査をいただきたいのですが、これは国に責任がございます、外務省に。外務省はどういう扱いをこの方々にしてこられたのですか。  いやしくも国外に出ておるのですよ。タイに行き、ベトナムの戦場に二カ月も彷徨している。二メートル四方もの穴をあけられて沈みそこなった。泳いで逃げた人もいる。けがをした人もいる。外務省はこれを一体どういう扱い国外へ出したのですか。
  22. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 ただいま御指摘ございましたように、この人たち米側MSC直用の形で雇用されているわけでございますけれども直用という形をとっておりますために、政府間接雇用の形で米側提供しておるいわゆる基地労務者とは当然違う形の取り扱いを受けているわけでございますけれども、その実態につきましては、私、必ずしも十分承知いたしておりませんので、調べてみたいと思います。
  23. 大出俊

    大出委員 大臣、これは非常に気の毒な方々が多いのですよ。けがをした方々もある。これはずいぶん危険な目にあっているんです。そこで、いま知らないと皆さんおっしゃるけれども、これは直雇いだからといっても、日本人国外へ出るんでしょう。米軍が雇ってかってに連れていったんだから知りませんで済む筋合いじゃないでしょう。事、日本人でしょう。おまけに外務省一般海外旅行者扱いでこれを見ているのですよ。あなた方はビザを出しているのですよ。これは一般海外旅行者扱い最初認めていた。これはそういう扱いなんだけれども、途中から米軍が連れていったり連れてきたりするんだからというので、その限り今度ビザは不要だ。これは私、前に質問しています。これは当時はきわめて不明確。これはいま局長妙なことを言うけれども、歴史的に八年間に及ぶ長い経緯でございますから、どういうことになっていて、今日どうなったか明確にしていただきたい。いま無理でしょう。
  24. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 私、不勉強でございまして、その実態をつまびらかにしておりませんでした。至急勉強させていただきたいと思います。
  25. 大出俊

    大出委員 最初一般海外旅行者扱いだった。途中から米軍人に準じた扱い、そしてアメリカ国防省発行の非戦闘員身分証明書、これが支給された。そういうことになると、これは邦人、つまり日本人なんですから、もし負傷していた人があったりいろいろした場合に、これはほうっておけない。あなた方は、やはりこれは事、日本人なんですから、米軍にものを言わなければならない。皆さんは全く御存じないのですか。
  26. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 実態の詳細について、私まだ十分整理ができておりませんので、調査させていただきたいと思います。
  27. 大出俊

    大出委員 これは軍属扱いで非戦闘員身分証明書をもらってやっておったわけですけれども、戦い済んでも、これはたいへんな苦心をしたんだから、アメリカ側ベトナム戦争協力でたいへん助かったんだから、それなりのことはしてもらえるものとこの御本人たちは思っておったはずなんです。ところが千数百名はそのまま。戦い終わりました、平和協定ができました、はいさようならとほうり出される。事、日本人に関する限り、そのままという手はないでしょう。これまた時間がございません。これはひとつ両省庁でお調べいただきまして……。  大臣、これは聞いておられて、事、日本人ですからね。たいへんな危険な目にあい、けがした人もいる。それで終わったら、いきなりほうり出されてそれっきり。日本の国というのは税金を追徴することだけしか考えなかった、そういうふざけた措置はない。どうお考えになりますか、これが事実だとすれば。
  28. 大平正芳

    大平国務大臣 その点につきまして、実態をよく調べまして、政府措置しなければならぬことがございますならば考えなければならないと思います。
  29. 大出俊

    大出委員 これは、長い年月船に乗って行ったり来たりしていたんですから、船員法適用してこの方々の次の職業を考えるとかする。これは、政府間接雇用していた方々だって、政府それなり措置をしている。例の東京グラントハイツ移転等のメードさんの問題だって、間接雇用ではない、直接雇いであっても何らかの救済措置をということで、鶴崎さんのほうがずいぶん考えられたことがある。これはやはりそこまで考えなければいけない。私どもが何べんか指摘をしたんだが、放任していたのは政府責任だ、そういうところへ日本人を出すべきではない、米軍が直接雇うことを断わりなさいと私は何べんか言ったんだ。あなた方はそれを、右だ左だと適当にかわして今日までやらせてきたんだ。せめてその結果についての責任ぐらい負いなさいよ。いかがですか。
  30. 大平正芳

    大平国務大臣 まず実態をよく調べさせていただいてからのことにさせていただきたいと思います。
  31. 大出俊

    大出委員 まあ事実だとすればそれ相当の措置をとりたいというお話でございます。そうして、まず調べてみてからにさせてくれというのですから、早急にお調べをいただきたいと存じます。  それから、最初に聞いておきたいのですが、横浜のノースドックの共同使用というのがまことに唐突にぽんときまった。しかも私は岩国の基地調査に参りまして、あそこで、あまりといえば、どうも一時的にという名に値しない長期にわたる基地使用二4(a)がございますので、この件について詳しい質問をしておりましたちょうどその時期に、片やノースドックの共同使用、どうもまことに唐突でございまして、当該の横浜市側にも何の話もない。これは一体どういうわけでそういうことになったのですか。私どもはこれはたいへん迷惑をいたしております。横浜市議会をながめておりましても、この問題に関する質問が集中いたしました。  もちろん、これにはそれなりのみんな心配がある。横浜市というのは長年提供地だらけでございまして、おかげで戦後の経済復興もたいへんおくれている。いまだに神奈川県には全国の半分の基地が集中している、こういうわけであります。だからノースドックも、たいへんにどうもいいところを米軍の陸揚げ場に使われておりまして、これは市にとっては非常に迷惑な話であります。ところが、ここに共同使用のケースが一つ出てくるとすると、対象は京浜港湾処理隊でございましょうが、そういうことになると、これは一つ間違うと、将来、立川じゃございませんけれども、また自衛隊がと言いかねない。固定化してしまう。こういう問題が実は出てくるわけでありまして、横浜市も何の連絡もないのでありますから、まことにどうもこれは答弁のしようがない。  そこで承りたいのは、当時、外務省横浜市当局から電話連絡を入れて、担当の課長さんに、神奈川新聞の皆さんから入手した情報だが、しかし、あまりといえば唐突である、どうなっているのだという質問をした。そんなばかなことがあるはずがないという外務省のお答え。みそ汁で顔洗って出直せ、外務省連絡したらこうなんだがというので私のところに持ってきた。私が調べてみたら事実がある。外務省は全く知らない。そんなばかなことはあり得ない、あるはずがないと言う。どうなっているのですか、外務省防衛施設庁関係は。これは一体どういうことですか。
  32. 鶴崎敏

    鶴崎政府委員 ただいま先生御指摘のノースドックの一部共同使用でございますが、これは昭和三十一年ごろから陸上自衛隊が、相互防衛援助協定によるアメリカからの援助物資の受け入れ、あるいは保管、輸送、こういったことのために、京浜港湾処理隊の十数名の者が、そこを事実上三条によって共同使用しまして、その任務を遂行しておったわけでございます。ところが四十一年になりまして、米側から、従来事実上自衛隊が共同使用しておるけれども、これを地位協定の二条四項(a)による共同使用に正式化してもらいたいという要求があったわけでございます。それから、日米間でいろいろ、共同使用の範囲あるいは条件、こういったことについて協議しておったのでございますが、これがなかなか手間どりまして、やっと昨年の暮れになりまして、話し合いがつきまして合同委員会の合意を得た、こういう形になっておるわけでございます。  そこで、市のほうに何やら御相談をしなかったということについては、長年事実上使っておったということもございますし、あるいはその使用の範囲がきわめて一部であるというようなことから、市のほうに御相談をしなかったということだろうと思いますけれども、その点については、やはり事前に御相談をすべきであったかと、このように存じます。  それから、地位協定の二4(a)によって自衛隊が共同使用するということによって、将来ノースドックが返還になった際に居すわるのではないかという件につきましては、防衛庁としては、米軍から返還になればそこに居すわりはしない。これは、一般の港を通常使うような方法によってでも援助物資の受け入れは可能であるから、そういう意味で引き続き使うということは考えておりませんということを申し上げておきます。
  33. 大出俊

    大出委員 いま外務大臣がおいでになるのだから、いまの居すわりはしないというのは、これは証人になってくださいよ。返還という場合になっても、共同使用をたてにして居すわることはしないと、鶴崎次長言い切るのだから。これは皆さんは、そういうふうに言い切っておきながら、ちょいちょい居すわろうとするのだから。突然こんなのを出されて、横浜市当局だって、これは面くらうですよ。だから、村雨橋、千鳥橋の修理なんという問題はあるのだけれども、こんなものは市議会は一切やめてしまえというのだ。そういういいくらかげんなことでは困る。私は、皆さんの答弁いかんではそのままにする気はない。これはさっぱりわからぬのだけれども、いま鶴崎さんは、三十一年から相互援助協定によって事実上共同使用をしていた、こう言う。私も、そこに京浜港湾処理隊の一部が、時に三人、時に七人、時に十人おいでになることは知らなくはない。知らなくはないけれども、三十一年からやっていたものを、何でことしになって突如としてきめなければならぬのか。正式にこの共同使用を決定したのはいつでございますか。何月何日でございますか。
  34. 鶴崎敏

    鶴崎政府委員 昨年の十二月二十一日、日米合同委員会で正式に合意をいたしております。
  35. 大出俊

    大出委員 三十一年からやっていたものを、昨年といえば四十七年、十六年間もたって突如として共同使用を言ってきた。どうしてその必要があるのですか。いま三十一年というお話でしょう。そうでしょう。それで、さっきのお話によると、米側から正式に共同使用の手続をとるということを言ってきたのはいつですか、そこを明確にしていただきたい。それは昭和四十一年なんですね。昭和四十一年に手続をとると言われたにしても、本年は四十八年でございますから、六年も七年も、うんだともすんだとも世の中に出てこない。そうでしょう。そこにいることはぼくら百も知っている。この委員会でも取り上げたこともある。そのまま過ぎてきて、何で唐突に、昨年の十二月にぽかりきめなければいかぬのですか。だから横浜市議会のほうでも、村雨橋、千鳥橋の修理をやっているのだから、取引をしたのじゃないかとか、下水処理場をつくるのだから、それとの関係もあるのじゃないかということで、迷惑な話だ。米軍海浜一号住宅、二号住宅、山手住宅、ボイラー地区、チャペルセンター地区などというものとの取引があるのじゃないか。一つ間違うと、そこにエンタープライズとの関連があるのじゃないか、こう言う。そこまで騒ぎ、物議をかもすようなことを何でおやりになるのですか。  政治的に横浜市と皆さんとの間にたいへんむずかしい問題をかかえている。そういうときに、ぼくらは協力し得るところは協力してきているつもりだ、市民に必要なことがあれば。だが、こういうふざけたことをなさる筋合いのものではないですよ、三十一年から使っているものを。これは三条の管理権の範囲で共同使用をやっていたのでしょう。わずか三人か七人か十人なんだからというが、しかしこれは一部でありまして、保土ケ谷に部隊の本拠がある。来ようと思えばその本拠の部隊が全部来られる、そうでしょう。そこを共同使用して全部の部隊が入るかもしれぬ、勘ぐればそうでしょう。居すわるかもしれぬ、そういうふうに考えるのはあたりまえでしょう。だからこそ陰の話でもあるのじゃないかと、まことにもってこれは迷惑しごくな話です。何でこんなに長い年月ほうっておいたのですか。三十一年から十六年間も同じことをやっておいて、いまになって突如として何できめなければならぬのか。四十一年に話があったならば、あまりにもインタバルが長過ぎる。その間何をやっていたのですか。
  36. 鶴崎敏

    鶴崎政府委員 先ほどお話し申し上げましたように、米側から四十一年に正式に認可をしてもらいたいという要求があったわけでございますが、一体どの建物のどの部分を共同使用するかというような範囲につきまして、日米間でなかなか意見の調整がつかなかったということがこの延引した主たる理由でございますが、そのうち事務的にいささか怠慢の面があったかと思います。そこで、昨年になりましてから、米側より、従来要求しておった事案について整理をしまして、これがまだ未処理ではないか、これをひとつぜひ解決をしてくれというようなことを、ときどきまとめて申し入れがあるわけでございます。その際にこの問題についても、だいぶ長いことたなざらしになっているから、この際結末をつけてもらいたいというような要求がありまして、筋の議論としましては、やはり地位協定の二4(a)によって使用するということがたてまえでございますから、たいへんおくれはしましたけれども、それではこれは合同委員会にかけなければならないだろうということで、昨年の暮れに合同委員会にかけたわけです。こういういきさつでございます。  そこで、お話しの海浜住宅地区の移転、あるいはエンタープライズが——いやエンタープライズではございません。ミッドウエーが来る、こういった問題とは全く関係なく、その前から出ておった問題が非常におくれて処理された、たまたまそういう時期になってしまったということでございまして、その間には全く因果関係はないということをはっきり申し上げておきます。
  37. 大出俊

    大出委員 ちょっとエンタープライズまで出てきてびっくりしたのですが、いまのは間違いでしょうな。大臣もおられるのだけれども、こんなところでエンタープライズに出てこられたのじゃ、えらいことになってしまいますからね。共同使用どころの騒ぎではなくなってしまいますから。私はいま、共同使用、ノースドツクのことをやっているのですから、エンタープライズは関係ない。そこのところ、大臣、だいじょうぶですな、答えてくださいよ。
  38. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 エンタープライズということは全く念頭にございません。
  39. 大出俊

    大出委員 それではもとへ戻しまして、この問題は、当時アメリカの財務局の側から手続上条件があったというのですね。それは何ですか。
  40. 鶴崎敏

    鶴崎政府委員 ただいま述べましたように、使用の範囲とか、あるいは条件とかいうようなことはございましたけれども、特に手続上条件があったというふうには承知いたしておりません。
  41. 大出俊

    大出委員 これは私が口頭で承った限りは、七百四十平米、こういうお話なんですが、事務室の一室、それから休憩室、ハットメントですか、荷物を置いてもらう倉庫の一隅ということなんだそうですが、十二月二十一日に、八百四十八平米というのが私の公式資料の中にはある。口頭で承ったら七百四十平米という。たいへん疑惑を呼んでおりますので、ひとつ正確にどういうところをどう共同使用したのか。それは取りやめることはできないのか。先ほど鶴崎さんが言うように、事務局に長くなっておるから処理しようと言われたということで、あなた方は気がついておられたなら、なぜそのときに市側にものを言わないのかという点。それは、三十一年から十六年間も話をほっぽっといておったのだから、四十一年からでも六、七年もあるのだから、突如では市のほうも困るでしょう。少なくとも自治体は地方議会をかかえているのですから。そこで、なぜ言う気にならなかったのか、あわせて答えていただきたい。
  42. 鶴崎敏

    鶴崎政府委員 ノースドックの共同使用の面積でございますが、土地につきましては八百四十八・一七平方メートル、建物は七百四十四・〇二平方メートルということでございまして、建物の面積よりも土地の面積が若干多いわけでございますが、これは建物の軒下まで計算に入れたという関係で、土地のほうが若干ふえておるわけでございます。建物としましてはナンバー二〇〇の一室を事務室として使用いたしまして、それが五十・六〇平方メートルであります。それからナンバー四二六の一棟を待機室等としまして使用するわけでございますが、これが百七十九・〇七平方メートル、ナンバー五〇〇の建物の一部、これは倉庫として使用しますが、五百十四・三五平方メートル、こういう面積になっております。  そこで、市のほうになぜあらかじめ連絡をしなかったかという点につきましては、先ほども申し上げましたように、三十一年以来事実上ずっと使っておった。しかもその面積も、全体から見ますと、きわめてわずかなものであるというようなことから、本来ならば事前に連絡すべきであったかもわかりませんけれども、そういうなれといいますか、というようなこともありまして、その手続を怠ったといいますか、そういう関係になっております。
  43. 大出俊

    大出委員 そうしますと、もう一ぺん確認をいたしますが、この共同使用を取りやめるというわけにまいりませんか。これが一つ。  それから、疑わしいのですから、あまりといえば時間がたち過ぎておりまして、また全くの無通告ですから、そこらがいま承っても、何かどうも、三十一年からやっていたものを、四十一年に話し合いがあったものを、昨年の暮れ、十二月二十一日にぽかりきめた。その前、外務省にものを言ってみたら何も知らない。あまりといえばどうも疑わしい。取りやめるわけにいきませんか。
  44. 鶴崎敏

    鶴崎政府委員 これは、先ほども申し上げましたように、相互防衛援助協定によって米側から供与される物品の受け入れとか保管とか輸送という業務は、今後も京浜港湾処理隊としては継続してやらなければならないということで、この共同使用は継続をせざるを得ない。そこで、形として二4(a)ということで正式化したわけですが、これは共同使用の形態としては、むしろ地位協定の条項にのっとった成規の手続でありますから、これをいまさらやめるというわけにはいかないかと存じます。
  45. 大出俊

    大出委員 それではもう一ぺん明確にしてください。市議会を通じていろいろ出ている意見は、共同使用というのは、端的に言って将来の自衛隊の投入の足がかりではないか。おまけに、これは付随して、さっきエンタープライズという話まで出てしまいましたけれども、これは口が別なほうに行ったというので、他意がないわけで、それはそれでいいのですけれども、ミッドウエーとからんでみたり、本牧の米軍の一号住宅、二号住宅、山手住宅、ボイラー地区、チャペルセンターなどの例の問題とからんでみたり、いろいろな質問がある。これは誤解を解いておかなければ困る。そういう意味で、共同使用する意図は毛頭ないのだとさっきおっしゃいましたね。これはひとつ皆さんおいでになるところでもう一ぺんはっきり言ってください。
  46. 鶴崎敏

    鶴崎政府委員 先ほどお答えしましたように、米軍がこの施設を返還しました暁には、自衛隊としては引き続きここを専用的に使用するという意図は全く持っておりません。それから、ほかの京横浜の住宅地区の移転その他の問題とは、これは全くかかわりのない問題であるということを明確にいたしておきます。
  47. 大出俊

    大出委員 もう一つ関連をして疑問がございますので、お答えをいただければいただきたいのでありますが、米軍の一号、二号住宅、山手住宅等々の問題で、私も実は長年苦労させられまして、横須賀に行きまして、一日日曜をつぶして市議会側の意見を聞いて、ようやく御納得いただき、ブリグス湾の埋め立てについて、横須賀市議会もそちらの方向を向くという経緯もありまして、私は横須賀の文化体育館に休みの日に一日おったことがある。これはずいぶん難航したのです。そこで四百二十七戸になりますか、ブリグス湾を埋める基地の中に建てる、こうなんですけれども、これはたしか一号住宅ということを対象にやりとりをしたときの話であります。二号住宅、山手住宅ということになってきますと、それらの関連は、アメリカとの間における皆さんとの話し合いの中で、その後の経過として一体どうなったのか、それと予算。ここらの関連でどうもいろいろなことが出てくるので、これは片づけるとすれば、横浜市で区画整理をしなければならぬ。地元は現場について一切反対だという意思表示などもある。これはずいぶん苦しい仕事をしなければならぬわけでありますから、その過程で妙なことになると、迷惑な話でございます。  したがって、共同使用の問題等をめぐって、外から見ている皆さんからすると、納得しがたいというものの考え方になり、そこからいろいろな意見が出てくる。私の組織などにいたしましても、最近いろいろ大会など開いておりますが、私が顔を出すと必ず質問が出る、こういう状況です。したがって、皆さんのほうで可能なところの説明をいただきたいのであります。いかがでございますか。
  48. 鶴崎敏

    鶴崎政府委員 横浜米軍住宅の移転問題につきましては、当初、旧本牧一号地区、それから山手住宅地区、この二つが移転の対象地域として日米間でいろいろ討議をされたわけです。それでこの山手住宅地区の移転につきましては、すでに厚木飛行場の中に代替施設提供してもう返還になっております。それから旧本牧一号地区につきましては、ただいま先生御指摘のように、横須賀の米海軍基地内に移転をするということで泊湾の埋め立ての工事等を現在実施をいたしております。  そこで、この二つの地域のほかに、旧本牧二号地区、それから根岸住宅地区というものがございまして、これらにつきましても、その後日米間で協議しました結果、これを他に移転をすべきであろうということになりまして、きょう現在の計画としては、こういった地域も含めて、横浜にある米軍住宅を他に移転しようということになっております。もっともこの根岸住宅地区につきましては、全部ではなくてその一部を実施する、こういう予定になっております。  そこで、日米間におきましては、この横浜にある米軍住宅の移転は、これらの地域をいわば一つのワン・パッケージとして実施するという方向で進んでおります。予算等につきましては、来年度ブリグス湾の埋め立てを継続するための経費が一般会計で計上してございます。それから他の建物そのものの移転は特別会計で実施するということになっておりますが、私、全体的な金額その他については承知いたしておりません。
  49. 大出俊

    大出委員 あとから出してくれませんか。その予算関係の中身は、予算書を見ればいいのでしょうけれども、細部がわかりませんので。  それから、そうしますと、あと追加が出てきているわけでありますが、一号、山手以外に二号も入ってくる。それで四百二十七で足りるのか、そう理解をしていいのか、この点はいかがでしょうか。
  50. 鶴崎敏

    鶴崎政府委員 ちょっとその数字の点は、私いまつまびらかにしておりません。
  51. 大出俊

    大出委員 それもあとで可能であればお出しいただきたい。  次に、外務大臣おられるところで……。
  52. 大平正芳

    大平国務大臣 ちょっと佐世保の件、わかりましたから……。
  53. 大出俊

    大出委員 お知らせいただきます。
  54. 大平正芳

    大平国務大臣 佐世保の労災当局の立ち入り調査現地軍が拒んでおるのじゃないかという御指摘でございましたが、調査いたしましたところ、そうでないようでございます。米軍は、日本人従業員に死傷事故があった場合、労災当局に現地調査権利があることを確認しております。先ほど申し上げたとおりでございまして、今回の場合も調査拒否しているという事実は全くございません。  ピスカタクア号の件につきましては、私が先ほどお答えいたしましたように、再爆発の可能性が除去される必要がありますので、船内の安全がなお完全に確保されるに至っていないので、米軍の直接の関係者以外の立ち入りを断わってきたが、日本当局が万一の場合の責任米側に追及しないというのであれば、直ちに御調査をしていただいてけっこうである、そういう旨、本日十時三十分から佐世保基地労働基準監督局長に伝えて日本側の判断にゆだねてあるということでございます。  なお、米側によりますと、危険がなくなる時期は今週末、三十一日ないし一日の見込みであるということでございます。
  55. 大出俊

    大出委員 国内法の優先のたてまえはぜひひとつ貫いていただきたいということをお願いをいたしておきます。  時間の関係もございましょうから急がしていただきますが、いまの住宅移転問題は、あまりずけずけ私のほうから言うべきものでもございません。したがって、皆さん方でお出しいただけるものならば出していただいて、それによってまた進めたいと思いますが、それはぜひお願いをいたしておきます。  そこでもう一つ、ここで、懸案でございますから承っておきたいのですが、外務大臣、昨年のM48戦車輸送等の問題、あるいは輸送の問題をめぐりまして、外務大臣が私に、閣議了解に基づきましてこの相模原補給廠の戦車修理機能の縮小、停止に関する一両年という言い方での期限を答弁をなさっているわけでありますが、事の性格上、これはひとつできるだけ早くやってもらいたい、こう私は当時申し上げていたわけであります。ところが最近、機能のほうについてそれがどうなるのかという点が明らかにならないままに、実はこれが従業員はじめ周辺の諸君に一番迷惑な話でありまして、基地機能がこうなるのだから、したがって何人、人が減るのだというならば話はわからぬわけではない。それなりの対策を立てて進もうということになる。あるいはあと地の平和利用、あるいは平和産業をという話もできる。ところが、その間について何の情報も中間報告も出てこないままに、現地で九百八十名解雇なんということが出てくる。横須賀の場合も同様でございました。私は佐藤総理に本会議質問したことさえあります。したがって、まず、これはお約束でございますから、御努力を願っているはずであります。ベトナム戦争の見通しについても、当時は外務大臣は、ベトナムの停戦、これは帰らざる河である、また、あと戻りされては困るのだ、したがって、相模原補給廠の戦車修理機能の縮小あるいは停止一両年というのは、当然その方向で政府は努力するのだからという、私ができるだけ急いでくれ、こう言ったことに対する答弁でございました。一体今日の時点でどういう御努力をなさってくださるか。これは閣議了解でございましたが、どこまでいって、その結果この解雇という問題が浮かんできたのか、この間の経緯はどうなっていますか。
  56. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 相模原補給廠の戦闘車両の修理機能の問題につきましては、昨年の九月十二日の閣議で、相模補給廠戦車修理機能の縮小ないし停止を検討するということを了解いたされまして、しかもその検討というのは、一両年を目途として検討、こういうことであったわけでございます。その後、この閣議の了解に基づきまして、米側とのいろいろな折衝が行なわれたわけでございますけれども、昨年の十一月にベトナムの和平の成立が行なわれた後においては、修理のため戦闘車両の新規の搬入は原則として停止される、またベトナム向けに搬出されることも原則としてなくなる、こういうことが日米間で了解され、さらにまたその際に、その段階におきまして、相模補給廠にあります戦闘車両の修理を終えた段階で、その補給廠の修理機能は大幅に縮小されるということについても了解ができたわけでございます。  それで、一月二十七日にベトナムの停戦協定ができ上がったわけでございますけれども、それ以後、ベトナムから、あるいはベトナムへの戦闘車両の搬出入というものは、全く行なわれておらないわけでございますけれども、今後の問題といたしましても和平協定の実施上の措置、いわゆる一対一の差しかえということを除きましては、原則的にはこのように搬出が行なわれるということはないというふうに私ども了解いたしております。もちろん、いま申し上げた一対一の差しかえというのも、あくまでも原則的な問題でございまして、現実に米側がいまこういう差しかえを考えている、あるいは日本側に要求している、そういうことはないわけでございますけれども、いずれにいたしましても、そういうふうな状況を踏まえまして、相模原の戦闘車両の修理機能というものの大幅な縮小ということがいずれ具体的な問題になってくるということを私たちは期待いたしておりますけれども、いまのところ、具体的にいっその措置がとられるかということについては、はっきりした見通しを得ておりません。  それから、御指摘がございました、補給廠で働いている従業員の解雇の問題につきまして、いまの戦闘車両の補給、修理機能の整理縮小ということは直接関連のない部門で、具体的に申しますと、相模補給廠で現に扱っておりました、ベトナムから返送してまいります物品処理の仕事が、和平の成立、それから米軍撤退とともに非常に減ってきた、あるいはなくなってきた、こういうふうな状況を背景として、その部門の関係従業員の整理ということが行なわれる見通しである、こういう状況でございます。
  57. 大出俊

    大出委員 いまお話しの、ベトナムから戦闘車両の搬入をしない、ベトナムヘの搬出をしない、それから整理縮小、その方向についての了解、これらのことが得られたのは、日にち的に言いますといつでございますか。
  58. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 昨年の十一月の二日に、先ほど申し上げました原則的な措置に関する日米間の了解というものができているわけでございます。
  59. 大出俊

    大出委員 そこで、二つあるのですが、いま、関係ない人の整理、こういうお話がございましたが、これは現地側の状況からいたしますと、来会計年度、つまり七月、ここを一つ節にいたしまして、これまでにということになっているのですね。したがいまして、いま物品搬入その他の点で指摘されましたが、それだけで九百八十人も出てきやしません。したがいまして機能との関係が当然ある。いま関係ないというお話ですが。この点は神奈川県議会におけるやりとりの中でも出てきている。  全従業員三千五百五十七人、これは一月一日現在、この四分の一弱。この中に一つ気になる理由がある。ドル切り下げ、これが一つ理由になっているのですね。これは実は、外務省、それから防衛施設庁両方にわたって、私はここでとくと御意見を聞いておきたいのですが、これは昨年の例もある。これは防衛庁の皆さんずいぶん苦労なさっているのですが、言うならば米軍に働いている全駐労関係方々が中心でありますが、ドル切り下げに伴って賃下げという形の条件が出てきた。これをめぐってずいぶん施設庁苦労されている。外務省にもこれは御協力願わなければならぬ筋合いであります。今回この二〇%切り上げということになりますと、一四%ないし一五%、アメリカ側はドルの持ち出しなんですよ。沖繩、本土を含めまして労務費おおむね三億ドル使っております。これは三十数%、つまりバランスがくずれて出てまいりますと、労働条件の大きな変更と首切りが当然出てくる。つまり三億ドルですからちょうど見合います。それがこの中の一つの項目に入っている。ベトナムの和平協定の成立、それによって規模が縮小する、ベトナム戦争終結という条件一つ入っている。それからドルの切り下げ。いまアメリカがドルを切り下げていますね。それと円レートとのバランス、それが一つ理由に入っている。それからもう一つ同廠の縮小が入っているのですね。  大きな理由が三つ明らかにされている。一つベトナム戦争の終結。ドルの切り下げ、レートの問題も一つあります。三つ目が相模補給廠の縮小。そこで、総勢三千五百五十七人のうちの九百八十何人前後、これは七月から始まる米会計年度、これまでにと、この点については神奈川県の当局も認めている。これはやはりそこらのところをはっきりしていただきませんと。関係はないのです、ただ物品管理の仕事が減ったとかというようなことで減らすのですとだけ言われたんじゃ非常に迷惑なんで、ここらのところはもう少し、施設庁の側でもけっこうでございますが、御説明いただきたいのです。
  60. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 補給廠の先ほど私が申し上げました点で、もし足らない点がありましたらと思って、その点から申し上げます。  相模補給廠で従来扱っておりました返送物品処理の関係の仕事には、約千名を若干こえる従業員が従事していたと私ども承知いたしておりますけれども、ただいま御指摘の九百八十何名という解雇の対象になるとうわさされている従業員の数は、おそらくこれとの関連があるのではなかろうかという感じがいたします。  それからまた、戦車修理機能の縮小との関連におきまして、この時期が一体いつになるかということについては、はっきりしためどを私どももまだつかんでおりませんが、米側に確かめましたところにおきましては、その時期はまだ言えないし、またその部門の仕事に従事している日本人従業員を解雇する計画はないということをはっきり言っているわけでございます。  ただ、一般的に申しまして、御指摘のように、ドルの切り下げ、実体的な円の切り上げということに関連いたしまして、米側といたしましては、予算執行上非常に大きな問題をかかえてきているということは、一般的には言えるかと存じます。
  61. 大出俊

    大出委員 そうしますと、当面の答弁としては、戦車修理機能の縮小停止という問題、あるいは整理縮小という問題とは、関連が直接的にはない。物品管理要員が千名前後いる、だからいまうわさされる九百八十数名というのはそういうことである。そして戦車修理機能の整理縮小についてはいまは言えない、またその関連における解雇というものも考えに入っていない。あと大河原さん自身の見方として、ドルの切り下げあるいは円の切り上げというものとからむ機能の縮小ということはあり得るだろう、こういうことですな、念を押しておきますが。
  62. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 大体そのようなことでございます。
  63. 大出俊

    大出委員 そこで、もう一つ重要な問題は、一対一の交換というんですが、これは平和協定七条をさしていると思うのでありますが、一万トンの弾薬を広から運んでいって、これは交換だという。北ベトナムは激しく非難しておる、これは御承知のとおりであります。これは合同軍事委員会あるいは監視委員会等の認めたもの、こうなっているわけであります。これは私は、村雨、千鳥の橋をなおしている現実もこれあり、やがて搬入するものもある、出ていくものもある、M48にしろM113にしろ、そう見ております。   〔委員長退席、藤尾委員長代理着席〕 そのときに再度問題にならぬように念を押しておきたいのでありますが、先ほどのお話、一対一の交換があればというのですが、一対一の交換という名のもとに運ばれた場合には、それはベトナムへ行ってもしかたがない、こういうことになりますか。
  64. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 村雨、千鳥の二つの橋におきましては、横浜市と国のほうで協議をいたしました結果、国のほうでこの修理を最近実施いたしまして、二十七日にこの工事は完成をいたしております。三十日に横浜市に正式に引き渡せることになっておりますけれども、そのあとで、米軍といたしましては、相模補給廠で現に修理済みのM48戦車二十二台ございますけれども、これの搬出入を行ない得る状況になるわけでございますけれども、この搬出先としては、全量米本国というふうに承知いたしております。
  65. 大出俊

    大出委員 ベトナムには行かない、米本国ですね。どうしてわかるのですか。はっきりしてください。
  66. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 現在私ども米側から得ておりまする情報では、M48は現在修理済みのものが二十二台ございます。これは全量米本国。さらにまた現在、搬入の戦車は、沖繩の海兵隊が便っておりますものを四台搬入を予定しておる、こういうことでございます。
  67. 大出俊

    大出委員 M113等の戦闘車両等については情報は入っておりませんか。
  68. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 人員輸送車、これにつきましては、まだ相模補給廠に数百台修理待ちのものがあるというふうに承知いたしております。
  69. 大出俊

    大出委員 その搬出入に関する見通しはお持ちではございませんか。
  70. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 装甲車両の搬出入の計画についてはまだ承知いたしておりません。
  71. 大出俊

    大出委員 それもベトナムには行かないというように理解してよろしゅうございますか。
  72. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 この具体的な計画については、先ほど来申し上げておるように、承知いたしておりませんけれども原則としては、ベトナムには行かない、搬出しないということになっております。ただ、あくまでも原則としてということでございます。
  73. 大出俊

    大出委員 そうすると、一対一の交換だということがあり得るということになりますか。
  74. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 原則としてはあり得るということでございます。
  75. 大出俊

    大出委員 原則論としてはあり得るが実際はない、そう理解したいのですが、いいですか。
  76. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 米側の計画を全く承知いたしておりませんので、ないともあるとも申しかねますけれども原則論としてはあるということでございます。
  77. 大出俊

    大出委員 混乱を避けたいという理由で申し上げるのですが、すみやかに計画について米側にものを言っていただきまして、見通しをひとつお知らせをいただきたいのですが、よろしゅうございますか。
  78. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 この問題につきましては、従来の経緯もあり私どももきわめて重大な関心を払っております。したがいまして、先ほど申し上げておりますように、M48の輸送の問題については、米側からそういう状況を入手しているわけでございますけれども、ほかの車両の問題につきましても、引き続いて関心を払ってまいりたいと思います。
  79. 大出俊

    大出委員 この機会に申し上げたいのですが、防衛庁長官がきょうはおいでになりませんので、まことに迷惑なんですけれども、立川の残存の東部方面隊の方々、これをまた強行移駐をやってしまうという防衛庁側の長官の御発言があった。これは私は非常に国会軽視もいいところだという気がする。いいかげんなものを論議をしても意味がないという気がする。昨年実は佐藤総理と何べんかやりとりをいたしまして、現地と話をつける、しかる後にと、こういうことになっていたわけであります。ところが、国会が開かれていないという選挙後の事情を理由にされて、強行移駐をしてしまった。国会が開会されるようになりました昨年末、いろいろやりとりをいたしまして、本年に持ち越しまして、この問題についての決着をつけるべく、この委員会で二回にわたりましていろいろやりとりをいたしました際に、いろいろ言いわけが増原さんからございました。私は言いわけと受け取っておりますが、その結果として、いまからでも話し合いをすることにちゅうちょすべきではないではないか、おそくはないではないか、大蔵省の国有財産関東審議会の中身のこともある、だから本来ならば、解除された場合には一ぺん全部東部方面隊は引き揚げなければならぬ筋合いである、そして新たな角度から検討することになるはずであるという立場からものを申し上げましたが、増原さんは、話し合いをする、こう言っておられたんです。その後の話し合いの経過を一つも私は耳にしてない。またこの委員会で取り上げてもいない。あのときは、私のみならず各党の皆さんがほとんど全部質問をして、話し合いをしなさい、やります、いまからでもおそくはないではないかと、そうですと、こうなっていた。これまた何の一片の連絡もなしにいきなり残存の部隊を強行移駐をしてしまう、そういうことをかってに世の中にものを言ってしまうというふざけた話はないです。委員会で何を論議しても意味はない。それならそれで、私どももけんか支度でやるよりしようがない。ここらは一体どうなっているんですかね。とりあえずあなたからお答えください。
  80. 長坂強

    ○長坂政府委員 この立川の移駐につきましては、この委員会でもお取り上げをいただきまして、いろいろ旧年来におきますところの状況と申しますか、話し合いの状況につきましては申し上げたわけでございますが、なおその中におきまして、昨年の十一月二日以来数度にわたりまして、最終的な形は五百三十人の二十八機である、その機種はかくかくであるということもそのつど申し上げてまいったわけですが、特に、ことしに入りましてから二月十二日、市議会の議長さん以下議員の方々と市ケ谷会館におきまして、午後の二時から午後の五時まで、会後の土地利用のことにつきましてもひとつ打ち合わせをしていこうじゃありませんかという呼びかけを、私どもとしてはいたしております。その際にも、この年度内におきましては五百三十人の二十八機でまいりたいということを申し上げておるわけでございます。さらに私どもとしては、実は内心、いろいろ緑の地帯というようなことの施策もほかの国の機関も行ないつつありますので、私どももそういうことも御相談をいたしたいということの気持ちで呼びかけておるわけですが、それについて、市のほうでもいろいろな御事情があるわけでございましょう、だんだん延びておったのでございますが、さらに三月の十五日、それから三月の二十二日、こういうような時期におきまして、私ども東京防衛施設局長から、やはりうちのほうとしては五百三十人、二十八機にしたい、年度内にしたいということの気持ちは変わりはないということもお知らせしながら、そして立川の市議会議長にも話をしておる、さらに助役さんを通して市長さんにもお話を申し上げてくれというようなことで、こちら側としても、お知らせしつつ呼びかけをしておるというような段階でございます。現在のところ、年度内に済みたいという気持ちに変わりはございませんけれども、一方ではそういうような呼びかけもしておるという状況でございます。
  81. 大出俊

    大出委員 それは、一月二十三日ぐらいまでのことは知っていますよ、この委員会を開いたんですから。その時点で、市ケ谷会館でお集まりになったことも、私はこの席で質問しましたから知っています。だけれども、その以後のことについては何も私は承知していない。二十三日の市ケ谷会館のあとの時点で、いまからでもおそくない、話し合いをすべきであると、各党からその意見がここで出た。長官はその質問に答えて、話し合いをすべきだと私も思う、話し合いをする、努力しますと、こうなっているわけですよ。それを、何も言わずに、われわれは全くつんぼさじきで、ぼかっとマスコミに対して年度内に移駐するなんて言うことは、迷惑な話です。そしてまた新聞を見ると、予算審議関係もこれあり来月に入るかもしれないなんて言って、冗談じゃないです。そういうことをするなら、たび重なるのですから、少なくとも私の党に関する限りは、私は国対にものを言って、審議なんというものはこれは一切ごめんこうむる、こういうことをされたんじゃ。  これだけ長い期間かかって、昨年の予算審議のときから引き続いてやってきて、総理があそこまで答えていて、どんな理由があるにせよ、ここでまた強行するなんということをやれば、これは私のほうも考える。したがって私は、一ぺんこれは防衛庁長官にお出かけいただきたい。この委員会であれだけ審議をしている。しかも他の委員会が開かれていないのに、年が明けまして早急に内閣委員会だけは前後二回開いているのですから、これはそのときの約束ごとなんだ。それをほおかぶりして強行だなどということをやってごらんなさい、けっこうだから。黙ってはいませんよ。長官にこれは明確にお答えいただきたい。局長に聞いてもしかたがない。長官に答えてもらいたい。長官をお呼びください。
  82. 長坂強

    ○長坂政府委員 いま先生御指摘の点につきましては、私どもも十分大臣からも言われておりまして、この二月十二日以降におきましてもそういうこと、それから三月十五日、三月二十二日というふうに接触を持っておるわけでございまして、それで市長さんのほうは、三月二十二日のお答えとしましては、まだ市議会が三十日まであるからこちらのほうに会いに行くわけにはいかないというような返事でございますので、さらにいま呼びかけをしておるという状況でございます。御趣旨はよく体しておるつもりでございますので、なお接触を持ちたいというふうに考えております。
  83. 大出俊

    大出委員 しからば何で長官は、新聞に年度内に強行移駐するのだなんということを言うのですか。新聞に載っておったじゃないですか。それが何で、予算の関係もこれあり来月に入るかもわからぬということを言うのですか。そういう言い方はまことに不見識ですよ。許しがたい。ひとつ長官に委員会に御出席をいただきたい。御相談ください。きょうはずっとやっているのですから。こればかりはあとへ引けませんよ。  それからもう一つ、ここでいままでの私の質問の整理をさせていただきたいのですが、米軍の空の専用あるいは共同訓練空域、島根県沖等々の問題、豊後水道等の問題、これは外務省局長は予算の分科会で、わがほうに上がってくればというお話でございましたが、その後はどうなりましたか。
  84. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 この問題は、もっぱら航空局において、専門的な見地から米側と折衝を続けておられるというふうに承知しております。
  85. 大出俊

    大出委員 航空安全緊急対策要綱のたてまえからいきまして、あくまでもこれは民間優先でなければならぬと私は思って、何べんかこれも言っているわけであります。同僚楢崎委員からも質問が出ているようでありますけれども、航空局の技術部長さんお見えになっておりますが、例の事故あとで取りきめられた民間優先の要綱があるわけでありますから、豊後水道のように、あっちこっちに基地があって飛行機が錯綜し、民間の線があるところに設定するという非常識なことはするべきではない。あるいは裏日本にしましても大韓航空が走っておる。高度を限って上を使う、下を使うというようなことをいったら、ここにも事故が起こりかねない。あるいは例のN空域につなぐというようなことをすると、ますます問題は複雑になる。これは安全性というものを第一義的に考えなければいかぬ。昨今日航の事故が相次いでおるわけでありますから、これ以上そういう危険なことをすべきではない、こういう観点なのです。私はとくと念を押しておきたいので取り上げておるわけですが、そういう意味で、運輸省の御関係方々、その後一体どうなっておりますか、お知らせいただきたいと思います。
  86. 金井洋

    ○金井政府委員 米軍の訓練空域につきましては、ただいまアメリカ局長が答弁されたように、現在事務レベルで検討中でございます。ただし、検討しておりますけれども、御指摘のように、民間機の安全を第一に優先させるという考え方に立って、はたして米軍の訓練空域の設定が可能かどうかということで考えております。あくまでも民間優先という方針は、運輸省としては変わりません。
  87. 大出俊

    大出委員 これは技術部長さん、ぜひひとつ民間優先を貫いていただきたい。そうでないと、ベトナム戦争終了後の状況として、あとから場所を変えて幾つか取り上げますけれども、次々に資料が私のところに入っておりますが、たいへん危険なことが方々にある。それでは困るわけでありまして、せっかく国民的には、和平協定が一月二十七日にできてほっとしておるところでありますから、したがってその結果が、日本国内に軍事優先、そういう姿が出てくることは避けなければならないと思いますので、ぜひひとつこれは御努力願いたいと思います。
  88. 金井洋

    ○金井政府委員 御指摘のように、運輸省としてはあくまでも民間優先を貫きたいというふうに考えております。
  89. 大出俊

    大出委員 ありがとうございました。  そこで横須賀でございますが、まず横須賀のSRF、艦船修理機構はどういうことになるのですか。
  90. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 横須賀の五つありますドックの中の一、二、三号は自衛隊、四号、五号を民間、こういう考え方のもとで、先般来米側並びに関係当局間においていろいろな打ち合わせが行なわれております。方向といたしましては、日本側への返還を前提として共同使用という方式をとってこの問題の解決に当たりたいというのが基本的な考えでございます。
  91. 大出俊

    大出委員 そうすると、いままでの経過では、一、二、三は自衛隊ということでございました。四、五は民間。これも最初は、国有国営、それから国有民営あるいは民有民営、こういう三つあった。私は大体住友にやってもらうのではないかといって申し上げましたら、そういうことかもしれませんというような、わけのわかったようなわからぬような答弁が鶴崎さんからありました。これは知りたいわけでありますから、一体そこのところはどういうふうに考えるのか。三つのケースがあったのだが、最終的に国有民営にするのか。それからそれは住友ということになるのか。それから一から三までについては、施設庁は予算を組んでおるわけで、見切り発車しなさんなということを言っておきましたが、一つは、これはそちらからお答えいただきたいのですが、艦船修理のその部分だけでやっていけるわけでもない。関連部門だって必要でございましょう。そうなれば基地全体とからむわけでありますから、そこらの整理をどう考えておるのかということを含めて、今日の現状についての交渉のぐあいをひとつ御説明いただきたい。  それから、六号は初めからアメリカが使うところになっているわけでありますが、たいへん様相が変わってまいりまして、ミッドウエーが入ってまいりまして母港化というわけでありますから、それとからんで承っておきたいのでありますが、とりあえず現状を御説明いただきたい。
  92. 鶴崎敏

    鶴崎政府委員 SRFの問題につきましては、これまでいろいろ紆余曲折があったわけでございますが、ただいまアメリカ局長からお答えありましたように、一号から三号までは自衛隊が管理運営する施設にする、それから四号、五号は民間の運営にゆだねる、六号は従来どおり米軍が保持する、こういう形になっておるわけですが、当初は米側が、一、二、三は自衛隊に管理権をゆだねる、四号、五号も民間にゆだねるという話であったのでございますが、民間のドックにしてしまった場合に、どのようにして米側の要求を充足するかという技術的な問題が非常に複雑でございまして、なかなか話がつかない。そこで中間的な措置として、自衛隊も民間も共同使用の形で使用をしようではないか、こういうことに相なっております。  そこで、ただいま先生から御指摘の、自衛隊と民間が同時にスタートするのか、場合によっては自衛隊が先に共同使用を開始することもあるのかということでございますが、この点につきましては、民間の共同使用と自衛隊の共同使用は時を同じくしてやるという原則を確立いたしております。  そこで問題は、自衛隊のほうにはそうないわけでございますが、民間が運営しようとしておる四号、五号につきましては、ドックそのものは、民間に一定の条件のもとに共同使用させるということは合意ができております。ところが、そのドックの共同使用に関連して付帯的に必要な施設、建物等がどうしても必要であるという問題につきまして、まだ日米間で話が煮詰まっていないというようなことから、まだ最終的な決着を見ていない。したがって、自衛隊のほうも遺憾ながらまだ共同使用ができないという現状になっております。  ミッドウエーの問題につきましては、外務省のほうからお願いします。
  93. 大出俊

    大出委員 その場合、民間というのは住友でございますな。
  94. 鶴崎敏

    鶴崎政府委員 まあ会社がどこになるかということは、私の立場から直接申し上げる立場にないと思うのですが、いろいろな地理的条件からいえば、住友が有利であろうということは言えると思います。
  95. 大出俊

    大出委員 あなたから話す立場にないということになると、それはどこから言うんですか。
  96. 鶴崎敏

    鶴崎政府委員 運輸省、あるいは国有財産を管理しておる大蔵省ということに相なるかと思います。
  97. 大出俊

    大出委員 では、それは留保しておきまして、あらためて運輸省、大蔵省においでをいただいて、ぎりぎりまで鶴崎さんお答えになりましたから、それもはっきりしていただきたいと思うのです。  そこで、ミッドウエーの関係でございますが、中国に日本大使館を設置をすることに関するこの法律、私はいままでいろいろ承りましたが、ベトナム以後の、あるいは日中国交回復以後の国際政局に対処する日本外交の方向というのは、一体どっちを向いていくのかという問題と非常に大きくからむ。ベトナム停戦後などをながめてみましても、一万トンからの弾薬を広から運んでいって平気でいる。そして、先般来いろいろやりとりがございましたような、何を一体中心に考えているのかさっぱりわけのわからぬ参議院における予算委員会のやりとりが出てくる。  こういうわけですが、こういう問題を締めくくりに承りたいのですが、ひとつその前の前提としてミッドウエーの問題。横須賀にいま、アメリカの駆逐艦なり、あるいは第七艦隊に関する艦船で、定着しておりますのはどんなものがございますか。ひとつ名前と艦名をあげていただきたいのです。
  98. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 定着と言われますと、ちょっとぴったり言うわけにはまいらないかと思いますけれども、横須賀に家族を居住させております米軍の艦船につきましては、第七艦隊の旗艦でありますオクラホマシティー、それから第十五駆逐隊を構成いたしまする駆逐艦六隻、それから第九揚陸隊というLSTの部隊、これが六隻でございます。
  99. 大出俊

    大出委員 これらの方々の家族は一体何百人、何百世帯、どういう形でいま横須賀においでになりますか。
  100. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 オクラホマシティーの乗り組み員の家族は約三百八十世帯、これが基地内に約三百、基地外に残り約八十というかっこうで居住いたしております。  それから、第十五駆逐隊の関係では、家族数が約六百世帯でございまして、ほとんどが基地内に居住いたしております。  それからLSTの乗り組み員の家族につきましては、これは現在調査中でございまして、ちょっと数字を持ち合わせておりません。
  101. 大出俊

    大出委員 ここにまた移ってくるんじゃないのですか。つまり本年の夏、この間、局長は六月ごろという言い方をいたしましたが、ミッドウエーの関連で、飛行隊関係方々が六百ぐらい移ってくるという状況じゃないんですか。
  102. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 飛行隊というのは、ちょっと私、念頭にございませんけれども、ミッドウエーの乗り組み員の家族は、この夏以降、横須賀並びにその周辺に居住をすることになる、こういうふうに承知いたしております。
  103. 大出俊

    大出委員 どのくらいな数になりますか。
  104. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 約千世帯というふうに心得ております。
  105. 大出俊

    大出委員 移駐するのは、まず一つ、「サンジエゴのミラマール基地の第151、161戦闘機中隊、6E写真偵察中隊第三分隊、ノースアイランドの115早期警戒空てい中隊、およびインペリアルビーチの戦闘支援第一ヘリ中隊、第二分隊に属するパイロット」、これは、いま局長お話しになっているサンジエゴの米海軍航空隊のパイロット六百人。なぜ来るかというと、「この海軍パイロットの日本への大量移駐は横須賀が米空母ミッドウエーの母港になるためとられた措置である」。これは昨年の十二月十五日でございますか、米海軍当局が発表いたしております。これは発表の中身です、いまの内容は。これはどういうことになりますか。うそを言っているわけじゃないでしょう。
  106. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 空母といたしましてミッドウエーは約七十五機を搭載する、こういうふうなことになっておりますので、ただ、約七十五機搭載されまする航空機の編成についてどういう内容になっておりますか承知いたしておりませんけれども、ただいま御指摘がありました各部隊については、その七十五機を編成すべき航空部隊なのか、それともまた別なものなのか、そこらについて私、資料を持ち合わせておりません。
  107. 大出俊

    大出委員 ここまで問題になっておるのに、そうのんきなことを言っていては困るじゃないですか。  もう一ぺん言いますから明確にしてください。アメリカの「海軍当局が十五日発表したところによると、サンジエゴの米海軍航空隊パイロット六百人」、これが来年の夏、つまりことしの夏、「日本へ移駐する。海軍のスポークスマンによれば、この海軍パイロットの日本への大量移駐は横須賀が米空母ミッドウエーの母港になるためとられた措置である」。移駐するのは「ミラマール基地の第151、161戦闘機中隊、6E写真偵察中隊第三分隊、ノースアイランドの115早期警戒空てい中隊、およびインペリアルビーチの戦闘支援第一ヘリ中隊、第二分隊に属するパイロット」、はっきりしているじゃないですか。あなた方より向こうのほうがはっきりものを言っている。あなたのほうで調べてください。ないじゃないんですから、こんなものは調べればすぐわかる。そうでしょう。
  108. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 調べます。
  109. 大出俊

    大出委員 返事してください。  そこで、これらの方々は、あらためて聞きますが、いつどういうかっこうで入ってくるか。いま基地内と基地外と分けてお話がございましたが、いま御説明があった、今日これだけたくさん駆逐艦が六隻もいる。そこにまた入ってくる。こういうかっこうになると、一体横須賀というものはどうなるのかということになる。  外務大臣は私の質問に対して、これは全くの恒久基地であり根拠地でないかと言ったところが、これは昔、外務省の東郷アメリカ局長以下何べんも答えていることですが、これに対して、いや空母一隻来るというのは別にそんなたいへんなことじゃないんだ、交代を早めるために家族を置いておくだけなんだとあなた方は答えている。そうではないのです。これはアメリカのベトナム以後における新極東戦略に基づく明確な中心的な位置づけなんです。ごまかしてはいけませんよ。どういう布陣でどう入ってくるのですか。
  110. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 ミッドウエーの乗り組み員の家族は、先ほど申し上げましたように、この夏ごろから横須賀周辺へ居住することになるわけでございますが、世帯数約千世帯ということでございまして、米軍施設区域内に住居が求められる者はそこに入り、施設区域内に居住できない家族は基地外に適宜民間との契約によって居住をする、こういうかっこうになるわけでございます。ミッドウエーそのものが一体いつごろ日本へ寄港することになるのかということにつきましては、これははっきりした情報はございませんけれども、いずれにせよ、現在本国へ回航いたしまして修理その他の手当てを行なっているというふうに承知いたしております。
  111. 大出俊

    大出委員 大臣に承りたいのですが、ベトナム撤兵後のアメリカの極東戦略は、これは中国との関係も多分にありますから聞くのですが、どういう配置、どういう再集約の形をとることになりますか。皆さんが、安保運用協議会ですか運用委員会ですか、先般日米安保協議委員会でおきめになった、制服の方々を入れたものを最近おやりになるそうでありますが、日本なり韓国なりタイなり、あるいはフィリピンなり、本日をもってアメリカのベトナム派遣の軍隊は解散をいたしまして、それぞれのところに引き揚げている。その再配置、再集約の状態というのは、新しい防衛線を構成するまぎれもないアメリカの新しい極東戦略です。ベトナムの今後の成り行きその他まで配慮をした、あるいはソビエトとの関係における新しいアメリカの戦略配置であります。その中の中心の日本に対する期待はたいへんに過大です。  そこらのこともあり、かつ経済問題もあり、アメリカ側の田中総理に対する訪米の申し入れもある。片やベトナム以後における国際的な政局の中で、ソビエトからのブレジネフ回答もある。あなたは昨年ソビエトにおいでになっている。たいへん多極化し、非常にむずかしいこの政治情勢になっているはずであります。一体、横須賀のミッドウエーの母港化というものを、そういう線上でどうとらえればいいのですか。
  112. 大平正芳

    大平国務大臣 私は大出さんのようにはとらえていないのであります。ミッドウエーという空母は、西太平洋水域におきまして活動いたしておる空母であると承知いたしておるわけでございまして、これがアメリカ本土へ帰って補給し休養するということには、相当時間、燃料その他の費消を伴うものと思うのでありまして、ミッドウエーの機能そのものには変化はございませんけれども、ミッドウエー乗り組み員の家族を横須賀周辺に住まいさせておきますと、補給あるいは回航に要する時間その他の経費が節約になるわけでございまして、機能それ自体について、それがためにアメリカの戦略がそれを基点にして変わるのだというような評価は、私はいたしていないのであります。   〔藤尾委員長代理退席、委員長着席〕  それから、ベトナム戦後のアメリカが、アジアのこの地域においてどういう軍事的な存在をとろうとしておるのか、これは私もさだかにいたしておりません。ただ、アメリカが言っておりますことは、いわゆるニクソン・ドクトリンということを世界に宣明いたしておるようでございますが、これは友好諸国とアメリカが結んでおりますいろんな約束は忠実に守るということが一つ。しかし、可能な限り軍事的なプレゼンスというものは整理縮小していくというような方向を言ったものと承知いたしておるのでありまして、ベトナムからアメリカが本日をもって完全に撤退するというようなことも、そのラインに沿っての措置であるように理解するのであります。今後、アジアのその他の地域におきまして、アメリカがどのように軍事的なプレゼンスをしぼってくるかということにつきましては、私はさだかにわかりませんけれども、大筋において、そういう方向においてアメリカが今後処置するのではないかと考えております。  それから第三に、わが国と一いたしましては、そういうことがあるなしにかかわらず、本委員会を中心に御論議をいただいておりますように、在日米軍基地というものにつきまして、これをどのように整理縮小してまいるかということを国民の立場で考えなければならぬ立場にあるわけでございます。今日のように土地問題が非常に緊張を呼んでまいりまして、とりわけ都会を中心に、あるいはその周辺地区におきまして、社会経済上、基地の存在ということが国民の生活、国民の経済、国民の感情との間におきまして非常な摩擦を呼んでおることは事実でございますので、政治の立場からできるだけこれを緩和し軽減してまいるような措置をとるということは、当然われわれの任務であると心得ておるわけでございます。したがって、サンクレメンテ日米首脳会談におきましても、またわれわれが一月に開きました日米協議委員会におきましても、在日米軍基地の整理縮小ということにつきまして、これから日米協議の上、沖繩を含めて進めてまいろうじゃないか、そういう大筋の合意を見ておるわけでございます。その合意の線を踏まえて、来たる四月十七日には安保運用協議会を開きまして、どういう段取りで今後それを推進してまいるか、そういうことについて協議を始めたいと思っておるわけでございます。
  113. 大出俊

    大出委員 私はそういうふうに考えていないと外務大臣おっしゃるのですからここではっきりさせたいのでありますが、いまアメリカの兵力が残っている地域というのは台湾日本、韓国、フィリピン、タイ、この四カ所が中心。したがってベトナム以後の状況というのは、この四カ所に集中的にいろいろな問題が起きている。そこで、台湾日本、韓国、フィリピン、タイ、ここにおるアメリカの兵力はいまどのくらいございますか。各国別に言ってください。
  114. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 わが国におきましては、沖繩を含めまして総数約六万五千。韓国が約四万、台湾が約八千、フィリピンが一万八千。それからタイが約四万五千。こういう数字でございます。
  115. 大出俊

    大出委員 多少の違いがありますが、台湾は八千、これはいいでしょう。日本が四万三千、韓国が約四万、フィリピンが一万五千、タイが四万九千、そのほかに海上兵力が六万七千。いま大河原局長おっしゃるのと、合わせまして大差ありませんが、合計をしてみますと、約二十五万の軍事力が再配置されている、また再配置される。在欧米軍というのはどのくらいあると思いますか。
  116. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 NATO軍約三十万でございます。
  117. 大出俊

    大出委員 在欧米軍は正確には今日約二十八万。そうすると、ベトナム以後におけるニクソン・ドクトリンの線上に配置をされる台湾日本、韓国・フィリピン、タイ、これが海上兵力六万七千を入れておおむね二十五万をちょっとこえる。そして海上兵力の中心が横須賀。沖繩には、唯一の極東米軍の緊急派遣部隊という意味での地上の部隊が第三海兵隊、こういうかっこうになっている。だからリチャードソン国防長官が最近いろいろな場所でものを言っております。英国あたりでも幾つも取り上げて書いています。そこらのことを総合してものを言いますと、明らかに日本の今日的状態にかける期待というのは非常に大きくなっている。これは新国防長官も言っている。日本は憲法の許す範囲における自衛力の増大につとめてもらいたい、母港化にも協力をしてもらいたい。さらに昨年四月の十一日でございますか、さきの国防長官は、輸送路の長い日本の石油輸送その他にもっと日本の自衛隊は寄与すべきであるということを言うようになる。これはベトナム化計画その他との関連が全部この中に集約されているのですよ。  そうなると、ミッドウエーの母港化というのは、単たる母港化ではない、極東戦略のキーストーン、つまりかなめ石なんですね。そうだとすると、これはいま外務大臣が、私はそう考えておりませんなどというものではない。そういう見方を当然横須賀の母港化についてはしなければならないし、あわせて安保とからむ。これは中国に行ってこられた外務大臣ですから、対中国との問題も出てくる。あなた方が言うようなことであるかどうかというようなことを含めまして、そういう位置づけになるわけでありますから、私は、ミッドウエーの問題は、単に兵員の交代の便益をはかるために認めたんだなんという前言はお取り消しを願いたい、いかがですか。
  118. 大平正芳

    大平国務大臣 大出委員の御見解は静かに拝聴したわけでございますけれども、私はそのように評価しないと申し上げたわけでございますので、たいへん残念ながら見解が違うということで御承知願いたいと思います。
  119. 大出俊

    大出委員 いずれにしても時間を新たにして詰めなければならない問題でございますけれども、いま私が申しております各国に配置されているニクソン・ドクトリンに基づく兵力のベトナム以後における再配置、これはいまニクソン・ドクトリンということばを外務大臣もお使いになりましたが、条約上の公約は守るという。たとえば安保条約に基づく共同戦闘行動なんというものは守るという。核のかさは貸すという。そのかわり、相手から攻撃を受けた場合に、第一義的に自国の軍隊が守る自助の原則というのがニクソン・ドクトリンの出発でしょう。だからベトナム化計画というものを中心に引いているのでしょう。ベトナムに対しても、今日までつぎ込んだ金が五十三億ドル。ベトナム化計画ですよ。その上に七四会計年度だけで十九億ドル計上している。これはたいへんなものです。だからチュー政権に、平和協定以後は自力で状況を打開しろ、そのかわり、チュー政権に不利な状況が出てくれば、地上軍の限界というものはあるので、ニクソン・ドクトリンに基づいて周辺の再配置の中で海上兵力を使う、航空兵力を使う、そういう体制でしょう。だから、にわかにミッドウエーは交代要員なんだから認めるということは、脱ベトナムという方向に行かなければならぬ日本ベトナム戦後の方針を誤ることになる。何で一体ベトナム戦争協力したのかといえば、それは安保条約がありますからしかたがありませんと、あなたは予算委員会で答えている。そうでしょう。そうではなくて、脱ベトナムの方向でなければならない。そうでなければ日中国交回復というものは意味をなさない、私どもはそう考えている。外務省の先輩の松本俊一さんなんか最近の論文でそう言っている。ベトナム問題は、いずれにしても中立政策というものをとるべきなんだ、そして脱ベトナムということで新しい道を選ぶべきなんだ、日本の外交に自主性がこれくらい求められることはないというふうに最近しりに書いておる。いま日本の置かれている立場というのはそういう非常にむずかしい中心点にいる、そう考えなければならない時期だと言っている。  そこで、時間の関係もありますから、もう一歩突っ込んで承りたいのですが、このミッドウエーに載っかっている飛行機はどんな種類が載っていますか。またその周辺の駆逐艦等が積んでいる攻撃兵器、代表的なものはどんなものがありますか。
  120. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 ミッドウエーの兵装につきましては、搭載機数七十五機ということは先ほど申し上げたとおりでございますけれども、その機種の内訳について、ただいま資料を持ち合わせておりませんので、ごかんべんいただきたいと思います。
  121. 大出俊

    大出委員 大体ミッドウエーにどんな飛行機が載っておって、六隻の駆逐艦に一体どんな攻撃兵器があるか。それはジェーン年鑑その他でも明らかにしておりますし、国際的にも明らかになっているものがたくさんありますし、アメリカ自身が発表しているものもある。そういう中で、ミッドウエーの存在、つまり第七艦隊におけるミッドウエーを中心とするタスクフォースなるものの存在はどういうものかということを正確につかもうとなさらぬ。ただ兵員の交代だなんていえないじゃないか。大体外務省何もおわかりにならない。お調べにもならないで、どういう機種の飛行機が載かっているかもわからないで、兵員の交代だけなんて、そんなことを言っていて世の中で相済みますか。大臣どうですか。
  122. 大平正芳

    大平国務大臣 外務省の任務は、安保条約並びに関連いたしました取りきめなるものを厳正に運営していくという任務を持っておるわけでございます。その場合、大出さんがおっしゃるように、いろいろな兵器、戦術、戦略等につきまして、必要にして十分な知識を私どもが持っておることは望ましいことで、かくありたいと思うのでございますけれども、私どもの能力は、そういう専門分野にわたりましては、よく徹底した理解を持っていないことは御指摘のとおりでございます。  そこで、しかしそれでは安保条約の適正な運用ができるかという御反論があろうかと思います。そこが今国会を通じましてしょっちゅう論議の種になりましたことも、私はよく承知をいたしておるわけでございますが、いやしくも安保条約並びに関連取りきめというものを日米間で結びました以上は、アメリカもまたこれに対して最大の注意を持ちまして、いささかの違反もあってはならないお立場を持たれておると思うのでありまするし、私はそれを確信するのであります。しかしながら、人間のやることでございまするから、安保条約上あるいは関連取りきめ上問題になるようなことが間々起こってまいりましたことは事実でございまして、私どもはそういう場合には、その実態を可能な限り究明いたしまして、いささかの疑念も残さないようにしなければならぬとつとめておるわけでございます。安保条約の番人といたしまして最善を尽くしていかなければならぬ責任があるので、今後も一そう努力していきたいということでございます。
  123. 大出俊

    大出委員 そういうことではいけないのですよ。そういうのを片肺というんだ。外務省は安保のことを考えていればいいんだといったら、安保の運用一つ誤ったら日本の国益はえらいことになる。その背景にあるのは、問題は軍事力をさしているのですから、ミッドウエーの母港化というのは、これは軍事力の上からながめて単なる母港化ではないという結論が出るのであって、では、何のために安保協議委員会外務省が出て、防衛庁が出るのですか。両方相関関係が明確になっているから出るのでしょう。そうでなければ意味がないじゃないですか、あなたが幾らそんなことを言ったって。  私が調べておる限り、第七艦隊というのは、通常、平時は百二十五隻、五十万トンといわれていた。搭載機は減ったりふえたり多少していますが、ただ搭載機というのは変わっていない。第七艦隊の搭載機のうちダグラスA3B、これはスカイウォリアーといっているのです。A4E、これはスカイホークです。A5Cというのはビジランティーです。A6A、これはイントルーダーです。F4B、これはファントム。この攻撃機はいずれも核爆弾搭載の可能性のある飛行機です。第七艦隊所属の攻撃機というのは多少減ったりふえたりするから、平均で言うよりしかたがありませんが、約七百機。そのうち核搭載可能な飛行機は約二百機あるのですよ。そして通常一機の核爆弾搭載量が百キロトンから二百キロトン。そうなると全部で二十メガトンから四十メガトンあるのですね。こうなるとこれは、広島型原爆は二十キロトンですから、その二千倍近い。フォレスタルという空母がアメリカにあります。これは戦後のアメリカの国防長官。この人は、ソビエトに対比してアメリカに核開発を進言して、ばく大な予算を要求してけ飛ばされて自殺されたのですがね。だから空母の名前にフォレスタルという名前がついている。ソビエトとの核のバランスを考えて、アメリカが核開発に早く手をつけなければいかぬと、しきりに力説をした人です。このフォレスタル級の航空母艦レインジャー号というのがあります。この一隻の核能力は、第二次大戦中に日本が消費した全火薬の十倍になるたいへんな核能力を持っているということになっている。これはもういまやまさに定説でしょう。先ほど私が聞いたらお答えがございませんけれども、第七艦隊自身の駆逐艦その他を含めて持っております攻撃型の兵器の中で、タロス、ターター、テリアなどの核ミサイル、それから九百キロの核爆弾あるいは四百五十キロの小型核爆弾、核魚雷というのも搭載をしています。こういうものが国際的な定説で、装備されている。これは昨年のソビエトの革命記念日に軍司令官みずからが、SALTの軍縮交渉が行なわれている一方、戦術核というものをほとんど装備しているということを明らかにしている。ソビエトの側がそういう装備をしているのにアメリカがしてないはずはない。あたりまえじゃないですか。そうだとすると、半年も国を離れたミッドウエーを中心に六隻もの駆逐艦がこれを取り巻いて横須賀に定着しておる。核搭載可能な艦載機が山のように配置をされている。  そうなると、この母港化というのは、核の問題の安全性というものを、取りきめられた日数に従ってあなた方は一体確認できるのかどうか。これは国民ひとしく心配するのはあたりまえだ。それだけ大きな戦力が横須賀に集中をするということは一体何を意味するのか。まさに沖繩の海兵隊とともに、岩国の海兵隊とともに、ベトナム戦後におけるアメリカの新しい極東戦略配置のキーストーンですよ。中心的な存在じゃないですか。ミッドウエーを中心とするこれらの核兵器搭載可能な飛行機、核というものに対して、あなたは一体アメリカ側とこの問題について折衝したことがありますか、ミッドウエーの母港化をめぐって。大臣どうですか。
  124. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 ミッドウエーの母港化に関連いたしまして、私どもといたしましては、ジェーンの海軍年鑑にミッドウエーは核搭載可能な航空母艦であるということを記載してありますことを十分念頭に置きまして、米側に対しましてその点の注意を喚起いたしまして、米側といたしましては、事前協議に関する従来の了解を十分承知しておるし、日本側の意思に反した措置をとることのないという従来の約束も十分承知しておる、ということをはっきり申しておるわけであります。
  125. 大出俊

    大出委員 旧来の原子力潜水艦の核搭載の可能性について、私が何べんも指摘をするたびに、前の愛知外務大臣は、これはもう理論的にそうならざるを得ぬと言って、委員会で論議のしようがなくなって、アメリカと折衝します、報告しますと言いながら、さっぱり報告しない。沖繩国会のときに私は、佐藤総理に、福田外務大臣のときに、原子力潜水艦の核の問題で質問した。これもそのまま。防衛庁の防衛局長がお答えになって、沖繩には、まだ返還前でございますから、原子力潜水艦は核搭載をしている可能性が十分あるじゃないか、ある、それじゃ沖繩から本土まで何キロあるのだ、みごとにキロ数御存じでした。そうすると、原子力潜水艦の速度からいって、沖繩に何日に入って横須賀に何日に入っている同じ艦名の原子力潜水艦、直行したことに間違いないじゃないか、そうだと思います、それなら積んで入ってきたことになるじゃありませんか、これは答弁できない。そういうことがいままで何べんも続いて、あなた方はお答えにならぬ。局長大河原さんがアメリカ側に注意を喚起したら、そういうことはないと言ったという。ないと言っただけでものごとがおさまる筋合いのものじゃない。半年もミッドウエーは横須賀におるのじゃない、母港化されれば。もう少しあなた方は、こういうわけだからそうなりませんというように、確たる——私どもは資料に基づいてものを言っているのだから、ジェーン年鑑まで引き合いに出さなくたって、アメリカだって発表している。議事録を私は持っています。ここにちゃんとあります。アメリカ議会だって何べんだってちゃんと議論しているのです。そういういいかげんなことを言っちゃいけませんよ。  それじゃあなた方は、ミッドウエーが半年横須賀に六隻の駆逐艦と一緒におるその場合に、核兵器の搭載可能性は全くない、アメリカがそう言ったということだけで事は済みますか。単に原子力潜水艦が出たり入ったりしているだけじゃない、定着をするのだから。それならば国民を納得せしむるに足る資料をあなた方は出してください。
  126. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 ただいま、ミッドウエーが横須賀にたとえば年間六カ月定着する、こういう趣旨のことを御発言がございましたけれども、ミッドウエーの実際の行動といたしましては、西太平洋地域を担当する第七艦隊麾下の艦船として西太平洋地域をおそらく行動するのが主任務であり、横須賀にはその間においてときどき寄港というかっこうをとることになると思われ、いずれにいたしましても、ミッドウエーそのものが横須賀に定着するという形の運航は行なわれないものというふうに考えております。
  127. 大出俊

    大出委員 そういうわけのわからぬことを言ったって意味ないじゃないですか。ミッドウエーが何も横須賀の港に六カ月間じっといる、そんなことをだれも言っていませんよ。アメリカに、本国に帰る予定がない、これも明確なんです。第七艦隊にある空母の数もはっきり明確です。交代は六カ月なんだ。だからその六カ月間の行動を予定して、横須賀に母港を置いてくれと言っているのでしょう。そうだとすれば、六カ月間本国を離れて出てきているミッドウエー以下のタスクフォースになりますか。あなた方はグループというのかもしらぬけれども。だとすれば、それが核の搭載を全く抜きに、六カ月ちょいちょい来るにしても、西太平洋水域を歩いているものがそんなばかなことはあり得ないじゃないか。SALT交渉の中だって、ソビエトの艦船搭載の核についてアメリカ国内でもそれが指摘されて、いまやまさに核バランスがソビエトのほうが大きくなっている、SALT交渉というものの側面でそれをどういうふうに考えるのだということが大きな政治課題になっている。そんなことはSALT交渉の経過を述べている世界週報なんかにも詳しく、載っているじゃないですか。だから、ソビエト側がそういう状況にあるのに、アメリカ側が黙って核は置いてきましたということで済みますか。幾つも資料がありますよ。これなんかだってそうじゃないですか。  これもアメリカの新聞等にありまして、またジャパンタイムズ等に載りましたから調べた。一九七一年十月七日と比較的新しい。確かめたところが、明確になっている。どういう中身かというと、「FB111爆撃機出撃準備態制に」ということで、向う側で発表している。「ネブラスカ州オマハ−米戦略空軍(SAC)は火曜日に当地の司令部において次のように発表した。可変翼超音速爆撃機FB111が米核抑止力の任務の一部の引き継ぎを開始をしている。総計約五キロトンの威力を持つ六個の核爆弾を装備したFB111が少なくとも十二機、合衆国の北東部にある戦略空軍基地(複数)で地上待機している。爆弾のうち四個は爆弾倉に搭載されているが、残り二個は両主翼の下面外部に装備されている。爆撃機にニューハンプシャー州ポーツマスのピース空軍基地及びランドルフの南六十マイルのニューヨーク北部にあるプラッツバーグ空軍基地の待機所で出撃準備態勢に置かれている。戦略空軍は火曜日にFB111部隊の一部が米軍及びNATO軍のすべての単一統合作戦計画として知られている合衆国核戦争計画に書き込まれていることを認めた」、こうなっておる。これはロイター通信で送ってこられた、これは日本のジャパンタイムズに載っている。これはたくさん資料がありますよ。  アメリカの核戦略というものは、皆さん考えられているようなのんきなものじゃない。あなた方は、このミッドウエーの寄港というものを認めるという前提に立つならば、そこらのことについて、詳細に、あなた方はあなた方自身で、こうなっているんだという核戦略全体をながめてみて、国民を説得し得る立場をおとりにならなければ、大きな問題が現地で起こるだけじゃないですか。いまから、ミッドウエーが入ってくれば、相当な騒ぎが起こることは目に見えているじゃないですか。それを、注意を喚起したらそんなことはないと言ったと、そう言うわけです。そんなことで済ませる筋合いじゃないじゃないですか。大臣いかがですか。
  128. 大平正芳

    大平国務大臣 横須賀にミッドウエー乗り組み員の家族の居住を認めるということが本日の主題なんでございますが、ミッドウエーは、御案内のように、過去におきまして、佐世保にも入り横須賀にも入った経緯があるわけでございます。この空母は西太平洋水域におきまして一定の任務を持って行動しておると承知いたしおるわけでございます。それが、アメリカの基地に回航して行動するか、横須賀で休養ないし補給をして行動するかという違いでございまして、ミッドウエー自体の持っておる役割り、機能というものに変更がないというように私は評価しておるということは、先ほど御答弁申し上げたとおりでございます。  第二点といたしまして、その問題から発展いたしまして、核兵器の持ち込み問題というものに議論が移っていったようでございますけれども、この問題につきましては、先ほど私が申し上げましたとおり、日米間にはかたい約束があるわけでございますので、この約束をアメリカがゆめゆめ破るようなことはない、そういうことをしておったら、アメリカ自体が世界にその権威を失うわけでございますし、アメリカがわれわれにかたく約束をしておることを、日米友好のきずなの上に立ちまして信頼をしないなんということでございますならば、私は日本の外交なんかできないと思うのであります。したがいまして、その点につきましては、政府を御信頼いただき、また政府のそういう確信につきまして御信頼をいただきたいと思うのでございまするが、万一疑点になる点がございますならば御照会をいただき、政府としても可能な限り実態を究明いたしまして、国民の疑惑を解消せなければならぬというようにつとめてきておるわけでございます。今後もつとめてまいらなければならぬと思います。
  129. 大出俊

    大出委員 核問題は、愛知さんが外務大臣のときに、また福田さんが外務大臣のときに幾つか私が申し上げましたように、よほど周辺を詰めて時間を考えながら質問しませんと、いつもあなた方は、いまのような、アメリカを信頼いたします、信じなさいという形の答弁にしかならぬ。それしかあなた方に手がない。立ち入り調査ができるわけじゃない。私はまだいろいろ資料がありますけれども、あらためてこの問題はじっくり詰めたいと思っております。  これはもちろんあなた方も、世界に信頼を失うだろうと言ったって、持ち込みをやかましく言っているのは日本だけでしょう。原子力基本法なんというものがあって、平和利用以外に認めない。非核三原則という政策をとらざるを得ない。そういう国は日本だけですよ。英国にしても、あるいはギリシアなんかにも母港がありますけれども、何も核を持ってくることに反対はしていない。日本という特殊事情によって取りきめが行なわれただけでしょう。そうかといって、アメリカの艦船は、日本だからといってそのときだけどこかではずしてくる、そんな器用なことはしないでしょう。わからないというだけにすぎない。だから政府のほうもそういう意味で、信頼をするというのではなくて、あってはならぬことなんだから、そういう角度からあなた方も調査をするところはしなければいかぬじゃないですか。聞いてみれば、何が載っかっているか全くわからぬなんということではしようがないじゃないですか。そこら、あなた方のほうで、先ほど局長の言っておった、わからぬという点についてはお調べください。何が載っかっておるかわからぬというのじゃ困るじゃないですか。
  130. 大平正芳

    大平国務大臣 いまも私が御答弁申し上げましたように、疑点がございますならば御提示いただいて、私どもが究明いたしましてお答えするということは、いつの場合でもいたしますから、お申し出をいただきたいと思います。
  131. 大出俊

    大出委員 あとはひとつ個々の問題をぽんぽんと聞きますので、お答えをいただきたいのでありますが、日本台湾関係はいまどうなっておりますか。日本人台湾にある資産というものはどれくらいございますか。それから、どのくらいの日本人の往復が今日ございますか。昨年、私、資料を出していただいたことがあるんでありますけれども、昨年は、昨年中に何とか覚書を台湾との間になんというようなことでしたが、ただ、日中国交回復以後の状況として、中国側に対する配慮ということもあって、たいへん苦慮しておるようなお話をなさっておりましたが、最近、与党の諸君の中にも、台湾関係に近い方が集まって、一つは、中国大使館場所等について、国府大使館あとに持っていくのはどうもけしからぬと、国府の要人もお呼びになったりしたようでありますけれども、そういう問題が表に出てまいりましたり、外務大臣に申し入れて、外務大臣を呼ぶという話が出てまいりましたりいたしております。ここらの台湾との関係というのはどうとらえておいでになりますか。国交はまさにないはずでありますが、そこのところはいかがでございますか。
  132. 吉田健三

    ○吉田(健)政府委員 冒頭に御質問のございました人の往来に関しまして数字を申し上げます。  四十七年度、昨年度に日本から台湾へ参りました数は二十七万七千人くらいでございます。それから、先方から日本に参りました数は五万百三十人という統計がございます。
  133. 大出俊

    大出委員 いま私、幾つか聞いたのですが、口が早いのでおわかりにならなかったのかもしれませんが、資産というのは台湾にどのくらいございますか。私の足元の京三製作所なんという会社は台湾に会社をつくっております。その種の資産はどのくらいございますか。投下資本。
  134. 吉田健三

    ○吉田(健)政府委員 現在延べ払いで向こうのほうに出ております輸出保険の数字から見ますと約一億五千万ドル、それから直接投資をしておりますのが九千八百万ドルぐらいでございます。
  135. 大出俊

    大出委員 これらの資産については、一体外務省としてはどういうふうにお考えでございますか、将来の問題として。
  136. 吉田健三

    ○吉田(健)政府委員 これは民間の経済活動でございまして、できる限り日中共同声明をそこなわない範囲で事業関係を維持していくという基本方針の中で、そういう活動が続けられていくということであろうと思います。
  137. 大出俊

    大出委員 この延べ払いにしろ投下資本にしろ、減っていく傾向にございますか。
  138. 吉田健三

    ○吉田(健)政府委員 最近の新しい数字はちょっといま手元にございませんが、最近は減っておるのではなかろうかと思います。
  139. 大出俊

    大出委員 という関係の上に立って、これは外務大臣に承りたいのですが、減っておるにいたしましても、日本人資産はある。片や御自分でおいでになった日中国交回復という問題、台湾位置づけという問題についても明らかになさっておる。そういう間にあって、どう対処しようとお考えでございますか。
  140. 大平正芳

    大平国務大臣 日本と中国との間の国交問題につきまして、北京政府を中国を代表する政府であるという意味で、私どもはそういうたてまえで国交を結んだわけでございます。つまり中国との間の政府政府との関係は、北京政府東京政府との間にだけあるわけでございます。したがって、台湾との関係におきまして、台湾政府日本政府との間に何らの関係を持ち得ない立場にあるわけでございますので、従来ございました、たとえば政府政府との間の円借款というような、そういうようなものは結べなくなったのでございます。  しかしながら、すでに御承知のように、そしていまアジア局長からも御報告がございましたような、たいへん濃密な各般にわたりましての関係は民間レベルで繰り広げられておるわけでございまして、過去においてそうでございましたし、現在もそうでございますし、予想し得る限りにおきまして、将来もそうであろうと思われるのでございまして、国交はございませんけれども台湾日本との間の国交以外のあらゆる実務的な関係はこれを維持していきたいものだという希望をわれわれは持っておるわけでございます。そのことにつきまして、北京政府もある程度の理解を持っておられるものと私は信じます。  したがって、そういう実務関係が濃密にある場合に、第三国の外交保護権のもとに日台関係をお願いするといたしましても、これは頼まれたほうはたいへんなことでございまして、世界で台湾にとりましては一番濃密な関係がある日本でございますから、これを処理するということは容易ならぬことでございますので、私どもは民間レベルでいろいろの実務関係を処理して、先方の政府との間におきましてもいろいろの措置をはかっていただく民間レベルの接触母体というものをつくらせていただいたわけでございまして、その母体を媒体にいたしまして今日まで、多少の不便がございますけれども、日台関係の実務関係の維持に成功してきたわけでございます。この仕組みは、どう考えてみましても、こういう仕組みでやるよりほかに道がないわけでございますので、中国側にも御理解をいただきまして、今後もこういうことで維持してまいりたいということを念願しておる次第でございます。
  141. 大出俊

    大出委員 私は、北京大使館設置等をめぐって何を申し上げたいかというと、外務大臣おいでになってよく御存じのことでございますが、日中共同声明をお出しになって国交を回復されたわけでありますから、あくまでもこの筋道はますます太くしていかなければいけませんし、そういう路線を通していただきたいという気がまず一点ございまして、だとすると、いろんな動きが目につくわけでありますけれども、この筋にはずれることについては、政府はき然とした態度をおとりをいただかなければならぬ。だからその意味で、台湾にはいま承りましたように資産その他がございますが、これは国交のない国との間における事実上の政府という意味におけるやりとりは今日もあるわけでございまして、やはりそういう範囲で、この個人資産その他をめぐって、政府の可能な限りの努力をするということが必要なのではないかと思っておるわけでありますが、そこらのことはきちっと位置づけをしておいていただきませんと、たとえば航空協定その他の問題をめぐりましても、台湾との航空路線は、中国側の言う言い方によりまして、羽田で一緒に二つの国のマークのついた飛行機がはち合わせをしてはという話が出てくるわけでありますから、そこらの問題をめぐってもいろいろな問題が出てくる。だから外務省は、これをどう割り切って対処するのかという点ははっきりしていただきたい。  そういう意味で承っているわけでありますが、事実上の政府ということで国交はない。そういう日本との関係の国はある。その範囲を出られない、筋としてこういうことになるのではないかと私は思っている。あわせてひとつ、いまの日中航空協定問題等をめぐって幾つか委員会を通じてもお答えがあるようでありますが、現状を一体どう考えておられるかということと、台湾との関係を踏まえて将来どういうふうにおやりになるのか。一つ間違えばトラブルが起りかねない。台湾の領空に入ってきた場合にただじゃおかないというようなことを読み上げてもしかたがありませんが、言うている方も台湾政府の側にはおる。そこらを踏まえてどういうふうに理解をすればよろしゅうございますか。
  142. 大平正芳

    大平国務大臣 先ほど私が申し上げたとおりでございまして、国交は中華人民共和国政府と結んでおるわけでございまして、それと背馳しない範囲におきまして台湾との実務関係は維持したいということでございまして、問題は、そういうたてまえで国交正常化後今日までやってまいったのでございまして、今後もそれ以外にやり方がないわけでございます。中国の二つの政府を認めるということはできない筋合いのものでございますので、それ以外にもうやり方がないのでございますので、中国、台湾、各方面の理解を得ながら誠心誠意これを維持してまいるということを信条といたしまして努力してまいってきたし、また努力していかなければならぬと思っております。
  143. 三原朝雄

    三原委員長 大出委員にお願いいたしますが、先ほどの御質問に対するアジア局長のお答えの中で、数字の訂正をいたしたいという申し出がありますので、許したいと思います。アジア局長
  144. 吉田健三

    ○吉田(健)政府委員 人の往来の数字はあのままでけっこうでありますが、資産の件に関しまして、延べ払い信用残高が約一億五千万ドルと申し上げましたのは、一億九千五百万ドルの間違いでございます。それから民間の直接投資の残高は九千八百万ドルと申し上げたと思いますが、九千三百万ドルの間違いでございますので、おわびかたがた訂正申し上げておきます。
  145. 大出俊

    大出委員 航空協定その他をめぐって非常にむずかしい日本政府の立場もあるしすることであろうと思うわけでありますが、やはりあくまでも筋は筋で通していただかなければならない、こういうふうに思うわけでありまして、非常に微妙なところがありますから、聞きたいことが実はいろいろあるのでありますけれども、この点は先に延ばしたいと思うのであります。  もう一つここで、三宅南東アジア第一課長のハノイ訪問の問題がございます。どうもどういうふうに考えておられるのかという視点が明らかでないように、諸種の発表記事その他をながめてみまして考えるわけでありますが、これは三月の十五日に北ベトナムのパリ総代表からの中山フランス大使あての連絡のようでありますが、これは公式派遣になるだろうと思うのですね。昨年の二月においでになったのは、これは非公式でございましょう。公式派遣となりますと、これはどういう目的を持っておいでになるのか、これが第一点。  そして平和協定その他の関連でございますけれども、時間もありませんから端的に承りますが、ここまでくると、当然北ベトナムとの、これは日本の過去を振り返って、当然日本責任もありますが、そういう意味で国交回復という問題も日程にのぼってきていいのではないか、こう考えるわけでありますが、時間の関係で、いろいろ調べてみましたが多くを申し上げませんが、まずその二つについてお答えいただきたいのであります。
  146. 大平正芳

    大平国務大臣 三宅課長は公的な資格をもって北越に接触を持つわけでございます。  第二点といたしまして、その任務は、御承知のように、和平協定なるものができたという新しい局面がございまして、この和平協定には、第一条は全ベトナムの統一という究極の道標がうたわれておるわけでございますが、第二条で経過的に南越の民族自決権というものを尊重してサイゴン政府と臨時革命政府と第三勢力が加わって和解評議会なるものをつくって、南ベトナムの政治形態をいまからあみ出すというブループリントがあるわけでございます。つまり、そういう新しい状況を踏まえまして、各国におきましても、南ベトナム政府と国交を持ちながら北越政府とも国交を持つ国がふえてきておるわけでございまして、そういう状況でございますので、わが国といたしましては、いままで、南ベトナム政府を全ベトナムを代表する政府というたてまえにおきまして、賠償協定も結びましたし、いろいろのことをやってまいったわけでございますが、そういう荷物を持った日本が北越と今後どういうおつき合いをしてまいるのがよろしいかという問題につきまして、前提を抜きにいたしまして北越側の意向を十分聞きただしてくるようにと、そしてそういう意向も十分踏まえた上で、日本政府といたしまして、北越との取り組み方につきまして考えさしていただきたいと思いまして、ノンコミッタルといいますか、ざっくばらんにひとつ話をしてきてもらいたいというのが私の念願でございまして、それを踏まえた上で、いま今後の国交問題というようなものも考えてみたいと思っておるわけでございます。
  147. 大出俊

    大出委員 あわせて、この連絡のありました日でございますか、予備費支出の形で四十七年度予算から五億円支出をおきめになりましたね、次官会議で。四十八年度予算では人道援助費の形で十億円組まれておりますね。この五億円は、IOG、インドシナ救援グループがございますから、ここが使うのかもしらぬと思いますけれども、どうもわが国の過去を背負っておる歴史的背景から見て、五億円、やれ十億円という金は、あまりといえばどうも少額に過ぎるのではないかという気がする。  なぜこうなったかという点と、もう一つは、これは全ベトナムを対象にということでございますね。そうなると、これは南のいまお話しの臨時革命政府等との関係は一体どう考えるか。これは外務省としてはどうも歯切れが悪いのでありますけれども、まず基本的にどうお考えになっているのか。いまやまさに南においても一つ政府だけではないと、こういう御発言がございますけれどもそこらのところはどうお考えですか。
  148. 大平正芳

    大平国務大臣 この間の本年度の予備金支出として五億円をお願いいたしましたのは、国際赤十字社からの要請に基づきまして、国際赤十字社が全部で四十二億円にのぼる人道援助のもくろみを立てられまして、日本側に要請がありましたので、その一部でございまする五億円をさしあたり差し上げたわけでございまして、この処分は国際赤十字社に一任するわけでございます。ベトナム全域にわたって、国際赤十字を信頼いたしまして、緊急の人道援助の目的に御使用いただけるものと期待いたしておるわけでございます。今年度、四十八年度の予算にはとりあえず十億円の援助を計上いたしてあるわけでございますけれども、これは全くどういう要請がどこから幾らあるかというようなことが全然見当がつかないときでございましたので、とりあえず十億円、緊急人道援助という姿で予算に要求しておいたわけでございます。しかし、これが足らないというような場合におきましては、財政当局に前もって御了解を得てありまして、四十八年度の一般会計の予備費の中であるいは追加をお願いするかもしれないという留保をしてちょだいいたしておるわけでございます。しかし、ベトナム全域、あるいはインドシナ半島全体の復興援助あるいは開発援助というようなことになりますと、これは非常に大がかりな仕事になるわけでございまして、そのためには、まず当事者である諸国がどのように考えますか、どういう要請を出すか、アメリカはじめその他の国々がどういう態様を示しますか、国連がその間に処してどういう措置をしますか、その辺の事情は十分吟味しながら、日本の一般的な方針といたしましては、応分の寄与はしなければなるまいと考えておりますけれども、いま具体的にこういう方法で幾ら援助するというようなことはきめていないわけでございまして、今後の推移に待たなければならないと考えております。  それから、援助の対象といたしましてベトナム全域を考えておるということは、たびたび国会を通じて申し上げておるわけでございます。今後もそういう方針でいきたいと思うのでございます。したがって、たとえば国際赤十字社みたいなニュートラルな機関がやりますと、比較的問題は簡単だろうと思うのでございますが、政府政府との間でやるとなりますと、いま関係を持っておるのはサイゴン政府でございます。で、北越と今後どういう取り結び方をしますか、これはこれからの課題であろうかと思うのでございますが、問題は臨時革命政府なんです。臨時革命政府とは日本は外交関係を持つつもりはないのです。なぜならば、南越ということの民族自決権を尊重して、今後臨時革命政府とサイゴン政府とで相談しまして一つの政治形態を考えようということになっているわけでございまして、サイゴン政府を認めながら臨時革命政府ともつき合うという国はほとんどないわけでございます。私どもは、サイゴン政府を従来から認めてき、今後も友好関係を保っていきたいと思いますが、サイゴン政府にかりに援助するという場合におきましても、これは、サイゴン政府と臨時革命政府が、パリ協定のベースにおきまして、南ベトナムで新しい政治形態をつくろうというようなことでございますから、当然、南越側におきまして十分協議を遂げて、全域に渡るように配慮していただくべき性質のものであろうと思うのでございます。しかし、これはまだそういう話がありませんから、具体的なケースにはなっていないわけでございます。
  149. 大出俊

    大出委員 たいへん時間をとって恐縮なんですが、中心点をもう一つ念のために聞きたいのですが、法眼次官のこと、これは私ずっとあとを追って調べてみまして、こうころころと変わられると、うっかり質問してどこを取っつかまえていいのかわからぬ。ネコの目というけれども、ネコの目よりまだ変わる。何の目というんですかな、これは。  これは田君の質問だと思うのですが、田中法務大臣が、入国を受け入れる用意がある。これは新聞にもそう出ておりましたし、調べてみたらはっきりしている、グエン・バン・チェン氏がもし入国を申請をしたらという前提で。二階堂長官がこれを否定しまして、具体的な入国申請があった場合はケース・バイ・ケースで検討するという政府のたてまえは変わっていないと、今度はこう言ったんですね。越えて二十六日になりますと、再度、官房長官から、政府の基本姿勢は田中発言どおりだと直した。ところが同じ日に、今度は外務次官法眼氏は、いま入国申請が出ても認められないと、いまが入っていますね、確かに。これは公式に打ち消したんですね。そうすると大平さん、あなた二十七日に、田中発言を侵犯しないという意味で、またこれを撤回された。法眼さんの話した中身というのを記者の方に聞いてみた。中身は、日本はサイゴン政府だけを認めているので、サイゴン政権に援助すれば南ベトナム全土に援助が行くたてまえになっておる。これはふしぎな話だと思うのですが。そこで、復興援助なり何なり、臨時革命政府の場合は、未承認だが政府の存在を認める北ベトナム、東独、北朝鮮の場合と違って、たとえば復興援助要請の入国でも認められない、こう言っておられるわけですね。私はだから聞きたいのですけれども、これは外務省考えておる本音じゃないですか。そうだとすれば、いまパリ交渉が続いておりますけれども、和解評議会なりあるいは統一政府なりというものをつくるということは、かりにできるとしてもたいへん先であろうし、できないであろう、そこに中心がある。そういう感じがする。  ずっと経過を追って、私、事こまかに一々立ち会った方に聞いてみた。ずいぶん用意周到に聞いてみた。ただ、これをやっていますと時間がたいへん長くなるから、いま抜き出してポイントだけ言っているのですが、ノートが一冊できそうなぐあいになる。ところがずっと経過をたどって、そこにおられた方々に、言われたことを一々聞いていってみると、そういう結論にしかならない。だからネコの目のように変わる。が、しかし、これは単なる国際的なもの笑いどころじゃない。一体何が本心かということだけははっきりしておいてもらわぬと困る。そこで何が本心かということを突き詰めると、最近の法務省の態度というのは、とかくワクを広げて考え始めているように見える。あるいは、だからそういう空気に乗って、田中法務大臣が、伊三次さんがそう言ったかもしれぬ。ところが外務省は、ベトナム以後、平和協定は全面的にそれを受け入れたい、認めたいと言っておられるのだけれども、どうもサイゴン政府は事実上の政府としても認めない、おそらく話し合ってもまとまらぬだろう、あるいはまとまるとしてもたいへん先なんだろうという、つまり政府の基本的な姿勢は従前と一切変わっていない。こういうことになると思うのですが、本心は一体どこにあるのですか。
  150. 大平正芳

    大平国務大臣 いまの御発言からも、また新聞紙上も、政府考えが二転、三転したというような印象を持たれておるようでございますが、政府はそんなに二転も三転もしていないのです。問題は、ベトナムというところがなかなか複雑でして、それをいろいろかみ分けて御説明を申し上げないと、なかなか御理解いただくことがむずかしいと思うのでございますけれども、一口で申しますと、本音は、つまり、たびたび国会を通じて申し上げておりますように、日本政府は、今後インドシナ政策を考える場合に、パリ協定というのをベースにしますということを申し上げておるわけです。パリ協定は、アメリカをはじめすべての国、いわば当事国がみなそれに対して責任を持っておるばかりじゃなく、世界のすべての国が、これを尊重してベトナムの平和を定着させようというわけでございますから、日本もこれを尊重して、それをベースにいたしますということでございます。したがって、入国の問題とか援助問題とかいろいろな問題がありますね。すべての問題の取り扱いにパリ協定という屋根がかぶっているんです。これは田中法務大臣がいろいろなことを考えなければならぬというようなところで、ちょっと接点で触れておられるわけなんです。  それで、私どもの判断は、これからインドシナ政策を考える場合に、入国の問題がありましても、その他の問題がございましても、パリ協定という鏡に照らしまして、それで是非をきめていきたいということでございまして、田中法務大臣は相当ポジティブな姿勢が出ておるし、それから法眼君の場合はややネガティブな姿勢が出ておるのでございますけれども、土俵はちゃんとパリ協定というものを踏まえて言っておるわけでございますので、政府の本音はと聞かれれば、パリ協定に照らして考えていくんですという大前提に立っておるんだということを御理解いただきたいと思うのであります。  パリ協定が今後どのように定着していくかということにつきまして、法眼君はやや主観的な見通しめいたものを言ったので、それはいろいろな主観があり得るわけで、政府としてはまだそういうことを言う段階ではございませんので、そういう点は、ぼくは訂正させていただこうというようにいたしたわけでございます。いやしくも国会で国務大臣が御発言になったことでございまして、精細に吟味しましたが、まあこの御答弁で大きな破綻はなかろう。いま申しました筋から申しまして、それだから、これの訂正を求めたり、あるいは撤回を求めたりすることは、政府としてしないということをきめたわけでございまして、決して二転、三転しておるという性質のものではないので、つまり、ベースメントにパリ協定があるんだということでお考えいただければ、どの発言も決して、必要にして非常に十分な発言とは言えないのですが、舌足らずとかいろいろあるのでございますが、このベトナムの事態そのものが非常に複雑なんでありまして、あれを説明しようと思うと非常に長くなっちゃうわけなんで、それを簡単な答弁でやろうとすると、御疑問になるような点が起こるわけでございますが、そういう点は、そういう趣旨のものであるという意味で御理解をいただきたいと思います。
  151. 大出俊

    大出委員 くどいようですが、これは今後の問題全般にそれこそかぶっていきますからね。もう一点だけ承りたいのですか、念のために申し上げますが、法眼さんの説明は、日本はサイゴン政府だけを認めているので、サイゴン政府の援助をすれば南ベトナム全土に援助は広がっていく、援助が行くたてまえになっておる。臨時革命政府の場合は、未承認だが政府の存在を認めておる北ベトナム、東独、北朝鮮の場合と違って、たとえばそれが復興援助要請の入国でも認められないと、たいへんきびしいのです。認められないと言っているのです。ところが、二十七日の田中法務大臣の記者会見、あなたがいろいろ話して、一件落着していませんが、それに近いところの記者会見、これで再度何と言っているかというと、復興援助要請の目的ならグエン・バン・チェン氏のような人物に限って受け入れる用意がある。その点を強調されたと言っているのです、聞いた方は。これは、北朝鮮だのあるいは東ドイツ、北ベトナムなどを引き合いに出して、こういう事実上の政府ということを認めない、だから復興援助要請の入国でもだめだと、ずいぶんこれははっきりしている。法眼さんの話は単なる主観じゃない。田中法務大臣のほうの話は、復興援助要請という目的なら、グエン・バン・チェン氏のような人物に限って受け入れる用意があることを強調しているのです。二十七日ですよ、これは。そうすると、いまあなたは、みんな屋根がかぶっていて、いろいろなところで言っているんだと言うけれども、明確にそれは正反対なものだ、考え方は。これでは幾らいまの説明を聞いてもわかるはずはない。どっちなんだと聞いている。やっぱりどっちなんだと私は聞かざるを得ないのです、これははっきりしないのですから。その根底には政府の基本的な立場、態度というものがある。そうでしょう。だから私は、舌足らず、あるいはポジティブ、ネガティブという意味の、あるいは言い過ぎ、言い足りないというような、あるいはことばの継ぎはしという問題じゃない。その一番根っこに一体何があるのかということです。  だから私は、冒頭に言ったように、臨時革命政府というものは認めたくないという腹があるんじゃないか、あなた方に。それは、和解評議会あるいは統一政府をつくる、第三者を入れて交渉が行なわれている、それに対する視点が違うんじゃないか。あるいはアメリカ側の認識もあるかもしれぬ。いち早くキッシンジャー氏は北に入っていった。そしてなかなかやることが早い。いにしえにもそういうことがあった、国際的な歴史の中に。復興援助に関する経済の合同委員会のようなものをキッシンジャー氏は北ベトナムとの間で合意したような形にして帰ってきている。あるいは急速にこれは進むかもしれぬ。いまのベトナムのこの紛争の一番根底にあるのは民族運動だとすれば、進む可能性は多分にある。そうすると、そこで非常に大きな日本の外交というものとのまた違いが出てきかねない、頭越しの米中会談と同じように。そういうふうに私は思いますので、いまの点は、いま申し上げた二人の方、これも末端の方が言ったのじゃない。外務省に長くおられた専門家の立場で法眼さんは言っておられる。これは正直じゃないかと思う。田中さんも言っている。これもあるいは正直じゃないかと思う。そうすると、まん中でとろうと言って、だいぶ向こうが複雑だからとあなたは言うけれども、よっぽどあなた方のほうが複雑だ。これはあなた、向こうに預けちゃいけないですよ。そうでしょう。あなたは事実上認めないと言っているのだから、臨時革命政府は。ならば一体どっちなんだ、はっきりしてください。
  152. 大平正芳

    大平国務大臣 根本はパリ協定をベースに考えるということです。やはりパリ協定との関連がなければ認められない、パリ協定があれば認めるということでございまして、だから法眼君の場合も、田中法務大臣の場合も、大前提というのがそこに関連して申し上げていただいておりませんから、あたが言われるような非常に違ったニュアンスが出ているように思いますけれども、私は先ほど申しましたように、そういう御理解をいただきたいと思うのです。つまり田中さんが、これは認めるのだと言う場合、それは当然、全世界がパリ協定というものを尊重していこうじゃないかということでございますから、それと背反するようなものでなければけっこうだという意味だ。で、十分それの関連がなく、ただおれのほうに援助しろ、こう言われてきてもそれは困りますというのが法眼君の立場じゃないかと思うのです。ですから、全体のベースはそこにあるのだということで御理解をいただきたいと思うのです。  それから第二点は、革命政府を認めるとか、あるいはサイゴン政府を認めるとか認めちゃならぬとかいうようなことは、パリ協定に書いてないのです。これは書いてないわけでございまして、これは日本の立場でどうやるか。日本ばかりではない、世界の各国が、サイゴン政府を認めている国もあれば、あるいは若干の国には革命政府を認めている国もあるわけでございます。両方を認めるわけにはいかぬと私は言う。日本はサイゴン政府を認めていく、従来も認めてきたし、今後も認めていこうという立場をとっているにすぎないのであります。ところがこのサイゴン政府というのはパリ協定の当事者です。パリ協定を守る任務、義務を持っている。それから臨時革命政府もパリ協定の当事者でございます。南ベトナムをこの両者で第三勢力を入れて相談する立場でございますから、法眼君が言っているのは、サイゴン政府を通じて向こうへ行くというはずのものでないかということを言っているにすぎないわけでございますので、これはパリ協定上、この政府を認めろ、この政府を認めちゃならないということは一つも書いてないわけでございます。これは日本の独自の判断でいいものと私は考えております。
  153. 大出俊

    大出委員 だから、つまり具体的な事例があがらないと、いまのような抽象的な言い方で事は済む。私も協定を読んでいないわけじゃない。各国がいろいろ言っていることも読んでいないわけじゃない。国際的な責任があることも知らないわけじゃない。だが問題は、たまたまグエン・バン・チエン氏が入国を求めてきた場合に認めるか。認める、と一言言ってしまえば——認めるという趣旨のことを田中さんは言った。ところが法眼さんが言っているのは、認めない。その前提になっているものが、あなたがいま言うように、パリ協定がかぶっている。そうならば、いまパリで交渉が進んでいる、第三者を入れて和解評議会なら和解評議会というもの、あるいは統一政府なら統一政府というものをつくろうという努力をしている、国際的な責任を負いながら。そうなっている。ただ、これはそう簡単にあしたきまる筋合いのものでない、これだけははっきりしている。そうすると、その過程で入国申請があった場合に——つまり、その国際的に責任を負っているというのは、統一した政府をつくるということなんですね。本来。南ベトナム全体の問題なんですね。そうだとすると、その当事者である限りは、それはその中でいろいろなやりとりがあったにしても、それこそ臨時革命政府にしても、サイゴン政府にしても、平和協定のワク内に、それこそ屋根の下に全く直接的にこれはある。その方々がどっちの国に何を頼もうと、そのワクの中でこれはやる仕事なんです。そうでしょう。そうなると、私どもから見ると、それならば、グエン・バン・チェン氏が来た場合にも快く入国を受け入れて、日本独自の判断だとあなた言っているのだから、日本の任務としては、何とか南全体がまとまっていく、つまり平和が定着する方向で日本は努力しなければならない。ならば、それに役立つ形で日本は推していくということにならなければならない。ここまできてなおかつそういう差別を外務省はなぜするか、こう言いたいわけです。ところが、あなた、そんなことを言うなら、話がまとまらなければ受け入れないというのですか。端的に聞きます。第三者を入れてこの話がまとまった、そんなら受け入れるけれども、そうでなければ受け入れないと、こういうことに結論はなるのですか。はっきりしていただきたい。
  154. 大平正芳

    大平国務大臣 パリ協定というものが、あなたがおっしゃるように、あのブループリントがそんなにやさしく実現してベトナムに平和が定着するというようなことは、私はたいへんむずかしいことだと思います。あそこに統一政府ができてから相談に来いと言うほど日本もやぼではないのです。問題は、具体的な援助要請あるいは入国要請があった場合に、パリ協定の精神に照らしまして、この当事者の仲間であんまり仲間割れはせぬような了解があれば、たいへん私は望ましいと思うのでありまして、これはやはり二階堂君が言っているように、結局ケース・バイ・ケース、そういう状況を見ながら判断していかなければならないのじゃないかと思うわけでございまして、事態は複雑なだけに、たいへん皆さんに解釈上御迷惑はかけておりますけれども、真意はまあそういうところにありますので、御了解をいただきたいと思います。
  155. 大出俊

    大出委員 いま大臣が、まとまらなければ認めないと言うほど日本はやぼではない、こういうふうにおっしゃいましたから、それはそれでよろしゅうございますが、私は、やはりこの問題は、大きく日中関係の問題、あるいは中ソ関係の問題、あるいは三極外交といわれる問題等とすべてからんできている、こう思うわけでありまして、いままで安保条約というしがらみの上に脱ベトナムという問題がとり得なかった。だとすれば、ポスト・ベトナムというこの時点で日本は、それなり協力を、あるいは努力をしなければならぬ筋合いだろう、こういう前提がございますから申し上げたわけでございまして、そういう意味で、私流に言えば、日本の安全というものを、日本の中立というものを考えなければならぬという立場を申し上げたいわけでありますけれども、それほどやぼではないという御発言でございますから、当面それでわかります。  そこで最後に、この復興援助にしてもそうなんでございますが、一九六一年から今日に至る間のベトナム日本は相当巨額な各種の経済的な利益を得ている勘定になると私は思うのであります。通産省の方にお見えをいただくようにお願いをしておきましたが、数字の面でどのくらいになるか。実はたとえば、住友銀行あたりが計算をした数字とか、学者が研究している数字がいろいろございます。そこらの数字をひとつあげていただいて、私は、ならば日本は、この復興援助その他について、田中総理はずいぶん大きなことを言いました。インドシナ復興援助のためのアジア太平洋諸国を網羅した国際会議を開いてやりたいというようなことを言ったんですけれども、ずいぶん大きなことを言ったもんだと思って聞いておりました。つまり、羊頭を掲げて狗肉を売るのでない意味で、日本は努力をしなければならぬ筋合いだろうと思います。そういう意味で、どのくらい日本は経済的な利益をこの七、八年の間に得ているかという点を、私なりの数字はございますけれども、通産省からひとつお聞きしておきたいのであります。
  156. 片山石郎

    ○片山説明員 正確な計算はいたしておりませんが、たとえば一九七三年ということを想定いたしまして考えてみます場合に、直接特需というもので過去の経緯というものがございまして、これが従来のとおり進んでおった場合には、おそらく三億ドルくらいの収入になったのではなかろうかという試算が一応ございます。なお、間接特需、たとえばアメリカ向けというようなことも含めました場合には、同じような考え方をしますと、アメリカ向けに一億ドル程度、あるいはベトナム周辺というところまで含めますと、間接的には四億ドルというようなのが一応の試算としてございます。なお、利益と申しましても、貿易による利益、あるいは投資による利益、いろいろございますので、その辺まで含めてまだ計算したことはございません。
  157. 大出俊

    大出委員 ここに住友銀行調査というのが一つございますが、いまおっしゃった三つのものが含まれておりますが、六一年が三億七千百万ドル、六二年が三億六千六百万ドル、六三年が三億四千五百万ドル、六四年が三億二千二百万ドル、六五年が三億二千三百万ドル、六六年が四億六千九百万ドル、六七年が五億六千六百万ドル、六八年が五億八千六百万ドル、六九年が六億三千八百万ドル、七〇年が六億六千万ドル、七一年が六億四千百万ドルというふうに、七一年までしかありませんが、あと学者の数字が二つございますが、おおむねこれに近い。七一年までで七十五億ドルという数字がここにあります。内訳はいまお話しの三つに分かれております。周辺特需、ベトナム特需、直接特需、間接特需。いまの数字は、たいへん少ない数字を御説明のようでございますが、タイあるいは韓国等の特需分等を見ましても、年間三億ドルの特需がタイ一国でもあった数字も出ておりますし、GNPが一〇%も上がっているという例もございます。したがって、そう小さな数字ではないだろうと私は思うわけでありますが、そこらは、この住友銀行調査というのはあなた方だって御存じだと思うのでありますが、大きな間違いがあればともかく、そういう見方もできる。こういうことに、私はこの方面の学者諸君の数字等をあわせまして思うのでありますが、何か特段間違いがあるというなら別ですが、いかがでございますか。
  158. 片山石郎

    ○片山説明員 たまたま住友銀行の調査、私まだ見ておりませんので、その辺も調べました上で、われわれの調べたところを御報告を申し上げます。
  159. 大出俊

    大出委員 先ほど外務大臣が言っておりましたが、復興特需その他今後の大きな問題が実はかかっているわけでありますが、日本の対外援助のしかたなどを見ますと、たいへん高い利子を取る、すぐ見返りを考えるという、まさに指摘されかねないたくさんの問題が実はあるわけでありますが、今度はひとつ、そういう意味でなくて、これは別の場所でも申し上げたいと思っておりますけれども、このベトナムは第二次大戦、これからの日本が背負っている歴史というものがあるわけでありますから、そういう意味で相当の本腰を入れた、しかもコマーシャルベースでものを考えるというようなおまけつきのことではない復興援助というものを真剣に考える時期に来ている、こういう気がするのであります。そういう意味で格段の勇断が要るのではないか、こう思うのでありますが、外務大臣、最後にこの点だけ承っておきたいと思います。
  160. 大平正芳

    大平国務大臣 御指摘のように、これまでの日本の経済援助、経済協力、これは日本自体が国際収支の窮屈な段階で、手から口への経済をやっておったときでございまして、OECD各国と比較してみまして金利その他の条件がきびしいということは、御指摘のとおりだと思うのでございます。けれども日本の経済力もようやく拡大強化してまいったわけでございまして、OECDあるいはUNCTAD等におきまして、日本代表も、今後非常にソフトな政府援助をふやしましょう。あるいは条件につきましても、グランドエレメントというものさしに照らしまして人並みのことをやらなければいかぬわけでございますので、そういうことをもうすでに約束もいたしておるわけでございまして、そういう方向に行く。それからひもつきの援助が多かったわけでございますけれども、それもアンタイなものに進めてまいるという方針を政府としてきめて推進に当たっておるわけでございます。だんだんそういうふうに、ソフトなものになり、アンタイなものになり、質量ともに実のあるものにしていこうとしておりまするし、またそれは可能であると考えております。  それから、ベトナムその他アジア地域の援助につきましては、これまでも日本の経済援助というのは東南アジアが圧倒的に多いわけでございますけれども、これは当然の道行きであろうと思いますし、とりわけ重大な関心を持ち、十分の用意をもって当たらなければならぬ課題であると思っております。
  161. 大出俊

    大出委員 木村禧八郎さんなどの中国の東南アジアに対する援助などという相当詳しい調査がございますけれども日本の援助と並べて比較してみまして、確かに日本という国はといわれるというふうに思います。そういう意味で、ひもつきというお話がありましたが、時間がたいへん長くかかって恐縮でありますから数字をあげませんけれどもそこら皆さんおわかりなんですから、この辺で日本外交の一つの転換ということを含めて、きれいな、しかも日本の歴史を踏まえる。ダナン等は当時から基地でございましたが、そのインドシナ地域に日本軍が入っていったことが、言うならば日米戦争にアメリカを引っぱり込んでしまった原因であろうと私は思っておりますが、そういう古い日本の苦い歴史もあるわけでありますから、どうかひとつ、きれいな転換にふさわしい思い切った援助を考える、そういう段階だという御意思をお持ちいただきたい、このことをつけ加えまして終わりたいと思います。
  162. 三原朝雄

    三原委員長 午後三時四十分に委員会を再開することとし、この際暫時休憩いたします。    午後一時二十八分休憩      ————◇—————    午後四時三十四分開議
  163. 三原朝雄

    三原委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  在外公館名称及び位置並びに在外公館に勤務する外務公務員給与に関する法律の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を続行いたします。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。中山正暉君。
  164. 中山正暉

    ○中山(正)委員 それではお許しを得まして、在勤法に関連をいたしまして若干の御質問を申し上げてみたいと思います。  昨年はいろんなことがありまして、まず沖繩の返還、それから佐藤総理の退陣、そして新しい内閣の出現、それから日中の正常化の問題に入ったわけでございます。  ここに在勤法の法律案の要綱があるわけでございますが、四番目に「在中華民国日本大使館、在台北日本国総領事館及び在高雄日本国総領事館に関する部分を削る」、この二行の文字が、私にはまことにさびしく映るわけでございます。私は実は、自由主義政党に属する者として、それでなくてもあまり一枚岩ではない自由主義陣営が、この問題から大きくくずれていくのではないだろうかという危惧を非常に持っておったものでございますから、まことに恐縮でございますが、総裁選挙に関しましても、はっきりと中国との問題をおっしゃっていらっしゃる方ではなくて、何もおっしゃらなかった方に実は投票をしたわけでございます。何かたぶん知恵があるのだろう、こう思いまして、私は自分の行動をとったわけでございますが、それが意外な方向に進んでしまいました。  と申しましても、私は実は中国との国交正常化に反対ではございません。私は実は自由主義台湾と両方の現状をいかに固定するか。世界の状況を、世界の勢力分野というものをここで均衡をとらせるということでない限りは、世界の平和というのはやってこないんじゃないだろうか。このごろの戦争というのは、様相がだいぶ変わってまいりました。核戦争、そしてまた、ことばや紙のつぶてによる戦争というような形が、往々にしてもう思想ごとといいますか、その国の感覚を変えてしまうという形の争いが多いわけでございます。その中でも特に南北の問題と申しますか、低開発諸国におきましては、過激な行動を通じて一ぺんに革命、戦争を起こす、局地戦争を誘発する。高度な文化国家に対しましては、非常に柔軟な思想戦略みたいなものが非常に顕著にあらわれてきておる。日本ではその最たるもの、といいますよりも、日本ではということばではなくて、私は、世界のそういう意味の均衡をくずすきっかけになるのがこの台湾の問題ではなかっただろうかと思っております。  ここに実は、大平先生が立候補に際しまして私どもにくださいました「平和国家の行動原則」というのを、私、前に読ましていただいて、このことを思い出したわけでございますが、その中の一番最後のほうに、「政府が権威ある外交を」というところにこう書いていらっしゃいます。   次は中国問題であります。戦後日本は国府と  の信義を守りながらやってきた。ところがこの  二十年間に、なにが起こったかというと、外に  おいては中華人民共和国が、中国を代表する正  統政府としてオーソライズされることになっ  た。また中国自体の外交が弾力的になってき  て、既存の秩序に挑戦するのではなく、いまの  国連の秩序のなかにはいり込んで、主張すべき  は主張するというような姿勢に変わってきた。   国内では、野党各派は、早くから現在の中国  政策に反対していたが、いまでは財界、言論  界、労働界などの大勢が、中国政策の転換を公  然と主張するようになってきた。一方、中国  との接触も、自民党の一部の方々、次いで野党  各派、さらに東西の財界が当たるようになり、  外交権をもつ政府は、表に出ないまま推移して  きた。本来なら政府が権威ある外交を展開すべ  きであるのに、この状態はどう見ても正常では  ない。しかもこの状態をいぶかしく思わない風  潮が日本国内にあることは日本の名誉にならな  いし、政治の責任が問われてもやむを得ない状  態になってきました。   したがって私は対中国とのあいだの国交正常  化は、それが早期にできるかどうかは別として  も、まず政府がとりしきる段階がきたのではな  いかと思う。それが自由民主党とその政府の政  治責任ではなかろうかと思う。慎重論を主張す  る気持ちもわかるが、このままの状態で放置し  ておいてよい時期はすぎているのではないかと  いうのが私の判断です。「日台は安定をベースに」というところでは、   台湾問題がありますが、日本の中国政策とい  うのは裏を返せば台湾であります。台湾問題が  なければとっくに日中国交の正常化は行なわれ  ておったと思います。台湾問題には二つの面が  あります。一つ台湾の運命の問題でありま  す。台湾が将来どういう姿で政治的定着をみる  かという問題であります。しかしそういう問題  については日本は発言する資格はない。これは  あくまでも中国の問題であります。   第二の側面は、日台関係であります。このこ  とについては日本は当事者の立ち場にありま  す。台湾が将来どのような運命になろうとも、  日台関係を安定したベースの上におきたいと願  うのは当然のことで、そうすることが、政治家  の義務でもあります。  こうして書いていらっしゃるわけでございますが、この大臣のそのときにお書きになったものの中にも、下から盛り上がってきたという民主的と申しますか、そういうムードに政府も動かなければならないのは私もよくわかります。そして日台を安定ベースに入れていこうというお考えには、私も全く賛成であったわけでございますが、ここでおやりになったことは、結局は条約を終了したという形で台湾との関係を破棄なさったということ。憲法九十八条には、確定された国際法規は順守をされなければならないという規定があるわけでございますが、ここで永久条約、期限がない条約を終了したという形で破棄なさった。形はどうであろうと、私は破棄であると思っておりますが、これと憲法との関係というのは一体どういうふうにお考えになっておられるであろうか。大平大臣のお書きになったものの最初にありましたように、戦後日本は国府との信義を守りながらやってきた。お書きになっているこの信義というのは一体どこへ行ったのだろうか。この信義というのは、それじゃもう守らなくてもいいんだ、国際間に道徳はないということになってしまったのかどうか、その辺のことからひとつお伺いをいたしたいと思います。
  165. 大平正芳

    大平国務大臣 私の述べたことについて言及なされまして、まことに恐縮に存じます。日中正常化に至るまでの過程におきまして、私の脳裏を去来いたしましたことは、この短い文章の中で不完全ながら出ておると思うのであります。  本来、外交というのは政府が取り仕切っていくべきものでございまして、政府は外交権をゆだねられておるわけでございます。きょう野党の方がお見えになりましてたいへん恐縮でございますけれども、正常化前の日中関係というのは、政府の手によらないで、あるいは社会党あるいは公明党の方々の手によって接触が行なわれ、それがあるいはコミュニケの形でいろいろ出ておったわけでございます。それで、これは本来はたいへん異様なことでございまして、国民は、外交権を持っておる政府はちゃんと取り仕切らなければいかぬ性格のものであるにかかわらず、手をこまぬいておるということに対して、いぶかしく思っていないだろうかという感じはいたしたのでございます。また、マスコミもそれを当然であるかのように、あるいはそれに対して疑義をはさんでいなかったのであります。したがってこの問題は、こういう姿においていつまでも推移してまいるということは、決して健全なことではないという意味の感じをその文章の中にも出したわけでございます。  元来、外交関係というものは、国と国とのつき合いをきめることでございまして、その国かどういう政治信条、どういう体制を持っておるかに一応かかわりなく、その国を代表するものと政府との間で結ばれるのがしかるべきものと思うのであります。日中関係考える場合におきましても、これは戦後長い懸案であったわけでございますが、ようやく外の国連等におきまして、中国を代表する政府というものが権威づけられたということも一つの判断材料になりまして、中国を代表する政府とまともな関係を取り結ぶことを外交は探求すべきものではなかろうかということを考えておったわけでございまして、そういうラインに沿って、現職につきましてからいろいろ実行に移してまいったわけでございます。そうして中華人民共和国政府なるもの、つまり中国を代表するものとして認めて国交を結ぶということになった以上は、従来結ばれておりました日華平和条約というものが機能する余地がなくなったわけでございまして、そのことを、政府はそのままの事実を内外に宣明いたしたわけでございます。  憲法は、中山先生おっしゃるように、条約の締結につきまして国会の批准を得なければならぬ。そしてまた憲法は、法律、条約等は公務員は守らなければいかぬことを規定いたしておるわけでございまして、私はそのとおりに存じますが、日中間におきまして機能する余地がなくなった条約というものは——憲法のいう条約の尊重、順守の義務は、機能する条約を意味するものと私は解しておるわけでございまして、私のとりました措置、いろいろ法律の専門家にも御検討いただいたわけでございますけれども、ああいう措置をとらざるを得なかったのでありまして、それは憲法的に間違いではないというように考えておるわけでございます。  それから信義の問題でございます。信義の問題というのは、私は人間社会におきましても、外交、国と国とのつき合いにおきましても非常に大事なことだと思っておるわけでございます。約束を守るということでございますので、そういう信義はずっと変わることなく守ってまいらなければならぬ性質のものであろうと思うのであります。  去年私どもが選択いたしました問題は、中国を代表する資格を持った政府というものと、中国は一つでございまして、その中国を正当に代表するものとのつき合いということを考えるのが正しいと思って、正常化をやり遂げたわけでございます。そういう選択、そういう判断、それは日本政府責任においてやることでございまして、そのことが直ちに国府に対する信義にもとるという性質のものではないと私は考えておるわけでございまして、このことによって信義上とがめられなければならないという倫理的な問題と、そういう外交的選択の問題とは、おのずから別な日中の問題ではなかろうかと私は考えております。
  166. 中山正暉

    ○中山(正)委員 私どもの常識では、そでに涙のふるるとき人の心のあわれをぞ知ると申しますか、まして中華民国政府がだんだん追い込まれてきたわけで、私どもが二十七年前に敗戦を迎えたときに、暴に報いるに徳をもってす。そしてまたたった一週間しか戦争しなかったソビエトが、一週間というと語弊がありますが、日本が鉄砲を撃たなくなってから向こうはまだ鉄砲を撃っておったわけで、私どもけが鉄砲を撃つのをやめたのが一週間で、ソ連はもっと撃っておりましたが、その連中が北海道を占領するといったときに、九州を占領をしないから北海道は占領をやめてくれといって、日本は分裂国家にならずに済んだ。そしてまた、たとえば中国大陸におられた国府占有地域の方々に、一日も早く故郷に帰れるようにということで揚子江に船を手配してくださった。また、そのあとに共産軍が、中国国民政府軍が日本軍人を帰すために努力をしているその間隙をぬって、どんどんと地歩を広げていった。どさくさまぎれのことでありましたから、われわれはいまになって、いろいろ話を聞いてわかるわけでございますが、大臣の話を聞いておりますと、長い間連れ添った糟糠の妻がガンになって、どうもぐあいが悪くなって、結局、事実上二号さんのほうが地歩を得てきて、本妻が泣いて頼むので、追い出してはいけないから納屋のすみにでも住まわしてやろう、そして何か二号的存在の人が母屋に直ってきたような印象を実は私どもは受けるわけです。  内閣委員会は特にタカ派が配備されておるようでございますので、タカ派的意見が出てまことに恐縮なんでございますが、しかし私は、日本人である限り国会でこの議論が出ないことはかえっておかしいと思うのです。私は「日本人とユダヤ人」という本を見ましたら、全会一致というのは大うそだと書いてある。全会一致なんてあるはずがない。日華議員連盟というものが百三十名も集まりまして、長い間われわれに恩義をくれた蒋介石台湾政府に対して、今度はわれわれだけでもひとつ善意を尽くそうではないかという考え方が出てきておることは、まことに御同慶の至りだと思っております。  私は実は、これからの世界は、保守と革新の対立——私は保守ということばはきらいでございます。私は、革新ということばがあるなれば、この戦後二十七年間、たった六カ月だけ社会党に政権を渡して、これだけのりっぱな、この窓からも三十六階建てのすばらしいビル、昔は想像もできなかったようなビルが見えておりますが、この繁栄する国家を築いてきたのはわれわれ自由民主党、自由主義だと思っております。これは革新ではなくて躍進だ。だから、革新というものが存在するなれば、私は躍進だという自信を持たなければいけないと思っておりますが、特に革新と躍進と比べて、革新と保守という言いなれたことばで言うなれば、私はあとは、世界で争いをしなければならない体制というのは、政権の交代の可能性を秘めた政党政治か、それとも、一たんとられてしまえば二度と再びわれわれに返ってこない組織なのか。人が自由に政治を選択できなくなるような組織がいいのか、それとも選択できる政治体制というものが尊重されなければならないのかという戦いに、私は入ってくるのではないかと思います。  特に、中国もけっこうでしょう、ソビエトもけっこうですが、ある大新聞のものしり帳というところにこういうことが書いてある。   共産主義世界でのいわゆる“粛清”は、一九一八年七月十八日、レーニンの命令でツァーとその一族が殺されたのに端を発して、以来五十年間に惨殺、飢餓、流刑その他の方法で“消された”人の数はざっと一億人、一年に二百万人という率になりそうだ。   まず二一−二三年の間、ボルガ流域地方で二千三百万人が死んだが、これは新権力機関が力によって食糧、種子、家畜などを接収したことによる餓死、小地主の処刑などによるものだった。また三二−三三年のソ連のキキンなるものは、農民の集団化に対する反抗を打破するためスターリンによって人為的にひき起こされたもので、五百万ないし一千万のロシア人が餓死した。   ソ連史上最も血なまぐさい時代は、いうまでもなく三五−三八年の大粛清で、当時のソ連総人口一億五千万の五ないし一〇%が強制労働キャンプその他に収容され、そのまた相当部分が餓死もしくは病死したろうことも想像にかたくない。第二次大戦直後にはソ連内には二百カ所以上に強制収容所があり、千五百万人が収容されていたが、うちどれだけ死んだかは、今日に至るまで何の発表もないことは周知のとおり。   さる八月十五日のモスクワ・ラジオは“誠実な党員を含む何千という人がベリヤによって殺された”ことを認めると同時に、中国の文革について次のように報じている。「文革二年の間にざっと五千万の中国人が処刑された。中共政権が確立した四九年十月一日以降では、全部で六千六百万人が殺されている」。   いま自由化で騒いでいるチェコもご多分にもれない。共産党が権力を握った四八年二月から四九年十月の間に“国家の敵”五万人が逮捕され、うち三万人が人民裁判によって“死”を含む判決を受け、一万人が強制収容所送りとなっている。 と書いてあります。共産主義というのがいかにおそろしいか、これを見ただけでも私はもうはっきりわかる。これは大新聞の夕刑に載っておったものでございます。  私は、共産主義体制というのは、いま日本の共産党もいろいろかっこのいいことをいっておりますが、しかし、いまおっしゃっている方々も、もし革命が起こったら、われわれと一緒に処刑をされる人たちでしょうから、その方々のいうことを聞くわけにいかないと思います。その人たちを信用してくれという話でございますが、ここにあります日本共産党綱領の中には何が書いてあるかというと、まず民主革命を起こしましょうと書いてある。その次は社会主義革命だ。それから共産主義革命に移行をするんだと書いてあります。だから、一たん政権をとったらもう返してくださらないということはこの共産党の綱領に明らかだというように、私はこう考えております。特に、最後のほうにこう書いてあります。「社会主義社会は共産主義社会の第一段階である」。これを見ますと、社共がけんかしているなんてとても信じられない。大阪まで新幹線に乗っていくのに、その間に名古屋があるというのが私は社会党の存在だと思っております。行き着く先の共産主義社会が岡山とすれば、その途中にいろいろなものがあるというだけだと思う。その辺を考えてまいりますと、今度は、台湾問題で日本がああいう処理をしたあとベトナムの始末を見ておりますと、北ベトナム台湾の逆の立場のものを南ベトナムの中につくったといえるんではないか。国境のない国家というものを認める自由主義体制にもう落ちぶれてしまったのかということを、私は全く嘆かわしいと思っております。  このようなことから申してまいりますと、いま大臣は、自分は別に道義的に何とも思っていない、これはまた別の問題だ、実際にさえつき合っていけばそれでいいんだと。しかしわれわれ東洋の民族というものは、名誉を重んずる民族であります。中国から大使もやってまいられた時期でございますが、もうこれで、あとは何も心配されなくても私はいいと思います。中国とも、たとえ体制が違っても私はおつき合いをしたいと思います。私も、共存をはかって、自由主義体制がいいのか、共産主義体制がいいのかということを、これからお互いに切瑳琢磨し合って、ただ考え方で争うのではなくて、実際にその成果を見せてもらえばそれでいいと思っておりますから、おつき合いをすることはやぶさかではございませんが、私どもと同じ心を持つ自由主義世界を悲しい目にあわせるということは、私はしんぼうができません。そこで、大臣台湾政府に対して何かいままで御所感を発表されたことがないと思いますので、まことに恐縮でございますが、この機会を通じ、この委員会の場を通じて、台湾に対して何かものをおっしゃることがございましたら、この場でおっしゃっていただきたいと思います。
  167. 大平正芳

    大平国務大臣 他国のことでございますから、私の立場で不用意なことは申し上げられませんが、いま中山さんのおっしゃった、台湾の何について私の意見を述べろということでございますか。
  168. 中山正暉

    ○中山(正)委員 台湾に対していまのような態度でいいんだろうかということでございます。私どもは、たとえ千四百七十八万七千人というわずかな人口しか持っていない台湾でございますが、数の問題ではないと思います。心の問題だ。  最近、私は、京都大学の時実利彦という脳生理学の権威にお目にかかる機会がございましたのですが、その時実利彦という先生が私におっしゃるのには、平和を愛する諸国の公正と信義に信頼して日本国憲法を制定すると書いてあるが、中山さん、脳生理学的に見たら平和の原則なんて人間の頭の中にないよとおっしゃいました。太平の世の中が来た、太平の世の中が来たといいますが、やはり私どもはいろいろなことを予測しておかなければならない。日本にとって台湾、韓国というものが、明治の政治を見ても、いかに重要なものであったかということは、歴史は背を向けた先生だといいますから、歴史を見てみればわかる。特に私は自信を持って申し上げたいのは、われわれは中国では戦争に負けていなかったということです。あの岡村寧次という終戦当時の総司令官は、三宅坂にあった参謀本部から、降伏しろという伝達をしたときに、われわれは戦争には負けていない、以後縁を切ってくれ、自分たちは中国派遣軍だけであとは戦争をするんだと岡村寧次司令官はおっしゃったということでございます。  特に歴史を考えてみましても、いわゆる日中戦争というのはなぜ起こったか。これは御承知のように、あの盧溝橋事件というやつは、日本の清水中隊と宋哲元の軍隊が対峙しているまん中の盧溝橋で、劉少奇の配下の学生が爆竹を鳴らしたというのが原因です。ですから、してやられた。その一年前に起こった昭和十一年の西安事件にしてもそうです。あの西安事件のときには、張作霖は昭和三年に殺されて、むすこの張学良は北伐軍の一党に入っておりましたが、それが自分のおやじを殺されたところから頭にきて、毛沢東、周恩来と接近をし始めた。それをなだめにいった蒋介石が護衛を全部機関銃で撃ち殺されている。そして山の中に寝巻き一枚で逃げたのを周恩来、毛沢東につかまった。そして西安の町では、花火を打ち上げて大宴会をやって、人民裁判にかけて殺せという話があったときに、遠いところから声があって、蒋介石を殺すなと言ったのが実はモスクワにいたスターリンだ。なぜいま蒋介石を殺すのか、蒋介石を生かしておかないと日本と戦わぬじゃないか、日本と蒋介石が戦って、その両方がだめになったところに新しい中華人民共和国政府というものができるのではないかと言って周恩来をなだめたのがスターリンです。殺すつもりでみんなに話しておったのを、逆にみんなを説得をしなければならなくなった。この説得をしたところからこのごろの週刊誌には書いてあります。コミンフォルムの指示で全部動いておったということをいまのあれには書いてありませんで、周恩来がいかに説得がじょうずか。実はスターリンからの命令で説得しただけだ。それが日中戦争の入り口になったわけでございますから、私どもは実はしてやられた。「中国の中のソ連」という本を読んでみますと、あの南京政府、汪兆銘というのはソ連に抱かされたという話です。あれは実は国民党の中の左派でございましたが、実はソ連とちゃんと関係ができておって、日本があれを抱いたらソ連は南京政府を承認をする。蒋介石と軍事同盟の条約を結んでおったソ連がわれわれを一ぱい食わしたのが南京政府、汪兆銘である。  そんなことを考えてみますと、何か長いわだちの中で日本はしてやられたのではないかという気がしてならないわけでございますが、とにかくそれは別にいたしましても、いま私どもが長い関係のあった、道義的に非常に恩義があると申し上げていいと思いますが、その蒋介石に対してわれわれは椎名副総裁を台湾政府・自民党から派遣をなさいましたが、政府関係から台湾に対して、私はまだ一言もものは言っていないのじゃないかと思うのです。中国に対しては、もう土下座外交と申すとまことに語弊がありますが、私どもから見ますとそう見えます。ですから、われわれと心を一にする自由中国に対して、何かいま大臣から一言おっしゃってもらってもいいんじゃないか、私はかように思っておるわけであります。
  169. 大平正芳

    大平国務大臣 椎名副総裁の訪台にあたりまして、われわれが日中国交につきまして新しいステップを踏むことを決意するに至りました経緯等につきまして、田中総理の書簡を託して、われわれの意のあるところは先方の政府にお伝えをいたしたわけでございます。いま正常化ができまして、国交を持たない関係になりましたので、政府政府との間のおつき合いというものはやろうとしてもできなくなりましたことでございますので、その後、公式に政府として、先方の台湾にある政府に対しまして、何らの措置をしたということはございません。
  170. 中山正暉

    ○中山(正)委員 私はそういうことを申し上げておるのではありませんで、大臣個人としてでも、自由中国に対して、実に日本としてはやむを得なかったが、まことに申しわけのないことであったとかなんとかという、何か少しぐらいの恩情あふるることばというのは、大臣のお顔を見ても、おやさしいお顔をしていらっしゃるのですから、そのぐらいの御配慮があってもいいのではないか。それ自身も言えないほどのわれわれ日本になってしまったのだろうか。これでは、長い間恩義を受けた人にはあなた恩義を返しなさいという、われわれが主張しておるような教育ができますか。おとうさんを訴えていった娘さんが英雄になる国です。その人の国と握手をして、そして学校に行っている子供さんに、親に孝行しなさいとは言えないだろうと私は思うのです。自民党の考え方とつじつまが合わなくなります。妙義山の山の中で、毛沢東を尊敬していろいろ過激な事件を起こして、人を十何人もまたたく間に殺してしまった。あれは悪いやつだと言っておいて、その本家に行って手を握って、そしてあなた方と仲よくしましょうでは、これはどこでそれがつじつまが合うのか。そういうことの筋を通して政治をするのがほんとうの政治で、どこに何人行って子女教育に幾ら出したというのは、行政の段階でやっていただければいいことでございまして、私ども政治家が扱うのは心だと思っております。ところがそれができないという。同じ党でございますから、結局大臣に御無理を申し上げてもしようがない。これはそれこそ昔流でいえば腹と腹とで、大平大臣ともあろう方が、心の中では何を思っていらっしゃるかぐらいは、私は推察をいたしておるつもりでございます。  しかし、これからむずかしい世界情勢の中に入っていくときに、たとえばアメリカは正式な国交を結ばなかったといいますけれども、しかし事実上二つの中国を認めた。私なんかは、蒋介石で台湾を独立さしてやればいい。台湾人による台湾の独立運動というのは、ある意味で中国本土からあやつっておるという毛沢東戦略で、これが革命の導火線になればいいと中共は考えているようです。それが台湾人の台湾独立運動の本質だということを私は聞いております。一番ここが中共のねらいなのでしょう。アメリカと相談をして、台湾を蒋介石によって独立さして、それを国連に入れてやるということにしないと、今度は北朝鮮が入ってくる。  安保条約でも、なぜ結んだか考えてみれば、御承知のとおりに、中ソ軍事同盟条約を結んで、その六カ月後に朝鮮戦争か起こって、これはたいへんだというので日本安保条約を結んだはずでございます。その中ソ軍事同盟条約が一九八〇年まである。われわれのほうの日米安保は一九七〇年で済んで、一年ごとの自動延長ということでその場をつくろっていますが、中ソ軍事同盟条約のほうは五年ごとの延長。これだけ見てもこれからの世界情勢はまことにきびしい。  その軍事同盟を結んでおりながら、国境で戦闘があった、紛争を起こしておるというのですね。私は、実はそんなものは信じておりません。はたしてほんとうなのでしょうか。印パ紛争でもそうですが、中ソが対立したといいながら、朝鮮動乱のときには二百万の義勇軍を送っていながら、印パ紛争のときには一人の義勇軍も送っておりません。それどころか、ここに「中国の核兵器はどこまで進んだか」という記事がありますが、この中にこんなことが書いてあります。   インド洋上のザンジバル島には数百人の中国人技術者が常駐し、ミサイル追尾基地とおぼしきものを建造中である。レーダー追跡装置や測遠装置を完備した中国の船(いつも就役航海に出られる態勢にあるものと思われる)が、現場に停泊中であることも明らかにされている。これらの状況から判断しても、中国が大陸間弾道弾(射程六千五百ないし九千五百キロ)の本格的テストに踏切るのはもはや時間の問題であろう。ミサイルが予定どおりの弾道を飛ぶとすれば、中国は新興の核スーパー・パワーとして、米ソに次ぐ地位を獲得することになるのである。 と書いてあるのであります。インド洋を囲んでここには二十二も国があります。印パ紛争というのもふしぎな戦争でございます。  私はよく大阪の市長選挙にたとえるのです。共産主義戦略というのはみんな類型化しておるけれども、大阪の市長の中馬さんが死ぬ前の最後の選挙には、共産党は緋田という候補を立てて戦ったのですが、中馬さんがなくなって選挙が始まると、社公民の大島候補に対しまして、新人の橋本という人物を出してきました。八カ月たっただけですから、緋田という人が出るのかと思ったら、全くしゃあしゃあと緋田をおろしてしまったのです。これはなぜかというと、当選させない候補者に切りかえたのです。社公民なる共産党の前衛の候補者を落としてはいけないから、わざと当選しないような橋本に変えたのです。自民党が候補者を立てないことを見越してすりかえて、新人同士にして、社公民に勝たすように画策したのが大阪市長選挙だと思います。大小の差はありますが、それと同じことが印パ紛争でもありました。アメリカは介入しませんでした。印パの背後にある中ソが争っているという安心感があったからでしょう。ところが、戦争が済んでみると、インド洋上の、アフリカの海岸に沿うマダガスカルの北側のザンジバル島には中国の大陸間弾道弾の追尾基地ができているのです。中国から印パの上を越えて一万キロ内外の射程距離を持つICBMの実験は目睫の間に迫っておると思うのです。  その上に原爆です。ふしぎにも、ソ連の自転車に乗って、ソ連のAK47型をモデルにした五四式という自動小銃を持って、自動車はモスクワ製のボルガ、大きな自動車はチャイカが走っております。この間、初めて日本に飛んできた中国の民間航空機は、イリューシン62型というソ連の飛行機です。たいてい核を持っている国は飛行機は自分でつくっています。ところが、飛行機も自分でつくれないような国が、なぜ百発もの原子爆弾を持っているのですか。私は実はソ連の預かりものであろうと思っております。ソ連は、アメリカと核協定を結んで、アメリカの手を縛っておいて、そして大気圏内の実験はお互いにできないと約束しておいて、しかたがないので、アメリカは千六百メートル地下を掘ってアムチトカ島で地下核実験を一生懸命やっておりますが、ソ連は知らぬ顔して、していません。なぜソ連がしていないか。そのかわりに自分の分を中国にやらせているからです。自分たちの実験を中国の奥座敷でやっておるのが中国の核実験だと思います。  ソ連と中国が仲が悪いといいますが、ふしぎでならないのは、中国が国連に入ったときにソ連は賛成しました。もっとふしぎなのは、カンボジアのシアヌーク殿下がパリへ行ったときにクーデターが起こりました。クーデターが起こってモスクワへ入って、モスクワで亡命政権でも立てるのかと思っておりましたら、北京へ入って亡命政権を立てました。ちゃんと連中は知恵を働かして、北京はカンボジアと関係がないから、北京で亡命政権を持たしても複雑な問題は起こらない、そこいらをちゃんと計算して、カンボジアと国交のない国にシアヌーク殿下を抱かせたというのが私は真相であろうと思うのです。  どうも見ておると、中ソの仲が悪い、中ソの仲が悪いといいますけれども、仲の悪いような材料はどこにもない。第一あの中ソの国境に中ソ紛争が起こったといいますけれども、一体だれか西側の新聞記者が一人でも確認しましたか。だれも確認していません。いやスパイ衛星で写ったというけれども、演習をしておるのだって、鉄砲で撃ち合っているかっこうくらいはできます。私はどうも中ソの論争を信ずる気になれないのです。国会でもそうです。社共が仲が悪いと言っておりますけれども、自民党が社共の仲が悪いからと安心しているうちに、どんどん時間をかせがれているだけです。社会主義は共産主義の第一段階であるとちゃんと共産党の綱領に書いてある。そんな人たちを仲が悪いと思うわれわれのほうが悪い。中ソは一枚岩です、こう思っていなければならないときに、われわれの考え方というのをよほどすっきり整理しておかなければならないというのが私の言いたいことでございます。  たとえば、いま、田中内閣がとうふの値上げをしている、それからしょうゆの値上げをしている、そしてみその値を上げたといって奥さん方はおこっておりますか、これは実は毛沢東が悪いのじゃないですか。毛沢東さんが大豆の輸出をとめているからじゃないですか。アメリカで大豆のできが悪いということがわかったときに、ふしぎなことに、去年の九月に、輸入しなければならない六万五千トンであったと思いますが、その大豆をすぱっととめたのが実は中共政権です。私はだから奥さん方に言っております。皆さん、田中角榮先生が悪いのではありませんよ、みそが上がった、とうふが上がった、しょうゆが上がったということを恨むなら、毛沢東を恨みなさいと説明しておるのです。材木でもそうです。材木の値が上がったといっておりますが、それはアメリカとけんかしようとアメリカにけちばかりつけるから、アメリカは材木を日本へ輸出するのをとめるような議員立法をしました。日本では、山の木を切るなと共産党は言います。町へ行ったら家を建てろと言います。材木の値が上がらないわけがございません。たとえば大豆の問題についても、これは通産省の局長さんが自民党の物価問題の会合で、中国から打ってきた電報を読み上げられました。すぐに送るという電報でございます。もしこの電報がほんとうでありますならば、ということばを使いました。そのくらい、七億八千万も人口を持っておりながら信用のできないような国家であるということが、実に情けないと私は思っております。  考えの違う人とも仲よくしようというのがわれわれ自由主義者の立場でございます。ですから、ひとつ大臣にお伺いを申し上げたいのですが、たとえば新華社が天皇批判をしております。「一握りの牛鬼蛇神が大いに妖風をあおっておる」という題で天皇批判をしております。これなんか、いかがお考えになりますか。   両論文ともに天皇陛下を「天皇裕仁」とか「裕仁」と呼び捨てにした上で、ここで繰返すに忍びないようなあくどい言葉で口汚く罵り、太平洋戦争の「主犯元凶」であり「もろ手が日本人民とアジア人民の鮮血で血塗られている第一の下手人であり」「大戦犯である」とし、「米日反動派は天皇を担ぎ出して軍国主義の魂を呼び戻そうとしている」と攻撃している。 と書いてある。天皇批判について何か御意見ございませんか。
  171. 大平正芳

    大平国務大臣 もしそういうことがあるとすれば、たいへん遺憾なことだと思います。
  172. 中山正暉

    ○中山(正)委員 これは人民日報と北京放送が出したもので、「むだな騒ぎ」というのと、いま言いました「一握りの牛鬼蛇神が大いに妖風をあおる」ということを書いておるのがあるわけでございます。  そこで、ここに中国語の原文がありますが、これは日本解放工作秘密指令書というやつです。中国語の原文で書いてあります。中国語を読めないものですから、日本語に訳したので失礼いたしますが、「解放工作組の任務」というところに「日本の平和解放は、左の三段階を経て達成する」と書いてあります。「我が国との国交正常化」と向こうから言うのですから、向こうとの国交正常化が第一期の工作の目標である。第二期の工作の目標は「民主聯合政府の形成」である。第三には「日本人民民主共和国の樹立−天皇を戦犯の首魁として処刑」、これが第三期工作の目標である、こう書いてあります。   〔委員長退席、藤尾委員長代理着席〕  その中で「任務達成の手段」として、   本工作組の上記の任務は、工作員が個別に対象者に接触して、所定の言動を、その対象者に行なわしめることによって達成される。則ち、工作員は最終行動者ではなく、かくれたる使嗾者、見えざる指揮者であらねばならない。以下に示す要領は、すべて、対象者になさしめる言動の原則を示すものである。  きょう大出先生の話の中に松本俊一さんの話が出てきた。松本俊一さんなんかも、情けないことに所定の言動を行なわせしめられている人ではないだろうか。私は大出先生のさっきの御質問を聞きながら考えておったのでありますが、どうも中国へ行ってくる人たちの話を聞くと、どうも何かきめられたような話のしかたに、だんだん行っていらっしゃるうちになってくるのを感じるわけでございますが、この中にはいろいろなことが書いてあります。たとえば、   中国の書画、美術品、民芸品等の展覧会、舞劇団民族舞踊団、民謡団、雑技団、京劇団の公演、各種スポーツ選手団の派遣を行なう。   第一歩は、日本人大衆が中国大陸に対し、今なお持っている「かがやかしい伝統文化を持っている国」、「日本文化の来源」、「文を重んじ、平和を愛する民族の国」、というイメージをかきたて、更に高まらせることである。   我が国の社会主義改造の誇るべき成果についての宣伝は、初期においては少ない方がよく、全然ふれなくてもかまわない。   スポーツ選手団の派遣は、ピンポンの如く、試合に勝ち得るものに限定してはならず、技術的に劣っている分野の選手団をも数多く派遣し、日本選手に学ぶという率直な態度を示して、好感をかちとるべきである。  そういわれてみますと、ピンポンのあとにやってまいりましたのが日本のバレーチームにこてんこてんに負けましたバレーのチームでございます。  あとはいろいろなことが書いてあります。無報酬で教員を各大学に押しつけろと書いてあります。半分くらいは断わるだろうけれども、いずれは学生が騒げば先生が騒いで、女と男の二人を組みにした先生を各大学に配れと書いてある。  またマスコミに対する工作も書いてある。   偉大なる毛主席は「およそ政権を転覆しようとするものは、必ずまず世論を作り上げ、まず、イデオロギー面の活動を行なう」と教えている。田中内閣成立までの日本解放(第一期)工作組は、事実で、この教えの正しさを証明した。日本の保守反動政府を、いくえにも包囲して、我が国との国交正常化への道へと追いこんだのは、日本のマスコミではない。日本のマスコミを支配下においた我が党の鉄の意志と、たゆまざる不断の工作とが、これを生んだのである。日本の保守反動の元兇達に、彼等自身を埋葬する墓穴を、彼等みずからの手で掘らせたのは、第一期工作組員である。田中内閣成立以降の工作組の組員もまた、この輝やかしい成果を継承して、更にこれを拡大して、日本解放の勝利を勝ちとらねばならない。特に「十人の記者よりは一人の編集者を獲得せよ」と書いてあります。   民主聯合政府について。「民主聯合政府」樹立を、大衆が許容する温床を作りあげること、このための世論造成、これが本工作を担当する者の任務である。   「民主聯合政府」反対の論調をあげさせてはならぬ。しかし、いかなる方式とを問わず、マスコミ自体に「民主聯合政府」樹立の主張をなさしめてはならない。これは、敵の警戒心を呼びさます自殺行為にひとしい。ずっと読んでおると時間がかかるのですが、たとえばこの間の田英夫さんの参議院での質問なんか、ばんと新聞のまっ正面に出ておりますことを思い出しますと、これなんかおもしろい現象です。   朝鮮民主主義人民共和国ならびに、ベトナム民主共和国との国交樹立を、社説はもとより全紙面でとり上げて、強力な世論の圧力を形成し、政府にその実行を迫る。 と書いてあります。  このごろのエロ・グロはんらんに、これなんかぴったりです。テレビ、ラジオのことですが、   これらは、資本主義国においては「娯楽」であって、政府の人民に対する意志伝達の媒介体ではない。この点に特に留意し、「娯楽」として利用することを主点とすべきである。   具体的な方向を示せば、「性の解放」を高らかに唱い上げる劇又は映画、本能を刺激する音楽、歌謡、等は好ましい反面、スポーツに名をかりた「根性もの」と称される劇、映画、動画、又は歴史劇、映画、歌謡、並に「ふるさとの歌祭り」等の郷土愛、民族一体感を呼びさますものは、好ましくない。  非常に日本の将来を憂うるという感覚で、私はこの解放工作指令書を見ておるわけでございます。   一般娯楽面の出版については「デンマークの進歩を見ならえ」として、出版界における「性の解放」を大々的に主張せしむべきで、春画、春本のはんらんは好ましい。政党に対しては非常に失礼なことが書いてあります。民社党も公明党も全部つぶしてしまえと書いてあります。    国会議員は工作員が支配  下記により国会議員を個別に掌握して、秘密裡に本工作員の支配下におく。  第一期工作組がすでに獲得した者を除き、残余の議員全員に対し、接触線を最少四線設定する。  右のほか、各党の役職者及び党内派閥の首長、有力者については、その秘書、家族、強い影響力を持つ者の三者に、個別に接触線を最少二線設定する。  右の接触線設定後、各線を経て知り得る全情報を整理して「議員身上調査書」の充実を期し、公私生活の全貌を細大もらさず了解する。  右により、各党ごとに議員を「掌握すべき者」と「打倒排除すべき者」に区分し、「掌握すべき者」については「聯合政府の樹立にのみ利用し得る者」「聯合政府樹立より共和国成立に至る過渡期においても利用し得る者」とに区分する。  ここに言う「打倒、排除」とは、その議員の党内における勢力をそぎ、発言権を低下せしめ、孤立に向わせることを言う。  掌握又は「打倒」は、調査によって明らかとなったその議員の弱点を利用する。  金銭、権力、名声等、ほっするものをあたえ又は、約束し、必要があれば、中傷、離間、脅迫、秘している私事の暴露等、いかなる手段を使用してもよい。  敵国の無血占領が、この一事にかかっていることを思い、いかなる困難、醜悪なる手段もいとうてはならず、神聖なる任務の遂行として、やりぬかねばならない。   招待旅行 右の接触線設置工作と併行して、議員及び秘書を対象とする我が国への招待旅行を左の如く行なう。各党別の旅行団。一団体の人数は固定せず、実情に応じて定める。但し、団体構成の基準を「党内派閥」「序列」「年令」「地域別」「その他」そのいずれにおくかは慎重に検討を加え、工作員の主導のもとに、我が方に有利なる方法をとらしむるよう、工作せねばならない。   党派をこえた議員旅行団。議員の職業、当選回数、選挙区、選挙基盤団体、出身校等を仔細に考慮し、多種多様の旅行団体を組織せしめる。   駐日大使館開設後一年以内に、全議員を最低一回、我が国へ旅行せしめねばならない。自民党議員中の反動極右分子で 私みたいな者だと思いますが、  招待旅行への参加をこばむ者に対しては、費用自弁の個人旅行、議員旅行団以外の各種団体旅行への参加等、形式の如何を問わず、我が国へ一度旅行せしめるよう工作せねばならない。 私まで来いということになるそうでございます。   旅行で入国した議員、秘書の内、必要なる者に対して、国内で「C・H・工作」を極秘裡に行なう。 治安当局に聞きましても、「C・H・工作」というのは何のことかわかりません。     自民党はバラバラに分解   基本方針。自民党を解体し、多数の小党に分裂せしめる。   自民党より、衆院では六十名前後、参院では十余名を脱党せしめて、聯合政府を樹立するというが如き、小策を取ってはならないことは先に述べた所であるが、右派、左派の二党に分裂せしめることも好ましくない。これは、一にぎりの反動右派分子が、民族派戦線形成の拠点として、右派自民党を利用する可能性が強いからである。   従って、多数の小党に分裂する如く工作を進めねばならず、また、表面的には思想、政策の不一致を口実としつつも、実質的には権力慾、利害による分裂である事が望ましく、少くとも大衆の目には、そう見られるよう工作すべきである。   手段   自民党内派閥の対立を激化せしめる。   自民党の総裁選挙時における派閥の権力闘争は常に見られる現象で、通常は、総選挙を経て若干緩和され、一つの党としての形態を曲りなりにも保持して行く。今回はそれを許してはならない。   田中派と福田派の対立の継続と激化、田中派と大平派、三木派、三派の離間、中間五派の不満感の煽動等を主点として、第一期工作組は工作を展開中である。   総選挙後、若干の変動があっても、派閥の対立を激化せしめるという工作の原則は変らない。   派閥対立を激化せしめる最も有効なる方法は、党内の非主流派となって、政治活動資金の調達に困難を生じている各派に、個別に十分なる政治資金を与えることである。   政治献金は合法であり、これを拒む政治家はいない。問題は方法のみであり、工作員からAへ、AからBに、BからCへ、CからDに、Dから議員又は団体へ、というが如くに間接的に行なうのはいうまでもない。   先に述べた、議員個人の掌握は、それ自体が聯合政府樹立の有効な手段となるが、派閥対立激化についても活用するのは、もとよりである。 それから    対社会・公明・民社各党工作   基本方針   各党内の派閥闘争を激化せしめ、工作組によ操縦を容易ならしめる。派閥というに足りる派閥なき場合は、派閥を形成せしめる工作を行なう。但し、党を分裂せしめる必要はなく、分裂工作は行なわない。   日本共産党を含めた野党共闘を促進する。   手段   自民党の項に同じ。 自民党の項では金を渡すことをいろいろ書いております。  これを読んでおりますと長くなりますが、しかし、こんなことを大臣に申し上げる機会というのはないものですから、特にしつこく読んでおるわけでございますが、   米帝が日本の教育理念、制度を徹底的に破壊し、国家、民族を口にすることは、あの悲惨な敗戦をもたらした、軍国主義に直結するものであると教育せしめたことは、高く評価されねばならない。   問題は、聯合政府樹立直後の民心の大衆化にある。大衆は、「聯合政府−共和国成立」という革命図式がデマではなく事実だと直感するであろう。彼等をだまし続けて来たマスコミへの怒り、彼等の意思を完全に無視して首班指名選挙を行なった議員への怒り、生活様式が一変るという恐怖感、これらが組織されて爆発したらどうなるか?   この時点で、統一された、組織ある極右勢力が存在すれば、これほど大きな危険はない。彼等の微小な力「一」は、たちまちにして「百」「千」となろう。大衆は、彼等の武装決起に背を向けないどころか、それを望み、それに投じるであろう。   もとより、最後の勝利は我が方に帰するが、一時的にせよ、内戦は避けられず、それは我々の利益とはならない。 日本で暴力革命を起こすことはわれわれの利益とはならないと書いてある。  ほかにも一ぱい書いてあります。一ぱい読みたいことがありますが、この辺でやめるといたしまして、ですから、中国大使館が出てくると、最後は二千人くらい送ってくるのではないかという話が書いてあります。二千人くらいの大使館関係者を日本に入れてきます。それがあらゆる日本の、たとえば廖承志が来ると北方領土を見にいくと言っています。これなんかも、ソ連が返さないのはけしからぬという発言が必ずあるだろうと思いますが、その辺の中ソ論争。特に今度来た陳という人はソ連通だそうでございます。ソ連通というところが私はまた逆にあやしいと思っております。ソ連を警戒するために来たんだといいますが、私はその逆ではないだろうか、ソ連との連絡がしやすいようにソ連通が来ているのではないか、こういうふうに実は見ておりますが、特に今度は中国の大使館あとを中華人民共和国政府に渡したとか、渡すとか渡さないとか、かぎをどうしたとかいう話がありますが、中国大使館あとというのはこれから一体どういうふうに処理されますか。   〔藤尾委員長代理退席、委員長着席〕
  173. 大平正芳

    大平国務大臣 政府の見解としては、旧国府大使館、あれは中国の財産だと考えております。そして、この中国の財産につきまして、日本国内におきましてその権利を主張し得る立場にあるのは中華人民共和国政府だと心得えております。したがって、中華人民共和国政府から使いたいという要請がございましたならば、そういう意思がありますならば、それを拒む立場に日本はないということでございます。まだ御使用になっていないようでございますけれども日本政府の立場はそういう立場をとっております。
  174. 中山正暉

    ○中山(正)委員 ということは、カナダとかニュージーランド、オーストラリアというのは事前に処分をしたという話でございますが、大体、自由主義国では、その土地は当該国が買い求めるというような方式で入ってくるのであって、国家が提供するというようなことはあるのでございましょうか。
  175. 大平正芳

    大平国務大臣 提供する、提供しないという立場ではないのでありまして、これは日本の財産ではないのでございます。中国の財産で、それについて権利を行使する立場にあるというのは中華人民共和国政府だ、そういう見解を政府が持っておるということです。
  176. 中山正暉

    ○中山(正)委員 何か外務省にかぎを渡していったとかという話でございますね。ということは、台湾政府台湾の中華民国政府が持っておったものをそのまま中国に継承されるということは、最後の段階では台湾政府は了解をしておったのでございましょうか。参考のために伺っておきます。
  177. 吉田健三

    ○吉田(健)政府委員 旧国民政府のほうの考え方は、おそらくその立場での御意見であったと思いますが、日本政府の立場は、ただいま外務大臣が申し上げられたとおりであります。かぎを保全の意味で外務省が預かっておる、こういう現状でございます。
  178. 中山正暉

    ○中山(正)委員 台湾政府はその処理の方法について何か金銭的な給付は受けたのでございましょうか。
  179. 吉田健三

    ○吉田(健)政府委員 別に日本政府が金銭的に台湾のほうと交渉するとかという立場にございませんので、そういう事実はございません。
  180. 中山正暉

    ○中山(正)委員 それでは、ただおとなしくかぎを置いて、穏当に立ち去ったというふうに解釈してよろしゅうございますか。
  181. 吉田健三

    ○吉田(健)政府委員 一応、日中国交正常化前は、当時の国民政府としては、その財産でございましたから、処分は自由であったわけでございますが、その処分を行なわず、いまのような形である見解を表示して、かぎを置いて閉鎖して全員帰った、大使館の人は引き揚げた、こういう形でございます。
  182. 中山正暉

    ○中山(正)委員 大平大臣がどこかでおっしゃっておられましたことに、今度の台湾に対する処置は、ポツダム宣言の第八項によるものであって、日本が以前に持っておった領土権をただ放棄しただけであるということを考えてみますと、以前は台湾政府台湾の中華民国政府は、大陸もわれわれの領土であると言っておった。その逆に今度は中国が、台湾はわれわれの領土であると言っておるのを、逆に、その支配力の及ぶところだけということですから、その意味では台湾は除外をされておると解釈をしていいのですか。中国の領土ではないと解釈していいのですか。
  183. 大平正芳

    大平国務大臣 共同声明の中で、日本政府台湾に対する領土権につきましての見解を述べてあります。ポツダム宣言を受諾した立場を堅持すると書いてある。そのとおりでございます。
  184. 中山正暉

    ○中山(正)委員 それでは、その大使館あとも中国を代表する政府ということで継承をしたということで、中華民国政府というものは現実にはあるわけでございますから、何かそこにすっきりしないものを感じるのでございますが、その辺どういうふうに解釈をしたらよろしいでしょうか。
  185. 大平正芳

    大平国務大臣 麻布にある旧国府大使館は元満洲国大使館でございまして、それが中華民国大使館と相なったわけでございまして、私どもはこれは中国という国に帰属する財産であると心得ておるわけでございます。その中国という国をわが国において代表し、その権利を行使する立場にあるというのは中華人民共和国政府だという見解を持っておるわけでございます。それだけのことなんです。
  186. 中山正暉

    ○中山(正)委員 わかりました。  それでは、いま台湾からこちらへ渡航する場合には、どういう手続をしていらっしゃるのか。また、国交回復前の中国へ行くときの方法とどういうふうに違うのか、ちょっと御説明願いたい。
  187. 吉田健三

    ○吉田(健)政府委員 現在、台湾から日本に来られる人につきましては、外交関係がなくなりましたので、いわゆる旧国民政府のほうで発行いたしておられる旅券というものは、日本のほうで認める旅券と言いがたいという立場にございますので、香港総領事館で発給いたします国交のない国から来る人たちのための渡航証明書というものを台湾のほうに送りまして、日本に来られる人がそれを持って査証がわりとして日本に来られる、こういう手続になっております。
  188. 中山正暉

    ○中山(正)委員 以前、中華人民共和国に、国交のないときに行っていらっしゃった人たちもそういう方法でやっておられたのですか。
  189. 吉田健三

    ○吉田(健)政府委員 日本人が向こうへ行くときは、日本の旅券を持っていって先方がそれをどういうふうに受けとめるかということは、先方の方針なり法律できまることでございます。現在の北京政府のほうの、大陸のほうから来られた人たちに対しましては、同様に香港で渡航証明書というものを出して、日本のほうに入国を許可しておるこういうことでございます。
  190. 中山正暉

    ○中山(正)委員 わかりました。  ことしまた、この国会が済みましたら、ソビエト、アメリカから招待が来ておるということでございます。ソビエトへ行かれましたら、必ず出てくるのが北方領土返還の問題ではないだろうかと思いますが、北方領土の返還を出してくると、今度は、それではひとつ安保条約をなくしてくださいということがひっかかってくるのではないかと思いますが、北方領土、安保のからみについて、秋から展開される、またはなやかな外交が行なわれると思うのでございますが、外務大臣は、どういうふうな御方針でそういう米ソ外交というものに対抗していこうと思っていらっしゃいますか。将来のビジョンをひとつお聞かせ願いたいと思います。
  191. 大平正芳

    大平国務大臣 一九五六年の日ソ共同宣言なるものも、御案内のように、安保条約とかかわりなく国交の再開ができたわけでございます。その際、解決すべき問題でありながら解決できなかった領土問題が、平和条約の締結という形で残っておるわけでございます。われわれといたしましては、日米安保条約というものを堅持していくというたてまえをとっておりますので、この姿は変えるつもりはないわけです。
  192. 中山正暉

    ○中山(正)委員 ぜひひとつそう願いたいと思いますが、いつでございましたか、昭和四十五年に、私ども若い国会議員ばかり九人でソビエトへ行ったことがありますが、そのときにビノグラドフという外務次官にお目にかかりました。私のそばにおられた中村弘海という議員さんが、私は北村徳太郎の後継者で国会に出てまいりました、北村徳太郎先生という方も親ソ派議員でございます、だから、自分も親ソ派の代議士としてひとつ活躍いたしたいと思います、ちなみに私の選挙区は佐世保でございますとおっしゃたのです。するとビノグラドフはそれに答えて、その中村弘海先生が言われた最後の、ちなみに私の選挙区は佐世保でございます、というところにびりっと神経をとがらせて、それでがらっと態度を変えまして、佐世保というのは実に困る、米帝国主義の軍事基地のあるところだ。アメリカが日本を含めて非常に軍事的な動きをするものであるから、平和勢力ソビエトとしては、軍備にこれまた金をかけなくてはたいへんであるという御発言がありましたので、私は、そこで黙っていられなくなりまして発言をしたわけでございますが、そうそう、まだこんなことも言っておりました。ビノグラドフが、私が答える前につけ加えて、日本という国は実にふしぎな国だ、アメリカに原子爆弾を二発もくらっておきながら、いまだに米帝国主義に追随して佐世保のような軍事基地提供しておるという意味のことを言ったものですから、私はそれに答えまして申しました。  よく考えてみますと、あの終戦前、昭和二十年の四月一日に沖繩米軍が上陸して六月二十二日に陥落した。そのときに時の東郷外務大臣が、近衛文磨公を全権にしてモスクワへやれ、日露戦争の仲立ちはアメリカにしてもらったんだから、日米戦争の仲立ちはひとつソビエトにしてもらおうではないかということできめまして、そう通告いたしましたら、そのとき箱根にいた、いま国連代表のマリクさんが、三十二歳でおられたそうでありますが、そのマリクさんが、日本のソビエトへ行きたいという意図と目的がはっきりしないから来る必要はないと言って断わった。ところが七月二十六日になると、ポツダムではソビエトも参加して、日本が手を上げるということを知っておられた。月がかわって八月六日、広島に原爆が落ち、八日に長崎に原爆が落ちた。あなた方は、原爆が落ちたあくる日に、もう日本が手を上げることを知っていながら攻めてきたのではないですか。アメリカは三年八カ月日本と戦って、アメリカ軍人だけでも十万人死んでいる。あの沖繩をアメリカは日本に返してくれましたが、あなた方とはたった一週間戦争しただけですよ。さっきの話ではありませんが、その上に、北方領土に上陸されたのは九月二日でございます。その九月二日に北方領土に上陸しておきながら、いまだに軍事占領をして返さない。特に、私が東京を飛び立って二時間半ばかりでやってまいりましたシベリアというところに、日本の軍人軍属が五十一万もゆえなくとどめておかれたではないですか。それで、あなた方が平和勢力で、そしてアメリカが戦争勢力だという話はどうもつじつまが合いませんと私が言いましたら、ビノグラドフは顔色を変えまして、今度は、第二次世界大戦というのは日露戦争の悲しい結果だ、こう言いました。  私は、ちょうどそこの壁に、銅板で打ち抜いたレーニンの大きな肖像がかっておりましたので、あなた方、この人の前でそれを言うわけにはいきませんよ。このレーニンという人がジュネーブに革命の工作のために行っておったときに、日本の明石元二郎という陸軍中佐が、当時の金で百万円、その金を渡された人が宇都宮代議士のおとうさんの宇都宮陸軍大将であったそうでありますが、いまの金にして何千億という金になるだろうということですが、その金で工作してレーニンに金を渡すときに、明石中佐が日露戦争の評価いかんと聞いたら、レーニンは、日露戦争というのはロシア帝国主義の日本侵略であった、こう言ったという話があります。  日露戦争はロシアのほうが悪いと言った人の血を引いているはずなのに、その筋を引いている政府のあなた方が、第二次世界大戦というのは日露戦争の悲しい結果だとはどういうことですか、こう私が聞きましたら、ぐっと詰まってしまいまして、われわれと一緒に行っておられた団長さんがあとで仲をとってくれたのですが、そのとき私らと一緒にいた人が、もうここらでやめろと言いますから、やめるわけにいかぬ、こんなことで黙っているから、中国やソ連に行って、ぺこぺこ頭ばかり下げることになる。ここで私は引くわけにいかないとがんばったのですが、山崎団長が話を変えましょうということで話を変えたのです。  そのあと、カリーニン通りのパーティーで、イワノフという人が、おまえはソビエトをおどかしに来たのかと言いましたが、プロポロフという極東部の次長が、私のすぐそばに来まして、チョウザメの肉をとってくれながら私に言いましたことは、あなたのような人をトラブルシューターというのです、こうおっしゃった。りゅうちょうな日本語で、トラブルシューターとおっしゃったところだけ英語を使われた。英語に弱いものですから、ちょっと聞いた感じで、混乱を起こす一発撃つやつという意味かと思ったので、にやっと笑っておきましたが、帰ってきまして、英語のコンサイスの字引きでトラブルシューターというところを引いてみますと、故障の個所を見つけて修繕する人、紛争の調停者、紛争の解決者ということが書いてあったわけであります。  私は、その次の年に行ったときに、プロポロフさんに会いたいと思って探してみたが、大使館の方が、あなたが好意を持っておられるなら、あまりその人に会おうとおっしゃらないほうがいいですよと言ったので、自民党の代議士がソ連のえらい人に会ったということで、向こうの人の出世の妨げになってはいけないと思ってやめたのでありますが、そういうことがございましたものですから、その日本の主張を堂々としていただきたいものです。  いま、安保条約というものを北方領土の返還にからませることはないという御断言をいただきましたので、私は大臣に対する信頼を深めたわけでございますが、どうぞひとつ、北方領土——九月二日に戦争が済んでから、しかも半月もして上陸をした島、この島が返ってくると、日本の国民総生産は三百億は継ぎ足すだろう、いまなら四百億くらい継ぎ足すんじゃないかと思っておりますが、一万八千人というあそこに住んでいた人たちにしても気の毒です。よく沖繩八十万県民といわれて、返還のときの運動の対象に沖繩県民八十万ということばが使われましたが、気の毒に、あの択捉、国後、歯舞、色丹の島には一万八千人も住んでおられた。その方々は、ソ連軍が巡回してくる目を盗んで逃げ出されたのです。初めのうちは三日に一ぺんくらい回ってきたそうです。そのソ連軍の掃海艇のようなものがぐるぐる回ってくる。そのソ連軍の影が見えなくなってきたときに、みんな根室のほうに脱出されたのです。あの森繁久弥の知床旅情というのは、あの人たちが自分の生まれ故郷の島を見て悲しい思いの歌った歌だと私は理解しております。その人々が自分のふるさとの島に帰れるように、せひとも外務大臣に、そしてまた田中総理とともに御努力を願いたいのです。横井庄一さんという人がほら穴の中から帰ってきました。二十七年ぶりに帰ってこられた。私はこの人もりっぱな人だと思います。しかしソ連には、まだ日本人の行くえ不明の人が三千数百名おるそうでございます。横井さんは南のほら穴の中へ入っていましたから、食べものはある、生きていけましたけれども、ソビエトで穴の中で暮らすわけにはいきませんので、一体その人たちがどうされておられるか。私のほうでも、この間も陳情がやってまいっております。三千数百名の人たちの横のつながりをつくって、何とか、その行くえ不明の名簿でもいいから、ソビエト政府からその名簿の御提出を願いたいという話があったのでございますが、行かれましたらば、まだ行くえ不明になっておられる三千数百名のことを御交渉願えるでしょうか、どうでしょうか。
  193. 大平正芳

    大平国務大臣 去年の秋、私が訪ソいたしました場合も、そのこと並びに墓参のこと等につきましてソ連側に要請をいたしておるわけでございまして、今後も変わらず、ささいなことではないわけでございます、引き続き努力してまいるつもりです。
  194. 中山正暉

    ○中山(正)委員 もう時間もだいぶ経過をしてまいりましたので、結論に入れということでございます。  先ほど申しましたように、中国大使館が出てきたあと日本の社会情勢、治安情勢。私は、国の基本というのは治安と国防と教育と、そして外交だ、こう思っております。特に日本はよその国が見えない国です。ですから、日本人というのは、そういう外国との関係というのも非常に弱い。稚内へ行くと、天気の日にどうにか影になって樺太がうっすら見える。択捉、国後はもともとわれわれのものですが、いまあれが外国だといえば、根室からちょっと見える。壱岐、対馬のほうから晴れた日に韓国がちらっと見えるというくらい、非常に国際感覚に弱い国だと私は思っております。  その日本の、とにかく友好、友好といえば何でも話ができるように思っている方々、たとえば私はこの間十月二日の日にあるテレビ局から、テレビに出てほしいからそのために録画をしてくれということで、議員会館の部屋へたくさんのライトを持ってやってこられました。そして来ましたら、髪の毛の長い、こんなひげをはやした若い人がおりまして、何が題材になるのかと思ったら、ハートのマークのついたハッピーシェルター商会という防空壕を売ることを仕事にしている若い人との話し合いでした。局のディレクターが言うのには、その防空壕を買うか買わないかから話し合いしてください、こう言いました。そして話を始めていったわけです。そうしましたら、防空壕を買ってくれますかと言ったから、私はよし買いましょうと言った。そうすると、さっと開き直って、あなたは政治家のくせに戦争があると思っているのか、こう言いました。私はないとはいえない。まことに知ったかぶりをして恐縮ですが、カントという哲学者が、人間の自然な状態というものは戦っておる状態である。クラウゼウイッツという戦略理論家は、平和ということを叫ぶやつが一番侵略者だと言っています。そのクラウゼウイッツ理論を裏返したのがレーニンの、共産主義者は平和主義者だ、だんだん日本は民主連合政権化してきて、もし日本がソビエト、中国と同じような政治体制になったときには、アメリカは静かに悲しそうに去っていくだろう。  しかし、これからの世界の態様というのは私は三つあると思う。一つは、たくさんの国を独立させて国連を乗っ取る方式。前はインドネシアのスカルノ大統領に、ウォーク・アウトといって、歩いて出てこいという言い方をして、あれを脱退さして国連をもう一つつくろうという陰謀が、このごろは国連の乗っ取り方式に変わってきた。一ぱい国を独立させて、たくさんの国をどんどん国連の中に入れて、最後は日本とかアメリカをぽんと追い出せばいい。自由主義者の一番弱い数の原則で国連を乗っ取ろうという方式。その次に考えられるのが、アメリカとか日本に内部崩壊の民主主義革命というものを起こさせてつぶす方式。第三番目が、私は戦争になる方式だと思います。核協定に入っていない中国に最後に原子爆弾のボタンを押されれば、アメリカは中共にだけしか報復できません。日本の六割の国民総生産で、日本の八倍の人口をかかえて、日本の二十六倍の広さを持っておる中国なんかが、原爆で実際にやられたって——毛沢東自身も言っています。原爆の一発や二発、アメリカは張り子のトラだ、おれたちのところで三億死んだってあと四億残る。また豪快なことを言ったものですが、そういう形式でアメリカと中共がやり合った場合には、残るのはソ連のコミンフォルムです。コミンフォルムは一九五六年に解散をしていますが、私は、いまでも地下にコミンフォルムがあるんだろうと思っています。  話が少しそれますが、そんなことを考えている人に、「ユダヤ人と世界革命」という本を出している永渕一郎という人がいますが、おもしろいことを書いています。この人は、シオンの議定書を前に半分くらい書いて、あとにいろいろなことを書いておられます。この前にテレビで、大島渚さんと西園寺さんと石川忠雄さんと私の四人でやったとき、中ソ論争八百長論、これを出したら、電話をかけて教えてくださった方がある。この先生にお会いしたのでございますが、この先生がやっぱり中ソ論争八百長論を書いていらっしゃるわけなんでございますが、この中国とアメリカがお互いに原爆でつぶれたあとにソビエトが残る、そういう方式を組んでいるのが世界の未来像じゃないだろうか、こう思うのですが、この若い人にもそれを言ったのです。  そのときには、アメリカは静かに去っていくだろうけれども、アメリカがもし中国から原子爆弾を撃たれるようなことが起こったとしたら、まず何を考えるだろうか。まず日本という大工業力を持つ国がソ連や中国に利用をされないように、軍隊というのは戦略的に、撤退をするときは、自分がかけた橋でも鉄橋でも、自分で爆破をして敵に利用されないようにしますから、まず私は、アメリカは原子爆弾のボタンを日本というところを一番先に押すんじゃないか。日本には二発の原子爆弾、実験は別として、世界でただ二回だけしか落ちたことのない日本に、またまたもう一発の三発目もアメリカの原子爆弾が降ってくるんじゃないだろうかと思っている。だからあなたの売っているその防空壕をもらおうじゃないですかと言いました。その若い人は、しどろもどろになりまして、何を言っているかわからない。そして私を前にして言いました。昨年の九月の末でありましたか、さっき大出先生のお話にあった戦車の話です。アメリカの戦車を運んでいるではないかと言いましたので、それはわかった、おれがとめよう、そのかわりあなたにもひとつ仕事をしてほしい、北ベトナムと中国の国境へ行ってもらいたい、中国やソ連からどんどん北ベトナムに入ってくる戦車をあなた方がとめてくれ、私はアメリカの戦車をとめよう、戦争には相手がある、あなたにそれができない限り、少なくともそれはちょっとむずかしいと思う、こういう話をいたしましたら、結局しどろもどろになって帰っていきました。  ところが、その十月二日に放送があるはずであったのが、十月一日の日に電話がかかってきて、放送が中止になったというのです。私は、自民党が政権をとっておれば戦争になるというのに対して、逆に共産主義が日本で政権を持っていれば、日本は焼け野が原になっていくだろうと言ったわけですが、それをテレビで放送ができなかったわけです。十月一日に、実はあす放送になっておりましたが、あの番組は都合で取りやめになりましたと言ってきました。これを考えてみても、なかなかいろいろな考え方がそういう報道関係の中にもあるということがわかるわけでございます。  私は、ここでとっぴなことを一つお伺いしたいと思うのですが、イスラエルのテルアビブ空港で日本人が機関銃の乱射をいたしました。外務大臣はあの事件をどんなふうに解釈していらっしゃいますか。
  195. 大平正芳

    大平国務大臣 たいへん不幸な事件だと考えています。
  196. 中山正暉

    ○中山(正)委員 私はこう考えております。たいへん不幸、まことに不幸な事件でございまして、外務大臣のおっしゃるとおりでございますが、実はあれはなぜ日本人を使ったかと推測をしてみると、アメリカの政府の大統領の側近には非常にユダヤ人が多いことに気がついたのです。この間も、佐藤前総理大臣のある朝めし会でのお話を聞きましたら、総理大臣辞任後初の訪米のときの大統領招宴の際、自分の前にすわったのはニクソンの後援会の会長のケンドールだったということです。ケンドールはユダヤ人です。ちなみに、マルクスもユダヤ人です。フランス革命をやったのもユダヤ人だといわれております。蒋介石を抗日戦争に立ち上がらせるきっかけとなった西安事件のときに、張学良の説得に行くようにと蒋介石をおだてたのもユダヤ人です。それから、ブラジルで日本人の勝ち組と負け組がけんかしたのは、実は香港にいたユダヤ人が、いずれおまえの国は戦争に勝つからこれを買っておいたら値段が上がるぞと言って、中国にあった日本の軍票を買い集めてブラジルの日本人に売りつけた。本気にして買った人たちが、買わなかった連中から、負けたじゃないかとせせら笑われたことで頭にきて、ピストルで撃ち殺したというのがブラジルの日本人の争いの真相らしいのです。  私は、アメリカの政財界を見てみますと、特にアメリカの二億の人口の中で一番多数を占めておるのはユダヤ人です。ニューヨークの市長は、イスラエルのメイヤー首相から一筆もらえば選挙に当選ができるというくらい、ニューヨークにはユダヤ人が一ぱいおります。そのアメリカのユダヤ人をおこらせるためには、日本人を使えばいい。アメリカのユダヤ人が二十四年前、二千年ぶりに祖国が国家として誕生をし、うれしくてしようがない。そのアメリカユダヤ人の心のふるさとで、日本人を使って鉄砲を撃たしたのです。だれがおこるかというと、イスラエル人はもちろんおこりますが、もっとおこるのは、ユダヤ人が実権を握っているアメリカ政府の幹部の人たちです。ニクソン大統領は、ほんとうかうそか知りませんが、コカコーラを持ってきたら、ペプシコーラにかえろと言うそうです。ペプシコーラからミサイルまでやっているのがケンドールです。そのケンドールをおこらせようと思って、日本人を使って、イスラエルのテルアビブ空港で、わけもなく二十七人の人を殺して、七十人の人に重傷を負わしたというのが実はPFLPの策謀で、この連中の策謀は、日本とアメリカを引き離そうという大目的がこの中に含まれているというのが、実はテルアビブ空港での日本人を使った乱射事件であったのではなかろうか。そのあと今度はだれを引き離すか。ドイツとアメリカだ。それには、世界じゅうがカラーテレビでオリンピックを見ている最中に、イスラエル選手を拉致して、アラブに人質を持っていかれてもイスラエルはおこるでしょうし、ゲリラの条件を無視しても、アラブに人質が殺されてしまったのでは、これまたイスラエルはおこるでしょうし、どうにもできなくなった。どのみち恨まれるのであればあとに問題を残さないほうがいい、それなら一ぺんにやろうということになって、日本の警察とちょっと違いますが、敵も味方も、人質もゲリラも全部殺した。あれはなぜかというと、私は、アメリカのユダヤ人に、ドイツがユダヤ人をかつて六百万人も殺した前歴をすぐに思い出させるための、PFLPのうまい策謀だと思うのです。特にケンドールだけではありません。キッシンジャーがユダヤ人です。十五歳までポーランドにいたユダヤ人です。私は、このユダヤ人問題というのを、これからの外交の中ではよほど考えておかなければだめなのではないかと思う。  特にこの人が書いております中には、私も驚いたわけでございますが、実はいま世界の革命戦略を地下であやつっているのは、スターリンという強大な権力者から権力を取ったマレンコフであると書いてあります。いささかとっぴ過ぎると思いますが、しかし、よく考えてみますと、マレンコフは死んだということを聞いておりません。ここにはおもしろいことが書いてありまして、マレンコフというのは、実はもうよその大統領と握手をしたり晩めしを食ったりする繁雑さから、自分自身を電力相に格下げをして、そして続いて原子力発電所の所長に格下げをして自分自身を消した後、地下で、何のわずらわしさもなく、世界をどう革命しようかということを考えているのがマレンコフだとここに書いてあります。私もはっと驚いたのです。  これは毎日新聞の副報道部長をやっていた人です。永淵一郎という、いま学習院大学に関係している人です。昭和二年浜松市に生まる。国学院大学文学部卒。昭和二十四年から毎日新聞東京本社社会部記者として活躍。毎日新聞中部本社報道部副部長を経て、四十一年毎日新聞東京本社ラジオ・テレビ副部長。四十五年退社、執筆に専念。現在、日本大学今泉研究所講師、新勢力クラブ国際問題研究会幹事としてそういうのを書いていらっしゃる人でございますが、この人の情報の提供者というのが、話を聞いてなるほどと思う人でございました。私もこの先生にお目にかかってお話を聞いて、いい勉強をいたしました。なるほどと思ったことが多いのです。  ここで、その情報を提供した人がだれだということは言えません。言えばもっと話の信憑性も出てくるでしょうが、この中に出てくるがX教授と書いてある。去る一九五六年の第二十回党大会から共産党はその勢力を二つに分けたということを書いている。共産党は、そう言われてみれば、中ソ論争が起こったのと符節を合わせて、代々木、反代々木、それから大阪では志賀義雄と日本共産党宮本路線とが対決をしている。この間の本会議でも、同和問題でしきりに、解放同盟は暴力だと言った。どういう理由か解放同盟の指導は志賀義雄氏がやっております。村上さんの演説にも入っております。ところがふしぎなことには、神崎敏雄氏という人がそこから立候補している。共産党から除名され、国際派として宮本路線から攻撃されていた志賀義雄も、三人定員のその区から立候補するとたいへんな勢いでしたが、公示の一週間前におりました。さっきの市長選挙の話にしても、どうも見せかけの対立としか思えない節が多々あるのです。やはりけんかしているように見えて仲がいいのかしら、そう思ってくると、いま見ておると、全部内部紛争というのがあらゆる社会の中でしきりに喧伝をされています。この本の中では、ソ連から始まったチェスというゲームは、いかに人をだますかということがゲームの本質だと書いています。世界に対してチェスのゲームをしているのが実はソビエトなんであると書いてある。  私は、せっかく外務大臣に胸を貸していただけるということで質問に立ちましたが、自分で一方的に演説したみたいになりまして申しわけないと思っております。外務大臣にずっとすわっていただいて聞いていただくというのはこういう機会しかございませんので、若い、変わった代議士がどんなことを考えているかということを聞いていただければ、私の存在価値があるという感覚を持っております。  どうも自民党の新聞を見ると、自民党の悪口が書いてある。これはうそだ。その横に中ソ論争と書いてあると、それは信じて、中ソ論争、中ソ紛争とまことしやかに受けとめている。一枚の紙面の中に部分的にほんとうやうそが書き分けられるのでしょうか。片方はうそだ、片方はほんとうだというばかな話はない。私は、新聞に中ソ論争と書いてあればあるほど、これはうそだと思っております。社共は仲が悪いと書いてあれば、これは自民党のお人よしの目先をごまかすたいへんな幻惑法だと思って感心をいたしているのであります。「大疑は大進に通じ、小疑は小進に通ず、疑わざるは進まず」ということわざがあります。だから私は、いまの世界の現状を、ただ新聞やテレビ、そういうもので型にはまったものを見せられるものを信じていくような政治家ではありたくない。政治家は想像力を持たなくてはいけないのだと思っております。  世界の現状を見るときに、ベトナム戦争という小さい戦争は終わったが、今度は世界的な大きな戦争に向かって一歩進んできたと思います。戦争は済んでいません。北ベトナムはアメリカの捕虜を返してやればいいのです。捕虜を返さずにアメリカをいつまでもそこに引きずり込んでおいて、簡単にアメリカに足を洗わせず、とにかくあの場を混乱させて注目を集め、できるだけ宣伝に使い、えらい目にあわせようという考え方はひどいものです。ベトナム戦争が済んだとたんにアラブです。私もハルツームというところに飛行機で一ぺんおりたことがありますが、何にもない砂漠のまん中の町でアメリカの大使を殺している。これは世界地図を見ながら、だれがここで何をやれ、あそこで何をやれと指図しているとしか思えないのです。PFLPとアルファタは実は仲がよかったのだ。イスラエルはしきりに、PFLPやアルファタは「黒い九月」の一派だといっておりますが、今度アメリカ大使を殺した者の自白したところによりますと、PFLPとアルファタはもとは一緒だとはっきり自白しております。ただ見せかけだ、「黒い九月」は別行動隊だ、あそこにちらっと本音が出たと思っておりますが、ベトナム戦争が済んだとたんにアメリカの大使が人質に取られて殺される。この世界的な状況を一ぺんに全部鳥瞰できるような感じでこれからの外交政策を立てていかなければならない、かように考えておるわけでございます。  またの機会をいただけると思いますので、まことにざっぱくで恐縮でございますが、むずかしい日本の将来、特に大平大臣は総理大臣に最短距離にあるといわれております。どうぞ大平大臣も、日本の国を預かっていくのに、この中に書いておられます、これからは核を持ってはいけないと。私も核を持ってはいけないと思います。りっぱな戦艦大和が八万七千トンといって海に浮かんでも、国民が貧しい生活環境で生きておるような国は、これからの勝利国となれないと思います。ですから、おっしゃるように、核を持つようなことになりたくない。  そのかわり、いま石油資源を見ておりましても、中近東のスエズ運河は、紛争を利用して使用できないようにし、アフリカ三十カ国も中ソがうまいこと押えております。アフリカのような新興国は独裁国でないとうまくおさまらないものですから、トラの皮のパンツをはいて、やりを持った連中がまだ一ぱいいるのですからたいへんです。そんなものを押えようと思ったら独裁権力のほうがやりやすいから、ちょうど独裁権力とアフリカの新興国とはぴしゃっと結びついた。  特にヨーロッパを見てみても、イラクの石油資源、あのペルシャ湾から行く六五%がヨーロッパに入っていますが、特に、イラクが国有化した中でも、フランスにだけ企業を認めています。これはなぜかといえば、西ヨーロッパ陣営からフランスを引き離す作戦だと思います。特に、アジア安保、ヨーロッパ安保をつくろうと周恩来と相談をして、公明党の竹入さんなんかいろいろ走り回っているようですが、あの条件というのは、その地域に領土を持っている国しか入れないことになっていますから、両方に領土を持っているやつといえばだれかというとソ連だ。アメリカはどうしても孤立します。シベリアにソ連は領土を持っているから、アジア安保にも入る権利がある。ヨーロッパにも首を突っ込んでいるから、ヨーロッパにもソ連は入れる。ヨーロッパ安全保障会議とかアジア安全保障会議というものの真の目的は、私はアメリカの追い出しだと思っております。この策謀にはまり込んだら、もしアメリカを孤立させることになったら、世界の悲劇になると考えております。アメリカという強大な軍事力を持つ国は、なるべくだれか友だちがいて、だれかががっちり腕を組んで、そしてともにさみしがらせないようにしていかないと、私は世界の悲劇につながると思うのです。アフリカの石油は中、ソが押えています。インド洋は中、ソが自分の池にしてしまいました。そこでインドシナ半島も中、ソが押えようとしています。そして南米はゲバラ方式で、またチリのアジェンデ大統領なんというのはこれまたユダヤ人でありますが、あの南米十カ国を中、ソが押えるようなゲバラ方式を持ち込んで、中、ソ支配の社会主義国ばかりできてしまったら石油が日本に入ってこなくなる。昭和六十年になったらいまの二倍、三倍石油が要るといっている。石油が要るといっているときに、チュメニ油田の開発はいかがでございますか、渤海湾の石油開発を一緒にやりませんかと中、ソが言い出していますが、あまりにもうまくでき過ぎている。日ソ不可侵条約が突然破られたように、ソ連からの供給がとめられたらどうします。ソ連の石油によって日本が工業国として立国していたとしたら、ある日ぎりぎりとバルブを締められて、残念ですが石油は差しあげられませんということになったらどうしますか。窓の外にあるこの町を見てください、全部水洗便所です。この水洗便所は重油で処理していますから、各家庭に汚物が逆流してきますよ。そのときにおかあさん方はどう言いますか。何とかしてくれ。政府は共産主義国に頭を下げに行ったとします。すると、あなた方の国に人民による政府ができない限りは石油は送れませんと言ったとします。日本はそのときから共産主義国に変わらなければならないだろうと私は思うのです。だから、石油産出国のアメリカと、自由主義者である限りは絶対にそごを起こしちゃいけない。私は、政治家としての信念として、自由主義政治家としてそう思っております。私の気持ちを、幾ぶんでもけっこうでございますので、御理解願えればまことに幸甚であると思います。ありがとうございました。
  197. 三原朝雄

    三原委員長 中路雅弘君。
  198. 中路雅弘

    ○中路委員 いま、議会の外でときどき、ぶっこわれた宣伝カーでがなっている右翼と変わらないような話をたいへん長々と聞かされましたけれども、しかしその中に、やはり日本共産党に対した直接の御意見もありましたから、議事録を調べさしていただいて、適切な方法でいまの問題については私たちはこたえなければいけないと思っております。  しかし、国会での審議というのは、国政の問題の審議ですから、私たちがミッドウエーの問題を問題にするのも、日本の国土をミッドウエーが母港にするということで、ソ連の潜水艦が入ってくるということとまた違うわけですから、入ってくる自体ではなくて、アメリカのミッドウエーが入ってくる、これを問題にしているわけですから、やはり日本の国政を論ずるということが私は最も重要な議員の任務だと思うんですね。しかし、いまのような御意見が与党の中から出ていますから、最初に、きょうの法案と関連して、もう一度外務大臣にお聞きしたいのです。  日中共同声明に基づいて国交正常化の第一歩として二十七日には中華人民共和国から駐日大使が来日された、そして来週末ですかには中国へ小川さんが赴任されるという予定になっていますし、このことが、日中共同声明の第四条に定められた、首都の大使館の相互設置と大使の派遣、この実現の第一歩になったわけですが、この中華人民共和国について、四十九年に成立してからいままで二十数年間、文字どおり日本政府が中華人民共和国を敵視して今日まできた。そして中国人民によってとっくに打ち倒された、また追放されてアメリカの庇護のもとにある台湾の蒋介石政権を中国の正統な政府として対処してきた虚構の歴史の立場、これがくずれたわけです。お隣の中国を、中華人民共和国を承認するのが御存じのように世界で七十九番目だったということは、あまりにも国交回復が引き延ばされてき、おそ過ぎたと私は思うのですが、しかし、今度のこの大使の交換を含めて、在中華人民共和国の日本大使館を設置するというこの時期に、やはりあの日中共同声明に盛られた一つの中国ということに基づいて、さらに国交回復から条約も含めて、今後この共同声明に基づいた一つの方向で一そう政府として進んでいただくという問題について、まあ先ほどから与党の側からも、こういう問題について台湾との関係の問題についての御意見も出ているときですから、もう一度最初外務大臣の見解をお伺いしておきたいと思います。
  199. 大平正芳

    大平国務大臣 九月に発出いたしました共同声明によりまして、これまでの一切の過去が清算されまして、これからこの声明に盛り込んだ精神によりまして日中関係を築いてまいるということにつきまして両国政府の合意を見ておるわけでございます。私ども今後やりますことは、この声明を踏まえた上で忠実にそれを順守してまいりたいと考えています。
  200. 中路雅弘

    ○中路委員 今度、これで両方の大使館が設置され、大使の交換も行なわれるわけですが、かつて日本が、長い間にわたって中国に干渉し、また侵略をしてきた、中国の人民に非常に大きな被害を与えた不幸な歴史に、これで終止符を打って中国との友好親善の方向を一そう促進していく必要があるわけですけれども、この大使館の設置の際に、特にこの問題が相互の内政に対する干渉に利用されるということが今後絶対ないように、またその設置がお互いに独立と平等、相互不干渉という、共同声明にも盛られた五原則を守り、真の友好と連帯の一つの足場になっていくような、そういう方向でこの大使館の相互の設置がやられる必要があると思うのです。大使館の設置を通じて真の友好が促進され、お互いにそのことが、逆にそういうことを通じて内部の政治に対する干渉の道具にされないということについても明確に共同声明に盛られている問題ですけれども、もう一度、外務大臣からも、大使館の設置についての法案が出ているときですから、この点についても見解をお伺いしておきたいと思います。
  201. 大平正芳

    大平国務大臣 相互に主権を尊重し、内政に不干渉でいくということがおごそかに約束されているわけでございまして、約束された以上守らなければならぬわけでございます。申すまでもなくその精神を堅持いたしまして今後に処したいと思います。
  202. 中路雅弘

    ○中路委員 この日中共同声明に基づいて一つの中国という立場をとられた以上、外務大臣がおっしゃったように、日華条約というのはもう存在の意義を失って事実上終了したというお話をされているわけですが、外交の面では、こういう点で一つの中国という立場が明確にされてきているわけですが、この一つの中国に反する関係がまだ残されているわけですね。  御承知のように、日米安保条約の中では台湾が入った極東条項というのがありますし、また佐藤総理とニクソン大統領の日米共同声明の中にも台湾条項というのが入っているわけです。こういった問題がまだ未解決になっているということだと思うのですが、特に軍事的な面でまだ台湾との関係で幾つか未解決の問題が残されていると思うのですが、私は一つだけお聞きしたいのです。  これはこの前の沖繩国会のときでも問題になったんですが、日本の領土である沖繩から中国の領土である台湾に軍事海底ケーブルが敷かれているということは、すでに明らかにされたわけですし、一九七〇年の末に、台湾沖繩を結ぶアメリカ軍専用の海底ケーブル約六百七十キロのケーブルが敷かれているわけです。これはいわゆる台湾条項が残されている具体的なあらわれの一つだと考えますが、この際、こういう台湾日本の間に敷かれている軍事目的の海底ケーブル、その提供について、中国との関係を一そう友好親善をはかっていく立場から、こういったものの提供を断わるという意思はないでしょうか。
  203. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 沖繩返還前から沖繩台湾を結ぶ海底ケーブルがございまして、復帰時におきまして、このキャンプ瑞慶覧から台湾につながりまする海底ケーブルの中で、わが国の領海を結ぶにつきましては、施設区域として提供することをアメリカとの間に合意いたしておりますけれども、その後、日中国交の正常化が行なわれたわけでございますけれども、日中国交正常化によって、沖繩台湾の間の海底ケーブルの存在が問題になったということはないわけでございまして、したがいまして、この海底ケーブルについて、いまどうという具体的な措置考えていることはないわけでございます。
  204. 中路雅弘

    ○中路委員 一九七二年のアメリカと中国との共同声明、米中共同声明の中にも、台湾について、「中国はただ一つであり台湾は中国の一部分であると主張しているということを認識している」というあとに、「米国政府はこの立場に異論を唱えない。米国政府は、中国人みずからによる台湾問題の平和的解決についての米国政府の関心を再確認する。かかる展望を念頭に置き、米国政府は、台湾からすべての米国軍隊と軍事施設を撤退ないし撤去するという最終目標を確認する。当面、米国政府は、この地域の緊張が緩和するに従い、台湾米国軍隊と軍事施設を漸進的に減少させるであろう」というのが米中共同声明にも書かれているわけですね。アメリカも、この地域の緊張緩和に伴い、台湾米国軍隊と軍事施設を減少させるということがこの中でもうたわれているわけですが、その以後ベトナム協定の調印というような新しい事態も起きている。こういう中で、アメリカ自身が台湾の軍事施設も漸次減少させるのだということを米中の共同声明にもうたっている中で、一つの中国をはっきりした立場で確認している日本が、台湾日本の本土の間につくられている、いまおっしゃった海底ケーブルの問題について、この新しい時点でもう一度検討し、明らかに軍事的には中国の内政の干渉になるこういった問題について、積極的にこちらのほうから提供を断わる。この点について私は外務大臣に、ベトナム協定以後の情勢も踏まえてもう一度再検討していただくという点についてのお考えを聞きたいと思います。
  205. 大平正芳

    大平国務大臣 ベトナム後アメリカがどういう姿において軍事的存在を考えてまいるかということにつきましては、けさほどから大出委員からいろいろ御質問があったわけでございますが、私はアメリカの方針を具体的に承知していないのであります。しかしながら、日本とアメリカは安保条約を軸に結ばれておるわけでございまして、アメリカが今後どう処置してまいるかに関連いたしまして、安保条約に基づくところのいろいろな措置について日本政府考えなければならぬ段階になりますと、当然われわれといたしましても日米協議しなければならなくなるかと思います。しかし、ただいま日本のほうからイニシアチブをとりまして、この問題について日米協議を申し出るかどうかということにつきましては、いま私はそういうことを考えておりません。
  206. 中路雅弘

    ○中路委員 私は、いまや問題は、やはり中国の内政に対する干渉のまだ残されている非常に重要な問題の一つだと思いますので、日本の側から、こういう施設提供をこの時点で断わるということで、政府のほうが積極的な意思力を発揮してほしいということをこの機会に一言言っておきたいと思うのですが、きょうは時間もありませんから、また東中議員が、外務省在外公館設置の問題では質問することになっておりますから、私はきょうは、日米安保協議委員会で一月二十三日に合意されました、この中で触れられている那覇空港を中心にした問題についてだけしぼって御質問したいと思っているのですが、その前にもう一つだけ、お聞きしたいのです。  天皇訪米の問題です。私のところにあるのは三月二十七日のサンケイ新聞の第一面に出ておるのですが、この新聞の記事を見ますと、天皇の訪米について「昨年来、外務省を窓口として在日米大使館米国務省との間で具体的な両陛下ご訪米の日程について折衝が進められてきた。」と書いてあって、この訪米については、日米両国事務当局ではほぼ合意に達した、外交レベルではほぼ合意に達して、十月に訪米して約十日間の日程で、ワシントン、ニューヨーク、ロサンゼルス、ホノルルなど主要都市五カ所を歴訪されることになっているという記事が出ているのですが、この問題の事実についてまずお伺いしたいと思います。
  207. 大平正芳

    大平国務大臣 天皇陛下の御訪米問題というものは、日米外交チャンネルの中におきまして非公式に話題になっておりますことは事実でございます。しかし、そこにうたわれておりますように、合意に達しておるということはまだないのでありまして、公式に政府が見解を表明できる段階にはまだなっておりません。
  208. 中路雅弘

    ○中路委員 やはりこの記事の中で、天皇自身が昨年の夏の那須での記者会見で、訪米は約束していることでもあり、ぜひこの約束を果たしたいと言われているということも出ているのですが、この記事の内容について、こういう約束というのが私的なものなのか、また公的なものなのかよくわからないわけですが、こういう事実はあったわけですか。
  209. 大平正芳

    大平国務大臣 いま私がお答えしたとおりでございまして、そういう問題につきましては、政府の中で目下考慮中の案件なんでございまして、まだ公式にまとまったものとしてお答えできる段階ではないのであります。
  210. 中路雅弘

    ○中路委員 もう一つだけお聞きしておきたいのですが、いまいろいろ非公式な形で折衝がやられているということはお話しになったのですが、この天皇の訪米はアメリカのほうが非常に積極的だ、そしてニクソン大統領が答礼の形をとって来年早々訪日するだろうとこの新聞記事は書いてあるのですが、ニクソン大統領の訪日とこの天皇の訪米というのはセットになって話し合いをされているのですか。その点はどうでしょう。
  211. 大平正芳

    大平国務大臣 ニクソン大統領が訪日されるということは、われわれも希望いたしまするし、その御意思がございますならば、歓迎をする立場におるわけでございます。それはそれとして、アメリカ政府におきましてもいろいろ御考慮されておると思うのでありますが、セットになっておるかいないかというような問題につきまして、大体外交というのは、御案内のように相互的にいろいろなやりとりが行なわれるしきたりでございますので、どのレベルのコンタクトにいたしましても、そういうレシプロカルな意味のコンタクトというような配慮は当然あるわけでございます。しかし、いま具体的に、陛下の御訪米の問題と大統領の御訪日の問題というものをセットとして、われわれがいろいろ考えておるということではございません。
  212. 中路雅弘

    ○中路委員 まだ公式にきまったわけでないというお話なので、これ以上この問題で御質問はいたしませんけれども、いずれにしても、天皇の訪米ということになりますと、どういう形で行かれるのか、そのことによっては天皇の国事行為とも関係してきますので、その時点であらためてまた御質問したいと思います。  それで、先ほどお話ししました、ことしの一月二十三日の第十四回の日米安保協議委員会の発表文に出ております沖繩の部分ですが、私も先週四日間沖繩に行ってまいりまして、昨年末からずっと派遣されています三軍の自衛隊の基地を見てきたわけですが、これは防衛問題の論議のときにまたお伺いすることにしまして、きょうは那覇空港の問題ですが、ここに「米海軍及び海兵隊の航空機が那覇空港から移転する」ということが出ていますが、この移転するのは、ここで書かれている嘉手納飛行場、ここに移転するわけですか。
  213. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 現在、那覇空港に駐留いたしておりまする米軍関係部隊は嘉手納飛行場へ移転するという予定でございます。
  214. 中路雅弘

    ○中路委員 その前にはこれは普天間に移動するということが一時話になっていたんじゃないか。それと関連して四十七年度に一定の予算がつけられていたんじゃないかと思うのですが、これは普天間から嘉手納に変わったと理解していいわけですか。
  215. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 昨年の春の段階におきまして、那覇空港に駐留いたしておりますP3の部隊を普天間の飛行場へ移転ということが日米間で真剣に検討されまして、その段階におきましては、普天間飛行場へ移転のための予算措置ということも検討されたわけでございますけれども、一月二十三日の協議委員会の結果、那覇空港におりますP3の部隊は、普天間ではなくして嘉手納へ移転ということに合意されたわけであります。
  216. 中路雅弘

    ○中路委員 この合意書の中に、「米海軍及び海兵隊の航空機が那覇空港から移転する先の嘉手納飛行場における代替施設提供並びに那覇空港の完全返還に関連して必要とされる普天間飛行場における改良措置を含むこととなる」という文章があるわけですが、ここでいわれている「那覇空港の完全返還に関連して必要とされる普天間飛行場における改良措置」というこの「改良措置」というのは、どういう作業をいうわけですか。
  217. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 普天間における施設の整備は、滑走路の補強、航空標識の整備その他の地上施設の整備、こういうものでございます。
  218. 中路雅弘

    ○中路委員 那覇空港の全面返還と、いまおっしゃった普天間の飛行場の改良措置というのは、どういう関係があるのでしょうか。
  219. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 現在、普天間の飛行場は米海兵隊が使用いたしておりますけれども、海兵隊のヘリコプターが、現在、那覇空港にございまする那覇海軍航空施設内の施設において整備、維持されておるという状況であるわけでございますけれども那覇空港を完全に返還いたしました場合には、そのための施設がなくなりますので、その部分を普天間の飛行場内に整備する、こういうことになるわけでございます。
  220. 中路雅弘

    ○中路委員 そうしますと、この、嘉手納の代替施設提供、それから普天間の改良措置、これの予算はどういうようになっておりますか。
  221. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 四十七年度予算におきまして総額三十八億円ということで普天間並びに嘉手納の整備費を要求いたしておりましたけれども、これが計画御破算になりましたので、四十八年度予算には四十七年度分の三十八億円を繰り越すということで予算をお願いしております。したがいまして、四十八年度におきましては、嘉手納の飛行場並びに普天間の飛行場の整備、両方含めまして三十八億円ということを予定いたしておりますけれども、工事量から見まして、四十八年度だけでは終わらない、四十九年度にこれで足りません部分の工事が必要になってくるという状況であります。
  222. 中路雅弘

    ○中路委員 これは、参議院の沖特ですか何かで、やはり同じような質問があったときの議事録を見せていただいたんですが、最初、普天間に移るということと関連して、四十七年度のいまおっしゃった三十八億円の内容は、嘉手納に十一億、普天間に二十六億、その他の事務費を含めて三十八億ということが答弁されているわけですが、しかし、その後、いまおっしゃったように、嘉手納に移転先が変わっているわけですから、この三十八億を四十八年度に今度移す場合でも、中身が変わってこなければいけないでしょう。だから実際に嘉手納が代替施設にどれだけ必要なのか。それから、普天間のいまおっしゃった改良工事ですか、この点はどうなのか。内容が違ってくるのじゃないですか。
  223. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 まさに御指摘のとおりで、計画が変更になりましたので、昭和四十七年度予算におきましては、むしろ普天間のほうに工事量が多いということで、普天間が二十六億円余というふうに見積もっておったわけでございますけれども、計画変更に伴いまして、四十八年度の工事におきましては、むしろ嘉手納の飛行場の工事量のほうが多くなるであろうということは予想いたしております。しかしながら、工事の細目につきましては、今後米側と詰めるということで、まだ具体的な内訳はきまっておりません。
  224. 中路雅弘

    ○中路委員 そうしますと、まだどれくらい代替施設に費用が要るのか、それから普天間の改良工事にどれだけ要るのか、そういう目算も立てないで、しかも四十七年度は普天間に移るということで三十八億、そのうち普天間に二十六億つけてあったのを、ただ四十八年度へその三十八億を持ってきたというだけで、中身は全く違うわけです。だから、ほんとうにつかみ金みたいなもので、実際に代替施設に幾ら要るのか、そのうち四十八年度にこの三十八億をどう使うのか、そういうことも全くいまの答弁ではさまっていない。三十八億ただつかみ金で渡すということになるじゃないですか。
  225. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 一例を申し上げますと、四十七年度予算で普天間に二十六億円を見積もりました段階におきましては、P3を那覇空港から普天間に動かすに伴いまして、格納庫は、普天間にございます現存の格納庫を一部使用ということを予定しておったわけでございますけれども、今回は計画が変わりましたので、新たに嘉手納に新しくP3用の格納庫を整備する必要も出てきました。あれやこれやで工事量の内容が変わってまいりますので、四十八年度におきましては、四十七年度分の繰り越しを財務当局のほうへお願いいたしておりますけれども、計画の中身につきましては、今後米側と細目の調整をはかって、その上で確定していく、こういうことになるわけでございます。
  226. 中路雅弘

    ○中路委員 私はこれは非常に不当だと思うんですね。大体どれくらいの目算で必要なのか。こういうことに金を出すこと自身に私たちは非常に大きな疑惑を持ち、反対しているわけです。しかも、その計画も大体幾らかかるかということの目算も立てないで、つかみ金で渡す。沖繩協定に関連して密約があるのじゃないかということが広くいわれておりますけれども、やはりそういう問題と関係があるのではないか。  関東計画を含めて、こういった問題については、あらためてまた御質問したいと思うのですが、それと関連してもう一つお聞きしたいのは、これも新聞報道に出ているのですが、日米両国政府が五月の連休明けに在日米軍基地の整理統合のための第二次計画について折衝を始めることで合意をした、一月二十三日に続いて第二次のことについて折衝することになった。この中身は、沖繩基地の大幅縮小を第二次計画の目玉に考えているという新聞報道が出ているわけですが、この日米間の合意がなされたという第二次折衝の具体的な内容というのはどういうことですか。
  227. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 一月二十三日の協議委員会あとで発表されましたように、日米間におきましては、十四回の協議委員会で発表されましたいわゆる関東平野計画及び沖繩におけるもろもろの整理縮小計画にとどまらず、今後引き続いて日本にありまする米軍施設区域全般について絶えずレビューをしていこうということについての合意ができておるわけでございまして、外務大臣がたびたび国会で御答弁申し上げておりますように、政府といたしましては、今後第二次、第三次と、在日米軍施設区域の整理統合について具体的に取り組んでまいりたいという方針をとっておりますけれども、ただいま御指摘がありました、五月の連休明けに具体的に第二次計画について折衝というふうな状況ではありませんので、今後、日米間であらゆる場を通じまして基地の整理統合の問題について積極的に取り組んでいこう、こういうことについての全般的な、あるいは原則的な了解はできておる、こういうことであります。
  228. 中路雅弘

    ○中路委員 新聞の報道ですと、この第二次折衝をする場合の日本側の要求の目玉は沖繩基地施設だということが書かれていますけれども、その場合に、沖繩にいまあるどのような施設区域の返還を日本側として要求されるのか。そういう具体的な内容がありましたら聞かしていただきたい。
  229. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 一月の十九日に外務大臣と在日米大使との間に日米安保運用協議会の設置についての合意が得られておりますけれども、種々の都合によりましてこの第一回の会合がおくれております。しかしながら、政府といたしましては、国会の審議状況等をにらみ合わせ、政府委員のからだのあきぐあいをにらみ合わせた上で、なるべく早い時期に、具体的にはおそらく四月中にということになるかと思いますけれども、第一回の日米安保運用協議会を開きまして、今後の基地問題のあり方等についても米側と十分意見の交換をし、また話し合いを進めてまいりたい、こういうふうに考えているわけでございますけれども、具体的に沖繩のどの施設区域から手をつけるかということにつきましては、これからの問題でございまして、現在まだ具体案をお示しできる段階に至っておりません。
  230. 中路雅弘

    ○中路委員 いずれにしても、これからそういう折衝が始まるわけですけれども、たとえば今度の第二次計画の中でも、施設区域の返還に伴って、関東計画その他のように、アメリカのほうから代替施設提供を要求された場合に、その代替施設のための費用をまた負担するということになるわけですか。
  231. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 作業の見通しについては、まだ申し上げ得られるような段階に至っておりませんけれども、かりに仮定の問題といたしまして、施設区域の整理統合に関連して代替施設提供米側から求められるというふうな事態があるといたしまして、その場合におきましては、地位協定の規定に照らしまして、日本側が合法的かつ妥当なものであるというふうに考える場合においては、日本側の経費の負担において代替施設提供ということはあり得るわけであります。
  232. 中路雅弘

    ○中路委員 そうしますと、さらにこれから次々と基地の返還に関連してばく大な費用を負担させられていくことになるわけですね。もともと日本提供していた財産が戻ってくるわけですから、それをばく大な金で買い取るということになるわけで、こんなばかげた話はないと思うのですが、あらためてこの問題について今後御質問していきたいと思うのです。  もとへ戻りまして那覇空港の問題ですけれども、ここに出ている、那覇空港の米海軍、及びいまお話しになった海兵隊の航空機その他関係施設が嘉手納に移り、全面返還されるのは大体いつごろになるのですか。
  233. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 P3の移転先になりまする嘉手納、並びにそれに関連いたしまして予備の代替飛行場ということになりまする普天間の飛行場の整備が終わり次第、P3の移転がはかられるわけでありまして、P3の移転すなわち那覇空港の返還ということになりますけれども、この作業はなるべく急ぎたいとは考えておりますけれども、現在のところ、何年のいつまでということについて、具体的な数字を申し上げ得られるような段階ではまだございません。
  234. 中路雅弘

    ○中路委員 五十年の二月か三月に海洋博が予定されていますね。一つのめどとして、この海洋博が開かれる前になりますか。それともそれよりあとにおくれる、目途としてそのあたりどうですか。
  235. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 明後年の三月に沖繩で海洋博が開かれるということを十分念頭に置いて米側と作業の促進をはかってまいりたいというふうに考えております。
  236. 中路雅弘

    ○中路委員 航空局の方はお見えですか。ちょっとお聞きしたいのですが、私も沖繩へ今度ジャンボで行ったのですが、ジャンボの着いたときなんかは、もう沖繩の空港はごった返すようなたいへんな状態ですし、運輸省の方と空港のターミナルのあの塔に乗せていただいて見たのですが、返還といっても、いまの場合、民間の沖繩空港というのは片すみに追いやられて、自衛隊の三軍の飛行機、アメリカの飛行機が飛行場を占拠しているような状態になっているのですが、現在の空港は民間機、米軍機、自衛隊機が入りまじって使用しているわけですが、いまあの飛行場の一日の発着は大体どのくらいになっているのか。それから、ここの民間空港を利用して、おりたり、また乗っていかれる人は大体どのくらいの人数なのか、おわかりになりますか。
  237. 寺井久美

    ○寺井政府委員 現在の那覇空港の離発着回数は、昨年の十二月が一万二百回で、これが一番多うございます。その後ちょっと減っております。月一万二百回でございますから、一日大体三百回程度の離発着でございます。このうち定期便といたしましては、本土関係が一日十四往復、それから沖繩の内部、島内関係が同じく十四往復、それから国際線が週に二十二往復でございます。
  238. 中路雅弘

    ○中路委員 人はどのくらいの人があれになっているのか。それから海洋博を予想した場合に、この空港を利用される人がどのくらい予想されているか、もしおわかりになったら……。
  239. 寺井久美

    ○寺井政府委員 現在の旅客数、ちょっと正確にいま覚えておりませんので、お答え申し上げられません。
  240. 中路雅弘

    ○中路委員 私が那覇の空港長に資料で見せていただいて、またお聞きしましたら、ことしの正月、それから去年の暮れには、あの空港は一日五千人くらいだそうです。平均しますと月十五万ぐらいになるんじゃないか。いまでもたいへんな数ですけれども、この五月に若夏国体ですか、沖繩でありますね。こういうときになったら、もうちょっと空港は整理し切れないのじゃないかと空港長は言うわけですよ。海洋博になった場合に、大体予想としてどのくらいの人が来られるかとお聞きしましたら、予想では一日一万人、そのうち海で三千、この空港を利用するのが七千だというお話も聞いたのですが、いまの状態は、アメリカの飛行機もそのままいる、それから自衛隊も入っているわけですから、こういう状態で海洋博を迎えた場合は、完全にこの空港はパンク状態になってしまうんだということを空港長が話していたわけです。こういう問題と関連して、アメリカ軍のこのP3の移転が、いまのお話ですと、海洋博までに移転をする、完全に返還されるということがはっきりめどがつかないというようなお話のようですが、この点は海洋博とも関連して、この移転についてどのようにお考えになっていられるのか、もう一度お伺いしたいと思います。
  241. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 五十年の三月に海洋博が開かれますと、ただいまの航空局からの御答弁でも明らかなように、かなりの旅客が那覇空港を使うだろうということは当然予想されるところでございまして、海洋博の準備関係の整備状況やいろいろな問題を全般的に取り上げる過程におきまして、この問題についても真剣な検討が行なわれているわけでございますけれども、P3の移転問題そのものにつきましては、ただいま申し上げましたように、四十八年度におきましては、総額三十八億円の繰り越しを認めていただいて、これの財政的な裏づけをもって嘉手納並びに普天間の作業を急ぎ、さらに四十九年にかけてこの作業を進めてまいりたい。五十年三月に海洋博が行なわれるということを十分念頭に置いてこの作業を一日も早く進めたいと考えておりますけれども、具体的にそれじゃ三月までに必ず終わるかと言われますと、いまの状況においてはまだはっきりした御答弁はできない、こういう状況でございます。
  242. 中路雅弘

    ○中路委員 空港長や、東京の運輸省からもちょうど人が来ておられまして、私はその方も一緒にお話ししたのですが、この予想される状態をどうして解決していくのか、空港の整備計画があるのかということを聞きましたら、誘導路の拡幅をやらなければいけないということと、もう一つはターミナルが狭くてとうていさばけないから、ターミナルの増築を考えているのだというお話だったわけですね。そのためには、自衛隊のいまの施設の一部を運輸省に所管がえをしていただいて、誘導路などをつくっていきたいという希望も出しておられるわけですし、その前提としてP3の移転も必要なわけですけれども、ただ、海洋博直前までで移転をされたのでは、結局、空港の整備計画ができないわけですね。たとえば海洋博に間に合わせるということになれば、それまでに移転をして、そして空港の整備の仕事もやっておかなければならないということで、増築なり工事に取りかからなければいけないわけですから、この問題について、やはり一日も早く向こうの那覇空港の返還がやられないと、いまのままでも沖繩の玄関がたいへんな状態になりますし、現に事故も起きている。しかも、自衛隊とアメリカの飛行機、民間の飛行機が同じ滑走路で、いまお話しのように一日三百回ですね。月にしますと一万回からの発着をやっている。一たん事故があったらたいへんな状態になるわけですね。この点では、この日米安保協議委員会の合意にされているこれを一日も早くやはり返還をする。これは沖繩協定にも基づいてやられているわけですし、この点で外務大臣考えももう一度お聞きしたいと思うのですが、これは地元の人たちの強い要望が、いまのままだったら空港はどうしようもない状態だということを関係者はみんな訴えているのですよ。強くアメリカにこの点について要望して交渉されるという御意思はないですか。
  243. 大平正芳

    大平国務大臣 いま政府委員からお答えしたとおり、明後年の三月を念頭に置きまして極力急ぎたいと考えておるわけでございまして、そういうラインでアメリカ側との協議を精力的に進めてまいるつもりでございます。
  244. 中路雅弘

    ○中路委員 もう一つお伺いしたいのですが、やはり合意書の中に「那覇空軍・海軍補助施設の全施設のうち、大部分を嘉手納飛行場へ、一部分を牧港補給地区その他へ移転すること」云々ということがあるのですが、この那覇空軍・海軍の補助施設というのはどういうものがあるのですか。
  245. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 これは、那覇空港に接続する地域で、米空軍が主でございますが、若干の陸軍並びに若干の海軍が住宅地区を持っておりまして、住宅地区に関連いたしまして、学校であるとか、教会あるいはPX、こういうふうな施設があるわけであります。
  246. 中路雅弘

    ○中路委員 瀬長島の弾薬庫というのは入っておるのですか。
  247. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 瀬長島のいわゆる弾薬庫と申しますのは、これは地理的にはいまの補助施設と反対側の方向になるというかっこうでございますから、いまの当該施設には入っておりません。
  248. 中路雅弘

    ○中路委員 それでは、いまちょっとお話しされましたけれども、ここでいわれている補助施設を移転するというのは、どの施設をどこに移すのかというのをもう少し具体的にお聞きしたいのです。
  249. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 空軍・海軍の補助施設の大部分を嘉手納飛行場地区へ移すわけでございまして、一部分、具体的には陸軍関係になりますけれども、これを牧港の補給地区へ移転させるということでございまして、大部分は嘉手納でございます。
  250. 中路雅弘

    ○中路委員 時期の問題ですが、いまおっしゃったのは具体的に時期はいつごろなのか。先ほどの那覇空港の返還の時期とこの補助施設の問題を一体のものとして考えておられるのか。時期の問題はここには書かれていないわけですけれども、それもお伺いしたいと思います。
  251. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 四十八年度予算におきましては三千七百万円の調査費をお願いしております。したがいまして、四十八年度中にはこの移転に伴いまする調査を行ないまして、四十九年度以降に具体的な移転作業に取りかかる、こういうことになります。
  252. 中路雅弘

    ○中路委員 もう一つお伺いしたいのですが、これも私は、自衛隊の基地を案内していただく際に、向こうの自衛隊の司令からも聞いたんですが、それからほかの質問でもすでに回答されていますが、国道の問題です。ここでいわれている国道三百三十一号、これはたいへん一般交通の障害になっているわけですが、ここで「開放は、日本政府による暫定的安全措置の完了次第実現される」とあるのですが、ここでいわれている「暫定的措置」というのはどういうことなんですか。
  253. 大河原良雄

    大河原(良)政府委員 現在、日米間で具体的に話し合われておりますのは、たとえば、信号灯でありますとか、あるいは歩道橋でありますとか、それからフェンスとか、こういうものを設けてもらいたいという米側の要望に対しまして、日本側が具体的に、どの位置にどういう信号灯あるいは歩道橋というような話を詰めておる段階でございまして、基本的な方向は出てまいっておりますので、この夏ぐらいには開放ということが実現できると期待いたしております。
  254. 中路雅弘

    ○中路委員 これは簡単な、そうむずかしいことじゃないわけですね、いまおっしゃったような施設をつけるということになりますと。これは一日も早く、この夏といわず、できる限りこれは早く開放すべきじゃないかと思うのです。これのまん中が抜けていないために、中心街の交通がいまでも、本土のこちらよりも、私が回ったときなんか、とまったままになって交通渋滞が続くという状態ですから、これは夏といわず一日も早く開放するというふうに私はすべきじゃないかというふうに思います。  それできょうは空港の問題だけ質問したわけですけれども、空港の問題一つ取り上げましても、那覇空港の問題というのは、沖繩返還のときの目玉だといって宣伝されたわけですけれども、実際はまだここにアメリカの空軍もP3も居すわって、しかも返還されたところの大部分は自衛隊が入る。その自衛隊も、あの那覇空港は海軍、陸軍、それから空軍、全部が使用しているというような状態ですし、そういう点で、やはりこの自衛隊がアメリカの施設を、結局、開放といっても全部引き継いでいくという状態で、あの広大な地域がそのまま沖繩県民にとっては開放されないという状態が続いているわけです。その点で、合意された問題については、特に海洋博の問題もあるわけですから、一日も早くこれが返還されるというふうにもっと強力な折衝をすべきじゃないかと思います。特に、いまお話ししましたように、いまでも那覇空港の状態が全くパンク状態になっているというところで、ほんとうに政府が海洋博を考えている場合に、こういう交通問題を含めたそのための具体的な対策を考えられているのだろうかということを疑うような現地の状態なんですね。そういう点で、那覇空港の問題については、一日も早くこういう状態が解決できるような処置をお願いしたいというのと、先ほどお話ししましたように、さらに第二次の折衝の中で、沖繩を中心にして基地の返還の問題が話し合われるわけですけれども、こういった場合に、代替施設提供とか、さらに膨大な負担がかかってくる。この点は私はやはり大きな問題だと思いますし、すでに第一次の関東計画をはじめとしてこの国会でもたびたび論議をされているわけですが、それが目算もない、はっきりとしたあれもなくて、ほんとうにつかみ金ととしてどんどんアメリカに渡されるということは、私は非常に不当なことじゃないか。こういうことでなくて基地が全面的に返還されるようにすべきじゃないかと思うのですが、こういう問題については、またあらためて御質問もし、また自衛隊との関係の問題では、防衛問題の論議のときにでも御質問したいと思いますし、この外務省の問題では、もう一人またあとで議員の質問の予定もありますから、一応これで私は質問を終わらせていただきます。
  255. 三原朝雄

    三原委員長 次回は、来たる四月三日火曜日、午前十時理事会、十時三十分委員会を開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後七時八分散会